Coolier - 新生・東方創想話

素敵な巫女の吸血鬼異変

2012/11/21 23:34:41
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 薄暗い月明かりに照らされた博麗神社。
 その境内に博麗霊夢が静かに佇んでいた。
 瞑想でもしているかのように目を閉じ、周囲に意識を集中させている。
 そして数分後、その静寂は木々のざわめきによって破られた。

「来た」

 霊夢が目を開けると、風が吹き荒れ、より一層周囲のざわめきが増す。

「あんた達も懲りないわね」

 霊夢を中心に取り囲むように、黒い影が複数体現れる。
 それらの姿形は種々にわたり、頭に角が生えていたり、尻尾が生えていたり、中には到底人の形に見えない奴もいる。
 妖怪の群れだった。
 数で言うならば大体十五匹。その全てが、目に見えるほどに明確な敵意を霊夢に浴びせている。
 まさに血に飢えた猛獣のよう。しかしそれは霊夢も同様だった。
 表情は変わらず無表情のまま、だが周囲に漂うドス黒いオーラが見え隠れしている。
 そんな霊夢がふと、ある方向を指さした。

「あんた達も、ああなりたいの?」

 そこには夥しい数の死体。
 百近くにわたるその数は、まさに山のよう。
 それは全て妖怪の死体だった。

「ウォォォォォォォォォォ!!!」

 それを見た周囲の妖怪たちが雄叫びを上げ、より一層の敵意を霊夢に向ける。
 そして雄叫びが合図になったのか、十五匹一斉に霊夢に飛び掛かった。
 怒涛の勢いで霊夢に押し寄せる妖怪の群れ。
 しかし霊夢は表情を崩すことは無かった。あくまでも無表情。
 そして妖怪達が霊夢にぶつかろうとしたその瞬間、霊夢はその場から忽然と姿を消した。
 変わりに現れる御札の山。
 そして妖怪達は、霊夢を取り囲むように飛びかかっていたため、お互いに衝突する。
 そこに上空から現れる霊夢の姿。

「「夢想封印 ―殺―」」

 霊夢から複数の巨大な霊力の弾が放たれ、集まった妖怪の群れに撃ち込まれる。

「グワアアッアアアアアアアアッ!」

 聞こえるのはもはや悲鳴のみ。
 妖怪を殺すためだけに作られた、その秘術の前に為す術はない。
 夢想封印による砂埃が晴れると、残されたのは十五の死体の山だけだった。
 戦場の怒りが収まる。ただ一人を除いて。

「……」

 霊夢は妖怪の死体を見下す。

「……っ…!」

 そして無慈悲にも。

 霊夢はそれを足で踏みつけた。
 何度も。何度も。
 もう息の無い死体を、足で踏みつぶした。
 返り血に塗れたそこに映る彼女の姿は、もはや鬼のよう。
 しかしやめない。
 止まらない。

「やめなさい! 霊夢」

 突如、一つの声が霊夢の背後に響いた。
 空間に亀裂が入り、そこに生まれた隙間から顔を覗かせる一人の妖怪。
 金色の髪をたなびかせながら、哀愁に満ちた表情で霊夢の手を掴みとる。
 それでも、霊夢の足は止まらない。

「霊夢!!」

 妖怪が叫ぶ。
 するとようやく、霊夢は足の動きを止めた。
 一寸の静寂の後、彼女はその妖怪の方を振り向く。
 そして、そんな彼女の目を見て、妖怪は驚いた。その瞳には光が宿っていない。
 まるで人形のよう、血に染まった人形のよう。

「ゆ…か…り……?」

 息も絶え絶えの声で、そう霊夢は呟く。

「そう、紫よ……だからもう…やめなさい」

 紫は静かに霊夢を抱きしめた。その目には涙を浮かべて。
 そして霊夢は空を見上げる。
 絶望に満ちたその目で黄昏れるように。





―― 静かな夜に一人の鬼が舞を踊る。
   とてもとても悲しい表情で。

   ふと鬼は笑みを浮かべた。

  『ああ、なんて楽しい』
  
   鬼は己を苛む死の舞に、いつしか喜びを覚えるようになった。――






――。
――――。

 一抹の事件の後、霊夢と紫は神社の縁側でお茶を飲んでいた。
 あんな事があった後だからか、空気は重い。
 しかし、こんな事は既に何回も繰り返しているのだ。
 霊夢が母親を無くした、あの時から。

「ねぇ、霊夢」
「ん」
「今のあなたは血に染まりすぎよ」
「そうね。着替えないと」
「格好の事を言ってる訳じゃないわ。あなたの心の事を言っているのよ」
「心?」
「そうよ、無闇に妖怪を殺すのはやめなさい」
「……」

 霊夢は妖怪に対しての容赦が無かった。
 油断をすれば、先程の所業のように無残な光景を繰り広げる。
 彼女の中には、妖怪に対して憎しみの気持ちしか持ち合わせていなかった。
 唯一ある程度の理解があるのは紫のみ。
 ただ、心を許しているわけではない。

「なんで殺しちゃ駄目なの?」
「それは」
「向こうは私を殺すつもりなんだから、別にいいじゃない」
「霊夢……」

 霊夢は淡白に言い放つ。まさにそれが当たり前かのように。
 もちろん紫はそれを良しとしなかった。最近の霊夢は度が過ぎているのだ。
 その理由は分かっている。

 先代博麗の巫女。霊夢の母親が妖怪に殺されてしまってから、霊夢は変わってしまった。
 霊夢の目の前で、霊夢を守るために、母親は犠牲になったのだ。
 母親と妖怪が相打ちで息絶え、残されたのは霊夢たった一人。
 年端もいかない少女にはとても絶えられず、心に大きな傷が出来てしまった。
 自分のせいで母親が死んでしまい、妖怪を恨み、ただただ憎み続ける。
 だけどそれは博麗の巫女にあるまじき考え方。
 人間にも妖怪にも平等に接しなくては、博麗の巫女として生きていくことは出来ない。

「先代の博麗はとても素敵な巫女だったわ。こんな殺伐とした幻想郷でも、立派に務めを果たしてくれた」
「……」
「霊夢、私はあなたにも立派な巫女になって欲しいのよ。妖怪だって悪いやつばかりじゃないわ」

 彼女は最後の最後まで郷を愛し、そして守り続けてくれた。
 そして最後は我が子を守り、逝った。
 紫は思う。
 先代は博麗の巫女としてだけでなく、人間としても立派な人であったと。

「……立派って…何よ」

 霊夢の目から一滴の涙が溢れる。

「そんなの…死んじゃったら意味ないじゃない!」

 そして悲痛な叫び。
 それほどに心の傷が深く、大きい。
 次から次へと、目から涙が溢れ始めていた。

「霊夢……」

 紫はもう何も言えなかった。
 こんな霊夢を見てしまったら、もう何も言えない。
 幻想郷の管理者として、紫は博麗の巫女を真っ当に導く義務がある。
 だけど、どうしたらいいのかもう分からなかった。

(時間が解決してくれるのを待つしかないの?)

 紫は静かに、霊夢の頭を撫でた。






――人里。

 霊夢は人里の里長に呼び出され、最近暴れている妖怪を倒してくれと依頼を受けていた。
 そしてその妖怪を倒し、報告の為に戻ったところである。
 現在の幻想郷では人妖の争いが絶えない。
 そのため、妖怪に対して激しい恨みを持つ博麗の巫女を、人間達は良いように利用していた。
 彼女の実力は申し分ない。まだ幼さが残るその身体にも関わらず、既に先代さえも超えるような霊力を秘めている。
 妖怪退治の依頼を受けて失敗した事はほとんど無い。
 妖怪の返り血を浴びて人里に戻ってくる彼女の姿を見た者は、決まってこう言うのだ。
『鬼巫女』と。

 自分が鬼巫女と呼ばれている事を霊夢は知っている。
 ただ、別に何とも思っていなかった。
 むしろ自分に適した名前なのかもしれないと思っていた。
 彼女は別に正気を失っているわけではないのだ。
 自分が妖怪に対してどんな残酷な事をしているのも分かっている。分かっていて、なお憎い。
 母親を殺された恨み、止められない衝動。
 自分でも、どうしようも無かった。

 里長からそれなりに謝礼と報酬を貰うと、さっさと霊夢は人里からずらかった。
 人間達は自分を道具としてしか見ていない。
 しかしそれでも良かった。自分の居場所がそこにあるのなら。






――――。

「ん……? あれは」

 人里からの帰り道の森の中。
 霊夢は道に倒れている人影を見かけた。
 近づいて確認してみると、金髪で黒い服を来た女の子が倒れていた。
 しかし霊夢は、すぐにこの少女が妖怪なのだと気づく。
 妖力が尽きかけているのか、気配は薄いが間違いない。
 その妖怪は見るだけでは生きているのか分からないほどに、体中が傷つき、衰弱している。
 おそらく妖怪に敵対している人間の仕業か、もしくは妖怪同士の争いだろう。
 いずれにしても、自分が助け舟を出す義理は無い。
 霊夢は一思いに殺そうと、その妖怪にお祓い棒を突き立てる。

「…ぅ……」
「!」

 完全に意識が無いと思っていた妖怪がうめき声を上げ、霊夢は少し驚く。
 そして妖怪は、傷ついた身体を必至に動かし、霊夢を見た。
 幼い顔立ちに、澄んだ瞳。とても悪い妖怪には見えない。
 だが、そんな事は霊夢には関係が無かった。

「……妖怪なんて皆同じよ」

 殺意に心が動かされ、妖怪にとどめを刺そうと構える。

 ……しかし。
 手が動かなかった。

「なんで……」

 妖怪の無垢な瞳。
 まるで人間の子供と何も変わらない、そんな顔立ち。

「なんで……」

 いつもはこんな気持ちにはならない。
 子供のような妖怪を殺したことだって何度もある。
 そのはずなのに、身体が動かなかった。
 既に傷つき、無残な姿の妖怪の切ない瞳から、目を離すことが出来なかった。
 その時。

「ウガアアアァァァッ!!」
「……なっ!」

 突然、横の茂みから別の妖怪が襲い掛かってくる。
 目の前の金髪妖怪に気を取られていたせいか、霊夢は不意を突かれ、妖怪の鋭い爪が霊夢の右腕に突き刺さる。

「う…・くっ……」

 鋭く尖った爪を妖怪は引き抜くと、霊夢の腕から血が噴きだした。
 霊夢はすぐに霊力で腕の治癒を行うが、妙な毒でも持っていたのか治りが悪い。
 妖怪は再び、霊夢に飛び掛かって腕を振るう。
 それを霊夢は避けると、霊力で作り出した弾を妖怪に向かって放つ。
 着弾…・・しかし妖怪は全く怯まなかった。

(なんて固い妖怪!)

 霊夢は少し距離をとる。この妖怪相手に接近戦は不利だと思ったのだ。
 しかし、そんな霊夢を見た妖怪は意外な行動に出る。
 近くに倒れていた金髪妖怪の首根っこを掴み上げた。

(そういう事ね……)

 その金髪妖怪を傷つけたのは、その強固な妖怪だった。
 元々、霊夢ではなく金髪妖怪を狙ってここに現れたのだろう。

(なら、今がチャンス!)

 金髪妖怪に気を取られている間に、霊夢は霊力を高める。
 光がお祓い棒に収束し、そして次第に大きな波動を生む。
 大きな波動と共に光が黒く変色し、闇へと遂げる。
 博麗の巫女の秘術。

「「夢想封印 ―殺―」」

 巨大な霊力の弾が妖怪に向かって複数飛び出した。
 弾はどれもドス黒く輝いている。

「グガアアアアアアアッ!」

 全て妖怪に着弾し、爆散する。
 強固さに自身があると言えど、さすがにこれを防ぐ事は出来なかったようだ。
 跡形もなく消え散った。
 しかし。

「なんで……」

 霊夢は戸惑う。金髪の妖怪がまだ生きているのだ。。
 それもそのはず、夢想封印はその金髪の妖怪には着弾していないのだから。
 霊夢は妖怪二人ともども殺す気でいた。
 しかし、夢想封印を放つ瞬間戸惑ってしまい、標的を一体に絞ったのだ。
 どうして戸惑ってしまったのか自分でも分からない。

(所詮は妖怪……情を掛ける必要なんて無いはずなのに……)

 霊夢は自分のした行動に疑問を隠せない。
 そして金髪の妖怪は、地に伏せながらも霊夢を見上げると。

「……あり…がとう」

 か細い声で、今にも死にそうな声で、妖怪はそう呟いた。

(なんなのよ、もう……)

 霊夢は何だか気乗りしなくなり、妖怪を放置して帰路についた。
 どうせあの傷なら自分が手を下すまでもなく、死んでしまうだろう、と霊夢は思う。
 何で自分がそんな言い訳をしなければいけないのかも、よく分からなかった。






 神社に着くと、霊夢はすぐに風呂に入る。
 血染めの身体を洗う為に。
 妖怪退治をした後は、どうしても汚れてしまうのだ。
 だけど、身体は中々綺麗にならなかった。こすってもこすっても、血が消えない。
 おかしい、と思う。
 そんなに強く肌にへばり付いているのだろうか。どれだけこすっても、どれだけ洗っても消えない。

 消えない。消えない。消えない。
 消えない。消えない。消えない。

 それもそのはず、霊夢の肌には最初から血なんてついていないのだ。
 血みどろになっているのは、霊夢の心なのだから。
 それに霊夢は気づかない。
 自分の肌に染み付いた血を必至な形相で洗い続ける。

 それと同時に、霊夢は今日出会った金髪の妖怪に思いを馳せる。
 妖怪に対してあんな気持ちになったのは初めてだった。
 可哀想、というか何かしらの情のようなものを感じた。
 その感情の答えは未だに見つかっていない。
 むしろ霊夢は、ただの自分の乱心だと思うことにした。





―― 死の舞を踊った後、鬼は例外なく戸惑い、苦しむ。
   何故自分は踊るのか、どうして自分はここに存在しているのか。
   何も分からず、ただ苦しむ。――






 霊夢は神社でのんびりしていた。
 今日は妖怪退治の仕事も入っていないので、ゆっくりする事が出来る。
 ちなみに神社にあった妖怪の死体の山は、紫が全て片付けた。別にどうだっていいけど、と霊夢は思う。
 湯のみにお茶を注ぎ、一口啜る。
 霊夢の母親も大好きだった、温かいお茶。
 霊夢はそれを思い出し、また少し悲しい気持ちが蘇ってくる。
 そんな時、神社に誰かが急速に近づいてくる気配を感じた。

「この気配は……魔理沙か」

 間もなく、黒い帽子を被りエプロンドレスに見を包んだ少女、霧雨魔理沙が境内に降り立った。
 魔理沙がニコやかに微笑んで、霊夢の方に歩み寄った。

「おっす霊夢、今日はオフなのか?」
「そうよ、あなたも暇そうね」

 別に暇じゃないぜ、と魔理沙は霊夢の横に座る。

「私にもお茶入れてくれよ」
「自分で入れなさい」

そう言って、魔理沙は急須と湯のみが乗ったお盆を魔理沙に手渡す。

「へいへいっと」

 魔理沙はいつものように自分でお茶を注いだ。
 そして、ずずずっとお茶を啜り、ほぅっと一息。

「ふぅ……平和だなぁ」
「全然平和じゃないわよ」
「まぁな、だけど今のこのひとときは間違いなく平和さ」
「……そうかもね」

 暖かい日差しを浴びながらお茶を啜る。
 何て平和なのだろうか、と魔理沙は思う。
 霊夢はそんな魔理沙を見て、クスっと微笑む。

「何だよ」
「いや、魔理沙は幸せそうだなって」
「む」

 そう言うと、魔理沙は少し口をへの字に曲げる。

「そういうお前は幸せじゃないのか?」
「そうね、今が幸せだとは全然思わないわ」

 幸せとは一体何だっただろうか。
 もう忘れてしまった。

「そうか、でもな霊夢」

 魔理沙は一呼吸おいて、口を開く。

「幸せは自分で見つけるもんだ」
「自分で見つける?」
「ああ、幸せは自分で見つけようとしない限り、見つからないものなんだぜ?」
「……魔理沙らしいわね」

 行動力のある彼女らしい考え方。
 しかし、やはり霊夢にはよく分からなかった。

「まぁ無理に考える必要なんて無いさ」

 考えたってどうせ答えは出ない。
 霊夢の中にあった幸せは、既に失われているのだから。
 そんな時、不意に魔理沙が驚愕の声を上げる。

「お、おい。あれ、なんだ?」
「ん?」

 霊夢が空を見上げると、遠方の空の一部が紅く染まっていた。
 こんな天候は聞いたことが無い。

「……妖怪の仕業ね」

 だとするならば、と霊夢は立ち上がる。妖怪退治は彼女の本分だった。
 それを見て、魔理沙も立ち上がる。

「私も行くぜ」

 それを霊夢が制する。

「妖怪退治は私の仕事よ」
「なら、お前の仕事は私が奪ってやる」

 はぁ……と霊夢は溜息をつく。
 経験上、こう言った時の魔理沙は話を聞かないのだ。

「……勝手にしなさい」

 二人は紅い空の下、『霧の湖』を目指して飛び立った。






 霧の湖。
 妖怪の山の麓に位置し、昼間になると霧に包まれる湖。
 しかし、そこはいつもと異なる雰囲気を醸し出していた。
 まず霧の色が紅い。
 ただでさえ視界の悪いこの場所に、より一層不気味さを感じさせられる。
 更にはこの霧に魔力が込められていた。
 力の弱い人間がこれを吸い込んだら、意識を保つ事すら難しいかもしれない。
 次に、見覚えのない大きな館が湖の中心に佇んでいる。
 遠くからは良く見えないが、とことん紅いその館の中から大きな魔力を感じた。
 それも多数。大きな力を持った妖怪の軍勢が幻想郷に入ってきたことに間違いない。

「……魔理沙、あなたはやっぱり帰りなさい」
「今更何を言ってんだよ」

 今まで相手にしてきた妖怪達とは格が違う、霊夢はそう確信していた。
 もしも闘争となれば、無事に帰れる保証はどこにもない。

「危険よ」
「ふん、このくらい余裕だぜ!」

 そう言って、魔理沙が箒で飛び出す。

「ちょっと、魔理沙!」

 急いで霊夢は魔理沙を追いかけるが、本気を出した魔理沙のスピードには追いつけない。

(あんの馬鹿!)

 霊夢の博麗の巫女としての勘が告げている。この館はかなりヤバイ。
 霊夢にしても、手探り程度で館に近づくだけに抑えるつもりだったのだ。
 しかし血気にはやった魔理沙が暴れだしたら、ただでは済まないだろう。



 そして、悪い予感は的中した。



 霊夢が館に辿り着いた時、館の門が破壊されていたのだ。
 魔理沙が突撃したに違いなかった。
 霊夢は急いで館に侵入しようと歩を進める。

「待て!」

 その時、頭上から男の声が掛かる。

「な……」

 霊夢はその声の主を確認すると、驚愕する。
 ……黒い翼に、鋭利な牙。
 霊夢も話にだけは聞いたことがあった。
 妖怪の中でも最強種と言われるほどの圧倒的な力を持つ伝説の存在。
 吸血鬼。
 その圧倒的な妖気は、今まで相手にしてきた妖怪の比では無い。
 吸血鬼は地面に降り立つと、破壊された門を眺める。

「……どうやら中に俗物が侵入したようだな」
「……・!」

 魔理沙は館に侵入したまま戻ってこない。
 吸血鬼はプライドが高いと聞く。門を破壊した彼女がただで済むとは思えない。
 しかし、その前に確認しなければいけない事があった。

「あなた吸血鬼ね? こんな紅い瘴気を発生させて何をするつもり?」
「勿論、この幻想郷を我らの手で支配するのだ」
「なっ……」

 馬鹿な。
 吸血鬼は幻想郷を支配しようとしていた。
 いくら吸血鬼と言えど、幻想郷全土の妖怪や神を相手に叶うはずがない。

「愚かね」
「愚かかどうか、身を持って味わってみるか人間」

 吸血鬼は手に魔力を集め、一本の槍を構成する。
 ここで争う気は明白。
 だったら。

「あなたと戦う事を拒む理由は無いわね」

 霊夢はこんな危険な妖怪を生かしておくわけにはいかなかった。

「ふん」

 吸血鬼は槍を霊夢に向かって突き出す。
 霊夢は身を翻してそれを避けると、同時に懐から御札を取り出し、それを吸血鬼に投げつける。
 吸血鬼は自らの翼でその御札を払うと、今度は槍を横に薙ぎ払う。
 しかし、槍はみるみる内に霧散していった。
 先ほど霊夢が投げつけた御札は実はダミーで、本命はその間に槍に貼りつけた御札の方だったのだ。
 御札は槍の魔力を奪い、魔力の塊となった。そしてそれを再び吸血鬼に投げつける。
 それを翼で払いのけるとやばいと思った吸血鬼は、それを回避する。御札は壊れた門にぶつかり大爆発を起こした。
 吸血鬼はそれを横目でチラリと見る。

「くっ、やるな」
「よそ見してていいの?」

 霊夢は追撃の御札を吸血鬼に投げつけていた。

「うおっ!」

 吸血鬼はそれも避けると、再び手元に魔力の槍を形成する。

「案外身軽なのね」
「お前ほどではない」

 吸血鬼は自らの槍に未だに魔力を注ぎこみ続けている。
 それは先程の物よりも大きく、力がこもっていく。
 それをやばいと見た霊夢は、こちらも秘術を使うしかないと考え、お祓い棒に霊力を込める。

「「死ね人間! スピア・ザ・グングニル!」」
「「夢想封印 ―殺―!」」

 吸血鬼は槍を投擲し、霊夢は博麗の秘術、夢想封印を繰り出した。
 凄まじい出力を持ったお互いの技がぶつかり、大爆発が巻き起こる。
 だが夢想封印により作り出される霊力の弾は六つ。その内五つでグングニルを防ぎ、残りの一つは吸血鬼に向かう。

「ガッ!」

 爆発による爆風で視界を失っていたため、夢想封印は見事に直撃し、吸血鬼は倒れ伏せた。
 もうとても立てる状態では無いだろう。

「クッ……俺の負けか」
「……そうね」

 そして霊夢は、もう負けを認めた吸血鬼に、間髪入れずに御札を投げつけた。

「なっ!」

 無慈悲な攻撃。そして爆散。
 そこには跡形も残らなかった。
 ……。

「……妖怪に生まれた、あなたが悪いのよ」

 霊夢はどこまでも無表情に、冷酷だった。
 既に何度も繰り返してきたことなのだ。今更何とも思わない。

「……そうだ、魔理沙を追わないと」

 霊夢が再び館に入ろうとする、その時。
 館の中から人間の身体が放り投げ出された。
 その人間は。

「魔理沙!」

 霊夢は魔理沙の身体をキャッチすると、抱え上げる。
 服はところどころ破れ、どうやら意識を失っているようだ。まだ何とか生きているようだ。

「だから帰れって言ったのに」

 あの時説得出来ていれば、と霊夢は口惜しく思う。
 それにしても、魔理沙がこんな姿になって出てくるなんて尋常な事では無かった。
 霊夢が今倒した吸血鬼なんてほんの末端にすぎないのだろう。

「お前はその人間の仲間か?」

 ふと、館の中から魔理沙を放り投げた本人が現れる。
 外見は薄青い髪をした、気品のある小さな少女。
 しかし、背中に生えた黒い翼と、口から見え隠れする鋭い牙が普通の人間では無いことを物語っていた。
 またしても吸血鬼。
 しかしそこから溢れる魔力は、先程の吸血鬼を遥かに凌いでいる。

「人間にしては骨のある奴だったが所詮は下等生物。我等に叶うはずもない」
「な……」

 その吸血鬼に続くように、館の入口から次々と吸血鬼が現れる。
 その数は有に百は超える。とても霊夢一人で太刀打ち出来るような数ではない。
 しかし。

「ほう……?」

 霊夢は逃げなかった。
 魔理沙を木陰に座らせ、お祓い棒を構えると同時に霊力を溜める。

「あんた達妖怪は、ここで全員殺す!」

 それを聞いて尚、吸血鬼達は余裕を崩さない。
 たった一人の人間に何が出来るのかと、そう高をくくっている。
 だが、先頭にいる薄青い髪をした吸血鬼だけは違った。
 どこか物憂げな表情をしているのだ。

「……」

 だけど霊夢にはそんな事は関係無い。

「「夢想封印 ―殺―!」」

 巨大な六つの霊力の塊を、その吸血鬼に向かって放つ。
 その霊力の大きさを見て、吸血鬼は愕然とする。

「……む!」

 予想以上の力に、その吸血鬼は回避の動作に入るのが一瞬遅れる。
 そして、六つの弾が直撃……する事は無かった。
 吸血鬼に当たる瞬間、それを守るかのように一人の影が遮ったのだ。
 そいつは六つの弾全てを受け流し、周囲に霊力を散らせた。
 まるで武道のような身のこなし。

「ありがとう。助かったわ美鈴」
「いえ、お嬢様」

 美鈴と呼ばれたその女性は、霊夢の方に顔を向ける。

「あなたの技は気が乱れすぎている。そのようなものを受け流すのは容易な事です」
「そんな……」

 霊夢は内心かなりショックだった。。
 博麗の秘術、夢想封印。これを受け流されたのは初めての事なのだ。
 それに加え、この目の前の少女は吸血鬼ではなく、普通の妖怪。
 吸血鬼でもないただの妖怪に対処された事に、戸惑いを隠せない。

 そんな呆然としていたのがいけなかった。

 グサッ。

「え……?」

 霊夢の腹に、槍が突き刺さる。
 それは背後から。
 かなりの大柄で、白い髭を生やした吸血鬼がそこにいた。
 そいつが口を開く。

「こんな人間に時間をかける必要などない。さっさと行くぞ」

 そして側に寄り添っている従者が応える。

「ハッ! 公王様」

 ……公王。吸血鬼の頭領だろうか。

(私が後ろを取られるなんて……)

 霊夢は薄れゆく意識の中で母親の姿を見た。
 母親は霊夢に笑みを投げかけている。

(おかあさん……)

 そのまま、霊夢の意識は途絶えた。






 ……。
 霊夢が目を覚ました時、最初に見たものは見慣れた天井だった。
 博麗神社の寝室。

「私…どうして……ぐっ……!」

 霊夢は自分の胸元を抑える。
 吸血鬼の槍が突き刺さった場所が非常に痛む。
 しかしそこには包帯が巻かれ、適切な処置もされているようだ。

「誰がこんな……」
「あ、気がついた?」

 部屋の襖が開くと、そこには紫がいた。

「紫?」
「どうやら無事みたいね」
「……あんたが助けてくれたの?」
「まぁね。霧の湖で転がってるあなたと魔理沙を見た時は驚いたけど」

 霊夢はふと隣に魔理沙も眠っていることに気づく。
 だらしなく口を開けながら寝ている魔理沙を見て、少し彼女は安心する。
 紫は霊夢の側に座ると、傷口の確認をした。
 それを見て少し安堵すると、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。

「今、幻想郷がどういう事態に襲われてると思う?」
「どういうって……いつも通りでしょ。……いや、でもまさか」
「ええ、そのまさか。吸血鬼が各地で暴れまわっていて大騒ぎよ」

 霊夢はその話に驚いた。
 霊夢は吸血鬼から話は聞いていたが、本当にやるとは思ってもいなかったのだ。
 あの吸血鬼達は、愚かにも幻想郷に喧嘩を売った。
 それが何を意味するのか。
 最強種である吸血鬼でも、さすがに幻想郷の人妖全てを手中に治めるには無理がある。
 ましてや、数が違うのだ。吸血鬼の滅亡は免れないだろう。

「それが少々苦戦しているのよ」
「え?」
「人間と妖怪との衝突が多い中でこの騒ぎ。しばらく収束しそうに無いわ」

 幻想郷内部で人妖同士が争っている最中に、外からの介入。
 彼らに協力の意思などないのだ。
 それは霊夢とて同じ。泥沼な紛争だった。

「…っ……」

 霊夢は奥歯を噛み締める。
 そして布団から這い出ると、お祓い棒を手にとった。
 表情は冷酷なほどに暗い。

「行かなきゃ……」
「霊夢?」

 霊夢はうわ言のように呟く。

「行かなきゃ……吸血鬼を殺しに」
「駄目よ! 今のあなたの身体じゃ何も出来ないわ」

 紫は慌てて霊夢を止める。
 回復してきたとは言えど、霊夢の身体は依然として重症だった。
 腹部に槍が突き刺さったのだ、博麗の加護が無ければ即死していても不思議ではない。

「あなたはまだ動けるような身体じゃないわ」
「行かなきゃいけないのよ。早くしないと」

 霊夢は拳を握る。

「早くしないと、私みたいな人が増えちゃう!」
「霊夢……あなた……」

 霊夢は母親を失ってから、妖怪に対して異常なまでに恨みや憎しみを感じていた。
 しかしそれだけでは無かったのだ。
 自分と同じような悲劇をこれ異常増やしたくなかった。
 自分が鬼となり妖怪を始末していけば、いずれ妖怪は人間に手出しをしなくなる。
 だからこそ鬼畜に徹していた。
 故に早く吸血鬼を殺さなければいけない。
 そして霊夢に敗北は許されなかった。
 一度でも負けてしまえば、自分は甘く見られてしまう。そういった恐れが彼女の心を苛んだ。

「…ぐっ……」

 しかし霊夢の身体は言う事を聞かなかった。
 患部が痛み、体中から汗が吹き出す。

「ほら言わんこっちゃない! 大人しく寝てなさい」
「でも」
「とりあえず私が何とかするから、あなたは回復に務めること」
「……」
「それが吸血鬼を黙らせる近道でもあるのよ?」
「……分かったわよ」

 霊夢は握っていた拳を解くと、おとなしく布団の中に収まった。
 そして傷口に霊力を集中させる。
 一刻も早く回復するために。

 紫も吸血鬼達をこのままにしておくつもりは毛頭無かった。
 霊夢は傷が回復次第、また無茶を始めるのだろう。
 それまでに何とかしておきたかったのだ。



 しかし、その翌日。



「巫女様! 巫女様はいらっしゃるか!」

 騒々しい声で霊夢は目を覚ました。
 隣に魔理沙の姿は無い。どうやら霊夢より先に起きて、どこかに行ったようだ。

「巫女様!」
「はいはい、ここにいるわよ」

 霊夢は寝間着の姿のまま境内に顔を出すと、そこには里長を含め、人里の人間達が何人かいた。
 その全員が手に武器を持っている。外には妖怪や吸血鬼が蔓延っているのだから当然だった。
 だけどこうして人間達が危険を冒してまでここに来る事は珍しい。
 何かあったのだろうか。

「巫女様! 人里をお救いくだされ!」
「言われなくても守るわよ」
「そうじゃないのです。吸血鬼達の軍勢が人里に向かっている、と奴等の館を見張っていた者から連絡が!」
「なんですって!」

 吸血鬼は幻想郷の妖怪相手に苦戦を強いられた為、先に人間を襲うことに決めたのだ。
 こうしてはいられない、と霊夢はすぐに人里に向かう準備をする。
 多量の御札に加え、博麗の秘宝である陰陽玉も携えた。
 問題なのは、ここから急いで人里に行って間に合うかどうかという事だ。
 いや、おそらく遅いだろうと霊夢は思う。ここから人里までには若干距離がある。
 最悪、人里に着いた時にはもう壊滅していたなんて事になりかねない。
 それならば、と霊夢は思う。

「紫! 出てきなさい!」

 癪だが、あの胡散臭いスキマ妖怪の力を借りるしか手は無かった。
 霊夢が声を掛けた途端、空間に亀裂が入り紫が現れる。

「はいはい、呼ばれると思ってたわ」
「私を人里まで連れていきなさい」
「……止めても聞かないんでしょうね」
「分かってるんなら早く!」

 霊夢の身体はまだ完治していない。
 だからこそ紫は悩んだ。このまま霊夢を戦場に駆り出していいものなのかどうかと。
 しかし今は人里の、ひいては幻想郷が危機にあるのも事実。

「……仕方ないわね。さっさと入りなさい」

 紫は霊夢の横に、人が一人入れるくらいの隙間を開ける。
 それは同時に人里の入口でもある。
 ここをくぐったら最後、もう引き返せない。
 しかし、霊夢は迷わず隙間に飛び込んだ。
 人々を守るために。






 隙間から抜け出た霊夢が出てきた場所は、人里の門の前だった。
 そして空を見上げると、遠くから吸血鬼がこっちにやって来るのが見える。
 その数は大体三十といったところだろうか。

「おそらく現存の吸血鬼、ほぼ全員でしょうね」

 霊夢の隣に隙間が現れ、そこから紫が飛び出す。

「少し意外ね。一晩の内にこれだけ吸血鬼が絶命するなんて」

 幻想郷の妖怪を少し甘く見ていたかしら、と紫がクスっと笑う。
 だが今のこの状況は決して笑う事が出来ない。
 吸血鬼達は、今この人里に向かって来ているのだ。三十人と言えど、普通の人間では太刀打ち出来るはずもない。
 まともに戦えるのは私と紫。そして。

「私も加勢させて貰うぞ」

 里の守護者。ワーハクタクの上白沢慧音。
 彼女の血の半分は神獣の血である。
 しかし基本的に人間の味方であり、里に住む者の中では間違いなく一番強い。

「ええ、よろしく頼むわ」

 とは言えど、一人につき吸血鬼十人を相手にしなければいけない計算。
 どう考えても割に合わなかった。

「そういえば、あんたの式神はどうしたのよ」
「藍? あの子には結界の修復をして貰ってるわ。あの吸血鬼達かなり強引に幻想郷に入り込んだみたいなのよね」

 最強種である吸血鬼と同様に、紫の式神である九尾の狐もまた最強種。
 もしも参戦する事が出来れば、霊夢達にとって心強い事他ならなかったのだが。

「来るぞ! お二方!」

 慧音が叫ぶと、空には吸血鬼の大群。その全てが手に魔力の槍を携えている。
 その群れに霊夢達四人が立ち塞がると、吸血鬼達は動きを止めた。
 そして霊夢がその吸血鬼達の戦闘にいる男を見て、声を上げる。

「あいつは……」

 その男に霊夢は見覚えがあった。
 大柄な体格に、特徴的な白い髭。
 間違いない。

「公王……」
「ハッハッハッ! どこの雑魚かと思えばあの時の人間ではないか!」

 吸血鬼の公王は大声で高笑いをする。
 その笑い声に、霊夢は非常に不愉快な気持ちになる。

「霊夢、こいつを知っているの?」
「私の胸に傷をつけた男よ」

 霊夢の傷口が、思い出したかのように急に痛みを上げる。
 あの時に受けた屈辱が、疵痕としてそこに残っている。

「今日はあのお嬢様はいないのね?」
「レミリアの事か? あんな腑抜けた娘など知らぬわ」

 既に死んだか、もしくは怖気づいたか。どっちにしろ霊夢達にとって運が良かった事には変わりがない。
 あのお嬢様の魔力からは計り知れないものを感じたからだ。
 それに付き添っていた従者……あいつも只者ではなかった。

「まぁ何だっていいわ……今度こそ、お前を殺す」
「フフフ、たった三人で何が出来ると言うのだ」

 公王の笑い声に続いて、周囲の吸血鬼も笑い出す。

「うひひ! 公王様、さっさとこいつらヤッちま……」

 その吸血鬼は最後まで言葉を紡ぐことは無かった。
 迸る巨大な光がその吸血鬼を貫き、消し飛んだ。
 更には周囲の数体も巻き添えにする。
 この光は……。

 発生源は彼等の頭上。黒い帽子を被り、エプロンドレスで身を飾った少女。

「お前らの相手は三人じゃない。四人だぜ!」
「魔理沙っ!」

 霧雨魔理沙、その人だった。
 自慢の八卦炉から迸る閃光。彼女お得意のマスタースパーク。

「よう霊夢、傷の方は大丈夫なのか?」
「それはこっちのセリフよ!」
「私は少なくともお前よりは平気だ」

 魔理沙は霊夢を見るとニッと笑う。

(全くこんな時もこいつは……)

 それを見て霊夢も少し緊張感が解れる。傷口の痛みも治まっていた。
 何にしても心強い事この上ない。

「グヌヌ……キサマ! よくも我が同胞を!」
「同胞? 何をふざけた事言ってるんだお前は」

 魔理沙は先程と打って変わって、声のトーンが下がる。
 押し込められた気持ちを吐露するかのように。

「お前達は一体どれだけの人間を殺したと思ってるんだ!」

 激しい怒声を、吸血鬼にぶつけた。
 その勢いに、公王は一歩後ずさりをする。
 そして魔理沙はチラリと人里の方を見る。
 まるで誰か想い人でもいるかのように、目を細めて。

「クッ……お前等始めるぞ! 里を焼き払え!」

 公王は周囲の吸血鬼に合図をすると、一斉に魔力の槍が人里に投擲される。
 それを見て、霊夢が焦る。

「しまった!」
「大丈夫よ、霊夢」

 紫は吸血鬼が自分達を無視して人里を攻める事も計算に入れていた。
 なので、行動に出るのは早かった。
 紫の足元に魔法陣が出現する。

「「四重結界!」」

 紫が得意とする結界術。彼女は人里を守るように大きな結界を張った。
 その結界が吸血鬼達の槍を全て受け止め、槍が次々と蒸発していく。
 それには慧音も感嘆の声を上げた。

「さすが紫殿だ。あの量の槍をこうも容易く受け止めるとは」
「いえ……思ったよりきついですわ」

 紫は苦悶の表情を浮かべる。
 吸血鬼の槍『グングニル』を何十本も結界で受け止めたのだ。
 さすがの紫でも、防護結界の耐久力には限界がある。

「悪いけど、私はここで結界の維持に集中させて貰います。あとはあなた達に頼んだわ」
「分かったわ」
「了解だぜ」
「宜しく頼む、紫殿」

 三者それぞれ応えると、いよいよ決戦が始まった。

 吸血鬼達の陣形は公王を先頭に、左後方と右後方にそれぞれ分かれ、陣の一部の吸血鬼は人里への攻撃に専念している。
 慧音は左後方の陣を相手に、魔理沙は逆に右に飛び出した。
 そして霊夢は、公王と向かい合う。

「あら、一番楽なポジションに立ってしまったかしら?」
「抜かせ、ワシは後ろのやつらと格が違うわ」
「へぇ、やはり吸血鬼にも色々いるのね」

 霊夢はこいつの言葉に嘘偽りがないことが分かる。
 感じる魔力の強さの桁が違う。
 先日の館の前で戦った下っ端吸血鬼は、大した事が無かった。
 しかしその次に現れたあのお嬢様や、この公王から感じられるのはそれの何十倍もの魔力。

 公王の武器は、やはり魔力で作られた槍。
 右手に持ったそれは紅色に輝き、少しでも触れただけで蒸発してしまいそうなほどに強力なものだった。
 霊夢は懐から陰陽玉を取り出し霊力を込めると、陰陽玉を霊夢のサポートにまわらせる。
 そして更に彼女は複数枚の御札を手に取った。
 霊夢は手に汗を握る。これほどの敵と戦った事は数えるほどしか無い。
 更に、これが本気の命の取り合いという事を考えると、もはや始めての体験。

「では、行くぞ」

 それが合図となり、お互いが同時に攻撃を仕掛ける。
 公王は巨大な槍を奮い、霊夢を薙ぎ払おうとする。霊夢は霊力を込めた御札を公王に投げつける。
 攻撃は霊夢の方が速い。なので、公王は槍での攻撃よりも先に回避行動を優先すると、霊夢は思っていた。
 しかし。
 公王は御札を気にすることもなく、手の動きを止めなかった。

「なっ!」

 御札は公王に直撃、しかし尚そのまま槍の動きは止めない。
 霊夢は間一髪でそれを避けるが、頬に少し掠ってしまう。
 御札が直撃したはずの公王の方にはダメージが全く伺えなかった。
 公王の攻撃はそれで終わらず、更に槍を翻して再び薙ぎ払ってくる。
 一度目の攻撃で霊夢は既によろめいているため、その連続攻撃に対応出来ない。
 その時、霊夢のサポートに回っていた陰陽玉が、霊夢を守るように槍へ突進を食らわす。
 それにより槍の軌道は逸れる。その隙を霊夢は見逃さなかった。

(これならどう!)

 霊夢は五枚の御札に同時に霊力を込めると、それを公王に向けて放った。
 しかし公王は焦ることなく、落ち着いてそれを見定める。
 そして口を大きく開けて、叫んだ。

「ハァッ!」

 瞬間、公王の身体から凄まじい紅の波動が発せられる。
 空間が震え、放った御札が全てその場に爆発する。

「な……」

 霊夢はその圧倒的な力に呆気にとられる。

「フフフ、分かったか? お前と俺では決定的な力の差があるのだ」
「……」

 霊夢は悟った。こいつを倒す方法は夢想封印しか無い事に。
 それも不意打ちしかない。六つの霊力の弾を全て当てる必要がある。
 それほどまでにこいつの力は強固だった。
 その為に霊夢はまず、サポートに回っていた陰陽玉は防御モードから攻撃モードに変更する。

(まずは一瞬の隙を作る!)

 陰陽玉は公王に向かって飛びかかると、それを公王は横に避ける。
 しかし陰陽玉は公王を追跡するように誘導する。

「むっ」

 避けても避けても追跡を続ける陰陽玉。

「ええい、鬱陶しいわ!」

 公王はたまらず槍で陰陽玉を薙ぎ払った。それにより陰陽玉は一瞬で蒸発してしまう。
 しかし隙は出来た。

「「夢想封印 ―殺―!」」

 六つの霊力の弾が公王を襲う。
 これはさすがに避けようがないだろう、と霊夢は思う。
 全弾命中するはずだ。

「甘いぞ人間!」

 公王は一瞬で左手に魔力を込め、右手に持った槍と同じ槍を形成する。
 槍の二刀流。その槍で霊力の弾を薙ぎ払った。
 しかし打ち消された弾は四つ。残り二つは公王に着弾する。

「ウグゥ……」

 それで公王はよろめいた。
 今なら、と霊夢は再び御札を数枚投げ放つ。

「グハアァァッ!」

 全て着弾。
 公王は悲痛な叫びを上げる。しかしまだ倒れない。

「甘いわ! この下等生物がぁッ!!」

 公王は右手に持った槍を霊夢に向かって投擲する。
 霊夢は冷静にそれを避ける。
 だが。

「しまった!」

 避けた先にはもう一本、左手に持たれていた槍が既に放たれていた。
 それは避けることもままならず、霊夢の右肩に被弾し、そのまま吹き飛ばされる。
 吹っ飛ぶ霊夢の身体は木々を何本もなぎ倒し、勢いが止まった時には全身は血まみれだった。


「霊夢!」

 結界を維持しながら遠目でそれを眺めていた紫が悲痛な叫びを上げる。
 すぐに霊夢を助けなければいけない。
 しかし依然と続く吸血鬼達の攻撃。ここを動くわけには行かなかった。
 慧音や魔理沙も自分達の事で手一杯で、霊夢が危機的状況にある事すら気づいていないかもしれない。
 むしろ三者ともそろそろ限界に近かった。
 紫の結界は亀裂が入り始め、魔理沙は魔力が尽きかけている。慧音も満身創痍といった感じだ。
 もはや風前の灯火。敗北の時が一刻と近づいていくだけだった。






「ぅ……」

 霊夢は一瞬気を失いかけたが、まだ生きていた。
 咄嗟に張った防護結界が彼女を守ってくれたのだ。
 しかし、もう身体は動かない。

(私はここで死ぬの?)

 それでもいいのかもしれない、と霊夢は思う。
 それで母親のところへ行く事が出来るのなら、このまま死んでも……。

『諦めちゃだめ』

 その時霊夢は、身体の上に重力を感じた。
 誰かが自分の上に乗っかっている。そして霊夢に語りかける。

『諦めちゃだめ』

 霊夢は目を開けると、かすみ掛かった目でその人物を捉えた。

「おかあ……さん……?」

 霊夢は朦朧とした意識で、その人物に今は亡き母親の面影を見た。
 しかし、次第にそれが別人だと分かる。

「諦めちゃだめだよ」
「あな……たは……」

 金髪で黒い服を着た妖怪。
 あの時、妖怪退治をしたその帰り、霊夢が気まぐれで助けた子供の妖怪だった。

「まだ、生きていたのね……」
「そうだよ、あなたが助けてくれたんだよ」
「……私が?」
「うん!」

 妖怪は元気良く頷く。
 霊夢は別にこの妖怪を助けたつもりなんて全く無かった。
 しかし結果的に、あの時の霊夢の行動がこの妖怪の命を守ったのだ。
 だけどもはや、霊夢にはどうでもいい事だった。もう自分は死んでしまうのだから。

「次は私があなたを助ける番」
「無理よ……あなたみたいな弱い妖怪一人で何か出来るわけが……」

 その時だった。

 ざわ、ざわ、ざわ。
 森がざわめき出す。
 まるで何か、大量の何かが近くに潜んでいるかのように。

 そして。

「「「ウォオオオオオオオオオオッッッ!!」」」

「なっ……!」

 それは、そいつらは雄叫びを上げた。
 姿を表したのは、数えるのも面倒なくらいの妖怪の群れ。
 そいつらが今、吸血鬼達が蔓延る戦場に飛び掛った。
 霊夢はこの光景が信じられないのか、愕然としている。

「なんで……どうして……」

 妖怪達は魔理沙や慧音、紫と共闘し、吸血鬼達と戦い始める。
 だからこそ霊夢は疑問に思った。

「どうして、妖怪が人間を助けるために戦うの?」

 今の幻想郷は、人間と妖怪はもはや敵同士。
 食う、食われる。狩る、狩られる。
 ただそれだけの争いの絶えない日々が続いている。
 霊夢の母親もそうやって妖怪にやられたのだ。だからこそ、自分も妖怪を恨み続けた。
 なのに、今繰り広げられているこの光景は、妖怪が人間を守ろうと戦っているように見える。
 霊夢にはそれが理解出来なかった。

 霊夢の側にいた金髪の妖怪がニッと笑うと、彼女も戦場に飛び出す。

(まさかあの子がこの妖怪達をまとめたの?)

 いや、それはあり得ない話だった。
 今吸血鬼達と戦っている妖怪は、天狗や力の強い妖獣を含め、名の知れた妖怪も多数いる。
 あの力の弱い金髪妖怪の言いなりになるとは到底思えない。
 霊夢は何が何だか分からず、それを眺め続けていた。






 そして、戦争は終わりを迎える――。

 勝ったのは、妖怪達だった。
 三十もいた吸血鬼も残すはあと一体。公王を残すのみとなる。
 さすがの吸血鬼も、あの量の妖怪達が相手では為す術が無かったのだろう。
 魔理沙が霊夢の方に向かってくる。

「霊夢! 大丈夫か!」

 霊夢はまだ辛うじて意識を保てていた。しかし油断すればすぐに眠りについてしまいそうな状況。
 慌てて魔理沙は治癒の魔法を霊夢にかける。
 魔理沙の魔力もほぼ尽きかけているため、即効性のある強力な治癒は行えない。
 しかし博麗の巫女としての回復力のおかげか、次第に霊夢の顔色が良くなっていくのが見て取れた。
 そして何とか立ち上がれるくらいまでに回復する。

「ありがと魔理沙、何とか助かったわ」
「おかげで私の魔力も空っぽだがな」

 もう空を飛ぶことすら出来ないぜ、やれやれと手を振る。
 霊夢はそれよりも気になることがあった。
 妖怪達の奇妙な行動。何故人間を守るために戦ったのか。

「魔理沙、ちょっと行ってくるわ」
「ああ、私はここで少し休むとするぜ」

 霊夢は再び戦場に飛び出す。
 残る敵は公王を残すのみ、あるいはあの妖怪達とも……。






「ウガアアアァァッ! 貴様等ァッよくも我が同胞達を!!」

 空中では、公王が乱心したかのように槍を振り回していた。
 全ての仲間を失い、もはや暴徒と化している。
 派手に暴れまわっているため、周りの妖怪も中々近づけずにいた。
 そこで紫が前に出る。

「ウグァッ!」

 それを見た公王が、紫に向かって槍を薙ぎ払った。
 しかし紫はそれを軽く結界でガードする。
 吸血鬼達の何十との攻撃を凌ぎ切った紫なのだ。強い力を持っていると言えど、たった一人の吸血鬼の攻撃を食い止めることなど造作も無い。
 そして紫は、静かに言葉を紡ぐ。

「吸血鬼の王よ。貴方はこの幻想郷で悪逆無道の限りを尽くし、多くの民を苦しめました」
「アァッ?」
「しかしそれもここまでです。消えなさい」

「「二重黒死蝶」」

 突如、紫から多くの黒い蝶が発せられる。
 それは死の蝶。触れたものの生気を奪い、そしてあの世へ誘う。
 蝶が公王にまとわりつく、しかし公王は抗った。

「コンナモノォッ!」

 槍を振り回し、黒蝶を散らせていく。
 しかし、その蝶はただの目眩ましに過ぎなかったのだ。
 仲間がやられて、盲目的に暴走する狂気と化した今の公王では、それすらも気づかない。

「「ラプラスの魔」」

 公王の周囲に、多数の亀裂が入り、そこに目が現れる。
 そして、その全ての目から公王に向かって閃光が放たれ、身体を貫いた。

「ウッ……ガハァッ!」

 公王は血を吐いて、そして落下していく。
 ただ、無残に、崩れ落ちていった。

 瞬時。

「「「ウォォォォッォオォオォォォ!!」」」

 周囲の妖怪が歓喜の雄叫びを上げる。
 本当に心から、手を取り合って喜び始めた。
 そこに姿を現すのは一人の巫女。

「紫……」
「あら霊夢、大丈夫なの?」
「何だか最近は心配されてばかりだわ……それよりも」

 そう言って霊夢は周囲を見渡す。
 周りには妖怪に次ぐ妖怪で、純粋な人間は霊夢一人だけしかいない。
 人里を守ったのはこの妖怪達で、当の人間達は人里に篭るばかりだった。
 なんて皮肉なのだろう。
 人間は、今まで狩ってきた妖怪達に救われたのだ。

「だけど、どうして……」

 どうして人間を守ってくれたのか、それが分からない。
 そんな霊夢に、一人の妖怪が近づいた。

「そんなの、きまってるよ」

 あの金髪の妖怪だった。

「わたし達は人間が大好きだから!」
「え………」

 霊夢は今この妖怪が何を言ったのか、すぐに理解する事が出来なかった。
 妖怪とは思えない、そんな言葉。どうしてそんな事を言うのか。
 今まで恨み続けていた霊夢だからこそ、戸惑う。
 そこに紫が言葉を付け足す。

「だから言ったじゃない、霊夢」

 それは優しく微笑むように。

「妖怪だって悪いやつばかりじゃないって」
「紫……」
「ここにいる妖怪達は、皆人間達と仲良くしたかったのよ」
「どうして……」
「そこの妖怪が今言ったじゃない。皆好きなのよ人間が、その暖かい温もりが」

 妖怪も一筋縄では無かった。悪い妖怪もいれば、良い妖怪もいる。
 悪いところばかり目立ち、つい盲目的になってしまうが、つまりはそういう事なのだ。
 人間と妖怪、それぞれが手を取り合い平和に暮らしたい。そうやって考える者は多い。
 霊夢の母親は、無情にも悪い妖怪に殺されてしまった。
 ただそれだけの、運が悪かっただけの話。

「私は……」

 霊夢はその事を今悟った。
 そして後悔する。
 その後悔は涙となって、表に現れる。

「わた、わたしは今まで……うあぁ…あぁっ」

 もはや言葉にならない。
 全ての感情が洗い流されるように。
 ただ、霊夢は泣いた。

「うあぁぁぁっ、うぅ…、ひぁ、あぅぁぁっ」

 そして、それを紫は抱きしめた。

 まるで母親のように、優しく。

 周りの妖怪は、そんな二人を、微笑ましく見守り続けた。








 お母さん――。

「おかあさん……?」

 光が世界を包んでいる。
 不思議な空間、そこに幼い霊夢がいた。

「おかあさん?」

 そして、その目の前には彼女の母親が微笑んでいる。
 それは大事な大事な娘を慈しむように、とても優しげな表情で。

「霊夢……もう大丈夫のようね」
「……うん」

 とても暖かかった。
 とても気持ちが良かった。

 霊夢は自分の中に潜む鬼に打ち勝った。
 彼女はもう『鬼巫女』などではない。
 正真正銘の『楽園の素敵な巫女』だった。
 もう迷いなんて無い。
 霊夢は母親と反対方向に向かって、一歩踏み出す。

「あら霊夢、もう行っちゃうの?」
「うん、私には待ってくれる人達、妖怪達がいるから」
「……そうね。風邪ひかないようにね」
「うん!」

 霊夢は満面の笑みで頷いた。
 全てはここから動き出すのだ。

 幻想郷を真の楽園とする為に。





―― 鬼はやがて、幸せを見つける。
   幸せを見つけた鬼は、既に鬼では無かった。
   
   それは陽気なまどろみに包まれた、優しい一人の少女だった。―― 








――。
――――。

「…ん……」

 霊夢は見慣れない天井で目を覚ます。身体は気だるい。
 あの後結局どうなったのか、どうして自分は気を失ってしまったのか、霊夢は全く覚えていなかった。
 体を起こす。先ほど見た夢は、まだ覚えていた。

「おかあさん……私」

 そこまで言って首を横に降り払う。
 いつまでも母親にすがりついていてはいけないのだ。前に進むために。
 その時部屋の襖が開く。どこかデジャヴュを感じた。
 そこから慧音、紫、魔理沙、の順に姿を現す。

「お、気がついたか?」

 その言葉を発したのは慧音。

「全く……泣きつかれて紫の胸の中でそのまま眠っちゃうんだもんな」
「ほらほら、余計な事は言わない」

 ペシッ。

 紫が魔理沙を扇子ではたく。

「そうか……私」
「まぁ何はともあれ、一件落着だな」

 吸血鬼達は全員倒した。
 戦いは終わりを迎えたのだ。

「いや……まだよ

 霊夢には確信があるわけではない。
 ただ、まだ吸血鬼が滅びたわけではないと、博麗の巫女としての勘が告げていた。

「そうでしょ?紫」
「……」

 吸血鬼のお嬢様……まだあいつが残っている。

「安心しなさい霊夢。私が今から話をしに行くところよ」

 嘘だ、と霊夢は思った。紫は単に話をしに行くだけではない。
 確実に吸血鬼の勢力を、残らず殺すつもりでいる事に間違い無かった。

「紫、私も連れていきなさい」
「……今度ばかりは駄目よ」

 紫の鋭い眼光が霊夢を射抜く。
 魔法や霊力で治癒していると言えど、霊夢は連続に渡る戦闘でかなり衰弱している。
 もし戦闘になれば、間違いなくただでは済まない。

「残る勢力は少数。私一人で十分よ」
「でも」
「私は準備があるから、じゃあね」

 そう言って紫は隙間に消える。

「……」

 霊夢は項垂れた。
 いつもの霊夢なら、紫が吸血鬼達を殺してくれるなら問題ないと考えていた事だろう。
 しかし、今は違う。
 和解の道を探したい、と霊夢はそう考えていた。
 だけど身体は言う事を聞かず、もはやそれは不可能。

 その時、魔理沙が自分の胸をドンッと叩いた。

「おいおい霊夢、誰かを忘れてないか?」
「魔理沙?」
「自称幻想郷最速の私がまだいるんだ。さっさと行くぞ」

 そう言って、魔理沙は霊夢の手を取った。

「魔理沙……」

 へっ!と魔理沙は微笑みを浮かべる。
 それを見て、霊夢も柔らかな笑みを浮かべた。

「よろしく頼むわ」
「おう! 任せとけ!」

 そして、霊夢は魔理沙の箒の後ろに乗ると、二人は飛び出した。
 霧の湖に佇む紅の館。そこに残された吸血鬼のところに向かって。






 霧の湖――。
 前の時と違い、霧が紅く染まってはいなかった。
 吸血鬼の狂気は既に終わりを迎え、いつもの風景がそこに広がっている。
 ただ、紅色をした館は依然としてまだ建っていた。

 霊夢と魔理沙は館の近くまで来ると、地面に降りる。
 門は既に修復されており、悠然と来るべきものを待ち構えているように思えた。

「魔理沙、ここからは私一人で行くわ」
「分かった」

 魔理沙が素直に頷く。
 彼女も分かっているのだろう。ここから先は巫女の仕事だという事を。
 霊夢は憮然とした態度で歩を進める。
 そして門の前に辿り着くと、口を開いた。

「そろそろ姿、見せてもいいんじゃない? お嬢さん?」

 その言葉に応えるように、薄青い髪をした吸血鬼と、その従者が門から姿を表した。

「レミリア・スカーレットよ。覚えておくといい」

 レミリアと名乗る吸血鬼。
 そこから漂うのは何とも言えない哀愁感だった。
 レミリアは落ち着いて話す。

「残った吸血鬼はもはや私と妹だけ」

 しかし、どこかその声は震えていた。

「私は最初から嫌だった。幻想郷を敵にするなど馬鹿げている!」
「へぇ? それは言い訳?」
「何とでも言うがいい、今となってはどうだって良いこと」

 吸血鬼達は幻想郷を支配しようとしていた。
 ただ、レミリアだけは違ったのだ。彼女は共存を望んだ。
 まさに今霊夢が考えている事と同じように、人間も妖怪も、そこに吸血鬼も加えて、皆共に手を取り合いたかったのだ。
 それも今となってはもう遅い。

「私も吸血鬼。我が同胞達のかたきを取らずして死ぬわけにはいかない」

 そう言ってレミリアは魔力を高め、激しい魔力の渦がそこに形成される。
 紅の風が吹き荒れ、砂塵が舞った。
 その威力はあの公王と同レベル。いや、それ以上のものを感じさせられる。
 カリスマの権化。まさにその名に相応しい風格を漂わせて、レミリアは構えを取った。
 そして同様に霊夢も、己の霊力を高めた。

「私はもうヘロヘロなの。だから一回きりよ」

 霊夢の周囲に七つの陰陽玉が出現する。
 陰陽玉は彼女を中心に交点し、そして一つずつ順に光を放ち始める。
 昨日までの霊夢はこの技を扱うことが出来なかった。
 しかし、今なら出来る。妖怪への私怨を解き、真の博麗の巫女となった今なら。
 この技も使いこなせるはず。

 博麗の巫女としても習得出来る者は稀だという秘奥義。


「「「夢想天生」」


 瞬時、霊夢は浮いた。全てのものから解き放たれ、無重力となった。
 そして目を閉じる。その姿はまさに女神のよう。
 そこにレミリアが槍を打ち込む。

「「スピア・ザ・グングニル!」」

 魔力の渦が大気を飲み込み、一直線に霊夢へと襲いかかる。

 しかし、それは霊夢に当たることはなかった。
 いや、一瞬は当たったように見えたのだ。だがその攻撃は霊夢をすり抜け、後方へと突き抜けていった。

「なっ!」

 レミリアは驚愕の表情を浮かべる。
 霊夢は今あらゆるものから浮いているのだ。
 そんな彼女には、あらゆる物理的攻撃は通用しない。まさに無敵の存在。
 これが夢想天生。
 そして霊夢は目を閉じたまま、物凄い量の御札をレミリアに向かって放たれる。
 その数は百を超えるかもしれない。
 レミリアは避ける事もままならず直撃し、その場に崩れ落ちた。
 勝負は決まったのだ。

 レミリアが動けないのを確認すると、霊夢が術を解いた。
 門の前に転がるレミリアを見下ろす。

「クッ……まだだ」

 レミリアはまだ立ち上がろうとしていた。
 しかし霊夢は動かない。全く微動だにせずに、レミリアを見据えつける。

「どうした? 今更になって怖気づいたのか」
「……違うわ」
「何が違う」

 霊夢は一拍置いて、口を開く。

「私は、あなたを救いたい」

 そこから紡がれた言葉が予想外で、レミリアは唖然とする。

「救う……だと? 私に情けを掛けるつもりか」
「それも違うわ。私もあなたと手を取り合っていきたいと思っているのよ」
「お前等に私達がどれだけ殺されたと思っている」
「それはこっちも同じ。痛み分けよ」

 レミリアの中に戸惑いが生じる。
 更に霊夢は言葉を挟む。

「それに、後ろを見てみなさい」

 レミリアの後ろ。そこには彼女の従者、紅美鈴の姿があった。
 とても物悲しい表情で、今にも泣きそうな表情で、レミリアを見ている。

「お嬢様……もうやめましょう」
「美鈴……あなた……」

 美鈴はレミリアに生きて欲しかったのだ。
 従者として共に戦うことよりも、主人を生かすことを選んだ。
 心優しい彼女の、そんな性格。

「こんな戦い……誰も浮かばれないです」
「私に、私に、降伏しろと言うのか、美鈴……お前がっ」

 気づけばレミリアの魔力は霧散していた。
 美鈴の思いが通じたのかは分からない。しかしその言葉は確実にレミリアの心を貫いた。
 そして霊夢が呟く。

「あんたを思ってくれる人がそこにいる。その気持ちを大切になさい」

 レミリアは頭を垂れた。完全に戦意は喪失したようだ。

「どうやら……私の負けのようだな」
「……」

「そうよ」

 そのレミリアの言葉に返したのは、霊夢ではなかった。
 それは頭上から、二人を見下ろすように発せられた言葉。

「紫……」

 八雲紫。妖怪の賢者にして幻想郷の管理者。
 彼女は下賎なものでも見るかのように、レミリアを睨みつける。

「待って紫! 彼女は」
「黙りなさい霊夢」

 言われて霊夢は口を閉じる。
 紫から計り知れない雰囲気が漂っていた。
 長らく紫と付き合っている霊夢でも、こんな彼女は見たことが無い。

「吸血鬼、レミリアスカーレット」
「何だ………」
「あなた達吸血鬼は、とんでもない災厄を幻想郷に及ぼしました。それはとても許されるものではありません」
「……」
「だから」

 そして、紫が言い渡す。

「あなたを含むこの館の者全員に、永遠に幻想郷で暮らす罰を与えます」
「ゆ、紫っ!」

 その言葉に一番に反応したのは霊夢だった。
 幻想郷を誰よりも愛してやまない紫が吸血鬼を許した、その事が信じられなかったのだ。
 そしてその紫の表情は先程と違い、とても穏やかな顔つきをしている。

「もちろんタダでとは言いません。いくつかの約束事はしてもらいますわ」
「……かたじけない、妖怪の賢者」

 レミリアは素直にそれに応じた。

 この戦いで吸血鬼は負けた。
 しかし、レミリア自身は本当に負けたと言えるのだろうか?
 その姿から感じるのはこれ以上ない決意と、生き残った他の者達を守るという使命。
 それこそがこの吸血鬼の本質。
 この場にいる誰しもが、その圧倒的なカリスマに心を奪われた。


 こうして吸血鬼が幻想郷に与えた大異変、後に語られる事となる『吸血鬼異変』は幕を閉じたのだった。








―― そして時は過ぎ。


「出来た!!」

 快活な声が博麗神社に響き渡る。
 その神社の一室にいるのは博麗霊夢と霧雨魔理沙。
 そしてレミリア・スカーレット。

「何か頑張ってるようだけど、何をしていたのかしら?」

 と言ったのはレミリア。
 霊夢が今書き終わったばかりの紙を、レミリアに見せる。

「これよ!」
「えーっと……なにこれ? 何かのゲーム?」

 ゲームと聞いて魔理沙が、私にも見せろ!とその紙を奪う。

「なになに? ……弾幕ごっこ?」

 えっへんと霊夢が胸を張って答える。

「そうよ! この弾幕ごっこという遊びが幻想郷を平和に導くのよ!」

 霊夢はあの異変の後から、ずっと考えていたのだ。
 人も妖怪も、どうしたら手を取り合い、仲良く暮らせるようになるのか。
 争いの無い世界を作るにはどうすればいいのか。

 それならば、争いをゲームにしてしまえばいい。
 スペルカードルールというルールに乗っかって、皆で仲良く遊んでしまえばいいのだ。
 もちろん、まだこのルールの穴はたくさんあるだろう。
 これから紫と話し合い、もっと計画を練っていく必要がある。
 これが上手くいくかどうかなんか分からない。
 だけど、霊夢は心に決めていた。


 素敵な楽園を作る。


 霊夢は縁側に出て、空を見上げた。
 暖かな日差しを浴びながら、霊夢は幸せを噛み締める。

 そして、一言。


「これでいいんだよね……おかあさん」





Fin.
初めまして、マンマーと申します。
実は4年前にもSSを書いて投稿したことがあるのですが、久々に書いてみました。

普段から文章を書いているわけではないので、お見苦しい部分もあったかもしれませんが。
最後まで見て下さった方、本当にありがとうございます!
マンマー
[email protected]
http://manmamia.6.ql.bz/delkaiser/
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コメント



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6.80名前が無い程度の能力削除
なんだろうな、これ。すごく面白いんだけど、物足りないんだよな。
ストーリーのボリュームはかなりあるんだけど、それが活きていないというか。
劇の内容を解説されているような印象を覚えた。長編のショートショート、みたいな?
プロットに毛が生えた程度、と表現してもいい。そこが惜しい。
しかしですね、このストーリーが魅力的であることには変わりないのですよ。そこが凄い。
15.100名前が無い程度の能力削除
いや、私は面白く読ませてもらいました。