Coolier - 新生・東方創想話

妖々桜霊廟 第三幕

2012/04/21 18:28:21
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▼20.西行寺家前の幻闘~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


黄色く、そして赤く染まった森の木々がその身を彩る外套を冬将軍に吹き飛ばされ、丸裸にされたことにひゅうひゅうと嘆きの声を上げる頃。
このごろ幻想郷は暗雲に包まれる事が多く、なかなか日光にお目にかかることが出来ないでいた。それはすなわち人里以外は大いに危険ということである。
されどそんな事は一切気にせずに西行寺家を訪れた娘夫婦を麦湯で労い、妖忌の娘と幽々子が二人で妖夢の歩行練習を行っているとき、それは現れた。


煎餅をつまみながら娘達を眺めていた妖忌の息子が楼観剣を片手に弾かれたように屋敷の外へと飛び出す。
幽々子の叔父に続き、長時間床を離れる余力がなくなった伯父と双六に興じていた妖忌もまた彼に御免と頭を垂れた後、大太刀宗近を手にとって庭へと飛び出し、一足で西行妖の上に跳び乗って息子に並ぶ。

「でかいな、上級妖怪か」
「おそらく」

妖気の塊が一直線に西行寺の屋敷目指して飛行してくる。その高密度の妖気は鬼にも届こうかという威圧感だ。

(やはり、妖怪か)

武者で届かないなら、術師か、妖怪か。そのどちらかを送り込んでくるとは思ったが、どうやらかなりの大物を送り込んできてくれたようだ。
これほどの妖怪が素直に人間に従う筈もないだろうから、恐らくは何らかの手段で騙くらかしているのだろう。
であれば、妖忌達は上手くすれば戦いを回避可能なわけであるが…

「己が相手をする。お前は裏手に回れ」
「義父さん、また美味しい所をもって行くつもりですか?たまには俺も暴れたいんですがね」
「やかましい、ほれとっとと行かんか」
「ちぇっ、さっさと負けてしまえ!」
「己が負ける相手に貴様が勝てるかよ!」

魂魄一党は、揃いも揃って歩く闘争本能で構成されたどうしようもない連中の集まりである。その頂点は言わずもがなだ。
苦い笑顔で昔のように毒を吐く息子に昔のように言葉を返して屋敷の背後に回し、魂魄妖忌は一人、西行妖から跳び下りて屋敷の屋根を走り、門の前に立つ。

木々をなぎ倒し、草原を乱気流でかき乱しながらそれは地面すれすれを滑るように近づいてくる。
そして屋敷と、その前に立つ人影を視認したそれは鋭い足を大地に打ち込んで制動をかけ、土煙を巻き上げながら妖忌の眼前で停止した。

「一応聞いておこう。何者だ、そして何用だ?」

妖忌は目の前に現れた異形を凝視する。
胴体側面から突き出している太く、磨き上げられた鉄の如き四対の節足。その全身は脚と同様に黒光りする甲殻と金色の産毛に覆われ黒と金の縞を成し、
背中からは七色に光を反射する2対の翅が生えている。そして頭部には鈍い輝気を宿す8つの複眼。
体長20尺にも届こうかというその巨体は見るものに恐怖と嫌悪を抱かせずにはいられない。

『土蜘蛛だ!名前はまだ無い!聖人の肉を食うためにはるばる都からやってきたぁ!さぁ、聖人を出せ!』

発声器官が人と異なるのだろう、くぐもって聞き取りにくいが人の言葉で妖怪は十年ほど遅れた要求をつき付けて来る。
やはり勘違い妖怪か、と妖忌は呻いた。多分そのときの気分だけで生きているような奴に違いない。
なんで妖怪って強さと賢さが比例しないのだろうか、と妖怪と相対するとき妖忌はいつも疑問に思うのだが、それを紫に語ったら「お前が言うな」と切り返されたのは嫌な思い出だ。

「聖人などもうおらぬ、と言っても聞き入れはしないのであろうな」
『そりゃそうさ、匿う奴は皆そう言うもんだ』
「で、あるな。ではどうすればよいか分かっておろう」
『力ずくだろ?あんた、たった一人で私を止められると思ってるの?』

土蜘蛛はきちきちと口元で嫌な音を立てる。果たしてそれは笑っているのか呆れているのか。

「その言葉、そっくり貴様に返そう。半人半霊、魂魄妖忌だ。幽々子様に害成す物は、何であろうと斬り潰す!!」
『いーやっほーーーーぉう!!!神楽岡が土蜘蛛だ!二度目になるが名前はまだ無い!さぁ、殺しあおうか!そして私はあんたで腹を空かせてから、美味しく聖人の肉をいただいて帰る!』

言葉と共に、土蜘蛛が突進する。
同時に妖忌もまた身を低くして全身のばねを総動員し、放たれた矢の如く土蜘蛛へと突撃。
紙一重で前脚を潜り抜けて腹の下にもぐり、左の後ろ脚めがけて大太刀を滑り込ませる。

激しい金斬音が響き渡るが妖忌の刃はその足を切断する事能わず、甲殻表面に傷を負わせただけに留まった。
そのまま相手の腹の下を潜り抜けた妖忌は振り向き様に太刀を振るうが、それもやはり脚の表面に傷を負わせるのみ。

『ははは、なにやってんだい!狙うならちゃんと関節を狙いなよ!』

築地塀を利用して勢いを殺さぬまま方向転換した土蜘蛛が口から何かを吐き出した。横っ飛びで回避してから妖忌は己が一瞬前にいた場所に着弾したそれを見る。

(糸か。粘着性。一度でも張り付いたら延々と振り回されるな)

思考を切り替える。対人戦術でどこまでやれるか、もう少し楽しみたかったがそれが出来る相手ではないようだ。
再び土蜘蛛が粘着糸を吐き出す。今度はそれが6つに拡散し、包み込むように妖忌を狙って迫り来る。
霊弾でその一つを焼き切り、空いた隙間へ身を滑り込ませて再度妖忌は脚のど真ん中を狙って刃を振るう。

『だから、無駄だって…って、痛ったぁああああああ!』
「弱点を狙うのは、賢人のやる事だ。悪いが己は愚か者でね」

土蜘蛛の脚がしゅうしゅうと妖忌を放ちながらごとりと地面に落下する。
うっすらと蒼みがかった光を放つ刀を右脇やや下に構え、鉄の如き強度を誇る脚を両断した剣士は静かに笑う。

「関節を狙われるのは慣れているのだろうが…己はおぬしの弱点を狙うつもりなど無い。戦術を変えねば早々に負けるぞ?」

言葉と共にもう一閃、霊力を宿す蒼い刃は土蜘蛛の下腹部に深々と食い込み、血と体液を撒き散らす。
弱点を狙わず、あえて守りの厚い部位を狙う攻撃は明らかに非効率的だ。だがあえてそこを攻撃し、正面から最大の防御を打ち破って見せる事で敵の混乱を助長する。それこそが魂魄妖忌の真骨頂。
…なんて事は妖忌は考えてはいない。結果としてそういう戦術となるだけだ。
ただ単に、もっとも硬いところをわざわざ狙って、正面から敵の全てを斬り捨てる。それこそが魂魄妖忌の剣である。

『お見事!鎧骨格のど真ん中から切り落とされたのは初めてだ!』
「では、このまま初めての敗北へ繋げてやろう」

妖忌が撥ね上げた下段を七肢から生み出される爆発的な膂力で回避すると土蜘蛛は背中の翅をはばたかせて宙に浮き上がり、妖弾をばら撒きつつ妖忌を己の周辺から引き剥がす。

「ところで、一つ聞きたいのだが」

距離を取り、両者の間に軽い余裕が生まれた隙を見計らって妖忌はよく通る声を相手に投げかけた。

『好みの人間は鍛えた武者だ。私は脂肪はあまり好きじゃないんでね。霜降りがいいって言う奴もいるけど私は淡白なほうが良いなぁ。だからあんたは結構好みだよ』
「それはどうも。では好みついでに、おぬしは天狗と懇意にしているか?」
『はぁ?天狗?そんなわけ無いでしょ。あいつら私が張った巣に気付かずに飛び回って勝手に引っかかったり突き破ったりするくせに、数を頼みにして偉そうな事ばかり言うんだから。…それがなんなのさ?』

妖忌の質問に気分を害したかのような苦い声でそう答えた土蜘蛛だったが、一瞬だけ何を考えたか小刻みに目を回転させた。動作としては僅かなものだが、体躯が巨大な分それは妖忌の目に留まる。
――概ね予想通りだ――心の内で頷くと妖忌は何事もなかったかのように大太刀を脇に構えた。

『ちぇっ、聞くだけ聞いといて答えずか。感じ悪いなぁ』

土蜘蛛は苛立たしげに尖った脚でざりざりと大地を蹴る。
おぞましい巨躯ながらその様はなにやら愛嬌を感じさせるものがあり、妖忌はうっすらと笑みを浮かべた。

「なに、すぐに分かるさ。さぁ続けようか」

すっと笑みを消した妖忌は、とん、と大地を蹴って滑るように間合いを詰める。
そうとも、まずは目の前の死闘を楽しむことだ。


  ◆   ◆   ◆


『突っつ撃ぃいいいーーーーーーー!』

対峙すること一刻、これで決着とばかりに突進してくる土蜘蛛を迎撃すべく、妖忌もまた溢れんばかりの霊力を大太刀に込める。
それが上段から一気に振り下ろされた瞬間、土蜘蛛は残る脚を総動員して急制動をかけた。
防御を捨て、全力で刀を振り下ろした妖忌は刀を止められない。土蜘蛛もまたその急制動の代償として大地に打ち込んだ後脚の一本を持っていかれたが、すんでのところで妖忌の刀を躱すことに成功する。
妖忌の刀を空振らせ、切り上げる暇を与える事無く再度大地を蹴って一気に妖忌を轢き潰さんと迫った土蜘蛛は勝利を確信した――

『とったぞ!』
「己がな!」

断霊剣。空振りと思われた一撃は大地に反射し気柱と成って土蜘蛛を下から吹き飛ばす!

『あーーーーれーーーーー!』

無防備に妖忌に腹を見せて吹っ飛んだ土蜘蛛の上胴目掛け、体重を乗せてずぶりと大太刀を突きこんだ妖忌は、

「おおおおぉおおぉおおお!!」

全体重をかけて土蜘蛛の巨躯を貫いたまま西行寺家の門目掛けて突進し、その門柱に土蜘蛛の腹を突き破った大太刀の先を突きたてた。
土蜘蛛は必死に残っている六本の脚をわしゃわしゃと動かすが、どうやらうまく身体を押し出せるあてが見つからないようでその脚は空を切るばかりである。

『げ、抜けない?』
「勝負あり、か?それとも続けるか?どうするね」

腰に佩いた短刀友成の柄に手を這わす。

『どうするって…動けないんだから私の負けでしょうが』
「どうかな?斬って分かったが、それがおぬしの真の姿ではあるまいに。まだ奥の手があるのだろう?」
『無い無い、ないってば。全部出し尽くしましたよーだ!』

体力気力もまだ十分。されど身動きが出来ないのだからどうしようもないとばかりに土蜘蛛は負けを口にするが、
まだ相手は奥の手を隠している筈。それが斬って分かった手ごたえから明らかであるゆえに妖忌は緊張を崩さない。

「ならば真の姿を見せてみろ」
『ちぇーっ、偉そうに。まぁ、負けたのはこっちだし仕方ないかぁ』

言葉と同時に土蜘蛛が姿を変えていく…のだが。

「真の姿を見せろ、といった筈だったが」
「だから見せてるじゃん、真の姿」

はてさて、黒光りする甲殻からは想像も出来ないような白めの肌、鋭く尖った節足とは似ても似つかぬ瑞々しい手指、金色の体毛に覆われていた醜悪な胴はほっそりと華奢な体つきに変わり、
八つあった目も、ぎちぎちと嫌な音を立てていた本来蜘蛛には存在しない鋭い牙も消滅して、おぞましかった頭部は今や既に絹の様な頭髪を冠する小ぶりな人頭である。
その光沢を放つ髪を軽く結い上げ、人に対する皮肉のつもりか黄櫨染の狩衣に身を包んだその外見は装束こそ男物だが、ほとんど人間の少女と変わりが無い。

「それがお主の真の姿か…人間の姿のほうが擬態、という妖怪は山ほど見たものの、その逆には僅かしかお目にかかったことがなかったが…」
「あによ、文句あるの?それよりさ、負けは認めたんだからこれ抜いてよ。手が届かない」
「う、うむ」

少女然とした姿をいつまでも磔にしておくのは後味が悪かったので、妖忌は門に足をかけて深々と門柱に突き立った愛刀を引き抜いた。
とん、と二本の脚で大地に降り立った土蜘蛛は、妖忌の目も気にせずに着衣をはだけると傷を負った箇所にしゅるしゅると口から吐き出した糸を巻きつけて傷を塞いでいく。

「あー強いわねあんた。負けるとは思わなかったよ。でさ、ついでに一つ教えてくれない?」
「好みは柔らかな髪と豊かな胸を誇り、些か乱雑な装束の着こなしながらもそれが逆にあどけなくしかし色も有り、そして健啖なのが珠に傷な少女だ。そういう意味ではおぬしも割と好みだな」
「それはどうも。で、なんであんた病気で倒れないのさ?結構撒き散らしてみたんだけど」
「毒か?ふむ、用心しておいてよかったな。まぁ、つまりは」
「「こういうことだ」」

正面と横、同時に投げかけられたまるっきり同じ声にいぶかしんだ土蜘蛛が横を見やると、目の前の武者と全く同じ姿形をした男が晴れやかな笑顔を浮かべた人型妖怪を伴い、目を回し、手と羽を縛られた天狗を引きずって歩いてくるところだった。
驚いた土蜘蛛が改めて正面に視線を戻すと、目の前の武者は姿を消してふわふわと漂う霊魂が一つ。

「幽明二重の法といってな、まぁ平たく言えば幽体による分身よ。慣れればほとんど生身の肉体と同じくらいまでの再現が可能でね」
「半人半霊ってそういうこと…なに、あんたもしかして幽体で私の相手して、実体ではその天狗の相手していたってわけ?」
「まあな。と言っても大天狗の相手は愚息にとられて拙者はお供の雑魚二体だが…」
「ふん、そうそう義父さんにばかり美味しい所はやれませんて。いやー、久々に大暴れできて楽しかったなぁー!」
「…この野郎」

獰猛に哂い合う武者達の表情に土蜘蛛は身震いする。どうやら自分は敵に全力の半分も出させるまでもなく敗北した、ということになるようだった。

「で、こいつら見覚えがあるか?」
「…あー!こいつら!こいつらが計画してたんだよねー、聖人を襲ってその肉を食おうって。だから天狗なんかにくれてやるもんかって先回りしたつもりだったんだけど」
「ふん、こいつらはやはり京の天狗か。つまりおぬしはあっさりと天狗の企てに乗せられたわけだな」
「……聖人、ほんとにいないの?」
「数年前に死去して妖樹の餌だ」
「………うがぁあああああああああ!!!」

土蜘蛛少女は憤慨すると、この!この!と叫びながら気絶している天狗達をげしげしと蹴りつける。

「っは?と、ちょ、なにをする、きさまー!」
「五月蝿い、嘘吐きめ!この!この!でぃ!」
「ちょ、貴様ら、この土蜘蛛を止めてくれ!」
「…人攫いに加担した自業自得だと思いますけどね。大人しく蹴られてては如何です?」

妖忌の息子は呆れたように情けない声を挙げる天狗に舌打ちするが、
妖忌は土蜘蛛少女を抱え挙げると、放せーと叫び声をあげる彼女を無視して彼らに射すくめるような視線を向けた。

「三つ、答えろ。貴様ら、この里で人を殺したか?」
「や、殺ってない」
「天狗は誇り高き種族であると言う。…先刻よりのその様からはとても信じられぬが、信じよう。では、その背の羽毛を人にくれてやった事は?」
「…それならばあるが…ふん、そういうことか。人は人にとって妖怪よりも猛だな」

吐き捨てるようにそう答えた天狗に、思わず吐き気を催した妖忌には違いない、と返すだけの余裕がなかった。
引きつりそうになる呼吸を整えて深呼吸する。

「最後に、まだ我等に敵対する者達に協力するか?」
「まさか、濡れ衣を着せられてまで付き合う馬鹿がいるか?…だからその葉団扇を返してくれんかね」
「阿呆、敗者が調子に乗りすぎだろ?命があるだけでもありがたく思えって」

土蜘蛛少女を解放し、息子と二人で手分けして天狗の拘束を解く。大天狗は憎憎しげに妖忌の息子の手の内にある葉団扇を睨んでいたが、
此処は異郷の地で圧力を掛ける術もない。彼のいうとおり人間達に退治されて命があっただけ天狗達はついているのだ。
ふん、と溜息一つ吐いた後、天狗達は空へと舞い上がって、そのまま振り返る事もなく己の故郷へと帰っていった。

「父上、予定通りに幽々子様が攫われましたけど、本当に良かったのですか?」

ふと気づけば天狗達と入れ替わるように、妖忌達の上から降り注ぐ声。
気付けば眠る妖夢を抱いた妖忌の娘が門の上に腰掛けて若干非難を帯びた目線を妖忌に向けている。

そう、土蜘蛛も、あの天狗達も囮。
天狗は社会的な妖怪だ。ゆえにそれ相応の対価を用意し、平身低頭して自尊心をくすぐった上で依頼すれば人間が協力を請うことも不可能ではない。
そして狡猾な天狗は、囮を引き受ける上でさらにその囮となるものを用意したという事だ。土蜘蛛だけで十分ならば自分たちは高みの見物でもしているつもりだったのだろう。
彼ら妖怪の役割は囮として護衛を引き離す事であり、その隙を突いて幽々子を攫うのが敵の目的だったわけである。

それを承知で妖忌はそれに乗った。敵の接近をゆるさねばこれ以上の情報は得られない、そう判断したがゆえの今回の作戦であったが、
娘夫婦からしてみれば当人たちが納得していても、友人である幽々子の身を危険にさらすその判断は到底許容しきれるものではなかったようだ。
妖忌の息子もまた、ぱたぱたと戦利品の葉団扇を扇ぎながら、妖忌を不快感も露わに睨みつけてくる。

「そうとも、お前と義母さんが決めた事だから文句は言えんが…義母さんの身に何かあったらどうするつもりだ?」
「義母さんはやめろ、冗談でも幽々子様に失礼だ」
「誰も冗談など言ってない」
「…まあいい。そうだな、そろそろ追尾に移らないと振り切られてしまうか。いくら行き先が京と分かっているとは言え、見失ってはいかんしな」

若干暗雲が薄くなり始めた空を見やり、妖忌はやれやれと肩をすくめた。

「これだけお膳立てをしたのだ。上手く敵の喉本まで到達できれば良いのだが…」



▼21.暗雲~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



魂魄親子と妖怪達による西行寺家前の幻闘から一日後、駅で一回馬の交換を挟みつつも絶えず鞭をふるって馬を駆っていた三人の誘拐犯らは、林の中にうち捨てられた廃屋を見つけて馬を止めた。
流石に食わずで一日馬を走らせるのは堪えるものがあるし、なにより馬を休ませねばならない。
追っ手を撒く為に都へと続く最短距離を採るような愚は冒せないため、そうそう駅のある道ばかりも選んではいられないのだ。
馬の速度ならば妖怪であっても大方は振り切ることが出来る。十分に追っ手の追撃はかわせているはずと判断した彼等は廃屋へと馬を進めた。

「今日はここで一夜を明かすか…降ろすぞ」

己の前に跨らせていた幽々子を馬から降ろし、誘拐犯の首領格は幽々子を伴って廃屋へ足を踏み入れた。
幽々子は縛られているわけでもなく、また口を封じられているわけでもなかったが、誘拐犯の誰もが取り回しの容易な短刀を左右に佩いていた為に抵抗する隙を見出せず現在に至っている。
残る二人は馬を人目につきにくい位置まで誘導してから小屋へと足を踏み入れてきた。

「やれやれ、今の所は一安心といった所か」

首領格が溜息をついて幽々子の前に竹筒と干し飯を置く。何も言わなかったが食いたければ食えといった所なのだろう。
そのまま幽々子を放置して三人の誘拐者は幽々子を放置してめいめいに食事を取り始める。
とはいえ、三人のうち一人は出入り口付近に位置しているし、廃屋とはいえ幽々子の細腕では壁をぶち破るのは難しそうである。あらゆる人を容易に殺せる幽々子はしかし、板切れ一枚にすら敵わないのだ。
諦めたように干し飯に手を伸ばした幽々子だったが、一齧りしてそのままそれを床に置く。どうやらお気に召さなかったようであった。

「ふん、貴族様にはこのような下賎な食物は口に合わんか」

三人のうち一人が苛立たしげに鼻を鳴らした。どうやら晩夏に幽々子を攫いに来た兵よりも粗暴な者達のようである。
幽々子に敵愾心を植えつけないように厳命でもされているのか、彼等は幽々子に必要以上に近づかなかったが、そうでなければ狼藉の一つや二つはたらいてもおかしくなさそうな雰囲気を纏っている。

「…これから、私をどうするつもりですか」

意を決したように、幽々子が首領格に問いかける。
首領格はさてどう答えるべきかと思案していたが、隠し立てする必要を感じなかったのだろう、幽々子を目で威圧しながら口を開く。

「我らが命じられた事は三つ。一つ、貴様の身柄を確保し、その能力の有用性を確認する事。二つ、その能力でもって幾許かの人間を殺害せしめる事。三つ、それが完了後、とある者達に貴様の身柄を引き渡すこと。この三つだ」

首領格はそう言い放つと、冷たい目線を幽々子へと向けてくる。

「おっと、我等を殺そうなどとは思うなよ?貴様は蝶を操って一瞬で人を殺せるとの事だが、此方は三人だ。貴様が一人殺す間に残る二人で貴様を止められるのだからな」
「貴方達は私を殺すわけにはいかないのでは?」
「…死んだ方がまし、という状況もこの世にはあるのだぞ?味わってみるか?」
「…遠慮します」

呆れた様に肩をすくめる幽々子を見やり、首領格は僅かに眉を吊り上げる。
どうにも目の前の少女はあまり脅えたそぶりを見せていない。それが彼には気になって仕方がないのだ。
あまり助けが来る事を期待しているようにも見えない。なのに少女には奇妙な自信めいたものが伺えるのである。

自分達を三人まとめて殺せるという事だろうか?だがしかしそれならこのように取り囲まれた状況ではなく馬上で済ませたほうが安全に各個撃派出来る筈だ。その程度は少女とて考えが及ぶだろう。
死をもたらす能力とやらは、未だ不透明な部分が多いのだ。――自分達の安全の為にも、少し探りを入れておいたほうが良いかもしれない。――
能力の有用性の確認も依頼事項の中に含まれている。引き出せる情報は引き出しておこう、と彼は判断した。

「これから目的地までどれくらいかかるのですか?」
「さて、あと五日程度だろうな」
「五日?」

幽々子は目をむいた。冗談じゃない、こんなおっさん達に抱えられて、慣れぬ乗馬であと五日も過ごさねばならないのか?冗談じゃない。冗談じゃない!
そんなものに付き合っていられるか、全くもって冗談じゃない。

「もっと短くならないのでしょうか、お尻が痛くて仕方ないのですが」
「…目標の至近まで近づかずに貴様が人を殺せるのであれば、身柄引き渡しの場所まで直行すればよい為一日短縮できるが」

人の命云々よりも尻が痛いなどと不平を漏らす相手に、この貴族めが!と苛立ちを覚えはしたが彼とて下賎な人攫いには違いあるまい。
怒りを飲み込んで、丁度よいとばかりに探りを入れてみる。

「出来るのか?」
「…流石に顔も名前も分からぬとあっては」
「似顔絵なんぞはないが、名前ならば分かる」

男は己の荷に手を伸ばし、荷の中から木簡を取り出そうとした男は嫌な感覚を覚えて幽々子のほうを振り向いた。

――哂っている――

何のつもりだ、と口にしようとした男はぎょっとする。己の手の中にあった木簡が無い!
と、下に目をやるとその木簡は音も立てずに床に落下した後、しゅるしゅると蛇のように床を這って幽々子の元へ近づき、その身体を這い登ってその手の内に着地した。

その異様な光景に恐れをなしたか、幽々子をはさむようにして座っていた者達が反射的に抜刀して切りかかってしまうが、がきんという金属音と共にその刃は空中で停止する。
幽々子はろくに身動き一つとっていない。そう見える。その、筈だ。

「やれやれ、五日もと聞いてどうなる事かと思ったけれど、ま、これが手にはいりゃ十分よね。ご苦労だった。お前達にはもう用は無い」
「…どういう事だ?いや、貴様何者だ!」
「わたしが何者かなんてどーでも良いことよ。お前達にとって重要なのはね」

幽々子の表情で、哂う。

「残念ながら、お前達はここで終わりってことよ!」


  ◆   ◆   ◆


通常の雲よりも色濃い暗雲を目指して一日半、妖忌は馬を走らせていた。
彼女の行く先には常に暗雲が立ち込めている。おそらくそれはあまり実戦向けで無い少女がすぐに姿を隠せるようになのだろうが、
逆に言えばその雲が現れる事で彼女のいる場所がおおよそ判明してしまう。はて、まだ幼いあやつはそれに気がついているのだろうか?と苦笑した妖忌は慌てて馬を止めた。

暗雲がすぐ目の前にある。どうやら誘拐犯らはこの周辺で休憩を挟むことにしたようだが…

「おかしい、いくらなんでも追いつくのが早すぎるだろうに。随分とのんびりした奴等だ…って、鵺!」

暗雲の中に、見知った少女の姿を見かけた妖忌は思わず声を上げる。
濡れる様な黒髪に緋袴。緑青を黒ばかりに一枚ずつ仕込んだ単衣は羽を出すためか肩背をはだける様に帯で纏められ、槍を手に奇妙な三対の翼を翻すその姿。
まさしく、かつて妖忌が妖怪退治を依頼され、打ち破った時に鵺と名乗ったその者に他ならない。だがそれが、幽々子の身代わりをしている筈の鵺がなんで空を飛んでいる?

「あ、いたいた。おっそいわねー、何やってたのよ」
「それは此方の台詞だ!何をやっている!手はずでは幽々子様の振りをして黒幕のところまで拙者を案内する予定だったではないか!」
「冗談じゃないわよ!あんなおっさんどもに抱えられてあと五日?ありえないでしょうが!」

聞いてないわよとばかりに鵺は頬を膨らませて妖忌を睨む。
鵺の気持ちも分からぬでは無いが冗談じゃないのは妖忌のほうである。
今回の計画の最大の問題点がこれであった。すなわち、目の前の少女妖怪は恐ろしいほどに子供っぽく、そして天邪鬼なのである。
とはいえ此度の計画には西行寺家の未来がかかっているのだ。少女にはそれらを含めみっちりと言い聞かせ、そして約束をしたはずだった。
それを子供じみた一時の不快感で台無しにされては流石に妖忌とて平静ではいられない。怒髪も天を突こうという物だ。

「そうか、貴様の正体を見破った己に対して、貴様の正体を吹聴しない代わりに一つ己に協力すると、そう言ったのは嘘だった訳だ」

妖忌を良く知るものであれば、いや知らぬものでも薄ら寒さを覚えるほどの声色が妖忌の口から漏れる。
殺気、と勘違いするほどの気配に己の稚拙な怒気を吹き飛ばされたぬえは思わず己の背中が粟立つのを感じた。

「初見ならば絶対、二度目以降も正体がばれるまでは九割方、正体がばれてからは相手の実力次第が貴様の他者を欺く能力だったな。…己が吹聴すれば、未だ幼い貴様がどれだけ姿を隠し通せるか、試してみるか?」

幼さゆえか約束を違える事にたいした禁忌を覚えなかった鵺も、妖忌に只ならぬ怒りを向けられて流石に狼狽する。
妖忌はまだ若い妖怪である鵺の正体を二度目で見破ってあっさりと鵺を退治したものの、依頼主の近辺からぬえを追い払う程度で済ませただけでなく、その正体を他者に口外しなかったし、姿を欺く事で実力の不足を隠す鵺を馬鹿にすることもなかった。
そんな妖忌だったから鵺としては人間にしては割と妖忌を信頼してもいたし、――こいつならなにをしても許してくれるだろう――という一種の甘えめいた思考もあったのかもしれない。しかしそんな妖忌にも当然のように逆鱗は存在するのだ。

「ちょ、ちょっと待ってよ。ほら、一応成果はあるってば。あいつ等が殺したがっていた奴等の名前!敵の敵が分かれば、そっから敵だって分かるでしょ!」

慌てて手にした木簡を妖忌へと放り投げる。

「…これは何だ?」
「あーちょっと待って、種仕込んだままだったわ…はい」
「…鵺、おぬしまさか己の姿だけでなくて他の物の姿も欺けるのか?」

震える声で妖忌は目の前に下りてきた鵺に問いかける。

「え、まぁできるけど。って今目の前でやって見せたじゃない」
「何故!それを早く言わんのだ!」
「はぁ!?自分の能力を吹聴して回る奴が何処にいるのよ!馬っ鹿じゃないの!?」

思わず妖忌は頭をかきむしる。最初からそれを知っていれば鵺なんぞを囮にしたてあげる必要などない、妖忌の娘にでも頼めばよかったのだ!
妖忌と同じく戦を好む妖忌の娘ならば、その後都で繰り広げられる大立ち回りを期待して喜んで引き受けてくれたに違いない。
都で敵の逃走を防ぐ為に二手に分かれることもできたし、鵺に頼るよりもはるかに成功率は高かったはずだ。

だが、それについて鵺を攻めても仕方が無い。聞けば答えたのかはともかく、それを確認しなかったのは妖忌の失態だ。
それに関する責めを鵺に向けるのはやはりお門違いといった所だろう、と渋々ながら妖忌は矛を収めた。

そして一縷の望み、とばかりに木簡を広げた妖忌はやはりと溜息をつく。確かに標的の名前は記されていた。だが、殿上人ともなれば、より上位の人間は誰でも邪魔なものである。
記されていた名は現在幅を利かせている殿上人のものばかりであり、これだけでは元をたどるには不十分と言わざるを得なかったのだ。
それに恐らくは、容疑を拡散する為に本来の標的で無い者の名前もここには記載されているのだろう。この木簡だけでは到底敵の喉元に刃を突きつけられようはずもない。

「…足りない?」

恐る恐る、といった表情で訊ねてくる鵺の顔に目をやって、妖忌は溜息をついた。
足らないのは明らかである。だが、やり直しが出来るわけでもないし、これ以上目の前で不安げな表情を浮かべている少女のような妖怪を責めても何も出ては来ないのもまた明らかだ。

「鵺」
「なに?」
「姿形などいくら欺いても構わぬがな、一度交わした約束は違えるな。それは他者を裏切るにおさまらず、己を裏切る事にすら繋がるからだ。己を裏切る事に一度慣れてしまえば、最早欺瞞の中でしか生きられなくなるぞ?嘘の自信、嘘の信頼、嘘の友誼、嘘の愛情。そんなものの中でおぬしは生きたいか?」
「それは…」
「あらゆる欺瞞を支配できる者はおそらく全てを支配し頂点に立てるだろうが、決して安寧は得られぬ。針先の享楽か、床上の平穏か。よく考えて好きなほうを選べ」
「……」
「…説教くさい事を言った。ご苦労、鵺。収穫はあったから約束どおり拙者は一生お主の正体を口外せん。お主が依頼をこなした以上、お主と拙者はこれで貸し借り無しだな」

そう鵺に語り、妖忌は木簡を己の荷に詰め込もうとしたが用意した五日分近い食料が邪魔をした。最早若干寄り道してから郷に戻るのみゆえに食料の類は不要だろう。

「捨てるのも勿体無いか。おい鵺…いつまでそんな表情を浮かべている。いつもの高慢じみた面はどうした?」
「だ、誰が高慢よ!?」
「そのつらがだ。ほれ、受け取れ」

妖忌は笑いながら取り出した布包みを鵺へ向かって勢いよく放り投げる。慌ててそれを受け止めた鵺は包みを開いて怪訝そうな顔を浮かべた。

「なにこれ?」
「大陸の菓子の模倣試作品よ。食ってみろ」

言われて鵺はその大作りで分厚い円盤型の唐菓子をひとつ手にとって口にした。
一口かじると唐糖と胡麻油で練った小豆餡の味が鵺の口の中に広がってくる。

「…美味い。あんたが作ったの?」
「うむ、伝え聞いた話を元に再現したものだが、まだ完成とは言いがたいな」
「ふーん、試作品ねぇ?特に問題ないと思うけど」

甘味など果物を除けばほとんどと言ってよいほど存在しない時代である。濃厚な甘味は鵺のお気に召したようであった。
あっさりと一つ目を食べ終え、二つ目に手を伸ばし始めた鵺に妖忌は思わず胃に手を当てて重苦しげな視線を向けた。

「そいつは些か腹に溜まり過ぎる。大陸人にはどうかは知らぬが、我らには些か重過ぎる気がしてな」

そう、それはもう妖忌が携行食料代わりになるなと持参してしまう位に。一つで十分腹が膨れ、二つ食べれば胸焼けがする。
鵺は平然と頬張っているが、たっぷりと油を含んだ餡をこれでもかと詰め込んだ菓子は倭人には向いていないように思えるのだ。
幽々子も体重が増えた、と紫が言っていたこともあるし、まだまだ検討する余地がたくさんあるだろう。

「なるほど、これから改良していくってわけね」


ぺろりと細い指に付着した餡を舐めとり、鵺は味を占めた、とでも言うべき笑みを浮かべた。



▼22.雪花~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「で?これはどういうことかしら妖忌?」
「これは幽々子様、お帰りなさいませ。紫様の屋敷とやらは如何でしたか?拙者は一度として足を踏み入れた事が無いのですが」
「ええ、すごく快適だったわ…って、質問に答えてもらえないかしら?」
「いやいや、話せば長くなるのですが…」

幻想郷の東端、西行寺家の邸宅。住み慣れた筈のその空間に隙間を抜けて紫と共に舞い戻った西行寺幽々子は
甘い香りに誘われるように厨へと歩を進めた後に、そこが本当に己の屋敷であるのかと我が目を疑った。

目の前では黄櫨染の衣を纏った少女が凄い勢いで粉を挽いていた。
竃では黒衣の少女がなにやら火にかけた鍋をかき混ぜながら、時折指を突っ込んで舐めとっては恍惚とした表情を浮かべている。
その横では妖忌の娘が火力の調整に苦戦している真っ最中。
さらに板間には書物を広げた阿礼乙女、稗田 阿爾まで。
一心不乱に書物を漁っていた阿爾がようやく幽々子に気付いたとばかりに顔を上げる。

「これは西行寺様、御当主の留守中招かれもせずに御屋敷へと到り、斯様にも散らかしたる非礼、お目溢し頂けますでしょうか」
「これは稗田様、ええと、それは一向に構いませんが…何をなさっておいでなのでしょうか?」
「「「「菓子作りだ!」よ!」です!」」
「というわけでしてな」
「それは素晴らしいですね!」
「はぁ」

紫は声をそろえて叫ぶ連中と、即座に目を輝かせはじめた幽々子を呆気にとられたような表情で見回して溜息をつく。

おかしい、何かおかしい。敵の正体を探る為の作戦はどうなった?
紫の結界を妖怪が越えた時点で即座に幽々子を紫の隙間内に避難させ、数日間保護する。それが紫が妖忌に依頼された役割である。
そのために紫は落ちかかる目蓋を押し上げながら冬眠をぎりぎりまで我慢していたというのに、いざ屋敷の様子を覗いて見たらごらんの有様だ。

「妖忌」
「そのように般若のような表情をなさいますな…とりあえず作戦はぎりぎり成功といった所です。一応成果はありましたので御安心を」
「ならばなんで次の手を打たないの?こんな所で遊んでいる暇は無いでしょうに」
「残念ながら今の成果から次に到るには協力者の存在が不可欠なのですが、どうもそやつ等が留守のようでして、致し方なく今は待ちの段階です。しかしまぁ、防御は十分でございましょう?」
「…そのようね」

魂魄夫妻も含めて妖怪が三体、人より強靭な半人半霊が二人だ。守りとしては十分であるが…
そもそもあれだ、最初から協力者である鵺はともかく、あの黄櫨染の―恐らく土蜘蛛―は刺客ではなかったのか?
紫の表情を伺った妖忌が、紫が質問するより先に口を開く。

「あれは落ち着けば話の分かる奴でしてな。病魔を操れるとの事ゆえ、三食の提示と引き換えに親族の皆様に病が届かぬよう協力してもらう事で合意しました。…いろいろと手を変え品を変えて献立を考えないと駄々をこねるのが難点ですが、囲い込むだけの価値はあるでしょう」
「成る程、体力低下時の病は即座に死に至るものね」
「ええ、鵺めはまぁ、ただの食い意地ですな。稗田様も失礼ながら似たようなものです。西行寺家の甘味料を使い果たした為、稗田家に工面を求めたらあの有様ですわい」

妖忌についてきた鵺は最初は姿を欺いてはいたものの、あまりに親族達が恐れおののくので「少女の姿に化けてもらった」という事にして正体不明を解除してもらっている。
とはいえあのように振る舞いまで少女然としていては今の姿が本性であるとばれてしまう様な気もしないではなかったが、甘味を口にしてだらしなく頬を落としている鵺をみれば
些か忠告するのももったいないように妖忌には思われた。

阿礼乙女こと阿爾は妖忌の妖忌が纏った甘い香りと妖忌の依頼から全てを把握するや否や、稗田家にあった僅かな甘味料だけでなく甘味料の作成のためにあれやこれやと関連資料をまとめて当主みずから乗り込んできたのだ。
先ほどまで鵺が煮詰めており、今は既に餡と混ぜられて生地と共に妖忌の手によって形成されつつあるそれがその成果なのだろう。甘い甘い芳香が紫の鼻をくすぐっている。

内地で、そして都からも離れた場所に位置する幻想郷では唐菓子のような甘い菓子は貴重であり、
そして人も妖怪も関係なくいつの時代だって甘味は乙女の原動力である。つまりはそういうことであるのだろう。

「とりあえず麦湯を用意いたしましょう。そろそろ第一陣が焼きあがります…と、焼きあがりましたな。紫様は幽々子様と共に先に寝殿にてお待ちくだされ」
「…いえ、先に彼らの具合を見に行きましょう、と言っても出来ることは何も無いのだけど。…そのほうが良いでしょう?」
「お心遣いありがとうございます、紫様」

ふむ、それなりには親しくなられたようで重畳、と二人の後姿を満足げに眺めた妖忌に紫はふと振り返って問いかけた。

「で、焼きあがった菓子というのは勿論?」
「勿論、月餅にございます。月を喰らうとしましょうか」


  ◆   ◆   ◆


親族使用人達に第二陣と麦湯を配り終え、余りと第三陣を手に寝殿へと妖忌が再度赴いた時には既に彼女らは第一陣を完食し、めいめいに行動していた。

土蜘蛛は庭に立って前栽や西行妖をぼけーっと眺めているし、鵺は柱にもたれかかってこっくりと舟をこいでいる。
阿爾は紫となにやら縁起がどうとか小難しげな話をしており、妖忌の娘は夫と共に妖夢をあやしている最中。

簀子に菓子を載せた盆をそっと置いた後、妖忌はそれらを静かに見つめている幽々子の傍に音も立てずに並び立った。

「追い出されちゃったわ。「当主が客人を放っておいてなにをしている」ってね」
「優しい方達ですな」
「そうね」

二人は揃って寝殿に目を向けた。

「この光景を見ていると、少しだけ貴方に対する信頼が揺らぐわ」
「望んで女性ばかり集めたわけではないのですが」
「でも土蜘蛛さんは妖忌の好みなんですってね」
「あやつめ…」

妖忌は苦笑した。
全く、口の軽い連中ばかりだ。たぶん箸が転んでも大口をあけて笑うのだろう。

「月餅は幽々子様のお口に合いましたか?」
「ええ、さっくりしっとりとした生地と抑え目の餡の甘さが絶妙だったわ。お見事ね」
「それはなにより。幽々子様の御為に大陸のものより軽めに仕上げたのが功を奏したようですな」
「…私はそんなに太ってないわよ」
「よく存じ上げております」

幽々子は赤面して相手を睨みつけるが、相手は何処吹く顔である。
はぁと溜息をついて再度庭を見回す。なんとも、活気に満ち溢れているものだ。…妖気とも言うが。

「…平和ね」
「そうですな」
「人と、妖怪と、なんかよく分からない半人半霊。皆種族がばらばらでも、こうやって争わずに生きていけるのに」
「彼女らは特殊な例ではありますがな…悲しいのですか?」
「悲しくなんか無いわ、幸せよ。本当に、心からそう思う。ずっと、こうやって暮していけたらいいわね」
「ええ、そう思います」

二人は顔を見合わせた。
声も無く、笑う。

「あー、追加来てるじゃん、いただき!」
「っは!ってほんとだ、ちょっとあんた一人で一度に二つ取らないでよ!」
「お前だって取ってるじゃんか」
「やれやれ、あれだけ食べたというのに食い意地が張ってますね」
「本当、見苦しい事この上ないわ」

土蜘蛛と、その大声で目を覚ました鵺はさっそく新たに追加された月餅に手を伸ばす。
低次元な喧嘩をしている二者に阿爾と紫は揃って苦笑を投げかけたが、

「ちなみに、第二陣はちょっと工夫を凝らした果実風仕立て、第三陣には蘇を利用した醍醐味風仕立てが一つずつ紛れ込んでおります」
「うわっ、いきなり空から手が出てきた!」
「ちょ、八雲様。抜け駆けは汚いですよ!」
「さて、何の事かしらね?あら、あたりだわ。醍醐味風」

飢えた狼もかくやと言わんばかりに少女達の腕が盆に殺到する。
たちまちのうちに妖忌の持ってきた盆の上から月餅は消え去ってしまい、手を出す事すらできなかった幽々子は悲しげな表情を浮かべた。
そんな幽々子を抱き上げて飛び上がり、幽々子と並んで桧皮葺の屋根に腰を下ろした妖忌は幽々子の手に己の手の内あったものを滑り込ませた。

「実は果実風仕立てはこちらにありましてな」
「悪い人ね」
「誰もあの盆の上に在るとなど申してはおりませぬぞ。それに拙者が幽々子様を贔屓して何が悪いのです?」
「…悪い人ね」

あっさりと言ってのける妖忌に一瞬幽々子は目を瞬かせると、はにかむ様な笑顔を妖忌に向けて月餅にかじりついた。
甘酸っぱい林檎の香りと甘葛の上品な甘さの調和した白餡が幽々子の口腔内に広がっていく。
妖忌もまた―此方は普通の―月餅を懐から取り出してかじりつく。うむ、悪く無い出来である。

「林檎かぁ。おいしいわねぇ、これ。妖忌は本当、なんでもできるのね」
「料理で客をもてなすのもまた作法の一つなのでしょう?拙者は貴族になるつもりなど毛頭ありませぬが、幽々子様に恥をかかせるわけにはいきませぬし」
「…あの、ね。妖忌。料理の披露でもてはやされるのは精々真菜の庖丁捌き程度なのよ?菓子の製法ではちょっと…」

むしろ捌き方よりも食事作法のほうが重要かしら、と語る幽々子の言におもわず妖忌は手に持った月餅を落としそうになる。

「…拙者は無駄な努力を続けていたようですな」
「そんなことないわよ。魚の捌き方や食事作法を褒めたり貶したりする事より、こういった物が作れる事のほうがよほどすばらしいと思わない?」
「確かに…この屋敷ではそちらのほうが役立ちましょうな」
「ええ、その通り。半分、いる?」
「いえ、拙者は味見をすませておりますので」
「じゃ、半分は私が貰うわね」

幽々子の横、冬の空を裂いて伸びてきた手が、幽々子が割った月餅を横から掻っ攫う。
呆気に取られた幽々子の手に、それとは別の半分に欠いた月餅がすとんと落ちてきた。

「で、代わりにそっちが醍醐味風。交換ね…ふむ、果実風も悪くない。完璧よ、姫君の従者」
「光栄の極み」
「苦しゅうない。さて妖忌、いい加減私は冬眠に移るけどその前に何か望みはある?月餅の出来栄えに敬意を表してお姉さん今なら何でも聞いてあげちゃう」

なんだかんだで紫も若干機嫌が良いようだ。紫様もまた少女であるのですなぁ、と妖忌は思わず口元に浮かびかけた笑いを引っ込めた。
多分、次に紫に会うのはどういう形であれ、此度の騒動に決着をつけた後になる。紫に頼れるのは、これが最後。

「屋敷の結界の、完全な修復をお願いいたします」

柔らかな微笑を浮かべていた紫と幽々子の表情がすっと厳しいものへと変わる。

「判っているの?結界を完全に修復したら…」

屋敷内に、流れ出る先を失った幽々子と西行妖の死の誘惑が充満する。
西行妖と幽々子が力を増している今では、結界を張った中では常人は一週間と持たないだろう。
だが、それでも幽々子を守るために結界は必要なのだ。

「ええ、ですので今日即座に発動という訳ではなく、あとは発動するだけという所までお願いしたいのです。そして発動権をこちらに委譲していただければ。あと、幻想郷に張られている探知結界の通知先に拙者も加えてくださらんか?」
「…いいでしょう。引き受けました」
「紫様、私からもお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「何かしら?幽々子」
「多分、私は人質をとられたら敵に従わざるを得ないでしょう。この館の中は妖忌が守ってくれますが、人里まではとても手が回らないでしょう。有事の際に人里を防衛する手段が欲しいのですが、お願いできますでしょうか?」
「…ふむ、では藍をその任に就けましょう。屋敷の結界を発動すると同時に八雲藍が人里の防衛に回るよう式を組みます。まだ完全ではないけれどそれくらいは十分にこなせるはずよ」
「色々とありがとうございます、紫様」

少し考えてから、紫は幽々子の胸の中央を手のひらで優しくとんと叩く。

「紫でいいわ。春にまた、おはようを言いに来るわね」
「えっと、では、おやすみなさい、紫」
「おやすみ、幽々子」

そういい残して境界を操る妖怪、八雲紫は空を引き裂いて混沌たる空間へと姿を消した。


紫が消えた空間を肩を寄せ合って眺めていた二人の視界に、なにかがはらりと舞い込んでくる。
空から音も立てずに舞い降りてきたそれは、幽々子の手のひらの上で小さな水玉となった。

「雪ね。積もるかしら」

数を増していく白い結晶を眺めながら、若干楽しげな表情で幽々子がぽつりともらす。

「雪は、好きですか?」
「ええ。それは時には無慈悲に全てを葬ってしまうけど、だけど春には野山に溶け込み、清水となって幾多の花へと変わるのだから」

妖忌が雪下ろしと雪掻きをしてくれるから苦労は無いしね、と幽々子はけぶるような笑みを妖忌に向ける。

「それに、貴方の髪と同じ色。貴方は、雪みたいね」
「そうでしょうか」
「そう、清廉潔白な白刃。時には無慈悲に他者を葬り、されど次へと繋げる者。そして時々ちょっと人の邪魔をする者」
「実態はむしろ血で真っ赤っかではありますがな」

なるほどな、と妖忌は苦笑する。白いかはともかく、呼びもしないのに勝手にやってきて流れ去っていくのは妖忌のこれまでの生き方そっくりだと。
妖忌はこれまで立ち寄り、去った地に何かを残しては来なかった。立つ鳥跡を濁さず。今まで立ち寄ったそこは、妖忌の居場所ではなかったから。
だが、今度はなにかを残したいと、そう思う。

魂魄妖忌が雪であるならば西行寺幽々子は花であろう、と妖忌は思う。
であるならば幽々子が美しく咲き誇る為の清水でありたいものだ。

「幽々子様」
「なに?」

名前だけを、絞り出した。それ以上は言葉が出てこない。様々な言葉が胸中に渦を巻いては消えていく。
言葉にならないその感情は妖忌の目から、包み込む様な労わる様な愛おしむ様な視線となって流れ出ては行くのだが、けっして結晶化して口から出てきてはくれないのだ。

「幽々子様」

やはりそれだけを口にする。幽々子は今度は返事をしなかった。まるで妖忌の心を吸い上げたかのように、妖忌に何も言わなくてよいとばかりに視線を返してくる。


気を利かせてはいたものの流石に寒空の中に屋根の上に座して動かない二人を心配して、とうとう声をかけようとした阿爾だったが、結局黙って寝殿へと引っ込んだ。
どうせ病魔を操れる土蜘蛛がいるのだ。風邪などひこう筈もない。




▼23.在郷交渉~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「幽々子、お前は今、幸せかい?」
「いいえ…叔父様を、苦しめてしまっています」
「土蜘蛛様のおかげか、苦しくはない。ただ、眠いだけだ。だから、それは気にしなくて、良いと言った筈だ。…だが、それを差し引いたら、どうだい?」
「…幸せです」
「良かった。幸せになれと、言わずにす、むよう、だ」
「…」
「泣くな、涙は、妻のときまで、とっておいてやって、くれ」
「叔父、様」
「先に…往く…よい、人生で…あった…」



  ◆   ◆   ◆



「やれやれ、ほんとに最後まで妖忌殿は言ってくれなかったなぁ。恨むぞ、これは。怨霊になって帰ってきてやる」
「何の…話でしょうか」
「なに、男の話さ」
「…」
「私は、私達はお前にとって父代わりでいられただろうか?」
「…勿論です!」
「そうか、ありがとう。一度はそう呼んで欲しかったが、今そう呼ばれては先に往ったあいつに悪いからなぁ。呼ぶなよ?絶対に呼ぶなよ?私は最後までお前の伯父だからな」
「伯父様…」
「よろしい、ではお別れだ。死神が見える。こうやって最後まで話しながら往けるのは実に結構なことだ。私の担当が良心的な死神でよかったなぁ」
「今まで、愛してくださって、ありがとう、ございました」
「ん。お前はなるべくゆっくり来なさい。では、な」



  ◆   ◆   ◆



「幽々子」
「はい」
「紫様の言う事はよく聞くように」
「はい」
「友人は大切にするように。魂魄様方も。稗田様も。土蜘蛛様も。鵺様も」
「はい」
「妖夢ちゃんにとって、よい姉であるように」
「はい」
「あら間違えた、よき祖母だったわね?」
「叔母様!」
「妖忌様と、仲良くね?」
「…はい」
「もっと、自分勝手に生きなさい」
「…」
「…そう。貴女の事が、誇らしくて、そして悲しいわ」
「ごめんなさい、叔母様。でも、私は、叔母様たちの娘ですから」
「困った子ね…」
「…」
「あらやだ、このままじゃ私達はこんな顔のままお別れになってしまうわ。ほら、私も笑うから、笑って、ね?」
「お母様…御父様達に、幽々子が、父と、そう呼んでいだと、伝えで、ぐだざい」
「ああもう、泣かないの。本当に最後まで…困った…子ね」
「お母様…?」
「…」
「お母様!」








  ◆   ◆   ◆









新年を向かえ、世の中が祝福と喜びに包まれる中で、幻想郷における西行寺家の命の灯火、その最後の二つ目も儚く消えた。
悲しみはすれど嘆く必要はない。彼等の物語は――幸せに暮らしました――と言う結びで幕を閉じたのだから。


之より幻想郷で西行寺を名乗るものはたった一人。

西行寺幽々子の物語もまた、もうすぐ一段落がつく。

それが残る人生を幸せに暮らしました、と結ばれる形に続けられるかどうか。

当事者たちには予想もつかない。ただ、前を向いて足掻くだけだ。








~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




西行寺家の東の対屋では、集まった人々がごくり、と唾を飲んで白く輝きを放つそれを凝視している。

「以上が、私が持つ能力に関する全てです。なにか御質問はございますでしょうか?」

叔母の埋葬の後、義務感や責任感、ないしは自らが郷における権力者であるとの威を示すために西行寺家の葬式に参列した少数の里の富豪層、裕福層を前にして西行寺幽々子は己の能力を包み隠さず公開した。
幽々子の周囲には今、はらりはらりと光を溢す死蝶がひらひらと舞い踊っている。

「…周囲に居るだけで死ぬ、と仰りましたな。では、我等もここで死ぬのでしょうか?むしろ、それをお望みか?」

有力者の一人が引きつった笑みを浮かべながら問いかける。流石に有力者だけあって肝が据わっており、佇まいは崩さないものの
今にでも逃げ出したい、だけど回答を確認するまでは怖くてここから動く事が出来ない、そんな表情は隠せずにいる。

「いいえ。私の周囲を離れずに一季以上の時を過ごし続けない限り死に至る事はありません。私の家族が、身をもってそれを証明してくれました。ですので私が里で暮さない限り、あなた方が私の能力によって死に至る事はありません」

静かに、幽々子は答える。

「これまでの様に、私は人里に長期に亘って滞在する事はありません。私が里に滞在する数刻の間に誰かを死に至らしめられるほど拡散する死の気配は強くはないので、出来れば今後も人里への僅かばかりの来訪をお許し願えますよう、お願いいたします」
「要約すれば、長時間そなたの傍にいなければ、またその蝶に触れなければ、死に至る事はないと?」
「ええ」
「それを、信じろと?」
「私には、信じてくださいと言うより他ありません」
「…」

公開された西行寺幽々子の死の能力。それを前にして座する里の有力者達はみな一様に息を詰まらせ、そして隣の者たちと互いの顔色を伺いあい、何がしかを囁きあっている。

「どれくらいの範囲まで、その蝶を生み出す事ができるのでしょうか?」

阿礼乙女、稗田阿爾がまるで明日の天気を尋ねるかのごとき口調で質問を投げかける。

「およそ六尺と言った所でしょうか。之より先にも飛ばす事は出来ますが、生み出す事は出来ません」
「ほぼ刀の間合いと同じですね。それでは貴方の能力はそこいらの武者と大差ない、といったところですか」

拍子抜けした、とでも言うように阿爾はつまらなそうな目線を死蝶に向けた。
そのことさらに幽々子の無力さを印象付けるような発言は、やはり幽々子の今後を案じての事だろう。

「他に何か、御質問はございますか?」

一同を見渡すが、誰も声を上げる者はいない。
恐らくは、もはや知るべき事は知ったので一刻も早くこの場を立ち去りたい、と言うのが本音だろう。

「では、私がこれまでどおりここで暮らす事をお許し願えますでしょうか?」

再度、静かな面持ちで権力者達を見回す。
その幽々子の視線に対して、一人の髭面の男が口を開いた。確か、人里で妖怪退治屋や検非違使もどき達のまとめ役で、彼自身も本は妖怪退治から伸し上がった剛直な豪族だったか、と妖忌は記憶を巡らした。
鬼と戦った事すらある、と人里でもっぱらの噂であり、人里での信頼も厚い男であった筈。
噂の内容からして鬼に勝ったわけではなさそうだが、鬼との勝負から生還できただけでも英雄視されるに十分であろう。

「正直に申せば、貴女が里に訪れると里の者達がおののく為、好ましくはないが」

髭に手をやって、溜息をつく。

「拙者たちに貴女が生きる事を否定する権利はないし、貴女が人間であることも疑いないから里が門扉を閉ざすことは出来まい」
「…ありがとうございます」
「だが、我等とて単なる代表であり、里の人心を掌握しているというわけではない。彼らの恐怖心に関してまでは拙者等は面倒見切れぬが」
「勿論、それは重々承知しております」
「よろしい。では己の身は己で守りつつ、お好きになされよ。…皆、異論はあるかね?」

その者が幽々子の代わりに一同に視線を廻らすが、特に反対するものはいないようだ。
無論恐怖心が無いわけではないだろうが、肝っ玉の小さい者達ではいくら結界の中で平和に暮しているとはいえ、妖怪に囲まれた里で地位を確保することなど出来はしない。
それに幽々子が人里を来訪するのは物資の購入が目的であり、有力者たちとの付き合いはほとんど無いために彼らが里で幽々子と会うことなどまずありえない。
だから有力者達とすればそこまで強く反対する理由も無いということなのだろう。

結論としては好きにしろ、という形に落ち着いた事を確認し、妖忌は安堵の溜息をついた。

「それでは、本日はこのように寒さも厳しく、千里雪にて御足元も悪い中、亡き叔母の葬儀にお集まり下さいましてまことにありがとうございました。故人に代わりまして、生前の皆様のご厚情に感謝申し上げます」



  ◆   ◆   ◆


参列者が皆屋敷を去った後、葬式の後片付けを終えた妖忌は火鉢の上に餅を並べた後、畳の上に座す幽々子の髪を整えていた。
灰汁の濡れ手拭、真水の濡れ手拭で順に髪を拭い、乾いた手拭で水気をとった後に櫛で梳き、椿油を数滴さらに櫛で伸ばせば完了である。もはや手馴れたものだ。
手馴れたものに、なってしまった。妖忌と交替でそれを行っていた者は、もういない。

「幽々子様、よろしかったのですか?」
「…能力を公表した事かしら?」

未だ悲しみ止まぬであろう幽々子はしかしそれを一定以上表に出す事はなく、喪主として葬儀をやり終えた。
本当に、強くなったものだと思う。出会った頃から幽々子は強い芯を持ってはいたが、その芯は些か危なげな点も多々見受けられた。
されど今の幽々子は若干疲労から衰弱した様な面持ちではあるものの、妖忌が感心するほどの沈毅さに満たされている。

「疑心暗鬼。分からない事が恐怖を生むのだと言ったのは貴方でしょう?」
「それは―そうなのですが」

拡散する死の侵食に関しては語らない方がよかったのではないか、そう妖忌は考えたのだ。死蝶の方だけを公表しておいた方が里人の心配は少なかった筈。
とはいえ親族たちがあまり間を置かず立て続けに死んだ事もまた事実。能力を隠している事で疑心暗鬼がさらに強くなる可能性も確かに捨てきれない。
要するに、妖忌とて何が正解かなど分かりはしないのだ。こちらは提示するだけで、それを咀嚼して飲み込むのは里人達だ。
背を向けて髪を任せていた幽々子は思案する妖忌に体ごと振り向いて、後はなる様になるわ、と静かな微笑みを返してくる。

「さて、里の皆は私が大したことの無い小娘である事を知ったでしょうし、残るは都の貴族かしら?そっちは妖忌に任せっきりになるけれど、よろしくね?」
「お任せあれ。先日頼みよりこちらに向かう旨の文が届きましたので、数日中には奴らを血の池地獄に沈めることが出来るでしょう」
「…あのね、妖忌」
「いやいや、冗談です。拙者は幽々子様の守り刀ですゆえ、必要以上の血を吸う事をよしとはいたしませぬ。…無論、一切の流血無しとはいかぬでしょうが」
「ええ、分かっているわ。…無事に、帰ってきてね」
「無論」

白い手を、そっと妖忌の頬に伸ばす。その手に妖忌は己の手を重ねた。
人より体温の低い半人半霊には、その手の温もりが、火鉢よりも暖かなものであるように感じられた。

「おー、餅の焼ける良い匂いがたまらないねーって、お邪魔した?」
「ほら、だからもう少し待とうって言ったじゃんか。空気の読めない奴ねー」
「あんたは覗いてたじゃないか。そっちのほうがよっぽど空気呼んで無いでしょうが。あー、普段から暗雲なんかに包まれてるから空気なんてわかんなくなっちゃってるんだ」
「はっ、病毒撒き散らして空気も川も汚すような奴に言われたく無いわね!あ、妖忌。私も髪、やって」
「おぬしの髪は放っておいても艶めいておろうが」
「そうよねぇ、羨ましいわ…」

ともするといい雰囲気になりそうだった二人だったが、その空気は残念ながら西行寺家の愉快な食客二人にかき消されてしまう。
苦笑を浮かべながら妖忌は火鉢の上で焼いていた餅を一つずつ闖入者達へと放り投げた。
土蜘蛛は平然と手で掴んで、鵺はあちちとお手玉して冷ました後にその餅へとかじりつく。
彼女達の生糸のような、濡羽のような髪に若干妬ましげな目線を投げかけながら、幽々子もまた火箸で掴んだ餅に息を吹きかけて冷まし始めた。

当主たる西行寺幽々子。
園丁にして守り刀、魂魄妖忌。
そして食客として神楽岡の土蜘蛛と正体不明の鵺。
今寝殿に座し、火鉢を囲んで黙々と餅を貪るこの四者だけが、現在の西行寺家の住人である。

広大、と言うわけではないがそれなりに大きな屋敷はもう、たったそれだけしかいない。
さらにここからいずれ魂魄妖忌が抜けて、代わりに元魂魄一党の面々が交代で門番に立つ事になっていた。



これから西行寺家は、結界に包まれる。



妖忌が屋敷を離れる間、常時幽々子の安全を守ることのできる者は屋敷にはいなくなる。
それ故に曲者の侵入を防ぐ為の結界が必要になるが、ひとたび結界を発動すれば逃げ場を失った西行寺幽々子の死の気配が屋敷に充満し、常人では生き延びる事能わないだろう。
だから、からくも生き残った使用人達には葬式の片づけを終えた後に一時的に暇を出した。
それぞれがめいめいに家族の元へ帰るか、もしくは稗田の屋敷で一時的に働いてもらうことになっている。
彼らもまた酷く衰弱していたが、一時的に幽々子の元を離れる事で再び健康体を取り戻す事ができるだろう。

すなわち此処から先、西行寺家は臨戦態勢。
この冬の間に、西行寺幽々子を取り巻いた一連の悪意に、決着をつける。

土蜘蛛は人間が攻めて来るかも、と言ったら喜んで協力を申し出てくれた。まあつまりそれは取って食うということだろう。
「地元以外で暴れる分には討伐軍が組まれることも無いし、実に美味しいわね」と土蜘蛛は笑ったが、どうせ討伐軍すら食ってのけられる彼女の事だ。それ以外にも思う所があったのかもしれない。
鵺はただ居るだけだ。協力を申し出る事はなかったが、このようにうらぶれた西行寺家、ただ幽々子の話し相手でいてくれるだけでもありがたい。

防御は完璧。今度の結界が張られた後の西行寺家には人間すらも入り口からしか出入りできず、そこには常に歴戦の猛者たる妖忌の元部下達が立つ。
紫の探知結界は妖忌の娘夫婦にも結果が伝わる様に紫が細工してくれた為、数が多い場合は彼女らも協力してくれる事になっている。

決して口には出さないが、妖忌が誰よりも信頼する二人だ。
二人がかりなら鬼相手にすら正面決戦が可能な二人だ。
妖忌よりは弱いが、妖忌より賢く、聡明な二人だ。
出し抜かれる事などありえない。

そしてその間に、妖忌が都に乗り込んで不埒な貴族連中を屈服させる。何も問題はない。


だと言うのに、妖忌の胸中から種の不安が消えてくれないでいる。
その理由は前面ではなく背後、敵でなく味方、戦闘の内でなく日常の内にあった。
西行寺幽々子の強さの理由、それが妖忌には今一つ掴めないでいるのである。


  ◆   ◆   ◆


人は何かを失う事無しに、強くなる事は出来ない。
鍛錬によって得た強さは一見何も失う事無しに得た力のようにも見えるが、そうではない。それは時間を失って得た力である。
修練を重ねる為に諦めた時間。団欒の時間だったり、娯楽の時間だったり、あるいは恋を語らう時間。そういったものを捨てて修練に費やしたが為に得られた力だ。
これはなにも強さに限った話ではないが、人が何かを手にするためには、何かを捨てなくてはならないのである。
それは先に述べた時間か、それとも金銭か、それとも義や仁、道徳といったものか。
誰かを守りたい、と強く思う事も同じ。それはその誰かを守るために、それ以外の命をないがしろにするということでもある。


幽々子はたった二日の間に二度、強くなった。
一度目は、死蝶を得たとき。生きるために他者を殺す事――弱肉強食の自然の真理――を受け入れ、己の命を脅かすものを打ち払えるだけの力を手に入れた。ただ射程距離が短いその能力は、やはり自衛以外では殺さないという彼女の意思の表れなのだろう。
二度目は、家族に受け入れられたとき。それ以降幽々子は恐ろしいほどに強くなった。弱さらしきものをほとんど妖忌に見せることはなく、立ち振る舞いも自信に満ち溢れている。
己は、己が進む道を歩いているのだと言う自負がそこにあった。
親族達が一人、また一人と死んでいく中、幽々子の内に強い悲しみはあったが迷いや苦悩といったものは存在しなかった。

果たして二度目に幽々子は一体何を捨てたのだ?
何を失う事で、幽々子はあそこまで強くなったのだ?
それだけが、妖忌には分からない。

幽々子は己と共に歩む未来を望んでくれている、と妖忌は感じていた。それは決して自惚れでは無い。
自分の幸せと、その連れ添いたる妖忌が幸せに生きる未来を手にする方法を考えている筈だ。
事実、幽々子はどうすれば幻想郷に己の居場所を確保できるかを真剣に検討し、そして行動している。
だから幽々子が切り捨てたものは己の命を狙う都の貴族達の生命かもしれない。そうも思うのだが、それが幽々子の強さに繋がっているようにも思えなかった。

とはいえ、幽々子と妖忌、二人は未来を見据えて行動しているのだ。
此度の戦に勝てば、ひとまずの幸せを手に出来る。その筈だ。
無論その後も他の貴族らに目をつけられるかもしれないが、此度を乗り切れたのなら次だって乗りきれる。その筈だ。
だから、ひとまずは、勝つ。

いくら考えても埒の明かない問題に対して、妖忌はそう納得するしかなった。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「まったく、私達だって暇じゃないんだけどね」
「そのような事を言うものではありません。困っている方々の手を払いのけるような真似はしない。それが聖が望まれたことでしょう?」
「…分かってるよ御主人。ただちょっと吹雪の中の行軍に愚痴をもらしたかっただけさ。本気じゃない」
「すまんな、お主の能力だけが頼みの綱なのでね」
「こういう光景を目にするのも二度目ともなると、さすがに貴方に対する信頼がぐらつくわ」

言付けが記された木簡を咥えた子鼠が妖忌の元へやってきた日から遅れる事五日、
毘沙門天の代理とその配下である妖怪が連れ立って西行寺家の屋敷を訪ねてきた。
館の主は神属にして妖怪たる二者を―小動物のような愛らしさと知性を感じさせる少女と、力強さとしなやかさを備えながらも柔和な表情が似合う女性を―些かの呆れ顔と、妖忌に対する非難の表情で出迎えた。

「えーっと?」
「これは失礼いたしました。私は滅び行く地上の冥界、西行寺家が最後の一人、西行寺幽々子と申します」
「毘沙門天の弟子にして代理、寅丸星と申します」
「同じく毘沙門天の使いにして、寅丸星の配下、ナズーリンだ。以後お見知りおきを」

恭しく腰を折る幽々子に対して、星とナズーリンもまた両手をそろえて礼をする。

「何十年ぶりだろうな?寺がもぬけの殻だったので心配したが…ともかく元気そうで何よりだ、毘沙門天の使い」
「…訳は後で話すよ、十王の使い。しかしなるほど、村紗にも一輪にも色目を使わないと思っていたら、こんな隠し玉があったとはね」
「そのような物言いは失礼ですよナズーリン。それにその邪推は間違いでしょう。こちらの方は人間のようですし、時間が合いません」
「ん?本当だ。しかし人間にしてはなんというか…凄い気配だね」

中門前で何やかやと話し始めた連中を一瞥し、火鉢に手をかざしながら鵺が呆れたような声を寝殿から投げかけた。

「まあつもる話もあるんだろうけどさ、こんな寒い中よくあんたら立ち話してるわね。とりあえず中に入ったら?」
「「「「ごもっとも」」」」

節気は立春のころ。されど振りしきる雪は止むそぶりも見せずに未だ世界を白く染め上げている。


  ◆   ◆   ◆


「なるほど、そのような事が…」
「私達は神の使いだし、白蓮とは無関係と思われたんだろうね。だから特に封印される事もなかったけど…」
「聖は私達が、引き続き人間達の力になるように願っておりました。なので今も私達は寺を構えてはいるのですが、時々封印された皆を探しに出ているので…来訪が遅れてすみません」
「そのような理由であれば致し方あるまいよ。…しかし話を聞かず一方的に封印とはまた、短絡極まりないな」

そういいながらも、どこか納得したような面持ちで妖忌は顎をさすった。
やはり、魂魄一党が解散の憂き目に会ったように、西行妖を抱く西行寺家が白眼視されるように、どこもかしこも人間と妖怪の共存は難しいようである。

「封印を見つけたら拙者に知らせよ。斬って捨ててやろう」
「全力でお断りするよ。君に頼んだら封印ごと中身まで真っ二つになりそうだ」
「そうね、妖忌の性格からしてそうなりそう。「申し訳ありませぬ、斬ってしまい申した」とか平然として言うのよ」
「「あー確かに」」
「皆して酷い事を仰る。星、おぬしまでそう思うか?」
「…ええとすみません、私もそう思います」
「…」

魂魄妖忌、全会一致で辻斬り確定である。

「…まぁよい、それでこちらの話だが」
「ええと、この木簡を作成した相手を追えば良いんだったかな?お安い御用だ」
「すまんが、案内を願えるか?」
「ま、この程度ならね」
「ええ、自らの立身出世の為に少女を暗殺者に仕立て上げようなど畜生道にも劣る下劣。正義の何たるかをたっぷりと叩き込んでやらねばなりません!」

優秀な死神を、と望む都市王が聞いたらどんな顔をしたであろうか。思わず妖忌は失笑した…と、もしかして?

「星、お主も来るのか?」
「当然です!毘沙門天の代理としてそのような話を聞かされて黙っている事などできるはずがありません!」

参ったな、と妖忌は今度は内心で頭を抱えた。
妖忌としてはナズーリンに案内を頼んだ後、十王の使いを名乗り(これは全くの嘘ではない)一人で敵を征圧して恐怖を叩き込んでやろうと考えていたのだ。
幽々子にはあまり斬らぬ、とは言ったものの、こういうものは力に訴えるのが最も効率が良い。
乱暴な手段ではあるが、そもそも手加減をしてやる必要がある相手とも思えないし、一方的に打擲してくる相手に止めてくれ、と懇願した所で止めてくれる筈も無い。
自身が優位と思っている相手に対しては力関係をきっちり示して見せなければ、そもそも相手を会談の席に着かせることすら出来ないのである。

だが寅丸星は妖怪でありながら善良にして仏門に帰依した稀有な妖怪だ。
毘沙門天は戦神とはいえあくまで本質は守りと財の神。相手の話にもよく耳を貸し、敵の命を奪う事を是とはしない。
ナズーリンは賢しく、そして融通がきく性格だから妖忌の「やりすぎ」に関して多少は目をつぶってくれるだろうが、毘沙門天の在り方、それを忠実に体現する星がいては妖忌としては正直やりづらいのである。
救いなど不要、正邪の判別は死後、十王にでも任せておけばよいという妖忌と、生あるうちに勇気と正義を示す事をこそ正道とする星の意識の根底には明確な隔たりが横たわっていて、決して相容れることはない。
そんな妖忌の思考をすばやく察知したナズーリンが苦笑して妖忌に耳打ちしてきた。

(今回は諦めるんだね。悪を前に引き下がる御主人じゃない。まぁ、斬らずに何とかするしかないんじゃないかい?)
(面倒な話になったな…あまり時間もかけたくないし、一回で確実に諦めさせるには肝胆を震え上がらせるのが一番なのだが)

「どうしたのですか?二人とも」

そんな妖忌の思案顔の意味など知らず、不思議そうに星は首をかしげる。
―仕方ない、か―妖忌は説得を開始する前から諦めた。相手は長年語り継がれてきた信仰を一本筋として胸に抱く相手、そうそう説得など出来よう筈も無い。ならばそんなものに時間を費やすのも勿体無いというものだ。

「いや、ではよろしく頼む。ナズーリン、星。吹雪が止んだら出発しよう」
「了解だ」
「分かりました」

両者が頷きを返してくるのを確認し、妖忌は幽々子に向き直る。

「幽々子様、それでは申し訳ありませんが僅かばかり御身のお傍を離れます。お許し願いたい」
「ええ、妖忌。全て貴方に任せます」

そう、穏やかに返した幽々子だったが、顔を伏せた妖忌に静かに言を重ねた。

「愛してる。死なないでね、妖忌」

妖忌は静かに顔を上げた。目の前の少女は恐ろしいほどに深く、澄んだ目で妖忌を見つめている。

「お約束いたします。決して、御身を一人にはいたしませぬ…愛しております。幽々子様」

幽々子の瞳に何がしかの淡い光が灯り、そしてすっと消えた。
その意味は、妖忌には分からない。幽々子自身もそれは意図した反応ではなかったのだろう。
それから少しだけ頬を染めて、幽々子は気をつけて、と呟いた。

「あーゆーの、他所でやってくれないかねぇ?なんていうか、こそばゆいとうかさぁ、居た堪れないんだけど」
「他所って言うか、ここはこいつらの屋敷だけどね」

畳に腹這いになって頬杖をついた鵺と土蜘蛛がぼそぼそ言い合ってるのを耳にした幽々子と妖忌は周囲を見回して、そして真っ赤になって縮こまった。




▼24.宵待月に照星を~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



「何度来ても、慣れる空気では無いな」
「ええ、まったくですね」
「結界を張った中で呪殺とかやるからだね。全く、西行寺の屋敷の純粋な死の気配に比べて、こっちのなんとおぞましい事か」

昼は駅で借りた馬を駆り、日が沈んだ後は人目を気にせず最短距離を飛行して、妖忌と星、ナズーリンは三日で平安の都までたどり着いた。
夜を待ってから羅城門を潜り抜けた三者を待ち受けていたものは、貴族貧民の怨念悲喜交々渦巻く、人という種が織り成した感情の坩堝である。
二者とも妖怪としての外見は隠しているが、妖獣としての感覚までそれで隠れるわけではないから、鋭敏な感覚が嫌気を察知してしまって苦しいのだろう。
二人が先刻よりずっと毛を逆立てているのが妖忌には察知できた。

「大丈夫か?」
「問題ありませんが、この肌を撫で回すような不快感は好きにはなれそうにありません」
「…とりあえずあの洛中洛外を隔てる羅城門だけでも崩しちゃえばもうちょっとはましになりそうだね…妖忌、君の出番だ、切りたまえ」
「仮に切ったとしても、拙者らが滞在する内にこの嫌気が抜けるとも思えんがな」

軽口を叩きつつ、ナズーリンの案内にしたがって彼等は左京北を目指して歩を進める。
念のため検非違使を回避しつつ、盤の目上の道をあっちこっちと進んでいくと北西を目指している筈なのになぜか方向感覚すらおかしくなっていく。
流石の妖忌もこれには辟易して、若干心配そうに左右の道を見やる。

「分かりやすいほど真っ直ぐなのに、迷子になりそうだ」
「ま、仕方ないね。この異様な感覚の中じゃそうなってもおかしくない。私だってこの杖がなければ…御主人、ちゃんとついてきてるかい?」
「…ちょっと、ナズーリン。人を童かなにかと勘違いしていませんか?」
「人じゃないがね」

星は軽く妖忌とナズーリンを睨む。と。

「この先だ」

妖忌は曲がり角から明度を可能な限り落としてほぼ透明となった半霊を覗かせた。

「ふむ、見張りは一人のようだ」
「そのようだね。中には結構な人数が駐留してるようだけど、気配が凡人のそれではないから多分常人じゃない、武者だけでなくて術師や異能も…人外も含まれてるね。逆探知されると困るから、一旦探るのは止めるよ」
「なるほど、死の能力を求めるだけあってそこら辺は柔軟なんですね。種族で区別せず貧富で区別するのもどうかと思いますが…」

ナズーリンは手にした二本の杖を降ろすと、二人に問いかけた。

「で、どうする?」
「「正面から、縦進突破で」」
「だろうね」

なんかもう索敵とか馬鹿らしくなる回答に、一応抗議のためにナズーリンは溜息をついた。
しかしそんな抗議で止まる二者ではない。
鬼をも引かせる猪武者と猛虎にして戦神の代理は迷う事無く歩を進める。道行くものがいようと気にも留めない。
それを気に留めたのはむしろ彼らとすれ違った一般人のほうである。とはいえ彼ら都に住まうものは慣れたもので、何が始まるかを敏感に察知し、そそくさと口を噤んで彼らの周囲から退散した。

それと同時に目標の門の前に立って気だるげにふらふらと身体を揺らしていた門番が妖忌たちに気がついて身構える、が?

「おぬし、死なずの妹紅か?」
「あれ、大将?」
「「こんな所でなにをやっている」の?」

意図せず二人の声が重なった。
目標の門を守っていたのは、元魂魄一党の新入りにて駆け出しの火術使い、死なずの妹紅その人であった。
「知り合いですか?」と訊ねる星に「息子の昔の仲間だ」と返して妖忌は妹紅に改めて目をやる。
なるほど、別れてから二年と半分。年頃の娘であるというのに、妹紅の姿は出会った時とほとんど変わりが無い。――死なずの妹紅、やはり本物であるか――妖忌は頷いた。

「党を抜けたのか?それとも奴ら、全滅でもしたか?」
「うんにゃ、概ねぴんぴんしてるし、脱党もしてないよ。けどあいつら富士の麓で合戦だひゃっはーって行っちゃってね。私はちょっとあの山には近づきたくないから、前の合戦で怪我した連中と一緒に別行動中」
「そうか」

ほっと胸をなでおろした妖忌を一度妹紅は優しげな目で見つめると、意識を切り替えたかのようにきっと目を吊り上げる。

「で、何用かしら?一応私はここの雇われでね。何人たりとも通すなって厳命されてるんだけど…当然あんた少女二人連れまわしてお楽しみ中に通りかかったって訳じゃないよね?」
「無論。この先に、斬らねばならない者がいる。通してもらおうか」
「私の言う事聞いてた?通せないって言ってんの」

妹紅は門の前に仁王立ちをする。妖忌には妖忌の都合があるだろうが、妹紅にも妹紅の都合がある。
怪我した連中と一緒、と妹紅は語った。ならば今は妹紅が傷を負った彼らの生活費を稼いでいるのだろう。であれば退けるはずも無い。

「ならば、力ずくで行かせてもらおうか」
「望むところよ!…ちょっと、そこの二人。あんた達は邪魔だから先に行きなさい」
「貴女の言う事は聞いていたつもりなのですが…よろしいのですか?」
「全然聞いてないじゃない、いい?」

自分の仕事が面白くないのか、それとも雇い主があまり好きではないのか、星の問いかけに妹紅はふん、と鼻を鳴らす。

 ・・
「何人たりとも通すな、って言われているんでね」
「っはは、そういうことか。ではありがたく通してもらおう…行こうか、御主人」
「ええ…ナズーリン、宝塔は貴方に任せます。私の前に出ないように」
「了解だ」

二つ折りで衣服の下に収納していた戟を取り出し、星が妹紅の横をするりとすり抜ける。遅れてナズーリンがそれに続いた。

「無茶はするなよ?」
「御心配なく。守護戦神に、負けは許されない」

短く答え、妖忌を振り向く事もなく星は歩を進める。その背は妖忌から見ても一分の隙も見当たらない。
これは早く行かねば己の出番はないかも知れぬな、と妖忌は安堵とも残念とも取れぬ溜息をついた。


  ◆   ◆   ◆


「さあ、邪魔者はいなくなった。始めようか…魂魄妖忌!くだらない仕事だと思っていたけど、まさかあんたと戦えるとはね!ははっ!人生何が起こるか分かりゃしないな!」
「…随分と好戦的になったものだな。あいつ等の病気が移ったか?いや、元を糺せば拙者らか」

狂気に目を染めた妹紅の纏う空気、これは完全に戦場の空気だ。久々の戦場の空気に妖忌の目もまたうっすらと赤い光彩を帯びる。

「ははっ、私は元々こんな性質さ。あんたも私も紅に染める。それが私の生きる道だ!」

暴、と妹紅の背から炎が噴き出す。その噴き出した真紅の炎は幾重にも重なり焔の翼を織り上げて、妹紅を空へと舞い上げる。
見事なものだ、と妖忌は宙に浮かび上がった妹紅を見上げた。
かつて簡単な火術しか使えないと語り、夕陽に染められるだけだった妹紅はたった三年足らずで、自らが放つ凄まじい火勢で周囲を赤く染めあげるまでに至った。
だが、何が妹紅をそこまで駆り立てているのか。

「妹紅、力を得て何を目指す」

妹紅は哂う。静かに、空を指差して。

「天か」
「いいや、天になんて興味はない。歌を歌い、酒を飲み、踊って暮すだけの天人にも興味はないし、最強たる頂天にも興味は無い。私が目指すのは」

妹紅の指が示す先。そこにあるのは僅かに欠けたる待宵の…

「月だ」

こちらも月か、と妖忌は思わず笑みを溢す。それを馬鹿にされたと勘違いしたか、妹紅は若干語気を荒げた。

「私は死なない!私は成長する!どこまでも、どこまでも!強者に挑み、勝ち、負け、学び、力を得て、そしていつの日か必ず月の都を紅に染める!絶対に!絶対にだ!!」

両手を広げて、剥き出しの感情を周囲に、いや妖忌に向かって叫ぶ。
妹紅は己の全てを妖忌にぶつけてくるつもりだ。先ほどの叫びが示してるように。
全てを出し切って、その死なないという特性を利用して、常人ならば命を学習料として支払わなければならない状況から生還し次々と経験をため、糧としてきたのだ。
そうやって、妹紅は三年足らずの間にここまで力を身につけたに違いない。
妖忌は二刀を抜く。手加減はしないし、する意味はない。妹紅は全力で戦い、勝ち、そして負ける事を望んでいる。

「あんたがくれた術は役立った!しょぼい火傷しか負わせられなかった私は、これのおかげで強敵とも渡り合えるようになった!強敵との舞踏はどこまでも私を押し上げてくれる!」

妹紅が大地に降り立ち地をとんと蹴ると同時に地面に三つの穴が開いた、と妖忌が認識した途端、そこから三本の爪が突き出し凄まじい速度で妖忌へと迫ってくる!

「これが、拙者が譲った術か!」

霊力を込め、やや前方の大地に付き立てた大太刀を爪の接近に合わせて大地を削りながら振り上げる。
地面ごとの切り上げに吹き飛ばされ、宙へ姿を現した三本爪の魔獣を妖忌は下ろす刀で真っ二つに切り捨てた。

「流石だ大将!これを要らないって投げてよこすだけの事はあるね!あんたは良い、あんたは強い!」

妹紅は腹を抱えて笑い始めた。その尋常では無い様子に妖忌は不安を覚える。

――こいつは、戦に酔いすぎている――

命を顧みずに死闘に首を突っ込み、経験を積むやり方は確かに妹紅にしか出来ない、そして最も効率的な成長方法だろう。
だがそれは同時に死に至るほどの怪我、苦痛を負っても死ねないということでもある。
死ねないのは体質だから仕方が無いとしても、自ら進んでそんな苦痛を重ねていけば段々と狂気に染まっていくのは当然のこと。それは人間の正常な防衛反応だ。
痛みから来る完全な恐慌に染まってしまう前に、仮面の狂気で自らを保護する。だがそれを幾度となく続ければ仮面が素顔に取って代わる。

「あんたは強い!私が知る限り最強だった棟梁夫婦の更に上をいくんだろう?あんたの技を見せてみろ!あんたの魂を見せてみろ!それを喰らって、私は更に上を往く!」

大地に降り立ちけらけらと笑う妹紅を見据え、妖忌は静かに二刀を構える。

「妹紅」
「何よ!?」
「良いだろう。見せてやる、己の全力を。だから己が勝ったら、別れ際に交わした約束を思い出せ!
 二年半前に垣間見たおぬしの笑顔は、思わず惚れ惚れするほど美しかったぞ!!!」

氷、と焔を割いて刀を振るう。
妹紅は咄嗟にそれを回避しようとして、しかし己の足が全く動かない事に気がついた。
何故、と思ったときには心臓と背骨がまとめて断ち切られている。回避しようと思ったそれは妹紅の網膜に焼きついた残像―過去の映像にすぎなかったのだ。
神経を完全に両断された妹紅は一切下半身を動かす事が出来ない。

「あ…」

目の前で、白刃が、光る。

「これは紫様に聞いた話ではあるが、海の向こうには九つの命を持つ竜が存在しているらしい。複数の命を持つもの。そんなものをどうやって殺すのか、そう考えていたのだが」

八岐大蛇より一つ多いな、と妹紅の脳裏を暢気な思考が流れゆく。
妖忌は二刀を手拭で拭って、納刀した。

「九つの荒魂和魂を同時に切り裂く十八撃。これならばいけるかと思ったが、流石に真なる不死人は殺しきれんか」

どん、と妹紅は己が大地に倒れ伏す音を聞いた。そのまま意識が遠のく。これは、気絶じゃない。これは…これが!
妖忌は己の荷から、今回も非常食代わりに持ってきた月餅を取り出し、仰向けに倒れる妹紅の上に置いた。

「未来を永劫に斬り捨てるには程遠い。まだまだ己の技も未熟だが…まあよい、娘らが完成させてくれる事を期待しよう。継いでくれる者がいるというのは嬉しいものだな」

死ぬのか?私は死ぬのか?私はまだあいつを殺しちゃいないのに!蓬莱の薬の効果はどうした…どうして再生しない――どうし…――
妖忌は大太刀を背負うと、静かに妹紅の横を通り過ぎていく。

「そこで九回分、生き返る傍から死ぬがよい。しばしの死を満喫して、そして命の意味を問い直せ。では、帰りにまた会おう。約束を忘れるなよ?」

返事はない。ただの屍のようだ。


  ◆   ◆   ◆


目にも止まらぬ速さで、横一線に戟を振るう。振りかぶった相手の刀はその一撃で根元から断ち切られた。

「次」

肉食獣の目で、周囲を威圧する。歩み寄るものは誰も居ない。
誰もが完全に戦意を喪失していた。単純に技量の差を見せ付けられた――それだけではない。

末法思想が浸透し、凄まじい勢いで浄土往生が民衆にも広がっていった時代である。
誰もが何らかの形で仏教に触れ、そして多かれ少なかれ仏教を信仰をしていた。
だから彼らはおぼろげながらも、敵対する「それ」がなんであるか、理解してしまう。
敵を排すべし。そう思っても体が動かない。

信仰心のきわめて薄い幾名かの武者や妖怪が果敢に挑んだが、相手にされることもなく武器を破壊され、戟の柄に吹き飛ばされた。
館の主が何かわめいているが誰も耳を貸すものはいない。だってそうだろう?


一体!どうやって、神を撃退しろというのだ!


襲い来る者がなくなった庭を、寅丸星は悠然と歩む。星が一歩踏み出すたびに、術師武者問わず誰もが一歩あとずさる。
そうして寝殿の正面まで進んだ星は、力強い声で叫んだ。


  「正義を見失いし者達よ!目を覚まし、そして思い出せ!」


その声は凛として寝殿中に響き渡り、あらゆる者の心の内へ染み込んでいく。それは耳を通り越し魂へ直接流し込まれる、神の言葉である。


  「富を求める者達よ!富める事の意味を思い出せ!富とは奪うものにあらず!」


更に一歩、寝殿へ向けて歩を進める。まるで滝が割れるかのように、星の行く手を塞いでいた者たちが左右に割れた。


  「家族和順、子孫永久を願う者達よ!諸人に尊愛せられし者こそがそれをなし得るのだと思い出せ!」


寝殿の階に足をかける。


  「義を守り、善を成せ!天理を知り、人道を明らかにして人の人たる道を行け!そのような者たちにこそ、毘沙門天は福徳財を与えるであろう!」


宝塔が光を放つと、家主と星を隔てていた御簾が全て床へと落下した。当主と星を隔てるものは最早、なにもない。
正義指す宝塔の光を背負った星を前にして、ただ一人を除いて誰もが自然と膝をついた。

「そもじに問いましょう。我の言をそもじはいかに否定なさる?」

最後に残った館の主は狼狽した。彼もまた目の前に立つ虎縞の少女が神の化身である事に理解が及んでしまっていたのである。
相手の正しさを認めてはいたが、しかしそれでも彼は殿上にまで上り詰めた男だ。己の娘よりも幼く見える少女にやり込められて口を閉ざすなどできはしない。
だから彼は安っぽい虚栄心をかき集めてわずかばかりの抵抗を試みる。

「政が奇麗事だけで成せると思うな!正義を為すにも、犠牲はつきものであろう!」
「それは、真に国を憂う者だけが口に出来る言葉です。血で塗装した床を歩んで脚を朱に染め、死体に腰掛けて腐臭にまみれ、下種と罵られながらも善政を振るう覚悟が貴方にありや!?」

そして、彼の安っぽい虚栄心は容易く打ち砕かれた。そんな覚悟など存在するはずもない。
彼はただ、己の物欲、征服欲を満たしたいが為だけに出世したかったのだから。
萎縮し、正対する意欲を失った当主ではあったが、それでも彼は今度は神の情理を攻めるかのように問いかける。

「ですが、ですがここで争う事を止めたら私は家族ともども島流しに合ってしまうかもしれませぬ!正直者が損をする事が許されるのでしょうか!」
「それは貴族として底辺へ落ちぶれる事でありましょうな…しかしそれでも庶民よりそもじははるかに裕福な生活を送れる。そもじが改心するなら、それくらいの財産はこの私が保証しましょう」

貴族である当主が下々の庶民などを人としてみる事はない。
だが神にとっては貴族も庶民も人は人。庶民以上の生活を送れるのであればそれは不幸でもなんでもない、その純然たる事実を突きつけられてしまい、当主は力なくへたり込んだ。

妹紅との戦に決着をつけ、屋敷に踏み込んだ妖忌はその光景を見渡すとナズーリンと共に後光を放つ星の両翼へと歩み寄り、そして片膝をつく。
正直、妖忌は星がここまでやるとは思ってはいなかった。ただ崇められるだけの神、偶像としての神だと、そう思っていた。
されど今この場を支配しているのは寅丸星だ。彼女は毘沙門天の威のみに因らず、己の力で、己の言葉でもって、この場を支配している。
ならば、この場は全て星に任せよう。任せても、間違いは無い。妖忌はそう理解した。

「まずは、下らぬ人攫いなど止める事です。心当たりがあるでしょう?」

妖忌の信頼を得た。それを理解した星もまた、妖忌にとっての一番の懸念を真っ先に解消する事を優先した。
屋敷の当主はくずおれたまま力なく笑い、その事実に首肯する。

「仰るとおりです。誘拐した娘は、即座に元の住居へ返す事をお約束いたします」




ちょっと待て、それはどういう意味だ?

違和感を感じ取ったのであろう、星もまた疑問を口にする。

「…実行してからでは意味がないでしょう。とく計画を止められよ」
「既に兵を放っております。最早止められる距離にはおりませぬ…ですが兵にはその娘を傷つける事が無いよう厳命しておりますし、先に申し上げたように娘は必ずもとの住居へ戻しますので、どうか御目溢しくださいませ」


それに対する言葉は、妖忌らの絶望を助長するに十分な回答だった。
その貴族の言を、妖忌は最後まで聞いていなかった。否、聞いていられなかった。即座に立ち上がり、くるりと敵であった相手に背を向ける。
もはや、こんな輩を相手にしている暇は無い!

「星、ここは任せた」
(ええ、一刻も早く戻ってください!)

星が目で合図してくるが、それすらも待たずに妖忌は庭園を飛び出した。




▼25.鴉鳳船~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




「あれ、お早いお帰りだね?ご苦労様。しかしこれ美味いな…もっとないの?」
「もう無い!妹紅!馬はどこだ!」

神威溢れる屋敷を背負って美味そうに月餅を頬張っていた妹紅の両肩を掴み、妖忌は吼える様に問いかける。
妹紅が怪訝そうな表情を浮かべているが、説明してやるだけの余裕が妖忌にはない。

「馬?この屋敷の馬は今全部出払ってて車引きの牛しかいないけど…どうしたのよ?」
「急ぎ郷へ戻らねばならんのだ!馬があれば何処だっていい!案内しろ!」

郷には娘夫婦がいる。土蜘蛛がいる。鵺がいる。そしてかつての同志達も力を貸してくれている。
心配する事など何も無い。このように情けなく取り乱すのは阿呆のやる事、その筈だ。
…なのに妖忌の内に響き渡る警鐘が鳴り止まない。剣士として鍛え上げた感覚が告げるこの警報を無視することが出来ない。
第六感などと言う曖昧なものではない。妖忌の意識が見逃してしまうような徴候を彼の生死を分けた経験の蓄積が受け止め、無意識下で処理されたものがこの警鐘として鳴り響いている。
だから、この警鐘が止まない限り妖忌は前へと進まねばならない。

「よく分からないけど、急いでるのね?」
「ああ」
「一刻を争うために、少しぐらい怪我しても良い?」
「ああ!」
「…分かった、じゃあ私が途中までぶっ飛ばしてあげるわ。多分馬よりはるかに早いけど…あの郷ってどっちだったっけ」

妹紅は懐から数枚の発火符を取り出したが、困ったように首をかしげた。
そんな妹紅の目の前に、一本の杖が突き出される。

「あちらだよ。道の在る無しを無視して示しているけど、問題ないよね?」
「問題ない。絶対に間違いない?」
「間違いない。神は、道を間違えたりしないよ」

妖忌の後を追ってきたナズーリンは杖で遠方を指したまま静かに笑う。

「了解、信じるよ。途中で方向変換なんて出来ないからね…大将、手脚に霊気を込めないと燃え落ちるよ。さぁ!黄泉を照らす火之迦具土の炎よ――渡鳥となり、我に道を示せ!」

妹紅の手にした発火符が瞬く間に大鷹程度の炎の鳥へと姿を変える。

「わりとこの符は貴重なんだけどね…大盤振る舞いだ、もってけ泥棒!」

その火鳥に妹紅が発火符をくべる度に、火鳥はひとまわり、またひとまわりと大きさを増してゆき、ついには先ほど妹紅が背負っていた翼よりもはるかに巨大な鳳凰の形を取った。
大太刀の鞘にくくられた、己が与えた羽飾りに目をやって妹紅は一度穏やかに笑うと、ナズーリンの指した方角目掛けて投槍のように鳳凰を纏った腕を振りかぶり――
そして全力でそれを投擲した。

「乗んな、大将!――鳳翼天翔!地獄の果てまで行ってこい!」

地獄まで行っちゃ駄目だろうと呟くナズーリンの声を背に、凄まじい火勢を推進力と変える鳳凰は、その背に飛び乗った妖忌と共に宙を切り裂いて飛翔して行く。

「そうだった、換えの利く命であっても命は大事にしないとね…良い体験だったよ。そしてまた戦ろう。次は、負けない」


  ◆   ◆   ◆


妹紅の手から放たれたそれは馬よりも、そして妖忌自身が飛ぶよりも速く、空を切り裂いて飛んでいく。
翼を構成する羽毛が両翼一枚ずつ同時に爆発し、それを後方に撃ち放って推進力とする。それを断続的に続けることで、文字通りの爆発的な加速を得ているのだ。
その圧倒的な速度の代償として、妖忌は深度は深くないものの両手足広範囲に火傷を負ってしまっている。
霊気を四肢に回して――妹紅の性格からして恐らく攻撃術であろう――これから身を守っているのだがその凄まじい火勢を完全に防ぎきる事が出来ていない。
だがそれでもこの速度はありがたい。ありがたい、が。

「郷までは、届かんな」

羽毛が六割ほど減少したころ、羽毛の減少速度と現在までの移動距離と照らし合わせて妖忌はそう判断した。
おそらく妹紅は己が制御できる範囲内、最大出力で放ったのだろうがそれでも地獄の果てはおろか、郷までたどり着くのも不可能なようだ。
恐らく行程の三、四割程度まで飛行してこの鳳凰は燃え尽きるだろう。
そこからは己の力で飛ぶか、走るか、駅舎から馬を借りるしかないか…
そう思っていた妖忌だったが、ふと妖気を放つ何者かが己と平行進路を取っている何者かが近くにいる事に気がついた。

振り向かず、半霊の感覚で相手の位置を捉える。妖忌の上、斜め後ろ。そこに何かがいた。
現在の妖忌は高速で飛翔中だ。その妖忌に追随できるものなど…

「あやややややや、燃え盛る鳳凰とは珍しいものを見たわね。しかも背中に人を乗っけているとは…」

己はついている!!

心の中で喜びを爆発させる。この速度についてこれるものなど鴉天狗ぐらいしか考えられまい!
聞こえてきた呟きの声は常人には聞き取れないほど小さかったし、十分に距離を、ついでに妖忌の上を取っている為に油断しているのだろう。恐らく相手はまだ、妖忌が既に接近を察知している事に気がついていない。
鳳凰が薄い雲へと突っ込んだ瞬間、妖忌は己の半霊を声のした方向へ射出し、距離を見計らって人型に顕現させた。
目の前には驚愕に目を見開いている、若く未熟な雌型の鴉天狗が一羽。

「っきゃああああああ!何?なんなのよ貴方は!放せ、放せっつの!この痴れ者!」

とらえた!

「やかましい!貴様の薄い胸にも尻にも興味はない!興味があるのは貴様のその飛翔速度だけだ!」

半霊の手をひたり、と相手の細く白いうなじに掛ける。

「逃げようとしたら折る。火鳥の近くまで来い」

その物言いに鴉天狗は一度、全身を怒りでこわばらせたが、その冷たい声と手から無慈悲な殺意を感じとったのだろう。
言われるがままに高度を下げ、鳳凰の傍へとやってきた。

「…来たわよ。その殺気、仙人じゃ無いわね?でも妖怪でもない…貴方何者よ」
「幻想郷、知っているか?」
「…」
「答えろ」

首に掛けた半霊の手に力を込める。

「…知ってるわよ。大妖、八雲紫がなんかやっている隠れ里でしょ?」
「そうだ。知っているなら話が早い。ここからひたすら直進し、拙者をそこまで連れて行け」
「はぁ?本気で言っているの?行くわけないでしょうに」
「断れば貴様は死ぬだけだ」

指に力を込めて喉を圧迫する。
苦しそうに顔を歪めつつも、それでも若さゆえか、誇りゆえか、鴉天狗は妖忌に対して屈する事無く燃える様な目と妖気をぶつけてきた。

「…断る!殺りたきゃ、殺んなさいよ。必死こいて、鴉から鴉天狗に、なったっていうのに、なったそばから、舐められて、たまるか!」

喉を圧迫され、息も絶え絶えだが鴉天狗ははっきりと拒絶を口にする。
ぜいぜいと荒い呼吸をしながらも、燃えるような目はしかと妖忌を睨みつけてくる。

「私は、強くなるんだ。強くなって、のし上って、そして、私は、すべてから、自由になるんだ!邪魔をするな!この、×××野郎!」
「…そんな下品な言葉を使うな。…自由か」

いい気迫だ、若いながらも十分な気骨がある。そう褒め称えて手を放してやりたいが今の妖忌はなんとしても幻想郷に帰還しなくてはいけないのだ。
この気骨をへし折って、蹂躙し、屈服させることも不可能ではないが出来ればそんな事はしたくない…と、考えていた妖忌に天啓が閃いた。いい物があるじゃないか!
縊りかけていた手を緩める。

「そうか、分かった。では取引といこう」
「はっ、はっ…はぁ…取引ですって?」
「そうだ、賢い鴉天狗は取引で利益を得るものだ。そうだろう?もし拙者を幻想郷へ送り届けてくれるならおぬしにこれをやる」
「!」

己の荷物から葉団扇を取り出した妖忌は霊気を込めて扇いで風を起こし、それが本物である事を示してみせる。
天狗の葉団扇。熟練の天狗だけが所持を許される権威の証。風を操る力を何倍にも高めてくれる、若い天狗なら誰もが憧れる品。


それを目にした鴉天狗は考える。
どうする?殺して奪うか?先に暴力を向けてきたのはあちらだから、遠慮する必要はない。
だがもしあれが、目の前の男自身が大天狗を打ち倒して手に入れたものだとしたら?そうだとしたら未熟な己では返り討ちにあってしまうだろう。
仮に勝てるとしても一息で仕留められなければ男はそれを鳳凰にくべてしまうかもしれない。
となると相手の実力が未知数な以上、力ずくはあまり賢明ではない。却下。次。

応じる?男一人を運搬するだけで得られる報酬としては葉団扇は破格の品だ。百年や二百年の下積みで得られるような品ではないそれを目の前で焼かれてしまってはあまりに勿体無い。
無論、正式に所持が認められていない若輩如きがそれを大っぴらに持ち歩く事は出来ないが、
風を起こす力を何倍にも高めてくれるそれはいざというときの切り札になるし、そもそもそれを持っているというだけで自信になる。
目の前の男がそれをどうやって手に入れたかはまだ不明だが、そもそもそれを奪われる事自体が天狗として恥。元の持ち主が仮に生きていて、仮に鉢合わせしても決して返せとは言えないだろう。

悪くない、いや飛びつかない理由がない取引だ。
取引。そうこれは取引。対等な取引だ!負けを認めるわけじゃない!屈服するわけじゃない。私は私の意志で、取引を選択する!
狡猾な鴉天狗は、己の検討をそう締めくくった。


「乗った!」
「取引成立だな。拙者は…」
「あーいいです聞きたくないです。私は貴方を郷に送る、貴方は葉団扇を私によこす、それだけの取引です。素性など不要、それでいいでしょう?」
「ああ、では頼む」

八割がた羽を失った鳳凰に軽く礼をすると、半人妖忌もまた鳳凰の背を離れて目の前の鴉天狗の背中にしがみついた。

「く、葉団扇の為。我慢だ私、我慢我慢…」

念仏のように唱える相手に妖忌は苦笑して、肉体を霊体化させる。たしかに、少女の背中にしがみついているのはちょっと、いやかなり格好悪い。

「って、軽くなった?おっさん落ちた?ざまーみろ!…って、葉団扇だけは置いてってよ!」
「阿呆、霊体を肉体化できるのだからその逆だって出来て当然だろうに、いちいち驚くな。ほれ行け、こっちは急いでおるのだ!」
「お、落ちてなかったんですか…なんか取り付かれているような感覚で気味悪いけど、まぁしがみつかれるよりかはいいか。じゃ、行きますよ!」
「応!」

鴉天狗は2つの霊体を引きつれ、風となって闇夜を飛翔する。
ここまで幸運が続いたのだ。間に合わない筈がない!そう信じる、妖忌の願いを乗せて。



  ◆   ◆   ◆



――単位刻辺りの結界踏破数が規定値を上回りました。現刻を以て探知大結界を破棄、四重大結界に移行。同時に西行寺家桜花結界を一段強化、式神八雲藍を人里に配置します――



  ◆   ◆   ◆



殿上人によって雇われた武者の一党は幻想郷と一部の者に呼ばれている土地へと足を踏み入れた。
天気は快晴、待宵の月。されど若干強めの風が大地に積もった粉雪を攫い、時たま道行くものの視界を塞ぐ。
彼らが進む先はそこを歩む者が多くないのか残雪の残る道と、大雪に覆われた林が見渡す限り続いているばかり。

呆れるほどの辺境だ。こんな所に赴いて、小娘一人攫うだけの任務に二党からなる大集団を投入するとは。

――戦の道理も分からぬ間抜け貴族め!――

二党の代表として先陣の誉れを与えられた壮年の武者は背後を一瞬振り返った後、心の中で依頼主を罵った。
深い理由は聞いていない。攫う相手がどのようなものかも詳しくは知らない。ただ、呪殺師の様な者だと聞いているだけだ。
要はいつもの貴族の権力争い、そして自分達はその使いっ走り。ただ、それだけである。
だが、そうやって馬鹿どもがごっこ遊びに興じてくれるから、戦う事しか知らない彼等は馬鹿の犬となって飯が食える。
毎度毎度、それを繰り返しながら彼は思うのだ。果たして本当に馬鹿なのは貴族か、それとも駒である己らか。

「止まれ!」

己の棟梁の声に彼は停止し、振り向いて驚愕した。
先陣である彼ら三十名と、本隊後詰の五十名。合わせて八十名で構成されていた隊列が薄紫を纏う半透明な壁のようなもので分断されている。

――結界か!――

彼は呻き、そしてこれほどの人数が投入された理由がおぼろげながら理解できた。
その結界は道のみに展開されているわけではなく、林の中まで延々と続いているのである。もしかしたら、いや間違いなく郷全体を覆っているのだろう。
こんな大規模な結界を彼等は見たことがなかった。敵方には相当に名うての術師がいるに違いない。

「だが、それがどうした」

そう、彼の成すべき事は変わらない。任務を達成して帰り、報酬を得て、また次の任務に就く。それだけだ。

「棟梁、先行します」
「ああ、この結界は簡単には破れないようだ。突破は試みるが…最悪、お前達のみで任務をこなせ」
「了解、行くぞ」

部下達に前進を指示する。二党ない交ぜの今回の任務であったが、彼が率いる前衛は彼自身が所属している一党のみで構成されていた。
高度な結界を目にして戦の予感に士気は向上し、連携も十分。他人に足を引っ張られる心配はない。雑なつくりだったが受け取った地図に記された地理も頭に叩き込んである。
何も、問題はない。

現れた分かれ道で数名を人里へ向かわせ、残る二十数名で前進を続けた彼は若干小高くなった先に大太刀で武装した萌葱色の装束を身につけた男を目にして足を止めた。
後ろを振り向いて頷くと、弓を装備した者達が十名程度、林の中へと消えていく。深雪で歩行するのも困難だが、逆に言えば狙撃者が潜むには最適だ。

「そこをどけ」
「悪いが、この道は通行止めだ。他をあたるんだね。まぁ、他に道なんてないんだが」

くくっ、と笑うその中肉中背の優男は大太刀を鞘から引き抜くとそれを片手でぶら下げる。
長刀を弄んでいる敵の背後に歩み寄った者達に目をやり、その少なさに思わず彼は失笑しかけて、しかし逆に気を引き締めた。

弓を手に、腰に刀を佩いた男が三人。女、いや少女が二人。うち一名は帯刀、一人は手ぶら。長刀の男を合わせて六名だ。

「ははっ、肉がいっぱい来た!」

唯一手ぶらで黄櫨染の衣に身を包む、もっとも無防備に見える少女が意味不明な笑いを上げる。
浅葱色の服の少女は一度、呆れたようにその少女を見やった後、やや短めの太刀を抜いて長刀の男の隣に並んだ。黄櫨染の少女もそれに続く。

「ふん、両手に花か、いい御身分だな」
「おいおい、前口上はもっと格好よくいこうぜ。それじゃまるで負け犬の遠吠えじゃないか、格好悪いなぁあんた」

――先手必勝!――

彼は林に潜んだ射手に僅かな身振りで狙撃を命じる。
林の中、至近から放たれた矢はその間抜けな三人をあっさりと骸に変える――事はなかった。

「…見事なものだ」

一人あたま三本近く放たれた矢をあっさりと避け、男は長刀で、浅葱色の服の女は短刀で後衛に当たりそうな矢だけを叩き落とす。
それだけでも人間業ではないというのに、黄櫨染の少女に至っては己に放たれた矢をすべて素手で受け止めていた。指の力だけで矢をへし折って、哂っている。

「挨拶は終わりかい?じゃ、とっとと始めるとしようか。義母さんが待ってるんでね」
「…かかれ!」

強敵だ。恐らく前衛はみな人間ではない。だがそれがどうした。
部下に攻撃を指示し、彼自身も抜刀する。
そう、彼の成すべき事は変わらない。任務を達成して帰り、報酬を得て、また次の任務に就く。ただ、それだけだ。



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「もっと速度は出ないのか?」
「しつこいですよ!これ以上は無理ですって!」

妖忌の三度目の問いかけに鴉天狗はうんざりとばかりに舌を出した。
文句など言われる筋合いはない。さっきの鳳凰なんぞよりはるかに高速で飛翔しているのにこの阿呆は、と鴉天狗の少女は頭をかきむしりたい所であったが、そんな事をしては減速するだけ。
黙々と神風のような速度を維持して空を突っ切っている。なんだかんだで仕事には真面目な少女であった。

妖忌とてそれは分かっている。分かっているが訊ねざるを得ないのである。
己には何も出来ない、身体を動かす事も出来ず、ただ運ばれるだけという状況は妖忌の焦燥をあおるばかり。

その焦燥感に黙って耐え、そして焦れ、耐え切れなくなって四度目の同じ質問を投げかけようとしたとき、鴉天狗の少女が口を開いた。

「見えました!ってなんですかあれ!」
「紫様の四重結界…やはり間にあわなんだか…いや、まだよ!突っ込め!鴉天狗!」
「なんですって?大妖八雲の防御結界に突っ込め?あんた馬鹿ですか?ぶち当たって死ぬのが落ちです、手前で降ろしますよ!」
「紫様の結界なら斬り慣れておる!構わず突っ込め!やらぬなら取引は無しだ!」
「ここまで来て卑怯な!?ああもう、どうなっても知りませんよ?って、嫌だぁああーーー!死にたくなーーーーい!」

郷を丸々覆っている防御結界を目前に、叫び、目をつぶって思わず減速してしまう鴉天狗の背で一瞬だけ実体化した妖忌は腰の短刀友成を貫くと、十文字に刃を振るう。

「抜けたぞ」
「へ?え、嘘…あんな結界をこんなにあっさりと…」
「ご苦労だった。受け取れ」
「え、あ、はい」

妖忌は呆然としている鴉天狗の少女の手に葉団扇をねじ込むと、一瞬思案した後、口元を引き締めた。

「数々の無礼、大変失礼いたした。貴殿は真、良き天狗であった。心から御礼申し上げる。…それでは、壮健でな」

そう語ると、妖忌は実体化し、鴉天狗の背から跳び下りる。
大地へ落下し、先行させた半霊で巧みに勢いを殺して着地するや否や、矢の様に走り去っていった武者の背中を呆然と見つめていた鴉天狗はかぶりを振って溜息をつく。

「まぁ、猪だけど悪い奴ではなかったか…いや悪い奴だわ。誰が薄い胸と尻よ、誰が!」

薄くはない。妖忌の比較対象が悪かっただけの話だが、そんな事を鴉天狗が知るはずもない。だが、まあ。
己の手の内にある葉団扇に目をやれば怒りなど吹き飛んで思わず笑みがこぼれてくる。間違いなく本物の葉団扇、実に美味しい取引だった。さあ帰ろうか。
そしてそのまま郷から飛び去ろうとして、鴉天狗ははたと気がついた。

「それで私は、ここからどうやって出ればよいのでしょうねぇ…」


  ◆   ◆   ◆


大地に降り立った魂魄妖忌は荷を投げ捨て、西行寺の屋敷目指して走る。
降り立った場所は里の近く。ここから妖忌の脚ならば四半刻もかからない。
八雲藍の妖気と僅かな血の香りを身近に感じつつ、飛ぶように妖忌はその場を後にした。

見慣れた光景が視界に映る。
あと少し。
あともう少し。



見えた!






西行寺の屋敷の門は閂が外され、門戸が開かれている。見張りに立っているはずの魂魄一党の姿は何処にもない。
その代わりに門を守っているのはおびただしいほどの幽々子の死蝶。それは門柱に張り付き、また門下に浮かんであらゆる生物の行来を阻害している。
何が起こったのかは分からない。だがその門に群がった死蝶は誰にも真似できない、西行寺幽々子自身による進入拒絶の意思表明だ。

間に合った!



「幽々子様!」



叫び、死蝶を気にする必要がない妖忌は腰に佩いた短刀を引き抜いて死臭立ち込める屋敷へと飛び込んでいった。
登場人物と装束紹介(つまりは妄想の産物)


魂魄妖忌:本作の主人公。ようやく太刀を抜いた。今話では非想天則妖夢技で少しだけ暴れます。
     小袴に単衣、深緑の水干。冬は狩袴と単衣、狩衣姿。馬を借りる時とか身なりが必要な時だけ褐衣と帽子着用。

西行寺幽々子:本作のメインヒロイン。前話までとは違って恐ろしく強くなった十代半ば。
       切袴に白の小袖と単衣、空色の衵を帯で結ぶのが基本。動きやすさ重視の少女装束・改。外出時は汗衫と市女笠を着用。

八雲紫:妖怪の賢者にしてサブヒロイン筆頭。相変わらずの世話焼きお姉さんで凄くいい人(妖怪)。まだ若いのです。
    白に紫と金で縁取った深衣に八卦を刻んだ大帯。ただし素材は麻じゃなくて絹。異国情緒漂う大陸風装束は実に艶かしい。

稗田阿爾:二人目の御阿礼の子。令嬢風サブヒロイン。今回は食いしん坊万歳!にして里の名士でもあります。若いけど。
     緋袴、単衣、若草色の袿に山吹の唐衣。つまりあっきゅんカラー。

土蜘蛛:多脚戦車土蜘蛛。幽々子に次ぐスタイルを持つサブヒロインで幽々子の境遇には色々と思う所がある模様。
    腹ペコ設定は勝手につけたけど、元ネタが2000人完食だし間違ってはいないはず。
    黄櫨染の狩衣に単衣、白い指貫。禁色で人類に喧嘩売ってます。

鵺:天邪鬼。作中で最も幼いサブヒロイン。戦闘向きじゃないから他人になかなか正体は明かせないけど友人は欲しい、複雑なお年頃。
  緋袴に青と緑を間に挟んだ黒単を重ねたの暗黒お姫様風。羽があるから無理?いやいや、背中をはだけてるのです。

藤原妹紅:不死鳥再び。最も戦が似合うサブヒロイン。今回はパロ少な目で行くつもりだったのですが、土爪は公式パロだし別にいいですよね。
     属性的には火猿猴爪や火爪のほうがイメージにあってそう。死なないのでどんな敵からも経験値を持って帰れますからLVUPが早い早い。
     赤の指貫に灰褐色の直垂。赤の指貫は人目を引くだろうなぁ。

寅丸星:仏神にして妖怪な正義のサブヒロイン。仏教全盛の時代なので信仰ボンガボンガ。まさに星タイム。
    服装は今も昔も変わりません。偶像崇拝も信仰の内なのでそうお着替えはできないのです。可哀相。

ナズーリン:一人だけ名前が浮きすぎだと思います。要所要所で地味に主人公を補佐する優秀なサブキャラ。
      鼠色の小袴小袖。庶民服です。

鴉天狗:好奇心は猫をも殺す。酷い目にあうけどまぁ結果としては得しているから問題ないでしょう。サブキャラ。
    黒の指貫に白の単衣、黒の鈴懸で結袈裟を下げた山伏衣装。まぁ鴉天狗ですので。

魂魄夫婦:特徴がないのが特徴な妖怪の夫と、半人半霊の妖忌の娘。夫婦揃って幽々子の友人。やっぱり親に似てどちらも戦は大好きで不退転。
     小袴に単衣、それぞれ萌葱色と浅葱色の水干。無論狩衣姿もあります。つまり妖忌のアナザーカラー。
白衣
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コメント



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5.100詐欺猫正体不明。削除
さあ、次ですよ。
11.80名前が無い程度の能力削除
もうこれだけ「サブ」ヒロインがいると、サブじゃない気がするが、なんの問題もないね!さぁさ次ですよ
12.90名前が無い程度の能力削除
ここまで来たら一気に最後まで読むしかない。読まずには居られない
16.100名前が無い程度の能力削除
最後まで一気に行くぞ!!
18.90名前が無い程度の能力削除
出て来る出て来る1000年妖怪が皆さん魅力的で、困っちゃう。
睡眠時間を削る覚悟はできた!
19.100名前が無い程度の能力削除
違和感なし
23.100名前が無い程度の能力削除
感想なんていいからともかく次だ!今の所最高です!
27.100dai削除
皆格好良くて皆ステキィ!
よし次!