◇◆◇
霍 青娥は仙人である。より正確にいうなら、邪仙になるのだろうか。とにかく彼女は道教に精通し、数多くの不思議な術を使いこなす。
例えば、彼女のかんざし。彼女はあのかんざしを用いて壁抜けの術を成し遂げる。
また、彼女は仙人であるため身体も強い。下手な刃物ではかすり傷一つ付けられないだろう。
さらに1800年間で培った知識は膨大で、知らないことは何もないのではないかと評されることも多い。
だが、そんな彼女にも分からないことが有った。
――目の前に食事を置かれても一向に食べようとしない、食べることが何よりも好きなはずの愛しいキョンシーの頭の中身、とか。
「……どうしたの、芳香?」
「食べないー」
「え、えー……」
あくまでも首を横に振る青娥の忠実な下僕でもあるキョンシー、宮古 芳香。重ねて言うが、このキョンシーは青娥の忠実なしもべである。彼女は、青娥の命令なら何でも聞く。あの博麗の巫女の張る弾幕の前にだって、あるじを庇って身を投げ出す。
その芳香が。食事を摂る程度の命令で、頑として首を縦に振ろうとしないのだ。
「もしかして、今夜は和食の気分じゃなかったかしら?」
「違うー」
「魚は嫌い?」
「いいやー。その、な。私も食卓で食べたいんだ」
芳香は床に置かれた皿を見ながら、そう言った。確かに食事は浅い皿に盛られ、床に置かれている。
所謂犬食いのための配置だ。しかし、それも芳香が食器を使えないからで……
「貴女は食器じゃ食べられないじゃない」
「う」
彼女は死体だ。身体中の間接はとうに硬化し、殆ど曲がらない。肘もぴんと伸びて、怪談に出てくる幽霊の手みたいになっている。
それに、その指だって。彼女の指は四本とも揃って伸びており、箸を使って食べ物を口に運ぶことなど出来ないだろう。
「……柔軟体操もちゃんとするし、食器を使う練習もする」
「……」
青娥は内心で首を捻った。昔から一緒に居るが、こんなことを言い出したのはとんと記憶にない。
最近、何か変わったことは有っただろうかと思い起こしてみる。
墓地で四人もの敵と闘った時にどこかぶつけて、それでおかしくなった?
吸収した神霊に何かの影響を受けている?
それとも――
「ああ。なるほどね」
青娥は呟いた。
「分かったわ。準備しておくから、今日はそれで食べて頂戴」
「おう、ありがとう!」
最近起きた、最も大きな変化を思い出したのだ。
◇◆◇
翌朝起床した青娥は、妖怪の山へ赴いた。
彼女は、そこに金属加工を得意とする河童の工房が在ることを知っていた。
要求を聞いた河童は不思議な顔をしていたが、相応の代金を支払うと言うと快く引き受けてくれた。
◇◆◇
夕飯時になって、彼女は芳香を呼んだ。食卓に二人前の食事が並んでいるのに気付いて、芳香は随分と驚いたようだった。
手で示されるとおりに椅子に座って、しかし彼女の表情には戸惑いが色濃く表れている。
「私、まだ柔軟体操してないぞー?」
「良いのよ、そのままで」
彼女の腕はまだまっすぐ前へと伸びたまま。テーブルの上で湯気を立てる料理に影を落としている。
これでは口に運ぶのはおろか、自分の手元に並んでいる料理を摘み上げることすら出来ないだろう。
しかし、青娥はそのままで良いと言った。
「はい、お箸持って。……持てるかしら?」
箸を渡して、右手に押し付けてみる。芳香は不器用にそれを握り締めようとして、
「あ」
竹製の箸が、粉々に砕けた。
「うぉ……ごめんなさい」
芳香の表情が暗く沈む。キョンシーの強みは、その怪力である。反面、細かい作業は大の苦手なのだ。
「構わないわ。私が何の準備をしていたと思ってるの?」
なら、どうすれば良いのか。簡単だ。怪力でも折れない箸を用意すれば良い。
彼女が河童に造らせたものが、まさにそれ――鉄の箸だった。今度は、折れなかった。
「持てた……」
自分の手の中で開いたり閉じたりする銀色の箸をまじまじと見つめて、芳香は驚いたようにそう呟いた。
「でも、これじゃあ食べられないぞ」
芳香の腕は、まだぴんと伸びたまま。しかし、青娥の口元には笑みが浮かんでいた。
「食べられますよ、だって私達は二人で食事しているんですから」
◇◆◇
後で芳香が語った理由は、おおむね青娥の想像と一致するものだった。
神子たちが仲良く食卓を囲んでいるのが、彼女は羨ましかったという。つまり彼女が望んでいたのは、けして自分の食事を食器で食べることではなかった。結局のところ、彼女はあるじと楽しく食事が出来れば何でも良かったのだ。
「はい、あーん」
「あー。あむ、むぐんぐ。美味い!」
「芳香は何を食べてもそう言うわね、楽で良いわ」
「あるじも、あーんだ」
「はいはい、あーん。うん、美味しい。流石は私ね」
だから、青娥はこれを選んだ。そして、これは愛しいしもべのお気に召したらしい。
口の周りをべたべたにして満面の笑みを浮かべる芳香を見て、彼女もまた同じくらいべたべたになった顔で微笑むのだった。
霍 青娥は仙人である。より正確にいうなら、邪仙になるのだろうか。とにかく彼女は道教に精通し、数多くの不思議な術を使いこなす。
例えば、彼女のかんざし。彼女はあのかんざしを用いて壁抜けの術を成し遂げる。
また、彼女は仙人であるため身体も強い。下手な刃物ではかすり傷一つ付けられないだろう。
さらに1800年間で培った知識は膨大で、知らないことは何もないのではないかと評されることも多い。
だが、そんな彼女にも分からないことが有った。
――目の前に食事を置かれても一向に食べようとしない、食べることが何よりも好きなはずの愛しいキョンシーの頭の中身、とか。
「……どうしたの、芳香?」
「食べないー」
「え、えー……」
あくまでも首を横に振る青娥の忠実な下僕でもあるキョンシー、宮古 芳香。重ねて言うが、このキョンシーは青娥の忠実なしもべである。彼女は、青娥の命令なら何でも聞く。あの博麗の巫女の張る弾幕の前にだって、あるじを庇って身を投げ出す。
その芳香が。食事を摂る程度の命令で、頑として首を縦に振ろうとしないのだ。
「もしかして、今夜は和食の気分じゃなかったかしら?」
「違うー」
「魚は嫌い?」
「いいやー。その、な。私も食卓で食べたいんだ」
芳香は床に置かれた皿を見ながら、そう言った。確かに食事は浅い皿に盛られ、床に置かれている。
所謂犬食いのための配置だ。しかし、それも芳香が食器を使えないからで……
「貴女は食器じゃ食べられないじゃない」
「う」
彼女は死体だ。身体中の間接はとうに硬化し、殆ど曲がらない。肘もぴんと伸びて、怪談に出てくる幽霊の手みたいになっている。
それに、その指だって。彼女の指は四本とも揃って伸びており、箸を使って食べ物を口に運ぶことなど出来ないだろう。
「……柔軟体操もちゃんとするし、食器を使う練習もする」
「……」
青娥は内心で首を捻った。昔から一緒に居るが、こんなことを言い出したのはとんと記憶にない。
最近、何か変わったことは有っただろうかと思い起こしてみる。
墓地で四人もの敵と闘った時にどこかぶつけて、それでおかしくなった?
吸収した神霊に何かの影響を受けている?
それとも――
「ああ。なるほどね」
青娥は呟いた。
「分かったわ。準備しておくから、今日はそれで食べて頂戴」
「おう、ありがとう!」
最近起きた、最も大きな変化を思い出したのだ。
◇◆◇
翌朝起床した青娥は、妖怪の山へ赴いた。
彼女は、そこに金属加工を得意とする河童の工房が在ることを知っていた。
要求を聞いた河童は不思議な顔をしていたが、相応の代金を支払うと言うと快く引き受けてくれた。
◇◆◇
夕飯時になって、彼女は芳香を呼んだ。食卓に二人前の食事が並んでいるのに気付いて、芳香は随分と驚いたようだった。
手で示されるとおりに椅子に座って、しかし彼女の表情には戸惑いが色濃く表れている。
「私、まだ柔軟体操してないぞー?」
「良いのよ、そのままで」
彼女の腕はまだまっすぐ前へと伸びたまま。テーブルの上で湯気を立てる料理に影を落としている。
これでは口に運ぶのはおろか、自分の手元に並んでいる料理を摘み上げることすら出来ないだろう。
しかし、青娥はそのままで良いと言った。
「はい、お箸持って。……持てるかしら?」
箸を渡して、右手に押し付けてみる。芳香は不器用にそれを握り締めようとして、
「あ」
竹製の箸が、粉々に砕けた。
「うぉ……ごめんなさい」
芳香の表情が暗く沈む。キョンシーの強みは、その怪力である。反面、細かい作業は大の苦手なのだ。
「構わないわ。私が何の準備をしていたと思ってるの?」
なら、どうすれば良いのか。簡単だ。怪力でも折れない箸を用意すれば良い。
彼女が河童に造らせたものが、まさにそれ――鉄の箸だった。今度は、折れなかった。
「持てた……」
自分の手の中で開いたり閉じたりする銀色の箸をまじまじと見つめて、芳香は驚いたようにそう呟いた。
「でも、これじゃあ食べられないぞ」
芳香の腕は、まだぴんと伸びたまま。しかし、青娥の口元には笑みが浮かんでいた。
「食べられますよ、だって私達は二人で食事しているんですから」
◇◆◇
後で芳香が語った理由は、おおむね青娥の想像と一致するものだった。
神子たちが仲良く食卓を囲んでいるのが、彼女は羨ましかったという。つまり彼女が望んでいたのは、けして自分の食事を食器で食べることではなかった。結局のところ、彼女はあるじと楽しく食事が出来れば何でも良かったのだ。
「はい、あーん」
「あー。あむ、むぐんぐ。美味い!」
「芳香は何を食べてもそう言うわね、楽で良いわ」
「あるじも、あーんだ」
「はいはい、あーん。うん、美味しい。流石は私ね」
だから、青娥はこれを選んだ。そして、これは愛しいしもべのお気に召したらしい。
口の周りをべたべたにして満面の笑みを浮かべる芳香を見て、彼女もまた同じくらいべたべたになった顔で微笑むのだった。
確かに芳香に合っているお話ですね
楽しく食べるのが一番美味しい。原作知らないけど最後の二人を想像するとほのぼのしました。
素晴らしい
食事風景想像してほっこりしました。