某年の四月一日。
上白沢慧音の自宅を、友人である藤原妹紅が訪ねていた。
「エープルー‥‥ええと」
「エイプリル・フール。四月馬鹿ってやつよ。慧音なら知ってるでしょう?」
「ああ、四月馬鹿か。それなら知っているよ。どうにも横文字には慣れ親しんでいなくてな」
「あんたのスペルカード、全部言ってみなさいよ」
「それはそれ、これはこれだ」
妹紅は、慧音に会うやいなや、この話題を切り出していた。
「それで、その‥‥エンプリン‥‥ああ、もう。四月馬鹿がどうしたって?」
「いえね、例年、この日になると輝夜に上手くやられちゃってさ。たまにはこっちが負かして、優越感に浸りたいんだけどさ」
「あまり褒められた欲求とは言えんな。それで?」
「でも、向こうには頭のいいのが一人付いてるでしょ? 私一人じゃ少し分が悪いと思って」
「なるほど。私に手伝えと言いたいんだな?」
「ご名答」
しかし、この妹紅の頼みに、慧音はいい顔をしなかった。
「そうは言ってもなあ‥‥私はこの行事が、好きじゃないんだ。子供達の教育に、いいとは思えないからな」
「固い事言わないでさあ。それに、年に一回くらい羽目を外す方が、逆に分別のつく子供に育つかもよ?」
「全く、口の減らない‥‥まあいい。私とて、賑やかなのは嫌いじゃないからな。たまにはいいだろう」
「そうこなくっちゃ! で、早速だけど、どういう計画にする?」
「計画? 何の?」
「え?」
「おかしな事を言う。善は急げだ。早く永遠亭に行こうじゃないか?」
「え? ちょっと、慧音ー?」
こうして、興の乗った慧音と、少し戸惑いの色を隠せない妹紅は、永遠亭へと討ち入る事となった。
「あら、いらっしゃい。妹紅はともかく、あなたは歓迎するわ」
永遠亭に辿り着くと、二人はすぐに輝夜の元へと通された。
傍らには、永琳が控えている。
「お口に合うか分からないけれど、よければ召し上がれ」
「む、気を遣わせてすまないな。頂こう」
輝夜は正座で慧音を迎え、良質な茶とお菓子でもてなした。
あくまでも、慧音だけを。
「私も喉乾いてるんだけど」
「あら慧音。あなた、珍しいペットを飼っているのね。どこで捕まえたの?」
「おい」
「ああ、森で罠にかかっているのを助けたんだ」
「おい!」
妹紅は憤慨すると、慧音の分の茶菓子を掴み口へと運んだ。
一方輝夜は、落ち付いた様子で慧音に尋ねる。
「それで、今日はどういったご用件かしら?」
一応聞いてはみたものの、そんなものは知れている。
大方、妹紅がエイプリルフールの助っ人を頼んだのだろう。
だが、大人しく騙されるつもりなど、毛頭無い。
そもそも、この日にわざわざ訪ねてくるなど、前フリ以外の何物でも無いのだ。
「ああ、実はな‥‥今日は、四月馬鹿だろう?」
「ええ、そうね。‥‥え?」
慧音の言葉に、輝夜の表情が固まる。
これから嘘を吐く相手に、改めてイベントの確認をする。
その意図が、全く読めなかったのだ。
永琳の顔を見ると、主人と同じく困惑しているようだった。
「そ、そうね。四月馬鹿。エイプリルフールっていうやつね」
「そこでだ。私が妹紅の助っ人をする事になったわけだ」
その場にいる、慧音以外の全員が唖然とした。
この女、何を考えているのだ? と。
妹紅と輝夜はひたすらに混乱、永琳は、何か裏があるのでは無いかと、警戒を始めた。
「と、いうわけで、先手必勝。まずは私から行かせてもらおう」
「へ? な、何を?」
そんな輝夜の質問に答えず、慧音は言葉を続けた。
「輝夜。お前は確か、月の姫だったよな?」
「え、ええ。そうよ。昔の話だけどね」
「一時は、相当数の男達を、手玉に取った事もあったようだな」
「まあ、ね。今では少し反省してるわ」
「お前は絶世の美女と呼ばれ、こうして直接見ても、確かに美人だ」
「あら、ありがとう」
「ただ、思いの外‥‥」
ここで慧音が、とんでもない一言を言い放った。
「顔面が地味だよな」
「ぐふっ!」
慧音の言葉と同時に、輝夜が前のめりに倒れる。
多くの人々に言わせれば、非常に贅沢な物言いであるが、輝夜は自身の顔立ちに不満を持っていたのだ。
洋の東西を問わずに人妖の集まるこの地には、西洋風の顔立ちの者が少なくない。
そんな中で過ごしていると、純和風な顔立ちの輝夜は、よく言えば清楚。
悪く言えば、地味な外見に映るのだ。
「ひ、ひどい‥‥気にしてるのに‥‥!」
「ひ、姫。大丈夫ですから。落ち着いて下さい!」
「永琳殿」
「え!?」
今にも泣き出しそうな輝夜を宥める永琳。
そんな彼女に、慧音は狙いを定めた。
「な、何かしら」
「数千年でいいから、もっと早く蓬莱の薬を飲めていればよかったのにな」
「ひい!」
輝夜に続き、永琳までもが言葉の刃に切り刻まれる。
女性に対し、年齢の話題で攻め入るなど、普段の慧音からは考えられない。
妹紅は、そんな友人を不安そうに見つめていた。
足元では、因縁の相手とその従者が打ちひしがれている。
いつもならば非常に喜ばしい光景だが、今はそんな気分にはとてもなれなかった。
「ちょ、ちょっと慧音。今のは言い過ぎじゃ‥‥」
「さて、妹紅」
「ええ!? わ、私も!? なんで!?」
「なんでって‥‥私はこう見えて、人に教えを施す立場だからな。どちらか一方だけを攻めるなんて、不公平な事は出来ないさ」
「い、いやいや」
「それで妹紅。お前も、貴族の出だったよな? その割には‥‥」
「ちょ、やめ‥‥」
「雰囲気が貧相だよな。輝夜と比較しても」
「いやああああ!」
こうして、慧音の足元に、不死の蓬莱人三名の亡骸が積まれる事となったのだ。
「ひ、ひどい‥‥ひどいよ‥‥」
「あんまりだわ‥‥」
「慧音のバカ‥‥」
それから数十分。
何とか復活した三人だったが、その代わりに激しい怨みの視線が慧音に向けられていた。
だが当の本人は、実にあっけらかんと言い放つ。
「ははは、何を言っている。四月馬鹿だろう?」
この言葉に、三人は顔を見合わせた。
そうか、エイプリルフールという事は、今の発言は全て嘘。
トゲのある冗談だったと、慧音は落とすつもりなのだ。
輝夜と妹紅は安心した。
が、永琳は納得出来ていなかった。
慧音の発言は、嘘や冗談と言うよりも、ただの悪質な悪口にしか捉えられなかったのだ。
そんな疑問に、慧音自身が答えを示した。
「今日は四月馬鹿。つまり、他人を存分に馬鹿にしても許される祭りだろう?」
「‥‥‥‥」
「‥‥は?」
「え、何それ?」
「一年に一度、自らの奥底に眠る、他人への気持ちを直接ぶつけ合い、互いにすっきりする。いや、初めて参加したが、なかなか清々しい気分になれるものだな」
なんと慧音は、最初から、エイプリルフールに関して、間違った認識をしていたのだ。
これでは、妹紅との会話が噛み合わなかったのも無理はない。
それを知った三人は、更に肩を落とす。
先ほど言われた悪口は、何の嘘偽りも無い、慧音の本心だったと発表されたのだから。
「さあ、次はお前達の番だぞ。どんとこい!」
襲いくるであろう暴言に備え、身構える慧音。
三人は仕方なく流れに乗り、思い付くままの慧音への感情をぶつける。
やれ石頭だ。
やれ人と妖の半端者だ。
やれ帽子のセンスがおかしいだ。
「む、むう。直接言われると、なかなか効くものがあるな」
「あ、はあ」
「さいですか」
「それはそれは」
若干傷付いた様子の慧音であるが、イベントとして楽しんでいる者と、何の心構えも無く暴言をぶつけられた者の間には、非常に大きな差がある。
テンションの違いは歴然だった。
「よし、今年の四月馬鹿は、これくらいにしようじゃないか。明日からはまた、節度を守って円滑な関係を築いて行こう」
「は、はあ」
「では、私はそろそろ失礼しよう。妹紅も、あまり長居すると迷惑だから、ほどほどにしろよ?」
「はあ」
「それでは、また」
「あ、はい」
「‥‥‥‥」
一人だけ祭りを堪能し、すっきりして去って行く慧音の背中を、打ちひしがれた三人は、黙って見送る事しか出来ないのであった。
余談だが、慧音が永遠亭を出て行くまでに、被害者が二名ほど追加されたそうである。
だがどんな時でも慧音先生は可愛い!