Coolier - 新生・東方創想話

もこあきゅ愛情論

2012/08/11 05:17:56
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この作品は、『レミケネ幸福論』と世界観を一にしておりますので、まずは『レミケネ幸福論』を読まれることをお勧めします。
http://coolier-new.sytes.net:8080/sosowa/ssw_l/?mode=read&key=1343987344&log=0
同作品集にありますので、ブラウザバックからスクロールしたほうが簡単かも知れません。


     一

 藤原妹紅が寺子屋の教師を務めるようになって、四年が過ぎた。もうすっかり仕事にも慣れてきて、子供たちと打ち解け合っている。もっぱら、慧音先生よりも分かりやすく、また接しやすいと評判である。
 妹紅のほうでも、慧音のほうでも、妹紅がより教師としての適性があることを了解している。慧音の理屈っぽいところは、誰の目から見ても子どもを諭すには向いていない。妹紅はそのことをしばしば指摘する。序列にこだわらず、正論を尊ぶ慧音は、こうした指摘に対して感謝することはあれ恨みに思うことはない。そうした慧音の尊い人格を知っているために、妹紅のほうでも、あれこれと助言や指摘をする一方、励ましや労いの言葉をかけてやるのである。
 上白沢慧音と藤原妹紅は、教師としては対照的である。だが、その対照的であることが、互いを高めあう方向に向かう当り、この二人が親友であること間違いない。
 だが最近、少し妹紅の言葉が、辛辣の度合いを増してきた……そう、上白沢慧音は感じている。実のところ、妹紅も少しばかり、辛く当たりすぎていると感じるのではあるが、それでも自分を抑えることができず、しばしば自己嫌悪に陥っていた。
 この日もまた、理屈で子供を従えようとする慧音を見て、妹紅は思わず苦言を呈した。

「慧音、もう何年先生やってるのよ。相手は子供なんだからさ、理屈で説明しても、分からないもんは分からないって、理解できないかなぁ」
「分かってはいるんだが、どうにも、他に術がなくて」
「いや、だからさ。何度も言ってるけどね。分からないことも、大人になったら理解できるなんて、よくあることなんだからさ。無理に諭す必要なんてないって」
「しかし今正すべきものは、やはり今正しておくべきじゃないか」
「そりゃ、そうなんだけどね。でもさ、どうしても理解できないことってことはあるじゃないの」
「私には、その理解できないことが何なのかが分からない。むしろ勝手に私たちが、子供たちには理解できないと思い込んでいるだけなんじゃないだろうか」
「でも実際に、難しくて分からないって言うんでしょう?」
「……そうだな」
「はぁ。全く、何度繰り返すのかなぁ? 同じこと。長いこと子供たちの世話をしてるにしちゃ、ちょっと頼りないんじゃないの? こういのって、勘で分かるようになるんじゃないかな?」
「……」

 こうして、いつも最後は慧音が何も言わなくなる。
 それが、実に妹紅の罪悪感を掻き立てる。

(「もう何年先生やってるのよ」とか、「何度繰り返すのかなぁ?」とか、「頼りないんじゃないの」とか、どう考えても私、言わなくてもいいこと言ってるよね……)

 そう後になって反省するのだが、感情は分かっていても抑えきれない。

(こんなんじゃ、全然私も、慧音のことをとやかくいう資格なんてないんだけどね)

 そう、ぼんやりと考えながら、寺子屋の二階、妹紅に与えられた部屋の中で、ごろんと横になっていると、スッと襖の開く音がした。
 断り無く部屋に入ってくる人は、阿求と決まっている。
 仕事を終えた後の、僅かな二人きりの時間である。
 阿求は何も言わずに、横になった妹紅の傍らに座る。
 脚を横に崩した、いわゆる女の子座りである。

「どうしました? 何か考え事ですか?」
「うん。まぁ、そんな感じ……」

 これは悪いパターンだなぁっと、妹紅は思った。
 最近、阿求に慧音のことを相談して、気がつくと、何だか慧音の悪口を言っている自分たちがいる。慧音のことはもちろん好きだし、寺子屋の教師に誘ってくれて感謝もしている。だけど、慧音を見ていると、自分ならもっとうまくできるのにと思うから、それがイライラになってしまうのだ。
 そんな自分のイライラを、阿求は聞いてくれる。
 阿求は聞き上手だから、私もついつい言葉数が多くなってしまう。
 それが勢い、キツイ言葉にもつながってしまう。
 あぁ、言い過ぎたかもって思うことがあると、阿求は「それはちょっと言い過ぎかも知れないですね。」と言ってくれる。でもその後に、「そういう風に思われてしまうところが、確かに慧音さんにもありますよね。」と言ってくれる。そう。そうなんだ。慧音にはちょっと、そういうところがあるんだ。すると、またまた勢い付いて、段々と過激になっていってしまうのだ。そうすると、元々陰口などはだいっ嫌いな性格だから、「やっぱり、直接言っちゃうのが一番かな!!」と血気にはやる。そこは行き過ぎと、阿求はブレーキをかけてくれる。「そうして口に出して、言い過ぎてしまうのでしょう?」と言われると、ぐうの音も出なくなる。

(なんていうか、感じ方みたいなのが一緒だし、同意して欲しいところは同意してくれるし、でも抑えるところは抑えてくれる……やっぱり自分と阿求は相性いいな)

 ふとしたときに、そう妹紅が実感することも少なくないのである。
 
「妹紅さん、もしかして最近、お疲れですか?」
「え? う、う~ん。そんなことないと思うけど」
「何だか、ちょっと雰囲気が違うこと、多いです」
「そうかな?」
「なんというか……ムッとしているというか……嫌なことを我慢してる、みたいな気が」
「あ……うん。そうかも」
「何か、あったんですか? 私でよかったら、相談に乗りますよ?」

 そうして、微笑みかけてくる阿求を見て、妹紅は自分の思いを吐露したのだった。

「そうだったんですか」
「ごめんね。なんか、またいつもみたいに嫌な話をして」
「うぅん。そんなこと、全然ないですよ。こういうことって、中々人には言えませんから。相談してくれて嬉しいです」
「そういってくれると、すごい助かる」
「でも、慧音さん……どうにかしてあげたいですね」
「うん。私も、何度も注意してるんだけどね」
「里の人からも、ちょっと評判悪いみたいですよ」
「え?」
「いえ、何だか、あんまり教えるのがお上手じゃないから、妹紅さんに全部教えてもらえたらなって、そういうお声をちょっと聞いて」
「そう……だったんだ。はぁ。慧音……もうちょっと、しっかりして欲しいなぁ」

 妹紅は仰向けに寝かせた身体を起こし、胡坐をかいて頬に手をやり思案顔をする。
 そうして長息を吐く彼女は、襖の外に誰かが来たことを感知できない。
 ただ、阿求はその人が来たことを察知し、少し、微笑んだ。
 上白沢慧音が、はじめて、親友と懇意にしていた知人との、自分への陰口を聞いた瞬間であった。

     二

 吸血鬼が月へと行ったとき。
 蓬莱山輝夜が月には帰らない考えだと知って、藤原妹紅は安堵した。そうして安堵すると同時に、もはや彼女は、輝夜のことを憎んではいないことも了解したのである。
 輝夜はこれより、地上の人間として生きていこうと考えている。
 そんな宿敵の考えを知ってなおも、千三百年前の仇を引き摺って、凄惨なる殺し合いを繰り返そうという気にはなれなかった。
 だが、それでは、これから私は何を求めて生きていけばよいのか……妹紅は悩んだ。
 やはり、私も人間として、正しい道を歩み生きるべきではないか。
 そんなことは百も承知だった。
 だからこそ、あのとき真っ先に思い浮かべたのは、妖怪の山に登り、石長姫に謝り、石笠のことを贖罪することだった。
 しかし人間は弱い存在だ。正しい道が前に示されていたとしても、その通りに歩むことができないのである。間違った選択であると知っていながら、それでも間違いを犯すのが人間だ。千三百年の人生は、自分がどれほど弱く愚かな存在であるかを知らしめてくれた。結局妹紅は、愚かなことであると知りながらも、輝夜との殺し合いを熱望せざるを得なかったのだ。その、憎悪と暴力とでうず高く積み上げられた官能の経験が、おぞましい依存心を彼女に残した。そうして今、もはや殺し合いを耐えねばならぬときになったことを知って、悲しくて涙が出てしまう。

 なんと醜悪な魂だろうか。
 殺し合いができないことに、涙を堪えられないとは……。

 そんな悩みを抱えながらも、妹紅は、人々を永遠亭まで送り届け続けた。本当は、一人きりで部屋にこもって泣いていたいくらいである。そんな精神状態だから、彼女に感謝の言葉を投げ掛ける人々に対して、「そうではないんだ。」と、拒絶したい気持ちになった。そうして逃げ出したくなる衝動に駆られた。永遠亭の診察が終わると、患者は皆、鈴仙に「お大事に」と言われて帰って来る。妹紅は竹林の外まで送り出した後、里の人へ「お大事に」と言ってあげたかった。でも、それができないのだった。

(きっと私に言葉を投げ掛けられた人は、穢れてしまう……)

 そんな暗い気持ちを、常に心の底に持ち続けていたから、妹紅は段々、自分が気持ち悪くて仕方なくなってしまった。
 だが妹紅は、それでも、人間らしく生きたいと願っていた。
 だからこそ、竹林の自警団を続けていたのだ。
 しかし妹紅の願いは、彼女一人の力ではかなえられないものであった。
 そんな妹紅の手を引っ張って、寺子屋の教師にさせたのは、慧音だった。
 無理強いをする慧音に、妹紅は抗った。

「慧音、正直迷惑だよ」
「どうしてだ?」
「私、別にさ。誰かにものを教えたりなんてしたくない」
「ふむ。そうか。そうかもな。でも、妹紅は、誰かの役に立ちたいと思っているのでしょう?」
「そんなことないよ。別に、私はそんなこと思ってない」
「う~む……じゃぁ、何で妹紅は里のみんなのために働いてくれるんだ? 別段、君にとって利益となるような報酬があるわけでもないのに」
「それは……」

 妹紅は、何も言えなくなった。
 慧音には、全て分かっていたのである。
 妹紅は結局、心のどこかで、慧音のように強引に自分を引っ張って行ってくれる存在を求めていたのである。そういう存在がなくては、きっと妹紅は、前進する勇気が持てないということを、自分でも知っていたから。
 妹紅はいつしか、慧音に対して、強い感謝の念とともに、尊敬の念をも持ち始めていた。

(人の過ちも、弱さも、全てを許して、一緒に、直向に、前進しようとしてくれる人格者)

 妹紅にとって、上白沢慧音とは、そういう存在として認識されるようになっていった。
 そんな慧音は、妹紅が人と接することにまだ臆病で、教師としても不慣れであったときには、心強く温かい味方として見えた。
 しかしもう、それは過去のことだ。
 今では過ちを犯すのは慧音であるし、妹紅はもう弱い存在ではない。二人の間で、許しを請うことが多いのは慧音であって、一緒にいて迷惑を被るのは妹紅である。慧音は直向だが成長しない。前進しようとするのは気だけである。
 結局、そこに残っているのは、ただ不器用でお人好しなだけの先生だったのである。
 そのことに気がついたとき、妹紅は失望した。その失望が、一種の尊敬と憧れが反転した結果であったことは、妹紅がどれほど慧音を頼りにしていたかの証明になる。あくまで慧音には、貫目五分と五分の対等な存在……いや、むしろ、ずっと自分よりも上の立場にいて欲しかったのである。少なくとも心の中においては、妹紅は慧音を、親友というよりは、姉妹分として見ていたのだ。ただの友人であれば許せることも、姉妹の関係では許せなくなるということは、非常によくあることである。
 また同時に、どうして妹紅が、慧音の頼りなさを許せなかったのかといえば、それは妹紅が、寺子屋の教師という仕事に強い情熱を感じていたからである。もし、妹紅がいい加減な気持ちで寺子屋の教師をしていたのであれば、決して、慧音に辛く当たることはなかった。
 大事な人が、大事なことについて、期待に応えてくれないということが、妹紅を辛辣にさせたのである。
 それが、期待の裏返しであり、また期待を裏切られた失望感からきていることは、むしろ、妹紅の慧音に対する思いの深さを示すものだろう。
 それに、慧音も気がついていた。
 だから慧音は、少しも、妹紅を恨みに思わなかった。
 だから、二人は決して衝突しなかった。
 だから結局、一度もまともに思いはぶつかることがなく、妹紅の苛立ちを一方的に慧音が我慢するという関係のまま、日々は過ぎ去ってしまったのだった。

     三

 稗田阿求は幼少の頃より、父母を見るたびに、ある一つの疑問を感じざるを得なかった。

(この人たちは、果たして私を愛しているのだろうか)

 彼女は、両親の愛情を感じたことがなかったのである。
 果たして彼女の両親が、本当に彼女に対する愛情を持っていなかったどうかは分からない。しかし彼女の両親が、彼女へ厳しく接してきたということは確かである。その厳しさが、稗田という特殊な家系の抱える使命によるものであるのか、両親の性格によるものであるのか、あるいは両親の教育方針によるものであるのかは分からない。だが、阿求がその父40を越えてからの子であったことと、その実母が妾であったということは、ある種の邪推を差し挟む余地を与えているのは確かである。妻からすれば、阿求は何ともかわいがり様のない子供であり、夫からすれば、何とも体裁の悪い子供である。そうして、そのあたりのわだかまりが解消せぬ間に、この娘が九代目阿礼乙女であることが分かった。どのように愛情を注いだとしても、この子が孫を産むことはなく、また年若くして死ぬことが定められているのである。これらのことが、無上の愛を注ぐきっかけとはならず、むしろ愛着を削ぐきっかけとなったところに、この両親の薄情さはあるように思われる。
 このような境遇にあったために、両親は必然、養子をとる必要が出てきた。分家から養子に迎えられた子は、まるで天使かと見まがうほどにかわいらしい、色白の男子であった。その容貌は、妻の母性をくすぐった。また男子であるという一事で、夫の期待を受けるには充分であった。だがそれは、やはりあまりにも情のない話である。
 このような家庭環境にあって、阿求はこう考えた。

(私が「良い子」でないからお父さんもお母さんも私のことを愛してくれないんだ)
(男の子でしかもかわいい子供を両親が愛するのは当然だ)
(もっと頑張って、「良い子」になれば、私も愛してもらえるようになるに違いない)

 なるほど、確かに一理ある。だが、必ずしもそうとは言えないということは、容易に知ることができそうなものである。
 しかし、哀れな阿求は、そうしたケースを思い浮かべることができなかった。
 合理性のある頭脳は、時に非合理的な発想に陥る。
 阿求は具体的な反論を、よっぽど成長するまで思いつかなかった。というのは、彼女は極めて限られた交友関係の中で生きてきたため、その限られた交友関係で得られる経験に照らし合わせた結果として、非合理的な事柄を合理的な事柄として判断せざるを得なかったからである。
 良家の子弟以外との交流がなかったことも不幸であった。何故なら良家の子弟は、誰もが「良い子」として皆に褒められるからである。親の寵愛を受けることのできる子供たちの中で、独り愛を知らなかったということが、彼女の不幸をより大きなものにした。

 もし稗田阿求が、こうした考えに終始していれば、もしかすると、まだ不幸の度合いは低かったのかも知れない。盲目的であるということは、案外幸福なものである。少なくとも当事者は、その不幸を自覚しないからである。
 彼女はしかし、これらの思考と全く反対の思考をもし得たのである。つまり、「私の両親は、私のことを愛していない情の薄い人間なのかも知れない。」という思考をもし得たのである。
 このことが、阿求の二面性を強くさせた。常に脳裏をよぎる、ある不幸な真実……つまり、「私は親から愛される見込みがない」という現実は、神童といえども人の子には重たすぎるものであった。そのことが、稗田阿求の中に、知らず知らずの間に、平生の彼女とは別の異質な存在を形成していくことになった。
 この異質な存在が、完全に「個」としての存在を確立したのは、阿求十歳のとき。
 朝起きると、卒然阿求は涙した。

(私は、きっと、両親から愛される見込みがない)

 悲しき悟りは、少女阿求の心を打ちのめした。
 そうして阿求の心は、憎むべき対象を捜し求めた。
 それは、もっとも近い場所にあった。
 己の身体である。
 もっと、かわいらしく生まれてきていたのであれば、あるいは男に生まれてきていたのであれば、話は別であったはずだ。
 親を恨めぬ子の情は、かくも痛ましいものである。
 自己嫌悪の情凄まじい阿求は、しばしば剃刀を腕に当てることもあった。そのことを知りながら、両親はこの件については一切言及しなかった。どうしてであろうか。彼の父の日記から抜粋すれば、「ご乱心遊ばれることのお痛ましさは、まことに胸の詰まる思いにてござそうろうへども、幼少より神童の聞こえ高くおわしまするご当主様のなされ置かれますことは、我ら凡人の及び知れるところにこれなくそうろう。これを騒ぎ立て致してお心お煩わせ申し上げること之有りそうろうへば、ご無礼をお詫びする言葉も之無くそうろう。」である。どのように父親が彼女と接していたのかは、推して知るべきであり、家庭の中における阿求の境遇というものも、知れるというものだろう。
 この失意を忘れるために、阿求は己の責務を果たすべく、作業に没頭するようになる。それに比例して、取材を行うため、外にでることも多くなった。他者と交流しているときは、平生の明るい阿求である。が、一人自室にこもっているとき、あの自己の中に潜む異質さがむき出しになる。自然、剃刀の腕に当てられる頻度が増し、阿求の二面性はより強くなっていくのである。
 揺れ動く心と、思春期に入ろうとする少女特有の不安定さが相まって、阿求の本能は、何かすがるものを強く求めた。
 阿求、初恋のときである。
 このとき、十七歳となった、半人半獣の少女が容貌は、秀麗ここに極まり、神聖にして触れるべからずといった様子であった。その人越が様相を恋い慕うのは、年若き少年少女ならば必然とも言えることである。
 上白沢慧音は全てを有していた。
 その中に父親を有しており、その外見に母親を有しており、その年齢に姉を有しており、その全体に恋人を有していた。
 だがそれは、性の倒錯を伴う恋愛である。
 常識的な反応として、阿求は自己嫌悪の情を強める。
 それがいっそう、手首の傷を増やしていく。
 このときの阿求は、極めて危ない精神状態にあった。
 朝起きてから日が暮れるまでは編纂の務めを果たし、日が暮れてからは自己の暗い世界に没頭し、夢の中では愛しさと憎らしさとで揺れ動く毎日が続いたのである。
 休む暇も無く両極性が極まった、尋常ならざる「仕上がり具合」である。
 これを僅かに助けたのは、永遠亭の医師、八意永琳である。
 彼女からしてみれば、阿求の容態とて、今までに幾度となく見てきたケースの一つである。一目、阿求を見てその窮乏具合を看取した。
 永琳の処方は、麻薬の服用であった。もっとも、麻薬といっても、阿片のようなドラッグではなく、大麻を中心として調合した医薬品である。自傷癖のある人間に対して、自傷行為を止めるように言うのは、ほとんど無意味なことである。大体のところ、自傷癖のある人間は、その行為が破滅的であることも知っているし、またその行為に対する嫌悪感も抱いているものである。それでも止められないというところに、悩み苦しみの深さがある。
 永琳の処方は正しかった。もし、何らの処方もないままであれば、自傷行為そのものを容認し、これを自己の存在意義の一つに組み込んでしまうところまで、阿求は進もうとしていた。
 しかし、それでも結局のところ、阿求の精神的な窮乏具合は変化が無かった。が、その発散方法が、自傷行為と麻薬の併用という形で分散され、またより肉体的な負担の少ないものにシフトしたところに、効果が見られるのである。阿求の自傷行為が、既にリストカットに留まらず、他の部位への自傷(脚と胸部)にまで至っていたことと、年齢のもたらす自然な行為として、一人汗ばむこともあったということは、彼女の状態を理解するためには必要であろう。何れの発散行為も、ある程度の破滅性を伴うとともに、行為の後には酷く心を空虚にするものであった。
 あらゆる薬が、服用を過てば毒になるのは当然である。
 ある日、阿求の侍女が誤って、服薬の量をはかり間違えた。
 薬の量は、「少なめ、普通、多め」の三種があり、少なめと多めとでは量が倍違う。この日の阿求は、「多め」を求めた。だがこの日、作り置いていたハズの「多め」が見当たらぬため、侍女は「少なめ」を二つ渡すことにしたのである。が、その「少なめ」は、誤って混在した「多め」であったために、阿求には倍の量の薬が手渡された。さらに阿求は、「少なめ」でもよい日に、しばしば「多め」を頼み、どうしても足りないときのためにストックしていたのである。
 この日、阿求はかつてないほどに焦がれていた。「多め」に、さらに「多め」を足すほどでなくては我慢できないと思うほどに。しかしその日は、既に「多め」に「多め」が足されていたのである。つまり、「多め」の三倍の量を、阿求は服用することになったのである。
 阿求の気分は、程好い高揚感を遥かに通り越して、異常なまでに興奮していた。それが、驚くべき発想をもたらし、何事をも可能であるかのように思わせるのである。
 このとき、阿求の中で独特の世界が形成された。
 気がつけば、もう阿求にとっては、上白沢慧音は、阿求の言葉を待ち望んで、独り焦がれているということになっていたのである。
 もっとも望ましい可能性の、点と点とを最短で繋げたその世界は、おぞましいほどに幸福であった。
 しかしこの世界は簡単に打ち壊された。
 上白沢慧音は、夢現の状態で、ろれつが回らず理解不能な言葉をまくし立てる阿求の痛ましさを見るに耐えかね、涙を決して堪えきれなかった。唯一理解し得たのは、どうやら阿求は人々が忘れ去った幻想郷のある歴史について、言及しているらしいとのことであった。もちろん、それは阿求にとっては、どうでもよい部分であったのだが、上白沢慧音には分からない。彼女はただ、阿求が果たそうとしている務めへの情熱(少なくとも慧音はそう解釈した)に対して、凛々しく誠意を持って応えた。涙を拭くことも、嗚咽することもなく、堂々たる立ち振る舞いを見せて応えたのである。
 その神聖さに、阿求は夢から覚めた。
 そこに残ったものは、自責の念と、自己嫌悪と、失恋の痛手ばかりであった。

     四

 妹紅が寺子屋の教師として仕事をし始めてから二年が経ったころ。
 稗田阿求、十三歳のときである。
 初恋が破れてから三ヶ月が経っていた。
 この日は、永遠亭の診療を受けに行く日であった。
 この時分には、藤原妹紅が里人を永遠亭まで送り届けることも少なくなっていた。寺子屋の業務が忙しいのと、大体の患者に関しては、鈴仙が里で診るようになったからである。そもそも、病気の大半は、特別医薬に頼らずとも治るのであるし、一通りのカルテが出来上がってからは、ことさら丁寧に診療する必要もなくなっていたのである。
 だが、それが稗田家当主とあれば、話は別である。
 定期的に名医の診断を受けるのは、別段、病無くとも当然の話であろう。
 竹林へと向かう道中、阿求は言葉少なげであった。
 寺子屋で働く妹紅と話になれば、必然、慧音の話題にならざるを得ないからである。恋の未練はまだまだ残っており、慧音のことを思うと、胸が痛んだ。
 しかし妹紅のほうでは、何だか阿求と話がしたくて仕方がない。寺子屋でのこと、慧音とのこと、里での生活。何故なら彼女の新しい生活が、諸種新鮮な喜びに満ち溢れていたからである。また、阿求の姿が、妹紅に妙な親近感を与えた。千三百年を生きていると言っても、外見はまだ十四歳である。人間の本能として、どうしても歳近い人を心安く思うのである。これは、女性が女性を、男性が男性を接しやすく思うのと変わらぬ道理である。

 妹紅は本来、朗らかで明るい性格の人物である。
 火の鳥がこの女性を慕ったのも、案外、性質に親近感を覚えたからかも知れない。
 ここ最近の生活がもたらす充足感は、この女性が持つ天性を開かせた。
 口少なく、やや暗い雰囲気の阿求に対して、妹紅はこう語りかけた。

「あのさ、阿求。私ね、最近寺子屋の仕事をしていて、すっごく楽しいんだ。で、悩むこともいっぱいあるんだけど、それも何だか、充実してるって感じるの。それにね、里で生活することが多くなったんだけど、その生活にもとっても満足してるの。だからさ、自分のことを、誰かに聞いてもらうのが嬉しくて仕方ないんだ。ねぇ、永遠亭まで行き来する間さ、私のお話、聞いてくれない?」

 真っ向、唐竹割の笑顔である。
 蓬莱人が千三百年の生の先に見出したのは、徹底正直と笑顔であった。
 阿求、これを羨んだ。
 
(この人の百分の一でも、私は自分の気持ちを素直に伝えられたことがあったろうか)

 同時に尊敬した。

(もし、もっと私が素直になれていれば、両親も、私のことをかわいがってくれたのではないだろうか)

 これが、阿求に妹紅への興味を引かせた。
 
「妹紅さんて、とても率直な方なんですね」
「いやぁ、何だかね。あんまり考えても、仕方ないっていうかな。やっぱり、気持ちを素直に伝えるのが、一番誤解もないし、いいんじゃないかと思うんだよね。もう、長く生きすぎて、正しいことなんて分かんなくなっちゃったし。誠実に毎日を生きましょうねって、子供たちに教えている間に、自分もそうなっちゃった。ハハハ……」
「……ステキだと思います。何か、そういう人と一緒だと、安心できますし」
「そうかな? いや、そう言ってくれると嬉しいなぁ」
「お話、聞かせてもらえますか?」
「あぁ、もちろん!! そうだな、何から話をしようかなぁ……」

 阿求は妹紅の話を聞いている間、自分を縛り付けていた陰鬱な事情の全てを忘れることができた。
 妹紅は妹紅で、自分を語る絶好の距離感にある人を見つけることができて、心から喜んだ。そうしてこの娘は、話を聞くのがうまかった。適度に話を掘り下げてくれるから、話し甲斐があるのだ。
 途中、何度か慧音の話にもなったが、もうすっかり、阿求は気にならなくなっていた。

(こういう偽りのない人って、ステキだな)

 すっかり阿求は、魅了されてしまっていた。
 少女の移り身は速いものである。
 しかしそもそも、少女が慧音に抱いた想いは、満たされない欲求を充足してくれる存在を欲する本能からだった。言ってみれば、恋に恋をしていたも同然なのである。
 だが今回、妹紅に対して抱き始めた想いは、純粋に相手の魅力を感じてのものである。妹紅への想いは、正真正銘、人に恋するものであった。
 本物の恋が、阿求の心を開放したのである。
 それ以降、阿求は足しげく寺子屋に通い、時には彼女が子供たちに教えを授けるときもあった。妹紅との会話も、増えていったし、段々とお互いに距離も縮まって行った。阿求の意図を慧音は察したが、むしろ好ましいことと思い、できるだけ二人の邪魔をしないようにしたのであった。

     五

 阿求と妹紅の二人が、永遠亭へ行く途中、打ち解け合って話をしてから早一年。
 妹紅が寺子屋で教えはじめてから三年が経った。
 阿求十四歳の夜。
 残された寿命は、もう半分である。
 阿求は、一体何のために、自分が生まれて来たのかを思った。
 九代に渡る、亡霊に憑き殺されるために生まれて来たというのだろうか。
 それとも、親の情愛を受けることができず、悩み苦しむために生まれて来たというのだろうか。
 違う。断じて違う。
 生きて、幸せになるために生まれて来たはずである。
 好きな人と添い遂げるために生まれて来たはずである。
 この日、彼女は酷く乾いて仕方がなかった。汗ばむ身体が、熱を帯びる。
 猛烈な焦燥と嫉妬を、彼女は感じていた。
 想いを抱いてから一年。
 阿求の妹紅に対する気持ちは、もう我慢しきれないものになっていた。女性を愛していることに対する嫌悪感は、もうない。これが真実の愛であるとの、確信が彼女にあったからである。
 妹紅は阿求の気持ちに気がついていないのだろうか。
 いや、おそらく、気がついているだろう。
 だが、妹紅にとっては、こうして心さえつながっていれば、それで充分なのである。
 あるいは今更、口にするのも野暮ったいという、そんな思いがあるのかも知れない。
 それはそれで、プラトニックな恋愛として、一理ある考えだが、生に限りある少女の、しかも日に日に女として目覚めるときにある阿求にとっては、その思いは、理解できても共感し難いものであった。
 何より阿求を狂おしく思わせたのは、自分の想い人が、自分と同じ想いを抱いていないという事実であった。心のつながりはもとより大切なものであるが、肉体的なつながりもまた重要であるという考えを共感できていないということに、何か、許せないものを感じたのである。自分と想い人とがすっかり一つになっていないと我慢出来ないということも、あるいは愛を知らずに育てられた、哀れな少女の、愛の歪みかも知れない。
 もう一つ、彼女の嫉妬心を激しく掻き立てる一事があった。
 上白沢慧音の存在である。
 慧音と妹紅……この二人の距離は、あまりにも近すぎるのだ。
 それが、当人同士にとっては、親友よりも近い、もはや姉妹のような関係であったのだから、そこに色気などはあるはずもない。
 だがそれを、盲目な阿求は理解できない。
 例えば、妹紅と慧音は一緒に風呂に入る。これは、風呂という贅沢な行為にかかる費用を少しでも減らすための節約なのだが、これが阿求の嫉妬心を掻き立て、あらぬ妄想を起こさせる。そうして、その妄想に濡れるが故に、耐え難い自己嫌悪を覚える。思春期の身体がもたらす反応は、思い通りにはならぬのである。
 いつしか阿求は、どうしてこうまで思い通りにならないのか、その「犯人」を探し始めた。そんなものは、もともといるわけがないのであるが、「犯人」がいないでは抑えられないのが情である。そうして、その「犯人」を追い詰めることによって、平穏を取り戻そうとしているところにもまた、この少女の心の闇を垣間見ることができるだろう。
 彼女が突き止めた「犯人」は、上白沢慧音であった。

(この人がいなくなれば、私はもっと妹紅さんと一緒にいることができる)

 その思いが切実であるから、決して彼女の発想を、安易で幼稚と嘲笑うことができない。
 例えば食事の時間、休憩の時間、風呂の時間……その全てが、残り少ない尊き一時なのである。もとより、編纂の務めあれば、彼女が私事に費やすことのできる時間も限られている。その限られた時間の中で、少しでも長く想い人と一緒に、それも二人きりでいたいと思う気持ちを、果たして誰が責められるだろうか。
 また同時に、阿求の愛情の歪みは、上白沢慧音という、排斥すべき対象をこう捉えていた。

(父であり、母であり、姉であり、またかつての想い人でもあったこの人を排除することは、私が過去の全てと決別することの象徴であり、それは、ただ私の将来のために、私が奉仕するということを意味している……)

 彼女の将来とは、言うまでもなく、藤原妹紅その人であり、その人との未来である。
 上白沢慧音という、尊ぶべき人物を蹴落とすことで、永遠の魂でつながれた二人の、神聖なる誓いの証としようと考えたのである。
 こうして稗田阿求は、堕落しながら天に昇っていったのである。

     六

 阿求に迷いはなくなった。
 上白沢慧音という存在を排斥するという証を以てして、魂そのものを永遠に捧げようと決意したのである。
 このときから、阿求は日に日に美しくなっていった。
 年齢を重ねたことが、彼女を魅力的にさせたのは確かであるが、それだけではない。
 生きることに意味を見出し、決意した者の人生は、光り輝いて見えるのである。
 阿求の行為は、確かに悪魔的側面があった。しかしその本質は、あくまで天使の行いなのである。そのため、誰一人として、阿求の心を疑うことなどはできなかった。阿求としても、後ろめたいことなどは微塵もなかった。崇高な目的のための、止むを得ない犠牲を払う必要があるのだと、考えているのである。
 さらに言えば、神童は巧みであった。細工は流々……決して、あからさまな疑いを招く方法をとることはなかったのである。そうしてまた、焦ることもなかった。あくまで周到に、少しずつ、この聖人を追い詰めていけば良いのだ。
 阿求は上白沢慧音が、聖人であることを認めていた。また、犯人が彼女であると思う一方で、彼女に罪があるとは考えていなかった。一見矛盾しているようにも思えるこの理論は、少なくとも彼女にとっては自然なことであった。
 何故なら稗田阿求は、九代目阿礼乙女であるというだけで、尋常の人生を楽しむ権利を奪われているからである。彼女に罪がないことは歴然である。そうして、先祖に罪がないことも歴然である。しかし、現実に阿求は苦しめられている。この件において犯人がいるとすれば、それは間違いなく先祖である。しかし先祖は善人である。
 そのことを当然の理として受け入れている阿求からすれば、聖人である上白沢慧音が犯人であり、彼女が苦しめられるということも、別段おかしな話ではなかったのである。
 そうして、少しずつ、少しずつ慧音が苦しんでいる姿を見ることで、阿求は自己の崇高な目的が、徐々に達成されていくことを感じていた。それは彼女の心を和らげた。薬も、痛みも、もはや彼女には必要がないものになっていた。

     七

 阿求十六歳の晩春。
 この日、阿求の企みは、いよいよ慧音を追い詰める。

「慧音さんは、もしかすると、もう寺子屋の先生をお辞めになったほうが良いのかもしれませんね」

 妹紅に語りかけるのは阿求。
 しかしその文意は、あくまで慧音を気遣ったものである。

「そうだなぁ。歴史家の仕事に、専念しても良いと思うんだ。そのほうが、慧音にとっても幸せじゃないかって、実は私も思ってたんだ。たぶん、慧音は、寺子屋の先生って、あんまり好きじゃないんじゃないかな。子供たちの世話とか、苦手みたいだし。でも、義務感みたいので、頑張ってるだけで。それって、かわいそうだと思う」
「えぇ。そうですね。私も、そう思ってました」
「そうなの? う~ん、阿求から見てもそうなのか。となると、本当に、慧音は先生、辞めちゃったほうがいいかもなぁ」

 この二人の会話を聞いた慧音は、寺子屋にいられなくなった。
 そうして、レミリア・スカーレットと、運命の邂逅を果たすのである。
 翌朝、朝帰りをした慧音を妹紅は邪推した。
 夜這いの風習がまだ残る幻想郷ではあるが、然るべき地位の、しかも良家の家の婦女としては、あまりにも常識に反した行為であった。こうした妹紅の良識的な反応を利用したところに阿求の巧みさをうかがえよう。

「まぁまぁ、そうして責めては、かわいそうですよ」

 こうした阿求のフォローは、「慧音が夜這いに出かけた」ということを、より真実らしくするのであり、もちろんこのことが、より慧音を追い詰めることになる。

 阿求は寺子屋で、確かな地位を得るようになっていった。
 慧音の養母、上白沢家が当主の未亡人、ご母堂と母娘同然に親しくなっていたのである。
 だがこれは、何も阿求の謀りによるものではなかった。
 母の愛情を知らずに育ち、どうしても母恋しく思う阿求と、子供を産めず、養子として得た慧音とはなかなか性格が合わず、打ち解け合えぬことを寂しく思っていた、哀れな女二人の息がピッタシと合ったのである。
 ご母堂は、若い頃の晴れ着や、若い間にしか着れぬ華やかな色合いの着物を、阿求のために買ってやった。
 これには、阿求もさすがに遠慮した。

「ご母堂様。ご好意はありがたく存じ上げますが、私には過ぎたものですから」

 断る阿求に、ご母堂は答える。

「いいのよ、阿求さん。他に、着てくださる方もいませんから」
「慧音さんが、いらっしゃいますでしょう」
「慧音さんにも、何着か差し上げたのですけどね。どうしても、あの人、優しい人ですから。無理をして、私の思いに応えようと着てくださるのですけど、それがどうしても心苦しくてね」
「ご母堂様……」
「阿求さんは、こういう華やかなの、お好きでしょう?」
「はい。とてもかわいらしくて、ステキです」
「よかった。さぁ、着てみてちょうだい。きっと、お似合いですわ」

 そうして、着替える阿求を見て、ご母堂、心底の笑顔を向ける。
 この老母が純真の笑顔に、阿求は胸の痛むのを感じた。

(私はこの人の、養娘を押しのけて幸福になろうとしているのか)

 阿求、不意にこんな言葉が口から出た。

「ご母堂様は、慧音さんのことをどう思ってらっしゃいますか」

 養母は笑顔で答えた。

「それはもう、大切な一人娘でございますよ」

 そうして、こう言葉を続けた。

「でも、私の一方的な思いばかりで、あの娘の望まないことをさせてしまっては、かわいそうですものね。だから、少し、距離をおかないと、あの娘が苦しい思いをするから……ねぇ、阿求さん。あの娘は、不器用ですから、どうかよくしてあげてくださいね」

 阿求は養母のこの言葉に、胸が詰まった。
 疑うべくもない、母親の娘に対する愛情の言葉である。
 この日を境にして、阿求は自身の行いを正当化し得る理由を、次第に見失い始めた。

(例え私に、幸福になる権利があるとしても、それが、誰かを排斥してよい理由にはならないのではないか)
(どのような理由があろうとも、あの養母と養娘の親子とが、悲しむようなことをすることは許されないのではないか)
(もしかすると、私の父母は、私に対する情愛のかけ方をうまく知らなかっただけなのではないだろうか)
(愛のために誰かを傷つけることは、もしかすると、大変な過ちなのではないだろうか)
 
 阿求は、愛情というものに対して、日々考えずにはおられなくなった。
 今までは、どこか漠然とした思い込みにとらわれて、愛情というものは何かを深く考えることができなかったのであるが、実際に愛情という存在に触れて、具体的に考えることができるようになったのである。
 そうして、次第次第に、阿求は自分の行いに罪悪感を覚え始めた。

(こんなことをしては、ご母堂様を悲しませることになるだろう)
(もし私の考えを知ったら、妹紅さんはなんと思うだろうか)

 また同時に、阿求は以前の残酷さを持ち得なくなっていった。
 慧音の苦しむ顔を見ると、彼女の胸も痛むのである。
 しかしそれでも阿求は、簡単に変わることはできない。
 僅か一ヶ月二ヶ月の新しい考えと、長い年月を培って築き上げてきた思想との、どちらを重んじるかといえば、それは必然後者になる。
 だが慧音の顔を見るたびに、阿求はご母堂の言葉を思い出すのだった。

(あの娘は、不器用ですから、どうかよくしてあげてくださいね)

 それは阿求の心の中で、こう言いかえられていた。

(阿求さん。あなたは私に、「約束」してくださったのですよ)

 阿求は自己の幸福と他者の幸福との間で生じた葛藤に苦しみはじめた。
 狭い世界しか知らず、短い人生経験しかない阿求の、卓抜した頭脳がもたらす結論は、しばしば短絡的で、世間知らずで、独り善がりなものであった。
 阿求は慧音を不幸にすることと、自分が幸福になることとが、どうしても二者択一に思えて仕方なかったのである。

 そうして、悩みに悩んでいる間に、運命の日が来た。
 レミリア・スカーレットが、紅魔館の主たる人物を引き連れ、恩人ブリュアンの救援へと、外界へ向かったのである。
 残されたフランドール・スカーレットは、八雲紫の承認を得て、上白沢慧音へと、紅魔館の監督役を依頼するために人里へと来たった。
 栄誉ある任を受けて、上白沢慧音は、寺子屋を離れ、紅魔館へと住まうことになったのである。
 稗田阿求、率直な思いは、(助かった……)の一言であった。
 あくまで、自分本位の感性ではあるが、それは何も悪徳ではない。
 稗田阿求はこのとき、自分が全く誤っていたことを悟ったのである。
 幼くも愚かな阿求であるから、自分勝手な思い込みにとらわれもしたが、だからこそ過ちと思えば、心の底から自己断罪ができたのである。他人本意の感性であれば、自分勝手な思い込みはないであろうが、自己断罪をすることもまたなかったろう。
 だがしかし、それでも人間は弱いものである。
 どうして面と向かって、慧音に謝罪することができるだろうか。
 このまま何も言わずにいれば、何の咎もなく、阿求は幸せに生きることができるのである。その先には、確かに思い人との幸福な日常があるのだ。また、ご母堂も阿求をかわいがってくれるだろう。何も知らぬこの女は、阿求を娘同然として、深い愛情を注いでくれるに違いない。そうしてその環境は、必ず阿求を善へと向かわせる。堕落しながらも、昇天するのである。それが可能なのである。
 そうしてそんな日常を、求めざるを得ない阿求のことを、果たして誰が責められようか。
 上白沢慧音は、この道理を了解していた。
 稗田阿求が哀れな子であることも、その哀れさが彼女を残酷にしていることも、慧音は了解していたために、決して恨みを持つことはなかった。
 人間の不完全さを理解し、不完全であることの罪を許す……上白沢慧音の隣人愛である。
 
     八

 上白沢慧音が人里を出て、紅魔館へと向かった後、少し手広くなった寺子屋で、妹紅と阿求は、二人いつも通り、部屋で一緒の時を過ごしていた。
 慧音がいなくなってから、しばしば阿求は寺子屋に泊まるようになった。表向きは、慧音の部屋が空いたことと、勉強を教えるための準備をするという理由であるが、実際は、僅かでも妹紅と同じ時間を過ごしたいというためである。風呂に入るときも、しばしば寝るときさえも、一緒であった。阿求の企みは、完全に成就されたといってもよいだろう。
 だが、どうしても手放しで喜べないという気持ちがあるのも、また事実である。
 慧音に対する罪の意識が、阿求の心を蝕むのである。
 そのことを思い、少し憂鬱な気分になっていると、妹紅がふと、こう呟いた。

「私は、慧音に謝るべきかも知れない」

 阿求はその言葉を聞いて、ドキリとした。

「やっぱり私は、あんまりにも慧音に、辛く当たりすぎていたと思うんだ」

 妹紅の言葉に、心が揺れ動く。

「私、慧音のことが大好きだから、なんか、自分と一緒じゃないと嫌だったんだ。五分と五分とでいてくれないと、慧音じゃないみたいに思って、不満だったんだと思う。でもそれって、すごい自分勝手だし、何だか子供っぽいよね。う~ん……本当に、年甲斐もないことをしちゃったんだなぁって、反省しちゃう」

 阿求は妹紅の言葉が、自分の言葉ではないかと疑った。
 それほど、思いは同じだったのである。

「私、謝ることにする。慧音がいつ帰って来るか、分からないけど。帰って来たら、謝らないと」

 阿求は妹紅のその言葉を聞くと、ぽろぽろと涙がこぼれてきた。

「はい……謝りましょう。私も、慧音さんに謝らないと……」
「うん。謝ろう。何だか、居心地悪い思いばっかりさせちゃったもんね」

 そうして妹紅は、ハンカチを取り出して、阿求に渡してやる。
 阿求はハンカチを受け取り、涙を拭くと、そのまま妹紅の胸に飛び込んだ。
 阿求は、弱い存在の自分であるから、こうして導き、また支えてくれる誰かが必要であることを理解した。この人の愛が、自分を強くしてくれるのだ。またもっと強くならなくてはいけないとも思った。きっと、そうしたら、私もこの人を支えてあげられるから……。
 もう決して、あんなバカな思い違いはしないと、そう堅く心に誓ったとき、二人の身体と心とは、完全に一つのものとなって、永遠の愛を築いたのだった。
「妹紅阿求」か、「もこあきゅ」か。
どっちでもいいから流行れ!!
それでは、夏コミ行ってきます。
友人のサークルで肌色の本を売る作業はきっと楽しいはず……。
夏コミの入場前、並びながらの時間つぶしにでも読んでもらえたら幸いです。

2012/08/12 本文訂正 文章を少し整理しました。
道楽
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コメント



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気持ちはよくわかるなぁ
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ああ良かった、これで善い方向に進みそうだ
14.100Rスキー削除
前作と合わせて、好きです。
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とても良く面白かったです
16.100名前が無い程度の能力削除
よかった。
18.100名前が無い程度の能力削除
妹紅と阿求の人間くささがたまらなく良いですね。
21.80名前が無い程度の能力削除
結論・かーちゃんの愛は偉大
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おもしろかったです
24.100愚迂多良童子削除
御阿礼の子としてのシステム的な阿求でなく、一個の人間としての阿求を強く感じる作品でした。
心の内では酷く人間臭い阿求というのは、哀れで健気で愛おしいものです。