ある夜更けのことです。私が夜雀の屋台の傍を通りがかると、暖簾の向こうからこんな声が聞こえてきました。
「――時々、Win-Winという言葉が使われることがあります。交渉する双方の利益になり、どちらも損をすることがない、というくらいの意味でしょうか。一見これは素晴らしい概念に見えます。相手から奪うことなく、お互いに何かを手に入れるのですから当然ですね」
どうにも聞き覚えのある――と感じて声のした方に目をやると、そこに座っていたのは閻魔さまでした。
屋台であっても背筋を伸ばし、凛と座っているのは流石と言ったところでしょうか。こういった場所で見かけるのは珍しい。
傍らには数本の日本酒の瓶が見えました。全て空いているようです。ちらりと見えた銘柄は、記憶違いでなければかなりきつい天狗の酒だったはずですが、ふらつく様子さえありません。語る声色も普段通りに聞こえるため、大量の瓶さえなければ素面と勘違いしたはずです。
空上戸、という言葉が脳裏に浮かびました。
その隣に座っているのは、おそらく死神の彼女でしょう。時々この屋台で呑んでいる姿を見かけるため、後ろ姿も見慣れたものです。閻魔さまと見比べてしまうとだらしないように思えますが、それでも普段よりは行儀よい座り方です。いえ、あれは、神妙にしているのでしょうか。
屋台には他に客の姿が見えませんが、恐らくそういう時間を選んで来ているのでしょう。私は足を止めて、様子を覗うことにしました。
二人はお互いに顔を見合わせることなく、正面を向いて座っています。こちらから見えるのは背中だけ。背中で語る、なんて言葉も時々聞きますが、あれは正確ではありません。背中は語るのではなく、語ってしまうのです。表情は幾らでも誤魔化せますが、背中を誤魔化せる人物は少ない、とでも言いましょうか。
「しかし、そこで考えることを止めてしまってはいけないのです」
滔々と、閻魔さまは続けます。穏やかな語り口のため、どうにも説教と言うよりは説法や講義のように聞こえてきます。
「この概念で得る利益は、それではどこから生まれるのでしょう? 当事者のお互いにとって得である――これを裏返すとどうなるか。簡単なことです。お互いの得であるということは、それ以外の者にとって損なのです。例えば、そうですね……」
身近な例でいきましょう、と前置きが入りました。そうですね、と言った割に悩む素振りすらありませんでしたが。
「ある職場に、仕事をよくサボる部下がおりました」
流石は地獄の最高裁判長、わかって言っているから性質が悪いですね。
隣の彼女からも、苦笑する気配が伝わってきました。
それでいながら、閻魔さまの杯に酌をすることも欠かしません。こと人付き合いにおいては、彼女は優秀な部下なのでしょう。心なしか、背中も堂々として見えます。
「上司が部下のサボりに気が付いて叱るなら、それはLose-Lose、あるいはWin-Loseの関係になります。
では、この二人におけるWin-Winの関係とはどんなものでしょうか?」
思わず、ふむと考えてしまいます。そもそもサボらなければよいのでしょうが、どうもそういう話ではないようです。
部下がサボったうえで、お互いにとって得な関係を築く方法――そんなものがあるのでしょうか。
「部下にとっての損は叱られることで、上司にとっての損は叱ることです。お互い、そうしなくて済むならそれに越したことはないわけですからね」
ならば、と閻魔さまは言葉を繋げました。
「上司が部下のサボりに気付かなければどうでしょう。私が部下のサボりに気付かなければ、部下は楽をできますし私は心の平穏を保つことができます。これはWin-Winの関係に近い、と言えるでしょう」
さりげなく“私が”とか言ってますね。彼女は『その手があったか!』と言う顔をしていますが、勿論そんな手はどこを探しても転がってはいませんよ?
「ですが、サボられる魂にとってはたまったものではなく、魂が運ばれてこなければ庁にも迷惑がかかります」
『その手なんてなかった……』と猫背でしゅんとしている彼女をスルーして、閻魔さまは話の締めに移ります。
「今挙げたのはかなりスケールの小さい例ですが、得をする者がいれば必ずどこかに損をする者がいる、ということです。往々にして得をする者は損をする者に気付かないのです――私の言わんとすることが分かりますか、小町」
突然話題を振られた彼女は、一瞬ぶるっと背を震わせました。それが驚きによるものなのか、それとも別の感情によるものなのかは、この位置からは判りません。
しかしそれは本当に一瞬で、あとは普段のふうを装い暢気な口調で言葉を返します。
なぜだかその姿は、やけに潔く見えました。けして格好良くはないのですが。
「はい、サボるならばれないようにしろ、ということですね」
開き直りもここまで来ると清々しい。いえ、もしかするとこれは、彼女なりの現実逃避なのかもしれません。タイトロープの上を全力で駆け抜ければ、あるいは相手が落ちて逃げ切れるかもしれないという空想。
空想たる所以は、ロープが切られてしまえばそれまでだからです。生死問わずならば猶更。
「その通り。私がサボっていることに気付かないほどに上手く、そしてサボることによって損をする者を出さないのならば幾らでもサボって結構」
閻魔さまはとりわけ澄ました口調で応じます。
案外この人楽しんでやっている気がするのですが、そのあたりどうなんでしょうね。感情が一周してハイになっているだけなのかもしれませんが。
「あー。それ、どう考えても無理ですね」
へら、っとした笑みを浮かべる彼女は、もしかするととても強靭な精神の持ち主なのかもしれません。
最初からロープが片方切れている綱渡りに誰が挑もうとするでしょうか? 少なくとも私だったら、逃げ出すか土下座するか懐柔に走るかしています。
「何を言っているのです小町。それができて一人前なのです。私もずいぶんと習得するのに苦労しましたが、今では庁一の名人ですよ」
「何の名人ですか、何の」
「上司の無理難題に対抗する、部下の伝家の宝刀ですよ。我々は普段こう呼びます――“死んだふり”、と」
閻魔さまはくい、と杯を煽り、一瞬遠い目をしたように見えました。何か嫌なことでも思い出したのでしょうか。納期を午後に控えた作業の最中に、明日の午前が納期の案件を割り振られたこととか。
私も組織に属する身ですから、思い当たる節は色々とありました。ええ、それはもう色々と。勿論私も名人ですとも。
働いているのです。もう一働きをしないというだけなのです。それが生存術であり地獄の行軍に出くわさない為の知恵なのです――
既にある種の地雷を踏み抜いている彼女ですが、この一瞬の隙を逃すほど甘くはありませんでした。
「……あの、四季様。酔ってらっしゃいます?」
虚を突くにはこれ以上ないというタイミングで、彼女は言葉を差し挟みました。
自分は何を言っているのだと思い直させ、反射的にすべてを無かったことするため「(酔っていたので)忘れてください」と言わせる高等テクニック。随分と手慣れたやり方でした。恐らく幾度となく練習と実践を重ねてきたのでしょう、宴会や人里の飲み屋で。それを鍛えるくらいならサボらなければいいのに。
彼女にとっては、勿論最後の綱でしょう。切れた綱でも、ぶら下がり逆側に飛び移る事が出来たならばステージは拍手喝采、そういうものです。
こと、と閻魔さまは手に持っていた杯を置き、彼女に向き直りました。
瞠目、そして僅かな沈黙。
しかし、虚を突かれたと言うだけでは説明できない長さの沈黙でした。思わずはっと息を呑みます。
その長さは、判断する時間の長さであるには十分であるように思えました。
嵐の前の静けさ。
閻魔さまは優しく微笑み、彼女と目を合わせました。僅かに肩が震えていました。
南無。心の中でだけ呟きます。
そう、それは彼女の一縷の望みが絶たれた事を明確に――。
「私はずっとあなたに酔っていますよ。今だって」
「へ――」
脳裏を閃きが駆け抜けていきました。完全に職業病でしかない、それはこんな形をしていました。
『閻魔様まさかの熱愛! ゴールイン確実か!?』
私は懐から文花帖とボールペンを取り出し、その閃きを書き留めました。
これは、使える。
すっとカメラを取り出し、閻魔さまの笑顔と固まる死神の少女の姿をフィルムに収めます。無論消音です。
三面の氷精と蛙の記事を差し替え――いえ、一面、むしろこれ単体で号外が余裕で出せます。今から作って刷って配るまでの時間検討に、既に脳内は動き出していました。
彼女は完全に虚を突かれた側に回っていました。しどろもどろに「えぅ」だの「うぁ」だの呻きつつ、視線をあちらこちらに彷徨わせていました。
そりゃそうでしょう。
二人で食事に出かけてもお説教ばかり、迷惑をかけているのは重々承知、Noと言われるに違いないから決して口には出さなくとも。
彼女の好きな相手は目の前の閻魔さまなのですから。
まあ誰だって知っていますが、閻魔さまの方からだなんてそんな。
やはり酔っていたのでしょうか、と閻魔さまをしげしげと眺めてみます。彼女が惚れるのも無理はない、柔らかく美しい微笑み。
ですがなぜでしょう。
その表情のなかで、眼だけが語っていました。
氷精や雪女の比ではない瞳。
馬鹿な。
そんな、あれは、まるで養豚所の豚を見るような――
閻魔さまはぼそりと、地獄の底から這い出てきたような低い声で呟きました。
「――二日酔いの朝の気分です」
南無。
◇
閻魔さまは彼女を屋台の影に引っ張っていくと、僅かして一人で席に戻ってきました。彼女の上げていた呻き声は、今は「うぅ」だの「あんまりだぁ……」だのすすり泣く声に変わりつつあります。どこまでも自業自得なのですが、それでも同情を禁じえません。知らぬは本人ばかりなりですが、それにしたって全く気が付いてないんですかあの人は。
まあ、それはそれとして号外は出しておこう。言ったのは確かなんだし。焚きつけるだけ焚きつけてしまえ。
急いで記事を上げるべく、その場から立ち去ります。どう書いたものか、印刷所開いてるかなあ……
それでもやはり哀れは哀れです。時々は一緒に酒を酌み交わす友人として、もう一度だけ冥福を祈りましょうか。
屋台の脇で大地に突っ伏し、くずおれている彼女の姿を――
「……あれ?」
そんな姿はどこにもありませんでした。いえ、それどころか彼女の姿がありませんでした。慌てて付近を見渡しますが、どこにも見当たりません。元の席にすら。ショックの余りどこかへ走り去ったのでしょうか?
ふいに、とてもとても嫌な予感がしました。
ぽん、と肩を叩かれます。
振り返ればそこには死神の姿。そしてその傍らには、閻魔さまが美しい微笑を浮かべています。
いつから、いやどこまで気付かれていた。私は背筋を伸ばし、つとめて明るく言いました。
「あの、Win-Winでお願いします」
「――時々、Win-Winという言葉が使われることがあります。交渉する双方の利益になり、どちらも損をすることがない、というくらいの意味でしょうか。一見これは素晴らしい概念に見えます。相手から奪うことなく、お互いに何かを手に入れるのですから当然ですね」
どうにも聞き覚えのある――と感じて声のした方に目をやると、そこに座っていたのは閻魔さまでした。
屋台であっても背筋を伸ばし、凛と座っているのは流石と言ったところでしょうか。こういった場所で見かけるのは珍しい。
傍らには数本の日本酒の瓶が見えました。全て空いているようです。ちらりと見えた銘柄は、記憶違いでなければかなりきつい天狗の酒だったはずですが、ふらつく様子さえありません。語る声色も普段通りに聞こえるため、大量の瓶さえなければ素面と勘違いしたはずです。
空上戸、という言葉が脳裏に浮かびました。
その隣に座っているのは、おそらく死神の彼女でしょう。時々この屋台で呑んでいる姿を見かけるため、後ろ姿も見慣れたものです。閻魔さまと見比べてしまうとだらしないように思えますが、それでも普段よりは行儀よい座り方です。いえ、あれは、神妙にしているのでしょうか。
屋台には他に客の姿が見えませんが、恐らくそういう時間を選んで来ているのでしょう。私は足を止めて、様子を覗うことにしました。
二人はお互いに顔を見合わせることなく、正面を向いて座っています。こちらから見えるのは背中だけ。背中で語る、なんて言葉も時々聞きますが、あれは正確ではありません。背中は語るのではなく、語ってしまうのです。表情は幾らでも誤魔化せますが、背中を誤魔化せる人物は少ない、とでも言いましょうか。
「しかし、そこで考えることを止めてしまってはいけないのです」
滔々と、閻魔さまは続けます。穏やかな語り口のため、どうにも説教と言うよりは説法や講義のように聞こえてきます。
「この概念で得る利益は、それではどこから生まれるのでしょう? 当事者のお互いにとって得である――これを裏返すとどうなるか。簡単なことです。お互いの得であるということは、それ以外の者にとって損なのです。例えば、そうですね……」
身近な例でいきましょう、と前置きが入りました。そうですね、と言った割に悩む素振りすらありませんでしたが。
「ある職場に、仕事をよくサボる部下がおりました」
流石は地獄の最高裁判長、わかって言っているから性質が悪いですね。
隣の彼女からも、苦笑する気配が伝わってきました。
それでいながら、閻魔さまの杯に酌をすることも欠かしません。こと人付き合いにおいては、彼女は優秀な部下なのでしょう。心なしか、背中も堂々として見えます。
「上司が部下のサボりに気が付いて叱るなら、それはLose-Lose、あるいはWin-Loseの関係になります。
では、この二人におけるWin-Winの関係とはどんなものでしょうか?」
思わず、ふむと考えてしまいます。そもそもサボらなければよいのでしょうが、どうもそういう話ではないようです。
部下がサボったうえで、お互いにとって得な関係を築く方法――そんなものがあるのでしょうか。
「部下にとっての損は叱られることで、上司にとっての損は叱ることです。お互い、そうしなくて済むならそれに越したことはないわけですからね」
ならば、と閻魔さまは言葉を繋げました。
「上司が部下のサボりに気付かなければどうでしょう。私が部下のサボりに気付かなければ、部下は楽をできますし私は心の平穏を保つことができます。これはWin-Winの関係に近い、と言えるでしょう」
さりげなく“私が”とか言ってますね。彼女は『その手があったか!』と言う顔をしていますが、勿論そんな手はどこを探しても転がってはいませんよ?
「ですが、サボられる魂にとってはたまったものではなく、魂が運ばれてこなければ庁にも迷惑がかかります」
『その手なんてなかった……』と猫背でしゅんとしている彼女をスルーして、閻魔さまは話の締めに移ります。
「今挙げたのはかなりスケールの小さい例ですが、得をする者がいれば必ずどこかに損をする者がいる、ということです。往々にして得をする者は損をする者に気付かないのです――私の言わんとすることが分かりますか、小町」
突然話題を振られた彼女は、一瞬ぶるっと背を震わせました。それが驚きによるものなのか、それとも別の感情によるものなのかは、この位置からは判りません。
しかしそれは本当に一瞬で、あとは普段のふうを装い暢気な口調で言葉を返します。
なぜだかその姿は、やけに潔く見えました。けして格好良くはないのですが。
「はい、サボるならばれないようにしろ、ということですね」
開き直りもここまで来ると清々しい。いえ、もしかするとこれは、彼女なりの現実逃避なのかもしれません。タイトロープの上を全力で駆け抜ければ、あるいは相手が落ちて逃げ切れるかもしれないという空想。
空想たる所以は、ロープが切られてしまえばそれまでだからです。生死問わずならば猶更。
「その通り。私がサボっていることに気付かないほどに上手く、そしてサボることによって損をする者を出さないのならば幾らでもサボって結構」
閻魔さまはとりわけ澄ました口調で応じます。
案外この人楽しんでやっている気がするのですが、そのあたりどうなんでしょうね。感情が一周してハイになっているだけなのかもしれませんが。
「あー。それ、どう考えても無理ですね」
へら、っとした笑みを浮かべる彼女は、もしかするととても強靭な精神の持ち主なのかもしれません。
最初からロープが片方切れている綱渡りに誰が挑もうとするでしょうか? 少なくとも私だったら、逃げ出すか土下座するか懐柔に走るかしています。
「何を言っているのです小町。それができて一人前なのです。私もずいぶんと習得するのに苦労しましたが、今では庁一の名人ですよ」
「何の名人ですか、何の」
「上司の無理難題に対抗する、部下の伝家の宝刀ですよ。我々は普段こう呼びます――“死んだふり”、と」
閻魔さまはくい、と杯を煽り、一瞬遠い目をしたように見えました。何か嫌なことでも思い出したのでしょうか。納期を午後に控えた作業の最中に、明日の午前が納期の案件を割り振られたこととか。
私も組織に属する身ですから、思い当たる節は色々とありました。ええ、それはもう色々と。勿論私も名人ですとも。
働いているのです。もう一働きをしないというだけなのです。それが生存術であり地獄の行軍に出くわさない為の知恵なのです――
既にある種の地雷を踏み抜いている彼女ですが、この一瞬の隙を逃すほど甘くはありませんでした。
「……あの、四季様。酔ってらっしゃいます?」
虚を突くにはこれ以上ないというタイミングで、彼女は言葉を差し挟みました。
自分は何を言っているのだと思い直させ、反射的にすべてを無かったことするため「(酔っていたので)忘れてください」と言わせる高等テクニック。随分と手慣れたやり方でした。恐らく幾度となく練習と実践を重ねてきたのでしょう、宴会や人里の飲み屋で。それを鍛えるくらいならサボらなければいいのに。
彼女にとっては、勿論最後の綱でしょう。切れた綱でも、ぶら下がり逆側に飛び移る事が出来たならばステージは拍手喝采、そういうものです。
こと、と閻魔さまは手に持っていた杯を置き、彼女に向き直りました。
瞠目、そして僅かな沈黙。
しかし、虚を突かれたと言うだけでは説明できない長さの沈黙でした。思わずはっと息を呑みます。
その長さは、判断する時間の長さであるには十分であるように思えました。
嵐の前の静けさ。
閻魔さまは優しく微笑み、彼女と目を合わせました。僅かに肩が震えていました。
南無。心の中でだけ呟きます。
そう、それは彼女の一縷の望みが絶たれた事を明確に――。
「私はずっとあなたに酔っていますよ。今だって」
「へ――」
脳裏を閃きが駆け抜けていきました。完全に職業病でしかない、それはこんな形をしていました。
『閻魔様まさかの熱愛! ゴールイン確実か!?』
私は懐から文花帖とボールペンを取り出し、その閃きを書き留めました。
これは、使える。
すっとカメラを取り出し、閻魔さまの笑顔と固まる死神の少女の姿をフィルムに収めます。無論消音です。
三面の氷精と蛙の記事を差し替え――いえ、一面、むしろこれ単体で号外が余裕で出せます。今から作って刷って配るまでの時間検討に、既に脳内は動き出していました。
彼女は完全に虚を突かれた側に回っていました。しどろもどろに「えぅ」だの「うぁ」だの呻きつつ、視線をあちらこちらに彷徨わせていました。
そりゃそうでしょう。
二人で食事に出かけてもお説教ばかり、迷惑をかけているのは重々承知、Noと言われるに違いないから決して口には出さなくとも。
彼女の好きな相手は目の前の閻魔さまなのですから。
まあ誰だって知っていますが、閻魔さまの方からだなんてそんな。
やはり酔っていたのでしょうか、と閻魔さまをしげしげと眺めてみます。彼女が惚れるのも無理はない、柔らかく美しい微笑み。
ですがなぜでしょう。
その表情のなかで、眼だけが語っていました。
氷精や雪女の比ではない瞳。
馬鹿な。
そんな、あれは、まるで養豚所の豚を見るような――
閻魔さまはぼそりと、地獄の底から這い出てきたような低い声で呟きました。
「――二日酔いの朝の気分です」
南無。
◇
閻魔さまは彼女を屋台の影に引っ張っていくと、僅かして一人で席に戻ってきました。彼女の上げていた呻き声は、今は「うぅ」だの「あんまりだぁ……」だのすすり泣く声に変わりつつあります。どこまでも自業自得なのですが、それでも同情を禁じえません。知らぬは本人ばかりなりですが、それにしたって全く気が付いてないんですかあの人は。
まあ、それはそれとして号外は出しておこう。言ったのは確かなんだし。焚きつけるだけ焚きつけてしまえ。
急いで記事を上げるべく、その場から立ち去ります。どう書いたものか、印刷所開いてるかなあ……
それでもやはり哀れは哀れです。時々は一緒に酒を酌み交わす友人として、もう一度だけ冥福を祈りましょうか。
屋台の脇で大地に突っ伏し、くずおれている彼女の姿を――
「……あれ?」
そんな姿はどこにもありませんでした。いえ、それどころか彼女の姿がありませんでした。慌てて付近を見渡しますが、どこにも見当たりません。元の席にすら。ショックの余りどこかへ走り去ったのでしょうか?
ふいに、とてもとても嫌な予感がしました。
ぽん、と肩を叩かれます。
振り返ればそこには死神の姿。そしてその傍らには、閻魔さまが美しい微笑を浮かべています。
いつから、いやどこまで気付かれていた。私は背筋を伸ばし、つとめて明るく言いました。
「あの、Win-Winでお願いします」
小町のサボりに頭が痛いという事ですね。
上手い。
良い彼岸組が見れる。100点入れる。これもまたWin-Win。