Coolier - 新生・東方創想話

多々良小傘の死に至る病

2012/04/08 10:21:16
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◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 小傘は大木の枝の中に息を潜め、目を細めた。
 獲物を目の前に舌なめずりをするのは三流のすることだ。だから、彼女は心を冷やし、牙を研ぐ。
 物音一つ立てず、気配を押し殺す。そう……虎だ。虎になるのだっ!
 小傘の視線の先、林道を歩くのは、いかにも気の弱そうな妖怪兎だ。しかも何か思い悩むことでもあるのか、少し俯いてとぼとぼと歩いている。何にしても心ここにあらずという感じで、それは油断以外の何ものでもない。格好の獲物だ。
 天候は快晴。小鳥の鳴くのどかな空間。
 しかし、それももうすぐ終わろうとしていた。
 獲物の妖怪兎が彼女の隠れる大木の下を通り過ぎていく。こちらに気付いている気配は全くない。
 いける。これならいける。
 数秒後には、獲物の甲高い悲鳴を堪能することが出来るに違いない。
 絶好のシチュエーションに、小傘は成功を確信した。
 枝の陰から、獲物の背後へと飛び降りる。コンマ数秒の落下感。

“驚け~っ☆”

 そう叫ぼうとした瞬間。小傘の意識はぷつりと途切れた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 永琳はこめかみに人差し指を当て、小さく溜息を吐いた。
 医務室の中、椅子に座る永琳の前で鈴仙は正座をし、身を小さくしていた。
「……つまり、帰り道にこの妖怪に襲われて、思わず反撃したらこうなったと……そういうわけね?」
「はい」
 永琳は視線を鈴仙からその奥にあるベッドの上に移した。鈴仙も共に視線を移す。そこでは多々良小傘が額に大きなコブを作って眠っていた。応急処置として、コブには水で濡らしたタオルが当てられている。
「襲われたって………まだ何もされていないんでしょう?」
「しかも『お』とか何か言っているのしか聞こえていないうちに反撃するものねえ、鈴仙は。額と心臓を狙い澄まして弾幕を撃ち込んで。今度からイナバ13とでも名乗ったら? 恐いわね。今度から鈴仙に悪戯するときは私も気を付けないと」
「だ、だってっ!? いきなり後ろから現れたのよ? 仕方ないじゃないっ! 戦場では一瞬が生死を分けたのよ?」
 じっとりと湿った視線をぶつけてくる輝夜とてゐに、鈴仙は反論する。
「ウドンゲ。患者が寝ているところで騒がないの」
「う……うう、はい」
 たしなめる永琳に、騒いだのは輝夜とてゐも一緒なのにと、鈴仙は釈然としないものを感じた。いつものことだが。
 薬をほとんど売ることが出来なくて落ち込んでいたところに、この仕打ちというのは正直堪える。
「ん? ……んんぅ?」
「ほら、鈴仙が騒ぐからその娘、起きちゃったじゃないの」
 明らかに自分のせいだと非難がましく言ってくる輝夜の言葉に、鈴仙は心の中でさめざめと泣いた。
 この世に神も仏もいない。いや、いるにはいるけれど、まるで救ってなんかくれやしない。
 鈴仙は、もう一体誰に祈ればいいのやらと、切ないものを感じた。
「あ? あれ? ここは? って……痛っ!?」
 小傘は額のコブを右手で押さえ、左手で胸を押さえた。
「あなた覚えている? ウドンゲを襲おうとして、返り討ちにあったらしいけれど」
「襲う? 返り討ち?」
 その言葉にきょとんと小傘は目を丸くし、鈴仙に視線を向けてきた。鈴仙は複雑な表情を浮かべる。
 やがて、永琳の言葉の意味を理解したのだろう。小傘はがっくりと肩を落とした。
「そ……そんな馬鹿な。完璧なタイミングだと思ったのに……今度こそ……あんなにも無防備に見えたのに……」
「まだまだ見る目が甘いわね。こう見えて、鈴仙は血と殺戮に飢えた狂気の兎よ? 命があるだけまだマシってものなんだから」
「姫様っ! さらっと嘘を言わないで下さいっ!! 狂気以外合ってませんっ!」
 思わず鈴仙は吠えるが、その耳に永琳の溜め息が聞こえてきた。
「ウドンゲ。静かにしなさい」
「…………はい」
 どうすればこの理不尽な状況から抜け出せるのだろう? 鈴仙がその答えを考え始めてもうかなりの年月が過ぎたと思うのだが、まだその答えは出せなかった。
 取り敢えず、何かある度にツッコミを入れてしまう自分の性格が恨めしかった。
「ところであなた、名前は何ていうのかしら?」
「名前? 多々良小傘」
「多々良小傘……と。種族は妖怪で……見たところ唐傘お化けだと思ったんだけれど、それでいいのかしら?」
 小傘が頷くのを見て、永琳はカルテの上で筆を滑らせた。確か、まだ名前の欄が空白になっていたはずだ。そこを埋めたのだろう。
「じゃあ、やっぱりウドンゲを脅かそうとしたのって妖怪としての性ということかしら?」
「妖怪としての性だし、食事でもあるわ」
「そういうのは普通、人間相手にやるもんだと思うけれど……。はた迷惑な」
「それはその……最近はもう、選んでいる余裕が無くて」
 鈴仙のぼやきに、小傘は溜息を吐いてきた。
「選んでいる余裕が無いって……、それ、ちゃんと食事は摂れているの?」
「うう……それが……まっとうな恐怖はもう何日も……、で、でも、私も妖怪だからそう簡単には死にはしないし。それどころか、むしろ最近は体が軽いっていうか、そんな感じだから……それに、空腹感っていうのもあまり感じなくなってきたし、恐怖以外だってご飯にはなるし」
 ベッドの上で、小傘は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべていた。
 しかし、それとは対照的に、永琳が神妙な表情を浮かべる。
「師匠?」
 その張りつめた雰囲気に、鈴仙は小首を傾げた。輝夜とてゐも、その様子に顔を見合わせる。
 顎に手を当てて、永琳は小傘に訪ねた。
「ちょっと訊いていいかしら? あなた、どれくらいの間、人間を脅かせていないの?」
「え? ええ? え~と……どれくらいだったかなあ? 確か……ここ一ヶ月は全然脅かせてない。う~ん、二ヶ月くらい?」
「じゃあ、その前は? どれくらいの頻度で、人間を脅かせていたの?」
「ええっと……いつも、だいたい一ヶ月か二ヶ月に一度くらい……だったかなあ? うう、もっと少なかったかも」
「…………そう」
 小傘の返答を聞いて、永琳の表情に険しいものが混じった。
 その様子に、小傘の額に冷たい汗が浮かぶのが見えた。鈴仙もまた、緊張に身を強張らせる。
「あなた、最近は体が軽いとか、空腹感を感じないとか言っていたわね? それは、生まれたときからそうだったの?」
「そんなことは……確か、無かった。前はもっと……お腹空く頻度は多かったし、空腹感も強かった」
 恐る恐る、小傘は答える。
「あの……私、どこか悪いのでしょうか?」
「それはまだ分からないわ。ただちょっと、気になることがあるから、検査してみましょう。ウドンゲ、棚から注射器を持ってきて頂戴。一番小さいのでいいわ」
 小傘の顔がちょっぴり青くなった。ひょっとしたら、注射は苦手なのかも知れない。そう鈴仙は思った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 検査とは言っても、それほど大がかりなものではなかった。身長や体重、聴力や肺活量といったような、ほとんどが健康診断の様なものだった。
 しかし、その結果がどういうものなのか、師を手伝った鈴仙にも相も変わらず分からないままであった。小傘も同様だろう。
 取り敢えず、注射がそれほど痛くなかったようなので、それだけでほっとしたようだったが。
 小傘は再び、永琳の前に座らされていた。
 その隣で、鈴仙も彼女の診断結果を聞く。
「多々良小傘さん。落ち着いて聞いて下さい」
「は……はい」
 真剣そのものといった永琳の眼差しと口調に、小傘は気圧されながら頷く。それを見守る輝夜、てゐも緊張を隠せないようだった。

“すみませんが、しばらく私達の目の届くところにいてください。このまま放っておくと、あなたの命に関わります”

「えええええっ!?」
 永琳の宣告に、小傘の顔は蒼白になった。
「どういう事ですか? 師匠? あの? ……ひょっとして、私のせいですか?」
「違うわウドンゲ。あなたが原因ではないわ。これから説明します。ですから、落ち着いて」
「は……はい」
 こくりと、小傘は頷いた。
「まず、あなたが抱えている問題を説明します。小傘さん、あなたは今、重い栄養失調……いえ、敢えて名前を付けるなら、恐怖失調症に罹っています。長く恐怖を摂取しない生活を続けてきたせいで、体のバランスが崩れているの。妖圧も上が94で下が34と、危険な水準ね。妖力消費量も、あなたの本来あるべき水準値から大幅に落ち込んでいて、これは……その姿で活動出来るぎりぎりのところです。体が軽いとか、空腹を感じないというのは、その生活に慣れたというのではなく、妖怪として活動する意識……精神、存在しようとする力、そういった類のものが希薄になっているために起きているのよ」
「そんな……。じゃあ、私はどうすれば? このまま、私……わた……え?」
 ぽろりと、小傘の目から涙が零れた。最悪の結果を予感したのだろう。
「別にまだ死ぬと決まったわけじゃないわ。それに……経過を見ないとはっきりとしたことは言えないけれど、明日あさってにいきなり死ぬとかいう可能性は低いでしょう。しばらくは猶予があるはずです。自力で動けないほどの末期ではないのですから。だから、希望を捨てないで」
 絶望に俯きかける小傘の肩を、永琳は強く掴んだ。
「人間を脅かして、きちんと恐怖を摂取することさえ出来れば、きっと……それもすぐに治ります」
「は……はい。分かりました」
 顔を強張らせながらも、小傘は頷いた。すぐに死ぬことだけはないという永琳の言葉に、すがれるものを見出したのだろう。
「それじゃあウドンゲ。しばらくの間、彼女の面倒を見て頂戴。よろしく頼むわよ」
「えええ? 私ですか?」
 鈴仙は自分を指差した。
「他に誰がいるの?」
 首を傾げる永琳。
 そして鈴仙も自分を見る面々を見返す。そして理解する。確かに、自分以外にやってくれそうな人はいなかった。
「はい。分かりました」
 小さく息を吐いて、鈴仙は頷いた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 小傘にご飯を食べさせた後、鈴仙は入院患者用の部屋へと彼女を案内した。食事については、本当は恐怖を食べさせるのが一番なのだろうが、それでも何も食べさせないよりはマシだろう。
「私達のお昼ご飯の残りでごめんね。急だったし、時間も中途半端だったから」
「ううん、そんなことない。すっごく美味しかった。こんなにも美味しいご飯を食べたのは久しぶりだよ」
 小傘はにっこりと笑った。それに対して、鈴仙も微笑む。ただ、小傘の食生活がちょっぴり心配になったが。
 障子を開けて、鈴仙達は通路から部屋の中に入る。そして、鈴仙は押入に向かった。
「ん……しょっと」
 鈴仙は押入から布団を取り出して床に敷いた。
「もう寝るの? まだ日も高いよ?」
「確かにそうだけど、何もしないのなら、動き回るよりは安静にしていた方がいいんじゃない? それに、様子見っていう感じだから……そこまで深刻に考えないで」
「う……うん」
 続いて、鈴仙は行李から寝間着を取り出して小傘に手渡した。
「じゃあ、これに着替えて。楽な格好にしていた方がいいでしょ?」
「うん、分かった」
「……私が気になるなら、後ろ向いているけど?」
「ううん、別にいい」
 そう言って、小傘は唐傘を床に置き、服を脱ぎ始めた。
 上着を止めている紐の結び目に手を掛け――
「あ? あれ?」
「どうしたの?」
 小傘は自分の胸元を見ながら、指先で何度も紐を弄くる。しかし、そこで彼女の動作が進まない。
「あれ? おかしいな? 指先が……あれ?」
 小傘の額に汗が浮かんだ。指先が上手く動かないのだろうか? ぷるぷると痙攣して、紐を摘むことが出来なかった。紐を引っ張ろうとしたところで指が紐から離れてしまう。
「ごめんなさい。あれ? 私、巫山戯ているわけじゃなくて……あれ?」
「分かっているわよ。そんな真似、わざと出来るわけないじゃない」
 指先を自分の意志で震えさせるようなことは出来ない。だから、小傘が冗談でやっていないことも、それが彼女の体調不良によるものだということも鈴仙にはよく分かった。
「ちょっとっ!?」
「あ、あれ?」
 不意に、ふらりと小傘の体が揺れた。
 慌てて鈴仙は倒れそうになる小傘の体を抱き留める。
「ご、ごめんなさい。でも、さっきまでは何ともなかったのに」
 狼狽える小傘を前に、鈴仙は神妙な表情を浮かべた。
「ねえ? ちょっとこの傘をもう一度持ってみてくれない?」
「うん」
 鈴仙は小傘の傘を拾って、彼女に渡した。
 小傘は自分の傘を掴む。
「試しにそれを持ったまま紐を摘めるか試してみて?」
 こくりと小傘は頷いて、試してみる。
「あ……今度は摘めた」
 するりと紐は解けた。上手く指を動かせたことに小傘は安堵する。
「でも、どういうこと?」
「うーん……さっきまで大丈夫だったって事は、その傘が関係あるんじゃないかって思っただけなんだけど。妖怪によって様々だから、必ずしもそうだとは言えないけど……ひょっとしたら、小傘さんにとっては、その傘がこう……妖力とかの貯蔵庫みたいな役割を果たしているのかも。小傘さんに心当たりがあるかどうかは私には分からないんだけど」
 しげしげと、小傘は自分の傘を眺めた。
「そう……なのかも。この傘は、私が生まれたときからずっと手にあって……あんまり長く手放すと不安になるもの。置き忘れたり、無くすことはないし、いつもどこにあるか何となく分かるし」
 それはつまり、この傘は彼女にとっては自身の一部であり、そして彼女にとってどういう意味を持つ存在なのかを本能的に伝えているということなのだろう。
「でも……だとしたらどうしよう。このままだと、私……着替えることが出来ないよ」
 傘を持ったまま、服を脱ぐことは出来ない。小傘は小さく溜息を吐いた。
「心配しないで、そんなことなら私が着替えさせてあげるから。ほら、ちょっと傘を渡して? 今度は倒れないように気を付けてね?」
 頷く小傘から、鈴仙は傘を渡してもらった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 小傘を着替えさせ、彼女を布団の中へ入れる。
 取り敢えず、傘もあまり手放さない方がいいだろうということで、一緒に布団の中に入れている。どういう扱いにするべきかは、鈴仙は永琳に後で相談するつもりだが。
 鈴仙は小傘の枕元に座った。
「そんなに不安にならないで。私達も協力するから。師匠も言っていたじゃない? 恐怖さえ摂取すればすぐに治るんだから」
「……うん。ただ……ちょっとね?」
「何かしら?」
「その……お布団がふかふかで居心地がいいんだけど、こういう風にされる事って、生まれて初めてで……。だから、そんなにも私って危険な状態なのかなって、思っちゃって……。あはは、ごめん。変なこと言っちゃって」
 苦笑を浮かべてくる小傘に、鈴仙は少し切ないものを感じた。彼女も、苦労しているのかも知れない。
「でも、これからどうしよう? って……ああああああ、ダメだダメだ。『どうしよう?』とか、そんな患者さんを不安にさせるようなこと言っちゃったらダメじゃないの」
 小傘の体を治す方法をきちんと考えてますという態度を見せようとして、それがその実まだ何も案が無かったという事実を伝えるだけだということに気付いて、鈴仙は頭を抱え手首を横に振った。
 師匠に見付からなくてよかった。永琳に見付かったらまたどんな風にお説教されることやらと、鈴仙は思った。
「え、え~と。ごめん、変なこと言っちゃって。えっとね? とにかく私が言いたかったのはそういうことじゃなくて、小傘さんが恐怖をきちんと食べられる方法を考えなくちゃいけなくて……小傘さんにもうちょっと、話を聞きたいんだけれど、いいかな?」
「うん。それはいいけど」
 鈴仙を見上げて小傘が頷く。
「私が聞きたいのは、これまで小傘さんがどうやって人を驚かせていたのかっていうことなの。今までまったく驚かすことが出来なかったわけじゃないんでしょ? だったら、上手くいったときのことを分析すれば、何とかなるんじゃないかしら。あと、失敗は失敗でその原因を探れば成功への近道になるんじゃないかしら?」
「あ……うん、そう……何だけど……」
 小傘はちょっとだけ渋い表情を浮かべてきた。
「で? それで、小傘さんは今までどうやって人を脅かしていたの?」
「う~ん。だいたいはやっぱり、隠れていた物陰から突然飛び出して『驚け~☆』ってやる……かな」
「あー、私にやったみたいに?」
 小傘は頷いた。
 鈴仙は腕を組んで小首を傾げた。
「ちなみにそれ、成功率はどれくらい? いや……お師匠様に言っていた通り、低いんだろうなとは……あ、うん、何でもない。これ以上聞かないからそんな顔しないで」
 しょぼくれた小傘の表情に、鈴仙は慌てて慰める素振りを見せた。
「でも、正攻法でいこうとしたらやっぱりそうよねえ? ひょっとして、いつも昼間にそんなことしていたの?」
 そんなことはないと小傘は首を横に振った。
「昼間にもやっていたりするけど、夜にもやっていたわ。でも……どっちもあまり上手くいかない。飛び出しても――」
「飛び出しても? 返り討ちにされるのかしら?」
「何だか、和んだような目をされる。頭を撫でられたりとか……」
「あ~」
 大抵の者がそんな反応なのに対し、自分だけが返り討ちにしたって、どれだけ臆病なのかと鈴仙は少し落ち込んだ。
 ただ、小傘がターゲットにした人間の反応も分かる気がした。何というか……この化け傘が突然飛び出してきても、その姿を見たら可愛いだけかも知れない。
 本人に言っても落ち込むだけになりそうなので、鈴仙は黙っておくことにしたが。
「ええっと、他には?」
「子供を襲ったりもしたわ。妖怪として、やっぱり狙うのなら弱いものからって……考えて。……親が目を放した隙に」
「子供を?」
 まさか、子供を襲うだなんて。ついさっきまでは可愛いだけと思っていたのだが、やはり妖怪。恐ろしい本性を隠していたのだろうか?
 鈴仙は、人は……いや、妖怪は見た目によらないものだと恐々した。
「でも、それでも……ほとんどはきゃっきゃと喜ぶだけで……。お母さんからは有り難うってお礼言われちゃうし」
 やっぱり見た目通りだったなと、鈴仙は思い直した。脳裏に、乳母車の前で赤ん坊に「べろべろばー」をしている小傘の姿が鈴仙の脳裏に浮かんだ。きっと、そんな想像通りなのだろう。
「他にも、前に白黒の魔法使いが『雨を凌げるようになれば驚くかもしれん』って言っていたから、そうしてみたりもしたんだけど……」
「いやその……それって、喜ばれるだけなんじゃないの?」
「うん……やっぱりそうだった」
 一つ目にでっかい舌を生やした傘だと、ちょっと恥ずかしいかも知れないけど……雨の中だとそうも言っていられないだろう。当然の結果だったように鈴仙には思えた。
「ほ……他には?」
「道具を使ってみたこともあったわ」
「道具?」
 彼女個人だけの力で及ばないのなら、道具を使うというのはアリかも知れない。色々と考えてはいるのだなあと鈴仙は思う。
「人間を驚かすのならこんにゃくを用意すれば、完璧!」
 時代遅れな妖怪だなあと鈴仙は思った。口には出さないけれど。
「それで……どうなったの?」
「んっと……紅白の巫女が釣れた」
「何やってんのあの貧乏巫女はっ!」
 思わず鈴仙は額に手を当てて嘆いた。
「それで、『持ってかないで~』って追いかけたら……ううぅ……恐かった。恐かったよぅ。あんなに……本気なんだもんっ!」
 トラウマを呼び起こしてしまったのか、涙目になって小傘は震えた。
 どんな目に遭ったのかは、これ以上は聞かない方が彼女のためだろう。
「取り敢えず、色々と試行錯誤はしていたのね。う~ん……でも……うぅ~ん」
 鈴仙は腕を組んで考え込む。しかし、いい方法は思いつかない。永琳にも相談してみるつもりだが。
 ふと、鈴仙は我に返る。
 彼女の眼下では、布団にくるまって不安げな視線を浮かべる小傘がいた。
「ご、ごめんなさいっ! そんな顔しないで。大丈夫、きっと何とかするからっ!」
 先は何も見えない。けれど、だからといって医療関係者が患者より先に諦めてはいけない。気力の衰えがちな患者に代わって、希望を探っていくのが自分の役割なのだから。
 作り笑顔だけれど……それでも、精一杯の笑顔を浮かべて、任せなさいと鈴仙は胸に拳を打ち付けた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 小傘が永遠亭にお世話になることとなった翌日。
 取り敢えず、動き回ることに問題は無さそうだということで小傘の外出許可が下りた。ただし、鈴仙の付き添いがある限りでの話だが。もし彼女に何かあれば、鈴仙が小傘を連れて帰る手筈になっている。
 鈴仙は小傘と共に人里に出向いた。それは薬売りの仕事でもあり、小傘が動ける内に少しでも人を驚かせられる可能性を上げるためのものであった。
 人里の入り口で、鈴仙はしばし立ち止まる。
「ねえ? 大丈夫?」
 その言葉は鈴仙のものではない。小傘から鈴仙に対して言われたものだ。鈴仙は深く深呼吸をする。自分でも表情が強張っているのが分かる。
「だ……大丈夫。緊張しているだけだから」
「緊張?」
「う……うぅ……ええと……ね? 私って何ていうか……こう……薬を売るのって苦手なのよね」
 何度もやっている仕事だというのに、いつになっても慣れることが出来ない。
「特に、上手く説明しようとすると、かえって舞い上がっちゃうみたいで……本番に弱いみたいでね?」
「ああ~、分かる分かる。私も、これならいけるっ! て思った時に限って、飛び出そうとしたら転んだり、気負いすぎて気配が漏れたりするもの。そういうときに限って、上手くやれないのよねえ」
「え? 小傘さんもそうなの?」
「うん……でもね?」
「でも?」
「でも、それならそれでダメもとだって開き直ったら上手くやれるようになるよ?」
「うぅ……それも、分かってはいるんだけどね?」
 頭で分かっていても、なかなか性分が……生真面目なのか、吹っ切れるとか開き直るとかいうことが苦手だ。
「今日行くところは初めての人なの?」
「う~ん。一応、初めて……ではないのかも知れないけど……この人里の人達のところには、一度は訪問したことがあるし。でも、まだ一度しか行ったこと無くて……薬も置いて貰ってないのよ」
 置き薬を買ってもらっているところなら、消費期限切れの薬の補充や残量のチェックぐらいで、そこまで積極的な売り込みが必要にもならないのだけれど。まあ、今はチェックが必要そうなところは無いのだが。
「どうして、それなのに……苦手なのに新規のところに今日は行くの?」
 小傘の質問に、鈴仙は大きく溜息を吐いた。
「最近、姫様とてゐに欲しいものが出来たみたいでね? ……もっとお小遣いくれって、師匠にねだって……。薬の売上が上がったら考えるとかそんな感じになって……要するに、姫様達にもっと売上上げろって言われて。そうなると、新規のお客さんを開拓するしか無いわけで」
「……鈴仙さんも、苦労しているのねえ」
「まあ……ね?」
 鈴仙は苦笑を浮かべた。
 ともあれ、いつまでもこうして立ち止まっているわけにもいかない。
「よしっ! じゃあ……行くわよ?」
「うん」
 鈴仙は気合いを入れて、人里へと足を踏み入れた。
 ……右手と右脚が一緒になっていたりするのだが。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鈴仙が玄関の前で待っていると、やがて屋内から足音が近付いてきた。
 がらがらと音を立てて扉がスライドし、一人の男が姿を現した。歳は二十代の前半くらいだろうか。

“驚け~☆”

 その瞬間、息を潜めていた小傘は鈴仙の背後から男の前に飛び出した。
 ……だが。
 男は、ふむ……と顎に手を当てて小首を傾げるだけだった。
 それはどうにも、薄い反応だった。
「驚けっ! 驚けっ! 驚け~っ!」
 だめ押しだと言わんばかりに、小傘は何度も傘を振り、舌を出す。
 そして、数秒後……。
「お、驚いた?」
 流石に、だめ押しもこれ以上は引っ張れないと思ったのか、小傘が男に訊いてみる。
「いや、何て言うか……」
 男は、ぽんっと小傘の頭に手を置いた。そのまま、彼女の頭を撫でる。
「こう……巷で聞く萌えって、こういうのを言うのかな?」
「…………うぅ~」
 頭を撫でられながら、小傘はがっくりと肩を落とした。
 そんな彼女を見ながら、鈴仙は口元に手を当てていた。笑ってはいけないのだろうが、可愛いと思ってしまった。必死に堪えるけれど。
「それで? 君達……何の用なんだい? それとも、悪戯目的なのかな?」
 慌てて鈴仙は首を横に振った。
「いえその、違います。彼女はちょっと、治療のために人を脅かす必要があってこんな真似をさせて貰ったんです」
「え? そうなのかい? 妖怪だから……どんな病気なのか知らないけど、それは悪いことしたかなあ?」
 若干、困ったように男は頭を掻いた。
「あと私、以前こちらに一度お邪魔させて貰って事がありまして……その、永遠亭で作っている薬を売りに……。何か必要な薬はありますか?」
「ん? ああ~、そうか……そういえばそんなこともあったなあ。稗田の阿求さんが出した本にも、君のことが書いてあったよ。永遠亭の妖怪兎だっけ?」
「はい」
 鈴仙は頷いた。
「う~ん、でも悪いね。薬なら間に合っているんだ。永遠亭の薬がよく効くっていう評判は知っているけど、すまないね」
「そうですか……。いえ、こちらこそお邪魔して……って、小傘さん? どうかしたの?」
 ふと鈴仙が隣を見ると、小傘がじっと男の顔を見ていた。
「ん~? 別に大したことじゃないんだけど……。ひょっとして蓮華ちゃんって子供と知り合いかなって、お母さんと顔の作りがどことなく似ている気がして」
「蓮華? ……ひょっとして君、菊花姉さんの知り合いかい?」
「ううん、お母さんの名前は聞いてないから知らない。けど、確かこの人里の東の方の区画で会ったんだけど。酒屋さんの近くだったかなあ?」
「ああ、それなら多分、菊花姉さんの子で間違いないと思う。それがどうかしたのかい?」
 こくりと、小傘は頷いた。
「その蓮華ちゃんなんですけど、疳の虫が酷いってお母さんが言っていたから、あれからどうなったんだろうって。ひょっとしたら知っているのかなあって思った」
「あ、そっか……そういえばそんな話もあったな。姉さん、そんなこと言っていたよ。それで、その話なんだけど残念ながらまだ収まっていないらしくてさ。よかったら君達、姉さんのところにも行ってみてくれないかな?」
 男の頼みに、鈴仙はうんうんと頷いた。こちらの方こそ願ったり適ったりだ。
「でも、それだとお姉さんも色々なお薬とか治療法を試していたと思うんですけど、そういうのについて何か聞いたことってありますか?」
「いや……詳しくは。でも、家ではいつも清久郎先生の薬を使っていたから、姉さんもそうだと思う」
「清久郎さんのでも治らない? なるほど、それはちょっと珍しいですね」
「鈴仙さんは知り合いなの? その清久郎先生と?」
 訊ねてくる小傘に、鈴仙は頷いた。
「まあね。薬の知識では私の師匠に及ばないけど、昔からこの人里の人達を診てきた人だから、その人に合わせた薬の調合がとても上手いの。その点では師匠も腕を認めているくらいよ」
「そう。だからまだここら辺では先生の薬を使っている家は多いかな。何より、近いしね」
 永遠亭が人里近くにあれば、また話が別になるのかも知れないが、流石にそんなわけにもいかない。
「じゃあ、姉さんの住所をメモに書くから、ちょっとそこで待っていてくれるかな?」
「あ、いえいえ。書くものなら私が持っていますから、これに書いてください」
 家の奥に引き返そうとする男を呼び止め、鈴仙はポケットからメモとペンを取り出した。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 永遠亭に向かう帰り道。
 蓮華の疳の虫は、思った通り変種の疳の虫だった。症状は普通の疳の虫とそれほど変わらないのだが、普通の疳の虫用の薬が効きにくいタイプの虫が取り憑いていた。
 だいたい、千人~一万人に一人ぐらいにしか出てこない珍しい虫なので、清久郎といえども知らなかったのは無理もない。
 竹林の中で、鈴仙は上機嫌で鼻歌を歌っていた。
 売れたのは疳の虫用の薬だけではなく、新規のお客で胃薬や傷薬なんかも売れた。まだ、お試しで使ってみようというぐらいの感覚なのだろうけど。でも売れたことには違いない。これなら輝夜やてゐにも文句は言われないだろう。
「にしても、鈴仙さん? 鈴仙さんって営業が苦手だったんじゃないの?」
 首を傾げる小傘に、鈴仙は苦笑を浮かべた。
「うん……苦手。嘘じゃなくて、本当に苦手なのよ? でも……ごめんっていうか、ありがとうっていうか……小傘の……。あ、小傘でいいかな? 私のことも鈴仙でいいから」
「うん、私も小傘でいいよ。でも、ウドンゲはダメなの?」
「ウドンゲはダメ。それは師匠だけだから。それでね? さっきの話なんだけど……」
 鈴仙は照れくさそうに頬を掻いた。
「小傘が脅かすのを失敗しているのを見て、緊張が解けたっていうか……そんな感じになっちゃって、普段通りに話せたのよ。でも正直、それだけでこれだけ売れるようになるなんて、驚いたけど」
「ええ~? そんな理由なの? というか、そういう驚き方って……はぁ~」
 小傘から嘆息が漏れる。
「こんなんじゃ、聖を脅かすなんて、夢のまた夢だよね」
「聖って、命蓮寺の聖白蓮さんのこと?」
「うん。立派な高僧みたいだし……ああいう人を驚かせられたら、私も妖怪として格が上がるっていうか……近頃の目標なんだけど」
「そんなに落ち込まないでよ。きっと元気になったら驚かせられるから」
 肩を落とす小傘の頭に鈴仙は手を置いて、撫でてみせた。
「でも、小傘って凄いよね」
「凄いって? 何が?」
 鈴仙は小傘に微笑む。
「小傘ってさ、今日一日……私も付き合ったけど、何度も脅かすの失敗していたでしょ?」
「一度も成功しなかったけどね」
 それだけが、鈴仙にとっても小傘にとっても残念だった。
「でも、すぐに立ち上がって、何度でも脅かそうって諦めなかったじゃない。自分の命が懸かっているからって言われたらそうかも知れないけど……、でも諦めないのって凄いなって思った。私は、今までの営業で何度も諦めていたから」
 玄関の先で冷たくあしらわれることだってあった。そういうときは、もうそこで心が折れて、その日の営業を諦めることが多かった。
「でも、鈴仙はそれでも薬を売ることから逃げ出したりはしなかったんだよね?」
「うん。そりゃあね……あそこが、私の最後の居場所だし。私はね……この幻想郷には逃げてきたの。でも、そのことをずっと後悔している。だからもう……逃げたくはないの」
「そうやって、逃げ出さないことも凄いと思うよ? 私は。逃げ出さずに続けてきたから、今日みたいに薬を売ることが出来たんじゃない? 今日のアレは、鈴仙の実力だよ」
「そうかな? うん……そうだといいな。有り難う。小傘」
 鈴仙は小傘に向かって微笑んだ。
 竹林の奥に、永遠亭の姿が見えてくる。
 明日こそ、小傘が人を驚かせて、恐怖を得ることが成功出来ればいい。彼女も頑張っているのだから、それが実って欲しい。
 世話を任されたとかそんな理由だけじゃなく、そう……鈴仙は思った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鈴仙は小傘を寝室へと案内して、夕食を早々に摂らせた。
 多くの妖怪にとっては夜こそが活動時間であることから、小傘にとってもそうそう眠れるものではないかも知れない。けれど、なるべくなら休んでいて貰った方がいい。
 それに、永遠亭に辿り着いて緊張が解けたのか、しばらくすると小傘の具合が悪そうになったのだった。やっぱり疲れていたのだろう。無理はさせない方がいい。
 鈴仙は診察室で、永琳の前で今日の出来事を説明した。
「そう、薬が売れるようになったのはよかったけれど。でも彼女の様子がそれだと、やっぱり彼女一人だけで人を脅かすのはもう難しいのかも知れないわね」
「そうですね。一筋縄ではいかないと思います。方法は、私も色々と考えているんですけど」
 ふぅむ……と永琳は顎の下に手を当てた。
「ねえウドンゲ? 方法を考えるときは、一方の視点からの手段を追うばかりではなく、ときには俯瞰的に物事を捉えて結果だけを追ってみたり、異なる視点を探してみるのも一つの手よ?」
「それは、そうだと思いますけど」
 何か自分に至らないところがあるのだろうか? 疑問符を浮かべる鈴仙に、永琳は微苦笑を浮かべた。
「まあいいわ。小傘さんのことはあなたに任せるからそのつもりで。幸い、今日の検査の様子から推測するに、もうしばらくは猶予がありそうだから……。もっとも、だからといってあまり暢気に構えてもいられないけれど」
「そうなんですか?」
「ええ……保って半年ってところね。今のように動けるのは、あと四~五ヶ月というところかしら」
「……半年、ですか」
 鈴仙の顔が強張る。
 明日明後日にいきなり小傘が死ぬということは無いというのは、ある意味で救いではあるけれど……リミットとして言われると、厳しいものを意識してしまう。
「ウドンゲ? 親身になるのは大切だけれど、そんな顔は小傘さんの前でしてはダメよ? 分かっていると思うけど」
「はい。分かっています」
 鈴仙は頷いた。重々……よく分かっているつもりだ。
「それにしても、今日のてゐはかえってくるのが遅いわね。そろそろ、いつもなら夕食の時間なのだけれど」
「そうですね。夕飯の支度は小傘のときに既に済ませているからいいんですけど……。姫様を待たせてしまわないか、心配です。朝からどこをほっつき歩いているのやら。どうせまた、落とし穴とかろくでもないこと企んでいるんでしょうけど」
 やれやれと、鈴仙は肩をすくめた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 一夜明けて、鈴仙は小傘のいる寝室に朝食を持ってきた。
 小傘は満面の笑顔で鈴仙の作ったご飯を彼女の目の前で食べてくれた。
 その姿を見て、鈴仙はこんな彼女があと半年の命だなんて、信じたくはなかった。絶対にそんなことにはならないように、出来る限りのことをするつもりだけれど。
「今日は動ける? 体調は大丈夫?」
 小傘が食べ終わった食器をまとめながら、鈴仙は小傘に訊いた。
「うん、大丈夫だよ。一晩休んだら楽になった。ごめんね。心配させちゃって」
「いいわよ。私の方こそ、昨日一日ずっと一緒にいたのに、気付かなくてごめん」
 鈴仙は頭を下げた。
「ところで、今日はこれを食べたらすぐに出るの?」
「ううん、そんなことはないわ。まだ姫様達のご飯とか、その後片づけとか色々あるもの。だから、それが終わるまで待ってて。新聞でも読む? 文々。新聞だけど」
 頷く小傘に、鈴仙は文々。新聞を渡す。
「え~と、何々……『妖怪達の持つ傘の謎』?」
 新聞を広げる小傘の脇から、鈴仙ものぞき込んでみた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『妖怪達の持つ傘の謎』

 風見幽香の持つ傘は、ただの日傘ではない。香霖堂の店主によると、彼女の持つあの傘は紫外線のほとんどをカットするそうであるが、そのカット率はそこらの日傘とは比べものにならないらしい。また、彼女の傘は日光の他に雨、果ては弾幕を防いだりもするという話である。一体何で出来ているのだろうか。
 また、八雲紫も傘を持って出歩くことが多い。実は本記者は過去に何度か手合わせをしたことがあったのだが、彼女が持つ傘に叩かれると実に重くて痛い。見た目は優美で軽やかな形状であり、実際軽いのだが。これもまた、何で出来ているのかよく分からない。ちなみにこれも、香霖堂の店主によると紫外線のほとんどをカット出来る代物だそうな。
 他にも、傘を持ち歩く妖怪といえば最近は紅魔館のレミリアお嬢様も人里などで見掛けることが多いかも知れない。日傘を差して真っ昼間から一人でお散歩するのが楽しいらしく、メイド長を心配させているそうだ。もっとも、メイド長ではないが私も気にはなっている。なので不慮の出来事で日傘が壊れたりしないのかと、そういった不安は無いのかとレミリア嬢に訊いてみたが「愚問ね。この傘はそんなことでは失われない。そういう運命にあるのよ」と不敵に笑っていた。やはり特別製の傘なのだろうか。
 そんな彼女らの傘は、一体どこの誰が作っているのだろう。そう思って私は人里で傘を作り続けて50年の朱鷺雨(ときさめ)さんに訊いてみることにした。以下は彼の言葉の抜粋である。
「彼女らの傘かい? いや、それが儂にも不思議なんだよ。儂も長いことやっているから、この幻想郷で傘を作っている職人の仕事は何となく目星はつくつもりだ。特に、見事な仕事をする連中についてはな。だがな、彼女らの傘はその誰の仕事にも見覚えが無い。仲間に聞いても誰一人として彼女らから仕事を請け負った奴はいないんだ。本当に、どこで誰が作ったものなのか分からないんだよ。ほれ、最近は人里によく化け傘の女の子も現れるんだけどね? あの子の傘も、作りはしっかりしている。あれは、あんな巫山戯た形をしているようで、年期を重ねた職人が魂を込めて仕事しないと出来ない代物だ。まあ、だからこそ妖怪になっちまったのかも知れないがな。ともあれ、何にしても儂も一人の職人として彼女らの傘がどこでどうやって生まれたのか知りたいくらいだ。もしよかったら、調べて教えてくれよ」
 どうやら、妖怪達の持つ傘には謎が多いようだ。引き続きその秘密を追い。新たな情報を得ることが出来次第、続報を出していくことにしようと思う。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 壁の脇に隠れて、鈴仙と小傘は息を潜める。
 獲物からは完全に死角の位置だ。気付かれているということはまず有り得ない。
 鈴仙は兎の鋭い聴覚によって、獲物距離を把握する。
「まだ……まだよ。落ち着いて……クールに、息を整えて」
 こくりと、小傘が頷く。
 その目は鋭利に、冷たく光っている。それは獲物を狙う肉食獣の瞳だった。
「5……4……3……2……1……GO!」
 鈴仙の合図と共に、小傘はロケットのように一気に飛び出した。

“驚け~っ!!”

「え?」
「うわっ!?」
 悲鳴を上げたのは獲物ではない。小傘だった。
 獲物として選んだ……十代後半の少年にぶつかって、地面に転がった。
 尻餅をついて倒れる小傘に、鈴仙は駆け寄っていく・
「あ痛たたたた……」
「ご、ごめん小傘。私、タイミングの取り方が遅かったみたい。……って……」
 小傘は倒れた表紙に、大きく足を開いた格好になっていた。
「……あ」
 鈴仙と小傘が少年を見ると、彼は慌てて顔を背けた。その顔は赤い。
 反射的に、小傘は太股を揃えてスカートを押さえる。
「み、見た?」
「いや……水玉ナンテ見テナイヨ?」
 とか少年は言ってくるが、その反応は明らかだった。
「う……嘘だっ! えっちっ! 変態っ! パンツ覗き魔~っ!」
「えええええええっ? ちょっとっ? いきなり飛び出してきたのはそっちだろ~っ?」
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい~っ!」
 小傘から弾幕が雨霰と少年に降り注ぎ、彼は悲鳴を上げた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 茶菓子屋で、鈴仙と小傘は休んでいた。店の前に置かれた椅子に座って、お団子を食べながらお茶を啜る。
「大丈夫?」
「う~ん。まだ……ちょっとしんどい」
「もう……無理するから」
 元気なときと同じ感覚で、我を忘れて小傘は少年に弾幕を浴びせてしまった。そのおかげで妖力を大幅に削ってしまったのだった。
 しばらく休めば回復するだろうと思うが、時間が掛かるかも知れない。
「もう少し休んだら、今日はもう、この辺で永遠亭に帰るわよ? それでいいでしょ?」
 まだお昼も回っていないけれど、小傘がこの様子だと仕方ないだろう。無理をさせてどうなるか、ちょっと鈴仙には想像が付かない。
「……うん」
 小傘も自分の体の様子は分かるのだろう。素直に頷いた。
 体を小さく丸め、両手で湯飲みを持って……まるでお茶から暖を得ようとでもしているような小傘の姿は、鈴仙の目から見ても弱々しかった。
 ほんのつい数十分前までは、平気そうに見えたというのに……。
 彼女のすぐ傍にいながら、自分は何をやっていたのかと鈴仙は自責の念にかられた。

“……あっ!”

 小傘が小さく悲鳴を上げる。
「どうし……ああっ!?」
 何事かと鈴仙が小傘に目を向けると、彼女が自分の体に立てかけていた傘が無くなっていた。
「一体、どこに?」
 小傘があの傘を手放すはずがない。鈴仙は慌てて周囲を見回す。
「……いたっ!」
 鈴仙はすぐに彼女の傘を見付けた。宙に浮かんで、空の向こうへと飛んでいく。
「これ……いったいどうゆうこと?」
 と、鈴仙の体に小傘の体がもたれ掛かってきた。
「小傘っ? 小傘っ! 大丈夫? どうしたの?」
「ご……ごめ……。何だか……力が……すぅ~っと、抜けて……あ、あれ?」
「大丈夫? しっかりして、小傘っ!」
「う……ん。大丈……夫」
 小傘は頷いて笑ってくるが、とても鈴仙にはそうは思えなかった。
 抱きかかえても、ぐったりとしている。
 あの傘が小傘の妖力の源になっているのだ。ならそれが彼女から離れたら? 元気なときならまだいい。しかし、そうでない今なら?
 鈴仙の背中から冷たいものが吹き出した。
「小傘っ! 私に掴まって。今すぐあの傘を追いかけるからっ!」
「うん」
 鈴仙は急いで小傘を背負い、空を飛んで彼女の傘を追いかけた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 鈴仙は歯がゆい思いをしながらも、彼女に出来る精一杯のスピードで空を飛んだ。
 小傘を背負ったりしている内にも、随分と傘とは距離を引き離されてしまった。その上、小傘を背負っているために距離を縮めることも出来ない。そのおかげで、鈴仙の目からは傘の姿を見付けることが出来なくなってしまっていた。
 もっとも、傘の位置は小傘には分かっているので、そういう意味ではまだ見失っているわけではないのだが。
「くっ……随分と遠くまで来たけど……一体どこまで行くつもりなの?」
 気付けば人里からは大分離れ、博麗神社の近くまで来てしまった。
「……あっ」
「何? どうしたの? 大丈夫?」
「うん。……傘の移動が、止まった。ここからもうちょっと……まっすぐに0.5里くらい先のところ」
「湖かしら? 何でそんなところに」
 ともあれ、動きが止まったのは幸いだ。その程度の距離なら、数分ぐらいで辿り着けるはず。
「待ってて小傘。すぐに追いついてみせるから」
 最後の力を振り絞るように、鈴仙はスピードを上げた。
 ここで捕まえられなかったら、もうチャンスはないかも知れない。ずっと、力の限り飛びっぱなしで息が苦しい。
 鈴仙の眼下に湖の畔が広がる。
「……あと、どれくらい? 小傘?」
「……もう、すぐそこ……のはず」
 すぐそこ? 一体どこだ?
 鈴仙は注意深く、目を皿のようにして周囲を見渡す。
「見付けたっ!」
 鈴仙の視線の先に、紫色の傘があった。その傘は鴉天狗の手の中にあった。鴉天狗が興味深そうに傘を開いてその中を見ていたりする。
 その鴉天狗に、鈴仙は見覚えがあった。射命丸文だ。そして、そんな彼女の周囲に、三匹の妖精がいた。妖精の方も見たことがある。確か、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアとかいう名前のはずだ。
 鈴仙は急いで彼女らの元へと降り立った。
「それ、今すぐ返してっ!」
 口を開くなり、鈴仙は文に叫ぶ。
 傘を見るのに夢中になっていたのか、文と妖精達がびくりと震える。
「あやっ? もう見付かるなんてっ? ちょっと……あなた達、本当にまいてきたんですか?」
「ほ、本当ですってば。確かに引き離したはずですよ?」
 その口ぶりからすると、実行犯は妖精達のようだ。そういえば、サニーミルクが姿を隠すことが出来たはず。傘が勝手に空を飛ぶように見えたのも、彼女の仕業だろう。
「え~と、すみません。ちょっと、新聞のために調べたくてですね? しばらくお借りしたら、すぐに返すつもりだったんですよ?」
「だったらっ! こんな真似せずに本人に直接頼めばいいじゃないっ!」
「それはそうなんですが……それだとその……どうしても、調べられる範囲が限られてしまいそうというかですね? 本人が目の前だと、止められそうな部分もあるかもって。どうせなら、隅々まで隈無く調べたいじゃないですか?」
「そんなところを本人の許可なく調べようとするんじゃないわよ。このマスゴミっ!」
 鈴仙の剣幕に押され、文が申し訳なさそうに頭を下げる。悪いことをしているという自覚はあるらしい。
「すみません。幽香さんとかにも頼んでいたんですが、軒並み断られていたもので……焦っていました。本当に、ごめんなさい」
「分かった。じゃあもうそれはいいからっ! 早くその傘を返してっ! 命に関わるのよっ!」
「命に? どういうことですか? そういえば、さっきから小傘さんの様子って……」
 文も小傘の異常に気付いたのだろう、慌てて傘を持って鈴仙の傍に近付いてくる。
 鈴仙は小傘を背中から地面に下ろし、横たえた。
 小傘の顔色は白く、息は浅い。
 鈴仙は文から引ったくるように傘を掴み、小傘の手に渡す。
「…………くっ」
 鈴仙は唇を噛んだ。
 ちょっとだけ小傘の表情が和らいだようにも見えたが、それだけだった。とても、このままで無事なようには見えない。
「あの……?」
「今すぐ永遠亭に連れて行くわよっ! あなたも協力しなさいっ! こうなった以上、責任取りなさいよっ?」
「は、はいっ!」
 顔を強張らせながら、文は頷いてきた。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 やはり天狗の羽は強い。
 小傘を抱えながらも、それでも鈴仙を置き去りにしかねないスピードで文は飛んだ。
 そんなわけで、すぐに彼女らは永遠亭へと辿り着くことが出来た。
 だが……。
 診察台の上で、小傘が横になっている。
 そんな彼女を診ている永琳の表情が険しい。妖怪向けの強壮剤……精神増強剤を点滴で送っているが、それも気休めにしかならない。永琳から教えてもらった知識でも、それが分かってしまう。妖力が足りない以上、そんなものは根本的な解決にはならない。
 文もまた、その顔が蒼白になっている。事情は既に彼女にも話した。後悔しているのだろう。額に手を当ててずっと俯いていた。
 輝夜とてゐも、不安げに小傘を見守っている。
「お願い小傘……しっかりしてっ!」
 祈るように、鈴仙は小傘の手を握る。
「大丈夫……だよ。そんなに、心配……しないで、鈴仙」
「小傘。気が付いたのね?」
 うっすらと、小傘が目を開いた。
「ねえ鈴仙? 短い間だったけど……鈴仙と一緒にいてさ……優しくしてもらって、嬉しかった」
 鈴仙はより一層、強く小傘の手を握った。
「そんなこと……そんなこと言わないでっ! 助けるからっ! 絶対絶対っ! 助けるからっ!」
「えへへ……有り難う。でも……ああ、一度でいいから聖を……驚かせたかったな」
「馬鹿っ! 馬鹿っ! 馬鹿っ! そんなのすぐに……すぐにっ!」
 鈴仙は小傘を見て唇を噛む。今すぐ、泣き出してしまいそうだった。
 小傘は薄く……淡く、儚く微笑んでいた。
 鈴仙はそんな小傘の顔を数秒……見詰めて脳裏に焼き付ける。そして、小傘から手を離した。その場に立ち上がる。
「文……命蓮寺に行くわよ」
「え?」
 呆けていた文が、顔を上げた。
 そんな文の胸ぐらを鈴仙は掴んだ。
「早くっ! 聖白蓮を呼びに行くのよっ! もたもたしていると、その羽を二度と使い物にならない状態にしてやるっ!」
「わ、分かりましたっ! 急ぎますっ!」
 命蓮寺を目指して、鈴仙は診察室から駆け出していった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 幸い、聖は事情を聞くとすぐに理解を示して同行してくれた。
 鈴仙と文、そして聖は力の限りを振り絞って飛んだ。文が聖を引っ張る形で、彼女を永遠亭へと連れて行く。
 もうすぐ、永遠亭。
 ここまでの時間にして、おそらく三十分もかかってはいないはずだ。
 疲れているはずなのに、こんなスピードで飛ぶことが出来るなんて……と、鈴仙はどこか遠いところで、そんなことを思う。
 けれど、そんな思考が逃避だということも鈴仙は理解している。一秒一秒が、過ぎていくのがどうしようもなく恐い。
 永遠亭が見えた。
 減速もろくにしないで、彼女らは永遠亭の中へと突っ込んだ。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 診療室の中へと、聖を連れて駆け込む。
「小傘っ! 聖を連れてきたわっ! さあっ!」
 だが……そこで鈴仙は立ちつくす。
 どういうことなのか、理解が出来なかった。
 そこにいるのは、永琳だけだった。
 輝夜とてゐがいない。
 そして何より……小傘がいなかった。
「……え?」
 鈴仙の顔から表情が抜け落ちる。
 永琳は沈痛な表情を浮かべていた。
「ごめんなさい、鈴仙。つい、数分前のことだったわ」
 師匠が何を言っているのか、鈴仙にはよく分からない。
 それなのに……何だか気が遠くなる。
「そんな……わた……私……そんなつもりじゃ……」
 鈴仙の後ろで、鈍い音が地面から響いた。文がその場に崩れ落ちた音だろう。しかし、それもまた遠い出来事のように鈴仙には思えた。
「鈴仙。これが……彼女の」
 永琳は一本の、古ぼけた紺色の番傘を手にしていた。
 永琳が鈴仙の前へと近付いてくる。
 嫌だ、そんなの……受け取りたくない。
「…………はい」
 けれども、呆然としながら、鈴仙は腕を前に出した。
「姫様とてゐは探さないであげて。あの子達も、ショックだったみたいだから」
「はい」
 鈴仙の両手の上に、永琳が傘を……優しく置いた。
 その傘からは、何の温もりも感じない。
 鈴仙の瞳から、熱いものが溢れた。
「馬鹿……馬鹿っ! 小傘の……うううぅ……うう。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」
 永遠亭に、少女達の慟哭が響き渡った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 その晩、命蓮寺で多々良小傘の通夜が行われることとなった。
 これも縁だということで、聖は無料で通夜と葬式をしようと申し出てくれた。このお礼は必ずさせて貰うと、永琳と鈴仙は頭を下げた。
 花で埋め尽くされた棺桶には、古ぼけた傘が一本入っている。
 本堂の中で、鈴仙は弔問客を見渡した。70人くらいは来ているかも知れない。小傘とどういう知り合いだったのかは、詳しくは知らない。ただ、聞いたところによると一緒に遊んだとか仕事の手伝いをして貰ったとか……そんな付き合いの人が多かったような気がする。
 そして、弔問客の中には射命丸文もいた。
「師匠。……結構、人が来ていますね」
「そうね。あの子は妖怪だったけれど、人里の人達には結構愛されていたのかしら?」
「そうですね。短い付き合いだったけど……本当に、いい子だったんですよ?」
 “だった”という過去形でしか言えないことを改めて意識してしまい。鈴仙の視界が再び滲んだ。慌てて涙を拭う。
 聖の唱える読経の中で、弔問客達の嗚咽が響く。
 多くの人が彼女の死を悼んでいること、それだけ多くの人が彼女を慕っていたこと。悲しんでいるのが自分だけではないことを知って、鈴仙は少し救われた気がした。
 けれど、どうしても後悔が残る。
 あと数ヶ月は猶予があると……心のどこかで、安心してはいなかっただろうか? もっと真剣に取り組んでいれば、もっと早くに驚かせられるような方法を見付けて、彼女の体を治すことも出来たのではないだろうか? そんな気がしてならない。
「ウドンゲ。悲しいときはね。思いっきり泣いて悲しむ方がいいわ」
「……はい」
「それは、ここに集まってくれた人達も一緒よ。それは分かるわね?」
「はい」
 涙をその目から滲ませて震えながら、鈴仙は頷く。
「だから、ウドンゲ。そのためにも、あなたに頼みたいことがあるの」
「……何でしょうか?」
「もうすぐ、お経が終わります。そのときに私が前で挨拶をするから、あなたも隣に来なさい。そして、そのときに彼らの波長を少し短く……不安定にしてあげなさい。その方が、精神のタガを外して感情に素直になれるから」
「分かりました」
 聖が読経を終えた。
 永琳と鈴仙がそのタイミングを見計らって、共に棺桶の傍らへと進む。
 何事だろうかと、弔問客の間からどよめきの声が上がった。
「あの? どうかされましたか? 何か私がその……不手際でも?」
 怪訝な表情を浮かべる聖に対して、永琳は首を横に振った。
「いいえ、そうではありません。ただ、小傘さんを看取った者として皆さんに伝えたいことがありまして。よろしければ、この場を借りて言わせて頂けないでしょうか」
「なるほど、そういうことですか。分かりました。構いません」
「有り難うございます」
 永琳が恭しく一礼した。
 そんな彼女らに、聖と弔問客達が注視する。
 鈴仙はその隙を逃さずに目の前にいる者すべての波長を弄った。これで、誰もが感情を隠すことなく泣くことが出来るはずだ。
「実は……ひょっとしたら、あまりこういう事はいうべきではないのかも知れません。ですが、彼女の最後は……痛々しいものでした」
 鈴仙の隣で、永琳は目を閉じて、右手で顔を覆ってみせた。
「彼女は日頃から、誰も驚いてくれないことに深い絶望を抱いていたんです。どうして誰も驚いてくれないのかって、こんなにも一生懸命やっているのに……挙げ句、そのせいで病に冒されてしまって、どうして自分ばかりこんな目にって……。本当は、色々と抱え込んでいたのでしょう。死に際になって、恨み辛みを押さえきれなかったようです。驚いてくれなかった人達を呪って恨んで恨み尽くしてやると……そう、言い残して逝きました。悲しい話ですが」
「そんな……小傘が……そんな」
 鈴仙にとって、それは信じたくない話だった。けれど、今際の際の感情というのは他人には窺い知れない。彼女がそんな感情に囚われたとしても、不思議ではないと鈴仙は思った。
 それは弔問客達も同様だったのだろう。あちこちで重苦しい声……「自分たちが驚いてやれれば」という後悔の声が湧いた。
「私には、まだ彼女の恨み辛みの声が聞こえてくるような気がします。『恨めしい。恨めしい』という、悲痛で悲しい彼女の叫び声が。だからこそ、心からの供養と彼女の魂の安らぎを――」
 だが、そこで永琳の言葉が止まる。

“恨めしい……恨めしい……。誰も驚いてくれない……みんな……みんな。呪ってやる”

「え?」
 鈴仙は慌てて周りを見た。
 今、小傘の声が聞こえなかったか?
 空耳だろうか?
 しかし、聞こえたのは自分だけではないのだろうか? 弔問客の数人もまた、きょろきょろと首を横に振る。まるで何かを探しているようだ。

“恨めしい……ああ、恨めしい。絶対に……絶対に許さない”

「お、おい……これって?」
「まさか……嘘だろ?」
「よ、妖怪って……え? マジで? 死んでも化けて出るものなのか?」
 幽かだけれど、空耳なんかじゃない。
 その声は小傘のようで……でも、絶対に彼女が出さないような。暗く低く、澱んだ声だった。
「ま、待って下さい。落ち着きましょう皆さん。もし小傘さんが化けて出たというのなら……。私が、必ず説得してみせます」
 がたっ! と、その瞬間に棺桶が揺れた。
 弔問客の間に一際大きなどよめきが浮かんで、静まりかえる。
「小傘……さんなのですか?」
 聖の額に冷や汗が浮かぶのが見えた。恐る恐る、彼女がその場から立ち上がる。そして、恐る恐る棺桶へと近付いていった。
 聖が棺桶の中をのぞき込んだ。
 だが……その横顔がすぐに安堵のものに変わるのを鈴仙は見た。
 恭しく、白蓮は棺桶の中から傘を取りだして立ち上がり、弔問客へと振り向いた。
「皆さん。恐がらないで下さい。小傘さんはこの通り化けて出てなんかいません」
 古ぼけた傘の姿を見て、本堂の中は安堵の空気に包まれた。
 化けてでも……やっぱりその姿はもう見れないんだと、鈴仙は少し残念に思ったけれど。
 だが、それもほんの数秒のことだった。

“う~ら~め~し~や~”

「ひっ!?」
 聖がすくみ上がった。
 彼女の肩に、白い手が置かれている。
 鈴仙は信じられないものを見ていた。小傘が聖の背後に突然現れて、彼女の背後にべったりと取り憑いていたのだった。
『あ……ああ……ひっ……』
 弔問客の顔が皆一様に蒼白になり、口を大きく開けている。
 そんな彼らの様子に、聖はだらだらと冷や汗を流した。彼女の喉が大きく上下する。
「あ、あの? 師匠? これって? ええええ?」
 鈴仙は目を丸くして小傘を指差し、永琳を見た。
 そこで、鈴仙が見たものは……口の上に手を当ててくすくす笑う永琳の姿だった。
 やがて……聖が意を決したように肩越しに背後へと振り向いて、小傘と目を合わせた。

“うらめしや~☆”

「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
 本堂に聖の悲鳴が響き、それが呼び水となって弔問客達からも絶叫が響き渡った。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 命蓮寺裏手の墓場。
 鈴仙は小傘を訪れていた。彼女の死体とかお墓とか、そんな意味ではなく。
「今度からここで人を驚かせることにしたの?」
「うん、ここなら驚いてくれる人もいるみたいだし。もう、恐怖失調症なんかにはならないよ。だから、安心して」
「そう? でも、何かあったら永遠亭に来てよ? 私も、ときどき様子を見に来るから」
「うん、私もたまには遊びに行くよ」
 にこやかに、小傘は笑った。
「でも、本当に体の方は大丈夫? 恐怖失調症の方じゃなくて、聖さんの方」
「うん、もう大丈夫だよ。永琳さんの薬って本当によく効くんだね。鈴仙の方は?」
「私の方も、もう大丈夫。師匠のおかげでね」
 あの日、小傘によって驚いた聖が勢い余って彼女を南無三しようとして……それから小傘を守ろうと鈴仙も飛び出したのだが、まとめて南無三されたのであった。
 これも人助けということで、聖は許してくれたのだが……結局、しばらくの間は二人揃って仲良く入院することとなった。
「でも、師匠も人が悪いなあ。本気で小傘のこと、死んだと思ったじゃない。てゐはてゐで、やっぱり私のことを騙す気満々だったし。まあ、あの鴉天狗にはいい薬になっただろうけど」
 あの日鈴仙達が小傘だと思っていた傘は、実のところただの傘だった。てゐが鈴仙に悪戯するために、あちこちを探し回って見付けたものである。適当なところで入院して布団で寝ている小傘と拾ってきた傘を入れ替え、鈴仙を吃驚させるつもりだったらしい。てゐ曰く「鈴仙を脅かす方が手っ取り早く恐怖を摂取出来ると思った」だそうだ。小傘本人の力じゃないと意味無いでしょうがと叱ったけれど。
 通夜のときに小傘の姿が見えなかったのも、少しずつしか声が聞こえなかったのも、それは妖精達の仕業だった。命蓮寺から聖を連れて帰ってきたときに輝夜とてゐの姿が見えなかったのは、彼女らが妖精達を探しに行っていたためである。通夜ではサニーミルクが小傘の姿を隠し、ルナチャイルドが音の調節を行ったのだった。彼女らは彼女らで、悪戯の責任はきっちりと働くことで取らされたわけである。もっとも、ある意味では新たな悪戯が出来たわけで、どことなくホクホク顔であったが。
 この作戦は鈴仙達が命蓮寺に向かったほんの短い間に永琳が考案したものだった。
 ただ、小傘の容態が危険だったのは本当で、作戦の決行まで一時的に妖怪を仮死状態にする薬を飲ませる必要があったくらいだ。
 ちなみにどうして永琳が作戦のことを教えてくれなかったのかというと「だってあなた、隠し事とかすぐに顔に出るじゃない」とのことだった。事実なので、反論出来なかった。
「あ~あ、でも悔しいなあ」
「何が?」
「うん……よく考えてみれば、最初から私がああやって能力を使っていればあんなにもややこしくて大がかりな真似しないで済んだのにって……。師匠からも、他の視点から方法を探してみなさいって言われたのに……ずっと、小傘が自力で驚かせられるようになる方法ばかり考えようとしていたっていうか……思考が凝り固まっていたなあって。そのおかげで、小傘を危険な目に遭わせてしまったのも……悔しい」
 そんなアドバイスを送ってきた永琳は、きっとすぐにこのような方法に気付いていたのだろう。
 もっとも、それですぐに治さなかったために危険な事態を招いてしまったのは永琳の油断であり、その点については永琳も小傘に謝罪していたが。
「そういうことだってあるよ。私はこうして無事なんだし。だから、次に頑張ろう?」
「うん……そうだね」
 失敗してそれでいつまでも立ち止まってはいられない。小傘のその前向きさは、本当に見習いたいと鈴仙は思った。
「それじゃあ、私はもう行くね?」
「え? そうなの?」
「うん、薬が売れるようになったからちょっぴり忙しくなっちゃったの」
「そうなんだ。頑張ってね」
「小傘もね? 体に気を付けてね?」
「分かってるよ。それじゃあ、またね」
 鈴仙は頷いて、寺の外へと駆け出す。
 失敗してもめげずに薬を売るのが、少し楽しくなってきた気がした。


 ―END―
 小傘は何で驚かすことが出来ないのだろうか? それはきっと、可愛すぎるからに違いないという妄想だけで書いたネタ。自分はホラー映画とか絶対に見ないほどの恐がりですが、小傘が突然現れても頭を撫で撫でするだけだと思います。
 んで、小傘ってどこが可愛いのかなあと思ったら失敗してもめげずに頑張っているところだなあと思い、そんなところを書いてみたかったのです。主役が鈴仙になってしまっていますが。
 本当は神霊廟が出る前に出すつもりだったんですけどね? どんだけ時間掛かっているんだと。
 拙作をお読み頂き、少しでも楽しんで頂けたなら幸いです。
漆之日太刀
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3.90コチドリ削除
流石は月の頭脳、天才軍師八意孔明は格が違った。
ってそれは置いておいて、まずは約一年ぶりの再会に勝手ながら喜びを。そして投稿再開への感謝をささげます。

それにしても小傘ちゃんはなぁ。
ひもじくて萎れている彼女、糧を得ようと必死に空回る彼女、満腹でご満悦な彼女。
幻想郷放っておけない妖怪ランキングが存在するならば、多々良小傘はかなりの上位ランカーな気がする。

本作における小傘ちゃんもその例に漏れず。
「うらめしや~☆」なんてどこぞの紅い童女よろしく語尾に☆をつけられたら、
そらどうしたって驚くよりは頭を撫でくりまわしたくなるってもんです。(注:つのだ☆ひろ除く)

で、そんな低妖圧症を患う唐傘妖怪ちゃんの助けになろうとするのが鈴仙さんをはじめとする永遠亭の面子ですか。
小傘に有効な脅かし方を伝授するってネタはそれなりに見てきましたが、指南役ともいえる鈴仙がその過程に於いて
逆に己の弱点克服のヒントを小傘の言動によって得るっていうのは結構新鮮でした。

だからこそ、って表現すればいいのかな。欲を言わせてもらえば、もう少し二人の交流を眺めていたかったです。
そこら辺を描写することによって、弾幕を張ってしまったというきちんとした理由はあれど、それでも小傘の急激な
衰弱を、ちと唐突かな? などと思う気持ちも薄れたであろうし、最後のおいしいところをほぼ軍師永琳に持っていかれた、
という印象も薄くすることが出来たと思うのです。まぁ、主役である鈴仙を更に輝かせて頂きたかった、という俺の勝手な願望なのですが。

ただ、そんな感情とは別に、ラストの小傘ちゃん大復活のプロットは素直に良く出来ているなぁ、と感心致しました。
とにもかくにも、まだまだこれからな唐傘妖怪ちゃんと狂気の兎さんに幸あれ、ってことで感想を締めさせて頂きたいと思います。
執筆お疲れ様でした。
5.90名前が無い程度の能力削除
小傘可愛いですよね。どこかほっとけない感じが。
そんな小傘にほだされて必死でなんとかしようとする鈴仙も良かったです。
あとうどんげはだめってとこも。
最後は少しネタが予測出来た面はありましたが、波長を弄るというのはなるほどなと思いました。
6.80奇声を発する程度の能力削除
とても引き込まれて面白かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
なぜか「妖圧」なる単語がツボに入ってしまった。
期待を裏切らない、ステキな作品でした!
11.100名前が無い程度の能力削除
頑張れ小傘さん♪
13.無評価漆之日太刀削除
>コチドリさん
お久しぶりです。コチドリさん。
すっかりご無沙汰しておりました。
自分がここに来ていたのはそれほど長い期間でもなく、点数的に見ても当時に多くの方から高い評価を得ていたわけでもないと思うので、まさか覚えて頂けている方がいたとは……恐縮です。
今はどちらかというと一次創作の方に力を入れているので、それほど頻繁には来れないと思いますが(汗
でも、プロットはがっちりとは固まっていなくても、書いてみたい東方のネタはまだいくつかあるので、それらを書いたらまたこちらにお世話になろうと思っています。

>小傘に有効な脅かし方を伝授するってネタはそれなりに見てきましたが
ああ、やっぱり多いんですねえ。何となく、そういうネタでもなかなか小傘が脅かすのは成功しないイメージですけど。むしろ、ぬえあたりにろくでもないアドバイスを聞いて酷い目にあったりとか(笑

>欲を言わせてもらえば、もう少し二人の交流を眺めていたかったです。
二人の交流は書いていて楽しかったものもあるので、自分もネタが思い浮かべばもうちょっと書いてみたい気もしました。
その方が、鈴仙の小傘に対する思い入れももっと深いものに出来たかなあとも。
プロットを組んだ時点で、そういうエピソードを書いてもストーリー的に意味が薄そうにも感じて止めちゃったのですが。
書いてみて、そして読んでいって貰わないと分からないものってありますね。感想を糧に、これからも精進します。

誤字のご指摘、ありがとうございました。該当箇所を修正しました。
改めてチェックしたら、まだ他にもあったりしましたが(涙

>6さん
小傘は可愛いですよね。本当にこう……放っておけないというか、庇護欲をくすぐるというか。
>最後は少しネタが予測出来た面はありましたが、波長を弄るというのはなるほどなと思いました。
オチの予測については、自分がお世話になっている小説仲間にも言われました。
ただ、この手の話のお約束みたいな部分もあるので、ある意味では宿命なのかなとも思います。
でも、出来ることならもうちょっと捻ったものが思いつけるようになりたいものですねえ。
拙作をお読み頂き、多謝です。

>奇声を発する程度の能力
有り難うございます。引き込まれると言っていただけて、嬉しい限りです。

>9さん
妖圧は、もう血圧のイメージで……。健康診断とかで思いつくのがそんなものだったのです。
でも、妖怪の健康って何で判断しているんでしょうね? ちょっと気になります。
>期待を裏切らない、ステキな作品でした!
有り難うございます。そう言っていただけて、嬉しい限りです。

>13さん
13さんがそう仰るのなら、きっと小傘はこれからも頑張り続けると思います。
拙作をお読み頂き、多謝です。
14.無評価名前が無い程度の能力削除
>奇声を発する程度の能力さん
すいません。「さん」を付けるのが抜けていました。申し訳ないです。orz
15.無評価コチドリ削除
当方の4番フリーレスを自己削除。
それにより6・9・13番のお三方のコメ番号がそれぞれ5・8・12に変化。
ご迷惑を掛けて申し訳ありません。