春。
柔らかい地面に横になる。
鳥の声に、温かい春の色。
空気も、どこか甘い匂いがする。
春は良い。
張り詰めた冬の空気とは違い、光も、空気も、どこかぼんやりとしている。
暢気な空気に、これから咲こうとする花の意思が満ちている。
全身で春を感じ、春の空気の中にいると。あまりの気持ちよさに眠くなってしまう。
日向ぼっこをしていたら、いつの間にか眠っていたなんてこともしょっちゅうだ。
花を探して、春を感じて、のんびり歩き回った後は。
眠気に逆らわず、ゆっくりお昼寝をすることにしている。
地面に横たわり、日の光を浴び、地面の匂いを嗅ぐ。
そうしてまどろみの旅に出る。
その時間が何よりも幸せだ。
冬よりも柔らかく、夏よりも優しい、春の生命力を全身で感じ取る。
夢うつつのはっきりしない頭で、自然との境の曖昧な体で、春を感じ取る。
私は今、とても幸せだ。
「こら」
無粋な怒鳴り声で、夢から覚めてしまう。
この声は、他の誰かに対して掛けたものではなく。
私を起こそうと言う明確な悪意によって発せられたものだ。
眠っていた私を起こすなんて、どこの誰で、一体何の用なのよ。
事と次第によっては、花の肥料にしてあげるわ。
酷く不快に思いながら、少しだけ首を捻って横を見る。
そこには2本の足が生えていた。
「こんなところでなにしてるのよ」
頭の上から、再び声が掛けられる。
その声で、隣にいるのが誰か分かってしまう。
そもそも。私の眠りを邪魔して憚らない奴なんて数える程しかいない。
始めから予想はついていた。
「妖怪が倒れてて、気味が悪いから何とかしてくれって言われて来たんだけど。
ただ昼寝してるだけじゃない。拍子抜けったらありゃしないわ」
私の眠りを妨げた大罪人、博麗霊夢が理不尽な文句を垂れる。
無害な私の、貴重なお昼寝の時間を妨げたことを悪びれる様子は一切無い。
顔を合わせる気にもならなかったので、引き続きうつ伏せでのお昼寝を楽しむことにする。
私はここでうつ伏せで寝ていたけど、そのせいで不審に思われたのかもしれない。
でも、眠り方までどうこう言われる筋合いは無いし、このまま眠らせてもらうわ。
「寝るな」
ばちんと後頭部を叩かれる。
感触からいって、お払い棒で叩かれたのだろう。
私の顔は見えてないはずなのに、なんで寝ようとしたことが分かったのか。
巫女の勘は面倒臭い。
無視しても良かったけど、それだと霊夢の気が治まらないらしい。
これ以上、貴重なお昼寝の時間を邪魔されたくないし。
霊夢にしたって、手ぶらで帰っては具合が悪いのだろう。
早々に妥協案を提示して、早々にお帰り頂くのが一番だ。
こんな陽気な春に、下らないいざこざで消耗するのは嫌だもの。
「何がお望み?」
うつ伏せの体勢のまま、目を瞑り、眠気と格闘しながら霊夢の要望を聞く。
「寝たいんだったら、家に帰るか、人目につかない場所に行くことね。
それが嫌なら、私に退治されて、ここで堂々と倒れてればいいわ」
そう言って、霊夢がお払い棒の素振りを始める。
今すぐ暴れたくて仕方がないといった様子だ。
人目につかないところに行けとは言うけれど。
ここだって往来からはだいぶ離れてるし。そこそこ人目につかない場所だと思うんだけど。
妖怪の一匹が倒れていたところで、騒ぎになるような場所でもない。
本当に通報があったのか怪しくなってきたわね。
たまたま散歩中の霊夢に見つかって、暇潰しの相手をさせられているだけなのかもしれない。
むしろ、そっちの方が可能性が高い。
私が妖怪だからと言っても、お昼寝くらい好きにさせて欲しいのだけど。
もう考えるのも面倒臭い。
真面目に相手するのも阿呆らしい。適当に煙に巻いて追い払うことにしよう。
「人目につかなきゃいいのよね」
そう言ってから、指で地面をなぞり円を書く。
そしてすぐ、霊夢が質問をするより早く変化が生じる。
何もなかった地面から若葉が出て、すごい勢いで伸びていく。
私達を囲むように、高さ1m程度の緑の壁ができる。
そしてすぐ、分岐した枝先から鮮やかな黄色い花が咲く。
「これでいいでしょ」
「余計目立つわよ」
「私が隠れるなら、それでいいのよ」
菜の花で作った花の壁。私と霊夢を囲んでドーナツ状に咲いている。
向日葵ほど高くはないけど、遠くからの視線を遮るにはこれで十分なはず。
菜の花なんてどこにでも咲いてるし。わざわざ寄ってくるような物好きもいないだろう。
「食べていいわよ」
「こういうのを袖の下って言うのよね」
「おやすみなさい」
会話を終わらせ、寝る態勢に入る。後のことは、起きたら考えよう。
人目につかないような工夫もしたし、霊夢も満足するだろう。
文句は始めから聞く気は無い。
譲歩してあげたのだから、霊夢も早く帰りなさい。
そして私を眠らせてちょうだいな。
「ちょっとゆうかぁ」
私の都合はお構いなしに、霊夢がしつこく絡んでくる。
私の顔の横にしゃがみ、ぺちぺちと頭を叩いてくる。
「折角会ったんだから、顔くらい見せなさいよ」
霊夢が私の髪に指を入れる。
引っ張ったり、指に絡めたり。
ちょっかいを出されるせいで、上手く眠れやしない。
用が済んだなら、早く帰ってくれないかしら。
「いきなり起こされたせいで眠いのよ。そろそろ静かにしてもらえないかしら」
霊夢のいる方とは逆方向に、少しだけ首を捻る。
姿勢は相変わらずうつ伏せのままだし、顔は髪で隠れて霊夢には見えないようになっている。
いい加減、諦めて帰ってくれないかしら。
少しして、再び霊夢が動き出す。
私の髪に触れ、その髪を耳にかけて横顔を覗き始める。
こうやってちょっかいを出されるのは、すごく迷惑だ。
悪戯するにしても、少しはTPOを弁えなさい。
「ねえ霊夢。私はただ、静かに寝たいだけなんだけど」
瞳を開け、それと分かるように敵意を孕んだ目で霊夢を睨む。
「あ、ごめん、なさい」
霊夢が素直に謝る。
予想外の殊勝な反応と、うなだれた霊夢を見て、怒気も失せてしまう。
霊夢を見て、自分の行動を省みる。
眠りを邪魔されたことに怒るのは当然としても、顔くらい見せてあげるべきだったか。
なんだかんだ言って、私に会いたかっただけなのかもしれないし。
これ以上邪険に扱うと、お互い気分が悪い。
なら、どうするのが一番か。
私は眠いし、霊夢は私の顔を見たい。
一緒に解決してしまえばいい。
「霊夢」
「うん」
体を起こし、地面に座る。
霊夢も地面に座ったので、2人の顔の高さが同じくらいになる。
周りに咲いた菜の花も、ちょうどその高さで咲いている。
花の黄色と、茎の緑。それから、霊夢の紅白の服。
霊夢の顔を見て、鮮やかな色彩を楽しんでから、霊夢の方に倒れこむ。
「おやすみ」
「ちょっと、幽香」
体の向きを直し、今度は仰向けになって寝る。上にある霊夢の顔を見て、目を閉じる。
霊夢に膝枕をしてもらう。
私は眠ることが出来て。霊夢は私の顔を存分に眺める事が出来る。
これが最善の解決策だ。
本当に眠いんだから、これ以上注文を増やすのは無しにしてよね。
霊夢はそれ以上文句を言わず。
私の額についた土を払った後は静かにしていた。
何か喋ったような気がしたけど、私の耳には届かない。
ようやく霊夢も静かになったし。
心置きなく、お昼寝の続きを楽しむことにしよう。
*
目を覚ましてから、周囲の状況を確認する。
空を見れば日は傾き、少し肌寒くなってきた。
目の前には霊夢の顔がある。
私の頭の下には、相変わらず霊夢の脚がある。
私が眠っている間、ずっと膝枕を続けてくれたらしい。
それは私にとって、少なからず予想外だった。
「なにしてるの?」
「膝枕」
「それは分かるわよ」
頭の下にある、霊夢の脚の感触を確かめる。
年頃に柔らかく、中々の寝心地であった。
「起きたならどいて欲しいんだけど」
「もう少ししたらね」
上にある霊夢の顔に手を伸ばす。
霊夢の髪に触れ、頬を撫でる。
耳たぶに触れたあたりで、唐突に霊夢が立ち上がる。
支えを失った私の頭は、そのまま地面に落ち、先程まで霊夢が座っていた地面に受け止められる。
「痛いわね」
「何時間やってたと思うのよ」
寝そべったまま空を仰いでいると、隣で霊夢がストレッチを始める。
ずっと膝枕をしてたせいで、肩が凝ったのだろう。
なんだかんだでよく眠れたし。眠りの邪魔したことは水に流すことにしよう。
しばらく眺めていると、霊夢が菜の花の周りをうろうろしだす。
菜の花の壁を外から眺めたり、中に入って物色したりする。
「何してるの?」
ぴょんぴょんと菜の花の周りを飛び回る、紅いリボンに話しかける。
菜の花はせいぜい胸までの高さしかないけど、霊夢がしゃがむとすっかり姿が隠れてしまう。
霊夢がしゃがんだまま移動すると、黄色い菜の花の上から紅いリボンだけがちらちらと顔を出す。
赤い蝶のようなその姿がかわいくて、つい笑ってしまう。
「夕飯の調達。食べていいって言ったのは幽香だからね」
「怒ったりしないから、好きなだけ持っていくといいわ」
菜の花の上に、霊夢の顔が生えている。
黒い髪に紅いリボン。
それに、霊夢が抱えた菜の花の束が見える。
「霊夢」
「なに?」
「夕飯は私が作ってあげるから、一緒に食べない?」
「いいわよ」
霊夢が即答する。
決断が早いのはいいことだけど、早すぎて少し驚いてしまう。
美味しそうなつぼみを一生懸命探している霊夢から目を離し、目の前に咲いた菜の花をかわいがる。
高さが1mも無い花の壁。
私が座っている場所を取り囲むように菜の花が咲いている。
これが本当に目隠しになったのかは分からないけど。
綺麗だからとりあえずは良しとしよう。
鮮やかな黄色が浮世離れしていて、楽園にいるような気持ちになる。
一面に咲いた背の高い黄色い花。
菜の花畠を作ってみても楽しそうね。
「帰るわよ」
菜の花を摘み終わった霊夢が正面に立つ。
手には大量の菜の花を持っている。
ちゃんと堅いつぼみで、美味しそうなものばかり選んでいる。
花が咲き、味の落ちたものは一つもない。
夕飯のおかずにするなら、それは正しい判断だけど。
綺麗な花を飾っておこうという気は無いようね。
花より団子も結構だけど。年頃のかわいい女の子がそんなのでどうするのかしら。
ゆっくりと立ち上がり、霊夢を見下ろす。
この子はまだ子供。今後に期待と言ったところかしら。
手近にあった綺麗な黄色い菜の花を、一本拝借する。
口元で揺らして見せ付けてから、霊夢のリボンに手を伸ばす。
「何するのよ」
「可愛くしてあげるわ」
霊夢を抱き寄せ、胸に顔を押し付ける。
霊夢の頭に手を回し、髪を留めているリボンに菜の花を挿す。
見栄えが良くなるように整えれば出来上がり。
紅白の巫女の、赤いリボンに黄色い花が咲く。
「うん、かわいいわ」
飾り付けてから、霊夢を解放してあげる。
心なしか霊夢が不機嫌そうな顔をしているけど、何か気に障るようなことでもしたかしら?
「それじゃ、帰りましょうか」
ご機嫌取りに、霊夢のおでこにキスをする。
それから、傘を差し、空に浮き上がる。
霊夢が長い溜息を吐いてから、飛び上がり後に続く。
「それで、どこに向かえばいいの?」
「どっちでもいいわよ。どちらにしても、明日の朝ご飯までは面倒見てあげるから」
「じゃあ、神社。ついでに桜の様子も見てってよ」
「いいわよ」
私の家ではなく、博麗神社に2人で向かう。
もう夕日が差し込んでいるけど、寄り道をしなければ暗くなる前に神社に着くだろう。
のんびり空を飛んでいると、無言で霊夢が追い越していく。
急いでいるようには見えないけど、一体どうしたのかしら。
「ねえ、霊夢」
「なに?」
「怒ってる?」
「別にー」
霊夢が顔を向けずに応える。
心当たりは無い事も無いけど。どれなのかはいまいち判然としない。
それなら、気にしても仕方ない。
「そう。それならいいのよ」
会話が途切れる。
しばらく2人で飛んだ後、霊夢が口を開く。
「幽香の寝顔、写真に撮っておけばよかった」
「あら」
「気持ち良さそうに寝てるんだもん。眺めてたら、帰るのも忘れちゃったわ」
「また膝枕してくれたら、いつでも見せてあげるわよ」
「お断りよ」
霊夢がこちらを向いて、べーっと舌を出す。
それから、楽しそうに1人で飛んで行く。
機嫌が悪いかと思ったけど、気のせいだったみたいね。
美味しいご飯を食べさせてあげれば、それで大丈夫そうだ。
「ねえ、霊夢」
「なに?」
「今度は、私が膝枕してあげるわ」
「いらない」
「あらそう。残念ね」
霊夢はそう言ったけど。膝枕する機会なんてこれからいくらでもあるでしょう。
期待せず、待つことにするわ。
後ろを振り向き、さっきまでいたお昼寝スポットを眺めてみる。
西日に照らされ、黄色い菜の花が輝いて見える。
離れたところから見て分かったけど。
○印に咲いた菜の花は、存外目立っている。
真ん中に紅い巫女がいれば尚更だろう。
一体どれだけの人が、あの場所に気付いただろう。
変な噂を流されないといいけど。
それはそうと。お昼寝するときは、もっとわかりにくいように隠さないとダメね。
その方法も、おいおい考えるとしましょうか。
☆☆☆ 夏 ☆☆☆
太陽の畑で、紅白の巫女が眠っている。
無防備にお腹を晒して、幸せそうに寝息を立てている。
頭のリボンは外して胸元に置いて、ぐっすり眠っている。
一体、いつからいたのだろう。
自分のお気に入りの場所を奪われたのと、あまりに幸せそうなので。
つい、お腹を踏んづけてしまいたくなる。
やらないけど。
ここは太陽の畑の外れにある、ちょっとした休憩スペース。
向日葵畑の中にある、向日葵の咲いていない場所。
直径3m程度の、芝の生えた私専用のお昼寝スポットだ。
向日葵の世話を終え、今日もそこで休もうと思って来たのだけど。
まさか先客がいるとは思わなかった。
歩いていてはこの場所は探せない。
空から見ていても、よほど注意して見ていないと見落としてしまいそうな狭い場所。
そこを目聡く見つけ、その土地の所有者を差し置いて幸せそうに眠るなど、言語道断だ。
今すぐ叩き出してあげましょう。
いや、その前に悪戯をして、それから追い出すことにしよう。
まずは、定番の額に肉かしら。
ぺちん。
うきうきして手を伸ばすと、寝ていたはずの巫女に腕を掴まれる。
寝たふりではなく、しっかり夢の世界に旅立っていたはずなのに。
寝ぼけ眼で焦点が合ってないところを見ると、無意識に体が動いたみたいね。
巫女の防衛本能か何かかしら。
「おはよう、霊夢。随分と気持ち良さそうね」
「おはよ」
意識がはっきりしてきたのか、霊夢の目に意思の光が宿る。
寝ている間に悪戯する計画は完全に失敗ね。
「ここは私の指定席よ。今すぐどいてもらえないかしら」
「今は私のものよ」
生意気な口を利くので、頭をはたいてやろうと、掴まれた腕に力を籠める。
けれどその手は、ふわり、ひらりと宙をなぞるばかりで、決して霊夢には届かない。
遊んでいるつもりはないけれど、上手く力を逃がされているらしい。
しばらくそうやってじゃれてから、飽きたので腕の力を抜く。
それでも霊夢は気を抜かず、私の手を掴んだまま離さない。
「いつまでここで寝てるつもり?」
「日が落ちて、涼しくなるまで」
「私も休みたいんだけど」
「隣空いてるわよ」
霊夢が空いてる方の手で、霊夢の横のスペースを指差す。
狭い広場とは言え、2人で寝れる程度のスペースはある。
でも。
寝られればいいってわけでもないのよね。
この場所は気に入っている。
陽射しが直接当たらないし、風通しが良くて涼しい。
人目につかず、眠りを邪魔されることもない。
何より、360°全部向日葵に囲まれているのが素晴らしい。
太陽が燦然と輝く暑い時間。
1人用のこのスペースを、1人で使ってのんびりとお昼寝するのが幸せなのだ。
2人で寝ることも出来るけど。単純に計算して、魅力半減ね。
最初から2人で寝るつもりだったならいいけれど。
1人で寝るつもりで来て、先客がいたんじゃあ、がっかりしてしまう。
空き地の中央で大の字になっている霊夢を見る。
私がどうするのか様子を窺っているらしい。
掴まれていない方の手で、霊夢のおでこをぺちんと叩く。
「なによ」
「折角だから膝枕してあげるわ」
「いらない」
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮とかじゃないから」
霊夢に掴まれた腕を振りほどき、霊夢の軽い頭を持ち上げて膝の上に乗せる。
私はやると言ったらやる女だ。
それを霊夢も分かっているから、無駄な抵抗はしない。
たまに、大した理由もなく抵抗して暴れて遊ぶこともあるけど。概ね私の言う事を聞いてくれる。
膝枕をして霊夢の髪を撫でていると、口を尖らせた霊夢が睨んでくる。
「寝ていいわよ」
「眠れない」
「別に何もしないわよ」
「するでしょ」
「うん」
ほっぺを潰したり、えくぼを作って遊んでみる。
霊夢の嫌そうな顔が面白い。
ぺちぺちと顔を叩いていると、霊夢に頬を抓られる。
思いっきり抓るもんだから、これが結構痛い。
赤く痕が残りそうなくらいには、痛いのだ。
「寝るわ。何かしたら怒るから」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
霊夢が私を睨んでから、目を閉じる。
どうやら眠気には勝てなかったようだ。
ここは暖かくて。風の音も、虫の音も、眠気を誘うのに十分すぎる。
私だって、1人でいたら1時間と起きていられないもの。
「なにしてるの」
私の動きを察し、霊夢が目を瞑ったまま聞いてくる。
まだ眠ってはいないらしい。
「髪を梳いてあげるわ」
「なんで」
「私がやりたいから」
「ああそう」
眠くて口答えする気も起きないらしい。
反応が鈍いと、悪戯する気も削がれてしまう。
今回に限っては、最初から下心なんてなかったけどね。
霊夢もそれが分かってたから大人しいのかしら。
櫛を出し、霊夢の髪を梳く。
櫛を入れると、霊夢の綺麗な黒髪がさらりと解ける。
相変わらず綺麗な髪。
ちゃんと手入れするようなタイプには見えないけど。
巫女の髪は神聖なものだし、多少は気を使ってるのかしら。
霊夢の髪に櫛を滑らす。
思ったより楽しくて、一日中この娘の髪を触っていたくなる。
私が髪を梳き易いよう、霊夢が横を向く。
ただ単に、空が眩しかっただけかもしれない。
そしてすぐに、寝息を立てて眠り出す。
頬に手を触れても反応が無い。
今度こそ、本当に眠ったようだ。
下手な事をして起きられても面倒だし、今日のところは無防備な寝顔を眺めるだけにしておこう。
「おやすみなさい、霊夢」
気が済むまで、私のお気に入りの場所で眠りなさい。
その間、私は私で楽しませてもらうから。
*
「おはよう」
「おはよう」
目を覚ますと、幽香に撫でられていた。
寝る前とは体の向きが反対になってるけど、途中で寝返りでも打ったのか。
不思議な事もあるものだ。
梳いてもらったらしい髪を触ってみる。
何となくだけど、いつもより艶がある気がする。
随分とまめに梳いてくれたらしい。
「ありがと」
「どういたしまして」
仰向けになって空を見る。
太陽の光も随分と大人しくなり、いくらか暑さもマシになっている。
時間は夕方の5時頃だろうか。
お昼を食べてからこっちに来たから、合計3時間くらい寝てたのだろう。
「そろそろ起きる?」
「んー、もう少し」
「そう」
段々と頭をはっきりさせていく。
眠気はとれたけど、まだ血の巡りが悪い。
動くのはもう少し後にしよう。
元々用事があってここに来たわけじゃない。
この後の予定も特に無い。
だから、向日葵を見て、のんびりしてから帰るとしよう。
景色のせいなのか、どうも急ごうという気が起こらない。
空を見ていると、幽香と目が合う。
「一緒に耳かきもすればよかったわね」
「勘弁してよ」
「ここの使用料として、そのくらいはさせてくれてもいいんじゃない?」
「じゃあ、もう来ない」
「本当に?」
「うーん」
言ってはみたものの。この場所を気に入ってしまったのも事実だ。
明るくて、涼しくて、人気も無い。おあつらえ向きに芝生もある。
よく分からない物が寄り付く神社より、よっぽどお昼寝に向いている。
向日葵を見るついでに、また来ることがあるかもしれない。
問題があるとすれば、神社から少し遠いことくらいか。後は、幽香がいること。
幽香と鉢合わせしたら、その時はその時。
帰るか、弾幕ごっこで話を付けよう。
悪戯されるのは遠慮したいわね。
「リボン着けてあげるから、そろそろ起きなさい」
「ん」
上半身を起こして地べたに座る。芝生越しの地面もどこか温かい。
この熱は、意外と嫌いじゃなかったりする。
後ろにいる幽香に髪を引かれる。
宣言通り、リボンを結んでくれているのだろう。
風に揺れる向日葵を眺め、空を流れる雲を追う。
ここから見える向日葵は、全部私の方を向いている。
幽香も、素敵な場所を作ってくれたものだ。
帰るのが勿体無く思えてしまう。
しばらく大人しくしていると、リボンが結び終わったようだ。
そして、何かを挿す感触が伝わってくる。
幽香が手を離した後、首を幾度か左右に振って、リボンと髪の感覚を確かめる。
うん。
まさかとは思ったけど、やっぱりそうらしい。
幽香の悪い癖だ。
髪を弄らせると、必ずと言っていいほど花で飾り付けてくる。
カンザシの代わりと思えば趣味がいいけど。
本人に許可なくやるし、その上どんな風になってるのか自分で見えないから非常に困る。
幽香のすることだから大丈夫だろうけど。
せめて、確認用の手鏡くらい用意してくれたらいいのに。
私が頬を膨らませていると、背後にいる幽香が満足そうに頭に手を乗せてくる。
「終わったわよ」
「ありがと。また花を挿したのね」
「今日のは向日葵よ」
他に何の花があるのという感じだ。
向日葵なんて大きな花を挿したら、頭が重くなるじゃない。
それに、そういう用途に向いてる花にも思えない。
「ここに咲いてるのとは、違う種類よ」
「へえ」
幽香が補足する。
そう言われても、向日葵の種類なんて知らないし。
ここのとは違う向日葵と言われても、どんな向日葵なのか想像もつかない。
どんな花で飾られたのか、少し気になってしまう。
「こういう花よ」
そう言って、幽香が首元に胸を押し付けてくる。
そのまま私を前屈させる格好で押し倒し、地面に手を伸ばす。
地面を二度三度叩いてから、また元の位置に戻る。
胸は相変わらず私の肩に置いている。
もぎ取ってやりたい。
幽香の叩いた地面を見ると、すでに向日葵が咲いていた。
周りに咲いている見慣れた向日葵ではなく、黄色い花弁が八重に咲いた不思議な花。
言われなければ、向日葵と気付かないかもしれない。
「モネのひまわり」
「もね?」
「そういう名前なの。大図書館に行けば、詳しい資料もあると思うわ」
「ふぅん」
モネ。
そういう名前らしい。
私より背の高い茎が伸び、枝分かれして複数の花を咲かせている。
みっしりと詰まった黄色い花弁が、まさしく太陽のよう。
この鮮やかな黄色は、まさに向日葵の象徴だ。
普通の向日葵はいくらでも見てきたけど、このモネとかいう向日葵は別格だ。
「気に入ってくれた?」
「うん」
「今度、神社で咲かせてあげましょうか」
「うん」
「でも、今年の種まきの時期は過ぎちゃったから、咲くのは来年ね」
「幽香なら、すぐ咲かせられるでしょ」
そう言うと、幽香に頬を突っつかれる。
「貴女が自分で育てなさい」
「えー」
面倒臭いという気持ちを全身で表す。
そんなのお構い無しに、幽香が手を振りながら楽しそうに話し出す。
「桜が散って暖かくなった頃。適当に肥料を撒いて、適度に種を蒔く。
適当に水をあげれば、後は勝手に咲いてくれるわ。
面倒臭がりの貴女でも育てられるくらい、手のかからない、強い植物なんだから」
「ふむ」
手がかからないと言うのなら、やってみてもいいかもしれない。
私に育てさせると言っても、どうせ幽香も手を出すのだろう。
神社に綺麗な花が咲くのなら、それはそれで悪くはない。
「この後はどうするの? 日が暮れるまで花見でもする?」
「帰る」
「あらそう。それじゃ、向日葵が咲いている頃、また来るといいわ。歓迎してあげるから」
「はいはい、ありがと」
幽香から体を離し、立ち上がって服についた土を払う。
幽香に背を向けたまま、飛び上がり、昼寝スポットを後にする。
ある程度離れてから、この景色を目に焼き付けるために後ろを向く。
ぽっかりと開けた場所に立った幽香と、モネが見送ってくれる。
枝分かれしたひまわりが、手を振るように不規則に風に揺れている。
太陽の畑の向日葵も、見送るようにこちらを向いて首を振る。
幽香は顔が隠れないよう日傘を差し、風になびく髪を抑えて微笑んでいる。
丁度よく夕日が差し込み、紅く色づく向日葵畑に瞳を奪われる。
少しずつ遠くなる向日葵畑を目に焼き付けながら、また来ようと決意する。
幽香に遊ばれても、この景色が見れるのなら安いものだ。
* 同日 at 家
すん。
すんすん。
鼻を動かし、何度か自分の匂いを嗅ぐ。
気のせいかとも思ったけど、間違いじゃなかったようだ。
「やっぱり臭い」
服から甘い匂いがする。
これはやっぱり、幽香の匂いが移ったのだろう。
花の匂いが幽香に移ったのか、幽香そのものから香りが出ているのかは知らないけど。
何もしなくても、幽香は香水をつけてるかのように良い匂いがする。
嫌味にならない程度に、ふわりと香る甘い匂い。
嫌な臭いじゃないけど、幽香が近くにいるようで落ち着かない。
お風呂に入って、服も洗濯することにしよう。
脱衣所に入り、鏡を見る。
首を回して、リボンに挿された花を見る。
「匂いの元はこれか」
そこにあったのは予想していた黄色い花ではなく。
薔薇のような白い花が咲いていた。
八重咲きのクチナシの花。
モネのひまわりと言っていたくせに、あの嘘吐きめ。
髪に挿されたクチナシを優しく引き抜き、白い花弁を眺める。
綺麗だし、香りがいいのも認めるけど。
どこをどう見ても黄色い太陽の花には思えない。
モネのひまわり、家に飾ろうと思ってたのに。
仕方無しに、クチナシの花を窓辺に飾る。
窓を開けていれば、この甘い匂いも気にならないだろう。
暗がりに置いたクチナシが、心なしかぼんやり光って見える。
綺麗だけど。モネのひまわりを楽しみにしていただけに、素直に喜べない。
「また、太陽の畑に行くかあ」
他にあのひまわりが咲いている場所を知らないし。
あそこに行けば、確実に一本は咲いている。
幽香に頼めば、もっと咲かせてくれるかもしれない。
もう少し先のことになるかと思ったけど。
早速明日、太陽の畑に行くことにしよう。
のんびりして、ひまわりが枯れても困る。
何より、先延ばしにして良い事は一つも無い。
変に意地を張っても、幽香を面白がらせるだけだろう。
本当。
幽香もよく分からない悪戯をしてくれる。
私があのひまわりを気に入るのを分かってて、わざと渡さなかったのだ。
今頃1人ほくそ笑んでいるに違いない。
会ったら、文句と一緒にスペルの一つも叩き込んでやろう。
そうと決まったら、まずはお風呂だ。
外で昼寝したせいで、汗と土で汚れている。
さっぱりして、明日の予定はそれから考えることにしよう。
*
お風呂からあがると、幽香が来ていた。
忘れ物を届けに来たと言っていた。
幽香が持参した籠には向日葵の束と、パンにお菓子が入っている。
目が覚めるような鮮やかな黄色い花。
この向日葵はもちろん、モネのひまわり。私が見たかった花だ。
何本持ってきたのかは分からないけど、片手で数えて余るくらいには持ってきてくれたらしい。
「家に生えてたひまわりと。さっき作ったプリンとパンも持ってきたわ。早めに食べてね」
晴れやかな笑顔で、藤で編んだ籠を手渡してくる。
これは完全に不意打ちだ。
明日行こうと思っていただけに、機先を制されて困惑してしまう。
どうにかお礼は言えたけど、声がぎこちない。
喜んでいいやら、怒っていいやら。
その日の内にここまで来るくらいなら、最初から渡してくれればいいじゃない。
一緒に持ってきたパンのせいで、文句も言いづらい。
本当、調子を狂わされるったらありゃしない。
幽香から受け取った籠の中身を検める。
不審なものは入ってない。
本当に花とパンとお菓子を届けに来てくれただけらしい。
私が籠の中を覗いている間、幽香が控え目に私の手に触れている。
私が視線を幽香に戻すと、すぐにその手を引っ込める。
何しにきたのか、その意図を量りかねていると、幽香がにっこりと微笑んでくる。
「それじゃ、私は帰るから。これ以上長居すると帰るのが大変だもの」
帰るのが大変。それはどういうことだろう。
幽香くらいの妖怪なら、夜の方が安全なくらいなのに。
暗くなったとは言え月も星も出ているし、飛んで帰るのに支障はない。
そんなに早く帰りたい理由でもあるのだろうか。
不思議に思っていると、幽香が傘を差して、外に出る。
放っておけば数分もしないうちに見えなくなってしまうだろう。
このまま帰られたら、余計わけが分からなくなってしまう。
せめて、もう少し説明してよ。
「泊まっていかない?」
幽香が動きを止める。
まるで、私に引き止められるとは思いもしなかったように。
「何か言った?」
振り向き、小首を傾げて聞いてくる。
「夕飯、一緒に食べようって言ったの。遅くなったら泊まってもいいから」
「それは良いわね。ご馳走になるわ」
「それじゃ、何か適当に作るから。パンの用意をお願い。それと、花も飾っておいて」
「分かったわ」
傘を閉じ、幽香が家に上がったのを確認してから、夕飯の献立を考える。
パンに合う料理のレパートリーなんてあまりないんだけど。
手を加えず、簡単に茹でるか炒めるかして、軽く塩を振れば十分ね。
幽香に渡された籠を居間に置いたまま、おかずを作るために台所に向かう。
「あ、霊夢。ちょっと待って」
「何よ」
呼び止められたので、幽香の方を向く。
幽香は、籠に入ったひまわりを一本掬いあげ、私に差し出してくる。
「霊夢。モネのひまわり、あなたにあげるわ」
幽香の誇らしそうな顔と、眩しい太陽の花を見比べる。
幽香が持っているのは、モネのひまわり。
太陽みたいに明るく輝いて見える。
いつも見ている向日葵より、ずっと綺麗に見える。
しばらく幽香の笑顔と、ひまわりを見つめてから。
手を伸ばし、幽香に差し出されたひまわりを受け取る。
「ありがと」
「どういたしまして。夕飯、楽しみにしてるわね」
「うん」
貰ったひまわりを眺めていると、幽香はてきぱきと次の行動を始めていた。
どこからか取り出した花瓶に向日葵を飾り。
籠から出したパンをお皿に盛り付けていく。
私のことを気にも留めていない。
手持ち無沙汰になったので、ひまわりを持ったまま台所に向かう。
つい受け取ってしまったけど、今渡されても困るのよね。
勝手口にでも飾っておこうかしら。
少し悩んでから。
鏡に向かい、髪留めのリボンにひまわりを挿す。
思ったより派手になったけど、赤に黄色はよく映える。
らしくないことをしている自覚はある。
魔理沙に見られたら笑われるかもしれない。
それでも、やってみたくなったのだから仕方ない。
本当、調子が狂うわね。
幽香といると、らしくないことばかりしている。
明日の、太陽の畑行きの予定はどうしよう。
幽香を見送るついでに、また見に行ってもいいかもしれない。
それでまたお昼寝して、夕方にでも帰ってこよう。
幽香といると、花が見たくなって仕方ない。
神社にひまわりを育てる計画も、少し前向きに検討することにしよう。
わざわざ太陽の畑まで行かないと好きな花が見れないんじゃ、面倒臭いもの。
花の世話とかで、しばらくは幽香に頼ることになりそうだけど。
交換条件とか、弱みの一つも握れないものかしら。
柔らかい地面に横になる。
鳥の声に、温かい春の色。
空気も、どこか甘い匂いがする。
春は良い。
張り詰めた冬の空気とは違い、光も、空気も、どこかぼんやりとしている。
暢気な空気に、これから咲こうとする花の意思が満ちている。
全身で春を感じ、春の空気の中にいると。あまりの気持ちよさに眠くなってしまう。
日向ぼっこをしていたら、いつの間にか眠っていたなんてこともしょっちゅうだ。
花を探して、春を感じて、のんびり歩き回った後は。
眠気に逆らわず、ゆっくりお昼寝をすることにしている。
地面に横たわり、日の光を浴び、地面の匂いを嗅ぐ。
そうしてまどろみの旅に出る。
その時間が何よりも幸せだ。
冬よりも柔らかく、夏よりも優しい、春の生命力を全身で感じ取る。
夢うつつのはっきりしない頭で、自然との境の曖昧な体で、春を感じ取る。
私は今、とても幸せだ。
「こら」
無粋な怒鳴り声で、夢から覚めてしまう。
この声は、他の誰かに対して掛けたものではなく。
私を起こそうと言う明確な悪意によって発せられたものだ。
眠っていた私を起こすなんて、どこの誰で、一体何の用なのよ。
事と次第によっては、花の肥料にしてあげるわ。
酷く不快に思いながら、少しだけ首を捻って横を見る。
そこには2本の足が生えていた。
「こんなところでなにしてるのよ」
頭の上から、再び声が掛けられる。
その声で、隣にいるのが誰か分かってしまう。
そもそも。私の眠りを邪魔して憚らない奴なんて数える程しかいない。
始めから予想はついていた。
「妖怪が倒れてて、気味が悪いから何とかしてくれって言われて来たんだけど。
ただ昼寝してるだけじゃない。拍子抜けったらありゃしないわ」
私の眠りを妨げた大罪人、博麗霊夢が理不尽な文句を垂れる。
無害な私の、貴重なお昼寝の時間を妨げたことを悪びれる様子は一切無い。
顔を合わせる気にもならなかったので、引き続きうつ伏せでのお昼寝を楽しむことにする。
私はここでうつ伏せで寝ていたけど、そのせいで不審に思われたのかもしれない。
でも、眠り方までどうこう言われる筋合いは無いし、このまま眠らせてもらうわ。
「寝るな」
ばちんと後頭部を叩かれる。
感触からいって、お払い棒で叩かれたのだろう。
私の顔は見えてないはずなのに、なんで寝ようとしたことが分かったのか。
巫女の勘は面倒臭い。
無視しても良かったけど、それだと霊夢の気が治まらないらしい。
これ以上、貴重なお昼寝の時間を邪魔されたくないし。
霊夢にしたって、手ぶらで帰っては具合が悪いのだろう。
早々に妥協案を提示して、早々にお帰り頂くのが一番だ。
こんな陽気な春に、下らないいざこざで消耗するのは嫌だもの。
「何がお望み?」
うつ伏せの体勢のまま、目を瞑り、眠気と格闘しながら霊夢の要望を聞く。
「寝たいんだったら、家に帰るか、人目につかない場所に行くことね。
それが嫌なら、私に退治されて、ここで堂々と倒れてればいいわ」
そう言って、霊夢がお払い棒の素振りを始める。
今すぐ暴れたくて仕方がないといった様子だ。
人目につかないところに行けとは言うけれど。
ここだって往来からはだいぶ離れてるし。そこそこ人目につかない場所だと思うんだけど。
妖怪の一匹が倒れていたところで、騒ぎになるような場所でもない。
本当に通報があったのか怪しくなってきたわね。
たまたま散歩中の霊夢に見つかって、暇潰しの相手をさせられているだけなのかもしれない。
むしろ、そっちの方が可能性が高い。
私が妖怪だからと言っても、お昼寝くらい好きにさせて欲しいのだけど。
もう考えるのも面倒臭い。
真面目に相手するのも阿呆らしい。適当に煙に巻いて追い払うことにしよう。
「人目につかなきゃいいのよね」
そう言ってから、指で地面をなぞり円を書く。
そしてすぐ、霊夢が質問をするより早く変化が生じる。
何もなかった地面から若葉が出て、すごい勢いで伸びていく。
私達を囲むように、高さ1m程度の緑の壁ができる。
そしてすぐ、分岐した枝先から鮮やかな黄色い花が咲く。
「これでいいでしょ」
「余計目立つわよ」
「私が隠れるなら、それでいいのよ」
菜の花で作った花の壁。私と霊夢を囲んでドーナツ状に咲いている。
向日葵ほど高くはないけど、遠くからの視線を遮るにはこれで十分なはず。
菜の花なんてどこにでも咲いてるし。わざわざ寄ってくるような物好きもいないだろう。
「食べていいわよ」
「こういうのを袖の下って言うのよね」
「おやすみなさい」
会話を終わらせ、寝る態勢に入る。後のことは、起きたら考えよう。
人目につかないような工夫もしたし、霊夢も満足するだろう。
文句は始めから聞く気は無い。
譲歩してあげたのだから、霊夢も早く帰りなさい。
そして私を眠らせてちょうだいな。
「ちょっとゆうかぁ」
私の都合はお構いなしに、霊夢がしつこく絡んでくる。
私の顔の横にしゃがみ、ぺちぺちと頭を叩いてくる。
「折角会ったんだから、顔くらい見せなさいよ」
霊夢が私の髪に指を入れる。
引っ張ったり、指に絡めたり。
ちょっかいを出されるせいで、上手く眠れやしない。
用が済んだなら、早く帰ってくれないかしら。
「いきなり起こされたせいで眠いのよ。そろそろ静かにしてもらえないかしら」
霊夢のいる方とは逆方向に、少しだけ首を捻る。
姿勢は相変わらずうつ伏せのままだし、顔は髪で隠れて霊夢には見えないようになっている。
いい加減、諦めて帰ってくれないかしら。
少しして、再び霊夢が動き出す。
私の髪に触れ、その髪を耳にかけて横顔を覗き始める。
こうやってちょっかいを出されるのは、すごく迷惑だ。
悪戯するにしても、少しはTPOを弁えなさい。
「ねえ霊夢。私はただ、静かに寝たいだけなんだけど」
瞳を開け、それと分かるように敵意を孕んだ目で霊夢を睨む。
「あ、ごめん、なさい」
霊夢が素直に謝る。
予想外の殊勝な反応と、うなだれた霊夢を見て、怒気も失せてしまう。
霊夢を見て、自分の行動を省みる。
眠りを邪魔されたことに怒るのは当然としても、顔くらい見せてあげるべきだったか。
なんだかんだ言って、私に会いたかっただけなのかもしれないし。
これ以上邪険に扱うと、お互い気分が悪い。
なら、どうするのが一番か。
私は眠いし、霊夢は私の顔を見たい。
一緒に解決してしまえばいい。
「霊夢」
「うん」
体を起こし、地面に座る。
霊夢も地面に座ったので、2人の顔の高さが同じくらいになる。
周りに咲いた菜の花も、ちょうどその高さで咲いている。
花の黄色と、茎の緑。それから、霊夢の紅白の服。
霊夢の顔を見て、鮮やかな色彩を楽しんでから、霊夢の方に倒れこむ。
「おやすみ」
「ちょっと、幽香」
体の向きを直し、今度は仰向けになって寝る。上にある霊夢の顔を見て、目を閉じる。
霊夢に膝枕をしてもらう。
私は眠ることが出来て。霊夢は私の顔を存分に眺める事が出来る。
これが最善の解決策だ。
本当に眠いんだから、これ以上注文を増やすのは無しにしてよね。
霊夢はそれ以上文句を言わず。
私の額についた土を払った後は静かにしていた。
何か喋ったような気がしたけど、私の耳には届かない。
ようやく霊夢も静かになったし。
心置きなく、お昼寝の続きを楽しむことにしよう。
*
目を覚ましてから、周囲の状況を確認する。
空を見れば日は傾き、少し肌寒くなってきた。
目の前には霊夢の顔がある。
私の頭の下には、相変わらず霊夢の脚がある。
私が眠っている間、ずっと膝枕を続けてくれたらしい。
それは私にとって、少なからず予想外だった。
「なにしてるの?」
「膝枕」
「それは分かるわよ」
頭の下にある、霊夢の脚の感触を確かめる。
年頃に柔らかく、中々の寝心地であった。
「起きたならどいて欲しいんだけど」
「もう少ししたらね」
上にある霊夢の顔に手を伸ばす。
霊夢の髪に触れ、頬を撫でる。
耳たぶに触れたあたりで、唐突に霊夢が立ち上がる。
支えを失った私の頭は、そのまま地面に落ち、先程まで霊夢が座っていた地面に受け止められる。
「痛いわね」
「何時間やってたと思うのよ」
寝そべったまま空を仰いでいると、隣で霊夢がストレッチを始める。
ずっと膝枕をしてたせいで、肩が凝ったのだろう。
なんだかんだでよく眠れたし。眠りの邪魔したことは水に流すことにしよう。
しばらく眺めていると、霊夢が菜の花の周りをうろうろしだす。
菜の花の壁を外から眺めたり、中に入って物色したりする。
「何してるの?」
ぴょんぴょんと菜の花の周りを飛び回る、紅いリボンに話しかける。
菜の花はせいぜい胸までの高さしかないけど、霊夢がしゃがむとすっかり姿が隠れてしまう。
霊夢がしゃがんだまま移動すると、黄色い菜の花の上から紅いリボンだけがちらちらと顔を出す。
赤い蝶のようなその姿がかわいくて、つい笑ってしまう。
「夕飯の調達。食べていいって言ったのは幽香だからね」
「怒ったりしないから、好きなだけ持っていくといいわ」
菜の花の上に、霊夢の顔が生えている。
黒い髪に紅いリボン。
それに、霊夢が抱えた菜の花の束が見える。
「霊夢」
「なに?」
「夕飯は私が作ってあげるから、一緒に食べない?」
「いいわよ」
霊夢が即答する。
決断が早いのはいいことだけど、早すぎて少し驚いてしまう。
美味しそうなつぼみを一生懸命探している霊夢から目を離し、目の前に咲いた菜の花をかわいがる。
高さが1mも無い花の壁。
私が座っている場所を取り囲むように菜の花が咲いている。
これが本当に目隠しになったのかは分からないけど。
綺麗だからとりあえずは良しとしよう。
鮮やかな黄色が浮世離れしていて、楽園にいるような気持ちになる。
一面に咲いた背の高い黄色い花。
菜の花畠を作ってみても楽しそうね。
「帰るわよ」
菜の花を摘み終わった霊夢が正面に立つ。
手には大量の菜の花を持っている。
ちゃんと堅いつぼみで、美味しそうなものばかり選んでいる。
花が咲き、味の落ちたものは一つもない。
夕飯のおかずにするなら、それは正しい判断だけど。
綺麗な花を飾っておこうという気は無いようね。
花より団子も結構だけど。年頃のかわいい女の子がそんなのでどうするのかしら。
ゆっくりと立ち上がり、霊夢を見下ろす。
この子はまだ子供。今後に期待と言ったところかしら。
手近にあった綺麗な黄色い菜の花を、一本拝借する。
口元で揺らして見せ付けてから、霊夢のリボンに手を伸ばす。
「何するのよ」
「可愛くしてあげるわ」
霊夢を抱き寄せ、胸に顔を押し付ける。
霊夢の頭に手を回し、髪を留めているリボンに菜の花を挿す。
見栄えが良くなるように整えれば出来上がり。
紅白の巫女の、赤いリボンに黄色い花が咲く。
「うん、かわいいわ」
飾り付けてから、霊夢を解放してあげる。
心なしか霊夢が不機嫌そうな顔をしているけど、何か気に障るようなことでもしたかしら?
「それじゃ、帰りましょうか」
ご機嫌取りに、霊夢のおでこにキスをする。
それから、傘を差し、空に浮き上がる。
霊夢が長い溜息を吐いてから、飛び上がり後に続く。
「それで、どこに向かえばいいの?」
「どっちでもいいわよ。どちらにしても、明日の朝ご飯までは面倒見てあげるから」
「じゃあ、神社。ついでに桜の様子も見てってよ」
「いいわよ」
私の家ではなく、博麗神社に2人で向かう。
もう夕日が差し込んでいるけど、寄り道をしなければ暗くなる前に神社に着くだろう。
のんびり空を飛んでいると、無言で霊夢が追い越していく。
急いでいるようには見えないけど、一体どうしたのかしら。
「ねえ、霊夢」
「なに?」
「怒ってる?」
「別にー」
霊夢が顔を向けずに応える。
心当たりは無い事も無いけど。どれなのかはいまいち判然としない。
それなら、気にしても仕方ない。
「そう。それならいいのよ」
会話が途切れる。
しばらく2人で飛んだ後、霊夢が口を開く。
「幽香の寝顔、写真に撮っておけばよかった」
「あら」
「気持ち良さそうに寝てるんだもん。眺めてたら、帰るのも忘れちゃったわ」
「また膝枕してくれたら、いつでも見せてあげるわよ」
「お断りよ」
霊夢がこちらを向いて、べーっと舌を出す。
それから、楽しそうに1人で飛んで行く。
機嫌が悪いかと思ったけど、気のせいだったみたいね。
美味しいご飯を食べさせてあげれば、それで大丈夫そうだ。
「ねえ、霊夢」
「なに?」
「今度は、私が膝枕してあげるわ」
「いらない」
「あらそう。残念ね」
霊夢はそう言ったけど。膝枕する機会なんてこれからいくらでもあるでしょう。
期待せず、待つことにするわ。
後ろを振り向き、さっきまでいたお昼寝スポットを眺めてみる。
西日に照らされ、黄色い菜の花が輝いて見える。
離れたところから見て分かったけど。
○印に咲いた菜の花は、存外目立っている。
真ん中に紅い巫女がいれば尚更だろう。
一体どれだけの人が、あの場所に気付いただろう。
変な噂を流されないといいけど。
それはそうと。お昼寝するときは、もっとわかりにくいように隠さないとダメね。
その方法も、おいおい考えるとしましょうか。
☆☆☆ 夏 ☆☆☆
太陽の畑で、紅白の巫女が眠っている。
無防備にお腹を晒して、幸せそうに寝息を立てている。
頭のリボンは外して胸元に置いて、ぐっすり眠っている。
一体、いつからいたのだろう。
自分のお気に入りの場所を奪われたのと、あまりに幸せそうなので。
つい、お腹を踏んづけてしまいたくなる。
やらないけど。
ここは太陽の畑の外れにある、ちょっとした休憩スペース。
向日葵畑の中にある、向日葵の咲いていない場所。
直径3m程度の、芝の生えた私専用のお昼寝スポットだ。
向日葵の世話を終え、今日もそこで休もうと思って来たのだけど。
まさか先客がいるとは思わなかった。
歩いていてはこの場所は探せない。
空から見ていても、よほど注意して見ていないと見落としてしまいそうな狭い場所。
そこを目聡く見つけ、その土地の所有者を差し置いて幸せそうに眠るなど、言語道断だ。
今すぐ叩き出してあげましょう。
いや、その前に悪戯をして、それから追い出すことにしよう。
まずは、定番の額に肉かしら。
ぺちん。
うきうきして手を伸ばすと、寝ていたはずの巫女に腕を掴まれる。
寝たふりではなく、しっかり夢の世界に旅立っていたはずなのに。
寝ぼけ眼で焦点が合ってないところを見ると、無意識に体が動いたみたいね。
巫女の防衛本能か何かかしら。
「おはよう、霊夢。随分と気持ち良さそうね」
「おはよ」
意識がはっきりしてきたのか、霊夢の目に意思の光が宿る。
寝ている間に悪戯する計画は完全に失敗ね。
「ここは私の指定席よ。今すぐどいてもらえないかしら」
「今は私のものよ」
生意気な口を利くので、頭をはたいてやろうと、掴まれた腕に力を籠める。
けれどその手は、ふわり、ひらりと宙をなぞるばかりで、決して霊夢には届かない。
遊んでいるつもりはないけれど、上手く力を逃がされているらしい。
しばらくそうやってじゃれてから、飽きたので腕の力を抜く。
それでも霊夢は気を抜かず、私の手を掴んだまま離さない。
「いつまでここで寝てるつもり?」
「日が落ちて、涼しくなるまで」
「私も休みたいんだけど」
「隣空いてるわよ」
霊夢が空いてる方の手で、霊夢の横のスペースを指差す。
狭い広場とは言え、2人で寝れる程度のスペースはある。
でも。
寝られればいいってわけでもないのよね。
この場所は気に入っている。
陽射しが直接当たらないし、風通しが良くて涼しい。
人目につかず、眠りを邪魔されることもない。
何より、360°全部向日葵に囲まれているのが素晴らしい。
太陽が燦然と輝く暑い時間。
1人用のこのスペースを、1人で使ってのんびりとお昼寝するのが幸せなのだ。
2人で寝ることも出来るけど。単純に計算して、魅力半減ね。
最初から2人で寝るつもりだったならいいけれど。
1人で寝るつもりで来て、先客がいたんじゃあ、がっかりしてしまう。
空き地の中央で大の字になっている霊夢を見る。
私がどうするのか様子を窺っているらしい。
掴まれていない方の手で、霊夢のおでこをぺちんと叩く。
「なによ」
「折角だから膝枕してあげるわ」
「いらない」
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮とかじゃないから」
霊夢に掴まれた腕を振りほどき、霊夢の軽い頭を持ち上げて膝の上に乗せる。
私はやると言ったらやる女だ。
それを霊夢も分かっているから、無駄な抵抗はしない。
たまに、大した理由もなく抵抗して暴れて遊ぶこともあるけど。概ね私の言う事を聞いてくれる。
膝枕をして霊夢の髪を撫でていると、口を尖らせた霊夢が睨んでくる。
「寝ていいわよ」
「眠れない」
「別に何もしないわよ」
「するでしょ」
「うん」
ほっぺを潰したり、えくぼを作って遊んでみる。
霊夢の嫌そうな顔が面白い。
ぺちぺちと顔を叩いていると、霊夢に頬を抓られる。
思いっきり抓るもんだから、これが結構痛い。
赤く痕が残りそうなくらいには、痛いのだ。
「寝るわ。何かしたら怒るから」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
霊夢が私を睨んでから、目を閉じる。
どうやら眠気には勝てなかったようだ。
ここは暖かくて。風の音も、虫の音も、眠気を誘うのに十分すぎる。
私だって、1人でいたら1時間と起きていられないもの。
「なにしてるの」
私の動きを察し、霊夢が目を瞑ったまま聞いてくる。
まだ眠ってはいないらしい。
「髪を梳いてあげるわ」
「なんで」
「私がやりたいから」
「ああそう」
眠くて口答えする気も起きないらしい。
反応が鈍いと、悪戯する気も削がれてしまう。
今回に限っては、最初から下心なんてなかったけどね。
霊夢もそれが分かってたから大人しいのかしら。
櫛を出し、霊夢の髪を梳く。
櫛を入れると、霊夢の綺麗な黒髪がさらりと解ける。
相変わらず綺麗な髪。
ちゃんと手入れするようなタイプには見えないけど。
巫女の髪は神聖なものだし、多少は気を使ってるのかしら。
霊夢の髪に櫛を滑らす。
思ったより楽しくて、一日中この娘の髪を触っていたくなる。
私が髪を梳き易いよう、霊夢が横を向く。
ただ単に、空が眩しかっただけかもしれない。
そしてすぐに、寝息を立てて眠り出す。
頬に手を触れても反応が無い。
今度こそ、本当に眠ったようだ。
下手な事をして起きられても面倒だし、今日のところは無防備な寝顔を眺めるだけにしておこう。
「おやすみなさい、霊夢」
気が済むまで、私のお気に入りの場所で眠りなさい。
その間、私は私で楽しませてもらうから。
*
「おはよう」
「おはよう」
目を覚ますと、幽香に撫でられていた。
寝る前とは体の向きが反対になってるけど、途中で寝返りでも打ったのか。
不思議な事もあるものだ。
梳いてもらったらしい髪を触ってみる。
何となくだけど、いつもより艶がある気がする。
随分とまめに梳いてくれたらしい。
「ありがと」
「どういたしまして」
仰向けになって空を見る。
太陽の光も随分と大人しくなり、いくらか暑さもマシになっている。
時間は夕方の5時頃だろうか。
お昼を食べてからこっちに来たから、合計3時間くらい寝てたのだろう。
「そろそろ起きる?」
「んー、もう少し」
「そう」
段々と頭をはっきりさせていく。
眠気はとれたけど、まだ血の巡りが悪い。
動くのはもう少し後にしよう。
元々用事があってここに来たわけじゃない。
この後の予定も特に無い。
だから、向日葵を見て、のんびりしてから帰るとしよう。
景色のせいなのか、どうも急ごうという気が起こらない。
空を見ていると、幽香と目が合う。
「一緒に耳かきもすればよかったわね」
「勘弁してよ」
「ここの使用料として、そのくらいはさせてくれてもいいんじゃない?」
「じゃあ、もう来ない」
「本当に?」
「うーん」
言ってはみたものの。この場所を気に入ってしまったのも事実だ。
明るくて、涼しくて、人気も無い。おあつらえ向きに芝生もある。
よく分からない物が寄り付く神社より、よっぽどお昼寝に向いている。
向日葵を見るついでに、また来ることがあるかもしれない。
問題があるとすれば、神社から少し遠いことくらいか。後は、幽香がいること。
幽香と鉢合わせしたら、その時はその時。
帰るか、弾幕ごっこで話を付けよう。
悪戯されるのは遠慮したいわね。
「リボン着けてあげるから、そろそろ起きなさい」
「ん」
上半身を起こして地べたに座る。芝生越しの地面もどこか温かい。
この熱は、意外と嫌いじゃなかったりする。
後ろにいる幽香に髪を引かれる。
宣言通り、リボンを結んでくれているのだろう。
風に揺れる向日葵を眺め、空を流れる雲を追う。
ここから見える向日葵は、全部私の方を向いている。
幽香も、素敵な場所を作ってくれたものだ。
帰るのが勿体無く思えてしまう。
しばらく大人しくしていると、リボンが結び終わったようだ。
そして、何かを挿す感触が伝わってくる。
幽香が手を離した後、首を幾度か左右に振って、リボンと髪の感覚を確かめる。
うん。
まさかとは思ったけど、やっぱりそうらしい。
幽香の悪い癖だ。
髪を弄らせると、必ずと言っていいほど花で飾り付けてくる。
カンザシの代わりと思えば趣味がいいけど。
本人に許可なくやるし、その上どんな風になってるのか自分で見えないから非常に困る。
幽香のすることだから大丈夫だろうけど。
せめて、確認用の手鏡くらい用意してくれたらいいのに。
私が頬を膨らませていると、背後にいる幽香が満足そうに頭に手を乗せてくる。
「終わったわよ」
「ありがと。また花を挿したのね」
「今日のは向日葵よ」
他に何の花があるのという感じだ。
向日葵なんて大きな花を挿したら、頭が重くなるじゃない。
それに、そういう用途に向いてる花にも思えない。
「ここに咲いてるのとは、違う種類よ」
「へえ」
幽香が補足する。
そう言われても、向日葵の種類なんて知らないし。
ここのとは違う向日葵と言われても、どんな向日葵なのか想像もつかない。
どんな花で飾られたのか、少し気になってしまう。
「こういう花よ」
そう言って、幽香が首元に胸を押し付けてくる。
そのまま私を前屈させる格好で押し倒し、地面に手を伸ばす。
地面を二度三度叩いてから、また元の位置に戻る。
胸は相変わらず私の肩に置いている。
もぎ取ってやりたい。
幽香の叩いた地面を見ると、すでに向日葵が咲いていた。
周りに咲いている見慣れた向日葵ではなく、黄色い花弁が八重に咲いた不思議な花。
言われなければ、向日葵と気付かないかもしれない。
「モネのひまわり」
「もね?」
「そういう名前なの。大図書館に行けば、詳しい資料もあると思うわ」
「ふぅん」
モネ。
そういう名前らしい。
私より背の高い茎が伸び、枝分かれして複数の花を咲かせている。
みっしりと詰まった黄色い花弁が、まさしく太陽のよう。
この鮮やかな黄色は、まさに向日葵の象徴だ。
普通の向日葵はいくらでも見てきたけど、このモネとかいう向日葵は別格だ。
「気に入ってくれた?」
「うん」
「今度、神社で咲かせてあげましょうか」
「うん」
「でも、今年の種まきの時期は過ぎちゃったから、咲くのは来年ね」
「幽香なら、すぐ咲かせられるでしょ」
そう言うと、幽香に頬を突っつかれる。
「貴女が自分で育てなさい」
「えー」
面倒臭いという気持ちを全身で表す。
そんなのお構い無しに、幽香が手を振りながら楽しそうに話し出す。
「桜が散って暖かくなった頃。適当に肥料を撒いて、適度に種を蒔く。
適当に水をあげれば、後は勝手に咲いてくれるわ。
面倒臭がりの貴女でも育てられるくらい、手のかからない、強い植物なんだから」
「ふむ」
手がかからないと言うのなら、やってみてもいいかもしれない。
私に育てさせると言っても、どうせ幽香も手を出すのだろう。
神社に綺麗な花が咲くのなら、それはそれで悪くはない。
「この後はどうするの? 日が暮れるまで花見でもする?」
「帰る」
「あらそう。それじゃ、向日葵が咲いている頃、また来るといいわ。歓迎してあげるから」
「はいはい、ありがと」
幽香から体を離し、立ち上がって服についた土を払う。
幽香に背を向けたまま、飛び上がり、昼寝スポットを後にする。
ある程度離れてから、この景色を目に焼き付けるために後ろを向く。
ぽっかりと開けた場所に立った幽香と、モネが見送ってくれる。
枝分かれしたひまわりが、手を振るように不規則に風に揺れている。
太陽の畑の向日葵も、見送るようにこちらを向いて首を振る。
幽香は顔が隠れないよう日傘を差し、風になびく髪を抑えて微笑んでいる。
丁度よく夕日が差し込み、紅く色づく向日葵畑に瞳を奪われる。
少しずつ遠くなる向日葵畑を目に焼き付けながら、また来ようと決意する。
幽香に遊ばれても、この景色が見れるのなら安いものだ。
* 同日 at 家
すん。
すんすん。
鼻を動かし、何度か自分の匂いを嗅ぐ。
気のせいかとも思ったけど、間違いじゃなかったようだ。
「やっぱり臭い」
服から甘い匂いがする。
これはやっぱり、幽香の匂いが移ったのだろう。
花の匂いが幽香に移ったのか、幽香そのものから香りが出ているのかは知らないけど。
何もしなくても、幽香は香水をつけてるかのように良い匂いがする。
嫌味にならない程度に、ふわりと香る甘い匂い。
嫌な臭いじゃないけど、幽香が近くにいるようで落ち着かない。
お風呂に入って、服も洗濯することにしよう。
脱衣所に入り、鏡を見る。
首を回して、リボンに挿された花を見る。
「匂いの元はこれか」
そこにあったのは予想していた黄色い花ではなく。
薔薇のような白い花が咲いていた。
八重咲きのクチナシの花。
モネのひまわりと言っていたくせに、あの嘘吐きめ。
髪に挿されたクチナシを優しく引き抜き、白い花弁を眺める。
綺麗だし、香りがいいのも認めるけど。
どこをどう見ても黄色い太陽の花には思えない。
モネのひまわり、家に飾ろうと思ってたのに。
仕方無しに、クチナシの花を窓辺に飾る。
窓を開けていれば、この甘い匂いも気にならないだろう。
暗がりに置いたクチナシが、心なしかぼんやり光って見える。
綺麗だけど。モネのひまわりを楽しみにしていただけに、素直に喜べない。
「また、太陽の畑に行くかあ」
他にあのひまわりが咲いている場所を知らないし。
あそこに行けば、確実に一本は咲いている。
幽香に頼めば、もっと咲かせてくれるかもしれない。
もう少し先のことになるかと思ったけど。
早速明日、太陽の畑に行くことにしよう。
のんびりして、ひまわりが枯れても困る。
何より、先延ばしにして良い事は一つも無い。
変に意地を張っても、幽香を面白がらせるだけだろう。
本当。
幽香もよく分からない悪戯をしてくれる。
私があのひまわりを気に入るのを分かってて、わざと渡さなかったのだ。
今頃1人ほくそ笑んでいるに違いない。
会ったら、文句と一緒にスペルの一つも叩き込んでやろう。
そうと決まったら、まずはお風呂だ。
外で昼寝したせいで、汗と土で汚れている。
さっぱりして、明日の予定はそれから考えることにしよう。
*
お風呂からあがると、幽香が来ていた。
忘れ物を届けに来たと言っていた。
幽香が持参した籠には向日葵の束と、パンにお菓子が入っている。
目が覚めるような鮮やかな黄色い花。
この向日葵はもちろん、モネのひまわり。私が見たかった花だ。
何本持ってきたのかは分からないけど、片手で数えて余るくらいには持ってきてくれたらしい。
「家に生えてたひまわりと。さっき作ったプリンとパンも持ってきたわ。早めに食べてね」
晴れやかな笑顔で、藤で編んだ籠を手渡してくる。
これは完全に不意打ちだ。
明日行こうと思っていただけに、機先を制されて困惑してしまう。
どうにかお礼は言えたけど、声がぎこちない。
喜んでいいやら、怒っていいやら。
その日の内にここまで来るくらいなら、最初から渡してくれればいいじゃない。
一緒に持ってきたパンのせいで、文句も言いづらい。
本当、調子を狂わされるったらありゃしない。
幽香から受け取った籠の中身を検める。
不審なものは入ってない。
本当に花とパンとお菓子を届けに来てくれただけらしい。
私が籠の中を覗いている間、幽香が控え目に私の手に触れている。
私が視線を幽香に戻すと、すぐにその手を引っ込める。
何しにきたのか、その意図を量りかねていると、幽香がにっこりと微笑んでくる。
「それじゃ、私は帰るから。これ以上長居すると帰るのが大変だもの」
帰るのが大変。それはどういうことだろう。
幽香くらいの妖怪なら、夜の方が安全なくらいなのに。
暗くなったとは言え月も星も出ているし、飛んで帰るのに支障はない。
そんなに早く帰りたい理由でもあるのだろうか。
不思議に思っていると、幽香が傘を差して、外に出る。
放っておけば数分もしないうちに見えなくなってしまうだろう。
このまま帰られたら、余計わけが分からなくなってしまう。
せめて、もう少し説明してよ。
「泊まっていかない?」
幽香が動きを止める。
まるで、私に引き止められるとは思いもしなかったように。
「何か言った?」
振り向き、小首を傾げて聞いてくる。
「夕飯、一緒に食べようって言ったの。遅くなったら泊まってもいいから」
「それは良いわね。ご馳走になるわ」
「それじゃ、何か適当に作るから。パンの用意をお願い。それと、花も飾っておいて」
「分かったわ」
傘を閉じ、幽香が家に上がったのを確認してから、夕飯の献立を考える。
パンに合う料理のレパートリーなんてあまりないんだけど。
手を加えず、簡単に茹でるか炒めるかして、軽く塩を振れば十分ね。
幽香に渡された籠を居間に置いたまま、おかずを作るために台所に向かう。
「あ、霊夢。ちょっと待って」
「何よ」
呼び止められたので、幽香の方を向く。
幽香は、籠に入ったひまわりを一本掬いあげ、私に差し出してくる。
「霊夢。モネのひまわり、あなたにあげるわ」
幽香の誇らしそうな顔と、眩しい太陽の花を見比べる。
幽香が持っているのは、モネのひまわり。
太陽みたいに明るく輝いて見える。
いつも見ている向日葵より、ずっと綺麗に見える。
しばらく幽香の笑顔と、ひまわりを見つめてから。
手を伸ばし、幽香に差し出されたひまわりを受け取る。
「ありがと」
「どういたしまして。夕飯、楽しみにしてるわね」
「うん」
貰ったひまわりを眺めていると、幽香はてきぱきと次の行動を始めていた。
どこからか取り出した花瓶に向日葵を飾り。
籠から出したパンをお皿に盛り付けていく。
私のことを気にも留めていない。
手持ち無沙汰になったので、ひまわりを持ったまま台所に向かう。
つい受け取ってしまったけど、今渡されても困るのよね。
勝手口にでも飾っておこうかしら。
少し悩んでから。
鏡に向かい、髪留めのリボンにひまわりを挿す。
思ったより派手になったけど、赤に黄色はよく映える。
らしくないことをしている自覚はある。
魔理沙に見られたら笑われるかもしれない。
それでも、やってみたくなったのだから仕方ない。
本当、調子が狂うわね。
幽香といると、らしくないことばかりしている。
明日の、太陽の畑行きの予定はどうしよう。
幽香を見送るついでに、また見に行ってもいいかもしれない。
それでまたお昼寝して、夕方にでも帰ってこよう。
幽香といると、花が見たくなって仕方ない。
神社にひまわりを育てる計画も、少し前向きに検討することにしよう。
わざわざ太陽の畑まで行かないと好きな花が見れないんじゃ、面倒臭いもの。
花の世話とかで、しばらくは幽香に頼ることになりそうだけど。
交換条件とか、弱みの一つも握れないものかしら。
良い雰囲気が作れている話ですね
違和感も無くて素敵です。