「アイヤー、お嬢様おかえりなさいアルね!」
博麗神社に一泊して紅魔館に帰ってみると、門番の美鈴が妙なポーズを取っていた。
荒ぶる鷹のように腕を広げて片足立ちだ。
「留守中、紅魔館は特に異変もナイアルよ」
アルのかナイのかどっちなんだ。
口調も妙で、急に合掌したと思ったら首を左右にクイックイッと動かす。
やけに愛想のいい笑顔が途方も無くインチキ臭い。
帰宅した紅魔館の主、レミリア・スカーレットはオシャレな日傘の影の中、無表情を保っていた。
嵐の前の静けさって奴か。
駄目押しとばかりに、胡散臭い門番は跳躍して座禅を組むと、そのまま空中浮遊して言う。
「ヘイ、ガール! キャン、ユー、スピーク、ジャパニーズ? ユー、フール? HAHAHA!」
インチキ中国人からインチキ米国人にチェンジ!
あまりに唐突かつ意味不明で、とち狂ったとしか思えない門番の前で、紅い悪魔はついに口を開いた。
「Thank you for your work. Since I was tired, I would like to rest slowly. Let's pass teatime together later? I get Sakuya to make a tart, please look forward to it.」
とても流暢な発音で。
表情を強張らせて絶句した美鈴は、思わず地面に落下してお尻を強く打ちつけてしまう。
「あいダッ!? 尾てい骨、尾てい骨が~……」
涙目になりながらお尻をさすっていると、日傘の影が美鈴にもかかった。
レミリアが心配そうに美鈴を覗き込んでいる。
「Are you all right?」
「あっ、えぇ~っと……オーライ! ノープログレム!」
「Yes, it was good.」
「ファインセンキュー! オーイェー。HAHAHA!」
勢いよく立ち上がって胸を張り、元気いっぱいに笑い飛ばす美鈴を見て安心したのか、レミリアは優しく微笑むと紅魔館の門を潜っていった。
残された美鈴は引きつった笑みのまま青空を見上げ、しばし沈黙し、クルッと振り向いて紅魔館の玄関に入っていくレミリアの背中を凝視して呟いた。
「……えっ、なにこれ? 逆ドッキ……ええっ?」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ただいまー」
健やかに言いながら、レミリアは日傘を折りたたんだ。
やはり紅魔館の空気はいい。悪魔的だ。
『お帰りなさいませお嬢様!』
広大なホールに入ってすぐ、真っ赤な絨毯に整列した妖精メイド達が深々とお辞儀をして出迎える。
統制の取れたその光景は、本当に妖精なのかと疑わしくなるほどだ。
さすがのレミリアも、驚いたように眉根を寄せる。
そして妖精メイド一同は面を上げると同時に、様々なものを構えた。
それは銀のナイフだったり、聖水の入ったビンだったり、聖書だったり、白木の杭だったり、水鉄砲(流水枠?)だったり、ニンニクだったり、炒った豆だったり、神聖な十字架だったりした。
どれもこれも吸血鬼の弱点ばかりで、滅する気満々だ。
一部の弱点はレミリアにまったく通用しないのだけれど、どこまで本気でやっているのやら。
きょとんとした表情で妖精メイド一同を見渡すレミリア。
楽しげに微笑み返す妖精メイド一同は、それぞれ吸血鬼の弱点を主レミリアの方へ突きつけた。
『お好きなモノをどうぞ!』
声をそろえて、とびっきりの笑顔で、瞳をギラギラさせながら。
謀反にも等しいこの行為に、レミリアが取った行動とは!?
「じゃあこれ」
と、妖精メイドから白木の杭を掴み取ったレミリアは、あろう事かその先端を己の胸に当てた。
慌てたのは妖精メイド達だ。いかに絶大な魔力を持つ吸血鬼と言えど、白木の杭で心臓を潰されては二度と蘇生できない。そうなれば紅魔館はおしまいだ。他の妖精より優雅で気品あふれる生活もおしまいだ。湖のバカ妖精に自慢できなくなる。
だがレミリアは白木の杭を胸に当てただけで、それ以上どうこうする気配は無かった。
よかった、ぶち込む訳じゃなかったのか。
ところがレミリアは不思議そうに妖精メイド達を見渡して言った。
「あら? 杭を打ち込むハンマー係はいないのかしら」
「ええーっ!?」
「お嬢様本気だ!?」
「あれ!? なにこれ、逆ドッ……」
「ちょ、それNGワード! 色々疑問に思うけれどNGワードはダメだってば!」
右往左往する妖精メイド達。
しかも各々、吸血鬼退治のアイテムを持ってるもんだから危ない事この上ない。
銀のナイフがとある妖精メイドの鼻先をかすめ、ビンは床に落ちて割れてしまい聖水があふれ、聖書は破け、水鉄砲は暴発し、放り出されたニンニクが別の妖精メイドの口にホールインワンして喉に詰まり、ばら撒かれた炒った豆がメイド服に入り込んで胸元にピンポイント突起を作ってしまったり、十字架から聖なる光があふれ出たり。
もはや収拾がつかない騒ぎになったかと思いきや、怒号が轟いた。
「うろたえるなメイドども!!」
はるかなる頭上、ホールの天井からぶら下がるシャンデリアの上でキメポーズを取っているその姿、羽ばたくようなコウモリの翼は勇ましく、レミリアとお揃いのカリスマあふれるその衣装。
「天知る、地知る、悪が知る。正義を倒せと俺を呼ぶ。
地獄の公爵にして、紅魔館を裏から支配する真の主。
スカーレットタイフーン・エクセレント・リトルデビル!!
ジャキィィインッ!! とうっ」
効果音を恥ずかしげもなく叫ぶと、レミリアコスプレの小悪魔がシャンデリアから飛び降りた!
空中で縦回転、横回転、華麗にポーズを取りつつ着地。
決まった。
パーフェクトだ。
小悪魔、人生最大の見せ場を得たり!!
「キャアァァァッ!!」
ところが、周りから上がった甲高い悲鳴は恐怖や絶望に満ちあふれていた。
キャーステキーって感じの悲鳴を期待していた小悪魔は、不思議そうに周囲を見る。
青ざめた妖精メイド達はなぜか、一様にして小悪魔の足元を見つめていた。
そしてなぜか一番のターゲットであるレミリアお嬢様の姿が見当たらない。
とりあえず足元を確認してみようと思った。
見下ろすとそこには、仰向けに倒れたお嬢様の姿があった。
お嬢様を踏んでいる? それにしては床が硬い。お嬢様のロリータボディはプニプニのポヨポヨで、靴越しだろうと触れているだけで頬が弛緩するほどの心地よさがはっきりと分かるのだ。
でだ、靴の下を見てみる。
お嬢様の胸、に深々と突き刺さった白木の杭、の上に小悪魔は立っていた。
ズブリ。小悪魔の体重によって数センチほど杭が沈み、レミリアは苦しげに血を吐いた。
「や」
一拍置いて。
「殺っちまったァァァン!?」
小悪魔、魂からの絶叫。
蒼白になって飛び上がり、少しでもお嬢様から離れようとグングン上昇するも、背中に何かがぶち当たる。
それは天井からぶら下がるシャンデリアだった。
小悪魔の体当たりを受けてシャンデリアは大きく揺れ、留め金がゆるみ、小悪魔を巻き込んで落下する。
「ヒヤアァアァアァッ!?」
絹を裂いたような悲鳴とともに、小悪魔とシャンデリアによるボディプレスがレミリアにインパクト!
白木の杭をさらに押し込むどころか、全身をズタズタのボロボロに押しつぶしたのだ。
シャンデリアの破砕音が紅魔館に鳴り響き、破片が飛び散って大惨事を巻き起こした。
妖精メイド達は大怪我を覚悟したが、恐る恐る自分の身体を確かめると誰一人怪我をしていない。
というか、周囲には紅い霧が漂っており、不思議な事にシャンデリアの破片は霧によって空中に縫いつけられていた。さらにシャンデリアの残骸の上には、小さな人影と大きな人影が。
胸に風穴が開いたままのレミリアお嬢様が、傷だらけの小悪魔をお姫様抱っこで救出していたのだ!
「フッ……怪我は無いか、Scarlet Typhoon Little Devil」
「は……はい、ごじゃいましぇん……」
呆然と、そして惚れ惚れしながら頬を紅潮させる小悪魔。
我等が主の圧倒的カリスマの前に、妖精メイド一同も我知らず頬を濡らし、ひざまずいていた。
「身体を厭えよ、我が臣下達」
「は……ははーっ!」
「畏まりましてございます!」
「レミリアお嬢様万歳!」
「紅魔館よ永遠なれ!」
小悪魔をその場に降ろすと、歓声を背中で受けながらホールを去るレミリア。
徹頭徹尾間違いなくカリスマだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
紅魔館の廊下を行くレミリア・スカーレット。
門番に告げた通りちょっぴり疲れ気味で一休みしたいのだが、向かう先は自室ではなく地下だった。石の階段を歩けば、甲高く小気味いい足音が響いて楽しい。少し上機嫌になると、胸に空いた穴も次第にふさがっていくというものだ。ついでに服だって再生しちゃう。女の子だからね。
地下廊下を少し進んで大きな扉を開くと、濃密な紙の匂いに包まれた。
紅魔館が誇る大図書館だ。
別館じゃないのに図書館だ。
図書室と言ってはいけない。迫力不足になってしまう。
「パチェ、遊びにきたわよ」
「いらっしゃい、レミィ」
奥の読書コーナーから聞き慣れた声がする。
悪魔の親友の魔法使いのパチュリー・ノーレッジの声だ。
進んでみればテーブルどころか床にまで本を積んであり、親友はその陰にいるようだ。
吸血鬼の鋭敏な嗅覚は紅茶の香りまでも明確に捉えた。
優雅な読書タイムを送っているようだ。
「神社に魔理沙が忘れていったウチの本があったから、持ってきたわよ」
パチンと指を鳴らすとあら不思議、レミリアの指先から紅霧とともに数冊の魔導書が出現した。
「あら、ありがとう」
「はい、どうぞ」
テーブルに置きつつ本の壁を回り込むと、そこには筋骨隆々のパチュリーさんが座っておられた。首は頭よりも一回り太く、パジャマのような服はパッツンパッツンだ。
でも顔立ちはいつも通りの可愛いパチュリーちゃん。だって女の子だもん!
パチクリとまばたきしたレミリアは、手近の椅子に座ってパチュリーさんをじろじろと見る。
「えーっと、パチェ?」
「なぁに、レミィ」
「いつもと雰囲気違わない?」
「髪型は変えてないわよ」
頑強な指を口元に当ててクスクスと笑うパチュリーさん。
人間の頭蓋骨くらい握力で粉砕できそうだ。
「いや、その……全体的なラインというか」
「あら、分かる? ちょっと運動してみたの」
お次は力こぶを見せつけるようにポーズを取る。
血管も浮き出てピクピクだ。
「ああ、なるほど、それで……」
レミリアは納得したようにうなずいた。
「ちょっぴり痩せた訳だわ」
物理法則を無視して椅子ごと後ろへ倒れるパチュリーさん、まるで一枚こっきりのドミノが風で倒れたように。後頭部を強打して目元から火花を散らしている。
「ちょっとパチェ、大丈夫?」
「むきゅ~……だ、大丈夫」
パチュリーさんは盛り上がった筋肉をぎこちなく動かして立ち上がると、縮こまるようにして椅子に座り直す。どうも困惑しているようで、レミリアは不思議そうに小首を傾げる。
「ね、ねえレミィ。私って痩せたように見える?」
「ええ、ちょっぴりだけど」
「そ、そう……」
「ほら、パチェったら日がな一日、運動しないじゃない」
「でも、その、太るほど食べてないわ」
「まあねえ、肉づきのいい方じゃないけれど、でもお腹とかは贅肉プニプニだったわよ」
「えっ! ウソッ!?」
「真っ直ぐ立って、鏡の前で身体のラインを確かめてみなさいな。横から見れば分かりやすいと思うけれど、まだ微妙にお腹が出てるわよ」
「お、お腹が出て……!?」
「ぽっちゃり系の範囲だから全然問題ないわ。ほら、私も幼児体型だからお腹はぽっこりしてるわよ」
女同士かつ親友同士とあってレミリアは遠慮無しだ。コンプレックスだって笑顔で話せる。
男の子の甘ったるい浪漫や妄想だって一瞬で粉々にできるのさ。
「うちの娘はスレンダー系が多いから、個性分けできてていいじゃない。咲夜や小悪魔なんか綺麗に引っ込んでるわ。おかげで身体のラインが綺麗だし、お腹との対比で胸だって大きく見えるもの。実際なかなかのものよ」
「えーと、美鈴は?」
「あれは格闘家の身体だからね。お腹は鋼のように鍛えられながら、その弾力性はマリー・アントワネットの如し。柔軟性抜群で機能美あふれる肉体だわ。でもいいじゃない、パチェみたいな方が男受けするのよ。甘えん坊のダーリンがパチェのお腹に頬擦りして、そのまま枕にして寝ちゃうくらい魅力的よ」
「そんな魅力はイヤーッ!!」
「ていうか、こないだパーティーでパチェが酔いつぶれた隙にやらせていただきました。ご馳走様」
真っ赤な舌でペロリとお口を舐めるレミリア。
あまりにもチャーミングな光景ではあったが、パチュリーさんはそれどころじゃないんだ。
本来の計画を進めるべきか、それとも体型についてもっと熱く議論すべきか。
いやそもそも、このスーパーマッスルバディを見てなぜレミリアは痩せているなどと言ったのだ。
吸血鬼の魔眼で幻覚を見抜いている? いいや、ターゲットであるレミリアを騙せるよう魔女の叡智を結集したのだ。いくらレミリアが天賦の才を持っていようとありえない。それは親友であるパチュリーさんが一番よく分かっている。ではなんだ。計画が漏れていたのか。いいや細心の注意を払っていたはずだ。密告の可能性は? いいや誰もが今日この日を楽しみにしていた。紅魔館の面々に疑う余地はない。レミリアの運命能力の仕業か。パチュリーですら全貌を掴めぬその能力、使い方によっては限定的な未来予知も可能という。いいや、レミリアは悪戯っ子だがフェアだ。余程の事がなければインチキせず堂々と戦い勝利するのを誇りとしている。こんなふざけた計画を予知して先回りなんて興ざめするキャラクターではない。それは親友のパチュリーさんが一番よく分かっている。しかし、あるいはこの計画とは別件で未来予知をし、芋づる式に偶然この計画を知ってしまったのかもしれない。意図せずとはいえ知ってしまった以上、知らんぷりこそフェアではない。逆に仕掛け返すくらいレミリアならやってのけるだろう。だがそれなら、それならば、フェアであるために「お見通しよ」というサインを送ってくるはずだ。送った上で、互いに騙し合う変則バトルに持ち込むはずだ。親友だもの、それくらいお見通しだ。では今なにが起きている。レミリアの真意は? 遠見の水晶によって美鈴や小悪魔の失敗は分かっている。それはそれで楽しませてもらったが、あくまで予想外の事態を変則的に回避したにすぎない。だが今は違う。このスーパーマッスルバディを前にしながら、素の反応で痩せたと発言したのだ。ありえるのか? それがどんなに天文学的な可能性であれ、現実目の前で起こっている以上ありえるのだ。過程も結果も分からない問題より、結果だけでも分かっている問題の方が分かりやすいというもの。この程度の難題を解けずしてなにが魔女か。灰色の脳細胞をフル回転させ、紅い悪魔レミリア・スカーレットに挑むのだ。全力で戦ってこそ親友というもの。今こそパチュリー・ノーレッジ新たなる覚醒の時!
「ほーら、パチェったらこんなにお腹がぽっこり」
魔女が思考回路フル稼働している隙に近寄ってきたレミリアは、小振りな手でパチュリーさんのお腹をそっと撫でた。幻覚で作っている、ボディビルダーのように六つに割れた腹筋の輪郭を。
確かに、鋼のような腹筋はぽっこりと出ているという表現もできるだろう。
つまり。
「天然かッ!!」
パチュリーさん完全敗北。
ショックのあまり幻覚フィールドがオーバーロードを起こし、暴走した魔力の奔流によってマッスルバディもろともロケット噴射のようにふっ飛ばされててしまい、天井に脳天直撃という末路を迎えた。頭蓋骨に致命的ダメージを受けると同時に意識を完全喪失したパチュリーは、当然のように床へ落下し――親友に受け止められた。
「ちょっとパチェ、突然どうしたのよ?」
「むきゅ~……」
「……寝ちゃってるわ。しょうのない子ね」
苦笑しながらも、愛しき親友を厭いながら寝室へと運んでやるレミリアお嬢様。
単なる脳震盪のようなので、ベッドに寝かせてやるだけでいいだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
自室に戻ったレミリアは、ベルをチリンと鳴らして忠実なメイドを呼び寄せた。
音が鳴り止まぬうちに返事があった。
「お呼びですかお嬢様」
「ええ。今日のティータイムだけれど――」
アンティークチェアーに腰かけたレミリアは、部屋の入口へと視線を向ける。
そこにはミニスカートのメイド服を完璧に着こなす人間、十六夜咲夜が立っていた。
今日もメイド長として通常業務を行っているはずなのに、メイド服はアイロンをかけたばかりのよう。耳の前の三つ編みだって丁寧だし、髪だってしっかり櫛が通っている。リップを塗った唇だってつやつやに輝いている。整った眉の下では鋼の忠誠心に満ちた瞳があり、すらっとした鼻筋の先からは一本の毛がちょろっと出ている。
鼻毛が一本、ちょろっとな。
完全で瀟洒なメイドの、完全でも瀟洒でもない致命傷である。
この姿を誰かに見られたら、もはや彼女の居場所は三千世界のどこにも存在しなくなるだろう。
そんな咲夜を前に、レミリアは!
「今日はタルトが食べたいわ。多めに用意してもらえるかしら?」
「畏まりました」
「美鈴も誘っておいたから。あの娘、花より団子でたくさん食べそうだものね」
「山盛りご用意致しますわ」
自信たっぷりに笑って見せる咲夜。
その鼻元からは毛がぴょこん。
笑顔とあいまってシュール極まりない。
誇るように胸を張っている咲夜だが、レミリアはいぶかしげに眉根を寄せる。
「……ねえ、咲夜?」
「はい、なんでしょうお嬢様」
何事か期待している声色の咲夜。ほんのわずかだが唇の端が上がっている。
レミリアは告げる。
「どうしたの、そんなところに突っ立って」
「……ええと、お嬢様」
「なに?」
「他に言う事はございませんか?」
「ん? 別になにも?」
心当たりがないのか、レミリアはますます不思議そうな表情をする。
記憶を手繰って、なにか忘れてやしないかとアレコレ考え出す。
じれったそうな咲夜は、なぜか強く鼻息を吹いた。鼻毛がひょろひょろと動く。
が、レミリアはそれに触れようとしない。
「んー……今日なにかあったっけ?」
「……いえ……特に予定はありませんが……」
「そうよねぇ」
「……あの、お嬢様、他になにか、その、ありませんか?」
「準備ができたら呼びにきて」
「……はい」
力無く返事をした咲夜は、とぼとぼと部屋から出て行った。
ドアが閉まると、レミリアは天蓋つきベッドに飛び込み「ふー」と息を吐く。
それから仰向けに寝転がり、妙にしつこかった咲夜の様子を思い返す。
自分に不自然な点でもあったのだろうか。
見すごせないなにかがあったのだろうか。
「ククク」
失笑する。
忠実な人間、十六夜咲夜。
可愛い奴だ。愛しい奴だ。
自分はとても恵まれていたのだと、改めて自覚する。
「切ないな。胸が張り裂けてしまいそうだ」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
十五分後、咲夜がまさしくドアをノックしようとした瞬間、内側からドアを開けるレミリア。
「準備できた?」
「ええ、腕によりをかけて作りましたわ。ふぅ」
やや強めに鼻息を吹く咲夜。
すると当然、鼻毛はひゅんひゅん動く。
「さ、ティータイムよ」
だが構わず歩き出したレミリアは、その後もやけに鼻息の荒い咲夜の挙動を気にも留めずベランダに向かう。
そこでは頭に壺を載せた美鈴が太極拳をしながら待っていた。
「アイヤー、お嬢様お待ちしてましましアルアル」
「お待たせ美鈴。さあ、お茶にしましょう」
「あいあい、了解よー。オフコースねマイロード」
太極拳をやめた美鈴は、壺を載せたままテーブルに着く。
直後、鼻毛を出したままの咲夜が種無し手品でタルトと紅茶をテーブルに置いた。
リクエスト通りタルトは大皿に山盛り! 好きなだけ取って食べればよい。
「アチョー! さすがお嬢様ね、太っ腹デース。ファンタースティーック、ヒーハー!」
「そうね、いただきましょうか」
美鈴の不気味に高いテンションを気にもかけず、レミリアは優雅にティーカップに口をつける。
ベランダの外は白雲が流れて時々お日様を隠したりしているが、概ね空色、空だから。
こんな日に飲む紅茶は格別だ。
美鈴もご機嫌でタルトを一口で頬張り、続いてティーカップに口をつけ、鼻から噴出する。
頭に載ったままの壺は床に落ちて無残に割れ、美鈴は目と鼻と口から液体をしたたらせて咳き込んだ。
「ゴブァッ!? ギョホッ、ゲッホゲホ!」
「美鈴、はしたないわよ」
「ぐ、ぐげげげ……ずびばぜん」
涙目になりながら、美鈴は不気味な顔色を咲夜に向ける。
咲夜はうなずき、レミリアのティーカップにも視線をやり、もう一度うなずいた。
お嬢様があまりに手強すぎるため、死なばもろとも玉砕戦法に打って出たのだ!
美鈴の味覚が正しければ、この紅茶はニンニクっぽいナニカと炒った豆っぽいナニカと形容し難いナニカが濃密に入り混じっている。紅茶成分などカケラも入っていない。色合いや香りが紅茶のままなのがいっそうおぞましい。
しかし、もし炒った豆が入っているのだとしたらお嬢様が平気であるはずがない。炒った豆は美鈴の勘違いだろう。
が、よくよく見れば……お嬢様のお耳から煙が出ていた。
そこはかとなく肉の焦げるイヤな臭いもするような。
「私の顔になにかついているかしら?」
視線を感じたレミリアが小首を傾げると、傾けた耳からドロドロとしたなにかがこぼれ落ちた。
脳みその類いのナニカに思えるが、きっと美鈴の眼の錯覚さ。
だが、鉄壁の門番の心を折るには十分な威力だった。
「さ、咲夜さぁ~ん……なんと言いますかもう、ギブアップしていいですか?」
「ギブアップ? なんの話かしら」
「だってこれ、絶対バレてますって。返り討ちにされてますって私達」
「フッ、まだ負けと決まった訳じゃないわ」
格好つけて鼻を鳴らすと、ちょりんと出た鼻毛がゆーらゆら。
例えお嬢様の視線が向けられていない時だろうと油断しない徹底振りはまさしく完全で瀟洒!
「……? なんの話だかよく分からないんだけど」
「ああ、いえ、お嬢様はお気になさらず。おかわりはいかが?」
「ありがと。よかったら咲夜も飲みましょう?」
「え」
いい笑顔のまま硬直したメイドは、自分がいかにしてこの紅茶を淹れた――もとい調合したかを思い返した。
無理。その二文字が頭に浮かぶ。人間の飲み物ではない。
妖怪であるレミリアと美鈴ならばギリギリOKと判断しての事なのだ。
「あら、自分が飲めないようなものをご主人様に出したのかしらこのメイドは」
「いただきマンモス」
美鈴用の脚本とごっちゃにしたセリフを吐いて、咲夜はティーポットから直飲みした。
精神的後退を断固拒否、これぞメイドの意地よ。
その瞬間、完全で瀟洒な味覚が爆発した。
脳髄を駆け巡るしゃくとりむし。青空に輝くキラキラ星が投げキッス。真っ白な赤血球が真っ赤な白血球と握手して、はるかなる幻想の阿波踊りにより天地開闢の雄叫びパラダイス。
嚥下不能。
この液体を喉に通すのは物理的に不可能であった。
かといって口から戻すなどあってはならぬ狼藉。
故に手段はひとつ。
美鈴と同じく、鼻から噴出した。
ティーポット一杯分。
「ギョゴバッ!?」
その瞬間、完全で瀟洒な嗅覚が爆発した。
メイド人生どころか人間人生すら終止符が打たれそうな衝撃により、リーサルウェポンであったはずの付け鼻毛が紅茶ごと放出されてしまう。なんという失態。咲夜は心が折れる音を聞いた気がした。
だが――。
「ちょ、ちょっと大丈夫? 美鈴といい咲夜といい、妙な病気でもはやってるの?」
「うっぐぐぐ……も、もん、もっ……」
ひとしきり出し終えた咲夜は、鼻を押さえてよろめきながらも精いっぱいのスマイルを浮かべた。
「問題ナッシングですわお嬢様」
そして、咲夜が鼻から手を離すとそこには……ジャングルのようにもっさりと生える鼻毛乱舞!!
まさかの不意打ちは、仲間である美鈴の腹筋すらねじ切った。
「ぐうううっ……そ、そこまでやりますか咲夜さん……」
ブチブチと腹筋の筋が切れる音を確かに聞きながらも、美鈴は笑みをこらえる。こらえねばならぬ。
渾身の捨て身、最初に笑うべきは我等が主。
従者が先に笑うなどあってはならぬ諸行。
さあレミリアお嬢様! あなたの反応は!?
「あやややや。どうも、清く正しい射命丸です。はい、チーズ」
カシャッという小気味いい音と同時にフラッシュ。
鼻毛ジャングル咲夜と、腹筋ねじ切れ面白フェイスの美鈴は、いつの間にかベランダの柵に立っていた射命丸文を凝視した。間違い無く射命丸文だ。幻想郷最速のブン屋だ。とてもいい笑顔の鴉天狗だ。
「あら、遅かったわね」
それでもマイペースを崩さないのは我等がお嬢様。
「いやー、すみません。でも、作り物ではない紅魔館の日常シーンを撮影できたので結果オーライです」
というか、全力で作り物のドッキリシーンだった。
この瞬間、十六夜咲夜のメイド魂はど真ん中から真っ二つに折れた。
ジャングルの如き付け鼻毛がポトリと落ち、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
「うわーっ!? さささ咲夜さーん!」
普段は主導権を握られている美鈴ではあるが、やはり長寿の妖怪であり武芸の達人、メンタルの鍛え方が違った。電光石火で盟友咲夜を抱きかかえる。
「咲夜さん、気を確かに! 人の噂は七十五日です!」
「ああ……母さん、迎えに来てくれたのね……」
「咲夜さんの母親の設定なんて知りませんよ!? これは冗談抜きでヤバイです! お嬢様、今回は私達の完敗とさせていただき、私は咲夜さんを休ませに行きます! ではっ」
ベランダが崩れるんじゃないかってくらいの脚力で、美鈴は咲夜を連れて紅魔館の中へとすっ飛んでいった。
残されたレミリアは不思議そうに小首を傾げ、耳から脳みそっぽいナニカをボトボトこぼしながら文に問う。
「どうしたのかしら、あの子達」
「さあ、思春期ですかね? ところでタルト食べていいです?」
「どうぞ、お好きなだけ」
「どうも。それとお代官様、例の物をお持ちしました」
「どうも」
文が鞄からそれを取り出す様を、レミリアは期待たっぷりに見つめる。
「悪いわね、こんな事を頼んでしまって」
「いえいえ、いいんですよ。レミリアさんからは興味深い話をたくさん聞かせていただきましたから。はい、こちらがご要望の品です」
「ありがとう」
タルト越しに渡されたのは『文々。新聞』の束だった。
一番上はスペルカードルール制定時のもので、レミリアは興味深そうに視線をめぐらせる。
「最新号まで?」
「ご要望通り、ですよ。残念なのは今回の事件の記事をお見せできない事ですかね」
「できれば今すぐ読みたいけれど、まだフランと顔を合わせてなくて……」
「あやや、レミリアさんのご感想を聞けないのは残念至極です。真剣に読もうとしてくださっているのに」
「紅霧異変は何枚目かしら? それくらい大急ぎで読んで――」
「お気持ちはありがたいです。でも……やっぱりいいです。感想を欲張っちゃいそうですし、なにより、あなたの時間は貴重すぎる。私はここでタルトを食べてますよ。レミリアさんも、本当に味わいたいものを存分に味わってきてくださいな。なぁに、疾風迅雷のようにタルトを食べて、追っかけてって、写真でも撮らせていただきますよ。それだけでお釣りがきます」
「……ありがとう、射命丸文」
椅子を立つレミリア。
儚げな微笑をたたえたまま翼を広げ、ふわりと浮かび上がる。
風に流されるように紅魔館の内へと飛んでいく。
それを見送りつつ、文は半分ほどかじったタルトを小皿に置いた。
「さて。のーんびり食べてきますか」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「なんですって!?」
驚愕の声を上げたのは地下室のフランドール・スカーレット。
暗闇の中、盛大にのけぞるほどの衝撃を受けていた。
「美鈴が敗北宣言をして撤退した……!?」
「は、はい……咲夜さんが心に傷を負ってしまったため……」
報告をしたのは小悪魔だった。
自慢の赤毛と反して顔色は真っ青。こんな報告を、よりにもよってフランドールにしなければならないのだから当然だ。
冷たい石に囲まれた部屋で、ギリリと食いしばるフランドール。
強力な魔力の圧力によって、小悪魔は呼吸すらままならなくなる。
小悪魔から見れば、レミリアとフランドールの強さの違いなど誤差の範囲である。
どちらも等しく天井の見えない怪物なのだから。
だが気性の激しいフランドール様は恐ろしい。
自制できるレミリアと違って恐ろしい。
「……いや、待って。計画バレはしたの?」
「えっ、えと、してないです。NGワード結界は反応してません」
「フフッ……なら問題無いわ。この私があいつの心臓を潰してやる」
驚かせるって意味なんだろうけど、フランドールが言うと物理的な意味にしか聞こえない。実際やりそうだし。
けれど、白木の杭でぶち抜かれても平気だったお嬢様なら心配無いか。
「そう、すべてはお姉様を驚かせるために!!」
今さら明かされる驚愕の事実!
今日の紅魔館メンバーはレミリア以外みんなおかしかった。
キャラ崩壊を起こしていた。
だがしかし、その裏には計算し尽くされた恐るべき計画があったのだ。
ドッキリ紅魔館計画!
それぞれキャラ崩壊を演じてレミリアお嬢様を驚かせようっていうサプライズだ。
愛しき親友や従者達の変貌っぷりに慌てふためきカリスマブレイクしたお嬢様を愛でようという計画だ。
咲夜とパチュリーが夜なべをして練った計画は、例え妖怪の賢者であろうと見抜けぬだろうと誰もが確信する完成度を誇った……それは間違いない! 事実だ!
だのになぜだ。なぜ、このような事態に陥っているのだ……。
美鈴、看病リタイア。
妖精メイド一同、カリスマ感動リタイア。
小悪魔、カリスマ感動リタイア――報告程度なら可能。
パチュリー、脳天直撃リタイア。
咲夜、心が折れてリタイア。
しかしまだフランドールが残っている。
紅魔館でもっとも恐るべき少女がついに、クライマックスに挑もうとしている!!
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
地下への階段は幾つかある。
図書館近くへ続く階段。
地下倉庫近くへ続く階段。
レミリア・スカーレットがうろうろしているのは、フランドールの部屋近くに続く階段の前だった。
小難しい顔で眉根を寄せ、階段の先の闇を吸血鬼の魔眼で見通している。
燭台の灯りすらついていない、冷たい石の通路。
「チッ……臆病者め」
唾棄するように言い、頭を左右に振った。
意を決して、階段へと足を踏み出し――視界が爆砕する。
四散する瓦礫と粉塵の中、レミリアの意識は急速に冷えていった。
鋭敏な聴覚と嗅覚で索敵、警戒、脳髄を走る電気信号が足に到達し弾丸の如き勢いで後ろに跳躍。脳内にあるすべての情報を引き出して現状把握に努め、下手人候補をリストアップ。
八雲藍、魂魄妖夢、藤原妹紅、紅美鈴、伊吹萃香、茨華仙、東風谷早苗、霧雨魔理沙、博麗霊夢――違う、筆頭候補の霊夢だけは絶対に違う。フランドー……ありえる。
ゾッと肝が冷えたものの、しかし、聞いた話を信じるならばこれも一興か。
突風が粉塵を四散させ、禍々しい眼光が奔る。
三日月のように哂うフランドール・スカーレットが、なにかを握りしめて浮かんでいた。
心臓が震える。瞳を剥いて見つめてしまう。
心の準備をする前の邂逅だが、いざ出遭ってしまえば歓喜しか湧かない。
「随分とオイタがすぎるわね……フランドール」
「ハァイお姉様ごきげんよう、プレゼントをお持ちしましたわ」
嬉々と笑い、握っていたなにかを投げつけてくるフランドール。
脅威を感じられなかったので素直に受け取ると、それは封筒だった。
ファンシーなデザインで、裏面はハートマークのシールで封をしてある。
表面も見てみる。
絶縁状。
と、書かれてあった。とても達筆に。
これは美鈴の筆跡か。しかし美鈴が紅魔館を去るつもりなら退職届か辞表と書くべきだし、フランドール経由で渡す必要も無い。となれば、実妹フランドール・スカーレットが実姉レミリア・スカーレットに、姉妹の縁を切りたいという意味での絶縁状と考えるのが一番自然であり、レミリアは首が落ちた。
「……え?」
絶縁状を叩きつけるというとてつもないドッキリを仕掛けたフランドール・スカーレットは、逆に呆然となる。
だって、レミリアの首が落ちたのだから。
ポロリと、頭を繋ぎ忘れた人形のように。
切断面は鋭利で、ギロチンでも使ったかのようだ。
床に転がったレミリアの首は無表情で、数度まばたきをすると、胴体が動いて頭を拾い上げ、元の位置にセットする。
何事も無かったかのように、レミリアは絶縁状を見つめ直し、封を開け、一枚の紙を取り出した。
絶縁状。
此度クソッタレミリアホヤローとの縁を切らせていただき候。
二度と顔を合わせる気はございませぬ。
どうしても縁を切りたくないなら、紅魔館の主の座を寄越してヒラメイドになって許しを請え。
フランドール・スカーレットより。
中身は可愛らしい丸文字で、フランドールが書いたに違いなかった。
元々は美鈴が達筆な手紙をしたためており、ドッキリであったと明かす算段だったのだが……あまりにもレミリアが手強いので、フランドールが急遽書き直したのだ。インパクトを増して。
お陰様でついについに、ようやくレミリアにダメージを与える事に成功したのだ!
生首ポトリの視覚的ダメージも相当のものだったが。
「フランドール……絶縁状とは何事か」
「うっさい。姉らしい事をなにひとつしてこなかったお前が今さらなにを言うの。家族ごっこに飽きたのよ」
「そうか。やはりフランドールはフランドールか。切ないな……胸が張り裂けてしまいそうだ」
「なにかっこつけてんのよ、うざったい。もうこんな家、出てってやる」
「これが運命ならば、今ここにいる紅い悪魔として責務を果たそう。月より遠き我が身のために」
「だから、かっこつけてんじゃない!」
吼えるように牙を剥いたフランドールは、裂帛の気合と共に赤々とした魔力を凝縮させて握りしめる。
炎のように苛烈な魔力がほとばしった。
同時に、レミリアも紅き魔力を手に宿していた。
真正面から打ち合えば、策すら蹂躙する圧倒的侵攻力を誇るフランドールが有利。
レミリアの泣き顔と驚き顔を絶対に拝んでやるというサディスティックな衝動に身を任せ、疾駆する。
「アーッハハハハハハッ! 死ねぇ!」
「むうっ……?」
暴発しそうなほど荒れ狂う魔力を握りしめて肉薄してくる妹を前に、レミリアが浮かべたのは戸惑いだった。されど動作は流れるように、手のひらをスッと持ち上げる。すると、受けようとしているのは明らかなのに、フランドールの突進は手のひらへと吸い込まれるように導かれた。
魔力が弾け、紅魔館を内側から紅く照らす。
あっさりと受け止められたため、フランドールの表情が驚愕と困惑に彩られる。
「な、なんですって!?」
「……スペルカードルールはどうした」
「そんなの!」
「加減はしているようだけど、攻撃的で美しくもない」
「お前を殺すのに必要無い!」
「そう」
軽く、払うように腕を上げるレミリア。
するとフランドールの紅き魔力が蛇のように渦巻いて廊下の壁を削り、軌道をそらされた魔力に従って火山の噴火さながらふっ飛ばされる。天井に亀裂が走って破片が崩れ落ちる中、レミリアは月のように輝く瞳を頭上に向けた。
「笑止な、その程度で私に挑もうとは。スペルカードルールならまだ勝ち目があったものを」
「ぐっ……な、なにが、お前、いったい……」
「しかし、参ったな。後悔の泥濘に溺れた私だが、いざその機会を得てもどうしたらいいか分からない」
「わけの、わからない、ことを」
「かといって、あきらめる訳にはいくまい。来い。お前のすべてを受け止めよう」
「っの……禁弾、スターボウブレイク!!」
天井に埋まったままのフランドールが叫ぶや、その背中に飾られた翼の宝石から無数の光弾が発射された。
数え切れないほどの、色とりどりの。
「なるほど、これが……」
美しくも荒々しく降り注ぐ弾幕の中、レミリアは一歩も動かず両腕を広げた。
不夜城レッド――その単語が脳裏に浮かんだフランドールは、回避しようとせずあえて弾幕を苛烈に放つ。
「喰らえぇぇぇっ!!」
光のスコールが次々にレミリアへ着弾し、炎のように肌を焼いた。
端整な顔立ちも、透き通るような肌も、不夜城レッドを警戒して威力を高めたスターボウブレイクに蹂躙されていく。スペルカードルールとはいえ全身を激痛が襲っているだろう、けれどレミリアは棒立ちのまま微笑んでいた。
「なるほど、こそばゆい」
「なっ……にぃ!? このっ、お姉様だからってナメるなー!」
反感を買ったその態度、ますます勢いを増したスターボウブレイクによって天井から床まで埋め尽くされる。
閃光と粉塵によって視界は完全にさえぎられてしまう。
これでは肝心の表情が見えないと気づいたフランドールは、ようやく攻撃の手を休める。
「はぁっ、はぁっ、どうだ」
天井から抜け出て、粉塵から距離を取った位置まで飛行する。
粉塵が濃くて姉の姿を確認できない。
さて、どうなった。
次第に煙が晴れていくと、そこにはレミリア・スカーレットが悠然と立っていた。
焼けただれた肌を新品同様に再生させながら、嬉々と哂って。
狂気の妹は、狂喜の姉を見て、恐怖を覚えた。
「お、お姉様、気でも触れたの……?」
「妹の一大事だというのに、ククッ、地の獄で煮え立つ原初のワインよりも紅く、熱く、甘く蕩ける」
「この、私達の計画を台無しにしておいて……なにをニヤついてる!」
つんざく咆哮が鼓膜を震わせ、さらにレミリアの周りを舞っていた粉塵すべてを吹き飛ばす。
一歩もひるまず、笑うレミリア。しかし。
「ヒィィィ!? 妹様が本気にー!」
後方、地下への道から悲鳴が聞こえた。
振り向いてみれば、小悪魔が腰を抜かして震えていた。
「フランドール、少し待て」
すぐに向き直り留めようとするも、妹はすでに新たなる弾幕を放っていた。
「禁弾! カタディオプトリック!!」
青光の魔力球体が扇状に放たれたかと思うや、壁に当たって乱反射をしながらレミリアに迫る。
攻撃範囲が広い。避けても避けなくても、後ろにいる小悪魔は巻き添えになるだろう。
ならば。
「すべて叩き落すしか!」
瞬間、レミリアの姿がかすむ。
残像を残して、廊下の壁へと跳躍したのだ。
しかも弾幕を上回る超高速によって、壁を蹴って鋭角な軌道を描きながら光弾に突っ込む。
真紅一閃。血のように紅く染まった爪によって弾幕はあっさりと貫かれて四散した。
フランドールが驚くよりも早く、レミリアはすでに次の弾幕へと飛びかかり、今度は広げた翼ですれ違い様に切り裂いた。壁を蹴って、床を蹴って、天井を蹴って、無数の弾幕すべてに追いつき蹴散らしていく。刃のような回し蹴り、竜巻のような体当たり、鬼のような鉄拳で。
すべての弾を叩き落したレミリアは、天井に逆さまに着地してフランドールを見下ろした。
「力を振るうなら、子供じゃないんだ、周りをよく見ろ」
「ぐうう~っ、偉っそうにカリスマぶって!」
「……ムッ、来たか」
癇癪を起こしている妹の、さらに奥を見るレミリア。
廊下の角から、咲夜を背負った美鈴が現れる。
「お、お嬢様! 妹様も、何事ですか!?」
「下がっていろ、姉妹の問題だ」
「しかし!」
「だが、私一人で解決できる自信が無いのも事実。手を借りるべきと思うか? パチェ」
レミリアが呼びかけると、小悪魔の後ろ――地下への階段から七曜の魔法使いパチュリー・ノーレッジが登ってきた。巨大な筋肉の幻影を解除した、もやしのように細い肢体でだ。
振り向いて、その姿を目撃したレミリアは――首を落とした。
天井に逆さまに立っている状態から、床に垂直に。
首の筋肉も骨も丸見えにして。
フランドールと違って、これを初めて見た美鈴とパチュリーは眼を剥いて呼吸を止めた。咲夜は無言で蒼白になる。
後を追うように胴体も落下して床に叩きつけられると、よろめきながら頭を拾ってくっつけ、立ち上がってパチュリーを凝視する。
「パチェ、あなた……痩せた?」
「……痩せたわよ」
親友は投げやりに答えた。
やはりあのマッスルバディを認識していたのは間違いないようだ。
しかしもはや、計画は最終段階すらも乗り越え、延長戦に突入している。
レミリアとフランドール、姉妹で雌雄を決するしかないのだ。
というノリの方がいいのだろうかと、割りと真剣に悩むパチュリー。
「むうっ……急激なダイエットはよくない、栄養たっぷりの食事を摂るべきだ。咲夜、今日のディナーはフォアグラと牛ヒレ肉のステーキだ。サラダも忘れず、デザートはフルーツの盛り合わせで」
「妹を無視するな!」
熱風がレミリアの髪の先端を焦がした。
しかし妙だ。風はフランドールから放たれたのではなく、フランドールに向かって流れている。
熱気が集まっている。
この現象はもしや。レミリアの双眸が鋭くなる。
「出るか、星をも砕いた炎の魔剣」
熱風を握りしめて、フランドールは禍々しく呟く。
「禁忌」
風が燃え、鋭利な形状へと変化していく。
それはフランドールの身の丈を軽く凌駕し、刀身は炎のような揺らめきを映して輝いている。
「レーヴァテイン!!」
傷つける魔の杖と呼ばれる紅き魔剣が顕現する。
姉に振るうために、ありったけの魔力を込めて。
「その首、二度と繋がらないよう刎ねてやる!」
「もう一度言う。力を振るうなら周りを見て、しっかりとコントロールなさい」
威風堂々と妹を待ち受けるレミリア、その威厳たっぷりの姿にパチュリー達は困惑した。
今日のレミリア・スカーレットはどこかおかしい。
同時にこれ以上ないほどレミリア・スカーレットだ。
愛しき親友だ。
愛しき主人だ。
愛しき――。
「ここまできて引き下がれるもんですか!」
剣を突き出し、炎をまとって突進するフランドール。
威力を一点集中してレミリアに肉薄する。
スペルカードルールにあるまじき、美を捨てた直接攻撃。
小悪魔は硬直した。やばい、死ぬ、誰が、自分が巻き添えを受けて、いや、それ以前にお嬢様が――?
パチュリーは息を呑んだ。あれは凄まじい殺傷力を持っている。人間や魔法使いなら即死。吸血鬼なら――?
美鈴は咲夜を捨てて駆け出した。妹様は加減を失敗している。いくらお嬢様といえど、重傷は免れない――!
咲夜は時を止め損なった。止めようとした瞬間に放り捨てられ、呼吸が乱れて。このままでは――!
レミリアは両腕を広げた。
母に向かって飛びついてくる子供を迎えるように。
その瞬間、フランドールから血の気が引いた。
まさしく頭に血が上ってしまい、加減を忘れたレーヴァテインを姉に突き立てようとしている。
ただドッキリを仕掛けて、驚き顔や泣き顔を見て、その後、みんなで笑い合いたかっただけなのに。
紅が散る。
火の粉に混じって、砕けた骨肉と鮮血が。
紅が笑う。
心底嬉しそうに、唇が弧を描く。
「伝わったわ、フランドール」
「お、おね……さま」
「事情はよく分からないのだけれど、すべては――そう、パチェや咲夜、美鈴、小悪魔や妖精メイド達も皆――」
愛しき親友のため。
愛しき主人のため。
愛しき姉のため。
「一生懸命だって、お姉ちゃんは分かってるから」
「あっ、ああ……」
「言わせておくれ。あの日、言えなかった言葉を……どうか言わせておくれ」
胸部から腹部にかけて貫かれ、背骨すら木っ端微塵にされて、吸血鬼といえど立っている事がやっとだろう。
けれどレミリアはまったく苦しげな素振りを見せず、優しく、妹を抱きしめた。
「愛しているよ、フランドール」
腕に妹を抱きながら、はるか遠くへと語りかけるように。
「なにがあろうと、なにが起ころうと、致命的に相反して尚……それだけは決して、変わらなかった」
けれど、これ以上ないほどフランドール・スカーレットに向けて語っていた。
切なく、胸が張り裂けていても。
紅き魔の剣が収束し、消滅する。
なにがどうなってこうなったのか、実のところお互いによく分からない。
それでも、確固とした姉妹愛がある事だけは確かだった。
様々な疑問を残しつつも、万事解決の大団円だと、その場にいる誰もが信じて疑わなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
フォアグラと牛ヒレ肉のステーキ。
サラダも忘れず、デザートはフルーツの盛り合わせ。
お嬢様がぶっ刺されるというショック療法で回復した咲夜は、ディナーのため存分に腕を振るった。その間、レミリアは妖精メイド達と混ざって、戦闘で壊れた廊下の復旧に当たった。従者を思いやるその姿は実にカリスマであり、ますます忠誠心を厚くさせた。
フランドールも一生懸命に姉のお手伝いをしたし、パチュリーは復旧作業の監督をし、美鈴と小悪魔は雑用係をがんばった。その様子を射命丸文が撮影して、姉妹仲良くピースサインを決めたりも。実に仲睦まじい紅魔館の一日であった。
あまりにも切なくて。
あまりにも胸が張り裂けてしまいそうで。
あまりにも微笑ましくて。
あまりにも幸福な日常シーン。
それを書いて晒すのは野暮ってもんでしょ。
射命丸文は、最初の一枚以外の写真は使わない事にした。
レミリア・スカーレットの事情も、吹聴するには重すぎる。
そして、夜も更けて。
「お出かけですか」
門前にて、紅美鈴が闇に声をかけた。
夜風が草を揺らし、紅き館も闇に溶けるように寝静まっている。
それでも、紅魔館を出入りする気配くらいは察知できる。
「こっそり抜け出ようと思ったのだけれど、目敏いな、さすがだ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
美鈴がうやうやしく礼をすると、その前方、何気ない影から生えるようにしてレミリア・スカーレットが現れた。
尊大に笑いながら、しかしどこか冷たく。
「どちらにお出かけで?」
「明日の朝には戻る。それまで、紅魔館が壊れぬようしっかり護っておくれ」
「……? なにか心配事でも?」
「パチェは身体が弱いし、フランドールや咲夜は才能があっても経験不足。有事の際もっとも手強いのはお前だ。この平和な幻想郷では要らぬ世話かもしれないが、こんな頼みができるのは――美鈴だけだからな」
「……は、はい。断固護らせていただきますっ」
唐突に過大評価でおだてられ、美鈴の思考は軽いショートを起こした。
神社から帰ってきて以来、やはり今日のお嬢様はどこかズレている。
が、その違和感の正体を察し切れない。
血で血を洗う戦場に身を置いていた頃の洞察力は今や錆びついてしまっており、せいぜい勤務中に居眠りしていても悪意ある外敵を察知できる程度だ。お嬢様はまさしく、戦場で磨いたその経験を高く評してくれているというのに。
「でもですねお嬢様、ここは幻想郷です。妖怪がいて、人間がいて、巫女がいて、吸血鬼がいて――そんな、私のように時代遅れの居眠り門番に頼るような事態そうそう起きませんって」
「ああ、そうだな――此処は我々が愛した幻想郷なのだから」
「そうですよ。だから、そんな、不安そうな顔しないでください」
「――え?」
言われて、レミリアは己の顔に触れてみたが、その時すでに驚きの表情を浮かべており、美鈴に指摘されるまでどんな顔をしていたのか分からなかったし、思い出せなかった。
不安そうな顔を、していたのか。
そんな主を元気づけるよう、美鈴はお日様のように笑って見せた。
「大丈夫! お嬢様の不安の種は、すべてこの私が摘み取ってくれますよ。紅魔館を賑わせてくれる奴ならともかく、傷つける輩は絶対に通しません!」
が、その言葉を受けるやレミリアは表情を曇らせた。
「……そうだな、そうなのだろう、お前は見事に外敵から紅魔館を護り切った」
「へ? えーと、それっていつの……」
「だが、敵はなにも外から来るとは限らぬのでな」
「妹様の事でしたら、危なっかしいところはありますけど、暴れてるのはポーズですし、弾幕ごっこで着実に力のコントロールを学んでいますよ」
「フッ……紅魔館を内側から食い破れる輩は、もう一人いよう」
「……それは、ありえませんよ」
レミリアと美鈴。
頭に浮かべた人物は、果たして同一か。
「まあ、頭の片隅に留めておく程度でいい。彼女は、私とは違う」
「……あれ? えっと、今のって咲夜さんの事でした?」
「フフッ、誰だろうな」
悪戯っぽく微笑んで、風のように舞い上がるレミリア。
夜陰に響く声色は夢か幻にも似た儚さを持ち、哀を宿した瞳は真紅でありながら冷たく暗い。
夜風が眠り、星々はまたたきを忘れ、月だけが静かに輝く。
美鈴はその時、レミリアを確かに視界に捕らえながら、その姿を見失った。
「最後にアドバイスだ。上位の吸血鬼と相討ちを狙うなら、首を刎ねるだけでは不足だぞ」
「……はい?」
「Bye bye, Scarlet Gatekeeper.」
幼さとは裏腹に艶やかな唇が動き、流暢な英語で別れを告げられる。
「いや、そのネタはもう……」
いつまでもドッキリを引っ張るのはどうかと美鈴は思い、そういえばドッキリ計画の真相もまだ話していなかったので、ここいらで全部暴露してしまおうかとする。
自分のインチキ中国人やインチキ米国人あたりはともかく、咲夜さんの鼻毛ネタを掘り返されたりしたらあまりにも不憫なので。
「……あれ? お嬢様?」
ところが、気がつけば門前にいるのは自分一人だった。
姿を見失いはしたが、視界には捕らえていたはずなのに、視界からも消えてしまった。矛盾した表現だが、美鈴の主観ではそう表現するしかない立ち振る舞いだったのだ。
不思議だが吸血鬼の魔性を持ってすればたやすい真似なのだろう。
お嬢様の気まぐれは不思議なのが基本だ。
誤解は、帰ってきてから解けばいい。
美鈴は門番業務に戻る。
その晩、居眠りはしなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「やだ、帰りたくない。咲夜達に合わせる顔が無い。いっそ死にたい」
「そこまで落ち込まなくても」
翌朝の博麗神社の居間にて、座卓に突っ伏しているのはレミリア・スカーレットである。
対面の席では、楽園の素敵な巫女こと博麗霊夢がお茶をすすりながら『文々。新聞』を読んでいた。
紅魔館の日常を激写! という見出しで、鼻毛まみれの十六夜咲夜の写真がデカデカと載っていた。美鈴も呆けた顔をしており、一方レミリアはすまし顔でカメラ目線。
「ていうか、なんなのよこれは!? 私の留守中、あいつ等なにしてんのよ!」
「ドッキリでしょ? ほら、新聞の隅っこに小~さく注意書きが」
「そんなの誰が気づくっていうのよ! 読者の99%がこの鼻毛メイドを日常と勘違いして――」
そこまで言ったところで、何事かに気づいたレミリアはサッと青ざめた。
ややうろたえた様子で卓上のお茶を取り、一気に飲み干す。
続いて中央の皿に盛られた硬い煎餅を数枚鷲掴みにし、まとめて口に入れるや贅沢にバリボリと噛み砕いた。
さらに急須を取って湯飲みを満たし、またもやお茶をがぶ飲みだ。
そうやってようやく心身に多少の落ち着きを取り戻したレミリアは、怯えをあらわに呟いた。
「……て事はなに? あいつ、こっちの紅魔館がこんなんだと勘違いしたまま帰っちゃったの?」
「という事になりますな。あっはっは、愉快痛快奇々怪々」
と、開けっ放しの障子の向こう、縁側に清く正しい鴉天狗が立っていた。
「あやや、今日の朝刊をお読みくださっているようでなにより」
「オイ、そこの鴉オイ」
「いやぁ、あのレミリアさんは実に楽しそうでしたよ。紅魔館のあるべき姿を再確認するようだったというか」
「オイ、あいつの事情を知ってる鴉。動けない私や霊夢の代わりにサポートに行ったはずの鴉。ちょっと首刎ねさせろ」
「ところで霊夢、お客様ですよ。お茶はまだですか」
取材時は丁寧だが、日常時なので割りと無礼な鴉天狗は我が物顔で座布団に腰を降ろす。
面倒くさがりながらも霊夢は空になった急須を持って台所に向かった。
牙を剥いて今にも騒ぎ出しそうなレミリアを避けただけかもしれないが。
「ちょっと、なにのん気にお茶飲もうとしてんの? 害鳥らしくゴミ漁ってなさいよ」
「はぁ~? 鴉は頭のよさに定評のある鳥ですし。コウモリってあれですね、どっちつかずのゴマすり野郎で、洞窟に引きこもってますよね。ヒッキーじゃないですか。妹さんをどうこう言えませんねー」
「か~ら~す~、なぜ泣くのー。強者にヘコヘコする臆病者だから~。鬼の前でちびってる可愛らしい姿を新聞にしたらどう? 天狗の情けなさが知れ渡って親近感を獲得できるわよ。まっ、私のように高貴なキャラクターには使えない方法だけれど」
「あちらのレミリアさんは実に高貴な方でしたが、いやはやこちらと比べると月とスッポンですね。どう思いますスッポンポンさん?」
「そうそう知ってる? あっちじゃ射命丸文って結構有名なのよ。新聞の捏造っぷりがあまりにも酷くて指名手配されていたわ。懸賞金はなんと100円。ジュースも買えないわね。ちなみに私の懸賞金は666万円でしたわ」
「あっちはあっち、こっちはこっち、全然別物でしょう? ああやだやだ、自分にカリスマが無いからって、あっちの自分のカリスマに頼るだなんて。浅ましい浅ましい。まっ、悪魔なんて総じて浅ましいですからね」
「はっはっ、幻想郷で浅ましい妖怪の代表格が笑わせてくれる。山の連中は発達した機械技術を独占しているのよね。自分達さえ豊かならそれでよし、ああ浅ましい。もっとも、他所様に見せられるほど文明が発達してないのに見栄を張ってるだけなのかもしれないけれど。もっとも鬼が易々と捨てた山にかじりついてるあたり、たいしたもんじゃないわね」
「田舎妖怪の嫉妬は見苦しいですぞ。アレですよね、吸血鬼って貴族派ぶってますけど、ドラキュラとかルーマニアの妖怪ですよね。格好つけのためわざわざイギリスに引っ越して退治されたんでしたっけ? そんなヘナチョコ妖怪の末裔を名乗るとは片腹痛いのなんの」
「あらら、天狗の無知っぷりを晒してしまうとは。馬鹿は自爆が好きねぇ。ヴラド・ツェペシと言ったらもはや魔王だしー、妖怪界隈じゃトップの知名度だしー、辺境の片田舎で威張ってる天狗とは比べるのもおこがましいしー。なんだっけ、天狗の親玉、天魔? ははは全然聞いた事無いわー。第六天魔王のがよっぽど有名だわー」
「真のセレブは下賎相手にわざわざ売名しませんしー。雑魚からの知名度で偉ぶるのって成金ですよね? 本当に格式高い方々は、同格の方々としかおつき合いしませんよ。アレアレ? 紅魔館とおつき合いしてる上流階級ってどこかありましたっけ? ていうか孤立してません? ああ、お友達おられないんですね……可哀想……」
「取り消せ。他の戯れ言は全ッ然気にしてないけど、友達うんぬんは取り消せ。それは私のみならずパチェを侮辱する言葉だ。私の親友馬鹿にするとか、木っ端微塵にして鍋で煮込んでトイレに流しても許されないよ」
「なにヒステリー起こしてんですか、お子ちゃまでちゅねー。赤ちゃん言葉で話した方がいいでちゅかー? こんなお子ちゃまのお守りをしなきゃならないパチュリーさんが不憫で不憫で泣けてきちゃいますよ」
「表に出ろ! グングニルでハラワタぶち抜いて鴉の餌にしてくれるわ!」
「はぁー? そっちこそ"ひよめき"から六腑に風を吹き込んで木っ端微塵にし、川にばら撒いてやりますよ!」
同時に立ち上がった二人は、一目散に縁側へと踏み出し、それぞれ皮膜と羽根の翼を広げた。
殺気立ったオーラが神聖な境内を汚染し、曇天の空も禍々しく黒ずんでいく。
そして閃光がほとばしった。
「夢想封印ー!!」
『ぎゃあああーっ!!』
お茶を持って戻ってきた霊夢が、片腕で放った神聖な霊光によって悪魔と妖怪は叩きのめされ、境内を汚染していたオーラも浄化され、曇天も元の白さを取り戻していく。
「喧嘩するのも死ぬのも好きにしていいけど、神社を邪悪な雰囲気にするな。お賽銭が入らないでしょ」
「イタタッ……どーせ賽銭なんか1円も入ってないでしょうに」
ふっ飛ばされて地べたにキスをさせられた文が、よろよろ立ち上がりながらケチをつける。
霊夢は眼光を鋭くしつつ、自慢げに答えた。
「はぁ? 今月は103円入ってたわよ?」
「税込みですか」
「幻想郷に税金は無い!」
「妖怪の山にはありますよ。消費税が3%になって随分経ちます。噂では近々5%になる可能性も……おや?」
文は立ち上がったが、レミリアは地面に突っ伏したまま痙攣していた。
しかも曇天であるのになぜか身体から煙が出ている。
「プッ、あの程度で根を上げるとは……いやはや不死身の王である吸血鬼様は随分と頑丈な事ですね」
「夢想封印」
「うぎゃああーっ!!」
またややこしい事になりそうなので、もう一度夢想封印を叩き込んで静かにした霊夢は、心配そうにレミリアに歩み寄った。
「ちょっと、大丈夫?」
「うっ、うう……れ、霊夢……あり……」
「これで死んだら私が犯人になって咲夜達に怒られるじゃない。死ぬなら私と無関係に死んでよ」
「……泣いていい?」
「どうぞ」
レミリアは泣いた。
あっちでもこっちでも、人生のなんとつらい事か。
いっそ賽銭箱に今月100円入れたのは自分だと明かしてやろうか。
でもそうすると、妖怪からの賽銭なんて信仰的に邪魔なだけだと文句を言われそうで怖い。心が折れる。
心身ともにすっかり弱ってしまい、身体の気化が止まらない。
「……ちょっと、そんなに霊力込めてないわよ?」
「あっちで受けた夢想封印のダメージぶり返したのよ……」
「軟弱ねぇ」
「いや、あっちの霊夢は本気で殺しにかかってきてたから……弾幕ごっこじゃなかったから……」
「ご苦労様。よく説得できたわね」
「意地でもスペルカードを使い続けたからね。あいつは、私が説得済みの霊夢を相手にすればいいだけだから、楽よね」
「でも、常日頃あっちの相手をしてたのはあっちのレミリアでしょう?」
「霊夢~、ご苦労と思うならいたわってー……」
「はいはい」
やはり面倒くさそうに、けれど丁寧にレミリアを抱きかかえて居間へと戻る霊夢。
人肌が持つ優しさのおかげか、身体の気化もゆっくりと止まっていく。
「ねえ、霊夢」
「なによ」
「本当にもう、あっちの世界とは繋がらないのかしら」
「やり残した事でもあった?」
「そりゃ、まあ、色々ね。生き残ってる奴もいたし、黙っててって言われたけど、仲直りできるか心配だわ。それにスペルカードルールの普及ったって、狐が賢者じゃ発言力も弱いだろうし。そうそう、魔理沙が随分と張り切ってたわ。霊夢を説得するのも手伝ってくれたし」
「あっちはあっち、こっちはこっち。極端な話、あっちが滅亡したところでこっちには関係無いし、知るすべも無い。逆も然り。そう気にしないの」
「しちゃうわよ、あっちに行っちゃった身としては。それにあいつだって、こっちの紅魔館を気にかけている」
「パラレルワールド……か」
感慨深そうに呟いた霊夢は、あっちとこっちが繋がった時を思い返す。
聞くも涙、語るも涙、パラレルワールドからやって来たレミリア・スカーレットの物語。
世界の均衡のためすぐ戻らねばならぬところを、こちらのレミリアは一日だけなら大丈夫と身代わりになった。
こちらの平和な紅魔館で、あっちのレミリアが喪ってしまったものに癒されるために。
そしてスペルカードルールが無い故に荒廃したあっちの幻想郷を救うべく、スペルカードルールを記事にした『文々。新聞』を手土産に持たせて帰還させた。こっちのレミリアがすでに説得済みだとも知らず、命懸けであっちの幻想郷を変革しようと張り切っていた。まあ、あっちの霊夢達が味方するとはいえ前途多難だろうけれど。
そんな、語って聞かせれば長くなりそうな物語――語る必要は無いだろう。
平和なこっちの幻想郷に、わざわざ不安の種を撒く必要は無いだろう。
まだ庭で伸びてる射命丸文もいい記事になると言っておきながら、結局『文々。新聞』に載せたのは紅魔館の日常という記事で、あっちのレミリアもパラレルワールドも、一文字たりとも書いていなかったのだから。
あっちがその後どうなったかも、希望いっぱいに想像しておけばいいだろう。
きっとそうなっているはずだから。
こっちがその後どうなったかというと――。
「射命丸文ぁぁぁ! ここかー!?」
青龍刀を握り締めた紅美鈴が、神社の庭に飛び込んできた。
霊夢に抱かれたままのレミリアは、新たなる心労の予感にうんざりしながらも一応訊ねた。
「美鈴、なにをしているの?」
「お嬢様! 神社にお泊りだったのですか!?」
「まあ、うん、泊まったけど……その青龍刀はなに?」
「射命丸文の首を取ろうと思いまして。あっ、こいつがここに倒れているという事は、すでにお嬢様が手を下されたのですか?」
「いや、それやったの霊夢だけど……ねえ、新聞のアレ怒ってるの?」
「今朝方、新聞を読んだ咲夜さんが辞表を出して失踪しました。これはもうこの馬鹿天狗の首を門前に晒しておくしかないかと」
「よし、殺れ」
「御意!」
青龍刀が振り上げられるや、文は電光石火で飛び起きて身構える。
「ちょーっと待ったぁ! スペルカードルールはどこ行ったの? こっちをあっちみたいな惨状にする気かちみっこ吸血鬼!」
「証拠隠滅すれば問題無いよ」
邪気たっぷりの笑みを浮かべ、レミリアは清々しい口調で言い切った。
主の言葉を聞いて美鈴も殺気だだ漏れで文に迫る。
「あややや、よりにもよって博麗神社の境内で、しかも巫女の目の前で凶行に走ろうとは笑止。霊夢さん! 幻想郷の平和を乱すこいつを退治してやってくださいよー!」
「面倒だからパス」
「こぉんの不良巫女ーッ!」
哀れ、見捨てられる文。
嬉々として飛びかかる美鈴。
疲れがドッときて霊夢の胸にもたれかかるレミリア。
ほんの少しだけ目元をゆるめてレミリアを運ぶ霊夢。
「そうそう、神社に帰ってきたあいつがなんて言ってたか……あんたは聞いてないでしょ?」
「ん……実は紅魔館のドッキリに気づいてたって話なら大歓迎よ」
「残念違う。あいつね、こっちの紅魔館を見ても……自分は正否を間違えたとは思ってないって言ってた。成否を掴み損ねて、あっちの紅魔館をみずからの手で滅ぼすっていう最悪の事態を招いてしまったけれど……」
「最悪じゃないさ、あいつは知らないけど生き残ってる奴もいたし、今頃再会して仲直りなり喧嘩なりしてる。殺し合いはせずに」
「ま、それは置いといて――」
生き残ってたのが誰かくらい聞いてくれてもいいのに、とレミリアはちょっぴり切ない気持ちになった。
だが、あっちのレミリアがなんと言っていたのか気にかかったので、静かに続く言葉を待った。
霊夢は、安心したような微笑みを浮かべて告げる。
「正否を間違え、さらに成否を失敗しても――こっちの紅魔館は、きっと大丈夫って」
幻想郷は危うい環境だ。
かつて吸血鬼異変が起きた際、妖怪達は嫌というほど思い知らされただろう。
だが、スペルカードルールによって変わった今の幻想郷なら――。
紅魔館が、そんな幻想郷に在るのなら――。
「そりゃそうよ」
レミリアは自信たっぷりに笑った。
「我が愛しの紅魔館は、永遠に紅く幸せな月日を送る運命なのだから」
「そうそう、こっちの紅魔館もあっちの紅魔館そっくりで、とても懐かしい気持ちになれたとも言ってたわ」
「えっ、あっちの紅魔館ってこっちのドッキリ状態がデフォなの? うわぁ……ドッキリ紅魔館だわ」
FIN
とりあえず面白かったです。
パラレルワールドの咲夜さんは鼻毛がボーb……いや、そんな咲夜さん想像したくないから考えないようにするか……。
本日も紅魔館は平常運転かと思いきや……
あっちがどうなってるのか見てみたい気もしますが想像するくらいにとどめたほうが良いのかもしれないですね
あっちの世界では咲夜と妹様は死んでて肉パチュリーが親友で門番は頭おかしいのか。あっちの方がよっぽどカオスだw
いやしかし面白かった!
レミリアはどうしちゃったのかと思いましたものw
まさかのパラレル、まさかのシリアス。
ギャグでは笑いシリアスではしんみり、パラレル世界の方もすごい気になりましたがこのくらいにとどめた方がいいのかもしれません。
レミリアお嬢様はどちらもお疲れ様でした。
勢いがあって一気に読めました
面白かったです
パラレルワールドのレミリアが言っていた紅魔館を内側から食い破れる輩とは“レミリア”自身のことなんでしょうか
楽しく過ごせてるといいなぁ。
それにしても咲夜さん、ドッキリにしてももう少し手段をw
この話で一番不憫だったのはレミリ…うん。咲夜さんだねwww
向こうの世界がどうか幸せになりますように。
なんて素敵なパラレルワールド・・・
あの作品で奮闘した魔理沙のその後を考えれば、このレミリアは苦労が報われましたね。しかし(ギャグ的とはいえ)悲惨な目にはあうのは宿命か
しかし、あちらの方で活躍したレミリアの話が気になりますw
新ヴワル小説書庫の某作品を思いだしました。
そういえばそちらの作者さんとイムスさんの名前が似てるような気が…
個人的にはシリアス方面に重きを置いてほしかったけれど、これはこれでb
あっちの美鈴達はあのキャラでシリアスやったのか…
あっちの美鈴はレミリアお嬢様の首を刎ねるとこまで追い詰めたのね
だが語尾がアル…w
マリサズマリスにも同じ設定があったのか。
魔理沙の頭がパーになる前の平行世界の設定だったりするのだろうか
やっぱりボケボケおぜうも好きだけど、カリスマ全開のおぜうもいいですねぇ。
しかしさりげなくスペルカードある方のレミリアがあっちの霊夢の本気夢想封印普通に耐えてる…。
やっぱ吸血鬼ってすげぇや。
命懸けで戦ってガチの霊夢を説得して帰ってきた時には本気で衰弱してるレミリアは妖怪らしかぬ凄く良い奴だと思った
せっかく頑張ったんだからもっといたわってあげて欲しい
以下考察
・向こうの世界は本気で殺し合ってるだけあって戦闘能力の水準が高い
・向こうのレミリアはこっちのフランを出玉に取れるぐらい強い
・向こうのフランはレーヴァテインで隕石を破壊できる?
こっちのフランの破壊の能力並とかヤバい威力だ
・向こうのレミリアはフランと凄惨な離別を経験している
多分レミリア自身がフランを殺してる。それが「後悔の泥寧」
・吸血鬼異変の時にスペルカードルールが制定されなかったのが向こうの幻想郷
その為戦いが本気の殺し合いのまま続いている
・向こうの紅魔館は全滅
・異変の中で美鈴がレミリアと対立し、レミリアは首を斬り落とされる
・紅魔館の生き残りは美鈴
うーん、向こうのレミリアの性格を見るだけでもどれだけ悲しい世界か分かるなあ
たった一日の日常がどれだけ重く懐かしい事か
事情が分かるとフランに対する台詞が切なくて悲しくなる
そしてそれでも正否は間違って無かったと言えるのは流石レミリアだと思う
こんな世界にならなかった幸福をこっちの世界のレミリアは今後噛み締めていくのかもしれない
向こうもこっちも少しでも幸せが続いていくといい、そんな温かい気持ちになれる話だった