今日もまた客が現れた。ここでは四人目。
蒸した魔法の森の抜けた小道には草木が青々と茂り、虫の羽音と夏独特の歪んだ空気が揺蕩う。緑色に映えた空には太陽が照りつけ、直視すると暫し盲目になる。
そしてひとりのとある来客。
清い小川を通り越し、何かを見た。
「お、こんなところに胡瓜発見」
客が見ているものは赤いポスト型の貯金箱と、笊に盛られた数本の瑞々しい胡瓜だ。この炎天下でも水を被っており、新鮮さが滲み出ている。
貯金箱は掌に乗るサイズで、外見は何処にでも見かける普通の貯金箱である。胡瓜の乗った笊の頭上には竹が伸びている。
道端に堂々と置かれたそれらは、通行人の視界に確実に入るように敢えて置かれている。
この人間も次期に獲物となるのだ。
客の表情に早速歪みが生じる。
「ちぇっ。これ金払うのかよ」
愚痴を零した客だが、ポケットに手を突っ込んで銭を取る仕草はしない。支払う気はそもそもゼロだろう。それは通常の行動であるし、胡瓜を道端に置いてあるだけなのが駄目なんだろと言い返されてしまえば、それでお終いとなる。この場合、万引きと呼ぶには些か疑念が生じる。しかし、それではあまりにも非常識である。
現在、貯金箱の上には『32』の数字が表示されているが、それは電気で表示されているわけではなく、南京錠の中身のような仕組みだ。自動で数字を変えるのだが、それ以外はただの貯金箱そのもの。
視界がちょうど人間の胸辺りにいく。身を乗り出したのだろう。顔が写った。
金髪のロングヘアーを片側に下げた髪型に、大きなリボンの付いた黒の三角帽子。白いエプロンの下には黒い服を羽織っている。自分の身長より遥かに大きい箒を肩掛けている。
霧雨魔理沙――この人間はそう呼ばれている。
「この胡瓜美味そうだな。どれ、味見してやるか」
一度手を伸ばした魔理沙だったが、途端に止め、手を引っ込めた。
少し小道をうろつき、視線を泳がしてから再び胡瓜を見た。
「いや待てよ。いくら毎日が平和すぎる幻想郷でも、警備なしで胡瓜と貯金箱を置くだけってのはおかしいだろ」
狙い通りであった。
昔、こんな話があった――職業が泥棒の人間が田舎を練り歩き、途中で道端に林檎と枡を見つけた。枡には百円玉が少しだけ投げられており、百円を払ってから林檎を買って下さいと書かれた紙が同じ場所に置かれていた。泥棒は悩んだ。今まで店員や警備隊が居座る場所にしか侵入して犯行に及んだ経験がなく、空気のように置かれた林檎が余計に怪しく見えてしまったのだという。泥棒は百円玉を持っていたのだが、結局林檎を手にすることなくその場を立ち去った。翌日、同じ通りを偉い僧侶が通った時、僧侶は「これは占めた」と思って金を払わずに林檎を持ち去ったのだ。結果的に僧侶が悪い人物なのではなく、泥棒が妙に面白い行動をした――という話だ。
今回の場合、道端に貯金箱と食べ物を設置するが、「貯金箱にお金を入れてからご購入下さい」の立て看板は設置しないのだ。すると泥棒はいうまでもなく、僧侶のような人でも怪しむ。
治安の良い地域はしっかりと金を投じてから購入するらしいが、それは各々の暗黙の了解があるだけで、実質的には心の中に「金を払ってから手に取る」という立て看板が置かれている。そこではこのような戦略は通用しない。……いや、何も言わずに律儀に金を払うのなら万々歳なのだが。
畢竟、我々の術中にまんまと魔理沙は嵌ってしまった。
彼女の視線は依然として胡瓜に向かれていた。
「紅魔館にはパチュリーがいるだろ。博麗神社には霊夢がいるだろ。道端の胡瓜には誰もいない。……逆に怪しいな」
一般理論、そう考えるのが関の山だろう。
こうなれば胡瓜は怪訝な視線を受けながらも、無事に食べられずに済む。
この後は二択に分かれる。
泥棒と同じ末路を辿るか、治安良民となるか。
金を払えば商売的には儲けだが、立ち去ることによって優越感を愉しめる。
「変な仕掛けがあって、無銭逃亡したら仕打ちがあるとか」
魔理沙は様々な思いを巡らしているようだった。顔には積乱雲が立ち昇り、表情は訝しげ。箒の穂先を弄くり回しながら、数分が経過した。
しかし、これは我々を誑かす作戦とも有り得る。もし我々の存在に気づいてたら、やりかねない。
この女、抜け目のないことは重々承知している。
突如魔理沙は後ろを向いたかと思うと、両手を大きく挙げた。
「おーい! お前らよーく聞けよー! 霧雨魔理沙はちゃんと金を払ってるからなー!」
魔理沙は確かにそう叫んだ。周りには誰もいないのに、なぜか叫び散らす。自分に言い聞かせているようだった。
結局金を払うのか。儲けではあるが、何か物足りない。
決断したようだ。
魔理沙は銭を貯金箱に投入し、一瞬躊躇ってから、胡瓜に手を付けた。
その瞬間、魔理沙はビクンと跳ね上がり、そのまま気を失って倒れた。ここからでは見えないが、電流を受けて痙攣してるに違いない。
どうせ偽の銭でも投与したのだろう。我々の目は騙せても、貯金箱は騙せない。最新鋭のセンサーを装備した警備員はな。
貯金箱の表示が機械的な音とともに『33』へ変わった。
笊の上の竹が動き始める。鹿威しのようにゆっくりと傾き、胡瓜に新鮮な水を掛けた。
数字以外は、何も変化はない。
貯金箱の口から覗いた極小カメラの映像をモニター越しに見て、にとりは笑っていた。
これで33人連続で無銭で胡瓜を盗む、或いは魔理沙のように偽金を入れたことになった。
このような仕掛けは幻想郷の古今東西に設置されており、今までに律儀に胡瓜を購入したのは聖白蓮だけだ。
にとりはこう考えていた。
そろそろ律儀に――いや、常識的に貯金箱にお金を入れる者が出てくるだろうと。
別のモニターでは、博麗霊夢が写っていた。彼女もまた、魔理沙のようになるのだろう。
世知辛い世の中である。
蒸した魔法の森の抜けた小道には草木が青々と茂り、虫の羽音と夏独特の歪んだ空気が揺蕩う。緑色に映えた空には太陽が照りつけ、直視すると暫し盲目になる。
そしてひとりのとある来客。
清い小川を通り越し、何かを見た。
「お、こんなところに胡瓜発見」
客が見ているものは赤いポスト型の貯金箱と、笊に盛られた数本の瑞々しい胡瓜だ。この炎天下でも水を被っており、新鮮さが滲み出ている。
貯金箱は掌に乗るサイズで、外見は何処にでも見かける普通の貯金箱である。胡瓜の乗った笊の頭上には竹が伸びている。
道端に堂々と置かれたそれらは、通行人の視界に確実に入るように敢えて置かれている。
この人間も次期に獲物となるのだ。
客の表情に早速歪みが生じる。
「ちぇっ。これ金払うのかよ」
愚痴を零した客だが、ポケットに手を突っ込んで銭を取る仕草はしない。支払う気はそもそもゼロだろう。それは通常の行動であるし、胡瓜を道端に置いてあるだけなのが駄目なんだろと言い返されてしまえば、それでお終いとなる。この場合、万引きと呼ぶには些か疑念が生じる。しかし、それではあまりにも非常識である。
現在、貯金箱の上には『32』の数字が表示されているが、それは電気で表示されているわけではなく、南京錠の中身のような仕組みだ。自動で数字を変えるのだが、それ以外はただの貯金箱そのもの。
視界がちょうど人間の胸辺りにいく。身を乗り出したのだろう。顔が写った。
金髪のロングヘアーを片側に下げた髪型に、大きなリボンの付いた黒の三角帽子。白いエプロンの下には黒い服を羽織っている。自分の身長より遥かに大きい箒を肩掛けている。
霧雨魔理沙――この人間はそう呼ばれている。
「この胡瓜美味そうだな。どれ、味見してやるか」
一度手を伸ばした魔理沙だったが、途端に止め、手を引っ込めた。
少し小道をうろつき、視線を泳がしてから再び胡瓜を見た。
「いや待てよ。いくら毎日が平和すぎる幻想郷でも、警備なしで胡瓜と貯金箱を置くだけってのはおかしいだろ」
狙い通りであった。
昔、こんな話があった――職業が泥棒の人間が田舎を練り歩き、途中で道端に林檎と枡を見つけた。枡には百円玉が少しだけ投げられており、百円を払ってから林檎を買って下さいと書かれた紙が同じ場所に置かれていた。泥棒は悩んだ。今まで店員や警備隊が居座る場所にしか侵入して犯行に及んだ経験がなく、空気のように置かれた林檎が余計に怪しく見えてしまったのだという。泥棒は百円玉を持っていたのだが、結局林檎を手にすることなくその場を立ち去った。翌日、同じ通りを偉い僧侶が通った時、僧侶は「これは占めた」と思って金を払わずに林檎を持ち去ったのだ。結果的に僧侶が悪い人物なのではなく、泥棒が妙に面白い行動をした――という話だ。
今回の場合、道端に貯金箱と食べ物を設置するが、「貯金箱にお金を入れてからご購入下さい」の立て看板は設置しないのだ。すると泥棒はいうまでもなく、僧侶のような人でも怪しむ。
治安の良い地域はしっかりと金を投じてから購入するらしいが、それは各々の暗黙の了解があるだけで、実質的には心の中に「金を払ってから手に取る」という立て看板が置かれている。そこではこのような戦略は通用しない。……いや、何も言わずに律儀に金を払うのなら万々歳なのだが。
畢竟、我々の術中にまんまと魔理沙は嵌ってしまった。
彼女の視線は依然として胡瓜に向かれていた。
「紅魔館にはパチュリーがいるだろ。博麗神社には霊夢がいるだろ。道端の胡瓜には誰もいない。……逆に怪しいな」
一般理論、そう考えるのが関の山だろう。
こうなれば胡瓜は怪訝な視線を受けながらも、無事に食べられずに済む。
この後は二択に分かれる。
泥棒と同じ末路を辿るか、治安良民となるか。
金を払えば商売的には儲けだが、立ち去ることによって優越感を愉しめる。
「変な仕掛けがあって、無銭逃亡したら仕打ちがあるとか」
魔理沙は様々な思いを巡らしているようだった。顔には積乱雲が立ち昇り、表情は訝しげ。箒の穂先を弄くり回しながら、数分が経過した。
しかし、これは我々を誑かす作戦とも有り得る。もし我々の存在に気づいてたら、やりかねない。
この女、抜け目のないことは重々承知している。
突如魔理沙は後ろを向いたかと思うと、両手を大きく挙げた。
「おーい! お前らよーく聞けよー! 霧雨魔理沙はちゃんと金を払ってるからなー!」
魔理沙は確かにそう叫んだ。周りには誰もいないのに、なぜか叫び散らす。自分に言い聞かせているようだった。
結局金を払うのか。儲けではあるが、何か物足りない。
決断したようだ。
魔理沙は銭を貯金箱に投入し、一瞬躊躇ってから、胡瓜に手を付けた。
その瞬間、魔理沙はビクンと跳ね上がり、そのまま気を失って倒れた。ここからでは見えないが、電流を受けて痙攣してるに違いない。
どうせ偽の銭でも投与したのだろう。我々の目は騙せても、貯金箱は騙せない。最新鋭のセンサーを装備した警備員はな。
貯金箱の表示が機械的な音とともに『33』へ変わった。
笊の上の竹が動き始める。鹿威しのようにゆっくりと傾き、胡瓜に新鮮な水を掛けた。
数字以外は、何も変化はない。
貯金箱の口から覗いた極小カメラの映像をモニター越しに見て、にとりは笑っていた。
これで33人連続で無銭で胡瓜を盗む、或いは魔理沙のように偽金を入れたことになった。
このような仕掛けは幻想郷の古今東西に設置されており、今までに律儀に胡瓜を購入したのは聖白蓮だけだ。
にとりはこう考えていた。
そろそろ律儀に――いや、常識的に貯金箱にお金を入れる者が出てくるだろうと。
別のモニターでは、博麗霊夢が写っていた。彼女もまた、魔理沙のようになるのだろう。
世知辛い世の中である。
短編ばかりだけど長いのためてるの?
こうやって世間の常識と言う物は形成されていくのかなあ
『天知る、地知る、人知る、君知る』と言うではないか。
こんなに沢山の目撃者がいると言うのに、どうして誰も見ていないと言えるのかい?
日本人が比較的行儀良いのは習慣や文化ではなく、教育だろう。獣だって知性があれば窃盗を恥じるんだ。
つまり、慧音先生頑張ってってわけだな!
ただ量が多い時があるな~梨が5個で500円買ったら食うのに苦労した
うちの実家にも、無人販売所あったなぁ。利用したことはありませんが。
たかが百円程度のお金で、自分の誇りを売り払う気には成れないんじゃないでしょうか>日本人は律儀にも金を払う
とりあえず、まったく面白くなかった。
痺れる相手を見て世知辛いと呟くにとりが怖いですw
むしろ、これもある意味一種の愉悦してますね