(椛が壊れ気味、あと若干やらしい描写を含むので苦手な人は注意して下さい)
犬走椛は狂っている。
犬走椛に、特別親しく付き合う仲の相手はいない。とは言え、それは孤独を好む故ではなく、椛も寂寥や孤独感に襲われることもあれば、少し人には言えないような欲望に溺れたくなることもある。
そうした相手を思うとき、椛は自分の規範として、あれこれと細かく条件をつけるつもりはない。相手によっては椛の側から合わせることが必要だろうし、何もかもが理想的な相手などいないものだ、椛はそう思っている。
椛は狂っている。椛が孤独な時思う相手、欲望を覚える相手は、そうした理想から真逆の部分にいる天狗なのである。椛の規範からすれば、真逆の相手。
傍若無人に傲岸不遜、世の誰もに、小馬鹿にしたような態度で接し、敬ったふりをしていてもその実本当の姿を誰にも見せない、そういう相手である。
なのに、惹かれてしまう。だからこそ、椛は狂っている。椛の感じる本能的な感情は、椛の常識からすれば狂気にしか思えない。
例えば、以前。山の哨戒中の事である。
山の一本杉の上、太い枝葉の上に、気配を感じ近寄ってみると、見慣れた顔が座り込んでいた。というより。
「寝ているのか」
そこでは、鴉天狗の新聞記者、射命丸文が幹にもたれ、睡眠を取っていた。近くの枝には文の使い魔の鴉が数匹、こちらは眠っておらず椛をじっと見ていた。
こんな木の上で支えもなく、度胸のあることだと椛は感じたが、同時にやはりこの人は、と憤るような、椛自身も良く分からない感情に襲われた。自由気ままで、時に危ういことだってひらりひらりと擦り抜けてやってしまう。こんな危ないところで平気で寝入ってしまう精神は、椛にはその象徴のように思える。
それにしても。椛は文に、更に近づいた。鴉が油断なく椛をじっと見ていたが、特別、行動には移さなかった。枝には文が足を置いているため、宙に浮いたまま近づく。っていうか足をこんなに上げていたら、ただでさえスカートが短いんだから風でめくれちゃうじゃないですかはしたない! 椛は足の上に、いつ遭難しても良いように持ち歩いている薄手の毛布を腰から下が隠れるように巻き、軽く紐で結びつけた。これで落ちることもなくなるし、破廉恥な魅力を辺りに振りまいて誰かを惑わせ狂わせることもあるまい。よし、と満足すると、椛は改めて文の顔を見た。
普段はわざと馬鹿みたいに振る舞って、相手を油断させているということを椛は知っている。だけど、その印象からは似つかわしくないほど、文は頭が回る。知識も多いし、そういう部分は、椛の尊敬出来る数少ない部分でもある。
だけど、普段の行動は行動だから、やっぱりどこか抜けているような表情の印象が強いのだが、眠っている文は、まるで瞑想をしているか、どこか悟りを開いたかのように清らかで、すぅ、すぅ、と小さく寝息を立てて、胸が呼吸に合わせて上下している。
目尻のラインや、ふわりと持ち上がっている睫毛などは、偏執的な造形家が完璧に設えた人形のようでありながら、あくまで自然のままの目であり、今、動き続ける表情から離れて閉じられている目は、いつもよりも際だって美しかった。
良く動く口も、今は動くことなく、半開きで、けれどそれが不格好に見えることもない。むしろ、少し幼げな可愛らしさであるように椛には写り、ますます魅力となっていた。
(……かわいい)
椛はぼうっと文を眺め続けた。普段から顔の造形については美少女(一部では少を省く)揃いの幻想郷でさえ、文は美しいと言って差し支えない相貌をしていた。だけど、普段はかわいいだとかそういう噂を聞くことは少ない。人を食ったような言動と、新聞記者という立場で好き勝手に振る舞うから、そんな風に見られることが少ない。悪く言ってしまえば、こんな風に黙って瞳を閉じていれば、ひどくかわいい。
そうでなくても、椛からすれば、普段とは違う姿に酔った。椛は普段から狂っている。だが、こういうことがあるたびに、違うベクトルへ、ベクトルへと、また新たな狂気が椛の中で目覚めるのである。こんなかわいらしいものがこんなところに放り出しっぱなしになっていると、文の可愛さにやられてしまう人が出てくるのではないかと、椛はいらぬ妄想にふけるのだった。
また、ある時は。犬走椛が部屋に戻ると、灯りがついていて、出て行く時つけっぱなしにしたはずもなく、寝室を探ると、眠っている文を見つけたことがあった。
文はどうしたことか分からないが、椛の家に侵入する方法をいくつも持っている。仕事帰りの椛を見つけては歩み寄ってきてぺちゃぺちゃ喋りながら、そのまま平気な顔をして上がり込む、休日に何の用もなく上がって来て座り込む、椛がいないならいないで、椛の家の、鍵の隠し場所を知っているから、勝手に上がり込むのである。
椛はそういう時、何を思えば良いか分からなくなる。正直なところ、文は美しいから、それだけで一つの価値であって、そういう美しい人が、側にいて、こちらの気持ちをお構いなしにでも、関わってくれるのは嬉しい。けれど、椛にとってみればイレギュラー。自分の力を頼みにしているから、他人に媚びることもへつらうこともなく傍若無人。友人に対してさえ好き勝手に振る舞う。いくら友人だからと言って、そういった部分をそのままにしておくのは、椛自身の規範に反する。
目の前ですやすやと眠っている文を、椛は見下ろしてみる。気持ちよさげに寝息を立てている文は、どうしてかふんわり微笑んでいて、なんかどうでもいっか、くらいに思ってしまうのである。
椛は文がこわい。
時々、自分を失ってしまいそうに感じるのである。自分が理想としている、迷惑の基準であるとか常識であるとか、そういうのが壊れていくような気がしているのである。なのに、文の前では、それが不快ではなく、むしろ快なることのようにさえ思えてくる。そういうとき、足下から狂気が這い上がってくるような、そうした感覚に囚われる。
だから、椛は憤る。自分を保つために。これは異常なことなのだ、愛しいからと引き受けては本当に狂ってしまうぞと。
「文さん、文さん。起きて下さい」
椛は言って、乱暴に布団をばさりとめくった。ベッドから叩き落とすくらいのつもりで乱暴にしたのだった。
その瞬間、肌色が眼前に広がって、椛は固まった。うぅん、と文は声を上げて横向きになり、僅かに残った布団に身体を潜らせた。だけど、綺麗な背中は、めくれた布団から晒されて、椛の前にあった。
文の裸の背中は、つるりと傷や汚れ、肌荒れなど一つもなく、撫でると陶磁器のようななめらかさを持って、掌に感触を残すだろうことが、視覚からでも受け取れた。さらさらと、これ以上ない触り心地だろうと思わせる美肌である。腰の辺りから、小さく畳まれている羽根が見える。
椛は見ちゃった、と思っている。文の裸。裸の文。くびすじ。さこつ。にのうで。わきばら。おへそ。(曲線が扇情的に映る首筋、鎖骨。細く、女の子らしい柔らかさを感じさせる二の腕、ほっそりとした脇腹、ほんの少しくぼんでいる可愛らしいおへそ)……おっぱい。桜色をした乳首。女性誰もが羨むような大きさはないが、その細身に似合うようなおっぱいだ。胸元から伸びて、肋骨を通り、脇腹へと伸びる細いウエストを強調する肢体に、その美乳は何よりも似合っていてああああああああ!
『見ちゃった、見ちゃった、見ちゃったんだよぉぉ』
椛は一瞬のうちの出来事を、記憶の中で完璧に再生しなおすことが出来た。完璧に過ぎる銘記であった。椛は狂っていた。その狂気は椛の感覚を鋭敏にした。今し方の映像は椛の脳内お気に入りフォルダにばっちり保存されている。
叫び出して転げ回りたいほどだったが、何とか抑え込んで視線を逸らし、頭を抱えてしゃがみこんだ。うぅぅ、と呻いて、ちらりと背後を見た。そこにはまだ文の背中があった。振り向いて何もなければ、トリップした末の幻覚として済ませることもできただろうが、その可能性も潰えた。
椛は諦めた。諦めることには慣れているのだ。文に歩み寄り、その美しい背に触れたい欲求をうずうずと抑えながら、布団を引っ張って文の肩がきちんと隠れるようにした。
そうして、居間に戻ると、炬燵の中で夜を過ごした。
後に、文にどうして裸だったのかを聞くと、『暑かったからです。椛、布団良いものを使いすぎではないですか? 椛にはもうちょっと薄いのでも充分だと思いますが』と言い放った。勝手な奴である。やっぱり迎合するには、尊敬できる部分が欲しい、と椛は思った。
またある時、椛は鬼に呼び出され、鬼の家に行ってみると、酔いつぶれた文が転がっていた。足をがばーっと開き、スカートのめくれ上がったあられもない姿である。興奮する前に呆れ落胆した。その後で椛は鬼に謝った。
「ご迷惑をおかけして、すいません」
「構わんさ、目が覚めたら言ってやるといいよ。鬼と飲み比べなんて、百年早いってね。ここに置いて行かれても迷惑だから、連れて帰ってやんな」
そう笑いながら鬼は言って、文の身体をぽぅいと玄関の外に放り出した。あとには椛と寝転ぶ文が残されて、これから背負って山を帰るのかと思うと、椛はがっくりとした。
文の身体は軽い。椛よりも背は低いし、何より華奢で細い。腕が椛の肩に乗るようにし、太ももを下から抱きかかえるようにして、椛は歩いて行った。
僅かな震動と共に背中の文が揺れて揺れて、そのたびに椛は押し当てられている二つの感触を意識せずにはいられなかった。
「…………」
無言。眠っている文が喋るはずもなく、どうしてか微妙な間のような気まずさが椛の中にわだかまった。どうしてか冗談を言って笑い飛ばしたりしたい気持ちになった。
「椛……」
椛はびくっとして思わず手を離しそうになった。文が語りかけてきたのかと思ったのだ。
「あ、文さん?」
「…………」
返事はなかった。寝言か、と椛が納得して、歩みを進めると、何度か文は椛の名を呼んだ。椛はもやもやとした。
「椛……、お願い、食べて……」
何をですか。
「食べて、お願い……私の嫌いな、お弁当に入ってる緑のギザギザ……」
「誰も食べないよっ!」
「ラーメン屋の店先で、自動で上下に上がり下がりしてるアレ……」
「もういいよ!」
「甘辛く煮た……ブルマー……」
「食べ物っぽいものですらなくなったよ!」
「いいですか……ブルマーは良く噛んで食べるもの、スパッツは飲み物のようにさらりと食べるものですよ……」
「もう何言ってんの!?」
滅茶苦茶なことを言う文の身体を、椛が少し乱暴に持ち上げて、態勢を整えると、文の頭が肩に落ちてきた。ふわりと頬に触れる髪の毛の感触にぞわぞわしたものを感じ、文のすぅすぅと言う寝息が聞こえ、酒臭い匂いが漂ってきた。椛は文に抱き着かれた格好のまま家までを帰った。朝になると椛のベッドに文が吐いてて椛は絶望した。やっぱり嫌いだこいつと椛は思った。
そう言った訳で、文は悪魔的に可愛く、椛の精神をどこか危ういところへ追いやろうとする。
椛は狂ってゆく途上なのである。そして、悪魔はまた囁くのである。
「椛、しばらく泊めてもらえませんか? 今、家が資料で一杯になって、とても踏み込める状態じゃないのです。今は原稿が忙しいし、落ち着くまで……」
いいですよと椛は返した。友人を泊めるのに躊躇は必要な後ろ暗いことは何もないし、文が真面目に言う時は、大抵切羽詰まっているのである。椛は長い友人歴の中で、その程度のことは理解していた。そして、少しの優越感に浸るのである。文は立場上、知り合い以上友人未満のような関わりの人間や妖怪は沢山いる。だが、椛には、一日以上の滞在を頼んで、迷惑をかけてもいいと思っている、それが椛には嬉しいのだ。
文が仕事中の椛を訪れてどこかに行ってから、椛はいつも通りに仕事をして家に戻った。家には既に文がいて、原稿を前にペンを走らせていた。挨拶も返してこれないほどなので、お邪魔だな、と思い、放っておくことにした。ホスト失格だとか罵られるような他人行儀は、最早友人としての二人の間には存在していない。
椛は文を放っておいて、お風呂に入ることにした。服を脱いで木枠で組んだ湯船につかると、一日の疲れが落ちてゆくようだった。肩まで身を沈めて目を閉じると、全身の力が抜けて良い気分だった。
途端にからりと扉が開いて、椛はびくりとして扉の方を見た。
「あ、椛、入っているんですね。入っているならいるって言って下さいよ。全く、気の利かない」
文だった。というか、今風呂に入ってくるような奴が、文以外にはいない。傍若無人に入ってきて、文は湯船に浸かり、椛の隣に座った。
「あぁ、気持ち良いですねぇ、生き返るようで」
「……何で入って来たんですか、私がいることに文句を言っていたのに」
「えぇ? もう脱いでしまったのに、面倒だからですよ。何を言っているんですか、まるで入ったら困るみたいに。私が男な訳でもないし、何の問題があるんですか。友人と風呂に入るくらい」
いや、問題だらけだと思うけれど。椛は思った。普通なら、風呂なんてプライベートな部分に、人は触れられたくないはずだ。友人は勿論、結婚した相手にでさえそう言った姿を見せたくない人は多いように椛は思った。
入ってしまったものは仕方がない。椛は文を見ないように、並んだまま時間を過ごした。何を考えても、はっきりとまとまらず、剥落するようにぼろぼろとこぼれ落ちていった。
椛の隣では文が天井を見上げている。ぼうっと力を抜いて、椛の隣に座っている。
風呂は無論一人用で大した広さがある訳ではなく、二人も入るといっぱいだった。余剰面積が少なければ少ないほど、二人は密着することになる。
椛は努めて何だこいつ鬱陶しいな、と思い続けた。椛自身の意志に反するものだったが、ふにふにと柔らかい肌をぎゅっと抱き着くような距離で与えられ続けていると、狂気の浸食を感じられるのだった。目を逸らし、この感触は文の自儘な気紛れによってここにあるのだ、私に与えられたものではないのだ、と椛は思い続ける他はなかった。
それにしても、と椛は思う。一瞬、ちらりとしか見なかったが、水温に煙る空気の向こう、文の肌は灯りを受けて白く輝くようだった。首筋にかかる髪を簡単に結い上げているのも初めて見る姿で、生活感があって生々しくて、どうしてか妙にいやらしかったうおおおおお!
今の一瞬で椛の眼前には、布団に寝転び、顔を紅潮させて物欲しげにうるんだ瞳で見上げてくる裸の文の姿がまざまざと浮かんで、煩悩を祓う為に、そしてそんな想像をする自分自身に罰を与える為に、今すぐ壁に頭を何度も打ち付けたくなったが、文がいたので出来なかった。代わりに、文に向き直った。
「文さん」
「何?」
「先に上がりますね」
文はうん、と答えて、椛は逃げ出した。こうして椛はようやく脱出に成功したのだった。
椛の後に上がって来た文はがしがしと乱暴に頭を拭いて、下着を身につけた。小さなフリルのついた、特別珍しくもないショーツとブラだ。色は白。
「さて」
文はそう一言呟き、机に原稿を広げてペンを握った。原稿が忙しいのは本当らしい、ってそうじゃなくて。
「文さん、その格好で過ごすんですか?」
「だって着替え持って来てないんですもの」
椛は絶句した。
「もしかして、その下着も着てたやつじゃないでしょうね」
「はい。だってないですから」
「信じられない!」
椛は自分の下着、どれでもいいから掴んで渡そうと思ったけれどちょっと躊躇してしまった。結局黒のブラとショーツを手渡して、やっぱりピンクとかの方が可愛かったかなと思った。
「着替えて下さいよ、昨日の下着使い回したりしないで。凄い匂いがするようになっても知りませんよ」
「え、いいんですか? 私、返すの面倒だから貰いますよ。あ、でも着替えるの面倒だな。やっぱりいいです」
いいから、と椛が凄むとぶつぶつ言いながら文は着替えた。文の下着は(物凄く、とてもじゃないが100kbじゃ語り尽くせないくらいの)葛藤の末に脱いだ文の服のポケットにしまった。
それと、やっぱり文は白より黒の方が似合うと椛は思った。どうしてだろう、羽根の黒さと親和して、それから肌の白さとコントラストになるからかもしれなかった。黒い下着の文は大人っぽく引き締まった印象を見せる。細く見えるのも強調されているかもしれなかった。椛にとってはすごく似合っていてその文の姿は椛のお気に入りフォルダに保存された。
「じゃあ」
「いえ、パジャマも出すので着て下さい。その格好じゃ風邪を引きます」
風邪も引くし、椛の精神衛生上非常に良くない。ただでさえ下着姿でうろうろされて、狂っている自分に気付かないようにしているのだ。だけどそうしていても狂気は這い寄る、それも逃れる為の努力をしていないからより性質が悪かった。
「暑いからいいです、そのうち着るのでその辺りに放り出しておいて下さい」
ペンを動かし始めた文は、椛をもうすでに見ていなくて、やがて何も見なくなった。椛は溜息をついてもういっそ眠ってしまうことにした。勝手にすればいいさ、と思った。どのみち好き勝手にするんだから。椛は居間にお客さんが来た時用の布団を用意して、寝室に戻った。
夜半、ばさりと布団が捲りあげられて、椛はびくりと目を覚ました。
目の前に文の顔がある。下着姿で、ベッドに腰掛けて、椛の顔を見下ろしている。寝ぼけ眼、驚き混じりの目で椛は文を見上げている。風呂で脳裏によぎった、うるんだ瞳の文。
文がゆっくりと身体を下ろしてくる。椛に重なるように、胸を合わせて、文は椛の上に倒れ込んだ。
「椛」
おやすみ、と。文は呟き、頭を椛の頭の横に落としてしまうと、途端に力が抜けて、眠りに落ちた。
椛は眠たかっただけか、と思ってから、どうしてか安心しているような自分を見つけてもいた。キスされるかも、とか一瞬でも考えたこと。だけど、文はもう寝息を立てていて、それで良かったような気もしている。
キスなんてされたらどうなるんだろう。そう考えるとドキドキする。
灯りもつけっぱなしで、と思った。寝室に繋がる扉からは光が漏れていて、椛は一度文を下ろしてから灯りを消しに居間に行き、灯りを消す前に、机に置いてある、綺麗に並べられていた原稿用紙とペンを見た。
整い具合からして、ちょうど終わったところらしい。一仕事を終えた後の落ち着きのように見えて、椛は好意を持った。文はあれで、適当なように見えて、仕事にだけは真摯だから、そういうところは数少ない尊敬できる部分かも知れない。椛はそう思う。
ベッドに戻り、手探りで布団を被る。文の首を探して、その下に手を差し入れると、見えないけれど、キスの出来そうな距離に文の顔がある、と思った。何だか不思議な気分だった。
おやすみ、文。
犬走椛は狂っている。
正直なところを言うと、椛は人を小馬鹿にして、新聞を書く自分をまるで特別な何か、オンリー・ワンであるかのように振る舞い、好き勝手に生きる射命丸文を毛嫌いしている。だけど、椛は素のままの射命丸文が愛しくてたまらないのである。これは正しく狂気である。
椛は二重の意味で狂っている。一つは自分の規範から外れる相手に愛情を覚えていること、もう一つはこれほどに恋い焦がれること。
常識を持った一天狗としての自己を完全に否定する存在を受け入れている。それも素直に、何の疑問もなく。犬走椛は、射命丸文を愛しちゃっているのである。
――おまけ
「ねぇはたて、聞いてくれませんか」
「聞いてくれませんかも何も、もう炬燵にまで勝手に入ってきて座り込んで、もう話す気満々でしょ。聞かないって言っても勝手に言うでしょ」
「私、椛に嫌われてると思うんです。こないだ一緒にお風呂に入っても一度も目を合わせてくれなかったし」
「いや、一緒にお風呂入るって時点で充分仲良いでしょ」
「部屋にいてもあんまり喋ってくれないんです。私の方も、口を開いたらつい憎まれ口を叩いちゃって。これはもう職業病ですね。素直に喋ると隙が出来て、どうにかなってしまいそうで」
「部屋にいて、黙ってても平気っていうのは生半可な仲じゃ出来ないからね?」
「あ、でもこないだ腕枕してもらっちゃいました。椛の顔がすぐそこにあるかと思うとドキドキして、キスしたくなっちゃうんです。でもしたら嫌がるだろうなって思うとできなくて、結局してないんですけど、こんなことを考えてるの椛が分かったらっていうかあの子頭が良いからきっともう分かってます。私、絶対椛に嫌われてます」
「……あとさ、さっきから実は椛私の家に遊びに来ててさ。トイレ行ってただけだから、今戻ってきて、さっきからそこにいるんだけど、知ってた?」
え、と文が振り返る。そこには紅い顔をした椛が立っていて、文はその事実を認識すると同時に飛び上がって窓枠に手を掛けた。
『私、文さんが好きなんです』
急制動に文の動作が止まる。ゆっくりと振り返ると、椛もまた驚いた顔をしていて、はたてが携帯電話を掲げている。
『ほんと、自分でもおかしいんじゃないかって思うんです。よりによって文さん。仕事熱心ですけど、あの人ちょっとおかしいです。人に迷惑を掛けても平気な顔をしてるし、だらしないし、誰に対しても敬意を払わないし。私、あの人と初めて会ったとき、何があっても付き合いたくないって思ってました』
椛が、はたての携帯を奪おうと取っ組み合いをしている。携帯は椛の声色を奏で続け、文はそれに聞き入るしかなかった。
『……でも、どうしてか、好きなんですよね。理由はいくつも考えられると思います。あれだけ自尊なのも、仕事の為には色んな人と渡り合わなくちゃいけないから、そういうのを演じてる部分もあると思うし、仕事に対しては真っ直ぐで、そこは尊敬できるから。それに、単純に、とても綺麗で。まるで、私みたいなのが触れたら、そこから濁っていって、平凡な俗物になるのじゃないかと思うほど。……自分じゃ釣り合わないって分かってても、あの人は、どうしてか……好きでいさせてくれる、ってそう思えるんです。きっと、私、おかしいんです』
はたてが椛を押さえつけている。携帯はもう喋らない。
「携帯の機能の一つにボイスレコーダーってのがあって、音声を録音できるんだよ。蓄音機みたいなもの。それで、椛が休暇だって言うからお酒に誘ったら、文のスキャンダルっぽいこと言うからこれはネタだと思って録っといたんだけど」
はたてが椛を離し、立たせると、文と向かい合わせる。
「それで。あんた達、どうすんの?」
犬走椛は狂っている。自分の規範に似合わぬ相手に恋い焦がれている。
射命丸文もまた狂っている。射命丸文もまた、付き合うならば多少性格に難があっても、独創的で、互いに高め合っていけるような間柄が良いと思っているのに、事実焦がれているのは犬走椛なのである。
もう結婚しちゃえよ、お前ら。
もう結婚しちゃえよ
椛も文も可愛すぎるよォォォォ!!!
ヒャッホウ!
あやもみ万歳。
もう結婚しなよ君たち
で、式はいつかね?
んで式はいつよ、仲人のはたてさんよ?
椛や文の「かわいい」という一言で表せる魅力を、丁寧に綺麗に優しく、二重三重に重ねて地の文で描写されていて、「かわいい」がどんどん広がるように感じます。
ぺちゃぺちゃ喋りながら上がりこみ、大股開いて酔い潰れ、人の布団にゲロり、さっき脱いだパンツを穿き通す文のかわいさといったら。
無用で破廉恥でむっつりな心配ばかりをする椛のかわいさといったら。
一生分書いたからとおっしゃらずに、機会があったらまたあやもみ書いてみてくださいな。
こう、淡々とくどいと感じるくらい地の文が続くスタイルのSSが大好物なので、すっかり作者さんの描写が癖になりましたw
長文失礼しました。
まあ、とりあえず結婚しろ。
御託はいいんだよさっさと結婚しろていうかしてくださいお願いします(狂気)