▼14.人をば知らじ、ただ心地に ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大妖八雲紫が管理者を務める、一部では幻想郷と呼ばれているこの一種の隠れ郷は人間にとっては些か複雑な場所である。
基本的にこの郷は妖怪の為の郷で多数の妖怪がひしめいており、そこで暮らす人間の安全などは殆ど守られていないし、守る必要もない。
少なくとも公には当時、そのように妖怪達に公表されていたし、そうでなくても妖怪は人間を守ったりはしない。
だがそんな郷であってもやはりというかなんと言うか、人間は生活しているのである。
妖怪達が気付いたときには川と平地を確保した一帯に強力な結界を張って人里と成し、その中で人間たちはこの郷独自の生活を営んでいたのだ。
この里で生活する人間は、あるいは妖怪退治の術を磨く為に妖怪の多数暮らす幻想郷を選んだ者だったり。
あるいは妖怪の存在を忘れないように書物として残すのが目的だったり。
はたまた権力争いに敗れて人間の領域に留まる事ができなくなった者達だったり。
苛政は妖怪よりも猛なりと感じた者達だったりと、まあ千差万別である。
人里の結界は強力かつ永続的なもので妖怪にはまず破る事などできはせず、少なくともその里では彼らの安全は確保されていた。
されど平地だけでは色々と物入りになるのは当然であり、野山に入って狩りをしたり伐採を行ったりする者はやはり必要である。
またそれだけではなく閉じた郷の中だけでは流通が滞る為に、郷と外との物品情報をやり取りする交易商のような者もまた必要であり、そして実際僅かながら存在していた。
春分を間近に控え、雪が溶け交通が回復し始めたこの時季に西行寺の屋敷を訪れた男は、そのような交易商の一人であった。
彼は簡単に自己紹介をすませると、幽々子に平身低頭してこう依頼したのである。すなわち
「妖怪を一匹、貴方様のお力で殺していただきたいのです」
と。
おそらくは何を言ってよいのか分からないだろう、幽々子は絶句して口を開けたり閉じたりしている。
とりあえずこのままでは話が進まないので、僭越ながら、と前置きして妖忌が話を牽引する事になったのはごく自然の流れであった。
もっとも妖忌は相手の話を聞くつもりなど無く追い返すつもりだったのだが、相手は商人と名乗るだけあって弁舌逞しく、
「せめて話だけでも」と言って自身の身の上を語り始めてしまい、口下手な妖忌にはそれを中断させる事ができなかった。
その話を纏めるとこういうことである。
彼は己の一族と共に各地を旅してその先々の名産品を仕入れては別の土地に移ってそれを売り、またそこで新たな品を仕入れては
別の土地へと移動するという流浪の商人であり、幻想郷へと足を踏み入れたのもその流れであるとのことだと言う。
そして人里を訪れた彼等が商いを行っている最中、彼の一人息子が姿をくらました。
一族全員で必死に捜索しても発見できなかったが、里の外のほうへ向かったとの目撃情報を元に里外を探してみた所、彼の一人息子は既に物言わぬ骸となっていた、ということだった。
妖怪の仕業である事は間違いないため、敵を討ちたいとも思ったが誰も依頼を引き受けてくれず、藁にもすがる思いで死をもたらす西行寺の当主を頼ってきた、と。
そこまで語ってようやくその商人は一旦口を閉ざした。
聞いてみれば、こう言ってはなんだが特に珍しい事でもない在り来たりな悲劇である。今の幻想郷風に言えば、妖怪溢れるこの地ではあまりにも迂闊だった。それだけだ。
だが関係ない者達にとっては在り来たりな悲劇でも、当事者達にとっては我が身を削られるほどの悲しみをもたらす事は疑いようが無い。
もともと妖忌も流浪の身であったため、行く先々の地の暗黙の了解を知らずに苦労した事一度や二度ではない。
それゆえ目の前の彼の苦労には同調できるし、彼には十分に復讐に燃える権利があるとも思う。
だがそれを幽々子に依頼してくるのはやはりお門違いというものだ。
「まず存じ上げておいていただきたいのだが、我等はそのような依頼を受けたことなどないし、受けるつもりなど毛頭ござらん。よってお断り申す」
「何故でしょうか?」
腿の上の握りこぶしに悔しさをにじませながらも、男は平静な態度を維持しつつ食い下がった。
「見て分からぬか?我らが当主は見た目通りのお方。死を操れると言ってもその身は荒事には向かず、またその死の能力とておぬしが思っているような万能のものでは御座らぬ」
「…」
流浪の彼は件の西行寺の当主について、噂は耳にすれど本当にこのような少女だとは思っていなかったのだろう。半ば恥じ入るような表情を浮かべている。
どうやら彼は話術となれば巧みに詭弁誇張を弄すれど、それはあくまで身につけた技術であり、根は善良な男のようであるように妖忌には見受けられた。
それ故に妖忌は若干の同情を覚える。無論彼のその態度すら同情を引くための芝居である可能性も捨てきってはいなかったが。
「それにしても、里には妖怪退治を生業とする者が多数駐屯している筈。彼等は何故おぬしの依頼を断った?」
「息子の遺体の傍、石の影となって日の当たらぬ位置にこれが落ちていたのです」
「黒羽…天狗の羽か」
「おそらくは」
天狗は狡猾な種族、証拠など残したりはしない。彼の言うとおり、石の影で見えにくい位置にあったからこそこれが残ったのであろう。
だがしかし天狗とは。妖忌は里の妖怪退治屋や妖怪妖魔改役が退治を拒否した理由がようやく理解できた。
「成る程、連中が断るわけだ」
「ええ、誰もが口をそろえて、天狗の相手は御免だと返してきました」
それも致し方あるまい、と妖忌は思う。その辺の妖怪であれば彼の無念を晴らすため、幽々子の代わりに妖忌が斬っても良かろうもと思っていたのだが、天狗ではそうもいかなくなった。
◆ ◆ ◆
天狗、というのは強力かつ優秀とまず称してよい妖怪である。されど人でも十分に退治可能な妖怪である事もまた間違いない。
だが、妖怪退治を生業とする連中ですら天狗の相手は可能な限り拒絶する。
それは天狗が何よりも「人間に近い」妖怪であるからだ。
姿形、ということではない。組織を作り、種族の差を作り、上下関係を作って集団として生活する。そのあり方は驚くほど人間にそっくりである。
それ故にある程度は交渉によって協力を仰いだり、揉め事を回避する事も可能である事を考えれば、人間にとって天狗を敵に回す事はあまり好ましくない。
だが里の者達が天狗を敵に回すのを嫌がるのはそのような理由ではない。
厄介な事に天狗たちは人間よりもはるかに誇り高い、というよりも過剰に自尊心が強い連中なのだ。
ろくに証拠もなく犯人と決め付けて天狗を退治しようものなら、天狗は猛って総出で報復に出るであろう。
退治する事自体は悲観するほど困難ではない。退治の困難さで言えば最強たる鬼に比べてはるかに容易い。だが決闘を好み後腐れのない鬼とは異なり、天狗は退治した後が困難なのだ。
下手をすれば退治した者だけでなく、その周囲に対してすら集団で報復に出る可能性もある。十分な証拠がない場合は当然。動かぬ証拠があってすら報復に出る可能性も捨てきれない。
だから後始末も含めた総合的な討伐難度を鑑みると、天狗は鬼に並ぶ…いや鬼を凌駕するほど面倒な連中なのだ。
天狗というのは集団の価値と利点をよく理解した、最も賢く、社会的な妖怪である。
「当主様の能力は、陰陽道による呪殺などと異なり全く証拠を残さずに死に至らしめる能力であると窺っています。最早私には、貴方に頼るほかないのです」
そう語り、その商人は再度深々と頭を垂れる。
人の口に戸は立てられないな、と妖忌は唸る。よくもまぁ幽々子の能力をそこまで調査できたものだ。
「しかし、仇となる個体は特定できていないのだろう?」
「それはこちらで必ず突き止めます。情報収集こそ商人の本領ですので」
「だが、そのためには影日向と動く必要があろう。いくら我等が当主の能力が証拠を残さぬとはいえ、おぬしが調査した痕跡は残り、そして調査の後に対象が突如なんの異変もなしに死ぬ。因果関係から我らが当主が殺害を請け負ったのではと想像できぬほど天狗も愚かではあるまい」
「それは…」
「加えてお主らは復讐が果たされればまた流浪の商人に戻るのだろうが、我等はこの地で引き続き暮してゆかねばならん。さて、おぬしはそれについてどう思う?復讐が果たされれば後は野となれか?」
「…」
目の前で困惑の表情を浮かべている、未だ少女に過ぎない幽々子の表情を目の当たりにして商人は沈黙した。幽々子を思いやったのもあるだろうが、この場ではこれ以上相手を説き伏せることは出来ないと判断したのだろう。
面会を受け入れてくれた事に対してやや形式ばった謝辞を口にした後、その商人は後ろ髪を引かれる思いを胸に西行寺の屋敷を後にした。
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「妖忌…」
その商人が去った後、幽々子は震える声で妖忌の名を呼んだ。
「参りましたな…。あの様子だと一度では引き下がりますまい」
幽々子の顔に浮かんだ影がさっと濃度を増す。
世に生まれ出でて十数年。死を操る能力を得て数年。これまで忌避され、疎まれる事はあっても親族達以外から望まれる事はなかった。
初めて他者から望まれた事がよく知らぬ他人からの殺害依頼とは。
だが、と妖忌は思う。
実の所妖忌に(色々と)協力的な親族から話は聞いていたとはいえ、殺害依頼の様なものがこれが初めてということ自体が驚きであったのだ。
平安の都に一度でも踏み入れた事がある輩ならば誰もがそう思うだろう。
その名とは裏腹に貴族達の腐敗と陰謀が渦巻き、賄賂、暗殺、呪殺といったものがはびこるあの都市は常に怨念で満ち溢れている。
あれだけの怨念をただの人間だけが生産したとは思いたくないが、残念な事にそれが現実。
人間とは妖怪には消し去ることが出来ない程の眩しさを持ってはいるが、同時に妖怪ですら飲み込めない程の闇をはらんだ種族なのである。
故に今後もこういう話が飛び込んでくる可能性は低くない。いや、今回限り、と考えるほうが楽観的にすぎる。
(ここいらできっちりと今後の方針を決めておかねばなるまいな)
妖忌は一人首肯する。今回の一件に留まる事無く、西行寺家が―いや幽々子が今後この郷で暮らしていく上での指標を早めに決めておかねばならない。
「幽々子様、今後の西行寺家の方針に関してお話があります。親族一同をお呼びいただけますか?」
「…ええ」
幽々子は沈痛な面持ちを浮かべたまま、己の家族を集める為に席を立つ。
時間を置いたほうが良いか?と妖忌は眉をひそめたが、こういったことは熟考しても埒が明かぬのが大方である、とかぶりを振り
一足先に東の対屋に赴いて畳の準備を進める事にした。
◆ ◆ ◆
数刻後、幽々子とその親族一同、そして妖忌は東の対にて顔をあわせていた。
上座に幽々子、下座に妖忌、その間を埋めるように親族と輪を画いて座る。
妖忌は一同を見回したが、どうやら妖忌が口火を切るのを待っているようであって、誰も口を開かない。むしろ目下とかどうでもいいから早く口を開けと目で語りかけてくる。
どうやら親戚一同の仲では既に妖忌の席次は内々には幽々子に次ぐ…いやむしろ西行寺家で最上位に位置しているようであった。
先程さりげなく幽々子の隣に座するように言われ、それを拒否した事を思い出して妖忌は心の中で溜息をつきながらも、よく通る声を対屋に響かせた。
「さて皆様、既にお聞きになっている方もいらっしゃいましょうが、改めて説明いたします。本日、流浪の商人が幽々子様に妖怪退治…言葉を飾っても仕方ありませんな。妖怪の殺害を依頼してまいりました」
「…ええ、聞き及んでおります」
親族の一人―幽々子の父方の叔母―が呆れたような表情で言葉を返す。
「このような話はこれが初めてということですが、今回の件が仮に片付いたとしても今後同じような依頼をしてくる者達がいなくなるとも思えませぬ。なればこそ、今この場で今後の方針を決めておかねば後々苦労すると思われたため、急遽皆様に御参集いただいた次第に御座います」
一同の顔を見回す。憤慨した顔、呆れた顔、様々だが皆今回の件には戸惑っているらしく、おそらく結論は一つとはいえど未だ具体的な方針を思い描けている者はいないように妖忌には読み取れた。
(なんだかんだで、平和だったのだな)
と、嘆息した妖忌だったが、ふと今更ながら不思議な点に気がついた。そもそもなんで、西行寺家は人里に居を構えていないのだろうか?
今は幽々子の能力を人妖問わず恐れているため誰も屋敷には近づかないが、その前はどうやってこの屋敷は妖怪の襲撃を防いでいたのだ?
少々逡巡し、妖忌はそれを問うてみる事にした。既に屋敷の者達が知っている事を妖忌が確認している間、彼等はその数刻を自分自身の思考を纏める時間に使えるはずである。
「と、その前に、これまで皆様がどうやって暮してきたのかを確認しておきたいと思うのですが、どなたか拙者の質問にお答え願えますでしょうか?」
「ふむ、では私が」
妖忌の近くに座していた幽々子の伯父が自推してきたため、妖忌はではお願いいたすと軽く頭を下げて疑問を投げかける。
「御身らは人里から離れたこの地で一体どうやって妖怪の襲撃を防いでこられたのですか?」
「もともとは、結界があったのです」
「ほう?」
「初代当主がなにやら豪奢な黄金の髪を冠する術師と交渉して、塀に沿って結界を張ってもらっていた、と聞き及んでいます。どうやらこれは八雲様の事であるようで、これにより門以外からはいかなる妖怪も出入りが不可能となっておりました」
紫様の結界か、と妖忌は頷いた。紫以上の結界術師は国中を旅した妖忌ですら見たことがない。紫の結界であるならば確かにどんな妖怪の侵入もまず完全に防げるだろう。だが…
「しかし今はそのような結界は無い様ですが…若干はあるのか?いや、無いような」
「西行妖が妖怪化して巨大化した際に塀を壊してしまったもので…」
なるほど、塀を寄り代として結界を張ってあったのであれば、内側から塀が壊されれば結界も壊れてしまう、ということか。妖忌は納得した。
紫は結界を展開するとき、必ず何がしかの弱点を残しておく事が多いのである。それは完成したらその瞬間から壊れてしまうから、とか一部を弱める事で他を強化するためなどといったことではなく、紫の好みによるものであろうと妖忌は推測していた。混沌としたものを好む紫は、世界を二分してしまう完全な結界は好きではないのだろうが、結界を依頼するほうとしては困ったものだ。
「その後、張り直しを依頼しなかったのですか?」
「しようとは思ったのですが、里の術師には全く解読できないから再構築は無理と言われ、またその当時八雲様も見つけられなかったもので」
「ああ、冬から春にかけては冬眠しているしなぁ…」
「冬眠?」
「いや失礼、こちらの話です。…であればそれ以降は妖怪を防ぐ術がなかったのですな?それでよく…ああ、その頃には幽々子様は死の能力を手に入れていたのですか」
「ええ、そうです」
名前を呼ばれた幽々子がはっとして会話に参加してきた。
「長老―ああ、この前亡くなった者ですが―の苦肉の策で、結界が壊れているのに気付いて攻めて来た妖怪は幽々子の能力で瀕死にして追い返すことにしたのです」
「…よく間に合いましたな。幽々子様の能力はあまり素早く相手に効果をもたらす物ではなかったと窺っていますが」
「どういうわけか西行妖が咲いている間は別みたいで、その気になればあっという間に塗りつぶせます」
自身の能力を自慢しているような表現になってしまったせいか、若干顔をしかめながら幽々子が答える。
「ふむ。で、そのときは殺さなかったのですな?」
「ええ、瀕死にしてから能力を解除して開放しました。長老曰く、殺すよりも「こんな目にあった」と吹聴してまわってもらったほうが効率よく噂が波及する、と」
幽々子はその言葉をそのまま受け入れたようだが、たぶんそれは効率だけでなく幽々子に誰かを殺させまいと願う老人の思いやりでもあったのだろう。そう妖忌は納得して幽々子に目線を向ける。
目線を向けられた幽々子ははて?とばかりに目を瞬かせた。
伯父が幽々子の話を引き継いで再び口を開く。
「その後も噂の真偽を確かめようと何度か妖怪が現れましたが、みな春のうちに襲ってきたのが幸いして全て撃退する事が出来たのです。最終的に誰もがその噂を真実として受け止め、この館を襲う妖怪はいなくなりました。…残念ながらこの館を訪れる人もいなくなったのですが」
「成る程なぁ」
「その後、春も終わろうと言う頃に現れた八雲様に結界の修復を依頼したのですが、「西行妖の死の誘惑が屋敷内に充満するわよ」と言われまして…」
「それはいただけませんな」
「ええ、ただその時に壊れた結界を半壊のままですがある程度修復していただけまして。為に今は死の誘惑も篭る事無く、また下級妖怪も近づいてこれないのでこれはこれで納得するしかないと」
上級妖怪に対しては防ぐ手立てがないのですが、と若干不満と言うか不安そうな表情で伯父は弱々しく溜息をついた。
その説明で妖忌の疑問は大部分が氷解した。なぜ幽々子の能力が知れ渡っているのか不思議でならなかったが、そういう裏事情があったのだ。
人間が構築する結界では紫の結界ほど完全な機能は期待できない。西行寺一族は、幽々子を含めた彼らが生きるために、幽々子の能力を公表せざるをえなかったのだ。
人里へ引越し、というのは幽々子が拒んだと以前聞き及んでいる。彼女は父の形見であり墓標でもある西行妖を捨て置けなかったのだろう。
(里の者は、西行妖を切れと圧力を掛けては来ないのでしょうか?)
あまり幽々子に聞かせたくない質問だった為、妖忌は傍に座す伯父に小声で問いかけた。
それを一瞥した幽々子の叔父が幽々子に小声で何かささやき始めたため、幽々子の意識は一旦妖忌から離れていく。
その行動は妖忌を配慮しての事疑いなく、親族同士の見事な連携に妖忌は自然と頭が下がる心持である。
(里の者が西行妖についてとやかく言ってくることはありません。元を糺せば、西行妖を妖怪化たらしめたのは里の者なのですから)
(と、言われますと?)
(先代当主、つまり幽々子の父は優れた歌人であり、そしてある種の聖性すら備えておりましたが、当主としての役目を放棄し幼い娘を省みず、歌と旅と世界に溶け込む様は我等からすれば些かもてあます存在でもありました。故に彼が桜の下で死去した後も、彼の後を追って死を選ぶ者は我ら一族にはあまりおりませなんだ)
ああ、と妖忌は頷いた。聖人と言うものも確かに遠くにあって思ってこその聖人なのかも知れない。聖人、天人らが地上の瑣末を由無し事と切って捨てても、地上に生きる者達にとってはそれが生活の一部なのだ。
それを切って捨てられるのを間近で見せ付けられ続ければ腹が立つとはいかないまでもそう好意的にもなれないだろう。
ましてや、一族の当主がその役目を放棄して、となれば尚更である。
(彼の死を悼み、彼に続かんと思った者達が勝手に我らが屋敷に侵入し、あの桜の元で自尽した為あの桜は妖怪となったのです。そしてその者達の家族は未だ人里に暮らしております)
(成る程、合点がいき申した)
そういう観点で見れば残る西行寺家はある意味被害者である。歌聖が「後を追って来い」などと示唆するはずもないのだから、後追い自殺をした者の責任はその者自身にある。
だから遺族は負い目を感じざるを得ないのだろう。なにせ、自分の家族が勝手に西行寺家に侵入し、自殺したせいで西行寺家の中には妖怪が生まれ、それに巻き込まれて西行寺家の者達も死に至ったのだから。
発端が里人達にある以上、あまり西行妖の処理に関して強く出てこれないという訳だ。下手に西行妖について非難すれば、自分達が逆に非難されかねないのだから。
軽く伯父に頭を下げると、妖忌は再び話を本筋へと差し戻す。
「さて経緯は理解いたしました。それでは、幽々子様はほとんどその能力で生物を殺した事がないのですな」
「…ええ、半壊した結界の修復と引き換えに、紫様に能力を見せるよう乞われて小鳥を殺した程度です」
そのときの命を奪う感覚を思い出したのか、若干顔をしかめて幽々子は首肯した。
「ふむ、現状我らがとるべき道はやはり三つでありましょうな。一つには殺害依頼などもっての他。全て拒否してこれまでどおりの生活を続ける。二つには殺害依頼を受け入れ、妖怪退治の真似事をする。三つ目はその折衷案、と言う事になりましょうか。四つめの道として逃走という手段もありましょうが、これは根本的解決にならぬでしょうから除外いたします」
皆が頷く様に目をやって、妖忌は言葉を連ねる。
「であればこの三つの中から選択する事になりましょうが…皆様の表情を鑑みれば回答は最早明白ですな。殺害依頼など理由に因らず全て拒否する。異論はございますまい」
眼力を込めて、妖忌は親族の一人一人の顔を見回していくが、妖忌が西行寺家の経歴やらを尋ねている間に自己の感情を纏めたのであろう、誰もが決意を秘めた表情で妖忌を見返してくる。
妖忌は満足げに頷いた。どうやら親族一同を集めた目的は達成できたようであった。
最初から議論になるはずはないだろうな、と妖忌は思っていたのだ。果たしてそのとおりで現在屋敷にいる親族は誰よりも幽々子の身を案じている者達ばかりである。
ゆえに最初から答えなど決まっており、今更討論に発展するはずもない。
それでも妖忌が一同を集めたのは方針の明確な共有と、外圧に対抗する為に屋敷の一体感を高めることの二つが目的であり、そしてその目的は十分に果たされたようであった。
「でも、それで大丈夫なのでしょうか?」
されど一人年若い幽々子は不安そうに目線を床に落としている。今回の一件で幽々子は気がついたのだ。
彼女の能力は一般の者には忌避され嫌われる類のものではあるが、ある種の暗い感情を内に秘めた者達にとっては羨望と喝采をもって迎えられるのだという事を。
それだけではない。もし今後この郷に妖怪退治を生業とする者の手に負えないような妖怪が現れ、里にも被害が及ぶようになれば、誰もが絶対死の能力を持つ少女の事を思い出すだろう。
人里が一丸となって圧力をかけてきた場合に、西行寺家が拮抗できる筈もない。
「まぁ、大丈夫かと言われれば、大丈夫ではありませんな」
幽々子の表情からその心中を把握した妖忌は若干苦笑しながら、しかしこともなさげに答える。
唖然とした表情を浮かべた幽々子に妖忌は悟ったような表情を浮かべてみせる。
「幽々子様、結局のところ我等はどの道を選んでも完全に外部からの圧力を遮断することはできぬのです。であるならば歩みたい道を選び、採るべき物のみを採って進みましょう。それに御心配召されるな、幽々子様に害成す者は…」
瞬間、寝殿を凄まじい殺気が支配する。戦など経験したことのない西行寺家の者でもはっきりと分かる重圧。拘束力など欠片もない筈なのに彼らの動きを縛り付ける、凄まじい敵意と殺意。
本能が逃走を呼びかけてくるが、動いたら斬られるとやはり同様に本能が動きを制限する。一つの冷たい感情だけが場を支配しており、それを放っているのはただ一人の人間、いや半人半霊である。
先ほどまで幽々子の護衛の為に寝殿に招かれていた妖忌の手元には大太刀があり、それを手にした妖忌はうすら寒い笑みを浮かべていた。
「…とまあこのように、こちらとて多少は圧力をかける手段ぐらいあり申す。ま、うまくやってまいりましょう」
妖忌がにやりと口を吊り上げると同時に、場の空気がいつものそれに戻る。息をする事も忘れ、妖忌に呑まれていた親族達が揃って深呼吸をしながら非難と感嘆と畏怖が交じったような目線を妖忌に投じてきた。
だがそれらを涼風と受け流して、妖忌は一人だけ呆れをも含ませている表情を浮かべた幽々子に向き直る。
「御身の望むままに。出来るからやらねばならぬ、という事などないのです。人が望まぬものを押し通そうとするのははたして悪でございましょうから、そんなものに従う必要はありませぬ。無論どうにもならないものは確かにありましょうが、それを気にして本道を歩けぬは些か惨めというもの」
「…そう、そうね。殺さなくてもいいのよね」
「と言うか、それが普通の生き方でありますな」
違いない。私にとっては普通に生きるのも大変なものだ、と幽々子は小さく溜息をついた。
▼15.花、映える年 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
件の商人はその後も何度か西行寺の屋敷を訪れた。
どこからか隠形の符を買い付けて妖怪から姿を隠し、門戸を叩いて幽々子に面会を求めては、様々な角度から此度の依頼の正当性とその心情を訴える。
人間が妖怪を退治することの正しさ、理不尽な死を黙して受け入れる事に対する不条理、人の親としての悲しみ。人としての情、理のあらゆる面からの説得を試みてきた。
流石は各地を巡りに巡った行商人ということか、その手管は見事と言うほかなく、同席していた妖忌は何度か「成る程」と感心してしまった程である。
第三者として客観的に会話を捉えようとしても、瞬く間に引きずり込まれてしまうのだ。もし妖忌が未だ流浪の身であったならば、即座にその依頼を受け入れて妖怪退治に向かっていただろう。
商人とは話術、交渉術こそが武器であるのだと、改めて妖忌は思い知らされる形となった。
だが、その商人が揺るがぬ決意を語る一方で、聞き手たる西行寺家側もまた不殺の決意を固めている。
親族と意思を重ねており、また妖忌もまた傍にいると言う安心感か幽々子は最初のように言葉に詰まることも無く、拙い、されどはっきりとした言葉で商人の依頼を拒絶した。
数度の会合を経てもなお両者の意思は互いに平行線であったが、会うにつれて段々と相手側は気勢をそがれていっているように妖忌には捉えられた。
悲しみも、怒りも、憎しみも未だ薄まってはいない。だが、何度も会合を重ねれば幽々子の思考や苦悩も相手側へ伝わるというもの。
そしてそんな少女に殺害を持ちかける己の惨めさと不甲斐なさも日に日に助長されていっているに違いない。
可哀相ではあるが、彼はいずれ幽々子にこの話を持ちかけるのを断念するだろう。そう妖忌は判断し、数度目の来訪を終えて西行寺の屋敷を去る男の背中を見つめながら静かに息を吐いた。
その予想通り、郷と外界を繋ぐ道に降り積もった雪もあらかた除雪され、温かみが増してきた頃にその行商人は最後の挨拶と称して西行寺の屋敷を訪れた。
これより二、三日の後にこの里を去るゆえ、これまで御迷惑をおかけして申し訳なかった、と。
親族はおろか使用人達も荒事に巻き込まれずにすむであろう結末に安堵しほっと胸をなでおろした。
そうして西行寺家はひとまずこれまでの生活に戻る。
その筈だった。
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「妖忌様、すぐに屋敷へとおいでください!」
西行寺家の屋敷と若干距離を置く妖忌のあばら家に西行寺家の使用人が息巻いて飛び込んできたのはその行商人の挨拶を受けた翌日深夜の事であった。
その尋常ではない様子に何事か、と問おうとした妖忌の耳にどこかで耳にした声が響く。
―オイデ―
いや、それは耳に響いたのではない。鼓膜ではなく、心へと直接響いてくる声であった。
ああ、今年も開花の季節か、と考えたその瞬間、妖忌の全身の毛がぞわりと逆立った。
去年はこの声は妖忌のあばら家ではほとんど聞こえなかったはずではなかったか?それがこんなにもはっきりと耳に、いや魂に染み込んでくる。
…まさか!
「幽々子様は!」
「姫様は未だ就寝中かと!現在屋敷で起床しているのは私のみのはずです!」
「分かり申した。では一足先に戻ってくだされ、すぐに行き申す。親族の方々にそっと声をおかけして、幽々子様が目を覚まされても決して幽々子様を屋敷の外に出さ…いや、屋敷の庭に目線を向けさせないように伝えてくだされ!もっとも、すぐに気付かれるでしょうが…」
「心得ました。お急ぎください!」
使用人は即座に踵を帰して屋敷へと戻っていく。
一度舌打ちして妖忌は即座に身だしなみを整えた。着衣を済ませ、大太刀宗近は残して短刀友成だけを腰に佩く。
即座に西行寺家の屋敷へと向かって駆け出そうとあばら家を後にし、屋敷のある方角に向き直った瞬間、妖忌は思わず溜息をついた。
「随分と成長したものだ。何人殺したのだ?」
◆ ◆ ◆
義理の息子を叩き起こして魂魄の残党を集めて屋敷に来る様に伝えた後、人を超える筋力を駆使して飛ぶような速さで西行寺の屋敷へと赴いた妖忌の視界に入ったのは
昨年よりもはるかに成長し、されど変わらぬ、いや昨年よりもはるかに美しい大量の花を湛えた西行妖。
そしてその樹の元に積みあがった二十体近い自尽死体の山、そしてその山から流れ出す黒く濁った流血の河川であった。
「これは…」
これまで西行妖の元で死を選ぶ者達を多数見てきたとはいえ、流石に一度にここまでの惨状を目にしたことはなかったのだろう。
妖忌のすぐ傍に並んだ幽々子の叔父が絶句し、むせ返るような血臭に思わず口を押さえて顔を背ける。
「お下がりなさいませ。戦慣れしていない者にはこの状況は辛いでしょう。我が愚息にも声をかけましたし、彼奴等と拙者でこの死体の山は何とかいたしますゆえ、それが終わるまで幽々子様をお願いいたします。決して、この惨状を幽々子様の視界に入れないように」
「…心得ました。穢土を押し付けてしまい申し訳ありません」
「なに、これでも元武者。死体の処理には慣れておりますゆえ、そう畏まりなさるな」
口を押さえて謝罪の言葉と共に遠ざかっていく後姿から目を離し、妖忌は死体の山へと向かっていく。息子たちが来るのを待たず、とりあえず出来る事から始めてしまうつもりだった。
死体の山を上から崩し、一人一人仰向けに横たえる。まぶたが開いたままの者に対してはそれを閉じ、両手を胸の前で合わせる。
「偽りの幸福の中で、お主らは天へと至れたのか?」
言葉を返す事のない死体に問いかける。数刻前までは人だった者達は目を開いた者、閉じた者まちまちであったが、皆一様に恍惚とした笑みを浮かべている。
表情に歓喜を湛えた面識のない死体を次々と横たえていった妖忌だったが、最後に現れた者を見て妖忌は思わず唾を飲んだ。予想通りとはいえ、やはり。
「やはり、最初に死を選んだのはお主か。最早生きる事に希望を持てなかったか?残る家族を養う義務感より、非情な現実から逃避する事を選んだか」
その折重なった死体の山、最も下にいたのはこれまで西行寺家を訪れ、幽々子に仇討ちを懇願していたあの行商人であった。その男の顔もまた、喜びに彩られている。
妖忌は彼の者の表情を動かして笑顔を崩した。無念を数多抱えていたであろうこの男が笑顔で死んでいることが哀れに思えたのだ。
それは苦悩から開放された笑顔ではなく、這い寄るように心に染み込んできた力でもって無理矢理に作らされた歓喜であるのだから。
妖忌は顔を上げ、そしてそれをもたらした張本人に目をやる。
――オイデ――
「まだ食い足りぬか。強欲な奴だ」
昨年目にした時には高さはおよそ十五丈、広がりは百二十尺と見積もったが、今やその高さは二十尺をとうに越えているだろう。湛えし花の密度も昨年の比ではない。
血臭漂うこの地獄のような状況に置いて、それでもなおこの桜だけが美しい。
まるで死者から流れ出た血液の黒だけを残し紅だけを吸い上げて、薄めて花と化したかのような桜の花弁がはらりはらりと死体の上へと還っていく。
「やれやれ、まるで地獄の花ですね」
気付けば桜を見上げていた妖忌のすぐ横に彼の義理の息子が並び立って、桜と死体を交互に見やっていた。
背後には郷に残った数少ない魂魄残党の男集四名も控えている。
「来たか。早々にすまんが彼らを埋葬するゆえ力を貸せ」
「妖怪使いが荒いですね。ま、致し方ない、森の奥にある小道の先が無縁塚になっているらしいので、そこに埋葬しましょう。彼らも喜ぶでしょうしね」
「何故だ?」
「そこも桜の名所なのですよ。紫色の桜が咲く、ね。桜に呼ばれて死を選ぶくらいなんですから、桜の元で眠りたいでしょう」
そう語る彼の声には若干の棘が含まれていた。彼は妖怪にしては珍しく美しい物、格好よい者を好む性分であり、それ故に自ら死を選ぶ醜さを容認し得ないのだろう。
死なずの妹紅がいれば楽に骨に出来て運搬が楽だったのになぁ、などと呟きつつ、彼ら魂魄の残党は手分けして引き車に遺体を重ねていく。
「うん?己の分が無い様だが」
死体が重ねられた引き車の数を確認して妖忌は首をかしげた。
遺体は魂魄一党が用意した引き車にのみ分散されて積まれており、妖忌の分の引き車には一体の遺体も載せられていなかったのである。
「馬鹿言っちゃいけませんよ。義父さんにはやることがあるでしょう?」
そう語る棟梁の声にあわせて魂魄の残党一同がうんうんと頷いている。
「何だ?…ああ、血を洗い流さねばな。確かに水源は屋敷の中であるか」
「…阿呆、そんなのは使用人に任せておけ。お前がやらねばならないのは傷心の姫君を慰める事だ、当たり前だろうに!?…それは、お前にしか出来ない事だろうが」
声を張り上げる息子の顔を見て妖忌は呻き声を上げた。息子の表情にはからかうような色はなく、憮然たる面持ちだけがそこにある。
言葉遣いも昔に戻っているし、どうやら遊んでいる余裕もないほど憤慨しているのだろう。
「…そうだな。己にしか出来ないかはともかく、幽々子様に報告に参らねば」
「分かればよいのです。後の処理は俺らがやっておきますので…では行くか。仏さん方、通過する場所が場所だ。途中で野良妖怪に攫われても怨まないでくれよ」
棟梁にならって両手を合わせ、しばし黙祷を捧げた後、魂魄の残党は遺体を埋葬するべく引き車を引いて森の奥にある無縁塚へと向かっていった。
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血に染まった己の服を脱いで、使用人に借り受けた香の焚かれた小袖小袴に身を通した後、妖忌は幽々子に報告を行うべく親族の集う東の対屋へと赴いた。
「遅くなりまして申し訳ありません、幽々子様」
「妖忌、その…」
「ええ、予想通りにございます」
幽々子は沈痛な面持ちで目線を床に落とす。
「…私の、せいかしらね」
「そのように、無駄に御身を責めぬ事です」
「でも西行妖を、人を死に誘う妖樹を切らずに囲っている事に対する責任は、負わなくてはいけないでしょう?」
「では西行妖を殺しますか?お望みとあらば、一太刀で葬ってみせましょう」
殺す、と語る妖忌の表現に幽々子は己の両腕を抱いて肩を震わせる。
「結局の所、人と妖どちらが死ぬか、と言う話になってしまうのです。正直に申せば拙者、さほど西行妖に非があるとも思えませぬ。西行妖は確かに人を死に誘いますが、己から歩いて回っているわけではありません。近づかなければ脅威ではない、そのような者を憂いを経つ等と称して切るは過剰防衛というもの。西行妖を切らなければならない時があるとすれば、それは奴の誘いが人里へと届くようになってからでしょう。…無論これは、妖を忌めとの命に反発する己の稚気に端を発する考えであり、正道などではございませんが」
軽く息を吸って、幽々子の目を覗き込む。
「されど人と妖、どちらも命は命でございましょう。どちらかを切って捨てれば、万事上手く行く。それがこの世であるならば、狭間に立つ我ら半人半霊のような者は、一体どうすればよいのでしょうか。西行妖を切らなかった幽々子様の考えが間違っているとも思えませぬ」
「…私は、そのような事を考えてあれを残しているわけではありません。私はただ…」
「みなまで申されるな、幽々子様の考えはよく理解しておるつもりです。ただ、それが善意から出たものでなかったとしても、そこに救いを見出すものもまた居る、と言う事です。難しい話ですが…いや、難しくは在りませんな。要は何を選んでも賞賛されるし非難されると言う事に尽きましょう」
妖忌は困ったように肩をすくめた。あまり幽々子の悲しみを払拭できるような台詞が浮かんでこない。武者的な思ったままを語っても慰めにはならないし、言を選ぼうとすると元々饒舌なほうではない妖忌は言葉につまってしまう。
「しかし、何故彼らはああもあっさりと全滅するに至ったのでしょうか?いや、一つ一つ紐解いていけば疑問などないのでしょうが、まるで流れるかのように死へと転落していきましたな」
幽々子の前で腕を組んで唸り始めた妖忌を見かねたか、話を一旦そらすかのように幽々子の伯父が由無し事を挟んできた。
確かにその通りだ、と妖忌は心中で首肯する。
順を追って考えれば、心に深い喪失を抱えたあの行商人が西行妖を目にし、その死の誘惑に耐え切れずに自尽を選んだ。そしてその家族も目の前で家長が死を選んだその光景から逃れるように西行妖の誘いを受け入れた。そして稼ぎ頭を失った一団もこの先を憂い、そこに西行妖が付け入る隙を作ってしまった。流れとしてはこんな所だろう。
だが今日この日に西行妖が咲かなければ、あるいは彼らが今日出立しなければ、さらには彼らが郷を出立するに当たり複数ある道の中からこの西行寺の邸宅付近に続くこの道を選ばなければこれらは回避できた筈である。
流れるように死へと転落していったという彼の言葉は得てして妙であった。
「確かに、流れが死へと向かっておりますな」
彼の言葉に妖忌は改めて頷いてみせる。いや、半ばは自分の思考をまとめる為に頷いたようなものだ。
伯父は思い付きを差し挟んだだけなのだろうが、何かが妖忌の思考の片隅に引っかかっているのである。
死に易い。
死に傾斜する。
死霊が大量に生まれる。
「…そうか」
六十年の周期。あまり気にも留めていなかったが、かつて紫に聞いた死者が大量に発生する周期、それが今年だ。
どうやら幽々子の伯父が放った言葉は、単なる由無し事では片付けられない事実の尻尾を掴んでいたようである。
「これだけでは、終わらないかもしれない…」
ぽつりと呟いた妖忌に、幽々子を含めその場に居合わせた西行寺一同がぎょっとして妖忌を見据える。
図らずも皆の視線を集めてしまった妖忌だったが、ちょうど良いとばかりに皆の顔に視線をめぐらして口を開いた。
「これはゆか…八雲様から伺った話なのですが、六十年に一度、死者が大量に発生するという周期があるそうです」
「今年が、その年だと?」
「そう記憶しております。おそらく今年はあらゆる因果が死へと結びついているのでしょう。我等は他の者達よりはるかに死が身近にある。気をつけねば悲惨な事になりましょうぞ」
「…回避する方法はないのですか、妖忌?」
「残念ながら自然現象との事ですので。可能な限り迂闊な行動をとらない、としか言いようがありませぬ」
「…」
誰もが声を発する事が出来ない。にわかには信じがたいが、目の前で起きた事件の傷痕が深すぎて、とてもじゃないがただの迷信と聞き流すことができないのだ。
妖忌に全幅の信頼を置いている為、その言葉を唯一欠片も疑わない幽々子がいち早く今後の方針を模索し始める。
「…取り急ぎ、西行妖が花を落とすまで屋敷の周囲に人が寄り付かないようにしましょう。可能ですか?」
「心得ました。雪解けの雪崩と見せかけてここから郷外へと続く道を封鎖します。さすればこの屋敷へと続く道を用いる者はいなくなるでしょうな」
「乱暴ですが悪くないですね。幽々子、我等のほうから雪崩で道が封鎖された旨、里に通達しておきます。お前は今春は里に行かぬほうがよいでしょう」
「分かりました、ではそれを採用しましょう。ただ、まだ夜も長いですし一旦解散として翌朝から実働に移りましょうか」
今後の方針が定まり、一族の者達が北の対屋へと戻ってから、妖忌は幽々子に声をかける。
「幽々子様、拙者の作業は人目については何かと拙い為、日が昇る前、今すぐにでも済ませてしまおうと思うのですが」
「あ……ええ、そうね。お願いできるかしら」
多分、心細さが先にたっている幽々子としては妖忌に傍に居て欲しいのだろう。一瞬逡巡したが、されど結局は妖忌の提案を受け入れた。
妖忌の主となる、と語ってから幽々子は時々こうして虚勢を張ることが多くなった。たぶん失望されたくないという感情の表れなのだろうが、妖忌には少し無理をしすぎているように思われる。
幽々子の年齢を考えればそう何でも上手く出来る必要もないし、もうちょっと頼ってくれてもよいだろうに、とも思うのである。
そんな事を思いながらもしかし妖忌は妖忌で幽々子の寝所に残ってくれと乞われようものならば全力で否定する訳で。
だから、妖忌は自身の外出を伝え、最後にこう付け加えるのだ。
「了解しました。しかし一人夜道を歩くのはいささか物寂しいので、お疲れのところ申し訳ありませんが御同行願えないでしょうか?」
「やれやれ、仕方ないわね」
幽々子は溜息をつきながらも妖忌に向けて微笑み返してくれる。
二人、まだ肌寒い夜空の下、肩を並べて歩き出す。
そうやって幽々子と肩を寄せ合って歩みを進めつつ、死んだ者達の供養についてや近い将来の里への対応等を語り合いながらも妖忌は内心に膨れ上がっていた疑念を払拭できないでいた。
かの自尽した行商人は息子の仇に燃えながらも、その思考は状況を正確に把握する冷静さを失ってはいなかった筈である。
自身が妖怪に襲われないためだけではなく、依頼が受け入れられた場合に西行寺家に可能な限り疑いの目が行かないように、つまり自分が西行寺家に通っていた事が公にならないように隠形の符を用意していた点からもその計算高さが伺える。
当然西行妖についても情報収集を済ませていただろうその彼が、いくら死に傾斜しやすいとはいえこのような形で死を迎えたのが妖忌には不思議でならなかったのだ。
本当に、六十年周期の影響だけなのか。その疑念は人為的な雪崩で道を塞いでいる時も、幽々子を屋敷に送り届け幽々子が眠りにつくまで簀子(寝殿の縁側)で待っている時も、そしてあばら家に帰ってからもずっと妖忌の内側で木霊し続けていた。
◆ ◆ ◆
早急に手を打って西行妖から人を遠ざけた事が功を奏したのか、西行妖が春の終わりに花を散らせるまでそれ以上西行妖の餌食となる者は現れなかった。
当然、西行妖が流れの商人に死をもたらした点については一部の里人から非難めいた中傷を受けることはあったものの、その商人の質問に対して里人の誰もが特に隠し立てもせずに
西行寺の一家の能力と西行妖について説明を済ませていたこともあって、大半の者が彼等の死を自分達の忠告を真摯に受け止めなかった結果の自業自得と受け入れた。
また、その一方で西行寺家の使用人の一人である、買出し等の金銭が絡む業務を十年来にわたり任されていた老人が老衰で死去した。
元々は人里に住まう、西行寺家を上回る名家である稗田家で長年使用人を努めていた者であり、高齢を理由に引退した所を頼み込んで西行寺家に勤務してもらっていた者である。
その経歴から人里の者達からの信頼も厚く、彼の葬式には多数の参列者が集い、めいめいに追悼の言葉を捧げたり、西行妖の誘いを最後まで拒否しえたその人生を讃えたりしていた。
六十年の周期を知る西行寺家の面々は複雑な表情を浮かべながらも、されど家族と同じ鈍色の着衣にて悲しみや祝福、なによりも深い感謝と共に彼の者の旅立ちを見送った。
いくら袖振合う縁と同郷の縁、新密度に差があるとはいえ一見冷酷にすぎるようにも見えるが村社会とはそういうものであり、幻想郷とてそれは例外ではない。
肩を寄せ集まって生活していると、過剰防衛じみた心理が意図有る無しに働いてしまうものなのである。
それはさておきまた一つ、西行寺家から命の灯火と暖かな絆が永遠に消え去ったのだ。
▼16.在郷戦術 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
大気が重い湿り気を帯び、しっとりと纏わりつくような梅雨も終わり、低く垂れ込んだ暗灰色の雲が抜けるような青空へと変わる頃、妖忌と幽々子は連れ立って人里を訪れていた。
今回人里を訪れた幽々子達の目的は物資の購入だ。
今年はかなり長く続いた梅雨の影響か、高齢な親族達は若干体長を崩し気味であり、そのため園丁であるはずの妖忌や当主である幽々子も様々な事務、力仕事、雑用とこなさねばならなかったのである。
西行寺家は人の寄り付かぬ屋敷であるため、屋敷の清掃や修復等、とんと貴族と関係ないような仕事が腐るほどあり余っている。
そんな中本来一人で済ませられる買出しに対して二人を、しかも西行寺家で(外見、体力的には)最も若い二人をあてがうのは無駄が多いのだが
自給自足できるものには限りがあるし、減った人手を補充する当ても無い以上、修復ではなく購入という手段に対する依存度は今後も増していくだろう。
故に妖忌にも早めに馴染みの店を覚えてもらえるようにとの今回の業務分担である。
もっとも、そこで幽々子と組ませるあたりに親族達からのある種の思惑が内包されている事は間違いなく、それを察しない妖忌ではなかったが、
「こちらの店主にはこっそりと贔屓してもらっているのでここで買える物はここで購入するように」
「あ、あそこの露天はわりと交渉が効きますが鮮度のよい日と悪い日の差が結構あるので注意してね」
「薬屋は何件かありますが、叔父がここの薬師を信用しているのでここで購入して頂戴ね。あ、あとここでは貨幣が使えます」
楽しそうにあれやこれやと妖忌に説明しながら歩く幽々子の顔を見ているとなんとなく親族達に感謝してもよい気分になってしまうあたり、そろそろ敗北を認める時期に差し掛かっているようであった。
妖忌に逐一説明していたせいもあるのだろう、人里の入り口に留めていた引き車と街中を往復してやれ塩だの薬だのといった補充すべき物資の購入を妖忌達が済ませ終えた時にはそろそろ日も沈もうかという頃になっていた。
◆ ◆ ◆
「危ない」
はしたないと顔をしかめる妖忌を他所に、果餅を食み食みしながら肩を並べて里の入り口目指して歩いていた幽々子が岐路に差し掛かったその時、横合いから突然何かが飛来してきた。
「え?きゃ!」
すんでのところで、幽々子へと向かっていたそれを妖忌が荷を握っていた手の甲でなんとか叩き落す。
改めて妖忌が飛来した物に視線を向けた先に合ったのは蹴鞠である。恐らく故意にではないのだろう、慌てて妖忌達のほうへと一人の童が駆け寄ってくるのが視界に映る。
それは貴族が使うような鹿革の物ではなく、麻の布袋にぼろを詰めて縛り上げたような質素な鞠ではあったが、されど童たちにとっては大事な遊び道具には違いあるまい。
両手が塞がっている妖忌の代わりに幽々子がその鞠を拾い上げて走り寄ってきた少年に手渡す。
「はい、どうぞ」
だが、少年は二三、瞬きした後鞠を受け取ると共に幽々子の顔を注視し、そしてそのまま何も言わずにきびす返す。
「待て、童よ。どんな理由があろうと故なき相手に危険を及ぼして謝罪の一つもなしとは男が廃るぞ」
その様を見咎めた妖忌にそう背後から声をかけられ、振り向いた少年は多少逡巡していたものの脅えた表情で二人に対して頭をさげる。
「ご、ごめんなさい、でもおっかあが言っていたから」
「何をだ?」
「西行寺の当主様と口きいちゃいけないって、殺されちゃうから。西行寺の人は妖怪の又従兄弟みたいなもんだと思えって」
そう語るとその少年は逃げるように鞠を抱えて友人と思われる人影の元へと戻っていく。
幽々子は静かにその後姿を眺めていた。その表情は凛としており悲しみや憂いを面にする事は無かったが、それでも妖忌にはその横顔が泣いている様にしか見えなかった。
妖忌の視線に気がついた幽々子はその紅色の瞳をすっと細め、妖忌に対して乾いた笑みを浮かべている。
「そんな心配そうな顔をしないで。私なら十分わきまえているわ。人里での暮らしを捨て、西行妖と共に生きる事を選んだのは他ならぬ私自身なのだから。甘んじてその嫌悪と恐怖を受け入れなければならない、そうでしょう?」
静かな声でそう語る幽々子に妖忌は言葉を返す事が出来なかった。様々な慰めの言葉が頭に浮かんでは消えていくが、そのどれもが幽々子の言葉を覆すに足りるとは思えない。
それは、単純な諦めだけで構成された言葉ではなかったから。自己の判断が間違っていなかったのだと信じたい少女の願いもまたそこに表れていたから。
その言葉をあっさりと否定するのは少女の意思を軽んじる事にもなる。しかし。
その通りです。全くその通りです。しかしそうではないのです。妖忌の内心はそう訴えていた。
なのにそれらを上手くすり合わせて気の利いた応答が返せるほど妖忌は口が達者ではなかったから、情けなくも沈黙するより他になかった。
情けない。全く情けない。刀であるはずの妖忌は幽々子の悲しみや迷い一つ切り啓くことが出来ないでいる。
そんな無様な妖忌に幽々子は静かに手を差し伸べてくれる。暗くなる前に帰りましょう?と言って柔らかな面持ちで妖忌に微笑を向けてくれる。
自然と妖忌の視線は幽々子と、そして里からもその存在が確認できる西行妖へと流れていった。
ああ、死をもたらす能力などというものが無ければ、どれだけ幽々子は幸せに過ごす事が出来るのだろうか?
そろりと、手が、
「駄目よ、妖忌。それが過剰防衛だといったのは貴方でしょう?」
腰の短刀友成に伸びていたのに気がついた妖忌は内心愕然とした。されど佇まいは何事も無かったかのように、返す。
「何がでしょうか」
「西行妖を斬ってはいけないわ。里に被害が及ぶ位になるまでは、決して貴方は西行妖を斬って駄目」
やはり、妖忌の反射的な思考は見透かされていたか。
ならばと妖忌は開き直る。
「ですが西行妖の妖怪化とともに、幽々子様は死を操れるように成ったのでしょう?ならば、あやつを斬れば幽々子様もまた常人に戻れるかもしれませぬ」
だが、幽々子は深い悲しみを湛えた顔で、静かに首を横に振った。
「それでもよ。貴方は、斬ってはいけない。だって、それをやってしまったら貴方は貴方の御父上と似たもの同士になってしまうわ」
雷に打たれたかのごとく、妖忌は硬直した。
それは、その答えは、幽々子のためのものではなく、西行妖のためのものでもなく、妖忌のためのものであったのだから。
誰のためでもなく、妖忌自身の為に斬るなと幽々子は言う。
有形無形の悪意の中にあって、己の身だけでなく妖忌の未来すら案ずる、未だ少女にすぎない西行寺幽々子の魂のなんと強いことか。
「だから、約束して」
「…了承しました。あやつが里に被害をもたらす存在になるまで、決してあやつを斬りませぬ」
「よろしい、では帰りましょうか」
二人、並んで帰路につく。
このままではいられない。刃たるこの身の全身全霊を以て西行寺幽々子の未来を切り開く。少女の未来を悲しみと絶望の格子で閉ざすわけにはいかない。
彼にそう決意させたその感情の源を、妖忌はもはや否定しないことにした。
やれ当主がどうとか主がどうとか、依頼がどうとかそんなものは一切関係無い。
魂魄妖忌は、西行寺幽々子を愛しており、そして守りたいのだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「久しいな、達者にやっているか?」
「これは大将、お久しぶりです。ええ、何とかやっております。立ち話もなんですし、中へ入られませんか?家内に食事を用意させます」
「いや、そう時間はとらせぬ。二三、聞きたいことがあるだけだからな…少し話が出来るか?」
「無論です」
それから数日後、人目につかない夜を選んで妖忌は現在人里で暮している元魂魄一党の一人の住居を訪ねていた。
郷に残った魂魄一党は少ないが、その中でも人里に居を構えている者は目の前の彼だけである。
それは元々よそ者であるがゆえに郷人に受け入れられにくかった、という事ではなく、魂魄一党の者達のほうが安全すぎる人里に適応できなかったのだ。
戦を優先する者は皆郷を出て行った。だから郷に残る事を決めた者は何がしかの安定や平和を求めたはずなのだが、その彼らとて絶対ともいえる安全はむず痒さを感じてしまうようで、魂魄一党の残党のほとんどが人里外に居を構えていた。
ちなみに里外に暮す者達の住居は、何らかの理由で人里の外に用がある者達にとって武芸者の駐在している緊急避難地点として機能しているため、人里からの魂魄一党への評価はまぁまずまずといった所だ。
それはさておき、目の前の彼は妖忌にとっては裏表ない人里の情報を仕入れられる数少ない情報源であり、それ故に人里の情報が必要な場合に時々妖忌は彼の元を訪れていた。
受け入れる側の彼としても先代棟梁である妖忌は未だ敬すべき存在であり、また妖忌は貴族のつてで僅かとはいえ希少な茶や唐糖などを礼として持参してくれる為、妖忌の来訪を迷惑というよりもむしろ歓迎している面もある。
とはいえ西行寺家に組している妖忌が出入りしては何かと迷惑もかかるため、妖忌は人目を忍べる夜間のみを元配下である彼らの元を訪れる時と定めていたが。
「最近、西行寺家への風当たりが強くなっているような気がするのだが、心当たりはないか?」
囲炉裏の傍に腰を下ろして二三、通例的な挨拶を交わした後、妖忌は即座に本題へと移行した。
訪ねられた者は囲炉裏の火を火箸でかき回しながらふむ、と考え込む。
「確かに、強くなっていると思われます。今年はなぜか理由がわかりませんが死者の数が多い。漠とした不安が死を操る西行寺家に向かっているのではないでしょうか?当主の力は自然死と見紛う程に証拠を残さず人を殺害できるというもっぱらの噂ですし」
「ああ、死者が多い点に関しては…」
妖忌は彼に六十年周期の概要を説明する。その説明を受けてその者は納得したかのような表情を浮かべた後、妖忌に不安の篭った目を向けてきた。
「そんなものがあるとは…未だ世界は不思議に満ち満ちておりますね。しかしそれを説明してもおそらく里人は理解しえないでしょうな」
「ああ、己もそう思う。結果、彼等はいつまでも彼等の内に作り上げた『死を操る西行寺』の偶像に脅え続けるのだろうが…さて、本題に戻るが火の無い所に煙は立たぬよな」
「ええ、問題はそれが不安を人になすり付けて一時的に安心したいという心理か、それとも明確な意図を持って西行寺家を貶めているのか、ですね」
そうだ、と憮然とした面持ちで妖忌は相手に頷いてみせる。
「後者の可能性は?」
「無い、とは言えないでしょう。西行寺家は当主と桜、二つの死神もどきを抱えています。それを恐れない輩など妖怪退治を生業とする一部の者達だけですね」
「安全すぎるというのも困り物だな、死が日常から切り離されている。本来死などすぐそこに転がっているものであるという事を忘れてしまうようだ」
「ええ、所詮当主の能力や西行妖など近づかなければ怖くもなんともない、言うなれば切り立った崖のようなものにすぎないというのに」
二人は顔を見合わせて、呆れたように溜息をついた。
「だが、とりあえず今の所は表面上おもだった動きは無しか…」
「すみません、これ以上は…ああ、もし詳しい情報を集めたいのであれば稗田のお屋敷を訪ねては如何でしょうか?あそこは里有数の名家。情報も集まりますし、なによりあそこの当主は」
「求聞持の能力、だったか?」
「ええ、どんな些細な事でも一度見聞きすれば忘れない。里の話を聞くのであれば彼女以上の存在はない、と言ってよいでしょう」
「…よし」
即座に立ち上がった妖忌に彼は困ったような表情を向ける。
「大将、まさか今から行くつもりですか?そんなんだから紫様に「思慮深い猪武者」なんて称されるのでしょうに…まぁ止めても無駄でしょうから何も言いませんが」
「言ってるじゃないか…まぁ、邪魔したな」
「いえ、次はゆっくりしていって下さい。家内も喜びますので」
◆ ◆ ◆
「当主がお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
「ええと、馬鹿げた事を聞くが、本当かね?」
「確かに、こんな時刻に訪れておきながら馬鹿げた事を仰る。ですが主が是非にと申しておりますので」
時刻が時刻、今日のところはお目通りは難しいだろうから、来訪の意図があったことのみを伝えられれば良し。
そう思っていた妖忌だったがどういうわけかあっさりと稗田の当主との対面が叶った様であった。
稗田家は幻想郷という片田舎に存在しているものの、有力豪族に匹敵するほどの財と権力を持つ名家である。
小作人を雇って田畑の開墾や牧の管理も行っているし、里の男集で構成された検非違使もどきにも顔が利き、里の方針に対しても強い発言権を持っていた。
屋敷の庭に通された妖忌が改めて周囲を見回してみると、屋敷の所々に明かりが灯っている。一般の庶民たちにとっては囲炉裏を囲んでいるか、もしくは既に眠りに落ちる時間であろうが、この屋敷は未だ活動中であるようだった。貴重な筈の油を明かりとして使用し、業務、ないしは娯楽に励む様はなるほど没落貴族である西行寺家とは異なる活力に満ち溢れている。
案内されるがままに庭を進んでいた妖忌はそれらを眺めていたが、いつの間にか寝殿の前まできていることに気がついて佇まいを正した。
そのまま寝殿の前で座そうとした所、寝殿内から声がかけられる。
「申し訳ありません、そこですと些か距離がありすぎますので階の上まで近づいていただけますか?」
「は、しかし」
「却下」
「はぁ」
仕方なしに階に足をかけて寝殿の簀子に上がると御簾の裏に座す少女の姿が妖忌の目に映る。
恐らくは幽々子と同じ、いや恐らく年下と思われる少女。
若草色の袿に朱の長袴、山吹の唐衣を合わせた衣装に踝まで届く艶やかな黒髪を流した佇まいは見る者に自然と教養と典雅を伺わせる。
ほうと溜息をつき、さもありなん、これこそ貴族の娘よ。それに比べてわが主は未だ少女装束で…等とついぞ浮かんでしまった思考を振り払って妖忌は簀子に座して頭を垂れた。
「おもてを御上げください。正直に言うと、堅苦しいのは苦手でして」
「そうは見受けられませぬが」
「それはそれ、努力の結晶という奴です」
そう言ってにこりと笑うその顔は少女らしい愛嬌に満ち溢れている。
「それでは改めまして、稗田家現当主にして二人目の御阿礼の子、稗田阿爾です。西行寺家の園丁にして魂魄一党の前棟梁、魂魄妖忌様ですね」
「そのように先回りされてしまいますと、申す事がなくなってしまいます。最早来訪の目的すら御存知でいらっしゃるのでしょうな」
「ええ。西行寺家の人里での評判についてでしょう?」
「お察しの通りにございます」
妖忌は芸のない回答をした。全くその通りであったので他に言いようもなかったのである。
多分、妖忌が頷いているだけで妖忌がこの館を来訪した目的は片付いてしまうであろう。自然とそう理解してしまう、そんな威厳が少女にはあった。
「ふむ、悪くないですね、とりあえず乙第をあげましょう」
「…何がでしょうか?」
「ただ、香を薫き染めた方が良いでしょう。ああ異臭がすると言っている訳ではありません。そのほうが好感を持たれるという事です。あと白い袴は芸がないのでもう少し色気に気を使ったほうがよろしいかと」
「…何の話でしょうか?」
「未来の西行寺家の主に、西行寺様が申し上げにくいであろう事を代弁しているのです」
「はぁ」
「そのような呆けた顔をなさってもいけません。常に凛々しくあるべきです。よろしいですか?好感を持たれているからと言って、手を抜いてよい事等無いのです」
「ははぁ」
「料理作法についても学んでおくとよいでしょう。上品に食し、客人に料理を振舞える男こそ立派であると言えます…ちょっと、聞いてます?会話になってますか?」
「いやいや、全くなってませぬ」
「心ゆかぬ方ですね」
「…それで構いませんので、本題に移りたいのですが…」
はぁと溜息をつく。さもありなん、これこそ貴族の娘よ。それに比べてわが主のなんと親しみやすい事…等とついぞ浮かんでしまった思考を振り払って妖忌はとっとと話の腰を折ることにした。
多分、それも「心ゆかぬ」行為なのだろうが、彼女の話に付き合っていてはいつまで経っても先に進まない。
阿爾は妖忌を若干つまらなげな表情でねめつけた後に、こほん、と咳払いをして口を開いた。
「ではさっそくですが、西行寺家への不平不満を口にした者の割合ですが一昨年前まではおよそ一割、昨年が一割五分、今年に入ってからは約三割。順調に増加中ですね。彼らの不平不満の内容は一昨年まではばらつきが多くおおよそ十二種類程で、その表現は個々人に依存していて悪意というよりも邪推や不安を語る物が大半であり…と、これではもう種類とは呼べませんね。ですが昨年以降はある程度似通った表現に統一されつつあります。その内容は概ね三種類。曰く、「西行妖を操っているのは実は西行寺家の当主である」「既に新参の者達の幾らかは西行寺幽々子に殺されているらしい」「当主の赤い目は狂気に染まった者の証で、既に殺人を忌避する良心等持ち合わせていないが、巧みにそれを隠している」とまぁ、このような内容です。裏づけなど何もない状況は変わらないのに約十二種類からいきなり三種類に集約。これは火種を蒔いているものがいると見てよいでしょう」
静かに己の知るところを語る阿爾に、思わず妖忌は唖然とした表情を浮かべてしまう。
ただ見聞きした事を忘れないというだけの能力であるが、それは知性体である―と信じてやまない―人間にとっては恐ろしいほどに優位を確保できる能力なのだという事を知らしめられたような気分だ。
「噂の内容は未だそこまで苛烈なものではありませんね。ただ気になる点は、その噂を己の意思として吐いている者を私は目にしたことがないのです…この意味が分かりますか?」
「貴方の能力で、身元がばれるのを恐れているのでしょうな?」
そう答えた妖忌だったが、そんな妖忌を見て阿爾は大げさに溜息をついた。
「丙第。…魂魄様、そのような回答ではとても及第は差し上げられませんよ?」
「失礼、猪武者なもので」
「…つまり、ここで重要となるのは三つ。まず一つは、私の目の前でそれを口にしない。それはつまり私の行動をある程度監視できているという事。監視とは基本、複数人で行われます。つまりは組織的な行動であるということ。次に、その監視は今の所成功している。それはつまり、――自分で言うのもなんですが――裕福層の行動がある程度予測がつく者達であるという事。そして最後に、西行寺家にちょっかいを出すために、私の監視まで行っている。そこまでして正体を隠したい者達であるということ」
「…成る程」
「貴族の行動を熟知しており、権力者である私の目の前ではそれを語らないようにしている。知的、計画的、そして組織的な行動であることは疑いようがありません。そして何より、用心深い。この用心深さが、逆に垢抜けた存在である事を示しているのは間違いないでしょうね…敵は、貴族です」
やはりか、と妖忌は顎に手を当てて低く呻いた。
少女の回りくどい説明を聞くまでもなく、その答えは妖忌には予想できていたからだ。
他者を殺害してでも利益を得ようとする者がいるのは平民も貴族も同様。その最大の差異は何処まで殺害を己の仕業と断定できないように工夫できるか、という事に尽きる。
彼女が先に言ったように、敵の姿が見えてこないといった事実こそが、貴族の仕業である事を裏付けているのである。
「失礼、稗田様のお力を借りる事前提になってしまいますが、こちらからも噂をばら撒けないでしょうか?西行寺家の当主はそのような力を持ってはいなかった、等と」
「難しいでしょうね。今更そんなものを信じる者はいませんよ。それに噂というものは、不可解で、品がなくて、批判的な内容ばかりが好まれるのですから」
「違いない。噂話というのは感情を共有する手段であり、また鬱憤晴らしの手段でもありますからな…では、偽の情報を紛れ込ませる事は?」
「それならば可能でしょう…どのような情報をお望みで?」
「ふむ、では、西行寺家の当主は相手の顔か、名前が分かれば相手を殺せるとか」
「…成る程、面白いですね。…ですが、西行寺様への風当たりが若干強くなりませんか?」
「ええ、ですのである程度でもみ消していただければ幸いです。敵の耳に一瞬だけ入れば良いのですから」
「引き受けましょう…私としても不埒な輩には一杯食わせてやりたいですからね」
「有難うございます」
妖忌は今後の展開に思考を巡らせながら、深々と阿爾に首を垂れた。
敵がいると分かった以上、いずれ敵が動き出す前に妖忌達自身も色々と用意しておくべきだろう。
敵貴族の手足となって動くのは――多少は余裕があるのだろうが――さほど裕福ではない兵や武者であろうから高価な品を用意しておけば買収も可能だろうし、里人が幽々子に対する恐怖を緩和できるような手段も考えなくてはいけない。色々検討すべき項目は多いがまず最初に妖忌が考えないといけない事は、
「して、拙者は稗田様の御好意に何をお返しすればよろしいのでしょうか?」
用心深く、そつのない微笑を浮かべながら訊ねる。
西行寺家のために協力して稗田家の得になることはあまりない。むしろ西行寺家を狙う者達に監視されているとあらば怒りの鉾先がこちらに向いてもおかしくないはずだ。
だが彼女はその様なそぶりも見せないだけでなく、このような夜間に訪ねてきた妖忌を賓客として出迎えている。
協力は非常にありがたい。しかし施しを受ける理由がない。果たして一体どのような見返りを要求されるのか―そう内心頭を抱えた妖忌に対して、阿爾はようやく本題とばかりに息巻いた。
「実は私、甘い物が大好物でして」
「…は?」
「阿礼乙女 身体は菓子で 出来ている」
「…はぁ」
「血潮は蜜で 心は餡にて …分かりますか?」
「…ははぁ、失礼ながら稗田様の歌の才能は我が主に負けず劣らず酷いものであるという事だけしか」
そもそもなんで菓子なんぞの話を己に向けるのか、そういぶかしんだ妖忌に、
「半年ほど前、貴方が甘い匂いを発する大量の荷をその背に負って歩いていたという事実、まさか私が知らぬとでも?」
「…ああ」
妖忌はぽんと手を打ち鳴らす。
確かにあの時は都市王に用意させた大量の菓子を背負っていたが、しかしそもそもあの時妖忌は人里を通り抜けていない。
大焦熱地獄の帰りから西行寺家の屋敷に至るまで、ほんの数名とすれ違ったに過ぎないのである。
武者が甘い匂いを漂わせながらうろついている。そんな一瞬人の口に上るか上らないか程度の話ですら、一度耳にすれば阿爾にとっては忘れることのない一生の記憶になるのだろう。
「貴方にはどうやらそういったものを入手するつてがあるようですので、私は実は前々からお近づきになる機会を虎視眈々と窺っていたのですよ」
「…あれの入手は何度も使える手ではないのですが…まぁなるほど理解しました」
はてさて、どこまでが本気の話だったのか?実は彼女は妖忌に恩を売るつもりがなく、ただ煙に巻いただけなのだろうか?
西行寺幽々子にも八雲紫にも妖忌は欺かれっぱなしである。だから今回もそうなのかもしれない。
目の前の少女が全くの本心を語っていることに些か理解が及ばなかった妖忌だが、微笑を浮かべている少女に恭しく次回があれば菓子の一部を提供する事を約束して稗田の屋敷を後にした。
◆ ◆ ◆
「という訳で幽々子様、少しばかり致死の能力を操る修練を積んでみましょう」
「正気?」
さる晩夏の日、妖忌に伴われて庭へと赴いた幽々子に投げかけられたのはそんな言葉である。
「無論です。いやいや、順を追って説明いたしますゆえそのように仇を見るような目で拙者を見ないでくだされ」
憤慨した瞳を妖忌に向けてくる幽々子に対して慌てて妖忌は上擦った声で己の意図を説明し始めた。
死をもたらす事が出来る西行寺幽々子は人間としては人里で最も恐れられている存在だ。だがそれはよくよく考えればおかしな話なのである。
極端な話、童だって短刀一本あれば人一人軽々と殺せるし、そういった意味では死をもたらす能力とは誰もが持っているものなのだから。
当然幽々子は人間に限らず妖怪ですら問答無用で死に至らしめられるので短刀を持った童とは全く次元が異なるのだが、元々強靭でない人間という立場から見ればその危険度にほとんど差分は無い。
にもかかわらず人々が幽々子に恐れを抱いているのは、その能力があまりにも不透明であるからである。
自分の能力で回避出来る出来ないはさておき、どうやれば回避出来るかわからないということが恐ろしいのだ。
「つまり、分からないから恐れている、ということかしら?」
「ええ、疑心暗鬼を生む。分からないものに対して、人は空想を重ね、そこにあるはずのない虚像を描いてしまうのです。言葉が足りずに誤解を招いてしまい申し訳ありませんでした」
「本当ね。妖忌まで私に人を殺せと言うのかと思ったわ」
「何を馬鹿な。幽々子様に害成す者は全て己が斬って捨てます。幽々子様のお手を煩わせる事などありませぬし、何者にも幽々子様に指一本触れさせませぬ」
「…それはやめて頂戴」
呆れたように、されど若干嬉しげな音を含んだ声とともに幽々子は吐息を洩らした。
「で、此度の修練です。つまりは、能力を目に見える形にしてみようという事ですな。と言うか、平たく申してしまえば死を与える能力を形にする必要はありませぬ。要は、西行寺幽々子はこうやって殺しているんだぞ、と他者に思い込ませられるような何かを構築できればよいのです」
「なんだか狐と狸の化かし合いみたいな話になってきたわね…」
「そんなもので良いのですよ。要は里人が、致死の能力は回避できるのだと思い込む事が出来ればそれで良いのですから」
幽々子の能力が目に見える形であれば、幽々子がそれを展開した時に対面する者たちは逃走を選択したり、ないしは死を覚悟したり出来る。それは己の尊厳を守る事が出来るという事だ。
だが、知らぬ間に死に導かれていたとあってはそれすら出来ない。
成すすべなく自尊を踏みにじられるかもしれないというそれこそが、人間のような個を確立した者達にとっての最大の恐怖なのである。
「当然、そうやって形にした能力で誰かを殺す必要はありませぬ。無論それで小動物なり何なり殺してみせたほうが説得力は増すでしょうが」
「…分かったわ、とりあえず能力を目に見える形にしてみるというのは意味がありそうね。それで、どうすればいいのかしら。妖忌が何かしら手ほどきしてくれるのよね?」
「いやいや、それが己は人に物を教えるのがとんと苦手のようで。以前娘に剣を教えているときに『父上は動作を言語化するのが恐ろしく下手ですね。』と断言された口でして。なので臨時の博士をお呼びしました」
「博士?」
「ええ、博士。陰陽博士ですわ」
屋敷の中門から声が響く。幽々子がそちらに目を向けると大帯に八卦をあしらった深衣に身を包んだ、この国では珍しい金髪の少女が歩み寄ってくるところだった。
幽々子とも若干疎遠ながらも知己であり、そして妖忌が現在の雇い主たる西行寺家を除き敬語で相対する数少ない相手の一人。
間隙の妖怪、八雲紫は静々と歩を進め、柔らかな面持ちで幽々子に軽く会釈する。
「お久しぶりです、紫様。紫様はお変わりな…気のせいでしょうか?些か幼びているような…」
「気のせいよ。お久しぶり、西行寺幽々子。以前会ったのは何年前かしら?ちゃんと成長してるわね。背丈も、胸も常人より…あら、体重も若干適正値を上回っているようね」
「そ、そのような話はいいですから!修練しましょう、修練!よろしくお願いします!」
怪しい方向へとそれていく紫の意識を軌道修正するため、幽々子は早口でまくし立てる。
妖忌と幽々子に代わる代わる目をやった紫はふっと口元に笑みを浮かべた後、若干真面目な表情を形作って幽々子へと向き直った。
「よろしい。私もあまり暇ではありませんし、ね。さくさくと始めていきましょうか。まずは霊力を形にする修練からね…」
◆ ◆ ◆
「ごめんなさい幽々子。こんな事言うのもなんだけど、貴女才能無いわ」
「確かに清々しさすら感じますな。煙すらたたぬとは」
「…もうちょっと労わってくれてもいいと思います…」
修練の開始からはや数刻、間に昼食を挟んでなお幽々子は死の能力の可視化には成功しなかった。
元々西行寺家の者達は冥界で長らく暮していた事もあり、霊力そのものは一般人と比べるとはるかに高いほうである。
無論妖怪退治が出来るか?とか飛翔できるか?となると話は別だが、西行寺家の血筋たる両叔父も幽々子も簡単な霊弾一つくらいなら生み出せる程度の力はあった。
実際あっさりと霊気の小弾なら生み出せた為、ならばと死気に移ってはみたもののこちらは妖忌の言う通り煙すらたたぬ有様だ。
「すこし、休憩といたしましょう」
溜息をついて、紫は寝殿の簀子へと腰掛けた。幽々子もそれに倣う。
妖忌は菓子を取りに雑舎へと消えていった。
互いに知己となってから初めて紫と二人だけになった幽々子は若干困惑気味で紫から目をそらしている。
「どうしたのかしら?対人恐怖症という訳ではないのでしょう?」
怪訝そうに訊ねる紫に対して幽々子はやはり当惑したような表情を浮かべている。
聞くべきか、知らぬ振りを続けるべきか。少しだけ悩んだあと、幽々子は口を開く。
「紫様は何故私達の手助けをしてくれるのですか?」
「あら、私は貴女から見て誰かの手助けなんてしないような冷血な女に見えるのね。嘆かわしいわぁ」
「そういうわけではないのですが…紫様は妖怪でしょう?屋敷の者達は道師か仙人と思っているようですが」
一瞬言葉に詰まって、紫は感心したように眉を動かした。妖気を完全に押さえ込んでいる時の紫を妖怪である、と見抜ける人間は妖怪退治を生業とする者を含めてもほとんどいない。
だというのにどうやらこの少女はあっさりと紫の正体を見破ったようだ。
「よく分かったわね。どうやって、と問うても良いかしら?」
「…紫様からは、若干ながら死臭がします。仙人であれば、人の死臭なんて纏わないと思いましたので」
幽々子の困惑の理由を紫は理解した。幽々子は紫が人食いであることに気がつき、そこから妖怪と判断した。
そして人食い妖怪を横に並べて落ち着いていられる程、幽々子は豪胆ではあるまい。幽々子は更に言を進める。
「ですが紫様には、このように私達の手助けをして頂いております。それどころか人里に結界を張って人を守ってすらいます。何故でしょうか?」
今度こそ紫は完全に絶句した。里に張られた結界が紫のものである事にすら幽々子は気がついているのだ。
人里の結界は紫が丹念に人の術を調査し、それに倣って組み上げたもので紫自身の結界術とは大幅に基底論理が異なっており、卓越した術師ですら結界からそれが紫のものと判断できないはずだった。
それを空も飛べないような少女があっさりと見破ったのだ。どうにも変な所で凄い子ね、と紫は内心で幽々子への評価を書き換える。
死を操るだけだと思っていたが、幻視力も洞察力も概ね常人をはるかに上回っている様だ。
「知りたい?」
「はい、分からないという事が不安を生むらしいので」
「そう、じゃ長生きしなさい。今の貴女に説明しても理解できないわ。でも千年くらいこの里を見続ければ、多分解かる」
「…そんなに長く生きられません」
「まぁ、私自身はこの郷に住む人間を殺しません。それは信じてくれて結構よ?」
「妖忌は紫様の言う事をあまり鵜呑みにしないようにと言っていましたが…」
「あんの親父!」
「自業自得、普段から怪しげな言動ばかり繰り返しているのですから当然でございましょう」
憤慨する紫の背後に煎餅と麦湯をのせた盆を手にした妖忌が姿を表した。
笑いながら紫と幽々子に麦湯が注がれた湯飲みを手渡して両者の間に煎餅を盛った皿を置き、ついでに一枚摘んで自らの口に放り込む。
「ふん、影に人を悪く語るとは、清廉潔白な白刃も堕ちたものね」
「いやいや、事実を申し上げているだけです。…さて、今後はどのように進めましょうか?」
何が、と訊ねようとしてそれが修練の事であると理解した幽々子は赤面した。その時幽々子の頭の中にあったのはたった一つだけであったので、修練の事などすっかり頭の中から抜けていたのである。
しかしそんな幽々子を放置して紫と妖忌はあれこれ分析と検討を進めている。
「やはり想像を固着する技術の稚拙さと能力への忌避が形成を阻害しているようね。貴女はどんな像で死の能力を具現化しようとしているのかしら?」
「…」
「幽々子様?」
しばし自分の感情を制御しようとしていた幽々子は二人に顔を覗き込まれてしどろもどろになりながらも答えを返す。
「えっ?え、ええと、蝶ですね」
「蝶?」
「はい、蝶です。なんというか、小さい頃に目にした、自らの身を厭わずに灯火へと近づき身を焦がして死んで逝く蝶が脳裏に焼きついているので」
「成る程ね」
それが西行寺幽々子の死に対する印象。そしてそれはおそらく誘われるままに西行妖に近づき、そして死に至る人々の姿をも重ねているのだろう。
とはいえ、
(それって蝶じゃなくて蛾よね)
(蛾ですなぁ)
しかしそれを指摘した所で誰かが幸せになるわけでもない。紫と妖忌は図らずも似たような表情で苦笑した。
それを目にした幽々子がぽつりともらす。
「お二人は、仲がよろしいのですね」
その幽々子の呟きを耳にして軽く瞬きした紫はその意を理解し、すぐさま魔性の笑みをその整った顔に浮かべた。
「ええ、それはもう。求婚されるくらいの仲ですわ」
「ぶふぁ!!」
妖忌は思わず口に含んだ麦湯を噴出した。いきなり紫は何を言い始めるのだ!
たしかに求婚を口にしたことはあったが、ありましたが!
「そうよね、妖忌?」
「そ、そうなんですか」
「ええ、強い感情の篭った口調でね。感動したわぁ」
確かに紫に対して求婚の言葉を発したときには妖忌には強い感情が篭っていたが…。「不機嫌」という強い感情が。
「紫様が、ふったのですか?」
「ええ、私には彼よりも愛している物がありますので…だから心配は御無用よ、お嬢さん?」
「…」
何を指摘されたのか理解して口を噤んだ幽々子と妖忌の間になんとも気まずい空気が漂う。だがしかしそれは紫にとっては最上の空気に違いない。
誰かこの空気を払拭してくれと思っていた妖忌だったが、思わぬ所から救いの手が差し伸べられた。
若干の体調不良で大事を取っていた幽々子の叔父が一人、対屋から此方へ向けて渡殿を歩いてくるのが目に映ったのである。
「これは紫様、ご機嫌麗しゅう。病臥の身ゆえ、このように挨拶が遅れましたことお許しくださいませ…と、御歓談の邪魔をしてしまいましたか。重ねてお詫び申し上げます」
これからが面白くなる所だったのに、と僅かに残念そうな表情を浮かべつつも、病床の身をおして挨拶に来た彼に微笑んで「自愛する様に」と返した紫だったが、ふと表情を陰らせたかと思うと深刻な表情で黙り込んだ。
「どうなさいました?」
「ああ、今年は周期の年だったな、と。知っているかしら?」
「ええ、妖忌殿に伺っております」
「ではいっそう己の身を大事にするように。今更礼儀は不用ですので、とく床へと戻りなさいな」
「御配慮、いたみいります…それでは」
そう語り、妖忌らへと背を向けた叔父の背中を紫は一瞬刺すような視線で睨みつけた。それは紫が相手の状態を走査するときの表情である事を妖忌は知っていたため、妖忌は首をかしげる。
だが続けて妖忌もある一つの疑問に辿り着いた。
思わず湯飲みを取り落としそうなほどの悪寒に襲われた妖忌は、それを表に出さないために意識の大部分を己の表情に割かねばならなかった。
休憩を済ませた後も幽々子の修練は続けられたがやはり芳しい結果は得られず終いだった。
日が沈む頃に紫は一月後にまた、とだけ語って西行寺家の屋敷を後にし、そこでその日の修練はお開きとなった。
妖忌の内に、恐ろしい疑念を残したまま。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そして一月後、その妖忌の疑念は明白な事実となって目の前に突きつけられたのだ。
「間違いない、死に誘われているわよ。西行妖ではなく幽々子の能力にね」
遅々として進展しない幽々子の訓練を早々に切り上げて、東の対屋に内々に親族使用人を集めた紫は、全員に走査をかけた後にきっぱりとそう言い切った。
幽々子は叔母に伴われて現在湧水の隣に位置する北の対屋で沐浴の最中であり、しばらくはこちらに顔を出さないだろう。
妖忌に若干汗の香りがすると言わせることで紫は幽々子をこの場から追い払う事に成功したのである。代償は妖忌の右頬だけ、お手軽な手段だ。
「そう…ですか」
幽々子の叔父がぽつりと漏らす。
「驚かないのね。知っていたのかしら?」
「予測していた、と言うべきですね、この場合は。幽々子の能力は西行妖と連動しています。西行妖が力をつければ幽々子の能力もまたそれに付随して強化されるのは間違いないと、そう予想していました」
幽々子の能力によって死にかけているというのに両叔父は脅えるそぶりも見せない。
愕然とした表情を浮かべている妖忌とは全くもって対照的であり、そこにはある種の余裕めいたものすら感じられた。
一月前まで全く気がついていなかった妖忌は堪らずに呻く。
「強化された死への誘いが、幽々子様の意図に寄らず撒き散らされているという事ですか。全く気付きませなんだ」
「考えるより感じるを優先する貴方では仕方ないわね。この屋敷はもともと西行妖のせいで未開花時も死の気配が満ち満ちているもの」
「…昨今の、能力を操る為の修練も影響しているのでしょうか?」
「多分その影響はないわね。むしろ能力をまとめる事が出来るようになれば逆に周囲の人間を無差別に死に誘うほうはある程度押さえ気味に出来る筈よ」
紫は苦い表情で息をはき出した妖忌から視線を外すと両叔父に警告する。
「さて、死にたくなければ早めに荷物をまとめて人里へ向かいなさい。塗りつぶされる前に距離をとれば再び健康に戻れるわよ」
だが、彼等は首を横に振る。
「なるほど、それで確かに我々は助かりましょうが、残された幽々子はどうなります?我らが揃って、ないしは順繰りに人里へ退避すればそれだけで人里の者は感づき、そしてこれ幸いと幽々子と西行妖の排除に乗り出すでしょう。無論妖忌殿が幽々子の安全を守ってくれる事に疑いはありませぬが…」
「しかし拙者には、塀の外から浴びせかけられる非難の声を斬り捨てる術を持ちませぬ」
「そう、その通り。故に我等はここを離れられませぬ。そして可能な限り自然死に見せかけて死に至るより他にはありません。最上には程遠いですが、それ以外に方法はないのです」
既に覚悟を決めている両叔父を順繰りに見渡したあと、妖忌は本来は同僚である使用人たちのほうに向き直った。
現在西行寺家に仕えている使用人は妖忌を除いて三人しか居らず、その誰もが既に高齢であった。
「皆様方は如何なさるおつもりか?」
流石に使用人は辞めていくだろう、そう妖忌は思っていたのだが、老いた使用人達は互いに顔を見合わせて静かに笑っている。
「既に孫に菓子をくれてやるくらいしか楽しみがありませぬもので」
「然様、我らももう年ですからな。この屋敷以外では録をくれる所などございませぬでしょう」
「息子夫婦らの下で食わせてもらうのも悪いですからなぁ」
「下手したら里へ戻っても山へ口減らしのために捨てられるかも知れんぞ?」
「ははは、違いないわ」
彼等はそう言葉を交わして愉快そうに笑っていて、その表情には悲観の欠片もない。
そもそもが平均寿命より長く生きた者しかこの場にはいないため、それも当然なのかもしれなかった。
「…つまり、辞める気は毛頭ないということですな」
「勿論ですとも。それに差し出がましいようですが我らも姫様を孫のように見守ってきたのですから」
そう言って静かな笑みを崩さない彼らに妖忌は自然と頭が下がる心持であった。
だが家族でもなんでもない妖忌が礼を言うのはどう考えてもおかしな話であったため、妖忌は代わりに安堵の溜息をもらすに留める。
たいした者達だ、と妖忌は思う。妖忌のように能力が効かない訳ではないのに、まさしく命を削りながらも幽々子の事を気遣っている。
彼らがこのような性格だから、幽々子もまた彼らを守る当主たらんと決意したのだろう。
そして幽々子の先祖達もまた、このような性格だったから冥界での世継ぎ争いに負けて地上へと下ったのだろうか?
「いずれにせよ、幽々子様には秘密にしないといけませんな」
「そうですな。幸い今年は周期とやらがありますのでそちらに責任を押し付けられましょう。呆れた話ですが、周期様々というわけですか」
「本当に呆れた話ね…」
紫が唖然とした表情で呟く。
「ちょっと長くなってしまったし、そろそろ解散にしましょう。幽々子が戻ってきては怪しまれるわ」
「そうですな。まだ幽々子様の気配は感じませぬ…し……!」
弾かれたように妖忌は立ち上がる。
そうとも、現在この屋敷の中には、西行妖が放つ気配と、力を増した幽々子の死の気配が充満しているのだ。そんな中で西行妖とほとんど変わらぬ幽々子の気配を察知するなど不可能に近いのである。
立ち上がった勢いのまま妖忌は妖忌と同じ事実に思い至って顔色を変えているであろう者達を振り向くことなく東の対屋を後にし、衝立を蹴飛ばしながら飛ぶように北の対屋へと飛び込んだ。
そこには、西行寺幽々子の姿はない。
▼17.死蝶 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
気がついたときには、幽々子は走り出していた。
とても不安で、孤独で、そして無力だった。
それはかつて、父は心の中で自分を捨てたのだ、と理解した時とよく似ていた。
それでも幽々子はそのときは逃げ出さなかった。逃げ出す必要もなかったのだ。父の兄弟やその夫婦達が幽々子に手を差し伸べてくれたから。
彼等は幽々子を我が子のように愛し、家族としてここまで育て上げてくれた。
自分を捨てた父とのかりそめの絆の証、西行妖を捨てられない幽々子を恨みもせずに今も一緒に暮してくれている。
だからその恩に報いようと、お飾りなれど当主として彼らのために出来る事はなんでもやろうと、そう思っていたのだ。
しかしそんな考えは幽々子の思い上がりにすぎなかった。幽々子が傍にいるだけで彼等は刻一刻と死に近づいていく。
何をやろうとしても、幽々子の行動は彼らを死に誘う事に繋がってしまう。
ならば、幽々子には最早逃げることしか出来ない。
彼らの傍にいないことだけが、幽々子の家族を救うたった一つの手段なのだから。
「はぁっ、はぁっ、っく」
息が切れて走る事も覚束無くなった幽々子は膝に手をついて荒い呼吸を繰り返しながら辺りを見回した。
ただがむしゃらに走っていたから幽々子には今自分のいる場所が分からない。
周囲に広がっているのは少しだけ黄褐色になりかけてる草原と、その草原を少し山陰に沈みかけつつも照らしている赤い太陽だけだ。
空は雲ひとつなく周囲は落ち着いた赤に包まれて、大気は少し涼しげな風をまとって澄み渡り、明日もまた穏やかな日々が続いていくであろう事を予想させる。
でも、そこには西行寺幽々子の居場所はない。
額を流れる汗を手の甲でぬぐう。
汗臭いといわれたから沐浴していたというのにまた汗まみれだ。汗なんてかくもんじゃないわね、と幽々子はひび割れた笑いを浮かべる。
失礼な守り刀には苦虫を噛み潰したような表情を向けられるし、
何よりほら、
ちょっと離れた草木の影に、
得物の臭いに誘われたのか、
夕陽に輝く、
目玉が、
二つ。
「妖怪に食べられて終わり、か。今まで色々な動物を食してきた私が最後には餌になる。順当な流れね」
むしろ何者かが生きるための糧になるならそれは良い死に方かもしれないな、と思いつつも本能のままに後ずさりした幽々子は背後の気配に気付く。
後ろにも前方から放たれる妖気と同様の妖気を感じる。おそらくはつがいで挟み撃ち、という事だろう。
おそらく言葉も通じない低級な妖獣だ。だが低級とはいえ山狗の様な狼のような、しかし体長十尺を超え、幽々子の倍近い巨体を誇るそれは唯の人にとっては明白すぎる程の死の代弁者である。
里人の瞳には幽々子はこのように映っているのだろうか?そんな思考が頭を過ぎった。
じりじりと距離を詰めた妖獣が幽々子めがけて飛び掛ってきた。
身を捻った幽々子が初撃を交わせたのは運が良かったとしか言いようがない。風でなびいた幽々子の着衣の動きに翻弄され、妖獣は幽々子の避ける方向を勘違いしたのである。
幽々子の回避行動は酷く緩慢なものだったが、妖獣の前足から覗く野太い爪は幽々子の肌に食い込む事はなく、袿を僅かに裂いたのみに終わった。
だが幸運もそれまで。即座に幽々子に向き直った妖獣の体躯が今度は地を這うように突進し、頭から幽々子めがけて突っ込んでくる。
「かふっ…」
肺腑から声にならない息が漏れる。鈍い衝撃が頭を揺らし、一瞬宙を舞った後幽々子は大地へと倒れ伏した。
起き上がろうと力を込めた右腕を妖獣の前足が踏みつける。腕が折れていないのが幸いなくらいの圧力を幽々子がはね退けられるはずもない。
左腕は自由に動かせるものの、幽々子の細腕では妖獣に一矢報いる事すら出来はせず、出来る事といえばせいぜい妖獣の脚を引っかく程度だろう。
幽々子の喉に齧り付こうと顎門を開く妖獣に軽く目をやり、そして閉じようとして、
…されど幽々子は目を閉じる事ができなかった。
「死にたく、ない」
まだ、何一つやり終えていない。いや、まだ何一つ初めてもいない。
人を殺す事しか出来ないけれど、何も生み出せない自分だけど、それでもこのままこんな所で無様に逃げ出したまま死にたくはない。
せめて、これまで自分を育ててくれた家族へ、力を貸してくれている紫へ、友人である魂魄一家の棟梁と奥方に礼を。
なにより使用人であり、従者であり、そして誰よりも傍にいて欲しい人へ、たった一言。
「あぁぁああああぁっ!!」
魂の咆哮を目の前の妖獣に叩きつけるかのように絶叫する。一瞬、その気迫に妖獣がびくりと脅えたように身体を震わせるが、ただそれだけだ。
何事もなかったかのように、再び幽々子の頚動脈を噛み千切るべく口を開こうとした妖獣は次の瞬間、全身の体毛が逆立つのを感じた。
妖獣と幽々子の顔の間に、何かが存在している。
それは白く輝く二対の羽を持ち、灰を含んだ桜色に輝く鱗粉をこぼす、蝶。
それは西行寺幽々子の死の偶像。幽々子が左手を動かすとそれに付随して浮遊する。
それがなんであるかを理解した幽々子は、得物であったはずの相手の喉を一刻も早く食いちぎらんとしていた妖獣へ左手を伸ばして、その蝶を叩きつける!
たった、それだけ。
たったそれだけで幽々子に覆いかぶさっていた妖獣は断末魔の叫び声を上げることすら叶わず、眠るようにその生命活動を停止した。
◆ ◆ ◆
相方が仕留めにまわっていた為、周囲の監視のみを行っていた片割れが幽々子のほうへと向き直る。
力を失った妖獣の死体の下から這い出した幽々子とそいつの目が合った。
相方の死を理解したその妖獣が放つ気配の根源を理解して、幽々子は絶句する。
それは人外の怪物のものであるというのにはっきりと幽々子にも理解できる感情。怒りでもない、悲しみでもない、ただ相手を憎むだけの感情。すなわち憎悪だ。
殺したのだ、と幽々子は遅まきながらに理解した。殺さなければ殺されていた、それが分かっていてもその事実を前にして幽々子の身体は硬直し身動きが取れなくなってしまう。
新たな死蝶が目の前に浮かんではいたが、幽々子にはそれを操る事が出来ない。立ち尽くす幽々子に勝機を見たか妖獣は幽々子へと飛び掛らんと身構えるが、
「グ……」
幽々子が気付いたときにはその妖獣の背中にはいつの間にか刀が突き立てられていた。
一切の気配を放つ事無くそれを為した者は、一度刀を引き抜くとするりと刀を逆手に握り直し、妖獣の頭頂へと無慈悲に突き下ろす。
強靭な妖獣と言えど頭蓋を破壊されてはなす術もない。どう、と心臓と脳を破壊された妖獣は地に倒れ伏し、そのままぴくりとも動かなくなった。
「妖…」
忌と続けようとした幽々子だったが、その先を口にすることが出来なかった。目の前の者の頭髪は光を映す雪のような白髪ではなく、一般人と同じ黒髪。
そして何よりも半人半霊を証明するあの半霊がどこにも見当たらない。
加えて幽々子を取り囲むように姿を現した見覚えのない数名の武者を目にして、幽々子は反射的に死蝶を己の周囲に生み出して身構える。
「致死の能力、話に聞いていたものとは異なるが確かに見せてもらった。西行寺、幽々子だな?」
妖獣の体毛で刀にこびりついた血と脳漿を拭いながら、妖獣に気付かれる事なく背後を取って殺害したその男が問いかけてきた。
一瞬、違いますと答えたら相手はどういう反応をするのだろうか、などという場違いな検討が幽々子の胸中に浮かんでくる。
余裕があるのではない。状況が理解できておらず、まともな思考が追いつかないのだ。
「貴方達は、何者ですか」
誰そ彼時、沈みかけた夕陽に照らされた男の顔を精一杯の虚勢で睨みつけながら幽々子は問いかける。
刃の血糊を落とし終えた男は納刀しながら自嘲的な笑みを幽々子に向けた。
「名乗る価値もない。都に住まう魑魅魍魎どもの狗さ。そこに転がる山狗妖怪にも劣る駄犬だよ」
「…都の兵(つわもの)が片田舎の没落貴族に何の用ですか」
「下賎なる身に余りある御芳心、痛み入り申す。…しかしそのような気遣いは不要。我等は貴女を我らと同じ駄犬として迎え入れるためこの場に赴いたのだから」
「…」
「殿上に在られるやんごとなき身分のお方が、貴女の能力を御所望だ。…手荒なまねはしたくない、ぜひ同意して欲しい」
「平たく言えば、権力争いの為の武器となれ、という事ですね」
「理解が早くて困る。だがその通りだ」
未だ窮地には変わりないものの、人と会話をすることで妖の世界から人の世界へと帰還し幾ばくかの落ち着きを取り戻した幽々子は苦笑する。
目の前の男を憎むのは少しばかり難しそうだ。目の前の男はちょっとだけ、妖忌に似ている。
だからといって、ついて行くことなど出来る筈もない。
「お断りします。私は、生きるために生物を殺しこそすれど、権力の為に殺す事を良しとは致しません」
「そうであろうな。されど都に住まう貴族にとってその二つは同義であるのだが…さて、困ったな。やはり力ずくしかあるまいか」
男が左手を上げると、幽々子の周囲を取り囲んだ武者達がじりじりと距離を詰めてくる。
「最後にもう一度だけ問おう。重ねて言うが手荒な真似はしたくないのだ。我らと一緒に来てはくれまいか?」
「お断りします。全ての命は尊ばれるべきもの。それを奪う事しか出来ない呪われた娘が何を、と思われるかもしれませんが、それでも私は殺したくはありません」
男の人指し指が溜息とともに軽く上下する。それと同時に三人の武者が幽々子へと距離を詰めてきた。
幽々子を気絶させるなど一人いれば事足りる。だから近づいてくる物達のうち二人は陽動なのだろうが、幽々子には誰が陽動か区別が付かない。
一人が恐る恐る刀の切っ先で死蝶を斬り払うと、死蝶は光の粉をたなびかせて落下しながら空に溶け込むように消滅する。それを目にして斬った方も斬られたほうもほっと安堵の吐息をもらす。
安心している場合じゃなかったな、と幽々子が次の死蝶を出そうとした時、幽々子の目の前に急に雲のような何かが湧いて現れた。
「がっ!」
それと同時に幽々子に迫ってきた一人が悲鳴をあげて、残る二人はかろうじて声を上げなかったものの何かに顔面を殴打されて吹き飛ばされる。
気付けば幽々子の周囲を守るかのように薄い尾を引く何かが周回していた。
幾度となく目にしたことがあるそれの正体を把握して、今度こそ幽々子は安堵の声を上げた。
「…妖忌!」
「遅れて申し訳ありませぬ、幽々子様。しかし以降は守り刀を打ち捨てての外出は御控え願いたい」
己の半身から放たれた霊弾の一撃を受けてうずくまる者たちに見向きもせず、妖忌は腰に佩いた短刀友成を抜刀することなく、静かに幽々子の隣へと歩み寄った。
そのまま幽々子と正面の敵将からかばうように立ちはだかると、傍に浮いている死蝶を一つ、素手で握りつぶして敵へ獣のような笑みを浮かべてみせる。
「姫君の護衛の登場か…死霊使いか?」
「そんな大層な者ではないわ、ただの半死半生の園丁よ」
「ぬかせ!」
妖忌達の周囲を取り囲んでいた一人の若武者が、棟梁の命を待たずに踏み込んでくる。
突き掛かって来た相手の腕に足元の小石を蹴り当てると同時に相手の懐に踏み込んで一本拳にて相手の喉を打つ。声をあげる事すら出来ずにその若武者は大地にくずおれて膝をついた。
刀を抜く事すらせず、曲芸と拳だけ。それの意味する所を解釈して数名の若武者は激昂し、数名の手練は警戒を強めてはいるが、その誰もが倒れた若武者のあとには続かない、いや続けない。
妖忌が幽々子の傍を離れても、即死の死蝶とそれを意にも留めない半霊とが幽々子の傍に何人たりとも寄せ付けないからだ。
「なかなかの手練とお見受けする。本来ならば血と剣舞に酔い痴れたいところではあるが」
口だけで笑いつつ妖忌は周囲を鋭い眼光で睨みつける。
「幽々子様の御前で死者を出したくないのでな。退いてくれると助かる」
「…棟梁」
言葉とは裏腹に懐かしい戦場の空気によって眠っていた刀としての本性を呼び覚まされ、うっすらと赤い光彩を帯びた瞳でねめつけてくる妖忌に注意を払いつつ、妖忌達を取り囲んでいた者達が皆先ほどまで幽々子と会話していた棟梁と思しき人物へと目を流す。
彼等は悔しながらも目の前の半死半生とやらが強敵である事を冷静に受け入れたのだ。であるならば攻めるにしても連携して挑まねばなるまい、と静かに棟梁の指示を待つ。
その棟梁は、幽々子と、妖忌と、そして倒れ伏した者達に順繰りに目をやって、やや不満そうに溜息をついた。
「退くぞ」
「…」
「どうやら割に合わない仕事のようだ、人外を相手にするほどの報酬は約束されていない。前報酬だけで我慢するしかないな」
「しかし…」
「斯様な少女に殺人を強要して飯を食うのも落ち着かんし、こんな所で無駄に死傷者を出したくもない…現実を見ない夢想家な棟梁ですまんな」
「棟梁…」
「という訳だ、我等は引く。黙って退かせてもらえるか?」
「無論だ」
「だったらその今にも踏み込んできそうな目をやめろ、獣の様だぞ?…倒れた者達を起こせ、退くぞ」
些か残念そうな面持ちを浮かべている妖忌に苦笑し、棟梁は配下に撤収を指示した。
棟梁の言葉に従い、妖忌達の周囲を取り囲んでいた者達は包囲を崩して倒れた者達に肩を貸しながら己らの棟梁の背後へと後退する。
その後踵を帰そうとした棟梁に対して妖忌は懐から取り出した物を投げつけた。
「何だ?」
「厭い川原産の宝石だ、遠方で売り払えば多少は高値がつくだろう」
「施しか。やれやれ、我らも哀れまれたものだ」
「お主らが幽々子様を気遣ってくれた事は理解しているつもりだ。受けた恩は返さねばならぬ、それが出来ない奴は唯の屑だそうでな。拙者は屑にはなりたくない」
「そうか、ではありがたくいただいておこう…では、此方も一つ。我らの飼い主はいま少しばかり落ち目でな、敵対勢力を弱体化させるために心底、死の能力を欲している」
手口が急に強引になったのはそのためか、と妖忌は苛立たしげに首肯した。
陰陽道全盛、呪殺など当たり前な都では呪い殺すにしても、人の手で殺害するにしてもあっさり足がついてしまう。それゆえにそれらとは全く異なる殺害方法を欲しているというわけだ。
異質な殺害はしばらくは足がつかず、その間に敵対する者達を抹殺して己の政略基盤を磐石にする。そしてその殺害方法に足がつきそうになったらあっさりとそれを切り捨てるのだろう。
そのどこまでも他者を蹴落とす事に特化した貴族的な思考に妖忌は思わず唾棄したくなったが、幽々子の手前あまり野蛮な素振をするわけにもいかず、かろうじてその行動を圧し留める。
「故に決して諦めんぞ?我らが引いても次が来る。…彼女は殺したくないそうだ、守ってやるがいい。半死半生」
「もとより、そのつもりだ」
彼らが夕闇の中へ溶けるように去っていったのを確認して、戦場に哂っていた己の顔を一撫でした後、妖忌はほぼ完全に山陰に沈んだ太陽に目を向ける。
「斜陽、か…」
◆ ◆ ◆
「ねえ、妖忌。死をもたらす事しか出来ない私の生を紡ぐ事に、意味はあるのかしら?」
夕陽が完全に山陰に隠れ完全に夜の帳が下りた頃、二体の妖獣の埋葬を簡単に済ませ、膝をついて黙祷を捧げていた妖忌の背に幽々子がぽつりと呟いた。
妖忌は即座には言葉を返せない。あると答えるのは簡単だが、薄っぺらい言葉では彼女には届くまい。
かといって真摯に言葉を選ぼうとしてもそれは説教くささを助長するだけであり、仮に
「全ての生き物は殺す事で生き延びている、それ故にそのような問いかけは無意味である」
と返したとして―それは妖忌の裏返しのない本心であるが―、それは幽々子にとってはぐらかされたと同義であろう。
幽々子が求めているのは無差別に死を与える能力をどう肯定できるか、その一点に尽きるのであり、それを受け入れる方法はただ殺害を楽しむ事しかありえないように妖忌には思われた。
それが武道であったらまだ良かったろう。己の力と技をぶつけ合った過程の果てに死があり、双方それを受け入れ、そして幾許かの狂気と共にそれを楽しめるのだから。
だが、過程を通り越して無差別に死を与える。そんな能力にはどう取り繕った所で花を持たせる事など出来はしない。
「帰りましょう、幽々子様」
幽々子が求めている回答を与えられない以上、妖忌は口を噤み、話をそらすしかない。立ち上がり、振り向いて幽々子の顔に目を向ける。
辺りは既に暗闇に包まれているが、至近距離からならば淡い光を放つ妖忌の半霊と幽々子の死蝶のおかげで互いの表情くらいは確認できた。
一度幽々子はぴくりと身体を震わせた後、妖忌を見上げる。その顔には乾いた笑みが浮かんでいた。
「どこへ?」
そしてその声は表情よりも乾ききっていた。
「私はどこへ帰ればいいのかしら?知っているなら教えて、妖忌」
「…無論、西行寺のお屋敷にございます」
「あそこには帰れない!帰れるはずがないでしょう!!」
どん、と妖忌の胸を押して突き放し、幽々子は激昂して目の前の守り刀に叫びを叩きつけた。
意図せずして周囲に数を増した薄く輝く死蝶のおかげで相手の表情が離れてもはっきりと捉えられる。
「帰って、どうしろというの?家族を皆殺しにしろというのかしら?そんなこと、したくない。できるはずがない!」
「…ですが、皆、幽々子様を待っておられます」
「知っているわ!そういう人達だもの!だからこそ帰れない、帰れないのよ…」
はぁはぁと荒い息を吐いて肩を振るわせる幽々子に、妖忌は力なく立ちすくんだ。
幽々子の身を案じ、慌てて飛び出してきた妖忌は未だ幽々子を説得できるだけの言葉を持ち得なかった。もとより能弁なほうではないが、その事実に今日ばかりは歯噛みする。
ぎりっと歯を噛み締めたとて出来ることは何もない。出来る事は敵を追い払う事くらい。今の妖忌は呼吸するだけの哀れな案山子に過ぎなかった。
沈黙が、二人の間に揺蕩う。
その沈黙を切り裂いたのは、幽々子の媚びる様な懇願だ。
「ねえ、妖忌。私を攫っていってくれないかしら。私と、私の力が及ばない半死人である貴方と二人。私を、誰も居ない何処かへと…」
それは幽々子にとって僅かな、そして最後の希望なのだろう。であるというのに妖忌はその希望にすら頷いてやる事が出来ない。
一度は妖忌もそれを考え、しかしそれを棄却したのだから。
流浪の商人がこの幻想郷の地で果て、そして多くの者がその死を大して悼まなかったように、村社会という物は余所者に対して冷酷なほど排他的である。
逃げ延びた先で妖忌たちは生きるために働かねばならず、しかし霊を周囲に侍らせる異様な存在がそもそも人間扱いされるかどうかすら怪しく、その生活は苦しいものになるだろう。
自給自足でも何とかする自信が妖忌にはあったし、これまでもそうしてきたがそれはあくまで妖忌一人だけのこと。時に貧民以下となる生活に幽々子が耐えられるとも思えない。
それに何より、妖忌達には現在敵がいるのだ。幻想郷でなら、妖忌はそれを払いのけられる。それは妖忌が西行寺家の従者であり、幽々子と常に共に居られるからだ。
だがひとたび郷の外へ出てしまえば妖忌は食い扶持を稼ぐために働かねばならず、余所者がそれなりの収入を得る手段など荒事や重労働程度しかありえないため、そこに幽々子を伴うことなど出来る筈もない。
一人になった幽々子を、一体誰が守るのか?妖忌が守らねばならぬのに、生きるために幽々子の傍に妖忌はいられない。
財か、安全か。どちらかが幽々子達が共に生きるには必要なのだ。逃げ出した先に、それはない。
だが、幻想郷に残れば幽々子には西行寺一族が残した財があり、そして妖忌もまた、己の留守を信頼する――とは決して面と向かっては言わないが――娘夫婦に任せる事が出来る。
郷に残るか残らないかというのはそれこそ壱と九十九ほどに差があるのだ。
故に妖忌達は、いや幽々子はこの郷を離れる事は出来ないのである。
苦悩する妖忌の表情を見て、幽々子は消え入るような微笑をみせた。
それは全てを諦めた表情だった。
「そう、ならば私が生きている意味は無いわね」
「…何処へお行きなさる」
「何処かしら?妖怪の胃袋の中かしらね。分からないわ」
そう残してふらりと焦点の合わない目で歩き出した幽々子の腕を妖忌は取ったが、幽々子は駄々をこねる子供のようにその妖忌の手を振り払おうとする。
「離しなさい」
「離しませぬ」
「離しなさい!」
「離さんと申しておる!」
その強い口調に幽々子ははっとして妖忌の顔を見た。相変わらず妖忌は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
だが今のそれは苦悩というか、なんというかこそばゆさを堪えているような感じにも見えた。
「よろしい、幽々子様がその命を要らぬと申すのであれば己が頂く!幽々子様が死ぬまで、幽々子様の命は己の物。決して誰にも、幽々子様にすら渡しはせぬ!最早生死すら自由にはならないのだと、そう心得よ!」
最早妖忌は遠慮しない。力ずくで幽々子を引き寄せるとよもや逃がさぬとばかりに抱きしめる。
「…私が、欲しいと」
「然り」
「何故?」
「分からぬ。斯様に大喰らいで奔放で自分勝手で後先考えずに行動するわ装束は着流してろくに纏めようともせずはしたない事この上ないわそもそも空腹を歌に詠うなどよもやもののあはれなど生まれたときに置き忘れてきたかのようなそのおかしな「そこまで酷くはないわよ!」
普段の口下手はどうしたといわんばかりにつらつらと流れるように幽々子の欠点ばかりを羅列する妖忌のすねを幽々子はつま先で蹴り飛ばす。
苦悶の表情で口を閉ざした妖忌の顔を見る事無く、幽々子は再びぽつりと問いかけた。
「何故?」
「幽々子様を、愛しているからです」
「嘘よ」
「何故?」
「以前貴方が言ったのでしょう。最早人を愛する事は出来ない、と」
「そう思っておりました。ですが…」
「ですが?」
「恋は魔物、と友人が申しておりました。おそらくそうなのでしょう。己の意のままに押さえつけられないからこそ、魔物なのでしょうな」
なるほど、したくないと思っていてもしてしまうのが恋であるか、と改めて妖忌は納得したかのように小さく笑った。
であるならば恋など不要と語った紫も、いつかは何かに恋をするのだろうか?
「拙者のものになっていただく。異論はございませぬな?」
「私には拒否する自由が無いんじゃなかったかしら?」
「然様でした」
どこかで聞いたような会話をしているな、と妖忌は呆れたようにかぶりを振った。
だから多分、幽々子がなんて返してくるかも想像できる。
「…命を投げ捨てるのはちょっと勿体なくなってしまったから、だから私は貴方の物にはならないわ。だけど、そうね」
頬を少し赤く染めて、幽々子は妖忌に笑いかける。
「貴方がそれを望むなら、いつまでも貴方の傍に在りましょう」
「ありがとうございます」
少女を抱きしめる腕に思わず力が入る。見上げる幽々子の顔と見下ろす妖忌の顔が近づいて、少しの間、そっと重なった。
その後に、少女はちょっと辛そうな表情で妖忌にささやきかける。
「その、ね、妖忌」
「なんでしょうか」
「あの、言いにくいのだけど、貴方の愛が痛いわ。…それはもう、ぎりぎりと、お、折れそうなくらい」
思わず人を上回る腕力でひしと幽々子を抱きしめていた事に気がついた妖忌は、慌てて幽々子を開放した。
◆ ◆ ◆
「幽々子様、一度お屋敷へ戻りましょう。今後どうするにせよ、まずは御家族と話をしておかねばなりませぬ」
屋敷では幽々子の家族が幽々子の帰りを心待ちにしているだろう。
病床の身をおして捜索に出ていなければ良いのだが、と妖忌は幽々子に帰宅を促したが、幽々子は両手を赤く染まった頬に当てて俯いている。
「どんな顔で皆に会えば良いか分からないわ。色々な意味で」
「そう悩まれる必要もないと思いますが…では間に仲介を立てるといたしましょうか、隙間妖怪、招来!」
妖忌がぱちんと指を鳴らすと、妖忌の横の空間が真っ二つに割れ、その空間の断裂から豪奢な黄金の髪を冠した少女――境界の覇者、八雲紫が姿を現した。
初めて妖怪としての紫の能力を目の当たりにした幽々子は息をのむ。
「呼ばれて飛び出て…って、なにやらせるのよ、無礼者」
「不躾な覗き見のほうがよっぽど無礼だと思われますが。すぐ反応できるあたり、どうせ耳をそばだてていたのでしょう?」
「ふん、…どうやら成すべき事は成したようでなにより。妖忌、唇に紅がついていましてよ?」
思わず己の唇に手をやった妖忌を見て、紫は苦笑した。
「嘘よ。恋人が紅を引いているか引いてないか程度は把握しておきなさいな、猪武者」
「お、おのれ…」
「幽々子、貴方こんなので本当に良いの?」
「私の能力で死なない殿方となると選択肢はありませんし、致し方ないかと」
「そ、そんな理由ですか?」
「嘘よ、さっきのお返し。愛してるわ、妖忌」
「…」
「暑いわね。今ちょっとだけ殺意が湧いたわ」
ぎぎぎ、と角ばった首の動きで二人に殺意の篭った視線を投じながら紫は静かに呟く。
二人をくっつけて遊んでみたい、とは思っていた紫だがいざ目の前にしてみるとなんだろう、この感覚は。パルパル。
「はて、紫様に恨まれるような事をした覚えはございませぬが…とりあえずお屋敷に幽々子様の安全は確保した旨お伝え願えますか?」
「もう伝えてあるわ。今晩幽々子が屋敷に帰らない旨も。明日ゆっくりと面会なさい。…私を駅伝代わりに用いるなんて貴方ぐらいよ?反省なさいな」
「反省はいたしませぬが、紫様の心遣いに感謝いたします、持つべきは心優しき友人でありますな」
「貴方時々恐ろしいほど豪胆に無礼よね…まぁいいわ、幽々子もどうやら死の能力を具現化できるようになったし、私はこれでお役御免よね。本当、人間って見ている分には面白いけど関わると疲れるわ…」
そう力ない声で言い残すと、紫は疲れた身体を引きずるようにして隙間の奥へと下がっていく。
探索の為に式を四方八方に放ち、同時制御を行っていたため紫もまたお疲れなのである。
「あの、色々とありがとうございました、紫様」
「冬眠前に一度、御来訪くださいませ。ささやかなれど心づくしを用意しておきます。何がよろしいでしょうか?」
「…月餅」
最後に残った右手の人差し指で空間にひょいひょいと「月餅」と記した後、八雲紫は空間の裂け目の向こう側へと姿を消した。
「月を喰らうおつもりか、やる気満々ですなぁ」
「月を喰らう?それに冬眠って?」
「ああ、紫様は月に攻め入るつもりなのですよ。で、その準備に力を割いた為にお疲れで冬眠なさるのです」
妖忌の言っている内容がさっぱり理解できない幽々子は当惑した面持ちを浮かべていたが、やがて理解するのを諦めたのか軽く頭を振って嘆息した。
「…とりあえず変わった方なのね」
「然様、その感想で紫様の全てを表せましょう…さて、我らも屋敷へ戻りましょうか」
「無理よ」
今度ははっきりと、幽々子は不可能を明言する。
そんな幽々子を目にしてあやすような表情を浮かべてしまうのはやはり妖忌が人の親であるからだろうか。
「また我侭をおっしゃる。そのような事を言っていては何時まで経っても帰れぬではないですか」
「そうじゃないの。嫌、じゃなくて無理、よ。紫様が言っていたでしょう?今晩私は屋敷に帰らないと伝えた、と。下手すれば閂が下ろされてるわ」
しまった、と妖忌は思わず呻いた。
何かと及び腰な妖忌と幽々子をくっつけようとしていた親族と、こと妖忌に関しては手加減せず色々と吹聴してくれる紫の組み合わせだ。
西行寺の屋敷でどのような説明がされたのかなんて想像したくもない。
まさか昼間にあんな事があったのだから門戸を閉ざしたりはしないだろうとは思いたいのだが、紫の説明如何によっては
「お前責任取れよ」ぐらいの意を込めて本当に閂を下ろしているかもしれない。
本当に、西行寺家の門は硬く閉ざされていた。
ご丁寧にも「明日以降」と書かれ、吊るされた木簡を前にして、二人は揃って苦笑する。
「とりあえず妖忌の家に帰りましょう?」
「あれは到底家と呼べるようなものではないのですが…致し方ないですな」
こんな事で幽々子を招く事になるのなら、もう少しましにしておけばよかったと後悔するが、既に後の祭。
数刻後に訪れる幽々子の落胆、いや驚喜の表情を予想して、妖忌は小さく肩をすくめた。
▼18.恋人 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「これは、凄いわね」
幽々子は呆れたような表情で呟いた。
さもあらん。妖忌のあばら家はそもそもが魂魄一党が一時駐屯する為に急造した仮住まいの一つをそのまま使用している為、かろうじて風雨を凌げる程度のあばら家でしかないのであった。
郷に残る事を選択した魂魄一党も既にこれよりましな家をめいめいにこしらえている為、こんなぼろ暮らしをしているのは妖忌ぐらいのものである。
さらに大人数で共有する為に大きめに作られた家の中に並んでいるのは、壁中に所狭しと吊り下げられた猪、鹿、熊などの干肉や鮎、山女、岩魚などの干物。
そして床には大量の壷が所狭しと並んでおり、中身は塩漬けや未醤漬け等で、漬けてある物も野菜だったり魚だったり様々であるがその大半を肉が占めている。
そこは住居というよりはまるで貯蔵庫といったような様相を呈していた。
「だから申し上げたでしょう、家と呼べるようなものではないと。これでも夏が来る前にあらかた人里に払い下げたほうなのですが」
「それでもこの有様とは…でも、なんというか、素晴らしいわね。しかしなんでこんな大量の食料が?」
有り余る食材の宝庫に幽々子は目を輝かせている。
「この郷は、平和すぎましてな」
「つまり、血がたぎる度に狩りに出ていたという事ね…」
周囲に積み重なった保存食を見回した幽々子は今度こそ呆れたよう、ではなく呆れて溜息をついたが、ふと――明かり代わりに――家の中に浮かべた死蝶の光を照り返している何かに気がついた。
「あれは?」
荷に埋もれ、埃をかぶったそれを引っ張り出してその埃を払ってみると、それは幽玄の光を七色に照り返す幽々子にとって見たこともない羽である。
ああ、そんなものもあったなと改めて妖忌は記憶を掘り起こした。
妹紅に貰った羽、死者を甦らせる不死鳥の羽。その偽物だ。しかし偽物とはいえ七色に光を返すその様は芸術品として十分に美しい。
…このような場所で埃をかぶってさえいなければ。
「あれは不死鳥の羽、の贋作らしいです。まあ死を回避する御守りのようなものでしょう。お気に召したのであれば差し上げますが」
「んー、いいわ。妖忌が持っていれば十分よ。守り刀が無事ならば、私が殺される事はありえないもの」
「心得ました。全身全霊で、御守りいたします」
「…ありがとう。でも御守りなのでしょう?あのように埃をかぶらせておくのは勿体無いわよ」
「ふむ、では大太刀の鞘飾りにでもいたしましょうか…と」
妖忌は思わず苦笑した。息子が楼観剣の鞘に花をくくり付けていたのを思い出したのである。ふざけた奴だと思っていた妖忌だったが、まさか己がその真似をすることになろうとは。
そんな妖忌の思考を中断したのはぐぅという幽々子の腹の虫だ。
このように食料に満ちた場所では当然、とばかりに悲鳴を上げる腹の虫に赤面した幽々子を見やって、妖忌は苦笑を微笑に変える。
「まあ、とりあえず空腹を満たしましょう。囲炉裏の火を熾していただけますか?」
「ええ」
幽々子が灰の中から火種を熾し、新たな薪をくべている間に妖忌は岩魚の干物を壁から降ろし、十匹ほど串に刺して盆に並べる。
火が若干強くなってきた頃に串を灰に刺し餅を埋め自在鉤に水を張った鍋をかけて未醤漬けの鹿肉と山菜を放り込み、最後に地下に掘った穴から貴醸酒の瓶を取り出せば食事の準備は完了だ。
横に並んで座し、三献を終えてめいめいに食事と酒に手を伸ばしながら、幽々子と妖忌は互いに様々な事を話し合った。
歌聖が西行妖の下で死を迎えたときのこと。
魂魄一党を引き連れて所狭しと暴れまわっているときのこと。
西行妖が妖怪と化した時のこと。
己の妻と死闘を繰り広げた時のこと。
初めて紫を目にし、同性ながら感嘆の溜息をもらしたときのこと。
義理の息子と始めて相対し、対決の後に弟子入りを受け入れたときのこと。
妖忌の娘と幽々子が始めて出会い、友人となったときのこと。
義理の息子が娘と結婚すると言い出した時に二人がかりで勝ってみせろと戦いを挑ませて、しかし妖忌が勝ってしまったときのこと。
妹紅は常に不貞腐れたような表情を浮かべていたため友人になり損ねたこと。
父親の代わりとして接するのが正道と思っていたときのこと。
恋をしたくないと語った妖忌の為に己の感情を抑えていたこと。
妖夢がいかに可愛らしいかについて一刻力説したときにはそれを知る幽々子も流石にどん引きした。
◆ ◆ ◆
「幽々子様、今の幽々子様には何某かの目標はありませぬか?」
「んー、目標、もくひょうねぇ」
「如何様なものでも構いませぬが、やはり目的を持って生きたほうが人生は楽しいものになりましょう」
かつて回答が得られなかった質問を再度幽々子に投げかける。酔った今ならば答えが聞けるかもしれない。
酒気に頬を紅潮させ、若干呂律が回らなくなった幽々子は少し考えこんだ。
「あ、あったわ。あれよ、あれ」
「あれ、と申されますと?」
「素敵でお腹いっぱいな観光旅行」
妖忌は思わず吹き出した。どこまでも西行寺幽々子は西行寺幽々子である。それ以外の何者でもないのだ。
「よろしい。この一件が片付きましたら、二人で軽く旅に出ましょうか。陸奥国以北は物騒極まりないのですが、様々な海産物が取れると聞いております。北海の美食を二人で満喫いたしましょう」
「あらーいいわねー」
「そのためには足腰を鍛える必要がありますな。一日二十里程度は歩けねば話になりませんぞ」
「ならばー、訓練しましょーう」
「ええ、適度な運動は心身を活性化させます。今のうちから長距離を歩く訓練をしておくとよろしいでしょう」
「だから、太ってないってばー…」
「そのような事は申してはおりませんが…幽々子様?」
「…」
返事はない。幽々子はことり、と杯を持った腕を下ろして正体を失い妖忌にしなだれかかってくる。そんなに酒に強いほうではないようだった。
畳なんて上等な物はない。熊の毛皮を敷いた上に幽々子を横たえ、その上から狩衣をかける。
「おやすみなさいませ、幽々子様」
ぼろ小屋で申し訳ありませんが、どうか、よい夢が見られますように。
▼19.親子 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「だからね、幽々子、この屋敷を去るなんて言わないで。縛り付けるようで悪いのだけど最後までここにいて頂戴」
翌日、西行寺家東の対屋には残る親族―幽々子の父方の叔父とその妻、そして母方の伯父―と老いた三人の使用人、すなわち西行寺家全員が座していた。
既に叔父は相当衰弱しているが、それでも弱る身体を押して幽々子を出迎えている。
「叔母様…」
「紫様に聞きました。貴女がその能力を操れるようになったと、それ故に周囲に拡散する死の散布はある程度抑えられるはずだと」
「でも、それでも、全てを押さえ切れるわけではありません」
「そうね。でも私たちはずっと一緒に生きてきたでしょう?ならば、最後までそれを続けさせて。私たちには子がいなかったから、貴女をずっと娘のように思ってきたの。今際の時を、貴女に看取って欲しいのよ。お願いできるかしら?」
「…ですが、その死をもたらすのは私です」
「違うわ。私たちはね、己の命数を己の望みの為に消費して死ぬのよ。それが僅かに加速されるだけで、私達の死因は何一つ変わらない」
「でも…」
「でも、はもういいわ。幽々子は私たちと一緒に居たい?居たくない?それだけ、正直に教えて頂戴」
「私は…」
親族達の前に座している幽々子は俯いて着衣を握ったり、離したりを繰り返していたが、やがて瞳に涙を浮かべて顔を上げた。
「私は、皆と、叔母様たちと一緒に居たいです。居ても、よいのでしょうか?」
「勿論よ、家族なんだから」
「ごめんな…いえ、ありがとう、ございまず…」
そのまま幽々子は泣き崩れてしまった。そんな幽々子の肩を叔母が抱いて、あやすように揺さぶっている。
だからここで会議は打ち切りだが、何とか全てがもとの鞘に戻ったようだ。内心嘆息し、妖忌は席を立った。
幽々子を慰めてやりたい気持ちはあるが、今日の所はそれは家族の役割だ。妖忌のでる幕ではない。
庭に出て、周囲をくるりと見回してみる。
「よい庭ですな」
「ありがとうございます」
背後から幽々子の叔父二人に声をかけられる。
東から西に移るにつれて生い茂った前栽に少しずつ人の手が加えられていき、遣水による川、池を挟んで西端で白利地と西行妖が織り成す枯山水の浄土に至る庭はわりと妖忌の自信作である。
…途中の「あれ」さえ除けば。
「やれやれ、女だけで話があると家内に追い出されましたわ」
「大丈夫ですか?」
「無論、まだ介添えなしでも十分に歩けます、そう御心配召されるな」
些か危なげな歩調なれど、幽々子の叔父は静かに妖忌に歩み寄り、肩を並べた。その横にもう一人の伯父も並ぶ。
三人はそろって庭に目を向ける。こう思案しながら庭に目線をめぐらすとやはりというかなんと言うか、整った庭の中で唯一異彩を放っている「あれ」こと丸い石へと自然に視線が集まった。
二人の叔父もまた、「あれ」の意味する所を理解しているらしく、妖忌の半霊に一度目をやった後、軽く妖忌に頭を垂れる。
「これからも、幽々子をよろしくお願いいたします」
「無論。あの日、長老も含めた貴方がた四人と交わした約束を破る事は決してありませぬ。それこそ御心配めされるな」
「もちろん、それもあるのですが…」
伯父は若干不満そうに鼻を鳴らす。
「なんでしょうか?」
「何時になったら「御息女を拙者にください」と言ってくれるのでしょうか?我等はいつでも拳と共に「どうぞ」という言葉を差し上げる準備が出来ているのですが…」
「どうぞなのに拳がついてくるのですな」
「それは当然でしょう。義務ですから」
成る程、と妖忌は頷いた。妖忌自身、かつて別に文句などなかったのに拳どころか刃をくれてやったのだからその気持ちは良く分かる。
「申し訳ない、その台詞は永劫口にするつもりはないのですよ」
「…何故です?」
「それを言うと貴殿らが長老のように安心して急逝してしまいそうな気がしておりますれば、口にするのは憚られます。…長生きされよ」
にやりと笑う妖忌に対して、叔父達も呆れたような苦笑を返した。
今年は喪が明けることはないから、どう話が進んだとて今年に挙式などはありえないだろう。
でも、多分、西行寺の者達が来年の春を迎えることはない。
「娘を持つ父親の三大義務は果たせませぬか。残念です」
「三大義務とは?」
「娘に父様のお嫁さんになると言ってもらう事、娘を貰っていく男に拳を叩き込む事、娘の晴れ姿に涙する事、この三つです」
「拙者は、一つしか義務を果たしておりませなんだなぁ」
拳の代わりに刃を叩き込んだ妖忌は腰に佩いた短刀友成を見やり、少し感慨深げに呟いた。
かつては斬る為だけに存在した刀。そして今は斬らず、守るために存在する刀だ。
「拙者も本日よりこの屋敷に駐屯しようと思うのですが、よろしいですかな」
「無論です、むしろ是非に。…敵がいる、と紫様に伺いました。来ますでしょうか」
「恐らくは。ですが何が来ようと幽々子様を渡すつもりは毛頭ござらん」
「…我等は武器を持たぬ身、なにとぞよろしくお願いいたします」
(さて、人間の武芸者による正面突破が無理だという事は証明した。ならば次は…)
何が来ようと、斬る。
西行寺幽々子と、その家族。残り少ない団欒の時間を守るために。
それを願われて、魂魄妖忌は西行寺家の守り刀となったのだから。
だが、ただ守っているだけでは事態は一向に打開できない。最終的には此方から攻めて、攻めて攻めて責めて諦めさせなければなるまい。
魂魄妖忌の持てる知略、人脈全てを総動員して、敵を討つ。
今は敵の正体が殿上人としか分かっておらず、それ以上は調査のしようもない。
敵からの攻撃に対し、どうやれば返す刀で情報を切り取れるか。
「あなた、もう若くないんですからそのように風に当たっていてはすぐにころりと逝ってしまいますよ?」
「もう話は終わったのか?幽々子はどうした?」
「顔を洗ってくると北屋に」
「そうか…何の話だったのだ?」
歩み寄り、叔父を支えるように横に並んだ幽々子の叔母の表情はあまり明るいものではなく、それに疑念を抱いた叔父の問いかけに叔母は黙って首を振った。
「幽々子との約束なので何も口には出来ません。ですが」
叔母は目を閉じると静かに首を振った。
「あの子は私達に似すぎました。親としてはこれほど嬉しく、しかし悲しい事は無いわね」
そしてその時の妖忌には、その言葉の意味が理解できなかったのである。
主に睡眠不足的な意味で自分もスリップダメージを受けているが、良作ゆえのリジェネが発動しているので大丈夫。
読み応えがあるなあ。
→血
西行寺家のために協力して稗田家の特になることはあまりない。
→得
失礼な守り刀はには苦虫を噛み潰したような表情を向けられるし、
はには→には
さあ次だ!
第三幕いってきます!