博麗霊夢は元来ゴマをするのが大好きである。
それはゴマをする動作が大好きという意味で、別段おもねりへつらうのは好きなわけじゃない。むしろ、後者は大嫌いな分類である。
とにかくゴマするのが好きな彼女は、一度はまってしまうと周りに目が行かなくなる。過日、大きなすり鉢で買ってきたたくさんのゴマをすってみたら約半日すっていた。ゴマはもはや粉塵と化していた。
ときたま妖怪たちに「もし博麗の巫女ではなかったら、なんの職業になりたいか」と訊ねられることがある。
ゴマ屋だ、と即答する。そうすると大抵聞いた奴は訝しげな顔をするか、紫に霊夢は働きすぎだと訴える。変なことを言うまで働かせるんじゃない、と。
もちろん霊夢は本気だ。過労から来るうわ言なんかじゃない。
しかしひとりを除いて誰も信じてくれない。
そも、霊夢がゴマをするのが好きなのを知っているのはそのひとりしかいない。腐れ縁のそいつしかいない。
霧雨魔理沙しかいない。
霧雨魔理沙は元来焼きモチを焼くのが得意である。
それはひどく嫉妬深いという意味で、別段モチを焼くのが上手いというわけではない。むしろ、後者は苦手な分類である。
とにかく焼きモチ焼きの彼女は、霊夢が誰かと仲良く談義していればすぐに嫉妬する。嫉妬して、会話の輪に無理やり入ってくる。霊夢が誰かと笑い合っていれば、一日ブルーになり言葉数が減る。
顕著に態度に出すものだから、周りの奴らのほとんどが、魔理沙のいるときは必要以上の霊夢へのコンタクトは避けている。
みんな気遣いを心がけていた。
なんせ彼女の気持ちにみんな気づいているから。
そも、魔理沙が焼きモチを焼く相手は幻想郷中にたったひとりしかいない。気持ちを寄せているそいつしかいない。
博麗霊夢しかいない。
◆ ◆ ◆
座敷の時計は午後七時すぎをさしている。その時計の振子の音は、ごりごりという音でかき消されていた。
霊夢は目を閉じながらその低い音に聞き入っている。
ごりごりごりごり。どんなに心奪われようがすりこぎを動かす手だけは止めない。当たり前だ。手を止めてしまえば音も止まってしまう。どんな素晴らしい歌よりも価値のあるこの音が。
しばらくすっていると良い匂いが漂ってきた。煎りゴマがすられたときのこうばしい香り。
霊夢は思いきり匂いをかぎ、恍惚を満面に湛えた。
――幸せだ。
自分の心臓が高鳴っているのに気づく。
美味しいお茶を飲もうとも、寒い日にこたつで丸まろうとも得られない幸福感。それをいま鼻で、耳で、手のひらで感じているのだ。
もうここで死んでも後悔はない。いやでも、ここで死んでしまったらもうこの感覚は味わえないのか。
「おい、霊夢」
ならやはり死ぬのは良くないな。「おい、霊夢」しかし、ならこの気持ちを「おい」どう表わそう。幸せという言葉だけじゃ「話聞けよ」もの足りない。「怒るぞ」その数倍、い「おいったら」や、その十「なあ」倍、ひゃ「霊夢」く「霊夢」ば「れいむれいむ」い――
「霊夢!!」
その怒号は幻想郷を揺らした。天界に住む竜宮の使いはすわ地震かと警告の準備をし、一度寝たら起きないと言われる地底の鬼たちもなんぞと目を覚ます。人里では非難命令まで出たという。
はっ、と我に返るのは幸福感にどっぷり浸っていた霊夢。別に相手の言葉を無視していたわけではない。ゴマすりにはまっていただけなのだ。
くるりと後ろを振り向く。頬を紅潮させ肩で息をしている魔理沙が立っていた。眉間にはお札十枚が挟めそうなほど深いしわが刻まれている。
状況の飲み込めない霊夢は頭をかき、
「どうしたの?」
と問いかけた。きーんと未だに耳の奥が鳴っている。
「……なんでもない」
吐き捨てるように言った。そして魔理沙はぷうっと頬を膨らませてどかっとその場で胡坐をかいた。――拗ねているな。それは腐れ縁の霊夢じゃなくでもわかることだった。
――きっと口の中にある数多の不満の言葉が、あいつの頬を膨らませているに違いない。
そう思った霊夢は「どうしたの?」ともう一度訊ねた。いくらか言葉を吐き出させなければあの頬の膨れはとれない。
「なんでもない」
魔理沙はぶっきら棒に返す。双眸は三脚のついた網の上に向けられている。網の上には二個のモチ。網の下にはほのかな火を放つ八卦炉。彼女はモチを焼いていた。
相手のリアクションに気色ばむ霊夢。もともと気が長いわけじゃない。うじうじしている奴は嫌いなのだ。
ラストチャンスだと思いながら彼女は口を開いた。
「最後に訊くわよ? ど・う・し・た・の?」
魔理沙はちらっと霊夢を見、口をもごもごとさせた。そして、
「――んなよ」
「え?」
きょとんとした顔で訊き返す。魔理沙が青筋を立てた。
「だから! 私が話しかけてんだから無視すんなよ!」
言い終わる――いや、叫び終わると、彼女はぷいっと斜め上を見た。頬の膨れはある程度とれていた。
霊夢はしばらく呆気にとられ、そしてため息を吐いた。
「魔理沙」
「なんだよ」
ちらりと霊夢を見る。その目はなにかを期待している目であった。
霊夢はすっと指をさした。
「……モチ、破裂してるわよ」
魔理沙がぎょっとした顔で網を見やる。とろとろになったモチが網の隙間から垂れていた。
彼女は慌てふためきながらお箸でそれらを皿に移し出した。相当気が動転しているようで、ときおり「熱っ!」と叫んでいる。
霊夢は二度目のため息を吐いた。
魔理沙の機嫌は夕方から悪かった。
理由は簡単である。霊夢が紫と談笑しているのを目撃したためだ。
紫が博麗神社にやってきたのは昼ごろ。特に目的もなく、「お喋りをしにきたわ」というのが彼女の言であった。
ちょうど暇を持て余していた霊夢は相手を返すこともせず、二人でぐだぐだと駄弁を弄していた。
それがいけなかった。
太陽が熟れたリンゴのような西日になったころ、魔理沙がやってきた。珍しく人里に行ったらおモチをもらったので、霊夢と食べようと思ったのだ。
そして――紫と霊夢の談笑を目撃した。そのとき二人は仲睦ましげに笑い合っていたせいで、彼女の嫉妬もひとしおであった。
魔理沙の来訪に一足遅く気づいた紫は、ひどく焦った。魔理沙が焼きモチを焼きやすいことを知っていたからだ。
霊夢は焦らなかった。自分が誰と話そうとも自由ではないか、と思ったからだ。
そそくさと紫は帰ったものの、魔理沙の機嫌は直らなかった。一言、「モチをもらった」としか言わなかった。
自分の分もあるのだろうと予想立てた霊夢は、ゴマモチを食べたかったためゴマをすり始めた。
その間、相手の機嫌を取ることはしなかった。そっちのゴマをするのは大嫌いだったからだ。
そして重たい空気のまま、いま現在に至る。
「――モチは」
霊夢がゴマをすろうとしたとき、魔理沙が口を開いた。「何個食べるんだ?」
ふむと考える。どうしようかと悩み、これを夕飯にしようと思い振り向かず「三個」と答えた。
「……じゃあ私も」
「そう」
そこで会話が終わった。
ゴマをすり始める。ごりごりごりごり。
ごりごりごりごり。
ごりごりごりごり。
気持ちが高ぶってきた。段々楽しくなってきた証拠である。
「――今日はさ」
突然の声。魔理沙のものだ。後ろを振り返った。
彼女は焼いているおモチ二つを忌々しそうに睨んでいる。まるでそれらに親が殺されたかのようだ。
「久しぶりに人里に行ったんだ。そしたらさ、慧音がおモチをくれてな。いっぱいもらったからお前と食べようと思ったんだ」
ぱちんモチが音を立てる。
魔理沙が霊夢のほうを見た。瞳にはモチを焼く炎がゆらりと映っていた。
「紫となにを話してたんだ?」
霊夢はうーむと唸り、お昼のことを思い返す。そして、
「どうでもいいことよ。最近の人里は活気づいているとか、過去にはこんな異変があったとか、妖怪の山の神社が賑わってるとか」
とありのまま言った。なんて益体のないことを話したんだろうと、いまさらながら呆れる。
「そうか」
「そうね。――他に聞きたいことはあるかしら?」
そう訊ねると、魔理沙はバツが悪そうに目をそらし、頬をかいた。
あのさ、と言葉を濁らせながら上目遣いに相手を見た。
「そのさ……紫と話すのと……」
「なによ」
先を促す。霊夢の気は長くないのだ。
「その……私と話すのとは、どっちが楽しい?」
魔理沙の頬がいっそう赤くなった。霊夢はそうねぇと首をひねった。
霊夢だって愚鈍ではない。彼女がどういう回答を期待しているかぐらいわかっている。わかってはいるが――
「同じぐらいかしら」
嘘をつく気にはなれない。そっちのゴマをするのは大嫌いなのだ。
モチが大きな音を立てて焼けた。
◆ ◆ ◆
結局、魔理沙は二回目もモチを破裂させた。新しいおモチ二つが網の上にのっている。
霊夢は三回目も失敗するのではないかと心配していた。魔理沙の機嫌がすこぶる悪いことには懸念はなかった。
なぜ私がそれに不安を抱かなくてはいけないのだ――。彼女はそう思っている。
ゴマすりを再開した。ごりごりごりごり。
ごりごりごりごり。
ごりごりごりごり。
ごりごり――
いつもならゴマすりをしているうちになんだか楽しくなってきて、嬉しくなってきて、幸せになってくるはずなのに、いまは違った。
楽しくない。嬉しくない。幸せじゃない。
むしろ不愉快だ。
霊夢は頭を乱雑にかきむしり、振り返った。
魔理沙がふくれっ面で睨んできている。
勘の鋭い博麗の巫女は視線にも敏感なのである。彼女の視線は針のように鋭くて、自分の後ろ姿にちくちく刺さっているのを感じていた。
とがった声で訊ねた。
「……なによ」
魔理沙がプイッと顔をそらす。「なんでもない」
不満と不快感を抱えながら向き直り、霊夢はゴマすりを始めた。
始めたが――
くるりと振り返る。ふくれっ面の魔理沙が睨んでいる。
「……なによ」
ふたたび顔をそらす。「なんでもない」
怒鳴ってやろうかと考えた霊夢だが、彼女のせいで喉を痛めるのも癪だったので、用意していた言葉を飲み込んだ。
気の長くない霊夢にとっては珍しいことだった。
しかし三回目が来たら我慢できる自信はないな、と考えながら前を向く。
三回目はなかった。視線も感じなかった。
その代わり、しばらくすると今度は横から気配を感じた。視線をそちらにやる。
霊夢とは正反対を向いている魔理沙がいた。表情は見えないが膨らんだ頬は見える。
魔理沙が乱暴に指をさしてきた。その先を目で辿ると、ゴマの入ったすり鉢があった。
「――ゴマすり」
「ええ」
霊夢は呆れた声色でうなずいた。「ゴマすりね」
――なにが言いたいんだ、こいつは。
相手がこちらを見ないため、うなじしか目に入らない。整った襟足だな、というどうでもいい発見をした。
「ゴマすり、疲れないか?」
疲れないわ、と言おうとした瞬間、
「するの代わろうか?」
と先制された。
「遠慮するわ」
霊夢は即答する。大好きなこの作業を人に譲るわけがない。
そんなこと、腐れ縁のあなたなら知っているはずでしょ?――心の中で呆れた。
「別に疲れないわ。むしろあなたが隣にいたほうが疲れるわ」
あっ、また睨まれるな。霊夢は思った。ちらりと彼女を見やる。
そっぽを向いたままであった。
「……そうか」
遅れて声が聞こえる。その声はちょっぴし寂しそうだった。
体ごと後ろを向いたときに見えた、魔理沙の悲しそうな顔。それが瞳に焼きついた。
モチを焼く炎がことさら弱くなっている。
たぶん、もう話しかけられないだろうな、と思った霊夢は自分の中のもやもやが肥大していくのを感じた。
大好きなゴマすりをしたところでこれは消えない。直感がそう告げていた。
「――なあ」
しかし霊夢の想像と反して、魔理沙が後ろにさがってからほどなくして、問いかけが聞こえた。
振り向こうとしたが、さっきの彼女の表情が瞳に焼きついているせいでできなかった。
「なに?」
一拍開いてから。
「お前はその髪型が好きなのか?」
と訊ねられた。予想外の質問に霊夢は少し考えてしまった。
その髪型というのは、このリボンで髪を結んである、これだろうか?
「……まあね」
「それはポニーテールと呼んでいいのか?」
魔理沙の声には最初のころの刺々しさがなく、むしろ期待が込められていた。
霊夢はますます彼女の意図がわからなくなってきた。
「……いいんじゃない?」
おずおずと返答するとそれっきり、声がしなくなった。
なんだか変な音はしているが。
霊夢は自分の頭にのったリボンに触れてみる。ほどほどにやわらかい、という感想しかなかった。
もしや、変だったのだろうか――。出し抜けに不安になった。これで何年と過ごしているものだから、それに気がつかなかったというと致命的である。
似合わないのなら、みんな言ってくれれば良いのに。そういう気遣いはのちのちに響くのだから。どうしたものだろう――
コツン。
霊夢の後頭部に硬いなにかがぶつかった。結構痛い。
自分の横の床にはモチが落ちていた。焼く前のものである。
魔理沙が投げたと見て間違いがない。
それを拾いあげようとすると――コツン、ともう一度自分の頭にモチがぶつかった。
イラっとした。炒られたゴマのように、霊夢の中でなにかが弾けた。
「ちょっと! いいかげんに――」
振り向いた途端に、怒りの言葉は勢いをなくし、最後には消えていった。
霊夢の険のある表情は、ぽかんと呆気にとられたものへと変化した。
どうして――。霊夢は疑問に思った。
どうして、魔理沙はポニーテールになっているんだろう?
魔理沙の髪型はポニーテールになっていた。
そのかわり特徴的だった三つ編みがほどかれている。どうやらそこのリボンを使ってポニーテールを作ったらしい。
斜め上を見ながらも、ちらちらと横目でこちらを見てくる。頬はいま触れたら手が火傷してしまうのではないかと思うほど真っ赤であった。
魔理沙の流し目が髪型を訪ねたときのような期待が込められていたため、霊夢は遅れながら彼女の意図に気づいた。
めんどくさい奴だな。心の中で愚痴り、ついつい笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ」
相手が口をとがらす。
「べっつに―」
霊夢は笑いをこらえず、目をそらして誤魔化した。
ふと今日の魔理沙の態度が思い浮かんできた。博麗神社に来てからずっとモチを焼いていた彼女。
そして、焼いたモチをうまく処理できないこいつは、
「――ホントにめんどくさい奴よね」
霊夢はひとりで笑う。さっきのもやもやはとうに消えている。
「な、なんだよ! めんどくさい奴っていうのは!」
魔理沙が立ちあがった。ゴールデンレトリバーの尻尾みたいな金色の結った髪が揺れた。
「そのまんまの意味よ」
「うるさい!」
「あなたのほうがうるさいわ」
「うるさいうるさい!」
同じセリフを繰り返しながら地団太を踏む。そのさまは聞き分けのない子供のようだった。
霊夢もいささか困り、口を開いた。
「ちょ、ちょっと、どたどたうるさいわよ」
子供じゃないんだから――そう続けると、魔理沙はきっと彼女を睨み、テーブルの上の袋を持った。
モチの袋だった。
その中に手を突っ込む。そして、
「えいっ!」
モチを相手に投げつける。こつんと霊夢の鼻にぶつかった。
ツンとした痛みが鼻から脳へ駆け抜ける。自然と涙が出てくる。
「……な、なにすんのよ!」
怒りが、頭を満たす。
霊夢は近くに落ちていたモチを拾いあげ、魔理沙へ投げた。
「あだっ」
みごと彼女のおでこに当たった。
くそっ、と涙をもらしつつ、今度は袋からモチを三個とり出し放った。
一個は霊夢の頭にヒットし、もう二つは障子に穴をあけて外に出ていった。
ますますいきり立ち、この野郎と歯を食いしばる。
躍起になりながら霊夢はふたたびモチを拾った――。
しばらく、二人によるモチの弾幕ごっこが繰り広げられた。
当たった痛みは反撃の糧となり、外れたモチは着実に博麗神社の備品を破損させていく。
霊夢も魔理沙も数々の異変を解決した、いわば弾幕のプロである。なので平生の弾幕は楽しむものと認識している。
しかし今回は違った。
この弾幕ごっこは怒りと怒りをぶつけ合う、幼稚なものだ。
それゆえ、不毛である。それゆえ、楽しさはない。
それゆえ――ちょっぴり二人の距離を縮めた。
霊夢は憮然とした顔つきで頬に触れる。ピリッとした鋭い痛みが走った。
目の前のヒビが入った硝子障子には、頬を赤く腫れさせた自分の顔が映っていた。その後ろには同じように顔を腫れさせた少女の顔がもうひとつ。
霊夢は顔を下に向け、ゴマすりを再開した。
――なんなのよ。あいつは。
ごりごりごりごり。
――確かに気持ちは理解できるわよ。魔理沙は昔から焼きモチ焼きで、それなのに自分の焼いたモチの後処理は大苦手で。
ごりごりごりごり。
――だけど、だからといってなにも暴れることないじゃない。その結果、二人しておたふく風邪みたいに頬を腫らしてるんじゃないの。
ごりごりごりごり。
――きっと今回もあいつは私からの謝罪の言葉を待っているんだろうな。しかし私はそんなことしない。私は悪くないし、それに……
ごりごりごりごり。
それに――
横からにゅうっと手が出てきて、霊夢のすり鉢を掴んだ。いきなりすぎて、さすがの彼女もぎょっとした。
手が伸びているほうを見やると、ポニーテールのままの魔理沙が霊夢を睨んでいた。いつの間にか、隣に来ていたらしい。
「――手、離しなさいよ」
霊夢は睨み返し、耳が凍傷してしまうぐらい冷え冷えとした声で言った。
しかし魔理沙は離さない。むしろすり鉢を掴む手に力を入れた。
「……私がゴマをする」
魔理沙が言った。
「いやよ。私がするの」
霊夢は即答した。今回の意図も、いままでと一緒なことぐらい知っている。だけど首は縦に振らない。
両手ですり鉢を掴み、とり返そうとしたら魔理沙も両手で掴んできた。
「離しなさい」
「私がやる」
「離せ」
「やだ」
思いっきり力を込めると相手も込めて対抗してくる。すり鉢が宙で左右を行ききし始めた。
お互い、意地と意地とのぶつかり合いだった。二人とも真剣な顔をしている。
ぐいっ、ぐいっという力任せの引っ張り合いが数十秒続いたあとのことだった。
「――あっ」
魔理沙が引っ張ったとき、霊夢の手が滑った。
すり鉢は魔理沙の頭上へ行き――ひっくり返った。
バサァと彼女は頭からゴマをかぶる。すり鉢の中のゴマは、残らず魔理沙に降りかかった。
ぱらぱらとゴマが地面に落ちる音が響く。その音がやむと、座敷はしんと静かになった。
何事かと目をぱちくりさせていた二人だが、状況を理解してくると――
霊夢はただ呆れ返った。怒りという次元はとうに超えていて、ただただ呆れることしかできなかった。
魔理沙は泣き始めた。ゴマの数倍はある大粒の涙が目からこぼれ始め、畳を濡らす。
「――あんたねえ」
霊夢はため息と一緒に声を絞り出した。「どんぐらい人に迷惑かければ気が済むのよ」
「だって……だって……」
涙が腫れた頬をつたい、落ちる。その滴は、魔理沙が今日一日表情に出さなかった本当の気持ちの、結晶だった。
「寂しくて、だけど上手く言葉に、できなくて……」
霊夢は口を閉じたまま、相手を眺めている。
すると、魔理沙の頬に数粒ゴマがついているのに気づいた。
ふっくらと腫れたほっぺたはおモチのようで、そこにゴマがついているとまるで――
霊夢は決心をした。
魔理沙はまだ泣いている。ぽたぽたと落ち続けて涙は止まりそうな気配がない。
――きっと今回も私が謝ればそれで済む話なんだろうな。しかし私はそんなことしない。私は悪くないし、それに……
ぽたぽた。
それに――ゴマをするのは大嫌いなのだ。
だから、魔理沙の頬に口づけをしたのは霊夢の精いっぱいだった。
しょっぱくて甘くない、ゴマモチの味がした。
魔理沙は泣くのをやめた。霊夢は照れながら笑った。
「なにすんだよ……」と呟きながら、魔理沙は頬を赤く染めてうつむく。
それっきりだった。それっきり、言葉はいらなくなってしまった。
霊夢が恥ずかしさと満足感を噛みしめていると、ふと異臭に気づいた。
魔理沙の背後に視線やり、目を丸くする。俯いている彼女の肩をポンポンと叩いた。
「なんだよ」と魔理沙が不機嫌そうに応えた。
「あれ」
「どれだよ」
魔理沙がそちらを向く。
霊夢の指さす先には――真っ黒に焦げたモチがあった。
「やばい!」
ポニーテールを揺らしながら駆け出した。
網のところにたどり着いたものの、なにをしていいのかわからないらしく魔理沙はひとりでただ慌てていた。
霊夢は彼女の背中から、テーブルの上へ視線を移した。
二枚の皿。そこには二個ずつおモチがのっていた。
――まあ、いっか。
本当は三個食べたかったけど、なんだか二個で良い気がしてきた。
霊夢は悪戦苦闘している魔理沙を見ながら、さっきの口づけを思い出しながら、いたずらっ子のように笑った。
――私はもう、ゴマモチを一個食べたんだし。
魔理沙のモチを焼く炎は、燃料切れを起こしていた。
あとがき含めて、ね
それにしてもゴマをするのって確かに楽しいですよね、この動作が好きな霊夢に共感を抱きました
まったくまりさは
まったくめんどくさ良い魔理沙です