Coolier - 新生・東方創想話

月が満ちるまで

2012/03/25 15:09:05
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      序


 眠りに就けば夢を見る。世の中にはあまり夢を見ないという者がいると聞くが、私は頻繁に見ている方だ。「妖怪でも夢を見るんだな」と言われても、そうだと答える他ない。
 夢に登場する私は、現実の私とは違う存在のような気がする。今では、スペルカードを使う時ぐらいしか自分の姿を確認していないが、あれは私ではないと断言できる。
 今も夢を見ている最中にあるのだが、私は既に、これが夢だと気付いてしまっている。起きろと念じても、時期が来なければ覚めないということも知っている。せめて目を背けることができれば気は楽なのだが、映し出された光景から逃れることはできない。
 背景の色彩はぼんやりとして定まっておらず、薪がくべられた暖炉だけが鮮やかに映っていた。暖炉の側では、双子のように瓜二つの少女達が楽しそうにじゃれている。詳しく個人を判別できないが、片割れに対して優しくしている方があいつだというのは、はっきりとわかった。
 さも愛しいとでも言いたげに私の髪に触れ、耳元に甘ったるい言葉を投げ掛けている。それを受けて幸せそうにする私の姿を見ていると、背筋が粟立って不快な気分になった。
 溶けかかったチョコレートのような逢瀬をしばらく眺めていると、不意に、グッと底から引き上げられるような感覚に襲われた。意識の浮上と共に移り変わっていく景色を見て、安堵している自分がいることに気付いた。


      一


 目が覚めてまず感じたのは、寝起き特有の気だるさだった。いつもならすぐに頭が冴えてくるはずだが、今回は、数分経っても寝台から抜け出せずにいる。むしろ更なる睡眠を要求してこられ、再度眠ってしまいそうなくらいだ。
「……眠い」
 執拗に迫る睡魔の誘惑に耐えかねて、そのまま二度寝してしまおうかと考える。しかし、またあの夢を見るかもしれないと思うとげんなりし、結局、襲いかかってくる眠気に耐えることにした。
 けれども目蓋は閉じかかり、半ば防衛戦への勝利を諦めかけていると、ふと身体を奔る違和感があることに気付いた。
(あれ?)
 閉じかかっていた目蓋をぱっちり開き、寝台から抜け出して原因を探ってみれば、違和感の正体が出入り口の辺りにあるというのがわかった。近寄って調べてみると、どうやら扉に込められている魔力が弱まっているようだった。
 この地下室には厳重な封印が施されていて、それには姉の魔力が使われていると聞いたことがある。この家と古くからの付き合いである魔導師が組んだ術式に、姉が力を与え、定期的に重ね掛けすることで強度を保っているのがこの封印らしい。
 内と外を繋ぐ扉を基点に、結界が形成されている。幻想郷に越してからその魔導師とは音信不通だそうで、現在では、パチュリーが代行を務めているようだ。
 このような大掛かりな仕掛けを施すきっかけとなったのは、一体何だっただろうか。確か、「あなたの力は危険よ。レディとしての慎みを身に付けるまで、ここにいなさい」ということを言われた気がする。
 封印を破るのは簡単だったが、そうする必要が思い付かなかったため、今まで実行に移したことはなかった。――そういえば、姉が神社へ足繁く通っていると知った時、私も外出したいという衝動に駆られはしたが、過ぎ去ってしまえば次第に興味は失われていった。
 自慢ではないが、今でもレディとしての慎みなど身に付けていないと断言できる。しかしそうなると、これは一体どういうことだろうか。
 試しに、指先をそーっと扉に近付けてみた。変化はない。私の身体からも、危険信号は発信されていない。
 しかし、それが却って、私を疑心暗鬼に陥らせる結果となった。
 警戒して手を引っ込め、再度伸ばし、また引っ込め、の繰り返しを幾度か行い、傍から見れば滑稽な姿を晒したように思える。
 段々と馬鹿らしくなってきたので、一度冷静になることにした。
 浮かんでくる疑念を振り払い、勢いよく取っ手を掴むと、何事もなく時間は過ぎていった。そのことに若干の物足りなさを感じてしまうが、金属特有のひんやりした感触と、職人の手で仕上げられた滑らかさが、とても心地良い。――思えば触れるのは初めてだったかもしれない。
 ギギィッと鳴らしながら扉を開けると、先には通路が見えた。一面濃い暗闇に覆われており、松明が設置されていないため、一筋の明かりも差していない。
(久しぶりに外に出られるんだから、目一杯楽しまなくっちゃね)
 夜の眷属である私にとって、闇とは道を阻むものではない。気分が高揚するのを隠せないまま、私は自室をあとにした。


      二


(困ったなあ)
 手入れの行き届いた廊下をぶらぶらしながら、どうしようかと考えていた。
 地上へ続く階段を上りきり、無事一階へ侵入したまでは順調だったが、久しぶりに見る自邸がそれまで記憶していたものと異なり、戸惑っていたのである。
「こんなに広かったかなあ……」
 ひとまず近くにいる妖精メイドに声を掛けてみたが、彼女は顔を真っ青にして、何処かへ走り去ってしまった。「申し訳ありませーんっ!?」と謝られても、何に対しての謝罪なのか見当が付かない。
 訝しげに見られているのはわかっていたが、実際に逃げられてみると、酷なことをしたのかもしれないなと思った。
「妹様」
 凛とした声が廊下に響き渡る。振り返れば、見覚えのある銀髪のメイドが、しゃんと背筋を伸ばして控えていた。いつの間にそこにいたのか甚だ疑問だが、これは都合が良いと思い、屋敷のことについて訊いてみることにする。
「ねえ咲夜。用事があるのはわかってるんだけどさ、ちょっといい?」
「何なりとお申し付けください」
「えっとねえ。私の記憶では紅魔館ってこんなに広くなかったと思うんだけど、もしかして、私の知らない間に改築でもしたの?」
 私がそう訊ねると、それを聞いた咲夜は何故か笑い始めた。口元を手で覆い、こぼすように笑みを浮かべている。両側で結わえた三つ編みが微かに揺れ、彼女の持ち合わせた大人のような風貌が、童女のものへと変わっている。
 咲夜が笑ったのには明確な理由があるように思える。それは私を馬鹿にする類ではなかったが、快くさせるものでもなかった。私が関わっているのは確かだろうが、私に向けられたものではないだろう。
 しばらくの間、咲夜のことを探るように見ていると、それに気付いたのか、真面目な顔をして非礼を詫びてきた。衝動に耐えきれなかったのを恥じているようで、若干頬が紅潮している。
「……失礼致しました。さて、先程の質問についてですが。妹様がおっしゃるように、この屋敷ではこれまで大規模な改築を行ってはいません。少なくとも、お嬢様はそのようにおっしゃっておりました。となると、原因は別の所にあることになるでしょう」
「随分と回りくどいんだねえ。それで、原因は何なのさ?」
 勿体ぶった言い方に焦れ、つい早急な返答を促してしまった。ところが咲夜は、得意げな顔を見せるだけで、中々答えてはくれない。何処か、間を計ろうとしているようにも見える。
 これ以上催促するのもみっともないので、大人しく待つことにした。
「私めでございます」
 ようやくそう答えると、咲夜は私の前で跪いた。芝居がかった動作に思わず顔を顰めてしまったが、どうやらそれは彼女なりの持て成しのつもりらしかったので、仕方なしに受けることにした。切れのある動きが、却って鼻に付く。
「器用なことができるのね、あなた。メイドって皆そうなの?」
「いいえ、妹様。これは私にしかできないことでございます」
 まだ全容を把握してはいないものの、一つの疑問が解消できたことに、私は充分満足していた。
「ふーん……ああそうだ。今お姉様が何処にいるか知ってる?」
「申し訳ありません、妹様。現在お嬢様にお会いになるのは、大変難しいと思われます。詳細は、パチュリー様に訊かれるのがよろしいでしょう」
 どうやら、咲夜の用件とはそのことについてだったらしい。無事報告できたことに、幾分か安堵している様子だ。
 それにしても、折角姉を思い切りからかってやろうと思ったのだが、早速出鼻を挫かれてしまったようだ。若干気分が沈んでしまっているのが、咲夜に伝わっているかもしれない。
「パチュリーに?」
「ええ、図書館でお待ちしているそうですわ。ご案内致します」
「そう、じゃあお願い」
 パチュリーとはこれまでに何度か会ったことがある。青白く病的な相貌をした彼女は、気が付けば息を引き取っていそうな雰囲気を醸し出している。彼女は常に本から目を離さないので、まだまともに顔を見合わせたことはない。確か百年程を生きた魔女だそうで、いつだか外出しようとした私を抑えるため、雨を降らしたことがあったのを覚えている。
 パチュリーと姉は、親友関係にあるそうだ。私に親友と呼べる者はいないが、それが大切な存在だということは何となくわかる。前に「変な所で我儘なのは、レミィと一緒ね」と言われた時、彼女の口調がちょっとだけ柔らかいものに変わっていたのが印象的だった。
 心から大切に思える親友がいる姉を、少しだけ羨ましく思う。もし機会があれば、パチュリーに姉との思い出話を聞かせてもらうのも良いかもしれない。


     三


 カビ臭くて埃っぽい匂いが、酷く懐かしく感じる。以前この図書館に訪れたのは、いつ頃だったろうか。昔、地下からこっそり抜け出して、屋敷を探索している時に立ち入った気がする。もうほとんど忘れてしまっているが、雰囲気だけは身体が覚えているようだ。
 しんっとした静寂に包まれた空間は、私という異物が混入しても揺るがないように思える。
 咲夜は図書館の入り口まで私を送ってくれた後、通常の業務に戻っていった。ここに到着するまで私と咲夜の間で会話は弾まなかったが、それで気まずいわけではなかった。ただ、すれ違った妖精メイドが悉く見返してくるのが煩わしく、いちいち大げさな反応を返してくる彼女達に苛々していた。咲夜はそんなメイド達の反応を素知らぬ顔で進んでいくので、私は黙ってそれに付いていく他なかった。
 開け放したままだった扉を後ろ手で閉め、早速パチュリーを探そうと歩を進めると、正面に向かって30メートル程離れた位置に、誰かが立っているのを見付けた。初めからこちらの様子を伺っていたのか、私が気付くと同時に視線が合わさる。長くて艶のある赤髪と、頭部にある蝙蝠の羽のようなものが特徴的だった。相手は一向に視線を外そうとしない。
 近付いてみると、女性と呼ぶにはまだ幼い容貌をしていることに気付いた。それでも私より頭一つ背が高いため、自然と彼女に見下ろされる形になるのだが、何故だかこちらが見下ろしているような気分になる。
 じーっと見つめ合ったまま沈黙が続き、どのように切り出すべきか考えあぐねていたが、散々躊躇った後、ここは訪れた側が動くのが筋だろうと決心する。
「……あのさ、パチュリーっているかな?」
 彼女はコクンと頷いた。顔には薄い笑みが浮かんでいる。
「私は場所がわからないから、呼んできてもらってもいい?」
 それを聞いて再び頷くと、彼女は静かに目を閉じた。そして両手を重ね合わせると、祈るような姿勢を取り始めた。状況から察するに、パチュリーに連絡でもしようとしているのだろうか。
 やがて、一仕事終えた彼女が安心したとでも言うように笑いかけてきた。
 すると今度は、とてとてと近寄ってきて、私の右手をそっと両手で包み込んだ。突然のことで訳がわからなかったので、思わず「どうしたの?」と訊ねると、彼女は悪戯っぽく細めた目を向けてきた。
 ふわっとした柔らかさと、人肌の温もりが、右手に感じられる。
 そして次の瞬間、『ザ――ッきぇ……ガガッ……かっ……ザッ…ジ――ッ……ジジッ……』という雑音が頭に響いた。
 何事かと思って周囲を見回しても、図書館に目立った変化はないようだった。彼女はくつくつ笑っている。突然の出来事に戸惑いを隠せない。――一つだけわかったのは、彼女が声を出せないということである。
 突如発生した不可思議な現象に初めの内は動揺していたが、少し考えれば簡単に答えは見つかった。目の前で可笑しそうにしている彼女が原因なのは間違いない。
 私の反応を充分に楽しんだのか、それまで不明瞭だった音が聞き取れるようになっていった。
『――聞こえますか? ……聞こえていますね。初めまして、私、小悪魔と申します。以後お見知り置きを。小悪魔というのは本名ではないので、お気を付けください』
 未だ可笑しそうにしながらも、少女は小悪魔と名乗った。肉声ではないとはいえ、喋れるだけで随分と印象が変わる。今の彼女は、先程よりも大人びて見えた。案外言葉というのは、その人の印象に深く関わっているのかもしれない。
「もしかしてテレパシー?」
『厳密には違いますが、まあ似たようなものです。今やっているのは簡易版ですけどね』
「それって手を握らないと出来ないの?」
『いえいえ。何かしら私と繋がるものさえあれば、簡単に』
「さっきの手を合わせたあれは?」
『あれですか? まあ正直、全く意味はありませんね。でも、あれをやると気持ちの入りようが違うんですよ』
 疑問に思っていたことを一気に訊いてみたのだが、そちらに気を取られてしまい、当初の目的から外れていたことに気付いた。小悪魔は私の心情を察したのか、「安心して下さい」と声を掛けてきた。
『心配なさらずとも、フランドール様。直にパチュリー様はいらっしゃいます。大分遅れるとのことでしたので、のんびり待ちましょう』
 できれば初めにそれを伝えておいて欲しかったのだが、出かかった不満の声を呑み込んだ。
「……私の名前、知ってるんだ」
『ええ、勿論です。メイド達の間でもかなりの評判ですよ』
「へえ、どんな風に?」
『妖精メイド達の噂によりますと、「紅魔館の地下には主より恐ろしい悪魔がいる」とか――』
 サボり癖のあるメイド達が遊び呆けているせいか、小悪魔から語られる噂話は中々尽きなかった。次々と珍妙な噂が飛んでくる。二つ三つ聞き終えると、私の思考はパチュリーへの対応に向かっていった。――話を聞き流していたせいで、小悪魔の調子がそれまでと変わっていたことに、しばらく気付けなかった。上機嫌に緩んでいたはずの彼女の表情は、何時の間にか、真剣味を帯びるものになっていたのである。
『――フランドール様』
 半ば意識が旅立ちかけていた私は、彼女の急激な変化に上手く対応できず、ついまじまじと見つめてしまう。
『……フランドール様は、今メイド達の間でどのようなものが流行しているかご存知ですか?』
「そんなの知るわけないじゃない。私は、今日久しぶりに地上へ出てきたんだから」
『ああ、そうでしたね。それでは、現在レミリア様がどのような状況にあるのか、ご存知ないでしょう』
「どのような状況って、まるでお姉様に何かあったような言い振りね。……そういえば、咲夜も何か言っていたけど、関係しているのかしら?」
『噂によれば、近頃、レミリア様と咲夜様が庭にいるのをよく目撃するそうです。実際に、今朝も庭で見かけたと言う者がいます』
「仲睦まじくて結構なことじゃない」
『ところが、問題はその先です。それ以降、レミリア様の姿を見た者が一人もいません。ただの一人もです。一体この屋敷にどれだけの者がいると思いますか? とても数え切れませんね。おまけに彼女達は、仕事をサボってそこら中を飛び回っている。まあそれが、この屋敷の噂話が面白い理由なんですがね。何処を歩いていても、誰かしらと遭遇するんですよ、この屋敷は。まあとにかく、今メイド達の間で、ある噂が注目されています。それは、咲夜様がレミリア様を謀殺したのではないかという噂です。ですから、レミリア様失踪の解明が、現在紅魔館で大きな話題となってるんですよ。どうです、面白いと思いませんか?』
 ……深刻そうにするから何かと思えば、結局はごちゃごちゃと脚色された噂話に過ぎなかった。あまりの熱弁に、呆れを通り越して感心してしまう。心なしかしっとりとしてきた小悪魔の手の平が、私の冷え切った内心との比較になっている。
 誤解に塗れた噂話からかろうじて抽出できたのは、姉の居場所がどうやら咲夜と繋がっているらしいという情報だった。先程咲夜と会った時、それを知らなかったのが悔やまれる。
 そうしている内に、奥の方から、パチュリーが大儀そうにやってきた。彼女が合流すると小悪魔は離れていき、話の邪魔にならない位置へ移動した。右手にはまだ、彼女の温もりが残っている。
「遅れてすまないわね」
 しばらくぶりの肉声が鼓膜をくすぐる。小悪魔との念話に慣れてしまったのか、パチュリーとの距離が少し遠くに感じる。
 彼女の声は弱々しく、ぼそぼそと喋るので聞き取りづらい。呼吸も安定していないように見え、身体の調子が悪いのが浮き彫りになっている。
「パチュリー、具合悪そうだけど大丈夫?」
「心配いらないわ。いつものことよ」
 強気な態度を取ってはいるが、上半身をぐらぐらさせて危なっかしい。それを見兼ねた小悪魔が肩を貸そうとするのだが、何故か素直に受け入れようとしない。痺れを切らした小悪魔が多少強引に支えてやるまで、このやり取りは続いた。子どもではないのだから、素直に受け入れれば良いと思うのだが、あれも彼女達なりのコミュニケーションなのかもしれないと考え、口を挟まないことにした。
「無茶してまで来てもらったところ悪いんだけどさ、今日は中止にした方がいいんじゃない? パチュリー顔色悪いし、今にも倒れそうだよ?」
「まあ待ちなさい。無茶は貴方達で慣らされているのだから、これぐらい平気よ。それよりも、レミィのことが気になっているんでしょう?」
「……別に気にしてないわ」
「そうかしら?」
 この手の勘違いには、ほとほと手を焼いている。このような者には、大抵何を言っても曲解されてしまうのである。経験上、こういう場合は口を噤んでいるのが吉だろう。
 仕方がない子ね、と言わんばかりのパチュリーの表情が腹立たしいが、反応すれば喜んで食い付いてくるのが目に見えているので、反論したい衝動を抑えた。
 パチュリーは一度「ふぅっ」と溜め息を吐くと、小悪魔の方へ目を向けた。
 パチュリーに向けられている小悪魔の視線には、不満が込められているような気がする。私の位置からでは二人の横顔しか見えないが、聞こえてくる言葉や、場を包む雰囲気で、容易に想像できる。もっとも、聞こえてくるのはパチュリーの独り言だけだったが。
「何かしら、その目は? え? 『何で教えてくれなかったんですか』ですって? だって訊かれなかったもの。親切に打ち明ける義務はないわ。……何よ、騒々しいわね。まだ何かあるのかしら? ……『騙してたんですね』? 全く、人聞きの悪いこと言うんじゃないの。そもそも、あなたは――」
 喘息を抱えているパチュリーがあんなに喋っても大丈夫だろうか、とぼんやり考えていると、案の定、次の瞬間には激しく咳き込んでいた。先程まで文句を告げていた小悪魔は、既に介抱を始めている。切り替えが早いのは美点だが、最初から発作を起こさないようにしてやれば良かったのではないだろうか。
「……詳しい話、聞かせてもらっても良いかな?」
 タイミングを計り、パチュリーに話しかける。もう具合が悪かろうが、話してもらうことに決めた。
 パチュリーは呼吸を整えて気分と身体を落ち着けた後、私の方へと向き直った。しかし、顔色は幾分も回復していない。
「第一に、レミィは生きているわ。噂はあくまでも噂ね」
「そもそもお姉様が殺されたなんて思ってないけどね。どうせ、くだらない事情とやらがあるんでしょ?」
「そうね。でも、それを話す前にまず腰を落ち着けましょう。いつまでも立ち話では疲れちゃうもの。小悪魔、紅茶を用意して頂戴。私達は先に席へ向かっているわ。さあ、行きましょう、妹様」
「うん、わかった」
 パチュリーの提案に乗り、彼女と共に図書館の奥へと進んでいく。私としては立ち話でも構わなかったのだが、時間は充分に余っているので、断る理由はなかった。
 小悪魔はお茶汲みに向かおうとしているようで、私達の前を若干急ぎ足で進んでいる。私とパチュリーの位置からは、彼女の後姿が見える。
 手持無沙汰な私は、何となしに小悪魔を眺めていた。途中で彼女が右折するまで、それは続けられる。
 小悪魔の姿が本棚に隠れようとする直前、彼女は私に視線を向けてきた。それは先の会話で見せたような真剣味を帯びたものだったので、またくだらないことでも考えているのだろうかと思った。が、どうにもこの状況でそれは適切ではない気がした。
 小悪魔と面識の浅い私では彼女の内面など読み取れるはずもない。パチュリーに「小悪魔ってどんな娘?」と訊いても「さあ、わからないわ」と返ってきてしまったので、付き合いの長いと思われるパチュリーがわからないのなら、私にもわからないだろうと諦める。
 何故だか、小悪魔の真剣な目が頭から離れなかった。


      四


 図書館から退出する際、パチュリーから日傘を渡された。柄は無地で、純白以外は目立つ所のない、簡素な仕上がりとなっている。
 外出への感傷に浸る前に、思い出すべきことが山程あるのかもしれない。玄関を抜けようとする際、傘の開き方がわからなくて四苦八苦したのが記憶に新しい。思わず後ろへ放り投げ、そのまま出ていってしまったぐらいだ。勿論その後、投げ捨てた日傘をすぐに回収する羽目になったのだが。
 パチュリーとの話は、思ったよりも早めに切り上げられた。長くなるかもしれないと構えていたのが無駄になり、多少拍子抜けしてしまったものだ。
 彼女から得た情報を、簡単に整理してみるとこうである。


 一つ、どうやら姉は、今朝方――私が目を覚ましたのもその頃だったようである――にいなくなったらしい。
 一つ、姿を見せないだけで、姉は生存している。
 一つ、再び姿を現すのには時間が掛かり、しばらく会うことはできない。
 一つ、姉がそのような行動を取った背景には、咲夜がいる。
 一つ、咲夜を含む誰にも責任はなく、全ては姉の不始末によるもの。
 一つ、私が地上に出られたのは、それが原因となっている。
 一つ、この一件は、私への遠回しな外出許可だということ。


 咲夜は紅魔館に住む唯一の人間で、そう遠くない未来に、私達を残して去っていくとパチュリーが言っていた。人間の寿命の短さをその時初めて知ったが、すんなり受け止めることができた。勿論咲夜とそれ程親しくないのも関係しているが、大仰な能力を所持しているせいもあって、命の儚さには考えさせられるものがあるのである。
 遅かれ早かれモノが壊れていく様を見ていると、私の存在なんて大した影響を与えていないのだと感じてしまう。
 姉は咲夜が人間のままでいるのが不服だったらしく、何度も彼女を唆そうとしていたと聞いた。強引に眷属にするのは貴族としての品格が損なわれるからと言って、話し合いで交渉するも失敗続きの姉は、忠誠心不足な従者への当て付けとして、今回の件に及んだのである。
 子どもが駄々を捏ねているみたいで呆れてしまうが、それよりも、被害を被った咲夜に同情せざるをえないだろう。
「……全く、いつまで経っても子どもだねえ。まあ、私も人のこと言えないけどさ」
「子どもというのは、お嬢様のことですか?」
 私の独り言に反応したのは、紅美鈴だ。夕焼け色の長髪を垂らし、中華風の衣装を身に纏っている。咲夜と同じく、両側で三つ編みを結わえている。
 美鈴が被っている帽子には星型の飾りが付けてあり、そこには「龍」と書かれてあるのだが、あれは彼女なりのお洒落のつもりなのだろうか。
 彼女は私が門に到着する以前からそこにいたのだが、互いに用事もないので、最初の挨拶以降は言葉を交わしていなかった。
「他に誰がいるのさ?」
 間髪置かずにそう答えると、美鈴は「ふむ」と何かを納得したような仕草をした後、何かを諦めたような表情を浮かべた。
「……すみません、お嬢様。フォローできそうにありません」
「あいつにそんなものいらないわよ。そんなことより、ねえ、博麗神社に行くにはどうすればいいの?」
 門口までやって来たのは良いが、何処へ向かえばいいのか皆目見当が付かず、しばらく日傘をくるくる回しながら立ち往生していたのである。外出許可を得た所で私が行きたい場所なんてありもせず、博麗神社の名前も、何となく思い出したに過ぎなかった。
「おや、無断で外出ですか?」
「心配なら、パチュリーにでも訊いてきなよ」
「冗談です。でも、どうして博麗神社に行こうと思ったんですか? あんな寂れた神社よりも、もっと良い場所はあるでしょう」
「別に、なんとなく。いいから答えてよ」
 何故か美鈴は微笑ましそうにこちらを見ている。どうせ、ありもしない妄想を膨らませているのだろう。何も言われないことが却って不気味だった。
「承知しました……と言いたいんですが、口では説明しづらいですねー。そうだなあ、咲夜さんに案内してもらった方が良いかもしれませんね」
「それが中々捕まらないんだよねえ。まあ、案内してもらおうと思ったわけじゃないんだけどさ」
 そう、図書館をあとにした私は、まず咲夜を探そうとしたのである。今朝の一件のことを訊ねるため、未だ慣れない館内をしらみ潰しに歩き回ったのだ。けれども彼女は見つからず、妖精メイドが仕事を怠けている姿しか見当たらなかった。念のために目撃情報を集めたが、どれも内容は異なっていた。一体、咲夜の体はいくつあるのだろうかと思ってしまう程である。
 散々探し回ってから声に出して呼ぶことを考え付いたが、それまでの苦労が無駄になることを思うと何となく癪になり、実行に移すのを止めてしまった。
 どうやら向こうから来てくれない限りは会うのが難しいようなので、それなら折角外出できるということもあるし、見切りをつけてさっさと出掛けてしまおうと考えたのである。
「妹様、咲夜さんは案外近くにいるのかもしれませんよ。からかわれているんじゃないですか?」
「そんなことして何になるのさ。私なんかからかったって、面白くもないでしょうに」
「ご心配ありません、妹様。私には大変な眼福でございました」
 突然声を掛けられたことにまたかと思いながらも、声のした方へ視線を向ける。
「……楽しんでくれたのは結構だけど、いつから見てたの?」
「館内にいらした時からですわ。折角の機会ですので、妹様が『あっ』と言われるような登場をしようとしましたところ、結局タイミングが掴めず、今になるまで様子見が続いてしまいました」
 本音を言えば早く声を掛けて欲しかったのだが、例の得意気な顔をする咲夜を見て、それを言うのが無駄なことのように思えた。
「咲夜さんも人が悪いですよね。初めから素直に出てくればいいのに」
「あら美鈴、貴女だって人のことをとやかく言えないんじゃなくて? 私が隠れているのに気付いていたでしょう」
「こりゃあ参ったなあ。バレバレでしたか?」
「ええ。バレバレよ」
 館主の妹を公然とからかうとは、紅魔館の風潮は随分と大らかなものらしい。堅苦しく接されるよりは楽しいのだから、むしろ喜ばしいことなのかもしれないが。
「……まあ言いたいことは色々あるけど、結果的によしとしておく。咲夜、博麗神社まで案内して頂戴。思わぬ時間を食ったから、早くね」
「畏まりました、妹様」
 飛び立つ私達に向かって、美鈴はぶんぶん手を振って送ってくれた。
「お二人とも、行ってらっしゃいませー」
 美鈴に手を振り返すと、私は咲夜の誘導に従った。何だかんだ初めての外出に高揚していたのか、咲夜に今朝のことを訊くのをすっかり忘れてしまっていた。


      五


「これは珍しいのが来たわね。面倒事が従者を連れて、一体何の用かしら?」
 会って早々随分な言われようだったが、不思議と不快にはならなかった。
 博麗霊夢、紅白の巫女、幻想郷で特別な役割を担う少女。姉のお気に入りで、他にも色々な妖怪に好かれており、彼女の住む神社には人間が訪れることの方が少ないそうだ。
 そういえば、以前私の部屋に遊びに来た霧雨魔理沙とかいう少女も人間だった気がする。彼女はよく神社で過ごしていると聞いたが、どうやら少数派のようである。
「面倒を掛ける気はないよ。遊びに来ただけ」
「それがもう面倒なんだけどね。まあ来た以上は仕方がないか。好きにしなさい」
 道中、咲夜から聞かされた霊夢の印象は、「年中頭が春の巫女で、冷たいですわ」だった。頭が春かどうかはまだわからないが、こちらに関心を向けない様子は確かに冷たいとも取れる。彼女の言う珍しい来客にも関わらず、特に珍しがってもいないようだ。恐らく私がいてもいなくても、どちらでも良いのだろう。現に、今も私達を風景の一部として見ている節がある。
「ねえ、霊夢はいつもお姉様と何して遊んでるの?」
「遊んでなんかないわよ。こっちがお茶を飲んでたら勝手にやってきて、勝手に満足して帰っていくだけ。鬱陶しいったらないわ」
「あら霊夢。そのわりには、お嬢様の相手をいつもしてくれるじゃない。素直じゃないですわ」
 不意に発せられた咲夜の言葉に、霊夢は心底呆れたような顔をしていた。
 どうやら咲夜は、霊夢をからかう目的で先程の言葉を投げ掛けたらしい。付き合ってみると、咲夜はお茶目な言動をすることが多かった。大人の女性としての風格に隠れたそういった幼さは、彼女のチャームポイントになっている。
「あんたんとこのお嬢様は突き放すと却って増長するから、好き勝手やらせてさっさと帰ってもらうことにしてんのよ」
 姉に対する文句を口にしてはいるが、別段解決しなくても構わなさそうな言い振りだった。本当は寂しいからといった本音が隠れているようにも見えず、単純にどちらでも良いのかもしれない。しかしそれは、決して親密になることはできないのだと、言われている気がしてならない。
「そんなことより、早く上がったらどう? いい加減、あんた達を見上げるのも疲れたわ」
 言われてからそれに気付き、咲夜と共にお邪魔することにした。初めて人様の家へ踏み入ることに感慨めいたものを覚えながら、「こちらですわ、妹様」と誘導する咲夜に従って母屋へと入って行った。
 事前に靴を脱ぐ習慣について教えてもらっていた私は、それを実践でき、多少得意気になった。
「霊夢って、いつからここで暮らしてるの?」
「んー? まあそうね。気が付いた時にはここに居て、お茶を啜っていたわね、多分」
「それっていつ頃?」
「さあ? そんな昔のことなんていちいち覚えてないわよ。今も気が付いたら、目の前に吸血鬼やらメイドやらがいるくらいだし」
「日記とか書いてないの? ほら、博麗の巫女伝記なんてありそうじゃない」
「そういうのに興味がなくてねえ」
「……じゃあさ、魔理沙とはいつ出会ったの? 付き合い長いんでしょ? 確か」
「いつだったかしらねえ。ずっと昔のような気もするし、最近のことのような気もするし……何だか懐かしくなってきちゃったわね、そんなに思い出せないけど」
「霊夢っていい加減なのね。訊いてもちっとも答えが返ってこないんだもの」
「妹様。頭が春な巫女に、求めてすぎては酷ですわ」
「あんただって大して変わらないでしょうが」
「私はきちんと覚えていますわ、昔のこと。ただ言わないだけで」
「なら、私も言わないだけよ」
「嘘おっしゃい。嘘吐きは閻魔様に舌を抜かれるわよ」
「あんたもね」
 いつの間にか減らず口の応酬が始まっている。
 結局霊夢の過去についてはわからずじまいだったが、他の質問にはちらほら返事が返ってきたので安心した。
 夏の暑い日、突如幻想郷を覆った紅い霧のこと。
 春が奪われ、幻想郷が長い冬に襲われた原因を作った妖怪桜のこと。
 偽物の月を暴き、本物の月を取り返した永い夜のこと。
 それらの中には、姉や咲夜が関わっていたものもあった。
 私が地下に籠っている間に、幻想郷では面白い出来事が色々起こっていたのである。それに参加できなかったのが悔しくて仕方ない。過去の自分を叱責してやりたい気分になるが、時間を戻せたら、などという空想に耽る気はなかった。過ぎ去ってしまった時を追い求めるのは、不毛な行為なのだから。
 しかし、どうしても姉ばかりが良い思いをしているという考えに至ってしまう自分がいる。理に適っていない八つ当たりだとわかってはいるが、感情は納得してくれないのである。同じ家に生まれた姉妹でもこんなに差があるものなのかと、少しばかり嫉妬してしまう。
 一度ずるいと感じてしまえば、それまで内に溜めていたものがふつふつと浮かんできた。しかもそれを受け止める相手がいないものだから、尚更収まりがつかなくなっていた。
 激情にも似た感情を隠しながら、博麗神社での時間は緩やかに過ぎていく。途中で酔いどれ鬼や白黒魔法使いが加わって、神社での一時はさらに賑やかになっていった。騒々しいだけの無意味なやり取りをしただけだったが、不思議と快く、これがずっと続けばいいなという気になった。けれども、もし本当にそうなったら疲れるだろうなあとも思う。
「なあ、あんた。レミリアの妹なんだって?」
 先程まで霊夢に絡んでいたはずの小鬼が突然そう言ってきた。千鳥足で縁側から近付いてくるのだが、頭に大きな角を二つも付けているため、それが襖に引っ掛かりそうになっている。
 彼女が近付く毎に部屋の酒気が増し、嗅ぎ慣れない匂いが私を苦しめた。お構いなしに寄ってくるので、不快感が募るばかりである。
「あんたも相当強いんだろう。どうだい、この機会に一戦交えてみるってのは?」
「そんなんで、まともにやり合えるの?」
「たはは。こんなのはまだほろ酔いだよ」
 馴れ馴れしく肩を組んできたと思ったら、凝縮された酒気を吐きかけられた。故意にやっているのではないかと疑ってしまうが、小鬼はへらへらとした笑みを貼り付けたまま、しつこく勧誘を続けている。
 とても彼女の言う一戦を交える気にはならず、側で緑茶を飲みながら控えている咲夜に救援要請を送るが、納得したように二度頷くだけで、何もしてはくれなかった。喜ばしそうに湯呑を撫でているが、私は嬉しくも何ともない。
 しまいには私の癇癪が引き起こされ、思いっ切り小鬼を突き飛ばしてやろうとしたのだが、手で押してもびくともせず、むしろさらにがっちりと組まれてしまい、苛立ちが増してしまうばかりだった。
 途中で「おっと、酔っ払いのお遊びはここまでだぜ」という魔理沙の介入がなければ、平静さを取り戻せなかったかもしれない。
 小鬼が渋々といった具合に離れていくと、徐々に気分が静まっていった。未だへらへらしている小鬼を睨み付けながら、乱れた服や髪を正していく。
 すると、クスッという笑い声が横から漏れた。咲夜が可笑しそうにこちらを見ている。結局、彼女は最後まで助けてくれなかったわけだが、私に何かあったらどう責任を取るつもりだったのだろうか。
「……咲夜。助けてくれないなんて酷いじゃない。おかげでこっちは、散々な目にあったわ」
「お言葉ですが、妹様。こういう経験も必要なのではないでしょうか? 妹様のためを思っての判断ですわ」
「そのわりには、楽しんでいるように見えるけどね。本当に私のこと考えてくれてるの?」
「勿論でございます。私の心は、そのことで一杯です」
「咲夜は嘘吐きね」
 軽快な言い回しで答えてはいるが、本気かどうかいまいち判別しづらい。全てが嘘とも思えないが、ほとんどが冗談のような気がしてならない。しかし、はぐらかしているようで、実際は本当のことを言っているようにも聞こえる。それが、咲夜の話し方の特徴であった。
「おーい、フラン。ちょっといいか?」
 縁側から声を掛けられ、咲夜とのやり取りを中断する。
 声のした方向へ顔を向けると、魔理沙が自前の箒を手にし、こちらに歯を見せながら笑っていた。人懐っこい少年のような笑みは、私の周りではあまり見ないものだったので、吸い寄せられそうな魅力を放っている。
「何?」
「外に出るのは久しぶりなんだろ? 折角の機会だ。弾幕ごっこでもしようぜ」
「うん、いいよ」
 即座に承諾すると、早速「ええー、私の時は断ったじゃないか」と小鬼から野次が飛んできた。しかし、霊夢の「自業自得ね」という言葉に言い返せなくなったようで、「あれが、鬼なりの挨拶のつもりなんだけどねえ」とブーブー言い始める。
 その姿を見て、少しばかり良い気味だと思った。
 咲夜から日傘を受け取り、魔理沙と共に、勢い良く大空へと飛び立った。ある程度の高さまで上昇し、相手の様子を伺ってみれば、向こうもこちらの動きを探っている最中で、好戦的な目を隠しもせずに向けてくる。
「悪いが、負ける気はしないぜ」
 自分が敗北することなど、微塵も考えていなさそうな面構えである。遊びといえども、彼女が本気で取り組んでいるのは間違いないだろう。それならば、こちらもそれなりの態度で臨まなければ失礼というものだ。
「妹様、白黒なんて瞬殺ですわっ」
「どっちに賭ける?」
「いやぁー、さっきは振られちゃったからねえ。ここは魔理沙で」
 観客の声が耳に入ってくるが、既に意識は前方の魔法使いに向いていた。互いに準備は整っているため、いつ始まってもおかしくはない。じりじりとした緊張が場に漂い、今か今かと、合図を待ちわびているかのようだった。
「……いくら出す?」
「コインいっこ」
「勿論、コンティニューはいらないぜ!」
 開戦の狼煙を上げたのは魔理沙の方だった。
 光り輝く二つの柱がこちらに向かってくる。しかし、軽く横へ倒れることで、直線的な動きのそれを難なく回避した。大きさはそれ程ではなかったが、尋常ではない早さで側を通り過ぎていく。遅れて、魔力で生成された通常弾が追いかける。
 お返しに大技でも仕掛けてやろうと思ったが、太陽の存在が私の動きを妨害していることに今気が付いた。日傘のカバーが、激しい動きに付いてきていない。先程回避した時も、右腕が僅かに日光に触れたようで、ちりちりとした痛みが広がっている。
 昼間の弾幕ごっこは思ったよりもハードだったらしい。もっとも、それで勝負を諦める気にはならなかったが。
 長期戦になるのを覚悟して、私は日傘の有効範囲に注意を傾ける。同時に、前方で放たれている弾幕にも目を向け、勝利へのビジョンを思い浮かべる。
 以前も魔理沙と弾幕ごっこをしたことはあったが、あの頃の私と今の私では、内に秘めた感情が異なっているようだった。
 避けるだけでも一苦労な戦いが、この後、長く続いた……。
 魔理沙との弾幕ごっこを終えた時には、日没が近付いていた。
 母屋に戻ると、霊夢が夕飯の支度に取り掛かろうとしており、「あんた達、夕飯はどうするつもり?」と訊ねてきた。咲夜と相談し、御馳走にならずに屋敷へ帰ることを決めると、彼女にそう伝えた。すると、「あっそ」と素気ない返事が返ってくる。引き留めてもらうのを期待していたわけではないが、このまま帰ってしまうのも少し勿体ないように思えた。
 霊夢や魔理沙に別れを告げて帰ろうとすると、少しだけ低姿勢になった小鬼が声を掛けてきた。先の件を申し訳なく思っているのか、若干笑みがぎこちない。
「もう帰っちゃうのかい? それなら、帰る前にきちんとさっきのことをお詫びさせておくれよ。……不快な思いをさせてすまなかったね。今度会う時には、私から酒でも奢らせておくれ」
「そのことはもういいよ。別に気にしてないから」
「さすがは妹様。寛容でいらっしゃる」
「たはは……いやー、助かるねえ、本当に。やっぱり、お互い腹に一物抱えたままじゃあ、すっきりしないからね。そう言ってくれると、こちらとしてもありがたいよ」
 やがて、小鬼から和解の握手を求めてこられたので、素直に応じてやった。がっちりと握りしめてきた手は、小悪魔のものよりも大分小さい。絡まれた時の印象が強く残っていたせいか、それが意外なことのように思えた。
 帰り際、魔理沙に「今度はレミリアも連れて来いよ。姉妹まとめて、私の魔法の餌食にしてやるぜ」と言われた。
 魔理沙との激闘は、私の勝利でもって幕を閉じた。彼女は、最近開発した魔法を実験がてらに使用したのだが、それを上手く扱えず、テンポが崩れて被弾してしまったのである。負けず嫌いな彼女はその後相当に悔しがり、さらには観客から間抜けとも取れるミスを指摘されたことで、余計に悔しさが募ったようだった。姉も連れてというのは、倍返しのつもりなのかもしれない。
 考えてみると、姉と一緒に出掛けたことなどこれまで一度もなかった。そのため、姉妹仲良く神社を訪れる光景が、中々想像できない。
 これまで私の世界には、姉と従者と私しかいなかった。姉以外は従者で一括りにされており、誰と何を話したかまるで覚えていない。確か両親がいたような気がするが、記憶にないのだから大した存在ではなかったに違いない。
 今ではパチュリー、美鈴、咲夜といった紅魔館の連中や、幻想郷の面々が加わってきて、私の世界にも住人が増え始めてきている。しかし姉は、未だ特別な存在として、私の内を占めているのである。恋のように甘いわけでもなく、仇敵に向ける尖ったものでもないが、姉は今でも、私の根っこの部分に居座り続けている。
 紅魔館に帰ってきても、激しい感情が収まることはなかった。それが何か判別できないことに苛々し、手近にあった壺の“目”を右手で思いっ切り握ってやろうとしたが、呆れたような姉の顔が頭に浮かんできて、虚しくなってやめてしまった。
 操られているようで気にくわなかったが、八つ当たりだと理解しているし、何より貴重な時間をこんなことで害してしまうのは勿体ないと思い、大人しく自室に戻ることにした。
 自室へ向かう途中、咲夜から「別の部屋を用意致しましょうか?」と提案されたが、慣れている所の方が落ち着くだろうと思い、少し考えた振りをしてから断った。
 地下に戻ってくると、帰ってきたという実感が湧いてくると同時に、それまで張りつめていたものが解かれていくのを感じた。
 なんとなしに寝台へ倒れ込むと、今まで忘れていた睡魔が黙々と活動を始める。
 ぼんやり「今度はレミリアも連れて来いよ」という言葉を思い返すと、胸の内がモヤモヤとして気持ち悪くなった。
 そのまま眠りに就いてしまったせいか、その日は寝苦しい夜を過ごす羽目になった。


      六


 姉がいなくなってから数日が経過し、地上での生活にも大分慣れてきた。今も咲夜を連れて、人里と呼ばれる場所へ赴こうとしている最中だ。沢山の人間が共生しているというのを聞き、この際だからと行ってみることにしたのである。
 面識のある人間があの三人しかいない私は、〈人間=個性的な生きもの〉という認識が形成されていて、そんな者達がうじゃうじゃいる場所とはどんな所なのだろうと想像を膨らませていた。
 考えをめぐらせていると、ふとした疑問に思い至った。
「ねえ、咲夜。何でたくさんの人間が、同じ場所で暮らしてるの? 霊夢や魔理沙みたいに、一人で気ままに過ごした方が気は楽だと思うんだけど」
「人間も千差万別でございます、妹様。彼女達みたいに世間から外れていった者もいれば、人里の人間達のように、世間の中でしか生きられない者もいるのです。どちらが良いというわけではなく、双方とも人間の在り方の一つですわ」
「世間って言ったって、そんなの、頭の中にある空想に過ぎないんじゃないの?」
「人は考える生きものでございます。時には、主観的認識が事実足り得ることもなきにしもあらずですよ」
「でも、そんなありもしないものに左右されるのって、何だか馬鹿らしくない?」
「それが人間ですわ、妹様」
 私の知っている三人は、どれも自由気ままに暮らしているように見え、本当に咲夜の言う世間に縛られる人間がいるのかと、多少疑っていた。その理由の一つに、先程の彼女の意見の基となっているのが、パチュリーの言葉だったというのが挙げられる。以前、パチュリーが気まぐれに聞かせてくれたそうだが、一体、図書館に籠って本ばっかり読んでいるような者に、世間とやらの何がわかるのだろうか。咲夜自身も、積極的に人里と関わっているわけではなさそうなので、どうにも信憑性が低いように思えてならない。
「もうすぐですわ、妹様」
 空を飛んで移動していると、目的地に辿り着くまで大した距離を感じない。けれども、紅魔館からは随分と離れてしまったように思える。
 前方を見渡せば、目的地と思わしき場所を発見できた。しかし、想像よりも大人しめな外観に多少落胆してしまう。姉のような派手好きというわけではないが、想像があまりにも一人歩きしていたため、現実の人里と隔たりが生じたのである。
 適当な場所へ着陸すると、ひとまずぐるりと周囲を見回した。ひしめく、という程ではなかったが、それでも私の生涯でこれほどの数の人間を見たことは一度もなかった。
 右前方に見える小屋の屋根では、いがぐり頭の少年が鼻水を垂らしながらはしゃいでいる。それを地上から見ている母親と思わしき女性は、甲高い声で怒鳴っていた。
 しかし、彼女の叱責には耳を貸さず、少年はますます調子に乗って、隣の小屋の屋根に飛び移ろうとする。ところが、直前の瓦で足を滑らせ、ゴロゴロと屋根から転がり落ちていってしまった。
 大した高さではなかったので怪我はなかったが、飛んできた母親に後頭部をぶたれ、ぶつぶつと悪態を吐いていた。
 それでも、直に歯を見せて笑うと、母親を置いてまた何処かへ飛んで行ってしまった。
「あいつはしょうもないやつだが、何故だか憎めない、そんな魅力を持ったやつだよ。もっとも、子どもというのは総じてそういう一面を持ち合わせているがな」
 少し前から、誰かしらが私達の様子を伺っているのは察していた。目を向けてやると、穏やかな眼差しでこちらを見ている女性と目が合う。
「ああいう馬鹿者を守ってやりたいと思う反面、それが却って束縛になってしまうのではないかと思っている。寺子屋なんてものを開いてはいるが、何が子ども達に一番良いのかなんて、今になっても見当が付かないよ。教えている側の私が、誰かに教わりたいぐらいさ」
「……探せばいるんじゃない?」
「ああ、勿論いるだろうな。けれど、その教えてくれた者も誰かに教わりたいと願っているかもしれない。案外、余裕がないのかもしれんな、教師ってやつも」
 何を言いたいのかいまいちわからなかったが、彼女が真剣に悩んでいるのだけはわかった。
「申し遅れてすまない、上白沢慧音だ。先程も言ったが、寺子屋で子ども達に歴史を教えている。貴方とは初対面だが、そちらの彼女とはちょっとした顔見知りだよ」
「ええ、そうですわね。ただ、寺子屋の先生様はお忙しいようで、中々お会いすることはできませんが」
「端から会おうとしていないくせに、よく言う。私達がまともに顔を合わせたのは、先の異変の時ぐらいだろうに」
 咲夜は、頻繁に人里へ出向いているというのを聞いたことがあった。買い出しが主な用件だそうである。
 上白沢の言葉を信じれば、咲夜は人間との接触を避けている節があるようだ。人里と積極的に関わろうとしていないように思えたのは、私の早とちりではなさそうである。
「まあいい。とにかく、あまり面倒なことは起こさんでくれるとありがたい。不躾な頼みで申し訳ないが、彼女の言う通り、私も忙しくてな」
「そもそも迷惑を掛ける気なんて、さらさらないよ」
「妹様のおっしゃる通りでございます。安心なさってくださいな」
「ああ。疑っているようですまない。……そういえば、恐らく、妹君は初めて人里へ来たのではないかな? それなら市場に足を運んでみると良い。ここよりも色々なものが見れて、良い刺激になるはずだ。場所なら、貴方の従者に教えてもらうと良いだろう」
 彼女はそう告げると、「では失礼する」と言って、私達の元から去っていった。
 通りがかった住人にいちいち声を掛けられており、その都度律儀に挨拶を返しているが、煩わしくならないのだろうか。私など、気が乗らない限りは平気で無視を決め込んでしまうものである。それまで、然程挨拶を必要としない生活を送っていたせいもあって、そのような慣習に頓着しなくなっているのである。
「それでは、妹様。目的地は市場でよろしいですか?」
「うん。それでいいよ」
「畏まりました」
 他に行くべき場所も思い付かなかったので、特に否定する理由はなかった。市場、という言葉がどのような意味を指すのかはわからないが、現地に赴けば全てわかるだろう。
 わからないことばかりで少し面倒になってくるが、それなりに楽しんでいる自分がいるのも確かだった。


      七


 人の交わりによって作り出される、活気だった雰囲気に新鮮味を覚えた。博麗神社での馬鹿騒ぎが可愛らしく思える程、市場は賑わっている。商人に威勢良く声を掛けられると、思わず目を向けてしまった。店先には様々な品物が並べられており、それだけ眺めるにしても、ある程度の時間を要するに違いない。
 多種多様な店が並ぶ中、特に目を惹かれたのは、絵画やら写真やらが展示された区画だった。風景画や人物画、人里の記録写真など、店内が余す所なく埋め尽くされている。
 どちらかと言うと人物画が多いようで、知らない人間の顔が壁にずらっと連なっているのを見ると、何だか圧倒された。
 しかし、私が興味を抱いたのは、見知らぬ人間が映る人物画ではなかった。
「……これって、太陽?」
「ええ、その通りです。それが太陽でございます」
 誰が描いたのかは知らないが、人里を高所から眺めるように見ており、夜明けの瞬間が抜き出されていた。今まさに、朝日が里を照らしだそうとしているようだ。
「太陽ってさ、見たことないから大きさなんてわからなかったけど、小さいもんなんだね」
「妹様は、太陽を見たことがないのですか?」
「ちょっとだけ見てやろうと思ったことはあるよ。かなり昔のことだけどね。夜が明けるのを実際にこの目で見たいと思ってさ、朝になるまで紅魔館の屋上でじっと待ってたんだ。丁度、この絵の少し前ぐらいかな。段々明るくなっていく景色を見て、わくわくしていたような気がする。でも、結局お姉様に見付かって屋敷に連れ戻されちゃったんだよね」
「それを残念に思いましたか?」
「別に。初めから期待してなんかいなかったもの。お姉様が現れなくても、屋敷には戻るつもりでいたしね」
「妹様は、ご覧になりたいのですか? 太陽を」
「そりゃあ見られるなら見てみたいなあ。でも、私は吸血鬼なんだから、そんなこと望むだけ無駄でしょ? 考える時間は腐る程あるんだから、もっと面白いことを探した方が得だと思うよ」
「……確かに、そうかもしれませんね」
「きっとそうだよ。さて、もう行こっか。そろそろ別の場所も見たくなってきちゃったし」
「そうしましょうか」
 先程の話には続きがあった。屋敷に連れ戻された際に、私は姉に酷く叱られたのである。「死ぬのは勝手だけれど、貴方に死なれると寝覚めが悪くなるのよ。私の許可なく死なないでくれるかしら?」と言われたのを鮮明に覚えている。勝手にしていいのか、許可が必要なのか、よくわからなかったが、姉が大きな思い違いをしていることだけは確かだった。
 普段、親しく会話もしていないような間柄にも関わらず、私がいなくなると寝覚めが悪くなるとは、随分と複雑な思考回路を持っているに違いない。例え、突然私が姉の前から姿を消しても、それまでと大して変わらない生活が姉を待っていることに変わりはないのだから。
 それから一通り見物し、別の場所へ向かうことにした。
 好奇心に従い、あちらこちら冷やかしていると、白い長髪に幾つかリボンを結わえ付けた、モンペ姿の女性に声を掛けられた。
「やあ。久し振りだねえ」
覚えがないので反応できずにいると、咲夜が「こちらは妹様でございます」と代わりに返事をしてくれた。
「妹? はぁーっ、こりゃあよく似てるわね。間違えてごめん。私は藤原妹紅。よろしく」
「私はフランドール・スカーレット。こちらこそ、よろしく」
 ざっくばらんな性質のようで、妹紅とやらは、ずけずけと私達の間に割り込んできた。いつの間にか、彼女が先導する形になっており、私達がそれに付いていくようになっていた。
「お譲ちゃんの方は、人里に来るのは初めてなんだろう? 私は良く来るんだけど、見かけたことがあるのは、そっちのメイドだけだからねえ」
「咲夜とは話したりするの?」
「まさか。見かけるだけさ。そもそも見かけたとしても、気が付けばもう居ないっていうのがざらだしね」
「十六夜流痴漢撃退術ですわ。これによって、今まで被害を受けたことは一度たりともありません」
「人里って、痴漢いるの?」
「いないよ、多分。まあ、悪魔の犬に狼藉を働こうだなんて、並の神経じゃあできないだろうねえ。おっかない、おっかない」
 妹紅は肩を竦めながらそう言っているが、言葉の内容とは裏腹に、ちっとも怖がっているようには見えなかった。
 妹紅の足取りは確かなもので、何処へ向かおうとしているのか、はっきり決まっているようだった。
「ねえ。これって何処に向かってるの?」
「永遠亭だよ」
「永遠亭?」
「憎ったらしい、あん畜生がいる所さ。あんたらも大体見物は終えたみたいだし、丁度良いだろ? まだ帰る時間には少し早そうだしね」
 確かに、帰るにはまだ勿体ないと感じる時間帯である。日没までには大分余裕があり、妹紅の誘いを断る理由はなかった。永遠亭、という単語の響きを頭の中で思い浮かべながら、ずんずんと歩いていく妹紅の後に付いていった。


    八


 葉と葉の擦れる音が囁き声みたいで、語りかけられているような気分になる。
 強い日差しは竹林によって遮られ、木漏れ日へと変わって、優しく地面に降り注いでいた。
 迷いの竹林に入ったら最後、二度とそこから出られなくなるというが、本当のことなのかもしれない。私は初めの内、竹林が侵入者を閉じ込めようとするからそうなるのだろうと思っていたが、どうやら、迷い込んだ者がここから出たくなくなってしまうから、魔性の存在と呼ばれるようになったのだと思える。
 この場所は穏やかすぎる。目を閉じると、空間に溶け込んでいくよう錯覚してしまう。停滞した時間は、後にも先にも行けなくさせるのである。
「時間を止めるってさ、どんな感覚なの? 咲夜」
 495年以上の歳月を経ても、時の流れを止めることはできない。一般的に生涯を通じて解明できない問い掛けであろうが、身近には貴重な例外が存在した。
「そうですね……一言で表すならば、寂しい、でしょうか」
「寂しいの?」
「ええ。時を止めれば、誰も私に干渉できなくなりますので。例え、すぐ側に知り合いがいたとしても、その者と私の間には深い深い溝があるのです」
 咲夜の言葉に考えさせられる所があったのか、それまで黙々と先導していた妹紅が久し振りに反応を示してきた。
「ふーん、溝ねえ……私にもそれと似た経験があるよ。あんたのように器用な真似はできないけど、まあ、因果みたいなものかね」
 二人には共有できる事柄があるらしく、何処かで通じ合っているように見える。その間に割って入ることはできず、私は、漠然と考えをめぐらすことしかできなかった。
「じゃあ、咲夜は能力を使う度に寂しい思いをしてるってこと?」
「さすがに、そこまで寂しがり屋じゃありません。ふと、気付いてしまう時があるだけですわ」
 苦笑気味の咲夜の返答から、私達の会話はぷっつり途絶えた。三人ともが言葉を発しようとはしなかった。
 私達は永遠亭を目指し、黙々と進んでいく。いつまで経っても到着しないのではないかと感じてしまう程、緩々と時は流れていった。「もうすぐだ」と声を掛けられるまで、長い時間を要した気がする。
 妹紅は、先に見える純和風のお屋敷を指差すと、「あれが永遠亭だ」と説明した。玄関まで案内してもらうと、そこで妹紅とは別れることになった。
「ここからは別行動だ。私は仕込みがあるから付いていけないけど、あんたらは寛いでいくと良いよ」
「仕込って何?」
「そいつは言えないねえ」
 悪戯小僧の笑みを残し、妹紅はそそくさと竹林の方へ去っていった。
「……怪しいですわ」
「怪しいねえ」
 彼女の不審な行動を訝しく思うものの、ひとまず置いておくことにし、永遠亭に来訪を報せることにした。加減がわからず、トントンっと軽く戸を叩いたのだが、すぐに使いの者が開けてくれた。


      九


 小兎達が廊下を跳ね回り、床を踏みしめる音があちらこちらで聞こえてくる。音程の高い笑い声がそれと混ざり合って、喧騒と言っても良いくらいだ。しかし、不思議とこの屋敷はしんみりとした空気が常に流れている。
 使いの兎に連れられて、屋敷の主の元へ向かおうとしている。白い体毛に覆われた、柔らかそうな耳を生やした彼女は、時折それをぴくぴくと動かしては、淀みない足取りで前を進んでいく。
 一方私は、靴下越しに感じる床の冷たさに未だ慣れておらず、そわそわと自分の足元を伺っていた。毅然とした態度を取ろうとするのだが、中々上手くいかなかった。
 目的の場所に到着すると、少し待つよう指示された。彼女は襖越しに中へ声を掛けた。
「姫様。お客様を連れて参りました」
「ご苦労さま。中に入れて頂戴」
 主からの了承を得ると、彼女は襖を開け、「どうぞ、お入りください」と言ってきた。奥には、置物のように座っている女性が待ち構えている。
「まあ楽にして頂戴。そんなんじゃ、おちおち話もできないわ」
 彼女は綺麗な姿勢で正座していた。私は慣れていないので、胡坐に近い形で座らせてもらうことにする。スカート丈のこともあって咲夜に咎められたが、慣れていないことや、相手が同姓ということで何とか許してもらえた。
「突然の訪問を受け入れてくれたことに感謝するわ。私はフランドール・スカーレット、よろしく」
「私は蓬莱山輝夜よ。一応、永遠亭の主をやらせてもらってるわね」
「咲夜のことは、もう知ってるんだっけ?」
「ええ。いつぞやは、永琳共々世話になったわ」
 喋り方に気を配っているのか、流暢な発音で答えてくれた。しかし一方で、表情は気だるげに見える。私達の相手をしているからというよりは、そこにいるだけでも疲れるといった風な態度だ。
 一旦彼女から視線を外し、ちらっと咲夜の方を見る。すると、どうにも不可思議な現象に立ち会ってしまった。
 咲夜は何かに耐えるように表情を歪め、身体も若干震えていた。彼女は輝夜と同じく正座でいたが、その姿勢には慣れていないのかもしれない。――博麗神社で過ごした時も、幾度か足を崩していたのを覚えている。
 私が見ているのに気が付くと、次の瞬間には何事もなかったかのような澄まし顔をしていた。そして、「何でしょうか、妹様」と言ってくる。先程までとはまるで別人のようだ。
 見てはいけないものを見てしまったのかもしれないと判断すると、「何でもない」と返し、再び輝夜に向き直った。すると、気だるげだった彼女の表情が少しばかり楽しげなものに変わっていた。
「そちらの従者様は、正座には慣れていないのかしら。足を崩しても良いのよ?」
「心配なさらずとも結構。問題ありませんわ」
「……楽にしてもいいんだよ? 咲夜」
「では、失礼をば」
 あっさりと足を崩して楽な姿勢を取る咲夜は、責務から解放されたような爽やかな表情を浮かべていた。女性だけあって、胡坐ではなかったが、尻を置いていたふくらはぎを横に流しているため、科を作ったみたいになっている。彼女の履いている短いスカートでは、そういう姿勢ははしたなく見えてしまうのではないだろうか。ではどうしたら良いのかと聞かれても、恐らく答えることはできないが。
 若干の間を、使いの者が用意した緑茶を啜って過ごしていると、輝夜の表情が何かを思い付いたように輝きだした。
「魔法はもう掛かっていないけれど、永遠亭はそれを望んでいるのかもしれないわ」
 ぽんっと両手を合わせ、突然珍妙なことを言い出したので、咲夜と顔を見合わせたが、輝夜の言葉の意味はわからなかった。
 彼女は思い付いたのが余程嬉しかったのか、目を爛々とさせて続きを聞かせてきた。
「気が遠くなる程の時間をここで過ごして、気付いたことがあるのよ。もしかしたら、永遠亭にも命があるのかもしれないなって……」
「命ってどういう意味?」
「妹様、藪蛇ですわ」
 咲夜に言われてからそのことに気付いたが、時は既に遅く、輝夜は私の問いかけに意気揚々と答えてきた。彼女が語ってくれた話はとても長く、相槌を打つだけでも一苦労だった。
「遊びに出かけた小兎達が屋敷に帰ってくるとね、元気な声で『ただいまー!』って言ってくるのよ。まあたまに返事がこない時があるみたいだけど、大体は返ってくるようね。それでね、ここが肝心なんだけど、小兎達はどうやら、返事が返ってこなくても平気みたいなの。この場所に帰って来ただけで、もう安心してるのよ。家に帰ったら皆殺されてしまっているかもしれないなんて、疑う余地もないのね。永遠亭がここにあるだけで、もう誰かに迎えられた気になっているのかもしれないわ。だから、もしかしたら、永遠亭が私達を包み込んでくれているのかなあって、ぼんやり思っちゃったわけ。まあいつもは奥に籠っているから、そんなことを考える機会は少ないんだけどね」
 輝夜の語りは上手だったが、肝心の内容は要領を得ないものだった。
 私にとって紅魔館は私を押し込める器に過ぎず、包み込まれているというよりは、縛り付けられている印象の方が強い。しかし、家を出るという確固とした意志が、不思議と湧いてくることはなかった。
「輝夜はさ、ここを出て行きたいと思ったことはないの? 」
「出て行ったとして、それから何処に行けば良いのかしら? それにここでの生活も中々気に入っているし、充分満足よ、私は」
 彼女も昔は軟禁状態にあったと聞いたが、今はそれも解消されたと言う。展覧会を開くなどして、外界との交流も図っているようだが、永遠亭から離れることはこれからもないのだろう。私自身、これから紅魔館へ帰ることに疑問を抱いていなかったのだから、わけもない。
 帰るべき場所があるのは幸せなことかもしれないが、私がそれを本当に幸せに感じているのか甚だ疑問だった。流されるままに生き、その中で自分のやりたい事を見付けてきたが、やはり家から出た後の私の行く先が想像できずにいる。
 輝夜との対談は、妹紅の乱入によって幕を閉じることになった。スパッと襖が開け放たれると、妹紅が宣戦布告を告げた。
「今日はデッサンで勝負だっ! 輝夜ー!?」
「あら妹紅。私は今、客人の相手で忙しいのだけれど?」
「お前の都合なんて知るもんか。その客人とやらには気の毒だが、さっさと面を貸してもらおうか」
「そもそも貴方、絵なんて描けるのかしら? 惨めな姿を晒すよりも、大人しくいつものやり方で挑んだ方がよろしいんじゃなくて?」
「ほざけっ。お前の話には耳を貸さん。つべこべ言わず、さっさと来い!」
 妹紅に腕を掴まれた輝夜は、ずるずると引きずられていった。輝夜は「ごめんねっ」と言い残し、妹紅が持ってきた道具がガチャガチャと鳴る音と共に遠ざかっていった。
なし崩し的に永遠亭訪問はお開きになると思われたのだが、先の兎が恐縮そうにこちらへやってきて、「今から餅つきをやるんですが、よろしければ見物でも如何ですか?」と勧めてきた。時間がまだ余っているのを咲夜に確認してから、実物を見せてもらうことにした。
 使いの兎に案内されると、既に餅つきは始まっているようで、大きな木槌のようなものを手にした兎が、周囲の小兎達に囃したてられていた。
 木製の容器めがけて木槌を勢い良く振り下ろすと、すぐさま引き上げ、器の側で控えていた兎が腕を器の中に突っ込み何かをしていた。
 ぺったんぺったん繰り返される毎に、周りにいる小兎達が拍子をとっている。中には跳ね回る者もいて、まるでお祭り騒ぎだった。
 餅つきが終わる頃合いを見計らって、幾分か歳を重ねたらしい兎達が集まってきた。そして餅が出来上がると、早速周りの者に配り始める。先程案内してくれた兎もそれに参加しており、私達にもいくつか渡してくれた。
 折角なので、出来たてを食べてみることにした。
「初めての餅のお味はどうですか? 妹様」
「美味しいというよりは、面白いね」
 思いの外熱かったので、はふはふしながら食べていると、噛み切ろうとした際にびよーんと伸びてしまい、伸びた部分が地面に落ちそうになった。慌てて口に含むと、熱々の餅に舌を焼かれてしまった。
 これまで紅茶に合うような菓子の類しか食べたことがなかったので、こういった素朴な味わいは初めてだった。咲夜に聞く所によると、私が屋敷で食べてきたものにはそれとなく人間の血液が混入されていたようで、無添加のものを口に入れたのもこれが初めてになるらしい。
 試しに血を混ぜ合わせた餅を想像してみるが、真っ赤に染まった餅は美味しそうではなかった。
 すっかり御馳走になった後、世話になった兎に礼を言って帰ることにした。人里で評判の薬師とやらにも会ってみたかったのだが、忙しいと断られた。
 庭先でスケッチブックと睨めっこしている二人に帰ることを告げると、「また今度っ」と慌ただしい返事が返ってきた。息がぴったりと合っていて、それが付き合いの長さを物語っている。
 ちらりと見えた二人の絵は意外にも上手だったが、目の前に映る庭の風景とはかけ離れていた。


      十


 紅魔館に帰って来ると、私は慣れた足取りで自室へ向かった。入り口まで送り届けてくれた咲夜は、すぐさま屋敷の業務に戻っていこうとしている。しかし私は慌てて彼女を引き留めた。ふと疑問が浮かんできてしまったので、解消しようしたのである。
 呼び止められた咲夜は「何でしょうか?」と訊ねてきた。私は、突然呼び止めたことを謝罪してから、本題に入った。
「ねえ、咲夜。すっかり聞き忘れてたけど、あいつと何があったのさ? 咲夜の口から聞いてなかったよね、確か」
 引き留めた時の焦りが残っているせいか、喋る速度が若干早くなってしまっていた。そんな私を落ち着かせるように、咲夜はそっと微笑み、ゆったりとした調子で答えた。
「妹様、貴方様の姉君は意地悪でございます」
 静かに語り出した咲夜は、相変わらず上品な笑みを浮かべたままだったが、そこには困ったような仕草が追加されていた。
「お嬢様は、私が人間として生きようとするのを曲げないでいると、先日、『咲夜が私を置いて死ぬって言うなら、まず私が先に死んで見せてやるわ!』と仰いました。さも名案だという顔をしていたものですから、内容よりもそちらに目が向いてしまいましたわ。最近よく庭に誘われるなと思っていたら、『自分の死に場所に最も相応しい場所を探していた』などと言われるんですから、全くお嬢様には敵いません」
 ……全く持って呆れてしまうばかりだった。自分より先に死ぬのが許せないからといって、そのような馬鹿げた発想に至るのは、姉以外にそういないのではないだろうか。しかし、幻想郷ではありえそうな気がして怖い。もしかしたら、珍しいという言葉の基準が高くなってしまっているのかもしれない。
「死んで見せるって……あいつ、死んでないでしょ」
「今際の際のお嬢様曰く、『私の身体の一部を数週間前図書館に送ってある。これによって、世界には二人の私が存在する。記憶は共有しているけど、これまで貴方と向き合ってきたのは、ここにいる私一人だけということね。……さあ咲夜、もう少しで朝を迎えるわよ。覚悟なさい』だそうです」
「……それで、咲夜は朝日に消えていくお姉様を見て、どう思ったのかしら?」
「どうも思っていません。ただ、黒いモヤが大気へ吸い込まれていくのを見て、綺麗だなと感じただけですわ。それが過ぎれば、いつもの朝が始まりました」
「咲夜ってば冷たいんだねえ。お姉様もがっかりしてるわ、きっと。可哀想なんて思わないけどね」
「ええ。お嬢様はご無事で、私もこうしてその帰りを待っているだけ。平和なものですわ」
 話を聞いてみれば大したことはなかった。姉の気紛れに、従者が一人巻き込まれただけである。その際、咲夜は姉から私の世話を頼まれたらしいが、なんでも「最近妹が安定してきたから、安心して逝くことができる。迷惑を掛けるが、後は任せた」と言われたそうだ。失礼な姉である。迷惑を掛けると思うなら、私を閉じ込めたままにしておけば良いのに。凝った演出を考える暇があったら、迷惑を掛けない方法を探せというものだ。
「引き留めちゃってごめんね、咲夜。用は済んだから、もう行っても良いよ。仕事、頑張ってね」
 もう咲夜を解放してやろうと声を掛けたのだが、何故か彼女はその場に留まっていた。それを不思議に思っていると、少ししてから反応が返ってきた。
「妹様」
 俯きがちに発せられた言葉は、何処か苦しそうに聞こえる。咲夜の瞳は私を映してはいたが、どうにも彼女の見ているのは私ではないような気がした。きっと、私を通して自分自身を見ているのだろう。
「……妹様、私が先程述べたことに嘘偽りはありません。ありのまま、起こったことや思ったことを報告致しました」
 そのことを疑ってなどいなかった。咲夜が私に嘘を吐いたことは、これまで一度もないからだ。判別のしにくい冗談を言われたことはあるが、「冗談ですわ」と締め括る時の彼女の表情は、きちんと判断できるつもりでいる。もっとも、私と咲夜の交流は数日前に始まったばかりなので、それで彼女のことを知った気になるのは、おこがましいことかもしれないが。
 見たことのない咲夜の姿に戸惑っていると、彼女は続きを語り始めた。
「妹様、私はお嬢様が消えていくのを見て、本当に何も思っていませんでした。お嬢様のお言いつけ通り、妹様のお世話をし、不測の事態が起きないよう注意し、いつもと変わらない日常を過ごしておりました」
 ぽつりぽつりと溢すように語る咲夜の姿は弱々しく、普段の瀟洒な彼女とは別人のように見えた。
「しかし、何事もなく日々を過ごしていると、何も変わらないことが却って恐ろしく感じてきたのです。お嬢様がいなくなっても、私はいつもの私でした。お嬢様がお戻りになっても、恐らくそれは変わらないでしょう」
 本音を言えば、だからどうしたのだと言ってやりたくなる。お前の今言っていることは支離滅裂で、後になって誰かから聞いたら、きっと恥ずかしくなるぞ、と。しかし咲夜の表情は、それを言うにはあまりに真剣すぎた。私は彼女に対して、黙って聞いてやるぐらいしかできないのだろうと考えた。
「私は人間をやめる気はありません。ですからこの感情も、人間である以上背負い続けなければいけないものだと思っております。日常の喧騒に追われ、一旦成りは潜めますが、いずれまた思い出すことでしょう。思い出しては忘れ、思い出しては忘れ。繰り返し続けるのですわ、妹様」
 溜め息混じりの呟きは、咲夜の諦観を示しているのかもしれない。私から見ればまだ小娘ではあるが、彼女が思い悩んでいるものを鼻で笑うのは、あんまりな気がした。
 私の名前を呼ぶ少し前から、咲夜の表情は普段のものに戻っていったように思える。それはきっと、話の終わりを意味するのだろう。
「お疲れのところ、長話に付き合わせてしまい、申し訳ありませんでした。私は屋敷の業務に戻らせて頂きますので、御用の際はいつでもお呼びください」
「うん、そうする」
「では、失礼します」
 言葉の余韻だけを残し、咲夜は忽然と姿を消した。
 咲夜のことは、この何日かで色々知った気がする。彼女が時間を操ることを最初は知らなかったが、今では突然彼女が消えても驚かなくなった。咲夜がメイドという種族ではなく、人間だということも教えてもらった。これからも、知ろうと思えば色々な咲夜を知ることができるのだろう。
 ふと、姉にもあのような話をしているのだろうかと考えたが、どうにもその場面が想像できないでいた。姉に甘えられている方が、よっぽど似合っているように思えるからだ。きっと姉の前では格好付けて、弱い自分を見せないようにしているに違いない。だが、
(お姉様はそれを知ってるんじゃないかな……)
 私達姉妹は幼い。しかし、数百年の時はただ幼いだけの存在ではいさせてはくれない。過ごした時間の分だけ、私達は何かを吸収しているのである。成長しないからそれを活かすことはできないが、人間とは比べ物にならない程の経験を有しているのだ。地下に籠っていた私とは違い、世間の荒波に揉まれた姉の見識は確かだろう。とはいっても、私の地下室での数百年が無駄だったわけではないが。
 私達は変わる必要はない。むしろ、変われないと言った方が正しいのかもしれない。もし幻想郷がなければ、私達は忘却の海に沈んでいく他なかっただろう。生きていくためには、変わっていくしかないのである。しかしそれは、とても大変なことだ。
「人間って面倒ね」
 そう呟いて、私は自室へ入ることにした。


      十一


「そういえば妹様、そろそろお嬢様が帰ってくるそうですよ」
 重要なはずのことなのだが、あっさり言われたせいで、それが取るに足らないことのように思え、「ふーん、そう」と気のない返事をしてしまった。
 それまで散々遊び歩いた私は、現在紅魔館を探索している。身近な所にも目新しい発見はあり、今もそれなりに楽しんでいる最中だ。一度自分の住居を見つめ直してみるのも、中々悪くないものだと思う。
 手始めに美鈴の担当している庭園を訪れてみたのだが、花というのは、間近で見れば印象が変わるということに気付いた。遠くから眺めていれば綺麗に映るだけだが、近付いて見れば、斑点やら虫やらといった、それまで見えてこなかったものが見えてくる。
 例の一件を美鈴は実際に見ていたそうだが、彼女にはじゃれ合っているようにしか見えなかったそうである。主が消えていく様を見てどう思ったかと訊いたら、「忠臣を残して消えていくだなんて、恰好良いじゃないですか!」と言われてしまった。恐らく美鈴には、咲夜の感傷は理解できないだろう。もっとも、目の前で爽やかに笑っている彼女の裏に何が潜んでいるかなんて、今の私にはわからないが。ただ、そんなことばかり考えていたら、まともに人付き合いなんてできないだろうとは思った。
「ってあれ? 思ったより反応が薄いですねー。嬉しくないんですか?」
「仮に嬉しかったとしても、さっきの言い方じゃあねえ?」
「ありゃ。これは失敗しましたね。私としては、『美鈴、それ本当!?』くらいの好反応を期待していたんですが……」
「だからさあ、美鈴の中での私のイメージはどうなってるのさ」
 美鈴は、私のことを姉思いだとよく言う。私のどの部分を見てそう言っているのかは知らないが、それが彼女と付き合う上での悩みの種になっているのは確かである。
「妹様は、姉思いの、良い妹だと思っているに決まってるじゃないですかー」
 訂正するのも無駄だとわかった今は、聞き流すことにしている。再度「ふーん、そう」と返事すると、すぐに「あっ、信じてませんね? 素直じゃないなあ、妹様は」と返ってきた。
 この流れが始まると、決まって居心地が悪くなる。私は癇癪を引き起こす前に、美鈴と別れることにした。早口に、「用は済んだから家に戻るね」とだけ、美鈴に告げた。
 日傘をくるりくるりと回しながら屋敷に引き返していると、後ろから、明るく大きな声で呼び掛けられた。
「妹様! お嬢様は、次の満月の日に帰ってくるかもしれないそうです。教えてくれたのは、パチュリー様ですよーっ!」
 大分離れた位置にいる私に向かって、美鈴はブンブン手を振っていた。からっとした笑顔が、少し眩しい。
(やっぱりパチュリーか……)
 現在の姉の状況を詳しく知るのは、パチュリーの他にいないだろう。彼女がそう言った以上、信憑性はそれなりにあるのかもしれない。
 しかし、姉が戻ってくる……。当たり前のことだが、何だか実感が湧かなかった。姉に何と声を掛ければ良いのか、迷ってしまう。「あらお姉様、随分と遅いお帰りですこと」で良いのか? それとも、「本当に消えてしまってもよろしかったのですよ?」だろうか。飛び切り良い決まり文句が見つからなくて困る。
 恐らく、もう地下へ閉じ込められることはないだろう。私が外に出るのを容認した時点で、枷は不必要になったのである。咲夜への当て付けのついでというのが、ふざけているとは思うが。
(そういえば……)
 姉には色々と言いたい事があったのだ。丁度良い、これまで溜めていたものをぶちまけてやるのも良いかもしれない。きっと、泡を食って、素っ頓狂な反応を返してくれることだろう。それは愉快に違いない。
(ああでも、その前に……)
 小悪魔が不意に見せた、あの真剣な眼差し。あれが未だに気に掛かっていた。とはいっても、それは何時でも本人に訊けることだと思ったので、気にはなるが、結局胸の内にしまっておくことにした。
 私は館内に入ると、まず近くいた妖精メイドを捕まえ、満月まであとどれぐらいあるのかを訊くことにした。
 ご読了、お疲れ様です。
 読んで頂き、ありがとうございました。
 機会があれば、またお会いしましょう。

  
竹津
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コメント



0.430簡易評価
1.100名前が無い程度の能力削除
非常に面白かった
こんな妹様もたまにはいいね
9.100愚迂多良童子削除
足の痺れを堪える咲夜が可愛い。