「―――ハッ!? ……なんだ、夢か」
カーテンの隙間からうっすらと朝日が差し込んでくる頃、霧雨魔理沙は目を覚ました。
その寝覚めはあまり心地よいものではなく、体中に汗がにじんでいる。
「また変な夢だったな……まあ十中八九、原因はこいつだろうけど」
そう言うと魔理沙は、体を覆っていた掛け布団をガバッと払いのける。
その中から出てきたのは、未だ夢の世界に入り浸っている、魔理沙と同じく金色の髪をもつ赤いリボンをつけた少女。
「すぅすぅ…はむはむ……」
「ルーミア、また寝ぼけてわたしを噛んで……」
若干呆れ顔になりながら、魔理沙はため息交じりに呟いた。
少し前、ねぐらを求めて彷徨いこんできてそのまま住みついたこの妖怪は、幸せそうに魔理沙の二の腕をはむはむしながら眠っていた。
これは今日だけではなく、少なくとも一週間に一回は起きている。噛まれる部分はまちまちで、今日のように二の腕だったり、脛だったり、耳だったり、頬だったりする。
無論ルーミアとて人喰いの妖怪であるから本気で噛まれたりすると一大事なのだが。
「ああもうくすぐったいなぁ。ほらルーミア、離して」
「んっ……あうぅ」
魔理沙がルーミアのほっぺたをくすぐると、ルーミアは眠ったまま口を離す。
離された二の腕の方はというと、歯形も無く、せいぜいよだれがついているくらいである。所謂甘噛みというやつだ。
だから魔理沙にとっては噛まれる事自体についてはさほど問題は無い。無いのだが、困った事が一つだけ。
「ああ…今日は饅頭になってたか……」
魔理沙は両手で顔の汗をぬぐいながら、さっきの夢を思い返していた。
ルーミアが寝ぼけて噛んでくる日に限って、魔理沙は奇妙な夢を見るのだ。
「ルーミアの奴、大口開いて嬉しそうに食べようとしてきたからな…ああゾッとした……」
「くぅ…くぅ…」
横を見ると幸せそうに眠るルーミアの姿。
夢の中で、首だけの饅頭になっていた魔理沙はそのルーミアに食べられそうになっていたのだった。
「これで何回目だったかな……」
全ての夢を覚えているわけではないのであやふやだが、ルーミアに噛まれた日の夢は必ずと言っていいほどルーミアに食べられる夢を見る。
その回数を指折り数えると、少なくともこの数週間で5回分は確実に憶えていた。
一つ目は、夕日に照らされた湖で泳いでいたら実はそれが大きなトマトスープで、これまた大きなルーミアに飲まれそうになった。
二つ目は、川に浮かんで漂っていたら実は大きな流しそうめんで、ルーミアに食べられそうになった。
三つ目は、壁を突き破るタイプの○☓問題で不正解の方に突撃したらその先には泥の代わりに天ぷらの衣があって、そのままルーミアによって油の中に放り込まれようとしていた。
四つ目は、ルーミア会長の目の前で焼き土下座をしていたらいつの間にか野菜も一緒に焼かれていて、焼き肉のタレをつけて食べられそうになった。
そして五つ目は、首だけ饅頭になってルーミアに食べられそうになった、である。
「……何だこれ。何だルーミア会長って」
思い返しながら、魔理沙は自分の見てきた夢に呆れてしまった。
回を重ねるごとにどんどん意味不明なシチュエーションである。
「ま、まあ夢ってのはそういうもんか。さて、気を取り直して朝ごはんにするかな!」
考えすぎたら変な泥沼にはまりそうな気がしたので、魔理沙は弾みをつけて自身を無理やり納得させた。
そして、夜型で昼までは起きないルーミアの邪魔をしないようそっと布団を抜け出す。
シャワーで嫌な汗を流した後に朝食をとり、いつものように出かける準備をする。
「お前用の昼ごはんはテーブルの上に置いておいたからな。それじゃあいってきます」
「むにゃぁ…いってらっひゃい……」
夢はしょせん夢。怖い事など何にもない。
寝ぼけルーミアの頭を優しく撫でてから、魔理沙は魔法の森の探索に出かけるのだった。
「ただいまー」
魔理沙が帰ってきたのは、太陽が西の方に傾き、空が赤く染まり始めた頃だった。
戸を開けて家に入ると、中には誰もいなかった。どうやらルーミアは出かけているらしい。
もっとも、ルーミアは気分に任せて外を出歩き、そしてその内帰ってくる。
いつもの事に魔理沙も気にしていなかったのだが、今日は少しだけ様子が違った。
「ん? これは……?」
玄関から入ってすぐの所で、魔理沙は変な紙きれを見つけた。
そこには崩れて読みにくい子どもの字でこう書かれている。
『※いえにかえったらボウシとうわぎをぬいでね』
平仮名と片仮名だけの短い一文を読んで、魔理沙はすぐにピンときた。
「ははーん、さてはルーミアの仕業だな」
魔理沙の影響を受けてというのもあり、ルーミアは最近字の読み書きを練習している。
その成果を見せようと、頑張って書いたのだろう。その光景を思い浮かべて、魔理沙は笑みを浮かべる。
「ふふっ、わたしが家に帰ったら帽子と上着を脱ぐ事ぐらい普通じゃないか」
いつもやっている当たり前の事をわざわざ紙に書く。
それくらいルーミアも一生懸命なのだという事を考えると、可愛い奴だと魔理沙は思う。
そのまま帽子を帽子掛けに、上着をハンガーに掛けていると、魔理沙はまた新しい紙きれを見つけた。
『※おフロにはいってあせをながしてね』
「ん、こんな事まで書いていたのか?」
これには魔理沙も少し驚いた。
家に帰ったら汗を流すためにお風呂に入った事もあったし、入らない事もあった。
そんな事までルーミアが紙に書いていることが、魔理沙にとって意外だったのだ。
そのような驚きを抱えつつ風呂場へ向かうと、魔理沙はさらに驚いた。
「へえ、わざわざ風呂まで焚いてあるのか」
準備のいい事に、浴槽にはきちんとお湯が張ってあったのだ。
ルーミアがそんな事までしてくれている事を嬉しく思いつつ、魔理沙は脱衣所に置いてあった紙切れに気付いた。
『※にゅうよくざいをよういしたのでつかってね』
そう書いてある紙きれの横には、小さな袋。
おそらくこの小さな袋が、紙に書いてある「にゅうよくざい」なのだろう。
「こ、こんなにしてもらっちゃって何だか悪いなあ」
照れくさそうにそう言いながら、魔理沙は服を脱いだ。
ルーミアの用意してくれた入浴剤を持って風呂場に入り、封を開けて粉末状の物を浴槽に注いだ。
すると、とってもいい香りが風呂場全体を包み込んだ。
「ああいい香りだ……しっかしこんないい物をルーミアは一体どこで手に入れたんだ?」
いい香りの湯にゆっくりと浸かりながら魔理沙はそう呟いた。
考えてみれば変ではある。ルーミアが入浴剤を用意するという発想をする事に魔理沙は違和感があった。
一人で暮らしていた頃には水浴び程度しかしなかったルーミアが、である。
「ま、あんま考えすぎても仕方ないか。大方アリス辺りに何か吹き込まれたとかそんなんだろ」
ルーミアは同じく魔法の森在住のアリスと面識がある。ルーミアが魔理沙の家に転がり込んできたときも、アリスは居合わせていた。
アリスならお風呂にも拘りそうな気がするので、たぶんそうなのだろう。
「とにかく今はこのいい気持ちを楽しむとするか!」
上機嫌になって、鼻歌交じりに湯船に浸かる。
何の入浴剤なのか魔理沙にはよく分からなかったが、ともあれとてもいい気分なのである。
そうしてしばらくお風呂を楽しんだ後、いよいよ魔理沙もあがろうした。タオルで体表面の汗を拭きとり、脱衣所へと移る。
「あれ? さっきこんなのあったけ?」
さっきは紙切れと入浴剤が置かれていたところに、今度は紙切れと黒い何かが置かれていた。
不審に思った魔理沙が紙切れに書かれた事を読むと、そこにはこうあった。
『※バスタオルをよういしたのでつかってね』
紙きれの横に置かれていた黒い何かは、どうやらバスタオルだったらしい。
魔理沙が手に取ってみると、確かに感触はバスタオルのそれだった。
「こんな物まで用意してたのか。それにしても黒いバスタオルなんて珍しいな」
ルーミアの用意したバスタオルを体に巻き付けつつ魔理沙はひとりごちた。
基本的に白いバスタオルばかり使ってきた魔理沙だったが、黒いバスタオルとは。宵闇の妖怪ルーミアなりの拘りなのかもしれない。
だがそんな事より、魔理沙にはもっと気になる事があった。
「さっきは絶対にこんな物置いてなかったのに……さてはルーミア、どこかに隠れてるな?」
先程は何も無かった所に今は黒いバスタオル。という事は誰かが置いたに他ならない。
その誰かとは、間違いなくルーミアである。
「何の悪戯かは知らないけどルーミアめ、わたしをからかってるな」
実害は無さそうであるが、からかわれているとなると何だか面白くない魔理沙。
バスタオルを体に巻き付けたまま、どこかに隠れているであろうルーミアを探した。
テーブルの下、ベッドの下、クローゼットの中、隠れられそうな場所は全て探した。
しかし探せど探せどルーミアは見つからず、その代わり台所でまた紙切れを見つけた。
『※おいしいキノコをとったので、りょうりしてたべてね』
そう書いてある紙きれの横には、確かに美味しそうなキノコが置かれていた。
これもルーミアの悪戯かもしれないが、敢えて魔理沙はのってみる事にする。
「いいだろうルーミア……とびっきり美味しいキノコ料理を作ってやるぜ」
魔理沙は静かに言った。ルーミアの指示に従い、様子見をする腹づもりだ。
そしてキノコを手に取り、包丁で食べやすいサイズに切り、フライパンを温め、油を敷き、炒める。
バターで和えて、塩コショウで味を調え、あっという間にキノコのバターソテーの出来上がり。
「どうだルーミア! 美味しいキノコ料理の完成だ!」
見つからない相手に、どうだと言わんばかりに胸を張って宣言する。
その時、魔理沙の背後から微かな声が聞こえた。
「………した魔理沙の……き………を……て」
「ッ!?」
突如として発せられた声に、魔理沙は驚き振り返る。
そこには、さっきからずっと探し続けていた、金髪に赤いリボンの少女ルーミアの姿。
「……何だルーミアか、驚かすなよ」
「……浸した魔理沙の……き………を添えて」
「ルーミア?」
魔理沙が声をかけても、ルーミアは小さな声で何かを呟いたまま俯いている。
不思議に思った魔理沙が顔を覗き込もうとすると、ルーミアは突然魔理沙に飛びつき胸元に顔をうずめた。
「うわわ!? どうしたんだルーミア? お腹でも空いたのか?」
「出汁に浸した魔理沙の海苔巻き ~キノコのソテーを添えて~」
「えっ?」
小さかったルーミアの声は、ルーミアが抱きついて来た事で今度ははっきりと聞き取れた。
同時に全てを理解した。
出汁とは、お風呂に入れた入浴剤。いい香りがしたのは出汁がよく出ていたからだ。
海苔巻きとは、魔理沙の体を巻いている黒いバスタオル。いや、いつの間にかタオルの感触は消え、本物の海苔となっていた。
キノコのソテーとは、今まさに魔理沙が完成させたキノコのバターソテー。
それらをルーミアがずっと口走り続けている理由は、ただ一つ。体中から冷や汗が噴き出した。
「ル、ルーミア!?」
「ふふっ」
ルーミアが胸にうずめていた顔をあげ、魔理沙と目があった。
獲物を捕らえんとする、赤く鋭い眼差し。
「いただきまーす!!」
「うわあああああああぁぁぁぁぁ!!?」
「―――ハッ!?」
「あ、ヤバ!?」
汗まみれになった魔理沙が飛び起きると自宅のベッドの上。
隣には寝ぼけて魔理沙の指をはむはむするルーミア。
そのベッドの横では、見知った顔が慌てた表情をしていた。
「……アリス? お前、どうしてここに?」
「あ、あら魔理沙、お早いお目覚めね。ほら上海、魔理沙におはようの挨拶よ」
「ペコリッ」
唖然とする魔理沙に、アリスはわざとらしく上海人形にお辞儀をさせた。
しかし魔理沙は、明らかに怪しいアリスの寸劇は完全に無視して、アリスの手元に目をやった。
「アリス、その手に持ってる本は何だ?」
「えーっと、これはね……」
「いいから貸せ!」
「あっ」
歯切れの悪いアリスに、魔理沙は強引に本を奪い取った。
どうやら外の世界から流れ着いた本らしい。その表題を見た。
『注文の多い料理店』
中身をパラパラとめくり、大まかなあらすじを読み取った魔理沙。
本をパタンと閉じて、ゆっくりとアリスを問い詰める。
「これは一体どういう事だ?」
「えーっと、あはは……」
一回愛想笑いをして、アリスは観念したように全てを話し始めた。
「最近、夢とか催眠とかの研究をしてて、その実験をしてみようかなーと……」
曰く、眠っている者の枕元で色んな本を読んだら何か影響があるのかという研究らしい。
料理本を中心に、たまにクイズ本だったり、賭博漫画だったり、「まんじゅうこわい」のような落語だったりを読んでいた。
それで今回は『注文の多い料理店』をチョイスしたわけであるが、魔理沙がいつもより早く目が覚めてしまったため、バレてしまったそうだ。
「……で、何で料理本を中心に読んでたんだ?」
不機嫌そうに尋ねる魔理沙に、アリスはだって、と答える。
「料理本を読んでいたときが一番反応が良かったのよ。ルーミアは幸せそうに魔理沙に噛みついて、反対に魔理沙は魘されて。実験の効果が感じられて楽しかったわ」
「そうかそうか、わたしが魘されて楽しかったのか。今までの悪夢は全部お前が原因だったのか……」
腕を組み憮然とする魔理沙に、いよいよアリスは不味いなと思った。
やおら後ずさりして、笑顔を魔理沙に向ける。
「実験はこれで終わりだから帰るわね。それじゃ、ルーミアにもよろしくっ!」
「あ、こら待てアリス!」
踵を返して駆け出したアリスの後を追って、魔理沙も外へ飛び出した。
一方、あれだけ騒がしくしてもなお眠り続けていたルーミアはというと。
「んにゃんにゃ……まりさ、ごちそうさまでしたぁ……ぐぅ……」
果たして夢の中では何を食べたのか、幸福に満ち溢れた顔でコロンと寝返りをうっていた。
「もしかしたら」という不安が心の底にあるのかもしれませんね
注文の多い料理店懐かしっ あの話大好きです
ルーミアやフランとかの妹系っぽいキャラと
魔理沙のコンビは何故か凄い好きだなぁ。
そういやアリスは胡蝶夢丸とか飲んでたなw
夢は深層心理の表れともいいますし、意外と無意識にルーミアに食われる事を望んでたりして。