透明なガラス瓶の中に入ったそれをつまみ上げる。
つまみ上げたのは二つ。その内の一つを自身の口に放り込み、もう一方はガラス瓶に戻した。
カラリ、とガラス瓶の中で微かな音がした。
口内でリンゴの味のする飴玉を転がしながら、私は机へと向かう。
ガラス瓶を机の上に置いて、火の魔法を起動させて灯した燭台を光源に、引き出しを開く。取り出したのは一冊の赤い表紙の日記帳。
燭台を机の上に置いて、椅子に腰掛け日記帳を開くと、机の上のペン立てに指された羽ペンを手に取った。
ペン先をインク壺に浸け、日記帳の白紙のページに羽ペンの先を走らせた。
私は昨日の出来事を思い出す。
記憶を風化させないように、文字を紡ぐ。大切な思い出を留めるために。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「取材?」
椅子に座って本を読んでいた私は小首を傾げた。
それは私の元に届いた一通の手紙だった。
差出人は稗田阿求。
「はい、どうやらフランドールお嬢様にお話を伺いたいようです」
この手紙を持って来た咲夜の話では、この紅魔館に人里から荷物を運んでいる行商人が稗田阿求から預かって持って来た物なのだという。
手紙を開いてみれば、簡単な挨拶と自己紹介から始まり、幻想郷に住む者達に関する調書を纏めるために、多くの妖怪、人間、妖精に話を聞いて、そのために私を招待したいという旨が丁寧な字で書かれていた。
「……なるほど。お呼ばれされるのは構わないけれど、招待っていっても、私が人里に行ってもいいものなのかしら?」
「では、お嬢様に相談してまいりましょう。しばらくお待ち下さい」
私の部屋から咲夜の姿が消える。
私は、咲夜が戻ってくるまで本でも読んで待つことにしよう。
机の上に伏せていた恋愛小説を手に取った。
それからしばらくの後、咲夜から明日の朝人里に行ける事になったと伝えられた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
玄関先で美鈴が日傘を開いた。
私に影が落ちる。
「美鈴、フランドールお嬢様のエスコートを頼んだわよ」
「ええ、分かっていますよ。任せて下さい」
玄関まで見送りに来た咲夜に美鈴は胸を張った。
「フラン、ハンカチは持った? 淑女として恥ずかしくない行動を心がけなさい。向こうであまり迷惑掛けちゃだめよ」
「大丈夫よお姉様。ハンカチは持ったし、私だって一貴族だもの。礼節は弁えているわ」
咲夜と一緒に玄関まで見送りに来た、何処か心配そうなお姉様に、美鈴と同様に胸を張る。
「それから今着けている腕輪は今日一日は絶対に外さないこと」
「はーい」
お姉様の指さした私の右腕には今腕輪が一つ着いている。
飾り気の少ないこの金色の腕輪は、パチュリーが作った私の魔力を抑えるための魔法具だ。実際にこの腕輪を着けた私は普段と比べて大幅に力が抑えられている。
昨夜のうちにこの腕輪を渡され、力を抑えた状態に慣れるのに少々時間が掛かったが今は魔力の行使以外は身体の動作は問題無く出来ている。お姉様の話ではこれを着けていることが人里に入るための条件の一つらしい。
「そういえばパチュリーは?」
「パチェなら用事があるからってあなたより先にアリスと一緒に出掛けていったわ」
パチュリーが外に出るなんて珍しい。いったい何するつもりなのかしら。
「それじゃ、そろそろ行きましょうかフラン様。約束の時間に遅れてしまいます」
「あ、うん」
隣に立つ美鈴に頷くと、彼女は私を抱え上げる。
「さあ、落ちないようにしっかり私に掴まって下さいね」
左手で私を抱えながら、器用に日傘を差す美鈴に首に抱きついて、お姉様に小さく手を振る。
「いってきます、お姉様」
「いってらっしゃい、フラン」
手を振る私に、お姉様も小さく手を振り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ようこそおいで下さいました。フランドール・スカーレット様ですね」
美鈴に抱きかかえられて、人里の一際大きな屋敷の前に降り立ち門戸をくぐり抜けた私達を、着物姿の壮年の女性が出迎えた。
「あなたが稗田阿求?」
「いえいえ、私は稗田家で女中をしている者です」
美鈴の隣に立つ私に女性は首を横に振った。
「これから阿求様の所までご案内いたします」
そう言って先を歩く彼女の後ろを付いて歩いて、私達は玄関をくぐる。
靴を脱いで廊下を歩くと、足下でギシギシと床板が軋んだ。
やがて、女中はとある一室の前で立ち止まった。
「阿求様、フランドール・スカーレット様とお連れの方をこちらに」
「分かりました。どうぞ入って下さい」
室内からの声に、女中が襖を開ける。促されて私達は室内へと足を踏み入れた。
背後で襖が閉められる。
そこには少女が一人、畳に正座をしていた。
「ご足労いただき、ありがとうございます。私は稗田家現当主、稗田阿求と申します」
阿求は深々と頭を下げた。
「お招きにより、参りました。フランドール・スカーレットです。お会いできて光栄ですわ」
スカートの端を摘み、私も緊張した面持ちの彼女に礼を取った。
「では、フランドールさんにわざわざ来ていただいたのは、現在私の行っている幻想郷縁起の編纂に協力をしていただきたいと思ったからです」
「手紙にもその旨が書かれていたわね。それで、私は何をすればいいのかしら?」
阿求と向かい合って座り、出された紅茶を飲む私に彼女は口を開いた。
「私の質問に答えていただくだけで構いません」
「そうなの? だったらさっさと済ませてしまいましょう。何でも聞いて頂戴」
「ありがとうございます。では、早速」
自身の前に小さな机を用意し、その机の上に半紙と筆の準備をすると、阿求は質問を始めた。
それから私は阿求の質問に一つ一つ答える。
質問の内容は大したことは無く、私の普段の生活に関しての質問ばかりだった。
「……質問は以上です。ご協力ありがとうございました」
一時間ほどで問答は終わり、阿求は私に礼をした。
「あれ、もういいの?」
「はい、これで幻想郷縁起の編纂がまた一つ進みます」
「そっか」
「阿求、終わった?」
そこで、私達以外の声と共に襖が開けられた。
そこに立っていたのは私のよく知る人物だった。
「霊夢、どうしてここにいるの!?」
「今日は私も阿求に呼ばれたのよ。博麗の巫女として妖怪退治をしているから定期的に話を聞かれるの」
襖を開け放って立つ霊夢は、私の驚きを余所に何でも無いというように答えた。
「あら、霊夢さんはフランドールさんと親しいのですか?」
「親しいというか、こいつがしょっちゅう私の所に押し掛けてくるのよ」
「なるほど、さすが妖怪神社と呼ばれるだけはありますね」
くすくすと笑う阿求に霊夢は憮然とした表情をしてみせた。それから彼女は私に視線を移す。
「なるほど、私の言った通りちゃんと対策はしてきたようね」
「何のこと?」
「あんたの姉から昨日人里に入るための条件を聞かれたのよ。吸血鬼条約がある以上、あんた達吸血鬼は人里においそれと入れないから。条約に関しては博麗神社にも記録が残っているの。だから、私の所に質問に来たんでしょうね」
どうやら、お姉様が私が人里に入れるように手を打っていたようだ。
「一つ、力をギリギリまで落とすこと」
霊夢が私の腕輪を指す。
「二つ、人里の人間に害を加えないようにひとり人間に友好的かつあんたを抑えることが出来る者を付けること」
更に私の後ろに控える美鈴を指す。
「美鈴、後は私が引き受けるわ」
「……わかったわ。夜までにはフラン様を紅魔館返して頂戴ね。ではフラン様、私はこれで紅魔館に戻ります。あまり遅くならずに帰ってきて下さいね」
霊夢を少し見た後、美鈴は立ち上がり日傘を霊夢に渡す。
「あれ、美鈴帰っちゃうの?」
私が首を傾げていると、霊夢は私に笑みを向けた。
「レミリアから頼まれたのよ。あんたに人里を見せてやってくれってね」
「お姉様ったら、お節介焼きね」
だけど私は今、頬の緩みを抑えられそうになかった。だって、霊夢の話が本当なら、今日はこの後一日、霊夢と一緒ってことなんだから。
「随分と仲が宜しいようですね、おふたりとも。詳しくお話を伺いたいところです」
「そう簡単に話さないわよ」
何やら瞳を輝かせる阿求を、霊夢はわざとらしく鼻で笑っていた。
「そうでしょうね。霊夢さんのことですからそう言うと思っていましたとも。ですから今度こっそりフランドールさんに伺うことにします」
「え、私?」
「やめときなさい。こいつにあんまり踏み込んだこと聞いたら血を吸われるわよ」
「えー、そんなこと霊夢にしかしないよ」
他の血なんて直に飲む気はしないわ。
霊夢は顔を押さえて、阿求は楽しそうに小さく笑った。
「ごちそうさまです。それはそうと、フランドールさん。今日はありがとうございました。霊夢さんもご協力ありがとうございました。今日のお礼は後日ご用意いたします」
「礼なら玉露入りのお茶がいいわ」
「お邪魔しました。楽しかったわ、阿求」
ひらりと手を振って玄関へ向かって廊下を歩いて行く霊夢。私は来た時と同様にスカートの端を摘んで阿求に礼をして、霊夢を追いかけた。
「ねえ霊夢」
「何かしら?」
「今日はこれから私に付き合うって事は霊夢とデートって事でいいのかしら」
「……そういうことになるわね」
緩む頬を隠すように、私は玄関先で日傘を広げる。
そして、広げたところで目の前に手が差し出された。
その手を取る。
ゆっくりと握られる温かな手を、私もまた握り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
稗田邸を出た私達は、人里の商店街を歩いていた。
多くの人間によって踏み固められた土の上を歩く。日傘の影に身を隠して、私は初めて見る人里の商店街の様子に目移りさせていた。
「ねえ、霊夢あれは何?」
「あれは呉服店ね着物を売っている店よ」
「あれは?」
「おまんじゅうの専門店。美味しいってことで最近有名な店よ」
「おまんじゅう、食べたい!」
「はいはい、分かったわよ。分かったからそんなに引っ張らないで」
霊夢の手を引っ張り、あっちへこっちへと足を向ける。
霊夢に買ってもらったおまんじゅうを口に放り込みつつ、商店街を通る人々に目を向けた。それぞれの店の店主の客を呼び込む姿や、立ち話をする人々の姿が目に映る。
ほとんどは人間だが、そんな中で少ないながら妖怪や妖精の姿も見て取ることが出来た。
「人里なのに人間以外もいるのね」
「基本的に人間に害を成すことが無ければ、人間以外も人里に入ることは出来るわ」
霊夢の話を聞き来ながら歩いているとふと、商店街の一角にある幟が目に入った。
幟には『恵まれる吸血鬼姉妹に愛の手を。紅魔館の吸血鬼姉妹は血液を必要としています。ご協力いただいた方にはスカーレット姉妹のブロマイドを一枚差し上げます』と書かれていた。
え、何あれ。人里であんなのしているなんて聞いたこと無いよ? お姉様は知っているの? しかも何あの行列。
デフォルメされたウサギの絵が描かれた幟が起てられた小屋の外には、おそらく血液の提供のためなのだろう、長い行列が出来ていた。その中には、紅魔館指定のメイド服を身に纏ったメイド妖精達がブロマイド片手に嬉しそうにはしゃいでいる姿も見受けられた。
あんた達、いつも実物見てるのにそんなにブロマイドがほしいの……。
審議は後にはっきりさせるとして、とりあえず私は深くは考えず、その場を速やかに通り過ぎることに決めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
商店街から少し離れた小さな空き地に人集りが出来ていた。
何かと思い、人波をかき分けて進んでみれば、そこにいたのは金の髪の人形遣いと我が紅魔館の七曜魔女がいた。
どうやらふたりで人形劇を行っているようだった。
簡易の舞台の上で人形達がそれぞれの役を演じていた。アリスが指を一本動かせば、複数の人形が一斉に動き出す。その度に舞台に前に座る子供達は歓声を上げて、大人達もまた楽しげに息を漏らす。
私は観客に紛れるように座り、魔女達の舞台を眺める。
舞台は既に終盤。捕らえられた王国の姫君を救い出すため、悪の軍団との戦争へと発展した物語は、アリスの操る騎士の格好をした人形と、パチュリーが作り出したいかにもな黒い格好をした敵役の小さなゴーレム達が舞台の真ん中で攻防を繰り広げる。
アリスの操る人形達がゴーレムを打ち倒す度に、子供達から歓声が沸く。しかし小さな騎士達は、現れた最後の敵が変身した姿であるドラゴン型のゴーレムにより一体、また一体と打ち倒されてしまう。遂に最後の一体となった騎士は剣を片手に、ドラゴンへと向かう。ドラゴンの吐き出した炎を盾で防ぎ、剣を振るう。ドラゴンもまた騎士を打ち倒すべく尻尾や爪を振るう。
まるで生きているように動く両者の攻防を観客は固唾を呑んで見守る。
そして、騎士の剣が遂にドラゴンを貫き、壮絶な咆吼と共にその巨体が倒れた。砂と化して崩れていくドラゴンと勝利の雄叫びのように剣を振り上げる騎士の姿に、また歓声が沸く。
それから、敵の城から救い出された姫がドラゴンを打ち倒した騎士と抱き合い。物語は大団円となる。
観客達の惜しみない拍手にふたりの魔女は人形、ゴーレム共々丁寧にお辞儀をした。
そうして、観客の中に同じく拍手をする私の姿を見付けたパチュリーは驚いた顔を見せ、そんなパチュリーに私は手を振って見せた。
「今日は珍しくパチュリーがいたのね」
「うん、お姉様が言っていた用事ってこれのことだったのね。さあ、行きましょう霊夢」
「話ししていかなくていいの?」
「いいの。ふたりの邪魔しちゃ悪いし」
私の側まで寄ってきた霊夢に首を振って、彼女の手を握る。
霊夢もまた、その手を握り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
恋愛小説を読んでいると、往々にしてデートをするシーンが描かれている。
そして、そのデート先で何かしらのハプニングに遭うのだ。
デートってそういうものを楽しむものなのかしら?
「参ったわ。霊夢が迷子だわ」
気が付けば人里でひとりになっていた。
どうやら繋いでいた手を離してしまったようで、迷子になった霊夢を私は探している。
商店街をひとりで歩き、その姿を探す。しかし紅白の巫女服姿は見当たらない。
「おや、そこにいるのはレミリアの妹か?」
声のする方向へと振り向いてみれば、そこに立っていたのは人里の守護者。
以前、紅魔館で行われたパーティーで一度だけ挨拶をした覚えがある。
「ごきげんよう。上白沢慧音、で良かったかしら? フランドールよ」
「ああ、そうだ。ごきげんようフランドール。それで、吸血鬼であるお前が何故こんな所にいる? 人間に害を成すつもりだというなら……」
私を見る慧音の目が鋭くなる。
「そんな殺気をを私に向けないでちょうだい。抑えられなくなるから。人間に危害を加えるつもりは無いわ」
「……本当だろうな?」
「本当よ。今ははぐれた霊夢を探しているところなの」
探るように視線を向ける彼女に、私は溜息と共に答えた。
どうやら、そう簡単に逃がしてくれそうに無い。今は腕輪の影響でまともに相手を出来るような状態じゃ無いんだけど。
「ごめん、慧音待たせたわね」
どうしたものかと悩んでいた所で呑気な声が掛けられた。
顔を向けてみれば、そこにはもんぺを履いた白髪の少女の姿があった。
「どうしたの慧音、そんなに怖い顔して」
「妹紅……」
朗らかな笑みの少女の目が私を捉える。
「あなた、確か……」
「フランドールよ」
「ああ、そうか。レミリアの妹ね。こんな所でどうしたの?」
「連れがはぐれてしまって、ずっと探しているのだけれど」
「連れ?」
「霊夢です」
「あの脇巫女か」
少女は何か考えるように顎に手を当ててから、慧音を見た。
「慧音、私はしばらくフランドールに付き合おうかと思うんだけど」
「まったく、お前というやつは……遅れてきた上に……」
「ごめん」
慧音は呆れたように溜息を吐いた。
「わかった。私も付き合おう。お前一人に任せるわけにもいかないからな」
「え、でも」
「お前が好きにするなら、私も好きにするさ。さあ、行くぞ」
「慧音」
「何だ?」
「ありがとう」
何かしらこの空気。私、お邪魔なのかしら。
「あ、忘れてた。藤原妹紅よ」
「……よろしく」
慧音、妹紅と一緒に私は人里の中を歩き回る。
「慧音、最近人気のおまんじゅう屋に寄っていこうよ」
歩き回る。
「あ、これかわいい。慧音、ちょっと買ってきていい?」
……一緒に探す気があるのかしら、この人?
空を見上げれば、もうじき朱に染まろうとしていた。
「すまんな、フランドール。一緒に探すと言っておきながらこの様だ」
妹紅が店に入っている間、慧音が私に謝る。
「気にしないで、基はといえば私とはぐれた霊夢が悪いんだから」
「ふむ、妹紅が戻ってくる間に近くの店の主人に霊夢を見掛けてないか聞いてこよう」
そう言うと、慧音は近くの店に入っていった。
「お待たせ。ってあれ、慧音は?」
「霊夢を見掛けていないか、そこのお店の店主に話を聞きに行っているわ」
「そっか。あ、このお店のおばちゃんがさっき霊夢を見たってさ。ありがとね、おばちゃん」
妹紅がここの店主だろう、小皺が少々目立つ女性に手を振って礼の言葉を掛けた。
妹紅指した方向は商店街から少し外れた先。霊夢はその方向へ向かった様だった。
「どうやら、霊夢はあちらの方角へ行ったようだ」
話を終えて私達の所へと戻ってきた慧音が指した先も、やはり妹紅が示したのと同じ方向だった。
「……やっぱり、あなた達は似たもの同士ね」
私の言葉に、二人は揃って首を傾げたのだった。
『迷子のフランドールさん、迷子のフランドールさん。お連れの巫女がお探しです。至急お近くの広場までお越し下さい』
商店街を抜けた辺りで、そんな声が聞こえてきた。
それは明らかに私のよく知る霊夢の声だった。
あの脇巫女、何て恥ずかしいことしてるのよ!
「おや、霊夢もお前のことを探していたようだな」
慧音はくっくと小さく笑う。
「もう、霊夢の馬鹿!」
「これでもう大丈夫だろう。ここでお別れだ。今度ははぐれたりするんじゃないぞ」
そう言って、慧音は妹紅と連れ立って私に背を向けた。
「慧音、妹紅、ありがとう」
二人はゆっくりと私に手を振って、商店街へと戻っていった。
二人を見送ってから、私はすぐに声のする方へと掛けだした。
「霊夢!」
「やっと来たわね。ありがとうおじさん。これ返すわ」
「おう、見付かってよかったな」
私が駆け寄ると、広場の真ん中に立って側に立っていた黒髪の中に白髪の目立つ男性に手に持っていたメガホンを渡している。
メガホンを受け取った彼は、ニッと歯を見せるように笑ってそのまま隣に止められていた様々な品物の詰め込まれたリヤカーを引いて広場を後にした。
「リヤカーを引いてあちこちで行商をしているおじさんよ。さっき見掛けて、あの人の持っていたメガホンを借りたのよ」
「ふうんそうなの、ってそうじゃないでしょう! 何よあの恥ずかしい呼びかけ!」
霊夢に向けて拳を振り上げるも、腕輪によって力の封じられた私の拳はポスポスと彼女の手に平に収まってしまう。
「あんたがなかなか見付からないからよ。それにこうした方が早く見付かるかと思ったのよ」
「もう、霊夢の馬鹿!」
頬を膨らませてそっぽを向く。
「本当、心配させないでよ。あんた、今はこんなに弱くなってるんだから」
私の頭に手が置かれる。頭を撫でる彼女の顔は、少しだけ安心したように笑っていた。
その顔を見たら、私は何も言えなくなってしまった。
「ごめん、霊夢」
「何とも無くてよかったわ」
「慧音と妹紅が付いてたから」
「あら、あいつらといたの」
「うん、二人ともほとんど遊んでたけど、霊夢を探すのを手伝ってくれたのよ」
「今度、私からも礼を言っておくわ。だけど、大分日が沈んできちゃったわね」
霊夢の言う通り、空は朱から夜の色へと変わりつつあった。
霊夢がお姉様と約束しているのは夜までには私を紅魔館に帰すこと。つまりは、もう時間切れという事だ。
「もう帰るしか無いのね。霊夢ともっと人里を廻りたかったのに……」
「そう落ち込まないの」
「だって……」
霊夢との初めてのデートでもあったのだから、落ち込むなという方が無理な話だ。
「わかった、それじゃ明日にでもあんたの所に泊まりにでも行ってあげるわ」
「本当?」
「ええ、本当。だから、今日はこれで我慢しなさい」
「……うん、わかった」
頷いた私の頭を霊夢はポンポンと撫でた。
「ただいま、お姉様」
「おかえり、フラン」
霊夢と一緒に紅魔館に帰ると、玄関先でお姉様が私の帰りを待っていた。
「今日はどうだった、フラン?」
「楽しかったし、初めてのものも沢山見れたわ」
「そう、後でゆっくり聞かせて頂戴。それから、霊夢」
お姉様は私に笑みを浮かべると、霊夢に軽く頭を下げた。
「今日はありがとう。私の頼みを聞いてくれて」
「一つ、あんたに貸しとくわ。せいぜいのんびり返して頂戴」
「ええ、そうするわ」
お姉様に頷いて、霊夢は私達に背を向ける。
「霊夢、今日は楽しかったわ」
「フランドールが楽しめたのなら、それで良いわ」
それだけを言うと、霊夢は神社に向かって飛んで行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
私は手を止める。
羽ペンをペン立てに差して、パタリと日記の表紙を閉じた。
ガラス瓶から飴玉を一つ取り出して、口に入れる。
レモンの味が口の中に広がる。
コツコツと部屋の扉が叩かれる。
「どうぞ、開いてるわよ」
扉が開かれた。
燭台の灯りに照らし出されたのは、紅白の巫女服。
「いらっしゃい、霊夢」
「こんばんは、フランドール。泊まりに来てあげたわよ」
「正直、本当に来てくれるとは思わなかったわ」
「来なかったら来なかったで、あんたが私の所に泊まりに来る気だったでしょう?」
「よく分かってるじゃない」
「あんたの考えなんてお見通しよ」
ふふん、と鼻で笑って霊夢はテーブルの所にある椅子に腰掛ける。
「霊夢」
「ん?」
「来てくれてありがとう」
「どういたしまして。そういえば少し甘い匂いがするわね」
「あ、気付いた? これだよ」
飴玉の入ったガラス瓶をテーブルの上に置く。
「へえ、飴か。私にも一つ頂戴」
「ん、いいよ。何が良い?」
「それじゃ、あんたが今口に入れているのと同じもの」
「だったらこれね」
ガラス瓶からレモン味の飴を一つ取り出す。
それから霊夢を見れば口を開けている。
「え、何?」
「ほら食べさせて」
「え、え?」
「ほら」
霊夢が顔を突き出す。
ゴクリと喉を鳴らして、恐る恐る飴を彼女の口に入れる。閉じた彼女の唇に僅かに私の指が触れた。
「……レモン味ね」
霊夢は口の中で飴玉を数回転がしてから、そう感想を口にした。
「美味しい?」
「美味しいわ」
「よかった」
ふたりで同じ味の飴玉を転がす。
「今度、霊夢と一緒にデートがしたいな。人里だけじゃなくて、幻想郷の色んな所を一緒に廻るの。いいでしょう」
「……まあそのうちね」
「その言葉、忘れないわよ」
苦笑する霊夢に、私は最高の笑みを向けてやった。
END
つまみ上げたのは二つ。その内の一つを自身の口に放り込み、もう一方はガラス瓶に戻した。
カラリ、とガラス瓶の中で微かな音がした。
口内でリンゴの味のする飴玉を転がしながら、私は机へと向かう。
ガラス瓶を机の上に置いて、火の魔法を起動させて灯した燭台を光源に、引き出しを開く。取り出したのは一冊の赤い表紙の日記帳。
燭台を机の上に置いて、椅子に腰掛け日記帳を開くと、机の上のペン立てに指された羽ペンを手に取った。
ペン先をインク壺に浸け、日記帳の白紙のページに羽ペンの先を走らせた。
私は昨日の出来事を思い出す。
記憶を風化させないように、文字を紡ぐ。大切な思い出を留めるために。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「取材?」
椅子に座って本を読んでいた私は小首を傾げた。
それは私の元に届いた一通の手紙だった。
差出人は稗田阿求。
「はい、どうやらフランドールお嬢様にお話を伺いたいようです」
この手紙を持って来た咲夜の話では、この紅魔館に人里から荷物を運んでいる行商人が稗田阿求から預かって持って来た物なのだという。
手紙を開いてみれば、簡単な挨拶と自己紹介から始まり、幻想郷に住む者達に関する調書を纏めるために、多くの妖怪、人間、妖精に話を聞いて、そのために私を招待したいという旨が丁寧な字で書かれていた。
「……なるほど。お呼ばれされるのは構わないけれど、招待っていっても、私が人里に行ってもいいものなのかしら?」
「では、お嬢様に相談してまいりましょう。しばらくお待ち下さい」
私の部屋から咲夜の姿が消える。
私は、咲夜が戻ってくるまで本でも読んで待つことにしよう。
机の上に伏せていた恋愛小説を手に取った。
それからしばらくの後、咲夜から明日の朝人里に行ける事になったと伝えられた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
玄関先で美鈴が日傘を開いた。
私に影が落ちる。
「美鈴、フランドールお嬢様のエスコートを頼んだわよ」
「ええ、分かっていますよ。任せて下さい」
玄関まで見送りに来た咲夜に美鈴は胸を張った。
「フラン、ハンカチは持った? 淑女として恥ずかしくない行動を心がけなさい。向こうであまり迷惑掛けちゃだめよ」
「大丈夫よお姉様。ハンカチは持ったし、私だって一貴族だもの。礼節は弁えているわ」
咲夜と一緒に玄関まで見送りに来た、何処か心配そうなお姉様に、美鈴と同様に胸を張る。
「それから今着けている腕輪は今日一日は絶対に外さないこと」
「はーい」
お姉様の指さした私の右腕には今腕輪が一つ着いている。
飾り気の少ないこの金色の腕輪は、パチュリーが作った私の魔力を抑えるための魔法具だ。実際にこの腕輪を着けた私は普段と比べて大幅に力が抑えられている。
昨夜のうちにこの腕輪を渡され、力を抑えた状態に慣れるのに少々時間が掛かったが今は魔力の行使以外は身体の動作は問題無く出来ている。お姉様の話ではこれを着けていることが人里に入るための条件の一つらしい。
「そういえばパチュリーは?」
「パチェなら用事があるからってあなたより先にアリスと一緒に出掛けていったわ」
パチュリーが外に出るなんて珍しい。いったい何するつもりなのかしら。
「それじゃ、そろそろ行きましょうかフラン様。約束の時間に遅れてしまいます」
「あ、うん」
隣に立つ美鈴に頷くと、彼女は私を抱え上げる。
「さあ、落ちないようにしっかり私に掴まって下さいね」
左手で私を抱えながら、器用に日傘を差す美鈴に首に抱きついて、お姉様に小さく手を振る。
「いってきます、お姉様」
「いってらっしゃい、フラン」
手を振る私に、お姉様も小さく手を振り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ようこそおいで下さいました。フランドール・スカーレット様ですね」
美鈴に抱きかかえられて、人里の一際大きな屋敷の前に降り立ち門戸をくぐり抜けた私達を、着物姿の壮年の女性が出迎えた。
「あなたが稗田阿求?」
「いえいえ、私は稗田家で女中をしている者です」
美鈴の隣に立つ私に女性は首を横に振った。
「これから阿求様の所までご案内いたします」
そう言って先を歩く彼女の後ろを付いて歩いて、私達は玄関をくぐる。
靴を脱いで廊下を歩くと、足下でギシギシと床板が軋んだ。
やがて、女中はとある一室の前で立ち止まった。
「阿求様、フランドール・スカーレット様とお連れの方をこちらに」
「分かりました。どうぞ入って下さい」
室内からの声に、女中が襖を開ける。促されて私達は室内へと足を踏み入れた。
背後で襖が閉められる。
そこには少女が一人、畳に正座をしていた。
「ご足労いただき、ありがとうございます。私は稗田家現当主、稗田阿求と申します」
阿求は深々と頭を下げた。
「お招きにより、参りました。フランドール・スカーレットです。お会いできて光栄ですわ」
スカートの端を摘み、私も緊張した面持ちの彼女に礼を取った。
「では、フランドールさんにわざわざ来ていただいたのは、現在私の行っている幻想郷縁起の編纂に協力をしていただきたいと思ったからです」
「手紙にもその旨が書かれていたわね。それで、私は何をすればいいのかしら?」
阿求と向かい合って座り、出された紅茶を飲む私に彼女は口を開いた。
「私の質問に答えていただくだけで構いません」
「そうなの? だったらさっさと済ませてしまいましょう。何でも聞いて頂戴」
「ありがとうございます。では、早速」
自身の前に小さな机を用意し、その机の上に半紙と筆の準備をすると、阿求は質問を始めた。
それから私は阿求の質問に一つ一つ答える。
質問の内容は大したことは無く、私の普段の生活に関しての質問ばかりだった。
「……質問は以上です。ご協力ありがとうございました」
一時間ほどで問答は終わり、阿求は私に礼をした。
「あれ、もういいの?」
「はい、これで幻想郷縁起の編纂がまた一つ進みます」
「そっか」
「阿求、終わった?」
そこで、私達以外の声と共に襖が開けられた。
そこに立っていたのは私のよく知る人物だった。
「霊夢、どうしてここにいるの!?」
「今日は私も阿求に呼ばれたのよ。博麗の巫女として妖怪退治をしているから定期的に話を聞かれるの」
襖を開け放って立つ霊夢は、私の驚きを余所に何でも無いというように答えた。
「あら、霊夢さんはフランドールさんと親しいのですか?」
「親しいというか、こいつがしょっちゅう私の所に押し掛けてくるのよ」
「なるほど、さすが妖怪神社と呼ばれるだけはありますね」
くすくすと笑う阿求に霊夢は憮然とした表情をしてみせた。それから彼女は私に視線を移す。
「なるほど、私の言った通りちゃんと対策はしてきたようね」
「何のこと?」
「あんたの姉から昨日人里に入るための条件を聞かれたのよ。吸血鬼条約がある以上、あんた達吸血鬼は人里においそれと入れないから。条約に関しては博麗神社にも記録が残っているの。だから、私の所に質問に来たんでしょうね」
どうやら、お姉様が私が人里に入れるように手を打っていたようだ。
「一つ、力をギリギリまで落とすこと」
霊夢が私の腕輪を指す。
「二つ、人里の人間に害を加えないようにひとり人間に友好的かつあんたを抑えることが出来る者を付けること」
更に私の後ろに控える美鈴を指す。
「美鈴、後は私が引き受けるわ」
「……わかったわ。夜までにはフラン様を紅魔館返して頂戴ね。ではフラン様、私はこれで紅魔館に戻ります。あまり遅くならずに帰ってきて下さいね」
霊夢を少し見た後、美鈴は立ち上がり日傘を霊夢に渡す。
「あれ、美鈴帰っちゃうの?」
私が首を傾げていると、霊夢は私に笑みを向けた。
「レミリアから頼まれたのよ。あんたに人里を見せてやってくれってね」
「お姉様ったら、お節介焼きね」
だけど私は今、頬の緩みを抑えられそうになかった。だって、霊夢の話が本当なら、今日はこの後一日、霊夢と一緒ってことなんだから。
「随分と仲が宜しいようですね、おふたりとも。詳しくお話を伺いたいところです」
「そう簡単に話さないわよ」
何やら瞳を輝かせる阿求を、霊夢はわざとらしく鼻で笑っていた。
「そうでしょうね。霊夢さんのことですからそう言うと思っていましたとも。ですから今度こっそりフランドールさんに伺うことにします」
「え、私?」
「やめときなさい。こいつにあんまり踏み込んだこと聞いたら血を吸われるわよ」
「えー、そんなこと霊夢にしかしないよ」
他の血なんて直に飲む気はしないわ。
霊夢は顔を押さえて、阿求は楽しそうに小さく笑った。
「ごちそうさまです。それはそうと、フランドールさん。今日はありがとうございました。霊夢さんもご協力ありがとうございました。今日のお礼は後日ご用意いたします」
「礼なら玉露入りのお茶がいいわ」
「お邪魔しました。楽しかったわ、阿求」
ひらりと手を振って玄関へ向かって廊下を歩いて行く霊夢。私は来た時と同様にスカートの端を摘んで阿求に礼をして、霊夢を追いかけた。
「ねえ霊夢」
「何かしら?」
「今日はこれから私に付き合うって事は霊夢とデートって事でいいのかしら」
「……そういうことになるわね」
緩む頬を隠すように、私は玄関先で日傘を広げる。
そして、広げたところで目の前に手が差し出された。
その手を取る。
ゆっくりと握られる温かな手を、私もまた握り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
稗田邸を出た私達は、人里の商店街を歩いていた。
多くの人間によって踏み固められた土の上を歩く。日傘の影に身を隠して、私は初めて見る人里の商店街の様子に目移りさせていた。
「ねえ、霊夢あれは何?」
「あれは呉服店ね着物を売っている店よ」
「あれは?」
「おまんじゅうの専門店。美味しいってことで最近有名な店よ」
「おまんじゅう、食べたい!」
「はいはい、分かったわよ。分かったからそんなに引っ張らないで」
霊夢の手を引っ張り、あっちへこっちへと足を向ける。
霊夢に買ってもらったおまんじゅうを口に放り込みつつ、商店街を通る人々に目を向けた。それぞれの店の店主の客を呼び込む姿や、立ち話をする人々の姿が目に映る。
ほとんどは人間だが、そんな中で少ないながら妖怪や妖精の姿も見て取ることが出来た。
「人里なのに人間以外もいるのね」
「基本的に人間に害を成すことが無ければ、人間以外も人里に入ることは出来るわ」
霊夢の話を聞き来ながら歩いているとふと、商店街の一角にある幟が目に入った。
幟には『恵まれる吸血鬼姉妹に愛の手を。紅魔館の吸血鬼姉妹は血液を必要としています。ご協力いただいた方にはスカーレット姉妹のブロマイドを一枚差し上げます』と書かれていた。
え、何あれ。人里であんなのしているなんて聞いたこと無いよ? お姉様は知っているの? しかも何あの行列。
デフォルメされたウサギの絵が描かれた幟が起てられた小屋の外には、おそらく血液の提供のためなのだろう、長い行列が出来ていた。その中には、紅魔館指定のメイド服を身に纏ったメイド妖精達がブロマイド片手に嬉しそうにはしゃいでいる姿も見受けられた。
あんた達、いつも実物見てるのにそんなにブロマイドがほしいの……。
審議は後にはっきりさせるとして、とりあえず私は深くは考えず、その場を速やかに通り過ぎることに決めた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
商店街から少し離れた小さな空き地に人集りが出来ていた。
何かと思い、人波をかき分けて進んでみれば、そこにいたのは金の髪の人形遣いと我が紅魔館の七曜魔女がいた。
どうやらふたりで人形劇を行っているようだった。
簡易の舞台の上で人形達がそれぞれの役を演じていた。アリスが指を一本動かせば、複数の人形が一斉に動き出す。その度に舞台に前に座る子供達は歓声を上げて、大人達もまた楽しげに息を漏らす。
私は観客に紛れるように座り、魔女達の舞台を眺める。
舞台は既に終盤。捕らえられた王国の姫君を救い出すため、悪の軍団との戦争へと発展した物語は、アリスの操る騎士の格好をした人形と、パチュリーが作り出したいかにもな黒い格好をした敵役の小さなゴーレム達が舞台の真ん中で攻防を繰り広げる。
アリスの操る人形達がゴーレムを打ち倒す度に、子供達から歓声が沸く。しかし小さな騎士達は、現れた最後の敵が変身した姿であるドラゴン型のゴーレムにより一体、また一体と打ち倒されてしまう。遂に最後の一体となった騎士は剣を片手に、ドラゴンへと向かう。ドラゴンの吐き出した炎を盾で防ぎ、剣を振るう。ドラゴンもまた騎士を打ち倒すべく尻尾や爪を振るう。
まるで生きているように動く両者の攻防を観客は固唾を呑んで見守る。
そして、騎士の剣が遂にドラゴンを貫き、壮絶な咆吼と共にその巨体が倒れた。砂と化して崩れていくドラゴンと勝利の雄叫びのように剣を振り上げる騎士の姿に、また歓声が沸く。
それから、敵の城から救い出された姫がドラゴンを打ち倒した騎士と抱き合い。物語は大団円となる。
観客達の惜しみない拍手にふたりの魔女は人形、ゴーレム共々丁寧にお辞儀をした。
そうして、観客の中に同じく拍手をする私の姿を見付けたパチュリーは驚いた顔を見せ、そんなパチュリーに私は手を振って見せた。
「今日は珍しくパチュリーがいたのね」
「うん、お姉様が言っていた用事ってこれのことだったのね。さあ、行きましょう霊夢」
「話ししていかなくていいの?」
「いいの。ふたりの邪魔しちゃ悪いし」
私の側まで寄ってきた霊夢に首を振って、彼女の手を握る。
霊夢もまた、その手を握り返した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
恋愛小説を読んでいると、往々にしてデートをするシーンが描かれている。
そして、そのデート先で何かしらのハプニングに遭うのだ。
デートってそういうものを楽しむものなのかしら?
「参ったわ。霊夢が迷子だわ」
気が付けば人里でひとりになっていた。
どうやら繋いでいた手を離してしまったようで、迷子になった霊夢を私は探している。
商店街をひとりで歩き、その姿を探す。しかし紅白の巫女服姿は見当たらない。
「おや、そこにいるのはレミリアの妹か?」
声のする方向へと振り向いてみれば、そこに立っていたのは人里の守護者。
以前、紅魔館で行われたパーティーで一度だけ挨拶をした覚えがある。
「ごきげんよう。上白沢慧音、で良かったかしら? フランドールよ」
「ああ、そうだ。ごきげんようフランドール。それで、吸血鬼であるお前が何故こんな所にいる? 人間に害を成すつもりだというなら……」
私を見る慧音の目が鋭くなる。
「そんな殺気をを私に向けないでちょうだい。抑えられなくなるから。人間に危害を加えるつもりは無いわ」
「……本当だろうな?」
「本当よ。今ははぐれた霊夢を探しているところなの」
探るように視線を向ける彼女に、私は溜息と共に答えた。
どうやら、そう簡単に逃がしてくれそうに無い。今は腕輪の影響でまともに相手を出来るような状態じゃ無いんだけど。
「ごめん、慧音待たせたわね」
どうしたものかと悩んでいた所で呑気な声が掛けられた。
顔を向けてみれば、そこにはもんぺを履いた白髪の少女の姿があった。
「どうしたの慧音、そんなに怖い顔して」
「妹紅……」
朗らかな笑みの少女の目が私を捉える。
「あなた、確か……」
「フランドールよ」
「ああ、そうか。レミリアの妹ね。こんな所でどうしたの?」
「連れがはぐれてしまって、ずっと探しているのだけれど」
「連れ?」
「霊夢です」
「あの脇巫女か」
少女は何か考えるように顎に手を当ててから、慧音を見た。
「慧音、私はしばらくフランドールに付き合おうかと思うんだけど」
「まったく、お前というやつは……遅れてきた上に……」
「ごめん」
慧音は呆れたように溜息を吐いた。
「わかった。私も付き合おう。お前一人に任せるわけにもいかないからな」
「え、でも」
「お前が好きにするなら、私も好きにするさ。さあ、行くぞ」
「慧音」
「何だ?」
「ありがとう」
何かしらこの空気。私、お邪魔なのかしら。
「あ、忘れてた。藤原妹紅よ」
「……よろしく」
慧音、妹紅と一緒に私は人里の中を歩き回る。
「慧音、最近人気のおまんじゅう屋に寄っていこうよ」
歩き回る。
「あ、これかわいい。慧音、ちょっと買ってきていい?」
……一緒に探す気があるのかしら、この人?
空を見上げれば、もうじき朱に染まろうとしていた。
「すまんな、フランドール。一緒に探すと言っておきながらこの様だ」
妹紅が店に入っている間、慧音が私に謝る。
「気にしないで、基はといえば私とはぐれた霊夢が悪いんだから」
「ふむ、妹紅が戻ってくる間に近くの店の主人に霊夢を見掛けてないか聞いてこよう」
そう言うと、慧音は近くの店に入っていった。
「お待たせ。ってあれ、慧音は?」
「霊夢を見掛けていないか、そこのお店の店主に話を聞きに行っているわ」
「そっか。あ、このお店のおばちゃんがさっき霊夢を見たってさ。ありがとね、おばちゃん」
妹紅がここの店主だろう、小皺が少々目立つ女性に手を振って礼の言葉を掛けた。
妹紅指した方向は商店街から少し外れた先。霊夢はその方向へ向かった様だった。
「どうやら、霊夢はあちらの方角へ行ったようだ」
話を終えて私達の所へと戻ってきた慧音が指した先も、やはり妹紅が示したのと同じ方向だった。
「……やっぱり、あなた達は似たもの同士ね」
私の言葉に、二人は揃って首を傾げたのだった。
『迷子のフランドールさん、迷子のフランドールさん。お連れの巫女がお探しです。至急お近くの広場までお越し下さい』
商店街を抜けた辺りで、そんな声が聞こえてきた。
それは明らかに私のよく知る霊夢の声だった。
あの脇巫女、何て恥ずかしいことしてるのよ!
「おや、霊夢もお前のことを探していたようだな」
慧音はくっくと小さく笑う。
「もう、霊夢の馬鹿!」
「これでもう大丈夫だろう。ここでお別れだ。今度ははぐれたりするんじゃないぞ」
そう言って、慧音は妹紅と連れ立って私に背を向けた。
「慧音、妹紅、ありがとう」
二人はゆっくりと私に手を振って、商店街へと戻っていった。
二人を見送ってから、私はすぐに声のする方へと掛けだした。
「霊夢!」
「やっと来たわね。ありがとうおじさん。これ返すわ」
「おう、見付かってよかったな」
私が駆け寄ると、広場の真ん中に立って側に立っていた黒髪の中に白髪の目立つ男性に手に持っていたメガホンを渡している。
メガホンを受け取った彼は、ニッと歯を見せるように笑ってそのまま隣に止められていた様々な品物の詰め込まれたリヤカーを引いて広場を後にした。
「リヤカーを引いてあちこちで行商をしているおじさんよ。さっき見掛けて、あの人の持っていたメガホンを借りたのよ」
「ふうんそうなの、ってそうじゃないでしょう! 何よあの恥ずかしい呼びかけ!」
霊夢に向けて拳を振り上げるも、腕輪によって力の封じられた私の拳はポスポスと彼女の手に平に収まってしまう。
「あんたがなかなか見付からないからよ。それにこうした方が早く見付かるかと思ったのよ」
「もう、霊夢の馬鹿!」
頬を膨らませてそっぽを向く。
「本当、心配させないでよ。あんた、今はこんなに弱くなってるんだから」
私の頭に手が置かれる。頭を撫でる彼女の顔は、少しだけ安心したように笑っていた。
その顔を見たら、私は何も言えなくなってしまった。
「ごめん、霊夢」
「何とも無くてよかったわ」
「慧音と妹紅が付いてたから」
「あら、あいつらといたの」
「うん、二人ともほとんど遊んでたけど、霊夢を探すのを手伝ってくれたのよ」
「今度、私からも礼を言っておくわ。だけど、大分日が沈んできちゃったわね」
霊夢の言う通り、空は朱から夜の色へと変わりつつあった。
霊夢がお姉様と約束しているのは夜までには私を紅魔館に帰すこと。つまりは、もう時間切れという事だ。
「もう帰るしか無いのね。霊夢ともっと人里を廻りたかったのに……」
「そう落ち込まないの」
「だって……」
霊夢との初めてのデートでもあったのだから、落ち込むなという方が無理な話だ。
「わかった、それじゃ明日にでもあんたの所に泊まりにでも行ってあげるわ」
「本当?」
「ええ、本当。だから、今日はこれで我慢しなさい」
「……うん、わかった」
頷いた私の頭を霊夢はポンポンと撫でた。
「ただいま、お姉様」
「おかえり、フラン」
霊夢と一緒に紅魔館に帰ると、玄関先でお姉様が私の帰りを待っていた。
「今日はどうだった、フラン?」
「楽しかったし、初めてのものも沢山見れたわ」
「そう、後でゆっくり聞かせて頂戴。それから、霊夢」
お姉様は私に笑みを浮かべると、霊夢に軽く頭を下げた。
「今日はありがとう。私の頼みを聞いてくれて」
「一つ、あんたに貸しとくわ。せいぜいのんびり返して頂戴」
「ええ、そうするわ」
お姉様に頷いて、霊夢は私達に背を向ける。
「霊夢、今日は楽しかったわ」
「フランドールが楽しめたのなら、それで良いわ」
それだけを言うと、霊夢は神社に向かって飛んで行った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
私は手を止める。
羽ペンをペン立てに差して、パタリと日記の表紙を閉じた。
ガラス瓶から飴玉を一つ取り出して、口に入れる。
レモンの味が口の中に広がる。
コツコツと部屋の扉が叩かれる。
「どうぞ、開いてるわよ」
扉が開かれた。
燭台の灯りに照らし出されたのは、紅白の巫女服。
「いらっしゃい、霊夢」
「こんばんは、フランドール。泊まりに来てあげたわよ」
「正直、本当に来てくれるとは思わなかったわ」
「来なかったら来なかったで、あんたが私の所に泊まりに来る気だったでしょう?」
「よく分かってるじゃない」
「あんたの考えなんてお見通しよ」
ふふん、と鼻で笑って霊夢はテーブルの所にある椅子に腰掛ける。
「霊夢」
「ん?」
「来てくれてありがとう」
「どういたしまして。そういえば少し甘い匂いがするわね」
「あ、気付いた? これだよ」
飴玉の入ったガラス瓶をテーブルの上に置く。
「へえ、飴か。私にも一つ頂戴」
「ん、いいよ。何が良い?」
「それじゃ、あんたが今口に入れているのと同じもの」
「だったらこれね」
ガラス瓶からレモン味の飴を一つ取り出す。
それから霊夢を見れば口を開けている。
「え、何?」
「ほら食べさせて」
「え、え?」
「ほら」
霊夢が顔を突き出す。
ゴクリと喉を鳴らして、恐る恐る飴を彼女の口に入れる。閉じた彼女の唇に僅かに私の指が触れた。
「……レモン味ね」
霊夢は口の中で飴玉を数回転がしてから、そう感想を口にした。
「美味しい?」
「美味しいわ」
「よかった」
ふたりで同じ味の飴玉を転がす。
「今度、霊夢と一緒にデートがしたいな。人里だけじゃなくて、幻想郷の色んな所を一緒に廻るの。いいでしょう」
「……まあそのうちね」
「その言葉、忘れないわよ」
苦笑する霊夢に、私は最高の笑みを向けてやった。
END
今回も良い百合をみせて頂きました。
満足です!
貴方の書くフランドールと霊夢は可愛いなぁ。
力を抑える腕輪とは面白い。さすがパチュリー様だわ
阿求との絡みも良かったです