『松のこと』
去年の夏以来、庭の松がうなるようになった。
丈は三丈余り、齢は推定で百三十年、阿弥の代からうちの庭に立つ大株である。
立派といえばそのとおりであるが、眺めてみてもあまり風流な代物ではない。うちの者たちがずぼらで、つい矯めることをしなかったのだ。縁側の差し向かい、何もない庭の中央にあって、のろり垂直に立っていた。
この松がうなるようになった。
化けたのではない。しかしわけあってうなる。
きっかけは例の異常気象である。夏空に緋色の雲が現れ、森では雨が降り続き、山では風が吹き続き、紅魔館では曇り続き、各所で不審な天候が報告された例の異変である。
里の人々も困惑していた。うちでも下女の一人がつむじ風にまかれて五月蝿いと言うし、分家のある人はオタマジャクシに降られたと聞く。
稗田屋敷の屋根にも緋色の雲が見えた。この調子では自分の頭上も安心できないと思い、私は書斎に引っ込んで暮らしていたのだが、当初異変は見あたらなかった。書斎に頬杖して三日を暮らしたが、窓の外にはただ当たり前の天候が続いた。例年と変わらず暑いばかりの快晴。そうして折々は夕立を食らう。冥界などは雪さえ降ったと聞いているのに、屋敷の雲はいつまでもおとなしい。
私は書斎の窓から緋色の雲を見るうちに、だんだんこれを呑気に考えるようになった。四日目の昼になって、つい縁側へ出た。この「つい」が大いに祟ったのだ。大変なものに降られてしまった。
手を叩いて下女を呼び、「お水をください」、の、「おみ」まで口に出したとき、私の居た縁側からすぐそばの松に、突如雷が落ちたのだ。青天の霹靂などと書くと、晴れ空に稲光がさしてぎょっとする程度の事態を想像しそうだが、実際に、こう前触れもなく目の前で炸裂されると、こっちは驚くなんてものではすまされない。光と音のすさまじさに、私はただもうわあっと声を上げて、あとは分からない。気を失ってしまった。
私室で目を覚まして、下女から事の次第を聞かされた。日はもう西へ沈もうという頃だった。
窓からのぞくと、意外なこと、庭の松は半焼にとどまっていた。消火が早かったおかげだろう。上はほとんど黒く焦がされてしまったが、中ほどに目を移すと木肌は平生の色を残している。この様子なら死んではあるまい。ただ、稲妻の食い込んだ付近には残酷な痕目が見える。正直に伸び育った幹の内側には、うろが生じていた。
落雷の後、緋色の雲は全く消えてしまった。青天の霹靂が庭の松を裂いて、それで稗田家の異常気象はおしまいになったらしい。異変は間もなく巫女が解決した。
それ以来である。松がうなるのだ。
風が吹くと、この時のうろが法螺のように作用して、重い声を出すのだ。縁側から靴を脱いでうちへ上がろうとすると、背後から「オオオオイ」といって呼び止める。窓越しに遠くから見つめていると、「コイ、コイ、コイ」と幽かにいって呼び寄せる。遅くまで仕事をしていると、「ウウウ、アア」などといって苦悶を訴える。家の者たちは気味悪がって縁側を避けた。秋が来ると庭向きのふすまはみんな閉じてしまった。
この頃になると、私は縁起二巻の編纂準備が忙しく、また書斎に篭るようになった。取材を済ませて玄関から机に向かうには外周の縁側を通るのが一番早い。書斎へ向かう私が庭に差し掛かると、松は決まって「オオオオオオウ」とうめいて迎えた。「おかえりなさい」と聞こえないこともない。「お前を呪う」とも聞けば聞こえる。瀕死の松のうめき声を聞いてやる者は、この家に私一人であった。
このうら寂しい庭の前を通るとき、決まって私は哀れの念をもよおした。作業の合間にも松が泣くのを聞くことがあったが、そんなときには筆を止めて耳を傾けた。またそれが何を言っていたのかと想像してもみた。
二巻編纂準備のある機会に、巫女から夏の異変の全容を聞くことができた。なんでも天人の悪戯であったらしい。地上から気を巻き上げて緋色の雲をなし、局所的に様々の天候を起こしていたのだという。人ごとの天候の違いはその者の霊の性質を表しており、気象を分析すればその人の気性が解るそうだ。森に雨が降ったのは、優しい人があったのだろう。山に風が吹いたのは、せわしない人があったのだろう。幻想郷は賑やかである。
その話を聞きながら、自身の頭上に戴いた気象と、それを招いた自身の気性について考えた。のどかな世間に挨拶もなく飛び込み、一瞬のうちに強烈な主張を発してたちまち消えた、あの日の稲妻。御阿礼の子たる私の使命、短命、宿命は、確かに現れていたろう。ただ貧弱な一子に過ぎない私が、他の誰よりも強い閃光を放つのは、縁起の重要性によるものだろうか。それを思えば気が引き締まる。私は幻想郷を愛している。この世界を記し残すために使命を全うし、百年後もこれを書き継ぐために短命を終えよう。そうしてこの宿命を誇ろう。
私はあの日の稲妻を胸に抱いて、屋敷へと戻った。
縁側を通って書斎へ向かうと、果たして松が「オオオオオオウ」とうめいた。これに私の足が止まった。
稲妻が私の気性ならば、跡に残ったこのうなり松こそは幻想郷縁起と例えられようはずである。私はまた一つ嬉しかった。稲妻は一瞬の印象を残して世を去ってしまうが、この木があれば存在の名残は消えない。松がこうしてうなりをあげるうちは、私でなくとも人は落雷を忘れない。
私はこの松を見るに自らの半身を見るかのような感じを起こした。縁側に腰掛けて向き合うと、松は「アアアア、ア」と欠伸した。秋の日の心地は小春の幸せであった。庭には一面に日が入って、普段の寂しさは感じない。
松の枝は真黒である。炭化した先端は、そもひび割れた松の肌を、さらに深く細らせて、もろくなった表面をときどき風の中に手放す。てっぺんの葉はほとんど焼けてしまった。まばらになった枝を通して、向こうの山から鳥が飛び立つのが見える。惨めさを嘆くように、松が一声「オオオ」といった。
これでも、生きている。どうかしてあと数年持ちこたえることができたなら、樹皮の焦げ跡も落ちるだろう。しかし、愚直な幹を深く切り裂いた例の爪痕は到底消えない。
私は、わけもなくすまないと思った。また、ありがたいとも思った。
「痛みますか」と聞いてみた。松は「オオオオ」と答える。私はうんうんとうなずいてみせた。「暖かですね」と言ってみた。松は短く「ブウ」と言う。しばらくして「オオオ」と付け加える。私は無性に可笑しかった。「じき寒くなります」と口に出しかけたが、「ウウウ、アア」とまたうめきだしたので、気の毒になって止すことにした。
去り際、戸口でふりかえって一礼を捧げた。松はいっときは静かであったが、また「オオオオオ、アア」とうなった。
私は暗い書斎に入ると、冷えた座布団に腰をすえた。そうして夜中まで仕事をした。
しだいに私は、この松の声を聞くと、不思議な感激を覚えるようになった。まるで、亡者の地底より這い出さんとしてもがくがごとき苦悶。なるほど良い声ではない。しかしこうした苦悶のうちには、二つの峻烈な意思の力がのりうつっているのだ。己が存在の形見に傷を残そうとした稲妻の呪い、そうしてそれに打ち克たんとする樹木の生命力である。これらがあの松のうろの中で渦巻き、混ざり合い、一続きの重い声となって響くのだ。私はこの声を聞くとすまなかった。また、ありがたくもあった。
縁起二巻の編纂は翌年の春までかかった。執筆が済むと里の書店や貸し本屋などを回って普及に努めなければならない。
あるとき寺子屋を訪ねて一冊を寄贈し、授業の役に立てて欲しい旨を伝えると、慧音先生に痛く喜ばれた。茶菓子のもてなしを断りきれず、屋敷へ戻るころには日が暮れていた。夕餉を済まし、平時のごとく縁側を歩いて書斎へ向かっていると、ふと、あたりの嫌に静かなことに気がついた。角で曲がって庭に差し掛かる段になっても、「オオオオオオウ」が聞こえない。庭に目を向けてぎょっとした。松は、中ほどで切断されている。あの大きいばかりで無風流な愚直だけが、墓標のように残されている。
私は暗い縁側に立って呆然とした。家の者に訊ねると、気味が悪いのでずいぶん前から伐る予定をしていたのだという。私はあんまり惨いではないかと非難したが、どうせもう長くはなかったでしょうと、いっそ一思いに終わらせてやるのがあれのためでしょうと、平気な口調で返された。
その日の晩は眠れなかった。私は悲しかった。いつまで耳を澄ましても、松の声は聞こえない。この静けさの暗示するものを思うと、私はたまらなかった。私の使命も、短命も、宿命も、こうした何気ない瞬間に、はたりと首を落とされてしまうのだろうか。後には九つと幾つかの墓が残されて、その身の空しささえも、いずれは忘れられる。どうせ先の短い私なら、いっそ今すぐ終わらせても、それが私のためだろう。私は恐ろしかった。
翌朝、明るみのもとに松を見た。哀れなるかな、焦げついた幹を伐った断面には、果たして血のような赤色がみなぎっていた。松はたしかに生きていたのだ。庭は平生からの寂しさに土壇場の物凄さを加えて、ただ、ただ、無残の一言である。
春とは言え早朝の縁は肌寒い。しかし私はかまわず立ち尽くした。向こうの山から鳥が飛び立つのが見える。秋の日にここへ座って瀕死の松に語りかけたことが思い出された。
私はふと思い立って、下女に短冊を持って来させた。そうして細筆を執ってこれに松のことを書いた。ここに矯めのない正直な良い松があったこと、夏に落雷してうろを生じたこと、風が吹くとうろからうなるような声がしたこと、春先に伐られてしまったこと、濃い墨で、濃く書いた。
私は短冊を杉の木箱に収めると、これを埋めるべく庭の片隅に穴を掘った。夢中の行動であった。慣れない鍬を地面に振り下ろすたび、手が痛んで声が漏れた。
我ながら愚物かもしれない。どうしてこんなことを書いて、どうして土に埋めるのか、そうしたことは考えなかった。ただ鍬を握りながら、これが人間だと思った。抗えない物の中にあって、しかし生き、一事を成そうとするのが人間だと思った。その時の私は、まるっきり人間だった。
日はやがて中天へと昇り、薄白い陽光が幻想郷を満たした。山の方から甘い風が吹いた。うぐいすが下手な歌を歌っていた。世間は冬の強張りからよみがえるようだった。私は、この春の日の幸せも、地中に封じてやろう、と思った。それは、伐り株の根の慰めになる、と思った。
土を掘り返すうちに、鍬の先が硬いものに触れた。取り出してみるに、古びた杉の木箱である。中には短冊が入っていた。短冊には、濃い墨で、細かな文字が書かれていた。曰く、ここに小さな松を植えたが、自分は死なねばならぬので、もう世話をしてやれない、すまないことだが、きっとまもなく枯れるだろう。最後に稗田阿弥とある。
私は思わず、声出して笑った。
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。
去年の夏以来、庭の松がうなるようになった。
丈は三丈余り、齢は推定で百三十年、阿弥の代からうちの庭に立つ大株である。
立派といえばそのとおりであるが、眺めてみてもあまり風流な代物ではない。うちの者たちがずぼらで、つい矯めることをしなかったのだ。縁側の差し向かい、何もない庭の中央にあって、のろり垂直に立っていた。
この松がうなるようになった。
化けたのではない。しかしわけあってうなる。
きっかけは例の異常気象である。夏空に緋色の雲が現れ、森では雨が降り続き、山では風が吹き続き、紅魔館では曇り続き、各所で不審な天候が報告された例の異変である。
里の人々も困惑していた。うちでも下女の一人がつむじ風にまかれて五月蝿いと言うし、分家のある人はオタマジャクシに降られたと聞く。
稗田屋敷の屋根にも緋色の雲が見えた。この調子では自分の頭上も安心できないと思い、私は書斎に引っ込んで暮らしていたのだが、当初異変は見あたらなかった。書斎に頬杖して三日を暮らしたが、窓の外にはただ当たり前の天候が続いた。例年と変わらず暑いばかりの快晴。そうして折々は夕立を食らう。冥界などは雪さえ降ったと聞いているのに、屋敷の雲はいつまでもおとなしい。
私は書斎の窓から緋色の雲を見るうちに、だんだんこれを呑気に考えるようになった。四日目の昼になって、つい縁側へ出た。この「つい」が大いに祟ったのだ。大変なものに降られてしまった。
手を叩いて下女を呼び、「お水をください」、の、「おみ」まで口に出したとき、私の居た縁側からすぐそばの松に、突如雷が落ちたのだ。青天の霹靂などと書くと、晴れ空に稲光がさしてぎょっとする程度の事態を想像しそうだが、実際に、こう前触れもなく目の前で炸裂されると、こっちは驚くなんてものではすまされない。光と音のすさまじさに、私はただもうわあっと声を上げて、あとは分からない。気を失ってしまった。
私室で目を覚まして、下女から事の次第を聞かされた。日はもう西へ沈もうという頃だった。
窓からのぞくと、意外なこと、庭の松は半焼にとどまっていた。消火が早かったおかげだろう。上はほとんど黒く焦がされてしまったが、中ほどに目を移すと木肌は平生の色を残している。この様子なら死んではあるまい。ただ、稲妻の食い込んだ付近には残酷な痕目が見える。正直に伸び育った幹の内側には、うろが生じていた。
落雷の後、緋色の雲は全く消えてしまった。青天の霹靂が庭の松を裂いて、それで稗田家の異常気象はおしまいになったらしい。異変は間もなく巫女が解決した。
それ以来である。松がうなるのだ。
風が吹くと、この時のうろが法螺のように作用して、重い声を出すのだ。縁側から靴を脱いでうちへ上がろうとすると、背後から「オオオオイ」といって呼び止める。窓越しに遠くから見つめていると、「コイ、コイ、コイ」と幽かにいって呼び寄せる。遅くまで仕事をしていると、「ウウウ、アア」などといって苦悶を訴える。家の者たちは気味悪がって縁側を避けた。秋が来ると庭向きのふすまはみんな閉じてしまった。
この頃になると、私は縁起二巻の編纂準備が忙しく、また書斎に篭るようになった。取材を済ませて玄関から机に向かうには外周の縁側を通るのが一番早い。書斎へ向かう私が庭に差し掛かると、松は決まって「オオオオオオウ」とうめいて迎えた。「おかえりなさい」と聞こえないこともない。「お前を呪う」とも聞けば聞こえる。瀕死の松のうめき声を聞いてやる者は、この家に私一人であった。
このうら寂しい庭の前を通るとき、決まって私は哀れの念をもよおした。作業の合間にも松が泣くのを聞くことがあったが、そんなときには筆を止めて耳を傾けた。またそれが何を言っていたのかと想像してもみた。
二巻編纂準備のある機会に、巫女から夏の異変の全容を聞くことができた。なんでも天人の悪戯であったらしい。地上から気を巻き上げて緋色の雲をなし、局所的に様々の天候を起こしていたのだという。人ごとの天候の違いはその者の霊の性質を表しており、気象を分析すればその人の気性が解るそうだ。森に雨が降ったのは、優しい人があったのだろう。山に風が吹いたのは、せわしない人があったのだろう。幻想郷は賑やかである。
その話を聞きながら、自身の頭上に戴いた気象と、それを招いた自身の気性について考えた。のどかな世間に挨拶もなく飛び込み、一瞬のうちに強烈な主張を発してたちまち消えた、あの日の稲妻。御阿礼の子たる私の使命、短命、宿命は、確かに現れていたろう。ただ貧弱な一子に過ぎない私が、他の誰よりも強い閃光を放つのは、縁起の重要性によるものだろうか。それを思えば気が引き締まる。私は幻想郷を愛している。この世界を記し残すために使命を全うし、百年後もこれを書き継ぐために短命を終えよう。そうしてこの宿命を誇ろう。
私はあの日の稲妻を胸に抱いて、屋敷へと戻った。
縁側を通って書斎へ向かうと、果たして松が「オオオオオオウ」とうめいた。これに私の足が止まった。
稲妻が私の気性ならば、跡に残ったこのうなり松こそは幻想郷縁起と例えられようはずである。私はまた一つ嬉しかった。稲妻は一瞬の印象を残して世を去ってしまうが、この木があれば存在の名残は消えない。松がこうしてうなりをあげるうちは、私でなくとも人は落雷を忘れない。
私はこの松を見るに自らの半身を見るかのような感じを起こした。縁側に腰掛けて向き合うと、松は「アアアア、ア」と欠伸した。秋の日の心地は小春の幸せであった。庭には一面に日が入って、普段の寂しさは感じない。
松の枝は真黒である。炭化した先端は、そもひび割れた松の肌を、さらに深く細らせて、もろくなった表面をときどき風の中に手放す。てっぺんの葉はほとんど焼けてしまった。まばらになった枝を通して、向こうの山から鳥が飛び立つのが見える。惨めさを嘆くように、松が一声「オオオ」といった。
これでも、生きている。どうかしてあと数年持ちこたえることができたなら、樹皮の焦げ跡も落ちるだろう。しかし、愚直な幹を深く切り裂いた例の爪痕は到底消えない。
私は、わけもなくすまないと思った。また、ありがたいとも思った。
「痛みますか」と聞いてみた。松は「オオオオ」と答える。私はうんうんとうなずいてみせた。「暖かですね」と言ってみた。松は短く「ブウ」と言う。しばらくして「オオオ」と付け加える。私は無性に可笑しかった。「じき寒くなります」と口に出しかけたが、「ウウウ、アア」とまたうめきだしたので、気の毒になって止すことにした。
去り際、戸口でふりかえって一礼を捧げた。松はいっときは静かであったが、また「オオオオオ、アア」とうなった。
私は暗い書斎に入ると、冷えた座布団に腰をすえた。そうして夜中まで仕事をした。
しだいに私は、この松の声を聞くと、不思議な感激を覚えるようになった。まるで、亡者の地底より這い出さんとしてもがくがごとき苦悶。なるほど良い声ではない。しかしこうした苦悶のうちには、二つの峻烈な意思の力がのりうつっているのだ。己が存在の形見に傷を残そうとした稲妻の呪い、そうしてそれに打ち克たんとする樹木の生命力である。これらがあの松のうろの中で渦巻き、混ざり合い、一続きの重い声となって響くのだ。私はこの声を聞くとすまなかった。また、ありがたくもあった。
縁起二巻の編纂は翌年の春までかかった。執筆が済むと里の書店や貸し本屋などを回って普及に努めなければならない。
あるとき寺子屋を訪ねて一冊を寄贈し、授業の役に立てて欲しい旨を伝えると、慧音先生に痛く喜ばれた。茶菓子のもてなしを断りきれず、屋敷へ戻るころには日が暮れていた。夕餉を済まし、平時のごとく縁側を歩いて書斎へ向かっていると、ふと、あたりの嫌に静かなことに気がついた。角で曲がって庭に差し掛かる段になっても、「オオオオオオウ」が聞こえない。庭に目を向けてぎょっとした。松は、中ほどで切断されている。あの大きいばかりで無風流な愚直だけが、墓標のように残されている。
私は暗い縁側に立って呆然とした。家の者に訊ねると、気味が悪いのでずいぶん前から伐る予定をしていたのだという。私はあんまり惨いではないかと非難したが、どうせもう長くはなかったでしょうと、いっそ一思いに終わらせてやるのがあれのためでしょうと、平気な口調で返された。
その日の晩は眠れなかった。私は悲しかった。いつまで耳を澄ましても、松の声は聞こえない。この静けさの暗示するものを思うと、私はたまらなかった。私の使命も、短命も、宿命も、こうした何気ない瞬間に、はたりと首を落とされてしまうのだろうか。後には九つと幾つかの墓が残されて、その身の空しささえも、いずれは忘れられる。どうせ先の短い私なら、いっそ今すぐ終わらせても、それが私のためだろう。私は恐ろしかった。
翌朝、明るみのもとに松を見た。哀れなるかな、焦げついた幹を伐った断面には、果たして血のような赤色がみなぎっていた。松はたしかに生きていたのだ。庭は平生からの寂しさに土壇場の物凄さを加えて、ただ、ただ、無残の一言である。
春とは言え早朝の縁は肌寒い。しかし私はかまわず立ち尽くした。向こうの山から鳥が飛び立つのが見える。秋の日にここへ座って瀕死の松に語りかけたことが思い出された。
私はふと思い立って、下女に短冊を持って来させた。そうして細筆を執ってこれに松のことを書いた。ここに矯めのない正直な良い松があったこと、夏に落雷してうろを生じたこと、風が吹くとうろからうなるような声がしたこと、春先に伐られてしまったこと、濃い墨で、濃く書いた。
私は短冊を杉の木箱に収めると、これを埋めるべく庭の片隅に穴を掘った。夢中の行動であった。慣れない鍬を地面に振り下ろすたび、手が痛んで声が漏れた。
我ながら愚物かもしれない。どうしてこんなことを書いて、どうして土に埋めるのか、そうしたことは考えなかった。ただ鍬を握りながら、これが人間だと思った。抗えない物の中にあって、しかし生き、一事を成そうとするのが人間だと思った。その時の私は、まるっきり人間だった。
日はやがて中天へと昇り、薄白い陽光が幻想郷を満たした。山の方から甘い風が吹いた。うぐいすが下手な歌を歌っていた。世間は冬の強張りからよみがえるようだった。私は、この春の日の幸せも、地中に封じてやろう、と思った。それは、伐り株の根の慰めになる、と思った。
土を掘り返すうちに、鍬の先が硬いものに触れた。取り出してみるに、古びた杉の木箱である。中には短冊が入っていた。短冊には、濃い墨で、細かな文字が書かれていた。曰く、ここに小さな松を植えたが、自分は死なねばならぬので、もう世話をしてやれない、すまないことだが、きっとまもなく枯れるだろう。最後に稗田阿弥とある。
私は思わず、声出して笑った。
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。
こういうのが創想話にもっとあってもいいんじゃないでしょうか。
面白いお話を見つけた。
そんな気分です。
文の中に動く阿求の息遣いが近くに感じられて、それのせいか、
この命が短いのだと考えると切なくなりました。
また、こういったお話を書けるあなたに、
ちょっぴり嫉妬もしてしまいます。
素晴らしいですね。
次第にうつろう松の木への感情も同調していき物哀しい気持ちになるぐらい
実に情景溢れる傑作でした。
もっと読みたい、と思いました。
次の投稿を楽しみにしています。
阿求の心情が、痛いほど伝わる。
今後の作品も楽しみに待ってます。
次の作品も期待して待つことにします。
この木のなんとも言えないふてぶてしさからして、切り株から枝が伸びてきて
阿求の生まれ変わった頃には立派に復活してるんじゃないかと思いますた。
今回のような掌編でも、長編でもいいのでもっとあなたの文章を読んでみたいです!
それに終わり方もまたすごく良い
楽しませていただきました
命こそ短いけれども、その使命は長く続いていく阿求を良く表した作品だと思います。
文章も素敵だ。
思わず下女をぶっ飛ばしたくなるくらい没入感の高い作品でした。
「何してんだてめぇ!」と声に出るところでした。
初投稿は初投稿なんでしょうけど、まさか処女作ではあるまいに。
いやはや、これは面白い。素敵な時間をありがとうございました。
他の人が言った「教科書の面白い話」が言い得て妙だと思えました。
最後の部分は 問「この時の阿求の心情を50文字以内で書きなさい」とか続きそう。
上にもすでに出ていますが、教科書のおもしろい話というのはいい得て妙
>>ただもうわあっと声を上げて、あとは分からない
ここを読んだ時点で、ああこのひとはしっかりした文章が書ける方だな、いいな、と思わされました
評価してくださった方、本当にありがとうございます。
僕のような未熟な者に、もったいないことです。
初投稿のなんのと書いてしまいましたが、小説、脚本の類はこれが初めてというわけではありません。ただ、初めてではない、と威張るほど、書き馴れてもいませんから、今後も書き続けていきたいと思います。よろしければ、次もおつきあいください。
では近いうちに、またお邪魔します。
いい作品をありがとう。
そしてまた、松は植えられるのかしらん。
短いながら情緒ある文章で面白かったです
これからの作品も楽しみに待ってます
東方で有れ無かれと続けて続けて頂きたい。是非。
(指摘するところが見当たらないのですけど……)
こんな文章に憧れます。
うぶわらいさんのような書き手がそそわに増えて欲しいです
雨振った後の虹のよう
阿求=稲妻というのがすごくピッタリですね。
とても趣きのある素敵なお話だと思います。
阿求の松に対する熱い想いと、ラストシーンの爽快感に惚れました
緋想天の異変をこういう形で表すとは。
文章も実に好みです。締めがまた良い。
ご馳走様でした。
あなたに憧れます。それしか言えません。
素晴らしい
阿求のいきいきとした表情が目に見えるようです。
まるで大正~昭和戦前の作家のような骨太の文章ですね。
無生物である松の木を通して阿求を描くところは、横光利一の「蠅」を思い出しました。
最後の締めも素晴らしい。未来へ向けた明るさと希望を感じます。
素晴らしいSS、ご馳走様でした。
こうやって自分のいた証を残そうとするのは、すごく人間的でいいと思いました。
面白かったです。
この部分がすごく心に刺さりました。素敵な作品ありがとうございます。
1世紀というのは近現代において急加速し、濃密に進んでいきました。
しかし人間の生命の1世紀はそれほど変わらないでしょう。阿求が人生を全うできるよう祈っています。