どうしてこの世界はこんなにも不幸せに満ちているのか。
窓から差し込む日差しが、私の体をちりちりと焼く。
はっきりって痛い。まぶしい、じゃない。痛い。こちとら騒霊なんだ。
寝かせてくれ。お願いだから。
カーテンは閉めてある。その上私は布団に潜り込んで全音符のように丸まっている。
だというのに、なぜ明るさを感じるのだろうか。
相も変わらず日差しはこうやって私を苛む。朝なんて嫌い。大嫌い。
ああ、ああ、ああ……二度寝だな。
うん、二度寝する。今決めた。私の決定は絶対だ。長女権限、異論は認めない。
何人たりとも、私の二度音を妨げることは――
「ルナ姉ー、いつまで寝てるのー?」
誰だ私の快適な睡眠を邪魔しようとするのは。
リリカか。リリカなのか。リリカだ。メルランじゃないなら良い。
朝から元気なのはいいことだが、巻き込まないでくれ。私は寝るんだ、布団とメロディを奏でるんだ。
「ルナ姉、ルナ姉!」
揺らすんじゃない。
頼む、まだ起きたくないんだ。
用だってないだろう? 早く起きる必要がどこにある。
もう少しでいい。少しでいいから眠らせて。ね、リリカ。ね?
「……えいやっ!」
布団をはがないで。その勢いでカーテンを開けないで。
こいつには日本語が通じないのか。いや、喋ってないけど。
ああ、もう、ああ……やめろ。今の私に休符が入る余地はない。睡眠を奏でさせてくれ。
「おはよ、ルナ姉」
「……」
「おはよー」
「……」
「起きないとマウントポジションとって寝技かけちゃうぞー」
リリカの言葉に、戦慄走る。
メルランは全音符を二分音符にしかしない。だが、リリカは四分休符にしてしまう。
わかるだろう、あのぐにゃぐにゃ感が。
骨が骨の概念を超えて曲がる。私はゴム人形じゃない。
メルランは容赦なく起こしてくるが、それでもせいぜい布団にもぐりこんでくるくらいだ。
私は起きるしかない。そう、それ以外の選択肢は用意されていない。
「あ、起きた起きた。今朝ごはん作るね?」
……せめて作ってから起こしてくれ。
あーあ。結局起きてしまった。今日も、面倒な一日が始まる――
どうしてこの世界はこんなにも面倒なのか。
生きるために食べなければいけない。ならば、騒霊である私は一切の食事をとらなくてもいいではないか。
食事が嫌い、というわけじゃないけども。私だって嫌いな物くらいある。
無理やり食べたくないものを食べる必要はない。
「ちょっとまっててね!」
「ん」
今日の当番であるリリカがサンドイッチを作っている。
こいつは手先が器用だ。無論、私だって器用だが。メルランだって器用だ、そうでなければ楽器など扱えない。
しかし、こうやって目前でみていると……駄目だ駄目だ。
「はい、ルナ姉」
「ん」
妹に手渡される不揃いなサンドイッチ。
機械ではない故、いや、仮に機械であっても、正確無比な形を作り出すことはできない。
だが。しかし。それでも。にもかかわらず。パンの形のいびつさに、私の几帳面さがライヴ後の聴衆のようにざわざわと騒ぎ立てる。
食べてしまえば同じであるともいう。だが、料理というのはまずは見た目で人を楽しませるものではないのか?
とくに、間に挟まっているトマトの輪切り。私はこいつを許すことができない。
というか大体こいつのせいだ。
そもそもトマトとは食用なのか? こんな真っ赤なボディしやがって。
味だってそうだ。何故口の中で味の不協和音を奏でなければならない。毒だろう、これは。
しかも、私のだけトマトが入っている。何故だ……いや、どう考えてもわざとか。
おい、リリカ。分かってるんだろう? お前トマトを入れるときににやりと笑っただろう?
いや絶対笑った。絶対だ。今だって笑っているじゃないか。くそっくそっ。
とりあえず、これは暫く置いておこう。うん。
「あっれ、ルナ姉食欲ないの?」
「いや」
リリカの上目遣い。
16分音符が鳴るように、私は口の中にサンドイッチをねじ込んだ。
……ああ、不協和音が心地よい。
どうしてこの世界はこんなにも煩わしいのか。
買い物など、一人で行けばいい。
それも、生活にどうしても必要なものを買うというわけじゃない。目的はただぶらぶらしたいという理解しがたい物ならなおさらだ。
三人一緒ならまだ分かるけど。今回リリカは家で休むという。何故私が行かねばならん。
奢ってほしいのか?
私の財布が目的なのか?
「いこうよ~いこうよルナ姉~」
「おい」
抱きつくんじゃない。
姉妹だとはいえ、私はべたべたするのはあまり好きではないんだ。
一人でゆったり落ち着いているほうが好きだと言うのに。
おいやめろ、その押し付けてくる胸は何だ、あてつけか。
なぜ次女が一番大きいのか……まったく、理不尽だ。
「いいじゃんルナ姉。行ってきなよ、二人で」
お前は何様だ、リリカ。
誰が二度寝を邪魔した? お前だ。
私がこの怠惰な昼下がりを過ごそうと思っていた聖域、ソファを一人で占領して。
だのに地味に上から目線と言うのが腹だたしい。
くそう、私は行かんぞ、絶対に行かんぞ――
「……ダメ?」
「了解」
はぁ、まったく。
涙目になるんじゃない。その表情は卑怯だ。
着替えをするから、ちょっと待ってて。
どうしてこの世界はこんなにも騒がしいのか。
がやがやと騒ぎたてる人、人、時たま妖怪。
ここは人間の里。散らばる人妖はライヴ会場さながら。
流れていく人の波。広がり、時には収束し。先へ先へ行く気分屋のメルランを追いかけるのが精一杯で。
「ぐ」
人がぶつかってきた。
しかし、ぶつかったとおぼしき青年はこちらを一瞥してすぐに目をそむけた。
そこ行く青年よ。どういうことだ、おい。
ぶつかったことは仕方ない。だが、なぜ君は謝ることをしないのか。
礼儀を知らないか。私がただのか弱い少女だと思って舐めているのか。
言っておくが、人間。私は、君くらいなら屠れるぞ?
おい、おい待て、おい。
……くそう、やはり家でゆっくりしておくべきだったな。
きっぱり断ったら不機嫌になるだろう。
メルランの機嫌は変わりやすいが、しかし。何か御菓子を与えればすぐに治る。
涙目などに負けるべきではなかったのだ。
「ルナ姉、ルナ姉ー? どうしたの?」
「ん?」
私が肩を押さえてぼんやりと立ち止まっている間に、メルランが私の近くまで戻ってきていた。
なんでもない、と私は何食わぬ顔でメルランを促す。
このままさっさと終わらせてしまおう。さて、メルラン。次はどこへ向かうというんだ?
「……はぐれないよーに、手つなご」
「は?」
な、何を言っているんだこいつは。
落ち着けメルラン。何故手を繋ぐ必要がある。
はぐれやすい、か。確かに人は多いな、だが、で、何故、手をつなぐ?
もっと何かあるだろう?
……は、腕組み!?
論外だ。そんな阿呆なことをするのはバカップル程度だ。私らはただの姉妹だろう、何を考えているんだ! 落ち着け!
「えへー」
……まぁいい。
しかし……柔らかいな、この手は。
存外に買い物もいいかもしれないな。さて、メルラン。次はどこへ行くんだ?
どうしてこの世界はこんなにも新しいものを求めるのか。
リリカには秘密、と言いながら小さな和風の茶屋に入り。ほうじ茶とともに渡されたメニューを開いた私の目に飛び込んできたのは、カタカナで書かれた文字の多さだった。
おい、外見の和風さはどこに行った。私は和菓子の方が好きだというのに……「ルナサ」だって「プリズムリバー」だってカタカナだが、そんなのは関係ない。
帽子についた飾りが赤くたって、トマトは嫌いなのと同じだ。
「お嬢ちゃん達、ご注文は?」
「草団子」
「ルナ姉ってば、あいかわらず爺臭いなぁ。あ、私は店長おすすめ特別ティラミスパフェクリームましましでお願いね~」
「あいよ!」
いいじゃないか、草団子。いわゆるよもぎ団子。何が悪いというのだ。おいしいではないか。
それに比べて、メルラン。お前が頼んだものは何だ?
まぁ、ティラミスパフェは認めてあげよう。私だって嫌いじゃない。特別、も許容範囲だ。
クリーム増しとはなんだ。貴様はラーメンでも注文しているのか? ネギましましか?
それと店長。和服を着ているならもっと別の物をおすすめするべきだ。草団子とか。
「あ、このほうじ茶おいしいね」
「む」
……うん、これはいい。
こんなにうまいほうじ茶を入れられるのに……パフェなどに頼らずともこの店はやっていける。ああ、草団子が楽しみになってきた。
「はいよ、特ティラクリームまし!」
略すな。
パフェ成分どこ行った。それではティラミスとの差別化ができないではないか。
しかも、メルランの方が早い。まぁ、パフェの方が早く来るのは分かる。
草団子よりも手がかかるうえ、食べる時間も長くなる。非常に合理的な考えだ、嫌いではない。
で。
メルランの前に置かれた……ええと、店長おすすめ特別ティラミスパフェ、クリームましましはそれはそれは豪勢なものだった。
幾層かのティラミス、そして山のように盛られた生クリームに突き刺さるスティック(食用)。スティック(食べられる)。スティック(可食)。
その形を例えるなら……例えるなら、ええと、なんだ――あれだ。アレに酷似している。
そう、メルランの帽子の先についてる青い奴。
「はいよ、よも団!」
略すな。
何故こっちも略すんだ。二字じゃないか。たった二字じゃないか。
むしろ草団子でいいじゃないか。漢字にすれば字数同じじゃないか。どうしてそこであきらめるんだ。もっと頑張ってもいいじゃないか。
……しかし案外時間がかかったな店主。メルランの帽子の先についている奴が私の帽子の先についている奴みたいになっているではないか。大分削れたぞ。棒の残機はゼロだ。
私ならスティックは最後まで食べずに残すのだけどね。リリカは……あー、どうだったかな。忘れた。
まあ、どうでもいい。そんなことに構ってられるか。
食べ進めるメルランの仕草を見ているだけで和む――否。花より団子だ。今私の前にはつやつやした濃緑が輝いているんだ。
食べよう。食べるしかない。私は、草団子を食べるんだ。
……この衝動、ヴァイオリンを弾くときに似ているな。
「――!」
ぱくりと。
そして、私に衝撃走る。
例えるなら、そう、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番。いわゆるスプリングソナタ。私とは正反対の明るい曲調のソナタである。私の口内に春が来た。
美味い。美味いぞ。これはいい。
もっちり、メルランの頬のような弾力。
そしてその中。この店の特徴か、餡子を付けて食べるのではなく、既に餡子が内包されているのだ。
まさしく伏兵である。ライヴでいうとリリカ。深くは語るまい、美味だからな。
くぅ、これはいい。いくらでも食べられそうだ。腹周りと財布と私で三者面談をすれば、だが。
ぱくり、ぱくりと。
頬が緩む。緩んでそのままこぼれ落ちそうだ。
美味しいものは人を笑顔にさせるな。
笑顔が一番だ。メルランも、ほら、いい笑顔だしな。
ぱくり、ぱくり、ぱく――おい、メルラン。ちょっとまて。おい。落ち着け。
人が見ていないからといって、そうやって私の草団子を食べるのは許されない。
ほぅ、しらを切るか。私は見ていたぞ。おい、何とか言ったらどうだ。
「てへっ」
「許さん」
「ル、ルナ姉があんまりにもおいしそうだったから!」
そういう誤解を招くような言い間違いをするんじゃない。
大体、そんなことを言うなら、すでにいくらかのクリームでデコレートされたメルランの方がだな……ええと、その、あくまで変な意味でなくて……いや違う、そうだとしてもおかしい、あの、例えだ。物の例えと言うやつだ。うん。落ち着こう。
気付かれぬように、浅く浅く深呼吸。よし、これでいい。
「口」
「……へ?」
「と、頬」
「え、うーん……?」
気付け。
身振り手振りを加えているのに何故気付かないんだメルラン。はぁ、しかたない。
備え付けのちり紙を手にとって、メルランの頬を撫でる。
「あ、クリームか。なるほどなるほどなるほどね~」
「然り」
「ありがとルナ姉!」
「慎重に」
「わかったわ!」
そう言ってすぐに頬を汚すメルラン。
まったく、お前の楽譜に休符やピアニッシモはないのか。32分音符とフォルティッシモだけじゃ疲れるというのに……特に、周りが。
せめて、せめて4分音符やメゾフォルテくらいにだな。
にしても。
……草団子より柔らかかったな。認識を改めよう。
どうしてこの妹はこんなにも元気なのか。
家を出たのは昼間。今は夕方。私はもう疲れたよ。
だのに、メルランは元気いっぱい。
おかしいな。財布は中々軽くなったのに、体が重いぞ?
「……ルナ姉、疲れちゃった?」
「程々に」
空元気だ。伝われ。
「そっか。じゃあまだ行けるよね?」
「ええと」
分かってくれ、メルラン。感じろ、察してくれ。
姉がいまこう、凄い気だるそうな顔をしているだろう?
妹として、気を使ってくれないか?
「行けるよね?」
「あの」
伝わらないか。伝われ、頼む伝わってくれ。
ほら、足が産まれたての小鹿状態じゃないか。プルプルじゃないか……飛んでるけど。わざと震わしているけど。
「……無理?」
「行ける」
即答だった。
アンコールしたわけでもないのに、涙目再び。
……はぁ、いくら言っても聞いてくれそうにないからね。
こういうのは姉が折れなきゃいけない。
お姉ちゃんは辛いよね、ね? ははは。はは……は。
どうしてこの妹はこんなにも邪魔なのか。
疲れて帰ってきた姉を迎える体勢が、ソファでの居眠りか。メルランは寝室の方に行ってしまったし。
折角土産を買ってきたというのに。草団子だぞ、草団子。10個入りのお徳用だ。5個入りよりも地味に安い。
自己主張の激しい店長の名前がでかでかと書かれた箱に入っているけど、中身はうまいんだよ?
賞味期限短いと言うのに。保存のために湖の妖精を買収すると、9個になって3-3-3-1で分ける計画が3-3-2-1になってしまうじゃないか。ちなみに1はお供え物。
悪くなる前にメルランと二人で食べるぞおい、リリカ。何とか言ったらどうなんだ。おい、朝誰かさんが私にやった様に起こしてやろうか?
「ルナ姉……」
……風邪ひくとよくないからな、とりあえず何かかけてやらないと。
おーいメルラン。毛布か何か持ってきて。
おーい?
返事がないな。無視か。
こんな妹にしたのは誰だまったく……しかたないな。私がとってくるしかない、か。
「ダメ……いっちゃやだルナ姉」
「どうしたリリカ大丈夫かどこか痛むのか何か嫌なことがあったのか私に話してみろなんでもいい話してくれリリカ――」
「その先は崖……むにゃむにゃ」
「――」
こいつ、寝言か!
……いや、わかってた。なんとなくわかっていた、うん。
焦ってなんかないよ?
まさかそんな、楽譜を見失った指揮者のように腕をプルプルさせてるなんてことが、そんな、くっそ。
起きろリリカ。このままじゃ私がただの変な人になっちゃうじゃないか。
起きろ、ほら、ほら。
「あ、ルナ姉がリリカ襲ってるー」
「違う!」
「……ルナ姉?」
どうしてこの妹はこんなにも間が悪いのか。
まぁ、そうだ。よく見れば今の私はリリカの肩に手をかけて身を乗り出してるわけで。顔も近い。
……違うんだぞ?
決して、何、メルランが暗に示したアレじゃなくて、その、そういう意味はなくてだ。
理解しろ。感じるんだ。ほら、何を言いたいかわかるだろう? なぁリリカ。
「ルナ姉、リリカが寝てるのをいいことに悪戯を」
「違う」
「え、そ、そんな……私達、姉妹だよ」
「違う」
「姉妹を超えた関係になりたいんですって、うふふ、お盛んね」
「黙れ」
「え、そ、そんないきなり……」
「話を」
「私は席を外した方がいいかしら~」
「おい」
「わ、私……ルナ姉になら……いいよ?」
「――」
沈黙。
私は一生このテンションにはついて行けない。
無論、妹たちだって実際どうなのかは分かっている。だからこそ、こうやって悪乗りするんだ。
まあでも仕方ない。リリカは確かに寝ていたわけで。少しばかり驚かせてしまったのは否めない。
許してやろう。私は姉だから、ここは懐の広さをな。
「実は私、最初から起きてたよ」
起きてたのか。
そうかそうか。
……前言撤回だ。
手を素早くリリカの腰に回し、私は大きく回転した。
後ろに。
形崩れのスープレックスが、程よく決まる。
「ぐえぇ」
リリカはハ音記号のようにぐにゃぐにゃとしていた。
だけどリリカは強い子。きっと大丈夫。そして、私の狙いはメルランに変わる。
「あ、今の姉さんはやば――」
「待て」
主犯は奴だ。
力に訴えてるわけじゃないぞ。罪には罰が伴わなければならないだけだ、うん。
メルランに抱きついて、渾身の力で締め上げた。
そう、まるでト音記号のように。
まきついているのが私だ。
どうしてこの妹達はこんなにも草団子を否定するのか。
「否定はしないけどさー。もっと、なんかあるじゃん。山査子餅とかさ」
皆で席について草団子を食べる。
なんだかんだいいながら、リリカは一人で6つ食べてしまった。
まぁ、私達は既に食べてきたからいいのだけど。ただメルランに二つ食べられてしまったのがいただけない。
お前、昼間も一つ食べただろうに。
「私特ティラクリームましまししか食べてないしー」
「えっ、メル姉特ティラ食べたの? それもクリームましましで。いいなー」
「おいしかったわよ、特ティラクリームましまし」
何故こいつらは特ティラで通じるんだ。
なんだ、一般的な言葉になってきたのか?
外人が「特ティラおいしいアルよ」「オゥ、特ティラ! ワタシ知ってるよ特ティラ。イッツデリシャス!」みたいな会話を繰り広げると言うのか?
まったく、私はどうにも理解できない。生まれは日本じゃないのに、なぜこうも私だけ日本に順応したのだろうか。
「ルナ姉、今度は三人で行くよ!」
「初めからリリカもくればよかったのにー」
「だってメル姉と目的のない買い物とか絶対疲れるじゃん」
「うわぁひどーい。メルラン泣いちゃう」
「ホントの事だし。と言うわけでルナ姉、今度そこに私を連れていって、山査子餅を奢って!」
「御断る」
「うわぁ丁寧かつきっぱりと断られた!」
奢りじゃなければ、まぁ、考えなくもないのだが。
……山査子餅、か。中々な物を所望するんだな、リリカ。
あの店にあるのか? そもそも、読み方すら危ういのではないか。おそらくメルランは分かっていないだろうし。
さんざしピン。もしくはシャンジャーズビン。中国のお菓子だ。
あの店長ならやりかねないが……茶屋で売られる山査子餅。幻想郷らしいな。
「ねーねーいいじゃん、可愛い妹のためだと思ってよー」
リリカが無邪気な笑みを浮かべてじゃれついてくる。
だが、私は知っている。あの笑顔の裏には、悪魔が潜んでいることを。
「あ、リリカだけずるいわ! 私も私も~」
メルランが抱きついてくる。
両手に霊。並みの人間なら恐怖を抱くだろう――いや、少女の外見だ、興奮するか? まぁ、それはいい。
生憎私も霊だ。こんなのに屈するわけにはいかない。
あとメルラン、お前からやけにずっしりと重みを感じる。私としては胸のフォルティッシモが原因だと思う、もっとデクレッシェンドしようか。主に、ピアノ・ピアニッシモの私達のために。
「ねーねー」
「ねーねー」
ああもう、うるさいうるさい。
……この生活が、今は幸せなんだけどね。
どうしてこの世界はこんなにも幸せに満ちているのか。
月明かり差し込むベッドに腰掛け、私はヴァイオリンを手に取る。
手を触れず弾く事も出来る、だが今は自分で弾きたい気分だった。
結局二人に押し負け、約束を交わしてしまった。明日また、あの茶屋に向かう。
早すぎる。だが、それもまたいいかもしれない。
音を奏でるときは、誰だって素直になるものだ。
歌にせよ、楽器にせよ。自分に嘘をついて奏でた音楽に意味はない。
楽器に向きあって、そして馬鹿正直に。空気を震わせろ。感情を、鳴らせ。
弓を使う必要はない。ヴァイオリンは指でも弾ける。
はらり、と弦を撫ぜる。
ぽろり、こぼれた音は、どこか外れていた。
人に聞かせる音楽なら、これではいけない。だけど、今は私だけ。聴衆はいない、一人のライヴ。
小さく小さく、妹たちに聞こえないように音を立てるのだ。
ふと、自らの頬に手を伸ばしてみた。
メルランほどではないが、柔らかな頬。自分でも割ともち肌だと思う。
と言うことは、例えるなら草団子なのだろう。どこまでいっても私は草団子でしかないのだ。
ともすれば、メルランは店長おすすめ特別ティラミスパフェクリーム増し、だろうね。
私達の中で一番に目立つのは、いつだってメルランだ。
和、洋の間には中がある。リリカは山査子餅かな。ちょうど赤いし。それに少々地味――ああ、草団子の私が言えたことじゃないか。
またヴァイオリンに触れてみる。
撫ぜれば撫ぜるほど、音に命が吹きこまれていく。
音楽は生きている。否、生き物は音楽だと置き換えてもいい。そして、私達だって音楽だ。
メルランのパートは、ト音記号で書かれているだろう。
フォルテの多い、刺激的な曲に違いない。感情も高ぶるが、ただ、聞いていて疲れてしまう。超絶的な技巧を要求されるに違いない。
リリカのパートは、ハ音記号で書かれているだろう。
すでに忘れ去られてしまった幻想の記号。紡がれる音楽もまた、夢のような旋律か。そして、繊細。フォルテもピアノもないのだろう。故に物足りなさを覚えることもあるかもしれない。
そして、私のパートはヘ音記号。ヴァイオリンよりも、チェロとかのほうが引きやすそうだ。ゆったりとした物悲しい音楽。優雅だが、気分は下がる。聞いているだけで寝てしまう事もありえるだろう。
その三つで構成されたのが、プリズムリバー楽団。もしくは、プリズムリバー三姉妹。
三人で一つだ。それぞれがそれぞれを補ってこそ、私達だ。
そして、その楽譜を作り出してくれたのは――
――ああ。目頭が熱くなってきた。
こうなると、この静かな演奏会にも熱が入ると言う物で。私は少しテンポを速める。
曲名などはない。即興の曲。そのうち、書き表すかもしれない。だが今は自由に弾いていたいと思える。
例え、私達が模倣された物だとしても。私達と言う楽譜がプリズムリバー四姉妹、否、プリズムリバー一家という楽譜をリスペクトして作られただけのまがいものだったとしても。
私は、私達は、それでいい。
生み出してくれた貴女はもういない。だが、私達がいる。貴女を、貴女と言う音楽を、覚えている私達が。貴女の作り上げた音楽は、いつまでも残り続けよう。
けして不協和音なんかではない。私達は、最高傑作だ。
どうしてこの世界はこんなにも――こんなにも、美しいのか。
愛しい妹へ、ありがとう。
ありがとう……レイラ。
「――なくて……」でしょうか?
音楽を上手く文章に取り込んでいて、とてもよかったです!
妹が好きだからこそ苦労してしまうのはもはや長女の宿命ですねぇ
ご馳走さまでした
しかも無理なくイイハナシダナーでビシっとしめてる。いいもの読んだ。
作品と文章も噛みあってたし、読んでよかったです
草団子美味しいですよね。何というか、重みを感じる甘さがあるんですよあれは。
プリバ好きとしてはもっと作品が増えて欲しいというのは良くわかります。
上目遣いリリカ可愛いよリリカ!
小気味よいテンポの中、幸せな時間を楽しめました
「プリズムリバー一家」の雰囲気が、読んでいて心地よかったです。