「あの……紫様?そろそろお控えになった方が」
「う……うるさぁーい!!……まだ飲むの……」
深夜の八雲家である。
普段ならとっくに明りを消している時間だが、今日は少し珍しい事態が発生していた。
事態、とはいえ単なる深酒なのだが、ここまで痛飲している紫様を見るのは……初めてではないが、少なくともよくある事ではないのは確かだ。
さらに珍しい事に、紫様は酔っていた。
酒を飲めば酔うのは当たり前だと思うかもしれないが、紫様が他人の前で酔った姿を見せるのはあまりない。
「賢者ともあろうものが簡単に醜態を晒すものではないわ」
というのが紫様の言い分であり(これについては言いたい事が多々あるのだが)、自らの境界を操作して酔いが早く回らないようにしている。
もちろんそれでは飲む意味が無いので、気分が高揚する程度に弱めているという事だ。
実は幻想郷の猛者どもと比べて格段に酒が強いというわけでもない紫様は、逆に言うと操作しなければ悪酔いしてしまうということでもある。
何か嫌な事があると、こうして自分の家で酩酊するほど酒を浴び、私に愚痴を浴びせるのが常なのだった。迷惑である。
「……藍、貴女も飲みなさいよ」
「私は充分神社で飲んできたので。これ以上は明日に響きます」
「な……何よ!私の酒が飲めないっていうの!?」
「流石に定番すぎですよ?なんと言われても飲みません」
「ふん……式のくせに主に逆らうなんて、可愛げが無くなったわね」
そう言ってさらに杯をあおる。二日酔いの看病、それに伴う明日の業務の肩代わりをするのは私だという事がわかってるのだろうか?
せっかくの宴会だったのに、良い気分もすっかり吹き飛んでしまった。
「おーい、お邪魔するよー」
「萃香殿?どうされました、こんな時間に」
「遅くにすまないね。なに、紫の様子が気になっただけさ」
赤ら顔の鬼が縁側から入ってきて、いつの間にか机に突っ伏していた紫様の様子を見るなり「あちゃー」と顔に手を当てた。
宴会では相当飲んでいたはずなのに、その様子は普段と変わらない……というか、いつも通りに酔っていた。
「紫、起きなよ。境界弄らずに飲むのは止せって言っただろ?」
「ん~……萃香?何よ、たまにはいいじゃない……」
「馬鹿だね、自分の家で一人で酔って何が楽しいのさ。どうせなら宴会で酔うべきだよ、そっちの方が楽しいじゃないか」
心配して来てくれた割には、よく聞くと自分の事を優先している。自分の楽しみと友人の健康をはかりにかける気はないようだ。
私としては単純に止めてくれればそれでいいのだが、まったくこの紫様の旧友は陽気に見えて掴みどころがない。……と、よく考えたら友人といえばそのような人物ばかりであった。
「って、これテキーラじゃないか。なんでストレートで飲んでるの?」
「じょ……蒸留酒は次の日に残らないし……すぐ酔えるし……」
「量の問題だよまったく。塩も果物も無いなんて、酒に対する冒涜に等しいね。すぐ酔うために味わわずに飲む酒なんて、風情も何もあったもんじゃない」
「貴女……いつも瓢箪の酒……ぐびぐび……」
「あれは私が作ったようなもんだからいいの」
という会話をしたところで紫様が潰れ、また机に突っ伏して寝息を立て始めた。
私が用意した料理を摘まみながら、残った酒を萃香殿が飲み始める。私は対面に座り、
「わざわざ心配して来て下さってありがとうございます」
「別にいいさ、ただの気まぐれだしね。割と早い時間で潰れてくれたし」
「潰れてくれた?」
「あんたもわかってるだろ。あいつの愚痴は長く続くからねぇ……今回は原因が原因だし」
「ああ、あれですか。私はよくわかりませんが」
「私だって大事にしていることくらいしか話されてないよ。あいつにも、話したくない大事な話の一つや二つもあるさ」
私よりも長いつきあいである萃香殿に話していないという事は、おそらく誰にも話していないのだろう。
私は痛飲の原因――本日の宴会を思い返す。
◇
一部の宴会好きによって企画された今回の宴は、幻想郷中からかなりの数の人妖が集まって来ていた。
一応は七夕の宴らしいが、もちろんそんなものは建前である。普段あまり見ない顔もいるから、随分と熱心に宣伝したようだ。
「「「かんぱーい」」」
一応は神社の主である巫女が音頭を取り、後は何時も通り、思い思いに飲み始めた。親しい顔同士で飲む者、宴会の場で交流を広げようとする者もいる。
私は紫様のそばで静かに飲もうと思っていた。今回は自分の式を連れて来なかったのである。
「藍、私につき合わなくてもいいのよ?」
「お気になさらず。特に親しいものもおりませんし」
本当である。いつも紫様の仕事の手伝いやら、家事やらをしている私は、人里や結界の関係者を除き親しい友人は少ない。
春雪異変や永夜異変で、顔見知りが増えたには増えたが、宴会では主従で飲んでいるところが多いのだ。
大騒ぎしている他の面々を眺めながら、ゆっくりと飲んでしばらく経った頃である。ふと気付くと、他にも1人で飲んでいる者がいた事に気付いた。
風見幽香。
彼女の姿を見て、私は少なからず驚いた。他の者とのなれ合いを嫌う妖怪が、なぜこの宴には参加したのだろう?
「珍しいわね、貴女が太陽の畑から出てくるなんて」
紫様も同じ思いだったようだ。話しかけながら彼女の傍に寄る。
「……別に。誘われた時はどうでもよかったけど、今日はたまたま気分が良かったからね」
「あらそう。まあ、たまには楽しんで行きなさいよ。普段会わない子たちも来てるし」
「私には関係ないわ。私はただ、あの畑を守れればそれでいいのだから」
紫様のこめかみがピクッと動いたのがわかった。しかしまあ、これくらいの煽りは日常茶飯事なので、なんともない。
ここまでは、まあ平和であったのだ。問題はこの後、である。
「……なあ、ちょっと気になってたんだけどさ」
白黒の魔法使いであった。さっきまで色々な陣営に首を突っ込んでは、哀れな弄られ役に酒を勧めては潰しまくり、宴会を色々な意味で盛り上げていた人物である。
一通り顔を出したところで、最後にやってきたのは私、紫様、風見幽香の所だ。
「やけに神妙な顔してるわね?」
「いや、本当に大したことじゃないんだけどな……」
頭をかきながら彼女が言い放った言葉は、私には少しの間理解できなかった。
「お前ら二人さあ……割とキャラ被ってるよな」
「「……は?」」
「だってそうだろ?いっつも不気味な笑顔浮かべてるし、そのくせ実力は飛びぬけてるし、さらには同じような日傘差してるしなぁ……」
しばし呆然と話を聞いていた紫様は、何やら曖昧な笑顔を浮かべて言った。
「い、いや、実力うんぬんはともかく、私の傘は他のとは違うわよ?なんたって、ただの日傘じゃないもの。雨の日だって使えるもの」
「……私のだってそうよ。それに、魔理沙が言ってるのは弾幕ごっこも含めた『被り』でしょう?なら、光線を放てる私の傘の方が高性能だわ」
「あ、貴女は傘が無くても光線出せるでしょ!厳密に言いなさいよ、厳密に!」
「そういう貴女はどうなの?弾幕ごっこのとき、弾を出してるのは傘からじゃないでしょ?」
「うっ……。で、でも」
「武器としても使えるって?三日置きの百鬼夜行や、神社が壊れたときの異変では、確かにそうだったらしいわね」
「ほら見なさい!」
「……貴女本気で言ってるの?大事な傘で殴りかかったり、振り回したり投げたり……およそ傘を愛する者の所業ではないわね」
「ぐっ!」
「つまり貴女には傘への愛が足りない。そして何より」
美しくないわ。
台詞と共に人差し指を付きつける花妖怪。紫様は「ぐはっっ」とか変な声を出して倒れ伏してしまった。今のは相当効いたらしい、そのまま動かなくなる。
勝ち誇った顔で杯を傾ける風見幽香は、残念だが今の紫様よりも求心力(カリスマ)を備えているように見えた。
実際実力は相当なものだし、口撃も有無を言わせぬ迫力がある。その結果はこれであるが。
「あー、なんかすまん」
珍しく魔法使いは本当に申し訳ない表情を浮かべていた。普段飄々としている紫様の姿を見慣れているものだから、驚くのも無理はない。
いつもこれくらい謙虚ならいいのにとも思うが、今回は彼女が原因なので仕方ない。
「藍、紫は大丈夫なのか?」
「問題無いよ。この程度はよくある事だしな」
「そ、そうなのか……じゃあこれで失礼するぜ」
私がなぐさめても仕方ないしな、と言いながらまた別のグループへ顔を出しに行った。まったく、後始末は何時も私だな。
「紫様。大丈夫ですか?傷は浅いですよ?」
「……」
「あらあら、ごめんなさいねー。ちょっと大人げなかったわねー」
「謝るならその笑顔を引っ込めてからにしてくれ……」
「ふふふ、これ以上は勘弁してあげましょうか。大妖怪との決闘も楽しそうだけどね」
「喧嘩でもなんでも、何かするときは結界に影響が出ない場所で頼む。どうせ私には止められないしな」
「あら、私は花に手を出さない限り何もしないわよ?もちろん売られれば買うけど」
じゃあねー、と手を振りながら、そのまま外へ歩いて行った。紫様を打ち負かした上機嫌のまま帰るようだ。そろそろ潰れる者も多くなってきたし、宴会ももう御開きだろう。
私は別の意味で潰れている紫様を抱え、巫女にいとまを告げに行った。
「霊夢、私達もそろそろ失礼する」
「ああ、はいはい。あんたも大変ね」
「もう慣れたさ。ではな」
他の者は大して此方に気を留めていない。妖怪は基本的に人間ほど酒が弱くないが、鬼や天狗とは比べるべくもなく、各陣営も死屍累々たる有様。
今日は割と飲みすぎた者が多いらしい。潰れた者たちを、ごく僅かに残った正気な者達がどうにか連れ帰ろうとしている。
妖力を使って浮かべたり、ひもで纏めて縛って運んだり、体をつかんだまま引きずったり、と方法は様々だ。
だから、私がぴくりともしない大妖怪をおぶっているという、普段なら奇特な状況も特に咎められる事はなかった。
◇
「それで、家に帰ってからずっと飲んでたんだ?」
「仰るとおりです」
「たまたま近くにいたから、宴会でこの事話してたのは聞こえてたけど。思ったより心に響いてたんだねぇ」
その傘がどれだけ大事なものなのかを知らない私にとっては、紫様の行動もちょっと行きすぎなところがある気がないでもない。
「ここまで過剰な反応をされると、さすがに気になりますね。いったいどんな曰くがあるのでしょうか」
「そうだねぇ。私と会った時にはもう持ってたし……でも、多分話してくれないと思うよ」
「萃香殿がそう思われるなら、そうなのでしょう」
「しかし紫といい、幽香といい。傘ってそんなに大事かね?」
「物の問題ではないでしょう。長く一緒にあると、それも体の一部のような気がしてくるものです。萃香殿なら……」
「瓢箪かな。なるほどね」
言いながら今度は、自分の瓢箪に口をつけた。
なるほど先程の発言は言い得て妙で、いつも萃香殿が身に付けている紫色の瓢箪は、そのまま鬼の体の一部を構成しているような錯覚を覚えた。
話していると、机がかたかたと細かく震えているのに気付いた。
いや、机ではない。机に突っ伏した紫様の肩が震えているのだ。
「なんだ紫様、起きてたんですか?」
「……くくっ」
「はい?」
「くくくっ、くふっ、くははははははははははは!!!」
「……」
あまりにも唐突な出来事に私はぽかんと口を開けた。隣で萃香殿はかわいそうなものを見る目をしている。
ちなみに紫様は笑っているとはいえ、机に突っ伏したままだ。
本人は高笑いをしたつもりかもしれないが、実際には宇宙忍者のようなくぐもった声が響いただけである。
「あ、あの、紫様?」
「やった……やってやったわ……」
「……何をだい?」
うんざりした口調で問いかけた萃香殿に、
「これよっ!」
主は笑顔で、机の下から取り出したものを突き出した。
「……幽香の傘じゃないか。なんであんたが持ってるんだよ?」
なるほど傘とはいえ、普段見慣れない傘は、まぎれもなく風見幽香のものであった。
「ふふふ幽香の奴、私と話をした後、傘を忘れて帰ったのよ。私を言い負かしたのがよっぽどうれしかったんでしょうね」
ささいな口論とはいえ自分が負けた事を笑顔で話しているあたり、傘を盗ってやったのがよほど可笑しいらしい。
「気付いたなら呼び止めるなりしてあげましょうよ……」
「ってか嬉しそうに言ってるけど、それ泥棒だからね?」
「しかし傘の話をしていたのに忘れて帰るとは。嬉しかったとはいえ、流石にうっかりしすぎではないですかね?」
「ああ、幽香に頼まれて私がお酒用意したから……あれ飲んだらまあ、普通の妖怪はまず立てないね。幽香だからあの程度で済んだんだろう」
私たち二人の会話をよそに、紫様は立ち上がった。それはそれは良い笑顔で。
私はその笑顔を見て、条件反射で胃痛を催した。
「くくく……いかな大妖怪であっても、傘を失った妖怪は妖怪にあらず。もはや陸に上がった魚、牙を無くした獅子、変身して三分経った超人ね」
「完全に悪役の顔になってますよ、それ」
「顔どころか、今のところ完全にあんたが悪役だよ、紫」
何言ってんのよ、と彼女は笑った。
「あれぐらいの痴話喧嘩、私がそんなに落ち込む訳ないでしょう」
「ご自分が家で飲んだ量を知って言ってるんですか?それ」
「少なくともさっきは完全に気絶してたよね」
「とはいえ幽香が私と、私の傘を侮辱したのは事実。その落とし前はきっちりとつけないとね」
「うわー、最近話流すのが上手くなってる」
紫様が話した落とし前というのは、こうだ。
まず、今日の口論のリベンジ・マッチとして、風見幽香に決闘状を送る。内容は武器による攻撃を含めた命名決闘(百鬼夜行や天人の起こした異変のときと同じだ)。
この決闘に敗北した者は、勝利者の武器……つまり傘を、自分のものより優れていると認めなければならない。
二人は幻想郷の中でも指折りの実力者であるし、誇り高い性格であるから、負けた方は相当な屈辱だろう。
「幽香の傘はこちらの手にある。九割方、私の勝利は確定的に明らかね」
「しかし弾幕ごっことはいえ大妖怪どうしが戦ったら、負けた方の名声は地に落ちるでしょう。これで幻想郷の力の均衡が崩れたら……」
「ギャラリーは集めない、私は幽香に謝らせればそれでいいの。全ての視覚、音、気配を遮断する結界を張っておくわ。決闘の最中、管理は貴女に任せる」
特に心配だったのがあのブンヤだが、紫様がこう言ったなら大丈夫だろう。境界の妖怪が本気で張った結界は、並みの妖怪など歯牙にもかけない。
「あれだけ大事にしていた傘をまさか無くしたなんて言えないわよねぇ。傘を失って実力を出せず、
かといって自分のプライドが戦わずして敗北を受け入れる事あたわず。まさに八方塞がりね」
「本当に悪役の思考だね……」
「傘を持っていない風見幽香に勝ったところで、どちらの傘が優れているとは言えないのではないですか?」
「それでいいのよ。幽香は弾幕ごっこの時も傘を手放さない。その傘を失った状態で戦ったら、自分から『私にとって傘は重要ではない』と言っているようなものだわ」
決闘は早い方がいい、と紫様は張り切って決闘状を書き始めた。酒が抜けるのが早すぎやしないだろうか?
すっかり元気になった紫様を見て、萃香殿は呆れて帰ってしまった。またもや傍迷惑な思いつきにつき合うのは、私も御免被りたい。
まったく、ここが式のつらいところである。
「手紙の内容は今日のリベンジなんだから、今日のうちに出した方が自然よね」
決闘状を書き終わったらしい紫様は、スキマを開いて腕を突っ込んだ。開いた先は風見幽香の家の郵便受け。これで彼女は明日の朝、決闘状に気付くだろう。
「これでよし。決闘は明日の申の刻よ。あなたも早く寝て明日に備えなさい、おやすみ」
そう言うとさっさと自分の寝室に引っ込んでいった。こちらの都合も聞かない、いつもの傍若無人っぷりである。あれがさっきまで自棄飲みして潰れていた姿には見えなかった。
「風見幽香も災難なことだな……」
主の居直りについ流されそうになってしまうが、萃香殿も言っていた通りこれは泥棒である。
悪いのは一方的にこちらなのだから、どこかで詫びを入れるべきかもしれないな。
そう思いながらも、私は空になった酒瓶やらつまみやらを片付け始めた。
◇
さて翌日である。
朝から対決をそわそわしながら待ち侘びていた紫様は、申の刻を待たず家を飛び出していった。
まるで遠足前の子供である。前夜に眠れないという事は無かったようだが。
対決場所は太陽の畑からほど近い、されど人も妖怪もあまり訪れないような荒野であった。早速結界を張り、私はその維持に力を注ぐ。
美しい夕焼けが辺りを覆い始めた頃、風見幽香が現れた。当然ながら傘を持たずに。
顔には微笑が浮かんでいるが、普段の彼女とは違って、今は心なしか沈んだ雰囲気が漂っている。
「ふふん、よく逃げずに来たわね、幽香!昨日の屈辱を晴らさせてもらうわ!」
「……逃げるですって?この風見幽香に、戦わずして敗北する選択肢などないわ」
これ見よがしに自分の傘をつきつける紫様は、すでに勝ち誇っているようだった。いかん、この表情と台詞は、まったく小物の悪党にしか見えない。
「よく言ったわ。じゃあ早速……って、あらぁあ?昨日あんなに自慢していた日傘の姿が見えませんわねぇえ?」
扇を開いて口もとにあてながら、「うぷぷっ」という擬音がぴったりの笑みを浮かべる紫様。
あああああ、本当にもうやめて下さい……こんなテンプレの悪党の姿は、私の敬愛する主人の姿ではありません……
「決闘の事なんだけどね、紫」
「あら、何か言いたい事でもあるのかしら?私は昨日の事を謝ってもらえればそれでいいんですのよ?」
「……さっきはああ言ったけどね……まあ、今は何を言われても甘んじて受け入れるわ。昨日の事も謝っておく。ごめんなさい」
そういって頭を下げてきた。風見幽香がここまで言われて黙っているわけがないだろうと思ったので、流石に私は呆気にとられた。
頭を下げている?あの孤高の大妖怪が?
しかしもっと驚いているのは主だった。傍から見ている私もはっきりとわかる狼狽え様で、
「ちょ、ちょっと幽香?幾らなんでも貴女らしくないわよ?熱でもあるの?」
「失礼ね。私だって分別ある妖怪だもの、自分に非があればちゃんと認めるわよ」
そう言って力なく笑う彼女は、いつもの気丈さがなりを潜めて随分と小さく見えた。憔悴しているのは、あの傘が本当に大事なものだったからだろうか。
「まさか自分の傘を無くすなんてね……酔っていたとはいえ、この私にあるまじき一生の不覚だわ。昨日の自分をぶん殴ってやりたい」
「い、意外だわね。貴女なら傘が無くても、売られた決闘は買うものだと思っていたわ」
「宴会で話したでしょう、決闘は美しく優雅に行うもの、ってね。大妖怪は常に貴婦人の如き余裕をもって、日傘を片手に、優雅に戦わなければいけないのよ。
それが大昔、私が自分自身に課した……そう、約束なの」
ふう、とため息をついて空を見上げる彼女。
「……あの傘はね、私が幻想郷に来る前からの付き合いなの。私の部下たちがくれた、長い年月の重みと、想いがつまった大切な傘なの」
「えっ」
「可愛い部下たちでね。私はあの子たちの最高の主であろうとしていたわ。例えどんな世界にいても、常に優雅に、そして強くあろうと誓ったのよ」
普段は見せない優しい笑顔だった。こんな彼女は見た事が無い。おそらく主もそうだろう。
「昨日貴女を言い負かして、気分よく飛んで帰っている途中……気付いた時の私の焦りようは、傍から見たらさぞかし無様だったでしょうね。
すぐさま神社にとって返したけど、宴会はすでに御開き。霊夢に私の傘を知らないか聞いてみたけど、神社に無いなら知らないって……」
「……」
頭をうつむかせて呟くように語る彼女はもう、悠久の年月を生きた大妖怪には見えなかった。
燃えるような夕日とは対照的に、見た目相応の少女のように儚く、弱い存在であるような、そんな印象を私に抱かせた。
それにしても……
これは主やらかした。想いの強さを見誤ったな。自分の思いつきが、ここまで彼女を追い詰めてしまっていたとは想像できなかったろう。
主の頬を、汗がつーっと滑っていくのが見える。この事態を、どうやって収束させるのだろう……?
等と呑気に考えていたのだが。
ふと私は、自分の手に傘が握られていることに気が付いた。
…………………………はい?
「もう夜も遅かったし、流石に幻想郷中を駆け回って傘の行方を問いただす事はしなかったわ。叩き起こされて、不機嫌なまま弾幕をぶっ放されても面倒だしね……。
朝起きた私は、貴女の手紙を読んでから宴会の参加者の所を一通り周ったけど……誰も知らないって……」
いやいやいやいや待って下さいよ、これどういうことなんです?
ほうぼうに迷惑かけといてまずい展開になったら私におしつけるって、流石にムシが良すぎやしませんか?今のあなたの傲慢さは間違いなく幻想郷トップ狙えますよ、吸血鬼や天人を押しのけてオッズ1位ですよ。
いや無責任はいつもの事ですけど、今回はちょっと相手が悪いですよ?ただの大妖怪じゃないんですから。今日の花の妖怪はいつもと違って、完全に弱い者いじめみたいな空気になっちゃってるし。
いや本気でシャレにならない。あああ傘に込められた想いが重い――――
「あ、幽香さん。これ紫様からです」
普通に渡すことにした。
私は嘘を吐かずにすむし、主も自分の良心の呵責に悩む事もない。一石二鳥、やはり妖怪正直に生きるべきだな!
後ろから『らぁあああああああああああん!!!!!』とか叫んでいるような、声にならない声は聞こえないことにしよう。後はすべて主に任せた。
「……あ……」
驚きと、安堵が混じったため息のような声が漏れた。
両手で自分の傘を持った彼女は、文字通り花のような笑顔を浮かべ、ゆっくりと傘をかき抱いた。
目尻にはうっすら涙が浮かんでいる。今日は本当に珍しい光景が続くな……
「……これ、どこで?」
「さあ……自分は紫様から、渡すよう言われただけでな」
「ら、藍!ずるいわよ!」
「どの口が言いますか」
「紫、貴女が見つけてくれたの?」
「え、ええ、そうなのよ!見つかって良かったわね幽香!」
「……本当にありがとう、紫」
「いいのよそれくらい!気にしないで!」
必死に笑みを浮かべて誤魔化そうとしている。これでばれなかったらそれでいいのだろうか?最後まで小悪党の様相を呈する主は、なんというか……見苦しかった。
「本当に良かった。もし誰かに盗られでもしていたら……ふふふ、私も何をしていたかわからないわね」
「そ、そう」
「ところでこれ、どこにあったの?」
「へっ?……こ、細かい事は良いじゃない、見つかったんだし!もう日も沈んじゃったし、決闘は今度にしましょう!いいわね幽香!」
「細かい事じゃないわよ。大事なものを見つけてくれたんだから、しっかりお礼も――」
「ほほほ本人が良いって言うんだから良いのよっ!そ、それにもうお腹も空いたし帰らないと!さあ藍、早く帰って晩御飯を――」
「……ちょっと待ちなさいよ。何故そんなに慌てて帰ろうとするの?」
一瞬で空気が凍ったのが分かった。ついでに紫様の表情も凍った。
「……そういえば最初から、貴女の態度ちょっと変だったわよね。まだ何も言ってないのに、まるで私が傘を無くした事知ってるみたいだったじゃない?」
「ごごごっ、誤解よっ。ほら貴女が傘を持ってないのが見えただけで……」
「それに最初のセリフ、『よく逃げずに来た』とか言ったわよね?
どうして逃げると思ったの?
私が勝負から逃げるような性格じゃない事ぐらい、わかってるはずでしょ……?」
「ひいっっ!?」
ずいっ、と詰め寄ってきた彼女はもう確信を抱いた顔だ。紫様は顔中にびっしりと汗を浮かべて後ずさり。もう認めているようなものである。
彼女から発せられるプレッシャーが凄まじい。傍らで見ている私ですら、肌が粟立つのが実感できるほどだ。直接それを向けられている紫様の精神状態は言わずもがな。
傘を主に突き付けながら、おもむろに彼女は口を開いた。氷点下の笑みを浮かべて。
「言いなさい。……貴女がやったの?」
「何も存じません。全て式がやりました」
「この期に及んで私に押しつけますか……」
「式神は主の意思に背いた行動はある程度制限される。傘の事とはいえ、幻想郷の実力者に独断で喧嘩を売るような真似はできないはずよ」
「その通りでございます」
「らぁあああああああああああん!!!!!!!」
「……もう諦めて下さい。現実は非情なのですよ」
「ゆ、幽香!貴女、花に手を出さない限り何もしないって言って――ちょ、ちょっと、聞いてる!?だ、誰か助け、い、いやぁあああああぁぁぁ………………」
最後の言動でかばう気も無くなった私は、静かな怒りで大地を震わす花の妖怪に引きずられていく主を、安らかに見送ったのであった。
◇
「スキマ、太陽の畑の害虫取りをしなさい。1人で、全部」
「あ、あれだけの広さを1人でっ!?そんなの無理に決まって……」
「出来るかどうかなんて聞いてない。『やる』のよ。わかった?」
「ひいっ!?わ、わかったわよ……」
「終わったら今度はクワを持って。新しい種を蒔くから、土を耕すのよ」
「貴女、勝手に畑を広げるつもり!?そんなの私が許さな――」
「……へえ……いつから私に意見できるようになったのかしら……?偉そうな妖怪の傘を埋めて、畑の肥やしにしてやってもいいのよ?」
「わ、わかった、わかったから!それだけは勘弁して……」
「ふふふ……無様ね」
その後は何やら、風見幽香の忠実な僕となってしまっている主の姿が見られた。
どうやらこちらも、大事な傘を人質――傘質にとられ、従わざるを得なくなっているようだ。文字通り因果応報である。
風見幽香は自分の大切な思い出であるだろう、傘の事を軽はずみに主に話してしまった事を後悔しているようだったが、
私が結界の中での事は決して外には漏れないから安心してほしい、と説明しておいた。変なことでこれ以上話がこじれても困る。
さて、風見幽香の秘密は無事に守られたわけであるが。
「もう結界は解除されている事を、紫様は理解しておいでなのか……?」
無駄な結界の維持に力を割くわけにもいかないので、一連のやり取りの後、私はすぐに結界を解除した。もちろん主も、これを感じ取っているはずなのだが――
「ほーらほら、急がないと貴女の傘があーんなことやこーんなことに」
「や、やめてぇええ!急ぐから!全力で急ぐから!」
どうやら傘の事で頭が一杯らしい。
この情けない姿も、ひとたびブンヤの写真機に収められてしまえば、恐るべきスピードで幻想郷中に広まる事は必至なのだが。
まあ私は、『幻想郷の実力者に独断で喧嘩を売る事は出来ない』ので――
主の身にこれ以上何かが起こる前に、花の妖怪の気が済んでくれる事を祈るばかりである。
悪役らしい最後と言える
それに対して潔い態度と乙女らしさを出したゆうかりんの株はストップ高
うん、仕方ないですね
なんというかどうしてもシリアスになれいのが幻想郷らしいですな。
楽しかったですw