※この作品は、作品集152『庭師、山にて白狼天狗と相対すること』の設定を引き継いでいます。
茜色の幻想郷。
沈みゆく夕日に照らされて真っ赤に染まった家々と、家路を辿る人妖。子は母のもとへ、妖は闇のなかへ。
「私もそろそろ帰るかな」
ぱたぱたと駆ける子供の姿をした人妖。すれ違い、その後姿を眺めながら、夕餉の香り漂う通りを歩く少女は呟いた。
黒と白のエプロンドレスに、先のほうが曲がった黒いとんがり帽子。風になびくは緩くウェーブのかかった金の長髪。使い古された愛用の箒を肩に担いで、その金の瞳に宿るは探求の光。
魔法の森に居を構える、なんでも屋“霧雨魔法店”の店主こと普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。
しかし、従業員は店主の彼女ひとりであるうえに、いつもどこかへ出掛けているか研究で家に籠っているため、この店が店として機能することは滅多にない。
今日も今日とて魔理沙は幻想郷を巡り、人里で夕刻を迎えたところだった。
この時間帯の幻想郷は、なんとなくセピアに見えて。その雰囲気に、郷愁の念を思わせる。
「……何をおセンチになっているんだか」
苦笑しつつ、魔理沙はのんびりと通りを歩く。
とは言え、まだ夜までは時間がある。もう少し、この雰囲気を味わうのも悪くない。
やがて通りを抜けて入ったこの広場にも、昼間のような活気はなく。まばらになった広場に魔理沙の足音がざりざりと響く。
カァ、とどこかでカラスが鳴いた。意外と近い気がして、魔理沙が辺りをきょろきょろと見回すと、
「お?」
広場の端に設置された長椅子で、すよすよと穏やかな寝息を立てる少女がひとり。
肩で切りそろえられた銀髪に、黒のリボン。白いシャツに緑のベストと、同じ意匠の緑のスカート。その背と腰には、長刀と短刀を一振りずつ携えて。膝の上には大きな霊魂が猫のように丸くなって鎮座していた。
「って、人魂はもともと丸かったな」
などと自分にツッコミを入れつつ、魔理沙はひょいひょいと少女のもとへと歩いていく。よほど深く眠っているのか、魔理沙の接近にも、すぐ傍ら、長椅子の背もたれで羽を休めるカラスに肩をつつかれているにもかかわらず起きる様子はない。
魔理沙が近づくと、カラスはこちらへ顔を向けてカァと鳴いた。
「な、なんだよ……?」
たじろぐ魔理沙の金の瞳を、カラスはじっと覗き込み、
「…………」
「…………」
奇妙な沈黙が流れ……
「カァ」
やがてカラスは更に鳴くと、翼を広げて飛び立った。
「……なんだったんだ?」
他とはなんとなく違った雰囲気を持ったカラスを、魔理沙は眉をひそめて見送った。彼方に見えるは妖怪の山。わざわざ山からここまで降りてきていたのだろうか。
しばし魔理沙は山へと飛び去るカラスを見つめてから、再び視線を戻した。少女は相変わらず寝息を立てたままで。
このまま放っておいても構わないが、知らぬ顔でもない。魔理沙は少女の肩に手をかけた。
「おい妖夢。こんなところで寝ていると風邪を引くぞ」
その少女――魂魄妖夢は、人にして人に非ず。半分は人の血、もう半分は幽霊の血を通わせた“半人半霊”という稀有な少女。
普段は死者の世界である冥界のお屋敷で庭師として働いているのだが、冥界と幻想郷を自由に行き来できるようになった昨今、こうして幻想郷に降りてくることがしばしばある。
しかし……
「…………んぅ?」
ようやく気が付いたようだ。妖夢はゆっくりとまぶたを開いて、きょろきょろと辺りを見回す。
しかし、生真面目な性格の妖夢である。彼女に寄り掛かるように置かれた買い物袋を見るに、買出しの途中だったのだろう。仕事の最中に居眠りとは、よほど疲れていたのか、それとも単に気が緩んでしまったのか。
「よう、おはよう。もう夕方だが」
再び魔理沙が声をかけると、妖夢は呆けた表情で魔理沙を見た。まだ少し寝ぼけているようだ。
「まりさ……?」
「おう、おはよう。もう夕方だが」
「お、おはよう。ゆうがた……?」
寝ぼけながらも妖夢は魔理沙に挨拶を返して、
「ゆうがた……?」
「おう」
「…………」
やがてその表情が徐々に歪んでいった。その色、焦燥感が濃く。
さもありなん。おおかた、腰を下ろしてちょっと休憩とかそんなつもりだったのだろう。ところがいつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら夕方だったなど、不覚もいいところだ。
まあ失敗は誰にでもある、と魔理沙が慰めの言葉をかけてやろうとした、その時。
「魔理沙!!」
「おう!?」
いきなり覚醒した妖夢は魔理沙に掴みかかった。
「私を、アリスのところまで連れて行って!」
「……おう?」
◆ ◆ ◆
「命――夢――希望――
どこから来て、どこへ行く?
そん」
白刃、閃く。
問答無用の一閃は、道化姿の魔王を口上もろとも切り伏せた。
おおお、とどよめき。
やがて空を覆っていた暗雲は消え、世界は暖かな光に包まれた。
そして舞台袖からちょこちょこと駆けて来た姫を勇者はかたく抱きしめて、
「――こうして、魔王を倒した勇者は囚われのお姫様を救い出し、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
幕。
沸き上がる拍手と歓声。
昼下がりの幻想郷。暖かな午後の日差しが降り注ぐ中、人里の広場で行われていた人形劇は、大盛況のうちに幕を閉じた。
喝采を前に少女はふぅと息をついて礼をひとつ。
「はい、今日の劇はおしまい。見てくれてありがとうね」
それを合図に観客――集まった子供たちは、きゃあきゃあと騒ぎながら少女の前から去っていった。
金の髪に金の瞳。曇りなく透き通った白い肌。その端麗な容姿は、まるで彼女自身が人形であるかのようで。
去りゆく子らに手を振って、少女はもう一度ふぅと息をついた。そして、ようやくこちらに顔を向けて。
「貴女たちも、見てくれてありがとう」
「ううん、たまたま通りかかったから」
「子供向けの内容だったし、退屈だったでしょう?」
そう言って照れくさそうに笑う少女に、妖夢はぱたぱたと手を振って。
「いいえ、そんなことは。面白かったですよ。
特に、孤島に流れ着いた勇者を助けてくれた老人が、まずい魚を食べて命を落としてしまうシーン。感動的だったなぁ……」
「……そこか?」
しみじみと語る妖夢の感想に、隣の椛は首をかしげた。
人里へ買い物に来ていた魂魄妖夢と犬走椛は、たまたま知り合いの開いている人形劇を見かけ、一休みがてらに観賞していた。
内容はごくありふれたもの。囚われの姫君を助ける勇者の物語。しかし、道中には魔王の腹心たる四天王が待ち構えていて、あるものは死してなお勇者を道連れにしようとし、あるものは魔王を裏切り勇者をかばって命を落としたりなど、無駄に凝ったサブイベントが盛りだくさん。
子供向けにしては異常なボリュームに思えたが、なかなかどうして好評であった。
「ふふ、ありがと」
妖夢の賞賛に、少女は嬉しそうに微笑むと、今度は椛のほうへと顔を向けた。
「あなたと話すのは初めてね。私はアリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
「白狼天狗の犬走椛だ。私のことを知っているのか」
少女――“七色の人形遣い”ことアリス・マーガトロイドは左手をくいっと胸元まで上げる。すると、人形用の小さな舞台から二体の人形が姿を現した。“勇者”と“魔王”だ。
“勇者”と“魔王”は空中で対峙して、ヤァヤァと斬り合いを始め、その様を眺めながら、アリスは言う。
「時々こうやって里で人形劇をやっているのよ。今日みたいにね。いつだったか、その時に見かけたの。ほら、その帽子とか、下駄とか、天狗の衣装って珍しいから」
今度は腰の辺りまで左手を振り下ろすと、人形たちは斬り合いを止めて舞台裏へと入っていった。
人形たちを見送ってから、アリスは椛の姿をまじまじと見つめた。
赤い高下駄。鮮やかな紅葉が散りばめられた藍のスカートに、白い腋出しの装束。頭の上にちょこんと乗っているのは赤い八角帽。そして、その髪の毛と、白狼天狗の証たる狼の耳と尾は純白。背には革製の鞘に納められた幅広の刀と楕円形の盾を負っている。
まさしく、妖怪の山に所属する白狼天狗の標準装備だった。
「確かに、山の外で活動する天狗は珍しいだろうな」
自らの姿を見下ろしながら、椛。
がたがたと舞台で物音がする。人形たちが片付けでもしているのだろうか。
「それと、他の種族と一緒にいることも印象的だったかな。仲がいいのね」
「う、む……まあ……」
「あはは……」
揃って照れくさそうに笑う二人に、アリスもまた微笑んで。
と、舞台から人形が飛び出してきた。今度は一体だけ。
長い金髪と大きな赤いリボンが特徴的な可愛らしい人形は、アリスに向かってぴっと手を上げた。
「上海、片付けは終わった?」
問いに答えるように、上海と呼ばれた人形はこくこくと頷いてから、アリスの傍らに移動した。
「そ。ご苦労様」
上海人形に労いの言葉をかけてから、アリスはテキパキと舞台を畳んでいく。
「あ、そうだ。犬走さん」
「なんだろうか」
声をかけつつ、やがて大きなバッグへと形を変えた舞台をアリスは改めて地面に置いて、
「ちょっと失礼」
言うが早いか、椛の背後に回りこんで、その尻尾を鷲掴みにした。
「ひぅ!?」
引きつったような声。しかしアリスは構わずわさわさと椛の尻尾を撫で回す。
「やっぱり思ったとおり! いい触り心地だわ!」
「あ、あの……アリス?」
「それにしても、いい声で啼くのね、貴女」
確かに。
いつも凛としている椛にしては珍しいの女性的な声に、妖夢はいいものを聞いた、と少しばかり得をした気分になっていた。
……などと考えている場合ではない。椛はぎっとアリスを睨み付けて、
「五月蝿い! 離せ!」
「おっと」
怒声と抵抗に、アリスはあっさりと身を引いた。だが、椛は獣の耳の、そして尻尾の毛を逆立たせてアリスを射るように睨み付けている。
しかし、対するアリスは悪びれた様子もなく。
「いきなりごめんなさいね。どうしても触ってみたくて。
でも、本当に良い毛並みね。何かケアの秘訣でもあるのかしら?」
くすくすと笑うアリスを前に、椛は大きく息を吸って、吐いて、そしてぐるると喉の奥を鳴らしながら搾り出すように言う。
「……特別なことは何もしていない。それより、尻尾はデリケートな部分なんだ。むやみに触らないでくれないか」
低い声色。何とか怒りを抑えているようで、逆立つ耳と尻尾の毛が徐々に収まっていく。
しかし、尻尾を触られただけでこれほど取り乱すとは。ゆくゆくは触らせてもらえないだろうかと密かに考えていた妖夢のショックは大きい。
――私も触ってみたかったな……
歩くたびにゆらゆらと揺れる尻尾。風になびく尻尾。あの見るからにふわふわそうな毛並み、その感触はかの妖狐、八雲藍の九尾に匹敵するのではないだろうか!?
……とは言え、その感触を確かめることは不可能なのだ。妖夢とて、友情を放り捨ててまで触りたいとは思わない。仮に友情を犠牲にして触ろうとしても、いまの妖夢では椛に触れることはできないだろう。まんまとその感触を味わうことができたアリスを羨むばかりである。
「も、椛、大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ない」
眉間にしわを寄せ、ぶんと尻尾をひと振りしながら椛は応えた。よほど不快だったのだろう、頬が赤く染まっている。
やはり、あの尻尾に飛び込むことは絶望的なのだろうかと、未練がましく考える妖夢である。
そんな妖夢の襟首を引っつかみ、椛は踵を返して歩き出す。
「妖夢、行くぞ」
「はぁい……」
「何をしょぼくれている?」
「いえ何でも。ではアリス、また」
「うふふ、またね」
ずるずると椛に引きずられながら妖夢が手を振ると、アリスも上海人形と一緒に手を振り返して。
「ああ、でも」
右手を振りながら、アリスは左手をゆっくりと持ち上げる。あわせて上海人形は上昇してゆき。
がしゃり。
「貴女は私と一緒に来てもらえるかしら?」
太陽を背に、上海人形がこちらに突撃してきた。その手に構えるは、一振りの剣。
「ちょ!? 椛!」
「ッ!」
椛は妖夢を前方に放り投げ、自身も前に跳んだ。
がッ!
劇で使っていたような作り物ではない。その鋼の刃は、地面に小さな亀裂を刻み込んだ。
「あら避けられちゃった」
「アリス!?」
「何をする!?」
妖夢と椛はそれぞれ剣を抜き放ち、アリスと対峙する。しかしアリスは、剣士二人に刃を向けられながらも動じることなく。
地にめり込んだ剣を引っこ抜いて尻餅をついた上海人形は、空いているほうの手で尻の埃を落としながらアリスの傍らに戻っていった。その頭を優しく撫でながら、アリスは微笑む。先ほどと変わらぬ笑顔。しかし、その身からは妖しげな雰囲気が漂っていて。
「ちょっとその尻尾、頂戴しよう思いまして」
「尻尾を?」
「ええ。ちょうど作ろうと思っていた人形の服にピッタリの素材みたいだから」
「冗談ではない!」
椛は激昂した。人形の服のために尻尾を斬られそうになったのだから、当然の反応と言える。
「いいじゃない別に。貴女、妖怪なんだし、どうせまた生えるでしょ? ちゃんとお礼はするから」
しかし、対照的にあっけらかんと言うアリスに、椛は更に語気を強めた。
「そういう問題ではない!
この身は全て、私の! 白狼天狗の誇りだ! 切り売りするものなどひとつもない!!」
「…………あ、そう」
アリスはため息をついてつまらなそうに呟くと、左手を横に一振り。
「じゃ、腕尽くでいただこうかしら」
その瞬間、
「な!?」
気を付けの姿勢になって椛が倒れた。身動きが取れないのか、必死に身をよじってもがいている。
「椛!?」
「貴様、何を……ッ!?」
「何かしらね」
取り合わず、アリスは右手を振り上げ、振り下ろした。呼応して、上海人形が再び剣を振り下ろす。
ぎんッ!
しかし、その一撃は楼観剣に防がれた。
ぎりぎりと上海人形の小さな剣を押さえながら、妖夢はアリスを睨み付けて。
「アリス、椛を離して」
「嫌よ。あんなにいい毛皮、滅多に手に入らないもの」
「椛は嫌がってる」
「だから、また生えるでしょ。お礼もするし」
「そういう問題ではないとも言ってたで、しょ!」
言葉と同時に妖夢は上海人形を弾き飛ばした。上海人形はくるくると回りながら弧を描き、そしてアリスの傍らでぴたりと停止した。さりげなく両手を掲げてポーズをとっていたりする。
と、ささやかな拍手。辺りをちらりと見回すと、三人の周りには人だかりができていた。これだけ騒いでいるのだ、仕方あるまい。よく見ると“宣伝中”と書かれた紙を持った人形が人だかりの内側をゆっくりと周回していた。
どうやら、次の公演の宣伝材料にされているようだが、そんなことはどうでもいい。視線を戻すと、アリスは妙に芝居がかった様子で半眼になって嘆息していた。
「……聞き分けないわね」
「それはあなたのほう。これ以上、私の友達を傷つけようと言うのなら、斬る」
ちゃきりと楼観剣を構えなおす妖夢を見て、アリスは嘲笑を浮かべた。
「貴女が私を斬る? それは無理だわ」
「やってみなければわからない」
「なら、分からせてもらおうかしら!?」
アリスが右手を大きく振るう。次の瞬間、眼前に迫るは両手を掲げた人形が一体。
「!?」
下がる間もなく、その小さな手が瞬いた。
がががぎが!
「くう!」
放たれた七色の弾幕は楼観剣で防いだが、不意打ちに妖夢は尻餅をついてしまった。
「貴女はこっち」
「うおお!?」
その隙に宙を舞う椛。
ぐいっと振り上げられたアリスの左手に引かれるように、その身は放物線を描き、そして椛はアリスの背後にどさりと落下した。
「椛!」
慌てて駆け寄ろうとした妖夢の前に、しかし立ちはだかるは三体の人形。
「はい、貴女の相手はそっち」
「ち……!」
だが、そんな小さな人形に止められるものか。
妖夢は構わず踏み込み楼観剣を振るった。人形たちは散開して一閃を回避する。
道が開いた。
――いまだ!
踏み込む力を更に強めて、一足飛びにアリスへと肉薄――
「待て妖夢! 罠だ!」
ぎしっ!
「ぐ!?」
身体の前面に痛み。同時にがくんと勢いが止まった。見下ろせば、肩口から腰にかけて一本の縄が張られていて妖夢の突進を阻害していた。それぞれ縄の先には、先ほど妖夢の一閃をかわした人形たち。
「妖夢!」
「はい、おしまい」
人形たちは縄を持ったまま妖夢の周りをぐるぐると回りだす。
「あっ、ちょ……!」
胸元を回り、足元を回り……
やがて妖夢は芋虫状態にされて地面に転がった。
「呆気ないものね。見込み違いだったかしら」
「く……!」
身を捩って睨み上げる妖夢を、アリスは近くまでやってきて見下ろす。
「絶対にッ、椛は……!」
「まだ言うの?」
はぁ、と呆れたようなため息。
「諦めなさい。貴女では私を止めることはできないわ」
「それでも! 私は!」
「ああもう五月蝿い」
声色を苛立たしげなものに変えて、アリスは妖夢の額に手をかけた。
ぐらり。
視界が、揺らぐ。
――これは、眠気……?
「なん……なに、を……?」
「殺しはしないわ。里で殺しは御法度だからね」
混濁した頭の中に、人形遣いの声が響く。
「時間をあげる。頭を冷やして、ようく考えなさい。貴女と、私の、力の差というものを」
瞼が重い。もう、これ以上は……
「それでもまだ私に刃向かうと言うのなら、私の家に来なさい。今度は正々堂々と相手をしてあげる」
「妖夢!」
アリスの嘲笑と椛の叫び。
「も、み…………」
そして自分の声を最後に、妖夢の意識は闇へと沈んでいった。
◆ ◆ ◆
「なるほど。で、いまに至る、と」
広場の長椅子に並んで、二人。
妖夢の話を聞き終えた魔理沙は、腕を組んで呟いた。
「うん。だから早く助けに行かないと!」
椛のことが心配だ。
「まあ待て。無闇に突っ込んでも、どうせ二の舞だぞ。ここはアリスの言うとおり、まずは頭を冷やせ」
「で、でもっ……」
たしなめられ、それでも妖夢はいまにも飛び出さんばかりで。
その頭を魔理沙は箒でぽんぽんと叩きながら言う。
「お前が冷静さを失えば、友達は助からない。だろ?」
「う……」
畳み掛けられ、妖夢はようやくおとなしくなった。まだ半霊がふるふると震えているが。
――そうだ。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ……
己の不甲斐なさに、アリスの挑発的な言動に滾る身体を抑えつけて、妖夢はしばし地面を見つめ、目を閉じて。大きく息を吸って、吐いて。
思い出せ。アリスは何と言っていた?
『私の家に来なさい。今度は正々堂々と相手をしてあげる』
そうだ、椛は“まだ”無事なんだ。自分がアリスのもとへ行って、真っ向勝負で戦って勝てば、椛は助けられる。
冷静になれ。椛を助けられるのは、自分だけなんだ。
瞼の裏に浮かぶは、白い影。思い起こすは、始まりの日。
主の命で妖怪の山に踏み入った妖夢の前に立ちふさがった白狼天狗。紅葉に彩られた山の中に舞い降りた白。その剣は、妖夢の剣を遥かに凌駕していて。
剣を交えて、言葉を交わして。妖夢にとって、目標であり、大切な友である白狼天狗、犬走椛。
思い返せば、椛には助けられっぱなしだった。いつだって椛は、妖夢を守り、導いてくれた。
だから、
――だから、今度は私が助ける番……!
どくんどくんと五月蝿いくらい騒いでいた心臓の鼓動が、少しずつ収まってゆく。
やがてゆっくりと開いた瑠璃の瞳には静かな輝き。妖夢は半霊を傍らまでゆっくりと移動させ、魔理沙のほうへと顔を向けた。
「魔理沙」
「おう」
「お願い、アリスのところまで案内して」
「落ち着いたか?」
「うん、ありがとう」
魔理沙の問いに、妖夢はうすらと笑みを浮かべて答えた。
それを見た魔理沙も笑みを返して、
「よし、それじゃ、行くか!」
がつんと箒の柄で地面を突いて、魔理沙は勢いよく立ち上がった。
「おう!」
――椛。いま、助けに行きます!
…………
ここは空気が澄んでいる。
椅子に縛り付けられた椛は、辺りをぐるりと見回した。
瘴気に満ち、多彩な木々が鬱蒼と生い茂る、魔法の森。
その植生の濃さゆえに、森の中は薄暗くじめじめしていて、怪しげな茸たちの温床となっている。強い瘴気と茸の胞子に満ちた森は、抵抗力の強い妖怪であっても簡単に適応できる環境ではない。
しかし、そんな森に住んでいるものが二人だけいた。
一人は人間――“普通の魔法使い”霧雨魔理沙だ。どういうわけか、彼女は人の身でありながら、この森に順応して生活をしている。
瘴気を取り込んだ大小さまざまなキノコは、時に予想もできない効果を発揮する。魔理沙は、森のキノコを使って日々魔法の研究に没頭していた。
そしてもう一人は……
「…………」
テーブルを挟んで椛の向かい、椅子に優雅に腰掛けて繕い物――小さな洋服だ――に勤しむ金髪の少女。伏目がちに向けられた視線の先では、針を操る白い手が精巧なカラクリのように淀みなく動いていた。
よくもまあ、あんな速さで作業ができるものだと、椛はなんとなしにその光景を見つめ。
「気になる?」
こちらの視線に気付いたのだろうか、アリスは手元から目を離さぬまま口を開いた。
魔法の森に住むもう一人――アリス・マーガトロイドの邸宅は、森の中で少し開けたところにある。しかし、ここは全くと言っていいほど瘴気の不快感が感じられなかった。
「そうだな。瘴気に満ちたこの森の中で、何故ここだけ空気が澄んでいるのか。気になるところだ」
「あ、そっち……?」
椛の言葉に、アリスは少し残念そうにため息をついた。
「結界を張っているのよ。この森の瘴気や茸の胞子は有害だから。それに湿気が多くて人形が痛んじゃうし」
なるほど、と椛は納得した。
結界によって瘴気、胞子、そして湿気をシャットアウトし、快適な環境を自らの手で作り上げていたようだ。
しかし、まだ疑問は残る。
「そのような手間をかけてまで、ここに住み着く理由が?」
結界を張らねば住めないような地に、どうしてこの魔法使いは居座っているのか。この森には、そうまでしなければならないほどの“何か”があるというのか。
「ここは人も妖怪もあまり寄り付かない土地だから、静かに研究するにはうってつけなのよ」
再度、椛は納得した。
魔法使いとは、存在そのものが機密の塊であると言っても過言ではない種族である。魔道書などの所持品はもちろん、身に付けた知識や技術――それが当人のオリジナルであるならば尚更、その極意は知られたくないものだ。
故に、アリスは人妖の寄り付かない魔法の森に居を構えているのだった。
「まあ、最近はそうも言えなくなってきたけどね……」
ため息混じりに呟いて、アリスは針と服をテーブルに置いた。そして左手を小さく動かす。少しして、パタンと邸宅の窓が開いてランプを持った人形が飛んできた。
見上げれば、空の赤みは少しずつ失われ、藍の色が濃くなっていて。いつの間にか、ぽつりぽつりと星が瞬き始めていた。
――夜か……
妖夢はどうしているだろうか。まだ里で眠っている? それとも既に目を覚まして、ここに向かっているのだろうか。
「もう一つ、聞いていいだろうか?」
「どうぞ」
光源を確保したアリスは、繕いを再開しながら応えた。
ランプの明かりに照らされて、ほんのりと赤みを帯びた端正な顔立ちを眺めながら、椛は問う。
「本当に私の尻尾が狙いなのか?」
「……」
アリスは答えない。黙々と作業を続けるばかりだった。しかし、少しだけ眉が跳ね上がったのを椛は見逃さなかった。
――やはり、何か隠している。
「どうして妖夢に挽回の機会を与えた? 他に何か目的があるのではないか?」
ずっと気になっていた。ただ尻尾が欲しいだけならば、妖夢を行動不能にしたあとで切って持ち去ればいい。
しかし、アリスはそれをしなかった。あまつさえ、妖夢に『かかってこい』とまで言った。椛は、アリスの目的を計りかねていた。
「…………さて、どうかしらね」
結局、表情を変えぬままアリスはそれだけ言って黙り込む。
――何が目的だ?
「……」
「……」
沈黙で促すも、アリスは答えず。これ以上、話すつもりは無いようだ。
見上げた空にはランプが一つ。それを抱えた人形は、里のほうをじっと見ていた。ランプ持ちのついでに物見でもしているのだろうか。
「私も聞いていいかしら?」
と、今度はアリスから話しかけてきた。再び作業を中断し、少し身を乗り出して頬杖をついて。さらりと流れた金髪が、ランプの明かりを反射してきらきらと輝いた。その金の瞳から窺い見えるは好奇の光。
「……構わないが」
こちらの質問には答ないくせにと思ったが、どうせ身動きが取れないのだ。退屈しのぎに付き合ってやるのもいいだろうと、椛は首肯した。
「貴女は普段、何をしているの?」
「山の警護をしている。先に行っておくが、山には決して足を踏み入れないことだ」
妖怪の山は天狗の支配する不可侵の地。許可なく侵入すれば、すぐに哨戒の天狗が追い返しに出向く。
「山、ね」
しかしアリスは視線を彼方へと向けて、金の瞳を僅かに輝かせた。
「妖怪の山には外界の技術があふれているってウワサがあったかしら。興味があるわね」
「話を聞いていなかったのか。妖怪の山は天狗の領域。侵入することは許さないぞ」
椛とて、山に属する天狗の一人。目の前で侵入をほのめかす発言をされては黙っていられない。
「天狗に私を止められるかしらね?」
しかし、釘を刺してもアリスは取り合わず、視線だけを椛に向けて妖艶に微笑む。糠に釘とはまさにこのことだった。
――苦手なタイプだな。
この不遜な態度には、どこぞの鴉天狗と似たにおいを感じる。
「自惚れるなよ。私よりも屈強な天狗はいくらでもいる。侵入できるなどと思わないことだ」
「あら、案内してくれないの?」
「なんで私が」
「ほら、人質?」
「山のルールと私の命。秤にかけるまでもなかろう」
「そう。残念」
大して残念そうではない様子でアリスは肩をすくめた。
「それじゃあ、次の質問」
「まだあるのか?」
「貴女も二つしたでしょ。だから私も二つ」
「…………」
――……苦手なタイプだ。
その好機に満ちた瞳は、本当にどこぞの鴉天狗を思わせる。
「妖夢は来ると思う?」
「来る。絶対に」
「……来て、私に勝てると?」
「それは……どうだろうな」
その問いは、即答しかねる。
アリス・マーガトロイド――“七色の人形遣い”の二つ名を持つ少女。椛を捕らえ、妖夢を行動不能にした手際から、その実力の片鱗が伺える。
からめ手を得手とするであろうアリスに対し、妖夢は完全な直情型。相性はあまり良くないだろう。
普通に考えれば、妖夢が勝てるとは考えにくい。
だが……
「その割には冷静なのね。貴女の言葉を借りれば、大事な“誇り”が切り売りされようとしているのに」
「そうでもない。内心は心配で仕方が無いさ。だが……」
たとえ勝機が見えずとも、彼女は来るだろう。そして全力で戦うだろう。
だから、
「私は妖夢を信じている」
たとえこの身を失うことになろうとも、一切の後悔はない。
――友の努力の結果だ。何であろうと受け入れるさ。
不敵な笑みを浮かべながら言い放ってやると、アリスは呆れたように笑った。
「なにそれ、のろけ?」
「のろッ……」
思わず立ち上がろうとしたが、縛り付けられているため、がたんと椅子を揺らすことしかできず。
その言い方はよろしくない。それではまるで……
「違う、そういうものでは」
「まあいいわ」
しかし慌てて否定する椛を華麗に無視して、アリスは椅子から立ち上がると邸宅と森とを繋ぐ一本道を見据えた。
勝気な笑みと、邸宅から現れる武装した人形たち。右手に剣を、左手に盾を。次いでランプを持った人形が更に姿を現し、アリス邸前の上空まで飛んで辺りを照らした。
彼女の行動が示すもの、それは、
「その信頼、打ち砕いてあげる」
勇者の見参を意味していた。
…………
「そろそろ着くぞ! 気張れよ!」
「了解!」
轟々と唸る風に負けないよう声を張り上げる魔理沙に、同じく妖夢も声を張り上げて応じた。
魔法の森の一本道。アリスの邸宅へと続く道を、箒に二人乗りした魔理沙と妖夢は飛ぶ。箒に跨る魔理沙に対して、妖夢はその後ろでしゃがんで魔理沙に掴まって。
アリスの家はまだ見えず。だが、魔理沙の言葉通りならば、ここは既にアリス・マーガトロイドの領域だということになる。
と、前方から小さな影が現れた。
「おいでなすったか!」
剣と盾を構えるそれは、アリスの人形。その数、四体。
横一列に並んだ人形たちは、こちらと一定の距離を保ちながら後退しつつ、剣の切っ先をこちらに向けて。
「妖夢! しっかり掴まってろ!」
「り、了解!」
警告と同時に、七色の弾幕が飛来した。
慌てて妖夢がしがみつくと同時に、魔理沙は紙一重で弾幕を潜り抜けながら興奮を隠さず笑みを浮かべる。
「アリスと戦るのは久しぶりだな。いっちょやってやるぜ!」
吠えて魔理沙はスペルカードを高々と掲げた。
「儀符『オーレリーズサン』!」
宣言と同時に、魔理沙の周りに赤、緑、青、黄、四色の球体が出現した。球体は魔理沙の周りをくるくると回りながら弾幕をばら撒く。
と、人形たちの隊形が変化した。横一列から二体は引き続き弾幕を撃ちながら後退を続け、残りの二体は剣を構えて前に出て。
「来るわよ!」
「わーってる! 片方は任せた!」
迫る人形の一体に魔理沙は手を向けて。
「アリスほど精密な動きはできないがな……!」
球体のひとつが公転運動をやめて、弾幕を放ちながら人形へと向かった。
ばら撒かれた弾幕を人形は盾で防ぎ、
ギガンッ!
飛び散る粒子。
球体の、その身が砕けるほどの体当たりを受けて、盾を破壊された人形はそのまま森の中へと吹っ飛んでいった。
「ビンゴっ!」
ガッツポーズをとる魔理沙にもう一体の人形が迫るが、そちらは妖夢の半霊が体当たりで弾き飛ばし。
「うむ! ごくろう!」
「見えた!」
無駄に尊大な労いの言葉はさておいて、妖夢は魔理沙の肩越しに前方を指差した。
青い屋根に白い壁。西洋の邸宅の玄関先に立ちはだかるように仁王立ちしているのは、“七色の人形遣い”ことアリス・マーガトロイド。ご丁寧にランプを持った人形たちで邸宅前を明るく照らしてくれている。これなら十分に戦えそうだ。
そして、そこから少し離れたところには、縄で椅子に縛り付けられた椛の姿もあった。
「椛!」
「待て妖夢! まだ相手は残ってるぜ!」
思わず身を乗り出しかけた妖夢を魔理沙は制し。
「感動のご対面はアリスに勝ってからにしな」
「ぐぅ……!」
いけない。また突っ走るところだった。いま我を失っては、アリスに狙い撃ちされてしまう。
まずは人形、次にアリス。それから椛だ。
妖夢が優先順位を再確認したところで、残っていた二体の人形も前進を始めた。魔理沙の弾幕を避けながらこちらに迫る。接触までの時間はほとんどない。
魔理沙が右手を前に。先ほどと同様に、球体の一つを人形へ向かわせながら言う。
「妖夢、私が合図したら思い切り跳べ」
「跳ぶ?」
魔理沙は少し高度を上げながら、笑みを深めた。どうにも、楽しくて仕方がないようだ。
「ああ。アリスに一発ぶちかましてやれ」
「……了解!」
何をするつもりかは分からないが、考えがあるのならば従おう。
人形との距離がぐんぐんと縮まる。うちの一体は球体に足止めをくらい、残るは剣を構えた一体のみ。
――跳ぶ、跳ぶ。思い切り、跳ぶ……!
魔理沙の言葉を反芻し、
――アリスに一発ぶちかます!
人形が剣を振りかぶり、
「跳べ!!」
合図を受けて、妖夢は思い切り跳んだ。人形の頭上を軽々と飛び越えて、アリスに向かって放物線を描いて。
同時に、跳躍の衝撃で魔理沙の箒は高度をがくんと下げて人形の一撃を回避した。そして、すれ違った人形の背に魔理沙は左手をかざして、
「終わりだぜ」
放った弾幕は、狙いたがわず人形を打ち抜いた。
一方、高々と跳躍した妖夢は、眼下にアリスの姿を捉えながら楼観剣を大上段に構えた。落下するにつれて、その表情が窺えるようになって。
妖夢が楼観剣を振り下ろすと同時に、不敵な笑みを浮かべたアリスは右手を振るった。
ガギギィ!
三体の人形が構えた盾に、一撃は防がれて。
「アリス! 椛は返してもらうわよ!」
「出来るものならやってみなさい!」
ギンッ!
弾き飛ばされ、妖夢は空中でくるくると回って着地した。そして相対するは再戦の人形遣い。
楼観剣を構える妖夢と対峙するアリスは、人形を下がらせながらスペルカードを取り出した。
「多勢に無勢じゃ貴女も納得しないだろうから、こっちは一体で相手をしてあげるわ。この子に勝てたら犬走椛を解放してあげる。負けたら大人しく引き下がりなさい」
「う。それは……」
構えが揺らぐ。その条件を受けることは……
口ごもる妖夢の様子に、アリスは嘲笑を浮かべた。
「あら、さっきまでの勢いはどうしたの?」
「ぐ……」
「自信がないのかしら? そうよねぇ。昼間に負けたばかりだもの」
「ち、違う!」
負ける気など毛頭ない。だが、もしも負けてしまえば……
この回答は安易にするものではない。椛の身体がかかっているのだ。
「構わない」
「ちょ! 椛!?」
しかし、窮する妖夢に代わって答えたのは、他でもない椛であった。
「潔いわね」
あわあわとうろたえる妖夢を真っ直ぐ見つめて、椛は言った。
「信じているからな」
「!……ですが、椛……」
駄目だ。まだ、自分では。
絶対に勝てる保障はない。負ける公算のほうが大きい。自分が負けるだけならば構わない。だけど、この条件を了承してしまえば、椛は尻尾を失ってしまうかもしれない。そんな危険を負わせるわけには。
「預けたぞ、妖夢」
「椛……」
しかし、その赤みを帯びた黒檀の瞳に射抜かれ、妖夢は言葉を失った。やけっぱちとも、妄信とも違う。『勝って見せろ』と言われたような気がして。
椛はずるいな、と妖夢は思った。そんな瞳で見つめられたら……
――応えるしかないじゃないですか。
「…………はい!」
力強くうなずくと、妖夢は改めてアリスと対峙した。
「約束よ、アリス。私が勝ったら椛を解放して」
「ええ、約束するわ。だから――」
そしてアリスはスペルカードを空高く投げ放ち。
「いいスパーリングの相手になって頂戴! 来なさい! 試作二号『ゴリアテ人形』!」
放ったスペルカードが彼方でちかりと輝いて。やがて空から舞い降りた――否、落下してきたものは。
ずずぅん……!
大地を揺るがし、砂埃を巻き上げ。
黒と白の衣装を身にまとい、長い金髪、赤いリボン。そして両の手にそれぞれ構えるは両刃の剣。
それはアリスの従える上海人形によく似た容姿の、しかし決定的に異なる要素を持った人形だった。
「え……えぇ~……?」
言葉を失い、妖夢は唖然とゴリアテと呼ばれた人形を“見上げた”。
そう、普段からアリスが操っている人形とは比べ物にならないほど、ゴリアテ人形は巨大だった。その身長、妖夢の二倍以上はあろうか。
「可愛いでしょ?」
「いや、かわいいって言うか、えぇ~……」
ただただ、妖夢は唖然と見上げるしかなかった。
――確かに一体だけど……
これはちょっとずるいんじゃないだろうか、などと思う妖夢である。
そんな妖夢の様子に勘違いしたか、アリスは得意げに口を開いた。
「怖気付いたようね。当然だわ。このゴリアテ人形は、他の子と同様の可愛さを持ちつつ、それでいて威圧感増し増しになるようデザインしたんだもの」
「……そんなに違うかしら?」
「!?」
妖夢から見れば、大きさ以外は他の人形と大差などないように見えた。
が、いまの言葉はアリスにとって大きかったようだ。アリスは地面にくず折れ、ふるふると震えている。ちなみに、何故かゴリアテ人形までアリスと同じようにくず折れていた。その瞳から零れ落ちる光の粒子は、アリスの魔力だろうか。
「あ、あの、ちょっと?」
戸惑いながらも声をかけると、アリスは顔だけ上げてこちらに向けて――もちろんゴリアテも一緒に――ぎりりと妖夢を睨みつけた。
「許さないわよ魂魄妖夢……!」
「え?」
アリスはゆらりと立ち上がると、一転、びっと人差し指を妖夢に突きつけて。
「ゴリアテ! やっておしまい! 貴女を馬鹿にした未熟者で半人前でちんちくりんの小娘を斬り伏せるのよ!!」
「ちょっと! 最初の二つはともかく、最後のはなに!?」
「悔しかったら出るとこ出してみなさい!」
「~~! 絶対に斬ってやる!!」
そして妖夢は巨大人形に突撃した。
「なるほど、アリスの目的はアレか」
ふと隣を見ると、魔法使いが椅子に座っていた。
「霧雨魔理沙か」
「おう」
魔理沙は片手を挙げると、椛のほうへと向き直った。
「やはりお前が犬走椛だったか。覚えてるぜ。弾幕ごっこにでっかい剣なんぞを持ち出してきた変わり者だったな」
「お前に変わり者呼ばわりはされたくないが」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「褒めていないが」
「いやいや、最高の褒め言葉だぜ」
魔法使いは変わり者なんだ、と魔理沙はからからと笑った。なるほど変わり者だ。
「アリスの目的とは、あの人形のことか」
視線でゴリアテ人形を示しながら、椛は魔理沙に問いかけた。
ああ、と頷き、魔理沙は帽子をテーブルの上に放ってから改めて戦いの場へと視線を戻した。
「“試作二号”って言ってただろ? 妖夢で開発中の人形の動作テストをしようってわけだな。
妖夢が申し出を断れば、お前の尻尾はアリスのもの。申し出を受け、戦うことになればゴリアテの動作テストができて、勝てればやっぱり尻尾を手に入れることができる。アリスにとっては、どっちに転んでもおいしい展開ってわけだ」
「むしろ、戦うことになったほうが二兎を得られる可能性も出てくる。それで妖夢を挑発するような言動をしていたのか」
わざわざ妖夢に挽回の機会を与えた理由がようやく分かった。魔法使いというやつは抜け目のない種族だと、つくづく椛は思った。
「まあ、今回は運が悪かったと思って諦めるこったな」
「それは、この戦い次第だろう?」
迷わず言い放ってやると、魔理沙は楽しいげな笑みを浮かべた。
「強気だな」
「お前たちが思っているよりも、妖夢は強いぞ」
「ほう。それは楽しみだ」
半人半霊対巨大人形という異色の戦いは、まだ始まったばかりだ。
二刀から繰り出される斬撃を潜り抜け、妖夢はゴリアテに肉薄する。
そして左の足首へ一閃。
ギンッ!
「くっ!?」
しかし、直前に展開された魔法陣によって阻まれてしまった。
「ほう、防御結界か何かか?」
「厄介だな」
椛の呟きに、魔理沙は顎に手を当てて思案顔で首肯した。
「うむ。見たところ、それなりに強度のあるもののようだ。アレを突破するのは骨だぜ」
「そしてあの体格差か」
「さて、どうするかな?」
――厄介な!
ゴリアテと距離をとりながら、妖夢は内心で毒づいた。
その巨体ゆえ、ゴリアテ人形の速さはそれほどでもない。立ち回りさえ誤らなければ、十分に隙を突くことは可能だった。
問題は障壁である。
妖夢の攻撃は、そのことごとくが障壁によって防がれていた。これではいくら撃ち込んでも、意味がない。
想像よりもずっと軽快な足取りで向かってくるゴリアテ人形を見据えながら、妖夢は再び楼観剣を構えた。
地を薙ぎ払うゴリアテ人形の一撃。妖夢が真上に跳躍して回避すると、残ったもう一本の剣が脳天を目指して振り下ろされた。
足元に霊力を集中。簡易の足場として形成したそれを踏みしめ、妖夢は二撃目を回避しつつ斜め前方に跳んだ。そしてゴリアテ人形の左肩に向けて鋭い突きを繰り出す。
ギッ!
やはり駄目。切っ先が肩のつけ根に突き刺さる寸前で、展開された障壁に防がれてしまった。
――だったら!
着地した妖夢は後ろに一回、二回と小さく跳んで距離をとり、スペルカードを取り出して口にくわえた。腰を落として半身を引いて、身を捻ったその構えは、居合い。
袈裟懸けに振り下ろし。今度は避けずに、妖夢は小さく呟く。
「人符『現世斬』」
符が妖夢の霊力を吸い取り、すぐさま増幅して返却。瞬間的に高い身体能力を得た妖夢は、スペルカードの定義に従って突進した。
その踏み込みは、あるいは天狗さえも凌駕するかもしれない。その速さを以って、妖夢は渾身の居合いをゴリアテ人形に見舞った。
ギシュッ!
――届いた!
確かな手ごたえ。楼観剣は障壁もろともゴリアテ人形を切り裂いていた。
だが、
――まだ足りない……!
ずざざっ、と砂埃を巻き上げながら停止して振り向けば、僅かによろめくゴリアテ人形の姿。その左足首には大きな切り傷ができていた。
しかし、人の身ならば決して無視できない傷も、人に非ず、かつ規格外の図体であるゴリアテ人形からすれば微々たるもののようである。
案の定、ゴリアテ人形は転倒することなく踏みとどまり、再びこちらに向き直って。
「まだまだ、ゴリアテの力はこんなものじゃないわよ!」
アリスが右手を振り上げると、ゴリアテ人形も右手を振り上げ、手にした剣を高々と放り投げた。
「武装変更!」
言葉と同時に剣は光に包まれ姿を消して、代わりに降ってきたものは。
「『狂弾の練習曲(エチュード)』!」
黒光りする鉄の塊。あれは本で見たことがある。確か“拳銃”と言ったか。
「おお!」
いつの間にやら椛の隣の椅子に陣取っていた魔理沙が、身を乗り出して目を輝かせていた。完全に野次馬気分のようである。
と、ゴリアテが銃口をガチャリとこちらに向けた。
タンッ!
乾いた銃声。後退した妖夢が直前までいたところを、赤い大弾が穿った。
「まだ終わりじゃなくてよ?」
アリスが左手を振るう。先ほどと同様に、左の剣も拳銃へと姿を変えて。
「さあ、踊りなさい!」
ゴリアテの二丁拳銃が火を噴いた。
眩しい。
横できらきらと輝く少女の瞳が眩しい。
「アリスめ、また面白いことをしてやがる」
興奮した様子で魔理沙が呟いた。いますぐ飛び出していきそうなくらい、そわそわとしている。
「あれも魔法なのか?」
「ああ、ありゃ空間転移の類だろうな」
ゴリアテ人形の持つ拳銃を注視しながら魔理沙は答えた。
「アリスはオールラウンダーな魔法使いだからな。無機物の転移くらいはできても不思議ではない。だがまあ、あれにしても、おそらくは制約付きだろうな」
「と言うと?」
「空間転移には二種類あってな。まあどちらにしろ滅茶苦茶デリケートな魔法なんだが」
ゴリアテ人形からは目を離さぬまま、魔理沙はぴっと人差し指と中指を伸ばした手を椛の眼前に突き出しながら続ける。
「始点があって、終点があって。そこに向かって対象を分解、移送、再構築する方法と、異相空間を通して運ぶ方法がある。即ち、必須となるのは始点と終点の位置と環境の情報。それと、対象物質の構成情報を理解したうえで、それを分解、再構築する技術か、対象物質を異相空間を経由して終点へ転送する技術のどちらかだ」
そして、と魔理沙は更に続ける。椛としてはもう十分なのだが、どうやら何かのスイッチを入れてしまったらしい。
「アリスが使っているのは前者だろう。対象が無機物だから、分解再構築による自身へのリスクはほとんど無い。転送対象が決まっているから、あらかじめ魔術式に構成情報を組み込んでおくことで、スムーズ且つ安定した転移が可能だ。後者は、こちらでどれだけ手を尽くしても“向こう側”で何が起こるか分からんからな」
「そうか」
「後者の転移をやっているのは霊夢や紫くらいだぜ。
紫のやつは、まあそういう妖怪だから構わんのだが、霊夢は『こんなもん、なんとなくでできるでしょ』なんて言いやがるから始末に置けない。全く、持たざるものの気持ちが分からんやつだ」
「……そうか」
「ちなみに二つに共通して厄介なのが“終点の情報”でな。コレが能動的に転移を行う際の壁なんだ。自身を中心とした“始点の情報”の収集は難しくないのだが、自分の手の届かない転移先ともなると少々面倒だ。戦いの最中に収集できるものじゃない。かと言ってテキトウな情報だけで転移を行えばどうなるか分からん」
「……」
「おそらくゴリアテの武器は決められた場所に格納してあるのだろう。それなら、終点の情報も術式に組み込んでおける。これで残るは始点の情報のみ。さきも言ったとおり、始点の情報は収集はそれほど難しくない。
始点、終点、対象物質の情報が全て手に入れば、指定された場所に剣を転送し、代わりにどっかに格納してあるピストルをこちらに転送することも容易い」
ようやく魔理沙は一息ついて、妙にスッキリした笑顔を椛に向けた。
「ま、そんなわけで、あの武器変更は前者の空間転移を用いていると私は考えるぜ」
「要するに、魔法なんだな」
「…………」
一転、魔理沙は泣きそうな表情になってがっくりと肩を落とした。
「せっかく説明してやったのに、それはないぜ……」
「す、すまない。少し長すぎて……」
「いいだろー。周りがあんなのばっかりだから、たまには私だって知識をひけらかしたいんだー」
「ええい引っ付くな鬱陶しい。見えんではないか!」
閑話休題。戯れている間に戦いは局面を変えようとしていた。
眼前に迫った赤い大弾を、妖夢は楼観剣で弾き飛ばした。
――キリがない!
拳銃の姿をしているが、ゴリアテ人形の持つ武器に物理的な弾切れは存在しないのだろう。先ほどから何十という弾丸を撃ち続けてもなお、弾を装填する素振りを見せない。
――……まあ、アリスの魔力がもとなんだろうから当然かしら。
こちらも弾幕で応戦するも、展開される障壁に防がれてしまって撃つだけ霊力の無駄。頼みの綱は、スペルカードを使った近接攻撃。それならば、展開される障壁もろとも斬ることができるということが証明されている。
兎にも角にも、まずは懐に入らねば話は始まらない。
先ほどまで逃げ回っていたおかげで、霊力は練り上げられている。妖夢はスペルカードを取り出して意識を集中させた。これは持続時間の短いもの。失敗は許されない。
「……よしっ」
意を決して妖夢は後退から一転、ゴリアテ人形に向かって突進した。
迫り来る弾雨。傍らに半霊が来ていることを確認してから妖夢はスペルカードを掲げて宣言した。
「魂符『幽明の苦輪』!」
僅かな脱力感と、意識が遠くなる感覚。同時に傍らの半霊が大きくなり、形を変えて、色を得て――やがて半霊は妖夢の写し身となった。
「行くぞ!」
右へ、左へ、半霊と交差するように動いてかく乱し――一秒――そして二人の妖夢は二手に分かれてゴリアテに迫った。
「小細工ね!」
ゴリアテは分かれた妖夢それぞれに銃口を向けて弾幕を張るが――二秒――、一丁の銃から放たれる弾幕程度であれば、前進しながらでも十分に避けられた。
二人の妖夢は弾幕をかいくぐりながら突進を続け――三秒――スペルカードが効力を失い、片方の妖夢が半霊の姿に戻った。
――色を与えていた分、いつもより効果切れが早い!
ゴリアテ人形がこちらに向き直る。だが、なんとか間に合った。既に間合いはこちらのものだ。いまから構えて狙って撃つよりも、こちらが斬るほうが速い。
妖夢は次のスペルカードを取り出して、
「武装変更!」
「!」
ゴリアテの、振りかぶった手の拳銃が再び剣へと変わった。
「『白刃の練習曲』!」
地をなぎ払う横薙ぎの一撃。
「ちぃ!」
舌打ちをしながら妖夢は跳んで、
ガチャリ。
「!」
その眼前に銃口が突きつけられた。
――回避は、間に合わないッ!
「これで、ピリオド」
引き金が引かれた。
「やはりアリスには勝てないか」
「いや、まだだ」
椅子の背もたれに体重を預けながらの魔理沙の言葉を、椛は否定した。
至近距離から大弾を受けて大きく吹っ飛ばされる妖夢の姿は、傍から見れば勝負ありに見えただろう。
だが、
「やつの弾丸は妖夢に届いていない」
「そうなのか?」
倒れた妖夢はしばしして、楼観剣を杖代わりに立ち上がった。しかし、やはり受けたダメージは小さくないのか、少し足元がおぼつかないように見える。
「おお、根性あるな」
「きちんと防御していたからな」
発砲の直前、妖夢が自身と拳銃の間に楼観剣を割り込ませているところを椛の眼は捉えていた。おかげで直撃は免れているはずだ。
妖夢は頭をぶんぶんと振ると、再び楼観剣を構えた。しかし、その面持ちからは焦りの色が見えて。
無理もない。スペルカードを投入しての一手が失敗に終わってしまったのだ。多少の充填時間があったとは言え、最初の現世斬と合わせて、それなりの霊力を消費しているはず。これ以上の無駄遣いは控えたいと思っていることだろう。
「万事休すかしら?」
嘲笑混じりのアリスの言葉に、妖夢は額に汗を浮かべながら笑みを浮かべた。
「ま、まだまだ……その人形を斬り潰す手は残っているわ……」
「……無理しないほうがいいわよ。ゴリアテの弾幕を至近距離で受けたんだもの。効いていないはずがないわ」
「友達の尻尾がかかっているんだ。少しくらい無理をさせてもらうわよ」
退く様子を見せない妖夢に、アリスは肩をすくめてため息をついて。
そして妖夢はこちらに顔を向けて手を振った。
「椛、もう少し待っててください! すぐに助けますから!」
「……あれ絶対に無理してるぜ」
応じようと口を開きかけた椛のわき腹を小突きながら、魔理沙が囁いた。
「止めてやったほうがいいんじゃないか?」
――そんなことは分かっている。だが、
「止めて、素直に聞くと思うか?」
「いや全然」
「分かっているじゃないか」
この幻想郷に、他人の言うことを素直に聞くようなやつはそんなにいない。取り分け、弾幕ごっこに興じるような負けん気の強い少女たちは。
椛はくつくつと笑うと、改めて声を張り上げた。
「無理はするなよ!」
「それはお約束できません!」
「そう言うと思っていた。では無理をしてもよいが、死ぬなよ!」
「了解です!」
応えて妖夢は楼観剣を構えなおし、再びゴリアテ人形を見据えた。
それを見つめる椛の横顔を魔理沙は眺め、怪訝な表情。
「ずいぶん楽しそうだな」
「ん?」
「妖夢が負けたら尻尾が切られるってのに」
「ああ、尻尾が切られてしまうのは御免被りたいが、それよりも私は嬉しいのだ」
「あん?」
かつての妖夢であれば、先ほどの一撃を防ぐことなどできなかっただろう。防御もできず、下手をすれば反応することもできぬまま弾丸をまともにくらって終わっていた。
――案ずるな、妖夢。お前は強くなっている。
「何でもいいけどな、さすがにやばくなったら割り込ませてもらうぜ。流石に目の前で人死にに遭っちゃあ寝覚めが悪い」
「期待している」
「まったく、暢気なもんだぜ」
「もういいかしら?」
「ええ、待たせたわね」
「それじゃあ再開しましょうか。武装変更」
――思わず見得を切っちゃったけど、どうしよう?
再び二丁拳銃へと武器を持ち替えたゴリアテ人形と対峙しながら、妖夢は独りごちた。
タタンッ!
乾いた音とともに二連射。横っ飛びに回避しながら、妖夢は思考をめぐらせる。
ゴリアテ人形は間合いの外。接近するには、もう一度あの二丁拳銃から繰り出される弾幕を掻い潜る必要がある。
とは言え、迂闊に近づけば剣の迎撃。先ほどの二の舞になってしまうだろう。
よしんばゴリアテ人形に肉薄できたとて、そのあとには障壁の防御が待っている。生半可の攻撃は全て防いでしまう厄介な代物だ。あれを破るには、やはり近接系のスペルカードが必須。
しかし、度重なるスペルカードの発動によって、体力、霊力ともに消費が激しい。先ほどもらった一発も効いている。万全には程遠い状態だった。
――でも、勝たなくちゃ!
自分が負ければ椛は尻尾を失ってしまうのだ。何が何でも勝たなくては。
己を奮い立たせ、妖夢は改めてゴリアテ人形を見据えた。無駄にステップを踏んだりターンしたりしながら放たれる大弾の弾幕を回避しつつ、妖夢は接近を試みる。まずは近づかなければ話にもならない。
右へ、左へ。跳んで、伏せて。時には回って、時には飛び込んで。
霊力を練り上げるため、妖夢はできるだけ時間をかけて前進した。
弾丸の速さにもだいぶ慣れてきている。これならば、次は幽明の苦輪で弾を分散させなくてもよさそうだ。
残る問題は障壁の突破。現世斬では決定打になり得なかった。次は更に上位の、より威力の高い技で攻めるしかない。
あるいは手数でおして術者――アリスの魔力切れを狙うという手もある。
――いや、それは無理。
こちらの消耗が激しい。むしろ持久戦は不利だろう。
「……そろそろ、次をお披露目してもいいかしら?」
「!?」
少しずつ方針が定まってきたところでアリスの言葉。“次”とはまさか……
「また新しい武器が出てくるの!?」
ようやく銃弾に慣れてきたというのに。
「とことんデータを取らせてもらうわよ?」
そしてアリスは手を掲げ、
「武装変更!」
拳銃が二丁とも光に包まれ、
「『喝采の練習曲』!」
光の中より現れたるは、鈍色に輝く筒だった。
「あれは……」
――なんだ?
見たことのない武装に、妖夢は首をかしげた。形からすると、何かを打ち出す武装のように見えるが……?
考える間に、ゴリアテ人形は“それ”を両手で肩に担ぐように構えた。
ぼしゅ!
少し気の抜ける音とともに発射されたものは、
「……人形?」
金髪の人形が両手を広げてこちらに飛んできた。
思わず抱きとめたくなるようなかわいい光景であるが、露骨に怪しいので妖夢は後ろに跳んだ。
「ダメだ妖夢! もっと下がれ!」
「え?」
魔理沙の叫びに妖夢はきょとんと声を上げた。しかし、いまさら更に後退などできるはずもなく。
妖夢の少し前方で、人形は両手を広げたまま地面に激突し、
ドォン!!
「きゃあ!」
地に接した瞬間、爆発した。
吹き荒れる風、飛び散る火の粉。爆風にあおられた妖夢は大きく吹っ飛ばされた。
ごろごろと転がって、やがて木の一本に背中からぶつかって動きは止まって。
「妖夢!」
「おいアリス! こんなところでバズーカなんかぶっ放しやがって、森に燃え移ったらどうするんだ!?」
椛の叫びと魔理沙の糾弾。しかしアリスは動じることなく軽く手を振りながら答えた。
「心配無用よ、魔理沙。ちゃんと人形を配置してあるから」
応じて森の中から何体もの人形ががさがさと姿を現した。その両手にはみな一様に水の入ったバケツをぶら下げている。森の木に燃え移ろうものなら、すぐさま消火する構えなのだろう。
「妖夢! 大丈夫か!?」
「だっ……大丈夫、です!」
椛の叫びに応じながら、妖夢は跳ね起きた。
「あら、本当に頑丈ね。大江戸の爆発に巻き込まれても立っていられるなんて」
「あだだ……。言ったことなかったかしら? 私は冥界で一番硬い盾なのよ」
「それは初耳」
そしてゴリアテ人形は筒――魔理沙は“バズーカ”と呼んでいたか――を構えなおし、
「なら、もう一発喰らってみる?」
「来てみろ! もう同じ手は通用しないぞ!」
再びバズーカから大江戸人形が射出された。直撃コースだ。
妖夢は地を這うように駆けた。その頭上を大江戸人形は飛んでゆき、
ドォン!!
背後で爆発。爆風に背を押されて妖夢は加速。一気にゴリアテ人形を目指す。
しかし、
「そうはいかないわよ!」
更に一発。今度は妖夢の進行方向を塞ぐような弾道。このまま真っ直ぐ走れば直撃してしまう。左右にかわしても、爆風にあおられてしまって進行は止まってしまうだろう。
だが、
――勝って見せますよ、椛!
妖夢は止まらず、スペルカードを取り出して口にくわえながら跳んだ。
ドォン!!
真下で爆発。跳躍力とあわせて、妖夢は空高く飛翔した。更に半霊を先行して上に向かわせて。
「それで避けきったつもり?」
ほとんど真上にまで跳び上がった妖夢に向かってゴリアテ人形はバズーカを向けた。
「魂符『幽明の苦輪』!」
スペルカード発動。あらかじめ妖夢の上に陣取っていた半霊が再び写し身となる。
ゴリアテ人形が引き金を引く。同時に半霊妖夢も動いた。刃を返して振り下ろした楼観剣、その峰に妖夢はくるんと身を翻して両足をかけて。その間に次のスペルカードを取り出して。
射出される大江戸人形。その射線上からずれるように半霊妖夢の楼観剣に打ち落とされた妖夢は、ゴリアテ人形の少し手前の地面に向かって一直線。この距離では楼観剣は届かない。
「ちっ! 武装変更!」
否、届く。
アリスも予期したのだろう、大江戸人形とすれ違ったところでゴリアテ人形の武器を剣に持ち替えさせた。今から拳銃に持ち替えても、弾丸を放つよりもこちらが斬るほうが速いという判断だろう。
――届かせる!
そして妖夢は次のスペルカードを宣言する。
「断迷剣『迷津慈航斬』!!」
「待て妖夢! そいつは!」
焦燥感をはらんだ魔理沙の声。だが、いまさら退くことなどできない。
妖夢は再びスペルカードに霊力を差し出し。
「う!?」
かつて無い脱力感。当然だ。ほんのついさっき幽明の苦輪を使ったばかりなのだ。本来ならば迷津慈航斬は、他と併せて使えるほど手軽な代物ではない。
――でもっ……それでもっ!
それだけの代償を払わなければ、届かせられない。これ以上、生半可なスペルカードを使う余裕も無い。いまの妖夢には、無理をしてでも一撃必殺に賭けるしかないのだ。
やがて妖夢の霊力を吸い上げきったスペルカードは、次いでその霊力を増幅させて妖夢の身体を通して楼観剣へと送り込んだ。
スペルカードの恩恵を受けた楼観剣は、その身に霊力の刀身をまとい、長さを増して。
「う、う、うううぅぅぅぅ!!」
振り上げた、楼観剣の、その色は。
蒼穹に似た、鮮やかな空色。
「ゴリアテ!!」
ゴリアテ人形が刀身を交差させ防御の姿勢。
「おおおおお!!」
その脳天に、残った力を振り絞って妖夢は迷津慈航斬によって顕現した霊力の刃を叩きつけた!
ギギャ! ギッ! ギッ……!
霊力の刃と鉄の刃が噛み合う。力が拮抗する。
「いいわよ! そのまま効果が切れるまで耐えなさい!」
ゴリアテの足元が僅かに陥没した。しかし、このままでは防ぎきられてしまう。そうなれば、もう終わりだ。
――ここまできて、負けられるか!!
ぴきり。
楼観剣のまとう空色が薄れてゆく。時間切れが近い。
――まだ、もう少し、もうちょっとだけ……!
びきん。
「私だって……」
持ちうる力を、刃に乗せて。
「私だって!」
溢れる思いを、刃に乗せて。
「椛の尻尾に触ってみたかったのにぃぃぃぃぃ!!」
「は!?」
雄たけびに、アリスは素っ頓狂な声を上げた。
次いで、
ばきんッ!
「ああっ! ゴリアテ!」
何かの折れる音とアリスの悲鳴。そしてゴリアテ人形は大きくバランスを崩した。
原因は、左足。
最初の現世斬によって切り裂いた左足が、迷津慈航斬の一撃に耐え切れずに折れてしまったのだ。
この機を逃す手はない。
「おおおおおぁぁぁあああ!!」
裂帛とともに更に霊力を振り絞り。楼観剣をまとう霊力の刃が再び輝く。
びきりびきりと、ゴリアテ人形の二刀に亀裂が走り。
ッギィン!
そして妖夢は、二刀ごとゴリアテ人形を断ち斬った。
――ま、まだ……!
肩口から足の付け根まで一直線。その身を断たれ、力を失ったゴリアテ人形は、虚ろになった瞳を妖夢に向けながらゆっくりと倒れていった。
着地した妖夢は、しかしなおも足を止めることなく。動かぬゴリアテ人形には目もくれずに、もはや霊力体力を使い果たした身体に鞭を打ってアリスへと肉薄した。
ゴリアテ人形を倒されて呆然としていたアリスの、細く、白い首筋に楼観剣をあてがって。
「約束よ。椛は返してもらう」
「……分かった、分かったわ。私の負け。彼女は解放するわ」
「よし」
アリスの宣言を聞いた妖夢は仰向けに倒れ、そのまま意識を失った。
アリスは、力なく転がるゴリアテ人形――その残骸を呆然と見つめていた。
――まさか、またゴリアテが負けるなんて……
氷精との一戦からこれまで、幾多の改良を重ねてきたというのに。
それを、
「こんな……」
――こんな半人前に……!
大の字になって眠りこける半人半霊をぎり、と睨み付け右手を振り上げ。
「おっとアリス、そこまでだぜ」
制止の声に顔を向ければ、右手をこちらに向ける普通の魔法使い、霧雨魔理沙の姿。
「私たちは魔法使いだ。嘘をつくのも騙まし討ちをするのも結構。だがな……“約束”は、破っちゃあいけないぜ?」
右手に収まったオブジェクト――魔理沙の武器、ミニ八卦炉には既に魔力が宿っていて。いつでも撃てる状態のようだ。
「お前が勝ったら椛の尻尾はお前のもの。妖夢が勝ったら妖夢のもの。そういう約束だろ?」
「ちょっと違う気がするけど……」
アリスはため息をつき、
「まあいいわ。約束を破る気なんてないわよ」
振り上げた右手を魔理沙の――ではなく隣の椛のほうへと向けた。パタンと邸宅の窓が開いて、中から剣を携えた人形がふよふよと飛んでくる。
人形は魔理沙の隣で縛られたままの椛を戒めている縄をぶづりと切ると、再び邸宅へと戻っていった。
「はい、これでいい?」
「妖夢!」
即座に椛は立ち上がり、身体にまとわりつく縄を払いながら妖夢へと駆け寄った。傍らに跪き、その小柄な身体を抱き上げ、様子を見ている。
見たところ、呼吸に乱れは無い。外傷も、擦り傷やあざがあるが、決して重いものはないだろう。ただ、疲れて眠っているだけのようだ。
「まったく、無茶をしやがったな。キャパシティオーバーもいいところだぜ」
ほっと息をつつ椛の傍に寄って行った魔理沙が、妖夢の顔を覗き込みながら笑った。
「ああ。無理をしてもいいと言いはしたがな……」
再び安堵の息をついて表情をほころばせる椛を眺め、そしてアリスは踵を返した。
「ほら、いつまでも喋ってないで入りなさい。お茶くらいなら出すから」
「おお、勝利の美酒ってやつだな」
「あんたは戦ってないでしょ。ていうか、なんでいるのよ」
「ま、成り行きでな。ちなみに道中の人形は私が倒したんだぜ」
「あ、そ。あんなもの勝負のうちに入らないでしょ」
「なら、いまからやるか?」
「お断りよ。今日はもう疲れたわ」
「ふふん、怖気づいたか」
「なんでもいいわよ、もう。ほら、貴女も早く入りなさい」
「ああ」
無遠慮に邸宅へ入っていく魔理沙を見送って、未だに妖夢を抱えたまま玄関先に突っ立っていた椛にアリスは声をかけた。応じて椛も歩き出し、
「アリス・マーガトロイド」
玄関をまたいだところで椛は足を止め、してやったりと言いたげな笑みを肩越しに向けてきた。これ見よがしに尻尾を振りつつ。
「尻尾を手に入れ損ねたな」
「構わないわ。いいデータが取れたし」
「ふっ。妖夢は強かっただろう?」
「……そうね。ここまでやるとは思ってなかったわ」
アリスは自嘲の笑みを浮かべ、
「次は負けないわよ、妖夢」
椛の腕の中で眠る妖夢へと言葉を投げかけた。
…………
開いた瞳に映ったのは、なだらかな曲線と友の顔。
「気が付いたか」
「んぅ?」
そして少女は安堵のため息と声をこぼした。
雪のように真っ白の髪の毛と、狼の耳。ほのかに赤みを帯びた黒檀の瞳。凛々しく、美しい面立ち。
「椛……」
妖夢は友の名を呟き、次いで自分が彼女に膝枕をされているのだと気が付いた。
すなわち、視界の端を埋めるこの白い衣に包まれた曲線は……
「ぐぬぬ……!」
「どうした?」
妖夢は知っている。そのなだらかさが偽りであることを。妖夢は知っている。彼女が、少なくとも妖夢のそれを軽く凌駕する程度には“ぼいん”であることを。
――これは、サラシで抑えているな……!
しばし偽りの曲線を忌々しげに睨み付けてから、妖夢は周囲に視線を向けた。
左側には、赤を貴重とした落ち着いた色彩の絨毯に、火のついていない煉瓦造りの暖炉。天井ではランプの光が煌々と室内を照らしていた。
右は蜂蜜色一色だった。妖夢が横たえられているこれは、革張りのソファなのだろう。その背もたれだ。
と、
ふわり。
お腹と、その上にあった両腕の間で何かが動いた。それは、かつて触ったことがないほど柔らかで、滑らかで、温かな感触。
妖夢は首だけ起こしてそちらに顔を向けて、
「こ、これは……!」
目を瞠った。
妖夢の身体を優しく包む“それ”は純白。
思わず両手で掴んでしまうと“それ”はくすぐったそうにふるりと震えて。
「椛、どうして……?」
「別に、誰にも触られたくないわけではない。親しい間柄のものなら――その、お前になら、構わない」
問いかける妖夢に、椛はそっぽを向いて応えた。照れているのだろうか。
「いいんですか?」
「助けてくれた礼もある。好きにするといい」
「……で、ではっ。不束者ですが……!」
いささか緊張しつつ、改めて妖夢は“それ”を――椛の尻尾をゆっくり撫でた。
その毛は少し太めで、しっかりとしているながらも滑らかに指の間を通り抜け、えも言えぬ心地よさとぬくもりが、指を、手のひらを通して身体全体にまで広がるようで。
――これ、
「すごぉい……」
理性が蕩けた妖夢は、辛抱たまらず椛の尻尾をきゅ、と抱きしめ、顔を埋めた。
尻尾がくすぐったそうに震えているがお構いなし。妖夢は尻尾を抱きしめたまま撫で回した。
――好きにしていいって言われたもん。
それにしても、なんという触り心地だろうか。最初の一撫でで、妖夢はこの尻尾の虜になってしまった。これはアリスが欲しがるのも頷ける。
「あれはネコだな」
「いいえ、猿よ。それもまだ乳離れできていない小猿」
「…………」
しかし、聞こえた第三、第四の声に、尻尾を撫で回す手がぴたりと止まった。
「あー、あの必死にしがみついてる感じは確かに猿だな」
「気持ちは分からないでもないけどね。あれ本当に気持ちいのよ」
「ちょっ……!?」
妖夢はソファから転げ落ち、ばたばたとその陰に身を隠した。そして真っ赤に染まった顔を少しだけのぞかせ、
「ななっ、なんで二人がいるの!?」
張り上げた声に、二人――魔理沙とアリスは顔を見合わせた。
「いやなんでって言うか、なあ」
「ここ、私の家だし」
「……え?」
「ここ、私の、家」
「あ……そうだったの……」
この西洋風の館は、アリス・マーガトロイド邸だったようだ。改めて見回すと、棚には人形が並んでいるし、奥の通路を人形がふよふよと通過していくのが見えた。
「お前が気を失ってしまったから、休ませてもらっていたんだ」
妖夢の近くまで寄ってきた椛は言った。そして少し乱暴な手つきで妖夢の頭に手を乗せ、顔を近づけて。
「まったく、また無茶をしたな。体力もろくに残っていなかったろうに、霊力を限界以上まで引き出してスペルカードを撃つなど。下手をすれば、体力、霊力を使い果たしてあの世行きだぞ」
「それは……帰る手間が省ける」
「また言うかっ」
「ああっ! ごめんなさい!」
「……姉妹だな」
「姉妹ね」
背後から羽交い絞めにして銀髪をわしゃわしゃとかき回す椛と、ばたばたと抵抗する妖夢の姿を見ながら、魔理沙とアリスは頷きながら呟いた。
…………
どこかでカァとカラスの声が聞こえた。ずいぶんと夜更かしなカラスだ。
魔法の森の上空を人と、霊と、狼が飛ぶ。
眼下に見えるは木々の群れ。ぽつりぽつりと光を放っているのは、草木か、茸か、はたまた虫、妖精の類か。魔法の森は知らぬことが多い。光を放つ得体の知れない何かがあっても不思議ではないだろう。
見上げた空は宵の口。薄い雲に覆われてぼんやりと輝く月と、彩るようにぽつりぽつりと瞬く星々。少し遅くなってしまったな、と思いながら妖夢は視線を正面に戻した。
アリス・マーガトロイド邸を後にして二人、妖夢と椛は帰路についていた。
「妖夢、大丈夫か?」
と、隣を飛ぶ椛が心配そうに口を開いた。
「辛かったら言えよ。途中までならおぶってやれる」
「大丈夫ですよ。私は強いですからね」
なんといっても、自分よりもずっと大きな相手に勝ったのだ。多少の疲労などなんのその。妖夢は得意げに、偽りでないなだらかな胸をそらした。
「そうか」
その様子に、椛は苦笑を浮かべ、
「強くなったな」
とくん。
そして不意に言葉に、妖夢の命の半分を繋ぐ心臓と、半身の霊魂が小さく跳ねた。
「い、いえ、私は……」
「謙遜することはない。まさか、お前に助けられる日が来るとは思わなかった」
「……椛には助けられてばかりですから。少しでもお役に立ててよかったです」
“強い”などと言われ慣れていないせいだろうか。なんとなく気恥ずかしくなって、妖夢は少し速度を上げた。たぶん、いまの自分は真っ赤な顔をしているから。
「妖夢、ありがとう」
「……いえ」
「だが、その……最後の、あの叫びは、正直……ないと思ったぞ」
「……それは忘れてください…………」
蚊の鳴くような声を出しつつ、羞恥で暴れる半霊を顔に押し付けながら妖夢は更に速度を上げた。間違いなく、いまの自分は火を噴きそうなほど真っ赤な顔をしているから。
了
茜色の幻想郷。
沈みゆく夕日に照らされて真っ赤に染まった家々と、家路を辿る人妖。子は母のもとへ、妖は闇のなかへ。
「私もそろそろ帰るかな」
ぱたぱたと駆ける子供の姿をした人妖。すれ違い、その後姿を眺めながら、夕餉の香り漂う通りを歩く少女は呟いた。
黒と白のエプロンドレスに、先のほうが曲がった黒いとんがり帽子。風になびくは緩くウェーブのかかった金の長髪。使い古された愛用の箒を肩に担いで、その金の瞳に宿るは探求の光。
魔法の森に居を構える、なんでも屋“霧雨魔法店”の店主こと普通の魔法使い、霧雨魔理沙だ。
しかし、従業員は店主の彼女ひとりであるうえに、いつもどこかへ出掛けているか研究で家に籠っているため、この店が店として機能することは滅多にない。
今日も今日とて魔理沙は幻想郷を巡り、人里で夕刻を迎えたところだった。
この時間帯の幻想郷は、なんとなくセピアに見えて。その雰囲気に、郷愁の念を思わせる。
「……何をおセンチになっているんだか」
苦笑しつつ、魔理沙はのんびりと通りを歩く。
とは言え、まだ夜までは時間がある。もう少し、この雰囲気を味わうのも悪くない。
やがて通りを抜けて入ったこの広場にも、昼間のような活気はなく。まばらになった広場に魔理沙の足音がざりざりと響く。
カァ、とどこかでカラスが鳴いた。意外と近い気がして、魔理沙が辺りをきょろきょろと見回すと、
「お?」
広場の端に設置された長椅子で、すよすよと穏やかな寝息を立てる少女がひとり。
肩で切りそろえられた銀髪に、黒のリボン。白いシャツに緑のベストと、同じ意匠の緑のスカート。その背と腰には、長刀と短刀を一振りずつ携えて。膝の上には大きな霊魂が猫のように丸くなって鎮座していた。
「って、人魂はもともと丸かったな」
などと自分にツッコミを入れつつ、魔理沙はひょいひょいと少女のもとへと歩いていく。よほど深く眠っているのか、魔理沙の接近にも、すぐ傍ら、長椅子の背もたれで羽を休めるカラスに肩をつつかれているにもかかわらず起きる様子はない。
魔理沙が近づくと、カラスはこちらへ顔を向けてカァと鳴いた。
「な、なんだよ……?」
たじろぐ魔理沙の金の瞳を、カラスはじっと覗き込み、
「…………」
「…………」
奇妙な沈黙が流れ……
「カァ」
やがてカラスは更に鳴くと、翼を広げて飛び立った。
「……なんだったんだ?」
他とはなんとなく違った雰囲気を持ったカラスを、魔理沙は眉をひそめて見送った。彼方に見えるは妖怪の山。わざわざ山からここまで降りてきていたのだろうか。
しばし魔理沙は山へと飛び去るカラスを見つめてから、再び視線を戻した。少女は相変わらず寝息を立てたままで。
このまま放っておいても構わないが、知らぬ顔でもない。魔理沙は少女の肩に手をかけた。
「おい妖夢。こんなところで寝ていると風邪を引くぞ」
その少女――魂魄妖夢は、人にして人に非ず。半分は人の血、もう半分は幽霊の血を通わせた“半人半霊”という稀有な少女。
普段は死者の世界である冥界のお屋敷で庭師として働いているのだが、冥界と幻想郷を自由に行き来できるようになった昨今、こうして幻想郷に降りてくることがしばしばある。
しかし……
「…………んぅ?」
ようやく気が付いたようだ。妖夢はゆっくりとまぶたを開いて、きょろきょろと辺りを見回す。
しかし、生真面目な性格の妖夢である。彼女に寄り掛かるように置かれた買い物袋を見るに、買出しの途中だったのだろう。仕事の最中に居眠りとは、よほど疲れていたのか、それとも単に気が緩んでしまったのか。
「よう、おはよう。もう夕方だが」
再び魔理沙が声をかけると、妖夢は呆けた表情で魔理沙を見た。まだ少し寝ぼけているようだ。
「まりさ……?」
「おう、おはよう。もう夕方だが」
「お、おはよう。ゆうがた……?」
寝ぼけながらも妖夢は魔理沙に挨拶を返して、
「ゆうがた……?」
「おう」
「…………」
やがてその表情が徐々に歪んでいった。その色、焦燥感が濃く。
さもありなん。おおかた、腰を下ろしてちょっと休憩とかそんなつもりだったのだろう。ところがいつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら夕方だったなど、不覚もいいところだ。
まあ失敗は誰にでもある、と魔理沙が慰めの言葉をかけてやろうとした、その時。
「魔理沙!!」
「おう!?」
いきなり覚醒した妖夢は魔理沙に掴みかかった。
「私を、アリスのところまで連れて行って!」
「……おう?」
◆ ◆ ◆
「命――夢――希望――
どこから来て、どこへ行く?
そん」
白刃、閃く。
問答無用の一閃は、道化姿の魔王を口上もろとも切り伏せた。
おおお、とどよめき。
やがて空を覆っていた暗雲は消え、世界は暖かな光に包まれた。
そして舞台袖からちょこちょこと駆けて来た姫を勇者はかたく抱きしめて、
「――こうして、魔王を倒した勇者は囚われのお姫様を救い出し、末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
幕。
沸き上がる拍手と歓声。
昼下がりの幻想郷。暖かな午後の日差しが降り注ぐ中、人里の広場で行われていた人形劇は、大盛況のうちに幕を閉じた。
喝采を前に少女はふぅと息をついて礼をひとつ。
「はい、今日の劇はおしまい。見てくれてありがとうね」
それを合図に観客――集まった子供たちは、きゃあきゃあと騒ぎながら少女の前から去っていった。
金の髪に金の瞳。曇りなく透き通った白い肌。その端麗な容姿は、まるで彼女自身が人形であるかのようで。
去りゆく子らに手を振って、少女はもう一度ふぅと息をついた。そして、ようやくこちらに顔を向けて。
「貴女たちも、見てくれてありがとう」
「ううん、たまたま通りかかったから」
「子供向けの内容だったし、退屈だったでしょう?」
そう言って照れくさそうに笑う少女に、妖夢はぱたぱたと手を振って。
「いいえ、そんなことは。面白かったですよ。
特に、孤島に流れ着いた勇者を助けてくれた老人が、まずい魚を食べて命を落としてしまうシーン。感動的だったなぁ……」
「……そこか?」
しみじみと語る妖夢の感想に、隣の椛は首をかしげた。
人里へ買い物に来ていた魂魄妖夢と犬走椛は、たまたま知り合いの開いている人形劇を見かけ、一休みがてらに観賞していた。
内容はごくありふれたもの。囚われの姫君を助ける勇者の物語。しかし、道中には魔王の腹心たる四天王が待ち構えていて、あるものは死してなお勇者を道連れにしようとし、あるものは魔王を裏切り勇者をかばって命を落としたりなど、無駄に凝ったサブイベントが盛りだくさん。
子供向けにしては異常なボリュームに思えたが、なかなかどうして好評であった。
「ふふ、ありがと」
妖夢の賞賛に、少女は嬉しそうに微笑むと、今度は椛のほうへと顔を向けた。
「あなたと話すのは初めてね。私はアリス・マーガトロイド。魔法使いよ」
「白狼天狗の犬走椛だ。私のことを知っているのか」
少女――“七色の人形遣い”ことアリス・マーガトロイドは左手をくいっと胸元まで上げる。すると、人形用の小さな舞台から二体の人形が姿を現した。“勇者”と“魔王”だ。
“勇者”と“魔王”は空中で対峙して、ヤァヤァと斬り合いを始め、その様を眺めながら、アリスは言う。
「時々こうやって里で人形劇をやっているのよ。今日みたいにね。いつだったか、その時に見かけたの。ほら、その帽子とか、下駄とか、天狗の衣装って珍しいから」
今度は腰の辺りまで左手を振り下ろすと、人形たちは斬り合いを止めて舞台裏へと入っていった。
人形たちを見送ってから、アリスは椛の姿をまじまじと見つめた。
赤い高下駄。鮮やかな紅葉が散りばめられた藍のスカートに、白い腋出しの装束。頭の上にちょこんと乗っているのは赤い八角帽。そして、その髪の毛と、白狼天狗の証たる狼の耳と尾は純白。背には革製の鞘に納められた幅広の刀と楕円形の盾を負っている。
まさしく、妖怪の山に所属する白狼天狗の標準装備だった。
「確かに、山の外で活動する天狗は珍しいだろうな」
自らの姿を見下ろしながら、椛。
がたがたと舞台で物音がする。人形たちが片付けでもしているのだろうか。
「それと、他の種族と一緒にいることも印象的だったかな。仲がいいのね」
「う、む……まあ……」
「あはは……」
揃って照れくさそうに笑う二人に、アリスもまた微笑んで。
と、舞台から人形が飛び出してきた。今度は一体だけ。
長い金髪と大きな赤いリボンが特徴的な可愛らしい人形は、アリスに向かってぴっと手を上げた。
「上海、片付けは終わった?」
問いに答えるように、上海と呼ばれた人形はこくこくと頷いてから、アリスの傍らに移動した。
「そ。ご苦労様」
上海人形に労いの言葉をかけてから、アリスはテキパキと舞台を畳んでいく。
「あ、そうだ。犬走さん」
「なんだろうか」
声をかけつつ、やがて大きなバッグへと形を変えた舞台をアリスは改めて地面に置いて、
「ちょっと失礼」
言うが早いか、椛の背後に回りこんで、その尻尾を鷲掴みにした。
「ひぅ!?」
引きつったような声。しかしアリスは構わずわさわさと椛の尻尾を撫で回す。
「やっぱり思ったとおり! いい触り心地だわ!」
「あ、あの……アリス?」
「それにしても、いい声で啼くのね、貴女」
確かに。
いつも凛としている椛にしては珍しいの女性的な声に、妖夢はいいものを聞いた、と少しばかり得をした気分になっていた。
……などと考えている場合ではない。椛はぎっとアリスを睨み付けて、
「五月蝿い! 離せ!」
「おっと」
怒声と抵抗に、アリスはあっさりと身を引いた。だが、椛は獣の耳の、そして尻尾の毛を逆立たせてアリスを射るように睨み付けている。
しかし、対するアリスは悪びれた様子もなく。
「いきなりごめんなさいね。どうしても触ってみたくて。
でも、本当に良い毛並みね。何かケアの秘訣でもあるのかしら?」
くすくすと笑うアリスを前に、椛は大きく息を吸って、吐いて、そしてぐるると喉の奥を鳴らしながら搾り出すように言う。
「……特別なことは何もしていない。それより、尻尾はデリケートな部分なんだ。むやみに触らないでくれないか」
低い声色。何とか怒りを抑えているようで、逆立つ耳と尻尾の毛が徐々に収まっていく。
しかし、尻尾を触られただけでこれほど取り乱すとは。ゆくゆくは触らせてもらえないだろうかと密かに考えていた妖夢のショックは大きい。
――私も触ってみたかったな……
歩くたびにゆらゆらと揺れる尻尾。風になびく尻尾。あの見るからにふわふわそうな毛並み、その感触はかの妖狐、八雲藍の九尾に匹敵するのではないだろうか!?
……とは言え、その感触を確かめることは不可能なのだ。妖夢とて、友情を放り捨ててまで触りたいとは思わない。仮に友情を犠牲にして触ろうとしても、いまの妖夢では椛に触れることはできないだろう。まんまとその感触を味わうことができたアリスを羨むばかりである。
「も、椛、大丈夫ですか?」
「……ああ、問題ない」
眉間にしわを寄せ、ぶんと尻尾をひと振りしながら椛は応えた。よほど不快だったのだろう、頬が赤く染まっている。
やはり、あの尻尾に飛び込むことは絶望的なのだろうかと、未練がましく考える妖夢である。
そんな妖夢の襟首を引っつかみ、椛は踵を返して歩き出す。
「妖夢、行くぞ」
「はぁい……」
「何をしょぼくれている?」
「いえ何でも。ではアリス、また」
「うふふ、またね」
ずるずると椛に引きずられながら妖夢が手を振ると、アリスも上海人形と一緒に手を振り返して。
「ああ、でも」
右手を振りながら、アリスは左手をゆっくりと持ち上げる。あわせて上海人形は上昇してゆき。
がしゃり。
「貴女は私と一緒に来てもらえるかしら?」
太陽を背に、上海人形がこちらに突撃してきた。その手に構えるは、一振りの剣。
「ちょ!? 椛!」
「ッ!」
椛は妖夢を前方に放り投げ、自身も前に跳んだ。
がッ!
劇で使っていたような作り物ではない。その鋼の刃は、地面に小さな亀裂を刻み込んだ。
「あら避けられちゃった」
「アリス!?」
「何をする!?」
妖夢と椛はそれぞれ剣を抜き放ち、アリスと対峙する。しかしアリスは、剣士二人に刃を向けられながらも動じることなく。
地にめり込んだ剣を引っこ抜いて尻餅をついた上海人形は、空いているほうの手で尻の埃を落としながらアリスの傍らに戻っていった。その頭を優しく撫でながら、アリスは微笑む。先ほどと変わらぬ笑顔。しかし、その身からは妖しげな雰囲気が漂っていて。
「ちょっとその尻尾、頂戴しよう思いまして」
「尻尾を?」
「ええ。ちょうど作ろうと思っていた人形の服にピッタリの素材みたいだから」
「冗談ではない!」
椛は激昂した。人形の服のために尻尾を斬られそうになったのだから、当然の反応と言える。
「いいじゃない別に。貴女、妖怪なんだし、どうせまた生えるでしょ? ちゃんとお礼はするから」
しかし、対照的にあっけらかんと言うアリスに、椛は更に語気を強めた。
「そういう問題ではない!
この身は全て、私の! 白狼天狗の誇りだ! 切り売りするものなどひとつもない!!」
「…………あ、そう」
アリスはため息をついてつまらなそうに呟くと、左手を横に一振り。
「じゃ、腕尽くでいただこうかしら」
その瞬間、
「な!?」
気を付けの姿勢になって椛が倒れた。身動きが取れないのか、必死に身をよじってもがいている。
「椛!?」
「貴様、何を……ッ!?」
「何かしらね」
取り合わず、アリスは右手を振り上げ、振り下ろした。呼応して、上海人形が再び剣を振り下ろす。
ぎんッ!
しかし、その一撃は楼観剣に防がれた。
ぎりぎりと上海人形の小さな剣を押さえながら、妖夢はアリスを睨み付けて。
「アリス、椛を離して」
「嫌よ。あんなにいい毛皮、滅多に手に入らないもの」
「椛は嫌がってる」
「だから、また生えるでしょ。お礼もするし」
「そういう問題ではないとも言ってたで、しょ!」
言葉と同時に妖夢は上海人形を弾き飛ばした。上海人形はくるくると回りながら弧を描き、そしてアリスの傍らでぴたりと停止した。さりげなく両手を掲げてポーズをとっていたりする。
と、ささやかな拍手。辺りをちらりと見回すと、三人の周りには人だかりができていた。これだけ騒いでいるのだ、仕方あるまい。よく見ると“宣伝中”と書かれた紙を持った人形が人だかりの内側をゆっくりと周回していた。
どうやら、次の公演の宣伝材料にされているようだが、そんなことはどうでもいい。視線を戻すと、アリスは妙に芝居がかった様子で半眼になって嘆息していた。
「……聞き分けないわね」
「それはあなたのほう。これ以上、私の友達を傷つけようと言うのなら、斬る」
ちゃきりと楼観剣を構えなおす妖夢を見て、アリスは嘲笑を浮かべた。
「貴女が私を斬る? それは無理だわ」
「やってみなければわからない」
「なら、分からせてもらおうかしら!?」
アリスが右手を大きく振るう。次の瞬間、眼前に迫るは両手を掲げた人形が一体。
「!?」
下がる間もなく、その小さな手が瞬いた。
がががぎが!
「くう!」
放たれた七色の弾幕は楼観剣で防いだが、不意打ちに妖夢は尻餅をついてしまった。
「貴女はこっち」
「うおお!?」
その隙に宙を舞う椛。
ぐいっと振り上げられたアリスの左手に引かれるように、その身は放物線を描き、そして椛はアリスの背後にどさりと落下した。
「椛!」
慌てて駆け寄ろうとした妖夢の前に、しかし立ちはだかるは三体の人形。
「はい、貴女の相手はそっち」
「ち……!」
だが、そんな小さな人形に止められるものか。
妖夢は構わず踏み込み楼観剣を振るった。人形たちは散開して一閃を回避する。
道が開いた。
――いまだ!
踏み込む力を更に強めて、一足飛びにアリスへと肉薄――
「待て妖夢! 罠だ!」
ぎしっ!
「ぐ!?」
身体の前面に痛み。同時にがくんと勢いが止まった。見下ろせば、肩口から腰にかけて一本の縄が張られていて妖夢の突進を阻害していた。それぞれ縄の先には、先ほど妖夢の一閃をかわした人形たち。
「妖夢!」
「はい、おしまい」
人形たちは縄を持ったまま妖夢の周りをぐるぐると回りだす。
「あっ、ちょ……!」
胸元を回り、足元を回り……
やがて妖夢は芋虫状態にされて地面に転がった。
「呆気ないものね。見込み違いだったかしら」
「く……!」
身を捩って睨み上げる妖夢を、アリスは近くまでやってきて見下ろす。
「絶対にッ、椛は……!」
「まだ言うの?」
はぁ、と呆れたようなため息。
「諦めなさい。貴女では私を止めることはできないわ」
「それでも! 私は!」
「ああもう五月蝿い」
声色を苛立たしげなものに変えて、アリスは妖夢の額に手をかけた。
ぐらり。
視界が、揺らぐ。
――これは、眠気……?
「なん……なに、を……?」
「殺しはしないわ。里で殺しは御法度だからね」
混濁した頭の中に、人形遣いの声が響く。
「時間をあげる。頭を冷やして、ようく考えなさい。貴女と、私の、力の差というものを」
瞼が重い。もう、これ以上は……
「それでもまだ私に刃向かうと言うのなら、私の家に来なさい。今度は正々堂々と相手をしてあげる」
「妖夢!」
アリスの嘲笑と椛の叫び。
「も、み…………」
そして自分の声を最後に、妖夢の意識は闇へと沈んでいった。
◆ ◆ ◆
「なるほど。で、いまに至る、と」
広場の長椅子に並んで、二人。
妖夢の話を聞き終えた魔理沙は、腕を組んで呟いた。
「うん。だから早く助けに行かないと!」
椛のことが心配だ。
「まあ待て。無闇に突っ込んでも、どうせ二の舞だぞ。ここはアリスの言うとおり、まずは頭を冷やせ」
「で、でもっ……」
たしなめられ、それでも妖夢はいまにも飛び出さんばかりで。
その頭を魔理沙は箒でぽんぽんと叩きながら言う。
「お前が冷静さを失えば、友達は助からない。だろ?」
「う……」
畳み掛けられ、妖夢はようやくおとなしくなった。まだ半霊がふるふると震えているが。
――そうだ。落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ……
己の不甲斐なさに、アリスの挑発的な言動に滾る身体を抑えつけて、妖夢はしばし地面を見つめ、目を閉じて。大きく息を吸って、吐いて。
思い出せ。アリスは何と言っていた?
『私の家に来なさい。今度は正々堂々と相手をしてあげる』
そうだ、椛は“まだ”無事なんだ。自分がアリスのもとへ行って、真っ向勝負で戦って勝てば、椛は助けられる。
冷静になれ。椛を助けられるのは、自分だけなんだ。
瞼の裏に浮かぶは、白い影。思い起こすは、始まりの日。
主の命で妖怪の山に踏み入った妖夢の前に立ちふさがった白狼天狗。紅葉に彩られた山の中に舞い降りた白。その剣は、妖夢の剣を遥かに凌駕していて。
剣を交えて、言葉を交わして。妖夢にとって、目標であり、大切な友である白狼天狗、犬走椛。
思い返せば、椛には助けられっぱなしだった。いつだって椛は、妖夢を守り、導いてくれた。
だから、
――だから、今度は私が助ける番……!
どくんどくんと五月蝿いくらい騒いでいた心臓の鼓動が、少しずつ収まってゆく。
やがてゆっくりと開いた瑠璃の瞳には静かな輝き。妖夢は半霊を傍らまでゆっくりと移動させ、魔理沙のほうへと顔を向けた。
「魔理沙」
「おう」
「お願い、アリスのところまで案内して」
「落ち着いたか?」
「うん、ありがとう」
魔理沙の問いに、妖夢はうすらと笑みを浮かべて答えた。
それを見た魔理沙も笑みを返して、
「よし、それじゃ、行くか!」
がつんと箒の柄で地面を突いて、魔理沙は勢いよく立ち上がった。
「おう!」
――椛。いま、助けに行きます!
…………
ここは空気が澄んでいる。
椅子に縛り付けられた椛は、辺りをぐるりと見回した。
瘴気に満ち、多彩な木々が鬱蒼と生い茂る、魔法の森。
その植生の濃さゆえに、森の中は薄暗くじめじめしていて、怪しげな茸たちの温床となっている。強い瘴気と茸の胞子に満ちた森は、抵抗力の強い妖怪であっても簡単に適応できる環境ではない。
しかし、そんな森に住んでいるものが二人だけいた。
一人は人間――“普通の魔法使い”霧雨魔理沙だ。どういうわけか、彼女は人の身でありながら、この森に順応して生活をしている。
瘴気を取り込んだ大小さまざまなキノコは、時に予想もできない効果を発揮する。魔理沙は、森のキノコを使って日々魔法の研究に没頭していた。
そしてもう一人は……
「…………」
テーブルを挟んで椛の向かい、椅子に優雅に腰掛けて繕い物――小さな洋服だ――に勤しむ金髪の少女。伏目がちに向けられた視線の先では、針を操る白い手が精巧なカラクリのように淀みなく動いていた。
よくもまあ、あんな速さで作業ができるものだと、椛はなんとなしにその光景を見つめ。
「気になる?」
こちらの視線に気付いたのだろうか、アリスは手元から目を離さぬまま口を開いた。
魔法の森に住むもう一人――アリス・マーガトロイドの邸宅は、森の中で少し開けたところにある。しかし、ここは全くと言っていいほど瘴気の不快感が感じられなかった。
「そうだな。瘴気に満ちたこの森の中で、何故ここだけ空気が澄んでいるのか。気になるところだ」
「あ、そっち……?」
椛の言葉に、アリスは少し残念そうにため息をついた。
「結界を張っているのよ。この森の瘴気や茸の胞子は有害だから。それに湿気が多くて人形が痛んじゃうし」
なるほど、と椛は納得した。
結界によって瘴気、胞子、そして湿気をシャットアウトし、快適な環境を自らの手で作り上げていたようだ。
しかし、まだ疑問は残る。
「そのような手間をかけてまで、ここに住み着く理由が?」
結界を張らねば住めないような地に、どうしてこの魔法使いは居座っているのか。この森には、そうまでしなければならないほどの“何か”があるというのか。
「ここは人も妖怪もあまり寄り付かない土地だから、静かに研究するにはうってつけなのよ」
再度、椛は納得した。
魔法使いとは、存在そのものが機密の塊であると言っても過言ではない種族である。魔道書などの所持品はもちろん、身に付けた知識や技術――それが当人のオリジナルであるならば尚更、その極意は知られたくないものだ。
故に、アリスは人妖の寄り付かない魔法の森に居を構えているのだった。
「まあ、最近はそうも言えなくなってきたけどね……」
ため息混じりに呟いて、アリスは針と服をテーブルに置いた。そして左手を小さく動かす。少しして、パタンと邸宅の窓が開いてランプを持った人形が飛んできた。
見上げれば、空の赤みは少しずつ失われ、藍の色が濃くなっていて。いつの間にか、ぽつりぽつりと星が瞬き始めていた。
――夜か……
妖夢はどうしているだろうか。まだ里で眠っている? それとも既に目を覚まして、ここに向かっているのだろうか。
「もう一つ、聞いていいだろうか?」
「どうぞ」
光源を確保したアリスは、繕いを再開しながら応えた。
ランプの明かりに照らされて、ほんのりと赤みを帯びた端正な顔立ちを眺めながら、椛は問う。
「本当に私の尻尾が狙いなのか?」
「……」
アリスは答えない。黙々と作業を続けるばかりだった。しかし、少しだけ眉が跳ね上がったのを椛は見逃さなかった。
――やはり、何か隠している。
「どうして妖夢に挽回の機会を与えた? 他に何か目的があるのではないか?」
ずっと気になっていた。ただ尻尾が欲しいだけならば、妖夢を行動不能にしたあとで切って持ち去ればいい。
しかし、アリスはそれをしなかった。あまつさえ、妖夢に『かかってこい』とまで言った。椛は、アリスの目的を計りかねていた。
「…………さて、どうかしらね」
結局、表情を変えぬままアリスはそれだけ言って黙り込む。
――何が目的だ?
「……」
「……」
沈黙で促すも、アリスは答えず。これ以上、話すつもりは無いようだ。
見上げた空にはランプが一つ。それを抱えた人形は、里のほうをじっと見ていた。ランプ持ちのついでに物見でもしているのだろうか。
「私も聞いていいかしら?」
と、今度はアリスから話しかけてきた。再び作業を中断し、少し身を乗り出して頬杖をついて。さらりと流れた金髪が、ランプの明かりを反射してきらきらと輝いた。その金の瞳から窺い見えるは好奇の光。
「……構わないが」
こちらの質問には答ないくせにと思ったが、どうせ身動きが取れないのだ。退屈しのぎに付き合ってやるのもいいだろうと、椛は首肯した。
「貴女は普段、何をしているの?」
「山の警護をしている。先に行っておくが、山には決して足を踏み入れないことだ」
妖怪の山は天狗の支配する不可侵の地。許可なく侵入すれば、すぐに哨戒の天狗が追い返しに出向く。
「山、ね」
しかしアリスは視線を彼方へと向けて、金の瞳を僅かに輝かせた。
「妖怪の山には外界の技術があふれているってウワサがあったかしら。興味があるわね」
「話を聞いていなかったのか。妖怪の山は天狗の領域。侵入することは許さないぞ」
椛とて、山に属する天狗の一人。目の前で侵入をほのめかす発言をされては黙っていられない。
「天狗に私を止められるかしらね?」
しかし、釘を刺してもアリスは取り合わず、視線だけを椛に向けて妖艶に微笑む。糠に釘とはまさにこのことだった。
――苦手なタイプだな。
この不遜な態度には、どこぞの鴉天狗と似たにおいを感じる。
「自惚れるなよ。私よりも屈強な天狗はいくらでもいる。侵入できるなどと思わないことだ」
「あら、案内してくれないの?」
「なんで私が」
「ほら、人質?」
「山のルールと私の命。秤にかけるまでもなかろう」
「そう。残念」
大して残念そうではない様子でアリスは肩をすくめた。
「それじゃあ、次の質問」
「まだあるのか?」
「貴女も二つしたでしょ。だから私も二つ」
「…………」
――……苦手なタイプだ。
その好機に満ちた瞳は、本当にどこぞの鴉天狗を思わせる。
「妖夢は来ると思う?」
「来る。絶対に」
「……来て、私に勝てると?」
「それは……どうだろうな」
その問いは、即答しかねる。
アリス・マーガトロイド――“七色の人形遣い”の二つ名を持つ少女。椛を捕らえ、妖夢を行動不能にした手際から、その実力の片鱗が伺える。
からめ手を得手とするであろうアリスに対し、妖夢は完全な直情型。相性はあまり良くないだろう。
普通に考えれば、妖夢が勝てるとは考えにくい。
だが……
「その割には冷静なのね。貴女の言葉を借りれば、大事な“誇り”が切り売りされようとしているのに」
「そうでもない。内心は心配で仕方が無いさ。だが……」
たとえ勝機が見えずとも、彼女は来るだろう。そして全力で戦うだろう。
だから、
「私は妖夢を信じている」
たとえこの身を失うことになろうとも、一切の後悔はない。
――友の努力の結果だ。何であろうと受け入れるさ。
不敵な笑みを浮かべながら言い放ってやると、アリスは呆れたように笑った。
「なにそれ、のろけ?」
「のろッ……」
思わず立ち上がろうとしたが、縛り付けられているため、がたんと椅子を揺らすことしかできず。
その言い方はよろしくない。それではまるで……
「違う、そういうものでは」
「まあいいわ」
しかし慌てて否定する椛を華麗に無視して、アリスは椅子から立ち上がると邸宅と森とを繋ぐ一本道を見据えた。
勝気な笑みと、邸宅から現れる武装した人形たち。右手に剣を、左手に盾を。次いでランプを持った人形が更に姿を現し、アリス邸前の上空まで飛んで辺りを照らした。
彼女の行動が示すもの、それは、
「その信頼、打ち砕いてあげる」
勇者の見参を意味していた。
…………
「そろそろ着くぞ! 気張れよ!」
「了解!」
轟々と唸る風に負けないよう声を張り上げる魔理沙に、同じく妖夢も声を張り上げて応じた。
魔法の森の一本道。アリスの邸宅へと続く道を、箒に二人乗りした魔理沙と妖夢は飛ぶ。箒に跨る魔理沙に対して、妖夢はその後ろでしゃがんで魔理沙に掴まって。
アリスの家はまだ見えず。だが、魔理沙の言葉通りならば、ここは既にアリス・マーガトロイドの領域だということになる。
と、前方から小さな影が現れた。
「おいでなすったか!」
剣と盾を構えるそれは、アリスの人形。その数、四体。
横一列に並んだ人形たちは、こちらと一定の距離を保ちながら後退しつつ、剣の切っ先をこちらに向けて。
「妖夢! しっかり掴まってろ!」
「り、了解!」
警告と同時に、七色の弾幕が飛来した。
慌てて妖夢がしがみつくと同時に、魔理沙は紙一重で弾幕を潜り抜けながら興奮を隠さず笑みを浮かべる。
「アリスと戦るのは久しぶりだな。いっちょやってやるぜ!」
吠えて魔理沙はスペルカードを高々と掲げた。
「儀符『オーレリーズサン』!」
宣言と同時に、魔理沙の周りに赤、緑、青、黄、四色の球体が出現した。球体は魔理沙の周りをくるくると回りながら弾幕をばら撒く。
と、人形たちの隊形が変化した。横一列から二体は引き続き弾幕を撃ちながら後退を続け、残りの二体は剣を構えて前に出て。
「来るわよ!」
「わーってる! 片方は任せた!」
迫る人形の一体に魔理沙は手を向けて。
「アリスほど精密な動きはできないがな……!」
球体のひとつが公転運動をやめて、弾幕を放ちながら人形へと向かった。
ばら撒かれた弾幕を人形は盾で防ぎ、
ギガンッ!
飛び散る粒子。
球体の、その身が砕けるほどの体当たりを受けて、盾を破壊された人形はそのまま森の中へと吹っ飛んでいった。
「ビンゴっ!」
ガッツポーズをとる魔理沙にもう一体の人形が迫るが、そちらは妖夢の半霊が体当たりで弾き飛ばし。
「うむ! ごくろう!」
「見えた!」
無駄に尊大な労いの言葉はさておいて、妖夢は魔理沙の肩越しに前方を指差した。
青い屋根に白い壁。西洋の邸宅の玄関先に立ちはだかるように仁王立ちしているのは、“七色の人形遣い”ことアリス・マーガトロイド。ご丁寧にランプを持った人形たちで邸宅前を明るく照らしてくれている。これなら十分に戦えそうだ。
そして、そこから少し離れたところには、縄で椅子に縛り付けられた椛の姿もあった。
「椛!」
「待て妖夢! まだ相手は残ってるぜ!」
思わず身を乗り出しかけた妖夢を魔理沙は制し。
「感動のご対面はアリスに勝ってからにしな」
「ぐぅ……!」
いけない。また突っ走るところだった。いま我を失っては、アリスに狙い撃ちされてしまう。
まずは人形、次にアリス。それから椛だ。
妖夢が優先順位を再確認したところで、残っていた二体の人形も前進を始めた。魔理沙の弾幕を避けながらこちらに迫る。接触までの時間はほとんどない。
魔理沙が右手を前に。先ほどと同様に、球体の一つを人形へ向かわせながら言う。
「妖夢、私が合図したら思い切り跳べ」
「跳ぶ?」
魔理沙は少し高度を上げながら、笑みを深めた。どうにも、楽しくて仕方がないようだ。
「ああ。アリスに一発ぶちかましてやれ」
「……了解!」
何をするつもりかは分からないが、考えがあるのならば従おう。
人形との距離がぐんぐんと縮まる。うちの一体は球体に足止めをくらい、残るは剣を構えた一体のみ。
――跳ぶ、跳ぶ。思い切り、跳ぶ……!
魔理沙の言葉を反芻し、
――アリスに一発ぶちかます!
人形が剣を振りかぶり、
「跳べ!!」
合図を受けて、妖夢は思い切り跳んだ。人形の頭上を軽々と飛び越えて、アリスに向かって放物線を描いて。
同時に、跳躍の衝撃で魔理沙の箒は高度をがくんと下げて人形の一撃を回避した。そして、すれ違った人形の背に魔理沙は左手をかざして、
「終わりだぜ」
放った弾幕は、狙いたがわず人形を打ち抜いた。
一方、高々と跳躍した妖夢は、眼下にアリスの姿を捉えながら楼観剣を大上段に構えた。落下するにつれて、その表情が窺えるようになって。
妖夢が楼観剣を振り下ろすと同時に、不敵な笑みを浮かべたアリスは右手を振るった。
ガギギィ!
三体の人形が構えた盾に、一撃は防がれて。
「アリス! 椛は返してもらうわよ!」
「出来るものならやってみなさい!」
ギンッ!
弾き飛ばされ、妖夢は空中でくるくると回って着地した。そして相対するは再戦の人形遣い。
楼観剣を構える妖夢と対峙するアリスは、人形を下がらせながらスペルカードを取り出した。
「多勢に無勢じゃ貴女も納得しないだろうから、こっちは一体で相手をしてあげるわ。この子に勝てたら犬走椛を解放してあげる。負けたら大人しく引き下がりなさい」
「う。それは……」
構えが揺らぐ。その条件を受けることは……
口ごもる妖夢の様子に、アリスは嘲笑を浮かべた。
「あら、さっきまでの勢いはどうしたの?」
「ぐ……」
「自信がないのかしら? そうよねぇ。昼間に負けたばかりだもの」
「ち、違う!」
負ける気など毛頭ない。だが、もしも負けてしまえば……
この回答は安易にするものではない。椛の身体がかかっているのだ。
「構わない」
「ちょ! 椛!?」
しかし、窮する妖夢に代わって答えたのは、他でもない椛であった。
「潔いわね」
あわあわとうろたえる妖夢を真っ直ぐ見つめて、椛は言った。
「信じているからな」
「!……ですが、椛……」
駄目だ。まだ、自分では。
絶対に勝てる保障はない。負ける公算のほうが大きい。自分が負けるだけならば構わない。だけど、この条件を了承してしまえば、椛は尻尾を失ってしまうかもしれない。そんな危険を負わせるわけには。
「預けたぞ、妖夢」
「椛……」
しかし、その赤みを帯びた黒檀の瞳に射抜かれ、妖夢は言葉を失った。やけっぱちとも、妄信とも違う。『勝って見せろ』と言われたような気がして。
椛はずるいな、と妖夢は思った。そんな瞳で見つめられたら……
――応えるしかないじゃないですか。
「…………はい!」
力強くうなずくと、妖夢は改めてアリスと対峙した。
「約束よ、アリス。私が勝ったら椛を解放して」
「ええ、約束するわ。だから――」
そしてアリスはスペルカードを空高く投げ放ち。
「いいスパーリングの相手になって頂戴! 来なさい! 試作二号『ゴリアテ人形』!」
放ったスペルカードが彼方でちかりと輝いて。やがて空から舞い降りた――否、落下してきたものは。
ずずぅん……!
大地を揺るがし、砂埃を巻き上げ。
黒と白の衣装を身にまとい、長い金髪、赤いリボン。そして両の手にそれぞれ構えるは両刃の剣。
それはアリスの従える上海人形によく似た容姿の、しかし決定的に異なる要素を持った人形だった。
「え……えぇ~……?」
言葉を失い、妖夢は唖然とゴリアテと呼ばれた人形を“見上げた”。
そう、普段からアリスが操っている人形とは比べ物にならないほど、ゴリアテ人形は巨大だった。その身長、妖夢の二倍以上はあろうか。
「可愛いでしょ?」
「いや、かわいいって言うか、えぇ~……」
ただただ、妖夢は唖然と見上げるしかなかった。
――確かに一体だけど……
これはちょっとずるいんじゃないだろうか、などと思う妖夢である。
そんな妖夢の様子に勘違いしたか、アリスは得意げに口を開いた。
「怖気付いたようね。当然だわ。このゴリアテ人形は、他の子と同様の可愛さを持ちつつ、それでいて威圧感増し増しになるようデザインしたんだもの」
「……そんなに違うかしら?」
「!?」
妖夢から見れば、大きさ以外は他の人形と大差などないように見えた。
が、いまの言葉はアリスにとって大きかったようだ。アリスは地面にくず折れ、ふるふると震えている。ちなみに、何故かゴリアテ人形までアリスと同じようにくず折れていた。その瞳から零れ落ちる光の粒子は、アリスの魔力だろうか。
「あ、あの、ちょっと?」
戸惑いながらも声をかけると、アリスは顔だけ上げてこちらに向けて――もちろんゴリアテも一緒に――ぎりりと妖夢を睨みつけた。
「許さないわよ魂魄妖夢……!」
「え?」
アリスはゆらりと立ち上がると、一転、びっと人差し指を妖夢に突きつけて。
「ゴリアテ! やっておしまい! 貴女を馬鹿にした未熟者で半人前でちんちくりんの小娘を斬り伏せるのよ!!」
「ちょっと! 最初の二つはともかく、最後のはなに!?」
「悔しかったら出るとこ出してみなさい!」
「~~! 絶対に斬ってやる!!」
そして妖夢は巨大人形に突撃した。
「なるほど、アリスの目的はアレか」
ふと隣を見ると、魔法使いが椅子に座っていた。
「霧雨魔理沙か」
「おう」
魔理沙は片手を挙げると、椛のほうへと向き直った。
「やはりお前が犬走椛だったか。覚えてるぜ。弾幕ごっこにでっかい剣なんぞを持ち出してきた変わり者だったな」
「お前に変わり者呼ばわりはされたくないが」
「お褒めに預かり光栄ですわ」
「褒めていないが」
「いやいや、最高の褒め言葉だぜ」
魔法使いは変わり者なんだ、と魔理沙はからからと笑った。なるほど変わり者だ。
「アリスの目的とは、あの人形のことか」
視線でゴリアテ人形を示しながら、椛は魔理沙に問いかけた。
ああ、と頷き、魔理沙は帽子をテーブルの上に放ってから改めて戦いの場へと視線を戻した。
「“試作二号”って言ってただろ? 妖夢で開発中の人形の動作テストをしようってわけだな。
妖夢が申し出を断れば、お前の尻尾はアリスのもの。申し出を受け、戦うことになればゴリアテの動作テストができて、勝てればやっぱり尻尾を手に入れることができる。アリスにとっては、どっちに転んでもおいしい展開ってわけだ」
「むしろ、戦うことになったほうが二兎を得られる可能性も出てくる。それで妖夢を挑発するような言動をしていたのか」
わざわざ妖夢に挽回の機会を与えた理由がようやく分かった。魔法使いというやつは抜け目のない種族だと、つくづく椛は思った。
「まあ、今回は運が悪かったと思って諦めるこったな」
「それは、この戦い次第だろう?」
迷わず言い放ってやると、魔理沙は楽しいげな笑みを浮かべた。
「強気だな」
「お前たちが思っているよりも、妖夢は強いぞ」
「ほう。それは楽しみだ」
半人半霊対巨大人形という異色の戦いは、まだ始まったばかりだ。
二刀から繰り出される斬撃を潜り抜け、妖夢はゴリアテに肉薄する。
そして左の足首へ一閃。
ギンッ!
「くっ!?」
しかし、直前に展開された魔法陣によって阻まれてしまった。
「ほう、防御結界か何かか?」
「厄介だな」
椛の呟きに、魔理沙は顎に手を当てて思案顔で首肯した。
「うむ。見たところ、それなりに強度のあるもののようだ。アレを突破するのは骨だぜ」
「そしてあの体格差か」
「さて、どうするかな?」
――厄介な!
ゴリアテと距離をとりながら、妖夢は内心で毒づいた。
その巨体ゆえ、ゴリアテ人形の速さはそれほどでもない。立ち回りさえ誤らなければ、十分に隙を突くことは可能だった。
問題は障壁である。
妖夢の攻撃は、そのことごとくが障壁によって防がれていた。これではいくら撃ち込んでも、意味がない。
想像よりもずっと軽快な足取りで向かってくるゴリアテ人形を見据えながら、妖夢は再び楼観剣を構えた。
地を薙ぎ払うゴリアテ人形の一撃。妖夢が真上に跳躍して回避すると、残ったもう一本の剣が脳天を目指して振り下ろされた。
足元に霊力を集中。簡易の足場として形成したそれを踏みしめ、妖夢は二撃目を回避しつつ斜め前方に跳んだ。そしてゴリアテ人形の左肩に向けて鋭い突きを繰り出す。
ギッ!
やはり駄目。切っ先が肩のつけ根に突き刺さる寸前で、展開された障壁に防がれてしまった。
――だったら!
着地した妖夢は後ろに一回、二回と小さく跳んで距離をとり、スペルカードを取り出して口にくわえた。腰を落として半身を引いて、身を捻ったその構えは、居合い。
袈裟懸けに振り下ろし。今度は避けずに、妖夢は小さく呟く。
「人符『現世斬』」
符が妖夢の霊力を吸い取り、すぐさま増幅して返却。瞬間的に高い身体能力を得た妖夢は、スペルカードの定義に従って突進した。
その踏み込みは、あるいは天狗さえも凌駕するかもしれない。その速さを以って、妖夢は渾身の居合いをゴリアテ人形に見舞った。
ギシュッ!
――届いた!
確かな手ごたえ。楼観剣は障壁もろともゴリアテ人形を切り裂いていた。
だが、
――まだ足りない……!
ずざざっ、と砂埃を巻き上げながら停止して振り向けば、僅かによろめくゴリアテ人形の姿。その左足首には大きな切り傷ができていた。
しかし、人の身ならば決して無視できない傷も、人に非ず、かつ規格外の図体であるゴリアテ人形からすれば微々たるもののようである。
案の定、ゴリアテ人形は転倒することなく踏みとどまり、再びこちらに向き直って。
「まだまだ、ゴリアテの力はこんなものじゃないわよ!」
アリスが右手を振り上げると、ゴリアテ人形も右手を振り上げ、手にした剣を高々と放り投げた。
「武装変更!」
言葉と同時に剣は光に包まれ姿を消して、代わりに降ってきたものは。
「『狂弾の練習曲(エチュード)』!」
黒光りする鉄の塊。あれは本で見たことがある。確か“拳銃”と言ったか。
「おお!」
いつの間にやら椛の隣の椅子に陣取っていた魔理沙が、身を乗り出して目を輝かせていた。完全に野次馬気分のようである。
と、ゴリアテが銃口をガチャリとこちらに向けた。
タンッ!
乾いた銃声。後退した妖夢が直前までいたところを、赤い大弾が穿った。
「まだ終わりじゃなくてよ?」
アリスが左手を振るう。先ほどと同様に、左の剣も拳銃へと姿を変えて。
「さあ、踊りなさい!」
ゴリアテの二丁拳銃が火を噴いた。
眩しい。
横できらきらと輝く少女の瞳が眩しい。
「アリスめ、また面白いことをしてやがる」
興奮した様子で魔理沙が呟いた。いますぐ飛び出していきそうなくらい、そわそわとしている。
「あれも魔法なのか?」
「ああ、ありゃ空間転移の類だろうな」
ゴリアテ人形の持つ拳銃を注視しながら魔理沙は答えた。
「アリスはオールラウンダーな魔法使いだからな。無機物の転移くらいはできても不思議ではない。だがまあ、あれにしても、おそらくは制約付きだろうな」
「と言うと?」
「空間転移には二種類あってな。まあどちらにしろ滅茶苦茶デリケートな魔法なんだが」
ゴリアテ人形からは目を離さぬまま、魔理沙はぴっと人差し指と中指を伸ばした手を椛の眼前に突き出しながら続ける。
「始点があって、終点があって。そこに向かって対象を分解、移送、再構築する方法と、異相空間を通して運ぶ方法がある。即ち、必須となるのは始点と終点の位置と環境の情報。それと、対象物質の構成情報を理解したうえで、それを分解、再構築する技術か、対象物質を異相空間を経由して終点へ転送する技術のどちらかだ」
そして、と魔理沙は更に続ける。椛としてはもう十分なのだが、どうやら何かのスイッチを入れてしまったらしい。
「アリスが使っているのは前者だろう。対象が無機物だから、分解再構築による自身へのリスクはほとんど無い。転送対象が決まっているから、あらかじめ魔術式に構成情報を組み込んでおくことで、スムーズ且つ安定した転移が可能だ。後者は、こちらでどれだけ手を尽くしても“向こう側”で何が起こるか分からんからな」
「そうか」
「後者の転移をやっているのは霊夢や紫くらいだぜ。
紫のやつは、まあそういう妖怪だから構わんのだが、霊夢は『こんなもん、なんとなくでできるでしょ』なんて言いやがるから始末に置けない。全く、持たざるものの気持ちが分からんやつだ」
「……そうか」
「ちなみに二つに共通して厄介なのが“終点の情報”でな。コレが能動的に転移を行う際の壁なんだ。自身を中心とした“始点の情報”の収集は難しくないのだが、自分の手の届かない転移先ともなると少々面倒だ。戦いの最中に収集できるものじゃない。かと言ってテキトウな情報だけで転移を行えばどうなるか分からん」
「……」
「おそらくゴリアテの武器は決められた場所に格納してあるのだろう。それなら、終点の情報も術式に組み込んでおける。これで残るは始点の情報のみ。さきも言ったとおり、始点の情報は収集はそれほど難しくない。
始点、終点、対象物質の情報が全て手に入れば、指定された場所に剣を転送し、代わりにどっかに格納してあるピストルをこちらに転送することも容易い」
ようやく魔理沙は一息ついて、妙にスッキリした笑顔を椛に向けた。
「ま、そんなわけで、あの武器変更は前者の空間転移を用いていると私は考えるぜ」
「要するに、魔法なんだな」
「…………」
一転、魔理沙は泣きそうな表情になってがっくりと肩を落とした。
「せっかく説明してやったのに、それはないぜ……」
「す、すまない。少し長すぎて……」
「いいだろー。周りがあんなのばっかりだから、たまには私だって知識をひけらかしたいんだー」
「ええい引っ付くな鬱陶しい。見えんではないか!」
閑話休題。戯れている間に戦いは局面を変えようとしていた。
眼前に迫った赤い大弾を、妖夢は楼観剣で弾き飛ばした。
――キリがない!
拳銃の姿をしているが、ゴリアテ人形の持つ武器に物理的な弾切れは存在しないのだろう。先ほどから何十という弾丸を撃ち続けてもなお、弾を装填する素振りを見せない。
――……まあ、アリスの魔力がもとなんだろうから当然かしら。
こちらも弾幕で応戦するも、展開される障壁に防がれてしまって撃つだけ霊力の無駄。頼みの綱は、スペルカードを使った近接攻撃。それならば、展開される障壁もろとも斬ることができるということが証明されている。
兎にも角にも、まずは懐に入らねば話は始まらない。
先ほどまで逃げ回っていたおかげで、霊力は練り上げられている。妖夢はスペルカードを取り出して意識を集中させた。これは持続時間の短いもの。失敗は許されない。
「……よしっ」
意を決して妖夢は後退から一転、ゴリアテ人形に向かって突進した。
迫り来る弾雨。傍らに半霊が来ていることを確認してから妖夢はスペルカードを掲げて宣言した。
「魂符『幽明の苦輪』!」
僅かな脱力感と、意識が遠くなる感覚。同時に傍らの半霊が大きくなり、形を変えて、色を得て――やがて半霊は妖夢の写し身となった。
「行くぞ!」
右へ、左へ、半霊と交差するように動いてかく乱し――一秒――そして二人の妖夢は二手に分かれてゴリアテに迫った。
「小細工ね!」
ゴリアテは分かれた妖夢それぞれに銃口を向けて弾幕を張るが――二秒――、一丁の銃から放たれる弾幕程度であれば、前進しながらでも十分に避けられた。
二人の妖夢は弾幕をかいくぐりながら突進を続け――三秒――スペルカードが効力を失い、片方の妖夢が半霊の姿に戻った。
――色を与えていた分、いつもより効果切れが早い!
ゴリアテ人形がこちらに向き直る。だが、なんとか間に合った。既に間合いはこちらのものだ。いまから構えて狙って撃つよりも、こちらが斬るほうが速い。
妖夢は次のスペルカードを取り出して、
「武装変更!」
「!」
ゴリアテの、振りかぶった手の拳銃が再び剣へと変わった。
「『白刃の練習曲』!」
地をなぎ払う横薙ぎの一撃。
「ちぃ!」
舌打ちをしながら妖夢は跳んで、
ガチャリ。
「!」
その眼前に銃口が突きつけられた。
――回避は、間に合わないッ!
「これで、ピリオド」
引き金が引かれた。
「やはりアリスには勝てないか」
「いや、まだだ」
椅子の背もたれに体重を預けながらの魔理沙の言葉を、椛は否定した。
至近距離から大弾を受けて大きく吹っ飛ばされる妖夢の姿は、傍から見れば勝負ありに見えただろう。
だが、
「やつの弾丸は妖夢に届いていない」
「そうなのか?」
倒れた妖夢はしばしして、楼観剣を杖代わりに立ち上がった。しかし、やはり受けたダメージは小さくないのか、少し足元がおぼつかないように見える。
「おお、根性あるな」
「きちんと防御していたからな」
発砲の直前、妖夢が自身と拳銃の間に楼観剣を割り込ませているところを椛の眼は捉えていた。おかげで直撃は免れているはずだ。
妖夢は頭をぶんぶんと振ると、再び楼観剣を構えた。しかし、その面持ちからは焦りの色が見えて。
無理もない。スペルカードを投入しての一手が失敗に終わってしまったのだ。多少の充填時間があったとは言え、最初の現世斬と合わせて、それなりの霊力を消費しているはず。これ以上の無駄遣いは控えたいと思っていることだろう。
「万事休すかしら?」
嘲笑混じりのアリスの言葉に、妖夢は額に汗を浮かべながら笑みを浮かべた。
「ま、まだまだ……その人形を斬り潰す手は残っているわ……」
「……無理しないほうがいいわよ。ゴリアテの弾幕を至近距離で受けたんだもの。効いていないはずがないわ」
「友達の尻尾がかかっているんだ。少しくらい無理をさせてもらうわよ」
退く様子を見せない妖夢に、アリスは肩をすくめてため息をついて。
そして妖夢はこちらに顔を向けて手を振った。
「椛、もう少し待っててください! すぐに助けますから!」
「……あれ絶対に無理してるぜ」
応じようと口を開きかけた椛のわき腹を小突きながら、魔理沙が囁いた。
「止めてやったほうがいいんじゃないか?」
――そんなことは分かっている。だが、
「止めて、素直に聞くと思うか?」
「いや全然」
「分かっているじゃないか」
この幻想郷に、他人の言うことを素直に聞くようなやつはそんなにいない。取り分け、弾幕ごっこに興じるような負けん気の強い少女たちは。
椛はくつくつと笑うと、改めて声を張り上げた。
「無理はするなよ!」
「それはお約束できません!」
「そう言うと思っていた。では無理をしてもよいが、死ぬなよ!」
「了解です!」
応えて妖夢は楼観剣を構えなおし、再びゴリアテ人形を見据えた。
それを見つめる椛の横顔を魔理沙は眺め、怪訝な表情。
「ずいぶん楽しそうだな」
「ん?」
「妖夢が負けたら尻尾が切られるってのに」
「ああ、尻尾が切られてしまうのは御免被りたいが、それよりも私は嬉しいのだ」
「あん?」
かつての妖夢であれば、先ほどの一撃を防ぐことなどできなかっただろう。防御もできず、下手をすれば反応することもできぬまま弾丸をまともにくらって終わっていた。
――案ずるな、妖夢。お前は強くなっている。
「何でもいいけどな、さすがにやばくなったら割り込ませてもらうぜ。流石に目の前で人死にに遭っちゃあ寝覚めが悪い」
「期待している」
「まったく、暢気なもんだぜ」
「もういいかしら?」
「ええ、待たせたわね」
「それじゃあ再開しましょうか。武装変更」
――思わず見得を切っちゃったけど、どうしよう?
再び二丁拳銃へと武器を持ち替えたゴリアテ人形と対峙しながら、妖夢は独りごちた。
タタンッ!
乾いた音とともに二連射。横っ飛びに回避しながら、妖夢は思考をめぐらせる。
ゴリアテ人形は間合いの外。接近するには、もう一度あの二丁拳銃から繰り出される弾幕を掻い潜る必要がある。
とは言え、迂闊に近づけば剣の迎撃。先ほどの二の舞になってしまうだろう。
よしんばゴリアテ人形に肉薄できたとて、そのあとには障壁の防御が待っている。生半可の攻撃は全て防いでしまう厄介な代物だ。あれを破るには、やはり近接系のスペルカードが必須。
しかし、度重なるスペルカードの発動によって、体力、霊力ともに消費が激しい。先ほどもらった一発も効いている。万全には程遠い状態だった。
――でも、勝たなくちゃ!
自分が負ければ椛は尻尾を失ってしまうのだ。何が何でも勝たなくては。
己を奮い立たせ、妖夢は改めてゴリアテ人形を見据えた。無駄にステップを踏んだりターンしたりしながら放たれる大弾の弾幕を回避しつつ、妖夢は接近を試みる。まずは近づかなければ話にもならない。
右へ、左へ。跳んで、伏せて。時には回って、時には飛び込んで。
霊力を練り上げるため、妖夢はできるだけ時間をかけて前進した。
弾丸の速さにもだいぶ慣れてきている。これならば、次は幽明の苦輪で弾を分散させなくてもよさそうだ。
残る問題は障壁の突破。現世斬では決定打になり得なかった。次は更に上位の、より威力の高い技で攻めるしかない。
あるいは手数でおして術者――アリスの魔力切れを狙うという手もある。
――いや、それは無理。
こちらの消耗が激しい。むしろ持久戦は不利だろう。
「……そろそろ、次をお披露目してもいいかしら?」
「!?」
少しずつ方針が定まってきたところでアリスの言葉。“次”とはまさか……
「また新しい武器が出てくるの!?」
ようやく銃弾に慣れてきたというのに。
「とことんデータを取らせてもらうわよ?」
そしてアリスは手を掲げ、
「武装変更!」
拳銃が二丁とも光に包まれ、
「『喝采の練習曲』!」
光の中より現れたるは、鈍色に輝く筒だった。
「あれは……」
――なんだ?
見たことのない武装に、妖夢は首をかしげた。形からすると、何かを打ち出す武装のように見えるが……?
考える間に、ゴリアテ人形は“それ”を両手で肩に担ぐように構えた。
ぼしゅ!
少し気の抜ける音とともに発射されたものは、
「……人形?」
金髪の人形が両手を広げてこちらに飛んできた。
思わず抱きとめたくなるようなかわいい光景であるが、露骨に怪しいので妖夢は後ろに跳んだ。
「ダメだ妖夢! もっと下がれ!」
「え?」
魔理沙の叫びに妖夢はきょとんと声を上げた。しかし、いまさら更に後退などできるはずもなく。
妖夢の少し前方で、人形は両手を広げたまま地面に激突し、
ドォン!!
「きゃあ!」
地に接した瞬間、爆発した。
吹き荒れる風、飛び散る火の粉。爆風にあおられた妖夢は大きく吹っ飛ばされた。
ごろごろと転がって、やがて木の一本に背中からぶつかって動きは止まって。
「妖夢!」
「おいアリス! こんなところでバズーカなんかぶっ放しやがって、森に燃え移ったらどうするんだ!?」
椛の叫びと魔理沙の糾弾。しかしアリスは動じることなく軽く手を振りながら答えた。
「心配無用よ、魔理沙。ちゃんと人形を配置してあるから」
応じて森の中から何体もの人形ががさがさと姿を現した。その両手にはみな一様に水の入ったバケツをぶら下げている。森の木に燃え移ろうものなら、すぐさま消火する構えなのだろう。
「妖夢! 大丈夫か!?」
「だっ……大丈夫、です!」
椛の叫びに応じながら、妖夢は跳ね起きた。
「あら、本当に頑丈ね。大江戸の爆発に巻き込まれても立っていられるなんて」
「あだだ……。言ったことなかったかしら? 私は冥界で一番硬い盾なのよ」
「それは初耳」
そしてゴリアテ人形は筒――魔理沙は“バズーカ”と呼んでいたか――を構えなおし、
「なら、もう一発喰らってみる?」
「来てみろ! もう同じ手は通用しないぞ!」
再びバズーカから大江戸人形が射出された。直撃コースだ。
妖夢は地を這うように駆けた。その頭上を大江戸人形は飛んでゆき、
ドォン!!
背後で爆発。爆風に背を押されて妖夢は加速。一気にゴリアテ人形を目指す。
しかし、
「そうはいかないわよ!」
更に一発。今度は妖夢の進行方向を塞ぐような弾道。このまま真っ直ぐ走れば直撃してしまう。左右にかわしても、爆風にあおられてしまって進行は止まってしまうだろう。
だが、
――勝って見せますよ、椛!
妖夢は止まらず、スペルカードを取り出して口にくわえながら跳んだ。
ドォン!!
真下で爆発。跳躍力とあわせて、妖夢は空高く飛翔した。更に半霊を先行して上に向かわせて。
「それで避けきったつもり?」
ほとんど真上にまで跳び上がった妖夢に向かってゴリアテ人形はバズーカを向けた。
「魂符『幽明の苦輪』!」
スペルカード発動。あらかじめ妖夢の上に陣取っていた半霊が再び写し身となる。
ゴリアテ人形が引き金を引く。同時に半霊妖夢も動いた。刃を返して振り下ろした楼観剣、その峰に妖夢はくるんと身を翻して両足をかけて。その間に次のスペルカードを取り出して。
射出される大江戸人形。その射線上からずれるように半霊妖夢の楼観剣に打ち落とされた妖夢は、ゴリアテ人形の少し手前の地面に向かって一直線。この距離では楼観剣は届かない。
「ちっ! 武装変更!」
否、届く。
アリスも予期したのだろう、大江戸人形とすれ違ったところでゴリアテ人形の武器を剣に持ち替えさせた。今から拳銃に持ち替えても、弾丸を放つよりもこちらが斬るほうが速いという判断だろう。
――届かせる!
そして妖夢は次のスペルカードを宣言する。
「断迷剣『迷津慈航斬』!!」
「待て妖夢! そいつは!」
焦燥感をはらんだ魔理沙の声。だが、いまさら退くことなどできない。
妖夢は再びスペルカードに霊力を差し出し。
「う!?」
かつて無い脱力感。当然だ。ほんのついさっき幽明の苦輪を使ったばかりなのだ。本来ならば迷津慈航斬は、他と併せて使えるほど手軽な代物ではない。
――でもっ……それでもっ!
それだけの代償を払わなければ、届かせられない。これ以上、生半可なスペルカードを使う余裕も無い。いまの妖夢には、無理をしてでも一撃必殺に賭けるしかないのだ。
やがて妖夢の霊力を吸い上げきったスペルカードは、次いでその霊力を増幅させて妖夢の身体を通して楼観剣へと送り込んだ。
スペルカードの恩恵を受けた楼観剣は、その身に霊力の刀身をまとい、長さを増して。
「う、う、うううぅぅぅぅ!!」
振り上げた、楼観剣の、その色は。
蒼穹に似た、鮮やかな空色。
「ゴリアテ!!」
ゴリアテ人形が刀身を交差させ防御の姿勢。
「おおおおお!!」
その脳天に、残った力を振り絞って妖夢は迷津慈航斬によって顕現した霊力の刃を叩きつけた!
ギギャ! ギッ! ギッ……!
霊力の刃と鉄の刃が噛み合う。力が拮抗する。
「いいわよ! そのまま効果が切れるまで耐えなさい!」
ゴリアテの足元が僅かに陥没した。しかし、このままでは防ぎきられてしまう。そうなれば、もう終わりだ。
――ここまできて、負けられるか!!
ぴきり。
楼観剣のまとう空色が薄れてゆく。時間切れが近い。
――まだ、もう少し、もうちょっとだけ……!
びきん。
「私だって……」
持ちうる力を、刃に乗せて。
「私だって!」
溢れる思いを、刃に乗せて。
「椛の尻尾に触ってみたかったのにぃぃぃぃぃ!!」
「は!?」
雄たけびに、アリスは素っ頓狂な声を上げた。
次いで、
ばきんッ!
「ああっ! ゴリアテ!」
何かの折れる音とアリスの悲鳴。そしてゴリアテ人形は大きくバランスを崩した。
原因は、左足。
最初の現世斬によって切り裂いた左足が、迷津慈航斬の一撃に耐え切れずに折れてしまったのだ。
この機を逃す手はない。
「おおおおおぁぁぁあああ!!」
裂帛とともに更に霊力を振り絞り。楼観剣をまとう霊力の刃が再び輝く。
びきりびきりと、ゴリアテ人形の二刀に亀裂が走り。
ッギィン!
そして妖夢は、二刀ごとゴリアテ人形を断ち斬った。
――ま、まだ……!
肩口から足の付け根まで一直線。その身を断たれ、力を失ったゴリアテ人形は、虚ろになった瞳を妖夢に向けながらゆっくりと倒れていった。
着地した妖夢は、しかしなおも足を止めることなく。動かぬゴリアテ人形には目もくれずに、もはや霊力体力を使い果たした身体に鞭を打ってアリスへと肉薄した。
ゴリアテ人形を倒されて呆然としていたアリスの、細く、白い首筋に楼観剣をあてがって。
「約束よ。椛は返してもらう」
「……分かった、分かったわ。私の負け。彼女は解放するわ」
「よし」
アリスの宣言を聞いた妖夢は仰向けに倒れ、そのまま意識を失った。
アリスは、力なく転がるゴリアテ人形――その残骸を呆然と見つめていた。
――まさか、またゴリアテが負けるなんて……
氷精との一戦からこれまで、幾多の改良を重ねてきたというのに。
それを、
「こんな……」
――こんな半人前に……!
大の字になって眠りこける半人半霊をぎり、と睨み付け右手を振り上げ。
「おっとアリス、そこまでだぜ」
制止の声に顔を向ければ、右手をこちらに向ける普通の魔法使い、霧雨魔理沙の姿。
「私たちは魔法使いだ。嘘をつくのも騙まし討ちをするのも結構。だがな……“約束”は、破っちゃあいけないぜ?」
右手に収まったオブジェクト――魔理沙の武器、ミニ八卦炉には既に魔力が宿っていて。いつでも撃てる状態のようだ。
「お前が勝ったら椛の尻尾はお前のもの。妖夢が勝ったら妖夢のもの。そういう約束だろ?」
「ちょっと違う気がするけど……」
アリスはため息をつき、
「まあいいわ。約束を破る気なんてないわよ」
振り上げた右手を魔理沙の――ではなく隣の椛のほうへと向けた。パタンと邸宅の窓が開いて、中から剣を携えた人形がふよふよと飛んでくる。
人形は魔理沙の隣で縛られたままの椛を戒めている縄をぶづりと切ると、再び邸宅へと戻っていった。
「はい、これでいい?」
「妖夢!」
即座に椛は立ち上がり、身体にまとわりつく縄を払いながら妖夢へと駆け寄った。傍らに跪き、その小柄な身体を抱き上げ、様子を見ている。
見たところ、呼吸に乱れは無い。外傷も、擦り傷やあざがあるが、決して重いものはないだろう。ただ、疲れて眠っているだけのようだ。
「まったく、無茶をしやがったな。キャパシティオーバーもいいところだぜ」
ほっと息をつつ椛の傍に寄って行った魔理沙が、妖夢の顔を覗き込みながら笑った。
「ああ。無理をしてもいいと言いはしたがな……」
再び安堵の息をついて表情をほころばせる椛を眺め、そしてアリスは踵を返した。
「ほら、いつまでも喋ってないで入りなさい。お茶くらいなら出すから」
「おお、勝利の美酒ってやつだな」
「あんたは戦ってないでしょ。ていうか、なんでいるのよ」
「ま、成り行きでな。ちなみに道中の人形は私が倒したんだぜ」
「あ、そ。あんなもの勝負のうちに入らないでしょ」
「なら、いまからやるか?」
「お断りよ。今日はもう疲れたわ」
「ふふん、怖気づいたか」
「なんでもいいわよ、もう。ほら、貴女も早く入りなさい」
「ああ」
無遠慮に邸宅へ入っていく魔理沙を見送って、未だに妖夢を抱えたまま玄関先に突っ立っていた椛にアリスは声をかけた。応じて椛も歩き出し、
「アリス・マーガトロイド」
玄関をまたいだところで椛は足を止め、してやったりと言いたげな笑みを肩越しに向けてきた。これ見よがしに尻尾を振りつつ。
「尻尾を手に入れ損ねたな」
「構わないわ。いいデータが取れたし」
「ふっ。妖夢は強かっただろう?」
「……そうね。ここまでやるとは思ってなかったわ」
アリスは自嘲の笑みを浮かべ、
「次は負けないわよ、妖夢」
椛の腕の中で眠る妖夢へと言葉を投げかけた。
…………
開いた瞳に映ったのは、なだらかな曲線と友の顔。
「気が付いたか」
「んぅ?」
そして少女は安堵のため息と声をこぼした。
雪のように真っ白の髪の毛と、狼の耳。ほのかに赤みを帯びた黒檀の瞳。凛々しく、美しい面立ち。
「椛……」
妖夢は友の名を呟き、次いで自分が彼女に膝枕をされているのだと気が付いた。
すなわち、視界の端を埋めるこの白い衣に包まれた曲線は……
「ぐぬぬ……!」
「どうした?」
妖夢は知っている。そのなだらかさが偽りであることを。妖夢は知っている。彼女が、少なくとも妖夢のそれを軽く凌駕する程度には“ぼいん”であることを。
――これは、サラシで抑えているな……!
しばし偽りの曲線を忌々しげに睨み付けてから、妖夢は周囲に視線を向けた。
左側には、赤を貴重とした落ち着いた色彩の絨毯に、火のついていない煉瓦造りの暖炉。天井ではランプの光が煌々と室内を照らしていた。
右は蜂蜜色一色だった。妖夢が横たえられているこれは、革張りのソファなのだろう。その背もたれだ。
と、
ふわり。
お腹と、その上にあった両腕の間で何かが動いた。それは、かつて触ったことがないほど柔らかで、滑らかで、温かな感触。
妖夢は首だけ起こしてそちらに顔を向けて、
「こ、これは……!」
目を瞠った。
妖夢の身体を優しく包む“それ”は純白。
思わず両手で掴んでしまうと“それ”はくすぐったそうにふるりと震えて。
「椛、どうして……?」
「別に、誰にも触られたくないわけではない。親しい間柄のものなら――その、お前になら、構わない」
問いかける妖夢に、椛はそっぽを向いて応えた。照れているのだろうか。
「いいんですか?」
「助けてくれた礼もある。好きにするといい」
「……で、ではっ。不束者ですが……!」
いささか緊張しつつ、改めて妖夢は“それ”を――椛の尻尾をゆっくり撫でた。
その毛は少し太めで、しっかりとしているながらも滑らかに指の間を通り抜け、えも言えぬ心地よさとぬくもりが、指を、手のひらを通して身体全体にまで広がるようで。
――これ、
「すごぉい……」
理性が蕩けた妖夢は、辛抱たまらず椛の尻尾をきゅ、と抱きしめ、顔を埋めた。
尻尾がくすぐったそうに震えているがお構いなし。妖夢は尻尾を抱きしめたまま撫で回した。
――好きにしていいって言われたもん。
それにしても、なんという触り心地だろうか。最初の一撫でで、妖夢はこの尻尾の虜になってしまった。これはアリスが欲しがるのも頷ける。
「あれはネコだな」
「いいえ、猿よ。それもまだ乳離れできていない小猿」
「…………」
しかし、聞こえた第三、第四の声に、尻尾を撫で回す手がぴたりと止まった。
「あー、あの必死にしがみついてる感じは確かに猿だな」
「気持ちは分からないでもないけどね。あれ本当に気持ちいのよ」
「ちょっ……!?」
妖夢はソファから転げ落ち、ばたばたとその陰に身を隠した。そして真っ赤に染まった顔を少しだけのぞかせ、
「ななっ、なんで二人がいるの!?」
張り上げた声に、二人――魔理沙とアリスは顔を見合わせた。
「いやなんでって言うか、なあ」
「ここ、私の家だし」
「……え?」
「ここ、私の、家」
「あ……そうだったの……」
この西洋風の館は、アリス・マーガトロイド邸だったようだ。改めて見回すと、棚には人形が並んでいるし、奥の通路を人形がふよふよと通過していくのが見えた。
「お前が気を失ってしまったから、休ませてもらっていたんだ」
妖夢の近くまで寄ってきた椛は言った。そして少し乱暴な手つきで妖夢の頭に手を乗せ、顔を近づけて。
「まったく、また無茶をしたな。体力もろくに残っていなかったろうに、霊力を限界以上まで引き出してスペルカードを撃つなど。下手をすれば、体力、霊力を使い果たしてあの世行きだぞ」
「それは……帰る手間が省ける」
「また言うかっ」
「ああっ! ごめんなさい!」
「……姉妹だな」
「姉妹ね」
背後から羽交い絞めにして銀髪をわしゃわしゃとかき回す椛と、ばたばたと抵抗する妖夢の姿を見ながら、魔理沙とアリスは頷きながら呟いた。
…………
どこかでカァとカラスの声が聞こえた。ずいぶんと夜更かしなカラスだ。
魔法の森の上空を人と、霊と、狼が飛ぶ。
眼下に見えるは木々の群れ。ぽつりぽつりと光を放っているのは、草木か、茸か、はたまた虫、妖精の類か。魔法の森は知らぬことが多い。光を放つ得体の知れない何かがあっても不思議ではないだろう。
見上げた空は宵の口。薄い雲に覆われてぼんやりと輝く月と、彩るようにぽつりぽつりと瞬く星々。少し遅くなってしまったな、と思いながら妖夢は視線を正面に戻した。
アリス・マーガトロイド邸を後にして二人、妖夢と椛は帰路についていた。
「妖夢、大丈夫か?」
と、隣を飛ぶ椛が心配そうに口を開いた。
「辛かったら言えよ。途中までならおぶってやれる」
「大丈夫ですよ。私は強いですからね」
なんといっても、自分よりもずっと大きな相手に勝ったのだ。多少の疲労などなんのその。妖夢は得意げに、偽りでないなだらかな胸をそらした。
「そうか」
その様子に、椛は苦笑を浮かべ、
「強くなったな」
とくん。
そして不意に言葉に、妖夢の命の半分を繋ぐ心臓と、半身の霊魂が小さく跳ねた。
「い、いえ、私は……」
「謙遜することはない。まさか、お前に助けられる日が来るとは思わなかった」
「……椛には助けられてばかりですから。少しでもお役に立ててよかったです」
“強い”などと言われ慣れていないせいだろうか。なんとなく気恥ずかしくなって、妖夢は少し速度を上げた。たぶん、いまの自分は真っ赤な顔をしているから。
「妖夢、ありがとう」
「……いえ」
「だが、その……最後の、あの叫びは、正直……ないと思ったぞ」
「……それは忘れてください…………」
蚊の鳴くような声を出しつつ、羞恥で暴れる半霊を顔に押し付けながら妖夢は更に速度を上げた。間違いなく、いまの自分は火を噴きそうなほど真っ赤な顔をしているから。
了
シリーズ名か……よし、「白狼の庭師」で!
>> 1
あとは武装の質をあげるだけになっちゃいますかねぇ。
もっとトンデモなパワーアップ方法を思いつきたいところです!
>> 2
『白狼の庭師』!なんだか椛が庭師になっちゃったみたいですねw
劇団アリスのシナリオ・アドリブの手腕にゃ見事の一言でした。
そんで囚われのお姫様ながらも、どっしり構えて妖夢を安定させた
椛の態度もまた良い。もちろん、応えた妖夢も。
ただ、魚食って逝去したおじい・・・老人に感動するのはなんか違う気がしましたがねw
ところで妖夢さん、『反射下界斬』を忘れちゃいませんか?
いやまぁ、反射できない弾幕もあるにはあるのですが。
>> 1 ⇒ 3
>> 2 ⇒ 7
>> 12
評価、コメントありがとうございます!
アリスは気配りのできる女の子。
ただし目的のためには手段を選ばない。
>反射下界斬
大江戸さんは反射できない気がしました。
反射できたらいささか面白い気はしますがっ。
評価、コメントありがとうございます。
ここや、他方でも意見をいただきまして、この度『斬り捨て御免と千里眼』という
分類タグをつけさせていただきました。
盛り込めなかったものはいくつもありましたけど、いただいた案は全部きっかけになりました。
ありがとうございます!
察しがついたのですが、いったいどのようにして二人を対立させるのか、わくわくしながら
スクロールしましたね。まさか椛の尻尾とは、毛皮を剥ぐだなんてアリスも流石は魔法使い。
前回のフランドール戦とは違って、今作では妖夢がしっかりキメてくれましたね。
相対するゴリアテ人形は大剣から拳銃にバズーカとなんでもござれ、剣対剣の勝負とは
一風変わった趣向に驚き半分、新鮮さ半分でした。妖夢……強くなったなぁ。
とうとう椛も助けられる立場になってしまいましたね。これは、もしかしたら嬉しい反面として
少しばかり複雑な想いもあるかもしれません。そうした二面性を想像するとニヤニヤできます。
次は再び、アリスとの短編。そしてまさかの秘封倶楽部ですね。楽しみに読ませて頂きます。