空が白み始め、町に人の姿が一人、また一人と増えていく。遠くの尖塔から、何度聞いても決して耳慣れることのない耳障りな独特の節をもった異国の言葉が聞こえてくる。その声に呼応して、風変わりな衣装を着た者たちが一斉に路上に現れる。彼らは何食わぬ顔で路上の彼ら以外の者たちを押しのけては彼らの神殿へと集まっていく。
窓掛けを少しだけ開いて、私はその光景を見下ろす。もう数十年以上も変わっていない、いつもの見慣れた光景だ。この国が異教の大国のもとに膝を屈してからというもの、七日ごとにこの茶番が繰り広げられる。
私は旧来の信仰に思い入れがあるわけではない。日曜の朝に教会に通いもしなければ、世界の最後に現れ悪人に裁きを下し、彼を信じた善良な信徒たちを理想郷へ連れて行くとかいう救世主に信頼を置いているわけでもない。だが彼らの衣服や習俗を見ると、とある出来事を思い返してしまうのだ。
私は窓掛けから手を離し、僅かに射し込む朝日で仄明るくなった部屋を歩き、寝台へと潜り込んだ。私を包み込む眠気に身を任せながら、私はかつての記憶を思い起こした。
私は貴族の一人娘として生まれた。貴族と言えば大層だが、貴族階級の中でも下級の、小さな村を数村持つだけに過ぎない単なる小領主に過ぎなかった。だが父も母も貴族身分であることに執着とも言える誇りを持ち、その現れか着替えの時にすら自らの労力を用いるのを厭い召使を呼んだ。
労働はたとえほんの僅かなものでも私たちのような者たちがやることではない、私たちはその労力をもっと高尚なことに使わなければならない、そう父は常々口にしていた。父の言う高尚なこと、というのは一体どういうことなのか私には分からなかったが、私も父と同じように身の回りの些細なことでも召使を動かした。
貴族階級において子供が少ないどころか男子がいないことはその家の存続を大いに脅かすものであったが、両親はあえて新たに子をもうけようとはしなかった。母の身体は決して丈夫な方ではなく、私を産んだ際にも生死の境をさまよったと聞かされた。父は母の体を危険にさらしてまでは跡継ぎを求めず、かくして私は両親の愛情をわが身ひとつに独占して育った。
男として生まれなかった以上、私の使命は良い家に嫁ぎ、この家の血筋を、例え母系であっても、次の世代へと残していくことであった。私は良き花嫁になるために種々の教育を受けた。母も家庭を守る良い妻となり、子供を産み育てることこそが女の幸せだと心の底から信じており、私の教育に関しては父以上に熱心であった。
まず他の貴族たちと会うことになる宮廷の礼儀作法について、彼らと共にする会食の作法と、愚女と思われることもなく、かと言って嫌味にならない程度の教養と読み書きを家庭教師から教えられ、母からは直々に貴族らしくあることの心得と、良き妻、良き母となるための心構えを習った。異国へ嫁ぐときのことも考えたのか、他国の言葉も教えられた。
レミリア、というこの国では珍しい異国風の名を私に付けたこともそのようなことを考えてのことだったのかもしれない。だが決して、南の国境を接し、この国が賦役を払っている異教の大国の言葉だけは父は私に教えようとはしなかった。もっとも、そのようなことを当時の幼い私は気づかなかったのだが。
唯一日曜日だけは、私は屋敷の外に出ることができた。屋敷から離れた場所にある教会へと家族で出かけるからであった。移動する馬車から見える、屋敷とは違った景色を私は一週間ごとに心待ちにしていた。外の風景に比べれば、二本や四本の直線で出来た教会の象徴や、神を抱いた聖母の絵画も退屈でしかなかった。
私はその生活と考えに何一つ疑問を差し挟むことはなかった。当時の私にとっての世界には屋敷と、召使たちと、家庭教師と、両親と、日曜日の風景だけが存在しており、その世界では父母の思想と家庭教師の教育だけが絶対唯一の真実であった。このまま私は子供を産める年齢になり、何処かの家へと嫁いでいくのだろう、そして嫁いだ先では母のように静かに、子供の教育に多少の精を出しつつ、身の回りの雑事を召使に任せながら静かに暮らしてくのだろう。ただ漠然とそう考えていた。
ある日の昼下がり、父は例のように月に一度の宮廷への出仕から帰ってきた。だがその様子にはいつもの威厳に満ちあふれた態度を保とうとしていたが、家族の食器を割ってしまった召使のような、だが同時に、高級な食材の調理を命じられた料理人のような、どこか落ち着かない姿が表れていた。
その日の夕食で、父は母と私に来月から家を空ける事になると告げた。我らが労力を使うべき高尚なことがようやくやって来た、とも言った。
「ヴラド公と共に、信仰と我らのために戦うのだ」
ヴラド、その名前を聞いたのはこの時が初めてであった。父にその人物について尋ねると、父は自分の宮廷での主人のような人だと答えた。主人という言葉を聞き、私の脳裏にはそのヴラド公に跪く父の姿が現れた。
この屋敷の中では召使に全てを任せ、自分では何事もせず堂々としている父が、ここを一歩出てしまうとその召使たちのように自分以外の者にへこへこと従うのか、そう考えると私には父が少し情けなくも思えたが、それ以上に父に屋敷では決して見せることのないもう一つの面があるということが不思議に感じられた。
信仰のため、という理由も当時の私には理解できなかった。信仰といえば日曜日に家族で訪れる教会の光景が浮かんだが、その退屈な直線の象徴や慈愛の表情に満ちた人物が描かれた聖画像は戦などという荒々しいものとは結びつかなかった。
翌日から、屋敷は慌ただしく動き始めた。父は方々へ送る大量の書類を書き、召使たちは普段から念入りに手入れをするよう命じられていた武具を保管庫から運び出し、廊下に並べた。馬車も引かずに大事に厩舎で飼われていた父の愛馬は人間と同じように金属の鎧を着せられ、屋敷の周りには父と共に戦うために領地中から集められた男たちが一日ごとに増えていき、庭には彼らのための天幕が立ち並んだ。これまで見たことのない多くの人間と太陽光を反射して輝く金属の武具の林の光景に私は目を輝かせていた。
果たして翌月、父は大勢の武装した男たちと共に、ヴラド公の待つという城へ向かっていった。出発する直前、父は母と私に別れの挨拶を告げた後、姿勢を低くかがめて私を無言で抱きしめた。硬く冷たい鉄の鎧の感触は私にとっては心地の良いものではなかったが、父はせめて別れの前に私にわずかでも自分の温かみを与え、自分の思い出にも娘のぬくもりを残しておきたかったのだろう。
今考えると、父はこの時完全に死の覚悟が出来ていたのだろう。
父と男たちがヴラド公のもとに向かい、屋敷は少し静寂を増したが、私と母は父がいないだけのこれまでの日常に戻った。もともと父と接するよりも教育を受ける家庭教師や母との時間が格段に長かった私には、父の不在は格別何の感情を引き起こすでもなかった。時折母と共に幕舎から来たという父の手紙を読んでは、母は半分は独りごつように、半分は私に言い聞かせるかのように父の勇敢さを褒めたたえた。不在によって薄れていく父の姿は、これらの手紙によってなんとか私の中にその姿を留めていた。
父の手紙には戦果と共に常にヴラド公への崇拝とも言える敬意が添えられていた。その賛美を聞くたびに、私は召使たちのように未だ見ぬヴラド公に平伏する哀れな父の姿が思い描かれたが、同時に屋敷ではこれ以上無いほどに尊大な父をして下僕のごとく変えてしまうヴラド公の魅力は一体何なのだろうという思いも同時に表れた。
未知のヴラド公を私は様々に思い描いた。豊富な経験と見識を持つ厳格な老人の姿や、決断力に富み、同性をも惹きつける魅力を持つ若者の姿、ありとあらゆる自分の考える魅力的な人物像が脳裏に浮かんでいった。
父が戦場へと旅立って三年の月日が経ったある日、いつものように父からの手紙が届いた。母はその封を開き文面に目を通すと、間も置かずに叫んだ。
「やったわ、お父様が帰ってくるのよ!」
母の差し出した手紙には次のように書いてあった。
”愛しい我が妻と我が娘へ。
ついに異教徒は我らの土地から手を引いた。我らは勝ったのだ。夜襲は成功し、敵に大損害を与えた。敵の王を仕留めることは敵わなかったが、ともかく彼らは我らの土地から撤退したのだ。
これまでの三年間の戦役で流した我等の血は無駄ではなかった。これで我が国は異教徒の支配から脱し、正当な信仰の元へ戻ることが出来る。私もお前の待つ屋敷へ戻れるだろう。妻よ、私の不在の間、よく家を管理してくれていた。娘よ、成長したお前の姿を楽しみにしているぞ。
この勝利とヴラド公に神の祝福あれ。”
父のいない三年の間に、私は政治情勢についてある程度の理解が出来るようになっていた。かつては分からなかった出発前の父の怯えつつも晴れ晴れした様子や、父の言った「信仰のため」という言葉もこの時には理解できていた。
この国の数倍の広さを持つ異教の大帝国はこの小国を間接的ながらも支配下に置いており、それに反発して無謀にもこの国は反乱を起こしたということを私は父のいない間に母や家庭教師から聞かされた。二人共に必ずこの国は勝つ、と私に言っていたが、内心はその国力差から勝機はないと思っていたに違いない。手紙が届いてから、屋敷中は召使までもが歓喜に包まれていた。私もその歓喜の輪の中に加わり、戦役を成功させ堂々と帰ってくるであろう父の姿を思い描いた。
その日から、私は家庭教師の授業など上の空で毎日屋敷の窓から多くの男たちを連れて戻ってくるはずの父の姿を探した。もう父の姿は手紙の力を借りずともおぼろげになることはなかった。むしろ一旦父の記憶が不鮮明となったことで、却って再び歓喜と共に記憶の中に舞い戻った父はその輝きを以前よりも増した。もはや父はヴラド公に情けなく跪く男ではなく、何倍もの兵力を持つ異教徒と勇敢にも戦って勝利を収めた誇るべき勇者であった。
窓から見える平原に父の姿を探し始めて数週間が経ったある日、地平線に日光を反射してきらめく一団が私の目に飛び込んだ。
「お父様が帰ってきたんだわ!」
私は思わず声を上げ立ち上がった。普段であればこのような下品な振る舞いは家庭教師が厳しく諌めたが、私の言葉に驚いたのか、彼も自分の責務を忘れ教科書を机に置き窓の外を見た。彼にもどうやら地平線に立つ群衆が見えたようであった。いてもたってもいられなくなった私は部屋を飛び出し、屋敷中を駆けまわり、父が帰ってきたと叫びまわった。召使たちも執事も、母ですら家庭教師と寸分違わぬ反応を示した。皆私のてんばな行動を忘れ、私の指差す方向の窓に目を向けた。
皆父の帰還を喜んでいた。次第に距離を縮め、大きくなっていく銀色に輝く一団に屋敷中は湧き上がった。料理人は今夜の祝宴の献立を独りごちながら考え始め、父の私室の小間使いは誰よりも早く父を迎えようと外へ駆け出していった。だが徐々に近づく銀色の一団を見て、私はある異変に気づいた。
「あの旗の模様、お父様の模様とは違う…」
母は戦利品の敵の軍旗を掲げているのだと言い取り合わなかったが、私にはその説明に納得することは出来なかった。この屋敷に向かってくる男は父ではない、私は直感的にそう感じ取った。
そうして同時に、あの男たちはこの屋敷に取り返しのつかない災いをもたらすだろうという予感もした。そして不思議と、その予感はどんなにあがいても実現してしまうのだという考えが脳裏に浮かんだ。「運命」という、これまで意識することのなかった言葉が頭をよぎった。
武装した集団が屋敷に近づくにつれ、私以外にも異変に気づくものが現れ始めた。しかし誰もそれを深く考える者はいなかった。母のように戦利品の軍旗を掲げているのだと言う者もいれば、共に戦った他の貴族や騎士を屋敷に招待するために連れてきたのだと言う者もいた。誰一人としてあれが父の軍ではないと疑うものはいなかった。
屋敷に一歩一歩近づいて来る武装した集団を私は注意深く観察した。父の姿があの集団の中にいることを願った。ふと脳裏に表れた破滅的な未来の予感をかき消そうと祈るような思いで一人の男の姿を探した。その考えをかき消すための鍵である父は、きっとあの集団の中にいるに違いない、そう信じながら私は小粒のように見える男たちの顔を目を凝らして見た。
だが、私の予感は的中してしまった。その集団は屋敷の門へとあと千歩ほどの距離まで迫ると、鬨の声を上げて己がじしの武器を高く振り上げ、こちらの方向へと駆け出してきたのだ。皆はようやく自らの過ちに気付いた。屋敷を恐慌が襲った。鳥小屋で追われる鶏のようにのように慌てふためく召使たちを尻目に、母だけは冷静であった。母は我を失う下僕たちを一喝し正気を取り戻させると、彼らに武器となりうるものを持ち屋敷の防衛をするよう命じ、各自の持ち場を伝えた。それは限られた人員の下で最善と思われる配置であった。
母は彼らが動き始めたのを見届けると、私の両肩に手を載せ、私の目をじっと見つめて言った。
「いいことレミリア、貴女の部屋の暖炉の底から屋敷の外に繋がる隠し通路があるわ。貴女はそこを通って逃げるのよ」
「でもお母様、お母様はどうするのです?」
「私はここに残るわ。私がここからいなくなったら、誰が指揮を執ると思っているの?」
「でもそれではお母様が…」
「私のことなら心配は無用よ。恐らくは、ここで死ぬでしょうから」
あまりにも平然と、母は私が予想だにしなかった言葉を口にした。確かに私はその時、母も一緒に逃げなければ二度と生きては会えないであろうということは分かっていた。だがきっと母は適当な嘘を言い繕い、私を安心させようとするはずだと信じていた。
「そんな…お母様がここで死ぬというのであれば、私も共に死にます!」
眼前に突きつけられた肉親を失い孤独になることの恐怖が、私に発作的な言葉を口走らせた。だが母はあくまで冷静に私の言動を諭した。
「いいえ、命を粗末に捨てるものではないわ。貴女まで死んでしまったとしたら、誰がこの家の家督を継ぐというの?貴女は生き延びて、この家の血を残すのよ」
「でも、お母様…」
「これも貴族に生まれたものの運命よ。先祖代々受け継がれてきた我が家の高貴な血を簡単に絶やしてはいけないの。どんなに辛いことがあっても、生き延びなければならない時があるのよ。それに、お父様の行方も知れず、私も死んでしまう今、貴女こそがこの家の当主なのよ。その自覚を持って、しっかりと生きていきなさい」
その言葉は母が私に施した、最後の教育であった。
「…はい、お母様」
「分かったのなら、ぐずぐずせずに向かいなさい。あの者共が来ないうちにね」
階下では、何か丸太のようなものが固く閉じた扉を強く打つ音が聞こえ始めていた。
自室へと飛び込み、母の言った暖炉を調べた。冬から少しばかり残されていた暖炉の灰を掻き払うと、暖炉の底に丸い取手のようなものがあることに私は気づいた。それを持ち、少し動かすとそこから階段が現れた。これまで気づくことのなかった自室の秘密に感動する時間はなかった。
扉の向こうからは男女の悲鳴が聞こえ始めていた。私は階段を数段降り、この抜け道が気付かれないように再び階段の蓋を閉じた。微かに聞こえる召使たちの悲鳴の中、私の視界は闇に包まれた。
通路の中は文字通り完全な闇であった。何一つとして光を取り入れる窓や灯火となるようなものはなく、この場所と比べれば新月の夜ですら眩しすぎるほどであった。私は手探りで、何度も壁にぶつかり地面に転びながらも出口を探した。いつやって来るとも知れない追手への恐怖が、私の足を動かす唯一の原動力であった。
赤ん坊が這うような速度で、私は泣きながら通路を進んでいった。自分の場所が発覚することを恐れ声だけは必死に抑えこもうとしたが、喉の奥から漏れ出る嗚咽の声は静かに通路の中に響き渡った。
どれほど時間が経ったのか、またどれほど通路の中を進んだのかをも忘れた頃に、私の目は赤色の一縷の光を捉えた。長い暗闇の出口を見つけた私は僅かばかりの気力を取り戻し、その光の方向へと歩みを早めた。その赤色の光は夕焼けの光であると思った私は、通路を通るのに要した時間に思いを馳せると共に、暗いこの場所とは正反対の、太陽の光に満ちた空を期待した。
だが、その光は夕焼けではなかった。日はとうに沈んでおり、長い隠し通路を抜け、外の世界へ出た私が目にしたものは、激しい炎に包まれる、つい数時間前までその中で父の帰りを母と、大勢の召使たちと一緒に待っていた館であった。
あまりにも短時間に非日常を体験したためか、その時の私は燃え盛る屋敷を見ても何一つ驚くことも、悲しむこともなかった。焼け落ちる館はまるで大掛かりな演劇の背景として燃やされているのではないかというような気さえした。あの火の中で私の服や食器、家族の思い出の品々、そして何人もの召使たちや母が燃えているのだろうと理性では知覚していたが、それが何らかの感情を生み出すことは決して無かった。ただ「屋敷が燃えている」という事実だけを思ったまま、私はしばらくその赤色の光源を見つめていた。
私は突如として猛烈な眠気に襲われ、近くの茂みに身を横たえると程なくして屋外であるということも、追手への恐怖をも忘れ深い眠りに落ちた。人間には極度の心的疲労を感じた時、意識を失うように眠りに落ちることがあるという。恐らくは当時の私にもそれと同じ現象が起きていたのだろう。
私は夜も明けやらぬ朝方に目を覚ました。屋敷の炎は昨日より多少弱まってはいたものの、未だに燃え続け暁の空を静かに照らしていた。私は起き上がると、静かに何処へ行くあてもなく歩き始めた。
屋敷を襲撃し、火を放った集団は一体何であったのか、父はどうなってしまったのか、歩きながら私は考えたが、何の手がかりもなく、全てが異常な事態の中で答えが出てくるはずもなかった。
そのような中で母の言い残した「この家の当主」という言葉が頭を駆け巡り、自暴自棄な笑いがこぼれた。住む家も、仕えてくれる召使たちも失い、汗と泥と草で汚れた服以外に持ち物のない、この未熟な少女が貴族の家の当主とは!そのようなことを考え、くすくすと気狂いのように一人で笑いながら、私は炎と薄明に照らされる砂利道を進んでいった。
日は高く昇り、辺りの景色をはっきりと照らし出した。照り輝く緑の平原と透き通る青い空、そしてその姿こそ見えないもののどこからか聞こえてくる鳥たちのさえずり、かつて馬車から眺め私を夢中にした景色が私の前に現れた。
だがあれほど一週間ごとに私を虜にした風景の真っ只中に、誰からも自由でいるにもかかわらず、私の感情はかつてのように晴れ晴れと揺れ動くことはなかった。かつて私がこの風景に対して抱いた感情は屋敷という退屈ながらも、安全で満ち足りた変わることのない人工物に囲まれた日常が存在して初めて生まれるものであったと、その時になって幼い私はようやく気づいたのであった。
しかしその日常たる屋敷が炎に包まれてしまった当時となっては、私を夢中にしたこの空と平原も輝きを失い、却って以前との境遇の差を思い知らせる憎らしいものとしてさえ感じられた。
ふと気がつくと、私の目の前には玉葱のような屋根の上に四本の直線で作られた十字架が飾られた、かつて父や母と何度も訪れた教会があった。無意識のうちに私は馬車から見ていた風景を頼りにしながら、唯一屋敷の外の世界で知っていたこの場所へと進んでいたのだ。何一つ変わらない教会の様子を見て、私は僅かながら安堵の気持ちに包まれた。日常が、ほんの一欠片とはいえ残っていた。
私は重い扉を開いた。聖像に向かって祈りを捧げていた司祭は厳粛な儀式を中断させられ、苛立たしげにこちらの方向に振り返ったが、私の姿を認めると即座に顔色を変え、私の元へ駆け寄った。
「お嬢様、よく生きておられました…」
涙ぐみ、喉の奥から漏れ出るような声で司祭は話を続けた。
「昨晩の屋敷の惨状を聞いて、私はこのように鎮魂の祈祷を行っておりましたが、お嬢様がご無事でいらっしゃるとはなんという神の恩恵でありましょうか…」
私は昨日の母の言葉と召使たちの悲鳴を思い出し、頭をうつむかせた。だが同時に昨晩から私の頭を悩ませていた、不可解な状況への疑念が口をついて表れた。
「屋敷を襲ったあの者共は…一体…?」
「何と、確かにこのような状況ではお嬢様が御存知ないのも当然でございます。あの不信心の輩共は…」
司祭が次の言葉を口にしようとしたその時、教会の外から数頭の馬の蹄の音が聞こえた。
遂に追手がやって来てしまったのだと私は直感した。しばしの間忘れていた死への恐怖が蘇り、私の足はわなわなと震え始めた。司祭は私の様子を見て、落ち着かせるように優しい口調で言った。
「お嬢様、どうか御安心下さい。お嬢様には指一本触れさせませぬ」
「でも、私はどうすれば?」
「しばしの間、あの扉の向こうへとお隠れ下さい。あそこならば奴らからは気づかれることはないでしょう」
そう言って彼は聖画像で彩られた衝立の扉を指さした。
「でもあの場所は神聖な…」
「斯様な時であれば主もきっとお赦しくださるはずです、どうか、お嬢様!」
彼の言葉に従い、私は大仰な扉を開け、本来ならば聖職者しか入ることが出来ないはずの小部屋へと入った。扉が閉じられ、私は息を殺して扉の向こうの音へと全神経を集中させた。
教会の大扉が開く音と同時に、金属の触れ合う音と混じった数人の足音が聞こえてきた。
「神聖な奉神礼の最中に、一体何の用でございますか?」
司祭の声が堂内に響いた。
「おや、儀式とは不思議ですね。今日は日曜日でも祝日でもなかったはずでございますが?」
男の声がそれに答えた。
「昨日の屋敷の惨事を見ておらぬはずはないでしょう、それでよくもそのようなことが言えたものですな」
「領主は主君の選択を見誤ったために命を落とし、その一家は召使たち諸共殺され、その屋敷が焼け落ちたことでしょうか?それが一体どうしたというのです?」
その言葉に、私の血は全身で凍りついた。
「それがどうした、とは一体どういうことでしょうか?」
少し口調を荒げながら、司祭はそれに応じた。
「どうしたも何も、あくまで不幸があったのはその領主の一家だけで、貴方には何も儀式を執り行うほどのことも無いでしょうと申しておるのですよ。まあもっとも、あれほど残虐なドラキュラ公に従った者の末路としては相応しいものではございませんかな?」
挑発的な口調で、男はそう言った。そして、ドラキュラ公という奇妙な名前を初めて耳にしたのもこの時であった。
「領主様一家は寛大な御方でした。その不幸を悼み、来世の幸福を祈ることの何に咎がありましょう?」
「何も咎があるとは申してはおりませぬ。ただ、このような儀式を執り行うことの費用は決して安くは済まないでしょう。領主のあの娘でも生きていればその忠誠心に応じた褒美などもあったのかもしれませぬ。ですがそのようなことも無くなってしまった今、見返りのない儀式を執り行うことに何の意味があるのかと申しておるのですよ」
「私が聖なる機密を執り行うことは、何らかの見返りを求めてのことだと、貴方はそう仰るのですか!」
司祭の言葉には隠し切れない憤慨の色が表れていた。
「私は人の行動には何かしらの下心があるものと考えておりましてね。…たとえ神に仕えるという名目の貴方がたにもですな」
「邪教に心を売り渡した者らしい言い草ですな、武人殿。ところで話を戻しましょう、一体この神聖な機密の最中に何の用事ですかな?まさか聖なる奉神礼を愚弄しに来ただけということはないでしょう」
「もちろんですとも、神父様。私がここに来たのは新たな領主としての就任挨拶の為と教会の税金の徴収の為ですよ」
「教会に税金?一体どういう事ですかな?神の下僕である我らに課税など馬鹿げたことを?」
「我が新たな主君は『これまでのように租税を払うのであれば信仰に関しては汝らに任せる』と仰られた。つまり領主たる私がこの地域の教会を自由に出来るわけだ。ひいてはまず手始めにその財源としてお前らにも税金を払ってもらう。心配するな、何も教会を壊すなどと言っているわけではない」
「しかしこのような小さな教会に供出することの出来る金品があるとでも?」
「それを決めるのは我々だ。これからこの教会堂を調べさせてもらうぞ」
金属音の混じった複数の足音が一斉に動き始めた。
「まず手始めに、あの衝立の向こうを調べさせてもらおうか。聖域の名の下に、お前の隠している財宝が見つかるやも知れぬからな」
先程にも増して私の血は凍りついた。重い足音は一歩一歩と私の隠れている衝立で隠された小部屋へと近づいてきた。もしあの声の主がこの扉を開け、屋敷の中で死んだものと思われていた私が見つかってしまったら、私の父の領地を奪ったあの男たちは、邪魔な私を何のためらいもなく私を一刀の下に切り捨てるだろう。母や多くの召使たちの命を見捨ててまで逃げ生き延びた私は結局この小さな教会でその人生をあっけなく終えてしまうだろう。私は死を恐れ、そして何よりも彼らの私を生き延びさせようという努力を無に帰する事を恐れた。
また小部屋には男の言うような司祭の財宝などは何もなく、小さな執務用の机と椅子があるだけであり、これ以上隠れる場所などはあるはずも無かった。外に通じる窓や扉なども無く、私は何処へ逃げることも、隠れることも出来ずにただ恐怖に震えながら一歩一歩、ゆっくりと近づくにつれて大きくなってゆく重い足音を聞いていた。
私には祈ることしか出来なかった。どうかあの男たちが私を見つける事のないように、どうにかしてあの男たちがこの場所から去るように、一心に何かに向けて祈った。
扉の取っ手がゆっくりと動き始め、扉が今まさに開かれようとしたその瞬間、私の体の中に何かの力が湧き上がるような感覚がした。同時に外から何かの轟音のようなものが聞こえはじめた。皆はその正体を確かめようとあらゆる動作を止め、教会堂内を一瞬の静寂が支配した。
その静寂を打ち破るかのように、教会堂はぐらぐらと大きく揺れ始めた。壁は軋み、何かが割れる音が聞こえ、そして堂内は男たちの動揺の声で満たされた。その時、司祭は声を張り上げてこう言った。
「神が、神がお怒りになっているのだ!神聖な儀式を中断させ愚弄した挙句、神の家である教会を卑俗なる課税などという名目で冒涜せんとしたことに神はお怒りになられているのだ!」
その言葉に男たちは恐れおののいたようであった。口々に神への懺悔や聖人の名を唱えながら、金属音の混じった足音を立てて急ぎ足で教会堂から出ていった。
教会から足音が消えた頃には、大地の揺れはすっかり収まっていた。再び静寂が支配した教会堂にゆっくりと大扉の閉じられる音が響き渡った。優しい足音が静かに私のもとへと近づき、目の前の扉が開かれた。司祭は私の顔を見ると、落ち着けるように優しい笑顔と声で語りかけた。
「もう大丈夫でございます、お嬢様」
「地震、だったの?」
「そうでございます。主があの不信心な輩からお嬢様を御守りになられたのでしょう、有難いことにございます」
司祭はそう言ったが、私には不思議とそうは思えなかった。
「やっぱり、お父様も…」
「誠に申し上げにくいのですが、領主様は私たちよりも少し早く神のもとへ旅立たれたということです…」
「一体どうしてなの!?戦には勝ったってお父さまの手紙には!」
「確かに、異教徒との戦いには勝利を収めることが出来ました。ですが打ち破られた異教徒どもは我が国の主君に不満のある貴族や騎士たちをそそのかし彼らに手を貸して、その主君、ヴラド公に対して反乱を起こさせたのです。…領主様は反乱に加わることはなく、その生命を賭して主君を守り、恩義に報いたということです」
「屋敷を襲ったのも、あいつらなの?」
「そうでございます。屋敷にはほぼ女子供しかいないことを知っていながらあのような凶行を犯すなど、到底同じ人間とは思えませぬ」
「奴らの望みは何だったの?」
「恐らくは領主様の財産に目が眩んでのことでしょう。あの晩、焼け落ちる屋敷から衣服や食器を持ち去る男たちを見たと聞きました」
もはや司祭の言葉に私は驚くことはなかった。ただ自分でも簡単に予想のついていたことを、彼の言葉を通して聞くことで客観的な事実となったことを確認しただけであった。
「もう私には、何も残っていないってことね」
私の言葉に司祭は応じることは出来なかった。しばしの沈黙が流れたあとに、私の脳裏に一人の男の名前が浮かんだ。すべてを失ってしまったこの絶望的な状況の中で、その男だけが私にとっては最後の希望のように思えた。
「そのヴラド公、というのはまだ生きているのよね?」
「はい、今はなんとか包囲を突破し、ご自身の居城にお戻りになられているそうです」
「トゥルゴヴィシュテ、って所だったかしら。そこに行けば、ヴラド公に会えるのね」
「まさか、そこへ行かれるおつもりではございませんな?」
司祭は慌て、裏返りかけた声でそう言った。
「そのつもりよ」
「お嬢様、どうかおやめ下さい。もし道中であやつらの一味に見つかりでもしたら、次も主が再び御守りしていただけるという保証はございません。それに、私どもの教会にも道中のお嬢様をお守りすることが出来るだけの者もおりませぬ。どうか、ここにお残りくださいませ」
「じゃあ、もう一度あいつらがここに戻ってきたらどうするつもりなの?今度こそ見つからない保証なんて何処にもないわ。危ないのはここに残っても同じことよ」
「しかしお嬢様…」
司祭がそう言ったその時、私の頭に母の言葉がよぎった。
「黙りなさい!いつから貴方は自分の当主に口応えできるようになったのかしら?」
精一杯の威厳を持ってその言葉を言ったつもりであったが、言い慣れない台詞を読み上げる私の声は上ずったものとなってしまった。今考えれば、まだ幼い小娘がこのような口を利くところを他人が見ていたのならば、それは非常に愉快に映ったことだろう。
「でもこれまでの貴方の働きには感謝するわ。よく私を敵から守ってくれた。随伴は必要ないわ。人が増えればそれだけ見つかりやすくもなるでしょうしね」
一人での行動に不安がなかったというわけではないが、その時の私にとってはこの場所を早く離れることだけが目下の関心だった。
「ありがとう、神父様」
私はそう言い残し教会を後にした。
私はかつて父がヴラド公の居城へと馬で向かっていった方角へと歩き出した。トゥルゴヴィシュテというその地名とその方角以外、私はその街に関することは一切知ってはいなかった。だが馬に乗っていたとはいえ、戦へと赴く以前ヴラド公の下へと出仕する父は丸二日と家を開けることはなく、その場所は決して絶望的なほど遠いわけではないと思っていた。
進んでゆく方角へは道らしき道は一本しかなく、道を誤る心配はなかった。しかし子供の、しかも普段は運動などしたことはない者の遅い足取りではその日のうちに目的地へと着くことは到底不可能であった。
そのうちに日は沈み、空には星の光が撒き散らされ、東からは欠けのない満月が天へと昇った。だが決してそれらの美しい風景に心を休めることは出来なかった。追手への恐怖は未だ消えてはおらず、一刻でも早く街へと辿り着き、ヴラド公に会わなければならないという考えが思考の全てを満たしていた。私は月光を頼りに、まめと靴ずれで痛む足を懸命に動かしながらおぼろげに見える道の輪郭に沿って歩いていった。恐怖で張られた緊張の糸は、私から睡魔すらも遠ざけた。
しかし出発時に感じた一抹の不安はここで奇妙な形で実現した。
私は道の傍らに立つ数人の男たちの姿をおぼろげながら認めた。その男たちは屋敷を襲った兵士たちのような金属製の鎧は身に着けておらず、村人と変わらない布の服を着ていたため、私の追手ではないようではあった。だがその手には月の光を反射して輝く抜き身の剣が握られており、どちらにしても私の味方ではないように見えた。
その時、かつて父が私に話したことを思い出した。屋敷の外には盗賊という者たちがおり、その者たちはたとえ命を奪ってでも無辜の人々から金品を奪い去るということであった。目の前のおぼろげに見える男たちはどうやらその盗賊のようであった。
私が身を隠そうとする間もなく、その盗賊たちも私のことに気づいたように見えた。万事休すかと思えたが、盗賊たちの様子は何かがおかしく、決して私を襲うようには思えなかった。
もしかしたら彼らは父の言っていた盗賊ではなく、父の率いた軍の生き残りなのかもしれないという希望が私の中に生まれた。そうすると金属の鎧を着ていないのも、落ち延びる際何処かに置いてきたのではないのかと思えた。胸の中に満ち溢れた喜びは疲れをほんの僅かな時間だけ忘れさせ、私ははちきれんばかりの思いでその男たちのもとへ駆け出した。
しかし彼らは走っていく私の姿を見るなり、散り散りに走りだした。思わず私は制止の声を彼らにかけたが、どうやらそれも逆効果であった。恐怖で叫びながら散り散りになる彼らの声は私の耳にも入ってきた。
「だから言ったんだ、こんな時間に出歩いてる小娘なんて人間のはずがないんだ!きっとあのドラキュラ公に殺された子供がストリゴイになったんだ!助けてくれ神様、もう盗賊なんかからは足を洗うから!このままだと殺されちまう!」
どうやら私は話には聞いたことのあった魔物の、吸血鬼の類と思われたようであった。だがそのことが却って私を窮地から救った。
そして同時に教会でも耳にした「ドラキュラ」という名は彼らのような者たちにも知られているようであったことは分かった。
私はその名も印象的な「ドラキュラ公」について思いを巡らせた。子供すらも手にかける、残虐な男であるらしい「ドラキュラ」。教会に来た男の言葉を信じるのであれば、私の父はその男に従ったという。
しかし父が仕えたのは、私が今会いに行こうとしているヴラド公のはずだ。父はヴラド公を裏切ったのか?いや司祭の言葉を信じるのであれば父は死を賭してヴラド公を守ったはず。
だとすればそのヴラド公こそ「ドラキュラ公」であるのか?しかしそのような残虐な男にどうしてあれほどまでに父は心酔していたのか?そしてそのような男に会うというのは追手の前に見を投げ出すほど危険な行為ではないのだろうか?
結論など出るはずは当然なかった。しかしここまで来た以上、今さら引き返すことなども出来るはずもなかった。どちらにしても本人に会えば分かること、半ば自棄になった気で私は歩みを進めていった。
その後も私は夜通し歩き続け、月が沈み再び空が白み始める頃には目的とする街、トゥルゴヴィシュテへと辿り着いた。折よく日の出とともに開かれた門から、硬く高い石壁に囲まれたその場所へと足を踏み入れた。
城壁の中でまず私が目にしたのは道なりにそって立ち並ぶ槍の山であった。まるで訪問者を威嚇するように切っ先を天に向けて突き刺されたそれらは、私に得も言えぬ不気味な感情を与えた。少なくともそれは都市の入り口の装飾としてはあまりにも悪趣味過ぎた。
市街部へと入ると次は強烈な悪臭が私を出迎えた。その臭気は屋敷や領地ではどんな場所からも、どれほど卑しい農民や召使からも発されることはなかった臭いだった。すぐにその原因は分かった。その様子を詳細に口にすることも阻まれるような汚物が道中にばら撒かれていたのだ。
私は屋敷を襲った者共の一味がこの街も手にかけ、蛮行を働いたのかと思ったが、その割には街の住民たちを見る限りそのような様子はなく、立ち並ぶ商店もそれぞれ何事もないように開店の準備をしていた。どうやらこの場所では、この不衛生な環境が日常の光景として受け入れられているようであった。
見知らぬ土地での奇妙な環境に衝撃を受けながらも、私はヴラド公に会うために城へと歩き始めた。他の建物よりも一段高くそびえた公の居城は、混みいった城市の中でもひときわ目立っていた。
私は城の下へと辿り着いたところで、衛兵に道を阻まれた。
「待て、ここはヴラド様の居城だ。お前のような小汚い小娘が入っていいところではない、さっさと去れ」
地下道を転げまわり、ほぼ丸二日野ざらしにされた私の姿はとても曲がりなりにも貴族階級に属する者には見えなかった。衛兵の言葉でようやく私は自分の姿を自覚した。
「でも、私はヴラド公に会わなければいけないのです」
「お前のようなものが、殿下に一体何の用があるというのだ?それに殿下はこれからお休みになる、お前のような下賎な輩とお会いになる時間など無いのだ、さあ帰れ」
「しかし私の帰る場所はここにしか無いのです!」
「今度は何を言い出すかと思えば、単なる卑しい身分のガキかと思ったら今度は気違いか。言葉が通じない奴にはこちらとしてもそれなりの対応を取らせてもらうぞ」
そう言って衛兵が槍を構えた瞬間、一人の男の声が聞こえた。
「待て、一体何の騒ぎだ」
「はっ、気違いの小娘が現れたゆえ、それの処理を」
衛兵は槍を再び垂直に立て姿勢を正すと、声の主へと素早く向き直った。
そこには豊かな口ひげをたくわえ、巻き毛がかった黒く美しい長髪をした壮年の男が立っていた。その男は私の顔を暫くの間見ると、衛兵にこう命じた。
「待て、その娘には用がある。中へと通せ」
「しかしこのような…」
「私が命令する、通せ」
「了解致しました」
衛兵は門を開けると、私を居城の中へと引き入れた。
窓掛けを少しだけ開いて、私はその光景を見下ろす。もう数十年以上も変わっていない、いつもの見慣れた光景だ。この国が異教の大国のもとに膝を屈してからというもの、七日ごとにこの茶番が繰り広げられる。
私は旧来の信仰に思い入れがあるわけではない。日曜の朝に教会に通いもしなければ、世界の最後に現れ悪人に裁きを下し、彼を信じた善良な信徒たちを理想郷へ連れて行くとかいう救世主に信頼を置いているわけでもない。だが彼らの衣服や習俗を見ると、とある出来事を思い返してしまうのだ。
私は窓掛けから手を離し、僅かに射し込む朝日で仄明るくなった部屋を歩き、寝台へと潜り込んだ。私を包み込む眠気に身を任せながら、私はかつての記憶を思い起こした。
私は貴族の一人娘として生まれた。貴族と言えば大層だが、貴族階級の中でも下級の、小さな村を数村持つだけに過ぎない単なる小領主に過ぎなかった。だが父も母も貴族身分であることに執着とも言える誇りを持ち、その現れか着替えの時にすら自らの労力を用いるのを厭い召使を呼んだ。
労働はたとえほんの僅かなものでも私たちのような者たちがやることではない、私たちはその労力をもっと高尚なことに使わなければならない、そう父は常々口にしていた。父の言う高尚なこと、というのは一体どういうことなのか私には分からなかったが、私も父と同じように身の回りの些細なことでも召使を動かした。
貴族階級において子供が少ないどころか男子がいないことはその家の存続を大いに脅かすものであったが、両親はあえて新たに子をもうけようとはしなかった。母の身体は決して丈夫な方ではなく、私を産んだ際にも生死の境をさまよったと聞かされた。父は母の体を危険にさらしてまでは跡継ぎを求めず、かくして私は両親の愛情をわが身ひとつに独占して育った。
男として生まれなかった以上、私の使命は良い家に嫁ぎ、この家の血筋を、例え母系であっても、次の世代へと残していくことであった。私は良き花嫁になるために種々の教育を受けた。母も家庭を守る良い妻となり、子供を産み育てることこそが女の幸せだと心の底から信じており、私の教育に関しては父以上に熱心であった。
まず他の貴族たちと会うことになる宮廷の礼儀作法について、彼らと共にする会食の作法と、愚女と思われることもなく、かと言って嫌味にならない程度の教養と読み書きを家庭教師から教えられ、母からは直々に貴族らしくあることの心得と、良き妻、良き母となるための心構えを習った。異国へ嫁ぐときのことも考えたのか、他国の言葉も教えられた。
レミリア、というこの国では珍しい異国風の名を私に付けたこともそのようなことを考えてのことだったのかもしれない。だが決して、南の国境を接し、この国が賦役を払っている異教の大国の言葉だけは父は私に教えようとはしなかった。もっとも、そのようなことを当時の幼い私は気づかなかったのだが。
唯一日曜日だけは、私は屋敷の外に出ることができた。屋敷から離れた場所にある教会へと家族で出かけるからであった。移動する馬車から見える、屋敷とは違った景色を私は一週間ごとに心待ちにしていた。外の風景に比べれば、二本や四本の直線で出来た教会の象徴や、神を抱いた聖母の絵画も退屈でしかなかった。
私はその生活と考えに何一つ疑問を差し挟むことはなかった。当時の私にとっての世界には屋敷と、召使たちと、家庭教師と、両親と、日曜日の風景だけが存在しており、その世界では父母の思想と家庭教師の教育だけが絶対唯一の真実であった。このまま私は子供を産める年齢になり、何処かの家へと嫁いでいくのだろう、そして嫁いだ先では母のように静かに、子供の教育に多少の精を出しつつ、身の回りの雑事を召使に任せながら静かに暮らしてくのだろう。ただ漠然とそう考えていた。
ある日の昼下がり、父は例のように月に一度の宮廷への出仕から帰ってきた。だがその様子にはいつもの威厳に満ちあふれた態度を保とうとしていたが、家族の食器を割ってしまった召使のような、だが同時に、高級な食材の調理を命じられた料理人のような、どこか落ち着かない姿が表れていた。
その日の夕食で、父は母と私に来月から家を空ける事になると告げた。我らが労力を使うべき高尚なことがようやくやって来た、とも言った。
「ヴラド公と共に、信仰と我らのために戦うのだ」
ヴラド、その名前を聞いたのはこの時が初めてであった。父にその人物について尋ねると、父は自分の宮廷での主人のような人だと答えた。主人という言葉を聞き、私の脳裏にはそのヴラド公に跪く父の姿が現れた。
この屋敷の中では召使に全てを任せ、自分では何事もせず堂々としている父が、ここを一歩出てしまうとその召使たちのように自分以外の者にへこへこと従うのか、そう考えると私には父が少し情けなくも思えたが、それ以上に父に屋敷では決して見せることのないもう一つの面があるということが不思議に感じられた。
信仰のため、という理由も当時の私には理解できなかった。信仰といえば日曜日に家族で訪れる教会の光景が浮かんだが、その退屈な直線の象徴や慈愛の表情に満ちた人物が描かれた聖画像は戦などという荒々しいものとは結びつかなかった。
翌日から、屋敷は慌ただしく動き始めた。父は方々へ送る大量の書類を書き、召使たちは普段から念入りに手入れをするよう命じられていた武具を保管庫から運び出し、廊下に並べた。馬車も引かずに大事に厩舎で飼われていた父の愛馬は人間と同じように金属の鎧を着せられ、屋敷の周りには父と共に戦うために領地中から集められた男たちが一日ごとに増えていき、庭には彼らのための天幕が立ち並んだ。これまで見たことのない多くの人間と太陽光を反射して輝く金属の武具の林の光景に私は目を輝かせていた。
果たして翌月、父は大勢の武装した男たちと共に、ヴラド公の待つという城へ向かっていった。出発する直前、父は母と私に別れの挨拶を告げた後、姿勢を低くかがめて私を無言で抱きしめた。硬く冷たい鉄の鎧の感触は私にとっては心地の良いものではなかったが、父はせめて別れの前に私にわずかでも自分の温かみを与え、自分の思い出にも娘のぬくもりを残しておきたかったのだろう。
今考えると、父はこの時完全に死の覚悟が出来ていたのだろう。
父と男たちがヴラド公のもとに向かい、屋敷は少し静寂を増したが、私と母は父がいないだけのこれまでの日常に戻った。もともと父と接するよりも教育を受ける家庭教師や母との時間が格段に長かった私には、父の不在は格別何の感情を引き起こすでもなかった。時折母と共に幕舎から来たという父の手紙を読んでは、母は半分は独りごつように、半分は私に言い聞かせるかのように父の勇敢さを褒めたたえた。不在によって薄れていく父の姿は、これらの手紙によってなんとか私の中にその姿を留めていた。
父の手紙には戦果と共に常にヴラド公への崇拝とも言える敬意が添えられていた。その賛美を聞くたびに、私は召使たちのように未だ見ぬヴラド公に平伏する哀れな父の姿が思い描かれたが、同時に屋敷ではこれ以上無いほどに尊大な父をして下僕のごとく変えてしまうヴラド公の魅力は一体何なのだろうという思いも同時に表れた。
未知のヴラド公を私は様々に思い描いた。豊富な経験と見識を持つ厳格な老人の姿や、決断力に富み、同性をも惹きつける魅力を持つ若者の姿、ありとあらゆる自分の考える魅力的な人物像が脳裏に浮かんでいった。
父が戦場へと旅立って三年の月日が経ったある日、いつものように父からの手紙が届いた。母はその封を開き文面に目を通すと、間も置かずに叫んだ。
「やったわ、お父様が帰ってくるのよ!」
母の差し出した手紙には次のように書いてあった。
”愛しい我が妻と我が娘へ。
ついに異教徒は我らの土地から手を引いた。我らは勝ったのだ。夜襲は成功し、敵に大損害を与えた。敵の王を仕留めることは敵わなかったが、ともかく彼らは我らの土地から撤退したのだ。
これまでの三年間の戦役で流した我等の血は無駄ではなかった。これで我が国は異教徒の支配から脱し、正当な信仰の元へ戻ることが出来る。私もお前の待つ屋敷へ戻れるだろう。妻よ、私の不在の間、よく家を管理してくれていた。娘よ、成長したお前の姿を楽しみにしているぞ。
この勝利とヴラド公に神の祝福あれ。”
父のいない三年の間に、私は政治情勢についてある程度の理解が出来るようになっていた。かつては分からなかった出発前の父の怯えつつも晴れ晴れした様子や、父の言った「信仰のため」という言葉もこの時には理解できていた。
この国の数倍の広さを持つ異教の大帝国はこの小国を間接的ながらも支配下に置いており、それに反発して無謀にもこの国は反乱を起こしたということを私は父のいない間に母や家庭教師から聞かされた。二人共に必ずこの国は勝つ、と私に言っていたが、内心はその国力差から勝機はないと思っていたに違いない。手紙が届いてから、屋敷中は召使までもが歓喜に包まれていた。私もその歓喜の輪の中に加わり、戦役を成功させ堂々と帰ってくるであろう父の姿を思い描いた。
その日から、私は家庭教師の授業など上の空で毎日屋敷の窓から多くの男たちを連れて戻ってくるはずの父の姿を探した。もう父の姿は手紙の力を借りずともおぼろげになることはなかった。むしろ一旦父の記憶が不鮮明となったことで、却って再び歓喜と共に記憶の中に舞い戻った父はその輝きを以前よりも増した。もはや父はヴラド公に情けなく跪く男ではなく、何倍もの兵力を持つ異教徒と勇敢にも戦って勝利を収めた誇るべき勇者であった。
窓から見える平原に父の姿を探し始めて数週間が経ったある日、地平線に日光を反射してきらめく一団が私の目に飛び込んだ。
「お父様が帰ってきたんだわ!」
私は思わず声を上げ立ち上がった。普段であればこのような下品な振る舞いは家庭教師が厳しく諌めたが、私の言葉に驚いたのか、彼も自分の責務を忘れ教科書を机に置き窓の外を見た。彼にもどうやら地平線に立つ群衆が見えたようであった。いてもたってもいられなくなった私は部屋を飛び出し、屋敷中を駆けまわり、父が帰ってきたと叫びまわった。召使たちも執事も、母ですら家庭教師と寸分違わぬ反応を示した。皆私のてんばな行動を忘れ、私の指差す方向の窓に目を向けた。
皆父の帰還を喜んでいた。次第に距離を縮め、大きくなっていく銀色に輝く一団に屋敷中は湧き上がった。料理人は今夜の祝宴の献立を独りごちながら考え始め、父の私室の小間使いは誰よりも早く父を迎えようと外へ駆け出していった。だが徐々に近づく銀色の一団を見て、私はある異変に気づいた。
「あの旗の模様、お父様の模様とは違う…」
母は戦利品の敵の軍旗を掲げているのだと言い取り合わなかったが、私にはその説明に納得することは出来なかった。この屋敷に向かってくる男は父ではない、私は直感的にそう感じ取った。
そうして同時に、あの男たちはこの屋敷に取り返しのつかない災いをもたらすだろうという予感もした。そして不思議と、その予感はどんなにあがいても実現してしまうのだという考えが脳裏に浮かんだ。「運命」という、これまで意識することのなかった言葉が頭をよぎった。
武装した集団が屋敷に近づくにつれ、私以外にも異変に気づくものが現れ始めた。しかし誰もそれを深く考える者はいなかった。母のように戦利品の軍旗を掲げているのだと言う者もいれば、共に戦った他の貴族や騎士を屋敷に招待するために連れてきたのだと言う者もいた。誰一人としてあれが父の軍ではないと疑うものはいなかった。
屋敷に一歩一歩近づいて来る武装した集団を私は注意深く観察した。父の姿があの集団の中にいることを願った。ふと脳裏に表れた破滅的な未来の予感をかき消そうと祈るような思いで一人の男の姿を探した。その考えをかき消すための鍵である父は、きっとあの集団の中にいるに違いない、そう信じながら私は小粒のように見える男たちの顔を目を凝らして見た。
だが、私の予感は的中してしまった。その集団は屋敷の門へとあと千歩ほどの距離まで迫ると、鬨の声を上げて己がじしの武器を高く振り上げ、こちらの方向へと駆け出してきたのだ。皆はようやく自らの過ちに気付いた。屋敷を恐慌が襲った。鳥小屋で追われる鶏のようにのように慌てふためく召使たちを尻目に、母だけは冷静であった。母は我を失う下僕たちを一喝し正気を取り戻させると、彼らに武器となりうるものを持ち屋敷の防衛をするよう命じ、各自の持ち場を伝えた。それは限られた人員の下で最善と思われる配置であった。
母は彼らが動き始めたのを見届けると、私の両肩に手を載せ、私の目をじっと見つめて言った。
「いいことレミリア、貴女の部屋の暖炉の底から屋敷の外に繋がる隠し通路があるわ。貴女はそこを通って逃げるのよ」
「でもお母様、お母様はどうするのです?」
「私はここに残るわ。私がここからいなくなったら、誰が指揮を執ると思っているの?」
「でもそれではお母様が…」
「私のことなら心配は無用よ。恐らくは、ここで死ぬでしょうから」
あまりにも平然と、母は私が予想だにしなかった言葉を口にした。確かに私はその時、母も一緒に逃げなければ二度と生きては会えないであろうということは分かっていた。だがきっと母は適当な嘘を言い繕い、私を安心させようとするはずだと信じていた。
「そんな…お母様がここで死ぬというのであれば、私も共に死にます!」
眼前に突きつけられた肉親を失い孤独になることの恐怖が、私に発作的な言葉を口走らせた。だが母はあくまで冷静に私の言動を諭した。
「いいえ、命を粗末に捨てるものではないわ。貴女まで死んでしまったとしたら、誰がこの家の家督を継ぐというの?貴女は生き延びて、この家の血を残すのよ」
「でも、お母様…」
「これも貴族に生まれたものの運命よ。先祖代々受け継がれてきた我が家の高貴な血を簡単に絶やしてはいけないの。どんなに辛いことがあっても、生き延びなければならない時があるのよ。それに、お父様の行方も知れず、私も死んでしまう今、貴女こそがこの家の当主なのよ。その自覚を持って、しっかりと生きていきなさい」
その言葉は母が私に施した、最後の教育であった。
「…はい、お母様」
「分かったのなら、ぐずぐずせずに向かいなさい。あの者共が来ないうちにね」
階下では、何か丸太のようなものが固く閉じた扉を強く打つ音が聞こえ始めていた。
自室へと飛び込み、母の言った暖炉を調べた。冬から少しばかり残されていた暖炉の灰を掻き払うと、暖炉の底に丸い取手のようなものがあることに私は気づいた。それを持ち、少し動かすとそこから階段が現れた。これまで気づくことのなかった自室の秘密に感動する時間はなかった。
扉の向こうからは男女の悲鳴が聞こえ始めていた。私は階段を数段降り、この抜け道が気付かれないように再び階段の蓋を閉じた。微かに聞こえる召使たちの悲鳴の中、私の視界は闇に包まれた。
通路の中は文字通り完全な闇であった。何一つとして光を取り入れる窓や灯火となるようなものはなく、この場所と比べれば新月の夜ですら眩しすぎるほどであった。私は手探りで、何度も壁にぶつかり地面に転びながらも出口を探した。いつやって来るとも知れない追手への恐怖が、私の足を動かす唯一の原動力であった。
赤ん坊が這うような速度で、私は泣きながら通路を進んでいった。自分の場所が発覚することを恐れ声だけは必死に抑えこもうとしたが、喉の奥から漏れ出る嗚咽の声は静かに通路の中に響き渡った。
どれほど時間が経ったのか、またどれほど通路の中を進んだのかをも忘れた頃に、私の目は赤色の一縷の光を捉えた。長い暗闇の出口を見つけた私は僅かばかりの気力を取り戻し、その光の方向へと歩みを早めた。その赤色の光は夕焼けの光であると思った私は、通路を通るのに要した時間に思いを馳せると共に、暗いこの場所とは正反対の、太陽の光に満ちた空を期待した。
だが、その光は夕焼けではなかった。日はとうに沈んでおり、長い隠し通路を抜け、外の世界へ出た私が目にしたものは、激しい炎に包まれる、つい数時間前までその中で父の帰りを母と、大勢の召使たちと一緒に待っていた館であった。
あまりにも短時間に非日常を体験したためか、その時の私は燃え盛る屋敷を見ても何一つ驚くことも、悲しむこともなかった。焼け落ちる館はまるで大掛かりな演劇の背景として燃やされているのではないかというような気さえした。あの火の中で私の服や食器、家族の思い出の品々、そして何人もの召使たちや母が燃えているのだろうと理性では知覚していたが、それが何らかの感情を生み出すことは決して無かった。ただ「屋敷が燃えている」という事実だけを思ったまま、私はしばらくその赤色の光源を見つめていた。
私は突如として猛烈な眠気に襲われ、近くの茂みに身を横たえると程なくして屋外であるということも、追手への恐怖をも忘れ深い眠りに落ちた。人間には極度の心的疲労を感じた時、意識を失うように眠りに落ちることがあるという。恐らくは当時の私にもそれと同じ現象が起きていたのだろう。
私は夜も明けやらぬ朝方に目を覚ました。屋敷の炎は昨日より多少弱まってはいたものの、未だに燃え続け暁の空を静かに照らしていた。私は起き上がると、静かに何処へ行くあてもなく歩き始めた。
屋敷を襲撃し、火を放った集団は一体何であったのか、父はどうなってしまったのか、歩きながら私は考えたが、何の手がかりもなく、全てが異常な事態の中で答えが出てくるはずもなかった。
そのような中で母の言い残した「この家の当主」という言葉が頭を駆け巡り、自暴自棄な笑いがこぼれた。住む家も、仕えてくれる召使たちも失い、汗と泥と草で汚れた服以外に持ち物のない、この未熟な少女が貴族の家の当主とは!そのようなことを考え、くすくすと気狂いのように一人で笑いながら、私は炎と薄明に照らされる砂利道を進んでいった。
日は高く昇り、辺りの景色をはっきりと照らし出した。照り輝く緑の平原と透き通る青い空、そしてその姿こそ見えないもののどこからか聞こえてくる鳥たちのさえずり、かつて馬車から眺め私を夢中にした景色が私の前に現れた。
だがあれほど一週間ごとに私を虜にした風景の真っ只中に、誰からも自由でいるにもかかわらず、私の感情はかつてのように晴れ晴れと揺れ動くことはなかった。かつて私がこの風景に対して抱いた感情は屋敷という退屈ながらも、安全で満ち足りた変わることのない人工物に囲まれた日常が存在して初めて生まれるものであったと、その時になって幼い私はようやく気づいたのであった。
しかしその日常たる屋敷が炎に包まれてしまった当時となっては、私を夢中にしたこの空と平原も輝きを失い、却って以前との境遇の差を思い知らせる憎らしいものとしてさえ感じられた。
ふと気がつくと、私の目の前には玉葱のような屋根の上に四本の直線で作られた十字架が飾られた、かつて父や母と何度も訪れた教会があった。無意識のうちに私は馬車から見ていた風景を頼りにしながら、唯一屋敷の外の世界で知っていたこの場所へと進んでいたのだ。何一つ変わらない教会の様子を見て、私は僅かながら安堵の気持ちに包まれた。日常が、ほんの一欠片とはいえ残っていた。
私は重い扉を開いた。聖像に向かって祈りを捧げていた司祭は厳粛な儀式を中断させられ、苛立たしげにこちらの方向に振り返ったが、私の姿を認めると即座に顔色を変え、私の元へ駆け寄った。
「お嬢様、よく生きておられました…」
涙ぐみ、喉の奥から漏れ出るような声で司祭は話を続けた。
「昨晩の屋敷の惨状を聞いて、私はこのように鎮魂の祈祷を行っておりましたが、お嬢様がご無事でいらっしゃるとはなんという神の恩恵でありましょうか…」
私は昨日の母の言葉と召使たちの悲鳴を思い出し、頭をうつむかせた。だが同時に昨晩から私の頭を悩ませていた、不可解な状況への疑念が口をついて表れた。
「屋敷を襲ったあの者共は…一体…?」
「何と、確かにこのような状況ではお嬢様が御存知ないのも当然でございます。あの不信心の輩共は…」
司祭が次の言葉を口にしようとしたその時、教会の外から数頭の馬の蹄の音が聞こえた。
遂に追手がやって来てしまったのだと私は直感した。しばしの間忘れていた死への恐怖が蘇り、私の足はわなわなと震え始めた。司祭は私の様子を見て、落ち着かせるように優しい口調で言った。
「お嬢様、どうか御安心下さい。お嬢様には指一本触れさせませぬ」
「でも、私はどうすれば?」
「しばしの間、あの扉の向こうへとお隠れ下さい。あそこならば奴らからは気づかれることはないでしょう」
そう言って彼は聖画像で彩られた衝立の扉を指さした。
「でもあの場所は神聖な…」
「斯様な時であれば主もきっとお赦しくださるはずです、どうか、お嬢様!」
彼の言葉に従い、私は大仰な扉を開け、本来ならば聖職者しか入ることが出来ないはずの小部屋へと入った。扉が閉じられ、私は息を殺して扉の向こうの音へと全神経を集中させた。
教会の大扉が開く音と同時に、金属の触れ合う音と混じった数人の足音が聞こえてきた。
「神聖な奉神礼の最中に、一体何の用でございますか?」
司祭の声が堂内に響いた。
「おや、儀式とは不思議ですね。今日は日曜日でも祝日でもなかったはずでございますが?」
男の声がそれに答えた。
「昨日の屋敷の惨事を見ておらぬはずはないでしょう、それでよくもそのようなことが言えたものですな」
「領主は主君の選択を見誤ったために命を落とし、その一家は召使たち諸共殺され、その屋敷が焼け落ちたことでしょうか?それが一体どうしたというのです?」
その言葉に、私の血は全身で凍りついた。
「それがどうした、とは一体どういうことでしょうか?」
少し口調を荒げながら、司祭はそれに応じた。
「どうしたも何も、あくまで不幸があったのはその領主の一家だけで、貴方には何も儀式を執り行うほどのことも無いでしょうと申しておるのですよ。まあもっとも、あれほど残虐なドラキュラ公に従った者の末路としては相応しいものではございませんかな?」
挑発的な口調で、男はそう言った。そして、ドラキュラ公という奇妙な名前を初めて耳にしたのもこの時であった。
「領主様一家は寛大な御方でした。その不幸を悼み、来世の幸福を祈ることの何に咎がありましょう?」
「何も咎があるとは申してはおりませぬ。ただ、このような儀式を執り行うことの費用は決して安くは済まないでしょう。領主のあの娘でも生きていればその忠誠心に応じた褒美などもあったのかもしれませぬ。ですがそのようなことも無くなってしまった今、見返りのない儀式を執り行うことに何の意味があるのかと申しておるのですよ」
「私が聖なる機密を執り行うことは、何らかの見返りを求めてのことだと、貴方はそう仰るのですか!」
司祭の言葉には隠し切れない憤慨の色が表れていた。
「私は人の行動には何かしらの下心があるものと考えておりましてね。…たとえ神に仕えるという名目の貴方がたにもですな」
「邪教に心を売り渡した者らしい言い草ですな、武人殿。ところで話を戻しましょう、一体この神聖な機密の最中に何の用事ですかな?まさか聖なる奉神礼を愚弄しに来ただけということはないでしょう」
「もちろんですとも、神父様。私がここに来たのは新たな領主としての就任挨拶の為と教会の税金の徴収の為ですよ」
「教会に税金?一体どういう事ですかな?神の下僕である我らに課税など馬鹿げたことを?」
「我が新たな主君は『これまでのように租税を払うのであれば信仰に関しては汝らに任せる』と仰られた。つまり領主たる私がこの地域の教会を自由に出来るわけだ。ひいてはまず手始めにその財源としてお前らにも税金を払ってもらう。心配するな、何も教会を壊すなどと言っているわけではない」
「しかしこのような小さな教会に供出することの出来る金品があるとでも?」
「それを決めるのは我々だ。これからこの教会堂を調べさせてもらうぞ」
金属音の混じった複数の足音が一斉に動き始めた。
「まず手始めに、あの衝立の向こうを調べさせてもらおうか。聖域の名の下に、お前の隠している財宝が見つかるやも知れぬからな」
先程にも増して私の血は凍りついた。重い足音は一歩一歩と私の隠れている衝立で隠された小部屋へと近づいてきた。もしあの声の主がこの扉を開け、屋敷の中で死んだものと思われていた私が見つかってしまったら、私の父の領地を奪ったあの男たちは、邪魔な私を何のためらいもなく私を一刀の下に切り捨てるだろう。母や多くの召使たちの命を見捨ててまで逃げ生き延びた私は結局この小さな教会でその人生をあっけなく終えてしまうだろう。私は死を恐れ、そして何よりも彼らの私を生き延びさせようという努力を無に帰する事を恐れた。
また小部屋には男の言うような司祭の財宝などは何もなく、小さな執務用の机と椅子があるだけであり、これ以上隠れる場所などはあるはずも無かった。外に通じる窓や扉なども無く、私は何処へ逃げることも、隠れることも出来ずにただ恐怖に震えながら一歩一歩、ゆっくりと近づくにつれて大きくなってゆく重い足音を聞いていた。
私には祈ることしか出来なかった。どうかあの男たちが私を見つける事のないように、どうにかしてあの男たちがこの場所から去るように、一心に何かに向けて祈った。
扉の取っ手がゆっくりと動き始め、扉が今まさに開かれようとしたその瞬間、私の体の中に何かの力が湧き上がるような感覚がした。同時に外から何かの轟音のようなものが聞こえはじめた。皆はその正体を確かめようとあらゆる動作を止め、教会堂内を一瞬の静寂が支配した。
その静寂を打ち破るかのように、教会堂はぐらぐらと大きく揺れ始めた。壁は軋み、何かが割れる音が聞こえ、そして堂内は男たちの動揺の声で満たされた。その時、司祭は声を張り上げてこう言った。
「神が、神がお怒りになっているのだ!神聖な儀式を中断させ愚弄した挙句、神の家である教会を卑俗なる課税などという名目で冒涜せんとしたことに神はお怒りになられているのだ!」
その言葉に男たちは恐れおののいたようであった。口々に神への懺悔や聖人の名を唱えながら、金属音の混じった足音を立てて急ぎ足で教会堂から出ていった。
教会から足音が消えた頃には、大地の揺れはすっかり収まっていた。再び静寂が支配した教会堂にゆっくりと大扉の閉じられる音が響き渡った。優しい足音が静かに私のもとへと近づき、目の前の扉が開かれた。司祭は私の顔を見ると、落ち着けるように優しい笑顔と声で語りかけた。
「もう大丈夫でございます、お嬢様」
「地震、だったの?」
「そうでございます。主があの不信心な輩からお嬢様を御守りになられたのでしょう、有難いことにございます」
司祭はそう言ったが、私には不思議とそうは思えなかった。
「やっぱり、お父様も…」
「誠に申し上げにくいのですが、領主様は私たちよりも少し早く神のもとへ旅立たれたということです…」
「一体どうしてなの!?戦には勝ったってお父さまの手紙には!」
「確かに、異教徒との戦いには勝利を収めることが出来ました。ですが打ち破られた異教徒どもは我が国の主君に不満のある貴族や騎士たちをそそのかし彼らに手を貸して、その主君、ヴラド公に対して反乱を起こさせたのです。…領主様は反乱に加わることはなく、その生命を賭して主君を守り、恩義に報いたということです」
「屋敷を襲ったのも、あいつらなの?」
「そうでございます。屋敷にはほぼ女子供しかいないことを知っていながらあのような凶行を犯すなど、到底同じ人間とは思えませぬ」
「奴らの望みは何だったの?」
「恐らくは領主様の財産に目が眩んでのことでしょう。あの晩、焼け落ちる屋敷から衣服や食器を持ち去る男たちを見たと聞きました」
もはや司祭の言葉に私は驚くことはなかった。ただ自分でも簡単に予想のついていたことを、彼の言葉を通して聞くことで客観的な事実となったことを確認しただけであった。
「もう私には、何も残っていないってことね」
私の言葉に司祭は応じることは出来なかった。しばしの沈黙が流れたあとに、私の脳裏に一人の男の名前が浮かんだ。すべてを失ってしまったこの絶望的な状況の中で、その男だけが私にとっては最後の希望のように思えた。
「そのヴラド公、というのはまだ生きているのよね?」
「はい、今はなんとか包囲を突破し、ご自身の居城にお戻りになられているそうです」
「トゥルゴヴィシュテ、って所だったかしら。そこに行けば、ヴラド公に会えるのね」
「まさか、そこへ行かれるおつもりではございませんな?」
司祭は慌て、裏返りかけた声でそう言った。
「そのつもりよ」
「お嬢様、どうかおやめ下さい。もし道中であやつらの一味に見つかりでもしたら、次も主が再び御守りしていただけるという保証はございません。それに、私どもの教会にも道中のお嬢様をお守りすることが出来るだけの者もおりませぬ。どうか、ここにお残りくださいませ」
「じゃあ、もう一度あいつらがここに戻ってきたらどうするつもりなの?今度こそ見つからない保証なんて何処にもないわ。危ないのはここに残っても同じことよ」
「しかしお嬢様…」
司祭がそう言ったその時、私の頭に母の言葉がよぎった。
「黙りなさい!いつから貴方は自分の当主に口応えできるようになったのかしら?」
精一杯の威厳を持ってその言葉を言ったつもりであったが、言い慣れない台詞を読み上げる私の声は上ずったものとなってしまった。今考えれば、まだ幼い小娘がこのような口を利くところを他人が見ていたのならば、それは非常に愉快に映ったことだろう。
「でもこれまでの貴方の働きには感謝するわ。よく私を敵から守ってくれた。随伴は必要ないわ。人が増えればそれだけ見つかりやすくもなるでしょうしね」
一人での行動に不安がなかったというわけではないが、その時の私にとってはこの場所を早く離れることだけが目下の関心だった。
「ありがとう、神父様」
私はそう言い残し教会を後にした。
私はかつて父がヴラド公の居城へと馬で向かっていった方角へと歩き出した。トゥルゴヴィシュテというその地名とその方角以外、私はその街に関することは一切知ってはいなかった。だが馬に乗っていたとはいえ、戦へと赴く以前ヴラド公の下へと出仕する父は丸二日と家を開けることはなく、その場所は決して絶望的なほど遠いわけではないと思っていた。
進んでゆく方角へは道らしき道は一本しかなく、道を誤る心配はなかった。しかし子供の、しかも普段は運動などしたことはない者の遅い足取りではその日のうちに目的地へと着くことは到底不可能であった。
そのうちに日は沈み、空には星の光が撒き散らされ、東からは欠けのない満月が天へと昇った。だが決してそれらの美しい風景に心を休めることは出来なかった。追手への恐怖は未だ消えてはおらず、一刻でも早く街へと辿り着き、ヴラド公に会わなければならないという考えが思考の全てを満たしていた。私は月光を頼りに、まめと靴ずれで痛む足を懸命に動かしながらおぼろげに見える道の輪郭に沿って歩いていった。恐怖で張られた緊張の糸は、私から睡魔すらも遠ざけた。
しかし出発時に感じた一抹の不安はここで奇妙な形で実現した。
私は道の傍らに立つ数人の男たちの姿をおぼろげながら認めた。その男たちは屋敷を襲った兵士たちのような金属製の鎧は身に着けておらず、村人と変わらない布の服を着ていたため、私の追手ではないようではあった。だがその手には月の光を反射して輝く抜き身の剣が握られており、どちらにしても私の味方ではないように見えた。
その時、かつて父が私に話したことを思い出した。屋敷の外には盗賊という者たちがおり、その者たちはたとえ命を奪ってでも無辜の人々から金品を奪い去るということであった。目の前のおぼろげに見える男たちはどうやらその盗賊のようであった。
私が身を隠そうとする間もなく、その盗賊たちも私のことに気づいたように見えた。万事休すかと思えたが、盗賊たちの様子は何かがおかしく、決して私を襲うようには思えなかった。
もしかしたら彼らは父の言っていた盗賊ではなく、父の率いた軍の生き残りなのかもしれないという希望が私の中に生まれた。そうすると金属の鎧を着ていないのも、落ち延びる際何処かに置いてきたのではないのかと思えた。胸の中に満ち溢れた喜びは疲れをほんの僅かな時間だけ忘れさせ、私ははちきれんばかりの思いでその男たちのもとへ駆け出した。
しかし彼らは走っていく私の姿を見るなり、散り散りに走りだした。思わず私は制止の声を彼らにかけたが、どうやらそれも逆効果であった。恐怖で叫びながら散り散りになる彼らの声は私の耳にも入ってきた。
「だから言ったんだ、こんな時間に出歩いてる小娘なんて人間のはずがないんだ!きっとあのドラキュラ公に殺された子供がストリゴイになったんだ!助けてくれ神様、もう盗賊なんかからは足を洗うから!このままだと殺されちまう!」
どうやら私は話には聞いたことのあった魔物の、吸血鬼の類と思われたようであった。だがそのことが却って私を窮地から救った。
そして同時に教会でも耳にした「ドラキュラ」という名は彼らのような者たちにも知られているようであったことは分かった。
私はその名も印象的な「ドラキュラ公」について思いを巡らせた。子供すらも手にかける、残虐な男であるらしい「ドラキュラ」。教会に来た男の言葉を信じるのであれば、私の父はその男に従ったという。
しかし父が仕えたのは、私が今会いに行こうとしているヴラド公のはずだ。父はヴラド公を裏切ったのか?いや司祭の言葉を信じるのであれば父は死を賭してヴラド公を守ったはず。
だとすればそのヴラド公こそ「ドラキュラ公」であるのか?しかしそのような残虐な男にどうしてあれほどまでに父は心酔していたのか?そしてそのような男に会うというのは追手の前に見を投げ出すほど危険な行為ではないのだろうか?
結論など出るはずは当然なかった。しかしここまで来た以上、今さら引き返すことなども出来るはずもなかった。どちらにしても本人に会えば分かること、半ば自棄になった気で私は歩みを進めていった。
その後も私は夜通し歩き続け、月が沈み再び空が白み始める頃には目的とする街、トゥルゴヴィシュテへと辿り着いた。折よく日の出とともに開かれた門から、硬く高い石壁に囲まれたその場所へと足を踏み入れた。
城壁の中でまず私が目にしたのは道なりにそって立ち並ぶ槍の山であった。まるで訪問者を威嚇するように切っ先を天に向けて突き刺されたそれらは、私に得も言えぬ不気味な感情を与えた。少なくともそれは都市の入り口の装飾としてはあまりにも悪趣味過ぎた。
市街部へと入ると次は強烈な悪臭が私を出迎えた。その臭気は屋敷や領地ではどんな場所からも、どれほど卑しい農民や召使からも発されることはなかった臭いだった。すぐにその原因は分かった。その様子を詳細に口にすることも阻まれるような汚物が道中にばら撒かれていたのだ。
私は屋敷を襲った者共の一味がこの街も手にかけ、蛮行を働いたのかと思ったが、その割には街の住民たちを見る限りそのような様子はなく、立ち並ぶ商店もそれぞれ何事もないように開店の準備をしていた。どうやらこの場所では、この不衛生な環境が日常の光景として受け入れられているようであった。
見知らぬ土地での奇妙な環境に衝撃を受けながらも、私はヴラド公に会うために城へと歩き始めた。他の建物よりも一段高くそびえた公の居城は、混みいった城市の中でもひときわ目立っていた。
私は城の下へと辿り着いたところで、衛兵に道を阻まれた。
「待て、ここはヴラド様の居城だ。お前のような小汚い小娘が入っていいところではない、さっさと去れ」
地下道を転げまわり、ほぼ丸二日野ざらしにされた私の姿はとても曲がりなりにも貴族階級に属する者には見えなかった。衛兵の言葉でようやく私は自分の姿を自覚した。
「でも、私はヴラド公に会わなければいけないのです」
「お前のようなものが、殿下に一体何の用があるというのだ?それに殿下はこれからお休みになる、お前のような下賎な輩とお会いになる時間など無いのだ、さあ帰れ」
「しかし私の帰る場所はここにしか無いのです!」
「今度は何を言い出すかと思えば、単なる卑しい身分のガキかと思ったら今度は気違いか。言葉が通じない奴にはこちらとしてもそれなりの対応を取らせてもらうぞ」
そう言って衛兵が槍を構えた瞬間、一人の男の声が聞こえた。
「待て、一体何の騒ぎだ」
「はっ、気違いの小娘が現れたゆえ、それの処理を」
衛兵は槍を再び垂直に立て姿勢を正すと、声の主へと素早く向き直った。
そこには豊かな口ひげをたくわえ、巻き毛がかった黒く美しい長髪をした壮年の男が立っていた。その男は私の顔を暫くの間見ると、衛兵にこう命じた。
「待て、その娘には用がある。中へと通せ」
「しかしこのような…」
「私が命令する、通せ」
「了解致しました」
衛兵は門を開けると、私を居城の中へと引き入れた。