はじめに・・・
この小説には、キャラに対して暴力が振るわれる表現がありますので、そういうのも大丈夫、というかたはそのままお読みください。
「うぅ・・・ひっく、おね、お姉ちゃん、怖いよう・・・」
「大丈夫。もう大丈夫よ、こいし。ここは安全だから安心なさい」
小さく震える妹を抱きかかえながら優しく髪を撫でつける覚り姉妹の姉、古明地さとり。
着ている衣服は泥だらけの煤だらけ、おまけにところどころが破れてしまっている。そんな二人に付いているのは顔のものとは違う、体から伸びた紐のようなものに繋がっている明らかな異形である第三の瞳。これを持つが故に、嫌われる。疎まれる。
彼女の妹、古明地こいしは、覚り妖怪でありながらも、強い精神を持っていなかった。もともと引っ込み思案であり、相手を傷つけることしない。さとりはそんな妹のことをいつも心配していた。石を投げられようが、罵詈雑言を受けようが、どのような扱いを受けても、恨むことも憎むこともしない。今もそうしているようにただ嵐が過ぎ去るのを待つかのようにやり返すことなくじっと固く目を閉じたままうずくまっている。そんな時はいつもさとりが庇い、能力を使って相手を追い払う。
私がいなければどうなってしまうのだろうか、いつもそんな思いを心の奥底に抱きながらこいしの頭を優しく撫でる。まだ震えたまま頭を上げることはないが、第三の瞳でしきりにさとりを見回している。必死にさとりの心を読み、本当にもう危険が去ったのか、大好きなお姉ちゃんに迷惑をかけて嫌われていないか、不安は尽きないようだ。
「ほら、こいし。泣くのをやめて顔をあげなさい。お姉ちゃんが顔を拭いてあげるから」
「・・・うん。ごめ、ごめんね、ひ、ひっく、お姉ちゃん。ごめんね」
まだ時々しゃっくりをしながらもそろそろとさとりを見上げる。やはり涙と鼻水で顔がぐちょぐちょになってしまっている。さとりはぼろぼろではあるけど、まだきれいな服の袖を使って優しく顔をいたわるように拭いていく。ひっく、と涙目のまま見上げるその表情を少しでも安心させるために微笑みを返す。
一通り綺麗に拭き終わった後、さとりは優しくこいしの頭を抱きしめる。妹を慰めた後に行ういつものやりとり。身長はさほど変わらないこの存在がたまらなく愛おしい。さとりとこいし。彼女たちは二人だけで世界を作っていた。他には何も必要なく、全てがそこで完結していた。
―――――――――――――――――――――――――
「――――ふう、こいし、今日はこのあたりで休憩しましょう。このあたりには誰もいなさそうだし、安心だわ」
「う、うん。あのね、お姉ちゃん、さっきのこと、ごめんね。本当に、ごめんね。私が弱いばっかりにお姉ちゃんに迷惑をかけちゃって・・・」
「何を言ってるの。貴女は私のたった一人の家族なんですから。それに、私がこいしのことを守りたいって思ってるんだから、そんなに気にしないで」
姉妹がたどりついたのは地底の中でもさらに人気のない、大きな空洞の中にある小さな小屋のようなところに落ち着いた。このあたりは少し昔までは是非曲庁があった場所らしく、役人たちの詰所らしき建物が点在している。さとりたちはその中でもさらに周りに何もない小屋を選んだ。近くに池か川でもあるのか、水の音が静かに聞こえてくる。
小屋の中には簡易ではあるが、休むための布団が乱雑に畳んで重ねられていた。近くの棚には、かなり傷んでしまってはいるものの、衣服も吊るされて放置されている。もしかしたらこの場所は忙しい下級役人たちの仮眠小屋あたりなのだろう、とあたりをつけていた。少しばかり埃くさいものの、今さとり達が着ている泥や煤にまみれたボロよりはよっぽど上等なものだろう。その中でも比較的汚れていないものを選び、埃をはたいてからこいしに見せる。
「ほら、今日はこれを着て休みましょう。もうそれはかなり汚れちゃったし、着替えてしまいなさい」
「うん・・ありがとう。お姉ちゃん」
さとりから衣服を受け取ると、いそいそと着替えだすこいし。さとりも手ごろなものを見つけ、手早く着替えを済ませる。こいしはというと、姉妹であるにもかかわらず、裸を見られるのが恥ずかしいのか、頬を染めながら小屋の端まで移動して身体をどうにか見られないようにしながらもぞもぞと着替えを済ませる。さとりはそんな様子を見せるこいしにたいして微笑ましい気持ちを抱きながら眺めていると、着替えを済ませたこいしが駆け寄ってきて、抱き着きながらも、
「・・・・・・・お姉ちゃんの、いじわる」
といいながら甘えてくるのだった。顔をうずめてきているのは首筋まで真っ赤になっているのを見られないようにするためのようだが、心を読める姉にとっては何の意味もない。くすくす、と笑いながら互いにじっとしている。そんな時間が二人にとってのささやかな幸せであった。
「ちょっと周りの様子を見てくるから、こいしはゆっくりやすんでいなさい」
「うん、ありがとう。お姉ちゃん」
ひとまず今日休む場所は確保したものの、本当にこのあたりが安心かどうかは分からないということで見回りにいくさとり。特に今日はこいしがちょっかいをかけられていたのをさとりが追い払ったので注意が必要だと感じていた。
小屋を出て辺りを見回してみても、何者の気配も感じない。さらに能力を使って気配を伺うが、結局は同じ。とりあえずは安心したので、聞こえてくる水音を頼りに備え付けてあった桶で水でも汲んでこようと、小屋から離れていった。
――――――――――――――――――――――――
一方、場所は離れて旧都の集落。追われて逃げてきた者たちがたむろしている。彼らは日ごろの鬱憤をはらしたくて誰もが普段からピリピリと殺気立っている場所でもある。各々が勝手に行動するものが多く、喧嘩というものにはとどまらず、ちょっとした諍いから泥沼の殴り合いになることも少なくなかった。そういう事情もあってか、この場所には治安が悪いというところではなく、所謂無法状態であった。
「おい、聞いたか。最近このあたりに覚り妖怪が紛れ込んできやがったっていう噂だぜ」
「ああ、何でも姉妹だけでこっちに来てうろちょろしてるっていう話だよな」
「ったく、あんな気味の悪いバケモンまでこっちにきやがって・・・・畜生が」
しかしそんな無法地帯の中にも、ずっと統率のとれている集落もある。かつて妖怪の山を支配していた山の四天王、星熊勇儀を頭とするグループだ。彼女は追われた、というより人間たちの権力争いや見栄を張るばかりで何の中身もないような妖怪までもが増えてきたこともあり、辟易として地底にまで潜ったという変わり者である。しかし、同じ鬼の仲間やその明るく一本槍で竹を割ったような性格が下の者に慕われ、同じく地底までついてくるものもいた。勇儀を中心として、一つの集落が出来、その場所は比較的治安が良い場所であった。破天荒な性格だけではなく、その流れるような長い金髪、額から生えた力を象徴する一角、何より健康的な色気をもった大人の女性を思わせるその容姿にも惹かれたものも多いのかもしれない。
そんな中、勇儀は最近知り合ったお気に入りの橋姫のもとへ歩いていた。まだ最近妖怪に成ってばかりで右も左も分からないままここへ流れ着いてきたようだ。いつ会ってもつん、としていて愛想が無いように見えるが実のところかなりの節介焼きでお人好しでもある。そしてなにより、線が細くて目の綺麗な別嬪であり、勇儀としては接した機会の少ない庇護欲を掻き立てられる、そんな彼女を集落へ招き入れたいと常々酒の席でいき込んでいるのであった。
橋姫のもとへ向かう途中、ふとごろつきたちの噂話を耳にする。なんでも、覚り妖怪がこの地底に来ている、とのことだ。久しぶりに聞くその名前にふと思い返す。
(覚り妖怪、かあ。あたしはあんまりあったことは無かったけど、みんな頑丈じゃなくてほそっこい奴らだったなあ。こんな荒くればっかのところによく来たもんだ。度胸があるのか、世間知らずなのかは分からんが、物好きもいたもんだ・・・・っても、私もそうは変わらないな。あいつらからすれば人間たちの考えてることを読み取るだけで心に負担もかかるだろうし、案外こんなところがいいのかもしれないな)
そんな昔の記憶を辿りながらも、この場を素通りしようとしたところ、不穏なやり取りが聞こえてくる。
「・・・・・・でよ、あいつら気味悪い術を使って、たまらずとんずらこいちまったってわけだ、今思い出しても腹が立つぜ」
「でも噂じゃそんなことしてくるのは紫色の髪のやつだけだろ?じゃあもう一人の奴なら好きに痛め付けることが出来るんじゃねえか?」
「ああ、確か銀髪のやつか。たしかにあいつは姉が来なけりゃ何にも出来ねえ意気地なし野郎だからな。上手くやりゃあ憂さ晴らしにはなるんじゃねえか?」
「そりゃいいな!覚り妖怪ってやつぁあっちから襲いかかってくるようなやつなんざいねえからな!もしもう一人が来てもすぐにぼこっちまえば関係ねえ!腹に一発でも蹴りいれてやりゃあとは好きにできるってもんだ!」
「おい、お前ら」
いくら会ったことがないとはいえ、見ず知らずであっても、下衆な話を聞いてそのままでいられるほど勇儀は冷めた妖怪ではなかった。
「ああ、なんだてめえ・・・・・って、お前は星熊勇儀!?」
盛り上がっている最中にいきなり横槍を入れられたのが気に入らなかったのか、いきなり喧嘩腰で突っかかってこようとするが、相手が誰だか分かると、一歩退く。彼女はそれほどまでに名の知れた鬼なのだ。
「何しようとしてるか知らねぇけど、大人数で力もないやつを袋叩きにするなんてみっともねえこと考えてんじゃねーよ。なっさけねえな」
「ぐっ・・あんたにゃ関係ないだろ!?ほっとけよ!」
「ああ、関係ないね、ただ、あたしの眼の届くところでそんな陰気臭いことやってんのみつけたらただじゃおかない、半殺しじゃ済まないからな。じゃあな」
最後に強く一睨み効かせて圧倒的な圧力の差を見せつけながら、歩き去っていく勇儀。その背中が見えなくなるまで、ごろつきたちは冷や汗を流しながら見送るしかなかった。
「チッ・・・なんだよあいつ。ちょっと強えからって好き勝手に威張りやがって。気に入らねえ」
「全くだよ。・・・・・で、どうすんだよ、あの覚り妖怪をぼこぼこにするって話、本当にすんのかよ?」
「当たり前だろ!あんなこと言われてすごすごと引き下がる方がみっともねえだろうが!」
「で、でも・・・・本当にあの星熊がきたらどうすんだよ?」
「関係ねえだろ!それにこの地底で思いっきり袋叩きにできるなんて機会そうそうないんだ。お前が行かなくても、俺はいくぜ!さっき見た時には、こっちの方に歩いて行ったんだ!」
鼻息荒く息巻いてからズンズンと進んでいくごろつき達。酒をしこたま飲んでいるせいもあって、せっかくの勇儀の忠告を聞き入れることなく、抑えが利かなかった。
―――――――――――――――――――――――――
さとりが周囲を警戒しながら池の方へ歩いていくのを確認すると、上手く身を隠していたごろつき達が顔を出す。あの小屋から池までは少し距離があるので、しばらくは帰ってこないだろう。
「へへ・・・今ならしばらくは帰ってこないはずだし、小屋にいるのは銀髪のろくに抵抗もしねえ臆病者だけだ。それにこのあたりを通るやつなんざほとんどいねえ。今が絶好の機会ってやつだぜ」
「確かにな、ちょっと俺たち三人で行けばどうにでもなるし、声も聞こえてこねえだろ。」
「っくく・・・・・・・・・じゃあ、行くぜ!」
「よい、しょっと。えへへ、お姉ちゃん喜んでくれるかなぁ」
一方、こいしはというと、さとりが周囲の様子を確認している間に、小屋の中を片付け、居心地をよくすることで、休んでもらおうと、慣れない掃除にいそしんでいた。幸い最低限程度の掃除用具はあったので、せっせと励む。
時間を忘れて頑張っていたおかげか、最初に二人が訪れた時に比べれば、ずっと小奇麗な部屋へと変化を遂げていた。ひとえに大好きな姉への親愛からだろう。
「よしっできた!これで今日はゆっくり休めるね!」
一人で嬉しそうに手を叩くこいし。あとは大好きな姉が帰ってくるのを待つだけだ。
ガラララ……
ゆっくりと戸が開く音が聞こえてくる。さとりが帰ってきたのだと、こいしは笑顔で迎えるために小走りで駆け寄る。
「おかえり!お姉ちゃん!あのね・・・・・っ!?」
「おお、いたぜ!やっぱりこのあたりに隠れてるってのは本当だったんだな!」
「しかも、今いるのはあの紫の姉のほうはいねえじゃねえか!へっへ、好都合だな!!」
「おいお前、さっきはよくもやってくれたな・・・・今度こそは徹底的に甚振ってやるぜ!!」
「あ・・・ああ・・・・・・」
笑顔だったはずの顔がみるみる内に恐怖に染められていく。彼らの心の中でこれから自分がどのような目にあってしまうのかが分かってしまったのだ。覚り妖怪であるがゆえにハッキリと見えてしまう。これ故にこいしは臆病な性格になってしまったのだ。
「ひっ・・・」
「おい待て逃げんなよ!恨むなら大好きな『お姉ちゃん』を恨むんだな!」
「やぁ!助けて・・・!」
―――――――――――――――――――――――――
「おい、あんた・・・・・」
「・・・・何か用ですか」
川のほとりで水を汲んでいたさとりに通りかかった勇儀が声をかける。先程のチンピラとの会話で気になっていたのだ。
「やっぱり、その第三の瞳・・・覚り妖怪の古明地さとりだな」
「貴女は・・ああ、云わなくてもわかります。そうですか、貴女があの有名な・・それで、私に一体、成程。そんなことは日常茶飯事です。おかまいなく」
「勝手に話進めるところはやっぱり覚り妖怪だな・・・話が早くて助かる、と言いたいところだが、妹がいるんだろ、そいつはどうしたんだ?」
「・・・・貴女には関係のない話でしょう?どうしてわざわざこいしを危険にさらすようなことを話すのですか?これ以上用がないのなら早くどこかに行ってほしいのですが」
「全く・・お前さんが追っ払ったやつら、覚えてるだろ?それで仕返しをしてやろうって話も分かったんだよな?あんな奴らの行動については知りたくもないが私の方が分かってるんだ。・・・・もう私の言いたいことは分かるよな?」
「ッそんな・・・まさか・・こいし!」
話の最中にも関わらず、さとりは桶さえも投げ出して狂ったように走っていく。最初に話しかけられた時の冷静さなどなかったかのように。その豹変ぶりからもいかに妹を大事に想っているかがわかる。それだけに今、必死に駆けていくさとりの姿は痛々しいものだった。
「おい、待て!さとり!一人で行くな!!…っちっくしょう!!!」
普段からの面倒見の良さからついつい要らぬ節介を焼いてしまったかと若干後悔する勇儀。これで何もなければ厄介な者を敵に回してしまう、そんなことを分かっていながらも関わってしまうのが彼女なのだ。
しかし、嫌な予感も強く感じる。ここまで来た以上、放っておいておくわけにもいかない。必死の形相で走り去るこいしを追いかけていくことにした。
――――――――――――――――――――――――――――
さとりと勇儀が戻ってくる。こいしが待つはずの場所へ。本当なら、姉をじっと待ついじらしい妹が待っているはずの場所へ。そこには、二人ともが望まなかった、最も見たくなかった光景が広がっていた。
見るも無惨な姿になった妹。手足には無数の痣が浮かび、透き通るような白い素肌が痛々しく青黒くなっている。服もズタズタに引き裂かれ、生々しく切り裂かれた皮膚から血が流れている。虐げられながら、何度も泣いたのだろう。眼は腫れ上がってしまい、かすかに聞こえてくるうめき声もかすれてしまっている。
「ちっくしょう!!!!てン前ェ等!!!言っただろうが!そンなにぶっ殺されてぇのか!!」
勇儀が躊躇いなくかつての荒ぶる怪力乱神そのままに怒りを放つ。その怒号だけでこの地底全体が凄まじく反響し、震える。ごろつき達がすくみ上ったのも束の間、瞬きをするかしないかのわずかな時間に一人、二人、三人と勇儀の拳を喰らい、壁に叩きつけられる。
一方、さとりはそんなことには目もくれず、今にも泣きそうな表情を浮かべながらこいしへと走り寄った。
「ああ、こいし!こいし!私よ、お姉ちゃんが来たからもう大丈・・・」
「おねえ、ちゃん…?」
必死の形相でこいしに近づき、抱き上げる。まともに体を動かすこともできないのか、腕はだらん、と垂れ下がったままだ。首を上げることもままならず、もうこれ以上傷つかないようにしっかりと強く抱きしめる。
その時にこいしの声を聞いた。これまでとは比べ物にならないほどの哀しい声。妹の心から伝わる感情に深い絶望を感じる。既に目を腫らして出し尽くしてしまったはずの瞳から、また涙が滲み、頬を伝い、流れていく。
(どうして私たちばっかり・・・もう、やだ・・・もう、いやだよ・・・・・)
「こい、し?」
少しずつこいしの感情に靄がかかっていくのを感じる。
(感情が伝わってこない?どうして!?)
さとりは表情がなくなっていくこいしの第三の瞳が少しずつ閉じられていくのに気づいた。くっきりと見開いていたその瞳にも力を感じず、虚ろなまま細くなっていく。
(そんな、瞳が閉じる!?ありえない!閉じてしまえば覚りじゃなくなってしまう!いやだいやだいやだ・・・!)
こいしの意識も遠のいていく。心が冷たくなっていき、視界が狭くなるにつれて辛うじて眼の前に映る姉の言葉も心も届かなくなっていく。
消えゆく意識の中、最後に聞こえたのは声なのか、それとも想いなのか、今にも泣きそうな大好きな姉から聞こえてきたのは、
ひとりに、しないで・・・!
悲痛な叫びだった。
・・・・ごめんね、お姉ちゃん
最後の声はさとりに届いたのか、届かなかったのか、それさえも分からないままこいしは完全に世界を閉ざしてしまった。第三の瞳は固く閉じられてしまい、これでは意識を取り戻したとしても、覚り妖怪としての古明地こいしは、もういない。
全く動かなくなってしまった、変わり果てた妹を胸に抱いたまま、さとりの心は真っ白な空白に襲われる。何が起きたのか理解することができないのだ。いや、起きたことを信じ、受け入れることを心が拒否してしまったのだ。
「さとり・・・」
今まで近くにいながら全く声をかけられなかった勇儀がやっとのことで声をかけるものの、その声に反応することはない。まるで時間が止まったかのように全く動かないその姿に不安を感じる。
「おい、さとり・・・ッ!?」
出来るだけ優しく肩に手を掛けようとさとりに触れた瞬間、凄まじいほどの寒気に襲われる。気づいた時には一瞬のうちに後ろへ飛んでいた。
(何だ今のは?!私が後ろに下がるなんて!)
図らずも勇儀がさとりに触れてしまったが為にさとりの思考が動き出してしまった。極限の精神状態の中、最悪の方向へ考えが向いてしまっている。
(どうしてこんなことに?決まってる、こいしを痛め付けたこいつらのせいだ。私たちが何をした?何もしていない。私たちは危害を加えていない。私が力を使ったのはあいつらが手を出してきたときだけだ。私たちは悪くない。あいつらが悪い。許せない。許せない。許さない・・・なんでこいしがこんな酷い目にあってるのにあいつらは傷一つ負ってないの?ありえない、いいわけがない。こいしが出来ないなら私が、こいしがしないなら、私が・・・!)
常に愛するこいしの為に激昂することもしなかった古明地さとり。恨みを買わないように不必要に危害を加えることのなかった古明地さとり。妹を怖がらせないために力を抑え続けていた古明地さとり。今、彼女を押さえつけるものが無くなったしまった後に残ったのは、長年静かに、しかし確実に積み重ねられたおぞましい程の狂気だった。
ゆらり、とこいしを抱きしめたまま立ち上がるさとり。勇儀を含め、誰もが声を掛けられない。何かを呟いているのは分かるが、何をしゃべっているのかは分からない。様子を伺おうと、勇儀が再度近づこうと一歩を踏み出したその時、
ぎゅるんっ、
突然、さとりのサードアイが勇儀の視線を捉えた。
「~~~~ッ!?」
先程よりも一層の強い悪寒。
(畜生、やられた!!)
勇儀が強く感じたのは視られた、という感触。今までは単にトラウマを見せつけることだけだと思っていたが、それが大きな間違いだった。トラウマを探るために心の中の奥底、今まで感じた想い、記憶、これまでに出会った全ての者、光景。全てを無理やりこじ開けられ、覗かれた。暴かれた。あとは能力によって一方的に蹂躙されるだけだ。
生きてきた中で初めて感じる感覚。狩るものと狩られるもの。鬼の四天王と称される勇儀が後者になることを誰が予想できただろうか。同じ鬼同士の喧嘩だろうが、得体のしれぬ術を使う特殊な人間や妖怪たちとも渡り合ってきたあの星熊勇儀が恐怖を感じたのだ。
さとりは依然下を向いたまま動かない。そんな中、サードアイだけがまるでさとりを操り糸で操っているかのように高く浮き上がり、静止した瞬間に大きくその瞳を見開いた。
「「「あああぁぁぁあああああぁぁアアあああ!?」」」
こいしを虐げていた者たちが一斉に叫び声を上げる。ある者は全身を掻き毟り、ある者は転げまわり、ある者は蹲りながら。さとりが能力を開放し、その力が及ぶ領域に入っていたのだ。いち早く危険を察知した勇儀だけが辛うじて逃れる。もし数瞬でも遅れていれば同じ目に遭っていただろう。
三人の声がだんだん正気とは思えないほどの狂ったような悲鳴へと変わっていく。もはや立つ事も叶わず、激しく痙攣を起こし、声も途切れ途切れになっていく。そしてぷつり、と気を失った。本能からによる緊急避難である。今までのさとりならば、これでもやりすぎで、決してこれ以上の危害を加えることはない。
しかし今のさとりは違う。復讐の鬼と化したからには、ここからが本番なのだ、すでに意識を失っている者たちの更に中まで入りこむ。すでに無抵抗となった心を、その弱点を的確に見つけ出し、深く抉り込む。もう二度と癒されることのない傷痕を植え付ける。もはや意識を手放して逃れることすら許されない。今まで誰もが見たことがない程の一方的な暴力がそこにあった。
「う、うぅ…がぁああぁああぁ!?」
意識を失いながらも尚蹂躙は終わらない。夢の中へ逃げたのなら夢の中まで追いかけ、侵略する。嬲り尽くす。これこそが本当の悪夢。
もはや生き物が出しているの声なのかと判断すべきか否か、というところまで精神を侵された三人はほとんど動かなくなっている。ここまできたら事切れてしまうのも時間の問題だ。
そんな中、勇儀は一歩を踏み出せずにいた。この状況を打開しなければいけないのは分かっている。しかし体が動かない。先程の悪寒、まともに喰らってしまった者たちを見て、本能レベルで体が向かうことを拒否してしまっているのだ。この数瞬の間、あの星熊勇儀は完全に恐怖に支配されていたと言えよう。
「くそっ、動けっ、どうして…!」
全身の震えを止めることもできず、体も自身のものでは無いかと錯覚を起こすほどの混乱の中、空耳かもしれない。想像の産物に過ぎないかもしれない。しかし、確かに、その時に、勇儀は意識を手放したはずの者の声を聞いた。
「だ…め、お ねえ ちゃ …助け 、て」
それは確かにこいしの声だった。先程も言った通り、勘違いかもしれない。しかし、勇儀の中では確かにこいしが言葉を発し、助けを求めたのだ。
こいしは望んでいない。こんな結末を。
こいしは望んでいない。こんな未来を。
こいしは望んでいない。こんな惨いことをする姉を。
世界を閉ざしてなお、姉を想うこの妹。そんな彼女がやっとのことで初めて姉以外に助けを求めたのだ。勇儀にはそれだけで十分だった。
いつの間にか身体の震えは止まり、瞳には力が籠っている。さとりの暴走を食い止めるために導き出された答えを実行する。
作戦は至って単純。古明地さとりの意識を奪い、行動不能にする。決して命まで奪ってはならないし、行動不能にできなければ、格好の餌食となり、星熊勇儀という名の骸が出来上がってしまう。強靭な肉体を持たない覚り妖怪を気絶させるには絶妙な加減が必要であり、普段の勇儀なら恐らく成功しなかっただろう。
しかし、今の彼女は違う。荒々しく迸る力を完全に制御し、むしろ静かな闘気を見せる。心には波風ひとつ立つ事なく、所謂「無我の境地」へと到達していた。拳を懐に構え、腰を落とし、全ての準備を整える。
訪れた完全な静寂の中、勝負は一瞬で決まる。
お互いに遥か間合いの外。そこから勇儀が動いた。
一歩目。さとりの能力に触れてトラウマに侵されるよりも早くさとりの懐へ潜り込むため右足で大地を力強く蹴り、距離を詰める。
二歩目。さとりの懐へ、完璧に打ち込める位置へ左足で踏み込む。
三歩目。鳩尾を打ち込むためと同時に再度右足で大地を蹴る。
これ以上にないくらいに的確に勇儀の拳がさとりを打ち込む。その拳は体を貫くことなく、またさとりを遠い地底の天井へ打ち付けるようなものでもなく、わずか数寸ほど体を浮かせるだけに留まった。
「ッ…カハッ…こ・・・・い・・し」
さとりは大きく目を見開き、体中の酸素を全て吐き出される。ほんの一瞬耐えたか、と思えたが、そのまま力なく気を失った。意識がなくとも、それでも妹を庇うように覆いかぶさりながら。
「がッググ…っ!」
一方の勇儀も勿論のこと、ただでは済まされなかった。ほんの一瞬とはいえ、まともにさとりの能力を浴びたのだ。気絶させるには成功させたが、それまでに受けたダメージは大きい。すぐさまその場にうずくまり、掘り起こされたトラウマに堪えられず胃の中のものを吐き出す。頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回されたような激しい嗚咽。その表情は普段からは想像もできないほどに歪み、苦しみに満ち満ちていた。
苦悶のうちにのたうちながらも、ようやくのことで勇儀は正気を取り戻す。いまだに立ち上がることもできないほどの痛みを内に抱えながらもなんとか辺りを見回してみる。そばに倒れる古明地姉妹にその犠牲になった三人。その他には誰もおらず、一切の気配を感じない。まるで全てがここに来ることを拒否しているかのような静寂。
(…これが、覚り妖怪の力で、いつも見ていた風景、なんだな…)
知らなかった。これほどまでの孤独があったとは。こんな世界をあの二人は、これまでずっと寄り添いながら耐えていたのか。
(私なんかより、ずっと、ずっと…強い。…何が「力の勇儀」だ。鬼の力で出来ることなんかたかがしれてるじゃないか…!)
自らの傲りに激しく後悔しているところに人影を感じた。素早く振り向いてみると、そこには少し癖のある金髪に深い緑の瞳をたたえた妖怪。自らを醜いと称する嫉妬妖怪がそこにいた。
「・・・やあ、パルスィ、見てたのかい」
「まさか、今来たところよ。遠くから強い負の気配を感じたから暇つぶしにここまで来たのよ、そしたらあんたがいただけ」
そっけなく視線を逸らしながら答える彼女。鬼女であり、鬼の端くれではあるものの、鬼にしては比較的非力だが、妖力自体は高く、どちらかと言えばさとりに近い類の力を持つ。パルスィもまた追われて、迫害されて、もしくは裏切られて地底に来た者の一人だ。
「へえ、お前さんの気配はさとりがおかしくなる前くらいまでは感じてたんだけどねえ、何で加勢してくれなかったんだい」
「・・・やっぱあんたには嘘は通用しないわね。そもそもあんな莫迦でかい声で吼えておいて、気づかないなんて、よっぽどの間抜けくらいよ。それにあんたたちみたいな化け物同士の争いに巻き込まれるのなんか真っ平だし、知らない振りして逃げた方がはるかに気楽よ」
「それでもお前さんは今こうやって私の前に出てきてくれた。心配してくれてのことなんだろ?ありがとうよ」
「じょ、冗談じゃないわ。もしあんたが負けたら後味悪いから結果だけ見に来ただけよ!」
耳を真っ赤にしながらやけ気味に答えるパルスィ。先程までの冷たい雰囲気も消えてしまっている。
「まあ、パルスィがそういうならそういうことにしとくよ。それよりも今日はいい布団で綺麗な緑の眼をした美女からの酌をしてもらいたい気分だねぇ」
「何言ってんのよ馬鹿・・・」
勇儀はあまり自身の家で寝ることは無く、呑み歩いてばかりのためほとんどが他人の家で寝泊まりしている。一番通うのはパルスィの家なのだ。彼女が勇儀のお気に入りなのは地底では周知の事実である。
「そんなことはどうでもいいとして!あの子たちはどうするのよ?ここまで関わっておいてほったらかし、なんてことはしないんでしょ?」
「私からしたらそれもかなり重要なことなんだけどなあ・・・すまん、全く何も考えてなかった」
「・・・こンの力馬鹿、ちょっとは後先のこと考えなさいよ・・・」
「仕方ないだろ、今回ばかりはそんな悠長なこと言ってられる状況じゃなかったんだし」
「ったく、本当に仕方ないわね・・・いいわ、しばらく私のところで預かってあげる。少なくともあんたよりはこの子たちの能力には耐性あるし、読まれて困るようなことも無いしね」
「本当かい!?いやぁ~助かるねえ、パルスィはきっといいお嫁さんになるよ」
「だれがそんな・・・ッ?!」
ゾクンッ
パルスィの話が途中で途切れる。不意に背中に強大な妖力を感じたからだ。勇儀も同時に理解し、臨戦態勢に入る。すでにさとりとの戦いで満身創痍だが、そうもいってられない。
「・・・ほら、後先なんか考えられる状況じゃないって言ったろ?とにかく今はさとりたちを連れて早く逃げろ、ここは私が何とかするから」
「何とかって、こんな化け物たちを相手にする気?!しかも一人じゃないわ!万全のあなただって勝てるかどうか・・・!」
「大丈夫だ。鬼は負けない。私の二つ名を知ってるだろ?『荒ぶる怪力乱神』だ。すぐに私もパルスィのところに行くから、少しだけ待ってな」
「ッ・・・信じるからね!これなかったら鬼が嘘つかないなんて嘘だって言いふらしてやるんだから!!」
震える声を精いっぱいに張り上げて走り去るパルスィ。しっかりとさとり姉妹を抱えて飛び去って行く。勇儀は彼女が見えなくなるまでは警戒しながらも笑顔で見送った。
「まいったねえ・・・嘘をつくつもりはないけど、今回のは難しそうだ」
伝わる気配からなんとなく誰が来るのかはわかる。2人。しかも共に勇儀とはタイプの違う「力」をもつ相手だ。こんなのを相手に出来るのは光栄だが、今は出来たら御免こうむりたいところなのだが。
「ほら、人払いはすんだよ、いつまでも待ってないで、出てきたらどうなんだい?」
勇儀の言葉に反応するかのようにぐぐぐ、と目の前の空間が斜めに避ける。避けた両端には紫色のリボンがくくられており、中心に人が通れるほどの歪みが現れる。歪みの中はいびつな紫色にそまり、多くの眼がぎょろぎょろとせわしなくあちこちを見回している。
そこから勇儀の読み通り、2人の人物が現れた。
楽園の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ。
神隠しの主犯、八雲紫。
幻想郷を管理する、そして最強と謳われる者の内の二人が現れたのだ。
(やっぱり・・・こいつぁ・・・マズイねえ)
表面上は不敵な笑みを崩さない勇儀でも、内心では冷や汗ものだ。
「御機嫌よう、地底の鬼さん、確か・・・星熊勇儀、だったかしら?」
「そう。彼女の名は星熊勇儀。以前、妖怪の山の権力者でもあった山の四天王の一人です」
「ああそうだけど、あの有名な地獄の裁判長さんと境界に棲むスキマ妖怪こんな辺鄙なところに一体何の用だい?」
「とぼけることは無いでしょう、先程の件、一部始終見させてもらいました。この郷を護るものとして」
「勿論今みたいにそちらに気配が伝わるなんてことは無いよう、完全に見つからないようにさせていただきましたわ」
「くっ・・・このまま見逃す、ってつもりは無いのかい」
「そうですわ」「勿論です」
直感の通りだった。この2人は覚り姉妹を「処分」しに来たのだろう。まだ勇儀の半分も生きていないさとりでさえ、あの力だ。しかも暴走させてしまった。御しきれない大きすぎる力は手遅れになる前に摘み取ってしまったほうがいいのだろう。
この場面は勇儀の「腕力」などで解決できるような問題ではない。今までにしたことのないやり方で解決しなければならない。しかし相手が相手だ。簡単に口八丁で切り抜けられるようなものでもない。
「待ってくれ・・・今回の件について全部見てたのなら分かるだろう!あいつらは悪くない!先に手を出したのはあそこに転がってる奴らだろうが!!相手をはき違えるんじゃないよ!さとり達は身を守ろうとしただけだ!」
「それが、この様です。厳密に言うとあなたは何もしていませんが、あの子が手を下した者たちを見てみなさい。あれが身を守るためにとった行動として認められるとでも思っているのですか?廃人も同様、治る見込みがあるかすら分かりません。」
「う・・・でも、いや・・・ちょっと待ってくれ・・・!」
何とかさとり達を救おうとあれこれ考えてみるものの、すぐに切り返される。山にいた頃の天狗たちみたいに立場の違いがあるならまだ何とかなるだろうが、そんなものは通用しないのが現状だ。映姫が話す言葉の一つ一つが勇儀の肩に重くのしかかる。
「――――しかし一方で、あの子の能力は使い方によっては魅力的です。あなたはあの二人を助けたいと思っているのでしょう?それでは取引、といきませんか?」
「と、取引?」
「そんなに身構えなくても構いませんわ。とても簡単な約束をしていただくだけのことですので。きっと魅力的なお誘いですのよ?」
もうだめだ、ここは力づくでも退けるしかない、と考えかけていた時に取引を持ちかけられる。助かるのなら、飲み込むしかない。それが多少不利なものであっても。紫は姿を現してからずっとにやにやと薄ら笑いを浮かべながら何かを企んでいそうに勇儀に視線を送っている。噂の通り、胡散臭くて厄介な相手だと、そう感じていた。
「・・・いいじゃないか、どんな内容なんだい?」
「そうですね、それではよく聞いてください。この場所よりもさらに奥に、昔是非曲庁で使われていた屋敷があるのはご存じでしょう。今では行き場をなくした怨霊たちの棲家となってしまっていますが。彼女達には、そこに住んでもらいます。そこで・・・」
「あんなところに、住めっていうのか?」
「話は最後まで聞きなさい、古明地の力、それを使って怨霊の対処をさせるということです。まあ埃も被っていますし、少しくらいはうちの者をやって整えさせましょう。今回の一件で十分に幻想郷を脅かす危険な妖怪という認識が私たちの方でついてしまったので、監視をするために私が保護観察につくつもりです。しかし私も多忙の身、そうそう常に一人の妖怪につきっきりというわけにはいきません。そのために反抗的な態度、反乱など、この平穏を破るようなことをさせないよう、星熊勇儀、あなたには彼女たちの監視役となっていただきます。」
「私が、あんた等側の方につく、っていうのかい」
「それとともに、あなたには今後このようなことを起こさせないようにするため、この地底の治安を守っていただきます。山の四天王、と言われた貴女ならそう難しいことではないでしょう。ただ単に無益な争いをしていればそれを止めればいいだけです。行きすぎなものでない限り、そのやり方は任せましょう。」
「・・・それでもしも、さとりがまた暴走しちまったらどうしろっていうんだ」
「それは――――――」「四季様、それはわたくしの方から説明させていただきますわ」
これまで後ろに控えていた紫が映姫の言葉をさえぎって前に出る。口元を扇子で隠しており、その真意を測るのが難しい。
「もしも彼女がまた幻想郷に混乱を招く、ということをするようでしたら、勿論重い処罰の対象となります。そもそもあれだけ厄介な事件を起こした以上、前科者ですので。そう何度も機会を与えてあげられるほど、甘くはありませんのよ?」
「まどろっこしいな、具体的にどうするってことなんだ」
「・・・殺します。彼女を。残念ながら、妹さんも。今は覚り妖怪としての力を無くしてしまったようですが、将来に育つかもしれない復讐の種など、何の利益にもなりませんので」
ぞくり、と勇儀の背中に冷たいものが走る。紫の表情こそは変わらないものの、底冷えするような威圧が勇儀を覆った。冗談や嘘偽りはないのだろう。そして同時に言葉では表せないほどの憤りも感じた。殺す?ただ身を守っただけのさとりを?そして被害者であるはずのこいしまでも?
「ふざ・・・けるな!!!管理者だろうがなんだろうが知らないが、お前たちがさとり達を殺そうっていうんならこの私が今すぐブッ飛ばして――――!」
「話は最後まで聞いてほしいものですわ。私たち、ではありません。あなたが、手を下す。といいたいのです」
「なんでだよ!この地底にいる以上、さとりもこいしも私の仲間だ!何で仲間を手にかけなきゃいけないんだよ!!」
「あなたは先程あの子とやり合って気を失わせたでしょう。本当ならそんな生温いことをしなくても事態を収拾できたはずです。それでも、しなかった。それがあなたの選択です。自ら思い描いた未来を実現させるために、厳しい道を選んだ。これからあの姉妹は今よりも厳しい道を歩かなければなりません。それを用意した星熊勇儀、あなたが責任を負わない、と言い逃れをするつもりなのでしょうか?」
「くっそ・・・!訳の分からないばかりいいやがって・・・どうしたらいいんだよ」
「それは貴女が考えることです。あんなことを二度と起こさせないように。」
最後まで紫は不敵な笑みを浮かべながら、映姫と共にスキマの中へ消えていった。その場で項垂れる勇儀を残して――――――
――――――――――――――――――――――――――――――――
「・・・貴女もつくづく損な言い方をするものですね、素直にあの子たちを護れ、といえば良いでしょうに」
「それはお互い様ですわ。住む屋敷を与え、仕事を与え、妹を保護し、その上星熊勇儀という強力な後ろ盾を用意させるなんて、大甘もいいところでしょう」
「まず第一に彼女たちを周囲の目の届く範囲から遠ざけることを優先しただけです。まあ私達閻魔からすれば、持て余したあの屋敷をそのままにしておくというのも心苦しいですしね。覚り妖怪の力なら、誰もが避けるあの場所でも十分に暮らしていけるでしょう。そしてあの鬼の影響力も相まって、まさしく『怨霊も恐れ怯む少女』といったところでしょうか」
「わたくしはあの鬼にこれから生きるべき道を示した、ふふっ、なんたって私の旧い友人の友人ですもの。協力は惜しみませんわ」
「そして私は彼女たちにこれからの未来を用意した、今後どうなるか、幸せをつかみ取るのか今のまま救われずに朽ち果てるのか、それは当人が決めることです」
――――――――――――――――――――――
「う・・・ん」
「あら、気が付いたようね」
勇儀によって気を失っていたさとりが目を覚ます。見慣れない長屋に見慣れない顔が映る。パルスィは勇儀のいう通り、安全な我が家へさとり達を運び、看病していた。看病と言っても、相手は妖怪。物理的な傷なら放っておいてもすぐに治ってしまうのだが。
「ここは・・・貴女の家、ですか・・・ッこいしは!?」
「・・・早速心を読むのね、まあいいわ。それより少しは落ち着きなさいって。あんたの隣で寝てるでしょ」
つっけんどんながらもきちんと対応するパルスィ。彼女の言う通り、こいしはさとりの隣で静かに寝息を立てていた。しかし、いつもと雰囲気が違う。まるで抜け殻のように生気がなく、まるでこいしの形をした人形が横たわっているように感じた。第三の眼で心の中を覗き込もうとしても、靄がかかっているような感覚で、全く何を考えているのか分からない。まるで空気の心を読もうとしているかのようだ。痩せ細った体には、申し訳程度に布が巻かれている。
「まともな道具もなくて、特に何もできなかったけど。妖怪なんだし、傷くらいはすぐに治るでしょ」
「はい・・・ありがとう、ございます」
「ふうん、礼くらいは言えるのね、で、あんたたちはこれからどうするの?行くあてとか・・・どうせ無いんでしょうけど」
図星だった。元々根無し草の彼女たちには行くところも、帰るところも無い。ひたすら逃げ続ける毎日だった。いつか、いつの日か、終わりがあると信じて、信じ続けて、こいしはそれに耐えきれなくなってしまったのだ。
「それは・・・」
「よぉ、パルスィ。今帰ったぞ!・・・ん?さとり!もう体は大丈夫なのかい?」
いきなり現れた勇儀に対し、感情の揺らぎもほとんど見られなかったパルスィが仰天して尋ねる。
「勇儀!無事だったの!?」
「鬼は嘘つかないって言ったろ?そんなことより、真面目な話なんだ。さとり、これから私の言うことをよく聞いてほしい。今の私たちの状況とこれからについてだ。辛いかもしれないが、最後まで聞いてくれないか?」
―――――――――――――――――――――
「・・・ハァ、あんたってほんっとうに莫迦だったのね」
「なっ莫迦とはなんだ莫迦とは!わたしだってなんとかし―「黙りなさい」」
心底うんざりとした表情を浮かべて莫迦と言い放った相手に冷たい視線を向けるパルスィ。どうやら管理者たちの意を酌むことができたようだ。さとりはそんな彼女の心を読んで、ぼんやりとだが理解する。手心を加えられて、助けられたのだと。
これまでまともな話し相手といえば妹しかいなかっただけのことはあり、心を読めない相手や、伝聞から相手の心情や考え方を理解するのは苦手なようだった。これも孤立していった原因の一つといえるのかもしれない。
一方、一人だけ未だに理解が追い付いていない勇儀に対し、今日だけでも何度目になるかわからない溜息をつき、分かりやすいように一つ一つ答えを噛み砕きながら説明を始める。
~~~~少女説明中~~~~
「―――――ああ!なるほど!そういうことだったのかぁ!畜生、あんなわっかりにくい言い方しやがって」
「さすがの妖怪の賢者さん達でもそこまで莫迦だとは思ってなかったんじゃない?」
かつての山の四天王に対してこの口のきき方。これまでの勇ましい鬼も心なしか縮んでいるように見える。なのにこれほどの親密さ。表面上には捉えることのできない心の距離が、どれだけお互いに信用し、気を許しているかをうかがい知ることができる。姉妹でもないのに。お互いの心を読むことさえ出来ないのに。さとりにはそれが不思議でならなかった。
「うう・・・頼むからそんな何度も莫迦って言わないでくれよ、私だって必死だったんだからさ、あはははは!!」
「・・・ふう、そこまで単純でいられると、いっそのこと妬ましいわ・・・」
「だろ?もっとパルスィも単純に生きた方がいいんだって!うっし、そんじゃこれからさとり達の新しい屋敷を綺麗にしてくるか!んじゃあちょっといってくるから帰ったら酒とツマミよろしくな!」
(―――――全く、こんな頭の出来の悪いやつを心配していた私の方が本当の莫迦みたいじゃないの)
そんないじらしい想いをさとりに読まれなかったのは、幸運だったとしか言いようがない。
勇儀が元気よく去って行った後に残されたパルスィとさとり。さとりは彼女達二人の様子をみて心を読むことも無く信頼関係が築けていることに対して羨みを覚える。
「・・・いいですね、あなた達は。私たちはこれからどうすればいいのかも分からない。こいしが元に戻るかどうかさえはっきりしないし・・・」
「はぁ・・・あんたって、勇儀と同じくらいの莫迦なのね、本当に疲れるわ」
「なんですって・・・・・・?」
あからさまな侮蔑の視線を投げかけるパルスィにまだ体は万全とはいかなくてもさとりは敵意を示す。先程力を思いっきり使ったせいか少しばかり攻撃的になっているのかもしれない。
「貴女ごときに私たちの何が分かるというのですか、これまで私とこいしがどれほどの苦しみを背負ってきたのか・・・!」
「そんなもの、興味ないわ。知ったところでどうにかなるわけじゃないし」
「ッこの・・・・・!」
第三の瞳に力が集まる。パルスィの心の奥底まで暴き、頭の中を引っ掻き回してやろうと思い、奥底まで覗き込む。相手が覚り妖怪だと知りながらも平然とする彼女の過去に触れた瞬間、背筋が凍りつき、反射的に体ごと視線を逸らしてしまっていた。
「・・・どうしたの?ほら、私の心を、過去の私を全て見てみなさいよ。情けないでしょ?惨たらしいでしょ?世間知らずの小娘が勘違いにも一人の男に惚れてしまって全てが見えなくなって、家族が反対しても彼を信じて、全てを捧げて裏切られて」
これまでとは全く違った恐ろしい雰囲気を纏いながらさとりに近づくパルスィ。両肩を掴み、無理やり視線を合わせ、一言一句余すことなく言い聞かせるように。髪はぞわりと逆立ち、恐ろしい狂気を感じるのに目を逸らすことが出来ない。
「ねえ、どう、どうなの?見たんでしょ?酷いでしょ?彼にも裏切られて、家族にも見放されて、周りからは笑いものにされて。ただの人間だったから、女だったからなんの力も無くて、つらいのに何もできなくて。最早正気ではいられなくなってわけわかんない儀式をやって人間ではなくなって。その結果嫉妬に狂う鬼になって破れかぶれに家族も彼も全員手にかけちゃって。完全に居場所もなくなって追われて何もかも失ってこんなところに来たのよ?それに比べたらあんたはどうなの?妖怪としての力もあるしずっと寄り添ってきてくれた妹がいた。お互いを想いあって支え合ってきた。独りじゃなかった。ああ妬ましいわ。それほどまでに傷ついてもまだ離れずに仲良くいるあなた達が本当に、煩わしいくらいに妬ましい。そこまで恵まれておきながら勝手に絶望してるなんて、生意気言ってンじゃないわよこの小娘がッわかってんの?!」
「が、ぐぐ・・・ぐ」
まさしく鬼の形相を浮かべて詰めより、その細い手をさとりの首にかける。目を覚ましてからずっと抱いていた冷静な雰囲気は消え去り、正気を失って目に映る全てが敵だと言わんばかりの表情。首にかけられる力は強く、引きはがせそうにもない。
「ほら、パルスィ、そこまでだ。なーんか嫌な予感して戻ってきてみたらこれだ」
力づくでパルスィとさとりを引き離す勇儀。同じく力づくで離れようとするパルスィを無理やり正面から抱きしめる。
「くッ・・・やめろ・・・・・やめなさいって!」
もがきながら自由になろうと四苦八苦するも、鬼の力には敵わない。しかし、彼女を抱きしめる鬼の姿は、暴走を止めるというよりも、護るような、泣きじゃくる子供をあやすような雰囲気を感じさせる。
「うっ、くぅ・・・ううぅうぅぅうぅぅう!!!」
抜け出すのは無理だと分かったのか、パルスィは泣きじゃくり、勇儀にしがみつきながらその背中に爪をつきたてる。がりがり、ばりばり、と容赦なく背中に爪痕が刻まれていく。
「ッわ、悪いなさと・・り、こいつはまだ人間から妖怪になって感情、の制御が上手くいかな・・・くて、時々、ぐっ、こう・・・なるんだ、許して、やってくれ・・・ないか」
何とか笑顔を取り繕いながらもうっすらと浮かぶ汗は隠せない。やがて勇儀の背中からぶちぶち、と肉が千切れるような、破れるような生々しい音が聞こえ、パルスィの両手が少しずつ赤く染まっていく。
「ほ・・・ら、パルスィ、あんたも来い、よ、手伝ってくれ。さとり、少・・し留守番頼むな」
無理やりパルスィを連れて行く勇儀。装束の背の部分はボロボロに破けてしまい、痛々しく血が滲み出てしまっている。さとりとパルスィ、二人に気を使い、今は互いに一人にした方がいいと判断したのだろう。
――――――――――――――――――――――――
「よお、さとり。少しは落ち着いたか?」
「勇儀…さん」
「やめてくれよそんな呼び方。呼び捨てでいいって」
先程からいくらか時間がたったのだろうか、ぼうっとしながらもいつの間にか眠ってしまっていたようだ。それだけ疲れが溜まっていたことが分かる。パルスィに引っ搔かれた傷はすでに治りかけているようだ。さすがは鬼。
隣で眠り続けるこいしは、まだ目覚める様子もない。
「勇儀・・・あの、彼女のことは」
「心配するなって。あいつ口は悪いけど見ての通りかなりのべっぴんだし、本当はとてもいいやつなんだ。ただ、さっきも言ったけどまだ妖怪に成りたてであんまり感情が安定してないだけなんだよ。今では反省してるし、そのうち会ったら今度は仲良くしてくれないか」
「なかよく・・・?」
さとりにとっては聞きなれない言葉。長い間を姉妹二人だけで渡り歩いてきただけあってその他の者と友好な関係を築く、という発想すらなかったのだから。
「そうだよ。これからは私だってお前さんと仲良くやっていきたいんだ。・・・それに、あの胡散臭い妖怪とも約束しちまったしな。どういう形であれ約束は約束だ。鬼が破るわけにはいかないんでね」
勇儀の言葉には嘘や打算といったものは感じられない。本当に仲良く、さとり達と協力関係を築こうと言ってきているのだ。
知らなかった。私たちの味方になってくれる人がいるなんて。いつだって周りは敵だらけで、妹を守ることに精いっぱいで、全てを遠ざけて。それが結局は解決にはならなかったのだ。他人を信じ、寄り添うことが出来るなんて思ってもいなかったのだから。
「で、悪いんだけどさ、しばらくの間は顔を出せそうにないんだ」
「え・・・?」
「これから私は、この旧地獄を変えてみようと思う。追放した奴らが羨むような、追い出された奴らの楽園を作るんだ。種族も関係なく、明るくバカみたいに騒いで飲んで、たまにはケンカして・・・身分の上も下もなく、みんなが楽しめるような世界にさ、してみたいんだ。そしたらさとりだってこれ以上苦しい思いをせずに済むし、妹さんだって悲しまずに済むだろ?」
「勇儀・・・・・」
心を読まずとも分かる。理解する。勇儀の瞳に宿る確かな意志の力を。目的をみつめ、ただひたすらに突き進むことのできる鋼よりも硬い気持ちを。彼女なら絶対に達成する。どれほどの苦難があろうが、邪魔立てをされようが達成する「力」がみなぎっている。
数百年生きてきたにも関わらず余りにも青い目標。しかし、それを実現させるだけの強い意思を感じた。
「というわけでじゃあな!さとりも頑張れよ!応援してるからなー!あ、そうそうもう屋敷のほうは片付け終わったからいつでも来いよ!」
言いたいことだけ言って笑顔で出ていく勇儀。まさに嵐のようだ、とさとりは思う。荒ぶる怪力乱神の名は伊達じゃない。
(私も・・・・・目的を定めて生きていかなければならないのかな)
こいしを背負い、勇儀の話していた屋敷へと向かう。成程、地底の奥深くに建てられた荘厳な建物。是非曲庁でもあっただけあり、さとりとこいし二人だけで住むには大きすぎる。勇儀とパルスィが片付けをしてくれたようだが、がらんとしており、家具も少ない。
居間へ赴くと、誰かの気配を感じた。手ごろな椅子にこいしを座らせ、気配を殺しながら様子を伺う。そこには緑の髪をもつ格式ばった服装の少女が腰かけていた。こちらが様子を伺う前から気づいていたようで、すぐに視線が合う。その眼に敵意は無いようだが、直感する。こちらの敵う相手ではない、と。
「お初にお目にかかります。私の名は四季映姫・ヤマザナドゥ。地獄の裁判長をしているものです。以後お見知りおきを。古明地、さとりさん」
すっと、立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かってくる。姿を確認してから、違和感に気づく。彼女の心が読めないのだ。
「ああ、防護結界をはっているからこちらの意思を読むのは不可能ですよ、仮にも閻魔ですからね。私にも仕事柄、読まれるわけにはいかないものも多少あるので、こうさせてもらっています」
「っ…!」
まるでこちらの考えていることを見透かされているように言葉を紡ぐ映姫。一方的に心を読まれるとは、こういうことなのか、と気づかされる。
「申し訳ありませんがこちらも多忙なので要点だけお伝えしておきます、といってもほとんどはおの鬼から聞いたでしょうが。これから貴女には怨霊の管理をしてもらいます。やり方は貴女のやりやすいように。暴走させなければ構いません。そして、私たちが行うべき仕事をしてもらうことになりますので、給金を払わせていただきます。望むのなら、その給金で食糧や衣類も用意しましょう。あまり外に出るのは躊躇いがあるでしょうからね。荷物運びについては私の知り合いに手伝ってもらいます」
いうや否や、映姫の隣に空間に裂け目が開き、どさり、と着物や布団が無造作に放り込まれる。どれも質が良く、そう簡単に手に入るようなものではなさそうだ。
「このくらいのものならいつでも。私も定期的に顔を出しに来るつもりですが、要望があれば言ってください。善処します」
「あの、閻魔様」
「それではこのあたりで。また何かあれば「閻魔様!」」
「・・・あなた達は、もっと外の世界を見て御覧なさい。さとり、あなたが見てきたものはまだあくまで世界の一部。そうすればきっと、素敵な仲間、いや、家族にも出会えるでしょう。妹さんにするように他の誰かにも愛情を注ぐことを覚えなさい。それがあなたに出来る償い・・・いや、善行なのですから」
立ち去ろうとする映姫に、さとりが呼びかける。しかし、映姫はその声にこたえることなく開いたスキマの中へ消えていった。
―――――――――――――――――――――――――
八雲紫の展開するスキマ。その空間とも時空の狭間ともいえる場所にて二人。能力の行使者である紫と、映姫。他には音もなく、風の動きもなく、何かの気配もない。さとりとの会話を終えて、あとは自らの場所へ戻るだけだ。
「良いのですか?何か言いかけてましたけど。」
「いいのです、あとは彼女たちの問題。どう生き、どのように考えるか。不必要に助けや情けをかけるものではありません」
「ふふっ、いつもそうやって肝心なところで逃げてしまう。照れ屋な証拠ですわ。あのさぼり癖のある死神さんにももっと優しくしてあげればいいのに」
「こ、小町のことは関係ないでしょう!?彼女は、優しくするとすぐに仕事しなくなるから―――」
「あらあら、私は名前まで申しあげてませんわ。そう。あの仕事一辺倒な四季映姫様にも想い人が出来て安心で胸がいっぱいですわね。」
先程の冷静な雰囲気とは打って変わって顔を真っ赤にして否定にかかる映姫。説教でなら誰よりも見事な演説をこなせる彼女でも、この手の話題には滅法弱いようだ。一方の紫は、相も変わらず余裕というものを滲ませながら、口元を扇で隠しながらもにやにやと笑みを浮かべている。
「あ、あなただってこの数百年ずっと拾った妖獣にかまってばかりだそうじゃないですか!その子とは上手くいってるんでしょうね!?」
「あら、藍のことでしょうか。よく御存じで。藍、いらっしゃい」
反撃とばかりに紫の式神を話題に出したが、紫は嬉しそうに、待ってましたとばかりにその妖獣を呼び出す。すると、新たなスキマから一人の少女が現れた。
まだ映姫とさほど変わらないくらいの身長。まず第一に目が行くのがお尻から生えている見事な九尾。それ自体が輝きを放っているかのような、そんな艶やかさをもち、同時に抱きしめたくなるような柔らかさを讃えている。髪は紫とは違って首筋くらいまでに整えられており、聡明な顔立ちをしていながらも、まだ少し幼さの残る、体にも凹凸が現れ始め、まさに少女から女性への成長過程を思わせる雰囲気をだしていた。
「紫さま、ご用命でしょうか」「やだもう、藍ったら、可愛い~~!」「うわっ!?」
主人の為にいざ馳せ参じたと思ったら、いきなり抱きしめられ、目一杯に頬擦りされる藍。驚きながらも、されるがままになっていたが、ふとぼんやりとしながら驚いた表情を浮かべている映姫と目が合うと、急に恥ずかしさが込み上げてきたのか、顔を真っ赤にしていやいやと抵抗を行う。
「ゆっ紫様、お戯れをっ!ご用件を申しあげください!」
「ああん、つれないわあ」
およよ、と力なくその場にへたり込み扇子で顔を隠しながら泣き真似を行う紫にまだ未熟な従者はどうしてよいのかわからず困り顔であうあうと言いながら紫の周りをオドオドと動き回る。
しばらくすると半ば泣きそうな顔になりながら初対面の映姫に対してどうしようとばかりに視線を送りだす始末だ。
(ふう・・・こんな茶番、さっさと切り上げればいいものを。白々しい)
「八雲紫、私は貴女ほどに時間が余っているわけではありませんので、従者自慢の茶番はここまでにさせてもらえますか。ほら、そこの従者も困っているじゃありませんか」
「ああん、全くもう映姫様も冷たいのねぇ」
泣き真似をやめない紫に対し、軽く悔悟棒で叩いてやろうとしたところで漸く立ち上がって先程と同じような胡散臭い雰囲気を醸し出し始める。隣の狐の従者は主のころころと変わる様子の変化に目を白黒させたままだ。
「藍、それではあなたに仕事を与えます」
「は、はい」
突然真面目な雰囲気を纏い命令を送る紫。藍もあわてて背筋を伸ばす。
「まず、この場所を覚えなさい。私の屋敷からどのくらいの座標軸に存在しているのかを。あなたにはここで、伝達係と荷物を運んでもらう役割をしてもらいます。ただのお使いを頼んでいるのではありません。この場所は、その昔は地獄だった場所。今は荒れ果てて怨霊の棲家になっているので、まだ十分に力を奮えないあなたには少し危険な場所だと言えるでしょう」
あの八雲紫が幼くとも九尾の狐に対し、危険だと話す。その言葉に藍は小さく生唾を飲み込む。
「しかも、あなたはこの楽園の裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ様とこれからのこの地底を管理することになる古明地嬢との相手をすることになります。何かあれば私に逐一報告すること。もう一度言います。これは、単なるお使いではありません。この幻想郷の橋渡しの手伝いをしてもらうのです。事実をありのまま、報告はそのままに、適切な時間を以って私に知らせること。貴女がヘマをすれば、きつい仕置きを覚悟することになるわ」
「っ、・・・は、はい!この藍、必ずや八雲紫様の式として期待に応えてみせます!」
自慢の大きな九尾を膨らませながら答える藍。主の役に立とうと、意気揚々とスキマの中へ戻っていった。
「・・・別に、さとりが要求してきた荷物を運ぶだけだから、そんな大層な物言いをしなくてもいいのでは?」
「うふふ、あの子にはあのくらいが丁度いいのです。重要な役割だと思わせることで、幻想郷のために働くことの責任感とやりがいをもってもらおうかと」
「要するにあなたがいちいち確認したり用意するのが面倒臭いだけでしょう。全く、あなたという人は」
「ふふ、でも、あんなに素直で生真面目なところが可愛いでしょう?私はあの子のためなら、どのような仕打ちを受けようが、どれほどの苦難が待ち受けていようが平気ですわ。それほどまでにあの子を愛しているし、そのためにもこの世界を大切にすることができる。映姫様もそうやって大事な人と一緒に生きていける世界を作るために尽力してくださっているんですもの」
「だから小町は・・・ったく、誰とは言いませんが、私もこの幻想郷を大切にしていきたいですし、こま・・仲間のためにもまだまだ頑張らないといけませんね」
「そう。後は彼女にも妹さん以外にもそのような存在が出来てくれれば・・・・・・」
――――――――――――――――――――――――――
「ほら!あそこは絶対誰もいないから!さっさとあたいについてきなって!」
「うにゅぅ、まってよお~また背中に乗せてぇ~」
「何言ってんのさ、あんたは甘えすぎだって!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら大きな屋敷へ入っていく一匹の猫と一羽の鴉。新しい「家族」が増えるまで、あと少し。
ゆかりんとえーきっきが手を出しすぎてる
王道っぽい話ながら楽しく読ませていただきました
続編期待してます