扉を開けると妖精、二匹。珍しい来客であった。
とりあえず居間に通したものの、緊張のご様子。ソファーに座らせても、彼女らの唇は堅く結ばれたまま。
紅茶とクッキーを差し出してみると、赤い方、日が差し込んだかのように目を輝かせて甘味に飛びつく有様。
もう片方の白いのは、じっとりと湿った眼差しでその不失礼を咎めるものの、結局バタークッキーをかじり始めた。
「で、今日は何の用かしら」
「……ほら、サニー。そろそろ言わなきゃ」
「私から? えーっと、それがですね。アリスさんなら、何か知ってるかと思いまして」
「……何を?」
妖精は苦手だ。以前から知ってはいたが、要領を得ない。何を聞きたいのか、よく分からない。
それでも、大体の察しはつく。
光の三妖精と知られている彼女たちであるが、赤と白しか揃っていない。
残るは自由の心であったはずだけれど。せっかくのフランス三妖精なのに。
「スターですよスター! スターが、スターがいなくなっちゃったんです!」
「青いの、だったかしら。リボンでロングヘアの」
博愛のサニーミルク、こんな時だというのにテンションが高い。眩しい笑顔が妬ましい。
一方、平等のルナチャイルドは至って冷静に受け答えしてくれる。私よりしっかりしているかもしれないな。妬ましい。
「その、青い子です。手がかりも何にもなくって、今、サニーと調査中なんです。アリスさんなら、何か知っているかなと思って来たんです」
「私に聞かれても正直、困ってしまうわ」
「そ、そんな!」
森は妖精の住処となりやすい。そんな森に住む私に聞きに来るのは間違ってはいない。
とは言え、知らないものは知らない。力になることなんか、できやしない。
……とは言うものの。何もしないのはさすがに可哀想。
「私は知らないけれど、他ならひょっとするかも」
「他? 誰です?」
「待ってて。……ちょっと、誰でもいいから来てちょうだい!」
返事の代わりに、ドアがノックされる。
そのドアが開かれた瞬間、妖精たちの目と口まで、ぱっくりと開いてしまった。
「どうしたのアリス?」
「実はね、アリス。この子ら、迷子を探しているんですって。残りの青いのだけど、知ってる?」
「うーん、私も見てないな。ごめんなさいアリス。里の子どもたちに紛れていないか、今度チェックしておくわ」
金髪、色白、とはいえ体がなまってて、少し痩せすぎているようにも見えてしまう。
私の前に立っているのは、正真正銘、私の姿であった。
私と比べると、幾分かデキるお姉さんなのが気になるが。
「ア、ア、アリスさんが……。アリスさんが……」
「二人いる!?」
「あんまり驚かないでね。私はもう慣れてしまったから」
「な、慣れてたまるもんですか!」
サニーは辛うじて突っ込む元気も持っていたが、相方は全くついていけていない。
白くてちっこい方は、口で正三角形を描きながら硬直してしまっていた。
金魚みたいにぱくぱくさせてから、ようやく意味のある言葉をつぶやいた。
「そうだ、これ、人形だよ! 人形、なんですよね……?」
「ところが、そうでもなくってねえ」
いつの日か、目覚めると私がもう一人増えていた。増えていたのだから、しかたないじゃない。
増えているという結果だけが残っているのだから、説明なんてできるはずもない。
「アリス、呼んだかしら?」
「あら、いらっしゃいアリス」
「さ、三人目!?」
「サニー、帰ろう……! ここ、何かやばいんじゃ!」
「ちょっと、会ったばかりなのに逃げないでよ! せっかく友達になれると思ったのに!」
三人目のアリスは少々面倒くさい性格をしておられる。
うわごとのようにトモダチトモダチと繰り返すようなやつで、私ですら苦手である。
「この子らの友達がいなくなったんですって。何か知らない?」
「知るわけないでしょう! 最近は研究で閉じこもってばかりだったんだから! こんなボッチ生活、もう嫌よ!」
「……ですって。残念ながら家にいるのはこれで全員。子どもは早く帰りなさいな」
「ほら、サニー、逃げられなくなる前に!」
「あ、はい! 今日はありがとうございました! クッキー美味しかったです!」
これだから妖精は苦手だ。
突拍子もなく嬉し恥ずかしいことを言って、私を苦しめる。
なんて返したら良いのか分からない。顔に、血が上っているような気がする。
何でもないところなのに、急に心臓がばくばくしてしまう!
「べ、別に褒めてもらうために作ったわけじゃないし。ちょっと余っていたから出したわけで!」
「あ、それって、今はやりのツンデレってやつですか! 知ってます!」
「ちょ、サニー!」
その反応に、ようやく気がついてしまう。恥が恥を呼んでしまった!
ツンデレ発言、つい口からポイっと出てしまったよおう!
安易すぎる台詞なのに、こんなにも安っぽい言葉なのに、またやっちまったあああ!
妖精からは屈辱的な言葉をぶつけられるし、私からは冷めた目で見られるし、どうすりゃいいの!?
「では、これで失礼します!」
「馬鹿、馬鹿! あんたら妖精なんて、もう知らないんだから!」
どうあがいても恥ずかしい台詞になってしまう!
この不治の病を、治療したい。ツンデレという名の、精神病を。
==========
「……そんなわけで、魔理沙、知らない? あなた、あの妖精たちと仲良かったでしょう?」
「スターねえ。最近は三妖精とも神社にいたが……。それだけだな。特に思い当たる節もない」
「そう……」
相変わらず汚い魔理沙の家だが、こんなところにわざわざ来たのは他でもない。
魔理沙に会えるのなら……。いや、そんなわけない。
あの妖精たちのためを思って……。違う、私はそんなガラじゃない。
そう、ただの気まぐれ! ただの気まぐれでこんなガラクタまみれの家に来てやったのだ。
でも、わざわざ来てやったのに得られるものは何も無し。
踵を返そうかしら、と思ったところで魔理沙が一つ、投げかけた。
「それにしても、アリスが妖精なんざの面倒を見るなんてな。お前、世話焼きだよな」
「そ、そんなわけないじゃない! ちょっと気になったから、来ただけよ!」
「あー、お前、そういうアリスか。ただ、他人の世話焼きも結構だが、自分もちゃんと見ておいたほうがいいぞ?」
「……どういうこと?」
「お前のせいで私が怯えてるんだよ。私といっても、悲惨な目担当の私が、だがな」
魔理沙も、当然のように大量発生していたんだっけ。
正義のヒーローな魔理沙に、乙女魔理沙。恋する魔理沙にヤンデレ魔理沙。
よりどりみどり取りたい放題……。って、私は何を考えているのかしら。
問題は、私が何か悪いことでもしたのではないか、というとこである。
「……そんなこと言われても、身に覚えがないのだけれど」
「度重なる付きまといに不法侵入行為、夜にもだ。挙句の果てに求愛行動。私の可愛い私が参っちゃってるんだよな」
「そんなアリス、いたとしても私なんかじゃないよ!?」
もう、十を軽く超えるアリスが誕生してしまっている。
一人ひとりが違う心を持ったアリスだ。少々おかしな子ができても不思議ではない。
でも、だからと言って極端に私と離れた私を、私と認めたくない。
「分かってる。でもな、同じアリスである限り、お前も変な目で見られるのは間違いないと思うぞ。変態アリスは私も嫌いだぜ」
「む。考えておくわ……」
これは私への警告だ。魔理沙から、変な子扱いされてしまう。
どんな顔をすればいいのか分からなくて、魔理沙の目から視線を逸らしてしまった。
「おいおい、なんで落ち込むんだ? 私だって悩んでいるんだ。だから、こいつをお勧めするってこった」
「……これは?」
ビラであった。「白熱! 討論会開催のお知らせ ~ ドッペルゲンガー問題にどう立ち向かうか」と題されている。
「このままじゃ、アリスもいつか嫌な思いをするはずだ。なら、早め早めに対策しとこうってわけだ」
「魔理沙、これ、わざわざ私を心配して……!」
不意に、頭に軽い感触。
何事かと思えば、何やら魔理沙が背伸びをしていて。彼女の腕が揺れていて。要するに、なんか、なでなでヤラれちゃった。
いつの間にか彼女の顔が近くにあって、声が近くって。
「ばーか、私がお前を嫌うわけ、ないだろ?」
「な、な、な!」
プレイボーイ魔理沙だ。遊んで女をごみ箱ぽいぽいのぽいしちゃう魔理沙だ。
急に迫られると、脳みそがフットーしてしまう。
「や、や、やめてよね! そんなことして恥ずかしくないの!?」
「おいおい、このぐらいで恥ずかってちゃ、後々大変なことになってしまうぜ」
「後々、大変な……!? やだ、魔理沙の変態! バカ、バカ、ビーム!」
魔理沙の手を払いのけ、上海ビームで牽制。逃げ出すようにドアに駆ける。
だけど、このまま帰るのはあんまりにも失礼。
狼な魔理沙に銃を撃つよう、鋭い声で警告しておく。
「全く、デリカシーもロマンチックもないんだから。……でも、討論会のお誘い、ありがと。そ、それだけ!」
森の空気はちょっと淀んでいるけれど、魔理沙の家のよりは軽くてすっきりしている。
胸が痛くなるほどドキドキしていたことに、今更そのこと気がついてしまう。まず、深呼吸。
「うまく、話せなかったな……」
これも、私のドッペルゲンガーのせいに違いない。変な私がいるから、調子が狂ってしまったんだ。
……でも、ドッペルゲンガーのお陰で討論会に誘われたというのも事実。感謝しないといけないところも、あるかもしれないな。
そんなことを思っていると、ドッペルな私と魔理沙が手つなぎ散歩をやっちゃってるのを発見。
前言撤回。やっぱドッペルを駆除する方向で考えてやる。
討論会では盛大に愚痴ってやるから、覚悟しなさい。
==========
神社にて、宴会。そんな気はしていたが、討論会というのは名ばかりであった。
といっても、ちょろちょろとドッペルゲンガーの情報は集まってきた。
突然発生した分身、それがドッペルゲンガー。本人と全く同じ記憶を持っているせいで、誰がオリジナルかどうかを見極めるのが難しいらしい。
何故かは分からないけれど、幻想郷で名の知れた者ほど分身が多くなりやすいんだとか。確かに、例の三妖精は分身を知らなかったようだし。
そんな細かなとこは分かったものの、肝心なとこが解決していない。
「あーあ。ちょっと飲み過ぎちゃったなー」
宙ぶらりんに投げかけた。誰か、構ってくれという合図である。
というのも、せっかく誘われた宴会だというのに結局ひとり酒になってしまったのだ。
プレイボーイ魔理沙は社交的アリスに取られてしまって、一緒にゲタゲタ笑いながら呑んでいらっしゃっている。
霊夢は霊夢好きアリスに取られてしまったし、妖夢は妖夢好きアリスに取られてしまったし……。
というか、私、多い。そのせいで自分の行き場が無い。許せん。ドッペルども、許せん。
ドッペルが何者か、なんてどうでもいい。あいつらのせいで、私が損してるんだ。こういう現実問題こそ、議論すべきじゃないの!?
「お隣、よろしいですか? 私も、ちょっときつくなってきたもので」
いかにも清純で大人しそうな、人間。男受けばっちりであろう彼女こそ、東風谷早苗であった。
あまり話さない相手ではあったが、一人よりはまし。ぐだぐだと愚痴り合うことにした。
「ここに呼ばれたってことは、あなたもドッペルに悩んでる口?」
「ええ、もううんざりですよ。私の尊厳も知らずに、奴らは好き勝手でやりたい放題。オリジナルの気持ちを、踏みにじっています」
宴会場を見渡すと、早苗もあちらこちらにいる。
飲みすぎからか分からないが、頭のぶっとんだ発言を繰り返す早苗もいれば、他人をいじるのが大好きなSっ気たっぷりの早苗もいる。
私と同じくらいにドッペルの数が多いような気がする。だからなのか、彼女はちょっと過激派な言葉が口から漏れていた。
「そこまで、ひどいかしら?」
「……知りませんか? 神隠しのこと」
「神隠し?」
ふと、今朝の妖精を思い出した。
「最近、妹紅さんがいなくなったって知っていました? 妹紅さんといっても、そのうちの一人ですが」
「そんなことがあったの」
「妹紅さんって、どんな人か覚えてます?」
「そりゃ、もちろん。一戦交えたくらいだし」
「で、どんな人でした?」
「んー……」
思い出そうとするも、恐ろしいことに。何にも浮かんでこない。実感がわかない。妹紅に出会った確証がない。
ただ、頭の中に、漠然と彼女のイメージが膨らんだ。
「なんか突っ張ってて、プライド高くて男っぽいような」
「……やっぱり。でも、私もそうだとばかり思っていました」
「どういうこと?」
「皆、ドッペルゲンガーの妹紅さんのことしか、覚えていないみたいなんです!」
妹紅が神隠しに会ったことに気づいていたのは、ただ一人。蓬莱山輝夜だけであったらしい。
彼女曰く、妹紅は確かに格好つけたところもあるけど、もっと生意気でお茶目でまだまだお子ちゃまな女の子であったらしい。
覚えているのがあのうさんくさい月の姫だけとなると、いまいち信憑性は低い。しかし、これが本当ならば大変なことになる。
「いなくなった、ということかしら。ドッペルゲンガーを見ると死ぬとは言うけれど。蓬莱人すら殺してしまうのかしら」
「本当だとするなら、きっとそうなります。奴ら、私たちを乗っ取るのが目的に違いありません!」
「……肝に銘じておくわ」
「現に、私だって随分誤解を受けているんです。狂ってるとかシリアルキラーだとか! 清純派巫女の道はどこに行ったというんですか!」
「まあまあ、落ち着いて」
ドッペルにより、誤解を招く風潮が広がる。それは確かに大きな問題だ。私も、根暗アリスや変態アリスがいて、他人事ではない。
でも、私はもうひとつの問題も気がかりだ。……例のリア充アリスを、ちらと横目で睨んでしまう。
私より優れたアリスに自分の居場所を取られてしまう。これもまた、大問題だ。
私がもっと社交的で、素直で、どもったりしないような女の子だったら、もっと好かれるアリスになれるのに。
簡単に自分なんて変えられないのに、理想的が私がそこにいるのは、苦痛でしかない。
「顔、暗くなっちゃいましたね」
「あら、分かるのね。ちょっと、不安になってきちゃって」
「なーに、大丈夫ですよ。ドッペルなんて、みんな滅ぼしてしまえばいいんですから!」
「……えーっと? そう、かしら?」
「いいんですよ。今まで、あなたは誰かを乗っ取りたいなーなんて思ったこと、あります?」
「無い、けど」
「それこそ、あなたが本人だって証拠ですよ! なら、遠慮なくぶっ潰せばいいだけじゃないですか!」
こういう人こそ、本物を食いつぶしてしまうのではないか。
どこまでもエクストリームな彼女であったが、なんだかちょっとばかり頼もしくみえてしまった。
「いくらなんでもタカ派すぎね。で、でも。そういうの、嫌いじゃ、ないわ」
物騒な考えではあるものの。少しくらい、アリスが消えてしまえばいいのにと思ってしまう。
社交派アリスがいなくなれば、今日だってもっと楽しく呑めたはず。
それに……。魔理沙を取られなくって済む。
別にこれは好きだからとかじゃなくって、友人が減るのは寂しいってだけで。
「……もうちょっと、のむ」
「あら、がんばりますね。お酌、しましょうか?」
「ありがと」
考えれば考えるほど、なんだかイライラしてしまう。お酒でごまかしたい。
私よりいいアリスが消えてしまえば、もうちょっとだけ人気者になれるかな。
==========
「こんな遅くまで、どこ行ってたのよ」
「私がどこに行こうが、勝手でしょう? ちょっと飲んできたの」
飲み疲れて帰ってきてやったというのに、なんだこのお出迎えは。
口ぶりからして、クールお姉さんアリス。正統派だが、こういう時には鬱陶しい以外の何物でもない。
「はあ……。全く、あなたはアリスという看板を背負ってるのよ? 勝手な行動は謹んでもらいたいわね」
「どういうことよ。私もあなたもアリスでしょう?」
「深夜まで飲んだくれて、どーせ愚痴愚痴やってたんでしょう? 知的なクールビューティに恥じない言動ね」
「な、何よそれ! あなたの勝手なアリスを押し付けないでよ!」
「押し付けているのは、そっち」
玄関は南極と化した。時間まで凍りついてしまいそうなその眼差しに、酔いが冷めてしまいそうだ。
私も、あんな鋭い目をすることができるんだ。
「あなたの行動は、同じアリスとして皆が見ているの。あなたの行動が、私の評価にまで影響を与えるのよ」
「だ、だからって! 別にインテリぶった嫌味なエリート、みたいに思われる必要なんてないでしょ!?」
「どう考えても、これがベストのアリスじゃない。少なくとも、安易なツンデレよりはマシ、だと思うのだけれど」
頭をガツンと殴られたように、衝撃がはしる。頭が、熱湯をかぶったようにヒリヒリする。
言われたくない言葉。手が震える。
拳も罵声も飛ばしたくなったが、あと一歩のところで抑えこむ。
でも、こいつは追撃の手を緩めなかった。
「そもそも、その魔理沙好きな体質、やめてほしいのよね。自覚ないかもしれないけれど、それって結構異常よ?」
「何、それ」
導火線に、火がついた。自分でも驚くほどに、低い声。
目の前の相手が、自分とは思えないほどに憎い。
「そうやって、私から全部奪おうってんだ」
「どうしたの? 怒れば怒るほど、アリスじゃなくなるわよ? 愛されるアリスから、遠くなっていくのよ?」
「黙りなさい。黙りなさいよ、このコピーが!」
体が、勝手に動く。腕が鞭のようにしなって、相手の肩に衝突していた。
彼女の頭が玄関マットに叩きつけられる。
なのに、奴はまだ、野蛮人でも見るかのように私を睨んでいる。
「あなたこそ、コピーでしょうに」
「どの口が。全部、盗ろうとしてる癖に! 私の立場、乗っ取って! 私の感情さえも、抑えつけて消しちまおうってんでしょ!?」
「まだ、分からないの!? あなたのようなアリス、苦手な人も多いのよ!? あなたが変わらなきゃ、私まで嫌われるの!」
体温が一瞬、冷え込んだ。確かに、私は好かれるような性格、していない。嫌われ者かもしれない。
でも、やつは詭弁を使っている。ドッペルゲンガーは人の不安につけ込んで、心を書き換えていったに違いない。
また、私の胸がぐらぐらと煮えてくる。
「嫌われたくなんか、ないよ。でもね、あんたらがいるせいで、私がパッとしないんだ!」
「……負け惜しみ?」
「馬鹿、そんなんじゃない! ただ……」
空っぽの自尊心を、これ以上傷つけられたくなかった。
私以下のアリスも、私以上のアリスも、もう二度と見たくない。
「みんな、みーんな消えてほしいってだけ!」
両手に、人形爆弾。武力行使しか、方法はない。
奴も、ダテにアリスしていない。瞬時に体勢を立て直し、ボムをセット。
そう、これはもはや弱肉強食の世界。
大戦争、開幕だ。涙と鼻水の覚悟はよろしいか?
=====
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」
あれから何日が経っただろうか。朝昼晩、寝ることもなく、殺るか殺られるかの日々を送っている。
流れ弾に何度グレイズしたか分からない。洋服も髪も焦げてしまった。
日の当たらない森の中で、サバイバル生活。私はさながら、蜘蛛のように生きていた。
地の利を生かし、あらゆる木々に糸を結び、張り巡らせる。魔力を流しておけば、たちまち凶器と化すのだ。
ほら、かかった。久々に憐れな犠牲者が……?
「ようやく見つけたわ。アリスの癌、ツンデレめ」
「……かかって、ない!?」
糸の感覚が、消える。かかったというより、切られている!
無数の人形に槍を突かせながら、アリスがじりじりと歩み寄ってくる。糸も何も、あったもんじゃない。
「同胞が、トラップに殺られてねえ。そう簡単に同じ死に方はできないよ」
「くっ……!」
こうなったら仕方がない。戦闘に集中するため、トラップへの魔力の供給をストップさせる。
が、駄目! これが裏目! 葉を踏みしめる音が、360度から聞こえてくる! どうやら、幾人ものアリスに囲まれていたらしい。
「パーティーの始まりよ、アリマリアリス。あなたのために、たくさんのアリスが集まってくれたわ」
「べ、別に私は魔理沙のことなんて!」
「うるさい! 今日こそマリアリの牙城を崩してみせる! とうっ!」
正面のアリスが、荒ぶる鷹のようにポーズをガッチリと決めて咆哮する!
「時を超えたファンタジー、レイアリ!」
「まだ生きていたのね。絶滅危惧種の癖に、中々しぶとい!」
さらに真後ろのアリスも、幻想をぶち殺すようにバッチリポーズ!
「お姉さん同士の技巧派ワールド、咲アリ!」
どこで恨みを買ったか知らないが、木陰から続々とアリスが飛び出る、飛び出る。
「知的で大人なティータイム、パチュアリ!」
「世話焼き同士のピュアハーツ、アリみす!」
「時を超えたファンタジー、幽アリ!」
「かぶってるじゃないの!?」
ツッコミはさておき。圧倒的にまずい状況だ。
四方八方、大千槍。取り囲んで、圧殺するつもりだ。何万も斬られる風の断末魔が、歩み寄る。
「かかれ! アリマリを潰せええええ!」
同時に、絶滅危惧種どもが大地を蹴る。放物線を描いて、私に飛びかかった!
逃げ場は……。一つしか無い!
「失礼!」
人形を地へ叩きつけると共に、上空を狙う。瞬きする間も無く、閃光。
爆炎に乗って、高く、高く。雲を掴む勢いで、飛び上がった。
「あ、危なかった……」
眼下には、血と炎で真っ赤な海が広がっている。あの中で生き残れる者は、いないだろう。
他のアリスの抹消。本当なら喜ぶべきなのかもしれないけれど、まだ慣れない。なんだか、後味が悪い。
いやいや、そんな気持ちでは負けてしまうぞ、アリス。がんばらなくっちゃ。
きっと、空の冷たさと静けさが私の心を落ち着かせてくれる。
そう、思っていたのだけれど。
「……ひどい」
天からは、全てが映し出されていた。
早苗が、早苗を刺している。魔理沙が、魔理沙を爆破している。私の炎が、私を焼いている。
同族同士が憎みあっている。轟音と悲鳴と罵詈雑言が、絶えない。
あまりに世界が汚く見えて、吐き気を催すほどであった。
どうして、争いをしなくちゃいけないんだ。どうして、たくさんの私を生んだんだ。
私は、私でいたいだけなのに!
「どうして、私なんか作っちゃったのよ! それも大量に!」
地上の惨状から、情緒不安定になってしまったらしい。涙がひとつ、零れてしまった。
ドッペルなんて二次創作、なくなってしまえばいいのに。
この世に、アリスの創造主なるものがいたとしたら、筋金入りの馬鹿なんだから。
「神様の、バカヤロー!」
やり場のない怒りを、天にぶつける。白々しいほどに青い空を、睨みつけた。
そこに何か、チカチカと光っている。最初は、星か何かかと思っていた。
でも、段々と近づいている。
鳥だろうかと思った頃には、その巨大さに気がついた。
驚く間もない。
何やら、巨大な、手に見える。見間違いだと思いたい。
「ごめん、ね」
不意に、頭に柔らかな感触。不思議と、懐かしい声。
もう何も覚えていないけれど、きっとこいつこそが大馬鹿野郎の創造主、つまりはマスターらしい。
マスターは震える声で、ただ泣き言を繰り返していた。
「許して。私が、天国に連れて行ってあげるから!」
マスターのハンドが、私を手繰り寄せて、優しく握る。
途端、重力がなくなって、あまりに、ふわふわで極楽で。
どうしたことか、意識が薄らいでいく。
「私が悪かったの。もう、新しいの作らないから! お願い、アリス。許して……」
なんだか必死な彼女の声が何度も頭の中で反響する。そんなに、私に嫌われたくないのだろうか。
私だって、嫌われる性格していた。もっともっと、皆に好かれたくて、私も必死だった。
そこだけは、なんだか私と似ているな、と思って。でも、なんだか思考する力が消えていって。
=====
気が付けば、真っ白の砂漠であった。
果てまで真っ直ぐに伸びる白紙の世界は、あまりに静かで冷たかった。
生きとし生けるものが存在しない。確実に、死の世界であった。自分まで、消え失せてしまいそうだ。
何もしなければ、本当に私というものがなくなってしまうだろう。
「そういえば、天国だって言っていたわね……」
声がどこにも反響せず、宙に吸い込まれてしまった。
動かなければ始まらない。道も方角もなき道を、漠然と歩くことにしてみた。
天国だとしたら、死んでいる、ということになる。自分の爆発に飲み込まれていたとかなんだろうけど、全然実感が無い。
あっけない終わり方だ。これじゃあ、死ぬために生まれてきてしまったようなもんじゃないか。
創造主だなんて、冗談抜きで大嫌いなんだから。
「……あら?」
遥か先に、何かが落ちている。生存者、かしら。淡い期待と共に駆け寄ってみる。
近づくと、段々とその姿が明らかになる。
なんだか、青くて。肌が白くて、痩せこけていて。眩しいほどの金色の髪をしている。まさしく、アリスであった。
問題なのは、彼女が物と化していたことだ。ただ、死体としてそこに落ちていた。
反射的に目をそらす。が、またもや見たくない物が目に映る。
あたりに、幾人もの私が転がっている。奥の方を見れば、山のような何かが見える。ただの人形と化したアリスが、積み重なっている。
「どうして、こんな……!」
無計画に命を与えて、いらなくなればこんなところで放り投げられてしまう。
創造主の罪の重さは、このアリスの山が物語っている。
「でも、もう新しいのは作らない、とか言っていたわよね……」
もし、本当にそうだったら。犠牲者の山は二度と作られないのだろう。
私は幻想郷からいなくなったけど、幻想郷からドッペルゲンガーはいなくなったのでした。めでたしめでたし。
そんな、ほろ苦い自己犠牲型ハッピーエンドも、悪くはない。
そんなわけで一件落着かな、と思っていたのだけれど。
私の山の、そのてっぺん。ブルーの服が保護色なっていて見えづらいが、何かいる。
「確か、あの子……」
磁石のように吸い寄せられて、体が彼女のもとに向かう。カラカラの大気をかき分けて、ゆらゆらと飛んでいく。
近づくにつれて、それは確信に変わっていった。彼女こそ、自由の心であると。
最後の妖精スターサファイアが、そこに置いてあったかのように座っていた。
彼女の黒髪は風を受け、川のように緩やかに流されている。
動いているのは、それだけ。体は全く動かなくて、目の先は、ただ一点に集中している。
その先を追うと、遠くの遠くのほうに、うっすらと、神社が見えた。
「これって……」
神社には、紅白の人影。そこに黒白がいて、何やら笑顔を交えて話し込んでいる。ついでに、アリスもふらふらとやってきた。
うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をして。
なんでもない、博麗神社の日常。ここが天国だとするなら、あちらが現世なのだろう。
ただ、現世は一つだけ、今までと違う。
ドッペルゲンガーが、もうそこにいないのだ。
「いたいた! 勇者、見つけたよ!」
声が近い。足元の方からの声に、ちょっとびっくりしてしまった。アリスの麓の方を見ると、これまた噂の人物であった。
神隠しにあったと言われていた、彼女。藤原妹紅である。
一蹴りで頂上まで飛び上がって、不意に私の手を、がっちりと。
「え、ちょ、突然、何!?」
「今、宴会をやってるの! 貴方がいなくちゃ、始まらない!」
要領を得ず、無闇にテンションが高い。彼女には、妖精のような幼さが残っていた。
「急にそんなこと言われても! どういう宴会だっていうのよ」
「そりゃあもちろん、決まってる。ドッペルゲンガーを抹殺した勇者を称える会! ほら、行くよ?」
どうやら、彼女は酔っているらしい。同意も聞かないうちに、私の手をぐいぐいと引っ張る。
「勇者!? 何もしてないよ!?」
「いいや、してるさ。創造主だかに、もう新しいの作らないって言わせただろ? あれからドッペルゲンガー、ぴたっと消えたんだよ」
「それで、勇者……?」
「そ。だから称えちゃう。来ない?」
私、大したことしてないんだけどな。ちょっと気が引けるが、私が主役の飲み会というのは悪くない話。
こんな死の世界で、私を歓迎してくれる。ありがたい話じゃないの。
仕方ないから行ってやろうかしら、というところだけれど。ひとつ、頭に引っかかる事がある。
「あ、あなたも一緒に来ない!?」
スターサファイアの小さな頭は、頷かない。小さく、横に振られてしまった。
遙か先の未来でも見ているかのような透き通った瞳で、彼女はあの世界を、取り憑かれたように見つめている。
「ほら、早く行くよ?」
「わ、分かった分かった! その代わり、めいっぱい私を褒めちぎること! いいわね!」
弱々しい妖精の背中が、頭から離れない。
無理にでも引っ張っていったほうが、良かったかな。
=====
連れてこられたのは、BAR「OKURA」。ねばねばのオクラじゃなくって、お蔵らしい。
なんでも、この世界はお蔵入りになった者たちが集まるからなんだとか。
私が入るなり、わらわレミリアにEXルーミア、腹ペコ幽々子などなどわらわらと、見たことあるような無いような人妖に囲まれた。
一日にして、人気者。すっかり打ち解けてしまった。こっち側でも、うまくやっていけそうで一安心。
「しかし、お主のお陰でわらわも安泰じゃ。ようやってくれたのう」
「そんな大層なこと、してないってばー」
「そう謙遜することもない。ほれ、飲むがいい。わらわの酒じゃ、断れないぞよ?」
わらわが一人称の不思議なレミリアから、ワインをいただく。尊大な彼女が、わざわざ私に酒を注ぐ。どれだけすごい人と思われているのだろう。
あの忌まわしいドッペルを幻想郷からなくした偉大な勇者、というのは分かるのだけど。それほどの事なのだろうか。
自分のイメージを下げるドッペルとか、できのいいドッペルに嫉妬とかしてたのだろうか。あのレミリアがそういうのに悩んでるのって想像つかないけれど。
「やっぱり、皆もドッペルには悩まされていたのかしら?」
「ほう、面白いことを言う。わらわの分身は、よくやってくれてると思うぞ?」
穏やかなパーティーの空気が、ちょっとだけ澱んだように感じられる。
何か、食い違っているような気がする。
ドッペルの一番の被害者であろう、妹紅に目をやる。が、表情ひとつ変わらない。
「悩むもなにも、私らは得しちゃってるもの。いい性格に仕上がったと思うよ?」
「そう、なの……? ルーミアも、特に悩むこと無かった?」
「我は忌まわしき者なり。我が封印は、現世の我を救う。これ誇りなり」
EXな奴は何を言っているのかさっぱりだけれど、別段、ドッペルを憎んでいるようには見えない。
何か、おかしい。今まで、嫌な思いをしてきたから、ドッペルが消えて喜んでいるんじゃなかったの?
変だな、とお互いに思っているらしい。妹紅が首を左右に傾けながら、訊いてきた。
「アリスも変なこと訊くねえ。一番おいしい思いをしてるのは、アリスじゃないの。なんていうの? 食物連鎖の頂点というか」
「頂点!? 私が?」
「そうでしょ? だって、一番ドッペルが多くて、いっぱい二次創作されていたのが、アリスじゃないの」
ドッペルが作られる方が、食物連鎖の上? 意味がわからない。ドッペルが、良い奴みたいな口ぶりだ。
矛盾、しているのか。あるいは、何か勘違いしていることでもあるのか。
なんだか、混乱してきた。少し怖いけれど、順番に確認していかないと、いけないような気がする。
「一度、確認させて。このパーティーって、何を祝っているの?」
間も無く、妹紅があっけらかんと答えを返す。
「何って。そりゃ、あっちの世界でドッペルが消えたことでしょう?」
「消えて、それで何が良かったの?」
「そりゃ……。何て言うかな。勝利確定! みたいでさ」
漠然としていて飲み込めないでいると、ルーミアが補足してきた。
落ち着いた声なのに、核心を突くような鋭さを併せ持っている。
「神に愛されたまま、幻想郷の中心的立ち位置を確保し、世界が不変となったことだろう」
「あ、愛? ……不変?」
「神に愛されし者は分身を有す。分身と切磋琢磨し、優れた個体が生き残る。残されし者は、没個性に悩むこともなく、好意に囲まれる」
「あー。何言っているか、さっぱりよ!?」
「ルーミアは言葉が難しいからね。私が話そうか」
妹紅がずずいと前に出る。
「私たちがあの世界に残したのは、とても優秀な私たちなのよ。皆から愛されて、幸せに生きていける」
「ど、どういうこと?」
「たっくさんの私たちが産まれて、人気の出ない子はお蔵入り。そうしていけば、あの世界に残るのは?」
「そりゃ、いい子になるけど……」
じゃあ、ドッペルゲンガーが多いほど、得だっていうの!? まあ、確かに、色々試した方がいい子ができるっていうのは分かる。
それなら、どうして創造主のドッペルゲンガー製造停止を喜ぶの?
私の心を見透かすように、にたにたと笑いながらレミリアが続ける。
「しかし、世の中そう甘くなくての。ドッペルは他の妖怪もまた同じように生まれる。わらわの立ち位置を脅かす、優れた設定を持つ存在が現れるやもしれんかった。が、その驚異も無くなった!」
「ドッペルが、もう作られないから……?」
「そうじゃ。わらわが犠牲になった分、あっちのわらわには頑張ってもらわんと、むなしいじゃろ。そんじょそこらの妖怪に人気を奪われる、なんてことがあっては困るのじゃ」
嫌な、予感がする。頭が、段々と痛くなってくる。
だけど、レミリアは止まらない。酒に煽られ、私の顔色なんてお構いなしに話を次に次にと進めていく。
「あの世界に残ったチャーミングなわらわは、我が子のようなものでの。我が子が活躍するのを見るのは、この上ない喜びなのじゃ」
「私も、中性的なキャラクタが受けてて何よりだよ。数少ない個性だしね。アリスも、いいお姉さんキャラに落ち着いてよかったじゃない」
「そ、そうね……」
笑顔が、引きつった。素直に、喜べない。
きっと、あの世界の大人なお姉さんのアリスは、素敵な友人とか、ひょっとしたら恋人と共に幸せな生活を送っているのだろう。
でも。もし、ドッペルを作られていない人がいたとしたら。
おそらく、競争力の高い個体に、友達や好きな人を奪われていく。いつの日かの私と、同じだ。
そんな世界のまま、ドッペルという逆転の芽を摘まれてしまったんだ。
「アリス、どうかした? 気分、良くない?」
「……あ、ううん。まだ、大丈夫」
あの子は、今にも消えてしまいそうな背中をしていた。今にも吹き飛ばされてしまいそうな、無力で小さな体をしていた。
スターサファイアが、気になる。彼女を置いてけぼりにして、本当によかったのだろうか。
もはや、いても立ってもいられない。
「それじゃ、もう一杯、いっとく? せっかくの主役が暗い顔してちゃ、台なしだよ?」
私は、宴会の主役。ドッペルを消した、勇者として称えられている。もはや、皮肉にしか聞こえなくなった。
気が進まない。だけど、ここにいる皆の好意を無駄には出来ない。私のわがままで、パーティーを抜けちゃうなんて有り得ない。
……パーティーが終わってからでも、遅くはないよね。
「じゃあ、いただきます……」
グラスに手を伸ばそうとするが、脳裏に、彼女の姿が花火のようにちらついた。今にも、彼女は消えてしまいそうだった。
迷いから、手が宙をさまよう。
「相変わらず自分に素直じゃないのな。ほら、こっちだ!」
ふらついたその手を生け捕りにするように、がっちりと握られる。今日はよく腕を引っ張られる!
私の腕の先が、ちいちゃくて短い、彼女の腕に繋がっている。意識した途端、熱した鉄板に触れたように、腕を引っ込めたくなった。
でも、できない。
魔理沙、こんなに力、強かったっけな。手、離れないや。
=====
バーから出ると、空気がすっかり冷たくなっていた。日が沈みかけ、砂漠は赤に染まり始めている。
「何よ、いきなり! 何も連れ出さなくっても……!」
「顔に出てたぞ。あんなとこで飲みたくないってな」
私の鼻頭に、魔理沙の人差し指がずずいと迫る。他人の顔を指さすなって躾けられなかったのかしらね。
パーティーの主役を連れ出すってのも、本当だったらマナー違反。
……だけど、そんな掟破りの彼女に助けられてしまった。
「確かに、そうよ。で、でも。そんな強引にしなくてもよかったの! 自分のことは、自分で決めるから」
「ばーか。お前はそれができないから、こうしたんだろ?」
ガラスのように純粋できらきら光る魔理沙の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。心の奥まで透かしてしまいそうだ。
「前にも言ったろ? お前、いつも周りを気にし過ぎなんだよ。もっと自分の気持ち、大事にしたらどうだ?」
「そんなこと、無い! ま、魔理沙の癖に生意気よ!」
「いつも他のアリスばっかり気にして、自己嫌悪に陥ってるような、お前がか?」
「そ、それは……」
なんで、そんなことを魔理沙が知っているんだ。
きっと、神社の飲み会で私をこっそり見ていたに違いない。わざと、他の女の子のところに行って、嫉妬な気持ちを持たせたかったんだ。
プレイボーイだ。この魔理沙、どこまでもプレイボーイな魔理沙なんだわ!
「でも、そんなお前が、可愛く見えてしかたがないよ」
「え、ちょっ! 馬鹿、あんた、何言って……」
「さあ、アリス。素直になるんだ。私と二人っきりになりたかったんだろう? 一緒の世界に来るんだ」
なんか、ものすごい勢いで勘違いされているような気がする!
両腕をルーミアのようにピンと伸ばして、目をつぶって、何やら待機しなすっている!
だが、プレイボーイよ。一手、読みが足りなかったわね。
「勝手に勘違い、しないでちょーだい!」
人差し指ロケット、発射。目標、勘違い野郎のおでこ!
ツン、と突っついてやると、魔理沙は体勢を崩して、ぽてんと尻もちをついてしまった。
状況が飲み込めないらしく、潤んだ目をきょろきょろさせている。
「お前……。アリマリアリスのはずじゃ!」
「そうだと思った? 残念。ツンデレ世話焼き系お姉さんアリスでしたー。悪いけど、今はあなたより気になる子がいるの」
せっかく、魔理沙が作ってくれたチャンスだ。スターサファイアに、会いに行きたい。
お節介かもしれないけれど、あの子のそばにいてあげたい。
ぽかんと口を開ける魔理沙に背を向けて、一刻も早く出発。
と、行きたいところだけれども。このまま行くのはあんまりにも可哀想。
ちょっと恥ずかしいけれど、言っておかなくちゃ。
「でも……。今日も、色々とありがと。勇気、もらっちゃった。……そ、それだけ!」
やっぱり顔が熱くなってきちゃう。赤くなったのを見られたくなくて、逃げるようにその場を立ち去った。
魔理沙は何も知らないようだったけれど、黙って親指立てて見送ってくれた。
お世話になりっぱなしだし、ちょっとくらいはお礼をしてもよかったかな。
でも、今は魔理沙の言うとおりにさせてもらう。
周りよりも、自分の気持ちを大事に。自己中心的だけど、たまにはいいじゃない。
=====
神社には、紅白の人影。そこに黒白がいて、何やら笑顔を交えて話し込んでいる。ついでに、アリスもふらふらとやってきた。
うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をして。
なんでもない、博麗神社の日常。
なんてことない日常が、まるっきり同じように繰り返されていた。ただ、創造主の手で操られるがままだ。
「ねえ、アリスさん。教えて?」
私を一度も見ていないが、彼女は私に気づいていたようだ。振り向くこともなく、彼女はあの世界をじっと見つめている。
幻想郷という舞台で、毎回、同じ題名の劇が上映されている。
「あなたの目には、あの世界がどう映っているの?」
また、朝から始まる。霊夢と魔理沙と私が、うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をしている。
壊れたオルゴールのように、同じところを、永遠に繰り返している。
変わらない、世界。よく言えば、完全な不滅の世界だ。
でも、そんな幻想郷は死んだも同然。不気味でしかない。
気味が悪いのは、この妖精も同じ。死んだ世界から目を離さないのは、どうしてなんだろう。
なんて言葉を返せばよいのか悩んでいると、彼女が言葉を続けた。その声は、空気に溶けてしまいそうなほど透き通っていた。
「私は、あの世界にいなくって。ドッペルの一人も、残すことができなかった」
スターの体が、いつも以上に小さく感じられる。赤く焼ける空のキャンパスに、彼女の背中が染みのようにぽつんと青く残っているだけだった。
きっと彼女の目には、とても空虚な世界が映っているのではないだろうか。
「私たち妖精、使用期間が過ぎちゃったんだって。一次作品はもう終わり。これからは二次創作物が生きていくしか、なかったのに」
スターは絶滅してしまった。クソスレがなんだとか、栗がなんとかのネタで弄られることもなく、スターは絶滅してしまったのだ。
博麗神社にやってくるのは、今日も魔理沙や早苗やアリスや萃香やレミリアばかり。
そこに、フランス三妖精や火車の姿はない。そういうドッペルが生まれなかった結果だ。
今も、博麗神社は何も変わらない日常を送っている。
「ごめんなさい。私、何も分かっていなくって!」
「お願い、謝らないで。きっと、誰も悪くないんだもの。自然の掟って言うのかしら。弱者は消えるのみってね」
どうして、この妖精はこんなに達観しているんだ。
もっともっと、たくさんの自分の姿を見てみたかっただろうに。
腹黒成分を協調したスターに、男を弄んじゃう小悪魔系スター、家事が得意なのを強調してお姉さん分ましましなスターに、いっそのこと新妻スターとか。
しっかりしているようで意外と抜けているお茶目なスターに、情報分析と参謀が得意なスーツ姿のスターとか。
たくさんの可能性があったのに、弱肉強食の食物連鎖ってことで済ませてしまうのか。
彼女は神の与える機会の不平等を嘆くでもなく、ただ受け入れてしまっている。
彼女の髪が、夕闇に浮かぶ黒雲のように、風の吹くがままに流されている。
「でも……。やっぱり、寂しいよ?」
それでも、彼女は少女であった。
この理不尽な運命を背負うには、彼女の背中は小さすぎた。
「後ろから、もっと二人を見ていたかったよ。ちょっかいとか、時々、意地悪しちゃって。それで、どんな反応するかなーっていうのが、楽しかったのに」
それでも、あの世界にスターはいない。
決められた配役が、決められた台本通りに、あの舞台で動いている。
天から伸ばされる糸に従って、同じ動きを繰り返す。
「サニーもルナも、私を探すだけ。毎回、同じように探していて、見つけられないの。私はここだよ、おもちゃ箱の中だよって言っても、分からないの!」
スターが真っ直ぐ立ち上がると共に、くるりと振り返る。
瞳には、すっかり水玉が溢れている。涙の道筋が頬に暗く光っている。彼女の唇が、細かく震えている。
「アリスさん、お願い! 人形遣いのあなたに、教えてほしいの! あの人形劇、アリスさんの目にはどう映るの?」
白い雲のようなマスターハンドから降ろされる糸に、人形たちは踊らされている。
たくさんの人形が作られ、そのほとんどがおもちゃ箱にしまわれていった。
客受けが良くて残された人形の、客受けの良い演目を繰り返す人形劇。その舞台が、今の幻想郷であった。
「そんなの、決まっている」
人形遣いの人形。確かに、私は創造主の手から逃れられないかもしれない。
でも、同じ人形遣いとして、黙っちゃいられない!
「観客を泣かせるようなやつは、人形遣い失格なのよ!」
強く、ここに宣言! アリス、再び創造主と戦うことを決意します!
スターはちょっと目を丸くした後、きらりと微笑んだ。
「アリスさん……! 嬉しい、です! じゃあ、じゃあ、お願い、聞いてくれますか? きっと、アリスさんにしかできないと思うんです!」
「お願い?」
「そうです。もう一度、新しい人形を作るように頼むんです。創造主、アリスに!」
私の敵は、最後まで私。
幻想郷の創造主、アリスめ。決着をつける時が来たようね!
=====
薄暗い洋室の、フローリング。そこには、たくさんの紙が散らかっている。
ころころと丸められた、原稿用紙。どれもこれも、最初数行しか書かれてなかった。
「駄目、駄目! こんなんじゃ、皆が喜んでくれない!」
切羽詰まった、創造主の声。今の私よりも、ずっと甲高くてたどたどしい、幼さの残る声であった。
「今日はもう、寝ようかな。ああ、今日も台本、作れなかったな……」
椅子をひいて、彼女が立ち上がる。頭に不釣り合いな大きなリボン。母なる創造主であるにも関わらず、彼女は子どもそのものといった姿をしていた。
ベッドに向かう彼女であったが、ふと、屈みこむ。
「あれ? こんなところに置きっぱなし……?」
不思議そうに、私を覗きこむ。彼女の瞳はくりくりと大きいが、疲れが残っているらしい。クマが見える。
よかった。なんとか、私に気がついてくれた。
アリスは私を手繰り寄せて、その手の平でやんわりと包み込んだ。
彼女の向かう先は、ふわふわのベッド。
……ちょっと待って。人形の私を抱いて、一緒におねんねするっていうの!?
「聞いてよ、アリス。私、何にも書けなくなっちゃったよ」
一緒に布団をかけながら、創造主から話しかけられた。人形にこんなことするの、彼女の癖なのだろうか。
色々と残念な子なのかもしれないな。
不意に、背中に柔らかな感触。ちょっとぞくりとしてしまう。
「がんばれ、アリス。大丈夫だって」
私、何も言ってない! 創造主が、私の背中をぴこぴこ動かしながら、一オクターブくらい高い声で一人芝居している!
痛々しい! この子、痛々しいにもほどがある!
「うん。でも、怖いよ。前の劇は拍手をもらえたけど、今度はどうなるか……」
「アリスならできるよ、ほらしっかり!」
「でも、段々飽きられちゃいそうなんだよー。同じ人形ばかりじゃ、駄目だよね」
「そうだね! もっと新しい人形、作ろうよ!」
一人悩み相談をする彼女の目は、なんだかきらきらと輝いていた。
本当に人形を友達のように思っているようだった。
しかし、不意にその輝きが失われてしまったような気がした。
「でも……」
彼女が、口ごもってしまう。一人芝居なのに、必要なのか?
だけど、アリスは本当に悩んでいるようだった。
「駄目だよ。二次創作は、きっとあなた達、悲しむもん」
その言葉が、心臓に引っかかった。スターの涙が、頭をよぎる。
真逆にもほどがある! 新しいの作ってくれなきゃ、私たちは生き残れないのに!
頭を横に振ってやりたかったが、創造主の指が、私を無理やりに頷かせた。
「アリス、優しいんだね!」
「いいの。勝手に新しい性格をつけるなんて、あなた達への冒涜だもの」
「アリス、私、嬉しい!」
「えへへ。私、がんばるからね。幸せな幻想郷の世界、作ってあげるんだから!」
もう、耐えられない。人形のこと、ちっとも分かっていない!
腹が、むかむかする。何より、彼女が私だっていうのが一番腹が立つ!
どこか、私に似ているような気がする。それが、嫌悪感をぼこぼこと沸き立たせる。
「何、言ってるの!? それで人形の気持ち、分かった気になっているの!?」
彼女の手を、払いのける。
人形を大事にしてくれているのは、分かる。でも、それが裏目に出ている。
大事に思うあまり、大切なことを忘れているんだ!
「貴方の作る人形が無くっちゃ、私たちは進化できないの! どうして、分からないの!」
「あ、あ、貴方、どうして! ……どうしよ、私の魔法、暴走しちゃったかな?」
怯えて、混乱して、涙を浮かべる私の姿を見て、我に返る。
寂しさと不安をたくさん抱えたあのアリスに、強く当たっちゃいけない。
あの子は、私と同じなのに。自分のことを棚にあげちゃ、いけない。
「ごめんなさい。ちょっと、強く言い過ぎちゃった」
「う、うん。……いやいや、そういう問題じゃなくって!」
「大丈夫、落ち着いて。私、あなたの気持ちが分かるからこそ、嫌で。その、怒鳴っちゃった」
「……ふーん。何よ、人形の癖に。私の気持ち? 分かるっていうの?」
精一杯、強がってみせるところも。
空っぽの自尊心を傷つけないように立ちまわってしまうのも。
彼女は、やっぱりアリスなんだ。
「だって、私もあなたと、同じだから」
「同じ……?」
「ええ。失敗するのが嫌で。嫌われたくなくって。つい、周りを気にしちゃう。私と、一緒だよ」
アリスは、すっかり目が覚めてしまったらしい。上半身を起こして、手の平に乗せた私をじっと見ている。
私の気持ちを素直に、伝えるんだ。アリスに。そして私に。言い聞かせるように、語りかける。
「私、その。あんまり、好かれてなくって。割りと、ひとりぼっちでね」
「ふうん?」
「そういうの、あなたの作る、他のアリスのせいにしちゃってた。二次創作がなくなれば、好かれるかもって思ってた」
「そう、だったの……?」
「ええ。でも、おかしな話よね。私が、変わればいいだけなのに」
この考えに気がつくのに、どれだけの時間がかかったことやら。
周りのことばかり気にすると、いつか自分を見失ってしまう。
生意気なあいつが、教えてくれたんだっけ。
「でも、怖くてできなかった。頑張って自分を変えてみて、駄目ならどうなるのって。結局、自分から逃げて周りのせいにしてただけなのよ」
アリスが、はっと口を開ける。思い当たる節、やっぱりあったんだ。
当たり前だ。おんなじアリスだもの。あなたが作ったアリスなんだもの。これくらい、お見通しだ。
「あなたの気持ち、分かるよ。新しい人形劇を作って、駄目だったらって思うと。そりゃ、怖いわよ。逃げたくもなる」
「私、何も逃げてなんかない! ただ、新しい人形作ると、今までの人形さんが嫌がると思って、だから……」
自分の言葉が、言い訳になっていると気がついてしまったのだろう。
彼女は、それっきり黙りこんでしまった。目に涙をたたえて、唇を堅く結んでしまう。
後先考えずにむきになってしまうとは、やっぱりお子ちゃまなのだろう。
私はあの子よりずっと小さいけれど、お姉さんのように優しく、包み込んであげるように笑ってあげた。
「嫌なんかじゃ、ないよ」
「嘘、ばっかり」
「そりゃ、ちょっとは嫌だよ。やっぱり、嫉妬もしちゃう。でもね、そんなの小さい。もっともっと、私たちに新しい命を吹きこんでほしいの!」
湿っぽい空気が嫌で、彼女の手から離れる。外の空気が吸いたくて、カーテンを開けっ広げる。
すっかり、真夜中だ。烏の羽根のように黒い空は、あの子の髪を思わせる。
空の星たちが、力強く輝いている。それは涙を湛えた妖精の瞳のように瞬いて。それはプレイボーイのまっすぐな瞳のようにきらめいている。
冷たくて新鮮な風が、部屋を通り抜ける。私は、風になってみせる!
「私たち人形は、何も文句を言わない! あなたの好きなように、新しい可能性を切り開いてほしいの!」
「私の、好きなように……?」
「周りの声ばっかり聞いて、自分を見失っちゃ駄目! あなたがしたい通りに、人形を動かせばいいんだから!」
同じことの繰り返し。そんな、淀みきった世界を変えるんだ。
新しいシナリオで、周囲の評価を失うかもしれない。でも、そんなことに怯えてちゃ、前に進むことはできないんだ。
アリスは、おずおずと私に手を伸ばす。少しずつ、私に歩み寄ろうとしてくれる。
「変な台本書いても、後悔しない?」
「私たち人形は、ただあなたに従うのみよ!」
「もし、滑っちゃっても、怒らない?」
「怒らない! どんなに周りがあなたを嫌っても、私たちはあなたに付いて行くわ!」
「おかしなアリスが、できちゃうかもしれないのよ!?」
「構わないわ! それが、進化の過程で必要ならば!」
もう一度、アリスの小さな手の平へ。彼女の眼前まで、ステージが持ち上がる。
アリスの瞳に、私の瞳が映り込む。私同士が重なって、溶けてしまいそうだ。
「お願い! もっともっと、色んな人形にチャンスを分けてあげて! スターサファイアも、キスメも、リリーホワイトも、あなたの恵みを待っているの!」
返事のかわりに、アリスは目をぐっと細めた。星明かりが、彼女の笑顔を眩しく照らす。
「私、お母さんなのに、駄目だな。人形から勇気をもらっちゃうなんて」
ベッドから離れて、彼女は机へと向かう。
準備するのは、もちろん原稿用紙と万年筆。
そして、彼女の肩に私をちょこんと座らせた。
「いいわ。そんなに言うなら、とっておきの台本を書いてあげる! 私の好きなように、あなた達を変えてみせる!」
「分かってくれるのね。ありがとう、アリス!」
「礼には及ばないわ。これこそが、人形遣いの使命なんだから!」
ああ、良かった。きっと、これで幻想郷は変わり続けていくことだろう。
創造主は、少しずつ異なる私たちを作っていく。その中の魅力的な私たちが、時代に合わせて生き残っていくのだ。
たくさんの種が生まれて、永遠に進化を繰り返す。これが、本当の永遠の世界なんだ。
彼女の作る幻想郷は、どんどん新しい世界に変わっていくだろう。
そのためだったら、私たちはどれだけ犠牲になっても、構わない!
=====
地底の世界から、かの大魔王が復活を遂げてしまった!
凶暴で、幾人もの人間を殺めたことのある、冷酷非道な地獄の門番。それが、大魔王キスメであった。
彼女は幻想郷に宣戦布告するなり、太陽の覇王サニー、月の魔導士ルナ、星の守護神スターを率いて、首都に攻め込んできたのだ。
人間たちの抵抗もむなしく、幻想郷の守護神である春花の女王リリーがさらわれてしまったのであった。
そんなわけで、勇者な私、アリスが立ち上がらないといけないんだってさ。
彼女らに打ち勝つには三種の神器を手にいれなくてはならないんだってさ。
調和のキーボード、轟力のトランペット、静寂のヴァイオリンを手にするため、草原、荒山、湖にいるプリズムリバー三姉妹に合わなくてはならないんだってさ。
そんなわけで、湖に潜るためにヘビーブーツを手に入れたところなんだけど、私、何やってんだろ。
「ま、こういうのもあり、かもしれないわね」
きっとこの物語は、誰にも見向きされないまま終わってしまうだろう。
でも、これは枯葉のようなもの。たくさんの失敗作が積み重なって、肥料となって、いつか花を咲かせるんだ。
今は食物連鎖の一番下だけれど、きっと大切なものなんだ。
大量に捨てられる私たちを土にして、輝かしい星屑の実がなるんだ。
「あなたの次回作、待ってるからね!」
私たち人形は、あなたの恵みを待っている。
いつか進化して芽吹くその時を、じっと待っている。
そのためなら……。ちょっとくらい私たちを好きにしてくれても、いいんだからね!
とりあえず居間に通したものの、緊張のご様子。ソファーに座らせても、彼女らの唇は堅く結ばれたまま。
紅茶とクッキーを差し出してみると、赤い方、日が差し込んだかのように目を輝かせて甘味に飛びつく有様。
もう片方の白いのは、じっとりと湿った眼差しでその不失礼を咎めるものの、結局バタークッキーをかじり始めた。
「で、今日は何の用かしら」
「……ほら、サニー。そろそろ言わなきゃ」
「私から? えーっと、それがですね。アリスさんなら、何か知ってるかと思いまして」
「……何を?」
妖精は苦手だ。以前から知ってはいたが、要領を得ない。何を聞きたいのか、よく分からない。
それでも、大体の察しはつく。
光の三妖精と知られている彼女たちであるが、赤と白しか揃っていない。
残るは自由の心であったはずだけれど。せっかくのフランス三妖精なのに。
「スターですよスター! スターが、スターがいなくなっちゃったんです!」
「青いの、だったかしら。リボンでロングヘアの」
博愛のサニーミルク、こんな時だというのにテンションが高い。眩しい笑顔が妬ましい。
一方、平等のルナチャイルドは至って冷静に受け答えしてくれる。私よりしっかりしているかもしれないな。妬ましい。
「その、青い子です。手がかりも何にもなくって、今、サニーと調査中なんです。アリスさんなら、何か知っているかなと思って来たんです」
「私に聞かれても正直、困ってしまうわ」
「そ、そんな!」
森は妖精の住処となりやすい。そんな森に住む私に聞きに来るのは間違ってはいない。
とは言え、知らないものは知らない。力になることなんか、できやしない。
……とは言うものの。何もしないのはさすがに可哀想。
「私は知らないけれど、他ならひょっとするかも」
「他? 誰です?」
「待ってて。……ちょっと、誰でもいいから来てちょうだい!」
返事の代わりに、ドアがノックされる。
そのドアが開かれた瞬間、妖精たちの目と口まで、ぱっくりと開いてしまった。
「どうしたのアリス?」
「実はね、アリス。この子ら、迷子を探しているんですって。残りの青いのだけど、知ってる?」
「うーん、私も見てないな。ごめんなさいアリス。里の子どもたちに紛れていないか、今度チェックしておくわ」
金髪、色白、とはいえ体がなまってて、少し痩せすぎているようにも見えてしまう。
私の前に立っているのは、正真正銘、私の姿であった。
私と比べると、幾分かデキるお姉さんなのが気になるが。
「ア、ア、アリスさんが……。アリスさんが……」
「二人いる!?」
「あんまり驚かないでね。私はもう慣れてしまったから」
「な、慣れてたまるもんですか!」
サニーは辛うじて突っ込む元気も持っていたが、相方は全くついていけていない。
白くてちっこい方は、口で正三角形を描きながら硬直してしまっていた。
金魚みたいにぱくぱくさせてから、ようやく意味のある言葉をつぶやいた。
「そうだ、これ、人形だよ! 人形、なんですよね……?」
「ところが、そうでもなくってねえ」
いつの日か、目覚めると私がもう一人増えていた。増えていたのだから、しかたないじゃない。
増えているという結果だけが残っているのだから、説明なんてできるはずもない。
「アリス、呼んだかしら?」
「あら、いらっしゃいアリス」
「さ、三人目!?」
「サニー、帰ろう……! ここ、何かやばいんじゃ!」
「ちょっと、会ったばかりなのに逃げないでよ! せっかく友達になれると思ったのに!」
三人目のアリスは少々面倒くさい性格をしておられる。
うわごとのようにトモダチトモダチと繰り返すようなやつで、私ですら苦手である。
「この子らの友達がいなくなったんですって。何か知らない?」
「知るわけないでしょう! 最近は研究で閉じこもってばかりだったんだから! こんなボッチ生活、もう嫌よ!」
「……ですって。残念ながら家にいるのはこれで全員。子どもは早く帰りなさいな」
「ほら、サニー、逃げられなくなる前に!」
「あ、はい! 今日はありがとうございました! クッキー美味しかったです!」
これだから妖精は苦手だ。
突拍子もなく嬉し恥ずかしいことを言って、私を苦しめる。
なんて返したら良いのか分からない。顔に、血が上っているような気がする。
何でもないところなのに、急に心臓がばくばくしてしまう!
「べ、別に褒めてもらうために作ったわけじゃないし。ちょっと余っていたから出したわけで!」
「あ、それって、今はやりのツンデレってやつですか! 知ってます!」
「ちょ、サニー!」
その反応に、ようやく気がついてしまう。恥が恥を呼んでしまった!
ツンデレ発言、つい口からポイっと出てしまったよおう!
安易すぎる台詞なのに、こんなにも安っぽい言葉なのに、またやっちまったあああ!
妖精からは屈辱的な言葉をぶつけられるし、私からは冷めた目で見られるし、どうすりゃいいの!?
「では、これで失礼します!」
「馬鹿、馬鹿! あんたら妖精なんて、もう知らないんだから!」
どうあがいても恥ずかしい台詞になってしまう!
この不治の病を、治療したい。ツンデレという名の、精神病を。
==========
「……そんなわけで、魔理沙、知らない? あなた、あの妖精たちと仲良かったでしょう?」
「スターねえ。最近は三妖精とも神社にいたが……。それだけだな。特に思い当たる節もない」
「そう……」
相変わらず汚い魔理沙の家だが、こんなところにわざわざ来たのは他でもない。
魔理沙に会えるのなら……。いや、そんなわけない。
あの妖精たちのためを思って……。違う、私はそんなガラじゃない。
そう、ただの気まぐれ! ただの気まぐれでこんなガラクタまみれの家に来てやったのだ。
でも、わざわざ来てやったのに得られるものは何も無し。
踵を返そうかしら、と思ったところで魔理沙が一つ、投げかけた。
「それにしても、アリスが妖精なんざの面倒を見るなんてな。お前、世話焼きだよな」
「そ、そんなわけないじゃない! ちょっと気になったから、来ただけよ!」
「あー、お前、そういうアリスか。ただ、他人の世話焼きも結構だが、自分もちゃんと見ておいたほうがいいぞ?」
「……どういうこと?」
「お前のせいで私が怯えてるんだよ。私といっても、悲惨な目担当の私が、だがな」
魔理沙も、当然のように大量発生していたんだっけ。
正義のヒーローな魔理沙に、乙女魔理沙。恋する魔理沙にヤンデレ魔理沙。
よりどりみどり取りたい放題……。って、私は何を考えているのかしら。
問題は、私が何か悪いことでもしたのではないか、というとこである。
「……そんなこと言われても、身に覚えがないのだけれど」
「度重なる付きまといに不法侵入行為、夜にもだ。挙句の果てに求愛行動。私の可愛い私が参っちゃってるんだよな」
「そんなアリス、いたとしても私なんかじゃないよ!?」
もう、十を軽く超えるアリスが誕生してしまっている。
一人ひとりが違う心を持ったアリスだ。少々おかしな子ができても不思議ではない。
でも、だからと言って極端に私と離れた私を、私と認めたくない。
「分かってる。でもな、同じアリスである限り、お前も変な目で見られるのは間違いないと思うぞ。変態アリスは私も嫌いだぜ」
「む。考えておくわ……」
これは私への警告だ。魔理沙から、変な子扱いされてしまう。
どんな顔をすればいいのか分からなくて、魔理沙の目から視線を逸らしてしまった。
「おいおい、なんで落ち込むんだ? 私だって悩んでいるんだ。だから、こいつをお勧めするってこった」
「……これは?」
ビラであった。「白熱! 討論会開催のお知らせ ~ ドッペルゲンガー問題にどう立ち向かうか」と題されている。
「このままじゃ、アリスもいつか嫌な思いをするはずだ。なら、早め早めに対策しとこうってわけだ」
「魔理沙、これ、わざわざ私を心配して……!」
不意に、頭に軽い感触。
何事かと思えば、何やら魔理沙が背伸びをしていて。彼女の腕が揺れていて。要するに、なんか、なでなでヤラれちゃった。
いつの間にか彼女の顔が近くにあって、声が近くって。
「ばーか、私がお前を嫌うわけ、ないだろ?」
「な、な、な!」
プレイボーイ魔理沙だ。遊んで女をごみ箱ぽいぽいのぽいしちゃう魔理沙だ。
急に迫られると、脳みそがフットーしてしまう。
「や、や、やめてよね! そんなことして恥ずかしくないの!?」
「おいおい、このぐらいで恥ずかってちゃ、後々大変なことになってしまうぜ」
「後々、大変な……!? やだ、魔理沙の変態! バカ、バカ、ビーム!」
魔理沙の手を払いのけ、上海ビームで牽制。逃げ出すようにドアに駆ける。
だけど、このまま帰るのはあんまりにも失礼。
狼な魔理沙に銃を撃つよう、鋭い声で警告しておく。
「全く、デリカシーもロマンチックもないんだから。……でも、討論会のお誘い、ありがと。そ、それだけ!」
森の空気はちょっと淀んでいるけれど、魔理沙の家のよりは軽くてすっきりしている。
胸が痛くなるほどドキドキしていたことに、今更そのこと気がついてしまう。まず、深呼吸。
「うまく、話せなかったな……」
これも、私のドッペルゲンガーのせいに違いない。変な私がいるから、調子が狂ってしまったんだ。
……でも、ドッペルゲンガーのお陰で討論会に誘われたというのも事実。感謝しないといけないところも、あるかもしれないな。
そんなことを思っていると、ドッペルな私と魔理沙が手つなぎ散歩をやっちゃってるのを発見。
前言撤回。やっぱドッペルを駆除する方向で考えてやる。
討論会では盛大に愚痴ってやるから、覚悟しなさい。
==========
神社にて、宴会。そんな気はしていたが、討論会というのは名ばかりであった。
といっても、ちょろちょろとドッペルゲンガーの情報は集まってきた。
突然発生した分身、それがドッペルゲンガー。本人と全く同じ記憶を持っているせいで、誰がオリジナルかどうかを見極めるのが難しいらしい。
何故かは分からないけれど、幻想郷で名の知れた者ほど分身が多くなりやすいんだとか。確かに、例の三妖精は分身を知らなかったようだし。
そんな細かなとこは分かったものの、肝心なとこが解決していない。
「あーあ。ちょっと飲み過ぎちゃったなー」
宙ぶらりんに投げかけた。誰か、構ってくれという合図である。
というのも、せっかく誘われた宴会だというのに結局ひとり酒になってしまったのだ。
プレイボーイ魔理沙は社交的アリスに取られてしまって、一緒にゲタゲタ笑いながら呑んでいらっしゃっている。
霊夢は霊夢好きアリスに取られてしまったし、妖夢は妖夢好きアリスに取られてしまったし……。
というか、私、多い。そのせいで自分の行き場が無い。許せん。ドッペルども、許せん。
ドッペルが何者か、なんてどうでもいい。あいつらのせいで、私が損してるんだ。こういう現実問題こそ、議論すべきじゃないの!?
「お隣、よろしいですか? 私も、ちょっときつくなってきたもので」
いかにも清純で大人しそうな、人間。男受けばっちりであろう彼女こそ、東風谷早苗であった。
あまり話さない相手ではあったが、一人よりはまし。ぐだぐだと愚痴り合うことにした。
「ここに呼ばれたってことは、あなたもドッペルに悩んでる口?」
「ええ、もううんざりですよ。私の尊厳も知らずに、奴らは好き勝手でやりたい放題。オリジナルの気持ちを、踏みにじっています」
宴会場を見渡すと、早苗もあちらこちらにいる。
飲みすぎからか分からないが、頭のぶっとんだ発言を繰り返す早苗もいれば、他人をいじるのが大好きなSっ気たっぷりの早苗もいる。
私と同じくらいにドッペルの数が多いような気がする。だからなのか、彼女はちょっと過激派な言葉が口から漏れていた。
「そこまで、ひどいかしら?」
「……知りませんか? 神隠しのこと」
「神隠し?」
ふと、今朝の妖精を思い出した。
「最近、妹紅さんがいなくなったって知っていました? 妹紅さんといっても、そのうちの一人ですが」
「そんなことがあったの」
「妹紅さんって、どんな人か覚えてます?」
「そりゃ、もちろん。一戦交えたくらいだし」
「で、どんな人でした?」
「んー……」
思い出そうとするも、恐ろしいことに。何にも浮かんでこない。実感がわかない。妹紅に出会った確証がない。
ただ、頭の中に、漠然と彼女のイメージが膨らんだ。
「なんか突っ張ってて、プライド高くて男っぽいような」
「……やっぱり。でも、私もそうだとばかり思っていました」
「どういうこと?」
「皆、ドッペルゲンガーの妹紅さんのことしか、覚えていないみたいなんです!」
妹紅が神隠しに会ったことに気づいていたのは、ただ一人。蓬莱山輝夜だけであったらしい。
彼女曰く、妹紅は確かに格好つけたところもあるけど、もっと生意気でお茶目でまだまだお子ちゃまな女の子であったらしい。
覚えているのがあのうさんくさい月の姫だけとなると、いまいち信憑性は低い。しかし、これが本当ならば大変なことになる。
「いなくなった、ということかしら。ドッペルゲンガーを見ると死ぬとは言うけれど。蓬莱人すら殺してしまうのかしら」
「本当だとするなら、きっとそうなります。奴ら、私たちを乗っ取るのが目的に違いありません!」
「……肝に銘じておくわ」
「現に、私だって随分誤解を受けているんです。狂ってるとかシリアルキラーだとか! 清純派巫女の道はどこに行ったというんですか!」
「まあまあ、落ち着いて」
ドッペルにより、誤解を招く風潮が広がる。それは確かに大きな問題だ。私も、根暗アリスや変態アリスがいて、他人事ではない。
でも、私はもうひとつの問題も気がかりだ。……例のリア充アリスを、ちらと横目で睨んでしまう。
私より優れたアリスに自分の居場所を取られてしまう。これもまた、大問題だ。
私がもっと社交的で、素直で、どもったりしないような女の子だったら、もっと好かれるアリスになれるのに。
簡単に自分なんて変えられないのに、理想的が私がそこにいるのは、苦痛でしかない。
「顔、暗くなっちゃいましたね」
「あら、分かるのね。ちょっと、不安になってきちゃって」
「なーに、大丈夫ですよ。ドッペルなんて、みんな滅ぼしてしまえばいいんですから!」
「……えーっと? そう、かしら?」
「いいんですよ。今まで、あなたは誰かを乗っ取りたいなーなんて思ったこと、あります?」
「無い、けど」
「それこそ、あなたが本人だって証拠ですよ! なら、遠慮なくぶっ潰せばいいだけじゃないですか!」
こういう人こそ、本物を食いつぶしてしまうのではないか。
どこまでもエクストリームな彼女であったが、なんだかちょっとばかり頼もしくみえてしまった。
「いくらなんでもタカ派すぎね。で、でも。そういうの、嫌いじゃ、ないわ」
物騒な考えではあるものの。少しくらい、アリスが消えてしまえばいいのにと思ってしまう。
社交派アリスがいなくなれば、今日だってもっと楽しく呑めたはず。
それに……。魔理沙を取られなくって済む。
別にこれは好きだからとかじゃなくって、友人が減るのは寂しいってだけで。
「……もうちょっと、のむ」
「あら、がんばりますね。お酌、しましょうか?」
「ありがと」
考えれば考えるほど、なんだかイライラしてしまう。お酒でごまかしたい。
私よりいいアリスが消えてしまえば、もうちょっとだけ人気者になれるかな。
==========
「こんな遅くまで、どこ行ってたのよ」
「私がどこに行こうが、勝手でしょう? ちょっと飲んできたの」
飲み疲れて帰ってきてやったというのに、なんだこのお出迎えは。
口ぶりからして、クールお姉さんアリス。正統派だが、こういう時には鬱陶しい以外の何物でもない。
「はあ……。全く、あなたはアリスという看板を背負ってるのよ? 勝手な行動は謹んでもらいたいわね」
「どういうことよ。私もあなたもアリスでしょう?」
「深夜まで飲んだくれて、どーせ愚痴愚痴やってたんでしょう? 知的なクールビューティに恥じない言動ね」
「な、何よそれ! あなたの勝手なアリスを押し付けないでよ!」
「押し付けているのは、そっち」
玄関は南極と化した。時間まで凍りついてしまいそうなその眼差しに、酔いが冷めてしまいそうだ。
私も、あんな鋭い目をすることができるんだ。
「あなたの行動は、同じアリスとして皆が見ているの。あなたの行動が、私の評価にまで影響を与えるのよ」
「だ、だからって! 別にインテリぶった嫌味なエリート、みたいに思われる必要なんてないでしょ!?」
「どう考えても、これがベストのアリスじゃない。少なくとも、安易なツンデレよりはマシ、だと思うのだけれど」
頭をガツンと殴られたように、衝撃がはしる。頭が、熱湯をかぶったようにヒリヒリする。
言われたくない言葉。手が震える。
拳も罵声も飛ばしたくなったが、あと一歩のところで抑えこむ。
でも、こいつは追撃の手を緩めなかった。
「そもそも、その魔理沙好きな体質、やめてほしいのよね。自覚ないかもしれないけれど、それって結構異常よ?」
「何、それ」
導火線に、火がついた。自分でも驚くほどに、低い声。
目の前の相手が、自分とは思えないほどに憎い。
「そうやって、私から全部奪おうってんだ」
「どうしたの? 怒れば怒るほど、アリスじゃなくなるわよ? 愛されるアリスから、遠くなっていくのよ?」
「黙りなさい。黙りなさいよ、このコピーが!」
体が、勝手に動く。腕が鞭のようにしなって、相手の肩に衝突していた。
彼女の頭が玄関マットに叩きつけられる。
なのに、奴はまだ、野蛮人でも見るかのように私を睨んでいる。
「あなたこそ、コピーでしょうに」
「どの口が。全部、盗ろうとしてる癖に! 私の立場、乗っ取って! 私の感情さえも、抑えつけて消しちまおうってんでしょ!?」
「まだ、分からないの!? あなたのようなアリス、苦手な人も多いのよ!? あなたが変わらなきゃ、私まで嫌われるの!」
体温が一瞬、冷え込んだ。確かに、私は好かれるような性格、していない。嫌われ者かもしれない。
でも、やつは詭弁を使っている。ドッペルゲンガーは人の不安につけ込んで、心を書き換えていったに違いない。
また、私の胸がぐらぐらと煮えてくる。
「嫌われたくなんか、ないよ。でもね、あんたらがいるせいで、私がパッとしないんだ!」
「……負け惜しみ?」
「馬鹿、そんなんじゃない! ただ……」
空っぽの自尊心を、これ以上傷つけられたくなかった。
私以下のアリスも、私以上のアリスも、もう二度と見たくない。
「みんな、みーんな消えてほしいってだけ!」
両手に、人形爆弾。武力行使しか、方法はない。
奴も、ダテにアリスしていない。瞬時に体勢を立て直し、ボムをセット。
そう、これはもはや弱肉強食の世界。
大戦争、開幕だ。涙と鼻水の覚悟はよろしいか?
=====
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう……」
あれから何日が経っただろうか。朝昼晩、寝ることもなく、殺るか殺られるかの日々を送っている。
流れ弾に何度グレイズしたか分からない。洋服も髪も焦げてしまった。
日の当たらない森の中で、サバイバル生活。私はさながら、蜘蛛のように生きていた。
地の利を生かし、あらゆる木々に糸を結び、張り巡らせる。魔力を流しておけば、たちまち凶器と化すのだ。
ほら、かかった。久々に憐れな犠牲者が……?
「ようやく見つけたわ。アリスの癌、ツンデレめ」
「……かかって、ない!?」
糸の感覚が、消える。かかったというより、切られている!
無数の人形に槍を突かせながら、アリスがじりじりと歩み寄ってくる。糸も何も、あったもんじゃない。
「同胞が、トラップに殺られてねえ。そう簡単に同じ死に方はできないよ」
「くっ……!」
こうなったら仕方がない。戦闘に集中するため、トラップへの魔力の供給をストップさせる。
が、駄目! これが裏目! 葉を踏みしめる音が、360度から聞こえてくる! どうやら、幾人ものアリスに囲まれていたらしい。
「パーティーの始まりよ、アリマリアリス。あなたのために、たくさんのアリスが集まってくれたわ」
「べ、別に私は魔理沙のことなんて!」
「うるさい! 今日こそマリアリの牙城を崩してみせる! とうっ!」
正面のアリスが、荒ぶる鷹のようにポーズをガッチリと決めて咆哮する!
「時を超えたファンタジー、レイアリ!」
「まだ生きていたのね。絶滅危惧種の癖に、中々しぶとい!」
さらに真後ろのアリスも、幻想をぶち殺すようにバッチリポーズ!
「お姉さん同士の技巧派ワールド、咲アリ!」
どこで恨みを買ったか知らないが、木陰から続々とアリスが飛び出る、飛び出る。
「知的で大人なティータイム、パチュアリ!」
「世話焼き同士のピュアハーツ、アリみす!」
「時を超えたファンタジー、幽アリ!」
「かぶってるじゃないの!?」
ツッコミはさておき。圧倒的にまずい状況だ。
四方八方、大千槍。取り囲んで、圧殺するつもりだ。何万も斬られる風の断末魔が、歩み寄る。
「かかれ! アリマリを潰せええええ!」
同時に、絶滅危惧種どもが大地を蹴る。放物線を描いて、私に飛びかかった!
逃げ場は……。一つしか無い!
「失礼!」
人形を地へ叩きつけると共に、上空を狙う。瞬きする間も無く、閃光。
爆炎に乗って、高く、高く。雲を掴む勢いで、飛び上がった。
「あ、危なかった……」
眼下には、血と炎で真っ赤な海が広がっている。あの中で生き残れる者は、いないだろう。
他のアリスの抹消。本当なら喜ぶべきなのかもしれないけれど、まだ慣れない。なんだか、後味が悪い。
いやいや、そんな気持ちでは負けてしまうぞ、アリス。がんばらなくっちゃ。
きっと、空の冷たさと静けさが私の心を落ち着かせてくれる。
そう、思っていたのだけれど。
「……ひどい」
天からは、全てが映し出されていた。
早苗が、早苗を刺している。魔理沙が、魔理沙を爆破している。私の炎が、私を焼いている。
同族同士が憎みあっている。轟音と悲鳴と罵詈雑言が、絶えない。
あまりに世界が汚く見えて、吐き気を催すほどであった。
どうして、争いをしなくちゃいけないんだ。どうして、たくさんの私を生んだんだ。
私は、私でいたいだけなのに!
「どうして、私なんか作っちゃったのよ! それも大量に!」
地上の惨状から、情緒不安定になってしまったらしい。涙がひとつ、零れてしまった。
ドッペルなんて二次創作、なくなってしまえばいいのに。
この世に、アリスの創造主なるものがいたとしたら、筋金入りの馬鹿なんだから。
「神様の、バカヤロー!」
やり場のない怒りを、天にぶつける。白々しいほどに青い空を、睨みつけた。
そこに何か、チカチカと光っている。最初は、星か何かかと思っていた。
でも、段々と近づいている。
鳥だろうかと思った頃には、その巨大さに気がついた。
驚く間もない。
何やら、巨大な、手に見える。見間違いだと思いたい。
「ごめん、ね」
不意に、頭に柔らかな感触。不思議と、懐かしい声。
もう何も覚えていないけれど、きっとこいつこそが大馬鹿野郎の創造主、つまりはマスターらしい。
マスターは震える声で、ただ泣き言を繰り返していた。
「許して。私が、天国に連れて行ってあげるから!」
マスターのハンドが、私を手繰り寄せて、優しく握る。
途端、重力がなくなって、あまりに、ふわふわで極楽で。
どうしたことか、意識が薄らいでいく。
「私が悪かったの。もう、新しいの作らないから! お願い、アリス。許して……」
なんだか必死な彼女の声が何度も頭の中で反響する。そんなに、私に嫌われたくないのだろうか。
私だって、嫌われる性格していた。もっともっと、皆に好かれたくて、私も必死だった。
そこだけは、なんだか私と似ているな、と思って。でも、なんだか思考する力が消えていって。
=====
気が付けば、真っ白の砂漠であった。
果てまで真っ直ぐに伸びる白紙の世界は、あまりに静かで冷たかった。
生きとし生けるものが存在しない。確実に、死の世界であった。自分まで、消え失せてしまいそうだ。
何もしなければ、本当に私というものがなくなってしまうだろう。
「そういえば、天国だって言っていたわね……」
声がどこにも反響せず、宙に吸い込まれてしまった。
動かなければ始まらない。道も方角もなき道を、漠然と歩くことにしてみた。
天国だとしたら、死んでいる、ということになる。自分の爆発に飲み込まれていたとかなんだろうけど、全然実感が無い。
あっけない終わり方だ。これじゃあ、死ぬために生まれてきてしまったようなもんじゃないか。
創造主だなんて、冗談抜きで大嫌いなんだから。
「……あら?」
遥か先に、何かが落ちている。生存者、かしら。淡い期待と共に駆け寄ってみる。
近づくと、段々とその姿が明らかになる。
なんだか、青くて。肌が白くて、痩せこけていて。眩しいほどの金色の髪をしている。まさしく、アリスであった。
問題なのは、彼女が物と化していたことだ。ただ、死体としてそこに落ちていた。
反射的に目をそらす。が、またもや見たくない物が目に映る。
あたりに、幾人もの私が転がっている。奥の方を見れば、山のような何かが見える。ただの人形と化したアリスが、積み重なっている。
「どうして、こんな……!」
無計画に命を与えて、いらなくなればこんなところで放り投げられてしまう。
創造主の罪の重さは、このアリスの山が物語っている。
「でも、もう新しいのは作らない、とか言っていたわよね……」
もし、本当にそうだったら。犠牲者の山は二度と作られないのだろう。
私は幻想郷からいなくなったけど、幻想郷からドッペルゲンガーはいなくなったのでした。めでたしめでたし。
そんな、ほろ苦い自己犠牲型ハッピーエンドも、悪くはない。
そんなわけで一件落着かな、と思っていたのだけれど。
私の山の、そのてっぺん。ブルーの服が保護色なっていて見えづらいが、何かいる。
「確か、あの子……」
磁石のように吸い寄せられて、体が彼女のもとに向かう。カラカラの大気をかき分けて、ゆらゆらと飛んでいく。
近づくにつれて、それは確信に変わっていった。彼女こそ、自由の心であると。
最後の妖精スターサファイアが、そこに置いてあったかのように座っていた。
彼女の黒髪は風を受け、川のように緩やかに流されている。
動いているのは、それだけ。体は全く動かなくて、目の先は、ただ一点に集中している。
その先を追うと、遠くの遠くのほうに、うっすらと、神社が見えた。
「これって……」
神社には、紅白の人影。そこに黒白がいて、何やら笑顔を交えて話し込んでいる。ついでに、アリスもふらふらとやってきた。
うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をして。
なんでもない、博麗神社の日常。ここが天国だとするなら、あちらが現世なのだろう。
ただ、現世は一つだけ、今までと違う。
ドッペルゲンガーが、もうそこにいないのだ。
「いたいた! 勇者、見つけたよ!」
声が近い。足元の方からの声に、ちょっとびっくりしてしまった。アリスの麓の方を見ると、これまた噂の人物であった。
神隠しにあったと言われていた、彼女。藤原妹紅である。
一蹴りで頂上まで飛び上がって、不意に私の手を、がっちりと。
「え、ちょ、突然、何!?」
「今、宴会をやってるの! 貴方がいなくちゃ、始まらない!」
要領を得ず、無闇にテンションが高い。彼女には、妖精のような幼さが残っていた。
「急にそんなこと言われても! どういう宴会だっていうのよ」
「そりゃあもちろん、決まってる。ドッペルゲンガーを抹殺した勇者を称える会! ほら、行くよ?」
どうやら、彼女は酔っているらしい。同意も聞かないうちに、私の手をぐいぐいと引っ張る。
「勇者!? 何もしてないよ!?」
「いいや、してるさ。創造主だかに、もう新しいの作らないって言わせただろ? あれからドッペルゲンガー、ぴたっと消えたんだよ」
「それで、勇者……?」
「そ。だから称えちゃう。来ない?」
私、大したことしてないんだけどな。ちょっと気が引けるが、私が主役の飲み会というのは悪くない話。
こんな死の世界で、私を歓迎してくれる。ありがたい話じゃないの。
仕方ないから行ってやろうかしら、というところだけれど。ひとつ、頭に引っかかる事がある。
「あ、あなたも一緒に来ない!?」
スターサファイアの小さな頭は、頷かない。小さく、横に振られてしまった。
遙か先の未来でも見ているかのような透き通った瞳で、彼女はあの世界を、取り憑かれたように見つめている。
「ほら、早く行くよ?」
「わ、分かった分かった! その代わり、めいっぱい私を褒めちぎること! いいわね!」
弱々しい妖精の背中が、頭から離れない。
無理にでも引っ張っていったほうが、良かったかな。
=====
連れてこられたのは、BAR「OKURA」。ねばねばのオクラじゃなくって、お蔵らしい。
なんでも、この世界はお蔵入りになった者たちが集まるからなんだとか。
私が入るなり、わらわレミリアにEXルーミア、腹ペコ幽々子などなどわらわらと、見たことあるような無いような人妖に囲まれた。
一日にして、人気者。すっかり打ち解けてしまった。こっち側でも、うまくやっていけそうで一安心。
「しかし、お主のお陰でわらわも安泰じゃ。ようやってくれたのう」
「そんな大層なこと、してないってばー」
「そう謙遜することもない。ほれ、飲むがいい。わらわの酒じゃ、断れないぞよ?」
わらわが一人称の不思議なレミリアから、ワインをいただく。尊大な彼女が、わざわざ私に酒を注ぐ。どれだけすごい人と思われているのだろう。
あの忌まわしいドッペルを幻想郷からなくした偉大な勇者、というのは分かるのだけど。それほどの事なのだろうか。
自分のイメージを下げるドッペルとか、できのいいドッペルに嫉妬とかしてたのだろうか。あのレミリアがそういうのに悩んでるのって想像つかないけれど。
「やっぱり、皆もドッペルには悩まされていたのかしら?」
「ほう、面白いことを言う。わらわの分身は、よくやってくれてると思うぞ?」
穏やかなパーティーの空気が、ちょっとだけ澱んだように感じられる。
何か、食い違っているような気がする。
ドッペルの一番の被害者であろう、妹紅に目をやる。が、表情ひとつ変わらない。
「悩むもなにも、私らは得しちゃってるもの。いい性格に仕上がったと思うよ?」
「そう、なの……? ルーミアも、特に悩むこと無かった?」
「我は忌まわしき者なり。我が封印は、現世の我を救う。これ誇りなり」
EXな奴は何を言っているのかさっぱりだけれど、別段、ドッペルを憎んでいるようには見えない。
何か、おかしい。今まで、嫌な思いをしてきたから、ドッペルが消えて喜んでいるんじゃなかったの?
変だな、とお互いに思っているらしい。妹紅が首を左右に傾けながら、訊いてきた。
「アリスも変なこと訊くねえ。一番おいしい思いをしてるのは、アリスじゃないの。なんていうの? 食物連鎖の頂点というか」
「頂点!? 私が?」
「そうでしょ? だって、一番ドッペルが多くて、いっぱい二次創作されていたのが、アリスじゃないの」
ドッペルが作られる方が、食物連鎖の上? 意味がわからない。ドッペルが、良い奴みたいな口ぶりだ。
矛盾、しているのか。あるいは、何か勘違いしていることでもあるのか。
なんだか、混乱してきた。少し怖いけれど、順番に確認していかないと、いけないような気がする。
「一度、確認させて。このパーティーって、何を祝っているの?」
間も無く、妹紅があっけらかんと答えを返す。
「何って。そりゃ、あっちの世界でドッペルが消えたことでしょう?」
「消えて、それで何が良かったの?」
「そりゃ……。何て言うかな。勝利確定! みたいでさ」
漠然としていて飲み込めないでいると、ルーミアが補足してきた。
落ち着いた声なのに、核心を突くような鋭さを併せ持っている。
「神に愛されたまま、幻想郷の中心的立ち位置を確保し、世界が不変となったことだろう」
「あ、愛? ……不変?」
「神に愛されし者は分身を有す。分身と切磋琢磨し、優れた個体が生き残る。残されし者は、没個性に悩むこともなく、好意に囲まれる」
「あー。何言っているか、さっぱりよ!?」
「ルーミアは言葉が難しいからね。私が話そうか」
妹紅がずずいと前に出る。
「私たちがあの世界に残したのは、とても優秀な私たちなのよ。皆から愛されて、幸せに生きていける」
「ど、どういうこと?」
「たっくさんの私たちが産まれて、人気の出ない子はお蔵入り。そうしていけば、あの世界に残るのは?」
「そりゃ、いい子になるけど……」
じゃあ、ドッペルゲンガーが多いほど、得だっていうの!? まあ、確かに、色々試した方がいい子ができるっていうのは分かる。
それなら、どうして創造主のドッペルゲンガー製造停止を喜ぶの?
私の心を見透かすように、にたにたと笑いながらレミリアが続ける。
「しかし、世の中そう甘くなくての。ドッペルは他の妖怪もまた同じように生まれる。わらわの立ち位置を脅かす、優れた設定を持つ存在が現れるやもしれんかった。が、その驚異も無くなった!」
「ドッペルが、もう作られないから……?」
「そうじゃ。わらわが犠牲になった分、あっちのわらわには頑張ってもらわんと、むなしいじゃろ。そんじょそこらの妖怪に人気を奪われる、なんてことがあっては困るのじゃ」
嫌な、予感がする。頭が、段々と痛くなってくる。
だけど、レミリアは止まらない。酒に煽られ、私の顔色なんてお構いなしに話を次に次にと進めていく。
「あの世界に残ったチャーミングなわらわは、我が子のようなものでの。我が子が活躍するのを見るのは、この上ない喜びなのじゃ」
「私も、中性的なキャラクタが受けてて何よりだよ。数少ない個性だしね。アリスも、いいお姉さんキャラに落ち着いてよかったじゃない」
「そ、そうね……」
笑顔が、引きつった。素直に、喜べない。
きっと、あの世界の大人なお姉さんのアリスは、素敵な友人とか、ひょっとしたら恋人と共に幸せな生活を送っているのだろう。
でも。もし、ドッペルを作られていない人がいたとしたら。
おそらく、競争力の高い個体に、友達や好きな人を奪われていく。いつの日かの私と、同じだ。
そんな世界のまま、ドッペルという逆転の芽を摘まれてしまったんだ。
「アリス、どうかした? 気分、良くない?」
「……あ、ううん。まだ、大丈夫」
あの子は、今にも消えてしまいそうな背中をしていた。今にも吹き飛ばされてしまいそうな、無力で小さな体をしていた。
スターサファイアが、気になる。彼女を置いてけぼりにして、本当によかったのだろうか。
もはや、いても立ってもいられない。
「それじゃ、もう一杯、いっとく? せっかくの主役が暗い顔してちゃ、台なしだよ?」
私は、宴会の主役。ドッペルを消した、勇者として称えられている。もはや、皮肉にしか聞こえなくなった。
気が進まない。だけど、ここにいる皆の好意を無駄には出来ない。私のわがままで、パーティーを抜けちゃうなんて有り得ない。
……パーティーが終わってからでも、遅くはないよね。
「じゃあ、いただきます……」
グラスに手を伸ばそうとするが、脳裏に、彼女の姿が花火のようにちらついた。今にも、彼女は消えてしまいそうだった。
迷いから、手が宙をさまよう。
「相変わらず自分に素直じゃないのな。ほら、こっちだ!」
ふらついたその手を生け捕りにするように、がっちりと握られる。今日はよく腕を引っ張られる!
私の腕の先が、ちいちゃくて短い、彼女の腕に繋がっている。意識した途端、熱した鉄板に触れたように、腕を引っ込めたくなった。
でも、できない。
魔理沙、こんなに力、強かったっけな。手、離れないや。
=====
バーから出ると、空気がすっかり冷たくなっていた。日が沈みかけ、砂漠は赤に染まり始めている。
「何よ、いきなり! 何も連れ出さなくっても……!」
「顔に出てたぞ。あんなとこで飲みたくないってな」
私の鼻頭に、魔理沙の人差し指がずずいと迫る。他人の顔を指さすなって躾けられなかったのかしらね。
パーティーの主役を連れ出すってのも、本当だったらマナー違反。
……だけど、そんな掟破りの彼女に助けられてしまった。
「確かに、そうよ。で、でも。そんな強引にしなくてもよかったの! 自分のことは、自分で決めるから」
「ばーか。お前はそれができないから、こうしたんだろ?」
ガラスのように純粋できらきら光る魔理沙の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。心の奥まで透かしてしまいそうだ。
「前にも言ったろ? お前、いつも周りを気にし過ぎなんだよ。もっと自分の気持ち、大事にしたらどうだ?」
「そんなこと、無い! ま、魔理沙の癖に生意気よ!」
「いつも他のアリスばっかり気にして、自己嫌悪に陥ってるような、お前がか?」
「そ、それは……」
なんで、そんなことを魔理沙が知っているんだ。
きっと、神社の飲み会で私をこっそり見ていたに違いない。わざと、他の女の子のところに行って、嫉妬な気持ちを持たせたかったんだ。
プレイボーイだ。この魔理沙、どこまでもプレイボーイな魔理沙なんだわ!
「でも、そんなお前が、可愛く見えてしかたがないよ」
「え、ちょっ! 馬鹿、あんた、何言って……」
「さあ、アリス。素直になるんだ。私と二人っきりになりたかったんだろう? 一緒の世界に来るんだ」
なんか、ものすごい勢いで勘違いされているような気がする!
両腕をルーミアのようにピンと伸ばして、目をつぶって、何やら待機しなすっている!
だが、プレイボーイよ。一手、読みが足りなかったわね。
「勝手に勘違い、しないでちょーだい!」
人差し指ロケット、発射。目標、勘違い野郎のおでこ!
ツン、と突っついてやると、魔理沙は体勢を崩して、ぽてんと尻もちをついてしまった。
状況が飲み込めないらしく、潤んだ目をきょろきょろさせている。
「お前……。アリマリアリスのはずじゃ!」
「そうだと思った? 残念。ツンデレ世話焼き系お姉さんアリスでしたー。悪いけど、今はあなたより気になる子がいるの」
せっかく、魔理沙が作ってくれたチャンスだ。スターサファイアに、会いに行きたい。
お節介かもしれないけれど、あの子のそばにいてあげたい。
ぽかんと口を開ける魔理沙に背を向けて、一刻も早く出発。
と、行きたいところだけれども。このまま行くのはあんまりにも可哀想。
ちょっと恥ずかしいけれど、言っておかなくちゃ。
「でも……。今日も、色々とありがと。勇気、もらっちゃった。……そ、それだけ!」
やっぱり顔が熱くなってきちゃう。赤くなったのを見られたくなくて、逃げるようにその場を立ち去った。
魔理沙は何も知らないようだったけれど、黙って親指立てて見送ってくれた。
お世話になりっぱなしだし、ちょっとくらいはお礼をしてもよかったかな。
でも、今は魔理沙の言うとおりにさせてもらう。
周りよりも、自分の気持ちを大事に。自己中心的だけど、たまにはいいじゃない。
=====
神社には、紅白の人影。そこに黒白がいて、何やら笑顔を交えて話し込んでいる。ついでに、アリスもふらふらとやってきた。
うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をして。
なんでもない、博麗神社の日常。
なんてことない日常が、まるっきり同じように繰り返されていた。ただ、創造主の手で操られるがままだ。
「ねえ、アリスさん。教えて?」
私を一度も見ていないが、彼女は私に気づいていたようだ。振り向くこともなく、彼女はあの世界をじっと見つめている。
幻想郷という舞台で、毎回、同じ題名の劇が上映されている。
「あなたの目には、あの世界がどう映っているの?」
また、朝から始まる。霊夢と魔理沙と私が、うだうだと話し込んで、茶菓子を食べて、昼寝をしている。
壊れたオルゴールのように、同じところを、永遠に繰り返している。
変わらない、世界。よく言えば、完全な不滅の世界だ。
でも、そんな幻想郷は死んだも同然。不気味でしかない。
気味が悪いのは、この妖精も同じ。死んだ世界から目を離さないのは、どうしてなんだろう。
なんて言葉を返せばよいのか悩んでいると、彼女が言葉を続けた。その声は、空気に溶けてしまいそうなほど透き通っていた。
「私は、あの世界にいなくって。ドッペルの一人も、残すことができなかった」
スターの体が、いつも以上に小さく感じられる。赤く焼ける空のキャンパスに、彼女の背中が染みのようにぽつんと青く残っているだけだった。
きっと彼女の目には、とても空虚な世界が映っているのではないだろうか。
「私たち妖精、使用期間が過ぎちゃったんだって。一次作品はもう終わり。これからは二次創作物が生きていくしか、なかったのに」
スターは絶滅してしまった。クソスレがなんだとか、栗がなんとかのネタで弄られることもなく、スターは絶滅してしまったのだ。
博麗神社にやってくるのは、今日も魔理沙や早苗やアリスや萃香やレミリアばかり。
そこに、フランス三妖精や火車の姿はない。そういうドッペルが生まれなかった結果だ。
今も、博麗神社は何も変わらない日常を送っている。
「ごめんなさい。私、何も分かっていなくって!」
「お願い、謝らないで。きっと、誰も悪くないんだもの。自然の掟って言うのかしら。弱者は消えるのみってね」
どうして、この妖精はこんなに達観しているんだ。
もっともっと、たくさんの自分の姿を見てみたかっただろうに。
腹黒成分を協調したスターに、男を弄んじゃう小悪魔系スター、家事が得意なのを強調してお姉さん分ましましなスターに、いっそのこと新妻スターとか。
しっかりしているようで意外と抜けているお茶目なスターに、情報分析と参謀が得意なスーツ姿のスターとか。
たくさんの可能性があったのに、弱肉強食の食物連鎖ってことで済ませてしまうのか。
彼女は神の与える機会の不平等を嘆くでもなく、ただ受け入れてしまっている。
彼女の髪が、夕闇に浮かぶ黒雲のように、風の吹くがままに流されている。
「でも……。やっぱり、寂しいよ?」
それでも、彼女は少女であった。
この理不尽な運命を背負うには、彼女の背中は小さすぎた。
「後ろから、もっと二人を見ていたかったよ。ちょっかいとか、時々、意地悪しちゃって。それで、どんな反応するかなーっていうのが、楽しかったのに」
それでも、あの世界にスターはいない。
決められた配役が、決められた台本通りに、あの舞台で動いている。
天から伸ばされる糸に従って、同じ動きを繰り返す。
「サニーもルナも、私を探すだけ。毎回、同じように探していて、見つけられないの。私はここだよ、おもちゃ箱の中だよって言っても、分からないの!」
スターが真っ直ぐ立ち上がると共に、くるりと振り返る。
瞳には、すっかり水玉が溢れている。涙の道筋が頬に暗く光っている。彼女の唇が、細かく震えている。
「アリスさん、お願い! 人形遣いのあなたに、教えてほしいの! あの人形劇、アリスさんの目にはどう映るの?」
白い雲のようなマスターハンドから降ろされる糸に、人形たちは踊らされている。
たくさんの人形が作られ、そのほとんどがおもちゃ箱にしまわれていった。
客受けが良くて残された人形の、客受けの良い演目を繰り返す人形劇。その舞台が、今の幻想郷であった。
「そんなの、決まっている」
人形遣いの人形。確かに、私は創造主の手から逃れられないかもしれない。
でも、同じ人形遣いとして、黙っちゃいられない!
「観客を泣かせるようなやつは、人形遣い失格なのよ!」
強く、ここに宣言! アリス、再び創造主と戦うことを決意します!
スターはちょっと目を丸くした後、きらりと微笑んだ。
「アリスさん……! 嬉しい、です! じゃあ、じゃあ、お願い、聞いてくれますか? きっと、アリスさんにしかできないと思うんです!」
「お願い?」
「そうです。もう一度、新しい人形を作るように頼むんです。創造主、アリスに!」
私の敵は、最後まで私。
幻想郷の創造主、アリスめ。決着をつける時が来たようね!
=====
薄暗い洋室の、フローリング。そこには、たくさんの紙が散らかっている。
ころころと丸められた、原稿用紙。どれもこれも、最初数行しか書かれてなかった。
「駄目、駄目! こんなんじゃ、皆が喜んでくれない!」
切羽詰まった、創造主の声。今の私よりも、ずっと甲高くてたどたどしい、幼さの残る声であった。
「今日はもう、寝ようかな。ああ、今日も台本、作れなかったな……」
椅子をひいて、彼女が立ち上がる。頭に不釣り合いな大きなリボン。母なる創造主であるにも関わらず、彼女は子どもそのものといった姿をしていた。
ベッドに向かう彼女であったが、ふと、屈みこむ。
「あれ? こんなところに置きっぱなし……?」
不思議そうに、私を覗きこむ。彼女の瞳はくりくりと大きいが、疲れが残っているらしい。クマが見える。
よかった。なんとか、私に気がついてくれた。
アリスは私を手繰り寄せて、その手の平でやんわりと包み込んだ。
彼女の向かう先は、ふわふわのベッド。
……ちょっと待って。人形の私を抱いて、一緒におねんねするっていうの!?
「聞いてよ、アリス。私、何にも書けなくなっちゃったよ」
一緒に布団をかけながら、創造主から話しかけられた。人形にこんなことするの、彼女の癖なのだろうか。
色々と残念な子なのかもしれないな。
不意に、背中に柔らかな感触。ちょっとぞくりとしてしまう。
「がんばれ、アリス。大丈夫だって」
私、何も言ってない! 創造主が、私の背中をぴこぴこ動かしながら、一オクターブくらい高い声で一人芝居している!
痛々しい! この子、痛々しいにもほどがある!
「うん。でも、怖いよ。前の劇は拍手をもらえたけど、今度はどうなるか……」
「アリスならできるよ、ほらしっかり!」
「でも、段々飽きられちゃいそうなんだよー。同じ人形ばかりじゃ、駄目だよね」
「そうだね! もっと新しい人形、作ろうよ!」
一人悩み相談をする彼女の目は、なんだかきらきらと輝いていた。
本当に人形を友達のように思っているようだった。
しかし、不意にその輝きが失われてしまったような気がした。
「でも……」
彼女が、口ごもってしまう。一人芝居なのに、必要なのか?
だけど、アリスは本当に悩んでいるようだった。
「駄目だよ。二次創作は、きっとあなた達、悲しむもん」
その言葉が、心臓に引っかかった。スターの涙が、頭をよぎる。
真逆にもほどがある! 新しいの作ってくれなきゃ、私たちは生き残れないのに!
頭を横に振ってやりたかったが、創造主の指が、私を無理やりに頷かせた。
「アリス、優しいんだね!」
「いいの。勝手に新しい性格をつけるなんて、あなた達への冒涜だもの」
「アリス、私、嬉しい!」
「えへへ。私、がんばるからね。幸せな幻想郷の世界、作ってあげるんだから!」
もう、耐えられない。人形のこと、ちっとも分かっていない!
腹が、むかむかする。何より、彼女が私だっていうのが一番腹が立つ!
どこか、私に似ているような気がする。それが、嫌悪感をぼこぼこと沸き立たせる。
「何、言ってるの!? それで人形の気持ち、分かった気になっているの!?」
彼女の手を、払いのける。
人形を大事にしてくれているのは、分かる。でも、それが裏目に出ている。
大事に思うあまり、大切なことを忘れているんだ!
「貴方の作る人形が無くっちゃ、私たちは進化できないの! どうして、分からないの!」
「あ、あ、貴方、どうして! ……どうしよ、私の魔法、暴走しちゃったかな?」
怯えて、混乱して、涙を浮かべる私の姿を見て、我に返る。
寂しさと不安をたくさん抱えたあのアリスに、強く当たっちゃいけない。
あの子は、私と同じなのに。自分のことを棚にあげちゃ、いけない。
「ごめんなさい。ちょっと、強く言い過ぎちゃった」
「う、うん。……いやいや、そういう問題じゃなくって!」
「大丈夫、落ち着いて。私、あなたの気持ちが分かるからこそ、嫌で。その、怒鳴っちゃった」
「……ふーん。何よ、人形の癖に。私の気持ち? 分かるっていうの?」
精一杯、強がってみせるところも。
空っぽの自尊心を傷つけないように立ちまわってしまうのも。
彼女は、やっぱりアリスなんだ。
「だって、私もあなたと、同じだから」
「同じ……?」
「ええ。失敗するのが嫌で。嫌われたくなくって。つい、周りを気にしちゃう。私と、一緒だよ」
アリスは、すっかり目が覚めてしまったらしい。上半身を起こして、手の平に乗せた私をじっと見ている。
私の気持ちを素直に、伝えるんだ。アリスに。そして私に。言い聞かせるように、語りかける。
「私、その。あんまり、好かれてなくって。割りと、ひとりぼっちでね」
「ふうん?」
「そういうの、あなたの作る、他のアリスのせいにしちゃってた。二次創作がなくなれば、好かれるかもって思ってた」
「そう、だったの……?」
「ええ。でも、おかしな話よね。私が、変わればいいだけなのに」
この考えに気がつくのに、どれだけの時間がかかったことやら。
周りのことばかり気にすると、いつか自分を見失ってしまう。
生意気なあいつが、教えてくれたんだっけ。
「でも、怖くてできなかった。頑張って自分を変えてみて、駄目ならどうなるのって。結局、自分から逃げて周りのせいにしてただけなのよ」
アリスが、はっと口を開ける。思い当たる節、やっぱりあったんだ。
当たり前だ。おんなじアリスだもの。あなたが作ったアリスなんだもの。これくらい、お見通しだ。
「あなたの気持ち、分かるよ。新しい人形劇を作って、駄目だったらって思うと。そりゃ、怖いわよ。逃げたくもなる」
「私、何も逃げてなんかない! ただ、新しい人形作ると、今までの人形さんが嫌がると思って、だから……」
自分の言葉が、言い訳になっていると気がついてしまったのだろう。
彼女は、それっきり黙りこんでしまった。目に涙をたたえて、唇を堅く結んでしまう。
後先考えずにむきになってしまうとは、やっぱりお子ちゃまなのだろう。
私はあの子よりずっと小さいけれど、お姉さんのように優しく、包み込んであげるように笑ってあげた。
「嫌なんかじゃ、ないよ」
「嘘、ばっかり」
「そりゃ、ちょっとは嫌だよ。やっぱり、嫉妬もしちゃう。でもね、そんなの小さい。もっともっと、私たちに新しい命を吹きこんでほしいの!」
湿っぽい空気が嫌で、彼女の手から離れる。外の空気が吸いたくて、カーテンを開けっ広げる。
すっかり、真夜中だ。烏の羽根のように黒い空は、あの子の髪を思わせる。
空の星たちが、力強く輝いている。それは涙を湛えた妖精の瞳のように瞬いて。それはプレイボーイのまっすぐな瞳のようにきらめいている。
冷たくて新鮮な風が、部屋を通り抜ける。私は、風になってみせる!
「私たち人形は、何も文句を言わない! あなたの好きなように、新しい可能性を切り開いてほしいの!」
「私の、好きなように……?」
「周りの声ばっかり聞いて、自分を見失っちゃ駄目! あなたがしたい通りに、人形を動かせばいいんだから!」
同じことの繰り返し。そんな、淀みきった世界を変えるんだ。
新しいシナリオで、周囲の評価を失うかもしれない。でも、そんなことに怯えてちゃ、前に進むことはできないんだ。
アリスは、おずおずと私に手を伸ばす。少しずつ、私に歩み寄ろうとしてくれる。
「変な台本書いても、後悔しない?」
「私たち人形は、ただあなたに従うのみよ!」
「もし、滑っちゃっても、怒らない?」
「怒らない! どんなに周りがあなたを嫌っても、私たちはあなたに付いて行くわ!」
「おかしなアリスが、できちゃうかもしれないのよ!?」
「構わないわ! それが、進化の過程で必要ならば!」
もう一度、アリスの小さな手の平へ。彼女の眼前まで、ステージが持ち上がる。
アリスの瞳に、私の瞳が映り込む。私同士が重なって、溶けてしまいそうだ。
「お願い! もっともっと、色んな人形にチャンスを分けてあげて! スターサファイアも、キスメも、リリーホワイトも、あなたの恵みを待っているの!」
返事のかわりに、アリスは目をぐっと細めた。星明かりが、彼女の笑顔を眩しく照らす。
「私、お母さんなのに、駄目だな。人形から勇気をもらっちゃうなんて」
ベッドから離れて、彼女は机へと向かう。
準備するのは、もちろん原稿用紙と万年筆。
そして、彼女の肩に私をちょこんと座らせた。
「いいわ。そんなに言うなら、とっておきの台本を書いてあげる! 私の好きなように、あなた達を変えてみせる!」
「分かってくれるのね。ありがとう、アリス!」
「礼には及ばないわ。これこそが、人形遣いの使命なんだから!」
ああ、良かった。きっと、これで幻想郷は変わり続けていくことだろう。
創造主は、少しずつ異なる私たちを作っていく。その中の魅力的な私たちが、時代に合わせて生き残っていくのだ。
たくさんの種が生まれて、永遠に進化を繰り返す。これが、本当の永遠の世界なんだ。
彼女の作る幻想郷は、どんどん新しい世界に変わっていくだろう。
そのためだったら、私たちはどれだけ犠牲になっても、構わない!
=====
地底の世界から、かの大魔王が復活を遂げてしまった!
凶暴で、幾人もの人間を殺めたことのある、冷酷非道な地獄の門番。それが、大魔王キスメであった。
彼女は幻想郷に宣戦布告するなり、太陽の覇王サニー、月の魔導士ルナ、星の守護神スターを率いて、首都に攻め込んできたのだ。
人間たちの抵抗もむなしく、幻想郷の守護神である春花の女王リリーがさらわれてしまったのであった。
そんなわけで、勇者な私、アリスが立ち上がらないといけないんだってさ。
彼女らに打ち勝つには三種の神器を手にいれなくてはならないんだってさ。
調和のキーボード、轟力のトランペット、静寂のヴァイオリンを手にするため、草原、荒山、湖にいるプリズムリバー三姉妹に合わなくてはならないんだってさ。
そんなわけで、湖に潜るためにヘビーブーツを手に入れたところなんだけど、私、何やってんだろ。
「ま、こういうのもあり、かもしれないわね」
きっとこの物語は、誰にも見向きされないまま終わってしまうだろう。
でも、これは枯葉のようなもの。たくさんの失敗作が積み重なって、肥料となって、いつか花を咲かせるんだ。
今は食物連鎖の一番下だけれど、きっと大切なものなんだ。
大量に捨てられる私たちを土にして、輝かしい星屑の実がなるんだ。
「あなたの次回作、待ってるからね!」
私たち人形は、あなたの恵みを待っている。
いつか進化して芽吹くその時を、じっと待っている。
そのためなら……。ちょっとくらい私たちを好きにしてくれても、いいんだからね!
中盤がわかりにくい気がしました
しかし、そのメッセージは確かに届いた
面白い発想だった。
不思議の国のアリス風味かな。
読んでいて話が理解しにくいっていう点もあるけど、それより表現がちょっとカッコつけなのが気になりました。少しだけ力を抜いて言葉を選んでみてはいかがでしょうか。
この作品自体はとても良い
けど嫌いじゃないぜこういうの。
でもいくら何でも最後のは投げやりすぎじゃないかい創造主?
読みづらさはあったけど
その粗削りなところもまた良し
名を残さず、自分の事を知っている人、自分に関係するもの、それらが無くなったら無かったのと同じだ。