この物語は「 閻魔の笑顔と花妖怪」の続きとなっております。
こちらをご覧になってからの方が楽しんで頂けると、作者は勝手に祈っています。
さらに、できれば最後までググらずにご覧ください。
月に一日も休暇が取れないほど多忙だった是非曲直庁も最近やっとピークを越え、月に二~三日ほどの休暇が取れるようになっていた。今日もそんな休暇を使っていろんな場所へ行き、善行の大切さを説いている途中である。現在向かっているのは太陽の畑。目的はもちろん風見幽香だ。“善行の大切さを皆に説く”、このための一連の奔走も風見幽香で締めくくられる。
「今日こそちゃんと話を聞いてもらいましょう」
最初の頃は“協調性を持ってほしい”という内容で話をしていたが、最近は“心を開いてほしい”ということに重点を置いている。
他人との協調の前には心を開くという事が大事である。
「と言うか、いつまでたっても私への態度が変わらないのですよ。もっと私に心を開いてくれてもいいと思うのですが・・・。」
少し個人的な不満を外へ洩らしながら目的の場所へ歩いていく。
「あの時の事は何だったんでしょう・・・。」
あの時の事とは、風見幽香の家に泊まったときの事である。疲れた顔をした自分を見かねたのか、多少強引ながらも家へと招待してくれたのだ。
しかしその時の事を思い出すと顔が熱くなるのがわかった。
「な、なんで顔が熱くなる必要があるのでしょう。我ながら意味がわかりません。」
自分自身の動揺を自分自身の言葉で抑えようとする。
どうもあれ以来、その事(特に最後に幽香から掛けられた言葉)を思い出すと調子が狂ってしまう。
白黒はっきり付ける自分の心の中に灰色の靄があるのが調子を狂わせる。
兎に角そういうときは考えないようにするのが得策だ。
「い、今はそんなことを思い出しているときではありません。幽香にどんな話をするか考えなくては」
記憶を思考で追いやりながら、目的の人物を見つけ、ゆっくりと近づいていく。
「幽香、来ましたよ。今日こそはしっかりと私の話を聞いてもらいますか・・ら・ね・・。」
今日こそは、という意気込みで声を掛けたのにもかかわらず、まるで空気が抜ける風船のように言葉の最後の覇気が失われる。
なぜなら、ふり返る幽香の顔には機嫌の悪さしか浮かんでいなかったからだ。目はつり上がり、眉間には皺が寄り、口は変に曲がっていた。
正直、幽香は機嫌が悪くなればなるほど笑顔になっていくと思っていたのでこれには驚いた。ちなみに驚いただけで別に恐いと思ったわけではない!
(わ、わたし・・な、何か悪い事でもしただろうか・・・?)
頭の機能をフル動員して自分の失態を思い出そうとする。しかし思い当たるような事はない。
前回幽香と会ったのは2週間ほど前、同じように善行を説くためにやってきたのだ。しかし、いつものようにあしらわれただけで、特に幽香の機嫌を害するような事はなかったと思われる。
では、私以外の事で不機嫌になっているのだろうか。
「幽香、何かあったのですか?」
おそるおそる聞いてみる。
「別に、特に何もないわ。」
嘘だッ!!!その表情は“特に何もない”人間のする表情ではない。
第一、声のトーンもいつもより低いではないか。
いったい何が原因なのか、頭の中の?を削除するためにあれこれ考えていると
「・・・これ。」
と言って差し出した手には一輪の赤い花が握られていた。
「鳳仙花よ。」
いつもより低い声でそう言った。
“鳳仙花”聞いた事はあるが見た事はない。いや、有るかもしれないが記憶にはなかった。
そもそも私は花にはあまり縁がない。有るとすれば彼岸花くらいである。
私も一介の乙女であるのだが、彼岸花くらいしか花に縁がないというのもなかなか考え物である。
しかし差し出されたという事は、この花は私に宛られたものという事だろうか?
「私に、ですか?」
新たに生まれた疑問符を口に出す。
「・・・・・花言葉。」
頷き、その花を私に渡した後、少しの間をおいて幽香はそう言った。
先ほどから寸分と変わらない表情でそんな事を言われても、訳がわからないよっ!という表情しか作れないのだが・・・。
だいたい、花の名前が出てこない私に花言葉なんてわかりっこない。
どういう事なのか説明をしてもらおうと口を開こうとしたが、既に幽香は自分の家の方へ足早に歩いていくところで、何故かその後を追おうという気にならなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はぁ・・・。いったい何だというのでしょう。」
仕事場の椅子に腰を掛け、机の上に飾ってある一輪の赤い花を見つめながら一人ごちる。
「しかもあんな表情で・・・。」
不自然に作られたような不機嫌な表情を思い出す。
不機嫌さといったら、いつも不機嫌そうな顔をしている博麗の巫女のことを思い出すが、あれはあれで愛嬌というものがある。
「いえ、決して幽香に愛嬌がないと言っているのではなくてですね・・・」
誰もいないのに弁解の言葉を口に出しているあたり、若干のトラウマになっているのかもしれない。
幽香はとても美人であると思う。いつもは含みの有りそうな怪しい、と言うよりかは嗜虐的な笑みを浮かべているが、草花について語る時の笑みはそういった含みのない清々しいそれである。私にとってはいつもそう言う笑顔でいてほしいと思うのだが、それ故にあれは頂けない・・・。
「何にしても、この鳳仙花の花言葉がわからない事には幽香の意思は伝わりそうにありませんね。」
自室に植物図鑑があったはずだ、後で調べてみる事にしよう。
そんな風に後の予定を考えていると
「失礼しま~す。報告に参りました~。」
コンコン、というノックと同時に小町が部屋に入ってきた。
まだ“入っていい”とは言っていないのだが。そんな事は気にもとめず、私の下までやってくる。
休日にもかかわらず私が仕事場にいるのは、この報告を聞くためである。私が休みであっても小町は仕事がある。そして部下の死神の職務報告は上司である閻魔が受けるのである。いくら休日であってもこの報告は聞かなければならない。
とは言っても小町である。サボりの常習犯である。報告すらサボる事などいつもの事である。実際、私もあと四半刻ほどしたら自室に戻ろうとしていたところだ。どうやら今日は珍しく真面目に仕事をこなしていたようだ。
「あたいは今日も仕事しましたよ~」
フンスという鼻息が聞こえるような気がした。威張るような事ではない。
「今日“も”ではなく今日“は”の間違いではないでしょうか?」
「非道いなぁ四季様。あたい、やればできる子なんですよ?」
「常に“やって”いてほしいのですが」
はぁ~、という深い深い溜息と共にささやかな願いを言ってみるのだが
「あ、鳳仙花ですね~。この時期にしては珍しいですね?」
どうやら分の悪いことは聞こえなくなるようだ。本来なら部下の教育のため説教の一つでもするのだが、許可されているとはいえ部下が仕事をしている裏での休みである。多少なりとも罪悪感を覚えてしまい、強く出る事が出来なかった。
それにしても
「よくわかりましたね、この花が鳳仙花だと。」
正直、小町は花より団子を地でいくタイプだと思っていたので、その赤い花の名が簡単に出てきた事に驚きを隠せなかった。
「あたいだって女の子ですよ?多少なりとも有名な花であれば名前ぐらいわかりますよ。」
小町はエッヘンと胸を誇らしげに張ってそう答える。
・・・・・。いえ、もう何も思いませんよ・・・。
「でしたら花言葉もわかりませんか?」
現在、自分が最も欲している情報を持っていないか、女の子の小町に聞いてみる。
「えっとたしか~~・・・。」
う~ん、と唸りながら女の子の知識を呼び起こそうとする小町。程なくして、あっ、という声と共に手を叩く。
「思い出しました!たしか“私に触れないで”ですよ。熟した実に触れると弾けて落ちるから、らしいですよ。」
そんな鳳仙花の花言葉を聞かされた私は、え?という言葉も出せないような衝撃を受けていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
休日、自室と職場に飾ってある色とりどりの花から逃げるように人里にやってきた。
----私に触れないで----
それはあまりにも鋭く、あまりにも冷たく、あまりにも深く私の胸に刺さった。
からこれ2週間は経つ。
この2週間というもの、全くと言うほど仕事が手に着かなかった。つまらないミスをいくつも犯してしまった。小町にさえ心配されてしまう始末。
(いったいどうしてしまったのだろう、私は・・・。)
何をそこまで動揺する事があるだろうか?
今まで他人を拒絶してきた妖怪が、鬱陶しい閻魔へ花言葉を使って警告してきただけではないか-------近寄るな------と。
なのに・・・
私の手は私の思うように動いてくれない。
私の頭は私の思うように考えてくれない。
私の心はいつまでも私を苦しめる。
幽香に会って、言葉の意味を問いただせばいいのだろうか。
拒絶など関係ないと、気にせず、無視してしまえばいいのだろうか。
でも、幽香に会いに行く事は出来なかった。
恐かったのだ。2週間前に見せたあの表情が?
違う。幽香の口からその“花言葉”を聞くのが恐かったのだ。
強大な力を前にしたときとは違う、拒絶される恐怖。幽香から直接聞かされてしまったら、その恐怖を味わわなければならない。
なぜ、こんなにも恐いのだろう・・・。
どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう・・・。
ギュッと胸を押さえながら、ふらふらと人里を彷徨い歩く。
説教もせずにふらふらと歩く閻魔の姿は、それを知るものには奇妙に見えたことだろう。
自分の心が解らない不安、それを抱えながら地面を見つめて歩いていると、自分の足下に人影が現れた。
ぶつかりそうになったのを謝罪しようと顔を上げ、影の主を見る。
そこには少し驚いた顔をした風見幽香の姿があった。
幽香の顔を見た瞬間、頭が真っ白になってしまった。いや、逆だ。黒、解らない何かに埋め尽くされて真っ黒になってしまったのだ。
自分自身では解らない、大きな感情が浮かび上がる。その感情が私の頭を埋め尽くしていった。
「あ・・・・。」
声を上げる事が出来ない。当然、花言葉の意味を問う事など出来なかった。
気が付けば、私は走り出していた。正体不明の感情から逃げ出すように・・・。
無我夢中で走っていると、気が付けば人里の入り口に来ていた。
近くの雑木林に近づき、一本の木に背中を預ける。自分自身の体を抱え込みながら、木の根本にゆっくりと腰を下ろした。
胸が苦しい。走ったからだけではない。先ほど見た幽香の姿が胸を締め付ける。
(顔を見た瞬間逃げ出してしまうなんて、幽香に悪い事をしてしまいました・・・。)
幽香はどんな顔で走り去っていく私の姿を見ていたのだろう・・・。
(・・・ッ。考えては・・ダメ。)
思考をoffに切り替える。出口のない思念を巡らすよりも、何も考えていない方がずっと楽だった。
考える時間はたくさんある。しかし、むしろ私には考えない時間がほしかった。ごちゃごちゃとした頭から少しでも離れたかった。
ボーっと、私に被さる木陰と日の光の境目を見つめる。
太陽は西へと傾き、辺りは橙色へと変わっていく。だが、私の居る影は何一つ変わらない。まるで私だけ光から突き放され、取り残されていくようだった。
(ここに居ても仕方ありません。帰りましょう。)
立ち上がり、帰路に着こうとする。しかし
「映姫様?」
急に自分の名前を呼ばれ、心臓が強く脈打つ。
「阿求?」
振り向くとそこには薄く紫がかった髪の端整な顔立ちをした少女が立っていた。
九代目阿礼乙女『稗田阿求』。人里に住む人間であり、千年以上続く稗田家の現当主である。彼女の家系では、先祖である稗田阿礼の生まれ変わりがおよそ百年単位で生まれ、稗田家に代々伝わる、幻想郷ついて書かれた書物『幻想郷縁起』というものを編纂している。
『稗田阿礼』、そしてその転成した姿である『御阿礼の子』と閻魔である私とは因縁浅からぬ関係である。阿礼の転生は私との契約で成り立っており、さらに転生までの百年間は私の下で働く事となっている。いわば千年以上もの関係なのだが、転生するたびに幻想郷縁起以外のことを忘れてしまう御阿礼の子にとっては、それほど深い関係ではないのだろう。
しかし、そうではなくとも阿求とは、私が人里へ訪れるたびに顔を合わせる程度の中ではある。
「どうかされたのですか?あまり顔色が優れませんが。」
そう心配そうに語りかける阿求。
「いえ、何でもありませんから心配いりませんよ。」
実際は“何でもある”のだが、しかし阿求が心配するような体調の異常とも違うものだと思う。故に私は気遣う阿求の言葉に生返事をし、背を向ける。
なにより今はあまり人と話をしたくなかった。
しかし
「人に話せば楽になるやもしれませんよ?」
という言葉にふり返る。
?
意味が少しわからなかった。体調が悪そうな人間にかける言葉にしては変。
その言葉はまるで、悩める者にかけるような言葉だった。
「何故そう思うのです?」
「そういう気がしたからですよ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は阿求に連れられ、稗田邸の一室にいた。
半ば強引に連れてこられたのだが、抵抗しなかったのは私である。
「私から話す事はありませんよ、阿求。」
「でも顔に書いてありますよ“悩”って」
確かに悩んでないと言えば嘘になる。
誰かに話すなんていう発想はここまで無かった。が、地獄の裁判長である閻魔がこんな話をしていいものか・・・。
阿求の優しそうな顔を見やる
「これは友人の話なのですが・・・。」
私からはそう言う設定で話し出すほか無かった。
「友人の事で悩んでいたわけですね。それで?」
しかし、どうやら阿求は意に介さないようだ。
「ええ。」
一呼吸置いて話し出す。
「その友人は少しでも他人に協力的な人物になってもらうために、ある人物の下へよく説教をしに訪れていました。」
「その人物は、友人の説教などほとんど話半分でした。さらに体の悪いいたずらまでされる始末・・・。」
ほんの少し前までのことなのに、何故か遠い昔のように思われる。
「御友人はそのいたずらが嫌だったのでしょうか?」
阿求から質問が投げられる。
・・・・。
私は嫌だったのだろうか?あの“いたずら“が。
幽香はいつも私の反応を楽しんでいたのだと思う。急に頭を撫でたり・・・。
そして私はいつもそのいたずらに耐えかねて逃げ帰っていく。
でも
「たぶん、嫌ではなかったのだと思います。」
幽香の手は決して私を傷つける事はなく、どこか優しい手で。
私はそんな幽香の手が嫌ではなかったのだ。
「しかしある日友人はその人物から拒絶をされてしまいます。」
「どのように、ですか?言葉で?」
「鳳仙花の花を渡されたんです。“花言葉”という言葉と共に。」
「”私に触れないで”ですか。」
その言葉に胸がズキリと痛む。
「はい、そうです。」
「なるほど・・・。それで、どう思ったのですか?」
どう思ったのか
その問いに私は声を詰まらせる。
「・・・、わからないのです。どう思っているのか、どう感じているのか。ただ・・、胸が痛くて、苦しくて・・・。」
途切れ途切れになりながらも私はそう答えた。今まで感じた事のない感情を上手く説明する事が出来ない。ただ苦しいとしか言えなかった。
涙が溢れそうになる。
「そうですか・・・。」
阿求は目を伏せながら少し考えた後
「では、逆の事を想像してみてください。その人に抱きしめられたり・・・とか。映姫様だったらどう感じますか?」
幽香に抱きしめられたら・・・。
そんな事を想像してみると、カァっと体が熱くなる。
「な、何を言うんですか!?真面目に話しているのに!」
「私は至って真面目ですよ?」
笑顔でそう言ったが、たしかに冗談で言ったわけでもないようだ。
「それで、そう感じられましたか?」
顔を下に向けて答える。
「すごく恥ずかしいです、、、」
「それは第三者に対しての感情ですよ。もっと相手に対しての感情はどうですか?」
相手。幽香に対して・・。
大きく脈打つ胸の鼓動が幽香の事を考えるに連れて早くなる。
「よくわからないですけど・・・、ドキドキして苦しいです・・・。」
「それはさっきの苦しさと比べてどうですか?」
さっきの苦しみ。それはとても痛い苦しさだった。でもこの苦しさは恥ずかしいけどくすぐったくて嫌な感じはしない。
「嫌な感じはしないです。」
そう答えると阿求は、何か納得したように頷きこう言った。
「ずばり言いましょう。え・・いや、その御友人はその人に恋をしています。」
突然の診断に当惑してしまう。
「恋、ですか?」
「そうですよ。二つの苦しみは同じ苦しみなのに全然感じ方が違いますよね?でも元をたどれば、それは恋です。その人が好きであるという気持ちの表れなのです。」
この胸を締め付けるものを辿っていく。
そこには幽香の姿があった。でもその幽香の表情はどこか曇っていて、せっかく近くまで来たのにどんどん離れていってしまう。
涙が一粒落ちていくのがわかった。
「その拒絶が苦しいのは、本当に心から近くにいたいと思うのに、突き放されてしまうから。一緒に居たいという表れで・・・」
阿求が真剣な顔で告げる。
「その苦しみが嬉しいのは、自分の心が満たされていくから、その人を想う胸の苦しさだから。」
私はそんな顔が見たいのではない。
草花の事を語る幽香の笑顔が見たくて。疲れた私を長い時間見守っていてくれる幽香が好きで。優しい手で頭を撫でてほしくて。
でも幽香は多くを語らないから、心を開いてほしくて・・・。
「それは偏に“恋慕の情”です。」
そうか、これが“好き”ということなんだ。
この胸を締め付ける苦しみは全部、幽香が好きだって事なんだ。
「どうです?わかって頂けましたか?」
「ええ、十分に。」
さっきまでとは違い、心が幾分か楽になった。
なるほどそういう事かと、阿求のおかげで自分を理解できたからだろう。
「でも・・・。」
そう、でも幽香から送られた鳳仙花は変わらない。
「何にしても、想いは伝えなければならないですよ。なぜ突き放しているのかわからないのです。ここは一つ言葉にしてぶつけてみなければいけませんよ。でなくてはきっと後悔します。」
たしかに幽香が何故私を急に遠ざけようとしたのかはわからない。
もし、もっと拒絶されてしまったらと思うと、すごく恐かった。でも、それでもこの気持ちは伝えたい。
「そう御友人にお伝えください。」
そこでハッと気付く。今までの話は友人の話という事になっているのだ。どうやら阿求は気付いていないようなので少し安心。
「わかりました。そのように伝えておきます。」
そう言って、稗田邸を後にしようとする。
しかし
「映姫様は植物図鑑をお持ちですか?」
阿求に呼び止められる。
「?ええ、自室にありますけど。」
突然の問いに首をかしげながら答える。
「では、鳳仙花についてもう一度お調べください。」
鳳仙花、正直この件で少し嫌いになりそうだったが、阿求の言う事だ、何かあるのかもしれない。
「わかりました。それでは阿求、ありがとうございました。」
頷き、感謝の言葉を述べて、彼岸の方へ飛び立った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふぅ・・・・。」
小さな閻魔様が飛び立っていくのを見送った後、自室へ戻る。
「友人の話であるはずなのに、所々一人称のようになっていましたね。」
苦笑しながら、すかし窓から半分に割れた月を望む。
「妖怪や神様の恋愛模様についての例にして書こうとも思ったのですが止めておきましょう。」
涙を溢れさしたり、赤面したりと百面相をする閻魔を思い出しながら、独りごちる。
「まぁ、しかし・・・、犬も食わないような気がしないでもないですね~。」
部屋には二人の顔を思い出しながら笑う少女の姿があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自室まで戻ってきた私は本棚に置いて以来ほとんど開いた事のない植物図鑑を手に取る。
少し躊躇いながらも、おぼつかない手で鳳仙花のページを開く。
一番始めに目に止まったのはカラーの大きな写真だった。そこには机に飾ってあるのと全く同じ赤い花が写っていた。
自分の気持ちに気が付いたとは言え、いやだからこそ、その赤い花が心を刻む。
写真の下には、学名、分類、生息場所や時期、性質などが続き、最後に花言葉が書かれていた。
花言葉はやはり“私に触れないで”
自分の気持ち一つで事実が変わったりはしない、それはわかっているけれど・・・。
阿求の事だから何か理由はあるはずなのだが。
その花言葉の続きには、熟した実に触れると弾け飛ぶことからこの花言葉がついた、という小町からも聞いた由来がつらつらと書かれていた。
(阿求はどうしてもう一度確かめろと言ったのでしょう)
また涙がこぼれそうになる。
(あれ?)
よく見てみると、終わりだと思っていた花言葉の項目はまだ続いていた。
(花言葉が複数有るなんて知りませんでした。)
そこに書かれていたのは
『快活』『せっかち』『繊細』そして・・・
一つの言葉に目が止まる。
「・・・・“心を開く”」
それは、自分が幽香に望んでいた事だ。故にその言葉から目を離す事が出来なかった。
(そんなことって・・・。)
そんなことあるのだろうか。いささか都合が良すぎではないだろうか。“私に触れないで”の方がむしろ納得してしまいそうだ。
でも、もしそうなら?
それは、本当に自分勝手な解釈だけれど
(もしそうなら・・、とても嬉しい・・・。)
喉から洩れる嗚咽の声を手で押さえながらも、涙がポツポツと赤い花を濡らしていく。
手の押さえを無くした本は、パラパラと勝手にページをめくっていく。そしてやがて、真ん中ほどのページで加わる力が均等になったのか、動きを止めた。
そのページは『彼岸花』のページ。一年を通してこの彼岸に咲き誇るこの花は、私にとってもっとも身近な花である。
なんとなく、彼岸花の花言葉の方へ目が吸い寄せられる。
どうやら彼岸花も複数の花言葉を持っているようだった。
そしてまたしても一つの言葉に目が止まる。
(これは・・・。)
それは今の自分の気持ちをを代弁しているかのようだった。
涙を拭き、立ち上がる。
(そうですね。幽香がどういう意味で鳳仙花を送ったかはわからないのです。ならすることは一つで、精一杯自分の気持ちを伝えるだけです!)
淡い月明かりしか入ってこない暗い部屋で、小さな閻魔は大きな覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
苦しげな表情を浮かべ走り去っていく閻魔の姿を見てやっと、自分が愚かな事をしたと気付く。その場に立ちつくす事しかできなかった。
強いて言えば、映姫の事を信じて疑わなかった。きっとわかってくれると・・・。
渡した花の名は“鳳仙花”、花言葉は“心を開く”。しかしその花は同時に“私に触れないで”という意味も孕む。
でも映姫ならきっとわかってくれると信じていた。いわばそれは、虫歯を舌で触れるようなちょっとした好奇心に似ていた。
しかし、その結果は去っていく映姫の後ろ姿が語っていた。
私は愚かだ・・・。
(・・ッ、そんな顔をさせたかった訳じゃないのに・・・。)
重たい体が沼へ沈んでいくような、そんな錯覚さえする。
「風見幽香?何故このようなところで立ちつくしているのです?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえる。
「稗田阿求。」
振り向いた先には、幻想郷縁起の編纂者、稗田家当主の稗田阿求が立っていた。
彼女とはそれほど親しい関係ではないが、人里に来たときに何度か顔を合わせた事がある。
彼女の書いた幻想郷縁起の私の欄には、『人間友好度が最悪』『危険度極高』等と書かれてはいるが、そこに不満を持った事はない。むしろ感謝しているくらいだ。おかげで太陽の畑に人間がやってくる事も少なくなった。
しかし、今は誰かと話す気分ではない。
「なんでもないわ。」
「今走っていったの映姫様ですよね?」
その言葉に思わず阿求を見やる。
(見られた!)
単に映姫と話しているだけなら別に見られたところで構いはしない。しかし複雑な表情で走り去っていく映姫を見られたのはマズかった。
「あなたには関係ないわ。」
冷たく言い放ち、退けようとする。
「確かに私は関係ないでしょうが、話を聞く事くらいは出来ますよ?」
「どうしてそんな風に思うの?」
「どうしてと聞かれると困ってしまいますが、私は悩んでる人の味方です。」
と、笑顔を見せる。
こんなこと、他人に話すような事ではない。しかし、藁にも縋りたいというのも事実である。
「鳳仙花の花言葉って知ってる?」
背を向けながら問う。
「たしか、“私に触れないで”であったと記憶してますが。」
「そう・・・。」
やっぱりそう・・・。
それはそうだ。その言葉の方が有名なのだから。おそらく誰に聞いても、同じか、知らないと答えるだろう。
だからその問いは自らの愚かさを決定づける自虐的なものでしかない。
「でも、“心を開く”という言葉もありましたね。」
そう続ける阿求の言葉にふり返りそうになる。
それは私が伝えたかった言葉だ。でもその望みは叶わない。
「私は自分の愚行で伝えたい言葉が伝えられなくて、おまけにその所為で傷つけてしまった人がいるの。私はどうすればいいと思う。」
「何を言っているのですか?そんなのまずは謝る事からでしょう?」
さも当たり前の事を、と言う感じで話す阿求。
「でも・・。」
「もし仮にそれだけでは解決しない問題であろうと、傷付けてしまったのであれば謝罪しなくていけませんよ。」
阿求の真っ直ぐな視線が背中に突き刺さる。
(そうね、そうだわ。私本当に莫迦ね。もし嫌われてしまっても、まずは謝らなくちゃね。)
「よくわかったわ。ありがとう。柄にもない事を言ってしまったけど、このことは忘れてちょうだい。」
そう言い残して飛び立とうとする。
「誠意を込めればきっと伝わりますよ。」
そんな阿求の言葉を背に太陽の畑へと戻る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あの後、走り去っていった映姫の後を追おうと思ったが、さすがにもう人里には居ないだろうと思い、太陽の畑まで戻ってきた。
それからずっと、どうやって謝ろうか考えていた。
そもそも次いつ会えるかわからない。もしかしたら避けられてしまっていつまでたっても会えないかもしれない。
いっそこちらから会いに行こうかとも考えたが、聖者が三途の川を渡る事は出来ない。
そんなことを延々と考えているといつの間にか日も傾いてきてしまった。
花の世話をしながら映姫の事を思う。すると
「幽香・・・。」
私はその声に驚きふり返る。そこには強ばった顔の小さな閻魔が立っていた。
その小さな閻魔への謝罪を考えるのに集中していたため、後ろの気配に気が付かなかった。いや、そうでなくともまさか向こうから会いに来るとは思っても見なかった。
あまりに急で、咄嗟に言葉が出ない。
(まずは謝らなくては・・・。)
「ご」
「幽香、私の話を聞いてくれますか?」
私が声を出そうとした瞬間、映姫が話し始める。それ故にタイミングを逃してしまった。
うなずく事しかできなかった。
「その前にまずこれを」
そう言って右手を差し出す。
渡されたもの、それは一輪の赤い“彼岸花”。
彼岸花
それはまるで“死”を意味するかのように言われるが、本当はそうではない。
彼岸に咲くその花は死者を優しく見送る天上の花。
しかし、その赤い花の持つ言葉は『悲しい思い出』
足下が崩れていく気がした。
「私知りませんでした。一つの花にもいくつも花言葉があると。」
「これは私の希望的観測。聞かせてください幽香。」
強ばった顔をしながらも真っ直ぐに私を見つめる。
「あなたが私にくれた鳳仙花の花言葉は『心を開く』ですか?もしそうであるならば私はあなたに謝らなくてはなりません。あなたの気持ちにすぐに築けなかった。」
立っているのが精一杯な私は理解するまでに少し時間が掛かった。
そうじゃない。
「違う!」
「違うのですか?」
真っ直ぐな目は不安と絶望の色に変わる。
「そうじゃなくて、謝らなくていけないのは私!私がちゃんと言葉であなたに伝える事が出来れば・・・。」
映姫は少し安心した表情をし、首を横に振り答える。
「いいえ、幽香は謝らなくてもいいのです。なぜならこのおかげで私は自分自身の気持ちに気付く事が出来た。」
「幽香、彼岸花の花言葉を知っていますか?」
私は、左手に握った赤い花を見た。その花が私を突き落とそうとする。
「・・・・悲しい思い出。」
「たしかに、彼岸花の花言葉は“悲しい思い出”ですが、それだけではない。幽香ならわかるでしょう?」
彼岸花の花言葉
『悲しい思い出』『独立』『再開』『あきらめ』そして・・・
----ドクッ-----
思い起こされる彼岸花の花言葉。そのうちの一つが私の心臓を強く脈打たせる。
(まさか、そんなことあるわけ・・・!)
そんなことあるわけがない、そんな都合のいいことあるはずがない。
思い浮かべたその言葉が否定される。
(でも・・・)
でも、もしそうなら?
もしこの彼岸花の意味がこの言葉であるなら・・・
そんな希望が震える声となって外へ出る。
「“想うのはあなた一人”・・・・?」
私の答えに優しい笑顔で応じる映姫。その笑顔は私の瞳を涙であふれさせた。
「幽香が私にくれた鳳仙花、その花言葉を知ったとき、すごく胸が苦しかった。でも私にはそれが何なのかわからなかった。でも、その苦しさはある感情に繋がっていて・・・・。今ならはっきりと言葉に出来ます。」
そう言うと映姫は、手を伸ばせば触れられる距離まで近づく。
「私はいつのまにか自分でも知らないうちに自分にだけ心を開いてほしいと思っていました。それぐらい狡い女です。それでもこの想いを伝えずにはいられないです。」
濡れた、それでいて真剣な瞳で私を見上げる。
「幽香、私はあなたの事が好きです。」
そして不安そうな瞳に変化し、続ける
「幽香は私の事嫌いですか?」
私の頬を涙が伝う。次から次へと溢れてくる涙を自分ではどうする事も出来ない。
こんなに涙が出るのは生まれて初めてだ。
悲しいわけではない。
苦しいわけではない。
辛いわけではない。
寂しいわけでもない。
この涙はきっと嬉しいからだ。そうに決まっている。大好きな人から好きだと言われたのだから・・・。
映姫の小さな体を力一杯抱きしめる。
「私もよ、私も映姫の事が好き。初めてあなたがここに来たときからずっと。」
涙で擦れる声で自分の気持ちを伝える。
空は真っ赤に燃え上がり、強く吹き抜ける風は花びらを舞上げる。
「よかった・・・。」
安堵の笑顔と同時に映姫の頬にも涙が伝う。
私はそんな映姫の顔に徐々に顔を近づけていった。
「んーーー」
「?!んーーーふぁ」
揺れる花びらの中でした初めての口吻は少ししょっぱかった。
「ず、狡いですよ!幽香!急にこんな・・・。~~~ッ!」
「狡いのはお互い様でしょ?」
わたわたする映姫。
「幽香には罰が必要ですね!」
「お説教かしら?」
かく言う私も自分からしながら、も心臓が壊れそうなほどドキドキしている。
「いいえ。今度は、わた、私から・・し、します!」
「え?!」
と驚きの声を上げたのも束の間、映姫の端正な顔が近づく。
するのはいいが、されるのはもっとドキドキする。
東へと伸びていく影は一つに重なる。吹く風はさっきよりも弱く、舞上げた花びらがゆっくりと落ちてくる。
映姫の顔は見た事がないほど真っ赤で、それを見た自分の顔も感じた事がないほど熱くて・・・
それはたぶん夕日の赤ではなくて・・・・。
こちらをご覧になってからの方が楽しんで頂けると、作者は勝手に祈っています。
さらに、できれば最後までググらずにご覧ください。
月に一日も休暇が取れないほど多忙だった是非曲直庁も最近やっとピークを越え、月に二~三日ほどの休暇が取れるようになっていた。今日もそんな休暇を使っていろんな場所へ行き、善行の大切さを説いている途中である。現在向かっているのは太陽の畑。目的はもちろん風見幽香だ。“善行の大切さを皆に説く”、このための一連の奔走も風見幽香で締めくくられる。
「今日こそちゃんと話を聞いてもらいましょう」
最初の頃は“協調性を持ってほしい”という内容で話をしていたが、最近は“心を開いてほしい”ということに重点を置いている。
他人との協調の前には心を開くという事が大事である。
「と言うか、いつまでたっても私への態度が変わらないのですよ。もっと私に心を開いてくれてもいいと思うのですが・・・。」
少し個人的な不満を外へ洩らしながら目的の場所へ歩いていく。
「あの時の事は何だったんでしょう・・・。」
あの時の事とは、風見幽香の家に泊まったときの事である。疲れた顔をした自分を見かねたのか、多少強引ながらも家へと招待してくれたのだ。
しかしその時の事を思い出すと顔が熱くなるのがわかった。
「な、なんで顔が熱くなる必要があるのでしょう。我ながら意味がわかりません。」
自分自身の動揺を自分自身の言葉で抑えようとする。
どうもあれ以来、その事(特に最後に幽香から掛けられた言葉)を思い出すと調子が狂ってしまう。
白黒はっきり付ける自分の心の中に灰色の靄があるのが調子を狂わせる。
兎に角そういうときは考えないようにするのが得策だ。
「い、今はそんなことを思い出しているときではありません。幽香にどんな話をするか考えなくては」
記憶を思考で追いやりながら、目的の人物を見つけ、ゆっくりと近づいていく。
「幽香、来ましたよ。今日こそはしっかりと私の話を聞いてもらいますか・・ら・ね・・。」
今日こそは、という意気込みで声を掛けたのにもかかわらず、まるで空気が抜ける風船のように言葉の最後の覇気が失われる。
なぜなら、ふり返る幽香の顔には機嫌の悪さしか浮かんでいなかったからだ。目はつり上がり、眉間には皺が寄り、口は変に曲がっていた。
正直、幽香は機嫌が悪くなればなるほど笑顔になっていくと思っていたのでこれには驚いた。ちなみに驚いただけで別に恐いと思ったわけではない!
(わ、わたし・・な、何か悪い事でもしただろうか・・・?)
頭の機能をフル動員して自分の失態を思い出そうとする。しかし思い当たるような事はない。
前回幽香と会ったのは2週間ほど前、同じように善行を説くためにやってきたのだ。しかし、いつものようにあしらわれただけで、特に幽香の機嫌を害するような事はなかったと思われる。
では、私以外の事で不機嫌になっているのだろうか。
「幽香、何かあったのですか?」
おそるおそる聞いてみる。
「別に、特に何もないわ。」
嘘だッ!!!その表情は“特に何もない”人間のする表情ではない。
第一、声のトーンもいつもより低いではないか。
いったい何が原因なのか、頭の中の?を削除するためにあれこれ考えていると
「・・・これ。」
と言って差し出した手には一輪の赤い花が握られていた。
「鳳仙花よ。」
いつもより低い声でそう言った。
“鳳仙花”聞いた事はあるが見た事はない。いや、有るかもしれないが記憶にはなかった。
そもそも私は花にはあまり縁がない。有るとすれば彼岸花くらいである。
私も一介の乙女であるのだが、彼岸花くらいしか花に縁がないというのもなかなか考え物である。
しかし差し出されたという事は、この花は私に宛られたものという事だろうか?
「私に、ですか?」
新たに生まれた疑問符を口に出す。
「・・・・・花言葉。」
頷き、その花を私に渡した後、少しの間をおいて幽香はそう言った。
先ほどから寸分と変わらない表情でそんな事を言われても、訳がわからないよっ!という表情しか作れないのだが・・・。
だいたい、花の名前が出てこない私に花言葉なんてわかりっこない。
どういう事なのか説明をしてもらおうと口を開こうとしたが、既に幽香は自分の家の方へ足早に歩いていくところで、何故かその後を追おうという気にならなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「はぁ・・・。いったい何だというのでしょう。」
仕事場の椅子に腰を掛け、机の上に飾ってある一輪の赤い花を見つめながら一人ごちる。
「しかもあんな表情で・・・。」
不自然に作られたような不機嫌な表情を思い出す。
不機嫌さといったら、いつも不機嫌そうな顔をしている博麗の巫女のことを思い出すが、あれはあれで愛嬌というものがある。
「いえ、決して幽香に愛嬌がないと言っているのではなくてですね・・・」
誰もいないのに弁解の言葉を口に出しているあたり、若干のトラウマになっているのかもしれない。
幽香はとても美人であると思う。いつもは含みの有りそうな怪しい、と言うよりかは嗜虐的な笑みを浮かべているが、草花について語る時の笑みはそういった含みのない清々しいそれである。私にとってはいつもそう言う笑顔でいてほしいと思うのだが、それ故にあれは頂けない・・・。
「何にしても、この鳳仙花の花言葉がわからない事には幽香の意思は伝わりそうにありませんね。」
自室に植物図鑑があったはずだ、後で調べてみる事にしよう。
そんな風に後の予定を考えていると
「失礼しま~す。報告に参りました~。」
コンコン、というノックと同時に小町が部屋に入ってきた。
まだ“入っていい”とは言っていないのだが。そんな事は気にもとめず、私の下までやってくる。
休日にもかかわらず私が仕事場にいるのは、この報告を聞くためである。私が休みであっても小町は仕事がある。そして部下の死神の職務報告は上司である閻魔が受けるのである。いくら休日であってもこの報告は聞かなければならない。
とは言っても小町である。サボりの常習犯である。報告すらサボる事などいつもの事である。実際、私もあと四半刻ほどしたら自室に戻ろうとしていたところだ。どうやら今日は珍しく真面目に仕事をこなしていたようだ。
「あたいは今日も仕事しましたよ~」
フンスという鼻息が聞こえるような気がした。威張るような事ではない。
「今日“も”ではなく今日“は”の間違いではないでしょうか?」
「非道いなぁ四季様。あたい、やればできる子なんですよ?」
「常に“やって”いてほしいのですが」
はぁ~、という深い深い溜息と共にささやかな願いを言ってみるのだが
「あ、鳳仙花ですね~。この時期にしては珍しいですね?」
どうやら分の悪いことは聞こえなくなるようだ。本来なら部下の教育のため説教の一つでもするのだが、許可されているとはいえ部下が仕事をしている裏での休みである。多少なりとも罪悪感を覚えてしまい、強く出る事が出来なかった。
それにしても
「よくわかりましたね、この花が鳳仙花だと。」
正直、小町は花より団子を地でいくタイプだと思っていたので、その赤い花の名が簡単に出てきた事に驚きを隠せなかった。
「あたいだって女の子ですよ?多少なりとも有名な花であれば名前ぐらいわかりますよ。」
小町はエッヘンと胸を誇らしげに張ってそう答える。
・・・・・。いえ、もう何も思いませんよ・・・。
「でしたら花言葉もわかりませんか?」
現在、自分が最も欲している情報を持っていないか、女の子の小町に聞いてみる。
「えっとたしか~~・・・。」
う~ん、と唸りながら女の子の知識を呼び起こそうとする小町。程なくして、あっ、という声と共に手を叩く。
「思い出しました!たしか“私に触れないで”ですよ。熟した実に触れると弾けて落ちるから、らしいですよ。」
そんな鳳仙花の花言葉を聞かされた私は、え?という言葉も出せないような衝撃を受けていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
休日、自室と職場に飾ってある色とりどりの花から逃げるように人里にやってきた。
----私に触れないで----
それはあまりにも鋭く、あまりにも冷たく、あまりにも深く私の胸に刺さった。
からこれ2週間は経つ。
この2週間というもの、全くと言うほど仕事が手に着かなかった。つまらないミスをいくつも犯してしまった。小町にさえ心配されてしまう始末。
(いったいどうしてしまったのだろう、私は・・・。)
何をそこまで動揺する事があるだろうか?
今まで他人を拒絶してきた妖怪が、鬱陶しい閻魔へ花言葉を使って警告してきただけではないか-------近寄るな------と。
なのに・・・
私の手は私の思うように動いてくれない。
私の頭は私の思うように考えてくれない。
私の心はいつまでも私を苦しめる。
幽香に会って、言葉の意味を問いただせばいいのだろうか。
拒絶など関係ないと、気にせず、無視してしまえばいいのだろうか。
でも、幽香に会いに行く事は出来なかった。
恐かったのだ。2週間前に見せたあの表情が?
違う。幽香の口からその“花言葉”を聞くのが恐かったのだ。
強大な力を前にしたときとは違う、拒絶される恐怖。幽香から直接聞かされてしまったら、その恐怖を味わわなければならない。
なぜ、こんなにも恐いのだろう・・・。
どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう・・・。
ギュッと胸を押さえながら、ふらふらと人里を彷徨い歩く。
説教もせずにふらふらと歩く閻魔の姿は、それを知るものには奇妙に見えたことだろう。
自分の心が解らない不安、それを抱えながら地面を見つめて歩いていると、自分の足下に人影が現れた。
ぶつかりそうになったのを謝罪しようと顔を上げ、影の主を見る。
そこには少し驚いた顔をした風見幽香の姿があった。
幽香の顔を見た瞬間、頭が真っ白になってしまった。いや、逆だ。黒、解らない何かに埋め尽くされて真っ黒になってしまったのだ。
自分自身では解らない、大きな感情が浮かび上がる。その感情が私の頭を埋め尽くしていった。
「あ・・・・。」
声を上げる事が出来ない。当然、花言葉の意味を問う事など出来なかった。
気が付けば、私は走り出していた。正体不明の感情から逃げ出すように・・・。
無我夢中で走っていると、気が付けば人里の入り口に来ていた。
近くの雑木林に近づき、一本の木に背中を預ける。自分自身の体を抱え込みながら、木の根本にゆっくりと腰を下ろした。
胸が苦しい。走ったからだけではない。先ほど見た幽香の姿が胸を締め付ける。
(顔を見た瞬間逃げ出してしまうなんて、幽香に悪い事をしてしまいました・・・。)
幽香はどんな顔で走り去っていく私の姿を見ていたのだろう・・・。
(・・・ッ。考えては・・ダメ。)
思考をoffに切り替える。出口のない思念を巡らすよりも、何も考えていない方がずっと楽だった。
考える時間はたくさんある。しかし、むしろ私には考えない時間がほしかった。ごちゃごちゃとした頭から少しでも離れたかった。
ボーっと、私に被さる木陰と日の光の境目を見つめる。
太陽は西へと傾き、辺りは橙色へと変わっていく。だが、私の居る影は何一つ変わらない。まるで私だけ光から突き放され、取り残されていくようだった。
(ここに居ても仕方ありません。帰りましょう。)
立ち上がり、帰路に着こうとする。しかし
「映姫様?」
急に自分の名前を呼ばれ、心臓が強く脈打つ。
「阿求?」
振り向くとそこには薄く紫がかった髪の端整な顔立ちをした少女が立っていた。
九代目阿礼乙女『稗田阿求』。人里に住む人間であり、千年以上続く稗田家の現当主である。彼女の家系では、先祖である稗田阿礼の生まれ変わりがおよそ百年単位で生まれ、稗田家に代々伝わる、幻想郷ついて書かれた書物『幻想郷縁起』というものを編纂している。
『稗田阿礼』、そしてその転成した姿である『御阿礼の子』と閻魔である私とは因縁浅からぬ関係である。阿礼の転生は私との契約で成り立っており、さらに転生までの百年間は私の下で働く事となっている。いわば千年以上もの関係なのだが、転生するたびに幻想郷縁起以外のことを忘れてしまう御阿礼の子にとっては、それほど深い関係ではないのだろう。
しかし、そうではなくとも阿求とは、私が人里へ訪れるたびに顔を合わせる程度の中ではある。
「どうかされたのですか?あまり顔色が優れませんが。」
そう心配そうに語りかける阿求。
「いえ、何でもありませんから心配いりませんよ。」
実際は“何でもある”のだが、しかし阿求が心配するような体調の異常とも違うものだと思う。故に私は気遣う阿求の言葉に生返事をし、背を向ける。
なにより今はあまり人と話をしたくなかった。
しかし
「人に話せば楽になるやもしれませんよ?」
という言葉にふり返る。
?
意味が少しわからなかった。体調が悪そうな人間にかける言葉にしては変。
その言葉はまるで、悩める者にかけるような言葉だった。
「何故そう思うのです?」
「そういう気がしたからですよ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は阿求に連れられ、稗田邸の一室にいた。
半ば強引に連れてこられたのだが、抵抗しなかったのは私である。
「私から話す事はありませんよ、阿求。」
「でも顔に書いてありますよ“悩”って」
確かに悩んでないと言えば嘘になる。
誰かに話すなんていう発想はここまで無かった。が、地獄の裁判長である閻魔がこんな話をしていいものか・・・。
阿求の優しそうな顔を見やる
「これは友人の話なのですが・・・。」
私からはそう言う設定で話し出すほか無かった。
「友人の事で悩んでいたわけですね。それで?」
しかし、どうやら阿求は意に介さないようだ。
「ええ。」
一呼吸置いて話し出す。
「その友人は少しでも他人に協力的な人物になってもらうために、ある人物の下へよく説教をしに訪れていました。」
「その人物は、友人の説教などほとんど話半分でした。さらに体の悪いいたずらまでされる始末・・・。」
ほんの少し前までのことなのに、何故か遠い昔のように思われる。
「御友人はそのいたずらが嫌だったのでしょうか?」
阿求から質問が投げられる。
・・・・。
私は嫌だったのだろうか?あの“いたずら“が。
幽香はいつも私の反応を楽しんでいたのだと思う。急に頭を撫でたり・・・。
そして私はいつもそのいたずらに耐えかねて逃げ帰っていく。
でも
「たぶん、嫌ではなかったのだと思います。」
幽香の手は決して私を傷つける事はなく、どこか優しい手で。
私はそんな幽香の手が嫌ではなかったのだ。
「しかしある日友人はその人物から拒絶をされてしまいます。」
「どのように、ですか?言葉で?」
「鳳仙花の花を渡されたんです。“花言葉”という言葉と共に。」
「”私に触れないで”ですか。」
その言葉に胸がズキリと痛む。
「はい、そうです。」
「なるほど・・・。それで、どう思ったのですか?」
どう思ったのか
その問いに私は声を詰まらせる。
「・・・、わからないのです。どう思っているのか、どう感じているのか。ただ・・、胸が痛くて、苦しくて・・・。」
途切れ途切れになりながらも私はそう答えた。今まで感じた事のない感情を上手く説明する事が出来ない。ただ苦しいとしか言えなかった。
涙が溢れそうになる。
「そうですか・・・。」
阿求は目を伏せながら少し考えた後
「では、逆の事を想像してみてください。その人に抱きしめられたり・・・とか。映姫様だったらどう感じますか?」
幽香に抱きしめられたら・・・。
そんな事を想像してみると、カァっと体が熱くなる。
「な、何を言うんですか!?真面目に話しているのに!」
「私は至って真面目ですよ?」
笑顔でそう言ったが、たしかに冗談で言ったわけでもないようだ。
「それで、そう感じられましたか?」
顔を下に向けて答える。
「すごく恥ずかしいです、、、」
「それは第三者に対しての感情ですよ。もっと相手に対しての感情はどうですか?」
相手。幽香に対して・・。
大きく脈打つ胸の鼓動が幽香の事を考えるに連れて早くなる。
「よくわからないですけど・・・、ドキドキして苦しいです・・・。」
「それはさっきの苦しさと比べてどうですか?」
さっきの苦しみ。それはとても痛い苦しさだった。でもこの苦しさは恥ずかしいけどくすぐったくて嫌な感じはしない。
「嫌な感じはしないです。」
そう答えると阿求は、何か納得したように頷きこう言った。
「ずばり言いましょう。え・・いや、その御友人はその人に恋をしています。」
突然の診断に当惑してしまう。
「恋、ですか?」
「そうですよ。二つの苦しみは同じ苦しみなのに全然感じ方が違いますよね?でも元をたどれば、それは恋です。その人が好きであるという気持ちの表れなのです。」
この胸を締め付けるものを辿っていく。
そこには幽香の姿があった。でもその幽香の表情はどこか曇っていて、せっかく近くまで来たのにどんどん離れていってしまう。
涙が一粒落ちていくのがわかった。
「その拒絶が苦しいのは、本当に心から近くにいたいと思うのに、突き放されてしまうから。一緒に居たいという表れで・・・」
阿求が真剣な顔で告げる。
「その苦しみが嬉しいのは、自分の心が満たされていくから、その人を想う胸の苦しさだから。」
私はそんな顔が見たいのではない。
草花の事を語る幽香の笑顔が見たくて。疲れた私を長い時間見守っていてくれる幽香が好きで。優しい手で頭を撫でてほしくて。
でも幽香は多くを語らないから、心を開いてほしくて・・・。
「それは偏に“恋慕の情”です。」
そうか、これが“好き”ということなんだ。
この胸を締め付ける苦しみは全部、幽香が好きだって事なんだ。
「どうです?わかって頂けましたか?」
「ええ、十分に。」
さっきまでとは違い、心が幾分か楽になった。
なるほどそういう事かと、阿求のおかげで自分を理解できたからだろう。
「でも・・・。」
そう、でも幽香から送られた鳳仙花は変わらない。
「何にしても、想いは伝えなければならないですよ。なぜ突き放しているのかわからないのです。ここは一つ言葉にしてぶつけてみなければいけませんよ。でなくてはきっと後悔します。」
たしかに幽香が何故私を急に遠ざけようとしたのかはわからない。
もし、もっと拒絶されてしまったらと思うと、すごく恐かった。でも、それでもこの気持ちは伝えたい。
「そう御友人にお伝えください。」
そこでハッと気付く。今までの話は友人の話という事になっているのだ。どうやら阿求は気付いていないようなので少し安心。
「わかりました。そのように伝えておきます。」
そう言って、稗田邸を後にしようとする。
しかし
「映姫様は植物図鑑をお持ちですか?」
阿求に呼び止められる。
「?ええ、自室にありますけど。」
突然の問いに首をかしげながら答える。
「では、鳳仙花についてもう一度お調べください。」
鳳仙花、正直この件で少し嫌いになりそうだったが、阿求の言う事だ、何かあるのかもしれない。
「わかりました。それでは阿求、ありがとうございました。」
頷き、感謝の言葉を述べて、彼岸の方へ飛び立った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「ふぅ・・・・。」
小さな閻魔様が飛び立っていくのを見送った後、自室へ戻る。
「友人の話であるはずなのに、所々一人称のようになっていましたね。」
苦笑しながら、すかし窓から半分に割れた月を望む。
「妖怪や神様の恋愛模様についての例にして書こうとも思ったのですが止めておきましょう。」
涙を溢れさしたり、赤面したりと百面相をする閻魔を思い出しながら、独りごちる。
「まぁ、しかし・・・、犬も食わないような気がしないでもないですね~。」
部屋には二人の顔を思い出しながら笑う少女の姿があった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
自室まで戻ってきた私は本棚に置いて以来ほとんど開いた事のない植物図鑑を手に取る。
少し躊躇いながらも、おぼつかない手で鳳仙花のページを開く。
一番始めに目に止まったのはカラーの大きな写真だった。そこには机に飾ってあるのと全く同じ赤い花が写っていた。
自分の気持ちに気が付いたとは言え、いやだからこそ、その赤い花が心を刻む。
写真の下には、学名、分類、生息場所や時期、性質などが続き、最後に花言葉が書かれていた。
花言葉はやはり“私に触れないで”
自分の気持ち一つで事実が変わったりはしない、それはわかっているけれど・・・。
阿求の事だから何か理由はあるはずなのだが。
その花言葉の続きには、熟した実に触れると弾け飛ぶことからこの花言葉がついた、という小町からも聞いた由来がつらつらと書かれていた。
(阿求はどうしてもう一度確かめろと言ったのでしょう)
また涙がこぼれそうになる。
(あれ?)
よく見てみると、終わりだと思っていた花言葉の項目はまだ続いていた。
(花言葉が複数有るなんて知りませんでした。)
そこに書かれていたのは
『快活』『せっかち』『繊細』そして・・・
一つの言葉に目が止まる。
「・・・・“心を開く”」
それは、自分が幽香に望んでいた事だ。故にその言葉から目を離す事が出来なかった。
(そんなことって・・・。)
そんなことあるのだろうか。いささか都合が良すぎではないだろうか。“私に触れないで”の方がむしろ納得してしまいそうだ。
でも、もしそうなら?
それは、本当に自分勝手な解釈だけれど
(もしそうなら・・、とても嬉しい・・・。)
喉から洩れる嗚咽の声を手で押さえながらも、涙がポツポツと赤い花を濡らしていく。
手の押さえを無くした本は、パラパラと勝手にページをめくっていく。そしてやがて、真ん中ほどのページで加わる力が均等になったのか、動きを止めた。
そのページは『彼岸花』のページ。一年を通してこの彼岸に咲き誇るこの花は、私にとってもっとも身近な花である。
なんとなく、彼岸花の花言葉の方へ目が吸い寄せられる。
どうやら彼岸花も複数の花言葉を持っているようだった。
そしてまたしても一つの言葉に目が止まる。
(これは・・・。)
それは今の自分の気持ちをを代弁しているかのようだった。
涙を拭き、立ち上がる。
(そうですね。幽香がどういう意味で鳳仙花を送ったかはわからないのです。ならすることは一つで、精一杯自分の気持ちを伝えるだけです!)
淡い月明かりしか入ってこない暗い部屋で、小さな閻魔は大きな覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
苦しげな表情を浮かべ走り去っていく閻魔の姿を見てやっと、自分が愚かな事をしたと気付く。その場に立ちつくす事しかできなかった。
強いて言えば、映姫の事を信じて疑わなかった。きっとわかってくれると・・・。
渡した花の名は“鳳仙花”、花言葉は“心を開く”。しかしその花は同時に“私に触れないで”という意味も孕む。
でも映姫ならきっとわかってくれると信じていた。いわばそれは、虫歯を舌で触れるようなちょっとした好奇心に似ていた。
しかし、その結果は去っていく映姫の後ろ姿が語っていた。
私は愚かだ・・・。
(・・ッ、そんな顔をさせたかった訳じゃないのに・・・。)
重たい体が沼へ沈んでいくような、そんな錯覚さえする。
「風見幽香?何故このようなところで立ちつくしているのです?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえる。
「稗田阿求。」
振り向いた先には、幻想郷縁起の編纂者、稗田家当主の稗田阿求が立っていた。
彼女とはそれほど親しい関係ではないが、人里に来たときに何度か顔を合わせた事がある。
彼女の書いた幻想郷縁起の私の欄には、『人間友好度が最悪』『危険度極高』等と書かれてはいるが、そこに不満を持った事はない。むしろ感謝しているくらいだ。おかげで太陽の畑に人間がやってくる事も少なくなった。
しかし、今は誰かと話す気分ではない。
「なんでもないわ。」
「今走っていったの映姫様ですよね?」
その言葉に思わず阿求を見やる。
(見られた!)
単に映姫と話しているだけなら別に見られたところで構いはしない。しかし複雑な表情で走り去っていく映姫を見られたのはマズかった。
「あなたには関係ないわ。」
冷たく言い放ち、退けようとする。
「確かに私は関係ないでしょうが、話を聞く事くらいは出来ますよ?」
「どうしてそんな風に思うの?」
「どうしてと聞かれると困ってしまいますが、私は悩んでる人の味方です。」
と、笑顔を見せる。
こんなこと、他人に話すような事ではない。しかし、藁にも縋りたいというのも事実である。
「鳳仙花の花言葉って知ってる?」
背を向けながら問う。
「たしか、“私に触れないで”であったと記憶してますが。」
「そう・・・。」
やっぱりそう・・・。
それはそうだ。その言葉の方が有名なのだから。おそらく誰に聞いても、同じか、知らないと答えるだろう。
だからその問いは自らの愚かさを決定づける自虐的なものでしかない。
「でも、“心を開く”という言葉もありましたね。」
そう続ける阿求の言葉にふり返りそうになる。
それは私が伝えたかった言葉だ。でもその望みは叶わない。
「私は自分の愚行で伝えたい言葉が伝えられなくて、おまけにその所為で傷つけてしまった人がいるの。私はどうすればいいと思う。」
「何を言っているのですか?そんなのまずは謝る事からでしょう?」
さも当たり前の事を、と言う感じで話す阿求。
「でも・・。」
「もし仮にそれだけでは解決しない問題であろうと、傷付けてしまったのであれば謝罪しなくていけませんよ。」
阿求の真っ直ぐな視線が背中に突き刺さる。
(そうね、そうだわ。私本当に莫迦ね。もし嫌われてしまっても、まずは謝らなくちゃね。)
「よくわかったわ。ありがとう。柄にもない事を言ってしまったけど、このことは忘れてちょうだい。」
そう言い残して飛び立とうとする。
「誠意を込めればきっと伝わりますよ。」
そんな阿求の言葉を背に太陽の畑へと戻る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あの後、走り去っていった映姫の後を追おうと思ったが、さすがにもう人里には居ないだろうと思い、太陽の畑まで戻ってきた。
それからずっと、どうやって謝ろうか考えていた。
そもそも次いつ会えるかわからない。もしかしたら避けられてしまっていつまでたっても会えないかもしれない。
いっそこちらから会いに行こうかとも考えたが、聖者が三途の川を渡る事は出来ない。
そんなことを延々と考えているといつの間にか日も傾いてきてしまった。
花の世話をしながら映姫の事を思う。すると
「幽香・・・。」
私はその声に驚きふり返る。そこには強ばった顔の小さな閻魔が立っていた。
その小さな閻魔への謝罪を考えるのに集中していたため、後ろの気配に気が付かなかった。いや、そうでなくともまさか向こうから会いに来るとは思っても見なかった。
あまりに急で、咄嗟に言葉が出ない。
(まずは謝らなくては・・・。)
「ご」
「幽香、私の話を聞いてくれますか?」
私が声を出そうとした瞬間、映姫が話し始める。それ故にタイミングを逃してしまった。
うなずく事しかできなかった。
「その前にまずこれを」
そう言って右手を差し出す。
渡されたもの、それは一輪の赤い“彼岸花”。
彼岸花
それはまるで“死”を意味するかのように言われるが、本当はそうではない。
彼岸に咲くその花は死者を優しく見送る天上の花。
しかし、その赤い花の持つ言葉は『悲しい思い出』
足下が崩れていく気がした。
「私知りませんでした。一つの花にもいくつも花言葉があると。」
「これは私の希望的観測。聞かせてください幽香。」
強ばった顔をしながらも真っ直ぐに私を見つめる。
「あなたが私にくれた鳳仙花の花言葉は『心を開く』ですか?もしそうであるならば私はあなたに謝らなくてはなりません。あなたの気持ちにすぐに築けなかった。」
立っているのが精一杯な私は理解するまでに少し時間が掛かった。
そうじゃない。
「違う!」
「違うのですか?」
真っ直ぐな目は不安と絶望の色に変わる。
「そうじゃなくて、謝らなくていけないのは私!私がちゃんと言葉であなたに伝える事が出来れば・・・。」
映姫は少し安心した表情をし、首を横に振り答える。
「いいえ、幽香は謝らなくてもいいのです。なぜならこのおかげで私は自分自身の気持ちに気付く事が出来た。」
「幽香、彼岸花の花言葉を知っていますか?」
私は、左手に握った赤い花を見た。その花が私を突き落とそうとする。
「・・・・悲しい思い出。」
「たしかに、彼岸花の花言葉は“悲しい思い出”ですが、それだけではない。幽香ならわかるでしょう?」
彼岸花の花言葉
『悲しい思い出』『独立』『再開』『あきらめ』そして・・・
----ドクッ-----
思い起こされる彼岸花の花言葉。そのうちの一つが私の心臓を強く脈打たせる。
(まさか、そんなことあるわけ・・・!)
そんなことあるわけがない、そんな都合のいいことあるはずがない。
思い浮かべたその言葉が否定される。
(でも・・・)
でも、もしそうなら?
もしこの彼岸花の意味がこの言葉であるなら・・・
そんな希望が震える声となって外へ出る。
「“想うのはあなた一人”・・・・?」
私の答えに優しい笑顔で応じる映姫。その笑顔は私の瞳を涙であふれさせた。
「幽香が私にくれた鳳仙花、その花言葉を知ったとき、すごく胸が苦しかった。でも私にはそれが何なのかわからなかった。でも、その苦しさはある感情に繋がっていて・・・・。今ならはっきりと言葉に出来ます。」
そう言うと映姫は、手を伸ばせば触れられる距離まで近づく。
「私はいつのまにか自分でも知らないうちに自分にだけ心を開いてほしいと思っていました。それぐらい狡い女です。それでもこの想いを伝えずにはいられないです。」
濡れた、それでいて真剣な瞳で私を見上げる。
「幽香、私はあなたの事が好きです。」
そして不安そうな瞳に変化し、続ける
「幽香は私の事嫌いですか?」
私の頬を涙が伝う。次から次へと溢れてくる涙を自分ではどうする事も出来ない。
こんなに涙が出るのは生まれて初めてだ。
悲しいわけではない。
苦しいわけではない。
辛いわけではない。
寂しいわけでもない。
この涙はきっと嬉しいからだ。そうに決まっている。大好きな人から好きだと言われたのだから・・・。
映姫の小さな体を力一杯抱きしめる。
「私もよ、私も映姫の事が好き。初めてあなたがここに来たときからずっと。」
涙で擦れる声で自分の気持ちを伝える。
空は真っ赤に燃え上がり、強く吹き抜ける風は花びらを舞上げる。
「よかった・・・。」
安堵の笑顔と同時に映姫の頬にも涙が伝う。
私はそんな映姫の顔に徐々に顔を近づけていった。
「んーーー」
「?!んーーーふぁ」
揺れる花びらの中でした初めての口吻は少ししょっぱかった。
「ず、狡いですよ!幽香!急にこんな・・・。~~~ッ!」
「狡いのはお互い様でしょ?」
わたわたする映姫。
「幽香には罰が必要ですね!」
「お説教かしら?」
かく言う私も自分からしながら、も心臓が壊れそうなほどドキドキしている。
「いいえ。今度は、わた、私から・・し、します!」
「え?!」
と驚きの声を上げたのも束の間、映姫の端正な顔が近づく。
するのはいいが、されるのはもっとドキドキする。
東へと伸びていく影は一つに重なる。吹く風はさっきよりも弱く、舞上げた花びらがゆっくりと落ちてくる。
映姫の顔は見た事がないほど真っ赤で、それを見た自分の顔も感じた事がないほど熱くて・・・
それはたぶん夕日の赤ではなくて・・・・。
それにしても可愛らしい緑コンビだなぁ
小町はエッヘンと~。→もう、何も思いませんよ…。
グッときましたw 映姫様ファイト
GJ!!