朝の光が窓から差して、私は目覚ましが鳴るより早く目を覚ました。
人外の者達が神社で酒を飲んでいる写真の横、目覚まし時計に手を伸ばしてアラームを前もって止めておく。
少し写真を見やってから、隣ですやすやと眠ってい寝ぼすけを置いてベッドから抜け出した。
窓に掛かっていたカーテンを開けば、空中道路を飛び回ってる車がぽつぽつ見えた。朝早くからご苦労なことだ。
高層マンションから見える景色は、いつ見ても広々としてて気持ちいい。あんまり高すぎると何があるのかわかりにくし、これくらいが丁度いいと思う。
スピーカーに接続したPDAを操作して、爽やかな朝にふさわしいクラシックを部屋に流した。
鮮やかな音色を聞きながら、鼻歌交じりに朝食の用意を済ませていく。
「ふんふふふ~ん♪ ふふふふふふん、ふっふふふ~ん♪」
用意といっても昨日の残りにちょっと手を加えて、お漬物を適当に盛り付けるだけだが。
最後に炊飯器から炊き上がったご飯を茶碗に注げば、朝ごはんの出来上がりだ。
いい加減同居人を起こそうと、再びベッドへ近づいた。
「ほら、起きなさいってば。もう朝よ」
「うぅん……あと五時間……」
「長いわ! 図々しいわね全く、ほら起きる!」
このままじゃ何時間たっても起きないと身に染みている私は、掛け布団を取り上げる。
バサリと音を立ててめくれた布団の下から、狐と猫の模様という着ているやつの年齢からは考えられないほどファンシーな柄のパジャマが出てきた。
朝の寒気に身を震わせて、ようやく寝ぼすけは目を覚まして、うだつのあがらない顔を私に向けた。
「……おはよう、てんし」
「おはよう、紫」
こいつと出会ってからかれこれ1000年ほど経った今。私は紫とお高いマンションで一緒に暮らしていた。
昔、みんなが笑いあっていた懐かしの幻想郷は、今はもうない。
「……グゥ」
「寝るなー!!」
「おはよう天子。今日も一日が始まったわね」
「今更眉立てて言ったって、カッコつかないわよ」
朝食を押し込んで、ようやく頭が覚醒してきたらしい紫をバッサリ切り捨てる。
「うぅ、どうせ私なんて、半世紀以上進展のないババアよ……」とか言ってなんか落ち込んでるみたいだけど、気にせずテレビ画面に向かって指でタッチする仕草をした。
すると操作を認識したテレビが画面を移し変えていく。
『えー、今日の天気は』
『おっはー!』
『火星で新たなレアメタルが』
『最近の流行のファッショ』
『――総理大臣の政的手腕は、女性版聖徳太子とも言われるほどで』
適当にチャンネルを変えていると、見知った顔がテレビに映って指を止めた。
「おっ、神子ちゃんだ」
「どこ映してもニュースじゃ彼女のことやってるわよ。たまにはあなたもそういうの見なさいな」
「やだですよー。バラエティのが面白いし、大したことやってないニュースとかなんで見なきゃいけないのよ」
豊聡耳神子は、今は数少ない幻想郷メンバーの一人だ。
最近は総理大臣にまで上り詰め、日本を改革中。布都や屠自古なんかも表に出ないが、神子ちゃんをサポートしてるらしい。
しかし2000年以上経ってもまだ当初の目標をこなそうとしているとか、その粘り強さには感心する。
そういえばここのところ向こうの業務が忙しいらしくて会っていないし、またお酒を飲んでだらだら語り合いたい。
「……前から思ってたけど、なんで神子はちゃんづけなの」
「いや、特に意味はないけどなんとなく」
「そうなの」
「そうなのよ」
「じゃあ私のこと紫ちゃんって」
「キモイ、イヤ」
「即答しなくたっていいじゃないの……」
あっ、また落ち込んだ。
なーんか最近の紫は落ち込みやすい気がする。私に気を許してきたってことなんだろうか。
しかし昔の私と紫からは考えられないような光景だ、どっちかっていうと立場が逆だった気がするけど。
といっても、当時は家事を藍がやっていたから、そうならなかっただけか。こいつ日常面じゃグータラだから、日々の生活まで踏み込むとどうしてもこうなる。
放っといたら三食出前で、一週間で部屋をごみ屋敷にするだろう相手と比べれば、相対的にしっかりに見えるわけだ。それでも細かいところまで見れば、やっぱり紫の方がちゃんとしてるんだけど。
「それで、今日はどうする予定なの。立ち読みにでも行くんだったら、私も私でゆっくりさせてもらうけど」
「ぼちぼち新作の案がまとまってきたからそっちまとめたいわ。それから青娥に新作見て来いってメール来てたから、後でそれも見に行きましょ」
「それじゃあ幽々子たちのところに行ってから映画ね。昼食は向こうで食べるとして、夕食はどうする?」
「んー、映画見てすぐ作る気にならないし、どっかその辺の飲み屋でも入りましょうよ」
「はいはい、免許証忘れないでよ」
今日の予定を紫と立てて、私は身支度を整え始めた。
化粧台の前に座って、鏡に映りこんだ自分を覗き込む。
そこに青い髪と緋色の瞳はなく、大和撫子な黒髪黒目の私が映っていた。
流石に現代の生活で髪色が青とか目立ちすぎるので、術で色を変えて生活していた。
紫は金髪なので、まぁなんとか誤魔化せるだろうってことでそのままだ。面倒なことをしなくていいのがちょっと羨ましい。
「バーチャルゲームとかでなら、青色でも普通なのになぁ」
愚痴を言いながら丁寧に髪を梳くと、さっさと化粧台から離れた。化粧台とか言っても、私も紫も基本的にすっぴんだから鏡以外は滅多に使われない。
赤色チェックのパジャマを脱いで、動きやすいラフな格好に着替える。
私が着替え終わったころには、紫は黒を貴重としたドレスを着ていた。毎回思うけど、なんでいつも気が付いたら着替え終わってるんだろうか。スキマ妖怪って早着替えが特技の種族なのか。
「鍵も閉めたし電気も消した。オッケーよ」
「それじゃ行きましょうか」
日本は治安が格別良いから鍵はしなくていい気もするけど、用心するに越したことはない。
確認を終えて玄関で靴を履くと、紫がスキマを作り出した。
行き先は冥界、白玉楼。
◇ ◆ ◇
幻想郷が崩壊したのは今から90年ほど前。
その理由は、大異変だとか外界の大騒動だとか、そんな大げさなものじゃない。
ただ単純に、大結界に限界が来たというだけだった。
むしろ長く持ったほうだと思う。約1000年もの間保ち続けたってだけで十分に勲章ものだ。
とはいえ、崩壊のギリギリまで結界を維持しようと諦めず、なりふり構わず必死になっていたやつが一人いた。
みんなご存知、妖怪の賢者、八雲紫がそうだった。
「結界が崩壊しようとしているわ。力を貸して」
崩壊を食い止めようと、紫は頭を下げて最高のメンバーを取り揃えた。
霊夢クラスの才能を持つ逸材で、しかも性格まで似てるから霊夢の生まれ変わりだなんてまことしやかに語られていた、当時の博麗巫女を始めとし、幻想郷中の実力者が方っ端から集められた。
その中には、地脈をいじるためにとこの私、比那名居天子も呼ばれていた。
これだけいるなら大国だって落とせるんじゃないか、なんて思ってしまうほどとてつもない異形集団が結成された。
みんながみんな、できることに尽力し、幻想郷を救うために奮闘した。特に紫の頑張りようは一際目立っていて、鬼気迫るものを感じさせられたものだ。
だがそれでも、やはり不可能なものはあった。
なんせ古くから存在する妖怪、妖精、神、その他諸々の存亡だ、荷がとてつもなく重すぎた。
私たちの努力はむなしく、結界は崩壊した。
そしてみんな消えた。妖怪も、妖精も、神も、幻想郷を構成していた大部分が。転生する暇もないまま、その魂ごと消滅した。
残っていたのは人間連中と、仙人や天人みたいに人間が修行して到達した者と、蓬莱の薬を飲んだ蓬莱人。死神とか閻魔とかに、幽々子や妖夢みたいな幽霊。
そして妖怪の中の例外として八雲紫。
たったこれだけを残し、他は全部消えてしまった。まるで最初から何もなかったみたいに消え去った。
大好きだった幻想郷が消えたという現実に打ちのめされ、私はただ呆然とする他なかった。
もう、みんなと弾幕ごっこをやったり、酒を飲んで騒ぐこともできない。
そう思うと、胸の奥から厚いものがこみ上げてきて、目から流れ出しそうになった。
けどそうならなかったのは、紫がいたからだった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい…………」
そう繰り返しながらうずくまってないていた紫の姿を見ると、泣くことができなくなった。
きっと私が泣いたら、余計に紫は泣いてしまう。そう思って涙を押し留めた。
謝りながら泣き続けるその姿を私は忘れない。
後にも先にも、紫の泣き顔なんてあの時しか見たことがなかった。
◇ ◆ ◇
「あら、二人ともいらっしゃい」
白玉楼にやって来た私たちを、幽々子はほがらかな笑顔で出迎えてくれた。
幻想郷が崩壊しても、冥界であるここは無事だった。
あの世だとか幽霊だとかの存在は、その時代を生きる人間たちもみな心のどこかで信じていたかららしい。
死後の世界ゆえ変化に乏しいここは、まさしく時が止まったかのように平穏だった。
「はい、お土産のお饅頭よ」
「ありがとう紫、愛してるわぁ」
「お茶をお持ちしました、どうぞ」
「ありがとねー」
完全に死に、半人半霊からただの霊になった妖夢からお茶を受け取る。
幽々子と妖夢は、昔と変わらずこの白玉楼で日々を送っていた。
たまに現世にやってきたりするが、基本的にここにいるのが普通だ。
そうやって、幻想郷があったころと同じ生活をしているやつは少ない。
というか他には小町と映姫くらいか。こっちも昔と同じで、小町のサボり癖に映姫が困っているらしい。
それと輝夜と妹紅は以前と近い生活をしているといえるかもしれない。永琳に連れられてとくに不自由のない暮らしをしながら、相変わらず殺しあっているわけだから。
その永琳がその天才的な頭脳で医学会に旋風を巻き起こし、あっというまに豪邸を建てて贅沢をしていたのがこのあいだまで。
だがある日問題が発生。豪邸の庭で懲りずに輝夜と妹紅が血みどろの殺し合いをしていたところを、たまたま衛星に激写され、世間の目に晒されてしまったのだ。
医学会の天才の家族同士で殺し合いか!? という見出しの記事を電子ペーパーで見たときは、驚いてお茶を吹いて紫にぶっかけた。
今は金を持って三人ともとんずら、世間の目から逃れておとなしく生活している。
「さて、四人揃ったところで企画会議始めるわよ」
「はーい」
「いつでもどうぞ」
私はポケットからPDAを取り出して、用意しておいた情報フォルダを開いた。
画面から光があふれると、デデンと大きく立体映像が表示された。
宙に表示されたのは、金属で構成された人型兵器のイラスト。
「今度のゲームはカスタマイズ性のあるロボゲーです!」
どうしたことか、私たちは同人ゲームを作るようになっていた。
私が主婦ニート状態で暇をもてあましていた時期があり、なんとなく紫に「こんなゲームあったらいいな」とか言ってみたら、翌日に私の話を元に再現したゲームを紫が持ってきたのが事の始まりだ。
一晩で基本的なゲーム部分を作る紫に若干引いたが、ならいっそ全部作っちゃおうということになり、今や同人ゲーム界で名を轟かす、天地境界が誕生したのだった。
専門ジャンルは特になく、アクション、RPG、SLG、ADV、果てはギャルゲーまでその時の気分とノリで幅広く作っている。企画やシナリオ、イラストなどは私が担当だ。
「ロボゲーって、細かい数値に隠しパラメーターとかがあって、任務に出たら騙されて罠に嵌められたりする、敷居が高いようなやつ?」
「そっちじゃなくて、私が作りたいのはカスタムロボ的なやつよ」
「カスタムって……あぁ、早苗が持ち込んできたゲームね。また随分と古いものを」
紫は私が出した案に客観的意見を言い、作品の完成度を高めてもらっている。
紫の意見は重箱の隅をつつくようにしつこくいやらしいが、的を射ているのでとてもありがたい。こいつがいなかったら、私の独りよがりのような作品しかできないだろう。
ちなみに紫はプログラム全般も担当している。一人でやらせるのは酷だと思うかもしれないが、頭に思い浮かべたプログラムをパソコンに転送する術を作り上げており、私の用意さえ終わればだいたい一日でゲームを完成させてくれる。しかもバグとかほとんどなし。
脳内でそんなの組み上げるとか、一度こいつの頭の中がどうなってるのか覗いてみたいものだ。見た瞬間あまりの情報量に発狂しそうだけど。
「シンプルで適当にパーツを組み合わせてもある程度戦える、でも極めようとすると奥が深い。ストーリーは子供向けだけど、子供から大人まで楽しめる。そんなのを作るわよ!」
「子供向けってことは小学生とかも視野に入れてるのよね。今時ネットでゲーム買ってダウンロードする小学生なんて普通だけれど、ロボゲーは流行らないわよ」
「だからこそよ! たしかにロボットものは下火も下火、ちょろっと一部のマニアたちの間で細々と続いてる程度。なんせ宇宙開発が進んで、極地用の巨大ロボットができるようになっても、人型の巨大ロボットが開発されないからよ! 所詮幻想だと否定されて今や存在が危うくなっている、これはロボットものの終焉を意味するのか? 否、始まりなのだ! ここで一発飛ばしてロボットブームの再来を成し遂げるのよ!」
バンッと机を叩いて力説する。
もしかしたら私がゲームを作ってきたのはこれが理由だったのかもしれない。
そう今こそ、私の手でロボット界隈を復興させるのだ!
「随分と簡単に言っているけど、子供相手だからと子供騙しに走れば用意に見抜かれるわよ。それにデザインは難しいし、バランス調整は相当大変よ? 」
「この日のために練ったストーリー、描きまくって練習したロボのイラスト、ぬかりはないわ。調整のほうは紫に期待してるから」
「また丸投げなのね」
「信頼してるのよ」
「あー、嫌だわ、こんなか弱い乙女をこき使って。血も涙もないわね」
「歳数えてから言いなさいよ。妖夢と幽々子はいつもどおりBGMをお願いね、特に戦闘曲に力入れてよ」
「はいはい、わかったわ。頑張りましょうね妖夢」
「戦闘曲は私の仕事ですからね、全力でやらせていただきます」
冥界組みには音楽方面、時たま一部イラストを任せている。これで天人の私よりもいい曲を作るんだから大したものだ。
それから紫と意見を交えて、どんなゲームにするのかを固めていく。その過程でストーリーとかも話して、どんな曲を作って欲しいかも伝えておいた。
たっぷり4時間くらい会議を続けたあたりで、幽々子が空腹を訴えて会議は終了。
「それでね、肝試しスポットにきたカップルの前で、鬼火を灯しながら化けて出てみたら、キャー! なんて言って飛び跳ねちゃって」
「あらあら、でも楽しみすぎちゃって死なせちゃ駄目よ?」
「わかってるわよ、紫ったら心配性なんだから」
昼食を取り終えたころには、すっかり雰囲気は世間話モードだ。
楽しそうに話す紫と幽々子を見て、ここは二人きりにさせたほうが良いだろうと、妖夢に声を掛けて腰を上げた。
「さてと、腹ごなしに試合に付き合ってよ」
「いいですが、また前みたいに木を折ったりしないでくださいよ」
「善処するわ」
「する気ほとんどないですよね」
とかなんだか言いながら付き合ってくれるのが妖夢だ。幽々子が気に入るのが良くわかる。
練習用の木刀を貸してもらって、二人して庭へ出た。
「それでっ、どうなんですか!」
「どうって、なにが!」
ガンガン木刀を打ち鳴らしながら、無駄口を叩く。
「紫様ですっ!」
「紫がどうしたのよ!」
「進展はあったんですかって聞いてるんですよ!」
喋っている隙を突いてみるが、あっさりと防がれた。
うぅむ、どうしても妖夢には勝てないなぁ。向こうは真面目に修行して一人前になったんだから当たり前だけど、こうも勝ち目がないと悔しい。
「特に何もっ。あいつも、いい加減告白すればいいのにね!」
「へぁ!?」
なんかウルトラマンみたいな声を出して妖夢が固まったので斬りかかったが、結局防がれた。
もう身体に染み込んでて、意識しなくても勝手に動くんだろうな。
「告白って!?」
「いやー、あいつもいい加減付き合い長いじゃない。さっさとしちゃえばいいのにね、じれったい」
「そ、そんなこと思ってたんですか。しかし受身になるとはちょっと予想外……」
「まぁ、幽々子はこんなところにいるわけだし、そうそう誰かに取られることはないだろうけど、さっさとくっつくにこしたことはないのにね」
「……はぁ?」
戦意を完全に喪失したように、妖夢は力なく木刀を下げた。
ここで仕掛ければ今度こそ勝てるだろうけど、流石にここまで無防備だと面白くないので私も構えをとく。
「誰が誰に何をですって?」
「いやだから、紫も幽々子に告白すればいいのにって」
「何言ってるんですか」
「はぁ?」
なぜか信じられないようなものを見る目で見られた。
あれ、そんな変なこと言った?
「……天子さんが紫様のことどう思ってるんですか」
「どうって、アイツほんとグータラよね。この前とか眠たいからあーんしてとか言ってきたり、その時は鼻にお箸突っ込んでやってけど」
「そうじゃなくて、好きかどうかってことです。恋愛感情で」
「ちょっ!?」
いきなり妙なことを聞いてきて、つい変な声が出た。
不意を突かれたせいで、たぶん今の私は耳が真っ赤になってると思う。
「あぁ、一応好きではあるんですね」
「そりゃあ、まぁ、好きでないやつをあそこまで世話できないわよ。介護が必要な老人かってのよあいつ」
「天子さんは、紫様が幽々子様に取られてもいいんですか」
「そりゃ本心から喜べるわけじゃないけど、幽々子ならいいって思ってるのよ。紫のこと幸せにしてくれるだろうし」
すると妖夢は目を丸くして驚いているようだった。
いつも誰かに振り回されて泣きを見ている妖夢だけど、ここまで驚くのは珍しい。
「なによ、変な顔して」
「いやその、天子さんは好きなものは全部手に入れないと気に食わないタイプだと思ってましたから」
「昔はね、何百年もすればちょっとは変わるわよ」
たしかにやんちゃだったころの私なら、何が何でも好きなものを手に入れようとしただろう。
とはいえ時間が経てば人は変わる。それが成長といえるかはわからないけど、今の私は昔の私とは少し違った。
紫と一緒に暮らして家事をやるなんてのも、昔の私ならごめんこうむったと思う。
「それでも暮らしてる間は楽しませてもらうけどね。一緒に暮らしてると色々と役得な場面が多いわ、朝起きたら寝ぼけた紫に抱きつかれたり」
「はぁ、そんなことが……って待ってください、もしかして一緒に寝てるんですか?」
「前は違ったんだけど、30年くらい前に酔った私がベッド壊しちゃってね。そしたら紫が余ってるダブルベッドがあるって言うから、捨てるのももったいないし使うことになって。そしたらサイズも大きいし一緒に寝ちゃおうって話しにね」
「うん、なんかもうわかりました。私が心配しなくてもなるようになりますねこれは」
「なにが?」
「いえ、こっちの話ですよ」
妖夢も時々、よくわからないことを言うようになったなぁ。
昔は何考えてるのかわかりやすくて、周りからよくからかわれていたのに。死人も変わるものだ。
「ところで試合続けるの? しないの?」
「なんか興が削がれました、やる気が起きません」
「ふーん、じゃあいっそのこと久しぶりにやってみる?」
「久しぶりって、なにをですか」
「スペルカードルールよ」
幻想郷が消滅して以来、やる機会がガクッと減ってしまったお遊びだ。
ここのところは木刀ばっかり手にとって、緋想の剣もあまり握っていない。
「あぁ、あれですか」
「そろそろやっとかないと鈍りそうだしね」
「スペルカードルール。懐かしいですね……」
すると妖夢は顔を上げて、私から目を離した。
どこを見据えているわけでなく、今の妖夢の目は遙か昔を見つめている。
「楽しかったですね、色んな妖怪とかと戦って」
「相手には困らなかったわよね」
「今でも目を閉じれば、鮮明に色鮮やかな弾幕が思い浮かびます。時折信じられなくなりますよ、幻想郷がなくなってしまっただなんて」
ポツリと、妖夢が漏らした。
「もしかして私が今ここにいるのは夢なんじゃないかなんて思う時があります。実は宴会で周りに流されて酒を飲まされて、悪酔いの挙句眠ってしまったんじゃないかって。ここで眠りから覚めて目を開ければ、神社でみんなが宴会してるんじゃないかって……」
「メーン!」
「いたぁ!?」
現実を見ずにひたすら語り続ける妖夢の頭に、スパーンと一太刀入れてやった。
ボコッとあんまり耳障りのない音が鳴って、妖夢が頭を抑える。
「なーに、情けないこと言ってるのよ。幻想郷が消えたのは事実、そこから目を逸らしてなんになるの。過去にいつまでも引きづられてないで、前を向いて生きなさい」
「うぅ……そ、そうですね。天子さんの言うとおりです」
私の忠言を受け止めた妖夢は、涙目ながらも背筋を伸ばして気合を入れた。
「過去に囚われては前に進めませんよね。前を向いて生きないと、死んでますけど」
「それで良し、ちょっとはいい顔になったわよ」
「やはり私もまだまだ未熟者です……しかし天子さんは凄いですね。ちゃんと自分や周りを見て、やるべきことを理解している」
「ふふん、私を誰だと思ってるのよ。非想非非想天の天人よ、随分天界には帰ってないけど」
「親御さん泣いてますよ」
とか何とか言っても、実際の私は妖夢が思ってるほど凄い人物じゃない。
口では偉そうなことを言えても、それを行動で表すことができていない。
過去に囚われているのは私も同じだ、今でもほぼ毎日博麗神社の写真を見て昔を思い出している。こう頻繁に思い出されたら、消えたみんなもゆっくりできないだろうに。
紫と一緒に暮らしてるのだって、本気で応援するならとっとと天界に戻ってやるべきなのに、私情を優先してしまっている。
私なんて見栄ばっかり張って、中身がほとんどないハリボテみたいなやつだ。
「っと、そろそろ時間ね」
「用事ですか?」
「映画よ映画。青娥にせっつかれてて」
「青娥さんですか。たしか今は女優をやってらしてるんですよね」
「目立ちたがり屋のあいつらしいわ」
件の邪仙、青娥はなんとハリウッドで女優をやっている。今日見に行く映画も青娥が主演を務めているのだ。
元々、自分凄いんですよとアピールしたくてたまらないやつだったし、世界中の人に演技を見せる女優は青娥にはぴったりだ。
キョンシーの芳香は表には出せないが、あいつの家で一緒に暮らしているらしい。
「とりあえずそんなわけで今日はここまでよ」
「私も庭の掃除しないと……」
「次は勝ってやるからか覚悟しなさい!」
「毎回言ってて飽きないんですかそれ」
すっかり定番と化した負け台詞を言い放って、紫の元へ戻ってきた。
「ゆかりぃー、仲良く話してるところ悪いけど、そろそろ映画のほう行きましょ」
「あらもうそんな時間なのね。歩きで行く? それともスキマで直接映画館まで行ったほうがいいかしら」
「んー、歩いていきたい気分だけど、紫は?」
「私もそれで構わないわ。それじゃ幽々子、お暇させてもらうわね」
「頑張ってきてね~」
紫が開いたスキマから白玉楼を後にする私たちに、幽々子は気になることを言いながらひらひらと手を振った。
スキマを通り抜けて、住んでいるマンション近くの路地裏へ出た。
「ねぇ、頑張ってって何の話してたの?」
「ちょっと攻略法を相談していてね」
「攻略ってなんのよ」
「前に出したギャルゲーみたいなものよ」
「いやいや、紫も製作者なんだから攻略法なんて丸わかりでしょ」
なーんか、はぐらかされているみたいだ。
追求したいところだが、普段グータラなこいつは何だかんだ言って妖怪の賢者なんて呼ばれていた身だ。私じゃ適当にあしらわれるだけだろう。
「じゃあ、行きましょうか天子」
そう言って紫は私に手を差し出してきた。
「うん」
間を置かず手を握って、しなやかで柔らかい感触を感じながら、肩を並べて路地裏を出る。
うーん、役得。
◇ ◆ ◇
幻想郷が崩壊してしばらくの間、紫は取り残されてしまった人間たちの処理に奔走していた。
一人一人の戸籍を取得し、個人にあった職と住居を与える。
幻想郷に住んでいた人間の数を考えると、とんでもなく時間の掛って気の遠くなる作業だったが、紫は愚痴一つこぼさずこなしていた。
曰く。
「彼らは妖怪のエゴに巻き込まれた人たちよ。本来なら普通に人間社会で暮らしていたはずなのに、私たちが引っ張って時代から取り残された。ならせめて今後の生活を保障するのは当然の話しよ」
だそうだ。
だがそれだけが理由じゃないと思う。その言葉は本心だが半分かそれ以下というところだ。
実際のところは、何も考えたくなかったんだろう。
幻想郷の維持に失敗したことを考えたくなくて、ひたすら誰かのために働いていたんだと思う。
けれど、考えないようにしたところで後悔は付きまとう。
幻想郷が崩壊して10年ちょっと。
果てのない作業にも思えた人間の処理も半分ほどこなし、紫の毎日にも時間的余裕がちょっと出てきたころだ。
私はまだ天界に住んでいたが、よく白玉楼に遊びに行っていた。
その日も萃香や衣玖と飲んだり騒いだりした場所を抜けて、妖夢の元へ剣を振るいに行こうとした。
そして白玉楼の門をくぐったところで、紫の姿を見つけた。
「紫も来てたんだ、ひさし――」
挨拶をしてきた紫の姿を見て絶句とした。
肌は荒れ、目の下に隈を作り、潤いをなくした髪は枝毛だらけだった。それに加えてどこか痩せた気もする。
ずっと働いてきた紫と会うのは久しぶりで。ちゃんと顔を合わせたのは、結界が崩壊したとき以来だった。
「……あら、こんにちわ天子」
「どうした、のよ。顔色悪いわよ」
「……? あぁ、大丈夫よ。大丈夫」
うわごとのように呟く紫は、誰が見たって大丈夫には見えなかった。
多分、これは激務に追われてというだけではない。
いくら誤魔化そうとしても、誤魔化しきれない後悔の念に押し潰されそうになっているんだろう。
「いいから休みなさいよ、そのままじゃ死ぬわよあなた!」
「私には、休む資格なんて……」
私がそう進言しても、紫はまともに取り合ってくれない。いや、休んでくれたって無駄かもしれない。
当時の紫は白玉楼に寝泊りしていたが、あそこじゃきっと駄目だ。
親友の幽々子がいると言っても、冥界のあそこは日々の変化がなさ過ぎる。
退屈で刺激のない日常は後悔の念を消し去れず、きっと今以上に紫を苦しめるだけだ。
何とかしたいと思った。その時はまだ紫とは仲が良いとまでは言えなかったが、幻想郷が消えたときにあんなに悲しんでいたやつを、これ以上苦しませたくなかった。
でも、どうすればいい?
「じゃあ……じゃあ、一緒に来て……」
「……え?」
「私と一緒に下界で暮らして!」
そして出てきたのは、我ながら突拍子のないものだった。
「私、天界でずっと暇してるのよ。だからそろそろ下界で暮らしたいなって思ってて。だけどあっちの暮らしって勝手が違うから、紫に手伝って欲しいのよ!」
右手を差し出してそう言いのけてから、「あ、これたぶん無理だ」と思った。
だって親友の元で暮らすか、私みたいなうるさいわがまま娘と一緒に暮らすか、天秤に掛けてどちらに傾くかは一目瞭然だ。
「それなら、適当な人間に刷り込みをして派遣するわ。心配しなくて良いわ、ちゃんと良い人を引っ張ってくるから……」
「駄目よ、紫じゃなきゃ駄目なの!」
「……本当に、私なんかでいいの?」
「くどい!」
それでもそれくらいしか思い浮かばなかったから、必死にそう訴えかけた。
紫はしばらく押し黙って、やっぱり無理だったかと一瞬諦めかけた。
でもあいつは、儚げに笑って一言だけ言ってくれた。
「ありがとう」
あの時の紫は、なんでありがとうだなんて言ったんだろうか。今になってもわからない。
それから私の両親への説得が終わると――実際には認められなかったので力尽くで出てきたが――私のために高層マンションを用意してくれた紫との、苦労の耐えない共同生活が始まった。
なにせ生活レベルが幻想郷の時代から、一気に現代まで引き上げられたんだからギャップが凄い。
携帯電話一つとっても未知の品物だったし、何を使うにも紫からの説明が必要だった。
それに家事をしようにも、そんなもの天女とかに任せてきた私には難しいことだった。
掃除をすればデリケートな電化製品をぶち壊し、料理をすれば焦げクズやらを量産した。
最初のうちは紫に苦労を掛けるばかりだったと思う。当初の目的と反対に、紫を疲れさせるだけだった。
「ごめん、またやらかした……」
「誰だって最初はそういうものよ」
力加減ができず、盛大にぶち壊したキッチンを前に、そう言って紫は許してくれたが、それでもやっぱり私自身が納得できない。
だから頑張った。頑張って少しずつできるようになっていき、紫がゆっくり休める体制を作りあげた。
ちょっと時間は掛かったけど家事も一通りこなせるようになっていき、仕事が終わって帰ってきた紫を、マシになってきたご飯と一緒に出迎えるようになった。
「お帰りなさい紫。ご飯にする? ご飯にする? それともご・は・ん?」
「あなたが食べたいだけよね」
「だってお腹すいてるんだもん。しかたないでしょ」
「先に食べてくれればいいのに」
「紫も一緒じゃないと意味ないのよ!」
そうやって余裕が出てきた私は、今度は周りの娯楽に目を向け始めた。
漫画やゲームみたいな創作物、バラエティ番組、音楽。その他にも色んな趣味の情報を集めて、紫にその楽しさを分け与えた。
「この前面白いバラエティ番組あったわよ。録画しといたから今から見ない?」
「ごめんなさい、時間がないの。あと30分くらいで出かけるから」
「じゃあそれまでは見れるわね。出だしが一番面白かったしそこだけ見ようじゃない。それとさ、テレビでやってたんだけどイチゴ狩りとかやってるんだって。一緒に行きましょうよ!」
「中々時間が取れないわ。行きたいならお金は用意するから天子一人で……」
「紫と一緒にいいのよ!」
「……しょうがないわねぇ」
そしていつしか、私のわがままを聞いて笑うようになってくれた。
◇ ◆ ◇
映画を見終わった私たちは、まだ6時くらいでちょっと早いけど、夕食を食べにそこらへんの居酒屋に入った。
年齢確認をしてきた店員に、免許証を見せてアルコールを頼む。
「一々提示しないとお酒飲めないのは面倒くさいわね」
「仕方ないじゃない。中学生程度の外見なんだし」
「そうだけどね。あーあ、もうちょっと大きくなってから天人になればなぁ。胸だって大きく……」
「それはないから安心しなさい」
「殴るぞババア」
出てきたお通しを食べながら、酒も微酔に語り合う。
「今回の映画だけどさ、面白いといえば面白いけど急にアクション出てきて驚いたわね」
「あれは青娥が無理矢理ねじ込んだらしいわ。なんでも動きのある演技もできるところを見せたかったんだとか」
「目立ちたがりすぎでしょ。オファーが来るようにって意味もあるんだろうけど、映画丸々一つ使ってアピールするとか」
映画の出来は賛否両論といったところだった。面白くはあるけど、終盤からの急な方向転換が作品の質を落としてる感は否めない。
でも幻想郷の妖怪たちになら大ウケだっただろう。萃香とかのノリがいい連中は大喜びで、でも衣玖とかの頭固いやつらは置いてけぼりを食らうかな。
「……って、いけないいけない」
「どうしたの?」
「いや、こっちの話」
さっき妖夢にあんなこと言ったのに、早速過去に囚われてる。
なんとかしないとなぁ、と思っていると後ろからゲラゲラと笑い声が響いてきた。
背後を見やってみると大学生くらいの若い男女が、酔っ払って騒ぎ始めていた。
「随分と楽しそうね、私も大学行ってみようかしら」
「あなたの場合は小学生から始めないとね」
「なによ、そんなことないわよ」
「じゃあ都道府県全部言える?」
「うぐ……」
悔しいが答えれなくて押し黙ると、一際大きい笑い声が響く。
もう一度後ろを向くと、騒ぎすぎで店員から注意を受け頭を下げいる学生の姿が見えた。
「夜もまだだって言うのにあんなに騒いで、ちょっとは迷惑考えて欲しいわね」
「……えぇ、そうね」
その時、学生たちを見る紫の目が、いつもと違うことに気付いた。
知っている目だ、というよりもついさっき同じのを見たところだ。
白玉楼で妖夢が過去を語ったときに見せた、あの目とそっくりだった。
それからの紫は妙に口数が少なかった。家に帰ってからは特に何をするでもなく、雲ひとつない静かな夜空を窓越しに眺めている。
時折手に持った写真立ての写真に目を移したりしていた。その写真は博麗神社で天狗が撮影した、宴会場での写真だ。
十中八九、幻想郷のことを考えているんだろう。
ここはどうするべきだろうか。あの時と違って今の紫は余裕があるし、そっとしておいて当人の心が整理されるのを待つか。それとも口出しするか。
ちょっと考えて、結局後者を取ることにした。私らしいといえば私らしい。
でもただ話すのもなと思い、私は箪笥を開いて奥深くに眠る服と、布に包まれた棒状のものを引っ張り出してきた。
「紫」
「あら、なにかし……」
振り向いた紫は、驚いた様子で私を見た。まぁ、そりゃそうなるだろう。
窓ガラスに薄く私の姿が映りこむ。青い髪に緋色の瞳、桃の付いた帽子を被り、エプロンドレスに袖を通したあの頃の私がいた。
手に持った緋想の剣が、久しぶりに外気に触れて薄く光を放つ。
「はい、これ紫の。導師服とドレスか迷ってけど、導師服のほう持ってきたわよ。あと帽子も」
「いきなりで状況が飲み込めないんだけど、どういうつもりなの」
「いいから早く着る!」
困惑する紫に服を押し付けて命令する。
私が突飛なことを言うのはよくあることだし、紫は疑問を浮かべながらも服を着替えた。
「それで、こんな懐かしい衣装引っ張り出してきて何をするの」
「飛ぶのよ!」
「はぁ? あなたここがどこだかわかってるの。見られたらどうするのよ」
「そこは大丈夫よ」
信じられないと疑う紫の手を握ると、私は緋想の剣を持ったまま一枚のお札を指で挟んだ。
一瞬札が発光すると、私と紫に目に見えない膜のようなものが張り詰めて、二人の身体を覆った。
「これは……」
「不可視の術。光学的に遮断してるからカメラにだって写らないわよ」
窓ガラスに映りこんでいた私たちの姿が、綺麗さっぱり消えているのを確認して、お札を懐にしまいこむ。
「呆れた。未だにこんなものを開発してたなんて」
「いやー、色々と使える術でしょ。いたずらしたりね」
「発想が妖精並じゃない」
「いいから飛ぶわよ。術が切れるから手は離さないでね!」
「あぁもう、強引なんだから!」
せめてもの反抗に文句を言う紫を引っ張って、私は夜の空へ飛び上がった。
大地に輝く科学の光に照らされながら、冷たい空気を切って高度を上げる。ここまでくれば空飛ぶ車と激突する心配もないだろう。
どんな高層ビルより高い位置まで昇ると、スピードを下げて空中で静止した。
「いやー、久しぶりに飛んだわね。高いところは空気が済んでて気持ちいいわ」
「バカとなんとかは高いところが好きと言うしね」
「おい、隠すべきところ隠せてないわよ」
「それよりここまで高く飛ぶと寒いわ。天子、こっちの寄りなさい」
肩が付くくらいまで身を寄せると、紫が出したスキマに二人で腰を下ろした。
真下に浮かぶ町並みを見下ろしながら一息つく。
「こんなところまで引っ張ってきて何を話すのかしら」
「なんだ、わかってたんだ」
「当たり前でじゃない、何年一緒にいると思ってるの」
「でも藍とかよりは短いでしょ」
「そうだけれど、あなたとの時間は異様に濃密だったからね」
「なんか言い方がエロいわね」
「バカなこと言わない」
ちょっと恥ずかしがった紫に頭を叩かれた。
しかし私のことをわかっててくれたって思うと、痛いというよりなんだかくすぐったい。
「なら単刀直入に言うわね。あんた幻想郷のこと考えてたでしょ」
「……正解よ」
あっさりと紫は答えを認めた。
「でもそんなこといつものことじゃない」
「そうだけど、今日のはいつもと違う感じがしたから。話してよ。それとも私なんかじゃ相談に乗れない?」
「はぁ……わかったわ、言うわ」
諦めた紫は、ため息をついて胸の内を語ってくれた。
「先日、最後の博麗の巫女が亡くなったの」
「そうなんだ。っていうかまだ生きてたのね、100歳超えじゃないの」
「幻想郷にいた人間としても、彼女は最後の一人よ」
「じゃあ幻想郷の後始末は全部終わったんだ」
「そうなるわね」
どうやら巫女は人の少ない場所で、ひっそりと生きてきたらしい。
最後は紫に看取られながら、安らかに逝ったようだ。
「そう、上等な死に方できて良かったじゃない」
「……でもね、巫女が最後に言い残した言葉があるの」
「遺言?」
「そんなところね」
『これでいい。これで、もう紫に面倒を掛けず済む。紫は、私たちのことを気にしなくても良いわよ。これからはせいぜい自分の人生を生きなさい』
なんとも、巫女らしい言葉だと思った。
「そう言ったのを最後に、息を引き取ったわ。迷惑を掛けたのは私の方なのに」
「あんたは気にしすぎなのよ。最終的にはちゃんと借りを返した。ううん、おつりが来るくらい頑張ったじゃない」
言ってはみるが、紫は聞かないだろう。
妙なところ真面目で融通が利かない、年寄り特有の頑固さだ。
それにしても、自分の人生を生きる、か。確かに紫には必要なことだと思う。
「そんなのだから、感傷的になって昔のことをよく思い出してね。居酒屋で学生が騒いでるのを見て、宴会を思い出したわ」
「それで様子が変だったのね」
「そしたら芋づる式に色んなことを思い出してくるわ。藍や橙のこと、歴代の巫女のこと」
「あと異変とか」
「誰かさんには迷惑掛けられたわね」
「それはご愛嬌ってことで」
「調子のいいことを言わない」
「いだだっ! 悪かったわよ、謝るから抓らないでって!」
それから懐かしい顔を思い浮かべながら名前を言い合った。
藍、橙、衣玖、萃香、早苗、咲夜、魔理沙、霊夢。
色んな思い出を語って「あぁ、そんなこともあったな」と懐かしんでいると、不意に紫が口を閉ざした。
「また静かになってどうしたのよ」
「……みんな私のことを恨んでいるでしょうね」
「それまたどうして」
「管理者として、使命を果たせなかった。むざむざと幻想郷を消滅させてしまった。私にもっと力があれば、みんな救えたのに。私が不甲斐なかったから……」
「えいっ!」
落ち込み始めた紫の額に、渾身の力をこめたデコピンを打ち込んだ。
天人パワーを打ち付けられ、紫の首が大きくのけぞる。
「あぐぁ!?」
「なーに言ってんのよあんたは」
「く、首が、今ゴキって鳴ったんだけどっ」
「みんなが紫を恨んでるなんて、そんなのあるわけないでしょうが」
「……あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいけど、保障にはならないわ」
「それを言うなら紫を恨む保証だってないじゃない」
「でも私の力不足が原因なのだから、私を恨むのが筋じゃない」
駄目だこいつ、言っても聞く気配がない。
しばらく一緒に暮らして、そういう後悔も消え去ったかなって思ってたけど、どうやら甘かったみたいだ。
本当に、妙なところで融通が利かない。
「あーもう、恨んでなんかないって言うのに」
「また確証があるみたいな言い方ね」
「あるわよ確証」
「……なに?」
さっきまで取り合ってくれなかった紫が、驚いた様子で耳を傾けてきた。
「確証って、そんなものなんで……」
「紫が実力者を集めて結界を維持しようとしたとき、私も呼ばれたじゃない」
「えぇ、あの時はずっと傍にいたわね」
「でも最初にちょこっと地脈いじったらお役目ごめんで、あとは仕事なかったじゃない。一応念のために残ってたけど、ずっと暇だったわ。だからさ結果を待つ側はどんなふうになってるかって、ちょっと調べてみたのよ」
「調べたってどうやって」
「地面を伝って、各地の様子を探ったのよ。流石に天界とか冥界とかは無理だったけど、あそこは消滅には関係ないからどうでもいいし。とりあえずあの時消えた連中は、ほぼ全て確認できてたわね」
「……その、消えたみんなはどんな最期だったの」
緊張に声をわずかに震わして紫は尋ねてくる。
本人は恨まれてると思っているはずなのにそれを聞いてくるとは、責任感が強いやつだ。自分自身に誤魔化しがきかない。
まぁ、紫が想像しているようなことは全くないんだけど。
「飲んでた」
「え?」
「どこもかしくも酒を仰いでどんちゃん騒ぎよ。幻想郷に北から南、西から東、地の底にまで、どんなやつらもみんな騒ぎまくってた」
「そんな、消えるかもしれないときにどうしてそんな」
紫の視点からするとそう感じるのも仕方ないか。
守る側と守られる側じゃ、同じこと出来事でも感じ方が違うのは当然の話。
「多分さ、みんな気付いてたのよ。時が来たんだって」
「……そんなに私が頼りなかったのかしら」
「そうじゃないわ。みんな紫のことは信頼していたけど、それでもいつかそういう日が来ることを知っていたのよ。本来消え行くはずだった妖怪が、いくら生き永らえても最後には消えるのが定め。だからみんな覚悟ができていて、消える運命を受け入れて、その瞬間まで騒いでたのよ」
大地から伝ってくるあの時の宴会は、私も仕事を放り投げて飲みに行きたいほどだった。
でも流石に泣きそうな顔をして、必死になって頑張る紫を置いてはいけなかったけど。
「だから、みんな紫のことは恨んでない、むしろ感謝してたと思う。いい夢を見せてもらったって」
「夢……」
「うん、消える前に見せてもらった、楽園で過ごす素敵な日々の夢。だから紫、そんなことで思いつめなくてもいい。みんな最期の瞬間まで楽しんでたからさ。もし、そのうちの誰かと話すことができたら、最後の巫女と同じことを言うと思う。気にせずに、生きていけって」
紫は「そう……」とだけ言い残し、どこか遠くのほうへ目をやった。
微動だにせず暗い地平線を見つめていて、その頬を透明なものが静かに流れた。
「みんな、最期まで楽しみながら逝けたのね」
「そうね、きっとそうよ」
「……夜風が、目に染みるわ」
「うん」
紫の目から流れるものを見て、持って来た緋想の剣を強く握り直した。
長年しまい込まれていた剣が久方ぶりに緋色の輝きを放ち、紫の気質を取り出す。
気質は天へと昇華し、天気という目に見える形で具現化した。
ポツリ、ポツリと、雲ひとつない夜空から雨粒が落ちてきた。
「雨まで降ってきたわ」
「うん」
「もういやね、せっかく飛んだのにこれなんて」
「こういうのも、たまにはいいじゃない」
隣にいる同居人はいつも気張りすぎなんだから、たまにはこういう日があっていいはず。
晴れた空から降る天気雨は、少しずつ勢いを増していく。天気雨でここまで振るのは珍しい。
私にはなんとなく、この空が誰かさんの涙を半分肩代わりしているような気がした。
「天子」
「なに?」
「……ありがとう」
交わした言葉はそれが最後。
服が水を吸って重くなるのを感じながらも、私たちはずっと空にたたずんでいた。
雨が全ての涙を流してくれるまで、お互いの手を握って。
「……あなたには、二度も助けられてしまったわね」
「二度?」
雨が降り止んだころに帰ってきた私たちは、冷えた身体を温めに湯船に浸かっていた。
向かいでお湯に肩まで使っている紫は、なんとなく厄が落ちたように見える。
しかし混浴までできるとは、同居とはいいものだ。役得、役得。
「心当たりがないんだけど、一度目はどこよ」
「あなたが私に一緒に住もうって言ってくれたときのことよ」
「あれが?」
あの時はなんとかしようと思ったのは確かだが、あれを指して助けたって言うのはちょっと違う気がするけど。
「あなたにはそんな気はなかったかもしれないけど、私はあなたに救われたのよ」
「いや、全然話しが見えないんだけど」
「……生き残ったメンバーの中で、一番幻想郷を好きだったのはあなただったから」
たしかに、紫を除けば一番だと思う。あそこはもう、私にとって第二の故郷といって差し支えなかったし。
「だからね」
「あー、読めたわ。どうせ私も恨んでるとか考えてたんでしょ」
「えぇ、その通りよ」
「バカね、そんなわけないでしょ」
幻想郷がなくなったのはショックだったけど、紫を恨むほど私は子供じゃない。
あれだけ必死になっていたやつを、そんな簡単に恨めるはずがない。
「言っとくけど、今も昔もそんなことないから」
「わかってるわ、あの時に教えてくれたもの」
「ん? そんなこと言ったっけ?」
「だって恨んでる相手に一緒に暮らそうだなんて言えないでしょ。あぁ、この子は無力な私を恨まず、助けようと手を伸ばしてくれてるんだな。そう思うとなんだか救われて、心の中に一筋の光が差し込んだようだったわ」
「別に助けようと思って言ったんじゃないし。ただ下界の生活に興味があっただけよ」
「ふふ、じゃあそういうことにしておいてあげるわ」
それで、あの時の紫は『ありがとう』と言ったのか。
今まで気になっていた答えが聞けて、胸のつっかえがようやく取れた感じだ。
同時に、胸の中にお湯よりも暖かいものが生じた。
紫が笑うようになって達成感は感じていたけど、ちゃんと言葉でお礼を言われると、ちゃんとやれていたんだって思えて嬉しくなる。
「んー、でもそうすると悪いことした感じね。弱みに付け込んだみたいでさ」
「えっ」
「紫だって親友の幽々子と暮らしてるほうが良かったでしょ。それなのに流されて私の言葉にOK出しちゃって、好きな人と離れ離れになって」
「え゛っ」
「なんなら今すぐに白玉楼に戻っても良いわよ。私だってもうこっちの生活には馴染んでるし、紫だって私より幽々子と暮らした……」
「む、無用よそんな気遣いは! 私はこっちで暮らすから!」
おぉう、ビクッた。紫が珍しく声を荒立てて、むんずと私の肩を掴んできた。
「いや、別に遠慮しなくても……」
「遠慮してないわ! 余計なこと考えず、あなたは私と一緒にいてくれればそれでいいから!」
「わ、わかったわよ、っていうか爪食い込んで痛いから離してっ」
私から離れた紫は、浴槽の端のほうで「まさかそんな勘違いをしてたなんて、どおりで今まで進展が……」とかよくわからないことをブツブツ言っている。
しかし今の紫もだいぶ必死だった。なんで私と一緒に暮らすことにそこまでこだわるんだろうか。
……胃袋を握るのって大事だってよく聞くし、もしかして私のご飯を気に入ってくれたんだろうか。それなら料理の練習を頑張った甲斐があった。
「そろそろのぼせそうだし、早く身体洗って出ないと」
「私が背中を流すわ」
「じゃあお願いね」
それから互いに背中を流し合いっこしてお風呂から、パジャマに着替えてベッドの中へ入った。
今日はゆっくり寝られそうな気がする。
「おやすみなさい」
「おやすみー」
部屋の電気を消して、暗くなった部屋で目を閉じた。
夜の街の喧騒を遠くに、私たちは眠りに付こうとする。
が、一分もしないうちに起き上がって、ベッドの近くに置いたランプを灯した。
「思ったんだけどさ」
「なにかしら、もう眠いんだけれど」
「すぐ終わるから聞いてよ」
「わかったわよ、手短にお願いね」
横になったままだけど、一応は私の話を聞いてくれるらしい。
「今度のゲーム、やっぱり別の作ろうと思うのよ」
「また突然ね、あんなに張り切ってたのに」
「もっと作りたいのができたのよ」
「はいはい、それでなにかしらそれは」
「弾幕シューティングゲームよ」
紫は目を見開いて、勢いよくベッドから身を起こした。
「舞台は幻想郷という、結界で覆われた小さな世界。忘れ去られた妖怪達が異変を起こし、楽園の巫女が異変を解決する。それが終わればみんなで宴会」
「あなた、どうして……」
「もう踏ん切り付けるべきなのよ私たち。昔のことはいつでも思い出せる形に封じ込めて、アルバムの中にしまいましょうよ」
過去を引きずるのは止めにしよう。
思い出は思い出として、心に留めるだけでいいのだ。
たまに懐かしんでやれば、それだけで十分だ。
「タイトルは東方幻想歌。私たちから消えて言ったみんなに送る鎮魂歌。みんなは魂まで残らず消えたけど、せめて私たちの中のみんなを休ませてあげたいの」
ひっきりなしに引っ張ってこられて、思い出の中のあいつらもいい加減騒ぎ疲れただろうし。
楽しい宴会は終わった。二次会も三次会も終了。もうみんな眠らせよう。
「で、どうする? 紫がやらないっていうなら、私一人でも作るけど」
「……なに言ってるの、あなただけじゃプログラム一つだって組めないじゃない」
聞くまでもないことだった。
そういってくる紫の目には、決意が蒼い炎のように静かに、だが熱く燃え上がっている。
あの弾幕の数々を再現するのは難しいだろうけど、この紫となら何だってできるような気がする。
「よーし、私も燃えてきた! 早速今からシナリオやらイラストやらにまとめて……」
「駄目よ、明日からにしなさい」
ベッドから抜け出して机に向かおうとするけど、私の手を掴んできた紫に引き戻された。
「えー、いいじゃないちょっとくらい」
「よくないわ。大体徹夜でやったところで能率は悪いわ。なんと言おうが手は離さないから観念しなさい」
「むぅ……わかったわよ……」
ちょっと残念だけど、紫に手を握ってもらえるならと思って、ランプを消すと再びベッドの中に潜り込んだ。
目をつぶって寝ようとするけど、妙に興奮して中々眠りにつけなかい。
「ねぇねぇ、御阿礼の子とかも出したいけどどうしよう」
「幻想郷縁起をゲームの中で出せばいいじゃない」
「あー、アレか。どんな内容だっけ?」
「私が保存していたのがあるからそれを参考にすれば良いわ」
「じゃあ丸写しすればいいか。誰がどんな弾幕使ってたっけかなー」
「……天子、ちょっと良いかしら」
おっといけない騒ぎすぎたか、怒られるんだろうなぁ。
そう思って紫と顔を合わせるけど、けど予想に反してその顔は穏やかな表情をしていた。
「今回のゲームが完成したら、あなたに言いたいことがあるの」
「えー、なに? なに言うの?」
「ここでバラしたら、とっておく意味ないじゃない」
「でも気になるじゃない、今教えてよ」
「駄目よ、時と場所を考えて言うべきことだから。それにこっちのほうが互いにやる気が出るでしょう」
「まぁ、それもそうか」
お楽しみができたとなれば、作る気も俄然高まってくる。そうするまでもなくやる気はカンスト状態だけど。
「早く寝ないと朝起きれなくなるわよ。明日から忙しいんだから、いい加減寝なさい」
「でーもー、興奮して寝られないわ」
「もう、しかたないわねぇ」
紫はため息を付くと、スラッと伸びた綺麗な指で私の額に突きつけた。
するとまた境界操作でも使っみたいで、突然眠気が襲ってきて意識が闇に沈み始める。これならちゃんと寝れそうだ。
優しく微笑む紫を最後に見て、そっと瞼を閉じた。
「それじゃあ、今度こそおやすみ……」
「えぇ、おやすみなさい」
人外の者達が神社で酒を飲んでいる写真の横、目覚まし時計に手を伸ばしてアラームを前もって止めておく。
少し写真を見やってから、隣ですやすやと眠ってい寝ぼすけを置いてベッドから抜け出した。
窓に掛かっていたカーテンを開けば、空中道路を飛び回ってる車がぽつぽつ見えた。朝早くからご苦労なことだ。
高層マンションから見える景色は、いつ見ても広々としてて気持ちいい。あんまり高すぎると何があるのかわかりにくし、これくらいが丁度いいと思う。
スピーカーに接続したPDAを操作して、爽やかな朝にふさわしいクラシックを部屋に流した。
鮮やかな音色を聞きながら、鼻歌交じりに朝食の用意を済ませていく。
「ふんふふふ~ん♪ ふふふふふふん、ふっふふふ~ん♪」
用意といっても昨日の残りにちょっと手を加えて、お漬物を適当に盛り付けるだけだが。
最後に炊飯器から炊き上がったご飯を茶碗に注げば、朝ごはんの出来上がりだ。
いい加減同居人を起こそうと、再びベッドへ近づいた。
「ほら、起きなさいってば。もう朝よ」
「うぅん……あと五時間……」
「長いわ! 図々しいわね全く、ほら起きる!」
このままじゃ何時間たっても起きないと身に染みている私は、掛け布団を取り上げる。
バサリと音を立ててめくれた布団の下から、狐と猫の模様という着ているやつの年齢からは考えられないほどファンシーな柄のパジャマが出てきた。
朝の寒気に身を震わせて、ようやく寝ぼすけは目を覚まして、うだつのあがらない顔を私に向けた。
「……おはよう、てんし」
「おはよう、紫」
こいつと出会ってからかれこれ1000年ほど経った今。私は紫とお高いマンションで一緒に暮らしていた。
昔、みんなが笑いあっていた懐かしの幻想郷は、今はもうない。
「……グゥ」
「寝るなー!!」
「おはよう天子。今日も一日が始まったわね」
「今更眉立てて言ったって、カッコつかないわよ」
朝食を押し込んで、ようやく頭が覚醒してきたらしい紫をバッサリ切り捨てる。
「うぅ、どうせ私なんて、半世紀以上進展のないババアよ……」とか言ってなんか落ち込んでるみたいだけど、気にせずテレビ画面に向かって指でタッチする仕草をした。
すると操作を認識したテレビが画面を移し変えていく。
『えー、今日の天気は』
『おっはー!』
『火星で新たなレアメタルが』
『最近の流行のファッショ』
『――総理大臣の政的手腕は、女性版聖徳太子とも言われるほどで』
適当にチャンネルを変えていると、見知った顔がテレビに映って指を止めた。
「おっ、神子ちゃんだ」
「どこ映してもニュースじゃ彼女のことやってるわよ。たまにはあなたもそういうの見なさいな」
「やだですよー。バラエティのが面白いし、大したことやってないニュースとかなんで見なきゃいけないのよ」
豊聡耳神子は、今は数少ない幻想郷メンバーの一人だ。
最近は総理大臣にまで上り詰め、日本を改革中。布都や屠自古なんかも表に出ないが、神子ちゃんをサポートしてるらしい。
しかし2000年以上経ってもまだ当初の目標をこなそうとしているとか、その粘り強さには感心する。
そういえばここのところ向こうの業務が忙しいらしくて会っていないし、またお酒を飲んでだらだら語り合いたい。
「……前から思ってたけど、なんで神子はちゃんづけなの」
「いや、特に意味はないけどなんとなく」
「そうなの」
「そうなのよ」
「じゃあ私のこと紫ちゃんって」
「キモイ、イヤ」
「即答しなくたっていいじゃないの……」
あっ、また落ち込んだ。
なーんか最近の紫は落ち込みやすい気がする。私に気を許してきたってことなんだろうか。
しかし昔の私と紫からは考えられないような光景だ、どっちかっていうと立場が逆だった気がするけど。
といっても、当時は家事を藍がやっていたから、そうならなかっただけか。こいつ日常面じゃグータラだから、日々の生活まで踏み込むとどうしてもこうなる。
放っといたら三食出前で、一週間で部屋をごみ屋敷にするだろう相手と比べれば、相対的にしっかりに見えるわけだ。それでも細かいところまで見れば、やっぱり紫の方がちゃんとしてるんだけど。
「それで、今日はどうする予定なの。立ち読みにでも行くんだったら、私も私でゆっくりさせてもらうけど」
「ぼちぼち新作の案がまとまってきたからそっちまとめたいわ。それから青娥に新作見て来いってメール来てたから、後でそれも見に行きましょ」
「それじゃあ幽々子たちのところに行ってから映画ね。昼食は向こうで食べるとして、夕食はどうする?」
「んー、映画見てすぐ作る気にならないし、どっかその辺の飲み屋でも入りましょうよ」
「はいはい、免許証忘れないでよ」
今日の予定を紫と立てて、私は身支度を整え始めた。
化粧台の前に座って、鏡に映りこんだ自分を覗き込む。
そこに青い髪と緋色の瞳はなく、大和撫子な黒髪黒目の私が映っていた。
流石に現代の生活で髪色が青とか目立ちすぎるので、術で色を変えて生活していた。
紫は金髪なので、まぁなんとか誤魔化せるだろうってことでそのままだ。面倒なことをしなくていいのがちょっと羨ましい。
「バーチャルゲームとかでなら、青色でも普通なのになぁ」
愚痴を言いながら丁寧に髪を梳くと、さっさと化粧台から離れた。化粧台とか言っても、私も紫も基本的にすっぴんだから鏡以外は滅多に使われない。
赤色チェックのパジャマを脱いで、動きやすいラフな格好に着替える。
私が着替え終わったころには、紫は黒を貴重としたドレスを着ていた。毎回思うけど、なんでいつも気が付いたら着替え終わってるんだろうか。スキマ妖怪って早着替えが特技の種族なのか。
「鍵も閉めたし電気も消した。オッケーよ」
「それじゃ行きましょうか」
日本は治安が格別良いから鍵はしなくていい気もするけど、用心するに越したことはない。
確認を終えて玄関で靴を履くと、紫がスキマを作り出した。
行き先は冥界、白玉楼。
◇ ◆ ◇
幻想郷が崩壊したのは今から90年ほど前。
その理由は、大異変だとか外界の大騒動だとか、そんな大げさなものじゃない。
ただ単純に、大結界に限界が来たというだけだった。
むしろ長く持ったほうだと思う。約1000年もの間保ち続けたってだけで十分に勲章ものだ。
とはいえ、崩壊のギリギリまで結界を維持しようと諦めず、なりふり構わず必死になっていたやつが一人いた。
みんなご存知、妖怪の賢者、八雲紫がそうだった。
「結界が崩壊しようとしているわ。力を貸して」
崩壊を食い止めようと、紫は頭を下げて最高のメンバーを取り揃えた。
霊夢クラスの才能を持つ逸材で、しかも性格まで似てるから霊夢の生まれ変わりだなんてまことしやかに語られていた、当時の博麗巫女を始めとし、幻想郷中の実力者が方っ端から集められた。
その中には、地脈をいじるためにとこの私、比那名居天子も呼ばれていた。
これだけいるなら大国だって落とせるんじゃないか、なんて思ってしまうほどとてつもない異形集団が結成された。
みんながみんな、できることに尽力し、幻想郷を救うために奮闘した。特に紫の頑張りようは一際目立っていて、鬼気迫るものを感じさせられたものだ。
だがそれでも、やはり不可能なものはあった。
なんせ古くから存在する妖怪、妖精、神、その他諸々の存亡だ、荷がとてつもなく重すぎた。
私たちの努力はむなしく、結界は崩壊した。
そしてみんな消えた。妖怪も、妖精も、神も、幻想郷を構成していた大部分が。転生する暇もないまま、その魂ごと消滅した。
残っていたのは人間連中と、仙人や天人みたいに人間が修行して到達した者と、蓬莱の薬を飲んだ蓬莱人。死神とか閻魔とかに、幽々子や妖夢みたいな幽霊。
そして妖怪の中の例外として八雲紫。
たったこれだけを残し、他は全部消えてしまった。まるで最初から何もなかったみたいに消え去った。
大好きだった幻想郷が消えたという現実に打ちのめされ、私はただ呆然とする他なかった。
もう、みんなと弾幕ごっこをやったり、酒を飲んで騒ぐこともできない。
そう思うと、胸の奥から厚いものがこみ上げてきて、目から流れ出しそうになった。
けどそうならなかったのは、紫がいたからだった。
「……ごめんなさい……ごめんなさい…………」
そう繰り返しながらうずくまってないていた紫の姿を見ると、泣くことができなくなった。
きっと私が泣いたら、余計に紫は泣いてしまう。そう思って涙を押し留めた。
謝りながら泣き続けるその姿を私は忘れない。
後にも先にも、紫の泣き顔なんてあの時しか見たことがなかった。
◇ ◆ ◇
「あら、二人ともいらっしゃい」
白玉楼にやって来た私たちを、幽々子はほがらかな笑顔で出迎えてくれた。
幻想郷が崩壊しても、冥界であるここは無事だった。
あの世だとか幽霊だとかの存在は、その時代を生きる人間たちもみな心のどこかで信じていたかららしい。
死後の世界ゆえ変化に乏しいここは、まさしく時が止まったかのように平穏だった。
「はい、お土産のお饅頭よ」
「ありがとう紫、愛してるわぁ」
「お茶をお持ちしました、どうぞ」
「ありがとねー」
完全に死に、半人半霊からただの霊になった妖夢からお茶を受け取る。
幽々子と妖夢は、昔と変わらずこの白玉楼で日々を送っていた。
たまに現世にやってきたりするが、基本的にここにいるのが普通だ。
そうやって、幻想郷があったころと同じ生活をしているやつは少ない。
というか他には小町と映姫くらいか。こっちも昔と同じで、小町のサボり癖に映姫が困っているらしい。
それと輝夜と妹紅は以前と近い生活をしているといえるかもしれない。永琳に連れられてとくに不自由のない暮らしをしながら、相変わらず殺しあっているわけだから。
その永琳がその天才的な頭脳で医学会に旋風を巻き起こし、あっというまに豪邸を建てて贅沢をしていたのがこのあいだまで。
だがある日問題が発生。豪邸の庭で懲りずに輝夜と妹紅が血みどろの殺し合いをしていたところを、たまたま衛星に激写され、世間の目に晒されてしまったのだ。
医学会の天才の家族同士で殺し合いか!? という見出しの記事を電子ペーパーで見たときは、驚いてお茶を吹いて紫にぶっかけた。
今は金を持って三人ともとんずら、世間の目から逃れておとなしく生活している。
「さて、四人揃ったところで企画会議始めるわよ」
「はーい」
「いつでもどうぞ」
私はポケットからPDAを取り出して、用意しておいた情報フォルダを開いた。
画面から光があふれると、デデンと大きく立体映像が表示された。
宙に表示されたのは、金属で構成された人型兵器のイラスト。
「今度のゲームはカスタマイズ性のあるロボゲーです!」
どうしたことか、私たちは同人ゲームを作るようになっていた。
私が主婦ニート状態で暇をもてあましていた時期があり、なんとなく紫に「こんなゲームあったらいいな」とか言ってみたら、翌日に私の話を元に再現したゲームを紫が持ってきたのが事の始まりだ。
一晩で基本的なゲーム部分を作る紫に若干引いたが、ならいっそ全部作っちゃおうということになり、今や同人ゲーム界で名を轟かす、天地境界が誕生したのだった。
専門ジャンルは特になく、アクション、RPG、SLG、ADV、果てはギャルゲーまでその時の気分とノリで幅広く作っている。企画やシナリオ、イラストなどは私が担当だ。
「ロボゲーって、細かい数値に隠しパラメーターとかがあって、任務に出たら騙されて罠に嵌められたりする、敷居が高いようなやつ?」
「そっちじゃなくて、私が作りたいのはカスタムロボ的なやつよ」
「カスタムって……あぁ、早苗が持ち込んできたゲームね。また随分と古いものを」
紫は私が出した案に客観的意見を言い、作品の完成度を高めてもらっている。
紫の意見は重箱の隅をつつくようにしつこくいやらしいが、的を射ているのでとてもありがたい。こいつがいなかったら、私の独りよがりのような作品しかできないだろう。
ちなみに紫はプログラム全般も担当している。一人でやらせるのは酷だと思うかもしれないが、頭に思い浮かべたプログラムをパソコンに転送する術を作り上げており、私の用意さえ終わればだいたい一日でゲームを完成させてくれる。しかもバグとかほとんどなし。
脳内でそんなの組み上げるとか、一度こいつの頭の中がどうなってるのか覗いてみたいものだ。見た瞬間あまりの情報量に発狂しそうだけど。
「シンプルで適当にパーツを組み合わせてもある程度戦える、でも極めようとすると奥が深い。ストーリーは子供向けだけど、子供から大人まで楽しめる。そんなのを作るわよ!」
「子供向けってことは小学生とかも視野に入れてるのよね。今時ネットでゲーム買ってダウンロードする小学生なんて普通だけれど、ロボゲーは流行らないわよ」
「だからこそよ! たしかにロボットものは下火も下火、ちょろっと一部のマニアたちの間で細々と続いてる程度。なんせ宇宙開発が進んで、極地用の巨大ロボットができるようになっても、人型の巨大ロボットが開発されないからよ! 所詮幻想だと否定されて今や存在が危うくなっている、これはロボットものの終焉を意味するのか? 否、始まりなのだ! ここで一発飛ばしてロボットブームの再来を成し遂げるのよ!」
バンッと机を叩いて力説する。
もしかしたら私がゲームを作ってきたのはこれが理由だったのかもしれない。
そう今こそ、私の手でロボット界隈を復興させるのだ!
「随分と簡単に言っているけど、子供相手だからと子供騙しに走れば用意に見抜かれるわよ。それにデザインは難しいし、バランス調整は相当大変よ? 」
「この日のために練ったストーリー、描きまくって練習したロボのイラスト、ぬかりはないわ。調整のほうは紫に期待してるから」
「また丸投げなのね」
「信頼してるのよ」
「あー、嫌だわ、こんなか弱い乙女をこき使って。血も涙もないわね」
「歳数えてから言いなさいよ。妖夢と幽々子はいつもどおりBGMをお願いね、特に戦闘曲に力入れてよ」
「はいはい、わかったわ。頑張りましょうね妖夢」
「戦闘曲は私の仕事ですからね、全力でやらせていただきます」
冥界組みには音楽方面、時たま一部イラストを任せている。これで天人の私よりもいい曲を作るんだから大したものだ。
それから紫と意見を交えて、どんなゲームにするのかを固めていく。その過程でストーリーとかも話して、どんな曲を作って欲しいかも伝えておいた。
たっぷり4時間くらい会議を続けたあたりで、幽々子が空腹を訴えて会議は終了。
「それでね、肝試しスポットにきたカップルの前で、鬼火を灯しながら化けて出てみたら、キャー! なんて言って飛び跳ねちゃって」
「あらあら、でも楽しみすぎちゃって死なせちゃ駄目よ?」
「わかってるわよ、紫ったら心配性なんだから」
昼食を取り終えたころには、すっかり雰囲気は世間話モードだ。
楽しそうに話す紫と幽々子を見て、ここは二人きりにさせたほうが良いだろうと、妖夢に声を掛けて腰を上げた。
「さてと、腹ごなしに試合に付き合ってよ」
「いいですが、また前みたいに木を折ったりしないでくださいよ」
「善処するわ」
「する気ほとんどないですよね」
とかなんだか言いながら付き合ってくれるのが妖夢だ。幽々子が気に入るのが良くわかる。
練習用の木刀を貸してもらって、二人して庭へ出た。
「それでっ、どうなんですか!」
「どうって、なにが!」
ガンガン木刀を打ち鳴らしながら、無駄口を叩く。
「紫様ですっ!」
「紫がどうしたのよ!」
「進展はあったんですかって聞いてるんですよ!」
喋っている隙を突いてみるが、あっさりと防がれた。
うぅむ、どうしても妖夢には勝てないなぁ。向こうは真面目に修行して一人前になったんだから当たり前だけど、こうも勝ち目がないと悔しい。
「特に何もっ。あいつも、いい加減告白すればいいのにね!」
「へぁ!?」
なんかウルトラマンみたいな声を出して妖夢が固まったので斬りかかったが、結局防がれた。
もう身体に染み込んでて、意識しなくても勝手に動くんだろうな。
「告白って!?」
「いやー、あいつもいい加減付き合い長いじゃない。さっさとしちゃえばいいのにね、じれったい」
「そ、そんなこと思ってたんですか。しかし受身になるとはちょっと予想外……」
「まぁ、幽々子はこんなところにいるわけだし、そうそう誰かに取られることはないだろうけど、さっさとくっつくにこしたことはないのにね」
「……はぁ?」
戦意を完全に喪失したように、妖夢は力なく木刀を下げた。
ここで仕掛ければ今度こそ勝てるだろうけど、流石にここまで無防備だと面白くないので私も構えをとく。
「誰が誰に何をですって?」
「いやだから、紫も幽々子に告白すればいいのにって」
「何言ってるんですか」
「はぁ?」
なぜか信じられないようなものを見る目で見られた。
あれ、そんな変なこと言った?
「……天子さんが紫様のことどう思ってるんですか」
「どうって、アイツほんとグータラよね。この前とか眠たいからあーんしてとか言ってきたり、その時は鼻にお箸突っ込んでやってけど」
「そうじゃなくて、好きかどうかってことです。恋愛感情で」
「ちょっ!?」
いきなり妙なことを聞いてきて、つい変な声が出た。
不意を突かれたせいで、たぶん今の私は耳が真っ赤になってると思う。
「あぁ、一応好きではあるんですね」
「そりゃあ、まぁ、好きでないやつをあそこまで世話できないわよ。介護が必要な老人かってのよあいつ」
「天子さんは、紫様が幽々子様に取られてもいいんですか」
「そりゃ本心から喜べるわけじゃないけど、幽々子ならいいって思ってるのよ。紫のこと幸せにしてくれるだろうし」
すると妖夢は目を丸くして驚いているようだった。
いつも誰かに振り回されて泣きを見ている妖夢だけど、ここまで驚くのは珍しい。
「なによ、変な顔して」
「いやその、天子さんは好きなものは全部手に入れないと気に食わないタイプだと思ってましたから」
「昔はね、何百年もすればちょっとは変わるわよ」
たしかにやんちゃだったころの私なら、何が何でも好きなものを手に入れようとしただろう。
とはいえ時間が経てば人は変わる。それが成長といえるかはわからないけど、今の私は昔の私とは少し違った。
紫と一緒に暮らして家事をやるなんてのも、昔の私ならごめんこうむったと思う。
「それでも暮らしてる間は楽しませてもらうけどね。一緒に暮らしてると色々と役得な場面が多いわ、朝起きたら寝ぼけた紫に抱きつかれたり」
「はぁ、そんなことが……って待ってください、もしかして一緒に寝てるんですか?」
「前は違ったんだけど、30年くらい前に酔った私がベッド壊しちゃってね。そしたら紫が余ってるダブルベッドがあるって言うから、捨てるのももったいないし使うことになって。そしたらサイズも大きいし一緒に寝ちゃおうって話しにね」
「うん、なんかもうわかりました。私が心配しなくてもなるようになりますねこれは」
「なにが?」
「いえ、こっちの話ですよ」
妖夢も時々、よくわからないことを言うようになったなぁ。
昔は何考えてるのかわかりやすくて、周りからよくからかわれていたのに。死人も変わるものだ。
「ところで試合続けるの? しないの?」
「なんか興が削がれました、やる気が起きません」
「ふーん、じゃあいっそのこと久しぶりにやってみる?」
「久しぶりって、なにをですか」
「スペルカードルールよ」
幻想郷が消滅して以来、やる機会がガクッと減ってしまったお遊びだ。
ここのところは木刀ばっかり手にとって、緋想の剣もあまり握っていない。
「あぁ、あれですか」
「そろそろやっとかないと鈍りそうだしね」
「スペルカードルール。懐かしいですね……」
すると妖夢は顔を上げて、私から目を離した。
どこを見据えているわけでなく、今の妖夢の目は遙か昔を見つめている。
「楽しかったですね、色んな妖怪とかと戦って」
「相手には困らなかったわよね」
「今でも目を閉じれば、鮮明に色鮮やかな弾幕が思い浮かびます。時折信じられなくなりますよ、幻想郷がなくなってしまっただなんて」
ポツリと、妖夢が漏らした。
「もしかして私が今ここにいるのは夢なんじゃないかなんて思う時があります。実は宴会で周りに流されて酒を飲まされて、悪酔いの挙句眠ってしまったんじゃないかって。ここで眠りから覚めて目を開ければ、神社でみんなが宴会してるんじゃないかって……」
「メーン!」
「いたぁ!?」
現実を見ずにひたすら語り続ける妖夢の頭に、スパーンと一太刀入れてやった。
ボコッとあんまり耳障りのない音が鳴って、妖夢が頭を抑える。
「なーに、情けないこと言ってるのよ。幻想郷が消えたのは事実、そこから目を逸らしてなんになるの。過去にいつまでも引きづられてないで、前を向いて生きなさい」
「うぅ……そ、そうですね。天子さんの言うとおりです」
私の忠言を受け止めた妖夢は、涙目ながらも背筋を伸ばして気合を入れた。
「過去に囚われては前に進めませんよね。前を向いて生きないと、死んでますけど」
「それで良し、ちょっとはいい顔になったわよ」
「やはり私もまだまだ未熟者です……しかし天子さんは凄いですね。ちゃんと自分や周りを見て、やるべきことを理解している」
「ふふん、私を誰だと思ってるのよ。非想非非想天の天人よ、随分天界には帰ってないけど」
「親御さん泣いてますよ」
とか何とか言っても、実際の私は妖夢が思ってるほど凄い人物じゃない。
口では偉そうなことを言えても、それを行動で表すことができていない。
過去に囚われているのは私も同じだ、今でもほぼ毎日博麗神社の写真を見て昔を思い出している。こう頻繁に思い出されたら、消えたみんなもゆっくりできないだろうに。
紫と一緒に暮らしてるのだって、本気で応援するならとっとと天界に戻ってやるべきなのに、私情を優先してしまっている。
私なんて見栄ばっかり張って、中身がほとんどないハリボテみたいなやつだ。
「っと、そろそろ時間ね」
「用事ですか?」
「映画よ映画。青娥にせっつかれてて」
「青娥さんですか。たしか今は女優をやってらしてるんですよね」
「目立ちたがり屋のあいつらしいわ」
件の邪仙、青娥はなんとハリウッドで女優をやっている。今日見に行く映画も青娥が主演を務めているのだ。
元々、自分凄いんですよとアピールしたくてたまらないやつだったし、世界中の人に演技を見せる女優は青娥にはぴったりだ。
キョンシーの芳香は表には出せないが、あいつの家で一緒に暮らしているらしい。
「とりあえずそんなわけで今日はここまでよ」
「私も庭の掃除しないと……」
「次は勝ってやるからか覚悟しなさい!」
「毎回言ってて飽きないんですかそれ」
すっかり定番と化した負け台詞を言い放って、紫の元へ戻ってきた。
「ゆかりぃー、仲良く話してるところ悪いけど、そろそろ映画のほう行きましょ」
「あらもうそんな時間なのね。歩きで行く? それともスキマで直接映画館まで行ったほうがいいかしら」
「んー、歩いていきたい気分だけど、紫は?」
「私もそれで構わないわ。それじゃ幽々子、お暇させてもらうわね」
「頑張ってきてね~」
紫が開いたスキマから白玉楼を後にする私たちに、幽々子は気になることを言いながらひらひらと手を振った。
スキマを通り抜けて、住んでいるマンション近くの路地裏へ出た。
「ねぇ、頑張ってって何の話してたの?」
「ちょっと攻略法を相談していてね」
「攻略ってなんのよ」
「前に出したギャルゲーみたいなものよ」
「いやいや、紫も製作者なんだから攻略法なんて丸わかりでしょ」
なーんか、はぐらかされているみたいだ。
追求したいところだが、普段グータラなこいつは何だかんだ言って妖怪の賢者なんて呼ばれていた身だ。私じゃ適当にあしらわれるだけだろう。
「じゃあ、行きましょうか天子」
そう言って紫は私に手を差し出してきた。
「うん」
間を置かず手を握って、しなやかで柔らかい感触を感じながら、肩を並べて路地裏を出る。
うーん、役得。
◇ ◆ ◇
幻想郷が崩壊してしばらくの間、紫は取り残されてしまった人間たちの処理に奔走していた。
一人一人の戸籍を取得し、個人にあった職と住居を与える。
幻想郷に住んでいた人間の数を考えると、とんでもなく時間の掛って気の遠くなる作業だったが、紫は愚痴一つこぼさずこなしていた。
曰く。
「彼らは妖怪のエゴに巻き込まれた人たちよ。本来なら普通に人間社会で暮らしていたはずなのに、私たちが引っ張って時代から取り残された。ならせめて今後の生活を保障するのは当然の話しよ」
だそうだ。
だがそれだけが理由じゃないと思う。その言葉は本心だが半分かそれ以下というところだ。
実際のところは、何も考えたくなかったんだろう。
幻想郷の維持に失敗したことを考えたくなくて、ひたすら誰かのために働いていたんだと思う。
けれど、考えないようにしたところで後悔は付きまとう。
幻想郷が崩壊して10年ちょっと。
果てのない作業にも思えた人間の処理も半分ほどこなし、紫の毎日にも時間的余裕がちょっと出てきたころだ。
私はまだ天界に住んでいたが、よく白玉楼に遊びに行っていた。
その日も萃香や衣玖と飲んだり騒いだりした場所を抜けて、妖夢の元へ剣を振るいに行こうとした。
そして白玉楼の門をくぐったところで、紫の姿を見つけた。
「紫も来てたんだ、ひさし――」
挨拶をしてきた紫の姿を見て絶句とした。
肌は荒れ、目の下に隈を作り、潤いをなくした髪は枝毛だらけだった。それに加えてどこか痩せた気もする。
ずっと働いてきた紫と会うのは久しぶりで。ちゃんと顔を合わせたのは、結界が崩壊したとき以来だった。
「……あら、こんにちわ天子」
「どうした、のよ。顔色悪いわよ」
「……? あぁ、大丈夫よ。大丈夫」
うわごとのように呟く紫は、誰が見たって大丈夫には見えなかった。
多分、これは激務に追われてというだけではない。
いくら誤魔化そうとしても、誤魔化しきれない後悔の念に押し潰されそうになっているんだろう。
「いいから休みなさいよ、そのままじゃ死ぬわよあなた!」
「私には、休む資格なんて……」
私がそう進言しても、紫はまともに取り合ってくれない。いや、休んでくれたって無駄かもしれない。
当時の紫は白玉楼に寝泊りしていたが、あそこじゃきっと駄目だ。
親友の幽々子がいると言っても、冥界のあそこは日々の変化がなさ過ぎる。
退屈で刺激のない日常は後悔の念を消し去れず、きっと今以上に紫を苦しめるだけだ。
何とかしたいと思った。その時はまだ紫とは仲が良いとまでは言えなかったが、幻想郷が消えたときにあんなに悲しんでいたやつを、これ以上苦しませたくなかった。
でも、どうすればいい?
「じゃあ……じゃあ、一緒に来て……」
「……え?」
「私と一緒に下界で暮らして!」
そして出てきたのは、我ながら突拍子のないものだった。
「私、天界でずっと暇してるのよ。だからそろそろ下界で暮らしたいなって思ってて。だけどあっちの暮らしって勝手が違うから、紫に手伝って欲しいのよ!」
右手を差し出してそう言いのけてから、「あ、これたぶん無理だ」と思った。
だって親友の元で暮らすか、私みたいなうるさいわがまま娘と一緒に暮らすか、天秤に掛けてどちらに傾くかは一目瞭然だ。
「それなら、適当な人間に刷り込みをして派遣するわ。心配しなくて良いわ、ちゃんと良い人を引っ張ってくるから……」
「駄目よ、紫じゃなきゃ駄目なの!」
「……本当に、私なんかでいいの?」
「くどい!」
それでもそれくらいしか思い浮かばなかったから、必死にそう訴えかけた。
紫はしばらく押し黙って、やっぱり無理だったかと一瞬諦めかけた。
でもあいつは、儚げに笑って一言だけ言ってくれた。
「ありがとう」
あの時の紫は、なんでありがとうだなんて言ったんだろうか。今になってもわからない。
それから私の両親への説得が終わると――実際には認められなかったので力尽くで出てきたが――私のために高層マンションを用意してくれた紫との、苦労の耐えない共同生活が始まった。
なにせ生活レベルが幻想郷の時代から、一気に現代まで引き上げられたんだからギャップが凄い。
携帯電話一つとっても未知の品物だったし、何を使うにも紫からの説明が必要だった。
それに家事をしようにも、そんなもの天女とかに任せてきた私には難しいことだった。
掃除をすればデリケートな電化製品をぶち壊し、料理をすれば焦げクズやらを量産した。
最初のうちは紫に苦労を掛けるばかりだったと思う。当初の目的と反対に、紫を疲れさせるだけだった。
「ごめん、またやらかした……」
「誰だって最初はそういうものよ」
力加減ができず、盛大にぶち壊したキッチンを前に、そう言って紫は許してくれたが、それでもやっぱり私自身が納得できない。
だから頑張った。頑張って少しずつできるようになっていき、紫がゆっくり休める体制を作りあげた。
ちょっと時間は掛かったけど家事も一通りこなせるようになっていき、仕事が終わって帰ってきた紫を、マシになってきたご飯と一緒に出迎えるようになった。
「お帰りなさい紫。ご飯にする? ご飯にする? それともご・は・ん?」
「あなたが食べたいだけよね」
「だってお腹すいてるんだもん。しかたないでしょ」
「先に食べてくれればいいのに」
「紫も一緒じゃないと意味ないのよ!」
そうやって余裕が出てきた私は、今度は周りの娯楽に目を向け始めた。
漫画やゲームみたいな創作物、バラエティ番組、音楽。その他にも色んな趣味の情報を集めて、紫にその楽しさを分け与えた。
「この前面白いバラエティ番組あったわよ。録画しといたから今から見ない?」
「ごめんなさい、時間がないの。あと30分くらいで出かけるから」
「じゃあそれまでは見れるわね。出だしが一番面白かったしそこだけ見ようじゃない。それとさ、テレビでやってたんだけどイチゴ狩りとかやってるんだって。一緒に行きましょうよ!」
「中々時間が取れないわ。行きたいならお金は用意するから天子一人で……」
「紫と一緒にいいのよ!」
「……しょうがないわねぇ」
そしていつしか、私のわがままを聞いて笑うようになってくれた。
◇ ◆ ◇
映画を見終わった私たちは、まだ6時くらいでちょっと早いけど、夕食を食べにそこらへんの居酒屋に入った。
年齢確認をしてきた店員に、免許証を見せてアルコールを頼む。
「一々提示しないとお酒飲めないのは面倒くさいわね」
「仕方ないじゃない。中学生程度の外見なんだし」
「そうだけどね。あーあ、もうちょっと大きくなってから天人になればなぁ。胸だって大きく……」
「それはないから安心しなさい」
「殴るぞババア」
出てきたお通しを食べながら、酒も微酔に語り合う。
「今回の映画だけどさ、面白いといえば面白いけど急にアクション出てきて驚いたわね」
「あれは青娥が無理矢理ねじ込んだらしいわ。なんでも動きのある演技もできるところを見せたかったんだとか」
「目立ちたがりすぎでしょ。オファーが来るようにって意味もあるんだろうけど、映画丸々一つ使ってアピールするとか」
映画の出来は賛否両論といったところだった。面白くはあるけど、終盤からの急な方向転換が作品の質を落としてる感は否めない。
でも幻想郷の妖怪たちになら大ウケだっただろう。萃香とかのノリがいい連中は大喜びで、でも衣玖とかの頭固いやつらは置いてけぼりを食らうかな。
「……って、いけないいけない」
「どうしたの?」
「いや、こっちの話」
さっき妖夢にあんなこと言ったのに、早速過去に囚われてる。
なんとかしないとなぁ、と思っていると後ろからゲラゲラと笑い声が響いてきた。
背後を見やってみると大学生くらいの若い男女が、酔っ払って騒ぎ始めていた。
「随分と楽しそうね、私も大学行ってみようかしら」
「あなたの場合は小学生から始めないとね」
「なによ、そんなことないわよ」
「じゃあ都道府県全部言える?」
「うぐ……」
悔しいが答えれなくて押し黙ると、一際大きい笑い声が響く。
もう一度後ろを向くと、騒ぎすぎで店員から注意を受け頭を下げいる学生の姿が見えた。
「夜もまだだって言うのにあんなに騒いで、ちょっとは迷惑考えて欲しいわね」
「……えぇ、そうね」
その時、学生たちを見る紫の目が、いつもと違うことに気付いた。
知っている目だ、というよりもついさっき同じのを見たところだ。
白玉楼で妖夢が過去を語ったときに見せた、あの目とそっくりだった。
それからの紫は妙に口数が少なかった。家に帰ってからは特に何をするでもなく、雲ひとつない静かな夜空を窓越しに眺めている。
時折手に持った写真立ての写真に目を移したりしていた。その写真は博麗神社で天狗が撮影した、宴会場での写真だ。
十中八九、幻想郷のことを考えているんだろう。
ここはどうするべきだろうか。あの時と違って今の紫は余裕があるし、そっとしておいて当人の心が整理されるのを待つか。それとも口出しするか。
ちょっと考えて、結局後者を取ることにした。私らしいといえば私らしい。
でもただ話すのもなと思い、私は箪笥を開いて奥深くに眠る服と、布に包まれた棒状のものを引っ張り出してきた。
「紫」
「あら、なにかし……」
振り向いた紫は、驚いた様子で私を見た。まぁ、そりゃそうなるだろう。
窓ガラスに薄く私の姿が映りこむ。青い髪に緋色の瞳、桃の付いた帽子を被り、エプロンドレスに袖を通したあの頃の私がいた。
手に持った緋想の剣が、久しぶりに外気に触れて薄く光を放つ。
「はい、これ紫の。導師服とドレスか迷ってけど、導師服のほう持ってきたわよ。あと帽子も」
「いきなりで状況が飲み込めないんだけど、どういうつもりなの」
「いいから早く着る!」
困惑する紫に服を押し付けて命令する。
私が突飛なことを言うのはよくあることだし、紫は疑問を浮かべながらも服を着替えた。
「それで、こんな懐かしい衣装引っ張り出してきて何をするの」
「飛ぶのよ!」
「はぁ? あなたここがどこだかわかってるの。見られたらどうするのよ」
「そこは大丈夫よ」
信じられないと疑う紫の手を握ると、私は緋想の剣を持ったまま一枚のお札を指で挟んだ。
一瞬札が発光すると、私と紫に目に見えない膜のようなものが張り詰めて、二人の身体を覆った。
「これは……」
「不可視の術。光学的に遮断してるからカメラにだって写らないわよ」
窓ガラスに映りこんでいた私たちの姿が、綺麗さっぱり消えているのを確認して、お札を懐にしまいこむ。
「呆れた。未だにこんなものを開発してたなんて」
「いやー、色々と使える術でしょ。いたずらしたりね」
「発想が妖精並じゃない」
「いいから飛ぶわよ。術が切れるから手は離さないでね!」
「あぁもう、強引なんだから!」
せめてもの反抗に文句を言う紫を引っ張って、私は夜の空へ飛び上がった。
大地に輝く科学の光に照らされながら、冷たい空気を切って高度を上げる。ここまでくれば空飛ぶ車と激突する心配もないだろう。
どんな高層ビルより高い位置まで昇ると、スピードを下げて空中で静止した。
「いやー、久しぶりに飛んだわね。高いところは空気が済んでて気持ちいいわ」
「バカとなんとかは高いところが好きと言うしね」
「おい、隠すべきところ隠せてないわよ」
「それよりここまで高く飛ぶと寒いわ。天子、こっちの寄りなさい」
肩が付くくらいまで身を寄せると、紫が出したスキマに二人で腰を下ろした。
真下に浮かぶ町並みを見下ろしながら一息つく。
「こんなところまで引っ張ってきて何を話すのかしら」
「なんだ、わかってたんだ」
「当たり前でじゃない、何年一緒にいると思ってるの」
「でも藍とかよりは短いでしょ」
「そうだけれど、あなたとの時間は異様に濃密だったからね」
「なんか言い方がエロいわね」
「バカなこと言わない」
ちょっと恥ずかしがった紫に頭を叩かれた。
しかし私のことをわかっててくれたって思うと、痛いというよりなんだかくすぐったい。
「なら単刀直入に言うわね。あんた幻想郷のこと考えてたでしょ」
「……正解よ」
あっさりと紫は答えを認めた。
「でもそんなこといつものことじゃない」
「そうだけど、今日のはいつもと違う感じがしたから。話してよ。それとも私なんかじゃ相談に乗れない?」
「はぁ……わかったわ、言うわ」
諦めた紫は、ため息をついて胸の内を語ってくれた。
「先日、最後の博麗の巫女が亡くなったの」
「そうなんだ。っていうかまだ生きてたのね、100歳超えじゃないの」
「幻想郷にいた人間としても、彼女は最後の一人よ」
「じゃあ幻想郷の後始末は全部終わったんだ」
「そうなるわね」
どうやら巫女は人の少ない場所で、ひっそりと生きてきたらしい。
最後は紫に看取られながら、安らかに逝ったようだ。
「そう、上等な死に方できて良かったじゃない」
「……でもね、巫女が最後に言い残した言葉があるの」
「遺言?」
「そんなところね」
『これでいい。これで、もう紫に面倒を掛けず済む。紫は、私たちのことを気にしなくても良いわよ。これからはせいぜい自分の人生を生きなさい』
なんとも、巫女らしい言葉だと思った。
「そう言ったのを最後に、息を引き取ったわ。迷惑を掛けたのは私の方なのに」
「あんたは気にしすぎなのよ。最終的にはちゃんと借りを返した。ううん、おつりが来るくらい頑張ったじゃない」
言ってはみるが、紫は聞かないだろう。
妙なところ真面目で融通が利かない、年寄り特有の頑固さだ。
それにしても、自分の人生を生きる、か。確かに紫には必要なことだと思う。
「そんなのだから、感傷的になって昔のことをよく思い出してね。居酒屋で学生が騒いでるのを見て、宴会を思い出したわ」
「それで様子が変だったのね」
「そしたら芋づる式に色んなことを思い出してくるわ。藍や橙のこと、歴代の巫女のこと」
「あと異変とか」
「誰かさんには迷惑掛けられたわね」
「それはご愛嬌ってことで」
「調子のいいことを言わない」
「いだだっ! 悪かったわよ、謝るから抓らないでって!」
それから懐かしい顔を思い浮かべながら名前を言い合った。
藍、橙、衣玖、萃香、早苗、咲夜、魔理沙、霊夢。
色んな思い出を語って「あぁ、そんなこともあったな」と懐かしんでいると、不意に紫が口を閉ざした。
「また静かになってどうしたのよ」
「……みんな私のことを恨んでいるでしょうね」
「それまたどうして」
「管理者として、使命を果たせなかった。むざむざと幻想郷を消滅させてしまった。私にもっと力があれば、みんな救えたのに。私が不甲斐なかったから……」
「えいっ!」
落ち込み始めた紫の額に、渾身の力をこめたデコピンを打ち込んだ。
天人パワーを打ち付けられ、紫の首が大きくのけぞる。
「あぐぁ!?」
「なーに言ってんのよあんたは」
「く、首が、今ゴキって鳴ったんだけどっ」
「みんなが紫を恨んでるなんて、そんなのあるわけないでしょうが」
「……あなたにそう言ってもらえるのは嬉しいけど、保障にはならないわ」
「それを言うなら紫を恨む保証だってないじゃない」
「でも私の力不足が原因なのだから、私を恨むのが筋じゃない」
駄目だこいつ、言っても聞く気配がない。
しばらく一緒に暮らして、そういう後悔も消え去ったかなって思ってたけど、どうやら甘かったみたいだ。
本当に、妙なところで融通が利かない。
「あーもう、恨んでなんかないって言うのに」
「また確証があるみたいな言い方ね」
「あるわよ確証」
「……なに?」
さっきまで取り合ってくれなかった紫が、驚いた様子で耳を傾けてきた。
「確証って、そんなものなんで……」
「紫が実力者を集めて結界を維持しようとしたとき、私も呼ばれたじゃない」
「えぇ、あの時はずっと傍にいたわね」
「でも最初にちょこっと地脈いじったらお役目ごめんで、あとは仕事なかったじゃない。一応念のために残ってたけど、ずっと暇だったわ。だからさ結果を待つ側はどんなふうになってるかって、ちょっと調べてみたのよ」
「調べたってどうやって」
「地面を伝って、各地の様子を探ったのよ。流石に天界とか冥界とかは無理だったけど、あそこは消滅には関係ないからどうでもいいし。とりあえずあの時消えた連中は、ほぼ全て確認できてたわね」
「……その、消えたみんなはどんな最期だったの」
緊張に声をわずかに震わして紫は尋ねてくる。
本人は恨まれてると思っているはずなのにそれを聞いてくるとは、責任感が強いやつだ。自分自身に誤魔化しがきかない。
まぁ、紫が想像しているようなことは全くないんだけど。
「飲んでた」
「え?」
「どこもかしくも酒を仰いでどんちゃん騒ぎよ。幻想郷に北から南、西から東、地の底にまで、どんなやつらもみんな騒ぎまくってた」
「そんな、消えるかもしれないときにどうしてそんな」
紫の視点からするとそう感じるのも仕方ないか。
守る側と守られる側じゃ、同じこと出来事でも感じ方が違うのは当然の話。
「多分さ、みんな気付いてたのよ。時が来たんだって」
「……そんなに私が頼りなかったのかしら」
「そうじゃないわ。みんな紫のことは信頼していたけど、それでもいつかそういう日が来ることを知っていたのよ。本来消え行くはずだった妖怪が、いくら生き永らえても最後には消えるのが定め。だからみんな覚悟ができていて、消える運命を受け入れて、その瞬間まで騒いでたのよ」
大地から伝ってくるあの時の宴会は、私も仕事を放り投げて飲みに行きたいほどだった。
でも流石に泣きそうな顔をして、必死になって頑張る紫を置いてはいけなかったけど。
「だから、みんな紫のことは恨んでない、むしろ感謝してたと思う。いい夢を見せてもらったって」
「夢……」
「うん、消える前に見せてもらった、楽園で過ごす素敵な日々の夢。だから紫、そんなことで思いつめなくてもいい。みんな最期の瞬間まで楽しんでたからさ。もし、そのうちの誰かと話すことができたら、最後の巫女と同じことを言うと思う。気にせずに、生きていけって」
紫は「そう……」とだけ言い残し、どこか遠くのほうへ目をやった。
微動だにせず暗い地平線を見つめていて、その頬を透明なものが静かに流れた。
「みんな、最期まで楽しみながら逝けたのね」
「そうね、きっとそうよ」
「……夜風が、目に染みるわ」
「うん」
紫の目から流れるものを見て、持って来た緋想の剣を強く握り直した。
長年しまい込まれていた剣が久方ぶりに緋色の輝きを放ち、紫の気質を取り出す。
気質は天へと昇華し、天気という目に見える形で具現化した。
ポツリ、ポツリと、雲ひとつない夜空から雨粒が落ちてきた。
「雨まで降ってきたわ」
「うん」
「もういやね、せっかく飛んだのにこれなんて」
「こういうのも、たまにはいいじゃない」
隣にいる同居人はいつも気張りすぎなんだから、たまにはこういう日があっていいはず。
晴れた空から降る天気雨は、少しずつ勢いを増していく。天気雨でここまで振るのは珍しい。
私にはなんとなく、この空が誰かさんの涙を半分肩代わりしているような気がした。
「天子」
「なに?」
「……ありがとう」
交わした言葉はそれが最後。
服が水を吸って重くなるのを感じながらも、私たちはずっと空にたたずんでいた。
雨が全ての涙を流してくれるまで、お互いの手を握って。
「……あなたには、二度も助けられてしまったわね」
「二度?」
雨が降り止んだころに帰ってきた私たちは、冷えた身体を温めに湯船に浸かっていた。
向かいでお湯に肩まで使っている紫は、なんとなく厄が落ちたように見える。
しかし混浴までできるとは、同居とはいいものだ。役得、役得。
「心当たりがないんだけど、一度目はどこよ」
「あなたが私に一緒に住もうって言ってくれたときのことよ」
「あれが?」
あの時はなんとかしようと思ったのは確かだが、あれを指して助けたって言うのはちょっと違う気がするけど。
「あなたにはそんな気はなかったかもしれないけど、私はあなたに救われたのよ」
「いや、全然話しが見えないんだけど」
「……生き残ったメンバーの中で、一番幻想郷を好きだったのはあなただったから」
たしかに、紫を除けば一番だと思う。あそこはもう、私にとって第二の故郷といって差し支えなかったし。
「だからね」
「あー、読めたわ。どうせ私も恨んでるとか考えてたんでしょ」
「えぇ、その通りよ」
「バカね、そんなわけないでしょ」
幻想郷がなくなったのはショックだったけど、紫を恨むほど私は子供じゃない。
あれだけ必死になっていたやつを、そんな簡単に恨めるはずがない。
「言っとくけど、今も昔もそんなことないから」
「わかってるわ、あの時に教えてくれたもの」
「ん? そんなこと言ったっけ?」
「だって恨んでる相手に一緒に暮らそうだなんて言えないでしょ。あぁ、この子は無力な私を恨まず、助けようと手を伸ばしてくれてるんだな。そう思うとなんだか救われて、心の中に一筋の光が差し込んだようだったわ」
「別に助けようと思って言ったんじゃないし。ただ下界の生活に興味があっただけよ」
「ふふ、じゃあそういうことにしておいてあげるわ」
それで、あの時の紫は『ありがとう』と言ったのか。
今まで気になっていた答えが聞けて、胸のつっかえがようやく取れた感じだ。
同時に、胸の中にお湯よりも暖かいものが生じた。
紫が笑うようになって達成感は感じていたけど、ちゃんと言葉でお礼を言われると、ちゃんとやれていたんだって思えて嬉しくなる。
「んー、でもそうすると悪いことした感じね。弱みに付け込んだみたいでさ」
「えっ」
「紫だって親友の幽々子と暮らしてるほうが良かったでしょ。それなのに流されて私の言葉にOK出しちゃって、好きな人と離れ離れになって」
「え゛っ」
「なんなら今すぐに白玉楼に戻っても良いわよ。私だってもうこっちの生活には馴染んでるし、紫だって私より幽々子と暮らした……」
「む、無用よそんな気遣いは! 私はこっちで暮らすから!」
おぉう、ビクッた。紫が珍しく声を荒立てて、むんずと私の肩を掴んできた。
「いや、別に遠慮しなくても……」
「遠慮してないわ! 余計なこと考えず、あなたは私と一緒にいてくれればそれでいいから!」
「わ、わかったわよ、っていうか爪食い込んで痛いから離してっ」
私から離れた紫は、浴槽の端のほうで「まさかそんな勘違いをしてたなんて、どおりで今まで進展が……」とかよくわからないことをブツブツ言っている。
しかし今の紫もだいぶ必死だった。なんで私と一緒に暮らすことにそこまでこだわるんだろうか。
……胃袋を握るのって大事だってよく聞くし、もしかして私のご飯を気に入ってくれたんだろうか。それなら料理の練習を頑張った甲斐があった。
「そろそろのぼせそうだし、早く身体洗って出ないと」
「私が背中を流すわ」
「じゃあお願いね」
それから互いに背中を流し合いっこしてお風呂から、パジャマに着替えてベッドの中へ入った。
今日はゆっくり寝られそうな気がする。
「おやすみなさい」
「おやすみー」
部屋の電気を消して、暗くなった部屋で目を閉じた。
夜の街の喧騒を遠くに、私たちは眠りに付こうとする。
が、一分もしないうちに起き上がって、ベッドの近くに置いたランプを灯した。
「思ったんだけどさ」
「なにかしら、もう眠いんだけれど」
「すぐ終わるから聞いてよ」
「わかったわよ、手短にお願いね」
横になったままだけど、一応は私の話を聞いてくれるらしい。
「今度のゲーム、やっぱり別の作ろうと思うのよ」
「また突然ね、あんなに張り切ってたのに」
「もっと作りたいのができたのよ」
「はいはい、それでなにかしらそれは」
「弾幕シューティングゲームよ」
紫は目を見開いて、勢いよくベッドから身を起こした。
「舞台は幻想郷という、結界で覆われた小さな世界。忘れ去られた妖怪達が異変を起こし、楽園の巫女が異変を解決する。それが終わればみんなで宴会」
「あなた、どうして……」
「もう踏ん切り付けるべきなのよ私たち。昔のことはいつでも思い出せる形に封じ込めて、アルバムの中にしまいましょうよ」
過去を引きずるのは止めにしよう。
思い出は思い出として、心に留めるだけでいいのだ。
たまに懐かしんでやれば、それだけで十分だ。
「タイトルは東方幻想歌。私たちから消えて言ったみんなに送る鎮魂歌。みんなは魂まで残らず消えたけど、せめて私たちの中のみんなを休ませてあげたいの」
ひっきりなしに引っ張ってこられて、思い出の中のあいつらもいい加減騒ぎ疲れただろうし。
楽しい宴会は終わった。二次会も三次会も終了。もうみんな眠らせよう。
「で、どうする? 紫がやらないっていうなら、私一人でも作るけど」
「……なに言ってるの、あなただけじゃプログラム一つだって組めないじゃない」
聞くまでもないことだった。
そういってくる紫の目には、決意が蒼い炎のように静かに、だが熱く燃え上がっている。
あの弾幕の数々を再現するのは難しいだろうけど、この紫となら何だってできるような気がする。
「よーし、私も燃えてきた! 早速今からシナリオやらイラストやらにまとめて……」
「駄目よ、明日からにしなさい」
ベッドから抜け出して机に向かおうとするけど、私の手を掴んできた紫に引き戻された。
「えー、いいじゃないちょっとくらい」
「よくないわ。大体徹夜でやったところで能率は悪いわ。なんと言おうが手は離さないから観念しなさい」
「むぅ……わかったわよ……」
ちょっと残念だけど、紫に手を握ってもらえるならと思って、ランプを消すと再びベッドの中に潜り込んだ。
目をつぶって寝ようとするけど、妙に興奮して中々眠りにつけなかい。
「ねぇねぇ、御阿礼の子とかも出したいけどどうしよう」
「幻想郷縁起をゲームの中で出せばいいじゃない」
「あー、アレか。どんな内容だっけ?」
「私が保存していたのがあるからそれを参考にすれば良いわ」
「じゃあ丸写しすればいいか。誰がどんな弾幕使ってたっけかなー」
「……天子、ちょっと良いかしら」
おっといけない騒ぎすぎたか、怒られるんだろうなぁ。
そう思って紫と顔を合わせるけど、けど予想に反してその顔は穏やかな表情をしていた。
「今回のゲームが完成したら、あなたに言いたいことがあるの」
「えー、なに? なに言うの?」
「ここでバラしたら、とっておく意味ないじゃない」
「でも気になるじゃない、今教えてよ」
「駄目よ、時と場所を考えて言うべきことだから。それにこっちのほうが互いにやる気が出るでしょう」
「まぁ、それもそうか」
お楽しみができたとなれば、作る気も俄然高まってくる。そうするまでもなくやる気はカンスト状態だけど。
「早く寝ないと朝起きれなくなるわよ。明日から忙しいんだから、いい加減寝なさい」
「でーもー、興奮して寝られないわ」
「もう、しかたないわねぇ」
紫はため息を付くと、スラッと伸びた綺麗な指で私の額に突きつけた。
するとまた境界操作でも使っみたいで、突然眠気が襲ってきて意識が闇に沈み始める。これならちゃんと寝れそうだ。
優しく微笑む紫を最後に見て、そっと瞼を閉じた。
「それじゃあ、今度こそおやすみ……」
「えぇ、おやすみなさい」
不覚にも感動してしまいました。
ゆかてんのカップリングに関係なくいいお話でした
幻想郷滅亡話自体はもうありがちではあるんだけど、天子視点ってのも珍しいし前向きな姿勢なのが良かった
『ひっきりなしに引っ張ってこられて、思い出の中のあいつらもいい加減騒ぎ疲れただろうし。
楽しい宴会は終わった。二次会も三次会も終了。もうみんな眠らせよう。』
このセリフが特にいい。グっときました。
なんだかこれが氏のラストゆかてんな雰囲気がするけど大丈夫ですよね? まだまだゆかてんしてくれますよね?
にしても鈍感すぎる…
誤字報告を
的を得ている
「射て」だと思います
お話も悲しくも未来があるお話ですごくよかったです。
ゆかてんはいいものだ
疑問を持っちゃう部分はあるけど、それを上回る面白さがあったと思います。
さわやかな読後感が残りました。
紫が大好きになりました
本当にありがとう
SF好きとしては舞台が1000年後なのでもう少しSFチックなガジェットが欲しかったかも
ですが幻想郷を失った罪悪感を乗り越え、アルバムともいえるゲームを作るという流れは素敵でした
想像以上に想像以上だった。素晴らしい!
…ただ、これでゆかてんは終わりとかにはしないで下さいね。
人間とは時の流れが違いすぎる妖怪やら仙人やらが有名人になるのはどう考えても不味いし
1000年後と言ってる割に人間界が全然変化してなかったりとか、気にはなりました
けど読みおわってしまえば、いい話だと思えましたね
精神的に弱ってるゆかりんを励ます天子。たまらんなぁこのシチュエーション
天子の台詞なんかもうガンガン心にきましたね
哀愁感漂うこの雰囲気の中で明るく我儘を振舞いつつも、いつも紫を気遣う天子の姿に涙腺が緩むのも仕方ないでしょう
まぁ要するにこれだけ仕上がってちゃあ気になるものも気にならないです
大満足でした
なんていうか、エピソードの一つ一つが懐かしさを誘いましたね。
涙腺が緩んでます。ものすごく緩んでます。
素敵な作品の執筆に感謝ですね。
もう毎日見てます。
誤字報告をひとつ。
時折手に持った写真盾の写真に目を移したりしていた。
写真盾…?
飲み会の例えが実に幻想郷チックで、しっくりきました。