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「河童の里の冷やし中華と串きゅうり」(作品集174) 「迷いの竹林の焼き鳥と目玉親子丼」(作品集174) 「太陽の畑の五目あんかけ焼きそば」(ここ) 「紅魔館のカレーライスとバーベキュー」(作品集174) 「天狗の里の醤油ラーメンとライス」(作品集175) 「天界の桃のタルトと天ぷら定食」(作品集175) 「守矢神社のソースカツ丼」(作品集175) 「白玉楼のすき焼きと卵かけご飯」(作品集176) 「外の世界のけつねうどんとおにぎり」(作品集176) 「橙のねこまんまとイワナの塩焼き」(作品集176) | 「人間の里の豚カルビ丼と豚汁」(作品集162) 「命蓮寺のスープカレー」(作品集162) 「妖怪の山ふもとの焼き芋とスイートポテト」(作品集163) 「中有の道出店のモダン焼き」(作品集164) 「博麗神社の温泉卵かけご飯」(作品集164) 「魔法の森のキノコスパゲッティ弁当」(作品集164) 「旧地獄街道の一人焼肉」(作品集165) 「夜雀の屋台の串焼きとおでん」(作品集165) 「人間の里のきつねうどんといなり寿司」(作品集166) 「八雲紫の牛丼と焼き餃子」(作品集166) |
一面、高く高く太陽に向かって背を伸ばしたヒマワリが、まるで迷路のようだった。
真夏の太陽の畑は、降りそそぐ日射しを浴びて生命を謳歌する花たちで、まるで毎日が祭りのように賑やかだ。もっとも、今宵の賑やかさは単に、そのためだけではない。
「わぁ……」
黄昏時の太陽の畑。橙が目を輝かせて、あたりを見回す。一面のヒマワリの間を抜ける道に、屋台がいくつも並び、ちょっとした縁日の様相を呈していた。その奧では、しつらえられたステージが、そこに上る主役の登場を待ち焦がれるように鎮座している。
プリズムリバー騒霊楽団の夏の定期ライブが開かれる、太陽の畑特設ステージ。その観客席には、既に気の早い妖怪や妖精たちが萃まり始めていた。
「藍様! お祭りですよお祭り!」
「こら橙、焦らなくてもライブはまだこれからだぞ?」
私の言葉に構うことなく、橙はぱっと駆け出し、屋台で作られる綿菓子や、射的の景品にいちいち歓声をあげては、私の方を振り返って大きく手を振る。
「ちぇーん、迷子になるんじゃないぞー」
はしゃぐ式に私は苦笑混じりにそう声を掛けて、その後を追いかける。
すばしっこく人波をかわしていく二本の尻尾。ご機嫌に揺れるそれを見ているだけでも、ここに連れてきた甲斐があったな、と私はひとり頷いた。
誰にも邪魔されず、気を遣わずにものを食べるという、孤高の行為。
この行為こそが、人と妖に平等に与えられた、最高の“癒し”と言えるのである。
狐独のグルメ Season 2
「太陽の畑の五目あんかけ焼きそば」
私――八雲藍がこうして、橙を伴って騒霊楽団のライブにやって来たのは、何もただの気まぐれからではない。色々と、複合的な要因が重なったからである。
「何か食べるか?」
「んー」
私は橙に追いついて、そう声をかける。橙は目移りした様子で、あちこち視線を彷徨わせた。鉄板の上で焼きそばが踊り、ラヂオ焼きが湯気をたて、綿菓子やりんご飴が並ぶ。この中で何が食べたいと聞かれたら、私も迷ってしまうかもしれない。
と、橙の視線が一点で留まった。私もそちらに目をやる。
「藍様、揚げアイスって何ですか?」
「揚げアイス……?」
矛盾した文字の並びに、私は眉を寄せる。揚げアイスというのは初耳である。アイスというのは当然、アイスクリームのことだろう。しかし、揚げとはどういうことだ。アイスを油で揚げる? それは溶けて大惨事になるだけじゃないのか?
首を傾げた私に、「藍様も知らないことがあるんですね!」と何か橙が含み笑い気味に言った。む、と私は唸るが、さりとて見栄を張って知ったかぶりをしたところで墓穴を掘るだけである。上に立つ者として侮られるのは褒められたことではないが、己の不徳を認めない器の小ささを露呈すればなおさら部下の心は離れるだけであることは肝に銘じねばならない。
「そうだな、私も食べたことがない。よし、じゃあふたつ買ってこよう」
私は屋台に向かい、揚げアイスをふたつ注文する。差し出されたのは、カップに入った丸い茶色の物体だった。見た目は何か揚げまんじゅうのようである。
「ほら、橙」
「ありがとうございます~」
ひとつを橙に差し出し、私はカップについていたスプーンで丸い塊を半分に割る。さくりとスプーンが通った中からは、溶けたアイスが流れ出してくるかと思いきや、中のアイスはしっかり固形を保っていた。不思議なものだ。
いただきます、と呟いて、私はそれを口に放る。――外側はさくさく、なのに中はふんわりと甘いバニラアイスが口の中で溶け出す。これは……何とも不思議な味だ。さくっとしたものでアイスを包むという意味では最中の食感を思い出すが、外側がちゃんと熱をもっているのに、中は冷たいアイスというこの落差がエキセントリックで、しかし……うん、美味い。さくさく、とろふわ、さくふわだ。
「おいひぃれふね」
「喋るなら飲みこんでからにしなさい」
唇の端にアイスをつけた橙の口元を拭って、私は笑う。残った半分も口に放り込み、改めてその味わいに感嘆した。アイスを揚げる! 発想が無かった。これを思いついた輩は相当の変わり者だろうが、しかし偉大だ。新しいアイスの食べ方だな。舌と胃袋に新しい歴史が刻まれたかのようだ。これを揚げアイス革命と呼ぼう。
「私が藍様の知らない美味しいものを見つけました!」
「ああ、偉いぞ橙」
頭を撫でてやると、橙は気持ちよさそうに目を細めた。
無知を恥とするかは当人の心持ち次第にせよ、知ったかぶるのは恥であるし、知ろうとしないことは罪である。――知らないということは、その分だけ世界の広がる余地があるということだ。橙の純粋な笑顔を見ていると、自分自身もまだそうありたいものだと思えてくる。
「――ああ、藍さん。いらしてたんですね」
「阿求殿」
と、聞き覚えのある声をかけられ、私は振り返った。そこにいたのは、私が橙を連れてここに来ることになった第一の要因であるところの、稗田阿求女史である。
橙はさっと私の背後に隠れた。私は肩を竦めて、阿求に向き直る。
「彼女は?」
「向こうで騒霊楽団と打ち合わせ中です。会場の管理者ですから」
阿求が振り返った先、ステージにはまだ、騒霊楽団の姿は見えない。彼女の伴侶であり、もともとはこの太陽の畑に暮らしていた妖怪――風見幽香の姿もだ。裏手の方で打ち合わせをしているのだろう。
――もともと、紫様が幻想郷縁起の編纂協力者的な立場にある関係で、その式である私も阿求とは多少なりとも交友があった。そんなわけで先日、稗田邸を野暮用で訪ねた際に、この定期ライブに誘われたのである。
幽香は人里の稗田邸に居を移した今も、この太陽の畑の管理者のような立場であるらしい。主のご友人の伴侶が協力するライブ、と言うと何とも迂遠な関係ではあるが、騒霊楽団とは白玉楼の宴会でも縁はあるし、不義理にするほど余裕のない生活をしているわけではない。というわけで、それがここに来た第一の理由である。
そして、第二の理由は――。
「それから、そちらが?」
「ああ――」
阿求が橙に目をやる。私の尻尾を掴んで唸る橙に、私はその背中を叩いた。
「ほら橙、彼女も今日の審査員だ。ちゃんと挨拶しておいて損はないぞ」
「……よろしくおねがいします」
「楽しみにしていますよ」
小さくぺこりと頭を下げた橙に、阿求は目を細めて笑った。全く、こんな調子で本当に橙はダンス大会になど参加する気なのだろうか。私は何度目か心配になる。
――第二の理由。それは、二部構成となっている今日のライブで、第一部と第二部の合間に開かれる観客参加型イベント、《第一回幻想郷パンクダンスコンテスト》である。橙が、それに参加者としてエントリーしているのだ。
それでは私はこれで、と阿求はこちらに背を向け、ステージの方へ消えていく。その背中を見送っていると、橙がいくぶん緊張した面持ちでステージを見つめているのに気付いた。
「橙」
「みゃー!」
突然、橙が気合いを入れるように声を張り上げた。――どうやら、やる気は十分のようだ。しかし、と私はその背中に目を細める。と、
ぎゅわわわわわーん、とけたたましい音が突然、ステージから響き渡った。間違っても騒霊楽団の奏でるものではない、暴力的な音の圧力である。思わず耳を押さえてステージの方を見やると、いつの間にかその上にふたつの人影があった。
「あ、あ、マイクのテスト中ー!」
「響子お前マイクいらんやろー!」
そんな声を張り上げるのは、黒装束にサングラスの少女ふたり。片方は夜雀の屋台でおなじみ、ミスティア・ローレライ。もうひとりは命蓮寺でよく掃除をしているヤマビコの少女、幽谷響子である。ぎゅわあああああああああん、とハウリング気味のギターサウンドが再びヒマワリを揺るがした。ただの騒音にしか聞こえないが、一部の妖怪たちが俄然盛り上がり始めた。
――出たな《鳥獣伎楽》! 私は思わず身構える。そう、橙がダンス大会などに出ることになったのは、元をただせばこいつらが戦犯なのである。橙が何かの拍子にこいつらのライブを聴いて、この爆音に合わせて好き勝手に踊るダンスにハマってしまったのだ。
「Yahoooooooo! 今日の我々鳥獣伎楽はパンクダンス大会のゲスト! ということになっているが! そんなルールはぶちこわせ! 今からこのステージは我々鳥獣伎楽が乗っ取ったぁ! 今夜は全員寝かさないぜベイベー!」
「カモーン! シャバドゥビタッチロッキーン! ルパッチシャウティングタッチゴー!」
「一曲目ぇ! 《絶経オブMONZEN》! お前らテンション上げてけYahooooo!」
ギターを破壊しそうな勢いでミスティアがかき鳴らし、音程を無視して響子がシャウトする。何を歌っているのかも音圧が強すぎて聞き取れないが、既にステージ前は大盛り上がりだ。こういうのについていけないと感じてしまうのは、私も歳をとったということなのかもしれない。
何しろ、私の式はといえば、明らかにテンションを上げて飛び跳ねているわけで。
「橙!」
私の声は、ミスティアのギターと響子の大声にかき消される。橙は転がるようにステージの方へ駆け出していってしまった。追いかけようかと思ったが、この距離でもうるさいあのステージに近付く気が起こらない。私は溜息をつく。まあ、どうせ騒霊楽団のライブの開始時間になれば風見幽香が何とかするだろう。橙を視線だけで探すと、ステージの近くに既に陣取ってステップを踏んでいた。見失わなければいいかと思うことにして、私は近くの屋台に視線を向けた。
とりあえず、騒霊楽団のライブが始まる前に何か腹に入れていくか。橙はどうせ鳥獣伎楽がステージを去るまではあそこから動かないだろう。一緒になってあの音圧の中で踊る元気は私にはない。実際のダンス大会もまだ先だしな。
「しかし、まだまだ暑いな」
襟元をぱたぱたとさせて、私は黄昏の空を見上げる。昼間の日射しは既に過ぎ去っているとはいえ、まだその熱が澱のように沈殿しているかのようだ。まあ、ステージの方にいる妖怪たちの熱気もあるのかもしれないが。
こういうときは、冷たいものをさっぱりと食べるのもいいが……いや、暑気払いには思い切り熱くて辛いものというのもありだな。しかし屋台にそういうものは何かあるだろうか?
ぶらぶらと歩きながら屋台の看板を見やる。ラヂオ焼き……は腹に溜まらないし、お好み焼き……も悪くないが、あまり気が乗らない。となるとやっぱり焼きそばあたりか。
「ん? ――五目あんかけ焼きそば?」
思わぬ文字列を見つけて、私は目をしばたたかせた。普通の焼きそばならともかく、屋台であんかけ焼きそばとは、また珍しい。私はそちらに足を向けた。
鉄板の上、麺が踊る横で、中華鍋が火にかけられている。どうやら本当に五目あんかけ焼きそばを出すらしい。ぐう、とお腹が鳴った。私は小さく赤面したが、幸いステージの爆音のせいで、誰にも聞かれなかったらしい。今だけは鳥獣伎楽に感謝しておこう。
「あんかけ焼きそばひとつ!」
「あいよー!」
爆音にかき消されないように声をあげて注文する。ほどなく、鉄板の上で踊っていた麺が深い器に移され、その上にとろみのあるあんがかけられ、こちらに差し出された。
「はい五目あんかけ焼きそば一丁。器は食べたら戻してねー」
「どうも」
代金を払って、屋台のそばにしつらえられたベンチに腰を下ろした。膝の上で湯気をたてるあんかけ焼きそばの器。豚肉、きくらげ、絹さや、にんじん、青梗菜で五目か。ヘルシーで結構なことだ。
「いただきます」
割り箸をぱきっと割って、とろりとあんの絡んだ麺をすくい上げた。夏の夜の熱気に負けない勢いで湯気が立ち上る。熱々でますます結構なことだ。私は一気にすすり上げる。
「はふ、ほふ、ほぅ」
おお、熱い熱い。ちょっと焦りすぎた、口の中を火傷しそうな熱さだ。はふ、はふ、と小さく息を吐き出しながら、私は麺を咀嚼する。おお、麺がほどよくカリカリしているじゃないか。あんのとろみと、麺のカリカリした食感のコントラストが素晴らしい。
五目の具もたっぷり乗っているのが嬉しい。やっぱり五目あんかけ焼きそばは、麺が隠れるぐらいのたっぷりの具があってこそだな。ううん、きくらげのコリコリした食感と、にんじんのほどよい固さが、また心憎い。
「しかし、この夏場にあんかけ焼きそばってのもちょっとスゴすぎたかな」
ああ、熱いんだが箸が止まらない。青梗菜のしゃくしゃくした食感、絹さやの歯ごたえ。そして豚肉の弾力。それとハーモニーを奏でる、あんの醤油味とカリカリの麺。美味い、美味いんだが熱い、熱いんだが美味い。はふ、はふ。ほふ、ほふ。
ああ、味の染みた青梗菜が美味いな。にんじんがちょっと多いかな……きくらげ、きくらげ。絹さやの苦みもぴりりとしたアクセントだ。
「あふ、はふ、熱い、あふい」
熱くてだんだん口の中が麻痺してきたようだ。首元や背中に汗が噴き出す。しかし止まらない。額を拭って、私はひたすら箸を動かす。五目の具、それぞれ食感の異なるそれらが麺とあんと混ざり合って、一口ごとに違うハーモニーを奏でる、それが五目焼きそばの醍醐味だ。味もなんだかよくわからなくなってきたが、その食感だけで満足できてしまう。
「うん、うん。ずずっ、あふ、もぐ、はふ」
ああ、水が欲しいが、しかしこの口の中の熱気を冷ましてしまったら、この味も何もかも洗い流して消えてしまいそうだ。鉄は熱いうちに、焼きそばも熱いうちにだ。冷めたあんかけほど悲しいものはない。一気に最後まで突撃だ。
はふっ、はふっ。ずずっ。もぐ、もぐ。
「んっ、んぐっ……ふはぁーっ」
最後の一口を飲みこみ、私は大きく天に向かって息を吐き出した。最後はもう味も何もよく解らなかったが、それでも美味かったとはっきり言える。
「ごちそうさま」
屋台の店員に器を返して、私はベンチから立ち上がる。火照った首元に、風が心地よい。ああ、しかし気が付けば背中が汗でぐっしょりだ。参ったな……。
さすがにここで脱いで着替えるわけにもいかないし、だいいち着替えなど持ってきていないわけで。ハンカチを取り出して首元を拭いながら、自然に乾くのに任せるしかないか、と私は息をついた。
間もなく、ステージを占拠していた鳥獣伎楽は風見幽香の手によって排除された。ロックは権力に屈しないぞー、と響子が何やら叫んでいたが、幽香の前では響子とミスティアなど実力的には木っ端も同然である。日傘から放たれた極太のレーザーであっさり吹き飛ばされ、ヒマワリの中で目を回していた。
まあ、ダンス大会ではゲストでバックミュージックを担当するそうだから、幽香も手加減したのだろう。もしくは前座としてそこまで仕込みなのかもしれない。
しかし、ライブの始まる時間になっても橙の姿が見えない。私が探しに出ると、橙はステージの裏でダンスのリハーサルをしていた。――鳥獣伎楽とよく似た黒ずくめにサングラスのコスチュームに、目眩がしそうになる。あれではまるで橙が不良ではないか! 止めさせようかと思ったが、真剣な顔でくるくる回って踊る姿に、私は声を掛けかね、結局何も言えないままにステージ前の観客席に戻った。
私のことに目もくれず、何かに夢中になっている橙。その姿に、一抹の寂しさめいたものを覚えている自分に、私は苦笑する。橙だっていつまでも子供ではないのだし、何かに夢中になるのは悪いことではない。ただ、それがパンクに合わせてのダンスというのは、私にはちょっと理解できない世界であるというだけで。
どんな生き物も、理解できないものは本能的に怖れるものだ。橙があのサングラスの黒装束で絶叫し始めたら、私もどうしていいか解らない。本当にそうなってしまったら、私はいったいどうすればいいのだろう? そのまま悪い道に橙が引きずりこまれたりしないかと考えてしまうのは、いささか過保護に過ぎるだろうか?
そんなことをぼんやりと考えているうちに、ライブは始まっていた。ルナサのバイオリン、メルランのトランペット、リリカのキーボードが幻想的な旋律を奏で、周りの妖怪や妖精たちが盛り上がりだす。――ふと、その盛り上がりの中に取り残されている自分に気付いて、私はゆるゆると首を振った。参ったな、せめて素直に騒霊楽団の演奏ぐらい楽しみたいものだが。
ああ、橙は大丈夫だろうか? 緊張してはいないだろうか? リハーサルで失敗して怪我でもしていないだろうか? 回りすぎて目を回していないだろうか? 心配し始めるときりがない。悶々としているうちに、ライブはどんどん進んでいく。
やっぱりもう一度様子を見に行こうか。そう思って顔を上げたとき、ふと耳に流れこんできたのは、静かなバイオリンの音色と、聞き慣れない歌声だった。
ステージの上、いつの間にかライブは最初の山場を過ぎたようで、ルナサのソロが始まっていた。メルランとリリカはいつの間にか後ろに下がり、そしてステージにもうひとり、見覚えの無い少女の姿がある。歌っているのは、緑の髪をサイドポニーにした妖精の少女だった。
ルナサのバイオリンに合わせて、妖精の少女の透き通るような歌声が響く。あれだけ盛り上がっていた観客たちは、今は静まりかえっていた。かといって、盛り下がっているわけではない。皆、耳を澄ませてその歌声に聞き入っているのだ。
私も静かに耳を傾けてみれば、それは優しく、美しい歌声だった。ルナサの鬱の音に乗って、そよ風のように流れていく、少しハスキーで、透明感のある歌声。
橙への心配でざわめいていた心が、ふっと凪いで、静けさを取り戻したような気がした。ああ、私は何を悶々としていたのだろう――。
目を閉じ、安らかな心持ちで耳を傾けているうちに、いつの間にか歌は終わっていた。妖精の少女がマイクから一歩下がり、ぺこりと一礼する。観客席から割れんばかりの拍手が巻き起こり、少女は困ったように視線を彷徨わせて何度も頭を下げた。そこにルナサが歩み寄り、親しげに肩を叩いて、少女の前に出る。
『えー、これにて今日の定期ライブの第一部が終了です。このあとは鳥獣伎楽の演奏による、第一回パンクダンスコンテスト。その後第二部に入りますので、最後までどうぞ皆様お楽しみくださいませ』
ルナサが一礼し、ステージの照明が落ちた。いつの間にかあたりは完全に陽が暮れて、観客席も闇に包まれる。響くのは観客たちのざわめき。そして――。
ぎゅわわわわわーん、と、あの騒々しいギターの音が響き、私は思わず耳を押さえた。
『第一回! 幻想郷! パンクダンスコンテストぉぉぉぉ! Yahoooooooo!』
照明が点灯。マイクを思い切りハウリングさせて、響子が叫んだ。どっと客席が盛り上がる。
『今宵、十名のダンサーがこの太陽の畑に集ったぁ! パンクは魂だ! ダンスも魂だ! パンク×ダンスは、魂と魂のぶつかり合いだ! 踊れ! 叫べ! 歌え! 騒げ! バックグラウンドミュージックは、鳥獣伎楽プレゼンツ! 《ミッドナイトギャーテー》! 行くぜお前ら! 今宵集いしダンサーどもの魂、受け取れYahooooooooooo!』
『ハードラックとダンスっちまっても知らないわよ! 鳥獣伎楽、レディゴー!』
『ギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテーギャーテー!』
「出たぁー! 響子さんの一秒間に十回ぎゃーてーだぁー!」
「さすが鳥獣伎楽、俺達にできないことを平然とやってのける! そこに痺れる憧れるゥ!」
ミスティアのかき鳴らすギターとともにシャウトし始めた響子に、観客席からそんな歓声が上がる。ああ、やっぱり私にはついていけない世界だ。と、とにかく橙は、とステージに目をやれば、舞台袖から次々とステージ上に現れる影があった。
「橙!」
その中に、橙の姿もある。それぞれがミスティアのギターと響子のシャウトに合わせて、思い思いにステージ上で飛び跳ねる。橙は右手の後ろの方で、頭を下にしてくるくると回転したと思えば、そこから飛び上がってのバク宙を決めた。それぞれのダンスの巧拙は、私には判断がつかない。ただ私は橙の姿だけは見逃すまいと身を乗り出した。
両手を突いて自在に身体を回転させる橙。そこから片手一本で飛び上がり、逆の手で着地!
「あっ――」
だが、着地に失敗して橙は尻餅をついた。他のダンサーが踊り続ける中、そこだけ時間が止まったように橙の動きが止まる。どうした橙。どこか痛めたのか? 橙――。
「がんばれ……」
知らず、私は拳を握りしめて、そう呟いていた。
その声が聞こえたはずもない。けれど、橙は立ち上がろうとしていた。身体を起こし、再びリズムに乗って、踊りだそうとしていた。
がんばれ。がんばれ橙。負けるな。まだまだ演奏は続くぞ。もっとお前の踊る姿を見せてくれ。お前のがんばる姿を、私に見せてくれ、橙。
「そうだ橙、お前は私の式なんだ」
橙のステップがリズムに乗り、再び橙は手を突いてくるくると回転し始める。照明に照らされて、橙の汗がきらきらと輝いているのが見えた。
そうだ。わからなくたって、そんなことは関係無い。熱くて味がわからなくなっても、あんかけ焼きそばが美味しいのは変わらないように、たとえ橙が夢中になっていることが理解できなくたって、私にはそれを応援することも、楽しむことだってできるはずなのだ。
「がんばれがんばれ! ちぇえええええん!」
気付けば私は周りの目もはばからず、観客席からそう声を張り上げていた。
その声が聞こえたのかどうかは解らない。けれど、ステージの上で飛び跳ね回る橙の顔に、確かにこちらに向けての笑顔を見たような気がした。
今回は食い物以上にちぇんの無邪気さと、そして鳥獣伎楽のしっちゃかめっちゃかさが魅力的に描かれていますね。
ところで鳥獣伎楽の登場シーン、『騒霊楽団』が『装丁楽団』になってるあたり物書きらしい誤字だと思いましたw
狐独のグルメは孤独のグルメでありながら、
原作の完全な投射で終わってない所が凄いと思います。
あんまりいい表現でないですけども「ちゃんと東方している作品」。
次作も期待しています。
あんかけ焼きそばは自分も好きですが、自分はどっちかってーと揚げ(かた)焼きそば派。
あのアツアツをパリパリズルズルと啜るのがたまりませんw ヤバ、喰いたくなってきた(
あとちゃっかりルナ大w
そして楽しそうな幻想郷でした。
まさにあんかけ焼きそばのような美味しさを感じました。
ちぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん