Coolier - 新生・東方創想話

天使の抱擁

2012/07/02 19:27:30
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はじめに
ジェネリック作品集79「表情」の続きです。(今回は気分を変えてこちらで投稿。
前作を読んでいないと分かりづらいです。
地の文が前作とはまるで別人。
前作の続きだから当然レイアリ要素を多分に含みます。つまり百合だ。
それでもよろしければ、どうぞお進みください。




前回のあらずじ
絡み酒霊夢は記憶喪失しアリスに撃沈(ウソ





「ねぇ、霊夢」

背中の汗腺から、汗が滝のように湧きだしては滴り落ち、赤い衣をより紅く彩っていく。
額では、これでもかと言わんばかりにぎっしりと脂汗が浮かんでは蒸発を繰り返している。
自慢の黒髪は無残にもかき乱され、こめかみに張り付い落ちてくれない。

「私のこと、どう思ってるの?」

耳鳴りが頭蓋の裏側を激しく交錯し、不規則な頭痛を運んでくる。
鼻の奥がツンとして、まるで針を刺されたかのような錯覚を受ける。
口の中は砂漠の如く渇き切り、喉の奥から乾いた熱風を吹き返すだけ。

「…そう」

目の前が、まるで蜃気楼の中にいるかのように酷く不明瞭だ。
ただ、ぼんやりとした金色の波が揺れているのが見える。
何度も何度も揺らめいては消えそうになる金色の波。
ふと、それがはっきりとした輪郭を取り戻していく。

「うん」

清流に反射する日光のように、美しく輝く黄金の糸。
金色に映えるキューティクルがもたらす天使の輪。
完成された庭園の白石すらくすんで見える美しい肌。
天界に実る桃など比較にならない程、なめらかに煌めく唇。
日本晴れの青空が曇り空に見えてしまう様な、澄んだ一対の瞳。

―そっと。

髪が軽やかに肌を流れ、覗く白には朱が交じる。
蒼い瞳は三日月に曲線を描き、濡れた唇が静かに揺らめく。
純白の歯列、情熱的な舌がちらりと見え隠れ。
それら全てが一斉に流れ込んで―

「ありがと、霊夢」



「うきゃあぁどぉういたしましてぇぇぇい!!!!」







耳元には今が早朝であることを告げる小鳥たちの囀りの音。
目前には陽の光に照らされ柔らかな光を屈折させている障子。
足元には激しく寝相をうったことを思わせる撚れた掛け布団。
胸元には忙しなく脈を打ち続ける心臓の鼓動。

また。ああ、まただ。
またこの夢だ。

このところずっと、同じ夢を見ては先程の様に飛び起きるという毎日が続いている。正確には十九回程。一体この夢は何回私を苦しめれば気が済むのだろうか。お陰で毎朝毎朝寝た気が全くしない。いや、それどころか寝る前に比べ疲れすら感じる。
上着も下着も湿ってばかりで気持ちが悪い。こんなときは二度寝をするよりきっぱりと起きて掃除でもするに限る。酷い不快感に顔を顰めつつ、重く凝り固まった体を動かし、汗に濡れた布団から這い出した。
寝ている間余程力んでいたのか、音のなる関節を強引に軋ませながら井戸の桶を掬い上げ、頭上に掲げる。やはりあんな夢を見た後はこれしかない。
桶を逆さまにすると、鋭く冷えた井戸水が頭の天辺から足の爪先まで駆け巡り、熱の篭った体を鎮めてくれる。汗やら何やらで汚れた体も綺麗に洗えて一石二鳥と言った所か。
ぐうたらな思考に至りながらも、一緒に持ってきていたタオルで頭を拭き取り、濡れて肌に張り付いた服を剥いでいく。どうせこんな所こんな時間にここに居るような人妖はいない。気にする必要など無いのだ。
着替えが済むと今度は朝ごはん。と言っても昨日の残り物を処理するだけなのだが。
いくらか萎びた川魚の焼き物と味の煮詰まった味噌汁を、固くなり始めた白米でかき込んでいく。今更だが随分と質素な生活をしているものだ。調伏の依頼などでお金はそれなりに稼いでいるのだが、どうにも使う暇がないのだから仕方がない。
…よし、決めた。今日は少し贅沢をしてみようか。
棚から大きめのガラスポットと茶葉を取り出す。ポットに適量を入れ、その上から冷凍庫で凍らせておいた氷を被せておく。これで数時間後には美味しい氷出しのお茶が出来上がることだろう。因みに茶葉は以前調伏の礼に貰った高級なかぶせ茶である。氷の方は幻想郷では名の知れた湖(紅魔館近くのものではない)の清水を使ったもので、中々手に入らない物だ。上質な茶葉を氷出しで味わう。これぞちょっとした贅沢と言うものだ。…ちなみに冷蔵庫は紫経由で設置されたものである。

さて、完成には数時間掛かるので、後はそれまで掃除でもするしかなくなってくる。
しかし、掃除といっても毎日していることなのだから、そうそう時間が掛かるというものでもない。必然的に掃除の時間は数十分で終わり、後は縁側でお茶を飲むしかなくなる訳だ。まぁ、いつも誰かしら来客があるので毎日そこまで暇と言う訳ではないが。
まだ日が地面と垂直にならぬ中、お茶を啜り香り立つ湯気を楽しんでいると(氷出しはまだまだ出来上がらないため)、頭の片隅に別の思考が鎌首をもたげてくるのが分かった。人間というものは何故、一人でいるとしなくてもいい、いやしたくもない様な思考が頭を過ぎってしまうのだろうか。
その思考とは、言わずもがな連日見る夢のことだ。
いや、実際には夢という表現は間違っている。正しくは記憶と言うべきなのだろう。
忘れもしない三週間前のあの日。
私の思考回路の一部に焼き付いて離れてくれないあの出来事…。それは…。

「よーっす、れーいむ、遊びに来たぜ」

いけないいけない。危うく危険な記憶を呼び覚ましてしまうところだった。既にアウトだったような気がしない訳でもないが…。
…気を取り直して咳払いを一つ。

「こんな朝っぱらから何か用?全く暇なのね」
「失礼な。お前との逢瀬のため、大切な実験を後回しにしてまで会いに来てやってるというのに」

ふんぞり返って無い胸を張る魔理沙。どうせ研究に行き詰まって気分転換に来た、とかそんなところだろう。こいつはここをリラクゼーションルームか何かと勘違いしているのではないだろうか。
まぁいい。それでも中々にいいタイミングで来てくれたので、出涸らしではないお茶を淹れてあげることにした。出涸らしでないお茶を振る舞うなんて、随分と久しぶりのことだった。

閑話休題。

「…と言う訳なんだよ。やっぱり私のやり方じゃ効率悪いのかなー」
「専門じゃないから何とも言えないけど、これ以上成果が望めないのならきっぱり諦めて別の方向から当たってみれば?」

友はいいものだ。私は今それを心から実感していた。
何故ならば、変な思考が鎌首をもたげずに済むからだ。あの時の記憶はできる限り伏せておきたい。
何故ならば、そんなもの恥ずかしいからに決まっている。あの記憶を思い出すたびに、私の頬の筋肉は痛い程引き攣ってしまう。熱を帯びてしまう。考え事をするなど以ての外だ。ここの所毎日のように思い出してしまうので、顔の筋肉がとてつもなく逞しくなってしまったのは果たして喜んでいいのか悪いのか。

「でもあそこまで触媒を消費しておいて今更別のに変えるのはもったいないぜ」
「成果もないのに触媒を消費する方が勿体無いわよ。いいじゃない。失敗だってあんたら魔法使いに取っちゃ立派な研究データになるんでしょう?ならそれまで使った触媒だって意味はあったわよ」
「そ、そうか?」
「コンコルドの誤りって言葉知ってる?無駄だと解っているのにそれまでに賭けた投資に気を取られて前に進めないことなんだって」
「…お前ほんとに霊夢か?」
「慧音が言ってた」
「ああ」

その後も色々と会話を楽しんだ。何時もよりも会話に乗り気な私に魔理沙も多少首を傾げたが、そんなことはお構いなしだ。少なくとも、会話を楽しんでいる間はあの記憶が蘇らないのだから。
それから数時間。太陽がそろそろ真上に来る、という辺りだろうか。魔理沙が不意に切り出してきた。

「なぁ霊夢。最近さ、あんまり宴会しないよな」
「何言ってんのよ。しょっちゅうしてるじゃない」

開催理由は忘れたが、たったの三日前に紅魔館で開かれたではないか。魔理沙にとって三日とは気の遠くなる程の過去という訳なのか。全く、毎日のように騒がないと気が済まないのか?

「ああ、いやそうじゃなくてここの話。もう三週間はこの神社では開かれてないってこと」
「それはまぁ珍しいことだけど…騒ぎ立てる程のことじゃないでしょう」
「そうなんだけどさ。でもこの三週間…二十一日の間に七回あったんだけどさ」
「…それが?」

…今更だが、一週間に一回のペースで宴会とは凄まじい。皆よっぽど暇なのかもしれない。

「お前は二回しか顔出さなかった」
「いいじゃない。人間には休肝日も必要なのよ」
「…その二回とも、アリスが居ない時だ。何でかなぁって」

…しまった。忘れていた。魔理沙とはこういう人間であった。
いつもつまらない世間話を持参してはお茶をせがみ、場合によっては厄介事すら引っさげてくる騒がしい奴。忙しい時も眠たい時も怒っている時も何時如何なる時でも、こちらの心中などまるでお構いなしの我が物顔で騒ぎ立てる奴。…正直、面倒臭い奴に見えないこともない。
しかし。
本当に極偶に、奇跡的に極稀に、こちらが今抱えている問題などを看破して突っ込んでくることがある。

「さぁて、掃除の続きでもするかー」
「何とも、嘘が下手糞だねお前は。いつも顔に出る」
「…あんたに言われると、何だかとてつもなく負けた気分になるわ」
「もし何か理由があるんだったら言ってくれよ、できる限り協力する。例えば…アリスに弱点でも握られてるとか」

それも悔しいことに、そういう時に限って的確な意見を零してくれたり、問題その物の解決に協力してくれたりするのだから質が悪い。私が魔理沙をあまり面倒に思わない理由の一つでもある。
…と言っても、的外れな助言の方が多いが。

「そんなんじゃないわよ…ただ」
「ただ?」

ふと、脳裏に今朝見た夢が蘇る。
金色に揺れる天使の輪。ほんのり色付いた頬。美しく弧を描く瞳。白い歯。紅い舌。可憐に咲く華のような笑顔。
数時間前に夢で見た、三週間前に現実で見た、あの表情が蘇る。
顔の中央に血液が集中するのが手に取るように分かった。頭に霧がかかったかの様に覚束なく揺れてしまう。まるで、羞恥のあまり気を失う直前のように。…これだ。これが嫌だから、こうなりたくなかったから嫌だったのだ。

「大丈夫か霊夢、顔真っ赤だぜ。…ま、まさか何か尋常じゃなく恥ずかしい弱みを握られてるとか…!」
「いい加減そっちの思考から離れなさいっ」
「おいおい、だからって針投げるなって」

当たらずとも遠からず、と言った所か。あの笑顔が私を恥ずかしくさせているのだから。
しかし魔理沙に面と向かってそうだと言うには余りにもプライドが許さないので、ここは何も言わずに黙っておく。
するとこいつは珍しいモノを見るかのような目で私を見つめてくる。激しく癇に障るが、こいつはこいつなりに私の悩みを聞こうとしてくれているのだ。ここは大人しく我慢するべきか。例えその顔の眉毛や口元がひくひくと震えていたとしても、だ。
魔理沙は一旦お茶を啜り、一息ついてから向き直った。

「何があったかは知らないけど、お前の状態から察するに、アリスに会うと恥ずかしくなるから会わない…ってところか」

やはり私は表情が非常に読まれやすいのだろう。ただ思考の中で恥ずかしい、と考えているだけで一々表情にまで変化が現れてしまうのだから。いくら頬の筋肉が鍛えられても、そこだけは変わらないということなのか…。などと揺るぎない事実に溜息を吐いていると、隣から途轍もない爆弾が投擲されてきた。

「なぁ、霊夢はアリスのこと好きなのか?」
「…は?…はあああああ!!?」

もうこういう質問はよして欲しい。羞恥や困惑や羞恥でどうしようもなく頭の中が混乱してしまう。
そんな私の心中を察することもなく、あろうことか絨毯爆撃すら敢行してくる始末。

「だってさ。好きでもない人の前に出て恥ずかしくなるか?シャイな人ならまだしも、お前はそんなタマじゃないし、恥ずかしい弱みを握られている訳でもないんだろ?」
「いや、それは…」

それを言われてしまうとどうしようもない。私もあの時そう思ったのだ。しかし、それを肯定しようとしても、否定しようとしても、どちらもはっきりしないのだ。只々混乱し、もう一度考え、混乱する。何度も考え、何度も混乱するのだ。そういう無限ループに陥ってしまう。だから解らない。好きなのか、そうでないのか。只、一つだけ言えるのは嫌いではないということだけ。それ以外は考えても答えなんて出てこない。
そんな状態でも会ってしまうとあの笑顔を思い出してしまう。そして恥ずかしくてたまらなくなる。だから会わないのだ。

「でも、そういうのもコンコルドの誤りって言うんじゃない?」
「ええ?」
「いや、だってそうだろ?会いたくても恥ずかしいから会わない。でも会いたい。でもやっぱり恥ずかしいから会わない。そうして無駄に時間を潰してく」
「何で会いたい前提なの」
「会いたくないのか?」

中々に無理矢理な解釈だ。だがしかし、言っていることは正しい。会いたい会いたくないは別として、合わなければ恥ずかしいまま時間を浪費し、何時まで経っても事態は改善しない。
…思えばあの時、表情を思い出して恥ずかしくなるというループから抜け出したくて、会いに行こうと思ったんだった。結果としてより恥ずかしい事態に陥ってしまった訳だが、それはもう何も言うまい。
ここはあの時の自分を見習って会いに行くべきなのだろうか。ああでも、只の笑顔であれなのだ。他の表情など知ってしまったらもっと恥ずかしいことになりはしないだろうか。きっとそうだろう。今はあの時と比べて確実に状況は悪化している。あの時のように他を知るために会いに行くというのは些か自殺行為かもしれない。ここは慎重に行動すべきだろう。

「変な所でへたれてるなぁお前は。やっぱ事前にアリス呼んどいて正解だった」
「もう、余計な気を回さないでよ」
「でも、助かるだろ?」

それは確かに助かるが…?

「え」
「え」
「呼んだのね」
「呼んだけど」
「いつごろ来るの」
「そろそろ来るよ」
「どこに」
「ここに」
「そう」
「うん」


「ギルティ…」
「ジーザス…」


まずい。まずい。まずい。大いにまずい。
奴め、余計な真似をしてくれる。あいつはまるで私の心中を理解していないのだ。私があの時どんな気分になったのか。あの問に答えた時の、喉元まで答えが出かかっているのに、何かにつっかえて出てくれないあのもどかしさを。
とりあえず、嘆いても仕方がない。もうすぐ来るのだ。心の準備をしっかりと行わなけれ―。

「こんにちは」
「うわぁあらっしゃせー!!?」

準備のじの字も整わない内に後ろから声を掛けられてしまい、思いっきり上ずった声を上げてしまった。それも盛大に噛みながら。最悪だ。

「さっき泣きながら走ってきた魔理沙とすれ違ったけど…何かあったのかしら。全く、あの子が私を呼んだのに、その私が来る前に帰ってしまうなんてね。どういう了見かしら」

何に言うわけでもなかったらしい独り言が空に消えていく。半分程パニックになっている私の耳はそんな言葉を拾う暇もなかったのだった。


・・・


「お茶お茶っと…」

あれから何とか、お茶を準備をできる位にまでは落ち着くことができた。どうにかこうにか台所まで這うようにしてたどり着き、息も絶え絶えにお茶を用意する。どうやら結構長い時間魔理沙と話し込んでいたらしく、氷出し茶は無事に完成していた。氷出しと通常のどちらにしようか少々迷う。
…ふとあの時の会話内容を思い出す。確か、甘いほうが好みと言っていたような気がする。丁度いい。こちらの氷出しにしよう。上質な茶葉を使っているし、手間も掛かっているのだから、きっとこちらを出すべきだ。…魔理沙とは凄まじい違いだ。

「…どうぞ」
「どうも」

短いやり取りに軽くデジャビュを感じる。あの時とは逆だ。
ガラスコップの乗ったお盆を縁側に降ろし、丁度お盆を挟むようにして自分も腰を落ち着ける。お盆を挟まずに隣同士で座ることは羞恥が騒ぎすぎた為出来なかった。
細っそりとした長い指がコップの胴を掴みとり、そのまま桜色の唇に運んで行く。コップの縁とそれが接触する瞬間、何故か口内に唾液が湧いた。
贅肉の一切存在しない首周りが小さく波打ち、一口、飲み干した。こちらも知らずの内に喉がなってしまう。やはり自分が手間を掛けたモノを誰かが食べる時というのは緊張するものだ。
水分に触れたことによってしっとりと濡れた唇からほぅ、と空気が零れる。口内に残った余韻までしっかりと味わった後、その艶めかしい唇を綻ばせた。どうやら、気に入ってくれたらしい。

「おいしい」

余程気に入ったのか、目元を緩やかに綻ばせ、歓喜の色を惜しみもなくさらけ出している。
…嘘の混じっていない純粋な笑、それを見ただけで心臓が痛いほどに弾み、体中に力強く血液を送り出す。意識が遠退きそうになるのを感じながら、慌てて自分も湯呑に口をつけた。…甘い。やはり氷出しはいい。尖らない、自然な甘さを持っている。
―先程の微笑のように、優しくて柔らかい味だ。

「ねぇ、霊夢」
「ん…何、かしら」

お互いに無言でお茶を飲み続け、ポットの約半分を飲み切った頃、隣から鈴を転がすかのような声が届いた。
やはり、どうも滑らかな対応というものができない。どうしても脳裏にあの華の様な笑顔が過ぎってしまう。いつまでもそんなことではいけないのだと分かってはいるのだが、それを実践できない歯がゆさに内心頭を振った。

「随分前の話なのに、覚えていてくれたのね」

何の事を言っているのかはすぐに分かった。忘れる訳が、いや忘れられる訳がない…それこそ毎日の様に夢に見てしまうのだから。しかしそれにどう返事をするかと悩むあまり、どうしても返答にラグタイムが発生してしまう。こればかりは仕方がない。せめて馬鹿な発言をしないように気をつけて話そう。そう思うのだが

「その。たまたま用意してたの。えっと。今日はちょっと贅沢しようとして」

それでも、やってしまうものはやってしまうらしい。何故素直にに当たり前だと言えないのか。このような相手の期待を削いでしまうような物言いになるなんて。照れ隠しも度を過ぎれば可愛げを失くしてしまうんだと言うのがよく分かる。

「じゃあ、私は偶然にもあなたの贅沢に同伴できなのね。…今日はとても運がいいわ」

しかし、次に飛んできた言葉はそれすらも見越したかのような言葉だった。
少々恥ずかしい台詞だったのか。唇とはまた違った桜色を散らせた頬を隠そうともぜずに、ただ微笑んだ。恐らく分かってくれたのだろう。先程私が言い放った言葉が、只の照れ隠しだということに。
やはり表情に出ていたのかもしれない。今回ばかりは無意識に変化する自分の表情に感謝した。

「ねぇ、霊夢」

先程呼ばれた時と同じ台詞。だが声のトーンが先程のそれよりもいくらか高くなっている。嬉しいのか、恥ずかしいのか、どちらかだろう。どちらにしろ、いつもの声と違うということに変わりはない。…もしかしたら考えていることが表情に滲み出る私とは違い、声の調子に感情が出てしまう質なのではないだろうか。募る恥ずかしさを必死に堪えながら、そう思った。

「お昼まだでしょう」
「え、ええ。うん」
「よかった。これ作ってきたの。一緒に食べましょ」

湯呑のあったお盆の上に、大きなバスケットが置かれる。以前、和食は碌に作ったことがないと言っていたから、中身は恐らくサンドイッチか何か…つまり洋食だろう。だからどうした。自分は和食派ではあるが、洋食だって行けるクチなのだ。というか味が良ければ何だっていい。あくまで和食の方が好みというだけである。
いや、それ以前にこのバスケットに入っているであろう料理が不味いことなどありえない。自分の作った料理と紅魔館で食べた咲夜の料理以外(あとは人里で貰った惣菜くらいか)食べたことのない自分ではあるが、それだけは確信できた。
一言断ってからバスケットに掛けられたナフキンを取り上げる。すると、とそこには―

「…えっ」
「意外かしら」

小さめの容器に詰まった肉じゃがと、笹の葉で包まれた…おにぎりだろうか。とにかく、バスケットの中には洋食のよの字もない純粋な和食が収まっていた。
肉じゃがの方はジャガイモの崩れ具合からして、恐らく昨日の内に作って一晩置いておいたものだろう。おにぎりは包の上から触った感じがとても柔らかく、恐らく炊きたてを握った物のようだ。魔法か何かで保温されているらしく、両方共程良い暖かさに保たれている。
洋食が入っていると信じきっていた私は図らずも豆鉄砲を食らった鳩のような顔になってしまう。

「霖之助さんが言っていたわ。『肉じゃがのルーツはビーフシチューにある』と。和食は正直苦手だったのだけれど、ルーツが洋食なんだったら私にも作れるかなぁ…と。レシピは何故か店に置いてあったからそれを見てね」
「え、じゃあ初めて?」

見た感じ、失敗している所はあまり見当たらない。初めての和食でこれなら十分な出来ではないだろうか。

「…よかった」

…私の表情を見て言葉を先に言うのは、出来ればやめて欲しいものだ。
縁側から居間に移動し、ちゃぶ台の上にそれらの料理を展開させる。封を開けて見るとおにぎりは白米ではなく炊き込みご飯だった。又もや意外そうな顔をしてしまう。

「ああ、そっちは魔理沙から教わったの」
「アリスが、魔理沙から…珍しい事もあるのね」
「悔しいけど、和食はあの子の方が数段上手く作れるから」

あいつが素直に人に何かを教えるとは…今朝のあれと言い、どうも魔理沙が色々と手引きしているような気がしてならない。香霖堂にあったというレシピも、もしかしたらあいつが細工したのかもしれない。霖之助さんが関与している可能性は…まぁ無いだろう。
他人に無関心な彼は兎も角、何故魔理沙はこうも首を突っ込みたがるのか。全く、迷惑というかお節介というのか。…ここはいい友を持ったと思うべき所なのだろうか。

「では、いただきます」
「はい。召し上がれ」

初めて作った和食を食べるのが自分という事実に心を弾ませながら、手始めに肉じゃがへと箸を伸ばす。一番大きいジャガイモに箸を滑らし二つに割ろうとして…出来なかった。見たところ柔らかく煮込まれているように見えるがそれは表面だけで、実際には中心に芯が残っている。
気を取り直し、箸が突き刺さったままのそれを口に運び込む。前歯で表面を削り取り、ゆっくりと味わうように咀嚼する。

「どうかしら」
「え…ええっと」

硬かった。只々、硬かった。そして味が全くしゅんでいなかった。
いや、もしかするとこれ一つだけがそうなのかもしれない。再び気を取り直し、ジャガイモの隣に腰掛けているニンジンへと箸を伸ばす。が…

「あまり、美味しくない?」
「や、そんなこと」

皮が残っていた。きっと慣れない和食作りに集中する余り見落としてしまったのだろう。綺麗に洗った後のニンジンは皮と身の境界が判り辛いのだから。
…と思いたい所だが、残念ながら皮剥きそのものがされていない様だった。因みに味は何故か微妙に苦かった。
ジャガイモといいこれといい全体的に見て、恐らく火加減を間違えてしまったのかもしれない。

「次は、おにぎり、頂くわね」
「そんなに無理しないでいいから…」

三度、気を取り直して炊き込みご飯のおにぎりに手を伸ばす。
魔理沙が教えたという事が一目で分かる程ふんだんに茸類が使用されていた。形は無難な俵型。少々不恰好に巻かれた味付け海苔が可愛らしい。微笑ましい気分に浸りながらそれを手に取り口に…運べなかった。途中で崩れ落ちたのだ。運良く畳や衣類の上には落とさなかったものの、肉じゃがの容器に入ってしまった。
…四度気を取り直して、今度は箸で掬って口に運ぶ。

「もう正直に言っていいのよ」
「な…中々素朴な味付けね」

味が非常に薄かった。にも関わらずしょっぱい。野菜がげんなりとしていて、鶏肉はぱさぱさしている。米粒が簡単に潰れる程脆く、その癖非常に粘り気が強いという有様。恐らく水を入れすぎたのだろう。
それら全てを鑑みて総評するなら、初めてにしては…八分目くらい頑張った…と言ったところか。しかし、せっかく作ってきてくれたのだ。残すなんて勿体無い。米粒の一つにまで感謝して食べなければ。
それに何よりも私と一緒に食べる為に作ってくれたのだから。

「不味いでしょうし無理に食べなくてもいいわ」
「…今度教えに行くわ」
「…よろしくお願いします」

図らずも次回以降会う口実が増えたということに喜び、同時にまた今朝のような夢を生み出すことになるのだろうなと項垂れた。
尚、これらの料理を食べきるのにいつもの数倍の時間を要したのは言うまでもない。

「…どうぞ」
「どうも」

硬すぎるジャガイモや柔らかすぎるおにぎりに悪戦苦闘した後、先程とは逆に今度は私がお茶を受け取っていた。
大失敗した料理を相手に振舞ったまま終わる、ということに耐えられなかったのだろう。私が以前気に入ったと評した紅茶を淹れてくれた。氷出し茶の優しい甘さとはまた違った、落ち着いた甘さがある。一口飲んで、ほぅ、と一息ついた。

「…」
「…」

明らかに沈みきった雰囲気が隣から滲み出ている。ちらと横目で伺うと、それが顕著に伝わってきた。
先程まで綻んでいたはずの唇は一文字に閉じられ、美しかった桜色の肌も元々の色に戻り…いやそれ以上に白くなっているようにさえ感じられる。日光の様に眩しかった金糸も、どことなくくすんでいるように見えてしまうのだから不思議なものだ。

「…ねぇ、アリス」

見ていられなかった。自分の隣で誰かにうじうじされるというのが嫌いだった。不貞腐れた顔と声で愚痴を垂らされるなど、聴くに耐えられない。そんなことをしよう者がいれば、確実に陰陽玉を二三発当ててやったことだろう。
しかし、今回ばかりは違った。いや、やはり隣でうじうじされるのは嫌だ。だが、いつも宴会の時も、お茶会のときだって失われなかった輝きが、失われてしまうことの方が余りにも嫌だった。

「そんなに落ち込まないでよ」
「それは無理な相談ね。あなたは私が完璧主義だって知ってるでしょ」

初耳である。しかし、完璧主義と言う割に本気で何かをしている所など見たことがない様に思えるが。

「それに、この私が、本気になって取り組んだっていうのに」
「…それこそ初耳よ」

なだらかな砂浜を思わせる整った肩幅を大いに怒らせ、人形より重たいものを持ったことが無いのでは?と疑ってしまう程細い指をきつく握り締める。
常に本気の七歩程手前で妥協してしまい、結果失敗しても涼しい顔をして後悔や落胆などしない。魔法の研究だって、弾幕ごっこだって。ずっとそうだと思っていた。事実、それ以外を見たことがなかった。それなのに、こんな、料理に対して本気になるなんて。種族的に作る必要も食べる必要もないし、作る時間の分研究時間などが減ってしまうというのに。

「決まってるでしょ」

気のせいかもしれないが、くすんでいた輝きが若干取り戻されたように感じる。
金糸の間から覗く蒼い瞳が迷いなくこちらを見据えるものの、声のトーンには少々迷いが見える。恥ずかしいのだろうか。
…はやり私と違い声に感情を隠せないタイプのようだ。

「…霊夢が」
「う、うん」
「…霊夢に…」
「うん」
「…」
「うん?」

一体何だというのだろうか。ここまで言い渋るのは、私が覚えている限りでは珍しい事だ。
スカートの上から素晴らしい流線美を型取る足が、畳の上を落ち着きなく擦る。
美しく整った爪先が時折、まるで別の生き物の様に震えている。
両手はティーカップの縁を何度も撫でるばかり。
頭上に映える、キューティクルが齎す天使の輪が、忙しなく揺れている。
…これは、明らかに焦っている。馬鹿な私でも分かる。こんな状態になるなど尚更珍しい事だ。

「…からよ」
「え?」

前半部分が聞き取れず、聞き返そうとして―

「…っ」

そうすることができなかった。
くびれた腰に巻かれている真紅のリボンベルト。その色にも負けず劣らずな鮮やかな紅を、瞳の下の、柔らかな頬に浮かべていたからだ。
―呼吸が止まるかと思った。いや、現在進行形で止めている。止められている。
雲一つない蒼穹を思わせる蒼い瞳と、情熱的なルージュを思わせる紅い頬。そのサファイアとルビーに彩られた表情。
数時間前に見たあの桜色の微笑みも高い破壊力を持っていたが、こちらはこちらで…貫通力、とでも言えばいいのだろうか。とにかく、違った魅力が溢れていた。

「…ぅぁ」
「え、霊夢?」

私の異変に気がついたのか、顔が近付いてくる。先程飲んだ紅茶の為だろうか、甘い吐息が鼻孔を擽る。

―ふと、脳裏によぎる光景。私は前にも、こんな…このような表情を…見たことが―。

「ちょ、ちょっと、霊夢…!」

限界だった。
ここ数週間の質の良くない眠りと魔理沙の帰った後から続く緊張。
桜色の微笑みと赤色の羞恥。
それらが一丸となって降り注ぎ、このもどかしいデジャビュに答えを出す暇もなく私の意識は途切れることとなった。
最後に耳に届いたのは人形に布団を敷かせようと指示を出す慌てた音色だけだった。

「全く、疲れてたのかしら」
「暫く起きる気配もないし、一旦帰った方が良さそうね」
「…」
「…」


「霊夢に…美味しく食べて欲しかったからよ」


・・・


「ねぇ、霊夢」

背中の汗腺から、汗が滝のように湧きだしては滴り落ち、赤い衣をより紅く彩っていく。
額では、これでもかと言わんばかりにぎっしりと脂汗が浮かんでは蒸発を繰り返している。
自慢の黒髪は無残にもかき乱され、こめかみに張り付い落ちてくれない。

「私のこと、どう思ってるの?」

耳鳴りが頭蓋の裏側を激しく交錯し、不規則な頭痛を運んでくる。
鼻の奥がツンとして、まるで針を刺されたかのような錯覚を受ける。
口の中は砂漠の如く渇き切り、喉の奥から乾いた熱風を吹き返すだけ。

「…そう」

目の前が、まるで蜃気楼の中にいるかのように酷く不明瞭だ。
ただ、ぼんやりとした金色の波が揺れているのが見える。
何度も何度も揺らめいては消えそうになる金色の波。
ふと、それがはっきりとした輪郭を取り戻していく。

「うん」

清流に反射する日光のように、美しく輝く黄金の糸。
金色に映えるキューティクルがもたらす天使の輪。
完成された庭園の白石すらくすんで見える美しい肌。
天界に実る桃など比較にならない程、なめらかに煌めく唇。
日本晴れの青空が曇り空に見えてしまう様な、澄んだ一対の瞳。

―そっと。

髪が軽やかに肌を流れ、覗く白には朱が交じる。
蒼い瞳は三日月に曲線を描き、濡れた唇が静かに揺らめく。
純白の歯列、情熱的な舌がちらりと見え隠れ。
それら全てが一斉に流れ込んで―

「ありがと、霊夢」


「いいぃ加減慣れろぉぉお私ぃぃぃいいい!!!!」


障子から差し込む朝日と外から響く鳥の囀り。
汗だくの体と張り付く衣服の不快感。
重く鈍い体と脈打つ鼓動。

「…また、この展開か」

もうお決まりとなった毎朝の光景に辟易しつつ、布団から体を引きずり出す。昨日はあのまま気絶してしまったため、当然寝間着ではなく巫女服のまま。寝苦しくないようにと気を利かせてくれたようで所々が緩められていたが、何分巫女服は寝間着よりも分厚い生地をしている。そのため何時にも増して汗をかいてしまったようだ。
額に浮かんだ汗をやる気なく拭き取り、常時の三割増しの重さと不快感を引っ下げて井戸に足を運んだ。

「…そう言えば、気絶する前に何か思い出したような…何だったか」

少々曖昧になってしまった昨日最後の記憶。頭を捻っても思い出せるのは堅いジャガイモの食感や桜色の微笑み…それと相変わらずまともになれない自身の態度ばかり。情けない気分になってしまう。
そんな気分を汗ごと洗い流そうと冷たい井戸水を頭からかぶる。服の生地が分厚かった為、爽快感はいつもより三割減だった。

「…」

それから数時間。
中途半端に朝食を食べ、やる気の感じられない箒を振るい、縁側に腰を落としてお茶を啜っていた。
どうにもこうにもとにかく落ち着かない。原因は解っている。昨日、気絶する直前に考えていたことだ。自分は何かを思い出したはずなのだ。それも非常に重要な事を。しかし意識の落ちる前という非常に曖昧な精神状態だったこともあり、それが何だったのか中々思い出すことができないでいる。何を思い出したのかを思い出そうとしている、というあべこべな状態に内心で自嘲した。いい加減イライラとして気分が悪くなってくる。こんな時はもう一回掃除でもして体でも動かすに限るだろう。思考の片隅に残るしこりを冷めたお茶ごと腹の奥に流し込んだ。

「よーっす、れーいむっ!遊びに来たぜー」

それから三十分程掃除をしていると昨日と同じ台詞が頭上から降り注いだ。心なしか昨日よりも若干トーンが高い。いいことでもあったのだろうか。
丁度いい。未だにはっきりしない気分に浸っていた所だ。気分転換にでも付き合って貰おう。

「…と言う訳で、昨日言ってた研究は成功したぜ」
「そう。よかったじゃない」
「ああ。霊夢のお陰だな」

何時も通りの出涸らし茶に顔を顰めつつも、余程研究が上手くいったことが満足なのか文句も言わずに苦労話をまくし立ててくる。レンコンでは上手く行かなかった、キュウリは水分が多すぎて失敗した。ジャガイモはあと一歩の所までいった。等々。
…ジャガイモ。その単語だけで昨日の出来事を鮮明に意識してしまう。重症だこれは。

「有難く思うのなら賽銭でも入れていきなさい」
「そうそう。アリスのことなんだけどさ」

訴えを華麗に無視されたことに腹を立てつつも、気になる話題が出てきたので私の関心はそちらに移り変わって行く。

「昨日な。夜アリスがやって来て一緒に飲んだんだ」
「…へぇ」
「怖い顔すんなって。変な意味じゃないから」

やはりというか当然というか、表情に出ていたのだろう。ここ数週間で顔の筋肉が逞しくなったと思っていたが、それもどうやらまだまだの様だ。最早改善できるような気は全くしていないがそれでも改善しようと感じるのだった。
それからも魔理沙の話は続いた。

「アリスが言ってたんだ。呼んでくれてありがとうって。初めて私に笑いかけてくれたよ。すごく可愛かった」

こいつはあの笑顔を見てそれに耐え切ったとでも言うのか。こいつの心臓はどうなっているんだ。私は到底耐えられなかったと言うのに。沸々と悔しさが沸き出してくるのが分かる。これは弾幕ごっこに負けた時よりも悔しいかもしれない。
…魔理沙の視線が気掛かりだ。頬に気合を入れ直し、話の続きを促した。

「それでな。恥ずかしながら…大分酔ってたんだろうな。無償に気になって、聞いちゃったんだ」
「…え、うん。何を?」

気のせいだろうか。どことなくデジャビュを覚える。昨日の気絶間際に感じたあのもどかしい感覚を。
記憶のどかけで引っかかる…酔って…気になって…。

「私のことを、どう思うかってな。…うん。今思えば完全に酔っ払ってたんだな」
「…どう、思うか?」

私のこと、どう思ってるの?

三週間前のあの日。そして、それ以降ひたすら夢の中で響き続けてきたあの問。酔って正常な思考を逸した状態での、素の感情。
何故だろう。魔理沙のその顔が、声が重なる。何に―


―私のことどう思ってるの!


私の、声。誰に、対して。その、問いに対する回答。

「そしたらさ、アリスの奴何て言ったと思う」

二人の鬼。数十発の針。
底抜けた気分。

―そんなに聞きたいなら教えてあげる。

視界に映る光る何か。金色の天使の輪。
汚れのない肌。

―いいこと?

面倒そうな声。覚える寂しさ。
変わる表情。

― 一回しか言わないから心して聞きなさい。

引き寄せられる腕。紅い顔。
甘い吐息。

―覚悟はいい?

感じていたデジャビュ。気絶間際のもどかしさ。
取り除かれるしこり。

―あんたのこと

「世話の掛かる妹みたいだってさ。期待通りでつまんないよなぁ」

―分かった?

ああ、分かった。

「…魔理沙。聞いてたのね」
「はて、何の事かな」

あの時のことを、あの三週間前の全てを、思い出した。
だからあの時あのような問をされたのか。気が動転していたとは言え、あの時に思い出すことができなかったとは…我ながら呆れた話だ。
それにしても、魔理沙があの時の会話を聞いていたとは。だから色々と手を回していたのか。随分の回りくどいやり方だったが、それがこいつなりの気の使い方なのかもしれない。
…全て思い出した今、沸々とある感情が浮上してくるのが分かる。

「…」
「行ってこいよ」

やはり、表情に全て出てしまうのか。こればかりはどれだけ顔の筋肉を隆々にしたところで治りはしないのだろう。
服を正して下駄を履く。隣を見ると魔理沙も箒に跨っていた。どうやら帰るらしい。この話をするためだけに神社に来たというのだろうか。だとすればやはり魔理沙はどうしようもないお節介だ。呆れてしまう。…今にも飛び立とうとする彼女に声を掛けてから、私は神社を後にした。


「…楽しみだな。氷出し茶」


・・・


風を切って空を飛ぶなど久しぶりの感覚だ。最近は殆ど神社に篭りきりで、体中が鈍っていた所なので丁度いい。目指すのは勿論魔法の森の、人形の城。行って何を話すか、何をするかなどは一切決めていない。ただ勢いに任せて飛び出したのだから。
魔法の森の入り口まで来ると、ひとまず着地して陸路に切り替える。何故か。それは魔法の森を飛ぶのが危険だと解っているのと、少しの間考える時間を作りたかったからだ。
あの時、自分をどう思っているかと聞かれた。それは相手の気持を確かめる行為…遠まわしな告白に違いない。
相手が自分をどう思っているのか、それを確かめたいと思うことは自分がその相手に対して興味を持っているということだ。興味がある。つまり普通以上の関心を抱くこと。興味は自覚のない好意とも取れる。だがその質問を受けた時、私は解らないと答えた。それは嫌いではないが、好きだと肯定もできないと考えたからだ。しかし、好きでもない相手に興味を持つことが出来るだろうか。科学者や、研究科ならその限りではないだろうが、少なくとも私には無理だ。そして、願わくば―。

「あら、霊夢。どうしたの」

気がついた時には既に城の前まで到着していた。突然の客に驚いた様子もなく、ただそのしなやかな腕に抱かれた如雨露で、花壇に植えられたハーブに水を巻いている。相変わらず眩しい輝きを放つキューティクルが天使の輪のようだ。

「ええ、ちょっと話があってね。とりあえず入れてくれないかしら」
「ええ、喜んで。今お茶を淹れるわ」

久しぶりにくぐる小さめの城門。相変わらず中身は質素な外見に反して可愛らしい装飾が施されていた。甘い香りもあの時と変わらずである。
席に着くと、昨日と同じ紅茶を出された。やはり、氷出しもいいが紅茶も中々にいい。

「それにしても珍しいわね。あなたから家に来てくれるなんて」
「そうかしら」

三週間前と何ら変わらない台詞。
珍しい…確かに珍しいだろう。何故ならまだ二回目なのだ。私がここを訪れるのは。
今思えば、付き合いは魔理沙と並ぶ程に長いにも関わらず、こうして訪れたのはたったの二度しかなかった訳だ。まぁそんな粗末事今はどうだっていい。いずれ何度も訪れることになるのだろうから。そうなるであろう未来を想像しながら、森を歩いている間に考えておいた会話を始めるとしよう。

「ねぇ、アリス」
「どうしたの」
「物理的に冷たいアリス」
「…霊夢?」
「あんた私のこと嫌いなの?」
「…」

綺麗に整った眉がほんの少し反応を見せた。私の意図に気付いたかどうかは解らない。あの時のことだと気付いてくれればいいのだが。

「…ふふ」

…ふと、あの桜色の微笑みが零れた。どうやら気が付いてくれたようだ。それもそうだろう。私の顔がこんなにも真っ赤になっているのだから。仕方がない。こうしていると、どうしてもあの私を揺るがす表情の数々が脳裏に過ぎってしまうのだから。しかし、そのことについて茶々を入れることもせず、付き合ってくれるようだ。

「紅茶にブランデーを入れた覚えはないのだけど、間違えたのかしら。酒って本当に怖いのね」
「…はぐらかさないで私の質問に答えてよ」

無理矢理にでもあの時の再現をしてくれるとは、恥ずかしくもその可笑しさに笑みが零れてしまう。心拍数が急上昇していくのが手に取るように分かった。
紅茶を一口、思いの外乾いている口内を潤す。失神だけはしないようにと歯を食いしばった。


「どうなの?私のことどう思ってるの」
「酔いが酷いわ。寝室まで連れて行ってあげましょうか」

完全に合わせてくれるらしい。桜色に彩られた唇が、三日月の弧を描く。声からは嬉しさと可笑しさと、少々の恥ずかしさが見え隠れしている。頭上で天使の輪が楽しげに揺れた。
あの時、あの熱気に包まれていた宴会の夜とは打って変わって、陽気に包まれた部屋の中。アルコールの酔いに任せて突き進んだあの時とは違い、今はこの空間に、その天使を思わせる声に酔っているのかもしれない。

「ぐぬぬ、意地でも寝ないわよ」
「…ふっ、ホント頑固よねあんた」

この可笑しな受け答えに遂に耐え切れ無くなってしまったのか、濡れた唇から気の抜けた声が吐き出された。しかしながらその声には、隠し切れない嬉しさが滲んでいる。私と違って、声に表情が出てくれる体質で本当に良かったと思う。
その嬉しさに後押しされながら、恥ずかしさに負けじと「およ」とあの時のような不抜けた言葉を続けた。

「そんなに聞きたいなら教えてあげる。いいこと?一回しか言わないから心して聞きなさい」
「ええ」

再現と解っていてもやはり言うのは恥ずかしいのだろう。しかし、それはこちらとて同じ事。今にも意識が飛びそうなのだ。いや、それどころか恥ずかしさが一周して、今にも笑い出してしまいそうなくらいだ。
何となく、机の中央に置いてあるシュガーポットから角砂糖を一つ、紅茶に放り込んだ。理由は先程から高速で唸りを上げている脳内に栄養を送り込みたいのと、ただの気分とである。

「覚悟はいい?」

反対側からも手が伸びてきて、角砂糖を一つ、ティーカップに放り込んだ。お互いにそういう気分だったのだろう。

「あんたのこと」

嬉しさと、恥ずかしさと、可笑しさと、甘い香りが入り混じったこの空間で―

「好きよ……分かった?」
「うん………分かった」

あの時と寸分違わぬ答えを、私にもたらしてくれた。
嬉しい。本当に嬉しい限りだ。しかし、限界だった。お互いに。

「…ぷっ」
「も、無理…っ」

その直後、魔法の森中に笑い声が響いた。
先程までの甘い空気がまるで最初からなかったかのように、声を大にして大笑いする。拳を机に叩きつけ、掌で痛む腹部を庇う。とにかく、ただ笑うしかなかった。恥ずかしくて、嬉しくて、本当に笑うしかなかった。
喉が痛くなるまで、笑い声は止まらなかった。

「あー…喉が痛い」
「紅茶のおかわりはいかがかしら」
「お願い」

二つのティーカップに飴色の紅茶が注がれる。更に、角砂糖をそれぞれ一つずつ。痛んでいる喉に甘さを加えたかったのと、ただの気分と。

「どうぞ…でも、今更だけど笑うことなかったんじゃない?これでも告白だったのに」
「どうも…今それを言う?合わせてくれるのは嬉しかったんだけど、傍から見たら凄いシュールな光景でね」
「それもそうね」

嘘だ。実際にはただの照れ隠しだ。恥ずかしいではないか。面と向かって好きだと言われるのは。例えそれが二回目だったとしてもだ。きっとそれは顔に出ていたであろう。しかし、それに対して突っ込まれない辺りお互い様だったということなんだろう。そうであったなら、少し、嬉しく思う。

「で」
「うん」
「あなたはどう?」

やはり来た。と言う以前にこれが本題だ。森を歩く間に推論は出て、今の会話で結論は出た。
私の至った答えを言えば、きっと呆れられるかもしれない。それでもいいのだ。偽りのない本心を伝えるのだから。

「私はね。きっと好き。ううん、きっと大好き」

私はきっと好きなんだ。好きだと言われた時、あの時も今も、変わらず嬉しかった。だがしかし、理屈っぽい私はまだそれを認め切っていない。『嫌いではない相手から好きだと言われれば、少なからず嬉しく思うだろう』…やら、『興味があるからと言って、それが本当の好意とは限らない』…やら。
だけど、本心ではきっと好きなのだ。後はそれを認めるだけ。私の理屈がそれを認めるまで、『好き』に変わるその時まで、『きっと好き』なのだ。『きっと好き』が『好き』になった時、きっと『ずっと好き』になるのだろう。そう願いたい。いや、そうなるのだ。だから、今すべきなのは―

「そう」

清流に反射する日光のように、美しく輝く黄金の糸。
金色に映えるキューティクルがもたらす天使の輪。
完成された庭園の白石すらくすんで見える美しい肌。
天界に実る桃など比較にならない程、なめらかに煌めく唇。
日本晴れの青空が曇り空に見えてしまう様な、澄んだ一対の瞳。

―そっと。

髪が軽やかに肌を流れ、覗く白には朱が交じる。
蒼い瞳は三日月に曲線を描き、濡れた唇が静かに揺らめく。
純白の歯列、情熱的な舌がちらりと見え隠れ。
それら全てが一斉に流れ込んで―

「ありがと、霊夢」

この嬉しさ、恥ずかしさに耐えられるようになるだけだ。
力一杯歯を食いしばる。腰に力を据えて、腹の中心に喝を入れる。腕は拳をきつく結び、まるで武闘家が止めの一撃を加える直前の様に霊力を全身に漲らせる。大体、夢想転生使用時の五倍程霊力を使いきって、何とか耐えることができた。まるで強大な敵を倒した時のような大きな達成感が全身に伝わる。
この調子で行けば、いずれは恥ずかしさに気絶するなどという、余り格好の良くない事態は回避できるように―

「大好きよ」
「っ」

後にして思えば、それは抱擁だったのだろう。だがその時の私はそれを理解するに至らなかった。
背中に回された腕は、その華奢な見た目とは異なり柔らかい。身長差がある為丁度鼻辺りに首筋があり、そこから華のような香りが舞い込んでくる。染みのない白い肌からは想像がつかない程体は暖かで、何よりも肩に当たっている胸の確かな感触と力強い鼓動のリズム。
それら全てを理解し、ああ、抱き締められたのか、と思った時には既に天井を仰いでいた。

まだまだ苦労は続きそうだ…。
天狗の異変(要チェック。ライバル多し。気を抜くな!)
烏天狗でも屈指の実力と自信を持つ射命丸文氏が突如引き篭もりになってしまった。
氏の友人である白狼天狗に取材を行った所、氏は先日とある人物の盗撮写真をゲットしたと言う。何でも滅多にガードを緩めないことで有名な人物が、無防備にも衣服の上から水を浴び、尚且つその場で着替えをしていた所を抑えたのだとか(人物の特定、裏付け至急!)。どうやらそれを使って写真集を作り、一儲けするつもりだったようだ。その写真集は中々高額で、前払金も必要という仕様だった。にも関わらず、凄まじい数の予約が舞い込んでいたらしい。しかし、氏が引き篭もりになる直前、その前払金が突如として行方不明になったと言う(恐らく何者かに強奪されたのでは?引き続き情報収集)。氏は相変わらず部屋に引き篭って何やら自虐的な言葉ばかり並べている。写真集が出版前に絶版となり、予約していた客たちも山の麓に押し寄せ「責任者出てこい」と騒いでいる。怒りに燃える予約客たち、そして引き篭ってしまった友人の為にも一刻も早い原因究明を目指したい。

これは今まで経験してきた中でも困難な仕事になりそうだ。
こんな取材は早く終わらせて、文のリハビリに付きあうことにしよう。

――――――――携帯に残されていたメモ帳データより。

・・・
お久しぶりです。読んでいただき誠にありがとうございます。
おおよそ一年半前の作品の続編です。レイアリが枯渇しそうだったのでセルフで補給しようとしたところ、やはり自分の作品ではどうにもならないと絶望しました。というわけで…ね?そこの君、書いてみないかい?というか書いてくださいお願いします。
…ごめんなさい。
とりあえず一言。
前作で続き希望してくれた方、遅くなって申し訳ない。

天啓が上手く降りてくれればこの話、続きます。

最後に。
アリスは天使です。
なるるが
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コメント



0.1000簡易評価
6.100奇声を発する(ry in レイアリLOVE!削除
とても元気を貰いました
>アリスは天使です
激しく同意
7.100名前が無い程度の能力削除
好き好きすー
9.100名前が無い程度の能力削除
とてもよいレイアリでした。 
読んでるとき、ずっと頬がゆるみっぱなしでしたw
13.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしいレイアリでした。
ニヤニヤが止まらないのです

誤字報告?
じゃあ、私は偶然にもあなたの贅沢に同伴できなのね→あなたの贅沢に同伴できたのね …かな?
16.100名前が無い程度の能力削除
アリスは天使!
2828をありがとう!
18.100名前が無い程度の能力削除
何か懐かしい雰囲気の作品ですね。ってそうか最近ストレートなレイアリはほとんどないな。いや、これ完璧でしょう。レイアリはなるるが氏に権威になって頂かなくては。けいれいー!
22.100名前が無い程度の能力削除
レイアリはジャスティス!
レイアリこそ至高!
これからも是非私のレイアリ補給基地に…
32.100非現実世界に棲む者削除
レイアリ良いね。
33.無評価Yuya削除
とてもいい雰囲気だった