※時系列は妖々夢直後と考えてください。
本日の空には太陽が見えず、どんよりとした雲が広がっている。
吸血鬼にとっては最高の天気であった。
「咲夜、一時間後に2人の客が来るから。テラスでお茶会にするから用意してほしいんだけど」
「かしこまりました、お嬢様」
十六夜咲夜は突然の主の命令にも慌てない。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「お茶菓子はクッキーでよろしかったでしょうか?」
「いや、人里でプリンが売ってるらしいんだよ。それを買ってきてよ」
「かしこまりました」
十六夜咲夜は主の無茶な我儘にも慌てない。
紅茶とプリンは合うのか疑問に思っても顔に出すことは無い。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「プリンを買って参りました」
「いや、ちょっと思ったんだけどさあ。やっぱりお茶菓子にプリンはどうかと思うんだよねえ。やっぱりクッキー焼いてよ」
「かしこまりました」
十六夜咲夜は主の突然の心変わりにも慌てない。
この程度の我儘には慣れっこだ。
人里まで全速力で往復した疲労などへっちゃらだ。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「メイド長!?それ砂糖じゃなくて塩ですよ!?」
「きゃ~!メイド長!生地に顔から突っ込んで…大丈夫ですか!?」
「咲夜さん!クッキー焦げてます!!」
…少しは慌てていたようだった。
「きゃ~!レミリアちゃん久しぶり!」
赤い服を着た銀髪の少女がレミリアに抱きつく。
その姿は長年会っていなかった友人の久方ぶりの再開だということを咲夜に思わせた。
「久し振りだね、神綺。元気だったかい?」
「私は元気だったわよ。魔界は平和そのものでね。特にやる事もないからゴロゴロしてたら夢子ちゃんに怒られちゃったわぁ」
客人の名前は神綺というらしい。
魔界…魔界という場所はどのような場所なのだろうか。
咲夜は気になったが、さすがに客人の領域に踏み込むことは従者としては絶対にやってはいけない。
口から出かかった疑問をぐっと喉の奥にしまいこむ。
「あ、そうだ。神綺に紹介したい奴がいるんだよ。咲夜、こっち来て」
「え?あ、はい」
まさかメイドである自分が紹介されるとは思わなかった。
思わず一瞬戸惑ってしまう咲夜。
「十六夜咲夜と申します。紅魔館のメイド長を務めさせていただいております。よろしくお願いします」
咲夜はそう言って一礼する。
神綺はそんな咲夜を笑顔で迎えた。
「私の名前は神綺。魔界の神をやらせてもらっています。よろしくね、咲夜ちゃん」
「さ、咲夜ちゃん…」
咲夜にとって『咲夜ちゃん』というのはあまり呼ばれたことの無い名だ。
なんだか照れ臭くなってしまう。
「…って、魔界の神…ですか?」
吸血鬼や亡霊や妖怪が現存する幻想郷。
神というものも実際に何処かにいるのかもしれない。
しかし、咲夜にとっては神と名乗る者に実際に対面することは初めてであった。
「ふふふ…信じられないかい、咲夜」
レミリアはそんな咲夜の反応が面白いのか微かに笑う。
「幻想郷ならば神なんて他にもいそうな気はするけれど。博麗神社とかね」
「ああ、そういえばあそこは神社でしたっけ…」
あまりにも巫女が巫女っぽくないので忘れてしまっていたが、そう言えばあそこは神社だったと思い出す咲夜。
博麗神社も一応神社なので、神は存在する筈なのだが、咲夜はそのようなものは見たことなかった。
「霊夢があまりにも巫女っぽくないから神様も逃げちゃったんじゃないかい?」
「あの巫女ならあり得そうね」
笑い合うレミリアと神綺。
実際にあり得そうだなあ、と咲夜も本気で思っていた。
さすがに声には出さなかったが。
「それにしても、もう一人の客人がなかなか来ないねえ…」
「どうしたのかしら。まさかここに来る途中に事故に遭ったとか!?」
「いや、あいつだってそこらの妖怪なんぞには負けないだろう…」
「いや、でも…万が一なことも…あの子はとっても可愛いし…」
神綺が突然慌て出した。
そんなにもう一人の客人が心配なのだろうか。
レミリアが落ち着かせようとしているが、収まる気配はない。
「お嬢様、神綺様、私がそのお客様を探しに行って参ります」
「ああ、そうか。そうだね、咲夜頼むよ」
「咲夜ちゃん、お願い!アリスちゃんを助けてあげて!」
神綺の中では客人はすでに誰かに襲われたことになっているらしい。
それはともかく、アリスという名は咲夜の中で心当たりがあった。
「アリス…もしかして、アリス・マーガトロイドのことですか?」
「おや、知り合いだったのかい?」
「ええ、例の春雪異変の際に…知り合ったのでございます」
さすがに道中で立ちはだかったのでぶちのめしました、と言うのは憚られた。
咲夜が察するに神綺とアリスは具体的な関係までは分からないが、決して悪い関係ではないのだろう。
「咲夜、魔法の森は分かるね?そこにアリスの家がある。頼んだよ」
「アリスちゃんをお願い!咲夜ちゃん!」
「お任せ下さい。お嬢様、神綺様」
そう言うと、咲夜はテラスから外に飛び出した。
「尾けられている…?」
咲夜は紅魔館から出た直後から誰かの気配を感じていた。
「誰…?」
まさか本当にアリスを狙った犯人がいるのか?
それとも腹を空かした妖怪か?
どちらにせよ尾行されたままでは気味が悪いと思い、撃退しようと咲夜が振り返る。
「あれは…」
見覚えがある姿が見えた。
咲夜は空中で旋回し、方向転換をする。
「やっと追い付いた…。咲夜速いよ…」
「貴女…図書館の小悪魔ね?」
咲夜の後を尾けていたのは図書館に住みついている小悪魔だった。
図書館にはこの小悪魔以外にも何人か住んでおり、悪戯をしてはよくパチュリーから折檻を受けている姿を咲夜も見かける。
弾幕の強さはともかくその他の面では妖精メイドと大差ない、と咲夜は小悪魔を見ていた。
「パチュリー様からの伝言!アリスは図書館にいる!すぐに連れて行け!だって」
「図書館に?」
咲夜は考える。
悪戯好きな小悪魔のことだからもしかしたら嘘の可能性もある。
が、この状況で咲夜が何を探しているかなど、単純に悪戯目的の場合では知りようがない筈である。
パチュリーから状況を聞いた上で嘘をついている可能性もあるが、さすがに悪戯にしては手が込んでいる。
恐らく、アリスは本当に図書館にいるのだろう。
咲夜はそう結論付けた。
ただ、疑問点が二つ。
何故アリスは客として呼ばれたにもかかわらず、レミリアの前に姿を現さずに図書館にいるのか。
そして、図書館にアリスがいるのならば何故それをレミリア達の前で教えなかったのか。
「何故お嬢様がいる前でそのことを伝えなかったの?」
「知らないよ!咲夜がアリスを探しに行くだろうけど、お嬢様達から離れてからアリスの場所を教えろってパチュリー様から指示されたんだもん!」
咲夜から見て、パチュリーは正直に言って何を考えているのかよくわからない人物だ。
今回の意図も正直に言うと咲夜には掴めない。
ただ、一つ間違いなく言えることは、彼女は親友のレミリアに外部の者がいる前で恥をかかせる真似はしないだろうということだった。
そして、図書館に行けば全てわかることであるだろう。
「わかったわ。すぐに戻る」
「おうよ!すぐに戻れ!」
小悪魔の調子の良い掛け声を無視し、咲夜は紅魔館へ向かって全速力で飛ぶ。
出来る限り自身の主人を待たせたくなかった。
その頃、地下図書館では…
「無理よ無理無理無理無理無理無理!」
金髪のボブカットをした美少女、アリス・マーガトロイドが頭を抱えて叫んでいた。
幸い地下図書館はレミリア達がいるテラスから離れているので聞こえることはなかったが。
「五月蠅いわね。騒ぐなら追い出すわよ」
パチュリーは鬱陶しそうな眼でアリスを見る。
明らかに邪魔者を見る眼であった。
パチュリーの言葉にアリスは憤慨する。
「ちょっと!こんなに困ってるって言うのにそういうこと言うの!?」
「私から見れば今の貴女は迷惑極まりないわ。大体どうしてここに来るのよ」
「仕方ないじゃない!ここくらいしか思いつかなかったんだから!」
アリスは本来騒ぐような性格ではない。
むしろ静かに過ごすタイプだ。
今のアリスは相当混乱している事が誰から見てもわかった。
ちなみに咲夜への指示の件は、パチュリーにとってはこれ以上の面倒を避ける以上の意図はない。
アリスが図書館にいると神綺に伝わってしまえば、神綺自身が図書館に乗り込んでくる可能性があった。
静かに本を読みたいパチュリーにとって、これ以上図書館の人口密度を上げたくなかったのだ。
「神綺は貴女の母親でしょう?会ってあげれば良いじゃないの」
「無理よ!無理無理無理!」
ついにアリスが頭を抱えながらゴロゴロ転がり出した。
その勢いで床に落ちていた埃が舞う。
「キャハハハ!アリス芋虫みたい!」
小悪魔達がそんなアリスを見て腹を抱えて笑う。
人が悩む姿を見て喜ぶ小悪魔達にとって、今のアリスは格好の獲物であった。
「アリス…貴女、自身の恥ずかしい過去を曝け出されて悶絶するタイプ?ふん、まだまだ子供な証拠ね」
パチュリーは今のアリスの姿を見て鼻で笑う。
ここで突然一人の小悪魔が一冊の本を高く掲げた。
「ここでさっき見つけたパチュリー様の日記御披露タ~イム!」
「なっ!?」
「えっ、何それ!?」
「見たい見たい!」
パチュリーが驚きの声を上げる一方、他の小悪魔が騒ぎ出す。
「キャハハハハ、アリス転がれ転がれ~!」
「無理無理無理!まだ無理だってばあああ!」
アリスはまだ図書館の床を転がっていた。
そんなアリスの姿が面白いのか、一人の小悪魔が転がるアリスを押している。
「えぇ~と…『○月×日、今日もレミィに勝てなかった。こうなったらレミィを魅了してみるのはどうだろうか。魔女と言ったら惚れ薬だ…』」
「ちょっ!返しなさい!というか燃やすわ!火符『アグニシャイン』!」
「キャー!熱い熱い!」
日記を持っている小悪魔がパチュリーの魔法で燃える。
しかし、日記は燃えない。
「しまった!その日記にも防火の魔法を掛けてしまっていたの!?」
「熱い熱い~!」
「水だ水~!」
「紅茶掛けろ~!」
「キャー!紅茶も熱い~!」
「無理無理無理無理無理無理無理!」
「キャハハハ!アリスもっと転がれ~!…あ、本棚にぶつかっちゃった」
「返しなさい!ゴホッゲフッ!」
「あ、パチュリー様が血を吐いた!」
「謝れ!パチュリー様に謝れ!」
「熱い熱い~!」
「無理よ無理無理無理無理無理無理ぃ!!」
「何やってんのよこの人達…」
咲夜は図書館の惨状に呆れることしか出来なかった。
「パチュリー様~…」
「出して~…」
「ふん、良い気味よ」
パチュリーは嘆き声を挙げる本に向かって鼻で笑う。
本が嘆き声を挙げるのはホラー以外の何物でもない。
ちなみに、この嘆き声を挙げる本は、悪戯をした小悪魔が封印されている本だ。
もし図書館に小悪魔がいない場合は、全員本の中に封印されていると考えていいだろう。
ちなみに、咲夜を呼びに行った小悪魔以外は全員封印されてしまった。
その封印を免れた小悪魔も、パチュリーを恐れてか静かに本を読んでいる。
「全く…私としてはこいつら図書館からいなくなって欲しいのだけれど。確かに司書代わりになる時もあるけれど騒がしいったらないわ」
「以前から気になっていたのですが、パチュリー様ならば小悪魔達を処分する事も出来るのでは?」
「こいつらは私とじゃなくてレミィと契約してるのよ。でもって、こいつらレミィの前では良い子振るのよ。レミィと契約している以上、さすがに私がこいつらを勝手に消すわけにはいかないし…。まあ、こいつらも一時的に封印されたらしばらく大人しくはなるわ」
小悪魔に限らず他世界から召喚された悪魔は、召喚者と契約をすることで召喚された世界で活動することが出来る。
魔力など対価を支払ってもらう事で召喚者に使役される身となるのだ。
「ま、小悪魔達のことは良いとして…咲夜、アリスをレミィ達のところまで連れて行ってくれないかしら」
「了解しました」
咲夜としてもパチュリーの申し出を断る理由などない。
座り込んだアリスの腕を強引に引っ張る。
「ほら、立ちなさい」
「ちょっ!待って!私の話を聞いてよ!」
「聞かない。いいから来なさい」
「無理よ!まだママの前で魔法だなんて!」
咲夜の動きが止まる。
「…ママ?」
咲夜の中でママ、という言葉が引っ掛かった。
アリスが涙目のまま咲夜を睨みつける。
「そうよ、神綺は私のママ。レミリアが突然呼び出すから久し振りに紅魔館に来てみるのも良いかと思って来たのに、まさかママがいるなんて!」
「貴女、紅魔館に来た事があるの?」
少なくとも、咲夜は紅魔館でアリスに会った記憶はない。
例の春雪異変の時が初対面だった。
「アリスは以前この紅魔館に住んでたのよ。貴女がこの紅魔館に来る前の話だけど」
咲夜の質問にパチュリーが代わって答える。
「…まあ、良い機会だから話しても良いかもしれないわね。咲夜、貴女は吸血鬼異変って知ってる?」
「…いえ」
「まあ、そうよね。吸血鬼異変って名付けたのは人間だし。貴女はあまり人間のことを好きじゃなさそうだものね」
咲夜は人里に買い物には行くのだが、必要以上に人里の人間と会話はしない。
悪魔の犬、と人里で咲夜は噂されている以上、咲夜が会話しようと思っても出来ることではなかったのだが。
「吸血鬼異変というのは、当時幻想郷に来たばかりの私達と八雲紫や山の天狗達との間で起きた戦争のことよ」
「戦争…」
「貴女も何となく予想は出来ると思うけど。戦力は私達の方が圧倒的に足りなかった。だからレミィや私は魔界から悪魔を助っ人として呼ぶ事にしたの」
「それがあの小悪魔達ですか?」
パチュリーは咲夜の問いに頷く。
「でも、それだけじゃない。このアリスもそう。そして神綺もその中の一人だった」
「…魔界の神を召喚したんですか?」
「レミィは最高クラスの悪魔が欲しかったのよ。レミィが本気で召喚を行ったら、レミィ以上の力を持つ魔界の神が現れた。私としてはどんなに強くてもあんなカリスマが感じられない神に魅力は感じないけどね」
パチュリーはアリスを一瞥する。
「まあ、神綺は娘のこいつに付いてくる意思があったから自分から召喚に応じたらしいけど。レミィが神綺を召喚するより先に私がこいつ…アリスを召喚していたから」
「パチュリー様がアリスを…」
「当時のアリスはまだ人間だった上に、今よりずっと小さかったし魔力も弱かったからはっきり言ってあまり戦力にならなかったけれど」
「うるさいわね!」
アリスはまだ興奮しているのか、声を荒げている。
ここで咲夜の頭の中に一つ疑問が生まれた。
「人間なのに悪魔として召喚されたんですか…?」
「人間と言ってもアリスは魔界人だからね。広義で言えば悪魔の部類に入るのでしょうね」
「魔界人…そういう種族もいるのですか」
咲夜の目の前にいるアリスは一見では普通の人間と変わらなかったので、魔界人と言われても咲夜にはピンと来なかった。
さらに、ここで咲夜の中にまた一つ疑問が生まれた。
「パチュリー様とアリスは今でもまだ契約をしているのですか?」
「まさか。戦争が終わった時点で契約は終了させたわよ。私は一度魔界に戻った後、自分の意思で幻想郷に来たの」
今度はパチュリーの代わりにアリスが咲夜の質問に答える。
「その時、迷惑な事にアリスは紅魔館の、しかもさらに迷惑な事にこの図書館に転がり込んだのよ。本当に迷惑な事にね」
「レミリアの承諾は得ていたでしょう?」
「そうじゃなかったら一秒でも早く追い出してたわよ…」
咲夜の中で今までの情報が一本の線で繋がった。
「だから小悪魔達はアリスの事を知っていたんですね」
「そうよ。アリスは小悪魔達と一緒にこの図書館で生活していたからね」
なるほど、と咲夜は納得した。
そして咲夜の頭の中に残る疑問はあと一つ。
「ならばあとは、何故アリスが神綺様に会いたがらないのか、ですね」
「それは私にもわからないわ。アリスに聞いてみないとね」
咲夜とパチュリーの視線がアリスに突き刺さる。
「…やっぱり言わなきゃダメ…かしら?」
「ダメに決まっているでしょう」
「誰の所為で私達が迷惑被ってると思うのよ」
咲夜とパチュリーの視線がさらに厳しくなる。
「わかったわよ…」
アリスもついに観念したようだった。
ゆっくりと話し始める。
「魔界から幻想郷に来る際、ママを説得する時にいくつか約束したのよ」
「約束?」
「知らない人に付いて行かないとか、紅魔館では良い子にするとか…ほとんどはそんな他愛もないことだったんだけど…」
アリスのその言葉にパチュリーが呆れる。
「貴女、その時点で紅魔館に来るって決めてたの…?」
「仕方ないじゃない。ママが紅魔館以外はダメって言うんだから。レミリアもママから頼まれてたらしいし」
「全く…レミィは甘いんだから…」
アリスはこほん、と咳払いをする。
「話が逸れたわね。えっと…私はママと約束したの。立派な魔法使いになったらママに素敵な魔法を見せてあげるって」
「見せてあげれば良いじゃない」
パチュリーがそう言うと、アリスは再び頭を抱え出した。
「無理よ!確かに人里で人形劇をやってるわ!でもママに見せられる程自信は無いのよ!」
アリスは頭を両手で抱えたままいやいや、と頭を左右に振る。
相当参っているようだった。
と、ここでパチュリーの頭に一つの疑問が生まれた。
「でも貴女、紅魔館から出て独り暮らし始める時に神綺に会ってなかったかしら?その時は魔法を見せなかったの?」
「あの時はまだ魔法使いになりたてだったから…もっと立派な魔法使いになったらってことにしたのよ」
「ならば、今回もその言い訳を使えばいいのでは?」
「それじゃいつまで経っても進歩がないみたいじゃないの…」
咲夜の問いに、アリスが俯きながらぼそぼそと呟く。
パチュリーは今度こそ本格的に呆れたようだ。
パチュリーは冷たい瞳をしたままアリスを見つめる。
「いい?貴女は自分に自信がないだけよ。だから行動したくない。その癖に自分を良いように見せたい。それは目立とうとする邪心」
「ううう…」
パチュリーの言葉がアリスの心に突き刺さる。
アリスには反論のしようがなかった。
「アリス。今の貴女は本当にどうしようもないわ」
「でも…だって…」
ついにアリスの瞳から滴がポロポロと流れてきた。
パチュリーはそれを見て一つ大きなため息をつく。
「貴女だってこの図書館で私と一緒に修業したでしょう?貴女はその修業の日々も信用できないのかしら?」
「修行…」
アリスは思い出す。
かつてこの図書館で立派な魔法使いになるべく片っ端から図書館の本を読み漁った事を。
「そして、ここで私と一緒に修業しながらも、貴女は独自に人形遣いという道を切り開いて行ったのでしょう?」
「人形…」
アリスは思い出す。
初めて人形が完成し、それをパチュリーに見せた時のことを。
「その修行の日々を信用できないというのなら、貴女は私を…そして、貴女自身をも侮辱している。そんな身勝手な奴は知らないわ。さっさと出て行きなさい」
そう言ってパチュリーはアリスに背を向けた。
アリスはそんなパチュリーの背中をじっと見据えた後、隣にいる咲夜の方へ眼を向ける。
「咲夜…だったわね。行きましょう、ママのところへ」
「そうね、お嬢様と神綺様をこれ以上待たせる訳にはいかない」
アリスはゆっくりと立ち上がる。
母親に会いに行く為に。
そして、図書館を出る際にアリスは呟いた。
「ありがとう、パチュリー」
「私はレミリアお嬢様に育てられたのよ」
「えっ?」
テラスに向かう途中、咲夜がアリスに話しかけた。
アリスは突然の咲夜の言葉に驚いてしまう。
「今でこそメイド長をやらせてもらっているけれど、小さい頃は何も出来なかった。お茶を淹れることだってそうだし、掃除だってドジばっかりやっていた」
「そう…」
「そんなある日、このままじゃいけないって思ってお嬢様の為に一人でクッキーを作ることにしたの。無謀な事にね」
「それで…どうなったの?」
「結果は大失敗。ほとんど炭に近い状態だったわ。私自身どうすることも出来なくて、失敗したクッキーを前にして大泣きしてしまったわ」
「そうなの…」
「でね、その場面をお嬢様に見つかってしまったの」
咲夜は眼を閉じる。
懐かしい思い出を噛みしめるように。
「お嬢様は私の失敗したクッキーを食べてくれて、『頑張ったね。美味しいよ、咲夜』って言ってくれたのよ」
「レミリアが…?」
「『何より、お前の愛情が詰まっているからね』って頭を撫でてくれてね。それからお嬢様に抱きついて大泣きしたわ。もうお嬢様のお洋服は涙と鼻水でグチャグチャだった」
咲夜はアリスの方へ振り替える。
「今も私は思う。お嬢様は永遠に私の仕えるべき主人でありながら、私の親であってくれたって」
「親…」
「どんなに下手だったとしても、きっと親は頑張ったねって子供の頭を撫でてくれるものなのよ。親の為に一生懸命頑張ったのならね」
「ママも…そうなのかしら?」
「それとも貴女の母親はそんな薄情な奴なのかしら?」
「ちっ、違うわよ!」
アリスは咲夜の言葉に憤慨する。
そして叫んだ。
「私のママは世界で一番なんだから!」
その言葉に咲夜がクスッと笑った。
「アリスちゃああああああああああああああああああん!!」
「ちょ、ママ、苦し…」
「アリスちゃん!アリスちゃん!アリスちゃん!誰かに酷い事されなかった!?痛くなかった!?苦しくなかった!?」
「今、苦しいわ…ママ…」
先程まで心配のあまりに屍のようにテーブルに突っ伏してた神綺がアリスの姿を見た途端、一直線にアリスの元へ駆け寄って行った。
現在、アリスは神綺の両腕の中である。
「ご苦労だったね、咲夜」
「いえ、これもお嬢様と神綺様の為ですから」
レミリアの労いの言葉ににっこりと笑う咲夜。
「アリスちゃん…無事で良かったわぁ…」
「もう、ママはいつまで経っても心配性なんだから」
アリスはようやっと抗議の声により解放された。
「え~…こほん」
アリスは3人の前に立つと、一つ咳払いをする。
「お待たせいたしました。これから私の人形劇を披露したいと思います」
「おぉ~」
「アリスちゃん可愛い~!」
レミリアの拍手と神綺の黄色い声が飛ぶ。
「では…行くわよ…」
アリスの懐から沢山の人形が飛び出てくる。
人形は生き生きと動き、各々独自の動きをする。
飛び跳ね、話し、笑い、怒り、それぞれの人形一つ一つが場を彩って行く。
「おぉ~…」
「凄い…」
「綺麗ね…」
咲夜は人里で凄い人形劇が見られるという噂は聞いたことはあった。
しかし、どうせ大したものではないだろうと相手にもしていなかった。
それがどうしたことか。
咲夜は自分が目の前の人形劇に心を奪われて行くのが自分でもわかった。
そして
「フィニッシュ!!」
フィナーレを迎えた。
アリスがたった3人の観客に向かって一礼をする。
「へぇ~、凄いねぇ。欲を言えばもっと可愛い人形が欲しかったね、ゴーレムとかさ」
「アリスちゃあああん!!アリスちゃあああん!!アリスちゃあああああん!!!!」
「人形劇ってここまで凄かったのね…」
観客達がそれぞれの感想を述べる、
神綺に至っては大泣きしながら叫んでいる状態だ。
アリスは全ての人形を仕舞うとそっと神綺の前に立った。
「ママ…どうだった?私の魔法」
「凄かったわよおおおおお!!アリスちゃああああん!!」
神綺はその勢いのままアリスにぎゅっと抱きついた。
「ちょ、ママ…恥ずかしいわよ…」
「アリスちゃん…本当にいつの間にか大きくなっちゃったわね」
「ママ…?」
いつの間に落ち着いたのか。
神綺はゆっくりとした口調で、アリスに抱きついた体勢のまま話しかける。
「ありがとう、アリスちゃん。頑張ったわね。ママは本当に嬉しかったわ。こんなに素敵な娘を持つ事が出来て…ね」
アリスの目の前には穏やかな神綺の笑顔。
そして、神綺はゆっくりとアリスの頭を撫でる。
「子供って言うのは本当に親の知らない内に大きくなっちゃうのね。アリスちゃんがここまで立派な魔法使いになっていただなんてママは知らなかったわ」
アリスの瞳から滴が零れ始める。
「素敵な物を見せてくれてありがとう、アリスちゃん」
アリスの心のダムはすでに決壊寸前だった。
想いのままに涙が止まらなくなる。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!」
神綺は、泣き叫び始めたアリスをもう一度ぎゅっと抱きしめる。
それは誰が見ても親子と想わせる姿であった。
数時間後。
アリスと神綺が笑顔で向き合っていた。
「それじゃあね、体にだけは気を付けてね、アリスちゃん」
「大丈夫よ、ママ。私はもう子供じゃないのよ」
「変な人がいたらママにいつでも言ってね。ママいつでも駆けつけてガツーンってやっちゃうからね!」
「それは本当に洒落にならないわね…」
アリスが神綺の言葉に呆れる。
何かある度に魔界神に幻想郷で暴れられてしまってはそれこそ洒落にならなかった。
「レミリアちゃん、咲夜ちゃん、今日は本当にありがとうね」
「いや、こちらも良い時間を過ごさせてもらったよ」
「またいらしてくださいね」
レミリアと咲夜が笑顔で応対する。
何だかんだ騒がしかったが、この2人にとってもこのような和やかな時間を過ごす事が出来たのは決して悪い事ではなかった。
「じゃあね、レミリアちゃん、咲夜ちゃん、そしてアリスちゃん。いつでも魔界に遊びに来てね」
そう言って神綺は紅魔館から飛び立って行った。
すると、アリスがレミリアと咲夜の方へ向き直る。
「レミリア、咲夜。今日は本当にありがとう。お陰でようやく自分に自信を持つ事が出来たわ」
「私は何もしてないけどねぇ」
「ううん、レミリアがこんな機会を設けてくれなかったら私はいつまでもママに魔法を見せる事が出来なかった。本当にありがとう」
アリスはそう言って深々と頭を下げる。
「またそのうちお礼しに来るわ。ありがとう、レミリア!咲夜!あとパチュリーにも伝えておいてね!」
「じゃあ可愛いゴーレム人形なんか作ってきてよ!」
「ふふふ…考えておくわ、またね!」
アリスはそう言って晴れやかな笑顔を浮かべながら、紅魔館を飛び立って行った。
後に残ったのはレミリアと咲夜の二人だけ。
「親子って良いものですわね…」
ぼそっと咲夜が呟いた。
「ん、何か言ったかい?」
「何でもないですわ♪」
そう言った咲夜の顔は安らかな笑顔が浮かんでいた。
「お母様♪」
本日の空には太陽が見えず、どんよりとした雲が広がっている。
吸血鬼にとっては最高の天気であった。
「咲夜、一時間後に2人の客が来るから。テラスでお茶会にするから用意してほしいんだけど」
「かしこまりました、お嬢様」
十六夜咲夜は突然の主の命令にも慌てない。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「お茶菓子はクッキーでよろしかったでしょうか?」
「いや、人里でプリンが売ってるらしいんだよ。それを買ってきてよ」
「かしこまりました」
十六夜咲夜は主の無茶な我儘にも慌てない。
紅茶とプリンは合うのか疑問に思っても顔に出すことは無い。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「プリンを買って参りました」
「いや、ちょっと思ったんだけどさあ。やっぱりお茶菓子にプリンはどうかと思うんだよねえ。やっぱりクッキー焼いてよ」
「かしこまりました」
十六夜咲夜は主の突然の心変わりにも慌てない。
この程度の我儘には慣れっこだ。
人里まで全速力で往復した疲労などへっちゃらだ。
何故なら彼女は完璧で瀟洒な従者だからだ。
「メイド長!?それ砂糖じゃなくて塩ですよ!?」
「きゃ~!メイド長!生地に顔から突っ込んで…大丈夫ですか!?」
「咲夜さん!クッキー焦げてます!!」
…少しは慌てていたようだった。
「きゃ~!レミリアちゃん久しぶり!」
赤い服を着た銀髪の少女がレミリアに抱きつく。
その姿は長年会っていなかった友人の久方ぶりの再開だということを咲夜に思わせた。
「久し振りだね、神綺。元気だったかい?」
「私は元気だったわよ。魔界は平和そのものでね。特にやる事もないからゴロゴロしてたら夢子ちゃんに怒られちゃったわぁ」
客人の名前は神綺というらしい。
魔界…魔界という場所はどのような場所なのだろうか。
咲夜は気になったが、さすがに客人の領域に踏み込むことは従者としては絶対にやってはいけない。
口から出かかった疑問をぐっと喉の奥にしまいこむ。
「あ、そうだ。神綺に紹介したい奴がいるんだよ。咲夜、こっち来て」
「え?あ、はい」
まさかメイドである自分が紹介されるとは思わなかった。
思わず一瞬戸惑ってしまう咲夜。
「十六夜咲夜と申します。紅魔館のメイド長を務めさせていただいております。よろしくお願いします」
咲夜はそう言って一礼する。
神綺はそんな咲夜を笑顔で迎えた。
「私の名前は神綺。魔界の神をやらせてもらっています。よろしくね、咲夜ちゃん」
「さ、咲夜ちゃん…」
咲夜にとって『咲夜ちゃん』というのはあまり呼ばれたことの無い名だ。
なんだか照れ臭くなってしまう。
「…って、魔界の神…ですか?」
吸血鬼や亡霊や妖怪が現存する幻想郷。
神というものも実際に何処かにいるのかもしれない。
しかし、咲夜にとっては神と名乗る者に実際に対面することは初めてであった。
「ふふふ…信じられないかい、咲夜」
レミリアはそんな咲夜の反応が面白いのか微かに笑う。
「幻想郷ならば神なんて他にもいそうな気はするけれど。博麗神社とかね」
「ああ、そういえばあそこは神社でしたっけ…」
あまりにも巫女が巫女っぽくないので忘れてしまっていたが、そう言えばあそこは神社だったと思い出す咲夜。
博麗神社も一応神社なので、神は存在する筈なのだが、咲夜はそのようなものは見たことなかった。
「霊夢があまりにも巫女っぽくないから神様も逃げちゃったんじゃないかい?」
「あの巫女ならあり得そうね」
笑い合うレミリアと神綺。
実際にあり得そうだなあ、と咲夜も本気で思っていた。
さすがに声には出さなかったが。
「それにしても、もう一人の客人がなかなか来ないねえ…」
「どうしたのかしら。まさかここに来る途中に事故に遭ったとか!?」
「いや、あいつだってそこらの妖怪なんぞには負けないだろう…」
「いや、でも…万が一なことも…あの子はとっても可愛いし…」
神綺が突然慌て出した。
そんなにもう一人の客人が心配なのだろうか。
レミリアが落ち着かせようとしているが、収まる気配はない。
「お嬢様、神綺様、私がそのお客様を探しに行って参ります」
「ああ、そうか。そうだね、咲夜頼むよ」
「咲夜ちゃん、お願い!アリスちゃんを助けてあげて!」
神綺の中では客人はすでに誰かに襲われたことになっているらしい。
それはともかく、アリスという名は咲夜の中で心当たりがあった。
「アリス…もしかして、アリス・マーガトロイドのことですか?」
「おや、知り合いだったのかい?」
「ええ、例の春雪異変の際に…知り合ったのでございます」
さすがに道中で立ちはだかったのでぶちのめしました、と言うのは憚られた。
咲夜が察するに神綺とアリスは具体的な関係までは分からないが、決して悪い関係ではないのだろう。
「咲夜、魔法の森は分かるね?そこにアリスの家がある。頼んだよ」
「アリスちゃんをお願い!咲夜ちゃん!」
「お任せ下さい。お嬢様、神綺様」
そう言うと、咲夜はテラスから外に飛び出した。
「尾けられている…?」
咲夜は紅魔館から出た直後から誰かの気配を感じていた。
「誰…?」
まさか本当にアリスを狙った犯人がいるのか?
それとも腹を空かした妖怪か?
どちらにせよ尾行されたままでは気味が悪いと思い、撃退しようと咲夜が振り返る。
「あれは…」
見覚えがある姿が見えた。
咲夜は空中で旋回し、方向転換をする。
「やっと追い付いた…。咲夜速いよ…」
「貴女…図書館の小悪魔ね?」
咲夜の後を尾けていたのは図書館に住みついている小悪魔だった。
図書館にはこの小悪魔以外にも何人か住んでおり、悪戯をしてはよくパチュリーから折檻を受けている姿を咲夜も見かける。
弾幕の強さはともかくその他の面では妖精メイドと大差ない、と咲夜は小悪魔を見ていた。
「パチュリー様からの伝言!アリスは図書館にいる!すぐに連れて行け!だって」
「図書館に?」
咲夜は考える。
悪戯好きな小悪魔のことだからもしかしたら嘘の可能性もある。
が、この状況で咲夜が何を探しているかなど、単純に悪戯目的の場合では知りようがない筈である。
パチュリーから状況を聞いた上で嘘をついている可能性もあるが、さすがに悪戯にしては手が込んでいる。
恐らく、アリスは本当に図書館にいるのだろう。
咲夜はそう結論付けた。
ただ、疑問点が二つ。
何故アリスは客として呼ばれたにもかかわらず、レミリアの前に姿を現さずに図書館にいるのか。
そして、図書館にアリスがいるのならば何故それをレミリア達の前で教えなかったのか。
「何故お嬢様がいる前でそのことを伝えなかったの?」
「知らないよ!咲夜がアリスを探しに行くだろうけど、お嬢様達から離れてからアリスの場所を教えろってパチュリー様から指示されたんだもん!」
咲夜から見て、パチュリーは正直に言って何を考えているのかよくわからない人物だ。
今回の意図も正直に言うと咲夜には掴めない。
ただ、一つ間違いなく言えることは、彼女は親友のレミリアに外部の者がいる前で恥をかかせる真似はしないだろうということだった。
そして、図書館に行けば全てわかることであるだろう。
「わかったわ。すぐに戻る」
「おうよ!すぐに戻れ!」
小悪魔の調子の良い掛け声を無視し、咲夜は紅魔館へ向かって全速力で飛ぶ。
出来る限り自身の主人を待たせたくなかった。
その頃、地下図書館では…
「無理よ無理無理無理無理無理無理!」
金髪のボブカットをした美少女、アリス・マーガトロイドが頭を抱えて叫んでいた。
幸い地下図書館はレミリア達がいるテラスから離れているので聞こえることはなかったが。
「五月蠅いわね。騒ぐなら追い出すわよ」
パチュリーは鬱陶しそうな眼でアリスを見る。
明らかに邪魔者を見る眼であった。
パチュリーの言葉にアリスは憤慨する。
「ちょっと!こんなに困ってるって言うのにそういうこと言うの!?」
「私から見れば今の貴女は迷惑極まりないわ。大体どうしてここに来るのよ」
「仕方ないじゃない!ここくらいしか思いつかなかったんだから!」
アリスは本来騒ぐような性格ではない。
むしろ静かに過ごすタイプだ。
今のアリスは相当混乱している事が誰から見てもわかった。
ちなみに咲夜への指示の件は、パチュリーにとってはこれ以上の面倒を避ける以上の意図はない。
アリスが図書館にいると神綺に伝わってしまえば、神綺自身が図書館に乗り込んでくる可能性があった。
静かに本を読みたいパチュリーにとって、これ以上図書館の人口密度を上げたくなかったのだ。
「神綺は貴女の母親でしょう?会ってあげれば良いじゃないの」
「無理よ!無理無理無理!」
ついにアリスが頭を抱えながらゴロゴロ転がり出した。
その勢いで床に落ちていた埃が舞う。
「キャハハハ!アリス芋虫みたい!」
小悪魔達がそんなアリスを見て腹を抱えて笑う。
人が悩む姿を見て喜ぶ小悪魔達にとって、今のアリスは格好の獲物であった。
「アリス…貴女、自身の恥ずかしい過去を曝け出されて悶絶するタイプ?ふん、まだまだ子供な証拠ね」
パチュリーは今のアリスの姿を見て鼻で笑う。
ここで突然一人の小悪魔が一冊の本を高く掲げた。
「ここでさっき見つけたパチュリー様の日記御披露タ~イム!」
「なっ!?」
「えっ、何それ!?」
「見たい見たい!」
パチュリーが驚きの声を上げる一方、他の小悪魔が騒ぎ出す。
「キャハハハハ、アリス転がれ転がれ~!」
「無理無理無理!まだ無理だってばあああ!」
アリスはまだ図書館の床を転がっていた。
そんなアリスの姿が面白いのか、一人の小悪魔が転がるアリスを押している。
「えぇ~と…『○月×日、今日もレミィに勝てなかった。こうなったらレミィを魅了してみるのはどうだろうか。魔女と言ったら惚れ薬だ…』」
「ちょっ!返しなさい!というか燃やすわ!火符『アグニシャイン』!」
「キャー!熱い熱い!」
日記を持っている小悪魔がパチュリーの魔法で燃える。
しかし、日記は燃えない。
「しまった!その日記にも防火の魔法を掛けてしまっていたの!?」
「熱い熱い~!」
「水だ水~!」
「紅茶掛けろ~!」
「キャー!紅茶も熱い~!」
「無理無理無理無理無理無理無理!」
「キャハハハ!アリスもっと転がれ~!…あ、本棚にぶつかっちゃった」
「返しなさい!ゴホッゲフッ!」
「あ、パチュリー様が血を吐いた!」
「謝れ!パチュリー様に謝れ!」
「熱い熱い~!」
「無理よ無理無理無理無理無理無理ぃ!!」
「何やってんのよこの人達…」
咲夜は図書館の惨状に呆れることしか出来なかった。
「パチュリー様~…」
「出して~…」
「ふん、良い気味よ」
パチュリーは嘆き声を挙げる本に向かって鼻で笑う。
本が嘆き声を挙げるのはホラー以外の何物でもない。
ちなみに、この嘆き声を挙げる本は、悪戯をした小悪魔が封印されている本だ。
もし図書館に小悪魔がいない場合は、全員本の中に封印されていると考えていいだろう。
ちなみに、咲夜を呼びに行った小悪魔以外は全員封印されてしまった。
その封印を免れた小悪魔も、パチュリーを恐れてか静かに本を読んでいる。
「全く…私としてはこいつら図書館からいなくなって欲しいのだけれど。確かに司書代わりになる時もあるけれど騒がしいったらないわ」
「以前から気になっていたのですが、パチュリー様ならば小悪魔達を処分する事も出来るのでは?」
「こいつらは私とじゃなくてレミィと契約してるのよ。でもって、こいつらレミィの前では良い子振るのよ。レミィと契約している以上、さすがに私がこいつらを勝手に消すわけにはいかないし…。まあ、こいつらも一時的に封印されたらしばらく大人しくはなるわ」
小悪魔に限らず他世界から召喚された悪魔は、召喚者と契約をすることで召喚された世界で活動することが出来る。
魔力など対価を支払ってもらう事で召喚者に使役される身となるのだ。
「ま、小悪魔達のことは良いとして…咲夜、アリスをレミィ達のところまで連れて行ってくれないかしら」
「了解しました」
咲夜としてもパチュリーの申し出を断る理由などない。
座り込んだアリスの腕を強引に引っ張る。
「ほら、立ちなさい」
「ちょっ!待って!私の話を聞いてよ!」
「聞かない。いいから来なさい」
「無理よ!まだママの前で魔法だなんて!」
咲夜の動きが止まる。
「…ママ?」
咲夜の中でママ、という言葉が引っ掛かった。
アリスが涙目のまま咲夜を睨みつける。
「そうよ、神綺は私のママ。レミリアが突然呼び出すから久し振りに紅魔館に来てみるのも良いかと思って来たのに、まさかママがいるなんて!」
「貴女、紅魔館に来た事があるの?」
少なくとも、咲夜は紅魔館でアリスに会った記憶はない。
例の春雪異変の時が初対面だった。
「アリスは以前この紅魔館に住んでたのよ。貴女がこの紅魔館に来る前の話だけど」
咲夜の質問にパチュリーが代わって答える。
「…まあ、良い機会だから話しても良いかもしれないわね。咲夜、貴女は吸血鬼異変って知ってる?」
「…いえ」
「まあ、そうよね。吸血鬼異変って名付けたのは人間だし。貴女はあまり人間のことを好きじゃなさそうだものね」
咲夜は人里に買い物には行くのだが、必要以上に人里の人間と会話はしない。
悪魔の犬、と人里で咲夜は噂されている以上、咲夜が会話しようと思っても出来ることではなかったのだが。
「吸血鬼異変というのは、当時幻想郷に来たばかりの私達と八雲紫や山の天狗達との間で起きた戦争のことよ」
「戦争…」
「貴女も何となく予想は出来ると思うけど。戦力は私達の方が圧倒的に足りなかった。だからレミィや私は魔界から悪魔を助っ人として呼ぶ事にしたの」
「それがあの小悪魔達ですか?」
パチュリーは咲夜の問いに頷く。
「でも、それだけじゃない。このアリスもそう。そして神綺もその中の一人だった」
「…魔界の神を召喚したんですか?」
「レミィは最高クラスの悪魔が欲しかったのよ。レミィが本気で召喚を行ったら、レミィ以上の力を持つ魔界の神が現れた。私としてはどんなに強くてもあんなカリスマが感じられない神に魅力は感じないけどね」
パチュリーはアリスを一瞥する。
「まあ、神綺は娘のこいつに付いてくる意思があったから自分から召喚に応じたらしいけど。レミィが神綺を召喚するより先に私がこいつ…アリスを召喚していたから」
「パチュリー様がアリスを…」
「当時のアリスはまだ人間だった上に、今よりずっと小さかったし魔力も弱かったからはっきり言ってあまり戦力にならなかったけれど」
「うるさいわね!」
アリスはまだ興奮しているのか、声を荒げている。
ここで咲夜の頭の中に一つ疑問が生まれた。
「人間なのに悪魔として召喚されたんですか…?」
「人間と言ってもアリスは魔界人だからね。広義で言えば悪魔の部類に入るのでしょうね」
「魔界人…そういう種族もいるのですか」
咲夜の目の前にいるアリスは一見では普通の人間と変わらなかったので、魔界人と言われても咲夜にはピンと来なかった。
さらに、ここで咲夜の中にまた一つ疑問が生まれた。
「パチュリー様とアリスは今でもまだ契約をしているのですか?」
「まさか。戦争が終わった時点で契約は終了させたわよ。私は一度魔界に戻った後、自分の意思で幻想郷に来たの」
今度はパチュリーの代わりにアリスが咲夜の質問に答える。
「その時、迷惑な事にアリスは紅魔館の、しかもさらに迷惑な事にこの図書館に転がり込んだのよ。本当に迷惑な事にね」
「レミリアの承諾は得ていたでしょう?」
「そうじゃなかったら一秒でも早く追い出してたわよ…」
咲夜の中で今までの情報が一本の線で繋がった。
「だから小悪魔達はアリスの事を知っていたんですね」
「そうよ。アリスは小悪魔達と一緒にこの図書館で生活していたからね」
なるほど、と咲夜は納得した。
そして咲夜の頭の中に残る疑問はあと一つ。
「ならばあとは、何故アリスが神綺様に会いたがらないのか、ですね」
「それは私にもわからないわ。アリスに聞いてみないとね」
咲夜とパチュリーの視線がアリスに突き刺さる。
「…やっぱり言わなきゃダメ…かしら?」
「ダメに決まっているでしょう」
「誰の所為で私達が迷惑被ってると思うのよ」
咲夜とパチュリーの視線がさらに厳しくなる。
「わかったわよ…」
アリスもついに観念したようだった。
ゆっくりと話し始める。
「魔界から幻想郷に来る際、ママを説得する時にいくつか約束したのよ」
「約束?」
「知らない人に付いて行かないとか、紅魔館では良い子にするとか…ほとんどはそんな他愛もないことだったんだけど…」
アリスのその言葉にパチュリーが呆れる。
「貴女、その時点で紅魔館に来るって決めてたの…?」
「仕方ないじゃない。ママが紅魔館以外はダメって言うんだから。レミリアもママから頼まれてたらしいし」
「全く…レミィは甘いんだから…」
アリスはこほん、と咳払いをする。
「話が逸れたわね。えっと…私はママと約束したの。立派な魔法使いになったらママに素敵な魔法を見せてあげるって」
「見せてあげれば良いじゃない」
パチュリーがそう言うと、アリスは再び頭を抱え出した。
「無理よ!確かに人里で人形劇をやってるわ!でもママに見せられる程自信は無いのよ!」
アリスは頭を両手で抱えたままいやいや、と頭を左右に振る。
相当参っているようだった。
と、ここでパチュリーの頭に一つの疑問が生まれた。
「でも貴女、紅魔館から出て独り暮らし始める時に神綺に会ってなかったかしら?その時は魔法を見せなかったの?」
「あの時はまだ魔法使いになりたてだったから…もっと立派な魔法使いになったらってことにしたのよ」
「ならば、今回もその言い訳を使えばいいのでは?」
「それじゃいつまで経っても進歩がないみたいじゃないの…」
咲夜の問いに、アリスが俯きながらぼそぼそと呟く。
パチュリーは今度こそ本格的に呆れたようだ。
パチュリーは冷たい瞳をしたままアリスを見つめる。
「いい?貴女は自分に自信がないだけよ。だから行動したくない。その癖に自分を良いように見せたい。それは目立とうとする邪心」
「ううう…」
パチュリーの言葉がアリスの心に突き刺さる。
アリスには反論のしようがなかった。
「アリス。今の貴女は本当にどうしようもないわ」
「でも…だって…」
ついにアリスの瞳から滴がポロポロと流れてきた。
パチュリーはそれを見て一つ大きなため息をつく。
「貴女だってこの図書館で私と一緒に修業したでしょう?貴女はその修業の日々も信用できないのかしら?」
「修行…」
アリスは思い出す。
かつてこの図書館で立派な魔法使いになるべく片っ端から図書館の本を読み漁った事を。
「そして、ここで私と一緒に修業しながらも、貴女は独自に人形遣いという道を切り開いて行ったのでしょう?」
「人形…」
アリスは思い出す。
初めて人形が完成し、それをパチュリーに見せた時のことを。
「その修行の日々を信用できないというのなら、貴女は私を…そして、貴女自身をも侮辱している。そんな身勝手な奴は知らないわ。さっさと出て行きなさい」
そう言ってパチュリーはアリスに背を向けた。
アリスはそんなパチュリーの背中をじっと見据えた後、隣にいる咲夜の方へ眼を向ける。
「咲夜…だったわね。行きましょう、ママのところへ」
「そうね、お嬢様と神綺様をこれ以上待たせる訳にはいかない」
アリスはゆっくりと立ち上がる。
母親に会いに行く為に。
そして、図書館を出る際にアリスは呟いた。
「ありがとう、パチュリー」
「私はレミリアお嬢様に育てられたのよ」
「えっ?」
テラスに向かう途中、咲夜がアリスに話しかけた。
アリスは突然の咲夜の言葉に驚いてしまう。
「今でこそメイド長をやらせてもらっているけれど、小さい頃は何も出来なかった。お茶を淹れることだってそうだし、掃除だってドジばっかりやっていた」
「そう…」
「そんなある日、このままじゃいけないって思ってお嬢様の為に一人でクッキーを作ることにしたの。無謀な事にね」
「それで…どうなったの?」
「結果は大失敗。ほとんど炭に近い状態だったわ。私自身どうすることも出来なくて、失敗したクッキーを前にして大泣きしてしまったわ」
「そうなの…」
「でね、その場面をお嬢様に見つかってしまったの」
咲夜は眼を閉じる。
懐かしい思い出を噛みしめるように。
「お嬢様は私の失敗したクッキーを食べてくれて、『頑張ったね。美味しいよ、咲夜』って言ってくれたのよ」
「レミリアが…?」
「『何より、お前の愛情が詰まっているからね』って頭を撫でてくれてね。それからお嬢様に抱きついて大泣きしたわ。もうお嬢様のお洋服は涙と鼻水でグチャグチャだった」
咲夜はアリスの方へ振り替える。
「今も私は思う。お嬢様は永遠に私の仕えるべき主人でありながら、私の親であってくれたって」
「親…」
「どんなに下手だったとしても、きっと親は頑張ったねって子供の頭を撫でてくれるものなのよ。親の為に一生懸命頑張ったのならね」
「ママも…そうなのかしら?」
「それとも貴女の母親はそんな薄情な奴なのかしら?」
「ちっ、違うわよ!」
アリスは咲夜の言葉に憤慨する。
そして叫んだ。
「私のママは世界で一番なんだから!」
その言葉に咲夜がクスッと笑った。
「アリスちゃああああああああああああああああああん!!」
「ちょ、ママ、苦し…」
「アリスちゃん!アリスちゃん!アリスちゃん!誰かに酷い事されなかった!?痛くなかった!?苦しくなかった!?」
「今、苦しいわ…ママ…」
先程まで心配のあまりに屍のようにテーブルに突っ伏してた神綺がアリスの姿を見た途端、一直線にアリスの元へ駆け寄って行った。
現在、アリスは神綺の両腕の中である。
「ご苦労だったね、咲夜」
「いえ、これもお嬢様と神綺様の為ですから」
レミリアの労いの言葉ににっこりと笑う咲夜。
「アリスちゃん…無事で良かったわぁ…」
「もう、ママはいつまで経っても心配性なんだから」
アリスはようやっと抗議の声により解放された。
「え~…こほん」
アリスは3人の前に立つと、一つ咳払いをする。
「お待たせいたしました。これから私の人形劇を披露したいと思います」
「おぉ~」
「アリスちゃん可愛い~!」
レミリアの拍手と神綺の黄色い声が飛ぶ。
「では…行くわよ…」
アリスの懐から沢山の人形が飛び出てくる。
人形は生き生きと動き、各々独自の動きをする。
飛び跳ね、話し、笑い、怒り、それぞれの人形一つ一つが場を彩って行く。
「おぉ~…」
「凄い…」
「綺麗ね…」
咲夜は人里で凄い人形劇が見られるという噂は聞いたことはあった。
しかし、どうせ大したものではないだろうと相手にもしていなかった。
それがどうしたことか。
咲夜は自分が目の前の人形劇に心を奪われて行くのが自分でもわかった。
そして
「フィニッシュ!!」
フィナーレを迎えた。
アリスがたった3人の観客に向かって一礼をする。
「へぇ~、凄いねぇ。欲を言えばもっと可愛い人形が欲しかったね、ゴーレムとかさ」
「アリスちゃあああん!!アリスちゃあああん!!アリスちゃあああああん!!!!」
「人形劇ってここまで凄かったのね…」
観客達がそれぞれの感想を述べる、
神綺に至っては大泣きしながら叫んでいる状態だ。
アリスは全ての人形を仕舞うとそっと神綺の前に立った。
「ママ…どうだった?私の魔法」
「凄かったわよおおおおお!!アリスちゃああああん!!」
神綺はその勢いのままアリスにぎゅっと抱きついた。
「ちょ、ママ…恥ずかしいわよ…」
「アリスちゃん…本当にいつの間にか大きくなっちゃったわね」
「ママ…?」
いつの間に落ち着いたのか。
神綺はゆっくりとした口調で、アリスに抱きついた体勢のまま話しかける。
「ありがとう、アリスちゃん。頑張ったわね。ママは本当に嬉しかったわ。こんなに素敵な娘を持つ事が出来て…ね」
アリスの目の前には穏やかな神綺の笑顔。
そして、神綺はゆっくりとアリスの頭を撫でる。
「子供って言うのは本当に親の知らない内に大きくなっちゃうのね。アリスちゃんがここまで立派な魔法使いになっていただなんてママは知らなかったわ」
アリスの瞳から滴が零れ始める。
「素敵な物を見せてくれてありがとう、アリスちゃん」
アリスの心のダムはすでに決壊寸前だった。
想いのままに涙が止まらなくなる。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!」
神綺は、泣き叫び始めたアリスをもう一度ぎゅっと抱きしめる。
それは誰が見ても親子と想わせる姿であった。
数時間後。
アリスと神綺が笑顔で向き合っていた。
「それじゃあね、体にだけは気を付けてね、アリスちゃん」
「大丈夫よ、ママ。私はもう子供じゃないのよ」
「変な人がいたらママにいつでも言ってね。ママいつでも駆けつけてガツーンってやっちゃうからね!」
「それは本当に洒落にならないわね…」
アリスが神綺の言葉に呆れる。
何かある度に魔界神に幻想郷で暴れられてしまってはそれこそ洒落にならなかった。
「レミリアちゃん、咲夜ちゃん、今日は本当にありがとうね」
「いや、こちらも良い時間を過ごさせてもらったよ」
「またいらしてくださいね」
レミリアと咲夜が笑顔で応対する。
何だかんだ騒がしかったが、この2人にとってもこのような和やかな時間を過ごす事が出来たのは決して悪い事ではなかった。
「じゃあね、レミリアちゃん、咲夜ちゃん、そしてアリスちゃん。いつでも魔界に遊びに来てね」
そう言って神綺は紅魔館から飛び立って行った。
すると、アリスがレミリアと咲夜の方へ向き直る。
「レミリア、咲夜。今日は本当にありがとう。お陰でようやく自分に自信を持つ事が出来たわ」
「私は何もしてないけどねぇ」
「ううん、レミリアがこんな機会を設けてくれなかったら私はいつまでもママに魔法を見せる事が出来なかった。本当にありがとう」
アリスはそう言って深々と頭を下げる。
「またそのうちお礼しに来るわ。ありがとう、レミリア!咲夜!あとパチュリーにも伝えておいてね!」
「じゃあ可愛いゴーレム人形なんか作ってきてよ!」
「ふふふ…考えておくわ、またね!」
アリスはそう言って晴れやかな笑顔を浮かべながら、紅魔館を飛び立って行った。
後に残ったのはレミリアと咲夜の二人だけ。
「親子って良いものですわね…」
ぼそっと咲夜が呟いた。
「ん、何か言ったかい?」
「何でもないですわ♪」
そう言った咲夜の顔は安らかな笑顔が浮かんでいた。
「お母様♪」