「ふうむ……」
未だに、外の陽射しは強い。だが、既に秋だ。ご先祖様のお盆観光ツアーもとうの昔に終わってしまった。秋風が涼しさを吹き込んでくれる。
「ほう……」
一方、僕の心は沸き立っていた。外の世界からもたらされる知的興奮は、いつでも僕の心を捉えて止まない。涼しげな風の中で、僕は外の世界に思いを馳せる――そして、自分の考えが立証されたとわかり、心中で笑みを浮かべた。
「なるほど……」
「もう! 少し静かにしてよ!」
しかし、その穏やかな時間はお客様――いや、霊夢が金を払ったことは久しく記憶に無いから、お客様と呼ぶにも抵抗があるが――ともかく、やかましい来客が、僕の集中を遮った。
「静かに、と言うが、本を捲る音すら気になるのかい?」
「捲る音じゃないわよ。ひ・と・り・ご・と! 霖之助さんの独り言が気になってしょうがないわ」
何かを口に出していた覚えはないのだが。
無意識の内に呟く程度はあったのかもしれない。それほどに興奮していたのは確かだ。相手がお客様ならまだしも、
「別に声を出していたつもりはないが……だが、僕の家で呟くくらい構わないだろう?」
「ここにお客様がいるじゃない。それをほったらかしてぶつぶつと。気になるわよ」
金を払わない人間は客ではない。常にそう思っているが、いつの頃からか口に出すのも面倒になってしまった。
霊夢の手元から、ピッ、ピッ、と言う音が聞こえる。透明な小箱。「ありとあらゆる物を操作できる道具」ゲームボーイブロスからだ。
「君がお客さんだとしてもだ。前にも言ったようにそれは実に貴重なんだよ。どれだけのお金を積まれても、決して売るつもりが無いほどにね」
「店の中の八割はそうじゃないかしら? 水タバコといい、あの役立たずの式神もどきといい」
「とにかく、寝せてくれ。上のツマミを左にスライドするんだ」
「知ってるわ。紫が遊んでたのを見たこと有るもの。ちょっと形は違うけど……まあ、使い方は知ってるわよ。やってみて、たいして面白くもないってわかったわ」
モノクロームな画面は動きを止め、新しいはずなのに、何故か郷愁を誘う心地よい音も止んだ。僕も、ほっと胸をなで下ろした。
「でも、こんなのしょっちゅう落ちてない? なんて名前だったかしら……そうそう、『ぴーえすびーた』。そんな感じね。紫が言ってた。あのけちんぼ、見せびらかす癖に触らせてもくれないのよ」
一握りの石油と引き替えに、山ほどの道具を手渡している身だ。「けちんぼ」という発言には頷くしかなかった。
冬になれば、またあの妖怪少女からの取り立てが始まるのだろうか……ストーブの利便性を思えば致し方なくは思えるが。
「その箱も貴重だが……真に貴重なのはその箱じゃないよ。前にも言ったように、『妖怪の心臓』が貴重なんだ。使い捨てだしね」
ゲームボーイも彼女に取り立てられた物の一つだった。それが再び香霖堂にある。それが示すように、「仮想の世界を操る道具」――紫の言葉に従えば「携帯ゲーム機」――はそこまで珍しい物ではない。
「ぴーえすびーた」はあいにく知らないが、「ネオジオポケット」「ゲームギア」「リンクス」……そして「ニンテンドーDS」などを僕は持っている。無論、全て非売品だ。
非売品にしているように、流石にしょっちゅう、という事は無いが、博麗神社は外の世界との境界にある。僕が仕入れる範囲とは比べものにならないほど落ちているのだろう。
「ああ、あの随分大事そうにしていた……で、それが入ってるの?」
「そうだ。それがその小箱を動かしているんだ」
「そう……ごめんなさい」
あの霊夢でも、思わず申し訳なさそうな顔をした。それほどの貴重品である。手にしたときは、高揚した気分で彼女に紹介した物だ。
守矢神社の宝物庫に収められていた品だ。幻想郷もそれなりの広さがある。だが、今あるのはここと、守矢の宝物庫だけだろう。
守矢の風祝との物々交換により入手した品だ。あれは正当な取引だった。こちらもかなりの物を出したものだ。「外の世界の道具を軽々に持ち出すことは混乱に繋がる」と二柱に釘を刺されたとの事で、あれ以来、物々交換による取引が出来ていないのは心底残念ではあるが。
霊夢から聞くに、「ツマミを回すだけで火が付く上に、薪もなしに燃え続ける」という便利な道具等があるそうだが……せめてこの目で見る機会がほしいとは思う。
ちなみに、「妖怪の心臓」というのは正式な名前ではない。正しくは「電池」という。霊夢にもわかるように「心臓」と言い換えているのだ。命の源と思えば、遠くはないだろう。
名前を知ることが出来たのは僕の力のおかげだが、その用途を知ることが出来たのは能力によってではない。知識のおかげだ。
言うまでも無いが、幻想郷が外の世界と枝分かれしたのはさほどの昔ではない、明治初期だ。幻想郷に残された文献を紐解くだけで、電池という物を知るには足りた。
江戸の頃の書物にその名を見ることが出来る。物を動かす道具であり、異国より将軍に献上されたこともあるそうだ。献上されるほどの貴重品であることは、今も変わらない。
「その寿命は有限で……さして長いものではない。いや、別に殊更に気にして貰う事もないんだが。幸い、まだ在庫は幾らかある」
「新聞の話だから眉唾だけど……天狗を信じるなら、最近の妖怪はそいつで動いてるそうね。あれとか、そう、『リモコン隠し』みたいなのは。今度見つけたら退治ついでに引っこ抜いてこようかしら」
リモコン隠し、僕も見たことはないが、幻想郷縁起などで噂は耳にしている。風のように姿を持たぬ妖怪だとも、リモコン――外の世界の下駄に手足が付いた存在だともされる。いずれにしても、新しい妖怪らしく、謎の多い妖怪だ。
「流石に、そこまでして貰う必要も無いが」
付け加えれば、あの小傘とか言う化け傘のように、妖怪と化した時点で元の物とはかけ離れているから、おそらくゲームボーイブロスに使うのは不可能だろう。
「しかし、君の神社には外の世界の貴重品も多く流れ着くのだろう? それを集めてくればツケくらいにはなるだろうに」
「と言っても、私にはゴミか貴重品かなんてわからないわよ。頑張って運んできたら『これは有り触れているよ。在庫も余っている』なんて言われたらどうしようもないわ」
ならば知識を付ければいいとも思うが、彼女向けではないのだろう。僕のように物への執着を持った存在ではない。
おかげでツケは増える一方だが、だからこそ妖怪には好かれるのだろう。
外界の道具が流れ着く土地に住み、あれだけの力を持っているのだ。彼女が執着を見せれば、大富豪になることも、力で王となることも夢ではあるまい。
ふと、先ほどの「けちんぼ」という話を思い出した。あれもあれで、霊夢を信頼した上でじゃれ合っているのかもしれない。あの賢者様は僕の道具への執着などお見通しだから――気軽に紹介はしないだろうし、僕も礼儀として問い詰めない。
何か、彼女たちの信頼関係が見えるようで微笑ましい気分になった。
「ところで、なんでさっきはあんなに独り言を言っていたのかしら?」
「ああ、本を読んでいたときの話か」
先ほど読んでいた雑誌は「ファミ通」という。外の世界の雑誌の例に漏れず、何が書いてあるのかは理解しがたかった。
雑誌という物は読み捨てられる物であって、拾う機会は多い。一方、関心のある者は少ない。大半はゴミも同然だ。「ファミ通」にしても、捨てる前に、単に目を通しているだけのつもりだった。あの文字を見るまでは。
「図らずも、僕の想像が当たっていた。僕の予想通りの道具が外の世界に存在していると言う事を知ったんだ。もっとも、合理的に考えれば必然ではあった。つまりは、僕の考えが外の世界と同水準に達していた証でもある」
「つまりは、霖之助さんの想像していた道具が外の世界には既にあるってことかしら? どんな道具なの?」
ゲームボーイ、ニンテンドーDS。小窓の数は一つから二つになった。二つでは未だ仮想の世界を操るに過ぎない。その世界は小窓の向こうにしかない。しかし、外の世界もまた気がついたのだ、完全と調和を意味する「三」という数の導入により、現実をも操れると。
もし、それが僕の手元に? と考えると恐ろしい。だが、幸い……あるいは不幸かもしれないが、僕の手元に「ニンテンドー3DS」はない。純粋な知識欲と想像が、僕の心を心地よく支配している。
「以前、君に三稜鏡の事を説明したと思う」
「三稜鏡……なんだったかしら?」
僕は小さく溜息をついて、非売品の収められた棚に向かった。龍の刺繍が施された箱を開き、三稜鏡を取り出した。
窓の近くに向かい、陽を当てれば、その先に虹が描かれた。
「あら綺麗。ああ、思い出したわ。風に色を塗る道具だっけ」
「その通りだ。まあ、今は虹はどうでもいいんだ。重要なのは前にも言ったように『三』は完全と調和を意味していることで――」
――カランカラン
「うお! まぶしいぜ……お客様に向かって目つぶしとは相変わらず商売する気がないんじゃないか?」
金を払わず道具を持って行くものは泥棒とこそ呼べ、お客様とは言えないが、それを魔理沙に伝えようとも思わなかった。
「プリズムか。なんで今更そんなものを持ち出してるんだ? 綺麗だけどな」
「異国ではプリズムとも言うそうだが、やはり三稜鏡と呼ぶ方がいい。『三』にこそ意味があるのだから」
「相変わらず香霖の話は何が言いたいかわからないな。プリズムリバー姉妹が三姉妹な事に深い意味でもあるってか? いや、実は四姉妹だっけな」
「話を途中から聞くからだよ。幸い、今説明し始めたところだ、聞けば理解できるだろう」
「最初から聞いてるけど、霖之助さんが何を言いたいのかもわからないわね……」
三稜鏡を傾け、僕は上に虹を描いた。天井まで虹が届いた。
「下から虹を見上げられるだろう?」
「当たり前だぜ」
続けて、僕は下に傾ける。虹は、机で途切れた。
「今度は上から見下ろせる。そして――」
僕は窓を背にして、店の奥に虹を伸ばした。
「こうすれば、奥に向けて虹が描かれる様を見て取れる」
「当たり前じゃない? 何が言いたいのよ?」
「これを当たり前だと思うのは、僕たちが立体の世界、つまり三次元に住んでいるからだ。上下と左右に加えて、奥行きを持った世界に住んでいるからこそ、虹をあらゆる方向から見て取れて、奥行きも感じられる」
「奥行きがなかったらすれ違うにも――」
と言うと、魔理沙は僕の頭上を飛び越えて、
「毎回こうやらなきゃいけないからな。三次元で良かったぜ」
呟いた。香霖堂の天井はさして高い物ではない。器用なものだとは思うが、棚の上の埃が飛び散った。店で行うのはやめてもらいたい。
「当たり前すぎるから、日頃意識をすることは少ないだろう。二次元で何かを表すのは有り触れたことだ。絵画にしても、写真にしても、どうとでもなる。しかし、三次元となれば難しい」
「なあ香霖、彫刻は三次元じゃないか?」
ゲームボーイやニンテンドーDSは、自在に仮想世界を操る事が出来る。しかし、あくまでも小窓の向こうの平面世界に過ぎない。小窓という境界が、三次元による現実世界と二次元である仮想世界を明確に区別している。
「もっとも、立体写真を撮ることは理屈の上では可能だろう。前にも魔理沙に言ったが、虹を上手く交差させれば、色を混ぜ合わせ、あらゆる色を作る事が出来る。今、三稜鏡は一つしかないが、それが三つあれば、横幅と奥行きと高さを自在に調整することが出来る」
「香霖の話は毎回飛躍するから理解が手間だが、三つあればそうだろうな。今も昔も、平面の写真も取れないのにいってどうするんだって感じだが」
「うーん。理屈ではなんとなくわかるけど……で、そもそも何が言いたかったの?」
話というものは、段階を経ねばならない。その点で、まだ彼女たちは気が流行りすぎる。
三の意味をわかっていなければ、ニンテンドー3DSの革新性は理解できないのだから。
「ともかく、『三』という数字が、立体を作り出す上で重要なのはわかってくれたと思う」
僕は机の引き出しを開け、緑色の二つ窓が付いた小箱――ニンテンドーDSを取り出した。あいにく、動いたことはない。これに使う電池はゲームボーイブロスに使うものとは別物らしい。
「魔理沙、これを見てピンとこないかい? 二つ窓の道具だよ」
「いや。間違いなく役に立たない道具だろうという確信はあるが」
「見ただけではわからないかもしれないね。だったら、紫の言づては覚えているかな? 僕と彼女が、初めて会った年の言づてだ」
――これは携帯ゲーム機と言って、いつでもどこでも仮想の敵相手に、戦ったり滅ぼしたり出来るのよ……ってあらやだ、この灰色のはかなり古い機種ね。色もモノクロだし……もうこんな古いの、外の世界でも持っている人なんて余りいないわよ。今はねぇ、この小窓が二つ付いているのが流行っているのよ。
そんな内容だったか。掻い摘んで、魔理沙に伝えた。
魔理沙は少し考え込む様子を見せてから、
「ああ、なんとなく覚えてるぜ。昔の事だからうろ覚えだけどな。しかし、随分昔に思えるな。もう八年は昔に思えるぜ」
「あれから八年も経ってたら、私達はいい大人よ」
「霊夢は八年後も仕事をさぼって遊んでそうだがな」
「妖怪退治に神事と、これでも案外多忙なのよ……」
古道具屋で油を売る暇はあるようだが。
しかし、彼女たちが本当に八個も年を取っていたら、もう少し説明も楽になっているのだろうか。
八年とは長い月日だ。少女たちを見やりながら、八年後を考えた。……魔理沙はお淑やかな淑女になって、霊夢は仕事に精を出す巫女にでもなっているのだろうか?
ありそうにないな、と思って僕は内心で苦笑した。
「で、その箱があの頃は外の世界でも流行っていた道具ってわけか」
「その通り。『ニンテンドーDS』という携帯ゲーム機だ。つまり、仮想の世界を自在に操る道具だ。あいにくこちらを動かせたことはないが……」
「何度かあのゲームボーイとやらは触ったからわかるぜ。ちまちましてて、あんまり面白い物じゃなかったな」
記憶に無いのだが。気がつけば電源が付かなくなっていたときがあった。魔理沙のせいだろうか……
「……ともかく、この道具が僕の手元にある。その意味はわかるだろう?」
「流行じゃなくなったって事でしょ? 霖之助さんが拾ったと言う事は」
「かっぱらってきたが正解だと思うぜ」
仕入れと泥棒を一緒にされても困る。そして、もう一つ重要な点がある。
「流行が終わったと言うことは、それを継ぐものが生まれたと言う事だ。より便利で、高性能な物が生まれたからこそ、忘れ去られてここにやってきたわけだ」
「まあ、魔法でも道具でも、より良い物が出たら捨てられるだろうな。私の魔法はどれも自信作だが、もっといいものが出来たら捨てるのもやぶさかじゃないし」
「古い物には古い物の良さがあるが……実用性という観点から見れば致し方ない。そして、僕はその後継機を知っている。つい先ほど知ったんだ。図らずも、僕の予想通りの改良が施されていた」
「だからあんなにうるさかったの。で、どんな物かしら?」
机の上のファミ通を読み返す。記された限り、大きな違いは一点しかないようだ。だが、その一つの差はどこまでも大きい。
「ニンテンドー3DSもまた、仮想の存在を操る道具だ。だが、その範囲は小窓の向こうに留まらない。僕たちの住む此方に……三次元に飛び出してくることが出来る」
「とびだせ大作戦ってわけか。どんな風に見えるんだ?」
魔理沙は、僕の机からファミ通を取ると、読み始めた。霊夢も横から首を突っ込むようにして目を通す。
「普通だな……大きく変わってるようにも見えないが……」
「色が付いてるし、なんか綺麗になってる感じだわ。紫の奴の方が綺麗だったけど」
「でも、飛び出してこないぜ」
彼女たちの読み方を見て、思わず「浅い」と思ってしまった。ファミ通から何かが飛び出してくることはない。そこに悲しみもあるのだが。僕はニンテンドー3DSを知ったけれど、その真の力を目に出来てはいない。
「当たり前だろう。それは雑誌。紙であって、二次元の媒体だ。名前と用途を知ることは出来るが、あくまで紹介に過ぎない。紹介された道具を使いこなさねば三次元に呼び出すことなど出来るわけがないだろう。手元にあるわけもないそれを」
「香霖の能力みたいだな。役に立たないのも変わらないぜ」
「ある意味で、魔理沙の言は正しいかもしれない。しかしだ、このような事が可能だとする。それに基づいて過程を推測することが出来る」
「ま、魔法もそういう所はあるな。偶然生まれた結果が素晴らしい魔法になったり。その再現に四苦八苦したりもするんだが」
それに付け加えれば、未知の力、それが巻き起こす変化、影響に思いを馳せるのは、やはり興味深い。
「でも、飛び出てどうするのかしらね。私が二人になったり出来るのかしら? そうすると楽ね。神事と妖怪退治を並行して出来るわ」
「吸血鬼ならその倍までいけるからな。紅のよしみだ。習ってみたらどうだ? 買い出しに掃除まで一緒に出来るぜ」
「人間辞めなきゃ無理そう……」
残念ながら、霊夢の思うような事は出来ないだろう。
「仕組みとしては、恐らく三稜鏡に近いと思う。つまり、風に色を塗ることで、見た目は完全に霊夢そのものの絵を描き、自在に動かすことは出来るだろう。声も恐らくは出ると思う。ゲームボーイでも出来たのだから。だが、虹に触れられないように、恐らく仮想の君に触れることは出来まい」
「ただの絵じゃお留守番にも心許ないわ。泥棒の助けくらいにはなりそうだけど。見張りさせたり、囮にしたり。魔理沙には役立ちそう」
「私が借りるときは正面から正々堂々突破するのが流儀だ。弾でも撃てればテストスレイブよりはよっぽど役に立ちそうだがな……」
そんな風にして、彼女たちはたわいもない想像をして、愉快そうに話し合っていた。
「――親父の偽物を作ってだな。裸踊りでも踊らせるのさ。屋根の上ででもやらせれば絵だってわかりゃしないだろう。霧雨店の信用は失墜、そこで私が二代目店主となって、マジックアイテムを売っては大成功。いい考えだと思わないか?」
「あら、縁を切ってやったと言ってたのに、店を継ぐ気はあるのね」
「……まあ、可能性の問題だ。親父になんかあったとして、廃業させるというのも勿体ないしな」
少女らしい、子供じみた悪戯だった。親離れしきれていないような言葉が、微笑ましかった。
「親父さんも、もう若くはない。今の言葉を聞けば、随分喜ぶんじゃないかな」
「ちぇっ。じゃあ撤回だ。あの家は物置にでもしてやるさ」
僕はと言えば、やはり彼女たちよりかは幾らかは恐ろしい想像をしてしまう。
絵とは言え、小窓から飛び出し、三次元の世界で自在に動ける存在。それを操れるとなれば、悪事に使う事も思いのままだろう。よろしからぬ用途だけで、無数に思いつけてしまう。
……こう思うのは実に珍しいのだが、ニンテンドー3DSが此方に来て欲しく無いとも感じてしまった。間違いなく、僕の手には余る代物だ。少なくとも今は。
このような道具が有る外の世界は、果たして平和で居続けられるのだろうか? そうであればいいとは思うけれど。
「でもねえ、『二次元と三次元の境界』なんて札を紫は持っているじゃない。なんか光って飛んでくるだけで何が起きてるかよくわからないけど……」
「あいつの発言や行動は理解できた方が少ないぜ。なんたって賢者様だからな。私みたいな凡人じゃ付いて行けないくらいに」
「私も面倒だわ。だけど、あいつには外の世界の道具くらいは出来るって事よね。凄いのか、道具一個くらいの力しかないのか、微妙な所ね」
言うまでも無く、あの妖怪少女の方が上では有ろう。二次元と三次元の境界を操るなど、彼女の能力の片鱗に過ぎない。「外の世界の道具くらい」どころでは無いのだ。
「ある意味、君たちは力を有効に活用しきれているのかも知れない。羨ましいことだ」
「何の事よ?」
「マジックアイテムの使い方には自信が有るがな」
言葉を続けるのも無粋だと思い、僕は言葉を切り、ファミ通を再び読み始めた。
外の世界の情報に触れつつも、心はこの郷の中にだけあった。
霊夢、魔理沙、そして紫。その力というのは、使い方一つで如何様な結果も起こせる。善行にも、悪事にも使い放題だ。
そして紫と霊夢が治める郷では、「弾幕ごっこ」という遊びにのみ活用されている。
外から虫の音が聞こえる。今日も平和だ。
「――だから、とんこつには高菜なんだよ。あれに日本人の侘び寂びがあるんだ」
「辛いわ。それは胡椒で十分よ。とんこつの匂いも薄れちゃうし」
それに混じって、二人の楽しそうな声が聞こえてきた。今日もまた、どうでもいいことで決闘を始めたいらしい。いつものパターンだ。「外でやってくれよ」と言うより先に、二人は外に出て行った。有り難い。これもまた、成長なのだろうか。
静かになった店内で、僕はファミ通を読みふける、穏やかな時間の中で、今日の夕食について考えていた。
あのような力を持つ少女たちがいる中で、夕食に思いを巡らす余裕が有る、道具を悪用される恐れも無い。そんな状況をもたらしていることは、間違いなく何よりの善行なのだろうと僕は思った。
「あいたた……不覚を取ったわね……」
吹き飛んできた霊夢と、壊れたドアと、押しつぶされた道具を見るまではだが。
僕は大きな溜息をついて、ツケに足す額の計算を始めた……
未だに、外の陽射しは強い。だが、既に秋だ。ご先祖様のお盆観光ツアーもとうの昔に終わってしまった。秋風が涼しさを吹き込んでくれる。
「ほう……」
一方、僕の心は沸き立っていた。外の世界からもたらされる知的興奮は、いつでも僕の心を捉えて止まない。涼しげな風の中で、僕は外の世界に思いを馳せる――そして、自分の考えが立証されたとわかり、心中で笑みを浮かべた。
「なるほど……」
「もう! 少し静かにしてよ!」
しかし、その穏やかな時間はお客様――いや、霊夢が金を払ったことは久しく記憶に無いから、お客様と呼ぶにも抵抗があるが――ともかく、やかましい来客が、僕の集中を遮った。
「静かに、と言うが、本を捲る音すら気になるのかい?」
「捲る音じゃないわよ。ひ・と・り・ご・と! 霖之助さんの独り言が気になってしょうがないわ」
何かを口に出していた覚えはないのだが。
無意識の内に呟く程度はあったのかもしれない。それほどに興奮していたのは確かだ。相手がお客様ならまだしも、
「別に声を出していたつもりはないが……だが、僕の家で呟くくらい構わないだろう?」
「ここにお客様がいるじゃない。それをほったらかしてぶつぶつと。気になるわよ」
金を払わない人間は客ではない。常にそう思っているが、いつの頃からか口に出すのも面倒になってしまった。
霊夢の手元から、ピッ、ピッ、と言う音が聞こえる。透明な小箱。「ありとあらゆる物を操作できる道具」ゲームボーイブロスからだ。
「君がお客さんだとしてもだ。前にも言ったようにそれは実に貴重なんだよ。どれだけのお金を積まれても、決して売るつもりが無いほどにね」
「店の中の八割はそうじゃないかしら? 水タバコといい、あの役立たずの式神もどきといい」
「とにかく、寝せてくれ。上のツマミを左にスライドするんだ」
「知ってるわ。紫が遊んでたのを見たこと有るもの。ちょっと形は違うけど……まあ、使い方は知ってるわよ。やってみて、たいして面白くもないってわかったわ」
モノクロームな画面は動きを止め、新しいはずなのに、何故か郷愁を誘う心地よい音も止んだ。僕も、ほっと胸をなで下ろした。
「でも、こんなのしょっちゅう落ちてない? なんて名前だったかしら……そうそう、『ぴーえすびーた』。そんな感じね。紫が言ってた。あのけちんぼ、見せびらかす癖に触らせてもくれないのよ」
一握りの石油と引き替えに、山ほどの道具を手渡している身だ。「けちんぼ」という発言には頷くしかなかった。
冬になれば、またあの妖怪少女からの取り立てが始まるのだろうか……ストーブの利便性を思えば致し方なくは思えるが。
「その箱も貴重だが……真に貴重なのはその箱じゃないよ。前にも言ったように、『妖怪の心臓』が貴重なんだ。使い捨てだしね」
ゲームボーイも彼女に取り立てられた物の一つだった。それが再び香霖堂にある。それが示すように、「仮想の世界を操る道具」――紫の言葉に従えば「携帯ゲーム機」――はそこまで珍しい物ではない。
「ぴーえすびーた」はあいにく知らないが、「ネオジオポケット」「ゲームギア」「リンクス」……そして「ニンテンドーDS」などを僕は持っている。無論、全て非売品だ。
非売品にしているように、流石にしょっちゅう、という事は無いが、博麗神社は外の世界との境界にある。僕が仕入れる範囲とは比べものにならないほど落ちているのだろう。
「ああ、あの随分大事そうにしていた……で、それが入ってるの?」
「そうだ。それがその小箱を動かしているんだ」
「そう……ごめんなさい」
あの霊夢でも、思わず申し訳なさそうな顔をした。それほどの貴重品である。手にしたときは、高揚した気分で彼女に紹介した物だ。
守矢神社の宝物庫に収められていた品だ。幻想郷もそれなりの広さがある。だが、今あるのはここと、守矢の宝物庫だけだろう。
守矢の風祝との物々交換により入手した品だ。あれは正当な取引だった。こちらもかなりの物を出したものだ。「外の世界の道具を軽々に持ち出すことは混乱に繋がる」と二柱に釘を刺されたとの事で、あれ以来、物々交換による取引が出来ていないのは心底残念ではあるが。
霊夢から聞くに、「ツマミを回すだけで火が付く上に、薪もなしに燃え続ける」という便利な道具等があるそうだが……せめてこの目で見る機会がほしいとは思う。
ちなみに、「妖怪の心臓」というのは正式な名前ではない。正しくは「電池」という。霊夢にもわかるように「心臓」と言い換えているのだ。命の源と思えば、遠くはないだろう。
名前を知ることが出来たのは僕の力のおかげだが、その用途を知ることが出来たのは能力によってではない。知識のおかげだ。
言うまでも無いが、幻想郷が外の世界と枝分かれしたのはさほどの昔ではない、明治初期だ。幻想郷に残された文献を紐解くだけで、電池という物を知るには足りた。
江戸の頃の書物にその名を見ることが出来る。物を動かす道具であり、異国より将軍に献上されたこともあるそうだ。献上されるほどの貴重品であることは、今も変わらない。
「その寿命は有限で……さして長いものではない。いや、別に殊更に気にして貰う事もないんだが。幸い、まだ在庫は幾らかある」
「新聞の話だから眉唾だけど……天狗を信じるなら、最近の妖怪はそいつで動いてるそうね。あれとか、そう、『リモコン隠し』みたいなのは。今度見つけたら退治ついでに引っこ抜いてこようかしら」
リモコン隠し、僕も見たことはないが、幻想郷縁起などで噂は耳にしている。風のように姿を持たぬ妖怪だとも、リモコン――外の世界の下駄に手足が付いた存在だともされる。いずれにしても、新しい妖怪らしく、謎の多い妖怪だ。
「流石に、そこまでして貰う必要も無いが」
付け加えれば、あの小傘とか言う化け傘のように、妖怪と化した時点で元の物とはかけ離れているから、おそらくゲームボーイブロスに使うのは不可能だろう。
「しかし、君の神社には外の世界の貴重品も多く流れ着くのだろう? それを集めてくればツケくらいにはなるだろうに」
「と言っても、私にはゴミか貴重品かなんてわからないわよ。頑張って運んできたら『これは有り触れているよ。在庫も余っている』なんて言われたらどうしようもないわ」
ならば知識を付ければいいとも思うが、彼女向けではないのだろう。僕のように物への執着を持った存在ではない。
おかげでツケは増える一方だが、だからこそ妖怪には好かれるのだろう。
外界の道具が流れ着く土地に住み、あれだけの力を持っているのだ。彼女が執着を見せれば、大富豪になることも、力で王となることも夢ではあるまい。
ふと、先ほどの「けちんぼ」という話を思い出した。あれもあれで、霊夢を信頼した上でじゃれ合っているのかもしれない。あの賢者様は僕の道具への執着などお見通しだから――気軽に紹介はしないだろうし、僕も礼儀として問い詰めない。
何か、彼女たちの信頼関係が見えるようで微笑ましい気分になった。
「ところで、なんでさっきはあんなに独り言を言っていたのかしら?」
「ああ、本を読んでいたときの話か」
先ほど読んでいた雑誌は「ファミ通」という。外の世界の雑誌の例に漏れず、何が書いてあるのかは理解しがたかった。
雑誌という物は読み捨てられる物であって、拾う機会は多い。一方、関心のある者は少ない。大半はゴミも同然だ。「ファミ通」にしても、捨てる前に、単に目を通しているだけのつもりだった。あの文字を見るまでは。
「図らずも、僕の想像が当たっていた。僕の予想通りの道具が外の世界に存在していると言う事を知ったんだ。もっとも、合理的に考えれば必然ではあった。つまりは、僕の考えが外の世界と同水準に達していた証でもある」
「つまりは、霖之助さんの想像していた道具が外の世界には既にあるってことかしら? どんな道具なの?」
ゲームボーイ、ニンテンドーDS。小窓の数は一つから二つになった。二つでは未だ仮想の世界を操るに過ぎない。その世界は小窓の向こうにしかない。しかし、外の世界もまた気がついたのだ、完全と調和を意味する「三」という数の導入により、現実をも操れると。
もし、それが僕の手元に? と考えると恐ろしい。だが、幸い……あるいは不幸かもしれないが、僕の手元に「ニンテンドー3DS」はない。純粋な知識欲と想像が、僕の心を心地よく支配している。
「以前、君に三稜鏡の事を説明したと思う」
「三稜鏡……なんだったかしら?」
僕は小さく溜息をついて、非売品の収められた棚に向かった。龍の刺繍が施された箱を開き、三稜鏡を取り出した。
窓の近くに向かい、陽を当てれば、その先に虹が描かれた。
「あら綺麗。ああ、思い出したわ。風に色を塗る道具だっけ」
「その通りだ。まあ、今は虹はどうでもいいんだ。重要なのは前にも言ったように『三』は完全と調和を意味していることで――」
――カランカラン
「うお! まぶしいぜ……お客様に向かって目つぶしとは相変わらず商売する気がないんじゃないか?」
金を払わず道具を持って行くものは泥棒とこそ呼べ、お客様とは言えないが、それを魔理沙に伝えようとも思わなかった。
「プリズムか。なんで今更そんなものを持ち出してるんだ? 綺麗だけどな」
「異国ではプリズムとも言うそうだが、やはり三稜鏡と呼ぶ方がいい。『三』にこそ意味があるのだから」
「相変わらず香霖の話は何が言いたいかわからないな。プリズムリバー姉妹が三姉妹な事に深い意味でもあるってか? いや、実は四姉妹だっけな」
「話を途中から聞くからだよ。幸い、今説明し始めたところだ、聞けば理解できるだろう」
「最初から聞いてるけど、霖之助さんが何を言いたいのかもわからないわね……」
三稜鏡を傾け、僕は上に虹を描いた。天井まで虹が届いた。
「下から虹を見上げられるだろう?」
「当たり前だぜ」
続けて、僕は下に傾ける。虹は、机で途切れた。
「今度は上から見下ろせる。そして――」
僕は窓を背にして、店の奥に虹を伸ばした。
「こうすれば、奥に向けて虹が描かれる様を見て取れる」
「当たり前じゃない? 何が言いたいのよ?」
「これを当たり前だと思うのは、僕たちが立体の世界、つまり三次元に住んでいるからだ。上下と左右に加えて、奥行きを持った世界に住んでいるからこそ、虹をあらゆる方向から見て取れて、奥行きも感じられる」
「奥行きがなかったらすれ違うにも――」
と言うと、魔理沙は僕の頭上を飛び越えて、
「毎回こうやらなきゃいけないからな。三次元で良かったぜ」
呟いた。香霖堂の天井はさして高い物ではない。器用なものだとは思うが、棚の上の埃が飛び散った。店で行うのはやめてもらいたい。
「当たり前すぎるから、日頃意識をすることは少ないだろう。二次元で何かを表すのは有り触れたことだ。絵画にしても、写真にしても、どうとでもなる。しかし、三次元となれば難しい」
「なあ香霖、彫刻は三次元じゃないか?」
ゲームボーイやニンテンドーDSは、自在に仮想世界を操る事が出来る。しかし、あくまでも小窓の向こうの平面世界に過ぎない。小窓という境界が、三次元による現実世界と二次元である仮想世界を明確に区別している。
「もっとも、立体写真を撮ることは理屈の上では可能だろう。前にも魔理沙に言ったが、虹を上手く交差させれば、色を混ぜ合わせ、あらゆる色を作る事が出来る。今、三稜鏡は一つしかないが、それが三つあれば、横幅と奥行きと高さを自在に調整することが出来る」
「香霖の話は毎回飛躍するから理解が手間だが、三つあればそうだろうな。今も昔も、平面の写真も取れないのにいってどうするんだって感じだが」
「うーん。理屈ではなんとなくわかるけど……で、そもそも何が言いたかったの?」
話というものは、段階を経ねばならない。その点で、まだ彼女たちは気が流行りすぎる。
三の意味をわかっていなければ、ニンテンドー3DSの革新性は理解できないのだから。
「ともかく、『三』という数字が、立体を作り出す上で重要なのはわかってくれたと思う」
僕は机の引き出しを開け、緑色の二つ窓が付いた小箱――ニンテンドーDSを取り出した。あいにく、動いたことはない。これに使う電池はゲームボーイブロスに使うものとは別物らしい。
「魔理沙、これを見てピンとこないかい? 二つ窓の道具だよ」
「いや。間違いなく役に立たない道具だろうという確信はあるが」
「見ただけではわからないかもしれないね。だったら、紫の言づては覚えているかな? 僕と彼女が、初めて会った年の言づてだ」
――これは携帯ゲーム機と言って、いつでもどこでも仮想の敵相手に、戦ったり滅ぼしたり出来るのよ……ってあらやだ、この灰色のはかなり古い機種ね。色もモノクロだし……もうこんな古いの、外の世界でも持っている人なんて余りいないわよ。今はねぇ、この小窓が二つ付いているのが流行っているのよ。
そんな内容だったか。掻い摘んで、魔理沙に伝えた。
魔理沙は少し考え込む様子を見せてから、
「ああ、なんとなく覚えてるぜ。昔の事だからうろ覚えだけどな。しかし、随分昔に思えるな。もう八年は昔に思えるぜ」
「あれから八年も経ってたら、私達はいい大人よ」
「霊夢は八年後も仕事をさぼって遊んでそうだがな」
「妖怪退治に神事と、これでも案外多忙なのよ……」
古道具屋で油を売る暇はあるようだが。
しかし、彼女たちが本当に八個も年を取っていたら、もう少し説明も楽になっているのだろうか。
八年とは長い月日だ。少女たちを見やりながら、八年後を考えた。……魔理沙はお淑やかな淑女になって、霊夢は仕事に精を出す巫女にでもなっているのだろうか?
ありそうにないな、と思って僕は内心で苦笑した。
「で、その箱があの頃は外の世界でも流行っていた道具ってわけか」
「その通り。『ニンテンドーDS』という携帯ゲーム機だ。つまり、仮想の世界を自在に操る道具だ。あいにくこちらを動かせたことはないが……」
「何度かあのゲームボーイとやらは触ったからわかるぜ。ちまちましてて、あんまり面白い物じゃなかったな」
記憶に無いのだが。気がつけば電源が付かなくなっていたときがあった。魔理沙のせいだろうか……
「……ともかく、この道具が僕の手元にある。その意味はわかるだろう?」
「流行じゃなくなったって事でしょ? 霖之助さんが拾ったと言う事は」
「かっぱらってきたが正解だと思うぜ」
仕入れと泥棒を一緒にされても困る。そして、もう一つ重要な点がある。
「流行が終わったと言うことは、それを継ぐものが生まれたと言う事だ。より便利で、高性能な物が生まれたからこそ、忘れ去られてここにやってきたわけだ」
「まあ、魔法でも道具でも、より良い物が出たら捨てられるだろうな。私の魔法はどれも自信作だが、もっといいものが出来たら捨てるのもやぶさかじゃないし」
「古い物には古い物の良さがあるが……実用性という観点から見れば致し方ない。そして、僕はその後継機を知っている。つい先ほど知ったんだ。図らずも、僕の予想通りの改良が施されていた」
「だからあんなにうるさかったの。で、どんな物かしら?」
机の上のファミ通を読み返す。記された限り、大きな違いは一点しかないようだ。だが、その一つの差はどこまでも大きい。
「ニンテンドー3DSもまた、仮想の存在を操る道具だ。だが、その範囲は小窓の向こうに留まらない。僕たちの住む此方に……三次元に飛び出してくることが出来る」
「とびだせ大作戦ってわけか。どんな風に見えるんだ?」
魔理沙は、僕の机からファミ通を取ると、読み始めた。霊夢も横から首を突っ込むようにして目を通す。
「普通だな……大きく変わってるようにも見えないが……」
「色が付いてるし、なんか綺麗になってる感じだわ。紫の奴の方が綺麗だったけど」
「でも、飛び出してこないぜ」
彼女たちの読み方を見て、思わず「浅い」と思ってしまった。ファミ通から何かが飛び出してくることはない。そこに悲しみもあるのだが。僕はニンテンドー3DSを知ったけれど、その真の力を目に出来てはいない。
「当たり前だろう。それは雑誌。紙であって、二次元の媒体だ。名前と用途を知ることは出来るが、あくまで紹介に過ぎない。紹介された道具を使いこなさねば三次元に呼び出すことなど出来るわけがないだろう。手元にあるわけもないそれを」
「香霖の能力みたいだな。役に立たないのも変わらないぜ」
「ある意味で、魔理沙の言は正しいかもしれない。しかしだ、このような事が可能だとする。それに基づいて過程を推測することが出来る」
「ま、魔法もそういう所はあるな。偶然生まれた結果が素晴らしい魔法になったり。その再現に四苦八苦したりもするんだが」
それに付け加えれば、未知の力、それが巻き起こす変化、影響に思いを馳せるのは、やはり興味深い。
「でも、飛び出てどうするのかしらね。私が二人になったり出来るのかしら? そうすると楽ね。神事と妖怪退治を並行して出来るわ」
「吸血鬼ならその倍までいけるからな。紅のよしみだ。習ってみたらどうだ? 買い出しに掃除まで一緒に出来るぜ」
「人間辞めなきゃ無理そう……」
残念ながら、霊夢の思うような事は出来ないだろう。
「仕組みとしては、恐らく三稜鏡に近いと思う。つまり、風に色を塗ることで、見た目は完全に霊夢そのものの絵を描き、自在に動かすことは出来るだろう。声も恐らくは出ると思う。ゲームボーイでも出来たのだから。だが、虹に触れられないように、恐らく仮想の君に触れることは出来まい」
「ただの絵じゃお留守番にも心許ないわ。泥棒の助けくらいにはなりそうだけど。見張りさせたり、囮にしたり。魔理沙には役立ちそう」
「私が借りるときは正面から正々堂々突破するのが流儀だ。弾でも撃てればテストスレイブよりはよっぽど役に立ちそうだがな……」
そんな風にして、彼女たちはたわいもない想像をして、愉快そうに話し合っていた。
「――親父の偽物を作ってだな。裸踊りでも踊らせるのさ。屋根の上ででもやらせれば絵だってわかりゃしないだろう。霧雨店の信用は失墜、そこで私が二代目店主となって、マジックアイテムを売っては大成功。いい考えだと思わないか?」
「あら、縁を切ってやったと言ってたのに、店を継ぐ気はあるのね」
「……まあ、可能性の問題だ。親父になんかあったとして、廃業させるというのも勿体ないしな」
少女らしい、子供じみた悪戯だった。親離れしきれていないような言葉が、微笑ましかった。
「親父さんも、もう若くはない。今の言葉を聞けば、随分喜ぶんじゃないかな」
「ちぇっ。じゃあ撤回だ。あの家は物置にでもしてやるさ」
僕はと言えば、やはり彼女たちよりかは幾らかは恐ろしい想像をしてしまう。
絵とは言え、小窓から飛び出し、三次元の世界で自在に動ける存在。それを操れるとなれば、悪事に使う事も思いのままだろう。よろしからぬ用途だけで、無数に思いつけてしまう。
……こう思うのは実に珍しいのだが、ニンテンドー3DSが此方に来て欲しく無いとも感じてしまった。間違いなく、僕の手には余る代物だ。少なくとも今は。
このような道具が有る外の世界は、果たして平和で居続けられるのだろうか? そうであればいいとは思うけれど。
「でもねえ、『二次元と三次元の境界』なんて札を紫は持っているじゃない。なんか光って飛んでくるだけで何が起きてるかよくわからないけど……」
「あいつの発言や行動は理解できた方が少ないぜ。なんたって賢者様だからな。私みたいな凡人じゃ付いて行けないくらいに」
「私も面倒だわ。だけど、あいつには外の世界の道具くらいは出来るって事よね。凄いのか、道具一個くらいの力しかないのか、微妙な所ね」
言うまでも無く、あの妖怪少女の方が上では有ろう。二次元と三次元の境界を操るなど、彼女の能力の片鱗に過ぎない。「外の世界の道具くらい」どころでは無いのだ。
「ある意味、君たちは力を有効に活用しきれているのかも知れない。羨ましいことだ」
「何の事よ?」
「マジックアイテムの使い方には自信が有るがな」
言葉を続けるのも無粋だと思い、僕は言葉を切り、ファミ通を再び読み始めた。
外の世界の情報に触れつつも、心はこの郷の中にだけあった。
霊夢、魔理沙、そして紫。その力というのは、使い方一つで如何様な結果も起こせる。善行にも、悪事にも使い放題だ。
そして紫と霊夢が治める郷では、「弾幕ごっこ」という遊びにのみ活用されている。
外から虫の音が聞こえる。今日も平和だ。
「――だから、とんこつには高菜なんだよ。あれに日本人の侘び寂びがあるんだ」
「辛いわ。それは胡椒で十分よ。とんこつの匂いも薄れちゃうし」
それに混じって、二人の楽しそうな声が聞こえてきた。今日もまた、どうでもいいことで決闘を始めたいらしい。いつものパターンだ。「外でやってくれよ」と言うより先に、二人は外に出て行った。有り難い。これもまた、成長なのだろうか。
静かになった店内で、僕はファミ通を読みふける、穏やかな時間の中で、今日の夕食について考えていた。
あのような力を持つ少女たちがいる中で、夕食に思いを巡らす余裕が有る、道具を悪用される恐れも無い。そんな状況をもたらしていることは、間違いなく何よりの善行なのだろうと僕は思った。
「あいたた……不覚を取ったわね……」
吹き飛んできた霊夢と、壊れたドアと、押しつぶされた道具を見るまではだが。
僕は大きな溜息をついて、ツケに足す額の計算を始めた……
1/1星くんはとりあえず予約しておくとしましょう…(いつくしむ目)
掛け合いといいそれっぽい発想といい見事なもので
にしても、もう8年前ですか。変わらないですねぇ、この三人は。