「ひーじーりー!! おはよーございまーす!!」
境内どころか人里にまで聞こえそうな大声が響いた。
山彦の妖怪、幽谷響子(かそだにきょうこ)は挨拶を終えて日課である掃除に取りかかった。右手には竹箒を携え、庭へと駆け出して行った。
「えぇ、おはようございます、響子。……走ると転びますよ?」
命蓮寺の主・聖白蓮(ひじりびゃくれん)は、響子が挨拶もそのままに行ってしまいそうだったので、すぐさま挨拶を返した。白蓮の声を聞いて響子は笑顔を浮かべて、颯爽と境内を駆け回った。
「さて、今日はどんな一日になるのでしょうか」
――聖白蓮の一日――
卯の刻
響子が早起きして境内を掃除してくれるので、朝早くからも寺を開くことができる。朝の食事を終えた人間や暇を持て余した妖怪がそのうちにやってくるだろう。
掃除をして走り回っているわりには響子の疲労は少ない。むしろその顔は元気で満ち満ちていた。
「姐さん、響子。お茶が入りましたよ」
座敷の奥から畳を踏みしめる音がした。縁側に掛けていた白蓮にお茶を手渡したのは、雲居一輪(くもいいちりん)だった。仕事前のためか、頭巾はまだ被っていない。
「ありがとう、一輪。響子もこっちへいらっしゃい」
はーい、と大きな声が境内に響いた。
「相変わらず声おっきいわね。朝からそんな声出してたら、またぬえに絞られるわよ」
「そんなの聖に守ってもらうもんねー!」
一輪の注意もどこ吹く風、カラカラと笑いながら響子は縁側に近づいてきた。
「えぇ、その時は私に任せておきなさい。でもそうならないように気をつけるのも大事よ」
お茶をひと啜りして白蓮は言った。さりげなく注意を促している辺りが白蓮の上手いところだ。
「はーい! いちりーん! いただきまーす!」
「全くコイツは……」
一輪は呆れた顔をしたものの、響子には効果がないと分かっていたので、すぐに表情を元に戻した。
「……あら?」
「どうしました、姐さん?」
「……今日はいい日になりそうね」
白蓮の湯飲みに茶柱が一本立っていた。
辰の刻
命蓮寺を開けて1時間ほどで最初の訪問者が来た。その後もぽつりぽつりと寺を訪れる者があった。
「ふむ、なるほど。私の方で何とかしてみよう。教えて頂き、感謝する」
座敷では訪問者の対応をする寅丸星(とらまるしょう)の声がしていた。
毘沙門天の代理人である星は、命蓮寺の中枢を担っていた。訪問者の対応も星が率先して行っている。
訪問者を見送って、星は縁側にいる白蓮を見つけた。
「ご苦労様、星」
「ありがとうございます、白蓮」
「お客様はもうお帰りになったのですか?」
「はい」
星の言葉を聞くと、白蓮は急須から湯飲みにお茶を注いで渡した。
「もう訪問者はいないのでしょう。少し休憩なさいな」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
星は盆を挟んで縁側に座った。傍らに宝塔を置き、もらったお茶を一口流し込む。
命蓮寺に来る者のほとんどが悩み事や相談事を抱えた者だ。話を聞いて情報をまとめるのだが、その後は解決策を提示したり、時には叱咤激励をすることもある。喋りっぱなしになることも間々ある。
星の喉にとっては、例え熱いお茶であっても十分な癒しとなるのだ。
「今日はどんな相談が来たのですか?」
「えぇ、どうも最近人里でモノが突如として消えるという話が頻発しているようです。今の方も同様です。商売道具の砂糖がなくなったようですね。最近聞いた話では、他にも梅や蜜柑、酒、蜜なんかも無くなっているようです」
「……まるで果実酒でも作るかのような品物ですね。何にせよ不思議な話。何が起きているのかしら」
「見当もつきません。今、ナズーリンに頼んで品物の行く先を調べてもらっていますが、難航しているみたいです」
「そう。焦らなくていいわ、星。原因が人か妖怪かもわからないことですし、慎重に進めてください」
にこり、と微笑む白蓮につられて笑う星。
仕事が嫌いなわけではないが、疲れてしまうこともある。だが、それも白蓮の顔を見ると吹き飛んでしまう。さらに仕事へのやる気も高めてくれる。
「はい、ありがとうございます、白蓮。……っと、どうやらまたお客様のようですね。行ってきます」
今日も効果は抜群のようで、星は気合いの入った顔で奥座敷に戻って行った。
「ええ、お願いしますね」
ひらひらと手を振る白蓮に、星はお辞儀をして応えた。
巳の刻
「ひじりー、おはようー……」
まだ少し眠たげな顔で現れたのは、正体不明の妖怪・封獣ぬえ(ほうじゅう)だ。
「おはよう、ぬえ。今日も寝坊です」
「……聖が早すぎんだよぅ」
確かに白蓮の朝は早いが、ぬえの朝は相対的に見ても遅い。それもこれも毎夜毎夜酒盛りや夜遊びなどに興じているせいだ。
以前はムラサ――村紗水蜜(むらさみなみつ)や一輪などが付き合わされていたが、ぬえの酒の強さは異常とも言え、命蓮寺では誰も対抗できなかった。だが、最近は自らが外の世界から呼んだ妖怪・二ツ岩マミゾウ(ふたついわまみぞう)が命蓮寺に滞在しているため、酒飲みには困らなくなった。
おかげで連日の昼前起床であった。
「日々、自らを律するのも修行の一つですから。ほら、一輪がおにぎりを作ってくれましたからお食べなさい」
「流石一輪、いつも悪いね」
「そー思うんなら規則正しく目覚めなさいっ!」
一輪がぬえの布団を持って部屋から出てくる。
「うう、相変わらずの地獄耳なんだから……」
聞こえないように言ったつもりだったのに、と肩を落としたが、さらに追撃が来た。
「そういうこと言う悪い子にはご飯抜きますよ」
「ごめんなさい、一輪さん本当にありがとうございます」
白蓮の一言でしゃんとし、すぐにおにぎりに手を伸ばした。
「んー、酒の翌日はやっぱりお米だね~」
「はい、お茶淹れましたよ」
「ちょ、白蓮。これ熱いよ!」
ぬえはそう言ったものの、また怒られると思って我慢して飲んだ。
ばたばたと布団を屋根に干す一輪と雲山の声と、境内の掃除をしながら歌う響子の声が命蓮寺には響いていた。
「ぬえ、今日は貴女何をするの?」
本を読みながら白蓮が話しかけた。
「特には決めてないけど。何か仕事でもくれるの?」
「そうねぇ、頼まれてくれるかしら。紅魔館の魔法使いに届け物をしてほしいの」
「別にいいけど、届け物って一体何さ?」
「本よ。紅魔館の大図書館で色々とお借りしていたのです」
ぬえは嫌な予感がした。
「……もしかして、何冊もある?」
その質問を待ってましたと言わんばかりの白蓮の顔。
「20冊くらいかしら。関連している本をまとめて貸して頂きましたから」
「あたし急に用事を思い出した! ごめんね!」
急に目が覚めたかのように命蓮寺を出るぬえ。口におにぎりをほおばりながらの逃走劇はまるでどこぞのドラ猫のようだった。
ちなみに白蓮が借りたのは魔道書。そのほとんどが大辞典と言っても過言でない重さを誇っていた。白蓮はそのうち自ら紅魔館へ赴いて返却する予定だった。
つまり、本気でぬえにおつかいを頼むつもりはなく、生活が弛みっ放しのぬえをたしなめたかったに過ぎない。
「あらあら、仕方のない子ですね。……まぁ外に出ることはいいことですから、よしとしましょう」
そう言って、白蓮はまた一枚ページをめくった。
「……本当はもっとあるんですけどね、本」
午の刻
「全く、ご主人ときたら……!」
ブツブツと文句を言いながら鼠の妖怪・ナズーリンが境内を右に左に行き来していた。
「ナズーリン、どうしたの?」
「ああ、白蓮。聞いてくれ。ご主人の落し物癖は尋常じゃない! おかげで私はまた探し物だよ」
ダウジングを得意としているナズーリンだが、ほぼ毎日のように落し物をする自分の主人――寅丸星には手を焼いていた。
毎回注意をするものの、その効果は全くない。
星自身も気を付けている素振りはあるが、それでも失くす。自分の私物に始まり、果ては毘沙門天から授けられた宝塔まで、実にさまざまだった。
「星ったら、本当におっちょこちょいですね」
「いやいや、おっちょこちょいで済むレベルではないのだよ、ご主人は。全く! 他にも頼まれた仕事もあるって言うのに……」
「ふふふ、それでも貴女はちゃんと探すのですよね。星はそこに安心しているのかも」
白蓮は笑うが、ナズーリンの表情は硬い。
「……安心しないで、失くさない努力をしてほしいよ」
「まぁそう言わないで。探しっぱなしも疲れているでしょうし、今お茶を入れるわ」
「そうだね。少し落ち着くとしよう。何か妙案が浮かぶかもしれないし、って……」
ぷりぷりと怒っていたナズーリンの動きがはっきりと止まった。
「どうかしたの?」
「……白蓮」
「何?」
「これだよ、ご主人の落し物……!」
ナズーリンの指した先――お盆には宝塔があった。
「あ、そういえばさっきここでお茶を飲んでた時に置いていたんでした。あらあら、失念していましたわ」
「……キミもなかなかのおっちょこちょいさんだよ」
「……ごめんなさい」
やり場のない怒りが背景に見えたので、白蓮はとりあえず謝った。
そもそもの発端、星はナズーリンにこってり絞られたようだ。
未の刻
昼を回り、少し太陽が傾いたところで、一輪は屋根の上に干していた布団を取りこんでいた。正確には取りこんでいたのは彼女の相棒である雲山(うんざん)――雲の入道だが。
一輪は決して家政婦や雑用係ではなく、れっきとした入道使いである。ただ人間だった頃から家事や掃除が好きなだけである。
「うんっ! いい感じ!」
布団に触れて状態を確認したが、その出来は一輪を満足させた。
「雲山、残りのも全部おろして頂戴ー!」
雲山に命じて、自分は布団を畳んで座敷に置いていく。
客人を含めて8人分。座敷はすぐに布団で埋め尽くされた。
「ありがと。とりあえず仕事は終わりよ」
一輪の言葉を聞いて雲山は飛び去っていった。
雲山が行って数十秒、誰も周囲に居ないことを確認した。
「ってぇーい!!」
一輪は一面に畳まれた布団に飛び込んだ。そして布団に染みた太陽と風の匂いに身を委ねつつ、転がりまわった。
「あーお布団気持ちいい! これぞ役得ってやつね~」
普段は気を張ってしっかりと仕事をこなす一輪だが、こうやって自分なりの息抜きをしている。
もちろんその姿を他の面々に見せないように、ひっそりと行っている。
「んー」
大きく伸びをする。
このまま眠ってしまいそうなほどに布団の柔らかさを堪能していた。だがそれはすぐに終わりを迎えた。
「私も混ぜてもらっていいですか?」
「っ!?」
一輪がびくりとしたその次の瞬間には、白蓮が一輪に並ぶように布団の海に飛び込んできた。
「ふふふ、これは確かに気持ちいいですねぇ」
ニコニコと笑う白蓮と、真っ赤な顔の一輪。
「こ、これは違うんです姐さん! 布団の状態を確かめようとして、その、あ、足がもつれて倒れこんで……! そう、そうなんです!」
一輪は起き上がってあたふたと説明を繰り返すが、白蓮は笑ったままだ。
「ほら、貴女も。状態、確かめていたんでしょう?」
「いや、ですから姐さん……って!?」
気がついたら白蓮に腕を引っ張られて、一輪は再び沈んだ。
「いい匂いですね。ほんと、飛び込みたくなるくらい」
「~~~~~~~~~!!」
白蓮の言葉を聞いて顔を埋めて、赤面した顔を隠した。それを見て白蓮の顔が一層綻ぶ。
「……うぅ、あの……」
顔を少しだけ上げて、ちらりと白蓮を横目で見る。当然白蓮はニコニコとしていた。
それを見てさらに恥ずかしさがこみ上げてきた。一輪の脳内も、もっと周りを確認すべきだった、いやそれよりも自分の部屋でやればよかったという反省一色になった。
「あ、あの、姐さん……?」
「一輪、聞いてください。私は可笑しくて笑っているのではないのですよ。貴女の新たな一面を見れたことが嬉しいのです」
「姐さん……」
「貴女は仕事以外にも家事や雑務を頑張ってくれています。そんな貴女に感謝こそすれど笑うことなどありましょうか」
白蓮の言葉に、一輪は少しだけ目頭が熱くなった。尊敬する聖白蓮についてきて間違いじゃなかった、と再確認した。
「姐さん、ありがとうございます……!」
そう言うと白蓮は再びニコリと笑った。
「あぁでも、一輪の可愛らしい一面を見れたのは貴重です。覚えておくとしましょう」
一輪は再度布団に沈みこんだ。一瞬だけ見た白蓮の笑顔は悪戯っぽいものだった。
「やっぱり、姐さんには敵わない……」
申の刻
命蓮寺の階段を登り終える頃には、ムラサは汗だくになっていた。
ムラサの能力を使えば水から水に飛び移ることも出来るのだが、季節柄水たまりはない。結局徒歩で移動するしかなかったのだ。
「ただいまー」
「おかえり、水蜜」
命蓮寺の前には一輪がいた。
「あんた、すごい汗ね。どこまで行ってたの?」
「その前に……水、冷たいのちょうだい……死ぬ」
はいはい、と一輪は井戸の方へ走って行った。
縁側に座ると、奥から白蓮が出てきた。
「あら、帰っていたのですね。おかえりなさい」
「ん、ただいま」
「お茶でも飲みますか?」
「いや、今熱いのはやめて……」
しばらくすると一輪が戻ってきた。持ってきた水をもらうと、そのまま一気に流し込んだ。
「っぷはぁー! 生き返るー!! ありがと一輪」
一輪は、いいのよ、と言ってムラサの横に腰かけた。
「ん、それが今日の収穫?」
「うん、そう。緑の巫女に借り物をしてきたんだ。外の世界の本なんだけど」
紙袋から中身を取り出すと、表紙には異国の言葉が書かれていた。
「読書ですか。ムラサ、いい心がけです」
「いやぁ、それほどでも……。まぁ最初は本なんて読まないって思ってたけど、巫女に話を聞いてるうちに、あたしはこの本を読むべきだって思ってね。それで借りてきたのよ」
「へぇ。ムラサが心変わりするなんて、一体どういう本なの?」
「えーっと、外の世界で実際にあった豪華客船の沈没事故の話だよ! いやーまだあらすじしか聞いてないんだけど、氷山に船がぶつかるんだけどねー」
ムラサのキラキラとした笑顔とその回答に、白蓮と一輪は妙に納得してしまった。「あぁ、やっぱりか……」と。
生き生きとした表情でムラサは説明をしているが、二人の耳には入っていない。
ムラサは水難事故で死んだのがきっかけとなり舟幽霊となった。幽霊となって道連れを増やそうと水難事故を起こす程度の能力を持ったが、最近はあまり事故を起こさなくなった。
それでも、舟や海に対する興味が薄れたわけではなかった。
「だからといって、ここまでくるとほんと執念よね……」
「ま、まぁいいじゃないですか。動機が何であれ、ムラサが読書に興味を持つことは良いことです」
「好きこそものの上手なれ、ですか。……まぁムラサが頑張るのを見るのも一興かも」
手振り身振りを交えて船について語るムラサを、一輪ははにかみながら見ていた。
その後ムラサによる独演会はしばらく続いたという。
「ムラサ、一休みしない……?」
「何言ってんの?! ここからが面白いところなんだよ!」
酉の刻
夕方、暑さも和らぐ頃。
1人分の影が命蓮寺に伸びてきた。
「白蓮」
その女は大きな尻尾をこしらえていた。化け狸・二ツ岩マミゾウだ。
「マミゾウさんですか。ぬえが貴女の帰りを待っていましたよ」
「ふむ。遅くなってすまぬ」
「いいえ、貴女は命蓮寺の大事なお客様です。気になさらないで」
そう言ってマミゾウに縁側に座るように促した。
「いつも世話になりっぱなしでは悪いからの、今日はお主に土産を持ってきた」
懐から包みを取り出して、白蓮に手渡した。
「これは何ですか?」
「酒粕を使って作った漬物じゃ。うまいぞ。お主の戒律にも抵触せんじゃろう」
「なるほど、これなら問題ないですね。あとで夕餉に出しましょう」
後ろを通った星にそれを手渡した。
「おっ! マミゾウ帰ったのかー!」
奥からぬえが出てきた。
白蓮のおつかいを断ったぬえは地底に足を向けていた。
「おお、ぬえ。待たせたようじゃの」
マミゾウとぬえ、この二人は外の世界に居た頃からの知り合いだ。ぬえにとっては貴重な飲み友達でもある。何せ命蓮寺の面々は、戒律を守る白蓮を筆頭に酒を飲む者が少ない。
マミゾウはぬえがその世界から呼び寄せた妖怪だが、今は命蓮寺の客として滞在していた。今は幻想郷のことを知るべく、日々放浪を続けている。
「今日はいい酒が手に入ったんだ! びっくりするぞ!」
「ほほう、それは楽しみなことじゃの。して、それはどんな酒なんじゃ?」
待っていましたと言わんばかりに、ぬえが小さな酒瓶を取り出す。
「普段飲むのとは違って、今日は果実酒さ!」
果実酒、という単語に白蓮がピクリとする。
「果実酒か。一体何を使ったものかの」
「えっとなー、確か梅。あたしも一口飲んだけど、今まで飲んだことのない味がしたよ!」
今度は星がぬえの言葉に反応する。
「ぬえ。それはどこで入手しましたか?」
「これは妖精たちから頂いてきたのよ。最近博霊神社に住みついた奴らだよ」
白蓮と星は顔を見合わせた。二人の中で、点と点が繋がった。
「星」
「……明日、神社へ行って巫女に話しておきます」
後日、三妖精は紅白巫女に成敗されたのち、果実酒その他諸々は押収されたという。
「ごはん出来ましたよ―! さぁさ、運んで運んでー!」
「はーい!」
一輪と響子の大きな声がこだまする。それに応えるように他の面々も炊事場へと足を向けていた。
「今日は何作ったの?」
「さぁ? 食べてのお楽しみよ。って、つまみ食いしてんじゃないわよ、ムラサ!」
「ご主人、頼むからゆっくり運んでくれないか。通った道が味噌汁の跡だらけなんだ」
「……なかなか配膳も奥が深いですね。ベストなやり方が掴めません」
「星、そういうのいいから早く進んでー!! 後ろがつっかえてるんだよー!!」
「あぁもう響子うっさい! 狭いところで叫ぶな!」
喧々諤々とする面々。それを遠くから眺める白蓮とマミゾウ。
「くくく、やはり此処は居心地がいい。そしてこやつらには全く飽きぬ」
「えぇ、私もです。毎日が新しい発見です」
亥の刻
縁側に座り、月を眺めていた。
今日は半月。どこにいても月の存在は変わらないのだなと白蓮は思っていた。
命蓮寺の周りにはこだまする虫の鳴き声。もう少しすればこの声がなくなり、代わりに山に色が現れる。気がつけばきっと一面雪化粧になっていることだろう。そしてまた生命の息吹が山を覆うようになる。季節の一巡は、何百年と生きた魔法使い・聖白蓮には些細なことのはずだが、白蓮にとってはそうではない。
「今年の夏は今までで一番暑かったかもしれませんねぇ」
永遠とも言える生命を得たからこそ、その一瞬をしっかりと焼きつけるようにしているのだ。長く生きられない人や妖怪、その他諸々の分までも、と。もちろん、その中には弟・命蓮もいる。
「あなたは暑いのは苦手と言っていましたね。今は、あの頃よりも夏が暑くなりました。きっとあなたは愚痴をこぼすことでしょう。『姉上、私の法力でもどうにもならぬ暑さ。今日は寺を閉めませんか』と」
想像して、クスリと笑う白蓮。
その時、一筋の風が吹いた。風に押されて、本のページが閉じられる。横に置いていたロウソクの火も消えていた。
「……あらあら、これは『寝なさい』ということですか、命蓮」
本を開き直し、しおりを挟むと再びそれを閉じた。
もう一度、ひゅうっと風が吹き抜ける。
「ええ、わかっていますとも、命蓮。そろそろ眠ることにしましょう」
そう言って、縁側の戸を動かし始めた。全ての戸を閉め切るまでの間、何度か風が白蓮の身体をくすぐっていた。
「あなたもなかなかしつこいですね。これで最後ですから、ご心配なく」
最後の一枚を閉め切ると、途端に風は止んだ。
「まったく、あなたはいつまで経っても私を子供扱いするのですね。私は姉なのに」
部屋に戻ると、そうぽつりとつぶやいた。
本とロウソクを机の上に置くと、一輪が敷いた布団に潜り込んだ。
「命蓮、今日もよい一日でした。ですが、まだ明日はすぐにやってきます。……どうか、明日もよい日であるように、力を貸して下さいな。……おやすみなさい」
祈るように手を組み、眠りについた白蓮。
その声に応えるように、かたかたと戸が風に揺らされた。
境内どころか人里にまで聞こえそうな大声が響いた。
山彦の妖怪、幽谷響子(かそだにきょうこ)は挨拶を終えて日課である掃除に取りかかった。右手には竹箒を携え、庭へと駆け出して行った。
「えぇ、おはようございます、響子。……走ると転びますよ?」
命蓮寺の主・聖白蓮(ひじりびゃくれん)は、響子が挨拶もそのままに行ってしまいそうだったので、すぐさま挨拶を返した。白蓮の声を聞いて響子は笑顔を浮かべて、颯爽と境内を駆け回った。
「さて、今日はどんな一日になるのでしょうか」
――聖白蓮の一日――
卯の刻
響子が早起きして境内を掃除してくれるので、朝早くからも寺を開くことができる。朝の食事を終えた人間や暇を持て余した妖怪がそのうちにやってくるだろう。
掃除をして走り回っているわりには響子の疲労は少ない。むしろその顔は元気で満ち満ちていた。
「姐さん、響子。お茶が入りましたよ」
座敷の奥から畳を踏みしめる音がした。縁側に掛けていた白蓮にお茶を手渡したのは、雲居一輪(くもいいちりん)だった。仕事前のためか、頭巾はまだ被っていない。
「ありがとう、一輪。響子もこっちへいらっしゃい」
はーい、と大きな声が境内に響いた。
「相変わらず声おっきいわね。朝からそんな声出してたら、またぬえに絞られるわよ」
「そんなの聖に守ってもらうもんねー!」
一輪の注意もどこ吹く風、カラカラと笑いながら響子は縁側に近づいてきた。
「えぇ、その時は私に任せておきなさい。でもそうならないように気をつけるのも大事よ」
お茶をひと啜りして白蓮は言った。さりげなく注意を促している辺りが白蓮の上手いところだ。
「はーい! いちりーん! いただきまーす!」
「全くコイツは……」
一輪は呆れた顔をしたものの、響子には効果がないと分かっていたので、すぐに表情を元に戻した。
「……あら?」
「どうしました、姐さん?」
「……今日はいい日になりそうね」
白蓮の湯飲みに茶柱が一本立っていた。
辰の刻
命蓮寺を開けて1時間ほどで最初の訪問者が来た。その後もぽつりぽつりと寺を訪れる者があった。
「ふむ、なるほど。私の方で何とかしてみよう。教えて頂き、感謝する」
座敷では訪問者の対応をする寅丸星(とらまるしょう)の声がしていた。
毘沙門天の代理人である星は、命蓮寺の中枢を担っていた。訪問者の対応も星が率先して行っている。
訪問者を見送って、星は縁側にいる白蓮を見つけた。
「ご苦労様、星」
「ありがとうございます、白蓮」
「お客様はもうお帰りになったのですか?」
「はい」
星の言葉を聞くと、白蓮は急須から湯飲みにお茶を注いで渡した。
「もう訪問者はいないのでしょう。少し休憩なさいな」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
星は盆を挟んで縁側に座った。傍らに宝塔を置き、もらったお茶を一口流し込む。
命蓮寺に来る者のほとんどが悩み事や相談事を抱えた者だ。話を聞いて情報をまとめるのだが、その後は解決策を提示したり、時には叱咤激励をすることもある。喋りっぱなしになることも間々ある。
星の喉にとっては、例え熱いお茶であっても十分な癒しとなるのだ。
「今日はどんな相談が来たのですか?」
「えぇ、どうも最近人里でモノが突如として消えるという話が頻発しているようです。今の方も同様です。商売道具の砂糖がなくなったようですね。最近聞いた話では、他にも梅や蜜柑、酒、蜜なんかも無くなっているようです」
「……まるで果実酒でも作るかのような品物ですね。何にせよ不思議な話。何が起きているのかしら」
「見当もつきません。今、ナズーリンに頼んで品物の行く先を調べてもらっていますが、難航しているみたいです」
「そう。焦らなくていいわ、星。原因が人か妖怪かもわからないことですし、慎重に進めてください」
にこり、と微笑む白蓮につられて笑う星。
仕事が嫌いなわけではないが、疲れてしまうこともある。だが、それも白蓮の顔を見ると吹き飛んでしまう。さらに仕事へのやる気も高めてくれる。
「はい、ありがとうございます、白蓮。……っと、どうやらまたお客様のようですね。行ってきます」
今日も効果は抜群のようで、星は気合いの入った顔で奥座敷に戻って行った。
「ええ、お願いしますね」
ひらひらと手を振る白蓮に、星はお辞儀をして応えた。
巳の刻
「ひじりー、おはようー……」
まだ少し眠たげな顔で現れたのは、正体不明の妖怪・封獣ぬえ(ほうじゅう)だ。
「おはよう、ぬえ。今日も寝坊です」
「……聖が早すぎんだよぅ」
確かに白蓮の朝は早いが、ぬえの朝は相対的に見ても遅い。それもこれも毎夜毎夜酒盛りや夜遊びなどに興じているせいだ。
以前はムラサ――村紗水蜜(むらさみなみつ)や一輪などが付き合わされていたが、ぬえの酒の強さは異常とも言え、命蓮寺では誰も対抗できなかった。だが、最近は自らが外の世界から呼んだ妖怪・二ツ岩マミゾウ(ふたついわまみぞう)が命蓮寺に滞在しているため、酒飲みには困らなくなった。
おかげで連日の昼前起床であった。
「日々、自らを律するのも修行の一つですから。ほら、一輪がおにぎりを作ってくれましたからお食べなさい」
「流石一輪、いつも悪いね」
「そー思うんなら規則正しく目覚めなさいっ!」
一輪がぬえの布団を持って部屋から出てくる。
「うう、相変わらずの地獄耳なんだから……」
聞こえないように言ったつもりだったのに、と肩を落としたが、さらに追撃が来た。
「そういうこと言う悪い子にはご飯抜きますよ」
「ごめんなさい、一輪さん本当にありがとうございます」
白蓮の一言でしゃんとし、すぐにおにぎりに手を伸ばした。
「んー、酒の翌日はやっぱりお米だね~」
「はい、お茶淹れましたよ」
「ちょ、白蓮。これ熱いよ!」
ぬえはそう言ったものの、また怒られると思って我慢して飲んだ。
ばたばたと布団を屋根に干す一輪と雲山の声と、境内の掃除をしながら歌う響子の声が命蓮寺には響いていた。
「ぬえ、今日は貴女何をするの?」
本を読みながら白蓮が話しかけた。
「特には決めてないけど。何か仕事でもくれるの?」
「そうねぇ、頼まれてくれるかしら。紅魔館の魔法使いに届け物をしてほしいの」
「別にいいけど、届け物って一体何さ?」
「本よ。紅魔館の大図書館で色々とお借りしていたのです」
ぬえは嫌な予感がした。
「……もしかして、何冊もある?」
その質問を待ってましたと言わんばかりの白蓮の顔。
「20冊くらいかしら。関連している本をまとめて貸して頂きましたから」
「あたし急に用事を思い出した! ごめんね!」
急に目が覚めたかのように命蓮寺を出るぬえ。口におにぎりをほおばりながらの逃走劇はまるでどこぞのドラ猫のようだった。
ちなみに白蓮が借りたのは魔道書。そのほとんどが大辞典と言っても過言でない重さを誇っていた。白蓮はそのうち自ら紅魔館へ赴いて返却する予定だった。
つまり、本気でぬえにおつかいを頼むつもりはなく、生活が弛みっ放しのぬえをたしなめたかったに過ぎない。
「あらあら、仕方のない子ですね。……まぁ外に出ることはいいことですから、よしとしましょう」
そう言って、白蓮はまた一枚ページをめくった。
「……本当はもっとあるんですけどね、本」
午の刻
「全く、ご主人ときたら……!」
ブツブツと文句を言いながら鼠の妖怪・ナズーリンが境内を右に左に行き来していた。
「ナズーリン、どうしたの?」
「ああ、白蓮。聞いてくれ。ご主人の落し物癖は尋常じゃない! おかげで私はまた探し物だよ」
ダウジングを得意としているナズーリンだが、ほぼ毎日のように落し物をする自分の主人――寅丸星には手を焼いていた。
毎回注意をするものの、その効果は全くない。
星自身も気を付けている素振りはあるが、それでも失くす。自分の私物に始まり、果ては毘沙門天から授けられた宝塔まで、実にさまざまだった。
「星ったら、本当におっちょこちょいですね」
「いやいや、おっちょこちょいで済むレベルではないのだよ、ご主人は。全く! 他にも頼まれた仕事もあるって言うのに……」
「ふふふ、それでも貴女はちゃんと探すのですよね。星はそこに安心しているのかも」
白蓮は笑うが、ナズーリンの表情は硬い。
「……安心しないで、失くさない努力をしてほしいよ」
「まぁそう言わないで。探しっぱなしも疲れているでしょうし、今お茶を入れるわ」
「そうだね。少し落ち着くとしよう。何か妙案が浮かぶかもしれないし、って……」
ぷりぷりと怒っていたナズーリンの動きがはっきりと止まった。
「どうかしたの?」
「……白蓮」
「何?」
「これだよ、ご主人の落し物……!」
ナズーリンの指した先――お盆には宝塔があった。
「あ、そういえばさっきここでお茶を飲んでた時に置いていたんでした。あらあら、失念していましたわ」
「……キミもなかなかのおっちょこちょいさんだよ」
「……ごめんなさい」
やり場のない怒りが背景に見えたので、白蓮はとりあえず謝った。
そもそもの発端、星はナズーリンにこってり絞られたようだ。
未の刻
昼を回り、少し太陽が傾いたところで、一輪は屋根の上に干していた布団を取りこんでいた。正確には取りこんでいたのは彼女の相棒である雲山(うんざん)――雲の入道だが。
一輪は決して家政婦や雑用係ではなく、れっきとした入道使いである。ただ人間だった頃から家事や掃除が好きなだけである。
「うんっ! いい感じ!」
布団に触れて状態を確認したが、その出来は一輪を満足させた。
「雲山、残りのも全部おろして頂戴ー!」
雲山に命じて、自分は布団を畳んで座敷に置いていく。
客人を含めて8人分。座敷はすぐに布団で埋め尽くされた。
「ありがと。とりあえず仕事は終わりよ」
一輪の言葉を聞いて雲山は飛び去っていった。
雲山が行って数十秒、誰も周囲に居ないことを確認した。
「ってぇーい!!」
一輪は一面に畳まれた布団に飛び込んだ。そして布団に染みた太陽と風の匂いに身を委ねつつ、転がりまわった。
「あーお布団気持ちいい! これぞ役得ってやつね~」
普段は気を張ってしっかりと仕事をこなす一輪だが、こうやって自分なりの息抜きをしている。
もちろんその姿を他の面々に見せないように、ひっそりと行っている。
「んー」
大きく伸びをする。
このまま眠ってしまいそうなほどに布団の柔らかさを堪能していた。だがそれはすぐに終わりを迎えた。
「私も混ぜてもらっていいですか?」
「っ!?」
一輪がびくりとしたその次の瞬間には、白蓮が一輪に並ぶように布団の海に飛び込んできた。
「ふふふ、これは確かに気持ちいいですねぇ」
ニコニコと笑う白蓮と、真っ赤な顔の一輪。
「こ、これは違うんです姐さん! 布団の状態を確かめようとして、その、あ、足がもつれて倒れこんで……! そう、そうなんです!」
一輪は起き上がってあたふたと説明を繰り返すが、白蓮は笑ったままだ。
「ほら、貴女も。状態、確かめていたんでしょう?」
「いや、ですから姐さん……って!?」
気がついたら白蓮に腕を引っ張られて、一輪は再び沈んだ。
「いい匂いですね。ほんと、飛び込みたくなるくらい」
「~~~~~~~~~!!」
白蓮の言葉を聞いて顔を埋めて、赤面した顔を隠した。それを見て白蓮の顔が一層綻ぶ。
「……うぅ、あの……」
顔を少しだけ上げて、ちらりと白蓮を横目で見る。当然白蓮はニコニコとしていた。
それを見てさらに恥ずかしさがこみ上げてきた。一輪の脳内も、もっと周りを確認すべきだった、いやそれよりも自分の部屋でやればよかったという反省一色になった。
「あ、あの、姐さん……?」
「一輪、聞いてください。私は可笑しくて笑っているのではないのですよ。貴女の新たな一面を見れたことが嬉しいのです」
「姐さん……」
「貴女は仕事以外にも家事や雑務を頑張ってくれています。そんな貴女に感謝こそすれど笑うことなどありましょうか」
白蓮の言葉に、一輪は少しだけ目頭が熱くなった。尊敬する聖白蓮についてきて間違いじゃなかった、と再確認した。
「姐さん、ありがとうございます……!」
そう言うと白蓮は再びニコリと笑った。
「あぁでも、一輪の可愛らしい一面を見れたのは貴重です。覚えておくとしましょう」
一輪は再度布団に沈みこんだ。一瞬だけ見た白蓮の笑顔は悪戯っぽいものだった。
「やっぱり、姐さんには敵わない……」
申の刻
命蓮寺の階段を登り終える頃には、ムラサは汗だくになっていた。
ムラサの能力を使えば水から水に飛び移ることも出来るのだが、季節柄水たまりはない。結局徒歩で移動するしかなかったのだ。
「ただいまー」
「おかえり、水蜜」
命蓮寺の前には一輪がいた。
「あんた、すごい汗ね。どこまで行ってたの?」
「その前に……水、冷たいのちょうだい……死ぬ」
はいはい、と一輪は井戸の方へ走って行った。
縁側に座ると、奥から白蓮が出てきた。
「あら、帰っていたのですね。おかえりなさい」
「ん、ただいま」
「お茶でも飲みますか?」
「いや、今熱いのはやめて……」
しばらくすると一輪が戻ってきた。持ってきた水をもらうと、そのまま一気に流し込んだ。
「っぷはぁー! 生き返るー!! ありがと一輪」
一輪は、いいのよ、と言ってムラサの横に腰かけた。
「ん、それが今日の収穫?」
「うん、そう。緑の巫女に借り物をしてきたんだ。外の世界の本なんだけど」
紙袋から中身を取り出すと、表紙には異国の言葉が書かれていた。
「読書ですか。ムラサ、いい心がけです」
「いやぁ、それほどでも……。まぁ最初は本なんて読まないって思ってたけど、巫女に話を聞いてるうちに、あたしはこの本を読むべきだって思ってね。それで借りてきたのよ」
「へぇ。ムラサが心変わりするなんて、一体どういう本なの?」
「えーっと、外の世界で実際にあった豪華客船の沈没事故の話だよ! いやーまだあらすじしか聞いてないんだけど、氷山に船がぶつかるんだけどねー」
ムラサのキラキラとした笑顔とその回答に、白蓮と一輪は妙に納得してしまった。「あぁ、やっぱりか……」と。
生き生きとした表情でムラサは説明をしているが、二人の耳には入っていない。
ムラサは水難事故で死んだのがきっかけとなり舟幽霊となった。幽霊となって道連れを増やそうと水難事故を起こす程度の能力を持ったが、最近はあまり事故を起こさなくなった。
それでも、舟や海に対する興味が薄れたわけではなかった。
「だからといって、ここまでくるとほんと執念よね……」
「ま、まぁいいじゃないですか。動機が何であれ、ムラサが読書に興味を持つことは良いことです」
「好きこそものの上手なれ、ですか。……まぁムラサが頑張るのを見るのも一興かも」
手振り身振りを交えて船について語るムラサを、一輪ははにかみながら見ていた。
その後ムラサによる独演会はしばらく続いたという。
「ムラサ、一休みしない……?」
「何言ってんの?! ここからが面白いところなんだよ!」
酉の刻
夕方、暑さも和らぐ頃。
1人分の影が命蓮寺に伸びてきた。
「白蓮」
その女は大きな尻尾をこしらえていた。化け狸・二ツ岩マミゾウだ。
「マミゾウさんですか。ぬえが貴女の帰りを待っていましたよ」
「ふむ。遅くなってすまぬ」
「いいえ、貴女は命蓮寺の大事なお客様です。気になさらないで」
そう言ってマミゾウに縁側に座るように促した。
「いつも世話になりっぱなしでは悪いからの、今日はお主に土産を持ってきた」
懐から包みを取り出して、白蓮に手渡した。
「これは何ですか?」
「酒粕を使って作った漬物じゃ。うまいぞ。お主の戒律にも抵触せんじゃろう」
「なるほど、これなら問題ないですね。あとで夕餉に出しましょう」
後ろを通った星にそれを手渡した。
「おっ! マミゾウ帰ったのかー!」
奥からぬえが出てきた。
白蓮のおつかいを断ったぬえは地底に足を向けていた。
「おお、ぬえ。待たせたようじゃの」
マミゾウとぬえ、この二人は外の世界に居た頃からの知り合いだ。ぬえにとっては貴重な飲み友達でもある。何せ命蓮寺の面々は、戒律を守る白蓮を筆頭に酒を飲む者が少ない。
マミゾウはぬえがその世界から呼び寄せた妖怪だが、今は命蓮寺の客として滞在していた。今は幻想郷のことを知るべく、日々放浪を続けている。
「今日はいい酒が手に入ったんだ! びっくりするぞ!」
「ほほう、それは楽しみなことじゃの。して、それはどんな酒なんじゃ?」
待っていましたと言わんばかりに、ぬえが小さな酒瓶を取り出す。
「普段飲むのとは違って、今日は果実酒さ!」
果実酒、という単語に白蓮がピクリとする。
「果実酒か。一体何を使ったものかの」
「えっとなー、確か梅。あたしも一口飲んだけど、今まで飲んだことのない味がしたよ!」
今度は星がぬえの言葉に反応する。
「ぬえ。それはどこで入手しましたか?」
「これは妖精たちから頂いてきたのよ。最近博霊神社に住みついた奴らだよ」
白蓮と星は顔を見合わせた。二人の中で、点と点が繋がった。
「星」
「……明日、神社へ行って巫女に話しておきます」
後日、三妖精は紅白巫女に成敗されたのち、果実酒その他諸々は押収されたという。
「ごはん出来ましたよ―! さぁさ、運んで運んでー!」
「はーい!」
一輪と響子の大きな声がこだまする。それに応えるように他の面々も炊事場へと足を向けていた。
「今日は何作ったの?」
「さぁ? 食べてのお楽しみよ。って、つまみ食いしてんじゃないわよ、ムラサ!」
「ご主人、頼むからゆっくり運んでくれないか。通った道が味噌汁の跡だらけなんだ」
「……なかなか配膳も奥が深いですね。ベストなやり方が掴めません」
「星、そういうのいいから早く進んでー!! 後ろがつっかえてるんだよー!!」
「あぁもう響子うっさい! 狭いところで叫ぶな!」
喧々諤々とする面々。それを遠くから眺める白蓮とマミゾウ。
「くくく、やはり此処は居心地がいい。そしてこやつらには全く飽きぬ」
「えぇ、私もです。毎日が新しい発見です」
亥の刻
縁側に座り、月を眺めていた。
今日は半月。どこにいても月の存在は変わらないのだなと白蓮は思っていた。
命蓮寺の周りにはこだまする虫の鳴き声。もう少しすればこの声がなくなり、代わりに山に色が現れる。気がつけばきっと一面雪化粧になっていることだろう。そしてまた生命の息吹が山を覆うようになる。季節の一巡は、何百年と生きた魔法使い・聖白蓮には些細なことのはずだが、白蓮にとってはそうではない。
「今年の夏は今までで一番暑かったかもしれませんねぇ」
永遠とも言える生命を得たからこそ、その一瞬をしっかりと焼きつけるようにしているのだ。長く生きられない人や妖怪、その他諸々の分までも、と。もちろん、その中には弟・命蓮もいる。
「あなたは暑いのは苦手と言っていましたね。今は、あの頃よりも夏が暑くなりました。きっとあなたは愚痴をこぼすことでしょう。『姉上、私の法力でもどうにもならぬ暑さ。今日は寺を閉めませんか』と」
想像して、クスリと笑う白蓮。
その時、一筋の風が吹いた。風に押されて、本のページが閉じられる。横に置いていたロウソクの火も消えていた。
「……あらあら、これは『寝なさい』ということですか、命蓮」
本を開き直し、しおりを挟むと再びそれを閉じた。
もう一度、ひゅうっと風が吹き抜ける。
「ええ、わかっていますとも、命蓮。そろそろ眠ることにしましょう」
そう言って、縁側の戸を動かし始めた。全ての戸を閉め切るまでの間、何度か風が白蓮の身体をくすぐっていた。
「あなたもなかなかしつこいですね。これで最後ですから、ご心配なく」
最後の一枚を閉め切ると、途端に風は止んだ。
「まったく、あなたはいつまで経っても私を子供扱いするのですね。私は姉なのに」
部屋に戻ると、そうぽつりとつぶやいた。
本とロウソクを机の上に置くと、一輪が敷いた布団に潜り込んだ。
「命蓮、今日もよい一日でした。ですが、まだ明日はすぐにやってきます。……どうか、明日もよい日であるように、力を貸して下さいな。……おやすみなさい」
祈るように手を組み、眠りについた白蓮。
その声に応えるように、かたかたと戸が風に揺らされた。