魔界の創造神、神綺に仕える夢子には一つの悩みがあった。
それは神綺の娘であり、夢子にとって妹のような存在である、アリスの事だった。
「…私もあの子の事は心配しているんだけどね…」
自室で一人、ワインを傾けながらそう独りごちる。
今は魔界を離れて人間界で暮らしているアリスの事を、神綺はいつも心配している。
夢子も当然アリスの事は心配していて、色々と話したい事もあるのだが、
帰ってくる度に神綺がつきっきりになる所為で、中々そのような機会が訪れないのだ。
神綺に仕えているという立場もあり、それに割って入る事など夢子には到底出来なかった。
「けど、いざ実現したとして私が話せるかどうか…柄でもないし」
ほとんど仕事一筋のような生活を送っていて、あまり愛想が良い方ではないので、
周りからは少しキツい性格で近寄り難いというイメージを持たれているらしい。
そんな事をルイズに言われてから、余計に自分の他人との接し方というのが分からなくなっていた。
「…アリスもそう思っているのかしら」
ひょっとしたら、アリスも自分の事をそんな風に思っているのかも知れない。
そんな事を考え始めると、少し酔ってきた所為もあって余計に悪い方向へと考えてしまう。
「私が真面目すぎるのかしら…」
頭を抱えながら、夢子が溜息を漏らす。
考えた所で答えが出る訳もなく、益々悪い方向へと考えてしまう事を恐れた夢子は、
ワインを片付けて素早く寝支度を済ませると、ベッドに潜り込んでそのまま眠りに着いた。
「夢子も意外と悩んでる事あるのね…たまには私も、姉らしい事してみようかしら」
偶然、部屋の前を通り掛って様子を覗いていたルイズが、そんな事を呟く。
普段の夢子なら気付いていただろうが、酔っていた所為か覗かれている事に気付けていなかったのだ。
「先ずはアリスに会わないとね~…ふふふ」
楽しそうに微笑みながら、ルイズが部屋の前から去って行く。
そんな企みを知るよしもなく、夢子は静かに寝息を立てているのだった。
翌日、ルイズは旅行と称して人間界にある、アリスの家を訪れていた。
「アリス~、いるかしら~?ルイズお姉さんよ~」
「えっ、ルイズ姉さん?ま、待ってて、今開けるから」
扉を叩きながら、中にいる筈のアリスに呼びかける。
突然の姉の訪問に驚いているのか、慌てた声で返事を返すと、暫くしてアリスが扉を開けた。
「はろ~。元気そうね、アリス」
「うん、問題ないわ…えっと、とりあえず立ち話もなんだから、上がって」
「お邪魔しま~す」
いつもと変わらないルイズの様子を見て、魔界で何か事件が起きた訳ではないと分かり、
安心しながらアリスが家の中へと招き入れる。
そのまま奥の部屋に案内され、テーブルに座るとアリスが人形達に紅茶の用意を始めさせた。
「随分と上達したわねぇ。ほとんどの事は人形を介して出来てるみたいだし」
「や、そんな…これくらい、一日中使っていれば、出来るようになって当然よ」
「そんな事ないでしょ。よっぽど器用じゃなきゃ出来ないしね、それ。アリスは昔から器用だったものね~」
人形の操作を褒められて、照れたように赤くなりながら謙遜すると、
昔のアリスを思い返しながらその事を否定するように言った。
小さい頃から手先が器用で、よく神綺の真似をして編み物を編んだり、夢子の料理を手伝ったりしていたのだ。
「もう、わざわざそんな昔話をしに来たの?ルイズ姉さんは…あ、紅茶が入ったみたい。どうぞ」
その頃の事を話されて恥ずかしそうにしながら、人形が淹れてくれた紅茶をルイズに出す。
それに合わせるようなタイミングで、別の人形が紅茶請けのお茶菓子を持ってきていた。
「いや、別に…あら、ありがと。んー……香りも味もいい感じね、随分と上手くなったじゃない」
恥ずかしがるアリスを楽しそうに眺めながら、淹れられた紅茶を堪能する。
最後にアリスが淹れた紅茶を飲んだのは随分と前の事だが、その頃に比べて遥かに上達していた。
「自分で飲むにしたって、美味しい方がいいもの…って、そうじゃなくて。何か用があるから来たんでしょ?」
照れているのを誤魔化すように言った後で、来た理由を聞いていない事を思い出してルイズに尋ねる。
「そうそう、大した事じゃないけどね。次はいつごろ魔界に帰ってくるのかしら?」
「え、うーん…季節が変わる頃に一度帰ろうと思ってるけど…」
帰ってくる時期を聞かれて、アリスが不思議そうにしながら答えを返す。
前に帰ってから暫く帰っていなかったので、丁度そろそろ一度顔を出そうと思っていたのである。
「ならその時なんだけどね。たまには夢子とゆっくり話すのはどうかなーって思うのよ」
「え?夢子姉さんと?」
「そう、夢子と。ほら、いつも神綺様がアリスにべったりであんまり話せてないでしょ?
だからねー、結構寂しがってるんじゃないかと思うのよ」
それとなく誘導する訳でもなく、単刀直入にルイズが用件を伝えた。
最初は思惑が分からなくて戸惑っていたアリスも、冷静になって振り返ってみると、
魔界に帰った時に神綺やユキ、マイと一緒にいる事が大半で、ほとんど夢子と一緒にいた覚えがなかった。
「言われてみれば、確かにそうね…でも夢子姉さんが寂しがったりするとは思えないけど…」
「分かってないわねぇ。夢子みたいなタイプはね、表に出さないだけで本当は寂しがりなのよ。
しっかりしなきゃいけない、って思い過ぎて弱音が吐けなくなるような子だもの」
アリスの持っているイメージではとても寂しがるとは思えなかったが、
ルイズの言葉にも思い当たるような節は若干あったような記憶がある。
「…それも本当なのか分からないくらいには、話してないって事よね…」
「そう思うのなら、たまには二人きりの時間も作ると良いんじゃないかしら?」
「でも、母さ…神綺様を無下にするわけにも…」
夢子と話したい、一緒にいたいと思うようになってきたアリスは、
魔界へ帰れば間違いなく神綺が付きっ切りになる事を思い出して、頭を悩ませる。
それが分かっているからこそ、アリスにはどうすれば良いか分からなかった。
「大丈夫よ、夢子は夜更けまで起きてるし。神綺様が寝た頃に、ワインの一つでもお土産に持っていけば楽勝よ」
「楽勝っておかしくない?…でもまぁ、夜なら確かにちょうど良さそうね」
ルイズのアドバイスに若干の疑問を覚えながらも、確かに夜なら問題ないと納得する。
最近は人間界の影響を受けて、夜になると眠る魔界人も増えているのだが、
本来は睡眠を取らなくても身体や精神に影響はなく、睡眠をする必要はないのだ。
「そうと決まれば、早速どれを持っていくか考えなきゃ…って、姉さんの用事はこれだったの?」
「え?そうよ、これだけ。たまには姉らしく、妹を気遣わなきゃねぇ」
アリスの意外そうな表情を見て楽しそうに笑いながら、ルイズが答える。
「姉さんにしては珍しいわね…でも、ありがとう。言われなかったら気付かなかったと思うわ」
「ふふ、どういたしまして」
どこまで本気なのかは分からないが、二人の事を考えてくれているのは確かなので、アリスは素直に礼を言った。
「でも、せっかく来たのにこれで帰るって言うのも寂しいし、今日は泊まって行こうかしらねぇ」
「泊まるの?じゃあ、部屋を用意しないとね…姉さんはくつろいでて」
「うん、分かったわ。よろしくー」
何となくそう言い出すだろうと思っていたのか、ルイズの言葉を聞いてすぐに来客用の部屋に向かう。
日頃から家全体の手入れはしているので、そう時間を掛ける事もなくアリスが戻ってきた。
「お待たせ、これでいつでも部屋は使えるわ」
「ありがとね。あ、それと紅茶のおかわりも」
「…はいはい」
礼を言った傍からすぐに注文をつける姉に飽きれつつも、アリスが再び人形に紅茶を淹れさせる。
その後、アリスは遅くなるまでルイズが旅行してきた世界の話を聞いていたのだった。
ルイズが訪ねて来た日から何日も経って、いよいよ魔界に帰省する日となった。
久しぶりに魔界の皆に会う事を楽しみにしながら、荷物の最終確認をする。
「うん、忘れ物はないわね…夢子姉さんへのお土産も、ちゃんと用意してあるし」
この日の為に、夢子が気に入りそうな赤ワインを用意しておいたのだ。
何となく、サプライズで渡して驚かせようと思い、丁寧に奥の方へと隠すように入れてある。
「じゃ、出発しましょうか…皆、留守番お願いするわね」
あまり多くの人形を連れて行く訳にも行かないので、上海人形と蓬莱人形の二体以外に留守番を任せておく。
アリスが動かさなければただの人形に過ぎない為、気持ちの問題と言った程度ではあるのだが。
「たまには門を通らないと、サラが泣くし…行くとしましょうか」
最終確認も終わりアリスが歩き出すと、そこに突然魔理沙がやって来た。
「よう、アリス。ってなんだその荷物、夜逃げでもするのか?」
「魔理沙か…そんな訳ないでしょ。里帰りよ、里帰り」
いつもの調子で話しかけてくる魔理沙に、飽きれながらアリスが答える。
興味本位で付いてくると言い出す可能性はあったが、もちろん付いて来させるつもりはない。
「里帰りっつーと…魔界か。てっきり一人前になるまで帰らない、とか、そんなノリで来てるのかと思ってたぜ」
「そんなの何時になるか分からないし…帰らないとあっちから乗り込んでくるからね」
アリス自身も最初はそのつもりだったのだが、一人で暮らすようになってから長期間帰らなかった時に、
心配した神綺が家までやって来た事があって以来は、定期的に帰るようにしていたのだ。
さすがに、魔界の事を放っておいてまで様子を見に来られては色々と心配になってしまう。
「相変らず親バカっつーか過保護っつーか。威厳が足りてないよな」
「そうでもないわよ、少なくとも魔界ではね」
若干小ばかにしたように言う魔理沙に、少し腹を立てながらアリスが反論する。
と言ったものの、アリス自身も思い当たる節が多すぎるので強くは言えなかった。
だからこそ、「魔界では」、と言う言葉を付け加えているのだが。
「誰かに似てると思ったが…そうか、レミリアみたいなもんか」
「…どの辺が?」
「普段は威厳とかあまり感じさせないくせに、いざ何かが起きた時には、
うってかわって威厳たっぷりで大物感を出してくるだろ?その辺が似てる」
「あぁ…そう言う」
レミリアに似ていると言われて不思議そうに尋ね返したアリスだったが、
理由を説明されると確かに分かるような気がしたので、素直に同意しておいた。
考えてみれば、幻想郷にいる大妖怪などは大半が平時はふざけていて、
何か起こった時にだけ本来の実力を発揮し、物事に当たるタイプが多かったように思う。
「ま、だからどうしたって話なんだがな。どれくらい滞在するんだ?」
「そうね…二、三日くらいかしら。あくまで予定だから、分からないけどね」
「結構長いんだな、んじゃ暫くは神社なり図書館なりで暇を潰すとするか」
「いつも通りじゃないの、それ」
近くに住んでいる事もあってよく遊びに来ている魔理沙が、居座る先が減って残念そうにしていた。
しかし意外と顔が広い事もあり、アリスの所に来れなくても他にいくらでも行き先はある。
「ははは、まぁな。私もたまには魅魔様に会いに行ってみるかなー」
「結局、神社じゃない。まぁ良いけど…じゃ、私はそろそろ行くからね」
「そう言うなって…ん、おう。気をつけてなー」
あまりのんびり話していたら日が暮れてしまう為、適当な所で話を切り上げて別れを告げた。
魔理沙もわざわざ引き止めるつもりはなかったので、素直にアリスを見送る。
「ま…帰れる場所があるってのは良い事だよな。私は御免だが」
その後姿をぼんやりと眺めながら、魔理沙はそんな事を呟くのだった。
洞窟の奥にある魔界へ続く門を潜ると、アリスは神綺が住む伏魔殿へと向かう。
門番を務めているサラに会うかと思っていたが、既に交代の時間を過ぎていたようで、別の者が門番をしていた。
「ちょっと残念だけど、仕方ないわね…一先ずは母さんの所に顔を出さなきゃ」
寄り道をして帰る時間が遅くなると、神綺が心配するのは目に見えていた為、
サラに会う事は諦めてそのまま真っ直ぐに伏魔殿を目指す。
どうせ伏魔殿に滞在していれば、サラと会う事もあるのだから問題ないだろうと考えていた。
そんな事を考えている内に伏魔殿に到着し、門番を務めているトランプの兵士に声を掛けて中へと入っていく。
「ただいまー」
言いながら中へ入って行くが、伏魔殿の中は広いので神綺達に聞こえる筈もない。
筈もないのだが、その声を聞いて真っ直ぐにこちらへと飛んでくる人影があった。
「おかえりなさい、アリスちゃん!」
「うわっ、か、母さんっ…!?急に抱きつかないで、危ないから…」
嬉しそうに抱きついてきた神綺に、何とか倒れずに受け止めると困った様子で注意する。
待ち伏せしていたのか、それとも本当に聞こえたのか、
母である神綺はこの広い伏魔殿の中で迷わずアリスの元までやってきたようだった。
「あっ、ごめんね。でも、倒れなくなったのは成長した証よね。お母さん嬉しいわ」
謝りながら、以前来た時は支えてもらえずに押し倒してしまった事を思い出して、
アリスが成長している事を実感すると嬉しそうに微笑んだ。
娘の成長が分かると嬉しいのだろうが、もう少し方法を考えて欲しいとアリスは思っていた。
「色々あったからね…えっと、改めてただいま、母さん」
「うん。どうかしら、人間界での生活は上手く行ってる?」
「手紙にも書いたけど、それなりに…意外と得る物も多いしね」
改めて挨拶をしたアリスは、神綺に尋ねられてそんな風に答えを返す。
あまり帰っていなくても、手紙だけは大体数ヶ月に一度くらいのペースで出しているのである。
その理由は当然、心配性な神綺を安心させるためだ。
「それなら私も少しは安心したわ。でも、もうちょっと帰ってきて欲しいなぁ」
「もう、それじゃ一人で暮らしてる意味がないじゃない…心配性なんだから」
そんなどちらが親なのか分からないようなやり取りに、夢子が飽きれながら割って入ってくる。
「神綺様、お話をするなら部屋に通してからにすべきかと…」
「あっ、そうね。じゃあそうしましょう」
立ち話を続けるよりは、と神綺に提案すると、納得したように同意した。
話す事に夢中で、それすら考えていなかったようだ。
「うん…あ、でも先に荷物を置いてこないと」
「私が運んでおくから、大丈夫よ。アリスはゆっくりしていれば良いわ」
「それじゃ、お言葉に甘えようかな…ありがとう、夢子姉さん」
「どういたしまして。では、また後で」
荷物を置きに行こうとするアリスに、すかさず夢子が荷物運びを買って出る。
こういう時は素直に頼った方が良い事を理解している為、アリスも素直に好意を受け取った。
「さすが夢子ちゃんね。ささ、行きましょ」
「あっ、待ってよ、母さん」
「まったく、神綺様ったら…」
アリスの手を引いて部屋へと向かう神綺を見ていた夢子も、
どちらが子供か分からないな、と思い飽きれながら二人を眺めていた。
「人間界にも神様はいるようだけど…こんな感じの神様って多いのかしら」
何となく気になった夢子がそう呟きながら考え込むが、
考えていても答えが出るはずも無いので、すぐにやめると荷物をアリスの部屋に運ぶのだった。
部屋に移動してからは、ユキとマイが乱入してきたりと色々な事があって、ずっと話し込んでいた。
神綺達の寝る時間になってようやく解散となり、外を見るとすっかり夜も更けている。
「ふぅ…姉さん、まだ起きてると良いけど」
軽く伸びをしながら、アリスは土産であるワインを取りに部屋へ戻った。
アリス自身もずっと話し続けていたが、これくらいで疲れるほどヤワではないのである。
「…好みも聞いておけばよかったかも…なんて、今更ね」
あの時ルイズに夢子の好みを聞かなかった事を後悔しつつ、箱を片手に夢子の部屋を目指す。
今更悔やんでも遅いのだから、それなら当たって砕けろの精神で行く方が良いだろう、と思っていた。
「夢子姉さん、起きてる?」
「あ、アリス!?え、えぇ、起きてるわ、少し待っててね」
夢子の部屋の扉をノックしながら声を掛けると、中から慌てた声で返事が返ってくる。
さすがにこんな時間にアリスが訪ねて来る事は予想していなかったらしく、
部屋から暫くの間、慌しい足音と物音が聞こえていた。
「お待たせ…もう良いわ」
「うん。それじゃ、お邪魔します」
ようやく物音が落ち着いて、気を取り直した夢子がアリスを部屋に招きいれる。
少し顔が赤いのは、恥ずかしさの所為なのか、それともお酒を飲んでいたからなのか。
「それで、こんな時間にどうしたの?」
椅子に腰掛けながら、普段と変わらない様子で夢子が尋ねる。
内心ではかなり焦って混乱しているのだが、表に出ないのはさすがと言った所だ。
「大した事じゃないんだけどね。あんまり姉さんと話せてないな、って事に気付いたから…
一緒にワインでも飲みながら色々と話せないかな、って思って」
アリスは少し照れながらそう言うと、持っていた箱を夢子に渡す。
話の流れから箱の中身がワインだと分かり、さらに驚いているようだ。
「それは嬉しいけど…誰に聞いたのかしら?神綺様も知らない筈なのに…」
「ルイズ姉さんに聞いたの、二人で話すなら夜に訪ねるのが良いって」
「…なるほどね。まぁいいわ、せっかく来てくれたんだし…グラスを持ってきましょう」
困ったものだとルイズの行動に飽きれながら、怒る様子も無くグラスを取りに行く。
今回ばかりは夢子も、ルイズのお節介に感謝しているようだった。
話をしに来てくれたのは良いが、何を話せば良いのかもよく分からず、
先ずは自分が一番気になっていることを尋ねてみる事にした。
「神綺様…いや、母さんに散々聞かれたと思うけど…人間界ではちゃんとやって行けてる?
家事は私が教えたんだから大丈夫でしょうけど、魔法の研究の方が心配だわ」
「うん、姉さんのお陰で何とかね。今は人形達に任せられるようになったし…
魔法の研究も、行き詰る事は多いけど何とかやっていけてるわ」
やはり夢子も神綺と同じで、アリスの一人暮らしを心配しているようだった。
ワイングラスを用意しながら、その返事を聞いて一先ずは安心する。
「そう、良かったわ。やると決めた以上は、中途半端で諦めるのは許さないからね」
「相変らず厳しいわね、姉さんは…もちろん、途中で諦めたりするつもりなんて無いわ。
どれだけ掛かったとしても、私は目標に辿り着く…そう決めたんだもの」
少し脅かすように夢子が言うと、アリスは自分の決意を表す様に力強く答えた。
神綺や夢子の反対を押し切って決めた道なのだから、それが当然だと言う事だろう。
「言うようになったじゃない、昔はちょっと脅かしただけで泣きそうになってたのに。
本当、暫く話さない内に心身ともに成長しているようね…ふふ」
グラスにワインを注ぎながら、アリスが小さかった頃の事を懐かしく思い、
その時と比べてずっと成長している事を実感して嬉しそうに微笑んだ。
「む、昔の事は良いでしょ、別に。恥ずかしいわよ…」
自分も身に覚えがあるからか、耳まで赤くなって不満そうに言った。
小さい頃の事を話されるのを恥ずかしいと思うのは、自分が人間界に長く居すぎた所為だろうか。
「そんなにむくれないの、まったく…成長してる事を実感するには、
小さかった頃の様子と比べるのが一番なんだから。ね?」
恥ずかしさで赤くなっているアリスを愛おしく思い、優しく頭を撫でてやりながら夢子が言った。
小さい頃はよくこうして撫でてあげたものだが、大きくなってからはあまりした事は無い。
「ん…もぅ、それはそうだけど……仕方ないなぁ…」
「ふふ、許してくれるのね。そういえばアリスって、小さい頃から撫でられるのは好きだったわよね」
頭を撫でていて思い出した事を、なんとなくアリスに聞いてみる。
小さい頃から、と言ったのは今の反応がその頃と変わっていないからだ。
「え、あ…うん。上手く言えないんだけど、何となく安心するって言うか…」
特に隠す必要も無いからか、素直に認めると理由を説明しようとする。
内容は曖昧なものとなっていても、夢子は感覚で理解していた。
「なるほどね…よくお手伝いしてくれたのは、それが理由かしら?」
「そ、それもあるかな…母さんや姉さんが喜んでくれるから、って言うのもあったけど…」
神綺や夢子の手伝いをいつもしていた事を思い出して、その事を尋ねると、
アリスはさらに恥ずかしそうにしながら答えを返すのだった。
手伝いをすれば二人は喜び、優しく微笑みながら頭を撫でてくれるのが好きだったようだ。
「それが今では、こうして一人で暮らすようになるなんてね…分からないものだわ。寂しくない?」
「人形達もいるから、平気よ…って言いたいけど、たまに寂しい時もあるかな…」
こんな事を言ったら怒られるかもしれない、と思いつつも正直にアリスが言う。
しかし夢子は怒ったりせずに、どこか安心したような表情をしていた。
「あら、珍しく素直なのね」
「…怒ったりしないの?」
「しないわよ、無理のない事だもの。正直に言ってくれたしね」
不安そうに尋ねてくるアリスを安心させるように、夢子が答える。
お酒が入っているからなのか、お互いいつもより素直に話せているようだった。
それから暫く他愛のない話が続いていたが、それも途切れた時に夢子がある事をアリスに尋ねた。
「ねぇ、アリス…少し聞きたい事があるんだけど…」
「あ、うん。何かしら?」
「…私って、そんなに怖いの?さっきも不安そうにしていたし…」
それは夢子自身も気にしている事で、こういう時にしか聞けない事でもあった。
聞くのは少し怖かったが、一人で悩んでも仕方ないと思ったのだろう。
「え、えっと…別にそんな事は…」
「正直に言ってちょうだい、私も覚悟してるから」
「あぅ…そ、その、少しだけ…」
否定しようとしたアリスだったが、真剣な夢子の様子に、
誤魔化す訳には行かないと思い先程感じた事を躊躇いながら正直に伝える。
アリスもどうして自分がそんな事を感じたのか、少し疑問に思っていたようだ。
当然そう言われるのは予測していたが、実際に言われると思った以上にショックを受けてしまう。
「…そうよね…私はそんなつもりもないんだけど。周りの反応を見ても、そんな気がしてたのよ…」
「そ、それなんだけどね…こうやって話してて、分かった事があるの」
「分かった事?」
落ち込んでしまった夢子を励ますように、アリスが慌ててフォローを入れた。
「うん。姉さんは、私の知ってる姉さんのままだったから…
きっと仕事のし過ぎで、緊張を解く瞬間がないからじゃないかと思うの」
「仕事のし過ぎ…?今までと変わってないはずだけど…」
既にそれが普通となっていた夢子には、いまいちピンと来ないようだ。
だが、アリスもまったく根拠なくそう言ってる訳ではない。
「そんな事ないと思うわ。だって私が小さい頃からそうだったから」
「…アリスが小さい頃から…」
「だからお手伝いしてたんだし…でも、私がいなくなって、
他に手伝ってくれる人がいなくなったんじゃないかな、と思うの」
それは小さい頃のアリスが、夢子の仕事まで積極的に手伝っていたもう一つの理由。
最初に手伝おうと思ったのは褒められたいからではなく、夢子に少しでも楽をさせるためだったようだ。
「言われてみれば…そうかも知れないわね。自分では意識した事もなかったけど」
「でしょ。…ごめんね、私が一人で暮らしたりしなければ…」
「もぅ、だからってアリスが謝る事はないでしょう。自分のしたい事をするのが一番よ」
言われて初めてその事を意識しながら振り返ると、確かに思い当たる節は多々あった。
手伝いもせずに一人で暮らしている事を悪く思って謝るアリスに対し、
それを否定しながら勇気付けるように頭を撫でてやる。
「原因が分かれば、解決するのは簡単よ。安心しなさい」
「う、うん」
ようやく疑問が解けて清々しい気持ちになりながら、はっきりと夢子が言った。
これで少しは怖がられる事も減るだろう、と思っているようだった。
同時に夢子は、少し話しただけでそれに気付いたアリスに感心していた。
「けどよく気付いたわね、こうして久しぶりに話したのに…」
「私も気になったし、久しぶりに話したからこそ、だと思うわ」
照れ隠しをするように、夢子にそう答えた。
もちろん理由はそれだけではなく、人間界にある紅い屋敷のメイドに対しても、
アリスは似たような事を感じていたからである。
「久しぶりに話したからこそ、か…小さい頃から、アリスに助けられていたとはね。
この調子じゃ、私を追い越す日もそう遠くないのかしら」
助けられていた事を気付けなかった自分を少し恥じながら、夢子がそんな事を漏らした。
アリスが成長する事は夢子にとって喜ばしい事だが、同時に一抹の寂しさも感じていたのだ。
「そんな、私なんかじゃまだまだ夢子姉さんには及ばないわよ…私よりずっと強くて、何でも出来るし。
今だって人形達に助けられて、ようやく何とか暮らせてる程度なんだから」
珍しく弱気になっている夢子に戸惑いながら、アリスが言葉を選ぶように言った。
実際、神綺が生み出した者の中ではあらゆる事に秀でている夢子を超えるのは、
並大抵の努力では到底不可能である事を容易に想像できる。
間近で見ていたアリスなら、尚更良く分かっている事だ。
「それでも、私のそれは既に完成されたもの…これ以上、なんて事はないわ。
けどアリスは、まだまだ成長できる…遅かれ早かれ、いつかは追い越される運命なのよ」
「姉さん…」
口に出してようやく、自分はアリスの事が羨ましいのだと気付く。
最初から最強の魔界人として生み出された夢子は、これ以上目指すものが見つけられず、
それがなければ成長など出来るはずもない、という事もよく分かっているのだ。
だが、アリスは夢子が成長できないとは思っていないようだった。
「そんな事ないわ、きっと…きっとお姉ちゃんだって、まだまだ成長できると思う。
人間の癖に、必死で努力して人間以上の力を手に入れた奴だっているんだから…
それに私が出来る事を、お姉ちゃんが出来ないはずなんてないわ」
「……そうよね、自分で限界を決めるようじゃダメか…」
必死で励まそうとしているアリスを見て、夢子は自分の考えが間違っていた事に気付く。
夢子は今の自分の仕事や能力に満足し、それ以上の事を望もうとしていなかったのだ。
それがいつからか、ここが自分の限界だと思うようになってしまい、
自分からこれ以上を目指せると言う可能性を捨ててしまっていたのである。
「…ありがとう、アリス。言われて目が覚めたわ、大切な事を見落としていたのね…」
「ん…偉そうな事言ったけど、私だってまだまだだし…」
「そうだとしても、その言葉で変わる事はあるのよ…今の私みたいにね。
だからもっと、自信を持ちなさい。私も感謝してるんだから」
勢いに任せて偉そうな事を言った自分に後悔して、申し訳無さそうにしているアリスに、
頭を撫でてやりながら元気付けるように夢子が言った。
「う、うん…分かったわ…」
まだ少し戸惑っている様子もあったが、それでも少しは安心できたのかアリスが頷いていた。
そして夢子が、湿っぽくなってしまった空気を変える為に別の話題を振る。
「それにしても…」
「え、何?」
「私の事、お姉ちゃんって呼ばれたのは久しぶりだわ。
小さい頃のアリスは、いつも私の事を夢子お姉ちゃんって呼んでたのに…今はお姉さん、だものね」
意地悪く笑いながら、先程アリスが自分の事を昔の呼び方で呼んだ事を指摘する。
夢中になっていて無自覚のうちにそう言っていたのだろう、言われた本人は思い出して再び顔を赤くしていた。
「あ…だ、だって私ももう大人なんだし、いつまでもそんな子供みたいな…」
「別にそんなの、気にする事ないのに…母さんの事だって、ママ、って呼べば良いのよ?」
「そ、そんな恥ずかしい事できないわよ、絶対ユキ達にからかわれるし…」
さらに攻めて来る夢子の言葉に、アリスが必死で否定する理由を並べて行く。
意地悪な話をしてくる姉に少し困りながらも、いつもの調子に戻った事をアリスは嬉しく思った。
「じゃあ、もう一回だけ私の事をお姉ちゃん、って呼んでみるとか…」
「だ、だから恥ずかしいってば、それは!」
そんな調子で楽しそうにしている様子は、誰が見ても仲の良い姉妹だと思うだろう。
今夜はまだまだ、二人の話す事は尽きそうになかった。
それは神綺の娘であり、夢子にとって妹のような存在である、アリスの事だった。
「…私もあの子の事は心配しているんだけどね…」
自室で一人、ワインを傾けながらそう独りごちる。
今は魔界を離れて人間界で暮らしているアリスの事を、神綺はいつも心配している。
夢子も当然アリスの事は心配していて、色々と話したい事もあるのだが、
帰ってくる度に神綺がつきっきりになる所為で、中々そのような機会が訪れないのだ。
神綺に仕えているという立場もあり、それに割って入る事など夢子には到底出来なかった。
「けど、いざ実現したとして私が話せるかどうか…柄でもないし」
ほとんど仕事一筋のような生活を送っていて、あまり愛想が良い方ではないので、
周りからは少しキツい性格で近寄り難いというイメージを持たれているらしい。
そんな事をルイズに言われてから、余計に自分の他人との接し方というのが分からなくなっていた。
「…アリスもそう思っているのかしら」
ひょっとしたら、アリスも自分の事をそんな風に思っているのかも知れない。
そんな事を考え始めると、少し酔ってきた所為もあって余計に悪い方向へと考えてしまう。
「私が真面目すぎるのかしら…」
頭を抱えながら、夢子が溜息を漏らす。
考えた所で答えが出る訳もなく、益々悪い方向へと考えてしまう事を恐れた夢子は、
ワインを片付けて素早く寝支度を済ませると、ベッドに潜り込んでそのまま眠りに着いた。
「夢子も意外と悩んでる事あるのね…たまには私も、姉らしい事してみようかしら」
偶然、部屋の前を通り掛って様子を覗いていたルイズが、そんな事を呟く。
普段の夢子なら気付いていただろうが、酔っていた所為か覗かれている事に気付けていなかったのだ。
「先ずはアリスに会わないとね~…ふふふ」
楽しそうに微笑みながら、ルイズが部屋の前から去って行く。
そんな企みを知るよしもなく、夢子は静かに寝息を立てているのだった。
翌日、ルイズは旅行と称して人間界にある、アリスの家を訪れていた。
「アリス~、いるかしら~?ルイズお姉さんよ~」
「えっ、ルイズ姉さん?ま、待ってて、今開けるから」
扉を叩きながら、中にいる筈のアリスに呼びかける。
突然の姉の訪問に驚いているのか、慌てた声で返事を返すと、暫くしてアリスが扉を開けた。
「はろ~。元気そうね、アリス」
「うん、問題ないわ…えっと、とりあえず立ち話もなんだから、上がって」
「お邪魔しま~す」
いつもと変わらないルイズの様子を見て、魔界で何か事件が起きた訳ではないと分かり、
安心しながらアリスが家の中へと招き入れる。
そのまま奥の部屋に案内され、テーブルに座るとアリスが人形達に紅茶の用意を始めさせた。
「随分と上達したわねぇ。ほとんどの事は人形を介して出来てるみたいだし」
「や、そんな…これくらい、一日中使っていれば、出来るようになって当然よ」
「そんな事ないでしょ。よっぽど器用じゃなきゃ出来ないしね、それ。アリスは昔から器用だったものね~」
人形の操作を褒められて、照れたように赤くなりながら謙遜すると、
昔のアリスを思い返しながらその事を否定するように言った。
小さい頃から手先が器用で、よく神綺の真似をして編み物を編んだり、夢子の料理を手伝ったりしていたのだ。
「もう、わざわざそんな昔話をしに来たの?ルイズ姉さんは…あ、紅茶が入ったみたい。どうぞ」
その頃の事を話されて恥ずかしそうにしながら、人形が淹れてくれた紅茶をルイズに出す。
それに合わせるようなタイミングで、別の人形が紅茶請けのお茶菓子を持ってきていた。
「いや、別に…あら、ありがと。んー……香りも味もいい感じね、随分と上手くなったじゃない」
恥ずかしがるアリスを楽しそうに眺めながら、淹れられた紅茶を堪能する。
最後にアリスが淹れた紅茶を飲んだのは随分と前の事だが、その頃に比べて遥かに上達していた。
「自分で飲むにしたって、美味しい方がいいもの…って、そうじゃなくて。何か用があるから来たんでしょ?」
照れているのを誤魔化すように言った後で、来た理由を聞いていない事を思い出してルイズに尋ねる。
「そうそう、大した事じゃないけどね。次はいつごろ魔界に帰ってくるのかしら?」
「え、うーん…季節が変わる頃に一度帰ろうと思ってるけど…」
帰ってくる時期を聞かれて、アリスが不思議そうにしながら答えを返す。
前に帰ってから暫く帰っていなかったので、丁度そろそろ一度顔を出そうと思っていたのである。
「ならその時なんだけどね。たまには夢子とゆっくり話すのはどうかなーって思うのよ」
「え?夢子姉さんと?」
「そう、夢子と。ほら、いつも神綺様がアリスにべったりであんまり話せてないでしょ?
だからねー、結構寂しがってるんじゃないかと思うのよ」
それとなく誘導する訳でもなく、単刀直入にルイズが用件を伝えた。
最初は思惑が分からなくて戸惑っていたアリスも、冷静になって振り返ってみると、
魔界に帰った時に神綺やユキ、マイと一緒にいる事が大半で、ほとんど夢子と一緒にいた覚えがなかった。
「言われてみれば、確かにそうね…でも夢子姉さんが寂しがったりするとは思えないけど…」
「分かってないわねぇ。夢子みたいなタイプはね、表に出さないだけで本当は寂しがりなのよ。
しっかりしなきゃいけない、って思い過ぎて弱音が吐けなくなるような子だもの」
アリスの持っているイメージではとても寂しがるとは思えなかったが、
ルイズの言葉にも思い当たるような節は若干あったような記憶がある。
「…それも本当なのか分からないくらいには、話してないって事よね…」
「そう思うのなら、たまには二人きりの時間も作ると良いんじゃないかしら?」
「でも、母さ…神綺様を無下にするわけにも…」
夢子と話したい、一緒にいたいと思うようになってきたアリスは、
魔界へ帰れば間違いなく神綺が付きっ切りになる事を思い出して、頭を悩ませる。
それが分かっているからこそ、アリスにはどうすれば良いか分からなかった。
「大丈夫よ、夢子は夜更けまで起きてるし。神綺様が寝た頃に、ワインの一つでもお土産に持っていけば楽勝よ」
「楽勝っておかしくない?…でもまぁ、夜なら確かにちょうど良さそうね」
ルイズのアドバイスに若干の疑問を覚えながらも、確かに夜なら問題ないと納得する。
最近は人間界の影響を受けて、夜になると眠る魔界人も増えているのだが、
本来は睡眠を取らなくても身体や精神に影響はなく、睡眠をする必要はないのだ。
「そうと決まれば、早速どれを持っていくか考えなきゃ…って、姉さんの用事はこれだったの?」
「え?そうよ、これだけ。たまには姉らしく、妹を気遣わなきゃねぇ」
アリスの意外そうな表情を見て楽しそうに笑いながら、ルイズが答える。
「姉さんにしては珍しいわね…でも、ありがとう。言われなかったら気付かなかったと思うわ」
「ふふ、どういたしまして」
どこまで本気なのかは分からないが、二人の事を考えてくれているのは確かなので、アリスは素直に礼を言った。
「でも、せっかく来たのにこれで帰るって言うのも寂しいし、今日は泊まって行こうかしらねぇ」
「泊まるの?じゃあ、部屋を用意しないとね…姉さんはくつろいでて」
「うん、分かったわ。よろしくー」
何となくそう言い出すだろうと思っていたのか、ルイズの言葉を聞いてすぐに来客用の部屋に向かう。
日頃から家全体の手入れはしているので、そう時間を掛ける事もなくアリスが戻ってきた。
「お待たせ、これでいつでも部屋は使えるわ」
「ありがとね。あ、それと紅茶のおかわりも」
「…はいはい」
礼を言った傍からすぐに注文をつける姉に飽きれつつも、アリスが再び人形に紅茶を淹れさせる。
その後、アリスは遅くなるまでルイズが旅行してきた世界の話を聞いていたのだった。
ルイズが訪ねて来た日から何日も経って、いよいよ魔界に帰省する日となった。
久しぶりに魔界の皆に会う事を楽しみにしながら、荷物の最終確認をする。
「うん、忘れ物はないわね…夢子姉さんへのお土産も、ちゃんと用意してあるし」
この日の為に、夢子が気に入りそうな赤ワインを用意しておいたのだ。
何となく、サプライズで渡して驚かせようと思い、丁寧に奥の方へと隠すように入れてある。
「じゃ、出発しましょうか…皆、留守番お願いするわね」
あまり多くの人形を連れて行く訳にも行かないので、上海人形と蓬莱人形の二体以外に留守番を任せておく。
アリスが動かさなければただの人形に過ぎない為、気持ちの問題と言った程度ではあるのだが。
「たまには門を通らないと、サラが泣くし…行くとしましょうか」
最終確認も終わりアリスが歩き出すと、そこに突然魔理沙がやって来た。
「よう、アリス。ってなんだその荷物、夜逃げでもするのか?」
「魔理沙か…そんな訳ないでしょ。里帰りよ、里帰り」
いつもの調子で話しかけてくる魔理沙に、飽きれながらアリスが答える。
興味本位で付いてくると言い出す可能性はあったが、もちろん付いて来させるつもりはない。
「里帰りっつーと…魔界か。てっきり一人前になるまで帰らない、とか、そんなノリで来てるのかと思ってたぜ」
「そんなの何時になるか分からないし…帰らないとあっちから乗り込んでくるからね」
アリス自身も最初はそのつもりだったのだが、一人で暮らすようになってから長期間帰らなかった時に、
心配した神綺が家までやって来た事があって以来は、定期的に帰るようにしていたのだ。
さすがに、魔界の事を放っておいてまで様子を見に来られては色々と心配になってしまう。
「相変らず親バカっつーか過保護っつーか。威厳が足りてないよな」
「そうでもないわよ、少なくとも魔界ではね」
若干小ばかにしたように言う魔理沙に、少し腹を立てながらアリスが反論する。
と言ったものの、アリス自身も思い当たる節が多すぎるので強くは言えなかった。
だからこそ、「魔界では」、と言う言葉を付け加えているのだが。
「誰かに似てると思ったが…そうか、レミリアみたいなもんか」
「…どの辺が?」
「普段は威厳とかあまり感じさせないくせに、いざ何かが起きた時には、
うってかわって威厳たっぷりで大物感を出してくるだろ?その辺が似てる」
「あぁ…そう言う」
レミリアに似ていると言われて不思議そうに尋ね返したアリスだったが、
理由を説明されると確かに分かるような気がしたので、素直に同意しておいた。
考えてみれば、幻想郷にいる大妖怪などは大半が平時はふざけていて、
何か起こった時にだけ本来の実力を発揮し、物事に当たるタイプが多かったように思う。
「ま、だからどうしたって話なんだがな。どれくらい滞在するんだ?」
「そうね…二、三日くらいかしら。あくまで予定だから、分からないけどね」
「結構長いんだな、んじゃ暫くは神社なり図書館なりで暇を潰すとするか」
「いつも通りじゃないの、それ」
近くに住んでいる事もあってよく遊びに来ている魔理沙が、居座る先が減って残念そうにしていた。
しかし意外と顔が広い事もあり、アリスの所に来れなくても他にいくらでも行き先はある。
「ははは、まぁな。私もたまには魅魔様に会いに行ってみるかなー」
「結局、神社じゃない。まぁ良いけど…じゃ、私はそろそろ行くからね」
「そう言うなって…ん、おう。気をつけてなー」
あまりのんびり話していたら日が暮れてしまう為、適当な所で話を切り上げて別れを告げた。
魔理沙もわざわざ引き止めるつもりはなかったので、素直にアリスを見送る。
「ま…帰れる場所があるってのは良い事だよな。私は御免だが」
その後姿をぼんやりと眺めながら、魔理沙はそんな事を呟くのだった。
洞窟の奥にある魔界へ続く門を潜ると、アリスは神綺が住む伏魔殿へと向かう。
門番を務めているサラに会うかと思っていたが、既に交代の時間を過ぎていたようで、別の者が門番をしていた。
「ちょっと残念だけど、仕方ないわね…一先ずは母さんの所に顔を出さなきゃ」
寄り道をして帰る時間が遅くなると、神綺が心配するのは目に見えていた為、
サラに会う事は諦めてそのまま真っ直ぐに伏魔殿を目指す。
どうせ伏魔殿に滞在していれば、サラと会う事もあるのだから問題ないだろうと考えていた。
そんな事を考えている内に伏魔殿に到着し、門番を務めているトランプの兵士に声を掛けて中へと入っていく。
「ただいまー」
言いながら中へ入って行くが、伏魔殿の中は広いので神綺達に聞こえる筈もない。
筈もないのだが、その声を聞いて真っ直ぐにこちらへと飛んでくる人影があった。
「おかえりなさい、アリスちゃん!」
「うわっ、か、母さんっ…!?急に抱きつかないで、危ないから…」
嬉しそうに抱きついてきた神綺に、何とか倒れずに受け止めると困った様子で注意する。
待ち伏せしていたのか、それとも本当に聞こえたのか、
母である神綺はこの広い伏魔殿の中で迷わずアリスの元までやってきたようだった。
「あっ、ごめんね。でも、倒れなくなったのは成長した証よね。お母さん嬉しいわ」
謝りながら、以前来た時は支えてもらえずに押し倒してしまった事を思い出して、
アリスが成長している事を実感すると嬉しそうに微笑んだ。
娘の成長が分かると嬉しいのだろうが、もう少し方法を考えて欲しいとアリスは思っていた。
「色々あったからね…えっと、改めてただいま、母さん」
「うん。どうかしら、人間界での生活は上手く行ってる?」
「手紙にも書いたけど、それなりに…意外と得る物も多いしね」
改めて挨拶をしたアリスは、神綺に尋ねられてそんな風に答えを返す。
あまり帰っていなくても、手紙だけは大体数ヶ月に一度くらいのペースで出しているのである。
その理由は当然、心配性な神綺を安心させるためだ。
「それなら私も少しは安心したわ。でも、もうちょっと帰ってきて欲しいなぁ」
「もう、それじゃ一人で暮らしてる意味がないじゃない…心配性なんだから」
そんなどちらが親なのか分からないようなやり取りに、夢子が飽きれながら割って入ってくる。
「神綺様、お話をするなら部屋に通してからにすべきかと…」
「あっ、そうね。じゃあそうしましょう」
立ち話を続けるよりは、と神綺に提案すると、納得したように同意した。
話す事に夢中で、それすら考えていなかったようだ。
「うん…あ、でも先に荷物を置いてこないと」
「私が運んでおくから、大丈夫よ。アリスはゆっくりしていれば良いわ」
「それじゃ、お言葉に甘えようかな…ありがとう、夢子姉さん」
「どういたしまして。では、また後で」
荷物を置きに行こうとするアリスに、すかさず夢子が荷物運びを買って出る。
こういう時は素直に頼った方が良い事を理解している為、アリスも素直に好意を受け取った。
「さすが夢子ちゃんね。ささ、行きましょ」
「あっ、待ってよ、母さん」
「まったく、神綺様ったら…」
アリスの手を引いて部屋へと向かう神綺を見ていた夢子も、
どちらが子供か分からないな、と思い飽きれながら二人を眺めていた。
「人間界にも神様はいるようだけど…こんな感じの神様って多いのかしら」
何となく気になった夢子がそう呟きながら考え込むが、
考えていても答えが出るはずも無いので、すぐにやめると荷物をアリスの部屋に運ぶのだった。
部屋に移動してからは、ユキとマイが乱入してきたりと色々な事があって、ずっと話し込んでいた。
神綺達の寝る時間になってようやく解散となり、外を見るとすっかり夜も更けている。
「ふぅ…姉さん、まだ起きてると良いけど」
軽く伸びをしながら、アリスは土産であるワインを取りに部屋へ戻った。
アリス自身もずっと話し続けていたが、これくらいで疲れるほどヤワではないのである。
「…好みも聞いておけばよかったかも…なんて、今更ね」
あの時ルイズに夢子の好みを聞かなかった事を後悔しつつ、箱を片手に夢子の部屋を目指す。
今更悔やんでも遅いのだから、それなら当たって砕けろの精神で行く方が良いだろう、と思っていた。
「夢子姉さん、起きてる?」
「あ、アリス!?え、えぇ、起きてるわ、少し待っててね」
夢子の部屋の扉をノックしながら声を掛けると、中から慌てた声で返事が返ってくる。
さすがにこんな時間にアリスが訪ねて来る事は予想していなかったらしく、
部屋から暫くの間、慌しい足音と物音が聞こえていた。
「お待たせ…もう良いわ」
「うん。それじゃ、お邪魔します」
ようやく物音が落ち着いて、気を取り直した夢子がアリスを部屋に招きいれる。
少し顔が赤いのは、恥ずかしさの所為なのか、それともお酒を飲んでいたからなのか。
「それで、こんな時間にどうしたの?」
椅子に腰掛けながら、普段と変わらない様子で夢子が尋ねる。
内心ではかなり焦って混乱しているのだが、表に出ないのはさすがと言った所だ。
「大した事じゃないんだけどね。あんまり姉さんと話せてないな、って事に気付いたから…
一緒にワインでも飲みながら色々と話せないかな、って思って」
アリスは少し照れながらそう言うと、持っていた箱を夢子に渡す。
話の流れから箱の中身がワインだと分かり、さらに驚いているようだ。
「それは嬉しいけど…誰に聞いたのかしら?神綺様も知らない筈なのに…」
「ルイズ姉さんに聞いたの、二人で話すなら夜に訪ねるのが良いって」
「…なるほどね。まぁいいわ、せっかく来てくれたんだし…グラスを持ってきましょう」
困ったものだとルイズの行動に飽きれながら、怒る様子も無くグラスを取りに行く。
今回ばかりは夢子も、ルイズのお節介に感謝しているようだった。
話をしに来てくれたのは良いが、何を話せば良いのかもよく分からず、
先ずは自分が一番気になっていることを尋ねてみる事にした。
「神綺様…いや、母さんに散々聞かれたと思うけど…人間界ではちゃんとやって行けてる?
家事は私が教えたんだから大丈夫でしょうけど、魔法の研究の方が心配だわ」
「うん、姉さんのお陰で何とかね。今は人形達に任せられるようになったし…
魔法の研究も、行き詰る事は多いけど何とかやっていけてるわ」
やはり夢子も神綺と同じで、アリスの一人暮らしを心配しているようだった。
ワイングラスを用意しながら、その返事を聞いて一先ずは安心する。
「そう、良かったわ。やると決めた以上は、中途半端で諦めるのは許さないからね」
「相変らず厳しいわね、姉さんは…もちろん、途中で諦めたりするつもりなんて無いわ。
どれだけ掛かったとしても、私は目標に辿り着く…そう決めたんだもの」
少し脅かすように夢子が言うと、アリスは自分の決意を表す様に力強く答えた。
神綺や夢子の反対を押し切って決めた道なのだから、それが当然だと言う事だろう。
「言うようになったじゃない、昔はちょっと脅かしただけで泣きそうになってたのに。
本当、暫く話さない内に心身ともに成長しているようね…ふふ」
グラスにワインを注ぎながら、アリスが小さかった頃の事を懐かしく思い、
その時と比べてずっと成長している事を実感して嬉しそうに微笑んだ。
「む、昔の事は良いでしょ、別に。恥ずかしいわよ…」
自分も身に覚えがあるからか、耳まで赤くなって不満そうに言った。
小さい頃の事を話されるのを恥ずかしいと思うのは、自分が人間界に長く居すぎた所為だろうか。
「そんなにむくれないの、まったく…成長してる事を実感するには、
小さかった頃の様子と比べるのが一番なんだから。ね?」
恥ずかしさで赤くなっているアリスを愛おしく思い、優しく頭を撫でてやりながら夢子が言った。
小さい頃はよくこうして撫でてあげたものだが、大きくなってからはあまりした事は無い。
「ん…もぅ、それはそうだけど……仕方ないなぁ…」
「ふふ、許してくれるのね。そういえばアリスって、小さい頃から撫でられるのは好きだったわよね」
頭を撫でていて思い出した事を、なんとなくアリスに聞いてみる。
小さい頃から、と言ったのは今の反応がその頃と変わっていないからだ。
「え、あ…うん。上手く言えないんだけど、何となく安心するって言うか…」
特に隠す必要も無いからか、素直に認めると理由を説明しようとする。
内容は曖昧なものとなっていても、夢子は感覚で理解していた。
「なるほどね…よくお手伝いしてくれたのは、それが理由かしら?」
「そ、それもあるかな…母さんや姉さんが喜んでくれるから、って言うのもあったけど…」
神綺や夢子の手伝いをいつもしていた事を思い出して、その事を尋ねると、
アリスはさらに恥ずかしそうにしながら答えを返すのだった。
手伝いをすれば二人は喜び、優しく微笑みながら頭を撫でてくれるのが好きだったようだ。
「それが今では、こうして一人で暮らすようになるなんてね…分からないものだわ。寂しくない?」
「人形達もいるから、平気よ…って言いたいけど、たまに寂しい時もあるかな…」
こんな事を言ったら怒られるかもしれない、と思いつつも正直にアリスが言う。
しかし夢子は怒ったりせずに、どこか安心したような表情をしていた。
「あら、珍しく素直なのね」
「…怒ったりしないの?」
「しないわよ、無理のない事だもの。正直に言ってくれたしね」
不安そうに尋ねてくるアリスを安心させるように、夢子が答える。
お酒が入っているからなのか、お互いいつもより素直に話せているようだった。
それから暫く他愛のない話が続いていたが、それも途切れた時に夢子がある事をアリスに尋ねた。
「ねぇ、アリス…少し聞きたい事があるんだけど…」
「あ、うん。何かしら?」
「…私って、そんなに怖いの?さっきも不安そうにしていたし…」
それは夢子自身も気にしている事で、こういう時にしか聞けない事でもあった。
聞くのは少し怖かったが、一人で悩んでも仕方ないと思ったのだろう。
「え、えっと…別にそんな事は…」
「正直に言ってちょうだい、私も覚悟してるから」
「あぅ…そ、その、少しだけ…」
否定しようとしたアリスだったが、真剣な夢子の様子に、
誤魔化す訳には行かないと思い先程感じた事を躊躇いながら正直に伝える。
アリスもどうして自分がそんな事を感じたのか、少し疑問に思っていたようだ。
当然そう言われるのは予測していたが、実際に言われると思った以上にショックを受けてしまう。
「…そうよね…私はそんなつもりもないんだけど。周りの反応を見ても、そんな気がしてたのよ…」
「そ、それなんだけどね…こうやって話してて、分かった事があるの」
「分かった事?」
落ち込んでしまった夢子を励ますように、アリスが慌ててフォローを入れた。
「うん。姉さんは、私の知ってる姉さんのままだったから…
きっと仕事のし過ぎで、緊張を解く瞬間がないからじゃないかと思うの」
「仕事のし過ぎ…?今までと変わってないはずだけど…」
既にそれが普通となっていた夢子には、いまいちピンと来ないようだ。
だが、アリスもまったく根拠なくそう言ってる訳ではない。
「そんな事ないと思うわ。だって私が小さい頃からそうだったから」
「…アリスが小さい頃から…」
「だからお手伝いしてたんだし…でも、私がいなくなって、
他に手伝ってくれる人がいなくなったんじゃないかな、と思うの」
それは小さい頃のアリスが、夢子の仕事まで積極的に手伝っていたもう一つの理由。
最初に手伝おうと思ったのは褒められたいからではなく、夢子に少しでも楽をさせるためだったようだ。
「言われてみれば…そうかも知れないわね。自分では意識した事もなかったけど」
「でしょ。…ごめんね、私が一人で暮らしたりしなければ…」
「もぅ、だからってアリスが謝る事はないでしょう。自分のしたい事をするのが一番よ」
言われて初めてその事を意識しながら振り返ると、確かに思い当たる節は多々あった。
手伝いもせずに一人で暮らしている事を悪く思って謝るアリスに対し、
それを否定しながら勇気付けるように頭を撫でてやる。
「原因が分かれば、解決するのは簡単よ。安心しなさい」
「う、うん」
ようやく疑問が解けて清々しい気持ちになりながら、はっきりと夢子が言った。
これで少しは怖がられる事も減るだろう、と思っているようだった。
同時に夢子は、少し話しただけでそれに気付いたアリスに感心していた。
「けどよく気付いたわね、こうして久しぶりに話したのに…」
「私も気になったし、久しぶりに話したからこそ、だと思うわ」
照れ隠しをするように、夢子にそう答えた。
もちろん理由はそれだけではなく、人間界にある紅い屋敷のメイドに対しても、
アリスは似たような事を感じていたからである。
「久しぶりに話したからこそ、か…小さい頃から、アリスに助けられていたとはね。
この調子じゃ、私を追い越す日もそう遠くないのかしら」
助けられていた事を気付けなかった自分を少し恥じながら、夢子がそんな事を漏らした。
アリスが成長する事は夢子にとって喜ばしい事だが、同時に一抹の寂しさも感じていたのだ。
「そんな、私なんかじゃまだまだ夢子姉さんには及ばないわよ…私よりずっと強くて、何でも出来るし。
今だって人形達に助けられて、ようやく何とか暮らせてる程度なんだから」
珍しく弱気になっている夢子に戸惑いながら、アリスが言葉を選ぶように言った。
実際、神綺が生み出した者の中ではあらゆる事に秀でている夢子を超えるのは、
並大抵の努力では到底不可能である事を容易に想像できる。
間近で見ていたアリスなら、尚更良く分かっている事だ。
「それでも、私のそれは既に完成されたもの…これ以上、なんて事はないわ。
けどアリスは、まだまだ成長できる…遅かれ早かれ、いつかは追い越される運命なのよ」
「姉さん…」
口に出してようやく、自分はアリスの事が羨ましいのだと気付く。
最初から最強の魔界人として生み出された夢子は、これ以上目指すものが見つけられず、
それがなければ成長など出来るはずもない、という事もよく分かっているのだ。
だが、アリスは夢子が成長できないとは思っていないようだった。
「そんな事ないわ、きっと…きっとお姉ちゃんだって、まだまだ成長できると思う。
人間の癖に、必死で努力して人間以上の力を手に入れた奴だっているんだから…
それに私が出来る事を、お姉ちゃんが出来ないはずなんてないわ」
「……そうよね、自分で限界を決めるようじゃダメか…」
必死で励まそうとしているアリスを見て、夢子は自分の考えが間違っていた事に気付く。
夢子は今の自分の仕事や能力に満足し、それ以上の事を望もうとしていなかったのだ。
それがいつからか、ここが自分の限界だと思うようになってしまい、
自分からこれ以上を目指せると言う可能性を捨ててしまっていたのである。
「…ありがとう、アリス。言われて目が覚めたわ、大切な事を見落としていたのね…」
「ん…偉そうな事言ったけど、私だってまだまだだし…」
「そうだとしても、その言葉で変わる事はあるのよ…今の私みたいにね。
だからもっと、自信を持ちなさい。私も感謝してるんだから」
勢いに任せて偉そうな事を言った自分に後悔して、申し訳無さそうにしているアリスに、
頭を撫でてやりながら元気付けるように夢子が言った。
「う、うん…分かったわ…」
まだ少し戸惑っている様子もあったが、それでも少しは安心できたのかアリスが頷いていた。
そして夢子が、湿っぽくなってしまった空気を変える為に別の話題を振る。
「それにしても…」
「え、何?」
「私の事、お姉ちゃんって呼ばれたのは久しぶりだわ。
小さい頃のアリスは、いつも私の事を夢子お姉ちゃんって呼んでたのに…今はお姉さん、だものね」
意地悪く笑いながら、先程アリスが自分の事を昔の呼び方で呼んだ事を指摘する。
夢中になっていて無自覚のうちにそう言っていたのだろう、言われた本人は思い出して再び顔を赤くしていた。
「あ…だ、だって私ももう大人なんだし、いつまでもそんな子供みたいな…」
「別にそんなの、気にする事ないのに…母さんの事だって、ママ、って呼べば良いのよ?」
「そ、そんな恥ずかしい事できないわよ、絶対ユキ達にからかわれるし…」
さらに攻めて来る夢子の言葉に、アリスが必死で否定する理由を並べて行く。
意地悪な話をしてくる姉に少し困りながらも、いつもの調子に戻った事をアリスは嬉しく思った。
「じゃあ、もう一回だけ私の事をお姉ちゃん、って呼んでみるとか…」
「だ、だから恥ずかしいってば、それは!」
そんな調子で楽しそうにしている様子は、誰が見ても仲の良い姉妹だと思うだろう。
今夜はまだまだ、二人の話す事は尽きそうになかった。