地獄の沙汰も金次第って、言葉がある。
でも幻想郷じゃあ、そいつはあたいみたいな船頭に渡す船賃って意味合しかない。
あたいに袖の下を渡したところで、対岸につくのが少し早まる程度。
もし、その言葉を信じ込んで、閻魔様に金でも差し出したらどうなるか。
カツカツ……
あたいと同期のヤツの話じゃ、それで上手くやって転生までこぎつけたやつもいるらしいけど。
もちろん、そいつはどこかの外の世界の担当の体験談だ。
そんなぬるい部署の話を聞いてると羨ましくもなるけど、なんか違うとも思うんだよね。死神とか閻魔としてそれでいいのかーって。
まあ、あたいには言われたくないかも知れないが。
カツカツ……
ああ、賄賂の話だっけ。残念ながら、この稼業が長いあたいでも、まだそんな無謀なお馬鹿はみたことない。何せ、この部署から変わったことがないからね。だから興味はあるよ。怖いもの見たさって言うのかもしれない。
うちの四季様の裁判中に賄賂なんて差し出すヤツと、その後の運命ってヤツを。一度くらい見ても面白そうだ。
ははは、地獄行き程度で済むかねぇ?
カツカツ……
でもね、知ってるかい?
この世には船賃なしで、閻魔にすがる賄賂もいらないヤツがいるって話だ。
しかも転生さえ約束された人間がいるって言ったら、余所のヤツは度肝を抜くかもね。
超法規的措置、っていう単語で許される範囲を超えてる! な~んて、口をすっぱくしていうお偉いさんもいるからね、って、おっとっと。
なんて馬鹿なことを話しながら廊下を歩いてると、やっと。あたいの部署、幻想郷担当の事務室が見えてきた。
だからあたいはどうどうと、ノックせずに扉を開いて。
「四季様~、約束どおり連れてきましたよ~」
「……小町、最初に入るときくらい挨拶をしなさいといつも言っているでしょう!」
「あら、四季様いつもよりはりきっちゃって」
「誤解を招く発現は慎みなさい。私はいつもどおりあなたを注意したまでです」
「そうそう、あたいは四季様が凛々しく見えるように、注意させてあげたってことで」
「……はあ」
四季様がため息を吐いたと同時に、ころころと笑顔を見せながらあたいの後ろから1人の女性が歩み出る。
黒髪の、見るからに大和撫子といった風貌で、人形のように愛らしい姿のヤツ。
「うふふ、四季様も相変わらずですね。転生の儀の話し合いのときも、怒ってばかりでしたし」
「こほん、そのことは忘れるように! ほら、また小町のせいで恥ずかしいところを見られてしまいまったではありませんか。まったく……
ところで、こちらに来るまでの手続きは問題ありませんでしたか?」
「はい、書類手続きは何も。でも、小町さんに無銭乗船だと嫌味を言われてしまいましたが」
「こ~ま~ち~!」
「あれ~、あたいそんなこと言ったっけ? 憶えがないなぁ……って、無言で鏡を出すのはやめてくださいって、言いました! 言いましたってば!」
「まったく、あなたの世間話好きには困ったものです。余計なことまでぺらぺらと」
四季様は腕組みをしながら、いつも通りにあたいを細目で見上げてくる。そこにいつもほど強さを感じないのは、やっぱりこの稗田阿弥がいるからだろう。
稗田家、っていうのはね幻想郷の中で特別な家系でさ。
あたいがさっき言ってた、船賃がいらない唯一の客ってところだ。稗田家は幻想郷の歴史を管理するために、転生後も稗田という家系と能力を引き継ぐことを許されてる。まぁ、実際には能力だけ、だけどね。その他の記憶はポイっと。
そしてその役割の重要さゆえに、転生自体は約束されてて、その代わりに、死んだ後は100年ほどここで奉公するって決まり事があるわけだ。
ただね、これ最初は四季様も嫌がってたんだよ? あの八雲って妖怪に嫌々納得させられて。
『……わかりました。ただし、問題があればこの条項はすぐ破棄するものと思っていて下さい』
なーんて、強気でね。そんな四季様だったけど。
阿礼から連綿と継がれている能力。なんだっけ、一度見たものを忘れない程度の能力、だったかな。
それが事務仕事上どれだけ役に立つか、最初の転生で実感させられちゃったんだよね。悲しいことに。
だからさ、今はもう、稗田のいない約30年の仕事と、いる100年じゃあ、四季様の表情とか健康状態が全然違うんだよね。
胃薬の量とかも不思議と減ってるらしい。
『……私が定時に、帰れる。帰ることができるなんて』
そうやって涙を流していたのは、もはや生きる伝説だし。
それで、まんまと八雲さんの思惑に乗せられちゃったっていうわけだ。
「記憶にはありませんが、またよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ! さあ、小町の横の机があなたの仕事机です。皆とも協力して良い職場環境を創っていきましょう! 阿弥!」
「はい、それでは手始めこちらの書類を見せていただきますね。事務要領と一緒に」
よしよし、良い感じ。
いやぁ、さすがあたい。良いタイミングで連れてきたもんだ。
ちょうど仕事が溜まって四季様もイライラしてたしね。
さて、じゃあ私も船頭の仕事にもどるとしようか。
「あの、四季様」
「なんですか?」
「こちらの書類は、まだ確認してはいませんよね?」
「私の受付印が押してありませんから、届いたばかりといったところでしょうか。それが何か?」
「ええっと、それが……外から幻想郷に流れた死亡者の流転知らせがないとか……」
「……」
阿弥と四季様、出来の良い後輩と、働き者の先輩って感じで良い雰囲気だし、邪魔しちゃ悪いからねぇ~っと。
「転生予定リストにある魂がなかなか三途の川を渡ってこないとかいう……
全部、誰かさん宛の苦情で……」
「あー、なるほど~。そうでしたかぁ~。それは困った誰かさんですねぇ~、小町……
小町っ! どこに行ったのですか、小町~~~っ!」
あたいはそんな叫び声を廊下で聞きながら。
「退散~、退散~♪」
わざと川原に置いてきた鎌のところまで一気に距離をいじった。
そうやって、また、阿礼乙女がやってきた次の日から、四季様は本当に楽しそうに仕事をしているように見えた。
「阿弥、さきほど頼んでおいた調査資料は?」
「はい、できてます」
四季様って実は、自分が優秀だから気付いてないみたいだけど。
周りの事務員さんが処理できない速度で新しい裁判に必要な書類整理しようとするんだよね。浄瑠璃の鏡だけじゃ、わからないこともあるし。で、それが難しかったり、早すぎたりするから結局誰も支えることができず、四季様が自分で処理するって悪循環が生まれるわけだ有能過ぎるのも考えものだね。融通が利かないというのもあるのかな。あるだろうな。
ただだからこそ、それに付いていける阿弥が1人いるだけで、なんだろうね。歯車が、かちっと噛み合うっていうのかね?
船頭の仕事がないから事務所で書類を眺めてたわけだけど、空気が変わったのがあたいにもよくわかる。
「みんな、よく頑張ってくれました! 今日の処理案件はすべて片づきましたよ!」
幻想郷の魂とか寿命とか、業務で四季様の確認や承認が遅れて残業が当たり前の職場が、定時よりも前に暇になっちゃうんだよ。
しかも一時間前に!
こいつは驚くべき事態だ。石部金吉がそれを許すのだから相当だ。
って、ことはだよ? この余った1時間で明日の英気を養うために、ゆっくり眠ってみたり、お茶を啜ってみたりするのは、自由なわけだ。
それが本来あるべき職場のはずで、改めてあたいに与えられた権利に違いない。
「……皆は休憩を、私は小町とちょっとお話をしてきますので」
なのに、定時1時間までの天国が地獄になるとはこれいかに。
ふふ、しかしあたいにはそんな四季様に対抗できる能力があることをお忘れで……
「小町? 私の前で能力を使うことは……『黒』です」
あ、駄目だ。
これ、やばいコースだ。
ちょっとやそっとサボっただけじゃ、あたいが逃げるまで説教だったけど。
能力封じてまであたいを隣の倉庫(説教部屋)に連れて行くってことは……
定時までの1時間コースどころか……
「あ、あはは……四季様、そう言う冗談は、ちょっと」
徹夜って言葉が脳裏を掠めていく。
くそう、見るな。
みんなそんな目であたいを見るな。
地獄行きが決定した罪人を哀れむような目で、あたいを見るんじゃない!
「たーすーけーてー! これは明らかなパワーハラスメントであって~、あたいは正当な訴えを~~~」
「はいはい、こっち来ましょうね~、小町~」
ずりずりと、首根っこの当たりの服を掴まれて引っ張られていく。
そうして、あたいは……
地獄への扉を、四季様と一緒に開いて……
◇ ◇ ◇
想定外だったよ。
まさか、あんな行為を要求されるなんてね。
ちょっとやそっとの苦痛程度じゃ、瞳が濡れることのないあたいに……
四季様の言葉は深く、深く突き刺さって、
瞳を潤ませた……
そして、その夜。
小気味好い高い音が、ぶつけ合ったグラスから響くと同時に。
あたいの目の前で、四季様が表情を崩して。
「小町っ! お勤め千二百年おめでと~!」
四季様の大きな声が、四畳半の空間に響き渡った。
「い、いやぁ、この年で記念日って柄じゃないですってばぁ」
「こらっ! 何を言うのです! あなたと私が出会った日というのは、幾年月経とうともおめでたいことなのです! 人によってはただ年を重ねただけと嘆くものもいますが~! そんなものは言語道断! ですから、小町は私に祝われる義務があるろれす!」
あたいと四季様ってもうそんな付き合いになるのか。あの幻想郷の部署だともう、四季様とあたい以上の古株はいなくなっちゃったからね。それも当然か。
そんなことをしみじみと考えて、先に準備してあったお酒を口に運ぶ。
しかし、なんだろうね。なんかあたいが合流する前にもう出来上がっちゃってる感じだけど、まあ、その辺は気になるとしても、純粋に嬉しいよ。
あの部屋に連れて行かれたから。
てっきりエンドレスで説教が始まるものって、覚悟してたからね。
「……って、もう酔ってるでしょ、四季様?」
「酔ってません! 酔って見えるとすれば、小町が遅いのが原因です」
それはつまり認めてるということなのではなかろうかと。
というか、遅れてないよあたい。
「えー、四季様が夜七時に冥界東3丁目の居酒屋って言ったんじゃないですか」
「そういうときは先輩に気を使って、30分前に来ておくべきなのです!」
「じゃあ、あたいが先に来て、一足先に始めてもいいんですか?」
「小町は、私がいなくても……楽しくお酒が飲めるんですね……」
絡んできたと思ったら、今度は泣き上戸。
仕事ではあんなにてきぱきしてるのに、お酒が入るとだらしなくなるんだからねぇ。反動なのかねぇ。まあ、その変化も見てて楽しいんだけどさ。知らない人が見たらびっくりするだろうけど。
いやぁ、ホント畳の個室でよかったよ。仕切りっていうかフスマ付きだしね。
「あー、もう、だから違いますってば、あたいは四季様と一緒が楽しいですって? ね? ね?」
「ふふぅ~、そーでしょー、そーでしょー。あー、小町! まだグラスが減ってないではありませんかっ。駆け付け3杯は常識ですよ」
「あたいはほら、こっち。熱燗ですってば。もう二つ開けましたって」
「ふむ、それならばいいのですっ! それならばっ!」
って、お通しと一緒に出された水をお酒と勘違いするなんて、四季様相当回ってるねぇ。もう、目は据わってるし、正座は崩してるし。しゃべる度に頭を上下に揺らしてるし。
ちょっとだけ先に1人で飲んだって量じゃないよね、これ。
あたいが来てからまた酔いが加速してるみたいだけど。
「……もしかして、四季様? あたいが来る前に誰かと一緒に飲んでました?」
ま、ありえないけど、念のため聞いておいても良いかな。
だって、四季様って同性でも異性でも友好関係が極端に狭いからね。あたいより年上のはずなのに浮ついた話の欠片もない。
「ええ~、そーれすよー。飲んでましたよぉ」
はずなのに、四季様が笑顔で返してくる。
あたい以外の誰かと飲んでいたと。
飲んでいたと。
思わぬ言葉に面食らいながら、あたいは四季様もとうとう色気付いたというか。そう言う年頃なのかなってついつい思って。
「で、相手は誰です? やっぱり、十王のどなたかですか? それとも、一緒に裁判関係の事務してる同僚の男の人とか?」
ずりずりと、畳の上で膝を滑らせて四季様の横まで移動してみたけど。
「何を言ってるんです? 私が、男との人と、お酒なんて、飲むはずがないでしょう?
えっへん」
うん、四季様。
そこ、いい年で威張るとこじゃないです。可愛いけど。可愛いけど。
なーんて口に出して言えるはずもなく。
あたいはちょっとがっかりしながらも、ほっと安堵する自分に対して苦笑い。じゃあ誰ですかと問いかけながら自分の席に戻った。
「阿弥と~、簡単な食事をしていたのですよぉ。歓迎会も後日予定していますが、ほら、阿弥は働き者で~、ずいぶんと助かりまして~。その感謝をするべきかと~」
「……そこで、気持ちよくなって飲んじゃったと」
「そうですよ~、阿弥だってお酒を飲める年齢で死亡したわけですから、なんの問題もありません!」
「あはは、四季様らしい言い方ですよ」
笑いながら、酒を一気に煽って、ふうっと息を吐く。
そっか、なーるほどね。
あたいの記念日と、阿弥のを一緒に済ませたわけだ。
なんて卑屈に考えちまうのは、あたいの悪い癖だ。祝ってもらえるだけで、ありがたいって言うのにさ。何贅沢いってんだかね、あたいは。
「でも、初日からそんなにだらしない姿を見せて良かったんですか?」
「心配ありませんっ! 本格的に飲み始めたのは~、阿弥が帰った後ですっ!
小町なら~、別に~」
「うわぁ、信用されてるのか。飲んだ後の世話役にされてるだけなのか」
「あ~、こまちぃ~。私をしんよ~してないのですねぇ! いいでしょう、今日はゆっくりお説教してあげましゅ!」
ましゅ、って。
これはすぐ酔いつぶれて寝ちゃいそうだなと、思ってたら案の定。
あたいのすぐ横で仕事観を語るが早いか。
こつん、こつん。
って、瞼を上下させながら、あたいの肩に頭をぶつけ始める。
いつもはまだ平気な時間帯だっていうのに、どれだけペースを早めたのやら。
「これじゃあ、あたいの1人酒じゃないですか」
仕方ないから、今にも崩れ落ちそうな四季様を横にして、あたいのふとももの上に頭を置いてみた。
これなら二人で飲んでる風な気になれるし。
いつもと違った。だらしない寝顔を満喫出来て、ちょっと得した気分にもなれるからね。
それにしても四季様ったら、安心しきった寝顔しちゃって。
このままあたいが太ももを引いたら、頭ゴンですよ?
「あ、状況を掴めないままおろおろする四季様も可愛いかも」
うん、役得役得。
それでも、あたいは作戦を実行することもなく。
静かに四半刻ほど、酒を傾けた。
こんな豊かな一人酒なら、悪くはない。
静かに息を繰り返す桃色の唇に小指を触れさせてみたり、
無防備なおでこを撫でたりしながら。
◇ ◇ ◇
「有意義な職場というのは、実に素晴らしいものですね」
と、四季様が余裕ある生活を送り始めて、はや20年。
阿弥もずいぶんと職場に馴染んできた。というか、普通に人間として生きていれば、古株扱いされる年数だしねぇ。人の一生は短いねぇ。
さて、そして今年もやってきました新入死神登場の季節。部署変更や新配属でやってきた新人は、ある部署だけは行くまいと心に誓う。それがこの、幻想郷担当ってわけ。一度言ったかもしれないけど、やっぱり種族が入り乱れてるから寿命計算とか運命察知とか面倒なんだこれが。裁判に必要な書類も必然的に増える。だから命令書渡された時点で、ある三文字が入ってるとがっくり肩を落とすんだよ、これがね。
加えて今は阿弥って人間が働いているから、嫌悪感を示す奴も多いんだけど。
「先輩! この書類の数字確認お願いします」
「……はい、大丈夫ですよ。あってます」
「さすがです! ありがとうございました!」
数週間もするとほら、このとおり。事務仕事での圧倒的な戦力差を見せつけられ、今では良い後輩に落ち着いていた。
「ふふーん、あたいを頼ってもいいんだよ?」
「……えっと、小町先輩は……ちょっと」
そして、この差である。
種族としての身体能力差が、事務仕事での差にならないことを噛み締めているあたいであった。
机がお隣さんだっていうのにねぇ。
やる気なくなっちゃうよね~。こうなったら、こう、机に両腕を預けながら腕を組んで、その上に頭を乗っけてみるという行為しかできなくなって。
ぺちん。
「あいたっ」
机に突っ伏す姿勢になっていたあたいの後頭部に、誰かさんのチョップが振り下ろされる。もちろん、この部署で一番古株のあたいに気軽に手を出す人は1人しかいないけどね。
能力的にはもっと上の部署に行っていいはずなのに、嫌がるこの部署に居続ける変わり者。
「こら、休んでないで小町はさっさと今日分の報告書を出せばいいのです」
ま、あたいに言われたくはないだろうけど。
今日の分の魂を運び終わったから、事務所でのんびりしようと思ったのにね。それに、今日のあたいは一味違う。
「もう出し終わりました」
「え?」
「出し終わりました」
「そ、そうなの、ですか? 本当ですか、阿弥」
なんでそっちに確認するかねぇって。困った顔で笑いながら少しだけ顔を起こすと、横にいた阿弥もうんうんっと頷いている。
「最近は、仕事が終わったらすぐ提出していますよ。私に直接渡す形で」
そう、阿弥がつぶやいた瞬間。
事務所の半数の人間が窓に殺到するってどういうことだい? 天気の確認をするんじゃないよ。晴れだよ。一日晴天だよ。
どんな嫌がらせだい、まったく。
うん、四季様も何気なく移動してるしさ。
「……大丈夫でした、小町。槍や隕石は落ちて来る様子はありません。
見事な快晴です」
存じております。
冥界で槍とか隕石ってどんなラグナロクですか。
「ふーん、あたいってば、頑張っても四季様にそういう扱いされるんですね~、へ~」
「ああ、こ、小町! 違うんですよ。これはそう、集団的心理というか、条件反射というか。ですから、小町のがんばりはちゃんと私の胸に響いていますとも!」
そんなこと、ないはずなんだけどねぇ。
阿弥を通してちゃんと、書類は四季様の所に届いてるはずだし、ここしばらくは期限を破ったこともない。
でも、そんな当たり前のことを繰り返しても、四季様の中のイメージは変わらないんだろうねぇ。悔しいというか、あたいの自業自得というか。
元来当然のことだけに目に止まりにくいのかな。それ言ったら元も子もないんだけど。
でも、部下は褒められたいもんなんだよねぇ。だから……
「そーですかねー、ふふーん、最近は飲みのお誘いもさっぱりですしー」
あたいは拗ねる。
文句を言えた義理でもないのは判ってるけど、子供っぽいのもわかってるけど、それでもやらずにはいられなかった。
そして、これが四季様には有効だってこともわかってる。
ほら、落ちつきなくなってそわそわし始めた。
「そ、そんなことありませんよ。最近は早く帰れることも多くなりましたし、あまり長い時間こちらにいられない阿弥に他の部署の方々を紹介したり、ということもありまして……」
慌てて言い訳して、取り繕うとするのも見ていて微笑ましいんだけど。
その理由の中にね、やっぱり阿弥がいる。
たった20年しか……
いや、違うか。
きっと四季様の中では、先の七代を入れて……約720年。
あたいに次いでつきあいの長い、親しい友人。それが四季様にとっても阿礼乙女。それはあたいにとっても言えることだろうけど。
「ですから、今日は、飲みましょう? ね? 阿弥と私と、小町で、楽しく飲み語ろうではありませんか!」
「いいですね~、それ。と、いいたいところですけどね。実は、あたいは別な約束が入っちゃってるので、阿弥と一緒にどうぞ」
「そう、ですか? では阿弥、今夜どうです?」
「ええ、構いませんが……」
もちろん、予定があるなんて嘘。
四季様ってば、こういう部下の穴埋めの仕方って下手なんだよね。あたいが誘ったのは二人で飲みましょうってことなのにさ。
そしてそれを理解した上で、阿弥はあたいの顔色を伺ってるのかもしれないけど、お人好しだよ、相変わらず。先代とそっくりだ。
だから、嫌になる。
「あ、じゃあ、定時なんでお先しつれいしま~す」
だって、あたいが悪者みたいじゃないか。
聞き分けのない、天の邪鬼みたいでさ。
言いたいことの言えない、子供みたいでさ。
だからあたいは逃げるように事務所から出て、能力を使った。
今は1人で、できるだけ寂しく飲みたい気分だった。
四季様と、阿弥。
二人から少しでも離れた飲み屋に行けるように。
◇ ◇ ◇
あたいは死神に向いてない。
あたいを良く知るヤツも、
良く知らないヤツも、口を揃えてそう言ってくれる。
たぶんそいつは大当たりだ。
あたいみたいな鎌持ちの死神は、普通は船頭なんてやらないし、ましてや事務仕事なんてホントに遊び程度しかやらない。こういう鎌を持つ奴は、ほんとならスパースパーってさ、魂を刈り取ったりするのが主な業務だからね。
え? じゃあなんであたいがこれを持ってるかって?
そりゃあ、アレだよ。鎌持ちになってれば、多少素行が悪くても辞めさせられることがないって聞いたからさ。
……って答えることにしてる。そう答えた方があたいらしいからね。
だからあたいは、運ぶ魂がそんなに多くなくて、人里にさぼ……ちょっとした休憩に行っても許容してもらえる今の職場が最高だって思ってるよ。
他人からの評価は言うまでもなく、最悪だろうけど。
だから、さ。
誰もが嫌がるこの幻想郷部署から外れられない。
いや、外れないように、できるんだ。
『こら、小町!』
あたいと真逆の、真面目な四季様の怒鳴り声を聞きながら、毎日過ごすのが楽しくなったってのもあるかね。真逆過ぎて此処から離れないあの人といるのは、なんとも面白みがある。
それにさ、さぼって外の世界を歩き回って、いろんな人間をちょいとばかし見過ぎている。鎌を振るにはさ、人の気持ちがわかっちまうことと、それに対する情ってのが邪魔なんだ。
今となっちゃ、この鎌はただの客受けの道具さ。死神が鎌持ってると、喜ぶ死人が多いったらないね。死んじまってるから、気楽なもんさ。
そんな風でいい。だからあたいは、そんな不真面目で不出来な船頭でちょうどいい……
ってなことを、あたいなりに考えてたりするんだけどね。それは内緒。
まあ、何はともあれ机にも勝手お仕事だ、と。
「阿弥さん、こっちの書類明日までにお願いできます?」
「ええ、おまかせください」
隣でてきぱきと仕事をしてる阿弥は、阿礼乙女って立場上、四季様と必ず近い立場になる。あたいが別に気にすることでもない。いままでもそうやって割り切って、あの世にやってきても普段通り過ごしてたんだけどさ。
「小町さ~ん、明日こっちの書類を手伝って貰って良いですか?」
「はいはーい、まかせときな~」
こんな感じでね。
なんだろう、つまんない対抗心っていうのかな。
書類整理に戻ってくるたびに、四季様と阿弥が仲良くしてるのを見てたら、なんか、さ。ちょっともやもやしてね。
よくわからないうちに、仕事をするようになってた。
それを長く続けてみたら、四季様もあたいの方を気にするようになってくれて。
「最近は、小町もがんばっていますね! 私も鼻が高いです。
ああ、そうです、久しぶりに地上に説法をしにいきましょうか」
悪い気はしないけど、なんか自分の中で納得出来てない。あたい自身で動くんじゃなくて、動かされてる感覚っていうのかな。
でもそれを認めたくないって、心のどっかが叫んでる。あたいはそんなんじゃないって、見えないとこで震えてる。
だけど、否定して働くのをやめたらまた、離れていく気がしてさ。言葉にはできなくてさ。
「小町? まだ、何か仕事をする予定だったのですか? それならば無理にとはいいませんが……」
「何を言ってるんですか~、四季様。あたいが四季様のお誘いを断るわけないじゃないですか、嫌だなぁ」
「ふむふむ、それならばいいのです。では小町、準備をお願いします」
ちょっとしたことで困った顔をしたり、ほっとした顔で笑ったり。
そんな四季様の表情を見てるだけで、さっきの疑問が薄れるってことは……
やっぱり、そういうことなんだろうけどね。
でも、今はそんな感情を確認するより、幻想郷に出るのが大事。
あたいは後ろの壁に掛けとておいた鎌を持って、急いで四季様の後を追って廊下に出た。そしたら廊下の少し先で四季様が背中を向けて止まっていて。
「ああ、そうです小町。最近頑張っているあなたに良いお知らせがあるかもしれませんよ? とびっきりのね」
まるで、少女に戻ったときのように楽しそうに笑うもんだから。
一瞬、ドキッとするくらい眩しい表情をみせるもんだから。
あたい、本当に期待しちゃいますよ?
「へぇ~、そうですか。いやぁ、楽しみですね~」
「またそんな気のない返事を……、おどろいて気絶してもしりませんからね」
でもね、あたいはそうやって返すしかできないんだよ。
素直じゃないって?
自分が一番良く知ってるさ。
でもね、それ以上にさ。
その言葉を信じて、喜んで。
その四季様にとって喜ばしいことってヤツが、あたいにとって一番望んでいないものだったとしたら。
あたいが一番、嫌だって思うものだったら……
素直に喜ぶのが、怖くて溜まらないんだよ。
◇ ◇ ◇
それから数週間後。
阿弥がここに来てから、70年くらい経つんだけど、それはまあ関係ないとして。
四季様がほのめかしていた『何か』があるならこの日だろうなって、あたいは思ってた。
朝からみんなそわそわしてるし、隣の阿弥なんて、あたいが川原に出かける前に。
「あの、何時に戻ります? お昼にもいったん戻ったりします?」
なんてしつこく聞くもんだから、何かを隠してることが丸わかりさ。
だって、この日は忘れようにも忘れられない
だからあたいは能力を使って一気に部屋まで戻るんじゃなくて。夕方近くの時間帯を選んで川原から戻り、廊下をゆっくりと歩いて、意を決して入り口を開いた。
そしたらさ。なんだろうね、
ぱんっ! ぱんぱんっ!
っていう音だけのクラッカーがいくつも、いくつも鳴り響いたんだよ。
あたいがびっくりして身を引いたら、今度はみんな声を揃えて。
『小町(さん)! ●●百才のお誕生日おめでとう!!』
その声に続けて、割れんばかりの拍手が起こった。
祝って貰ってる。
うん、盛大に祝ってくれてるはずだとは思うんだけど。
おもいっきり●●部分をぼかすという、何この嫌がらせ。
まあ、確かに遊び心を何か間違ってる四季様らしいけど……
……まあ、ふふ、どこか抜けてたほうがあたいの誕生日って感じでいいかな。
「いやぁ、照れるねぇ。確かにキリの良い年齢になっちゃったもんだ」
しかもご丁寧に机の上に手のひらサイズのケーキまで置かれてるよ。
なんか子供の時のこと思い出しちゃうね。
「……地上では年齢の数だけろうそくを立てるという風習だったのでそれを実行しようとしたのですが、ハリネズミになっても余りが出過ぎたため、予備のケーキを出しました」
「四季様って、意外とそういうとこ抜けてますよね」
いつのまにかあたいの横に回り込んで、どうだと言わんばかりに胸をはってくる四季様。
たしかにあたいたちの部署では100年単位での誕生日がきたら、部署全体で祝うっていう風習があるけどさ。
自分の番がやってくると、やっぱり気恥ずかしいもんだ。なんとも、照れる。
「さあさあ、皆。小町の誕生祝いも終わりましたので、残り時間を有意義に使ってください」
ただ、夕方だから仕事も大体終わってる。
それに誰かの誕生日の後に仕事っていう気もしないからね。みんな自分の机に戻って、お茶とかコーヒーを楽しんでる。
まあ、あたいだけはそこにケーキが加わってるわけだけど。
四季様が準備してくれたんなら遠慮なく食べちゃおうかと、思ってちょっと皿を動かしたら。
「ん?」
その下に何か封筒があった。
あたいがそれを不思議そうに眺めてたら。
横から声がした。
「あー、なんですかーそれー、いつのまにー」
うん、阿弥、がんばったのはわかる。
慣れない演技を誰にしろって言われたかは大体わかるけど。
とはいえ、棒読みにも程があるだろう?
「ほんとーですねー! だれがこのようなー!」
そうか、演技指導者の方が大根役者だったのか。
阿弥とは反対側から聞こえてきた声に反応して顔を動かせば、やはり四季様があたいの横から覗いてた。
二人ともあたいの持ってる茶色い封筒に釘付けだから間違いない。
だから、しばらく動きを止めてたら。
「……」
「……小町」
なんか四季様から攻めるみたいな口調で怒られた。
どうやらたった一回の台詞の台本しかなかったようである。
そんな二人の態度がおもしろくて、あたいは笑うのを耐えながら封を切った
どうせ、飲み屋の無料券くらいしか入ってないんだろうなって思ったからね。
そしたらさ、
『辞令』
なんだろう。
見慣れない二文字がね、あたいの視界に飛び込んできて。
『小野塚小町を、現世西部担当の魂狩(補)に任命する』
……は?
「小町! やったじゃないですか! あなたが心を入れ替えて働いたのが、認められたんですよ!」
……いえ、四季様?
「凄いですよ! 現世担当の魂狩って一番人気じゃないですか! 特殊能力持ってる人間がほとんどいないから、危険も少ないって!」
……阿弥も、何を言ってるんだい?
そうだよ、幻想郷や天界と違って、そういう人の魂を刈るのにリスクなんてない。だから楽もできるし、鎌も振れる。
そういう人気の職場だって、あたいもわかってるさ。
あたいもそういうところへ一番に配属させられてたら、喜んでたかもしれない。
でも、違うんだよ。
「あたいが……なんで……」
でもね、あたいはもうそういう出世なんかに興味なんて。
あたいが頑張ってたのは、そういうのから懸け離れた理由でしかないんだよ。だから、そんな誰かに認められたくはないんだよ。
一番身近にいた誰かに、認めて欲しいってそういう気持ちだけだったんだよ。
それなのに、四季様はおめでとう、なんて言う。
阿弥と一緒に口裏を合わせて。
これじゃ、二人があたいに……
「……すみません、ちょっと、出ます」
「え、小町? どこに……、小町!」
出ていけって、行ってるみたいじゃないですか……四季様。
堪えられず、鎌を持って、駆け出した。
「小町っ!」
追いかけようとする四季様に、くしゃくしゃに丸めた辞令の紙を投げつけて。
◇ ◇ ◇
三途の川のへりで、あたいはごろんっと寝ころんだ。
背中に丸い石が当たって痛いけど、傷みで気が紛れるだけ、ましだった。
「四季様は本当に馬鹿ですねぇ。あたいのどこをみたら、出世の二文字が出てくるっていうんですか……」
暗くなっただけで星すら出ていない。
ちょうど昼と夜の合間の黄昏時だから一番星の一つくらい顔を見せても良いくらいなのに、まだ空には灯り一つない。
まるで、あたいの心の中みたいだな、なんて言ったら。笑われるかな。
なんて柄にもなく落ち込んでたらさ。砂利や石が擦れる音が聞こえてきて。
「はぁ……はぁ……、小町さん!」
続いて、阿弥の声がした。
息を切らしてるから、きっとあたいを追いかけてきたんだろうね。
「よかったー、四季様が、もう誕生日の宴会場予約してるから、7時までには来なさいって」
こういうときに、追いかけてくれたら。素直にありがたいって思わないといけないのに、あたいはまだどこかで拗ねてるみたいだ。
息を切らせている阿弥が寝ころぶあたいを覗き込んでくる。それを見てるだけで、またもやもやが溢れてくる。
なんで、四季様が来てくれないんだって。
「えと、すみません……、四季様、さっきの辞令を……、取り消してもらいにいったから」
「……そっか」
朴念仁の四季様が私の気持ちに気付いたことが驚きだった。いや、誤解し様もないほど、恥ずかしいことに、あたいの顔には不満が出てたに違いない。
めそめそしてる姿、四季様の期待と違う姿、見せたくなくて逃げたんだけどなぁ。
「わるかったよ。せっかく祝ってもらえたのにさ」
「こっちこそ、小町さんの気持ちを考えずに……、騒いじゃって。駄目ですね、生きていた時間よりもこっちにいる時間が長いから、まるで最初から冥界の住人でいるみたいな気になって。みんなのこと、わかってる気になって」
あたいの横に腰を下ろした、阿弥が『いたっ』と声を漏らした。
石の上に座ればそうなるのが当たり前なのにさ、本当にお節介な子だ。
「でも、四季様言ってました。小町さんって最初は、その鎌の扱いを期待されて幻想郷に来たって。能力を持った相手でも簡単に刈れる可能性がある死神だったから、配属されたと」
「あーあ、四季様、口軽いんですねぇ、お固いくせに。そういうことまで話しちゃうなんて。
それじゃあ仕方ないねぇ。まだ時間も少しあるし、阿弥にはあたいにもちょっと付き合って貰おうかなぁ~、な~んてね」
もう、なんかもやもやをぶつけなきゃ収まらない。ごめんとか、心の中で口にしながら。
自分でもよくわからない気持ちのまま、あたいは口を開く。
阿弥が聞いたとおりなんだよね。あたいってば最初は期待されてた。
だから、精一杯がんばってたつもりさ。
死神は魂を刈ってればいい。あたいもその教えを忠実に守って、がんばってたさ。でもね、五月病っていうのかい。段々と、何か空しさを感じてきた。
それを四季様に相談したら……
「あの人が悪いんだよ。あたいを無理矢理連れて、幻想郷中にお説教をしにいくから」
他の世界にはない。
人間と妖怪がはっきり見える世界。
それでいて、微妙なバランスでその存在を尊重し合う。キラキラした世界。そんな世界に生きる妖怪や人間たちのところにわざわざ出向いて、四季様は怒るんだよ。
もうちょっとこうやって生きろ、とか。いまのままじゃ地獄行くぞって。押し付けがましく、お節介に。だけど、そいつのいままで過ごした人生を、たぶん親兄弟より親身に考えて語りながら。
「そしたらさ、知らない間に。『こまっちゃ~ん』なぁ~んて、人里歩いてたら団子を貰えるくらい仲が良い人間もできちゃってね。
段々と、人里とかあっちの世界にいくのが楽しみになって。
でもさ、やっぱり仕事って定期的に入ってくるだろう。仕方ないなって割り切って鎌を持とうとしたらさ、手に力が入らなかった」
あのときは、ホントにびっくりしたね。
その前までは、人間でも妖怪でも普通に刈り取ってたのにさ……はは、ちょっと状況が変わっただけで、あたいはどこかが壊れちゃったんだ。
「何度持とうとしても、鎌がさ、勝手に手からこぼれ落ちて床に転がるんだよ。
あたいの様子がおかしいことに気が付いた四季様が、なんとかしようと手伝ってくれたけど、はは、どうにもね。駄目だったよ。
小野塚小町って死神はね。いつのまにやら鎌すら持てない怠け者になってたんだ。遊戯とか稽古では振れるけど、本番というか、命のある誰かと向き合った時に、体が一歩も動いてくれないでくの坊になっちまった」
「小町さん……」
はは。雑談だよ。そんな顔はしないでくれ。
「笑えるだろ? 見聞を広めるために、四季様があたいに世界を教えてくれた。でも親身に育てられたのにさ、出来上がったの役立たずのポンコツで」
「違いますっ!!」
自虐気味に笑ってたら、いきなり耳元で叫ばれた。
慌てて肘を突いて、少し身体を起こしたら。ちょっと瞳を潤ませて、興奮した様子の阿弥がそこにいた。
「確かに、小町さんは……人よりも不真面目かもしれないし……優しいから、そう言う魂を刈る仕事に向いてなかったのかも知れません……
でも! 役立たずとか! そういうのを自分で言うのはおかしいです!」
「……でも、他のところの死神に聞いてみなよ、あたいがどんなヤツかくらい」
「他の死神なんて知りません!
数十年間、一緒に働いた私は役立たずなんて思いません!
誰に言われたって、思ってなんかあげませんから!
小町さんは、幻想郷担当の部署の一員だって。立派な死に神だって、私は私の思う様に言いふらしますから!」
あのねぇ、阿弥。
あたいのことなんてあんたに関係ないだろう?
あたいってば、少し前まで、あんたに嫉妬してたんだよ。四季様を取られるかも知れないなんて、子供じみた理由でさ。
「……まったく」
なのに、なんでそんな必死に否定しようとするんだよ。
あたいがもうどうでもいいって言ってるのに、なんでそんなお節介なんだよ。
……お陰様でほら、嫌なことを思い出しちゃったじゃないか。
あたいが鎌を振れなくなって、辞表っていうかそういうのを初めて書いた時……
あの時だけだったかな。四季様が、あたいを本気で殴ったのは。
『死神が鎌を振れないくらいで、何が悪しというのです!』
殴られたあたいがぽかーんとしてたらさ、殴った方が号泣しちゃって。
私の責任だから、小町は悪くないとか。おかしなことを叫び続けて。
なんで泣きたいあたいの代わりに、この人が泣いちゃってるのか、わかんなくて……
あの後、あたいも確か、泣いちゃったんじゃなかったかな。
ほんともう、嫌な思い出だよ……
「四季様もきっと、小町さんのこと頼れる死神だって思ってます! 知ってますか。四季様って、小町さんが居ない時、あなたのことばかり話すんですよ。羨ましいなって思うくらい、嬉しそうに話すんですよ。そしてこの前から、最近頑張ってる小町さんを労おうと頑張ってました。今なら、そして今までと違う環境なら、また鎌を振れるかもしれないって、そう思ったんじゃないかなって、思います。
……だから! だから小町さんは!」
なんなんだろう。なんでだろうね。
反発して、反論して、逃げ出しちまいそうな言葉なのに、あたいは阿弥の言葉を受け入れようかなって考えてる気がする。
いや、違うか。
あたい自身が受け入れたがってるんだ。
甘えんぼのあたいが、その言葉にすがりたがってる。
……はは。だってまるで、四季様みたいなんだもんさ。
「阿弥。そろそろ時間になるしさ、宴会に行こうか」
「……え。あ、本当、ですか」
面食らった阿弥の顔に、少しだけ笑いそうになった。
はぁ。気まずいのは気まずいんだけど……でも、逃げる気はなくなっちゃったし。明日から気持ち良く仕事をするには、今行かないと、だしね。
「もちろん、こまっちゃんは嘘を吐かない優しい死神だからね」
夜空を見上げたら、いつの間にか星が浮かび上がっていた。
一番星と……それに、少し離れて二つ。
ちょっと微妙な距離だけど、仲良さそうに光ってる。
「……で、阿弥? 今の時間はわかる?」
「おまかせください。星がいくつかうっすら見えれば……」
あたいが身体を起こすと、待ってましたと言わんばかりに阿弥が空を見上げて。
ぴたっと止まった。
「……えーっと、6時56分40秒くらい」
そして、気まずそうに正確な時間をつぶやいた。
……にしてもえらい正確というか、細かいというか……そういうくそ真面目なところも、くく、少し似てるのかもね。
「場所は?」
「……えーっと、ここから歩いて30分ほどの、冥養庵ってお店で」
なーるほど、それで大遅刻だって思った訳か。
まったく、大事なところが抜けてるのまで四季様と一緒だね。
「ほら」
「え?」
「ほら、手」
あたいが右手を差し出したら、良くわからない様子で阿弥も右手を出してくる。
だからあたいは苦笑しながら。
「その程度の距離なら、あたいの間合いだよ」
一瞬のうちに、川原から店までの距離をいじってやる。
宴会の席で、空席を見つめながら不安そうに座っているであろう、あたいの大切な閻魔様の姿を思い浮かべながら。
◇ ◇ ◇
冥界と天界、そして幻想郷を繋ぐ。
光の鱗粉が舞うような転生への架け橋。
その入り口にあたいたちはいた。
「未練がないって言ったら嘘になりそうなので、別のことを言おうと思うのですが……こういうとき、どんな挨拶をしていいか困りますね」
「どうせまた戻ってくるんだから行ってきますでいいんじゃないかねぇ」
「でも、きっと戻ってくるときは別人ですよ?」
能力と魂は引き継いで、でも、記憶は残らない。
阿弥はきっと、そのことで悩んでいたのだろう。もうここには戻れないから、それが未練だって。
あたいだってそうさ。もうちょっと素直になって阿弥を受け入れてれば、ね。四季様と三人でもうちょっと楽しいことがあったかもしれないって思うよ。
最後の30年だけなんてもったいなさ過ぎたかな。それ以前も悪くはなかったけど、打ち解けるまで70年は掛かり過ぎたよ。
でも、過ぎちまったものはしょうがない。その距離は、あたいには操れない。
「阿弥がいないとまた寂しくなります。私の業務もまた溜まり始めるでしょうし」
「四季様は私以外の人への仕事の振り方を工夫した方が良いかも知れませんね」
「……む、そういうものでしょうか」
おお、最後だからってなかなかおもいきったこと言ってくれるね。やぁ、ありがたい。
あたいもその方が良いと思ってたけど、さぼり常習犯のあたいが言っても嫌味にしかならないだろうしさ。真面目に取り合ってくれるか怪しい。
そんな四季様が眉間のしわを解いて顔を上げたとき、阿弥はやっと最後に交わすべき挨拶を見つけたように見えた。
「では、月並みかも知れませんが……」
軽く、頭を下げて、静かに。
「ありがとうございました」
重くて、優しくて……ちょっと悲しい、離別の言葉。
「こちらこそ」
「こちらも感謝しています。ありがとう、阿弥」
あたいたちも、それに習う形で頭を下げる。
寂しくなるけどさ、これ以上あたいが引き留めても別れが辛くなるだけだし。
「……四季様」
「ええ、待機して貰っている死神を呼びますね」
今、阿弥が冥界で活動出来ているのは、現世と同じ入れ物。肉体があるからだ。だからもう一度、鎌で魂を刈り取って、魂だけを転生の流れに乗せてあげなきゃいけない。
それはちゃんと阿弥にも説明した。
確かに切るには違いないけど、精神だけを切るから傷みはない。
熟練の死神がやってくれるから失敗しないって。
「はは。何度も死んでるはずですが、やっぱり、怖いものですね」
それでも、やっぱり。理解出来ないものを恐怖してしまうのは当たり前だ。
現界で死んで、冥界でも死ねと言っているようなものなんだから。
それでも阿弥は、指先を震えさせながら、笑顔であたいをまっすぐ見て。
「でも、きっと。小町さんがやってくれるなら……怖くないと思います」
……はぁ?
「っ!? だ、駄目です! いけません、阿弥!」
四季様が慌て出した。
そりゃあ、そうさ。そうだよね。
生きてる肉体から魂を奪うのは、昨日今日鎌を持った初心者でも簡単にできる。
でもね、その魂を冥界用の入れ物に入れて定着させた場合。それを綺麗に断ち切るにはそれなりの技術が必要になる。なにせ、ふわふわしてる魂をがっちり押さえ込む容器なんだから。
もちろん、死神を養成する学校みたいな所でもそれは教えて貰える。例外的な行為として。
けどね……
「冥界で転生の儀を行う場合、何年も魂狩を経験したものでなければ事故が起こりかねないのです。ですから、小町は……」
魂を刈らなくなってから、果たして幾百年。刈っていた時間より遥かに長い間、私は一度も鎌を振ってはいない。
そんなあたいを気にして、四季様は戸惑ってる。
迷うってことは、内心ではやらせてみたいって思ってるんだろうね。あんな辞令を、喜んで持ってきたくらいだから。
でも、それでもしあたいが失敗したら。親しくなった阿弥の魂を使った儀式で、万が一のことがあったら。そうしたら今度こそあたいが立ち直れなくなるんじゃないかって、四季様は心配してるんだろうな。
……そんな風に気に掛けられたら、頑張ってみたくなるってもんさ。
「四季様。もし、業務規定上問題がないのなら……ここはさ、あたいにやらせて貰えませんかね」
「なっ、小町までそのような! ですから、これは、普通の作業より……規定上、問題はないですが……ですが!」
「あたいは、四季様の下で。普通の人間と比較にならない妖怪を、何体も刈ってきた死神ですよ?」
「……それはずっと昔の!」
「四季様は、小野塚小町には……できないと思いますか?」
「……」
精神体である妖怪の魂を刈る。
そのデリケートな作業の方が、転生の儀よりも難易度が高い。
あたいはそれを、繰り返した。繰り返し続けた。
その感触は、まだちゃんと手に残ってる。
振れなかっただけで、これでも、あたいの中で死神の誇りはちゃんと生きてるんですよ。知ってましたか、四季様。
「あたいは自信があります。そのあたいを、四季様は信じてくれますか?」
「馬鹿なことをいうものではありません!」
四季様は首を縦に振らない。
でも、四季様は否定もしていない。ただ、迷っているだけ。
張り詰めた緊張感の中で、あたいと阿弥はただ四季様の言葉を待ち続けた。
やがて四季様は、ぷいって背中を向けて……
「……いつも信じているに、決まっているじゃありませんか」
……ありがとうございます。
やっぱり、四季様の下で働けてよかった。四季様の下に居続けられて良かった。
本当に……良かった。
「こら! 何を惚けているんですか!
四季映姫・ヤマザナドゥの名において命じます!」
もう一度、あたいの方に振り返った四季様に、暖かい表情は残っていなかった。
厳格で、くそ真面目で、堅物の、優しい閻魔として。
そして、小野塚小町という名の部下に命令を下す。
これが、あたいの尊敬する四季様の姿だ。
「小野塚小町! 命じます、転生の儀を成功させなさい!」
「はいっ! この名と、この鎌にかけて!」
不思議だった。
一番最初に、刈るべき妖怪を見つけたときの、あの緊張感と、鎌と腕が一体となる感覚、それが蘇ってきて、あたい身体は自然に動いていた。
入れ物と阿弥の魂とを分かつために、どこをどう切ればいいか。
それを頭で考えなくても、体が勝手に動いていく。
鎌を振る恐怖なんて、心のどこにも見当たらなかった。
夢中になって構えて、全身全霊を込めて、2度、3度、
我に返って、気が付けばあたいの前には……
『……やっぱり小町さんは……立派な死神じゃないですか』
半透明になった阿弥がいた。
魂だけとなり、あとは転生の道に流れていくだけ。既に人の形は崩れ掛けている。こうなれば、もう長くは人の形を保つことはできないだろう。
でも、阿弥は必死でそれに抗うようにして、鎌を振り下ろした体勢で固まるあたいに近寄ってきて。
「――」
本当に、小さな声で囁いた。ほんの、些細なわがままを。
きっと今のは、四季様にも聞き取ることはできなかっただろう。
でも、その阿弥の願いは、あたいの一存で決められるものじゃないんだけどなぁ。
……でも。
「ああ、首を洗ってまっといで」
満ち足りた顔で消えていく阿弥の姿を見送りながら、あたいはしっかりと阿弥との約束を結んだ。
まかせときなよ。
今はまだ頼りないかも知れないけど、もうちょっと頑張って、もうちょっとマシにはなるからさ。
だから、あんたも生まれ変わってしっかり生きておくれよ。
あんたが役目を果たしたら、あたいも約束守るから。
九代目は、あたいが上手に終わらせてみせるからね。
でも幻想郷じゃあ、そいつはあたいみたいな船頭に渡す船賃って意味合しかない。
あたいに袖の下を渡したところで、対岸につくのが少し早まる程度。
もし、その言葉を信じ込んで、閻魔様に金でも差し出したらどうなるか。
カツカツ……
あたいと同期のヤツの話じゃ、それで上手くやって転生までこぎつけたやつもいるらしいけど。
もちろん、そいつはどこかの外の世界の担当の体験談だ。
そんなぬるい部署の話を聞いてると羨ましくもなるけど、なんか違うとも思うんだよね。死神とか閻魔としてそれでいいのかーって。
まあ、あたいには言われたくないかも知れないが。
カツカツ……
ああ、賄賂の話だっけ。残念ながら、この稼業が長いあたいでも、まだそんな無謀なお馬鹿はみたことない。何せ、この部署から変わったことがないからね。だから興味はあるよ。怖いもの見たさって言うのかもしれない。
うちの四季様の裁判中に賄賂なんて差し出すヤツと、その後の運命ってヤツを。一度くらい見ても面白そうだ。
ははは、地獄行き程度で済むかねぇ?
カツカツ……
でもね、知ってるかい?
この世には船賃なしで、閻魔にすがる賄賂もいらないヤツがいるって話だ。
しかも転生さえ約束された人間がいるって言ったら、余所のヤツは度肝を抜くかもね。
超法規的措置、っていう単語で許される範囲を超えてる! な~んて、口をすっぱくしていうお偉いさんもいるからね、って、おっとっと。
なんて馬鹿なことを話しながら廊下を歩いてると、やっと。あたいの部署、幻想郷担当の事務室が見えてきた。
だからあたいはどうどうと、ノックせずに扉を開いて。
「四季様~、約束どおり連れてきましたよ~」
「……小町、最初に入るときくらい挨拶をしなさいといつも言っているでしょう!」
「あら、四季様いつもよりはりきっちゃって」
「誤解を招く発現は慎みなさい。私はいつもどおりあなたを注意したまでです」
「そうそう、あたいは四季様が凛々しく見えるように、注意させてあげたってことで」
「……はあ」
四季様がため息を吐いたと同時に、ころころと笑顔を見せながらあたいの後ろから1人の女性が歩み出る。
黒髪の、見るからに大和撫子といった風貌で、人形のように愛らしい姿のヤツ。
「うふふ、四季様も相変わらずですね。転生の儀の話し合いのときも、怒ってばかりでしたし」
「こほん、そのことは忘れるように! ほら、また小町のせいで恥ずかしいところを見られてしまいまったではありませんか。まったく……
ところで、こちらに来るまでの手続きは問題ありませんでしたか?」
「はい、書類手続きは何も。でも、小町さんに無銭乗船だと嫌味を言われてしまいましたが」
「こ~ま~ち~!」
「あれ~、あたいそんなこと言ったっけ? 憶えがないなぁ……って、無言で鏡を出すのはやめてくださいって、言いました! 言いましたってば!」
「まったく、あなたの世間話好きには困ったものです。余計なことまでぺらぺらと」
四季様は腕組みをしながら、いつも通りにあたいを細目で見上げてくる。そこにいつもほど強さを感じないのは、やっぱりこの稗田阿弥がいるからだろう。
稗田家、っていうのはね幻想郷の中で特別な家系でさ。
あたいがさっき言ってた、船賃がいらない唯一の客ってところだ。稗田家は幻想郷の歴史を管理するために、転生後も稗田という家系と能力を引き継ぐことを許されてる。まぁ、実際には能力だけ、だけどね。その他の記憶はポイっと。
そしてその役割の重要さゆえに、転生自体は約束されてて、その代わりに、死んだ後は100年ほどここで奉公するって決まり事があるわけだ。
ただね、これ最初は四季様も嫌がってたんだよ? あの八雲って妖怪に嫌々納得させられて。
『……わかりました。ただし、問題があればこの条項はすぐ破棄するものと思っていて下さい』
なーんて、強気でね。そんな四季様だったけど。
阿礼から連綿と継がれている能力。なんだっけ、一度見たものを忘れない程度の能力、だったかな。
それが事務仕事上どれだけ役に立つか、最初の転生で実感させられちゃったんだよね。悲しいことに。
だからさ、今はもう、稗田のいない約30年の仕事と、いる100年じゃあ、四季様の表情とか健康状態が全然違うんだよね。
胃薬の量とかも不思議と減ってるらしい。
『……私が定時に、帰れる。帰ることができるなんて』
そうやって涙を流していたのは、もはや生きる伝説だし。
それで、まんまと八雲さんの思惑に乗せられちゃったっていうわけだ。
「記憶にはありませんが、またよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ! さあ、小町の横の机があなたの仕事机です。皆とも協力して良い職場環境を創っていきましょう! 阿弥!」
「はい、それでは手始めこちらの書類を見せていただきますね。事務要領と一緒に」
よしよし、良い感じ。
いやぁ、さすがあたい。良いタイミングで連れてきたもんだ。
ちょうど仕事が溜まって四季様もイライラしてたしね。
さて、じゃあ私も船頭の仕事にもどるとしようか。
「あの、四季様」
「なんですか?」
「こちらの書類は、まだ確認してはいませんよね?」
「私の受付印が押してありませんから、届いたばかりといったところでしょうか。それが何か?」
「ええっと、それが……外から幻想郷に流れた死亡者の流転知らせがないとか……」
「……」
阿弥と四季様、出来の良い後輩と、働き者の先輩って感じで良い雰囲気だし、邪魔しちゃ悪いからねぇ~っと。
「転生予定リストにある魂がなかなか三途の川を渡ってこないとかいう……
全部、誰かさん宛の苦情で……」
「あー、なるほど~。そうでしたかぁ~。それは困った誰かさんですねぇ~、小町……
小町っ! どこに行ったのですか、小町~~~っ!」
あたいはそんな叫び声を廊下で聞きながら。
「退散~、退散~♪」
わざと川原に置いてきた鎌のところまで一気に距離をいじった。
そうやって、また、阿礼乙女がやってきた次の日から、四季様は本当に楽しそうに仕事をしているように見えた。
「阿弥、さきほど頼んでおいた調査資料は?」
「はい、できてます」
四季様って実は、自分が優秀だから気付いてないみたいだけど。
周りの事務員さんが処理できない速度で新しい裁判に必要な書類整理しようとするんだよね。浄瑠璃の鏡だけじゃ、わからないこともあるし。で、それが難しかったり、早すぎたりするから結局誰も支えることができず、四季様が自分で処理するって悪循環が生まれるわけだ有能過ぎるのも考えものだね。融通が利かないというのもあるのかな。あるだろうな。
ただだからこそ、それに付いていける阿弥が1人いるだけで、なんだろうね。歯車が、かちっと噛み合うっていうのかね?
船頭の仕事がないから事務所で書類を眺めてたわけだけど、空気が変わったのがあたいにもよくわかる。
「みんな、よく頑張ってくれました! 今日の処理案件はすべて片づきましたよ!」
幻想郷の魂とか寿命とか、業務で四季様の確認や承認が遅れて残業が当たり前の職場が、定時よりも前に暇になっちゃうんだよ。
しかも一時間前に!
こいつは驚くべき事態だ。石部金吉がそれを許すのだから相当だ。
って、ことはだよ? この余った1時間で明日の英気を養うために、ゆっくり眠ってみたり、お茶を啜ってみたりするのは、自由なわけだ。
それが本来あるべき職場のはずで、改めてあたいに与えられた権利に違いない。
「……皆は休憩を、私は小町とちょっとお話をしてきますので」
なのに、定時1時間までの天国が地獄になるとはこれいかに。
ふふ、しかしあたいにはそんな四季様に対抗できる能力があることをお忘れで……
「小町? 私の前で能力を使うことは……『黒』です」
あ、駄目だ。
これ、やばいコースだ。
ちょっとやそっとサボっただけじゃ、あたいが逃げるまで説教だったけど。
能力封じてまであたいを隣の倉庫(説教部屋)に連れて行くってことは……
定時までの1時間コースどころか……
「あ、あはは……四季様、そう言う冗談は、ちょっと」
徹夜って言葉が脳裏を掠めていく。
くそう、見るな。
みんなそんな目であたいを見るな。
地獄行きが決定した罪人を哀れむような目で、あたいを見るんじゃない!
「たーすーけーてー! これは明らかなパワーハラスメントであって~、あたいは正当な訴えを~~~」
「はいはい、こっち来ましょうね~、小町~」
ずりずりと、首根っこの当たりの服を掴まれて引っ張られていく。
そうして、あたいは……
地獄への扉を、四季様と一緒に開いて……
◇ ◇ ◇
想定外だったよ。
まさか、あんな行為を要求されるなんてね。
ちょっとやそっとの苦痛程度じゃ、瞳が濡れることのないあたいに……
四季様の言葉は深く、深く突き刺さって、
瞳を潤ませた……
そして、その夜。
小気味好い高い音が、ぶつけ合ったグラスから響くと同時に。
あたいの目の前で、四季様が表情を崩して。
「小町っ! お勤め千二百年おめでと~!」
四季様の大きな声が、四畳半の空間に響き渡った。
「い、いやぁ、この年で記念日って柄じゃないですってばぁ」
「こらっ! 何を言うのです! あなたと私が出会った日というのは、幾年月経とうともおめでたいことなのです! 人によってはただ年を重ねただけと嘆くものもいますが~! そんなものは言語道断! ですから、小町は私に祝われる義務があるろれす!」
あたいと四季様ってもうそんな付き合いになるのか。あの幻想郷の部署だともう、四季様とあたい以上の古株はいなくなっちゃったからね。それも当然か。
そんなことをしみじみと考えて、先に準備してあったお酒を口に運ぶ。
しかし、なんだろうね。なんかあたいが合流する前にもう出来上がっちゃってる感じだけど、まあ、その辺は気になるとしても、純粋に嬉しいよ。
あの部屋に連れて行かれたから。
てっきりエンドレスで説教が始まるものって、覚悟してたからね。
「……って、もう酔ってるでしょ、四季様?」
「酔ってません! 酔って見えるとすれば、小町が遅いのが原因です」
それはつまり認めてるということなのではなかろうかと。
というか、遅れてないよあたい。
「えー、四季様が夜七時に冥界東3丁目の居酒屋って言ったんじゃないですか」
「そういうときは先輩に気を使って、30分前に来ておくべきなのです!」
「じゃあ、あたいが先に来て、一足先に始めてもいいんですか?」
「小町は、私がいなくても……楽しくお酒が飲めるんですね……」
絡んできたと思ったら、今度は泣き上戸。
仕事ではあんなにてきぱきしてるのに、お酒が入るとだらしなくなるんだからねぇ。反動なのかねぇ。まあ、その変化も見てて楽しいんだけどさ。知らない人が見たらびっくりするだろうけど。
いやぁ、ホント畳の個室でよかったよ。仕切りっていうかフスマ付きだしね。
「あー、もう、だから違いますってば、あたいは四季様と一緒が楽しいですって? ね? ね?」
「ふふぅ~、そーでしょー、そーでしょー。あー、小町! まだグラスが減ってないではありませんかっ。駆け付け3杯は常識ですよ」
「あたいはほら、こっち。熱燗ですってば。もう二つ開けましたって」
「ふむ、それならばいいのですっ! それならばっ!」
って、お通しと一緒に出された水をお酒と勘違いするなんて、四季様相当回ってるねぇ。もう、目は据わってるし、正座は崩してるし。しゃべる度に頭を上下に揺らしてるし。
ちょっとだけ先に1人で飲んだって量じゃないよね、これ。
あたいが来てからまた酔いが加速してるみたいだけど。
「……もしかして、四季様? あたいが来る前に誰かと一緒に飲んでました?」
ま、ありえないけど、念のため聞いておいても良いかな。
だって、四季様って同性でも異性でも友好関係が極端に狭いからね。あたいより年上のはずなのに浮ついた話の欠片もない。
「ええ~、そーれすよー。飲んでましたよぉ」
はずなのに、四季様が笑顔で返してくる。
あたい以外の誰かと飲んでいたと。
飲んでいたと。
思わぬ言葉に面食らいながら、あたいは四季様もとうとう色気付いたというか。そう言う年頃なのかなってついつい思って。
「で、相手は誰です? やっぱり、十王のどなたかですか? それとも、一緒に裁判関係の事務してる同僚の男の人とか?」
ずりずりと、畳の上で膝を滑らせて四季様の横まで移動してみたけど。
「何を言ってるんです? 私が、男との人と、お酒なんて、飲むはずがないでしょう?
えっへん」
うん、四季様。
そこ、いい年で威張るとこじゃないです。可愛いけど。可愛いけど。
なーんて口に出して言えるはずもなく。
あたいはちょっとがっかりしながらも、ほっと安堵する自分に対して苦笑い。じゃあ誰ですかと問いかけながら自分の席に戻った。
「阿弥と~、簡単な食事をしていたのですよぉ。歓迎会も後日予定していますが、ほら、阿弥は働き者で~、ずいぶんと助かりまして~。その感謝をするべきかと~」
「……そこで、気持ちよくなって飲んじゃったと」
「そうですよ~、阿弥だってお酒を飲める年齢で死亡したわけですから、なんの問題もありません!」
「あはは、四季様らしい言い方ですよ」
笑いながら、酒を一気に煽って、ふうっと息を吐く。
そっか、なーるほどね。
あたいの記念日と、阿弥のを一緒に済ませたわけだ。
なんて卑屈に考えちまうのは、あたいの悪い癖だ。祝ってもらえるだけで、ありがたいって言うのにさ。何贅沢いってんだかね、あたいは。
「でも、初日からそんなにだらしない姿を見せて良かったんですか?」
「心配ありませんっ! 本格的に飲み始めたのは~、阿弥が帰った後ですっ!
小町なら~、別に~」
「うわぁ、信用されてるのか。飲んだ後の世話役にされてるだけなのか」
「あ~、こまちぃ~。私をしんよ~してないのですねぇ! いいでしょう、今日はゆっくりお説教してあげましゅ!」
ましゅ、って。
これはすぐ酔いつぶれて寝ちゃいそうだなと、思ってたら案の定。
あたいのすぐ横で仕事観を語るが早いか。
こつん、こつん。
って、瞼を上下させながら、あたいの肩に頭をぶつけ始める。
いつもはまだ平気な時間帯だっていうのに、どれだけペースを早めたのやら。
「これじゃあ、あたいの1人酒じゃないですか」
仕方ないから、今にも崩れ落ちそうな四季様を横にして、あたいのふとももの上に頭を置いてみた。
これなら二人で飲んでる風な気になれるし。
いつもと違った。だらしない寝顔を満喫出来て、ちょっと得した気分にもなれるからね。
それにしても四季様ったら、安心しきった寝顔しちゃって。
このままあたいが太ももを引いたら、頭ゴンですよ?
「あ、状況を掴めないままおろおろする四季様も可愛いかも」
うん、役得役得。
それでも、あたいは作戦を実行することもなく。
静かに四半刻ほど、酒を傾けた。
こんな豊かな一人酒なら、悪くはない。
静かに息を繰り返す桃色の唇に小指を触れさせてみたり、
無防備なおでこを撫でたりしながら。
◇ ◇ ◇
「有意義な職場というのは、実に素晴らしいものですね」
と、四季様が余裕ある生活を送り始めて、はや20年。
阿弥もずいぶんと職場に馴染んできた。というか、普通に人間として生きていれば、古株扱いされる年数だしねぇ。人の一生は短いねぇ。
さて、そして今年もやってきました新入死神登場の季節。部署変更や新配属でやってきた新人は、ある部署だけは行くまいと心に誓う。それがこの、幻想郷担当ってわけ。一度言ったかもしれないけど、やっぱり種族が入り乱れてるから寿命計算とか運命察知とか面倒なんだこれが。裁判に必要な書類も必然的に増える。だから命令書渡された時点で、ある三文字が入ってるとがっくり肩を落とすんだよ、これがね。
加えて今は阿弥って人間が働いているから、嫌悪感を示す奴も多いんだけど。
「先輩! この書類の数字確認お願いします」
「……はい、大丈夫ですよ。あってます」
「さすがです! ありがとうございました!」
数週間もするとほら、このとおり。事務仕事での圧倒的な戦力差を見せつけられ、今では良い後輩に落ち着いていた。
「ふふーん、あたいを頼ってもいいんだよ?」
「……えっと、小町先輩は……ちょっと」
そして、この差である。
種族としての身体能力差が、事務仕事での差にならないことを噛み締めているあたいであった。
机がお隣さんだっていうのにねぇ。
やる気なくなっちゃうよね~。こうなったら、こう、机に両腕を預けながら腕を組んで、その上に頭を乗っけてみるという行為しかできなくなって。
ぺちん。
「あいたっ」
机に突っ伏す姿勢になっていたあたいの後頭部に、誰かさんのチョップが振り下ろされる。もちろん、この部署で一番古株のあたいに気軽に手を出す人は1人しかいないけどね。
能力的にはもっと上の部署に行っていいはずなのに、嫌がるこの部署に居続ける変わり者。
「こら、休んでないで小町はさっさと今日分の報告書を出せばいいのです」
ま、あたいに言われたくはないだろうけど。
今日の分の魂を運び終わったから、事務所でのんびりしようと思ったのにね。それに、今日のあたいは一味違う。
「もう出し終わりました」
「え?」
「出し終わりました」
「そ、そうなの、ですか? 本当ですか、阿弥」
なんでそっちに確認するかねぇって。困った顔で笑いながら少しだけ顔を起こすと、横にいた阿弥もうんうんっと頷いている。
「最近は、仕事が終わったらすぐ提出していますよ。私に直接渡す形で」
そう、阿弥がつぶやいた瞬間。
事務所の半数の人間が窓に殺到するってどういうことだい? 天気の確認をするんじゃないよ。晴れだよ。一日晴天だよ。
どんな嫌がらせだい、まったく。
うん、四季様も何気なく移動してるしさ。
「……大丈夫でした、小町。槍や隕石は落ちて来る様子はありません。
見事な快晴です」
存じております。
冥界で槍とか隕石ってどんなラグナロクですか。
「ふーん、あたいってば、頑張っても四季様にそういう扱いされるんですね~、へ~」
「ああ、こ、小町! 違うんですよ。これはそう、集団的心理というか、条件反射というか。ですから、小町のがんばりはちゃんと私の胸に響いていますとも!」
そんなこと、ないはずなんだけどねぇ。
阿弥を通してちゃんと、書類は四季様の所に届いてるはずだし、ここしばらくは期限を破ったこともない。
でも、そんな当たり前のことを繰り返しても、四季様の中のイメージは変わらないんだろうねぇ。悔しいというか、あたいの自業自得というか。
元来当然のことだけに目に止まりにくいのかな。それ言ったら元も子もないんだけど。
でも、部下は褒められたいもんなんだよねぇ。だから……
「そーですかねー、ふふーん、最近は飲みのお誘いもさっぱりですしー」
あたいは拗ねる。
文句を言えた義理でもないのは判ってるけど、子供っぽいのもわかってるけど、それでもやらずにはいられなかった。
そして、これが四季様には有効だってこともわかってる。
ほら、落ちつきなくなってそわそわし始めた。
「そ、そんなことありませんよ。最近は早く帰れることも多くなりましたし、あまり長い時間こちらにいられない阿弥に他の部署の方々を紹介したり、ということもありまして……」
慌てて言い訳して、取り繕うとするのも見ていて微笑ましいんだけど。
その理由の中にね、やっぱり阿弥がいる。
たった20年しか……
いや、違うか。
きっと四季様の中では、先の七代を入れて……約720年。
あたいに次いでつきあいの長い、親しい友人。それが四季様にとっても阿礼乙女。それはあたいにとっても言えることだろうけど。
「ですから、今日は、飲みましょう? ね? 阿弥と私と、小町で、楽しく飲み語ろうではありませんか!」
「いいですね~、それ。と、いいたいところですけどね。実は、あたいは別な約束が入っちゃってるので、阿弥と一緒にどうぞ」
「そう、ですか? では阿弥、今夜どうです?」
「ええ、構いませんが……」
もちろん、予定があるなんて嘘。
四季様ってば、こういう部下の穴埋めの仕方って下手なんだよね。あたいが誘ったのは二人で飲みましょうってことなのにさ。
そしてそれを理解した上で、阿弥はあたいの顔色を伺ってるのかもしれないけど、お人好しだよ、相変わらず。先代とそっくりだ。
だから、嫌になる。
「あ、じゃあ、定時なんでお先しつれいしま~す」
だって、あたいが悪者みたいじゃないか。
聞き分けのない、天の邪鬼みたいでさ。
言いたいことの言えない、子供みたいでさ。
だからあたいは逃げるように事務所から出て、能力を使った。
今は1人で、できるだけ寂しく飲みたい気分だった。
四季様と、阿弥。
二人から少しでも離れた飲み屋に行けるように。
◇ ◇ ◇
あたいは死神に向いてない。
あたいを良く知るヤツも、
良く知らないヤツも、口を揃えてそう言ってくれる。
たぶんそいつは大当たりだ。
あたいみたいな鎌持ちの死神は、普通は船頭なんてやらないし、ましてや事務仕事なんてホントに遊び程度しかやらない。こういう鎌を持つ奴は、ほんとならスパースパーってさ、魂を刈り取ったりするのが主な業務だからね。
え? じゃあなんであたいがこれを持ってるかって?
そりゃあ、アレだよ。鎌持ちになってれば、多少素行が悪くても辞めさせられることがないって聞いたからさ。
……って答えることにしてる。そう答えた方があたいらしいからね。
だからあたいは、運ぶ魂がそんなに多くなくて、人里にさぼ……ちょっとした休憩に行っても許容してもらえる今の職場が最高だって思ってるよ。
他人からの評価は言うまでもなく、最悪だろうけど。
だから、さ。
誰もが嫌がるこの幻想郷部署から外れられない。
いや、外れないように、できるんだ。
『こら、小町!』
あたいと真逆の、真面目な四季様の怒鳴り声を聞きながら、毎日過ごすのが楽しくなったってのもあるかね。真逆過ぎて此処から離れないあの人といるのは、なんとも面白みがある。
それにさ、さぼって外の世界を歩き回って、いろんな人間をちょいとばかし見過ぎている。鎌を振るにはさ、人の気持ちがわかっちまうことと、それに対する情ってのが邪魔なんだ。
今となっちゃ、この鎌はただの客受けの道具さ。死神が鎌持ってると、喜ぶ死人が多いったらないね。死んじまってるから、気楽なもんさ。
そんな風でいい。だからあたいは、そんな不真面目で不出来な船頭でちょうどいい……
ってなことを、あたいなりに考えてたりするんだけどね。それは内緒。
まあ、何はともあれ机にも勝手お仕事だ、と。
「阿弥さん、こっちの書類明日までにお願いできます?」
「ええ、おまかせください」
隣でてきぱきと仕事をしてる阿弥は、阿礼乙女って立場上、四季様と必ず近い立場になる。あたいが別に気にすることでもない。いままでもそうやって割り切って、あの世にやってきても普段通り過ごしてたんだけどさ。
「小町さ~ん、明日こっちの書類を手伝って貰って良いですか?」
「はいはーい、まかせときな~」
こんな感じでね。
なんだろう、つまんない対抗心っていうのかな。
書類整理に戻ってくるたびに、四季様と阿弥が仲良くしてるのを見てたら、なんか、さ。ちょっともやもやしてね。
よくわからないうちに、仕事をするようになってた。
それを長く続けてみたら、四季様もあたいの方を気にするようになってくれて。
「最近は、小町もがんばっていますね! 私も鼻が高いです。
ああ、そうです、久しぶりに地上に説法をしにいきましょうか」
悪い気はしないけど、なんか自分の中で納得出来てない。あたい自身で動くんじゃなくて、動かされてる感覚っていうのかな。
でもそれを認めたくないって、心のどっかが叫んでる。あたいはそんなんじゃないって、見えないとこで震えてる。
だけど、否定して働くのをやめたらまた、離れていく気がしてさ。言葉にはできなくてさ。
「小町? まだ、何か仕事をする予定だったのですか? それならば無理にとはいいませんが……」
「何を言ってるんですか~、四季様。あたいが四季様のお誘いを断るわけないじゃないですか、嫌だなぁ」
「ふむふむ、それならばいいのです。では小町、準備をお願いします」
ちょっとしたことで困った顔をしたり、ほっとした顔で笑ったり。
そんな四季様の表情を見てるだけで、さっきの疑問が薄れるってことは……
やっぱり、そういうことなんだろうけどね。
でも、今はそんな感情を確認するより、幻想郷に出るのが大事。
あたいは後ろの壁に掛けとておいた鎌を持って、急いで四季様の後を追って廊下に出た。そしたら廊下の少し先で四季様が背中を向けて止まっていて。
「ああ、そうです小町。最近頑張っているあなたに良いお知らせがあるかもしれませんよ? とびっきりのね」
まるで、少女に戻ったときのように楽しそうに笑うもんだから。
一瞬、ドキッとするくらい眩しい表情をみせるもんだから。
あたい、本当に期待しちゃいますよ?
「へぇ~、そうですか。いやぁ、楽しみですね~」
「またそんな気のない返事を……、おどろいて気絶してもしりませんからね」
でもね、あたいはそうやって返すしかできないんだよ。
素直じゃないって?
自分が一番良く知ってるさ。
でもね、それ以上にさ。
その言葉を信じて、喜んで。
その四季様にとって喜ばしいことってヤツが、あたいにとって一番望んでいないものだったとしたら。
あたいが一番、嫌だって思うものだったら……
素直に喜ぶのが、怖くて溜まらないんだよ。
◇ ◇ ◇
それから数週間後。
阿弥がここに来てから、70年くらい経つんだけど、それはまあ関係ないとして。
四季様がほのめかしていた『何か』があるならこの日だろうなって、あたいは思ってた。
朝からみんなそわそわしてるし、隣の阿弥なんて、あたいが川原に出かける前に。
「あの、何時に戻ります? お昼にもいったん戻ったりします?」
なんてしつこく聞くもんだから、何かを隠してることが丸わかりさ。
だって、この日は忘れようにも忘れられない
だからあたいは能力を使って一気に部屋まで戻るんじゃなくて。夕方近くの時間帯を選んで川原から戻り、廊下をゆっくりと歩いて、意を決して入り口を開いた。
そしたらさ。なんだろうね、
ぱんっ! ぱんぱんっ!
っていう音だけのクラッカーがいくつも、いくつも鳴り響いたんだよ。
あたいがびっくりして身を引いたら、今度はみんな声を揃えて。
『小町(さん)! ●●百才のお誕生日おめでとう!!』
その声に続けて、割れんばかりの拍手が起こった。
祝って貰ってる。
うん、盛大に祝ってくれてるはずだとは思うんだけど。
おもいっきり●●部分をぼかすという、何この嫌がらせ。
まあ、確かに遊び心を何か間違ってる四季様らしいけど……
……まあ、ふふ、どこか抜けてたほうがあたいの誕生日って感じでいいかな。
「いやぁ、照れるねぇ。確かにキリの良い年齢になっちゃったもんだ」
しかもご丁寧に机の上に手のひらサイズのケーキまで置かれてるよ。
なんか子供の時のこと思い出しちゃうね。
「……地上では年齢の数だけろうそくを立てるという風習だったのでそれを実行しようとしたのですが、ハリネズミになっても余りが出過ぎたため、予備のケーキを出しました」
「四季様って、意外とそういうとこ抜けてますよね」
いつのまにかあたいの横に回り込んで、どうだと言わんばかりに胸をはってくる四季様。
たしかにあたいたちの部署では100年単位での誕生日がきたら、部署全体で祝うっていう風習があるけどさ。
自分の番がやってくると、やっぱり気恥ずかしいもんだ。なんとも、照れる。
「さあさあ、皆。小町の誕生祝いも終わりましたので、残り時間を有意義に使ってください」
ただ、夕方だから仕事も大体終わってる。
それに誰かの誕生日の後に仕事っていう気もしないからね。みんな自分の机に戻って、お茶とかコーヒーを楽しんでる。
まあ、あたいだけはそこにケーキが加わってるわけだけど。
四季様が準備してくれたんなら遠慮なく食べちゃおうかと、思ってちょっと皿を動かしたら。
「ん?」
その下に何か封筒があった。
あたいがそれを不思議そうに眺めてたら。
横から声がした。
「あー、なんですかーそれー、いつのまにー」
うん、阿弥、がんばったのはわかる。
慣れない演技を誰にしろって言われたかは大体わかるけど。
とはいえ、棒読みにも程があるだろう?
「ほんとーですねー! だれがこのようなー!」
そうか、演技指導者の方が大根役者だったのか。
阿弥とは反対側から聞こえてきた声に反応して顔を動かせば、やはり四季様があたいの横から覗いてた。
二人ともあたいの持ってる茶色い封筒に釘付けだから間違いない。
だから、しばらく動きを止めてたら。
「……」
「……小町」
なんか四季様から攻めるみたいな口調で怒られた。
どうやらたった一回の台詞の台本しかなかったようである。
そんな二人の態度がおもしろくて、あたいは笑うのを耐えながら封を切った
どうせ、飲み屋の無料券くらいしか入ってないんだろうなって思ったからね。
そしたらさ、
『辞令』
なんだろう。
見慣れない二文字がね、あたいの視界に飛び込んできて。
『小野塚小町を、現世西部担当の魂狩(補)に任命する』
……は?
「小町! やったじゃないですか! あなたが心を入れ替えて働いたのが、認められたんですよ!」
……いえ、四季様?
「凄いですよ! 現世担当の魂狩って一番人気じゃないですか! 特殊能力持ってる人間がほとんどいないから、危険も少ないって!」
……阿弥も、何を言ってるんだい?
そうだよ、幻想郷や天界と違って、そういう人の魂を刈るのにリスクなんてない。だから楽もできるし、鎌も振れる。
そういう人気の職場だって、あたいもわかってるさ。
あたいもそういうところへ一番に配属させられてたら、喜んでたかもしれない。
でも、違うんだよ。
「あたいが……なんで……」
でもね、あたいはもうそういう出世なんかに興味なんて。
あたいが頑張ってたのは、そういうのから懸け離れた理由でしかないんだよ。だから、そんな誰かに認められたくはないんだよ。
一番身近にいた誰かに、認めて欲しいってそういう気持ちだけだったんだよ。
それなのに、四季様はおめでとう、なんて言う。
阿弥と一緒に口裏を合わせて。
これじゃ、二人があたいに……
「……すみません、ちょっと、出ます」
「え、小町? どこに……、小町!」
出ていけって、行ってるみたいじゃないですか……四季様。
堪えられず、鎌を持って、駆け出した。
「小町っ!」
追いかけようとする四季様に、くしゃくしゃに丸めた辞令の紙を投げつけて。
◇ ◇ ◇
三途の川のへりで、あたいはごろんっと寝ころんだ。
背中に丸い石が当たって痛いけど、傷みで気が紛れるだけ、ましだった。
「四季様は本当に馬鹿ですねぇ。あたいのどこをみたら、出世の二文字が出てくるっていうんですか……」
暗くなっただけで星すら出ていない。
ちょうど昼と夜の合間の黄昏時だから一番星の一つくらい顔を見せても良いくらいなのに、まだ空には灯り一つない。
まるで、あたいの心の中みたいだな、なんて言ったら。笑われるかな。
なんて柄にもなく落ち込んでたらさ。砂利や石が擦れる音が聞こえてきて。
「はぁ……はぁ……、小町さん!」
続いて、阿弥の声がした。
息を切らしてるから、きっとあたいを追いかけてきたんだろうね。
「よかったー、四季様が、もう誕生日の宴会場予約してるから、7時までには来なさいって」
こういうときに、追いかけてくれたら。素直にありがたいって思わないといけないのに、あたいはまだどこかで拗ねてるみたいだ。
息を切らせている阿弥が寝ころぶあたいを覗き込んでくる。それを見てるだけで、またもやもやが溢れてくる。
なんで、四季様が来てくれないんだって。
「えと、すみません……、四季様、さっきの辞令を……、取り消してもらいにいったから」
「……そっか」
朴念仁の四季様が私の気持ちに気付いたことが驚きだった。いや、誤解し様もないほど、恥ずかしいことに、あたいの顔には不満が出てたに違いない。
めそめそしてる姿、四季様の期待と違う姿、見せたくなくて逃げたんだけどなぁ。
「わるかったよ。せっかく祝ってもらえたのにさ」
「こっちこそ、小町さんの気持ちを考えずに……、騒いじゃって。駄目ですね、生きていた時間よりもこっちにいる時間が長いから、まるで最初から冥界の住人でいるみたいな気になって。みんなのこと、わかってる気になって」
あたいの横に腰を下ろした、阿弥が『いたっ』と声を漏らした。
石の上に座ればそうなるのが当たり前なのにさ、本当にお節介な子だ。
「でも、四季様言ってました。小町さんって最初は、その鎌の扱いを期待されて幻想郷に来たって。能力を持った相手でも簡単に刈れる可能性がある死神だったから、配属されたと」
「あーあ、四季様、口軽いんですねぇ、お固いくせに。そういうことまで話しちゃうなんて。
それじゃあ仕方ないねぇ。まだ時間も少しあるし、阿弥にはあたいにもちょっと付き合って貰おうかなぁ~、な~んてね」
もう、なんかもやもやをぶつけなきゃ収まらない。ごめんとか、心の中で口にしながら。
自分でもよくわからない気持ちのまま、あたいは口を開く。
阿弥が聞いたとおりなんだよね。あたいってば最初は期待されてた。
だから、精一杯がんばってたつもりさ。
死神は魂を刈ってればいい。あたいもその教えを忠実に守って、がんばってたさ。でもね、五月病っていうのかい。段々と、何か空しさを感じてきた。
それを四季様に相談したら……
「あの人が悪いんだよ。あたいを無理矢理連れて、幻想郷中にお説教をしにいくから」
他の世界にはない。
人間と妖怪がはっきり見える世界。
それでいて、微妙なバランスでその存在を尊重し合う。キラキラした世界。そんな世界に生きる妖怪や人間たちのところにわざわざ出向いて、四季様は怒るんだよ。
もうちょっとこうやって生きろ、とか。いまのままじゃ地獄行くぞって。押し付けがましく、お節介に。だけど、そいつのいままで過ごした人生を、たぶん親兄弟より親身に考えて語りながら。
「そしたらさ、知らない間に。『こまっちゃ~ん』なぁ~んて、人里歩いてたら団子を貰えるくらい仲が良い人間もできちゃってね。
段々と、人里とかあっちの世界にいくのが楽しみになって。
でもさ、やっぱり仕事って定期的に入ってくるだろう。仕方ないなって割り切って鎌を持とうとしたらさ、手に力が入らなかった」
あのときは、ホントにびっくりしたね。
その前までは、人間でも妖怪でも普通に刈り取ってたのにさ……はは、ちょっと状況が変わっただけで、あたいはどこかが壊れちゃったんだ。
「何度持とうとしても、鎌がさ、勝手に手からこぼれ落ちて床に転がるんだよ。
あたいの様子がおかしいことに気が付いた四季様が、なんとかしようと手伝ってくれたけど、はは、どうにもね。駄目だったよ。
小野塚小町って死神はね。いつのまにやら鎌すら持てない怠け者になってたんだ。遊戯とか稽古では振れるけど、本番というか、命のある誰かと向き合った時に、体が一歩も動いてくれないでくの坊になっちまった」
「小町さん……」
はは。雑談だよ。そんな顔はしないでくれ。
「笑えるだろ? 見聞を広めるために、四季様があたいに世界を教えてくれた。でも親身に育てられたのにさ、出来上がったの役立たずのポンコツで」
「違いますっ!!」
自虐気味に笑ってたら、いきなり耳元で叫ばれた。
慌てて肘を突いて、少し身体を起こしたら。ちょっと瞳を潤ませて、興奮した様子の阿弥がそこにいた。
「確かに、小町さんは……人よりも不真面目かもしれないし……優しいから、そう言う魂を刈る仕事に向いてなかったのかも知れません……
でも! 役立たずとか! そういうのを自分で言うのはおかしいです!」
「……でも、他のところの死神に聞いてみなよ、あたいがどんなヤツかくらい」
「他の死神なんて知りません!
数十年間、一緒に働いた私は役立たずなんて思いません!
誰に言われたって、思ってなんかあげませんから!
小町さんは、幻想郷担当の部署の一員だって。立派な死に神だって、私は私の思う様に言いふらしますから!」
あのねぇ、阿弥。
あたいのことなんてあんたに関係ないだろう?
あたいってば、少し前まで、あんたに嫉妬してたんだよ。四季様を取られるかも知れないなんて、子供じみた理由でさ。
「……まったく」
なのに、なんでそんな必死に否定しようとするんだよ。
あたいがもうどうでもいいって言ってるのに、なんでそんなお節介なんだよ。
……お陰様でほら、嫌なことを思い出しちゃったじゃないか。
あたいが鎌を振れなくなって、辞表っていうかそういうのを初めて書いた時……
あの時だけだったかな。四季様が、あたいを本気で殴ったのは。
『死神が鎌を振れないくらいで、何が悪しというのです!』
殴られたあたいがぽかーんとしてたらさ、殴った方が号泣しちゃって。
私の責任だから、小町は悪くないとか。おかしなことを叫び続けて。
なんで泣きたいあたいの代わりに、この人が泣いちゃってるのか、わかんなくて……
あの後、あたいも確か、泣いちゃったんじゃなかったかな。
ほんともう、嫌な思い出だよ……
「四季様もきっと、小町さんのこと頼れる死神だって思ってます! 知ってますか。四季様って、小町さんが居ない時、あなたのことばかり話すんですよ。羨ましいなって思うくらい、嬉しそうに話すんですよ。そしてこの前から、最近頑張ってる小町さんを労おうと頑張ってました。今なら、そして今までと違う環境なら、また鎌を振れるかもしれないって、そう思ったんじゃないかなって、思います。
……だから! だから小町さんは!」
なんなんだろう。なんでだろうね。
反発して、反論して、逃げ出しちまいそうな言葉なのに、あたいは阿弥の言葉を受け入れようかなって考えてる気がする。
いや、違うか。
あたい自身が受け入れたがってるんだ。
甘えんぼのあたいが、その言葉にすがりたがってる。
……はは。だってまるで、四季様みたいなんだもんさ。
「阿弥。そろそろ時間になるしさ、宴会に行こうか」
「……え。あ、本当、ですか」
面食らった阿弥の顔に、少しだけ笑いそうになった。
はぁ。気まずいのは気まずいんだけど……でも、逃げる気はなくなっちゃったし。明日から気持ち良く仕事をするには、今行かないと、だしね。
「もちろん、こまっちゃんは嘘を吐かない優しい死神だからね」
夜空を見上げたら、いつの間にか星が浮かび上がっていた。
一番星と……それに、少し離れて二つ。
ちょっと微妙な距離だけど、仲良さそうに光ってる。
「……で、阿弥? 今の時間はわかる?」
「おまかせください。星がいくつかうっすら見えれば……」
あたいが身体を起こすと、待ってましたと言わんばかりに阿弥が空を見上げて。
ぴたっと止まった。
「……えーっと、6時56分40秒くらい」
そして、気まずそうに正確な時間をつぶやいた。
……にしてもえらい正確というか、細かいというか……そういうくそ真面目なところも、くく、少し似てるのかもね。
「場所は?」
「……えーっと、ここから歩いて30分ほどの、冥養庵ってお店で」
なーるほど、それで大遅刻だって思った訳か。
まったく、大事なところが抜けてるのまで四季様と一緒だね。
「ほら」
「え?」
「ほら、手」
あたいが右手を差し出したら、良くわからない様子で阿弥も右手を出してくる。
だからあたいは苦笑しながら。
「その程度の距離なら、あたいの間合いだよ」
一瞬のうちに、川原から店までの距離をいじってやる。
宴会の席で、空席を見つめながら不安そうに座っているであろう、あたいの大切な閻魔様の姿を思い浮かべながら。
◇ ◇ ◇
冥界と天界、そして幻想郷を繋ぐ。
光の鱗粉が舞うような転生への架け橋。
その入り口にあたいたちはいた。
「未練がないって言ったら嘘になりそうなので、別のことを言おうと思うのですが……こういうとき、どんな挨拶をしていいか困りますね」
「どうせまた戻ってくるんだから行ってきますでいいんじゃないかねぇ」
「でも、きっと戻ってくるときは別人ですよ?」
能力と魂は引き継いで、でも、記憶は残らない。
阿弥はきっと、そのことで悩んでいたのだろう。もうここには戻れないから、それが未練だって。
あたいだってそうさ。もうちょっと素直になって阿弥を受け入れてれば、ね。四季様と三人でもうちょっと楽しいことがあったかもしれないって思うよ。
最後の30年だけなんてもったいなさ過ぎたかな。それ以前も悪くはなかったけど、打ち解けるまで70年は掛かり過ぎたよ。
でも、過ぎちまったものはしょうがない。その距離は、あたいには操れない。
「阿弥がいないとまた寂しくなります。私の業務もまた溜まり始めるでしょうし」
「四季様は私以外の人への仕事の振り方を工夫した方が良いかも知れませんね」
「……む、そういうものでしょうか」
おお、最後だからってなかなかおもいきったこと言ってくれるね。やぁ、ありがたい。
あたいもその方が良いと思ってたけど、さぼり常習犯のあたいが言っても嫌味にしかならないだろうしさ。真面目に取り合ってくれるか怪しい。
そんな四季様が眉間のしわを解いて顔を上げたとき、阿弥はやっと最後に交わすべき挨拶を見つけたように見えた。
「では、月並みかも知れませんが……」
軽く、頭を下げて、静かに。
「ありがとうございました」
重くて、優しくて……ちょっと悲しい、離別の言葉。
「こちらこそ」
「こちらも感謝しています。ありがとう、阿弥」
あたいたちも、それに習う形で頭を下げる。
寂しくなるけどさ、これ以上あたいが引き留めても別れが辛くなるだけだし。
「……四季様」
「ええ、待機して貰っている死神を呼びますね」
今、阿弥が冥界で活動出来ているのは、現世と同じ入れ物。肉体があるからだ。だからもう一度、鎌で魂を刈り取って、魂だけを転生の流れに乗せてあげなきゃいけない。
それはちゃんと阿弥にも説明した。
確かに切るには違いないけど、精神だけを切るから傷みはない。
熟練の死神がやってくれるから失敗しないって。
「はは。何度も死んでるはずですが、やっぱり、怖いものですね」
それでも、やっぱり。理解出来ないものを恐怖してしまうのは当たり前だ。
現界で死んで、冥界でも死ねと言っているようなものなんだから。
それでも阿弥は、指先を震えさせながら、笑顔であたいをまっすぐ見て。
「でも、きっと。小町さんがやってくれるなら……怖くないと思います」
……はぁ?
「っ!? だ、駄目です! いけません、阿弥!」
四季様が慌て出した。
そりゃあ、そうさ。そうだよね。
生きてる肉体から魂を奪うのは、昨日今日鎌を持った初心者でも簡単にできる。
でもね、その魂を冥界用の入れ物に入れて定着させた場合。それを綺麗に断ち切るにはそれなりの技術が必要になる。なにせ、ふわふわしてる魂をがっちり押さえ込む容器なんだから。
もちろん、死神を養成する学校みたいな所でもそれは教えて貰える。例外的な行為として。
けどね……
「冥界で転生の儀を行う場合、何年も魂狩を経験したものでなければ事故が起こりかねないのです。ですから、小町は……」
魂を刈らなくなってから、果たして幾百年。刈っていた時間より遥かに長い間、私は一度も鎌を振ってはいない。
そんなあたいを気にして、四季様は戸惑ってる。
迷うってことは、内心ではやらせてみたいって思ってるんだろうね。あんな辞令を、喜んで持ってきたくらいだから。
でも、それでもしあたいが失敗したら。親しくなった阿弥の魂を使った儀式で、万が一のことがあったら。そうしたら今度こそあたいが立ち直れなくなるんじゃないかって、四季様は心配してるんだろうな。
……そんな風に気に掛けられたら、頑張ってみたくなるってもんさ。
「四季様。もし、業務規定上問題がないのなら……ここはさ、あたいにやらせて貰えませんかね」
「なっ、小町までそのような! ですから、これは、普通の作業より……規定上、問題はないですが……ですが!」
「あたいは、四季様の下で。普通の人間と比較にならない妖怪を、何体も刈ってきた死神ですよ?」
「……それはずっと昔の!」
「四季様は、小野塚小町には……できないと思いますか?」
「……」
精神体である妖怪の魂を刈る。
そのデリケートな作業の方が、転生の儀よりも難易度が高い。
あたいはそれを、繰り返した。繰り返し続けた。
その感触は、まだちゃんと手に残ってる。
振れなかっただけで、これでも、あたいの中で死神の誇りはちゃんと生きてるんですよ。知ってましたか、四季様。
「あたいは自信があります。そのあたいを、四季様は信じてくれますか?」
「馬鹿なことをいうものではありません!」
四季様は首を縦に振らない。
でも、四季様は否定もしていない。ただ、迷っているだけ。
張り詰めた緊張感の中で、あたいと阿弥はただ四季様の言葉を待ち続けた。
やがて四季様は、ぷいって背中を向けて……
「……いつも信じているに、決まっているじゃありませんか」
……ありがとうございます。
やっぱり、四季様の下で働けてよかった。四季様の下に居続けられて良かった。
本当に……良かった。
「こら! 何を惚けているんですか!
四季映姫・ヤマザナドゥの名において命じます!」
もう一度、あたいの方に振り返った四季様に、暖かい表情は残っていなかった。
厳格で、くそ真面目で、堅物の、優しい閻魔として。
そして、小野塚小町という名の部下に命令を下す。
これが、あたいの尊敬する四季様の姿だ。
「小野塚小町! 命じます、転生の儀を成功させなさい!」
「はいっ! この名と、この鎌にかけて!」
不思議だった。
一番最初に、刈るべき妖怪を見つけたときの、あの緊張感と、鎌と腕が一体となる感覚、それが蘇ってきて、あたい身体は自然に動いていた。
入れ物と阿弥の魂とを分かつために、どこをどう切ればいいか。
それを頭で考えなくても、体が勝手に動いていく。
鎌を振る恐怖なんて、心のどこにも見当たらなかった。
夢中になって構えて、全身全霊を込めて、2度、3度、
我に返って、気が付けばあたいの前には……
『……やっぱり小町さんは……立派な死神じゃないですか』
半透明になった阿弥がいた。
魂だけとなり、あとは転生の道に流れていくだけ。既に人の形は崩れ掛けている。こうなれば、もう長くは人の形を保つことはできないだろう。
でも、阿弥は必死でそれに抗うようにして、鎌を振り下ろした体勢で固まるあたいに近寄ってきて。
「――」
本当に、小さな声で囁いた。ほんの、些細なわがままを。
きっと今のは、四季様にも聞き取ることはできなかっただろう。
でも、その阿弥の願いは、あたいの一存で決められるものじゃないんだけどなぁ。
……でも。
「ああ、首を洗ってまっといで」
満ち足りた顔で消えていく阿弥の姿を見送りながら、あたいはしっかりと阿弥との約束を結んだ。
まかせときなよ。
今はまだ頼りないかも知れないけど、もうちょっと頑張って、もうちょっとマシにはなるからさ。
だから、あんたも生まれ変わってしっかり生きておくれよ。
あんたが役目を果たしたら、あたいも約束守るから。
九代目は、あたいが上手に終わらせてみせるからね。
こういう設定もいいよね
あの世に居る間の阿求の話はあんまり見たことがないなあ。