目が覚めると床が赤かった。……じゃない、紅かった。
おかしい。私の部屋の床は乙女らしくピンクに花の模様だったはず。
まさか一日寝たくらいで急に真っ赤に染まったりはしまい。いくらここが悪魔の館で一面紅ばっかりでも、流石に周りの物の色までは侵食しないだろうし。
うだうだ考えていても目の前の現実は変わらないし、床が勝手に戻ってくれる様子もないので、私はベッドから降りて立ってみることにした。私の白い素肌に触れたのは、毛の長いふわふわした感触。あら、意外に気持ちいいかも――
「フラン、重いわ」
訂正、床ではなくお姉様だった。
床のふりして私を驚かせるだなんて、お姉様ったらお茶目ねー!
……意味がわからない。
取り敢えず強く踏みしめてみた。返ってくるのはやはり布特有のフワフワとした感触。とても人……もとい、吸血鬼を踏んでいるとは思えない。
……お姉様が喜び始めたから気持ち悪くなってやめた。
再びベッドに戻り、床をしっかりと見据えてみる。
お姉様がうつ伏せに倒れていた。しかしやけに厚さがない。それに表面がやたらとけばけばしている。
いや、ケバケバしいんじゃなくて、毛羽毛羽しいってことね。
あー、私わかった。
これあれだね、床に敷く布だよね。ちゃんと知ってるよ。
カーペットでしょ。
カーペット
お姉様がカーペット。
レミリアスカーペット。
…………
おう、まさにレッドカーペットだね!
VIP待遇だよ私!
――レミリアスカーペット――
……おーけー、これは夢だ、きっとそうだ、そうに違いない、ていうか夢じゃなきゃ困る。
よし、そうと決まれば寝よう。
こんな馬鹿馬鹿しい夢なんて忘れて寝てしまおう……寝てしまえばこんなことすぐに忘れて、起きた頃には咲夜がご飯の仕度を――
「ちょっとフラン! 放置なんてひどいじゃない!」
うわぁいお姉様が私にすがりついて来たよぉ!?
全身けばけばしてるせいでなんかちょっとモップみたい!
でも正直布だから重くもなんともな……うわっ、ちょっやめっ……ほ、埃が、ごほっげほごほごほ……
咳き込んで涙ぐんだ視界に、途方にくれたようなお姉様の顔が見えた。
あー、これは本気で困ってるみたい。
さすがに、事情を聴かずに即寝るって言うのは良くなかったかもしれない。それじゃ、どうしてそうなったのかの原因から聞こう、そう考えた時――
私のスカートの中をお姉様の裏地が撫でた
思い切りはね飛ばした。
―――――――
「いきなり蹴るなんて酷いじゃないの!」
どこからともなく現れた咲夜に壁に激突して出来た傷を繕わせながら、まるっきり平面になったお姉様は叫んだ。
なるほど、二次元のお姉様ってことね。……なんか違うか。
というか酷いも何も、あんたが私のスカートの中に手突っ込んだからでしょ。
「今のこれは手じゃない、ただのカーペットの右端よ!」
ドヤ顔で高らかに宣言するお姉様。というか地のぶ……もとい、思考を読まないで欲しい。
『私上手い返しした』的な表情にイラッと来て、反射的に掲げられた右手……いや、右端に能力を発動。
きゅっとして――
どっかーん。
パンッと、間の抜けた音の割に随分な光景が広がった。
いや、だって血が出るなんて誰が思うよ?
弾けたお姉様の右端は、真っ赤な血を私の部屋中に飛び散らせる結果になった。せっかくクマさんのぬいぐるみや花飾り、髪留めマニキュア恋空(笑)、仕上げに小悪魔アゲハまで揃えてファンシーで乙女っぽく作った部屋が、一瞬にしてB級ホラーかサスペンスの舞台になっちゃったじゃんよ。
どうすんのよこれ……こんなの見せたら遊びに来た人みんなドン引きじゃない。
……はい格好よく無いから。厨二病のお姉様は少し黙っててね。
◆
そんなこんなで、事件の発覚から一時間になる。
そろそろ頭が痛い。結局このカーペットお姉様は何なのか。誰でも良いから取り敢えず説明しようよ。
「はい、妹様。では僭越ながら私から」
へりくだらなくて良いから早く。
「まず昨夜未明、パチュリー様のお戯れで、物の概念を変化させる魔法の実験なるものが行われました」
その時点で落ちが読めたわ。
「実験自体は成功、概念の操作が出来たそうですが……どうもコントロールが上手く出来なかったようで……」
結果が、これと。
「そういうことになります。お嬢様と、図書館床のカーペットが概念的に融合をしてしまったと、パチュリー様は仰っておりました」
ちらりと、壁に立て掛けられたカーペットお姉様を見る。
どこか疲れたような、それでいて苛立ったような表情。
私にだけわかる、お姉様特有の表情のブレンド具合。あれはものすごくイライラしているときの表情だ。
そりゃ、自分と敷物が一体化なんてして嬉しいわけはない。
ましてやあのお姉様だ。プライドの塊みたいなお姉様のことだ。そりゃこうなるよね。
元に戻ったとして、今度はパチュリーが挽き肉と概念的融合を果たしたりしないと良いんだけど。
それで、戻す方法は?
「それが……そう上手くはいかないそうで」
だとは思ったけどね。
これであっさり解決法があるなら、わざわざお姉様が私の部屋に来たりしないもん。
ところで、パチュリー自身はどうしてるの?
「パチュリー様はただいまお部屋におられます。身支度を終えたらこちらに向かうとの事で」
年中寝起きみたいなもんでしょうに。
そう伝える咲夜自身も訝しげな表情だし。
「……パチェの格好なんて、いつでも寝巻きみたいなもんじゃない」
どうやらお姉様も同じ様に疑問を感じているみたい。
そもそも、咲夜がうるさく言わなきゃ風呂すら忘れて本読んでるようなキャラじゃなかったっけ?
「いえ、最近は小悪魔が注意してくれているようなので」
へぇと、私は少しばかり感心した。
あの頑固者のパチュリーを動かすのは並大抵の苦労じゃない。それは近くで咲夜の奮闘を見ていた私もよくわかっている。動かない大図書館の名は伊達や酔狂で付いたもんじゃないのだ。
それを動かすとは、流石はあのひねくれ者の従者というところかな。
「最近は、服も毎日洗濯してくださっている様子ですわ」
これはびっくり。そんなこと咲夜でも成し遂げていない偉業だ。
パチュリーが毎日洗濯するのはパンツ位なもので、肌着だって毎日着替えるのは面倒がってたはず。ましてや服なんて……
「――遅くなったわね」
と、おもむろに扉の向こうから掛けられる声。ようやく元凶のお出ましかな。
――開かれた扉の向こうから、紫色のソフトクリームを乗せたドヤ顔が歩いてきた。
「髪をセットするのに手間取ったわ」
取り敢えず殴った。
◆
いくら殴っても一向に頭の上のソフトクリームが崩れる気配がないので、30発目辺りから数えるのをやめた。
今私の前には、顔を限界まで腫らせて頭上にソフトクリームを乗っけた知識の魔女が立っている。
「パ、パチェ……一体どういう心境の変化かしら?」
部屋の隅で丸まっていたお姉様も、パチュリーのこの変わりようには驚いたみたい。
お姉様の質問に、パチュリーはふっと小さく笑って
「驚いたかしら」
いやそりゃ驚くでしょ。
程度の差こそあれ、私も咲夜もカーペットなお姉様もみんな揃って驚いてるよ。
「そうよね、この形態によって極限まで研ぎ澄まされた魔力……レミィや妹様が感じ取れないはず無いわ」
なにそれこわい
「外から流れ着いた魔導書に書いてあったものなんだけど、髪の毛をこのような形に纏め上げることで、自分を更に一つ上の位へとランクアップさせることが出来るそうよ。髪の毛は魔術の儀式にも度々使われる身近な霊媒。それを疎かに扱っていたなんて……私も魔女としてまだまだね」
得意気に語る紫ソフトの手には、CanCam新春特別号が握られていた。
表紙に煌めく箔押しでデカデカと書かれていたのは
「イマドキ盛りでランクアップ! 一つ上の自分に変身!」
ご丁寧に、表紙に赤ペンでアンダーラインまで引かれている。
笑っていいのかなこれ……ある意味お姉様のカーペット化より威力高いんだけど……誰よこんなの仕込んだのは。
ぴくぴくと好き勝手に震える顔の筋肉を全力で押し留めていると、パチュリーの半歩後ろに立ちながら 無音でお腹を抱えて笑っている小悪魔を視界に捉え、私は全てを理解した。
―――――――
数分の説明の後、騙される方が悪いレベルの小悪魔の冗談に過剰なまでの制裁を加え、紫ソフトの魔女は知識の魔女になって帰ってきた。
「……取り乱したわ、ごめんなさい」
若干頬を染めながら、俯き加減でそうぼそりと呟くパチュリーは、小悪魔じゃなくてもキュンときて――いやいやいや、私はパチュリーにそういう感情はない。冷静になれ、私……
「パチェ……すごく可愛いわ」
言ったよこの人は! いや人じゃないけどさ!
思わずお姉様の方を振り替えると、お姉様だけでなく咲夜まで顔を赤らめて目を背けていた。
パチュリーのランクアップは、確かに成功したのかも知れなかった。
◆
「で、結局解決法は見つかったのですか、パチュリー様?」
咲夜の言葉に、私たちはハッと我に返った。
「そ、そうよパチェ! 早くこれを何とかしてよ!」
お姉様がペラペラの身体をバタバタと振り回すものだから、辺りが途端に埃っぽくなる。
顔も身体も一様にペランペランと動くのはとてもシュールでちょっと笑える。
でもそんなに激しく動いたら――
「げほっ……ちょ、レミィ……落ち着ゴホッゲフッ……」
「あぁパチュリー様、埃を吸い込むと喘息が……」
やっぱり、こうなるに決まってるんだから。
あんな姿にされた仕返しなのか、お姉様は更に激しく埃を巻き上げ始めた。
これはパチュリーが切れてスペルを乱打するまでは止まりそうにないね。
そんな訳でパチュリーが落ち着くまでの間、私は咲夜の用意したティーセットで優雅にお茶を――
「妹様、紅茶に埃が」
よし取り敢えずあのバカを黙らせよう。
――――――――
数分の闘いの後、私たちの前には簀巻きにされたお姉様が横たわっていた。普通の簀巻きと違って、開いても中身は入っていないけどね。
「さて、そこの敷物を元通りに図書館に敷き直して来ようかしらね」
喘息から復活したパチュリーは薄ら笑いを浮かべて脅しをかけている。
それに対し、筒状に丸められたままの状態で、それでもうぞうぞと抗議の意思を表しているお姉様。
自分がこれと同じ血を引いているという事が夢であって欲しいと思うのは、一体何度目の事だろう。
咲夜は咲夜で、鼻血を垂らしながら嬉々としてお姉様を縛り上げていたし……
っていうより、今も縛り続けているというほうが正しいのかな。
ものの数秒で難解な縛り方を作り変えていく手際には感心するけどさ。
「一度、お嬢様を私の手で縛り上げてみたいとお思いしておりました……まさかこんな所で願いが叶うとは……」
もうやだこの紅魔館。
◆
「解決法はあるわ」
パチュリーがぼそりとそう呟いたのは、咲夜の緊縛が三周目に差し掛かった頃。
「……えっ」
おそらく全員の心の声であろうものを代弁したのは、今までこの狂乱の宴に参加していなかった小悪魔だった。
「パ、パチュリー様……先程解決法は見つからなかったと図書館で――」
「馬鹿ね、そんなわけないじゃない。貴女に言ってしまったらどうせすぐにバラしてしまうでしょう? そんなの詰まらないじゃない」
片手をヒラヒラと振って応じる主人に、小悪魔は乾いた笑いを返している。
ま、こんな事じゃないかとは思ってたんだけどね。
「ちょ、ちょっとパチェ! それって本当なの!?」
一番外側の面にお姉様の顔が現れてパチュリーに食って掛かる。
一体どういう仕組みになってるんだろう。知りたいとは思わないけど。
「本当よ。本来はもっと早く教えてあげるつもりだったんだけどね」
ジト目で睨まれるが早いか、お姉様の顔はまたもや布の奥へと消えて行った。
だからどんな仕組みなのよそれ。
パチュリーも諦めたのか、それ以上の追及はせず、私と咲夜に向き直って説明を始めた。
「もともと、この魔術だけでは完全な融合は出来ていないわ。もしそうなら、今頃レミィとカーペットは同一のものという認識になっている。概念の融合とはそういうことだもの」
なるほど、確かに私はまだあの薄っぺらいお姉様を「レミリア・スカーレット」という“吸血鬼”だと認識している。
「完全に融合をさせるには、『定着』の儀式がいる。それを行っていない訳だから、強い衝撃を与えてやりでもすれば、二つの概念はすぐに分離するわ」
ふーん……ん?
強い衝撃?
「あの、パチュリー様。先程のパチュリー様と妹様の弾幕でも、それらが分離する様子はありませんでしたが……」
私が疑問を口にするより早く、咲夜がおずおずと質問をする。
なお、縄は未だしっかりと握られたままだった。いや手放そうよ。なんで後生大事に抱えてるのさ。
まあでも咲夜の言うとおりだ。全力とは言わないまでも、それなりに強力な弾幕を二人がかりで打ち込んで、それでもお姉様とカーペットが分離するなんて事はなかった。
不安げな視線を受ける知識の魔女は――
「安心していいわ。あの時は私が障壁を張って、分離を防いでいただけだから」
自信たっぷりにそう言った。
良くも悪くも、流石はお姉様の親友だった。
◆
レーヴァテインを一振りするだけで、あっさりとスカーペットはいつも通りのお姉さまへと戻った。
丸められたカーペットから這い出てきたお姉様に気が付かなくて、二発目を入れてしまうなんて“事故”もあったけれど、それ以外は概ね何事もなく、それこそ拍子抜けするほどあっさりと事件は収束に向かっていた。
「パチェ……覚悟は出来ているでしょうね……」
「あら、何のこと?」
収束に――
「ミンチと融合する覚悟、よ!!」
パチュリーの髪を掠めて飛んだグングニルは、私の部屋の右側の壁を半分ほど崩壊させて空へ消えた。
あーあ、お姉様から貰った去年のバレンタインデーの箱とか、魔理沙から貰ったキノコとか飾ってあったのになぁ。
――残念。
私はにっこりと微笑むと、そのままの表情で紅い閃光と七曜の魔術が飛び交う中に炎剣を投げ入れる。
「フラン、なんで邪魔するの!」
「レミィ、貴女はもっと周りを見て行動すべきだわ」
そんなことを言いながらも、パチュリーだって私の服を何着も灰にしてるんだけどね。
悪態を吐きながらも応じるお姉様に、苦笑を携えて佇むパチュリー。
結果的にごちゃ混ぜの弾幕ごっこが始まって、三つ巴の大乱闘に発展していく。
周りには咲夜も小悪魔も居て、みんなそれぞれ笑ってる。
いつもの仲間、いつもの風景。
ハチャメチャだけど、これがいつもの紅魔館。
私の居場所。
――このハチャメチャな紅魔館で、このめちゃくちゃなお姉様の妹で、本当によかった――
パチュリーの弾幕に気を取られたお姉様に、燃えたぎる大剣をフルスイングしながら、私は心からそう思った。
◇
朝起きると、目の前に真っ赤な衣裳箪笥が鎮座していた。
……今度はなんのつもり、お姉様?
「ほ、ほら……パチェが昨日の一件でフランが楽しそうだったって言ってたから、ね?」
ふーん……それで、これは何?
限りなくそっけなく尋ねたというのに、お姉様はノリノリのハイテンションで答えを返してくれた。
「レミリア・クローゼットよ!!」
私はといえば、紅魔館の粗大ゴミ回収の日を想起しながら、どうして私はこんなお姉様の妹であるのかという答えの出ない問いに思いを馳せるのだった。
終
おかしい。私の部屋の床は乙女らしくピンクに花の模様だったはず。
まさか一日寝たくらいで急に真っ赤に染まったりはしまい。いくらここが悪魔の館で一面紅ばっかりでも、流石に周りの物の色までは侵食しないだろうし。
うだうだ考えていても目の前の現実は変わらないし、床が勝手に戻ってくれる様子もないので、私はベッドから降りて立ってみることにした。私の白い素肌に触れたのは、毛の長いふわふわした感触。あら、意外に気持ちいいかも――
「フラン、重いわ」
訂正、床ではなくお姉様だった。
床のふりして私を驚かせるだなんて、お姉様ったらお茶目ねー!
……意味がわからない。
取り敢えず強く踏みしめてみた。返ってくるのはやはり布特有のフワフワとした感触。とても人……もとい、吸血鬼を踏んでいるとは思えない。
……お姉様が喜び始めたから気持ち悪くなってやめた。
再びベッドに戻り、床をしっかりと見据えてみる。
お姉様がうつ伏せに倒れていた。しかしやけに厚さがない。それに表面がやたらとけばけばしている。
いや、ケバケバしいんじゃなくて、毛羽毛羽しいってことね。
あー、私わかった。
これあれだね、床に敷く布だよね。ちゃんと知ってるよ。
カーペットでしょ。
カーペット
お姉様がカーペット。
レミリアスカーペット。
…………
おう、まさにレッドカーペットだね!
VIP待遇だよ私!
――レミリアスカーペット――
……おーけー、これは夢だ、きっとそうだ、そうに違いない、ていうか夢じゃなきゃ困る。
よし、そうと決まれば寝よう。
こんな馬鹿馬鹿しい夢なんて忘れて寝てしまおう……寝てしまえばこんなことすぐに忘れて、起きた頃には咲夜がご飯の仕度を――
「ちょっとフラン! 放置なんてひどいじゃない!」
うわぁいお姉様が私にすがりついて来たよぉ!?
全身けばけばしてるせいでなんかちょっとモップみたい!
でも正直布だから重くもなんともな……うわっ、ちょっやめっ……ほ、埃が、ごほっげほごほごほ……
咳き込んで涙ぐんだ視界に、途方にくれたようなお姉様の顔が見えた。
あー、これは本気で困ってるみたい。
さすがに、事情を聴かずに即寝るって言うのは良くなかったかもしれない。それじゃ、どうしてそうなったのかの原因から聞こう、そう考えた時――
私のスカートの中をお姉様の裏地が撫でた
思い切りはね飛ばした。
―――――――
「いきなり蹴るなんて酷いじゃないの!」
どこからともなく現れた咲夜に壁に激突して出来た傷を繕わせながら、まるっきり平面になったお姉様は叫んだ。
なるほど、二次元のお姉様ってことね。……なんか違うか。
というか酷いも何も、あんたが私のスカートの中に手突っ込んだからでしょ。
「今のこれは手じゃない、ただのカーペットの右端よ!」
ドヤ顔で高らかに宣言するお姉様。というか地のぶ……もとい、思考を読まないで欲しい。
『私上手い返しした』的な表情にイラッと来て、反射的に掲げられた右手……いや、右端に能力を発動。
きゅっとして――
どっかーん。
パンッと、間の抜けた音の割に随分な光景が広がった。
いや、だって血が出るなんて誰が思うよ?
弾けたお姉様の右端は、真っ赤な血を私の部屋中に飛び散らせる結果になった。せっかくクマさんのぬいぐるみや花飾り、髪留めマニキュア恋空(笑)、仕上げに小悪魔アゲハまで揃えてファンシーで乙女っぽく作った部屋が、一瞬にしてB級ホラーかサスペンスの舞台になっちゃったじゃんよ。
どうすんのよこれ……こんなの見せたら遊びに来た人みんなドン引きじゃない。
……はい格好よく無いから。厨二病のお姉様は少し黙っててね。
◆
そんなこんなで、事件の発覚から一時間になる。
そろそろ頭が痛い。結局このカーペットお姉様は何なのか。誰でも良いから取り敢えず説明しようよ。
「はい、妹様。では僭越ながら私から」
へりくだらなくて良いから早く。
「まず昨夜未明、パチュリー様のお戯れで、物の概念を変化させる魔法の実験なるものが行われました」
その時点で落ちが読めたわ。
「実験自体は成功、概念の操作が出来たそうですが……どうもコントロールが上手く出来なかったようで……」
結果が、これと。
「そういうことになります。お嬢様と、図書館床のカーペットが概念的に融合をしてしまったと、パチュリー様は仰っておりました」
ちらりと、壁に立て掛けられたカーペットお姉様を見る。
どこか疲れたような、それでいて苛立ったような表情。
私にだけわかる、お姉様特有の表情のブレンド具合。あれはものすごくイライラしているときの表情だ。
そりゃ、自分と敷物が一体化なんてして嬉しいわけはない。
ましてやあのお姉様だ。プライドの塊みたいなお姉様のことだ。そりゃこうなるよね。
元に戻ったとして、今度はパチュリーが挽き肉と概念的融合を果たしたりしないと良いんだけど。
それで、戻す方法は?
「それが……そう上手くはいかないそうで」
だとは思ったけどね。
これであっさり解決法があるなら、わざわざお姉様が私の部屋に来たりしないもん。
ところで、パチュリー自身はどうしてるの?
「パチュリー様はただいまお部屋におられます。身支度を終えたらこちらに向かうとの事で」
年中寝起きみたいなもんでしょうに。
そう伝える咲夜自身も訝しげな表情だし。
「……パチェの格好なんて、いつでも寝巻きみたいなもんじゃない」
どうやらお姉様も同じ様に疑問を感じているみたい。
そもそも、咲夜がうるさく言わなきゃ風呂すら忘れて本読んでるようなキャラじゃなかったっけ?
「いえ、最近は小悪魔が注意してくれているようなので」
へぇと、私は少しばかり感心した。
あの頑固者のパチュリーを動かすのは並大抵の苦労じゃない。それは近くで咲夜の奮闘を見ていた私もよくわかっている。動かない大図書館の名は伊達や酔狂で付いたもんじゃないのだ。
それを動かすとは、流石はあのひねくれ者の従者というところかな。
「最近は、服も毎日洗濯してくださっている様子ですわ」
これはびっくり。そんなこと咲夜でも成し遂げていない偉業だ。
パチュリーが毎日洗濯するのはパンツ位なもので、肌着だって毎日着替えるのは面倒がってたはず。ましてや服なんて……
「――遅くなったわね」
と、おもむろに扉の向こうから掛けられる声。ようやく元凶のお出ましかな。
――開かれた扉の向こうから、紫色のソフトクリームを乗せたドヤ顔が歩いてきた。
「髪をセットするのに手間取ったわ」
取り敢えず殴った。
◆
いくら殴っても一向に頭の上のソフトクリームが崩れる気配がないので、30発目辺りから数えるのをやめた。
今私の前には、顔を限界まで腫らせて頭上にソフトクリームを乗っけた知識の魔女が立っている。
「パ、パチェ……一体どういう心境の変化かしら?」
部屋の隅で丸まっていたお姉様も、パチュリーのこの変わりようには驚いたみたい。
お姉様の質問に、パチュリーはふっと小さく笑って
「驚いたかしら」
いやそりゃ驚くでしょ。
程度の差こそあれ、私も咲夜もカーペットなお姉様もみんな揃って驚いてるよ。
「そうよね、この形態によって極限まで研ぎ澄まされた魔力……レミィや妹様が感じ取れないはず無いわ」
なにそれこわい
「外から流れ着いた魔導書に書いてあったものなんだけど、髪の毛をこのような形に纏め上げることで、自分を更に一つ上の位へとランクアップさせることが出来るそうよ。髪の毛は魔術の儀式にも度々使われる身近な霊媒。それを疎かに扱っていたなんて……私も魔女としてまだまだね」
得意気に語る紫ソフトの手には、CanCam新春特別号が握られていた。
表紙に煌めく箔押しでデカデカと書かれていたのは
「イマドキ盛りでランクアップ! 一つ上の自分に変身!」
ご丁寧に、表紙に赤ペンでアンダーラインまで引かれている。
笑っていいのかなこれ……ある意味お姉様のカーペット化より威力高いんだけど……誰よこんなの仕込んだのは。
ぴくぴくと好き勝手に震える顔の筋肉を全力で押し留めていると、パチュリーの半歩後ろに立ちながら 無音でお腹を抱えて笑っている小悪魔を視界に捉え、私は全てを理解した。
―――――――
数分の説明の後、騙される方が悪いレベルの小悪魔の冗談に過剰なまでの制裁を加え、紫ソフトの魔女は知識の魔女になって帰ってきた。
「……取り乱したわ、ごめんなさい」
若干頬を染めながら、俯き加減でそうぼそりと呟くパチュリーは、小悪魔じゃなくてもキュンときて――いやいやいや、私はパチュリーにそういう感情はない。冷静になれ、私……
「パチェ……すごく可愛いわ」
言ったよこの人は! いや人じゃないけどさ!
思わずお姉様の方を振り替えると、お姉様だけでなく咲夜まで顔を赤らめて目を背けていた。
パチュリーのランクアップは、確かに成功したのかも知れなかった。
◆
「で、結局解決法は見つかったのですか、パチュリー様?」
咲夜の言葉に、私たちはハッと我に返った。
「そ、そうよパチェ! 早くこれを何とかしてよ!」
お姉様がペラペラの身体をバタバタと振り回すものだから、辺りが途端に埃っぽくなる。
顔も身体も一様にペランペランと動くのはとてもシュールでちょっと笑える。
でもそんなに激しく動いたら――
「げほっ……ちょ、レミィ……落ち着ゴホッゲフッ……」
「あぁパチュリー様、埃を吸い込むと喘息が……」
やっぱり、こうなるに決まってるんだから。
あんな姿にされた仕返しなのか、お姉様は更に激しく埃を巻き上げ始めた。
これはパチュリーが切れてスペルを乱打するまでは止まりそうにないね。
そんな訳でパチュリーが落ち着くまでの間、私は咲夜の用意したティーセットで優雅にお茶を――
「妹様、紅茶に埃が」
よし取り敢えずあのバカを黙らせよう。
――――――――
数分の闘いの後、私たちの前には簀巻きにされたお姉様が横たわっていた。普通の簀巻きと違って、開いても中身は入っていないけどね。
「さて、そこの敷物を元通りに図書館に敷き直して来ようかしらね」
喘息から復活したパチュリーは薄ら笑いを浮かべて脅しをかけている。
それに対し、筒状に丸められたままの状態で、それでもうぞうぞと抗議の意思を表しているお姉様。
自分がこれと同じ血を引いているという事が夢であって欲しいと思うのは、一体何度目の事だろう。
咲夜は咲夜で、鼻血を垂らしながら嬉々としてお姉様を縛り上げていたし……
っていうより、今も縛り続けているというほうが正しいのかな。
ものの数秒で難解な縛り方を作り変えていく手際には感心するけどさ。
「一度、お嬢様を私の手で縛り上げてみたいとお思いしておりました……まさかこんな所で願いが叶うとは……」
もうやだこの紅魔館。
◆
「解決法はあるわ」
パチュリーがぼそりとそう呟いたのは、咲夜の緊縛が三周目に差し掛かった頃。
「……えっ」
おそらく全員の心の声であろうものを代弁したのは、今までこの狂乱の宴に参加していなかった小悪魔だった。
「パ、パチュリー様……先程解決法は見つからなかったと図書館で――」
「馬鹿ね、そんなわけないじゃない。貴女に言ってしまったらどうせすぐにバラしてしまうでしょう? そんなの詰まらないじゃない」
片手をヒラヒラと振って応じる主人に、小悪魔は乾いた笑いを返している。
ま、こんな事じゃないかとは思ってたんだけどね。
「ちょ、ちょっとパチェ! それって本当なの!?」
一番外側の面にお姉様の顔が現れてパチュリーに食って掛かる。
一体どういう仕組みになってるんだろう。知りたいとは思わないけど。
「本当よ。本来はもっと早く教えてあげるつもりだったんだけどね」
ジト目で睨まれるが早いか、お姉様の顔はまたもや布の奥へと消えて行った。
だからどんな仕組みなのよそれ。
パチュリーも諦めたのか、それ以上の追及はせず、私と咲夜に向き直って説明を始めた。
「もともと、この魔術だけでは完全な融合は出来ていないわ。もしそうなら、今頃レミィとカーペットは同一のものという認識になっている。概念の融合とはそういうことだもの」
なるほど、確かに私はまだあの薄っぺらいお姉様を「レミリア・スカーレット」という“吸血鬼”だと認識している。
「完全に融合をさせるには、『定着』の儀式がいる。それを行っていない訳だから、強い衝撃を与えてやりでもすれば、二つの概念はすぐに分離するわ」
ふーん……ん?
強い衝撃?
「あの、パチュリー様。先程のパチュリー様と妹様の弾幕でも、それらが分離する様子はありませんでしたが……」
私が疑問を口にするより早く、咲夜がおずおずと質問をする。
なお、縄は未だしっかりと握られたままだった。いや手放そうよ。なんで後生大事に抱えてるのさ。
まあでも咲夜の言うとおりだ。全力とは言わないまでも、それなりに強力な弾幕を二人がかりで打ち込んで、それでもお姉様とカーペットが分離するなんて事はなかった。
不安げな視線を受ける知識の魔女は――
「安心していいわ。あの時は私が障壁を張って、分離を防いでいただけだから」
自信たっぷりにそう言った。
良くも悪くも、流石はお姉様の親友だった。
◆
レーヴァテインを一振りするだけで、あっさりとスカーペットはいつも通りのお姉さまへと戻った。
丸められたカーペットから這い出てきたお姉様に気が付かなくて、二発目を入れてしまうなんて“事故”もあったけれど、それ以外は概ね何事もなく、それこそ拍子抜けするほどあっさりと事件は収束に向かっていた。
「パチェ……覚悟は出来ているでしょうね……」
「あら、何のこと?」
収束に――
「ミンチと融合する覚悟、よ!!」
パチュリーの髪を掠めて飛んだグングニルは、私の部屋の右側の壁を半分ほど崩壊させて空へ消えた。
あーあ、お姉様から貰った去年のバレンタインデーの箱とか、魔理沙から貰ったキノコとか飾ってあったのになぁ。
――残念。
私はにっこりと微笑むと、そのままの表情で紅い閃光と七曜の魔術が飛び交う中に炎剣を投げ入れる。
「フラン、なんで邪魔するの!」
「レミィ、貴女はもっと周りを見て行動すべきだわ」
そんなことを言いながらも、パチュリーだって私の服を何着も灰にしてるんだけどね。
悪態を吐きながらも応じるお姉様に、苦笑を携えて佇むパチュリー。
結果的にごちゃ混ぜの弾幕ごっこが始まって、三つ巴の大乱闘に発展していく。
周りには咲夜も小悪魔も居て、みんなそれぞれ笑ってる。
いつもの仲間、いつもの風景。
ハチャメチャだけど、これがいつもの紅魔館。
私の居場所。
――このハチャメチャな紅魔館で、このめちゃくちゃなお姉様の妹で、本当によかった――
パチュリーの弾幕に気を取られたお姉様に、燃えたぎる大剣をフルスイングしながら、私は心からそう思った。
◇
朝起きると、目の前に真っ赤な衣裳箪笥が鎮座していた。
……今度はなんのつもり、お姉様?
「ほ、ほら……パチェが昨日の一件でフランが楽しそうだったって言ってたから、ね?」
ふーん……それで、これは何?
限りなくそっけなく尋ねたというのに、お姉様はノリノリのハイテンションで答えを返してくれた。
「レミリア・クローゼットよ!!」
私はといえば、紅魔館の粗大ゴミ回収の日を想起しながら、どうして私はこんなお姉様の妹であるのかという答えの出ない問いに思いを馳せるのだった。
終
笑ったのが悔しいぐらいに理不尽きわまりない
またギャグ書いて欲しいですねー。できるだけ早くに……!