霊烏路空は梅酒が好きだ。
背はすらりと高く体の発育もよい反面、幼い顔立ち、言動から察するに
舌がお子ちゃまなのだろうと思われる。
空(以下お空)は酒自体があまり好きではない。
というよりも、酒を大勢で飲むほうが好きではないといったほうが良いか。
地底で飲むと鬼には飲まされ橋姫には愚痴をこぼされ桶娘には暴言をはかれる。
たしかに良いことはないかもしれない。
この幻想郷、そのバカ騒ぎが楽しいという輩もいるわけだが。
最近やり始めた仕事を終え、風呂に入り台所へ行く。
そうすると主人が梅酒を用意して待っているのだ。
少し大きめのガラスのカップにごろんごろんと氷を入れ、梅酒をゆっくり注ぐ。
すると氷はぱきぱきと音を立てて溶け始め、コンカラコンカラという軽快な音を響かせてマドラーでまぜられる。
お空はその主人が作るまでの行程も含め梅酒が好きなのだ。
程よく混ざった後、主人の
こぼさないで持って行きなさいね。
の召し上がれワードを聞き、自室に持ち帰り一人で飲む。
その際、ツマミはもっぱらチョコレートだ。
甘い肴に甘い酒。
図体のでかいコドモオトナモドキが好むような組み合わせだ。
お空はこの一杯をちびちびと飲む。
チョコレートを細かいかけらにし、小さく小さく食べながらちびちびちびちび飲む。
これが、お空が最も好む酒の飲み方だ。
晩酌は誰にも邪魔されず、独りで、静かに、それでいて豊かに。
その言葉を地で行って満足できる女がお空なのだ。
唯一の趣味といってもいい程である。
趣味、
少し話はずれるが、趣味というものは良いもので
日頃の疲れ、ストレス、嫌なことから目を背けることができる。
探究心が強い者だと、その趣味を堪能するだけでは飽きたらず、
自分の満足の行くものを「創る」者までいる。
例えば、甘味が好きな者が甘味屋に週に四回訪れたとする。
甘味屋の品書きなど、滅多に増えるものではなく、週に四回も通っていればいずれ飽きる。
そうしたらこの者はどうするか。
ある者は四回は行きすぎだ、と反省し、週に二回などに抑える。
そしてある者は、だったら飽きないものを自分が「創れ」ばいい、という結論に落ち着くわけだ。
お空の思考はどちらかと言うと後者である。
先述した通り精神的な面ではあまり発達しているとはいえず、好奇心探究心が止まないほうだ。
よって、
飽きたのだから控えよう
ではなく
飽きたのだから自分で作ってしまえばいいんだ
という考えに収まるわけだ。
お空は梅酒のロックが好きである。
梅酒の飲み方といえば、ロック、冷水で割る、お湯で割る、炭酸で割る、が一般的である。
お空は実際ロック以外の飲み方を試したことはあるものの、ロックで飲み続けている。
飽きないためには、飲み方を変えればいい。
お空は最初はそう思ったのだが結局一周して戻ってきてしまったのだ。
さて、ならどうするか。
梅酒自体を変えるのである。
しかし地底は地上より物資があまり豊かではない。
梅酒の種類など限られている。
ならどうするか。
お空は以前主人に
人に聞く前に、一度自分で考えてから行動しなさい
と諭されたことがあるのを思い出し、頭を捻った。
そして想起する。
お空が地底のハンバーガーショップでレタスチーズバーガーなるものを購入し、
一度食べた所、レタスがしなしなになってて美味しくないと主人に愚痴を漏らした時のことだ。
ならお空、冷蔵庫にあるレタスをはさめばいいじゃ無い。
お空にとっては目からうろこやら星やらが出るほど驚いた発言だったという。
そうか、足りないものは自分で調達すればいいのだ。
周りから与えられなかったものは自分から求めればいいのだ。
この経験から、お空は主人に決心した顔で
私、梅酒作る!
と発言し、驚かせたことは最近の地霊殿ニュースの中では、
かなり目新しい出来事だったのはもはや言うまでもない。
自らお空が何かをしたいと言ったので、主人はかなり張り切った。
近所へ梅酒の作り方を聞きまわり、あらゆる文献を読み漁った。
そうして出来た『さとりとお空の秘蔵梅酒ノート』は、メモ帳ほどの大きさのノートだが、
十数ページに渡って文字が埋め尽くされている。
そうして。
お空は今まで満足行かなかった 今飲んでいるものより、
甘さを控えたもの、もっと甘いもの、梅濃度が濃いもの、の三種類を
主人と作り上げた。
作り上げたといっても、瓶の中で梅に酒を入れてから最低三ヶ月~半年ほど漬けないと
あまりいい物が出来ないとのことなので、今は待っている状態、ということだが。
ふう。
長かった。
いや、長かったが、短かった。
ここまでの経緯を文に綴るのは長いが、
頭に流れ、出るのは短い。
そう、まるで周りがスローになるが、脳が莫大の情報を引き出すという走馬灯のように。
走馬灯は死にそうなときに流れるというが、今も実際死にそうだ。
なぜなら。
あたいの愛するお空が一番楽しみにしていた、
『梅濃度が濃いもの』の梅酒の瓶をうっかり割ってしまったから。
「まずいよこりゃ」
きっと、無意識で声が出た。
本当に窮地に立たされたときは声が出なくなるというのは嘘だ。
なぜならあたいは今、声が出てるから。
無残にも砕け散って絨毯に染み込んでいる、『いずれ梅濃度の高い梅酒になるもの』を
ぼうってみつめてみるが、状況は変わらない。
むしろ頭はフルに活動しているわけでいろいろと想起してしまう。
~~~
「おりーん」
「ん、なにさ」
「私、さとり様と梅酒作ったんだ。できるのはまだ先だけど、できたら一緒に飲もうね」
「ほー 自家製の梅酒。あれ、でもあんた一人で飲むほうが好きじゃないのかい?」
「そうだけど! せっかく自分で作ったんだから皆で飲みたいじゃない。
私と、お燐と、さとり様とこいし様! 四人で飲もうね。あーわくわくしてきたー!」
「もう、落ち着きなさいって。飲めるのはまだ先なんだろ?
全く、最近落ち着いてきたと思ったらそんなことではしゃいじゃって」
「だって楽しみなんでもーん。じゃ、約束だよ。またね!」
「はいはいまたね。……全く、少しは落ち着きを持ったらどうだっての。にゃはは」
~~~
「にゃはは、じゃあるまい!」
ブーメラン発言とはこのことで、今の自分の失態は、過去の自分が注意した事でのミスである。
落ち着きを持ちなさいな。
その発言をした奴が、まさか走り回るネズミに夢中でこんなことをした、
なんて、もういっそ呪いか何かである。
自分が軽々した発言に対する罰などというものなのか。
本当に、もう。
あたいは、お空の輝いている笑顔を思い出す。
あたいの大好きな、あの笑顔を。
~~
「お空、何ニヤニヤしてるのさ」
「え、してた?」
「してたよ。なんかあったのかい?」
「梅酒が楽しみでねー」
「梅酒、あ、自分で漬けたやつね。はー忘れてたよ。
どのくらいになるっけ?」
「今、ちょーど一ヶ月くらい」
「ふふーん。それで飲めるのはいつ頃になるのさ」
「三ヶ月から半年くらいだって。でもやっぱ漬ければ漬けるほど美味しくなるみたいだから
半年待とうかなーって」
「あと五ヶ月もあるじゃないか。今からニヤニヤしてたら疲れちまうでしょ」
「そんなこと無いよ。でも飲まないように我慢しなきゃ」
「お空にできるかねえ」
「大丈夫大丈夫。お燐、楽しみにしててね。五ヶ月後」
「はいはい、首をながーくして待ってるよ」
~~
色々と思い出してしまう。
そして自分の胸が痛んでしまう。
あのお空にとって半年とはどれだけ長いものなのだったのかと。
お空にとって、これがどれだけ楽しみにしてたものかと。
思い出したくないものが、思い出されてしまう。
そして自己嫌悪。
スパイラルスパイラル、
背徳スパイラル
~~
「あらお空、なにしてんの」
「よ、よ、ほっと。あ、これね、瓶をかき回してんの。こうすると味がえーと、平等になるのよ」
「あー 味があれね。均一になるのね」
「そうそう」
「んーそろそろ三ヶ月立ってるんじゃない? もう飲めるでしょ」
「飲まないけどね。この真ん中の梅がいっぱい入ってる奴が特に楽しみなんだー」
「あ、三つあると思ったらちょっと味を変えてるわけね」
「そうだよ。味くらべしようね。だから飲んじゃだめだよ!」
「あいよ。楽しみにしてるって」
~~
ふと、涙がにじみ出てきた。
だが流してはいけない。
本当に泣いていいのはお空の方なのだ。
自分は泣く権利すら無い。
最も愛する者の、大事なものを奪ってしまった自分なんかに。
あたいは考えなくてはいけない。
これからどうするか
これからどうするか
これからどうするか
これからどうするか。
~~
「お空、入るよー ……あ、あんた何隠したのさ。あたいに見せてご覧」
「な、なんにもないよー ほんとうだよー」
「その反応で何も持ってないほうがオカシイっての。……あれ、これは」
「……うぅ、お燐には隠し事が出来ないなあ」
「なんだいこのチョコレート。あんたのおつまみのチョコレートじゃないの。
なんで食べないの?」
「これは…… 私の梅酒が出来た時に皆で食べようと思って……
さとり様にもらったのをちょっと取っておいたの……」
「なるほどね。だから銀紙に二欠片くらいしか入ってないのか」
「……やっぱり美味しいから食べちゃうんだよね。
でもちょっとずつ溜まってきたよ」
「ま、チョコはそう簡単にダメになったりしないからね。
いいけどさ。そんなもの、あたいに言ってくれれば少し援助したのに」
「……いいよ、悪いもん。それに私の梅酒なんだから、私がみんなにおもてなしするの」
「ふふ、そうかい。そりゃあ楽しみにしとかなきゃねえ」
「うん。そうしてね。あとー えー、と?」
「二ヶ月くらいかね。その頃にはチョコももっといっぱいになってるかもねぇ
それこそ、皆が食べられるほどにね」
~~
板チョコの一列。
お空がさとり様からもらうチョコレートの量だ。
お空の虫歯やにきびを心配する上で、お空の好物であるから食べさせてやりたい、と
さとり様が最大限譲歩して、一列。
その内の二欠片、だ。約半分である。
約半分は、自分の梅酒ができ、皆で飲むときのために取っといている、と。
それがなんと健気で、愛おしいことか。
あたいはお空が好きだ。
ずっとずっと前から好きだ。
お空の全てが好きだ。
お空のことはなんでも知っている。
知らないことなんて無いほうが珍しい。
というより、無い、と断言してしまってもいいと思う。
だから、わかる。
お空が好物のチョコレートを我慢する辛さや、梅酒を半年を待つという焦れったさが。
愛おしいお空の大事なものを奪った、自分の残酷さが。
~~
「お空、入るよー 久しぶりに二人で飲もうじゃないか」
「あ、ごめん。最近あんまり飲まないようにしてるんだ」
「なんでさ」
「あと一ヶ月、我慢したら美味しさもひ、ひ、し、ひそしおかなって」
「ふーん、風呂あがりのおじさんみたいだねえ。
ま、確かにお風呂に我慢して入った後の牛乳の美味しさはひとしおだからねぇ」
「でしょ? だからもう少し我慢!」
「そうかい、じゃああたいは自室で一人で寂しく飲んでるよ」
「うー あと一ヶ月ー」
~~
最初からどうするかなど、考えることはなかった。
謝ろう。
素直に謝ろう。
許してくれなくても、しばらく無視されても、謝ろう。
あたいの不慮でこうなってしまった。
もうすぐ、お空が瓶をかき混ぜに来る頃だ。
その時、誠心誠意謝ろう。
自分から言うことではないと思うが、一朝一夕の仲ではない。
怒るかもしれない。
泣き喚くかもしれない。
だけど、許してくれるだろう。
あたいが全力で謝れば。
あたいが本気で謝れば。
きっと、大丈夫。
覚悟を決めた頃、
お空の浮かれるような足音が部屋の外から聞こえてきた。
……うろたえるな。
あたいは覚悟を決めた。
謝るんだ。
あたいは絨毯に正座をし、すぐにでも謝れるように準備をした。
「あれーお燐、なにし……て…………」
ニコニコ笑顔のお空が、あたいがお空の顔の中で一番好きな表情が、一気に崩れる。
そして、あまり好きではない真顔に。
あたいの横の惨状をぼうっと見つめている。
息を吸い、頭を床につける。
「お空、ごめんなさい! あたいの不注意で落としちゃった!
本当にごめん、ごめん!」
プライドなぞ、お空の前じゃ皆無だ。
あたいはおでこを床に擦り付けて許しを請う。
「…………ごめん」
何度謝ったって足りやしないのはわかっている。
だけど謝らずには居られない。
あたいがお空を傷つけたから。
一番傷つけたくない人を傷つけたから。
……
…………
………………
なんで。
お空の罵声怒声が聞こえない。
泣き叫ぶ声も聞こえない。
なんで?
お空のアクションがあるまで頭は上げまいと思ったが、
流石にこんなに長い時間反応がないのはおかしい。
なんで?
そして、顔を上げる。
今までにない、お空の顔。
初めて見るお空の顔。
ただただあたいの横に広がっている壊れた大事なものを見つめ、歯を食いしばり涙を流している。
その表情は、まるで世界が終わったような、どこかが死ぬほど痛むような。
今にも声を上げて泣き狂ってもいいような、そんな表情だった。
涙だけは流れ続け、お空の下の絨毯は大量のシミを残している。
なんで、あたいを責めないの。
あたいが悪いのに。
あたいを殴ればいいじゃ無い。
そのぎゅっと握った、拳であたいを殴れば……
「……うぅぅ、お、うぅ、お、おりん…………」
「な、なんだい、お空」
両の手を真っ白になるほど握りしめ、お空はあたいの名を呼ぶ。
顔は真っ赤、目も真っ赤で涙も鼻水も止まらない。
「うぅ、……お、りん」
「なんだい、お空。ゆっくり、ゆっくりでいいよ」
「……け、けが、ない……?」
まさに、衝撃が走った。
心臓にどくんと重いものがこみ上げ、顔に熱いものがのぼる。
心臓が痛い。
じっとしていられなくなる。
なんであたいの心配をするの。
お空は、そんなに傷ついているのに。
……駄目だ。か……
「お空!」
「お……おり……」
「ごめん、ごめん!
あたいが悪いんだから、心配しないでおくれよ。
怒っておくれよ。あたいのせいにしておくれよ!」
あたいはお空を抱きしめた。
抱きしめなくては表情が見えてしまうから。
この胸を掻きむしってしまうから。
お空は、あたいの背中に手を回してくれた。
そしてゆっくり泣いた。
ゆっくりゆっくり涙を流し続けた。
「お空、あたいに怒ってもいいんだよ。
泣きわめいてもいいんだよ」
「……ううん、いい。
お燐はいっぱい謝ってくれたし、だいじょぶ」
大丈夫ではないのなんて、すぐに分かる。
だが、お空は我慢してくれている。
あたいのために。
あたいの知らない間にお空がこんなにも大人になっていてくれた。
「……お燐」
「なんだいお空」
「今日はお燐の部屋で一緒に寝よう?」
「…………そうだね」
そうしてやっと抱擁を解き、お互いの顔を見つめ合った。
真っ赤になったお空の顔。
涙と鼻水だらけのお空の顔。
「そんなに笑わないでよ」
「ごめん、あたい笑ってるかい」
「うん、お燐も顔真っ赤ー あはは」
二人で見つめ合い、笑う。
お空は許してくれた。
あたいの知らない所で大人になっていた。
なんて、愛おしいのだろう。
やっと立てるようになった頃、二人で瓶の後片付けをした。
あたいが一人でやるといったが、お空は手伝ってくれた。
その後、二人で浴室へ向かう途中お空が
こんなに鼻水出したの初めて ずるずるだよー
とふざけたので言ったので大いに笑った。
それと同時に安心した。
もう、いつもどおりだ。
お空の懐の深さには感謝せねばならない。
風呂から上がったら、直ぐに二人であたいの部屋の布団に潜り、指切りをしてから眠った。
残りの二つで絶対に梅酒パーティやろうね。
お空がそう持ちかけてきたのだ。
断る理由なんて無い。
あたりまえだよ。もちろんチョコレートも貰うからね。
とお空に言うと、とても愛おしそうに微笑んだ。
布団の中でお空がそっと、あたいを求めるように手を忍ばせてきたので、あたいはその手を握った。
お空が握り返したのを確認し、あたいは目をつむって視界を暗転させた。
今日は、良かった。
本当に良かった。
めでたしめでたし
と、寝る前にしなきゃいけないことがあるんだ。
お空の手の力がなくなるのを確認し、とても名残惜しいがゆっくりと握られていた手を解く。
お空を見ると、腫れた目が目立つ、少々幼い顔ですうすうと寝息を立てていた。
「お空は可愛いねえ」
小さくそう呟いて、お空の頬にキスを落とした。
さて
あたいはお空が起きないように静かにお空のいる部屋を後にした。
あたいはお空が好きだ。
本当に愛おしい。
お空はあたいを飽きさせてくれない。
だけど、あたいは後者なのだ。
そんなことを考えながら、先ほどの部屋へ向かう。
少し梅の匂いが漂うこの部屋。
絨毯には梅酒と涙のシミが残っている。
あたいは一つ息を吐き、
残っている二つの瓶を棚から下ろし、床にたたきつけた。
あたいは、後者なのだ。
『彼女の好きな、甘いもの』
終わり
泣き顔もすごく甘いんでしょうね
これは惚れ直すでしょうな~、お空いい女すぎる、お燐もね
いい女×いい女、最強だ
さすがドSに定評のあるさとり様……ですよね?……目の付け所が違う。
そう考えると、まさか瓶を割ったのは……
私はなにも見なかったそうだなにも見なかったんだ。
なんだよこれ
お燐、歪んでるなぁ
誤字報告
〉かきむしってって
そしてさとり様、多分確信犯(誤用)ですね?
微妙に歪んでる気がしますがw
……いかん?
何とも情の深い話で面白かったです
シンプル大事。
毎度このギミックを見る度、心に突き刺さる何かを頂けます。ううん
愛情or友情ってなんだろう……
多分何もいわないでしょうね
意外に似合う組み合わせが新鮮
最後!
ストーリーは正直後味悪すぎてキツいです。
印象深い作品だったことは否定できないので簡易最高点をコメントで入れさせていただきます
おりんの欲望歪みすぎィ