「どうして地上というのはこんなにも嫉妬を感じるのかしら」
地底は他の妖怪が思ってるよりも熱い。しかし、地上も私が思ってるよりも暑かった。
星熊勇儀にここに来る途中で出会い、背中をバンと叩かれた辺りがまだヒリヒリする。指先に唾をつけて紛らわす。
鬼は軽く叩いたつもりらしいが、力が全然違う。これではかの血液のように紅いお屋敷に眠る“吸血鬼”となんら変わらないではないか。いつ重傷を負っても、殺されてもおかしくないだろう。
そんな愚痴を鬼にいう気力すらなかった私は、水が滴る地底世界から光が漏れる地上世界へと歩みを進めたのだった。
「誰もいない……」
私は鬱蒼と繁る竹林の奥地にいた。知らぬ間に迷い込んでいたらしく、どこを見ても竹林竹林竹林。湿気が溜まり、視線をあげても太陽光の入射すら許さない絶対的遮蔽物が不気味なほどに緑色をしていた。
これでは景色は違えど、地底とほぼ同じような環境である。湿度も、暗がりも。私は妙に居心地が良かった。
「こんなに竹ばっかりじゃ埒があかない……」
どうりで誰もいないはずである。私だったらこんなところに故意に入りたくない。どうして私はここに来てしまったのだろうと思ったが、結局はこの地底と同じような暗い雰囲気に誘われて飲まれたのだと、そう解釈するしかなかった。
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやーー自分の心よりも、自分の行動のほうが高貴な位置にある。自分に問いかけても何もわかりはしないのだ。私なりの秩序。
これが“哲学”というものなのか……。私にはわからない。
自分の足で歩いてるのかもわからないほど、この竹林はだだっ広いようだ。どれだけ時間が経過したかもわからない。
竹林に漂う沈黙。さすがに誰もいないことに苛立ち始め、爪をギリっと噛む。血が滲み、ポタポタと足元に垂れた。
その足元では、見たこともない虫が疼いていた。気に食わない。つま先を少し上に傾けて、踵で思いっきり踏みにじった。土と踵とでプレスを掛けられている虫はグチャグチャと音を立てて、緑色の液体を撒き散らす。気持ち悪い。
「汚いわね。帰ったら橋の下の水で靴を洗わないとだわ」
踵をあげて、手を目元に翳して死体を視界から覆った。
敢えて虫の死骸は見ずに、踵をわざと土に擦り付けながら歩き始めた。
風の音もしない。ただ、じゃりじゃりと足元の音が静寂を支配する。これが水のせせらぎに流される砂利の音なら、さぞ気分も晴れただろう。
私は暗かった。
永遠に続く緑の雑踏を、ただ黙々と進み続けた。
人を発見したのは、靴底の色が緑色から茶色に染まった頃だった。もともとそんなに派手な色の靴を履いていないので、別に気にすることはなかった。
それはグロテスクな肉塊だった。頭部はなく、腹も手も足も損壊している。臓物は噛み砕かれたように散乱し、原型を留めてなかった。ちょうど直径五十センチくらいの穴がぽっかりと空いている。中身は子供が描いた怪奇的落書きのようだった。
「ひどい……」
思わず口を手で覆う。血は固まっていた。腐り果てて、鈍色をした肉塊をしばし眺める。臭気は凄まじく腥い。よく見ると骨の神経が飛び出していた。実に痛々しい光景だ。
不意に肩を叩かれた。死人が魂を生贄に甦った彊尸(キョンシー)かと思ったが、振り返ると“ただの”人間だった。
膝あたりまで伸びた白い髪は鳳凰を聯想させ、クールにも二本の腕はしっかりとポケットにしまわれている。腰まで高くあげられたズボンは烈火の如く燃えていた。業火のように波打つ彼女の熱気は、宛ら竹林を焼け野原にするような勢いに見える。
人間が喋った。
「ひどいだろ。これは竹林に棲む賤しい妖怪の仕業だ」
「へえ」
「やつらは人間を見たらすぐに喰っちまう。この人間もその被害に遭ったらしい」
「貴方は大丈夫なのかしら?」
人間はかぶりを振った。
少し動いただけなのに、彼女の熱気が私の頬を襲った。
「それよりあんたが心配だ。どこから来た。見慣れない顔だな」
「地底よ。この竹林と同じように暗く、混沌とした沈黙からやって来たの」
「ほう……地底には訪れたことはないが、核融合の力を持つ八咫鴉がいると噂には聞いたな」
私は目を丸くした。
地上なんて滅多に来ないから知らなかったが、地上にも地底の情報は少しばかり流通してるらしい。俗世間に無関係とは思っていたが、ここでも鴉天狗のマスメディア精神に驚かされるとは夢にも思わなかったのだ。
私は平静を取り繕った。
「なんで妖怪はこれを最後までいただかなかったの?」
「竹林の妖怪は偏食らしい。私も専門ではないから詳しくは知らんが、人間の皮膚は生より焼いたほうが美味いらしい。慧音が言ってた」
「けーね?」
「人里の寺子屋で教師をしている白沢の賢人だ。美人だぞ」
「その……けーねは専門なのかしら?」
「いや、慧音は賢人だからな。頭が良いだけだ」
「そう」
また沈黙。静寂が訪れるたびに私は足を地面に擦り付けていた。こうしてないと、まださっきの気持ち悪い虫が付いてると思ってしまうのだ。
じゃりじゃりじゃりじゃり。まるで妖怪が人間を咀嚼するかのような音。口に苦味がたまる。辺りは死臭で充満していた。
沈黙を破ったのは人間だった。
「私は藤原妹紅。この竹林で迷い込んだ人間を人喰い妖怪から救っている」
「つまり自分に自信があるのね」
「不老不死だ。痛みは感じるが、永遠に竹林の護衛部隊として妖怪退治をまっとうできる」
「ふうん。へんなの」
見た目的に只者ではないと思っていたが、予想の範疇を凌駕する“不老不死”だったとは。高を括っていた自分に愚かだ、と呟く。
また、私は平静を取り繕った。地上は何かと驚きの連続……。これだから地上は好きではない。そして嫉妬を抱く。
「で、お前は誰なんだ?」
「私? 誰だっていいじゃない。すぐにでもここから出たがってる地底の妖怪よ?」
「ううむ……致し方ない。名前はもういい。お前みたいに小さいやつはすぐに妖怪に襲われる運命だ。道案内してやるよ」
「あら、地底の妖怪も舐められたものね」
妹紅は何も言わない。死体から視線を外し、人差し指を巻くように曲げ、付いて来いとジェスチャーをした。私は素直に従った。
妹紅を先頭に、私は竹林を歩いている。気が遠くなるほど、長い道のりだ。いつになっても陽の光ひとつ差し込んで来ない。地底でも長距離を移動することなんて少ないから、別環境では尚更疲労が増す。足に錘をつけられたように足取りが重い。その錘はじゃりじゃりと地面を削っている。
目の前を歩く妹紅は意外にも華奢な動きで私を案内していた。ごわごわして動きにくそうなズボンに見えるが、この不老不死にはお構いなしなようだ。妬ましい、と思った。
この長い道のりの間でも、死体は何体か見えた。
「“妬ましい”?」
こいしは橋の上で穏やかな緑色を頻りに動かしながら聞いた。その先には橋姫がいた。
彼女もしばしば橋姫に会いにくる中の一人だった。
「ほら、そんなとこにいたら危ないわよ」
橋の欄干でジタバタしているこいしを見て、橋姫は注意を促す。
いつだって無邪気な彼女に、橋姫は癒されていた。こいしが来る度に心を踊らしている。そんな自分が妬ましい。
橋姫はこいしが好きだった。
「妬ましいってなに?」
「甘い憎しみよ」
「うーん……よくわからないわ」
こいしがようやく欄干から降りた。首を捻らせて、“妬ましい”とはなんぞやと言わんばかりに思案しているようだ。
橋姫は笑った。それは誰も気付かない程度の微笑だったが、こいしは気付いてくれた。
「パルスィが笑ってる~」
冷やかすようにこいしが言った。ニヤニヤしながら顔を覗いてくる。
橋姫は〈かわいい〉とかそう言う風に言われるのが得意ではなかった。嫉妬姫と言われるくらいなので、やはりそう思われることについては苦手なのだった。
「ところでさ、パルスィは地上行かないの?」
「地上? あまり行く気にもなれないわね」
地上なんて気に留めたことなんてなかった橋姫は地上を拒んだ。
こいしは無意識でたまに地上に行くらしいが、地底の妖怪からすると眩しくて堪らないはずだ。
「地上は楽しいよ。どこに着くのかもわからなくて、魔法使いと弾幕勝負したり、姿を消して食べ物を食べちゃったり」
「それは貴方しかできないわ」
「でも、色んな妖怪と話すだけでも違うよ」
「そうかしら」
橋姫は肯定しなかった。
こいしはそれでも笑顔で橋姫に訴え続ける。とても可愛らしい笑顔で。
「本当だよ。妬ましく感じるくらいにね」
ようやく竹林から脱出した私と妹紅は、竹林の暗がりをジッと見ていた。
「なんで人間はここに入るのかしら」
「興味本位だとよ。或いはここで妖怪に殺された子供を探しに親が入って行くのも絶えない」
それではここは妖怪の餌場である。しかも餌が自分から入って来てくれるのだ。人喰い妖怪にとってこれほど好都合な場所はない。少なくとも私が人喰い妖怪だったらここに棲むことにする。
私は一人になりたくなった。脱出したし、妹紅と別れる準備に取り掛かる。
「道案内ありがとう。私はここから当てもなく歩くことにするよ」
「そうか。暇があったらまた竹林に迷い込むと良い。焼き鳥を奢ってやろう」
私は顔だけ妹紅に向けて、手を振った。妹紅は無心にこちらを見ているようだった。
鈍い色を輝かす片目を閉じてあいさつを交わす。
「それじゃ、またいつか」
妹紅は最後に何も言わずに手を振った。
当てもなく歩くと言うことは即ち故意に迷子になることだ。早速私は見たこともない一本道を辿っていた。
「幻想郷にこんなところあったかしら?」
余りにも殺伐とした一方通行に、私は恐怖を覚えた。
地底は狭い。天井もあり、壁もある。土で固められた閉鎖空間に監禁された惨たらしい妖怪が棲む暗闇である。
ここはまるで空のように広々としていた。いま空から隕石が落ちて来るのを見ても驚かないだろう。それほどにここは怖かった。
靴の踵が破れかかっているのだろうか。足を出す度に小石が踵を刺激する。確認しようとは思わなかった。
ようやく私は引き摺るのをやめた。燃えるように熱くなった足は自由に動かすのが困難になってきた。
あの時の会話をふと思い出す。
彼女は意味深な顔をしていた……やはりよくわからない。
「わあっ!!」
後ろから声が聞こえたーー傘お化け。
驚かしたつもりなのか、手を大きく広げて威嚇していた。その華奢な手には傘のようなものを握っている。全く怖くない。
私は無表情に彼女を見つめていた。眼窩を鋭く見据え、観察した。
「あれ……? びっくりしない?」
「するわけない」
ピシャリと言い切った私の言葉に、傘お化けはひどく傷付いたようだ。うえんうえんと目を潤させている。
私は傘お化けの頬に手を寄せた。優しく顎への滑らせ、伝った涙を拭った。
「泣くなんてみっともないよ」
「……だって、これが私の生き甲斐なんだもん」
驚かすことが生き甲斐とは、本当に地上の妖怪は変わり者が多いと思う。地底の妖怪もそれなりに危険で変わり者が多いが、地上の妖怪の方が変わっている。
聞いた話によると、時間を止める人間もいるらしい。不老不死といい時間操作といい、万年地底生活な私には広すぎる世界だ。
私の頬に雫が滴る。ポツポツと、冷たいものが涙のように頬を流れ落ちた。くすぐったい。
「貴方も泣いているの?」
私は空を見上げた。雨だった。
気付くと薄暗い雲に幻想郷は覆われていた。まるで地底のように冷たく、不気味な暗さ。そんな雰囲気を醸し出していた。
頬に流れた雨粒を軽く指先で拭った。
「雨……か」
そういえば長い間雨に打たれていない。自然の水は、橋の下の水でほとんど触れていた。それは際限なく美しく半透明で、静かに私の心に音楽を奏でていたーー優しい音。
雨と言うものは汚いと思う。所詮、地上の水が雲になってそれが落ちて来るだけの仕組み。地上の妖怪は嫌悪感を抱かないのだろうか。
「えっと……何か切ない顔してるよ?」
いつのまにか傘お化けが私の顔を覗き込んでいた。よく見ると右眼と左眼の色が違うが、とても可愛らしい。こんな妖怪に驚かされても、びっくりするわけがない。
頬は涙ではなく、雨によって輝きを放っていた。
柔らかい唇が動き、私を甘くいざなった。
「良かったら入る?」
傘お化けが巨大な傘を差し出した。肉々しい骨組みと、和風な風情が漂う妖怪傘。本当に見ているだけでも楽しめそうだ、地上は。
私は胸いっぱいに空気を吸い込んで、自らを落ち着かせた。
「ありがとう」
素直なひとことーーこれを地底の妖怪以外に言う日が来るとは思ってもなかった。それほどまでに地上は私から見たら“魑魅魍魎の巣窟”であった。こんなことを言わせた彼女が妬ましく感じた。
ふと傘の隙から空を眺める。
「空って暗いわね」
「そう? 私には明るく見えるな~」
「どうして?」
「貴方は雲の上に行ったことないでしょ? そこに行けばきっとわかるよ」
雲の上どころか晴れ空の下に来ることすらあまりない。そんな私にとっては空など全くの虚無に等しかった。暗く怪しい雲の下、地底の世界と類似したこの世界観を私は好んでいる。
雲の上なんて御免である。
「そうね……機会があれば見てこようかしら」
言葉だけは本心を裏切ったことを発した。
地上には明るい妖怪が多いのだろうか。……いや、竹林では陰湿な空気しか感じなかった。紅魔館という立派なお屋敷にも、かなりダークな吸血鬼とメイド、更には魔女までいると聞いた。
結局、地上も雨が降れば地底世界と何ら変わりはないのだと私は思った。
天気によって左右される地上ーーもしかしてその気分を勝手に変えることができてしまうほどの強大な力を持つ妖怪がいるかもしれない。
例えばそう……
「貴方はどこから来たの?」
不意に訊ねられた。考え事に没頭するあまり、相手の気配に全く気がつかなかった。
雨は激しくなる一方だ。この傘お化けがいなかったら、今頃ずぶ濡れだろう。
またこの妖怪に感謝したくなった。だが、恥ずかしかった。
「地底から来たわ」
「地底!? 地底って核の力が凄いとかなんとかで噂されていたやつだよねっ?」
「う、うん…たぶんそう」
なぜこんなにも地底の情報が知れ渡っているのだろうか。しかも核の力が働き出したのはもう随分前のことだ。聞いた話によると、地上の山の神から力を授かったとか……実のところ、私も詳しいことは知らなかった。
「私は多々良小傘。人を驚かすのが趣味なの」
「だからさっき私が驚かなくて悔しがってたのね」
「えへへ」
変な子、と小傘に聴こえない声で呟いた。小傘は喜色満面の笑みを私に向けていた。口元が緩む。自然と笑みが零れた。
「あ、笑った」
どこかで聴いたような発言だった。物寂しい、郷愁的な感情を抱いた。ーー私だって笑うよ。
突然近くで雷が落ちた。かなり大きい。緑色の閃光が地表を薙ぎ、轟音を響かせた。耳を劈く凄まじい音に私は耳を塞いだ。
「きゃあああ!」
「これは近いわね。雨宿りする場所を見つけないと」
意外にも私は冷静だった。地底では雨は愚か、雷なんてものが落ちるわけもないが、どう言う訳か私の心は静謐で混沌としていた。
逆に地上で暮らす小傘は、私のスカートにしがみついて離れない。
仕方なく私が小傘を抱えてあげると、小傘は笑顔を取り戻してくれた。無邪気さーーそんなものを感じた。
私は小傘を擁護しながら、雨宿りできる場所を適当に探し始めた。
果てしない階段を登っていた。上からネズミが雪崩れ込むように、水が流れてくる。二人は足元を濡らしながらも、懸命に登り続けた。靴に水が染み込んで、とても重い。
ようやく社が幽かに見えた。“博麗神社”と書いてある。
私は知っていたーーここには幻想郷を担う巫女が住んでいる。前に一度会ったことがある。
ついに神社の目の前までに来た私たちは、勝手に引き戸を開けて中に入った。鍵は掛かっていない。鈍い音が少しだけ耳に届いた。ほとんど聴覚は雨の音によって支配されていた。
中はとても閑散としていた。古びれた篩や樽、木製の備中鍬など、本当にどうでもいいような品ばかりが点々と鏤められていた。もはや物置状態だ。
「なにここ……こんなところに巫女は住んでるの?」
「見つかったら怒られるよ。出ようよ」
大丈夫、と私は小傘に小さく言った。どうせ私は見つかりっこないんだから。
縁側から見る境内は湖のようだった。新たな雨粒が湖面に飛沫を撒き散らす。その波紋を辿ると、またすぐに途切れて次の波紋が波打つ。そんな延々と続く作業に退屈さを感じた。
怠惰な地底とは違い、地上はせわしかった。竹林に迷い、死体を見つけ、不老不死の人間に出会い、傘お化けに出会い、雷雨が訪れ、博麗神社で雨宿り。こんなに忙しくも充実した日がかつてあっただろうか。
中でも今日は特別疲れた気がする。地底に帰ったらまず温泉に入りたい……
「あ、お菓子があるよ」
小傘がこたつの上を指差した。その先には煎餅や饅頭など、和菓子が少し置いてあった。
中身のない湯呑の底に、かろうじて濃い緑色の茶葉が溜まっていた。それを小指で摘まむと、底に溜まっている茶葉よりも濃い緑色に見えた。不思議だ。
「少し食べちゃおうよ」
「じゃあ私はこの醤油味煎餅を貰おうかしら」
若干湿った煎餅の方が好きな私にとっては、この煎餅は硬すぎた。歯で噛み砕くのが痛い。しかし、とても美味しいものであることに間違いはなかった。
小傘も口に餡子を付けて、幸せそうに頬張っている。
いつのまにかすっかり外には陽射しが照っていた。眩しくて頻繁に瞬きをして微調整する。謎の緑色の光沢が視界を蝶のように飛んだ。激しく翼を揺らした蝶は、やがて小傘の方へと消えていった。
小傘の後ろに残像が見えた。
「こらー!!」
青天の霹靂。怒鳴り声が聞こえた。それは小傘のちょうど後ろから聞こえたようだ。
大幣を振った博麗霊夢だった。霊夢は顔を真っ赤にして、必死の形相で追っかけてきた。宛ら人喰い妖怪のようである。
生命の危機を感じた私は、小傘の手を取って言った。
「ヤバい! 小傘、逃げるよ!」
「う、うん!」
私は自分でも驚くほどに素早い動きで障子を開けた。スパーンと気持ち良い音が境内に響き、私と小傘は水溜りの上に軽快に飛び降りた。飛沫が舞う。陽に反射する水は雨の残しものとは思えないくらいに綺麗に見えた。
こんなに清々しい気分は久しぶりだ。
ああ、妬ましいな。こんなに楽しく過ごしている自分が妬ましい。本当に。
「待ちなさーい!」
「あっかんべー」
小傘が可愛げに霊夢を揶揄した。これが彼女の生き甲斐ーー私はその楽しさを知った。
階段を降りる時、後ろから「あの小娘たち……今度会ったらとっちめてやるわ!」とだけ聞こえた。
階段を降り切り、私と小傘は顔を合わせて、お互いにハイタッチして笑顔で勝利を分かち合った。
辺りがすっかり暗くなった頃、ようやく私は地底の入り口へ辿り着いた。陰湿な空気がとても心地良かった。見上げると月が私の帰りを祝福してくれていた。
小傘とまた会えると嬉しい。地上であのように楽しく感じられたのは彼女のおかげである。地底と地上では随分緊張感が違う私だが、地底と何ら変わりない感じではしゃげたのは初めての体験だった。
地底に入ると心が高揚する。緊張感がすっかり消え、私は更に地底を愛した。独特の開放感にいつも私は安らぐ。
今日の地上での一日は忘れないだろうーーそんな満足な気分で、私は地底の奥へと進んだ。
いつもと変わりない地底。無限にある土と鉄を私は見続けていた。地上では下を向かないとこんな光景は見られない。それは物足りない面でもあれば、気軽であるのだと、今日私は初めて気づくことができた。
地上を好きになれた。そんな気がした。
橋の上で手を振るのが見える。私の帰りを待っていてくれた橋姫ーー水橋パルスィだ。
私は全速力で彼女の胸に飛び込んだ。一瞬態勢を崩したパルスィの背中が欄干に当たり、声を漏らした。痛そうなパルスィにも構わず、私は彼女の胸の中でジタバタ暴れた。
そして喜色満面の声でいつもこう言うのだ。
「おかえり、こいし」
「ただいま!」
地底と地上での緊張感の違い、やはり慣れ親しんだ人との会話はとても気軽で清々しい。
小傘とはあの短時間で仲良くなれたと思う。初対面だとどうしても慇懃でぎこちなくなってしまう。そんな場面もあったはずだ。
地底は、素敵だ。
「今日ね、妬ましいことたくさんあったの」
「そんな私の真似なんてしなくて良いのに」
今日の出来事を全てパルスィに話した。靴底が擦れて剥き出しになってしまったこと、不老不死の人間に出会ったこと、雨を浴びたこと、そしてなにより多々良小傘という妖怪と仲良くなれたこと。
どれも全て新鮮で、私の財産になったこと。
「妬ましいわね。その小傘って娘、一度話さなきゃ」
パルスィは爪をぎりっと噛んだ。それが彼女の癖だった。そしていつのまにか私の癖でもあった。いつも彼女の行動を見ている私は、彼女の癖が染み付き、次第にそれを好いていた。今はどれもが彼女と共通している気がする。
パルスィは最後まで笑顔で聴いてくれた。たぶん彼女も地上へ出たら、私と同じように笑顔はあんまり見せないんだろうなぁ、と思った。
相手が私だからこそーー古明地こいしだからこそ、明るくできる。
そして私はパルスィとなら、とても楽しくなれる。もちろんお姉ちゃんも。
「だから今度はパルスィも一緒に行こうよ!」
私はあの時のように訴えかけた。あの時に見せた彼女の幽かな戸惑いは、今日の為にとっておかれたものかもしれない。
私にはパルスィの次の言葉を信じていた。下から顔を除くように、目を輝かせながら期待した。
「そうね……こいしと一緒なら着いていってあげるわ」
期待通り。私はもう一度パルスィの胸に飛び込んだ。優しいクッションが私の全てを受け止めてくれた。
パルスィは小傘の流した涙とは違う涙を流していた。その意味は、まだ私にはわからない。
それを拭ってやると、パルスィは一言、「ありがとう」とだけ言って、私の片手を握った。とても温かかった。
そして元来たところとは反対側に、仲良く手を繋いで歩き出す。
「その前に、まずは温泉へ行こうよ!」
パルスィは優しく頷いてくれた。涙はもうない。
二人はシンクロした単調なリズムで歩いて行った。手を大きく振り、笑顔でお互いの顔を見ていた。
やがてそんな二人に靄が掛かり、バシャバシャと水を掛け合う音が地霊殿に響いた……。
今日地上を歩いたのは、私の大切な心のアルバムの一ページに確実に刻まれた。
そしてその次のページには……パルスィの胸が少し大きくなっていたことを刻むとしよう。
私は心のアルバムを、そっと閉じた。
ああ妬ましい。から100で。
ただこいしを暗示するポイントが(私が気付いた限りだと)小さいやつ、私は見つかりっこない、小娘たち程度なのに対して、出だしから妬ましい連発、橋の下の水を強調、タグの順番等ミスリードが強すぎて少し卑怯な感じ
内容はとても良かった
ふむ、上手くできている……とは思いますがもう少しわかる部分を増やしてみては如何かな。
流石にこれはわからないかな。
こいパル50点+謎の豊胸30点-暗示の弱さ10点でこれで。
やられました、お見事
なるほどー。
でも、こいしだったからなに? とも思ってしまう。
でも、小傘とあったあたりから、もしかしてとは思ったから、セーフ。
色々暗示している文章があって、読み返してそれを探してみるのも楽しいですね。
読み返したら二つのパターンが楽しめますね
良かったです
綺麗に騙されて逆に気持ちいい
パルスィの特徴をこれでもかっていうほど書いて置いて引っ掛けってのは
スマートじゃない気がする。
正直、妬ましいの一言でパルスィだって決めてかかる人が殆どだろうし。
引っ掛けるならもっとパルスィを連想させるキーワードに頼らずパルスィと
思い込ませるべきなんでは。
叙述トリックは騙されることに面白味があるわけじゃなく、真相を知った時の驚きに
面白さがあるわけで
この作品は別に主体がパルスィだろうがこいしだろうが大差無いので、実はこいしでしたと
明かされても
で?
と思えてしまうわけです
まあそれはそれとして
文章の雰囲気が丁寧でよかったです
妹紅のところ好きです。
誤字+誤用
>地底では雨は愚か、雷なんてものが落ちるわけもない
こいパルいいっすよね。俺も大好きです