☆その日のこと
寝ることにも飽きたのでたわむれに念写してみるか。そんなたわいもない気分で布団をかぶりながら撮っただけだった。
携帯を見て、わたしは叫びそうになった。
さらさらヘアーの金髪少女が、はだかで、ドロワを頭にすっぽりかぶりながら、金髪のかつらをかぶった人形の服を股にはさんでいる。恥ずかしそうに赤らめながら、すごくうれしそうだった。
わたしは知ってる。この金髪の少女は、アリスという魔法使いだ。さらさらの金髪に、宝石みたいに透き通った瞳、少しお尻が大きいけど、スタイルもバツグン。魔法使いなのにえらぶらないし、私みたいなヘタレ天狗にもやさしくしてくれるひと。人間の村でも、たまに人形劇を無料で見せてくれるから、とても人気があるそうだ。
そんなひとが、こんなわけのわからないことをしている写真だなんて。
これは間違いなくスクープだ! これを記事にすれば、いつもティッシュ以下の価値だと言われている私の新聞もちょっとは見てくれるひとが増えるぞ!
さあ記事に書こう、と思いペンを取った。
一文字もペンは進まない。
当たり前だ。どうしてこんなことをしているのかがまったくわからないのだ。わたしはアリスさんなんてちっとも知らない。一週間の一度のスーパーへの買出しのときにたまに会うと、アリスさんが優しく微笑んで「あまりカップラーメンばかりじゃ体によくないから、野菜も一緒に食べたらどう?」とか、「あなたって夏でも超美白ねえ。その秘訣を教えてほしいわ」とか話してくれるくらいだ。私は薄気味悪い笑みを浮かべながら「は、はあすみませんすみません」と答えるのが精一杯で、ああまたつまらないひとだとおもわれただろうな、もしかすると気持ち悪いひとだとおもわれたかもしれないだってひとと話すことなんて滅多にしないんだものいきなり話しかけられてもうまく話せないようああああああ、とイヤなきもちになりながらレジ袋を持ち帰るくらいだ。私とアリスさんのつながりなんてこれくらいなのだ。描けるわけがない。
……それに、いくらそれだけだとしても、私は信じられなかった。この写真のアリスさんはまるで……まるで変態じゃないか。一体何があったのだろうか。見当もつかない。
じゃあアリスさんに会って聞くのか? 「こんな写真を撮ったんですけど、あなた変態ですか?」などと聞くのか?
聞けるわけがない。だいたいひとと挨拶するのだって辛いのに、むしろ太陽が出ている時間に外に出ることだって辛いのに、アリスさんと面と向かってそんなケンカ売ってるようなことを言えるわけがない。
……やっぱりこの写真を使って記事を書くのはよそう。いつものように「大特集! カップラーメンの具のうまみ」とか、「絶対失敗しないカップやきそばの作り方」とか、身のたけにあった記事を書こう。そんなことを考えているとおなかがすいてきた。ああ、カップラーメンが食べたい。からだに悪そうだけど妙においしいカップラーメンが。お湯を入れるだけで私でも作れるカップラーメンが。ひとめを気にすることなくひとりで食べられるカップラーメンが。カップラーメンだけは私をいじめない。いつだって私の味方だ。ああ、いとしのカップラーメン。
あの地霊ラーメンを食べよう。猫とカラスが真っ赤な温泉に浸かって真っ赤なラーメンをすすっている絵と、その右上にトゲトゲのフキダシに囲まれて「地霊殿特製温泉卵入り!」と書かれているパッケージが妙に安っぽくて、いかにもローカルの会社が作ってるってかんじだけど、バツグンにおいしいラーメンだ。真っ赤なスープがからだに悪そうだけど、絶妙においしいラーメンだ。保存料や食品添加物なんて気にしない。だっておいしいんだもの。
台所の戸棚に保管している地霊ラーメンを取り出そうとしたとき、チャイムが鳴った。普段は滅多に鳴らない呼び鈴にぎょっとすると、
「はたて、居ますか?」
文だった。
同じ新聞記者ということで、たまにやってきてくれるのだ。友達のいない私にとって、ほとんど唯一の訪問者だった。
同じ新聞記者といっても、文の新聞は幻想郷に知れ渡っている。内容は……なんていうか、妖精が棒状のアイスとかをほおばってる写真とか、みためが幼い妖怪が自転車をこいでてスカートがめくれあがってる写真とかが載っている。正直、私には意味がよくわからないのだけど、幻想郷で一番売れてる新聞らしい。チラシの裏のほうが役に立つといわれている私の新聞なんかとは比べ物にならない。それだけのすごい記事を書くために、文は危険も顧みずに幻想郷をかけずりまわっている。「私の能力はスカートをはためかせるために存在するのです」とよく言ってるけど、そのために鬼に撲殺されかけたり、神様に祟り殺されかけたりしている。すごい執念だと思う。たぶん新聞記者というのは、これくらいの信念とか気合とかがないとダメなのだろう。ひとと話すどころか外に出るのもイヤな私にはとてもできない。
だから、私は文をひそかに尊敬している。恥ずかしいので口にはださないけど。
手に持った地霊ラーメンを戸棚に戻して玄関に向かおうとして、携帯のなかの写真を思い出した。
この携帯は、私が興味を持ったものが検索されて写ってくる。だから写真が文ばかりなのは当然だ。だって尊敬しているのだから。どの写真も文はすらっとしていてきりっとしている。ああ。ほんとかっこいい。空を統べる天狗ってかんじがする。白くてぶよぶよしている私はまるでだんごもちだ。
では、今回のこれが写ったということは、どういうことになるだろうか。当然、私が「どっちか」に興味があるということだ。
アリスさんか、それとも、このような変態的なものか、だ。
つまり、この写真を持っているということは、私がこのような変態的なものに興味があると文に誤解される可能性があるというわけだ。
文はこどものパンツを追いかけてるけど、好きで追いかけてるわけじゃない。「私は常に時代が求めるものを追っているのです。ひらひらしているスカートとか、その奥に眠っているかわいらしいパンツとかをみてるだけで心が洗われたりするわけでは決してありません」と言ってたから、間違いない。
もし、私がこのようなものに興味がある変態だと思われたらどうしよう。いや、思われるかもしれない。だって薄暗い部屋にいつもひとりで閉じこもっているのだ。後ろ暗いことをしていると思われても仕方ないじゃないか。天狗学校での私のあだなは「根暗おっぱい」だった。嫌なあだなだった。どうすればそんなに大きくなるの、とよく言われた。私は何もしていない。だけどみんなの目が……まるで何か……その、よくないことをしているんじゃないかって言っているようだった。いや、実際にそう思っていたのかもしれない。はたてって、何を考えているのかよくわからないのよね、とよく言われた。それはつまり、あなたは私たちと違うんだよね、私たちとは違う性癖を持っているんだよね、やっぱりへんなことしているんだよね、だってそんなにびくびくしているんだもの、まるで油が切れたロボットみたいに挙動がおかしいんだもの、いつも暗いんだもの、なんだか気持ち悪いんだもの。私に見えないところでみんながくすくす笑う。そのなかに文がいる。
うわああああああっ。ひいいいいいっ。
そんなの、そんなの絶対に嫌だ!
「居るんですよね。あなたが外に出るなんて滅多に無いですし」
玄関のドアノブが回転した。まずい、どうせ誰も来ないとおもっていつものように鍵をかけていない。
私は慌てて携帯をパジャマの胸ポケットに隠した。隠したり逃げたりするのは後ろ向きなかんじがするけど私は嫌いじゃない。面と向かって説明するよりよっぽどいい。ああ。いっそのことすべてから逃げたい。
それにしても文はいつもとんでもないタイミングでやってくる。前も、まちがってパンツを全部洗濯してしまったときにひょっこりやってきて、そういうときに限って「今日のパンツの色がすごーく気になりますね」とスカートをめくろうとするのでとてもあせった。やっぱりスクープに対する勘が鋭いのだろうか?
「ほら。やっぱり居た」
ドアを開けた文は、私をみとめると、にこり、と目を細めた。赤くて、強い目だった。ゆるゆると風が吹いているのか、黒髪が揺れていた。
私と文が並んだら、誰も同じ天狗とはおもわないだろう。それくらい文は、私と違う。なんというか、すべてに自信に満ちあふれているのだ。他人の前にいるだけで自分がムシケラみたいにおもえてきていたたまれなくなってくる私とは大違いだ。文の前にいると、同じ天狗として生まれてきてすごく申し訳なくおもう。生きていてすみませんと謝りたくなる。
「ご、ごめん。ちょっと寝ていたの」
「もう昼前ですよ。相変わらず寝るのが好きですねえ」
文は、ちら、と視線を落とした。
「寝る子は育つってのは、迷信じゃないみたいですね」
「な、何の話?」
「ただの独りごとです。上がりますよ」
それにしても、どうして文は私を訪ねてくるのだろう? 同じ天狗で新聞記者だから? だけど私と文とはこのようにまるで違う。それに文は顔がとても広いから、同じような記者くらいほかにもいるのに。となると、なにかほかの目的というか、わたしに会ってくれるということはそれだけのなにかがわたしにあるということなのだろうか。ああ。何を期待しているんだわたしは。期待はすればするほどこっぴどく裏切られる。今まで何度も何度も経験してきたじゃないか。
「な、なにか用?」
「用が無くちゃ、あなたに会っちゃいけないのですか?」
用が無いのに、どうして来てくれるんだろう。もしかしてそれって私に会うためにきてくれてるってこと? ああだめだ。期待するな期待するな。期待するとあとでダメージが大きくなるだけじゃないか。いつだってそうじゃないか。でも。でもでもでも。
「そ、そんなこと、ないけど」
「なんですかその歯切れの悪い物言いは。しゃきっとしないのはお昼まで寝ているからですね」
「ちょ、ちょっと記事の編集をしてたのよ」
「おや、ひさびさに出すんですか?」
にや、と含みのある笑みを浮かべる。
「ということは、最近面白い写真を見つけたんですね?」
思わず、携帯を入れた胸ポケットに手をそえてしまう。
まずい。墓穴を掘った気がする。
「ま、まあねー。まー今はまだ秘密だけどね。明日にでもバーンと発行しちゃうかもだし」
「そうですか。ところで」
わたしのからだを上から下まで文はながめまわすと、胸のあたりで目を留めた。私はどきっとした。
「な、なによ」
文が、私の胸元に顔を近づけてきた。
「パジャマ、ボタンがずれていますよ」
え、と思っている間もなく、文が私の胸元に手を伸ばしてきた。
「ほら、そんなだらしない格好じゃ、外に出たときにみっともないじゃないですか」
文が、わたしのパジャマのボタンを外しはじめた。わたしの胸に文の息がかんじられる。文の手が、少しだけわたしの胸にふれる。文の手は、ひどくつめたかった。
「い、いいよそんなの。私なんて、どうせ誰もみないし」
ていうか、外に出ないし。
突然文の手が、私の胸を包み込むようにつかんできた。
「うひっ? な、なにをするの?」
「やっぱりブラをしてないんですね。前に言ったじゃないですか。ちゃんとしないと形が崩れちゃいますよ」
「べ、べつに、みせるひとなんていないし、そ、そんなうごかないし、ちょ、ちょっと、やめて、やめてよ、あっ」
「そのわりには敏感ですねえ」
「く、くすぐったいのよ。わたし、くすぐったがりなの。だ、だから、ひんっ」
「携帯とっぴ」
「えっ」
私より早く、文が、胸ポケットからはみだしてきた携帯をつまんだ。まるで自分の携帯のように平然とボタンを操作していく。
「ちょ、ちょっと文、か、返してよっ」
「そのスクープ写真を見たら返しますよ」
「だ、だめっ、それはっ、それはっ」
ふいに、携帯を見つめる文の顔から表情が消えていった。
見てしまったのだ。あの写真を。はしたないアリスの写真を。
文は黙っている。何を考えているのだろう? それを考えるだけで恐ろしくなってきた。
「す、スクープ写真なのよ」私はなるべく冗談めかして聞こえるように言う。「あ、文にばれないようにしていたんだけどね。見つかっちゃったかー。す、すごい写真でしょ?」
「はたて。これは、真実の写真ですか?」
文が、私を見ていた。まっすぐに。
「し、真実よ。だって、私が念写したのよ?」
「あのアリスが、ほんとうに、こんなことを?」
「な、なにがいいたいのさ。文、ちょっと、顔が怖いよ?」
「念写は、自分が興味があるものを写しだすものです。あまり考えたくないのですが、あまりに突飛なこの写真は、真実の写真とは思いがたい。であれば、あなたがこのような行為に興味があり、それがそのまま写真にあらわれた……とも」
「わ、私は、こんな、こんな変態みたいなことに興味なんてないよ!」
「では、どうして携帯を隠したのですか? どうしてチャイムを鳴らしてもすぐに出なかったのですか? そんなブラもつけないパジャマ姿で、あなたは何をしていたのですか? あなたは……すぐに出られない状況ではなかったのですか?」
いきなり畳み掛けられた私は、言葉が出なかった。
文が何を言っているのかよくわからない。よくわからないけど、私はほんとうに何もしていないのだ。私は変態じゃない。確かに思わず携帯を隠したりした私も悪いけど、だけど私はそんなことを考えたりしないし、何もしていないのだ。
「そ、そんなこと、そんなこと、私は、していないよ」
「『そんなこと』? 私は何も言っていませんよ。『そんなこと』とはなんですか?」
「そ、そんなことって、その、」
「していないというのなら、それを証明してください」
証明だって? 何もしていないことの証明なんてどうすればいいの? 文は完全に私を誤解している。その誤解を解かなければならない。それだけはわかっていたけど、どう言ったらいいのかわからない。何も言わないともっと怪しまれるのもわかっている。おろおろすればするほど怪しまれるのもわかる。何か言わなければ。何か。何かを。
「わ、わたしは、な、なにも、してないよ。た、ただ、おかしな写真が撮れちゃって、そしたら文が来たもんだから、どうしたらいいのかわかんなくて、とりあえず隠しただけなんだよ。信じてよ。わたし、そんな変態じゃないよ」
「私も信じたいです。だけど、信じるにしては、状況が悪すぎる」
文が、私を冷たい目でみている。さげすんでいるんだ。変態だとおもっているんだ。嫌われてしまう。文に嫌われてしまう。二度と会えなくなる。来てくれなくなる。さっきまでおかしな期待をしたりしていたのにすぐにこれだ。やっぱり期待は裏切られる。いつだってそうだ。ああからだじゅうがめちゃくちゃ熱い。窒息しそうだ。気持ち悪い。視界がぐるぐるぐるぐるまわっている。
いやだ。文に嫌われるのはやっぱりいやだ。でも、でもわたしは、
「ど、どうすればいいの。わたしは、そんなこと考えてないよ。変態じゃないよ。ど、どうすれば、文は、私を信じてくれるの?」
「……そうですね。たとえばその写真がれっきとした真実の写真だということがわかれば……あなたの妄想から生まれたのではないということがわかるんですけどね」
「わ、わかったっ。わ、わたし、この写真が真実だということを突き止めてくる!」
「突き止めてくる、って、アリスのところに行くんですか?」
「そ、そうだよ。本人のところに行って、聞いてくる」
「あなたにできるんですか? 普通に私と話すだけでも、妙なところでつっかえたりキョドったりするあなたに、初対面のひととまともに話せるんですか?」
うぐうと心が折れそうになる。
できるかできないかで言えば、できそうにない。そんなことは百も承知だ。
だけど、そうしないと文に嫌われるのなら。やるしかないじゃないか。
「や、やるよ。やるから、私を信じて。嫌わないで」
文は、ちょっとうつむくと、すごい笑みを一瞬だけ浮かべた、ような気がした。なんていうか、「計画通り」とでもいうような悪そうな笑みだ。でも一瞬だから、たぶんうつむいたときの影のせいか何かだろう。
アリスさんの住む魔法の森まではあっという間だった。あっけなく私はアリスさんの家の頭上までやってきてしまった。
私の下にはこじんまりとしたレンガ作りの家がある。
だけど、それ以上近づけない。
「やる」と言ってしまったはいいけど、実際のところまったく自信はないのだ。
私は文に言われたことを思い出した。「やっぱり」ブラつけてないんですねえ。私は確かに家ではブラをつけていない。ノーブラ健康法を信奉しているとかそういうことではなく、ただ単に面倒だからだ。あまりいい思い出がないので、無理にきつめのサイズにしているのもあって、家のなかでまでつける気がしないのだ。
文に会うのはいつも自分の家のなかなので、つまり、文に会うとき私はいつもブラをつけていない。
文はいつも気になっていたのだろう。どうしてこのひとはいつもブラをつけていないのだろうか、と。もしかして外でもつけていないのだろうか、と。文は心の底で考えていたのだろう。もしかすると、それは……その、いやらしい意味でつけていないんじゃないか、と。つまり、痴女、とか、変態、とか、そういう単語のひとなんじゃないか、と。私が妙な期待を膨らませているとき、文は私のことを変態を見る目で話していたわけだ。もしかするとふいに尋ねてきていたのもそれを確かめるためだったかも知れない。またつけていない。またつけていない。やっぱりこのひと。やっぱりこのひと。バカみたいに私が舞い上がっているときに、文は冷静に私を変態かどうかを見極めていたのだ。だから携帯の写真をみたとき、ああ、やっぱりね、と思ったに違いない。やっぱりこういうのが好きな変態だったんだね。だからつけていなかったんだね、と。
うわあああああああああっ。
生まれてきたことを後悔する。どうしてこんなにミジメな気分ばかりにならなきゃならないのだろう? ひとと会うとつらいことばかりだ。ああすればよかったのに。こうすればよかったのに。どんどん後悔ばかりが雪だるまみたいに積み上がる。いっそのこと無人島で暮らせばよかった。もともと誰とも会えなければよかった。そうすればこんな後悔することもないし、さびしいだなんて思わなくてもよかったのに。
でも、いまは、だめだ。ひとりはさびしい。文がこなくなったら、さびしい。文に嫌われたくない。あああああどうしてこんなに自分は弱いのだろう?
そのためには、あのアリスさんに会わないといけない。会って、この写真をつきつけて、「この変態じみた行為をしているひとはあなたですか」などと聞かないといけない。
アリスさんはどんな反応をするのだろうか? ひどく怒るかも知れない。もしくは呆れるかも知れない。呆気にとられるかも知れない。これが真実にせよ嘘にせよ、私に対する印象は悪くなる。いや、最悪になる。今後アリスさんとスーパーでばったり会ったとすると、毛虫を見るような目でにらまれて無言でツバを吐かれたりするかも知れない。あの優しいアリスさんに。
うわああああああああああっ。
……やっぱり引き返そう。どうやっても耐えられない。
だけどそうすると、文には変態扱いされたままになる。二度と文と話をしてもらえなくなる。それも嫌だ。だけどアリスさんと話せばアリスさんに軽蔑されて。ああ。どうすれば。私はどうすれば。どうしてこんな目に。私が何か悪いことをしたっていうの? ほんとうに世の中ってのはつらいことばかりだ……。
「あら。着いたようね」
唐突に声をかけられた。
アリスさんがこちらを見上げながら、にこやかに手を振っていた。
……何がなんだかわからず硬直していると、
「さっき天狗から電話があったのよ。はたてっていう友達が来るからよろしくってね」
……文が? アリスさんに私のことを伝えていたの?
もしかして、私が躊躇することを知っていてそうしたのだろうか。きっとそうだ。最初から文は「ほんとうに大丈夫なのか」って心配してくれてたし。いや、それよりも、文は私のことを「友達」だって紹介してくれたんだ。文が私のことを友達だって。友達だって。まだ私を見捨ててないんだね。うれしいなあ。すごくうれしいなあ。私がんばるから。がんばるよ。今、嘘のように身体が軽いよ。私もう何も怖くない。文、ありがとう!
「あなたとは、たまにスーパーで会うわね」
アリスさんは微笑みながらそう言った。
対面で会うと、アリスさんはやっぱり綺麗だった。まるでよくできた人形みたいに完璧だった。その透き通った碧眼とまともに目をあわすことができない。
「そ、そうですね」
私はいつも以上に気おされながら、なんとか声を出すことがせいいっぱいで、気のきいた言葉のひとつも思い浮かばなかった。
沈黙が流れた。嫌な沈黙だった。「なにこのひと」という相手の心の声が聞こえてくるようだった。ごめんなさいごめんなさい。かといって、その沈黙を破るワザを私は持っていないので、私は押し黙っているしかない。ごめんなさい。するとより沈黙が気まずくなる。ごめんなさい。生きていてごめんなさい。
ふふ、とアリスさんの笑い声が聞こえた。
「スーパーのときと一緒ね。あなたが言うことっていつも『はい』『そうですね』『すみません』ばかり」
「そ、そうですね。すみません」
「ほらまた言った」
「す、すみません」
「あはは、もういいわ」
すみません、ともうひとつ言いそうになった。
ああ、どうしてほかのひとは、いろいろとっさに話せるのだろうか? 訓練のたまものなのか、頭の回転がものすごく速いのか。ほんとうに謎だ。
アリスさんは、呆れているだろうか。たぶんそうだ。ああ胃が痛くなってきた。今すぐおうちに帰りたい。
「あなた、あの天狗とほんと一緒なの? とても取材なんてできそうもないんだけど」
「……ひ、ひとと話すのは……苦手なんです」
アリスさんは、私を見つめて、ふふ、と笑った。
「はじめてほかの単語を話したわね。まあ、あなたを見ればすぐにわかることだったけどね」
「す、すみません」
「どうしてそんなに苦手なの?」
いつの間にか私が質問を受けている。だけど、自分が質問をしないのだからしょうがない。
「ふ、普段、あまりしゃべってないから……だと、おもいます」
アリスさんの口元が、わずかにゆるんだ気がした。
「いつも、ひとりなのね」
私はうつむいたまま、小さくうなづくしかなかった。
「……素敵」
ぼそっ、と、アリスさんがつぶやいた。
「……えっ?」
「……いえ。あなたがかわいいってこと」
「そ、そんな」
アリスさんにかわいいと言われた。うれしい、と思ったけど、よく考えればそれが単なる社交辞令なのは明白だった。またぬか喜びをしてしまった。
「まあ。立ち話をしていてもしょうがないわ。上がってちょうだい」
「い、いいんですか」
「だってあなた、私と話をするためにきたんでしょ?」
恐縮しながらアリスさんの部屋に入ると、紅茶のいい匂いがした。
部屋には古めかしい本がたくさん積まれた本棚と、たくさんの人形が吊り下げられてあった。木のテーブルには地球儀と、読みかけの本と、湯気のたつティカップが置いてあった。なんとなく私は、いかにもアリスさんの部屋だな、と思った。実用的なもので固められた、そっけない部屋。だけど窓にかかったまっしろのレースのカーテンとか、持つところがおそろしく細いティカップとか、さりげなく品がある調度品がそこかしこにあるところが、いかにもアリスさんらしいと思った。
奥のドアが開いて、陶磁のポットとティカップを持ってアリスさんがやってきた。
彼女は私の姿をみて、おかしそうに笑った。
「何でそこで立っているの? 座ってよ」
他人の家に上がるなんて、今まで親戚の家に親と行くくらいしかなかったから、どうしたらいいのかわからなかったのだ。
「は、はい。すみません」
椅子に座った私の前に、アリスさんが紅茶を置いてくれた。普通の紅茶とは違う、不思議な甘いにおいがした。
「隠し味を入れたのよ。お気に召すかはわからないけどね」
「は、はい。すみません」
「あなたって、いつも謝ってばかりいるのね」
「は、はい。すみません」
「あはは。もういいわ。ほら、じーっとカップを見ていてもしょうがないでしょ。紅茶でも飲みなさいな」
ふたりっきりで誰かといるだなんて、文以外にはほとんどない。アリスさんに視線をあわせたらいいと思うのだけど、それができないので、しょうがなく私は出された紅茶の湯気を見ていたのだ。
「あ、は、はい、いただきます」
私は緊張で火照る顔をしずめるように、ティカップをもちあげ、ぐいと飲んだ。めっちゃ熱くて、思わずあちゃあ! と叫んでしまった。
「あはは。ほんと、おもしろいわね。あなた。まるで犬みたい」
「い、犬ですか? は、白狼天狗じゃ、ないんですけど」
「犬みたいにかわいいってことよ」
ま、またかわいいって言われた。二度も言われたってことは、ほんとに私はかわいいって思われているかも知れない。ということは、私はほんとうにかわいいのだろうか、うれしい、と思ったけど、かわいいにもいろいろな種類があって、犬みたいにかわいい、というのは、なんとなくバカみたいだ、私はたぶんバカにされているんだ、と思った。またぬか喜びをしてしまった。ああくそ死にたい。なんで何もしてないのに他人といるだけでこんなに精神が削られるのだろう。死にたい。
落ち着け。まだ私は話の本題どころか何もしゃべってないじゃないか。これからが本番じゃないか。落ち着け。ていうかどうみても無理だよね。ふたりっきりになっただけでこんなガチガチなのに、これからアリスさんに変態の容疑で問い詰めるなんて。いやもうここまできたらやるしかないよ。文だって手助けしてくれたじゃないか。このまま何もせずに帰れない。
まずは落ち着け。落ち着け。落ち着け、と私は念じながらティカップに口をつけた。手が震えてとても飲みにくい。
「で。私に聞きたいことなんだけど」
アリスさんの言葉を聞いて、私はむせて紅茶をもどしそうになった。
彼女は、相変わらず少しも変わらぬ笑顔で、私を見ている。
私は、深呼吸をして、目をつぶった。当たり前だけど何も見えなくなった。姿が見えない分だけマシになった気がする。
ええい。もうどうにでもなれだ。
「そ、そうですね。あの、少し、というか、だ、だいぶ、いや、かなり言いづらいんですけど」
「天狗から、全部聞いているわ」
その言葉を、私は、すぐに理解できずに、固まってしまった。
「……え? ぜ、全部って、どこまで」
「だから、全部よ」
その写真を見せてちょうだい、と言われたので、言われるまま、私はアリスさんに携帯を渡した。
携帯を見ると、彼女はうれしげに目を細めた。
「蓬莱に撮ってもらった写真と同じね。あなたの力ってなかなかすごいのねえ。これ、小さくなっちゃった魔理沙が熱出ちゃって私が看病しようと服を脱ぎ脱ぎしていると、優しい魔理沙が『風邪がうつるぜ。マスクがないなら代わりに私のドロワを使えよ』と言ったっていうシチュエーションだったのよ。なかなかステキな設定だと思わない?」
私は、アリスさんが何を言っているのか、理解できなかった。
「……え?」
「だけど今考えたら少し無理があるわよね。だってドロワをマスク代わりに被っちゃったら魔理沙が見えなくなっちゃうものね。もうちょっとスマートなやりかたがあるわよね」
「な。なにを、言ってる、んですか?」
そのとき、ぐらりと視界が揺れた。
「あら、大丈夫? 実は紅茶のなかに珍しいキノコを入れたのよ。魔理沙、キノコ好きでしょ?」
「ま、魔理沙?」
「あなたが緊張しいと聞いたんで、からだがマヒしてリラックスできるような成分入りのキノコをね。ちょっと効きすぎたみたいかしら? でも大丈夫よ魔理沙。からだに害は無いから、少し横になっていれば、すぐに良くなるから……」
魔理沙? 聞き間違いだろうか。アリスさんは私のことを魔理沙って言ってる気がする。何もかもわからない……
私は目覚めた。ひどい夢を見ていた気がする。
目覚めても、あたりはまっくらで何も見えない。
ここはどこだろう?
私はどこにいるんだろう?
立ち上がろうとして、四肢が何かにつっかえて、それ以上あがらない。
縛られているのだと気づくのには、それほど時間はかからなかった。
そのとき、上空の一角が割れて、四角く光が差した。
影が――子どもみたいな背丈の低い影がみえた。
どうやら四角い光は、階段になっているみたいで、その影がゆっくりと降りてくるのがわかった。
「あなたは、真実が知りたいんだってね」
影が喋った。アリスさんの声だった。だけど影は、明らかに背が低かった。
「知りたいのなら、見せてあげるわ。それがどれほどの意味を成すかは別としてね」
突然光が差した。私はまぶしさに目を細めた。
だんだんと光に慣れるにつれ、私は、自分の置かれた状況が、だんだんとわかってきた。
私は今、裸電球が天井で揺れている部屋に寝かされている。部屋の壁は頑丈そうな石でできていて、五寸釘のようなものでとめられた無数の藁人形が吊るされていた。壁の石と石の間には和紙が織り込まれていて、その和紙には何か真っ赤なものがべったりと塗りこめられている。
部屋の片隅には小さな檻がいくつも積まれている。暗くてよくみえないけど、その檻のなかで、海の底にへばりついてそうな、へんな触手がうにょうにょしているぶかっこうなゼリー状のものがうごめいているのがちらっ、とみえた。
そんな不気味な部屋で、私は両手両足を縛られた状態で、寝かされているのだ。
そして、私の目の前には……見たことのない金髪の少女が私を覗き込んでいた。さっき階段から降りてきた少女だった。青いリボンを金髪につけて、白い半そでブラウスに青いスカートをはいている。あらわになった右腕には、肘から下に包帯が巻かれていた。
いや、私は知っている。その碧眼や、流れるような金髪を。知っているけど、違う。違うはずなのだ。
何故ならアリスさんにしてはあまりに幼すぎる外見だったからだ。どうみても彼女は子どもだった。アリスさんみたいにバツグンのプロポーションもなかった。
では、彼女は、アリスさんの子どもなのだろうか? アリスさんに彼氏がいるだなんて聞いたことがない。だって彼女はあれだけ人気があるのに、そういった浮ついた噂がまったく入らないからだ。
その理由が、既に結婚し、子どもまでいるからなのだろうか?
ごくり、と喉が鳴る。いくら私がヘタレ記者と言っても、これがとんでもないスクープなのは一目瞭然だった。
「あ、あなたは、アリスさんの、」
「私を。アリスの子どもだと、言いたいのね」
くすくす、と少女が笑った。
「私はアリスよ。アリス・マーガトロイドよ」
「……で、でも、」
「魔法使いとなった代償でね。『魔人』は、私に素晴らしい力を与えた代わりに、私から『未来』を奪ってしまったのよ。いつもの姿は魔法で外見を装っているだけ。私は、死ぬまでずっとこの姿のまま。背が大きくなることもないし、あなたみたいに胸が大きくなったりもしない。わたしは、女になりきることはないの。確かに代償は大きかった。こんな姿じゃ、まともに恋や愛だなんてできないわ。それが、私の、真実」
アリスと名乗った少女は、ぞっとするほど無表情で笑っていた。
「だけどかわいそうだなんて思わないで。私はそれなりにハッピーなのよ。だって、もっと素敵なことを見つけたんだからね。普通の恋とか結婚とか子どもを産むとかよりも、もっともっと素敵なものよ」
ケータイは。ケータイはどこにあるんだろう? 私はがちゃがちゃとからだをゆすったけど、だけど四肢はまるで動かない。
すると、アリスが、目を細めながら、私のケータイを取り出してきた。
「これを探しているのね。まあ、待ちなさい。あなたが待ち望んでいるスクープはもうじき撮れるわ」
「……?」
「あなた、私がひどい変態だという写真が欲しいんでしょ? 天狗から聞いているのよ」
アリスがケータイを私に向けると、かしゃり、という音がした。
「魔理沙と会話しているときね」と彼女は言い始めた。
「頭のなかにはいつも、魔理沙のドロワはイチゴみたいに甘そうだとか、もし上海人形を魔理沙のお股の間にある八卦炉に突っ込ませたら魔理沙は泣き出すだろうか、でもそんな泣き顔も見てみたいなあとか、そんな妄想ばかりウジャウジャと湧き出ていたの。私は悩んだわ。そんなこと考える自分は変態じゃないかってね」
ええまちがいなく変態です、と私は思わず言いかけてしまった。
「でね。あるとき、私は意を決して、上海人形に魔理沙の服を着せてね、その服をはだけさせつつ練乳をぶっかけて舐めまわしたの」
「……」
「するとね、今まで味わったことのない幸福感で満たされたのよ。もしかすると、魔理沙と本当に付き合ったとしても、これ以上の幸せは味わえないかも知れないくらいにね」
アリスは、相変わらず微笑をたたえたまま。
「あなた。今、私のこと、怖い、と思っているでしょ」
そのとおりだった。ほんとうに「怖い」というものは「理解できないもの」だということを……私は思い知らされていたのだ。
こんな怖いひとの前で、両手両足を縛られたままふたりっきりでいるだなんて。
「大丈夫よ。あなたが……私に付き合ってくれれば、何も問題無いのよ。そう、ちょっと付き合ってくれれば、思うぞんぶんみせてあげる。だから、付き合ってもらうわ。あなたの望む、ちょっと変態っぽいことにね」
彼女がケータイを見せてくる。
そこには、私が映っていた。
黒と白のエプロンドレスを着て、黒いとんがり帽子を被った私が。
アリスはうっとりと笑う。
「黒髪のあなたも素敵よ、魔理沙」
黒と白のエプロンドレスは、私にはサイズが小さすぎた。丈が短すぎて、スカートはスカートの意味をなしてなくて前からもパンツがみえそうだった。上着のブラウスは胸のボタンが止められなくて、エプロンドレスから窮屈そうな胸がはんぶんくらい飛び出てしまっている。はっきりいって、死ぬほど恥ずかしい姿だった。
そして、何故私がこんな格好をさせられているのか、まるで意味がわからなかった。それが、恐ろしかった。
「怖がっているのね」
アリスは、私の頬を撫でてくる。彼女の頬は、何故か赤くほてっている。
「大丈夫。心配しないで。あの悪い図書館の魔法使いはもういなくなったわ。かわいそうに魔理沙、あいつのせいで急激に成長させられちゃったのね。でも、ずいぶん胸がおっきくなっちゃったわ。おかげで、ちょっと、いやらしいわ」
アリスは陶酔するようにつぶやきながら、ベッドにのると、私にまたがってきた。そして私の顔を両手ではさみながら、
「ああ魔理沙、あの悪い魔法使いにどんな仕打ちをうけたのかしら。こんなエロい姿にされたんだから当然魔理沙はいろいろとやられちゃったりしたわよね。ああ、それでトラウマでこどもに戻っちゃったのね。泣いたり笑ったりできなくなっちゃったりしたのね。ね、そうなんでしょ? そうなんでしょ?」
はあはあ言いながらアリスが聞いてくるけど、まったく意味がわからないので、何も言えなかった。
すると、アリスはわたしにまたがったまま無言でこちらを見つめてきた。
まるでドナドナ行きの牛をみるような冷たい目だった。
「ねえ。わかっているの? 今、あなたのこれからは、私にかかっているの。言ったでしょ? あなたは魔理沙なのよ。悪い魔法使いに捕まって、無理やり成長させられちゃったのよ。そこをアリスに助けられたの。魔理沙はひどいことをされてしまったから、かわいそうにちょっとおかしくなっちゃったの」
あなたが魔理沙? そこをアリスに助けられた? アリスはいらいらしているけど、どう頭をひねくりまわしてもちんぷんかんぷんだった。
「あ、あの、そ、それで、それが、どういうことあふうっ」
「ほんとにあんたバカね。脳に栄養がいかないからこんなムネばっかり成長していくのよ」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい。だから、そんなに強くつかまないでっ」
「私はね。これからその悪い魔法使いが魔理沙にやったことをあなたにやってもいいのよ」
いつの間にかアリスの背後には、少女の姿をした人形がたくさん浮いていた。抱きかかえられるくらいの大きさの人形たちは、その大きさに似つかわしくないような得体が知れないものを抱えていた。さっき檻のなかにいたうにょうにょした軟体生物だった。こうやってまじまじみると、全身からのびる触手がうねうね動いているし、その触手の先っちょも、くぱあ、くぱあ、と口みたいに開閉していて、まことに気持ち悪い。
アリスがその一体を人形から抱きかかえると、そいつは「テケリ・リ、テケリ・リ」と鳴いた。
「どう、かわいいでしょ? 魔界で大人気のペットなの。だけどその外見に似合わずちょっとデリケートな性格でね、機嫌が悪いとひとの穴という穴に侵入して内部からぼりぼり内臓を食っちゃったりするの」
外見通りの凶暴なやつだった。
アリスの腕に抱かれたそいつは、私のほうに一斉に触手を向け始めた。
「ひ、ひいいいいい!」
「大丈夫よ。こいつは歯が無いタイプなの。だからただ穴という穴にもぐりこんで甘えてくるだけなの」
「ま、まままってください、あ、あな、穴ってど、どこですか?」
「だから、あなたが持っているすべての穴、って言ってるじゃないの。わからないのなら、今すぐこいつが教えてあげるわ」
気味の悪い生物の触手が、私のからだのちょうど胸元に触れてきた。
「ひ、ひええええっ」
そいつを覆っているぬるぬるした透明の粘液が、私の胸にこびりついた。気持ち悪すぎる。
「さあ、彼の好きな穴ってどこかしら? 口かしら? 鼻かしら? 胸の先っちょにもあるわね。おしりにもあるし、おしっこだすところにもあるわねえ」
「ちょ、ちょっとまってっ、まってくださいっ。わ、わかりましたっ。すべてわかりましたからっ。こ、この生き物をどかしてくださいっ」
「もう一度聞くわ。あなた、魔理沙なの? それとも、違うの?」
「ま、魔理沙ですっ。私は魔理沙ですっ。悪い魔法使いにつかまってっ、いろいろひどい目にあったので、頭がお子さまになってしまったんですっ。そこをアリスさんに助けられたんですっ」
アリスは、うれしそうに笑った。それから、ごくりと唾を飲み込むと、
「じゃ、じゃあ、魔理沙、どんなことをさせられたの? このアリスおねえさんに言ってみてちょうだい。大丈夫、誰にも言わないから。言えばすっきりするわよ」
彼女の目は、期待でキラキラと輝いていた。
私は、こんなにも腐った綺麗な目を見たことがなかった。
それから私はアリスに誘導されるまま、いろんなことを喋った。
その内容は、あまりにひどくて……とても言えないようなものばかりだった。
アリスは、それを聞きながら、「私の魔理沙がそんな目にあっただなんて、ひどすぎるわ。悲しすぎるわ」とか言いながら、目を輝かせていた。
まちがいなく変態だった。それもただの変態じゃない。きわめつけの変態だった。変態キングだった。
一時間くらいたっただろうか。
アリスは、ようやくベッドから降りた。満足げな笑みを浮かべながら、流れる汗をタオルで拭いていた。
私は、もうくたくたに疲れていた。頭がおかしくなりそうだった。
「も、もういい、ですよね。はやく、この手足をほどいてよ」
「いいわ。ほどいてあげる」
「け、ケータイも返してください」
アリスは笑った。
「まだよ。だって、ようやく魔理沙のトラウマがわかっただけだもの。心のケアはこれからなのよ」
「こ、心のケア?」
確かに今私には心のケアが必要だ。でもその原因は100パーセントアリスのせいで、そのアリスからされるケアがうまくいくとは思えない。
彼女は、ふふ、と自信ありげな顔で笑う。
「いつだって、子どもが癒しになるのよ」
「……ど、どういうことですか?」
「無邪気な子どもと遊ぶことで、だんだんと魔理沙はトラウマから解放されていくのよ」
「……はあ」
「今魔理沙はね、幼児に戻ってしまっているの。そのせいで、今までの知り合いからいじめられるのよ。あの博麗神社の巫女とかなんて血も涙もないひどいやつだから、たぶん子どもになっちゃった魔理沙を『二度とくんな人間の面汚しめ』とか言ってツバを吐きかけたりするの。ひどいやつでしょう?」
どうしても、このひとは魔理沙をいじめたいらしい。好きなひとをなんでそこまでいじめたいのかは私には到底理解できない。
「そんな魔理沙は子どもと一緒に遊ぶの。無邪気な子どもと遊ぶうちに、だんだんともとの明るい魔理沙を取り戻していくのよ。ね、感動するでしょ?」
「は、はあ……」
「じゃあ、行くわよ」
「……えっ?」
「だから、子どもと遊びによ」
「ちょ、ちょっと待って、ください」
「何を待つのよ? さっさと出なさいよ」
「い、いや、この格好、死ぬほど恥ずかしいです。ま、前からも、ぱ、パンツまるみえじゃないですかっ」
「何を言ってるのよ。魔理沙はこどもに戻っちゃっているのよ。こどもはおパンツみられても気にしないでしょ。もっと無邪気に振舞いなさいよ」
「そ、そんなこと言っても……」
「私の写真を撮りたいんでしょ? 撮らないとあの天狗に嫌われるんでしょ?」
どうしてアリスがそんなことまで知ってるんだろう。一瞬疑問がよぎったけど、アリスの言ってることは確かに間違ってなかった。ここまで苦労しているのは、元はと言えば文に嫌われたくないからじゃないか。
あともうちょっと我慢すればいいだけだ。あと、もうちょっとだ。私は自分に言い聞かせた。
外は、憎らしいくらいに快晴だった。風が異様に冷たくかんじた。まるで、はだかで外に出ているみたいに股のあたりがスースーするのだ。それに胸がきつくて、少し動いただけでもとびでそうだった。お日様は、そんな恥ずかしい姿の私を、隠すことなく照らしていた。
私が手で股や胸を隠しながら歩こうとすると、アリスがその手をつかんできた。
「あなたもほんとわからないわね。魔理沙は子どもなんだから、隠したり恥ずかしがったりしちゃダメじゃない!」
「そ、そんなこと言っても……」
「わかった。もういいわ。あなたにはできそうもないからね。設定を変えるわ」
設定を変える……やっとこのデタラメな真似をすることをやめてくれるの? そうよね、こんな姿で外なんて歩けないもの。私のほうこそ変態にされちゃうもの。
にわかに喜んだ私にアリスは言った。
「魔理沙は、トラウマのせいでちょっと心が病んじゃってるの。暴れたりたわごとを喋ったりしちゃったりするの。だけど私は魔理沙のために心のケアをしないといけないから、辛いけど縛ってないといけないのよ」
呆気に取られる私の背後に、アリスの少女人形が立っている。
「上海、魔理沙の手と口を縛ってちょうだい」
私は今、後ろ手に両手を縛られ、口も縛られたまま、例の姿で、森のなかを歩かされている。
アリスは、私を縛る縄を持ちながら、私の前を歩いている。鼻歌交じりに「散歩、散歩、犬魔理沙と散歩、ふふふふ」とときどき笑っている。とても楽しそうだった。
普通に考えれば、こんなシチュエーション、絶対にありえない。もし自分が幼児退行していたときにこんな恥ずかしい真似をさせられていたことがわかったら二度と立ち上がれなくなるだろう。
アリスは、ただ、彼女のエロ妄想をかきたてて、いろんなシチュエーションを演じながらはあはあ言ってるのだ。ただの変態野郎なのだ。
だから、彼女のやろうとしている心のケアというのは、どう考えてもまともなものじゃない。
私は覚悟していた。
だけど、アリスは私が考えていたよりも、もっとひどい変態だった。
森のなかには、妖精たちと、妖怪がいた。妖怪は、金髪の子どもで、確かルーミアという人食い妖怪だった。妖精は、水色の髪のが氷の妖精で、その隣にいる緑色の髪のが、その友達だった。
私の姿をみると、緑色の髪をした妖精が驚いたようにぽかーんと口を開けた。
わかっていたけど、辛い反応だった。
自然に歩みが止まると、アリスに縄で強引に引っ張られた。
「おー。おまえがアリスのしんせきってやつなの?」
氷の妖精が手を挙げながら言った。
「そうよ」とアリスが言った。すると氷の妖精はふん、と鼻を鳴らしながら、
「あたいたちとあそびたいだなんて、なかなかみどころのあるやつだな! うけてたつぞ!」
「それはいいんだけど……そっちのひとは?」
緑の妖精が、私を不審そうな目で見つめながら言う。
その目が訴えていた。
どうしてこのひと、縄で縛られているの?
どうしてこのひと、口に縄を噛まされているの?
どうしてそんなパンツまるだしのぱっつんぱっつんな服なの?
「痴女なのかー」と、隣の妖怪が言った。
……もし天狗が恥で死ぬのなら、私は死んでいただろう。
「ちょ、ルーちゃん、はっきり言っちゃいけないこともあるのよ?」
「ちじょってなんだ? 分厚い本のこと?」
「それは辞書だよチルノちゃん。なんていうか……すごくいいずらいんだけど……」
「変態ってことなのかー」
「むぐー! むぐぐー!」
違うのよ。私は変態じゃない。変態なのはアリスなのよ。そこのこどもなのよ!
だけど、私の口からは、くぐもった声しか出なかった。
「あはは。話せば長くなるんだけどね。あなたたち、魔理沙って知ってるわよね? この子、ちょっと頭がアレになっちゃてね。その魔理沙のつもりになっちゃって、勝手に服を着ちゃってるってわけ。治すにはこの注射をしないといけないんだけど、どうやらショックを受けてるみたいでこどもみたいに暴れちゃうの」
アリスに、少女人形が何かを渡した。
それは、太くて、まわりがイボイボになっている、注射器のような棒状のものだった。
「だから、あなたたちに頼みたいのは、お医者さんごっこをしながら、この注射を彼女の股の間にずぶりと打ってほしいのよ」
もうなりふり構わなかった。私は森に向かって逃げた。
「ま、待つのよ犬魔理沙! まだ治療は終わってないのよ!」
私をつないでいた縄が思い切りぴいんと張ると、後ろで「きゃあっ」という声が上がり、どたっ、と倒れる音がした。身体的にはアリスはただのもやしっ子なのだ。アリスが倒れた勢いで自分を縛り付けた縄がゆるみ、口を縛っていた縄が外れた。
いくらトロい私だって、我慢できることとできないことがある。こんな変態のために貞操まで奪われてたまるか!
一気に駆け出そうとしたとき、突然、目の前の上空から、小さい何かが降りてきた。アリスと同じ服装をした人形だった。人形は、腹巻のようなものをしている。それはダイナマイトだった。俗に言う腹マイトだ。
「シャンハーイ」と人形はうめくと、一本のマッチをその小さな手に持った。
ぎょっと立ちすくんでいると、
「大丈夫よ」と背後から声がした。
アリスだった。倒れた拍子にくじいたのか、右足を引きずるようにやってくる。
「この子たちは、私のためなら命なんて惜しくないから物騒なことも平気でやろうとするけど、あなたが逃げたりしない限り自爆したりしないわ。だから大丈夫よ」
いや、全然大丈夫じゃないし。逃げたら自爆するっておもいきり言ってるし。
前に進めなくなった私を見て、アリスは微笑んだ。
「考え直してくれたのね。うれしいわ。じゃあ、気を取り直して続きをやりましょう?」
「や、やりたくなんてないよっ」
「大丈夫、大丈夫よ。私だってほんとうにはやらないわ。こんなのうそっこなんだから。魔理沙のお股の八卦炉がそんなことで破られちゃうだなんて、さすがにショックだもの。私はハッピーエンドが好きなのよ。これはね、妖精たちにいたずらされそうになった魔理沙を、寸前でアリスが助けるっていう設定なのよ。わかる? それをきっかけに魔理沙は元に戻り、アリスといつまでも仲良く暮らすの。ハッピーエンドなのよ。だから絶対に大丈夫よ。これでほんとうに終わりなんだから」
「ち、近づくなっ、この変態、変態、変態!」
「に、逃げないでよ。私から逃げないでよ!」
「やだよ! こ、こんなハレンチなことばかりしてていまさら信用できるとおもってるの?」
「シャンハーイ」
「や、やめて! 私にひどいことを言うと上海があなたもろとも爆発するわ!」
「あ、あなたがそう作ったじゃないかっ」
「ち、違うわ。上海は私の……友達だもの。友達だから、私のために死んでくれるんだもの!」
彼女が何を言ってるのかわからなくて、私は聞き返してしまった。
「……自分で作った人形が、友達?」
アリスは、私の顔をみると、泣き出しそうな顔になった。
「な、何よ! 人形が友達で、何が悪いの! 人形を差別しないでよ! ああ、どうしてみんなそんな顔するの? まるで私が理解できないって顔! そんな顔キライよ!」
「……あなた、ほかに友達はいないの?」
アリスは、沈黙した。
しばらくうつむいたあと、
「いないわ」
ぽつり、と言った。
「……私は仮面をつけながら生活しているの。このからだを隠し、性癖を隠しながら生活しているのよ。そんな秘密を持ったままじゃ、誰かと親しくなんてなれないわ」
――確かにスーパーではいつもアリスはひとりだった。誰かといっしょにいるときを見たことがなかった。あんなに優しくて綺麗なのに、そういえば不思議だった。
「あなたには悪いと思っているわ。家を訪ねてきてくれるひとは久しぶりで、ちょっとテンションあがっちゃったの。だけど、家に来たひとみんなにこんな姿は見せないわ」
アリスは、うつむいていた顔をあげた。
「私ね、あなたならわかってくれると思ったの。だから、私のことをここまで見せたのよ」
――私なら、わかってくれる?
「あなたとスーパーで会うたびに思っていたわ。あなたもいつもひとりだった。私もひとりだった。そのときの私は仮面をつけていたから、うわべだけの挨拶しかできなかったけど……あなたには私と同じにおいがしたの。孤独のにおいよ。ねえ、あなたもひとりぼっちなんでしょ? 生きている友達とか別の意思を持つ友達とかそういうの幻想だと思っているでしょ?」
友達、と聞いて、文の顔が浮かんだ。
――いや、勘違いするな。それは一方的に私が考えているだけで、文はきっと、友達だなんて思っていないだろう。文にとって私はたくさんいるひとのなかのひとりなのだ。私のところに尋ねてくれるのも、ネタ探しの巡回コースのひとつにすぎないのだ。勘違いするな。第一私みたいなどんくさいやつと文が友達だなんて思うはずがない。昔学校に通っていたときのようにバカにされるだけだ。友達だと信じていては裏切られる、そんなことが嫌で引きこもっていたじゃないか。勘違いするな。
「いないのよね」
「……」
「もしくは、いるかもしれないけど、友達だとはっきりいえないのね。その気持ち、わかるわ。私も同じようなひとがいるわ。いや、向こうはただの友達だと思ってくれてるかも知れないけど、私は……その、少しおかしいのよ。話しかけてくれるときはすごくうれしくなるんだけど、すぐに不安になるの。他のひとと話しているだけで、私より楽しいひとがいるだけで、私以外の誰かを見ているだけで……言いようもなく不安になるの。もう二度と話してくれないんじゃないかって。二度と見てくれないんじゃないかって。だから……私だけのものにしたくなるの。そうすれば、いつでも私を見て笑ってくれるでしょう? それに……いつでも触ったりすることもできるかもしれない。でも、でも……そんなこと、言えないわ」
「……魔理沙ってひとの話なの?」
アリスは、黙った。
彼女はわかっているのだ。ほんとうの姿は、決して魔理沙さんには見せられないと。見せたら今の関係も壊れてしまうと。だから彼女は決して魔理沙さんと、彼女が望む関係にはなれない。だから彼女はこんなバカみたいなことで欲求を満たすしかない。変態的な、ゆがんだやりかたで。変態がさらなる変態行為を呼ぶ。悲劇だ。変態がゆえの悲劇だった。
「もうほんとうにこれで終わりよ。永遠にかなうわけがないバカげた夢なのはわかっているわ。だけどせめて、最後まで夢を見させて。ねえ。お願い」
私を見上げる碧眼は、少し涙でうるんでいた。
反則的に、綺麗な目だった。
「……これでほんとうに、終わりなのね?」
彼女は、無言でうなづいた。
「……いいよ」
アリスは、ぱあっ、と笑顔になった。
みんなを幸せにする、無邪気な女の子の笑顔だった。
そんなアリスをみて、なんだかうれしくなっている私は、ほんとうにバカだ。
「じゃあ、お医者さんごっこをしましょう。この子が患者さんね。誰がお医者さんなの?」
「間者? 忍者ごっこのこと?」
「チルノちゃん、お医者さんって、竹林の中にいるじゃないの。ほら、変なツートンカラーの服を着た白髪のおばさん。いろんなお薬をくれたりするひとよ。患者さんは、病気になったひとのこと」
「へっ? 病気なの、このひと? 確かにへんな格好しているけど」
「頭が病気なのかー」
「そうじゃなくて、病気のふりをするだけよ」
「へーそうなんだ。まーなんでもいいよ! あたいはおばさんの真似をすればいいってわけだね」
「じゃあ、チルノちゃんがお医者さんなのね。そっちの妖精さんと妖怪さんは助手ね。じゃあ私が患者さんの喋る役をするわ」
アリスがすごくうれしそうに話している。私は、ものすごく嫌な予感がした。
「先生、胸が苦しいんです。見てもらえますか?」
「おーわかった。ふむふむ。じゃあちょっと胸を開けてもらえるかな。ほら、ちゃんと上着のボタンを外して。ほーら、なにをいやがってんのー。痛くはしないから平気だってばー」
「いやがってるんじゃなくて、服がきついから胸がつかえているんじゃないの?」
「よし、みんなで手伝ってやろう! 胸だけだからボタン外すこともないや。ルーちゃんは後ろを押さえてて、大ちゃんとあたいで一気にブラウスを下に引っ張れば、ほらー、すぽーんと脱げたぞ!」
「なんかおっぱいだけとびでちゃったね」
「じゃあ、今度は聴診器だ! これを胸に当てるんだよね。こんなかんじでいいのかな? うーん、でも何も聞こえないや。もっと強く押さないとダメかな?」
「チルノちゃん、グリグリしすぎじゃない? なんかほんとに苦しそうだよ」
「うーん、痛いのかな?」
「それより思うんだけど、おっぱいの上から当てても聞こえないんじゃない?」
「そうだねー。大ちゃんどかしてくんない?」
「わかった! うーん、おっきいからちゃんと持たないと落ちちゃうな。これでどう?」
「いいよいいよーバッチリ聞こえるよ! すごいバクバクいってる! なんかマジでやばいんじゃないの?」
「顔も真っ赤だし、さっきからすごいはあはあ言ってて苦しそうだよね。たまに震えてるし。カゼなのかなー?」
「先生、胸だけじゃなくてお腹とかも見てください」
「おーそうだな。じゃあやっぱブラウスも全部脱ごうか」
「手が震えてて、ボタン外すのが大変そうだね。私も手伝うよ」
「大ちゃんはほんとやさしいなー」
「えへへ、当然のことをしてるだけだよー」
「よーし、やっと脱いだね。じゃあ、上から下まですーっ、と。こら、あばれちゃだめだよ。ルーちゃん、ちゃんと抑えててね」
「患者を情け容赦なく治療するのが医者の仁道なのかー」
「先生、触診もしてください」
「食神?」
「ほら、手でとんとんしたりするやつじゃない?」
「そっかそっか。じゃあまた上からやるから大ちゃんおっぱいもっててね」
「うん、わかった! うわ、いきなり変な声を出すもんだから驚いちゃった」
「暴れて危ないから大ちゃんしっかりつかんでおいてね。じゃあ、とんとん、とんとん。ほーら、だからそんなに動くとちゃんと診察できないよー」
「チルノちゃんの手ってひんやりしてるからねー。ちょっとこそばゆいかも」
「先生、もっと下のほうです」
「えっ? もっと下って、パンツのあたり? ほらー、だからそんなに動いちゃダメって言ったじゃん!」
「チルノちゃん、患者さんが逃げようとしているよ!」
「ふたりともしっかりおさえてて!」
「うん! 足を広げたほうがいいよね」
「おお、これならよおくわかるよ。じゃあ、とんとん。とんとん」
「うわあ、すごいびくんびくんしている。ほんとに痛いのかな」
「先生、そうです。そこがすごく痛いんです」
「えっ、そうなの? じゃあ、もっとちゃんと調べないといけないなあ」
「じゃあ、パンツも脱がしてみる?」
「そうだなー」
私は、ブラウスの前をはだけさせられ、両足をひろげられたまま、妖精にパンツをずり下ろされようとしていた。
ちょっと待って。その前で止めてくれるんだよね?
そういう約束だよね?
私は、必死になってアリスに視線を送った。
アリスは、すごくうれしそうな顔で、期待に目を輝かせながら、私の股間をガン見していた。「魔理沙……魔理沙の股間の八卦炉……」などとつぶやいている。
ダメだ。目が完全にイってしまっている。
わかっていたけど、ほんとうにアリスは変態だった。これじゃあ魔理沙さんにほんとうの姿なんて見せられるわけない。見せた途端、まともなひとはドン引きどころか二度と会おうとしなくなる。変態になりたくてなったわけじゃないとすれば、ほんとうにかわいそうなひとだと思う。
たぶんアリスはこのまま私がパンツをおろされるのをじっくり見るつもりなんだろう。私は誰にも見せたことのないところを、あますことなく何も知らない妖精やこの変態に見せられることになるのだ。それでおしまいだ。それでおしまいなんだ。かわいそうなアリスのためなんだ。
「……でもやっぱりそんなのいやああああああっ!」
「突然患者が興奮しはじめたぞ!」
「いやだいやだいやだ! こんな、こんな恥ずかしいこと、いやだよ!」
「ど、どうしよう……よくわからないけど、パンツ脱がされるのが恥ずかしいんだってさ」
「最初からパンツまるだしなのに……天狗って複雑だねー」
「大丈夫よ」とアリスが言った。腕組みして、口元に笑みを浮かべながら。
「お医者さんなんだから。何も恥ずかしがることはないのよ」
おおっ、と妖精たちが感嘆の声をあげた。
「そ、そうだよ! お医者さんはご飯のあとのプリンみたいなもんで、別腹なんだよ!」
「そ、そうそう。別腹! 別腹だから、何されても恥ずかしくないよ!」
「そ、そうか、別腹だから何されても大丈夫なんだね……ってそんなことあるかい! た、たすけてー! だれか、だれか……だれかたすけてー!」
「たすけるのは、あたいだ! たすけられるのは、おまえだ!」
氷の妖精が胸を張って言う。
「もう少しがまんしてねー。もうじき病気もちゃんとわかるからねー」
緑の妖精が、あたしの頭を優しく撫でながら言う。
「変態が治るかもしれないのかー」
人食い妖怪が、手を広げながら言う。
間違った善意に取り囲まれた私に、逃げ場は、なかった。
「……なんか、ぬるぬるしてるんだけど」
「おしっこもらしちゃったの?」
「そんなにこわかったかなあ」
妖精たちの言葉が、死ぬほど痛かった。
「先生、これはやっぱり病気です。注射を」
「おー。いよいよ注射かー」
アリスが手に持つのは、凶悪すぎるほど太くてイボイボのついた棒だった。
「先生、注射器のスイッチを入れてください」
「え? スイッチってこれ?」
手渡された妖精がスイッチを入れると、棒はブイーンと音を立ててふるえ、激しく横に揺れていた。
「おおおおおっ。おおおおっ。今の注射器ってすごいぞっ」
「でもこれ、注射器っていうけど、先っちょに針が無くない?」
「大丈夫よ。パンツをめくれば入れられるところがあるから」
「それっておしっこでるところ?」
「まあ、似たようなものね。奥まで入れたらスイッチを押せば、なかからどぴゅって注射液が出るわ」
「えええっ? こんなのそこに入るの? 無理だよー」
「大丈夫よ。これだけぬるぬるだったらね」
「だ、大丈夫じゃないよっ。そ、そんなの入れられたら、し、死んじゃうよ」
「大丈夫よ。大丈夫なんだから」
アリスは、相変わらず私の股を間近からガン見しながら、夢うつつの表情でつぶやいている。
「……かわいそうな魔理沙。こんな何も知らない妖精たちにお股の八卦炉をあばかれ、あげくにぶっとい注射器をぶちこまれちゃうだなんて。ほんとうに運命って残酷よね。思わず目を背けたくなるけど、私は最後まで見届けるから。それが何もできない私にできる唯一のことだから」
アリスは、自分で呟いた言葉で、さらに興奮してきているようだった。ていうか、やっぱり助ける気なんてないよね。私が最後までやられちゃうのを見届けるんだよね。やっぱりだまされたんだ。まただまされたんだ。
わかっていたくせに。
友達がいない同士だって、うまくいくはずないんだって、わかっていたくせに。
なのにすぐだまされちゃってさ。それがイヤで引きこもっていたのに、また同じことばかり繰り返してさ。
あげくこんなバカみたいなことで……大事なものを失っちゃうなんて。
文はどう思うだろう? かわいそうだっておもうかな?
いや、ちがうよね。ドン引きだよね。マジで変態だと思うよね。それともあまりにドンくさくて笑うかな? 学校で飼育しているニワトリのエサやり当番で檻の中に入ったら、何故かニワトリに襲い掛かられてスカートをはぎとられてパンツいっちょうで逃げ回ったときとか、体育の授業を水泳だと思って水着を着てきたらバレーボールで、しょうがなくバレーボールを水着でやってたときみたいにさ。
そんなことを考えているうちに。
自分があまりにもミジメだとおもってきて。
ふいに、こらえきれなくなって。
「う、うわあああああん」
もっとミジメになるのがわかっていたけど、もうダメだった。いったん堰を切ってしまったものは、とめられなかった。
「もういやだよ。もういやだ。こんなのばかり。こんなの。うわあああん。うわあああん」
「……泣き出しちゃった」
「……ねえチルノちゃん。さすがにかわいそうなんじゃないかな」
「……そうだね。ごめんだけど、やっぱやめるよ。これ、返すね」
妖精たちは、私の足を離すと、注射器をアリスに返した。
……たすかったの?
そうだよね。妖精たちは私が遊びたいって言ってたからつきあってくれただけだもんね。神様はちゃんと見てくれてるんだよね……神様ありがとう!
アリスは、うつむいたまま、しばらく無言だった。
「……そうね。妖精たちのイタズラも、どうやらギリギリで回避したようね。さすが魔理沙だわ」
彼女が顔をあげた。
ものすごい笑みを浮かべていた。なんていうか、おかしなクスリでもやってるんじゃないかっていうくらいのいっちゃった笑顔だった。
「だけど、運命はもっと残酷だったの。あなたを救おうとしたためにアリスは、肉体強化魔法によっておぞましい怪物になってしまったの」
いつの間にかアリスの横に、腹マイトを巻いたあの人形が浮いていた。アリスと同じ服装をしているやつだ。
アリスは白いハチマキを額に巻くと、懐から取り出した五寸釘を口にくわえ、その人形をつかんだ。五寸釘をもう一本つかむと、その尖った先端で、包帯が巻かれている右腕の手首を切った。たちまちアリスの右腕からは、ぷっくりと血がにじみはじめた。あふれでる血はつかんでいる人形にまで流れ、それを赤く染めていく。
「さあ私よ。アリス・マーガトロイドよ。怪物となれ。愛するひとを穢してしまう怪物に。どうせお前はまっとうな愛や恋などとは無縁なんだ。だったら穢してしまえ。地獄に落ちてしまえ。死んでしまえ」
彼女は薄く笑いながら、血染めの手に釘を持ち、もういっぽうの手に金槌を持った。
「理性よ。道徳よ。倫理よ。道理よ。真理よ。みんな消えてしまえ。混沌よ。矛盾よ。不条理よ。鋼鉄の風で。血液でできた砂糖菓子で。錆びた釘入りのパンで。盲いた雪で。世界を塗りかえてしまえ。生を死に変えてしまえ。みんな暗黒の世界で死んでしまえ。地獄の釜に落ちてしまえ。死ね。死ね。死ね。死んでしまえ。死んでしまえ。死ねッ」
アリスは人形の胸に釘をつきたてた。そして、金槌を振り下ろした。
釘が深く突き刺さった人形は、ぶよぶよと風船のように膨れ上がってくる。
アリスは、自分の手首から流れる血をなめとりながら、恍惚の表情で、ばけものに変わっていく人形を眺めている。
――そして、私のまえに、アリスの服を着た、ぶくぶくの肉のかたまりがあらわれた。
脈打つ肉のかたまりがせりあがったために陶磁器の肌はひび割れを起こし、全身が、まるで孵化する前に中の肉が溢れてきてしまった卵のような異様な姿をしていた。
無理やり膨らんだ肉のせいか、ほとんど身体が前に折れ曲がっているといってもいいくらい極端な猫背をしたまま、やたらに長い両腕を羽根のようにひろげていた。
「シャンハーイ」と、その悪夢の肉壁はうめくと、その長い両手を昆虫のように伸ばし、私の両腕をつかんできた。万力のような恐ろしい力だった。
「ひ、ひいいいっ」
うおお、と妖精たちの歓声が聞こえた。
「すげえ、あっというまに人形がめちゃこわいやつになった!」
「すごいかくし芸だね!」
「タネもシカケもないのが非情な現実なのかー」
アリスは、あはははははははと狂ったように笑っていた。
「魔理沙。魔理沙。私はあなたのために悪魔に魂を売って、どんな相手でも0.2秒であの世に送ることができるカラテの使い手になったの」
「シャンハーイ」とガチムチ上海アリス人形がうめいた。
「魔理沙は私の姿を見て愕然としたわ。だけど魔理沙は優しいから、私にこう言ってくれたの。『私のためにアリスがそんな姿になってしまったなんて。運命って残酷なんだぜ。許してくれだぜ』ほら、ぼーっとしてないで言いなさい」
「えっ。そ、それは、わたしのセリフなの?」
「当たり前じゃない! 今はあなたが魔理沙で、このガチムチ上海アリス人形がアリスなのよ!」
「こ、この人形がアリスって……アリスはあなたであひいんっ」
「あまりトロいことを言ってるとこのでっかいのをひきちぎっちゃうわよ!」
「ご、ごめんなさい言います。すぐ言いますから、ひ、ひっぱらないでっ。……わ、私のためにアリスがそんな姿になってしまったなんて。運命って残酷なんだぜ。許してくれだぜ」
「ああ魔理沙見ないで! 今の私は理性を失ったケダモノよ! 近づくと危険だわ!」
アリスはそう言ってるけど、上海にがっちり押さえ込まれたあたしを、まばたきひとつせずにじっと見下ろしていた。こわい。こわすぎる。
「どうやら今度は猿芝居がはじまったぞ」
「よくできてるねー」
「ひとはみな人生という名の劇場の主人公なのかー」
妖精と妖怪たちは地べたに座って見学している。私とアリスを「ごっこ遊び」だと思っているのだ。確かにこんなのまともじゃない。「ごっこ遊び」だったらどんなにいいだろう?
「そして、あなたは私に捕まってしまったわ。かわいそうな魔理沙、今の私はいつもの知的で理性的なアリスじゃなかったの。自分の欲望に忠実な、けだものだったの」
アリスは、にたあ、と嫌な笑いを浮かべた。
「私は、あなたの服を骨法で一気に引きちぎったわ」
「シャンハーイ」と人形はうめき、私に着せた魔法使いのブラウスを一気に引き裂いた。自分でせっかく用意した服を自分で破ってしまう感覚が私には理解できない。
「そして、理性を失ったガチムチアリスはおパンツレスリングをあなたに挑んだわ」
「シャンハーイ」と人形はうめくと、今度は私のパンツをがっしりつかんだ。
「ちょっ、ちょっと待って!」
「待たないわよ。かよわい魔理沙はくんずほぐれつな抵抗むなしくおパンツを奪われるんだから。そしてあなたのその……八卦炉をガン見しちゃったアリスはもうやばいの。だって理性を失っているんだから。理性を失ってるんだからしょうがないよね。理性を失っているんだから」
アリスは頭をぶんぶんと振り、金髪を振り乱しながら「ひひひひひ」「あははは」と笑っている。このひとマジやばい。いっちゃっている。カラテの使い手なのになんで骨法だったりレスリングなのかとかそういうツッコミは絶対通用しない。
「ちょ、ちょっと、こ、これ以上は、ほんとにやめて、やめてください。シャ、シャレにならないよ……」
「シャレ? 何を言っているの? これはすべてリアルよ。あなたは魔理沙で、ガチムチになった私はあなたを押さえつけているのよ。そしてもうじき私たちは結ばれるわ。確かにはじまりは唐突で強引でおパンツレスリングだったかも知れないけど、やがてシュークリームみたいに甘い甘い幸せな生活がスタートするのよ。なんて素敵なハッピーエンドなの?」
ああ、なんて素敵、素敵、素敵、素敵じゃないの、とアリスは、歌うように呟いていた。
何を言っているのか、あたしにはまるでわけがわからない。
でも、いろいろな危機にあるのは、死ぬほど理解できた。
どうすればいい? パンツいっちょうでこのバケモノ人形におさえつけられてる状態で、どうやって自分の大切な何かを守ればいい?
①はたては突如反撃のアイデアがひらめく。
②妖精たちに助けを求める。
③死守できない。現実は非情である。
私がマルをつけたいのは②なんだけど期待はできない……妖精たちは水筒を取り出して「チルノちゃん氷ちょうだいー」「カエル入りでいいー?」などと言いながらのほほんと見物しているのだ。完全にこれを何かの遊びと勘違いしている。こんな遊びが普通にみえるなら、妖精の世界はどんだけ激しい遊びをしているのだろうか。妖精たちは死んでも「一回休み」になるだけだから、そのあたりの倫理のタガが外れていて命の殺り合いとかが日常茶飯事なのかもしれない。
となると①しかないわけだけど……冷静に考えてみてこの怪物人形とおパンツレスリングをして勝つ術があるのだろうか? 既にこっちは押さえつけられていて身動きが取れずパンツ一枚。普通にどー考えてもチェックメイトでしょ。詰んでるでしょ。答えは③でしょ。現実は非情である。ほんとに非情だよ。血も涙もないよ。あああああーこうして私はパンツを脱がされて変態に貞操を奪われてしまうのか。こんなアホみたいなことで。貞操を。変態に。また泣きたくなってきた。
……待てよ。待てよ。
今の私は魔理沙で、あの人形はアリスでしょ?
何かがおかしい。テッテ的に何かがおかしい。考えるんだわたし。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。
そうだ。そうじゃないか。
「……い、今のアリスは、ケダモノみたいになっているの?」
「そうよ。見ればわかるでしょ?」
「で、でも、おパンツをとって、何をするの?」
「何を? 何を……って、何をって、その……アレよ。わかるでしょ?」
「で、でも、何もできないよね……だって、アリスも魔理沙さんも、女でしょ?」
アリスは、愕然とした表情で、こちらを凝視していた。
まるで、お姫様になっていた夢から醒めて、四畳半の部屋に一人いる現実を思い出したかのような表情だった。
「お、女、女同士だからって、やり、やりやりようがあるわよ! 魔法の力をもってすれば生やすことだってかのかの可能なんだからね!」
おお、明らかに動揺している。どうやら「ごっこ遊び」をリアルに考えさせると、整合性が取れなくなって醒めてくるようだ。
もっと現実を突きつければ、アリスは「ごっこ遊び」がしょせんファンタジーだと気づき、やめてくれるはずだ。
「で、でも、それでうまくいったとして、ほんとうに魔理沙さんと仲良くなれるの?」
「そ、そそそれはその私のテクニックでこう、マシュマロのようにもてあそびつつカルメ焼きのように甘い女の悦びを!」
「で、でも、アリスって、ずっとこどもだったんだよね。そんなテクニックなんて使ったことあるの?」
アリスは、下唇を噛んだまま、押し黙った。今すぐ殺してやるといった目でにらんでいるのが怖いけど、かなり効いてるっぽい。
私は、ここぞとばかりに畳み込むことにした。
「それじゃ、魔理沙さんと仲良くなんてできないよね。カラダを奪えばオッケーだなんてちょっとおかしくないかな。もうちょっと相手のことを考えたほうがいいんじゃないの? いつもお人形さんばかり相手にしているから、他人の気持ちとかわかんないのかな。そんなんだから友達ができないんじゃない? こどもはこどもらしくおうちでいっしょにプリン食べてたほうがよっぽどいいんじゃないかなー。うんうん」
アリスは、沈黙していた。
私の正論に、ぐうの音もでない、といったところだろう。
そういえばぐうの音のぐうってなんだろう、お腹が減る音かな、そういえばお腹減ったな、ラーメン食べたい、などと思っていると、
「う、うああああああああああ……」
アリスが、がっくりと両膝を地面に落とし、両手で頭を押さえながら、うずくまった。苦しそうにからだをねじらせながら、泣き声とも笑い声ともいえないうめき声をもらしている。その声の合間から、彼女の呟き声が聞こえてきた。
「……どうして魔理沙は私にさわってくれないの……。私のすべてを奪ってくれないの……?。私、あなたのために最高の身体を用意しているのに。腰のくびれが素敵でしょう? ちょっと大きめのお尻だって愛嬌があると思わない? 私のからだってしみひとつないのよ? なんならしらべてもらってもかまわない。魔理沙にだったら全部見せてあげる。……ずっと待っているの。あなたが来てくれるのを待っているの。魔法は十二時までって決まっている。もうじき魔法は解けてしまい、私は永遠にこどものままになってしまう。何もできないこどものままに。だから、魔法が切れてしまう前に。切れてしまう前に。だから、だから、だから早く私をメチャクチャにしてよ! 一度だけでいいの! 夢を見させてよ! うああああああっ! あああああああ゛っ」
興奮きわまったのか、うめき声が詰まって濁りはじめると、おえええええ、うえええええ、と胃液を吐きはじめてしまった。
どうやら、私の言葉は、予想以上にアリスの心を抉ってしまったらしい。
「うおお……意味はわからないけど、すごい迫力だー」
「うん……きっと猿芝居のプロだったんだねー」
もうお昼の時間になったのか、妖精たちはおにぎりをほお張りながら言っている。
アリスは前かがみのまま動かない。
さすがに心配になった。
「だ、大丈夫?」
ふいに、アリスは、ゆらりと立ち上がった。
涙で赤くにじんだ目が、近寄ろうとした私を射抜いた。
「……わかっているわ。それはただの抜け殻。ほんとうの私はくびれなんてないし、胸もお尻も小さいままよ。組み伏せられる力もないし、誘惑することもできないわ」
彼女の眼光が、じっとりと湿り、澱んでいく。
「……そうよ。あなたみたいなおっきなおっぱいの女なら、魔理沙もなびいたりするかも知れない。……そうか、あなた、魔理沙を誘惑しようとしているのね。それでこんなことを言うのね。私から魔理沙を遠ざけるために、こんなことを。……だから……私の邪魔ばかり。私の邪魔ばかり。そうなんでしょ。そうなんでしょ……」
「……えっ? な、なにを言ってるの?」
アリスは、ゆっくりと近づいてくる。幽霊のようにゆらゆらとおぼつかない足取りだけど、目だけはしっかりと私を睨みつけている。
何がなんだかわからないけど、アリスは本気で私を恨んでいる。話が通じるわけがないのはよくわかっている。だけど私のからだはガチムチ上海アリス人形にガッチリと押さえつけられていて逃げることもできない。
彼女は、いつのまにか手に五寸釘を握り締めている。
先端が鋭く尖ったそれは、私の中指よりも長かった。
まさか。
「……そうね。魔理沙をたぶらかすそれを、これで刺し貫いてあげましょうか。それとも……私と同じように、こどもとかつくれないからだにしてやりましょうか。ふふふ、これで私たち、ほんとうの友達になれるかしら?」
アリスは笑っていた。だけど、目は、笑っていなかった。まるで井戸の奥のような暗い目で、こちらを見つめていた。
本気の目だった。
私の命なんて、お刺身のツマくらいにしか思っていない目だった。
パンツに、不快ななまあたたかい液体がしみていくのを感じた。からだの震えが、とまらなかった。
「あはは。おしっこもらしちゃったの? 冗談。冗談よ」と、彼女は笑った。
アリスは、半そでブラウスから伸びている右腕を、自分の胸元まで近づけた。あの包帯が巻かれている右腕だった。
「これはね。こう使うのよ」
彼女は、いきなり自分の手首のあたりに釘を突き刺した。
釘は、彼女の細い手首を貫き、反対側からその先端が突き出ていた。
白い包帯は、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。
呆然とする私の意識を、つんざく悲鳴が戻してくれた。妖精の緑髪のほうだった。氷の妖精は、震える彼女をしっかり抱いていたけど、アリスを見るその目は、驚きと混乱と恐怖がないまぜになっていた。ようやく妖精は、今まで作り物だと思っていたホラー映画が実はすべて実録だったと知ったのだ。
突き刺した衝撃で包帯がめくれ、彼女の右腕があらわになった。
白い肌に、みみずがのたくったような無数の切り傷や、クレーターのような陥没跡がのたくっていた。
「あはっ。今日は調子がいいわね。一発で貫通したっ」
アリスは、自分の手首に突き刺さった釘をつかんでぐりぐりと上下させていた。そのたびに、噴水のように血がふきでていた。凄まじい痛みのためか、彼女はまるで熱病にでもかかっているように、全身を震わせていた。いや、痛みで震えているんじゃないかも知れない。自分の血をみるその瞳は、うっとりとうるんでいる。まるでいとしい恋人でもみるような目で。
「ああ痛い。痛いよ魔理沙。もっといじめて。もっといたぶって。あなたにだったら殺されてもいいの。殺して。私、死ぬことなんて怖くないわ。あなたのためならいつ死んでもいいの。だから、あなたを誘惑しようとする、悪い女を、始末するためなら、喜んで、死ねるの」
アリスは、震える手で、自分の白いブラウスのボタンを引きちぎるように外した。
あらわになった彼女の薄いお腹には、たくさんの藁人形が巻きついていた。
「さあ人形たち。私のかわいい人形たち。私の血を吸ってあいつを呪い殺せ。私の死をもって我々の完全な勝利となるのだ。私が死ぬときがあいつの死ぬときだ。さあ逝け。みんな死ね。死んじゃえっ。あはははははっ」
アリスは、手首からどぼどぼ流れる血を、自分にふりそそいでいた。たちまち彼女の白い肌は血みどろとなった。血は、彼女のお腹を伝い、スカートの上にある藁人形を真っ赤に染め上げていく。すると血で赤く染まった藁人形たちが、彼女から離脱して浮き上がると、私にまとわりついてきた。
藁人形たちは、みんな腹巻きのようにダイナマイトを巻いていた。
そして、一斉にマッチを擦ると、導火線に点火した。
たちまち私のまわりにはパチパチはじける火花でいっぱいになった。
まるで彼岸花のようだ、と思った。おばあちゃんのお墓に咲いている花。
花と違うのは、いずれ火花は爆発に変わることだった。
藁人形たちの巻いているダイナマイトは、ぱっと見ただけでも相当な量だから、たぶん、大爆発となるだろう。
大爆発となると、私はどうなるのだろう。
……あれ。
もしかすると私、死んじゃうの?
むこうで、妖精たちが、お互いに抱き合いながら騒いでいる。
血みどろのアリスが、高らかに笑っている。
だけどその声は、ぼんやりしていて、私には聞こえない。いったい何を言っているのだろう?
いや、それよりも、これは、ほんとうに現実なのだろうか?
こんなバカみたいなことで、バカみたいに死んでいく。ほんとにバカみたいじゃないか。
「じょ、じょうだん、だよね……?」
私は、私の声が、ひどくリアルなのに戸惑った。まるで現実みたいだった。
……えっ?
ほんとうに、現実なの?
じゃあ、やっぱり私、死ぬの?
こんな、よくわからないまま? ほんとうに、わたし、死ぬの?
「ま、まって……ちょっとまってよ。うそでしょ。こんなの。ねえ」
自分の声が、ずっと遠くで反響している。
血染めの藁人形たちは、私のまわりでふわふわと漂っている。腹のダイナマイトの導火線は、もうほとんど見えない。
もうじき、爆発する。
そして、私は、ほんとうに、死ぬのだ。
こんな、バカみたいなことで。
文が知ったらどう思うだろう? かなしんでくれるかな?
いや、失笑だよね。高校の面接の最中に緊張のあまりおしっこ漏らしちゃったときみたいに、本人はこれ以上ないくらい必死なんだけどはたからみればバカみたいだもんね。たぶん私の人生自体がバカみたいなものだったんだね。あはは、そう考えればどんくさい私らしい死にかただよね。
だけど。
死んじゃったら。
もう文に会えない。
「や、やだよ。そんなの、やっぱり、やだよ。しにたくないよ。またあいたいよ。あやにあいたいよ。あや、あや、あや、あやああああ! あやああああ! うわああああん! うわああああああん!」
突風が吹いた。
風はものすごい勢いで舞い上がり、腹マイトを巻いた藁人形たちを上空へさらっていった。
ついでにアリスのスカートもすごい勢いでめくれていた。
大人っぽい黒のパンツだった。
そのパンツの前に、どこからともなく、高速の「何か」が現れた。
花火のような爆発音が空から響き渡ると同時に、カメラのシャッター音が聞こえた。
呆然とするアリスの前で、その「何か」は、ポラロイドカメラから出てきた写真をつまみ、出来を確認していた。風で少し乱れた髪を手で整えながら、満足げな笑みを浮かべている。とても爽やかな笑顔だった。
「さすがアリスさん。かっこいいおパンツですね」
文の声は、いつもと何も変わらない。平然そのものだった。
アリスは、ようやく事態がのみこめたのか、文をみると、握り締めた両拳をぶるぶると震わせた。
「この……ロリコン天狗! どうして天狗が取材に来ることとか、その天狗がひとりぼっちのさびしがりやだから遊び相手になってくれるとかをぺらぺらしゃべるのか疑問に思っていたけど……私を油断させておいて、私の写真を撮ることが目当てだったのね!」
アリスは相変わらずよくわからないことを言っている。
だけど、今の私にはそんなのどうでもいいのだ。
文が、ほんとうに私を助けてくれたんだ! 私の危機をテレパシー的第五感で察知したのだろうか。ということは文とは運命的に結ばれているのかも。ほら、よくマンガとかである「嫌な予感がするぜ」とかいって愛するひとを危機一髪で救う主人公みたいな。うわわ、うわー。恥ずかしー。うわー。
「ほらほら、そんなに動くと、はだけた胸が丸見えになっちゃいますよ」
アリスは、文に言われると、慌ててブラウスの前を手で押さえた。
「こんな何もない胸をじっくり見ていたの? ほんとうに、気持ち悪いわ……」
「その蔑む表情もステキですね。ゴミムシのように扱われたくなります」
「……もういいわ。何を言っても変態にはムダだからね」
「無から有を、マイナスをプラスに変える魔法使いこそが『変態』というものです。あなたもお分かりでしょう? ところで、『魔理沙さん』には会えましたか? 私が紹介した魔理沙さんには」
「……会えないわ。魔理沙は、ここにいないもの」
「それは残念でした」
「天狗、私を笑いにきたの? こんな滑稽な『ごっこ遊び』で遊ぶしかない私を」
「笑いませんよ。はたてを攻めるあなたは、とても、美しかった」
美しい、という単語を聞くと、アリスは一瞬はっ、と目を大きくしたけど、すぐに自嘲を浮かべた。
「あなたみたいなロリコンだけよ。私を美しいと言ってくれるのはね」
「そんなことはありませんよ。あなたは、紛れも無く美しい」
「やめてよ、気持ち悪い!」
「アリスさん、あなたは勘違いしている。この幻想郷のほんとうの常識をね」
ちょっと待ってください、と言うと、文は抱き合いながら目をつぶっている妖精のほうをくるりと向いて、にっこり笑いながら小さく手を振った。
「ハロー、チルノさん」
その声で、氷の妖精がおそるおそる目を開けた。文をみると、たちまちその目を輝かせた。
「おおっ、天狗だ! またあたいを取材しに来たの?」
「チルノちゃん、取材されたの? すごいなー」
「いっぱい写真を撮られちゃったのさ。あたいがバナナや恵方巻きを口にほおばっているところとか、ヨーグルトを顔にぶっかけられてるところとか、ぐらんぐらん揺れる馬にまたがってるところとかをね」
「そうなんだ! よくわからないけど、映画の撮影みたいだね!」
「あたいったら舞台女優ね!」
そこで再びアリスのほうを向いた。
アリスはトイレでカマドウマを見つけてしまったような顔をしていた。
「……ああやって何も知らない妖精たちをたぶらかして、ロリコン記事を作っているのね……」
「双方の同意の上です。問題ありませんよ。まあ、妖精たちが太いものを口にくわえていたり、白い液体まみれになっている写真にはあはあするひとは、確かに異常かも知れません。だけどね、何が異常か正常かは全体の数で決まるんです。異常にみえるものでも、それが大多数が賛同するのであれば正常にひっくり返るんです。それが多数決の原理というものです。民主主義ってやつです。それを踏まえたうえでお話しますが、私の新聞の発行部数を知ってますか? 既に十万を超えているのですよ」
「じゅ、十万って……幻想郷の半分以上が購入してるっての? あんなロリコン専門新聞が?」
「そうです。既に幻想郷じゃロリコンは当然、常識、当たり前なのです」
「……なんだかいろいろ終わってる気がするんだけど……」
「まー幻想郷には見た目は幼女や少女の合法ロリがたくさんいますからねえ。ロリコンは一種の環境問題といえるかも知れません。だからといってまだまだアンダーグラウンドな性癖には違いありませんので、私の新聞はこっそりひっそりと読まれているのですがね。まあ、じきに昼のランチで同僚と幼女への愛を語りあえるような時代も近いでしょう」
「……ということは、私の時代がやってきているってこと……?」
「そのとおりです。いまやトレンドは幼女なのです。時代はあなたのような金髪幼女を欲しているのです!」
アリスは、文の言葉に目を大きくしたあと、少しうつむき、指を口のあたりにつけながら、もじもじしていた。
「じゃ、じゃあ……もしかして……魔理沙もこっそり購入していたりするの?」
文は、ちょっと複雑な顔をした。
「……まあ、顧客リストについては禁則事項ですので、誰が買ってるのかとかは言えないですけどね。だけど幾多の幼女たちをこの目で見てきたこの私からみても、あなたのそのぺったんこボディは、かなりレベルが高いといわざるを得ない! おそらくあなたのことが新聞に載ったら、噂が噂を呼び、たちまちのうちに幻想郷を駆け巡るでしょう。あなたは一躍スターになるのです。そうすれば魔理沙さんどころかみんなのアイドルですよ」
「そ、そうかしら。で、でも……でもやっぱり私は魔理沙に……」
「あなたもこだわりますねえ。じゃあこうしましょう。あなたが魔理沙さんになればいいんですよ。それで問題ないでしょう?」
文は、戸惑うアリスをお姫様だっこした。
「ちょ、ちょっと! 何するのよ……」
「ちっちゃい魔理沙さんは悪い天狗にさらわれちゃうのです。うふふふ」
文とアリスは草むらの向こうに消えた。
しばらくして戻ってきたとき、アリスは文の手にべったりからみついていた。
「わ、私、今から魔理沙になるわ……」
アリスは、熱でうなされたようなとろんとした顔だった。
「魔法でこどもになった魔理沙は、ロリコン天狗にさらわれちゃったの……魔理沙はそこで変態的な日常を送ってしまったせいで、ハッカ飴をおかずにしてご飯を食べたり、納豆に砂糖をぶっかけるようなとんでもない変態に育っちゃうのよ。でも、そんな魔理沙も、アリスは見捨てないわ。アリスの愛の力が、魔理沙をまっとうな普通の魔法使いに戻すのよ……」
言ってる内容が、さらによくわからなくなっている。
「ふふふふ、ロリコンの怖さはこんなものじゃありませんよ、ちっちゃい魔理沙さん。これからあなたの恥ずかしい写真をたくさん撮ってしまいますよ。中二病的ポーズをきめて悦に入っているところとか、自分の指の爪のにおいが気になってくんくん嗅いでいるところとかをね」
「あああ、なんて悪魔的なの? 魔理沙、頑張って耐えるのよ。アリスが助けにくるまでの辛抱なんだから……」
さすが文だ! よくわからないけどあのアリスが、まるでマタタビをかいだ猫のようにおとなしくなってしまった。
それと同時に、ガチムチ上海アリス人形が私を抑えつける力が弱まった。
私は急いで文に駆け寄った。
「あ、文! ありがとう。私を助けてくれて」
「礼には及びません」
文は、相変わらず涼しい顔だった。
私なんて、さっき自分が文の名前を叫んでしまったことを思い出して、頬が熱くなってしまってるっていうのに。
やっぱり文はすごい。かっこいい。
「しかしほんとたゆんたゆんですねえ。妬ましい」
「なんの話?」
「なんでもありません。それよりも、あなたのおかげでいい写真がたくさん撮れました。ありがとう」
にい、と、文は薄い唇を少しだけゆるませた。
何年ぶりだろうか。
ひとから感謝された。
しかも文から感謝された。
……すごくうれしい。
だけどちょっと待った。これは社交辞令なんじゃなかろうか。私こそ文に感謝すべきだし、そもそもほめられるようなことなんてしたのか? 何もしてないじゃないか。あああああーなんて自分は浅はかなんだ。文にちょっと感謝の言葉を言われただけですぐうのみにして調子に乗ったりして。死ね。一回死ね。
「う、ううん……私こそ、文がいなかったらどうなっていたかわからないよ。いつもそうなんだ。外で取材するといつもドジばっかりして、いつの間にか自分が取材される側になってしまう。こんなんじゃ新聞記者失格だよね。やっぱり私は文みたいにはなれないよ。もう新聞もあきらめたほうがいいかも知れない」
「そんなことはありません。あなたには才能がある」
「さ、才能? 私に? ……やめてよ。そんなのあるわけないの、自分が一番わかってるし」
「いや。あなたには才能があります。さっきあなたが言った、『いつの間にかトラブルに巻き込まれる』という才能がね」
「……えっ?」
「確かにあなたが取材すると、予定していたものは何も撮れません。しかしそのかわり、予想外のハプニングが起こり、はるかにものすごいものが撮れてしまうのです。実は今回の件、あなたには悪いのですが、その『能力』を確かめるべく、ずっと後をつけていました。家に監視カメラをつけて最初からね」
「か、監視カメラ?」
「そうです。『能力』の程度を確認するためであって、けっして巨乳がシャツ一枚でラーメンを食べてる動画とか、胸元をはだけてうちわであおいでる写真とかって売れるんじゃないかなーとかそういうことを考えたわけじゃありません」
「じゃ、じゃあ……最初から、全部観ていたの? その、ぱっつんぱっつんな服装でアリスに縛られたり、妖精たちとお医者さんごっこしたりとか、ガチムチ上海アリス人形とおパンツレスリングをしたりしていたとこも?」
「ええ。ついでにその過程を保存するために写真を何枚か撮らせてもらいました。決して幼女にいたずらされる巨乳というシチュが素晴らしくてなどという理由ではありません」
写真まで撮られている。
ひいいいいいっ、と叫んでしまった。
「わ、私を変態だと思わないでっ。こ、こんなことしたくてしたわけじゃないのっ」
文は、微笑を浮かべたまま、
「わかっています。それこそがあなたの『能力』なのですから。私は、あなたを信じていますから」
信じている。
この私を。
涙が出そうになった。
「う、うれしい……私、文に嫌われたらどうしようって……」
「こちらこそ、あなたがピンチになっているのに何もせずに、すみませんでした。辛かったでしょう。私もとても興奮、いや辛い時間でした」
「ううん、そんなのどうでもいいよ。文は私を助けてくれたじゃん……」
「そんなの当然ですよ。だって、友達じゃないですか」
友達。
この私を。友達って言ってくれた。文が。文と私は友達。
う、うれしい。うれしいよう。
「これからは、私と組みましょう。あなたが取材して、私が記事にするのです。きっと素晴らしいスクープ記事で埋め尽くされますよ」
「あ、文と一緒に新聞を作れるの? やるよ、私やる! がんばるよ!」
「次は紅魔館に取材に行きましょう。あそこの幼女姉妹はその筋のかたたちには有名ですが、なかなかメイド長のガードが固くて私もちゃんと取材できたことがありません。何せお二人にスク水をプレゼントしようとしただけでメイド長に殺されかけましたからね。たぶんあなたが行けば間違いなく事件が起きるでしょう。スクープの予感がビンビンします」
紅魔館。その単語を聞いて、私はぎょっとした。
「あ、あの悪魔が棲む館に行くの? う、噂じゃ近づくだけでどこからともなく飛んでくるナイフで黒ひげ危機一発みたいにされちゃうって聞いたんだけど……」
「わかっています。手段は考えてあります。あのナイフを飛ばしているメイド長はいつもひとをブタか何かとしか思ってないような冷たい目をしてますが、実は胸が小さいことを気に病んでいるオチャメさんなんです。わざと胸を強調するような格好で行って、『実はいい豊胸薬がありまして』とかいえば、あなたに興味を持って招きいれてくれるでしょう」
「そ、それってウソじゃないの? 大丈夫なの?」
「大丈夫です。問題ありません。いざとなれば、私があなたを助けますから。今回と同じようにね」
文はさわやかに笑った。
一点の曇りもない笑顔だった。
こんな顔を向けられて、私に他の選択肢があるだろうか?
「あ、文がそう言うのだったら……やるよ」
文はまた一瞬だけ「計画通り」みたいなすごい笑みを浮かべた気がするけど、すぐにさっきまでと同じようなにこやかな顔に戻った。
「私たち二人にかかれば悪魔の館だろうと敵ではありませんよ」
「う、うん! 私がんばるよ!」
☆その後のこと
精神的ダメージが大きくて一週間くらい引きこもっていたけど、食料が尽きてしまった。私はよろよろとスーパーに出かけた。スーパーは何も変わらなかった。
たまたま牛乳が目についた。寺子屋の牛の先生が、牛乳を飲みながらバッチグー☆をきめている写真が載っている。
すると、どこからともなく、あの悪魔達の笑い声が聞こえてきた。
『……うわあ、ほんとに出ましたよ。あはは、これで名実共に牛になっちゃった』
『R-18対応魔法だったら任せてよ。永遠亭の医者には負けないわよ。向こうは媚薬程度だけどこっちはより特殊性癖にも対応してるんだからね』
『さっすが~パチュリー様は話がわかるッ!』
『いいことを思いつきました。パチュリー様、みんなでこれを搾ってみてションベンみたいに飛ばすゲームをしましょうよ』
『あはは、面白そうですねー。私、負けませんよ。これでも悪魔界じゃ『まかいの牧場』でバイトしてたんですからね』
『ちょっと咲夜ー、あまり力いっぱいにぎるとつぶれちゃうわよ』
『いいんですよ。こいつ、大きくて窮屈そうに服に収めていたじゃないですか。ちょっとくらい小さくしてやったほうがいいんですよ。ね、そうでしょ? そう言ったよね。大きすぎてきついんだよね。ふーんそうなんだ。大きいといろいろ大変なんだね。ふーん』
やめて。あやまるから。嘘ついたのあやまるから。だからそんな殺人鬼の目で睨むのはやめて。勝手に魔法で改造したりしないで。そんなゲームちっとも面白くないよ。ひとのムネで遊ぶのはやめて。
私は耳を塞ぎながら、まわりを見回した。いない。いるはずがない。声は耳の奥から聞こえてくる。幻聴だ。落ち着け。私は牛乳から目を反らすと、今度は精肉コーナーが目についた。ハンバーグ用のミンチ肉が並んでいた。
『……あなたは牛なんでしょ。牛が存在する理由は、乳と肉でしょ。乳が出切ったなら、あとは肉よね』
メイド長の、ぞっとするような目つき。
『妹様の遊び相手になってもらいましょう。たちまちぐちゃぐちゃのミンチにしてくれますよ。まあ、私が捌いてもいいんですがね。冗談だって? あなたと違って私は冗談嫌いなの。今夜の夕食は鳥のそぼろ煮ね』
持っているナイフよりも、もっと冷たい声。
『……あなたが私の遊び相手をしてくれるの。何しても壊れないから大丈夫って言われたんだけど、見かけより頑丈なのね。うれしいわ』
吸血鬼の、底抜けに無邪気な笑み。
「ひ、ひいいいいいいいっ」
思わずへたりこんだまま声が出てしまった。周りのひとが、私を見ながら不審な顔をしていた。
「す、すみません。すみません」
私はうつむいたまま、その場を逃げるように去った。
ああ。カップラーメンが食べたい。あの地霊ラーメンだ。からだに悪そうだけど、妙においしいラーメンだ。お湯を入れればひとりぼっちでも食べられるラーメンだ。不器用な私だっておいしく作れるラーメンだ。地霊ラーメンだけは私をいじめない。一袋たった50円で私の味方でいてくれる。ああ、わたしの、最高の友達。待ってて、いとしの地霊ラーメン。
インスタントコーナーの棚に入った私は、嫌な予感がした。
地霊ラーメンのあるいつもの場所が空洞になっている。
他の棚を探しても探しても、地霊ラーメンはどこにもなかった。
確かに売れてるようにみえなかった。だから、ついに入ってこなくなってしまったのだ。
よくあることだ。私の好きなものはいつも流行らず、いつの間にか消えてしまう。
そう、よくあることなんだ。
文にだまされ、アリスやメイド長に恨まれ、いつもいつも辛いことばかりがやってきて、できるのは友達どころか敵ばかり。そして今、地霊ラーメンにも見捨てられた。
私には、いいことなんて何も無いんだ。
私のなかの何かが、ぽっきり折れた。
「……うっ」
視界が、急速にぼやけてきた。
「う、うあああああん……私の、私の地霊ラーメン……あなたまで私を見捨てるの? うああああん……」
私が何か悪いことをしたっていうの? 無いよね。何も無いよね。なのにこんな仕打ちをするなんて。神様ってなんなの? 私に恨みでもあるの? くっそー神様のバカ。死んじゃえ。バカ。こんちくしょー! ちくしょう……。
「……おい、ちょっとお前さん。こんなところで泣くほど悲しいことがあったのかよ」
「あったに決まってんじゃん! こんちくしょ……」
顔をあげて、声を掛けてきたそのひとを見て、私はびっくりした。
あのとき着せられた白黒のエプロンドレスだったのだ。
彼女は、金髪のくせっ毛を、大きめのとんがり帽子で覆っていた。少しとろんとした、人を食ったような目で、こっちを見上げていた。
「ま、魔理沙、さん?」
「おや、私の名前を知ってるのか。ずいぶん私も名が売れたもんだな。うはは」
そういって彼女は笑った。大きな口で笑うひとだった。
やっぱり、これが「あの」魔理沙さんなんだ。
少し冷静になると、魔理沙さんの持つカゴのなかに、見覚えのあるものが入っていることに気づいた。
「あ、あああっ! そ、そのなかにあるのは、地霊ラーメン!」
「あ、ああ? お前さん、このラーメンを探していたのか?」
魔理沙さんは、ラーメンをカゴから取り出しながら、
「確かに旨いよなー。真っ赤な地獄スープはいかにもからだに悪そうだけど、飲むとただ辛いだけじゃなくて、ちゃんと鳥や野菜の味が効いていてマイルドな味となっている。変な油や調味料でごまかして作ってないからこそ、すっきりと飲めるんだ。麺はつるつるのノンフライで噛み応えがあってするするっと喉ごしよく入っていく。トッピングの温泉卵もレトルトだけどシンプルで旨い。この自然な味わいはほんとうに温泉卵かも知れないな。この地霊殿フーズって会社は聞いたことないけど、いかにも真面目に作ってるってかんじで、私は好きなんだ」
なんだかすごく詳しい。魔理沙さんもかなりラーメン通みたいだ。うわあ、なんだかうれしいな。
「そ、そうなんですよね。わ、私も、実は、大好きで……」
「まあ、泣きじゃくるくらいだからな……それにしてもこのラーメンが好きなひとがいてうれしいなあ。正直、幻想郷で自分しか買ってないと思っていたよ」
「そ、そうでしたか。わ、私も……そう思ってて……えへへへ」
「まーラーメン振り合うのも他生の縁ってやつだな。今回はお前さんにこのラーメンを譲ってしんぜよう。うはは。そのかわりだ」
そう言うと、魔理沙さんは紙切れと鉛筆を取り出して、すらすらと何かを書くと、その紙切れを差し出してきた。
「このラーメンがまた入ったらさ、私に教えてくれよ。これが、私の住所」
私は、紙切れを見つめながら、よくのみこめずに、思わず聞いてしまう。
「その、魔理沙さんちに、私が、お邪魔してもいいのですか?」
魔理沙さんは、にはは、と笑った。
「売れない雑貨類を売ってるんだ、ラーメンは残念ながら無いけどね。家にちょこっと置きたいものが欲しいときにでも寄ってくれよ」
私は、スーパーから出たあとも、呆然とその紙切れを見つめていた。
こんなことってあるのだろうか。
他人の家に招待されるなんて、何年ぶりだろう?
それが、初対面のひとに、いきなり招待されるなんて。
はじめて出会ったひととこんなにうまく話せたのも、はじめてだった(といっても、魔理沙さんの言葉にうなづいたりしただけなんだけど)。
はじめて会った気がしなかったのもあるのかも知れない。
だけど、たぶん、魔理沙さんの人柄だろう。ひょうひょうとした口調で、あたたかい笑顔をされると、なんだかこっちまであったかくなってくる。
なんだかひさしぶりにいいことに出会った気がする。
やっぱり神様はいて、悪いことばかり続いたあとには、ちゃんと幸せを届けてくれたりするんだ。
ありがとう、神様!
「ふーんふふふーんふーんふーん」
慣れないスキップをしながらの帰り道、ちょっとした暗い林のなかに差し掛かったときだった。
「はたて」
ぎょぎょっとして、立ち止まった。
自分を呼ぶひとなんて滅多にいない。
そして、呼ぶ人がいるときは、だいたいろくでもないときなのだ。
呼ぶ声は、私の目の前からだった。
林が作り出す薄い闇の向こうで立っているのは、アリスだった。それも、小さいほうだ。あの、腹マイトを巻いたりマッチョ化したりと忙しい人形を、両手で抱え持っている。
アリスが最初に文の新聞に掲載されたのはもう一ヶ月くらい前だろうか。「変態の変態による変態のための変態アイドル」というのが「田中アリス子・マーガリン」の触れ込みだった。この名前は芸名らしい。写真では人形みたいに微笑んでいるアリスが写り、インタビューの内容は、「たったひとつの冴えたオナニー」というものだった。私にはまるで理解できないけど、どうも文の新聞の購読者たちには大好評だったようで、それからも「舌で味わう球体関節人形」「名状しがたき者とのステキなアバンチュール」とかの記事が載っていた。
人形のように整った顔に、薄い笑みが浮かんでいる。私は嫌な予感がした。
「お久しぶり。元気にしていた?」
「ま、まあまあです」
「嘘。聞いているわよ。紅魔館のこと」
紅魔館、という単語を聞くだけで、ぐぎり、と心が重くなった。
「ど、どこまで」
「全部よ。あなたが何をされたのかの、全部。これ、二度目かしらね?」
「こ、今回も、文が、言ってたの?」
「そうよ。もうわかっているでしょう? あなた、あの天狗にだまされていたんでしょう?」
「あ、文が、私を、だましていたって」
「あの天狗は、あなたをダシに使って自分の撮りたいものを撮っていたのよ。ほら、この記事を見なさい。あなたがメイド長たちの生贄になっているうちに撮っていたのは、あそこの主の寝顔とその妹のおパンツよ? 私のときと同じよ。どう考えてもだまされているじゃないの」
うすうすわかっていたけど。わかっていたけど。ここまではっきり言われると、こたえる。
文が、私をだましたんだ。どうして文はそんなことを。なんで。なんで。ああ、そうか。そうだよね。私が嫌いなんだよね。ずっと私が嫌いだったんだよね。いつも私のところに来ていたのも「ひきこもり天狗テラキモスw挙動が滑稽すぎて飽きないわーww」とかそんなことを思っていたんだ。うああああああああっ。だから期待なんかしなきゃいいんだ。わかっていたじゃないか。泣くな私。うあああでもつらいよう。死にたいよう。ここにいると心が折れるばかりだよう。文がいなくなったなら、私には誰もいないよう。ああ、ひとりでもさびしくならないようになるにはどうすればいいのだろう。お寺で修行して解脱すればこんな苦しみも無くなるのだろうか……。
「それで……魔理沙をたぶらかそうとしたのね」
「……えっ?」
「あの天狗に裏切られたから、他に友達がいなくなって、魔理沙の気を惹こうと泣きまねなんかしんでしょ? 魔理沙は優しいから、放っておけなくてあなたに声を掛けたわ。あなたの作戦通りにね!」
「い、いや……それは誤解だよ。だいたい、ほんとうにそうするなら魔理沙さんがスーパーに居るのを知ってやんなきゃならないじゃない。そんなこと、魔理沙さんを見張ってでもない限り不可能じゃないのさ」
「そうよ。そんなの魔理沙を監視していれば簡単じゃないの!」
甘かった。アリスのなかでは魔理沙さんを監視するのは当たり前のことなのだ。魔理沙さんは早くこの女の存在に気づいて警察に通報するべきだと思う。
「しらを切ってもムダよ。この人形はぜんぶ聞いていたんだからね!」
「シャンハーイ」と、アリスの胸に抱かれる上海アリス人形はうめいた。
「ねえ。今日の魔理沙は誰と会っていたの?」
「アサ ハクレイジンジャ デ ミコ ト アッテイタ。ショクリョウ ブソク デ シニカケテイタ ミコ ヲ ミテ アワテテ スーパー ヘ イッタ」
「あの雌豚め、そのまま餓死すればよかったのに……。それでスーパーでは、誰に会ったの?」
「ハタテ ト アッタ」
「二人の様子とか、どんな会話をしていたのか、教えて」
「トテモ タノシソウ ダッタ。『ワタシハスキ』トカ『ワタシモダイスキ』トカ イッテイタ」
「ちょっ」
アリスは、親指を噛みながら、例のじっとりとした目つきで自分を見つめている。
「た、確かにそう言ってたけど、それはラーメンのことであってあふうんっ」
「何がラーメンよ、バカにして! ほら、ここに動かぬ証拠があるじゃない!」
アリスは、私の胸ごと胸ポケットをつかんでいた。そのなかには、魔理沙さんからもらった紙切れが入っていた。魔理沙さんの住所が書いてある紙切れを。はじめてのひとんちのお呼ばれ招待状を。神様からのプレゼントを。
「魔理沙も魔理沙よ……どうしてすぐにそう誰にも優しくするの? すぐにひとを信用するの? どうして出会ったばかりのひとと仲良くなるの? だから私は不安になるの。不安で不安でいつも見張らずにいられないのよ……」
私のなかの、普段使わない感情のスイッチがはいった。
……何を言ってるんだこいつは。私が何か悪いことをしたっていうのか。私は何もしていないじゃないか。なのに、文が私をだましたなんて言って私をどん底に突き落としておきながら、魔理沙さんを勝手に疑って勝手に神様のプレゼントを取ろうとしている。いったいなんなんだ。
「何言ってんのさ。魔理沙さんは優しいからいろんなひとに優しいだけじゃないか。あなた魔理沙さんのなんのつもりなの? 彼女どころか、魔理沙さんのことなんてほんとうは何も知らないんでしょ。だってリアル魔理沙さんとまともにお話できたらあんなできそこないの人形劇みたいなバカなことをしないもんね。ていうか友達ひとりもいないって言ってたもんね。当たり前だよ、あなたみたいな好きなひとも信用できないひとに友達なんてできるはずないよ!」
うわああああああああああああっとアリスは悶えた。
「と、ともだちなんて! ともだちなんて! ともだちなんていっぱいいるし! ほ、ほら上海、上海あなた私の友達でしょ? そうだよね?」
「シャンハーイ」とアリスに掴まれている人形はうめいた。
「ほ、ほら! 友達だって! シャンハイは友達だって言ってくれるし!」
アリスは、涙を溢れさせながら笑っていた。
「私の家に行けばもっともっと友達たくさんいるよ? いっぱいいるんだよ? 上海も知っているよね? 蓬莱にゴリアテに仏蘭西に露西亜にオルレアンにうわあああああああ! うわああああああ゛っ」
人形を抱きしめながら泣き叫んでいたアリスは、途中で叫び声が詰まり、前かがみになると、おええええと胃液を吐きはじめた。
……またやってしまった。
アリスは変態だけどメンタルは豆腐なのだ。そうわかっていながら、アリスの心を思い切り抉ってしまったのだ。
「ご、ごめん。言い過ぎたよ……」
「ひ、ひひひひひ。いひひひひひ」
異様な笑い声が聞こえてきた。
ものすごく嫌な予感がした。
アリスは立ち上がった。涙と唾液と胃液にまみれた顔を拭おうともせずに、こちらを見て笑っていた。
「忘れていたわ。そうよ。わたし、人気者になったのよ。もうひとりじゃなくなったのよ!」
アリスが藁人形を取り出した。藁人形は抱き枕のようにダイナマイトを抱えこんでいる。
ぎょっとする間もなくアリスはそれに火をつけた。
「ちょ、ちょっと待っ」
するとアリスは、それを上空に放り投げた。
どーん、と音がして、青空に七色の煙がたちこめた。
「アリスの友達になり隊、参上!」
突然男の声が林の奥から響くと、木陰から着流しのおっさんが前転をしながらあらわれた。脇に日本刀らしきものを差して、頭にはチョンマゲを結っている。綺麗に一回転をしたあと、おっさんはその岩のようにごつい顔をぴくりとも変えぬまま、ものすごい速さのすり足でアリスの側まで寄っていった。
「ここにもいるぞ!」
「ここにも!」
「ここにもいるぞ!」
すると、いろんなところからボコボコと同じような変なひとたちがわいてきた。どいつもこいつもごついコワモテで、眼光がひとが切れるくらい鋭かった。人間の村では用心棒とかそういう仕事をしてるっぽいひとたちだった。
男どもはアリスを取り囲むと、やおら手を袖の下に入れた。取り出してきたのはやたらでかいカメラだった。
「生アリス様! 眼福でござる!」
「それがし、今日ほどロリコンで良かったと思ったことはござらん!」
「アリス様かわいい! 愛してる!」
そう叫びながら、男はカメラでアリスをバシャバシャ撮りはじめた。
「ほおら、私がちょっと合図をしただけで、こんなにやってきてくれるんだもの。全然ひとりじゃないでしょ? ねえ、あなたもそう思うでしょ?」
カメラのフラッシュを浴びながら、アリスは何も言えない私をじっ、と見つめていた。
やがて、ぎりぎりぎり、と歯噛みすると、
「何か、言いなさいよ!」
「アリス……このひとたち、どうみても友達にみえないんだけど」
「ほ、本名をばらさないでよ!」
いや、思い切りみんなアリスって言ってるんだけど。
「みんな友達よ! 友達に決まってるんだから!」
男どもは「そうでござる!」「応!」「アリス様かわいい! 愛してる!」などとシャッターを切りながら叫んでいる。
「ほらほら、そう言ってるじゃないの!」
「い、いや、アリスがそれで良ければ何も言わないけど……」
「どうしてそんなに疑うわけなの? ああ、私が人気者になったのが妬ましいんでしょ? そういうことよね?」
私は考えた。うらやましいと言ったほうが面倒にならないかも知れない。
「そ、そうかも知れないねー。う、うらやましいなーうんうん」
「嘘よ! うらやましいだなんてちっとも思ってないでしょ! キモいひとたちに囲まれた私にドン引きしているんでしょ! くそー私をバカにしてばかり!」
アリスは狂ったように叫んでいる。うわこのひとマジでめんどくさすぎる。
「ああ、今、私のことをめんどくさいと思っているでしょ! そうよ、私はどうせめんどくさい女よ!」
「だ、だって自分だってわかってるでしょ? 今自分がムチャクチャを言ってるって」
うわあああああと叫びながら、アリスはいやいやをするように首を振った。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい! いいわ、あなたがそこまで言うのなら、私だって本気になるわ。あなたが悪いんだから。私を追い詰めたあなたが悪いんだからね!」
追い詰めるも何も、私は何もしていない。
だけどもう、これ以上何をアリスに言っても無駄だ。
「ねえ、あなたたち、私の友達なら、私の言うことをなんでも聞いてくれるの?」
男どもは、「そうでござる!」「応!」「アリス様かわいい! 愛してる!」などとシャッターを切りながら叫んだ。
「ありがとう。じゃあ、魔理沙をたぶらかした罪をあの天狗の肉体に刻み込んでやってよ」
男たちのシャッター音が、止まった。
ひとりの男が、あごひげを撫でながら、鋭い視線をアリスに向けている。
「……それはどういうことでござるか」
アリスは、ちょっとどぎまぎしながら、
「つ、つまりアレよ! 悪い男が女の子をとりかこんで、ほら、よく薄い本とかであるじゃないの、その、みんなですごいことをしちゃうってやつよ」
「えっ」
「つまり、この女性(にょしょう)に狼藉を働け、と?」
「そ、そうよ。その狼藉。魔理沙が狼藉……気持ち悪い男たちによってたかって……」
アリスの目の焦点が、だんだん遠くに離れていく。
「ああ、かわいそうな魔理沙……アリスが人気者になってもその良さを理解できず、ほんとうのアリスの姿を見ても冗談としか思えず、相変わらずアリスの気持ちに気づかなかったばかりに、暴走したケダモノどもの毒牙にかかってしまうだなんて」
まずい、またアリスが自分の世界にいってしまったらしい。魔理沙さんと仲良くした私をいじめたいのに、私を魔理沙さんだと思うだなんて意味がわからない。だけど今のアリスはもう常識は通用しない。
「悔しいけど、私は魔理沙が汚れるのを見るしかできないわ! ああ、なんて悲劇なの?」
「ちょ、ちょっと待って。冗談でしょ? その展開は、ま、マジでシャレにならないってば。ぜ、全年齢対象じゃなくなっちゃうよっ……」
「ああ……すべてが悪い冗談なら……いつまでも、ふたり幸せだったのに。男どもの欲望のはけ口にされてボロくずのようにされちゃった魔理沙は虚ろな目で『アハハ、極太だ……マスタースパークかな。イヤ違うな、マスタースパークはもっと……バーッて飛ぶもんな……』みたいなことをぶつぶつ呟いちゃったりしているのよ。理不尽すぎる運命よ。ほんとうに、かわいそうな魔理沙……」
アリスは、スカートの間に右手を挟みながら、うっとりと笑っている。かわいそうと言ってるくせに、とてもうれしそうな顔だった。相変わらずデタラメな思考回路だ。
男どもは、私を鋭い眼光でにらみつけている。みんな犯罪者みたいに怖い顔をしているうえにロリコン、つまり変態なのだ。
ていうか本物の男なのだ。
怖い。
「まままま待って、わ、わわ私こういうのしたことないし無理無理無理だからちょっと」
男たちは、そこでくるりと踵を返した。
そして、再びアリスを撮りはじめた。
「な、何をしているのよっ」
男は、ふっ、とニヒルに笑った。
「我々は確かに変態ですが、欲に溺れた野獣ではありませぬ。武士の魂を持ったサムライなのです。決して愛でる対象に触れることもありませんし、女性(にょしょう)に乱暴狼藉などもいたしませぬ」
「な、なにカッコつけちゃってるのよ変態ロリコンのくせに!」
「それに、真の友達とは、間違ったことをノーと言えるものではござらんか?」
アリスは、それ以上何も言わなかった。いや、言えなかったのだろう。言葉をのみこむように下唇をかみ締めたその表情には、なんとも言えない敗北感が漂っていた。
たぶん、男の言うことが正論だと理解したのだ。いや……それだけじゃない。男は友達について語っている。ごく当然のように。アリスは、もうそれだけで、負けを確信したのだ。彼氏いない歴が年齢とイコールなひとが、結婚したひとと愛について語って勝てるはずがないのと同じ理屈だ。
「まあ、ぶっちゃけあの巨乳天狗は我々の許容範疇をはるかに超えているゆえ、何ら心の琴線に触れないのでござるよ」
「……貧乳こそ武士道と見つけたり」
「アリス様かわいい! 愛してる!」
男たちは口々にそう言いながら、シャッターを押すのをやめようとしない。
「こ、この……気持ち悪いだけの役立たず! もういいから永遠に私の前から消えなさいよ!」
男どもの目が、ぱっと輝きはじめた。
「おお、アリス様の生罵倒だ……!」
「なんと素晴らしい目……マジで殺したいほど憎んでくださってるのですね」
「ああ……もっと蔑んでください!」
「アリス様かわいい! 愛してる!」
「こ、この……変態! ほんとに殺すわよ!」
「どうぞ私めから殺してください!」
男のひとりが地面に滑り込んだ。地面に突っ伏したままアリスの足元まで滑り込んできたそいつは、目だけはじっと上をのぞきこんでいた。
「ああ、今日も背徳的な黒でっ」
言い終わる前に、アリスが男の顔面をサッカーボールのように蹴り上げた。
「ぶべら!」
男は鼻血を噴きながらびくびくと痙攣していたけど、その顔はとても幸せそうだった。
「畜生、あいつ出し抜きやがって!」
「今度は私だ!」
「アリス様かわいい!」
やつらは一斉に地面に滑り込むと、アリスの足元でウナギのようにうにょうにょしながらいがみあっている。
「き、気持ち悪いのよっ! この、このっ!」
アリスは男どもの顔面をガンガン蹴りつけた。彼女が足を上げるたびに男どもは条件反射で顔面を上げた。彼女がその足を思い切り降ろすたびにものすごい音が響いた。
たちまち男たちの顔は真っ赤なアンパンのように腫れあがった。それでも彼女が足を上げるたびに目をキラキラさせながら顔面を上げている。
「ひ、ひいいいいいっ」
ついにアリスのほうが耐え切れなくなった。
「もういやあああああっ!」
彼女は叫びながら森の外へと駆けだした。
「あ、アリスー!」
彼女は森を抜けて、そのまま緩やかな丘を駆けていく。丘はタンポポが茂り、アリスが駆けたあとには、たくさんの白い綿毛がふわんと飛び交っていた。
アリスはめっちゃ必死に走っている。もう身体中綿毛だらけだろう。そんな彼女を運動なんてしてない私でも追いかけていけるのは、アリスも普段走ったりしてないのか、やたらに手足をばたばたさせてるけどそんなに速くないからだ。
アリスは、後ろを見て、私の姿をみとめると、ぎょっとした。
「な、なんでついてくるのよ!」
「わ、わかんない!」
「はあ? 何言ってんのよ! あんたほんとに犬なの?」
確かにどうして自分がアリスを追いかけているのか、よくわからない。だけど気づいたらなんとなくアリスのあとを追いかけてしまったのだ。アリスにはひどい目にあわされているのに、なんとなく自分に責任があるような気がして心配になってしまうのだ。我ながらどうしようもない性格だと思う。
「こないでよ! わたしはひとりになりたいのよ!」
「な、なんでよ? さっきまで友達がどうとかって言ってたくせに!」
「うるさいうるさいうるさい! みんなどっかにいっちゃえばいいのよ!」
そのとき、「ふぎゃっ」と声がして、アリスの姿が消えた。後ろを向いたまま走っていたのですっこけたのだ。
「アリス、大丈夫?」
覗き込もうとすると、にゅ、とダイナマイトが鼻先に突きつけられた。
タンポポの上でしりもちをついたアリスが、ぜいぜいあえぎながら、握り締めていたダイナマイトを私に向けている。すりむいたのか、片膝を立ててるほうの膝小僧から血がにじんでいた。私を睨みつけながら、
「来ないでよ! ミジメな私を笑いにきたんでしょ?」
そこで、ごほごほごほと咳き込んだ。咳の合間に、苦しげにぜえ、ぜえ、と喉を鳴らしている。大粒の汗が青白い額に浮き出ていた。
「ほ、ほんとに大丈夫なの? いつもあんな血をどばどば使ってるから貧血なんじゃないの?」
「ひ、貧乳で悪かったわね!」
「そ、そんなこと言ってないよ!」
「そうよ、私はミジメな生き物よ。あんな変態どもを友達と呼んで、しかもその変態たちからもダメだしを食らってるんだからね。ほんと笑っちゃうよね!」
「わ、笑ったりしないよ。ただ……アリスがちょっと心配になったから」
「違うわ。あなたは自分よりかわいそうな生き物がいたのが嬉しいのよ。私を見て自信がついたでしょ? サイテー以下の生き物を見て癒されたでしょ? 安心したでしょ? 引きこもりは卒業できそうかしら? 他人とどもらずに会話できるようになったかしら? あの妄想新聞もようやくチラシの裏以上になれるかしらね?」
アリスは、私の顔を見て、そこで口をつぐんだ。
そして、目を反らすと、ぽつりと、「ごめん」とつぶやいた。
彼女は、しばらくうつむいていた。
やがて、彼女の肩が、震え始めた。
かすかに、嗚咽が聞こえてきた。
ぽたり、ぽたり、と、うつむいた彼女の顔から、しずくのようなものが、おちはじめた。
「……もういやよ。なにもかもイヤになったわ」
「……アリス」
「……私も、イヤってくらい知ってるわ。私がひとりぼっちなのは、この容姿のせいじゃないって。あなただってもうわかっているでしょ? 私はね、嫉妬深くて、猜疑心が強くて、プライドばかり高くて、自己中で、強がりばっかり言ってるくせに打たれ弱くて、すぐにいじける嫌な女なのよ」
アリスがこちらを見上げた。涙でぐしゃぐしゃになった彼女は、弱々しく笑っていた。
「もううんざりなのよ。こんな自分に。うんざりなのよ。だから変わりたかったのに。ちっとも変わらなかった。姿も、中身も」
ちょっとの沈黙がおとずれた。アリスは、それ以上何も言わない。ただ、嗚咽だけが聞こえてくる。
アリスは落ち込んでいる。今までになく、とても落ち込んでいる。
何か喋るんだ。励ますような言葉や、気が晴れるような言葉を。泣いてる子どもを一瞬にして笑顔にさせるおばあちゃんのような魔法の言葉を。いや、そうでなくてもいい、そう、何か気のきいたことでも言うべきなのだ。言うべきだったのだ。
「……ずっと昔から、ひとりぼっちだったの?」
「そうよ」
ひいいいいいい。なんでこんなことを聞くんだバカ、と瞬時に後悔した。これじゃ「へえずっとぼっちなんだ。それってどんな気持ちなの? ねえどんな気持ち?」と追い込んでいるようにしかみえない。ちくしょう私のバカバカ死んでしまえと思ったが、もう遅い。ああ、どうして私の口はこう失敗するのだろう?
さらにどよおんと重くなった空気のなかで、アリスが、ぽつり、とつぶやいた。
「この幻想郷の外に住んでいたころから、ずっとよ」
「そ、外。アリスって、外のひとだったんだ。む、向こうって私、知らないんだけど、どんなところなの?」
とにかく回避だ。ひとりぼっちの話題から離れよう。
「……私にはあわなかったわ。だから、ずっとひとりだったの」
「そ、そうなんだ。つ、辛いよね。わ、私も、学校とかさ、あまりあわなくて……ずっとひとりぼっちだったからよくわかるよ」
「違うわ」
「……えっ?」
アリスは、しばらく何も言わず、足元のタンポポをむしり、ひっこぬいていた。
「……はたては、壁、って、みえる? 他人と、自分の間にある、見えない壁」
唐突に、アリスは言った。
「私がこの世界にやってきたのは、その『壁』のせいなの」
そして、彼女は話し始めた。
親は……決して悪い親じゃなかった。少なくとも、普通以上に私を大切に育ててくれたと思う。私だって、それをかんじていたから、ひねくれたりもしないし、期待にもこたえようとしていた。クラスメイトも……これといって悪い子がいたわけじゃないわ。別にいじめにあった覚えもない。教室では軽口を言って笑ったりもしていた。私は勉強もそこそこできたから、先生からも目をつけられることもなかった。それまでの私の生活は、決して悪くない生活だったと思う。
だけど……なんだろう。いつも目に見えない壁が私のまわりを隔てている……そんな気がしていたの。よくわからないけど……自分に見える世界と他人が見る世界とは、どこか決定的に違っている、そんな気がしたの。その壁は見えないんだけど、どうやっても壊すことができない。私は壁の中で、たったひとりで窒息しそうになっていたの。こうじゃない、私が見たい世界はこうじゃない、ってね。その違和感は強烈だった。それなりに優しい親、気のいいクラスメイト、寛容な先生、どれひとつとっても、ベストじゃないけどバッドじゃない生活なのに、もやもやもやしたものがいつも胸の奥に沈殿していたわ。
中学のとき、その壁のなかに入ってきたものは、ヒトじゃなかった。少しいかがわしい匂いがするモノだった。……黒魔術よ。魔術や魔法って、「あっちの世界」じゃそんなにメジャーじゃないわ。だから、黒い牝鶏やブタの死体とかなんて、そう簡単に手に入るものじゃなかった。でも、その結果、魔方陣から「魔の者」を召喚できたときは、うれしかった。「魔の者」たちは、どれもグロテスクな見かけをしていたし、なかには人間を食料や苗床としかみてないやつもいて、何度か危ない目にもあったけど、なんとなくその異形の者たちは、かわいかった。それに……ぐにょぐにょしてねとねとしたその姿は、なんだかちょっと、いやらしかったし。
深夜になると、そいつらを呼んでね、遊んだわ。「壁の中」には誰もいなかったから……人形たちを招き入れたのもその頃だった。魔術には契約書や生贄とかのためにたくさん血が必要だったし、やっぱり魔界のものと交わるのって生身の人間にはちょっと辛くて、その頃はよく病院に通っていたわ。ますます私は学校から遠ざかっていった。
夜は楽しかったけど……たったひとりの遊びだった。寂しかった。誰か仲間が欲しいと思った。たったひとりでいいから、私の遊びを理解してくれるひとが。「壁の内側」に来れるひとが。
向こうの世界で、たったひとりだけ「壁のこちら側」の人間じゃないかって思えたひとがいた。
……彼女は、ものすごく変わっていた。廃墟が好きで、つぶれたペンションとか、博物館とか、病院とかによく行ってるようだった。歌が上手で、よくビョークっていう、ちょっと変わった歌うたいの歌を口ずさんでいた。全身から変わり者のオーラがあって、実際にクラスメイトから浮いていたわ。
そんな彼女が、どうして学校を休んでばかりいる私に「夜廃墟に行ってみない?」と誘ったのか、今もわからない。もしかすると、彼女は私をからかおうと思ったのかもしれない。いつも青白い顔で、手首にいつも包帯を巻いている私を、「ちょっと変わった子を演じようとしている暗い女の子」と思ったのかもしれない。今考えてみるとね。
だけどその頃の私は思ったわ。穢れた負の気で充満している廃病院や廃墟は召喚時によく使うところだ。もしかすると、彼女も魔術が好きなのかもしれない。彼女も私とおなじようにひとりぼっちなのかもしれない。私とおなじ「壁のこちら側」なのかもしれない、ってね。
でも、他人のほんとうの心の内なんて、わかるはずもなかった。
廃墟の深夜、私は遊び相手だった魔の者の一匹を連れてきたわ。手足が生えたイソギンチャクみたいな見た目だけど、犬みたいに人懐こいやつで、とてもかわいいやつだった。
そいつを抱きかかえていた私をみると、彼女は悲鳴をあげた。化け物、と叫びながら、逃げてしまったわ。彼女は、変人のふりをしているだけだった。変わり者に憧れて変わり者を演じていただけだった。結局「壁の向こう側」の人間だった。
そのあたりから、私、「たが」が外れてきていた。私の噂も、ちょっとずつ広まってしまったしね。あれだけうるさかった親も私を避けはじめてたし。どこにも居場所が無くなってしまったから、学校を休んで部屋から一歩も出ずに、魔の者と遊んでばかりしていたわ。
今でも、あっちに残してきた部屋を親が見たときのことを考えると、ちょっといやな気になる。黒魔術と、自殺と、猟奇と、性倒錯の本でぎっしりと埋まった本棚。私の体液や毛がからみついた人形。いろとりどりの錠剤と注射器とバイアルが並んだ冷蔵庫。まあ、でもそのおかげで親は確信したんでしょうね。自分の娘はやっぱり狂っていて、樹海かどこかで死んでしまったのだとね。こっちに来てしばらくして魔人に聞いたら、とっくに向こうの私は死んだことになっていたみたいだしね。部屋も綺麗になって、今じゃ弟夫婦の物置になってるみたい。
そんな部屋のなかで、考えたの。たぶん自分は、頭のネジが外れているんだって。まともじゃないんだって。だから、ずっとひとりぼっちなんだって。だから、こんなに苦しいんだって。だから……魔人を召喚したの。代償を引き換えにこの世ならざる力を与えてくれる、別の次元からやってきた魔の者よ。
私はあいつにお願いした。力はどうでもいい。私を、あなたがいる別の次元に連れていってほしい、と。
魔人は言ったわ。代償は、私の未来だとね。それを支払うなら、しかるべき望みを叶えてあげましょう、って。
私は未来なんて欲しくなかった。ひとりぼっちの未来なんていらなかった。だからすぐにうなづいたわ。
「……それで、アリスは、ここにやってきたってこと?」
「そうよ」
「……この世界は、向こうに比べて、どうだったの? な、何も変わらなかったの?」
「そんなことない。この世界は、いいところよ。それこそ、夢じゃないかって思うくらい、ほんとうに、いいことだって、あったのよ」
「……そのひとつが、魔理沙さんと、出会えたことなの?」
アリスは、しばらく、押し黙っていた。
長い、長い沈黙がやってきた。春の涼しい風のゆるい音だけが、かすかに鳴っていた。
「……魔理沙はね」
彼女の、かすれた小さい声が、沈黙をやぶった。
「……魔理沙はね、びっくりするくらい、私を、なんでも受け入れてくれたの。はじめてだった。自分の魔法や、魔の者や、人形たちをみても、不気味がらず、逆に『すごいなあ』と言ってくれたひとは」
アリスは、かすかに微笑んでいた。
「その言葉が、ごまかしやまやかしじゃなくて、本心から、本心から言ってくれてるってことは、すぐにわかった。だって、そのあと……そのあとね、魔理沙、わたしのてを、にぎってくれたの。ぎゅっ、って、にぎってくれたの。私は魔法で大人の姿をしていたけど……それでもね、その手は、すごく、あたたかかったの」
それ以上、アリスは何も言わなかった。しばらく待っていたけど、もう、何もなかった。ちょっと遠い目をして、しあわせそうに笑っていた。そのときのことを、思い出すように。
それだけだった。
たった、それだけだった。
私は、息が詰まって、何も言えなかった。
信じられなかった。いや、信じたくなかった。
アリスが、死んでもいいとまで魔理沙さんを想う理由が、「自分を不気味がらず、手をにぎってくれた」だけだなんて。「夢みたいにいいこと」が、そんなちっぽけなことだなんて。
だとしたら、アリスは今まで、「そんなちっぽけなこと」が一切無縁の世界で生きていたことになるじゃないか。
そんな、そんなバカなことがあってたまるものか。
もしほんとうにそんな人生なら、あまりに悲惨すぎる。
「決して悪くない生活だったと思う」だって? そんなのは嘘だ。「自称変わり者」に本当の自分を少し見せてしまったあと、アリスのまわりはどんな状況だっただろうか? アリスは平然と話していたけど、自分の娘がいなくなって「やはり発狂して自殺したのだ」と確信する親なんて、いなくなった娘を死んだものとしてその部屋を物置に使わせる親なんて、私には理解できない。理解したくもない。
もし、私の嫌な想像どおりなら……アリスがいた世界は、地獄そのものだ。自分とは違うものを、理解できないものを排除しようとする悪意に満ちた最悪の世界だ。そんな世界にたったひとりでいたら「たがが外れる」に決まっている。頭がおかしくなるに決まっている。
信じられなかった。信じたくなかった。
だから、私は、祈るような気持ちで、聞いてしまったのだ。
「……魔理沙さんとは、それだけ、なの?」
またしても私は、言ってはいけない言葉を言ってしまった。
「ドン引きだよね。私も、そう思う」
アリスは笑っていた。
感情というものが一切無い、絶望的な笑顔だった。
彼女は、私の言葉を拒絶の言葉だと、理解不能のサインだと受け取ってしまったのだ。
「そうよ。私、魔理沙と話したことなんてほんの数回しかないの。全然魔理沙のことなんか知らないの。ちょっと優しい言葉をかけられて、手をにぎられて……それだけで、うれしくなっちゃったの。なのにこれだけ舞い上がってるんだから、ほんと気持ち悪いよね。ひとりぼっちのはずよね。友達なんてできるはずないよね」
アリスの目から、完全に光が消えうせていた。
「ま、まって、アリス、」
「気持ち悪い話をしてごめんね。こんな暗い昔話なんて聞きたくなかったよね。ごめんね」
アリスの手には、いつの間にか五寸釘がにぎられていた。
「いいよ。無理しないで。無理してわかったふりをされても、辛いだけだから」
彼女は、ゆっくりと自分の首まで持ち上げる。鋭い切っ先が、その白くほっそりとした首筋に当てられる。
「ち、ちがうよ! わ、わたしは、わたしは、」
「ごめん。もう、つかれちゃった。わたし、夢から醒めることにするわ」
「アリスッ!」
そのとき、アリスの背中のタンポポ畑の少し上の「空間」が「割れ」た。
黒い空間が黒煙のように噴きだすと、黒い影のような「何か」が黒い闇のなかからあらわれた。
そいつはどうやら大きな傘を持っているようだった。だけどその傘を差しているいる場所だけ、まるで夜のように真っ暗だった。だから、そいつの姿は影のようにぼんやりして、よくわからない。
長い髪をかきあげるようなそぶりをすると、
「久しぶりね」
と、その黒い影は言った。思ったよりも、よく通る綺麗な声だった。
「……それにしても、ひどい顔ね」
「……魔人。何しに来たの」
「危うく契約を破棄されるところだったからね。慌てて来たってわけよ」
「……契約?」
「あなたの未来をすべて私にくれる、っていう契約よ。おぼえているでしょう? だから、勝手に死なれても。困るの」
「……いいわ。あげる。あなたにもらった、おまけの夢の続きだもの」
「それは。誠に恐悦至極」
黒い影は、うれしそうに傘を、くるり、と回した。
「……この傘の下に入れば、すぐに連れていってあげる。二度と誰とも逢うことのない最果ての最果てにね。そこに行くと、あなたの未来は『終了』する。あなたの魂は運命の輪からはずれて、未来永劫、誰の姿も見ず、誰の声も聞けず、誰とも触れ合うこともないまま、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、上も下も存在しない虚無の空に漂い続けるの」
アリスの大きな瞳が、一瞬怯えるようにゆがんだ。
「……そんな話、はじめて聞いたわ」
「あなたは、未来を私にくれると言ったのよ? つまり、あなたの未来の所有者は、私なの。所有者が自分の愛玩動物をどうしようが構わないでしょう?」
傘の下の暗闇のなかで、黒い影の瞳が、鈍く輝いた。
笑っているのだ。
「死にたいんでしょう? じゃあ、もうどうでもいいじゃないの」
アリスは、胸に抱いた人形を、ぎゅ、と強く抱いた。
「……上海、ごめんね」
「シャンハーイ」と人形は応じた。彼女は、人形の髪を、やさしくなでた。
「……ありがとう。あなたと死ねるなら、寂しくないわ」
アリスは、影を、きっ、と見やると、影のもとへと歩み寄っていった。
「遅いわねえ。もっと早く来なさい」
傘の影から、魔人の金髪が伸びてきた。なめらかな髪はヘビのようにのたうちながら、アリスめがけて伸びていく。
その先端がアリスの腕や足に絡みついた。そのままずるずると引っ張られていく。
前方をみていた彼女が、突然「ひい」と声をあげた。
傘の下の、真っ黒い空間の奥を凝視したまま、凍り付いていた。
「怖いの?」
黒い影が、ささやいた。
「要らないはずの命が、惜しいの?」
「そ、そうじゃない。た、ただ……」
「大丈夫よ。あなたが覗き見たさまざまな眼球や口や牙たちは、一瞬にしてあなたを捕捉し、食いちぎってくれるから。痛みをかんじたころにはもうばらばらになっているから。だから、怖がる必要はないわ」
黒い影が、口元をうっすらとのばして笑っている。
「死にたいんでしょう? 終わらせたいんでしょう? さあ、来なさい。後悔する間も与えず、孤独ということを認識すらできないような虚無に誘ってあげるから。井戸の底よりも静かな奈落に招待してあげるから。あら、何を迷っているの? あなた、まさか勘違いしていたんじゃないの? 死は、甘美なものでもなんでもない。どこまでも孤独で、悲惨なものなのよ。さあ死になさい。あなたの求めるものは十歩先にあるわ。この子たちもお腹を空かせているじゃない。さあ早く、さあ、さあ、さあ、さあ!」
アリスは、大きく見開かれたままの目を、ぎゅ、とつぶり、上海人形を、強く抱きしめた。
そのまま、震える足を、よろよろと、前に進めようとした。
「アリス。やめなよ。こんなこと」
私の声に、アリスの歩みが、止まった。
「アリス、ほんとうに、これでいいの? あいつが誰なのか私にはわからないけど……あいつ、アリスが苦しんでいるのをみて、喜んでいるんだよ。あんなひどいやつの言いなりになって、死ぬの? こんな青空の、いい天気の日にさ、タンポポがたくさん咲いてる野っ原のどまんなかで、たったひとりで死ぬの? ……こんな、こんなの、寂しすぎるよ。やめようよ」
アリスは、こちらを振り向いた。大きな瞳をわなわなとふるわせている。
「あ、あなたに私のこと、なにがわかるっていうのよ!」
「そうよ。あなたにはこの子のことなんか、わからないでしょ? どうせただの他人じゃないの。だから、去りなさい。邪魔するなら、後悔するよ。あなたの大好きなお家に帰りなさいな。引きこもりの、自称新聞記者さん」
魔人がせせら笑う。
「なんで知ってるの、って顔ね。私は知ってるわ」
魔人は影のなかで光る両の眼のうち、右目に触れた。すると右目が大きく光ると、影の手のひらに移動した。
魔人の手には、ビー玉ほどの「眼球」がきらめいている。
「私の右目にはこの幻想郷の『永遠』が閉じ込められているの。つまりこの幻想郷のすべての時間軸がこのなかに存在しているってわけ。だから、幻想郷の過去も、現在も、未来も、私のなかにある」
そう言うと、魔人は再び眼球をもとの位置にはめた。
そんなバカな、冗談に決まってる。即座にそう思ったけど、声には出せない。この魔人には、そう言わせない凄みがあった。
「だから。あなたとこの子も、全部見ていたわ。ひどい子よねえ。あなたが無事にいるのはほんとうのたまたま、偶然にすぎないわ。あなたもわかるでしょう? ほんとうはあなた、取り返しのつかないひどいことになっていたわ。とっくに死んでいてもおかしくないし、さっきだって、なぶりものにされるところだったのよ」
アリスのからだが、びくり、と反応した。
「ねえ、どうしてこの子に肩入れする理由があるの? この子があまりにかわいそうだから? 確かにこの子の向こうでの生活は、あなたが想像するよりもずっとひどいものだった。ほんとうの孤独がどんなものか、あなたは想像できないでしょう? 世界の誰ともつながっていないことを確信しなければならない感覚なんて、あなたみたいなただ甘えからひきこもっているだけの天狗じゃ理解できるはずないわ。でもね、安っぽい同情ってやつなら……はっきり忠告しておくわ。トラブルに半端に首を突っ込むと、死ぬときもあるってね」
「ど、同情なんかじゃないよ」
「じゃあ何? あの変態天狗が言ったように、ほんとうにトラブルに巻き込まれる能力があるっていうの?」
「そ、そうよ! わ、わたしは……トラブルに巻き込まれる能力があるのよ!」
黒い影が、あはははは、と笑った。手に差した傘がくるくるまわっている。
「おもしろいわねえ、あなた」
傘がとまった。
影のなかで、幻想郷そのものだという右目が、ぎろん、と輝いた。
「でも、死ね」
いっせいに長い金色の髪が伸びてきた。逃げる間もなく私の手足に絡み付いてくると、ものすごい力で引っぱってきた。
くそう、そう簡単にやられてたまるか。私だって、私だって、やるときはやるんだ!
「ぬぐひっ! ぐぬぬぬぬう!」
私はもてる力をふりしぼって足を踏ん張った。
しかし次の瞬間、ずるずるずると何の抵抗もなく引き寄せられていく。
「あれっ?」
足元をみると、両足が、暗黒の裂け目に飲み込まれていて、途中から消失していた。
「悪いわね。めんどいことは、嫌いなの」
金髪に引っ張られて、私は、空中に放り上げられた。すると、私の前方の空間が裂けて、そのなかの暗黒から金髪が飛び出し、私の手足を縛り付けた。
無数の金髪によって空中に吊るされた私の下で、魔人が見上げている。ビー玉のような右目が冷たく輝き、その手に持つ傘の下の暗黒から、大きな牙を持つ口や、岩のような腕や、爬虫類のような冷たい目が、うぞうぞとうごめいている。
「ひ、ひいいいいいっ!」
私は必死になって手足をばたつかせた。すると、今度は腿と肘のあたりから裂け目に飲み込まれた。
暗黒に飲み込まれた四肢は、びくとも動かない。
私は、蜘蛛の巣にかかったハエのように、暴れることすらできなくなってしまった。
ざんねん! わたしのたびは これで おわってしまった!
……あまりにあっけなさすぎて、まるで現実味がなかった。まあこんなもんだよね。そんなにうまくいくはずないもんね。やっぱり無理しないほうがよかったのかな? そうかもしれない。結局私が死ぬのは何の役にも立たない。まさに犬死だ。あまりに無力で情けなくて悲しい。
だけど、そんなこと、わかっていたじゃないか。
私は無力だ。だから、いつも逃げていたじゃないか。
そして、いつも後悔ばかりしていたんだ。
「やめて! やめてよ!」
金髪に四肢を縛られているアリスが叫んだ。
「死ぬのは私よ! この子じゃないわ!」
「私は忠告したわ。なのにあの天狗はそれを無視したのよ」
「そ、そうだよ。あ、アリスは関係ないんだよ」
死の恐怖がどうしようもなく現実として押し寄せてきているけど、私は、なんとか笑えたと思う。
「わ、わたしは、トラブルに巻き込まれちゃうんだから。私自身のせいなんだから。だから、」
「バカなことを言わないでよ!」
アリスが叫んだ。ひどく、怒っていた。
「そんな言葉、あの天狗があなたを騙すための言葉じゃないの! あなたがトラブルに巻き込まれやすいのはね、そんな能力とかじゃない。あ、あなたが……あなたがね、や、優しすぎるからよ! 私なんて放っておけばよかったのよ! 私が勝手に死にたくなって、勝手に死ぬだけなんだからっ……」
「優しくなんかないよ」と、私は言った。声が少しうわずってしまった。
「私は、主体性が無いだけ。ひとに嫌われないたくないから、まわりにあわせようとしていただけ。私は、ずっとそうやってきた。そうやって、自分の言葉も何も持たず、ただ、なんとなくごまかし笑いをしながら、いろんなものから逃げてきたんだ。だ、だけど、そんなことは、もう嫌だから、そんなことして後悔するのが嫌だから、だから私は、」
私は何を話そうとしているのだろう? 頭がまっしろになって自分が何を話しているのかよくわからない。落ち着け。私が言いたいことはこんなことじゃない。もっと伝えたいことがあるじゃないか。
伝えなければならないことだ。そう、どうしても伝えなければならないことだ。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
「さ、さっきね。さっき、アリス、私に自分のこと、教えてくれたよね。ありがとう。すごく、うれしいよ。魔理沙さんだってこんなにアリスのこと、知らないでしょ? たぶん私はアリスのこと、一番いろいろと知ってるかもね。だ、だけど、さっきは、うまく言葉も出なくて、ごめんね。その、びっくりしちゃって、おかしな言葉が出ちゃって、」
下から、鳴き声とも鼻息とも唸り声ともつかないさまざまな声が聞こえる。裂け目のなかに棲むばけものどもだ。私を早くおろせ、とせがんでいるのかも知れない。怖い。怖い。怖い。ほんとうは死ぬのは嫌だ。そりゃ嫌に決まっている。自分は、今どんな顔で話しているのだろう? 落ち着け。
伝えるんだ。伝えなければならないことを。
私は、アリスを見据えた。
「アリス、ほんとうに、辛かったよね。ひとりぼっちなんか、嫌だよね」
アリスは、私を見つめていた。
「だ、だからさ、だから……ひとりぼっちで死ぬのなんて、やめよう? 死ぬのって、ほんとうに悲しいことなんだよ? 死んじゃったら、もう、だれにもあえなくなるし、だれも、あなたにあえなくなるんだよ! だれも、あなたに触れることもできなくなるんだよ! 私、いやだよ。アリスとこれでお別れなんていやだよ。私、今になってはっきりわかったんだ。私は、アリスともっと仲良くなりたかったんだよ。あ、アリスと最初に会ったとき、おぼえている? 単語を三つしかしゃべれなかったんだよ。そ、それが、これだけしゃべれるようになったんだよ。こんなこと、はじめてだったんだ。アリスとなら、もっと仲良くなれると思ったんだ。だ、だから、だから、アリスと、もっといろんなことを話して、いろんなことを知りたかったんだよ。友達になりたかったんだよ!」
アリスは、口を開きかけて、またつぐんだ。すごく悲しげな顔をしたまま、押し黙った。
「ねえ。これでこの天狗とお話できるのは、最後なのよ?」
魔人の声に、びく、とアリスは反応した。
「あなたは、それでいいわけ? あの天狗に、何か言いたいことはないの?」
「……い、言えるわけないわ。あなたの言うとおり、私はあの子に、いっぱいひどいことをしてしまった。あげく、巻き込んで……こんなことになってしまったのよ。言う資格なんて、私にはないわ!」
「資格とかなんとか、めんどくさいことばかり言ってばかりねえ。そんなことがほんとうに言いたいことなの? ちゃんとほんとうの言葉を言ってみたことがあるの?」
「……ほんとうのことを言ったら、壊れてしまうのよ。すべてが、壊れてしまうのよ」
「壊れないよ! ここは、アリスがいた場所とはちがう。もっとあたたかくて、優しいところだよ。言ってよ、アリスのほんとうの言葉を!」
アリスは、うつむいた。固く握り締められた彼女の拳が、ふるふると震えていた。
「……そ、そうよ……わ、わたしも同じだったわ。さっき、あなたが追いかけてくれたときだって、ほんとうはうれしかったのよ。い、今だって、はたてから、な、仲良くなりたいって言われて、す、すごく、うれしかったし。そ、そうよ、わたしも、あなたと……うまくやっていきたかったのよ。と、友達に、なりたかったのよ!」
「よし。じゃあそうしなさい」
私の手足を縛り付けていた裂け目が消えた。
うわあああああと私は自由落下していった。
ああ! たちまち わたしは 異形のかいぶつどものエサになってしまった!
と覚悟したけど、私のお尻はたんぽぽ畑の上にぽふん、と着地した。
しりもちしたまま、何がなんだかわからない私の隣で、アリスも呆気にとられた顔をしている。
ふああああん、と魔人がのびをしながら大きなあくびをした。「つかれたねむいよう」
ふっかふかのおふとん、おっふとんっ、と下手くそなメロディをつぶやきながら、魔人は裂け目のなかへ消えていった。
たんぽぽ畑には、私たちふたりだけが残った。
「……た、たすかった……の?」
ようやく、私は声を出せた。
「た、たすかった……たすかったんだよ、アリス! やったー!」
「ば、バカじゃないの? 私たち、まただまされたのよ!」
「えっ? ど、どういうこと?」
「あいつ、最初から私にこれを言わせようとしたのよ! そのためにあいつは憎まれ屋になったの。敵の敵は味方ってわけよ。私たち、あの魔人の手の上で踊らされていたのよ! くそー!」
「ああ……そうだったんだ。あのひと、ほんとうはいいひとだったんだね。アリスのために、そんなことまでしてくれたなんて」
「ち、違うわよ。あいつは私の未来を持っているから……私を生かして、もっと楽しみたいだけよ」
「なんでもいい。私はあのひとに感謝しているよ。だって、アリスに言いたかったことを、ぜんぶ言えたんだから。アリスは、どうなの?」
アリスは、私から目を反らした。
「だ、だまされて、おかしなことを言わされちゃったのよ。あなただってそうよ。『言ってよ、ほんとうの言葉を!』だなんて恥ずかしくて火が噴きそうなセリフ、普通じゃ言えないじゃないの!」
確かにあらためて聞くとかなり恥ずかしいセリフだ。うううと頬が熱くなってきた。
「た、確かにこうストレートに言わなかったかも知れないけど……言いたかったことは、全部ほんとうのことだよ! じゃ、じゃあ、アリスはさっきの言葉、うそっこだったっていうの? 私と友達になりたいってのは、うそっこだったの?」
アリスは、ちら、とこちらを向いたけど、すぐにまたうつむいてしまった。
「……そ、そうじゃない……けど」
かすれた声で、そう言った。
いつのまにか、頬が薄いピンク色になっている。もともとまっしろなので、まるで桃みたいだった。
「と、友達に、なってくれるんだよね?」
「……わ、わたしはっ」
アリスはあっちの方向を向いて、声を張り上げた。
「すごくめんどくさいのよっ。そ、それでもいいのっ?」
「うん。もう知ってるし」
「ちょ、もうちょっと言い方をオブラートに包んでよ!」
「ご、ごめん」
「……そ、それでもよかったら……いいわ」
「友達に、なってくれるんだね!」
アリスは、ずっとうつむいたまま、無言で、こくり、とうなづいた。
「や、やったー!」
「う、うるさいわよっ。た、たかが友達くらいで……舞い上がっちゃって……」
「じゃ、じゃあ、握手しようよ!」
「あ、握手?」
「そう。友達になった握手」
「そ、それが天狗の習慣なの?」
「そう。いつでも、てをつなげるための練習だよ」
アリスは、どぎまぎしながら、またうつむいてしまった。耳まで赤くなっている。私も顔が熱かった。はたからみれば、まるで愛の告白をしているようにみえるかもしれない。文にみられたら、ぜったい勘違いするだろうな。そんなことを思うと、余計に顔が熱くなってきた。たかが握手なのに。こんなに緊張しているなんて、ほんとうにバカみたいだ。
おずおずと差し出されたアリスの手を、私はぎゅ、とにぎった。
アリスの手は、とても熱かった。
だから、私は聞いてみた。
「ねえ。アリスの手、とてもあったかいよ。私の手は、あったかい?」
アリスは、私の手をにぎったまま、何も言わなかった。
そのうち、肩を震わせはじめた。
そして、人形のように整っている顔が、ゆがんで壊れた。百年の恋も吹き飛ぶような、ひどい顔だった。そして、その瞳から、おおつぶの涙が、ぼろぼろ、ぼろぼろと、こぼれてきた。
「うわああああああん」とアリスは泣いた。
めっちゃくちゃ泣いていた。放っておくと、からだじゅうの水分が無くなりそうなくらいな勢いだった。
ひゅうううん、と、春のなまあたたかい風が、アリスのリボンを揺らしている。金色のやわらかそうな髪の上で、揺れている。
すいこまれるように、揺れるリボンに手をのばした。そのまま彼女の金髪を、そっとなでてみた。とてもさらさらして気持ちのいい髪だった。すると、アリスのからだが、ちょっとだけこっちに寄りかかってきた。アリスのからだは、熱くて、ちょっとしめっていた。
このあと、私がアリスをなでている写真といっしょに「禁断の愛の調べ」という見出しの記事が文の新聞に掲載されて、そんな写真を見たアリスに何故か逆上されて五寸釘を持った彼女に追いかけられたり、かとおもったら突然心が折れたアリスが腹にダイナマイトを巻いて自爆しようとしたり、それをとめようとすると上海人形が何故か爆発したりとそんな日々が待っているんだけど、そのときの私は、ただ、アリスの金髪をなでながら、なんかこのひと猫みたいだな、とか、そんなことを考えていた。
アリスとはたてを孤独でうまく結びつけられていたと思います。
この二人の組み合わせは珍しいので別のエピソードをぜひ
読み応え充分でした。
この二人の組み合わせは意外な感じでしたが、素晴らしかったです。
正直、最初は地雷かなぁとも思ったのですが全くそんなことなかった
どもるはたてが可愛すぎて死にそうでした。少しやりすぎな気もするけどこの作品に限ってやりすぎなんてものはないね!
はたては正しく引きこもりで、アリスは正しく変態で二人とも孤独だった。それ以上も以下もない
余談ですが結構小説を読まれる方なんだなぁという印象を受けました。随所からね
>> するとアリスは、それを上空に放り投げた。
どーん、と音がして、青空に七色の煙がたちこめた。
「アリスの友達になり隊、参上!」
突然男の声が林の奥から響くと、木陰から着流しのおっさんが前転をしながらあらわれた。脇に日本刀らしきものを差して、頭にはチョンマゲを結っている。綺麗に一回転をしたあと、おっさんはその岩のようにごつい顔をぴくりとも変えぬまま、ものすごい速さのすり足でアリスの側まで寄っていった。
「ここにもいるぞ!」
「ここにも!」
「ここにもいるぞ!」
こことか才気癇走ってる。入隊してぇww
とても130KBとはおもえなかったです。ただちょっと字が詰まり過ぎてて読みづらいかな
個人的なレベルのもんだいですが
それはさておき、いやあ面白かった
こんなに長いのにかなりすらすらと読めたぜ
地霊ラーメン食べたい
創想話的にはアウトなのかもしれないけれど、はたてスキーとしては満点入れざるを得ない。
いじめられるはたてを見ていて、あんまり宜しくない類の高揚感が湧きあがってきました。
はたてのキャラは割と好きですが
笑いどころが容赦なくぶっこまれているにも拘らず全体としての一体感を損ねていないという
あとはたての性格付けが可愛すぎて悶えました
あと「つかれたねむいよう」の脱力感がヤバイ
陳腐なオチだしで勢いで書き殴ってみたけど途中で飽きちゃったって
風にしか見えなかった。
次作に期待をこめて少し辛めの点数で。
はたてが反論した時?射命丸が現れた時からですか?
はたてを監禁した時からずっとだとチルノ達は元のアリスの姿も知っていることになってちょっと解説不足では?
長編でありながら長さを感じない程に面白い作品でした
いろいろと目に付くツッコミどころは仕様と思われるので除去すると……
つまり読ませる作品だったのだよ!
それはさて置きこの幻想郷はもうだめだw
もろもろのアリスの行動が狂気の一言で片付けられない、ひとりぼっちのひとの心情が痛いくらいに突き刺さりました
それでいて内容もすごく面白おかしく、どうしようもない世界で、ときに悲壮であふれ、無力を感じてばかりなのに「だいじょうぶ」なんてその場しのぎの虚勢を張ってしまったり……
ひとりぼっちの感性がはたての言葉の端々からにじんでいて、最後のシーンは思わず快哉を叫んでしまうくらいの、言葉にならない感情が込められていて
笑ってしまうのに、素直に受け入れられなくて、やるせないというか、せつなくなります。素晴らしい作品をありがとうございました!
荒っぽい所が目立つ上に、少しクドいかなと思いましたが、はーたん可愛いかったから良いかな。
……ところで、文々。新聞を是非とも購読したいのですが、連絡先が書かれていませんね。
「なんかおっぱいだけとびでちゃったね」
がルーミアの発言か大妖精かで迷いましたが、後者ですかね。なんか笑いました。
それにしても文の尋問口調がたまらない。
はたてかわいい!
うーん。すごい素晴らしいSSです。
> さらさらヘアーの金髪少女が、はだかで、ドロワを頭にすっぽりかぶりながら、金髪のかつらをかぶった人形の服を股にはさんでいる。恥ずかしそうに赤らめながら、すごくうれしそうだった。
冒頭の変態アリスの描写で、「えぇ!?」っと驚き、ひきこまれました。意外性抜群です。これは抜群の吸引力でした。
そして、自分を冒頭でひっかけた後に、スムーズにさらなる展開(はたてがアリス宅に閉じ込められる)に持ち込んでいるのも良かったです。
スピーディーな展開で、かつ自分の予想をはるかに上回る度合で変態な行動をしていくアリスには、驚きの連続でした。飽きなかった。
しかし、ちょっと目についたのははたてがチルノ達の前と、紅魔館でレイプまがいな行為を受けるところでした。
少し生々しかったかな…。と嫌悪感を軽く感じはしました。(あとがきを読むと、特にそういう意図はされてないようでしたけど。)
ところで、はたてが紅魔館に侵入したところまで読みすすめたら、藍田真琴さんがこのSSをどういうオチに持っていくのか不安になってきました。
中盤のレイプまがいなエロ描写に「アリスとはたてはハッピーエンドになるのかな?」と戸惑いを覚え、
「ギャグや爆発でオチにするのか?、このままはたてが文にたぶらかされてトホホ…で終わるのか、、、?。できれば救いのあるENDであってほしい。
でも残り少ないページで無事にHAPPYENDに持ってけるのか…!!?」と最後まで2人がどうなってしまうのかハラハラしながら読みました(笑)。
無事にとても円満に終わって自分は今、とても清々しいです。
また、変態紳士達と魔理沙の出演のさせ方も見事だったと思います。スッと現れて読者に強い印象を残し、
ストーリーをグッと進めますが、すぐにアリスとはたてに舞台を譲って退場している。。。文も同じでしょうか。脇役の分をわきまえているところが良いです。
さらに、「地の文=はたての心の中、突っ込み」の文章がとても共感できて好印象でした。この地の文がはじめから最後まで一貫してぶれないのが良かったですね。
「えぇええええ!なんなの、この変態極まりないアリスは!?」という自分の予想を裏切るも、
「アリスとはたてはハッピーエンドになってくれるのかな…?」という自分の期待は裏切らない。
このSSは最高でした。100点を入れざるを得ない!
100点です!
アリスは黒魔術を覚えて幻想郷にスカウトされたけど、そんな能力も機会もなく一方的に「壁の向こう側の人間」と断罪されたその子が可哀想でたまらない。
この物語で本当に苦しんでたのは、自分の変わり者ぶりを殊更に言い立てるアリスやはたてじゃなくて、そういう変わり者ぶりすら否定されてしまったその子じゃないか!と感じて、何だか無性に怒りが沸いて泣きそうになった。