『この夏の空よりも青い貴方に捧ぐ2』の続編となっています。
ご注意下さい。
冬―――
幻想郷は、深い雪に覆われていた。
例年と比べて多い積雪と厳しい寒さ。
それでも多くの人は、真夏は暑かったのだから真冬が寒いことだってある、といった風で雪掻きに精を出す日々。
永遠亭はフル稼働であったし、博麗神社は相変わらず人気が無く、楽園の最高裁判長も暇を見つけて説教の為に各地を闊歩する。
あえて言うならば、特に代わり映えの無い、冬だった。
それでも、少なからず『いつも』とは違う日々を過ごしている者達もいた。
人里と紅魔館のちょうど中間点ほどの場所。
霧の湖周辺もまた、一面白銀の世界となっている。
まだ午前も早い時間。
気温との温度差によって氷に覆われていない沖合の湖面からは白い霧が湯気のように立っていた。
如何に例年と比べて寒い冬とはいえ、流石に湖が全面凍結するまでには至っていないが、それでも湖の岸辺近くはそれなりの厚さの氷が張っている。
その氷の上をピョンピョンと跳ねる青い影と、岸に佇みそれを見守る黒い翼がいた。
「あはは、すっごいね!全部凍らないかな?」
「どうでしょうねー……流石に全部は無理じゃないですかね?」
「えー……つまんない」
氷の上を飛び跳ね、キシッ、と微かに鳴る音で遊ぶチルノが、不満そうに頬を膨らませる。
そんな子供らしい姿を見て、いつか氷が割れて落ちないだろうか……と、文は微かに苦笑を浮かべた。
ほんの数ヶ月程前に文とチルノは互いに想いを告げあい、チルノは『始めての恋』に、文は『妖精への恋』に戸惑いもしたが恋人という関係となった。
付き合い始めともなれば、やはりお互いに一緒に居たいと強く思うもの。
文も仕事がなければ会いに行き、チルノも取材の手伝いとして後をくっ付いて行くことで、可能な限り二人は一緒に居た。
今日も少ない時間を利用し、二人は逢瀬の時間を楽しんでいる。
未だ暖まりきっていない冬の空気に冷やされ、文は腕を無意識に摩った。
「文、寒いの?」
「え?ああ、まぁ寒いか暑いか、で言えば寒くはありますね」
不思議そうに首を傾げる姿に、大丈夫ですよ、と肩を竦めてみせると、高くジャンプし岸に着地したチルノに袖を引っ張られた。
すぐ傍に来た小さな影を見下ろし、はて、と首を傾げ尋ねる。
「どうしました?チルノさん」
「えっとね……文、今日はこの後お仕事あるんだっけ?」
「ああ……はい。後もう少ししたら、行かなくてはいけません」
「そっか……」
途端に肩を落とすチルノを見て苦笑する。
今日は天魔に呼び出しを受けており、この後派閥の会議に出席しなくてはならなかった。
ほとんど毎日の勢いで会っていると、時には山の用事の関係で直ぐにお別れ、という事だってある。
それに駄々をこねる事も(あまり)なく受け入れてもらえたが、それでも毎回こうして去り際が近づくと途端に元気がなくなってしまう。
それだけ一緒にいたいと思ってもらえている、と考えれば恋人として嬉しい事この上ないものであり、同時にどこまでも社会人であるという事を痛感させられるが―――
別れ際にそんな顔をされたら別れ辛いじゃないか。
「え?」
小さな体に手を伸ばしてギュッと抱き締めると不思議そうな青い瞳に見詰められた。
氷の妖精、という事もあり冬はチルノの本領が発揮される季節でもある。
冷気は基本ダダ漏れで、真冬の完全に冷えきった鉄棒並み以上に冷たいその体。
だが勿論鉄のように硬い事はなく、その柔らかさを感じながら安心させるように笑みを浮かべた。
「ほらほら、そんな顔をしないでください?また明日も会えますから、ね?」
「う、ん……そうだよね。ごめんね、文」
こてん、と首を傾げ謝る姿を微笑ましく頭を柔らかく撫でる。
途端、擽ったそうに目を細める様子に、本当に変わったな、と思った。
恐らくチルノにとっても全てのきっかけとなったあの夏祭りの日以来、殊勝になった、というか相手を気遣うという事を覚えたのだ。
今まで通り天真爛漫であるが、猪突猛進で他人を巻き込むことを厭わない、という性格は鳴りを潜めている。
時には暴走して突っ走る事はあるが、反省すべき事は反省し、謝るべき事はちゃんと謝る。
総じて言って、チルノは成長していた。
妖精は自然現象の具現化である事からも、その成長には精神的な成熟が重要となる。
恋人という関係を通じ良い影響を与えられている、というのは何よりも勝る幸福でもあった。
「えへへ……文、もっとぎゅーってして?」
「はいはい、勿論ですよー」
ぎゅっと。
抱きしめると嬉しそうに擦り寄るチルノを見て思う。
ずっとこんな穏やかな日々が続けばいい―――
指の隙間からこぼれ落ちる柔らかな髪を撫でながら、そう願ってやまなかった。
だが、得てしてそうした平穏は破られるものである。
「―――相変わらずラブラブだなー、お前ら」
「ん? あ、魔理沙ー!」
「げ……魔理沙さん」
二人きりの空間に別の声が響く。
箒に跨り、ゆっくりと舞い降りて来たのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙だった。
いつもの通りの黒が基調となった服装に白いエプロン、防寒対策としてはライトブラウンのマフラーを首に巻いている。
そんな彼女は、箒から飛び降りるようにして雪の上に降り立つとニヤニヤとした笑いを浮かべ、手をひらひらと振った。
「よう、チルノ。そしていきなり『げ……』とはご挨拶だな、ロリコン天狗」
「はっはっは……気のせいですよ、ええ」
「魔理沙どうかしたの?あたい今、文に抱き着いてるから弾幕ごっこ出来ないよ?」
「ああ、安心しろチルノ。馬に蹴られるほど私は野暮じゃない」
恋人を抱きしめたまま文は、嘘吐け、と心の中で呟いた。
チルノと付き合う事になった経緯に関わった人物が数名存在するが、魔理沙がその一人だった。
その為、告白から数日後、今浮かべているのと同じ種類の笑みを浮かべて彼女が、どうなった?と尋ねてきたのだ。
明らかにからかわれる事は目に見えており、適当に誤魔化してやろうか、とも考えたが、どうせチルノに尋ねられればバレるのは分かっている。
ならばいっそ自分から伝えた方が良いだろう、という事で『妖怪の山の者にはバラさない』という条件で教える事にしたのだったが―――
「それで……魔理沙さん。私の記憶が確かなら、貴方とは数日に一回のペースで遭遇すると思うんですが、主にチルノさんと一緒の時に」
「いや、まぁ、あれだ。恋のキューピット役なんてものをやった以上は、気になるじゃないか?」
「楽しんでるだけですよねっ!?」
「魔理沙、何か面白いの?」
「はっはっは……気のせいだぞ、うん」
じと目で睨むと、白々しく視線を逸らされる。
いまいち何事の話なのか良くわかっていないチルノが不思議そうに二人を交互に見遣る中、はぁ、と溜息を吐いた。
約束を守った魔理沙は『妖怪の山の者』以外の者には普通に喋ったらしかった。
外部との交流が少ない妖怪の山だ。
外でのゴシップが如何程に騒がれても内部に流れる事は滅多に無いし、魔理沙に教えた時点で彼女の交友関係内で必ず広まると腹を括っていた。
だが、人の噂が広がるのは想像以上に早いもの。
魔理沙に伝えてから2日後、取材の関係で博麗神社に行った時に出会い頭「あら、おめでとうロリコン。お似合いね」なんて霊夢から言われた時には思わず天を仰いだ。
それが想定の範囲内であるとはいえ、面と向かって言われればため息の一つも吐きたくなるもの。
とはいえ、ため息ばかり吐いて幸せが逃げても困るので、きっと歪みきった彼女らなりに必死に考えた祝福の方法が他にないんだろう、とポジティブに考えるようにした。
「やれやれ、まったく……これ程までに厄介な人間もいませんでしたよ……」
「いやいや、そんな褒めるなよ」
「そんな気持ちはこれっぽっちも無いんですけどね?!……お?」
本当にどうしてくれようかこの人間、等と考えていると小さく服が引かれる。
何だろうか、と胸元を見てみると先程から抱きしめていたチルノが不満そうに頬を膨らませていた。
「えと、チルノさん………?」
「むー………」
訳が分からず首を傾げて見せると、更に頬を膨らませて顔を胸に押し付けてきた。
「えーと……」
「あっはっは、悪い悪いチルノ!」
どうする事も出来ずに、とりあえずチルノの頭を撫でていると、その様子を見ていた魔理沙が可笑しそうに笑いだした。
どういう事ですか、と首を傾げると、どうもこうも、と苦しそうに笑いながら
「お前が構ってくれないから拗ねたんだろ?」
「え?」
「―――ッ!」
思わず青い髪を見詰めると、顔を隠すように更にキツく抱きつかれてしまった。
「……チルノさん?」
「……なんでもないもん」
明らかに拗ねているその声に、思わず笑みを零して改めて優しく髪を撫で
「ごめんなさい、チルノさん。あんなプラナリア放っておくべきでした……許してください」
「おい、こら」
「ん……許してあげる」
外野からの声を敢えてスルーして、漸く顔を上げた顔に笑いかける。
不満顔から一転、嬉しそうに笑いを浮かべる頭をよしよしと撫で、抱きしめていた体をゆっくりと地面へと下ろした。
当初はこうやって抱き着かれている状態を見られるのも恥ずかしかったが、毎度毎度図ったかのように現れれば誰しも慣れてくるというものだ。
その様子を見ていた魔理沙は、やれやれ、と肩を竦め態とらしく手で顔を扇いで見せる。
「おお、暑い暑い……ここだけ夏なんじゃないのか?」
「ならとりあえずマフラー外せばいいんじゃないですか?」
「魔理沙暑いの?冷やしてあげよっか?」
呆れ顔で眺めていると、顔を輝かせたチルノが冷気を強め一歩一歩魔理沙へと近付いていく。
その迫り来る姿にヒクッ、と頬を引き攣らせた魔理沙は、いやいや、と手を振る。
「ほ、ほらチルノ!今度はお前が構わないと文が拗ねるぞ?!」
「構いませんチルノさん、やっちゃってあげてください」
「よっしゃー!」
ゴーサインが出ると、気合一発、チルノは一気に魔理沙へと飛びかかり―――
「うわっ、馬鹿かッ?!お前は元から冷たいのにそれ以上寒くしてくれるなっ!?」
「あたい馬鹿じゃないもん!魔理沙が暑いって言ったんじゃん!」
当たり前だが、魔理沙は段々と強くなる冷気に肩を震わせ、ヒィと悲鳴を上げながら紙一重で避け続ける。
言葉の応酬と共に繰り返されるじゃれ合いだが、当人達は割と必死だ。
だが、何度繰り返しても避けられ続けられ諦めたチルノは不満そうに睨んでに仁王立ち、それに!と叫ぶとビシッと指さした。
「あたい別に冷たくないもん!文は平気だもん!」
「……あ?そういや文、普通に抱き着かれてたな……寒くなかったのか?」
「そりゃあ勿論、冷たくなんてないですよ?」
「ほらみろ!」
自信満々に胸を張るチルノと何処か胡散臭そうにそれを見詰める魔理沙に、思わず内心苦笑した。
勿論まったく冷たくない何て嘘だが、ある意味冷気を持つのは氷精のアイデンティティだ。
ならば、その変えようもない事実を伝えれば、チルノは傷付く。
元から肉体としては強い天狗だし、我慢して出来ない事では無いので態々伝えるつもりもなかった。
最近、めっきり冷え込み更に冷たいのは事実だが。
ふと、そんな事を考えながら空を見上げると、太陽の傾きを確かめる。
会議の開始に間に合わせるには、そろそろ良い時間のようだった。
「文……そろそろ時間?」
名残惜しそうな声に振り返ると、魔理沙へと迫る事を止めた恋人の瞳が静かに見上げてきていた。
「―――ええ。行こうかと思います」
バサリ―――
翼を広げ、直ぐ傍の頭を1つ撫でると改めて二人へ視線を向け
「ではでは、チルノさん、魔理沙さん。この後ちょっと仕事がありますので、私はこれで」
「お、そうなのか?天狗ってのも楽じゃなさそうだな……まぁ、頑張れや」
「お仕事頑張ってね、文っ」
「ええ、ではでは」
ゆっくりと羽ばたき飛翔する。
頬で冷たい冬の空気の風を感じながら、段々と遠ざかる魔理沙と手を振って見送ってくれるチルノに手を振り返し、そのまま霧の湖に背を向け、妖怪の山を目指して飛んだ。
「……あれ?」
「ん?どうした、チルノ」
遠ざかる黒い翼を見送り、ふとチルノが地面へと視線を移すと雪の上に細くて黒い棒状の物が落ちている。
不思議そうな魔理沙の声を聞きながら、しゃがみこんでそれを目線まで持ち上げると、あ、と小さく声を出した。
「これ、文のだ……」
「文の?ああ、あいつ落としていったのか……」
確か外の世界のボールペンだ、とチルノは思い出した。
数週間前、香霖堂で購入したものらしいが、その使い勝手の良さから最近文が愛用していた筆記用具だった。
これが無いと、文は困る……よね。
「あたい、文に届けてくるねッ」
「おいおい、お前妖怪の山に入れないだろ?今度会ったときに渡せばいいんじゃないか?」
興味深そうにボールペンを覗き込んでいた魔理沙を見上げると、止めといたらどうだ?と肩を竦められる。
妖怪の山への部外者の立ち入りは禁じられている。
入ろうとしても監視をしている天狗に見つかり追い出されるのは目に見えていた。
でも……
「これが無いと文が困っちゃうもん!急げば間に合うかもしれないし」
「そっか……?じゃあ、まぁ無理すんなよ。他の天狗に見つかると面倒になるぞ?」
「分かってるー!じゃあね、魔理沙!」
「ああ、またなー」
ひらひら、と。
遠ざかる氷精の背に手を振りながら、魔理沙は肩を竦めた。
「本当、あいつ等はからかってて飽きないな」
よいしょ、と声を出して箒に跨る。
今日は何処に行こかな、と小さく呟きサクッ、という軽い音を立てて雪を蹴り上げ空を舞った。
妖怪の山を目指してゆっくりと飛びながら、はぁ、と文は溜息を吐きながら先ほどまで考えていた事を思い返していた。
「別にいいじゃない。これは予定調和なのだし………」
そう、チルノと付き合い、周囲から言われる事など想定の範囲内だった。
けれども―――
「問題は、山のほう―――」
最近、天狗達の間でまことしやかに囁かれ始めたのだ。
『あの天狗は妖精の恋人を演じている』と。
天狗の社会にその事実がバレれば色々と面倒な事になるのは目に見えているし、下手をすればチルノ当人にも何かしら危害が加えられる可能性がある。
可能な限り内密にしておきたい、というのが本音だ。
正面から言われたなら、大分前から取材をしていた縁で付き合いがあるだけ、と反論も出来る。
だが、噂など当人の知らぬところで尾ひれ胸びれ付いてどこまでも広がるもの。
外部との接触を嫌うが故に、内輪でいつまでも回り続けるというならば、尚更だ。
はぁ―――。
深い溜息を吐きながらふと考える。
妖怪の山にある自宅への招待など秘密にする以上もっての外だが、付き合う前ならばそこまで過剰に反応しなかった気もする。
誰かがそれを指摘しても、鼻で笑い飛ばすだけの余裕があった。
それを思うと、恋人となった為にかえって不自由な関係になった気がしないでもない。
「やれやれ。停滞した社会というのは、やっぱり面倒ですね………」
思わず愚痴をこぼして、段々近付いてきた山を見据えた。
哨戒天狗に見られる可能性を考慮し、この付近より近くでは会わないようにしているし、本人にも恋人になったということを仲の良い人にしか話さないでくれ、と言いくるめてある。
「でも、それも時間の問題ですよねー………」
人の口を閉じさせることなど不可能だ。
時間の問題、とは思っていたが、それが想定を越えて早かったという事が心に影を落としていた。
いずれにせよ、いつかはどうにかしなくてはならない問題を考え、ぼんやりとしていた。
「―――!」
だからか、その気配に気付かなかった。
「あーやーっ!」
「え?!」
突如として聞こえた声に、思わず振り向くと、はかったかのようなタイミングで胸の中へとチルノが飛び込んできた。
反射的に抱きとめ、一体どうしたんだろう?という疑問と共に、ここが何処であるかを思い出した。
そう、哨戒天狗の目の届く場所―――
「っ!!」
「?! ―――ぇ」
「……ぁ」
気付いた時には、トンッ、と反射的にチルノを突き放していた。
いつものように抱きしめてくれなかったチルノは一瞬訳が分からないと目を丸め、また文も自分がとった行動に顔が青ざめるのが分かった。
「あ、や……?」
「っ、チルノさん、これは……っ!」
慌てて理由を告げようとした言葉を、飲み込んだ。
天狗にバレると、あなたの立場も危なくなる可能性があるんです―――
そんな言葉を、伝えられるはずは無い。
自分では選べず、どうすることも出来ない「生まれ」が理由など、それがどれだけ相手を傷つけるか等考えるまでも無い。
どうしよう―――
適当な理由を必死に考えていると、チルノの顔が段々と青くなり、おそるおそる、と声に出した。
「文、ひょっとして……」
「っ、違うんです、チルノさん!」
まさか理由を察したのか、と慌てて言葉を言い募ろうとしたら―――
「やっぱり、あたい冷たかった……?」
「―――え?」
想定外の発言、思わずポカンと見つめる。
だが、そうなんだ、とチルノは顔を俯かせ
「そうだよね……やっぱり冷たいよね、あたい……」
「え、いやいやチルノさん……?」
「魔理沙も言ってたし、今まで我慢してくれてたんだ、文……」
「え、ちょ、待って本当に違う?!」
何故かどんどんと進んでいく話に待ったをかけようと一歩分ほど近付こうとしたら、チルノもまたその分だけ後退する。
二歩。
三歩。
「えと、チルノさん……?」
「―――ダメ!文が冷えちゃう……」
語気を強めての否定。
泣きそうな表情に「あ、泣き顔もかわいい」とか思ったのは秘密である。
「って、そうではなく!?あのですね、チルノさん―――っ?!」
「これ!!」
天狗は強いから大丈夫ですよ、と。
とにかく誤解である事を伝えようとしたら何かを投げつけられ慌てて掴み、それを見詰めると
「え?」
「文、落としてったから……」
それは数日前に買った、ボールペンだった。
ああ、なるほど―――
どうしてチルノが後を追ってきたの不明だったが、ここに来てようやく理解した。
落としたペンをわざわざ届けに来てくれたのか―――
「うわぁぁぁぁぁ!?私は馬鹿ですか!?」
主にペンを落としたところから。
ひたすらに善意しかない行為に対する行動が突き放す、であった上に謎の誤解まで与えた事をうとば、そのまま頭を抱えたくなった。
そんな突然悩ましそうにしだした文を、チルノはきょとん、と不思議そうに眺めていたが―――
「あのね、文!」
「はぅい?!な、なんでしょうか、チルノさん?!」
「あたい、頑張るから……」
泣きそうな顔で、それでも決意を込めた言い切った。
「あたい、頑張って文が寒くならないようにするから!」
「……え、どうやって……」
無理なんじゃ……と思わず呆然と見つめるが、それでも次に発せられた言葉に思わず思考が停止した。
「それまで会わないからね!」
「え―――マジですか?!」
「文も会いに来ちゃだめ!」
「いやいやいや!!待って待ってごめんなさい、待ってくださいチルノさん?!」
「待たないッ!」
思いこんだら一直線。
ピューン、と一気に妖怪の山から離れるように飛んでいく。
制止の声を聞かずに一気に飛び去るその後を追おうとも思ったが、そうすれば山の会議に遅刻する事になって―――
「ああああああもう!本当にどこまでも私って社会人ですね?!」
遅刻の理由が妖精を追っていました、なんて言い訳にもならない。
遠ざかる背中を一瞥し、会議が終わり次第会ってちゃんと謝ろう、と心に誓うと、後ろ髪を引かれる思いでフラフラと本殿へと飛んでいった。
「…………」
会議室は、沈黙に包まれていた。
張り詰めた空気の中、火鉢の炭が時折爆ぜる音が響く。
上座の天魔を中心に、コの字型に組まれた机に妖怪の山における革新派の天狗達が席についている。
会議に出席出来るともなれば、人生経験も豊富な老齢な天狗達が並ぶ事になる―――のだが
「…………」
天魔も含めて、何故か全員居心地が悪そうに末席へと視線を時折飛ばしている。
そして、そんな老天狗達の視線の先には文が居た。
「…………」
ハイライトが消えた目で微かに首を傾げ、時折小さく「あー……」と声を出す。
一言で言えば、目が死んでいる。
そんな負のオーラを満開にした文によって会議室は異様な空気に包まれていた。
「……射命丸」
(何でよりにもよってこんな事に……)
「射命丸?」
(あー……チルノさんああなったら絶対引かないよなー……)
これでは会議の進行に関わる、と天魔が声を掛けるが一切の反応が得られない。
普段からこういった会議に参加しており、同派閥の天狗からの文に対する評価は『優秀かつ真面目』といったものだった。
故に、何か相当酷いことがあったのだろう―――というのが会議に出席している天狗達の総評であった。
このまま下がらせた方が賢明か。
天魔がそう決断し、声を掛けようとしたところ―――
「しゃめ―――」
ガンッ―――!!!
「?!!」
文が、机に思いっきり額を叩きつけた。
その突然の奇行に周囲からの視線が一斉に集まるが、当の本人はそのまま動きを停止した。
(どうしたら誤解解けるんだろ、これ……)
額を机にくっつけたまま、会議が―――というよりチルノと別れた時から文の脳内を巡っていたのが、それだった。
会議の初めこそ、気持ちを切り替えてやるしかない、と心に言い聞かせたのだが、末席に座す文にはそれほど発言の機会は多くない。
故に、進む会話を左から右へと受け流していると、自然と思考はチルノの事へと傾いていき―――
(―――いや、もう全部私のせいだし、これ……)
この有様となった。
突然の事とはいえ、あんな反応しか出来なかった事に自己嫌悪しながら、悶々と考え続ける。
先程の宣言通り、チルノは自身の冷気をどうにかしない限り会おうとはしないだろう。
ということは、誤解だという事実を解く事も不可能―――ということだ。
(悪いのは私なのに、謝罪の場すら無いとは………)
どうしてこうなった、と改めて思えば近距離にある机の木目を見詰めながら、はぁ―――と深い溜息を吐き出した。
―――トントン
「……?」
兎に角無理やり会いに行くのは出来たとしても、どんな言葉をかければ彼女は納得してくれるのだろうか―――?
そんな事を延々と考えていたのだが、突然肩を叩かれた。
何事だろう、と相変わらず覇気の無い瞳で、その叩かれた肩の方へと視線を向けると、白髪の混じった困り顔の一人の老天狗。
そして、会議に参加している天狗達の視線を一身に浴びている事に気付けば、さぁ―――と血の気が引いた。
「………はっ?!も、申し訳ございません?!」
慌てて居住いを正し、背筋を伸ばす。
(ええと確かさっき大天狗様の甥っ子の成長が延々と続いていたからそろそろ本題に一旦戻ってまた別の誰かの自慢話か何かに移ったか?!)
必死にいつもの会議におけるパターンを想定して、現在何の話題であったかを考えていると、ゴホン、と1つ咳払いした天魔が心配そうな視線を寄越した。
「射命丸」
「は、はい!やはり天魔様のペナントコレクションは素晴らしいですよね!!」
「その話はさっき終わった」
山が外れれば、終わったのかよー!!と内心叫びながら頭を抱えて顔を伏せた。
そんな姿を、まぁ、と天魔は1つ間を取ると椅子に深く腰掛け
「よいよい、お主も疲れているのだろう」
「は、はは……いえ、本当に申し訳ありません……」
「構わぬよ、誰とて疲れる時は来る。色々と根も葉も無い噂を流されてるようだからな」
「へ……?ええと、噂と言いますと……?」
「何でも妖精を恋人にした―――とか」
「っふぃ?!」
思わず、頬が引き攣り不思議な呻き声が出た。
だが天魔は、カカカ、とさも可笑しそうに笑い声を上げ
「全く、片腹痛い。どうせ流すならもっとマシな話しにすればよいものをのぅ」
「そ、そそそそそうですね?!」
「類稀なる才子、というのも考えものじゃのう。そんな下らぬ噂まで流して品格を貶めようと躍起になっておるのだから」
その言葉に、視線を右へ左へ上へ下へ、と。
兎に角落ち着きなくさ迷わせながら冷や汗が背中を伝うのを感じた。
だが周囲の老天狗達も、そうだそうだ、と苦笑混じりの笑みを浮かべて天魔の言葉に同調するばかり。
非常に悪い心の環境衛生に痛む心臓を抑えながら、はははは、と虚しく響く乾いた笑い声を同調するように上げておいた。
だが、天魔は笑いを収めると、ふと真剣な表情となり、文を見詰め
「まぁ、仮にそれが事実だとしたら、じゃが………」
「―――したら、なんなんでしょうか?」
「天狗の面子、もあるからの。お主といえども最悪処刑が妥当かもしれぬ―――」
「ま、まことですか………」
ゴクリ。
生唾を飲み込み、天魔の鋭い視線にピリピリと頭が痛むのを感じ―――
「なんて、のう」
ニヤリ、と。
茶目っ気たっぷりな意地の悪い笑みに、再度机にガンッ!と額をしたたかに打ち付けた。
「流石にそのような事で処刑なんぞ一々やっておれんしの」
「そ、そーですね……」
「まぁ、どちらにせよ事実無根であるならば気にする必要は皆無じゃ」
「はははは、仰るとおりですね(ちくしょー?!)」
「ん?何か言ったか?」
「い、いえいえ何も!」
赤くなった額を抑えながら顔を上げ、若干漏れでた本音を必死に隠すように手を振る。
一瞬不審そうに眉間にシワを寄せた天魔だが、ふむ……と呟くと机の上でゆったりと手を組んだ。
「兎に角、じゃ。最近はお主に頼りすぎたのう。しばし休暇を与えよう、ゆるりと休め」
「え、い、いえ!ですが……」
「これは命令じゃ。別命あるまで自由に時間を使うとよい、下がれ」
「は……はい、分かりました……」
有無を言わさぬその言葉。
周囲からも、その方が良い、と同意するように頷かれては取れる行動は1つだけである。
流されるままに了承すれば、うむ、と満足気に天魔が頷いた。
机の上に広げていた会議用の資料を掻き集めて片手に持つと立ち上がり、では失礼します、と頭を下げてトボトボと会議室を後にした。
一方その頃。
文と別れたチルノは霧の湖付近にいた。
普段は多くの妖精や妖怪達で賑わうこの場所も、冬ともなればその殆どが冬眠に就くため今では静けさに包まれている。
そんな人っ気の無い場所にチルノが戻ってきたのは、家に帰る為ではなくある人物を探しての事だった。
大体いつも居る場所は決まっているため、その付近を中心に空から見下ろしていたのだが、何故だか全然見つからない。
どこに行っちゃったんだろう……と仕方なしに地表まで降りて雪をザクザクと踏み鳴らしながら、口に両手を添えて先程から名を呼び続けていた。
「レティー?!」
しかし、降り積もった雪に声は掻き消され、直ぐに周囲は静寂が訪れる。
いっそこの近辺全域を氷で包んでしまおうか―――?
そんな危険な方法すらも脳内を掠めるなか、どうやって探そう……と肩を落して途方に暮れていると―――
「おっ?!」
突然、何か柔らかな物に包まれ、チルノの目の前が真っ黒になった。
何だ何だ?と慌てていると、ポフッ、と背中に柔らかな感触が伝わり
「え?え?え??」
兎にも角にも訳が分からず軽い混乱状態。
もしかしたら何か強い妖怪に襲われているのかもしれない―――
そんな考えに至り、体から漏れ出る冷気を強くしてみるが、背後の何者かはビクともしない。
どうしよう、どうしよう?!と暫く焦っていたが、とりあえず視界を得ようと目をガッチリと覆っている物をガバッ!と思い切って引き離し背後を振り向くと―――
「あ、レティ!」
「ええ、こんにちは。チルノ」
それが誰であるか分かれば、チルノは嬉しそうな声を上げてその豊かな胸へと抱きつき、レティもまた嫌な顔一つせず小さな体を抱きとめた。
レティ・ホワイトロック。
チルノが、この世界で一番に信用している人物、といっても過言ではないだろう。
元から操る能力が冷気や寒さといったものであり、また冬場ともなれば両者とも寒さの権化として多くから白い目で見られてきたことから互いに惹かれ合うのはある意味当然といえば当然ではあった。
冬の間だけ活発的な活動が可能という特異体質の為に二人が顔を合わす期間も決して多くは無いが、それでもチルノは友人として、レティは友人兼母親のような形で友好を深めてきた。
「もー酷いよ、レティ!いるなら返事してよっ!」
「ふふふ、ごめんなさい、チルノ。あまりに必死な様子が可愛くてね……」
ぶー、と頬を膨らませる姿を可笑しそうに微笑むレティは正に典型的な親バカのそれである。
しかし一見微笑ましそうにチルノの髪を優しく撫でながらも、レティは心の中で深い溜息を吐いていた。
二人が出会ったのは当たり前だが今年が初めて、という訳ではない。
毎年冬になれば一緒にいる、というのは最早恒例行事であるほど長い付き合いだ。
その為、今年も冬が始まり、目が覚め真っ先にチルノに会いに行った―――ら、言われたのだ。
「レティ!あたい恋人が出来たよっ!」 と。
当人からの突然のカミングアウトと同時に文を紹介されたその時、思わず頭を抱えた。
今までそんな気配が無かったのに、一体どうしてしまったのか?ひょっとして天狗に誑かされているのではないか?
そんな不安が心に沸いたが、両者から、どういった経緯で、どうしてそうなったか、という話を聞かされて、ああなるほど、と納得はした。
だが、納得はしても認めたくない物、というのは世の中に多々ある。
元々我が子のように可愛がっていた存在に、目が覚めると同時に恋人が出来ていたのだ。
妖怪の長い寿命を考えると、父子家庭において父親が一週間ほど単身赴任で家を留守にし、帰ってきたらいきなり娘が恋人を作って家に招き入れていた並みの衝撃だったのだ。
チルノの意思を尊重するのがレティのスタンスではあるのだが、妖精と天狗というアンバランスな組み合わせから、やっぱり天狗は面白半分なのでは―――と何度も考えたし、そんな煮えきらぬ思いを抱えたまま何度か嫁姑戦争のような弾幕戦を繰り広げたりもした。
だが、そんな弾幕戦も、自分を差し置いて楽しく遊んでいると勘違いしたチルノの寂しそうな目によって休戦する羽目になったりと、兎にも角にも無駄に例年と比較して疾走感溢れる冬を送っていたのだった。
そんな怒涛の二ヶ月間を思い起こすとレティは苦笑を浮かべ、これくらいやったって怒られないはず、と心の片隅で考えていた。
「それよりチルノ?私に用があったんじゃないの?」
「え―――あ、そうだった!あのね、レティ!教えて欲しい事があるの!」
「ええ、何かしら?」
「あのね、どうしたら文を暖かく出来る?!」
「―――え?ええと……焚き火でもしてみる、とか?」
「分かった!!あたい、もこうのところ行ってくる!!」
「ああ、待ちなさい待ちなさい」
腕から離れ、再び空へと飛ぼうとした肩をキャッチすれば、グイッとその体を抱き寄せる。
何故か再び捕まった事を不思議に思い、チルノは首を傾げ
「レティ?どうしたの?急がなきゃいけないの、あたい」
「急いては事を仕損じる、と言うわ。チルノ」
「せい……そんじる?」
「焦っている時ほど落ち着きなさい、という意味よ」
「で、でも……」
もじもじ、と。
腕の中で焦燥感に駆られるチルノを落ち着かせるように、ジッと瞳を覗き込んだ。
「とりあえず、何があったか私に教えてくれないかしら?もしかしたら力になれるかもしれないから」
「う、うん……」
「そう、良い子良い子」
その落ち着きと優しさに溢れた瞳に思わず頷き、優しい手つきで撫でられながら、ポツポツ、と何があったかを喋っていった。
「そう、妖怪の山の近くで抱きついたら、突き放されちゃったのね……」
「うん……」
腕の中でションボリ、と肩を落すチルノ見ながら、やれやれ、と天を仰いだ。
(きっとそれが原因ではないのでしょうけど―――)
それを説明したところで、きっと理解できないし理解したところで、どうする事もできない。
結局レティが至った結論は、多分全部あの天狗が悪い、という事だった。
「私じゃ、冷気を抑える事を教える事は出来ないわね、確かに……」
「な、なんで?」
「私は冬の妖怪だもの。寒さを抑える必要もなかったから、その遣り方が分からないわ」
「そっか……そうだよね……」
落胆の色を隠さないチルノを見て、考える。
恐らく、例えチルノが冷気を抑えられるようになったとしても、それだけでは今回の事が解決するとは考えられなかった。
けれでも、恋人の為に出来る事を必死に考えた彼女の意思もまた、無駄にさせたくはない―――
「まぁ、そうね。人里にいるあなたの友達なら良い案を出してもらえるかもね?」
「……え?」
きょとん、と見上げるチルノを見て頷く。
妹紅は元々強い力を持っていたわけではなく後天的に得た力だ、と以前聞かされた事があった。
つまりそれは、何らかの努力の結果付随してきたものであり、能力制御という観点からは恐らく自分よりも力になるだろう。
「本当?!」
「まぁ、それは本人に聞かなくちゃ分からないけど、ね?」
「うん!じゃあやっぱり、もこうに会いに行くね!」
「ええ。もし、あの天狗がチルノに会いに来そうだったら、私が止めておいてあげるわ」
「本当?!ありがとう、レティ!!」
ぎゅ、と。
一際強くレティに抱きつくと回した腕を放し、ふわり、と飛び上がる。
「じゃあレティ!行ってきます!」
「ええ、行ってらっしゃい、チルノ。頑張ってね?」
「うんッ!!」
人里を目指し、一切振り返る事無く遠ざかる背を視線で追いながら、やれやれ、と苦笑を浮かべて小さく呟いた。
「これは第三次嫁姑戦争かしらねー?」
(最悪だ……)
両手に抱えた重い資料を持ちながら、文は渡り廊下をぼんやりと歩いていた。
チルノとの事に気を取られ過ぎていたとはいえ、会議途中で退室を求められたは初の失態だった。
しかも『妖精を恋人としている噂』についての釘を刺すような言葉は、ざっくりと心に突き刺さっていた。
やはり、天狗としての考え方はそれだった。
妖精に対するマイナスイメージは知っている。
だが、改めてそれを目の当たりにさせられた事を想えば、深い疲労感が心を覆った。
チルノと会議。
心の重しが二つに増えれば、更にどよーん、とした空気を周囲にばら撒き、モーゼの十戒の如く数多くの天狗達は若干引き気味に道を開けていく。
(山の事はとりあえず置いておくにしても……この後チルノさんを探すとして何の解決法も無いし、な……)
どうしたものか、と文はダラダラと機械的に足を前へと動かす。
何人かの天狗から奇異な目に見送られていくなか、それでも道を開けようという気は更々ない天狗が一人居た。
「…………」
大剣を背負い、左手には円盤状の盾。白い耳と尾が特徴的な哨戒天狗の一人、犬走椛。
負のオーラに対して微動だにもしない凛々しいとも言える立ち振る舞いだが、平成初期の新橋のお父さん宜しく、右手には笹で巻かれた三つ程の包が垂れ下がっているため若干不思議な光景でもある。
本日の業務報告の為に大天狗の下に訪れた際、味音痴かつ作った物を人に配るのが好きという彼の天狗からお土産として渡されたのがその笹団子だったのだが、今はそれはどうでもいい。
兎にも角にも、文にとっての天敵かつ政敵でもある彼女が、道の真ん中で仁王立ちしていた。
椛はキツイ視線のまま、フラフラと歩いてくる文を見据えていた。
本日もまた、報告に本殿へと上がったら鉢合わせた、というだけなのだが―――
(前を見て歩かない奴の為にわざわざ避けるなんて、プライドが許さない)
という謎の理屈で他の天狗達のように道を開ける気は全くなかった。
片や負のオーラをまき散らし、片や明らかな臨戦態勢。
両者の不仲は有名であったためか、近くにいて巻き添えを食らっては叶わない、と蜘蛛の子を散らしたかのように周囲にいた天狗達は散り散りに去っていく。
「…………(謝る?何て?チルノさんが納得するような謝罪ってどうすれば……)」
「―――文様」
「…………(いやでも、どうにかしないとどうにもならないんだし、何とかどうにか……)」
「一体どうかされたんですか?そんな見ているだけで不快な気をまき散らして」
「…………(となると先ずはチルノさんの居そうな場所……レティさん……いや、妹紅さん?確か人里で雪掻き要員を募集してたから、妹紅さんを頼るなら人里に行くはず……)」
「ああ、ひょっとして噂の妖精にでも振られでもしたんですか?」
「…………(……はっ?!も、もしもチルノさんが魔理沙さんに捕まってしまってたら?!)」
「妖精、というだけでも十分だというのに、それに加えて振られるでもしたら天狗の生き恥だと……分かってます……か?」
「…………(またぞろあの人は面白がって何だかんだで掻き乱すに決まってる?!ひょっとしたら余計に面倒な事に?!)」
普段であるなら互いに言葉の応酬が繰り広げられるはずである。
ここまで言って無視するとは良い度胸してるじゃないか、と当初こそ好戦的な思いを椛は抱いていたが、一歩一歩、と着実に近付いて来るが完全に無反応の文を見て、流石に何かヤバイのでは、と思い至った。
人っ子一人いなくなり静寂が支配する渡り廊下にて、眼前に迫るその暗い気迫に押されれば、ジリ、と半歩ほど後退し、くわっ、と何の光も映さない文の瞳が突然見開かれると、ひぃ、と椛は悲鳴を上げそうになった。
(お、落ち着け、犬走椛!と、とにかく何か話させなくては……!!)
若干挫け気味の心を叱咤する。
互いに反りが合わないとはいえ会話が無いから怖いんだ、ということで、とりあえず何か話題は?と視線をさ迷わせると、手にしている笹団子の存在をふと思い出した。
万国共通、食の話題ならば何かしら反応するだろう、と恐る恐るお土産の笹団子を持ち上げ―――
「え、と……あ、あの何でしたら先ほど頂いた大天狗様お手製の笹団子がありますが良かったら―――」
「それはマズイ?!!」
「え、これやっぱり不味いんですか?!え?!」
文の瞳に光が戻った途端、立ち止まり、抱えていた資料をバサッ!と落として頭を抱えて叫んだ。
椛は思わず手に持っていた笹団子を二度見した。
「やばいやばいやばい!?今までの経験から言って、あの人の手に掛かると何もかもが不味くなる?!!」
「いや、文様?!どんだけ不味い物食べさせられてきたんですか!?それも守旧派(こっち側)の大天狗様に!?」
「これは……あの人に気付かれる前に早々に処理するしかないですよ?!最悪(=更にレティも絡むと)命に関わる!!」
「そこまで?!」
笹団子、改め生物兵器。
椛は手の中のそれを戦々恐々と見詰め、はっ!とある事を思い出した。
それはつい先日のこと、交代の報告をしに当の大天狗の下に訪れたとき、彼の天狗が椅子に座りながらぼんやりと呟いたのだ。
「毒は毎日取り続けると体に耐性が出来るらしいな―――」と。
それを思い起こし、さぁ、と椛の顔から血の気が引いた。
「ま、まさかこれ……大天狗様本当にやられたんですか……?」
「とにかく一刻も早くチルノさんを確保しないと―――って、椛さん?!何で目の前にいるんですか?!」
「あ、文様?!そそそそその話は本当なんですか?!」
ガシィ!
何故か必死の形相の椛に腕を掴まれ何事かと目を見張ったが、その直前の自らの発言を思い起こせば、あ、と小さく呟いた。
そういえば、チルノさん、って言ったな私―――
冷や汗が頬を伝う中、ススッ、と視線を逸らした。
「い、いや何の話しでしょうか―――?」
「何ではぐらかすんですか?!こっちにとっては死活問題なんですよ、どういうことなんですか?!」
「いやいやいや!どうもこうも何で貴方の死活問題に発展するんですか、これは私の問題ですよ?!」
「何処がですか!!いくら政敵とはいえ毒ですよ!笹団子ですよ?!下手したら私、死ぬんですよ?!」
「いや、毒って何ですか?!つか何で笹団子が死に直結しますか?!」
会話のキャッチボールが完全に崩壊している現状に、訳が分からん、と必死な椛にたじろいだ。
どちらにせよ『笹団子』死とは随分と嫌な死に方だな―――とは思ったが
「と、とにかく!私は今から急いで行かなくてはならない場所があるので!!離して下さい?!」
「嫌です!困ります!?この笹団子の秘密を知らなくては処分もできないじゃないですか?!というか上司から貰った物をどうすればいいんですか、私?!」
「ああああもう、どうもこうも?!一体その笹団子にどんな秘密があるっていうんですか?!」
「それを知ってるのが文様でしょう!!」
「一体何処からの情報だ、それ!?」
とりあえず、上司から受け取った物を捨てた、というのは立場的に大変宜しくない。
文は文で全く話を聞いていなかったので意味が不明だし、椛も椛で自分ではどうすることも出来ないその笹団子を握り締め、必至に食い下がる。
ぎゃいぎゃい、と。
腕を掴みあったまま言い合いは続いたが、このままじゃ埒が明かない、と椛の手にあった笹団子をガバッ!とひったくり
「じゃあもうこれは私が処分しときますから!!それで満足ですか?!」
「―――!! メシア―――」
手元を離れた上司からのお土産生物兵器(仮)を見詰め、椛がポツリと呟いた。
「何がですか?!と、とにかく早く行かせて下さい!!じゃないと、あの、黒い奴が……!!」
「黒い奴ってなんですか、メシア」
「そのメシアって止めてもらえませんかね?!早くて素早いあいつですよ!!」
「早くて素早いって……まさか……ッ!!」
「ええ、貴方だって見たことはあるでしょう?!ほっとくと地面に直径5メートルくらいの大穴ぶち抜くんですよ?!あああああ、さっさとしないとあの人の魔の手がー!!!?」
慌ただしく落とした資料を掻き集めると、そのまま文翼を広げて渡り廊下から一気に飛翔する。
とりあえず自宅に戻って資料を置いた後、魔理沙に捕まる前にチルノに会う。
その予定を組み立ながら、全力で羽ばたいた。
「直径5メートルの大穴を開ける……ゴキ?」
そんな、遠ざかる漆黒の翼を見送りながら、笹団子の恐怖から開放された椛は呆然としたままポツリと呟いた。
雪、というのは案外厄介なものだ。
降り積もれば下層の雪は重みで氷のように固くなり、また積もりたての新雪には足を取られる。
更に、家に積もった雪を放置でもすれば、その重みで屋根が抜けてしまう。
元々幻想郷は豪雪地帯、というほどの雪が降ることは無い。
しかし、今年は異常気象なのか、やたらと雪が降るために村人総出で雪掻きに精を出さなくてはならなかった。
「…………空が青い」
冬場れの青空を眩しそうに見上げ、妹紅はしみじみと呟いた。
腰まで届く銀髪に赤のモンペ姿は一面の銀世界でこれ以上ないほどその存在を主張している。
普段迷いの竹林に住む彼女が人里にいる理由は雪掻きの為に借り出されただけだが、掻いても掻いても終わらない雪掻きに嫌気が差し、今は掻き集めた雪で作った高さ3メートル程の雪山の上でぼんやりとしていた。
「結構疲れるな、これ……」
頭をガシガシと掻きながら、まだまだ降り積もっている雪を見て肩を落とす。
当初は、溶かせばいいじゃん、という事で能力でもってガンガン溶かしたのだが、翌日見事に溶けた水で地面が凍結して転倒者が多発し、永遠亭が千客万来状態になったことから慧音に禁止されてしまった。
「もこー!」
「……ん?」
あの方法の方が楽なんだが、と考えていると子供のような高い声が響いた。
空から降ってくる声に釣られ真上へと視線を向けると、太陽を背に真っ直ぐに落下しくる影が―――
「もこうっ!!」
「うぉっ?!」
急降下爆撃よろしく、高々度から一気に落下してきたその体を両手で抑えれば背中から倒れ込み、雪をクッションにして勢いを殺す。
ボフッ、と先ほど掻き集めた雪に体が埋まり、ジワリと背中に雪の冷たさを感じながら溜息を吐いた。
相変わらず馬鹿みたいに青い空を見上げながら、反射的にキャッチしたヒンヤリする腕の中の友人へと視線を移せば眉を顰める。
「おい、チルノ。いくらなんでも今のは危ないだろ……」
「え?あ、ごめん……」
「まぁ、分かればいいんだが……それより、今日はどうしたんだ?」
よっこいせ、と起き上がり雪の上に座らせ肩を落とすチルノに首を傾げる。
二人の付き合いはそこそこ長いが、大抵チルノが妹紅の元にそうやって突撃をかけてくる時は、何かしら問題が起こった時、と相場が決まっていた。
だから、妹紅はチルノが何を求めているかを尋ねたのだが―――
「あ、えっとね!お願い!文を燃やして欲しいの!!」
消沈していた意気を盛り返したチルノが決意を新たに言い切り、ブラックマンデー並みに相場が暴落した。
「……チルノ、それは本当にお前の望みなのか……?」
意気揚々と言い切られたその台詞を三回程、脳内で繰り返すと、思わず眉間を指でグリグリと押す。
喧嘩でもしたのか?と思えどもそれにしては無駄にアグレッシブ過ぎるそれに訳が分からん、と匙を投げた。
「天狗で焼き鳥を作ってもなー……」
「? 美味しいの?」
「いや知らん、というかそういう事じゃない、どういう事だチルノ」
「え?」
きょとん、と不思議そうに首を傾げるチルノを覗き込み、だからな?と頬をポリポリと掻き
「何でお前の恋人を燃やす必要があるんだ?」
「え、と……あたい冷たいでしょ?」
「あ?ああ、まぁ……」
「だから、文が冷えないようにしたいの」
「ああ―――なるほど」
「だからね、もこう!お願い!」
「焼死体を作りたいのかお前は」
ペシッ!と額を軽く叩き、あぅ、と声を出して涙目で頭を抑える様を呆れて見詰めた。
「だ、だって!暖かくするにはレティが炎を焚けばいいって!?」
「だからって本人に火をくべてどうする……」
やれやれ、と深い溜息を吐いた。
確かにここ最近、冬が深まるにつれてチルノが身に纏う冷気が強くなり、そういう懸案が生じるのは当然と言えば当然であったのだが―――
「というか、チルノ。お前がその冷気を制御出来るようになればいいんじゃないのか?」
「え?でも、あたいそんな事できないよ……?」
「だから努力するんだと思うんだが、普通……」
困り顔で眉を顰めるチルノを見詰め、ふむ、と1つ呟けば尋ねる。
「因みに、チルノ。お前今まで力を制御した事あるか?」
「えと……良く分からない……」
「だけど、何か結構細かな氷細工なんか作れたよな?」
「うん、出来るよ!」
チルノは案外がさつなようで、氷に関しての事ならば割と繊細な作業は得意だった。
以前も、鯉が中で泳いでいる完全球体の氷のボールを作ったりしていたくらいだ。
「と、考えると冷気の細かな制御も基本的に可能、って事だよな……」
そういった物を作るには絶妙な冷気の力加減が必須となる。
で、あるならば基本的に冷気の制御は可能、という事だ。
ただ、今まで体から漏れ出る冷気を制御する必要も意味も無かったから、やり方が分からないという事だろう。
問題は、それをどのようにして教えるか―――
「妹紅!こんなとこにいたのか」
どうしたもんか、と腕を組んで悩んでいると突如響いた声。
それに、にんまりと目を緩めると視線を向けた。
「おお、慧音!ちょうどいいところに」
「何がちょうどいいところだ。まだまだ雪は残ってるんだぞ―――っと、チルノか?」
「あ、けいね!」
雪山から頭を出して、ぶんぶん、と手を振るチルノに頷く人物。
特徴的な帽子を頭に乗せた寺子屋の教師、上白沢慧音。
今回の雪掻きでも率先して動いていた彼女は途中から姿を消した妹紅を探し歩いていたのだが、目的の人物が寺子屋の生徒でもあるチルノと共に無駄に積み上がった雪山の上で座しているを見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「二人揃ってそんなところで何をやってるんだ?」
「ああ、それなんだが慧音。ちょっと困ってる事があってな……知恵を貸してくれないか?」
「む?まぁ、別に構わないが……」
「まぁ、立ち話もなんだし良かったら慧音もこっち来いよ」
「私は連れ戻しに来ただけなんだがな……」
ちょいちょい、と。
雪山の上からの手招きに誘われるまま、安定感の悪い雪山を登る。
やっとの思いで登頂を果たせば、雪の上に座り込む二人を見習って、よいせ、と声を出して膝を落した。
新たに雪山の山頂に現れた三人目を含め全員の視線が大体揃えば、さて、と妹紅は声を出し、早速と本題を切り出した。
「チルノに力を制御させる事を教えるとしたらどうしたらいいと思う?」
「なぁ、妹紅。いきなり過ぎて話が見えないんだが……」
「そんな込み入った話じゃないさ。チルノが、恋人を凍えさせない為に冷気を抑えたいんだとさ」
「うん、そう!」
「ああ、そういう事か……」
なんとなく概要を把握すれば、そうだな……と慧音は顎に手を当て逡巡する。
「ちなみにチルノは一切能力を制御する事は出来ないのか?」
「えと……分かんない……」
「慧音。多分だが、チルノは今まで制御する必要がなかったから自覚が無いだけなんだと思うんだ。結構冷気を操って何かを作るのは得意だから、出来ない事は無いはずだと思う」
肩を落すチルノを庇うように説明を継げたし、どうだろう?と妹紅が首を傾げる。
それを見遣れば、なるほど……と頷き
「なら、とりあえず冷気が全く出ない状態を体で覚えるのが一番早いんじゃないか?」
「と、いうと?」
首を傾げ先を促し、チルノもまたきょとんと見上げる。
そんな二人を見て、簡単だ、と肩を竦め
「チルノが疲れ果てて能力が出なくなるまで全力で力を発動させる」
「随分と荒っぽいな……」
思わず妹紅は眉を顰めれば、確かにな、と苦笑を浮かべる。
「だが、一番確実な方法ではあると思うぞ?」
「まぁ、な……後はチルノ次第だが……」
「あたいやるよ!」
皆まで言わせず。
意気揚々と握りこぶしを作り、チルノは二人を見上げた。
「文が冷たくならないなら、あたい頑張るよ!」
「だ、そうだぞ。妹紅?」
「なら、とりあえずその方向性で行ってみるかね……」
やる気十分なその姿に、妹紅と慧音は顔を合わせれば微かに笑いあう。
恋人の為、なんていう甘酸っぱい理由で頑張ろうとするのが微笑ましかったからなのだが、ニヤリ、と妹紅は口元に笑みを浮かべ、さてさて、とわざとらしく声をあげ
「じゃあ私はチルノの特訓に付き合うから、雪掻きはちょっと外すぞ?慧音」
「こら待て妹紅。お前、最初からそれが目当てだったのか……?」
飄々とサボタージュ宣言をした友人を、ジト目で見詰める。
だが当の本人は、いやいや、と笑みを携えたまま手を振り
「友人が困っているならそっちを優先させようというだけさ……じゃあ、とりあえず空き地にでも行くぞ?チルノ」
「うんー!」
「あ、おい!……まったく」
立ち上がり、早々に雪山から降りていった妹紅がチルノに声をかけ、その赤いもんぺを追って妖精も飛翔していく。
ただ一人山頂に残され、やれやれ、と肩を落して立ち上がると、既に角の道に姿を消した二人の後を追うためにノンビリと下山し始めた。
文は人里へと向けて全力で飛翔していた。
とにかく、最大の懸念であるチルノが魔理沙と遭遇していない事をただ祈りながら、彼女が居そうな可能性の高い場所を片っ端から潰していくつもりだった。
「間に合って下さいよ―――っ!?」
冷たい空気が吹き抜けて、頬や耳がちぎれんばかりに痛かったが、歯を食いしばりただただ人里を目指す。
自宅に置き忘れてそのまま持ってきてしまった生物兵器こと笹団子が、パタパタと風に煽られて鳴っているのを聞きながら、焦燥に駆られていた。
夏、秋と魔理沙が関わった為に面倒な事になっている。
もしも、再びその介入を受ければまた何か酷いこと起こると心の何処かで確信していた。
(とにもかくにも、早くチルノさんを確保して、謝罪して―――!!)
早急に終わらせる為なら、土下座でも何でもしよう。
そんな決意を胸に空を疾駆していれば、ようやく遠目に人里の家々の屋根が見えてきた。
どうやら雪下ろしをしているのか、何人かの人間が屋根の上を動いている。
あの中に目当ての人はいるだろうか?
そんな思いを抱え、目を細めて目的の人物を探していると―――
「そこまでよ―――」
「―――え?ぅわぁ?!」
凛と響いた声に一瞬呆気に取られたら、突如として雪のように白い弾幕に襲われた。
幾重もの横一線に並んだ弾幕が眼前に迫るのが見えれば、見覚えのあるそれに目を見張る。
翼で飛行ルートを制御し、錐揉みしながら弾幕を掻い潜りながら思わず叫んだ。
「今の弾幕は―――レティさんですか?!」
「あら、ご明答。さすがね」
弾幕を切り抜け、なんとか体勢を整えながら声を上げると、ぱちぱち、と手を叩きゆっくりと距離を詰めてくる影。
髪を覆う白い帽子に銀世界に目立つ濃い青の服。
白いマフラーを棚引かせ、悠々と空に佇むのはレティだった。
その姿を見て、思わず頬が引き攣った。
まさか、もうチルノさんはレティさんに全てを話したんじゃ―――
既に何度か手合わせをする羽目になっていたが、どうにもこうにもチルノが関わるとレティは無駄に強かった。
勿論、本気を出せば負けることはないが、そもそもそれほど好戦的という訳でもなく、更にはチルノの保護者的立場にいるレティとは出来るならば戦いは避けたい、というのが本音だった。
背筋が寒くなるを感じながら、いやはや、とレティに言葉をかける。
「今年に入って既に二回も見せつけられてしまいましたからね……嫌でも覚えますよ?」
「そう、なら今日で三回目になりそうね?」
一定の距離を保って止まれば、正眼に捉えられたまま何でも無いようにレティは言い放つ。
いわば宣戦布告のその台詞に、思わず目眩を覚えた。
「いやいや―――レティさん?ここはもっと友好的にいきませんか?」
「あら、そうはいかないわ?チルノに、貴方が近付かないようにしておく、って約束しちゃったもの」
「なんてことを―――」
最悪のパターンその1は既に入っていた、と思えば頭を抱えた。
これでは強行突破以外の道が無い。
しかし、ここでレティが待ち構えているということは、この先にチルノがいる、という証拠でもあった。
「……笹団子上げるので行かせてくれませんか?」
「ダメね。それに私、笹団子そんなに好きじゃないし」
ダメ元で手にぶら下げていた笹団子を差し出してみたが、きっぱりと跳ね除けられた。
桃太郎はどうしてキビ団子で買収出来たんだろうか、等とどうでも良いことを考えていたが、しょうがない、と腹を括った。
「どうしても、チルノさんに会わなくちゃいけないんです」
「でも、チルノは貴方に今、会いたくないそうよ?」
「それでも、です。私が悪いんですから、ちゃんと謝らなくては私の気が許しません。それに魔理沙さんの介入を受ける前に終わらせたいんです」
「貴方の事もあの白黒人間の事も関係ないわ?しつこい恋人は嫌われるわよ?」
話は平行線を辿る。
どこかピリピリとした空気が張り詰める中、押し問答を繰り返し、目を細めた。
「退いては―――くれませんよね?」
「ええ、その気は無いわ」
「なら―――本気でいきますよ?」
ざわり―――
空気の質が変化した。
レティを見据えたまま内ポケットから数枚のスペルカードを取り出す。
天狗は、幻想郷において強大な力を持つ妖怪である。
その本気ともなれば、多くの者は正面から戦いたいと思うはずもない。
「ええ、その方が早く済みそうね」
しかしレティは余裕とも取れる静けさを保ったまま、同じように数枚のスペルカードを取り出す。
その姿に僅かながら不信感を感じると、ふふふ、と眼前の敵は妖しく笑い。
「今日の貴方は、私に勝てないわよ―――?」
「……随分と自信有りのようですが……私も負けられないんですよ」
そう。
こんなところで時間を使ってる暇は無いのだ。
すぅ、と1つ息を吐き出し、全神経を集中させると、二人は同時に叫んだ。
「「勝負ッ!!」」
声が冬の空に響き、展開される弾幕。
大三次嫁姑戦争の火蓋が、切って落とされた―――。
「……慧音、これは……」
「あ、ああ……少し、予想外だったな……」
人里の空き地にて。
妹紅と慧音は呆然と空を見上げていた。
いや―――正式には、眼前に何本も聳える高さ10メートルを超える槍のような氷山に。
「えと……いつまで作ればいい?」
「……ああ、もういいぞ、チルノ」
それを作った張本人は、息一つ乱していない。
手のひらに集中させていた冷気を消すと、改めて二人を振り向いてきょとん、と首を傾げた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……なぁ、チルノ?お前今どんな感じだ?」
「? どんな感じって……?」
「こう、疲れたとか」
「ううん、ぜっこーちょーだよっ!」
「……お前本当に妖精かよ」
がっくり、と肩を落として改めて眼前の景色を眺める。
透明度の高い氷の柱が幾重にも乱立し、それなりに広さがある空き地は殆ど氷山で埋まっている。
実際に逝く事はないだろうが、地獄の針山っていうのはこんな感じなんだろうな、とぼんやりと眺めていた。
「ふむ……これは、やり方を変えたほうがよさそうだな」
「えと……なんか、あたいまずい事した……?」
「ああ、そうじゃない。私と妹紅の予測が甘かった、というだけだ」
顎に手を当て、うむ、と1つ頷く慧音と心配顔のチルノのやり取りを見ながら深い溜息を吐いた。
氷の妖精だから冬になれば力が強くなる、という事は考慮していたもののこれは想定外だった。
(もうこれ、下手な妖怪より強い、よな……)
とりあえず、この眼前に聳え立つ氷壁をどうしたものか、と見ていたらポン、と肩を叩かれる。
「と、いう訳だ。妹紅」
「……は?どういう訳だよ」
なんだ?とそちらに視線をやれば、どことなくいい笑顔を浮かべた慧音の顔。
その表情に背筋が薄ら寒くなるのを感じながら、どういうことだ、と尋ねれば
「とりあえず、君の能力でこの特訓するのに邪魔な氷を全部蒸発させてしまってくれ」
「え゛っ?!ま、待て!私一人でか?!」
「能力を考慮すれば、当然だろう?ああ、そうそう水浸しになるとまた明日凍結してしまうから、一瞬で蒸発させてくれよ?」
にこにこ、と。
どうやら先ほど早々に雪掻きのサボタージュを宣言したことを若干根にもたれてしまっているようだった。
ひくひく、と頬が引き攣るのを感じながら、マジか、と小さく呟き改めて氷の壁を見上げる。
何度見ても、馬鹿げた高さだった。
「とりあえず、チルノ。お前の能力の強さは分かった。私の考えた方法では無理そうだが、妹紅の言う通り集中力を高めれば、その冷気を抑える事は恐らく可能だ」
「本当?!」
「ああ。とりあえず妹紅がこの氷を処理するまで時間が掛かるから、その間で構わないから雪掻きの手伝いをお願いしていいかな?」
「うん、いいよっ!雪だるま沢山作るよ!!」
「こらこら、雪だるまじゃなくて雪掻きだぞ?」
ポンポンと進む話しを蚊帳の外で聞いていれば、わいわいと言いながら雪掻きへと借り出された小さな背中を横目で見送る事となる。
「…………」
一歩。
太陽の熱を受けても一切溶ける気配の無い氷壁へと近付けば、ノックするように手の甲で叩くとコンコンッという鈍い音。
スイカであれば中身がギッチリ詰まった良い音かもしれないが、生憎と目の前にあるのは何処までも分厚い氷である。
「……楽をする筈だったんだがな……」
ポツリ、と呟けば雪掻き以上に厄介そうな氷の処理を思って、はぁ、と深い溜息を吐いた。
だが、ため息一つで氷が溶ける訳でもなく。
やれやれ、と眉を顰めて軽く腕捲りをすれば、氷壁に掌を翳した。
「しゃあない―――やるか」
力を込め、手のひらに松明程の灯火を発生させると、ジュッ、という音と共に即座に溶けていく氷の壁。
それを見詰めながら、不敵な笑みを浮かべた。
文は、雪原に横たわって呆然と空を見上げている。
背中に感じる冷たさとか、やるせなさとかにデジャブを感じさせられていた。
チルノとの対戦で敗北した時と唯一違う事は、手にしている笹団子の包ぐらいだろう。
「……そんな馬鹿な」
青い空を見上げながら、信じられない、と思わず声が出る。
弾幕ごっこ開始から3分後。
何故か手も足も、更にはスペルカードすら出ることなく、レティに敗北を喫した。
第三次嫁姑戦争の勝者は
「ほらね?分かったらしばらく大人しくしていなさい」
と言って、早々に何処かへと立ち去ってしまっており、白銀の世界には今ただ一人だった。
「……え?何で?」
何処までも静かな世界に答えを求めるように疑問が口をついて出た。
それは、本来格下の妖怪に手も足も出ずに負けた、という以上に―――
「何でスペルカードが発動しないんですか……?」
何故かレティとの弾幕ごっこ中、スペルカードが発動しなかったという一事に尽きる。
本来ならあるはずがないその現象に気を取られている内に、一方的に弾幕を叩き込まれてしまえば勝敗の行方など火を見るより明らかだった。
寝っ転がったまま手に収めていたスペルカードを眺めてみる。
持ち主を裏切り、その能力を発動させなかったカードは見たところ至って普通だった。
「一体何なんですか……」
「それは私が白黒つけたからです」
「へ?」
ひょっとしてレティが何かしらの細工をしたのだろうか?と考えたが、そんな事が出来る筈もない。
兎に角訳が分からない事態に頭を悩ませていると、声と共にぬいっと空を遮るように出てきた影。
何事かと、目を丸めて見上げると、特徴的に片側だけ伸ばされた緑色の髪にヒラヒラと揺れる紅白のリボン。
一見、何かの絵にも見える文字が描かれた小さな卒塔婆のような木の棒を手に、寒さの為かカタカタと小刻みに震えるその姿は―――
「はぁ?!閻魔様?!」
「はい、四季映姫ヤマザナドゥです。お久しぶりですね、鴉天狗の射命丸文」
楽園の最高裁判長にして死者の裁断者。
白黒はっきりつける、という特異な能力を有する、閻魔である四季映姫、その人だった。
慌てて起き上がり、正座をして居住いを正しながら疑問に思った。
白黒つけた、という事はどういう事か?と。
すると、その疑問を察したようで、いえね、と映姫は手を振り
「レティ・ホワイトロックに頼まれて、あなたのスペルカードが発動しないようにしました」
「ああ、なるほど―――って、何でですか?!意味が分かりませんよ、閻魔様?!一体どうしてそのような事をされたんですか?!」
それでスペルカードが発動しなかったのか、と納得したものの、何故そのような目に合わされたのか分からず閻魔へと食ってかかる。
だが、相変わらず寒さでカタカタ震えながら、決まってるじゃないですか、と映姫は肩を竦めてみせる。
「空き時間を利用して、説教しに来たんですよ」
「それで何故私のスペルカードを封じる必要があるんでしょうか?!」
「分かりませんか?」
「一切合切、全く分かりませんよ!」
やれやれ、と態とらしく溜息を吐きながら、ご覧なさい、と映姫が人里を指さした。
「皆、雪掻きをしてます」
「……いや、そりゃ雪が積もってますからね……」
その指の先では、遠目からも未だに雪掻きに精を出している人々の姿がある。
そんな当たり前の事を何を突然言い出したのだろうか?と若干目の前の閻魔に不信感を抱いていると、そうです、と頷き
「つまり説教しに来たはいいものの、皆忙しそうで説教する相手が居ない、ということです」
「……は?」
「冬ですからね。活動的な妖怪も殆ど居ません。ただ寒い思いをしただけかと諦めていたら、レティ・ホワイトロックに遭遇したのです。そして彼女は、弾幕ごっこにおいて貴方の能力を封じる事を条件に、大人しく説教を受けてくれた、という事です」
「はぁぁぁぁ?!!レティさん、なんつー隠し球用意してるんですか?!」
「序に勝負が決まった後は、貴方に説教しても構わない、と言われました」
「無茶苦茶だよっ?!」
「折角寒い思いをしたんですから、やはり一人でも多く説教をしたいじゃないですか」
しれっと話す閻魔を愕然と眺める。
とんでもないドーピングを用意していた冬の忘れ物を想えば、フツフツと怒りにも似た何かが湧き出してもくるが、更に勝手に閻魔からの説教リストに載せられた、という事を考えれば正に踏んだり蹴ったりだ。
「―――っていうか、閻魔様もともとお地蔵さまですよね?!何で寒いんですか?!」
「貴方は地蔵を何だと思ってるんですか?石で作られ、自らを暖める事すら出来ない、いうなれば究極の変温動物ですよ?」
「まず動物じゃないですよね!ってツッコミを入れるべきなんでしょうか?!」
「射命丸文。貴方だって笠地蔵の昔話くらい知ってますよね?」
「え?あのお祖父さんが、寒そうだからとお地蔵さまに笠を掛けたら、その日の夜に沢山の食べ物をお礼に届けに来る、っていうあれですか?」
「ええ、それです。寒いのが苦手でなかったら、笠かけられた位であんなに恩返しするわけ無いじゃないですか」
「良い話が何だか台無しだっ?!」
思わず地面に両手を着いた。
感動を返せ!?と心で叫んでいると、ゴホン、と態とらしい咳払いが聞こえ
「では、射命丸文。貴方は今、何かに悩んでますね?」
「え―――説教始めるんですか?唐突過ぎませんか?」
「まぁ、寒いのでさっさと終わらせたいのですよ。さぁ、ちゃっちゃと悩みを告白なさい」
「そんなに面倒ならやらなきゃいいじゃないですか?!」
「む……。そうですか、大人しく喋りませんか。なら、致し方ありません」
どうにも乗り気じゃないままやる気を出した相手を正直、馬鹿かこの人と思ったが、映姫が仕方ないと称してゴソゴソとポケットから取り出された手鏡を見て、ピシッ、と音を立てて固まる。
「と、言うわけで浄玻璃の鏡です」
「閻魔様、最近私、プライバシーについて思うところがあるんですよ」
「そうですか、それは善い事です。ですが閻魔の前で個人情報なんてもの世界恐慌後のマルク紙幣ほどの役にも立ちません」
過去の行いの全て明かす、閻魔が持つ道具、浄玻璃の鏡。
本来、裁判の時に使うそれを翳して過去を覗き見る閻魔を見て、流石は地獄の長だよ、と絶望感が溢れる視線で抗議をしてみたが、当の映姫自体はどこ吹く風と時折ふむふむと頷き―――
「―――はい、分かりました」
「私が分かったのは寒さは閻魔様をぶっ壊すっていう新事実だけですよ……」
今度いつか記事にしてやろう決意を新たにしていたら、そうですね……とそれまでの声色とは違う、落ち着いた声で映姫が喋り始めた。
「天狗と妖精の恋。中々難しい物ではありますが、実際どうなのですか?」
「ええと……どう、とは?」
「いえ、ですから。射命丸文、貴方は今、幸せですか?」
「そ、れは勿論です。今現在は何ともお答えし辛いですが、私はチルノさんと一緒にいれて幸せです」
突然の変化に戸惑いつつ、それだけは間違いないと頷けば、ほう、と映姫が小さく声に出す。
「知人からはその見た目の差異を揶揄され、社会にはその規範を外す行いとして必死に隠しているにも関わらず?」
「それは……言われるのは慣れますし、天狗の社会にバレたくないのは、チルノさんの安全を考えて―――」
「『社会に生きる』という事は『規範に殉ずる』ということです」
凛とした声が響きわる。
静かな、そして一切ぶれることのない強い視線で貫かれ、思わず息を呑んだ。
「規範を外す、という事は社会から外れる事に等しいのです。しかし貴方は、規範を外しながらも社会から外れる事を恐れている。勿論それは貴方の恋人である妖精に対する思慮故という事もあるでしょうが、それだけではありませんね?」
手鏡をポケットに仕舞いつつ、映姫は視線を一切外さないままにスっ―――と目を細めた。
「そう―――貴方には少し、覚悟が足りない」
悔悟の棒で口元を隠し、淡々と告げるその内容は、文の心に衝撃を与えるには十分な物だった。
「立場の違う恋が一般的に成就しないのはその周囲からの目、つまり環境に由来します。
それは個人の思いで変える事が出来るものではありません。
世界が変わらないのであるならば、貴方が変わらなくてはならない」
呆然と。
ただ呆気に取られて見上げたまま言葉を発することの無い文へと、楽園の最高裁判長は悔悟の棒を突きつけ、厳粛な声で判決を言い渡した。
「このまま事実の露見を恐れ、ただひた隠すというのであれば間違いなく貴方も、あの妖精も覚悟無さ故に癒えぬ傷を負うことになるでしょう。
喜びや嬉しさといったものだけが愛や恋ではありません。
苦しみや辛さ、貴方が愛する者を愛したいというのであるならば、百の憎悪を一身に受けるとしてもその全てを受け入れる覚悟がなくてはいけない!」
「………何をやってるのかしら?」
文を撃破した後。
チルノの様子を見る為に人里へと向かった。
何処で何をする、といった情報は一切なかったが、空を飛んでれば案外見つかるだろう、と楽観的に考えていたら実際直ぐに見つかった。
何故か雪が完全に消失し黒い土が所々むき出しになっている空き地。
そこに二つの影を見つけ、迷うことなく降り立った後に発した言葉が先のあれであった。
「何、と言われてもな……見たままだと思うが」
地面に座り、片手に拳大の雪玉を丸めながら、不思議そうに首を傾げたのは妹紅。
チルノを介して知り合った二人だが、レティはそんな知人を不審者を見るような視線で見詰めた。
「見たまま………ねぇ?」
ぼんやりと呟きながら、改めて周囲を見渡してみる。
まず、チルノだが座禅を組むように地面に腰を下ろしている。
静かに、言葉を発することも無く、右手、左手、そして頭に水を張った杯を載せて集中するように目を閉じている。
その状態で、少なくともレティが到着しても微動だにせず固まったままだ。
一見しただけでは全く意味が分からない。
普段のチルノの言動がそのまま体現したかのような目の前の光景に、思わず頭を悩ませた。
更に問題なのが、その周囲だ。
座り込むチルノを中心に掌サイズの雪だるまが、何十体と乱立しているのだ。
しかも、今なお妹紅の手でコロコロと転がされて作られた雪の玉によって、その数は着々と増加している。
ついでに、少し離れた場所には人の大きさの数倍はある高さの特大雪だるまが鎮座していた。
「……悪魔でも召喚するのかしら?」
「いや、なんでだよ」
若干儀式めいたものを感じ素直に告げれば、何故か妹紅が呆れ顔で眺めてくる。
その様子に、若干ムッとしながら肩を竦めた。
「じゃあ一体何でチルノは三つ杯を乗っけてその周囲を雪だるまで囲っているのか、明確な答えを教えてくれるかしら?ついでにあの馬鹿みたいな大きさの雪だるまについても」
「デカイ雪だるまは雪掻きと称したチルノの作品だよ。他は、まぁ、なんというか……一言で言えば、修行だな」
よいせ、と声に出して立ち上がる妹紅に、どうゆうこと?と首を傾げる。
「そんな難しい事じゃないさ。三つの杯に水を満たして指定した一つだけを凍らせる。もしも他の杯の水も凍ったら失敗だ」
「それが修行なの?」
「ああ。そうやって細かく特定の場所に冷気を出す事を繰り返して、制御の方法を覚えるって訳だ」
なるほど、と頷きチルノへと視線を遣る。
静かに目を閉じたまま、会話など耳に入っていない様子で相変わらず集中していた。
耳を澄ますと、キシッ、キシッ、と氷がゆっくりと張っていく音が聞こえる。
「つまり、反復練習って事かしら?随分と気が遠くなりそうだけど……」
「それが何でか知らんがチルノの飲み込みが大分早くてな……力は馬鹿みたいに強くなったし、どうかしたのかと不安になるくらいだ」
そう言いながらも、ニヤリ、と楽しそうな笑みを浮かべた妹紅を見て、はぁ、と深い溜息を吐く。
「“愛の力”とでも言いたいのかしら?」
「“お母さん”としては複雑な心境かな?」
「今まで居た存在が手元を離れていくというのは中々面白くないものよ?貴方に諭すまでもないでしょうけど」
「それはまた手厳しい一言だ」
思わず苦笑を浮かべる不老不死の少女を、それより、とジト目で見詰める。
「その雪だるま達は一体なんなの?」
「ん?ほら、ちゃんと集中出来ているか、敢えて気を散らせるような事をしようかと思ってだな―――」
「建前はいいから、本音は?」
「―――いや、暇だったんで、つい」
「そんな事だろうと思ったわ」
やれやれ、と肩を竦めると、妹紅は居心地悪そうに苦笑を浮かべれば、それより、と無理やり話題を変えた。
「さっき外で弾幕が見えたが、あれ、レティのだろ?相手は?」
「まったく……もう一人の当事者よ」
「ほー……こうしてレティがここに来たって事は、勝ったって事だよな?」
「ええ、ちょっとズルはしたけど、ね?」
「やれやれ、妖精に負けたり普通の妖怪に負けたり、天狗の株が大暴落だな」
「そうね。きっと今頃ありがたい話を聞いて、テンションも大恐慌になってるんでしょうけど」
「ん?ありがたい話……?」
一体何が、と不思議そうに首を傾げる妹紅に肩を竦めた。
きっと今頃、閻魔による説教も終わっている頃だろう。
人妖関わらず説教を行う彼女の手によって、今頃こってりと絞られたはずだ。
(私も、散々言われたしね……)
数刻前の説教を思い出せば、ふぅ、と溜息を吐いた。
噂では聞いていたが、あそこまでズバズバと言われるとは思っていなかった。
オブラートに包むなんていう生易しさの欠片もない、投げかけられた数々の直球を思い出せば自然と苦笑を浮かべてしまう。
「どうかしたのか?いきなり笑い出して」
「……いえ、ただ当分死にたくないと思っただけよ?」
「? なんだそれ」
一人で笑って納得する様子を妹紅が不審気に見詰めてきたが、用が済めばクルリと背中を向けた。
「さてと……ここに居てもチルノの邪魔になるだけでしょうし、そろそろ行くわ」
「ん?何か用事があるのか?」
「ええ。もう一人の当事者のことも、それなりには気にしてるのよ、私は」
「そうかい……色々と大変だな、お母さん」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
顔だけで振り返り、ふふ、と笑みを浮かべると、タンッ―――と足で地面を蹴り上げ、飛翔する。
空へと舞い上がると、背後から、やれやれ、と妹紅の態とらしい声が聞こえた。
「よっしゃあ!出来たよっ!」
「―――ん?ああ、右手だけで氷を作るの終わったか」
「うんっ!はい、これ!」
レティが去って直ぐ。
今までの会話すら耳に入らぬほど集中し、ようやく氷結を終了させたチルノが喜びの声を上げた。
頭に杯を乗せているため殆ど動くことなく差し出された右手の杯を受取り覗き込むと、うん、と頷いた。
「ちゃんと出来てるな。頭のは―――凍ってない、と。それで、左手の方はどうだ?」
「え?えっと……あ……」
「ん?どうした」
しょんぼり、と。
途端に元気を無くした様子に首を傾げると、ゆっくりと差し出される左手の杯。
それも受け取り水面を覗き込むと、うっすらとだが表面に氷が張っていた。
「あー……やっぱり右手で能力を扱うと、左手も勝手に冷気が出てくるか」
「うー……逆ならちゃんと出来るのに……何で?」
「多分利き手の問題だと思うぞ」
「利き手……?」
「ようするに、だ。チルノは右手の方が器用だって事だ」
それぞれ凍りついた杯を両手に持ち、ゆっくりと両手に力を込める。
燃え上がるような炎では無く、夏の陽気のような暖気を発生させて、凍りついた水をゆっくりと溶かす。
段々と融解していく氷を見ながら、順調だな、と静かに頷いた。
「うぅ……やっぱり、無理なのかな……」
「何言ってんだ。最初は全部かっちんこっちんだったじゃないか。少なくとも頭のは凍ってないんだし、ちゃんと上手くなってきてるから、そう焦るなよ」
「……本当?ちゃんと出来てる?あたい」
「ああ、大丈夫だ。私を信じろ」
「……うんっ!」
肩を落とし、しょげているチルノを安心させるように言葉を掛けた途端に浮かんだ笑顔に、よし、と頷き
「じゃあ、次やるぞ?」
「ぅえ、もう……?」
慣れない集中を持続させるという行為に、既にかなり限界に近いらしく、げぇ、と顔を顰める。
けれども、何を言ってるんだ、と笑みを浮かべ氷がすっかり水へと戻った杯を再び差し出した。
「そんなんじゃ、いつまで経っても天狗に冷たい思いをさるだけだぞ?掴みかけてきてるんだから、後はコツさえ分かれば完全に制御も出来るだろうさ」
「うぅ……もこう、厳しいよ……けいねみたいだ……」
「ほらほら、無駄口はいいから頑張れー」
渋々と。
両手で二つの杯を受け取れば、再び目を閉じて集中し始めるチルノ。
それは、本来、自由勝手気ままに生きる妖精としての姿とは、かけ離れているものだ。
そんな姿を見て、ハハッ、と笑って小さく呟いた。
「愛の力、ね。本当に偉大なこった」
「…………」
文は、人里の入口が見えるほどの場所に生えている大きな楠の下にいる。
無言で、人の出入りが殆どないその入口を見ながら、無意識に笹団子を手の中で弄っていた。
説教を終えた映姫は「何が貴方の積める善行か今一度考えることですね」と一言残して早々と去っていった。
最後まで寒そうにカタカタと震える姿を見送り、雪の上で正座したまま呆然と告げられた言葉を反芻していた。
だが、いい加減足が冷たくなり、とりあえず当初の予定だった謝罪の為に人里近くまで来るだけ来ていた、のだが。
人里への訪問者を受け入れる為の入口が見えてくるにつれ重くなる足取り。
結局、それが見える場所で足は止まってしまい、ただただ躊躇いが心を占めていた。
「……私は、覚悟が足りていなかったのでしょうか……」
ポツリ、と零れた言葉。
一方的に告げられた映姫の言葉が頭の中を幾度となく駆け巡っていた。
ぐにぐにと、揉みほぐすように笹団子を握りながら戸惑い気味に目を伏せる。
妖精との恋、という物に誰よりも戸惑ったのは文自身だった。
若干流されるままにチルノの告白を受ける形となってしまったが、それが如何に壁の高いものであるかという事を誰よりも自覚していたからこそ、覚悟は決めていたつもりだった。
妖精だとしても、彼女を好きになった。
それでも天狗を辞める事は出来ない。
で、あるならば。
天狗として、妖精である恋人を守る為に出来る最善を考えた答えが、天狗の社会への可能な限りの隠匿であったはずだった。
「…………」
屋根の雪をスコップを使って軒下へと投げ声を上げている人の姿を遠目に見ながら、改めて思い返す。
無理をしていない、とは思ってはいなかった。
“決して知られる事があってはならない”と常に張り詰めた糸のような緊張が緩み、遂に今日、彼女の事を拒絶するような行動をとってしまったのだから。
それでも、その無理で色々な物を守れると信じていた。
だが―――
「憎悪すら、全てを受け入れる覚悟―――か」
彼岸の裁判長に告げられた。
その無理で必死に隠そうとしたものを受け入れろ。さもなくば文自身だけでなく、チルノもまた癒えぬ傷を負うだろう、という言葉。
勿論、いつまでも露見を防げる、等という都合の良い事を考えていた訳でも無かった。
隠すからこそ、誰かに見つけられてしまうものなのだ。
いずれは解決せねばならぬ問題。
ただ、最高の答えが未だ得られていなかったからこそ、それを先延ばしにしていただけだった。
「私はどうするべきなのでしょうね……」
答えを求めるよう、何処までも晴れ渡っている空を見上げる。
夏とも秋とも違う雲一つ無い澄んだ空は迷いが生じた心とは相反するものだった。
眩しく感じる空に眉を顰める。
最善と考えていた事を否定された事で、何がチルノの為に出来ることなのか分からなくなった。
恋人として、自分がどうあるべきなのか―――と。
「あらあら。やっぱり物思いに耽ってるわね」
「……その声はレティさんですか」
「ふふふ、流石にバレるか」
背後からの声に振り返ると、木の幹に半身を隠すようにしているレティがいた。
まるで悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべる冬の忘れ物をジト目で眺めながら、それで?と尋ねた。
「そんなところで何をしてらっしゃるんですか?」
「貴方がちゃんと約束を守ってくれているかどうか確認の為よ?」
「約束も何も……あんな閻魔様(反則技)を使っておいて良く言いますね」
「悪いけれど、最終的に勝てれば良かったからね、今回は」
まったく悪びれた風の無い様子に、はぁ、と深い溜息を吐いた。
その様子をクスクスと笑いながら眺めていたレティだったが、一通り笑い終えると、ふと人里へと視線を遣る。
「チルノは今、不死の友人と修行の真っ最中よ?」
「修行……?まさか、本当に暖かくなろうとしてるんですか?」
「より正確に言うと、冷気を制御出来るように目指してるみたいだけどね?」
「……相変わらずチルノさんは一直線ですね」
何処までも真っ直ぐに進む恋人の姿を思い浮かべ、苦笑する。
その愚直なまでの素直さに惹かれたのだが、今はそれが羨ましくもあった。
もしも彼女が自分の立場ならばどうするのだろう―――そんな不毛な考えすら頭を過ぎったが、それを追い払うようにフルフルと首を振った。
「それより、中に入ろうとはしないのね。約束を守っている、って訳ではなさそうだけど?」
「……ちょっと色々と思うところがありましてね」
「閻魔様からの有難いお言葉かしら?」
「まぁ……そんなところです」
歯切れの悪い返答に、ふぅん、とレティは含み笑いを浮かべるとゆっくりと隣まで移動し、まるで興味無さそうに尋ねる。
「一体何を言われたのかしら?」
「……そういうレティさんこそ、閻魔様の説教を受けたんですよね?なんて言われたんですか?」
「質問を質問で返すとは良い度胸ね。まぁ、そうね……『貴方は子離れが出来なさ過ぎる』って言われたわ」
「まんまじゃないですか……」
「あの子の事が好きなのは、何も貴方だけじゃないのよ?」
「……え……?まさかレティさんもロリコ「違うわよ?」」
疑いの眼差し浮かべると、間髪いれず否定された。
というか、と苦笑浮かべ見つめ返され
「それだと貴方、自分の事をロリコンだって認めてるようなものだけど?」
「あんな毎回毎回色んな人から言われ続ければ自分の性癖だって疑いますよ」
げんなり、と。
愚痴を零すように呟けば、やれやれ、と冬の忘れ物が呆れたように肩を竦めた。
「記者は客観的に物事を見るのが仕事かもしれないけど、それは感心出来ないわね。大体、チルノは本気で貴方を好いてるわ。それをそんな言葉で汚して欲しくないものね。貴方だって、ロリコンだからチルノを好きになった訳じゃないんでしょ?」
「分かってますよ、それくらい……。好きになった人がロリだっただけです」
「……なんか私が求めてる言葉と違うわね」
無駄にネガティブスイッチが入った文だったが、励ましのような言葉を受けている事に気付けば、ん?と首を傾げる。
母親のような立ち位置にいるからこそ、嫌われていると考えていた。
ならば、何故彼女は今ここに居るのだろうか?
「……本当に、なんでレティさんは此処に?私、てっきり嫌われてるものだと思ってたんですが……」
「別に嫌ってはいないわよ?特に好きでもないけれど」
「でも、今年の冬だけで、何度も弾幕戦やりあったじゃないですか」
「まぁ、そうね。確かに最初は行き成り“恋人が出来た”って言われて驚いたし、八つ裂きにしてやろうかと」
「あ、ごめんなさい、やっぱいいです」
「? 冗談よ?」
きょとんと首を傾げる姿を見て、ははは、と乾いた笑い声を上げる。
「いやー何故か全然そうは聞こえませんでしたが?」
「あら、本当よ?そんな事をすればチルノが悲しむじゃない。あの子が嫌だという事はしないわ」
当然のように言い切られると、はぁ……と曖昧に頷きながら疑問が湧いてくる。
「レティさんは何でそんなにチルノさんを大切にしてるんですか?」
「大概は貴方と一緒だと思うけれどね」
「……え?」
「いきなり弾幕勝負を挑んできたり、そうかと思ったら遊びに付き合えとせがんだり。すぐに泣くし怒るし、最初は本当に鬱陶しかったわ。冷気をただ操るだけの“妖精”だしね」
懐かしむように頬を緩ませて語られる思い出話を耳に傾け、へぇ、と文は小さく呟いた。
今やチルノにぞっこん(?)な冬の妖怪も、一時は妖精である彼女を忌諱していたのか、と。
「ただ、冬は寒さだけで生産性の無い季節。その季節の妖怪である私は、基本的にどこでも嫌われ者」
でもね、と可笑しそうに笑った。
「そんな私を“友達”だといって、面倒な程に懐いたのはあの子が初めてだった」
「…………」
「ただ、それだけよ」
何でもない事のように言い切る姿に目を丸める。
何か特別な事があった、という訳ではなかった。
ただ、その愚直なまでの素直さに惚れたという一事がどこまでも共通していた事に、驚きを隠せなかった。
「―――レティさんは」
だからか、自然と言葉が口から出ていた。
「そんなチルノさんの為に何をしてあげられるんですか?」
「そうね………可能な限りあの子が本気で嫌がる全てを排し、本気で求める全てを与える。それが―――」
一切の迷いの無い、冬の空のように澄んだ瞳でレティは告げた。
「ただ一人の友達に対して、私が出来ることだわ」
距離にして1メートルもない。
文は、その近距離に居る相手との絶望的な程の距離感を感じさせられた。
社会に属さぬ、という言い訳など出来ない。
一介の妖精の意思を完全に尊重するというその覚悟は、人が、アリが歩む先にある全ての石を取り除くという宣言に等しいのだから。
彼岸の裁判長から告げられた、今見失ったままだったその覚悟をまざまざと見せつけられた思いだった。
「まぁ、何故だか知らないけどチルノが冷気を制御出来るようになるまで、そんなに時間はかからない見込みらしいわ。貴方も悩みが解消するまで、大人しくしていなさいな」
ふわり、と。
何も言い返す事も出来ずにいると、レティは全てを悟った、まるで子を見守る母親のような笑みを浮かべた。
「……何をやってるんだ?」
奇しくも数刻前、レティが思わず呟いた台詞と同じ物を慧音は呟いた。
そろそろ夕方にも近づき、青かった空も陰りを見せ始めている。
良い時間、という事もあり本日の雪掻きも無事終了し、途中から戦力外となった二人の知人の様子を見に来た最初の一言がそれであった。
「…………」
眼前の空き地。
馬鹿みたいに大量の小さめな雪だるまが乱立しており、更には人の女性―――確か普段質屋の番頭をやっている妙さん(推定30歳)の左手を妹紅が、右手をチルノが握り締めており、当の妙さんは目を瞑ってジッとしている。
「おお、慧音。丁度いいところに」
「妹紅……むしろ何だか邪魔をしてしまった気分になったよ」
ナイスタイミングだ、と朗らかに笑う友の手は相変わらず妙さんの左手を握り締めている。
やれやれ、と痛む頭を抑えるように眉間をグリグリ揉んでいると二人は握っていた手を離し、妙さん(推定30歳)が目を開け、んー……と難しそうに首を捻る。
そんな様子を見て、ねぇねぇ、とチルノが今まで掴んでいた手を引っ張ると、緊張した面持ちで尋ねた。
「どうだった……?」
「そうねー……やっぱり妖精さんの方がちょっとばかし冷たかったかしら」
「そっか……」
苦笑を浮かべ視線を合わせるように若干腰を落としながら告げられた言葉に、途端にしょんぼり、と肩を落とす。
そんなあからさまな気落ちする姿に、でも、と質屋の店主は笑って告げる。
「触っているのが嫌というほどじゃ無かったわよ?」
「本当……?」
「ええ、本当。それじゃあ、そろそろ店に戻らなくちゃいけないから、またね?妖精さん」
「うんっ!ありがとうっ」
ブンブン、と。
去っていく後ろ姿に力いっぱい手を振るチルノに対して、ばいばい、と手を振り返す店主。
そんな妖精と人とのハートフル劇場の最後の5分だけを見た気分の慧音は妹紅へと近づき、ちょいちょい、とその腕を突っついた。
「妹紅。結局一体今のは何だったんだ?」
「いや。チルノの修行の成果を見るためにちょっと協力してもらったんだ」
「……は?いや、成果を見るって……もう終わったのか?」
「ああ、一通りは。大分冷気は抑えられるようになったと思うぞ」
「ふむ……?こんな言葉は使いたくはないが……チルノなのに飲み込みが早すぎないか?」
納得がいかぬ、と慧音は微かに眉を潜めて未だ手を振っている妖精の後ろ姿を見遣る。
本来、相当な冷たさを持つ氷精だ。
確かに、普通の人間が触っていても問題が無かった、という事は冷気をほぼ完全に抑えられているという事だろう。
だが一方で、寺子屋で教鞭を取り、そこの生徒でもあるチルノの性質は熟知していた。
元々勉強が好きという訳では無い、という事もあるだろうが、基本的にチルノは物覚えは良いとは言えず継続力もまたそれほど褒められたものではない。
だからこそ疑問に感じると同時に、どうにも遣る瀬無い気分になり、苦虫を潰したように顔を顰め思わずポツリと呟いていた。
「随分前になるが、あの子にカタカナを覚えさせるのにどれだけ苦労したことか……」
「それは、ほら。私の教え方が秀逸だったという事なんじゃないかと」
「―――そうか、妹紅。じゃあその勢いのまま是非とも教鞭を取ってみないか?」
「じ、冗談はよしてくれ、慧音。……まぁ、確かにびっくりするほど早く習得したが……やっぱり自分以外の誰かの為、っていうのが大きかったんじゃないのか?」
「ふむ……確かにそういった目的があれば上達は早いものだが」
「それに、最近寺子屋の方でもチルノ結構凄いんだろ?この前九九全部覚えたって言ってたじゃないか」
「まぁ確かに最近のチルノの成長には目を見張る物があるのは確かだな。だが―――」
「“ご都合主義”に過ぎる、か?」
「まぁ、な……」
教師の歯切れの悪い物言いを、ははは、と妹紅は笑い飛ばした。
「そういったこともあるだろ。 ここは幻想郷なんだしな―――という訳で、チルノ!」
「ん?なにー?」
「慧音にも修行の成果を見せてやろうじゃないか」
「うんっ!」
「別に構わないんだが、そういうのは一言本人に断るのが筋じゃないのか……?」
既にやる気十分な友人と生徒を見て、やれやれと肩を竦める。
人の話を聞かずに突っ走るのは二人揃っての悪い癖だな、と思いながら、それで?と先を促した。
「成果を見せられる上で、私はどうすればいいんだ?」
「そうだな……とりあえず、後ろ向いて目を瞑ってくれ」
「はいはい」
くるり、と。
二人に背を向けるようにして目を閉じる。
何も映し出さない視界で、後ろからサクサクと近付く二人分の足音だけが異様に良く聞こえた。
「じゃあ慧音。これからチルノと二人で順番に触っていくから、どっちがチルノか当ててくれ」
「む、分かった」
「よし……じゃあチルノ。ちょっと耳貸せ」
「ん?なに?」
「とりあえず、慧音にやる時はお前は黙ってろよ?」
「え、なんで?」
「お前の場合、話し声でバレるだろ」
「あ、そっか……」
「それと、だな……触る方法についてだけど、まず………」
突然、背後でコソコソと相談し始めた二人を思えば、不安が鎌首をもたげてくる。
声を抑えて、時折、うん、うん、とどこか楽しそうに頷くチルノの声を聞いていると、一体どんな事をされるのだろうか、と何となく陰鬱な気分になってきた。
暫くヒソヒソ話が続いたが、ようやく纏まったのか、行くよー!と言うチルノの声。
それに、はいはい、と慧音が苦笑を浮かべて頷き返すと―――
ぴと。
「―――きゃっ!?」
突然首筋に末端冷え性のような手が押し当てられ、ゾクリ、と背筋に寒気が走って慧音は思わず悲鳴を上げた。
首筋は脳へと血液を送る動脈が流れており、非常に繊細な場所だ。
そこに、人の手とはいえ冷たい物をいきなり押し当てられれば嫌でも反応する。
しかも今は冬だ。
下手な相手にそんな事をすれば間違いなくイジメ以外の何ものでもない。
「も、妹紅?!突然首筋っていうのはどうなんだ?!」
「いや、やっぱり冷たい暖かいはそういったトコの方が分かりやすいかな、って……」
「だからって、普通は手とかじゃないのか?!」
いきなりの暴挙に思わず不満をぶつけるが当の黒幕は、まぁまぁ、と可笑しそうに笑っている。
まさか―――
「氷の処理を全部任せた事を逆に根に持ってるのか?!だが、あれは妹紅がいけないんだろうが!」
「ほら、次行くぞー」
「人の話を聞けっ?!」
完全無視で進む話を聞きながら、きっと不死の友人はニヤニヤとした笑みを浮かべているのかと思うと思わず頬が引き攣る。
(後で説教だな―――!)
チルノ含め。
そんな決意を胸に、確かに冷たかったが冷気は一切感じなかった今の手はチルノの物だろうか?と首を傾げた。
確かにそれなら、完全に冷気をコントロール出来ていると言えるが―――
―――ぺと
「わっきゃあああああ?!!」
そんな事を考えていたら、ゾクゾクゾクッ、と背筋に寒気が走った。
先ほどとは比べ物にもならない冷たい物が押し当てられ、謎の悲鳴を上げると思わず首筋をガードするように抑える。
まず、とんでもなく冷たかった。
序に、近づいてきた時に非常に強い冷気を感じた。
となると、先に首筋を触れたのが妹紅で後から触れたのがチルノ、という事だろう。
「お、おい!全然制御出来ていないじゃないか!まさか敢えて冷気をダダ漏らしで触ったんじゃ―――」
文句を告げようとして、振り返った先の光景を見て思わず固まった。
ニコニコとニヤニヤ。
笑顔で見上げるチルノと、頬を緩ませている妹紅の姿。
「あはは、本当に騙されたねっ!」
「ほらな、言ったとおりだろ」
「…………」
楽しそうに会話を続ける二人を尻目に、ただただ一点のみを注視していた。
妹紅の右手にある、掌サイズの雪だるまに―――
「……なぁ、妹紅?」
「なんだ?慧音」
「最初のがチルノで、二度目がお前なのか?」
「ああ、その通りだ」
「それで―――まさか、とは思うが……二度目の時、その雪だるまを私に当てたのか……?」
「おお、流石慧音だな」
「ははは。褒めるなよ、思わず―――」
するする、と。
朗らかな笑顔を浮かべ、慧音が音も無く二人へと近づくと、ガシリと各々の肩を掴み―――
ガンッ―――!!
「んがっ?!!」
ガンッ―――!!
「きゅうっ?!!」
一撃ずつ。
会心の頭突きをかますと二人共に悲鳴を上げ、ジンジンと痛む額を抑えて地面へと蹲る。
そんな地に伏せた二人を見下ろしながら、黒さの混じった笑顔で慧音が告げた。
「私のデコが火を吹いてしまったじゃないか……」
「こ……ここまで……するか?」
「ぃたー……ぃ…………」
ピクピクと。
まさに虫の息で引くつく二人を見て、はぁ、と盛大な溜息を吐いて、未だに冷たさ残る首筋を摩る。
やはり不安に感じたあの時の勘は当たったか、と思えば無防備なままだった己が情けなくもなるが。
「まぁ……確かにチルノの冷気は殆どコントロールが出来ているようだな」
「…………だろ?」
蹲ったまま、ダメージを負った額に雪だるまを押し当てながら顔だけ上げた妹紅が頷いてみせた。
うむ、とそれに頷き返しながら、未だに蹲ったままピクピクと体を震わせているチルノを一瞥して、ふぅ、と一息吐いた。
(大したものだ)
心で呟けば、成長著しい教え子を見て肩を竦める。
持って生まれた才能は勿論結果を左右させるが、結局努力とは本人のやる気次第なのか―――と。
「まぁ、それなら射命丸にもう会いに行っても大丈夫だろう」
「うぅぅ………やっ……たー……」
教師からのお墨付きを貰えば、息も絶え絶え、未だ再起動出来ていないチルノが小さくガッツポーズをしようとして―――
ガクッ。
再び力尽きた。
唐突だが博麗神社は基本的に人が訪れない。
それは、第一に人里から離れた場所にあるという地理的要因があり。
第二に妖怪神社等という渾名が付けられるほど妖怪が入り浸っているという内実があり。
そして第三にこの神社に対して何を祈ればいいのか良く分からない、という困惑であった。
「…………」
それでも春から秋にかけては、妖怪退治やら何やらの依頼で人が訪れる事はある。
だが、冬だけは別格だ。
妖怪も基本的に大人しく、生身の人間ならば雪の深い行き帰りの道で遭難する事だってあるだろう。
日々と比べ、輪をかけて人の訪れる気配の無い博麗神社はただただ静寂が訪れている。
だが、地理的要因に関して言えばどうする事も出来ず、基本的に来るもの去るもの共に無関心な霊夢にとって別段その静寂は忌諱すべきものではなかったし、日がな一日のんびりと過ごせるというメリットもある。
お賽銭が増えない事は確かに頂けなかったが、今日も今日とて、静かで穏やかな一日だった―――少し前まで。
「…………」
「…………」
炬燵に足を突っ込み湯呑に口を付けたまま、テーブルを挟んで向かい側で延々と沈黙を守り続ける天狗を傍目に見て、はぁ、とこれ見よがしに盛大に溜息を吐いた。
かれこれ数十分間。
唐突に文がやって来たかと思ったら、足が冷えたと炬燵に入り、持っていた笹団子を適当に放置して暫く「あー」とか「うー」とか唸りながら取材用の手帳をタワーのように無駄に立てたりしていたが、一通り蠢き終わればテーブルに額を載せたままピクリとも動かなくなったのだ。
一体何なのよ……。
静寂である事は歓迎するが、ひと目で負のオーラをまき散らしている姿が段々鬱陶しくなり
「……こら」
「いたっ」
ゲシッ!と。
炬燵の中で伸びている足に向かって蹴りを入れた。
「鬱陶しんだけど。いい加減何も話さないでその陰気な空気ばら蒔くなら、この快適空間から消えてくれないかしら」
「……霊夢さんは、相変わらず容赦ないですね……」
「つか、一体何であんたは博麗神社(うち)に来たのよ」
「……レティさんに追い払われましたので」
「知らないわよ」
「それに、ここなら人が来なくて、そこそこ暖かいから考え事するには丁度良いかと」
「喧嘩売ってんのかしら?」
「冗談ですよ……」
どうだか、とテーブルに肘を付きながらジト目で顔を伏せたままの文を見据える。
「どうせまたチルノ関連なんでしょ?付き合う前も何だかんだあったって、この前魔理沙が言ってたし」
「……本当、あの人の口は空気よりも軽いですね」
「まったく……結局ビンゴなの?うちは駆け込み寺じゃないっていうのに」
「本当に魔理沙さんはもう、チルノさんと一緒に居ればいきなりやってきて「邪魔するぜ?」とか何とか言っちゃって本当に邪魔ですよね……」
寺なら人里へ行け、と自棄っぱちで考えていると、はぁぁぁぁ~……と深い溜息を文が吐き出し、その振動で直立不動だった手帳が倒れると、パタン、と襖が閉まるような音がした。
「私はどうすればいいんでしょう……」
「知るか」
「せめてもう少し優しくしてくれませんか?」
「何で私がそんなことしなくちゃならないのよ」
「ですよねー……」
「ああ、まったく辛気臭い……当のチルノは今どうしてるのよ?」
「修行してます」
「……は?」「どういう事よ?」
妖精が修行。
やたらとギャップのあるその二つの言葉に思わず眉を顰めると、淡々と文が続ける。
「色々誤解があってチルノさんは私を凍えさせてしまっていると考えてしまい、冷気を制御出来るようになるために妹紅さんのところに居るみたいです」
「みたいって、あんた……」
「レティさんに―――」
「ああ、もういい。皆まで言うな。それより、チルノが修行ねー……いやー愛の成す技は偉大ね」
凄い凄い、と呆れ半分で呟きつつ湯のみを傾け、お茶をズズッと音を立てて啜った。
冬は番茶に限る。
「それで、あんたはいつまでそうやっていじけてるのよ」
「いじけてるんじゃなくて、チルノさんに合わせる顔がないんです」
「だからって、うちの炬燵と顔合わせてどうするのよ。何だか良くわからないけど、チルノに謝って、あの子の望みを叶えて上げればいいじゃない」
「チルノさんの望みって何なんですか……」
「……あんた、馬鹿?」
「もう、そういった罵詈雑言は聞き飽きました」
「飽きてたのか」
蔑むような目で旋毛あたりを見詰めながら、やれやれと肩を落とした。
「ああ、もう鬱陶しい。チルノが求めてる事なんて1つじゃない」
「というと?」
「ここまで来るとチルノ以上の真正の馬鹿なのか、それとも当事者だからこそ気づかないのか……」
「何の話ですか、一体」
「まぁ、文って時々馬鹿だし」
ひょこりと。
伏せていた顔を上がり、漸く合った視線を見返しながら、どうにもこうにも本気で分かっていないその様子に呆れ顔で告げる。
「案外あんたは自分に関する事は鈍感よねって話し。チルノが求めてる事なんて、あんたに愛されたいに決まってるじゃない」
「……は?」
思わず、ポカンと霊夢を見詰め返した。
相変わらずの何処か面倒くさそうなジト目がそこにあり、分かったかしら?と肩を竦めている。
愛されたい?
その言葉が脳内で何度もリフレインし、その意味を理解すると―――
「はぁ??!!」
「変な意味じゃないわよ?」
「わかってますよ?!」
「本当か?」
動揺を隠せずに視線を右往左往させていると、どうだか、と若干小馬鹿にしたような視線が突き刺さった。
「チルノはただあんたの傍にいたいだけに決まってるじゃない。ただ、今回の事で今のままじゃ傍にいられない、って考えたんでしょ?」
「決まってるなんて分からないじゃないですか……」
「あんたねぇ……相手はチルノよ?猪突猛進で物事を大して深く考えないあいつが、あんたに何を求めてると思ってんのよ?まかり間違っても今後の暮らしが楽だから~なんて事、考える訳ないじゃない」
コトッ、と。
霊夢は湯呑をテーブルに置きながら、まったく、と面倒そうに1つ溜息を吐いた。
「あんたもあんたなりに天狗の社会やらなんやら考えがあるのかもしれないけど、もっとシンプルに考えればいいじゃない」
「それが出来れば苦労はしませんよ……」
「なら、チルノと別れる?」
「……それは、嫌です」
「なら、うだうだしてないでさっさと腹くくりなさい。妖精を恋人にする弊害なんて、一番最初に考えていたでしょ?」
「はい、覚悟の上でしたよ。まさかそれでチルノさんを傷付ける事になった自分が酷く愚かだと思っているだけです」
「分かってるじゃない」
「霊夢さん、お願いですから上げて落とすの止めてください……」
「そりゃ無茶な注文だな」
ですよねー、と小さく呟きながらも、確かにそうなんだよな、と思った。
弊害、というより障害は既に想定の範囲だったのだ。
彼岸の裁判長に言われた通り、何処までも己の覚悟が足りなかった。
であるならば。
己もまた覚悟を決め、チルノが求めるそれを与える。
未だ天狗の社会とどのように向き合うかは決めきれていないままだが、それが、意図せず傷付けた彼女にして上げられる物だろう。
心の中で静かに決意を固めていたが、ふん、と鼻で笑い飛ばした霊夢が普通に爆弾を放り込んできた。
「別にいいじゃない。愛の一言でも囁いてキスの1つでもしてやれば、チルノはそれで満足でしょうよ」
「あ、ああああ愛の一言にキス?!」
「何でそこでそんなに動揺すんのよ……あんたら付き合い始めて結構経つでしょ?」
「だから何だと?!そんな恥ずかしい事、しょっちゅうする訳ないじゃないですか?!」
「そうそう、大抵互いにハグして終わってるもんな、お前らの愛情表現」
「ですよ!私は至ってプラトニックな関係をチルノさんと築いているんですからね?!」
「じゃあ、何?あんたとチルノってキスしたことないの?」
「い、いや……こう、告白した……というか、された時に……頬っぺた……っぽいとこには……」
「へー……そいつぁ、初耳だ。いい話聞けたぜ」
「案外ヘタレなのね、あんた―――ん?」
「うっさいですよ?!見た目とか立場違うからこそ自重してるに決まってるじゃないですか!そりゃ出来るなら私だって―――え?」
霊夢と文は、炬燵を挟んで向い合わさって座っている。
だが、ふと会話内に違和感を覚えれば、互いに顔を見合わせたまま、ん?と顔を顰めた。
「…………」
「…………」
「どうかしたか?」
三人目の声。
それがした方向―――ちょうど文と霊夢の中間地点へと、二人揃って視線を横にずらすと同じようにいつの間にか炬燵に入っていたらしく、よっ!と片手を上げた魔理沙がニヤニヤと笑顔を浮かべていた。
「何で魔理沙さんがここにいるんですかぁぁぁ?!!」
「というか、いつの間に来てたのよ、魔理沙……」
「いんや、さっきこっそり入ってきた」
「堂々と入ってきなさいよ、気持ち悪いわね……」
「いやー割と白熱した話し合いだったもんだから、腰を折っちゃ悪いなと思って、な?」
「だからコソコソ入ってきたっていうの?」
「魔理沙さんはガチでゴキブリよりタチが悪いですよ!!本当にっ!!!」
「おい待て、少し前までプラナリアだったろ。何格下げしてんだ、文」
「というか、何時からあんた来てたのよ」
「え?駆け込み寺云々の辺りからだな」
「終わったあぁぁぁぁ!!!」
ガンッ!
文は強くテーブルに頭を打ち付けると断末魔の叫びを上げた。
何が何でも魔理沙が介入する前に終わらせたい、という最後の望みが音を立てて崩れ落ち、頭を抱えてピクピクと身悶え始める。
しかし当の魔理沙は、ん?と嬉しそうにニヤニヤと笑顔を浮かべる。
「何だよ何だよ、恋バナだろ?むしろこの魔理沙さんが来んだからこれから始まる感じだろ?」
「魔理沙さん、貴方は、笑顔で、色々と引っかき回す、最低、です」
「はぁ……お茶が美味しいわね」
魔理沙とて人の子。
恋愛事情には首を突っ込みたい、他人の物であるならば特に。
けれども、そんな性格を知っているからこそ、文はガンッ!ガンッ!とテーブルに頭突きをかましながら、一言一言、呪詛のように言葉を吐き出した。
そんな対照的な二人を面倒くさそうに、何処か遠い世界の出来事のように眺めながら、霊夢はズズズッ、と冷えたお茶を啜った。
「まぁ、愛の事なら私に任せろ、文」
「貴方に任せたら全てが台無しになると思うんですよ……魔理沙さん」
「とりあえず五月蝿くするようなら二人共隣の部屋でやってよ?」
「なんだよ、霊夢。一緒に楽しもうぜ?つかこの部屋以外寒いし」
「もうあれですよね……完全に欲望のままの言葉ですよね、それ……」
「私は静かな方が好きなのよ。勝手にあんたが楽しむんだから、勝手に寒い思いをすればいいじゃない」
「まったく、友達甲斐ないなー……そう思うだろ?文も」
「そうですね……貴方を一瞬でも友人だと思っていた秋の私を殴り殺したいです……」
「何とでも言いなさい。兎に角、私は静かに快適な空間でお茶を飲みたいの……いい加減にしないと夢想封印するわよ?」
キッ、と。
そろそろ本気で不機嫌です、という霊夢の視線に気付くと、やれやれ、と魔理沙は帽子を脱いで傍らに置きながら、快適空間であった炬燵から名残惜しげに立ち上がり、何処か虚ろな眼差しの文の腕をガシッ、と掴むと
「ほら!しゃあないから隣の部屋行くぞ、文!」
「ほっといて~……私の事はほっといて下さい~……」
「ははは、こんな面白い事、この私が放っておく訳ないだろ?」
「やっぱり最低ですよ、あんた……」
ズルズルと。
強制的に文を炬燵から引き摺り出して魔理沙は廊下へと続く襖を開け、未だ文句の言葉をブツブツとつぶやき続ける天狗を片手にその奥へと消えていった。
「全く……ようやく静かになったけど……」
その拉致実行現場をジト目で見送りながら、はぁ、と溜息を吐いた。
本日の安らぎの一時が数十分間崩壊した事を思うと、なんとも時間を無駄にされた気分だったが、それ以上に今、気になることが1つ。
「……襖閉じていきなさいよ……」
開けっ放しのまま放置された廊下へと続く襖を睨みつけながらポツリと呟いた。
隙間風、という訳ではないが、廊下に満ちた冷たい冬の空気が炬燵でほんのりと温まっている部屋の空気を一気に冷やしていく。
「…………」
段々と冷えていく空気に眉を顰める。
とはいえ、暖かい炬燵から出るなどまっぴらごめんだった。
特に、折角暖まった足を今外に出せば、どれだけその温度差で冷たい思いをするか、など考えるまでもない。
「……襖なら自分で閉まったらどうなのよ?」
ジーッ、と。
視線で殺せそうな程の勢いで襖を睨みつける。
そのまま暫くの間、ひたすら奇跡でも起きて自動でふすまが閉まる事を期待していたが、はっ、と呆れたように苦笑いを浮かべた。
「アホらし」
あいつ等のが移ったかしら、と隣の部屋へと消えていった二人組を思いながら、よいしょ、と声を出して立ち上がる。
当たり前だが、やはり炬燵の外は中と比較して冷たい。
やだやだ、と小さく呟きながら、背中を丸めて何となく腕を摩る。
たった一歩だが、炬燵から離れた事が本気で悔やまれる。
襖をさっさと閉めてしまおう、と入口へそそくさと近づき、その取っ手に手を掛けた瞬間―――
「れいむっ!!」
「は? って、うわわわ?!」
「え、ええ?!」
ドンッ!と。
突如として廊下から飛び出して来た青い影に腰に思いっきり抱きつかれ、そのままバランスを崩すと、ドシンッ!とお尻から畳へと落下した。
「ぃ、たた……って、この悪戯妖精!いきなり危ないでしょうが!!」
「きゃうっ!?」
腰の辺をさすり若干涙目になりながら、抱きついて来たチルノの頭にゴチン、と拳を振り下ろすと不思議な悲鳴が上がった。
一体何なのよ今日は、と顰めっ面で胸元で頭を抑えて「うぅぅ……」と唸っている青い髪を睨みつけた。
「おーい、チルノ?どうした……って、何やってんだ?霊夢」
「妹紅……?その言葉をそっくりそのままお返しするわ」
襖越しに覗き込んできた赤いモンペの少女を、座ったまま不機嫌に見上げる。
今日に限ってどうしてこうも千客万来なのか、と小さく嘆息した。
「まったく……そもそも神社に妖怪共が集まるってどう考えても変でしょ……」
「待て、私は一応人間だぞ」
「うー……あたい、チルノ……」
「知ってるわよ。やっぱり妖怪と大して変わりないじゃない」
「待てこら」
じとー、と妹紅からの不満げな視線をはんっ、と笑い飛ばしながら、それより、と首を傾げ。
「今度はあんたらが来るって一体どういう風の吹き回しよ。修行してるんじゃなかったの?」
「ああ、それ関連だよ。……因みに霊夢、今どんな感じだ?」
「はぁ?今この状態を見てそれを聞く?いきなり抱き着かれて腰打ち付けて痛いわよ」
「れいむ……あたいも頭が痛い……」
「そりゃ痛くしたからね。今のは100%あんたが悪い」
「うー……」
唸りつつ、上目遣いで睨む視線に、何よ、と見返す。
だが、そんな近距離で睨めっこをしている状態を、それだよそれ、と妹紅が笑い
「チルノに抱きしめられてて冷たくないだろ?」
「……そういえばそうね」
はた、と。
腕の中の妖精を改めて見れば、なるほど、と頷いた。
確かに冷たくはない。
「修行とやらはもう終わったのね?」
「ああ、飲み込みが早くてな」
「あたい頑張ったよ!」
えへん、と胸を張る姿に、はいはい、とポンポンと頭を軽く叩くように撫でてやれば途端に綻ぶ顔。
それを見て、なるほど……と思った。
「分からなくはないけど、やっぱり文ってロリコンよね……」
「? ろり……?」
「ああ、なんでもないわ。……それより、何であんたら二人揃ってここに来たのよ?」
「いや、レティからあの鴉天狗がここにいるって聞いてな」
「うん、文に会いにきたっ!」
「あの冬の妖怪から?さっきから寒いと思ったらあいつがこの辺り彷徨いてたのね……」
やれやれと思いながら、よっこいせ、と呟いて妖精の体を退かして人差し指で廊下の外を指し示した。
「文なら魔理沙と一緒に今さっき隣の部屋に行ったわよ?さっさと会いに行ってやんなさい、大分あいつグロッキーになってたから」
「? うん、あたい行ってくるね!」
言うが早いか。
トタトタトタッ、という音を残し廊下へと飛び出して行ったチルノの後ろ姿を見送ると、霊夢は立ち上がるとさっさと炬燵へと舞い戻る。
「ああ、寒い寒い……何で今年の冬はこうも寒いのかしらね……」
「まぁ、それに関しては同意見だがな」
どっこいせ、と同じく炬燵に入ってきた妹紅へ、腰を丸めて少しでも炬燵で暖を取ろうと躍起になりながら嫌そうに視線を送った。
「……ちょっと、何で襖閉めないのよ」
「ん?ほら、どうせ直ぐチルノ達戻ってくるだろ?」
「寒いんだけど……」
「少しくらい辛抱しろよ。何だったら暖めてやるぞ?」
「延焼火災だけはゴメンだわ。パス」
「懸命なご判断な事で……」
「しかしアンタもチルノの修行に付き合うとか……物好きね。何でそこまで出来るのよ」
「別に?ただ友達ってだけさ……って、これ笹団子か?何でこんなのあるんだ?」
ふと、妹紅がテーブルの上へと視線を送ると、違和感バリバリの笹団子の包が三つ。序にメモ帳もある。
ん?と首を傾げてそれを見つめていると、ああ、と面倒くさそうに呟く。
「それ、文のよ」
「天狗の?何でまた……チルノのご機嫌取りか?」
「さぁ?良く分からないわ。だから私らが食べてもいいんじゃない?」
「霊夢……お前、だからって言葉の使い方を間違えていないか?」
「別に間違えてないわよ?ここは博麗神社で、その主は私。ここにある物は基本私のものだから、ね」
当然の事を言ったつもりだったが、がめつい奴、と妹紅の小さな呟きが聞こえれば、そうかしら?と肩を竦める。
「ああ、でも……」
この後三人が戻ってきたとして、一つは自分で、残り二つを四人で争って―――等と笹団子の分配を考えていたが、ふと湯呑を手に取ると、面倒くさそうに眉を顰めると困ったように呟いた。
「お茶を煎れないと無いわね……」
「いやーやっぱりそうだよなー、相手がチルノじゃ暫くずっと停滞したまんまだと思ってたが文にもそういう欲求があったんだな!」
「……何だか不健全な言い方しないでください、魔理沙さん……私はただ健全な付き合いを進めたいだけです」
「なんだよ、いいじゃないか!今更ロリコンって事隠さなくたって」
「ロリコン違うし……」
「じゃあ病気か?」
「もう、本当にやだ、この人……」
冷たいすきま風が吹き込む、神社の本堂へと場所を変えた……というか、魔理沙に拉致された。
『恋符』なんていうスペルカードを操るだけあって、チルノとの恋をどれだけ面白い事に出来るかと上機嫌な魔理沙にバシバシと肩を叩かれていると、さめざめと涙が流れた。
「というか、何なんですか理沙さんは……私にどうして欲しいんですか、一体……」
「ん?いや、折角だから何か面白い事にならないかな?って」
「……オブラートって知ってますか?」
「知ってるが使った事は無いな。薬なんて苦いもんだ」
「比喩表現だよ、ばかやろう……」
ガクリと。
肩を落とせば、魂すらも抜け落ちそうな深い溜息を吐き出す。
しかし魔理沙は、ははは、と笑い飛ばし
「何だよ元気ないな!」
「大概あなたの所為だとどうすれば気付いて貰えるんでしょうね……」
「頑張って恋のキューピットやってるだけだぞ?」
「頼んだ覚えが欠片もないんですが……」
どんよりと澱んだ視線を投げかけると、悪いな、と呟き魔理沙がニヤリと不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「一度首を突っ込んだ以上は突き通す。それが、私の生き様でな」
「わぁー凄い、こんな場所以外でその言葉聞けたら新聞の天声人語にでも載せたいです」
「ははは、そんな抑揚の無い台詞で褒めるなよ、文。照れるだろ」
「皮肉だよ、ちくしょう?!」
「まぁ、こんな漫才はどうだっていいんだよ」
さて、と一つ間を取ると、魔理沙はピシッと人差し指を立て
「じゃあ、修行に勤しむチルノへのご褒美として愛を囁く訳だが」
「いやいやいやいや、何時からそうなったんですか」
「さっきの会話纏めるとそういう話だろ?チルノが欲しいもの、って意味では私も同意見だしな。それとも何か?折角頑張ってくれた恋人に何もやらないつもりか?」
「ぐぬっ……」
頬をひくつかせ、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない魔理沙を見詰めた。
明らかに楽しんでいるのは目に見えて分かるが、その言葉は何処までも正論であり、思わず言い淀む。
「という訳で、早速練習といこうじゃないか」
「行かないですよ?!というか練習って何ですか……」
「いや、行き成りじゃ歯の浮くような台詞言えないだろ?」
「どんな事を言わせるつもり何ですか、一体……」
「回りくどい言い回ししてもチルノが理解出来るなんて思えないしな。ここはストレートに『愛してる』の一言でいいだろ」
「……で、それを練習しろと……?」
「どうせお前今までチルノにそんな台詞言った事ないだろ?」
「そりゃあ、そうですけど……」
思わず、文は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
ああこの人は真正の馬鹿なのだろうなー……と本気で魔理沙が心配になってきたりもしたが、そもそもそんな事をここで練習する必要性が見い出せない。
「で、魔理沙さん。それをここでやらせる意味って何なんですか?」
「私が楽しい、以上」
「はい、却下、撤収ー」
「いや、ちょっと待て何が不満だ?!」
「敢えて言うなら全てですかねぇ?!それに、何だか嫌な予感がするので嫌です、断固拒否します!」
「何だそれ?霊夢が移ったか?」
やれやれ、とつまらなさそうに魔理沙は肩を竦め
「そんな難しい事でもないってのに……こう、肩に手を置いてだな」
ぽん、と肩に右手を置かれると、それまでのニヤニヤとした笑顔を潜めた魔理沙は、スッ―――と真剣な表情を浮かべる。
突然変わったその雰囲気に、微かに身を引きながら、目を見張った。
「まぁ、後は適当な雰囲気作って―――」
「え、ちょ……魔理沙さん……?」
「こう―――」
スパーンッ!と、襖が勢い良く開かれ―――
「文ぁー!!」
「愛してるぜ」
「―――へ?」「え?」「……お?」
魔理沙の手が肩に置かれたままの文は恋人の姿を捉えた瞬間に固まり
勢い良く抱きつこうと思っていたチルノは魔理沙に告白されている恋人を見て固まり
何だか良く分からない内に面白い事になったなと思いつつも、流石に血の気が引くのを感じながら魔理沙が固まり
場の空気が、凍りついた。
「いい感じに焼けてきたわねー」
「なぁ、霊夢……七輪くらい買ったらどうなんだ」
はぁ、と溜息一つ。
左の手のひらに弱い炎を生み出しながら、右手で持った三つの笹団子をパチパチと音を立て焼き、ふと隣の霊夢を盗み見ると、次第に漂ってくる餅の焼ける香ばしい香りを感じたのか、炬燵にペタンと頬をくっつけ幸せそうにしている。
「そんなの買うくらいならお米買うわよ」
「今まで長く生きてきたけど、ここまで困窮極まった神社は初めてだよ、本当……」
やれやれ、と肩を竦め、僅かに焦げ目が着いた笹団子を見れば、もういいな、と一つ頷き笹の葉の上にポテンと落とした。
手のひらを握りしめて炎を消し、ぐりぐり、と肩を回して筋肉を解す。
突然押し付けられた仕事を無事に終え、んーっ!と軽く伸びをすれば、ぼんやりと天井を見上げながら小さく呟く。
「―――チルノは今頃感動の対面中かな?」
「そうでしょうね。きっと文も言葉を失ってるわよ」
「はは、確かに違いないな―――」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああん!!!!」
「って、はぁ!?な、なんだ?!」
突然の泣き叫び声。
ドタドタドタ!!と激しい足音と共に廊下を爆走して行った青い影を見て思わず叫ぶと、のっそり、と体を持ち上げた霊夢がフッ―――と全てを悟りきったような顔で告げた。
「―――チルノね」
「んな事ぁ分かってるよ?!」
「チルノさーん?!!ご、誤解です!!誤解ですよぉぉぉぉぉ?!!」
「んで、次は天狗かいっ?!」
バタバタバタ!!と、同じく駆け足で廊下を爆走して行ったブン屋の姿に、おいおいおい、と思わず顔を顰める。
「何が何なんだよ、一体……」
「別に興味も無いけどね」
「いやぁー……事実は小説よりも奇なりって、きっとこの事を言うんだろうな、うん……」
はっはっは、と乾いた笑い声を上げて頬を掻きながら戻ってきた魔理沙がパタン、と襖を閉めると何事も無かったかのようにモゾモゾと炬燵へ入ってきた。
「いやー……やっぱり本堂は冷えるな、うん」
「……おい、魔理沙。お前何やった……?」
そんな、普段とは違うぎこちなさを感じさせる姿を半眼で睨むと、へ?と魔理沙が頬を引き攣らせた。
「い、いやいや何もやってないぜ?」
「本当か……?じゃあ、今チルノと文が外に飛び出して行ったのは一体―――」
「と、おお!こんな所に焼きたての笹団子!霊夢、これ喰っていいのか!?」
「一個は私のよ。後は知らないわ」
「よし、じゃあ私が一つ貰って、最後の一個は妹紅のだなっ!」
「おい、話をはぐらかしてないか?」
「はっははは、そんな事ないぜ?!ほ、ほら!冷めない内に妹紅も、ほら!!」
ぐいっ、と。
無理やり笹団子を一つ押し付けられると、これ焼いたの私なんだよな……と既に食べる気満々の二人を何処か遣る瀬無い思いを感じつつ眺めた。
「……これ食い終わったら事の真相を話してもらうぞ?」
「ははっは、真相も何も何の事だか―――じゃ、いっただきます、と」
「いただきまーす」
どう見ても怪しいその姿に、やれやれ、と肩を竦めつつ、二人に倣って、ハムっと笹の香り豊かな団子を一口齧った。
冬の夕暮れは早い。
既に茜色に染まりきり、東の空には紫紺の闇が広がり始めている。
そんな物静かな空を猛烈な勢いで飛行する、二つの影。
「文がぁぁー!!魔理沙を愛してるって言ったぁぁぁぁ!!!」
「チルノさん、待ってください?!誤解に尾ひれ付き始めてますよっ?!!」
「うわぁぁぁぁん!!」
そして絶叫。
泣き叫びながら全速で飛ぶチルノの背中を、文もまた全力で追いかける。
博麗神社を飛び出した二人が追いかけっこ開始してから既に十数分経っていた。
―――やっぱり魔理沙さんが関わるとろくなことにならないっ!つかチルノさん随分速いですねっ?!
心で毒づきながら、中々縮まらない差を思えば顔を顰めた。
チルノが文を凍えさせたという当初の行き違いは何処に行ったのかと思えるほどの誤解へと展開した現状を思えば、頭も痛くなる。
そういえば夏の魔理沙との鬼ごっこは追われる立場だったな、等と思いながら眼前の影へ叫ぶ。
「チルノさんッ!!お願いですから!!話を聞いてください?!」
「やだぁぁぁぁぁあああ?!!文の馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!!」
しかし、返ってくるのは泣き声混じりの罵声だけで。
冷たい風を切り裂きながら、はぁ―――と嘆息した。
もうこうなれば強硬手段しかない―――
「しょうがないッ!!」
真っ直ぐに追っていた背から視線を外し、空を目指す。
3メートル
5メートル
8メートル
徐々に高度を上げながら、再び開いたチルノとの距離を見据えるように目を細めた。
ぐずぐずと涙を流し続けながら未だに空を飛び続けるその背中を捉えると、静かに呼吸を整える。
翼を目一杯広げ、漆黒のそれで一際強く空気を叩きつけると―――
「―――ッ!!」
一気に加速し、重力が体全体に掛かる感覚。
風切り音がキィィン―――という高音に変化するのを感じながら、鷹が獲物を獲る時のように、広げていた翼を畳むと小さな背中へと手を伸ばしながら急降下を行い―――
「ぅえ―――わっ?!!」
「―――ッかまえた!!!」
ガシッ―――!!
上空から、三対の氷の翼が生えた背中をガッチリと抱きしめた。
だが、一気に急降下を行なった為、チルノの体を巻き込んだまま、二人の体は一気に地面へと迫り―――
「ッ?!」
捕らえられ、自らでは制御が不能なままで迫る地面を見たんだろう。
腕の中でチルノが密やかに息を飲み、体を固くするのが感じられた。
「大丈夫です、私を信じて下さいッ!!」
激突まで後数メートル。
腕の中の体へと叫び、決して落とさぬようにキツく抱き締めた。
畳んでいた翼を広げ、風を操り空気の密度を高め、無理やり進行方向を上へと転換させる。
「ヒッ?!」
「ッ―――!!」
ジッ―――。
翼の先端が、微かに地面を掠める音がした。
だが、勢いのままに一気に上昇すれば迫っていた地面が遠いて行く。
「ッ、はぁ……」
「……」
惰性で上空数十メートル程の高さまで昇り、遠ざかる地面を眺めれば、案外ギリギリだったな、と溜息一つ。
どっと疲れが押し寄せるのを感じながら、ふと腕の中で身動き一つ取らないチルノの様子が気になった。
「チルノさん……?」
「…………」
気絶してしまったのだろうか?
ずっと抱きしめていた体を、くるり、と反転させると呆然と目を見開いている。
心ここにあらず、という風のそれに若干焦り、その体をユサユサと揺すった。
「チルノさん?チルノさん、大丈夫ですか?」
「ふ、ぇ……ッ!!」
焦点が定まっていなかった瞳に光が戻ると、ハッとチルノが顔を上げる。
先程の一連の曲芸飛行によって滝の如く流れていた涙は吹っ飛んだようで、赤くなった瞳だけが泣いていた事を示していた。
が―――
「ぅ……」
じわり、と。
再び目に涙が貯まり始めるのを見れば、やばい、と頬が引き攣る。
これではまた話を聞いてくれない可能性が―――
「チルノさん、さっきのはですね―――?!」
「知らないもん!! 文の馬鹿ぁ!!」
ジタバタと。
向き合った状態で腕の中でチルノが暴れ始め、また逃げられては適わない、と慌てて抱きしめる腕に力を込めると、更に暴れる。
「ちょ、チルノさん……?!」
「離せ……っ!!」
怒りで我を忘れかけているチルノから異様な程冷たい冷気が漏れており、その体と接している手や腕、腹などからどんどん熱が奪われる。
天狗は、元々体も強い妖怪だ。
勿論冷たいものは冷たいが、本来妖精如きの冷気などで凍える筈はない。
だが服がパキパキと音を立てて凍りついていくその冷気は、このまま凍傷になるのではないか?と一抹の不安を抱かせるほどだった。
「離し、て……よ!!文、は!魔理沙と一緒に、ぃれば……いいじゃんっ!!」
ハラハラ、と。
涙を流し、最早抜け出す事は叶わないと悟ったのか、文の服を皺が出来るほど強く握り締める。
はぁ―――。
苦しそうに吐き出される言葉に、思わず溜息を吐き、それを聞いたチルノが腕の中でビクリ、と体を震わせた。
いつだって思い込んだら一直線なのだ、良くも悪くも。
そして今回は悪いパターンであり、この誤解を解消するには相当なインパクトを与える必要がある。
ふと、空を見上げると西の空には宵の明星が既に煌々と輝き始めていた。
この鬼ごっこに関しては魔理沙の悪ノリが原因だが、今回の騒動の発端は己の所為だと分かっている。
なら、恥ずかしさ程度ならば目を瞑り、謝罪も込めて、最後くらいはちゃんと愛しい恋人に伝えなくてはダメだろう。
「―――ねぇ、チルノさん。私……」
「ゃ…だ……」
顔を隠すように胸へと押し当てながら、いやいや、と頭を振る姿を見て、微かに肩を竦める。
既に空の大半を闇が覆い、遠くには人里の灯りが見える。
ここは空の上で、暗いとはいえ誰に見られたものか分かったものではないが―――
―――柄じゃないんだけど、な
心で小さく呟きながら一際強く抱きしめると、声がちゃんと届くようにチルノの耳元へと口を近づけた。
「私は―――チルノさんを愛してます」
「ふ、ぇ………?」
ポカン、と。
信じられない物を見たように、泣き腫らした目が見つめてくれば、一つ頷き、もう一度告げる。
「他の誰でもない、貴方の事を愛してるんです」
「で、でも……ッ!文、魔理沙を―――」
信じるべきか否か。
青い瞳を迷いで揺らしながらも、尚も言い募ろうとチルノが口を開けば、即座に顔を寄せ―――
「ん―――」
「ッ―――?!」
唇で封じ込めれば、驚愕に見張られた目を見詰めた。
「―――」
「~~~ッ!!」
わたわたと体を強ばらせながら、頬は次第に紅に染まっていく。
そんなチルノを見ながら、文もまた、冬にも関わらず頬が熱くなるが分かった。
今は冬の寒風が心地よい程だ。
「―――っと」
「―――はぁ、はぁはぁ……」
冷たい体を抱きしめたまま。
数秒に渡る口付けをようやく終わらせれば、ふぅ、と一息つく。
改めて腕の中を見てみれば、息を必至で止めていた為に肩で息をしている俯き気味の恋人の姿に、思わず頬が緩んだ。
「ねぇ、チルノさん?」
「ッ……な、に?文……」
「チルノさんは、私の事は信じられませんか?」
「そ、そんなの……ッ!」
バッ、と。
途端に勢いよく顔を上げ、どこか泣きそうに顔を歪めながら口をパクパクとさせるも
「……信じてる……」
「そうですか……良かった……」
何処か不満げに。
軽くそっぽを向きながらも、小さなその言葉が聞こえれば、ホッと肩の荷が下りる気分だった。
「なら―――信じて下さい。私はどうしょうもない天狗です。時には、貴方を傷付けてしまう事だってあるかもしれません……それでも、私が一番好きなのは、誰でもない、チルノさんなんです。それだけは―――」
精一杯の愛おしさを込めて小さな体を抱き締め、柔らかな髪に頬を寄せながら目を閉じる。
「ずっとずっと、信じてください」
「……うん……」
こくん、と抱き着いたままチルノが首を縦に振るのを感じながら、苦笑を浮かべる。
小っ恥ずかしい台詞が良くこの口から出たものだ、と。
すっかり痛いほどの冷気は止まり、通常の冷気が漏れ出てる体で熱くなった頬を冷やしながら、ふぅ、と深呼吸を一つ。
すると腕の中のチルノが、ねぇ、と上目遣いで見詰めているのに気付き、なんですか?と首を傾げ―――
「文は何で魔理沙を愛してるって言ったの……?」
ガクッ!と思わず空中でズッコケた。
「だ、だから!!それは誤解ですよ?!」
「ごかい……?」
「チルノさんの勘違いって事です!というか寧ろ聞き間違いです!!まったく……それに関して言えば、チルノさんは本当にお馬鹿さんですよね……」
「んなっ?!あたい、馬鹿じゃないもん!!」
「いえいえ、それに関して言えばお馬鹿です。大馬鹿です。救いようがありません」
「ううぅ……そんないっぱい、バカバカいうなーっ!」
「大体ですね、何で私が魔理沙さんを愛さなくちゃいけないんですか。怖気が走りますよ、本当……」
少なくとも今日一日の事を思い返せば、げんなり、と肩を落とす。
どう頑張ってもあれを愛する事は不可能だ、と激しく溜息を一つ吐いた。
「―――と、そういえばチルノさん?」
「……ん?なに、文?」
「いえ……私と会う前に、何か嫌な事でもあったんですか?」
「? ううん、何でー?」
「いやだって、朝に『会わないからねっ!』って言ってたじゃないですか……」
「あ、そうだった! あのね、文!」
「はい?」
はて、と首を傾げ、痛そうなほどに泣き腫らした目で嬉しそうに弧を描く近距離のチルノを見詰める。
「えへへ……ちょっと、待ってね―――」
浮かべていた照れ笑いのような笑みを収めると、スッ―――と目を閉じて真剣な表情となり。
一体何が始まるんだろうか?と文は不思議に思いながらその様子を眺めていると、突然目が開かれ
「えいっ!!」
「へぶっ?!」
べちっ、と。
掌を頬に押し付けられ、思わず呻き声を上げた。
だが、押し付けた本人はといえば、ねぇねぇ!と頬をぐいぐい押しながら目をキラキラと輝かせる。
「どう?どう?!」
「いえ、チルノさん……どう、とは……?」
何だろう突然、と強制的に顔を歪ませられながら疑問を持っていると、あのね!と声を上げ
「あたい、冷たくないでしょ!」
「え………あ―――」
思わず目を丸めた。
頬にくっつけられた手は、冷え症の人程度には温度は無かったが、それでも今まで漏れ出ていた冷気は発せられていなかった。
恐る恐る、頬にある手をその上から掌で包み込みながら、呆然と妖精の姿を見詰めた。
(そんな馬鹿な―――)
氷精のアイデンティティでもある冷気。
それの制御を覚えたというのか、それも一日で―――
「ねぇねぇ!あたい頑張ったよ!!これで、もう文冷たくないでしょ?!」
「―――はい、そうですね」
満面の笑みに、クスリと文は優しい笑みを浮かべた。
「凄いです、チルノさん―――」
既に陽は沈み、僅かに西の空が紅いだけ。
冷たい風が吹きすさび、すぐにでも暗闇に覆われそうな空の下。
それでも眼前にある笑顔を眩しそうに目を細めた。
「本当に。本当に凄いです、チルノさん」
そっと手を握り締めながら、ただ言葉を繰り返す。
正直有り得ないと思っているし、今でも信じられなかった。
妖精は、決してただ幼稚なだけではないが、かといって特別知性が高いわけでもない。
それは、秋の日に妖精について調べた事から分かっている。
だから「頑張って寒くならないようにする」というチルノの言葉は、絶対に不可能だと思っていた。
―――世界が変わらないなら、自分が変わるしかない。
彼岸の裁判長からの言葉。
その答えの一つを、彼女は見せてくれた。
自分も変われるだろうか―――?
天狗である以上、戸惑いも躊躇いも決して消える事はないだろう。
それでも、彼女のその純粋な愛を受け止める権利があるのだろうか、と。
「ねぇ、文ー」
「―――なんですか?チルノさん」
笑顔を浮かべたまま、もう一方の手を首へと回しながら、甘えるような声が聞こえた。
なんだろうか?と首を傾げ尋ね返すと、えへへ……とチルノが恥ずかしそうに笑いながら
「頑張ったご褒美ほしいなっ」
「―――ふふ、そうですね。何かご褒美をあげなくちゃ、駄目ですよね」
きっと精一杯頑張った事は想像に難しくなかった。
愛しい恋人が、自分の為に頑張ってくれたんだ。
だから、アイス一年分でも自宅に招待でもなんでも。
今なら何でもして上げられる気がした。
本当?!と嬉しそうに笑う腕の中の恋人に、ええ、と頷いて見せる。
「それで、チルノさん?何が欲しいですか?」
「ん?んとね……もう一回」
「え?」
「もう一回、ちゅーして?」
ふと、思考が停止した。
ちゅー?
「ちゅ、ちゅーですかっ?!」
「うん!」
改めて言われたその単語を聞けば、途端文の顔が真っ赤に染まった。
だが、チルノはどうしたの?と首を傾げる。
「いえ、その今、外ですし!?」
「さっきしたじゃん……」
「あ、あれは―――!!」
「それに、もう暗いから見えないよ、きっと」
「うわぁお、チルノさんにしてはまともなツッコミが?!」
逃げ場が無い、と思えば途端に焦る。
先程は勢いでいけたが、改めて、となると無駄に意識してしまう。
どうしよう、と視線を逸らしていると、くいくいっ、と袖が引かれ
「ねぇ、文……?」
「ッ、はい、なんですか、チルノさん?」
「……だめ?」
上目遣いで。
恥ずかしそうに頬を赤らめながら。
こてん、と首を傾げて―――言われた
「―――そんなことないですよ」
くらり、と意識が飛びそうになった。
さよなら理性―――心の中で呟きながら、改めてチルノの顎に手を添えると、少しだけ上向かせる。
「チルノさん、目、閉じてください」
「―――ん」
ドキドキと。
相手に伝わってしまうんじゃないのか、と思うほどに心臓が早鐘を打つ。
言葉通りに目を閉じて、唇を突き出す恋人もまた、僅かに震えている事から緊張してるのだろう。
「……じゃあ、いきますね?」
「うん……」
ゆっくりと顔を近付けながら、ふと考える。
妖精でありながら、その本質とも言える物を変えたチルノ。
それは、妖怪へと変化する兆候なのか、それともただ成長なのか―――
―――どっちだって構わない
フルフルと首を振る。
どうなろうとも、彼女が一番大切だということだけは変わらない事実なのだから。
自分の為に変わってくれた愛しい恋人という事実だけで、十分だった。
ならば、自分も彼女の為にきっと変われるだろう―――
「ねぇ、チルノさん―――」
距離にして5センチ程。
ごく僅かな距離で、そっと囁いた。
「『愛してます』チルノさん―――」
「っ」
漆黒の闇が空を完全に覆い尽くす中、それと同じ色の翼を広げて宙に留まる二人の影が、再び一つに重なった。
冷たい風を頬に浴びながら、ずっと暖かな互いの体に寄り添うように。
春の訪れを拒むような冷たい空気が幻想郷には留まっている。
未だ続く冬の中、澄んだ天空には星々だけが、二人を見守っていた―――。
~おまけ~
炬燵に仲良く入った三人のうち、二人がテーブルにうつ伏せ、ぴくぴくと体を僅かに痙攣させていた。
「何、なんだ、これ……?」
「舌が……痺れ、るん……だぜ」
妹紅と魔理沙。
既に虫の息の二人を眺めながら、はぁ、と霊夢が溜息を吐いた。
「だらしないわね、あんたら。たかが笹団子の一つで」
寒いのは億劫だが、お茶が無いのは頂けない。
入れ直そうと思い至ればのっそりと立ち上がり、まったく、と馬鹿にしたように二人を見下ろす。
「な、んで……れい、むは、平気なん……だ?」
段々と舌が回らなくなってきた魔理沙が、顔を歪めながら尋ねると、霊夢は軽く肩を竦めて見せた。
「さぁ?毒を食わらば笹までってね」
「「マジかよ……」」
笹食ったのか、こいつ。
お湯を求めて部屋を後にするそんな巫女の後ろ姿を見送りながら、毒に痺れる二人の思いが奇跡的にシンクロし、そのまま同時のタイミングで仲良く意識がホワイトアウトした。
ご注意下さい。
冬―――
幻想郷は、深い雪に覆われていた。
例年と比べて多い積雪と厳しい寒さ。
それでも多くの人は、真夏は暑かったのだから真冬が寒いことだってある、といった風で雪掻きに精を出す日々。
永遠亭はフル稼働であったし、博麗神社は相変わらず人気が無く、楽園の最高裁判長も暇を見つけて説教の為に各地を闊歩する。
あえて言うならば、特に代わり映えの無い、冬だった。
それでも、少なからず『いつも』とは違う日々を過ごしている者達もいた。
人里と紅魔館のちょうど中間点ほどの場所。
霧の湖周辺もまた、一面白銀の世界となっている。
まだ午前も早い時間。
気温との温度差によって氷に覆われていない沖合の湖面からは白い霧が湯気のように立っていた。
如何に例年と比べて寒い冬とはいえ、流石に湖が全面凍結するまでには至っていないが、それでも湖の岸辺近くはそれなりの厚さの氷が張っている。
その氷の上をピョンピョンと跳ねる青い影と、岸に佇みそれを見守る黒い翼がいた。
「あはは、すっごいね!全部凍らないかな?」
「どうでしょうねー……流石に全部は無理じゃないですかね?」
「えー……つまんない」
氷の上を飛び跳ね、キシッ、と微かに鳴る音で遊ぶチルノが、不満そうに頬を膨らませる。
そんな子供らしい姿を見て、いつか氷が割れて落ちないだろうか……と、文は微かに苦笑を浮かべた。
ほんの数ヶ月程前に文とチルノは互いに想いを告げあい、チルノは『始めての恋』に、文は『妖精への恋』に戸惑いもしたが恋人という関係となった。
付き合い始めともなれば、やはりお互いに一緒に居たいと強く思うもの。
文も仕事がなければ会いに行き、チルノも取材の手伝いとして後をくっ付いて行くことで、可能な限り二人は一緒に居た。
今日も少ない時間を利用し、二人は逢瀬の時間を楽しんでいる。
未だ暖まりきっていない冬の空気に冷やされ、文は腕を無意識に摩った。
「文、寒いの?」
「え?ああ、まぁ寒いか暑いか、で言えば寒くはありますね」
不思議そうに首を傾げる姿に、大丈夫ですよ、と肩を竦めてみせると、高くジャンプし岸に着地したチルノに袖を引っ張られた。
すぐ傍に来た小さな影を見下ろし、はて、と首を傾げ尋ねる。
「どうしました?チルノさん」
「えっとね……文、今日はこの後お仕事あるんだっけ?」
「ああ……はい。後もう少ししたら、行かなくてはいけません」
「そっか……」
途端に肩を落とすチルノを見て苦笑する。
今日は天魔に呼び出しを受けており、この後派閥の会議に出席しなくてはならなかった。
ほとんど毎日の勢いで会っていると、時には山の用事の関係で直ぐにお別れ、という事だってある。
それに駄々をこねる事も(あまり)なく受け入れてもらえたが、それでも毎回こうして去り際が近づくと途端に元気がなくなってしまう。
それだけ一緒にいたいと思ってもらえている、と考えれば恋人として嬉しい事この上ないものであり、同時にどこまでも社会人であるという事を痛感させられるが―――
別れ際にそんな顔をされたら別れ辛いじゃないか。
「え?」
小さな体に手を伸ばしてギュッと抱き締めると不思議そうな青い瞳に見詰められた。
氷の妖精、という事もあり冬はチルノの本領が発揮される季節でもある。
冷気は基本ダダ漏れで、真冬の完全に冷えきった鉄棒並み以上に冷たいその体。
だが勿論鉄のように硬い事はなく、その柔らかさを感じながら安心させるように笑みを浮かべた。
「ほらほら、そんな顔をしないでください?また明日も会えますから、ね?」
「う、ん……そうだよね。ごめんね、文」
こてん、と首を傾げ謝る姿を微笑ましく頭を柔らかく撫でる。
途端、擽ったそうに目を細める様子に、本当に変わったな、と思った。
恐らくチルノにとっても全てのきっかけとなったあの夏祭りの日以来、殊勝になった、というか相手を気遣うという事を覚えたのだ。
今まで通り天真爛漫であるが、猪突猛進で他人を巻き込むことを厭わない、という性格は鳴りを潜めている。
時には暴走して突っ走る事はあるが、反省すべき事は反省し、謝るべき事はちゃんと謝る。
総じて言って、チルノは成長していた。
妖精は自然現象の具現化である事からも、その成長には精神的な成熟が重要となる。
恋人という関係を通じ良い影響を与えられている、というのは何よりも勝る幸福でもあった。
「えへへ……文、もっとぎゅーってして?」
「はいはい、勿論ですよー」
ぎゅっと。
抱きしめると嬉しそうに擦り寄るチルノを見て思う。
ずっとこんな穏やかな日々が続けばいい―――
指の隙間からこぼれ落ちる柔らかな髪を撫でながら、そう願ってやまなかった。
だが、得てしてそうした平穏は破られるものである。
「―――相変わらずラブラブだなー、お前ら」
「ん? あ、魔理沙ー!」
「げ……魔理沙さん」
二人きりの空間に別の声が響く。
箒に跨り、ゆっくりと舞い降りて来たのは普通の魔法使い、霧雨魔理沙だった。
いつもの通りの黒が基調となった服装に白いエプロン、防寒対策としてはライトブラウンのマフラーを首に巻いている。
そんな彼女は、箒から飛び降りるようにして雪の上に降り立つとニヤニヤとした笑いを浮かべ、手をひらひらと振った。
「よう、チルノ。そしていきなり『げ……』とはご挨拶だな、ロリコン天狗」
「はっはっは……気のせいですよ、ええ」
「魔理沙どうかしたの?あたい今、文に抱き着いてるから弾幕ごっこ出来ないよ?」
「ああ、安心しろチルノ。馬に蹴られるほど私は野暮じゃない」
恋人を抱きしめたまま文は、嘘吐け、と心の中で呟いた。
チルノと付き合う事になった経緯に関わった人物が数名存在するが、魔理沙がその一人だった。
その為、告白から数日後、今浮かべているのと同じ種類の笑みを浮かべて彼女が、どうなった?と尋ねてきたのだ。
明らかにからかわれる事は目に見えており、適当に誤魔化してやろうか、とも考えたが、どうせチルノに尋ねられればバレるのは分かっている。
ならばいっそ自分から伝えた方が良いだろう、という事で『妖怪の山の者にはバラさない』という条件で教える事にしたのだったが―――
「それで……魔理沙さん。私の記憶が確かなら、貴方とは数日に一回のペースで遭遇すると思うんですが、主にチルノさんと一緒の時に」
「いや、まぁ、あれだ。恋のキューピット役なんてものをやった以上は、気になるじゃないか?」
「楽しんでるだけですよねっ!?」
「魔理沙、何か面白いの?」
「はっはっは……気のせいだぞ、うん」
じと目で睨むと、白々しく視線を逸らされる。
いまいち何事の話なのか良くわかっていないチルノが不思議そうに二人を交互に見遣る中、はぁ、と溜息を吐いた。
約束を守った魔理沙は『妖怪の山の者』以外の者には普通に喋ったらしかった。
外部との交流が少ない妖怪の山だ。
外でのゴシップが如何程に騒がれても内部に流れる事は滅多に無いし、魔理沙に教えた時点で彼女の交友関係内で必ず広まると腹を括っていた。
だが、人の噂が広がるのは想像以上に早いもの。
魔理沙に伝えてから2日後、取材の関係で博麗神社に行った時に出会い頭「あら、おめでとうロリコン。お似合いね」なんて霊夢から言われた時には思わず天を仰いだ。
それが想定の範囲内であるとはいえ、面と向かって言われればため息の一つも吐きたくなるもの。
とはいえ、ため息ばかり吐いて幸せが逃げても困るので、きっと歪みきった彼女らなりに必死に考えた祝福の方法が他にないんだろう、とポジティブに考えるようにした。
「やれやれ、まったく……これ程までに厄介な人間もいませんでしたよ……」
「いやいや、そんな褒めるなよ」
「そんな気持ちはこれっぽっちも無いんですけどね?!……お?」
本当にどうしてくれようかこの人間、等と考えていると小さく服が引かれる。
何だろうか、と胸元を見てみると先程から抱きしめていたチルノが不満そうに頬を膨らませていた。
「えと、チルノさん………?」
「むー………」
訳が分からず首を傾げて見せると、更に頬を膨らませて顔を胸に押し付けてきた。
「えーと……」
「あっはっは、悪い悪いチルノ!」
どうする事も出来ずに、とりあえずチルノの頭を撫でていると、その様子を見ていた魔理沙が可笑しそうに笑いだした。
どういう事ですか、と首を傾げると、どうもこうも、と苦しそうに笑いながら
「お前が構ってくれないから拗ねたんだろ?」
「え?」
「―――ッ!」
思わず青い髪を見詰めると、顔を隠すように更にキツく抱きつかれてしまった。
「……チルノさん?」
「……なんでもないもん」
明らかに拗ねているその声に、思わず笑みを零して改めて優しく髪を撫で
「ごめんなさい、チルノさん。あんなプラナリア放っておくべきでした……許してください」
「おい、こら」
「ん……許してあげる」
外野からの声を敢えてスルーして、漸く顔を上げた顔に笑いかける。
不満顔から一転、嬉しそうに笑いを浮かべる頭をよしよしと撫で、抱きしめていた体をゆっくりと地面へと下ろした。
当初はこうやって抱き着かれている状態を見られるのも恥ずかしかったが、毎度毎度図ったかのように現れれば誰しも慣れてくるというものだ。
その様子を見ていた魔理沙は、やれやれ、と肩を竦め態とらしく手で顔を扇いで見せる。
「おお、暑い暑い……ここだけ夏なんじゃないのか?」
「ならとりあえずマフラー外せばいいんじゃないですか?」
「魔理沙暑いの?冷やしてあげよっか?」
呆れ顔で眺めていると、顔を輝かせたチルノが冷気を強め一歩一歩魔理沙へと近付いていく。
その迫り来る姿にヒクッ、と頬を引き攣らせた魔理沙は、いやいや、と手を振る。
「ほ、ほらチルノ!今度はお前が構わないと文が拗ねるぞ?!」
「構いませんチルノさん、やっちゃってあげてください」
「よっしゃー!」
ゴーサインが出ると、気合一発、チルノは一気に魔理沙へと飛びかかり―――
「うわっ、馬鹿かッ?!お前は元から冷たいのにそれ以上寒くしてくれるなっ!?」
「あたい馬鹿じゃないもん!魔理沙が暑いって言ったんじゃん!」
当たり前だが、魔理沙は段々と強くなる冷気に肩を震わせ、ヒィと悲鳴を上げながら紙一重で避け続ける。
言葉の応酬と共に繰り返されるじゃれ合いだが、当人達は割と必死だ。
だが、何度繰り返しても避けられ続けられ諦めたチルノは不満そうに睨んでに仁王立ち、それに!と叫ぶとビシッと指さした。
「あたい別に冷たくないもん!文は平気だもん!」
「……あ?そういや文、普通に抱き着かれてたな……寒くなかったのか?」
「そりゃあ勿論、冷たくなんてないですよ?」
「ほらみろ!」
自信満々に胸を張るチルノと何処か胡散臭そうにそれを見詰める魔理沙に、思わず内心苦笑した。
勿論まったく冷たくない何て嘘だが、ある意味冷気を持つのは氷精のアイデンティティだ。
ならば、その変えようもない事実を伝えれば、チルノは傷付く。
元から肉体としては強い天狗だし、我慢して出来ない事では無いので態々伝えるつもりもなかった。
最近、めっきり冷え込み更に冷たいのは事実だが。
ふと、そんな事を考えながら空を見上げると、太陽の傾きを確かめる。
会議の開始に間に合わせるには、そろそろ良い時間のようだった。
「文……そろそろ時間?」
名残惜しそうな声に振り返ると、魔理沙へと迫る事を止めた恋人の瞳が静かに見上げてきていた。
「―――ええ。行こうかと思います」
バサリ―――
翼を広げ、直ぐ傍の頭を1つ撫でると改めて二人へ視線を向け
「ではでは、チルノさん、魔理沙さん。この後ちょっと仕事がありますので、私はこれで」
「お、そうなのか?天狗ってのも楽じゃなさそうだな……まぁ、頑張れや」
「お仕事頑張ってね、文っ」
「ええ、ではでは」
ゆっくりと羽ばたき飛翔する。
頬で冷たい冬の空気の風を感じながら、段々と遠ざかる魔理沙と手を振って見送ってくれるチルノに手を振り返し、そのまま霧の湖に背を向け、妖怪の山を目指して飛んだ。
「……あれ?」
「ん?どうした、チルノ」
遠ざかる黒い翼を見送り、ふとチルノが地面へと視線を移すと雪の上に細くて黒い棒状の物が落ちている。
不思議そうな魔理沙の声を聞きながら、しゃがみこんでそれを目線まで持ち上げると、あ、と小さく声を出した。
「これ、文のだ……」
「文の?ああ、あいつ落としていったのか……」
確か外の世界のボールペンだ、とチルノは思い出した。
数週間前、香霖堂で購入したものらしいが、その使い勝手の良さから最近文が愛用していた筆記用具だった。
これが無いと、文は困る……よね。
「あたい、文に届けてくるねッ」
「おいおい、お前妖怪の山に入れないだろ?今度会ったときに渡せばいいんじゃないか?」
興味深そうにボールペンを覗き込んでいた魔理沙を見上げると、止めといたらどうだ?と肩を竦められる。
妖怪の山への部外者の立ち入りは禁じられている。
入ろうとしても監視をしている天狗に見つかり追い出されるのは目に見えていた。
でも……
「これが無いと文が困っちゃうもん!急げば間に合うかもしれないし」
「そっか……?じゃあ、まぁ無理すんなよ。他の天狗に見つかると面倒になるぞ?」
「分かってるー!じゃあね、魔理沙!」
「ああ、またなー」
ひらひら、と。
遠ざかる氷精の背に手を振りながら、魔理沙は肩を竦めた。
「本当、あいつ等はからかってて飽きないな」
よいしょ、と声を出して箒に跨る。
今日は何処に行こかな、と小さく呟きサクッ、という軽い音を立てて雪を蹴り上げ空を舞った。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
妖怪の山を目指してゆっくりと飛びながら、はぁ、と文は溜息を吐きながら先ほどまで考えていた事を思い返していた。
「別にいいじゃない。これは予定調和なのだし………」
そう、チルノと付き合い、周囲から言われる事など想定の範囲内だった。
けれども―――
「問題は、山のほう―――」
最近、天狗達の間でまことしやかに囁かれ始めたのだ。
『あの天狗は妖精の恋人を演じている』と。
天狗の社会にその事実がバレれば色々と面倒な事になるのは目に見えているし、下手をすればチルノ当人にも何かしら危害が加えられる可能性がある。
可能な限り内密にしておきたい、というのが本音だ。
正面から言われたなら、大分前から取材をしていた縁で付き合いがあるだけ、と反論も出来る。
だが、噂など当人の知らぬところで尾ひれ胸びれ付いてどこまでも広がるもの。
外部との接触を嫌うが故に、内輪でいつまでも回り続けるというならば、尚更だ。
はぁ―――。
深い溜息を吐きながらふと考える。
妖怪の山にある自宅への招待など秘密にする以上もっての外だが、付き合う前ならばそこまで過剰に反応しなかった気もする。
誰かがそれを指摘しても、鼻で笑い飛ばすだけの余裕があった。
それを思うと、恋人となった為にかえって不自由な関係になった気がしないでもない。
「やれやれ。停滞した社会というのは、やっぱり面倒ですね………」
思わず愚痴をこぼして、段々近付いてきた山を見据えた。
哨戒天狗に見られる可能性を考慮し、この付近より近くでは会わないようにしているし、本人にも恋人になったということを仲の良い人にしか話さないでくれ、と言いくるめてある。
「でも、それも時間の問題ですよねー………」
人の口を閉じさせることなど不可能だ。
時間の問題、とは思っていたが、それが想定を越えて早かったという事が心に影を落としていた。
いずれにせよ、いつかはどうにかしなくてはならない問題を考え、ぼんやりとしていた。
「―――!」
だからか、その気配に気付かなかった。
「あーやーっ!」
「え?!」
突如として聞こえた声に、思わず振り向くと、はかったかのようなタイミングで胸の中へとチルノが飛び込んできた。
反射的に抱きとめ、一体どうしたんだろう?という疑問と共に、ここが何処であるかを思い出した。
そう、哨戒天狗の目の届く場所―――
「っ!!」
「?! ―――ぇ」
「……ぁ」
気付いた時には、トンッ、と反射的にチルノを突き放していた。
いつものように抱きしめてくれなかったチルノは一瞬訳が分からないと目を丸め、また文も自分がとった行動に顔が青ざめるのが分かった。
「あ、や……?」
「っ、チルノさん、これは……っ!」
慌てて理由を告げようとした言葉を、飲み込んだ。
天狗にバレると、あなたの立場も危なくなる可能性があるんです―――
そんな言葉を、伝えられるはずは無い。
自分では選べず、どうすることも出来ない「生まれ」が理由など、それがどれだけ相手を傷つけるか等考えるまでも無い。
どうしよう―――
適当な理由を必死に考えていると、チルノの顔が段々と青くなり、おそるおそる、と声に出した。
「文、ひょっとして……」
「っ、違うんです、チルノさん!」
まさか理由を察したのか、と慌てて言葉を言い募ろうとしたら―――
「やっぱり、あたい冷たかった……?」
「―――え?」
想定外の発言、思わずポカンと見つめる。
だが、そうなんだ、とチルノは顔を俯かせ
「そうだよね……やっぱり冷たいよね、あたい……」
「え、いやいやチルノさん……?」
「魔理沙も言ってたし、今まで我慢してくれてたんだ、文……」
「え、ちょ、待って本当に違う?!」
何故かどんどんと進んでいく話に待ったをかけようと一歩分ほど近付こうとしたら、チルノもまたその分だけ後退する。
二歩。
三歩。
「えと、チルノさん……?」
「―――ダメ!文が冷えちゃう……」
語気を強めての否定。
泣きそうな表情に「あ、泣き顔もかわいい」とか思ったのは秘密である。
「って、そうではなく!?あのですね、チルノさん―――っ?!」
「これ!!」
天狗は強いから大丈夫ですよ、と。
とにかく誤解である事を伝えようとしたら何かを投げつけられ慌てて掴み、それを見詰めると
「え?」
「文、落としてったから……」
それは数日前に買った、ボールペンだった。
ああ、なるほど―――
どうしてチルノが後を追ってきたの不明だったが、ここに来てようやく理解した。
落としたペンをわざわざ届けに来てくれたのか―――
「うわぁぁぁぁぁ!?私は馬鹿ですか!?」
主にペンを落としたところから。
ひたすらに善意しかない行為に対する行動が突き放す、であった上に謎の誤解まで与えた事をうとば、そのまま頭を抱えたくなった。
そんな突然悩ましそうにしだした文を、チルノはきょとん、と不思議そうに眺めていたが―――
「あのね、文!」
「はぅい?!な、なんでしょうか、チルノさん?!」
「あたい、頑張るから……」
泣きそうな顔で、それでも決意を込めた言い切った。
「あたい、頑張って文が寒くならないようにするから!」
「……え、どうやって……」
無理なんじゃ……と思わず呆然と見つめるが、それでも次に発せられた言葉に思わず思考が停止した。
「それまで会わないからね!」
「え―――マジですか?!」
「文も会いに来ちゃだめ!」
「いやいやいや!!待って待ってごめんなさい、待ってくださいチルノさん?!」
「待たないッ!」
思いこんだら一直線。
ピューン、と一気に妖怪の山から離れるように飛んでいく。
制止の声を聞かずに一気に飛び去るその後を追おうとも思ったが、そうすれば山の会議に遅刻する事になって―――
「ああああああもう!本当にどこまでも私って社会人ですね?!」
遅刻の理由が妖精を追っていました、なんて言い訳にもならない。
遠ざかる背中を一瞥し、会議が終わり次第会ってちゃんと謝ろう、と心に誓うと、後ろ髪を引かれる思いでフラフラと本殿へと飛んでいった。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「…………」
会議室は、沈黙に包まれていた。
張り詰めた空気の中、火鉢の炭が時折爆ぜる音が響く。
上座の天魔を中心に、コの字型に組まれた机に妖怪の山における革新派の天狗達が席についている。
会議に出席出来るともなれば、人生経験も豊富な老齢な天狗達が並ぶ事になる―――のだが
「…………」
天魔も含めて、何故か全員居心地が悪そうに末席へと視線を時折飛ばしている。
そして、そんな老天狗達の視線の先には文が居た。
「…………」
ハイライトが消えた目で微かに首を傾げ、時折小さく「あー……」と声を出す。
一言で言えば、目が死んでいる。
そんな負のオーラを満開にした文によって会議室は異様な空気に包まれていた。
「……射命丸」
(何でよりにもよってこんな事に……)
「射命丸?」
(あー……チルノさんああなったら絶対引かないよなー……)
これでは会議の進行に関わる、と天魔が声を掛けるが一切の反応が得られない。
普段からこういった会議に参加しており、同派閥の天狗からの文に対する評価は『優秀かつ真面目』といったものだった。
故に、何か相当酷いことがあったのだろう―――というのが会議に出席している天狗達の総評であった。
このまま下がらせた方が賢明か。
天魔がそう決断し、声を掛けようとしたところ―――
「しゃめ―――」
ガンッ―――!!!
「?!!」
文が、机に思いっきり額を叩きつけた。
その突然の奇行に周囲からの視線が一斉に集まるが、当の本人はそのまま動きを停止した。
(どうしたら誤解解けるんだろ、これ……)
額を机にくっつけたまま、会議が―――というよりチルノと別れた時から文の脳内を巡っていたのが、それだった。
会議の初めこそ、気持ちを切り替えてやるしかない、と心に言い聞かせたのだが、末席に座す文にはそれほど発言の機会は多くない。
故に、進む会話を左から右へと受け流していると、自然と思考はチルノの事へと傾いていき―――
(―――いや、もう全部私のせいだし、これ……)
この有様となった。
突然の事とはいえ、あんな反応しか出来なかった事に自己嫌悪しながら、悶々と考え続ける。
先程の宣言通り、チルノは自身の冷気をどうにかしない限り会おうとはしないだろう。
ということは、誤解だという事実を解く事も不可能―――ということだ。
(悪いのは私なのに、謝罪の場すら無いとは………)
どうしてこうなった、と改めて思えば近距離にある机の木目を見詰めながら、はぁ―――と深い溜息を吐き出した。
―――トントン
「……?」
兎に角無理やり会いに行くのは出来たとしても、どんな言葉をかければ彼女は納得してくれるのだろうか―――?
そんな事を延々と考えていたのだが、突然肩を叩かれた。
何事だろう、と相変わらず覇気の無い瞳で、その叩かれた肩の方へと視線を向けると、白髪の混じった困り顔の一人の老天狗。
そして、会議に参加している天狗達の視線を一身に浴びている事に気付けば、さぁ―――と血の気が引いた。
「………はっ?!も、申し訳ございません?!」
慌てて居住いを正し、背筋を伸ばす。
(ええと確かさっき大天狗様の甥っ子の成長が延々と続いていたからそろそろ本題に一旦戻ってまた別の誰かの自慢話か何かに移ったか?!)
必死にいつもの会議におけるパターンを想定して、現在何の話題であったかを考えていると、ゴホン、と1つ咳払いした天魔が心配そうな視線を寄越した。
「射命丸」
「は、はい!やはり天魔様のペナントコレクションは素晴らしいですよね!!」
「その話はさっき終わった」
山が外れれば、終わったのかよー!!と内心叫びながら頭を抱えて顔を伏せた。
そんな姿を、まぁ、と天魔は1つ間を取ると椅子に深く腰掛け
「よいよい、お主も疲れているのだろう」
「は、はは……いえ、本当に申し訳ありません……」
「構わぬよ、誰とて疲れる時は来る。色々と根も葉も無い噂を流されてるようだからな」
「へ……?ええと、噂と言いますと……?」
「何でも妖精を恋人にした―――とか」
「っふぃ?!」
思わず、頬が引き攣り不思議な呻き声が出た。
だが天魔は、カカカ、とさも可笑しそうに笑い声を上げ
「全く、片腹痛い。どうせ流すならもっとマシな話しにすればよいものをのぅ」
「そ、そそそそそうですね?!」
「類稀なる才子、というのも考えものじゃのう。そんな下らぬ噂まで流して品格を貶めようと躍起になっておるのだから」
その言葉に、視線を右へ左へ上へ下へ、と。
兎に角落ち着きなくさ迷わせながら冷や汗が背中を伝うのを感じた。
だが周囲の老天狗達も、そうだそうだ、と苦笑混じりの笑みを浮かべて天魔の言葉に同調するばかり。
非常に悪い心の環境衛生に痛む心臓を抑えながら、はははは、と虚しく響く乾いた笑い声を同調するように上げておいた。
だが、天魔は笑いを収めると、ふと真剣な表情となり、文を見詰め
「まぁ、仮にそれが事実だとしたら、じゃが………」
「―――したら、なんなんでしょうか?」
「天狗の面子、もあるからの。お主といえども最悪処刑が妥当かもしれぬ―――」
「ま、まことですか………」
ゴクリ。
生唾を飲み込み、天魔の鋭い視線にピリピリと頭が痛むのを感じ―――
「なんて、のう」
ニヤリ、と。
茶目っ気たっぷりな意地の悪い笑みに、再度机にガンッ!と額をしたたかに打ち付けた。
「流石にそのような事で処刑なんぞ一々やっておれんしの」
「そ、そーですね……」
「まぁ、どちらにせよ事実無根であるならば気にする必要は皆無じゃ」
「はははは、仰るとおりですね(ちくしょー?!)」
「ん?何か言ったか?」
「い、いえいえ何も!」
赤くなった額を抑えながら顔を上げ、若干漏れでた本音を必死に隠すように手を振る。
一瞬不審そうに眉間にシワを寄せた天魔だが、ふむ……と呟くと机の上でゆったりと手を組んだ。
「兎に角、じゃ。最近はお主に頼りすぎたのう。しばし休暇を与えよう、ゆるりと休め」
「え、い、いえ!ですが……」
「これは命令じゃ。別命あるまで自由に時間を使うとよい、下がれ」
「は……はい、分かりました……」
有無を言わさぬその言葉。
周囲からも、その方が良い、と同意するように頷かれては取れる行動は1つだけである。
流されるままに了承すれば、うむ、と満足気に天魔が頷いた。
机の上に広げていた会議用の資料を掻き集めて片手に持つと立ち上がり、では失礼します、と頭を下げてトボトボと会議室を後にした。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
一方その頃。
文と別れたチルノは霧の湖付近にいた。
普段は多くの妖精や妖怪達で賑わうこの場所も、冬ともなればその殆どが冬眠に就くため今では静けさに包まれている。
そんな人っ気の無い場所にチルノが戻ってきたのは、家に帰る為ではなくある人物を探しての事だった。
大体いつも居る場所は決まっているため、その付近を中心に空から見下ろしていたのだが、何故だか全然見つからない。
どこに行っちゃったんだろう……と仕方なしに地表まで降りて雪をザクザクと踏み鳴らしながら、口に両手を添えて先程から名を呼び続けていた。
「レティー?!」
しかし、降り積もった雪に声は掻き消され、直ぐに周囲は静寂が訪れる。
いっそこの近辺全域を氷で包んでしまおうか―――?
そんな危険な方法すらも脳内を掠めるなか、どうやって探そう……と肩を落して途方に暮れていると―――
「おっ?!」
突然、何か柔らかな物に包まれ、チルノの目の前が真っ黒になった。
何だ何だ?と慌てていると、ポフッ、と背中に柔らかな感触が伝わり
「え?え?え??」
兎にも角にも訳が分からず軽い混乱状態。
もしかしたら何か強い妖怪に襲われているのかもしれない―――
そんな考えに至り、体から漏れ出る冷気を強くしてみるが、背後の何者かはビクともしない。
どうしよう、どうしよう?!と暫く焦っていたが、とりあえず視界を得ようと目をガッチリと覆っている物をガバッ!と思い切って引き離し背後を振り向くと―――
「あ、レティ!」
「ええ、こんにちは。チルノ」
それが誰であるか分かれば、チルノは嬉しそうな声を上げてその豊かな胸へと抱きつき、レティもまた嫌な顔一つせず小さな体を抱きとめた。
レティ・ホワイトロック。
チルノが、この世界で一番に信用している人物、といっても過言ではないだろう。
元から操る能力が冷気や寒さといったものであり、また冬場ともなれば両者とも寒さの権化として多くから白い目で見られてきたことから互いに惹かれ合うのはある意味当然といえば当然ではあった。
冬の間だけ活発的な活動が可能という特異体質の為に二人が顔を合わす期間も決して多くは無いが、それでもチルノは友人として、レティは友人兼母親のような形で友好を深めてきた。
「もー酷いよ、レティ!いるなら返事してよっ!」
「ふふふ、ごめんなさい、チルノ。あまりに必死な様子が可愛くてね……」
ぶー、と頬を膨らませる姿を可笑しそうに微笑むレティは正に典型的な親バカのそれである。
しかし一見微笑ましそうにチルノの髪を優しく撫でながらも、レティは心の中で深い溜息を吐いていた。
二人が出会ったのは当たり前だが今年が初めて、という訳ではない。
毎年冬になれば一緒にいる、というのは最早恒例行事であるほど長い付き合いだ。
その為、今年も冬が始まり、目が覚め真っ先にチルノに会いに行った―――ら、言われたのだ。
「レティ!あたい恋人が出来たよっ!」 と。
当人からの突然のカミングアウトと同時に文を紹介されたその時、思わず頭を抱えた。
今までそんな気配が無かったのに、一体どうしてしまったのか?ひょっとして天狗に誑かされているのではないか?
そんな不安が心に沸いたが、両者から、どういった経緯で、どうしてそうなったか、という話を聞かされて、ああなるほど、と納得はした。
だが、納得はしても認めたくない物、というのは世の中に多々ある。
元々我が子のように可愛がっていた存在に、目が覚めると同時に恋人が出来ていたのだ。
妖怪の長い寿命を考えると、父子家庭において父親が一週間ほど単身赴任で家を留守にし、帰ってきたらいきなり娘が恋人を作って家に招き入れていた並みの衝撃だったのだ。
チルノの意思を尊重するのがレティのスタンスではあるのだが、妖精と天狗というアンバランスな組み合わせから、やっぱり天狗は面白半分なのでは―――と何度も考えたし、そんな煮えきらぬ思いを抱えたまま何度か嫁姑戦争のような弾幕戦を繰り広げたりもした。
だが、そんな弾幕戦も、自分を差し置いて楽しく遊んでいると勘違いしたチルノの寂しそうな目によって休戦する羽目になったりと、兎にも角にも無駄に例年と比較して疾走感溢れる冬を送っていたのだった。
そんな怒涛の二ヶ月間を思い起こすとレティは苦笑を浮かべ、これくらいやったって怒られないはず、と心の片隅で考えていた。
「それよりチルノ?私に用があったんじゃないの?」
「え―――あ、そうだった!あのね、レティ!教えて欲しい事があるの!」
「ええ、何かしら?」
「あのね、どうしたら文を暖かく出来る?!」
「―――え?ええと……焚き火でもしてみる、とか?」
「分かった!!あたい、もこうのところ行ってくる!!」
「ああ、待ちなさい待ちなさい」
腕から離れ、再び空へと飛ぼうとした肩をキャッチすれば、グイッとその体を抱き寄せる。
何故か再び捕まった事を不思議に思い、チルノは首を傾げ
「レティ?どうしたの?急がなきゃいけないの、あたい」
「急いては事を仕損じる、と言うわ。チルノ」
「せい……そんじる?」
「焦っている時ほど落ち着きなさい、という意味よ」
「で、でも……」
もじもじ、と。
腕の中で焦燥感に駆られるチルノを落ち着かせるように、ジッと瞳を覗き込んだ。
「とりあえず、何があったか私に教えてくれないかしら?もしかしたら力になれるかもしれないから」
「う、うん……」
「そう、良い子良い子」
その落ち着きと優しさに溢れた瞳に思わず頷き、優しい手つきで撫でられながら、ポツポツ、と何があったかを喋っていった。
「そう、妖怪の山の近くで抱きついたら、突き放されちゃったのね……」
「うん……」
腕の中でションボリ、と肩を落すチルノ見ながら、やれやれ、と天を仰いだ。
(きっとそれが原因ではないのでしょうけど―――)
それを説明したところで、きっと理解できないし理解したところで、どうする事もできない。
結局レティが至った結論は、多分全部あの天狗が悪い、という事だった。
「私じゃ、冷気を抑える事を教える事は出来ないわね、確かに……」
「な、なんで?」
「私は冬の妖怪だもの。寒さを抑える必要もなかったから、その遣り方が分からないわ」
「そっか……そうだよね……」
落胆の色を隠さないチルノを見て、考える。
恐らく、例えチルノが冷気を抑えられるようになったとしても、それだけでは今回の事が解決するとは考えられなかった。
けれでも、恋人の為に出来る事を必死に考えた彼女の意思もまた、無駄にさせたくはない―――
「まぁ、そうね。人里にいるあなたの友達なら良い案を出してもらえるかもね?」
「……え?」
きょとん、と見上げるチルノを見て頷く。
妹紅は元々強い力を持っていたわけではなく後天的に得た力だ、と以前聞かされた事があった。
つまりそれは、何らかの努力の結果付随してきたものであり、能力制御という観点からは恐らく自分よりも力になるだろう。
「本当?!」
「まぁ、それは本人に聞かなくちゃ分からないけど、ね?」
「うん!じゃあやっぱり、もこうに会いに行くね!」
「ええ。もし、あの天狗がチルノに会いに来そうだったら、私が止めておいてあげるわ」
「本当?!ありがとう、レティ!!」
ぎゅ、と。
一際強くレティに抱きつくと回した腕を放し、ふわり、と飛び上がる。
「じゃあレティ!行ってきます!」
「ええ、行ってらっしゃい、チルノ。頑張ってね?」
「うんッ!!」
人里を目指し、一切振り返る事無く遠ざかる背を視線で追いながら、やれやれ、と苦笑を浮かべて小さく呟いた。
「これは第三次嫁姑戦争かしらねー?」
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
(最悪だ……)
両手に抱えた重い資料を持ちながら、文は渡り廊下をぼんやりと歩いていた。
チルノとの事に気を取られ過ぎていたとはいえ、会議途中で退室を求められたは初の失態だった。
しかも『妖精を恋人としている噂』についての釘を刺すような言葉は、ざっくりと心に突き刺さっていた。
やはり、天狗としての考え方はそれだった。
妖精に対するマイナスイメージは知っている。
だが、改めてそれを目の当たりにさせられた事を想えば、深い疲労感が心を覆った。
チルノと会議。
心の重しが二つに増えれば、更にどよーん、とした空気を周囲にばら撒き、モーゼの十戒の如く数多くの天狗達は若干引き気味に道を開けていく。
(山の事はとりあえず置いておくにしても……この後チルノさんを探すとして何の解決法も無いし、な……)
どうしたものか、と文はダラダラと機械的に足を前へと動かす。
何人かの天狗から奇異な目に見送られていくなか、それでも道を開けようという気は更々ない天狗が一人居た。
「…………」
大剣を背負い、左手には円盤状の盾。白い耳と尾が特徴的な哨戒天狗の一人、犬走椛。
負のオーラに対して微動だにもしない凛々しいとも言える立ち振る舞いだが、平成初期の新橋のお父さん宜しく、右手には笹で巻かれた三つ程の包が垂れ下がっているため若干不思議な光景でもある。
本日の業務報告の為に大天狗の下に訪れた際、味音痴かつ作った物を人に配るのが好きという彼の天狗からお土産として渡されたのがその笹団子だったのだが、今はそれはどうでもいい。
兎にも角にも、文にとっての天敵かつ政敵でもある彼女が、道の真ん中で仁王立ちしていた。
椛はキツイ視線のまま、フラフラと歩いてくる文を見据えていた。
本日もまた、報告に本殿へと上がったら鉢合わせた、というだけなのだが―――
(前を見て歩かない奴の為にわざわざ避けるなんて、プライドが許さない)
という謎の理屈で他の天狗達のように道を開ける気は全くなかった。
片や負のオーラをまき散らし、片や明らかな臨戦態勢。
両者の不仲は有名であったためか、近くにいて巻き添えを食らっては叶わない、と蜘蛛の子を散らしたかのように周囲にいた天狗達は散り散りに去っていく。
「…………(謝る?何て?チルノさんが納得するような謝罪ってどうすれば……)」
「―――文様」
「…………(いやでも、どうにかしないとどうにもならないんだし、何とかどうにか……)」
「一体どうかされたんですか?そんな見ているだけで不快な気をまき散らして」
「…………(となると先ずはチルノさんの居そうな場所……レティさん……いや、妹紅さん?確か人里で雪掻き要員を募集してたから、妹紅さんを頼るなら人里に行くはず……)」
「ああ、ひょっとして噂の妖精にでも振られでもしたんですか?」
「…………(……はっ?!も、もしもチルノさんが魔理沙さんに捕まってしまってたら?!)」
「妖精、というだけでも十分だというのに、それに加えて振られるでもしたら天狗の生き恥だと……分かってます……か?」
「…………(またぞろあの人は面白がって何だかんだで掻き乱すに決まってる?!ひょっとしたら余計に面倒な事に?!)」
普段であるなら互いに言葉の応酬が繰り広げられるはずである。
ここまで言って無視するとは良い度胸してるじゃないか、と当初こそ好戦的な思いを椛は抱いていたが、一歩一歩、と着実に近付いて来るが完全に無反応の文を見て、流石に何かヤバイのでは、と思い至った。
人っ子一人いなくなり静寂が支配する渡り廊下にて、眼前に迫るその暗い気迫に押されれば、ジリ、と半歩ほど後退し、くわっ、と何の光も映さない文の瞳が突然見開かれると、ひぃ、と椛は悲鳴を上げそうになった。
(お、落ち着け、犬走椛!と、とにかく何か話させなくては……!!)
若干挫け気味の心を叱咤する。
互いに反りが合わないとはいえ会話が無いから怖いんだ、ということで、とりあえず何か話題は?と視線をさ迷わせると、手にしている笹団子の存在をふと思い出した。
万国共通、食の話題ならば何かしら反応するだろう、と恐る恐るお土産の笹団子を持ち上げ―――
「え、と……あ、あの何でしたら先ほど頂いた大天狗様お手製の笹団子がありますが良かったら―――」
「それはマズイ?!!」
「え、これやっぱり不味いんですか?!え?!」
文の瞳に光が戻った途端、立ち止まり、抱えていた資料をバサッ!と落として頭を抱えて叫んだ。
椛は思わず手に持っていた笹団子を二度見した。
「やばいやばいやばい!?今までの経験から言って、あの人の手に掛かると何もかもが不味くなる?!!」
「いや、文様?!どんだけ不味い物食べさせられてきたんですか!?それも守旧派(こっち側)の大天狗様に!?」
「これは……あの人に気付かれる前に早々に処理するしかないですよ?!最悪(=更にレティも絡むと)命に関わる!!」
「そこまで?!」
笹団子、改め生物兵器。
椛は手の中のそれを戦々恐々と見詰め、はっ!とある事を思い出した。
それはつい先日のこと、交代の報告をしに当の大天狗の下に訪れたとき、彼の天狗が椅子に座りながらぼんやりと呟いたのだ。
「毒は毎日取り続けると体に耐性が出来るらしいな―――」と。
それを思い起こし、さぁ、と椛の顔から血の気が引いた。
「ま、まさかこれ……大天狗様本当にやられたんですか……?」
「とにかく一刻も早くチルノさんを確保しないと―――って、椛さん?!何で目の前にいるんですか?!」
「あ、文様?!そそそそその話は本当なんですか?!」
ガシィ!
何故か必死の形相の椛に腕を掴まれ何事かと目を見張ったが、その直前の自らの発言を思い起こせば、あ、と小さく呟いた。
そういえば、チルノさん、って言ったな私―――
冷や汗が頬を伝う中、ススッ、と視線を逸らした。
「い、いや何の話しでしょうか―――?」
「何ではぐらかすんですか?!こっちにとっては死活問題なんですよ、どういうことなんですか?!」
「いやいやいや!どうもこうも何で貴方の死活問題に発展するんですか、これは私の問題ですよ?!」
「何処がですか!!いくら政敵とはいえ毒ですよ!笹団子ですよ?!下手したら私、死ぬんですよ?!」
「いや、毒って何ですか?!つか何で笹団子が死に直結しますか?!」
会話のキャッチボールが完全に崩壊している現状に、訳が分からん、と必死な椛にたじろいだ。
どちらにせよ『笹団子』死とは随分と嫌な死に方だな―――とは思ったが
「と、とにかく!私は今から急いで行かなくてはならない場所があるので!!離して下さい?!」
「嫌です!困ります!?この笹団子の秘密を知らなくては処分もできないじゃないですか?!というか上司から貰った物をどうすればいいんですか、私?!」
「ああああもう、どうもこうも?!一体その笹団子にどんな秘密があるっていうんですか?!」
「それを知ってるのが文様でしょう!!」
「一体何処からの情報だ、それ!?」
とりあえず、上司から受け取った物を捨てた、というのは立場的に大変宜しくない。
文は文で全く話を聞いていなかったので意味が不明だし、椛も椛で自分ではどうすることも出来ないその笹団子を握り締め、必至に食い下がる。
ぎゃいぎゃい、と。
腕を掴みあったまま言い合いは続いたが、このままじゃ埒が明かない、と椛の手にあった笹団子をガバッ!とひったくり
「じゃあもうこれは私が処分しときますから!!それで満足ですか?!」
「―――!! メシア―――」
手元を離れた上司からのお土産生物兵器(仮)を見詰め、椛がポツリと呟いた。
「何がですか?!と、とにかく早く行かせて下さい!!じゃないと、あの、黒い奴が……!!」
「黒い奴ってなんですか、メシア」
「そのメシアって止めてもらえませんかね?!早くて素早いあいつですよ!!」
「早くて素早いって……まさか……ッ!!」
「ええ、貴方だって見たことはあるでしょう?!ほっとくと地面に直径5メートルくらいの大穴ぶち抜くんですよ?!あああああ、さっさとしないとあの人の魔の手がー!!!?」
慌ただしく落とした資料を掻き集めると、そのまま文翼を広げて渡り廊下から一気に飛翔する。
とりあえず自宅に戻って資料を置いた後、魔理沙に捕まる前にチルノに会う。
その予定を組み立ながら、全力で羽ばたいた。
「直径5メートルの大穴を開ける……ゴキ?」
そんな、遠ざかる漆黒の翼を見送りながら、笹団子の恐怖から開放された椛は呆然としたままポツリと呟いた。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
雪、というのは案外厄介なものだ。
降り積もれば下層の雪は重みで氷のように固くなり、また積もりたての新雪には足を取られる。
更に、家に積もった雪を放置でもすれば、その重みで屋根が抜けてしまう。
元々幻想郷は豪雪地帯、というほどの雪が降ることは無い。
しかし、今年は異常気象なのか、やたらと雪が降るために村人総出で雪掻きに精を出さなくてはならなかった。
「…………空が青い」
冬場れの青空を眩しそうに見上げ、妹紅はしみじみと呟いた。
腰まで届く銀髪に赤のモンペ姿は一面の銀世界でこれ以上ないほどその存在を主張している。
普段迷いの竹林に住む彼女が人里にいる理由は雪掻きの為に借り出されただけだが、掻いても掻いても終わらない雪掻きに嫌気が差し、今は掻き集めた雪で作った高さ3メートル程の雪山の上でぼんやりとしていた。
「結構疲れるな、これ……」
頭をガシガシと掻きながら、まだまだ降り積もっている雪を見て肩を落とす。
当初は、溶かせばいいじゃん、という事で能力でもってガンガン溶かしたのだが、翌日見事に溶けた水で地面が凍結して転倒者が多発し、永遠亭が千客万来状態になったことから慧音に禁止されてしまった。
「もこー!」
「……ん?」
あの方法の方が楽なんだが、と考えていると子供のような高い声が響いた。
空から降ってくる声に釣られ真上へと視線を向けると、太陽を背に真っ直ぐに落下しくる影が―――
「もこうっ!!」
「うぉっ?!」
急降下爆撃よろしく、高々度から一気に落下してきたその体を両手で抑えれば背中から倒れ込み、雪をクッションにして勢いを殺す。
ボフッ、と先ほど掻き集めた雪に体が埋まり、ジワリと背中に雪の冷たさを感じながら溜息を吐いた。
相変わらず馬鹿みたいに青い空を見上げながら、反射的にキャッチしたヒンヤリする腕の中の友人へと視線を移せば眉を顰める。
「おい、チルノ。いくらなんでも今のは危ないだろ……」
「え?あ、ごめん……」
「まぁ、分かればいいんだが……それより、今日はどうしたんだ?」
よっこいせ、と起き上がり雪の上に座らせ肩を落とすチルノに首を傾げる。
二人の付き合いはそこそこ長いが、大抵チルノが妹紅の元にそうやって突撃をかけてくる時は、何かしら問題が起こった時、と相場が決まっていた。
だから、妹紅はチルノが何を求めているかを尋ねたのだが―――
「あ、えっとね!お願い!文を燃やして欲しいの!!」
消沈していた意気を盛り返したチルノが決意を新たに言い切り、ブラックマンデー並みに相場が暴落した。
「……チルノ、それは本当にお前の望みなのか……?」
意気揚々と言い切られたその台詞を三回程、脳内で繰り返すと、思わず眉間を指でグリグリと押す。
喧嘩でもしたのか?と思えどもそれにしては無駄にアグレッシブ過ぎるそれに訳が分からん、と匙を投げた。
「天狗で焼き鳥を作ってもなー……」
「? 美味しいの?」
「いや知らん、というかそういう事じゃない、どういう事だチルノ」
「え?」
きょとん、と不思議そうに首を傾げるチルノを覗き込み、だからな?と頬をポリポリと掻き
「何でお前の恋人を燃やす必要があるんだ?」
「え、と……あたい冷たいでしょ?」
「あ?ああ、まぁ……」
「だから、文が冷えないようにしたいの」
「ああ―――なるほど」
「だからね、もこう!お願い!」
「焼死体を作りたいのかお前は」
ペシッ!と額を軽く叩き、あぅ、と声を出して涙目で頭を抑える様を呆れて見詰めた。
「だ、だって!暖かくするにはレティが炎を焚けばいいって!?」
「だからって本人に火をくべてどうする……」
やれやれ、と深い溜息を吐いた。
確かにここ最近、冬が深まるにつれてチルノが身に纏う冷気が強くなり、そういう懸案が生じるのは当然と言えば当然であったのだが―――
「というか、チルノ。お前がその冷気を制御出来るようになればいいんじゃないのか?」
「え?でも、あたいそんな事できないよ……?」
「だから努力するんだと思うんだが、普通……」
困り顔で眉を顰めるチルノを見詰め、ふむ、と1つ呟けば尋ねる。
「因みに、チルノ。お前今まで力を制御した事あるか?」
「えと……良く分からない……」
「だけど、何か結構細かな氷細工なんか作れたよな?」
「うん、出来るよ!」
チルノは案外がさつなようで、氷に関しての事ならば割と繊細な作業は得意だった。
以前も、鯉が中で泳いでいる完全球体の氷のボールを作ったりしていたくらいだ。
「と、考えると冷気の細かな制御も基本的に可能、って事だよな……」
そういった物を作るには絶妙な冷気の力加減が必須となる。
で、あるならば基本的に冷気の制御は可能、という事だ。
ただ、今まで体から漏れ出る冷気を制御する必要も意味も無かったから、やり方が分からないという事だろう。
問題は、それをどのようにして教えるか―――
「妹紅!こんなとこにいたのか」
どうしたもんか、と腕を組んで悩んでいると突如響いた声。
それに、にんまりと目を緩めると視線を向けた。
「おお、慧音!ちょうどいいところに」
「何がちょうどいいところだ。まだまだ雪は残ってるんだぞ―――っと、チルノか?」
「あ、けいね!」
雪山から頭を出して、ぶんぶん、と手を振るチルノに頷く人物。
特徴的な帽子を頭に乗せた寺子屋の教師、上白沢慧音。
今回の雪掻きでも率先して動いていた彼女は途中から姿を消した妹紅を探し歩いていたのだが、目的の人物が寺子屋の生徒でもあるチルノと共に無駄に積み上がった雪山の上で座しているを見上げ、不思議そうに首を傾げた。
「二人揃ってそんなところで何をやってるんだ?」
「ああ、それなんだが慧音。ちょっと困ってる事があってな……知恵を貸してくれないか?」
「む?まぁ、別に構わないが……」
「まぁ、立ち話もなんだし良かったら慧音もこっち来いよ」
「私は連れ戻しに来ただけなんだがな……」
ちょいちょい、と。
雪山の上からの手招きに誘われるまま、安定感の悪い雪山を登る。
やっとの思いで登頂を果たせば、雪の上に座り込む二人を見習って、よいせ、と声を出して膝を落した。
新たに雪山の山頂に現れた三人目を含め全員の視線が大体揃えば、さて、と妹紅は声を出し、早速と本題を切り出した。
「チルノに力を制御させる事を教えるとしたらどうしたらいいと思う?」
「なぁ、妹紅。いきなり過ぎて話が見えないんだが……」
「そんな込み入った話じゃないさ。チルノが、恋人を凍えさせない為に冷気を抑えたいんだとさ」
「うん、そう!」
「ああ、そういう事か……」
なんとなく概要を把握すれば、そうだな……と慧音は顎に手を当て逡巡する。
「ちなみにチルノは一切能力を制御する事は出来ないのか?」
「えと……分かんない……」
「慧音。多分だが、チルノは今まで制御する必要がなかったから自覚が無いだけなんだと思うんだ。結構冷気を操って何かを作るのは得意だから、出来ない事は無いはずだと思う」
肩を落すチルノを庇うように説明を継げたし、どうだろう?と妹紅が首を傾げる。
それを見遣れば、なるほど……と頷き
「なら、とりあえず冷気が全く出ない状態を体で覚えるのが一番早いんじゃないか?」
「と、いうと?」
首を傾げ先を促し、チルノもまたきょとんと見上げる。
そんな二人を見て、簡単だ、と肩を竦め
「チルノが疲れ果てて能力が出なくなるまで全力で力を発動させる」
「随分と荒っぽいな……」
思わず妹紅は眉を顰めれば、確かにな、と苦笑を浮かべる。
「だが、一番確実な方法ではあると思うぞ?」
「まぁ、な……後はチルノ次第だが……」
「あたいやるよ!」
皆まで言わせず。
意気揚々と握りこぶしを作り、チルノは二人を見上げた。
「文が冷たくならないなら、あたい頑張るよ!」
「だ、そうだぞ。妹紅?」
「なら、とりあえずその方向性で行ってみるかね……」
やる気十分なその姿に、妹紅と慧音は顔を合わせれば微かに笑いあう。
恋人の為、なんていう甘酸っぱい理由で頑張ろうとするのが微笑ましかったからなのだが、ニヤリ、と妹紅は口元に笑みを浮かべ、さてさて、とわざとらしく声をあげ
「じゃあ私はチルノの特訓に付き合うから、雪掻きはちょっと外すぞ?慧音」
「こら待て妹紅。お前、最初からそれが目当てだったのか……?」
飄々とサボタージュ宣言をした友人を、ジト目で見詰める。
だが当の本人は、いやいや、と笑みを携えたまま手を振り
「友人が困っているならそっちを優先させようというだけさ……じゃあ、とりあえず空き地にでも行くぞ?チルノ」
「うんー!」
「あ、おい!……まったく」
立ち上がり、早々に雪山から降りていった妹紅がチルノに声をかけ、その赤いもんぺを追って妖精も飛翔していく。
ただ一人山頂に残され、やれやれ、と肩を落して立ち上がると、既に角の道に姿を消した二人の後を追うためにノンビリと下山し始めた。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
文は人里へと向けて全力で飛翔していた。
とにかく、最大の懸念であるチルノが魔理沙と遭遇していない事をただ祈りながら、彼女が居そうな可能性の高い場所を片っ端から潰していくつもりだった。
「間に合って下さいよ―――っ!?」
冷たい空気が吹き抜けて、頬や耳がちぎれんばかりに痛かったが、歯を食いしばりただただ人里を目指す。
自宅に置き忘れてそのまま持ってきてしまった生物兵器こと笹団子が、パタパタと風に煽られて鳴っているのを聞きながら、焦燥に駆られていた。
夏、秋と魔理沙が関わった為に面倒な事になっている。
もしも、再びその介入を受ければまた何か酷いこと起こると心の何処かで確信していた。
(とにもかくにも、早くチルノさんを確保して、謝罪して―――!!)
早急に終わらせる為なら、土下座でも何でもしよう。
そんな決意を胸に空を疾駆していれば、ようやく遠目に人里の家々の屋根が見えてきた。
どうやら雪下ろしをしているのか、何人かの人間が屋根の上を動いている。
あの中に目当ての人はいるだろうか?
そんな思いを抱え、目を細めて目的の人物を探していると―――
「そこまでよ―――」
「―――え?ぅわぁ?!」
凛と響いた声に一瞬呆気に取られたら、突如として雪のように白い弾幕に襲われた。
幾重もの横一線に並んだ弾幕が眼前に迫るのが見えれば、見覚えのあるそれに目を見張る。
翼で飛行ルートを制御し、錐揉みしながら弾幕を掻い潜りながら思わず叫んだ。
「今の弾幕は―――レティさんですか?!」
「あら、ご明答。さすがね」
弾幕を切り抜け、なんとか体勢を整えながら声を上げると、ぱちぱち、と手を叩きゆっくりと距離を詰めてくる影。
髪を覆う白い帽子に銀世界に目立つ濃い青の服。
白いマフラーを棚引かせ、悠々と空に佇むのはレティだった。
その姿を見て、思わず頬が引き攣った。
まさか、もうチルノさんはレティさんに全てを話したんじゃ―――
既に何度か手合わせをする羽目になっていたが、どうにもこうにもチルノが関わるとレティは無駄に強かった。
勿論、本気を出せば負けることはないが、そもそもそれほど好戦的という訳でもなく、更にはチルノの保護者的立場にいるレティとは出来るならば戦いは避けたい、というのが本音だった。
背筋が寒くなるを感じながら、いやはや、とレティに言葉をかける。
「今年に入って既に二回も見せつけられてしまいましたからね……嫌でも覚えますよ?」
「そう、なら今日で三回目になりそうね?」
一定の距離を保って止まれば、正眼に捉えられたまま何でも無いようにレティは言い放つ。
いわば宣戦布告のその台詞に、思わず目眩を覚えた。
「いやいや―――レティさん?ここはもっと友好的にいきませんか?」
「あら、そうはいかないわ?チルノに、貴方が近付かないようにしておく、って約束しちゃったもの」
「なんてことを―――」
最悪のパターンその1は既に入っていた、と思えば頭を抱えた。
これでは強行突破以外の道が無い。
しかし、ここでレティが待ち構えているということは、この先にチルノがいる、という証拠でもあった。
「……笹団子上げるので行かせてくれませんか?」
「ダメね。それに私、笹団子そんなに好きじゃないし」
ダメ元で手にぶら下げていた笹団子を差し出してみたが、きっぱりと跳ね除けられた。
桃太郎はどうしてキビ団子で買収出来たんだろうか、等とどうでも良いことを考えていたが、しょうがない、と腹を括った。
「どうしても、チルノさんに会わなくちゃいけないんです」
「でも、チルノは貴方に今、会いたくないそうよ?」
「それでも、です。私が悪いんですから、ちゃんと謝らなくては私の気が許しません。それに魔理沙さんの介入を受ける前に終わらせたいんです」
「貴方の事もあの白黒人間の事も関係ないわ?しつこい恋人は嫌われるわよ?」
話は平行線を辿る。
どこかピリピリとした空気が張り詰める中、押し問答を繰り返し、目を細めた。
「退いては―――くれませんよね?」
「ええ、その気は無いわ」
「なら―――本気でいきますよ?」
ざわり―――
空気の質が変化した。
レティを見据えたまま内ポケットから数枚のスペルカードを取り出す。
天狗は、幻想郷において強大な力を持つ妖怪である。
その本気ともなれば、多くの者は正面から戦いたいと思うはずもない。
「ええ、その方が早く済みそうね」
しかしレティは余裕とも取れる静けさを保ったまま、同じように数枚のスペルカードを取り出す。
その姿に僅かながら不信感を感じると、ふふふ、と眼前の敵は妖しく笑い。
「今日の貴方は、私に勝てないわよ―――?」
「……随分と自信有りのようですが……私も負けられないんですよ」
そう。
こんなところで時間を使ってる暇は無いのだ。
すぅ、と1つ息を吐き出し、全神経を集中させると、二人は同時に叫んだ。
「「勝負ッ!!」」
声が冬の空に響き、展開される弾幕。
大三次嫁姑戦争の火蓋が、切って落とされた―――。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「……慧音、これは……」
「あ、ああ……少し、予想外だったな……」
人里の空き地にて。
妹紅と慧音は呆然と空を見上げていた。
いや―――正式には、眼前に何本も聳える高さ10メートルを超える槍のような氷山に。
「えと……いつまで作ればいい?」
「……ああ、もういいぞ、チルノ」
それを作った張本人は、息一つ乱していない。
手のひらに集中させていた冷気を消すと、改めて二人を振り向いてきょとん、と首を傾げた。
「どうしたの?」
「どうしたもこうしたも……なぁ、チルノ?お前今どんな感じだ?」
「? どんな感じって……?」
「こう、疲れたとか」
「ううん、ぜっこーちょーだよっ!」
「……お前本当に妖精かよ」
がっくり、と肩を落として改めて眼前の景色を眺める。
透明度の高い氷の柱が幾重にも乱立し、それなりに広さがある空き地は殆ど氷山で埋まっている。
実際に逝く事はないだろうが、地獄の針山っていうのはこんな感じなんだろうな、とぼんやりと眺めていた。
「ふむ……これは、やり方を変えたほうがよさそうだな」
「えと……なんか、あたいまずい事した……?」
「ああ、そうじゃない。私と妹紅の予測が甘かった、というだけだ」
顎に手を当て、うむ、と1つ頷く慧音と心配顔のチルノのやり取りを見ながら深い溜息を吐いた。
氷の妖精だから冬になれば力が強くなる、という事は考慮していたもののこれは想定外だった。
(もうこれ、下手な妖怪より強い、よな……)
とりあえず、この眼前に聳え立つ氷壁をどうしたものか、と見ていたらポン、と肩を叩かれる。
「と、いう訳だ。妹紅」
「……は?どういう訳だよ」
なんだ?とそちらに視線をやれば、どことなくいい笑顔を浮かべた慧音の顔。
その表情に背筋が薄ら寒くなるのを感じながら、どういうことだ、と尋ねれば
「とりあえず、君の能力でこの特訓するのに邪魔な氷を全部蒸発させてしまってくれ」
「え゛っ?!ま、待て!私一人でか?!」
「能力を考慮すれば、当然だろう?ああ、そうそう水浸しになるとまた明日凍結してしまうから、一瞬で蒸発させてくれよ?」
にこにこ、と。
どうやら先ほど早々に雪掻きのサボタージュを宣言したことを若干根にもたれてしまっているようだった。
ひくひく、と頬が引き攣るのを感じながら、マジか、と小さく呟き改めて氷の壁を見上げる。
何度見ても、馬鹿げた高さだった。
「とりあえず、チルノ。お前の能力の強さは分かった。私の考えた方法では無理そうだが、妹紅の言う通り集中力を高めれば、その冷気を抑える事は恐らく可能だ」
「本当?!」
「ああ。とりあえず妹紅がこの氷を処理するまで時間が掛かるから、その間で構わないから雪掻きの手伝いをお願いしていいかな?」
「うん、いいよっ!雪だるま沢山作るよ!!」
「こらこら、雪だるまじゃなくて雪掻きだぞ?」
ポンポンと進む話しを蚊帳の外で聞いていれば、わいわいと言いながら雪掻きへと借り出された小さな背中を横目で見送る事となる。
「…………」
一歩。
太陽の熱を受けても一切溶ける気配の無い氷壁へと近付けば、ノックするように手の甲で叩くとコンコンッという鈍い音。
スイカであれば中身がギッチリ詰まった良い音かもしれないが、生憎と目の前にあるのは何処までも分厚い氷である。
「……楽をする筈だったんだがな……」
ポツリ、と呟けば雪掻き以上に厄介そうな氷の処理を思って、はぁ、と深い溜息を吐いた。
だが、ため息一つで氷が溶ける訳でもなく。
やれやれ、と眉を顰めて軽く腕捲りをすれば、氷壁に掌を翳した。
「しゃあない―――やるか」
力を込め、手のひらに松明程の灯火を発生させると、ジュッ、という音と共に即座に溶けていく氷の壁。
それを見詰めながら、不敵な笑みを浮かべた。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
文は、雪原に横たわって呆然と空を見上げている。
背中に感じる冷たさとか、やるせなさとかにデジャブを感じさせられていた。
チルノとの対戦で敗北した時と唯一違う事は、手にしている笹団子の包ぐらいだろう。
「……そんな馬鹿な」
青い空を見上げながら、信じられない、と思わず声が出る。
弾幕ごっこ開始から3分後。
何故か手も足も、更にはスペルカードすら出ることなく、レティに敗北を喫した。
第三次嫁姑戦争の勝者は
「ほらね?分かったらしばらく大人しくしていなさい」
と言って、早々に何処かへと立ち去ってしまっており、白銀の世界には今ただ一人だった。
「……え?何で?」
何処までも静かな世界に答えを求めるように疑問が口をついて出た。
それは、本来格下の妖怪に手も足も出ずに負けた、という以上に―――
「何でスペルカードが発動しないんですか……?」
何故かレティとの弾幕ごっこ中、スペルカードが発動しなかったという一事に尽きる。
本来ならあるはずがないその現象に気を取られている内に、一方的に弾幕を叩き込まれてしまえば勝敗の行方など火を見るより明らかだった。
寝っ転がったまま手に収めていたスペルカードを眺めてみる。
持ち主を裏切り、その能力を発動させなかったカードは見たところ至って普通だった。
「一体何なんですか……」
「それは私が白黒つけたからです」
「へ?」
ひょっとしてレティが何かしらの細工をしたのだろうか?と考えたが、そんな事が出来る筈もない。
兎に角訳が分からない事態に頭を悩ませていると、声と共にぬいっと空を遮るように出てきた影。
何事かと、目を丸めて見上げると、特徴的に片側だけ伸ばされた緑色の髪にヒラヒラと揺れる紅白のリボン。
一見、何かの絵にも見える文字が描かれた小さな卒塔婆のような木の棒を手に、寒さの為かカタカタと小刻みに震えるその姿は―――
「はぁ?!閻魔様?!」
「はい、四季映姫ヤマザナドゥです。お久しぶりですね、鴉天狗の射命丸文」
楽園の最高裁判長にして死者の裁断者。
白黒はっきりつける、という特異な能力を有する、閻魔である四季映姫、その人だった。
慌てて起き上がり、正座をして居住いを正しながら疑問に思った。
白黒つけた、という事はどういう事か?と。
すると、その疑問を察したようで、いえね、と映姫は手を振り
「レティ・ホワイトロックに頼まれて、あなたのスペルカードが発動しないようにしました」
「ああ、なるほど―――って、何でですか?!意味が分かりませんよ、閻魔様?!一体どうしてそのような事をされたんですか?!」
それでスペルカードが発動しなかったのか、と納得したものの、何故そのような目に合わされたのか分からず閻魔へと食ってかかる。
だが、相変わらず寒さでカタカタ震えながら、決まってるじゃないですか、と映姫は肩を竦めてみせる。
「空き時間を利用して、説教しに来たんですよ」
「それで何故私のスペルカードを封じる必要があるんでしょうか?!」
「分かりませんか?」
「一切合切、全く分かりませんよ!」
やれやれ、と態とらしく溜息を吐きながら、ご覧なさい、と映姫が人里を指さした。
「皆、雪掻きをしてます」
「……いや、そりゃ雪が積もってますからね……」
その指の先では、遠目からも未だに雪掻きに精を出している人々の姿がある。
そんな当たり前の事を何を突然言い出したのだろうか?と若干目の前の閻魔に不信感を抱いていると、そうです、と頷き
「つまり説教しに来たはいいものの、皆忙しそうで説教する相手が居ない、ということです」
「……は?」
「冬ですからね。活動的な妖怪も殆ど居ません。ただ寒い思いをしただけかと諦めていたら、レティ・ホワイトロックに遭遇したのです。そして彼女は、弾幕ごっこにおいて貴方の能力を封じる事を条件に、大人しく説教を受けてくれた、という事です」
「はぁぁぁぁ?!!レティさん、なんつー隠し球用意してるんですか?!」
「序に勝負が決まった後は、貴方に説教しても構わない、と言われました」
「無茶苦茶だよっ?!」
「折角寒い思いをしたんですから、やはり一人でも多く説教をしたいじゃないですか」
しれっと話す閻魔を愕然と眺める。
とんでもないドーピングを用意していた冬の忘れ物を想えば、フツフツと怒りにも似た何かが湧き出してもくるが、更に勝手に閻魔からの説教リストに載せられた、という事を考えれば正に踏んだり蹴ったりだ。
「―――っていうか、閻魔様もともとお地蔵さまですよね?!何で寒いんですか?!」
「貴方は地蔵を何だと思ってるんですか?石で作られ、自らを暖める事すら出来ない、いうなれば究極の変温動物ですよ?」
「まず動物じゃないですよね!ってツッコミを入れるべきなんでしょうか?!」
「射命丸文。貴方だって笠地蔵の昔話くらい知ってますよね?」
「え?あのお祖父さんが、寒そうだからとお地蔵さまに笠を掛けたら、その日の夜に沢山の食べ物をお礼に届けに来る、っていうあれですか?」
「ええ、それです。寒いのが苦手でなかったら、笠かけられた位であんなに恩返しするわけ無いじゃないですか」
「良い話が何だか台無しだっ?!」
思わず地面に両手を着いた。
感動を返せ!?と心で叫んでいると、ゴホン、と態とらしい咳払いが聞こえ
「では、射命丸文。貴方は今、何かに悩んでますね?」
「え―――説教始めるんですか?唐突過ぎませんか?」
「まぁ、寒いのでさっさと終わらせたいのですよ。さぁ、ちゃっちゃと悩みを告白なさい」
「そんなに面倒ならやらなきゃいいじゃないですか?!」
「む……。そうですか、大人しく喋りませんか。なら、致し方ありません」
どうにも乗り気じゃないままやる気を出した相手を正直、馬鹿かこの人と思ったが、映姫が仕方ないと称してゴソゴソとポケットから取り出された手鏡を見て、ピシッ、と音を立てて固まる。
「と、言うわけで浄玻璃の鏡です」
「閻魔様、最近私、プライバシーについて思うところがあるんですよ」
「そうですか、それは善い事です。ですが閻魔の前で個人情報なんてもの世界恐慌後のマルク紙幣ほどの役にも立ちません」
過去の行いの全て明かす、閻魔が持つ道具、浄玻璃の鏡。
本来、裁判の時に使うそれを翳して過去を覗き見る閻魔を見て、流石は地獄の長だよ、と絶望感が溢れる視線で抗議をしてみたが、当の映姫自体はどこ吹く風と時折ふむふむと頷き―――
「―――はい、分かりました」
「私が分かったのは寒さは閻魔様をぶっ壊すっていう新事実だけですよ……」
今度いつか記事にしてやろう決意を新たにしていたら、そうですね……とそれまでの声色とは違う、落ち着いた声で映姫が喋り始めた。
「天狗と妖精の恋。中々難しい物ではありますが、実際どうなのですか?」
「ええと……どう、とは?」
「いえ、ですから。射命丸文、貴方は今、幸せですか?」
「そ、れは勿論です。今現在は何ともお答えし辛いですが、私はチルノさんと一緒にいれて幸せです」
突然の変化に戸惑いつつ、それだけは間違いないと頷けば、ほう、と映姫が小さく声に出す。
「知人からはその見た目の差異を揶揄され、社会にはその規範を外す行いとして必死に隠しているにも関わらず?」
「それは……言われるのは慣れますし、天狗の社会にバレたくないのは、チルノさんの安全を考えて―――」
「『社会に生きる』という事は『規範に殉ずる』ということです」
凛とした声が響きわる。
静かな、そして一切ぶれることのない強い視線で貫かれ、思わず息を呑んだ。
「規範を外す、という事は社会から外れる事に等しいのです。しかし貴方は、規範を外しながらも社会から外れる事を恐れている。勿論それは貴方の恋人である妖精に対する思慮故という事もあるでしょうが、それだけではありませんね?」
手鏡をポケットに仕舞いつつ、映姫は視線を一切外さないままにスっ―――と目を細めた。
「そう―――貴方には少し、覚悟が足りない」
悔悟の棒で口元を隠し、淡々と告げるその内容は、文の心に衝撃を与えるには十分な物だった。
「立場の違う恋が一般的に成就しないのはその周囲からの目、つまり環境に由来します。
それは個人の思いで変える事が出来るものではありません。
世界が変わらないのであるならば、貴方が変わらなくてはならない」
呆然と。
ただ呆気に取られて見上げたまま言葉を発することの無い文へと、楽園の最高裁判長は悔悟の棒を突きつけ、厳粛な声で判決を言い渡した。
「このまま事実の露見を恐れ、ただひた隠すというのであれば間違いなく貴方も、あの妖精も覚悟無さ故に癒えぬ傷を負うことになるでしょう。
喜びや嬉しさといったものだけが愛や恋ではありません。
苦しみや辛さ、貴方が愛する者を愛したいというのであるならば、百の憎悪を一身に受けるとしてもその全てを受け入れる覚悟がなくてはいけない!」
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「………何をやってるのかしら?」
文を撃破した後。
チルノの様子を見る為に人里へと向かった。
何処で何をする、といった情報は一切なかったが、空を飛んでれば案外見つかるだろう、と楽観的に考えていたら実際直ぐに見つかった。
何故か雪が完全に消失し黒い土が所々むき出しになっている空き地。
そこに二つの影を見つけ、迷うことなく降り立った後に発した言葉が先のあれであった。
「何、と言われてもな……見たままだと思うが」
地面に座り、片手に拳大の雪玉を丸めながら、不思議そうに首を傾げたのは妹紅。
チルノを介して知り合った二人だが、レティはそんな知人を不審者を見るような視線で見詰めた。
「見たまま………ねぇ?」
ぼんやりと呟きながら、改めて周囲を見渡してみる。
まず、チルノだが座禅を組むように地面に腰を下ろしている。
静かに、言葉を発することも無く、右手、左手、そして頭に水を張った杯を載せて集中するように目を閉じている。
その状態で、少なくともレティが到着しても微動だにせず固まったままだ。
一見しただけでは全く意味が分からない。
普段のチルノの言動がそのまま体現したかのような目の前の光景に、思わず頭を悩ませた。
更に問題なのが、その周囲だ。
座り込むチルノを中心に掌サイズの雪だるまが、何十体と乱立しているのだ。
しかも、今なお妹紅の手でコロコロと転がされて作られた雪の玉によって、その数は着々と増加している。
ついでに、少し離れた場所には人の大きさの数倍はある高さの特大雪だるまが鎮座していた。
「……悪魔でも召喚するのかしら?」
「いや、なんでだよ」
若干儀式めいたものを感じ素直に告げれば、何故か妹紅が呆れ顔で眺めてくる。
その様子に、若干ムッとしながら肩を竦めた。
「じゃあ一体何でチルノは三つ杯を乗っけてその周囲を雪だるまで囲っているのか、明確な答えを教えてくれるかしら?ついでにあの馬鹿みたいな大きさの雪だるまについても」
「デカイ雪だるまは雪掻きと称したチルノの作品だよ。他は、まぁ、なんというか……一言で言えば、修行だな」
よいせ、と声に出して立ち上がる妹紅に、どうゆうこと?と首を傾げる。
「そんな難しい事じゃないさ。三つの杯に水を満たして指定した一つだけを凍らせる。もしも他の杯の水も凍ったら失敗だ」
「それが修行なの?」
「ああ。そうやって細かく特定の場所に冷気を出す事を繰り返して、制御の方法を覚えるって訳だ」
なるほど、と頷きチルノへと視線を遣る。
静かに目を閉じたまま、会話など耳に入っていない様子で相変わらず集中していた。
耳を澄ますと、キシッ、キシッ、と氷がゆっくりと張っていく音が聞こえる。
「つまり、反復練習って事かしら?随分と気が遠くなりそうだけど……」
「それが何でか知らんがチルノの飲み込みが大分早くてな……力は馬鹿みたいに強くなったし、どうかしたのかと不安になるくらいだ」
そう言いながらも、ニヤリ、と楽しそうな笑みを浮かべた妹紅を見て、はぁ、と深い溜息を吐く。
「“愛の力”とでも言いたいのかしら?」
「“お母さん”としては複雑な心境かな?」
「今まで居た存在が手元を離れていくというのは中々面白くないものよ?貴方に諭すまでもないでしょうけど」
「それはまた手厳しい一言だ」
思わず苦笑を浮かべる不老不死の少女を、それより、とジト目で見詰める。
「その雪だるま達は一体なんなの?」
「ん?ほら、ちゃんと集中出来ているか、敢えて気を散らせるような事をしようかと思ってだな―――」
「建前はいいから、本音は?」
「―――いや、暇だったんで、つい」
「そんな事だろうと思ったわ」
やれやれ、と肩を竦めると、妹紅は居心地悪そうに苦笑を浮かべれば、それより、と無理やり話題を変えた。
「さっき外で弾幕が見えたが、あれ、レティのだろ?相手は?」
「まったく……もう一人の当事者よ」
「ほー……こうしてレティがここに来たって事は、勝ったって事だよな?」
「ええ、ちょっとズルはしたけど、ね?」
「やれやれ、妖精に負けたり普通の妖怪に負けたり、天狗の株が大暴落だな」
「そうね。きっと今頃ありがたい話を聞いて、テンションも大恐慌になってるんでしょうけど」
「ん?ありがたい話……?」
一体何が、と不思議そうに首を傾げる妹紅に肩を竦めた。
きっと今頃、閻魔による説教も終わっている頃だろう。
人妖関わらず説教を行う彼女の手によって、今頃こってりと絞られたはずだ。
(私も、散々言われたしね……)
数刻前の説教を思い出せば、ふぅ、と溜息を吐いた。
噂では聞いていたが、あそこまでズバズバと言われるとは思っていなかった。
オブラートに包むなんていう生易しさの欠片もない、投げかけられた数々の直球を思い出せば自然と苦笑を浮かべてしまう。
「どうかしたのか?いきなり笑い出して」
「……いえ、ただ当分死にたくないと思っただけよ?」
「? なんだそれ」
一人で笑って納得する様子を妹紅が不審気に見詰めてきたが、用が済めばクルリと背中を向けた。
「さてと……ここに居てもチルノの邪魔になるだけでしょうし、そろそろ行くわ」
「ん?何か用事があるのか?」
「ええ。もう一人の当事者のことも、それなりには気にしてるのよ、私は」
「そうかい……色々と大変だな、お母さん」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
顔だけで振り返り、ふふ、と笑みを浮かべると、タンッ―――と足で地面を蹴り上げ、飛翔する。
空へと舞い上がると、背後から、やれやれ、と妹紅の態とらしい声が聞こえた。
「よっしゃあ!出来たよっ!」
「―――ん?ああ、右手だけで氷を作るの終わったか」
「うんっ!はい、これ!」
レティが去って直ぐ。
今までの会話すら耳に入らぬほど集中し、ようやく氷結を終了させたチルノが喜びの声を上げた。
頭に杯を乗せているため殆ど動くことなく差し出された右手の杯を受取り覗き込むと、うん、と頷いた。
「ちゃんと出来てるな。頭のは―――凍ってない、と。それで、左手の方はどうだ?」
「え?えっと……あ……」
「ん?どうした」
しょんぼり、と。
途端に元気を無くした様子に首を傾げると、ゆっくりと差し出される左手の杯。
それも受け取り水面を覗き込むと、うっすらとだが表面に氷が張っていた。
「あー……やっぱり右手で能力を扱うと、左手も勝手に冷気が出てくるか」
「うー……逆ならちゃんと出来るのに……何で?」
「多分利き手の問題だと思うぞ」
「利き手……?」
「ようするに、だ。チルノは右手の方が器用だって事だ」
それぞれ凍りついた杯を両手に持ち、ゆっくりと両手に力を込める。
燃え上がるような炎では無く、夏の陽気のような暖気を発生させて、凍りついた水をゆっくりと溶かす。
段々と融解していく氷を見ながら、順調だな、と静かに頷いた。
「うぅ……やっぱり、無理なのかな……」
「何言ってんだ。最初は全部かっちんこっちんだったじゃないか。少なくとも頭のは凍ってないんだし、ちゃんと上手くなってきてるから、そう焦るなよ」
「……本当?ちゃんと出来てる?あたい」
「ああ、大丈夫だ。私を信じろ」
「……うんっ!」
肩を落とし、しょげているチルノを安心させるように言葉を掛けた途端に浮かんだ笑顔に、よし、と頷き
「じゃあ、次やるぞ?」
「ぅえ、もう……?」
慣れない集中を持続させるという行為に、既にかなり限界に近いらしく、げぇ、と顔を顰める。
けれども、何を言ってるんだ、と笑みを浮かべ氷がすっかり水へと戻った杯を再び差し出した。
「そんなんじゃ、いつまで経っても天狗に冷たい思いをさるだけだぞ?掴みかけてきてるんだから、後はコツさえ分かれば完全に制御も出来るだろうさ」
「うぅ……もこう、厳しいよ……けいねみたいだ……」
「ほらほら、無駄口はいいから頑張れー」
渋々と。
両手で二つの杯を受け取れば、再び目を閉じて集中し始めるチルノ。
それは、本来、自由勝手気ままに生きる妖精としての姿とは、かけ離れているものだ。
そんな姿を見て、ハハッ、と笑って小さく呟いた。
「愛の力、ね。本当に偉大なこった」
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「…………」
文は、人里の入口が見えるほどの場所に生えている大きな楠の下にいる。
無言で、人の出入りが殆どないその入口を見ながら、無意識に笹団子を手の中で弄っていた。
説教を終えた映姫は「何が貴方の積める善行か今一度考えることですね」と一言残して早々と去っていった。
最後まで寒そうにカタカタと震える姿を見送り、雪の上で正座したまま呆然と告げられた言葉を反芻していた。
だが、いい加減足が冷たくなり、とりあえず当初の予定だった謝罪の為に人里近くまで来るだけ来ていた、のだが。
人里への訪問者を受け入れる為の入口が見えてくるにつれ重くなる足取り。
結局、それが見える場所で足は止まってしまい、ただただ躊躇いが心を占めていた。
「……私は、覚悟が足りていなかったのでしょうか……」
ポツリ、と零れた言葉。
一方的に告げられた映姫の言葉が頭の中を幾度となく駆け巡っていた。
ぐにぐにと、揉みほぐすように笹団子を握りながら戸惑い気味に目を伏せる。
妖精との恋、という物に誰よりも戸惑ったのは文自身だった。
若干流されるままにチルノの告白を受ける形となってしまったが、それが如何に壁の高いものであるかという事を誰よりも自覚していたからこそ、覚悟は決めていたつもりだった。
妖精だとしても、彼女を好きになった。
それでも天狗を辞める事は出来ない。
で、あるならば。
天狗として、妖精である恋人を守る為に出来る最善を考えた答えが、天狗の社会への可能な限りの隠匿であったはずだった。
「…………」
屋根の雪をスコップを使って軒下へと投げ声を上げている人の姿を遠目に見ながら、改めて思い返す。
無理をしていない、とは思ってはいなかった。
“決して知られる事があってはならない”と常に張り詰めた糸のような緊張が緩み、遂に今日、彼女の事を拒絶するような行動をとってしまったのだから。
それでも、その無理で色々な物を守れると信じていた。
だが―――
「憎悪すら、全てを受け入れる覚悟―――か」
彼岸の裁判長に告げられた。
その無理で必死に隠そうとしたものを受け入れろ。さもなくば文自身だけでなく、チルノもまた癒えぬ傷を負うだろう、という言葉。
勿論、いつまでも露見を防げる、等という都合の良い事を考えていた訳でも無かった。
隠すからこそ、誰かに見つけられてしまうものなのだ。
いずれは解決せねばならぬ問題。
ただ、最高の答えが未だ得られていなかったからこそ、それを先延ばしにしていただけだった。
「私はどうするべきなのでしょうね……」
答えを求めるよう、何処までも晴れ渡っている空を見上げる。
夏とも秋とも違う雲一つ無い澄んだ空は迷いが生じた心とは相反するものだった。
眩しく感じる空に眉を顰める。
最善と考えていた事を否定された事で、何がチルノの為に出来ることなのか分からなくなった。
恋人として、自分がどうあるべきなのか―――と。
「あらあら。やっぱり物思いに耽ってるわね」
「……その声はレティさんですか」
「ふふふ、流石にバレるか」
背後からの声に振り返ると、木の幹に半身を隠すようにしているレティがいた。
まるで悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべる冬の忘れ物をジト目で眺めながら、それで?と尋ねた。
「そんなところで何をしてらっしゃるんですか?」
「貴方がちゃんと約束を守ってくれているかどうか確認の為よ?」
「約束も何も……あんな閻魔様(反則技)を使っておいて良く言いますね」
「悪いけれど、最終的に勝てれば良かったからね、今回は」
まったく悪びれた風の無い様子に、はぁ、と深い溜息を吐いた。
その様子をクスクスと笑いながら眺めていたレティだったが、一通り笑い終えると、ふと人里へと視線を遣る。
「チルノは今、不死の友人と修行の真っ最中よ?」
「修行……?まさか、本当に暖かくなろうとしてるんですか?」
「より正確に言うと、冷気を制御出来るように目指してるみたいだけどね?」
「……相変わらずチルノさんは一直線ですね」
何処までも真っ直ぐに進む恋人の姿を思い浮かべ、苦笑する。
その愚直なまでの素直さに惹かれたのだが、今はそれが羨ましくもあった。
もしも彼女が自分の立場ならばどうするのだろう―――そんな不毛な考えすら頭を過ぎったが、それを追い払うようにフルフルと首を振った。
「それより、中に入ろうとはしないのね。約束を守っている、って訳ではなさそうだけど?」
「……ちょっと色々と思うところがありましてね」
「閻魔様からの有難いお言葉かしら?」
「まぁ……そんなところです」
歯切れの悪い返答に、ふぅん、とレティは含み笑いを浮かべるとゆっくりと隣まで移動し、まるで興味無さそうに尋ねる。
「一体何を言われたのかしら?」
「……そういうレティさんこそ、閻魔様の説教を受けたんですよね?なんて言われたんですか?」
「質問を質問で返すとは良い度胸ね。まぁ、そうね……『貴方は子離れが出来なさ過ぎる』って言われたわ」
「まんまじゃないですか……」
「あの子の事が好きなのは、何も貴方だけじゃないのよ?」
「……え……?まさかレティさんもロリコ「違うわよ?」」
疑いの眼差し浮かべると、間髪いれず否定された。
というか、と苦笑浮かべ見つめ返され
「それだと貴方、自分の事をロリコンだって認めてるようなものだけど?」
「あんな毎回毎回色んな人から言われ続ければ自分の性癖だって疑いますよ」
げんなり、と。
愚痴を零すように呟けば、やれやれ、と冬の忘れ物が呆れたように肩を竦めた。
「記者は客観的に物事を見るのが仕事かもしれないけど、それは感心出来ないわね。大体、チルノは本気で貴方を好いてるわ。それをそんな言葉で汚して欲しくないものね。貴方だって、ロリコンだからチルノを好きになった訳じゃないんでしょ?」
「分かってますよ、それくらい……。好きになった人がロリだっただけです」
「……なんか私が求めてる言葉と違うわね」
無駄にネガティブスイッチが入った文だったが、励ましのような言葉を受けている事に気付けば、ん?と首を傾げる。
母親のような立ち位置にいるからこそ、嫌われていると考えていた。
ならば、何故彼女は今ここに居るのだろうか?
「……本当に、なんでレティさんは此処に?私、てっきり嫌われてるものだと思ってたんですが……」
「別に嫌ってはいないわよ?特に好きでもないけれど」
「でも、今年の冬だけで、何度も弾幕戦やりあったじゃないですか」
「まぁ、そうね。確かに最初は行き成り“恋人が出来た”って言われて驚いたし、八つ裂きにしてやろうかと」
「あ、ごめんなさい、やっぱいいです」
「? 冗談よ?」
きょとんと首を傾げる姿を見て、ははは、と乾いた笑い声を上げる。
「いやー何故か全然そうは聞こえませんでしたが?」
「あら、本当よ?そんな事をすればチルノが悲しむじゃない。あの子が嫌だという事はしないわ」
当然のように言い切られると、はぁ……と曖昧に頷きながら疑問が湧いてくる。
「レティさんは何でそんなにチルノさんを大切にしてるんですか?」
「大概は貴方と一緒だと思うけれどね」
「……え?」
「いきなり弾幕勝負を挑んできたり、そうかと思ったら遊びに付き合えとせがんだり。すぐに泣くし怒るし、最初は本当に鬱陶しかったわ。冷気をただ操るだけの“妖精”だしね」
懐かしむように頬を緩ませて語られる思い出話を耳に傾け、へぇ、と文は小さく呟いた。
今やチルノにぞっこん(?)な冬の妖怪も、一時は妖精である彼女を忌諱していたのか、と。
「ただ、冬は寒さだけで生産性の無い季節。その季節の妖怪である私は、基本的にどこでも嫌われ者」
でもね、と可笑しそうに笑った。
「そんな私を“友達”だといって、面倒な程に懐いたのはあの子が初めてだった」
「…………」
「ただ、それだけよ」
何でもない事のように言い切る姿に目を丸める。
何か特別な事があった、という訳ではなかった。
ただ、その愚直なまでの素直さに惚れたという一事がどこまでも共通していた事に、驚きを隠せなかった。
「―――レティさんは」
だからか、自然と言葉が口から出ていた。
「そんなチルノさんの為に何をしてあげられるんですか?」
「そうね………可能な限りあの子が本気で嫌がる全てを排し、本気で求める全てを与える。それが―――」
一切の迷いの無い、冬の空のように澄んだ瞳でレティは告げた。
「ただ一人の友達に対して、私が出来ることだわ」
距離にして1メートルもない。
文は、その近距離に居る相手との絶望的な程の距離感を感じさせられた。
社会に属さぬ、という言い訳など出来ない。
一介の妖精の意思を完全に尊重するというその覚悟は、人が、アリが歩む先にある全ての石を取り除くという宣言に等しいのだから。
彼岸の裁判長から告げられた、今見失ったままだったその覚悟をまざまざと見せつけられた思いだった。
「まぁ、何故だか知らないけどチルノが冷気を制御出来るようになるまで、そんなに時間はかからない見込みらしいわ。貴方も悩みが解消するまで、大人しくしていなさいな」
ふわり、と。
何も言い返す事も出来ずにいると、レティは全てを悟った、まるで子を見守る母親のような笑みを浮かべた。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「……何をやってるんだ?」
奇しくも数刻前、レティが思わず呟いた台詞と同じ物を慧音は呟いた。
そろそろ夕方にも近づき、青かった空も陰りを見せ始めている。
良い時間、という事もあり本日の雪掻きも無事終了し、途中から戦力外となった二人の知人の様子を見に来た最初の一言がそれであった。
「…………」
眼前の空き地。
馬鹿みたいに大量の小さめな雪だるまが乱立しており、更には人の女性―――確か普段質屋の番頭をやっている妙さん(推定30歳)の左手を妹紅が、右手をチルノが握り締めており、当の妙さんは目を瞑ってジッとしている。
「おお、慧音。丁度いいところに」
「妹紅……むしろ何だか邪魔をしてしまった気分になったよ」
ナイスタイミングだ、と朗らかに笑う友の手は相変わらず妙さんの左手を握り締めている。
やれやれ、と痛む頭を抑えるように眉間をグリグリ揉んでいると二人は握っていた手を離し、妙さん(推定30歳)が目を開け、んー……と難しそうに首を捻る。
そんな様子を見て、ねぇねぇ、とチルノが今まで掴んでいた手を引っ張ると、緊張した面持ちで尋ねた。
「どうだった……?」
「そうねー……やっぱり妖精さんの方がちょっとばかし冷たかったかしら」
「そっか……」
苦笑を浮かべ視線を合わせるように若干腰を落としながら告げられた言葉に、途端にしょんぼり、と肩を落とす。
そんなあからさまな気落ちする姿に、でも、と質屋の店主は笑って告げる。
「触っているのが嫌というほどじゃ無かったわよ?」
「本当……?」
「ええ、本当。それじゃあ、そろそろ店に戻らなくちゃいけないから、またね?妖精さん」
「うんっ!ありがとうっ」
ブンブン、と。
去っていく後ろ姿に力いっぱい手を振るチルノに対して、ばいばい、と手を振り返す店主。
そんな妖精と人とのハートフル劇場の最後の5分だけを見た気分の慧音は妹紅へと近づき、ちょいちょい、とその腕を突っついた。
「妹紅。結局一体今のは何だったんだ?」
「いや。チルノの修行の成果を見るためにちょっと協力してもらったんだ」
「……は?いや、成果を見るって……もう終わったのか?」
「ああ、一通りは。大分冷気は抑えられるようになったと思うぞ」
「ふむ……?こんな言葉は使いたくはないが……チルノなのに飲み込みが早すぎないか?」
納得がいかぬ、と慧音は微かに眉を潜めて未だ手を振っている妖精の後ろ姿を見遣る。
本来、相当な冷たさを持つ氷精だ。
確かに、普通の人間が触っていても問題が無かった、という事は冷気をほぼ完全に抑えられているという事だろう。
だが一方で、寺子屋で教鞭を取り、そこの生徒でもあるチルノの性質は熟知していた。
元々勉強が好きという訳では無い、という事もあるだろうが、基本的にチルノは物覚えは良いとは言えず継続力もまたそれほど褒められたものではない。
だからこそ疑問に感じると同時に、どうにも遣る瀬無い気分になり、苦虫を潰したように顔を顰め思わずポツリと呟いていた。
「随分前になるが、あの子にカタカナを覚えさせるのにどれだけ苦労したことか……」
「それは、ほら。私の教え方が秀逸だったという事なんじゃないかと」
「―――そうか、妹紅。じゃあその勢いのまま是非とも教鞭を取ってみないか?」
「じ、冗談はよしてくれ、慧音。……まぁ、確かにびっくりするほど早く習得したが……やっぱり自分以外の誰かの為、っていうのが大きかったんじゃないのか?」
「ふむ……確かにそういった目的があれば上達は早いものだが」
「それに、最近寺子屋の方でもチルノ結構凄いんだろ?この前九九全部覚えたって言ってたじゃないか」
「まぁ確かに最近のチルノの成長には目を見張る物があるのは確かだな。だが―――」
「“ご都合主義”に過ぎる、か?」
「まぁ、な……」
教師の歯切れの悪い物言いを、ははは、と妹紅は笑い飛ばした。
「そういったこともあるだろ。 ここは幻想郷なんだしな―――という訳で、チルノ!」
「ん?なにー?」
「慧音にも修行の成果を見せてやろうじゃないか」
「うんっ!」
「別に構わないんだが、そういうのは一言本人に断るのが筋じゃないのか……?」
既にやる気十分な友人と生徒を見て、やれやれと肩を竦める。
人の話を聞かずに突っ走るのは二人揃っての悪い癖だな、と思いながら、それで?と先を促した。
「成果を見せられる上で、私はどうすればいいんだ?」
「そうだな……とりあえず、後ろ向いて目を瞑ってくれ」
「はいはい」
くるり、と。
二人に背を向けるようにして目を閉じる。
何も映し出さない視界で、後ろからサクサクと近付く二人分の足音だけが異様に良く聞こえた。
「じゃあ慧音。これからチルノと二人で順番に触っていくから、どっちがチルノか当ててくれ」
「む、分かった」
「よし……じゃあチルノ。ちょっと耳貸せ」
「ん?なに?」
「とりあえず、慧音にやる時はお前は黙ってろよ?」
「え、なんで?」
「お前の場合、話し声でバレるだろ」
「あ、そっか……」
「それと、だな……触る方法についてだけど、まず………」
突然、背後でコソコソと相談し始めた二人を思えば、不安が鎌首をもたげてくる。
声を抑えて、時折、うん、うん、とどこか楽しそうに頷くチルノの声を聞いていると、一体どんな事をされるのだろうか、と何となく陰鬱な気分になってきた。
暫くヒソヒソ話が続いたが、ようやく纏まったのか、行くよー!と言うチルノの声。
それに、はいはい、と慧音が苦笑を浮かべて頷き返すと―――
ぴと。
「―――きゃっ!?」
突然首筋に末端冷え性のような手が押し当てられ、ゾクリ、と背筋に寒気が走って慧音は思わず悲鳴を上げた。
首筋は脳へと血液を送る動脈が流れており、非常に繊細な場所だ。
そこに、人の手とはいえ冷たい物をいきなり押し当てられれば嫌でも反応する。
しかも今は冬だ。
下手な相手にそんな事をすれば間違いなくイジメ以外の何ものでもない。
「も、妹紅?!突然首筋っていうのはどうなんだ?!」
「いや、やっぱり冷たい暖かいはそういったトコの方が分かりやすいかな、って……」
「だからって、普通は手とかじゃないのか?!」
いきなりの暴挙に思わず不満をぶつけるが当の黒幕は、まぁまぁ、と可笑しそうに笑っている。
まさか―――
「氷の処理を全部任せた事を逆に根に持ってるのか?!だが、あれは妹紅がいけないんだろうが!」
「ほら、次行くぞー」
「人の話を聞けっ?!」
完全無視で進む話を聞きながら、きっと不死の友人はニヤニヤとした笑みを浮かべているのかと思うと思わず頬が引き攣る。
(後で説教だな―――!)
チルノ含め。
そんな決意を胸に、確かに冷たかったが冷気は一切感じなかった今の手はチルノの物だろうか?と首を傾げた。
確かにそれなら、完全に冷気をコントロール出来ていると言えるが―――
―――ぺと
「わっきゃあああああ?!!」
そんな事を考えていたら、ゾクゾクゾクッ、と背筋に寒気が走った。
先ほどとは比べ物にもならない冷たい物が押し当てられ、謎の悲鳴を上げると思わず首筋をガードするように抑える。
まず、とんでもなく冷たかった。
序に、近づいてきた時に非常に強い冷気を感じた。
となると、先に首筋を触れたのが妹紅で後から触れたのがチルノ、という事だろう。
「お、おい!全然制御出来ていないじゃないか!まさか敢えて冷気をダダ漏らしで触ったんじゃ―――」
文句を告げようとして、振り返った先の光景を見て思わず固まった。
ニコニコとニヤニヤ。
笑顔で見上げるチルノと、頬を緩ませている妹紅の姿。
「あはは、本当に騙されたねっ!」
「ほらな、言ったとおりだろ」
「…………」
楽しそうに会話を続ける二人を尻目に、ただただ一点のみを注視していた。
妹紅の右手にある、掌サイズの雪だるまに―――
「……なぁ、妹紅?」
「なんだ?慧音」
「最初のがチルノで、二度目がお前なのか?」
「ああ、その通りだ」
「それで―――まさか、とは思うが……二度目の時、その雪だるまを私に当てたのか……?」
「おお、流石慧音だな」
「ははは。褒めるなよ、思わず―――」
するする、と。
朗らかな笑顔を浮かべ、慧音が音も無く二人へと近づくと、ガシリと各々の肩を掴み―――
ガンッ―――!!
「んがっ?!!」
ガンッ―――!!
「きゅうっ?!!」
一撃ずつ。
会心の頭突きをかますと二人共に悲鳴を上げ、ジンジンと痛む額を抑えて地面へと蹲る。
そんな地に伏せた二人を見下ろしながら、黒さの混じった笑顔で慧音が告げた。
「私のデコが火を吹いてしまったじゃないか……」
「こ……ここまで……するか?」
「ぃたー……ぃ…………」
ピクピクと。
まさに虫の息で引くつく二人を見て、はぁ、と盛大な溜息を吐いて、未だに冷たさ残る首筋を摩る。
やはり不安に感じたあの時の勘は当たったか、と思えば無防備なままだった己が情けなくもなるが。
「まぁ……確かにチルノの冷気は殆どコントロールが出来ているようだな」
「…………だろ?」
蹲ったまま、ダメージを負った額に雪だるまを押し当てながら顔だけ上げた妹紅が頷いてみせた。
うむ、とそれに頷き返しながら、未だに蹲ったままピクピクと体を震わせているチルノを一瞥して、ふぅ、と一息吐いた。
(大したものだ)
心で呟けば、成長著しい教え子を見て肩を竦める。
持って生まれた才能は勿論結果を左右させるが、結局努力とは本人のやる気次第なのか―――と。
「まぁ、それなら射命丸にもう会いに行っても大丈夫だろう」
「うぅぅ………やっ……たー……」
教師からのお墨付きを貰えば、息も絶え絶え、未だ再起動出来ていないチルノが小さくガッツポーズをしようとして―――
ガクッ。
再び力尽きた。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
唐突だが博麗神社は基本的に人が訪れない。
それは、第一に人里から離れた場所にあるという地理的要因があり。
第二に妖怪神社等という渾名が付けられるほど妖怪が入り浸っているという内実があり。
そして第三にこの神社に対して何を祈ればいいのか良く分からない、という困惑であった。
「…………」
それでも春から秋にかけては、妖怪退治やら何やらの依頼で人が訪れる事はある。
だが、冬だけは別格だ。
妖怪も基本的に大人しく、生身の人間ならば雪の深い行き帰りの道で遭難する事だってあるだろう。
日々と比べ、輪をかけて人の訪れる気配の無い博麗神社はただただ静寂が訪れている。
だが、地理的要因に関して言えばどうする事も出来ず、基本的に来るもの去るもの共に無関心な霊夢にとって別段その静寂は忌諱すべきものではなかったし、日がな一日のんびりと過ごせるというメリットもある。
お賽銭が増えない事は確かに頂けなかったが、今日も今日とて、静かで穏やかな一日だった―――少し前まで。
「…………」
「…………」
炬燵に足を突っ込み湯呑に口を付けたまま、テーブルを挟んで向かい側で延々と沈黙を守り続ける天狗を傍目に見て、はぁ、とこれ見よがしに盛大に溜息を吐いた。
かれこれ数十分間。
唐突に文がやって来たかと思ったら、足が冷えたと炬燵に入り、持っていた笹団子を適当に放置して暫く「あー」とか「うー」とか唸りながら取材用の手帳をタワーのように無駄に立てたりしていたが、一通り蠢き終わればテーブルに額を載せたままピクリとも動かなくなったのだ。
一体何なのよ……。
静寂である事は歓迎するが、ひと目で負のオーラをまき散らしている姿が段々鬱陶しくなり
「……こら」
「いたっ」
ゲシッ!と。
炬燵の中で伸びている足に向かって蹴りを入れた。
「鬱陶しんだけど。いい加減何も話さないでその陰気な空気ばら蒔くなら、この快適空間から消えてくれないかしら」
「……霊夢さんは、相変わらず容赦ないですね……」
「つか、一体何であんたは博麗神社(うち)に来たのよ」
「……レティさんに追い払われましたので」
「知らないわよ」
「それに、ここなら人が来なくて、そこそこ暖かいから考え事するには丁度良いかと」
「喧嘩売ってんのかしら?」
「冗談ですよ……」
どうだか、とテーブルに肘を付きながらジト目で顔を伏せたままの文を見据える。
「どうせまたチルノ関連なんでしょ?付き合う前も何だかんだあったって、この前魔理沙が言ってたし」
「……本当、あの人の口は空気よりも軽いですね」
「まったく……結局ビンゴなの?うちは駆け込み寺じゃないっていうのに」
「本当に魔理沙さんはもう、チルノさんと一緒に居ればいきなりやってきて「邪魔するぜ?」とか何とか言っちゃって本当に邪魔ですよね……」
寺なら人里へ行け、と自棄っぱちで考えていると、はぁぁぁぁ~……と深い溜息を文が吐き出し、その振動で直立不動だった手帳が倒れると、パタン、と襖が閉まるような音がした。
「私はどうすればいいんでしょう……」
「知るか」
「せめてもう少し優しくしてくれませんか?」
「何で私がそんなことしなくちゃならないのよ」
「ですよねー……」
「ああ、まったく辛気臭い……当のチルノは今どうしてるのよ?」
「修行してます」
「……は?」「どういう事よ?」
妖精が修行。
やたらとギャップのあるその二つの言葉に思わず眉を顰めると、淡々と文が続ける。
「色々誤解があってチルノさんは私を凍えさせてしまっていると考えてしまい、冷気を制御出来るようになるために妹紅さんのところに居るみたいです」
「みたいって、あんた……」
「レティさんに―――」
「ああ、もういい。皆まで言うな。それより、チルノが修行ねー……いやー愛の成す技は偉大ね」
凄い凄い、と呆れ半分で呟きつつ湯のみを傾け、お茶をズズッと音を立てて啜った。
冬は番茶に限る。
「それで、あんたはいつまでそうやっていじけてるのよ」
「いじけてるんじゃなくて、チルノさんに合わせる顔がないんです」
「だからって、うちの炬燵と顔合わせてどうするのよ。何だか良くわからないけど、チルノに謝って、あの子の望みを叶えて上げればいいじゃない」
「チルノさんの望みって何なんですか……」
「……あんた、馬鹿?」
「もう、そういった罵詈雑言は聞き飽きました」
「飽きてたのか」
蔑むような目で旋毛あたりを見詰めながら、やれやれと肩を落とした。
「ああ、もう鬱陶しい。チルノが求めてる事なんて1つじゃない」
「というと?」
「ここまで来るとチルノ以上の真正の馬鹿なのか、それとも当事者だからこそ気づかないのか……」
「何の話ですか、一体」
「まぁ、文って時々馬鹿だし」
ひょこりと。
伏せていた顔を上がり、漸く合った視線を見返しながら、どうにもこうにも本気で分かっていないその様子に呆れ顔で告げる。
「案外あんたは自分に関する事は鈍感よねって話し。チルノが求めてる事なんて、あんたに愛されたいに決まってるじゃない」
「……は?」
思わず、ポカンと霊夢を見詰め返した。
相変わらずの何処か面倒くさそうなジト目がそこにあり、分かったかしら?と肩を竦めている。
愛されたい?
その言葉が脳内で何度もリフレインし、その意味を理解すると―――
「はぁ??!!」
「変な意味じゃないわよ?」
「わかってますよ?!」
「本当か?」
動揺を隠せずに視線を右往左往させていると、どうだか、と若干小馬鹿にしたような視線が突き刺さった。
「チルノはただあんたの傍にいたいだけに決まってるじゃない。ただ、今回の事で今のままじゃ傍にいられない、って考えたんでしょ?」
「決まってるなんて分からないじゃないですか……」
「あんたねぇ……相手はチルノよ?猪突猛進で物事を大して深く考えないあいつが、あんたに何を求めてると思ってんのよ?まかり間違っても今後の暮らしが楽だから~なんて事、考える訳ないじゃない」
コトッ、と。
霊夢は湯呑をテーブルに置きながら、まったく、と面倒そうに1つ溜息を吐いた。
「あんたもあんたなりに天狗の社会やらなんやら考えがあるのかもしれないけど、もっとシンプルに考えればいいじゃない」
「それが出来れば苦労はしませんよ……」
「なら、チルノと別れる?」
「……それは、嫌です」
「なら、うだうだしてないでさっさと腹くくりなさい。妖精を恋人にする弊害なんて、一番最初に考えていたでしょ?」
「はい、覚悟の上でしたよ。まさかそれでチルノさんを傷付ける事になった自分が酷く愚かだと思っているだけです」
「分かってるじゃない」
「霊夢さん、お願いですから上げて落とすの止めてください……」
「そりゃ無茶な注文だな」
ですよねー、と小さく呟きながらも、確かにそうなんだよな、と思った。
弊害、というより障害は既に想定の範囲だったのだ。
彼岸の裁判長に言われた通り、何処までも己の覚悟が足りなかった。
であるならば。
己もまた覚悟を決め、チルノが求めるそれを与える。
未だ天狗の社会とどのように向き合うかは決めきれていないままだが、それが、意図せず傷付けた彼女にして上げられる物だろう。
心の中で静かに決意を固めていたが、ふん、と鼻で笑い飛ばした霊夢が普通に爆弾を放り込んできた。
「別にいいじゃない。愛の一言でも囁いてキスの1つでもしてやれば、チルノはそれで満足でしょうよ」
「あ、ああああ愛の一言にキス?!」
「何でそこでそんなに動揺すんのよ……あんたら付き合い始めて結構経つでしょ?」
「だから何だと?!そんな恥ずかしい事、しょっちゅうする訳ないじゃないですか?!」
「そうそう、大抵互いにハグして終わってるもんな、お前らの愛情表現」
「ですよ!私は至ってプラトニックな関係をチルノさんと築いているんですからね?!」
「じゃあ、何?あんたとチルノってキスしたことないの?」
「い、いや……こう、告白した……というか、された時に……頬っぺた……っぽいとこには……」
「へー……そいつぁ、初耳だ。いい話聞けたぜ」
「案外ヘタレなのね、あんた―――ん?」
「うっさいですよ?!見た目とか立場違うからこそ自重してるに決まってるじゃないですか!そりゃ出来るなら私だって―――え?」
霊夢と文は、炬燵を挟んで向い合わさって座っている。
だが、ふと会話内に違和感を覚えれば、互いに顔を見合わせたまま、ん?と顔を顰めた。
「…………」
「…………」
「どうかしたか?」
三人目の声。
それがした方向―――ちょうど文と霊夢の中間地点へと、二人揃って視線を横にずらすと同じようにいつの間にか炬燵に入っていたらしく、よっ!と片手を上げた魔理沙がニヤニヤと笑顔を浮かべていた。
「何で魔理沙さんがここにいるんですかぁぁぁ?!!」
「というか、いつの間に来てたのよ、魔理沙……」
「いんや、さっきこっそり入ってきた」
「堂々と入ってきなさいよ、気持ち悪いわね……」
「いやー割と白熱した話し合いだったもんだから、腰を折っちゃ悪いなと思って、な?」
「だからコソコソ入ってきたっていうの?」
「魔理沙さんはガチでゴキブリよりタチが悪いですよ!!本当にっ!!!」
「おい待て、少し前までプラナリアだったろ。何格下げしてんだ、文」
「というか、何時からあんた来てたのよ」
「え?駆け込み寺云々の辺りからだな」
「終わったあぁぁぁぁ!!!」
ガンッ!
文は強くテーブルに頭を打ち付けると断末魔の叫びを上げた。
何が何でも魔理沙が介入する前に終わらせたい、という最後の望みが音を立てて崩れ落ち、頭を抱えてピクピクと身悶え始める。
しかし当の魔理沙は、ん?と嬉しそうにニヤニヤと笑顔を浮かべる。
「何だよ何だよ、恋バナだろ?むしろこの魔理沙さんが来んだからこれから始まる感じだろ?」
「魔理沙さん、貴方は、笑顔で、色々と引っかき回す、最低、です」
「はぁ……お茶が美味しいわね」
魔理沙とて人の子。
恋愛事情には首を突っ込みたい、他人の物であるならば特に。
けれども、そんな性格を知っているからこそ、文はガンッ!ガンッ!とテーブルに頭突きをかましながら、一言一言、呪詛のように言葉を吐き出した。
そんな対照的な二人を面倒くさそうに、何処か遠い世界の出来事のように眺めながら、霊夢はズズズッ、と冷えたお茶を啜った。
「まぁ、愛の事なら私に任せろ、文」
「貴方に任せたら全てが台無しになると思うんですよ……魔理沙さん」
「とりあえず五月蝿くするようなら二人共隣の部屋でやってよ?」
「なんだよ、霊夢。一緒に楽しもうぜ?つかこの部屋以外寒いし」
「もうあれですよね……完全に欲望のままの言葉ですよね、それ……」
「私は静かな方が好きなのよ。勝手にあんたが楽しむんだから、勝手に寒い思いをすればいいじゃない」
「まったく、友達甲斐ないなー……そう思うだろ?文も」
「そうですね……貴方を一瞬でも友人だと思っていた秋の私を殴り殺したいです……」
「何とでも言いなさい。兎に角、私は静かに快適な空間でお茶を飲みたいの……いい加減にしないと夢想封印するわよ?」
キッ、と。
そろそろ本気で不機嫌です、という霊夢の視線に気付くと、やれやれ、と魔理沙は帽子を脱いで傍らに置きながら、快適空間であった炬燵から名残惜しげに立ち上がり、何処か虚ろな眼差しの文の腕をガシッ、と掴むと
「ほら!しゃあないから隣の部屋行くぞ、文!」
「ほっといて~……私の事はほっといて下さい~……」
「ははは、こんな面白い事、この私が放っておく訳ないだろ?」
「やっぱり最低ですよ、あんた……」
ズルズルと。
強制的に文を炬燵から引き摺り出して魔理沙は廊下へと続く襖を開け、未だ文句の言葉をブツブツとつぶやき続ける天狗を片手にその奥へと消えていった。
「全く……ようやく静かになったけど……」
その拉致実行現場をジト目で見送りながら、はぁ、と溜息を吐いた。
本日の安らぎの一時が数十分間崩壊した事を思うと、なんとも時間を無駄にされた気分だったが、それ以上に今、気になることが1つ。
「……襖閉じていきなさいよ……」
開けっ放しのまま放置された廊下へと続く襖を睨みつけながらポツリと呟いた。
隙間風、という訳ではないが、廊下に満ちた冷たい冬の空気が炬燵でほんのりと温まっている部屋の空気を一気に冷やしていく。
「…………」
段々と冷えていく空気に眉を顰める。
とはいえ、暖かい炬燵から出るなどまっぴらごめんだった。
特に、折角暖まった足を今外に出せば、どれだけその温度差で冷たい思いをするか、など考えるまでもない。
「……襖なら自分で閉まったらどうなのよ?」
ジーッ、と。
視線で殺せそうな程の勢いで襖を睨みつける。
そのまま暫くの間、ひたすら奇跡でも起きて自動でふすまが閉まる事を期待していたが、はっ、と呆れたように苦笑いを浮かべた。
「アホらし」
あいつ等のが移ったかしら、と隣の部屋へと消えていった二人組を思いながら、よいしょ、と声を出して立ち上がる。
当たり前だが、やはり炬燵の外は中と比較して冷たい。
やだやだ、と小さく呟きながら、背中を丸めて何となく腕を摩る。
たった一歩だが、炬燵から離れた事が本気で悔やまれる。
襖をさっさと閉めてしまおう、と入口へそそくさと近づき、その取っ手に手を掛けた瞬間―――
「れいむっ!!」
「は? って、うわわわ?!」
「え、ええ?!」
ドンッ!と。
突如として廊下から飛び出して来た青い影に腰に思いっきり抱きつかれ、そのままバランスを崩すと、ドシンッ!とお尻から畳へと落下した。
「ぃ、たた……って、この悪戯妖精!いきなり危ないでしょうが!!」
「きゃうっ!?」
腰の辺をさすり若干涙目になりながら、抱きついて来たチルノの頭にゴチン、と拳を振り下ろすと不思議な悲鳴が上がった。
一体何なのよ今日は、と顰めっ面で胸元で頭を抑えて「うぅぅ……」と唸っている青い髪を睨みつけた。
「おーい、チルノ?どうした……って、何やってんだ?霊夢」
「妹紅……?その言葉をそっくりそのままお返しするわ」
襖越しに覗き込んできた赤いモンペの少女を、座ったまま不機嫌に見上げる。
今日に限ってどうしてこうも千客万来なのか、と小さく嘆息した。
「まったく……そもそも神社に妖怪共が集まるってどう考えても変でしょ……」
「待て、私は一応人間だぞ」
「うー……あたい、チルノ……」
「知ってるわよ。やっぱり妖怪と大して変わりないじゃない」
「待てこら」
じとー、と妹紅からの不満げな視線をはんっ、と笑い飛ばしながら、それより、と首を傾げ。
「今度はあんたらが来るって一体どういう風の吹き回しよ。修行してるんじゃなかったの?」
「ああ、それ関連だよ。……因みに霊夢、今どんな感じだ?」
「はぁ?今この状態を見てそれを聞く?いきなり抱き着かれて腰打ち付けて痛いわよ」
「れいむ……あたいも頭が痛い……」
「そりゃ痛くしたからね。今のは100%あんたが悪い」
「うー……」
唸りつつ、上目遣いで睨む視線に、何よ、と見返す。
だが、そんな近距離で睨めっこをしている状態を、それだよそれ、と妹紅が笑い
「チルノに抱きしめられてて冷たくないだろ?」
「……そういえばそうね」
はた、と。
腕の中の妖精を改めて見れば、なるほど、と頷いた。
確かに冷たくはない。
「修行とやらはもう終わったのね?」
「ああ、飲み込みが早くてな」
「あたい頑張ったよ!」
えへん、と胸を張る姿に、はいはい、とポンポンと頭を軽く叩くように撫でてやれば途端に綻ぶ顔。
それを見て、なるほど……と思った。
「分からなくはないけど、やっぱり文ってロリコンよね……」
「? ろり……?」
「ああ、なんでもないわ。……それより、何であんたら二人揃ってここに来たのよ?」
「いや、レティからあの鴉天狗がここにいるって聞いてな」
「うん、文に会いにきたっ!」
「あの冬の妖怪から?さっきから寒いと思ったらあいつがこの辺り彷徨いてたのね……」
やれやれと思いながら、よっこいせ、と呟いて妖精の体を退かして人差し指で廊下の外を指し示した。
「文なら魔理沙と一緒に今さっき隣の部屋に行ったわよ?さっさと会いに行ってやんなさい、大分あいつグロッキーになってたから」
「? うん、あたい行ってくるね!」
言うが早いか。
トタトタトタッ、という音を残し廊下へと飛び出して行ったチルノの後ろ姿を見送ると、霊夢は立ち上がるとさっさと炬燵へと舞い戻る。
「ああ、寒い寒い……何で今年の冬はこうも寒いのかしらね……」
「まぁ、それに関しては同意見だがな」
どっこいせ、と同じく炬燵に入ってきた妹紅へ、腰を丸めて少しでも炬燵で暖を取ろうと躍起になりながら嫌そうに視線を送った。
「……ちょっと、何で襖閉めないのよ」
「ん?ほら、どうせ直ぐチルノ達戻ってくるだろ?」
「寒いんだけど……」
「少しくらい辛抱しろよ。何だったら暖めてやるぞ?」
「延焼火災だけはゴメンだわ。パス」
「懸命なご判断な事で……」
「しかしアンタもチルノの修行に付き合うとか……物好きね。何でそこまで出来るのよ」
「別に?ただ友達ってだけさ……って、これ笹団子か?何でこんなのあるんだ?」
ふと、妹紅がテーブルの上へと視線を送ると、違和感バリバリの笹団子の包が三つ。序にメモ帳もある。
ん?と首を傾げてそれを見つめていると、ああ、と面倒くさそうに呟く。
「それ、文のよ」
「天狗の?何でまた……チルノのご機嫌取りか?」
「さぁ?良く分からないわ。だから私らが食べてもいいんじゃない?」
「霊夢……お前、だからって言葉の使い方を間違えていないか?」
「別に間違えてないわよ?ここは博麗神社で、その主は私。ここにある物は基本私のものだから、ね」
当然の事を言ったつもりだったが、がめつい奴、と妹紅の小さな呟きが聞こえれば、そうかしら?と肩を竦める。
「ああ、でも……」
この後三人が戻ってきたとして、一つは自分で、残り二つを四人で争って―――等と笹団子の分配を考えていたが、ふと湯呑を手に取ると、面倒くさそうに眉を顰めると困ったように呟いた。
「お茶を煎れないと無いわね……」
「いやーやっぱりそうだよなー、相手がチルノじゃ暫くずっと停滞したまんまだと思ってたが文にもそういう欲求があったんだな!」
「……何だか不健全な言い方しないでください、魔理沙さん……私はただ健全な付き合いを進めたいだけです」
「なんだよ、いいじゃないか!今更ロリコンって事隠さなくたって」
「ロリコン違うし……」
「じゃあ病気か?」
「もう、本当にやだ、この人……」
冷たいすきま風が吹き込む、神社の本堂へと場所を変えた……というか、魔理沙に拉致された。
『恋符』なんていうスペルカードを操るだけあって、チルノとの恋をどれだけ面白い事に出来るかと上機嫌な魔理沙にバシバシと肩を叩かれていると、さめざめと涙が流れた。
「というか、何なんですか理沙さんは……私にどうして欲しいんですか、一体……」
「ん?いや、折角だから何か面白い事にならないかな?って」
「……オブラートって知ってますか?」
「知ってるが使った事は無いな。薬なんて苦いもんだ」
「比喩表現だよ、ばかやろう……」
ガクリと。
肩を落とせば、魂すらも抜け落ちそうな深い溜息を吐き出す。
しかし魔理沙は、ははは、と笑い飛ばし
「何だよ元気ないな!」
「大概あなたの所為だとどうすれば気付いて貰えるんでしょうね……」
「頑張って恋のキューピットやってるだけだぞ?」
「頼んだ覚えが欠片もないんですが……」
どんよりと澱んだ視線を投げかけると、悪いな、と呟き魔理沙がニヤリと不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「一度首を突っ込んだ以上は突き通す。それが、私の生き様でな」
「わぁー凄い、こんな場所以外でその言葉聞けたら新聞の天声人語にでも載せたいです」
「ははは、そんな抑揚の無い台詞で褒めるなよ、文。照れるだろ」
「皮肉だよ、ちくしょう?!」
「まぁ、こんな漫才はどうだっていいんだよ」
さて、と一つ間を取ると、魔理沙はピシッと人差し指を立て
「じゃあ、修行に勤しむチルノへのご褒美として愛を囁く訳だが」
「いやいやいやいや、何時からそうなったんですか」
「さっきの会話纏めるとそういう話だろ?チルノが欲しいもの、って意味では私も同意見だしな。それとも何か?折角頑張ってくれた恋人に何もやらないつもりか?」
「ぐぬっ……」
頬をひくつかせ、ニヤニヤ笑いを隠そうともしない魔理沙を見詰めた。
明らかに楽しんでいるのは目に見えて分かるが、その言葉は何処までも正論であり、思わず言い淀む。
「という訳で、早速練習といこうじゃないか」
「行かないですよ?!というか練習って何ですか……」
「いや、行き成りじゃ歯の浮くような台詞言えないだろ?」
「どんな事を言わせるつもり何ですか、一体……」
「回りくどい言い回ししてもチルノが理解出来るなんて思えないしな。ここはストレートに『愛してる』の一言でいいだろ」
「……で、それを練習しろと……?」
「どうせお前今までチルノにそんな台詞言った事ないだろ?」
「そりゃあ、そうですけど……」
思わず、文は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
ああこの人は真正の馬鹿なのだろうなー……と本気で魔理沙が心配になってきたりもしたが、そもそもそんな事をここで練習する必要性が見い出せない。
「で、魔理沙さん。それをここでやらせる意味って何なんですか?」
「私が楽しい、以上」
「はい、却下、撤収ー」
「いや、ちょっと待て何が不満だ?!」
「敢えて言うなら全てですかねぇ?!それに、何だか嫌な予感がするので嫌です、断固拒否します!」
「何だそれ?霊夢が移ったか?」
やれやれ、とつまらなさそうに魔理沙は肩を竦め
「そんな難しい事でもないってのに……こう、肩に手を置いてだな」
ぽん、と肩に右手を置かれると、それまでのニヤニヤとした笑顔を潜めた魔理沙は、スッ―――と真剣な表情を浮かべる。
突然変わったその雰囲気に、微かに身を引きながら、目を見張った。
「まぁ、後は適当な雰囲気作って―――」
「え、ちょ……魔理沙さん……?」
「こう―――」
スパーンッ!と、襖が勢い良く開かれ―――
「文ぁー!!」
「愛してるぜ」
「―――へ?」「え?」「……お?」
魔理沙の手が肩に置かれたままの文は恋人の姿を捉えた瞬間に固まり
勢い良く抱きつこうと思っていたチルノは魔理沙に告白されている恋人を見て固まり
何だか良く分からない内に面白い事になったなと思いつつも、流石に血の気が引くのを感じながら魔理沙が固まり
場の空気が、凍りついた。
「いい感じに焼けてきたわねー」
「なぁ、霊夢……七輪くらい買ったらどうなんだ」
はぁ、と溜息一つ。
左の手のひらに弱い炎を生み出しながら、右手で持った三つの笹団子をパチパチと音を立て焼き、ふと隣の霊夢を盗み見ると、次第に漂ってくる餅の焼ける香ばしい香りを感じたのか、炬燵にペタンと頬をくっつけ幸せそうにしている。
「そんなの買うくらいならお米買うわよ」
「今まで長く生きてきたけど、ここまで困窮極まった神社は初めてだよ、本当……」
やれやれ、と肩を竦め、僅かに焦げ目が着いた笹団子を見れば、もういいな、と一つ頷き笹の葉の上にポテンと落とした。
手のひらを握りしめて炎を消し、ぐりぐり、と肩を回して筋肉を解す。
突然押し付けられた仕事を無事に終え、んーっ!と軽く伸びをすれば、ぼんやりと天井を見上げながら小さく呟く。
「―――チルノは今頃感動の対面中かな?」
「そうでしょうね。きっと文も言葉を失ってるわよ」
「はは、確かに違いないな―――」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああん!!!!」
「って、はぁ!?な、なんだ?!」
突然の泣き叫び声。
ドタドタドタ!!と激しい足音と共に廊下を爆走して行った青い影を見て思わず叫ぶと、のっそり、と体を持ち上げた霊夢がフッ―――と全てを悟りきったような顔で告げた。
「―――チルノね」
「んな事ぁ分かってるよ?!」
「チルノさーん?!!ご、誤解です!!誤解ですよぉぉぉぉぉ?!!」
「んで、次は天狗かいっ?!」
バタバタバタ!!と、同じく駆け足で廊下を爆走して行ったブン屋の姿に、おいおいおい、と思わず顔を顰める。
「何が何なんだよ、一体……」
「別に興味も無いけどね」
「いやぁー……事実は小説よりも奇なりって、きっとこの事を言うんだろうな、うん……」
はっはっは、と乾いた笑い声を上げて頬を掻きながら戻ってきた魔理沙がパタン、と襖を閉めると何事も無かったかのようにモゾモゾと炬燵へ入ってきた。
「いやー……やっぱり本堂は冷えるな、うん」
「……おい、魔理沙。お前何やった……?」
そんな、普段とは違うぎこちなさを感じさせる姿を半眼で睨むと、へ?と魔理沙が頬を引き攣らせた。
「い、いやいや何もやってないぜ?」
「本当か……?じゃあ、今チルノと文が外に飛び出して行ったのは一体―――」
「と、おお!こんな所に焼きたての笹団子!霊夢、これ喰っていいのか!?」
「一個は私のよ。後は知らないわ」
「よし、じゃあ私が一つ貰って、最後の一個は妹紅のだなっ!」
「おい、話をはぐらかしてないか?」
「はっははは、そんな事ないぜ?!ほ、ほら!冷めない内に妹紅も、ほら!!」
ぐいっ、と。
無理やり笹団子を一つ押し付けられると、これ焼いたの私なんだよな……と既に食べる気満々の二人を何処か遣る瀬無い思いを感じつつ眺めた。
「……これ食い終わったら事の真相を話してもらうぞ?」
「ははっは、真相も何も何の事だか―――じゃ、いっただきます、と」
「いただきまーす」
どう見ても怪しいその姿に、やれやれ、と肩を竦めつつ、二人に倣って、ハムっと笹の香り豊かな団子を一口齧った。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
冬の夕暮れは早い。
既に茜色に染まりきり、東の空には紫紺の闇が広がり始めている。
そんな物静かな空を猛烈な勢いで飛行する、二つの影。
「文がぁぁー!!魔理沙を愛してるって言ったぁぁぁぁ!!!」
「チルノさん、待ってください?!誤解に尾ひれ付き始めてますよっ?!!」
「うわぁぁぁぁん!!」
そして絶叫。
泣き叫びながら全速で飛ぶチルノの背中を、文もまた全力で追いかける。
博麗神社を飛び出した二人が追いかけっこ開始してから既に十数分経っていた。
―――やっぱり魔理沙さんが関わるとろくなことにならないっ!つかチルノさん随分速いですねっ?!
心で毒づきながら、中々縮まらない差を思えば顔を顰めた。
チルノが文を凍えさせたという当初の行き違いは何処に行ったのかと思えるほどの誤解へと展開した現状を思えば、頭も痛くなる。
そういえば夏の魔理沙との鬼ごっこは追われる立場だったな、等と思いながら眼前の影へ叫ぶ。
「チルノさんッ!!お願いですから!!話を聞いてください?!」
「やだぁぁぁぁぁあああ?!!文の馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!!!」
しかし、返ってくるのは泣き声混じりの罵声だけで。
冷たい風を切り裂きながら、はぁ―――と嘆息した。
もうこうなれば強硬手段しかない―――
「しょうがないッ!!」
真っ直ぐに追っていた背から視線を外し、空を目指す。
3メートル
5メートル
8メートル
徐々に高度を上げながら、再び開いたチルノとの距離を見据えるように目を細めた。
ぐずぐずと涙を流し続けながら未だに空を飛び続けるその背中を捉えると、静かに呼吸を整える。
翼を目一杯広げ、漆黒のそれで一際強く空気を叩きつけると―――
「―――ッ!!」
一気に加速し、重力が体全体に掛かる感覚。
風切り音がキィィン―――という高音に変化するのを感じながら、鷹が獲物を獲る時のように、広げていた翼を畳むと小さな背中へと手を伸ばしながら急降下を行い―――
「ぅえ―――わっ?!!」
「―――ッかまえた!!!」
ガシッ―――!!
上空から、三対の氷の翼が生えた背中をガッチリと抱きしめた。
だが、一気に急降下を行なった為、チルノの体を巻き込んだまま、二人の体は一気に地面へと迫り―――
「ッ?!」
捕らえられ、自らでは制御が不能なままで迫る地面を見たんだろう。
腕の中でチルノが密やかに息を飲み、体を固くするのが感じられた。
「大丈夫です、私を信じて下さいッ!!」
激突まで後数メートル。
腕の中の体へと叫び、決して落とさぬようにキツく抱き締めた。
畳んでいた翼を広げ、風を操り空気の密度を高め、無理やり進行方向を上へと転換させる。
「ヒッ?!」
「ッ―――!!」
ジッ―――。
翼の先端が、微かに地面を掠める音がした。
だが、勢いのままに一気に上昇すれば迫っていた地面が遠いて行く。
「ッ、はぁ……」
「……」
惰性で上空数十メートル程の高さまで昇り、遠ざかる地面を眺めれば、案外ギリギリだったな、と溜息一つ。
どっと疲れが押し寄せるのを感じながら、ふと腕の中で身動き一つ取らないチルノの様子が気になった。
「チルノさん……?」
「…………」
気絶してしまったのだろうか?
ずっと抱きしめていた体を、くるり、と反転させると呆然と目を見開いている。
心ここにあらず、という風のそれに若干焦り、その体をユサユサと揺すった。
「チルノさん?チルノさん、大丈夫ですか?」
「ふ、ぇ……ッ!!」
焦点が定まっていなかった瞳に光が戻ると、ハッとチルノが顔を上げる。
先程の一連の曲芸飛行によって滝の如く流れていた涙は吹っ飛んだようで、赤くなった瞳だけが泣いていた事を示していた。
が―――
「ぅ……」
じわり、と。
再び目に涙が貯まり始めるのを見れば、やばい、と頬が引き攣る。
これではまた話を聞いてくれない可能性が―――
「チルノさん、さっきのはですね―――?!」
「知らないもん!! 文の馬鹿ぁ!!」
ジタバタと。
向き合った状態で腕の中でチルノが暴れ始め、また逃げられては適わない、と慌てて抱きしめる腕に力を込めると、更に暴れる。
「ちょ、チルノさん……?!」
「離せ……っ!!」
怒りで我を忘れかけているチルノから異様な程冷たい冷気が漏れており、その体と接している手や腕、腹などからどんどん熱が奪われる。
天狗は、元々体も強い妖怪だ。
勿論冷たいものは冷たいが、本来妖精如きの冷気などで凍える筈はない。
だが服がパキパキと音を立てて凍りついていくその冷気は、このまま凍傷になるのではないか?と一抹の不安を抱かせるほどだった。
「離し、て……よ!!文、は!魔理沙と一緒に、ぃれば……いいじゃんっ!!」
ハラハラ、と。
涙を流し、最早抜け出す事は叶わないと悟ったのか、文の服を皺が出来るほど強く握り締める。
はぁ―――。
苦しそうに吐き出される言葉に、思わず溜息を吐き、それを聞いたチルノが腕の中でビクリ、と体を震わせた。
いつだって思い込んだら一直線なのだ、良くも悪くも。
そして今回は悪いパターンであり、この誤解を解消するには相当なインパクトを与える必要がある。
ふと、空を見上げると西の空には宵の明星が既に煌々と輝き始めていた。
この鬼ごっこに関しては魔理沙の悪ノリが原因だが、今回の騒動の発端は己の所為だと分かっている。
なら、恥ずかしさ程度ならば目を瞑り、謝罪も込めて、最後くらいはちゃんと愛しい恋人に伝えなくてはダメだろう。
「―――ねぇ、チルノさん。私……」
「ゃ…だ……」
顔を隠すように胸へと押し当てながら、いやいや、と頭を振る姿を見て、微かに肩を竦める。
既に空の大半を闇が覆い、遠くには人里の灯りが見える。
ここは空の上で、暗いとはいえ誰に見られたものか分かったものではないが―――
―――柄じゃないんだけど、な
心で小さく呟きながら一際強く抱きしめると、声がちゃんと届くようにチルノの耳元へと口を近づけた。
「私は―――チルノさんを愛してます」
「ふ、ぇ………?」
ポカン、と。
信じられない物を見たように、泣き腫らした目が見つめてくれば、一つ頷き、もう一度告げる。
「他の誰でもない、貴方の事を愛してるんです」
「で、でも……ッ!文、魔理沙を―――」
信じるべきか否か。
青い瞳を迷いで揺らしながらも、尚も言い募ろうとチルノが口を開けば、即座に顔を寄せ―――
「ん―――」
「ッ―――?!」
唇で封じ込めれば、驚愕に見張られた目を見詰めた。
「―――」
「~~~ッ!!」
わたわたと体を強ばらせながら、頬は次第に紅に染まっていく。
そんなチルノを見ながら、文もまた、冬にも関わらず頬が熱くなるが分かった。
今は冬の寒風が心地よい程だ。
「―――っと」
「―――はぁ、はぁはぁ……」
冷たい体を抱きしめたまま。
数秒に渡る口付けをようやく終わらせれば、ふぅ、と一息つく。
改めて腕の中を見てみれば、息を必至で止めていた為に肩で息をしている俯き気味の恋人の姿に、思わず頬が緩んだ。
「ねぇ、チルノさん?」
「ッ……な、に?文……」
「チルノさんは、私の事は信じられませんか?」
「そ、そんなの……ッ!」
バッ、と。
途端に勢いよく顔を上げ、どこか泣きそうに顔を歪めながら口をパクパクとさせるも
「……信じてる……」
「そうですか……良かった……」
何処か不満げに。
軽くそっぽを向きながらも、小さなその言葉が聞こえれば、ホッと肩の荷が下りる気分だった。
「なら―――信じて下さい。私はどうしょうもない天狗です。時には、貴方を傷付けてしまう事だってあるかもしれません……それでも、私が一番好きなのは、誰でもない、チルノさんなんです。それだけは―――」
精一杯の愛おしさを込めて小さな体を抱き締め、柔らかな髪に頬を寄せながら目を閉じる。
「ずっとずっと、信じてください」
「……うん……」
こくん、と抱き着いたままチルノが首を縦に振るのを感じながら、苦笑を浮かべる。
小っ恥ずかしい台詞が良くこの口から出たものだ、と。
すっかり痛いほどの冷気は止まり、通常の冷気が漏れ出てる体で熱くなった頬を冷やしながら、ふぅ、と深呼吸を一つ。
すると腕の中のチルノが、ねぇ、と上目遣いで見詰めているのに気付き、なんですか?と首を傾げ―――
「文は何で魔理沙を愛してるって言ったの……?」
ガクッ!と思わず空中でズッコケた。
「だ、だから!!それは誤解ですよ?!」
「ごかい……?」
「チルノさんの勘違いって事です!というか寧ろ聞き間違いです!!まったく……それに関して言えば、チルノさんは本当にお馬鹿さんですよね……」
「んなっ?!あたい、馬鹿じゃないもん!!」
「いえいえ、それに関して言えばお馬鹿です。大馬鹿です。救いようがありません」
「ううぅ……そんないっぱい、バカバカいうなーっ!」
「大体ですね、何で私が魔理沙さんを愛さなくちゃいけないんですか。怖気が走りますよ、本当……」
少なくとも今日一日の事を思い返せば、げんなり、と肩を落とす。
どう頑張ってもあれを愛する事は不可能だ、と激しく溜息を一つ吐いた。
「―――と、そういえばチルノさん?」
「……ん?なに、文?」
「いえ……私と会う前に、何か嫌な事でもあったんですか?」
「? ううん、何でー?」
「いやだって、朝に『会わないからねっ!』って言ってたじゃないですか……」
「あ、そうだった! あのね、文!」
「はい?」
はて、と首を傾げ、痛そうなほどに泣き腫らした目で嬉しそうに弧を描く近距離のチルノを見詰める。
「えへへ……ちょっと、待ってね―――」
浮かべていた照れ笑いのような笑みを収めると、スッ―――と目を閉じて真剣な表情となり。
一体何が始まるんだろうか?と文は不思議に思いながらその様子を眺めていると、突然目が開かれ
「えいっ!!」
「へぶっ?!」
べちっ、と。
掌を頬に押し付けられ、思わず呻き声を上げた。
だが、押し付けた本人はといえば、ねぇねぇ!と頬をぐいぐい押しながら目をキラキラと輝かせる。
「どう?どう?!」
「いえ、チルノさん……どう、とは……?」
何だろう突然、と強制的に顔を歪ませられながら疑問を持っていると、あのね!と声を上げ
「あたい、冷たくないでしょ!」
「え………あ―――」
思わず目を丸めた。
頬にくっつけられた手は、冷え症の人程度には温度は無かったが、それでも今まで漏れ出ていた冷気は発せられていなかった。
恐る恐る、頬にある手をその上から掌で包み込みながら、呆然と妖精の姿を見詰めた。
(そんな馬鹿な―――)
氷精のアイデンティティでもある冷気。
それの制御を覚えたというのか、それも一日で―――
「ねぇねぇ!あたい頑張ったよ!!これで、もう文冷たくないでしょ?!」
「―――はい、そうですね」
満面の笑みに、クスリと文は優しい笑みを浮かべた。
「凄いです、チルノさん―――」
既に陽は沈み、僅かに西の空が紅いだけ。
冷たい風が吹きすさび、すぐにでも暗闇に覆われそうな空の下。
それでも眼前にある笑顔を眩しそうに目を細めた。
「本当に。本当に凄いです、チルノさん」
そっと手を握り締めながら、ただ言葉を繰り返す。
正直有り得ないと思っているし、今でも信じられなかった。
妖精は、決してただ幼稚なだけではないが、かといって特別知性が高いわけでもない。
それは、秋の日に妖精について調べた事から分かっている。
だから「頑張って寒くならないようにする」というチルノの言葉は、絶対に不可能だと思っていた。
―――世界が変わらないなら、自分が変わるしかない。
彼岸の裁判長からの言葉。
その答えの一つを、彼女は見せてくれた。
自分も変われるだろうか―――?
天狗である以上、戸惑いも躊躇いも決して消える事はないだろう。
それでも、彼女のその純粋な愛を受け止める権利があるのだろうか、と。
「ねぇ、文ー」
「―――なんですか?チルノさん」
笑顔を浮かべたまま、もう一方の手を首へと回しながら、甘えるような声が聞こえた。
なんだろうか?と首を傾げ尋ね返すと、えへへ……とチルノが恥ずかしそうに笑いながら
「頑張ったご褒美ほしいなっ」
「―――ふふ、そうですね。何かご褒美をあげなくちゃ、駄目ですよね」
きっと精一杯頑張った事は想像に難しくなかった。
愛しい恋人が、自分の為に頑張ってくれたんだ。
だから、アイス一年分でも自宅に招待でもなんでも。
今なら何でもして上げられる気がした。
本当?!と嬉しそうに笑う腕の中の恋人に、ええ、と頷いて見せる。
「それで、チルノさん?何が欲しいですか?」
「ん?んとね……もう一回」
「え?」
「もう一回、ちゅーして?」
ふと、思考が停止した。
ちゅー?
「ちゅ、ちゅーですかっ?!」
「うん!」
改めて言われたその単語を聞けば、途端文の顔が真っ赤に染まった。
だが、チルノはどうしたの?と首を傾げる。
「いえ、その今、外ですし!?」
「さっきしたじゃん……」
「あ、あれは―――!!」
「それに、もう暗いから見えないよ、きっと」
「うわぁお、チルノさんにしてはまともなツッコミが?!」
逃げ場が無い、と思えば途端に焦る。
先程は勢いでいけたが、改めて、となると無駄に意識してしまう。
どうしよう、と視線を逸らしていると、くいくいっ、と袖が引かれ
「ねぇ、文……?」
「ッ、はい、なんですか、チルノさん?」
「……だめ?」
上目遣いで。
恥ずかしそうに頬を赤らめながら。
こてん、と首を傾げて―――言われた
「―――そんなことないですよ」
くらり、と意識が飛びそうになった。
さよなら理性―――心の中で呟きながら、改めてチルノの顎に手を添えると、少しだけ上向かせる。
「チルノさん、目、閉じてください」
「―――ん」
ドキドキと。
相手に伝わってしまうんじゃないのか、と思うほどに心臓が早鐘を打つ。
言葉通りに目を閉じて、唇を突き出す恋人もまた、僅かに震えている事から緊張してるのだろう。
「……じゃあ、いきますね?」
「うん……」
ゆっくりと顔を近付けながら、ふと考える。
妖精でありながら、その本質とも言える物を変えたチルノ。
それは、妖怪へと変化する兆候なのか、それともただ成長なのか―――
―――どっちだって構わない
フルフルと首を振る。
どうなろうとも、彼女が一番大切だということだけは変わらない事実なのだから。
自分の為に変わってくれた愛しい恋人という事実だけで、十分だった。
ならば、自分も彼女の為にきっと変われるだろう―――
「ねぇ、チルノさん―――」
距離にして5センチ程。
ごく僅かな距離で、そっと囁いた。
「『愛してます』チルノさん―――」
「っ」
漆黒の闇が空を完全に覆い尽くす中、それと同じ色の翼を広げて宙に留まる二人の影が、再び一つに重なった。
冷たい風を頬に浴びながら、ずっと暖かな互いの体に寄り添うように。
春の訪れを拒むような冷たい空気が幻想郷には留まっている。
未だ続く冬の中、澄んだ天空には星々だけが、二人を見守っていた―――。
~おまけ~
炬燵に仲良く入った三人のうち、二人がテーブルにうつ伏せ、ぴくぴくと体を僅かに痙攣させていた。
「何、なんだ、これ……?」
「舌が……痺れ、るん……だぜ」
妹紅と魔理沙。
既に虫の息の二人を眺めながら、はぁ、と霊夢が溜息を吐いた。
「だらしないわね、あんたら。たかが笹団子の一つで」
寒いのは億劫だが、お茶が無いのは頂けない。
入れ直そうと思い至ればのっそりと立ち上がり、まったく、と馬鹿にしたように二人を見下ろす。
「な、んで……れい、むは、平気なん……だ?」
段々と舌が回らなくなってきた魔理沙が、顔を歪めながら尋ねると、霊夢は軽く肩を竦めて見せた。
「さぁ?毒を食わらば笹までってね」
「「マジかよ……」」
笹食ったのか、こいつ。
お湯を求めて部屋を後にするそんな巫女の後ろ姿を見送りながら、毒に痺れる二人の思いが奇跡的にシンクロし、そのまま同時のタイミングで仲良く意識がホワイトアウトした。
どんだけ勇ましいの文ちゃん!抱いて!
そしておまけで盛大に笑ってしまった
そうじゃないとはいいきれないw
言い過ぎて、不知火さんを不必要に貶めてしまったと思います。ごめんなさい。いいSSでした。
ただ、それが言いたかった。