にゃんにゃにゃーん、にゃんにゃにゃーん。
いやー今日は気分がいいなあ。仕事も早く片付いたし、面白い死体も見つかったし。いい日だなー。ついつい鼻歌も出てしまう。早く地霊殿に帰ってさとり様になでなでしてもらおう。適当に鼻歌を歌いながら歩いていると、向こうから一匹の火車がやってきた。どうやら向こうも大層ご機嫌なようで、跳ねるように歩いている。
「ねえ、あんた、なんかいいことあったのかい?」
なんとなく興味がわいたので話しかけてみる
「にゃあにゃあ」
「へえ、そんなことが……って、なんだって?」
なんて言ったこいつ? ちなみにこいつは動物型だから猫語で話す。あたいは元が猫だから猫語は理解できる。しかし、こいつが今言ったことは理解できなかった。いや、聞き取れなかったとかそういうことじゃなく、意味として。おかしいな、今日はそこまで疲れてないはずなんだけど、聞き間違ったか。
「えーと、なにがあったって?」
「にゃあにゃあ!」
しかし、返答は同じだった。違いは少し元気が増したくらいだ。自分の耳を触る。正常だ。
えーと、最近は嘘つく遊びでも流行ってたかなあ。いや、そんなことはなかったはずだよなあ。それに、うーん、嘘ついてるように見えないし。というか自慢げだし。
いやでもありえるのか。
水橋パルスィが――ペットを笑顔でなでなでしてるなんて。
パルスィが笑顔でペットをなでなでしてるという、嘘みたいな話、別に聞かなくてもよかったんだけど、そいつがあまりにも嬉しそうに語るので聞いてやった。
まあ嘘だとしても面白そうな話ではあるし。どうせ人違いだろう。地底には金髪の奴多いし。例えば土蜘蛛のヤマメあたりとか。微妙に色は違うけどさ。よっぽどそっちの方が可能性としてはあり得る。
だがそいつはそれはないと言いきった。あれは紛うことなきパルスィだったと。なんで断定できるのさ、と聞いたら、パルスィの家でなでなでしてもらったからだ、と胸をはって言ってきた。いや、まあパルスィの家にいるのはパルスィだろうけど。家間違ったんじゃないかいと聞いても、橋の下のあんなぼろぼろの誰も寄り付かないようなところにある家なんてパルスィの家以外ないと答えられた。けっこう言うなこいつ。
そうだとしてもまだ信じられない。あー、こうは考えられないか?ヤマメがパルスィの家に遊びに行く。パルスィがどっか出かける。こいつがパルスィの家に行く。ヤマメがなでなでしてやる。なんと完璧な流れ。うん、こっちの方が信じられる。まあ、パルスィが人を家にあげるなんてことも想像できないが。パルスィがなでなでするという話よりよっぽど信憑性がある。
――とまあここまであたいがパルスィ笑顔なでなで説を否定しているのか。もちろんそれには理由がある。
単純な話だ。あたいがパルスィが笑っているところを一度も見たことがないからだ。宴会とかでも、端っこで澄まし顔でちびちび飲んでる奴だ。誰かが絡みに行っても、迷惑そうにするか、たまに表情が和らぐくらいだ。まあそれも笑顔には程遠い。
まあ微妙に微笑んでるように見えなくもないときもあるけど、あれは笑顔じゃないだろう。そしてあたいはその微笑みに見えなくもない笑顔以上の笑顔を見たことがないのだ。
そんな奴が笑顔でなでなでなんて。
しかし実際になでられた火車が言うには、嘲笑でもにやけた笑いでも、陰険そうな笑みでもなく、ちゃんとした笑顔だったらしい。しかもまあそれはそれはいい笑顔だったらしい。
ついでに言うとそいつ曰く、そのなでなでは最高らしい。あれはさとり様以上だと。
……これはなかなか聞き捨てならないことである。さとり様と言えば地霊殿の主で、あたいたちペットを飼っているご主人様だ。さらに無類のペット好きで、よくあたい達を可愛がってくれる。
そして、なでなでに関して言えば右に出るものなどいない。
これは贔屓目とか誇張表現とか一切なしの客観的事実だ。あたいはこれまで色んなやつになでなでされたことがあるが、その中でさとり様のなでなでは群を抜いている。とりあえず、飽きがこない。あまりの優しいなでなでに身も心もとろけて、疲れなど一気になくなる。なでなでがやめられる瞬間は世界が終ったような気さえする。まあしばらくしたら立ち直るけれども。終わるときはすごい口惜しい。でもなぜ諦められるかといったらまたさとり様になでなでしてもらえるという確信があるからだ。約束を違えず、ちゃんとなでなでしてくれる。それも相まってさとり様のなでなではやめられない。ぶっちゃけあたいはもうさとり様のなでなでなしでは生きられない。死ぬ時はさとり様になでなでしてもらいながら死ぬのだ。中毒なのだ。さとり様のなでなでの。
他のペット達にもさとり様のなでなでを生きがいにしてる奴はけっこういる。たくさんの奴がなでなでしてほしいがため、ちょっとした紛争だって起きる。食事がすごい好きな奴ですらさとり様になでなでしてもらうために好物を他の奴にあげて買収したりする。
一度宇宙について聞かされたとき、なんだか説明できない宇宙のすごさを感じ取ったことがある。宇宙すげーと。
そしてその感じをさとり様のなでなでにも感じるのだ。さとり様のなでなですげーと。つまりさとり様のなでなでは宇宙レベルなのだ。決して過言ではない。
だがそいつは宇宙レベルのさとり様のなでなでよりも、パルスィのなでなでの方が上だとほざきやがる。新しい世界が見えたとかなんとか。何言ってんだい。宇宙以上のものなんてあるわけないだろ。この世のなでなでレベルはさとり様のなでなで宇宙レベルで打ち止めなんだ。その上があるわけない。
その後も長々と会話を交わし――最後の方はあたいが一方的に否定の言葉をぶつけただけだったが――そいつと別れた。
別れるまでそいつは終始楽しそうでそれもまたあたいの心をひどくかき乱した。部屋に戻ってももやもやとした気持ちは消えず、今はベットにつっぷしている。
くっそー、今日はとってもいい気分だったのに。たくさんの仕事を早く終わらせ、いい死体も手に入ったって言うのに。そんでもってそれを報告してさとり様になでなでしてもらおうと思ってたのに。
あ、そうだ。早くさとり様になでてしてもらおう。
なぜそれを今まで忘れていたのか。それもこれもあいつのせいだ。
あー、でも想像するだけでテンションあがってきた。
これでもあたいは地霊殿では数少ない人型になれるペットで、さとり様からの信頼も篤い。故にあたいへの待遇も厚い。
どれだけ厚いかというと、普段は順番とか決まってるのだが、あたいはいつでもなでなでしてもらえる。まあ割り込みはさすがにしないけど。さらには一緒に寝ることだって許可されている!
なぜそんなに厚待遇なのか。簡単な話さ。あたいが仕事を一所懸命しているからだ。労働なき対価など存在しないということだ。
にゃはは、そして今日のあたいはさとり様になでなでされてしかるべき理由がある。普段の仕事をバリバリ頑張り、さらにはあたいの仕事ではない、みんなが嫌がる風呂掃除までしてみせた!
これなら誉められて当然。なでなでされて当然。露骨な点数稼ぎ? なにが悪い! あのさとり様になでなでしてもらえるのなら風呂のひとつやふたつ、徹底的に磨いてみせる。
これで今日のさとり様からのなでなではあたいのものだ。一人占めだ! 異論は一切認めない。むしろ排除する!
それではいざ、参らん!
にゃーん、さとり様なでてー。そんな想いを滾らせてあたいは廊下を疾走した。
ああ、やはりさとり様のなでなでは最高だ。つい先日のことを思い出してふへへと気の抜けた声がでる。
あの愛で包まれる感覚はやめられない。あのなでなで以上にこの世における素晴らしいものなんてないだろう。あったら教えてほしいもんだ。ぜひ試してやるよ。
……あ。ふとそこで思い出してしまった。あーくそ、なんで思い出しちゃうかな。
だからありえないんだってパルスィのなでなでがさとり様以上なんて。
まったく。あんな話、鼻で笑い飛ばして忘れりゃいいのに、あたいもなんでこんなにもやもやしてるかね。
……多分、こんなにもやもやしてるのは、あの火車の笑顔が、さとり様になでなでしてもらったペット並にいいものだったからなんだと思う。だから、強く否定できてないんだろう。
あ、いいこと思いついた!
きっとあいつ以外にもパルスィになでなでされた奴がいるはずだ。あいつがあたいに話したように、他の奴にもパルスィのなでなではすごいと語ってることだろう。その話を聞いて、そんなわけねえだろとあたいみたいに思う奴もいるだろうけど、中には好奇心でパルスィのところに行く奴もいるはずだ。
もしパルスィのところに行った奴らがいるなら、そいつらに話を聞いてみたらいい。パルスィのなでなではどんなもんだったかと。そうすりゃ色々とわかるはずだ。良い悪いに関わらず。
まあでも答えは決まっているけどね。たいしたことなかったって、みんな言うに違いないさ。
うんうんと自分の素晴らしいアイデアにうなずきつつ、意気揚々と歩いていたら、玄関ホールでお空とバッタリ出会った。
「あれ、お空。一体ここでなにしてるのさ?」
「あ、お燐! 元気~?」
「ああ、もちろんさ。もしかしてまた散歩かい?」
「うん!」
相変わらず可愛い奴だ。お空とは昔からの親友で、ちょくちょく遊んでいる。仕事があってなかなか会えないことも多いけど。
しかしまた散歩か。お空はけっこう散歩に出かけることが多い。行き先はまちまちでそのときの気分のおもむくままに行くらしい。旧都をぶらぶらしたり、地上との入口付近まで行ったり、空き地に行ってみたりとか。
「今日はどこに行くか決めてるのかい?」
「ううん、また適当にどこか行こうと思ってる」
「そうかい、そうかい」
頭をなでなでしてやる。うん、我ながら完璧ななでなでに移行する自然な流れだった。
お空の髪はさらさらしてて、なでなでするこっちが気持ち良くなる。ああ、至福。
そういや、お空がさとり様になでなでしてもらってるところを見たことないなあ。まああたいが仕事のときになでなでしてもらってるのだろうけど。こんないい髪ならさとり様もなでなでしてて嬉しいものだろう。もしかしたら特別にお空だけ呼んだりしてるかもしれない。
……もしそうだったら癪だなあ。というかちょっとムカつく。
どうなんだろう。聞いてみよう。
「ねえ、お空。あんたはさあ、さとり様になでなでしてもらってるかい?」
「さとり様になでなで? うーん、今はしてもらってないかなあ」
「え?」
「なに?」
「今はって、じゃあなにかい。昔はしてもらってたけど今はしてもらってないのかい?」
「うん」
「えー、なんでだい? さとり様になでなでしてもらったなら、あの、何とも言えない幸福感を知ってるだろ?
ふわーってなる感じの。そんな、いくらお空が鳥頭だからってそれくらい覚えてるだろ?」
「むう、鳥頭って言うな。確かにさとり様のなでなでは気持ちいいけど、まあ別にいいかなって」
頬をふくらました顔も可愛いなあ。
あーいや違う違う。
なでなでしてもらわなくてもいいとな? しかも別にいいって……。別にいいって!
「そんなわけあるかあ!」
「わ、どうしたのさお燐」
あ、驚いてる。目を丸くした顔も可愛いなあ。
「こほん。えーと、別にいいってのは、その、なんでだい?」
「何が?」
「だから、さとり様になでなでしてもらわなくても別にいいってのはどういうことかってことだよ!」
「うーん、他に楽しいことあるから」
「え、他に? なにそれ?」
「散歩!」
あ、いい笑顔。そっとお空を抱きしめる。あ、いい匂い。そして髪の毛すっごくサラサラ。
――思わず抱きしめちゃったよ! やばい。完全にノリと勢いでやっちまった。
しかしこのままいきなり離れるのも不自然というもの。……それに離れるのは惜しい。
あーしかしまさかさとり様のなでなで以上に散歩がいいとはなあ。お空の散歩はどれだけ刺激的だと言うんだ。
いや、それとももしかしたらお空はさとり様のなでなでになにも感じてないんじゃないか?
つまりなでなで不感症。ああ、もしそれが本当なら、なんて、なんてかわいそうなお空! さとり様のなでなでになにも感じれない身体なんて。
……よし、この方向性なら抱きしめてても不自然じゃない。可哀そうなお空。でも安心しておくれ、あたいはあんたを見捨てたりなんてしないよ。
「お燐?」
「いいんだよお空」
左手は背中に回し、きっと意味はないんだろうけど右手は頭をなでなでしてやる。気持ちが伝わればいいんだ。優しく、慰めるように。
お空の身体は柔らかい。マシュマロのようだ。ほどよい弾力がたまらない。髪の毛はなでなでする手の流れの邪魔をせず、絡むことなくサラサラで、手は上下運動という単調な作業に飽きることもなく、疲れることもなく、その行為を至福の作業にしている。久しぶりに抱きしめたけど、お空の身体は最高だ。
決してやましい気持などは持っていない。
お空は可愛くて、胸もそれなりにあって、髪はサラサラで、スカートからのぞく脚線美は最高! という地霊殿きっての美少女だ。並のものが抱きしめようものならまず間違いなく欲情する。というか見てるだけで欲情する奴だっている。
しかしあたいとお空は親友なのだ。親友に欲情する奴なんて存在しない。存在してはいけない。そんな奴は最低だ。変態だ。親友に欲情など言語道断だ。
だがあたいは違う。あたいはありのままのお空を認めてるだけだ。親友を可愛いと思うことは何も悪いことじゃないし、胸が大きいとか、絶対領域最高とか、そういうことを考えてもなんら罪ではない。なぜならそれは真実を認めているだけなのだから。
そして、親友というものは、何でも思ったことは言い合えるし、困った時はお互いに助け合う素晴らしい関係だ。だからこうして、慰めるために抱きしめることはおかしなことではない。
むしろ親友ならしてしかるべき行為だ。
キッカケは確かに勢いだった。それは認めよう。
だがこの抱きしめる行為は決して欲情などという下劣な感情からもたらされたものではない。慰めと承認だ。むしろ自然なことなのだ。親友なら当然の行いなのだ。
だから、背中に回した手で身体をさするのは普通だし、髪をなでなですることだって、当然の行いだ。善行だ。
いやーいい感触。
あー、身体やわらかい、髪さらさらー、なでなでするの気持ちいー。
「ねえ、お燐ー。抱きしめてくれるの嬉しいんだけどさ、私そろそろ行きたいなー」
「いきたい!?」
「え?」
「あ! いやいや、な、なんでもないよ」
いけないいけない。落ち着け。
えーと、そうそう、お空を抱きしめるのに精いっぱいで、思わず全力で聞き返してしまったよー。はっはっはー。
……なんだか自分で自分に言い訳するのも段々むなしくなってきた。
って、いやいや違う違う言い訳なんかじゃない。違うぞー、言い訳じゃないぞー。やましいことなんて一つも考えてないぞー。お空とお燐は親友。その関係にやましいことは一切ない。抱きしめるのは当然。親友だから当然。
よし、おーけー。完璧な理論。大丈夫。完璧。いいぞー、これでいい。
しかし、わかってたことだが、あたいのなでなででもだめか。やっぱりお空はなでなで好きじゃないのかな。
散歩が特別好きというより、単純になでなでに興味ないんだろうなあ。
もったいない。まあでも、しょうがないか。
「いや、悪かったね引きとめて。気をつけて行って来るんだよ」
「うん、ありがとうお燐。行って来るよ!」
外へ走っていくお空を見送る。
さて! 役得もあったことだし、ぼちぼち聞き込みを開始しようかね。
数日の調査の結果、なでなでしてもらった奴ら全員がパルスィのなでなではすげえと言っていた。
マジか。うーむ、ここまでとなるとなかなか見過ごせないものである。それとさらに驚くべきがあった。なんとさとり様派とパルスィ派の派閥ができているのだ。なんの派閥かと言うと、それは当然、どっちのなでなでが気持ちいいかということについてだ。
ちなみに割とそれで抗争が起きてるらしい。大丈夫か地霊殿?
もちろん多数派はさとり様派だ。しかしあまり信じたくない事実が一つ存在している。それは、パルスィ派はもれなく全員、パルスィになでなでされたやつらだけで構成されているということだ。というかパルスィ派があるんだから当然構成員はパルスィになでなでされた奴なんだけど。
問題なのは、地連殿の奴らはもれなく一度はさとり様になでなでされてるだろうということだ。とりあえず、パルスィ派だと言っていた奴らは全員さとり様になでなでされたこともあると言っていた。なのにそいつらはパルスィ派なのだ。
つまりこれが意味するのは――あまり信じたくないが――パルスィのなでなでは、さとり様以上のなでなでである可能性があるということだ。
なんだか地獄マタタビの一件を思い出す。あの一件ととても似ているのだ。
あるとき、新種の麻薬(マタタビ)が見つかった。それは即効で快楽に浸れ、しかも身体にはほぼ影響がないというものだった。ただ、中毒性が抜群にある。それが地獄マタタビであった。
瞬く間にこの麻薬(マタタビ)の情報は広がり、地霊殿の中でも使用者が少しずつ出始めた。そして地獄マタタビ使用を認めろという使用賛成派と、麻薬(マタタビ)根絶を訴える使用反対派の抗争が起き始めた。
そしてこの事件が現在のなでなで抗争と似ている点というのは、地獄マタタビを使用したものはもれなく賛成派に転んでしまっているということだ。地獄マタタビのとき、強く反対を訴えていた奴ですら一度服用してしまったが最期、その快楽にとりつかれ使用をやめられず賛成派になってしまったのだ。
ちなみに恥ずかしながらあたいもその流れにそってしまった一人だ。
最初は圧倒的に反対派が多かったのだが、そんな強力な麻薬(マタタビ)だったから、時間が経つにつれて賛成派が徐々に増えていった。ついには賛成派の数が反対派を上回り、戦争もかくやとなったとき、ついにさとり様が立ち上がり、使用者全員にトラウマを植え付けたおかげでなんとか戦争は食い止められた。
その後、さとり様によるトラウマ療法により全員麻薬(マタタビ)を絶ち、今では誰も使用することはなくなっている。
うーん、考えれば考えるほどあのときと状況が似ている。
まずは派閥ができているということ。次にパルスィ派ができあがりその数が徐々に増えているということ。そして重要なのが、パルスィのなでなでを味わったら最期、パルスィ派になってしまっているということだ。
構図としては完全に一致している。むしろ再現かよと疑いたくなるほどだ。そしてなにより困ったことがある。それは、あたいがパルスィのところに行きたいと思い始めてしまっていることだ。
地獄マタタビのとき、あたいは賛成派の奴らを黙らせるために地獄マタタビを使用した。
こんなもの使っても一時の快楽しか得られない。みんなが言ってる利点など所詮まやかし。結局は心も身体も家族関係もボロボロにするだけだ! そう訴えるために自ら使用して、使用を食い止めようとした。
しかし使用した直後には即効で魅力にとりつかれ、その場であたいは賛成派に回っていた。
……今だから言えるのだが、正直あたいは食い止めるとか食い止めないとかはどうでもよかった。ぶっちゃけ地獄マタタビを使ってみたかったのだ。
みんながあれほどすごいというものを味わってみたかったのだ。食い止めるとかはハッキリ言って建前だった。好奇心は猫をも殺すとはまさにこのことだ。
そして今もまた同じように、あたいはパルスィのなでなでにとてもつもない興味を持っている。みんなが言うパルスィのなでなではどんなものなのか。
しかも言い訳の用意すら完璧にしている。笑ってしまうくらいに進歩などしていない。
――水橋パルスィはなでなでを使用してペット達を籠絡し、地霊殿を攻め込もうと考えている。あたいはそれを食い止めなくてはいけない。そのためにはまずペット達にパルスィになでなでされるのをやめさせないといけない。説得しなければならない。あんな奴のなでなでなんて全然大したことなどない。さとり様のなでなでの方が断然素晴らしいじゃないか。そう伝えねばならない。その言葉を言うためにも身をもって体験しなければならない。仕方がないが、あたいはパルスィになでなでされなければならない。
……今までにないくらいに酷い言い訳だなこれ。というかあたいもそろそろこの性格治さないとだめだな。さとり様にもよく叱られるし。
ああ、自分が嫌になる。でも治すのはまた今度だ。今のあたいはこれなんだ。開き直ってやる。
手洗って待っとけよパルスィ!
よし、パルスィの家の前に着いたぞ。旧都は通らず、川沿いの近道を使ったからけっこう早く着いた。まあでも途中寄り道とかしたから旧都を通るのと変わってないかも。
まあいいやぼちぼち調査してやろう。
さて人型だと門前払いをくらいそうだろうから猫型になろう。えーとどこから入ろうかな。家を一周回ってみたが、窓は開いてないし、裏口のようなものもなかった。
むー、しかたない玄関から入るか。猫型だと扉を開けられないので一旦人型に戻る。めんどくさいなあもう。
あれ、開かないぞ。がちゃがちゃとドアノブをまわして押したり引いたりしてみるものの一向に開く気配がない。くそっ、ぼろ家のくせになんで鍵付きの扉にしてるんだい。
というかこの家の雰囲気に合ってるのはどう考えても引き戸だろ。なにお洒落きどって鍵付き扉なんかにしてやがるんだ。しかしこんなにガチャガチャしても出てこないってことは、留守なのか?
――そこではたと思いだした。
そういえば、この前たしか、えーとあれは、一週間前だ。そう、さとり様になでなでしてもらってたとき。
さとり様が「そうそうお燐、一週間後にパルスィが来るわよ」と言っていた。そうだった。そしてその一週間後というのがまさに今日。
ああくそ完全に忘れてた。これじゃあお空のこと鳥頭なんて言えないや。いやでも不可抗力だ。しょうがないのだ。さとり様になでなでしてもらってるときはぼーっとして、何も考えられなくなるから。だから前後の会話もいまいち覚えてない。
というかよくそのことを今思い出せたとちょっぴり自分に感心する。
でも思い出すのが遅かった。あーくそ、それに、近道で来ちゃったから旧都ですれ違うこともなかったのか。ああもうなんだってんだい。あたいの馬鹿。
パルスィに会えないならこんなとこ来ても意味ないじゃないか。何が楽しくてこんなぼろ家見に来なきゃいけないんだ。
恨めし気に扉を睨む。しかし睨んだところで扉は開かないし、パルスィも出てこない。ぬぐぐ、しかたない、ここでぐちぐちしてても意味ないし、戻るか。
来た道を戻り、さっき出てきた地霊殿に戻ってきた。意味のない往復に体力よりも精神の方が疲れている。
戻る途中むかむがおさまらなかったから、誰かが積んでいたであろう石を蹴飛ばしてやった。そして心の中で悪いねと言いながら、その石どもを水切りしてやった。けっこう跳ねた。すっきりした。
しかしパルスィの奴、これで大したことないなでなでだったら二度となでなでできないように手をひっかきまくってやる。
スンスンと鼻をすますと、ここに住んでいるもの以外の匂いがした。どうやら完全に入れ違いだったみたいだ。多分匂いの行き先の方角からして応接間にいるのだろう。
パルスィが地霊殿に訪れることは多くもなく、少なくもないと言ったところだ。聞いた話によるとこいし様が帰って来るのと同じくらいの頻度らしい。ちにみにこいし様はいつもふらふらどこかに行ってて中々地霊殿には帰って来ない。
ぼちぼち来てるようだが、パルスィが来るときあたいは大体仕事か遊びに行っていて、あたいはパルスィが地霊殿に訪れたときに一度も会ったことがない。だからこうして地霊殿の中でパルスィと会うのは始めてである。そう思うと少しわくわくしないでもない。
ぼちぼち応接間の扉が見える場所まで来た。本来ならそのまま扉に近づいて扉開けて中に入るんだけど、今のあたいの体は応接間に近づくことを拒否していた。
だって扉の前が異様な空気なんだもん。扉の前には数匹のペットと、さとり様がいた。いや、いるというか、なんでか知らないが、中を覗いている。
なにやってんだ。
よく見なくてもさとり様と愉快な仲間達は応接間を覗いている。それと遠巻きに観察してわかったが、愉快な仲間達はこの前あたいがパルスィのなでなでについて聞き込みしたときにパルスィ派だったやつらだ。
どういう状況なのかまったくわからないけど、多分パルスィは応接間の中にいるのだろう。
しかしなぜ覗いているのだ。
ペットどもは中に入ってなでなでしてもらいたいというわけではないのか? というか一番わからないのはさとり様がいることだ。もてなしとかはいいのだろうか?
ああそれとさらに気になるのは中が一体どうなっているのかということだ。ペットが入らず、さとり様も入らず覗いてるって、一体どんなことが中では行われていると言うんだ。覗きをしている状況を考えれば危険なことは起きてないんだろうけど……。
「あら燐、いたの?」
およ、いつの間にか近づいてしまっていた。そして近くに来たあたいの思考に気がついたのか、さとり様が声をかけてきた。とりあえずもうちょっと近づこう。
「えーと色々聞きたいことはあるんですけど、パルスィいます?」
「ええ、中にいるわよ」
おお、やっぱり中にいたか。しかしだとしたらますます謎だ。もてなしとかいいんだろうか。
「あらそういえば、燐は知らなかったわね。パルスィが地霊殿に来たとき、一度も会ってないから」
「何をですか?」
「そうね、とりあえず中を覗いてみなさい」
「はあ」
中を覗いたら何かわかるのだろうか。まあ考えても仕方ないか、見た方が早い。というか中がどうなってるかすごい気になるし。
ちょっとドキドキする。一度深く息を吸い込んで気持ちを落ち着かせる。よし。ドアの隙間に顔を近づけ、中を覗きこむ。さあ何が待ち構えている!
――ここで応接間の間取りを説明しておこう。出入りの場所はこの扉のみ。そして中には三人掛けのソファが長テーブルをはさむように二つ置かれている。そこそこの広さがあり、壁には絵画やら盾やらの装飾品がある。部屋の色はシックに茶色にまとめられていて、落ち着く雰囲気がある。照明はランプでそれも雰囲気を演出している。
その部屋の中にパルスィはいた。手前のソファに座っているから、横顔が少ししか見えない。そして部屋にはもうひとりいた。あたいの親友のお空だ。お空はパルスィの目の前に座っていた。そう文字通り目の前に。つまり向かいのソファではなく、パルスィの足の上、そこでまたがるようにしてパルスィと抱き合いながら座っていた。
「なんじゃこりゃああああ!!」
「ちょっとうるさいわ燐」
「いやだってさとり様これが落ち着いていられますかお空とパルスィがソファに座りながら抱き合っているんですよ!」
「いいから落ち着きなさい」
「はふにゃうにゃー」
あーとろけてく。あたいとろけてく。ふおーやっぱりさとり様のなでなですげー。きもちいいー。
「落ち着いた?」
「はふぅ。にゃ、にゃい」
おちつくー。あ、手が離されてしまう。あー、もうちょっと……ってそんな場合じゃない!
まさかさとり様のなでなでより重要な事項ができるとは。
また中を覗いてみる。やはり現実は変わっていない。お空がキャッキャウフフしながらパルスィに抱きついている。
あれ、そういやさっき思わず大声あげちゃったけど、気付かれてないっぽい?
「ああ、それなら大丈夫よ。向こうの声は聞こえるけどこっちの声は聞こえない魔法がかかってるから」
「いつの間にそんな魔法を覚えたんですか」
「地上の魔女さんにね、教えてもらったのよ」
「なんて限定的な魔法を……」
いや、待てよ。ということはこの光景も偽物という可能性はなきにしもあらず。そんな限定的な魔法があるならこの光景も、えーとそうだな、なんか記憶とか、想像とかを現実にするスペルでもって展開されているとか。そんな可能性もないではないはずだ。
「そんなスペル作れたらとっくに使ってるわ。あれは本物の空とパルスィよ」
「ですよねー」
早々にあたいの現実逃避の退路は断たれた。わかってますよ。違うってことくらい。でもそんな信じられないじゃないですか。
なんでパルスィとお空が抱き合ってるんだ。ちなみに角度的にパルスィの顔は見えない。しかしとても重要なことに、というか素晴らしいことに、パルスィと真正面から抱き合っているお空の顔はばっちり見える。そう、とてもお空の可愛い顔が見えるのだ。
すごくいい笑顔。反則級のかわいらしさ。地底笑顔のかわいさランキング一位はだてじゃないね。あたいの中でしか開催されてないけど。
いやしかし今まで長い間一緒にいたけどあそこまでの笑顔は見たことなかった。いますぐ抱きしめたい。なんともなでなでされるたびに小さく反応してるのがたまらない。
くっそーパルスィのやつめ。妬ましい。
それにお空、あたいのなでなではなんでもなかったくせに、パルスィのはいいのかい。いや、まあ自分でもうまいなんて思っちゃいないけどさ。いいなあ、あんな嬉しそうにして。ちくしょー羨ましい。許すまじ橋姫。
だが、見ただけでパルスィのなでなでは気持ちいいんだろうというのも分かる。中々絶妙な力加減だ。確かに、話に聞いてた通りうまそうである。
あれ、待てよ? そういや、お空ってたしかさとり様のなでなではなんでもないって言ってたような……。
えーと、つまり、それは、もしかして。
「そうね、パルスィのなでなではわたしよりうまいでしょうね。」
あっさり、敗北宣言するさとり様。いや、でも、わからないじゃないですか!
「燐がそこまでわたしのなでなでを気に入ってくれるのはありがたいけど、今の空を見ればそう思うでしょう?」
「いや、でも…うう」
うー、まだ、わからない。たまたまお空とパルスィの体の相性がいいだけってこともある。
……体の相性って言い方はよくないな。殺意が芽生える。
「まったく燐は変態さんねえ」
「べ、別にやましい意味じゃありません!」
「相性はあるでしょうけど、やっぱりパルスィの方がうまいと思うわよ」
「なんでですか?」
なぜそこまでパルスィのなでなでを持ち上げるんだろう。というかその根拠はどこに。さとり様だってパルスィになでなでされたことないでしょうに。
疑問はあるがもう一回中を覗いてみる。やばい、お空可愛い。
うぐぐ、でもお空が可愛いということは、めっちゃいいなでなでってことなんだろうなあ。
いいなあ。可愛いなあ。
「痛っ」
お空を凝視してたら頭をつつかれた。後ろを振り向くと、地獄烏がいた。どうやらこいつがつついてきたらしい。
ほう、あたいの覗きを邪魔するよはいい度胸だ。
「あたいのお楽しみを邪魔するな」
今あたいはお空のありあまる可愛さをこの目に焼き付けてるんだ。容赦はしないぞ。
「こら、落ち着きなさい」
パシっとさとり様にたたかれる。な、一体なにを。
「周りを見てみなさい」
仕方なく、さとり様に促され周りを見てみる。ペットどもがあたいを睨んでいる。ああ、そういやこいつらいたな。お空の笑顔で胸がいっぱいになって完全に忘れていた。つっついてきた奴がこちらを恨みがましそうに睨んでいる。
「何を睨んでいるのさ。……え、もしかして」
「そう、彼女らも中の様子を覗き見するために来てるのよ」
堂々と覗き宣言ですか。確かにここにいて、応接間にも入らず扉の前にいたら、そりゃ覗きしか用はないでしょうけど。
でもなぜ覗き? こいつらパルスィになでなでされなくていいのか?
……というかいまさらだが、よくよく考えたらさとり様が覗いてるのが一番わからない。
「なに覗いてんだ、ですか」
「あ、いえ、すいません、どうして覗いていらっしゃるのですか」
「そんなかしこまらなくていいわよ。そうね。色々理由はあるけど、お空の笑顔を見れるというのは一つ理由としてあるわね」
「はあ」
「それともう一つ。パルスィの笑顔も見たいというのもあるわ。パルスィはよくあのソファに座るから直接は中々見れないけど、お空の心にパルスィの笑顔が浮かぶから、それを見てるわ」
「えと、じゃあこいつらは?」
「基本、お空の笑顔を見にやってきてるみたいよ。なでなでされる機会はけっこうあるようだし」
お空の笑顔を見にとな? ふーん、あたいのお空を邪悪な目で見るとはいい度胸じゃないか。
「燐は違うのかしら?」
「あ、当り前です! 私とお空は親友なんですから」
ま、まあ確かに今のお空の笑顔はすごい。天使と言っても差支えないだろう。親友のあたいですら心が傾きそうなのだから。
覗きたい気持ちはわからんではない。
ふむ、しかし一緒になでなでされたいとか思わないんだろうか?
「なんでも覗きで見るというシチュエーションが最高らしいわよ」
本当に動物かいこいつら。なんでそんなシチュエーションが最高という思考にいきついたんだ。
ふと目をやったら、さっきまでは気付かなかったが明らかに何匹か興奮している。ア゛ァァ、ア゛ァァと小さく鳴きながら少し震えている奴もいる。……こえー。
さとり様じゃないが、何を考えてるのかだいたいわかる。どうせお空の笑顔まじ滾るとか考えてるんだろう。まったく許しがたい。
「ふむ、惜しいわね燐。正確にはお空たんハアハア。あの笑顔でむこう100年は勝負できる、と考えてるわ」
しばらくお空以外の地獄烏との交友は断絶することにする。ハアハアにはまったく共感できないが、たしかにあの笑顔で100年はたたかえる。
「そうね、燐は空のことが好きだものね」
「……ええ、まあ。」
ううーお空。なんでそんなのと抱き合っているんだい。しかもあたいには見せないような笑顔で。こんなの見せつけられて、嫉妬しないわけがない。くそう、パルスィの女郎、これが嫉妬心を操る能力だっていうのかい。
「いや、違うと思うわよ」
「あ、そうだ。さとり様。ちなみにパルスィの奴は今何考えてるんですか?」
変なこと考えてたらただじゃすまさん。
「大丈夫よ。彼女は純粋な気持ちでお空を愛でているだけだから。それと私たちのことは一切気が付いてないわ」
つまりペットを愛でる以上の感情は持っていないと。なんと紳士的な。あのお空を見て欲情しないとは。いやしてたら許さんけど。でもそうか。あの雰囲気は確かに恋愛というよりは家族のそれに近い。
でも羨ましいなあ。
お空可愛いなあ。持ち帰りたい。抱きしめたい。
あ、お空がパルスィの横に移動した。ああ、お空の顔が見えない! くそこれが世界の終りの絶望というのか。隣の地獄烏も泣きそうな声をあげている。怖い。
そして、お空の移動によって、お空の方を向いたパルスィの顔が見えた。
――そのときのあたいの衝撃と言ったらもう、それはすさまじいものだった。
お空に核の力が備わった時よりも、お空が嬉しそうに親子丼食べてた時よりも、さとり様が背を伸ばすためぶらさがり器具に捕まってるのを見たときよりも驚いた。
可愛くて、可憐で、美しい笑顔。あれがパルスィだと? 普段とまったく印象が違う。というか別人に見えるくらいだ。いや別人じゃないのか? それくらいパルスィには似合わない笑顔だ。いやいまのパルスィの笑顔はパルスィがしてるんだから似合うとかの話じゃないんだけど。
もしパルスィが初対面の奴にあの笑顔を振り向いたら、一体どれだけの奴が橋の上に立ち止まるだろうか。
きっと橋の向こうのことなどどうでもよくなり、ずっと橋にいつづけるんじゃないだろうか。
ここまで衝撃を受けているのは、普段とのギャップのせいもあるかもしれない。
しかしそのギャップを差し引いたとしてもいい笑顔だ。お空のとほぼ同じか、もしかしたらそれを上回るかもしれない。まさかあたいがお空以外の奴の笑顔にここまで心踊らされるなんて。ギャップ効果というものはすごいようだ。
だって、いつものパルスィは笑顔など想像できないくらい無愛想なのだ。そんな奴のしかもとびきりの笑顔だ。正直ちょっとほれそうになった。
周りから興奮した鳴き声が聞こえる。あ、こいつらパルスィの笑顔も目当てだったのか。身体を小刻みに震わせながら、パルスィのいい笑顔とは違う別ベクトルでいい笑顔をしている。動物の形なのに笑顔に見えるのが薄ら怖い。というか応接間の中の幸せ空間とこのカオス空間の温度差がやばい。中にはよだれたらしてるのもいる。……見てこれなら、なでなでされたらこいつらどうなっちゃうんだ?
いや、やめよう。想像してはいけない。
「やっぱり生で見る笑顔は格別よね。うん、パルスィの笑顔はいつ見てもいい」
あ、ここにも別の意味でいい笑顔の人がいた。
「なに、燐。自分は普通のつもり? あなただって最高だって思っていたじゃない」
じと目で見られる。かわいい。ああ、さとり様はカオス空間のオアシスです。
「お世辞はいらないわよ」
「いや、普通なつもりというか……。その、最高ですけど、ここまで欲情はしないぞという意味です」
「言っておくけどあなたの笑顔もけっこうきてたわよ」
「え」
まさかこいつらと一緒だなんて……。いや、そんなことないはずだ。かぶりをふる。いまはそんなことはどうでもいいんだ。もう一回中を見る。うん、やばい。惚れるわ。
なんだろう。あの橋姫本当に嫉妬狂いなのか?前までは顔の無愛想のせいで髪や服ですら無愛想に見えていたのに、今はあの金髪のクセっ毛具合や服の色合いまでも可愛く見える要因に思えてくる。
そして向き合った状態でなでられていたお空が、またパルスィに抱きついたので今はまたふたりは抱きあっている状態になっている。
あのパルスィの笑顔を見たあとなら、抱きついてるお空が非常に羨ましく思える。
くそ、どっちも羨ましい。
可愛いお空を抱いてなでなでできるパルスィ。
いつも笑顔を見せないパルスィに抱きしめられてなでなでされてるお空。
いいなあ、ふたりとも。羨ましい。羨ましすぎる!
ああ、ちくしょう可愛いなあ二人とも。もっとあたいにその笑顔を普段から見せろよ。
あたいに抱きしめられろよ。あたいをなでなでしろよ。その笑顔で! いいなあ、いいなあ羨ましい。
あたいもなでなでしたい! 笑顔でなでなでされたい!
ちょっと想像してみよう。
「お空、そんなにひっついたら暑いだろう?」
無邪気に抱きついてくるお空に声をかける。暑いだなんて自分で言っているが、しっかりとお空を抱きとめている。
「えへへー、私は灼熱地獄の温度調節してるんだから暑さなんてへっちゃらだもんねー」
とびっきりの笑顔で答えてくる。見てるこっちも自然に笑顔になる。
優しくお空を抱きしめ、お空のサラサラな髪をなでなでする。するとお空も嬉しそうに身を捩る。
――可愛いねお空。
そう囁いたらお空が顔をあげた。その顔は少し照れたように困っていて、でもとても嬉しそうで。
その顔がとても魅力的で、もっとお空を感じたくなった。
だからあたいはお空の顎を少し上げさせた。それで悟ったのかお空は目を閉じて、あたいがくるのを待っていた。
それに応えるためにあたいは顔をゆっくりとお空に近づけてその唇に――
「燐、妄想のレベルが他のペットと変わらないわよ?」
「ちょ、今はなしかけないでくださいよおおお!!」
いいとこだったのに。いいとこだったのに! あともうちょっとでお空とキスできたのに! なんで止めたの! あたいのキス! お空とのキス!
「悪かったわ。ただ、他のペットと妄想の度合いが一緒だったのが面白かったから、つい」
ついじゃないですよ。あともうちょっとだったのに。
……というか他の奴らと一緒って。けっこうショックだ。こんな変態どもと一緒だなんて……。
「ペット同士だとやっぱり思考が似るのかしら」
「真剣に考えないでください。というかやめてください。悲しい気持ちになります」
「ふむ。まあ今はどうでもいいわね」
どうでもいいなら止めないで下さいよ……。このやるせない気持ちはパルスィの笑顔で癒されよう。
中を覗くと未だにお空を抱きしめなでなでしながら、とてもいい笑顔のパルスィの顔が見える。
ああ、いい笑顔だ。見てるだけで癒される。ここに来るまではパルスィには良い感情など一つも持っていなかったが、もう今はパルスィ様様状態だ。手のひら返しも仕方ない。あの笑顔は素晴らしい。ああ、いいなあ。あの笑顔でなでなでされたらどんな気分になってしまうんだろうなあ。
ちょっと本番に備えてシミュレーションしておこう。
「今日も変わらず可愛いわね。燐」
そんなことを恥ずかしげもなくパルスィは言い、いつもと変わらず抱きしめてくれた。
ソファよりも座り心地のいいふともも、枕よりも柔らかい胸。そして、身も心もとかしてしまうなでなで。パルスィに抱きしめられるより腕の中より居心地のいい場所なんてないだろう。気持ちいい。
少し体温の低い手で、一定の間隔を崩さず優しくなでなでしてくれる。
ふと、顔をあげた。目があったとき、優しげにこちらを見つめていた。そして、あたいにしか見せない笑顔で微笑んでくれた。
「どうしたの、じっと見つめて?」
あたいが見つめても戸惑うこともなく、相変わらずなでなでしてくれている。
「ねえ、パルスィ。いい?」
精いっぱい甘えた声で問う。
「何を?」
わかってるくせに。わかってるのに聞き返してくる。いじわるだ。……でも、そんなところが好きだ。
だけど顔には出さない。何も言わず、拗ねた目で見つめてやる。
「ふふ、そんな拗ねた目で見つめちゃって」
ドキっとする、大人びた声。その声にときめいていたらいつの間にかソファに寝かせられていた。
「そんな燐には笑顔になれる魔法をかけてあげないとね」
そっと頬をなでられる。……やっぱりいじわる。
あたいはそっと目を閉じ、これからやってくる柔らかい感触に胸を弾ませ――
「本当に考えることが一緒ね。むしろ驚くわ」
「だああらっしゃあああああああ!!」
「落ち着きなさい」
「にゃうっ」
頭をぐしゃぐしゃされる。そんななでなでであたいが止まると思うなさとり様!
なんで止めるの!? ねえ、今いいとこでしたよね。もうすぐ感動の触れ合いでしたよね!?
ちゅっちゅした後で止めてくれてもいいですよね!?
「直前が一番面白いと思って」
「思って、じゃないですよ! ストレスたまりまくりでやばいですよ!」
「そんなことより、枕より柔らかいとか、体温が低いとか、あなたパルスィに触れたことないじゃない」
「いいじゃないですかただの妄想なんですから! 人の妄想にケチつけないでくださいよ! というか止めないで下さいよ!」
「落ち着きなさい。妄想なんていつでもできるでしょ? 今は目の前のことに集中した方が後で妄想もはかどるんじゃない?」
「いやそうかもしれませんけど…!」
確かにそうだが、腑に落ちない。二回も止められたらさすがに黙っていられない。
いやでもたしかにあのふたりを見れるのは今だけだ。妄想なんてのはいつでもできるが、あのふたりの笑顔を見れるのはこの瞬間だけだ。
「そういうことよ」
誇らしげに言われるとけっこうむかつくんですけど。でもいくらなんでもひどすぎません?
ちょっと待てばハッピーエンドで終わるんだから、少し待っててくれてもいいじゃないですか。
こういうところ、さとり様はよくない。
「悪かったわよ。あ、でも他のペットと考えてることが同じだったといのは本当よ?」
「言わんで下さい」
なんだか悲しくなってきた。癒されたい。
中を覗く。まだふたりは抱き合っていちゃいちゃしていた。いいなあ。癒される。けど同時に羨ましく思えてきた。あたいは見てるだけだけどあのふたりはあの癒しを享受している。羨ましい。
ああ、あたいもなでなでして癒されたい。なでなでされて癒されたい。どっちも味わいたい。なでなでしたいし、なでなでされたい。お空のサラサラの髪をなでなでして快活な笑顔をこっちにむけてほしい。パルスィに優しくなでなでされて他人に見せない笑顔で微笑んでほしい。どっちも魅力的だ。どっちも体験したい。
ええいくそ、ふたりともそこを変われ!
「ふたりともと変わったら、両方燐になるわよ?」
「もうあんた黙ってろよ!」
もうなんだよこのひと! さっきから邪魔してくんなよ!
思わず両方自分のパターンを想像してしまった。むなしいなんてもんじゃない。嘆かわしいと言った方がいい。しかも、なお惨めなのはあのふたりの隣であたいふたりが抱き合ってるのを想像してしまったことである。何が楽しくてあの幸せ空間の隣であたいふたりがにゃんにゃんしてなきゃいけないというのだ。
「あら、以外と可愛らしいと思うわよ」
「それはフォローのつもりですか?」
精神をゴリゴリ削られてる気がする。くそうあたいはただいい気分になりたいだけなのに。
「……さとり様は羨ましくないんですか?」
「そりゃ羨ましいわよ。でも私は変わってもらえるならお空と変わりたいけどね」
まあそうか。さとり様ならあそこまでとは言わないけど、お空を満足させることはできるだろう。よくよく考えたらさとり様はいっつもあたいたちペットに与えてばかりだ。少しは恩返しできてるかもしれないけど、あたいも甘えてばかりいる。それにさとり様をなでなでできる奴なんて地霊殿にはいない。
……そりゃ甘えたいよなあ。
「……かわいそうなさとり様、ですか。もうなでませんよ?」
「わわわ、違います! 今のはその、さげすみとかじゃなく、なんというか、状況を考えた言葉というか、えーと、その……」
「ふふっ、わかってるわよ」
おおう、危ない危ない。なでなでしてもらえなくなるとか死活問題だ。さっきまでパルスィに心傾いてたけど、さとり様のなでなでがなくなるのはだめだ。
うーんでも甘えたいなら、頼んだらいいんじゃ……。あんだけ甘やかしがうまいなら頼んだらもしかしたらしてくれそうではありそうだけど。
「そんなの無理に決まってるじゃない。彼女が私をなでてくれると思う?」
「いや、まあ、そうかもしれませんが……」
「頼んでみないとわからない、ねえ。実は一度、頼んでみたのよ」
「まじですか!?」
「ええ、酒の席でね。酔った勢いで」
「そ、それで答えは?」
「即答で断られたわ。酔うにしてももっといい酔い方しなさい、ですって」
「なんともパルスィらしいですね」
「それと、ひとをなでるのはいやなんですって」
「え、そうなんですか? ならどうして今のお空を……」
元は動物だと構わないのだろうか。いや、単純にお空がかわいからというのもあるのかもしれない。
「空はどうやら特別みたいね。なんでも昔からの付き合いで、お空がまだ人型になる前から交流があったようね。だからああして人型でもなでてるみたい」
「うそーん」
「ちにみに基本人型はなでたくないそうよ」
初めて知った。というかパルスィとそんなに付き合い長いなら教えてくれてもいいじゃないお空。けっこう切ないよあたいは。
「しかたありませんよ。私ですらその事実を知ったのはこの前のあなたたちの騒ぎの後だから」
「……さとり様が知らないならしょうがないですね」
きっとお空のことだ。なでなでしてもらった後にはすぐに忘れてたんだろう。
そして思い出したらパルスィの元に行って、という感じだったのだろう。
「忘れていたというより、空にとっては別の事だと思ってたみたいね」
「別のこと?」
「空はよく散歩に行くでしょう? その散歩はパルスィのなでなででひとつの終わりと考えてるみたい。だから散歩としか考えてないと私もわからないのよね」
「え、てことは散歩に行くたびパルスィの元にも訪れてたというわけですか?」
「そのようよ」
なんという真実発覚。つまりけっこうな頻度でふたりは会っていたというわけか。というかこの前の玄関で会った後もパルスィのところに行っていたのか。
あれ、もしかしてあたいと遊ぶよりパルスィと会ってる方が多いんじゃないか? やばい、本格的に悲しくなってきた。
「仕方ないわ、燐。あのふたりの関係はけっこう深いようだから」
「慰めになってませんよさとり様。むしろその言い方だとあたいとお空の仲はそうでもないと言ってるようなもんじゃないですか」
「あなたと空ではまた関係も違うじゃない。空はあなたのことをパルスィとは違う、特別な存在としてちゃんと見てるわよ」
うう、そうならいいなあ。中を覗く。
お空の横顔が少しだけ見える。可愛いなあ。いつか、あたいにもその笑顔見せてくれるかなあ。
「大丈夫よ。その日も近いと思うわ」
「さとり様……」
そっと頭をなでなでしてくれる。ああ、やっぱりとろけそうになる。さっきまでパルスィのなでなでに想いをはせていたけど、さとり様のなでなでだって別格だ。それに、なんてたって、なでなでだけではほぐせない心の通じ方で癒してくれるんだ。だからあたいはさとり様のなでなでが好きなんだ。
地霊殿以外の奴らはさとり様に心を読まれるのが嫌みたいだけど、読み取ってちゃんと受け止めて応えてくれるから、あたいはむしろ心を読んでもらえるのが好きだ。
「ありがとう燐。そう想ってくれると私も嬉しいわ」
そっと抱きしめてくれるさとり様。温かい。
「さとり様」
顔を上げた。そこには優しい微笑みを浮かべるさとり様の顔がある。お空ともパルスィとも違う、すべてを包んでくれる笑顔だ。すぐそこにさとり様の顔がある。自然と心拍数が上がる。顔も熱くなってきた。
これはさっきまでしていた想像なんかじゃない。しっかりとした現実だ。
少し顔を近づける。さとり様は何も言わない。
……いいんですよね?
さとり様、燐はいけないペットですみません。そっとさとり様に顔を近づけ、唇に吐息が――
「パルスィー! 来るんだったら教えてよ!」
中からとてつもなく元気な声が聞こえた。そしてその声が聞こえた瞬間、さとり様はあたいをほっぽり出し、即刻覗きの態勢にはいっていた。
えと、さとり様……。
「ごめんね、燐。今度相手するわ」
そう言ってこっちにはもう見向きもしない。
……くそお、あたいのキスは現実でも成就しないのか! 悲しみにまみれた拳を床に叩きつける。なんで、なんであたいだけこんなもやもやしないといけないんだ!
一体誰があたいとさとり様のキスを邪魔したんだ。
「教えてよって、いつ教えればいいのよ」
「ここに来る前!」
「だったら私の前にあらわれなさいよ」
「パルスィが来てよ」
「無茶言わないでよ」
中にはこいし様がいた。あのふたり面識あったのか。そしてさとり様は食い入るように中を覗いている。さらにまわりのペットたちもさっき以上に中を覗いている。あれ、もしかしてこいし様目的でもあるのか?
「ええ、私のメインはこいしよ」
「あ、そうなんですかー」
「こいしが帰って来るのと同じくらいの頻度でパルスィも地霊殿に来るのは知ってるわね?」
「ええ、はい」
「ほとんどそのときは一緒なのよ」
つまりパルスィが来るとこいし様が帰って来るということ? もしくはこいし様がいるときにパルスィが来るということ?
それもう惹かれあうふたりってレベルじゃない気がするんだけど。無意識の力なのかよくわからないが、なんだかすごいことだということはわかった。
「えーと、そして帰ってきてあそこにいるということは」
「ええ、あなたの考え通りよ燐」
無意識でパルスィが地霊殿にいることを察知とかできるんだろうか。無意識の世界は奥深すぎてわからない。
あ、そういやどうやってこいし様はあたちたちに気づかれず中に入ったんだ。無意識操る力で、扉開くのも認識させないとかそんなことまでできるのだろうか。そうだとしたら無意識まじぱねえ。
「ねえねえ、お空。変わってよ」
「ええー、嫌ですよう」
「いいじゃーん。ほら、キスしてあげるから」
ちゅ、とお空の唇にキスするこいし様。あーなんて微笑ましい光景だろう。お空はしょうがないなあと言いつつもとてもうれしそうだ。可愛いねえお空。
っておい! あっさりキスしすぎだよ! あたいが妄想で為し得なかったこと簡単にクリアしすぎだよ!
しかもなんで唇!? そういうときって頬なんじゃないの? あたいへのあてつけ? というかいつもしてる雰囲気だったよね今。そういう関係なの?
そうだとしたらあたいはなんなの? この悲しい火車ちゃんはなんなの?
「落ち着きなさい燐。心が煩い」
「いや、でもさとり様。こ、こいし様とお空が、き、き、キスをですね!?」
「わかってるわよ。でもあれもいつもの光景よ?」
いつもですかー。そうですかー。知らなかったなー。あたい知らなかったなー。
こんちきしょう! なんだいそれ! あーくそ! なんだってあたいはこの事実を今日まで知らなかったんだ。知ってたらあたいだってあの輪に参加してたというのに。
「パールスィー! 好きだよー」
「ありがとう。こいし」
「ちょっとー、そこはパルスィも好きって言ってくれるとこでしょ」
「あ、私はこいし様好きですよ!」
「ありがとうお空ー!」
「はいはい、ふたりとも好きよ」
「ちょっと適当に言わないでよー」
幸せ妬まし空間が中に広がりつつあった。いや中で幸せ空間、外で妬まし空間が広がっているというのが正確か。なにあの美少女の楽園。
そしてこいし様のポテンシャルも半端ではなかった。
こいし様は見かけるときたいてい笑顔だが、そのいつもの笑顔が偽りなんじゃないかと思うくらい、今の笑顔は輝いていた。とても心を閉じているとは思えないくらい。
「そうね。今のこいしは心をそれなりに開いている状態よ」
「そうなんですか!?」
「ええ」
それもパルスィのおかげなのだろうか。だとしたらパルスィすごすぎる。お空もそうだったし笑顔を引き出す天才じゃなかろうか。
「パルスィだけではなく、空のおかげでもあるわ。あのこたちは応接間でよくじゃれていてね。こいしもそれによって少しずつ心を開いていってるみたい」
「そうなんですか……」
なでなでの触れ合いってやっぱりすごいんだな。まさかあたいの知らないところでそんなことが起きていたなんて。
……うん、それはとてもいいことだと思うんですが、
「こんなイベントが起きているならあたいにも教えてくれてもよかったじゃないですか!」
「それはだめよ」
えらいばっさりときられた。そんなに信用ありませんかあたい?
「信用はしてるわよ? だからこそだめなのよ。燐だって自分自身、あそこに入ったら輪を崩してしまうことくらい想像できてるでしょ?」
「ぐっ。いや、そんなことは……いえ、そうかもしれません」
ぬぐぐ。確かにそうだ。あたいはかわいいものとかに目がない。だからさっきみたいな妄想だってよくするし、色んな手段で手に入れようとする。
さとり様の言うようにあたいがあのキャッキャウフフの夢幸せ空間に入ったら欲望の限りになでなでしたりされたりするだろう。だがそれは仕方ないことなんだ。自然の摂理なんだ。誰も抑えなんてきくもんか。
「ええ、そうよ燐。だからこれは仕方ないことよ」
「……そうですよね」
「ええ、あの空間で自制心を保つことなどできはしないわ。例え、私だとしてもね」
「さとり様でも……」
「そう。でもね、保てないからってあの空間に入りたい心は抑えきれないでしょう? 抑えていたらきっと爆発してしまう。だからこうして覗いているのよ。覗くことによって、少しでもあの空間に入った気分になることで、自分たちの心を落ち着かせている」
「でも覗いてる方が余計に入りたくなりませんか?」
「最初はそうだったわ。でもね、最近では入りたいけど入れないからこそ得られるものがあると気づけたのよ」
「それは……?」
「それは、少女たちが笑顔で抱きつく光景をこれでもかと見られるということよ!」
清々しいくらいにさとり様は言い放った。いや、それはそうですけど。
「ええ、もちろんかわれるならかわりたいわ。だけどね、燐。これもまた乙と考えなければやってられないのよ」
「完全な開き直りじゃないですか!」
「いいのよこれも楽しいから! あーもうかわいいわねこいし」
なんだろうこのだめ妖怪。でも気持ちはすごいわかる。あたいもそうだし。くそー羨ましいなあ。
「あ、でもこいし様ともかわってもらいたいんですよね?」
「ええ、そうね。パルスィにもなでなでしてほしいもの」
「……それならふたりともと変わったらさとり様同士で抱き合うことになりますよ?」
さっきのお返しです! これでちょっとはあたいが味わった虚しい気持ちを――
「ああ、それもまたありですね」
「こんのナルシストー!」
なんも意味なかった。なにちょっと顔赤らめてるんですか。
「ナルシストにでもならなきゃ地底の主なんてやってませんよ」
「……さいですか」
もういいや、中見よう。
相変わらず中ではこいし様がパルスィに抱きついている。お空は横からふたりのことをニコニコと見ている。
「ねえーパルスィー。ちゃんと好きって言ってよー。」
「だから言ってるじゃない好きって」
「そういうことじゃなくてさー」
めっちゃ甘えてる。
「あのーさとり様。こいし様ってパルスィにいっつもああなんですか?」
「そうねえ、今日はでも一段と甘えているわ」
なんだかあの甘えようは、家族の雰囲気じゃなくてどちらかと言うと、そう恋人同士が醸し出す雰囲気に似てて見てるこっちが赤面してくる。
「ほらほらちゃんと言ってよ」
それにパルスィは応えず、無言でこいし様をソファに寝かせた。
「え?」
倒されたこいし様の声だけが聞こえる。
「もちろん、好きに決まってるじゃない。こいし」
そう言ったパルスィの顔はソファの背中に隠されて見えなかった。そして、その後交わされたであろうふたりの行為も。
数秒の後、パルスィが起き上がり、今度は顔を真っ赤にしてふたりを見ていたお空の方を向いた。
「もちろんお空、あなたのことも好きよ」
そう言ってお空の頭をなでなでしてやった。
「ちょっとパルスィー! すぐに浮気しないでよ!」
「浮気もなにも私とあんたは」
「それ以上言うな!」
無理やりパルスィに抱きつき一人占めするこいし様。
「わ、わたしもまぜてください!」
そこにふたりを抱きしめるように突撃するお空。
きゃっきゃきゃっきゃとじゃれつくさんにん。
いやーこれ、あたいもう我慢の限界だよ。
「だめよ燐」
「すみませんさとり様。でももうあたい無理です」
「そうですか。ならばここで食い止めるまでです」
がっちりとさとり様と他のペットに抑え込められる。ちょ、行動早すぎ。
「おとなしくしなさい。あなたひとりの勝手な行動のせいでみんなが不幸になるのよ?」
「そんなの関係ありません! あたいだってあそこにいる権利があるはずです! だってあたいも人型になれるペットですよ? それに立場的にはお空と一緒のポジションじゃないですか。名前ありだし、人型なれるし。なのにあたいだけ入れないなんてそんな理不尽ありますか。大丈夫ですって中でもうまくやりますから」
「あきらめなさい」
動こうとするがまったく動けない。
「は、離してください! いいじゃないですか! あたいだってにゃんにゃんしたいんですよ!」
「わたしだってしたいですよ! でもこうして心を鬼にしてるんです。あなたも我慢なさい!」
「いやだー! あたいは中に入るんだー!」
「だめです! 絶対に許しません!」
「くそー! あたいのユートピア―!!」
中の様子がほんのり見える。声が聞こえてみんな静かに黙り込んだ。
「ねえねえパルスィ、もう一回、して?」
「まったくこいしは甘えん坊ね」
「いいでしょ、ほらほら」
今度はふたりの行為が見えた。
「やっぱ見てるだけなんて無理だー!!」
地霊殿にはただただあたいの叫びが反響するだけだった。
いやー今日は気分がいいなあ。仕事も早く片付いたし、面白い死体も見つかったし。いい日だなー。ついつい鼻歌も出てしまう。早く地霊殿に帰ってさとり様になでなでしてもらおう。適当に鼻歌を歌いながら歩いていると、向こうから一匹の火車がやってきた。どうやら向こうも大層ご機嫌なようで、跳ねるように歩いている。
「ねえ、あんた、なんかいいことあったのかい?」
なんとなく興味がわいたので話しかけてみる
「にゃあにゃあ」
「へえ、そんなことが……って、なんだって?」
なんて言ったこいつ? ちなみにこいつは動物型だから猫語で話す。あたいは元が猫だから猫語は理解できる。しかし、こいつが今言ったことは理解できなかった。いや、聞き取れなかったとかそういうことじゃなく、意味として。おかしいな、今日はそこまで疲れてないはずなんだけど、聞き間違ったか。
「えーと、なにがあったって?」
「にゃあにゃあ!」
しかし、返答は同じだった。違いは少し元気が増したくらいだ。自分の耳を触る。正常だ。
えーと、最近は嘘つく遊びでも流行ってたかなあ。いや、そんなことはなかったはずだよなあ。それに、うーん、嘘ついてるように見えないし。というか自慢げだし。
いやでもありえるのか。
水橋パルスィが――ペットを笑顔でなでなでしてるなんて。
パルスィが笑顔でペットをなでなでしてるという、嘘みたいな話、別に聞かなくてもよかったんだけど、そいつがあまりにも嬉しそうに語るので聞いてやった。
まあ嘘だとしても面白そうな話ではあるし。どうせ人違いだろう。地底には金髪の奴多いし。例えば土蜘蛛のヤマメあたりとか。微妙に色は違うけどさ。よっぽどそっちの方が可能性としてはあり得る。
だがそいつはそれはないと言いきった。あれは紛うことなきパルスィだったと。なんで断定できるのさ、と聞いたら、パルスィの家でなでなでしてもらったからだ、と胸をはって言ってきた。いや、まあパルスィの家にいるのはパルスィだろうけど。家間違ったんじゃないかいと聞いても、橋の下のあんなぼろぼろの誰も寄り付かないようなところにある家なんてパルスィの家以外ないと答えられた。けっこう言うなこいつ。
そうだとしてもまだ信じられない。あー、こうは考えられないか?ヤマメがパルスィの家に遊びに行く。パルスィがどっか出かける。こいつがパルスィの家に行く。ヤマメがなでなでしてやる。なんと完璧な流れ。うん、こっちの方が信じられる。まあ、パルスィが人を家にあげるなんてことも想像できないが。パルスィがなでなでするという話よりよっぽど信憑性がある。
――とまあここまであたいがパルスィ笑顔なでなで説を否定しているのか。もちろんそれには理由がある。
単純な話だ。あたいがパルスィが笑っているところを一度も見たことがないからだ。宴会とかでも、端っこで澄まし顔でちびちび飲んでる奴だ。誰かが絡みに行っても、迷惑そうにするか、たまに表情が和らぐくらいだ。まあそれも笑顔には程遠い。
まあ微妙に微笑んでるように見えなくもないときもあるけど、あれは笑顔じゃないだろう。そしてあたいはその微笑みに見えなくもない笑顔以上の笑顔を見たことがないのだ。
そんな奴が笑顔でなでなでなんて。
しかし実際になでられた火車が言うには、嘲笑でもにやけた笑いでも、陰険そうな笑みでもなく、ちゃんとした笑顔だったらしい。しかもまあそれはそれはいい笑顔だったらしい。
ついでに言うとそいつ曰く、そのなでなでは最高らしい。あれはさとり様以上だと。
……これはなかなか聞き捨てならないことである。さとり様と言えば地霊殿の主で、あたいたちペットを飼っているご主人様だ。さらに無類のペット好きで、よくあたい達を可愛がってくれる。
そして、なでなでに関して言えば右に出るものなどいない。
これは贔屓目とか誇張表現とか一切なしの客観的事実だ。あたいはこれまで色んなやつになでなでされたことがあるが、その中でさとり様のなでなでは群を抜いている。とりあえず、飽きがこない。あまりの優しいなでなでに身も心もとろけて、疲れなど一気になくなる。なでなでがやめられる瞬間は世界が終ったような気さえする。まあしばらくしたら立ち直るけれども。終わるときはすごい口惜しい。でもなぜ諦められるかといったらまたさとり様になでなでしてもらえるという確信があるからだ。約束を違えず、ちゃんとなでなでしてくれる。それも相まってさとり様のなでなではやめられない。ぶっちゃけあたいはもうさとり様のなでなでなしでは生きられない。死ぬ時はさとり様になでなでしてもらいながら死ぬのだ。中毒なのだ。さとり様のなでなでの。
他のペット達にもさとり様のなでなでを生きがいにしてる奴はけっこういる。たくさんの奴がなでなでしてほしいがため、ちょっとした紛争だって起きる。食事がすごい好きな奴ですらさとり様になでなでしてもらうために好物を他の奴にあげて買収したりする。
一度宇宙について聞かされたとき、なんだか説明できない宇宙のすごさを感じ取ったことがある。宇宙すげーと。
そしてその感じをさとり様のなでなでにも感じるのだ。さとり様のなでなですげーと。つまりさとり様のなでなでは宇宙レベルなのだ。決して過言ではない。
だがそいつは宇宙レベルのさとり様のなでなでよりも、パルスィのなでなでの方が上だとほざきやがる。新しい世界が見えたとかなんとか。何言ってんだい。宇宙以上のものなんてあるわけないだろ。この世のなでなでレベルはさとり様のなでなで宇宙レベルで打ち止めなんだ。その上があるわけない。
その後も長々と会話を交わし――最後の方はあたいが一方的に否定の言葉をぶつけただけだったが――そいつと別れた。
別れるまでそいつは終始楽しそうでそれもまたあたいの心をひどくかき乱した。部屋に戻ってももやもやとした気持ちは消えず、今はベットにつっぷしている。
くっそー、今日はとってもいい気分だったのに。たくさんの仕事を早く終わらせ、いい死体も手に入ったって言うのに。そんでもってそれを報告してさとり様になでなでしてもらおうと思ってたのに。
あ、そうだ。早くさとり様になでてしてもらおう。
なぜそれを今まで忘れていたのか。それもこれもあいつのせいだ。
あー、でも想像するだけでテンションあがってきた。
これでもあたいは地霊殿では数少ない人型になれるペットで、さとり様からの信頼も篤い。故にあたいへの待遇も厚い。
どれだけ厚いかというと、普段は順番とか決まってるのだが、あたいはいつでもなでなでしてもらえる。まあ割り込みはさすがにしないけど。さらには一緒に寝ることだって許可されている!
なぜそんなに厚待遇なのか。簡単な話さ。あたいが仕事を一所懸命しているからだ。労働なき対価など存在しないということだ。
にゃはは、そして今日のあたいはさとり様になでなでされてしかるべき理由がある。普段の仕事をバリバリ頑張り、さらにはあたいの仕事ではない、みんなが嫌がる風呂掃除までしてみせた!
これなら誉められて当然。なでなでされて当然。露骨な点数稼ぎ? なにが悪い! あのさとり様になでなでしてもらえるのなら風呂のひとつやふたつ、徹底的に磨いてみせる。
これで今日のさとり様からのなでなではあたいのものだ。一人占めだ! 異論は一切認めない。むしろ排除する!
それではいざ、参らん!
にゃーん、さとり様なでてー。そんな想いを滾らせてあたいは廊下を疾走した。
ああ、やはりさとり様のなでなでは最高だ。つい先日のことを思い出してふへへと気の抜けた声がでる。
あの愛で包まれる感覚はやめられない。あのなでなで以上にこの世における素晴らしいものなんてないだろう。あったら教えてほしいもんだ。ぜひ試してやるよ。
……あ。ふとそこで思い出してしまった。あーくそ、なんで思い出しちゃうかな。
だからありえないんだってパルスィのなでなでがさとり様以上なんて。
まったく。あんな話、鼻で笑い飛ばして忘れりゃいいのに、あたいもなんでこんなにもやもやしてるかね。
……多分、こんなにもやもやしてるのは、あの火車の笑顔が、さとり様になでなでしてもらったペット並にいいものだったからなんだと思う。だから、強く否定できてないんだろう。
あ、いいこと思いついた!
きっとあいつ以外にもパルスィになでなでされた奴がいるはずだ。あいつがあたいに話したように、他の奴にもパルスィのなでなではすごいと語ってることだろう。その話を聞いて、そんなわけねえだろとあたいみたいに思う奴もいるだろうけど、中には好奇心でパルスィのところに行く奴もいるはずだ。
もしパルスィのところに行った奴らがいるなら、そいつらに話を聞いてみたらいい。パルスィのなでなではどんなもんだったかと。そうすりゃ色々とわかるはずだ。良い悪いに関わらず。
まあでも答えは決まっているけどね。たいしたことなかったって、みんな言うに違いないさ。
うんうんと自分の素晴らしいアイデアにうなずきつつ、意気揚々と歩いていたら、玄関ホールでお空とバッタリ出会った。
「あれ、お空。一体ここでなにしてるのさ?」
「あ、お燐! 元気~?」
「ああ、もちろんさ。もしかしてまた散歩かい?」
「うん!」
相変わらず可愛い奴だ。お空とは昔からの親友で、ちょくちょく遊んでいる。仕事があってなかなか会えないことも多いけど。
しかしまた散歩か。お空はけっこう散歩に出かけることが多い。行き先はまちまちでそのときの気分のおもむくままに行くらしい。旧都をぶらぶらしたり、地上との入口付近まで行ったり、空き地に行ってみたりとか。
「今日はどこに行くか決めてるのかい?」
「ううん、また適当にどこか行こうと思ってる」
「そうかい、そうかい」
頭をなでなでしてやる。うん、我ながら完璧ななでなでに移行する自然な流れだった。
お空の髪はさらさらしてて、なでなでするこっちが気持ち良くなる。ああ、至福。
そういや、お空がさとり様になでなでしてもらってるところを見たことないなあ。まああたいが仕事のときになでなでしてもらってるのだろうけど。こんないい髪ならさとり様もなでなでしてて嬉しいものだろう。もしかしたら特別にお空だけ呼んだりしてるかもしれない。
……もしそうだったら癪だなあ。というかちょっとムカつく。
どうなんだろう。聞いてみよう。
「ねえ、お空。あんたはさあ、さとり様になでなでしてもらってるかい?」
「さとり様になでなで? うーん、今はしてもらってないかなあ」
「え?」
「なに?」
「今はって、じゃあなにかい。昔はしてもらってたけど今はしてもらってないのかい?」
「うん」
「えー、なんでだい? さとり様になでなでしてもらったなら、あの、何とも言えない幸福感を知ってるだろ?
ふわーってなる感じの。そんな、いくらお空が鳥頭だからってそれくらい覚えてるだろ?」
「むう、鳥頭って言うな。確かにさとり様のなでなでは気持ちいいけど、まあ別にいいかなって」
頬をふくらました顔も可愛いなあ。
あーいや違う違う。
なでなでしてもらわなくてもいいとな? しかも別にいいって……。別にいいって!
「そんなわけあるかあ!」
「わ、どうしたのさお燐」
あ、驚いてる。目を丸くした顔も可愛いなあ。
「こほん。えーと、別にいいってのは、その、なんでだい?」
「何が?」
「だから、さとり様になでなでしてもらわなくても別にいいってのはどういうことかってことだよ!」
「うーん、他に楽しいことあるから」
「え、他に? なにそれ?」
「散歩!」
あ、いい笑顔。そっとお空を抱きしめる。あ、いい匂い。そして髪の毛すっごくサラサラ。
――思わず抱きしめちゃったよ! やばい。完全にノリと勢いでやっちまった。
しかしこのままいきなり離れるのも不自然というもの。……それに離れるのは惜しい。
あーしかしまさかさとり様のなでなで以上に散歩がいいとはなあ。お空の散歩はどれだけ刺激的だと言うんだ。
いや、それとももしかしたらお空はさとり様のなでなでになにも感じてないんじゃないか?
つまりなでなで不感症。ああ、もしそれが本当なら、なんて、なんてかわいそうなお空! さとり様のなでなでになにも感じれない身体なんて。
……よし、この方向性なら抱きしめてても不自然じゃない。可哀そうなお空。でも安心しておくれ、あたいはあんたを見捨てたりなんてしないよ。
「お燐?」
「いいんだよお空」
左手は背中に回し、きっと意味はないんだろうけど右手は頭をなでなでしてやる。気持ちが伝わればいいんだ。優しく、慰めるように。
お空の身体は柔らかい。マシュマロのようだ。ほどよい弾力がたまらない。髪の毛はなでなでする手の流れの邪魔をせず、絡むことなくサラサラで、手は上下運動という単調な作業に飽きることもなく、疲れることもなく、その行為を至福の作業にしている。久しぶりに抱きしめたけど、お空の身体は最高だ。
決してやましい気持などは持っていない。
お空は可愛くて、胸もそれなりにあって、髪はサラサラで、スカートからのぞく脚線美は最高! という地霊殿きっての美少女だ。並のものが抱きしめようものならまず間違いなく欲情する。というか見てるだけで欲情する奴だっている。
しかしあたいとお空は親友なのだ。親友に欲情する奴なんて存在しない。存在してはいけない。そんな奴は最低だ。変態だ。親友に欲情など言語道断だ。
だがあたいは違う。あたいはありのままのお空を認めてるだけだ。親友を可愛いと思うことは何も悪いことじゃないし、胸が大きいとか、絶対領域最高とか、そういうことを考えてもなんら罪ではない。なぜならそれは真実を認めているだけなのだから。
そして、親友というものは、何でも思ったことは言い合えるし、困った時はお互いに助け合う素晴らしい関係だ。だからこうして、慰めるために抱きしめることはおかしなことではない。
むしろ親友ならしてしかるべき行為だ。
キッカケは確かに勢いだった。それは認めよう。
だがこの抱きしめる行為は決して欲情などという下劣な感情からもたらされたものではない。慰めと承認だ。むしろ自然なことなのだ。親友なら当然の行いなのだ。
だから、背中に回した手で身体をさするのは普通だし、髪をなでなですることだって、当然の行いだ。善行だ。
いやーいい感触。
あー、身体やわらかい、髪さらさらー、なでなでするの気持ちいー。
「ねえ、お燐ー。抱きしめてくれるの嬉しいんだけどさ、私そろそろ行きたいなー」
「いきたい!?」
「え?」
「あ! いやいや、な、なんでもないよ」
いけないいけない。落ち着け。
えーと、そうそう、お空を抱きしめるのに精いっぱいで、思わず全力で聞き返してしまったよー。はっはっはー。
……なんだか自分で自分に言い訳するのも段々むなしくなってきた。
って、いやいや違う違う言い訳なんかじゃない。違うぞー、言い訳じゃないぞー。やましいことなんて一つも考えてないぞー。お空とお燐は親友。その関係にやましいことは一切ない。抱きしめるのは当然。親友だから当然。
よし、おーけー。完璧な理論。大丈夫。完璧。いいぞー、これでいい。
しかし、わかってたことだが、あたいのなでなででもだめか。やっぱりお空はなでなで好きじゃないのかな。
散歩が特別好きというより、単純になでなでに興味ないんだろうなあ。
もったいない。まあでも、しょうがないか。
「いや、悪かったね引きとめて。気をつけて行って来るんだよ」
「うん、ありがとうお燐。行って来るよ!」
外へ走っていくお空を見送る。
さて! 役得もあったことだし、ぼちぼち聞き込みを開始しようかね。
数日の調査の結果、なでなでしてもらった奴ら全員がパルスィのなでなではすげえと言っていた。
マジか。うーむ、ここまでとなるとなかなか見過ごせないものである。それとさらに驚くべきがあった。なんとさとり様派とパルスィ派の派閥ができているのだ。なんの派閥かと言うと、それは当然、どっちのなでなでが気持ちいいかということについてだ。
ちなみに割とそれで抗争が起きてるらしい。大丈夫か地霊殿?
もちろん多数派はさとり様派だ。しかしあまり信じたくない事実が一つ存在している。それは、パルスィ派はもれなく全員、パルスィになでなでされたやつらだけで構成されているということだ。というかパルスィ派があるんだから当然構成員はパルスィになでなでされた奴なんだけど。
問題なのは、地連殿の奴らはもれなく一度はさとり様になでなでされてるだろうということだ。とりあえず、パルスィ派だと言っていた奴らは全員さとり様になでなでされたこともあると言っていた。なのにそいつらはパルスィ派なのだ。
つまりこれが意味するのは――あまり信じたくないが――パルスィのなでなでは、さとり様以上のなでなでである可能性があるということだ。
なんだか地獄マタタビの一件を思い出す。あの一件ととても似ているのだ。
あるとき、新種の麻薬(マタタビ)が見つかった。それは即効で快楽に浸れ、しかも身体にはほぼ影響がないというものだった。ただ、中毒性が抜群にある。それが地獄マタタビであった。
瞬く間にこの麻薬(マタタビ)の情報は広がり、地霊殿の中でも使用者が少しずつ出始めた。そして地獄マタタビ使用を認めろという使用賛成派と、麻薬(マタタビ)根絶を訴える使用反対派の抗争が起き始めた。
そしてこの事件が現在のなでなで抗争と似ている点というのは、地獄マタタビを使用したものはもれなく賛成派に転んでしまっているということだ。地獄マタタビのとき、強く反対を訴えていた奴ですら一度服用してしまったが最期、その快楽にとりつかれ使用をやめられず賛成派になってしまったのだ。
ちなみに恥ずかしながらあたいもその流れにそってしまった一人だ。
最初は圧倒的に反対派が多かったのだが、そんな強力な麻薬(マタタビ)だったから、時間が経つにつれて賛成派が徐々に増えていった。ついには賛成派の数が反対派を上回り、戦争もかくやとなったとき、ついにさとり様が立ち上がり、使用者全員にトラウマを植え付けたおかげでなんとか戦争は食い止められた。
その後、さとり様によるトラウマ療法により全員麻薬(マタタビ)を絶ち、今では誰も使用することはなくなっている。
うーん、考えれば考えるほどあのときと状況が似ている。
まずは派閥ができているということ。次にパルスィ派ができあがりその数が徐々に増えているということ。そして重要なのが、パルスィのなでなでを味わったら最期、パルスィ派になってしまっているということだ。
構図としては完全に一致している。むしろ再現かよと疑いたくなるほどだ。そしてなにより困ったことがある。それは、あたいがパルスィのところに行きたいと思い始めてしまっていることだ。
地獄マタタビのとき、あたいは賛成派の奴らを黙らせるために地獄マタタビを使用した。
こんなもの使っても一時の快楽しか得られない。みんなが言ってる利点など所詮まやかし。結局は心も身体も家族関係もボロボロにするだけだ! そう訴えるために自ら使用して、使用を食い止めようとした。
しかし使用した直後には即効で魅力にとりつかれ、その場であたいは賛成派に回っていた。
……今だから言えるのだが、正直あたいは食い止めるとか食い止めないとかはどうでもよかった。ぶっちゃけ地獄マタタビを使ってみたかったのだ。
みんながあれほどすごいというものを味わってみたかったのだ。食い止めるとかはハッキリ言って建前だった。好奇心は猫をも殺すとはまさにこのことだ。
そして今もまた同じように、あたいはパルスィのなでなでにとてもつもない興味を持っている。みんなが言うパルスィのなでなではどんなものなのか。
しかも言い訳の用意すら完璧にしている。笑ってしまうくらいに進歩などしていない。
――水橋パルスィはなでなでを使用してペット達を籠絡し、地霊殿を攻め込もうと考えている。あたいはそれを食い止めなくてはいけない。そのためにはまずペット達にパルスィになでなでされるのをやめさせないといけない。説得しなければならない。あんな奴のなでなでなんて全然大したことなどない。さとり様のなでなでの方が断然素晴らしいじゃないか。そう伝えねばならない。その言葉を言うためにも身をもって体験しなければならない。仕方がないが、あたいはパルスィになでなでされなければならない。
……今までにないくらいに酷い言い訳だなこれ。というかあたいもそろそろこの性格治さないとだめだな。さとり様にもよく叱られるし。
ああ、自分が嫌になる。でも治すのはまた今度だ。今のあたいはこれなんだ。開き直ってやる。
手洗って待っとけよパルスィ!
よし、パルスィの家の前に着いたぞ。旧都は通らず、川沿いの近道を使ったからけっこう早く着いた。まあでも途中寄り道とかしたから旧都を通るのと変わってないかも。
まあいいやぼちぼち調査してやろう。
さて人型だと門前払いをくらいそうだろうから猫型になろう。えーとどこから入ろうかな。家を一周回ってみたが、窓は開いてないし、裏口のようなものもなかった。
むー、しかたない玄関から入るか。猫型だと扉を開けられないので一旦人型に戻る。めんどくさいなあもう。
あれ、開かないぞ。がちゃがちゃとドアノブをまわして押したり引いたりしてみるものの一向に開く気配がない。くそっ、ぼろ家のくせになんで鍵付きの扉にしてるんだい。
というかこの家の雰囲気に合ってるのはどう考えても引き戸だろ。なにお洒落きどって鍵付き扉なんかにしてやがるんだ。しかしこんなにガチャガチャしても出てこないってことは、留守なのか?
――そこではたと思いだした。
そういえば、この前たしか、えーとあれは、一週間前だ。そう、さとり様になでなでしてもらってたとき。
さとり様が「そうそうお燐、一週間後にパルスィが来るわよ」と言っていた。そうだった。そしてその一週間後というのがまさに今日。
ああくそ完全に忘れてた。これじゃあお空のこと鳥頭なんて言えないや。いやでも不可抗力だ。しょうがないのだ。さとり様になでなでしてもらってるときはぼーっとして、何も考えられなくなるから。だから前後の会話もいまいち覚えてない。
というかよくそのことを今思い出せたとちょっぴり自分に感心する。
でも思い出すのが遅かった。あーくそ、それに、近道で来ちゃったから旧都ですれ違うこともなかったのか。ああもうなんだってんだい。あたいの馬鹿。
パルスィに会えないならこんなとこ来ても意味ないじゃないか。何が楽しくてこんなぼろ家見に来なきゃいけないんだ。
恨めし気に扉を睨む。しかし睨んだところで扉は開かないし、パルスィも出てこない。ぬぐぐ、しかたない、ここでぐちぐちしてても意味ないし、戻るか。
来た道を戻り、さっき出てきた地霊殿に戻ってきた。意味のない往復に体力よりも精神の方が疲れている。
戻る途中むかむがおさまらなかったから、誰かが積んでいたであろう石を蹴飛ばしてやった。そして心の中で悪いねと言いながら、その石どもを水切りしてやった。けっこう跳ねた。すっきりした。
しかしパルスィの奴、これで大したことないなでなでだったら二度となでなでできないように手をひっかきまくってやる。
スンスンと鼻をすますと、ここに住んでいるもの以外の匂いがした。どうやら完全に入れ違いだったみたいだ。多分匂いの行き先の方角からして応接間にいるのだろう。
パルスィが地霊殿に訪れることは多くもなく、少なくもないと言ったところだ。聞いた話によるとこいし様が帰って来るのと同じくらいの頻度らしい。ちにみにこいし様はいつもふらふらどこかに行ってて中々地霊殿には帰って来ない。
ぼちぼち来てるようだが、パルスィが来るときあたいは大体仕事か遊びに行っていて、あたいはパルスィが地霊殿に訪れたときに一度も会ったことがない。だからこうして地霊殿の中でパルスィと会うのは始めてである。そう思うと少しわくわくしないでもない。
ぼちぼち応接間の扉が見える場所まで来た。本来ならそのまま扉に近づいて扉開けて中に入るんだけど、今のあたいの体は応接間に近づくことを拒否していた。
だって扉の前が異様な空気なんだもん。扉の前には数匹のペットと、さとり様がいた。いや、いるというか、なんでか知らないが、中を覗いている。
なにやってんだ。
よく見なくてもさとり様と愉快な仲間達は応接間を覗いている。それと遠巻きに観察してわかったが、愉快な仲間達はこの前あたいがパルスィのなでなでについて聞き込みしたときにパルスィ派だったやつらだ。
どういう状況なのかまったくわからないけど、多分パルスィは応接間の中にいるのだろう。
しかしなぜ覗いているのだ。
ペットどもは中に入ってなでなでしてもらいたいというわけではないのか? というか一番わからないのはさとり様がいることだ。もてなしとかはいいのだろうか?
ああそれとさらに気になるのは中が一体どうなっているのかということだ。ペットが入らず、さとり様も入らず覗いてるって、一体どんなことが中では行われていると言うんだ。覗きをしている状況を考えれば危険なことは起きてないんだろうけど……。
「あら燐、いたの?」
およ、いつの間にか近づいてしまっていた。そして近くに来たあたいの思考に気がついたのか、さとり様が声をかけてきた。とりあえずもうちょっと近づこう。
「えーと色々聞きたいことはあるんですけど、パルスィいます?」
「ええ、中にいるわよ」
おお、やっぱり中にいたか。しかしだとしたらますます謎だ。もてなしとかいいんだろうか。
「あらそういえば、燐は知らなかったわね。パルスィが地霊殿に来たとき、一度も会ってないから」
「何をですか?」
「そうね、とりあえず中を覗いてみなさい」
「はあ」
中を覗いたら何かわかるのだろうか。まあ考えても仕方ないか、見た方が早い。というか中がどうなってるかすごい気になるし。
ちょっとドキドキする。一度深く息を吸い込んで気持ちを落ち着かせる。よし。ドアの隙間に顔を近づけ、中を覗きこむ。さあ何が待ち構えている!
――ここで応接間の間取りを説明しておこう。出入りの場所はこの扉のみ。そして中には三人掛けのソファが長テーブルをはさむように二つ置かれている。そこそこの広さがあり、壁には絵画やら盾やらの装飾品がある。部屋の色はシックに茶色にまとめられていて、落ち着く雰囲気がある。照明はランプでそれも雰囲気を演出している。
その部屋の中にパルスィはいた。手前のソファに座っているから、横顔が少ししか見えない。そして部屋にはもうひとりいた。あたいの親友のお空だ。お空はパルスィの目の前に座っていた。そう文字通り目の前に。つまり向かいのソファではなく、パルスィの足の上、そこでまたがるようにしてパルスィと抱き合いながら座っていた。
「なんじゃこりゃああああ!!」
「ちょっとうるさいわ燐」
「いやだってさとり様これが落ち着いていられますかお空とパルスィがソファに座りながら抱き合っているんですよ!」
「いいから落ち着きなさい」
「はふにゃうにゃー」
あーとろけてく。あたいとろけてく。ふおーやっぱりさとり様のなでなですげー。きもちいいー。
「落ち着いた?」
「はふぅ。にゃ、にゃい」
おちつくー。あ、手が離されてしまう。あー、もうちょっと……ってそんな場合じゃない!
まさかさとり様のなでなでより重要な事項ができるとは。
また中を覗いてみる。やはり現実は変わっていない。お空がキャッキャウフフしながらパルスィに抱きついている。
あれ、そういやさっき思わず大声あげちゃったけど、気付かれてないっぽい?
「ああ、それなら大丈夫よ。向こうの声は聞こえるけどこっちの声は聞こえない魔法がかかってるから」
「いつの間にそんな魔法を覚えたんですか」
「地上の魔女さんにね、教えてもらったのよ」
「なんて限定的な魔法を……」
いや、待てよ。ということはこの光景も偽物という可能性はなきにしもあらず。そんな限定的な魔法があるならこの光景も、えーとそうだな、なんか記憶とか、想像とかを現実にするスペルでもって展開されているとか。そんな可能性もないではないはずだ。
「そんなスペル作れたらとっくに使ってるわ。あれは本物の空とパルスィよ」
「ですよねー」
早々にあたいの現実逃避の退路は断たれた。わかってますよ。違うってことくらい。でもそんな信じられないじゃないですか。
なんでパルスィとお空が抱き合ってるんだ。ちなみに角度的にパルスィの顔は見えない。しかしとても重要なことに、というか素晴らしいことに、パルスィと真正面から抱き合っているお空の顔はばっちり見える。そう、とてもお空の可愛い顔が見えるのだ。
すごくいい笑顔。反則級のかわいらしさ。地底笑顔のかわいさランキング一位はだてじゃないね。あたいの中でしか開催されてないけど。
いやしかし今まで長い間一緒にいたけどあそこまでの笑顔は見たことなかった。いますぐ抱きしめたい。なんともなでなでされるたびに小さく反応してるのがたまらない。
くっそーパルスィのやつめ。妬ましい。
それにお空、あたいのなでなではなんでもなかったくせに、パルスィのはいいのかい。いや、まあ自分でもうまいなんて思っちゃいないけどさ。いいなあ、あんな嬉しそうにして。ちくしょー羨ましい。許すまじ橋姫。
だが、見ただけでパルスィのなでなでは気持ちいいんだろうというのも分かる。中々絶妙な力加減だ。確かに、話に聞いてた通りうまそうである。
あれ、待てよ? そういや、お空ってたしかさとり様のなでなではなんでもないって言ってたような……。
えーと、つまり、それは、もしかして。
「そうね、パルスィのなでなではわたしよりうまいでしょうね。」
あっさり、敗北宣言するさとり様。いや、でも、わからないじゃないですか!
「燐がそこまでわたしのなでなでを気に入ってくれるのはありがたいけど、今の空を見ればそう思うでしょう?」
「いや、でも…うう」
うー、まだ、わからない。たまたまお空とパルスィの体の相性がいいだけってこともある。
……体の相性って言い方はよくないな。殺意が芽生える。
「まったく燐は変態さんねえ」
「べ、別にやましい意味じゃありません!」
「相性はあるでしょうけど、やっぱりパルスィの方がうまいと思うわよ」
「なんでですか?」
なぜそこまでパルスィのなでなでを持ち上げるんだろう。というかその根拠はどこに。さとり様だってパルスィになでなでされたことないでしょうに。
疑問はあるがもう一回中を覗いてみる。やばい、お空可愛い。
うぐぐ、でもお空が可愛いということは、めっちゃいいなでなでってことなんだろうなあ。
いいなあ。可愛いなあ。
「痛っ」
お空を凝視してたら頭をつつかれた。後ろを振り向くと、地獄烏がいた。どうやらこいつがつついてきたらしい。
ほう、あたいの覗きを邪魔するよはいい度胸だ。
「あたいのお楽しみを邪魔するな」
今あたいはお空のありあまる可愛さをこの目に焼き付けてるんだ。容赦はしないぞ。
「こら、落ち着きなさい」
パシっとさとり様にたたかれる。な、一体なにを。
「周りを見てみなさい」
仕方なく、さとり様に促され周りを見てみる。ペットどもがあたいを睨んでいる。ああ、そういやこいつらいたな。お空の笑顔で胸がいっぱいになって完全に忘れていた。つっついてきた奴がこちらを恨みがましそうに睨んでいる。
「何を睨んでいるのさ。……え、もしかして」
「そう、彼女らも中の様子を覗き見するために来てるのよ」
堂々と覗き宣言ですか。確かにここにいて、応接間にも入らず扉の前にいたら、そりゃ覗きしか用はないでしょうけど。
でもなぜ覗き? こいつらパルスィになでなでされなくていいのか?
……というかいまさらだが、よくよく考えたらさとり様が覗いてるのが一番わからない。
「なに覗いてんだ、ですか」
「あ、いえ、すいません、どうして覗いていらっしゃるのですか」
「そんなかしこまらなくていいわよ。そうね。色々理由はあるけど、お空の笑顔を見れるというのは一つ理由としてあるわね」
「はあ」
「それともう一つ。パルスィの笑顔も見たいというのもあるわ。パルスィはよくあのソファに座るから直接は中々見れないけど、お空の心にパルスィの笑顔が浮かぶから、それを見てるわ」
「えと、じゃあこいつらは?」
「基本、お空の笑顔を見にやってきてるみたいよ。なでなでされる機会はけっこうあるようだし」
お空の笑顔を見にとな? ふーん、あたいのお空を邪悪な目で見るとはいい度胸じゃないか。
「燐は違うのかしら?」
「あ、当り前です! 私とお空は親友なんですから」
ま、まあ確かに今のお空の笑顔はすごい。天使と言っても差支えないだろう。親友のあたいですら心が傾きそうなのだから。
覗きたい気持ちはわからんではない。
ふむ、しかし一緒になでなでされたいとか思わないんだろうか?
「なんでも覗きで見るというシチュエーションが最高らしいわよ」
本当に動物かいこいつら。なんでそんなシチュエーションが最高という思考にいきついたんだ。
ふと目をやったら、さっきまでは気付かなかったが明らかに何匹か興奮している。ア゛ァァ、ア゛ァァと小さく鳴きながら少し震えている奴もいる。……こえー。
さとり様じゃないが、何を考えてるのかだいたいわかる。どうせお空の笑顔まじ滾るとか考えてるんだろう。まったく許しがたい。
「ふむ、惜しいわね燐。正確にはお空たんハアハア。あの笑顔でむこう100年は勝負できる、と考えてるわ」
しばらくお空以外の地獄烏との交友は断絶することにする。ハアハアにはまったく共感できないが、たしかにあの笑顔で100年はたたかえる。
「そうね、燐は空のことが好きだものね」
「……ええ、まあ。」
ううーお空。なんでそんなのと抱き合っているんだい。しかもあたいには見せないような笑顔で。こんなの見せつけられて、嫉妬しないわけがない。くそう、パルスィの女郎、これが嫉妬心を操る能力だっていうのかい。
「いや、違うと思うわよ」
「あ、そうだ。さとり様。ちなみにパルスィの奴は今何考えてるんですか?」
変なこと考えてたらただじゃすまさん。
「大丈夫よ。彼女は純粋な気持ちでお空を愛でているだけだから。それと私たちのことは一切気が付いてないわ」
つまりペットを愛でる以上の感情は持っていないと。なんと紳士的な。あのお空を見て欲情しないとは。いやしてたら許さんけど。でもそうか。あの雰囲気は確かに恋愛というよりは家族のそれに近い。
でも羨ましいなあ。
お空可愛いなあ。持ち帰りたい。抱きしめたい。
あ、お空がパルスィの横に移動した。ああ、お空の顔が見えない! くそこれが世界の終りの絶望というのか。隣の地獄烏も泣きそうな声をあげている。怖い。
そして、お空の移動によって、お空の方を向いたパルスィの顔が見えた。
――そのときのあたいの衝撃と言ったらもう、それはすさまじいものだった。
お空に核の力が備わった時よりも、お空が嬉しそうに親子丼食べてた時よりも、さとり様が背を伸ばすためぶらさがり器具に捕まってるのを見たときよりも驚いた。
可愛くて、可憐で、美しい笑顔。あれがパルスィだと? 普段とまったく印象が違う。というか別人に見えるくらいだ。いや別人じゃないのか? それくらいパルスィには似合わない笑顔だ。いやいまのパルスィの笑顔はパルスィがしてるんだから似合うとかの話じゃないんだけど。
もしパルスィが初対面の奴にあの笑顔を振り向いたら、一体どれだけの奴が橋の上に立ち止まるだろうか。
きっと橋の向こうのことなどどうでもよくなり、ずっと橋にいつづけるんじゃないだろうか。
ここまで衝撃を受けているのは、普段とのギャップのせいもあるかもしれない。
しかしそのギャップを差し引いたとしてもいい笑顔だ。お空のとほぼ同じか、もしかしたらそれを上回るかもしれない。まさかあたいがお空以外の奴の笑顔にここまで心踊らされるなんて。ギャップ効果というものはすごいようだ。
だって、いつものパルスィは笑顔など想像できないくらい無愛想なのだ。そんな奴のしかもとびきりの笑顔だ。正直ちょっとほれそうになった。
周りから興奮した鳴き声が聞こえる。あ、こいつらパルスィの笑顔も目当てだったのか。身体を小刻みに震わせながら、パルスィのいい笑顔とは違う別ベクトルでいい笑顔をしている。動物の形なのに笑顔に見えるのが薄ら怖い。というか応接間の中の幸せ空間とこのカオス空間の温度差がやばい。中にはよだれたらしてるのもいる。……見てこれなら、なでなでされたらこいつらどうなっちゃうんだ?
いや、やめよう。想像してはいけない。
「やっぱり生で見る笑顔は格別よね。うん、パルスィの笑顔はいつ見てもいい」
あ、ここにも別の意味でいい笑顔の人がいた。
「なに、燐。自分は普通のつもり? あなただって最高だって思っていたじゃない」
じと目で見られる。かわいい。ああ、さとり様はカオス空間のオアシスです。
「お世辞はいらないわよ」
「いや、普通なつもりというか……。その、最高ですけど、ここまで欲情はしないぞという意味です」
「言っておくけどあなたの笑顔もけっこうきてたわよ」
「え」
まさかこいつらと一緒だなんて……。いや、そんなことないはずだ。かぶりをふる。いまはそんなことはどうでもいいんだ。もう一回中を見る。うん、やばい。惚れるわ。
なんだろう。あの橋姫本当に嫉妬狂いなのか?前までは顔の無愛想のせいで髪や服ですら無愛想に見えていたのに、今はあの金髪のクセっ毛具合や服の色合いまでも可愛く見える要因に思えてくる。
そして向き合った状態でなでられていたお空が、またパルスィに抱きついたので今はまたふたりは抱きあっている状態になっている。
あのパルスィの笑顔を見たあとなら、抱きついてるお空が非常に羨ましく思える。
くそ、どっちも羨ましい。
可愛いお空を抱いてなでなでできるパルスィ。
いつも笑顔を見せないパルスィに抱きしめられてなでなでされてるお空。
いいなあ、ふたりとも。羨ましい。羨ましすぎる!
ああ、ちくしょう可愛いなあ二人とも。もっとあたいにその笑顔を普段から見せろよ。
あたいに抱きしめられろよ。あたいをなでなでしろよ。その笑顔で! いいなあ、いいなあ羨ましい。
あたいもなでなでしたい! 笑顔でなでなでされたい!
ちょっと想像してみよう。
「お空、そんなにひっついたら暑いだろう?」
無邪気に抱きついてくるお空に声をかける。暑いだなんて自分で言っているが、しっかりとお空を抱きとめている。
「えへへー、私は灼熱地獄の温度調節してるんだから暑さなんてへっちゃらだもんねー」
とびっきりの笑顔で答えてくる。見てるこっちも自然に笑顔になる。
優しくお空を抱きしめ、お空のサラサラな髪をなでなでする。するとお空も嬉しそうに身を捩る。
――可愛いねお空。
そう囁いたらお空が顔をあげた。その顔は少し照れたように困っていて、でもとても嬉しそうで。
その顔がとても魅力的で、もっとお空を感じたくなった。
だからあたいはお空の顎を少し上げさせた。それで悟ったのかお空は目を閉じて、あたいがくるのを待っていた。
それに応えるためにあたいは顔をゆっくりとお空に近づけてその唇に――
「燐、妄想のレベルが他のペットと変わらないわよ?」
「ちょ、今はなしかけないでくださいよおおお!!」
いいとこだったのに。いいとこだったのに! あともうちょっとでお空とキスできたのに! なんで止めたの! あたいのキス! お空とのキス!
「悪かったわ。ただ、他のペットと妄想の度合いが一緒だったのが面白かったから、つい」
ついじゃないですよ。あともうちょっとだったのに。
……というか他の奴らと一緒って。けっこうショックだ。こんな変態どもと一緒だなんて……。
「ペット同士だとやっぱり思考が似るのかしら」
「真剣に考えないでください。というかやめてください。悲しい気持ちになります」
「ふむ。まあ今はどうでもいいわね」
どうでもいいなら止めないで下さいよ……。このやるせない気持ちはパルスィの笑顔で癒されよう。
中を覗くと未だにお空を抱きしめなでなでしながら、とてもいい笑顔のパルスィの顔が見える。
ああ、いい笑顔だ。見てるだけで癒される。ここに来るまではパルスィには良い感情など一つも持っていなかったが、もう今はパルスィ様様状態だ。手のひら返しも仕方ない。あの笑顔は素晴らしい。ああ、いいなあ。あの笑顔でなでなでされたらどんな気分になってしまうんだろうなあ。
ちょっと本番に備えてシミュレーションしておこう。
「今日も変わらず可愛いわね。燐」
そんなことを恥ずかしげもなくパルスィは言い、いつもと変わらず抱きしめてくれた。
ソファよりも座り心地のいいふともも、枕よりも柔らかい胸。そして、身も心もとかしてしまうなでなで。パルスィに抱きしめられるより腕の中より居心地のいい場所なんてないだろう。気持ちいい。
少し体温の低い手で、一定の間隔を崩さず優しくなでなでしてくれる。
ふと、顔をあげた。目があったとき、優しげにこちらを見つめていた。そして、あたいにしか見せない笑顔で微笑んでくれた。
「どうしたの、じっと見つめて?」
あたいが見つめても戸惑うこともなく、相変わらずなでなでしてくれている。
「ねえ、パルスィ。いい?」
精いっぱい甘えた声で問う。
「何を?」
わかってるくせに。わかってるのに聞き返してくる。いじわるだ。……でも、そんなところが好きだ。
だけど顔には出さない。何も言わず、拗ねた目で見つめてやる。
「ふふ、そんな拗ねた目で見つめちゃって」
ドキっとする、大人びた声。その声にときめいていたらいつの間にかソファに寝かせられていた。
「そんな燐には笑顔になれる魔法をかけてあげないとね」
そっと頬をなでられる。……やっぱりいじわる。
あたいはそっと目を閉じ、これからやってくる柔らかい感触に胸を弾ませ――
「本当に考えることが一緒ね。むしろ驚くわ」
「だああらっしゃあああああああ!!」
「落ち着きなさい」
「にゃうっ」
頭をぐしゃぐしゃされる。そんななでなでであたいが止まると思うなさとり様!
なんで止めるの!? ねえ、今いいとこでしたよね。もうすぐ感動の触れ合いでしたよね!?
ちゅっちゅした後で止めてくれてもいいですよね!?
「直前が一番面白いと思って」
「思って、じゃないですよ! ストレスたまりまくりでやばいですよ!」
「そんなことより、枕より柔らかいとか、体温が低いとか、あなたパルスィに触れたことないじゃない」
「いいじゃないですかただの妄想なんですから! 人の妄想にケチつけないでくださいよ! というか止めないで下さいよ!」
「落ち着きなさい。妄想なんていつでもできるでしょ? 今は目の前のことに集中した方が後で妄想もはかどるんじゃない?」
「いやそうかもしれませんけど…!」
確かにそうだが、腑に落ちない。二回も止められたらさすがに黙っていられない。
いやでもたしかにあのふたりを見れるのは今だけだ。妄想なんてのはいつでもできるが、あのふたりの笑顔を見れるのはこの瞬間だけだ。
「そういうことよ」
誇らしげに言われるとけっこうむかつくんですけど。でもいくらなんでもひどすぎません?
ちょっと待てばハッピーエンドで終わるんだから、少し待っててくれてもいいじゃないですか。
こういうところ、さとり様はよくない。
「悪かったわよ。あ、でも他のペットと考えてることが同じだったといのは本当よ?」
「言わんで下さい」
なんだか悲しくなってきた。癒されたい。
中を覗く。まだふたりは抱き合っていちゃいちゃしていた。いいなあ。癒される。けど同時に羨ましく思えてきた。あたいは見てるだけだけどあのふたりはあの癒しを享受している。羨ましい。
ああ、あたいもなでなでして癒されたい。なでなでされて癒されたい。どっちも味わいたい。なでなでしたいし、なでなでされたい。お空のサラサラの髪をなでなでして快活な笑顔をこっちにむけてほしい。パルスィに優しくなでなでされて他人に見せない笑顔で微笑んでほしい。どっちも魅力的だ。どっちも体験したい。
ええいくそ、ふたりともそこを変われ!
「ふたりともと変わったら、両方燐になるわよ?」
「もうあんた黙ってろよ!」
もうなんだよこのひと! さっきから邪魔してくんなよ!
思わず両方自分のパターンを想像してしまった。むなしいなんてもんじゃない。嘆かわしいと言った方がいい。しかも、なお惨めなのはあのふたりの隣であたいふたりが抱き合ってるのを想像してしまったことである。何が楽しくてあの幸せ空間の隣であたいふたりがにゃんにゃんしてなきゃいけないというのだ。
「あら、以外と可愛らしいと思うわよ」
「それはフォローのつもりですか?」
精神をゴリゴリ削られてる気がする。くそうあたいはただいい気分になりたいだけなのに。
「……さとり様は羨ましくないんですか?」
「そりゃ羨ましいわよ。でも私は変わってもらえるならお空と変わりたいけどね」
まあそうか。さとり様ならあそこまでとは言わないけど、お空を満足させることはできるだろう。よくよく考えたらさとり様はいっつもあたいたちペットに与えてばかりだ。少しは恩返しできてるかもしれないけど、あたいも甘えてばかりいる。それにさとり様をなでなでできる奴なんて地霊殿にはいない。
……そりゃ甘えたいよなあ。
「……かわいそうなさとり様、ですか。もうなでませんよ?」
「わわわ、違います! 今のはその、さげすみとかじゃなく、なんというか、状況を考えた言葉というか、えーと、その……」
「ふふっ、わかってるわよ」
おおう、危ない危ない。なでなでしてもらえなくなるとか死活問題だ。さっきまでパルスィに心傾いてたけど、さとり様のなでなでがなくなるのはだめだ。
うーんでも甘えたいなら、頼んだらいいんじゃ……。あんだけ甘やかしがうまいなら頼んだらもしかしたらしてくれそうではありそうだけど。
「そんなの無理に決まってるじゃない。彼女が私をなでてくれると思う?」
「いや、まあ、そうかもしれませんが……」
「頼んでみないとわからない、ねえ。実は一度、頼んでみたのよ」
「まじですか!?」
「ええ、酒の席でね。酔った勢いで」
「そ、それで答えは?」
「即答で断られたわ。酔うにしてももっといい酔い方しなさい、ですって」
「なんともパルスィらしいですね」
「それと、ひとをなでるのはいやなんですって」
「え、そうなんですか? ならどうして今のお空を……」
元は動物だと構わないのだろうか。いや、単純にお空がかわいからというのもあるのかもしれない。
「空はどうやら特別みたいね。なんでも昔からの付き合いで、お空がまだ人型になる前から交流があったようね。だからああして人型でもなでてるみたい」
「うそーん」
「ちにみに基本人型はなでたくないそうよ」
初めて知った。というかパルスィとそんなに付き合い長いなら教えてくれてもいいじゃないお空。けっこう切ないよあたいは。
「しかたありませんよ。私ですらその事実を知ったのはこの前のあなたたちの騒ぎの後だから」
「……さとり様が知らないならしょうがないですね」
きっとお空のことだ。なでなでしてもらった後にはすぐに忘れてたんだろう。
そして思い出したらパルスィの元に行って、という感じだったのだろう。
「忘れていたというより、空にとっては別の事だと思ってたみたいね」
「別のこと?」
「空はよく散歩に行くでしょう? その散歩はパルスィのなでなででひとつの終わりと考えてるみたい。だから散歩としか考えてないと私もわからないのよね」
「え、てことは散歩に行くたびパルスィの元にも訪れてたというわけですか?」
「そのようよ」
なんという真実発覚。つまりけっこうな頻度でふたりは会っていたというわけか。というかこの前の玄関で会った後もパルスィのところに行っていたのか。
あれ、もしかしてあたいと遊ぶよりパルスィと会ってる方が多いんじゃないか? やばい、本格的に悲しくなってきた。
「仕方ないわ、燐。あのふたりの関係はけっこう深いようだから」
「慰めになってませんよさとり様。むしろその言い方だとあたいとお空の仲はそうでもないと言ってるようなもんじゃないですか」
「あなたと空ではまた関係も違うじゃない。空はあなたのことをパルスィとは違う、特別な存在としてちゃんと見てるわよ」
うう、そうならいいなあ。中を覗く。
お空の横顔が少しだけ見える。可愛いなあ。いつか、あたいにもその笑顔見せてくれるかなあ。
「大丈夫よ。その日も近いと思うわ」
「さとり様……」
そっと頭をなでなでしてくれる。ああ、やっぱりとろけそうになる。さっきまでパルスィのなでなでに想いをはせていたけど、さとり様のなでなでだって別格だ。それに、なんてたって、なでなでだけではほぐせない心の通じ方で癒してくれるんだ。だからあたいはさとり様のなでなでが好きなんだ。
地霊殿以外の奴らはさとり様に心を読まれるのが嫌みたいだけど、読み取ってちゃんと受け止めて応えてくれるから、あたいはむしろ心を読んでもらえるのが好きだ。
「ありがとう燐。そう想ってくれると私も嬉しいわ」
そっと抱きしめてくれるさとり様。温かい。
「さとり様」
顔を上げた。そこには優しい微笑みを浮かべるさとり様の顔がある。お空ともパルスィとも違う、すべてを包んでくれる笑顔だ。すぐそこにさとり様の顔がある。自然と心拍数が上がる。顔も熱くなってきた。
これはさっきまでしていた想像なんかじゃない。しっかりとした現実だ。
少し顔を近づける。さとり様は何も言わない。
……いいんですよね?
さとり様、燐はいけないペットですみません。そっとさとり様に顔を近づけ、唇に吐息が――
「パルスィー! 来るんだったら教えてよ!」
中からとてつもなく元気な声が聞こえた。そしてその声が聞こえた瞬間、さとり様はあたいをほっぽり出し、即刻覗きの態勢にはいっていた。
えと、さとり様……。
「ごめんね、燐。今度相手するわ」
そう言ってこっちにはもう見向きもしない。
……くそお、あたいのキスは現実でも成就しないのか! 悲しみにまみれた拳を床に叩きつける。なんで、なんであたいだけこんなもやもやしないといけないんだ!
一体誰があたいとさとり様のキスを邪魔したんだ。
「教えてよって、いつ教えればいいのよ」
「ここに来る前!」
「だったら私の前にあらわれなさいよ」
「パルスィが来てよ」
「無茶言わないでよ」
中にはこいし様がいた。あのふたり面識あったのか。そしてさとり様は食い入るように中を覗いている。さらにまわりのペットたちもさっき以上に中を覗いている。あれ、もしかしてこいし様目的でもあるのか?
「ええ、私のメインはこいしよ」
「あ、そうなんですかー」
「こいしが帰って来るのと同じくらいの頻度でパルスィも地霊殿に来るのは知ってるわね?」
「ええ、はい」
「ほとんどそのときは一緒なのよ」
つまりパルスィが来るとこいし様が帰って来るということ? もしくはこいし様がいるときにパルスィが来るということ?
それもう惹かれあうふたりってレベルじゃない気がするんだけど。無意識の力なのかよくわからないが、なんだかすごいことだということはわかった。
「えーと、そして帰ってきてあそこにいるということは」
「ええ、あなたの考え通りよ燐」
無意識でパルスィが地霊殿にいることを察知とかできるんだろうか。無意識の世界は奥深すぎてわからない。
あ、そういやどうやってこいし様はあたちたちに気づかれず中に入ったんだ。無意識操る力で、扉開くのも認識させないとかそんなことまでできるのだろうか。そうだとしたら無意識まじぱねえ。
「ねえねえ、お空。変わってよ」
「ええー、嫌ですよう」
「いいじゃーん。ほら、キスしてあげるから」
ちゅ、とお空の唇にキスするこいし様。あーなんて微笑ましい光景だろう。お空はしょうがないなあと言いつつもとてもうれしそうだ。可愛いねえお空。
っておい! あっさりキスしすぎだよ! あたいが妄想で為し得なかったこと簡単にクリアしすぎだよ!
しかもなんで唇!? そういうときって頬なんじゃないの? あたいへのあてつけ? というかいつもしてる雰囲気だったよね今。そういう関係なの?
そうだとしたらあたいはなんなの? この悲しい火車ちゃんはなんなの?
「落ち着きなさい燐。心が煩い」
「いや、でもさとり様。こ、こいし様とお空が、き、き、キスをですね!?」
「わかってるわよ。でもあれもいつもの光景よ?」
いつもですかー。そうですかー。知らなかったなー。あたい知らなかったなー。
こんちきしょう! なんだいそれ! あーくそ! なんだってあたいはこの事実を今日まで知らなかったんだ。知ってたらあたいだってあの輪に参加してたというのに。
「パールスィー! 好きだよー」
「ありがとう。こいし」
「ちょっとー、そこはパルスィも好きって言ってくれるとこでしょ」
「あ、私はこいし様好きですよ!」
「ありがとうお空ー!」
「はいはい、ふたりとも好きよ」
「ちょっと適当に言わないでよー」
幸せ妬まし空間が中に広がりつつあった。いや中で幸せ空間、外で妬まし空間が広がっているというのが正確か。なにあの美少女の楽園。
そしてこいし様のポテンシャルも半端ではなかった。
こいし様は見かけるときたいてい笑顔だが、そのいつもの笑顔が偽りなんじゃないかと思うくらい、今の笑顔は輝いていた。とても心を閉じているとは思えないくらい。
「そうね。今のこいしは心をそれなりに開いている状態よ」
「そうなんですか!?」
「ええ」
それもパルスィのおかげなのだろうか。だとしたらパルスィすごすぎる。お空もそうだったし笑顔を引き出す天才じゃなかろうか。
「パルスィだけではなく、空のおかげでもあるわ。あのこたちは応接間でよくじゃれていてね。こいしもそれによって少しずつ心を開いていってるみたい」
「そうなんですか……」
なでなでの触れ合いってやっぱりすごいんだな。まさかあたいの知らないところでそんなことが起きていたなんて。
……うん、それはとてもいいことだと思うんですが、
「こんなイベントが起きているならあたいにも教えてくれてもよかったじゃないですか!」
「それはだめよ」
えらいばっさりときられた。そんなに信用ありませんかあたい?
「信用はしてるわよ? だからこそだめなのよ。燐だって自分自身、あそこに入ったら輪を崩してしまうことくらい想像できてるでしょ?」
「ぐっ。いや、そんなことは……いえ、そうかもしれません」
ぬぐぐ。確かにそうだ。あたいはかわいいものとかに目がない。だからさっきみたいな妄想だってよくするし、色んな手段で手に入れようとする。
さとり様の言うようにあたいがあのキャッキャウフフの夢幸せ空間に入ったら欲望の限りになでなでしたりされたりするだろう。だがそれは仕方ないことなんだ。自然の摂理なんだ。誰も抑えなんてきくもんか。
「ええ、そうよ燐。だからこれは仕方ないことよ」
「……そうですよね」
「ええ、あの空間で自制心を保つことなどできはしないわ。例え、私だとしてもね」
「さとり様でも……」
「そう。でもね、保てないからってあの空間に入りたい心は抑えきれないでしょう? 抑えていたらきっと爆発してしまう。だからこうして覗いているのよ。覗くことによって、少しでもあの空間に入った気分になることで、自分たちの心を落ち着かせている」
「でも覗いてる方が余計に入りたくなりませんか?」
「最初はそうだったわ。でもね、最近では入りたいけど入れないからこそ得られるものがあると気づけたのよ」
「それは……?」
「それは、少女たちが笑顔で抱きつく光景をこれでもかと見られるということよ!」
清々しいくらいにさとり様は言い放った。いや、それはそうですけど。
「ええ、もちろんかわれるならかわりたいわ。だけどね、燐。これもまた乙と考えなければやってられないのよ」
「完全な開き直りじゃないですか!」
「いいのよこれも楽しいから! あーもうかわいいわねこいし」
なんだろうこのだめ妖怪。でも気持ちはすごいわかる。あたいもそうだし。くそー羨ましいなあ。
「あ、でもこいし様ともかわってもらいたいんですよね?」
「ええ、そうね。パルスィにもなでなでしてほしいもの」
「……それならふたりともと変わったらさとり様同士で抱き合うことになりますよ?」
さっきのお返しです! これでちょっとはあたいが味わった虚しい気持ちを――
「ああ、それもまたありですね」
「こんのナルシストー!」
なんも意味なかった。なにちょっと顔赤らめてるんですか。
「ナルシストにでもならなきゃ地底の主なんてやってませんよ」
「……さいですか」
もういいや、中見よう。
相変わらず中ではこいし様がパルスィに抱きついている。お空は横からふたりのことをニコニコと見ている。
「ねえーパルスィー。ちゃんと好きって言ってよー。」
「だから言ってるじゃない好きって」
「そういうことじゃなくてさー」
めっちゃ甘えてる。
「あのーさとり様。こいし様ってパルスィにいっつもああなんですか?」
「そうねえ、今日はでも一段と甘えているわ」
なんだかあの甘えようは、家族の雰囲気じゃなくてどちらかと言うと、そう恋人同士が醸し出す雰囲気に似てて見てるこっちが赤面してくる。
「ほらほらちゃんと言ってよ」
それにパルスィは応えず、無言でこいし様をソファに寝かせた。
「え?」
倒されたこいし様の声だけが聞こえる。
「もちろん、好きに決まってるじゃない。こいし」
そう言ったパルスィの顔はソファの背中に隠されて見えなかった。そして、その後交わされたであろうふたりの行為も。
数秒の後、パルスィが起き上がり、今度は顔を真っ赤にしてふたりを見ていたお空の方を向いた。
「もちろんお空、あなたのことも好きよ」
そう言ってお空の頭をなでなでしてやった。
「ちょっとパルスィー! すぐに浮気しないでよ!」
「浮気もなにも私とあんたは」
「それ以上言うな!」
無理やりパルスィに抱きつき一人占めするこいし様。
「わ、わたしもまぜてください!」
そこにふたりを抱きしめるように突撃するお空。
きゃっきゃきゃっきゃとじゃれつくさんにん。
いやーこれ、あたいもう我慢の限界だよ。
「だめよ燐」
「すみませんさとり様。でももうあたい無理です」
「そうですか。ならばここで食い止めるまでです」
がっちりとさとり様と他のペットに抑え込められる。ちょ、行動早すぎ。
「おとなしくしなさい。あなたひとりの勝手な行動のせいでみんなが不幸になるのよ?」
「そんなの関係ありません! あたいだってあそこにいる権利があるはずです! だってあたいも人型になれるペットですよ? それに立場的にはお空と一緒のポジションじゃないですか。名前ありだし、人型なれるし。なのにあたいだけ入れないなんてそんな理不尽ありますか。大丈夫ですって中でもうまくやりますから」
「あきらめなさい」
動こうとするがまったく動けない。
「は、離してください! いいじゃないですか! あたいだってにゃんにゃんしたいんですよ!」
「わたしだってしたいですよ! でもこうして心を鬼にしてるんです。あなたも我慢なさい!」
「いやだー! あたいは中に入るんだー!」
「だめです! 絶対に許しません!」
「くそー! あたいのユートピア―!!」
中の様子がほんのり見える。声が聞こえてみんな静かに黙り込んだ。
「ねえねえパルスィ、もう一回、して?」
「まったくこいしは甘えん坊ね」
「いいでしょ、ほらほら」
今度はふたりの行為が見えた。
「やっぱ見てるだけなんて無理だー!!」
地霊殿にはただただあたいの叫びが反響するだけだった。
真理を見た