紅魔館には滅多に客人が来ない。
よく盗っ人魔法使いが勝手に入り込んできたりはするが、あれは不法侵入であって客人ではない。館の主がきまぐれか何かで妖怪たちを呼び、大きなパーティーを開くことはあるものの、招待されていない妖怪が紅魔館の誰かを訪ねてやってくることはほとんどない。やって来たとしても、少しでも怪しいと思えば門番が適当にあしらってしまう。
その門番が、門をくぐることを許したのだ。彼女たちには何かきちんとした理由があって、それを考慮した上で門番は館の中まで案内してきたのだろう。メイド長は一瞬身構え、ここまでやって来た理由を聞き出そうとしたが、門番を信用して何も問わないことにした。彼女たちには明らかに、敵意が感じられなかったからだ。
また、訪ねた先が主ではなく、主の友人である魔女だったこともメイド長の警戒を解いた要因のひとつであった。彼女たちの住む場所にはかなり実力のある大魔法使いがいる。それなのにわざわざ紅魔館の魔女に会いにきたということは、恐らく、大魔法使いには内緒で何かの魔法を使おうとしているのだ。そしてその魔法が紅魔館に何らかの害悪を及ぼすとは、到底思えなかった。
図書館入り口まで案内すると、メイド長はいったん彼女たちを止め、ひとりで図書館を飛び回った。広い図書館のなかで素早く魔女を見つけるのは、慣れた者でなければ難しい。たまに、本に埋もれていて上からでは見えにくいときもあるのだが。
魔女を見つけると、メイド長は彼女たちのほうを振り返り、手招きした。
五人の客人はぞろぞろとそちらへ向かっていった。
MAGICAL BIRTHDAY
表情には出さなかったものの、パチュリーは驚いていた。
紅魔館には滅多に客人が来ないが、自分を訪ねてくる者は特に少ない。なのに今日は五人も、しかも全員ろくに話したことがない面子なのだ。
五人はそれぞれ背筋を伸ばし、立ったままこちらを見つめていた。ひとりひとりの顔を見回していくと、目が合った者から各々、丁寧にお辞儀をしてくる。
「……調子が狂うわ。畏まった態度で接してもらうのには慣れてないのよね。椅子がたくさんあるでしょう、皆適当に座っていいわよ」
そう言っても、誰一人として座ろうとしない。頼み事をしにきたのに自分たちがくつろぐわけにはいかない、とでも思っているのだろうか。
パチュリーははあ、と溜息をついた。そして、読んでいた本のページをめくりながら尋ねる。
「ああ、もういいわ。……単刀直入に言っていいわよ、用件は何?」
皆が一斉に口を開こうとしたが、そのうちのひとりが手を上げ、他の者たちを制した。代表者的存在なのだろうか。彼女たちのなかで背がいちばん高く、纏っている衣装からは神々しさのようなものを感じた。
「まずはご挨拶を。私、寅丸星といいます。本日はお忙しい中、お時間を頂き……」
「面倒な前置きはいいから。用件だけ言って」
「あなたの魔法の力を借りたいんだ」
星と名乗った妖怪の言葉を遮ったパチュリーに、別の妖怪が話しかけてくる。帽子をかぶった、恐らく幽霊か何かだろう。
「私じゃなくたって、他の魔法使いを頼ればいいじゃない。あの盗っ人魔法使いとか、森の人形使いとか」
「白黒の自称魔法使いは、パワフルな魔法ばかりを扱っているイメージだわ。私たちが求めているのはもっと繊細な魔法なの。人形使いは、訪ねたんだけれど不在だった」
「いや、反応はあったから家にはいたんだろう。たぶん居留守を使われたんだ」
次に返事をしてきたのは、青い頭巾をかぶった妖怪。それを補足したのは、ちいさな鼠の妖怪だった。
「紅魔館の魔女さんは、いろんな魔法に詳しいって聞きました。だからみんなで来たんです」
鼠の隣にいる、犬の耳を生やした妖怪も声を発する。彼女たちは見た目には礼儀正しい態度を保っていたが、その言葉からは「自分たちの要求を受け入れてくれるまでは帰れない」という頑固な意志を持っている印象を受けた。
「あなたたちのことは知っているわ、少し前に騒ぎを起こして、人里近くに寺を建てた連中でしょう?その寺には強い力を持った魔法使いが住んでいると聞いたけれど?」
「ええ、その通りです。しかし今回は彼女には秘密裏に、魔法を使いたいと思っているのです」
「何故?」
「サプライズだよ。明日は彼女の誕生日、いや、正確には復活記念日だが……とにかく大切な日なんだ。我々は彼女に日頃世話になっているからね、それぞれお祝いの品を用意したよ。しかし、出来るならば、もう少し手の込んだプレゼントを渡したいと思っている」
なるほど、その「手の込んだプレゼント」というのが、魔法というわけか。
「あのね、そうやって簡単に言うけれど。私はボランティアのために魔法を研究しているんじゃあないの。魔法を使うには魔力を消耗するのよ、貴重な魔力を他人の我儘のために浪費したくはないわね」
「もちろん対価は支払うわ。なんとかお願い出来ないかしら」
「魔法の使えない妖怪から受け取る対価ねえ。あまり価値を見出せそうにないわ、そちらに住んでる大魔法使いさんの魔導書を借りられるのなら考えなくもないけれど」
「いや、聖の所有物は勘弁してくれ……。他の物で手を打てないかね」
パチュリーが冷たくあしらおうとしても、妖怪たちはなかなか引き下がろうとしない。これ以上話し合っても時間の無駄だと判断し、パチュリーは席を立った。
五人の視線を受けながら、本棚から一冊の本を取り出す。表紙に書かれている文字は、暗号か何かだろうか、五人の妖怪たちには読むことができなかった。
「これは、魔法の本よ。魔導書とも呼べないレベルのものだけれど」
かぶった埃を払おうともせず、その本を星という妖怪に手渡す。
「魔法の基礎を心得ていない者でも、数人がかりで行えばそれなりの効果を発揮するような、簡単な魔法のやり方が載っているわ。本当に単純な魔法しか載っていないから、暗号化もされていないし魔法でロックもかけていない。あなたたちでもすぐ実行出来るんじゃないかしら」
「わ、私たちが?自分たちで魔法を……?」
「素人にも出来るんだから、魔法というよりもおまじないに近いわね。だから絶大な効果は期待しないで。願掛け程度の気持ちでやってみることね」
席に戻ると、開きっぱなしの本をまた手に取り、読み始めるパチュリー。五人の妖怪は小声で話し合いながら、おまじないの本を囲っていた。
「これを、貸してくれるの?対価は……?」
帽子をかぶった幽霊が尋ねてくる。パチュリーは本から目を逸らすことなく答えた。
「いいわよ、そんなど素人向けのおまじない本なんて。返すとき、美味しい酒でも持って来てくれてもいいけれどね」
ちなみに、あなたたちにはたぶん、142ページのおまじないが合っていると思うわ。そう言ってから、もういいでしょう、早く帰って頂戴、とパチュリーは退室を促した。
五人は口々に礼を言うと、ぞろぞろと揃って歩き出す。最後のひとりが出入り口を通り抜け、ぱたりと扉が閉まる音が聞こえてから、図書館はしばらく静寂に包まれた。
パチュリーは本を読み進める。そしてきりのいい辺りまで読み終え、そのページに栞をはさむと、口を開いた。
「……で?あなたは何の用?」
一瞬、沈黙が流れる。
しかし次の瞬間には、パチュリーの上空にぱっと人型の影が現れ、それは俊敏な動きでパチュリーの正面まで向かっていった。
影は徐々に色を帯びていき、その全貌が明らかになってゆく。それは、少女のかたちをした、妖怪だった。
「なあんだ、ばれてたの?」
少女は不満そうな声を出す。
「つまんない。後ろから、わっ、て驚かしてやろうかと思ったのに」
黒髪に黒い服、背に奇妙なかたちの羽根を生やしたその少女は、地に足をつけないままくるくると動き回る。
「黒くて丸い物体が上空を飛んでいたのには、初めから気づいていたわ。でも、それが意思を持った生物だと気づくのは少し遅れた。あなたは一体何?」
「鵺だよ。正体不明がうりの、鵺」
鵺はつまらなさそうな表情のまま、その場でぐるりと宙返りしてみせる。変わった奴ね、とパチュリーは思った。
「で、その鵺が私に何の用かしら」
「142ページだっけ?さっき村紗たちに教えてたページ、そのページに何が書いてあるの?」
村紗、というのは恐らく、先ほどの五人のうちの誰かのことだろう。こいつはどうやら、彼女たちの知り合いらしい。
「幸福の魔法よ。一日限定で、対象人物に幸福な時間を与えられるおまじない。三人以上でやらなければ上手くいかない上、幸福っていうのも肩凝りが治るとかすきな食べ物を食べられるとか、そんな微々たるものだけれどね」
「へえ。……それさ、魔法で解除することってできないの?」
少女が突拍子もないことを言い始めたので、ページをめくっていたパチュリーの手が止まる。
「解除?」
「うん。あの五人のおまじないを、解除させるような魔法、ないの?」
「あのおまじないは、かけた本人たちにしか解除することが出来ないわ。残念ね」
「じゃあ、解除じゃなくていい。聖にかけられた魔法を全部無効化させるような魔法、そういうのならあるんじゃないの?」
聖というのは、例の大魔法使いの呼び名だ。この少女は、彼女に何か恨みでもあるのだろうか。
ふっと、パチュリーは顔を上げる。そこにあったのは、恨みを持った怒りの表情でも、何かを懇願するような表情でもない。悪意のない、笑顔だった。
楽しんでいるのだ。この少女は大魔法使いや、先ほどの五人に何かの恨みがあるわけではない。ただ純粋に、悪戯をして、楽しみたいだけなのだ。
邪魔だからすぐに追い払おうと思っていたパチュリーだが、その顔を見たとき、共に住んでいる友人の顔を思い出した。紅い霧をばら撒いて異変を起こしたときも、月へ行きたいと言い始めたときも、いつだって彼女は純粋に、物事を楽しもうとしていた。そういうおかしな話を持ちかけてくるときの友人の顔に、そのときの少女の表情は、そっくりだったのだ。
「……特定の対象人物にかけられた他の魔法を全て無効化させる魔法、ねえ。あるにはあるけれど。魔女でもないただの妖怪が使うのなら、一日くらいしかもたないわよ」
「それでいいよ。村紗たちのおまじないだって、明日一日しか効果を発揮しないんだから。その魔法のやり方教えてよ」
答えるより先に、パチュリーはふわりと宙を飛んだ。そして、本棚の一番高いところから一冊の魔導書を抜き取ると、鵺の正面に戻ってきた。
「この本の、37ページ。さっきの五人に渡したのと一緒で、簡単な魔法しか書かれていないおまじない本よ。持っていきなさい」
「お、ありがとー。なんだ、もっと渋るかと思ってた」
「貴重な本でもないから。ほら、用が済んだならとっとと出ていって」
しっしっ、と手で追い払う仕草をするパチュリー。少女はけらけら笑いながら、黒い球体へと姿を変え、そのまま高速で図書館の窓を突き破っていった。
人助けのような真似と、悪戯の片棒を担ぐこと、その両方を終えたパチュリーは、今度こそひとりきりになる。
やっと静かになった、と、パチュリーは安心して読書を再開させるのだった。
*
翌日、聖の姿は博麗神社にあった。
「珍しいわね」
霊夢は迷惑そうに言い放つ。
「妖怪で、しかも商売敵でもあるあんたがうちの神社に来るだなんて。此方としてはあまり気持ちがよくないんだけれど」
しかし聖はそれを気にしていないようで、にこにこ微笑みながらお茶を啜っている。
「あれだ霊夢、今日はこいつが復活した記念日だそうだ。だから寺でパーティーをするだとか聞いたぜ」
その隣で茶菓子に手を伸ばしているのは、例のごとく魔理沙。何かを盗んだり悪巧みをしたりしているとき以外は、たいていここか古道具屋にいる。
「あら、よくご存知ですね。パーティーなんて催しがあること、私自身は今朝聞いたばかりだというのに」
「幻想郷の風の噂は凄いぜ、なんせ幻想郷最速を豪語する天狗が撒き散らしている風だからな。ほら、早速新聞にも載っている」
「相変わらずどうでもいいネタを拾っては広めているのねえ、あの文屋は。私の武勇伝はまともに記事にしてくれないくせに」
自身の大切な日を「どうでもいい」との一言で片付けられても、聖の笑顔が変わることはなかった。元々そういう性分なのだが、何だろう、今日の聖はいつもよりも更に明るいオーラを放っているようだ。
「おお、なんだよ白蓮。今日はやけに機嫌がいいな、それほどパーティーが楽しみなのか?」
そんな聖の様子を察した魔理沙が、茶菓子を頬張りながら尋ねる。
「いえ、それももちろんあるのですが……。なんと言いますか、今日はなんだか、朝からとても気分がいいのです」
「そうね、何だかさっきから凄く上機嫌な顔をしているわ。その上そわそわしているというか……いつも落ち着いているあなたらしくないわね」
そうですか?と満面の笑みを浮かべる聖。躁状態、というと言い過ぎかもしれないが、そんな印象を受けてしまうほど、今の聖は普段とは違う雰囲気だった。
「とにかく、お寺の皆がパーティーの準備をしてくれているそうなので。そのあいだ、夕方頃まではここにお邪魔させて頂きますね」
「あら、それなら掃除を手伝ってよね。あるいはお賽銭を入れてくれてもいいわ」
ええよ喜んで、と快諾する聖。いつもならここで、参拝客が来ないのはそうやって怠けているからだとか何とか説教をされてもおかしくないのだが、今日の聖は本当に機嫌がいいようだ。
箒を手に持ち、るんるんと躍るように掃除をこなしていく聖の姿に、霊夢と魔理沙は違和感を覚えた。まるで、何かの魔法にかけられたように、聖はやたらと楽しげな表情を浮かべていたのだ。
時刻は午後一時頃。空は、青々と晴れ渡っていた。
その頃、命蓮寺ではパーティーの準備が進められていた。
しかし、準備は少し難航していた。
まず、響子が朝から、喉の不調を訴えていた。昨日までは何ともなかったし、熱は出ていないので、風邪とは考えづらい。痛いのではなく、何故だか、声だけが出ないのだ。作業自体にあまり支障はきたさなかったが、複数人で協力して準備をしなければならない限り、コミュニケーションの手段が声を掛けること以外に限られてしまうのは地味に負担となってしまった。
また、星に次いで大きな役目を担っていた一輪が、体調を崩してしまったのだ。一輪は昔、身体が強いほうではなく、どちらかといえば病弱気味だったという。しかしここ数十年は、大きく体調を崩すことがなかった。朝起きたときから既に頭痛を訴えていたのだが、お昼を過ぎる頃には悪化してしまい、自室で休息することとなった。
そして一輪が担当していた仕事をナズーリンが代行することになり、彼女はそのちいさなからだで、忙しそうにあちこちを走り回っていたのだった。
「いやあ、忙しいね……普段の仕事もなかなかに忙しいが、今日は一段と忙しい。一息つく暇もないよ」
荷物を運びながらそう村紗にこぼすナズーリン。しかし、村紗は愛想笑いのようなものを浮かべただけで、まともな返事はしていなかった。
その表情が気になったナズーリンは、心配して声を掛ける。
「……何だ、大丈夫か、村紗?君も体調が悪いのかい?」
村紗は翳った表情で、それでも笑顔を取り繕うとする。そのぎこちない笑みが何だか痛々しく思えた。
「いや、体調は大丈夫だよ。……ただ、今朝、ちょっと嫌な夢を見てね」
「夢?」
村紗は視線を下に向けたのち、俯いて答える。
「そう、夢。……嫌にリアルな悪夢だったよ。昔の記憶を嫌なほど思い出せさせるような。暗い海のなかで、ひとりきりで縛られていた頃の、あの記憶を……」
聞いてはいけない話だったかな、とナズーリンは後悔した。けれど村紗は無理やり笑顔を作りながら、ごめんねこんなこと言っちゃって、と謝罪する。
「まあ、たまにはこんな悪夢を見てしまうこともあるさ。でも今日は、特別な日なんだからね。気持ちを切り替えて頑張らなきゃ!」
虚勢を張っているようにしか見えない村紗の心の不安定さに、ナズーリンはますます心配してしまう。いつも明るく振舞っている村紗だからこそ、こういう一面を見せられてしまったとき、何と声を掛けていいものか分からなくなる。
しかし、今はそんなことを気にしていられる場合ではない。何週間も前から、皆で構想を練っていたパーティーなのだ。絶対に成功させたいし、聖が喜ぶ姿を見れば、村紗の心も落ち着くだろう。
だが、そう思っていた矢先、とんでもないハプニングが発生する。
なんと、皆が各々心を込めて用意していたプレゼントを、星が全て紛失してしまったというのだ。
「どういうことだい、ご主人」
ナズーリンは険しい顔で詰め寄る。
一方、星のほうは泣きそうな表情を浮かべながら、おかしいですおかしいです、と呟いていた。
「さっきまで……本当に、三分前くらいまではきちんとここに仕舞ってあったんです。それからは一度も弄っていませんし……一体どうして……」
心底不思議そうな顔で、きょろきょろと周りを見渡す星。星には元々物を失くす癖があるものの、たった二、三分でそんなに多くのものを紛失するほど深刻なものではなかったはずだ。それに、プレゼントを厳重に保管してあったのはナズーリンもきちんと見ていたし、その後星がその周辺を行き来する姿も全く見ていなかった。
ナズーリンは他の仕事に追われていてプレゼントを出し入れする暇なんてなかったし、一輪は自室で寝ているし、村紗はここ十分ほど、ナズーリンと行動を共にしていた。響子は保管場所からは随分離れた場所で作業していたし、……となると、思い当たる怪しい人物はひとりしか残っていなかった。
「は?私が皆のプレゼントをどこかへ隠した…?」
疑惑の眼差しを一斉に浴びることとなったぬえは、苛ついた口調で反抗した。
「なにそれ、そんなの知らないわよ。星が失くしたんでしょう?何で私が疑われなきゃならないの?」
「いま寺にいる面子の中で、プレゼントを隠すことが可能な者は君しかいないんだ。それに君は、聖の復活記念日パーティー開催に消極的だったろう?パーティーを滅茶苦茶にしてやろうとか、そんなことを目論んでいるんじゃないのかい?」
ぬえの心境は複雑だった。ぬえは本当に、プレゼントのことなんて全く知らないのだ。けれど、パーティーの邪魔をして、無茶苦茶にしてやろうという気持ちは確かにあった。
そういえば、今日五人が実行したであろう幸福のおまじないは、一体どうなったのだろう。聖がこの場にいないので効果が発揮されているのかは分からないが、ぬえが試してみた無効化の魔法が効いていたのなら、きっと聖はいつも通りの一日を送っているに違いない。特に幸福を得ることもなく、普段と全く変わらない、平凡な日常を送っているはずなのだ……。
「ちょっとぬえ、聞いてるの?」
声がしたのではっとして振り返る。そこには、酷く怒った顔の村紗が立っていた。
嫌な夢を見たせいで気が立っているのだろうか。いや、大事なプレゼントがなくなったのだから、当然といえば当然か。気づくと村紗やナズーリンだけでなく、普段は温厚な星や響子でさえ、こちらに疑惑の目線を向けていた。
「なによ、私はほんとに知らないわよ!」
「とぼけるな。ご主人は確かに物を時折失くす癖があるが、こんなところに大事に保管してあったものを、うっかり失くすわけがない。正直に白状してくれ」
「嫌よ、何で私ばっかり濡れ衣着せられなきゃいけないのよ!何で、……何で!」
ぬえは叫びながら黒い影へと姿を変え、その場から逃げ出していってしまった。
村紗が反射的に追おうとするが、ぬえのあのスピードに追いつけるはずがない。諦め、残された四人は早急に、プレゼント探しをする他ないのだった……。
飛んで、飛んで、無我夢中で飛んで無意識のうちに辿り着いた先は、あの紅白の巫女の神社だった。
「何なの、今日は。次から次へと、珍しい客がやって来るものね」
湯呑みを片付けていた霊夢は、はあと溜息をつく。先ほどまで、ここに誰かが来ていたらしい。
「聖が来たと思ったら、今度はぬえか。何だ、お前はパーティーとやらに参加しなくていいのか?」
箒をくるくる回しながら魔理沙が言う。どうやら先ほどまでいた客というのは、聖のことらしい。興奮冷めやらぬ様子でぬえは捲し立てた。
「いいのよ、あんなの。私は元々出る気はなかったもの。でも今さっき確信したわ、私はあいつらとはそりが合わない!もう二度と帰ってやるもんか!」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、尋ねてくる。
「何よ、何かあったの?」
「あああったわよ、そりゃもう腹が立つことがね!」
ぬえは、ふたりに話し始めた。
今日の明け方、寺の五人が聖におまじないをかけたこと。それを阻止するために自分は無効化のおまじないをかけたこと。どちらのおまじないが効いたのかは分からないけれど、何故だか今日の命蓮寺内は混乱していて、そんななか自分が聖宛ての大切なプレゼントを盗んだという疑いをかけられたこと。
ぬえが怒りに任せて吐露した今日の出来事を聴き終えるなり、魔理沙はふむ、とあごに手を当てる。
「それは、あれだな。恐らく効力を発揮したのは、他の五人がかけた魔法だったんだろう」
うんうんと、納得するように頷く魔理沙。
普段は適当なことも言うような奴なのであまり信用はしていないが、こいつも一応、魔法使いの端くれなのだ。少なくともぬえよりは魔法に詳しい。だからその言葉には、少し信憑性が宿る。
「村紗たちのおまじないが成功したと?私がかけた無効化のおまじないは失敗したってこと?」
「ああ、そうだと思うぜ。今日の聖は魔法にかけられたような上機嫌さだったが、なるほど、そういうことだったのか。合点がいくぜ」
「でも、私は本に書かれていたことをちゃんと間違えずに実行したのよ?なのにどうして失敗したの?」
「魔法にも得手不得手があるからな。お前はきっと、簡単なおまじないすら出来ないくらい才能がないんだろう」
自称魔法使いの人間は、小馬鹿にするような態度で笑う。私の、この私の力が人間に劣るだと?ぬえはむっとして魔理沙を睨みつけた。
「でも、今日に限って寺の内部で悪いことが重なっていたというのは気になるわね。星たちがかけた魔法と何か関係があるのかしら?」
ここで霊夢が口を挟む。妖怪退治の腕前はぴかいちの彼女だが、魔法という分野に関しては疎いはずだ。
「関係ありありだぜ。対価だよ、魔法の」
「対価?」
「魔法を使うには本来、魔力を消耗する。魔力という犠牲を払ってこそ、魔女は魔法を使えるんだ。が、星たちはそれを殆ど持っていない。だから、」
「魔力の代わりに、他のもので犠牲を払ったわけね。結果、ナズーリンは忙しさに追われ、響子は喉を潰し、一輪は体調を崩し村紗は嫌な夢を見て、星はプレゼントを失くした」
魔理沙の説明を途中から霊夢が引き継ぐ。ぬえは聴きながらなるほど、そういうことだったのかと感心していたが、すぐに納得のいかない点を見つけ、それを訴えた。
「じゃあ、私は?他の五人は魔法の対価として災厄を受けた。でも、だったら私が受けた災厄は何なの?私の魔法は失敗したのに……」
「天罰よ、天罰。悪いことをしようとする妖怪には罰が当たるの」
さほど悪いことをしていない妖怪にも平気で"天罰"を与えることで有名な巫女は、平然とそう言ってのける。
ぬえは、言い返せなかった。確かに、このふたりが今述べた説と今日あった出来事を反芻してみると、なるほど筋が通る。けれど、理性では解っているのに、認めたくない思いが強かった。
「私が、……悪いの?ただ楽しみたかっただけなのに?」
「そういう妖怪が跋扈しているから、幻想郷には私みたいな人間が必要なのよねえ。全く、人里の人間たちはそれを理解してもっと参拝にくればいいのに。はあ、理不尽だわ」
今日何度目か分からない溜息をつく霊夢。また面白い異変が起きないかねえ、と笑う魔理沙。
ぬえは、立ち上がった。寺に帰る気はなかったが、なんとなく、ずっと神社にいるのも嫌な気がして。
「お、なんだ、改心してパーティーの準備に戻るのか?」
聖はとっくに寺へ辿り着き、もうパーティーは始まっているだろう。しかし、ぬえが向かう場所は、そこではない。ぬえには元々、帰る場所なんて、ないのだ。
ぬえは何も言わず黒い靄へと姿を変え、神社をあとにした。行く当てはない。ただ、ひとりになりたかった。
空はすっかり暗くなってきている。ぬえはそのまま、何も考えずに飛び続けていた。
気配を消す魔法は巫女には看破され見つかってしまうかもしれないと思っていたが、杞憂だったようだ。
パチュリーの姿は、博麗神社の境内にあった。木の裏に隠れ、物音を立てずに朝から今まで事の終始を見守っていたのだ。ぬえが神社から去ったあと、パチュリーは魔理沙に突っ込みたい気持ちで一杯だった。なんとか堪え、姿は現さずにいたが。
全く、相変わらず適当なことを言う人間だ。魔法の対価で災厄が降りかかる?そんなことは決してない、ましてやおまじない程度の弱小魔法でそんな現象が起こるなんて考えられない。パチュリーは、魔理沙とは全く違った見解を持っていた。
ぬえがあのおまじないを本当に実行していたとすれば、五人がかけた幸福の魔法はすっかり無効化されただろう。ぬえに与えたおまじないは間違えようがないほど簡易なものだから、失敗したとは考えにくい。きちんと成功して、効力を発揮したはずだ。聖が上機嫌だったのはたまたまで、五人がかけた魔法によるものではないのだ。
そこまでは確信が持てるのだが、そこから先が、パチュリーには分からなかった。五人と、あの鵺が被った災厄。それらの災厄は果たして、ただの偶然なのだろうか?
もしもぬえが実行した魔法と何か関係があるのなら、それは興味深いことだ。すぐにでも原因をつきとめ、今後の魔法の研究に活かさなければ。知的好奇心に押されるがままに、パチュリーは宙を飛び境内から出る。
そのまままっすぐ、紅魔館に向かってゆくパチュリー。空はもう宵闇に染まり、星がきらきらと輝いていた。
*
……さて、ここで問題である。
星、村紗、一輪、響子、ナズーリン、そして、ぬえ。
この六名が受けた災厄と、ぬえがかけたおまじないには、本当に関連性があるのだろうか?
答えは、イエスである。
ぬえが行ったちいさな魔法が何故、六名にそれぞれ災厄をもたらしてしまったのだろう?
その理由は、聖に説明してもらうこととする。
暗転、場面転換。
帰路についている聖に、スポットライトを当ててみよう。
*
聖のもとへ慌ただしくナズーリンがやって来たのは、神社を出て間もない頃のことだった。
そこで聖は、パーティーの準備が予定より大幅に遅れていることを知らされる。だから開始予定時刻をずらしたい、本来ならそろそろ聖を迎えられたであろう時間なのだが、悪いがそのままもう少し寺の外で待っていてくれないか。ナズーリンはそう告げると、急いで寺の方面へと向かってゆくのであった。
準備が整ったら迎えに行く、とナズーリンは言っていたが。あれから数時間、時刻はもう午後11時半を回っていた。何があったのかは分からないが、ちょっとやそっとのトラブルでここまで準備が遅れたりはしないだろう。誰かが体調を大きく崩したりしたのかもしれない。聖は心配していたが、迎えが来るまでは寺に戻らないと約束していたため、それを守ってふらふらと夜道を散歩していた。
道中、悪意を持った何匹かの妖怪が喧嘩を売りにきたので、軽く退治して説教をした。何匹かの妖怪は聖の姿を見るなり好意的に話しかけてきたので、そこで話に花を咲かせ時間を潰したりもした。何かの用事で道を歩いていた人間がいたので、今は何時ですかと尋ねると、深夜0時をちょいと過ぎた頃です、と返ってきた。人間がこんな時間にこんな場所をうろついていては危険ですよ、と聖は諭し、その人間を護衛のため家まで送り届けてやった。
結局、パーティーの準備は、復活記念日当日までに間に合わなかったということか。ぼうっとそう考えたが、それに対して寂しさを覚えるようなことはなかった。復活記念日を皆が祝おうとしてくれている、その気持ちだけで本当に嬉しい。本当に、本当に嬉しいのだ。
聖は人がすきだった。そして妖怪もすきだった。そのなかで誰が特別というようなことは、ずっと、なかった。
しかし今の聖は違う。もちろん人も妖も、誰でも平等に愛したい気持ちは変わらないけれど、そのなかでも特別愛するべき者たちを見つけてしまった。仲間、というものだ。聖はじぶんを愛してくれる仲間たちを、特別、愛してしまったのだ。
ひとりひとりとの出逢いはそれぞれ、本当に密なもので、聖にとってかけがえのない思い出となった。そして、そういった出逢いを繰り返すたび、聖には願いが生まれていった。それらの願いは、普通の人間なら信念と呼ばれるような不可視のものに留まるであろう、ささやかな想いであったけれど。聖は大きなちからを持った大魔法使いであり、その聖が願うのだから、それはただの想いだけに留まらなかった。
聖は知らず知らずのうちに、魔法をかけていたのだ。魔法といっても、無意識下で行ったものなのだから、きちんとしたものではなくおまじない程度の些細な魔法であった。が、確かにそれは、微細なものでありながらも、効果を持った魔法となったのだ。
聖がそれぞれの仲間と出逢ったときに、願ったこと。
物を時折失くす癖のある星には、大事な物を失くさないようにと。
暗い過去から抜け出すことが出来ずにいた村紗には、それを忘れられるようにと。
元々体調を崩しやすかった一輪には、毎日健康でいられるようにと。
元気な声で挨拶してくれる響子には、その挨拶で他人を和ませることが出来るようにと。
多忙な日々を送るナズーリンには、少しでもゆっくり休める時間が得られるようにと。
ずっとひとりぼっちだったぬえには、孤独を癒せる仲間が出来るように、と。
そして聖は、いつも最後にこう願っていた。
それらの願いを叶えられるのが、出来ればどうか自分でありますように。
それは聖が聖にかけた魔法として、意識せずとも成立した。
もちろん、そんな魔法がなくとも、願いは叶っていただろう。
しかし、それを支える、手助けするおまじない程度の効果はあったようだ。
聖はそんなことに、全く気づいていないけれど。
愛する気持ちは、魔法になる。
いや、もしかすると、誰かを愛するということ自体が、誰にでも出来る魔法なのかもしれない。
聖は散歩をしながら、ひとりひとりの仲間との出逢いを、ひとつずつ思い出してゆくことにした。さて、誰からにしよう。どの思い出も偶然的で必然的で、そして、とてもあたたかいものなのだ。
もう随分と長い道のりを歩いた気がする。けれど、その足取りは、軽かった。
深夜0時過ぎ、やっとパーティーの準備を終えたばかりの命蓮寺内は、にわかに活気づいていた。
「よし、これで全部完成だ!……ってあれ、一輪?大丈夫?」
ばんざーい、と村紗が両手を上げたところで、一輪が居間に入ってきた。つい先ほどまでは頭痛にうなされていたはずなのに、まるで憑き物がとれたかのような落ち着いた顔で、部屋のなかを見渡している。
「ええ、もう大丈夫よ、何故だか急に頭痛が引いて……パーティーには参加出来ないと思っていたけれど、間に合ったようで良かったわ」
「そうか、それは良かった。しかし大変だったんだぞ。私は昨日丸一日、本当に休む暇が無かった」
ナズーリンは、疲れ果てた様子で床に座りこんでいる。すると隣にいた響子が、おつかれさまですー、と声を発した。
「おや?声が出るようになったのですか、響子?」
響子ははっと背筋を伸ばし、あ、ほんとだ!と叫ぶと、あーあーなどと発声練習のようなものを始めた。
「あはは、一輪も響子も良かったね。ナズーリンは二人分の作業、お疲れ様。パーティーではゆるりと楽しい時間を過ごそうね」
「ああ、そしてその後はきっと、ぐっすり深い眠りについてしまうだろうな。夢も見ずにぐっすりと」
「そうだね、きっと私もそうなるだろうな。そういや最近は全然夢見ないなあ」
「え?村紗、昨晩は夢を見たと言っていなかったか?」
「? 私、そんなこと言った?」
不思議そうに首を傾げる村紗につられ、ナズーリンも首を傾げる。あれれ、おかしいな、確か村紗は昨夜、悪夢を見たと言っていたのに。でもまあ、昨日はあまりに忙しかったから、私の記憶が混乱しているのかもしれない。ナズーリンはそう納得することにして、立ち上がった。
「さあ、これ以上の無駄話は後だ。話なら、パーティーのときにいくらでも出来るだろう。早く聖を迎えに行」
「ナズーリン!」
唐突な主の呼び声に、ナズーリンの言葉が遮られる。その声色は、明るく嬉々としたものだった。
振り向くと、そこにはいくつもの箱や袋を抱えた星の姿が。
色とりどりの装飾がなされた、箱と袋。それらは全て、寺の皆がそれぞれに用意していた、聖へのプレゼントだった。
「なっ、……それはどこから見つけてきたんだ、ご主人⁉」
「私の部屋にありました!」
ふふん、と得意げな表情を浮かべる星。一方、ナズーリン含め室内にいた妖怪たちは、皆一様に唖然とした様子を見せていた。
一拍置いて、ナズーリンはそのちいさな手を、額に当てる。そして、呆れ果てた声で呟くのだった。
「と、いうことは、だ。プレゼントはぬえが盗んだわけではなく、……やっぱり君が失くしていたということかい、ご主人……」
「不思議ですね。昨日までは確かに無かったのですが」
悪びれる風もなく、ただにこにこ笑っている星。まるで魔法みたいですね、などと言い始めるが、ナズーリンはそれを無視してダウジングロッドを手に取った。
「全く……。ほら行くぞ、皆。こんなに長い間待たせてしまったんだ、せめて全員で迎えに行かなければな」
む、結構遠くにいるな、と眉をひそめるナズーリン。と、その灰色のスカートの裾を、くいっと引っ張る手があった。
目線を遣ると、そこには響子の姿が。彼女はいつもの和やかな笑顔でナズーリンを見上げながら、言う。
「もうひとり、迎えに行かなきゃなのですよ。……たぶん、自分からは帰ってこないでしょうから」
すると響子のそのあたまを、村紗の手がやさしく撫でた。
「うん、そうだね。……あいつ意地っ張りだから。引きずって連れ帰ることになるかもね」
誰のことを言っているのかは、皆よく分かっている。他の面子も、そうだそうだと賛同し始めた。
「あの子はすばしっこいからね。虫取り網でも用意して行く?」
「はは、なら籠も持って行かなきゃ。正体不明ってことは、どんなかたちになってもおかしくないってことでしょ?持ち運びに便利だねえ」
「ナズーリン、彼女が今どこにいるのか分かりますか?」
「ええと、ここから南南東に向かった先……恐らく聖のいる場所よりも近いね。先にそっちを迎えに行くかい?」
四人は同時に、頷く。
ナズーリンは、よし、と声を発すると、玄関へと向かっていった。
扉を開けると、そこは真っ暗な宵闇の世界。もしも彼女が黒い影のようなすがたをとっていたら、見つけるのは難しいかもしれない。しかし、絶対に、見つけ出すのだ。
何故なら、彼女は、自分たちの仲間だから。
夜空にまたたく星の光は、行く道の足元を照らすにはちいさすぎたけれど。
彼女たちのしあわせそうな顔を照らし出すには、じゅうぶん明るく、輝いていた。
よく盗っ人魔法使いが勝手に入り込んできたりはするが、あれは不法侵入であって客人ではない。館の主がきまぐれか何かで妖怪たちを呼び、大きなパーティーを開くことはあるものの、招待されていない妖怪が紅魔館の誰かを訪ねてやってくることはほとんどない。やって来たとしても、少しでも怪しいと思えば門番が適当にあしらってしまう。
その門番が、門をくぐることを許したのだ。彼女たちには何かきちんとした理由があって、それを考慮した上で門番は館の中まで案内してきたのだろう。メイド長は一瞬身構え、ここまでやって来た理由を聞き出そうとしたが、門番を信用して何も問わないことにした。彼女たちには明らかに、敵意が感じられなかったからだ。
また、訪ねた先が主ではなく、主の友人である魔女だったこともメイド長の警戒を解いた要因のひとつであった。彼女たちの住む場所にはかなり実力のある大魔法使いがいる。それなのにわざわざ紅魔館の魔女に会いにきたということは、恐らく、大魔法使いには内緒で何かの魔法を使おうとしているのだ。そしてその魔法が紅魔館に何らかの害悪を及ぼすとは、到底思えなかった。
図書館入り口まで案内すると、メイド長はいったん彼女たちを止め、ひとりで図書館を飛び回った。広い図書館のなかで素早く魔女を見つけるのは、慣れた者でなければ難しい。たまに、本に埋もれていて上からでは見えにくいときもあるのだが。
魔女を見つけると、メイド長は彼女たちのほうを振り返り、手招きした。
五人の客人はぞろぞろとそちらへ向かっていった。
MAGICAL BIRTHDAY
表情には出さなかったものの、パチュリーは驚いていた。
紅魔館には滅多に客人が来ないが、自分を訪ねてくる者は特に少ない。なのに今日は五人も、しかも全員ろくに話したことがない面子なのだ。
五人はそれぞれ背筋を伸ばし、立ったままこちらを見つめていた。ひとりひとりの顔を見回していくと、目が合った者から各々、丁寧にお辞儀をしてくる。
「……調子が狂うわ。畏まった態度で接してもらうのには慣れてないのよね。椅子がたくさんあるでしょう、皆適当に座っていいわよ」
そう言っても、誰一人として座ろうとしない。頼み事をしにきたのに自分たちがくつろぐわけにはいかない、とでも思っているのだろうか。
パチュリーははあ、と溜息をついた。そして、読んでいた本のページをめくりながら尋ねる。
「ああ、もういいわ。……単刀直入に言っていいわよ、用件は何?」
皆が一斉に口を開こうとしたが、そのうちのひとりが手を上げ、他の者たちを制した。代表者的存在なのだろうか。彼女たちのなかで背がいちばん高く、纏っている衣装からは神々しさのようなものを感じた。
「まずはご挨拶を。私、寅丸星といいます。本日はお忙しい中、お時間を頂き……」
「面倒な前置きはいいから。用件だけ言って」
「あなたの魔法の力を借りたいんだ」
星と名乗った妖怪の言葉を遮ったパチュリーに、別の妖怪が話しかけてくる。帽子をかぶった、恐らく幽霊か何かだろう。
「私じゃなくたって、他の魔法使いを頼ればいいじゃない。あの盗っ人魔法使いとか、森の人形使いとか」
「白黒の自称魔法使いは、パワフルな魔法ばかりを扱っているイメージだわ。私たちが求めているのはもっと繊細な魔法なの。人形使いは、訪ねたんだけれど不在だった」
「いや、反応はあったから家にはいたんだろう。たぶん居留守を使われたんだ」
次に返事をしてきたのは、青い頭巾をかぶった妖怪。それを補足したのは、ちいさな鼠の妖怪だった。
「紅魔館の魔女さんは、いろんな魔法に詳しいって聞きました。だからみんなで来たんです」
鼠の隣にいる、犬の耳を生やした妖怪も声を発する。彼女たちは見た目には礼儀正しい態度を保っていたが、その言葉からは「自分たちの要求を受け入れてくれるまでは帰れない」という頑固な意志を持っている印象を受けた。
「あなたたちのことは知っているわ、少し前に騒ぎを起こして、人里近くに寺を建てた連中でしょう?その寺には強い力を持った魔法使いが住んでいると聞いたけれど?」
「ええ、その通りです。しかし今回は彼女には秘密裏に、魔法を使いたいと思っているのです」
「何故?」
「サプライズだよ。明日は彼女の誕生日、いや、正確には復活記念日だが……とにかく大切な日なんだ。我々は彼女に日頃世話になっているからね、それぞれお祝いの品を用意したよ。しかし、出来るならば、もう少し手の込んだプレゼントを渡したいと思っている」
なるほど、その「手の込んだプレゼント」というのが、魔法というわけか。
「あのね、そうやって簡単に言うけれど。私はボランティアのために魔法を研究しているんじゃあないの。魔法を使うには魔力を消耗するのよ、貴重な魔力を他人の我儘のために浪費したくはないわね」
「もちろん対価は支払うわ。なんとかお願い出来ないかしら」
「魔法の使えない妖怪から受け取る対価ねえ。あまり価値を見出せそうにないわ、そちらに住んでる大魔法使いさんの魔導書を借りられるのなら考えなくもないけれど」
「いや、聖の所有物は勘弁してくれ……。他の物で手を打てないかね」
パチュリーが冷たくあしらおうとしても、妖怪たちはなかなか引き下がろうとしない。これ以上話し合っても時間の無駄だと判断し、パチュリーは席を立った。
五人の視線を受けながら、本棚から一冊の本を取り出す。表紙に書かれている文字は、暗号か何かだろうか、五人の妖怪たちには読むことができなかった。
「これは、魔法の本よ。魔導書とも呼べないレベルのものだけれど」
かぶった埃を払おうともせず、その本を星という妖怪に手渡す。
「魔法の基礎を心得ていない者でも、数人がかりで行えばそれなりの効果を発揮するような、簡単な魔法のやり方が載っているわ。本当に単純な魔法しか載っていないから、暗号化もされていないし魔法でロックもかけていない。あなたたちでもすぐ実行出来るんじゃないかしら」
「わ、私たちが?自分たちで魔法を……?」
「素人にも出来るんだから、魔法というよりもおまじないに近いわね。だから絶大な効果は期待しないで。願掛け程度の気持ちでやってみることね」
席に戻ると、開きっぱなしの本をまた手に取り、読み始めるパチュリー。五人の妖怪は小声で話し合いながら、おまじないの本を囲っていた。
「これを、貸してくれるの?対価は……?」
帽子をかぶった幽霊が尋ねてくる。パチュリーは本から目を逸らすことなく答えた。
「いいわよ、そんなど素人向けのおまじない本なんて。返すとき、美味しい酒でも持って来てくれてもいいけれどね」
ちなみに、あなたたちにはたぶん、142ページのおまじないが合っていると思うわ。そう言ってから、もういいでしょう、早く帰って頂戴、とパチュリーは退室を促した。
五人は口々に礼を言うと、ぞろぞろと揃って歩き出す。最後のひとりが出入り口を通り抜け、ぱたりと扉が閉まる音が聞こえてから、図書館はしばらく静寂に包まれた。
パチュリーは本を読み進める。そしてきりのいい辺りまで読み終え、そのページに栞をはさむと、口を開いた。
「……で?あなたは何の用?」
一瞬、沈黙が流れる。
しかし次の瞬間には、パチュリーの上空にぱっと人型の影が現れ、それは俊敏な動きでパチュリーの正面まで向かっていった。
影は徐々に色を帯びていき、その全貌が明らかになってゆく。それは、少女のかたちをした、妖怪だった。
「なあんだ、ばれてたの?」
少女は不満そうな声を出す。
「つまんない。後ろから、わっ、て驚かしてやろうかと思ったのに」
黒髪に黒い服、背に奇妙なかたちの羽根を生やしたその少女は、地に足をつけないままくるくると動き回る。
「黒くて丸い物体が上空を飛んでいたのには、初めから気づいていたわ。でも、それが意思を持った生物だと気づくのは少し遅れた。あなたは一体何?」
「鵺だよ。正体不明がうりの、鵺」
鵺はつまらなさそうな表情のまま、その場でぐるりと宙返りしてみせる。変わった奴ね、とパチュリーは思った。
「で、その鵺が私に何の用かしら」
「142ページだっけ?さっき村紗たちに教えてたページ、そのページに何が書いてあるの?」
村紗、というのは恐らく、先ほどの五人のうちの誰かのことだろう。こいつはどうやら、彼女たちの知り合いらしい。
「幸福の魔法よ。一日限定で、対象人物に幸福な時間を与えられるおまじない。三人以上でやらなければ上手くいかない上、幸福っていうのも肩凝りが治るとかすきな食べ物を食べられるとか、そんな微々たるものだけれどね」
「へえ。……それさ、魔法で解除することってできないの?」
少女が突拍子もないことを言い始めたので、ページをめくっていたパチュリーの手が止まる。
「解除?」
「うん。あの五人のおまじないを、解除させるような魔法、ないの?」
「あのおまじないは、かけた本人たちにしか解除することが出来ないわ。残念ね」
「じゃあ、解除じゃなくていい。聖にかけられた魔法を全部無効化させるような魔法、そういうのならあるんじゃないの?」
聖というのは、例の大魔法使いの呼び名だ。この少女は、彼女に何か恨みでもあるのだろうか。
ふっと、パチュリーは顔を上げる。そこにあったのは、恨みを持った怒りの表情でも、何かを懇願するような表情でもない。悪意のない、笑顔だった。
楽しんでいるのだ。この少女は大魔法使いや、先ほどの五人に何かの恨みがあるわけではない。ただ純粋に、悪戯をして、楽しみたいだけなのだ。
邪魔だからすぐに追い払おうと思っていたパチュリーだが、その顔を見たとき、共に住んでいる友人の顔を思い出した。紅い霧をばら撒いて異変を起こしたときも、月へ行きたいと言い始めたときも、いつだって彼女は純粋に、物事を楽しもうとしていた。そういうおかしな話を持ちかけてくるときの友人の顔に、そのときの少女の表情は、そっくりだったのだ。
「……特定の対象人物にかけられた他の魔法を全て無効化させる魔法、ねえ。あるにはあるけれど。魔女でもないただの妖怪が使うのなら、一日くらいしかもたないわよ」
「それでいいよ。村紗たちのおまじないだって、明日一日しか効果を発揮しないんだから。その魔法のやり方教えてよ」
答えるより先に、パチュリーはふわりと宙を飛んだ。そして、本棚の一番高いところから一冊の魔導書を抜き取ると、鵺の正面に戻ってきた。
「この本の、37ページ。さっきの五人に渡したのと一緒で、簡単な魔法しか書かれていないおまじない本よ。持っていきなさい」
「お、ありがとー。なんだ、もっと渋るかと思ってた」
「貴重な本でもないから。ほら、用が済んだならとっとと出ていって」
しっしっ、と手で追い払う仕草をするパチュリー。少女はけらけら笑いながら、黒い球体へと姿を変え、そのまま高速で図書館の窓を突き破っていった。
人助けのような真似と、悪戯の片棒を担ぐこと、その両方を終えたパチュリーは、今度こそひとりきりになる。
やっと静かになった、と、パチュリーは安心して読書を再開させるのだった。
*
翌日、聖の姿は博麗神社にあった。
「珍しいわね」
霊夢は迷惑そうに言い放つ。
「妖怪で、しかも商売敵でもあるあんたがうちの神社に来るだなんて。此方としてはあまり気持ちがよくないんだけれど」
しかし聖はそれを気にしていないようで、にこにこ微笑みながらお茶を啜っている。
「あれだ霊夢、今日はこいつが復活した記念日だそうだ。だから寺でパーティーをするだとか聞いたぜ」
その隣で茶菓子に手を伸ばしているのは、例のごとく魔理沙。何かを盗んだり悪巧みをしたりしているとき以外は、たいていここか古道具屋にいる。
「あら、よくご存知ですね。パーティーなんて催しがあること、私自身は今朝聞いたばかりだというのに」
「幻想郷の風の噂は凄いぜ、なんせ幻想郷最速を豪語する天狗が撒き散らしている風だからな。ほら、早速新聞にも載っている」
「相変わらずどうでもいいネタを拾っては広めているのねえ、あの文屋は。私の武勇伝はまともに記事にしてくれないくせに」
自身の大切な日を「どうでもいい」との一言で片付けられても、聖の笑顔が変わることはなかった。元々そういう性分なのだが、何だろう、今日の聖はいつもよりも更に明るいオーラを放っているようだ。
「おお、なんだよ白蓮。今日はやけに機嫌がいいな、それほどパーティーが楽しみなのか?」
そんな聖の様子を察した魔理沙が、茶菓子を頬張りながら尋ねる。
「いえ、それももちろんあるのですが……。なんと言いますか、今日はなんだか、朝からとても気分がいいのです」
「そうね、何だかさっきから凄く上機嫌な顔をしているわ。その上そわそわしているというか……いつも落ち着いているあなたらしくないわね」
そうですか?と満面の笑みを浮かべる聖。躁状態、というと言い過ぎかもしれないが、そんな印象を受けてしまうほど、今の聖は普段とは違う雰囲気だった。
「とにかく、お寺の皆がパーティーの準備をしてくれているそうなので。そのあいだ、夕方頃まではここにお邪魔させて頂きますね」
「あら、それなら掃除を手伝ってよね。あるいはお賽銭を入れてくれてもいいわ」
ええよ喜んで、と快諾する聖。いつもならここで、参拝客が来ないのはそうやって怠けているからだとか何とか説教をされてもおかしくないのだが、今日の聖は本当に機嫌がいいようだ。
箒を手に持ち、るんるんと躍るように掃除をこなしていく聖の姿に、霊夢と魔理沙は違和感を覚えた。まるで、何かの魔法にかけられたように、聖はやたらと楽しげな表情を浮かべていたのだ。
時刻は午後一時頃。空は、青々と晴れ渡っていた。
その頃、命蓮寺ではパーティーの準備が進められていた。
しかし、準備は少し難航していた。
まず、響子が朝から、喉の不調を訴えていた。昨日までは何ともなかったし、熱は出ていないので、風邪とは考えづらい。痛いのではなく、何故だか、声だけが出ないのだ。作業自体にあまり支障はきたさなかったが、複数人で協力して準備をしなければならない限り、コミュニケーションの手段が声を掛けること以外に限られてしまうのは地味に負担となってしまった。
また、星に次いで大きな役目を担っていた一輪が、体調を崩してしまったのだ。一輪は昔、身体が強いほうではなく、どちらかといえば病弱気味だったという。しかしここ数十年は、大きく体調を崩すことがなかった。朝起きたときから既に頭痛を訴えていたのだが、お昼を過ぎる頃には悪化してしまい、自室で休息することとなった。
そして一輪が担当していた仕事をナズーリンが代行することになり、彼女はそのちいさなからだで、忙しそうにあちこちを走り回っていたのだった。
「いやあ、忙しいね……普段の仕事もなかなかに忙しいが、今日は一段と忙しい。一息つく暇もないよ」
荷物を運びながらそう村紗にこぼすナズーリン。しかし、村紗は愛想笑いのようなものを浮かべただけで、まともな返事はしていなかった。
その表情が気になったナズーリンは、心配して声を掛ける。
「……何だ、大丈夫か、村紗?君も体調が悪いのかい?」
村紗は翳った表情で、それでも笑顔を取り繕うとする。そのぎこちない笑みが何だか痛々しく思えた。
「いや、体調は大丈夫だよ。……ただ、今朝、ちょっと嫌な夢を見てね」
「夢?」
村紗は視線を下に向けたのち、俯いて答える。
「そう、夢。……嫌にリアルな悪夢だったよ。昔の記憶を嫌なほど思い出せさせるような。暗い海のなかで、ひとりきりで縛られていた頃の、あの記憶を……」
聞いてはいけない話だったかな、とナズーリンは後悔した。けれど村紗は無理やり笑顔を作りながら、ごめんねこんなこと言っちゃって、と謝罪する。
「まあ、たまにはこんな悪夢を見てしまうこともあるさ。でも今日は、特別な日なんだからね。気持ちを切り替えて頑張らなきゃ!」
虚勢を張っているようにしか見えない村紗の心の不安定さに、ナズーリンはますます心配してしまう。いつも明るく振舞っている村紗だからこそ、こういう一面を見せられてしまったとき、何と声を掛けていいものか分からなくなる。
しかし、今はそんなことを気にしていられる場合ではない。何週間も前から、皆で構想を練っていたパーティーなのだ。絶対に成功させたいし、聖が喜ぶ姿を見れば、村紗の心も落ち着くだろう。
だが、そう思っていた矢先、とんでもないハプニングが発生する。
なんと、皆が各々心を込めて用意していたプレゼントを、星が全て紛失してしまったというのだ。
「どういうことだい、ご主人」
ナズーリンは険しい顔で詰め寄る。
一方、星のほうは泣きそうな表情を浮かべながら、おかしいですおかしいです、と呟いていた。
「さっきまで……本当に、三分前くらいまではきちんとここに仕舞ってあったんです。それからは一度も弄っていませんし……一体どうして……」
心底不思議そうな顔で、きょろきょろと周りを見渡す星。星には元々物を失くす癖があるものの、たった二、三分でそんなに多くのものを紛失するほど深刻なものではなかったはずだ。それに、プレゼントを厳重に保管してあったのはナズーリンもきちんと見ていたし、その後星がその周辺を行き来する姿も全く見ていなかった。
ナズーリンは他の仕事に追われていてプレゼントを出し入れする暇なんてなかったし、一輪は自室で寝ているし、村紗はここ十分ほど、ナズーリンと行動を共にしていた。響子は保管場所からは随分離れた場所で作業していたし、……となると、思い当たる怪しい人物はひとりしか残っていなかった。
「は?私が皆のプレゼントをどこかへ隠した…?」
疑惑の眼差しを一斉に浴びることとなったぬえは、苛ついた口調で反抗した。
「なにそれ、そんなの知らないわよ。星が失くしたんでしょう?何で私が疑われなきゃならないの?」
「いま寺にいる面子の中で、プレゼントを隠すことが可能な者は君しかいないんだ。それに君は、聖の復活記念日パーティー開催に消極的だったろう?パーティーを滅茶苦茶にしてやろうとか、そんなことを目論んでいるんじゃないのかい?」
ぬえの心境は複雑だった。ぬえは本当に、プレゼントのことなんて全く知らないのだ。けれど、パーティーの邪魔をして、無茶苦茶にしてやろうという気持ちは確かにあった。
そういえば、今日五人が実行したであろう幸福のおまじないは、一体どうなったのだろう。聖がこの場にいないので効果が発揮されているのかは分からないが、ぬえが試してみた無効化の魔法が効いていたのなら、きっと聖はいつも通りの一日を送っているに違いない。特に幸福を得ることもなく、普段と全く変わらない、平凡な日常を送っているはずなのだ……。
「ちょっとぬえ、聞いてるの?」
声がしたのではっとして振り返る。そこには、酷く怒った顔の村紗が立っていた。
嫌な夢を見たせいで気が立っているのだろうか。いや、大事なプレゼントがなくなったのだから、当然といえば当然か。気づくと村紗やナズーリンだけでなく、普段は温厚な星や響子でさえ、こちらに疑惑の目線を向けていた。
「なによ、私はほんとに知らないわよ!」
「とぼけるな。ご主人は確かに物を時折失くす癖があるが、こんなところに大事に保管してあったものを、うっかり失くすわけがない。正直に白状してくれ」
「嫌よ、何で私ばっかり濡れ衣着せられなきゃいけないのよ!何で、……何で!」
ぬえは叫びながら黒い影へと姿を変え、その場から逃げ出していってしまった。
村紗が反射的に追おうとするが、ぬえのあのスピードに追いつけるはずがない。諦め、残された四人は早急に、プレゼント探しをする他ないのだった……。
飛んで、飛んで、無我夢中で飛んで無意識のうちに辿り着いた先は、あの紅白の巫女の神社だった。
「何なの、今日は。次から次へと、珍しい客がやって来るものね」
湯呑みを片付けていた霊夢は、はあと溜息をつく。先ほどまで、ここに誰かが来ていたらしい。
「聖が来たと思ったら、今度はぬえか。何だ、お前はパーティーとやらに参加しなくていいのか?」
箒をくるくる回しながら魔理沙が言う。どうやら先ほどまでいた客というのは、聖のことらしい。興奮冷めやらぬ様子でぬえは捲し立てた。
「いいのよ、あんなの。私は元々出る気はなかったもの。でも今さっき確信したわ、私はあいつらとはそりが合わない!もう二度と帰ってやるもんか!」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせ、尋ねてくる。
「何よ、何かあったの?」
「あああったわよ、そりゃもう腹が立つことがね!」
ぬえは、ふたりに話し始めた。
今日の明け方、寺の五人が聖におまじないをかけたこと。それを阻止するために自分は無効化のおまじないをかけたこと。どちらのおまじないが効いたのかは分からないけれど、何故だか今日の命蓮寺内は混乱していて、そんななか自分が聖宛ての大切なプレゼントを盗んだという疑いをかけられたこと。
ぬえが怒りに任せて吐露した今日の出来事を聴き終えるなり、魔理沙はふむ、とあごに手を当てる。
「それは、あれだな。恐らく効力を発揮したのは、他の五人がかけた魔法だったんだろう」
うんうんと、納得するように頷く魔理沙。
普段は適当なことも言うような奴なのであまり信用はしていないが、こいつも一応、魔法使いの端くれなのだ。少なくともぬえよりは魔法に詳しい。だからその言葉には、少し信憑性が宿る。
「村紗たちのおまじないが成功したと?私がかけた無効化のおまじないは失敗したってこと?」
「ああ、そうだと思うぜ。今日の聖は魔法にかけられたような上機嫌さだったが、なるほど、そういうことだったのか。合点がいくぜ」
「でも、私は本に書かれていたことをちゃんと間違えずに実行したのよ?なのにどうして失敗したの?」
「魔法にも得手不得手があるからな。お前はきっと、簡単なおまじないすら出来ないくらい才能がないんだろう」
自称魔法使いの人間は、小馬鹿にするような態度で笑う。私の、この私の力が人間に劣るだと?ぬえはむっとして魔理沙を睨みつけた。
「でも、今日に限って寺の内部で悪いことが重なっていたというのは気になるわね。星たちがかけた魔法と何か関係があるのかしら?」
ここで霊夢が口を挟む。妖怪退治の腕前はぴかいちの彼女だが、魔法という分野に関しては疎いはずだ。
「関係ありありだぜ。対価だよ、魔法の」
「対価?」
「魔法を使うには本来、魔力を消耗する。魔力という犠牲を払ってこそ、魔女は魔法を使えるんだ。が、星たちはそれを殆ど持っていない。だから、」
「魔力の代わりに、他のもので犠牲を払ったわけね。結果、ナズーリンは忙しさに追われ、響子は喉を潰し、一輪は体調を崩し村紗は嫌な夢を見て、星はプレゼントを失くした」
魔理沙の説明を途中から霊夢が引き継ぐ。ぬえは聴きながらなるほど、そういうことだったのかと感心していたが、すぐに納得のいかない点を見つけ、それを訴えた。
「じゃあ、私は?他の五人は魔法の対価として災厄を受けた。でも、だったら私が受けた災厄は何なの?私の魔法は失敗したのに……」
「天罰よ、天罰。悪いことをしようとする妖怪には罰が当たるの」
さほど悪いことをしていない妖怪にも平気で"天罰"を与えることで有名な巫女は、平然とそう言ってのける。
ぬえは、言い返せなかった。確かに、このふたりが今述べた説と今日あった出来事を反芻してみると、なるほど筋が通る。けれど、理性では解っているのに、認めたくない思いが強かった。
「私が、……悪いの?ただ楽しみたかっただけなのに?」
「そういう妖怪が跋扈しているから、幻想郷には私みたいな人間が必要なのよねえ。全く、人里の人間たちはそれを理解してもっと参拝にくればいいのに。はあ、理不尽だわ」
今日何度目か分からない溜息をつく霊夢。また面白い異変が起きないかねえ、と笑う魔理沙。
ぬえは、立ち上がった。寺に帰る気はなかったが、なんとなく、ずっと神社にいるのも嫌な気がして。
「お、なんだ、改心してパーティーの準備に戻るのか?」
聖はとっくに寺へ辿り着き、もうパーティーは始まっているだろう。しかし、ぬえが向かう場所は、そこではない。ぬえには元々、帰る場所なんて、ないのだ。
ぬえは何も言わず黒い靄へと姿を変え、神社をあとにした。行く当てはない。ただ、ひとりになりたかった。
空はすっかり暗くなってきている。ぬえはそのまま、何も考えずに飛び続けていた。
気配を消す魔法は巫女には看破され見つかってしまうかもしれないと思っていたが、杞憂だったようだ。
パチュリーの姿は、博麗神社の境内にあった。木の裏に隠れ、物音を立てずに朝から今まで事の終始を見守っていたのだ。ぬえが神社から去ったあと、パチュリーは魔理沙に突っ込みたい気持ちで一杯だった。なんとか堪え、姿は現さずにいたが。
全く、相変わらず適当なことを言う人間だ。魔法の対価で災厄が降りかかる?そんなことは決してない、ましてやおまじない程度の弱小魔法でそんな現象が起こるなんて考えられない。パチュリーは、魔理沙とは全く違った見解を持っていた。
ぬえがあのおまじないを本当に実行していたとすれば、五人がかけた幸福の魔法はすっかり無効化されただろう。ぬえに与えたおまじないは間違えようがないほど簡易なものだから、失敗したとは考えにくい。きちんと成功して、効力を発揮したはずだ。聖が上機嫌だったのはたまたまで、五人がかけた魔法によるものではないのだ。
そこまでは確信が持てるのだが、そこから先が、パチュリーには分からなかった。五人と、あの鵺が被った災厄。それらの災厄は果たして、ただの偶然なのだろうか?
もしもぬえが実行した魔法と何か関係があるのなら、それは興味深いことだ。すぐにでも原因をつきとめ、今後の魔法の研究に活かさなければ。知的好奇心に押されるがままに、パチュリーは宙を飛び境内から出る。
そのまままっすぐ、紅魔館に向かってゆくパチュリー。空はもう宵闇に染まり、星がきらきらと輝いていた。
*
……さて、ここで問題である。
星、村紗、一輪、響子、ナズーリン、そして、ぬえ。
この六名が受けた災厄と、ぬえがかけたおまじないには、本当に関連性があるのだろうか?
答えは、イエスである。
ぬえが行ったちいさな魔法が何故、六名にそれぞれ災厄をもたらしてしまったのだろう?
その理由は、聖に説明してもらうこととする。
暗転、場面転換。
帰路についている聖に、スポットライトを当ててみよう。
*
聖のもとへ慌ただしくナズーリンがやって来たのは、神社を出て間もない頃のことだった。
そこで聖は、パーティーの準備が予定より大幅に遅れていることを知らされる。だから開始予定時刻をずらしたい、本来ならそろそろ聖を迎えられたであろう時間なのだが、悪いがそのままもう少し寺の外で待っていてくれないか。ナズーリンはそう告げると、急いで寺の方面へと向かってゆくのであった。
準備が整ったら迎えに行く、とナズーリンは言っていたが。あれから数時間、時刻はもう午後11時半を回っていた。何があったのかは分からないが、ちょっとやそっとのトラブルでここまで準備が遅れたりはしないだろう。誰かが体調を大きく崩したりしたのかもしれない。聖は心配していたが、迎えが来るまでは寺に戻らないと約束していたため、それを守ってふらふらと夜道を散歩していた。
道中、悪意を持った何匹かの妖怪が喧嘩を売りにきたので、軽く退治して説教をした。何匹かの妖怪は聖の姿を見るなり好意的に話しかけてきたので、そこで話に花を咲かせ時間を潰したりもした。何かの用事で道を歩いていた人間がいたので、今は何時ですかと尋ねると、深夜0時をちょいと過ぎた頃です、と返ってきた。人間がこんな時間にこんな場所をうろついていては危険ですよ、と聖は諭し、その人間を護衛のため家まで送り届けてやった。
結局、パーティーの準備は、復活記念日当日までに間に合わなかったということか。ぼうっとそう考えたが、それに対して寂しさを覚えるようなことはなかった。復活記念日を皆が祝おうとしてくれている、その気持ちだけで本当に嬉しい。本当に、本当に嬉しいのだ。
聖は人がすきだった。そして妖怪もすきだった。そのなかで誰が特別というようなことは、ずっと、なかった。
しかし今の聖は違う。もちろん人も妖も、誰でも平等に愛したい気持ちは変わらないけれど、そのなかでも特別愛するべき者たちを見つけてしまった。仲間、というものだ。聖はじぶんを愛してくれる仲間たちを、特別、愛してしまったのだ。
ひとりひとりとの出逢いはそれぞれ、本当に密なもので、聖にとってかけがえのない思い出となった。そして、そういった出逢いを繰り返すたび、聖には願いが生まれていった。それらの願いは、普通の人間なら信念と呼ばれるような不可視のものに留まるであろう、ささやかな想いであったけれど。聖は大きなちからを持った大魔法使いであり、その聖が願うのだから、それはただの想いだけに留まらなかった。
聖は知らず知らずのうちに、魔法をかけていたのだ。魔法といっても、無意識下で行ったものなのだから、きちんとしたものではなくおまじない程度の些細な魔法であった。が、確かにそれは、微細なものでありながらも、効果を持った魔法となったのだ。
聖がそれぞれの仲間と出逢ったときに、願ったこと。
物を時折失くす癖のある星には、大事な物を失くさないようにと。
暗い過去から抜け出すことが出来ずにいた村紗には、それを忘れられるようにと。
元々体調を崩しやすかった一輪には、毎日健康でいられるようにと。
元気な声で挨拶してくれる響子には、その挨拶で他人を和ませることが出来るようにと。
多忙な日々を送るナズーリンには、少しでもゆっくり休める時間が得られるようにと。
ずっとひとりぼっちだったぬえには、孤独を癒せる仲間が出来るように、と。
そして聖は、いつも最後にこう願っていた。
それらの願いを叶えられるのが、出来ればどうか自分でありますように。
それは聖が聖にかけた魔法として、意識せずとも成立した。
もちろん、そんな魔法がなくとも、願いは叶っていただろう。
しかし、それを支える、手助けするおまじない程度の効果はあったようだ。
聖はそんなことに、全く気づいていないけれど。
愛する気持ちは、魔法になる。
いや、もしかすると、誰かを愛するということ自体が、誰にでも出来る魔法なのかもしれない。
聖は散歩をしながら、ひとりひとりの仲間との出逢いを、ひとつずつ思い出してゆくことにした。さて、誰からにしよう。どの思い出も偶然的で必然的で、そして、とてもあたたかいものなのだ。
もう随分と長い道のりを歩いた気がする。けれど、その足取りは、軽かった。
深夜0時過ぎ、やっとパーティーの準備を終えたばかりの命蓮寺内は、にわかに活気づいていた。
「よし、これで全部完成だ!……ってあれ、一輪?大丈夫?」
ばんざーい、と村紗が両手を上げたところで、一輪が居間に入ってきた。つい先ほどまでは頭痛にうなされていたはずなのに、まるで憑き物がとれたかのような落ち着いた顔で、部屋のなかを見渡している。
「ええ、もう大丈夫よ、何故だか急に頭痛が引いて……パーティーには参加出来ないと思っていたけれど、間に合ったようで良かったわ」
「そうか、それは良かった。しかし大変だったんだぞ。私は昨日丸一日、本当に休む暇が無かった」
ナズーリンは、疲れ果てた様子で床に座りこんでいる。すると隣にいた響子が、おつかれさまですー、と声を発した。
「おや?声が出るようになったのですか、響子?」
響子ははっと背筋を伸ばし、あ、ほんとだ!と叫ぶと、あーあーなどと発声練習のようなものを始めた。
「あはは、一輪も響子も良かったね。ナズーリンは二人分の作業、お疲れ様。パーティーではゆるりと楽しい時間を過ごそうね」
「ああ、そしてその後はきっと、ぐっすり深い眠りについてしまうだろうな。夢も見ずにぐっすりと」
「そうだね、きっと私もそうなるだろうな。そういや最近は全然夢見ないなあ」
「え?村紗、昨晩は夢を見たと言っていなかったか?」
「? 私、そんなこと言った?」
不思議そうに首を傾げる村紗につられ、ナズーリンも首を傾げる。あれれ、おかしいな、確か村紗は昨夜、悪夢を見たと言っていたのに。でもまあ、昨日はあまりに忙しかったから、私の記憶が混乱しているのかもしれない。ナズーリンはそう納得することにして、立ち上がった。
「さあ、これ以上の無駄話は後だ。話なら、パーティーのときにいくらでも出来るだろう。早く聖を迎えに行」
「ナズーリン!」
唐突な主の呼び声に、ナズーリンの言葉が遮られる。その声色は、明るく嬉々としたものだった。
振り向くと、そこにはいくつもの箱や袋を抱えた星の姿が。
色とりどりの装飾がなされた、箱と袋。それらは全て、寺の皆がそれぞれに用意していた、聖へのプレゼントだった。
「なっ、……それはどこから見つけてきたんだ、ご主人⁉」
「私の部屋にありました!」
ふふん、と得意げな表情を浮かべる星。一方、ナズーリン含め室内にいた妖怪たちは、皆一様に唖然とした様子を見せていた。
一拍置いて、ナズーリンはそのちいさな手を、額に当てる。そして、呆れ果てた声で呟くのだった。
「と、いうことは、だ。プレゼントはぬえが盗んだわけではなく、……やっぱり君が失くしていたということかい、ご主人……」
「不思議ですね。昨日までは確かに無かったのですが」
悪びれる風もなく、ただにこにこ笑っている星。まるで魔法みたいですね、などと言い始めるが、ナズーリンはそれを無視してダウジングロッドを手に取った。
「全く……。ほら行くぞ、皆。こんなに長い間待たせてしまったんだ、せめて全員で迎えに行かなければな」
む、結構遠くにいるな、と眉をひそめるナズーリン。と、その灰色のスカートの裾を、くいっと引っ張る手があった。
目線を遣ると、そこには響子の姿が。彼女はいつもの和やかな笑顔でナズーリンを見上げながら、言う。
「もうひとり、迎えに行かなきゃなのですよ。……たぶん、自分からは帰ってこないでしょうから」
すると響子のそのあたまを、村紗の手がやさしく撫でた。
「うん、そうだね。……あいつ意地っ張りだから。引きずって連れ帰ることになるかもね」
誰のことを言っているのかは、皆よく分かっている。他の面子も、そうだそうだと賛同し始めた。
「あの子はすばしっこいからね。虫取り網でも用意して行く?」
「はは、なら籠も持って行かなきゃ。正体不明ってことは、どんなかたちになってもおかしくないってことでしょ?持ち運びに便利だねえ」
「ナズーリン、彼女が今どこにいるのか分かりますか?」
「ええと、ここから南南東に向かった先……恐らく聖のいる場所よりも近いね。先にそっちを迎えに行くかい?」
四人は同時に、頷く。
ナズーリンは、よし、と声を発すると、玄関へと向かっていった。
扉を開けると、そこは真っ暗な宵闇の世界。もしも彼女が黒い影のようなすがたをとっていたら、見つけるのは難しいかもしれない。しかし、絶対に、見つけ出すのだ。
何故なら、彼女は、自分たちの仲間だから。
夜空にまたたく星の光は、行く道の足元を照らすにはちいさすぎたけれど。
彼女たちのしあわせそうな顔を照らし出すには、じゅうぶん明るく、輝いていた。
きっとぬえを含めて、寺の面々のちょっとした波乱に満ちた一日を、このあと白蓮が優しく包んでくれるのだろうと。
そんな予感が、いい気分にさせてくれます。