「やぁ」
石畳を踏みしめる歩幅は相変わらずの緻密さで、どこかのメイドとどっこい。また会ったね、なんて気軽さ。
日は溌剌と昇り、風もせわしなく涼を運ぶ昼過ぎに会ったのは、そこそこに見知った顔の一つ。
赤いヘアバンドに白のケープ。紺色のワンピースは気が早いのか、袖を上腕あたりまで省いている。反して、膝丈まで登り詰めるようなブーツはいつ見ても重く、熱そうだ。
袖の分で中和しているのかとまで思ったが、いやそうか。もうそんな季節でいいのか。
さっきまで掃きまとめていた薄桃色の花びらが何であるかを、その思考に巡ってやっと意識できた。
「…………やたら不自然な掛け声よね、それ」
「似合わない?」
きょと、と目をはり意外を表す表情は、本気でやってるのか。
こちらに来れば何を迷うでもなくすとん、と傍らに収まる。今日はどうやら持参物はないらしい。珍しく身一つでのご参上だ。
「爽やか過ぎかと、ね」
来客用の常備湯飲みを引き寄せながら、茶以上の苦いものでも注ぐような顔をしてしまう。
間の抜けた表情すら様になってしまうのだから、変な言動は慎んだ方が誰にとっても良いはず、と。
見た目物静かに、微笑みをたたえれば、独り身の男にとって小躍りでもしたくなるであろう輝きを持って。
所作は繊細、しなやかかつ洗練された端々の振る舞いは、デタラメに貴族だと言い放とうが百人が頷く説得力を確かに備えている。
そこに洋美人ご用達の金髪碧眼、純和人では重力が半減しようとも追いつかない長身。
しまいには肩書きである人形遣いを皮肉る程の容姿とくれば、やいあれはどこの嬢さん、いんや姫様だ? と聞いた方が手っ取り早いナリをしてると言うのに。
「そうね、なら……」
「いい、考えんでいいわ。やぁでももしでもおうでも、好きにしたらいいよ」
「おう」
実に勇ましく、気風のいい声で湯飲みを受け取ってゆく。反して茶をすする面はあどけない安らぎに満ちて。その様子には、挙げた要素のほとんどを印象出来ない。
「…………条件反射で喋っていると、後々後悔するわよ」
「かもね、あとあとあとに」
「やかましい、重箱の隅を見るんじゃない」
これの──アリスの悪い癖だ。喋ることが趣味のようで、会話のタネになりそうなことは良かれ悪かれで片端から拾い上げる。
黙っていれば見目麗しい何人だけで済むのに、阿呆みたい。
ほら、今もころりころりと喉を鳴らし、まるで普通の女の子ですと言わんばかりに目を糸のように引いて。
「──重箱と言えば」
何やらか巡って来たのか、ひとしきり笑い終えるや白々と片目を瞑り、人差し指がぴっと立つ。
華奢すぎて、そんな無防備に立ててしまって折れはしないかと、見当の外れたことを思った。
「……花見の季節」
「素晴らしい合いの手ね、今度ばかりは隙どころか隅も見当たらない」
そんな投げやりでもいたく気に入ったのか、拍手合わせる仕草は童女と紛う無垢さで。
この唐突さも慣れたもの。慣例事であればなお更だ。なんでもかんでも、となれば限度ありと答えるのはもちろんだけど。
「今のが合いの手でねぇ……いいのかそれで。あと、まだ引っ張るかこの」
「ふふ、怒らないでよ──もっとつっつきたくなる」
「黙った末にくすぶった憤りはどこからまろび出ると思う?」
「やだ、劣情のはけ口をお探しかしら」
「だから、この。このっ」
ゆるい刺突を頬へ受けていた私が威嚇。張り手から身をよじって逃げるこれに、そろそろ本気で嗜めてもいいと思うけど、どうか。
スカポンタンの頭を遂に捉えるかといった所で、音速の張り手をい容易く握りとどめられる。
潮時か、と諦め回収をこころみるも、離れない、放さない。手首を捕らえたまま、ふわりと微笑を向けて。
「ところで」
重心が高い。見上げる私は蛇にからめ取られる手前の錯覚を。
企みだ。これをそう判別出来ない輩は早々に妖に喰われ生涯を閉じることになる。
だから加減もなく引っぱって取り返すのだけど、呼吸を合わせたのごとく片腕も腰に。両者の筋力差を慮っての配慮か。
妖怪のクセに気障なことを。
「私、重箱なる物をしっかり見た事が無いの、これが」
「へ、ぇ」
右に、ひねって。
「折り良くも花見の時期、うってつけよねっ」
「そう、かな。本当に、そう、か、なぁぁぁっ」
左にねじり、渾身。
ちなみにこの会話はほぼ至近、互いの呼吸がまじわる間隔を維持、または離脱を図るための均衡下で行われている。完全に向こうが十割で有利だが。ちくせう。
傍目から見たら誰かがすっとんで助けに来てくれるくらいに危険。いや、囃し立てられて終わりか。
そんなに羨ましけりゃ代わってやんわよぉぉ。
「だからね、そう」
すい、っと。鼻頭をこすり、瞳を覗きこまれるような深さで。距離感でも狂ったように躊躇が無い。
「…………お花見、しましょう?」
今後、花見の誘いを受ける度にこんな積極さを発揮されるのか。他の奴らに伝播したりしないだろうかと。
考えたら、お腹が空いて、しょうもないことだと誤魔化してくれた。つまりは、白旗。
「花見は……いいわよ。──いや、分かった方でだから。いきなりしょげるな。ちなみに夜からね、今は酒の気分でないし」
そう言えば、少し距離を空けたその顔が、花を見るなどとお題目をのたまうまでも無く、淑やかに咲かせて。
私の両手を抱きしめたままありがとう、と。そんなことを言うのだ。
……果たして今のこいつに向って妖怪と、皮肉をこめて放てる輩が居るのなら、私の代わりをぜひしてもらいたい。
小娘程度の人生経験では、この笑みに太刀打ちして敵う、そんな貫禄のある言葉など持っていないのだから。
「それとぉ……」
「なぁに」
「いい加減膝から、退け」
「い、や」
つい奇声を上げながら突き飛ばす勢いで一緒に倒れこんでしまうのも、仕方がないことなのだ。アリスは楽しそうにしていた。アリス、は。うん。
──
「花見ねぇ……」
「花見でしょう」
間違いない。明日も憂鬱になる量の花弁を茂らせている夜桜の偉容はかげることなく、それに大した感慨も抱かず縁側で頭をふらふらさせているのも、いつもの通り。
「けどね……既に酔いつぶれてからの出だしなんて、どうよ。言いだしっぺ、どうなのよ」
「へいじょうへいじょう」
今回の反省は他の連中を誘わず、始まるでもないのにのんべんだらりと一緒に居たこと。
そしてこれの構いかけに堪忍することが続かず、自棄の如くに酒瓶片手の反攻へ転じたこと、だ。
鈍器だったはずの酒瓶はいつの間にか得物としての手応え失い、貯蔵物の効果で持って私達をうやむやになだめてしまった。
はたと醒めた意識が自覚したのは、初めに明度。次に、未だ名残おしく体温をさらう夜風。それと不愉快手前の湿った肌触り。
「んん~、すぅ。ふふ、好い色よね」
「こら、ほめたり触ったり嗅いだりする対象が間違ってないか」
起き上がり、しばらくぼんやりしていたら背後に感触が一つ。とろんとした声が私の名前を呻いていた。
今はだいぶ醒めてきてはいるが、いつもながらの口調が僅かにほんわらしているのは変わりない。
しなだれかかった体温は酒のせいか飽和気味になり、柔らかさとくればどれがどちらのモノか判別するのもあやふやだ。
肩口に回った腕がじっとりと汗ばんで、擦れる度にぬるいぬめりを残していく。
吹きかかる吐息と酒にまみれた唇で私の髪は、やたらめったらな匂いを放っているだろう。たまにもさもさと食んだりされる感覚も、ある。
意識の残っている内に風呂に浸かれればいいが。
「間違ってなんかなぁい。定義の、おはなしよ」
「……私が花の代わり、って?」
「だいせいかぁい」
からからと、跳ねるような声音で回答を。手に負えなかった。どうにかするつもりも、なかったけど。
「んじゃ、さしずめ今の状況ははた迷惑な害虫が健気な花をふみにじっている訳ね、納得三昧」
「くふ、害虫らしく綺麗な花をめちゃくちゃにいじくりまわしてやろうかしら」
「やーめて、今わりと体力ない」
「しめた…………とは思いもするけれど、同じ穴のムジナね。残念」
確かに、どちらかと寄りかかられている加減の方が強いので、これは突き放せば呆気なく転がってしまうんだろうなと。
そんな奴が私に未練たらしく絡んでくるこの状況は、なんだろう。
「何より……惜しいわ。こんな穏やかさを、私からふいにしてしまうなんて」
「そう思ってるのはあんただけよ」
「あら、くつろいでない?」
「いつ妖怪の気まぐれを落とされるか分かったもんじゃあないからねぇ、くわばらくわばら」
「勿体ない、その意味に順ずる行動をするなら間違いなく五体満足でなきゃ」
「いいこと聞いた。私が逝く時は欠損だらけで判別できなくなってやる」
「あくまで私の場合よ? 不幸な事故には執念が顔をのぞかせるやもね」
「はいはい異次元に身を投げればいい訳だ。得意だし」
「平行世界でもぶち抜くわ。七層くらい」
「少しは潔くしてくれていいんじゃないの」
「お断り、あなたに関しては、ね」
果たしてこれが言う`あなた`には如何ほどの価値が潜んでいるのか、窺いようもない。いや、正直に言えば、知りたくもない。余計な火傷はごめんだ。
妖怪ってのは見た目程、思っていた程以上に熱を持っている。迂闊を懲りるくらいの経験は、それなりにあった。
「ね、霊夢」
紡がれた響きには、なだめるような愛おしさで。杯を持っていたはずの右腕が腹に回りこんでくる。
「いまは、穏やかにいて。それで、いえ────それだけで、いいから」
縋りを含む声音で耳朶を打たれ、必死で裏を探ろうとする私が、確かにいた。
そんな言葉では分からないのだと。いつもの小憎たらしい言い回しも、悪知恵も、何もかも基準と出来るものが無い。
そんな言葉では、打てば返る音も送れない。普段のようにはいられない。
私の領分では、ない──
「……なんて、ね」
領分どころか、ガラではない。
一々これの言動に付き合っていたら、唯一の自慢である黒髪が年減りを待つまでもなく禿げ上がってしまう。
我ながらであろうとも、それは不憫すぎる。自分自身を、自分以外は労わってくれないのだ。
「そんな言葉でほだされるほど、流石に私も初心じゃないわ……と」
振り向いて、威圧を込めた眼差しでも送りつけてやれば前言など簡単にひっぺがせる。
どうせ舌なんか出して待ち構えているのだろうと、そう考えていたのに。
「……なんて顔よ、`妖怪`」
「なぁに、いきなり」
笑みは笑みだ。ゆるく目蓋を落とし、細めた目元から覗く光は優しい。だけど、それは。
「こんなに近くで、あまり見つめないで。酔いの勢いってモノは、あなたが考えるよりずっと恐ろしいのよ」
「……その勢いで汚されたヤツが恐ろしいのも知った上で言ってるのよね」
「いいえ、まったく。そんな経験はないから────あなたが、教えてくれる?」
馬鹿を言え、と。
そうはき捨てることも出来たけど。何かそれを覆す、手痛いしっぺ返しが来るような気がして。結局はだんまりで、見つめ返してくる深い蒼を言外にけん制していた。
何も抑止になる事はないと頭では理解していたのに。
それでもアリスは、律儀に睨み合いっこを続けて。口元の象りをそのままに。
やたらと長く感じられた沈黙の後、音を上げたのは必然として私だった。
首が痛かったのもある。一つ息を吐き、如何にも呆れたという様相で。
視界にはまた、代わり映えのない夜桜を。悪戯な顔もしなければ、くすぐったくなる笑みを湛えたりもしない。くだらない文句を並べたりしない。
ただ、美しいだけだ。
首元と腰に回された腕が心なしか僅かに緩んだ。けど、預けられた重みは先ほどよりも多くて。
「霊夢」
なに、と反射で応えを、出してから悔いる。その次を、考えていないのかと────
「おやすみなさぁ」「ふざけんなおぉい」
弛緩。
断末魔みたいな応答を、それだけで少し前のやり取りが幻のよう。ぬるま湯みたいな空気はあっという間に吹き飛んでしまった。
眠りかけた妖のお嬢に喝を入れ、えっちらおっちらと布団にころがす羽目になって誰よりも心が落ち着いたのはそう────私以外に、他ならなかった。
────
「よっ」
花びらまみれの石畳を蹴る歩幅は軽やかで、どこかの白黒とどっこい。元気? なんて陽気さ。
昇ったばかりの日は眠たげで、お供を申し出たいくらいにはこちらも醒めたての眼を擦っている。そんな起き抜け。
──寂しげな酒盛りから日を経た白い容貌は、悔しくなるくらいに整っていた。
襟元から伸びるリボンが活発な風を強調している。掃き纏め前の花びらも負けじと宙に身を泳がせて。
蒼い瞳は私を認めると、安堵したように目じりを緩ませた。
「…………相変わらずの不自然よね、あんた」
「でしょうね、ええ」
よっこい、と傍らに。肘がそれとなくふれ合う。布越しであるはずの接触は、なぜか隣人の動きを意識させる。
「霊夢」
改まったような語気。まっすぐを向いた切れ長の蒼は来た道をなでている。何か、腹に決めた覚悟を纏っていた。
なんだ、一体なんだ。まだ日課が終わってないから絡まれるのはごめんだぞ。
しかしそんなことを言いながらも、私はつい味見程度で封をあけた頂き物のまんじゅうを無心に頬張っていた。キメの細かいあんこが舌に溶けてゆく。
流石、新規盛栄、先客万来の銘菓。
このやみつき具合はもう仕方がないんだ、と開き直り和菓子のお供を淹れに行かせるくらい。
丁度いい、来客もあったことだし、
「私が、あなたを殺すわ」
思いつつ、またまんじゅうをくわえた折りに、殺害宣告。
愛し合うみたいに、まんじゅうと唇を重ねていた。私が、食べてしまうのに。たかがまんじゅうでしかないのに。いっそ今までのどんな菓子よりも甘いと、感じた。
「人間として人間のまま。妖怪が妖怪の自己満足がため。一生をかけて、殺します。──他の誰にも渡しやしない」
硬直した私を白い手が過ぎ、傍らのまんじゅうを一つまみ。丸いつぶてのような形を目で追うと、躊躇うことなく口に含んで、嚥下された。
人でもあっさりと平らげてしまいそうな貪欲を貼り付け、まんじゅうを飲みこんだ唇は艶やかに流動し、笑みを。
「私と一緒。死ぬまで一緒。死んだら……さて、どうなるかしら」
華奢な指が私を射抜く、まんじゅうに嫉妬したのか。口に押しこまれても、甘さは変わらなかった。
ようやく、顎が咀嚼を始めた。頭も、たぶん戻った。あんこがやたらとクドい。
「それ、さ」
皮の弾力をもてあそびながら、少し口ごもって。
「求愛?」
言った。的確であろう言葉で。
しかし、違うとでもいうかのように頭を振るわれる。
「そんな綺麗なお話じゃない。一人の少女を殺める、鬼畜の呪い。宣言した以上引きかえすつもりはないというね」
私に降りかかる呪いであり、アリスの行動を縛り付ける呪いでもあると。私を守って、殺させない。死の間際まで……とでも言いたいのか、この格好つけは。
「……どうして私が、そこまでして欲しい?」
あの時の言葉だ。価値を見出したと告げられた、知りたくもない思い。聞かざるを得ないなんて。私の主観では、彼女が欲しがる訳を挙げることすら出来ない。
────故に、聞きたくなかった。
それでも、と。
この身からでは気づけない何かが残っていると。新たな視点を気づかせてくれるのならば、あるいは──
「理由を述べたからってどうなるというの?私はもう決めたのよ」
にべもなくそう切り捨てられる。
「……このせっかちは。せめて説明の義務くらいは果たしなさいよ」
なんか、ねぇ──。少しは芽生えていたような気もしなくもない乙女な部分が粉々にされた気分だ。
「説明も何も、私は妖怪なのよ。些細な建前程度に衝動から出た欲求がどう変わると言うのかしら。────あなたが、欲しいから。じゃあだめ?」
「ほし…………、いやだぁからそこに思い至った根拠をって」
「霊夢がいた。欲しくなった。おしまい」
なめとんのかこいつ。
今度こそ、しぼり出すまでもなく溜め息が零れた。頭をかきむしるのは最終手段だ。
まんじゅう、と手を伸ばして茶を取りに行ってない事を思い返す。いつ席を外していいんだろう。
いや、きっとアリスは止めない。止めないけど、その後を絶対うやむやにされる。話に決着がつくまで、お茶はお預けだ。あんまい。
いや、待てよ。とりあえず頭を切り替えよう。
「でさ、けっきょく」
息継ぎをはさみ、注意を引く。変わらない笑みのまま、たおやかに首を傾げ見せてくる仕草は一種の攻撃だ。似合うなぁちくしょうめ。
「その宣言を私にして、それから──どうするの?」
どうしたいの、と。
今の関係をぶち壊して、それでも手を伸ばすのは何だと言うのか──ああ、買うと結構値が張るもンなんだぞ、それ。
核心であるのは間違いない、のだけど。
問われた本人には、手応えのある変化が見られない。挙句、 「さぁてね」 なんて投げやりにしてまんじゅうを一つ。
だから、持っていき過ぎだと言うに。
「要するに…………今となんにも、変わりはないんじゃ」
呆れた声音で結論を言い終えるが早いか、その行動は。
負けじと私もまんじゅうの方へ目をやっていて、下から伸びる白い指が目標を変えたのに気が付かなかった。
目を閉じる暇も与えられず、冗談みたいな細微さから白い容貌を眺めている。
先日だって、こんなに近かったかどうか。とっくにまんじゅうは飲み下したはずなのに。また、咽るほどに甘い。
やっぱりさっさとお茶を淹れに行くべきだったんだ。
そうしたら、こんな。
「──ん……む、ぅ」
喋ろうとして、異物を食むような動きしか出来ない。酒が循環してほてった肌よりも生々しく、きっとどこよりも神聖な意味をもって、私を侵してゆく。
痺れたように感覚をなくしていた腕をゆるやかに持ちあげ、叩きつける勢いで押しだそうと。しかし意気込む前に、解放される。
未練もなくあっさり。食いつかれたら二度と放されないものかと思っていたんだけど。
「今までと、はて。その次は……なんて言ったかしらね」
最も近いであろう触れ合いを放棄して、勝ち誇った艶笑を満面にのたまいやがったのは、会話好きの十八番。
迂闊と言えば迂闊。言葉端を目ざとく拾う悪癖持ちのこいつに対して、あまりにも警戒が足りなかった。
しっぺ返しを避けたつもりで、子供じみたあげ足取りに引っ掛かるなんて。
信じられない、とわななく唇で零した。
「は、ぁ…………流石に頭の構造を、疑い始めてきたわ、あんたの」
「だって、先日は上手く逃げられてしまったもの。脊髄反射みたいな言葉が否定してくると待ち構えていたのに」
つまり、遅かれ早かれとの意味でしか変わりがなかったのか。どうして酔っている時ではなく、心構えが出来る素面でこけるんだ。
そう喚くと、「それなりに動揺はしてくれたのね」 と憎たらしいくらいに笑みを深めて見せる。
引っぱたくなり投げ飛ばすなり針山にするなりをして鬱憤をぶつけてしまいたいけど、それが手打ちとなって、アリスを許してしまう行為になる気がしたから。
視界が、歪む。
「ね。そんな顔しないで、霊夢」
「やかましい、色魔。何か言えばその度に口を塞がれるなんてご免よ。ふしだらめ」
実にいやらしくも見事な手際で辱められた私は、無力な童のように伏せっていじけるしか出来なかった。袖口を噛んで、うめき上げそうになるのを根性で堪える。
膝に爪が立って痛い。血が滲むほど力を込めても、気がすまないだろうな、なんて。
「怒っていいのよ。何も変えないつもりはないけど、何もかもをあなたから奪うつもりは無いの。だから、怒って。内にくすぶらせて終わらずに、声を荒げて、私を叱って」
あなたの想いを聞かせてよ、と。
「駄目。私はあんたを許さない。こんな、こんな当て付けで、心を許すほど空っぽじゃ……ない」
空っぽじゃない。声に力が入らないせいか、響きは悲しくなるくらいに虚しい。
どうして胸を張って言い切れないんだろう。何も、おかしいことはない。
膝を抱えて固まる私の手に、ガラス細工みたいに硬質な指が重なっている。もう、無理やりをするつもりはないのか。近づこうとする気配はなかった。
まんじゅうが、固くなってしまう。口の中も甘いままで。唾を吐き捨ててしまいたい。お茶も飲みたい。早く境内を綺麗にして、心置きなくのんびりしていたい。
重ねた部分から熱を持っていくのに、冷えた指は一向に温かくならない。必死なようで、どこか諦めている。
しゅる、と唐突に起こった衣ずれの音に、身がすくんだ。
影が被ると、かすかな石鹸の匂い。私のそれとは違う、したたるような花の香料が。
つむじに温い吐息がかかる。濡れた感触はこそばゆさが余って、少し痒かった。
「霊夢。私ね、あなたの髪が好きよ」
髪に負けた。訳も判らず、そんな事実だけが脳裏に叩きつけられた。それなら私の髪を切り取って、何処へなりと行けばいいのに。
「でもね、この髪はあなたの物だからこそ意味があるの。だった、ではなく、今もそうである物が」
指が離れ、一房を掬い上げられる。愛おしむ柔らかさで手の平に乗せて。
「私はあなたが欲しいの。そのままのあなたが。ずっと、見せて。変わってゆくものも、変わらないものも」
髪束を挟まれたまま顎を持ち上げられる。珍しく、神妙な色だ。喜悦ばかりを表に出すこいつにしては。
震えた声は、出なかったと思う。
「……それで、全てに理由をつけたつもり」
「ええ」
「私の納得が、その言葉で十全だって」
「そうね」
歯噛みが脳髄にひびき渡り、奥歯が鈍い音をならす。
今度こそ、はり手で風を切る。加減なんかしない、そのまま頚椎ごと吹き飛ばすつもりの渾身で。
アリスは動じなかった。それどころか、待ち侘びていたでもな表情で。
けど、違う。
「────霊、夢?」
勢いも落ちて、はり手は人差し指に。当てたのは頬ではなく、口端。戸惑った面に隠すことなく突きつけてやる。
「……あんこ。くっついてんのよ、間抜け」
こんな美味い物をお弁当にするなんて、私は許さない。
衝動を止めた。間違いなく頬に受けるであろう痛みを予期して、それを収められてしまったアリスの顔から色彩が、落ちる。
許しは、しなかった。
「でも」
一区切り、意識を絶って新しい言葉を滑らすために。むずがる口元をこらえて、紡ぐ。言わなければならない事は、私にもある。
「あんたは、私を…………欲しいと言った。それだけは、初めて、だったから。その、」
最後の最後で矜持が邪魔をして、届いたかはわからない。しかめた面のまま、拭い取ったお弁当を改めて差し出してやる。
しばらく、聞き取った意味を咀嚼しかねたのか。呆けたままの瞬きを二度三度。
強張った表情が解けてゆくのはそう遅いことではなく。やがて、眉尻を落として口元を三日月に象る。
目蓋を一度、長くつむると床に手をついて、首を伸ばし自ら穿たれに向ってきた。あんこに。
まじまじと、ああこんなモノが顔に被さって来ていたのかと。今更ながら顔に熱が広がった。
薄桃色のつぼみが不定形に歪み、人差し指をためらわずに受け入れて。先程合わせた感触と違い、奥の方は驚く程とろりとしている。
むしろ、唾液を出しすぎではないだろうか。いや、あんこが美味しいのは分かるけども。
ひとしきりどころか、満遍なくといった具合で舌をからめられ、唾液まみれのまま私の指をくわえ終える。透明な綱をだらりと架けた、艶やかな唇を振るわせて。
アリスははしたない有様に残された指を見て、あらごめんなさいと白々しく。またぱっくり飲み込まれる。絶対に、他意があってこういう事している。こいつは。
今度こそしっかりと音を立てて拭いさられ、綺麗になった指が戻ってきた。僅かにアリス的な匂いがするけど。
ふう、となまめかしく放たれた吐息だけが耳にこびリついて、離れない。
指を執拗にねぶられ終えて、どんな顔していればいいか分からなかった私は────とりあえずの気軽さでまんじゅうを求めた。
舌には飽きる程の甘さが染みこんで、喉が張り付くぐらい渇いているのに。
つまむ直前に、伸ばした人差し指が危険な因果を生み出す懸念に思い当たったので、はたと固まる。揃いも揃って、つくづく枷をはめたりするのが好きな奴らだ。
たかが甘味と妖怪のクセをして。何処まで私を引きこめば満足するのだろう。
──よし、今度こそ。お茶が私を、私もお茶を待っている。
不本意ながら珍客な変客にも、茶の言い入れはあるか聞こうと──して阻まれる。
振り向いた正面から覆い被さられ、ゆるやかに、寝かしつける速度で倒れこんだ。
また、人が無防備な間を狙いやがって。
「……今度は、なに」
「さっきのは、受け入れられたと解釈して良いんでしょう? 今までずっと、我慢していたんだもの……」
投げ出された両手に、引き剥がそうと動く間もなくするりと指を組まれ。密度の濃い吐息が首元へ無遠慮に吹きかかる。
「だれも、許したとは言ってない。都合の良さも極まると終いには相手を止める、わよっ」
膝を立てて床板の上でもがく。しかし、脱力したように預けられた体重はぴったりとはり付いている。
服の皺にまで形を合わせる柔らかさが胸の上でこすられて、悔しいやら感心するやら。
「冷たいこと。粘膜でふれ合ったんだからもう恥らうこともないでしょう」
「私は奪われただけだバカちん。あんなお後の宜しい行為で何もかもが思い通りになるなんて、頭の緩みにも程がある」
「じゃあ、今ここで私を張り飛ばして罵倒するぐらいしてくれないと。しぶといわよ?」
「絶対にご免よ」
「あら、そう。んふ、そうなの……」
にまにまと弛んだ笑みが見下ろしてきて、言葉選びを誤ったことを告げる。もはやちょっとした恐怖で頭が働いていない。だれか、今すぐ来訪しろ。してください。
「都合のいい方に穿ちやがったわね、ああもう手に負えない。脳春、淫乱、ガキ喋り、常識人もど、んあぁっ」
「ええもっと、悔しそうな顔も見せて、罵って頂戴……」
「やぁめ、やーめ、れぇえぇぇ!」
やっぱり隙なんか、見せるべきではなかったのだ。調子にのって際限がなくなるのは分かっていたのに。
からからと笑いながら窄める瞳には、慌てるだけ慌てさせて楽しむ悪趣味な純粋さしか放っていなくて。
かと思えば、しばらくじゃれつくと最初から決めていたかのように、ただ私をかき抱いて大人しくなってしまう。本当、洒落にならない。
振りほどけなかったことも無関心でいることも、結局は出来なくて。
受け入れても、許してもいない。
それでも、私が欲しいと臆面もなくぶつかってきた奇特なやつの、卑怯な言葉が根をはってしまったのは不本意だけど。
ほんの少しであろうとも、嬉しかったのは、間違いないのよ。悔しいくらい────私を高揚させて、刻みつけて。
どうせ少しでも風向きが変われば落ちてしまうような人生だ。切れ端程度、預けてしまってもなんの問題はない。
だから、今しばらくは。
私にも、夢を見せていてよ、愚直な妖怪────
三言まくし立てれば、四言で終わるはずがない────そこにあなたがいるから
────
ピクッ
とても元気をもらいました
このアリスと霊夢は良いですね
すらすらと読めました。どうぞお幸せに。
霊夢の貞操を守る戦いの様子をもっと詳しく(ry
イケメンアリスは可愛い霊夢を幸せにしてくれ