「……なるほどね」
テーブルには紅茶、目の前には彼女の主、横にはその従者、そして図書館の管理病人。紅魔館門番、紅美鈴は、一大決心を胸に、自身の主に一つの提案を出したのだった。
「……正直どう思う? 咲夜」
決断に困ったレミリアは、咲夜の助言を待つ。
「悪くないんじゃないでしょうか?」
家事からボディーガードまで卒なくこなす咲夜は、レミリアに次ぐ権限の持ち主と言って差し支えない。職場上の上司と言ってもいい彼女が思いの外あっさりその案を肯定したのもあってか、美鈴はほっと安堵した。
「確かにここ最近の妹様は、随分と不機嫌でおられましたし」
そう、事の発端はレミリアの妹、フランドール・スカーレット、通称フランから始まる。彼女の不機嫌の原因、それは、
「パチェ、明日の天気は?」
「新聞では晴れの予報だったけど」
「じゃあ明日も雨ね」
そう、ここ数日続いているこの雨である。最近になって大分この幻想郷に慣れてきたのか、はたまたこの世界の気楽な空気に染められたのか、フランは随分と姉であるレミリアの言う事を聞くようになっていた。物はなるべく壊さないようにしているし、物理でスプーン曲げをすることも少なくなったし、ピーマンも食べる。そんなこともあり屋敷の中だけでなく、庭や屋敷近辺の出歩きをようやく許された矢先に、この雨である。
これではまたいつ癇癪を起こすか分かったものではない。それを危惧した紅魔ファミリーが今日、こうして食堂に集まり会同を開いた結果出てきたのが、美鈴の案だった。
「それでいいんじゃない? 安上がりで済むに越したことはないし、気晴らしにはなるでしょう」
「……決定ね」
パチュリーが賛同したのは正直どんな案でもいいからとっとと図書館に戻りたいという本心の裏返しであることはレミリアも承知していたが、それに敢えて茶々を入れることは無かった。ともあれ、美鈴の提案はこうして可決されたのである。
「さてさて、明日は忙しくなりそうですねこれは」
自分の提案が受け入れられたのは久し振りだ。美鈴は苦笑しながらも、内心立ったまま以外の仕事が出来る事を心から喜んでいたが、
「ああ、分かってるとは思うけど美鈴」
「あい?」
「失敗したらどうなるか……分かってるわよね?」
「えーとそれは……お嬢様か咲夜さんにお仕置きされるってこと、ですかねえ?」
おどけて回答してみるが、そんなわけが無いことは美鈴自身がよく分かっている。主であるレミリアが直々に忠告をするということ。それは、普段では有り得ない何かが起こりえることに他ならないからだ。
「もしも正体がバレたら殺されるわよ……? フランに」
「……」
表情が固まった、血の気が引いた、心臓の最初の一鼓動だけが大きく胸に響くのを感じて取れた。最も根本的な落とし穴。この提案、いや、作戦の標的がフランであるからこそ、最も警戒すべきがフランなのだということを、美鈴は完全に見落としていたのだ。
「それじゃ、今日の会議はこれにて終了」
「あんまり有意義な時間じゃなかったわね……」
「早く食事の準備をしないと」
三者はそんな美鈴がまるでいなかったかのように立ち上がり、それぞれがそれぞれの方向へと立ち去っていく。
「あ、あの……」
「明日の活躍を期待しているわよ? 龍神戦士、チャイナマンさん?」
呼び止め掛けた美鈴に、レミリアは笑顔でそれだけ告げると、食堂の扉を閉めたのだった。
「……」
翌朝。どこぞの鴉の予報どおり、天気は雨。そして案の定、フランはぷくっと頬を膨らませ不機嫌絶好調の相を露にしていた。
「あー……やっぱりこうなったわね」
テーブルにはプリンと紅茶。しかしこういう時、子供というものは中々もって気難しいものであり、食べ物与えりゃ大人しくなる、という甘い考えで臨もうというのは浅はかである。自身が望む欲求が満たされない状態の子供というのは、新聞記者や魔法使いより厄介なものなのだ。
椅子に座ったまま仏頂面を決め込んだままのフランを扉の隙間から眺めながら、レミリアは深く溜息を吐く。
「……予想以上に強敵ねあれは。本当に美鈴でなんとかなるの?」
そのレミリアの顔の上にはパチュリー。下手に癇癪を起こされて図書館を荒らされては困るのか、彼女もまた気が気でない様子である。
「……今朝は打って変わって自身満々で任せてくださいって言ってましたし……とりあえず、まずは私が妹様と掛け合ってきます」
作戦の斬り込み隊長を務めるは十六夜咲夜。まずは至って普通に、至って自然にフランと接しなければならない。これは彼女が最も適任だろう。
「妹様、まだ食べていらっしゃらないのですか?」
「私は食べたいなんて言った?」
扉を開けて歩み寄る咲夜には視線も合わせず、フランはただプリンと睨めっこを続けている。
「いけませんよ妹様、せっかくお嬢様が譲ってくださったのですから」
「ふん、どーせ食べすぎで入る胃袋が無いだけでしょ?」
「きー! 私がどんな思いであのプリンを手放したと――!」
「やめなさい500歳。騒ぐとバレるわよ」
扉越しに既に憤慨状態のレミリアを宥めながらも、パチュリーは正直焦っていた。
(一体どれだけ準備に手間取ってるのよ美鈴は。早くしないとフランがほんとに暴れかねないわ)
「お待たせしました!」
そんな心配も束の間、ようやくの真打の到着に、レミリアとパチュリーの表情も和らぐ。
「まったく、遅かったじゃない美……」
「待たせすぎよ美……」
そして振り向き、美鈴のその姿を視界に捉えた瞬間、二人は固まった。
「ご安心をお嬢様、パチュリー様、準備は万端です」
「……」
「……」
「おお、どうやら咲夜さんも上手くやってくれているようですね」
時間が止まってしまった二人をよそに、美鈴は自信に満ち溢れた様子で隙間からその様子を確認する。
「め――」
「それでは行って参ります!」
辛うじて声を発しようとしたパチュリーを気にも留めず、美鈴は食堂へ意気揚々と入って行ったのだった。
「……」
「……終わった」
パチュリーはぼそっと呟き、凍りついたレミリアを放置しその場を後にした。いち早く図書館の本に結界を張るために。
一方咲夜はフランの説得の真っ最中。今か今かと美鈴の登場を待っていた。
「いけませんフラン様。そんなことではあの方に叱られてしまいます」
「あの方ぁ?」
相変わらずの無愛想だが、どうやら少しだけ興味を示したらしい。悪い流れではない。
「ご存知ありませんか? 幻想郷の悪を退治する、正義のヒーローの存在を」
「正義の、ヒーロー……?」
食い付いている。機嫌が直ったとは言い難いが、間違いなく食い付いている。流れは完璧だ。
「ええ、幻想郷の平和を守るのに、人間の巫女や魔法使いの力だけでは限界があるのです。その方は疾風の如く颯爽と現れ、胸に正義の火を灯し、大地のような慈悲心で人々に安らぎを与え、闇に隠れて悪を討つのです」
「へー、なんかかっこいいね! どんな人なんだろ……」
(見事に食い付いていますね。正直、ここまであっさりと妹様が興味を抱くなんて)
勿論これらの台詞運びは、全て美鈴の手筈通りである。子供というものは男女問わず、英雄や輝かしい者に憧れるもの。妹様もその例外ではない。それが美鈴の意見だった。
紅魔館門番、紅美鈴が提案した「妹様の機嫌を直そう大作戦」の内容はこうだ。幻想郷で活躍する英雄を引き連れ、その英雄がフランの相手をしてくれれば、外の世界に興味津々のフランもきっと機嫌を直す。しかし今更見知った顔が出てきた所でフランが興味を示す訳がない。そこで正義のヒーローに扮した美鈴が、フランの相手をしてご機嫌を取るのと合わせて、色々と社会常識を教育してやろう、というものだったのだ。
「会ってみたいですか? 正義のヒーローに」
「そりゃ会ってみたいけど無理よ。こんなに雨が降ってるんだもん……」
窓の外を眺め溜息を吐くフランを見て、咲夜はほくそ笑んだ。「会ってみたい」、その言葉が聞きたかったのだ。
「会えますよ? 妹様」
「え……?」
その言葉に、フランは初めて咲夜を見た。
「ええ、何を隠そうお嬢様は、そのお方の知り合いなのです」
「ええっ、お姉様が!?」
「もうじき来られることでしょう。龍神戦士、チャイナマンさんが」
「龍神戦士、チャイナマン……!」
(輝いている! 妹様の目が輝いている! いけるわよ美鈴、後は貴女の登場に全てがかかっているわ……!)
全ての準備は整った。後は英雄の来訪を待つばかり。そして、扉は開かれた。
「ふはははは! 麗しきメイド長さん、長らく待たせてしまったね!」
「!」
「!」
勇ましく、雄雄しき笑い声。吸血鬼とメイドの視線の先に、「彼」はいた。
「天知る地知るチルチルミチル! 中国四千年の英霊達の魂を胸に! この世に悪がある限り、正義の拳で応えよう! たとえこの拳砕かれようと、幻想郷がある限り、龍の牙が折れることはない! とう!」
持ち前の跳躍力を活かして華麗に空中十回転、たんっと爪先で着地を決め、燃える瞳を携えて、「彼」は名乗った。
「幻想郷を守る正義の使者! 龍神戦士、チャイナマン! ここに見参!!」
恐らくこれが漫画であれば、背景にでかでかと「どどーんっ」と効果音が飾られたであろう。
(決まった……!)
そこには緑色の中華風の衣服を身に纏った、白虎の覆面を被った謎の人物が立っていた。
(龍ウゥゥゥ!!)
咲夜は突っ込んだ。心の中で心の底から突っ込んだ。
「おお、そこにいるのはレミリア嬢の妹様ではないか!」
(何!? 何で!? 何で虎!? っていうか散々待たせておいて変わったの覆面と口調だけ!?)
「……」
ずんずんと近付いてくるチャイナマンに、フランはただぽかんと口を開いているだけである。
「はっはっは、突然にヒーローの登場に驚いてしまっているようだね」
(呆れてんのよ! どっからどう見ても今の貴女は悪ふざけしてるただの門番だから!)
威風堂々のチャイナマンとは裏腹に、咲夜の背筋はすっかり凍り付いていた。終わりだ、出オチだ、大失敗だ。小馬鹿にされたフランが浅間山の如く噴火するのはもはや火を見るより明らかだ。
「咲夜……」
「は、はい、妹様……」
「か……」
「か?」
「かっこいいね……!」
「はぃ!?」
咲夜は思わず裏声で聞き返してしまった。なんということだろう。なんとフランはチャイナマンの正体に気付いていないのだ。それどころか、完全に目の前のタイガーマスクを正義のヒーローと信じ込んでしまっている。
「麗しきお嬢さん、お名前は?」
「あ、えっと……私はフランドール・スカーレット!」
「はっはっは! お姉さんから聞いていたが、元気ないい子だ。しかし好き嫌いはいけないぞ?」
「あ……」
目の前に置かれたプリンをチャイナマンに指差され、フランは慌ててスプーンを手にした。
「わ、私はただじっくり眺めて食べたかっただけなの!」
「はっはっは! それは邪魔をしてしまったね。それでは、私はちょっとお姉さんに挨拶をしてくるから、ゆっくり食べるといい。メイドさん、案内してくれるかね?」
「え、ええ分かったわ美――」
「チャイナマン!」
「わ、分かりましたチャイナマンさん」
目を輝かせて手を振るフランに手を振り返し、チャイナマンは食堂を後にした。
「……」
「……」
バタンと扉が閉められ、数秒に沈黙があった。チャイナマンこと美鈴、そして咲夜は互いの顔を見合わせ、
「はああああ……っ」
大きく息を吐いた。
「あんた何やってんの!? なんで虎!? 任せときなさいとか言っといてこのショッボい変装は何!?」
「押入れにこれしか無かったのだ!」
「だったら足りない分買うなり作るなりしなさいよ!」
「はっはっは! このチャイナマン、金で解決するような汚い真似は断じてしない!」
「黙れ似非ドラゴン! あとその口調やめろ!」
哀れチャイナマン、メイドに胸倉捕まれ早くも大ピンチである。
「まあまあいいじゃない。正直納得出来ないけど、フランも信じ込んでるみたいだし」
チャイナマンはこっそり覗いていたレミリアの助け舟のおかげで何とか難を逃れることが出来た。
「この調子なら作戦もうまくいきそうね。ボロを出さないように一日頼むわよ? 美――」
「チャイナマン!」
「た、頼んだわよチャイナマン……」
あまりの気迫に、主であるはずのレミリアまでもたじろいでしまった。どうやら今ここにいるのは完全に美鈴ではなく、チャイナマンであるらしい。
「あ、チャイナマンいた!」
「!」
こそこそ話をしている間に食堂から飛び出してきたのはフラン。どうやら随分急いでプリンを食べ終えたのか、口元には食べかすがついていた。
「あれ、お姉様今日は部屋でゆっくりしてるんじゃなかったの?」
「あ、え、ええ、ちょっと……そ、そう! 部屋が蒸し暑かったのよ! 雨のせいね!」
「ふーん」
覗き見しているのがバレたらまずい。レミリアは多少不自然ながらも平静を装って返答した。
「それにしても驚いたわー。お姉様が正義のヒーローとお友達だったなんて!」
「そ、そうね! 私も会うのは久しぶりだったから、フランが知らなかったのも無理ないわね」
「どうやって知り合ったの?」
「ふぐっ」
レミリアは油断していた。フランの意識は完全にチャイナマンに向いているという隙を見事に突かれ、レミリアは動揺した。
「え、えーとね……」
「ねーねーどうやって?」
「それは私が説明しよう!」
そこに割って入ったのは何を隠そうチャイナマン。腕を組んだまま、チャイナマンは静かに語り始めた。
「あれは去年の正月のことだった……私がお忍びで博麗神社に御参りに行った際に、一人の魔法使いが賽銭泥棒を働こうとしていたのだ。私はその魔法使いを成敗しようと戦いを挑んだのだが、暗黒キノコパワーを身に着けていた魔法使いの恐るべきパワーに、私は成す術も無かった……しかし、そこに偶然現れた君のお姉さんと力を合わせ、なんとか暗黒キノコ魔法使いを退けることが出来たのだよ」
「へえー、お姉ちゃん凄いね!」
「レミリア嬢の助けが無ければ、私は悪の力に屈していたかも知れない。フランドール嬢も、偉大な姉を見習って、立派な吸血鬼になるんだよ?」
「うん!」
(か、完璧なフォローよ美鈴、いやチャイナマン! ただフォローするだけじゃなくて姉の威厳も保ってくれるなんて……!)
(去年は寝正月だった気がしますが……)
レミリア、咲夜の思いとは裏腹に、フランは完全にチャイナマンの言葉を信じきっていた。
(でも、まあ……妹様もとても嬉しそうですし、悪くはないかな)
少々不服に感じながらも、咲夜は満面の笑顔で懐いているチャイナマンを見て苦笑いした。
(む、あれは……)
そんな咲夜の視線の先に、黒い影が映った。小さな小さなその影、それは一目その目に映っただけで人々を戦慄させる存在。生物史上最速のロケットスタートを誇る節足動物。それを見た瞬間、咲夜の目の色が変わった。そんな咲夜の殺気に気付き、他の三人もまた、その生物を視界に入れてしまった。
「あ」
「うわ」
「げっ」
「ゴキブリ……!」
瞬時に咲夜はナイフを手に持つ。いつも清潔を保っているこの屋敷にいてはならない生物。その存在は消さねばならない。
「待ちなさいメイドさん!」
「美――」
「チャイナマン!」
(ああもうこいつめんどくさい!)
咲夜を静止したのは我等がヒーローチャイナマン。
「美しきレディの手を汚すわけにはいかない。ここは私が相手しよう!」
「あ、ありがとう……」
チャイナマンの紳士ぶりに咲夜の胸が一瞬ときめいたのも束の間、チャイナマンは黒き悪魔に向かって跳躍した。
「その身に受けよ! 必殺――!」
「あ! チャイナマンが必殺技を出すのね!」
「チャイナ・チョップスティックス!」
チャイナマンは懐から箸を取り出すと、音速の如き箸裁きで一瞬のうちに悪魔の動きを拘束した。
「早い……早くて華麗だわチャイナマン!」
「えー……」
瞳を輝かしているフランとは対照的に、レミリアと咲夜は死んだ魚を見るような目でチャイナマンを見ていた。
「必殺技なんだからトドメ刺しなさいよ」
「ふっふっふ、レミリア嬢……敵を倒すのは確かに大切なこと、しかし!」
振り返るとチャイナマンは箸で掴んだ悪魔を向けながら叫んだ。
「正義たるもの、無用な殺生はしてはならないのだ!」
「ギャー! 分かった! 分かったからそれこっちに近付けるな馬鹿!」
「掴むだけ掴んでどうする気なのよそれ!」
「安心するのだメイド長! こやつの始末は私がつける。セリャア!」
張りのある気合とともに、チャイナマンは悪魔を窓の外に放り投げた。空中に放られたゴキブリはそのまま、外を飛んでいた鳥に咥えられ、彼方へと去ってしまった。
「ナーイスキャッチだチャイナバード!」
「結局殺してるじゃない」
「まあ、無用じゃない殺生でしたけど……というかチャイナバードって何」
ぼそぼそと呟く二人をよそに、チャイナマンはフランに問いかけた。
「フランドール嬢。何故私が今、あの虫を鳥に投げたか分かるかな?」
「え……? 食べさせるため、かな?」
「そう、その通り!」
両手をクロスさせビシっとポーズを決めるチャイナマンだが、フランはまだその質問が何を意味するのか理解出来ずに首を傾げる。
「フランドール嬢。命を奪うという行為はとても悲しいことなのだ。しかし、生き物は命を食らわねば生きられぬ存在……ならば無意味に命を奪ってはいけない。私はあの虫の命を鳥に預ける事で、命の尊厳を守ったのだよ。刈られる命の尊厳を守ること、これは大きな力を持ってしまった者の義務なのだ」
「殺したくなくても、殺しちゃった場合は?」
「散った命の分だけ、今ある命を守りなさい」
窓の外を見つめながら、フランは何かを深く考えているようだった。その表情の奥に潜む感情こそ読み取れないが、フランは深く深く、その視界に映らない何かをじっと見つめているように感じられた。
(……正直甘く見てたわね)
レミリアにとって、このフランの態度は大きな変化だった。レミリアの知る限り、フランは生まれて初めて命の尊さというものと初めて向かい合っているように感じられたのだ。
「そうだフラン、折角だし、貴女がチャイナマンに館の案内をしてあげなさい」
「!」
レミリアのその言葉はチャイナマン、咲夜にとっては想定内の言葉であるが、フランにとっては意外な言葉だった。普段客人が来る時は大人しくしているよう注意をするはずの姉が、初めて客人との接触を許可したのだ。
「お姉様……いいの?」
「彼(?)との交流は、貴女にとってもいい経験になるはずよ。フラン、折角の機会だから、今日はたっぷり楽しみなさい」
レミリアは今まで、特に人付き合いに関してはフランに厳格な態度を取り続けて来た。そんな姉が初めて、他人との自主的交流を許可した。最初こそ戸惑ったフランであったが、姉の後押しに、フランは笑顔を咲かせた。
「やった! ありがとうお姉様!」
(まあ、相手は美鈴なんですけどね)
咲夜は口にしなかった。レミリアの意図を理解し、彼女もまた美鈴の可能性を認めたからだ。
「はっはっは! それじゃあ今日は紅魔館のパトロールといこうじゃないか!」
「うん! あと、フランでいいよ、堅苦しいから」
「よーし、それじゃあ出発だフラン!」
「おー!」
高く拳を天に突き上げ、チャイナマンとフランは紅魔館探索へと踏み出した。
「……嫉妬ですか? お嬢様」
「馬鹿仰い。姉が子守りしてどうするのよ」
主と従者は誰にも聞こえぬ声で、どこぞへと冒険に出かける二人を見送っていた。
「……静かね」
図書館内部。パチュリーはいつ訪れるやも知れぬフランの襲撃に怯えながら読書に勤しんでいた。本棚への防護対策は全て施したが、もし本気でフランが暴れたならば、そんなものは気休めにもならないだろう。しかし五分、十分、十五分と時間が過ぎても、一向に地響きどころか窓ガラスの割れる音一つ聞こえてこない。
(まさか、美鈴のあの作戦が成功した……?)
「どうかしましたか? パチュリー様。今日は何時にもまして警戒してますが……泥棒対策ですか?」
「え、ええ、ちょっとやりすぎたかしらね」
せっせと本の整理をしている小悪魔に、パチュリーは笑顔を返す。図書館の一勤務員でしかない小悪魔は、今回の案件に関わっていない。近い未来にこの図書館が荒れるであろうことを、彼女はまだ知らないのだ。
(いざという時は、この子だけでも避難させたほうがいいかしら)
業務上雑に扱っている事は多いが、関係のないゴタゴタに部下を巻き込むほどパチュリーも鬼ではない。もしもこの図書館の扉がぶち壊されるような事態が起こった場合は、速やかに彼女を屋敷外に退避させよう。そう思った矢先である。
「館の廊下、異常なーし!」
「なーし!」
図書館の扉は至って普通に開かれ、入って来たのは人間の形を保っている、いや傷一つ付いていない覆面馬鹿と、衣服に埃一つ付けずに彼女と手を繋ぎ、ご機嫌絶好調な様子のスカーレットの妹。
「……?」
それはパチュリーの想定とはまったく正反対の光景である。故に彼女は、黙って首を傾げた。状況を何一つ聞かされていない小悪魔は、彼女以上に首を傾げた。
「やあやあパチュリー氏、今日も勉学に励んでいるのかね?」
「え、何、どういうことなの美――」
「チャイナマン!」
「え、ええー……?」
このやり取りで、パチュリーは大体の状況を把握した。作戦はまだ失敗していない、むしろ順調なのだと。しかしそれに納得しきれていない自分がいたから、パチュリーは曖昧な返事しか返せなかった。
「えーと……何やってんですか? 美――」
「これはこれは初めまして綺麗なお嬢さん、私は幻想郷を守る正義の使者、龍神戦士、チャイナマンだ」
「は?」
何やっているのだろうこの人は。頭でも打ったか、それとも毒入り紅茶でも飲まされたか……? 状況を飲み込めない小悪魔は険しい顔をした。
「噂には聞いていたわチャイナマン。わざわざ足を運んで来てくれるなんて光栄ね」
「何言ってるんですかパチュ――」
「紹介が遅れたわね。彼女は小悪魔。私の部下みたいなものよ」
「え、この人美――」
「チャイナマンよ」
「美――」
「チャ・イ・ナ・マ・ン……今はそういうことにしなさい」
「はぁ……」
最後だけ小声で小突かれ、小悪魔はとりあえず理解した。理由はよく分からないが、今、美鈴はチャイナマンであり、それに話を合わせなければいけないのだと。
「パチュリー何ボソボソ話してんの?」
「え!? い、いや何でもないわフラン。ほ、ほら小悪魔! 貴女も挨拶なさい!」
「あ、え……ええそうですね。初めましてチャイナマンさん」
パチュリーの動揺する様子から見て、恐らくフランに疑われてはまずい状況なのだろう。小悪魔はそれも理解し、チャイナマンにお辞儀する。
「小悪魔はチャイナマンを知らないの? 正義のヒーローなんだよ?」
「そ、そうでしたか。仮にも悪魔ですので正義とかそういうのはちょっと疎いんですよ、私」
フランがチャイナマンという存在を信じ込んでいるのを凡そ理解し、小悪魔は今現在何が紅魔館内で行われているのかを、ここでようやく悟った。
(なるほど、そういうことですかパチュリー様)
(そういうことよ小悪魔)
アイコンタクトで確認を取る。理解出来たならば、小悪魔ももはや無関係というわけにもいかない。積極的に関わり、この空気を乱さないように、妹様を盛り上げなければならない。
「あ、チャイナマンさん、一つ質問があるんですけど」
小悪魔は行動に出た。まずは話題作りから始めよう。それが彼女の判断だった。
(ナイスよ小悪魔。チャイナマンの秘密を探ることで、フランの興味を掻き立てる戦法ね?)
なかなかの適応力にパチュリーも感心する。初めて会ったヒーローならば、そのヒーローの知識に興味を持つのは当然のこと。ヒーローの必殺技、敵の情報、好きなものや嫌いなもの、それを知ることで、子供は想像力を広げていく楽しみを覚えるのだ。
「何で龍神なのに虎のマスクなんですか?」
「あ、ほんとだ何で!?」
(って馬鹿アァ!!)
まさかのツッコミである。ヒーローの侵してはならない領域に、小悪魔は容赦なく足を踏み入れたのだ。
「それに女性なのにチャイナマンて」
「え、チャイナマン女なの!?」
(やめろォ!! あとフラン気付かなかったの!?)
パチュリーは一瞬でも彼女を評価した自分を恥じたと同時に疑うことを全く知らない妹君に呆れ返った。
(普通駄目でしょ! そういうの聞いちゃ駄目でしょ!? フラン気付いてなかったわよね? 完全に気付いてなかったわよね!? あんた言葉で覆面剥ぐような真似してどうすんのよ!)
「……ふ、気付かれてしまったか。ならば話さねばなるまい」
既に汗ダラダラのパチュリーとは裏腹に、チャイナマンは全く動じなかった。
「かつて、私には兄と姉がいた……」
(なんか始まった!?)
「初代チャイナマンであった私の兄は、私など足元にも及ばぬほどの強き戦士だった。しかし、兄は百年前のあの日を境に謎の失踪を遂げた」
(あの日ってどの日よ?)
「チャイナマン無き世界に平和は保たれない。私は二代目チャイナマンとして、兄の意志を継ぎ日々戦っているのだ」
唇を噛み締め、チャイナマンは続ける。
「しかし強大過ぎる龍のパワーを未だに使いこなせぬ私は、龍と対となる虎のマスクを被ることで、この力を抑えているのだ」
(……あれ、意外とまともな回答ね)
多少気になる部分はあるものの、流石この作戦の提案者というだけある。美鈴は最初からある程度キャラの設定を決めていたのだろう。日頃昼行灯な顔しか見せない美鈴にしては随分と用意周到なことである。フラン、小悪魔も捉え方は違えど、思わずおおーと感嘆の声を漏らした。
(……でも姉の設定いらなくね?)
小悪魔がそこを突っ込まなかったのは幸運と言えるだろう。
「会えるといいね、お兄さんに」
「はっはっは、優しいなフランは。安心したまえ! 兄はこのマスク無しでも戦うことが出来る伝説の戦士だったのだ。きっと今でも元気にしているだろう!」
自由気まま、我侭放題のフランが他者に気を遣ったことが果たして今まであっただろうか。チャイナマンはそんな彼女の小さな優しさを受け止め、彼女の頭を撫でながらきらりと歯を光らせた。
(よく分かりませんが、何だか順調のようですね)
(あんたが余計な質問しなきゃね)
この二人のアイコンタクトに意思の疎通がなされているのかは疑問が残るが、この調子ならばフランの客人案内は無事成功に終わりそうである。日頃見せないフランの穏やかな一面も見ることが出来たし、収穫も大きい。余計なアクシデントさえ起こらなければ、この作戦は大成功のうちに幕を閉じるであろう。
そう、アクシデントさえ起こらなければ。
「おお、今日は随分と騒がしいじゃないか」
入り口から響いたその声に、パチュリーは凍り付いた。その声の主は、パチュリーがよく知る人物。そして今現在想定しうる状況の中で最も乱入してきてはならない人物であった。
「霧雨魔理沙……!」
「いかんな。図書館内はお静かにがここの規則じゃなかったか? パチュリー」
箒を担ぎ八重歯を光らせ、黒き魔女は彼女を茶化す。
「気をつけてチャイナマン! あいついっつもパチュリーの本盗んでるのよ!」
「あ? チャイナマン? 何言ってんだ妹様は――」
強敵を近付けさせんと両手を広げて通せんぼするフラン。その後ろに立っている図書館の異物に気付き、魔理沙は冷めた目でチャイナマンを凝視した。
「……何やってんだ門ば――」
「いつぞやの暗黒キノコ魔法使い……まさかこの紅魔館にまでその魔の手を伸ばしていたとはな……」
「ああん? 何言ってんだ美リ」
「だが諦めろ! このチャイナマンがいる限り、貴様の好きにはさせはしない!」
「あーん……?」
呆気に取られながらも、魔理沙の表情は険しくなる。当然だろう。魔理沙から見ればこの言動は挑発以外の何物でも無いのだ。
「手助けするわチャイナマン」
「えーと、私も参加したほうがいいでしょうか」
パチュリー、小悪魔がチャイナマンの横に立つ。止むを得ない加勢だ。美鈴一人の実力で勝てるほど、霧雨魔理沙は甘くは無い。下手にボロが出る前に速攻で片を付けるのが最善の策だ。
「おいおい四人がかりか。こっちはか弱い乙女だぜ?」
これだけの面子に睨まれては、流石の魔理沙もたじろぐしかない。多少手洗いが、魔理沙には有無を言わさずご退場願おう。パチュリー、小悪魔が先手を打とうとしたその時だった。
「甘く見られたものだな。このチャイナマン、麗しき少女達に助けを求めるほど、落ちぶれてなどいない!」
「!?」
二人が行動に移るより先に、チャイナマンは一足飛びで魔理沙に接近、強烈な掌打を彼女の顔目掛け打ち込んだのだ。
「ちょ、何やってんの美――」
「龍の武人に助けは要らぬ。何故ならこの手は救われるためではなく、救うためにあるのだから!」
パチュリーを無視し、チャイナマンは打撃を難なく箒で受け流した魔女を睨んでいた。相手が一人と分かり、魔理沙は笑みを見せた。
「何だかよく分からんが、私が悪の怪人ってことでいいんだな?」
「覚悟するがいい暗黒キノコ魔法使い!」
「誰が暗黒キノコだ!」
箒を一薙ぎ、それをバク転しながらかわし、チャイナマンは拳を構えた。
「チャイナマン!」
「見ているのだフラン。確かに集団で掛かれば勝つことは出来るだろう……だがそれは、正義の力で勝ったことにはならないのだ! とう!」
フランの声を背中で受け止め、チャイナマンは跳躍した。
「必殺! チャイナ・スクランブル・キーッ――」
しかし次の瞬間チャイナマンの目に映ったのは、暗黒キノコ魔法使いが放つ強烈なレーザービームだった。
「ぐはぁっ!」
「……必殺技叫ぶ暇があったら攻撃したほうがいいんじゃないか?」
直撃し無様に落下したチャイナマンに、魔理沙は呆れ顔を見せるしかない。美鈴が真面目なのか馬鹿なのか理解出来ず、やり辛い。それが魔理沙の正直な感想だった。
「く……やるな暗黒キノコ――」
「だからそれやめろ!」
流石に不快感を露にし、魔理沙は大量の星型弾幕をチャイナマンに向け放つ。チャイナマンも負けじと立ち上がり、星の雨に突っ込んだ。
「ば、馬鹿じゃないの……勝てる相手じゃないのは自分が一番分かってるのに……!」
弾幕の雨の中、それを華麗に避けながら接近を試みるチャイナマンをパチュリーは歯痒そうに見つめていた。
「……正義の味方だから、じゃないでしょうか」
「え?」
「妹様は美鈴をチャイナマンだと信じきっている。その期待を少しでも裏切りたくない。だから、美鈴さんはああやって、本当のヒーローになろうとしているんじゃないでしょうか」
小悪魔の言葉で、パチュリーは思い出した。この作戦の言い出しは美鈴だった。
「失敗したらどうなるか……分かってるわよね?」
レミリアが昨日発した言葉。もし、正体がバレたなら、美鈴は間違い無くフランにボロ雑巾にさせられるであろう。
「そらそらどうしたチャイナマン! お前の正義はそんなもんか!?」
「なんの! チャイナマンは土壇場からが華なのだ!」
だが、それだけではない。
「そんなんじゃいつまでたっても私に拳は届かないぜ?」
「まだまだ! 私の背中に守るべき人がいる限り、私は何度でも立ち上がってみせる!」
正体がバレるということ、それは、フランを騙す、裏切る行為に他ならない。
「……あの馬鹿」
パチュリーは吐き捨てた。一番肝心な事を忘れていたのだ。武人、紅美鈴は、紅魔館で誰よりも簡単に人を信じ、敬い、謀略や嘘を嫌い、裏切るくらいなら進んで裏切られる道を選ぶ、損するタイプの妖怪だということを。
「ああ、チャイナマン……!」
何度近付いても拳は届かず、地面に叩き付けられるチャイナマンを見ていられず、フランはとうとう目を逸らした。
「……駄目よフラン、ちゃんと見なさい」
「パチュリー……?」
そんなフランの横に立ったのは、パチュリーだった。既に泣き顔のフランを見つめ、パチュリーは諭すようにこう言った。
「チャイナマンは私達を守るために戦っているのよ。守られる者が支えてあげなきゃ、ヒーローは戦えない。だからフラン、私達も逃げちゃ駄目なのよ」
「……」
フランには分かっていた。あのヒーローが魔理沙より弱いことを、あのヒーローが自分より弱いことを。それでも、フランはあのヒーローに失望してはいなかった。
「く……流石に手強いな魔法使い……!」
「あんまり無理するなよチャイナマン。正義の味方が悪魔守っても、お釣りは帰ってこないぜ?」
立っているのもやっとな正義の味方。ボロボロになり、肩で息をしている正義の味方。そんな正義の味方の背中を見つめ、フランは叫んだ。
「頑張れ! 負けるなチャイナマン!」
「!」
「勝ってよ! 勝ってまた色々教えてよ! お姉様が凄く偉いこととか! 命の事とか! 今日知らないこと、色々教えてもらって……私、嬉しかった」
「……」
「だから勝って! 私の知らないこと、もっと教えて! 負けるな! チャイナマン!」
「……はは、参りましたねこりゃ」
僅かに苦笑し、美鈴は拳を握った。
「泣かせてくれるじゃないかチャイナマン。でも、そろそろトドメといくぜ? 正義の味方ごっこはこれで終わりだ」
八卦炉を構える魔理沙に対し、チャイナマンは真正面から笑って見せた。
「勘違いしているようだな暗黒キノコ魔法使い……私は正義の味方などではない」
「あ?」
ズンッと響くほど地面を踏み、チャイナマンは叫んだ。
「私は皆の味方なのだ!」
「……あー、分かったぜ、正義だろうが皆だろうがごっこは終わりだ。私も悪役ごっこはいい加減居心地悪いからな!」
魔理沙の苛立ちがピークに達した時、魔理沙の視界にチャイナマンはいなかった。
「――!」
魔理沙の視線の先にいたのは、チャイナマンの後ろで応援をするフランと、パチュリーと、小悪魔。そこにチャイナマンはいなかった。
「龍神奥義……」
その視界の下、魔理沙の懐に、チャイナマンはいた。
「……くそっ」
「チャイナ・ドラゴン・ダイナマイト!!」
強烈な拳は、魔理沙の腹を捕らえた。トドメの攻撃をする隙すら与えられず、魔理沙はその拳を直にお見舞いされ、吹っ飛んだ。
「おお!?」
「わぁっ!」
信じられない逆転劇に、フラン、小悪魔は思わずギュッと強く拳を握った。
「ば、馬~鹿~なァー!」
暗黒キノコ魔法使い、霧雨魔理沙は断末魔とともに窓から外に吹っ飛ばされ、その姿を消した。
「見よ……これぞ正義の力也。覚えておくがいい、全ての悪を滅する、このチャイナマンの名を!!」
チャイナマンは拳を震わせ、今はいない魔理沙に勝利の名乗りを上げた。
「チャイナマン!」
「おふぅ!?」
背後からフランに飛び付かれ、チャイナマンは思わず声を漏らしてよろけた。
「すごいよチャイナマン! 魔理沙にほんとに勝っちゃうなんて!」
「……はっはっは! フランが応援してくれたおかげさ。ありがとうフラン!」
目に涙を浮かべたまま満面の笑顔を見せるフランの頭を撫で、チャイナマンもまた笑顔を見せた。
「本当に、ありがとうフラン」
マスクの下のチャイナマンの瞳は、少し寂しそうだった。
「……チャイナマン?」
「……すまないなフラン。私は、そろそろ行かねばならない」
「ええ!? なんで!?」
ヒーローに別れはつきもの。それを感じ取り、傍観者のパチュリーは小さく息を吐いた。
「助けを求めている人が他にいるのね? チャイナマン」
折角だ、最後までこの馬鹿に付き合ってやろう。パチュリーの渡し舟に、チャイナマンは静かに頷いた。
「私のチャイナ・ザ・耳は五千里先のクラッカーの音も聞き逃さないのだ」
「そっか……そうだよね。困ってる人がいるなら仕方ないよね……」
寂しそうに視線を落とすフラン。頭では分かっていても、早すぎるヒーローとの別れに、まだ未練が残っていた。
「大丈夫さフラン」
そんなフランの両肩に手を置き、チャイナマンはきらりと歯を光らせた。
「言っただろう? 私は皆の味方なんだ。いつかまた必ず、私はまた帰ってくる」
「……ほんとに?」
「本当だとも、何故ならフランも君のお姉様と同じ、私を助けてくれたヒーローなのだからな!」
「……うん、分かった! また遊びに来てね。絶対だよ!」
「はっはっは、チャイナマンは約束は破らん! とう!」
掛け声一つ、チャイナマンは飛び上がると割れた窓の前に立ち、腕を組んで高らかに叫んだ。
「さよならは言わない。また会おう紅魔館諸君! 困った時、いつでも私は駆け付ける! さらばだ!」
(さらばは言うの!?)
パチュリーの心の叫びと共に、チャイナマンはどこぞの空へと飛び立って行ったのだった。
「ねえパチュリー」
ヒーローが飛び去って行った空を見つめながら、フランは呟いた。
「上手く言えないけど……ヒーローって、何だかかっこいいね」
「……そうねフラン」
苦笑しながら、パチュリーは一枚の紙を見つめていた。
『あとで本あげるから、空気読んで負けたフリして』
そう書かれた紙をくしゃりと丸め、パチュリーはそれをゴミ箱に捨てたのだった。
「ああ……疲れました」
紅魔館の正門の前、ボロボロな服装の門番が一人、腰を下ろして天を仰いでいた。
降っていた雨が止んだのは一体何時だったか、どもあれまだ濡れた地面は些か居心地が悪いが、これはこれで悪くない。妙な達成感が、美鈴の心を満たしていた。
「どうしたヒーロー、ボロボロじゃないか」
そんな彼女の前に立ったのは、どこにでもいる普通の魔法使いだった。
「おや、悪玉キノコの魔法使いさんじゃないですか」
「名称変わってるぞおい」
「ま、何だっていいじゃないですか。悪は退治されたんです」
満足げに動く様子の無い美鈴を見て、魔理沙はやれやれと息を吐く。
「ま、悪は退治されたが、正義のヒーローが行き倒れじゃかっこが付かないぜ?」
そんな美鈴の手を握り、魔理沙は彼女を引き起こす。
「乗ってくかいヒーロー? 偶然にも病院に用事があってな」
「おや、いいんですか? 悪役が敵を助けちゃって」
「よくある展開だろ?」
少々狭くなった箒に跨り、魔理沙は飛び立った。
「お前を倒すのはこの俺だ……ってな」
夜が明けた。昨日とは打って変わっての快晴。姉は朝から部屋に閉じこもり、メイドは溜まった洗濯物を干し、図書館主はいつも通り。
「古~中華の伝説の~……♪」
紅魔館の庭で、一人歌を口ずさみ、朝の太極拳をこなしている華人小娘が一人。
「龍~の教え~に~導か~れ……♪」
花壇には雨露を溜めた花々が、太陽に当てられ煌いている。
「誰~も~知~らな~い、そ~の~故郷~……?」
そんな彼女の元に歩み寄る、日傘を差した少女が一人。
「多~分~中国~河南省~……♪」
「美鈴っ」
その少女に声を掛けられ、美鈴はぴたりと動きを止めた。
「おや、妹様、お散歩ですか?」
「うん!」
初めての付き添いも監視もいない一人の散歩を、彼女は心から楽しんでいた。
「昨日が雨だった分、今日はご機嫌の様子ですね」
「そうでもないよ? 昨日も楽しかったもん」
そう言って、フランは美鈴に笑い掛けた。
「昨日ね、正義のヒーローが来てくれたんだよ!」
「チャイナマンですか。昨日は人里に買い物に行かせられてましたからねえ、会えなかったのが残念です」
昨日の体験がよほど新鮮だったのだろう。いつもより気分が高揚している様子のフランに、美鈴は実に残念そうに苦笑した。
「そういや美鈴のその踊り」
「太極拳ですか?」
「うんそれ」
少し頬を弄りながら、フランは質問した。
「その動き、何かチャイナマンっぽいんだよね」
「おや、そうですか?」
「もしかして、美鈴がチャイナマンだったりしてね!」
可笑しそうに笑うフランを見て、美鈴も楽しそうに笑顔を見せた。
「あるいは生き別れの姉かも知れませんよ?」
~完~
テーブルには紅茶、目の前には彼女の主、横にはその従者、そして図書館の管理病人。紅魔館門番、紅美鈴は、一大決心を胸に、自身の主に一つの提案を出したのだった。
「……正直どう思う? 咲夜」
決断に困ったレミリアは、咲夜の助言を待つ。
「悪くないんじゃないでしょうか?」
家事からボディーガードまで卒なくこなす咲夜は、レミリアに次ぐ権限の持ち主と言って差し支えない。職場上の上司と言ってもいい彼女が思いの外あっさりその案を肯定したのもあってか、美鈴はほっと安堵した。
「確かにここ最近の妹様は、随分と不機嫌でおられましたし」
そう、事の発端はレミリアの妹、フランドール・スカーレット、通称フランから始まる。彼女の不機嫌の原因、それは、
「パチェ、明日の天気は?」
「新聞では晴れの予報だったけど」
「じゃあ明日も雨ね」
そう、ここ数日続いているこの雨である。最近になって大分この幻想郷に慣れてきたのか、はたまたこの世界の気楽な空気に染められたのか、フランは随分と姉であるレミリアの言う事を聞くようになっていた。物はなるべく壊さないようにしているし、物理でスプーン曲げをすることも少なくなったし、ピーマンも食べる。そんなこともあり屋敷の中だけでなく、庭や屋敷近辺の出歩きをようやく許された矢先に、この雨である。
これではまたいつ癇癪を起こすか分かったものではない。それを危惧した紅魔ファミリーが今日、こうして食堂に集まり会同を開いた結果出てきたのが、美鈴の案だった。
「それでいいんじゃない? 安上がりで済むに越したことはないし、気晴らしにはなるでしょう」
「……決定ね」
パチュリーが賛同したのは正直どんな案でもいいからとっとと図書館に戻りたいという本心の裏返しであることはレミリアも承知していたが、それに敢えて茶々を入れることは無かった。ともあれ、美鈴の提案はこうして可決されたのである。
「さてさて、明日は忙しくなりそうですねこれは」
自分の提案が受け入れられたのは久し振りだ。美鈴は苦笑しながらも、内心立ったまま以外の仕事が出来る事を心から喜んでいたが、
「ああ、分かってるとは思うけど美鈴」
「あい?」
「失敗したらどうなるか……分かってるわよね?」
「えーとそれは……お嬢様か咲夜さんにお仕置きされるってこと、ですかねえ?」
おどけて回答してみるが、そんなわけが無いことは美鈴自身がよく分かっている。主であるレミリアが直々に忠告をするということ。それは、普段では有り得ない何かが起こりえることに他ならないからだ。
「もしも正体がバレたら殺されるわよ……? フランに」
「……」
表情が固まった、血の気が引いた、心臓の最初の一鼓動だけが大きく胸に響くのを感じて取れた。最も根本的な落とし穴。この提案、いや、作戦の標的がフランであるからこそ、最も警戒すべきがフランなのだということを、美鈴は完全に見落としていたのだ。
「それじゃ、今日の会議はこれにて終了」
「あんまり有意義な時間じゃなかったわね……」
「早く食事の準備をしないと」
三者はそんな美鈴がまるでいなかったかのように立ち上がり、それぞれがそれぞれの方向へと立ち去っていく。
「あ、あの……」
「明日の活躍を期待しているわよ? 龍神戦士、チャイナマンさん?」
呼び止め掛けた美鈴に、レミリアは笑顔でそれだけ告げると、食堂の扉を閉めたのだった。
「……」
翌朝。どこぞの鴉の予報どおり、天気は雨。そして案の定、フランはぷくっと頬を膨らませ不機嫌絶好調の相を露にしていた。
「あー……やっぱりこうなったわね」
テーブルにはプリンと紅茶。しかしこういう時、子供というものは中々もって気難しいものであり、食べ物与えりゃ大人しくなる、という甘い考えで臨もうというのは浅はかである。自身が望む欲求が満たされない状態の子供というのは、新聞記者や魔法使いより厄介なものなのだ。
椅子に座ったまま仏頂面を決め込んだままのフランを扉の隙間から眺めながら、レミリアは深く溜息を吐く。
「……予想以上に強敵ねあれは。本当に美鈴でなんとかなるの?」
そのレミリアの顔の上にはパチュリー。下手に癇癪を起こされて図書館を荒らされては困るのか、彼女もまた気が気でない様子である。
「……今朝は打って変わって自身満々で任せてくださいって言ってましたし……とりあえず、まずは私が妹様と掛け合ってきます」
作戦の斬り込み隊長を務めるは十六夜咲夜。まずは至って普通に、至って自然にフランと接しなければならない。これは彼女が最も適任だろう。
「妹様、まだ食べていらっしゃらないのですか?」
「私は食べたいなんて言った?」
扉を開けて歩み寄る咲夜には視線も合わせず、フランはただプリンと睨めっこを続けている。
「いけませんよ妹様、せっかくお嬢様が譲ってくださったのですから」
「ふん、どーせ食べすぎで入る胃袋が無いだけでしょ?」
「きー! 私がどんな思いであのプリンを手放したと――!」
「やめなさい500歳。騒ぐとバレるわよ」
扉越しに既に憤慨状態のレミリアを宥めながらも、パチュリーは正直焦っていた。
(一体どれだけ準備に手間取ってるのよ美鈴は。早くしないとフランがほんとに暴れかねないわ)
「お待たせしました!」
そんな心配も束の間、ようやくの真打の到着に、レミリアとパチュリーの表情も和らぐ。
「まったく、遅かったじゃない美……」
「待たせすぎよ美……」
そして振り向き、美鈴のその姿を視界に捉えた瞬間、二人は固まった。
「ご安心をお嬢様、パチュリー様、準備は万端です」
「……」
「……」
「おお、どうやら咲夜さんも上手くやってくれているようですね」
時間が止まってしまった二人をよそに、美鈴は自信に満ち溢れた様子で隙間からその様子を確認する。
「め――」
「それでは行って参ります!」
辛うじて声を発しようとしたパチュリーを気にも留めず、美鈴は食堂へ意気揚々と入って行ったのだった。
「……」
「……終わった」
パチュリーはぼそっと呟き、凍りついたレミリアを放置しその場を後にした。いち早く図書館の本に結界を張るために。
一方咲夜はフランの説得の真っ最中。今か今かと美鈴の登場を待っていた。
「いけませんフラン様。そんなことではあの方に叱られてしまいます」
「あの方ぁ?」
相変わらずの無愛想だが、どうやら少しだけ興味を示したらしい。悪い流れではない。
「ご存知ありませんか? 幻想郷の悪を退治する、正義のヒーローの存在を」
「正義の、ヒーロー……?」
食い付いている。機嫌が直ったとは言い難いが、間違いなく食い付いている。流れは完璧だ。
「ええ、幻想郷の平和を守るのに、人間の巫女や魔法使いの力だけでは限界があるのです。その方は疾風の如く颯爽と現れ、胸に正義の火を灯し、大地のような慈悲心で人々に安らぎを与え、闇に隠れて悪を討つのです」
「へー、なんかかっこいいね! どんな人なんだろ……」
(見事に食い付いていますね。正直、ここまであっさりと妹様が興味を抱くなんて)
勿論これらの台詞運びは、全て美鈴の手筈通りである。子供というものは男女問わず、英雄や輝かしい者に憧れるもの。妹様もその例外ではない。それが美鈴の意見だった。
紅魔館門番、紅美鈴が提案した「妹様の機嫌を直そう大作戦」の内容はこうだ。幻想郷で活躍する英雄を引き連れ、その英雄がフランの相手をしてくれれば、外の世界に興味津々のフランもきっと機嫌を直す。しかし今更見知った顔が出てきた所でフランが興味を示す訳がない。そこで正義のヒーローに扮した美鈴が、フランの相手をしてご機嫌を取るのと合わせて、色々と社会常識を教育してやろう、というものだったのだ。
「会ってみたいですか? 正義のヒーローに」
「そりゃ会ってみたいけど無理よ。こんなに雨が降ってるんだもん……」
窓の外を眺め溜息を吐くフランを見て、咲夜はほくそ笑んだ。「会ってみたい」、その言葉が聞きたかったのだ。
「会えますよ? 妹様」
「え……?」
その言葉に、フランは初めて咲夜を見た。
「ええ、何を隠そうお嬢様は、そのお方の知り合いなのです」
「ええっ、お姉様が!?」
「もうじき来られることでしょう。龍神戦士、チャイナマンさんが」
「龍神戦士、チャイナマン……!」
(輝いている! 妹様の目が輝いている! いけるわよ美鈴、後は貴女の登場に全てがかかっているわ……!)
全ての準備は整った。後は英雄の来訪を待つばかり。そして、扉は開かれた。
「ふはははは! 麗しきメイド長さん、長らく待たせてしまったね!」
「!」
「!」
勇ましく、雄雄しき笑い声。吸血鬼とメイドの視線の先に、「彼」はいた。
「天知る地知るチルチルミチル! 中国四千年の英霊達の魂を胸に! この世に悪がある限り、正義の拳で応えよう! たとえこの拳砕かれようと、幻想郷がある限り、龍の牙が折れることはない! とう!」
持ち前の跳躍力を活かして華麗に空中十回転、たんっと爪先で着地を決め、燃える瞳を携えて、「彼」は名乗った。
「幻想郷を守る正義の使者! 龍神戦士、チャイナマン! ここに見参!!」
恐らくこれが漫画であれば、背景にでかでかと「どどーんっ」と効果音が飾られたであろう。
(決まった……!)
そこには緑色の中華風の衣服を身に纏った、白虎の覆面を被った謎の人物が立っていた。
(龍ウゥゥゥ!!)
咲夜は突っ込んだ。心の中で心の底から突っ込んだ。
「おお、そこにいるのはレミリア嬢の妹様ではないか!」
(何!? 何で!? 何で虎!? っていうか散々待たせておいて変わったの覆面と口調だけ!?)
「……」
ずんずんと近付いてくるチャイナマンに、フランはただぽかんと口を開いているだけである。
「はっはっは、突然にヒーローの登場に驚いてしまっているようだね」
(呆れてんのよ! どっからどう見ても今の貴女は悪ふざけしてるただの門番だから!)
威風堂々のチャイナマンとは裏腹に、咲夜の背筋はすっかり凍り付いていた。終わりだ、出オチだ、大失敗だ。小馬鹿にされたフランが浅間山の如く噴火するのはもはや火を見るより明らかだ。
「咲夜……」
「は、はい、妹様……」
「か……」
「か?」
「かっこいいね……!」
「はぃ!?」
咲夜は思わず裏声で聞き返してしまった。なんということだろう。なんとフランはチャイナマンの正体に気付いていないのだ。それどころか、完全に目の前のタイガーマスクを正義のヒーローと信じ込んでしまっている。
「麗しきお嬢さん、お名前は?」
「あ、えっと……私はフランドール・スカーレット!」
「はっはっは! お姉さんから聞いていたが、元気ないい子だ。しかし好き嫌いはいけないぞ?」
「あ……」
目の前に置かれたプリンをチャイナマンに指差され、フランは慌ててスプーンを手にした。
「わ、私はただじっくり眺めて食べたかっただけなの!」
「はっはっは! それは邪魔をしてしまったね。それでは、私はちょっとお姉さんに挨拶をしてくるから、ゆっくり食べるといい。メイドさん、案内してくれるかね?」
「え、ええ分かったわ美――」
「チャイナマン!」
「わ、分かりましたチャイナマンさん」
目を輝かせて手を振るフランに手を振り返し、チャイナマンは食堂を後にした。
「……」
「……」
バタンと扉が閉められ、数秒に沈黙があった。チャイナマンこと美鈴、そして咲夜は互いの顔を見合わせ、
「はああああ……っ」
大きく息を吐いた。
「あんた何やってんの!? なんで虎!? 任せときなさいとか言っといてこのショッボい変装は何!?」
「押入れにこれしか無かったのだ!」
「だったら足りない分買うなり作るなりしなさいよ!」
「はっはっは! このチャイナマン、金で解決するような汚い真似は断じてしない!」
「黙れ似非ドラゴン! あとその口調やめろ!」
哀れチャイナマン、メイドに胸倉捕まれ早くも大ピンチである。
「まあまあいいじゃない。正直納得出来ないけど、フランも信じ込んでるみたいだし」
チャイナマンはこっそり覗いていたレミリアの助け舟のおかげで何とか難を逃れることが出来た。
「この調子なら作戦もうまくいきそうね。ボロを出さないように一日頼むわよ? 美――」
「チャイナマン!」
「た、頼んだわよチャイナマン……」
あまりの気迫に、主であるはずのレミリアまでもたじろいでしまった。どうやら今ここにいるのは完全に美鈴ではなく、チャイナマンであるらしい。
「あ、チャイナマンいた!」
「!」
こそこそ話をしている間に食堂から飛び出してきたのはフラン。どうやら随分急いでプリンを食べ終えたのか、口元には食べかすがついていた。
「あれ、お姉様今日は部屋でゆっくりしてるんじゃなかったの?」
「あ、え、ええ、ちょっと……そ、そう! 部屋が蒸し暑かったのよ! 雨のせいね!」
「ふーん」
覗き見しているのがバレたらまずい。レミリアは多少不自然ながらも平静を装って返答した。
「それにしても驚いたわー。お姉様が正義のヒーローとお友達だったなんて!」
「そ、そうね! 私も会うのは久しぶりだったから、フランが知らなかったのも無理ないわね」
「どうやって知り合ったの?」
「ふぐっ」
レミリアは油断していた。フランの意識は完全にチャイナマンに向いているという隙を見事に突かれ、レミリアは動揺した。
「え、えーとね……」
「ねーねーどうやって?」
「それは私が説明しよう!」
そこに割って入ったのは何を隠そうチャイナマン。腕を組んだまま、チャイナマンは静かに語り始めた。
「あれは去年の正月のことだった……私がお忍びで博麗神社に御参りに行った際に、一人の魔法使いが賽銭泥棒を働こうとしていたのだ。私はその魔法使いを成敗しようと戦いを挑んだのだが、暗黒キノコパワーを身に着けていた魔法使いの恐るべきパワーに、私は成す術も無かった……しかし、そこに偶然現れた君のお姉さんと力を合わせ、なんとか暗黒キノコ魔法使いを退けることが出来たのだよ」
「へえー、お姉ちゃん凄いね!」
「レミリア嬢の助けが無ければ、私は悪の力に屈していたかも知れない。フランドール嬢も、偉大な姉を見習って、立派な吸血鬼になるんだよ?」
「うん!」
(か、完璧なフォローよ美鈴、いやチャイナマン! ただフォローするだけじゃなくて姉の威厳も保ってくれるなんて……!)
(去年は寝正月だった気がしますが……)
レミリア、咲夜の思いとは裏腹に、フランは完全にチャイナマンの言葉を信じきっていた。
(でも、まあ……妹様もとても嬉しそうですし、悪くはないかな)
少々不服に感じながらも、咲夜は満面の笑顔で懐いているチャイナマンを見て苦笑いした。
(む、あれは……)
そんな咲夜の視線の先に、黒い影が映った。小さな小さなその影、それは一目その目に映っただけで人々を戦慄させる存在。生物史上最速のロケットスタートを誇る節足動物。それを見た瞬間、咲夜の目の色が変わった。そんな咲夜の殺気に気付き、他の三人もまた、その生物を視界に入れてしまった。
「あ」
「うわ」
「げっ」
「ゴキブリ……!」
瞬時に咲夜はナイフを手に持つ。いつも清潔を保っているこの屋敷にいてはならない生物。その存在は消さねばならない。
「待ちなさいメイドさん!」
「美――」
「チャイナマン!」
(ああもうこいつめんどくさい!)
咲夜を静止したのは我等がヒーローチャイナマン。
「美しきレディの手を汚すわけにはいかない。ここは私が相手しよう!」
「あ、ありがとう……」
チャイナマンの紳士ぶりに咲夜の胸が一瞬ときめいたのも束の間、チャイナマンは黒き悪魔に向かって跳躍した。
「その身に受けよ! 必殺――!」
「あ! チャイナマンが必殺技を出すのね!」
「チャイナ・チョップスティックス!」
チャイナマンは懐から箸を取り出すと、音速の如き箸裁きで一瞬のうちに悪魔の動きを拘束した。
「早い……早くて華麗だわチャイナマン!」
「えー……」
瞳を輝かしているフランとは対照的に、レミリアと咲夜は死んだ魚を見るような目でチャイナマンを見ていた。
「必殺技なんだからトドメ刺しなさいよ」
「ふっふっふ、レミリア嬢……敵を倒すのは確かに大切なこと、しかし!」
振り返るとチャイナマンは箸で掴んだ悪魔を向けながら叫んだ。
「正義たるもの、無用な殺生はしてはならないのだ!」
「ギャー! 分かった! 分かったからそれこっちに近付けるな馬鹿!」
「掴むだけ掴んでどうする気なのよそれ!」
「安心するのだメイド長! こやつの始末は私がつける。セリャア!」
張りのある気合とともに、チャイナマンは悪魔を窓の外に放り投げた。空中に放られたゴキブリはそのまま、外を飛んでいた鳥に咥えられ、彼方へと去ってしまった。
「ナーイスキャッチだチャイナバード!」
「結局殺してるじゃない」
「まあ、無用じゃない殺生でしたけど……というかチャイナバードって何」
ぼそぼそと呟く二人をよそに、チャイナマンはフランに問いかけた。
「フランドール嬢。何故私が今、あの虫を鳥に投げたか分かるかな?」
「え……? 食べさせるため、かな?」
「そう、その通り!」
両手をクロスさせビシっとポーズを決めるチャイナマンだが、フランはまだその質問が何を意味するのか理解出来ずに首を傾げる。
「フランドール嬢。命を奪うという行為はとても悲しいことなのだ。しかし、生き物は命を食らわねば生きられぬ存在……ならば無意味に命を奪ってはいけない。私はあの虫の命を鳥に預ける事で、命の尊厳を守ったのだよ。刈られる命の尊厳を守ること、これは大きな力を持ってしまった者の義務なのだ」
「殺したくなくても、殺しちゃった場合は?」
「散った命の分だけ、今ある命を守りなさい」
窓の外を見つめながら、フランは何かを深く考えているようだった。その表情の奥に潜む感情こそ読み取れないが、フランは深く深く、その視界に映らない何かをじっと見つめているように感じられた。
(……正直甘く見てたわね)
レミリアにとって、このフランの態度は大きな変化だった。レミリアの知る限り、フランは生まれて初めて命の尊さというものと初めて向かい合っているように感じられたのだ。
「そうだフラン、折角だし、貴女がチャイナマンに館の案内をしてあげなさい」
「!」
レミリアのその言葉はチャイナマン、咲夜にとっては想定内の言葉であるが、フランにとっては意外な言葉だった。普段客人が来る時は大人しくしているよう注意をするはずの姉が、初めて客人との接触を許可したのだ。
「お姉様……いいの?」
「彼(?)との交流は、貴女にとってもいい経験になるはずよ。フラン、折角の機会だから、今日はたっぷり楽しみなさい」
レミリアは今まで、特に人付き合いに関してはフランに厳格な態度を取り続けて来た。そんな姉が初めて、他人との自主的交流を許可した。最初こそ戸惑ったフランであったが、姉の後押しに、フランは笑顔を咲かせた。
「やった! ありがとうお姉様!」
(まあ、相手は美鈴なんですけどね)
咲夜は口にしなかった。レミリアの意図を理解し、彼女もまた美鈴の可能性を認めたからだ。
「はっはっは! それじゃあ今日は紅魔館のパトロールといこうじゃないか!」
「うん! あと、フランでいいよ、堅苦しいから」
「よーし、それじゃあ出発だフラン!」
「おー!」
高く拳を天に突き上げ、チャイナマンとフランは紅魔館探索へと踏み出した。
「……嫉妬ですか? お嬢様」
「馬鹿仰い。姉が子守りしてどうするのよ」
主と従者は誰にも聞こえぬ声で、どこぞへと冒険に出かける二人を見送っていた。
「……静かね」
図書館内部。パチュリーはいつ訪れるやも知れぬフランの襲撃に怯えながら読書に勤しんでいた。本棚への防護対策は全て施したが、もし本気でフランが暴れたならば、そんなものは気休めにもならないだろう。しかし五分、十分、十五分と時間が過ぎても、一向に地響きどころか窓ガラスの割れる音一つ聞こえてこない。
(まさか、美鈴のあの作戦が成功した……?)
「どうかしましたか? パチュリー様。今日は何時にもまして警戒してますが……泥棒対策ですか?」
「え、ええ、ちょっとやりすぎたかしらね」
せっせと本の整理をしている小悪魔に、パチュリーは笑顔を返す。図書館の一勤務員でしかない小悪魔は、今回の案件に関わっていない。近い未来にこの図書館が荒れるであろうことを、彼女はまだ知らないのだ。
(いざという時は、この子だけでも避難させたほうがいいかしら)
業務上雑に扱っている事は多いが、関係のないゴタゴタに部下を巻き込むほどパチュリーも鬼ではない。もしもこの図書館の扉がぶち壊されるような事態が起こった場合は、速やかに彼女を屋敷外に退避させよう。そう思った矢先である。
「館の廊下、異常なーし!」
「なーし!」
図書館の扉は至って普通に開かれ、入って来たのは人間の形を保っている、いや傷一つ付いていない覆面馬鹿と、衣服に埃一つ付けずに彼女と手を繋ぎ、ご機嫌絶好調な様子のスカーレットの妹。
「……?」
それはパチュリーの想定とはまったく正反対の光景である。故に彼女は、黙って首を傾げた。状況を何一つ聞かされていない小悪魔は、彼女以上に首を傾げた。
「やあやあパチュリー氏、今日も勉学に励んでいるのかね?」
「え、何、どういうことなの美――」
「チャイナマン!」
「え、ええー……?」
このやり取りで、パチュリーは大体の状況を把握した。作戦はまだ失敗していない、むしろ順調なのだと。しかしそれに納得しきれていない自分がいたから、パチュリーは曖昧な返事しか返せなかった。
「えーと……何やってんですか? 美――」
「これはこれは初めまして綺麗なお嬢さん、私は幻想郷を守る正義の使者、龍神戦士、チャイナマンだ」
「は?」
何やっているのだろうこの人は。頭でも打ったか、それとも毒入り紅茶でも飲まされたか……? 状況を飲み込めない小悪魔は険しい顔をした。
「噂には聞いていたわチャイナマン。わざわざ足を運んで来てくれるなんて光栄ね」
「何言ってるんですかパチュ――」
「紹介が遅れたわね。彼女は小悪魔。私の部下みたいなものよ」
「え、この人美――」
「チャイナマンよ」
「美――」
「チャ・イ・ナ・マ・ン……今はそういうことにしなさい」
「はぁ……」
最後だけ小声で小突かれ、小悪魔はとりあえず理解した。理由はよく分からないが、今、美鈴はチャイナマンであり、それに話を合わせなければいけないのだと。
「パチュリー何ボソボソ話してんの?」
「え!? い、いや何でもないわフラン。ほ、ほら小悪魔! 貴女も挨拶なさい!」
「あ、え……ええそうですね。初めましてチャイナマンさん」
パチュリーの動揺する様子から見て、恐らくフランに疑われてはまずい状況なのだろう。小悪魔はそれも理解し、チャイナマンにお辞儀する。
「小悪魔はチャイナマンを知らないの? 正義のヒーローなんだよ?」
「そ、そうでしたか。仮にも悪魔ですので正義とかそういうのはちょっと疎いんですよ、私」
フランがチャイナマンという存在を信じ込んでいるのを凡そ理解し、小悪魔は今現在何が紅魔館内で行われているのかを、ここでようやく悟った。
(なるほど、そういうことですかパチュリー様)
(そういうことよ小悪魔)
アイコンタクトで確認を取る。理解出来たならば、小悪魔ももはや無関係というわけにもいかない。積極的に関わり、この空気を乱さないように、妹様を盛り上げなければならない。
「あ、チャイナマンさん、一つ質問があるんですけど」
小悪魔は行動に出た。まずは話題作りから始めよう。それが彼女の判断だった。
(ナイスよ小悪魔。チャイナマンの秘密を探ることで、フランの興味を掻き立てる戦法ね?)
なかなかの適応力にパチュリーも感心する。初めて会ったヒーローならば、そのヒーローの知識に興味を持つのは当然のこと。ヒーローの必殺技、敵の情報、好きなものや嫌いなもの、それを知ることで、子供は想像力を広げていく楽しみを覚えるのだ。
「何で龍神なのに虎のマスクなんですか?」
「あ、ほんとだ何で!?」
(って馬鹿アァ!!)
まさかのツッコミである。ヒーローの侵してはならない領域に、小悪魔は容赦なく足を踏み入れたのだ。
「それに女性なのにチャイナマンて」
「え、チャイナマン女なの!?」
(やめろォ!! あとフラン気付かなかったの!?)
パチュリーは一瞬でも彼女を評価した自分を恥じたと同時に疑うことを全く知らない妹君に呆れ返った。
(普通駄目でしょ! そういうの聞いちゃ駄目でしょ!? フラン気付いてなかったわよね? 完全に気付いてなかったわよね!? あんた言葉で覆面剥ぐような真似してどうすんのよ!)
「……ふ、気付かれてしまったか。ならば話さねばなるまい」
既に汗ダラダラのパチュリーとは裏腹に、チャイナマンは全く動じなかった。
「かつて、私には兄と姉がいた……」
(なんか始まった!?)
「初代チャイナマンであった私の兄は、私など足元にも及ばぬほどの強き戦士だった。しかし、兄は百年前のあの日を境に謎の失踪を遂げた」
(あの日ってどの日よ?)
「チャイナマン無き世界に平和は保たれない。私は二代目チャイナマンとして、兄の意志を継ぎ日々戦っているのだ」
唇を噛み締め、チャイナマンは続ける。
「しかし強大過ぎる龍のパワーを未だに使いこなせぬ私は、龍と対となる虎のマスクを被ることで、この力を抑えているのだ」
(……あれ、意外とまともな回答ね)
多少気になる部分はあるものの、流石この作戦の提案者というだけある。美鈴は最初からある程度キャラの設定を決めていたのだろう。日頃昼行灯な顔しか見せない美鈴にしては随分と用意周到なことである。フラン、小悪魔も捉え方は違えど、思わずおおーと感嘆の声を漏らした。
(……でも姉の設定いらなくね?)
小悪魔がそこを突っ込まなかったのは幸運と言えるだろう。
「会えるといいね、お兄さんに」
「はっはっは、優しいなフランは。安心したまえ! 兄はこのマスク無しでも戦うことが出来る伝説の戦士だったのだ。きっと今でも元気にしているだろう!」
自由気まま、我侭放題のフランが他者に気を遣ったことが果たして今まであっただろうか。チャイナマンはそんな彼女の小さな優しさを受け止め、彼女の頭を撫でながらきらりと歯を光らせた。
(よく分かりませんが、何だか順調のようですね)
(あんたが余計な質問しなきゃね)
この二人のアイコンタクトに意思の疎通がなされているのかは疑問が残るが、この調子ならばフランの客人案内は無事成功に終わりそうである。日頃見せないフランの穏やかな一面も見ることが出来たし、収穫も大きい。余計なアクシデントさえ起こらなければ、この作戦は大成功のうちに幕を閉じるであろう。
そう、アクシデントさえ起こらなければ。
「おお、今日は随分と騒がしいじゃないか」
入り口から響いたその声に、パチュリーは凍り付いた。その声の主は、パチュリーがよく知る人物。そして今現在想定しうる状況の中で最も乱入してきてはならない人物であった。
「霧雨魔理沙……!」
「いかんな。図書館内はお静かにがここの規則じゃなかったか? パチュリー」
箒を担ぎ八重歯を光らせ、黒き魔女は彼女を茶化す。
「気をつけてチャイナマン! あいついっつもパチュリーの本盗んでるのよ!」
「あ? チャイナマン? 何言ってんだ妹様は――」
強敵を近付けさせんと両手を広げて通せんぼするフラン。その後ろに立っている図書館の異物に気付き、魔理沙は冷めた目でチャイナマンを凝視した。
「……何やってんだ門ば――」
「いつぞやの暗黒キノコ魔法使い……まさかこの紅魔館にまでその魔の手を伸ばしていたとはな……」
「ああん? 何言ってんだ美リ」
「だが諦めろ! このチャイナマンがいる限り、貴様の好きにはさせはしない!」
「あーん……?」
呆気に取られながらも、魔理沙の表情は険しくなる。当然だろう。魔理沙から見ればこの言動は挑発以外の何物でも無いのだ。
「手助けするわチャイナマン」
「えーと、私も参加したほうがいいでしょうか」
パチュリー、小悪魔がチャイナマンの横に立つ。止むを得ない加勢だ。美鈴一人の実力で勝てるほど、霧雨魔理沙は甘くは無い。下手にボロが出る前に速攻で片を付けるのが最善の策だ。
「おいおい四人がかりか。こっちはか弱い乙女だぜ?」
これだけの面子に睨まれては、流石の魔理沙もたじろぐしかない。多少手洗いが、魔理沙には有無を言わさずご退場願おう。パチュリー、小悪魔が先手を打とうとしたその時だった。
「甘く見られたものだな。このチャイナマン、麗しき少女達に助けを求めるほど、落ちぶれてなどいない!」
「!?」
二人が行動に移るより先に、チャイナマンは一足飛びで魔理沙に接近、強烈な掌打を彼女の顔目掛け打ち込んだのだ。
「ちょ、何やってんの美――」
「龍の武人に助けは要らぬ。何故ならこの手は救われるためではなく、救うためにあるのだから!」
パチュリーを無視し、チャイナマンは打撃を難なく箒で受け流した魔女を睨んでいた。相手が一人と分かり、魔理沙は笑みを見せた。
「何だかよく分からんが、私が悪の怪人ってことでいいんだな?」
「覚悟するがいい暗黒キノコ魔法使い!」
「誰が暗黒キノコだ!」
箒を一薙ぎ、それをバク転しながらかわし、チャイナマンは拳を構えた。
「チャイナマン!」
「見ているのだフラン。確かに集団で掛かれば勝つことは出来るだろう……だがそれは、正義の力で勝ったことにはならないのだ! とう!」
フランの声を背中で受け止め、チャイナマンは跳躍した。
「必殺! チャイナ・スクランブル・キーッ――」
しかし次の瞬間チャイナマンの目に映ったのは、暗黒キノコ魔法使いが放つ強烈なレーザービームだった。
「ぐはぁっ!」
「……必殺技叫ぶ暇があったら攻撃したほうがいいんじゃないか?」
直撃し無様に落下したチャイナマンに、魔理沙は呆れ顔を見せるしかない。美鈴が真面目なのか馬鹿なのか理解出来ず、やり辛い。それが魔理沙の正直な感想だった。
「く……やるな暗黒キノコ――」
「だからそれやめろ!」
流石に不快感を露にし、魔理沙は大量の星型弾幕をチャイナマンに向け放つ。チャイナマンも負けじと立ち上がり、星の雨に突っ込んだ。
「ば、馬鹿じゃないの……勝てる相手じゃないのは自分が一番分かってるのに……!」
弾幕の雨の中、それを華麗に避けながら接近を試みるチャイナマンをパチュリーは歯痒そうに見つめていた。
「……正義の味方だから、じゃないでしょうか」
「え?」
「妹様は美鈴をチャイナマンだと信じきっている。その期待を少しでも裏切りたくない。だから、美鈴さんはああやって、本当のヒーローになろうとしているんじゃないでしょうか」
小悪魔の言葉で、パチュリーは思い出した。この作戦の言い出しは美鈴だった。
「失敗したらどうなるか……分かってるわよね?」
レミリアが昨日発した言葉。もし、正体がバレたなら、美鈴は間違い無くフランにボロ雑巾にさせられるであろう。
「そらそらどうしたチャイナマン! お前の正義はそんなもんか!?」
「なんの! チャイナマンは土壇場からが華なのだ!」
だが、それだけではない。
「そんなんじゃいつまでたっても私に拳は届かないぜ?」
「まだまだ! 私の背中に守るべき人がいる限り、私は何度でも立ち上がってみせる!」
正体がバレるということ、それは、フランを騙す、裏切る行為に他ならない。
「……あの馬鹿」
パチュリーは吐き捨てた。一番肝心な事を忘れていたのだ。武人、紅美鈴は、紅魔館で誰よりも簡単に人を信じ、敬い、謀略や嘘を嫌い、裏切るくらいなら進んで裏切られる道を選ぶ、損するタイプの妖怪だということを。
「ああ、チャイナマン……!」
何度近付いても拳は届かず、地面に叩き付けられるチャイナマンを見ていられず、フランはとうとう目を逸らした。
「……駄目よフラン、ちゃんと見なさい」
「パチュリー……?」
そんなフランの横に立ったのは、パチュリーだった。既に泣き顔のフランを見つめ、パチュリーは諭すようにこう言った。
「チャイナマンは私達を守るために戦っているのよ。守られる者が支えてあげなきゃ、ヒーローは戦えない。だからフラン、私達も逃げちゃ駄目なのよ」
「……」
フランには分かっていた。あのヒーローが魔理沙より弱いことを、あのヒーローが自分より弱いことを。それでも、フランはあのヒーローに失望してはいなかった。
「く……流石に手強いな魔法使い……!」
「あんまり無理するなよチャイナマン。正義の味方が悪魔守っても、お釣りは帰ってこないぜ?」
立っているのもやっとな正義の味方。ボロボロになり、肩で息をしている正義の味方。そんな正義の味方の背中を見つめ、フランは叫んだ。
「頑張れ! 負けるなチャイナマン!」
「!」
「勝ってよ! 勝ってまた色々教えてよ! お姉様が凄く偉いこととか! 命の事とか! 今日知らないこと、色々教えてもらって……私、嬉しかった」
「……」
「だから勝って! 私の知らないこと、もっと教えて! 負けるな! チャイナマン!」
「……はは、参りましたねこりゃ」
僅かに苦笑し、美鈴は拳を握った。
「泣かせてくれるじゃないかチャイナマン。でも、そろそろトドメといくぜ? 正義の味方ごっこはこれで終わりだ」
八卦炉を構える魔理沙に対し、チャイナマンは真正面から笑って見せた。
「勘違いしているようだな暗黒キノコ魔法使い……私は正義の味方などではない」
「あ?」
ズンッと響くほど地面を踏み、チャイナマンは叫んだ。
「私は皆の味方なのだ!」
「……あー、分かったぜ、正義だろうが皆だろうがごっこは終わりだ。私も悪役ごっこはいい加減居心地悪いからな!」
魔理沙の苛立ちがピークに達した時、魔理沙の視界にチャイナマンはいなかった。
「――!」
魔理沙の視線の先にいたのは、チャイナマンの後ろで応援をするフランと、パチュリーと、小悪魔。そこにチャイナマンはいなかった。
「龍神奥義……」
その視界の下、魔理沙の懐に、チャイナマンはいた。
「……くそっ」
「チャイナ・ドラゴン・ダイナマイト!!」
強烈な拳は、魔理沙の腹を捕らえた。トドメの攻撃をする隙すら与えられず、魔理沙はその拳を直にお見舞いされ、吹っ飛んだ。
「おお!?」
「わぁっ!」
信じられない逆転劇に、フラン、小悪魔は思わずギュッと強く拳を握った。
「ば、馬~鹿~なァー!」
暗黒キノコ魔法使い、霧雨魔理沙は断末魔とともに窓から外に吹っ飛ばされ、その姿を消した。
「見よ……これぞ正義の力也。覚えておくがいい、全ての悪を滅する、このチャイナマンの名を!!」
チャイナマンは拳を震わせ、今はいない魔理沙に勝利の名乗りを上げた。
「チャイナマン!」
「おふぅ!?」
背後からフランに飛び付かれ、チャイナマンは思わず声を漏らしてよろけた。
「すごいよチャイナマン! 魔理沙にほんとに勝っちゃうなんて!」
「……はっはっは! フランが応援してくれたおかげさ。ありがとうフラン!」
目に涙を浮かべたまま満面の笑顔を見せるフランの頭を撫で、チャイナマンもまた笑顔を見せた。
「本当に、ありがとうフラン」
マスクの下のチャイナマンの瞳は、少し寂しそうだった。
「……チャイナマン?」
「……すまないなフラン。私は、そろそろ行かねばならない」
「ええ!? なんで!?」
ヒーローに別れはつきもの。それを感じ取り、傍観者のパチュリーは小さく息を吐いた。
「助けを求めている人が他にいるのね? チャイナマン」
折角だ、最後までこの馬鹿に付き合ってやろう。パチュリーの渡し舟に、チャイナマンは静かに頷いた。
「私のチャイナ・ザ・耳は五千里先のクラッカーの音も聞き逃さないのだ」
「そっか……そうだよね。困ってる人がいるなら仕方ないよね……」
寂しそうに視線を落とすフラン。頭では分かっていても、早すぎるヒーローとの別れに、まだ未練が残っていた。
「大丈夫さフラン」
そんなフランの両肩に手を置き、チャイナマンはきらりと歯を光らせた。
「言っただろう? 私は皆の味方なんだ。いつかまた必ず、私はまた帰ってくる」
「……ほんとに?」
「本当だとも、何故ならフランも君のお姉様と同じ、私を助けてくれたヒーローなのだからな!」
「……うん、分かった! また遊びに来てね。絶対だよ!」
「はっはっは、チャイナマンは約束は破らん! とう!」
掛け声一つ、チャイナマンは飛び上がると割れた窓の前に立ち、腕を組んで高らかに叫んだ。
「さよならは言わない。また会おう紅魔館諸君! 困った時、いつでも私は駆け付ける! さらばだ!」
(さらばは言うの!?)
パチュリーの心の叫びと共に、チャイナマンはどこぞの空へと飛び立って行ったのだった。
「ねえパチュリー」
ヒーローが飛び去って行った空を見つめながら、フランは呟いた。
「上手く言えないけど……ヒーローって、何だかかっこいいね」
「……そうねフラン」
苦笑しながら、パチュリーは一枚の紙を見つめていた。
『あとで本あげるから、空気読んで負けたフリして』
そう書かれた紙をくしゃりと丸め、パチュリーはそれをゴミ箱に捨てたのだった。
「ああ……疲れました」
紅魔館の正門の前、ボロボロな服装の門番が一人、腰を下ろして天を仰いでいた。
降っていた雨が止んだのは一体何時だったか、どもあれまだ濡れた地面は些か居心地が悪いが、これはこれで悪くない。妙な達成感が、美鈴の心を満たしていた。
「どうしたヒーロー、ボロボロじゃないか」
そんな彼女の前に立ったのは、どこにでもいる普通の魔法使いだった。
「おや、悪玉キノコの魔法使いさんじゃないですか」
「名称変わってるぞおい」
「ま、何だっていいじゃないですか。悪は退治されたんです」
満足げに動く様子の無い美鈴を見て、魔理沙はやれやれと息を吐く。
「ま、悪は退治されたが、正義のヒーローが行き倒れじゃかっこが付かないぜ?」
そんな美鈴の手を握り、魔理沙は彼女を引き起こす。
「乗ってくかいヒーロー? 偶然にも病院に用事があってな」
「おや、いいんですか? 悪役が敵を助けちゃって」
「よくある展開だろ?」
少々狭くなった箒に跨り、魔理沙は飛び立った。
「お前を倒すのはこの俺だ……ってな」
夜が明けた。昨日とは打って変わっての快晴。姉は朝から部屋に閉じこもり、メイドは溜まった洗濯物を干し、図書館主はいつも通り。
「古~中華の伝説の~……♪」
紅魔館の庭で、一人歌を口ずさみ、朝の太極拳をこなしている華人小娘が一人。
「龍~の教え~に~導か~れ……♪」
花壇には雨露を溜めた花々が、太陽に当てられ煌いている。
「誰~も~知~らな~い、そ~の~故郷~……?」
そんな彼女の元に歩み寄る、日傘を差した少女が一人。
「多~分~中国~河南省~……♪」
「美鈴っ」
その少女に声を掛けられ、美鈴はぴたりと動きを止めた。
「おや、妹様、お散歩ですか?」
「うん!」
初めての付き添いも監視もいない一人の散歩を、彼女は心から楽しんでいた。
「昨日が雨だった分、今日はご機嫌の様子ですね」
「そうでもないよ? 昨日も楽しかったもん」
そう言って、フランは美鈴に笑い掛けた。
「昨日ね、正義のヒーローが来てくれたんだよ!」
「チャイナマンですか。昨日は人里に買い物に行かせられてましたからねえ、会えなかったのが残念です」
昨日の体験がよほど新鮮だったのだろう。いつもより気分が高揚している様子のフランに、美鈴は実に残念そうに苦笑した。
「そういや美鈴のその踊り」
「太極拳ですか?」
「うんそれ」
少し頬を弄りながら、フランは質問した。
「その動き、何かチャイナマンっぽいんだよね」
「おや、そうですか?」
「もしかして、美鈴がチャイナマンだったりしてね!」
可笑しそうに笑うフランを見て、美鈴も楽しそうに笑顔を見せた。
「あるいは生き別れの姉かも知れませんよ?」
~完~
チャイナマンかっこよすぎる。
美鈴の最後の一言が良かったです。
読み終えると同時にそう思った。あんたすげぇよ。
100点つけたの久しぶりな気がする。どこにも文句がない。
ありがとう、この感動で寿命が少しのびました。
これは脱帽です。
いいねチャイナマン!
次回作楽しみに待ってます
チャイナマン!
最後のオチが大好き
単なるギャグでなく小説として確り出来ていて、いやはや感服しました。
久々にてらいなく楽しめましたw
オチもすばらしい
おもしろかっこいいチャイナマン最高でしたb
面白いだけでなく、きちんとまとまっていたのが好印象でした
綺麗なオチですごいと思いました
これはいいチャイナマンSS
ありがとうチャイナマン!