Coolier - 新生・東方創想話

レイマリの大人ステップ

2012/10/01 12:00:31
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     一

 魔理沙が突然、家に帰るから、一緒に来て欲しいとお願いに来た。あの子があんまりにも真剣だから、私は何も言わないでついて行ってあげた。魔理沙の実家につくと、お父さんが出迎えてくれた。

「ただいま」
「お邪魔します」
「おう、入ってくれ」

 それきり、お父さんとは会話をしなかった。
 奥に進むと、お母さんが部屋で横になっていた。

「ただいま、おふくろ」
「あら、お帰りなさい。魔理沙」

 顔は青白く、眼はくぼみ、手先は骨張っていた。
 あぁ、死んじゃうんだなぁっと思った。

「席、外そうか?」
「いいよ。別に」
「霊夢ちゃんの顔を見るのも久しぶりね。ちゃんとおばさんに顔を見せて行ってちょうだい」

 そうして私は、何を言うでもなく、魔理沙の横に座っていた。
 帰り道、魔理沙も私も、口数は少なかった。

(そっかぁ。おばさん、死んじゃうんだなぁ)

 私はずっと、そんなことばかりを考えていた。
 道中、橋の下で、かわいそうなくらい不細工で、汚くて、黄色というよりは茶色っぽいネコを拾った。
 首を掴んで持ち上げた子猫は、私の目の前でびよ~んと伸びる。

「どうする、霊夢」
「飼う」

 私は家に連れて帰ることにした。

     二

 拾ったネコは、生後まだ二ヶ月か三ヶ月くらいだろうか。しかし子猫とは思えないくらい不細工なネコだ。すっかり我が家が気に入ったらしい。今、私の椅子の上に丸くなっていて、とても幸せそうに見える。この子猫は、私に何の特別な要求もしない。ただ遊んで欲しいのと、一緒にいて欲しいというくらいのことだろうか。でもそれで良いのかなとも思う。私にできることも、ただ世話をして、撫でてあげるくらいのことしかない。さしあたり、この子猫さんは、それくらいのことしか必要としないのだもの。

 拾って来てから三週間。その間にあったことは、魔理沙のお母さんが死んだということ。あれ以降、魔理沙は毎日、お母さんのところへ行っていたらしい。妖夢とか咲夜とか早苗とかアリスとか優曇華とかもういろいろ、連れて行ったらしい。私も三度、魔理沙に同伴した。レミリアを連れて行くとか、正気の沙汰とも思えなかったけど、どうせ老い先は短いのだから、構わないかなと思った。

「偉大なお父様エホバ神。あなたの御名が尊いものとして賛美されますように。今日、素晴らしき友人との出会いが与えられましたことを、感謝申し上げます。天上の殉教者よ。地上の受難者が一人また、そちらに向かおうとしております。来るべき日、天上の地に降臨せし日、この者に格別の思し召しがございますように。主、イエスキリストの、御名を通じてお祈りいたします。アーメン」

 胡散臭いにもほどがある。だからこの吸血鬼は好きになれないと思ったが、魔理沙のお母さんは、「神様も仏様も、みんな、尊いお方ですから。」と有り難がっていた。神仏混合も、ここに極まったというところだろうか。そういえば、初めて神仏混合を認めたのは、聖徳太子だったかなぁっと、そんなことをぼんやり思っていた気がしないでもない。

「ちゃぁ」

 私は子猫の名前を呼んだ。

「なぉん」

 この子猫は、不細工な顔と汚い毛色に相応しい、気持ちの悪い声で鳴く。
 ちなみに、この子はさらに気持ちの悪い名前まで与えられる予定だった。


「なお~ん、なお~ん、なぉ~ん……」
「ねぇ、魔理沙」
「何?」
「この子、なおんって名前にしようかしら」
「おいおい、止めろよ!!」
「どうして」
「ナオンって……オンナだろう?」
「あ~……」

 回想終了。
 それじゃと思いなおして、茶色っぽかったから、「ちゃぁ」にすることにした。
 この子猫は、ちゃあは、人を全く怖がらないらしい。
 そうして私が大好きらしい。
 危うく変な名前をつけられそうになったことなんて、この子には全然理解不能なんだろうなぁっと思う。
 しょせんは四足。
 ネコなんて、こんなものよね。
 ちゃあは、私のいないところでは、じっと大人しくしている。
 そうして私がいるところでは、私の足に絡み付いて、小さくても鋭い爪を立てて、ガリガリと引っ掻いて齧(かじ)りついて来る。私の足汁がそんなに美味しいか~っとか思う。
 で、部屋から部屋へと私が移ると、追いかけて来てまた齧りつく。
 きっと、私の身体は、ちゃぁにとっては大きな飴玉なんだろう。
 いや、鰹節……?
 指汁も美味しそうに吸う。
 その姿がまた、不細工だ。
 でも、愛嬌はあると思う。

「ちゃぁ」
「なぉん」
「呼んだだけだよ」

 そうしてちゃぁに指汁を吸わせていると、「霊夢。ちょっといいかな」と言って、入ってくる人がいた。霖之助さんだった。縁側から入ってくるとは、不躾だ。魔理沙並だが、女同士と女と男の間柄を一緒にしてはいけない。

「玄関から入って来てよ」
「返事がなかったんだよ」
「そう」

 どうやら気付かなかったらしい。そういうときもあるだろう。

「で、何? わざわざ家にまで来て」
「ちょっと、霧雨の親父のところまで一緒に来て欲しい」
「どうして?」
「魔理沙が家に帰れるように、しておいてやりたいんだ」
「あぁ……」

 意外と腑に落ちた。魔理沙もお母さんが死んで、いろいろと思うところがあったんだろう。最近、雰囲気が変わった。

「行きましょう」
「助かる」

 そうして魔理沙の実家へ向かうことにした。

「ネコ、飼い始めたんだね」
「うん」
「かわいいネコだな」
「ぶっさいくだわ」
「そうでもないけどな」

 案外、霖之助さんはセンスが無いようだ。

     三

 魔理沙の実家に着いた。

「親父、失礼します」
「おう、霖之助か。よく来たな」
「奥さんが亡くなられて、本当に残念です」
「あぁ。だがこればかりは、どうにもならんからな」
「お悔やみ申し上げます」
「何度も言ってくれねぇでいいさ。通夜の時に、存分に聞いたぜ」

 そうして一通り挨拶を終えると、「博麗の。よう来てくれたのう。何か甘い物でも出させるさかい、ゆっくりしていってくれや。」と気前良く言ってくれた。案外、奥さんが亡くなったショックもなさそうだ。相変わらず気丈な人だなぁっと思った。でも、意外に薄情だなぁっとも思った。

 奥の座敷で、お茶とビスケットにバタークリームが出された。

「おう、食ってくれや。何でも奢ってやるのは、気分が良いからなぁ」
「それじゃ、一つ。失礼します」
「おう、博麗のも食えよ」
「いただきます」

 昔から魔理沙のお父さんは、こんな感じで豪勢だった。それが私には粋というよりは、不遜であるかのように思えて、いまひとつ好きじゃない。もっと謙虚に生きなくちゃ、こういう人たちはダメだと思うんだ。

「美味しいですね。良いもの使ってますよ」
「おう、分かるか」
「ミルクの味がしっかり出ていて、美味しい……」
「そうか。まだまだあるさかい、どんどん食ってくれや」

 でも美味しいからしっかりいただく。もらっていって、魔理沙にも分けてあげよう。ちゃぁはさすがに、ネコだから食べないだろうなぁ。

「それで、今日は何ぞ用があって来たんや」
「それなんですが。親父、単刀直入に言います」
「おう。なんや」
「魔理沙の、家に帰るのを認めてやってください」
「……お前今、何て言うた」
「魔理沙が家に帰るのを認めてやってください」
「このことについては、何も言うなと言わんかったか」
「それでもです」
「そうか。おい、越智!! お客様のお帰りだ」
「へい」

 そう言って部屋に入って来たのは、若頭の越智白龍さんだ。

「越智。久しいな」
「ご無沙汰しております」

 霖之助さんと越智さんとは、兄弟の盃を交わした仲だ。
 もっとも、兄弟と言っても、任侠の世界での兄弟じゃない。昔から人間社会には、年長者が兄となって弟分の面倒を見るという仕来りがある。つまり、衆道的な意味での兄弟で、まぁ、人里に住んでいる男性で、兄弟分がいない人なんていないんじゃないかなぁ。

「越智。お送りして差し上げろ」
「……森近の兄貴。悪いですが、今日は帰って下さい」
「待ってくれ。親父。僕が魔理沙の代わりに、ケジメをつけます」
「ケジメやと?」

 すると霖之助さんは、懐から小刀を取り出して地面に突き刺した。

「生き指となるんでしたら、男冥利に尽きます」
「……霖之助、お前の気持ちは嬉しい。魔理沙のためにそこまで言ってくれるんは、他におらん。ありがたく思う。だが、その気持ちだけにさせといてくれや」
「一度突っ張ったら、そう容易く引けません」
「ばっかじゃないの」

 私は思わず、言ってしまった。

「筋違いもいいところだよ」
「霊夢ちゃんの言う通りや。兄貴、何ぼ兄貴が、霧雨組に長いことおって、親父とは親子同然の関係にある言うたかて、盃、交わしとらんのでしょう。そもそも兄貴は、ヤクザやおまへん。堅気ですわ。堅気さんの指詰めらせたとあれば、世間様が黙っとりませんで。そうなりゃ、霧雨組の面目は丸つぶれや」
「越智の言う通りや。霖之助。今日のことは、なかったことにしよう。もう何も言うなや。けぇってくれ」
「親父……男に二言はありません!!」

 そう言うと、霖之助さんは小刀を掴んで振り下ろした。

「霖之助!!」
「兄貴!!」

 二人が止めに入ろうとしたけど、それじゃ絶対間に合わないってわかったから、私は咄嗟に霊撃を放って、霖之助さんの手から小刀を離させた。
 危ないなぁ。
 危機一髪だよ。

「何考えとるんじゃ、霖之助!!」

 お父さんは顔を真っ赤にして問い質した。
 霖之助さんは、軽く火傷した手を多い、痛みで顔を歪めながら答えた。

「魔理沙は僕の娘同然ですよ。あの子が生まれたときから、親父と同じように、見守ってきた子です。可愛くないわけが、ないじゃないですか」
「霖之助……」
「僕は、命賭けても良いと思っています」
「馬鹿野郎。そんなことして、魔理沙が喜ぶと思っとるんか。アイツにとっては、お前は本当の兄貴同然やないか。父親代わりやないか。そんな大事な人が傷ついて、喜ぶ女じゃないことくらい、お前が一番知っとるやろう」
「でも……でも、何かしてやりたいんですよ!!」
「もう言うな!! これ以上言われたら、わし、折る節が見つからんようになってまう」
「兄貴。もうそのくらいにしておくんなまし。一番辛い立場におるんわ、親父ですぜ」

 それきり、霖之助さんもお父さんも、何も言わなくなってしまった。
 そうして、霖之助さんと私は帰ることになった。
 越智さんが渡してくれた手土産のビスケットは、後で魔理沙とはんぶんこにすることに決めた。
 
     四

 家に帰ってから、私はちゃぁと相談した。

「魔理沙お姉ちゃん、実家に帰りたいんだって」
「なぉん」
「魔理沙お姉ちゃん、分かる? よく家に来る、白黒のお姉ちゃん。フリフリのドレスで、バストを主張する結構大胆でセクシーなのを着るんだけど、ぺったんこだから全然なお姉ちゃん」
「なぉん」
「ちゃぁは、魔理沙お姉ちゃんの指汁も好きなんだよね~」
「なぉぉん」
「ん~、ちゅ~してあげる~」
「なぉぉ~ん」

 そうしてちゃぁの小さな額にキスをして、私は頬ずりしてあげた。ちゃぁは頬ずりすると、喜んで私の顔にじゃれ付く。ちょっと痛い。でも気持ちいい。

「魔理沙、お母さんが死んじゃって、いろいろ参っちゃったのかなぁ。私、お母さんもお父さんも、記憶に無いから分かんないわ。ちゃぁは、まだお父さんとお母さん覚えてるかな? どんなだった~」

 うりうりと、頬を擦り付ける。ガブリと噛んで来た。やられた~。

「魔理沙、普通の人間やるようになるのかな。ちょっと、寂しいかも……」

 まぁ、咲夜とか早苗とか、普通じゃない人間は残ってるけど。

「それにしても、今日の霖之助さんは熱かったなぁ。というか、意外に情熱的なのね。見直しちゃった。でも、任侠者っぽくて、ちょっと嫌だった。でもやっぱり、魔理沙のためってのは、カッコ良かったけど」

 和解のために自分を痛め付けるとか、ナンセンス過ぎる。
 でも正直うるっと来たのはナイショ。

「魔理沙のお父さん、どうして復縁を認めてあげないのかな」
「なぉ~ん」
「ん~……なんて言いたいの、ちゃぁ」
「なぉ~ん」
「そっかぁ。やっぱり本人に聞くのが一番かぁ」
「……」
「黙って頷くちゃぁなのでした」
「!?」

 やっぱりここは一つ、ハッキリとさせるのが一番だと思った。
 
     五

「おう、よう来たな。この前はしょうもないところを見せちまって、何ぞ体裁わるて仕方ねぇ。堪忍してくれや」
「私は正直、あんまりヤクザな考えって、理解できないし嫌いです」
「本当に、恥ずかしいところを見せてもうたわ。堪忍してや」

 五代目霧雨組組長、霧雨鉄太郎は、名前に反して温情で知られている。鬼の白龍、仏の鉄太郎を、知らない人なんていないだろう。
 悪名高き霧雨組の評判を一変させたのが魔理沙のお父さんで、その部下として妖怪相手にもイケイケドンドンを決め込む越智さんは、お互いの個性がかみあった、理想のトップ二人だと思う。
 しかし仏の鉄太郎と言われても、そこはやっぱり任侠家業。恨みを買うことは多々あって、刺客に命を狙われることも度々あったらしい。
 そうした刺客からの襲撃に関する逸話の中でも、魔理沙のお父さんが許した刺客を、「親父が許しても俺が許しまへん。」と言ってその場で越智さんが処分して、自分自身に対しても「ケジメつけますわ。」と、すぐさま刀を腹に刺した話はあまりにも有名で、子供たちだって知っているくらいだ。

「霧雨組は一枚岩。そうしてやはり、堅気とは違う」

 そういうことがあったから、人間には畏怖され、妖怪からは親しまれることになったのだ。

「魔理沙、帰って来たいんですってね」
「らしいのう」
「帰って来いって、言ってあげたらいいじゃないですか」
「その通りや」
「でも言わないのでしょう」
「うむ。言えんな」
「何でですか」
「筋を通すためや」
「筋って、何の筋ですか」
「博麗の。なかなか、説明するのが難しい。この前、えらくうまい、チョコ飴っちゅうのをもろうて来てな。土産にやるから、魔理沙と一緒に、家で食ってくれや」
「そうやって、はぐらかすのが任侠者の筋ですか」
「博麗の……」
「どうなんですか」
「お前さんの言いたいことは分かるが、わし、お前さんにまで責められたら、情に挟まれて、辛すぎるで」
「……そうですか」

 大の大人が、あんな複雑な表情をしたんじゃ、私、何も言えない。魔理沙を勘当したときも、「堪忍してくれや。」とだけ言って、あんな表情をしていたっけ。

「今日は帰ります」
「助かる。これ、持って帰ってくれ」
「はい」
「博麗の……魔理沙のこと、頼むで」

 そうして、膝に手をつけて、深々と腰を下ろして頭を下げるお父さんを見ると、私はちょっと、分かんないけど感動してしまって、うるっと来た。どうしても、ああいう人間の、真剣な気持ちは、私の心を動かす。そうして心が動くと、意味が分からなくっても、私は涙をこぼしてしまう。
 感受性が豊なのも、嫌だなぁっと思った。

     六

「魔理沙、いる~」
「いるよ~」

 魔理沙の家は、意外なほどに整理されていた。

「掃除したんだ」
「うん」
「何で」
「いや、私も掃除くらいするよ」
「まぁ……そうよね」

 身辺も心も、身軽にしておきたいという気持ちの表れなんだろうなぁ。

「この前、霖之助さんとお父さんのところに行ってきたよ」
「そっかぁ」
「今日、お父さんと会ってきた」
「うん」
「これお土産」
「ありがとう。……美味しいな」
「うん」
「本当は私が直接行くべきなんだけどな。悪いな、迷惑かけちゃって」
「別に、気にしてない。それより、本気なんだ」
「うん。実は前から、考えていたことなんだ。そろそろ、私たちも少女って年齢じゃなくなって来たじゃん。だからって私、本物の魔法使いになるつもりないし。だったら、どうするのって話になると、やっぱ、里に帰って、人として生活するしかないかなって」
「それでいいの?」
「あんまり良くない」
「じゃぁ、止したら」
「そういうわけにもいかないだろう」
「どうして」
「だって私たち、もうそろそろ子供でいられないんだぜ」

 子供かぁ。子供でいられないかぁ。そう来たかぁ……。

「通夜でさ、こっそり、親父のところに行って、久しぶりに話をしようと思ったんだ。したらさ、親父、泣いてるんだ。部屋に入れ無かったぜ。親父も、心細いんだよ。それを気丈に振舞ってただけでさ。おふくろだって、痛くて苦しんでいてさ、モルヒネで堪えてたんだってさ。そんで二人とも、死期が近くなっても、私には何も連絡をよこさなかった。香霖に教えてもらえなかったら、私、分からなかったかも知れない」

 そうして魔理沙は、悲しそうに項垂れた。

「親父もおふくろも、大人なんだよ」
「大人って何さ」
「周りのことを、考えれる人だよ」

 周りのこと……周りのこと……。

「家族とか、友達とか、ご近所さんとか、世間様とか……みんなのことを考えてる人たちにさ、私は許されて生きてきたんだよ。霧雨組の娘だって、特別視されるのも嫌だったけど、本当は、特別視っていうか、温かく見守ってくれていたんだよ。そういうのに、反発している私の気持ちも察してくれてさ、みんな見守ってくれているんだよ。大人ってそこまで、温かく見守ってくれる人なんだよ」

 あぁ、そういうこと。

「でもそれも、お終いにしないと。私も、そろそろ大人にならないと。そうして今度は私がさ……」

 そうしてどこか、中空を見上げる魔理沙の顔を真っ直ぐに見ることができなくて、私は思わず顔を伏せてしまった。

     七

 一週間。魔理沙が大人にならなくっちゃ宣言をして一週間経った。でもあまり話が進んでいないらしい。それもそうだろう。あのお父さんがそんな簡単に節を曲げるとは思えない。というか、霖之助さんはこれ以上は動きづらいだろうし、そもそも魔理沙が直接お父さんと話をつけない限りは、事態が進展するわけもないのだ。

「どうするんだろうね、ちゃぁ」
「なぉん」

 今日もちゃぁは私の指汁を美味しそうに吸っている。
 この一週間で何があったかって、まず、布団の中に入ってくるお燐をちゃぁと間違えてしまった事件があった。

「ん~、ちゃぁ~? ぐににってさせて、ぐににって。お礼に、ちゅ~ってしてあげるから~」
(ごろごろ……ごろごろ)
「ちゃあは、霊夢お母さんのこと大好きだもんね~。ママがいなくても、私がいたら寂しくないもんね~」
(ごろごろ……ごろごろ)
「よしよし。お礼にちゅ~してあげるね。ん~。なんか、おっきくなった……うぇ!?」
「……やぁ、お姉さん。動物好きに、悪い人はいないって、ほら、さとり様も言ってたよ?」
「……ワスレロ」

 寝ぼけ頭の不覚だ。
 これは無かったことにしなくてはならない。
 いや、無かったのだ。
 そうだ、オモイダシテハイケナイ。




 最近、ちゃぁはどうやら、鳥が好きらしいことが発覚した。庭先に鳥が来ると、じっと見ている。ただじっと見ている。そう思ったら、思い出したようにダダっと急に追いかける。当然鳥は逃げる。後に残されたちゃぁは、ぽかぁんっと呆けた顔で空を見ている。そういえば私が空を飛んでいるときも、あんな感じでぽかぁんっと呆けた顔をしている。ちゃぁ、君は一体……。

 今私は、ちゃぁと一緒に縁側に寝そべって、鳥を観察している。
 鳥は嫌いじゃない。動物全般、基本的に嫌いじゃない。だからこんな不細工な子猫を、拾って来ることもするわけだ。

「よ、霊夢。元気してたか」
「ん。魔理沙。元気だったよ」
「そっか。良かった」

 魔理沙が来た。どうやら今日のちゃぁは、魔理沙にはあんまり興味が無いらしい。ずっと鳥を見ている。

「何してるの」
「鳥を観察しているの」
「狙ってるんじゃないのか」
「知らない。けど、違うと思う」
「ふぅん」

 そうして特に何をするでもなく、二人と一匹は縁側でぼうっとしていた。

「きっとコイツ、鳥になりたいんだぜ」
「何で?」
「いや、何となく。こんなにじっと鳥を見詰めているなんて、普通じゃないからな」
「そうね。そうかも知れないね」

 醜い黄猫の子というところだろうか。

「飛びたいのかな、この子」
「そうじゃないかな~っと思うけどね」
「飛べるってのはいいことだわ。自由にドコでも行けるもんね」
「そうだな……自由にドコでも、行けるよな」

 すると鳥が、パタパタっと飛び立った。

「行っちゃったね」
「行っちゃったな」
「ちゃぁ あんど あすか だな」
「そだね」

 ちゃぁは、うんともすんとも言わないで、相変わらずぼうっとして飛び立った鳥を見上げていた。

     八
 
 二日後、魔理沙の家を訪れる。
 
「魔理沙、元気してた」
「おう、元気してたぜ」

 魔理沙の部屋が、歴代でもダントツに整理されていて驚いた。

「おぉ、すごいね」
「そうだろう」
「アリスに手伝ってもらったの?」
「いや、全部自分ひとりでやったぜ」

 魔理沙の覚悟も、いよいよ本気だなぁっと思った。

「本も、返してきた」
「あ~、パチュリーの」
「うん」
「そっかぁ」

 本気だなぁ。

「ねぇ魔理沙」
「なんだ」
「どうして、魔理沙が直接、お父さんとお話しないの」
「う~ん……」
「そうしないと、やっぱり話が進まないよ」
「分かってる」
「無理なの?」
「勘弁してくれ」

 魔理沙のお父さんみたいな顔をされてしまった。

「勘弁してくれじゃ、分からないよ」
「……」

 黙ってしまった。
 困ったなぁ。
 項垂れる魔理沙を見ているしかないというのは、辛い。

「私にも考えがあるからさ」

 ハッキリ言ってくれないと、何が何だか分からないのになぁ。
 モヤモヤしながら、私も何だかうつむいてしまった。

     九

「霖之助さん、こんにちは」
「あぁ。こんにちは。先日は付き合ってくれてありがとう」
「どういたしまして」

 私が霊撃でつけたやけどは、すっかり治っていた。
 指もしっかりついている。

「恥ずかしい話だけどね。何だか、体裁が悪くて、君のところへ行くタイミングを見つけられなかった。来てくれて助かったよ」
「あぁ。そうだったんですか。気にしなくても良いのに」
「お詫びと言っては何だが、上等なお茶を出そう」
「ありがとう」

 そうして出された玉露は、確かに香り高い一級品だった。
 私はゆるゆるとお茶を飲むと、一つ、霖之助さんを問いただすことにした。

「霖之助さんはさ、ケジメつけるっての、本気だったの」
「もちろんさ」
「うそでしょう。じゃぁ、なんで私を連れて行ったわけ?」
「うそじゃないさ。覚悟は、できている」

 ふむ。

「でも、無駄に指なんて落としたくはない。もちろん命も落としたくない」

 何かよく分からない。中途半端っていうか、いい加減っていうか。もっとよく考えるべきじゃないかなって思う。

「助かったよ、霊夢。止めてくれなきゃ、死んでいたかも知れない」
「都合が良いのね、大人って」
「そう見えるかい」
「うん」
「……もっと、大事なものがあるからね。落とし所を見つけるのもまた、大事な大人の技術なのさ。そう、処世術ってやつかな」

 そういうのって、何か胡散臭くて、私は信じない。

「都合の良いように、子供を利用するのが大人の技術なの?」
「参ったな……そう言われると辛い」
「今日の霖之助さんは、何か嫌な感じ」
「すまない、霊夢」
「名前、呼ばれたくない」

 魔理沙のこととか、魔理沙のお父さんのこととかも聞こうと思って来たんだけど、これっきりで私は帰ってしまった。

     十

 以前お燐に、どうしたらネコは喜ぶのかを聞いてみたところ、毛繕いをしてやると喜ぶと教えてくれた。私は実践してみた。湯上りの私の髪の毛をはむはむするちゃぁに、私もはむはむしてあげた。ちゃぁは、土の味がした。少し、塩っぽかった。割と、美味しい。ちゃぁは、喜んでくれた。きっと、私をお母さんと思ってくれたに違いない。嬉しいなぁっと思った。

「何やってるのよ、霊夢……」

 スキマ妖怪に見られてしまった。

「スキンシップ」
「そう……」
「親子の」
「へぇ」
「今日からちゃぁのこと、ムスメーって呼ぼうかな」
「止めなさいよ……」

 止めることにした。

「ねぇ、紫」
「何かしら、霊夢」
「私って子供かな」
「えぇ、子供よ。でも、それでいいのよ」
「何で」
「だって、あなたは幻想郷の巫女なんですもの。だから、今のままでいいのよ」

 そういうふうに言われても、全然嬉しくないんですけど。

「大人になりたいの、霊夢?」
「全然なりたくない」
「それでいいのよ」
「でも……」
「でも?」
「大人に、なるものじゃない」
「なんで?」
「だって、年を取るもの。私も、もう……女の子って、年齢じゃなくなってきたわ」
「年齢なんて、関係ないわよ」
「そういうわけにも行かないわ」
「どうして?」
「人間だもの」
「そう。大変ね、人間って」
「そうよ。大変なのよ」
「大人になるって、大変なことなのにね。だって、大人になるってことは、誰かの命を預かるということなんですもの」
「え?」
「大人になるってことはね、自分よりも大切な誰か……あるいは、何かのために生きるってことなのよ。だから、とっても大変なことなの。それを、無理強いされるなんて、人間はとても大変なのね」
「うん……」

 命を預かる……。
 じっと私を見詰めるちゃぁの顔を見て、私は首筋にズキンとした痛みを感じた。

     十一

 魔理沙のお父さんと会ってから、もう二十日ほど経った。
 毎日私は、ちゃぁを見ながら、ずっと大人になるということを考えていた。そうして魔理沙のことも考えた。魔理沙は子供だ。子供でいられないと言ったけど、全然子供だ。人の助けばかり頼っているのだもの。大人は、やらなくてはいけないと思うことは、ちゃんと実行できる人だと思う。
 
(魔理沙は子供。魔理沙は子供。魔理沙は子供……)

 そう思うと、何だか嬉しい。

(私もまだ、子供)

 でも、ふと思う。

(大人になろうとしている魔理沙と、子供でいたいと願っている私……本当に、同じ?)

 何だか、随分心細くなってしまった。

「失礼しやす」
「あ、ハイ。今出ます」

 お客さんが来た。

「やぁ。この間はどうも」
「越智さんじゃないですか。どうしたんですか」
「ちょっと、霊夢ちゃんに頼みたいことがあって来たんやわ」
「どうぞ中に入ってください。お茶、出しますから」

 珍しいお客さんだ。
 鬼の白龍のお越しとは。
 昔から白龍さんは結構好きなタイプだ。
 イケメンだし、考え方が理に適ってるし。

「悪いな、霊夢ちゃん。気を使わせてしもうて。これ、お土産」
「お~、天狗の里のあんころ餅。しかも加賀屋の白山印とは、さすがは霧雨組。ありがたくちょうだいします」
「あぁ。遠慮せず食べてくれ」

 霧雨組は、もともと妖怪相手に人間を売ることをシノギとしていた組織だ。人間を売るといっても、相手は重病人や老人、口減らしの赤子に旅人だったから、そういう疎ましい人たちがお金に変わるということで、堅気さんにも感謝されたらしい。しかしだからといって、私は人が人を売るという行為が、どうあっても正当化されるとは思えない。まぁ、そのあたりの話はおいといて、そんなわけで、霧雨の人間と妖怪との交流は、あまりにも密に密だということ。そのお陰で、松任の伝承に残るような、有名な天狗のお餅を食べさせてもらえるわけだ。

 私は折角越智さんが来てくれたのだから、一つ、聞いてみることにした。

「この前の霖之助さん、いつもと全然違うように見えました」
「そか」
「越智さんは、どう思われますか」

 実は結構、不可解で気になっていたのだ。

「せやな。平生兄貴は、もっと淡々としとるから、霊夢ちゃんがそう感じるのも仕方あらへん。でも、ワイからすれば、そんなに驚くことやおまへんでしたわ」
「どうして?」
「兄貴は、埋み火を抱えた男ですわ」
「埋み火?」
「せや。炭火は表面が熱くのう見えても、中は真っ赤に火を湛えとるもんや。そういう、熱い心意気っちゅうもんを、兄貴は持っとる男ですわ」
「そう……ですか」
「ほんまもんの男やで兄貴は。堅気にしとくんは惜しい。いや、こんなこと言うと、霊夢ちゃんは嫌な気持ちになってまうかも知れんな。許してや」
「いえ、そんなことないです」
「そか」

 そうして微笑む越智さんの顔は、鬼の白龍と噂される人とは思えない、とても優しい表情だった。

(こんな優しい表情の出来る人が、どうして……)

 そんな疑問が、自然とわいて来た。

「霊夢ちゃん。実は今日はお願いがあって来たんや」
「はい。なんでしょうか」
「ちょっと魔理沙ちゃんのために、骨折ったってくれんかな」
「あ~……実家に帰るって話」
「あぁ。霊夢ちゃん。親父を説得できるんは、霊夢ちゃんだけや。頼む」
「そんな……言われても困りますよ」
「親父、霊夢ちゃんのことも、本当の娘のように思っとるんや。どうか、ワイの顔、立ててくれまへんやろか」
「どうして、私なんか」
「当たり前でっしゃろ。親父だけじゃありまへん。俺も、兄貴も同じ気持ちですわ。霊夢ちゃんや魔理沙ちゃんのこと、どれだけかわいく思っとるか。二人のためだったら、指の一本や二本……いや、命捨てたって惜しくねぇと思っとります」
「越智さん……」
「霊夢ちゃん。俺たちは、そりゃ、世間様に堂々と言えねぇような仕事もしとります。でも、そんな仕事をするヤツもいなきゃ、世の中、丸くおさまらないのが事実ですわ。そんな仕事じゃなけりゃ、生きていけねぇヤツもおる……でも、それだけなんですわ。心底、みんな笑顔で生きていけたらいいって、願っとります。そこは、よそ様と何にもかわりまへん」

 越智さんは、膝に手をついて深々と頭を下げて言った。

「力、貸してくれまへんか。この通りや」

 だから、男の人にそこまでされたら……。

「分かりました。越智さんの面子を潰すわけにも行きませんし、私も、魔理沙が大事ですから」
「霊夢ちゃん。そう言ってくれると、本当に助かるわ」
「でも、あんまり期待しないでくださいね。私、どれだけのことができるか。全然自信なんてないんですから」
「大丈夫。霊夢ちゃんなら、大丈夫や」

 酷いなぁ……そうやって、みんな、私なら大丈夫だって。少しくらい才能があって、マイペースなところがあるからって……。
 越智さんの期待は、私にとっては憂鬱の種だ。

     十二

 早速私は、魔理沙の家を訪ねることにした。
「お~い、魔理沙~。いる~??」

 残念ながら、魔理沙は家にいなかった。

「第一候補は、アリスね」

 ドンピシャだった。
 アリスの家に着くと、玄関先に魔理沙の箒が立てかけてあった。
 魔理沙来てますの、分かりやすいアンテナだった。

 ドアをノックしようかと思ったそのとき、私はちょっと思いついた。
 一体、魔理沙は何をアリスと相談しているんだろうか。
 いや、別に相談しているとも限らなくって、ただ一緒にお茶しているだけだとか、もしかするとお菓子でも作っているのかも知れない。でも、タイミング的には、相談していると見て間違いない。

(………)

 聞き耳を立てる。
 うん、何も聞こえない。
 仕方ないから、窓から覗こう。
 見つからないように……こっそりと。
 そこには、ソファーの上で抱き合っている二人がいた。
 魔理沙はやっぱり子供だな。困ったことがあると、ああやって誰かに慰めてもらわないとダメなんだ。そう思うと私は、何だか頼りなくて溜息が出た。

(でも……そうやって、ぎゅってしてもらうのは、アリスなわけかぁ……)

 何だかちょっと、ショックかも知れない。
 魔理沙にとって、辛いときにぎゅっとしてもらうのは、私じゃないわけだ。いや、分かってたけどね。私と魔理沙は親友だけど、そういう仲じゃないんだよね。

 何だか複雑な気持ちで二人を眺めていると、私はアリスと目が合ってしまった。

(わ……あ……)

 アリスは、私を見て微笑んだ。
 そうして、優しく魔理沙の長くてサラサラの髪を撫で始めた。
 私は居た堪れなくなって、すぐに家に帰った。

     十三

 私がアリスの家に行ってから二日後。
 今度はアリスが家にやって来た。

「こんにちは、霊夢」
「……こんにちは、アリス」

 二人、縁側でお茶を飲む。
 
(なんか……気まずい)

 私の方から話しかけることなんて、出来ないことだった。

「霊夢、用事は何かしら?」
「は? 用事は何かしらって、そっちの台詞なの?」
「あら? おかしいわね。それじゃ、見間違いかしら」
「……別に、魔理沙と会いたかっただけよ」
「そう。ごめんなさいね。魔理沙と、ちょっと大事な相談をしてたの」
「ふぅん。まぁ、私にはあんまり関係ないわね」
「そうね。霊夢には関係のないことよね」

 そうして嘘くさい笑いを浮かべるアリス。
 なんだろう。
 今日のアリスはちょっと、ムカつく。

「って、アリスあんた。髪ぼさぼさじゃない」
「あら? あ、本当だ。恥ずかしいわね」
「珍しいわね」
「実は昨日、魔理沙の家にお呼ばれしたの。一昨日のお礼だって。そんな急じゃなくてもいいのにね。あわてんぼうさんなんだから。それで、さっきまでずっとお話しててね。魔理沙は寂しかったのね。だから、ひどく私に甘えて来てね。かまってあげていたら、身嗜みに気を使う余裕もなかったわ」
「そう。なおさら私には関係ないことだわ。それよりも、本当にだらしないから、気をつけなさいよ。都会派の名が泣くわよ」
「反論できないわね。ちょっと私、疲れてるのかも。寝不足だわ」
「魔法使いさんは、寝なくても平気って聞いてるけど」
「睡眠を取らなくても大丈夫だけど、疲れるものは疲れるのよ」
「じゃ、なんですぐに家に来たの。帰って寝たら?」
「そうよね。霊夢の言う通りだわ」
「今日のアリス、変」
「ゴメンね霊夢。何だか今日の私、変ね」
「そうよ。変だわ」

 そう言われたアリスは、困った表情をしながら笑っている。何だか、ヘラヘラ笑われている気がして、私は嫌な気持ちになった。

「私、アリスのこと、嫌いじゃないけど好きじゃないから」

 そう言うとアリスは帰って行った。
 そうして、私は一人きりになった。

     十四

 アリスが私の家を訪ねて来てから三日後、私はアリスの家に行くことにした。その間、妖怪退治の仕事が入り、里に出張ってしまっていた。まぁ、間を空けるには、ちょうど良かったかもしれない。結局のところ、アリスにあれこれと尋ねるのが一番なのだ。どうせ、魔理沙が相談している内容は決まっているんだから。

「あら、霊夢。どうしたの?」
「ちょっと、魔理沙のことで聞きたいことがあるの」
「そう。入ってちょうだい」

 アリスは紅茶とスコーンを用意してくれた。
 とても美味しい。
 
「良かった。気に入ってくれたみたいね」
「アリスのお菓子は、いつも美味しいわ」
「うふふ、ありがとう。霊夢」

 そうして私の方を見て浮かべる笑みは、この前とは違って、ステキだった。
 私が好きな、アリスの笑顔だ。

「この前はごめんなさいね。ちょっと私、おかしかったみたい」
「別に、気にしてないし」
「そう。良かった。やっぱり寝ないとダメね。妙なテンションになっちゃって」
「ふぅん」

 まぁ、そういう時もあるか。紫も、基本的に好きだけど、たまに変で気持ち悪いときがあるし。いや、紫が変なのは普通だけど、なんというか、全然違う変になるときがある。なんか、目がきもくなる。でも、そういうときは滅多にないし、仕方ないかな、そもそも私の気のせいかもなって思って、私は忘れることにしている。アリスもきっと、紫のと同じ。

「で、魔理沙のことだけど、何が聞きたいのかしら」
「アリスは、魔理沙が家に帰りたいと思っているって話、知ってる?」
「えぇ。知ってるわ。そういうことも、言ってたわね」

 まぁ、知ってるよね。

「でも、魔理沙はお父さんに勘当されてるじゃない。お父さんは復縁を認めないし、どうしたらいいんだろうなって」
「霊夢は、魔理沙が家に帰れるように、何とかしてあげたいのね」
「まぁ……そうね」
「仲を取り持つことができそうなのは、霊夢しかいないものね」
「何で?」
「何でって、霊夢。それはあなたが一番分かっているんじゃないの?」
「私が魔理沙の親友だから?」
「もちろん。それに、魔理沙のご両親にとっても、あなたは娘同然じゃないの。霊夢にとっても、親同然の方々でしょう」
「知ってるのね」
「うん。魔理沙に聞いた。知られたくないことだった?」
「いや、別に。隠すことじゃないし」

 私は昔話なんてしない。しても、面白いことじゃないし、どうってこともない話だから。
 ただ、私は三歳だったか四歳だったかの時分に、どうした理由かわからないけど、霧雨組に売られたのだ。
 そうして、それから三年ほど、魔理沙の家で、魔理沙と一緒に育てられた。
 毎年誕生日には、紫と先代の巫女が私を見に来た。
 そうしてほどほどに私が大きくなると、先代の巫女は私を引き取り、しばらくしたら彼女は死んだのだ。
 つまり、何らかの理由で育つことを望まれなかった私を霧雨が買い取り、その私を紫が買い取り、そして霧雨に預けて育てさせ、今度は巫女に預け、先代は死んで今に至るというわけ。
 ね? 別に、普通の話でしょ。
 だって、ここは幻想郷。
 赤ん坊を家の壁に埋めて、守り神にするぐらいのことは、今だって少なくないんだから。
 そんな話は、どうでもよくって、そうそう、魔理沙のことが大事なの。

「まぁ、そうね。魔理沙と魔理沙のお父さんとの間に入れそうなのは、確かに私しかいないわよね。でもね、どうしたらいいのって話よ。もう既に、おじさんのところには行ってるのよ。でも、私にまで責められたら、辛すぎるって、何か複雑な表情するんだもん。私、何も言えなくなっちゃった」
「振り上げた拳の、落としどころが見つからないのね」
「やっぱりさ、直接魔理沙がおじさんと話をつけないとダメなんだと思う」
「そうね。それも一理あるわ」
「絶対そうだって」
「う~ん、でも、魔理沙も魔理沙のお父さんも、行き着くところまで行ってしまうんじゃないかしら」
「一度、ぶつからないとダメだよ」
「そういう考えもできるわね」
「いや、そうだって。絶対」

 アリスは私を見て、少し困ったような顔をした。
 口元には笑み。
 眉毛は八の字。
 大人が子供を諭すときの顔が、少しだけ私を不愉快にさせた。

「でもね、霊夢。衝突しないようにするのも、大事なことなのよ」
「衝突しないと、何も解決しないわ」
「衝突してしまえば、もう、戻れなくなることもあるのよ」
「何で? 仲直りしたらいいじゃん。そうしてもう一回話し合えばいいじゃない」
「そうね。その通りね」
「別に、もう二度と会えないわけじゃないんだから」
「でも、それはとても勇気と、元気のいることだから」

 私はアリスの答えが気に入らなかった。

(そういう、勇気や元気がないことを認めるのが、大人になるということなの?)

 そんなふうに反論することもできた。
 でもアリスの困った顔が、私の舌を鈍くさせた。

「魔理沙は子供だわ」
「あら、どうして」
「人に頼ってばかりで、自分は泣き言ばかりだもの。アリスのところにだって、甘えに来ただけでしょう」
「確かに、そういうところはあるわね。でも、それだけではないわよ」
「どういうこと?」
「魔理沙は魔理沙なりに、少しずつ前に進んでいるのよ。魔理沙にも、考えがあるのよ」
「どういう考え?」
「それは魔理沙が言えるときに聞いてあげてね」

 私は何だか、アリスの返事が無難すぎて嫌な気持ちになった。

「さっきからアリス、イイカゲンに返事してない?」
「そんなことないわよ」

 そうしてアリスは、申し分けなさそうな顔をする。
 そんな顔をされると、私までも、申し訳ない気持ちになってしまうじゃないか。

「ねぇ、霊夢。大人になるって、どういうことかしらね」
「さぁ。わかんない。難しいわ」
「そうね。難しいわ。だから、私の思う大人も、一つの形でしかないんだけどね。頼りたいときに、誰かに頼ることができるってことも、立派な大人ってことだと思うわ。人の助けを借りながら、できるだけのことをやっていくことって、とても立派な生き方よ」
「つまり、そういう生き方ができる魔理沙は、大人だってこと?」
「魔理沙が大人かどうかは分からないけど。でも、ちゃんと助けて欲しいって言えることも、とっても大事な力なのよ」
「アリスがそれを言うのね」
「あら? 意外?」
「アリスって、一人のときが多いじゃない」
「それは別に、一人でいるのが好きだからよ」
「言ってることとやってることが矛盾してない?」
「そうかしら? 私はそう思わないけど」

 アリスの言うことは理解できる。
 でも私は何だか、納得できなかった。

     十五

 アリスの家から帰ると、家にはお燐がいた。
 ちゃぁを毛繕いしてくれている。
 何だか、親子みたいだ。
 この二匹のネコさんを見て、私はひとり、ホクホク顔だ。

「お姉さん、ちょっといいかい」
「なぁに、お燐」

 自然と口調も優しくなる。

「もうちょっと、躾をしてあげないといけないよ」
「どういうこと?」
「親の無い子だから、仕方ないけどね。この若いの、加減ってものを知らないよ。こっちが痛いの、お構いなしなんだから。そのあたりの程度ってものを、教えてあげないとダメだよ」

 そう言ってお燐は、ちゃぁの首筋を、ぐににっと食んだ。
 ちゃぁは、気持ち良さそうな顔をしている。
 お~、よかったね、ちゃぁ。
 自分ではなかなかキレイにできないところだもんね。

「かわいそうな子だけどね、親がいないって、世間では言い訳にならないからね。親がいなくても、親がいても。金持ちに拾われても、貧乏人に拾われても。全部一緒。同じに扱われるのが、世間様だよ。だから、厳しくしてやらないとね」

 そう言いながら、お燐は丹念にちゃぁを毛繕いしてやる。ちゃぁはお燐の顔にねこパンチをする。そんなちゃぁのオイタを多めに見てやるお燐は、ちっとも厳しくはないのだった。
 優しい目をしてちゃぁの相手をしてくれるお燐がちょっと、私は愛しいなって思った。

    十六

 それからしばらく雨が続いた。私は断然晴れが好き。雨は沈鬱だ。さらに身体も沈鬱で、鈍い痛みがやって来た。やることもなく、身体もだるく、私はただただ、ごろごろとちゃぁと遊んで過ごした。ようやく晴れると、身体も軽くなってきて、少し欝な気分を引き摺りながらも、ちゃぁと一緒に鳥を眺めて過ごした。ぽかぁんっとして過ごす一日は、何だか自分の心を整理してくれた。ちゃぁも、もしかすると、こうやって気持ちを整理しているのかも知れない。しかし、君は整理しなくちゃいけないどんなことがあるというのか……。
 そうして次の日。元気を取り戻した私は、魔理沙の家に向かった。残念ながら魔理沙は家にいなかった。たぶん、アリスのところだろうと思ったが、何だか行く気にもなれなかったので、しかたなくふらりとたゆたうことにした。
 何となく空を飛んでいると、紅いお屋敷が見えてきた。
 
(レミリア、か)

 こういうときには、何だか役立ちそうなヤツ。まぁ、たまには尋ねてみるのもいいかも知れない。
 そう思って、バルコニーでお茶を飲んでいるレミリアのところへお邪魔した。

「まぁ、霊夢!! よく来たわね」

 吸血鬼は今日も絶好調だ。

「ちょうど良いタイミングで来るのね。一週間ほど外の世界に行っていてね。昨日帰って来たところなのよ。お土産を上げるわ。お菓子がいいわね。面白いのよ。これが東京名物ひよこね。こっちが海鳥の卵で、こっちが雷鳥で、こっちがダチョウの卵で」
「鳥ばかりじゃない」
「そうなのよ。私もちょっと鳥の血が混じってるからね。しかし東京は面白いわね。日本中の鳥が集まるのだもの。ご当地に行く必要なんてないわ。そうそう、忘れてはいけないわ。はい、鳩サブレー」

 そうしてレミリアが取り出したお菓子は、奇妙な形をしていた。

「ナニコレ?」
「だから、鳩サブレー」
「鳩には全然見えないんだけど」
「頭全部、取ってあるからね」
「なんで?」
「咲夜が食べたの」
「鳩サブレーの頭、大好物なんです」
「あ、そ」

 このメイド長は、しばしば奇行が目立って仕方ない。

「頭をちぎったお菓子を客に出すとはいい度胸ね」
「持って帰ってもいいのよ?」
「もらっていくわ」

 私は白くて丸い卵型のお菓子を食べてみることにした。

「甘いわね」
「外の世界は豊かだからね。砂糖をたくさん、脂もたくさんよ。外の世界の人間は、一昔前に比べて、おなかのサイズは一回り大きくなったわね。二昔前に比べれば、三回り大きくなったわ。端から見ると貫禄があるけど、見てくればかりね。まるでフォアグラの養鶏場だわ」
「で、何のために外の世界に行ってたの」
「今度、東京でパラリンピックが開かれるのよ。あぁ、偉大なる挑戦者たちの祭典!! オリンピックなんて、金と力と薬の匂いがプンプンで嫌になるけど、パラリンピックはすばらしいわ。人間らしい人間と出会いたければ、パラリンピックに行けばよいわ。困難に立ち向かう姿こそ、何にも増して尊いわ。それでこそ人間。そう思うでしょ、咲夜」
「その通りでございます」
「私、帰るからさ。お菓子包むものちょうだい」
「まぁ、お待ちよ。クリス・ムーンの講演がまた素晴らしかったのだから」
「誰それ」
「クリス・ムーンを知らない!! まぁ、仕方ないわね。あなたは幻想郷の民なのだから。この方は地雷撤去のスペシャリストだったのだけれども、撤去作業中に手足を地雷で失ってしまってね、今は地雷への関心を高め、障害者への理解へを深めるためのチャリティマラソンをしていらっしゃるお方よ」
「ふぅん」
「大変尊いことを仰っていたわ」

 そうして語るレミリアは恍惚としていた。
 
「私は手足を失いました。しかし私は義足と義手を得ました。そうして私は、マラソンを走る力がありました。無いものを求めても仕方ありません。今あるものを大事にしよう、そう思って、今日にまで至っています。
 悪人が栄えるのは、善人が何も良いことをしないからです。悪いことをしないということが、良いことをしないことを正当化することにはなりません。
 辛いのは、苦しいのは、誰もが一緒です。その中でも、努力している人がいます。自分の境遇を言い訳にして、良いことをしないことの正当化をするのは、もう止めにしましょう。
 私ができることは小さなことです。しかしその小さなことを大事にする気持ちこそが、大きな力の礎になるのです」

 鼻息をむふぅって感じで吐くレミリア。どうだ!! っと言わんばかりだ。

「あぁ、金言がこんなに!! もう、感動で涙が止まらなかったわ!!」

 そうしてレミリアはハンカチを取り出して涙を拭い始めたが、相変わらず私には着いていけない世界だ。

「もう帰っていいかな」
「だからお待ちよ。どうしてそんなにつれないの?」
「だって、私の分からない話ばかりするんだもん」
「ゴメンね。お菓子をあげるから許してちょうだい」
「もういっぱい食べたよ」
「じゃぁ、宝石細工のネコさんをあげよう。琥珀を使ったのよ。立派なものでしょう」
「わ!! ナニコレ、かわいい~」
「ネズミさんもあげよう」
「あ~、これ、ペアにすると、ネコがネズミを捕まえてるところになるんだ」
「ネズミさんも、窮鼠猫を噛む覚悟なのよ」
「こういうの作れるのって、スゴイなぁって思うのよ。レミリアって、案外器用よね」
「もっと褒めていいのよ」
「うぅん。図に乗るから、このくらいにしとく」
「もう!! つれないわね!!」

 そうして咲夜が持って来た小箱に、ネコさんとネズミさんをしまった。
 うん。
 もういっかな。
 良い物もらって満足したから、帰ろうかな。

「で、何の用事かしら、霊夢」

 そう思ったら、レミリアが問い掛けて来た。

「ん? あ~……まぁ、ついでだし、ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「何でも言ってごらん」
「大人って何?」

 レミリアの目がキラキラと輝きを増して行くのが分かる。
 
「まぁ!? 感心な質問ね。とてもいいわ。あなた、とてもいい質問をしたわよ」
「早く答えてよ」
「長くなるわよ?」
「早くしてよ」
「しょうがないわね。若い人はせっかちでいけない」
「やっぱり帰るわ」

 この紅い悪魔の激情は、私の心に容赦なく旋風を吹きかけてくる。それがとんでもなく急激過ぎて、どうしても私は圧倒されてしまうから、いざ対峙すると、不機嫌というよりはぶっきらぼうになってしまう。
 やっぱり、調子に乗らせてはいけない。

「まぁまぁ、お待ちなさい。そう、霊夢は大人について知りたいのね。いい悩みだわ。誰もが考えなくてはならない大切な事柄よね。とてもいいことよ。大人とは何かを考えはじめることが、まず大人になるための第一歩だもの。いえ、もうあなたは大人だと言っても良いかも知れない。大人になろうとするものは皆、大人として扱われる権利があるもの。えぇ、とても立派よ、霊夢。あなたを尊敬するわ」
「紫より胡散臭い妖怪よね、レミリアって」
「私の若さは天然の若さで、アイツの若さは作った若さよ。私の怪しさは少女の怪しさで、アイツの怪しさは若作りの怪しさ。つまり、本物が偽物に勝利したということね。素晴らしい慧眼だわ、霊夢。今日は絶好調ね」
「アンタは毎日が絶好調よね」
「お褒めに預かり光栄です」
「じゃ、そろそろ帰るから」
「だからお待ちって!! もう、せっかく咲夜にディナーの準備をさせているっていうのに」
「お持ち帰りでお願いするわ」
「考慮しましょう。で、本題に入るわね。大人になるということを考える際に、絶対に忘れてはならないことがあるわ。それは年齢を重ねるということ。これはとても大きなことだからね。無視することなんてできやしないわ」
「まぁ、そうよね」
「でもね、年齢を重ねるということがどういうことかは、しっかりと考えなくてはならないわ。いえ、これは、考えても分からないことかも知れない。えぇ、そうね。実際に、長い年月を生きなくては分からないことね。いいかしら? 精神というものはね、とても寿命の短いものなの。肉体が成長している間は、当然脳味噌も肉体だからね、身体と知能が成長することによって、日々、人生に新鮮味が加えられるものなのよ。だから、精神は瑞々しさを保てる。新しい風が入ってくるから。でもね、身体の成長が止まってからは、もう加齢によって新鮮味が加えられない。凪に入るのよ。するとただただ、枯れて擦れて灰っぽくなるのよ。そうなると、そうね。精神なんて、十年も持たないわ」
「十年? それじゃ、そうね……三十路になる頃には、人間はもう、灰っぽくなっちゃうってこと?」
「えぇ。そうよ。人間ばかりではなくて、私たちも同じよ。あるいは、精神の弱い妖怪は、五年か三年でもう、参ってしまうかも知れない」
「おかしいわ。それなら、人間は五十年も生きられないハズじゃない」
「そう。だから、回復するのよ」
「回復?」
「心に新鮮な風を送り込み、若返らせる必要があるのよ」
「どうやって?」
「出産によって。新たな生命ほど、人々を若返らせるものはないわ。天使の存在が天国を地上に降臨させ、人間の精神に無窮の一滴を加えるのよ」
「子供、かぁ」
「えぇ。子供は素晴らしい。おそらく、何よりも素晴らしい。あんなに天国的なものは、この世界に存在しない」
「でもその子供を、愛さない大人もいるじゃない」
「だからそうならないために、心を若返らせねばならないのよ。心がすっかり灰を被ってしまえば、もうそこから回復することは、ほとんど不可能なのだから」
「じゃぁ、若いうちに子供を産んだら、それで大丈夫ってこと」
「もちろん、そんな簡単ではないわ。例えば、心が擦り切れやすい人もいるし、愛されない環境で育ったために、早くに灰にまみれてしまう人もいるわ。例え出生が、人間の堕落と世界に広まる罪悪の腐敗に対するもっとも有効な処方であると言っても、決して特効薬ではないのだから」

 レミリアは一息、紅茶を飲んで間を空ける。

「勢いよくしゃべったから、喉が渇いちゃった」
「ゆっくりしゃべればいいのに」
「霊夢が早くしろって言ったんじゃないの」
「早くしてよ」
「相変わらず酷い人ね!! さて、霊夢。もし全ての生命が永遠であったとしたらね、きっと皆、今の千倍も利巧になっていることでしょう。でもそれが、彼らを幸せにしているとは限らないわ。何故なら千倍も利巧になったその人たちは、今の千倍も悪人になってしまうから。だって、家庭と社会とが滅んでしまうのですもの。強く賢くなったら、そんなもの必要なくなるでしょう? 永遠の生命があるとなれば、新たな生命の誕生も期待できない。とすればもう、心はひたすらに荒む一方よ。心の休まるところなんて、ドコにもなくなってしまうわ」

 「心の休まるところ」というフレーズが、妙に腑に落ちた。
 だって私、ちゃんとあるもん。

「そういえば霊夢。あなた、最近ネコを飼い始めたんですってね。とても良いことだわ。可愛らしい子猫とのじゃれ合いは若さの微笑を咲き出でさせて、きっとあなたをいきいきとさせる。そう、一種の感応電流が、我々の心を回復させるのよ。そうして、新鮮な精神を得ることによって、感じることも、思うことも、全てが斬新になる。静かで建設的な革命が起こされるのよ。それが確実に、心の成長を速めてくれる。えぇ、あなたは大人になるために、最高の妙策をとったのよ」

 言われなくても知ってるよ。ちゃぁが私にとって、「心の休まるところ」だって。
 でも、そっか。そうした「心の休まるところ」があるからこそ、大人になることができるのか。
 私はレミリアのこの指摘を、とても素直に受け入れることができた。

「そのあたりを、魔理沙は心得ているのかしらね」
「どういうこと?」
「最近、よく妖精と遊んでいるわ」
「妖精と?」
「えぇ。そこの湖に住んでいる、あの生意気な小娘よ」
「あぁ。チルノ……」
「あの子大好き。何でもおいしそうに食べてくれるのよ」
「あ、そ」
「それと、そのお付き」
「あぁ。あの……なんて名前だっけ?」
「さぁ。なんだったっけかね。私、名前には無頓着でね。霊夢は知らないの?」
「うん。今度魔理沙に聞いてみようかな」
「えぇ。そうなさい」

 そうか。最近家にいないと思ったら、妖精と遊んでいるのか。
 でも、これはさすがに感心できない。

「それはたぶん、魔理沙が子供だからだよ」
「おや、どういうことだい?」
「ただ、魔理沙は現実逃避して、遊んでるだけ。それだけだと思う」
「ふぅん。なにやらちょっと、辛辣だね。そうさせるだけの、込み入った事情があるのかな」
「うん。言っとくけど、言わないから」
「安心しなよ。無理に聞いたりしないからさ。でもね、霊夢。一つだけ忠告しておくよ。どんなときも、決して人間を軽蔑してはならないよ。憐れまなくてはならないのさ。馬鹿だと思ってはならない。気の毒だと思わないとね。嘲笑は、愛の無い人間がやることさ。人間に対して、無関心だからこそできる、残酷なことなんだよ。それをやっては、お終いなんだよ。いつでも我々は、愛を持たねばならない。愛があることを信じなくてはならない。いや、愛でなくても良い。とにかく、善なる何物かを信じなくてはならない。そうでなくては、我々はよりよく生きることができなくなる。そう、神があることを信じる必要があるようにね」
「ん……分かった」
「よろしい。それじゃ、咲夜。お客さんがお帰りだよ。テイクアウトを御所望だ」
「はい。存じ上げております」

 そうして咲夜は、包みを二つ手渡してくれた。
 小さいほうはたぶん、ちゃぁの分だ。

「後はお菓子と、小物と、まぁ、何でも持ってお行き。ティッシュでも歯ブラシでもお米でも……」

 気がつけば両手いっぱいの荷物になってしまった。

「ありがと、二人とも」
「イッツ・マイ・プレジャー(どういたしまして)」

 そうして私は、ちゃぁの待つ家へと帰った。

     十七

 昨日の晩御飯は、咲夜の作ったハンバーグだった。しかし、変わった肉のハンバーグだった。牛、豚、鳥、しし……全部違う。たぶん、直感だけど、これは魚だ。海の魚だろう。アジな真似をしてくれたんだ。美味しかった。ちゃぁも満足した様子だった。舌が肥えられると困るけど。まぁ、たまにはね?
 今日はさすがに、魔理沙と話をつけなくてはならない。
 レミリアの話は、納得がいった。
 なるほどなぁっと思った。
 でも、魔理沙が遊んでいるのは、別にそんな深い意味があるとは思わない。
 魔理沙は逃げてるんだ。
 そうやって逃げていたら、ダメだと思う。
 というか、ちょっとムカつくじゃないか。
 周りが一生懸命で、本人が遊んでいるなんて。

「よし、ちゃぁ。今日は私、ガツンさんになる」
「なおん」

 ちゃぁに見送られて、私は魔理沙の家に向かった。魔理沙はちゃんと、家にいる。よし、よし。いいぞ、霊夢。絶好調だ。無駄足にならなくて良かった。私は深呼吸をすると、ドアをノックした。

「魔理沙、いる?」
「あ、は~い。ちょっと待っててくれよな。何か、霊夢が来たらしい」

 ん? お客さん?

「よぉ、霊夢。どうしたんだ?」
「いや、ちょっとね。それより、お客さん?」
「あぁ。少し大事な話があってね」
「誰?」
「ん。あちらのお二人」
「……珍しい面子ね」

 そこにいたのは、比那名居天子と永江衣玖だった。

「一体何の集まりなのよ」
「う~ん、ちょっと、今度あらためて説明するからさ。ちょっと今日は、な?」
「……まぁ、お客さんなら仕方ないけど」
「悪いな。それじゃ、また今度」
「うん」

 そうして、今日も私は魔理沙としっかり話をできなかった。

(ガツンさんになるのは、また明日……)

 どうにもこう、タイミングをはずされると妙な気分だ。
 何だかガックリして、私は家に帰ることにした。

     十八

 晩御飯を食べた後、私はちゃぁの毛繕いをしてやることにした。お燐の見よう見まねで、首筋を噛んであげる。するとちゃぁは、私の顔に爪を立てる。痛いという抗議なのだろうか。それとも、私にじゃれ付いているのだろうか。口が利けないちゃぁの気持ちを察することはできない。いや、そんなことはないのか。そうだ。例え口が利けなくても、いろいろなメッセージがあるじゃないか。ちゃぁが本当に痛くて嫌なら、きっと、どこかに行ってしまう。でも、どこにも行かないってことは、きっとちゃぁは、嫌だと思っていないからだ。そうだ。よく考えれば、ちゃんとちゃぁの気持ちは分かるぞ。そうしてきっと、ちゃぁだって、私の気持ちが分かるはずだ。お互いを好きだと思う気持ちさえあれば。

「口が、毛っぱくなっちゃった」

 私が毛繕いを止めると、ちゃぁは、キョトンとして私を見上げる。
 あの、鳥を見上げているときのように、何を考えているのか分からない、呆けた顔だ。
 でもきっと、ちゃぁは私と同じで……。

「もうちょっと、してあげるね」

 私はまた、ちゃぁに毛繕いをしてあげることにした。

     十九

 私はなかなか理解し難い人間らしい。
 どうも、誤解されることが多くある。
 過度に自分をよく見られることも多くあれば、不当な評価を受けることもある。妙に残酷だと思われたり、妙に感情の起伏が少ないと思われたりもする。どれもこれも、自分で考えている自分ではない。それが腹立たしい。自分の本当を理解してくれる人は、いつか、現れるのだろうか?
 魔理沙は私の一番の親友だ。魔理沙は感情と直感で生きている。
 何故私と魔理沙は、一番の親友でいられるのだろうか。不思議な気がして、私はよくその理由を考えたものだ。でも分からなかったから、魔理沙に聞いてみたことがある。

「いや、そんなんわかんないよ」

 そうか。
 魔理沙にも分からないんだなっと思った。
 ただ、一つだけ、思い当たることがある。
 魔理沙は何事も、型に当てはめて考えない。
 私は私として、見てくれているのだと思う。
 だからきっと、魔理沙は私を変だとは思わない。
 魔理沙にとって変な人がいるとしたら、それは他の人から見ての変ではなくて、魔理沙的には変だという人なんだろう。私もよく、魔理沙に変だと言われる。でも、その変は、納得ができる変だ。きっと、私が魔理沙に感じるときがある変と、同じような変だからだと思う。そのあたりが何か、自分をちゃんと見てくれている気がして、心地良いんじゃないかなぁ。
 そんなことを毎日のように考えて、何だか嬉しい気持ちになっていた、そういう時期もあったことを、私は夢で思い出した。

     二十

 朝起きると、お燐が私の胸の上で眠っていた。ちゃぁは今、私の脇の下にいる。前みたいに騙されはしない。私は私の意思で、お燐を布団の中に入れてあげるんだ。
 お燐はなかなか、面倒見の良いヤツだ。ちゃぁのことを構ってあげてくれる。この前、ネズミを持ってきて、ちゃぁにあげていた。生きたネズミだった。ちゃぁもネコなんだから、ネズミくらい取れないと困る。お燐は親切にしてくれる。今度ちゃんと、お礼をしなくては。
 私は昔から、人間と動物の違いが分からなかった。実は人間と妖怪の違いもよく分からない。一体、何が人間とその他の生き物を分けるのだろうか。一度、気になって仕方なかったから、寺子屋の先生に聞いてみた。

「人間と禽獣とを分けるのは、ひとえに廉恥の情ですよ。その良心に基づいて、恥を知る心のあることが、人間が人間である所以なのです」

 なるほど、もっともだ。
 しかしそうなると、子供はどうなるのだろうか。
 子供こそ、廉恥を知らないじゃないか。

「子供は、まだまだ未熟な存在だ。廉恥を知らなくても、それはまだ教育を受けていないからにしか過ぎない」

 それもそうだ。

「大事なのは心だよ。その心がどうであるのか。形に誤魔化されてはいけない。真心を見て、判断しなさい」

 なるほど。そうか。心を見なくちゃいけないんだ。真心を見ろと言うのなら、私のちゃぁに対する真心は、絶対に、純白なものだって自信があるぞ。きっと、親の子に対する愛情というものは、こういうものに違いない。そうして、ちゃぁの私を慕うのも、きっと、子の親に抱く気持ちと、何も違いはしないんだ。
 でもちゃぁはネコだ。
 私は人間だ。
 だから私は、私の子供がネコであるということを大事にして、ネコとして、立派に生きていけるように、お世話してあげたいと思う。そうした私のあり方は、おそらく、他の人たちには異様なものに見えるのだろうけど、きっとこれが正しいのだから、私は少しも躊躇しない。正しいことをやればいいんだ。うん、これが私の結論だ。

     二十一

 魔理沙の家に行ったら、徹夜で疲れたからまた今度と言われてしまった。
 きっと、お客さんと朝まで飲んでいたのだろう。
 今、ガツンと言ったところで、間違いなく素通りだ。右から入って左から出る。即ち馬耳東風……何とも溜息なことだ。こっちは、バッチリ気合が入っているってのにね。全く。これじゃお母さんが泣いちゃうんだぜ? 魔理沙。
 せっかく外に出たというのに、ただ家に帰るだけなのは正直ツマラナイ。今日はお燐が一日家にいてくれるらしい。これなら安心だ。だが、どこに行こうか。どこにも行くところがない。まぁ、それなら、普通に美味しいものを買って帰ることにしよう。うん、そうしよう。お土産もできて、ちょうど良いじゃないか。そう思った私は、ミスティアのところへ向かうことにした。
 そうしてふわっと飛んで屋台に着くと、ミスティアの他に、橙とルーミアがいた。
 割とこの子達は一緒にいるイメージがあるが、何繋がりなんだろうか。
 少し気になる。

「こんにちは。お重ちょうだい」
「はい、いらっしゃいませ」
「土産に蒲焼二つね」
「ありがとうございます。でも、もうちょっと待ってくださいね」
「分かってるわ。早く来ちゃってごめんね。まぁ、ゆっくり作ってちょうだい。どうせ暇だし」
「そうなんですか。あ、お茶をどうぞ」
「どうも」

 そう言って、用意し始めるミスティア。
 橙もルーミアも、本当にただ集まってるだけなんだな。
 お茶を飲んで、ただ椅子に座っているだけっぽい。

「霊夢、こんにちは」
「こんにちは、橙」

 でっかいネコが現れた。
 ちゃぁも大きくなったらこんな立派に……なるわけがないか。

「まいどはや~」

 ルーミアも挨拶をしてくれた。
 ……ん? まいどはや? あぁ、よくお越しでっていう、そういう意味だっけか。

「何してるの?」
「別に。何もしてないちゃ」
「何もしてないのにミスティアのところにいるの」
「そう、そやちゃ~」
「……ルーミア、しばらく合わない間に、すごい流暢な日本語を話すようになったのね」
「えへへ。私が教えてあげたんやちゃ」
「まぁ、あんたしかいないよね」

 マヨヒガは越中富山の「猪谷」につながっている……らしい。外の世界で柳田何とかさんが昔話として伝承してどうなるかとヒヤヒヤしたとか何とか紫が言っていた。幻想郷の入り口は「奥飛騨」にあり、人里はもともと「平家谷」だし、幻想郷の出口にして境界の神が誕生し零落して妖怪にくだりスキマ妖怪になったところは、これまた越中の「神の峠」で、これまた柳田何とかさんの石神何とかで何とからしい。
 で、橙はその猪谷から幻想郷に迷い込んで来たネコらしいから、必然、そこの方言が濃くなる。もちろん、訛りなくしゃべることもできるらしいんだけど、本人は好んで訛らせている。愛郷心というのは、何となく私にも分かる気がする。

「何も用事ないんに、ミスチーのところにおったらアカンがんけ?」
「そんなことないちゃ。ミスチーもうちらも、みんな友達やないけえ」
「うん。別に悪いことはないけどさ。ホラ、ミスティアも忙しいじゃん」
「あ、いいんですよ、全然。私も、橙やルーミアと一緒だと、楽しいですから」

 まぁ、本人がそう言っているんだから、それでいいかな。

「でも、本当にいいがんけ? よう考えたら、ミスチーに悪いことしとるんじゃないんかって思えてきたちゃ」
「そやちゃねぇ。言わんけど、ミスチーも私たちに遠慮しとるかも知れんちゃね」
「何言うとんがいけ。そんなことないちゃ。私たち、友達やないけえ。いつでも来られま」
「ミスチー……」

 ミスティアまでも方言を使うのか。この子達は本当に仲良いなぁ。

「構わんちゃ。水臭いこと言わんでいっちゃ。来られま、来られま。私もそのほうが嬉しいんやちゃ」
「そ~なんけ~……」
「最初、私が屋台やるって言ったとき、一番応援してくれたんは二人やったちゃ。それがどんな嬉しかったかぁ」
「私たち、別に何もしとらんちゃ」
「いてくれるだけど、嬉かったんやちゃ。力くれるんやちゃ。それが友達やちゃ」

 すっごい友情してるって、ハッキリ分かる。
 しかし、何だろう。すっごい聞き取り難い。

「ところであんた達さ、何で友達やってるの」
「何でって……何でかな? 私、鳥頭だから分からないわ」
「そう言われると、よう分からんちゃね。ルーミアは、分かるけ?」
「別に、わけなんてなくてもいいんちゃうんけ」
「そやちゃねぇ。友達に、難しい理屈なんかいらんちゃね」
「まぁ、そう言われるとそうよねぇ」

 確かに、友情に理屈なんてないかぁ。

「そういや、私たちって最初何が縁で会うたんやったっけ」
「さぁ。覚えとらんちゃ」
「ルーミアも覚えとらんがいけ」
「そうなんやちゃ~」

 それこそ、出会いですらも、曖昧なものだったりするんだ。

「みんなして、だらんないんけ」
「じゃぁ、そういう橙は覚えとるんけ」
「もちろんやちゃ」
「どうして会うたんやったっけ」
「別に、散歩しとったら、何となく会うただけやちゃ」
「そうやったっけねぇ」
「そうやちゃ。会うたら挨拶くらいするから、なんか知らん間に一緒に遊ぶ仲になっとったんがやちゃ」
「それだけけ?」
「それだけやちゃ」
「それが今んなったら、一番の友達になっとるがんけ」
「そそ。そういうことやちゃ」
「いやぁ。分からんもんやちゃね」
「分からんちゃ」
「友達っちゅうのはそういうもんやちゃ」
「そうやちゃね~」
「あ、霊夢さん。お待たせしました。鰻重ですね。お持ち帰りも、すぐ作りますから」
「……いただきます」

 そうして食事中、三人は一緒に歌っていた。


 越中で立山
 加賀では白山
 駿河の富士山
 三国一だよ


 おかげで麦屋節が耳から離れなくなってしまった。

     二十二

 家に帰って、お土産のうなぎをちゃぁとお燐にあげると、二人とも美味しそうに食べてくれた。ちゃぁがそんなにたくさん食べれるわけもなく、まるまる一つ、お燐のお土産になったが、これはこれでよかったと思う。きっとお燐にも、お土産を持って行ってあげたくなるような相手がいることだろう。
 そういえば、ふと思ったことだが、ちゃぁには全く友達がいない。仕方ないと言えば仕方ないのだが、何か友達を作ってあげたい気持ちになる。やっぱり、同じ目線で付き合える友人というのがいるのは、とても大切なことだと思う。でも、ネコに友達を作ってあげるというのは、簡単ではないように思える。他のネコを持って来ても、きっと、喧嘩になるのが関の山だ。

「ちゃぁは自然と、お友達を作れる自信がありますか?」
「なおん」
「お燐、ちゃぁは何て言ってるの」
「カンガルー」
「は?」
「そう。大体あってる」
「分けわかんない」
「あってるあってる」
「どういうことなの……」
「何言ってるの?」
「こっちの台詞よ」
「ちゃぁの台詞だよ」
「あのさぁ……」
「だから、何言ってるのって。そう言ったんだよ、ちゃぁは」
「あぁ……」

 残念ながら、種族の隔たりは深いようだ。

「ねぇ、お燐」
「なんだい、お姉さん」
「友達は多いほう?」
「とっても」
「そっかぁ。それじゃ、ちゃぁに誰か紹介してあげてくれない?」
「え~……食べられちゃうよ」
「やっぱりダメ」

 ちゃぁには、自分で頑張って友達を見つけて来てもらうしかないようだ。

     二十三

 翌日は、折り悪く雨模様となった。
 雨の多いここ最近の空模様は、私をガックリとさせる沈痛になっている。こんな日にまで、わざわざ魔理沙のところに行くほど、私もお人好しじゃない。仕方が無いから、一日ちゃぁと遊んで過ごした。
 さらに翌日。昨日の雨が嘘のように晴れた。
 私は早速、魔理沙の家に行くことにした。ところが今日も魔理沙はいない。さすがに今日は魔理沙と話をすると決めている。困ったときはアリスの家に。だが残念なことに、アリスもいない。ならば香霖堂へ。しかしこれも空振り。

「一体ドコに行ってるのよ、もう」

 最近の傾向からすると、チルノ? それとも、天子か。いや、どっちにしても、行くのはちょっと。チルノはどこにいるのか分からないし、天界はちょっと遠すぎる。私は仕方なく、うなだれて家へと帰った。

「お。霊夢。良かった、帰って来た」

 なんということだろうか。
 どうやら魔理沙とは行き違いになっていたらしい。

「アンタね、こういうときは家でじっとしてなさいよ」
「おぉ? そうか。悪かったな」
「別に。いいわよ」
「それより、これ。あげるぜ」

 そうして魔理沙がくれたのは、魔理沙人形だった。

「アリスと一緒に作ったんだ」
「アリスが作ったんじゃないの?」
「いやいや、立派な共同作業だったぜ」

 ちょこんと短い手足に大きな頭。そうしてトレードマークの黒い帽子。
 うん、普通に可愛くて良い出来栄えだと思う。

「ありがと」
「どういたしまして」
「お茶、淹れて来るね」
「あぁ。頼む」

 途中、私は椅子の上で眠るちゃぁの横に魔理沙人形を置いた。
 ちゃぁは魔理沙人形の首筋をカプリと噛んで抱きかかえた。
 きっと、マリちゃんはちゃぁの良いお友達になってくれることだろう。
 魔理沙には感謝だ。

「お待たせ。お茶請けは切れちゃってるんだけどいい?」
「うん。でも次に来たときはちゃんとおいしいものを用意しておいてくれよ」
「あ、この前レミリアにもらった、頭のない鳩サブレーなら残ってたっけか」
「え、なにそれは……」
「ちょうどいい感じに湿気ってるんじゃないかな」
「無理しなくてもいいんだぜ?」

 私と魔理沙は、いつもの定位置、縁側に腰掛けて庭を眺める。
 ようやく、魔理沙にガツンさんができるわけだ。

「ねぇ、魔理沙」
「なぁ、霊夢」

 おぉ。同時に言ってしまった。
 こういうの、なんか微妙に気まずいんだけど。

「何?」
「いや、霊夢こそ」
「お先にどうぞ」
「霊夢のほうからでいいよ」
「先に言ってよ」
「そうか。なら、長くなるけど、私から言うぜ」
「うん」
「私、起業することにしたんだ」
「は? キギョウ?」
「そ。起業。お店持つの」
「……霧雨屋、妖怪の山支店とか?」
「違うぜ。普通のお店だぜ」
「……へぇ。あ~……ふぅん」
「うん。魚屋さんをやる」
「さ、魚屋さんなの!?」
「そそ。魚屋さん。大分、話は進んでる」
「えぇ~……うそぉ……」
「本当」
「どういうことなの……」

 その後、私は魔理沙から、魔理沙の起業計画について説明を受けた。
 内容は非常に簡単だった。
 幻想郷には海がないので、紫にスキマを使って魚を入荷してもらい、人里で魚屋を営む計画だという。
 なるほど、確かに海の魚は食べたい。川の魚とは違い、鮮度さえ良ければ生でも食べられるらしいし、種類も豊富で美味しいからだ。
 協力者も、集まっているらしい。
 最近、魔理沙が遊びまわってると思っていたのは、ただの私の勘違いで、実際は魔理沙は仕事に協力してくれる人を探し回っていたのだという。

「後は、紫を説得するだけなんだ。それで、私はお店を始められる。そうしたら、実家に帰られなくても、里に帰ることができるだろう? 故郷に錦を飾るってヤツでさ。すれば、親父も面目が保てると思うんだ」
「うん。その通りだね……」
「いやぁ、正直、こんなに何かを始めるのが大変なことだとは思わなかったぜ。同じ人に何回も何回もお願いに行ってさ、こっちはやる気なのに、相手は全然暖簾に腕押し。うぇ、また来た。迷惑って雰囲気がありありとしてるわけ。もう何度もへこたれそうになって、辛くて泣いたことなんて一度や二度じゃなかったんだぜ。でもさ、それでもやっぱり、頑張って乗り越えないといけない壁みたいなものが、人間にはあるじゃんか。それから、逃げちゃダメなんだよな。かっこ悪くても何でもいいんだ。周りの人からどんな風に言われても、立ち向かわないと」

 私は魔理沙の顔を見ることなんてできなかった。

「でもさ、すごい勉強になったよ。結局、私一人の力なんて、全然大したことないんだよな。何をやるのかって段階で、もうダメ。思いつかないんだ。思いついてもさ、突飛過ぎて、何だか怪しいの。あとは陳腐でもう嫌になっちゃう感じ。自分でもそれが分かるから、もうダメだ~ってなっちゃったんだ。で、アリスに相談したら、いろいろな人に話を持ちかけてみないとダメだって言われてね。実際に、仕事をしている中で、課題が見つかって、その課題を解決する形で、新しい可能性は開けるんだって。実際そうでさ。あの……あれ、何て名前だったかなぁ。あの、チルノと一緒にいるの。度忘れしちゃったよ。まさか妖精に聞いてもダメだろうって思ったけど、いいや、ダメで元々だって思って話しかけてみたら、スゴイ面白い話をしてくれたんだ。あの子、影薄くて大人しい子だと思ってたら、実は仕事が趣味みたいな子でさ。何でも仕事見つけてきてお手伝いするんだって。それで、金狐亭で働くこともあるみたいでさ。あそこって、超高級料亭じゃん。ビックリしたね。ホラ、紫とか幽々子とかがよく行くところ。外の魚も、紫経由で入れてるみたいでさ。さばき方も一通り習ってるんだって。やっぱり、実際に手に職を持っていると、いろいろアイディアが浮かぶんだな。それで、外の世界から魚を仕入れて魚屋をやろうって。でも、それをやるにはお金がないってことになってさ。妖精だから、お金に興味がないんだな。仕事の対価は、ぜ~んぶ、現物支給らしくてね。それで最初は、輝夜のところに行ったんだけど、けんもほろろ。穢れ多き海は嫌いなんだってさ。その後も、何人かに相談してみたんだけど、ことがことだろう? ポンとお金を出してくれる人なんていなくてさ。そんで、ふと出会った天子に話を持ちかけてみると、何だか衣玖さんが脱サラするみたいだって話になってさ。脱サラっていうか、早期退職して、後は資産運用でもしてのびのび暮らすとかなんとか。よくわかんないけど、その話を聞いた瞬間、ビリリッて全身に電気が流れたね。でもそこからが大変でさ。説得に骨が折れちゃった。衣玖さん、お金にはあんまり頓着しないんだろうな。面白そうだし、別にいいですよって、二つ返事で承諾してくれるのは良かったんだけど、注文が多くてさ。掃除をしなさい、本を返しなさい、ツケを返しなさい、会計を勉強しなさい、経営を理解しなさい……」

 魔理沙が今までにないくらい溌剌としているのが、声だけでもう、私には分かった。どうしてこれほどまでに、自分自身の弱いところを嬉しそうに語ることができるんだろうか。

「でも、これでイイと思うんだ。誰かの力を借りることで、充実した生活を送ることができるなら、何にも恥ずかしいことはないじゃないか。いっぱい助けられて、いっぱい感謝して、そうしてできるだけ人のためになることをやる。私、それでいいんじゃないかと思うんだ」

 魔理沙はすっかり、大人になってしまっていたのだ。

     二十四

 家に帰った私は、ぐったりとお座敷で倒れこんでしまった。
 魔理沙は別れ際、私のひとつ頼みごとをした。

「それでさ、紫に頼みに行くときに、霊夢にも着いてきて欲しいんだよ」
「え~……」
「なぁ、頼むよ!! 霊夢がいてくれると、すっごい心強いし。それに、紫も霊夢には甘いと思うんだよね。なぁ、頼むよ~」
「う~ん……」
「お願い、霊夢!! 一生のお願い!! いやもう、何度も一生のお願いとか言ってるけど、今回が本当に本当だから」
「……一緒にいるだけだよ?」
「おぉ!! これできっと、うまく行くぜ!!」

 魔理沙との約束は、決して安請け合いというわけではない。
 魔理沙を助けてあげたいと思うし、魔理沙のしようとしていることを見届けたいという気持ちもある。そうして魔理沙が、思いのほかよく考えていて、また行動もしていて、しっかりと前に向かって進んでいたことを、嬉しいと思う。でもなんだろう。この、どうしようもない疲労感は。そうして、空しさというか、悲しさみたいなものは。ついでに言うと、少し恥ずかしい。感情がごちゃごちゃに混ざってしまって、あぁ、だから疲れてるのか。

「ちゃぁ、おいで」

 そう私が呼んでも、ちゃぁは相変わらず、私の椅子の上で眠っている。
 
「……急にちゃぁが大きくなって、お燐みたいに話しかけてきたらこんな気持ちになるのかな」

 どうなんだろうか。
 そういうわけでもないような気がする。
 ぼんやりとして鈍い頭は、睡魔を招きよせて私を夢へと誘った。

     二十五

 翌日、私はマヨヒガを訪れた。

「あ、霊夢。何しに来たんけ~」

 橙が元気に出迎えてくれた。

「ちょっと紫に用事があってさ。私のところに来いって、伝えといてちょうだい」
「分かったちゃ。それだけけ?」
「うん、それだけ」
「それじゃ、お茶でも飲んでかんまいけ。藍様に、ハッポウスチロールのお菓子もらったんやちゃ」
「ハッポウスチロール?」
「そう、そやちゃ。ハッポウスチロールのお菓子やちゃ。甘くてふんわりしていてパリッとなって、おいしいんやちゃ。お茶も出してあげっから、あがってかんまいけ」
「うん。橙のお茶、私好き。ちょっとお邪魔するね」
「あがられ、あがられ」

 そうして橙とハッポウスチロールのお菓子をサクサク食べていると、遠くから近づいてくる影が見えた。

「ん……魔理沙?」
「うん。魔理沙やちゃ。最近、よく来るんやちゃ」
「そうなの?」
「うん。お魚の話をしにくるんやちゃ」
「へぇ。……なんで?」
「分からんちゃ。でも、お魚のお話、たのしっちゃ。図鑑とか、持ってきてくれるんやちゃ。あと漫画も貸してくれるんやちゃ。おいしんぼに、あじいちもんめに、つりばかにっしに、こどくのぐるめに……」
「ふぅん……」

 なるほど、将を射んとすれば先ず馬を射よ作戦ね。
 外堀を埋めていくわけだ。

「じゃ、私はそろそろ帰るわね」
「えぇ? なんけ、もう帰るんけ。もうちょっとおられま。魔理沙も来たんに」
「まぁ、近いうちにまたお話しましょう。それよりも、紫に伝えておいてね」
「うん。分かったちゃ。藍様来たときに、お願いしとくちゃ」
「よろしく」

 魔理沙の邪魔をするのも何かね……って、かっこよく言えればいいんだけど、正直、魔理沙と一緒にいると、何かこう、辛いというのが正直なところで……情けないなぁっと思いながら、私は帰るしかなかったのだ。

     二十六

 橙の所へ行ってから、三日して紫が家に来た。
 この三日間、どれほど私が焦れたことか。
 その思いをガツンと紫にぶつけてやった。

「何か用かしら、霊夢」
「遅い! 遅すぎ! 何やってたのよ! 馬鹿!」
「人を呼び出しておいてその言い分……失礼させてもらうわ」
「あ、ヤダ。うそうそ。ごめん、帰らないで」

 帰られるのはマズイ。
 そうしていくらなんでも、今のは私が悪い。
 でも、しょうがないじゃん。
 感情、抑えられなかったんだもん。
 ちょっと心を落ち着かせて、お茶を淹れて、一息ついて私は話を持ちかけた。
 用件はとっても簡単だ。
 魔理沙が話をしたいから、今度会って欲しいというだけのこと。

「宴会かしら?」
「どちらかというとお茶会じゃないの」
「ふぅん。場所はここでいい?」
「まぁ、いいわよ」

 さすがに、酒を飲みながらという話ではないだろう。
 紫は少し、判然としないような顔をした。 
 でも実のところ、判然としないのは紫だけではない。私だって、事態を明瞭に把握してるわけではない。何せ急なことだった。ただ三日間、ず~っと考えて出た率直な感想は、魔理沙はしっかりと考えてるんだなってことだった。正直、尊敬した。でも、素直に喜べなかった。ちょっと、嫌だなとも思った。だから自己嫌悪して、ちょっと憂鬱になったし、ムカムカして紫に当たってしまったのだ。

(自分は自分が思っている以上に、よっぽど子供だったらしい)

 子供だということは、もちろん分かっていたし、子供のままでいたいなぁっとも思っていた。でも、そうした自己認識以上に、自分が子供だということを知った。それはとっても、ショックだった。下手をすると、魔理沙がずっと大人だったということ以上に、自分がずっと子供だったということがショックかも知れない。

(私は私のことも、全然知らなかったんだな)

 きっと私は私が思っているよりも、よっぽど感情的だし、よっぽど理屈っぽいんだと思う。訳が分からない。そう、私は訳が分からないんだ。自分のことも分からないんだから、これを子供という以外に、なんと言ったらいいのだろうか。そうしてそんな子供に、大人たちはいろいろと頼むのだ。ほら、大人になり始めた魔理沙も、私にお願いに来たじゃないか。

(重たいなぁ)

 私は分不相応に頼られていることが、辛くて仕方ない。
 ハァッと溜息が出る。

「どうしたの、霊夢? 溜息吐いて」

 そう紫に言われて、私は、ヤバイって思った。
 私って、こんなに溜息吐くキャラだったっけ?

「話を聞きましょうか?」

 ちょっとまずいかも。
 すっごい、紫に話を聞いて欲しいんだけど。

「……ねぇ、紫」
「なにかしら、霊夢」
「人に頼られるのって、イヤじゃない?」
「でも、頼られるうちが花ともいうわよ」

 そんな当たり前のことを、私は言って欲しいわけじゃなかったのに……。
 何だか不機嫌になってしまった私を見て、紫は困った顔をして帰って行った。
 私は後悔して、自分が大分嫌いになってしまった。

     二十七

 翌日、朝起きると少し気持ちが整理されていた。
 魔理沙と紫が会うのは三日後だ。
 その間どうしようか。
 私はとにかく外に出ることにした。
 
「そうだ。霖之助さんのところに行こう」
 
 グッドアイディアだと思ったが、いや、まてよ。霖之助さんは魔理沙の考えを知っているのだろうか。いや、知らないだろう。たぶん、魔理沙は、ことが定まるまでは、ナイショにしているつもりなのだ。だからこそ、私も知らなかったんだ。だったら、私がばらしてしまうのは、マズイ。アリスのところに行こうか。それもちょっと気分じゃない。魔理沙のところはどうだろうか? というか、魔理沙のところに行って、三日後で良いかを聞いてこなくてはいけないじゃないか。困った。私はすっかり、頭がふにゃけてしまっているみたいだ。

「ちゃぁ、私、魔理沙お姉ちゃんのところに行ってくるね」

 ちゃぁは、魔理沙お姉ちゃんがくれたマリちゃんを蹴飛ばして座布団の上で眠っている。
 私はマリちゃんを、ちゃぁのお腹のところにスポっと差し込んだ。

「仲良くお留守番していてね」

 ちゃぁは早速、マリちゃんにかじりついた。
 
「ざまぁみろ」

 ちょっと私は、嬉しくなった。

     二十八

 魔理沙の家に着いた私は、用件を手短に伝えた。すると魔理沙は喜び勇んで、協力者に伝えに行くという。そうしてあっという間にいなくなってしまった。

「しまった。一人になってしまった」

 私は少し悩んだ末に、アリスのところに行くことにした。
 アリスは家で、人形を作っているところだった。
 私が行くと、歓迎してくれた。

「魔理沙、三日後に紫と話をすることになると思う」
「そう。いよいよ正念場ね。頑張り時だわ」

 人形の髪をブラッシングしながら、アリスは嬉しそうにそう言った。

「人形の手入れ、大変?」
「そうね。物には拘っているしね。良い物は痛みやすいものよ。大事にしてあげないと。それに、人形にも気持ちは伝わるから。物にも魂は宿るわ。人間の血や肉にも、意志が宿るようにね」
「うん。そうだよね」

 アリスの言う通りだ。
 何も物を思い心を宿すのは、人間ばかりではないのだもの。

「そう言えば、魔理沙の人形、よくできてたでしょう」
「えぇ。アリスが作ったような出来栄えだったわ」
「案外、魔理沙も手伝ってくれたのよ」
「そう。案の定ってところね」
「本当に、よ。よく手伝ってくれたわ」
「ふぅん。魔理沙、結構良いヤツだったのね」
「そうね。それより、私には、魔理沙の言ったとおり、お人形がネコさんの玩具になってるのかが気になるわね」
「どういうこと?」
「魔理沙が言ってたのよ。きっと、霊夢はネコさんに人形をあげちゃうんだって。アイツのことだから、マリちゃんとか名前をつけて、ネコと一緒に遊ぶはずだって」
「べ、別に、一緒に遊んではないわよ」

 私は耳まで熱くなるのを感じた。

「でも、ネコさんにはあげたんでしょう」
「ま、まぁね」
「マリちゃんって、名前をつけてあげたの?」
「他にないじゃん」
「えぇ、そうね」

 そうして居た堪れなくなった私は、ソファーの横にいる翡翠色の服を着たアンティーク人形を手にとって抱きしめた。

「その子、良かったら持って帰ってもいいわよ」
「べ、別に……そういうわけじゃないわよ」
「むむ、このマーキュリー・ランベが一緒にいてあげると言っているのに、それを断るとはいい度胸ですぅ。そんな紅白巫女には、お菓子をあげないですぅ」
「からかわないでよ」
「私に言わないで、その子に言ってちょうだい」

 私に抱かれていた人形は、今や私の手を離れ、私の膝の上で仁王立ちをして指をピシッと決めている。

「アリスの仕業じゃなくて誰の仕業だっていうのよ」
「その子の意志がそうさせているのよ」
「へぇ。おめでとう。いよいよ完成したわけね」 
「一緒にいたいんですって」
「べ、別にそんなこと言ってないですぅ。ただ、どうしてもって言うんだったら、一緒にいてあげなくもないですよ」
「……」

 結局私は、翠ちゃんをもらって行くことにした。

     二十九

 家に帰った私は、ぐったりとして何も言わなくなった翠ちゃんを胸に抱いて、そのまま畳の上で寝転んだ。

「やっぱり、アリスが操ってたんじゃないの」

 今更ながら、分かりきっていた事実を確認すると、私は少し残念な気持ちになった。
 帰路、「もしこの人形が本当に自律してくれたら」と考え、何だかワクワクしていたからだ。
 夢は何のためにあるのかを考えさせられた。
 ああいう、一瞬のワクワクを感じて楽しむためにあるのだろうか。
 そうだとすれば、夢っていうのは、とても罪深いものだと思う。
 夢というものは、私たちをして叶わぬ願いに想いを馳せさせて、日常から遊離させて、そうして決して現実にはなってくれないのだもの。
 ふと、私はちゃぁが、ぽかんとして空飛ぶ鳥を眺めていることを思い出した。
 そうしてある考えが浮かんだ。
 もしかすると、ちゃぁは、鳥に夢を見ているんじゃないだろうか。
 そうだ、魔理沙もそう言っていたじゃないか。
 ちゃぁは鳥になりたいんじゃないかって。
 あぁ、それは何て残酷なことなんだろうか。
 この、夢見がちな・小さい・醜い・捨て子のネコさんは、空に羽ばたく姿を遠望し生きているのだ。
 ちゃぁを抱いて空なんて飛ばなくて正解だった。
 そんなことをしてしまったら、できないことを、あたかもできるかのように錯覚させてしまったかも知れない。そうやって、空想癖を助長させるようなことがあったとすれば、それは本当に残酷なことだ。
 そんな、ふとした思い付きに、私の心はすっかり打ちのめされてしまった。
 たまにある、こうした心の揺れ動きは、私にはとても統御できない。
 そういうことには、誰も気遣ってくれないのだ。
 そんな現実が、とても寂しく思えて、私は何だか泣きたくなってしまった。

     三十

 よく晴れて心地良いはずの朝。
 私の心ばかりは、暗くどんよりとしていた。
 相変わらず、私の指を啜ってくるちゃぁを、私は今まで以上の愛着を持って見ないではいられなかった。

 私にどれだけの力があるのかな
 それでも、ネコ一匹くらいだったら

 どこにいるかも分からない心持になる。
 最近、私の心は、右から左からの大暴風雨で、平静なときなどは少しもなかった。

 本当に大きな騒乱は
 心の中で起きている

 これ以上、家にいては、鬱蒼が過ぎる。
 蒼い悪魔(ふさぎの蟲)の旋風にやられてしまうよりも前に、穏やかな風に乗ってたゆたうことにしよう。
 そうして飛び立つ私を、どんな目であの子が見ているかなんてのは、恐ろしくて私には確かめられなかった。

     三十一

 否が応でも目に付く紅い館は、風に任せて浮いていた私を引き寄せた。

「やぁ、いらっしゃい。よく来てくれたね」

 この主は、客を拒むということをまるで知らないようだ。
 レミリアは、テラスでパチュリーと紅茶を飲んでいた。
 パチュリーは何やら、手紙を書いている。

「誰宛の手紙?」
「言っても分からないと思うわよ」

 カリカリっと心地良い音を立てながら、パチュリーは驚くほど達筆に、日本語・縦書きの手紙を書いている。

「私の知らない人?」
「えぇ。知らない人ね」
「ふぅん。外の人?」
「そう。外の人」
「それじゃ、聞いても仕方ないか」
「えぇ。仕方ないわ」
「どんな手紙なの」
「聞いても仕方ないわよ?」
「ファンレターよ」

 レミリアが少し、イジワルそうに笑って教えてくれた。

「ファンレター?」
「そう。ファンレター」
「ふぅん。誰のファンなの?」
「誰だっけ?」
「……今井さんと村雨さんと仲谷さん」
「誰それ」
「だから聞いても仕方ないって」
「カトゥーンの作者ね」
「ナニソレ」
「漫画」
「あぁ……そういえばアンタ、たくさん持ってるわよね」

 以前図書館に行ったとき、使い魔が、床に寝そべって漫画を読み耽っていたことを思い出す。私はあんまり興味がないけど、外の世界ではとても人気があるらしい。

「そういう趣味もいいわね」
「そういう趣味って、どっちのことだい? 漫画? それとも、ファンレター?」
「ファンレターのほう。そうやって、憧れの人と文通するって、いいと思う」
「へぇ。よかったじゃない、パチェ。お褒めに預かったわ」

 パチュリーは顔を上げて言った。

「光栄だわ」

 抑揚のない感謝の言葉。
 でも、本当に感謝してないのだったら、何も言わないで書き続けているだろうから、たぶん、ちょっとは嬉しいんだろうなぁ。

「レミリアの趣味って何かあるの?」
「みんなを幸せにすることだよ」
「聞かなきゃ良かった」
「本当だよ?」

 本当なのは知ってる。だからいっそう、怪しいのよ。

「……これで良し。ようやく書き終わったわ」
「お。長かったね。かれこれ、三日くらいか」
「三日!?」

 私は驚いた。
 この子、三日もお手紙書いてたのか。

「作品を鑑賞して、感じて、それから吟味して、咀嚼して、比較する。そうして表出するわけだから、とっても時間がかかるのよ」
「創作だね」
「えぇ。創作的な批評よ。でなくっちゃ、失礼だものね」
「しかしこれだけ力を入れて書かれたファンレター。もらったほうは嬉しいね」
「嬉しく思ってもらえないとね。折角だもの」
「納得の返信率ってわけだね。パチェ、君はとても良い実践をしているよ」

 レミリアは本心から満足そうに言った。

「人を幸福にすることはやはり最も確かな幸福だ」

 パチュリーが頬を緩める。

「えぇ。そうね」

 レミリアはティーカップを持ち上げて言った。

「親友の穏やかで充ち充ちた日常に乾杯」

 そうして更なる箴言を綴る。

「仄かな夢が加わった日常。これが最も確かな生活さ」

 私はレミリアの言った、「仄かな夢」に、ドキッとした。
 昨日、私が思った「夢」とは違う、何かがそこにはあるように感じたのだ。
 でも、それなのに、「仄かな夢」という響きは、私の思い描いた夢の姿と、とても近い形をしているように思えるのだ。

「私はそうじゃないと思う。日常に夢を抱くのって、とても恐ろしくて浅ましいことだわ」

 私は思わず、言ってしまった。
 レミリアが私のほうを向く。
 そうして、穏やかな目をして、じっと私の瞳を見つめる。

「どうしてそう思うんだい、霊夢」
「夢は麻薬と変わらないわ」
「ふむ」
「幻想を私たちに見せるんだもの。目を覚ましていても、眠っているのと変わらなくするわ」
「もっと詳しく。霊夢の異議は、とても良い発案に思えるからね」

 私は昨日、自分が感じたこと・考えたことを、全部話した。

「つまり、要約すれば、仄かな夢を日常に抱くということは、人間を白昼夢に生きさせることになると。そうしてそれは、人間を現実に生きさせないことになる。さらにはこういった生き方というのは、現実からの逃避に他ならない。それは、とても浅ましいことだと、霊夢は言いたいんだね」

 こうしてレミリアの言葉にされてしまうと、自分の言葉から乖離し過ぎて、別なものになってしまっているような気もする。

「う~ん。たぶん、そういうことなんだと思う」
「なるほど。理のある言葉だね。とてもハードボイルドだ。そうして幻想郷の巫女とは思えない、とても現代日本人的な言葉だ。意外な発言だが、とても素晴らしい意見だね。感心だ。そう思うだろ、パチェ」
「えぇ。興味深い話だわ。そうしてとても、大切な疑問ね。是非とも話し合うべき事柄だわ」

 紅魔館独特の雰囲気は、相変わらず仰々しくて気恥ずかしく思える。でも、一方では、とても温かくて救われる思いがする。レミリアがよく言う、「あなたは私の誇りだわ。」みたいな言葉も、嘘ではないのが伝わってくる。

「霊夢。白昼夢に生きても良いじゃないか」
「いや、別に生きてもイイんだけど」
「イイんだけど?」
「イイんだけど……」
「何かヤダ?」
「うん……」
「なるほど!! 生理的に受け付けないというヤツかな。とても感覚的に物事を捉えるんだね、霊夢は。その敏感さはとても素晴らしい資質だ。確かに、空想癖のあるヤツってのは、何だか薄気味わるいもんだからね」
「いや、そこまでは言ってないけどね」
「なるほど。誇張も過ぎると良くないね。でもそれがユーモアで、私のキャラクターだから許してちょうだい。それで、霊夢。ちょっと冷静に考えて欲しいんだけどね。霊夢が君の愛娘……まぁ、愛息子かも知れないが、ソイツにだ。そうやって空想ばかりして生きていてはイケマセンという。しかしそれは何でかな」
「何でって……それじゃ、生きていけないじゃない」
「本当にかい?」
「そりゃ、ただ生きていくだけなら良いけど。頼りないじゃない」
「なるほど。確かに頼りないな。強く逞しく、そうして優しく賢く生きて欲しいと、どの親も思うものだね。だがそれは、ちょびっと、親の勝手な考えというものさ。本人の勝手というものもあるだろう。自分なりに、幸せに生きたいと思うのは、正しく本人の勝手じゃないか」
「でも、育てているのはこっちなんだから、言う通りにしてくれないと困るわ」
「なるほど。とても日本人的な発想だね。ふぅむ。困った。こうなると、考え方が対立してしまうかも知れない。だが私はこう思うんだよ。何のために子供を育てているのかってね。そりゃ、将来の糧として期待して育てているという面もあるだろうし、それを否定するわけじゃないがね。少なくとも霊夢の場合は、ネコさんに育ててもらおうなんて、そんな空想をしているわけじゃないのでしょう?」
「そりゃ、もちろん。愛しく思うから育ててるのよ」
「じゃぁ、幸せになってもらえばそれで良いじゃないか」
「でも、白昼夢で幸せなんて、やっぱり変だよ。それじゃ、麻薬で幻覚を見て幸せなのと変わらないじゃん」
「幸せならそれもありだと思うけどね」
「私はそう思わないの」
「仕方ないじゃないか。弱くて多感なんだから。愛し愛されること、自分の周囲に幸福を広げること以上には、喜びを知らないものなのだよ。多くの生命はそれ以上のことのために尽くすことはできない。ならば、白昼夢を一つの喜びとするくらいの人生サイズで、ちょうど良いとは思わないかい?」
「私が心配なのは、孤独になっちゃうことなのよ。そういう生き方をしてると、何だか奇妙で突飛になるじゃない。そんなんだと、爪弾きにされて一人ぼっちになっちゃうわ」
「なるほど。とても説得力のある言葉だね、パチェ」
「何で私に振るのよ」
「一人者はとかく幻像に取り巻かれて、熱病に罹った人のように凡てを誇張して考える……う~む、君もそういう傾向にないかな?」
「……く、反論できないのが痛いわ」
「ふふふ。しかし君の傷は、英雄の戦いで受けたものではないのだぞ!!」
「むきゅきゅきゅ。死体殴りとは趣味が悪いわね」

 何だかレミリアとパチュリーは、阿吽の呼吸で盛り上がりはじめた。
 私はちょっと、パチュリーに聞きたいことができた。

「パチュリーは、どうしてるの」

 本当にパチュリーが、そういう傾向にある人なら、どうしてるのかを聞いてみたい。 

「どうしてるのって……まぁ、だから、レミィと一緒にいるのよ」
「独りなる者に禍あれ……こうした箴言に至るわけだね」
「そっか……」

 こうして見ていると、この二人の関係というのは、とても奇妙に思える。
 こんな感じに、ピッタリと一つになっているかと思えば、全然ツッケンドンになることもある。でも、一番の親友なのは、間違いないだろう。自然でいられる関係ということなんだろうか。でもただ、それだけではない気もする。私も魔理沙とは、自然でいると思う。ここしばらくはちょこっと変なことがたくさんあったけど、ずっと、自然でいる親友だった。でも、この二人みたいな感じではないと思う。

「パチェ、今、Hammer(ハンメル)を思い出した」

 レミリアが詠みはじめる。

【自分は行はず人を悩まして決まりのつかない生活は、ただ不幸と重荷と苦痛である。生きているとは休みなく活動していることだ】

「まさしく、霊夢の言葉だね」

 パチュリーが言う。

「続きがあるでしょう」
「どんな続きなの?」

 私の言葉にレミリアが頷いて答える。

【工夫もつかず恋によって若返るのが、到達し得る最高の叡智だ】

「日常における仄かな夢。その最たるものは、恋かしらね」
「私、恋とかしたことない」
「何てことかしら!? おぉ、パチェ。あなたからも何か言ってやってちょうだい」
「恋はとても大事なことだけど、もしかしたら、一番大事なことかも知れないわね」
「そうでしょう。そうでしょう」
「まぁ、私も恋したことないんだけどね」
「パチュリー!! お前もか!!」

 レミリアは歎息して言った。

「神に充たされた自己信頼は、最も確かにお前を救う。神の導きにしたがっているという確信以上に、自らを救うものはないわ。そうして神は言っている。恋せよ乙女と。分かるかしら?」
「そうは言っても、こればっかりは……ねぇ、霊夢」
「うん。私も恋してみたいわ」
「図書館の悪魔でも呼んでこようかしら。レッスンしてもらう必要がありそうね」

 そうしてドタバタしていると、心の憂さは随分と晴れた。
 平衡を失った心は、極端に傾き易いものだ。そうして孤独は思考を混乱させる。私は今、助けられた。それは素直に、感謝しておこう。
 そんなことを思っているうちに日が落ちていく。夕焼けがとても美しい。心の内のあらしは過ぎ去ったようだ。
 
     三十二

 約束の日が来た。
 朝早くに、魔理沙が神社にやって来る。

「紫が来るのは、夕方からよ」
「知ってるよ。でも、ホラ。空気に慣れてたほうがいいじゃん」
「何言ってるのよ。何百回来たか分からないところでやるってのにね」

 魔理沙も緊張しているんだなぁ。
 そうして、気合が入っている。
 目付き顔付きから、そういうのが伝わってくる。

「紫、応じてくれるかな」
「わかんない。だけど、とにかくやるしかない」
「ダメって言われたら、どうするの?」
「またお願いする」
「それでもダメなら」
「またお願いする」
「紫がOKするまでずっと?」
「うん」
「何じゃそりゃ」
「そういうもんだって。何かはじめようとするときは、そういうものなんだ」
「そんなに猪突猛進なものかなぁ」
「意外にそういうものなんだよ。兵は拙速を尊ぶってね。時間は過ぎ去るんだ。ぼやぼやしてると、白髪になっちゃうぜ。あんまり周到すぎる人は、運命を逸するってことさ。ナポレオンは、百の内に二十五の当り目があれば、人生を賭ける心掛けでいなくてはならないって言ったんだぜ」
「私にはちょっと、できないわね」
「私にはできるぜ。だからやるんだ。それに、みんながみんなできないから、やる価値があるんだ」
「なるほどね……なんか魔理沙、逞しくなったね」
「そうかな?」
「うん。大きくなった」
「嬉しいな」
「どうやったの?」
「いっぱい悩んで、いっぱい相談して、いっぱい頼んだ。それだけだぜ」
「そっか」
「図太くなったんだ。狼の性なら、狼で振舞え。それが何より確かな手筋だってね」
「魔理沙はどちらかというと、猪の性ね」
「猪の性なら、猪の性で振舞うさ」
「あと、牛」
「牛?」
「図太いんでしょう? 正々堂々、道の真ん中を行くのが魔理沙ね」
「へへ。すごいだろう?」
「うん。すごいね。そうやって、素直になれるところとか、本当にスゴイと思うよ」

 私にもちょっと、分けて欲しいと思うくらいだ。

「なぁ、霊夢。本当に紫がOKしてくれたら、霊夢においしいものたくさん食べさせてあげるね」
「ふふ。楽しみね」
「うん。楽しみにしていてくれ。それが一番、力になるからね」

 魔理沙はちょっと照れくさそうにして言った。

「実のところを言うと、何だか恥ずかしいんだけどさ。霊夢のことを考えると、一番やる気が湧いて来るんだ」
「え? どうして」
「いやさ。ずっと親友やって来てさ。なんていうか、霊夢とだけは、貫目五分と五分の仲でいたいなって思うんだよね。でもできたら、ちょっと自分が上の立場でいたいっていうか。そういう気持ちもあるんだよ。一緒にいてやっているくらいの気持ちでいたほうが、気分よく付き合えると思うんだよね。あ、もちろん、本当にそう思ってるわけじゃないぜ。ただ、お互いに、少し自分が上なくらいの気持ちっていうかな。そういう付き合いができたほうが、長く親しくしてられると思うんだ。お互いに一緒にいて欲しいって関係とか、一緒にいるのが当たり前って関係もありなんだけど、それよりはさ、お互いに一緒にいてやるんだってくらいのほうが、私はいいなって思って。霊夢も結構、飄々としてるから、そのほうが気楽だと思うんだよね。そういう仲でいるためには、やっぱり、自立した大人じゃないとダメだよな。そういう思いがあって、結構頑張れたってのが、本当だったりするんだ」
「そうだったんだ……うん。魔理沙、やっぱりスゴイね。私、嬉しい」
「そ、そうか?」
「親友の魔理沙がスゴイと、私も嬉しいよ」
「照れるぜ……」

 感化されるってのは、本当にあるんだと思った。
 なんか、レミリアたちといて、魔理沙の調子に当てられて、意外なくらいに私は、素直になることができた。
 いいなって思える、尊敬できる人と一緒にいて、その人たちと同じように、自然にしてれば、それでいいんだ。それが一番なんだと、思わされた。

(私も魔理沙と、五分五分でいれるようにしないとなぁ)

 結局、人間の原動力みたいなものは、そういう、とても身近で当たり前なところから湧いてくるものなのかも知れない。そういう当たり前の存在の重要さを改めて理解することが、あぁ、もしかすると、大人になるということなんだろうか。
 ちゃぁが本当に、何を思ってぼうっとしているのかなんて分からない。
 白昼夢を見ているのか、鳥さんキレイだなって感嘆しているのか、鳥さんおいしそうだなって涎をたらしているのか、察することはできないけれども、いずれにしてもきっと、ちゃぁにとっては大切なことなんだろう。それで、別にいいじゃないかと思う。私が思うべきことは、「良かったね。私も嬉しいよ。」という、それ以上にはならないんじゃないだろうか。またなってはいけないんだと思う。それが、お互いを大事にし合う精神、「本来の個人主義」ってものなんだろうな。つまりあの、紅魔館の連中の流儀だ。
 私が今できることを、頭の中で思い浮かべてみた。
 ちゃぁを大事にしてあげよう。
 とりあえず、巫女としての仕事をしよう。
 友達とは仲良くしよう。
 魔理沙のお父さんには連絡しておいてあげよう。
 レミリアにお礼は……調子に乗るから言わないで置こう。
 とにかく今日は、魔理沙と一緒に、私も紫にお願いしよう。
 先ずはそれだけだ。
 そう思うと、私の心は、とても軽やかでスッキリしたものになるのだった。
 ちゃぁはぼうっと私を見ている。
 今、私が魔理沙に対して感じたようなことを考えながら、この子が私のことを見上げることができるように、私もきっと……。

     三十三

 魔理沙の提案は、あまり紫の心を動かさなかったようだ。

「良いアイディアだと思うわ。でも、肝心なところが詰められていないわね」
 
 紫の指摘は、非常に簡単だった。
 つまり、採算が取れないというものだ。
 何故なら、幻想郷と外の世界は物価が著しく異なるから。また、輸送コストも高くなりすぎるから。というのは、外の世界から幻想郷に運ぶ物はあっても、幻想郷から外の世界に運ぶ物がないため、運び込むために往復しなくてはならなくなるのだ。
 さらには、魔理沙たちに、本当に魚をさばく能力があるのかも疑問だという。

「例えば砂糖。幻想郷は内陸だから、大体外の世界の二十倍くらいの値段がするわね。私があなたのお父様に卸している砂糖は、仕入れ値の十倍よ。それでも、普通に売れるのだもの。驚きよね」
「氷見の魚を使うというのは、まぁ、慧眼ね。でも、氷見の魚は高いわよ? そもそも、アジやイワシのような大衆魚が、氷見ではほとんど取れないのだもの。白身の高級魚が多いから、どうしたって高い魚が多くなりがちだわ」

 一体、どれだけの幻想郷住民が、外の世界の魚を食べられるほどに裕福だというのか。
 紫の言いたいことは、つまりはそういうことなのだ。

「当然、スキマ代金がタダなんて、都合の良い話はなくってよ? まぁ、特別に安くしてあげなくもありませんが、それでも……このくらいかしらね? どうかしら。現実が見えて来たでしょう。少なくとも、この値段分くらいの商いを、幻想郷から外の世界に向けて行う輸出でまかなわない限り、成功の目はないわね。もちろん、幻想郷を危険にさらす可能性のあるものを、私が預かることはないわけだから、そのあたりもよく考えてもらうことになるわ」

 片道だけの輸送というのは、単純にコストが二倍かかるわけで、それでは商売にならないというのは、当然の話だ。

「で、最後に魚だけど、本当にさばけるのかしらね。いいかしら? 金狐亭で扱う魚は、鯛・平目が並みの魚ってくらい、高級魚揃いなのよ? 石鯛・メバル・本ムツ・甘鯛・キジハタ・鬼カサゴ・シマアジ・アワビ・車海老……もちろん、寒ブリもね。鍋物ならアンコウや本ズワイガニかしら。でも、そんなの仕入れることができるのかしら? 無理でしょうね。そうすると、もっと安い魚ばかりになるでしょう。そういう安い魚を、手早くさばく技術と、高級な魚を丁寧にさばく技術とは、また別物だわ。たぶん、金狐亭の魚のさばきは、捨てるところがとても多いさばき方よ。魚のあらは捨てるのだもの。でも、そんなことをしていては、到底ダメね。鯛なんて、三分の一くらいはあらなんだもの。タダでさえとんでもなく高い商品を売るというのに、無駄を多く出してはもっと高くなるわ。もちろん、それでも買おうと思う、富裕層相手の仕事をするというのも有りなんだけど、それでは、ただの金儲けになってしまうわね。そんな話を良しと思うほど、私、俗っぽくなくてよ?」

 さすが紫おばあちゃん!! と思ってしまったのは、ここだけの話だ。

「まぁ、そういうわけで、残念ながらYESとは言いかねる話だったわね。それじゃ、私も暇じゃないから、これでお終いにしても良いかしら?」

 魔理沙は悔しそうな顔をしながら、「ありがとうございました……」とだけ言った。
 でも私は分かってた。
 魔理沙の胸の中では、パチパチと埋み火が熱を湛えていることを。
 きっと、また次の機会に向けて、案を練るに決まっている。
 私は何も言わないで、心の中で、「頑張ってね。」と応援してあげた。

 それから一週間ほどして、私は魔理沙に呼ばれて、魔理沙の家に行った。
 そこには、龍宮の使いに天人に、チルノにお付きの緑の子が集まっていた。
 魔理沙の家の中には、でっかい青の箱があった。

「紫に頼んで、仕入れてもらったんだ」

 そうしてその箱を開けると、大量の魚が入っていた。

「うわ、すごい臭い」

 思わず天子の発した第一声だった。

「これが魚の匂いですよ」

 衣玖の言葉に、天子は「食えるの?」。「もちろんですよ」と返される。

「しかし、紫も優しいところあるのね。これって結局、応援してくれてるってことでしょう?」
「あぁ。まぁ、紫っていうか、橙らしいけどな」
「橙が?」
「そうそう。私のマメな好感度アップ大作戦が成功したということだぜ」

 そういえば魔理沙、マヨヒガに足繁く通ってたっけか。

「しかもこれ、ただの魚じゃないんだぜ」
「どういうこと?」
「安い魚なんだ。幻想郷でも売れそうな、ね」

 そうして魔理沙が、一つ一つ魚について説明を始める。

「まずこのでっかいの。シイラって言うんだ。これがすっごい安い。この大きいので、千円。水死体に群がるってことで、縁起の悪い魚らしくてね。買い手がつかないらしいけど、普通に海外では食べられているんだってさ。決して不味いわけじゃないんだ。それにこのハモ。三キロくらいあるかな。これで三百円。ハモは小さいと高級魚になるんだけど、大きすぎると、骨が針金みたくなっちゃってね。骨を取ることができないから、外の世界のお店では売り物にならないんだそうだ。そうして家庭でも、なかなか手をつけ難い。でも、輪切りにして煮て、身を解しながら食べれば、普通に食べれる。卵や白子、肝もたくさんあるから、それだけ食べてもOKだ。つまり、魚を知らない幻想郷の人間たち相手なら、あるいは骨ごと食べれる妖怪相手なら、充分に売り物になるってことだ。このアンコウって魚も、冬は高級魚だけど、夏場は雑魚同然になって、冬場の四分の一くらいの値段になるそうだ。時期の魚も安い。夏場のトビウオ、秋のイナダも、雑魚同然になるって。そうそう、このコメジ。子若魚で、コメジマグロってことさ。つまり、マグロの子供。一匹、五十円くらいかな。たたきにして葱を合えたら、おいしいぜ。実がさっぱりしているのも、魚になれていない幻想郷の住民には良いかも知れない。むしろ、高い本マグロより、人気が出るかもな。そういう意味ではこの芭蕉カジキも押していきたい。カジキって魚は、いろいろランクがあってな。これは三番目に良いカジキだ。サスって言って、昆布締めなんかにして食べることも多い。昆布締めは日持ちするから、是非とも主力商品として売りにしたいもんだ。イカも安くておいしいね。あとは大きなコハダも、骨が大きすぎて本当に安い。一匹で二十円、三十円だから、酢締めにしてしまって売れば儲けになるよ。まぁ、骨抜きが大変だけれども、そのあたりは、チルノにお願いだぜ。チルノなら、魚に触っても、傷めることがないからな。他には、これ。うまづらはぎ。その名の通り、馬の面に見える魚だけど、それが嫌われて、オオカワハギなんかに比べて全然安いんだ。金狐亭でも、うまづらはぎは仕入れないんだろう?」

 そう魔理沙が聞くと、コクリコクリと頷く緑の妖精。この前、名前聞いたんだけど、忘れちゃって、それ以来、ずっと聞きづらくて知らないまんまなんだよね。

「こういう魚たちなら、売れる。他にも、冬場だとタラやメダイっていう、安くて美味しい魚も取れる。日持ちもするから、冬は採算が取れるな。ただ、問題は、さばけるかどうか、だけどな」
「確かに、普通の魚のさばき方じゃ難しいのが多そうよね」
「大きい魚とか、見た目があんまり良くない魚なら、大体私、さばけますよ?」

 そう言ったのは、衣玖だった。

「特に私、大きな魚をさばくの得意なんですよ」
「……何で?」
「私、意外と力持ちなんです。それに、大きなものを解体するのって、楽しいですよね。あと、なんていうか、グロテスクな魚って、おいしそうなんでよく食べるんです」
「やっぱり衣玖さんは女子力が違うな」
「これは女子力なのかな?」
「いつか、本マグロを解体させてあげれるようになってやるぜ」
「うふふ。とっても楽しそうですね」

 そうして、私たちはシイラの解体ショーを見せてもらった。
 ガン、ガン!! と骨を砕く衣玖の姿は、どうにも平生の彼女からはギャップを感じる。

「衣玖、楽しそうね」
「はい!! とっても楽しいですよ。総領娘様もやってみますか?」
「いや、遠慮しとくわ。というか、その総領娘様っての、止めなよ。もう仕事も辞めるんだしさ」
「そうですか。それじゃ、お言葉に甘えて、今度から天子ちゃんって呼びますね」
「それちょっと距離詰めすぎじゃないの!?」

 もっとも、見事にさばいているように見えるものの、結局、我流には限界がありそうだということと、シイラという魚は表面に汚れが多いため、刺身用にさばくにはちゃんとした技術が必要だということで、誰かに教わるほかにはないということになった。教えを請う相手を見つけるのもまた、大切なステップの一つなんだと思う。

(何だかみんな、楽しそうだな)

 仲間と一緒に、新しい事業を始めるということは、とても幸せなことなんだと教えさせられた気がする。

 翌日、紫が家にやって来た。私は紫に、どうして魔理沙に温情をかけてやるのかを聞いてみた。

「橙に諭されちゃってねぇ」

 諭された? ねだられたの間違いじゃないのかしら。
 
「何やっとんがんけ、紫様。橙を見損なわせんどいて。新しく何かせんまいと思うとる人に、情けかけてあげんでどうすんがいけ。しかも故郷のためになることやないんけ。氷見のうまい魚を幻想郷のみんなに食べさせてあげたいっちゃ、偉いことだちゃ。郷を愛する気持ちと、人として筋通すことを忘れたら、富山の女の恥なんよ……ってな感じで。う~ん……やっぱり、米騒動を起こして、それでもお金は支払って行ったお国の女だものね。私も誤ったと思ったわ」

 どうやら紫は、橙にはとても甘いらしい。私がちゃぁをかわいいと思うように、紫は橙をかわいく思うんだろう。すっかり孫娘とおばあちゃんだ。

 私は霖之助さんと一緒に、魔理沙の実家を訪れた。
 おじさんに、ことの経緯を説明した。
 おじさんはとても、満足そうだった。

「さよか。堅気さんとして、立派に生きて行ってくれるんだったら、ワシは、何も言うことないわ」

 そうして、橙のことについて話をすると、おじさんと越智さんは感動した様子だった。

「なんちゅう、ええ女に育ったんや。橙ちゃんは」
「ほんまに。一本気のある、ええ女ですわ」
「ワシらも、見習わんといけんのとちゃうんか」
「そうでんな。渡世の仁義……よく、勉強させてもらいますわ」

 私はおじさんが何を考えていたのかを、ようやく理解することができたような気がする。
 ただおじさんは、魔理沙に堅気として生きて欲しいと願っていただけなのだ。そうしてたぶん、おばさんも同じ考えだったんだろう。そんな二人だから、魔理沙が魔法使いになることも反対したし、勘当して家に帰ることも認めなかったのだ。そうして魔理沙は魔理沙で、普通の少女然として、平々凡々に生きることを潔しとはしない子だった。溌剌としたエネルギーが、どこか、新しい方向に、そうして興味をそそられる方向へと、魔理沙を導いたのだと思う。その向かうところが神秘であったことは、いかにも少女らしくはあるのだけれども。
 ただそれも、もはや過去のことになったのだ。子供だったころは神秘へと向かった魔理沙の気質は、大人になると社会へ……あるいは、人そのものへと向かうのだった。これからはきっと、魔術に見出した未知の発見を、生命の中に見出すのだと思う。そう思えば、ただ生きるという、それだけのことに勝る神秘はどこにもないのかも知れない。

 魔理沙は忙しい中、よく家に来てくれる。
 ほとんど毎日、来てくれている。

「よ、来たぜ。今日はイサキの昆布締め持って来たよ」
「ありがとう、魔理沙」
「大量だったみたいでさ。めちゃくちゃ安かったんだ、イサキ。その時々で、安い魚を入荷するってのはやっぱり基本なんだけど、それだと入荷が安定しないんだよね。そこが問題だよなぁ」

 何かを行おうとすると、新しい課題が次々に出てくる。そのために、なかなか実行までこぎつけないのが現実だ。しかしそれでも良いのだ。そうした過程が、より良いビジネスプランを形成することになるのだし、そうしてまた、魔理沙を成長させることにもなるのだ。

「しかし、ちょっと情けなくてさ。結局、衣玖さんに甘えてるようなもんなんだよね。衣玖さん、欲がないくせに、とんでもないお金持ちだから、お金の使い道が見つかってよかったくらいだって言ってくれるけど、う~ん……体裁が悪いぜ」

 魔理沙は運が良かったんだと思う。でもその幸運は、魔理沙の人格や努力が掴み取った幸運で、そういう意味では、やっぱり運も実力のうちなんだなと思う。

「問題は外の世界への輸出品なんだよな。今、二つ候補があってさ。一つは茸。昔から、雷の落ちた樹木には、たくさん茸が生えるって言うだろう? 衣玖さんと協力してさ、今実験してるんだ。後は、マツタケとかも、妖怪の山には普通に生えてるからな。妖怪たちからすると、味気のないマツタケよりは、シメジのほうが好みらしいし、肉厚なしいたけとかも好きらしいんだ。だから、私たちがシメジとマツタケを栽培して、妖怪のマツタケと交換して、それを輸出するわけさ。あとは、お酒だな。マタタビ酒とか、いいんじゃないかなって思ってね。他にも樹齢二百年や三百年の大木の根を漬けたお酒とか、トンでもない希少品で、高額で取引されるらしいしね。不老不死の妙薬として、外の人は飲んでいるらしいけど、妖怪たちは全然そんなのに興味がないだろう? だから、案外安く売ってくれると思うんだ。まぁ、問題は、紫が認めてくれるかだけどな」

 魔理沙の活力に触れると、私も元気がいっぱいになる。

「なんかさ。こう、いろいろな人に助けてもらって、大きなことをしようとしてるとさ。人間の本当の幸せっていうかな。そういうのを、感じてるような気がするぜ」

 魔理沙はとても、かっこよくなった。

「やっぱりさ。ダチにうまい飯を食わせてやる以上に、嬉しいときはないよな」
「いつもご馳走様です」
「メチャクチャうまいだろ?」
「メチャクチャうまいね」

 魔理沙は満面の笑みを浮かべて言った。

「これからだぜ。まだはじまってもいないんだからな」
 
 私はすっかり、あぁ、魔理沙にはかなわないなって思うようになった。でもそれは、不思議と嫌なことではなかった。劣等感じゃない、純粋な尊敬の念を、私は魔理沙に感じるのだ。

(うん。魔理沙。そうして私を引っ張っていって)

 私は魔理沙が、今まで以上に大好きになった。

「ねぇ、魔理沙」
「何だ、霊夢」
「私、魔理沙のこと大好きだよ」
「私も、大好きだぜ」

 きっと、この友情は永遠のものだって、私は信じることが出来る。そうして何か善良なものに信をおけるということが、きっと、生きる上で一番大事なことで、確かなことだと思う。そう。レミリアが、神を信じるように愛を信じろと言ったように、私は友情を信じるのだ。

「いろいろと食べてもらってさ。みんな、美味しいって言ってくれるんだ」
「うん」
「すっげぇ、嬉しい」

 その笑顔だけで私も幸せ。
 これからもよろしくね、魔理沙。
2013/11/24 修正しました。
道楽
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コメント



0.1420簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
結構魚のことについて詳しいんだけど、何かマリンスポーツとかやってたの?
4.100名前が無い程度の能力削除
道楽さんのレミリア節は、ホンマいつもキレッキレッやで!!
6.90奇声を発する程度の能力削除
中々面白かったです
7.90名前が無い程度の能力削除
いい話なんだけどところどころ草生えた 訴訟
作者は漁業関係者か何か?
8.100名前が無い程度の能力削除
なにこの作者さん・・・レベル高い・・・
11.100名前が無い程度の能力削除
内容もさることながら、知識の豊富さや文章の巧みさに圧倒されました。

誤字?報告です。
>「あぁ、金言がこんなに!! もう、勘当で涙が止まらなかったわ!!」
おそらく勘当→感動かと
12.100名前が無い程度の能力削除
面白かったよ
16.100名前が無い程度の能力削除
一気に読んでしまった。幸福な時間ですた!
19.100名前が無い程度の能力削除
多くの人が思い浮かべる
一般的な(?)幻想郷ではなかったと思います
香霖などは自分の中では少しだけ違和感がありました
でもなんていうんでしょう。うまく言葉にできませんが、
それらすべてを、読むうち自然に受け入れられるようになったのは
まさに道楽さんの技量とその幻想郷の懐の深さが理由に違いありません
満点です
20.90名前が無い程度の能力削除
えちにゃああああああああああああああああああああああんnnnnn!!!!!!!!!!!
22.90名前が無い程度の能力削除
素敵
23.100名前が無い程度の能力削除
道楽氏の独特な世界観が軽妙な文章とともに伝わってきて実にグレイト。
少女から徐々に大人になっていくその過程に戸惑い悩みながら親友の立場の激変と成長を介して少しずつ意識していく霊夢が新鮮でした。
そして相変わらずイケメンなレミリアが凄い
26.80名前が無い程度の能力削除
霊夢さんの心理描写の仕方がとても好きです。
社会を体験してない私がだからかもしれませんが。
商売について語ったり、魚の描写のしかただったりがとても好みなのですが、
一番は紅魔館の中身でした。
29.80r削除
私には何も連絡をよこさなかった。香林から教えてもらえなかったら、私、
→香霖

霊夢がちょー可愛い

32.100名前が無い程度の能力削除
う、うーん。素晴らしい出来のストーリーだと思います。素敵です。
が、この幻想郷、あまり好きになれませんでした。
何がダメなのか、つらつら考えてみるに、時代がかった価値観が嫌なのだと思います。

霧雨魔法店を人の里に出すのではダメなのかと、思ってしまいます。
魔理沙の魔法使い時代は、単なる少女時代のお遊びでしかないように書かれています。
が、幻想郷の魔法使いとして過ごしてきた人生を、単なるお遊びとして切り捨ててほしくはないという気持ちが自分の中にあります。
魔理沙が努力して身に着けてきた魔法を、すっぱり捨てて、堅気の人間として社会に回帰していくのが正しいとは私には思えませんでした。

 ですが、作品として見るならば、多少の誤字を除いて瑕疵は無いとおもいます。なので、100点を付けさせてもらいました
35.100名前が無い程度の能力削除
多方面に豊富な知識もすごいですが、何よりキャラクターの心情や行動に人生経験の裏打ちみたいなもの(多分、道楽さん自身の)が感じられて、個人的にもはっとさせられるというか、気付かされるような部分も多かったです。言葉や表現に据わりがあるというか…。
36.100パレット削除
 すごい。なんかもうすごすぎてすごいという以外に何も言えないくらいすごかったです。面白すぎる。
37.100保冷剤削除
困ったな……すごく面白い。
大人になるってなんだよ、という向き合うにいはちょいと痛い命題に、ベクトルは一緒でも複数の筋で回答を寄せています。言葉や文章にするといくらでも反証が出てきてしまうものですが、一定の信頼を寄せられるキャラクタに語らせることで余裕の回避を実現しているように見えます。直接人の役に立つ仕事ってのは楽しいです。魔理沙がしているのはそれです。それだけだと、社会とひとの関わりを描くには不十分です。多くの人間は間接的な作業と無為な創造に追われたりしてますから。しかし本作には(後半空気だったけど)テッサと越智にゃんがいて、それぞれ管理する立場から汚れ仕事の意義を語ることでバランスをとっています。うまい。魔理沙の豊富なアイディアはその少女時代に源泉があったのだと思うと成長物語に胸が熱くなりますな。魔理沙の胸は相変わらず薄いようですが。
良いものを読ませていただきました。ありがとうございました。
45.100完熟オレンジ削除
素晴らしい。特にレミリアが今まで読んできた中で一番ってくらい輝いてました。