Coolier - 新生・東方創想話

秘神流し雛の戯れ

2012/03/04 03:25:00
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 妖怪の山には厄神様が住んでいるという。厄祓いで祓われた厄を集め、人妖に被害をもたらさないよう監視している。その配慮の心は自分勝手な奴が多い幻想郷ではかなり珍しく常識的で、一部に厄神様マジ女神様という熱心な信仰者がいるのも頷けた。どこかの常識を捨てた現人神とは格が違うのだろうか。

「……って、思っていたんだけど」

 里の空き地に本日限定イベントの茶店があるという噂に興味を抱いたのが一刻前のことだった。その日に確認するべき置き薬のリストは思ったより早くに埋まり、来る時より幾分か軽くなった薬籠を背負って、鈴仙・優曇華院・イナバは偵察という名の道草を食いに来たのだが、

「お……お帰りなさいませ、お内裏様」

 配慮しているはずの厄神様こと、鍵山雛によく似た少女がそこにいた。
 今、目の前にいる少女は、鍵山雛と同じくエメラルドグリーンの鮮やかな髪色をしている。だが、頭にはリボンではなく白いフリルカチューシャ。アンミラ系の胸を寄せて強調するタイプのジャンパースカート風の黒いエプロン。スカートは白いブラウスに合わせず、エプロンと同色。長さはニーソックスに包まれた膝小僧が見える程度で、トレードマークの厄の文字は無い。
 ゴスロリと正統派とコスプレ衣装の中間を取ったようなメイド服。それが彼女の姿だった。
 まさか仮にも神様がそんな格好でいるはずがない、きっと別人だろうと思い込みたかったが、残念ながらご丁寧にも胸の上には、ハートの名札で『かぎやま ひな』とあった。狭い幻想郷に同姓同名がそうあるわけもない。
 どう反応するべきか迷っていると、雛は困惑した表情で、

「あの、……お席は禁煙と喫煙とございますが?」

 純喫茶のような落ち着いた店内は、申し訳程度の仕切りで分かれている。しかしどちらにも客の姿は無く、妙にガタイが良かったり細長かったり太短かったりする怪しげな蝶ネクタイの紳士服共が、むさくるしく額を寄せ合ってぶつぶつ語っていた。

「…………お、お内裏様……?」

 店内を訝しげに見回す鈴仙に、雛のぎこちない接客スマイルがどんどん不安色に染まっていく。ようやく心を決めたらしい鈴仙は、彼女の目を見据えてこう言った。

「えーっと、諸々飛ばして言っちゃうけど、恐喝?」
「はい? 今日はカツ丼でもとんかつ定食でもなく、雛たん特製菱餅ケーキセットなんですが……」

 彼女の指差す先の黒板には本日のおすすめセットが書かれている。他メニューのグラタンの横にあるカニの絵が可愛くて親近感を覚えた。
 そうではない、和んでいる場合ではないと鈴仙は気を取り直した。雛の回答はどうやら天然ボケらしく、席にも案内していないというのに早速注文票と鉛筆を取り出していた。

「いやいやそうじゃなくて、……あれはなに?」

 こちらをちらっと見てきた男共に指をさす。

「あの方達は、私の信者の方ですね。あ、今はこの『@雛カフェ』の発案者兼施工主兼オーナー兼店員ですけど」
「つまり、信者カメコに信仰心を人質にメイド服を強要された、と?」
「失敬な!」

 聞いていたらしく、件の信者四人が一斉に鈴仙達に振り向いた。

「我々、『秘神流し雛を愛でる氏子衆』はカメコであってもメイド服をお願いすることはあっても、人質などと外道な真似をするわけが!?」
「圧倒的問題発言が聞こえたんだけど……、貴方、なんだってそもそもこんな所でメイドやってるのよ? それにこういう所の挨拶はご主人様とかお兄ちゃんとか、そういうのじゃないの?」
「んー、全部一言で説明しますと……」

 雛は歯を剥いたニカッとスマイルで、

「今日は雛祭りですから!」

 ぐっとガッツポーズまで決めていた。







「……成程ねぇ、地上の風習、と」
「雛祭りらしくお客様は全員、お内裏様ということにしてるんです。あ、お内裏様というのは内裏、すなわち御所の天皇を表す言葉でして……」

 とりあえず当初の目的である道草の為にアイスティーを頼んだ鈴仙だったが、何故か仕事中の雛までこうしてテーブルの向かいに座り、事情を聞くハメになっていた。

「……というわけで、雛祭りに合わせて私の信仰ポイント増幅の為に、こうして信者の方達が動いてくれたんです」
「そんな俗世的なやり方で……ああ、でも幻想郷だとこれで良いのかしら」

 俗世にまみれた巫女二人を思い出す。

「……でも、やっぱり厄神がやるお店なんて誰も入ってくれないようで、今日ずっとやってるんですけど、なかなかお客……いえお内裏様が入ってくれなくて……」
「そりゃあいつらが原因なんじゃないの?」

 ん、とストローで指す先、窓の向こうでは信者四人がチラシを配って客引きをしていた。

「ただのチラシ配りですよね?」
「まぁ見てなさいよ」

 ちょうどチラシを片手にした若い男性客が一人、こちらに向かっていた。
 しかし、

『ちょいと兄ちゃん、あんたどういう用件でそこ開けようとしてるん?』
『は? あ、いや期間限定っていうから試しに来てみただけなんだけど』
『まさか貴様、小生達の雛様に不埒な思いを抱いてはおるまいな?』
『ちょ、ちょっと待て、さっきからあんたら一体なんだって――』
『き、挙動不審なんだな! こいつ』
『貴様……もし拙者達の雛様によからぬことを企んでいるというなら……』
『な、なんなんだよおおお!?』

 若い男は走ってその場を去っていった。

『ふん! やはり怪しい手の者であったか……』
『我ら氏子衆を欺こうなどと百年早いわ!』
『しょ、所詮一般ピーポーなんてこの程度なんだな』
『人間の里の面汚しよのう』
「面汚しはおまえらだあああ!! 惑視「離円花冠」!」

 全員分の被弾音と共に、四人は倒れ伏した。

「み、皆さん無事ですか……?」
「無事じゃなくて良いわよこんなの。ほら、やっぱり信者とか言ってるけどこういう連中なのよ。これじゃあ客なんて入りはしないわ」
「失敬な!」
「うわっ、生きてた」

 立ち上がった四人はボロボロになった服の土埃を払うと、

「我々が雛様のメイド服姿を見たいだけなら撮影会でも開けば良いもの。あえて一夜城ならぬ一夜カフェまで用意したからには、きちんと接客している雛様を見たいに決まっておろう!」
「無駄に気合入ってるわね……、じゃあなんで折角の客を入れないのよ?」
「拙者達の審査基準では、あれは危険だ。テロリストに違いない」
「んなわけあるか」
「嘘ではない! その証拠に小生達だって然るべき客は案内しておるわ」
「本当かしら? 雛」
「えっ? あ、はい。確かにゼロではありませんでした。けど……」
「ほれ見たか! やはり我々の女神はきちんと物事を理解しておいでなのだ!」

 高笑いする彼らに、なおも鈴仙は訝しんだ目線で見る。
 呆れながら雛に視線を戻すと、見覚えのある少女が彼女に話しかけていた。

「あの、こちらが『@雛カフェ』ですか?」
「貴方は……、稗田阿求、だったわよね?」
「これは鈴仙さん、どうもお久しぶりです」

 ペコリと頭を下げる阿求に、鈴仙も慌てて頭を下げた。

「さて、貴方が鍵山雛様ですか?」
「そうですけど、貴方は稗田ということは、阿礼乙女の?」
「はい。今日は里まで降りてきてなにやら面白いことをやってるとのことで、ぜひとも記憶に留めておきたいと思いまして」

 阿求の手には分厚い手帳と万年筆がある。幻想郷縁起の取材もするつもりなのだろうと思うが、

「あー、でも店に入れるのかな……」
「? 入れるか?」
「いやね、雛の取材するにしてもそこの阿呆共が……」

 阿呆四人はすでに阿求の周囲に群がるようにしていた。

「さあさあお嬢さん、どうぞこちらへマドモワゼル」
「雛様と阿求様のカプか……ふむ、これはなかなか」
「あ、阿求様はそういえば年幾つなんでしたっけ? 十四歳以下ならドリンクサービス付けるんだな、」
「つるぺた! つるぺたもマスターしている拙者達は大歓迎ですぞ!」
「あ、鈴仙さん稗田様は大丈夫ですよ。朝からもこんな感じの子はお内裏様で来ていましたし……」
「狙撃「ょぅι゙ょに媚びる害虫駆除朧月花栞」!」

 盛大な被弾音と共に、男達の断末魔が響いた。







「成程、それでこの@雛カフェを作ったと」
「そうなんですけど、信者の方達があれでは……」

 四人がけのテーブル席に阿求も加わり、ついでにアイスティーのグラスも一個増えた。黒焦げになった男達は簀巻きにして裏口の外に放置してある。状況が状況だけに休憩中の看板も掲げてある。

「ごめんなさい、つい衝動的に」
「いいえ鈴仙さん。あれは出来れば記憶に残したくない醜悪な有象無象だったので、むしろグッジョブということで」
「……貴方も大概ね」
「阿礼乙女ですから」

 腹黒い笑顔をまざまざと見せつけられ、鈴仙は似たような笑顔の持ち主を思い出し身震いした。

「それにしても、店員が今や私一人となってしまいました。これでは折角の雛祭りが……」

 項垂れる雛を前にして、鈴仙は何か妙案は無いものかと額に皺を寄せた。あの信者達を復活させればとりあえず店を回すことはできるだろうが、普通の営業ができるとは思えない。かといって雛が一人でやるのは無理があるし、山まで彼女の仲間を呼びに行っていれば日暮れになってしまう。雛祭りは今日だけなのだ。なんとかしてやりたい。

「お悩み中の所あれなんですが、鈴仙さんは何か案が?」
「残念ながら何も」
「鍵山様は?」
「雛でいいですよ。……私も、一人でなんとかできる範囲でとしか……」

 ふむ、と阿求は雛と鈴仙をちらりと見て、

「お二人とも策はない。ならばここは一つ、私の案に乗ってみませんか?」
「何か策があるの?」
「ええ。ただしそれには雛さんだけでなく鈴仙さんの協力も必要ですが」
「私なら良いわ。お師匠様には叱られるだろうけど、見捨てるにはちょっと、ね」
「雛さん、その服の予備ってありませんか?」
「え? ええ、予備用保存用観賞用布教用とありますけど……」
「なにそのバリエーション……?」
「まあまあ、それだけあれば私の分も大丈夫ですね」
「阿求……、まさか貴方」
「ええ鈴仙さん。お察しの通りです」

 阿求が差し向けた笑顔は、やはり腹黒さを感じさせるものであった。







 それから半刻程して、人間の里はちょうどお八つ時を迎えていた。久々に暖かな日ということもあり、里にいくつかある茶店は賑わい、初春の風の中を着飾った少女達がおすまし顔で雛遊びに興じている。
 その一角、普段は何もない平地には一軒のカフェが建てられていた。『@雛カフェ』と立て看板のあるそこは、西洋風石造り模様の木壁のいわばプレハブ構造だが、調度品は良いのを仕入れたらしく落ち着きのある空間が中には広がっている。そして老若男女の賑わいを見せる中で、三人の少女がメイド服姿で忙しなく動いていた。

『あのー、雛祭りの茶店ってここ? 空いてるの?』
「いらっしゃいませお内裏様、只今禁煙席のみのご案内となりますが……」
『チョコケーキセットを三つで、えーっとあとそれから……』
「鈴仙さん、チョコレートケーキ完売にしておいてください」
『ちょいと、そこのうさぎのお姉さん! 注文いいかね?』
「えっ、ちょっはいはーい、今行きます!」

 阿求の策に従い、二人が雛と共に働くことでなんとか店は回っていた。メニューの多くは出来合いで河童製冷蔵庫にあることもあり調理担当はほぼ不要。雛祭りも相まって着飾った女の子を連れた家族連れも多く、

「厄神様、この子の厄もどうかお願いします」
「わかりました。お嬢ちゃん、少し目を閉じていてね」
「はーい」

 雛が接客する度に『今日は私の日なんですよ? 実は私は厄神でして――』などと宣伝するものだから、あちらこちらで『厄祓い』の注文の声が挙がっていた。
 合間合間にその様子を見ていた鈴仙は、阿求に小声で尋ねた。

「大丈夫かしら? 厄は貯めこむだけなのよね?」

 雛は厄祓いの神ではない、あくまで厄を収集するだけの神のはずだ。

「多少の厄なら心配ないでしょう。それに皆さんの顔を見てください」
「顔?」

 見渡してみる。
 雛祭りというだけあって、綺麗におめかしをした少女とその家族が多い。
 親の気遣いを他所に、危なげに甘酒を呑む子。菱餅を頬張るのは弟だろうか、姉の分にまで手を伸ばそうとしてペシッとたしなめられている。父親は複雑そうな笑顔を浮かべ、母親は知り合いだろう隣席の親と他愛無い話をする。祖父母は孫の晴れ姿を優しい眼差しで見守り、最初は雛達が目当てであっただろう一人客も、談笑の声に口元を緩ませていた。

「……大丈夫そうね」

 その中で雛はひらりとスカートを翻して、

「すみません、あちらの注文お願いできますか?」
「はーい。さ、阿求。私達も頑張って……って、あれ?」

 隣脇にいた阿求の姿が消えた、と思ったら後に位置する席で年寄り方に囲まれていた。

「稗田様、まあまあ可愛らしいことで」
「うちの孫も稗田様ぐらいお綺麗になると良いんじゃがなあ」
「阿礼乙女様、ありがたやありがたや」
「あの皆さん、ちょ、ちょっと待っててくださいね。今仕事が――」

 何やら大変そうだが、阿求の感情の波は嫌だというものではない。
 それを確認すると鈴仙は、息を一つ吐いて、手を挙げる席へと向かった。







 夜、閉店の文字が掲げられたカフェの中で三人は椅子の背にもたれていた。すでに服は着替え終わっている。

「あー、疲れた」
「さすがに疲れましたねぇ、やはり家の中だけではだいぶ鈍るようで」
「二人共、お疲れさま。そしてありがとうございます」

 雛は深々と頭を下げた。鈴仙はそれを苦笑交じりの表情で受け入れる。

「うん……まぁ、全部売り切ったし、今年の雛祭りは成功したと見て良いのかしら?」
「全部じゃないですけどね、余った雛あられとかお土産にしてしまいましたし……」

 阿求と鈴仙、それに雛の横には余り物の入った風呂敷がある。

「それは少ないですがお礼として受け取ってください。お二人のおかげで多くの人間から信仰ポイントも得られましたし、何より私自身も多くのものを得られましたから」
「な、なんだか気恥ずかしいけど……、うん。良かったわ」
「稗田様もありがとうございます。今度山にいらしたらぜひ幻想郷縁起の話でも」
「言い忘れてましたけど私のことも阿求でいいですよ。稗田様、は里の人達にいくらでも言われますから」
「わかりました。阿求……ちゃん?」
「ちゃん付けはちょっと……そりゃ、私はお二人から見れば随分年下でしょうけど」

 落ち着きのある口調とは裏腹に、子供っぽく頬を膨らませた。

「まあまあ、拗ねない。っと、私はそろそろ帰らなくちゃいけないけど、貴方達は?」
「私も、家の者に遅くなるとは言いましたが、これ以上は心配をかけますので」
「こちらも寄り道をしてから山へ帰ろうと思います。そろそろ川の下流に流し雛の厄も集まってきているでしょうし」
「流し雛? 雛人形を流すの?」
「はい、本来の私のお勤めですね。子供達の厄を人形に移して、それを川に流す。幻想郷だと他にも厄祓いの方法がいくらでもあるので里の子供達全員がやるわけでもなく、それほど数は多くないんですけど」
「貴方の本領発揮ってわけね」
「ええ、自慢じゃないですが、私にとってはまさに雛祭りです」
「ねぇ、それ見て行っても良い?」

 何気ない一言だったが、雛は顔を暗くし、何事かを考えるようにじっとテーブルの天板を見つめた。不味いことを言ってしまっただろうか、ならば撤回しようと思った矢先、

「大丈夫、だとは思います」

 雛の口は重々しかった。

「昨年は豊作だったし今冬の雪は平年並み、特に妖怪被害も無い。……けど、多くないとはいえそれなりの数の厄が集まるから、その周辺は少し危険、かな。……あ、だ、大丈夫。私が先頭にいれば、それで少し離れて付いてきてくれればほとんど影響は取り除ける……けど、やっぱり止めておいた方が良いかな、って。そんな大したことはしないし……」

 来てほしいが来てほしくない、という気持ちが二人には十分伝わってきた。雛の気遣い、責務、彼女の事を考えてみれば、心配をかけない選択が良いのだろう。
 だが、

「……ねぇ、雛。貴方から見て厄ってどんな感じなの? 黒く穢れてるって私は思うんだけど」
「そう、ですね。ただ穢れてるというのとは少し違って、今日みたいに月が明るいと黒曜石のように輝いて。そう、厄は人妖がその生きる中で溜まっていく負のエネルギーみたいなものだから、その中には嘆きも怒りも詰め込まれていて、怖いけれど、力強くも儚くもある光が朧げにそこにある。そんな感じかな」
「阿求、今のを聞いて貴方は?」
「過去の稗田にも似たような物を見た記憶はありますが、私にはありませんね」
「あの、お二人とも何を?」
「ん? ああ、もうちょっとぐらいなら遅くなっても大丈夫かな、って」
「私はほら、幻想郷縁起にいずれ雛さんも記さないといけませんし、阿礼乙女としての仕事がありますから」
「決まったわね」
「ま、待ってください! さっきも言ったように、少なからず危険が――」
「大丈夫。貴方の言うことは守るし、人間の彼女には私が付く。心構えさえできれば隕石でも降ってこない限り対処できるわ」
「でも……、本当につまらない作業ですよ?」
「ねぇ、貴方が厄神様というのは知ってる人も多いだろうけど、毎年貴方が流し雛の後始末をしているって、誰か知っているの?」
「それは、その……」
「なら、私達ぐらい知ってても良いんじゃないかしら? ほら、阿求なんてきちんとそれを記憶してくれるんだから」
「鍵山雛の項目にはきちんと載せたいですね。これも縁起の為と思って、お願いします」
「……わかりました。けど、たらいが落ちてくるぐらいは覚悟してくださいね」







 満月ではないにしても、月の明るい夜だった。遠くに人里の灯りが見え、そこから小川が一本、輝きながら伸びてきている。近場の林にある沼を終着点とするものだ。
 鈴仙は阿求を背負い飛び、雛から少し離れて彼女を追いかけここまで来た。水の音が若干する以外は妖怪の気配も無く、水面は鏡のように月を映し出していた。

「二人共、あれが流し雛の軍団よ」

 林の中から沼を見ると、白紙の船に載せられた紙人形がいくつも浮かんでいた。数は百を超えるだろう。粗末な造りの人形船は、ちょっとした風に煽られ沈んでいく。沼底にこれまでいくつ沈んできたのだろうか。
 沈んだ怨嗟なのか、船の上には黒い靄のようなものがかかっている。あれが厄なのだろう、と鈴仙と阿求は思った。下手に触れれば薮から蛇ぐらい出てきそうだ。

「そこで見てて。決してここから近づいてはだめよ」

 そう言うと雛はふわりと浮かび、沼の上を飛び跳ねた。彼女のブーツの先が着水すると、水面には波紋が広がり人形船を揺らす。揺れた船はぼうっと淡く光り、独手に動き出す。やがて雛の周りを囲むように船が、人形が回りだすと、雛自身は彼らと逆の反時計回りにゆっくりと回りだした。
 彼女に惹かれるように人形からは黒い靄――厄が溢れる。
 彼女の言う通りだった。
 月光、水面の反射光、光る流し雛。彼らに照らされ、黒曜石の鋭い光沢にも似た光が厄からきらきらと零れていく。
 星々の瞬きともまた違うそれは冷たく怪しげで、長く見ていると何かに取り憑かれそうで、けれど鈴仙は、阿求は、見とれていた。

 一年に一度の、秘神が流し雛と戯れる姿を。







 雛が舞い踊っていたのはほんの数分にしか過ぎなかったのだろう。だけど、

「……大丈夫?」

 彼女が声をかけてきた時、二人はただ感嘆の溜息を吐くばかりだった。
 何といえば良いのか言葉がわからず、しかし彼女に答えなければと思う。
 ようやく出てきたのは、

「ありがとう」

 その一言が精一杯で、それなのに雛ははっと驚きを見せて、次に目を細めた。

「さ、まだ厄集めは終わってないから二人共そろそろ帰ったほうが良いわ」

 彼女の言う通り、黒い靄はまだまだ残っている。きっとこれらをすべて回収して、彼女は山へと帰るのだろう。
 阿求は頬を染めた乙女の表情で言った。

「忘れ難い光景を見せて頂きました。この事は必ず」
「ええ、楽しみにしてるわ」

 確かにその通り、鈴仙にとっても忘れ難い光景になるだろう。
 しかしそれは阿求がすでに伝えた。鈴仙は別の言葉を伝えることにした。

「お疲れ様」

 それを聞いた雛は何かに気づいたような驚きを見せて、泣きそうな顔をして、しかし最後は最初に見せた笑顔を見せた。それはカフェで人々が見せた顔に似ているものだった。
鈴仙「そういえばあの四人をすっかり忘れていたわ」



初めましての方は初めまして。そうでない方は記憶力が優れてるとお見受け致す。
久々の投稿に加えて肝心の三月三日を過ぎてしまいましたが、日が昇るまではセーフという格言に従いまして投稿しました。雛あられぶつけないで!

一日遅れの雛話、楽しんでいただければ幸いです。
つくね
http://blog.livedoor.jp/tukune_reisen/
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コメント



0.970簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
とても面白かったです
8.100名前が無い程度の能力削除
前半と後半のギャップがw
楽しく読ませていただきました。
10.100名前が無い程度の能力削除
厄神様マジ女神様
11.100名前が無い程度の能力削除
これは厄神様を信仰せざるを得ない
12.70名前が無い程度の能力削除
面白かった。雛もすてきだった。
でも不必要に巫女2人をdisる必要はないような。そこだけは残念かも。
13.100とーなす削除
>「お……お帰りなさいませ、お内裏様」

なんだろう。この言いようのないときめきは……。
こんな台詞で雛に迎えられて、しかも鈴仙とあっきゅんまで居るとか、どんな極楽浄土だそこは。とりあえず、あっきゅんを指名しようか。
前半のコメディも後半のシリアスも面白かったです。しかし、全体的にあっさりしてたので、前半の三人の接客の様子や、後半の厄集めの描写はもう少し腰を据えてほしかったかも。ただ、そうなると今度はテンポが悪くなっちゃうのかな。
14.100カミソリの値札削除
あ~なんとも思いやりに溢れた聖処女よ……。ホンマ、女神さまやでえ^~
この健気さ! 可愛さ! 思いやり!!!!

雛ちゃんはまことに神様です・・・・・・素晴らしい!

雛ちゃんの良さを100000000パーセント引き出してた素晴らしい作品でしたな!! 流石つくねさんですね^^

俺も雛ちゃんのお店行きたいんだよね
15.90名前が無い程度の能力削除
素敵な雛祭りでした。
そして阿求可愛い。
16.100名前が無い程度の能力削除
こ、これはなんていい雛祭り
22.90名前が無い程度の能力削除
前半の四人組がちょっと苦手
後半は素敵な雰囲気で好きです
23.70名前が無い程度の能力削除
三人のやりとりがなんとも甘くもあり、雛の存在に起因する辛さもあり、要所要所のアクセントはまるでなんこつのようであり。
素敵でした。
すかるぷ
25.100名前が無い程度の能力削除
雛様マジ女神、これは信仰せざるを得ない
28.100名前が無い程度の能力削除
縁日屋台の猥雑な空気みたいなもんと神事の厳かな雰囲気、両者が並び立った祭日の様子が良いですね。

阿求がご年配の方々から信仰を集めているみたいになっていた様子にはちょっと笑いました。
32.70洗濯機削除
雛様マジ女神さま!幻想郷ってやっぱいいなって思いました。
33.90スポルト削除
厄神様マジ女神様!
雛様の舞とか見てみたいわーと思いました。
話の雰囲気がゆったりした感じでよかったです。