「あー、恋人欲しいなぁ」
ポツリと呟かれた天子の言葉を聞いた瞬間、まるで電撃が走ったかのような衝撃に、呑気にお茶をすすっていた私は脳内ブルースクリーン。
しかしそこはこれ、大妖怪の意地がある。すぐさまフリーズった脳を再起動させ、ひとまず持っていた湯飲みを机に置いた。
いま天子はなんと言ったのか、冷静に先程の言葉を脳内に再生してみる。
『あー、恋人欲しいなぁ』
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η *・゜(n‘∀)゚・*( n‘) :*・゜ ( ) *・゜(‘n ) ゚・* (∀‘n) ゚・*η(‘∀‘n) ゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
藍も橙とキャッキャウフフしに、もとい修行をつけに出かけ、私の家で二人っきりのこの状況で天子のこの台詞。
これは正しくフリに違いない!
『あらそうなの?』
『うん、だから紫が恋人になってよ』
こんな感じの。
ムードが無いとかいうツッコミは、それこそ無粋と言うものよ。
天子は気持ちだけ先走って、他の事を置いてけぼりにしてしまうことがままある。
今まで私は天子に目を付けてから、彼女と親しくするために寝る時間を14時間から10時間に下げてまで努力してきた。
あまり荒事を好まない私も、天子が弾幕ごっこをしかけてきたならそれに応え。行き過ぎない範囲で彼女の好みなどを探り、さりげなく彼女に好まれるようにアプローチをしてきた。今では彼女のほうから私の家に来るくらいだ。
その結果、天子から私への好感度がメーター振り切って有頂天まで達して、ムードなんかより早く私とキャッキャウフフしたい! と思ったのでしょう。そうに違いないわ。
思えば全ての始まりからここまで長かった。
百合の百合による百合のための郷を作ろうと私が創案し、藍や当時の博麗の巫女から絶大な支持を得て実行に移してからどれほど経っただろうか。
見事に計画は成功し、現在の幻想郷は主要人物の9割以上が少女という、正に楽園と呼ぶべきに相応しい郷へと成長した。
それでもまだ私が夢描くような少女は中々出会えなかったが、天候が乱れて地震の前兆が起こり、私の理想郷を害をなさんとするとは何奴かと様子を見たときの衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい。
彼女こそ、極光を背にこの楽園に舞い降りた天使。マイエンジェル。
強い輝きを宿して不敵に笑い、それでいてこの世のどんな存在よりも可愛らしい天子の姿は、強制的に脳裏に焼き付いた。
鈴を転がしたような、凛として響き渡る彼女の声は、私の脳髄を激しく揺さぶった。
幻想郷を傷つけた怒りと、初めて胸に芽生えた情熱、それらが入り混じったあの熱は鮮明に記憶している。
そしてとうとう、来ちゃったのかなこの日が!
「あらそうなの?」
ここで焦ってはいけない。
調子に乗って「なら私と付き合いましょう!」なんて言ったものなら、天子はきっと「ば、バカ。何で私があんたなんかと付き合わないといけないのよ!」と恥ずかしがりながら断り、この話は有耶無耶になってしまう。
そうなってしまうとこの先が辛くなる。大長編ラブコメ物のように、友達以上恋人未満と言う寸止めのじれったい関係がずっと続いてしまうこと間違いなし。それだけは回避しなければ。
それっぽい気を出さないよう細心の注意を払いながら、続きを促すように話を合わせる。
「この前さ、人里でブラブラしてたら子供連れて歩く夫婦を見つけてね。ああいうの羨ましいなって思ってさ」
と、ここで当初のシュミレーションから外れた。
だがそれもまた想定の範囲内。この会話も別の条件でのシュミレーションで可能性として挙げられていた。
流石は私の天子、こんな時にも手堅く攻めようとしているようす。ならばここはあえてこちらから攻めてみましょう。
「子供が欲しいなんて理由で恋人を作るなんて。相手方が可哀相ね」
「失敬ね。そんなどうでもいいヤツと一緒になんてならないわよ。ちゃんと私は私が好きになれる相手とだけ一緒になるわよ」
ほらこの通り。
負けず嫌いなところのある天子は、ちょっとつついてみれば面白いぐらいに噛み付いてくる。
それもタイミング次第ではあるが、日々天子のことをプライバシーの侵害にならない範囲で見つめている私にはこの程度は朝飯前よ。
……再三に渡っていうが、私も天子の私生活を全て覗き見しているわけではない。お風呂とかトイレとかの時にはスキマを閉じている。それ以外は見ているけれど。
「それじゃあ、あなたの好みはどういうタイプなの」
「そうねぇ、やっぱりある程度は腕が立つほうがいいわね。あと頭も良くないと。じゃないと張り合いが無いし」
「こい……びと……?」
「何でそこで疑問系なのよ」
「だって、それはむしろライバルだとかみたいよ」
「うっさい。好みなんて人の勝手でしょ」
ツッコまれて少し恥ずかしいらしく、天子はそっぽを向いてしまった。天子かわいい。
というかこれはやっぱりアレね。間違いなく神に等しい力を持って頭脳明晰の私のことね。天子かわいい。
何だかこっちを意識するようにチラチラ見ているし。うふふ、さり気なく様子を見てきているようだけれど、 私の目は誤魔化されないわ。天子かわいい。
最初からわかっていたことだけれど、私の時代がキター! 時代はゆかてんなのよヒャッホー! 天子かわいい!
「あなたがボディービルダー並みに筋肉隆々なのがタイプなのは私には関係ないけれど」
「強くてもいらないわよそんなの。私に釣り合う美形寄越せ」
「私に釣り合う美形(笑)」
「おい表出ろババア」
おっと、いけない、いけない。調子に乗って弄くりすぎた。
天子はちょっとからかえば実に良い反応を返してくれるものだから、ついついからかってしまう。
ちなみに、言うまでもないことであるが、この世だろうがあの世だろうが、はたまた魔界だろうがなんだろうが、天子に敵うビジュアルの持ち主はいない。そういう意味では釣り合う相手などいないのは事実。
ともかく話を戻そう。このままじゃ天子とのちゅっちゅルートを逃してしまう。
「それで、強いとか頭が良いとかの他にはどんなのが良いのかしら。性格などに触れていないけれど」
「サラっとスルーしやがって……性格はそうねぇ、他の天人とかと違って頭柔らかくて、優しくて、私の言うことなんでも聞いてくれて、お金持ちで、いざとなったら身を挺して私を守ってくれるようなタイプ」
「うっわー……」
「いや、冗談だから。そんな『なんなのコイツ、マジで引くわー』みたいな反応しないで」
冗談とはわかっているけれど、そうスラスラと言葉が出てくる辺り、天子の自己中心的な性格が垣間見れる。根っこから悪い娘ではないけれど、基本的に俺様気質。
そんな小悪魔染みたところもまた可愛いんだけれどね! その程度許容できずに何が賢者か。
「まぁ、好みの性格なんてものは、好きになるまでわからないものよね」
「そうそう、その通りよ。さっき言ったのも適当だし。もしかしたら好きになったヤツが紫みたいに意地の悪い性格だったりね」
その言葉で、私は三度勝利を確信した。
このタイミングで、私を意識しているかのようなその発言。
これはもうフラグが剣山のごとく、ビンッビンに立っているに違いないわ。
「……それで、あなたは好きな人はいるのかしら?」
笑みが浮かぶのを堪えながら、とうとう私は勝負に出た。
さぁ来なさい天子。この胸は飛び込んでくるあなたを受け止める準備は整っている。それよりも先にキスかしら? いやいや、これで案外奥手で段階を踏んでからかもしれないわ。その場合は人里へデートに繰り出して買い物や食事を楽しんで、最後に景色の良い丘に行くのがベストでしょう。夕暮れで紅く染まる天子の唇をそこでようやく奪うの。私のは当たり前だがファーストキス。天子もそうだと思うけれど、そういう話はあまりしていないので真偽の程はわからない。それでも悪くて親にして貰ったことがあるとかその程度でしょう。それならばノーカンだ。誰がなんと言おうとノーカンよ。天子は周りに付き合っていることを伝えるだろうか。恥ずかしがって隠したがるかもしれないが、私としては天子は八雲紫のものだと示すためにも是非公言したい。なにせ天子ちゃん天子ちゃんはマジ天使。いつなんどき天子を狙って擦り寄ってくる悪い虫が居るとも限らない。無論、そういう輩がいた場合は全てデデデデストローイするけれど。そして二人が行き着く先はやはり結婚。結婚式は和風、それとも洋風? 個人的には奥ゆかしい和風の方が好みだけれど、洋風のウェディングドレスも捨てがたい。挙式は博麗神社で挙げると良いわ。私と天子が初めて顔を合わせた場所で式を挙げるなんて最高にロマンチックよ。それが終わればハネムーン。何処に行くのが良いだろうか。二人で世界中を巡るのも良いかもしれない。スキマを使っての簡単日帰り世界旅行、なんて素敵。いや、列車に乗って二人で向かい合って席に着き、外の景色を眺めながら移動するのも乙かしら。そして「私のどこが好きになったの?」などと話したりするのよ。しかしそれを聞かれた場合、私の天子への想いを言葉なんてもので言い表せるかしら。この頭脳を持ってしても自信がない、いや出来よう筈もない。それほどまでに私の天子への想いは肥大化してしまっているもの。……待りなさい、私。何かとても重要なことを忘れていないかしら。そうだ結婚初夜! このイベントは絶対に外せない。いつもの宴会のノリで結婚式を挙げたりしたなら、その場を抜け出すのを引き止められるかもしれないけれど、何としてでも天子との初夜は果たすわ。そして私は天子ともども、少女から大人の女性へと変貌を遂げるのだ!
「いたらこんな話してないわよ。あー、どこかにいい男いないかなー」
ゴーンと、鐘を突いたような衝撃が脳内に鳴り響いた。
身体全体を丸ごと巨大な鉄槌で叩き潰されたような衝撃を感じ、激しい吐き気を感じて呼吸もままならない。
目の前は真っ白に染まり、おおよそ言葉を口にすることが出来る状態ではなくなる。
「って言っても、そんな都合よくいるわけ……あれ、ゆかりー?」
真っ白な頭の中で、少しずつ、時間をかけて思考が戻ってくる。
万全の状態ではないそれで、私は何とか天子が口にした言葉を思い出した。
『あー、どこかにいい男いないかなー』
『どこかにいい男いないかなー」』
『どこかにいい男』
『男』
「…………めない」
「どしたの紫。死んだ魚みたいな目をして」
「認めないわ! よりによって男だなんて。いくてんだとかすいてんだとかならまだ百合カップルを眺めてまったりほのぼの出来るというのに、よりによって男だなんて!」
「え、なに、えっ」
「天子とあんな毛むくじゃらの卑猥な物体が一緒になって良いというのか。否! そんなことは天地神明の断りにおいてもありえない。否!! たとえ天地がひっくり返ろうともあってはならない!!」
「いやちょ、ゆか……」
「こうなったなら、この世に存在するありとあらゆる男を抹殺してでも!!」
「落ち着けぇ!」
「ぶべっ!?」
またもや頭部に衝撃。ただし今度はリアルで痛い。
いきり立ったところを天子に要石で殴打されてしまった。
「落ち着いた?」
「えぇ、落ち着いたわ。今は冷静ににっくき男共を幻想郷から隔離する結界の演算式を……」
「要石、天地開闢プレ……」
「わかったわ。落ち着くから。お願いだからスペルカードはやめて」
流石にこの場で要石の下にペチャンコは勘弁したい。家への被害も馬鹿にならないし。なにより要石はマジで痛いから。
これが直に天子から踏みつけられるのむしろバッチコーイ! なのに。
「それで何なのよさっきの」
「さて、何のことかしら」
「この期に及んで白を切ろうとか馬鹿じゃないの」
ぐぅ、天子に馬鹿呼ばわりされるなんて。
悔しい、けれど感じちゃう……なんて考えてる場合でなくて、これは非常拙い状況なのでは。
先程の天子の言葉。恋人としての男を探しているのは心苦しいが素直に認めよう。
とすればとても簡単な、かつとてつもなく重大な事実が浮かび上がってくる。
天子は普通に男の子がすき。
ここで私が「実は女の子が好きなんです」などと暴露したら、天子は私のことをどう思うだろうか。
誠に遺憾なことであるが、世間一般的に同性愛と言うのは生理的に拒否される傾向にある。
もし天子に「紫って百合厨なの? きんもー。近づかないで」などと言われようものなら、私はその場でショック死してしまう自信がある。
何かないか。
この場を自然に、天子から私の男嫌いへの違和感を持たれず切り抜ける方法は――!
「…………ら」
「ら?」
「ら、藍が昔、男共に酷い目に合わされて……」
不甲斐ない主でごめんなさい、藍。
「それ以来、男に対してあまり好意的に思えなくなって……」
「そうだったの。その……なんかごめんね」
「いいのよ、天子は気にしなくて。それよりこのことは誰にも言わないでね。藍本人にも」
その場逃れに勝手に人の過去を捏造したことがバレたら、怒り狂った藍に謀反されかねない。あるいは私だけご飯作ってくれないとか。
ちなみに藍も私と志を同じくするものであり、男共に身体を汚さるなどということは一切ないのでご安心していただきたい。
現在は娘を理想の女性に育て上げるという源氏物語に酷く感銘を受け、自らの手で実行中である。頑張るわぁ、あの子も。
「それにしてもいきなり叫びだすからびっくりしたわ。紫でもあれだけ興奮したりするのね」
「それは天子の口から幻想郷の根底から覆すような話が出るものだから」
「彼氏欲しいなんて、そんなヤバ気な話じゃないでしょ」
ひとまずは今の嘘でなんとかやり過ごせたが、以前状況は何も良くなっていないことに気付く。
天子がノーマルと言うのなら、遅かれ早かれ男の相手を見つけてしまうだろう。
いや、想像以上にその時は近いかもしれない。なにせ退屈だからで異変を起こすような娘だ。彼女のバイタリティを持ってすれば、男と出会いを果たしてしまう可能性もある。
それだけは断固として阻止しなければならない!
「でもやっぱりゆかりん、天子が付き合うなんて許しませんからね!」
「あんたは私のお母さんか」
ハッ、いけない。
またヒートアップしてしまった。
「紫ってば本当に男嫌いなのね。そんなに私が彼氏作るのが嫌なの?」
「それはもちろん!」
「いつになく力強く応えたわね……」
実際には男が嫌いなのではない。ただ私好みの可愛い少女が男と交わるのが嫌なだけだ。
それでも本人が幸せならば、残念には思うが依存は無い……が天子となると話は別。
好きな相手だもの。それだけは譲れない一線よ。
「とにかく男性との交際はお勧めしないわ。甘い言葉で騙されて貢がされて、毛の一本まで毟り取られて。最後にはゴミみたいに捨てられて身も心もボロボロになるのがオチよ」
「ないから。男に対して偏見持ちすぎだからそれは」
「チッ」
「むしろ逆に聞くけど、そんな悪い男が擦り寄ってきたとして、この私が騙されると思うわけ?」
それを言われると言葉に詰まる。
ほとんど何もない天界にいた天子は、数百年生きていても経験が足りず世間知らずで、騙されやすいところもあるけれど、肝心なところでは聡明な部分を発揮させる子だ。
もし今言ったような男が近寄ってきたならば、逆に利用して骨の髄までむしゃぶりつくすだろう。くそうなんて羨ましい、私と変われ。
「あら、その油断は危ないわよ。過去どれだけの者がそう思い込んで裏切られてきたか。いかな賢人であろうと、心奪われ骨抜きにされる可能性はあるわ」
それでも何としても天子の好みから男の存在を駆逐したい私は、思っても無いことを口にした。いや事実ではあるんだけれど。今の私が正にそうであるし。
しかし天子は口うるさく言われたのが気に食わなかったようで、不満げな表情を浮かべてくる。
「なによもう。私に恋人作るなって言ってるわけ? そんなに私の自由じゃない」
「逆に考えるのよ」
「ん?」
「男が駄目なら女に走れば良いじゃない」
「頭沸いてるんじゃないの?」
蛆虫を見るような、水も瞬く間に凍りに変わる冷たい目線を送られた。
やめて、そんな目で見ないで! ゆかりんなんだか目覚めちゃうのぉ!
「駄目って言ってるの紫だけだし、話が飛躍しすぎだから。それに同姓じゃ子供作れないじゃない」
「作れるわよ」
「え、マジ?」
「マジよ」
一昔前の幻想郷では不可能だが、永遠亭の出現によって事情が変わってきた。
何を隠そう、あの月の頭脳もまた私達と同じく、百合至上主義者の一人であったのだ。彼女が姫や弟子を見る目に自分と近しいものを感じて、話をしてみたところ予感は的中。
彼女に外界の最新設備を提供することによって、女の子同士での子供を作るのは技術的に十分に可能である。
その場合は生まれてくる子供は染色体の影響で必ず女性になるそうだがそうだが、それはそれで良し。
「ふーん、そういう問題が無いのなら同性愛もありかもね。幻想郷はそういう所はおおらかだし」
「むしろそのために創ったというか」
「え?」
「なんでもないわ。それよりも、そんなに子供に固執なんて珍しいわね」
頭の隅で気になっていたことを話題に出してみる。
事の発端も子供連れを見たことが影響しているし、先程から天子の恋人談義には子供の存在がたびたび顔を出してくる。
当の本人はそのことに気付いていなかったようで、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。驚いた顔も可愛い、天使か。天使だ。
「そうかなぁ。別に普通だと思うけど」
「女として子供が欲しいという気持ちはわからなくはないけれど、恋人の話で率先してその話題が出てくる人はあまりいないわ」
「あー、家が家だからかしら。ほら、私の家ってちょっと特殊な家系じゃない」
それだけで天子の言いたいことの大体は理解できた。
代々、大地を操る能力を持ってして地震を鎮めてきた名居の一族、その中の一つ。
跡継ぎを作り血を絶やさず、能力を受け継がせていくことは特に重要なことの一つだろう。
「確かに。思えば子供を産むことの重要性を教え込まれても不自然じゃないわね」
「人間だったころも婚約の話が出てたしね。私がグダグダ言って先延ばしにしてるうちに天界に上がることが決まってうやむやになったけど」
天界グッジョブ!
天子以外の天人は、頭の固くていけ好かない者ばかりだったが、彼女を天人にしたことに関しては心から感謝したい。
「でもその時は婚約に文句を言っていたようだけれど、どうして今になってまた」
「私は一人っ子なのよ、親が子宝に恵まれなくてさ。男の跡継ぎが欲しいって言うんで、どっか別の一族から余ってるの引き抜いて婿養子にしようとか話になっててね。そういう大人の事情が気に入らなくて蹴った」
「あなた昔から相当おてんばだったのね」
「まったく。大体跡継ぎなんて女でも十分よ。仕事なら私でも出来るし、むしろそこらの凡人よりかよっぽど上手くやってみせるわ」
ぷりぷりしながら話す天子は、そこだけ聞くとただの世間知らずのお嬢様のようだ。
だが実際にはただのお嬢様ではなく、その自信に見合った才能を持ち合わせているところか。
だからこそ自分の存在をないがしろにされて、婿養子を受け入れる話が酷く気に入らなかったのだろう。
「それに勝手に相手を決められるのも嫌だったし。今は昔と違うから、今度は自分で気に入るのを探すつもりよ」
「……そう、良い人が見つかると良いわね」
どうやら天子は、そういった相手を探す気が満々のようだ。
ここはやはり、天子が気に入るような相手の条件をより深く調べる必要がある。
該当する者が天子に近づいてきた場合に先回りして神隠し……ゲフンゲフン、邪魔をし……こほん、もとい釘を刺しておくために。
「それで、天子はどういった人となら一緒になりたいかしら」
「なによ、またそれ? さっきも同じ質問したじゃない」
「あんなミーハーな答えじゃ答えてないも同然よ。今度はちゃんと考えた答えを聞いてみたいの」
「あー、確かに適当に答えだったしね。そうねぇ……」
「女性との恋愛もも念頭に入れてお願いね」
「んー、女性も込みで、真剣で……」
今度は真面目に答えようとしているようで、天子は人差し指を立ててプニプニの頬っぺたに添えた。
わざとやってるのか、それとも天然なのか、どちらにしろ真剣に思い悩む姿はマジプリティ。その頬と指に吸い付けと私の中のゴーストが囁いてきて、実行に移すのを必死に耐えた。
「どうしても、当たり前な答えしか出てこないけど、それでもいい?」
「……え、あぁ、いいんじゃないかしら?」
内なる自分と戦いがなら天子に見惚れていると、そう切り出されて我に返った。
真面目に話してくれるのなら、こちらも同じようにして聞かねばならないと、姿勢を正して心を平静に戻す。
現在の博麗の巫女は? 博麗霊夢。893.496×1.771.104は? 1.582.474.339.584。天子は? 正義。よし平静だ。
真剣に話を拝聴しようとしている私に向かって、天子はゆっくりと言葉を口にした。
「やっぱり、付き合う以上は自分も相手も、一緒にいて楽しいって思えないと」
静かに唱えられたそれは、私の胸に素早く滑り込んできて、ストンと収まるべき位置に収まった気がした。
「楽しい?」
「うん……幸せって言ってもいいと思う。ほら、私達って長生きでしょ? だから付き合う相手なんかとは長い間一緒にいるわけだし。好きとか嫌いとか考えなくても、気が付いたら肩を寄せ合ってるような関係になりたいわ。だったら、一緒にいて楽しいって思えるのが一番でしょ。私も、もちろん相手もね」
彼女としては珍しく、控え目がちに紡がれた言葉に、私は本日何度目かもわからない衝撃を受けていた。
「楽しくて、幸せな……」
「あーもう、繰り返さないでよ。なによこれ、恥ずかし」
隣にあった座布団を抱えて頭を伏せる天子を尻目に、私は言葉を失っていた。
確かに天子が今言ったことは当たり前で、一番大切なことだった。
それなのにさっきまで私は何を考えていた? 天子の邪魔をする策ばかり練って、なんて矮小で意地汚かったのか。
「……そんな、恥ずかしがることないわ」
「お世辞とかは良いわよ」
「世辞なんかじゃないわ。当たり前だけど、それに気付けない人も沢山いるわ。それをわかっているのは素晴らしいことよ」
恥ずかしいのは私のほうだ。
自分のことばかり考えて、天子のことを全く考えていなかった。
これでは天子のことを自己中心だなんて馬鹿に出来ない。表面だけ取り繕って中身がそれでは、私の方がずっと酷い女じゃないの。
「私も、いま気付かされたわ」
「……じゃあ紫の好みのタイプはどんなやつなわけ?」
「え゛っ」
などとショックを受けて落ち込んできたところに、思わぬ質問してきちゃったよこの不良天人。
座布団に顔を埋めていた天子は、わずかに顔を上げるとギロリと私を睨みつけてきた。
「私だけ恥ずかしい思いして、紫は何にも無しっていうのは不公平じゃないの?」
「いやいや、それとこれとは話が別……」
「いいから吐け! 吐けぇ、このババアー!」
「……そんな乙女の大事な秘密を漏らせだなんて、できるわけないですわ」
しかしここで私は務めて冷静に、あえて思わせぶりな風に振舞った。
ここでいつもの振る舞いが役に立つ。常日頃からからかってくる私に対して、天子は言動を疑う習性が付いているはず。
そこで思わせぶりな態度でいることで、天子に「いると見せかけて実際にはいないわね」と思わせる作戦だ。
「……もしかして、紫って好きな人がいるの?」
心臓を握り締められた感覚と共に血の気が引いた。
「やっぱりいるのね」
「まだ私は何も言ってないわ」
「言ってなくても挙動を見てればわかるわよ。目線、呼吸、その他諸々の挙動。私が聞いたとき、本当のこと言われて焦ったでしょ」
私は比那名居天子の性格と思考パターンをほぼ完全に把握しており、その上で完璧な対応をしたつもりだった。
だが現実はそう上手く行かなかった。私の予想を軽々と飛び越して、制止など効かず彼女は私の核心に迫ってきている。
「式神の藍じゃわからない。親友の幽々子でもわからないでしょうね。でも私にはわかるわ」
時として、そして大体において最悪のタイミングで予想を裏切ってくるのが比那名居天子という天人だった。
もうこの流れは変えられない。煙に巻こうにもこういう時の彼女は惑わされずに突き進んでくる。
「それで、誰のことが好きなのよ。教えなさいよ」
嘘を言ってもきっと無駄だろう。言葉を偽れば即座に見抜いてくるに違いない。黙っていても次々に質問を浴びせ、強引に答えを引き出してくるのが目に見えていた。
だからと言って実力行使で話を終わらそうとすれば、天子の腹を立たせて躍起にさせるだけに決まっている。きっと何日も何ヶ月もかけてこの話の答えを知ろうとする。
何もリスクを負わずに、無難にこの場を逃れることは無理だろうと私は悟った。
「い……」
「い?」
「……今は言いたくないわ」
気が付いたら口からこぼれ落ちた言葉は、自分でも驚くほど重たかった気がする。
目の前に座っている天子は目を丸くして驚いたあと、眉を潜めて肌に付くような粘っこい視線を送ってきた。
「なんか気に入らない答えね。理由のほう聞かせなさい」
「聞いたところで退屈な話よ」
「そんなの決めるのは私よ。誤魔化してないでさっさと話しなさいよ」
膝の上から座布団を下ろした天子が、苛立たしそうに机を指で叩いて催促してくる。
本当はこれも黙っていたいけれど、天子が引き下がってくれるなら少しぐらいは打ち明けてもいいかもしれない。
「……私が好きになった子はね、話を聞く限りずっと良いことがなかったみたい」
天子から聞いてもないのにぺらぺらと述べられた天界の愚痴を思い出す。
やれあの天人は頭が固い。やれ天界は何もなくてつまらない。
天界の話で口を開けば不満しか出てこなくて、そんな場所で過ごした彼女のそれまでの人生は退屈なものだったのだろう。
「けれど幻想郷に辿り着いて、少しは満たされ始めたようの。この郷を気に入ってくれていて、いつも笑って楽しそうにしてる。もし私が想いを打ち明けたら、その幸せを邪魔してしまいそうな気がしてきたの」
「……どうなったら告白して不幸になるって言うのよ」
「あなたは言ったわね、自分も相手も幸せにならないと意味がないって。さっきまで私はそのことが頭から抜け落ちていたわ。どうしたら彼女が手に入るか狡賢い策ばかり練って、障害になる存在があれば最悪の場合排除しようだなんて考えていた。そんなことをしても相手のためにならないのにね。まったくもって酷い女よ」
例えば天子の身近な人物が彼女に恋をしたとして、それを脅しつけて引き離せば彼女は困惑して落ち込むだろう。
そこに付け込んで私の物にするのは簡単でしょうけれど、本当に彼女のことを大切に思うならばそんなことはしてはいけない。
「そんな私が好きだといっても、本当に幸せに出来るか不安になってきた。むしろ彼女のためになら大人しく身を引いたほうが……」
「バーカ」
しんみりと話を語り終えたとき、突然天子にそんな言葉を言い放たれた。
気が付いてみれば、私のことを非難するような目で睨みつけている。
「えっ」
「アホ、気にしすぎ、マヌケ、紫のくせに、スカポンタン、おっぱい無駄にでかいくせにちっさいことで悩んでるんじゃないわよ」
「最後のは関係ないわよね」
「うるさい! いいからら黙って天人様の忠言聞いときなさい!」
何故だか凄くバカにされている上に理不尽だ。
天子は思い悩むように頭を抱え込んでいたが、やがて顔を上げて鋭い目をしてこちらを睨みつけてきた。
「狡賢いことばかり考えてた酷い女? そんなの当たり前じゃない。本物の聖人君子が何だろうが、誰だって卑しい考えの一つや二つ考えるわよ」
「いや、でも」
「でもじゃない。第一さぁ、実行に移したところでどうなのって話よ。一時的に相手が落ち込んだりしてもさ、最終的にどうなるかはわからないじゃない。大事の前の小事、過程なんて捨て置きなさい」
「そんな女が相手を楽しませて、幸せにできる自信が無いわ」
自信が無い、ならばより彼女を幸せに出来るものが現れるのを待つのが得策ではないか。
なにせ天子は天人だ。死神に敗れるとも思えないし時間はたっぷりとある。
猪突猛進で何でも押せ押せの彼女は、こんな私の姿勢を保守的だとか臆病だとか言うかもしれないが、それでも最後により良い結果が出るのなら間違ってはいないのではないか。
「できる」
そんな私の考えを、一太刀で切り捨ててきた。
「私にはわかる」
真っ直ぐと私を緋色の眼光で射抜いて、力強く言い放つ。
自分の言っていることに間違いはないと、絶対の自信を持ったその態度に、私としたことが一瞬気圧された。
天子自身も力が入りすぎていることに気付いたか、ふぅと息を吐いて力を抜いて言葉を続ける。
「そもそも相手のことを全く考えてないなら、大人しく身を引くなんて選択肢すら思い浮かばないし迷いもしないっていうの。その時点で私なんかよりよっぽど相手の身を案じてるわよ。……紫さ、もしかして初恋だったりするの?」
「そうね、こういう気持ちは初めてだわ」
「無駄に長生きしてるくせにそういう経験はないわけね。らしくもなく悩んでるわけだわ」
はぁー、と重たい溜息を吐かれた。
らしくもないか。長く生きた経験と頭脳で大抵の問題には即座に解決法を見出す私が、こういう風に何かに悩むというのは久しぶりかもしれない。
それに対し、目の前にいる私の想い人はブレない。
「……あなたって、何にでも真っ直ぐで必死ね」
「必死って、何が」
「だって必死じゃない? 他人の恋路にそんなに腹を立てて、声を荒げて反論して」
それが天子の良いところだと私は思う。
妖怪や仙人など長く生きたものには余り見られない、短い時間を生きる人間特有のその瞬間を生きようとするその姿勢。
時折それが目を眩ませたり、異変を起こしたりと突っ走ってしまうのが難点だけれど、天人なのに人間らしいその矛盾がとても可愛らしく、愛しいと感じる。
同時に、私にもそうだったらなら、何も考えず彼女に想いを伝えられただろうかなんて思ったりした。
「……他人じゃないわよ」
さっきまで落胆していた天子が、今度は膨れっ面になっていた。
コロコロ表情が変わるなぁと呑気に構える私に、可愛く睨みを利かせてきた。
「これが他のヤツだったら適当に流すわよ」
「は……?」
「いや、だからその……ちょっと今回は特別っていうか……」
「よく聞こえないわ。なんて言っているの?」
「あーもう! ニブチンが!!」
どもった声でもごもごと聞こえない声を呟いていた天子が、一転していきり立って怒声を上げてきた。
「紫だからここまで躍起になってるって言ってるんでしょうが! 私は別にいつどこで誰が幸せになろうが不幸になろうがどうだっていいけど、あんたの場合は話が別なの! 紫がどうでもいいことで悩んで幸せを逃してたりするのが嫌。いつかそのことをふっと思い出して後悔したりするかもって思うと苛々する!」
押さえ込んでいた激情が開放され、一気にまくし立ててくる。
私は雪崩のように押し寄せるその激情に、ただ圧倒され何も言えなかった。
「まだ幸か不幸かどっちに転ぶかわからなくても、自分から動かないと不幸のままよ。だからとにかくやるだけやりなさいよ。これはもう忠言なんかじゃなくて命令よ。私が嫌だからやりなさい!」
天子の言葉が止んで、しばしの間はポカンと呆気に取られていた。のだが、段々とお腹の底から耐え難い衝動が込み上げてきた。
「プフッ、ククク……アハハハハハハ!!」
「うわ、紫が笑ってる。気持ち悪っ」
気持ち悪いとは失礼な。
でもまぁいいか、こんな愉快な気分になったのは久しぶりだ。
「フフフ、自分が嫌だから悩むなだなんてあなたらしいわ全く」
「あれ、今のって私のこと笑ってたの? 自分の馬鹿さ加減に気付いて笑ったとかじゃなくて?」
「当たり前じゃない」
「うがー!」
笑われているのが自分だとようやく気付いた天子が奇声を上げる。
「自分の気持ちに気付いてくれなくて腹を立ててたのに、いざ言えばまた怒るなんてわがままね」
「うるさい! せっかく人が忠言してあげてるのに!」
「忠言じゃないって言ったばかりじゃないの。言ってることがコロコロ変わって面倒な子ね」
「うるさーい、面倒で悪いか!」
「でも」
自分の足元にスキマを開く。重力に引っ張られて私の体が暗闇の中に落ちる。
スキマを伝って天子の後ろに現れると、目の前から私の姿を見失って困惑するその背中に抱きついた。
「嬉しいわ。ありがとう天子」
他の誰でもない私だから怒っているのだと言われて、それが何よりも喜ばしかった。
「ひゃっ!? ちょっ、いきなりくっつくな! 鼻息くすぐったい!」
「あらあら、そんなに慌てちゃって。可愛いわね」
「か、かわいっ!?」
「ほらほら、よーしよしよし」
「うわわ、気色悪いから離れなさいよ!」
調子に乗って天子の頭を撫で回したりしてみたけれど、あえなく振りほどかれてしまった。
「もう、気持ち悪いやら気色悪いやら、こんないたいけな乙女に向かって」
「どこが乙女だババア! それで、結局どうするのよ」
「何の話だったかしら?」
「あんたが好きなヤツを諦めるかどうかって話よ!」
これだけ弄っても、なんだかんだで私の心配をしてくれる天子マジプリティ。
「少し頑張ってみようか、なんて思えてきたところかしら」
「……あっそ。なら良いわ」
私を見る天子は腕組をして少し不満げだったが、とりあえずは私の答えを認めてくれたようだった。
「それでね、なんなら今からその子にアプローチしてみようかなんて……」
「あっそ、じゃあ精々頑張りなさいよね。私は私で良さそうな男でも探しに行こうかしら。それじゃね、バイバーイ」
「え、ちょ」
この流れに乗って良い感じの雰囲気に持っていこうと思っていたのに。
帰ろうとする天子を私は引きとめようと、ってもういない。はやっ!?
「嵐のように去って行ったわね……」
スキマで帰る引き止めれば試合続行可能だけれど、向こうはもうその気はない以上は続ける意味がないし。
仕方ないから、アプローチの続きはまた今度からすることに決めた。
「……それにしても、私意中の相手から応援されたわけね」
天子は私が好きな相手を別の誰かだと思ってるようだし、その恋を応援されたと考えると微妙な気持ちにもなった。
というかそれって脈なしなんじゃ……いやいや、諦めるにはまだ早い。
「そうよ、やると決めた以上はありとあらゆる手を使って彼女を惹きつけるわ」
天子の愚直なまでのあの想いに、どこか焚き付けられたみたいだった。今まで以上に天子をモノにしようと言う想いが胸を焦がさんばかりに燃えているのを感じる。
今はただ、天子のように真っ直ぐ走り抜けてみよう。その想いを成就させるために、がむしゃらにやってみよう。
たとえあまりに非道な策に、人から見てドン引きされようが。
「まずは天子の恋愛対象を男性から女性にシフトさせるわ!」
その第一歩として目標を設定し、それを達成する方法を脳がフル回転してはじき出した。
相手が天子だもの、やるからには徹底的にやらねばならない。
もはや男性を忌避するほどにまで!
「薄い本よ! 天子が毛むくじゃらな男共に寄ってたかって辱められるそこまでよな薄い本を作り、彼女に見せつけるのよ。そうすれば自然と男を避けて女に寄るようになるはず! そうと決まれば行動ね。R-18Gに片足突っ込んだ最悪の本を描いてみせるわ!」
私の戦いは今ここから始まるのだ!
◇ ◆ ◇
「ハァッ、ハッ……!」
紫の家を出た私は、力の限り脚を動かした。
木々の間を縫い、髪が乱れて葉がまとわり付いても構わず走り続けた。
紫の家から十分に離れて、ようやく私は木にもたれて一息吐く。
「ハァハァ……ハァ……」
ゆっくりと呼吸を整えながら、周囲に気を配った。
この幻想郷中があいつの自由に出来る範囲内だ。どれだけ注意を払ってもやりすぎということはない。
念入りに辺りを探ってみたけれど、どこかにスキマがあって盗み聞きされていたりはなさそうだ。
「…………フゥー」
安心した私は、要石を一つ作り出し、その両端を掴んだ。
「私のバカーーー!!!!」
あらん限りを振り絞って石頭を振り下ろした。
爆音とともに要石が呆気なく砕け散るが、それでも私の叫び声は掻き消せない。
「あーもう! なんで恋敵の手助けなんかしちゃうかな私は!」
あの時、悩んでいる紫に「じゃあ諦めれば?」とでも言っておけば良かったのに、どうしてか余計なチャチャを入れてしまった。
あそこで紫が諦めれば、必ず隙が生じたはず。そうすればその隙に付け込んで、あいつの心を捕らえることが出来たのに。あろうことか自分でチャンスを潰してしまった。
でも仕方ない。仕方ないじゃないの。普段弱みを見せないあいつが、珍しく辛そうな顔をしてて、口では何だかんだ言ってても嫌なんだなとわかってしまったんだから。
気が付いたらアレだ。よりによって紫の恋を後押ししてしまった。
「あー、もうやっばいなぁ。あいつが本気になったらホイホイっと好きなやつ手篭めにしちゃうでしょ」
私よりも頭の良く回るあいつのことだ。その気になればきっと簡単にやりとげる。
そうすれば、紫とその恋人の間には誰にも邪魔できないくらい強固な壁が張られ、二人の愛を邪魔することはできなくなるだろう。
もはや状況は詰みなのではないかとすら思えてきた。というか事実そうである気がする。
しかし、だとしてだ、そんな紫を好きな人物はその恋を諦められるか……?
「……ムリね。絶対無理」
思い出す。紫と初めて会ったあの時を。
再建された博麗神社の前に現れたあの妖怪は、私が知るどんな存在よりも強く、賢く、美しかった。
軽々と私を乗り越えていったあの妖怪に、私の心は重力なんかよりもずっと強大な力で引っ張られた。
「手に入れてやるわよ、どんな手を使ってもね」
天人になってからこっち、私は誰よりも強く賢く、全てが私の手の平にあるような気分だった。死神が何度やってこようが負けなかったし、幻想郷で起こした異変だって上手くいっていた。
そんな時に、私の前に現れたあの妖怪。
あいつは今までの私がちっぽけになるくらい、強くて賢くて、見惚れるくらい綺麗で。思うようにならないその存在に私は恐怖し、憎悪し、そしてそれ以外に良くわからない感情があった。
それからあいつと顔を合わせるたびに、絡むきっかけに勝負をしかけて、ゆくゆくは普通に話し合うようになって、ついには足しげく家に通うような仲になった。紫の家の場所なんて知っているのは、私を入れても5人いるかいないかだろう。
今ならわかる。私が紫に感じたのは恋とか愛とかそういうものだったんだ。
それを今更諦めきれない。
たとえ紫が別の相手と結ばれたってやることは変わらない。略奪愛上等。壁が高ければ高いほど燃えるってものよ。
幸い普通を装って話してるとき、紫は女の子が好きだと判明した。とすれば私にもチャンスがあるはず。
なにか取っ掛かりがないか、今日の会話を思い返した。
「……そういえば、今日の紫ったら変な顔が多かったわね」
私が紫に意中の人がいると見抜いたときと、紫が相手を幸せにできる自信がないと漏らしてそれに私が絶対にできると答えたとき、紫は珍しく間抜け面を披露していた。
「私にはわかるわよ」
初めて会った日以来、私はずっと紫の事を見てきたんだから。
その程度のことくらいわからなくてどうする。
「あんな超優良物件世界中探しても他にないわよ。紫に惚れられたやつが羨ましい」
いつもはそっけない態度を取ったりしていても、その実深い愛情を持って接しているのが紫だ。
あいつはそれが日常化し過ぎて意識できていないけど、行動の端々にそれが滲み出てる。
その愛情を一身に受けるやつは、世界で一番の幸せ者だと思った。
「妬んでも仕方ない。また明日にでもお酒持って行くかな。誰が好きなのかわかれば計画が立てやすいし」
そしてその世界一の幸せ者になるためにも、私は一層頑張ることを胸に誓った。
胸と言えば、抱きつかれたときの紫のおっぱいすっごい柔らかかったな、なんて思い出した。
「紫のアレもこれも、全部私が独り占めしてやるわ」
時間はある。
たとえ何百年かかろうが諦めない。
最後に紫の隣にいいるのはこの私だ。
◇ ◆ ◇
藍が橙に稽古を付けて帰宅しすると、言いようのない重圧が家を支配していた。
「この感じは……?」
それに触れた藍が最初に脳裏を掠めたのは、それに対する疑問や懸念などではなく、ただ一つ、主である八雲紫の安否であった。
「紫様!」
人里で買ってきた夕食の食材を放り投げ、藍は風のように廊下を走り抜ける。
一秒でも早く主の身を守るため、颯爽と紫の私室へ馳せ参じた。
「紫様、ご無事で――」
そこで藍が見たものは、机に突っ伏して気を失っている主の姿だった。
周辺に外敵がいないのを確認すると、すぐさま紫へ近づき横たわった体を抱き抱える。
「紫様!? しっかりしてください!」
必死に呼びかけるが、紫から反応が帰ってくることはなかった。幸いなのはただ気を失っているだけであり、呼吸の乱れなども見られないことか。
藍は紫の纏った導師服に、黒い液体が染み付いていることに気が付いた。
「これは何だ、血か……? いや、インクかこれは」
どうやら紫の体に外傷はないようで、異常があるとすればインクで汚れているところぐらいだ。
藍が机の上に視線を向けると、倒れたインク壷とペン、それに描きかけ用紙が見つかった。
紙に書かれた内容は、ほとんどがインクの黒で塗り潰されて確認することができない。ただ辛うじて識別できる部分には、何かの絵が描かれているようだった。
「うっ……」
その時になって、紫の意識が戻ったようだ。
藍の腕の中で苦しそうなうめき声を漏らす。
「紫様、しっかりしてください!」
「ら、ん……?」
「はい、藍でございます。どうなされたのですか!?」
息も絶え絶えの紫が、声も出せずただ口を動かす。
そしてようやく捻り出した言葉は、藍には理解できないものであった。
「やっぱ、り……天子が犯されてるのとか漫画でもムリ……」
「えっ?」
「……ガクッ」
「紫様……? 紫様!? 紫様あああああああ!!!!」
屋敷に哀れな悲鳴がこだました。
ポツリと呟かれた天子の言葉を聞いた瞬間、まるで電撃が走ったかのような衝撃に、呑気にお茶をすすっていた私は脳内ブルースクリーン。
しかしそこはこれ、大妖怪の意地がある。すぐさまフリーズった脳を再起動させ、ひとまず持っていた湯飲みを机に置いた。
いま天子はなんと言ったのか、冷静に先程の言葉を脳内に再生してみる。
『あー、恋人欲しいなぁ』
キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η *・゜(n‘∀)゚・*( n‘) :*・゜ ( ) *・゜(‘n ) ゚・* (∀‘n) ゚・*η(‘∀‘n) ゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!!!
藍も橙とキャッキャウフフしに、もとい修行をつけに出かけ、私の家で二人っきりのこの状況で天子のこの台詞。
これは正しくフリに違いない!
『あらそうなの?』
『うん、だから紫が恋人になってよ』
こんな感じの。
ムードが無いとかいうツッコミは、それこそ無粋と言うものよ。
天子は気持ちだけ先走って、他の事を置いてけぼりにしてしまうことがままある。
今まで私は天子に目を付けてから、彼女と親しくするために寝る時間を14時間から10時間に下げてまで努力してきた。
あまり荒事を好まない私も、天子が弾幕ごっこをしかけてきたならそれに応え。行き過ぎない範囲で彼女の好みなどを探り、さりげなく彼女に好まれるようにアプローチをしてきた。今では彼女のほうから私の家に来るくらいだ。
その結果、天子から私への好感度がメーター振り切って有頂天まで達して、ムードなんかより早く私とキャッキャウフフしたい! と思ったのでしょう。そうに違いないわ。
思えば全ての始まりからここまで長かった。
百合の百合による百合のための郷を作ろうと私が創案し、藍や当時の博麗の巫女から絶大な支持を得て実行に移してからどれほど経っただろうか。
見事に計画は成功し、現在の幻想郷は主要人物の9割以上が少女という、正に楽園と呼ぶべきに相応しい郷へと成長した。
それでもまだ私が夢描くような少女は中々出会えなかったが、天候が乱れて地震の前兆が起こり、私の理想郷を害をなさんとするとは何奴かと様子を見たときの衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい。
彼女こそ、極光を背にこの楽園に舞い降りた天使。マイエンジェル。
強い輝きを宿して不敵に笑い、それでいてこの世のどんな存在よりも可愛らしい天子の姿は、強制的に脳裏に焼き付いた。
鈴を転がしたような、凛として響き渡る彼女の声は、私の脳髄を激しく揺さぶった。
幻想郷を傷つけた怒りと、初めて胸に芽生えた情熱、それらが入り混じったあの熱は鮮明に記憶している。
そしてとうとう、来ちゃったのかなこの日が!
「あらそうなの?」
ここで焦ってはいけない。
調子に乗って「なら私と付き合いましょう!」なんて言ったものなら、天子はきっと「ば、バカ。何で私があんたなんかと付き合わないといけないのよ!」と恥ずかしがりながら断り、この話は有耶無耶になってしまう。
そうなってしまうとこの先が辛くなる。大長編ラブコメ物のように、友達以上恋人未満と言う寸止めのじれったい関係がずっと続いてしまうこと間違いなし。それだけは回避しなければ。
それっぽい気を出さないよう細心の注意を払いながら、続きを促すように話を合わせる。
「この前さ、人里でブラブラしてたら子供連れて歩く夫婦を見つけてね。ああいうの羨ましいなって思ってさ」
と、ここで当初のシュミレーションから外れた。
だがそれもまた想定の範囲内。この会話も別の条件でのシュミレーションで可能性として挙げられていた。
流石は私の天子、こんな時にも手堅く攻めようとしているようす。ならばここはあえてこちらから攻めてみましょう。
「子供が欲しいなんて理由で恋人を作るなんて。相手方が可哀相ね」
「失敬ね。そんなどうでもいいヤツと一緒になんてならないわよ。ちゃんと私は私が好きになれる相手とだけ一緒になるわよ」
ほらこの通り。
負けず嫌いなところのある天子は、ちょっとつついてみれば面白いぐらいに噛み付いてくる。
それもタイミング次第ではあるが、日々天子のことをプライバシーの侵害にならない範囲で見つめている私にはこの程度は朝飯前よ。
……再三に渡っていうが、私も天子の私生活を全て覗き見しているわけではない。お風呂とかトイレとかの時にはスキマを閉じている。それ以外は見ているけれど。
「それじゃあ、あなたの好みはどういうタイプなの」
「そうねぇ、やっぱりある程度は腕が立つほうがいいわね。あと頭も良くないと。じゃないと張り合いが無いし」
「こい……びと……?」
「何でそこで疑問系なのよ」
「だって、それはむしろライバルだとかみたいよ」
「うっさい。好みなんて人の勝手でしょ」
ツッコまれて少し恥ずかしいらしく、天子はそっぽを向いてしまった。天子かわいい。
というかこれはやっぱりアレね。間違いなく神に等しい力を持って頭脳明晰の私のことね。天子かわいい。
何だかこっちを意識するようにチラチラ見ているし。うふふ、さり気なく様子を見てきているようだけれど、 私の目は誤魔化されないわ。天子かわいい。
最初からわかっていたことだけれど、私の時代がキター! 時代はゆかてんなのよヒャッホー! 天子かわいい!
「あなたがボディービルダー並みに筋肉隆々なのがタイプなのは私には関係ないけれど」
「強くてもいらないわよそんなの。私に釣り合う美形寄越せ」
「私に釣り合う美形(笑)」
「おい表出ろババア」
おっと、いけない、いけない。調子に乗って弄くりすぎた。
天子はちょっとからかえば実に良い反応を返してくれるものだから、ついついからかってしまう。
ちなみに、言うまでもないことであるが、この世だろうがあの世だろうが、はたまた魔界だろうがなんだろうが、天子に敵うビジュアルの持ち主はいない。そういう意味では釣り合う相手などいないのは事実。
ともかく話を戻そう。このままじゃ天子とのちゅっちゅルートを逃してしまう。
「それで、強いとか頭が良いとかの他にはどんなのが良いのかしら。性格などに触れていないけれど」
「サラっとスルーしやがって……性格はそうねぇ、他の天人とかと違って頭柔らかくて、優しくて、私の言うことなんでも聞いてくれて、お金持ちで、いざとなったら身を挺して私を守ってくれるようなタイプ」
「うっわー……」
「いや、冗談だから。そんな『なんなのコイツ、マジで引くわー』みたいな反応しないで」
冗談とはわかっているけれど、そうスラスラと言葉が出てくる辺り、天子の自己中心的な性格が垣間見れる。根っこから悪い娘ではないけれど、基本的に俺様気質。
そんな小悪魔染みたところもまた可愛いんだけれどね! その程度許容できずに何が賢者か。
「まぁ、好みの性格なんてものは、好きになるまでわからないものよね」
「そうそう、その通りよ。さっき言ったのも適当だし。もしかしたら好きになったヤツが紫みたいに意地の悪い性格だったりね」
その言葉で、私は三度勝利を確信した。
このタイミングで、私を意識しているかのようなその発言。
これはもうフラグが剣山のごとく、ビンッビンに立っているに違いないわ。
「……それで、あなたは好きな人はいるのかしら?」
笑みが浮かぶのを堪えながら、とうとう私は勝負に出た。
さぁ来なさい天子。この胸は飛び込んでくるあなたを受け止める準備は整っている。それよりも先にキスかしら? いやいや、これで案外奥手で段階を踏んでからかもしれないわ。その場合は人里へデートに繰り出して買い物や食事を楽しんで、最後に景色の良い丘に行くのがベストでしょう。夕暮れで紅く染まる天子の唇をそこでようやく奪うの。私のは当たり前だがファーストキス。天子もそうだと思うけれど、そういう話はあまりしていないので真偽の程はわからない。それでも悪くて親にして貰ったことがあるとかその程度でしょう。それならばノーカンだ。誰がなんと言おうとノーカンよ。天子は周りに付き合っていることを伝えるだろうか。恥ずかしがって隠したがるかもしれないが、私としては天子は八雲紫のものだと示すためにも是非公言したい。なにせ天子ちゃん天子ちゃんはマジ天使。いつなんどき天子を狙って擦り寄ってくる悪い虫が居るとも限らない。無論、そういう輩がいた場合は全てデデデデストローイするけれど。そして二人が行き着く先はやはり結婚。結婚式は和風、それとも洋風? 個人的には奥ゆかしい和風の方が好みだけれど、洋風のウェディングドレスも捨てがたい。挙式は博麗神社で挙げると良いわ。私と天子が初めて顔を合わせた場所で式を挙げるなんて最高にロマンチックよ。それが終わればハネムーン。何処に行くのが良いだろうか。二人で世界中を巡るのも良いかもしれない。スキマを使っての簡単日帰り世界旅行、なんて素敵。いや、列車に乗って二人で向かい合って席に着き、外の景色を眺めながら移動するのも乙かしら。そして「私のどこが好きになったの?」などと話したりするのよ。しかしそれを聞かれた場合、私の天子への想いを言葉なんてもので言い表せるかしら。この頭脳を持ってしても自信がない、いや出来よう筈もない。それほどまでに私の天子への想いは肥大化してしまっているもの。……待りなさい、私。何かとても重要なことを忘れていないかしら。そうだ結婚初夜! このイベントは絶対に外せない。いつもの宴会のノリで結婚式を挙げたりしたなら、その場を抜け出すのを引き止められるかもしれないけれど、何としてでも天子との初夜は果たすわ。そして私は天子ともども、少女から大人の女性へと変貌を遂げるのだ!
「いたらこんな話してないわよ。あー、どこかにいい男いないかなー」
ゴーンと、鐘を突いたような衝撃が脳内に鳴り響いた。
身体全体を丸ごと巨大な鉄槌で叩き潰されたような衝撃を感じ、激しい吐き気を感じて呼吸もままならない。
目の前は真っ白に染まり、おおよそ言葉を口にすることが出来る状態ではなくなる。
「って言っても、そんな都合よくいるわけ……あれ、ゆかりー?」
真っ白な頭の中で、少しずつ、時間をかけて思考が戻ってくる。
万全の状態ではないそれで、私は何とか天子が口にした言葉を思い出した。
『あー、どこかにいい男いないかなー』
『どこかにいい男いないかなー」』
『どこかにいい男』
『男』
「…………めない」
「どしたの紫。死んだ魚みたいな目をして」
「認めないわ! よりによって男だなんて。いくてんだとかすいてんだとかならまだ百合カップルを眺めてまったりほのぼの出来るというのに、よりによって男だなんて!」
「え、なに、えっ」
「天子とあんな毛むくじゃらの卑猥な物体が一緒になって良いというのか。否! そんなことは天地神明の断りにおいてもありえない。否!! たとえ天地がひっくり返ろうともあってはならない!!」
「いやちょ、ゆか……」
「こうなったなら、この世に存在するありとあらゆる男を抹殺してでも!!」
「落ち着けぇ!」
「ぶべっ!?」
またもや頭部に衝撃。ただし今度はリアルで痛い。
いきり立ったところを天子に要石で殴打されてしまった。
「落ち着いた?」
「えぇ、落ち着いたわ。今は冷静ににっくき男共を幻想郷から隔離する結界の演算式を……」
「要石、天地開闢プレ……」
「わかったわ。落ち着くから。お願いだからスペルカードはやめて」
流石にこの場で要石の下にペチャンコは勘弁したい。家への被害も馬鹿にならないし。なにより要石はマジで痛いから。
これが直に天子から踏みつけられるのむしろバッチコーイ! なのに。
「それで何なのよさっきの」
「さて、何のことかしら」
「この期に及んで白を切ろうとか馬鹿じゃないの」
ぐぅ、天子に馬鹿呼ばわりされるなんて。
悔しい、けれど感じちゃう……なんて考えてる場合でなくて、これは非常拙い状況なのでは。
先程の天子の言葉。恋人としての男を探しているのは心苦しいが素直に認めよう。
とすればとても簡単な、かつとてつもなく重大な事実が浮かび上がってくる。
天子は普通に男の子がすき。
ここで私が「実は女の子が好きなんです」などと暴露したら、天子は私のことをどう思うだろうか。
誠に遺憾なことであるが、世間一般的に同性愛と言うのは生理的に拒否される傾向にある。
もし天子に「紫って百合厨なの? きんもー。近づかないで」などと言われようものなら、私はその場でショック死してしまう自信がある。
何かないか。
この場を自然に、天子から私の男嫌いへの違和感を持たれず切り抜ける方法は――!
「…………ら」
「ら?」
「ら、藍が昔、男共に酷い目に合わされて……」
不甲斐ない主でごめんなさい、藍。
「それ以来、男に対してあまり好意的に思えなくなって……」
「そうだったの。その……なんかごめんね」
「いいのよ、天子は気にしなくて。それよりこのことは誰にも言わないでね。藍本人にも」
その場逃れに勝手に人の過去を捏造したことがバレたら、怒り狂った藍に謀反されかねない。あるいは私だけご飯作ってくれないとか。
ちなみに藍も私と志を同じくするものであり、男共に身体を汚さるなどということは一切ないのでご安心していただきたい。
現在は娘を理想の女性に育て上げるという源氏物語に酷く感銘を受け、自らの手で実行中である。頑張るわぁ、あの子も。
「それにしてもいきなり叫びだすからびっくりしたわ。紫でもあれだけ興奮したりするのね」
「それは天子の口から幻想郷の根底から覆すような話が出るものだから」
「彼氏欲しいなんて、そんなヤバ気な話じゃないでしょ」
ひとまずは今の嘘でなんとかやり過ごせたが、以前状況は何も良くなっていないことに気付く。
天子がノーマルと言うのなら、遅かれ早かれ男の相手を見つけてしまうだろう。
いや、想像以上にその時は近いかもしれない。なにせ退屈だからで異変を起こすような娘だ。彼女のバイタリティを持ってすれば、男と出会いを果たしてしまう可能性もある。
それだけは断固として阻止しなければならない!
「でもやっぱりゆかりん、天子が付き合うなんて許しませんからね!」
「あんたは私のお母さんか」
ハッ、いけない。
またヒートアップしてしまった。
「紫ってば本当に男嫌いなのね。そんなに私が彼氏作るのが嫌なの?」
「それはもちろん!」
「いつになく力強く応えたわね……」
実際には男が嫌いなのではない。ただ私好みの可愛い少女が男と交わるのが嫌なだけだ。
それでも本人が幸せならば、残念には思うが依存は無い……が天子となると話は別。
好きな相手だもの。それだけは譲れない一線よ。
「とにかく男性との交際はお勧めしないわ。甘い言葉で騙されて貢がされて、毛の一本まで毟り取られて。最後にはゴミみたいに捨てられて身も心もボロボロになるのがオチよ」
「ないから。男に対して偏見持ちすぎだからそれは」
「チッ」
「むしろ逆に聞くけど、そんな悪い男が擦り寄ってきたとして、この私が騙されると思うわけ?」
それを言われると言葉に詰まる。
ほとんど何もない天界にいた天子は、数百年生きていても経験が足りず世間知らずで、騙されやすいところもあるけれど、肝心なところでは聡明な部分を発揮させる子だ。
もし今言ったような男が近寄ってきたならば、逆に利用して骨の髄までむしゃぶりつくすだろう。くそうなんて羨ましい、私と変われ。
「あら、その油断は危ないわよ。過去どれだけの者がそう思い込んで裏切られてきたか。いかな賢人であろうと、心奪われ骨抜きにされる可能性はあるわ」
それでも何としても天子の好みから男の存在を駆逐したい私は、思っても無いことを口にした。いや事実ではあるんだけれど。今の私が正にそうであるし。
しかし天子は口うるさく言われたのが気に食わなかったようで、不満げな表情を浮かべてくる。
「なによもう。私に恋人作るなって言ってるわけ? そんなに私の自由じゃない」
「逆に考えるのよ」
「ん?」
「男が駄目なら女に走れば良いじゃない」
「頭沸いてるんじゃないの?」
蛆虫を見るような、水も瞬く間に凍りに変わる冷たい目線を送られた。
やめて、そんな目で見ないで! ゆかりんなんだか目覚めちゃうのぉ!
「駄目って言ってるの紫だけだし、話が飛躍しすぎだから。それに同姓じゃ子供作れないじゃない」
「作れるわよ」
「え、マジ?」
「マジよ」
一昔前の幻想郷では不可能だが、永遠亭の出現によって事情が変わってきた。
何を隠そう、あの月の頭脳もまた私達と同じく、百合至上主義者の一人であったのだ。彼女が姫や弟子を見る目に自分と近しいものを感じて、話をしてみたところ予感は的中。
彼女に外界の最新設備を提供することによって、女の子同士での子供を作るのは技術的に十分に可能である。
その場合は生まれてくる子供は染色体の影響で必ず女性になるそうだがそうだが、それはそれで良し。
「ふーん、そういう問題が無いのなら同性愛もありかもね。幻想郷はそういう所はおおらかだし」
「むしろそのために創ったというか」
「え?」
「なんでもないわ。それよりも、そんなに子供に固執なんて珍しいわね」
頭の隅で気になっていたことを話題に出してみる。
事の発端も子供連れを見たことが影響しているし、先程から天子の恋人談義には子供の存在がたびたび顔を出してくる。
当の本人はそのことに気付いていなかったようで、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。驚いた顔も可愛い、天使か。天使だ。
「そうかなぁ。別に普通だと思うけど」
「女として子供が欲しいという気持ちはわからなくはないけれど、恋人の話で率先してその話題が出てくる人はあまりいないわ」
「あー、家が家だからかしら。ほら、私の家ってちょっと特殊な家系じゃない」
それだけで天子の言いたいことの大体は理解できた。
代々、大地を操る能力を持ってして地震を鎮めてきた名居の一族、その中の一つ。
跡継ぎを作り血を絶やさず、能力を受け継がせていくことは特に重要なことの一つだろう。
「確かに。思えば子供を産むことの重要性を教え込まれても不自然じゃないわね」
「人間だったころも婚約の話が出てたしね。私がグダグダ言って先延ばしにしてるうちに天界に上がることが決まってうやむやになったけど」
天界グッジョブ!
天子以外の天人は、頭の固くていけ好かない者ばかりだったが、彼女を天人にしたことに関しては心から感謝したい。
「でもその時は婚約に文句を言っていたようだけれど、どうして今になってまた」
「私は一人っ子なのよ、親が子宝に恵まれなくてさ。男の跡継ぎが欲しいって言うんで、どっか別の一族から余ってるの引き抜いて婿養子にしようとか話になっててね。そういう大人の事情が気に入らなくて蹴った」
「あなた昔から相当おてんばだったのね」
「まったく。大体跡継ぎなんて女でも十分よ。仕事なら私でも出来るし、むしろそこらの凡人よりかよっぽど上手くやってみせるわ」
ぷりぷりしながら話す天子は、そこだけ聞くとただの世間知らずのお嬢様のようだ。
だが実際にはただのお嬢様ではなく、その自信に見合った才能を持ち合わせているところか。
だからこそ自分の存在をないがしろにされて、婿養子を受け入れる話が酷く気に入らなかったのだろう。
「それに勝手に相手を決められるのも嫌だったし。今は昔と違うから、今度は自分で気に入るのを探すつもりよ」
「……そう、良い人が見つかると良いわね」
どうやら天子は、そういった相手を探す気が満々のようだ。
ここはやはり、天子が気に入るような相手の条件をより深く調べる必要がある。
該当する者が天子に近づいてきた場合に先回りして神隠し……ゲフンゲフン、邪魔をし……こほん、もとい釘を刺しておくために。
「それで、天子はどういった人となら一緒になりたいかしら」
「なによ、またそれ? さっきも同じ質問したじゃない」
「あんなミーハーな答えじゃ答えてないも同然よ。今度はちゃんと考えた答えを聞いてみたいの」
「あー、確かに適当に答えだったしね。そうねぇ……」
「女性との恋愛もも念頭に入れてお願いね」
「んー、女性も込みで、真剣で……」
今度は真面目に答えようとしているようで、天子は人差し指を立ててプニプニの頬っぺたに添えた。
わざとやってるのか、それとも天然なのか、どちらにしろ真剣に思い悩む姿はマジプリティ。その頬と指に吸い付けと私の中のゴーストが囁いてきて、実行に移すのを必死に耐えた。
「どうしても、当たり前な答えしか出てこないけど、それでもいい?」
「……え、あぁ、いいんじゃないかしら?」
内なる自分と戦いがなら天子に見惚れていると、そう切り出されて我に返った。
真面目に話してくれるのなら、こちらも同じようにして聞かねばならないと、姿勢を正して心を平静に戻す。
現在の博麗の巫女は? 博麗霊夢。893.496×1.771.104は? 1.582.474.339.584。天子は? 正義。よし平静だ。
真剣に話を拝聴しようとしている私に向かって、天子はゆっくりと言葉を口にした。
「やっぱり、付き合う以上は自分も相手も、一緒にいて楽しいって思えないと」
静かに唱えられたそれは、私の胸に素早く滑り込んできて、ストンと収まるべき位置に収まった気がした。
「楽しい?」
「うん……幸せって言ってもいいと思う。ほら、私達って長生きでしょ? だから付き合う相手なんかとは長い間一緒にいるわけだし。好きとか嫌いとか考えなくても、気が付いたら肩を寄せ合ってるような関係になりたいわ。だったら、一緒にいて楽しいって思えるのが一番でしょ。私も、もちろん相手もね」
彼女としては珍しく、控え目がちに紡がれた言葉に、私は本日何度目かもわからない衝撃を受けていた。
「楽しくて、幸せな……」
「あーもう、繰り返さないでよ。なによこれ、恥ずかし」
隣にあった座布団を抱えて頭を伏せる天子を尻目に、私は言葉を失っていた。
確かに天子が今言ったことは当たり前で、一番大切なことだった。
それなのにさっきまで私は何を考えていた? 天子の邪魔をする策ばかり練って、なんて矮小で意地汚かったのか。
「……そんな、恥ずかしがることないわ」
「お世辞とかは良いわよ」
「世辞なんかじゃないわ。当たり前だけど、それに気付けない人も沢山いるわ。それをわかっているのは素晴らしいことよ」
恥ずかしいのは私のほうだ。
自分のことばかり考えて、天子のことを全く考えていなかった。
これでは天子のことを自己中心だなんて馬鹿に出来ない。表面だけ取り繕って中身がそれでは、私の方がずっと酷い女じゃないの。
「私も、いま気付かされたわ」
「……じゃあ紫の好みのタイプはどんなやつなわけ?」
「え゛っ」
などとショックを受けて落ち込んできたところに、思わぬ質問してきちゃったよこの不良天人。
座布団に顔を埋めていた天子は、わずかに顔を上げるとギロリと私を睨みつけてきた。
「私だけ恥ずかしい思いして、紫は何にも無しっていうのは不公平じゃないの?」
「いやいや、それとこれとは話が別……」
「いいから吐け! 吐けぇ、このババアー!」
「……そんな乙女の大事な秘密を漏らせだなんて、できるわけないですわ」
しかしここで私は務めて冷静に、あえて思わせぶりな風に振舞った。
ここでいつもの振る舞いが役に立つ。常日頃からからかってくる私に対して、天子は言動を疑う習性が付いているはず。
そこで思わせぶりな態度でいることで、天子に「いると見せかけて実際にはいないわね」と思わせる作戦だ。
「……もしかして、紫って好きな人がいるの?」
心臓を握り締められた感覚と共に血の気が引いた。
「やっぱりいるのね」
「まだ私は何も言ってないわ」
「言ってなくても挙動を見てればわかるわよ。目線、呼吸、その他諸々の挙動。私が聞いたとき、本当のこと言われて焦ったでしょ」
私は比那名居天子の性格と思考パターンをほぼ完全に把握しており、その上で完璧な対応をしたつもりだった。
だが現実はそう上手く行かなかった。私の予想を軽々と飛び越して、制止など効かず彼女は私の核心に迫ってきている。
「式神の藍じゃわからない。親友の幽々子でもわからないでしょうね。でも私にはわかるわ」
時として、そして大体において最悪のタイミングで予想を裏切ってくるのが比那名居天子という天人だった。
もうこの流れは変えられない。煙に巻こうにもこういう時の彼女は惑わされずに突き進んでくる。
「それで、誰のことが好きなのよ。教えなさいよ」
嘘を言ってもきっと無駄だろう。言葉を偽れば即座に見抜いてくるに違いない。黙っていても次々に質問を浴びせ、強引に答えを引き出してくるのが目に見えていた。
だからと言って実力行使で話を終わらそうとすれば、天子の腹を立たせて躍起にさせるだけに決まっている。きっと何日も何ヶ月もかけてこの話の答えを知ろうとする。
何もリスクを負わずに、無難にこの場を逃れることは無理だろうと私は悟った。
「い……」
「い?」
「……今は言いたくないわ」
気が付いたら口からこぼれ落ちた言葉は、自分でも驚くほど重たかった気がする。
目の前に座っている天子は目を丸くして驚いたあと、眉を潜めて肌に付くような粘っこい視線を送ってきた。
「なんか気に入らない答えね。理由のほう聞かせなさい」
「聞いたところで退屈な話よ」
「そんなの決めるのは私よ。誤魔化してないでさっさと話しなさいよ」
膝の上から座布団を下ろした天子が、苛立たしそうに机を指で叩いて催促してくる。
本当はこれも黙っていたいけれど、天子が引き下がってくれるなら少しぐらいは打ち明けてもいいかもしれない。
「……私が好きになった子はね、話を聞く限りずっと良いことがなかったみたい」
天子から聞いてもないのにぺらぺらと述べられた天界の愚痴を思い出す。
やれあの天人は頭が固い。やれ天界は何もなくてつまらない。
天界の話で口を開けば不満しか出てこなくて、そんな場所で過ごした彼女のそれまでの人生は退屈なものだったのだろう。
「けれど幻想郷に辿り着いて、少しは満たされ始めたようの。この郷を気に入ってくれていて、いつも笑って楽しそうにしてる。もし私が想いを打ち明けたら、その幸せを邪魔してしまいそうな気がしてきたの」
「……どうなったら告白して不幸になるって言うのよ」
「あなたは言ったわね、自分も相手も幸せにならないと意味がないって。さっきまで私はそのことが頭から抜け落ちていたわ。どうしたら彼女が手に入るか狡賢い策ばかり練って、障害になる存在があれば最悪の場合排除しようだなんて考えていた。そんなことをしても相手のためにならないのにね。まったくもって酷い女よ」
例えば天子の身近な人物が彼女に恋をしたとして、それを脅しつけて引き離せば彼女は困惑して落ち込むだろう。
そこに付け込んで私の物にするのは簡単でしょうけれど、本当に彼女のことを大切に思うならばそんなことはしてはいけない。
「そんな私が好きだといっても、本当に幸せに出来るか不安になってきた。むしろ彼女のためになら大人しく身を引いたほうが……」
「バーカ」
しんみりと話を語り終えたとき、突然天子にそんな言葉を言い放たれた。
気が付いてみれば、私のことを非難するような目で睨みつけている。
「えっ」
「アホ、気にしすぎ、マヌケ、紫のくせに、スカポンタン、おっぱい無駄にでかいくせにちっさいことで悩んでるんじゃないわよ」
「最後のは関係ないわよね」
「うるさい! いいからら黙って天人様の忠言聞いときなさい!」
何故だか凄くバカにされている上に理不尽だ。
天子は思い悩むように頭を抱え込んでいたが、やがて顔を上げて鋭い目をしてこちらを睨みつけてきた。
「狡賢いことばかり考えてた酷い女? そんなの当たり前じゃない。本物の聖人君子が何だろうが、誰だって卑しい考えの一つや二つ考えるわよ」
「いや、でも」
「でもじゃない。第一さぁ、実行に移したところでどうなのって話よ。一時的に相手が落ち込んだりしてもさ、最終的にどうなるかはわからないじゃない。大事の前の小事、過程なんて捨て置きなさい」
「そんな女が相手を楽しませて、幸せにできる自信が無いわ」
自信が無い、ならばより彼女を幸せに出来るものが現れるのを待つのが得策ではないか。
なにせ天子は天人だ。死神に敗れるとも思えないし時間はたっぷりとある。
猪突猛進で何でも押せ押せの彼女は、こんな私の姿勢を保守的だとか臆病だとか言うかもしれないが、それでも最後により良い結果が出るのなら間違ってはいないのではないか。
「できる」
そんな私の考えを、一太刀で切り捨ててきた。
「私にはわかる」
真っ直ぐと私を緋色の眼光で射抜いて、力強く言い放つ。
自分の言っていることに間違いはないと、絶対の自信を持ったその態度に、私としたことが一瞬気圧された。
天子自身も力が入りすぎていることに気付いたか、ふぅと息を吐いて力を抜いて言葉を続ける。
「そもそも相手のことを全く考えてないなら、大人しく身を引くなんて選択肢すら思い浮かばないし迷いもしないっていうの。その時点で私なんかよりよっぽど相手の身を案じてるわよ。……紫さ、もしかして初恋だったりするの?」
「そうね、こういう気持ちは初めてだわ」
「無駄に長生きしてるくせにそういう経験はないわけね。らしくもなく悩んでるわけだわ」
はぁー、と重たい溜息を吐かれた。
らしくもないか。長く生きた経験と頭脳で大抵の問題には即座に解決法を見出す私が、こういう風に何かに悩むというのは久しぶりかもしれない。
それに対し、目の前にいる私の想い人はブレない。
「……あなたって、何にでも真っ直ぐで必死ね」
「必死って、何が」
「だって必死じゃない? 他人の恋路にそんなに腹を立てて、声を荒げて反論して」
それが天子の良いところだと私は思う。
妖怪や仙人など長く生きたものには余り見られない、短い時間を生きる人間特有のその瞬間を生きようとするその姿勢。
時折それが目を眩ませたり、異変を起こしたりと突っ走ってしまうのが難点だけれど、天人なのに人間らしいその矛盾がとても可愛らしく、愛しいと感じる。
同時に、私にもそうだったらなら、何も考えず彼女に想いを伝えられただろうかなんて思ったりした。
「……他人じゃないわよ」
さっきまで落胆していた天子が、今度は膨れっ面になっていた。
コロコロ表情が変わるなぁと呑気に構える私に、可愛く睨みを利かせてきた。
「これが他のヤツだったら適当に流すわよ」
「は……?」
「いや、だからその……ちょっと今回は特別っていうか……」
「よく聞こえないわ。なんて言っているの?」
「あーもう! ニブチンが!!」
どもった声でもごもごと聞こえない声を呟いていた天子が、一転していきり立って怒声を上げてきた。
「紫だからここまで躍起になってるって言ってるんでしょうが! 私は別にいつどこで誰が幸せになろうが不幸になろうがどうだっていいけど、あんたの場合は話が別なの! 紫がどうでもいいことで悩んで幸せを逃してたりするのが嫌。いつかそのことをふっと思い出して後悔したりするかもって思うと苛々する!」
押さえ込んでいた激情が開放され、一気にまくし立ててくる。
私は雪崩のように押し寄せるその激情に、ただ圧倒され何も言えなかった。
「まだ幸か不幸かどっちに転ぶかわからなくても、自分から動かないと不幸のままよ。だからとにかくやるだけやりなさいよ。これはもう忠言なんかじゃなくて命令よ。私が嫌だからやりなさい!」
天子の言葉が止んで、しばしの間はポカンと呆気に取られていた。のだが、段々とお腹の底から耐え難い衝動が込み上げてきた。
「プフッ、ククク……アハハハハハハ!!」
「うわ、紫が笑ってる。気持ち悪っ」
気持ち悪いとは失礼な。
でもまぁいいか、こんな愉快な気分になったのは久しぶりだ。
「フフフ、自分が嫌だから悩むなだなんてあなたらしいわ全く」
「あれ、今のって私のこと笑ってたの? 自分の馬鹿さ加減に気付いて笑ったとかじゃなくて?」
「当たり前じゃない」
「うがー!」
笑われているのが自分だとようやく気付いた天子が奇声を上げる。
「自分の気持ちに気付いてくれなくて腹を立ててたのに、いざ言えばまた怒るなんてわがままね」
「うるさい! せっかく人が忠言してあげてるのに!」
「忠言じゃないって言ったばかりじゃないの。言ってることがコロコロ変わって面倒な子ね」
「うるさーい、面倒で悪いか!」
「でも」
自分の足元にスキマを開く。重力に引っ張られて私の体が暗闇の中に落ちる。
スキマを伝って天子の後ろに現れると、目の前から私の姿を見失って困惑するその背中に抱きついた。
「嬉しいわ。ありがとう天子」
他の誰でもない私だから怒っているのだと言われて、それが何よりも喜ばしかった。
「ひゃっ!? ちょっ、いきなりくっつくな! 鼻息くすぐったい!」
「あらあら、そんなに慌てちゃって。可愛いわね」
「か、かわいっ!?」
「ほらほら、よーしよしよし」
「うわわ、気色悪いから離れなさいよ!」
調子に乗って天子の頭を撫で回したりしてみたけれど、あえなく振りほどかれてしまった。
「もう、気持ち悪いやら気色悪いやら、こんないたいけな乙女に向かって」
「どこが乙女だババア! それで、結局どうするのよ」
「何の話だったかしら?」
「あんたが好きなヤツを諦めるかどうかって話よ!」
これだけ弄っても、なんだかんだで私の心配をしてくれる天子マジプリティ。
「少し頑張ってみようか、なんて思えてきたところかしら」
「……あっそ。なら良いわ」
私を見る天子は腕組をして少し不満げだったが、とりあえずは私の答えを認めてくれたようだった。
「それでね、なんなら今からその子にアプローチしてみようかなんて……」
「あっそ、じゃあ精々頑張りなさいよね。私は私で良さそうな男でも探しに行こうかしら。それじゃね、バイバーイ」
「え、ちょ」
この流れに乗って良い感じの雰囲気に持っていこうと思っていたのに。
帰ろうとする天子を私は引きとめようと、ってもういない。はやっ!?
「嵐のように去って行ったわね……」
スキマで帰る引き止めれば試合続行可能だけれど、向こうはもうその気はない以上は続ける意味がないし。
仕方ないから、アプローチの続きはまた今度からすることに決めた。
「……それにしても、私意中の相手から応援されたわけね」
天子は私が好きな相手を別の誰かだと思ってるようだし、その恋を応援されたと考えると微妙な気持ちにもなった。
というかそれって脈なしなんじゃ……いやいや、諦めるにはまだ早い。
「そうよ、やると決めた以上はありとあらゆる手を使って彼女を惹きつけるわ」
天子の愚直なまでのあの想いに、どこか焚き付けられたみたいだった。今まで以上に天子をモノにしようと言う想いが胸を焦がさんばかりに燃えているのを感じる。
今はただ、天子のように真っ直ぐ走り抜けてみよう。その想いを成就させるために、がむしゃらにやってみよう。
たとえあまりに非道な策に、人から見てドン引きされようが。
「まずは天子の恋愛対象を男性から女性にシフトさせるわ!」
その第一歩として目標を設定し、それを達成する方法を脳がフル回転してはじき出した。
相手が天子だもの、やるからには徹底的にやらねばならない。
もはや男性を忌避するほどにまで!
「薄い本よ! 天子が毛むくじゃらな男共に寄ってたかって辱められるそこまでよな薄い本を作り、彼女に見せつけるのよ。そうすれば自然と男を避けて女に寄るようになるはず! そうと決まれば行動ね。R-18Gに片足突っ込んだ最悪の本を描いてみせるわ!」
私の戦いは今ここから始まるのだ!
◇ ◆ ◇
「ハァッ、ハッ……!」
紫の家を出た私は、力の限り脚を動かした。
木々の間を縫い、髪が乱れて葉がまとわり付いても構わず走り続けた。
紫の家から十分に離れて、ようやく私は木にもたれて一息吐く。
「ハァハァ……ハァ……」
ゆっくりと呼吸を整えながら、周囲に気を配った。
この幻想郷中があいつの自由に出来る範囲内だ。どれだけ注意を払ってもやりすぎということはない。
念入りに辺りを探ってみたけれど、どこかにスキマがあって盗み聞きされていたりはなさそうだ。
「…………フゥー」
安心した私は、要石を一つ作り出し、その両端を掴んだ。
「私のバカーーー!!!!」
あらん限りを振り絞って石頭を振り下ろした。
爆音とともに要石が呆気なく砕け散るが、それでも私の叫び声は掻き消せない。
「あーもう! なんで恋敵の手助けなんかしちゃうかな私は!」
あの時、悩んでいる紫に「じゃあ諦めれば?」とでも言っておけば良かったのに、どうしてか余計なチャチャを入れてしまった。
あそこで紫が諦めれば、必ず隙が生じたはず。そうすればその隙に付け込んで、あいつの心を捕らえることが出来たのに。あろうことか自分でチャンスを潰してしまった。
でも仕方ない。仕方ないじゃないの。普段弱みを見せないあいつが、珍しく辛そうな顔をしてて、口では何だかんだ言ってても嫌なんだなとわかってしまったんだから。
気が付いたらアレだ。よりによって紫の恋を後押ししてしまった。
「あー、もうやっばいなぁ。あいつが本気になったらホイホイっと好きなやつ手篭めにしちゃうでしょ」
私よりも頭の良く回るあいつのことだ。その気になればきっと簡単にやりとげる。
そうすれば、紫とその恋人の間には誰にも邪魔できないくらい強固な壁が張られ、二人の愛を邪魔することはできなくなるだろう。
もはや状況は詰みなのではないかとすら思えてきた。というか事実そうである気がする。
しかし、だとしてだ、そんな紫を好きな人物はその恋を諦められるか……?
「……ムリね。絶対無理」
思い出す。紫と初めて会ったあの時を。
再建された博麗神社の前に現れたあの妖怪は、私が知るどんな存在よりも強く、賢く、美しかった。
軽々と私を乗り越えていったあの妖怪に、私の心は重力なんかよりもずっと強大な力で引っ張られた。
「手に入れてやるわよ、どんな手を使ってもね」
天人になってからこっち、私は誰よりも強く賢く、全てが私の手の平にあるような気分だった。死神が何度やってこようが負けなかったし、幻想郷で起こした異変だって上手くいっていた。
そんな時に、私の前に現れたあの妖怪。
あいつは今までの私がちっぽけになるくらい、強くて賢くて、見惚れるくらい綺麗で。思うようにならないその存在に私は恐怖し、憎悪し、そしてそれ以外に良くわからない感情があった。
それからあいつと顔を合わせるたびに、絡むきっかけに勝負をしかけて、ゆくゆくは普通に話し合うようになって、ついには足しげく家に通うような仲になった。紫の家の場所なんて知っているのは、私を入れても5人いるかいないかだろう。
今ならわかる。私が紫に感じたのは恋とか愛とかそういうものだったんだ。
それを今更諦めきれない。
たとえ紫が別の相手と結ばれたってやることは変わらない。略奪愛上等。壁が高ければ高いほど燃えるってものよ。
幸い普通を装って話してるとき、紫は女の子が好きだと判明した。とすれば私にもチャンスがあるはず。
なにか取っ掛かりがないか、今日の会話を思い返した。
「……そういえば、今日の紫ったら変な顔が多かったわね」
私が紫に意中の人がいると見抜いたときと、紫が相手を幸せにできる自信がないと漏らしてそれに私が絶対にできると答えたとき、紫は珍しく間抜け面を披露していた。
「私にはわかるわよ」
初めて会った日以来、私はずっと紫の事を見てきたんだから。
その程度のことくらいわからなくてどうする。
「あんな超優良物件世界中探しても他にないわよ。紫に惚れられたやつが羨ましい」
いつもはそっけない態度を取ったりしていても、その実深い愛情を持って接しているのが紫だ。
あいつはそれが日常化し過ぎて意識できていないけど、行動の端々にそれが滲み出てる。
その愛情を一身に受けるやつは、世界で一番の幸せ者だと思った。
「妬んでも仕方ない。また明日にでもお酒持って行くかな。誰が好きなのかわかれば計画が立てやすいし」
そしてその世界一の幸せ者になるためにも、私は一層頑張ることを胸に誓った。
胸と言えば、抱きつかれたときの紫のおっぱいすっごい柔らかかったな、なんて思い出した。
「紫のアレもこれも、全部私が独り占めしてやるわ」
時間はある。
たとえ何百年かかろうが諦めない。
最後に紫の隣にいいるのはこの私だ。
◇ ◆ ◇
藍が橙に稽古を付けて帰宅しすると、言いようのない重圧が家を支配していた。
「この感じは……?」
それに触れた藍が最初に脳裏を掠めたのは、それに対する疑問や懸念などではなく、ただ一つ、主である八雲紫の安否であった。
「紫様!」
人里で買ってきた夕食の食材を放り投げ、藍は風のように廊下を走り抜ける。
一秒でも早く主の身を守るため、颯爽と紫の私室へ馳せ参じた。
「紫様、ご無事で――」
そこで藍が見たものは、机に突っ伏して気を失っている主の姿だった。
周辺に外敵がいないのを確認すると、すぐさま紫へ近づき横たわった体を抱き抱える。
「紫様!? しっかりしてください!」
必死に呼びかけるが、紫から反応が帰ってくることはなかった。幸いなのはただ気を失っているだけであり、呼吸の乱れなども見られないことか。
藍は紫の纏った導師服に、黒い液体が染み付いていることに気が付いた。
「これは何だ、血か……? いや、インクかこれは」
どうやら紫の体に外傷はないようで、異常があるとすればインクで汚れているところぐらいだ。
藍が机の上に視線を向けると、倒れたインク壷とペン、それに描きかけ用紙が見つかった。
紙に書かれた内容は、ほとんどがインクの黒で塗り潰されて確認することができない。ただ辛うじて識別できる部分には、何かの絵が描かれているようだった。
「うっ……」
その時になって、紫の意識が戻ったようだ。
藍の腕の中で苦しそうなうめき声を漏らす。
「紫様、しっかりしてください!」
「ら、ん……?」
「はい、藍でございます。どうなされたのですか!?」
息も絶え絶えの紫が、声も出せずただ口を動かす。
そしてようやく捻り出した言葉は、藍には理解できないものであった。
「やっぱ、り……天子が犯されてるのとか漫画でもムリ……」
「えっ?」
「……ガクッ」
「紫様……? 紫様!? 紫様あああああああ!!!!」
屋敷に哀れな悲鳴がこだました。
いつになったら結婚するんだよお前ら!!
でもそんな二人をずっと眺めていたい
そんなジレンマ
天子のノンケを装う必要が話の流れ優先ギャグ優先以外に理由が見えないのが気にかかりますが
おもしろかったです
ブラウザ内で異様に長方形を主張するあの文字列
それでいいのか幻想郷の賢者…。
そして、流石月の頭脳は格が違った。
何か、もうね。見ていておまえら早く結婚しろって言いたくなるよwwwwwww
百合百合しい作品ごちそうさまでした。おかわり(次回作)を期待しても良いですか…?
にやにや気持ち悪く笑ってる自分のことなのか判断に苦しむ
ホントにおまえら早く結婚しちまえよ!
百合百合しやがってぇ……っ!!
いいから早く結婚しろよおまえら
入籍済みかッ……!
>スキマで帰る引き止めれば試合続行可能だけれど
帰るのを、または、帰る天子をスキマで、ではないでしょうか
結局百合百合じゃないですか! 素晴らしい! ゆかてんヒャッハー!
こうでなきゃな
間違えて50点を押してしまったのが悔やまれる