昼間のうだるような蒸し暑さも、今は夜風が遠くに運んでいってしまった。わずかな揺れもまた心地よく、私は幸せな眠りに誘われていた。
ハンモックなどという酔狂なものを試みに使用してみたが、なかなか具合がいい。これなら常用しても良いかもしれない。流石に神社にハンモックという絵面はどうかと思うので、昼寝には使えないが。これ以上グータラ巫女と言われても困る。既に評価はどん底って意見は却下。
それにしても本当にいい夜風……。
薄目を開けると涼やかな流れが木の葉を飛ばしていた。闇に浮かぶ梢のシルエットが揺れる。ハンモックを結んだ幹も震える。遠くで石灯籠が吹っ飛んだ。──いや、これ、風吹き過ぎじゃない?
振り落とされそうな身の危険を感じて、私はハンモックから飛び降りた。降りようとした、のだが、
「きゃぁあぁああっ?!」
足側の縄が解けたのか、体勢が一気に崩れる。さらにハンモックの編み目が体中に絡まり、私は宙に吊り下げの状態になってしまった。
そこで目が覚めた。
目の前には見慣れた寝室。暗がりの向こうに閉じられた障子がある。
ああ、良かった。夢だったのか。
よく考えてみれば、それはそうだろう。私がハンモックで寝ているということ自体が既におかしい。最後には無様に宙づりになるというのも、楽園の素敵な巫女にあるまじき姿で。
あらためて夢で良かった。
安堵の吐息と共に、現況を認識しようとする。そう、疑問があった。
なぜ、私は、天井を見ていない?
思考・第一段階。私は目覚めた直後でありながら、仰向けになっていない。具体的には私の身体は縦の状態だ。
思考・第二段階。私の身体が縦なのは、立って寝ていたからではない。そんな器用なことはできない。かつて河原で宴会した後、酔いつぶれて水中に転落、仰向けで爆睡したまま下流で拾われるということはあったが、立ったまま寝ることまではできない。では、なぜ私は縦なのか?
自分の身体を見回してみる。胴体は縄でがんじがらめにされ、手首は縛られて上から吊されている。
結論。
私は縄で宙づりになっている。
「…………なんじゃこりゃぁあああああっ!!」
思わず太陽にほえる勢いで叫んでいた。夜だけど。
現実世界に帰ってきたと思ったら、そこでも宙づりでした。夢だけど夢じゃなかった!
「何よ、これ! こんな就寝方法採用した覚えないわよ?!」
確かに荒縄のみで構成された寝具は安価であり、さらに就寝スペースを取らないというメリットはあるものの、一人で寝起きできないというのは大きなデメリットだ。スパイダー男でもなければやりはすまい。
「お目覚めのようね」
人の声。その方向を見ようとするも、真後ろであるため上手くいかない。上半身はまるで動かず、首だけを動かしても強制的に上げられた両腕が邪魔になる。
そういえば、袖……無くなっている。寝間着のそこだけがスッパリと綺麗に消え去っているのだ。
何がどうなって、という混乱が収束する間も与えられず、腰の辺りをつかまれて身体が半回転させられる。
顔見知りがいた。所々に貼られた灯りの呪符が光を増し、その姿をよりはっきりと照らす。
「紫……っ?!」
紫だけではない。彼女を中心に、他の顔見知りたちがいた。
魔理沙、萃香、レミリア、射命丸、天子。それほど広くない部屋にずらりと並んでいる。
「な、何よ、あんたたち」
「何だかんだと聞かれたら!」
「?!」
魔理沙が答える。妙に芝居がかっている。
「答えてあげるが世の情け!」
天子がその後を継ぐ。何そのロケットで突き抜けた口上。
六人は言葉のリレーを続けていく。
「幻想郷を守るため!」
「己の道をひた走る!」
あ、変化入った。
「涙で渡る血の大河!」
「六人の戦鬼と人の呼ぶ!」
今度は00⑨か。
そして射命丸が〆の一言。
「団鬼六と呼んでください」
何その名称。縛りのプロっぽい。確かに私は見事な縛りで拘束されているが。
「ってゆーか、呼び方なんてどうでもいいのよ! これ、あんたらがやったの? さっさと解きなさいよ!」
「おいおい、冗談はよし子さんだぜ、霊夢。自由になったら暴れるつもりだろ」
「当たり前でしょ! 全員ぶん殴ってやるわ!」
「ええっ、どうして?」
天子が首を傾げる。
「衆人環視の中、荒縄で縛られるなんて最高じゃない」
「あんたの基準で考えるな、ドM!」
罵倒すると天子はビクンと身体を震わせた。快感で。やはりどこまでも変態だ。
「あのさー、霊夢」
萃香が私の顔を見上げて言う。
「そう簡単に縛ったり解いたりできっこないって。ガキの使いじゃなんだからさ」
子ども体型の鬼が言っても説得力に欠ける。
「よーく考えてみてよ。これだけのメンツがそろっていて、霊夢の今の状況。ただの冗談や酔狂でやってることだと思う?」
「……っ!」
確かにその通りだ。何重にも巡らした結界を突破し、かつそれを私に気づかれずに、一切の抵抗を許さない拘束まで施した。
こんなことは相応の術式を使わなければできることではない。単独では不可能。複数で行っても、すさまじい程の力と時間を要するはずだ。そう、幻想郷でも最大級の力を持つであろうこの六人の力を併せても、だ。
それだけの対価を支払うことに見合う目的は何か──単なる悪ふざけのはずがない。
絞り出すように私は問う。
「目的は……いったい、何?」
レミリアがフフン、と鼻で笑う。当たり前のことを聞くなと言うように。
「知れたこと。幻想郷の平和を守るためよ」
「さっきもそう言ったでしょ?」
天子が同調する。あのふざけた口上に、そういえばそんな箇所があった。一応意味はあったわけか。
それにしてもなんて大層な理由だ、幻想郷の平和とは。だが、大げさだと軽く流せるはずもない。
「私を、どうするつもり?」
聞いておきながらおおよその見当はついていた。
幻想郷と私の関係性。それは私が幻想郷のバランスを保持する者であるということ。これまで数々の異変を解決することでそれを為してきた。
そして、役目を遂行できるだけの力が無くなったとき、私は、
「つまり、私は、そういうことなの?」
冷たくなった脳で紡ぐ言葉に、紫が静かに答える。
「ええ、私たちはあなたを」
いつか来る日だと覚悟していたが、こんなにも早く訪れるとは。
「あなたの、ワキを堪能させてもらうわ」
「じゃあ、せめて眠るように退場させて──はい?」
意味不明の単語が聞こえたような気がしたが。
「えーと、今なんて言った?」
「ワキだけど」
「ワキだぜ」
「ワキよ」
「ワッキーです」
口々に返される。
「そんなに何遍も言わなくていいわっ! っていうか、最後、ニックネームっぽく呼ぶなっての!」
どこのペナルティだ。
しかし、ワキ? ワキってこの露出している箇所?
「どういうことよ。幻想郷の平和がどうとかって話だったじゃない」
「だから必要なんだって。幻想郷の平和にお前のワキが」
魔理沙が答える。「ワキが」って言うな。臭そうじゃない。
「幻想郷は閉じられた世界。様々な軋轢も歪みも生じてくるわ。だからこそ! この世の至宝たる霊夢のワキを、みんなで存分に愛でることですっきりするのよ!」
「何言ってんのぉおおおお?!」
常識にとらわれなさすぎる台詞に思いっきりツッコむ。まるで理解できない。しかも一人じゃなく、多人数でバカだ。
「やれやれ、自分のワキの価値にまるで自覚ないとはねー」
「言ってやるなよ、萃香。自身の肉体であればこそ、その魅力的小宇宙に気づかないんだ」
「それがまたいいのよ」
「ええ、奥ゆかしさを内包したワキには幽玄の美があります」
駄目だこいつら……早くなんとかしないと──いや、もう手遅れか。
「まったくその様子だと、今日がどういう日だかわかっちゃいないだろうな」
「は?」
今日は確か、7月20日だ。何か特別なことなどあっただろうか。
「やっぱわかってなかったか。この神聖な日を知らないとはなぁ」
「んーとね、霊夢、まずカタカナの『ワ』って、数字の『7』に見えるでしょ」
天子の説明に、嫌な予感がヒシヒシと迫ってくる。聞かなきゃよかったと思えるような何かが這いよってくる。
「それからカタカナの『キ』。これは漢字の『十』が二つ重なっているわ。つまり『キ』は『二十』!」
天子は握り拳を作って叫ぶ。
「だから7月20日は『ワキの日』なのよッ!!」
「アホかぁあああああああッ!!」
くだらないことを最後まで聞いてしまった! できることなら今の記憶を脳細胞ごと切除したい。絶対普及しちゃいけない記念日だ。意味不明なうえに、どうしようもない変態臭がプンプンする。
「さらに言えば」
レミリアが言葉を足す。
「今は夜。月も出ているわ」
どういうこと? 疑問符が頭に浮かんだ。満月であれば吸血鬼の力は増し、欲望やらリビドーやら燃えさかるのだろうが、今夜はほとんど新月に近いような月だ。意味があるとは思えない。
「そう──月夜と書いて『腋』と読む。故にこの時がワキ・タイムなのよ!」
「やっぱ聞かなきゃよかったぁああああ!!」
さっき以上にくだらない! 頭部ごと記憶を爆散したい気分だ。
「おいおいレミリア、そこは『ワキ時(わきどき)』と言って韻を踏むべきだぜ」
やめて魔理沙、記憶を命ごと消滅させたくなる。
「流石ね、白黒。その洒落た表現は今年の第一席の風格かしら」
「いやいや、そう褒めるのはそこな紫さんがいないときにしてくれ。なにせ博麗ワキ堪能会の発足当初から常にVIPの座に居続けたんだからな」
「ふふ……いつになく謙虚だけど、魔理沙、私から首席を奪ったのはあなたが初めてよ」
私の苦悩をよそに頭の悪い会話が続けられていく。「博麗ワキ堪能会」って何だ。そのVIPって何だ。
「いやーしかし苦労したぜ。筆記試験が苦手でさぁ。特に最後の問題、あれがなぁ」
「『霊夢がお風呂でワキを先に洗うのは、去年は何回だったか』だったね」
「かろうじて正解したが、あれが右ワキと左ワキの別まで問われていたら、無理だったな」
「なんで魔理沙がそんなこと知ってんのよぉおおッ!!」
馬鹿な会話に加わりたくなかったが思わずツッコんでいた。どんな統計をどんな方法で取りやがったというのだ!
「そりゃ必死で勉強したさ。何しろおびただしい人数からたった6人に選ばれるんだぜ? 並大抵の努力じゃ追いつかねぇよ」
「おびただしい?!」
聞きたいことと応答が違っていたが、別の疑問が生じて口に出す。
「んー? ちょっと障子を開ければ、ずらーっと行列ができているぜ。みんなお前のワキを心待ちにしているんだ」
「いやぁああああああ!!」
普段閑古鳥の鳴いている博麗神社が何てことに! しかし、ワキのためにやってくる群衆など賽銭を入れられてもお断りだ。ていうか幻想郷、そこまで変態の巣窟と化していたとは。
「さて、おしゃべりが過ぎたわね。待ってる人も大勢いるわけだから、早々にワキを楽しむことに移りましょう」
「そうね、ワキ堪能の一番槍(グングニル)を掲げる至福、もはや言葉は不要だわ」
「おっと、いの一番は私だからな。そこを忘れるなよ」
「別にいいじゃない。私もVIPの一員よ」
「私は第一席だぜ」
「まあまあ、二人とも」
射命丸が取りなし、魔理沙とレミリアの間に流れる不穏な空気を散らす。
「ここは仲良くいきましょう、霊夢さんのワキに免じまして。ほら、よく言うでしょう、『ワキあいあい』」
「くっだらねぇええええええっ!!!」
怒声を張り上げたが、魔理沙とレミリアは射命丸のウィットにいたく感心している。三人で拳を合わせて結束の強さを確認しさえした。わけがわからない。
紫が提案する。
「じゃあ6人同時でいきましょう。私と魔理沙、萃香は右ワキで、レミリアと射命丸、天子は左ワキね」
「ちょ、何する気よ」
3人ずつ左右に分かれて私の横に立つ。おぞましいプレッシャーだ。
「何をするって、決まってるでしょう。見て楽しむことはもう十分したわ」
空恐ろしいことをサラリと言いやがった。6人で視姦しまくったということだ。これ以上何をしようというのか。
「だからね、そう──舐めるのよ」
暴れた。
思いっきり暴れたが、クモの巣に引っ掛かったイモムシように無様な身悶えしかできない。その動きでも一人だけ蹴飛ばすことはできたが、むしろ蹴られたがってスタンバイしていた天子が対象だった。「思わぬボーナス」とつぶやいていたのは聞かなかったことにしたい。
「では皆さん、いただきましょう」
「「「「「「いただきます!」」」」」
6人が両手を合わせて頭を下げる。こちらは成仏を祈られてる気分だ。いや、実際死ぬ。精神が死ぬ。こいつら全員が私のワキを舐め回すなど想像すらしたくない。
だが、現実は非情である。6人それぞれの唇から、赤色の触手が先端をのぞかせていた。おぞましき器官はおぞましき言葉を紡ぐ。
「さぁて、今年の霊夢さんはどんなお味かなぁ」
「去年は何とも言えない甘みがあったわね」
「『ワキが甘いぜ』ってことか。味覚的な意味で」
「すんすん。匂いからするとあれだね。ちょっとした酸味があるよ」
「これは、そう、上等なワインが熟成されたようなお酢の芳香」
「バルサ巫女ね」
生暖かいナメクジの感触を六カ所に覚えた瞬間、私は意識を手放した。
ハンモックなどという酔狂なものを試みに使用してみたが、なかなか具合がいい。これなら常用しても良いかもしれない。流石に神社にハンモックという絵面はどうかと思うので、昼寝には使えないが。これ以上グータラ巫女と言われても困る。既に評価はどん底って意見は却下。
それにしても本当にいい夜風……。
薄目を開けると涼やかな流れが木の葉を飛ばしていた。闇に浮かぶ梢のシルエットが揺れる。ハンモックを結んだ幹も震える。遠くで石灯籠が吹っ飛んだ。──いや、これ、風吹き過ぎじゃない?
振り落とされそうな身の危険を感じて、私はハンモックから飛び降りた。降りようとした、のだが、
「きゃぁあぁああっ?!」
足側の縄が解けたのか、体勢が一気に崩れる。さらにハンモックの編み目が体中に絡まり、私は宙に吊り下げの状態になってしまった。
そこで目が覚めた。
目の前には見慣れた寝室。暗がりの向こうに閉じられた障子がある。
ああ、良かった。夢だったのか。
よく考えてみれば、それはそうだろう。私がハンモックで寝ているということ自体が既におかしい。最後には無様に宙づりになるというのも、楽園の素敵な巫女にあるまじき姿で。
あらためて夢で良かった。
安堵の吐息と共に、現況を認識しようとする。そう、疑問があった。
なぜ、私は、天井を見ていない?
思考・第一段階。私は目覚めた直後でありながら、仰向けになっていない。具体的には私の身体は縦の状態だ。
思考・第二段階。私の身体が縦なのは、立って寝ていたからではない。そんな器用なことはできない。かつて河原で宴会した後、酔いつぶれて水中に転落、仰向けで爆睡したまま下流で拾われるということはあったが、立ったまま寝ることまではできない。では、なぜ私は縦なのか?
自分の身体を見回してみる。胴体は縄でがんじがらめにされ、手首は縛られて上から吊されている。
結論。
私は縄で宙づりになっている。
「…………なんじゃこりゃぁあああああっ!!」
思わず太陽にほえる勢いで叫んでいた。夜だけど。
現実世界に帰ってきたと思ったら、そこでも宙づりでした。夢だけど夢じゃなかった!
「何よ、これ! こんな就寝方法採用した覚えないわよ?!」
確かに荒縄のみで構成された寝具は安価であり、さらに就寝スペースを取らないというメリットはあるものの、一人で寝起きできないというのは大きなデメリットだ。スパイダー男でもなければやりはすまい。
「お目覚めのようね」
人の声。その方向を見ようとするも、真後ろであるため上手くいかない。上半身はまるで動かず、首だけを動かしても強制的に上げられた両腕が邪魔になる。
そういえば、袖……無くなっている。寝間着のそこだけがスッパリと綺麗に消え去っているのだ。
何がどうなって、という混乱が収束する間も与えられず、腰の辺りをつかまれて身体が半回転させられる。
顔見知りがいた。所々に貼られた灯りの呪符が光を増し、その姿をよりはっきりと照らす。
「紫……っ?!」
紫だけではない。彼女を中心に、他の顔見知りたちがいた。
魔理沙、萃香、レミリア、射命丸、天子。それほど広くない部屋にずらりと並んでいる。
「な、何よ、あんたたち」
「何だかんだと聞かれたら!」
「?!」
魔理沙が答える。妙に芝居がかっている。
「答えてあげるが世の情け!」
天子がその後を継ぐ。何そのロケットで突き抜けた口上。
六人は言葉のリレーを続けていく。
「幻想郷を守るため!」
「己の道をひた走る!」
あ、変化入った。
「涙で渡る血の大河!」
「六人の戦鬼と人の呼ぶ!」
今度は00⑨か。
そして射命丸が〆の一言。
「団鬼六と呼んでください」
何その名称。縛りのプロっぽい。確かに私は見事な縛りで拘束されているが。
「ってゆーか、呼び方なんてどうでもいいのよ! これ、あんたらがやったの? さっさと解きなさいよ!」
「おいおい、冗談はよし子さんだぜ、霊夢。自由になったら暴れるつもりだろ」
「当たり前でしょ! 全員ぶん殴ってやるわ!」
「ええっ、どうして?」
天子が首を傾げる。
「衆人環視の中、荒縄で縛られるなんて最高じゃない」
「あんたの基準で考えるな、ドM!」
罵倒すると天子はビクンと身体を震わせた。快感で。やはりどこまでも変態だ。
「あのさー、霊夢」
萃香が私の顔を見上げて言う。
「そう簡単に縛ったり解いたりできっこないって。ガキの使いじゃなんだからさ」
子ども体型の鬼が言っても説得力に欠ける。
「よーく考えてみてよ。これだけのメンツがそろっていて、霊夢の今の状況。ただの冗談や酔狂でやってることだと思う?」
「……っ!」
確かにその通りだ。何重にも巡らした結界を突破し、かつそれを私に気づかれずに、一切の抵抗を許さない拘束まで施した。
こんなことは相応の術式を使わなければできることではない。単独では不可能。複数で行っても、すさまじい程の力と時間を要するはずだ。そう、幻想郷でも最大級の力を持つであろうこの六人の力を併せても、だ。
それだけの対価を支払うことに見合う目的は何か──単なる悪ふざけのはずがない。
絞り出すように私は問う。
「目的は……いったい、何?」
レミリアがフフン、と鼻で笑う。当たり前のことを聞くなと言うように。
「知れたこと。幻想郷の平和を守るためよ」
「さっきもそう言ったでしょ?」
天子が同調する。あのふざけた口上に、そういえばそんな箇所があった。一応意味はあったわけか。
それにしてもなんて大層な理由だ、幻想郷の平和とは。だが、大げさだと軽く流せるはずもない。
「私を、どうするつもり?」
聞いておきながらおおよその見当はついていた。
幻想郷と私の関係性。それは私が幻想郷のバランスを保持する者であるということ。これまで数々の異変を解決することでそれを為してきた。
そして、役目を遂行できるだけの力が無くなったとき、私は、
「つまり、私は、そういうことなの?」
冷たくなった脳で紡ぐ言葉に、紫が静かに答える。
「ええ、私たちはあなたを」
いつか来る日だと覚悟していたが、こんなにも早く訪れるとは。
「あなたの、ワキを堪能させてもらうわ」
「じゃあ、せめて眠るように退場させて──はい?」
意味不明の単語が聞こえたような気がしたが。
「えーと、今なんて言った?」
「ワキだけど」
「ワキだぜ」
「ワキよ」
「ワッキーです」
口々に返される。
「そんなに何遍も言わなくていいわっ! っていうか、最後、ニックネームっぽく呼ぶなっての!」
どこのペナルティだ。
しかし、ワキ? ワキってこの露出している箇所?
「どういうことよ。幻想郷の平和がどうとかって話だったじゃない」
「だから必要なんだって。幻想郷の平和にお前のワキが」
魔理沙が答える。「ワキが」って言うな。臭そうじゃない。
「幻想郷は閉じられた世界。様々な軋轢も歪みも生じてくるわ。だからこそ! この世の至宝たる霊夢のワキを、みんなで存分に愛でることですっきりするのよ!」
「何言ってんのぉおおおお?!」
常識にとらわれなさすぎる台詞に思いっきりツッコむ。まるで理解できない。しかも一人じゃなく、多人数でバカだ。
「やれやれ、自分のワキの価値にまるで自覚ないとはねー」
「言ってやるなよ、萃香。自身の肉体であればこそ、その魅力的小宇宙に気づかないんだ」
「それがまたいいのよ」
「ええ、奥ゆかしさを内包したワキには幽玄の美があります」
駄目だこいつら……早くなんとかしないと──いや、もう手遅れか。
「まったくその様子だと、今日がどういう日だかわかっちゃいないだろうな」
「は?」
今日は確か、7月20日だ。何か特別なことなどあっただろうか。
「やっぱわかってなかったか。この神聖な日を知らないとはなぁ」
「んーとね、霊夢、まずカタカナの『ワ』って、数字の『7』に見えるでしょ」
天子の説明に、嫌な予感がヒシヒシと迫ってくる。聞かなきゃよかったと思えるような何かが這いよってくる。
「それからカタカナの『キ』。これは漢字の『十』が二つ重なっているわ。つまり『キ』は『二十』!」
天子は握り拳を作って叫ぶ。
「だから7月20日は『ワキの日』なのよッ!!」
「アホかぁあああああああッ!!」
くだらないことを最後まで聞いてしまった! できることなら今の記憶を脳細胞ごと切除したい。絶対普及しちゃいけない記念日だ。意味不明なうえに、どうしようもない変態臭がプンプンする。
「さらに言えば」
レミリアが言葉を足す。
「今は夜。月も出ているわ」
どういうこと? 疑問符が頭に浮かんだ。満月であれば吸血鬼の力は増し、欲望やらリビドーやら燃えさかるのだろうが、今夜はほとんど新月に近いような月だ。意味があるとは思えない。
「そう──月夜と書いて『腋』と読む。故にこの時がワキ・タイムなのよ!」
「やっぱ聞かなきゃよかったぁああああ!!」
さっき以上にくだらない! 頭部ごと記憶を爆散したい気分だ。
「おいおいレミリア、そこは『ワキ時(わきどき)』と言って韻を踏むべきだぜ」
やめて魔理沙、記憶を命ごと消滅させたくなる。
「流石ね、白黒。その洒落た表現は今年の第一席の風格かしら」
「いやいや、そう褒めるのはそこな紫さんがいないときにしてくれ。なにせ博麗ワキ堪能会の発足当初から常にVIPの座に居続けたんだからな」
「ふふ……いつになく謙虚だけど、魔理沙、私から首席を奪ったのはあなたが初めてよ」
私の苦悩をよそに頭の悪い会話が続けられていく。「博麗ワキ堪能会」って何だ。そのVIPって何だ。
「いやーしかし苦労したぜ。筆記試験が苦手でさぁ。特に最後の問題、あれがなぁ」
「『霊夢がお風呂でワキを先に洗うのは、去年は何回だったか』だったね」
「かろうじて正解したが、あれが右ワキと左ワキの別まで問われていたら、無理だったな」
「なんで魔理沙がそんなこと知ってんのよぉおおッ!!」
馬鹿な会話に加わりたくなかったが思わずツッコんでいた。どんな統計をどんな方法で取りやがったというのだ!
「そりゃ必死で勉強したさ。何しろおびただしい人数からたった6人に選ばれるんだぜ? 並大抵の努力じゃ追いつかねぇよ」
「おびただしい?!」
聞きたいことと応答が違っていたが、別の疑問が生じて口に出す。
「んー? ちょっと障子を開ければ、ずらーっと行列ができているぜ。みんなお前のワキを心待ちにしているんだ」
「いやぁああああああ!!」
普段閑古鳥の鳴いている博麗神社が何てことに! しかし、ワキのためにやってくる群衆など賽銭を入れられてもお断りだ。ていうか幻想郷、そこまで変態の巣窟と化していたとは。
「さて、おしゃべりが過ぎたわね。待ってる人も大勢いるわけだから、早々にワキを楽しむことに移りましょう」
「そうね、ワキ堪能の一番槍(グングニル)を掲げる至福、もはや言葉は不要だわ」
「おっと、いの一番は私だからな。そこを忘れるなよ」
「別にいいじゃない。私もVIPの一員よ」
「私は第一席だぜ」
「まあまあ、二人とも」
射命丸が取りなし、魔理沙とレミリアの間に流れる不穏な空気を散らす。
「ここは仲良くいきましょう、霊夢さんのワキに免じまして。ほら、よく言うでしょう、『ワキあいあい』」
「くっだらねぇええええええっ!!!」
怒声を張り上げたが、魔理沙とレミリアは射命丸のウィットにいたく感心している。三人で拳を合わせて結束の強さを確認しさえした。わけがわからない。
紫が提案する。
「じゃあ6人同時でいきましょう。私と魔理沙、萃香は右ワキで、レミリアと射命丸、天子は左ワキね」
「ちょ、何する気よ」
3人ずつ左右に分かれて私の横に立つ。おぞましいプレッシャーだ。
「何をするって、決まってるでしょう。見て楽しむことはもう十分したわ」
空恐ろしいことをサラリと言いやがった。6人で視姦しまくったということだ。これ以上何をしようというのか。
「だからね、そう──舐めるのよ」
暴れた。
思いっきり暴れたが、クモの巣に引っ掛かったイモムシように無様な身悶えしかできない。その動きでも一人だけ蹴飛ばすことはできたが、むしろ蹴られたがってスタンバイしていた天子が対象だった。「思わぬボーナス」とつぶやいていたのは聞かなかったことにしたい。
「では皆さん、いただきましょう」
「「「「「「いただきます!」」」」」
6人が両手を合わせて頭を下げる。こちらは成仏を祈られてる気分だ。いや、実際死ぬ。精神が死ぬ。こいつら全員が私のワキを舐め回すなど想像すらしたくない。
だが、現実は非情である。6人それぞれの唇から、赤色の触手が先端をのぞかせていた。おぞましき器官はおぞましき言葉を紡ぐ。
「さぁて、今年の霊夢さんはどんなお味かなぁ」
「去年は何とも言えない甘みがあったわね」
「『ワキが甘いぜ』ってことか。味覚的な意味で」
「すんすん。匂いからするとあれだね。ちょっとした酸味があるよ」
「これは、そう、上等なワインが熟成されたようなお酢の芳香」
「バルサ巫女ね」
生暖かいナメクジの感触を六カ所に覚えた瞬間、私は意識を手放した。
ワキに関する言い回しがくだらなくて面白かったです