この作品は連作です
永久の余命宣告「三告」
「よくなりますよ、あと少しの辛抱です」
床に臥せる男は「ありがとう」と力なく笑った。私の言葉が気休めだと分かっているのだろう。男はもともと体が弱かった。崩れ、壊れてしまった体を元通りにするのはいくら私でも無理だ。
「楽になった」と男が感謝をくれると、私も少し楽になれる。
割と大きな商いをしている場所らしい。ふかふかの布団に良い香りのする畳、高い天井、細かく綺麗な障子の細工。金持ちとはこんなところで暮らすのかと感心する。
そんな金持ちでも自分の体がどうにもならないというのはなんだか変なことだと思う。「ほんの気持ちです」と男が使用人に銭を持ってこさせた。
「それはもらうことができないの」
男は「気持ちと思って、受け取ってください」とせがむ様に私の手に大金を握らせようとする。
きっと彼は気分を害するだろうけど、仕方がない。私は彼を諭すことにした。
「もしも私が人間、医者であるなら受け取ることが出来ます。けれど、私は人でない」
どんなに素敵な無償の行為であっても、そこには必ず見返りを求められる。矛盾するかもしれないが、どんな力ない子供であっても無性に養ってくれる大人たちに無垢の信頼という報酬をもって報いることが出来る。あるいは「ありがとう」と言う言葉、笑顔という当たり前の事でも、それは大切な見返りだ。
かつては私もそれだけを頼りに暮らしていたはずなのに。それだけあれば十分だったはずなのに。
「私にとって力になるのは、なによりも貴方の感謝の言葉。貴方の感謝、確かに受け取りました」
それだけ言い切って、さっと屋敷を出て行った。
ガラじゃない、でもこうしないと力を得る事が出来ないんだ。皆を守るために頑張らないと。
里の家々を見て回る暮らしが続くと、いつしか私には信仰と言うものが集まり始めた。紫に聞けば「これで貴女も神様ね」と嬉しそうにしていたときにはぶん殴ってやろうかと思った。冗談じゃない。
何時だっただろうか? 老人が私を見てから手を合わせるのを初めて見た時には流石に肝を潰した。
信仰が集まれば集まるほど、私は力を付けていった。
時には汚れた井戸を、ある時は汚染された土地を、さらには臥せった人間の汚れをくみ取って回る。
再び川に流すことが出来ない汚れを、幻想郷に無害に還元するのが私の役目。
こうしていけば幻想郷はますます強くなる。そしていつか私も弱くなって、元の生活に戻れるはずだ。
「あら・・・」
「こんにちは」
屋敷を家人に見送られて出ると、通りで友人に会った。荷車を押す彼女に「今日は何を?」と尋ねると彼女は「肥料を買いに来たのよ」と笑って返してくれた。
「臭いったらありゃしないわ」
「その割には楽しそうね」
「そりゃ私は花の妖怪だもの、花の世話をしないと始まらないわ」
「そういう貴女は何を?」と聞かれたので病人を見て回っていた事を伝えた。私たちが通りで二言三言と言葉を交わしていると、私達の事が物珍しいのだろう、私達を囲むように視線が集まる。
「幽香、ここはちょっと場所が悪いわ」
「そう? 私は別に気にならないけど」
ふと周りを見渡すと、なんと私たちに向かって手を合わせている連中がいた。こんな往来で居心地が悪いにもほどがある。
「紫が吹き込んだのよ、私は神様なんだってっ。馬鹿じゃないの?」
「きっと貴女達を思っての事よ。・・・・それに私も貴方の事カミサマって思ってるもの」
「幽香まで!」
「貴女自身の真意はどうあれ、貴女は無償で穢れを祓ってくれるカミサマ。だったら素直に、貴女の御利益にあやかりたいのは当たり前じゃない?」
この手の話題は繰り返すだけ無駄だ。さっさと切り上げるに限る。「手伝うわ」と幽香の手荷物をぶんどって、ここから逃げてしまおう。
幽香の手を引いて先を歩く。
幽香はおかしそうにくすくすと笑っていた。何がおかしい。
「妙なところで子供なんだから」
「私は子供よ、オトナになった覚えなんかないわ」
「・・・・はぁ・・・・」
別に行く当てがあった訳じゃない。
街の広場に出た。子供たちが遊び、女たちが姦しくやり取りをしている。そこでは以前の様に活気を取り戻した里の様子が分かる、そんな光景がある。あてもなく歩き回る私に、幽香は特に気を悪くした風もなく、しきりに話題を振る。それに適当に相槌を打ち会話を長引かせていた。
ふと、聞きなれた。 懐かしい声が聞こえた。
「あまいアケビ、あるよぅ!」
「妖精が商売してるよ」
「アケビねぇ、ほんとに食えるんだろうな?」
その中心に少しだけ人目を引く小さな人影があった。妖精だ。
懸命に声を張り、人の目を集めようと頑張っている。親子連れが面白そうにその様子を見ている。たまにからかうように露店の商品を買っていく姿もちらほらあった。
「あれは・・・・」
思わず足を向ける。それを幽香が「やめなさいよ」と袖を引いたが、かまうものか。一言だけ話したいのだ。それだけのこと、何が悪い。
「いらっしゃ・・・・」
「こんにちは」
「・・・・」
人間達は私を見て「おぉ」とか「神様」などと言った。だが妖精は、そんな反応とは逆にむっと俯いて元気な声をしまいこんでしまった。
「美味しそうね」
「・・・・・」
「こうすると、もっと美味しくなるのよ」
昔取った杵柄。私は手のひらに力をあつめて氷と水を作った。氷の桶を彼女の隣に置く。
そういえば昔、こうして彼女と一緒に氷を売ったことがあったっけ。
「ねぇ、やめときなさいな」
「・・・・・」
幽香が割って入るとこれまた違った意味で辺りがざわめく。幽香は適当に作り笑いをしてから私を引っ張ろうとした。
「なによ、幽香」
「商売の邪魔して悪かったわね」
「・・・・・」
俯いたままで、表情を見ることが出来なかった。どんな変化が彼女にあったのか私にはよくわからなかったが。私たちの姿をみて集まった人々の変化はよくわかった。
「ひとつくれ」
「じゃあ私も」
「・・・あっちゃぁ・・・」
人々の声がひとつ、また一つと増えていく。それを感じて幽香が額に手を当てて空を仰いだ。なに? その「あぁ、やってしまった」みたいな顔。
そうこうする間にも人垣はどんどん増えて彼女の露店は一転して人気店へと姿を変えた。私は満足していた、嬉しかった。昔の様にまた一緒に協力できたのだ。
「いらない」
「えっ?」
「全部あげるっ!」
彼女は我先にと商品を手に取ろうとする人々から逃れるように空に舞い上がった。
どこか、悔しそうな声だった。
「さようならっ」
そう告げて、彼女は湖の方角に飛び立っていた。私たちの露店を残して。
「はーぁ・・・・まったく」
逃げた店主を知らんぷりにして、人々は商品を手にして私に伺いを立て始めた。「いくらですか?」「これは売ってくれる?」とそれぞれに口にして。
何が起こったのかわっぱり解らない。
「あー、はいはいはい! 皆持って行ってかまわなくてよ。ねぇそうでしょ?」
「え・・・・はい、そう・・・・です」
幽香が私の肩を突き飛ばして人々の前に突き出して、私の言葉を誘った。思わず私も幽香の提案に沿って言葉をつなぐと。人々は嬉しそうに商品を手に取っていくと商品はあっという間になくなった。
「やれやれ、これでわかったでしょ?」
「・・・・?」
「大人が子供に出来るのは施しだけ、協力は出来ない。貴方は彼女と一緒に協力したつもりでしょうけど、単に子供に施しをしただけ。あの子はきっとそういうのがキライなの」
「私は・・・・」
「貴女は皆が認める、立派な責任あるオトナよ。もうあきらめなさい」
頭を殴られたみたいだった。何か反論しようとしたけで唇が動くだけで声が出なかった。私達は友達のはずだ。
「ほら、手伝って頂戴な」
「・・・・」
「家に着いたら、お菓子でも食べない? いい茶葉をもらったの」
荷車を引いていた幽香から荷物を受け取る。考えがまとまらなくてそのまま静かに幽香の家まで歩くしかできなかった。もしかしたら花畑に着くまでに二回三回と会話をしたかもしれない。
彼女の飛び立っていった方を途中で振り返った。気付けばもう空は赤く染まり私の影が長く伸びている。
彼女は今何をして遊んでいるんだろう? きっと私以外の友達と遊んでいるに違いない。
みんなで、楽しい鞠付をしているのかもしれない。
それとも楽しいかくれんぼだろうか?
私たちのかくれんぼはまだおわらない。
永久の余命宣告 「四告」
ガリガリと電気的な、ノイズを思わせる音がテレビから聞こえてくる。
『自然保護を求める、近隣住民たちの抗議が連日続いています。これに関し・・・』
「メリー、小説の続きはどうなったの?」
「うぅん、ちょっとスランプかしら」
『地下水源を買い占める海外産業の動きに対して、地元の水産業は注意を・・・」
大学の、カフェにあるのんびりとした空気。もうすぐ夏休みだ。私たちは休みの間にかけてどこに出かけようかと相談の真っ最中である。
『これに関してどう思われますか』
『携わる人には当たり前の事なんです。意外にも伝わっていないんでしょう。今こうして問題になったから皆声を大きくできるわけですが』
無意味に垂れ流されるテレビの音声は、静かなカフェにちょっとした彩り・・・というにはちょっぴり張りつめた空気を提供していた。
「まぁ、どこかに発表や投稿をするわけでもないけれど」
「そうよね」
ずるずると音をたててコーヒーを啜ると、メリーが嫌な顔をした。生真面目なヤツ。
「『忘れ去られた里に現れた妖怪の里、そこに現れた謎の妖怪』・・・みたいな感じ?」
「ちょうどニュースで話題じゃない。私たちが手を入れなかったらあそこ潰れてたわよ」
「良い展開というか、ワンクッション欲しいわねぇ」とノートパソコンの前で楽しそうにタイピングをしている。そう、私たち秘封倶楽部は今までの冒険をまとめる、と言っては妙だけど、それを小説としてまとめている。いま纏めているのは少し前に入った境界での出来事だ。
『都合のいい事ってないものですね』
『一昔前も、フロンガスの話題がありましたね。あれにちょっと似てる気もします』
『海外産業が、日本の豊かな水資源に目をつけて、木材あるいは景観保護のためなんて銘打って土地を買いあさる。それに追従する一部の情報は報道されない。進出し始めた新しい発電方式の新出・・・・うまくいきすぎと言う気もしますが』
『こうして、問題が出始めてようやく話題にされるわけですから』
テレビではコメンテータ、評論家の肩書をもつ連中が終わったことを色々と話し合っている。
「そうだ」と私は手を打った。
「妖怪の世界に現れた現代社会の歪み! 人々の嘘に塗れた幻想の技術、行き場を亡くした怨念が忘れ去られた里を襲う。 果たして少女たちはこの危機を乗り越えることが出来るのか!? ってのはどう?」
「ふむ、忘れ去られた里には外の世界の幻想が流れ込んでくる。それを逆手に取った展開ってわけね」
「そうそう、里にいるカミサマは外の世界を追われた神なんでしょ? てことは現代の技術には太刀打ちできなかったのよ」
メリーは「ふむふむ」と何度か頷いてからキーボードをたたく。「それから?」と私のアイディアを促す。
『将来性ある技術だと宣伝するわけですね。あんな事故があった後ですから余計に期待も一般の間では高まるでしょうし』
『そうです、まぁ何度も言いますが技術者の間ではハッキリ言って夢物語もいいところです。幻想ですね、夢の様な話ですよ。そのまま夢の世界に流れて言ってもおかしくない、ステキな技術。長い目で見れば危険も皆無、無限のエネルギーも夢じゃない!・・・・嘘なんですが』
『今頃になって幻想のメッキが剥がれてきた』
『はい』
「芥川の河童・・・でいいかしらね。 妖怪の一部にも現代の技術に通じてる連中がいて、彼女たちは事態を正確に把握して、解決に乗り出そうとするんだど。まぁ議論の矛先を向けられて満足に行動できない・・・と」
「それで河童たちはダムを建設して流れをせき止める事で対応しようとするの。けど地下水のこともあるから全ての流れを止められるわけじゃない、その分は薬品を使って中和しようと考えたわけ」
「見たままね」
「いいじゃないの、レポートみたいなものだもの」
「何人かは協力者がいていいでしょう」
何度も言うが、これは私達が見てきた境界の先にある世界の話を小説風味にまとめているものだ。コーヒーばかりでも物足りないので、ケーキを一つ注文する。メーリーも「ショコラ」と短く要望を言った。
「妖怪の名前は『泥田坊』」
「とても有名な妖怪ね、ゲゲゲの鬼太郎では何度か出てきてるから。あのころは自然保護を訴える作風が多かったし、あながち的外れでもなさそう」
『当時ではメンテナンスの事にはあまり触れていませんでしたね』
『はい、宣伝では十年、二十年と持つ。と言う具合でしたが、まぁせいぜい五年も持てば大したものでしょう。一般の方はメンテナンスの事なんて考えてない方も多かったんじゃないかと思います。半永久的に使えると思わされている。何よりあれはえらく石油を喰いますから。処理施設を作るのも改変に金がかかる』
『なるほど』
コメンテイタ―だろうか、まぁ私たちにとってはどうでもいいことだが。彼等もまた妄想を掻きたてる一因を買ったのだということをしっかり自覚してほしいと思った。
「そう、泥田坊の怨念の正体は妖怪の里から出てきた怨念ではなく。外の、現代社会からにじみ出てきた農業に関わる人間たちの怨念。社会から封殺されてしまった人間達の怨念が、新しい技術にまとわりつく妄想と一緒に流れ込んできた」
「妖怪の里では、『外の世界で幻想になったもの』が流れ込んでくるからね。多分妖怪達は発電にその現代の新技術に蔓延った妄想を使っていた。『これさえあれば太陽のエネルギーは無限』みたいな妄想」
幻想で、夢の様な技術だから、人々が期待してやまない実現不可能の技術だからこそ妖怪の世界で実現可能になった。
だか、現代社会でそのメッキが剥がれ始め、その現実が逆流することになったのだ。それが私たちが見てきた境界の先にある世界の顛末だ。
『隣国では大量生産の末に河川が汚染されています、川が虹色になったとか、想像しただけでぞっとします』
『自国での開発をあきらめた彼らが日本の豊かな水資源に目を付けたわけです。排水処理なんて考えていません』
『窒素系の化合物、リン酸など栄養過多の水が大量に流れ込んでくるわけですからボウフラの騒ぎじゃありません。それはもう大変な悪臭がします』
『そういった騒ぎで、・・・・ええっと、生態系といいますか、自然環境はどのくらいの被害をうけるでしょう?』
「私たちがこの物語で解決する方法を考えないと、あの世界は滅んじゃうわね」
「あぁ、それに関しては既に解決策があるの」
わたしは胸を張って答えた。想像が境界を救うならば、私たちの小説の顛末があの世界の未来を創ることが出来るだろう。
『植物などが直接的な被害を受けることは遅延するでしょうが、微生物の被害は直接来る。赤潮とおなじです。一部の微生物が他の微生物を喰い荒してしまいます。生態系の破壊、一番根っこの部分ですね。 小さな生き物が死んでしまうと他の生き物は生きていられませんから』
『え、どういうことです? 赤潮?』
『ほら、琵琶湖で一時問題になった。 栄養過多な水が微生物を異常発生させる。それで汚臭問題があった』
『ああ、あれですか』
『はい、石灰とかいろんな中和剤で今ではキレイになりましたがね。携わった人々の努力のおかげです。しかし薬品を使うわけですからそれでも環境には悪いですが』
「妖精という生き物がいたじゃない、彼等は死んでも蘇る。それで彼らが宿った植物は途端に急成長する。彼らが頑張って泥田坊と戦うのよ」
「ふぅん」
「まさに自然の権化じゃない、きっとあの境界の世界では彼らが世界の循環の役割をしているの」
これは私の勝手な持論だが、海のない世界ではどうしたって循環が滞るし。閉鎖された場所では汚いものが溜まっていくのが普通だ。生き物は狭い空間では生きていけない。あの狭い世界の中でその役割をしているのがあの小さな、愛らしい下等の生き物ではなかったのだろうかと考えている。
「体に流れる血液の様に栄養を循環させ、あるいはウィルスに抵抗する免疫。妖精達もその世界の思惑にそって、ちょっとずつ外敵に対応するために姿を変えていくってわけよ、敵に最も適した形になるように成長していった」
「ふぅん・・・なるほど」
「彼らが勝つような話を考えましょう」とメリーはにこりと笑ってタイピングを再開した。頼んだ甘味がテーブルに置かれるのも無視して話を進める。
しばらくメリーが「どう?」と画面を私に向けて感想を求めてくる。まぁ拙いが、私も人の事を言える様な文才があるわけでもないし。好きにさせておこう。「いいんじゃない?」と適当に返事をして、ケーキを崩して遊ぶ。
が、ここで一つ気が付いた。すぐにメリーの方に向き直って言葉を足す。
「けど、お話としてはちょっとクッションが足りないわね」
「どういうこと?」
「ドラマ性がないっていうか。もうちょっと感動的な感じが欲しいわ」
物語にはちゃんとストーリーが必要だ。それをきちんとしておかないとこの話は幻想にならないだろう。その旨をメリーに伝えると、またメリーは手を止めた。
「困ったわね」
うんうんと唸るメリーは困った顔で何度かタイプして、又それを消しての繰り返し。どうやら彼女には物語を考える能力はあまりないらしい。
「そんなもの、パク・・・・モチーフがあればいいのよ」
「オマージュ、パロディともいうわね」
「ほら、昨日の日曜劇場でやってたドイツの収容所の話。見てた?」
「見てたも何も、一緒に見てたわよ」
「あれの最後は泣かせるわね、父親が・・・えぇっと」
言いよどんでいた私にメリーが追従してくれた。「貴女ちゃんと見てたの? 昨日の事よ?」と呆れながらではあったが。余計なお世話である。
「最後の最後で、父親が子供が兵士に見つかりそうになったわね、それで自分が代わりに兵士に見つかりに行くのよね。『最後までかくれんぼできたら、ご褒美がもらえるよ』って子供に嘘を付いて」
「そうそれ!」
「銃声が空しかったわね」
「愛情って滑稽だけど、ゾクゾクするわね。それでいて熱くて、クレイジィで」
「その感想はどうかと思う」
「家族愛、これは欠かせないわね」
メリーはエンディングでえんえん泣いていたからよく覚えているのだろう。そのことを指摘してからかってやると顔を真っ赤にしていた。
「あの子供はきっと父親が自分を守ってくれたなんて分からなかったんでしょうね」
「泣けるわぁ」
「その二ヤついた顔を止めなさい」
「まぁ、そんな感じでちょっと後味に風味を残すっていうか。そういう演出って大事だと思うのよ」
「わたし、そういうのキライ。バットエンドって結局何したかったのかよくわからなくなるわ、もっとわかりやすい大団円じゃないとすっきりしないもの」
メリーはそう言ってノートパソコンの向こう側に顔を隠してしまった。映画館とかでは上映前のプロモーションビデオで涙ぐんでいるくらいだから、そういう人種なのだろう。
「私はハッピィエンドが好きなのよ」
「御都合設定って、私キライなのよ」
「見解の相違ね」
「まぁ、人の好みってことで」
私たちが演出のなんたるかを議論している間も、テレビから無意味な討論が垂れ流しされていた。
『開発には大量の半導体を作らないといけませんから、環境にも大変よろしくありません
『幸いにして、というのもおかしいですが。河川は人口が過疎の地域に広がっていたから、被害も少なくて・・・・あ、いやすいません。環境保護の観点から失言でした』
『早く工場経営も処理施設を作るか撤退してもらいたいですね、せめてダムかなにかでせき止めるくらいはしてほしい』
『なんにせよ、発電量との兼ね合いも考えて。実用的な発電方式の研究を続けません』
『いかんせん場所が限られますし』
『無限のエネルギーなんてない、と言うことを常に頭に置いて夢見がちな「幻想」に耽ることは止めておきましょう』
『方面の人から怒られますよ』
『はは』
『太陽光発電、メガソーラの真実。 今日はありがとうございます』
『はい、こちらこそありがとうございました』
******
目が覚めると、自室の天井が見えた。藍が私を覗き込んでいる。
「紫さま、起きてください」
「・・・・」
「今日は人と会う約束があるんでしょう? わざわざ私に起こしておいてなんて言っていたんですから、遅刻はいけませんよ?」
「ええ、そうね・・・・」
「今日はどちらに?」と朝餉を並べながら聞いてくる。さて、どうしようか。
「湖の方まで行ってくるわ」
「またですか、熱心ですね」
「そう?」
「湖が綺麗なままなのは紫さまが手を加えているからですか?」
「吸血鬼を贔屓にしているので?」と蘭が聞いてきた。彼女らしくもない的外れな質問だと思う。笑いをこらえていると藍は憮然とした顔で「ご飯が冷めます」とそっぽを向いていしまった。
「守矢神社はどんなにしてる?」
「これと言った動きはないです」
「ふぅん」
我関せずか。まぁ、それもまたいいだろう。守矢神社の筋書きも大体の所想像がつく。
「今回の異変。彼らの持ち込んだ、太陽を使った発電技術が原因なのでしょう? なぜ彼等は事態の説明をしないんでしょう」
「簡単よ、『実は技術革命は危険な物でした』なんて風評が里で広まると困るから。信仰が無くなるわ」
「それでも、このままでは幻想郷全体がどうなるか」
「それは私じゃなくて守矢の連中に言って頂戴。それに彼等はちゃんと解決策も用意してあるわ」
「この話はおしまい」と話を切り上げた。藍はいくらか言い足りなかったのだろう、何か言おうとしてそのまま自分の朝餉を黙然と喰いだした。
守矢は河童連中が事件を解決してくれると信じきっているのだ。ある種の信頼と言えるが、その後に誰か職工の一人に責任を着せ、自分達の保身をしてから事件を終結させる算段。まぁ、非情である。
「湖に何かあるのですか?」
「ん?」
「最近はいつもお出かけになっているじゃないですか。あそこに何が?」
「あぁ、単に友達の顔を見に行っているだけよ」
「・・・・友達、ですか」
「そう、古い友の顔を見に行っているだけよ」
藍が「ふむん」と首を捻った。どうやら私が全てを語らないことに多少の不満があるのだろうが、蘭の力は、今回はいらない。
「幻想郷が出来てから、ずっといる友達」
河童たちの手段は正しい。幻想郷の河川に合致した外の汚染河川を特定してそこにダムを建設。流れをせき止めてしまえばこの騒動も一応の結末を見るだろう。だが、それだけでは完璧とは言えない。
「河童たちがあちこちで妙な薬を散布しているそうですが、あれは放っておいても?」
「さぁ?」
「紫さま、真面目に話してください」
「今日の漬物は塩が利き過ぎよ、気を付けてね」
「・・・・」
当然いくら精度の良いダムを作っていても、完璧に水を遮断できるわけではない。じわじわと地下水から幻想郷に流れていく汚水。泥田坊は幻想郷の力、幻想郷の最も原始的で小さな力である『妖精』を喰って増大を始めてしまうだろう。
河童たちは汚水に対して薬品による中和を行い対応するつもりらしい。
さし当たってはこれで十分。
だが長い目で見れば、確実に『妖精』は泥田坊に食われる。妖精と泥田坊が入れ替わる、と表現した方が楽かもしれない。
妖精を喰った泥田坊を除去することで、じわじわと幻想の力はこそぎ落とされていく。
結果として幻想郷に『寿命』というものが現れる。それは体に出来た悪腫瘍を切り取ることに似ている。
切り取った肉は命を削るだろう。
泥田坊に奪われてしまった力をもう一度幻想郷に還元できる、そんな解決策を用意しなければならない。
霊夢達の行動は的外れもいいところ、しかも腫瘍の切断を爆発的に進めている。
私の友人である『彼女』の成長を止めているに等しい。ちょっと釘を刺す必要がありそうだ。
「霊夢はどうしてるかしら?」
「大暴れしていましたが、今は何か考え込んでいるみたいです」
「ふぅん」
「まったく、忙しいですね」と藍が苦笑いしていた。霊夢もなんとなく事件の雰囲気を感じ始めたのだろう。霊夢は一度思い知るべきだ。
この世界で一番強いのは誰なのかを。
「さて、行ってくるわ」
「おにぎりを包んで」と指図すると手際よく包みを持ってきた。梅、漬物、きっと彼女も喜ぶだろう。
「紫さま、私も付いていきます」
「駄目」
「そんな・・・・」
「貴女は橙と遊んでなさい」
境界を切り裂いて、その中に踏み入れればそこは友人の家だ。
********
「チルノちゃん、何処?」
湖の周りを探して、もうどのくらい経っただろうか? 今朝飛び出したチルノちゃんの姿を誰も見かけていない。
「・・・・」
まさか、あのヘドロの妖怪に襲われたんじゃないかと思い、ぞっとした。チルノちゃんは最近一人で出かける機会が多くなった。何をしているのか気になるのにチルノちゃんは教えてくれないのだ。
チルノちゃんは、なんだか、
最近変わった様な気がする。
「チルノちゃん」
もうすぐ、紅魔館。大きなお屋敷の時計針が見えてくると、紅い塀の近くに門番のおねぇさんを見つけた。
楽しそうにおしゃべりをしていた。夏の日差しがチルノちゃんの額にちょっぴり汗を浮かばせている。
日陰でおしゃべりするチルノちゃんはとても、
とても楽しそうだった。
「・・・・」
「それでさぁ! あたいったらオトナ!」
「でしょうね」
「ふふん!」
「・・・・」
会話の中には、ちょっと難しい言葉も出てきた。たまに何を話しているのか分からなくなる時がある。
「いいですか~、チルノ? 双天手はですねー、こうやって体のロスを少なくすることが大切なんですよー、こう! 完全な身体の一致、それが功夫です!」
「ふーん」
何を話しているんだろう?
「あら、こんにちは」
「・・・・」
門番のおねぇさんは私に気が付いて、明るく手を振った。
「・・・・」
チルノちゃんと目があって、私にニコッと笑いかけてきた。
「だいちゃん」
やっぱり、何か変だ。
「チルノちゃん、何処行ってたの?」
「ん~・・・秘密!」
「ん・・・」
おねぇさんには話してたのに。
「チルノちゃん、おねぇさんと何話してたの?」
「え? えーと、何って言われると、ケンポ―の事とかかな」
「ふぅん」
ぐっと顔を寄せて笑ってくれるチルノちゃんは、上からそっと私の頭を包み込むようにして撫でた。
あれ・・・? おかしいな、なにか、おかしいな。
「チルノの・・・・えーとぉ・・・友達?」
「うん、 そうそう!」
「・・・へーぇ、こんにちはだいちゃん」
門番のおねぇさんは、覗き込むように目線を合わせて、チルノちゃんと同じように撫でてくれた。
どこか私を品定めするように。
いやだな。
なんだか私だけ仲間はずれみたい。
「だいちゃん、見てて! 今日こそめーりんに勝って見せるから!」
「えっ・・・うん!」
門番のおねぇさんはそれなりにきりっとした顔つきをして、チルノちゃんと喧嘩を始めた。二人の「エイッ」「ヤッ」とキリリとした掛け声が太鼓の音の様に、お腹にずしりと響く。
ちょっと怖かった。
暫くすると、チルノちゃんが転ばされて、悔しそうな顔をする。
門番のおねぇさんは偉そうな顔をして胸を張った。
「うぅ、チクショー・・・」
「チルノちゃん!」
私がチルノちゃんに駆け寄ると、また私の頭を撫でた。私よりも大きな手のひらで。
チルノちゃんは「ごめんね」とちょっとだけ悔しそうに謝った。
別に謝ることなんてない。いつも通りのチルノちゃんだ。
「負けちゃった」
「別にいいよ、皆には黙っててあげるから」
「こんなんじゃだいちゃんを守ってあげられないね・・・」
チルノちゃんはがっくりと肩を落としていた。チルノちゃんが立ち上がると、見上げるように後を追う。
なんだか変な気分になる。
おかしいな、なんだか、オカシイな。
「ねぇ、チルノちゃん、なんだかオカシイよ・・・」
「えっ」
思い切って、口にしてみる。
チルノちゃんは、しばらく考えていたけど、やっぱり分からないみたいで。わけもなく微笑んで私の手を握った。
ちょっとだけチルノちゃんの笑顔で安心できた。
だけど、チルノちゃんは私の話を聞いているようで、実は聞いていない。いつもは聞いていないみたいで、ちゃんと聞いてくれるのに。
「いやいや、上達しましたよチルノ」
門番のおねぇさんが、なんだかヘラヘラと笑ってる。
私たちの方に近づいてくる。
「ちょっとくらい手加減してよ」
「それは貴女が実力を勘違いすることになります、できません」
門番のおねぇさんは、チルノちゃんに向かって偉そうに胸を張った。チルノちゃんは「いたた」とおしりをさする。
チルノちゃんは門番のおねぇさんに近づいて、何か話そうとしていた。私は不安になってチルノちゃんの服をぐっと握って止めた。
「だいちゃん?」
「・・・・」
なぜか、そのままチルノちゃんが遠くに行ってしまう気がして力を込めて握った。
「うんうん」
門番のおねぇさんは私たちの様子を見て満足そうに何度か頷く。
「まるで、家族みたいですねぇ」
「えっ」
「家族?」
家族、という言葉が気持ち良い。
チルノちゃんと、私が家族。何度も考えたことだし、きっとチルノちゃんもおねぇさんに言われる前からも、きっとそう思ってくれたはず。
「チルノ、まるでお母さんみたいですよ」
「う、そ、そうかなぁ?」
「・・・・・」
もっとチルノちゃんに体をよせて、服を引き寄せた。チルノちゃんは頭をぽりぽりと掻いて、ちょっと恥ずかしそうにしていた。
「いいですかチルノ」とおねぇさんは拳を握りしめてチルノちゃんに話しかけた。
「戦士が力を使うことを許されるのは、自分を守る時。そして何よりも大切な人を守る時だけ」
門番のおねぇさんは大きな声と一緒に堅そうなこぶしを「びゅん」と空気を切り裂いて突き出した。それから私たちに笑いかける。
「弱い者いじめ、心が乱れた時には決して使ってはいけません。 家族を守る時だけ、強い敵に立ち向かうためだけに使うことが出来るのです!」
「ふーん」
「・・・・・」
チルノちゃんは鼻の穴をほじって適当におねぇさんの話を聞いているように見える。チルノちゃんは難しい話はキライなのだ。
「む、その様子は真面目に聞いてませんね?」
「それじゃ、私カエルとか凍らせてあそべないじゃん?」
「いいオトナが生き物で遊んではいけません!」
「じゃあヤダ」
チルノちゃんはつまらなそうに耳の穴をほじくり出した、私もチルノちゃんのマネをして耳の穴をほじってみる。
「師匠の言うことは絶対なのです!」
「めーりんが師匠とか、笑えるよねー。 ね、だいちゃん?」
「え・・・・えっと・・・う、うん」
「むがぁ! なんという礼儀知らずなんでしょう、貴方は!」
門番のおねぇさんは、怒った顔で何度も足を踏み鳴らした。
ほんのちょっとそうしていたけど、私を見て。
「あ、そうだ」
と手を鳴らした。
「いいことを思いつきました! ・・・・チルノ、こっちにいらっしゃいな」
「えぇー?」
「ほら、いいから、いいもの見せてあげますから」
「本当ぉ?」
「ええ、とってもいいもの」
おねぇさんは私たちの手をムリヤリ引っ張って、いつも遊ぶ紅魔館の塀の近くまでやってきた。
折れた木の枝、ほじくり返した地面、壁の落書き。あちこちに私たちが遊んだ跡が残っている。
「ほら、こっちこっち!」
「いったい何なのさ?」
「・・・・・」
おねぇさんが手招く場所は、いつか私とチルノちゃんで背比べした場所。まっすぐに立った真っ赤な塀にはたくさんの傷跡が横に、横にと残っている。
私の背比べの傷もあった。私の背丈のちょっぴり下にチルノちゃんの背比べの跡。
何度も、何度もチルノちゃんが悔しがってつけた傷跡だ。
「ほら、チルノ。 ここに立ってみて」
「?」
チルノちゃんは溜息交じりの「えぇえー?」と声を呟きながら、つまらなさそうにおねぇさんの近くへ。
「なんかあるの?」
「ええ、凄いものがあります」
「・・・・」
何故か分からないけど、ドキドキする。
嬉しいドキドキじゃない。悪戯する時みたいにワクワクもしない。嫌なドキドキだ。
「ほら、頭引っ付けて」
「? 痛いって」
「よーし、これで・・・」
何だろ? イヤだ。
よくわからないけど、なんかイヤだ。
「ほら、ちょっとじっとしてて」
「まだー?」
門番のおねぇさんは、手にした石ころでチルノちゃんの頭のてっぺんで塀にごりこりと傷をつけた。真っ赤な塀に、白くて細い線が付いた。
途中でおねぇさんと私の目があった。おねぇさんはにこっと笑って見せた。
私はちっとも楽しくないのに。
「ほら、できました」
「ねぇ、なんなのさ」
「ほら、チルノ。 これが貴女ですよ」
おねぇさんの指さす場所には、一本の線。チルノちゃんはむっつりと口を曲げて、
「だから?」
と不機嫌そうに答える。きっとチルノちゃんは分からないんだ、私がこんなに嫌な気持ちになってるなんて。
「この線も貴女」
今度の指さす方は、もっと、ずっと下の方にある小さな線。私の線よりもほんの少し下にある背丈。
「チルノ、いいですか?」
門番のおねぇさんは優しい顔をして、そっとつぶやくように話す。
「武術は弱虫が強い奴に苛められないように作られたものです。 強い奴は弱い者いじめをやっちゃ駄目。 それが昔からの決まりごとです」
チルノちゃんは高い線と低い線を、目に穴が開いたように何度も見返す。
低い方の線は、私と同じくらい。高い方の線は、門番のおねぇさんよりもちょっと小さいくらい。
やっぱり、何かヘン。
「貴女はほんの少しの間に、とっても強くなりましたね?」
「え・・・そう、かな」
門番のおねぇさんは私を力任せ、と思えるくらいに強い力で引き寄せた。
「いたっ!」
「えっ?」
「ほら、前のアナタは、こんなに小さい」
おねぇさんは私の頭を撫でるでもなく、強い力で鷲掴みにした。
「痛い!」
「! なにしてんのさ!」
「小さい子供ってかわいいですね」
「貴女もそう思うでしょう?」とおねぇさんはチルノちゃんに微笑む。ぎりぎりと頭が割れそうに痛い。痛くて仕方ない、私は悲鳴を上げた。
「痛いよ、やめてよ・・・」
「止めろ!」
チルノちゃんはすごい勢いと力で、おねぇさんから私を助けてくれた。
チルノちゃんの大きな胸が私の顔にぐっと押し付けられる。
大きな背中が門番のおねぇさんから守るように立っていて、長い腕でしっかりと抱きしめてくれた。
そうだ、やっぱりおねぇさんは悪者だったんだ。
おねぇさんがチルノちゃんと話していると、なんだか不安になる。チルノちゃんが遠くに行ってしまうような気がする。
けど、今はチルノちゃんの大きな体しか見えない。いつもみたいに安心できる。
「きっと、貴女の大きな体は家族を守るためにあるのでしょう」
「どういう・・・・?」
「貴女も私みたいに、その子の首なんて簡単に折れちゃいますねぇ」
「ふざけんなっ!」
私たちの周りは、凄く寒くなっていく。 空気が「ぱりぱり」と爆竹みたいな音を立て弾けてるみたいだった。
怖くなってチルノちゃんの顔を見上げると、チルノちゃんはもっと怖い顔をして門番のおねぇさんを睨みつけていた。
「その子が痛くて、怖い思いをしたのは、貴女のせいですチルノ。 こんな恐ろしい場所に、そんなに小さな子供を連れてきてしまった、貴女の責任です」
「それはアンタがっ」
「早く家に帰りなさいチルノ、その子を連れて。 その子供が、怖い妖怪に食べられる前に」
おねぇさんの顔はいつもみたいに、柔くて優しい顔じゃなかった。なにも考えていないみたいに、氷みたいに冷たそうだ。
「だいちゃん、帰るよ」
「・・・・」
私は黙って頷いた。チルノちゃんは私を腕に抱いて、門番のおねぇさんを睨みつけながら少しずつ空に飛ぶ。
「オトナは、身を挺して家族を守る、そのために力を付けるのです」
「フンっ!」
「忘れないでね」
紅いお屋敷はどんどん小さくなっていく。
チルノちゃんの肩ごしに門を見ると、門番のおねぇさんがこっちを見ていた。怖い顔をしてこっちを見ていると思ったけど、門番のおねぇさんはちょっとだけ悲しそうな顔をしていた。
「・・・ごめんね、だいちゃん」
「うぅん」
チルノちゃんは私を腕の中に抱いて、頭を撫でてくれた。 指がほそくってまるで櫛で髪を解いているみたいに気持ちよかった。
ただ、チルノちゃんの指は震えていて、声もどこか頼りない。
「大丈夫? 痛い?」
「平気だよ、チルノちゃん!」
なんだかチルノちゃんが可哀そうになって、いつもより明るい返事をした。
「うん」
「・・・・」
チルノちゃんもにこっと笑って、私を抱えて家に帰る。その間は何も話さなかった。いつも帰る時に帰る景色が後ろに、後ろに飛んでいく。
いつもはチルノちゃんと手をつないで、その日あった事をおしゃべりするけれど。
「ねぇ、チルノちゃん」
「何? だいちゃん」
「明日、何しよっか?」
いつものチルノちゃんは、こう言えばいろんなことを話してくれる。
「・・・・」
けど、今日は何も話してくれなかった。
ただ一言だけぽそりとつぶやいた。
「ごめんね、明日はやることがあるの」
「・・・うん」
チルノちゃんは最近皆とも遊ばない、このままじゃチルノちゃんが可哀そう。
「じゃあ、その次の日は?」
「うん、いいよ。 何して遊ぼうか?」
いつも通りの帰り道、空もいつも通り紅く綺麗に染まってる。
「鞠付がいいな、この前買ってきた白い鞠」
「うん、鞠付教えてね、だいちゃん」
「いいよ!」
嬉しくなって、チルノちゃんのほっぺたに顔を押し付けた。私たちはいつも通りの道を、仲良く帰る。仲良しのチルノちゃんに抱っこされて。
「ねぇ、チルノちゃん」
「なに? だいちゃん」
「・・・・・」
チルノちゃんの髪は、私の髪よりもずっと伸びて、雪みたいに綺麗だ。いつも私とつないでいるはずの掌は、私の髪を優しく梳いている。
「やっぱり、何でもない」
「・・・・やっぱり、痛むの?」
「・・・・・」
喉で言葉が詰まって、言いたかったことが言えなかった。
同じことがアタマの中に何度もよぎったが、言えなかった。チルノちゃんはまた可哀そうな悲しそうな顔になって何度も私の髪を「ごめんね」と言って撫でた。
チルノちゃんの指は長くてキレイで気持ち良かった。チルノちゃんの肩から覗く紅い夕日が、チルノちゃんの長い髪を綺麗に照らしている。触れたら今にも溶けてしまいそう。
夕日を見ていたら、よくわからない、けどなんだか寂しくなってきてしまう。
チルノちゃんの胸に頭を押し付けた。
「どうしたの、だいちゃん?」
「別に、なんでもないよ」
うまく気持ちが言葉に出来なかった。チルノちゃんは「安心して、もう怖くないよ」と笑いかけてくれた。
おかしいな。 やっぱり、なにかオカシイな。
**************
「あー・・・今日も妖精が元気に飛んでるわぁ」
「夏ねぇ」
湖に面したお屋敷のテラスでは、紅魔館の面々がのほほんとガーデニングやお茶を楽しんでいた。妖精たちがそろって飛んでいるのを見ると、「夏だな」という気持ちが強くなる。
別に妖精が夏限定で元気になるわけではないが、なんとなくそう思っただけだ。
特に咲夜はメイド長としては夏になると食材の足が早くなったりと忙しいので、忙しそうな妖精に感情移入してみた。
「ふぅ、生き返ったぜ」
「何を大げさな」
来客の泥棒を迎えて、館の主の吸血鬼は手元の紅茶を揺らして遊んだ。まるで湖が波打ちように綺麗な波紋、今日の紅茶も最高だ。
芳醇な香り、喉に仄かな苦みがするりと通るとお菓子がもっと美味しい。
「いや、それがさ、早苗の所まで遊びに行ったんだけどな、そこで出されたお茶が不味いのなんの」
相棒の紅白も、遠慮せずに甘いお菓子を口に運んだ。口いっぱいにお菓子を頬張る巫女はどこか上の空で、無表情だった。
「霊夢、どうかした?」
「・・・・ん」
「ほんと、泥水飲まされてもあそこまではいかないって」
「・・・・私の知る限りでは今妖怪の山は閉鎖状態のはずよ。 なんでも河童の工業廃水が原因で山中が悪臭だらけだって」
パチュリーは魔理沙をややたしなめる様な口調で妖怪の山の様子を伝える。しかし紅魔館の住人達はそんな彼女の言葉に特に興味を示した様子もなく適当に相槌や生返事を返した。
「それはご愁傷様ね」
博麗の巫女は会話の輪に入りきれない様子で静かにお茶を啜っている。
「・・・・」
「にとりが責任とって原因を調べてるらしい、全く困ったもんだぜ」
霊夢はまたジャムのたっぷり乗った菓子を一つとり、頬張った。
引きこもりがちの魔法使いパチュリーは溜息をつき、魔理沙に語りかける。
「つまり、貴女に出されたお茶は別に悪意があって出されたものじゃないってこと」
「それがどうしたよ。連中、客に対する考えが甘すぎるぜ」
魔理沙は綺麗なカップを傾けて馥郁たる紅茶の香りを鼻腔に満たす。溜息が出るほど美味い。雲泥の差といったら泥に失礼なくらいだった。
「客に不味いお茶を出すなんてどうかしてますわ」
「そうよ、パチェ。 貴女だってそんな泥水出されて同じことが言える?」
「それもそうね」
吸血鬼一家にとって、妖怪の山の連中が不幸になるのは蜜の味なので、その話題はお茶会のお菓子と一緒に食ってしまうのが一番ふさわしい。 とりあえず紅魔の主である吸血鬼の意見は相変わらずの様だ。
「ふん・・・妖怪の山、あいつ等は幻想郷の厄介ものね。やることがまるで子供だましだわ」
レミリアが「ねぇ?」と一家に向けて首を傾げるとそれぞれに「えぇ」とか「まったくですね」などと陽気に笑い飛ばす。
「特に守矢、あの新参者どもは幻想郷の調和をイの一番にぶち壊しにするわ」
「うーむ」
「・・・・・」
魔理沙は自分の言葉が過ぎたことに焦った。 まぁにとりとはとりわけ仲もよいし、ちょっとした愚痴の様な気分で話していた。 だが吸血鬼たちと妖怪の山の連中との確執は深い様で、レミリアの嘲笑は止まる様子がない。
「山には友達もいるんだがなぁ」
魔理沙は頭を掻き、所在なさげにそわそわし始める。
憎まれ口を叩いても、魔理沙は純な心の持ち主で、へらへらしているようで義に厚い女の子なのだ。
内心で反省しつつ、さりげなく山の連中の擁護に回り始めた。
「まぁ、直に解決するだろうけどよ」
「考えが甘いわ魔理沙、そんな楽観的考えは魔法使いとして失格よ」
「うぅむ、そういうつもりじゃないんだが」
友交範囲の広い魔理沙は妖怪にも友人がたくさんいるのだ。しかもその代表のにとりが事件の槍玉に揚げられているとなると、気持ちの落ち着き所がなくなってしまう。
「守矢の奴らが技術革新を始めたのは、我々魔法使いにとってちょっといただけないのは確かよ」
「・・・そうなのか?」
技術革新がどのようなものを幻想郷にもたらすのかは魔理沙にはまだよくわからなかったが、それでも魔理沙は魔法使いという学問の探究者だ。
外の技術であれどうであれ、学んで自分の物にできるならば受け入れるべき変化である。それに魔理沙は妖怪の山ほどではないが、錬金術師としてそれなりに外の技術の恩恵を受け、研究する立場でもあるのだ。だがどうやらこの吸血鬼一家の考えは違うらしい。
「魔理沙、貴女はここの生まれだからわかりにくいかもしれないけど、幻想郷は私たちにとって最後の受け皿なの」
「お嬢様、それ以上は・・・」
「いいじゃないの咲夜、私やフランだけじゃないわ。 咲夜、貴女もよ」
咲夜の制止を振って、レミリアはさらに続ける。美鈴も、パチュリーも手を止めてレミリアの話に耳を傾け始めた。
「魔法や奇跡ではなく、卓越した能力や意思でもなく、外の世界はそれ以外のもので動き始め、幻想と呼ばれた現実は次第に幻覚になった」
こうしたレミリアの話は遠回しで魔理沙にはわかりづらかった。
紅魔一家はレミリアの言葉に頷いて得心しているようだが、魔理沙は、
(親玉が言うことだから、こいつらは唯頷いてるだけなんだろう)
と考えることにした。
レミリアの独白はなおも続く。
「守矢がどうして幻想郷に移住してきたか覚えてる? 外の人間が神の見えざる恩恵よりも、技術革新によって得た自分達の力を信じたからよ。 守矢はそのせいで信仰を失ったというのに、また同じことを繰り返している」
「全くね」
親友であるパチュリーの相槌に、吸血鬼は「全く」と返す。
「見えないものを隅に、都合の良い事実だけを見る。必要なものは極限まで追求し、必要ないものは目を瞑り、騙し、疎かにする。 外のそういう考えに絆されて幻想郷にやってきた。私たちはそういう愚行を繰り返さない。あれは我々をとうとう滅ぼすでしょうね」
「いや、けどいつかの月の都、あれはどうなんだよ。 あそこは無限の力と安全があったじゃないか。 あれも技術革新なんだろ?」
魔理沙は「いつかはそんな境地までたどり着けるんだろ?」と続けようとしたが、同じ魔法使いであるパチュリーが鼻を擦るような笑い声を零した。
「魔理沙、それは違うわ」
「月の裏側を調べたのよ、何も棲まない死の海。放棄された屑の山、結局あいつらも都合の悪いものは隅に追いやってきたの」
霊夢は紅茶に砂糖をたっぷり入れ始めた。吸血鬼たちの講義などどうでもいいらしく、ある意味真面目に聞く魔理沙とは違って、右から左に話を素通りさせていた。
「霊夢もそう思うでしょ?」
「・・・・・まぁね」
吸血鬼の御高説よりも霊夢はもっと重要な事に気を取られているようだった。
レミリアはお気に入りの霊夢が「へぇ」とか「ほうほう」などと愚にもつかない相槌を打つだけなのにがっかりする。これではつまらない。
しかし、魔理沙がむきになって「いや違う」としきりに反論してくることで気分を持ち直した。魔理沙は霊夢と違ってオーディエンスとしては最適だ。
「規律された人口に街並み、豚のような社畜ども、 妖怪の連中も同じよ。全く怖気がするわ」
「なにもそこまで言わんでもいいだろ」
流石にここまで来ると魔理沙は明らかにしかめ面になり、声を荒げ始める。だがそれに却って気分を良くしたように吸血鬼は飄々と語り始める。
「技術と言うものは便利よ。けど、それは人間に限った事。私たちは血を吸うだけで人間を使役することができる。鬼は拳で山を砕く、天狗は千里をひと瞬きの時間で越え、千里を見渡す目を持つ者もいる。 火を噴けば鉄をどろどろにすることもできる。 意のままに草木を操るものもいる。 老いも知らず、病も知らず。 この期に及んで外の技術などに頼る必要などないわ」
レミリアの言葉に紅魔の住人達も一様に「然り」と首を縦に振った。
「人々の夢想する、力のあり方だけが私たちを妖怪たりえる」
「まぁ、電気コンロくらいは使ってやってもいいけどね。 簡単にお茶も飲めるし」と、やにやしながら、レミリアお茶をすすった。
「卓越した、生身の力こそが幻想郷を作り上げる。守矢は私たちの首を絞めている、それがいまいち解っていない様ね」
「わかった魔理沙?」そう言って、たしなめる様な視線をちらりと魔理沙に向けた。
「貴女だってそうでしょう? その中で、より選ばれた生身の強者が誰よりも偉い。 断じて、小賢しい知恵の持ち主が偉いわけがない」
魔理沙は多人数に意見を圧殺された上に、おばかさん扱い。いい面の皮だ。
「鬼の後釜が守矢、そこまであくせく働いてでも信仰がほしいのかしら?」
「鬼の連中は面倒くさくなったのよ、有象無象と折り合いをつけるのにね。河童や天狗に鬼が見切りをつけたのも当然」
「おいおい、そういう考え方はよくないぜ」
山の妖怪を嘲る口調はますます強くなる。魔理沙は必死に弁護を重ねる。
時には霊夢に「違うだろ?」と協調を求めたが、
「好きに言わせときなさいな」
と煮えない返事をするだけだった。吸血鬼は「ほら、霊夢はちゃんと分かっているわ」と拡大解釈を加えてますます調子に乗った。
「まぁ吸血鬼に劣るとはいえ同じ鬼。山の連中とつり合いが取れなくなって当然よね、お山の大将にも飽きたか」
くっくっと喉を鳴らして、頬を歪めた。その様子は幼いながらも確かに吸血鬼の底知れない不気味さがある。
「この期に及んで外来の技術など不要、我々は我々のテクノロジィを追及する」
「私たちは、私たちの力、意思を基幹にして幻想郷を存続させるべきよ」
咲夜と美鈴はレミリアが一息入れ、紅茶を持ち直すと同時に拍手を送った。
「お嬢様」
「レミィ」
吸血鬼の棟梁は得意げにカップを傾ける。
(ったく、とんだ茶番だぜ)
魔理沙の嫌いなもののうちの一つ、こういう拝心的雰囲気というか、繰り返されたようなお決まりのパターン。
こいつらはきっとこういうことを毎日繰り返しているんだ、気味が悪い。
レミリアの言うに言いたいことは二言三言あったのだが、言ってもここでは無駄だ。諦めるしかない。
「ふーん」
霊夢は霊夢で目の前のお菓子にしか興味がないらしい。適当に相槌をうって失礼がない程度に話を聞き流していた。
「そうでしょ霊夢?」
「あんたの言う通りかもね」
「おいおい! そりゃないぜ!」
霊夢までどうしたというのだろう? 普段は絶対に他人の陰口をたたくような奴じゃないのに。
「どうしたの、魔理沙? 別に貴女が悪いって言ってるんじゃないのよ? 悪いのは全部山の連中なんだから」
「あははは」
パチュリーの優しげな声も、咲夜の律儀な声色も、どこか空虚に感じられた。本人たちがいないところでの悪口。やっぱり致命的に魔理沙には合わない。気味が悪いのだ。
「落ち着いて魔理沙、お嬢様、皆も悪ふざけが過ぎます!」
「わかったわよ」
お客様を不機嫌にして帰すなど、メイドのプライドが許さないのだろう。この点に関しては咲夜はレミリアよりも強い立場にいる様だった。
レミリアは「悪かったわね」と不遜に肩を竦めて、憎たらしい謝罪を返す。
「帰る!」
「はぁ・・・」
「よくもやったわね」とでも言いたげに霊夢が深い溜息をつく、じろりとレミリアを睨むが相変わらずレミリアは澄ました顔で「帰っちゃうの?」とお菓子を齧っていた。ここ最近で一番不機嫌になった魔理沙は椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
なにもそんな言い方をしなくてもいいではないか。
酷い中傷だと魔理沙は苛々を募らせるしかない。
「霊夢、いくぞ!」
「はいはい」
意外にも霊夢は素直に魔理沙の後に続いた。こういう時についていかないと後々魔理沙はぷりぷりと怒ったまま不機嫌を散らかして歩くことになるのだ。
それに案外帰り道に愚痴を聞けばすっきりするものだ。二人はだいたいこうしてお互いの腐れ縁を続けている。魔理沙が怒っているときは霊夢が受け口で、霊夢が怒っているときは魔理沙が受け口になる。
都合のいい永久機関であった。
「魔理沙」
「なんだよ!」
乱暴に箒にまたがったところで、レミリアが魔理沙に声をかけた。
正直、魔理沙の苛々は椅子を蹴っ飛ばした時にほとんど消えていたが、引っ込みがつかず頬を膨らませたそのままの顔で声を怒らせる。
「今は、お茶が不味くなるくらいで済んでいるけど、いつかあいつらは大失敗をやらかすわ」
「・・・・」
そこはレミリアも心得たもので、微笑んで見送りをする。 こういうところは流石に齢を重ねた吸血鬼だった。
「取り返しのつかなくなるような大失敗。 その時を見逃さないようにね」
「へっ」
「貴女がずっと、あいつらとお友達でいられるようにせいぜい努力なさいな」
(てめぇらもお騒がせ者で厄介者じゃないか)
吸血鬼一家が幻想郷を騒がせた連続事件はまだ記憶に新しい。いまさら守矢がどうしたって紅魔館がどうこう言う立場は無いはずだ。
(自分たちの事は棚にあげやがって)
今回の悪臭騒動もさっさと解決するに決まっている。
「じゃ、またねレミリア」
「じゃぁね霊夢、また」
他にも軽くお別れをして、二人は軽く飛翔する。
「なぁ霊夢、さっき言ったのマジか?」
「なにがよ?」
「山の連中が厄介者だって、レミリアに同意してたじゃないか」
こういうことに魔理沙は過敏に反応する、独りぼっちは嫌だ。霊夢が自分と違う意見を持っているともなればなおさらで、ここは何としても霊夢の意見を聞いておきたい。はっきり白黒をつけてなければ気が済まないのだ。
「言ったかしら、そんなこと?」
「おい」
「なによもう、そんなおっかない顔しなくたっていいじゃないの」
魔理沙はぷいとそっぽを向いて黙り込んだ。 近くには湖が広がっていて清涼な空気を漂わせている。
「それより、気にならない?」
「なにがだよっ」
「紅魔館は日頃から湖の掃除に力を入れてるのかしら?」
「はぁ?」
「里の井戸とか川もめちゃくちゃなのに、この辺りだけやけに綺麗だわ」
「そうかもな、まぁ紅魔館の連中も今に大変な事になるだろうぜ。そのうちここにもあの泥田坊がやってくるだろうからな」
「・・・・・」
霊夢は適当な地面に降り、湖を覗き込む。 自分の顔が静かな湖面に映っている。 仄かに雨上がりの様な、土気の混ざった水の香りと、さわやかな冷気を感じる。
「魔理沙」
「あぁ?」
「先に帰ってて。 慧音の所で阿求の様子でも見てきて頂戴」
「ちょっと頭を冷やしてから行くわ」と霊夢は微笑みを魔理沙に浮かべて言った。 笑ってこそいるが、霊夢の顔はこういう時有無を言わせない迫力がある。
「・・・・わかったよ」
「ちぇっ」と頭をばりばりと掻いて魔理沙は霊夢に背を向けた。魔理沙が飛翔して遠くに行ってしまう。
よく耳を澄ますと、霊夢の周りで妖精たちの幼いはしゃぎ声、無邪気な声が聞こえてくる。
あんただかどこさ ひごさ ひごどこさ
くまもとさくまもとどこさ せんばさ
「・・・・」
最近耳にしなくなった妖精たちの声が聞こえてくる。 霊夢はそっと気配を悟られないように隠し、笑い声が聞こえてくる森の中に足を向けた。
************
気分が良いとは言い難かった。だが今までに感じたことないハッキリとした心の様なものが自分の中で沸き上がっているのを私は感じている。
「なにさ、美鈴のやつ・・・」
いいやつだと思っていたのに。仕返しをしてやろうかとも思ったが、自分はそんな事をしている暇はない。
疲れてしまったのだろうか、だいちゃんは今は私の腕の中で眠っている。
「・・・・」
こっそりとだいちゃんのほっぺに触れて撫でると、少しだいちゃんが身じろぎして、私に顔を寄せてくる。 その様子を見ると胸の中からわいてくる気持ちがもっと、よりいっそうに強くなる。
だいちゃんの頬に触れた指の付け根に、きらりと金細工の様に光るものがある。私はそれを少し太陽の光に照らして見つめた。
『貴女が皆を守ってあげてね』
紫との約束を私は守っている。あの日から私は少しだけ変わったかもしれない。今までよりも頑張って、もっとみんなのために強くならなくてはならない。そのためだったらなんでもやってやる。
『貴女の責任です、チルノ』
今思い出しても腹が立つ、そんなことは解っている。 皆が怪我をしてしまったらきっと悲しくなる。
『まるで家族みたいですよ、チルノ』
「・・・・」
また美鈴の言葉を思い出した。いままでそういう風に考えたことはなかったが、今の私たちは確かにそういう感じなのかも。
「おかあさん、かぁ・・・」
だいちゃんの丸い頭をなでると柔らかい髪の毛の感触が心地よい・・・・。
「・・・・?」
あれ? なにか、変だな?
なにか、オカシイな?
「何がオカシイのかしら?」
聞きなれた、と言うほどではないが、聞き覚えのある声が不意に後ろに居た。
「・・・・」
「ねぇ、チルノ聞いてる?」
「・・・・人のネグラに勝手に入ってくるなんて少し不躾じゃないの?」
「私はこういう妖怪なのよぉ。 それに私と貴女の仲じゃないの」
紫だ。 こいつはいつもどこからわいて出てくるのか分からない。 最近になるとこの女が何を考えているのかより一層わからなくなった気がする。
前はそんなことなんて別にどうでもよかったのに。
「おーい、チルノ。 いるかー?」
「あぁ、いるよ」
皆の遊ぶ声が聞こえてくる。 最近は遊ぶ暇がなくなり、一緒に居ることが少なくなったが、それでも皆はよく私の所に顔を見せにくる。
ネグラに入ってきた皆はいつもの様にハキハキと元気な様子だったけど、紫の姿を見ると顔が少し強張る。 見知らぬ妖怪がいればそれは怖がるだろう。「この人はあたいの友達、大丈夫」と二言三言説明すると、少し皆の表情も緩んだ。
「何かあったの?」
「ほら、新入りが来たのよ。 やっぱチルノに会わせといたほうがいいと思って」
「そうなんだ」
ちらっと紫の方を見ると、紫はニコッと微笑むだけで特に何も言ってこない。どうやら此処に来たのは唯の暇つぶしだったようだ。
一体こいつは何をしにきているのだろう?
「わかったよ、どこに居るの」
「連れてきた。 ほら、こいつら」
皆がその新入りの妖精達に「ほら、何か言えよ」「こいつがチルノよ」とかそれぞれに話しかけている。 新入りの妖精たちはどこかしょんぼりとしてるような、疲れているような、そんな様子だった。
「森の方の奴らしいのよ、例のお化けに追われてきたんだってさ」
「・・・・」
「・・・・」
「おい! なんか言えよ」
そう言われてぼろぼろの妖精たちはほんの少しだけ目を合わせてくれたけど、すぐに伏せて項垂れる。
「もー、はっきりしないわね」
「お前らが会わせてほしいって言ったんだろ!」
「・・・・」
よく見ると、あちこちに怪我をしてる。 思うに彼等は、何か酷い目にあってとても傷ついているのかもしれない。
その内の一人が、なんとか掠れた声を振り絞るようにつぶやく。
「あの・・・私達、森にいたの・・・」
「・・・・」
他の妖精よりもほんの少しだけ背の高い女の子は、あの中の親分なのだろう。 ちょっと他よりもしっかりした表情をしている。
「それで、この湖の周りは安心だって噂を聞いて、その」
「うん」
「・・・・」
私が少し声を立ててしまっただけで、その妖精はまた黙り込んでしまった。
「ちょっと待ってて」と言ってから、好物の甘い金平糖が入った瓶を幾つか持って来る。すると、親分の女の子が少し顔を上げる。
「ほら、これ食べな」
「・・・・」
ざらざらといくつかの金平糖を手のひらに「手をひろげな」と渡してやると、彼等はきょとんとしていた。 固唾を飲んで見ていた皆もちょっとざわつき始めた。
「辛かったね」
「・・・えっと」
「ここに居ればもう大丈夫」
そういうと、目の前の女の子は何か言いたげそうにしていた。 けどしばらくしてから渡した金平糖をちょいちょいと口にする。それを見ていた新入りもまねるように金平糖を口にし始めた。
「アタイが守ってあげる」
「・・・・・」
「もう、大丈夫。 怖くないよ」
「・・・・」
今までしっかりとしていた、それでいて強張った女の子の顔が次第にグニャグニャと崩れていく。
女の子は少しだけ息を荒くして、それから金平糖を舐めながら泣き始めた。
「うっ・・・うっ・・・」
「うん、もう安心だよ」
多分、今までいろんな心配や考え事を抱えてきたのだろう。 女の子の嗚咽と一緒にその仲間達も女の子を吃驚した顔で眺めながら「泣くなよ」「大丈夫か?」と慰める。
「・・・・・フゥン」
それを黙って見ていた紫が「ふぅん」と息を漏らす。ほんとにこいつは何をしに来たんだろ?
「皆の家に案内してあげて」
「おぅ」
「ほら、泣かないでよ鬱陶しい。 こっちよ」
皆はしばらくしていなくなった。 もしかすると、あの女の子はちょっと前の私なのかも、そんなことを考えていた。
「約束、覚えてる?」
「え?」
紫がふと独り言の様につぶやいた。
「ほら、夏の初めに貴女にあった時に約束したでしょう?」
「・・・あぁ」
「これ?」と指に巻かれた、金色の糸を見せると紫が「そう」と短く頷く。当然覚えている。
「貴女、変わったわ」
「かもね」
自分自身でも、前よりも少し変わったかもしれないと思う。ただ、それはそんなに悪い事でもない様な気がする。紫は「ふふ」と口元を手で覆って、笑う。 そういえば、最近いろんな事を覚えている気がする。 紫との約束も、美鈴に習ったことも。
前はどうだっただろうか? 覚えていない。
紫が手提げの中から包みを取り出して、広げる。 適当な握り飯が入っている。「どうぞ」と紫が差し出すので「どうも」と一つ喰うと、紫も一つ口にした。
「特に顔が変わった」と紫は言う。そういえば、髪の毛が伸びた気がする。そう言うと紫は「違う」と言った。
「心の持ちようで、顔は変わるわ」
「顔が変わるわけないよ」
「変わるわ」
紫の顔は自信満々だった。 なにか根拠でもあるみたい。
「ほら、よく『人が変わる』とか言うでしょ。 あれは言葉づかいや服装の事を言ってるわけじゃないわ、本当に顔が変わってるの」
「解る?」と問うので、「さぁ」と答えると紫はさらに喋りつづけた。
「怒ると眉がつり上がり、口元は震える。 泣けば涙を流し、笑えば笑窪が出来る。 それと同じように顔つきは変わるのよ。」
紫は自慢げに話し始めた。
「どんな顔立ちの悪い者でも、自信がつけば背筋をしっかり張って、顔も格好良く成る。 そうでしょう?」
「・・・私の顔がどう変わったっていうのさ」
どういう意味だ。 私の顔は不細工ってことか? そう言うと紫は「ほほほ」と腹を抱えて嗤い始めた。 こいつそろそろ追い出してやろうか。
紫は「顔だけじゃないわ」と言った。
適当に聞いてやろう。 そういう風に態度を決めて、包みから塩漬けを取って口に頬った。
「私達の様な心の生き物は、心の変化によって大きく力が変化する。 私も今でこそ偉ぶってはいるけど、初めはなんてことのない、そこらの雑魚と何ら変わりなかった」
「紫がそこらの雑魚ねぇ」
「想像できないな」と感想を付け加えると「そうかもね、私ももう思い出せないくらい昔よ」と返した。 紫にも私の様な頃があったのか、と妙に感心してしまう。
「貴女、とても良い顔つきになった。 嬉しいわ」
「私が?」
「実は、貴女に頼みたいことがあるの」
その後、いくらか話すところでは「里に行って、また妖怪を食べてきてほしい」と言うのが紫の頼みだった。
私は「皆を放っておけないから」と断ろうとしたが紫は口を挟んで止めた。
「私たちは自分の感情だけではなく、他人の感情でも変化する。 貴女が私と同じように人々の畏怖と尊敬を集めることが出来れば今以上の力を得られるわ」
「ふーん」
意味が分からない。 そもそも別に皆からちやほやされたいわけじゃない。
「きっと、皆を守ることに繋がる。 湖の事は心配しなくてもいい、私が見てるから」
「うーん・・・けどなぁ・・・」
「きっと、今の貴女なら・・・皆認めてくれるわ」
めんどくさいなぁ
というのが正直な感想だった。 確かに、私は妖精の中じゃ親分だけど、人間に交じって偉い顔をしろと言われてもどうしていいか解らない。
「あのお化けは、さらに凶暴になる・・・皆を守るためだと思えば」
「ね?」と紫は小首を傾げて微笑む。
強く粘り気のある喋り方。 私は意図が解らなかった。 語る紫の様子はヘラヘラと笑っているようでもあったが、瞳はギラギラと、少し恐ろしいと思うほど輝いているのだ。
多分、紫には私に分からない事情があるのだろう。 トモダチの紫がここまで言うなら了承してあげないとオヤブンである私の意地が廃るかもしれない。
「・・・・紫がそこまで言うなら、いいよ」
「ホントウ?」
紫が、ググッと身を寄せて、目を見開いて言った。 私はハッキリと聞こえるように大きな声で約束した。
「うん、約束」
「・・・ありがとう、チルノ」
ほっと息をついて、紫が答えると、もう次にはどこか瞼をトロンと閉じ、空気が抜けてしまった風だった。
「そんな改まって言われても困るんだけど」
「ふふふ・・・そうね。 チルノと私はトモダチだものねぇ」
「ふんッ! まぁアタイに任せときな」
それなりに大きな胸を張って踏ん反り返ってやった。 紫は面白そうにケラケラと笑った。
「貴女ばかりに私からお願いをするのも心苦しいわぁ」
「別にいいって、まぁなんたってアタイは・・・・」
ここで、どういうわけか、次の言葉が出てこなかった。 ぐっと舌の根で言葉が止まってしまう。
「・・・・」
「えぇっと、アタイは」
サイキョ―だから
もちろん、そう続けて虚勢を張るつもりだった。
「・・・・」
紫は、私の言葉を待つみたいに、にこにこしながら待っている。 なんでしゃべらないんだ?
「アタイは、その・・・えぇっとぉ」
あれ? 私はサイキョ―だ それは間違いないはずだ
虚勢ってなんだ? あれ?
そうだ、紫から何かおねだりするのも悪くない
おねだりって、友達にするもんだっけ? お礼のほうがいいんじゃないか?
いや、アタイは紫のお願い事を聞いてあげてるんだ、その位許されるはずだ
オトナとコドモって、友達なのかな? あれ?
アタイと紫は友達だ けど紫のほうが私より強い
そういえば、紫ってこんなに小さかったけ?
小さいわけじゃないけど、前よりも小さいぞ
ん?
「チルノ」
「えっ?」
気づいたら私は自分の手をじっと見ていた。 前の様なくりくりしてて短いのではなく、細くて、長い。
「貴女にお礼をするわ。 いつもお願いを聞いてくれる稀有な友人のために」
「べ、べつにいいよ、そんなの」
「望むままに、お願い事を叶えてもらうのはコドモのやることだと思うわぁ。 そうでなくても、私は貴女と対等で居たいわぁ」
「お礼って・・・」
「約束」
紫が私の指で光る金色の綺麗な糸を指さした。
「貴女が、なんでもいいわ。 その指切りの糸にお願いして」
「・・・・」
「どんなことでも。 どう?」
「面白そうでしょう」と言った。いつもと違う、変な笑い方だった。
「えっと・・・・、今してもいいの?」
「いいわよ」
「お好きなように、ただ、あんまりメチャクチャなのはだめ」と返される。色々と考えようとしたが、
「ええっと」
「まぁ、今じゃなくてもいいわ。 貸し一つってやつね。 今簡単に思いつくことなんてつまらないし、楽しみにしてるわ」
「むぅ」
いい考えは浮かばなかった。 私は頭が悪いのだ。
「チルノ、私たちは対等とは言っても、私は少しだけ貴女よりも長生きしてるし、力も結構強いわ」
「・・・それがなにさ」
そんなこと言われなくても解っている。 こいつはパッと見でもキレイだし、いかにも強そうだ。
「チルノ」
「なにさ」
ぶすっと、苛々したのでそっぽを向いて答えると。
紫は静かに言った。
「キレイな、オトナになったわね」
瞼を細めて、優しい顔をしてる。慌てて目をそらしたら、それを狙っていたみたいに私の視線をすり抜けて、肩に手をそっとかけてきた
「いつまでも、そんな子供みたいな服を着てたら、もったいない」
自分の胸から下を見下ろすと、いつもと感じが違った。 乳房で足元が見えない。
「皆の前に出るんだもの・・・・綺麗なべべも用意しないと。 こんな子供っぽい服なんて脱いでしまいなさいな」
「いいよ、そんなの」
「人は美しい者、強いものが好きよ。 ただそれだけで無邪気に喜ぶの」
「貴女のオトモダチも、きっと驚くわ。 そうでしょう?」と耳元で囁かれる。ちょっとドキリと胸が鳴った。
「そうかな」
「もちろん」
綺麗な服を着て、だいちゃんに見せたら・・・・だいちゃんは驚いてくれるだろうか?
私達から、少し離れた場所で眠っているだいちゃんが見えた。 本当にいつもの様に眠っている。その様子を見ていると、何故だか、
「じゃあ、お願いしていいかな」
「もちろんいいわ」
すこし、だいちゃんが遠くに行ってしまったような、そんな気がした。
「じゃあ・・・そうね、明後日。 またここにくるわ」
「明後日?」
「そっちの方が都合がいいのよ」
「いろいろとね」と紫が意味ありげに言った。
「ふぅん」
「約束よ、これは大切なこと」
なんだか話が一息ついたような感じになって、私はふっと息を吐く。
どうして紫はわたしにここまで言ってくれるのか? そう思って、聞こうとした瞬間だった。紫がちらりと奥に目を遣る。
それで優しげな声で、
「あら、おはよう」
と、部屋の奥に話しかけた。
「・・・・」
「あっ」
だいちゃんが少し離れた場所で、私たちを静かに見ていた。
「起こしてしまったかしら? 子供はよく寝、よく遊ぶべきよねぇ。 そう思わないチルノ?」
「・・・・」
家の外から、皆が遊ぶ声が聞こえてくる。
せんばやまにはたぬきがおってさ それをりょうしがてっぽでうってさ
にてさ やいてさ くってさ それをこのはでちょいとかぶせ
「だれ?」
「あぁ、こいつは・・・・」
だいちゃんの乾燥した声が、聞いてくるので私はそれに答えようとした。だけど、それを紫ののほほんとした答えが遮った。
「ごめんなさいね、起こしちゃって。 けど私とチルノはとても大切な話をしているの」
「紫?」
「皆もお外で遊んでいるみたい。 貴女も一緒に遊んでらっしゃいな」
「・・・ヤダ」
「チルノちゃん、その人、ダレ?」とだいちゃんはもう一度聞いてくる。 何故だか私はすごく苦しくなって、うまく答えられなかった。
「・・・・」
「チルノ、貴女にとって可愛い家族なのでしょう。 けどこういう時は厳しくしないと駄目よ?」
「チルノちゃんは、あさっては・・・私と鞠付で遊ぶんだもん」
そうだ。 だいちゃんと鞠付の約束をした。 だいちゃんの胸元には真っ白な鞠が大事そうに抱かれていた。
「あらあら、こまったわねぇ」
「貴女、だれ?」
「チルノの友人よ。 たぶん、これから長い付き合いになるわ」
「チルノちゃんは、妖精だよ」
「アナタとは違う」とだいちゃんは言った。 紫をきっと睨みつけて、私はちょっと驚いた。 だいちゃんも怒るとこんな顔をするのだろうか。
「そうね」
「そうよ」
紫は眉を顰めた。 だいちゃんは勝ち誇るように、にっと笑うが紫はゆっくりと「でもね」と続けた。
「これからは違う。 そうでしょう?」
紫はすっと手のひらをだいちゃんにかざした。
指の隙間からだいちゃんを除いているように見えた。何をしているんだろう? 気になったので、
「・・・・なにしてんの?」
と率直に聞いてみる。
「・・・・いえ、なにも」
「ふぅん」
ぼそぼそと紫が聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声色でしゃべる。 まるで悪戯を見つけられてしまったような感じで、それからそろそろとこっそり隠す様に腕を下した。こいつの事だから何か不思議な呪文か何かを唱えていたのかもしれない。
だいちゃんがじっと私たちの方をみて、いままで元気よく喋っていたのが嘘の様に、黙りこくってしまった。 どうやら、だいちゃんは紫の事がキライだったらしい、少なくとも相性はよくないみたいだ。
「まだ火急、というわけでもないか」
軽く溜息をつき、「焦りすぎたわ」と紫が申し訳なさそうにして立ち上がる。そっと忍び寄るように、ゆっくりとだいちゃんに歩み寄る。
「びっくりさせて、ごめんなさいね」
紫はだいちゃんの頬を軽く撫でている。耳元に唇を寄せて、優しそうな顔でなにか囁いていた。 それは私にはよく聞こえなかったが。 とにかく優しそうな顔で話しかけていた。
運がいいわ
貴女はチルノのお気に入りだから
ゆるしてあげる
「あと少しだけ、遊んでもらいなさい。 直に、会えなくなる」
今度はハッキリと聞こえた。 だいちゃんは根が張ったみたいにじっとしていた。
「チルノ」
「なに」
「また来るわ」
そう言って紫は意味不明な亀裂の中に消えていった。 背中越しに手をひらひらと振って別れを伝えながら、亀裂を閉じた。
「・・・・」
「だいちゃん、まだ寝てても大丈夫だったのに」
その場で身じろぎもしない、ぼうっと立ちっぱなしのだいちゃんに目を向ける。すると、だいちゃんは辛うじて、虫の息の様に細く呼吸している。
「・・・うぁ・・・」
「だいちゃん?」
だいちゃんの様子がおかしい。 思わず抱き寄せると、だいちゃんの顔色も、唇の色も青白かった。
「どうしたの!」
「・・・・」
手を握ると、細かく震えていた。 目を合わせると、頼りなさげでに瞳は揺れている。 血の気のないだいちゃんを見ると、とても不安になり、私もだいちゃんと同じように細かく小さく息をした。
「平気だよ」と抱きしめる。
「・・・・」
「何か紫にされたの?」
「・・・・」
だいちゃんはとてもゆっくりだが、腕の中で頷いた。 それと同時に悲しくなった。「何をされたの?」と聞くことは、私にはできなかった。
「チルノちゃん」
「なに、だいちゃん?」
「あの人なんか、ヤダよ」
どう答えようか、迷った。 しばらく考えたが「そんなことないよ」と答えるのが精いっぱいだった。 なるべくだいちゃんを不安にさせないように笑顔で言ったつもりだった。
だが、私が笑うのを見ると、だいちゃんは顔をクシャリと歪め今にも泣きそうになった。 自分ではうまく笑えたと思ったが、うまく笑えなかったんだ。
「ねぇ、遊びにいこう」
「ん、えっと・・・」
気が付くと、日は低く、木々の影は長くて。 今出かけると多分外で夜になってしまう。
『チルノ、貴女の責任ですよ』
『約束よ』
「・・・・」
「チルノちゃん」
いま外に連れ出して、絶対にだいちゃんを化け物から守れるという自信は、私にはなかった。
明日は、里にいかなければならない。 約束があるからだ。 かといってその次はまた紫との約束がある。
「明日は?」
「・・・・」
私の「今日は難しい」という無言を感じたのか、だいちゃんはまた聞いてきた。だが、私はそれに嘘を付くことは出来なかった。
「でも」
「アタイは・・・」
忙しいから
そういう言葉を飲み込んだ。 分からないけど、これを口にしてしまうと何か絶対に取り返しのつかない場所に行くことになるだろう。
そういう確信が私の中にあった。
「チルノちゃんは、私よりもあの人の方がスキなんだ」
「・・・・」
同時にだいちゃんが、ぽそりと言った。 その時、私は腹の中からもやもやとしたものが沸き上がる。
「違うよ」
はっきりと口にしたつもりだった。 ここまで言えば、間違いなくだいちゃんは私に話を合わせてくれたのに。
「だって、皆と最近遊ばないよ」
「それは」
忙しいから。
「みんなと遊ぶのが、つまんなくなったの?」
なんで、そんな風に言うんだ。 私は唯、少しでも力を付けたいだけなのに。
「違うよ」
私はほとんど、叫ぶように言った。 だけど今日のだいちゃんは聞き訳が無いように思えた。
「せっかく鞠も買ってきたのに! 一緒にあそばないよ!」
だいちゃんも、ほとんど泣き叫ぶように言った。
突然の大ちゃんの悲鳴のような声に、私は心底吃驚した。 いつもにこにこしてるだいちゃんが、どうして? とも思った。
「外はあぶないから」
私は本当の事を言ったつもりだが、どうも声色のつけ方を失敗したと思った。私の喋り方はいかにも私が悪いと思っている喋り方だったのだ。
たぶんだいちゃんもそう思ったのだろう、 だいちゃんの悲鳴はますます大きくなる。
「皆だって言ってる、チルノちゃんが偉そうになってるって! 私たちの事馬鹿にしてるって!」
そんな馬鹿な
アタマの奥が、びりびりと痺れて、何も考えられなくなる。
ここでも私が黙ってしまったのが悪かった。 だいちゃんは自分で言ったことを決めつけて、ますます声を大きくして、私への不満を続けた。
「違う・・・」
「ホントは私と一緒に遊ぶはずだったのに! なんであの人と一緒に遊ぶの?!」
誰のために、こんなに頑張ってると思ってんの? 私だって皆と一緒に遊びたい、けどそうしたら皆危ない。 なんでそんなことも分からないの?
「美鈴みたいな人とばっかり遊んでる!」
「遊んでるんじゃない!」
「じゃあなんなの! チルノちゃん、最近変だよ!」
今まで私が持っていたものの代わりに、別の何かが出来上がっていくような。そんな感じがした。
「アタイの気持ちも知らないで、口出さないでよ!」
そうだ、何を遠慮することがあるのだろう。
ようやく、何かを口にできるようになった。 ただ、今私は何をしゃべろうとしてるのか、よくわからない。 頭の中はぐにゃぐにゃとしていた。
だけど。前はどうだったか知らないが、今の私は随分と知恵を付けている。 今ならだいちゃんと知恵比べをしても負けない。 力比べなら、簡単に。
「うるさい! どっかいけ!」
私は冷気を飛ばした。 空気が凝固、集結して周りでは爆竹を鳴らしたように破裂音をぶちまけたみたいになる。
ネグラに置いてあった、色々なものがはじけ飛ぶ。 金平糖を入れた綺麗な瓶であったり、 駄菓子屋で買った玩具であったり、 本当に色々なものが飛び散った。
「子供のくせに!」
その時、自分でも驚くほどの爆発音がした。 それで、「はっ」と自分で口にしたことを反芻できるほどに冷静になる。
そして、ぞっとするほど頭の中が冷きった。
「あっ」
きっと、だいちゃんは泣いていると思った。 いつも喧嘩した後は泣いていたから。 だけど目の前の小さな子供は、いつもの様に泣いてはいなかった。
「・・・・」
目を見開いて、こっちを観察するようにじっと見つめていた。
「だいちゃん」
そう声に出して、仲直りをしようと一歩進むと。
「・・・・・」
目の前の子どもは、私に合わせて、一つ後ずさる。 表情は硬く、まるで氷の様だった。
ついさっき思い切って「ごめんなさい」 そう口に出来たなら、きっとだいちゃんとこれほど溝を深める事にはならなかったのかもしれない。
私よりも小さな背丈の女の子は、逃げるようにして、私の前から走り去っていった。
もしかしたら、本当に逃げたのかもしれない。その後、しばらく私は呆然としていた。
「・・・・おーい、チルノ。 どうした?」
「だいちゃん、どこにいったの?」
大きな音を聞きつけてきたと、皆は言った。 この時の事はあまり覚えていない。 ただ、誰かが言った一言で目が覚めるようにして意識がはっきりしたのを覚えている。
「おい、暗くなるとヤバいんじゃない?」
「だいちゃん、こんな時間で出かけた?」
「喰われちまうんじゃねぇか?」
はっきりしたことは解らない。 だが、だいちゃんが危険にさらされる原因を作ったのは明らかに私だった。
「私のせいだ」
「え?」
「なに?」
私は急いで、紅い太陽の下に飛び出した。
永久の余命宣告「三告」
「よくなりますよ、あと少しの辛抱です」
床に臥せる男は「ありがとう」と力なく笑った。私の言葉が気休めだと分かっているのだろう。男はもともと体が弱かった。崩れ、壊れてしまった体を元通りにするのはいくら私でも無理だ。
「楽になった」と男が感謝をくれると、私も少し楽になれる。
割と大きな商いをしている場所らしい。ふかふかの布団に良い香りのする畳、高い天井、細かく綺麗な障子の細工。金持ちとはこんなところで暮らすのかと感心する。
そんな金持ちでも自分の体がどうにもならないというのはなんだか変なことだと思う。「ほんの気持ちです」と男が使用人に銭を持ってこさせた。
「それはもらうことができないの」
男は「気持ちと思って、受け取ってください」とせがむ様に私の手に大金を握らせようとする。
きっと彼は気分を害するだろうけど、仕方がない。私は彼を諭すことにした。
「もしも私が人間、医者であるなら受け取ることが出来ます。けれど、私は人でない」
どんなに素敵な無償の行為であっても、そこには必ず見返りを求められる。矛盾するかもしれないが、どんな力ない子供であっても無性に養ってくれる大人たちに無垢の信頼という報酬をもって報いることが出来る。あるいは「ありがとう」と言う言葉、笑顔という当たり前の事でも、それは大切な見返りだ。
かつては私もそれだけを頼りに暮らしていたはずなのに。それだけあれば十分だったはずなのに。
「私にとって力になるのは、なによりも貴方の感謝の言葉。貴方の感謝、確かに受け取りました」
それだけ言い切って、さっと屋敷を出て行った。
ガラじゃない、でもこうしないと力を得る事が出来ないんだ。皆を守るために頑張らないと。
里の家々を見て回る暮らしが続くと、いつしか私には信仰と言うものが集まり始めた。紫に聞けば「これで貴女も神様ね」と嬉しそうにしていたときにはぶん殴ってやろうかと思った。冗談じゃない。
何時だっただろうか? 老人が私を見てから手を合わせるのを初めて見た時には流石に肝を潰した。
信仰が集まれば集まるほど、私は力を付けていった。
時には汚れた井戸を、ある時は汚染された土地を、さらには臥せった人間の汚れをくみ取って回る。
再び川に流すことが出来ない汚れを、幻想郷に無害に還元するのが私の役目。
こうしていけば幻想郷はますます強くなる。そしていつか私も弱くなって、元の生活に戻れるはずだ。
「あら・・・」
「こんにちは」
屋敷を家人に見送られて出ると、通りで友人に会った。荷車を押す彼女に「今日は何を?」と尋ねると彼女は「肥料を買いに来たのよ」と笑って返してくれた。
「臭いったらありゃしないわ」
「その割には楽しそうね」
「そりゃ私は花の妖怪だもの、花の世話をしないと始まらないわ」
「そういう貴女は何を?」と聞かれたので病人を見て回っていた事を伝えた。私たちが通りで二言三言と言葉を交わしていると、私達の事が物珍しいのだろう、私達を囲むように視線が集まる。
「幽香、ここはちょっと場所が悪いわ」
「そう? 私は別に気にならないけど」
ふと周りを見渡すと、なんと私たちに向かって手を合わせている連中がいた。こんな往来で居心地が悪いにもほどがある。
「紫が吹き込んだのよ、私は神様なんだってっ。馬鹿じゃないの?」
「きっと貴女達を思っての事よ。・・・・それに私も貴方の事カミサマって思ってるもの」
「幽香まで!」
「貴女自身の真意はどうあれ、貴女は無償で穢れを祓ってくれるカミサマ。だったら素直に、貴女の御利益にあやかりたいのは当たり前じゃない?」
この手の話題は繰り返すだけ無駄だ。さっさと切り上げるに限る。「手伝うわ」と幽香の手荷物をぶんどって、ここから逃げてしまおう。
幽香の手を引いて先を歩く。
幽香はおかしそうにくすくすと笑っていた。何がおかしい。
「妙なところで子供なんだから」
「私は子供よ、オトナになった覚えなんかないわ」
「・・・・はぁ・・・・」
別に行く当てがあった訳じゃない。
街の広場に出た。子供たちが遊び、女たちが姦しくやり取りをしている。そこでは以前の様に活気を取り戻した里の様子が分かる、そんな光景がある。あてもなく歩き回る私に、幽香は特に気を悪くした風もなく、しきりに話題を振る。それに適当に相槌を打ち会話を長引かせていた。
ふと、聞きなれた。 懐かしい声が聞こえた。
「あまいアケビ、あるよぅ!」
「妖精が商売してるよ」
「アケビねぇ、ほんとに食えるんだろうな?」
その中心に少しだけ人目を引く小さな人影があった。妖精だ。
懸命に声を張り、人の目を集めようと頑張っている。親子連れが面白そうにその様子を見ている。たまにからかうように露店の商品を買っていく姿もちらほらあった。
「あれは・・・・」
思わず足を向ける。それを幽香が「やめなさいよ」と袖を引いたが、かまうものか。一言だけ話したいのだ。それだけのこと、何が悪い。
「いらっしゃ・・・・」
「こんにちは」
「・・・・」
人間達は私を見て「おぉ」とか「神様」などと言った。だが妖精は、そんな反応とは逆にむっと俯いて元気な声をしまいこんでしまった。
「美味しそうね」
「・・・・・」
「こうすると、もっと美味しくなるのよ」
昔取った杵柄。私は手のひらに力をあつめて氷と水を作った。氷の桶を彼女の隣に置く。
そういえば昔、こうして彼女と一緒に氷を売ったことがあったっけ。
「ねぇ、やめときなさいな」
「・・・・・」
幽香が割って入るとこれまた違った意味で辺りがざわめく。幽香は適当に作り笑いをしてから私を引っ張ろうとした。
「なによ、幽香」
「商売の邪魔して悪かったわね」
「・・・・・」
俯いたままで、表情を見ることが出来なかった。どんな変化が彼女にあったのか私にはよくわからなかったが。私たちの姿をみて集まった人々の変化はよくわかった。
「ひとつくれ」
「じゃあ私も」
「・・・あっちゃぁ・・・」
人々の声がひとつ、また一つと増えていく。それを感じて幽香が額に手を当てて空を仰いだ。なに? その「あぁ、やってしまった」みたいな顔。
そうこうする間にも人垣はどんどん増えて彼女の露店は一転して人気店へと姿を変えた。私は満足していた、嬉しかった。昔の様にまた一緒に協力できたのだ。
「いらない」
「えっ?」
「全部あげるっ!」
彼女は我先にと商品を手に取ろうとする人々から逃れるように空に舞い上がった。
どこか、悔しそうな声だった。
「さようならっ」
そう告げて、彼女は湖の方角に飛び立っていた。私たちの露店を残して。
「はーぁ・・・・まったく」
逃げた店主を知らんぷりにして、人々は商品を手にして私に伺いを立て始めた。「いくらですか?」「これは売ってくれる?」とそれぞれに口にして。
何が起こったのかわっぱり解らない。
「あー、はいはいはい! 皆持って行ってかまわなくてよ。ねぇそうでしょ?」
「え・・・・はい、そう・・・・です」
幽香が私の肩を突き飛ばして人々の前に突き出して、私の言葉を誘った。思わず私も幽香の提案に沿って言葉をつなぐと。人々は嬉しそうに商品を手に取っていくと商品はあっという間になくなった。
「やれやれ、これでわかったでしょ?」
「・・・・?」
「大人が子供に出来るのは施しだけ、協力は出来ない。貴方は彼女と一緒に協力したつもりでしょうけど、単に子供に施しをしただけ。あの子はきっとそういうのがキライなの」
「私は・・・・」
「貴女は皆が認める、立派な責任あるオトナよ。もうあきらめなさい」
頭を殴られたみたいだった。何か反論しようとしたけで唇が動くだけで声が出なかった。私達は友達のはずだ。
「ほら、手伝って頂戴な」
「・・・・」
「家に着いたら、お菓子でも食べない? いい茶葉をもらったの」
荷車を引いていた幽香から荷物を受け取る。考えがまとまらなくてそのまま静かに幽香の家まで歩くしかできなかった。もしかしたら花畑に着くまでに二回三回と会話をしたかもしれない。
彼女の飛び立っていった方を途中で振り返った。気付けばもう空は赤く染まり私の影が長く伸びている。
彼女は今何をして遊んでいるんだろう? きっと私以外の友達と遊んでいるに違いない。
みんなで、楽しい鞠付をしているのかもしれない。
それとも楽しいかくれんぼだろうか?
私たちのかくれんぼはまだおわらない。
永久の余命宣告 「四告」
ガリガリと電気的な、ノイズを思わせる音がテレビから聞こえてくる。
『自然保護を求める、近隣住民たちの抗議が連日続いています。これに関し・・・』
「メリー、小説の続きはどうなったの?」
「うぅん、ちょっとスランプかしら」
『地下水源を買い占める海外産業の動きに対して、地元の水産業は注意を・・・」
大学の、カフェにあるのんびりとした空気。もうすぐ夏休みだ。私たちは休みの間にかけてどこに出かけようかと相談の真っ最中である。
『これに関してどう思われますか』
『携わる人には当たり前の事なんです。意外にも伝わっていないんでしょう。今こうして問題になったから皆声を大きくできるわけですが』
無意味に垂れ流されるテレビの音声は、静かなカフェにちょっとした彩り・・・というにはちょっぴり張りつめた空気を提供していた。
「まぁ、どこかに発表や投稿をするわけでもないけれど」
「そうよね」
ずるずると音をたててコーヒーを啜ると、メリーが嫌な顔をした。生真面目なヤツ。
「『忘れ去られた里に現れた妖怪の里、そこに現れた謎の妖怪』・・・みたいな感じ?」
「ちょうどニュースで話題じゃない。私たちが手を入れなかったらあそこ潰れてたわよ」
「良い展開というか、ワンクッション欲しいわねぇ」とノートパソコンの前で楽しそうにタイピングをしている。そう、私たち秘封倶楽部は今までの冒険をまとめる、と言っては妙だけど、それを小説としてまとめている。いま纏めているのは少し前に入った境界での出来事だ。
『都合のいい事ってないものですね』
『一昔前も、フロンガスの話題がありましたね。あれにちょっと似てる気もします』
『海外産業が、日本の豊かな水資源に目をつけて、木材あるいは景観保護のためなんて銘打って土地を買いあさる。それに追従する一部の情報は報道されない。進出し始めた新しい発電方式の新出・・・・うまくいきすぎと言う気もしますが』
『こうして、問題が出始めてようやく話題にされるわけですから』
テレビではコメンテータ、評論家の肩書をもつ連中が終わったことを色々と話し合っている。
「そうだ」と私は手を打った。
「妖怪の世界に現れた現代社会の歪み! 人々の嘘に塗れた幻想の技術、行き場を亡くした怨念が忘れ去られた里を襲う。 果たして少女たちはこの危機を乗り越えることが出来るのか!? ってのはどう?」
「ふむ、忘れ去られた里には外の世界の幻想が流れ込んでくる。それを逆手に取った展開ってわけね」
「そうそう、里にいるカミサマは外の世界を追われた神なんでしょ? てことは現代の技術には太刀打ちできなかったのよ」
メリーは「ふむふむ」と何度か頷いてからキーボードをたたく。「それから?」と私のアイディアを促す。
『将来性ある技術だと宣伝するわけですね。あんな事故があった後ですから余計に期待も一般の間では高まるでしょうし』
『そうです、まぁ何度も言いますが技術者の間ではハッキリ言って夢物語もいいところです。幻想ですね、夢の様な話ですよ。そのまま夢の世界に流れて言ってもおかしくない、ステキな技術。長い目で見れば危険も皆無、無限のエネルギーも夢じゃない!・・・・嘘なんですが』
『今頃になって幻想のメッキが剥がれてきた』
『はい』
「芥川の河童・・・でいいかしらね。 妖怪の一部にも現代の技術に通じてる連中がいて、彼女たちは事態を正確に把握して、解決に乗り出そうとするんだど。まぁ議論の矛先を向けられて満足に行動できない・・・と」
「それで河童たちはダムを建設して流れをせき止める事で対応しようとするの。けど地下水のこともあるから全ての流れを止められるわけじゃない、その分は薬品を使って中和しようと考えたわけ」
「見たままね」
「いいじゃないの、レポートみたいなものだもの」
「何人かは協力者がいていいでしょう」
何度も言うが、これは私達が見てきた境界の先にある世界の話を小説風味にまとめているものだ。コーヒーばかりでも物足りないので、ケーキを一つ注文する。メーリーも「ショコラ」と短く要望を言った。
「妖怪の名前は『泥田坊』」
「とても有名な妖怪ね、ゲゲゲの鬼太郎では何度か出てきてるから。あのころは自然保護を訴える作風が多かったし、あながち的外れでもなさそう」
『当時ではメンテナンスの事にはあまり触れていませんでしたね』
『はい、宣伝では十年、二十年と持つ。と言う具合でしたが、まぁせいぜい五年も持てば大したものでしょう。一般の方はメンテナンスの事なんて考えてない方も多かったんじゃないかと思います。半永久的に使えると思わされている。何よりあれはえらく石油を喰いますから。処理施設を作るのも改変に金がかかる』
『なるほど』
コメンテイタ―だろうか、まぁ私たちにとってはどうでもいいことだが。彼等もまた妄想を掻きたてる一因を買ったのだということをしっかり自覚してほしいと思った。
「そう、泥田坊の怨念の正体は妖怪の里から出てきた怨念ではなく。外の、現代社会からにじみ出てきた農業に関わる人間たちの怨念。社会から封殺されてしまった人間達の怨念が、新しい技術にまとわりつく妄想と一緒に流れ込んできた」
「妖怪の里では、『外の世界で幻想になったもの』が流れ込んでくるからね。多分妖怪達は発電にその現代の新技術に蔓延った妄想を使っていた。『これさえあれば太陽のエネルギーは無限』みたいな妄想」
幻想で、夢の様な技術だから、人々が期待してやまない実現不可能の技術だからこそ妖怪の世界で実現可能になった。
だか、現代社会でそのメッキが剥がれ始め、その現実が逆流することになったのだ。それが私たちが見てきた境界の先にある世界の顛末だ。
『隣国では大量生産の末に河川が汚染されています、川が虹色になったとか、想像しただけでぞっとします』
『自国での開発をあきらめた彼らが日本の豊かな水資源に目を付けたわけです。排水処理なんて考えていません』
『窒素系の化合物、リン酸など栄養過多の水が大量に流れ込んでくるわけですからボウフラの騒ぎじゃありません。それはもう大変な悪臭がします』
『そういった騒ぎで、・・・・ええっと、生態系といいますか、自然環境はどのくらいの被害をうけるでしょう?』
「私たちがこの物語で解決する方法を考えないと、あの世界は滅んじゃうわね」
「あぁ、それに関しては既に解決策があるの」
わたしは胸を張って答えた。想像が境界を救うならば、私たちの小説の顛末があの世界の未来を創ることが出来るだろう。
『植物などが直接的な被害を受けることは遅延するでしょうが、微生物の被害は直接来る。赤潮とおなじです。一部の微生物が他の微生物を喰い荒してしまいます。生態系の破壊、一番根っこの部分ですね。 小さな生き物が死んでしまうと他の生き物は生きていられませんから』
『え、どういうことです? 赤潮?』
『ほら、琵琶湖で一時問題になった。 栄養過多な水が微生物を異常発生させる。それで汚臭問題があった』
『ああ、あれですか』
『はい、石灰とかいろんな中和剤で今ではキレイになりましたがね。携わった人々の努力のおかげです。しかし薬品を使うわけですからそれでも環境には悪いですが』
「妖精という生き物がいたじゃない、彼等は死んでも蘇る。それで彼らが宿った植物は途端に急成長する。彼らが頑張って泥田坊と戦うのよ」
「ふぅん」
「まさに自然の権化じゃない、きっとあの境界の世界では彼らが世界の循環の役割をしているの」
これは私の勝手な持論だが、海のない世界ではどうしたって循環が滞るし。閉鎖された場所では汚いものが溜まっていくのが普通だ。生き物は狭い空間では生きていけない。あの狭い世界の中でその役割をしているのがあの小さな、愛らしい下等の生き物ではなかったのだろうかと考えている。
「体に流れる血液の様に栄養を循環させ、あるいはウィルスに抵抗する免疫。妖精達もその世界の思惑にそって、ちょっとずつ外敵に対応するために姿を変えていくってわけよ、敵に最も適した形になるように成長していった」
「ふぅん・・・なるほど」
「彼らが勝つような話を考えましょう」とメリーはにこりと笑ってタイピングを再開した。頼んだ甘味がテーブルに置かれるのも無視して話を進める。
しばらくメリーが「どう?」と画面を私に向けて感想を求めてくる。まぁ拙いが、私も人の事を言える様な文才があるわけでもないし。好きにさせておこう。「いいんじゃない?」と適当に返事をして、ケーキを崩して遊ぶ。
が、ここで一つ気が付いた。すぐにメリーの方に向き直って言葉を足す。
「けど、お話としてはちょっとクッションが足りないわね」
「どういうこと?」
「ドラマ性がないっていうか。もうちょっと感動的な感じが欲しいわ」
物語にはちゃんとストーリーが必要だ。それをきちんとしておかないとこの話は幻想にならないだろう。その旨をメリーに伝えると、またメリーは手を止めた。
「困ったわね」
うんうんと唸るメリーは困った顔で何度かタイプして、又それを消しての繰り返し。どうやら彼女には物語を考える能力はあまりないらしい。
「そんなもの、パク・・・・モチーフがあればいいのよ」
「オマージュ、パロディともいうわね」
「ほら、昨日の日曜劇場でやってたドイツの収容所の話。見てた?」
「見てたも何も、一緒に見てたわよ」
「あれの最後は泣かせるわね、父親が・・・えぇっと」
言いよどんでいた私にメリーが追従してくれた。「貴女ちゃんと見てたの? 昨日の事よ?」と呆れながらではあったが。余計なお世話である。
「最後の最後で、父親が子供が兵士に見つかりそうになったわね、それで自分が代わりに兵士に見つかりに行くのよね。『最後までかくれんぼできたら、ご褒美がもらえるよ』って子供に嘘を付いて」
「そうそれ!」
「銃声が空しかったわね」
「愛情って滑稽だけど、ゾクゾクするわね。それでいて熱くて、クレイジィで」
「その感想はどうかと思う」
「家族愛、これは欠かせないわね」
メリーはエンディングでえんえん泣いていたからよく覚えているのだろう。そのことを指摘してからかってやると顔を真っ赤にしていた。
「あの子供はきっと父親が自分を守ってくれたなんて分からなかったんでしょうね」
「泣けるわぁ」
「その二ヤついた顔を止めなさい」
「まぁ、そんな感じでちょっと後味に風味を残すっていうか。そういう演出って大事だと思うのよ」
「わたし、そういうのキライ。バットエンドって結局何したかったのかよくわからなくなるわ、もっとわかりやすい大団円じゃないとすっきりしないもの」
メリーはそう言ってノートパソコンの向こう側に顔を隠してしまった。映画館とかでは上映前のプロモーションビデオで涙ぐんでいるくらいだから、そういう人種なのだろう。
「私はハッピィエンドが好きなのよ」
「御都合設定って、私キライなのよ」
「見解の相違ね」
「まぁ、人の好みってことで」
私たちが演出のなんたるかを議論している間も、テレビから無意味な討論が垂れ流しされていた。
『開発には大量の半導体を作らないといけませんから、環境にも大変よろしくありません
『幸いにして、というのもおかしいですが。河川は人口が過疎の地域に広がっていたから、被害も少なくて・・・・あ、いやすいません。環境保護の観点から失言でした』
『早く工場経営も処理施設を作るか撤退してもらいたいですね、せめてダムかなにかでせき止めるくらいはしてほしい』
『なんにせよ、発電量との兼ね合いも考えて。実用的な発電方式の研究を続けません』
『いかんせん場所が限られますし』
『無限のエネルギーなんてない、と言うことを常に頭に置いて夢見がちな「幻想」に耽ることは止めておきましょう』
『方面の人から怒られますよ』
『はは』
『太陽光発電、メガソーラの真実。 今日はありがとうございます』
『はい、こちらこそありがとうございました』
******
目が覚めると、自室の天井が見えた。藍が私を覗き込んでいる。
「紫さま、起きてください」
「・・・・」
「今日は人と会う約束があるんでしょう? わざわざ私に起こしておいてなんて言っていたんですから、遅刻はいけませんよ?」
「ええ、そうね・・・・」
「今日はどちらに?」と朝餉を並べながら聞いてくる。さて、どうしようか。
「湖の方まで行ってくるわ」
「またですか、熱心ですね」
「そう?」
「湖が綺麗なままなのは紫さまが手を加えているからですか?」
「吸血鬼を贔屓にしているので?」と蘭が聞いてきた。彼女らしくもない的外れな質問だと思う。笑いをこらえていると藍は憮然とした顔で「ご飯が冷めます」とそっぽを向いていしまった。
「守矢神社はどんなにしてる?」
「これと言った動きはないです」
「ふぅん」
我関せずか。まぁ、それもまたいいだろう。守矢神社の筋書きも大体の所想像がつく。
「今回の異変。彼らの持ち込んだ、太陽を使った発電技術が原因なのでしょう? なぜ彼等は事態の説明をしないんでしょう」
「簡単よ、『実は技術革命は危険な物でした』なんて風評が里で広まると困るから。信仰が無くなるわ」
「それでも、このままでは幻想郷全体がどうなるか」
「それは私じゃなくて守矢の連中に言って頂戴。それに彼等はちゃんと解決策も用意してあるわ」
「この話はおしまい」と話を切り上げた。藍はいくらか言い足りなかったのだろう、何か言おうとしてそのまま自分の朝餉を黙然と喰いだした。
守矢は河童連中が事件を解決してくれると信じきっているのだ。ある種の信頼と言えるが、その後に誰か職工の一人に責任を着せ、自分達の保身をしてから事件を終結させる算段。まぁ、非情である。
「湖に何かあるのですか?」
「ん?」
「最近はいつもお出かけになっているじゃないですか。あそこに何が?」
「あぁ、単に友達の顔を見に行っているだけよ」
「・・・・友達、ですか」
「そう、古い友の顔を見に行っているだけよ」
藍が「ふむん」と首を捻った。どうやら私が全てを語らないことに多少の不満があるのだろうが、蘭の力は、今回はいらない。
「幻想郷が出来てから、ずっといる友達」
河童たちの手段は正しい。幻想郷の河川に合致した外の汚染河川を特定してそこにダムを建設。流れをせき止めてしまえばこの騒動も一応の結末を見るだろう。だが、それだけでは完璧とは言えない。
「河童たちがあちこちで妙な薬を散布しているそうですが、あれは放っておいても?」
「さぁ?」
「紫さま、真面目に話してください」
「今日の漬物は塩が利き過ぎよ、気を付けてね」
「・・・・」
当然いくら精度の良いダムを作っていても、完璧に水を遮断できるわけではない。じわじわと地下水から幻想郷に流れていく汚水。泥田坊は幻想郷の力、幻想郷の最も原始的で小さな力である『妖精』を喰って増大を始めてしまうだろう。
河童たちは汚水に対して薬品による中和を行い対応するつもりらしい。
さし当たってはこれで十分。
だが長い目で見れば、確実に『妖精』は泥田坊に食われる。妖精と泥田坊が入れ替わる、と表現した方が楽かもしれない。
妖精を喰った泥田坊を除去することで、じわじわと幻想の力はこそぎ落とされていく。
結果として幻想郷に『寿命』というものが現れる。それは体に出来た悪腫瘍を切り取ることに似ている。
切り取った肉は命を削るだろう。
泥田坊に奪われてしまった力をもう一度幻想郷に還元できる、そんな解決策を用意しなければならない。
霊夢達の行動は的外れもいいところ、しかも腫瘍の切断を爆発的に進めている。
私の友人である『彼女』の成長を止めているに等しい。ちょっと釘を刺す必要がありそうだ。
「霊夢はどうしてるかしら?」
「大暴れしていましたが、今は何か考え込んでいるみたいです」
「ふぅん」
「まったく、忙しいですね」と藍が苦笑いしていた。霊夢もなんとなく事件の雰囲気を感じ始めたのだろう。霊夢は一度思い知るべきだ。
この世界で一番強いのは誰なのかを。
「さて、行ってくるわ」
「おにぎりを包んで」と指図すると手際よく包みを持ってきた。梅、漬物、きっと彼女も喜ぶだろう。
「紫さま、私も付いていきます」
「駄目」
「そんな・・・・」
「貴女は橙と遊んでなさい」
境界を切り裂いて、その中に踏み入れればそこは友人の家だ。
********
「チルノちゃん、何処?」
湖の周りを探して、もうどのくらい経っただろうか? 今朝飛び出したチルノちゃんの姿を誰も見かけていない。
「・・・・」
まさか、あのヘドロの妖怪に襲われたんじゃないかと思い、ぞっとした。チルノちゃんは最近一人で出かける機会が多くなった。何をしているのか気になるのにチルノちゃんは教えてくれないのだ。
チルノちゃんは、なんだか、
最近変わった様な気がする。
「チルノちゃん」
もうすぐ、紅魔館。大きなお屋敷の時計針が見えてくると、紅い塀の近くに門番のおねぇさんを見つけた。
楽しそうにおしゃべりをしていた。夏の日差しがチルノちゃんの額にちょっぴり汗を浮かばせている。
日陰でおしゃべりするチルノちゃんはとても、
とても楽しそうだった。
「・・・・」
「それでさぁ! あたいったらオトナ!」
「でしょうね」
「ふふん!」
「・・・・」
会話の中には、ちょっと難しい言葉も出てきた。たまに何を話しているのか分からなくなる時がある。
「いいですか~、チルノ? 双天手はですねー、こうやって体のロスを少なくすることが大切なんですよー、こう! 完全な身体の一致、それが功夫です!」
「ふーん」
何を話しているんだろう?
「あら、こんにちは」
「・・・・」
門番のおねぇさんは私に気が付いて、明るく手を振った。
「・・・・」
チルノちゃんと目があって、私にニコッと笑いかけてきた。
「だいちゃん」
やっぱり、何か変だ。
「チルノちゃん、何処行ってたの?」
「ん~・・・秘密!」
「ん・・・」
おねぇさんには話してたのに。
「チルノちゃん、おねぇさんと何話してたの?」
「え? えーと、何って言われると、ケンポ―の事とかかな」
「ふぅん」
ぐっと顔を寄せて笑ってくれるチルノちゃんは、上からそっと私の頭を包み込むようにして撫でた。
あれ・・・? おかしいな、なにか、おかしいな。
「チルノの・・・・えーとぉ・・・友達?」
「うん、 そうそう!」
「・・・へーぇ、こんにちはだいちゃん」
門番のおねぇさんは、覗き込むように目線を合わせて、チルノちゃんと同じように撫でてくれた。
どこか私を品定めするように。
いやだな。
なんだか私だけ仲間はずれみたい。
「だいちゃん、見てて! 今日こそめーりんに勝って見せるから!」
「えっ・・・うん!」
門番のおねぇさんはそれなりにきりっとした顔つきをして、チルノちゃんと喧嘩を始めた。二人の「エイッ」「ヤッ」とキリリとした掛け声が太鼓の音の様に、お腹にずしりと響く。
ちょっと怖かった。
暫くすると、チルノちゃんが転ばされて、悔しそうな顔をする。
門番のおねぇさんは偉そうな顔をして胸を張った。
「うぅ、チクショー・・・」
「チルノちゃん!」
私がチルノちゃんに駆け寄ると、また私の頭を撫でた。私よりも大きな手のひらで。
チルノちゃんは「ごめんね」とちょっとだけ悔しそうに謝った。
別に謝ることなんてない。いつも通りのチルノちゃんだ。
「負けちゃった」
「別にいいよ、皆には黙っててあげるから」
「こんなんじゃだいちゃんを守ってあげられないね・・・」
チルノちゃんはがっくりと肩を落としていた。チルノちゃんが立ち上がると、見上げるように後を追う。
なんだか変な気分になる。
おかしいな、なんだか、オカシイな。
「ねぇ、チルノちゃん、なんだかオカシイよ・・・」
「えっ」
思い切って、口にしてみる。
チルノちゃんは、しばらく考えていたけど、やっぱり分からないみたいで。わけもなく微笑んで私の手を握った。
ちょっとだけチルノちゃんの笑顔で安心できた。
だけど、チルノちゃんは私の話を聞いているようで、実は聞いていない。いつもは聞いていないみたいで、ちゃんと聞いてくれるのに。
「いやいや、上達しましたよチルノ」
門番のおねぇさんが、なんだかヘラヘラと笑ってる。
私たちの方に近づいてくる。
「ちょっとくらい手加減してよ」
「それは貴女が実力を勘違いすることになります、できません」
門番のおねぇさんは、チルノちゃんに向かって偉そうに胸を張った。チルノちゃんは「いたた」とおしりをさする。
チルノちゃんは門番のおねぇさんに近づいて、何か話そうとしていた。私は不安になってチルノちゃんの服をぐっと握って止めた。
「だいちゃん?」
「・・・・」
なぜか、そのままチルノちゃんが遠くに行ってしまう気がして力を込めて握った。
「うんうん」
門番のおねぇさんは私たちの様子を見て満足そうに何度か頷く。
「まるで、家族みたいですねぇ」
「えっ」
「家族?」
家族、という言葉が気持ち良い。
チルノちゃんと、私が家族。何度も考えたことだし、きっとチルノちゃんもおねぇさんに言われる前からも、きっとそう思ってくれたはず。
「チルノ、まるでお母さんみたいですよ」
「う、そ、そうかなぁ?」
「・・・・・」
もっとチルノちゃんに体をよせて、服を引き寄せた。チルノちゃんは頭をぽりぽりと掻いて、ちょっと恥ずかしそうにしていた。
「いいですかチルノ」とおねぇさんは拳を握りしめてチルノちゃんに話しかけた。
「戦士が力を使うことを許されるのは、自分を守る時。そして何よりも大切な人を守る時だけ」
門番のおねぇさんは大きな声と一緒に堅そうなこぶしを「びゅん」と空気を切り裂いて突き出した。それから私たちに笑いかける。
「弱い者いじめ、心が乱れた時には決して使ってはいけません。 家族を守る時だけ、強い敵に立ち向かうためだけに使うことが出来るのです!」
「ふーん」
「・・・・・」
チルノちゃんは鼻の穴をほじって適当におねぇさんの話を聞いているように見える。チルノちゃんは難しい話はキライなのだ。
「む、その様子は真面目に聞いてませんね?」
「それじゃ、私カエルとか凍らせてあそべないじゃん?」
「いいオトナが生き物で遊んではいけません!」
「じゃあヤダ」
チルノちゃんはつまらなそうに耳の穴をほじくり出した、私もチルノちゃんのマネをして耳の穴をほじってみる。
「師匠の言うことは絶対なのです!」
「めーりんが師匠とか、笑えるよねー。 ね、だいちゃん?」
「え・・・・えっと・・・う、うん」
「むがぁ! なんという礼儀知らずなんでしょう、貴方は!」
門番のおねぇさんは、怒った顔で何度も足を踏み鳴らした。
ほんのちょっとそうしていたけど、私を見て。
「あ、そうだ」
と手を鳴らした。
「いいことを思いつきました! ・・・・チルノ、こっちにいらっしゃいな」
「えぇー?」
「ほら、いいから、いいもの見せてあげますから」
「本当ぉ?」
「ええ、とってもいいもの」
おねぇさんは私たちの手をムリヤリ引っ張って、いつも遊ぶ紅魔館の塀の近くまでやってきた。
折れた木の枝、ほじくり返した地面、壁の落書き。あちこちに私たちが遊んだ跡が残っている。
「ほら、こっちこっち!」
「いったい何なのさ?」
「・・・・・」
おねぇさんが手招く場所は、いつか私とチルノちゃんで背比べした場所。まっすぐに立った真っ赤な塀にはたくさんの傷跡が横に、横にと残っている。
私の背比べの傷もあった。私の背丈のちょっぴり下にチルノちゃんの背比べの跡。
何度も、何度もチルノちゃんが悔しがってつけた傷跡だ。
「ほら、チルノ。 ここに立ってみて」
「?」
チルノちゃんは溜息交じりの「えぇえー?」と声を呟きながら、つまらなさそうにおねぇさんの近くへ。
「なんかあるの?」
「ええ、凄いものがあります」
「・・・・」
何故か分からないけど、ドキドキする。
嬉しいドキドキじゃない。悪戯する時みたいにワクワクもしない。嫌なドキドキだ。
「ほら、頭引っ付けて」
「? 痛いって」
「よーし、これで・・・」
何だろ? イヤだ。
よくわからないけど、なんかイヤだ。
「ほら、ちょっとじっとしてて」
「まだー?」
門番のおねぇさんは、手にした石ころでチルノちゃんの頭のてっぺんで塀にごりこりと傷をつけた。真っ赤な塀に、白くて細い線が付いた。
途中でおねぇさんと私の目があった。おねぇさんはにこっと笑って見せた。
私はちっとも楽しくないのに。
「ほら、できました」
「ねぇ、なんなのさ」
「ほら、チルノ。 これが貴女ですよ」
おねぇさんの指さす場所には、一本の線。チルノちゃんはむっつりと口を曲げて、
「だから?」
と不機嫌そうに答える。きっとチルノちゃんは分からないんだ、私がこんなに嫌な気持ちになってるなんて。
「この線も貴女」
今度の指さす方は、もっと、ずっと下の方にある小さな線。私の線よりもほんの少し下にある背丈。
「チルノ、いいですか?」
門番のおねぇさんは優しい顔をして、そっとつぶやくように話す。
「武術は弱虫が強い奴に苛められないように作られたものです。 強い奴は弱い者いじめをやっちゃ駄目。 それが昔からの決まりごとです」
チルノちゃんは高い線と低い線を、目に穴が開いたように何度も見返す。
低い方の線は、私と同じくらい。高い方の線は、門番のおねぇさんよりもちょっと小さいくらい。
やっぱり、何かヘン。
「貴女はほんの少しの間に、とっても強くなりましたね?」
「え・・・そう、かな」
門番のおねぇさんは私を力任せ、と思えるくらいに強い力で引き寄せた。
「いたっ!」
「えっ?」
「ほら、前のアナタは、こんなに小さい」
おねぇさんは私の頭を撫でるでもなく、強い力で鷲掴みにした。
「痛い!」
「! なにしてんのさ!」
「小さい子供ってかわいいですね」
「貴女もそう思うでしょう?」とおねぇさんはチルノちゃんに微笑む。ぎりぎりと頭が割れそうに痛い。痛くて仕方ない、私は悲鳴を上げた。
「痛いよ、やめてよ・・・」
「止めろ!」
チルノちゃんはすごい勢いと力で、おねぇさんから私を助けてくれた。
チルノちゃんの大きな胸が私の顔にぐっと押し付けられる。
大きな背中が門番のおねぇさんから守るように立っていて、長い腕でしっかりと抱きしめてくれた。
そうだ、やっぱりおねぇさんは悪者だったんだ。
おねぇさんがチルノちゃんと話していると、なんだか不安になる。チルノちゃんが遠くに行ってしまうような気がする。
けど、今はチルノちゃんの大きな体しか見えない。いつもみたいに安心できる。
「きっと、貴女の大きな体は家族を守るためにあるのでしょう」
「どういう・・・・?」
「貴女も私みたいに、その子の首なんて簡単に折れちゃいますねぇ」
「ふざけんなっ!」
私たちの周りは、凄く寒くなっていく。 空気が「ぱりぱり」と爆竹みたいな音を立て弾けてるみたいだった。
怖くなってチルノちゃんの顔を見上げると、チルノちゃんはもっと怖い顔をして門番のおねぇさんを睨みつけていた。
「その子が痛くて、怖い思いをしたのは、貴女のせいですチルノ。 こんな恐ろしい場所に、そんなに小さな子供を連れてきてしまった、貴女の責任です」
「それはアンタがっ」
「早く家に帰りなさいチルノ、その子を連れて。 その子供が、怖い妖怪に食べられる前に」
おねぇさんの顔はいつもみたいに、柔くて優しい顔じゃなかった。なにも考えていないみたいに、氷みたいに冷たそうだ。
「だいちゃん、帰るよ」
「・・・・」
私は黙って頷いた。チルノちゃんは私を腕に抱いて、門番のおねぇさんを睨みつけながら少しずつ空に飛ぶ。
「オトナは、身を挺して家族を守る、そのために力を付けるのです」
「フンっ!」
「忘れないでね」
紅いお屋敷はどんどん小さくなっていく。
チルノちゃんの肩ごしに門を見ると、門番のおねぇさんがこっちを見ていた。怖い顔をしてこっちを見ていると思ったけど、門番のおねぇさんはちょっとだけ悲しそうな顔をしていた。
「・・・ごめんね、だいちゃん」
「うぅん」
チルノちゃんは私を腕の中に抱いて、頭を撫でてくれた。 指がほそくってまるで櫛で髪を解いているみたいに気持ちよかった。
ただ、チルノちゃんの指は震えていて、声もどこか頼りない。
「大丈夫? 痛い?」
「平気だよ、チルノちゃん!」
なんだかチルノちゃんが可哀そうになって、いつもより明るい返事をした。
「うん」
「・・・・」
チルノちゃんもにこっと笑って、私を抱えて家に帰る。その間は何も話さなかった。いつも帰る時に帰る景色が後ろに、後ろに飛んでいく。
いつもはチルノちゃんと手をつないで、その日あった事をおしゃべりするけれど。
「ねぇ、チルノちゃん」
「何? だいちゃん」
「明日、何しよっか?」
いつものチルノちゃんは、こう言えばいろんなことを話してくれる。
「・・・・」
けど、今日は何も話してくれなかった。
ただ一言だけぽそりとつぶやいた。
「ごめんね、明日はやることがあるの」
「・・・うん」
チルノちゃんは最近皆とも遊ばない、このままじゃチルノちゃんが可哀そう。
「じゃあ、その次の日は?」
「うん、いいよ。 何して遊ぼうか?」
いつも通りの帰り道、空もいつも通り紅く綺麗に染まってる。
「鞠付がいいな、この前買ってきた白い鞠」
「うん、鞠付教えてね、だいちゃん」
「いいよ!」
嬉しくなって、チルノちゃんのほっぺたに顔を押し付けた。私たちはいつも通りの道を、仲良く帰る。仲良しのチルノちゃんに抱っこされて。
「ねぇ、チルノちゃん」
「なに? だいちゃん」
「・・・・・」
チルノちゃんの髪は、私の髪よりもずっと伸びて、雪みたいに綺麗だ。いつも私とつないでいるはずの掌は、私の髪を優しく梳いている。
「やっぱり、何でもない」
「・・・・やっぱり、痛むの?」
「・・・・・」
喉で言葉が詰まって、言いたかったことが言えなかった。
同じことがアタマの中に何度もよぎったが、言えなかった。チルノちゃんはまた可哀そうな悲しそうな顔になって何度も私の髪を「ごめんね」と言って撫でた。
チルノちゃんの指は長くてキレイで気持ち良かった。チルノちゃんの肩から覗く紅い夕日が、チルノちゃんの長い髪を綺麗に照らしている。触れたら今にも溶けてしまいそう。
夕日を見ていたら、よくわからない、けどなんだか寂しくなってきてしまう。
チルノちゃんの胸に頭を押し付けた。
「どうしたの、だいちゃん?」
「別に、なんでもないよ」
うまく気持ちが言葉に出来なかった。チルノちゃんは「安心して、もう怖くないよ」と笑いかけてくれた。
おかしいな。 やっぱり、なにかオカシイな。
**************
「あー・・・今日も妖精が元気に飛んでるわぁ」
「夏ねぇ」
湖に面したお屋敷のテラスでは、紅魔館の面々がのほほんとガーデニングやお茶を楽しんでいた。妖精たちがそろって飛んでいるのを見ると、「夏だな」という気持ちが強くなる。
別に妖精が夏限定で元気になるわけではないが、なんとなくそう思っただけだ。
特に咲夜はメイド長としては夏になると食材の足が早くなったりと忙しいので、忙しそうな妖精に感情移入してみた。
「ふぅ、生き返ったぜ」
「何を大げさな」
来客の泥棒を迎えて、館の主の吸血鬼は手元の紅茶を揺らして遊んだ。まるで湖が波打ちように綺麗な波紋、今日の紅茶も最高だ。
芳醇な香り、喉に仄かな苦みがするりと通るとお菓子がもっと美味しい。
「いや、それがさ、早苗の所まで遊びに行ったんだけどな、そこで出されたお茶が不味いのなんの」
相棒の紅白も、遠慮せずに甘いお菓子を口に運んだ。口いっぱいにお菓子を頬張る巫女はどこか上の空で、無表情だった。
「霊夢、どうかした?」
「・・・・ん」
「ほんと、泥水飲まされてもあそこまではいかないって」
「・・・・私の知る限りでは今妖怪の山は閉鎖状態のはずよ。 なんでも河童の工業廃水が原因で山中が悪臭だらけだって」
パチュリーは魔理沙をややたしなめる様な口調で妖怪の山の様子を伝える。しかし紅魔館の住人達はそんな彼女の言葉に特に興味を示した様子もなく適当に相槌や生返事を返した。
「それはご愁傷様ね」
博麗の巫女は会話の輪に入りきれない様子で静かにお茶を啜っている。
「・・・・」
「にとりが責任とって原因を調べてるらしい、全く困ったもんだぜ」
霊夢はまたジャムのたっぷり乗った菓子を一つとり、頬張った。
引きこもりがちの魔法使いパチュリーは溜息をつき、魔理沙に語りかける。
「つまり、貴女に出されたお茶は別に悪意があって出されたものじゃないってこと」
「それがどうしたよ。連中、客に対する考えが甘すぎるぜ」
魔理沙は綺麗なカップを傾けて馥郁たる紅茶の香りを鼻腔に満たす。溜息が出るほど美味い。雲泥の差といったら泥に失礼なくらいだった。
「客に不味いお茶を出すなんてどうかしてますわ」
「そうよ、パチェ。 貴女だってそんな泥水出されて同じことが言える?」
「それもそうね」
吸血鬼一家にとって、妖怪の山の連中が不幸になるのは蜜の味なので、その話題はお茶会のお菓子と一緒に食ってしまうのが一番ふさわしい。 とりあえず紅魔の主である吸血鬼の意見は相変わらずの様だ。
「ふん・・・妖怪の山、あいつ等は幻想郷の厄介ものね。やることがまるで子供だましだわ」
レミリアが「ねぇ?」と一家に向けて首を傾げるとそれぞれに「えぇ」とか「まったくですね」などと陽気に笑い飛ばす。
「特に守矢、あの新参者どもは幻想郷の調和をイの一番にぶち壊しにするわ」
「うーむ」
「・・・・・」
魔理沙は自分の言葉が過ぎたことに焦った。 まぁにとりとはとりわけ仲もよいし、ちょっとした愚痴の様な気分で話していた。 だが吸血鬼たちと妖怪の山の連中との確執は深い様で、レミリアの嘲笑は止まる様子がない。
「山には友達もいるんだがなぁ」
魔理沙は頭を掻き、所在なさげにそわそわし始める。
憎まれ口を叩いても、魔理沙は純な心の持ち主で、へらへらしているようで義に厚い女の子なのだ。
内心で反省しつつ、さりげなく山の連中の擁護に回り始めた。
「まぁ、直に解決するだろうけどよ」
「考えが甘いわ魔理沙、そんな楽観的考えは魔法使いとして失格よ」
「うぅむ、そういうつもりじゃないんだが」
友交範囲の広い魔理沙は妖怪にも友人がたくさんいるのだ。しかもその代表のにとりが事件の槍玉に揚げられているとなると、気持ちの落ち着き所がなくなってしまう。
「守矢の奴らが技術革新を始めたのは、我々魔法使いにとってちょっといただけないのは確かよ」
「・・・そうなのか?」
技術革新がどのようなものを幻想郷にもたらすのかは魔理沙にはまだよくわからなかったが、それでも魔理沙は魔法使いという学問の探究者だ。
外の技術であれどうであれ、学んで自分の物にできるならば受け入れるべき変化である。それに魔理沙は妖怪の山ほどではないが、錬金術師としてそれなりに外の技術の恩恵を受け、研究する立場でもあるのだ。だがどうやらこの吸血鬼一家の考えは違うらしい。
「魔理沙、貴女はここの生まれだからわかりにくいかもしれないけど、幻想郷は私たちにとって最後の受け皿なの」
「お嬢様、それ以上は・・・」
「いいじゃないの咲夜、私やフランだけじゃないわ。 咲夜、貴女もよ」
咲夜の制止を振って、レミリアはさらに続ける。美鈴も、パチュリーも手を止めてレミリアの話に耳を傾け始めた。
「魔法や奇跡ではなく、卓越した能力や意思でもなく、外の世界はそれ以外のもので動き始め、幻想と呼ばれた現実は次第に幻覚になった」
こうしたレミリアの話は遠回しで魔理沙にはわかりづらかった。
紅魔一家はレミリアの言葉に頷いて得心しているようだが、魔理沙は、
(親玉が言うことだから、こいつらは唯頷いてるだけなんだろう)
と考えることにした。
レミリアの独白はなおも続く。
「守矢がどうして幻想郷に移住してきたか覚えてる? 外の人間が神の見えざる恩恵よりも、技術革新によって得た自分達の力を信じたからよ。 守矢はそのせいで信仰を失ったというのに、また同じことを繰り返している」
「全くね」
親友であるパチュリーの相槌に、吸血鬼は「全く」と返す。
「見えないものを隅に、都合の良い事実だけを見る。必要なものは極限まで追求し、必要ないものは目を瞑り、騙し、疎かにする。 外のそういう考えに絆されて幻想郷にやってきた。私たちはそういう愚行を繰り返さない。あれは我々をとうとう滅ぼすでしょうね」
「いや、けどいつかの月の都、あれはどうなんだよ。 あそこは無限の力と安全があったじゃないか。 あれも技術革新なんだろ?」
魔理沙は「いつかはそんな境地までたどり着けるんだろ?」と続けようとしたが、同じ魔法使いであるパチュリーが鼻を擦るような笑い声を零した。
「魔理沙、それは違うわ」
「月の裏側を調べたのよ、何も棲まない死の海。放棄された屑の山、結局あいつらも都合の悪いものは隅に追いやってきたの」
霊夢は紅茶に砂糖をたっぷり入れ始めた。吸血鬼たちの講義などどうでもいいらしく、ある意味真面目に聞く魔理沙とは違って、右から左に話を素通りさせていた。
「霊夢もそう思うでしょ?」
「・・・・・まぁね」
吸血鬼の御高説よりも霊夢はもっと重要な事に気を取られているようだった。
レミリアはお気に入りの霊夢が「へぇ」とか「ほうほう」などと愚にもつかない相槌を打つだけなのにがっかりする。これではつまらない。
しかし、魔理沙がむきになって「いや違う」としきりに反論してくることで気分を持ち直した。魔理沙は霊夢と違ってオーディエンスとしては最適だ。
「規律された人口に街並み、豚のような社畜ども、 妖怪の連中も同じよ。全く怖気がするわ」
「なにもそこまで言わんでもいいだろ」
流石にここまで来ると魔理沙は明らかにしかめ面になり、声を荒げ始める。だがそれに却って気分を良くしたように吸血鬼は飄々と語り始める。
「技術と言うものは便利よ。けど、それは人間に限った事。私たちは血を吸うだけで人間を使役することができる。鬼は拳で山を砕く、天狗は千里をひと瞬きの時間で越え、千里を見渡す目を持つ者もいる。 火を噴けば鉄をどろどろにすることもできる。 意のままに草木を操るものもいる。 老いも知らず、病も知らず。 この期に及んで外の技術などに頼る必要などないわ」
レミリアの言葉に紅魔の住人達も一様に「然り」と首を縦に振った。
「人々の夢想する、力のあり方だけが私たちを妖怪たりえる」
「まぁ、電気コンロくらいは使ってやってもいいけどね。 簡単にお茶も飲めるし」と、やにやしながら、レミリアお茶をすすった。
「卓越した、生身の力こそが幻想郷を作り上げる。守矢は私たちの首を絞めている、それがいまいち解っていない様ね」
「わかった魔理沙?」そう言って、たしなめる様な視線をちらりと魔理沙に向けた。
「貴女だってそうでしょう? その中で、より選ばれた生身の強者が誰よりも偉い。 断じて、小賢しい知恵の持ち主が偉いわけがない」
魔理沙は多人数に意見を圧殺された上に、おばかさん扱い。いい面の皮だ。
「鬼の後釜が守矢、そこまであくせく働いてでも信仰がほしいのかしら?」
「鬼の連中は面倒くさくなったのよ、有象無象と折り合いをつけるのにね。河童や天狗に鬼が見切りをつけたのも当然」
「おいおい、そういう考え方はよくないぜ」
山の妖怪を嘲る口調はますます強くなる。魔理沙は必死に弁護を重ねる。
時には霊夢に「違うだろ?」と協調を求めたが、
「好きに言わせときなさいな」
と煮えない返事をするだけだった。吸血鬼は「ほら、霊夢はちゃんと分かっているわ」と拡大解釈を加えてますます調子に乗った。
「まぁ吸血鬼に劣るとはいえ同じ鬼。山の連中とつり合いが取れなくなって当然よね、お山の大将にも飽きたか」
くっくっと喉を鳴らして、頬を歪めた。その様子は幼いながらも確かに吸血鬼の底知れない不気味さがある。
「この期に及んで外来の技術など不要、我々は我々のテクノロジィを追及する」
「私たちは、私たちの力、意思を基幹にして幻想郷を存続させるべきよ」
咲夜と美鈴はレミリアが一息入れ、紅茶を持ち直すと同時に拍手を送った。
「お嬢様」
「レミィ」
吸血鬼の棟梁は得意げにカップを傾ける。
(ったく、とんだ茶番だぜ)
魔理沙の嫌いなもののうちの一つ、こういう拝心的雰囲気というか、繰り返されたようなお決まりのパターン。
こいつらはきっとこういうことを毎日繰り返しているんだ、気味が悪い。
レミリアの言うに言いたいことは二言三言あったのだが、言ってもここでは無駄だ。諦めるしかない。
「ふーん」
霊夢は霊夢で目の前のお菓子にしか興味がないらしい。適当に相槌をうって失礼がない程度に話を聞き流していた。
「そうでしょ霊夢?」
「あんたの言う通りかもね」
「おいおい! そりゃないぜ!」
霊夢までどうしたというのだろう? 普段は絶対に他人の陰口をたたくような奴じゃないのに。
「どうしたの、魔理沙? 別に貴女が悪いって言ってるんじゃないのよ? 悪いのは全部山の連中なんだから」
「あははは」
パチュリーの優しげな声も、咲夜の律儀な声色も、どこか空虚に感じられた。本人たちがいないところでの悪口。やっぱり致命的に魔理沙には合わない。気味が悪いのだ。
「落ち着いて魔理沙、お嬢様、皆も悪ふざけが過ぎます!」
「わかったわよ」
お客様を不機嫌にして帰すなど、メイドのプライドが許さないのだろう。この点に関しては咲夜はレミリアよりも強い立場にいる様だった。
レミリアは「悪かったわね」と不遜に肩を竦めて、憎たらしい謝罪を返す。
「帰る!」
「はぁ・・・」
「よくもやったわね」とでも言いたげに霊夢が深い溜息をつく、じろりとレミリアを睨むが相変わらずレミリアは澄ました顔で「帰っちゃうの?」とお菓子を齧っていた。ここ最近で一番不機嫌になった魔理沙は椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
なにもそんな言い方をしなくてもいいではないか。
酷い中傷だと魔理沙は苛々を募らせるしかない。
「霊夢、いくぞ!」
「はいはい」
意外にも霊夢は素直に魔理沙の後に続いた。こういう時についていかないと後々魔理沙はぷりぷりと怒ったまま不機嫌を散らかして歩くことになるのだ。
それに案外帰り道に愚痴を聞けばすっきりするものだ。二人はだいたいこうしてお互いの腐れ縁を続けている。魔理沙が怒っているときは霊夢が受け口で、霊夢が怒っているときは魔理沙が受け口になる。
都合のいい永久機関であった。
「魔理沙」
「なんだよ!」
乱暴に箒にまたがったところで、レミリアが魔理沙に声をかけた。
正直、魔理沙の苛々は椅子を蹴っ飛ばした時にほとんど消えていたが、引っ込みがつかず頬を膨らませたそのままの顔で声を怒らせる。
「今は、お茶が不味くなるくらいで済んでいるけど、いつかあいつらは大失敗をやらかすわ」
「・・・・」
そこはレミリアも心得たもので、微笑んで見送りをする。 こういうところは流石に齢を重ねた吸血鬼だった。
「取り返しのつかなくなるような大失敗。 その時を見逃さないようにね」
「へっ」
「貴女がずっと、あいつらとお友達でいられるようにせいぜい努力なさいな」
(てめぇらもお騒がせ者で厄介者じゃないか)
吸血鬼一家が幻想郷を騒がせた連続事件はまだ記憶に新しい。いまさら守矢がどうしたって紅魔館がどうこう言う立場は無いはずだ。
(自分たちの事は棚にあげやがって)
今回の悪臭騒動もさっさと解決するに決まっている。
「じゃ、またねレミリア」
「じゃぁね霊夢、また」
他にも軽くお別れをして、二人は軽く飛翔する。
「なぁ霊夢、さっき言ったのマジか?」
「なにがよ?」
「山の連中が厄介者だって、レミリアに同意してたじゃないか」
こういうことに魔理沙は過敏に反応する、独りぼっちは嫌だ。霊夢が自分と違う意見を持っているともなればなおさらで、ここは何としても霊夢の意見を聞いておきたい。はっきり白黒をつけてなければ気が済まないのだ。
「言ったかしら、そんなこと?」
「おい」
「なによもう、そんなおっかない顔しなくたっていいじゃないの」
魔理沙はぷいとそっぽを向いて黙り込んだ。 近くには湖が広がっていて清涼な空気を漂わせている。
「それより、気にならない?」
「なにがだよっ」
「紅魔館は日頃から湖の掃除に力を入れてるのかしら?」
「はぁ?」
「里の井戸とか川もめちゃくちゃなのに、この辺りだけやけに綺麗だわ」
「そうかもな、まぁ紅魔館の連中も今に大変な事になるだろうぜ。そのうちここにもあの泥田坊がやってくるだろうからな」
「・・・・・」
霊夢は適当な地面に降り、湖を覗き込む。 自分の顔が静かな湖面に映っている。 仄かに雨上がりの様な、土気の混ざった水の香りと、さわやかな冷気を感じる。
「魔理沙」
「あぁ?」
「先に帰ってて。 慧音の所で阿求の様子でも見てきて頂戴」
「ちょっと頭を冷やしてから行くわ」と霊夢は微笑みを魔理沙に浮かべて言った。 笑ってこそいるが、霊夢の顔はこういう時有無を言わせない迫力がある。
「・・・・わかったよ」
「ちぇっ」と頭をばりばりと掻いて魔理沙は霊夢に背を向けた。魔理沙が飛翔して遠くに行ってしまう。
よく耳を澄ますと、霊夢の周りで妖精たちの幼いはしゃぎ声、無邪気な声が聞こえてくる。
あんただかどこさ ひごさ ひごどこさ
くまもとさくまもとどこさ せんばさ
「・・・・」
最近耳にしなくなった妖精たちの声が聞こえてくる。 霊夢はそっと気配を悟られないように隠し、笑い声が聞こえてくる森の中に足を向けた。
************
気分が良いとは言い難かった。だが今までに感じたことないハッキリとした心の様なものが自分の中で沸き上がっているのを私は感じている。
「なにさ、美鈴のやつ・・・」
いいやつだと思っていたのに。仕返しをしてやろうかとも思ったが、自分はそんな事をしている暇はない。
疲れてしまったのだろうか、だいちゃんは今は私の腕の中で眠っている。
「・・・・」
こっそりとだいちゃんのほっぺに触れて撫でると、少しだいちゃんが身じろぎして、私に顔を寄せてくる。 その様子を見ると胸の中からわいてくる気持ちがもっと、よりいっそうに強くなる。
だいちゃんの頬に触れた指の付け根に、きらりと金細工の様に光るものがある。私はそれを少し太陽の光に照らして見つめた。
『貴女が皆を守ってあげてね』
紫との約束を私は守っている。あの日から私は少しだけ変わったかもしれない。今までよりも頑張って、もっとみんなのために強くならなくてはならない。そのためだったらなんでもやってやる。
『貴女の責任です、チルノ』
今思い出しても腹が立つ、そんなことは解っている。 皆が怪我をしてしまったらきっと悲しくなる。
『まるで家族みたいですよ、チルノ』
「・・・・」
また美鈴の言葉を思い出した。いままでそういう風に考えたことはなかったが、今の私たちは確かにそういう感じなのかも。
「おかあさん、かぁ・・・」
だいちゃんの丸い頭をなでると柔らかい髪の毛の感触が心地よい・・・・。
「・・・・?」
あれ? なにか、変だな?
なにか、オカシイな?
「何がオカシイのかしら?」
聞きなれた、と言うほどではないが、聞き覚えのある声が不意に後ろに居た。
「・・・・」
「ねぇ、チルノ聞いてる?」
「・・・・人のネグラに勝手に入ってくるなんて少し不躾じゃないの?」
「私はこういう妖怪なのよぉ。 それに私と貴女の仲じゃないの」
紫だ。 こいつはいつもどこからわいて出てくるのか分からない。 最近になるとこの女が何を考えているのかより一層わからなくなった気がする。
前はそんなことなんて別にどうでもよかったのに。
「おーい、チルノ。 いるかー?」
「あぁ、いるよ」
皆の遊ぶ声が聞こえてくる。 最近は遊ぶ暇がなくなり、一緒に居ることが少なくなったが、それでも皆はよく私の所に顔を見せにくる。
ネグラに入ってきた皆はいつもの様にハキハキと元気な様子だったけど、紫の姿を見ると顔が少し強張る。 見知らぬ妖怪がいればそれは怖がるだろう。「この人はあたいの友達、大丈夫」と二言三言説明すると、少し皆の表情も緩んだ。
「何かあったの?」
「ほら、新入りが来たのよ。 やっぱチルノに会わせといたほうがいいと思って」
「そうなんだ」
ちらっと紫の方を見ると、紫はニコッと微笑むだけで特に何も言ってこない。どうやら此処に来たのは唯の暇つぶしだったようだ。
一体こいつは何をしにきているのだろう?
「わかったよ、どこに居るの」
「連れてきた。 ほら、こいつら」
皆がその新入りの妖精達に「ほら、何か言えよ」「こいつがチルノよ」とかそれぞれに話しかけている。 新入りの妖精たちはどこかしょんぼりとしてるような、疲れているような、そんな様子だった。
「森の方の奴らしいのよ、例のお化けに追われてきたんだってさ」
「・・・・」
「・・・・」
「おい! なんか言えよ」
そう言われてぼろぼろの妖精たちはほんの少しだけ目を合わせてくれたけど、すぐに伏せて項垂れる。
「もー、はっきりしないわね」
「お前らが会わせてほしいって言ったんだろ!」
「・・・・」
よく見ると、あちこちに怪我をしてる。 思うに彼等は、何か酷い目にあってとても傷ついているのかもしれない。
その内の一人が、なんとか掠れた声を振り絞るようにつぶやく。
「あの・・・私達、森にいたの・・・」
「・・・・」
他の妖精よりもほんの少しだけ背の高い女の子は、あの中の親分なのだろう。 ちょっと他よりもしっかりした表情をしている。
「それで、この湖の周りは安心だって噂を聞いて、その」
「うん」
「・・・・」
私が少し声を立ててしまっただけで、その妖精はまた黙り込んでしまった。
「ちょっと待ってて」と言ってから、好物の甘い金平糖が入った瓶を幾つか持って来る。すると、親分の女の子が少し顔を上げる。
「ほら、これ食べな」
「・・・・」
ざらざらといくつかの金平糖を手のひらに「手をひろげな」と渡してやると、彼等はきょとんとしていた。 固唾を飲んで見ていた皆もちょっとざわつき始めた。
「辛かったね」
「・・・えっと」
「ここに居ればもう大丈夫」
そういうと、目の前の女の子は何か言いたげそうにしていた。 けどしばらくしてから渡した金平糖をちょいちょいと口にする。それを見ていた新入りもまねるように金平糖を口にし始めた。
「アタイが守ってあげる」
「・・・・・」
「もう、大丈夫。 怖くないよ」
「・・・・」
今までしっかりとしていた、それでいて強張った女の子の顔が次第にグニャグニャと崩れていく。
女の子は少しだけ息を荒くして、それから金平糖を舐めながら泣き始めた。
「うっ・・・うっ・・・」
「うん、もう安心だよ」
多分、今までいろんな心配や考え事を抱えてきたのだろう。 女の子の嗚咽と一緒にその仲間達も女の子を吃驚した顔で眺めながら「泣くなよ」「大丈夫か?」と慰める。
「・・・・・フゥン」
それを黙って見ていた紫が「ふぅん」と息を漏らす。ほんとにこいつは何をしに来たんだろ?
「皆の家に案内してあげて」
「おぅ」
「ほら、泣かないでよ鬱陶しい。 こっちよ」
皆はしばらくしていなくなった。 もしかすると、あの女の子はちょっと前の私なのかも、そんなことを考えていた。
「約束、覚えてる?」
「え?」
紫がふと独り言の様につぶやいた。
「ほら、夏の初めに貴女にあった時に約束したでしょう?」
「・・・あぁ」
「これ?」と指に巻かれた、金色の糸を見せると紫が「そう」と短く頷く。当然覚えている。
「貴女、変わったわ」
「かもね」
自分自身でも、前よりも少し変わったかもしれないと思う。ただ、それはそんなに悪い事でもない様な気がする。紫は「ふふ」と口元を手で覆って、笑う。 そういえば、最近いろんな事を覚えている気がする。 紫との約束も、美鈴に習ったことも。
前はどうだっただろうか? 覚えていない。
紫が手提げの中から包みを取り出して、広げる。 適当な握り飯が入っている。「どうぞ」と紫が差し出すので「どうも」と一つ喰うと、紫も一つ口にした。
「特に顔が変わった」と紫は言う。そういえば、髪の毛が伸びた気がする。そう言うと紫は「違う」と言った。
「心の持ちようで、顔は変わるわ」
「顔が変わるわけないよ」
「変わるわ」
紫の顔は自信満々だった。 なにか根拠でもあるみたい。
「ほら、よく『人が変わる』とか言うでしょ。 あれは言葉づかいや服装の事を言ってるわけじゃないわ、本当に顔が変わってるの」
「解る?」と問うので、「さぁ」と答えると紫はさらに喋りつづけた。
「怒ると眉がつり上がり、口元は震える。 泣けば涙を流し、笑えば笑窪が出来る。 それと同じように顔つきは変わるのよ。」
紫は自慢げに話し始めた。
「どんな顔立ちの悪い者でも、自信がつけば背筋をしっかり張って、顔も格好良く成る。 そうでしょう?」
「・・・私の顔がどう変わったっていうのさ」
どういう意味だ。 私の顔は不細工ってことか? そう言うと紫は「ほほほ」と腹を抱えて嗤い始めた。 こいつそろそろ追い出してやろうか。
紫は「顔だけじゃないわ」と言った。
適当に聞いてやろう。 そういう風に態度を決めて、包みから塩漬けを取って口に頬った。
「私達の様な心の生き物は、心の変化によって大きく力が変化する。 私も今でこそ偉ぶってはいるけど、初めはなんてことのない、そこらの雑魚と何ら変わりなかった」
「紫がそこらの雑魚ねぇ」
「想像できないな」と感想を付け加えると「そうかもね、私ももう思い出せないくらい昔よ」と返した。 紫にも私の様な頃があったのか、と妙に感心してしまう。
「貴女、とても良い顔つきになった。 嬉しいわ」
「私が?」
「実は、貴女に頼みたいことがあるの」
その後、いくらか話すところでは「里に行って、また妖怪を食べてきてほしい」と言うのが紫の頼みだった。
私は「皆を放っておけないから」と断ろうとしたが紫は口を挟んで止めた。
「私たちは自分の感情だけではなく、他人の感情でも変化する。 貴女が私と同じように人々の畏怖と尊敬を集めることが出来れば今以上の力を得られるわ」
「ふーん」
意味が分からない。 そもそも別に皆からちやほやされたいわけじゃない。
「きっと、皆を守ることに繋がる。 湖の事は心配しなくてもいい、私が見てるから」
「うーん・・・けどなぁ・・・」
「きっと、今の貴女なら・・・皆認めてくれるわ」
めんどくさいなぁ
というのが正直な感想だった。 確かに、私は妖精の中じゃ親分だけど、人間に交じって偉い顔をしろと言われてもどうしていいか解らない。
「あのお化けは、さらに凶暴になる・・・皆を守るためだと思えば」
「ね?」と紫は小首を傾げて微笑む。
強く粘り気のある喋り方。 私は意図が解らなかった。 語る紫の様子はヘラヘラと笑っているようでもあったが、瞳はギラギラと、少し恐ろしいと思うほど輝いているのだ。
多分、紫には私に分からない事情があるのだろう。 トモダチの紫がここまで言うなら了承してあげないとオヤブンである私の意地が廃るかもしれない。
「・・・・紫がそこまで言うなら、いいよ」
「ホントウ?」
紫が、ググッと身を寄せて、目を見開いて言った。 私はハッキリと聞こえるように大きな声で約束した。
「うん、約束」
「・・・ありがとう、チルノ」
ほっと息をついて、紫が答えると、もう次にはどこか瞼をトロンと閉じ、空気が抜けてしまった風だった。
「そんな改まって言われても困るんだけど」
「ふふふ・・・そうね。 チルノと私はトモダチだものねぇ」
「ふんッ! まぁアタイに任せときな」
それなりに大きな胸を張って踏ん反り返ってやった。 紫は面白そうにケラケラと笑った。
「貴女ばかりに私からお願いをするのも心苦しいわぁ」
「別にいいって、まぁなんたってアタイは・・・・」
ここで、どういうわけか、次の言葉が出てこなかった。 ぐっと舌の根で言葉が止まってしまう。
「・・・・」
「えぇっと、アタイは」
サイキョ―だから
もちろん、そう続けて虚勢を張るつもりだった。
「・・・・」
紫は、私の言葉を待つみたいに、にこにこしながら待っている。 なんでしゃべらないんだ?
「アタイは、その・・・えぇっとぉ」
あれ? 私はサイキョ―だ それは間違いないはずだ
虚勢ってなんだ? あれ?
そうだ、紫から何かおねだりするのも悪くない
おねだりって、友達にするもんだっけ? お礼のほうがいいんじゃないか?
いや、アタイは紫のお願い事を聞いてあげてるんだ、その位許されるはずだ
オトナとコドモって、友達なのかな? あれ?
アタイと紫は友達だ けど紫のほうが私より強い
そういえば、紫ってこんなに小さかったけ?
小さいわけじゃないけど、前よりも小さいぞ
ん?
「チルノ」
「えっ?」
気づいたら私は自分の手をじっと見ていた。 前の様なくりくりしてて短いのではなく、細くて、長い。
「貴女にお礼をするわ。 いつもお願いを聞いてくれる稀有な友人のために」
「べ、べつにいいよ、そんなの」
「望むままに、お願い事を叶えてもらうのはコドモのやることだと思うわぁ。 そうでなくても、私は貴女と対等で居たいわぁ」
「お礼って・・・」
「約束」
紫が私の指で光る金色の綺麗な糸を指さした。
「貴女が、なんでもいいわ。 その指切りの糸にお願いして」
「・・・・」
「どんなことでも。 どう?」
「面白そうでしょう」と言った。いつもと違う、変な笑い方だった。
「えっと・・・・、今してもいいの?」
「いいわよ」
「お好きなように、ただ、あんまりメチャクチャなのはだめ」と返される。色々と考えようとしたが、
「ええっと」
「まぁ、今じゃなくてもいいわ。 貸し一つってやつね。 今簡単に思いつくことなんてつまらないし、楽しみにしてるわ」
「むぅ」
いい考えは浮かばなかった。 私は頭が悪いのだ。
「チルノ、私たちは対等とは言っても、私は少しだけ貴女よりも長生きしてるし、力も結構強いわ」
「・・・それがなにさ」
そんなこと言われなくても解っている。 こいつはパッと見でもキレイだし、いかにも強そうだ。
「チルノ」
「なにさ」
ぶすっと、苛々したのでそっぽを向いて答えると。
紫は静かに言った。
「キレイな、オトナになったわね」
瞼を細めて、優しい顔をしてる。慌てて目をそらしたら、それを狙っていたみたいに私の視線をすり抜けて、肩に手をそっとかけてきた
「いつまでも、そんな子供みたいな服を着てたら、もったいない」
自分の胸から下を見下ろすと、いつもと感じが違った。 乳房で足元が見えない。
「皆の前に出るんだもの・・・・綺麗なべべも用意しないと。 こんな子供っぽい服なんて脱いでしまいなさいな」
「いいよ、そんなの」
「人は美しい者、強いものが好きよ。 ただそれだけで無邪気に喜ぶの」
「貴女のオトモダチも、きっと驚くわ。 そうでしょう?」と耳元で囁かれる。ちょっとドキリと胸が鳴った。
「そうかな」
「もちろん」
綺麗な服を着て、だいちゃんに見せたら・・・・だいちゃんは驚いてくれるだろうか?
私達から、少し離れた場所で眠っているだいちゃんが見えた。 本当にいつもの様に眠っている。その様子を見ていると、何故だか、
「じゃあ、お願いしていいかな」
「もちろんいいわ」
すこし、だいちゃんが遠くに行ってしまったような、そんな気がした。
「じゃあ・・・そうね、明後日。 またここにくるわ」
「明後日?」
「そっちの方が都合がいいのよ」
「いろいろとね」と紫が意味ありげに言った。
「ふぅん」
「約束よ、これは大切なこと」
なんだか話が一息ついたような感じになって、私はふっと息を吐く。
どうして紫はわたしにここまで言ってくれるのか? そう思って、聞こうとした瞬間だった。紫がちらりと奥に目を遣る。
それで優しげな声で、
「あら、おはよう」
と、部屋の奥に話しかけた。
「・・・・」
「あっ」
だいちゃんが少し離れた場所で、私たちを静かに見ていた。
「起こしてしまったかしら? 子供はよく寝、よく遊ぶべきよねぇ。 そう思わないチルノ?」
「・・・・」
家の外から、皆が遊ぶ声が聞こえてくる。
せんばやまにはたぬきがおってさ それをりょうしがてっぽでうってさ
にてさ やいてさ くってさ それをこのはでちょいとかぶせ
「だれ?」
「あぁ、こいつは・・・・」
だいちゃんの乾燥した声が、聞いてくるので私はそれに答えようとした。だけど、それを紫ののほほんとした答えが遮った。
「ごめんなさいね、起こしちゃって。 けど私とチルノはとても大切な話をしているの」
「紫?」
「皆もお外で遊んでいるみたい。 貴女も一緒に遊んでらっしゃいな」
「・・・ヤダ」
「チルノちゃん、その人、ダレ?」とだいちゃんはもう一度聞いてくる。 何故だか私はすごく苦しくなって、うまく答えられなかった。
「・・・・」
「チルノ、貴女にとって可愛い家族なのでしょう。 けどこういう時は厳しくしないと駄目よ?」
「チルノちゃんは、あさっては・・・私と鞠付で遊ぶんだもん」
そうだ。 だいちゃんと鞠付の約束をした。 だいちゃんの胸元には真っ白な鞠が大事そうに抱かれていた。
「あらあら、こまったわねぇ」
「貴女、だれ?」
「チルノの友人よ。 たぶん、これから長い付き合いになるわ」
「チルノちゃんは、妖精だよ」
「アナタとは違う」とだいちゃんは言った。 紫をきっと睨みつけて、私はちょっと驚いた。 だいちゃんも怒るとこんな顔をするのだろうか。
「そうね」
「そうよ」
紫は眉を顰めた。 だいちゃんは勝ち誇るように、にっと笑うが紫はゆっくりと「でもね」と続けた。
「これからは違う。 そうでしょう?」
紫はすっと手のひらをだいちゃんにかざした。
指の隙間からだいちゃんを除いているように見えた。何をしているんだろう? 気になったので、
「・・・・なにしてんの?」
と率直に聞いてみる。
「・・・・いえ、なにも」
「ふぅん」
ぼそぼそと紫が聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声色でしゃべる。 まるで悪戯を見つけられてしまったような感じで、それからそろそろとこっそり隠す様に腕を下した。こいつの事だから何か不思議な呪文か何かを唱えていたのかもしれない。
だいちゃんがじっと私たちの方をみて、いままで元気よく喋っていたのが嘘の様に、黙りこくってしまった。 どうやら、だいちゃんは紫の事がキライだったらしい、少なくとも相性はよくないみたいだ。
「まだ火急、というわけでもないか」
軽く溜息をつき、「焦りすぎたわ」と紫が申し訳なさそうにして立ち上がる。そっと忍び寄るように、ゆっくりとだいちゃんに歩み寄る。
「びっくりさせて、ごめんなさいね」
紫はだいちゃんの頬を軽く撫でている。耳元に唇を寄せて、優しそうな顔でなにか囁いていた。 それは私にはよく聞こえなかったが。 とにかく優しそうな顔で話しかけていた。
運がいいわ
貴女はチルノのお気に入りだから
ゆるしてあげる
「あと少しだけ、遊んでもらいなさい。 直に、会えなくなる」
今度はハッキリと聞こえた。 だいちゃんは根が張ったみたいにじっとしていた。
「チルノ」
「なに」
「また来るわ」
そう言って紫は意味不明な亀裂の中に消えていった。 背中越しに手をひらひらと振って別れを伝えながら、亀裂を閉じた。
「・・・・」
「だいちゃん、まだ寝てても大丈夫だったのに」
その場で身じろぎもしない、ぼうっと立ちっぱなしのだいちゃんに目を向ける。すると、だいちゃんは辛うじて、虫の息の様に細く呼吸している。
「・・・うぁ・・・」
「だいちゃん?」
だいちゃんの様子がおかしい。 思わず抱き寄せると、だいちゃんの顔色も、唇の色も青白かった。
「どうしたの!」
「・・・・」
手を握ると、細かく震えていた。 目を合わせると、頼りなさげでに瞳は揺れている。 血の気のないだいちゃんを見ると、とても不安になり、私もだいちゃんと同じように細かく小さく息をした。
「平気だよ」と抱きしめる。
「・・・・」
「何か紫にされたの?」
「・・・・」
だいちゃんはとてもゆっくりだが、腕の中で頷いた。 それと同時に悲しくなった。「何をされたの?」と聞くことは、私にはできなかった。
「チルノちゃん」
「なに、だいちゃん?」
「あの人なんか、ヤダよ」
どう答えようか、迷った。 しばらく考えたが「そんなことないよ」と答えるのが精いっぱいだった。 なるべくだいちゃんを不安にさせないように笑顔で言ったつもりだった。
だが、私が笑うのを見ると、だいちゃんは顔をクシャリと歪め今にも泣きそうになった。 自分ではうまく笑えたと思ったが、うまく笑えなかったんだ。
「ねぇ、遊びにいこう」
「ん、えっと・・・」
気が付くと、日は低く、木々の影は長くて。 今出かけると多分外で夜になってしまう。
『チルノ、貴女の責任ですよ』
『約束よ』
「・・・・」
「チルノちゃん」
いま外に連れ出して、絶対にだいちゃんを化け物から守れるという自信は、私にはなかった。
明日は、里にいかなければならない。 約束があるからだ。 かといってその次はまた紫との約束がある。
「明日は?」
「・・・・」
私の「今日は難しい」という無言を感じたのか、だいちゃんはまた聞いてきた。だが、私はそれに嘘を付くことは出来なかった。
「でも」
「アタイは・・・」
忙しいから
そういう言葉を飲み込んだ。 分からないけど、これを口にしてしまうと何か絶対に取り返しのつかない場所に行くことになるだろう。
そういう確信が私の中にあった。
「チルノちゃんは、私よりもあの人の方がスキなんだ」
「・・・・」
同時にだいちゃんが、ぽそりと言った。 その時、私は腹の中からもやもやとしたものが沸き上がる。
「違うよ」
はっきりと口にしたつもりだった。 ここまで言えば、間違いなくだいちゃんは私に話を合わせてくれたのに。
「だって、皆と最近遊ばないよ」
「それは」
忙しいから。
「みんなと遊ぶのが、つまんなくなったの?」
なんで、そんな風に言うんだ。 私は唯、少しでも力を付けたいだけなのに。
「違うよ」
私はほとんど、叫ぶように言った。 だけど今日のだいちゃんは聞き訳が無いように思えた。
「せっかく鞠も買ってきたのに! 一緒にあそばないよ!」
だいちゃんも、ほとんど泣き叫ぶように言った。
突然の大ちゃんの悲鳴のような声に、私は心底吃驚した。 いつもにこにこしてるだいちゃんが、どうして? とも思った。
「外はあぶないから」
私は本当の事を言ったつもりだが、どうも声色のつけ方を失敗したと思った。私の喋り方はいかにも私が悪いと思っている喋り方だったのだ。
たぶんだいちゃんもそう思ったのだろう、 だいちゃんの悲鳴はますます大きくなる。
「皆だって言ってる、チルノちゃんが偉そうになってるって! 私たちの事馬鹿にしてるって!」
そんな馬鹿な
アタマの奥が、びりびりと痺れて、何も考えられなくなる。
ここでも私が黙ってしまったのが悪かった。 だいちゃんは自分で言ったことを決めつけて、ますます声を大きくして、私への不満を続けた。
「違う・・・」
「ホントは私と一緒に遊ぶはずだったのに! なんであの人と一緒に遊ぶの?!」
誰のために、こんなに頑張ってると思ってんの? 私だって皆と一緒に遊びたい、けどそうしたら皆危ない。 なんでそんなことも分からないの?
「美鈴みたいな人とばっかり遊んでる!」
「遊んでるんじゃない!」
「じゃあなんなの! チルノちゃん、最近変だよ!」
今まで私が持っていたものの代わりに、別の何かが出来上がっていくような。そんな感じがした。
「アタイの気持ちも知らないで、口出さないでよ!」
そうだ、何を遠慮することがあるのだろう。
ようやく、何かを口にできるようになった。 ただ、今私は何をしゃべろうとしてるのか、よくわからない。 頭の中はぐにゃぐにゃとしていた。
だけど。前はどうだったか知らないが、今の私は随分と知恵を付けている。 今ならだいちゃんと知恵比べをしても負けない。 力比べなら、簡単に。
「うるさい! どっかいけ!」
私は冷気を飛ばした。 空気が凝固、集結して周りでは爆竹を鳴らしたように破裂音をぶちまけたみたいになる。
ネグラに置いてあった、色々なものがはじけ飛ぶ。 金平糖を入れた綺麗な瓶であったり、 駄菓子屋で買った玩具であったり、 本当に色々なものが飛び散った。
「子供のくせに!」
その時、自分でも驚くほどの爆発音がした。 それで、「はっ」と自分で口にしたことを反芻できるほどに冷静になる。
そして、ぞっとするほど頭の中が冷きった。
「あっ」
きっと、だいちゃんは泣いていると思った。 いつも喧嘩した後は泣いていたから。 だけど目の前の小さな子供は、いつもの様に泣いてはいなかった。
「・・・・」
目を見開いて、こっちを観察するようにじっと見つめていた。
「だいちゃん」
そう声に出して、仲直りをしようと一歩進むと。
「・・・・・」
目の前の子どもは、私に合わせて、一つ後ずさる。 表情は硬く、まるで氷の様だった。
ついさっき思い切って「ごめんなさい」 そう口に出来たなら、きっとだいちゃんとこれほど溝を深める事にはならなかったのかもしれない。
私よりも小さな背丈の女の子は、逃げるようにして、私の前から走り去っていった。
もしかしたら、本当に逃げたのかもしれない。その後、しばらく私は呆然としていた。
「・・・・おーい、チルノ。 どうした?」
「だいちゃん、どこにいったの?」
大きな音を聞きつけてきたと、皆は言った。 この時の事はあまり覚えていない。 ただ、誰かが言った一言で目が覚めるようにして意識がはっきりしたのを覚えている。
「おい、暗くなるとヤバいんじゃない?」
「だいちゃん、こんな時間で出かけた?」
「喰われちまうんじゃねぇか?」
はっきりしたことは解らない。 だが、だいちゃんが危険にさらされる原因を作ったのは明らかに私だった。
「私のせいだ」
「え?」
「なに?」
私は急いで、紅い太陽の下に飛び出した。
しかしこの紅魔館はカリスマありますな
どう足掻いても心苦しい展開にしかならない気が・・・先が気になる。
>>赤潮をおなじです。
赤潮と?
>> 蘭が「ふむん」と首を捻った。どうやら私が全てを語らないことに多少の不満があるのだろうが、蘭の力は、今回はいらない。
蘭→藍
>>吸血鬼「電気コンロくらいは使ってやってもいいけどね」とにやにやしながらお茶を啜った。
吸血鬼は? 文章がちょっと意味不明。
(守矢は何もしないんだろうな~。と(遠い目
大ちゃんは一回休みになるフラグがすごいですね。
次回はチルノの衣替えでもあえて楽しみにしておきますw
秘封倶楽部の描写が今後の展開を暗示していると言うより、答えをそのまま言ってる気がして、社会派な展開な割に突然、物語が軽くなってしまった感があります。
>>愚迂多良童子さん
誤字の指摘ありがとうございます。 どう展開するかは全て主人公にかかっております。この先もお付き合いいただければ幸いです。
>>岡本さん
今回は妖精達は一回休みになることが出来ないようです。 果たして彼女は幻想郷を守ることができるのか!? 次回にご期待ください!
すっかり設定を失念してました。
失礼しました。
と、にやにやしながら
こんな雰囲気なのに純真さを見せてくれる魔理沙や、チルノ視点の場面が凄く惹きこまれる。
たまにある霊夢やにとりなどの真剣だけど軽いやり取りも好きです。