夕日が沈み、月の光が墓地を照らす。適度な湿り気は虫達を集め、蛍達はちらほらと自由に飛びまわっている。無機質な墓地の不気味さと蛍の光が交じり合ったその光景は、何とも夜ならではの魔力を感じさせてくれる。
物好きには堪らない隠れスポットであるが、夜の墓地に好き好んで足を運ぶのは、墓泥棒か物の怪くらいである。
「やっみっに、かーくれって、生っきっる~……♪」
そんな隠れスポットで、小声で歌を洩らしながら暇を持て余す妖怪が一人。
「あっちき~は唐~傘妖~怪なーのさっ♪」
誰に対して歌っているわけでもない。小傘は暇に対して歌っていた。そうでもしなければ、押し寄せてくる無音の世界に押しつぶされそうな気がしたからだ。
「人~に姿を見っせらーれぬ、見つかっちゃった~らおっどろっかない♪」
人を驚かすにここほど最適な場所は無いだろう。人間という生き物は恐怖に鈍感だ。故に人間は、恐怖に対する耐性が強くない。つまり墓地というこの敷地は、人の心を脅かすに最も適した場なのだ。
「早く人間驚かせた~い……」
だが、釣り場として考えるならばここは実は微妙な場所であることを、小傘はまだ理解していなかった。夜の墓場に足を踏み入れる物好きは、そうそう現れない。釣り針に掛かる魚がいなければ、釣りをする意味が無いのだ。
故に、小傘は暇を持て余していた。
「んぁ~! 暇よー暇暇」
所詮歌は歌。歌詞が途切れりゃ一寸先は無音の世界。暇に押し切られ、小傘は竿石にお尻を乗せると駄々っ子のように足をじたばたと振った。
「来ないなー人間……」
人間ハンティング三日目。三日前に来た墓泥棒は、実に素っ頓狂な叫び声を上げて逃げて行ったものだ。今までこの墓場で驚かし屋稼業を続けてきて、小傘が驚かすことの出来なかった人間はいない。ただし空を飛んでいない人間に限るが。
「人間はサボり屋ばかりだわ」
小傘にとっては、この夜こそが稼ぎ時。今の自分は遅刻せずに皆勤賞を続けている優等生だと信じている。勿論、人間の稼ぎ時はとうに終わっているのだが。
「むー……あんたらは光ってりゃいいからいいわよねえ」
下駄の鼻緒に停まった蛍を見つめ、小傘はぼそっと不満を洩らす。やれやれ今日も釣果は無しか。彼らが美しいのは嫌いじゃないが、小傘にとっては些か静か過ぎた。尤も、静かだからこそ人間の悲鳴が冴え渡るのだが。
「むー……おっ?」
そんな小傘の色違いの双眼が、動く影を捉えた。蛍の群れが左右に割れたからすぐに分かった。間違いない、誰かが来る。
「……にひっ」
小傘の八重歯が闇夜に光った時には、既に竿石の上に小傘は居なかった。久々の獲物だ。しっかりともてなしてやらねばならない。
墓地は広い。何より小傘は既に、この墓地の勝手を知っている。だから正面からやって来た標的に気付かれずに小傘が背後に回るのは、容易なことだった。
「……んん?」
標的は今も気付かずふらふらと、覚束ない足取りで墓地を一人歩きしている。絶好のチャンス。今なら確実に驚かせる事が出来るだろう。しかし相手の背後に回ったあたりで、小傘は気付いたのだ。それが人間では無いことに。
(なんだ、妖精じゃんか)
「うー近い、夏が近いですよー……暑いのは嫌ですよー……」
純白の服を纏い、とんがり帽子を頭に乗せた、半透明色の羽と、長い金色の髪が映える、小さな小さな妖精は、ぶつくさと独り言を呟きながら墓地を歩いていた。
正直ちょっとがっかりだ。どうせ驚かすなら人間の子供がよかったのだが。それにしてもこんな夜に妖精一匹一体何の用事でこんな辺鄙な場所に迷い込んだのだろう?
(うー……ええい仕方ない! この際妖精でもいいや!)
これ以上我慢する方が体に毒だ。病は気から。最近知り合った尼公がそんなことを言っていたのを思い出す。自らの健康のためにも、今日はあの妖精を驚かそう。小傘はそう決めた。
「墓場は結構……涼しいですねー……夏場はここも悪くないですよー……?」
(よし……もう少し)
小さい妖精故、彼女の歩幅は狭い。爪先立ちで足音立てずにゆっくり近付いているつもりでも、小傘は思いの外スムーズに標的との距離を詰める事が出来た。
(よし、今だ!)
満を持して、小傘は行動に移った。
「ちょいとそこのお嬢さん……」
「!」
ぴたりと止まった瞬間、妖精の肩が一瞬だが、ぴくりと上がったのが確認出来た。間違いない。彼女は今恐れを感じたのだ。
やれる。奇襲の成功を確信し、小傘はバッと傘を広げ、とどめの一言を放った。
「うーらーめーしーやー!」
振り返り、目が合った瞬間の決め台詞。決まった。彼女の瞳孔がきゅっと細くなったのが見て取れた。
「ひっ――」
一瞬漏れる上ずった声。これはとっておきの悲鳴が押し出される合図だ。そして小傘の思惑通り、背後から驚かされた妖精は、あらん限りの声で悲鳴を上げた。
「ふぎゃあああああああああああぁぁぁぁひぎえええええええええええええぇぇぇぇぇあんぎゃおぇあああぃぃぃぃひふぅはあああああああああああああんおぇっへほっなぎゃんぐあえええええどぼるぶぁあああわぁあああああああるふぁふぉふぁあああああぁぁぁぁじゅんぐるゃああああああああああ!!!!!!!!!!」
(うるせえええぇぇ!!)
実に予想以上の悲鳴だったが予想以上過ぎた。驚きの悲鳴が最高のご馳走である小傘でも、流石にこの悲鳴は大きすぎた。人間で言うならば有無を言わさず口にゆで卵を五個押し込められたかのような心地である。何しろ息継ぎ無しでこれだけの悲鳴を上げられたのだからたまらない。
「な、なんて悲鳴上げんのさ……!」
「ひ、ひいいぃぃぃ……っ」
あまりの大絶叫に驚かせた側の方が実は驚いていたのだが、威嚇以上の声を発したこの妖精は腰を抜かし、がくがくと震えていた。
(ちょっと驚いたけど、相当ビビリみたいだわーこの子)
「あ、あわわわ……」
目から涙を流して震えているこの妖精は、どうやらパニック状態になっていた。人形のように澄んだ瞳を大きく開いてガチガチと歯を鳴らしているその様は、諮らずとも小傘の「さでずむ」をくすぐった。
(にっしっし……こうなりゃ気絶するまで驚かせてやるんだから)
「う、ううう……お、おおおおお化けですよよよ出てきちゃいましたよもう一巻の終わりですよぉ……!」
ここまでご丁寧に驚いてくれる奴は滅多にいない。そうと決まれば心ゆくまで驚かせてやらねば、唐笠妖怪の名が廃るというものだ。
「うふふふふ……さぁて、どうやってお嬢ちゃんを料理してやろうかなぁ~……」
手をわきわきさせながらこちらに近付いてくる墓場のお化けに戦慄した妖精は観念したのか、天を仰いだ。
「ああ……リリーはもうおしまいですよ……このお化けに素っ裸にひん剥かれて酷い事されるですよ……」
「え?」
「リリーは知ってるんですよ……お化けは墓場で夜の運動会するって知ってるんですよぉ……!」
「ちょ、それ逆――」
「きっとケダモノのようにリリーはこのたわわに稔った身体を隅々まで貪られてしまうですよ……!」
「いや、言うほどたわわじゃ――」
「でもどーせ! どーせ食われるんならイケメンがよかったですよ! リリーにだって人を選ぶ権利はあるんですよぉ……!」
「ちょっとあんた、人の話――」
「ああ! 故郷のお父様お母様申し訳ありません! リリーは汚れた妖精になってしまうですよぉ! でも、でもこんな強引なシチュエーションにちょっとだけ妙な胸の高鳴りを感じてるリリーはもしかしたら変態かもって誰が変態じゃあ!!」
「何言ってんの!?」
一人勝手に涙して勝手に激怒する妖精は、ぎゃんぎゃん喚きながらも相変らずガタガタ震えている。怖がってるくせにこんなよく喋る者を、小傘は未だかつて見たことが無かった。
「さっきから黙って聞いてりゃ随分勝手に騒いでくれるじゃないのさ」
「あわわわ、お化けが怒ったですよぉ……! 元はと言えば全部サニーが悪いんですよ……あいつがそんなに暑けりゃ墓にでも行きゃいいじゃないとか言うからこんなことになったんですよ。そもそも墓に行きゃいいって何ですかって話ですよバカンス気分で墓に行けるんなら苦労しないっつー話ですよこんなとこに来る奴なんて物好きか泥棒か変態くらいしかいないですよサニーはからかったつもりでしょーけどその結果がこの有様ですよこれじゃリリーが変態ですよおのれサニーぅおのぉれサニイイィィィィ!!」
「だからうるさいっての!」
「ひぎゃあああぁお化けがマジギレですよおぉぉ!」
小傘は困った。怖がってくれているのは間違いないがこのリリーと名乗る妖精、パニックになりすぎていてとにかくうるさい。これでは追い討ちかけようにもかけられない。
「あああぁぁとうとうひん剥かれる時がやってきたですよぉ!」
「だからひん剥かないってば!」
「ひん剥くに決まってるですよぉ! ひん剥いてあの傘から出た舌で身体中舐め回されてリリーはビクンビクンアハーンされて悪い意味で大人の階段登るシンデレラぁ!」
「ひん剥かないし舐めもしないっての!」
「リリーのたわわな身体じゃ不満かコンチキチョーこの不景気なご時世に贅沢言ってんじゃねえですよぉ! さあやるならとっととやりやがれぇ! リリーの心と身体の準備はウェルカムだうわああぁぁん!」
「抱かれる準備すんな! あとどんだけたわわ主張したいの!?」
もはや泣いてるのか怖がってるのか怒ってるのか誘ってるのか分からない。とりあえず誘われても困る。いくらこちらから手を出してもこの五月蝿さではどうしようもない。小傘は困り果てた。
「……? 襲ってこないですよ……この強姦お化けいつまで経ってもリリーをひん剥きに来ないですよ」
「だれが強姦お化けか」
一向に何もされないことに気付いた妖精はようやく落ち着きを取り戻したのか、警戒の色を濃く残しながらも小傘をじっと見た。
「私はあんたをちょいと驚かそうと思っただけなんだけどなぁ」
「リリーを……驚かす……?」
「私は人が驚く声を聞くのが好きなただの驚かし屋妖怪であって、あんたみたいな妖精をひん剥いたりは――」
「寄るなァ変態ィ!」
「はいィ!?」
ようやく落ち着いたと思った妖精は再び発火した。いったい今のやり取りのどこに火種があったのか理解出来ず、小傘は固まった。
「ああぁぁぁまさか強姦魔じゃなく露出狂だったとわぁ!」
「露出狂!?」
「こんな夜更けにミニスカで生足アピールするあざとさを見抜けなかったとはリリー一生の不覚!」
「ちゃうわぁ!」
「チキチョー墓場で変態の素っ裸見せられるなんて誰得もいいとこですよまだ快楽の狭間に突き落とされたほうがマシってもんですよこれも全部サニイィィィのせいですよおのれサニイィィィ!!」
「黙れェ!」
いつもは能天気な小傘もこれでは生きてる心地がしない。相手は相変らず生まれたての小鹿のように震えながら涙を流して怯えているにもかかわらず、何故か後手に回っているのは奇襲を仕掛けたはずの小傘なのだ。
「ええいコンチキチョーリリーだって伊達や酔狂で春を告げ回ってるわけじゃねえですよこっちにだって意地がありますよどーんとたわわな胸を張ってこの変態の一部始終しかと見届けてやるですよたわわァ!」
「だからあんたにたわわ要素皆無だから!」
「変態がリリーに指図すんなこのすっとこどっこいこちとらいきなり腰抜かされてブルブルマナーモード街道まっしぐら被害者だってんですよこの怖がってるリリーの表情をたっぷり舐め回すように楽しんでそのちっぽけな自尊心を精々満足させやがれぇうわあぁぁお母ちゃあぁぁぁん!」
「やめて! なんか私が可哀想な奴みたいだから!」
「ああもう今日は厄日もいいとこですよぉ! なんでリリーはこんなとこで変態に絡まれなきゃならないってんですかこの世にゃ神も仏もありゃしねぇお先真っ暗な上に目の前にいるのは変態って救いようも無いですよおのれサニイィィィ!!」
「サニイィィィって誰なのよぉ!」
くどいようだがこの妖精は怯えている、泣いている、震えている。なのに小傘はもはや驚かせている場合ではなかった。
こいつは駄目だ。もはや正気を失って驚くとか驚かないとかそういう範疇を超えた領域に入ってしまっている。小傘は正直少しこの発狂妖精が怖くなってきた。
「うびえええぇぇ! さあ脱げ! 脱げばいいじゃないですかぁ! 脱いであんたの桜咲くならぁ咲かせりゃいいじゃないですかぁ! 今年のリリーはもうお役御免だからせめて最後にその桜の咲き様見てやるですよぉ!」
「そんな桜咲かせたくないんだってばぁ!」
「うぎいぃぃもう脱ぎもしないし脱がせもしないぃこの変態お化け何がしたいのか分からんですよ! 私か! 私が脱げばいいんですか!? そうすりゃ全て丸く収まるんならそうしてやるですよ夏になる前にリリーが今年最後の一花咲かせてやろうかぁ!」
「あーもー分かったから! 私が悪かったから許して!」
とうとう小傘は折れた。その場に平伏し、頭を下げた。一言で言えば土下座した。もう耐えられなかった。この空気が耐えられなかった。もうこの妖精の大絶叫を聞くだけで気が狂いそうな気がしたのだ。
「わぎゃあああぁぁいきなり土下座してきて一体全体今度は何のつもりですかぁ! もう分かんない! リリーにゃこの変態が何しに来たのかさっぱり分からんとですよぉ!」
「ちょっとした出来心だったのよぉ! そんな驚くなんて思ってなかったし私はちょっとだけ驚く声が聞きたかっただけなの!」
「ああぁあったま混乱してきたですよ散々リリーのこと振り回すだけぶん回した挙句既に変態の目的は達成されてるってどういうことですかこれなんていう投げっぱなしジャーマンですかぁ!」
「うわああぁんお願いだからもう許してよ私が悪かったからぁ!」
「チキチョー散々叫んで腰抜かして泣かされた挙句勝手に謝られてリリーは一体何のためにこんな茶番劇に付き合わされてんですか春妖精馬鹿にしてやがるんですかぁ! リリーは泣いてる! 変態も泣いてる! 一体これ誰得なんだか分かったもんじゃねえですよきっとこんなリリーの姿をサニイィィィが影で笑ってるに違いないですよおのれサニイィィィ!!」
「いやああああぁぁもう誰かこいつ止めてよおぉぉ!」
夜の墓場でわんわん泣いてる妖怪と妖精。夜中にこんな騒音大迷惑劇が繰り広げられることになるとは誰が予想したであろう。
「あ、リリーがいたわ! 全く、探してたんだから!」
「ほんとだ、こんなとこで何やってんのかしら」
「春が終わっちゃったから自棄になってるんじゃない?」
それはリリーにとっても小傘にとっても助け舟と呼べる声だった。その声はリリーがよく知る三人の声であり、小傘は全く知らないが、とりあえずこの場に割って入って来てくれる声ならもう大歓迎であった。
「ルナ! スター! そしてサニイィィィ!!」
「……なんかすごい剣幕で睨まれてるわよサニー」
「なんか恨まれるようなことした?」
「し、知らないわよそんなこと!」
ようやく表情を明るくしながらもその内の一人にだけやたら鋭い視線を向けるリリーを見て、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三妖精は顔を見合わせた。
「あああぁぁ危機一髪でしたよ助かったですよおぉ!」
「一人で勝手に墓場になんて足運んでるから妖怪にちょっかい出されるのよ」
すっかり顔が真っ赤なリリーを抱き起こしながら、ルナは未だに土下座したままの唐傘妖怪に注意深く目を向けた。
「……で、これは一体どんな状況なのかしら?」
「……」
小傘は土下座ポーズのまま動かない。
「三人とも気をつけるのですよ! この傘お化けとんでもないド変態なのです!」
「変態……?」
「いきなり後ろから転ばされてリリーは素っ裸にさせられるかと思ったんですよぉ!」
「通り魔だわ!」
「通り魔ね!」
「変態ね!」
「でも通り魔かと思ったら実は露出狂だったのです! 危うくリリーは見たくもない素っ裸を見せられるところだったんですよぉ! あの足が証拠です!」
「ミニスカだわ!」
「生足ね!」
「変態ね!」
「とぉころがどっこいこいついきなり土下座してきたんですよぉ! もうリリーは何がなんだか頭ぐーるぐるなってしまってもうちんぷんかんぷんでとち狂うかと思ったのですよぉ!」
「きっと苛められたいんだわ!」
「どえむね!」
「変態ね!」
「……」
四匹に増えた妖精達はやんややんやと好き勝手に小傘を指差して喋繰っていた。
「と、とにかくこいつの前にいるのは危険なんじゃない?」
「そ、そうねスター……ここはひとまず退散しなきゃた方がいいんじゃ……」
「何言ってんのよルナ! 大事な妖精仲間が変態に汚されかけたのに黙ってるわけにはいかないわ! そうでしょリリー!」
サニーの言葉に、リリーは胸を打たれ瞳を潤ませた。そして小傘は動かない。
「サニイィィィ……リリーのために戦ってくれるのですか……?」
「当ったり前じゃない! それにあいつさっきからずっと動かないし!」
「どえむだからね!」
「変態だもの!」
ごんっ
「……え?」
その音は、結束力が強まった四人の妖精の目の前で聞こえた。ずっと土下座姿勢で固まっていた妖怪は、その頭を石畳が割れるほどに強く打ち付けていたのだ。
「あー……そうよね……あちき……戦えばよかったんだわ……戦って黙らせりゃよかったのね……」
ふらっと立ち上がったその妖怪から滲み出る妖気に、四人の妖精は思わず後ずさりした。
「な、何かやばいんじゃないサニー……?」
「だ、大丈夫よルナ! 私達三人が力を合わせりゃ怖いものなんてないわ!」
「サニイィィィ! リリーも忘れちゃ駄目ですよ!」
「そうね! 今は三妖精改め、四妖精なのよ!」
しかし仲良し四人組もその威圧感をぐっと堪え、妖怪と向き合う。顔を上げた妖怪の双眼には、燃え滾る憎悪が映っていた。
「たかだか妖精が変態変態と随分言ってくれたじゃない……さすがに傷ついたわぁ……もうあんたら全員酸性雨で溶かしてやるんだから!!」
「ギャアアァァ! リリー達の服を溶かして素っ裸にする気満々ですよぉ!!」
「ルナ! スター! 覚悟はいい!?」
「もちろん! 妖精が変態に負けてなるもんですか!」
「逆にボッコボコにして縛りつけてやるわ!」
一人のあまりに不運な妖怪と、あまりに思い込みの激しい春妖精率いる四人の妖精は、それぞれの思いを胸に、夜の墓場の大戦争が幕を開けたのだった。
「もう絶対妖精相手になんかしないんだからああぁぁ!!」
「サニイィィィ! 行けえェ! 忌まわしい記憶とともにィィ!!」
夜が明けた。朝日は墓石を照らし、小傘の顔に反射した。
「……」
小傘はただ、呆然と墓に背を預け呆然としていた。そして彼女の膝の上にはすやすやと吐息を立てたまま眠っている、あのやかましい妖精の姿があった。
「あーもー……何やってんだろう私は」
昨晩は散々だった。さすがの小傘も四対一では苦戦を強いられ、深夜の弾幕合戦は対戦時間約三十分という、妖精の戦いの中では歴史に残るであろう熾烈を極めた。
「もう妖精を驚かすのだけはごめんだわ……」
勝敗を分けたのは、助っ人三妖精のうちの一人、スターと呼ばれた長い髪の少女が根負けして一足先に逃亡したのがきっかけだった。そこから妖精達の強固なチームワークは一気に瓦解。戦う前にあれほど結束を強くしていたサニー、ルナの二名もあっさりとリリーを見捨てて逃亡してしまったのだ。
おのれサニイィィィ! と泣きながら一人果敢に攻めてくるリリーと呼ばれていたこの妖精。実はこの妖精が一番弱かった。弾幕を出すことすら忘れ、ぐるぐるパンチで泣きながら小傘を叩く彼女の姿はもはや哀れとしか表現出来ず、最初は怒りに我を忘れていた小傘も、彼女が泣きつかれて寝てしまうまで、結局彼女を引っ叩くことすら出来なかったのだ。
「ほんっと……寝てる顔は随分と可愛らしいのにねえ」
これが昨晩墓石が割れんばかりの勢いで喚き散らしていた妖精なのかと思うと、それを直に見た小傘ですら疑問に思ってしまう。それほど彼女の寝顔は柔らかさと和やかさを醸し出していた。
「んー……ん?」
そして、リリーは目覚めた。小傘は少しだけ警戒するが、動かない。
馬鹿みたい。正直小傘はそう思った。とっとと帰ればよかったのだ。放っておけばよかったのだ。
「えーとここは……墓場!? ひぅ!? 妖怪!?」
恐らく今目の前で飛び起きた彼女は、また馬鹿みたいに騒ぐのだろう。きっと私はそれを無理やり黙らせるか根負けして今度こそ逃げ出すか、どちらかの行動を取るのだろう。
でも小傘は、彼女を置いては行けなかった。
「あ、あああぁぁの何で私はこんなとこで寝てたのでしょうか……!?」
飛び起きたこの妖精は自分が妖怪の膝の上で寝ていたのに気付き、慌てて小傘から一歩離れつつも、彼女にそう問い掛けた。
「何って……あんたが昨日自分から墓場に来たんじゃないの」
「ふえ?」
「覚えてないわけ?」
どうやらこの妖精は昨晩散々騒いだことを完全に忘れてしまっているらしい。
「えーと昨日は……ああ、最後の花見で神社の宴会に誘われて、サニーさんから何か変な味のジュース飲まされてから……何か頭くらくらしてそれで……」
「それ、ジュースじゃなくてお酒じゃない?」
小傘にそう突っ込まれ、妖精はたちまちその白い肌を赤く染めて顔をぶんぶんと横に振って慌てだした。
「だっ、だだだ駄目ですよ私はお酒だけは本当に駄目なんです! お酒飲むとわけ分からなくなっちゃっていろんな人に迷惑かけちゃうみたいで……はっ、もしかしてここで私妖怪さんに迷惑なことしちゃったんですか!?」
あわあわとその妖精は目に涙を浮かべあたふたと動揺し始める。でも、小傘には分かった。これは昨日とは違う動揺だと。
「……あははっ、何もしてないよ。あちきはただ倒れてたあんたを見物してただけさね」
そう、そうなのだ。私はただ酔っ払いに喧嘩を吹っかけて返り討ちにあったただのお馬鹿な唐傘だ。昨日あったことは、お酒が起こしたちょっとした騒動に過ぎなかったのだ。
だから、小傘は許すことにした。今、目の前に自身より力が上である妖怪がいながらも、その妖怪に気を遣って困り顔をしているこんな妖精の姿を見せられては、もはや怒る気にもなれなかった。
「そ、そうでしたか……ご迷惑をおかけしました。私はリリーホワイト。春を告げる妖精です」
「ふーん。私は多々良小傘。見ての通りの唐傘お化け」
深々と頭を下げる春の妖精に、小傘は気さくに名前を返した。
「でも、何で妖怪の小傘さんが、わざわざ私みたいな妖精を?」
リリーは首を傾げて問い掛ける。格下の妖精の面倒をわざわざ見る妖怪なんて珍しいからだ。小傘はんーと頬を掻き、少し照れ臭くこう返した。
「忘れ傘は、見捨てられないタチなんでね」
「何のことですか?」
「どこぞの太陽にでも聞きゃいいんじゃない?」
妖怪の言葉の意味を解せない小さな妖精の困り顔を見て、青空のような右目と、春告草の花のような左目は、確かに笑ったのだった。
~完~
物好きには堪らない隠れスポットであるが、夜の墓地に好き好んで足を運ぶのは、墓泥棒か物の怪くらいである。
「やっみっに、かーくれって、生っきっる~……♪」
そんな隠れスポットで、小声で歌を洩らしながら暇を持て余す妖怪が一人。
「あっちき~は唐~傘妖~怪なーのさっ♪」
誰に対して歌っているわけでもない。小傘は暇に対して歌っていた。そうでもしなければ、押し寄せてくる無音の世界に押しつぶされそうな気がしたからだ。
「人~に姿を見っせらーれぬ、見つかっちゃった~らおっどろっかない♪」
人を驚かすにここほど最適な場所は無いだろう。人間という生き物は恐怖に鈍感だ。故に人間は、恐怖に対する耐性が強くない。つまり墓地というこの敷地は、人の心を脅かすに最も適した場なのだ。
「早く人間驚かせた~い……」
だが、釣り場として考えるならばここは実は微妙な場所であることを、小傘はまだ理解していなかった。夜の墓場に足を踏み入れる物好きは、そうそう現れない。釣り針に掛かる魚がいなければ、釣りをする意味が無いのだ。
故に、小傘は暇を持て余していた。
「んぁ~! 暇よー暇暇」
所詮歌は歌。歌詞が途切れりゃ一寸先は無音の世界。暇に押し切られ、小傘は竿石にお尻を乗せると駄々っ子のように足をじたばたと振った。
「来ないなー人間……」
人間ハンティング三日目。三日前に来た墓泥棒は、実に素っ頓狂な叫び声を上げて逃げて行ったものだ。今までこの墓場で驚かし屋稼業を続けてきて、小傘が驚かすことの出来なかった人間はいない。ただし空を飛んでいない人間に限るが。
「人間はサボり屋ばかりだわ」
小傘にとっては、この夜こそが稼ぎ時。今の自分は遅刻せずに皆勤賞を続けている優等生だと信じている。勿論、人間の稼ぎ時はとうに終わっているのだが。
「むー……あんたらは光ってりゃいいからいいわよねえ」
下駄の鼻緒に停まった蛍を見つめ、小傘はぼそっと不満を洩らす。やれやれ今日も釣果は無しか。彼らが美しいのは嫌いじゃないが、小傘にとっては些か静か過ぎた。尤も、静かだからこそ人間の悲鳴が冴え渡るのだが。
「むー……おっ?」
そんな小傘の色違いの双眼が、動く影を捉えた。蛍の群れが左右に割れたからすぐに分かった。間違いない、誰かが来る。
「……にひっ」
小傘の八重歯が闇夜に光った時には、既に竿石の上に小傘は居なかった。久々の獲物だ。しっかりともてなしてやらねばならない。
墓地は広い。何より小傘は既に、この墓地の勝手を知っている。だから正面からやって来た標的に気付かれずに小傘が背後に回るのは、容易なことだった。
「……んん?」
標的は今も気付かずふらふらと、覚束ない足取りで墓地を一人歩きしている。絶好のチャンス。今なら確実に驚かせる事が出来るだろう。しかし相手の背後に回ったあたりで、小傘は気付いたのだ。それが人間では無いことに。
(なんだ、妖精じゃんか)
「うー近い、夏が近いですよー……暑いのは嫌ですよー……」
純白の服を纏い、とんがり帽子を頭に乗せた、半透明色の羽と、長い金色の髪が映える、小さな小さな妖精は、ぶつくさと独り言を呟きながら墓地を歩いていた。
正直ちょっとがっかりだ。どうせ驚かすなら人間の子供がよかったのだが。それにしてもこんな夜に妖精一匹一体何の用事でこんな辺鄙な場所に迷い込んだのだろう?
(うー……ええい仕方ない! この際妖精でもいいや!)
これ以上我慢する方が体に毒だ。病は気から。最近知り合った尼公がそんなことを言っていたのを思い出す。自らの健康のためにも、今日はあの妖精を驚かそう。小傘はそう決めた。
「墓場は結構……涼しいですねー……夏場はここも悪くないですよー……?」
(よし……もう少し)
小さい妖精故、彼女の歩幅は狭い。爪先立ちで足音立てずにゆっくり近付いているつもりでも、小傘は思いの外スムーズに標的との距離を詰める事が出来た。
(よし、今だ!)
満を持して、小傘は行動に移った。
「ちょいとそこのお嬢さん……」
「!」
ぴたりと止まった瞬間、妖精の肩が一瞬だが、ぴくりと上がったのが確認出来た。間違いない。彼女は今恐れを感じたのだ。
やれる。奇襲の成功を確信し、小傘はバッと傘を広げ、とどめの一言を放った。
「うーらーめーしーやー!」
振り返り、目が合った瞬間の決め台詞。決まった。彼女の瞳孔がきゅっと細くなったのが見て取れた。
「ひっ――」
一瞬漏れる上ずった声。これはとっておきの悲鳴が押し出される合図だ。そして小傘の思惑通り、背後から驚かされた妖精は、あらん限りの声で悲鳴を上げた。
「ふぎゃあああああああああああぁぁぁぁひぎえええええええええええええぇぇぇぇぇあんぎゃおぇあああぃぃぃぃひふぅはあああああああああああああんおぇっへほっなぎゃんぐあえええええどぼるぶぁあああわぁあああああああるふぁふぉふぁあああああぁぁぁぁじゅんぐるゃああああああああああ!!!!!!!!!!」
(うるせえええぇぇ!!)
実に予想以上の悲鳴だったが予想以上過ぎた。驚きの悲鳴が最高のご馳走である小傘でも、流石にこの悲鳴は大きすぎた。人間で言うならば有無を言わさず口にゆで卵を五個押し込められたかのような心地である。何しろ息継ぎ無しでこれだけの悲鳴を上げられたのだからたまらない。
「な、なんて悲鳴上げんのさ……!」
「ひ、ひいいぃぃぃ……っ」
あまりの大絶叫に驚かせた側の方が実は驚いていたのだが、威嚇以上の声を発したこの妖精は腰を抜かし、がくがくと震えていた。
(ちょっと驚いたけど、相当ビビリみたいだわーこの子)
「あ、あわわわ……」
目から涙を流して震えているこの妖精は、どうやらパニック状態になっていた。人形のように澄んだ瞳を大きく開いてガチガチと歯を鳴らしているその様は、諮らずとも小傘の「さでずむ」をくすぐった。
(にっしっし……こうなりゃ気絶するまで驚かせてやるんだから)
「う、ううう……お、おおおおお化けですよよよ出てきちゃいましたよもう一巻の終わりですよぉ……!」
ここまでご丁寧に驚いてくれる奴は滅多にいない。そうと決まれば心ゆくまで驚かせてやらねば、唐笠妖怪の名が廃るというものだ。
「うふふふふ……さぁて、どうやってお嬢ちゃんを料理してやろうかなぁ~……」
手をわきわきさせながらこちらに近付いてくる墓場のお化けに戦慄した妖精は観念したのか、天を仰いだ。
「ああ……リリーはもうおしまいですよ……このお化けに素っ裸にひん剥かれて酷い事されるですよ……」
「え?」
「リリーは知ってるんですよ……お化けは墓場で夜の運動会するって知ってるんですよぉ……!」
「ちょ、それ逆――」
「きっとケダモノのようにリリーはこのたわわに稔った身体を隅々まで貪られてしまうですよ……!」
「いや、言うほどたわわじゃ――」
「でもどーせ! どーせ食われるんならイケメンがよかったですよ! リリーにだって人を選ぶ権利はあるんですよぉ……!」
「ちょっとあんた、人の話――」
「ああ! 故郷のお父様お母様申し訳ありません! リリーは汚れた妖精になってしまうですよぉ! でも、でもこんな強引なシチュエーションにちょっとだけ妙な胸の高鳴りを感じてるリリーはもしかしたら変態かもって誰が変態じゃあ!!」
「何言ってんの!?」
一人勝手に涙して勝手に激怒する妖精は、ぎゃんぎゃん喚きながらも相変らずガタガタ震えている。怖がってるくせにこんなよく喋る者を、小傘は未だかつて見たことが無かった。
「さっきから黙って聞いてりゃ随分勝手に騒いでくれるじゃないのさ」
「あわわわ、お化けが怒ったですよぉ……! 元はと言えば全部サニーが悪いんですよ……あいつがそんなに暑けりゃ墓にでも行きゃいいじゃないとか言うからこんなことになったんですよ。そもそも墓に行きゃいいって何ですかって話ですよバカンス気分で墓に行けるんなら苦労しないっつー話ですよこんなとこに来る奴なんて物好きか泥棒か変態くらいしかいないですよサニーはからかったつもりでしょーけどその結果がこの有様ですよこれじゃリリーが変態ですよおのれサニーぅおのぉれサニイイィィィィ!!」
「だからうるさいっての!」
「ひぎゃあああぁお化けがマジギレですよおぉぉ!」
小傘は困った。怖がってくれているのは間違いないがこのリリーと名乗る妖精、パニックになりすぎていてとにかくうるさい。これでは追い討ちかけようにもかけられない。
「あああぁぁとうとうひん剥かれる時がやってきたですよぉ!」
「だからひん剥かないってば!」
「ひん剥くに決まってるですよぉ! ひん剥いてあの傘から出た舌で身体中舐め回されてリリーはビクンビクンアハーンされて悪い意味で大人の階段登るシンデレラぁ!」
「ひん剥かないし舐めもしないっての!」
「リリーのたわわな身体じゃ不満かコンチキチョーこの不景気なご時世に贅沢言ってんじゃねえですよぉ! さあやるならとっととやりやがれぇ! リリーの心と身体の準備はウェルカムだうわああぁぁん!」
「抱かれる準備すんな! あとどんだけたわわ主張したいの!?」
もはや泣いてるのか怖がってるのか怒ってるのか誘ってるのか分からない。とりあえず誘われても困る。いくらこちらから手を出してもこの五月蝿さではどうしようもない。小傘は困り果てた。
「……? 襲ってこないですよ……この強姦お化けいつまで経ってもリリーをひん剥きに来ないですよ」
「だれが強姦お化けか」
一向に何もされないことに気付いた妖精はようやく落ち着きを取り戻したのか、警戒の色を濃く残しながらも小傘をじっと見た。
「私はあんたをちょいと驚かそうと思っただけなんだけどなぁ」
「リリーを……驚かす……?」
「私は人が驚く声を聞くのが好きなただの驚かし屋妖怪であって、あんたみたいな妖精をひん剥いたりは――」
「寄るなァ変態ィ!」
「はいィ!?」
ようやく落ち着いたと思った妖精は再び発火した。いったい今のやり取りのどこに火種があったのか理解出来ず、小傘は固まった。
「ああぁぁぁまさか強姦魔じゃなく露出狂だったとわぁ!」
「露出狂!?」
「こんな夜更けにミニスカで生足アピールするあざとさを見抜けなかったとはリリー一生の不覚!」
「ちゃうわぁ!」
「チキチョー墓場で変態の素っ裸見せられるなんて誰得もいいとこですよまだ快楽の狭間に突き落とされたほうがマシってもんですよこれも全部サニイィィィのせいですよおのれサニイィィィ!!」
「黙れェ!」
いつもは能天気な小傘もこれでは生きてる心地がしない。相手は相変らず生まれたての小鹿のように震えながら涙を流して怯えているにもかかわらず、何故か後手に回っているのは奇襲を仕掛けたはずの小傘なのだ。
「ええいコンチキチョーリリーだって伊達や酔狂で春を告げ回ってるわけじゃねえですよこっちにだって意地がありますよどーんとたわわな胸を張ってこの変態の一部始終しかと見届けてやるですよたわわァ!」
「だからあんたにたわわ要素皆無だから!」
「変態がリリーに指図すんなこのすっとこどっこいこちとらいきなり腰抜かされてブルブルマナーモード街道まっしぐら被害者だってんですよこの怖がってるリリーの表情をたっぷり舐め回すように楽しんでそのちっぽけな自尊心を精々満足させやがれぇうわあぁぁお母ちゃあぁぁぁん!」
「やめて! なんか私が可哀想な奴みたいだから!」
「ああもう今日は厄日もいいとこですよぉ! なんでリリーはこんなとこで変態に絡まれなきゃならないってんですかこの世にゃ神も仏もありゃしねぇお先真っ暗な上に目の前にいるのは変態って救いようも無いですよおのれサニイィィィ!!」
「サニイィィィって誰なのよぉ!」
くどいようだがこの妖精は怯えている、泣いている、震えている。なのに小傘はもはや驚かせている場合ではなかった。
こいつは駄目だ。もはや正気を失って驚くとか驚かないとかそういう範疇を超えた領域に入ってしまっている。小傘は正直少しこの発狂妖精が怖くなってきた。
「うびえええぇぇ! さあ脱げ! 脱げばいいじゃないですかぁ! 脱いであんたの桜咲くならぁ咲かせりゃいいじゃないですかぁ! 今年のリリーはもうお役御免だからせめて最後にその桜の咲き様見てやるですよぉ!」
「そんな桜咲かせたくないんだってばぁ!」
「うぎいぃぃもう脱ぎもしないし脱がせもしないぃこの変態お化け何がしたいのか分からんですよ! 私か! 私が脱げばいいんですか!? そうすりゃ全て丸く収まるんならそうしてやるですよ夏になる前にリリーが今年最後の一花咲かせてやろうかぁ!」
「あーもー分かったから! 私が悪かったから許して!」
とうとう小傘は折れた。その場に平伏し、頭を下げた。一言で言えば土下座した。もう耐えられなかった。この空気が耐えられなかった。もうこの妖精の大絶叫を聞くだけで気が狂いそうな気がしたのだ。
「わぎゃあああぁぁいきなり土下座してきて一体全体今度は何のつもりですかぁ! もう分かんない! リリーにゃこの変態が何しに来たのかさっぱり分からんとですよぉ!」
「ちょっとした出来心だったのよぉ! そんな驚くなんて思ってなかったし私はちょっとだけ驚く声が聞きたかっただけなの!」
「ああぁあったま混乱してきたですよ散々リリーのこと振り回すだけぶん回した挙句既に変態の目的は達成されてるってどういうことですかこれなんていう投げっぱなしジャーマンですかぁ!」
「うわああぁんお願いだからもう許してよ私が悪かったからぁ!」
「チキチョー散々叫んで腰抜かして泣かされた挙句勝手に謝られてリリーは一体何のためにこんな茶番劇に付き合わされてんですか春妖精馬鹿にしてやがるんですかぁ! リリーは泣いてる! 変態も泣いてる! 一体これ誰得なんだか分かったもんじゃねえですよきっとこんなリリーの姿をサニイィィィが影で笑ってるに違いないですよおのれサニイィィィ!!」
「いやああああぁぁもう誰かこいつ止めてよおぉぉ!」
夜の墓場でわんわん泣いてる妖怪と妖精。夜中にこんな騒音大迷惑劇が繰り広げられることになるとは誰が予想したであろう。
「あ、リリーがいたわ! 全く、探してたんだから!」
「ほんとだ、こんなとこで何やってんのかしら」
「春が終わっちゃったから自棄になってるんじゃない?」
それはリリーにとっても小傘にとっても助け舟と呼べる声だった。その声はリリーがよく知る三人の声であり、小傘は全く知らないが、とりあえずこの場に割って入って来てくれる声ならもう大歓迎であった。
「ルナ! スター! そしてサニイィィィ!!」
「……なんかすごい剣幕で睨まれてるわよサニー」
「なんか恨まれるようなことした?」
「し、知らないわよそんなこと!」
ようやく表情を明るくしながらもその内の一人にだけやたら鋭い視線を向けるリリーを見て、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアの三妖精は顔を見合わせた。
「あああぁぁ危機一髪でしたよ助かったですよおぉ!」
「一人で勝手に墓場になんて足運んでるから妖怪にちょっかい出されるのよ」
すっかり顔が真っ赤なリリーを抱き起こしながら、ルナは未だに土下座したままの唐傘妖怪に注意深く目を向けた。
「……で、これは一体どんな状況なのかしら?」
「……」
小傘は土下座ポーズのまま動かない。
「三人とも気をつけるのですよ! この傘お化けとんでもないド変態なのです!」
「変態……?」
「いきなり後ろから転ばされてリリーは素っ裸にさせられるかと思ったんですよぉ!」
「通り魔だわ!」
「通り魔ね!」
「変態ね!」
「でも通り魔かと思ったら実は露出狂だったのです! 危うくリリーは見たくもない素っ裸を見せられるところだったんですよぉ! あの足が証拠です!」
「ミニスカだわ!」
「生足ね!」
「変態ね!」
「とぉころがどっこいこいついきなり土下座してきたんですよぉ! もうリリーは何がなんだか頭ぐーるぐるなってしまってもうちんぷんかんぷんでとち狂うかと思ったのですよぉ!」
「きっと苛められたいんだわ!」
「どえむね!」
「変態ね!」
「……」
四匹に増えた妖精達はやんややんやと好き勝手に小傘を指差して喋繰っていた。
「と、とにかくこいつの前にいるのは危険なんじゃない?」
「そ、そうねスター……ここはひとまず退散しなきゃた方がいいんじゃ……」
「何言ってんのよルナ! 大事な妖精仲間が変態に汚されかけたのに黙ってるわけにはいかないわ! そうでしょリリー!」
サニーの言葉に、リリーは胸を打たれ瞳を潤ませた。そして小傘は動かない。
「サニイィィィ……リリーのために戦ってくれるのですか……?」
「当ったり前じゃない! それにあいつさっきからずっと動かないし!」
「どえむだからね!」
「変態だもの!」
ごんっ
「……え?」
その音は、結束力が強まった四人の妖精の目の前で聞こえた。ずっと土下座姿勢で固まっていた妖怪は、その頭を石畳が割れるほどに強く打ち付けていたのだ。
「あー……そうよね……あちき……戦えばよかったんだわ……戦って黙らせりゃよかったのね……」
ふらっと立ち上がったその妖怪から滲み出る妖気に、四人の妖精は思わず後ずさりした。
「な、何かやばいんじゃないサニー……?」
「だ、大丈夫よルナ! 私達三人が力を合わせりゃ怖いものなんてないわ!」
「サニイィィィ! リリーも忘れちゃ駄目ですよ!」
「そうね! 今は三妖精改め、四妖精なのよ!」
しかし仲良し四人組もその威圧感をぐっと堪え、妖怪と向き合う。顔を上げた妖怪の双眼には、燃え滾る憎悪が映っていた。
「たかだか妖精が変態変態と随分言ってくれたじゃない……さすがに傷ついたわぁ……もうあんたら全員酸性雨で溶かしてやるんだから!!」
「ギャアアァァ! リリー達の服を溶かして素っ裸にする気満々ですよぉ!!」
「ルナ! スター! 覚悟はいい!?」
「もちろん! 妖精が変態に負けてなるもんですか!」
「逆にボッコボコにして縛りつけてやるわ!」
一人のあまりに不運な妖怪と、あまりに思い込みの激しい春妖精率いる四人の妖精は、それぞれの思いを胸に、夜の墓場の大戦争が幕を開けたのだった。
「もう絶対妖精相手になんかしないんだからああぁぁ!!」
「サニイィィィ! 行けえェ! 忌まわしい記憶とともにィィ!!」
夜が明けた。朝日は墓石を照らし、小傘の顔に反射した。
「……」
小傘はただ、呆然と墓に背を預け呆然としていた。そして彼女の膝の上にはすやすやと吐息を立てたまま眠っている、あのやかましい妖精の姿があった。
「あーもー……何やってんだろう私は」
昨晩は散々だった。さすがの小傘も四対一では苦戦を強いられ、深夜の弾幕合戦は対戦時間約三十分という、妖精の戦いの中では歴史に残るであろう熾烈を極めた。
「もう妖精を驚かすのだけはごめんだわ……」
勝敗を分けたのは、助っ人三妖精のうちの一人、スターと呼ばれた長い髪の少女が根負けして一足先に逃亡したのがきっかけだった。そこから妖精達の強固なチームワークは一気に瓦解。戦う前にあれほど結束を強くしていたサニー、ルナの二名もあっさりとリリーを見捨てて逃亡してしまったのだ。
おのれサニイィィィ! と泣きながら一人果敢に攻めてくるリリーと呼ばれていたこの妖精。実はこの妖精が一番弱かった。弾幕を出すことすら忘れ、ぐるぐるパンチで泣きながら小傘を叩く彼女の姿はもはや哀れとしか表現出来ず、最初は怒りに我を忘れていた小傘も、彼女が泣きつかれて寝てしまうまで、結局彼女を引っ叩くことすら出来なかったのだ。
「ほんっと……寝てる顔は随分と可愛らしいのにねえ」
これが昨晩墓石が割れんばかりの勢いで喚き散らしていた妖精なのかと思うと、それを直に見た小傘ですら疑問に思ってしまう。それほど彼女の寝顔は柔らかさと和やかさを醸し出していた。
「んー……ん?」
そして、リリーは目覚めた。小傘は少しだけ警戒するが、動かない。
馬鹿みたい。正直小傘はそう思った。とっとと帰ればよかったのだ。放っておけばよかったのだ。
「えーとここは……墓場!? ひぅ!? 妖怪!?」
恐らく今目の前で飛び起きた彼女は、また馬鹿みたいに騒ぐのだろう。きっと私はそれを無理やり黙らせるか根負けして今度こそ逃げ出すか、どちらかの行動を取るのだろう。
でも小傘は、彼女を置いては行けなかった。
「あ、あああぁぁの何で私はこんなとこで寝てたのでしょうか……!?」
飛び起きたこの妖精は自分が妖怪の膝の上で寝ていたのに気付き、慌てて小傘から一歩離れつつも、彼女にそう問い掛けた。
「何って……あんたが昨日自分から墓場に来たんじゃないの」
「ふえ?」
「覚えてないわけ?」
どうやらこの妖精は昨晩散々騒いだことを完全に忘れてしまっているらしい。
「えーと昨日は……ああ、最後の花見で神社の宴会に誘われて、サニーさんから何か変な味のジュース飲まされてから……何か頭くらくらしてそれで……」
「それ、ジュースじゃなくてお酒じゃない?」
小傘にそう突っ込まれ、妖精はたちまちその白い肌を赤く染めて顔をぶんぶんと横に振って慌てだした。
「だっ、だだだ駄目ですよ私はお酒だけは本当に駄目なんです! お酒飲むとわけ分からなくなっちゃっていろんな人に迷惑かけちゃうみたいで……はっ、もしかしてここで私妖怪さんに迷惑なことしちゃったんですか!?」
あわあわとその妖精は目に涙を浮かべあたふたと動揺し始める。でも、小傘には分かった。これは昨日とは違う動揺だと。
「……あははっ、何もしてないよ。あちきはただ倒れてたあんたを見物してただけさね」
そう、そうなのだ。私はただ酔っ払いに喧嘩を吹っかけて返り討ちにあったただのお馬鹿な唐傘だ。昨日あったことは、お酒が起こしたちょっとした騒動に過ぎなかったのだ。
だから、小傘は許すことにした。今、目の前に自身より力が上である妖怪がいながらも、その妖怪に気を遣って困り顔をしているこんな妖精の姿を見せられては、もはや怒る気にもなれなかった。
「そ、そうでしたか……ご迷惑をおかけしました。私はリリーホワイト。春を告げる妖精です」
「ふーん。私は多々良小傘。見ての通りの唐傘お化け」
深々と頭を下げる春の妖精に、小傘は気さくに名前を返した。
「でも、何で妖怪の小傘さんが、わざわざ私みたいな妖精を?」
リリーは首を傾げて問い掛ける。格下の妖精の面倒をわざわざ見る妖怪なんて珍しいからだ。小傘はんーと頬を掻き、少し照れ臭くこう返した。
「忘れ傘は、見捨てられないタチなんでね」
「何のことですか?」
「どこぞの太陽にでも聞きゃいいんじゃない?」
妖怪の言葉の意味を解せない小さな妖精の困り顔を見て、青空のような右目と、春告草の花のような左目は、確かに笑ったのだった。
~完~
リリーがここまでド変態なのは新鮮でした。お酒って怖いね!
次作も楽しみに待ってます!!!
リリー可愛いよ
いやあ。ここまで突き抜けたリリーは初めて見たww
ああ、態度が変わるで変態ということか。
でも最後はやっぱりふわふわしたリリーで安心した。
>「ミニスカだわ!」
>「生足ね!」
>「変態ね!」
なんて素敵なお馬鹿な妖精さん言語。楽しく読みました。
……ん?誰か独り忘れているような……?