Coolier - 新生・東方創想話

ERROR of PURPLE SYSTEM

2012/10/06 20:17:43
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※このおはなしは、以前わたしが投稿した「SYSTEM ALL...」というおはなしでの設定を受け継いでいます。
このはなし単体でも理解できるようにはしているのですが、先にそちらのほうを読んで頂いたほうがより解りやすいかもしれません。




    チャイムが鳴ったので、私はすぐに玄関へと向かった。
    ひとり暮らしをしている知人の多くは、ゆったりしているところにいきなり来客が現れると困るという。ジャージや部屋着を着て、しかもきちんとセットしていない髪型やすっぴん状態のまま客が来られては、恥ずかしいのであたふたと急いで手直ししなければならないのだそうだ。けれど私はそんなことはない。化粧など普段からしていないし、髪は何もせずともいつもそれなりにまっすぐだし、自宅にいるときでも就寝時以外はいつも通りの格好をしている私なのだ。オンオフの切り替えができていない、という言い方をするとあまりいい意味には聞こえないが。
    誰が来たのかなんてドアを開ければわかることなんだから、とモニターを覗くより先に扉のロックを解除する私。開いてみると、そこには見知らぬ親子が立っていた。
    「宇佐見さんですよね?こんにちは。近々隣の部屋に越してくることになりました、小泉という者です」
    母親が深々とお辞儀をした。ほら、鏡ちゃんも挨拶しなさい、と促され、子供のほうもぺこりと頭を下げる。
    「こいずみかがねです!よろしくおねがいします!」
    したったらずな声で元気に挨拶をしてくる様子がとても可愛い。小学校低学年ほどといったところか、まだ幼いその顔はにこにこ笑っている。
    「カガネちゃん?珍しいお名前ですね。わたしは宇佐見蓮子よ、これからよろしくね」
    母親に目配せしてから、屈んで鏡ちゃんと目の高さを合わせる。そのおおきな目が、じっと私を見つめてくる。
    と、その黒目が、一瞬違う色に光った気がした。私はまぶたをこすり、改めてその瞳を見てみる。
    そこにあったのは、真っ黒な目。日本人らしい、普通の、目だった。
    もう一度軽く挨拶をし合うと、ふたりはそのまま隣の部屋へ向かっていく。あの部屋はあの親子が越してくるという空き部屋ではない、既に住人のいる部屋だ。引っ越し先のご近所挨拶ということで、周りの部屋を巡ってゆくつもりなのだろう。
    ドアを開けた老夫婦に向かって、よろしくおねがいします!と大きな声で挨拶をしている鏡ちゃん。黒髪に白い肌、薄いパープルのワンピース。その姿を見ながら、さっきのは何だったのだろう、と私はぼんやり考える。
    確かに、見た。あの子の瞳が、別の色に光っているのを。でも、やっぱり見間違えだろうか。光の反射などでたまたまうつるような色でもないような気がするのだが。
    別にどうでもいいことなのに、私の心はなぜかそれを気にしてしまって仕方がない。
    鏡ちゃんの目は、あのとき確かに、紫色に見えたのだった。




ERROR of PURPLE SYSTEM




1.
    紅い館の吸血鬼とその使用人のように、複数名で神社にやって来る妖怪もいるにはいるが、普段はひとりでやって来る妖怪のほうが圧倒的に多い。
    例えば、あの騒々しい文屋やら、説教たれるのが好きな面倒くさい仙人やら、妖怪ではないが、魔理沙やら。それらが集まって偶然複数人になったり、神社で宴会をしようなどという企画が上がったりはするものの、基本的に神社に邪魔しに来る輩は、個人で来る奴が多かった。
    しかし個人で来るのが極めて珍しい妖怪もいる。だから彼女がひとりで、しかも何やら鬼気迫った様子でやって来たとき、また何か異変でも起きたのかと身構えた。が、その妖怪は長距離を走ってきたらしくすっかり息が上がっており、それが収まるまで私は話を聞くことができないままつっ立っていなければならなかった。呼吸が整うと、彼女は汗を拭いながら、話しはじめた。
    「れいむ、……ゆかりさまからの伝言です。しばらくは、神社からでないでください」
    いつもなら元気いっぱいにぴんと伸ばしている橙のしっぽが、だらりと腰から落とした状態になっている。
    「あなたがひとりでやって来るなんて珍しいわね、橙。……紫からの伝言?あいつに何かあったの?」
    私は非常に違和感を感じた。あのスキマ妖怪は、空間を切り裂きそこを出入り口にして、幻想郷じゅうのあらゆる場所へ容易に移動することができる。いつもそうして私の神社に不法侵入してくるくせに、今日はそれをせず、伝言という形を取ったのだ。しかもあの便利なスキマを使わせず、時間や労力も掛かるだろうに、わざわざ橙自身をこんなに疲れ果てさせるまで走らせて。
    また、伝言を伝えに来たのが橙という点にも疑問を感じていた。橙は藍の式神であって、紫直属の式は、藍だ。実際、主がすやすや眠っているからと、式である藍が私に紫の用事を伝えに来たことも何度かあった。だが、今回はそうではなく、何故だか橙を遣わせたのだ。
    「ゆかりさまは、その……いまは、ここまでこられないんです。だからわたしが伝えにきました」
    「藍はどうしたの?あんたが来たってことは、藍にも何かあったってことでしょう?」
    「らんさまは、……にー、わたしもくわしくはわからないです。らんさまはげんきで、ぴんぴんしてます。でも、ゆかりさまの命令で、あんまり動いちゃいけないよっていわれてて」
    「動いちゃいけない?話が見えてこないわね。藍には動くな、私には神社から出るな。一体何がしたいのかしら」
    紫はお喋りだが、秘密主義だ。何か怪しい悪巧みをするときも、藍にすらその計画を正確に伝えることが少ないという。だから橙にも、詳しいことは教えていないに違いない。それでもとりあえず、橙が知っている情報だけでも把握しておくことにした。
    「紫は今、どこにいるの?」
    「わからないです。ただ、なんとゆうか……ちょっぴりだけ、いつもとようすがちがいました」
    「どんな風に?」
    「わらいかたが。……いつもはすごくつよそうな、余裕があるような笑顔なのに、今日はちがいました。あと、スキマをだすまでにけっこう時間がかかったのと、だしたスキマもふだんよりずっとちいさかったです。ええと、なんとゆうか……」
    「妖力が落ちていたということかしら?」
    そう、そんなかんじです!と、語彙に乏しい橙は、まさにそれだというようにうんうんと頷いてみせる。
    「時間をかけてちいさなスキマを出して、その中から何を取り出したの?」
    「ううん、そのなかにはいっていきました。ゆかりさまはおっきいので、はいるのたいへんそうでした」
    「それからは?」
    「みてません。らんさまとわたしに伝言をつたえて、それからスキマにはいって、どこかにいっちゃいました。にー、どこにいるんだろう……」
    困ったような顔を浮かべる橙。私にも、紫がどこへ行ったのかなんて見当もつかなかった。
    はあ、とひとつ溜め息をつく。紫が何やら怪しい動きをしているのなら、それが異変レベルまで達したときに退治して収めてやればいい。けれど、何かが起こる前に、いや、むしろ何かを起こすために?私を利用しようとしているなら、なんだか気に入らない。なんの説明もなくただ神社から出るな、だなんて、唐突にもほどがある。
    「藍なら、少なくともあんたよりは事情を知っているかもね。橙、藍の居場所なら分かるんでしょう?あいつをここまで連れて来てくれない?」
    「に⁉ だめです、だって、ゆかりさまの伝言で……」
    「紫が藍に言った、動くな、という言葉は。恐らく、自分の後を追うな、自分のいないところで派手な行動を起こしたりしないで大人しくしていろ、って意味だと思うわ。言葉通り単純に、動き回るなって意味ではないはず」
    「にー……?そうなのかな?わたしにはわからないです」
    「とにかく、連れて来て頂戴。紫の言いなりになるつもりはないけれど、事情が分からない限りは、私が神社から出るのはあまり良くないような気がするから」
    「また走るんですか?ちょっとやすみたいです、にー……」
    「なら少し休んでから行きなさい。それに走らなくてもいいから。うーん、藍が詳しい情報を知っているといいんだけれど……」
    何がなんだか分からないが、あのスキマ妖怪め。奴の妖力が落ちているのが何故なのかは分からないけれど、とりあえず、次に会ったら文句をたれてやろう。たびたび面倒事を持ち込んでくるのはやめてくれ、と。
    青々とした空の下、とても心地よい昼下がりだったのに。私はもう一度、溜め息をついた。


2.
    メリーが待ち合わせ場所に来なかった。
    待ち合わせていたのは午前11時。私が到着したのは11時半。なのにメリーはそこにいなかった。こんなことは初めてだったので、場所を間違えたかな、と私はそれなりに慌てていた。
    しかし、先週何度も確認したのだから集合場所に誤りはないはず。ならば、やはりメリーが遅刻しているということになる。おかしいな、メリーらしくない、と私はひとまずその場を離れた。
    大学構内にある公衆電話の前で、私は手帳を広げる。メリーは私の私物にいちいちけちをつける癖があるが、この手帳も例外ではなかった。可愛くないわ、もっと女の子らしいものにしなさい、と言ってきたメリーに対し、私はこの手帳の実用性と利便性について熱心に語ったことがあった。
    メリーの自宅の電話番号を確認し、かけてみる。すると2コール目で受話器が取られたようで、もしもし、と声が聞こえてきた。
    それはメリーの声ではなかった。母親だろうか、それとも姉か、親戚だろうか。そういえば私は、メリーの家族構成について何も知らない。
    「あの、私、メリ……マエリベリーさんの友人の宇佐見蓮子という者です。メ、マエリベリーさんはいらっしゃいますか?」
    メリーのことをマエリベリーなんて呼ぶのは久々だ。なるほど、本人が言っていたように、たしかに発音しづらい。
    「あら、あなたが蓮子さん?あの子からよく話を聞いています。御免なさいね、もしかして今日、あの子と会う約束でもしていたのかしら?」
    はい、と私は答えた。マエリベリーさんに何かあったんですか?と尋ねると、重々しい声色で答えが返ってくる。
    「ええ、それが……あの子、昨日から入院することになって」
    「入院?」
    「府内の大きな病院に、緊急入院という形になって。今週の初めから体調不良は訴えていたのですけれど……」
    病名を聞くと、それは今国内で流行っている感染症だった。予防接種も出来ているし、すぐに治療すればそこまで酷い症状を現さないような病ではあったが。潜伏期間が長いため、感染してから端的な発症に至るまでのゆるやかな体調不良を、風邪か何かだと勘違いして重症になるまで気づけないケースも多いという。
    実際、死者も何名か出ている。けれど身の回りで感染者の話は聞かなかったので、予防のため体調管理には気をつけていたものの、ニュースのなかの出来事としてしか捉えられていない自分がいた。だから、メリーがその病に罹ってしまったと聞いたとき、私は結構なショックを受けた。
    「だ、大丈夫なんですか……?」
    「それが、……かなり悪化してしまっているようで。朝から晩まで吐き気と痙攣が止まらなくて、話すことも辛い状態で……お医者さまの話によると、今はなんとか眠れるようにはなったみたいですが……」
    「眠れるようには、って……。それでも、治療は進んでいるんですよね?」
    「ええ。けれど、殆ど効いていないのだとか……体質的な問題なのでしょうか、薬がなかなか効果を示さなくって。ああ、どうしましょう……」
    電話の向こうの相手は、焦っているようだった。当たり前だ。自分の身内が、……こんなことは不謹慎だし考えたくはないが、……このまま死んでしまう可能性だってあるのだから。
    しかしメリーの身を案ずる気持ちは私だって同じだった。メリーは特別なちからを持っている人間だから、大丈夫だ、と思いたい気持ちの裏に。……もしも万が一のことがあったら、といういやな想像が私の背筋をぞってさせた。
    もし話せるような状態になったら、お大事にとお伝えください、とだけ残して電話を切った。入院先の病院名を聞き忘れてしまったが、面会に行ってもそんなに重症なら治療の邪魔になってしまうだけだろう。それに、あの病は確か空気感染だ。私まで感染してしまってはいけない。
    いや、もしかするともうとっくに感染しているのかもしれないな、と私は思った。私はメリーと長い時間を共にしているのだから。今は潜伏期間で、今日にでも発症してしまう、という恐れはある。
    けれど今はそんなことはどうでもいい、とにかくメリーが心配だった。本来なら今日、この間ふたりで読んだ小説の解釈について議論するはずだったのだ。私は幾何学的な観点から生命の神秘を追求した良作だと感じたのだが、案の定メリーは違うらしい。いつものように、互いに持っている専門知識や価値観を交えながらの議論を行う予定だった。私はそれを、とても楽しみにしていたのだけれど。
    早くメリーの意見が知りたい。早くメリーと話したい。
    メリーが、一日でも早く病を乗り越えられますように、と私は祈った。


3.
    紫さまの昔話を聞いたことがある。
    あの方はあまり、ご自身のことを自ら話そうとはしない。けれど、一度だけ、私が生まれる前の紫さまについて詳しく教えて頂いたことがある。私を式神として雇う前、紫さまは紺という名の式を持っていたことがあるらしい。
    『やっぱり狐の妖怪だったわ』
    なんの気まぐれか、紫さまは聞いてもいないのに語りはじめた。
    『とはいえ、あなたよりもずっと力の劣った妖狐だった。橙のほうがずっとお利口さんね。とても忠実だったけれど、戦闘力が低すぎて本当に危なっかしかった。当時はスペルカード戦の制度が広まっていない時代だったから、ちょっと目を離した隙によく血塗れになっていたわ』
    私は、驕るつもりはないけれど、妖獣のなかではかなり高い戦闘力を持っていると自負している。だから信じられなかった。そんなに弱い小物妖怪なんかに、紫さまの式がつとまるはずはない、と。
    『紫さまはどうして、そんな世話の焼ける妖怪を式にしたのですか?』
    『どうして、ねえ。戦闘力の低さや頭の回転の悪さは関係なかったの。もちろん、藍みたいに強くて賢い子のほうがよく働いてくれて助かるんだけれどね。でも、本当に大事なのは中身。あの子は、世界に必要な存在として私が認め得る妖怪だったの』
    世界に必要な?と私が首を傾げる。幻想郷、ではなく、世界、という単語を使われたことが心に引っかかった。ええ、そうよ、と紫さまは笑った。
    『あなたもそうよ、藍。世界に必要不可欠な存在として、私が定義した』
    『定義、ですか。その紺という妖狐の後を継ぐために、私が式として採用されたということですか?』
    『まあ、簡単に言うとそんなところね。紺が生きていた頃、博麗神社には強い力を持った巫女がいたわ。今の平和な幻想郷のやり方では分からないけれど、もしもルール一切無しの土俵で本気で戦ったとしたら、霊夢なんてすぐに殺されてしまう程度には強かった』
    紫さまが物騒なことを言うが、それは今の幻想郷に慣れてしまった私だから持てる感覚なのだろう。スペルカード戦の制度が考案されてからというもの、幻想郷は本当に平和になった。
    『赤と青、それが対になって世界を守っていたのよ。だからその巫女が死んでからは、私は紺を式として使うことをやめた。神社にまた新しい逸材が生まれてから、再び式として契約するつもりだったんだけれど。その前に紺が死んでしまってね、だから新たな巫女が生まれる前に、新たな式を保持しておく必要があった。そこで見つけたのが、藍、あなたなのよ』
    紫さまの話は、抽象的すぎてよく理解できないことが多い。赤と青?神社の巫女と、紫さまが式を使うこととに何か関連性が?頭のなかを整理しきれずに私は尋ねた。
    『ええと、申し訳ございません、紫さま。……もう少し解り易く説明して頂けませんか?』
    紫さまは、あらごめんなさい、と可笑しそうに笑う。多分、私が理解できないことを知っていながらあんな言い回しをしていたのだろう。
    『じゃあ、数字が得意なあなたには、こんな風に説明をすれば解り易いかしら。1+1はなあに?』
    試すように訊いてくる紫さま。何か引っ掛け問題を出しているようなにやにやした顔をしているが、こういう顔の紫さまが本当に難しい引っ掛け問題を出してくることはあまりない。
    だから私は普通に答えた。
    『2です』
    『正解』
    当然の答えが返ってくる。
    『幻想郷と外の世界はね、足して2になるの。けれど、ふたつを足さないと2にはならない、ひとつひとつだとお互い端数が出来てしまって、中途半端な世界になってしまうの。だから、幻想郷と外の世界が両立していることには大きな意味がある。どういうことだか分かる?』
    『ふたつを足して初めて2になる。幻想郷+外の世界=2ですが、幻想郷=1、外の世界=1ではない。ということでしょうか?』
    『また正解。藍は賢いわね』
    ぱちぱちと、紫さまはちいさく拍手をした。そしてそのまま説明を続ける。
    『幻想郷はね、0.5の赤いシステムと、同じく0.5の青いシステムに支えられているの』
    『赤と青……というと、丁度対になる色ですね。0.5と0.5で、丁度1になる』
    『そう、そのふたつは揃って初めて作動するセットのシステムなの。でも、そのふたつを調整するためのシステムも必要でしょう?それが、0.5の紫色のシステム』
    『0.5+0.5+0.5、つまり幻想郷は、1.5のシステムによって成り立っているということでしょうか?』
    『いいえ、違うの。ここで、ちょっとした問題が発生するのよ。赤と青のシステムは対になれば1になれる。けれど、紫色のシステムは?紫色のシステムも0.5なんだから、対となる存在が要るでしょう?』
    『なるほど、では青と赤と紫、そしてもうひとつのシステムが、幻想郷には存在するということですね』
    『その、もうひとつのシステムっていうのが大変でね。なんと、幻想郷には、紫と対になれるシステムが一切存在しないの』
    数字で例えてもらっているので混乱はしないものの、紫さまが簡潔に説明して下さらないので話を呑み込むのに少しだけ時間がかかる。わざと回りくどい話し方をしているに違いない。まあいつものことだけれど。
    『幻想郷に無い、つまり外の世界にあると?』
    『ええ。だから紫のシステムは、それを探すために自身を半分に割ったの。0.5をふたつに割ったのだから、0.25と0.25ね。そして幻想郷と外の世界にそれぞれ拠点を置くことにした。すなわち、』
    『幻想郷は、0.5の赤と0.5の青、そして元々は0.5だった紫の欠片、つまり0.25の片割れ紫。これらを足した1.25のシステムによって出来ている、と』
    紫さまは何も言わずに微笑んできた。正解、なのだろう。
    『となると、幻想郷と合わせて2になるはずの外の世界は、0.75のシステムから成っているのですね。0.25は紫の片割れ、残りの0.5は、紫が探している
紫と対になるシステム』
    『長い時間を掛けて探したわ。でも、数年前にやっとね、見つけたの。紫を1に出来る、0.5のシステムを』
    『おや、そうだったのですね。それは何色のシステムなのですか?』
    『黄色。綺麗な月光の色よ』
    月光ならば、黄色というより白なのではないか。そう思ったが、それは私の個人的な考えなので言わないでおいた。
    『それで、一体何なんです?その、青やら赤やら紫やら、黄色やらのシステムというのは』
    『藍は以前、外の世界で信号機を見たことがあるわよね?あれみたいなものよ。赤はとまれ、静のシステム。ぶれないよう世界の根幹を守り続けるの。それに対し青はすすめ、動のシステム。淀まないよう世界の可変的部分を巡らせてゆくの』
    『なるほど。その理論でいくと、黄色は注意、ですね』
    『その通り。青と赤のシステムを調整するのが紫のシステムだというのは、さっき言ったわよね?でも、もしも紫のシステムでも制御しきれない事態が起こったとき。あるいは、紫のシステムに異常が起こったとき。そんなときに作動してくれるのが、黄色のシステムっていう訳』
    『黄色はエラーが起こったときにのみ作動する隠れシステム、といったところなのでしょうか。興味深い説ですね』
    『説、ねえ。当の本人にそう言われてしまうと、事実もただの一説みたいに聞こえてしまうわね』
    私は驚いて目を見開く。今、紫さまは何て言った?
    『本人?私が?……何のことですか?』
    『私がどうして、あなたに藍という名を与えたのか分かる?』
    愉快そうに笑ってみせる紫さま。ここで私は、先ほど、0.5やらシステムやらの話に変わるまで紫さまが話していた内容を思い出す。
    紺。それが、紫さまが昔使っていた式の名前。
    そして今の紫さまの式、私の名前は、……藍。
    『紺と藍……青系統の色。つまり、紺や私は……』
    『そうそう、青のシステムを司る存在なのよ』
    軽い調子で言ってのける紫さまの前で、私はどんな間抜け面をしていただろうか。開いた口が塞がらなかった。
    ……いや、ちょっと待てよ。さっき、赤や青といった単語を紫さまが出した前後、紫さまは何の話をしていた?
    霊夢を凌ぐほどの力を持った巫女が、博麗神社にいたと。そして彼女が死んだとき、紺との契約を解除したと。
    青のシステムを司る紺を紫さまが手離したのは、赤のシステムが消えてしまったから、赤とセットだった青が無価値になってしまったからだと推測できる。つまり、
    『もしかして、……赤のシステムを司っているのが霊夢で。紫のシステムを司っているのは、紫さまなのですか……?』
    『勿論。もっとも、紫の私は0.25の存在。片割れは外の世界で、黄色いシステムを司る人間と共ににいるんだけれどね』
    紫さまの口調からは、内容相応の重みを全く感じられない。もしかすると、事実だと言っておきながら、本当はただの戯言なのかもしれない。
    私は、深く考えるのをやめることにした。紫さまはいつも、現実なのか妄想なのか分からないような言葉で他者を惑わせるのだ。嘘つきには必要な嘘だけをつく者と無意味な嘘をもつく者とがいるけれど、紫さまは残念ながら後者だ。だから、あまり思い悩んでも意味がないと、私は判断したのだった。
    『まあ、……ええ、いつものことです。あまり気にしないことにします』
    『あら、何の話かしら?』
    『黄色のシステムは人間が司っているんですね。まあ、外の世界の存在なんですから当然といえば当然ですが。紫さまの片割れの方は、黄色の方と仲良くやっているのでしょうか?』
    『とても仲良しよ。そして、黄色の人間はとても賢いし、面白い人間』
    『なるほど。是非お会いしてみたいですねえ』
    『そのうち来るかもしれないわよ?幻想郷に』
    私は割と適当に会話をしていたのだが、紫さまはそこですっと目を細める。どこか遠く、そう、まるで幻想郷の外を眺めているかのように。
    『……私か、片割れの子か。紫のシステムにエラーが起これば、ね』


4.
    気づかぬうちに、眠り込んでしまったようだ。
    起きたとき、視界は霞んでいた。寝ぼけ眼をこすりつつ、ふらりと立ち上がる。周りを見渡してみると、そこはまるで知らない風景だった。
    ええと、私はここで何をしていたんだっけ……?眠る直前までの記憶を辿ろうとするが、頭がずきずき痛み、思い出せない。思い出せたのは、メリーの家に電話をかけたところまでだった。
    空を見る。晴れ渡った空には、星も月もまだ浮かんでいない。ここは一体どこなんだろう、と、私はとりあえず周辺をうろついてみることにした。
    道はあるものの、建物は全く見当たらない。緑が多く、まるで田舎のようだ。さっきまで大学構内にいたはずなのになあ、と不思議に思いながら道なりに進んでゆく。
    と、前方から走ってくる影が見えた。小柄で、赤っぽい服を着ているようだ。近くまで来たら声をかけようと思ったのだが、それは叶わなかった。
    なんとその子は、私が通りすがりに声をかけることもできないようなスピードで、高速で去っていってしまったのだ。目の前まできた一瞬、その子がどんな姿をしているのかをじっと見てみたのだが、どうやら猫の耳のようなものを生やしているらしかった。そして、背中を見送ると、腰の辺りからは長いしっぽのようなものが。コスプレ、というやつだろうか。
    いいや、と私はすぐに否定した。ここはきっと、私たちの住んでいる世界ではない。どこか別の、メリーがよく見ているような世界なのだ。だとすると今の子は、妖怪か何かに違いない。
    数分後、今度は背後から足音が聞こえてきた。さっきよりも更に速いスピードで、私を追い抜かしてゆく。二人組で、片方は先ほどの猫妖怪に見えた。そしてもうひとりは、黄色いしっぽがたくさん生えた、青っぽい服を纏っている人物だった。
    私はとてもわくわくしていた。知的、かどうかは知らないが、とにかく好奇心を抑えられない。メリーがいつも話してくれるような世界に、今、私は立っているのだ。
    メリー、という名を思い浮かべて思い出す。そういえば、メリーは大丈夫なのだろうか。もしかすると、私が今こうしてこんな世界に飛ばされたのも、メリーの体調不良と何か関係があるのではないか。
    そう考え始めると、背中がぞわぞわと沸き立つような恐ろしさに襲われた。メリーは、……メリーは、本当に今、無事なの?まさか、もう……。
    私は駆け出した。だからどうなる、だとか、そんなことは考えずにただ走り続けた。恐ろしい予感を振り払いたかったのか、とにかく誰かと話して自分がこの世界にやって来た理由の手がかりを得たかったのか。分からない、でも走らなければいけない気がした。
    走って、走って、走って、走って。
    私は、躓いて転んでしまった。


5.
    珍しい組み合わせで、隣り合わせ座っているふたりを見るなり、師匠はあからさまに嫌な顔をしてみせた。
    「何かしら、急用って。人里からここまで来るまでには、地味に時間と労力が掛かるのよね」
    すぐそばには、手ぬぐいで顔を伝う汗を拭いている化け猫の姿が。ちいさなからだを呼吸で乱しながら、こいつは人里まで来ていた私たちを呼びに来たのだ。神社と人里を往復するだけで、妖怪が息をきらすとは考えにくい。恐らく、私たちを呼びにくる前にも、結構な距離を走らされていたのだろう。
    「や、実はまだ私にも事情がよく分かってないのよね。橙にあんたを呼びに行かせたのはこいつ、藍よ。藍、あんたから説明して」
    藍と呼ばれた妖狐は深刻な面持ちで永琳師匠を見据える。こいつは確か、あの八雲紫とかいう妖怪の式神だ。紫は二度にも渡る月面戦争の首謀者であり、その意味で永琳師匠とは、いがみ合うとまではいかなくとも少なからず因縁の深い人物だ。そう考えると、藍が師匠に頼み事をしようと決意するまでに至る感情は、複雑なものだったに違いない。
    「……忙しい中、申し訳ない。八意永琳さま、あなたに頼みたいことがあります」
    腰を低くして話し始める藍。対して師匠は、冷たい態度を崩さない。
    「頼み事があることはとっくに分かっているわよ、だからこそこの猫が必死で呼びに来たんでしょう。それで、用件は?すぱっと簡潔に」
    師匠は別に、この妖狐に対して深い恨みがあるわけではないだろう。けれど一応、旧敵ということで、こんな威圧的な態度をとっているのだと思う。師匠は役者だ、よく私も騙される。
    「では単刀直入に。とある外の人間が恐らく怪我をしたか、病に罹ってしまった。それを治してやってほしい」
    「は……?何よそれ、もう少し詳しく言って頂戴」
    簡潔にと言ったのは師匠なのに。そう突っこみたい気持ちをなんとか堪える。
    「実は、私の主人……紫さまには、大切な人間がいる。私は会ったことがないし、紫さま自身もそういったことをほのめかす程度にしか話していなかったが、今日、そういった人間が実在するのだと確信した。紫さまが言っていた話によると、その人間は外の世界にいる紫さまの片割れ的存在だ。紫さまは昨日から妖力を減退させ続け、今朝、どこかへ姿をくらませてしまった。恐らく昨日頃からその人間の生気が薄れ、それに共鳴するように紫さまの妖力が薄れていったのだと私は推測している。だとすると、紫さまが向かったのは、外の世界にいるその人間のもとだろう」
    「なにそれ、随分とぶっ飛んだ話ね。本当に紫がそんなこと言ったの?」
    途中で博麗の巫女が突っ込む。猫も詳しいことは分からないなどと言っていたし、どうやらこの三人、情報共有が充分に出来ていないらしい。
    「ああ、確かに言っていた。そのときはいつものような戯れ程度の話としか捉えていなかったが……紫さまの妖力があれだけ減退するなんて、普通は考えられない。普通でない何かが起こったんだ、そこで思い浮かんだ。そういえば、紫さまが以前、外の世界に片割れがいるという話をしていた、とね」
    私は幻想郷では比較的新参者で、幻想郷についてもよく分かっていないことが多い。外の世界のことなんて、もっと分からない。だから藍が捲し立てる話が現実的な話なのか、それとも霊夢が言うように非現実的と思える話なのか、それすらも分からなかった。
    「なるほど、信憑性は別にしても一応、理解は出来たわ。でも私がどうやって外の世界に?それともその人間を幻想郷まで連れてくるとでもいうの?」
    師匠の問いに、藍は言葉では答えない。もぞもぞと懐に手を入れると、そこから、何やら糸のようなものを取り出した。
    私と師匠はそれが一体何なのか分からず、目を凝らして見つめてみた。が、猫と巫女にはすぐ分かったらしい。ふたりとも、驚きを隠せない表情でいる。
    「らんさま、それ……!」
    猫が叫ぶと、藍は落ち着いた顔で頷き、目線を師匠のほうへと戻した。
    「これは、紫さまが普段使っていらっしゃる……スキマと呼ばれている代物だ。物質というよりは、紫さまの能力を可視化させたものという表現が近いのかもしれないが……」
    八雲紫は神出鬼没の妖怪だ。境界を操って空間を切り裂き、そのスキマから物を出し入れしたり、自身の体を移動させたりできるという。しかしそのスキマが、何故、藍の懐から?
    「紫さまの能力は境界を操る程度の能力。スキマを開き、そして、閉じるまでが紫さまの能力だなんだ。しかし、今日の紫さまは妖力が著しく低下していた。だから開くまでにもかなりの時間を要した訳だが、」
    「閉じるまでにもかなりの時間を要した。……なるほど、あいつのスキマは開いたらすぐに閉じてしまうけれど。今日に限っては違ったということね」
    霊夢が納得したように頷く。私にも理屈は解ったけれど、あの強力な妖怪がそこまで力を弱めてしまっただなんて、なんだか信じられなかった。
    「ああ、……だからか。紫があんたに、動くな、と言ったのは。そういう意味だったのね」
    「そう、今の紫さまの力ではスキマをすぐには閉じられないから、余計なことをせずそれを守るようにと。勝手に自分の後を追ってくるなと、そういう意味でのご命令だったのだと思う」
    霊夢と藍が話を進める。私にも、だんだん大まかな事情が読めてきた。
    藍は紫から閉じないスキマを預かり、それを弄らないよう命令したまま、外の世界へと移動する紫を見届けた。その目的は恐らく、自身の片割れである人間のもとへ向かうため。その人間が何か病に罹っているのか、大怪我を負っているのか詳しいことは分からないものの、とにかく、紫の妖力が低下しているのはその人間の生気が低下しているからだと藍は推測している。だからその人間を治療すれば、紫の妖力も戻るはずだと。
    師匠は、ふ、っと笑った。その笑い方からは何か自虐的なものを感じた。
    「なるほど、そのスキマとやらが一体どんな仕組みかは分からないけれど……あなたの顔を見ればなんとなく分かるわ、そのスキマは今、あの紫妖怪のいる外の世界へと直接繫がっているのね。それで、そのスキマから私を外の世界へ連れ出し、衰弱した人間を救ってほしいと」
    「そういうことだ。……月の都は幻想郷よりも、外の世界に近い技術を持っていると紫さまは仮定していた。そしてあなたは特に、月の都の頭脳と呼ばれるほど高い知能を持った者だと聞いている。頼む、何とかしてくれないか」
    「あなたはいいの?それで。ご主人さまに、余計なことはするなと命じられていたんじゃないの?」
    師匠はまた自嘲する。
    永琳師匠は、基本的に私とは主従関係にある。私は師匠の命令に逆らったことがない。けれど、師匠には私以外に、主従関係を結んでいるお方がいるのだ。いや、その関係は紫と藍のように、契約によるあからさまなものではなくて、もっと複雑なものなのだが。とにかく師匠には仕えるべきお方がいて、でも、師匠はそのお方に決して従順な訳ではない。
    師匠は基本的に自分の意志で行動する。命じられたことは遂行するけれど、それに自らの意向を併せて行動に移すことが多い。もちろんそれはあのお方を想ってのことだ、師匠がどれだけの覚悟を以ってあのお方の側にいるのかは私も重々承知しているのだが……何というのだろう、永琳師匠は、ただ命令に従うだけの機械的な僕ではないのだ。
    だから、自嘲する。主を想うがために、主の命に逆らおうとする藍を見て。自分の姿と、重ね合わせてしまって。
    藍は苦しい顔をした。そういえば、私たちが異変を起こすより前に、紫が藍にこってり仕置きをしたことがあるのだと白黒の魔法使いから聞いたことがある。どうやら命じられてもいないことをしてしまったせいで、叱られてしまったらしい。動物虐待だと文屋が報じていたわねえ、と霊夢もつまらなさそうに言っていた。
    話したことはあまりないが、藍が命令を的確にこなす真面目で律儀な妖怪だということはよく分かっている。その藍が、するなと命じられていることを、しかも主の敵ともいえる相手に頼み込んでまでしようとしているのだ。その心境は、きっと辛いものなのだろう。
    「……。紫さまを想ってのことです」
    師匠は目を細める。
    もしも。もしも姫さまが同じような状況に陥ったとしたら。……師匠は、どんな行動に出るのだろうか。
    「主のため、ねえ。でも彼女は、あなたに何もするなと言ったのでしょう?それはきっと、彼女にとって、それが最良の選択だったからなんじゃないかしら?その最良の選択を、あなたは壊すつもりなの?」
    「紫さまにとっての最良の選択が、私にとっての最良の選択だとは限らない」
    きっぱりとそういってのける藍。
    それはある意味、主への反逆を意味する言葉とも受け取ることができたが。
    その瞳には、確かに、主を想う従者の決意が現れていた。
    師匠は黙って立ち上がった。そしてそのまま、襖を開けて廊下へと出る。一体何だろう。師匠が抜けた部屋のなかで、重い沈黙が流れた。
    やがて師匠が戻ってくる。それは、いつも人里へ持ち運んでいるものとは違う、大きな四角い鞄だった。軽々と持ち上げていた師匠だが、それを床に置いたときの音で、その鞄がどれほど重いものなのかを悟ることができた。
    室内に戻ってきても、師匠は座らない。立ったまま、正座している藍を見下ろす。
    「この間は、私の昔の教え子たちが随分世話になったそうじゃない。……盗んだものはもうとっくに消費してしまっているでしょうけれど。それより高い価値のあるものを、あなたは支払えるのかしら?」
    う、っと藍は押し黙る。師匠が言っているのは恐らく、第二次月面戦争のときのことだろう。その件については私も詳しくは知らないが、月の姫たちが紫たちに一杯食わされたらしいということは、知っていた。
    「……紫さまがつい先日、外の世界から珍しい酒を仕入れてきた。が、紫さまはそこで満足してしまって、瓶を開けないまま放ったらかしにしている。……今思いつくのは、それくらいしか……」
    「外の世界の酒、ねえ。なるほど。いいわ、それで手を打とうじゃないの」
    眉をひそめていた藍の目が、おおきく見開かれる。隣にいた霊夢も、驚いたような表情を浮かべていた。……ほら、師匠。師匠があんまりに威圧的な態度をしていたから、ふたりともすっかり意外そうな顔をしていますよ。
    対して私は、意外でも何でもなかった。外の世界の人間をひとり治療する、ただそれだけのことで師匠が難色を示すわけがない。自分たち、特に姫さまに何か危害が加わる可能性があるのなら別だが、今回はそういう訳でもないし。
    「すまない、……ありがとう。この借りは必ず返す」
    かたじけない、と深く礼をする藍。師匠の狙いは、きっとこれなのだ。
    別に快諾しても構わないような頼み事を、敢えて否定的な態度で返し、渋る。そしてその末、仕方がないわね、とでも言わんばかりに了承する。そうすることによって相手により大きな感謝の心を抱かせ、大きな貸しをつくることができる。
    相変わらず抜け目がないなあ、と私は感嘆した。嘘つきには必要な嘘だけをつく者と無意味な嘘をもつく者とがいるけれど、師匠は前者だ。役者かつ策士、無駄のない言動。このひとには叶う気がしない、と改めて思い知らされた。
    師匠の一言により外の世界へ行くことが決定してからの藍の行動は、迅速だった。霊夢は紫の伝言通りそのまま神社にいること、藍の式である猫は閉じかけつつあるスキマをこじ開ける作業を手伝うことを、それぞれ藍に命じられる。そして、入り口が小さくなりすぎないうちに、と藍が頭からスキマに入り込む。
    なんとか足の先まで滑り込むことができた藍に続き、師匠もスキマの淵に手を伸ばす。そこで私は、師匠に問い掛けた。
    「師匠、私は何をすればいいですか?」
    ここまで何も指示されなかったのだから、特に重要な役割は与えられないだろう。けれど、それでも私は師匠の従者。師匠が仕事をしているあいだに何をしていたら良いのか、確認しておく必要があった。
    師匠はこちらを振り向く。そして言った。
    「ああ、帰ってていいわよ」
    そのままするりと、スキマのなかへと消えてゆく師匠。藍のほうがずっと手慣れているはずなのに、師匠のほうが簡単にスキマへ入ることができた。藍のあのやたらとボリュームのあるしっぽが原因だろうか。
    帰っていい、と言われた私は、大人しく永遠亭へと帰ることにした。いや、いつものことなのだが、割と切ない。何もあそこまで冷静に、きっぱりと言わなくてもいいのに。
    人里で配るために持ってきていた薬をたくさん抱えつつ、ひとりで歩いてゆく私。今日はよく晴れている。竹林は陽の当たりが悪いから、こういう明るい陽射しの下をひとりで歩くことはあまりなく、なんだか新鮮だった。
    ふと前方に目を遣ると、誰かが道端に座り込んでいるのが見えた。目を凝らすと、その膝には軽いかすり傷が。歩いていたところで転んでしまったのだろう。
    黒い帽子に黒いスカート、白いブラウス。地味といえば地味だが、なんだかどこか特徴のある人物だった。何だろう、まるで住んでいる世界が違うような、そんな。妙な感覚だった。
    彼女は私の姿、特に耳を見るなり一瞬驚いたような顔をした。が、すぐに嬉しそうに目を光らせた。一体何だというのだろう。変な奴だ。
    師匠と医者の真似事を始めてからというもの、怪我人を見ると放っておけない質になってしまった私は、すぐに持っていた薬瓶の中から人間向けの薄めの消毒液を取り出した。傷は見た目よりもかなり浅いが、だからこそ、こいつが人間、もしくはそれに近い種族であることを認識できた。並の妖怪ならばこんな傷、私が駆けつける前にみるみる治ってしまうだろうから。まあ、どんな致命傷を負っても死なないような例外の人間も中にはいるが。
    彼女は綺麗な目をしていた。例えるならば、そう、月光。色自体は真っ黒なのだが、雰囲気は、月光のように遠くて、鋭くて、心地よかった。
    消毒液を塗っているあいだ、彼女はずっと何かを聞きたそうにうずうずしていた。だから一体、何なんだ。本当に奇妙な人間だった。


6.
    ピッ、ピッと、規則的な機械音が真っ白な部屋に響き渡る。
    窓際にある細長い机のようなスペースに、花瓶が置かれていた。その花の名は、菫。私はその隣に寄りかかり、暮れゆく空に背を向ける。けれど、私のかたちをした影は、部屋の壁や床のどこにも見当たらない。当然だ。私は、この世界の住人では、ないのだから。
    その部屋は完全なる密室だった。徹底的に管理された衛生的空間。幻想郷では見られないこの無機質な空間が、私は嫌いではなかった。
    しかし、この空間に自分がいなければならないことは、あまり好ましくないことだった。ここは何かしらの病を患った人間が収容される病棟だから、人間にとってもそれは同じはずだ。だからこそ、私は、憐れむ。
    メリーはベッドの上で眠っていた。朝は少しうなされていたが、今はすっかり眠ってしまったようでぴくりとも動かない。しかしそれは、彼女の病状が安定したという証にはならないのだ。手首から伸びている数本のコードから、メリーの体に何やら透明な液体が送り込まれていた。その、コードの端にある手首に刺さった針が、巻かれたテープの間から少しだけ見て取れる。痛々しい、と私は素直にそう思った。
    眩暈がした。反射的に額に手を遣る。視界がぐらぐら歪んだものの、またすぐ元に戻り、私は深く溜め息をつく。陽が傾いてきた頃から、もうずっとこんな調子なのだ。全体的に体もだるいし、立っているだけなのに、脚には結構な負担が掛かっていた。
    ゆるやかな衰弱だった。人間は呆気なく死んでしまうものだが、こうして徐々に、少しずつ身体を弱らせてゆく様子を見ていると、なんだかとても時間の流れが長く感じる。私はもう何日も、ここにこうして立っている気がした。
    メリーの心臓の音が聞こえた気がした。気のせいだった。彼女は私の片割れだけれど、それでも別の、全く異なる生き物なのだ。
    「死んでしまうの?メリー」
    問い掛けた。勿論返事はない。
    「……いつもはお喋りなあなたなのにね。今日は確か、蓮子と何か議論をする予定だったんじゃなかったかしら?とても楽しみにしていたわよ、あの子。……なのに、ね」
    メリーは死んだように眠っているが、まだ生きている。境界を見る程度の能力を持つ彼女は、夢のなかで、自身の生と死の境界を見ているだろうか。
    「知っている?近々ね、あの子の家の隣に女の子が越してくるの。まだ幼い子でね、とても色が白くて綺麗な子。紫色の洋服がお気に入りみたいで、今日もそれを着て蓮子のところへ挨拶に行っていたわ。……意味、解る?」
    メリーはいつも紫色のワンピースを好んで着ている。けれど今の彼女は、白いパジャマを身に纏っていた。あまり、似合わない。
    「わたしのこの体調不良は一時的なものよ、衰弱してしまったあなたに共鳴しているだけ。……でもね、ふたつの電池のうち片方が古くなってしまって機械が動きづらくなったなら、新しい電池を補充すればまた機械が動くようになるでしょう?それと同じ。……現れたのよ。0.25である私を0.5に出来る、紫色のシステムの片割れが」
    私はメリーから目線を逸らし、振り返った。窓の外には、大きな道路が。多くの車が、人々が、行き交いながらもなかなかぶつかったりはしない。横断歩道の先を見ると、信号がちょうど、赤になったところだった。
    「ねえ、メリー。あなたのせいで、私たちに、紫色のシステムにエラーが起きてしまったのよ?だから蓮子は今頃、幻想郷に飛ばされている。私は早く、この状況を打開したいわ、そしてそのためにはふたつの選択肢があるの。ひとつはあなたが回復して0.25に戻ること、そしてもうひとつは、……」
    もうひとつは。
    あなたが死ぬこと。
    私はメリーという片割れを見つけるまでに、かなり時間をかけてしまった。それは、当時は何の手掛かりもなかったからだ。けれど、今は違う。もしもメリーが消えてしまっても、新しい片割れをすぐに見つけられるようなヒントが、今なら、ある。
    それが何だか分かる?と、心のなかでそう問うてみる。しかし、やはり、答えはない。
    「正解はね、蓮子よ。私たち紫色のシステムは、蓮子の黄色いシステムと対になっている。だから、あなたの後任をつとめる存在は、十中八九蓮子のそばに現れるはずなの。そしてその後任さんは、もう、……見つかってしまった」
    信号の色が変わる。青。止まっていた人間たちは、それぞれまっすぐに歩きはじめる。
    私はしばらくそれを見つめていた。大道路だからだろう、歩行者用の信号が青く光っている時間が、比較的長いように思えた。しかし永遠に青いわけはない。やがてちかちかと点滅し、再び赤になる。
    青と赤の境界を、人間たちは理解していた。だから世界は崩れない。青があり、赤があり。それが世界を循環させる。
    けれど、それを支えている紫色の存在に、一体誰が気づくというのだろう?それは、目には見えないシステムなのだ。とても重要で、大切な役割を果たしている存在なのに。私たちは、解ってもらえない。
    がくっ、と私は膝を落とした。自分でも驚いた。いきなり体の力が抜けて、倒れ込んでしまったのだ。
    苦しくはなかった。ただ、全身の力が衰えてゆくのを感じた。体力、筋力、妖力。ああ、と私は覚悟を決めた。
    もう駄目なのね。20年くらいだったかしら。たったそれだけの年月なのにね。ええ、それなりに楽しめたわ。
    小泉鏡、だったかしら。あの子が新しい私の片割れとなる。蓮子といい関係を築けるといいんだけれど。蓮子は変わった子だから、ちょっぴり心配だわ。
    知っている?死んだ者はね、閻魔さまのもとへゆくのよ。幻想郷担当の閻魔は説教臭くてうるさいけれど、こちらの世界の閻魔さまはどうかしら。あなたを極楽へ、連れて行ってくれるかしら。
    ……いえ、行けないはずはないわね。あなたはとても、生き生きとしていた。みんなとは違う、不思議なものを見ながら育っていったはずなのに、とても健やかに生きていた。閻魔さまだって、それをちゃんと解っているはずよ。
    ありがとう。楽しかったわ。

    ばいばい、メリー。

    わたしがまぶたを閉じようとした瞬間、ばき、っと何かが裂けるような音がした。
    何かを無理やりこじ開けるような、そんな音。私はびっくりして顔を上げた。しかしそこにあったのは、ごく見慣れた光景だった。
    空間の亀裂。私のスキマは閉じることが出来ないまま、室内の天井近くに浮かんでいたのだ。そこから一本の腕が伸びてきた。そしてひょっこり頭部が出てきたかと思うと、誰かがばたりと床に落下する。続いてもうひとり、頭から落っこちてきた。
    初めに落ちてきた者の顔を認めるなり、私は唖然とした。そして次に落ちてきた者を見て、更に驚いた。一体どういうこと?私はきちんと、幻想郷の空間に残ってしまったスキマを守るようにと伝えたはず……。
    ふたりが同時に私を見る。聞きたいことはたくさんあったが、口を開くのも億劫なほどの疲労感が私を襲っていた。するとふたりは何も言わず、すぐにベッドの上にいるメリーに目線を向ける。
    二番目に落ちてきた人物、八意永琳は大きな鞄を抱えていた。それを持ったままメリーの元へ駆け寄り、顔や胸や手足や、体の様々な部位を調べている。そしてひととおり調べ終わると、鞄を広げて何やら瓶を取り出した。
    「よくあるタイプの病ね」
    いくつかの瓶を手際よく開けていき、それを少量ずつ、空のカップに注いでゆく。
     「よくある、っていうのは、月の都での話だけれど。……なあにこれ、点滴?こんなものを何種類も投与しなければ治せないだなんて、全く地上は遅れているわね」
    透明なカップに溜まってゆく液体は、恐らく何かの薬品だろう。それを丁寧に、かつ素早く調合していく。
    出来上がったのは、薄い桃色の薬だった。まるでジュースのように見える。永琳はカップに注射針を突っ込み、その薬を注射器に補填する。注射器の中身が一杯になったとき、カップの中身は、空っぽだった。
    あのスピードで、一滴の誤差もなく、注射器一本分に相当する量の薬を調合したというのか。ぼんやりした頭でそう考えながら、私はその薬を注射されるメリーの腕を見つめていた。薬が全てメリーの体に注入されると、永琳は涼しい顔で藍を振り向く。
    「……もう大丈夫よ。特効薬を、体に直接注射したから。これで、一時間以内には全快になるはず」
    藍の顔がぱっと輝く。と、私の体にも急激な変化が訪れた。霞みかけていた視界が突然クリアになり、体の力もみるみる回復していった。
    試しに立ち上がってみる。立ちくらみもない、本当に本調子だ。咄嗟には理解できなかったが、あの月の頭脳が、私たちを助けてくれたのだろうか。
    藍と目が合う。そのときの私はどんな顔をしていただろう。そのまま視線を逸らさずにいると、次の瞬間、藍の顔がすぐ隣にあった。
    ぎゅう、と抱き締められる感触。あたたかかった。当然だ。彼女は私の式である以前に、ひとりの、妖怪なのだから。
    「……紫さま。紫さま……!」
    堰を切ったように私の名を呼び始める藍。あまりに強く抱き締めてくるものだから、少し痛かった。でも、それは生きているからこそ感じられる痛みだ。生きている。
    そう、生きている。
    メリーのほうを振り向く。すやすやと眠っていたけれど、その顔は、とても優しい。一体どんな夢を見ているのだろう。
    私はしばらく、藍に抱きつかれたまま立っていた。無意識に抱き締め返そうとしていた両手が、ほんの少しだけ、照れくさかった。


7.
    よるになって、おほしさまがきらきらかがやきだした。ほしのひかりはまぶしすぎないから、なんだかおちつく。
    えんがわでそれをずっと見ていると、ちぇん、ごはんだよってらんさまがよんでくれた。わたしはげんきいっぱいに、はあい!とへんじをする。
    はくれい神社のなかのおへやは、わたしがふだんすんでいるおうちのへやよりも、ちょっとせまかった。らんさまがはこんでくれたりょうりを、わたしはさっそくたべはじめる。もちろん、いただきます、ってちゃんと言ってから。
    「全く、私の大切なお酒を勝手に取引に使うだなんて。うっかり式神を解雇したくなるところだわ」
    ゆかりさまが言う。でも、そのかおはぜんぜんおこってなかった。
    「すみません、紫さま……。あのときの私には、あれくらいしか思いつかなくて」
    らんさまも、ちょっぴりごめんなさいってかおをしてたけど、言いかたはすごくあかるかった。だからわたしも、いっしょにうれしくなってしまう。
    「にー。ゆかりさまもらんさまも、ぶじにもどってきてよかったです」
    「だからって何でそのままうちで夕飯って流れになるのか全く理解出来ないんだけれど。ま、藍の料理が不味くないから許す」
    れいむはとってもおいしそうにごはんをたべている。らんさまのてりょうりは、わたしもだいすきだ。
    「で、その後どうなの?その人間は」
    「絶好調よ。すっかり元気になって、ぴんぴんしているわ。全く、お騒がせな子ね。変なエラーを起こして」
    「エラー?」
    わたしがとろうとしたおつけものを、れいむがさっととってしまった。さいごのいっこだったのに。わたしはくやしくなってれいむを見たけど、れいむはぜんぜんこっちを見てなかった。
    「そう、エラー。……あの子は大切なシステムだったのよ。世界を循環させる上でね」
    「システム?またよく解らないことを……」
    「赤、青、紫、黄色。この四色のシステムで世界は成り立っているの。で、今回、紫色のシステムにエラーが起きたから、ちょっと大変なことになったって訳」
    こんどはにもののじゃがいもにてをのばす。すると、またれいむがもっていってしまった。にー、れいむばっかりずるい。
    「ふうん。それで、直った訳ね。そのエラーは」
    「ええ。……壊れかけた紫のシステムの、予備みたいな存在が現れたから。ああ、もうこのシステムは駄目なんだなって思っていたの。でも、大丈夫だった。予備のシステムはもうお役御免ね」
    「そんなに大事な存在なのですか?その、それぞれの色のシステムというのは」
    とちゅうでらんさまがくちをはさむ。わたしはこんどは、ごぼうにてをだした。それはれいむにとられなかった。やったあ、とおもった。
    「勿論。どのシステムが欠けても一大事となる。まあ、たいていは欠けてしまう前に、代わりが見つかるから。本格的には壊れず、エラーとどまりになるんだけれど」
    「なるほど、……。紫さまが新しい式神を探し始めたら、青いシステムのエラー直前。そのときは私ももう、覚悟を決めたほうがいいということですかね」
    「くす。そうね。まあ、あなたなら当面大丈夫よ。紺みたいに簡単にくたばったりしないでしょうし」
    ゆかりさまとらんさまのはなしは、よくわからなかった。わたしのあたまがわるいからかなっておもったけど、れいむもわからなさそうなかおをしてたから、ちがうのかなっておもいなおした。
    「……何だかよく分からないけれど。エラーって、そんな風に予兆のあるものなの?」
    れいむがまたはなしはじめる。ゆかりさまはすぐにこたえた。
    「たいていはね。新しい、替わりのシステムとなり得る存在が現れるから」
    「変なの。エラーって、急に起こるからエラーなんじゃないの?例えば、紫のシステムだって本当に大丈夫なのかはまだ分からないじゃない。それに、黄色のシステムとか、他のシステムが突然エラーを起こす場合だって考えられる」
   「あらあら、物騒なことを言うのね。当の本人が」
    「? どういうこと?」
    「まあ、例えば紫と黄色のシステムが同時に突然エラーを起こしたりしたら、それはちょっと困るわね。新しい替わりのシステムに世代交代するのは、案外面倒なのよ。ひとつずつなら問題ないんだけれど、ふたつ同時にっていうのは。ちょっと面倒になりそうだわ」
    ゆかりさまはわらう。でも、れいむはそのことばのいみがよくわかってないみたいだった。わたしにもわからない。
    「まあ、兎にも角にも良かったわ。安心したらおなかがすいてきちゃった」
    「それはご飯をたべながら言う言葉ではありませんよ、紫さま……」
    「あ、れいむが!またわたしがたべたいものをとった!」
    「悪いわね。早い者勝ちなの、こういうのは」
    みんなでごはんをかこみながら、らんさまのりょうりをいっぱいたべる。
    やっぱり、ごはんはみんなでたべるほうがおいしい。おさかなをたべながら、わたしはほんとうにそうおもった。


8.
    メリーはたったの五日で退院した。
    病院の先生によると、一時はかなり悪化してしまい危険な状態だったらしい。けれど峠を越えると急に元気になり、劇的な回復を見せたのだとか。流石メリー、普通の人間とは違うわね。そう考えながらも、私はメリーに小言を言っていた。
    「全く、本当に心配したのよ。……約束の場所にいなかったときはかなり焦ったんだから」
    対して、メリーは上機嫌にスキップなんかしていた。入院中、特に元気になってからも念のためと入院させられていた期間がよほど退屈だったようだ。こうして外を自由に出歩けるのが嬉しいのだろう。
    「ふふ、ごめんなさいね蓮子。あの日に出来なかった議論、今日しましょ?」
    幸せオーラ全開でにこにこ微笑んでいるメリー。なんだか温度差を感じずにはいられない。
    「うん、それもしたいんだけれど……。それよりも、もっと聞いてほしい話があるの」
    「あら。なあに?」
    「メリーの入院中にね、私、少しだけだけれど。異世界に飛んでいたようなの」
    「まあ、それは素敵な話!是非聞かせて頂戴!」
    目を更にきらきら輝かせるメリー。普通の女の子ならどん引きされるであろう非現実的な話を、彼女は現実的に、しかも楽しそうに受け止めてくれる。
    異世界に飛ぶ前後の記憶と、戻ってくる前後の記憶はかなり曖昧だった。けれど、道で転んだときに手当してくれた兎の妖怪の話や、そこで見た景色や……メリーに伝えたいことはたくさんある。私は少し屈んで、まだちょっぴりだけ痛む膝小僧に貼られた絆創膏を、やさしく撫でた。
    と、雑踏のなかで、れんこおねえちゃん!という声が聞こえた。振り向くと、そこには見知った子供の姿が。
    「あ、鏡ちゃん。こんにちは」
    挨拶すると、こんにちはー、と元気な挨拶が返ってくる。相変わらず、薄紫色のワンピースがよく似合っていた。
    鏡ちゃんはひとりではなかった。隣にもうひとり、女の子が立っている。恐らく鏡ちゃんと同い年か、それより少し年下くらいの女の子だ。
    「あのね、れもんちゃん。このひとはね、かがねのひっこしさきのおとなりにすんでるひとなの!」
    れもんちゃん、と呼ばれたその子は、白い帽子をかぶっていた。そこについている黄色い花のアクセサリーが、着ている黄色い洋服によく合っている。
    れもんちゃんは、どうやら恥ずかしがり屋らしい。さっと鏡ちゃんの後ろに隠れると、帽子を深くかぶって目を合わせないようにしてしまう。上から見ると黄色い花が、陽に照らされ綺麗に輝いて見えた。
    「れんこおねえちゃん。れもんちゃんはね、かがねのいとこなの。このまちにすんでるから、こんどからおんなじ学校にかよえるの」
    れもんちゃんは鏡ちゃんの腕をぎゅっと掴んだまま、離さない。目を合わせてくれないのは淋しかったけれど、鏡ちゃんとはまた違った可愛らしさがあった。
    「そうなんだ、よろしくねれもんちゃん。……ふたりとも、今日は遊んでいるのかな?」
    「うん、いまから公園いくんだ!おねえちゃんたちもいく?」
    「ごめんね、今日はちょっと予定があるから。また今度遊ぼうね」
    うん、わかった!と言って、鏡ちゃんは去っていった。帽子を深くかぶりすぎたままの、れもんちゃんの手を引いて。
    「可愛い子たちねえ」
    ふふ、とメリーが笑った。
    「そうね、私たちにもあんな頃があったのよね。若いっていいわね」
    「もう、年寄りくさいわよ蓮子。私たちだって若いじゃない。人生まだまだこれからよ」
    愉快そうに笑ってみせるメリー。全く、つい数日前まで重症を負っていただなんて到底思えない。
    交差点まで行き着いたとき、信号はまだ青だった。けれど、私たちが横断歩道を渡ろうとしたとき、ちょうど青いランプが点滅し始める。私は止まるつもりでいたんだけれど、メリーは違うようだった。こういうところで、性格の違いが現れる。
    ほら、急いで蓮子!横断歩道を半分まで渡りきったメリーはこちらを振り返り、叫ぶ。仕方がないので、私も走って渡ることにした。私が追いつくまで待ってくれているのだろう、メリーはこちらを向いたまま、そこから動こうとしない。
    私は駆けていった。右も左も見ず、ただまっすぐに。前を見ていると、信号が赤に変わったのが分かった。急がなきゃ、と、私は更にスピードを上げる。
    大きな道路にかかっている横断歩道なので、走っても結構距離がある。ああ、もうすぐメリーに追いつきそうだ。

    メリーが手を差し伸べる。
    わたしはその手を取ろうとする。

    そのとき、ブーッと、大きな音がした。
    そう、ちょうどクラクションの音のような。

    私たちは、ふたり同時に、音が聞こえた右のほうを振り向いた。
こんにちは、何色がすきかと聞かれるといつも違う色を答えている気がします、めりえるらんどです。

冒頭にも記載しましたように、今回のおはなしは SYSTEM ALL... の設定をもとに書いたものとなっております。

れもん、という名前は、蓮子と頭文字が同じでかつ黄色っぽい名前がいいな、ということで。
小泉鏡の小泉は、小泉八雲から。鏡は、紫と合わせると「紫鏡」となります。あら不吉。

紫と永琳の絡みを書きたかったはずなのに、何故か全く方向性の違うおはなしに。
わたしのあたまのなかで、何かエラーが起こったようです。
めりえるらんど
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オリジナル要素のつよい作品ほど、各場面や話の段階を構成し説明するパーツ……的なものの精度が、より重要になるかと思います。
「SYSTEM ALL……」より具象的に踏み込んだこの話なら、そのあたりもうちょっと気を使ってもいいのではないかと。

衝撃的に切り上げたラストは個人的には好印象でした。