博麗神社から見上げる空はいつだって爽快な眺めだ。
こんなに気持ちのいいものを、どうしてここの巫女が一人占めしているのだろうか。まあ神社に用があるということは神様に用があるということで、神様は社に居るのだから誰も空を見上げたりはしないんだろう。霊夢ならば神様が居るのは空でも社でもなくそこのお賽銭箱の中だと言いそうだが、とにかくそういう場所だから人があまり来ないのだと思う。おかげでこの空を横取りできている私としては問題ないのだけれど。
真っ白な雲が高めに漂っている青空よろしく、幻想郷は今日も平和だ。思わず欠伸が漏れてしまうくらい、異変も何事もない。
非常にありがたい話であるのだが、それはそれ。これはこれ。今はこの長閑さにちょっぴり恨めしい想いをしていたりする。
欠伸をした通り、私は眠くてしょうがない。そして寝てくださいと言わんばかりの環境まで整っているというのに、あまり瞼を閉じる気になれない。
それというのも――
「……暇ならどこかで油でも売ってきたら?」
トン、と小気味よく置かれた湯呑みによって思考が中断される。
ついでに聞こえてきたぶぶ漬け食ってろ的な言葉は聞き流して、「サンキュー」と霊夢に言いお茶を頂く。口ではこう言っているもののお茶は熱々より一歩手前の温度。実に旨い。
「その油とやらを霊夢が買ってくれたら次に行けるんだけどな」
「おあいにく様、押し売りは全部お断りだから。それで、目は覚めた?」
ばっちり見られていたのかあの欠伸。誰も見てないと思って口に手をかざすことさえしていない。
返事の言葉を探して「甘い物があったら目も覚めるかも」と言おうとして、欠伸第二射。今度は手をかざしたものの涙が滲んでくる。そして、さっき中断した思考がまた回転し始める。
「まだ眠いわ。これが最近どうにも上手く寝れなくてな」
「ふうん。何か面白いことでもあるの?」
「いや、何かに熱中して寝てないんじゃなくって、夢見が悪いんだ。ここのところ連続して変な夢ばっかり見ているから、今朝もこの通りなんだ」
「悪い夢を見てるわけか」
「これがまた悪夢って言うほどでもないんだよ。なんというか、そう、奇妙な夢って感じかな」
「奇妙、ねぇ」
そう呟いた霊夢は、もう一つの湯呑みにお茶を注いで私の隣に座る。この話題に付き合う気になったらしい。何に気を引かれたかは分からないが、気まぐれというかフィーリングで生きている霊夢の行動に明確な根拠はない。
そうだな。私は眠いから、代理で霊夢に悶々と悩んでもらおう。
「あれだ。早苗から外の世界の事って聞いたことあるか?」
「少しだけなら」
きっと小耳にはさんだ程度だろう。霊夢が積極的に聞くわけがない。かくいう私も聞きかじり程度だけど、それくらいでお互い通じるだろう。
「夢の中で私は、早苗の居た外の世界のようなところに居るんだ。そこでの私は魔法使いをやってなくて、早苗の言うチュウガクセイをやってて、毎日学校に通って、授業受けて、放課後に遊んで、そんな毎日を繰り返している」
「学校ってなんだっけ。寺子屋?」
「大体あってる。その世界にはちゃんと霊夢も居て、私と同じ学校に通っているんだけど、こっちはどういうわけか放課後に巫女をやってる」
「何かの片手間にやれば巫女も楽しいのかしら」
「夢の中でもつまらなさそうにしてたけどな。
問題はここからなんだ。私はその夢のお終いに、どういうわけか小説を読んでいる。パチュリーんとこにあるようなカッチリしたものじゃなくって、好き勝手に書いたような小説を。パソコンの中の世界で」
「パソコンって何?」
「今度にとりに見せてもらえ。パソコンは早苗の言う仮想現実ってものと繋がっていてな。そこには情報しか飛び交っていないんだが、それを多くの人が見ているから現実と呼ぶらしい。私の読んでいる小説もそうした情報の一つで、ごくありふれたジャンクでしかないんだ――けどよ、その小説はどういうわけか幻想郷を舞台にしているんだ」
「ふうん。夢の世界では、私たちの世界は誰かの妄想の産物ってわけ?」
「これが不思議なんだが、どうやら色んな奴が幻想郷を舞台にした小説を書いているんだ。主役も霊夢だったり、あいつなんつったっけ……そうそうキスメだったり、色んなパターンが、それこそ数え切れないくらいある」
「……多くの人が共通の認識で描く架空の世界っていうこと?」
「そういうことらしい。な、おかしな話だろう?」
ただ一人の妄想であれば、まあそういうこともあるだろうで済ませられる。でも同じ認識での妄想というのは奇妙だ。もし大元の基盤となる世界観を持った作品があるとしても、今度は逆に多様化し過ぎているという不思議が湧いてくる。
「だから最近は、もう夢のパターンを覚えちゃっててさ。小説を読んでいるくだりで夢なんだって気がつくんだけど、これが中々起きられなくて。目が覚めても寝た気にならなくて、疲れたまま起きるんだ」
「記憶に残る夢はストレスのサインって聞くけど、自分たちの世界が架空の世界という夢なんて、何が嫌なのかしら」
「むしろこの夢が目下の悩みだけどな」
ストレスのサイン。というのとは少し違う気がする。思い当たる節もないし、「それは~~~だね」と言い当てられてもしっくりはこなさそうだ。
そこまで聞いて満足したのか、霊夢は袖下に隠しておいたお茶菓子を出して一つをこちらに寄こす。金唾ってことはいただきものだな。とにかく糖分をとって頭を働かせよう。うむうむ甘くて旨い餡子だ。
「でもそれ、夢なんでしょう?」
……言わんとすることは分かる。だが。
「ああ、確かにな。でも、妙にリアルな夢だったんだ」
実を言うと、そこが一番の奇妙なところかもしれない。まるで現実に居るかのようなリアリティが、生々しさが、体中にこびりついて離れてくれないのだ。
さてどうしたものだろうか。解決するために動いてみようにも、幻想郷はまた欠伸が出るくらいに平和なままだ。このまま家に帰ってもいいな。確かなんかやりたいことがあったはずだし。
◇◆◇◆◇
目が、覚める。
私を起こしたのは間延びした音色のチャイムだ。それも四時限目が終わって、昼休みを告げる至福なやつ。
つまらない授業が終わった反動だろう。給食はそれほど美味しいわけでもないのに、クラス中がわいわいがやがやと騒ぎながら準備にとりかかる。
当番でもなんでもない私は適当なタイミングで自分の膳を確保しに行き、いつものように霊夢の隣に座「お肉ちょうだい」早えぇぞこら。
この公立中学校の近くに、博麗神社というそこそこ大きい神社がある。そこの子である霊夢は、両親の方針により自宅の食事が六割ほど精進料理なのだという。それって仏教の人がやることだと思うし六割って中途半端な気がするのだがとにかく霊夢はあまり肉を食べられないので、それほど肉に執着していない私はよく給食の一品を分けている。もちろんギブアンドテイク。きのこが出た時は有無を言わさずブン取らせていただいている。だって美味しく食べれる奴が食うのが一番じゃん?
「これが流行りの肉食系女子ってやつか」
「野菜も好きだけど肉はもっと好き」
「ひでえ巫女も居たもんだ。って今日は牛肉か。鶏肉だったら考えたけどこんな乳臭い肉はまるごとくれてやる」
「あらありがとう。でも牛肉ってそんなに臭い?」
「臭ぇくせぇ超臭うって! 高くなればなるほどプンプンするぜ!」
「ふうん。だからきっと魔理沙は小さいのね。色々」
「うっせー」
しかし私より背の高い霊夢に言われてはグゥの音しか出ないのである。
それからいつものようにぐだぐだと昼食時間が過ぎていく。特に大きなイベントの控えていない時期は、こんなものだ。テストという難敵も待ち構えていないのでとても間延びした時間となる。
その最中、ふと霊夢が話しかけてくる。
「そういえば最近よく寝てるけど、なんか面白いことでもあるの?」
確かに四時限目の熟睡っぷりは酷かった。そこそこ面白い先生の授業だったが、夢の内容しか覚えていないほど寝ていたとは。
「ああ。最近親父がパソコンを買ったんだが、使い方が良く分からなかったらしくてな。代わりに私が色々といじくり倒しているんだ」
こちとら小学校の頃にOSのインストールされていないパソコンを授業で使わされた世代だ。最新式のOSのなんと親切なことか。それでもパソコンを扱ったことのない人にはやはり未知の強敵で、霧雨家でパソコンを触るのは私だけになっていた。
「ふうん。で、パソコンで何をしてるのよ」
コンピューターアレルギーな我が家の住人と違い、霊夢には『それが何かをするために使うもの』という認識がある。例え扱えなかったとしてもこの差は大きい。パソコンとは結局のところ、したいことの間に挟むものなのだ。
「ネットサーフィンも飽きたから、最近はネット小説を読んでる」
「あんまり面白くないって聞くけど」
「うむ、そこまで面白い物でもない。内容は陳腐だし、文章もお粗末だな。
でもさ、出版されている小説にはない自由さっていうのがあるんだ」
「売れる必要が無いから、らくがきのような感じがあるってこと?」
「うーん。ま、そんな感じ」
らくがきとはいい表現だ。確かに絵に例えるならそれが一番近いだろう。中にはとても本格的な作品もあるのだけれど、本質的にはその通りと言える。
「今一番面白いのは、東方っていう同人だな」
「それってどんなお話?」
「幻想郷っていうこの世界のどこかにあるとされる、大きな結界によって閉ざされた地域が舞台なんだ。そこにいる結界を司る巫女が、幻想郷の中で妖怪や吸血鬼なんかが起こす色々な異変を解決する。っていうのが大筋のゲームなんだけど、これがまたいい感じにユルくてさ」
「え、ユルいの? 緊迫したシーンとかめくるめく展開とかじゃなくって?」
「うむ、ひじょーにユルい。巫女がすげぇグダグダと異変を解決するところが面白いんだ。ほら、そういうの商業じゃ絶対に売れないだろ?」
「ヘンなの。でも他にないっていうのはいい所ね」
「これの二次創作ってのが面白くてな。本家が簡単な設定しか分からないように描いているから、色んな奴がどんどん妄想を膨らませていくんだ。そういう広がり方が楽しくて、ついつい読みふけっちゃって」
「でも普通、異変を解決するような役って神主がやったりするんじゃないの? 私が 言うのもなんだけど、巫女ってそんなに大した存在じゃないわよ。それっぽい事と言ったら、たまに結界張るくらい」
会話の流れで、そのまま幻想郷に居る巫女のことを思い返すが、ふと妙な違和感を覚えて考え直す。確かその巫女の名前も……。
「どうかしたの。巫女に変なイメージでも抱いていた?」
「やめろよ。お前のところに聖地巡礼ってやってきて写真とりまくる汚いオタクたちと一緒にすんなって。ただちょっと不思議に思ったんだ。幻想郷の巫女がお前と同じ名前をしてたからさ」
「あらやだ。そんなDQNネームが創作の世界にも居るなんて」
「私も大概だけどな。ってそういえば昨日読んだ作品がすげぇ変でさ、なぜか私の名前をした魔法使いが主人公のお話だったんだ。そいで巫女の友達をやっていて……あれ?」
「幻想郷の私たちはテストで名前書くのにいちいち時間割く心配しなくていいわね。ところで魔理沙さっきから夢のことでも話しているの? いくらなんでもそんなのできすぎじゃない」
「いや確かに昨日読んだ小説だよ。さっきの夢は、こう、なんていうか」
なんていうか。思い起こしてみればみるほど、さらにおかしくなっていくような内容だった。
「……でもきっと小説の読みすぎなんだろうな。
夢の中の私は、幻想郷の魔法使いの霧雨魔理沙で、霊夢は大事な巫女で、私は自分で書いた小説を霊夢に見せていたんだ。その夢の小説が、何故かこの普通の現代社会を描いていた」
「そうね、きっと色んな話を読み過ぎてるんじゃないかしら。それとも進路に不安でもあったりするとか」
不安がないことはない。私はできるだけ親元を離れたいと考えているのだが両親は消極的で、全寮制でなければ通えないような高校への進学という希望は、学力と理解の両面で揺さぶられている。
けれど。夢の中の幻想郷は無駄なくらいのリアリティがあった。
「それならもっと簡単な夢を見そうだけどな」
「どちらにしても少し息抜きした方がいいんじゃない? 今日はお家で仕事もないし、どこでも付き合ってあげるわよ」
「え、マジで?」
霊夢はこんなつっけんどんな態度が日常なクセに、誰とでも分け隔てなく接するので妙な人気がある。そうでなくても平日に実家の仕事を手伝っているので、こいつが暇になることは滅多にない。霊夢から遊びに誘われるなんてすごく久しぶりだ。本日の放課後の予定を大幅に変更しよう。
「じゃあゲーセン行こうぜゲーセン。霊夢ってプライズゲーム得意じゃん?」
「また? じゃあプリクラ代くらいはあんたが出してよね」
「お願いしますぅー」
「魔理沙たちゲーセン行くの? じゃああたしたちも……」
と、ここで話を聞きつけた他のクラスメイトたちも加わって来る。
プランあっという間に決まり、私たちは五、六人くらいで近くの街へ行くことにした。
丁度いいところで給食の時間が終わる。そして少しの猶予時間をおいてから、授業が始まる。ううん満腹になったらまた眠くなってきた。体育の授業じゃないから、寝るだろうなぁ。
◆◇◆◇
目が、覚める。
どうもいつの間にか眠りに落ちていたらしい。
しかし、目が覚めると視界がいきなり真っ赤ってすごい怖い。
少しだけ焦るが、すぐに霊夢に膝枕をしてもらっているのだということに気がついて……え、なんで?
「起きた? なら足がしびれたから退いて欲しいんだけど」
少し恨めしそうな目が私を見降ろしてくる。いやいやそのくらいだったら最初からすんなっての。きっとなんとなくやってみたんだろうし。
「悪い。なんだ、寝ちまってたのか私は」
「今日はずっと眠そうにしてたから、そんなもんでしょ」
起き上がってから改めて縁側に座る。霊夢はしびれた足を延ばしてほぐす。それを触っていじめたい衝動が湧きあがるが、既に迷惑をかけているのでパス。霊夢の仕返しは正直怖い。
寝る前は、どうやら夢の話をしていたらしい。金唾の包装紙と飲み干された湯呑みが手元にあった。
「寝たけど……やっぱり夢見が悪い」
「特にうなされていたって感じはなかったけど」
「寝顔見てんじゃねーよ」
「私も寝てたけど。で、また似たような夢だったの?」
「ああ、さっき話してた向こうの世界の私っていう夢だった。今度は、その世界の私が幻想郷のことを描いた小説を話題に出していて、その描かれた小説の幻想郷に居る私まで小説を書いてて、それが現代社会のことを描いていたんだ」
「なにそれ。こんがらがり過ぎよ」
「ああ本当に。話しているこっちまで、どこまでが現実でどこまでか夢なのか、分からなくなっちまいそうだ」
まさか。今のこの私たちでさえ、誰かの描いた妄想の産物だったりするのだろうか。
そんなことを疑い出したらキリがない――でも、違和感になるほどのリアリティがまだ記憶に残っている。夢なら夢ってもっとハッキリしてりゃいいのに。
「なあ霊夢、お前だったらこう言う時どうする?」
思わず簡単な逃避を口にしてみる。
霊夢らしいザクっとした切り返しを期待して、目を向けてみる。
が、霊夢までとても真面目な表情をしてこちらを向いて。
「じゃあ、今この瞬間も夢の中だったりして」
なんて、末恐ろしいことを言う。
正直、そういうのは口にしてほしくなかった。
「……冗談やめろよ」
「冗談にしなければいいのよ」
「どうやって?」
「定番につねってみるとか」
霊夢が私のほっぺたを両手で摘んで、つねる。
「ちょ、痛ぇ! いたたたバカ手加減くらいしろって!」
「袴に涎を垂らすような奴にはいらないと思うの」
「ごめんごめん悪かったから、ぃ痛ぇぇぇぇ!」
やっと離す。くっそ涙が出るほどつねりやがって。
「でもこれで大丈夫でしょ」
「ああまったくありがとよ」
うむ、これくらいやってくれた方が今の私には丁度いいのかもしれない。眠気も少しは紛れたし、あとは寝た時にまともな夢を見るかどうかか。家で寝てもいいけど、ここは環境を変えて神社で泊ってしまうか。やらなければいけないことは済ませてきたし、やりたかったことはまあ、思い出せない程度のことなんだろう。
◇◆◇◆
あまりの痛みに飛び起きる。また寝てしまっていたらしい。
そして、私をつねって起こしたのは霊夢だった。
「……痛えんだけど。次はもっと優しく頼む」
「HRまで寝てる奴が悪い。ほら、みんな待ってるから行くわよ」
そうか。そういえば遊びに行く約束をしていたんだっけ。
すぐに支度を整えて、待っていた級友たちと合流し、学校を出る。
今日は最後まで授業の詰まってない日だったので、頑張れば時間はある方だ。私たちは人数より少ない台数の自転車に跨り、街へと行く。
カラオケまではできなかったけれど、本屋とゲーセンを巡れたので結果は上々。相変わらず霊夢はUFOキャッチャーが上手く、プリクラで自分から笑わないのでみんなから遊ばれるのであった。設定は一番イジるのにな。
そうやって遊んだ帰り道。みんなと別れて、互いに家の近い私と霊夢の二人になる。残念なことに私たちは徒歩通学なので、夕日を背中に浴びて黄昏つつ歩くしかないのである。
「いやぁ楽しかった。特に今回はベストショットだったな」
「……首筋に冷えた缶ジュースつけるなんてあんまりじゃない」
「真面目に私じゃないからなー。文句はそちらへ」
「ま、いいわ。気分転換にもなったみたいだし」
あれ、その発言は霊夢自身にではなく、私に向けてのものか?
そりゃたしかに夢のことなんて忘れてたくらいだけれど、なんだって霊夢がそんなに心配するのだろうか。
いつものこいつだったら気のせいだからと流しそうなものなのに。
「なあ、霊夢」
そう訊ねるのと、霊夢が立ち止まるのはほぼ同時だった。
霊夢は後ろへ振り返っている。私も同じように立ち止まって、振り返る。
そこに、夕日に背中を向けて立っている、見知った顔の人がいた。
「八雲先輩」
「紫さん」
名前を呼ばれて、私たちの家の近くに住んでいる高校生のお姉さん――八雲紫は、ブレザーの制服姿のままで優しげに微笑む。
「二人とも、また街で遊んできたの?」
「あ、うん。ちょっと息抜きに」
「それだけ元気があるなら大丈夫――と言いたいところだけれど、魔理沙はそうでもないみたいね」
元々この人は霊夢と親しくしていたのだが、霊夢と私がよく接するようになってくると、いつの間にか私のことも構うようになっていたのだ。呼び方がまあ距離感の差なんだけれど、勘の鋭さについてはまったく差がないらしい。おかげで妙な汗まで出てくる。
「どうしたの、魔理沙?」
霊夢も私の変化に気付いたらしい。
「ああ、うん。夢の中にもさ、八雲先輩が居たもんで、ちょっとな」
もっとも、夢の中の八雲先輩は幻想郷を担う大妖怪の一人で、所構わずスキマを作っては不敵な発言を繰り返す胡散臭いキャラなのだが、現実の先輩も中々……って、あれ?
今するりと夢の中って思ったけれど、幻想郷は創作の中のお話のはずで。
夢の中での私は、幻想郷で現代社会のことを創作していて。
いけない。なんか、思考が混濁している。
どっちが創作の中のお話で。
何が夢の中のお話で。
何処が現実の出来事で。
「――魔理沙、胡蝶の夢っていうお話を知っているかしら」
「……いいや、知らない」
夢という単語には嫌な予感しかしない。けれど八雲先輩は、夕焼けに表情を隠して滔々と語り出す。
「孫子は、夢の中で蝶になって空を飛んでいた。しかし目が覚めると、孫子は紛れもなく孫子であった。
ふと彼は思った――孫子が蝶になる夢を見ていたのか。それとも、蝶が孫子になる夢を見ていたのか」
「紫さん、ちょっと」
「ねえ魔理沙。この世界が、誰かの夢の産物でない。なんていう保証はどこの誰にもできないのよ」
「でもここは、現実だろう?」
「ええ、現実ね。
だからと言って、夢が現実ではないと言い切れるの? 現実に居るあなたが見たのだから、それはある意味では現実の中の出来事じゃない」
屁理屈だ。こいつが時々言う、いつもの胡散臭い話だ。
けれど。
「紫さん。からかい過ぎ」
と、急に霊夢が私の手を取り、歩き出す。
少しだけ躊躇うものの、八雲先輩は特に止める様子もないので、そのままありがたく引っ張られることにする。危うくおかしな所へ引きずり込まれそうだった。
そう、ここは現実なんだ。霊夢の手があって、私はアスファルトを踏めて、家に帰れば家族の待っている。そんな、はずの。
◆◇◆
目が、覚める。
もう何度めだろうか。何十回と繰り返しているような気がする。いや、むしろまた夢を見ているのではないかという気さえしてくる。
私が居るのは博麗神社だ。今度は情け容赦なく放置されてしまったらしく、周囲のお茶セットは片付けられてしまっていた。深い夕日と相成って、なんだかとても物悲しい。
霊夢の姿はなく、代わりに八雲紫が居た。
こいつがここに居るということは、ほぼ間違いなく霊夢に用があるはず。だから縁側に座って、私の寝顔を楽しんでいたなんて何かの間違いにも近い現象だ。
「……おい、紫」
呼ばれて紫は、足をぶらぶらさせながら視線を何処かへ投げる。口を開く気配はない。
「私に用があるならさっさと済ませてくれ。もう帰るから」
「つれないのね。これから幽々子も来るのに」
「分かったすぐ返る。今は蝶を見たくないんだ」
「幽々子がとっておきのお酒を持ってきても?」
「……酔っぱらうのは試して無かったな」
なるほどお酒という手段は思いつかなかった。夢なんて見ないくらい泥酔してしまえばいいのかもしれない。ここはぐっと我慢してお泊りプランを続行しよう。
飛び去ろうとした腰とほうきを再び縁側に落ちつける。そして、こちらに絡みつく紫の視線を解くように向き直る。
「帰るのはやめた。で、もう一回だけ聞くけど私になんか用でもあるのか?」
「用事はないけれど、要件ならあるわ」
「どっちも一緒だろ。さっさとしろ」
「あるのは私でなくあなたじゃなくて?」
つまり、私が紫に何かを聞きたいと。
何かを探そうとしたものの、最初にぱっと思いついただけの言葉がいつのまにか口から洩れていた。
「じゃあ一つ。外の世界ってどんなんなんだ?」
もし、夢と現実が錯綜しているのだとしたら、こいつなら何か手掛かりを知っているのかもしれない。ただの噂だが、こいつは外の世界を知っているらしい。
私の僅かな期待は。八雲紫の浮かべる満面の笑みによって。
「そうね――蝶も、孫子も居るような世界よ」
見事に吹き飛ばされた。
それ以上の話は聞きたくないとほうきを手に取るが、紫の言葉を聞いた途端に、ずっと思いだせなかった『やりたいこと』を思い出してしまい、腰が持ち上がらなくなる。
どうして私は、帰って小説を書きたいなんて思ったのか。それも、書きかけの続きをだ。
書き始めた記憶さえないものが、どうして。
◇◆◇
目が覚める。
どうやら自分の部屋でうたた寝をしてしまっていたらしい。
目の前では、最新式のノートパソコンが煌々と光を放ちながら、仮想世界とつながっていた。
私はまたネットの小説を読もうとしていたようだ。幻想郷を舞台にしたくだらないお話たちを、だ。
寝る前の私は一体どういうつもりだったのだろう。今の私には到底、それを楽しめそうにもないというのに。
ブラウザを閉じようとして画面を見ると、デスクトップに一つのテキストファイルがあることに気がつく。タイトルからして、私は東方の二次創作を書くつもりになっていたようだ。というかファイルサイズを見るとそこそこの分量があった。随分書いているらしい。いやそもそも最初の放課後の予定は、これの続きを書くことだった気がする。
どんな話を書いていたのか確かめようとして……ドラッグしてゴミ箱へと放り込む。
今は書きたくないし、読みたくもない。
そう、私は少し幻想郷のお話に浸かり過ぎたんだ。
やめだやめ。しばらく読まないし、書かない。
◆◇
目が覚める。
博麗神社の境内で紫と幽々子と霊夢と妖夢と私が酒を飲んでいる。
だが。まだ酔い始めた程度なのに視界が急にぼやけていき、良く分からないままに意識がブラックアウトした。
◇◆
目が覚める。
もう深夜という時間に、パソコンの電源が突然切れた。
さらに、視界の中にあるベッドや、机や、パソコンなど色んなものが消えていく。
最後に、私も消えた。
◆
目が覚める。
そんな気がしただけで、私の意識は電子の砂嵐のような空間にあった。
◇……
◆……
◇…
◆…
◇
…
目が、いや目なんてあっただろうか。
というか私は、そもそもこの世に存在していたのだろうか。
もう何度も目覚めを繰り返して、何もかも擦り切れて無くなってしまったような気がする。
あれだけ寝たのに、眠気だけが私の思考を占領していく。その他の事なんて何も感じていないのに、猛烈に眠たい。
ああ、うん。どうせ寝てしまっても不都合なんてないしなぁ。
きっと私は、どこにあるものでもなかったのだろう……。
「魔理沙!」
ほんの、一瞬。
視界に見覚えのあった顔が現れて、すぐ消えて。
私と思われるものに、お札が張られた。
お札が貼られたということは、私には形がある。
でもお札を張りっぱなしというのは恥ずかしいので、これを剥がしたい。
剥がせるということは私には手があって、ああ見えた。
手があるなら足もあるはずで、足があるということは胴も、頭もあって、つまり私はやはり、私なのであった。
ただ、そうして自分自身を取り戻したところで、意識はやはりどこか知らない場所にあった。
それは幻想郷の中なのかもしれないし、地球の日本の現代社会の中なのかもしれない――いや、そのどちらでもないと言ったところか。
だって意識すればお父さんがまた新しい物を買ってきたのも見れるし、紫が美味しそうな御摘みを持ってきたのも見れる。きっと強く意識すればまた元に戻れるだろう。そしてそのどちらにでも行ける、という気がする。
ああ、そうか。そういうことなのか。
どちらが現実かなんて、くだらない話だったんだ。
私はただ、あるかどうか分からない世界のことを想像していればいいんだ。
きっとどこかの誰かもそうしているのだろうし。
だから私たちは、在るのだろうから。
◇◆◇◆◇◆
翌日、私は神社へ遊びに行く。
天気は生憎の曇りだが、雨の降りそうな気配はない。太陽も雨も、ちょっと休憩をしているような、そんな日だ。
すぐに霊夢を呼びつけて、持ってきた小説を読ませてみる。起きたらどういうわけだか書き上がっていたのでとりあえず誰かに読んでもらうことにしたのだ。書いた記憶なんて無いのにな。
やってきた霊夢は渋々といった調子で原稿を受け取って目を通していき、二枚三枚とページをめくって律儀に最後まで読み終えてから、スパンと地面に原稿を投げ捨てた。
「なんで私が! 紫と! キスしなきゃいけないのよ!」
「バッキャロ、百合ってものをよく分かってないな。ガチレズまで進んだらドン引きだろうが」
「言いたいことは分かるけど、実際読んだ当人からしたらこれでも十分ドン引きだから。っていうかこんなの書いたあんたにドン引きしてるから」
「つまり、上手く書けてるってことだな。よしじゃあ誰か他の人にも読んでもらうか」
「ちょ、バカやめなさい! 色んな意味で!」
あっはっは。これこれ、やっぱり霊夢はいじり甲斐があるな。
自分で捨てた原稿を私より先にと拾い上げた霊夢は、すぐにそれを破いてしまった。ま、流石にあれを当人たち以外に見せようとは思わない。文化としては興味はあったけれど、私が本当にそういう趣向かどうか分かるのはもっと先だろうし。それまでに誤解を広めたくはない。
破いた原稿を捨ててきて、ようやく霊夢も気が済んだらしい。笑い転げていた私を見て、はぁとため息をつく。
「まったく、心配して損した。それで、夢はもういいの?」
「夢? ああ、昨日はばっちり熟睡してたぜ」
「問題なさそうね」
「どした、えらく心配するな」
すると、なぜか霊夢は一拍の間を置いた。
そして呆としたような、どこか奥の見えない表情を浮かべて、言う。
「――浮世であれ空想であれ、巫女としての私が現れるなら、そこは『私の結界の中』だから」
……思わず笑いが引っ込む。
もし今の発言が本当だとしたら、目の前の少女は一体なんだというのだ。
いや、もしかして。神様は空にも社にも、お賽銭箱の中にさえ居なくて。
「ところで魔理沙。あなたは今、『何処』にいるの」
何を言っているんだ。今の私は間違いなく、現実の世界に……
こんなに気持ちのいいものを、どうしてここの巫女が一人占めしているのだろうか。まあ神社に用があるということは神様に用があるということで、神様は社に居るのだから誰も空を見上げたりはしないんだろう。霊夢ならば神様が居るのは空でも社でもなくそこのお賽銭箱の中だと言いそうだが、とにかくそういう場所だから人があまり来ないのだと思う。おかげでこの空を横取りできている私としては問題ないのだけれど。
真っ白な雲が高めに漂っている青空よろしく、幻想郷は今日も平和だ。思わず欠伸が漏れてしまうくらい、異変も何事もない。
非常にありがたい話であるのだが、それはそれ。これはこれ。今はこの長閑さにちょっぴり恨めしい想いをしていたりする。
欠伸をした通り、私は眠くてしょうがない。そして寝てくださいと言わんばかりの環境まで整っているというのに、あまり瞼を閉じる気になれない。
それというのも――
「……暇ならどこかで油でも売ってきたら?」
トン、と小気味よく置かれた湯呑みによって思考が中断される。
ついでに聞こえてきたぶぶ漬け食ってろ的な言葉は聞き流して、「サンキュー」と霊夢に言いお茶を頂く。口ではこう言っているもののお茶は熱々より一歩手前の温度。実に旨い。
「その油とやらを霊夢が買ってくれたら次に行けるんだけどな」
「おあいにく様、押し売りは全部お断りだから。それで、目は覚めた?」
ばっちり見られていたのかあの欠伸。誰も見てないと思って口に手をかざすことさえしていない。
返事の言葉を探して「甘い物があったら目も覚めるかも」と言おうとして、欠伸第二射。今度は手をかざしたものの涙が滲んでくる。そして、さっき中断した思考がまた回転し始める。
「まだ眠いわ。これが最近どうにも上手く寝れなくてな」
「ふうん。何か面白いことでもあるの?」
「いや、何かに熱中して寝てないんじゃなくって、夢見が悪いんだ。ここのところ連続して変な夢ばっかり見ているから、今朝もこの通りなんだ」
「悪い夢を見てるわけか」
「これがまた悪夢って言うほどでもないんだよ。なんというか、そう、奇妙な夢って感じかな」
「奇妙、ねぇ」
そう呟いた霊夢は、もう一つの湯呑みにお茶を注いで私の隣に座る。この話題に付き合う気になったらしい。何に気を引かれたかは分からないが、気まぐれというかフィーリングで生きている霊夢の行動に明確な根拠はない。
そうだな。私は眠いから、代理で霊夢に悶々と悩んでもらおう。
「あれだ。早苗から外の世界の事って聞いたことあるか?」
「少しだけなら」
きっと小耳にはさんだ程度だろう。霊夢が積極的に聞くわけがない。かくいう私も聞きかじり程度だけど、それくらいでお互い通じるだろう。
「夢の中で私は、早苗の居た外の世界のようなところに居るんだ。そこでの私は魔法使いをやってなくて、早苗の言うチュウガクセイをやってて、毎日学校に通って、授業受けて、放課後に遊んで、そんな毎日を繰り返している」
「学校ってなんだっけ。寺子屋?」
「大体あってる。その世界にはちゃんと霊夢も居て、私と同じ学校に通っているんだけど、こっちはどういうわけか放課後に巫女をやってる」
「何かの片手間にやれば巫女も楽しいのかしら」
「夢の中でもつまらなさそうにしてたけどな。
問題はここからなんだ。私はその夢のお終いに、どういうわけか小説を読んでいる。パチュリーんとこにあるようなカッチリしたものじゃなくって、好き勝手に書いたような小説を。パソコンの中の世界で」
「パソコンって何?」
「今度にとりに見せてもらえ。パソコンは早苗の言う仮想現実ってものと繋がっていてな。そこには情報しか飛び交っていないんだが、それを多くの人が見ているから現実と呼ぶらしい。私の読んでいる小説もそうした情報の一つで、ごくありふれたジャンクでしかないんだ――けどよ、その小説はどういうわけか幻想郷を舞台にしているんだ」
「ふうん。夢の世界では、私たちの世界は誰かの妄想の産物ってわけ?」
「これが不思議なんだが、どうやら色んな奴が幻想郷を舞台にした小説を書いているんだ。主役も霊夢だったり、あいつなんつったっけ……そうそうキスメだったり、色んなパターンが、それこそ数え切れないくらいある」
「……多くの人が共通の認識で描く架空の世界っていうこと?」
「そういうことらしい。な、おかしな話だろう?」
ただ一人の妄想であれば、まあそういうこともあるだろうで済ませられる。でも同じ認識での妄想というのは奇妙だ。もし大元の基盤となる世界観を持った作品があるとしても、今度は逆に多様化し過ぎているという不思議が湧いてくる。
「だから最近は、もう夢のパターンを覚えちゃっててさ。小説を読んでいるくだりで夢なんだって気がつくんだけど、これが中々起きられなくて。目が覚めても寝た気にならなくて、疲れたまま起きるんだ」
「記憶に残る夢はストレスのサインって聞くけど、自分たちの世界が架空の世界という夢なんて、何が嫌なのかしら」
「むしろこの夢が目下の悩みだけどな」
ストレスのサイン。というのとは少し違う気がする。思い当たる節もないし、「それは~~~だね」と言い当てられてもしっくりはこなさそうだ。
そこまで聞いて満足したのか、霊夢は袖下に隠しておいたお茶菓子を出して一つをこちらに寄こす。金唾ってことはいただきものだな。とにかく糖分をとって頭を働かせよう。うむうむ甘くて旨い餡子だ。
「でもそれ、夢なんでしょう?」
……言わんとすることは分かる。だが。
「ああ、確かにな。でも、妙にリアルな夢だったんだ」
実を言うと、そこが一番の奇妙なところかもしれない。まるで現実に居るかのようなリアリティが、生々しさが、体中にこびりついて離れてくれないのだ。
さてどうしたものだろうか。解決するために動いてみようにも、幻想郷はまた欠伸が出るくらいに平和なままだ。このまま家に帰ってもいいな。確かなんかやりたいことがあったはずだし。
◇◆◇◆◇
目が、覚める。
私を起こしたのは間延びした音色のチャイムだ。それも四時限目が終わって、昼休みを告げる至福なやつ。
つまらない授業が終わった反動だろう。給食はそれほど美味しいわけでもないのに、クラス中がわいわいがやがやと騒ぎながら準備にとりかかる。
当番でもなんでもない私は適当なタイミングで自分の膳を確保しに行き、いつものように霊夢の隣に座「お肉ちょうだい」早えぇぞこら。
この公立中学校の近くに、博麗神社というそこそこ大きい神社がある。そこの子である霊夢は、両親の方針により自宅の食事が六割ほど精進料理なのだという。それって仏教の人がやることだと思うし六割って中途半端な気がするのだがとにかく霊夢はあまり肉を食べられないので、それほど肉に執着していない私はよく給食の一品を分けている。もちろんギブアンドテイク。きのこが出た時は有無を言わさずブン取らせていただいている。だって美味しく食べれる奴が食うのが一番じゃん?
「これが流行りの肉食系女子ってやつか」
「野菜も好きだけど肉はもっと好き」
「ひでえ巫女も居たもんだ。って今日は牛肉か。鶏肉だったら考えたけどこんな乳臭い肉はまるごとくれてやる」
「あらありがとう。でも牛肉ってそんなに臭い?」
「臭ぇくせぇ超臭うって! 高くなればなるほどプンプンするぜ!」
「ふうん。だからきっと魔理沙は小さいのね。色々」
「うっせー」
しかし私より背の高い霊夢に言われてはグゥの音しか出ないのである。
それからいつものようにぐだぐだと昼食時間が過ぎていく。特に大きなイベントの控えていない時期は、こんなものだ。テストという難敵も待ち構えていないのでとても間延びした時間となる。
その最中、ふと霊夢が話しかけてくる。
「そういえば最近よく寝てるけど、なんか面白いことでもあるの?」
確かに四時限目の熟睡っぷりは酷かった。そこそこ面白い先生の授業だったが、夢の内容しか覚えていないほど寝ていたとは。
「ああ。最近親父がパソコンを買ったんだが、使い方が良く分からなかったらしくてな。代わりに私が色々といじくり倒しているんだ」
こちとら小学校の頃にOSのインストールされていないパソコンを授業で使わされた世代だ。最新式のOSのなんと親切なことか。それでもパソコンを扱ったことのない人にはやはり未知の強敵で、霧雨家でパソコンを触るのは私だけになっていた。
「ふうん。で、パソコンで何をしてるのよ」
コンピューターアレルギーな我が家の住人と違い、霊夢には『それが何かをするために使うもの』という認識がある。例え扱えなかったとしてもこの差は大きい。パソコンとは結局のところ、したいことの間に挟むものなのだ。
「ネットサーフィンも飽きたから、最近はネット小説を読んでる」
「あんまり面白くないって聞くけど」
「うむ、そこまで面白い物でもない。内容は陳腐だし、文章もお粗末だな。
でもさ、出版されている小説にはない自由さっていうのがあるんだ」
「売れる必要が無いから、らくがきのような感じがあるってこと?」
「うーん。ま、そんな感じ」
らくがきとはいい表現だ。確かに絵に例えるならそれが一番近いだろう。中にはとても本格的な作品もあるのだけれど、本質的にはその通りと言える。
「今一番面白いのは、東方っていう同人だな」
「それってどんなお話?」
「幻想郷っていうこの世界のどこかにあるとされる、大きな結界によって閉ざされた地域が舞台なんだ。そこにいる結界を司る巫女が、幻想郷の中で妖怪や吸血鬼なんかが起こす色々な異変を解決する。っていうのが大筋のゲームなんだけど、これがまたいい感じにユルくてさ」
「え、ユルいの? 緊迫したシーンとかめくるめく展開とかじゃなくって?」
「うむ、ひじょーにユルい。巫女がすげぇグダグダと異変を解決するところが面白いんだ。ほら、そういうの商業じゃ絶対に売れないだろ?」
「ヘンなの。でも他にないっていうのはいい所ね」
「これの二次創作ってのが面白くてな。本家が簡単な設定しか分からないように描いているから、色んな奴がどんどん妄想を膨らませていくんだ。そういう広がり方が楽しくて、ついつい読みふけっちゃって」
「でも普通、異変を解決するような役って神主がやったりするんじゃないの? 私が 言うのもなんだけど、巫女ってそんなに大した存在じゃないわよ。それっぽい事と言ったら、たまに結界張るくらい」
会話の流れで、そのまま幻想郷に居る巫女のことを思い返すが、ふと妙な違和感を覚えて考え直す。確かその巫女の名前も……。
「どうかしたの。巫女に変なイメージでも抱いていた?」
「やめろよ。お前のところに聖地巡礼ってやってきて写真とりまくる汚いオタクたちと一緒にすんなって。ただちょっと不思議に思ったんだ。幻想郷の巫女がお前と同じ名前をしてたからさ」
「あらやだ。そんなDQNネームが創作の世界にも居るなんて」
「私も大概だけどな。ってそういえば昨日読んだ作品がすげぇ変でさ、なぜか私の名前をした魔法使いが主人公のお話だったんだ。そいで巫女の友達をやっていて……あれ?」
「幻想郷の私たちはテストで名前書くのにいちいち時間割く心配しなくていいわね。ところで魔理沙さっきから夢のことでも話しているの? いくらなんでもそんなのできすぎじゃない」
「いや確かに昨日読んだ小説だよ。さっきの夢は、こう、なんていうか」
なんていうか。思い起こしてみればみるほど、さらにおかしくなっていくような内容だった。
「……でもきっと小説の読みすぎなんだろうな。
夢の中の私は、幻想郷の魔法使いの霧雨魔理沙で、霊夢は大事な巫女で、私は自分で書いた小説を霊夢に見せていたんだ。その夢の小説が、何故かこの普通の現代社会を描いていた」
「そうね、きっと色んな話を読み過ぎてるんじゃないかしら。それとも進路に不安でもあったりするとか」
不安がないことはない。私はできるだけ親元を離れたいと考えているのだが両親は消極的で、全寮制でなければ通えないような高校への進学という希望は、学力と理解の両面で揺さぶられている。
けれど。夢の中の幻想郷は無駄なくらいのリアリティがあった。
「それならもっと簡単な夢を見そうだけどな」
「どちらにしても少し息抜きした方がいいんじゃない? 今日はお家で仕事もないし、どこでも付き合ってあげるわよ」
「え、マジで?」
霊夢はこんなつっけんどんな態度が日常なクセに、誰とでも分け隔てなく接するので妙な人気がある。そうでなくても平日に実家の仕事を手伝っているので、こいつが暇になることは滅多にない。霊夢から遊びに誘われるなんてすごく久しぶりだ。本日の放課後の予定を大幅に変更しよう。
「じゃあゲーセン行こうぜゲーセン。霊夢ってプライズゲーム得意じゃん?」
「また? じゃあプリクラ代くらいはあんたが出してよね」
「お願いしますぅー」
「魔理沙たちゲーセン行くの? じゃああたしたちも……」
と、ここで話を聞きつけた他のクラスメイトたちも加わって来る。
プランあっという間に決まり、私たちは五、六人くらいで近くの街へ行くことにした。
丁度いいところで給食の時間が終わる。そして少しの猶予時間をおいてから、授業が始まる。ううん満腹になったらまた眠くなってきた。体育の授業じゃないから、寝るだろうなぁ。
◆◇◆◇
目が、覚める。
どうもいつの間にか眠りに落ちていたらしい。
しかし、目が覚めると視界がいきなり真っ赤ってすごい怖い。
少しだけ焦るが、すぐに霊夢に膝枕をしてもらっているのだということに気がついて……え、なんで?
「起きた? なら足がしびれたから退いて欲しいんだけど」
少し恨めしそうな目が私を見降ろしてくる。いやいやそのくらいだったら最初からすんなっての。きっとなんとなくやってみたんだろうし。
「悪い。なんだ、寝ちまってたのか私は」
「今日はずっと眠そうにしてたから、そんなもんでしょ」
起き上がってから改めて縁側に座る。霊夢はしびれた足を延ばしてほぐす。それを触っていじめたい衝動が湧きあがるが、既に迷惑をかけているのでパス。霊夢の仕返しは正直怖い。
寝る前は、どうやら夢の話をしていたらしい。金唾の包装紙と飲み干された湯呑みが手元にあった。
「寝たけど……やっぱり夢見が悪い」
「特にうなされていたって感じはなかったけど」
「寝顔見てんじゃねーよ」
「私も寝てたけど。で、また似たような夢だったの?」
「ああ、さっき話してた向こうの世界の私っていう夢だった。今度は、その世界の私が幻想郷のことを描いた小説を話題に出していて、その描かれた小説の幻想郷に居る私まで小説を書いてて、それが現代社会のことを描いていたんだ」
「なにそれ。こんがらがり過ぎよ」
「ああ本当に。話しているこっちまで、どこまでが現実でどこまでか夢なのか、分からなくなっちまいそうだ」
まさか。今のこの私たちでさえ、誰かの描いた妄想の産物だったりするのだろうか。
そんなことを疑い出したらキリがない――でも、違和感になるほどのリアリティがまだ記憶に残っている。夢なら夢ってもっとハッキリしてりゃいいのに。
「なあ霊夢、お前だったらこう言う時どうする?」
思わず簡単な逃避を口にしてみる。
霊夢らしいザクっとした切り返しを期待して、目を向けてみる。
が、霊夢までとても真面目な表情をしてこちらを向いて。
「じゃあ、今この瞬間も夢の中だったりして」
なんて、末恐ろしいことを言う。
正直、そういうのは口にしてほしくなかった。
「……冗談やめろよ」
「冗談にしなければいいのよ」
「どうやって?」
「定番につねってみるとか」
霊夢が私のほっぺたを両手で摘んで、つねる。
「ちょ、痛ぇ! いたたたバカ手加減くらいしろって!」
「袴に涎を垂らすような奴にはいらないと思うの」
「ごめんごめん悪かったから、ぃ痛ぇぇぇぇ!」
やっと離す。くっそ涙が出るほどつねりやがって。
「でもこれで大丈夫でしょ」
「ああまったくありがとよ」
うむ、これくらいやってくれた方が今の私には丁度いいのかもしれない。眠気も少しは紛れたし、あとは寝た時にまともな夢を見るかどうかか。家で寝てもいいけど、ここは環境を変えて神社で泊ってしまうか。やらなければいけないことは済ませてきたし、やりたかったことはまあ、思い出せない程度のことなんだろう。
◇◆◇◆
あまりの痛みに飛び起きる。また寝てしまっていたらしい。
そして、私をつねって起こしたのは霊夢だった。
「……痛えんだけど。次はもっと優しく頼む」
「HRまで寝てる奴が悪い。ほら、みんな待ってるから行くわよ」
そうか。そういえば遊びに行く約束をしていたんだっけ。
すぐに支度を整えて、待っていた級友たちと合流し、学校を出る。
今日は最後まで授業の詰まってない日だったので、頑張れば時間はある方だ。私たちは人数より少ない台数の自転車に跨り、街へと行く。
カラオケまではできなかったけれど、本屋とゲーセンを巡れたので結果は上々。相変わらず霊夢はUFOキャッチャーが上手く、プリクラで自分から笑わないのでみんなから遊ばれるのであった。設定は一番イジるのにな。
そうやって遊んだ帰り道。みんなと別れて、互いに家の近い私と霊夢の二人になる。残念なことに私たちは徒歩通学なので、夕日を背中に浴びて黄昏つつ歩くしかないのである。
「いやぁ楽しかった。特に今回はベストショットだったな」
「……首筋に冷えた缶ジュースつけるなんてあんまりじゃない」
「真面目に私じゃないからなー。文句はそちらへ」
「ま、いいわ。気分転換にもなったみたいだし」
あれ、その発言は霊夢自身にではなく、私に向けてのものか?
そりゃたしかに夢のことなんて忘れてたくらいだけれど、なんだって霊夢がそんなに心配するのだろうか。
いつものこいつだったら気のせいだからと流しそうなものなのに。
「なあ、霊夢」
そう訊ねるのと、霊夢が立ち止まるのはほぼ同時だった。
霊夢は後ろへ振り返っている。私も同じように立ち止まって、振り返る。
そこに、夕日に背中を向けて立っている、見知った顔の人がいた。
「八雲先輩」
「紫さん」
名前を呼ばれて、私たちの家の近くに住んでいる高校生のお姉さん――八雲紫は、ブレザーの制服姿のままで優しげに微笑む。
「二人とも、また街で遊んできたの?」
「あ、うん。ちょっと息抜きに」
「それだけ元気があるなら大丈夫――と言いたいところだけれど、魔理沙はそうでもないみたいね」
元々この人は霊夢と親しくしていたのだが、霊夢と私がよく接するようになってくると、いつの間にか私のことも構うようになっていたのだ。呼び方がまあ距離感の差なんだけれど、勘の鋭さについてはまったく差がないらしい。おかげで妙な汗まで出てくる。
「どうしたの、魔理沙?」
霊夢も私の変化に気付いたらしい。
「ああ、うん。夢の中にもさ、八雲先輩が居たもんで、ちょっとな」
もっとも、夢の中の八雲先輩は幻想郷を担う大妖怪の一人で、所構わずスキマを作っては不敵な発言を繰り返す胡散臭いキャラなのだが、現実の先輩も中々……って、あれ?
今するりと夢の中って思ったけれど、幻想郷は創作の中のお話のはずで。
夢の中での私は、幻想郷で現代社会のことを創作していて。
いけない。なんか、思考が混濁している。
どっちが創作の中のお話で。
何が夢の中のお話で。
何処が現実の出来事で。
「――魔理沙、胡蝶の夢っていうお話を知っているかしら」
「……いいや、知らない」
夢という単語には嫌な予感しかしない。けれど八雲先輩は、夕焼けに表情を隠して滔々と語り出す。
「孫子は、夢の中で蝶になって空を飛んでいた。しかし目が覚めると、孫子は紛れもなく孫子であった。
ふと彼は思った――孫子が蝶になる夢を見ていたのか。それとも、蝶が孫子になる夢を見ていたのか」
「紫さん、ちょっと」
「ねえ魔理沙。この世界が、誰かの夢の産物でない。なんていう保証はどこの誰にもできないのよ」
「でもここは、現実だろう?」
「ええ、現実ね。
だからと言って、夢が現実ではないと言い切れるの? 現実に居るあなたが見たのだから、それはある意味では現実の中の出来事じゃない」
屁理屈だ。こいつが時々言う、いつもの胡散臭い話だ。
けれど。
「紫さん。からかい過ぎ」
と、急に霊夢が私の手を取り、歩き出す。
少しだけ躊躇うものの、八雲先輩は特に止める様子もないので、そのままありがたく引っ張られることにする。危うくおかしな所へ引きずり込まれそうだった。
そう、ここは現実なんだ。霊夢の手があって、私はアスファルトを踏めて、家に帰れば家族の待っている。そんな、はずの。
◆◇◆
目が、覚める。
もう何度めだろうか。何十回と繰り返しているような気がする。いや、むしろまた夢を見ているのではないかという気さえしてくる。
私が居るのは博麗神社だ。今度は情け容赦なく放置されてしまったらしく、周囲のお茶セットは片付けられてしまっていた。深い夕日と相成って、なんだかとても物悲しい。
霊夢の姿はなく、代わりに八雲紫が居た。
こいつがここに居るということは、ほぼ間違いなく霊夢に用があるはず。だから縁側に座って、私の寝顔を楽しんでいたなんて何かの間違いにも近い現象だ。
「……おい、紫」
呼ばれて紫は、足をぶらぶらさせながら視線を何処かへ投げる。口を開く気配はない。
「私に用があるならさっさと済ませてくれ。もう帰るから」
「つれないのね。これから幽々子も来るのに」
「分かったすぐ返る。今は蝶を見たくないんだ」
「幽々子がとっておきのお酒を持ってきても?」
「……酔っぱらうのは試して無かったな」
なるほどお酒という手段は思いつかなかった。夢なんて見ないくらい泥酔してしまえばいいのかもしれない。ここはぐっと我慢してお泊りプランを続行しよう。
飛び去ろうとした腰とほうきを再び縁側に落ちつける。そして、こちらに絡みつく紫の視線を解くように向き直る。
「帰るのはやめた。で、もう一回だけ聞くけど私になんか用でもあるのか?」
「用事はないけれど、要件ならあるわ」
「どっちも一緒だろ。さっさとしろ」
「あるのは私でなくあなたじゃなくて?」
つまり、私が紫に何かを聞きたいと。
何かを探そうとしたものの、最初にぱっと思いついただけの言葉がいつのまにか口から洩れていた。
「じゃあ一つ。外の世界ってどんなんなんだ?」
もし、夢と現実が錯綜しているのだとしたら、こいつなら何か手掛かりを知っているのかもしれない。ただの噂だが、こいつは外の世界を知っているらしい。
私の僅かな期待は。八雲紫の浮かべる満面の笑みによって。
「そうね――蝶も、孫子も居るような世界よ」
見事に吹き飛ばされた。
それ以上の話は聞きたくないとほうきを手に取るが、紫の言葉を聞いた途端に、ずっと思いだせなかった『やりたいこと』を思い出してしまい、腰が持ち上がらなくなる。
どうして私は、帰って小説を書きたいなんて思ったのか。それも、書きかけの続きをだ。
書き始めた記憶さえないものが、どうして。
◇◆◇
目が覚める。
どうやら自分の部屋でうたた寝をしてしまっていたらしい。
目の前では、最新式のノートパソコンが煌々と光を放ちながら、仮想世界とつながっていた。
私はまたネットの小説を読もうとしていたようだ。幻想郷を舞台にしたくだらないお話たちを、だ。
寝る前の私は一体どういうつもりだったのだろう。今の私には到底、それを楽しめそうにもないというのに。
ブラウザを閉じようとして画面を見ると、デスクトップに一つのテキストファイルがあることに気がつく。タイトルからして、私は東方の二次創作を書くつもりになっていたようだ。というかファイルサイズを見るとそこそこの分量があった。随分書いているらしい。いやそもそも最初の放課後の予定は、これの続きを書くことだった気がする。
どんな話を書いていたのか確かめようとして……ドラッグしてゴミ箱へと放り込む。
今は書きたくないし、読みたくもない。
そう、私は少し幻想郷のお話に浸かり過ぎたんだ。
やめだやめ。しばらく読まないし、書かない。
◆◇
目が覚める。
博麗神社の境内で紫と幽々子と霊夢と妖夢と私が酒を飲んでいる。
だが。まだ酔い始めた程度なのに視界が急にぼやけていき、良く分からないままに意識がブラックアウトした。
◇◆
目が覚める。
もう深夜という時間に、パソコンの電源が突然切れた。
さらに、視界の中にあるベッドや、机や、パソコンなど色んなものが消えていく。
最後に、私も消えた。
◆
目が覚める。
そんな気がしただけで、私の意識は電子の砂嵐のような空間にあった。
◇……
◆……
◇…
◆…
◇
…
目が、いや目なんてあっただろうか。
というか私は、そもそもこの世に存在していたのだろうか。
もう何度も目覚めを繰り返して、何もかも擦り切れて無くなってしまったような気がする。
あれだけ寝たのに、眠気だけが私の思考を占領していく。その他の事なんて何も感じていないのに、猛烈に眠たい。
ああ、うん。どうせ寝てしまっても不都合なんてないしなぁ。
きっと私は、どこにあるものでもなかったのだろう……。
「魔理沙!」
ほんの、一瞬。
視界に見覚えのあった顔が現れて、すぐ消えて。
私と思われるものに、お札が張られた。
お札が貼られたということは、私には形がある。
でもお札を張りっぱなしというのは恥ずかしいので、これを剥がしたい。
剥がせるということは私には手があって、ああ見えた。
手があるなら足もあるはずで、足があるということは胴も、頭もあって、つまり私はやはり、私なのであった。
ただ、そうして自分自身を取り戻したところで、意識はやはりどこか知らない場所にあった。
それは幻想郷の中なのかもしれないし、地球の日本の現代社会の中なのかもしれない――いや、そのどちらでもないと言ったところか。
だって意識すればお父さんがまた新しい物を買ってきたのも見れるし、紫が美味しそうな御摘みを持ってきたのも見れる。きっと強く意識すればまた元に戻れるだろう。そしてそのどちらにでも行ける、という気がする。
ああ、そうか。そういうことなのか。
どちらが現実かなんて、くだらない話だったんだ。
私はただ、あるかどうか分からない世界のことを想像していればいいんだ。
きっとどこかの誰かもそうしているのだろうし。
だから私たちは、在るのだろうから。
◇◆◇◆◇◆
翌日、私は神社へ遊びに行く。
天気は生憎の曇りだが、雨の降りそうな気配はない。太陽も雨も、ちょっと休憩をしているような、そんな日だ。
すぐに霊夢を呼びつけて、持ってきた小説を読ませてみる。起きたらどういうわけだか書き上がっていたのでとりあえず誰かに読んでもらうことにしたのだ。書いた記憶なんて無いのにな。
やってきた霊夢は渋々といった調子で原稿を受け取って目を通していき、二枚三枚とページをめくって律儀に最後まで読み終えてから、スパンと地面に原稿を投げ捨てた。
「なんで私が! 紫と! キスしなきゃいけないのよ!」
「バッキャロ、百合ってものをよく分かってないな。ガチレズまで進んだらドン引きだろうが」
「言いたいことは分かるけど、実際読んだ当人からしたらこれでも十分ドン引きだから。っていうかこんなの書いたあんたにドン引きしてるから」
「つまり、上手く書けてるってことだな。よしじゃあ誰か他の人にも読んでもらうか」
「ちょ、バカやめなさい! 色んな意味で!」
あっはっは。これこれ、やっぱり霊夢はいじり甲斐があるな。
自分で捨てた原稿を私より先にと拾い上げた霊夢は、すぐにそれを破いてしまった。ま、流石にあれを当人たち以外に見せようとは思わない。文化としては興味はあったけれど、私が本当にそういう趣向かどうか分かるのはもっと先だろうし。それまでに誤解を広めたくはない。
破いた原稿を捨ててきて、ようやく霊夢も気が済んだらしい。笑い転げていた私を見て、はぁとため息をつく。
「まったく、心配して損した。それで、夢はもういいの?」
「夢? ああ、昨日はばっちり熟睡してたぜ」
「問題なさそうね」
「どした、えらく心配するな」
すると、なぜか霊夢は一拍の間を置いた。
そして呆としたような、どこか奥の見えない表情を浮かべて、言う。
「――浮世であれ空想であれ、巫女としての私が現れるなら、そこは『私の結界の中』だから」
……思わず笑いが引っ込む。
もし今の発言が本当だとしたら、目の前の少女は一体なんだというのだ。
いや、もしかして。神様は空にも社にも、お賽銭箱の中にさえ居なくて。
「ところで魔理沙。あなたは今、『何処』にいるの」
何を言っているんだ。今の私は間違いなく、現実の世界に……
あそこでBBA無理すんなwと言ってすっきり終わりたかった
特に、霊夢の言う『私の結界の中』という言葉に想像がかき立てられました。
私=作者、結界=小説 なのかなぁ…とか夢想してみたり。
作者がいて、お話を作る度に魔理沙たちの現実が増えて、このSSのように自分が『何処』にいるのか分からなくなって……
お目汚し失礼しました。次作も期待しております。
なんだっけな、『夢から醒めた夢』みたいな演劇を小学校の時分にやった記憶がある。
世にも奇妙な物語なんかでありそうな感じ。