全編を通してオリジナル設定が含まれています。苦手な方はご注意ください。
夏―――
突き抜けんばかりの青い空が広がり、真っ白な積乱雲が天に立つ。
そんな夏空を猛スピードで横切る二つの黒い影があった。
一つの影を追うように、もう一つの影が同じような軌道で動き回り時に花火のように空に咲く弾幕は、ある種の曲芸飛行を見ていると思わせるほど壮観だった。
そして、その高速で移動を続ける二つの影のうち、追い迫る影の絶叫が空に木霊した。
「待たんかいこのパパラッチがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
追いかけられる者、文々。新聞の記者、射命丸文。
追いかける者、幻想郷に住まう普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
幻想郷においてもトップレベルのスピードを誇る両者が怒号と弾幕が飛び交うリアル鬼ごっこを演じているには理由があった。
事の発端は数日前までに遡る。
その日、幻想郷では連続的な真夏日を記録しており、夏祭りの準備をしていた人々は蒸し暑さにぶっ倒れ、水不足で農作物は萎れ、河童は人知れずミイラになっていた。
そんな、うだる様な暑さである。
誰もが涼しくなる方法を考え、探しては見つからずに玉砕していった。
竹林の奥に居を構える永遠の姫とて例外ではなく、その忠臣たる月の頭脳の提案により、中間圏の零下数十度の空気の一部を地上へと移動させる暴挙に打って出たが、暑さのせいで朦朧としていた為、当の冷気は永遠亭とはまったく関係の無い霧の湖近くの地下深くへと打ち込まれるという大失敗に終わり、蓬莱山輝夜は人生の負け組みと相成った。
なお、成功したら成功したで明らかな異変となり、博麗神社の巫女、博麗霊夢により討伐されている運命を考えれば、彼女の道に勝利の二文字は最初からなかったわけだが。
しかし、そんな中、人生の勝ち組に名を連ねる事に成功した一人が魔理沙だった。
ごく小規模な範囲において温度を低下させる魔法が書かれた魔道書を連日連夜の大掃除の末に発掘したのだ。
魔法は正常に作動し、魔理沙の家は周辺と比べて10℃近く低くなった。
少し体を動かすだけで玉の汗をかくことも、効果がほぼないと分かりながら打ち水と称して家の周辺を水浸しにすることも、あられもない格好で日中をベッドの上で怠惰に過ごす必要もなくなったのだ。
まさに、完全勝利と言って過言ではなかった―――そう、ここまでは。
快適な空間を手に入れた魔理沙の唯一の苦悩は、魔道書発掘の為に家が酷く散らかった事だった。
まさに足の踏み場も無い、といったその様相。
いつ手に入れたのか分からない謎のマジックアイテムや、紅魔館から奪った、もとい無期限で借りたままの魔道書など、雑多なもので溢れかえっていた。
自身でさえ忘れていた物が大半であるゆえ、とある狸の四次元ポケット並みの品揃えである。
このままでは日常生活にも支障をきたすと悟った魔理沙は、憂鬱になりながら片づけを開始した。
いらない物は捨て、そろそろ返して良い本は返す。
そんな分別を行っていたら、ふと彼女は懐かしい物を発見した。
紫色の帽子と服。
そう、自他共に認める黒歴史が数年の時を経て再び蘇ったのだ。
本来なら、すぐにでも燃やして残らず煤にするが仮にも一応幼い日の思い出の品である、一応。
そして何よりも、単純に魔理沙は気になったのだ。
―――私はまだこれを着れるんだろうか?
数年経てば体系は変わる、勿論良い意味で。
昔と比べれば大分スタイルが良くなったという自負はあるが決して太ったわけではない、そんなことは認められない。
体系の維持は乙女にとって死活問題である。
もしもこれが入らなければ自尊心が痛く傷つけられてしまう。
そんな思いを胸に、彼女は数年ぶりにその服に袖を通し始めた―――
人生の勝ち組である彼女もまた夏の暑さに思考をやられ、正にここから転落人生を駆け出したのだった。
ちょうどその頃、文は小飼の鴉を通じて魔理沙が温度を下げる魔法を完成させたという情報を知り、これは取材をせねばならないと魔理沙亭へと飛翔していた。
もしもそんな涼しい記事を新聞に載せることが出来れば、新聞は飛ぶように売れ、暑さに我を忘れた人々は嫉妬に狂い彼女の家へと押し寄せるだろう。
かつて、閻魔である四季映姫に言われた言葉が脳内をかけたが、残念ながらこれは事実であるし、結局のところ情報とは受け取る側の問題でもある。
とにもかくにも暑さで誰もが動かなくなった為、ネタは不足していた。
そこに、温を下げることに成功した、という情報である。
これを新聞の記事にしない手はなかった。
とはいえ、相手はあの黒白魔法使い。
一筋縄ではいかないことは目に見えている。
故に、文は取材の段取りにおいて、押し売りのごとく勢いで行くしかないと考えていた―――
「ッ―――、入った、ぜ……!!」
はぁ、はぁ、と荒い息を上げながらも、魔理沙は充足感に満ちた表情だった。
その身に纏っているのは、いつもの白いエプロンと黒の服ではなく、かつての紫色の服。
過去を思い出せば恥ずかしくもなるが、それ以上に昔の服を着れたというその達成感が彼女の全てを占めていた。
全身が映し出せる立ち鏡へと移動し、両手を挙げて、クルッ、と一回転。
鏡の中で美しい金の髪がふわり、と舞う。
「ああ、私もまだまだいけるな」
昔と比べれば胸だったりが多少きつく感じられるようになったが、総じて許容範囲内だった。
お腹周りも問題なく、心の底から納得行く結果に魔理沙は笑顔を浮かべる。
だが改めて鏡に映る姿を見詰めると、やれやれ、といつの間にか苦笑を浮かべていた。
「しかしまぁー……我ながらよくあんな恥ずかしい事出来たもんだよなー。なぁあにが、『うふふ、私魔法少女』だか―――」
「魔理沙さんっ!魔法の成功おめでとうございます、つきましては是非取材を―――」
魔理沙が黒歴史の台詞を一回転しながら発した
文が、魔理沙亭のドアを蹴破った勢いで乱入してきた
魔理沙はフリーズしたまま驚愕の視線を侵入してきた文へと遣る
文は、瞬間的に第六感を働かせ、ポーズを決めていた魔理沙をファインダーに捉え、シャッターを押す
咄嗟に魔理沙はミニ八卦炉を構え――――
「マァスタァァァァァスパァァァァァァァァアアアアアアアアクゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
「ちょ、不可抗力ですよーーーーー?!」
極太のレーザーが魔理沙の手によって撃ち放たれ、文がそれを紙一重で回避し、上空へと逃げていく。
この間わずか3秒。
幻想郷で最速を名乗る者同士、そのスピードは伊達ではなかった。
かくして魔理沙は新たな黒歴史を写真として残され、更に自身が放ったマスタースパークにより家を半壊させるに至り、晴れて転落人生筆頭の負け組みとなった。
そんな出来事から数日後。
簡易的な修繕に心血を注ぐことで、とりあえず雨風を凌げるようになった家の外観を見詰めていた魔理沙は、もう1つの現実を見つめ直す必要があった。
そう、例の姿を、よりにもよって、ブン屋に写真を撮られてしまったのだ。
あの姿を霊夢や同じ魔法使いであるアリス・マーガトロイドに見られても最悪であるが、ブン屋に見られ、あまつさえ写真を撮られたとあっては最悪を超える。
下手をすれば―――いや、きっと新聞の記事にされる。
『スクープ!魔法の森に住む魔法使い、暑さのあまりに狂気に染まる』とかそんな見出しの記事だそうに違いない。
そんな思いに駆られた魔理沙に出来た事はただ只管にその現実を忘れて日曜大工に精を出すか、布団にくるまって「きっとぶれてる絶対ぶれてる写真が撮れていたとしてもピンボケでまともに写ってない…ッ!」と魔法使いらしく呪詛を繰り返すだけだった。
しかし、家の修繕が終わってしまえば例の写真について考えを巡らせなくてはならない。
魔理沙は考える。
万が一、である。
まともな写真を撮られていてしまったとしたら一体どうすればその写真を公開される事を阻止、ないし抹消することができるのか?
相手は幻想郷屈指のスピードと強大な力を持つ鴉天狗である。
力業でそれを阻止出来るとは、魔理沙といえども到底思えなかった。
ならば、である。
パワーが駄目なら頭脳で攻めるしかない。
かくして十八番であるパワーを封じられた魔理沙が達した答えは、文々。新聞を定期購読するから記事への取り上げを止めてもらうことだった。
果たしてそれで上手く行くかどうかは分からないが、何もしないよりかはマシであろう。
自らに言い聞かせ、魔理沙は相棒である箒に跨り天へと飛翔しかけた―――その時
「ヘブッ?!」
魔法の森上空を黒い影が高速で突っ切り、それによって生み出された風に乗って飛ばされてきた謎の紙が顔面に貼り付いた。
なんというふてぇ紙だ、と視界を被っているそれを片手で剥がし、何事かと眺め
「―――んなッ?!!」
絶句した。
それは件の文々。新聞であり、その見出しには紫の服を着てポーズを決めている魔理沙の写真と『白黒の魔法使い、紫と狂気に染まる』というデカデカとした字が書かれていた。
「………………」
魔理沙は、自身が考えていた最悪の結末を迎えた事を悟った。
恐らく既にある程度まで配布され、更にこれからも配られていくのだろう―――と。
真夏の日差しがジリジリと肌を焼き始めたところで、ふと魔理沙は思った。
なるほど、確かに自身にも落ち度はあった。
自らの自尊心を守るためにいつ誰が来るとも分からない白昼にあんな服を着てしまったのだ。
だが、だがしかし!
そもそも家をノックすることすらせずいきなり飛び込んできて、あまつさえパパラッチしていったのは何処の誰であったか、である。
非は、自分以上にあの天狗にあるのではないか―――と。
普段、紅魔館にノックの代わりにマスタースパークをぶっぱなし本を強奪していく己の事は勿論棚に上げているが、そんな事は魔理沙にとって瑣末な事であった。
相手が強大だから?
だから何だというのだ、正義はそれなのに。
フツフツと憎悪にも似た怒りが湧いてくる。
それはまさに噴火寸前の活火山そのものであり、もはや大災害は避けられない状態だった。
かくして、魔理沙は激怒した。
かの不倶戴天の敵となった鴉を生かしておけない、と。
こうして、話は冒頭へと戻る。
正に「生か死か」という極限状態のチキンレース。
先程からマスタースパークに狙われ続けている文は、それを回避するために何度もジグザクに飛行し、障害物の多い箇所を選ぶなどして全力で飛んでいた。
その額には、普段の彼女には似合わない、幾筋かの汗が流れている。
幻想郷最速―――それが文である。
本来なら人間の魔法使いからなど、楽勝で逃げ切れるはずだった。
だが、動物は死を目前にすると時々ありえないほどの能力を発揮する。
いわば火事場の馬鹿力のようなものだが、既に魔理沙は詰んでおり、その先には社会的な死しかない。
そんな死を直面し、最後の意地となけなしのパワーと通常の1.3倍ほどのスピードで追いすがる魔理沙に文は若干ながらも恐怖した。
だが、文とて何度となく修羅場をくぐり抜けてきた記者であり、妖怪である。
如何に背後から迫る狂気が異様であろうと簡単に引き下がる事はできないし、そもそもここで諦めたら人生という試合も終了するだろう。
そして何よりも、文を突き動かしていたのは命よりも重要な事情からだった。
それは数日前、魔理沙が放ったマスタースパークから必死に逃げ出し、疲労困憊のまま紅魔館へと向かった時の事。
文は自分の非を認めていた。
落ち着いて考ると突撃取材と称してドアを蹴破ったのだから、押し売りというより強盗だった。
それに魔理沙のそれがネタとして面白いとはいえプライベート過ぎる出来事である。
ある意味、氷の妖精以上に需要の無いそれを新聞に載せようとは当初考えていなかった。
だが、同時にその強盗まがいの事を紅魔館に対して日々行なっている魔理沙から文句を言われるのはお門違い、とも考えていた。
故に、その被害を一身に受けている大図書館の主、パチュリー・ノーレッジに取材をしながら愚痴を零したのだ。
聞かされる愚痴に頷きながら、パチュリーは考えた。
その写真が欲しい、と。
言わずもがな、パチュリーと親交ある大方の者が知っているが、魔理沙は彼女の片思いの相手であった。
長々と続けられる鴉天狗の愚痴を話半分で頷きつつ、どうすればその写真を自然に手に入れることが出来るか、を考えた。
そして至った結論が「魔理沙の迎撃として使うから、その写真を載せた新聞を作って欲しい」という物だった。
一方の文は乗り気ではなかった。
如何にどうかしちゃってるんじゃないかと思える面白い趣味とは言え、あくまでそれは魔理沙のプライベートであったからだ。
だが、言葉巧みさなら新聞記者引けを取らない動かざること山の如しの大図書館である。
なるほど、確かにプライベートを暴露するのは良くない。けれども、良くないというのであれば紅魔館に強盗まがいの行いを日常的にしている魔理沙とて然りである。毒を制すには毒を用いるのが有効的であり、彼女の横暴を止めるためにも、大々的な発行ではなく個人的で構わないので協力して欲しい。何、流石にタダとは言わない。もし協力してくれるならば「文々。新聞」の一年間の定期購読を契約しよう。盗まれる本を考えれば、それを阻止できるならばお釣りがくるほどだ――――――
結果、定期購読者の獲得というメリットと紅魔館の被害を抑えるため、という大義名分が成り立った。
因みに、偶々用事があって図書館へとやってきたアリスもその話を聞き、一年間の定期購読の契約の代わりに新聞の発行を約束し、原版を含めて都合三部、作る事になった。
既にアリスへの配達を終えていた文は、紅魔館を目指しながら考える。
これは人助けである、と。
人を助けて己も得をするのだから、それは良いこと尽くめである。
紅魔館の蔵書の安全―――そして何より貴重な定期購読者の獲得の為にも、諦める訳にはいかなった。
唯一の誤算はアリス亭から紅魔館へと向かう時、上空へと向かってこようとした(様に見えた)魔理沙の姿に思わず原版を落としてしまった事だったが。
「そっれにしても、今日の魔理沙さんはしつこいですねー……ッ!」
既に場所は霧の湖傍である。
ここまでくれば紅魔館まですぐだが、いかんせん本気の魔理沙は粘る。
この後に天狗の会議が控えているし、数日後に迫る人里の夏祭りの取材などやるべきことはあるのに、新聞を届けるという一番の小事が達成できない。
このままじゃヤバイなー……と考えていた文は、ふと眼下に広がる森に白い霧が立ち込めているのに気が付いた。
「これは―――チャンス!!」
地獄に仏、とばかりに文は一気に白い濃霧の中に急降下していく。
だが勿論―――
「―――ッ!逃がすかぁっ!!」
魔理沙も後に続く。
ここで逃してしまえば復讐は勿論、この暑い中ひたすらに鬼ごっこを繰り広げた苦労とて報われない。
いつも以上に執念深い彼女は、目先の敵が一気に降下するのを見て、何の躊躇いもなくその白い霧の中へと突入していく。
戦いは、鬼ごっこから隠れ鬼へと変化していった。
バサバサ―――!
大きく羽ばたきながら、文は大きな木に身を隠すように止まった。
白い霧のせいで視界は非常に悪い。
遠くの方で「出てこんかい、パパラッチィィィ!!!」という絶叫と、時折弾幕を放っている音が聞こえる。
猛烈な勢いで進行しているであろう自然破壊を思えば近辺の生態系が心配になるが、かといって自然の為に自ら弾幕の盾になる気はさらさらない。
首筋を流れる汗をハンカチで拭いつつ、やれやれ、とようやく一息ついた。
「とんだ鬼ごっこですね……。まぁ、運良く霧が張っていたお陰で、とりあえず休めますけど……」
呟き、改めて森の中へと注意を配る。
日中にも関わらず異様な濃霧が立ち込め、どこか涼やかな空気が肌を撫でる。
ひょっとして異変か―――とも考えたが、どうにも異変のような悪意ある異質なものは、少なくとも文には感じられない。
ちなみにこの濃霧は数日前の永遠亭による暴挙が遠因であった。
地下に打ち込まれた冷気の一部がゆっくりと地表面まで上り、その冷気によって空気中の水分子が飽和した結果大量の霧が発生していたのだが、そんな事、当事者たる永遠亭とて知る由もない。
まぁ、馬鹿みたいに暑い日が続いたしこんな事もあるのだろう、と文は自身を納得させる。
今はこの濃霧以上に大切なことが控えているのだ。
今も何処かで叫んでいる魔法使いから何としてでも逃れ、紅魔館に新聞を届ける義務があった。
そう、だからこそこんな場所で見つかるわけにはいかないのだ―――
「……誰?そこにいるの」
早速見つかった。
突如声をかけられ、慌ててそちらへと視線を送ると霧の向こうからぼんやりとしたシルエットが近付いてくる。
文は僅かに体を固くしていたが、ふと、その声に聞き覚えがあると気付いた。
そういえばこの辺は彼女のテリトリーだったか、と少し声を押さえて霧の向こうへと声をかけた。
「ひょっとして……チルノさんですか?」
「あれ?この声って文?」
ふよふよ、と漂うように霧の向こうから姿を表したのは、氷の妖精、チルノだった。
体を隠すようにピッタリと木に張り付いている文を、チルノは不思議そうに見詰める。
こんな霧の濃い日にわざわざ森の中で木に張り付くなんて何をやってるのか、と心から不審がっていたのだが、文はそんな思いに気付かず、やあやあ、と手を振る。
「どうもどうも、お久しぶりですねチルノさん。ところで、この巫山戯た量の霧は何なんですか?ついでにかなり涼しいですけど」
「この霧?朝からだよ?涼しいのもね」
「ほーそうなんですか?ここ最近の猛暑を思えばありがたいですね」
文が止まり木にしている枝に自らも降りれば、うん、と頷くチルノ。
天狗と妖精。
本来なら相居られない両者であるが、文とチルノは花の異変を境に何かと顔を合わせる事が多かった。
妖精として特異な存在であるチルノは文にとっては好奇心を満たす対象であり、またチルノにとっても取材と称して何度か巫山戯た記事を書かれた事があったが、色々な話を聞いてくれる存在だった。
しかし、そんな本来どちらかといえば友好的な存在を、チルノは胡散臭そうな表情で見詰めている。
「んで、なにしてるの?木に張り付きながら霧の取材?」
「あははは、そうですねーもうちょっと時間に余裕があれば取材したいんですが、生憎と今は少々忙しいんですよ」
「全然そんな風には見えないんだけど―――」
カッ―――――――!!!
木に張り付きながら何を言ってるのかとチルノがツッコミを入れようとした瞬間、閃光が走った。
突如として濃霧の向こう側からやってきたそれは、丁度二人が足場としている木の隣に生えていた木々をぶっ飛ばして再び濃霧の中へと消えていく。
「ひぃっ?!な、なななな何っ?!」
「あー……場所がバレましたかね、これ」
驚き、服の裾を握りしめるチルノの頭をわしわしと撫でつつ、文はあちゃー、と頭を抱えた。
ここで見つかるとまたリアル鬼ごっこに逆戻りである。
「まったく、魔理沙さんには落ち着きの心が足りませんよね……」
「え、今のマスタースパーク!?なんで魔理沙がそんなの森の中で撃ってるの?!」
訳が分からないよっ!と恐怖と驚きの表情を浮かべるチルノに、ははは……、と文は乾いた笑みを浮かべる。
暑さにやられて変な格好をしていたところを写真に撮られたから、などという下らない理由で住処を荒らされていると分かれば、如何に魔理沙とも文とも交流のあるチルノであっても激怒するだろう。
正直迷惑以外の何ものでもないし、万が一、文自身がその立場に立たされたらとりあえず暴風でぶっ飛ばすと思う。
何に増しても驚愕的なのはこの濃霧にも関わらず居場所を特定した魔理沙の執念か。
「そこにいるのは分かってるぞ、パパラッチィィィィィ!!!」
きっとチルノさんとの会話に気付いたんだろうけど、声を抑えていたのに分かるってどんな聴力だよ―――思わず愚痴りたくもなる。
濃霧の向こう側から迫ってくる悪鬼を、どうしよっかなー……と考えていたら、ふと先程からわしわしわしわしわしと撫でている頭を思い出した。
「…………チルノさん、実は私、魔理沙さんに追われているんですよ」
「はぁ?!」
うん、そうだよねーそういう反応するよね、普通。
脈絡もなく唐突に知り合いから聞かされた言葉がこれである、チルノの判断力は真夏にも関わらず至って正常だった。
「また変な記事載せたの……?」
またかよ、と万引きの常習犯を見つけたノリでチルノに尋ねられ、文の心が微かに傷付いた。
だがそんな世間に負けじと、いえいえ、と営業スマイルを浮かべる。
「確かに少々変な事は書きましたがそれは新聞として配る予定はないんです」
「書いたのに配らないの?」
「ええ、紅魔館の方に魔理沙さんの強盗を抑える為に協力してくれ、と言われましてね……」
「?? 意味がわからないよ?」
そりゃそうだ、と文もその言葉に内心頷くが、言い聞かせるようにチルノに語りかける。
「まぁ、瑣末な事です。今重要なのは、私は魔理沙さんの強盗件数を抑える為の人助けの途中、ということです」
「本当かな……」
「おや、私が嘘をついていると?」
わしわしと撫でていた頭から手を離せば、いいですか?と肩に手を置いてチルノの瞳をジッと覗き込む。
その覗き込む瞳があまりに真剣で、チルノはドキリ、と心臓を跳ねさせて頬を軽く染めたが、構わず文は続ける。
「まぁ、普段の私の行動を省みれば疑う気持ちも分かります。ですが、今の私は決して嘘はついてません」
「う、うん……」
あまりの勢いに思わず頷くチルノ。
こういう素直なとこは好きだなーと思う文であるが、にこり、と笑顔を浮かべると自分の戦略を告げた。
「と、いう訳で人助けの為にも、ちょっと魔理沙さんを足止めして頂けませんか?」
「うぇえ?!む、無理無理!!あんな魔理沙相手にしたいなんて思わないよ?!」
少しでも魔理沙の気を逸らす事ができれば、その隙をつき、追いつかれる前に紅魔館へと入ることができる。
無理無理!と両手と首を全力で振りながら拒否する己の筋書き通りのチルノをみて、そうですか…と文は軽く溜息を吐きながら残りの筋書きを描いた。
「そうですよねー……あんな魔理沙さんを相手にするなんて『最強』でもなければ不可能ですもんねー」
「ぅぐっ?!」
遠まわしの挑発をしつつ、いや困った困った、と団扇でパタパタと顔を仰ぐ。
呻き、もの凄い微妙な顔をしているチルノを視界の端で見つつ、あとひと押し、と文は立ち上がり翼を広げる。
「済みませんでした、チルノさん。それでは私は魔理沙さんから逃げて紅魔館に平和をもたらす為に『最強』な方を求めるので、これで―――」
―――グイッ
シャツの裾に、微かな抵抗。
計画通り、と振り返ると物凄く微妙な表情を浮かべたチルノが裾を握っている。
「おや?どうしました、ノット最強チルノさん?」
「―――っ!最強だもん!!」
握っていた裾を離しビシッと文を指さす。
「いいじゃない、やってやろうじゃない!最強のあたいにかかれば魔理沙の一人や二人ぶっ飛ばすのなんて一発よっ!!」
「え、いやぶっ飛ばすんじゃなくて足止めだけで…………」
いいんですけど。
言葉を全て伝える前にチルノは飛翔して、「パーパラッチィィィィィィ!!!」と霧の向こうから迫る怒号に向かっていってしまう。
「うぁぁぁらぁぁぁー!!!あたい最強ぉぉぉ!!!」
自らを鼓舞するような叫びを上げつつ霧の向こうへと消えていったチルノの姿に、ちょっとやりすぎたか…と文は若干後悔した。
今の魔理沙とガチでやりあえばどうなるかなんて目に見えているのだが―――
「森を荒らすなバカ魔理沙ーーー!!!」
「チルノ?!!お前はお呼びじゃねーんだよぉぉぉぉぉ!!!???」
ああ、やっぱりチルノさん住処を荒らされて怒ってたのかな……。
怒号と共に早速氷の砕ける音やマスタースパークの重厚な発射音が霧の向こうから聞こえてくる。
あまりの申し訳なさにチルノを救出しに行こうか、とも考えたが今二人の前に姿を見せれば争いは更に泥沼化するだろう。
「……チルノさん、貴方の犠牲は無駄にはしません……ッ!」
結果として、文に取れる選択肢は一つだけだった。
濃霧の向こうで展開されている激闘の音を聴きながら翼を羽ばたかせ空に舞って霧を抜けると、湖の向こうに鎮座する悪魔の館、紅魔館を目指した。
数十分後。
「わーぉ……」
思わず文の口から驚嘆の声が出た。
紅魔館への配達は無事に終わり、依頼主のパチュリーは魔理沙もびっくりな、うふふ、という笑いを連発しながら興奮で震える手で契約書にサインをした。
そんな病的な依頼主を見てるとひょっとして自分は何か間違ったのではないか?という思いが文の心に沸いてきたが、とりあえず契約は貰えたし良しとしよう、と見ない振りを心に決めた。
とはいえ、心にあったもう一つの懸念を見て見ぬ振りをするほど文は薄情ではなかった。
それは魔理沙の動向よりも、自らが魔理沙へとけしかけたチルノの安否であった。
基本、何度死んでも蘇るのが妖精だが、仮にも知り合いが自分のせいで死んだ、とあっては目覚めも悪い。
一応魔理沙とチルノは互いに面識があるのだから殺されるようなことはないとは思うが………
そんな心配をかかえて霧の湖近くに広がる森の上空に着いて初めの一言が、先のあれである。
空気の温度差から風でも発生したらしく、森全体に広がっていた霧は綺麗に霧散しており、どこまでも広がる青い木々の痛々しい姿が上空からもよく見えた。
一部では多量の氷が山とうず高く積み重なっており、かと思えば特定の箇所では木々がなぎ倒され、その表面はうっすらと焦げ付いている。
広範囲にわたる自然破壊は一見すると大妖怪同士が争った後としか思えないほどだ。
これを一介の人間と妖精が起こしたのだから恐れ入る。
だが、何よりも目を奪われた光景というのが―――
「いやー……いくらなんでもやりすぎですよ、魔理沙さん……」
森の一部分にぽっかり、と直径5メートル程の巨大な大穴が開いているのだ。
もしかしたら今まで木々に隠れていただけで昔から存在していたのかもしれない、という可能性も考えたが文は既に1000年ほど生きている。
こんな大穴があればいくらなんでも噂くらい聞くだろう。
すなわち、その大穴もまた最大パワーのマスタースパークの産物なのだろう―――
バサバサと羽ばたきホバリングしながら想定外の被害を眺め、文は呆然としていた。
「これは……チルノさん、本格的に大丈夫ですかね……」
これでは本当にマスタースパークによって消し炭になりかねない。
妖怪の山の会議は夕方からであり、今しばらく時間の余裕はあった。
とりあえず捜索を、と嵐が過ぎ去った森へ降りようとしたところで―――
「ちょっと、文。これはどういうこと?あんたのせいなのかしら?」
「―――?!おや……霊夢さん」
「ええ……異変なら、あんたでも容赦しないってのは分かってるんでしょうね?」
突如、背後から声をかけられ、恐る恐る振り返るとそこには博霊神社の巫女、霊夢がいた。
いつもの赤と白と脇が特徴的な巫女服に、一目で不機嫌です、と分かるほど顔をしかめている。
その時限爆弾のような相手を見れば知らずうちに頬も引き攣るというもの。
いやいやいや、と手を振りながら精一杯に否定する。
「私じゃありませんよ?たぶん魔理沙さんがブチ切れたせいだと思いますが……」
「魔理沙が?あいつがここまでやるって一体何があったのよ」
「いやー……ははは。それより霊夢さんは何故ここに?異変ですか?」
「今目の前に広がっている光景がまさに異変だと言えるけどね……人里に用事があって顔出したら頼まれたのよ」
はぁ、とため息をつき霊夢はぽつぽつと語る。
いわく、水不足に悩める人里から雨乞いの依頼を受けたらしい。
元々それは本分ではないと断ったらしいがダメもとでいいから、と押し切られた。
まさに藁をも掴む気持ちだったのだろう。
霊夢としてはどうせ掴むなら守矢のカエルを頼った方が確実なのに、とも思ったが前金と成功報酬の金額を知らされればそんな事は告げる気にならない。
とりあえず、なんとなくそれらしい雨乞いの儀式っぽいことをやり終えたところで、霧の湖方面で凄い轟音と地響きが鳴り響いた。
それこそ魔理沙が地面をぶち破るほどのマスタースパークを撃ち放った音だったのだが、人里の人間がそれに怯え、儀式を終えたばかりの霊夢に何が起こったのか調査を依頼したのだ。
ぶっちゃけ効果の程は期待できない儀式だったし、異変ならば動かねばならないのが博麗の義務である。
暑さに悲鳴を上げそうな体に鞭を入れ、ここまで飛んできた、ということだった。
ちなみに、数時間後には先ほど霧の湖を覆っていた冷気が人里方面の大気の状態を不安定にして大雨をもたらし、数日ぶりの天の恵みを受けた人々は「霊夢サンカッケー」と口々に言い、守矢の信仰度は若干落ちることになった。
「それで?あんたはここで何してるのよ?」
「いえ、まぁ色々ありまして……」
「ふぅん、取材って言わないあたり何か知ってるのね?」
「うっ……まぁ、人並みかそれ以上には……」
「へー……もちろん、教えてくれるわよね?」
にっこり、と素敵な笑顔を浮かた声にはトゲがある。
正直に話さなけりゃ力で聞く、という遠回しな表現に若干流れる汗に冷たさを感じた。
こうなれば黙秘権などありはしない。
事の顛末を話す羽目になった文は、深いため息を吐いた。
・・・
・・
・
「へー……それで魔理沙が、ねー……。自業自得じゃない」
「ですよね、魔理沙さんのせいですよね!」
「あんたのよ」
何を馬鹿言ってるんだコイツ、と呆れた表情で言われた。
「んで、チルノを探しにきたと?」
「いや、まぁはい。流石にちょっと心配になりまして……」
「生きてるかしらね、あの子……」
やれやれ、とため息を吐き、地上に向かって霊夢が降下していく。
それに気づき、慌てて文も翼を広げ後に続いた。
「ちょ、ちょっと霊夢さん?!ドコに行くんですか?」
「ドコって……チルノ探すんでしょ?私も、もうちょっと被害を確認しておきたいし、手伝うわよ」
唖然とした。
あの霊夢がまさか妖怪の類の為に動くとは……。
「はぁー……今頃きっと人里は大雨でしょうね……」
「馬鹿いってんじゃないわよ。手伝わないわよ?」
「いやいや、ありがとうございます、流石霊夢さんカッケー!」
「お礼はお賽銭でいいわよ?」
「六文銭でいいですか?」
「彼岸の向こうまでぶっ飛ばすわよ?」
軽口を叩き合い、森へと降り立つ。
そこは上空から見た以上に悲惨な状況だった。
元は鬱蒼と木々が生い茂っていたであろう場所は全てなぎ倒され燦々と輝く太陽の光が地面を照らしていた。
「……」
「……想像以上ですね、これは」
再び唖然、である。
そろそろ本気で罪悪感が沸きそうだった。
「道も潰れちゃってるみたいだし、しばらくこの森には入らないように言ったほうがいいかもしれないわね……」
「その前にチルノさんを探さなくてはならないわけですが……」
倒れた木に押し潰されてやいないか、と文は周囲を見渡すが、霊夢はそんなことお構いなしに大穴へと近づき、ひょっこりと覗き込んだ。
「……深いわね」
「そんなにですか?」
霊夢の呟きに、同じく大穴へと近づき覗き込めば、なるほど、日が射し込む場所以外は暗闇のため正確ではないが軽く5メートルはありそうだった。
「―――ん?」
「どうかしたの?」
「いえ、ちょっと……」
ふ、と。
光の届かない闇の中で、微かに何かが光ったように見えた。
目の錯覚かもしれない。
それでも、不思議そうに尋ねてくる霊夢に言葉を濁しつつ、再び翼を広げれば漆黒の闇が広がる大穴へと降りていった。
空気が、異常に冷たかった。
口から吐き出される息が白くなり、肌寒さに思わず自らの腕をさすっていた。
水に濡れて滑る岩場へとゆっくり降り立つと、カツン―――という音が洞窟内を反響する。
差し込む陽の光が作る輪から一歩踏み外せば、深い闇へと誘われる。
文は、何処か異質な空間に迷い込んだ居心地の悪さを感じながら、先ほどの違和感を感じた場所へと進む。
完全な暗闇だ。
陽の光の下にいた目では中々慣れてこないが、ゆっくり時間をかけて暗闇に目を凝らすと―――
「チルノさん―――っ!」
体を丸めるように横たわる、妖精の姿があった。
まさか死んでるんじゃ―――
近寄り膝を付くと抱き起こし、口元に手を当てる。
するとゆっくりだが、すぅ―――すぅ―――と呼吸をしているのが分かり、ホッと息を吐いた。
「やれやれ……心配して損しましたかね……」
疲れた表情を浮かべているが、腕の中で緩やかな呼吸を繰り返す妖精は寝ているだけのようだった。
取り越し苦労に終われば脱力もしたくなる。
だが、とりあえず最大の懸念が無くなり、いくらか落ち着きを取り戻すと慣れてきた目で周囲を眺める余裕が出来た。
どうやら元々横に空洞が広がっていたらしく、光の届かない先にもまだまだ空間が続いているようだった。
そして、何よりも目を引いたのが―――
「これは……」
―――氷だ。
横穴いっぱいに広がり、洞窟の壁を伝うように発達した巨大な氷の塊がそびえ立っている。
マスタースパークによってか表面は微かに溶解し、すぐ傍に小さな水たまりが出来ているが、そんなダメージを感じさせないほどの威風堂々とした大きさだった。
「まさか、この時期にこんな氷にお目にかかるとは思いませんでしたね……」
「……どうやら氷穴のようね、ここは」
この冷気の原因はこいつか、と文が眺めていたら霊夢がすぐ脇に降り立った。
「氷穴、ですか?」
「ええ。夏でも氷が溶けないほどの冷気に覆われている洞窟よ。まさかこんなところに広がっているとは思わなかったけどね……」
「はぁ……だからこのあたりはよく霧が発生していたんですかね……」
「まぁ、それよりもチルノは寝てるだけみたいね?」
霊夢がチルノをのぞき込み、それに釣られ文もまた自らの膝の上へと視線を遣る。
氷の妖精は微かな呼吸と共に胸をゆっくり上下に動かしながらも微動だにしない。
起きる気配の無いその姿に飽きたのか、改めて周囲を見渡した霊夢は小さくぼやいた。
「それにしても……何か嫌な感じね、ここは」
「そうですね……。……ところで、魔理沙さんの姿が見えませんが、まさかそこらに潜んでるんじゃないですよね……?」
こんな狭い空間で戦闘になれば間違いなく命が危ない。
不安げな表情で思わず呟く文を見て、霊夢は無い無い、と手を振って否定した。
「まさか。例え潜んでいたとしても文の姿見つけ次第マスタースパークぶっぱなすに決まってるじゃない」
「ああ、それもそうですよね……」
ちなみに、姿が見えない魔理沙がどうしていたかというと、せめて文に一矢報いようと闇討を狙っていた訳ではない。
もはや進退窮まった彼女は死相を浮かべたまま人里へ飛び、人里の寺子屋で教鞭をとっている半妖、上白沢慧音の元を訪れ、私の歴史を食べてくれ、と全力の土下座をしている最中であった。
まさに瓢箪から駒。
歴史を喰われてしまえばその事実は無くなり、まさに黒歴史を闇へと抹消する事が出来る。
餅は餅屋というのだから、黒とはいえ歴史は専門家に任せようと考えたのだった。
大粒の涙を浮かべながら一生分の土下座を繰り返し「頼む!私にはもう慧音しかいないんだ……ッ!私のを食べてくれッ!」と繰り返す魔理沙の様子を、個人の歴史は操りたくないと困惑の表情を浮かべる慧音であったが、あまりに必死なその姿と言葉の不穏さによる世間体の危機から、数十分後、遂に折れた。
なお、いざその歴史を喰ってみれば、余りにも異様な味だったらしい。
曰く、「くさやの漬け汁と青汁に腐った生卵を粉みじんにしたものを入れてご飯に掛ければこんな味に近付くんじゃなかろうか……」との事。
慧音は、小学生が給食で最後まで残してしまったピーマンを昼休みが終わる直前まで延々と食べるが如く、涙を浮かべ体を震わせながら完食する羽目になった。
こうして幻想郷を一時賑わせた魔理沙の黒歴史の再来は慧音の腹へと消え、残ったのは食あたりで二日間寝込む羽目になった慧音と、身に覚えの無い文々。新聞の一年間の定期購読を約束されたパチュリーとアリスであった。
「…っん」
「チルノさん?」
人の話し声に反応したのか、微かに身じろぎをしたかと思うと、チルノはゆっくりと目を開けた。
文が名前を呼びながらその瞳をのぞき込むとチルノは目をぱちぱち、としばたかせ
「あ、れ……?文……?」
「あら、気づいたのね、チルノ」
「れーむも……」
ゆっくりと、体を起こせば片目を擦りながら周囲を見渡したチルノは、ぼんやり、と宙を暫く見詰めた後に、首を傾げた。
「ここ、どこ……?」
「地下の洞窟ですよ」
「なんで?」
地面に座り込んだまま、文へと振り返ると不思議そうに訪ねた。
「なんで、あたいはこんなとこにいるの?」
「………」
「………」
思わず、文と霊夢は視線を合わせる。
何があってこんな場所で寝ていたか全く理解できていない様子に、ひょっとして想像以上の恐怖を与えられて記憶もぶっ飛ばしたんだろうか、と考えていた。
だが、そんな事とは露知らず、周囲を見渡せば、おぉー、とチルノは感嘆の声を上げる。
「すっごい涼しいね、ここ!」
「あ、あのチルノさん……数十分前の事、覚えていますか……?」
あんた聞きなさいよ、いやいや霊夢さんこそ。
返答が怖いそれに、霊夢とアイコンタクトでやり取りしていた文は埒が明かないと意を決し、恐る恐ると尋ねた。
するとチルノはおや?と難しそうな顔をし
「数十分……?あれ、そういえばあたい、何してたんだっけ……?」
「あんた、魔理沙と戦ってたはずなんだけど、覚えてないの?」
痺れを切らし若干引きつった頬で霊夢も続くが、ふるふる、と首を振るチルノを見て思わず固まった。
「これは……一時的に記憶を失ったのかしらね」
「永遠亭に連れて行けば記憶を戻せそうな気もしますが……何だか忘れておいたほうがいい記憶かもしれませんね……」
きっと一生分のトラウマだったんだろうなー、と霊夢と文、両者の思考がシンクロする中、事態を把握できないチルノは面白くなさそうに頬を膨らませた。
「そんなことより!何であたいはここにいるのっ?!魔理沙が関係あるの?!」
「ああー……ええと、なんと言いますか……」
間違いなく忘れていた方が身のためだもんなー、と文は考える。
だが、何故、を繰り返すチルノの機嫌が次第に悪くなり、どうしたものだろうか、と頭を悩ませていたら
「チルノ、あんたがここにいるのは大体コイツのせいよ」
「ぇ?ちょ、待っ?!」
霊夢がビシッ!と文を指差した。
売りやがったなコノヤロウ、だから自業自得でしょうが寒いから早く出たいのよ私は。
再びアイコンタクトを交わせば視線で火花を散らす両者。
そんな事お構いなしに、探偵が真犯人を見つけた時の勢いでチルノは文を指差し高らかに叫んだ。
「犯人は文かっ!!」
「確かに間違いとは言いませんけど?!」
「なんだか分からないけど、あたいがこんな目にあったのは全部文が悪いのね!!」
「あーもう地味に否定出来ないから始末におえませんよ、どうしてくれるんですか霊夢さん?!」
「だから文の所為だって」
「ほら、みろ! 責任とれー!!」
馬鹿め、と何処か蔑むような視線で霊夢に見下ろされれば、思わず文は唇を噛み締める。
出来るだけ穏便に済まそうと考えていたのだが、これではそんな解決は無理ではないか。
しかし、事態を長引かせてどうにかなる問題でもない。
はぁ、と深い溜息を吐き、文は腹を括った。
確かに、責任をとれと迫るチルノの主張は決して的外れではないのだ。
腰に手を当て、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすチルノに改めて向き合った。
「わかりましたわかりました、チルノさん。責任とりますから勘弁してください……」
「ふん、当然よっ!」
「あら、随分と素直に認めたわね……」
もっと粘ると思ったのに、と呟く霊夢を敢えて無視し、それで?と文は肩を竦めた。
「責任と一口に言っても様々だと思いますが……私はどうすればいいんですか?」
「え? あ、考えてなかった………」
「マジですか……」
「あんた、チルノを何だと思ってるのよ」
腕を組み、うんうんと唸り悩むチルノの様子に、一体どんな無理難題が課せられるのかと見守る文と呆れ顔の霊夢。
しばらくしてチルノがポンッと手を叩いた。
「今度やるお祭りに連れてって!」
「……はぁ?そんなんでいいんですか?」
肩透かしをくらった気分だった。
アイス一年分用意しろ、とか今すぐ夏を終わらせろ、とかもの凄い要求を想定していたが、チルノが求めたのは何て事はない、今度人里で行われる夏祭りに連れて行け、という物だった。
むしろそれでいいのか?と気が抜けた返答に対し、チルノは頷く。
「あたいお金ないし、一人で人里にいても何も出来ないもん」
「妖精は悪戯ばっかするし、最近の異常気象で強い個体も増えてるから、人里でも警戒されてるからねー……」
「つまり、私は保護者兼お財布役という訳ですか……」
やれやれ、と霊夢が肩を竦めるのを見つつ、何となく文は把握した。
妖精は悪戯好きだ。
誰かが常に監視の目を光らせなければ、いつ何時、何をされるか分からないという嫌疑があるのだろう。
しかも、チルノは通常の妖精とは違いかなり強い力を持っている。
寺子屋で勉学と処世術について頭突きでもって矯正を受けているとはいえ、ブラックリストに乗っていたとしてもおかしくはない。
わかりました、と文は一つ頷いた。
「いいですよ。なら、明後日でいいですね?」
「うんっ!!あたい綿飴食べたいなっ!」
途端に笑顔になったチルノに、文はやれやれ、と子供らしいその反応に微かに笑みを浮かべた。
結果的に一日だけエスコートすればいいだけなのだ。
チルノが被った物と比べれば安いだろう。
話が纏まれば、さて、と霊夢が手を叩く。
「さっさとここから出ましょう。外が暑いからって、ここにずっといれば体を壊すわ」
「そうですね……私もこの後用事がありますから、そろそろ行きます」
「えー……ここ気持ちいいのに……」
三者三様。
まだ居たいとごねるチルノだが、霊夢がさっさと飛び上がれば文も翼を広げて後に続き、仕方なしとばかりに渋々と空へと浮かぶ。
大人しく付いてくる様子をみると、やはり一人でこの暗闇は怖いのだろう。
文とて、涼しいのは嬉しいがこのような異質な空間に長時間一人で居たいとは思えなかった。
冷たい空気を抜けて大穴の出口へと向かうと、途端に暗闇から開放され、目が眩んだ。
真夏特有のジメッとした空気が淀む、いつもの夏がそこにあった。
「うわぁー………これは、暑っついですねー」
「とーけーるー……」
「体に厳しいわよ、この温度差は……」
気温差少なくとも25度以上。
思わず全員揃って顔を顰めたが、ふと暑さの源、太陽を仰ぎ見れば、げっ、と文は顔を顰める。
空の太陽は南中から大分傾いていた。
「っと、ちょっとやばいですね、これは!チルノさん!明後日は湖畔まで迎えに行きますからそこで待っててください?!」
「ぅー……あ、うん、分かったー!!約束破ったらアイシクルフォール千本だからねっ!!」
「ちょ、死にますよ?!」
「あ、文! お祭りのお土産、私は杏飴ねっ!!」
「買ってきませんよ?!きませんからね?!」
慌てて大きく翼を羽ばたかせ勢いをつける。
ここから全力で飛べばぎりぎり会議の時間までに間に合うだろう。
風切り音を聴き、背中にかけられる恐喝と謎のリクエストに負けじと大声で返すと一気に加速し、妖怪の山を目指した。
妖怪の山。
天狗たちのトップに君臨する天魔が座す本殿と呼ばれる建物。
その権力を示すがごとく重厚な作りになっている寝殿造りの建築様式は、その巨大な建物全体をプライベートルームとしている訳ではない。
私室と呼べるのは本当に質素なもので、本殿自体は役所といった方がしっくりくる。
ゆえに、山の会議はこの本殿の一室で行われるのが通例だった。
「やれやれ、なんとか間に合いましたね……」
本殿の廊下を足早に進みながら、文は空を見上げる。
ぎりぎりかな?と思ったが夏空はまだ青く、かなり余裕だった。
風圧で乱れた髪をちゃっちゃかと手櫛で直しながら、ほっと一息を吐く。
「なんだか厄日でしたねー……今度雛様に祓ってもらったほうがいいですかね」
そもそも魔理沙さんと関わったのが間違いか……あれ、でも何であんな追われたんだっけ?
抹消された歴史を思い起こそうと頭を悩ませたが、思い出せないなら仕方ない、と早々に諦めた。
基本、後には引きずらないタイプである。
歩きながら、顔見知りの天狗と適当に挨拶を交わす。
挨拶は社会人としての基本だ。
笑みを顔に張り付け、文は会議の議題である間欠泉地下センターに関する情報を頭の中で整理しながら、ふと自分がこのような会議に参加するようになった事を考えた。
天狗の社会は明確なワントップ経営であるが、一枚岩ではない。
No.1の天魔が頭となり主導する革新派と呼ばれる自由主義の派閥と、No.3の大天狗が頭となって主導している守旧派と呼ばれる完全保守主義を掲げる派閥とに真っ二つに分かれている。
元から自由な考え方を持つ文は革新派に属しており、仕事の早さや物事に囚われすぎない事から天魔からの信頼も厚く、老天狗が多く占める幹部が参加する重要会議に顔を出す機会が多かった。
勿論、他と比較して高い評価を受ければ特異な視線を向けられる事も多い。
だが、そういった嫉妬混じりの羨望の視線は相手にするに値しないものだったし、陰口を聞き流すなど大した事ではなかった。
それ以上に、自分の思うように新聞作りが出来るというメリットがある。
会議は退屈でつまらない物だったが、自らが生きやすいように生き、やりたい事をやれるならそれで良い、という割り切りを文はしていた。
ああ、でも今日の議題は荒れそうだな―――
物憂げに溜息を吐く。
間欠泉地下センターの創設には守矢の神々が噛んでいたが、それ故に巻き込まれる形で参加を表明する事になった天狗達の間では、未だに二大派閥の間で確執が解消されていなかった。
既に前へと進められてしまった計画であるのに、未だに参加した事自体を批判する意見が出る始末。
結局、革新だ守旧だと言いながらも社会全体が保守である天狗にとって、常に意見が対立するのは仕方の無いことなのかもしれないが……。
そんなとりとめも無い思考を繰り返していた。
だからか、すぐ側に寄るまで彼女と気付かなかった。
「あっ」
「あ……」
上の空のまま視界の隅で捉えた純白の耳に気付けば、反射的に顔を合わせてしまった。
「文様……」
「おや……これはこれは椛さん」
どこか緊張感を含んだ声で名を呼んだ相手に、微かに頬がひきつった。
機械的に進めていた両足を止め、正面に緊張した雰囲気を纏う相手を見据える。
犬走椛。
哨戒天狗の彼女は妖怪の山への侵入者に対する警備担当である。
普段は警備にあたっている場所から動くことはないが、こうして本殿に来ていると言うことは本日の報告をしにきた、ということだろう。
「―――ご報告ですか?ご苦労様です」
「いえ……それが私の役目ですので」
ギスギスとしたやりとり。
昔はこうじゃなかったんだけどな、と文は思う。
少なくとも、ただの会話でここまで緊張感を持つ必要はなかったはずだ。
いつからか、互いに反りが合わなくなり、また彼女が守旧派に属すという事で立場の違いも明確になり、今では屈指の馬が合わない筆頭となってしまった。(その割りには誰かから貰った食べ物等を持っていると当てつけのように押し付けられるが)
「そうですかー……いやはや、椛さんは真面目ですね。ああ、そういえば以前頂いたお饅頭、美味しく頂かせて頂きましたよ?ありがとうございます」
「そうですか、それはなによりです。そのままお腹でも壊されればよかったですね」
「おやおや……椛さんはもう少し本音を隠す努力が必要ですね」
「これでも努力の末、可能な限り隠しているつもりなのですが、ね。それより道の真ん中でボーッと突っ立って、文様は、またよからぬことでも考えていたのですか?」
「いやはや、ずいぶんと信用ないものですね?」
「ご自身の胸に聞けばわかるかと?」
互いの腹をさぐり合うような言葉の応酬。
よからぬこと、というのは保守を軽んじる行動全般を指しているのだろう。
それを否定するように営業スマイルを浮かべ、いつもの一言を告げる。
「いつでもどこでも私は清く正しくがモットーですよ?」
「……。そうですか。貴女がどうなろうと知ったことではありませんが、天狗の面を潰すような真似はやめてくださいね」
言い捨てると、もう興味は無いと言わんばかりに椛は足早にさっていく。
その背中を半身で振り返りると、はぁ、と文は深いため息を吐いた。
(本当に、厄日だ)
ここまで嫌な事が続くのなら、今日の会議も何時に終わるか分かったものじゃない。
今までの経験からいって、嫌なことは続くものだ。
疲労感とは違う、どこか陰鬱な気持ちになれば、足取り重く会議室へと続く廊下を歩きだした。
「ばかやろー……」
二日後、申の刻。
文は寝不足でふらつく体を必死に制御しながら霧の湖へと飛んでいた。
結局、最重要事項が議題であった会議は長引くだけ長引き、小休憩は入ったものの一日と半日という既知外な時間を拘束させられた。
議題を進めようと何度か討議の輪に入りテコ入れをしてみたが、5分後には再び戻るとあっては諦めるしかない。
何度も同じ場所で躓く討論を右から左へ聞き流し、時計の秒針が刻む1秒をひたすらカウントする作業に没頭した結果、16458秒数えたところで一度目の小休憩が入って二度とやるまいと心に誓った。
夏祭りの本番は夕方から、というのが唯一の救いだった。
朝日を拝みながら疲れた体を引きずりベッドに入った時は、もう一生このまま寝ていたい、と思ったが取材と約束、二つの目的がある以上そうはいかん、と気力で起きた。
数時間の仮眠をとった後の目覚めは最悪だったが、シャワーを浴びてなんとか身支度を済ませたのが数十分前の出来事だった。
ふぁ……。
生欠伸を噛み殺し、いつもチルノがいる湖畔へとゆっくりと降下する。
眠い目を凝らすと、湖畔にある岩の上に両足を投げ出している妖精の姿が見えた。
きっと待ちきれなかったんだろうなー。
ぼんやりとする頭で考えていたら、チルノもまたこちらを確認したようで立ち上がる。
そんな姿を見ながら、どうもどうも、と手を振りながらゆっくりと文は軟着陸した。
「遅いぞ、文!」
到着した途端これである。
腰に手をあててビシッ!と指さすチルノを見て、やれやれ、と苦笑を浮かべた。
「いやいや、お祭りの本番は夕方から夜ですよ?むしろ早すぎるくらいです」
「でも、あたいはお昼から待ってた!」
うっすらと額に浮いた汗をハンカチで拭きながら、知らんがな、という思いを心に押し込める。
基本、妖精とはこういう生き物だ。
それを楽しいと思って花の異変以降こんな感じで時々付き合っているのだから今更である。
それよりも……
「というか、チルノさん昼間からここに居たんですか?」
「うん、そだよ?」
「暑くなかったんですか?」
ここ一週間と比べれば若干暑さも和らいでいるが、今日だって十分暑い。
木陰のない、日差しが照りつけるこんな場所にいて熱中症にならなかったのだろうか?と不思議に思ったのだが、当の本人は至って涼しい顔で、汗一つかかずに拳を突き上げた。
「涼しくはないけど、あたいはぜっこうちょーだよっ!」
「おおう、そうですか。氷精ともなれば夏も快適に過ごせるんですねー……」
その元気を分けて欲しい、と思いながら軽く溜息を吐く。むしろ暑さに弱いような気がしたのだが、気のせいだったのか。
これもまた自然の神秘がおりなす奇跡なのだろう、と考えていたら、拳を下ろしてすぐ近くまで寄ってきたチルノが何かを探るように見つめていた。
「お?どうしました?」
「……文、なんか疲れてる?」
「―――へ」
きょとん、と首をかしげながら選ぶように掛けられた言葉に思わず目を見開いた。
なんという事だ、妖精に心配されてしまった。
近付いた分、強く発せられる冷気を感じながら、果たして自分はそんなに疲れた表情を浮かべていたのだろうか、と思わず苦笑を浮かべた。
「はっはっは、突然何をおっしゃいますか、チルノさん」
「うーん……なんとなく、そう思ったんだけど違ったの?」
山で、ちょっと嫌な事が立て続いた。
理解されない事を言ってもしょうがないだろう?と心で誰かが呟く。
それでも、先ほどの偉そうな態度から一変、心配そうに見詰めてくるチルノに、フフッ、と自虐とも自嘲とも言える笑いが浮んだ。
誰かに心配されるなんて、いつ以来か―――
「まぁ、ちょっと一昨日別れた後、山の仕事で嫌なことがあったんですよ」
「そうなの?」
だからだろうか
「ええ、嫌な奴に会ってしまったり、いつまでも抜け出せない本当に馬鹿みたいな会議に何時までも付き合わされたりと、面倒な事ばかりしていたんですよ。効率を求めるならもっとやりようがあるというのに」
普段なら自分の中で昇華させてしまう不平や不満。
深いため息と共に、その一端が、口をついて出た。
生暖かい空気を肌に感じながら、妖精相手に何を言ってるのやら、と改めて文は自嘲の笑みを浮かべた。
するとチルノは良く分からない、と難しい顔をしながら首を傾げる。
「何で?」
「え、と……何で、とは?」
むしろ答えに窮したのは文だった。
一体何を指して尋ねられたのかが分からない。そもそも、主語がない。
だがチルノは、だからね?と伝わらなかった事に苛立ちの色を浮かべながら、再び何でも無いことのように告げた。
「何で嫌な事なのにやってるの?」
「―――はぁ?」
何で?
何で―――だろうか。
一瞬、何を馬鹿なこと言ってるんですか―――と言いそうになった。
だが改めて考えると、チルノの質問の一体何が馬鹿なことなのか、文には見当がつかなかった。
嫌なことをやる理由。
それは社会に生きていれば否応なく付き纏うある種の宿命だ。
誰もが好きなことをやりたいと思う。
それでも、それだけでは済まないのが、大多数の意思と共にある共同体に属するということだ。
共同体に属さず、あるがままに生きる妖精にそれが理解出来る筈も無い。
―――それはチルノさんだから理解出来ないんですよ―――
けれども、それはチルノが求めている答えではないという事は分かっていた。
というよりも、そもそも答えになっていない事に気付いたのだ。
本当に嫌なら共同体から外れる、という選択肢だってあるのだから―――
「そ、れは………」
「うん」
純朴な瞳が、見定めるように見上げていた。
無垢なそれに射竦められると、口の中が乾くほどの緊張を強いられた。
昨日の、椛とのやりとりなど遊びかと思えるほどに。
「……嫌な事でも、それを求められるならば、やらなくてはいけないんですよ?」
一言一言、間違えていないだろうか、と戦々恐々しながら言葉を選ぶ。
結局、口から出たのは大人が子供に言い聞かせるような、正に子供騙しの言葉だった。
「そうなの?」
「ええ、そうなんです」
真偽を確かめるような瞳を直視できずに思わず視線を逸らした。
ついてはいけない嘘をついたような居心地の悪さ。
なんでこんな思いをしなくてはならないのか、と口の端を軽く噛み締めていると―――
「そっかー。文は偉いんだね!」
「―――ぇ」
再度、予想外の言葉をかけられた。
驚きに目を丸め視線を戻すと、チルノは満面の笑顔を浮かべていた。
偉い?
私は、何が偉いのだろうか―――?
褒められた意味が文は分からなかった。
だが、当のチルノは「だって」と一つ間を置き
「けーねが言ってたよ!やりたい事だけじゃなくて、やりたくない事でもしっかりやるのは偉いことなんだって!」
何の躊躇いも、何の疑いもなく、見ている方が幸せになれるんじゃないかと思える笑顔で告げた。
夏の、青い空にも負けないほどの眩しい笑顔を―――
「―――まったく、チルノさんはお馬鹿さんですねー」
「ぅえ?!な、何が?!というか、あたいは馬鹿じゃないーっ!!」
思わず、文は近くにあった頭を乱暴にワシワシと撫でながら暴言を吐く。
髪を乱され、顔を真っ赤にさせて怒るチルノの反応は、当然だった。
―――所詮、ただの照れ隠しだ
「―――ありがとうございます」
手元で喚くチルノには決して届かないであろう程の小さな声で、礼を告げた。
ただ、彼女がくれた一言で、先ほどまで心に埋まっていた幾つかの醜い想いが消えていた。
(誰かに認めて欲しかったのかな、私は―――)
ふぅ、と小さく息を吐きながら考える。
既に抜け出すことなど不可能で、惰性にしても生きてきた社会。
そこで、嫌々ながらでも嫌なことを続けてきた自分を。
ただ、偉いね、なんていう簡単な言葉でも良いから誰かに言ってほしかったのかもしれない。
それを初めて伝えたのが、この幻想郷のヒエラルキー最下層にある妖精というのが、なんともまた文にとっては愉快な事だった。
―――本当に、チルノさんは私の好奇心を満たしてくれる
さて、と文は改めて息を吐いた。
これから夏祭りに行かなくてはいけないのだ。
それは取材の為であり、きっと意図もしないで自分の事を認めたチルノの為に。
ガルル、とまるで狂犬のように睨みつけてくるチルノを見て、思わず苦笑した。
幼稚な照れ隠ししか出来なかった、自分に対して。
「さ、チルノさん。そろそろ人里に向いましょう?お祭りが始まってしまいますよ?」
「ぅ―――ッ!そうだった!」
話題を夏祭りへと振ると途端に顰めていた表情を引っ込めて顔を輝かせるチルノ。
本当に、そういう素直な所は好きだな、と文は心で呟いた。
「さぁさぁ!行きますよ、チルノさん?」
「うんっ!!」
飛んでもいいが、それでは早く着きすぎてしまう。
チルノを先導するように、ゆっくりと歩き出せば後から子犬のように付いてくる彼女を見て、文は人知れず笑みを浮かべていた。
「わぁ!!」
大体30分程度かかった。
歩いて人里に到着したチルノは、人里入口から広がっている光景に感嘆の声を上げた。
空の青色が陰り始めるなか、あちらこちらの軒先に吊るされた提灯が、柔らかな灯りをともしていた。
普段は歩くのに苦労などしない程の幅がある表通りも、今は多くの露店が並び立ち、少々狭くなっている。
道の端から始まる露店は、綿飴から杏飴といった甘味から、金魚掬いといった定番の屋台。
夏を彩る風車や風鈴、お面、更には髪飾りといった装飾系の物など、夏祭りに欠かすことの出来ない数多くの屋台が道に沿って並んでいる。
年に一度のお祭りだ。
特に最近は馬鹿みたいに暑かったから、その鬱憤が溜まっていたのだろう。
既に多くの人々が娯楽を求めて出歩いており、あちらこちらが喧騒に包まれている。
本日の売上は貰った、とばかりに余裕顔でのんびりと準備を始めるかき氷の屋台。
既に準備を整え、歩く人々を誘いこもうと声を上げる、焼きとうもろこしの屋台の店主。
リンゴ飴が欲しい、と親にせがむ子供の声。
人里全体を、夏の暑さだけではない熱気が包みこんでいた。
そんな何処か忙しない熱気を感じて団扇で風を作りつつ、この分じゃかき氷はすぐに完売してしまいそうだ、と文は思った。
「ねぇねぇねぇ!!何処から行く?!」
ぐいぐいぐい!と袖を強く引かれる。
視線を下げると、目を輝かせたチルノが、今か今かと走り出そうとしていた。
「そうですねー……とりあえずお祭りの取材もしたいので、端から順番に回りましょう」
「うん、わかった!!」
元気の良い返事だが、すぐにでも飛び出して行ってしまいそうなチルノに一抹の不安が沸き起こる。
もし、その勢いのまま目の届かないとこに行かれてしまうと何かしらの問題を起こす可能性があるし、そうなっては取材が滞ってしまう。
「と、その前にちょっと失礼しますね?」
「え?」
袖を握っているチルノに手を一端離して貰い、改めて左手でギュッと握り込む。
「え、えと、文……?」
浮かべた戸惑いの表情に、文は微かに笑った。
「これだけ人が居ますからね。私が迷子にならないように、手を繋いでいてください」
「! もう、しょうがないな、文は!あたいに任せろ!!」
もし、チルノさんが迷子になりそうだから―――なんて言えば子供扱いするなと反抗される事が目に見えていた。
嘘も方便、だろう。
任せろと意気込むチルノの姿を文は微笑ましく眺めていたが、先ほど意味も無く緊張させられた姿と目の前の子供っぽい姿がどうにも乖離しているように思えて仕方なかった。
「ほらほら、まずはすぐそこのお店に行こうよ、文!」
「と、ととと……!?チルノさん、屋台は逃げませんから大丈夫ですよっ」
チルノは腕を引っ張りながら早速とばかりに屋台へと突撃していく。
引きずられながら、必死に静止の声を上げるが―――そのまま突撃取材となった。
―――カシャリ。
手際良く割り箸をグルグルと回し、次第に大きな白い綿飴へとなっていく様子をカメラに収めた。
「いやはや、お上手ですねー」
「慣れりゃ、案外簡単さ。ただ、巻き取るのにコツがいるから、素人がやろうとすれば最初は不格好になるだろうがな。しかしまぁ、妖精も悪戯さえしなけりゃ可愛いもんなんだなっ!」
手拭いを頭に巻いた屋台のオヤジ―――この風体で普段は和菓子なんぞを作っているらしい―――は段々と大きくなっていく綿飴を見つめ続けるチルノを見て、がっはっは、と楽しそうに笑い、完全に巻き取れた綿飴を「はいよ」と渡してきた。
「どうも、ありがとうございます」
「新聞にするなら本業のほうで書いてくれるとありがてぇがな。まいどありぃ」
「綿飴わたあめ!!」
ぴょんぴょん、と正に跳ねながら綿飴を求めて両手を突き出すチルノ。
なんとなくその姿を見ていると、むくむくと悪戯心が湧いてきて、掌を突き出すように手を伸ばし―――
「待てっ」
「ぇうぁ?!」
綿飴を受け取ろうとした瞬間、マテを受けたチルノはビクリと体を震わせて停止する。
両手を突き出したまま、なんでなんで?と分からない表情で止まり続ける姿を見て、文は思わず噴出した。
「っあははは!相変わらずチルノさんは面白いですね!」
「え、何が?!っていうかあたいはいつまで待ってればいいの?!」
どうにも言葉通りに止まった彼女を見れば愉快になる。
腹を抱えて、はぁ――はぁ――、と切れる息を整わせながら、彼女を盗み見ると段々むくれてきていた。
意味も無い事を行き成り言われたのだから当然だ。
流石にいつまでもお預けを食らわせているのも可哀想になったので―――
「はいはい、済みませんでした。じゃあこれどうぞ」
「!! いただきまーすっ!」
どうぞ、と綿飴を手渡せば途端に笑顔になって、そのままガブリ。
白い綿にかぶり付けば、もふもふと口を動かし、口の周りを溶けた砂糖でベッタベタにしながら幸せそうな笑顔を浮かべた。
本当に、単純なんですから―――
ファインダー越しのその笑顔を眺めながら、一枚シャッターを切った。
「うわっ?!破けた?!」
―――カシャリ。
美しい朱色の魚が泳ぐ浅い水槽を前に、悲鳴を上がった。
結局、金魚は一匹も取れないままポイに大きな穴が開いている。
チルノは本気で悔しがり、その姿に普段は質屋の番頭という女店主が「やっちゃったわねー」と笑う。
丁度、狙った金魚が水槽へと落下する瞬間をカメラで捉えた文は、やれやれ、と小さく肩を竦めた。
「チルノさんは下手ですねー」
「っ?!そんなことないもん!こいつが弱っちいからだ!」
こいつ、と紙が破れたポイを憎々しく掲げられ、あははは、と笑う。
店主に代金を渡し、新しいポイを一つ受け取ると、いいですか?とチルノへと視線を合わせた。
「何故破けてしまうか、というと勢い良く金魚を掬おうとして水も一緒に掬ってしまっているからです」
「え?でも、水の中に入れるんだから水もすくっちゃうよ……?」
不思議そう首を傾げるチルノに、ちっちっち、と指を振って文は不敵な笑みを浮かべた。
「甘いですね、チルノさんは。そのまま上に持ち上げるから駄目なんです。ゆっくりとスライドさせるように金魚を上げれば水は掬いませんから、抵抗が少なくなるんですよ」
「お、おぉ?!」
「まぁ、今から私がお手本という物を見せてあげましょう!」
いまいち説明の要領を得なかったようだが、兎に角何かが凄いという事を感じ取ったチルノが熱のこもった視線を送る。
それを感じながら、文は自信満々の笑みを浮かべてポイをそっと水槽へと沈める。
かつて文は金魚掬いで58匹取り、屋台の店主に「もう止めてくれ!」と懇願された事があったのだった。
それから幾星霜の月日は流れたが「金魚掬いの文ちゃん」の名は伊達ではない!と久しぶりの金魚掬いに腕を鳴らす。
その瞳は、獲物を狙う鷹、そのものだった。
ゆっくりと、比較的小さめで大人しそうなターゲットを絞れば、その朱の体の下へとポイを入れ、金魚が動く方へ水を切るように斜めへと持ち上げて―――
「「あっ」」
二人の声が重なった。
持ち上げるまでもなく紙は破け、大人しい金魚はゆったりと水槽の端へと泳いでいく。
「ちょ、この紙脆すぎじゃないですか?!」
「文、下手くそー!」
「ぬがぁぁぁぁ!!」
おぉ―――――
この暑い中、あらん限りの能力を使い氷を作り出すチルノに対し周囲から響めきが起こった。
顔を真っ赤にさせながら、高さ60センチ程の気泡が一切入っていない純度の高い氷の柱が徐々に出来上がっていく様子を、カシャリ、と写真に収める。
ここはカキ氷屋である。
チルノが次に食べたい、と顔を出したのだが、呉服屋を営んでいるという恰幅の良い中年の男性は、困ったように笑っていた。
何でも、この暑さでカキ氷が売れに売れ、既に完売してしまった、という事だったのだ。
「本当に申し訳ありません」と平謝り状態の店主だが、目当ての物が食べられなかったチルノは不満である。
謝罪の言葉を聞いても終始頬を膨らませていたのだが、ふと、文は妙案―――という程の物でもないのだが、思いついた。
―――チルノさんが、氷を作ればいいんじゃないか? と。
結果が、この屋台を取り囲むように出来た人垣である。
多くが同じようにカキ氷を目当てにして食べられなかった人々で、氷が一気に急成長していくのを見て、やんのやんの、と歓声を上げている。
「っしゃ!出来たッ!!」
「おお、頑張りましたね、チルノさん」
よしよし、と頭を撫でると、えへん、と胸を張る。
どうせ作るんだからすげえ氷を作る!と息巻いていただけあって相当チルノは頑張っていた。純度が高い以上に何がすげえのかは文には理解ができなかったが。
そんな全自動氷製造器チルノに対し「すげぇ!」「夏に欲しい!」「むしろ家に来て?!」といった様々な声が周囲から上がり、尊敬するような眼差しが向けられた。
特に酷暑であった今年、冷気を得られる存在は神に等しかったのだ。
だが、普段そういったポジティブな意味での注目を集める事が少ないチルノは、周囲からのその目が何処か居心地が悪そうで、微妙な表情を浮かべて文の背中に隠れてしまう。
だが、その姿を見た周囲は「可愛い!!」「持ち帰っていいか?!」と、更にヒートアップする始末。
普段、妖精となれば否定的なイメージを持っている人里の人々の現金さに、やれやれ、と文が苦笑を浮かべ、本当に連れ去られかねないな、と引っ付いているチルノの肩に手を置き、そっと力を込めた。
「いや、ありがとうございます。助かりました。これどうぞ」
「あ、どうもどうも」
「! わーい!!」
未だに引かぬ人垣に、どうしたものか……と頭を悩ませているとニコニコ顔の店主がやってきた。
その両手には、てんこ盛りになった青と赤のカキ氷が乗っており、それに気付いたチルノは素早く青いカキ氷をかっさらった。
屋台では続々と氷が削られており、二人を囲んでいた人垣も遅れてはまた無くなる、とゾロゾロと散り並び始める。
「ですが、凄い能力ですね、本当に」
「まぁ、チルノさんの特技ですからね」
見ている方が頭が痛くなりそうな勢いでカキ氷をザクザク食べているチルノを見て店主が微笑ましそうに笑い、赤いカキ氷を受け取りながら、文もまた笑顔で頷いた。
妖精が人の役に立つ、なんていうのも、もしかしたら前代未聞の事なのかもしれない。
幸せそうなチルノを見ながら、そんな事を思っていると、ところで……と店主が懐から小さな袋を取り出し、文へと差し出してきた。
「え、と……これは?」
「いえ、御陰でまだ売れますから、ほんのお礼です」
少ないですが、と店主が苦笑しながら軽く袋を振ると、じゃらり、という金属音が鳴る。
なるほど―――
それが何なのかに気付けば納得は出来たが、文は手を振った。
「あ、いや、結構ですよ。こうしてカキ氷も頂きましたし」
「ですが、こちらとしても定価で売らざる得ません……作って頂いた以上は、何かしらのお礼をしなくては商いをする者としての矜恃が許しませんので……」
「ですけど、実際大した事ではないですし、チルノさん妖精ですからお金貰っても使い道ないですしねー……」
「ん??」
ざっくざく、と大盛りのカキ氷の半分以上を食べきったチルノが、名前を呼ばれ二人を見上げた。
何の話?と不思議そうな瞳を眺めながら、文は困ったなー…と人知れず苦笑を浮かべる。
今回は先日のお詫びも兼ねているので、チルノが報酬として貰ったお金で屋台の物を買い与えるのは抵抗があったし、そもそも妖精にとってお金など本当に必要の無いものだ。それを与えても、チルノはその価値を理解する事ができないだろう。
だが、一方で商いに従事するが故に店主が持つ矜恃も理解出来たし、それ故、差し出された金額がそれなりに達している事は、見た目にも想像に難しくなかった。
また―――この夏に氷を作る事を安請け合いし過ぎれば流石のチルノもぶっ倒れるだろうし、かといってここだけ無償で他の依頼を断れば、店主とチルノ、双方への風当たりが悪くなりかねない。
何処かに良い落としどころは―――としばらく頭を悩ませた文は、どうでしょう、と店主に声をかける。
「先程も言いました通り、妖精はお金を必要としないんです。ですのでその金額分、今度チルノさんに何か着物を仕立ててあげる、というのは?」
「―――ああ、なるほど。それで宜しければ、是非」
「ねぇねぇ、何の話ー?」
しゃくしゃく、とカキ氷を食べながら首を傾げるチルノに視線を合わせるように、よいしょ、と声をだして店主がしゃがんだ。
近付いたその視線を不思議そうにチルノが見つめ返すと、店主が柔らかな笑みを浮かべる。
「作ってくれた氷に対して、何かお返しがしたい、という話をしていたんだよ」
「?? あたい、カキ氷もう貰ったよ?」
「それだけでは、こちらの気が収まらないんだ……だから、今度店の方に来ておくれ?似合う着物を仕立てるから」
「……え?」
先ほどと同じように、何処か戸惑い気味の表情を浮かべるチルノに、文はポン、と軽く頭に手を置く。
どうすればいいの?と問うような視線に、文は笑みを浮かべた。
「チルノさんへの感謝の印に何かしたいという事です。いいじゃないですか、好意は受け取るものです。今度簡単な浴衣でも作って頂ければ」
「う、うん……じゃあ、それで……」
「じゃあ、お待ちしてますね」
こくり、と一つ頷いたチルノを見て、店主が温和な笑みを浮かべると立ち上がり
「では、夏祭りを楽しんで下さいね」
「はい、ありがとうございます」
「え、と……あ、りがとう?」
ぎこちない笑みでお礼を告げれば、くすり、と店主は笑い、そのまま屋台へと戻っていく。
その姿を呆然とチルノは眺めていたが、ふと文へと視線を戻した。
「文」
「はい、なんでしょうチルノさん」
「あたい、人間にありがとう、なんて初めて言われた……」
「それだけ、チルノさんが偉い事をした、ということです」
「偉い?」
「ええ、誰かの為に頑張れる、という事は偉い事なんですよ?」
「……そう、なんだ」
どこか気恥ずかしそうに顔を俯かせ、残ったカキ氷をザクザクと崩すチルノの姿をしばらく見つめていたが、さぁ!と元気よく声をかけた。
「ちゃっちゃか食べて次に行きましょうか、チルノさん」
「……うん!ほら、文も早く食べないと置いてくよ!!」
「え?あ……」
ふと、手元に視線を戻せば、若干溶けたにしても、口をつけていない大量のカキ氷が鎮座している。
勢い良く残りを掻き込むチルノを見て、え、そのペースで食べなきゃダメなの?と文は冷や汗が背筋を伝うのが分かった。
「ッぷは!ごちそうさま!ほら、文も早く食べて行こうよー!!」
「―――ッええい、女は度胸です!!」
器は返さなくてはいけないので、このままノンビリ食べていればチルノの我慢が限界に達するだろう。
覚悟を決めた文はカキ氷をグッ!と一気に掻き込んだ。
頭が、キーン、となった。
「ねぇ! 今度はあっちに行こうよっ!!」
「はいはい、落ち着いて下さい、チルノさん」
杏飴を片手に持ち、満面の笑みを浮かべるチルノに先導されながら通りを歩き、文は、ふと思った。
楽しいな―――と。
自分一人ではただの取材であり、ここまで“お祭りに参加している”と感じることは出来なかったであろう、と。
直ぐ側にいるチルノは、全ての物に興味を示して、時に笑い、時に驚き、それらを存分に楽しんでいる。
ただ、自らの傍らでどこまでもお祭りという娯楽を心のそこから楽しむその姿が、どことなく眩しかった。
―――あるがままを楽しむという気持ちを、私はどこかに忘れてきてしまったのかもしれない
そんな事を思わせるほど、チルノはとことん楽しんでいた。
思えば楽しそうにはしゃぐチルノを見た色々な屋台の店主は、誰もが笑顔だった。
見る者すら、そんな気持ちにさせる、そんな笑顔なのだ。
「ねぇ、文!!」
「はい、なんですか?チルノさん」
元々、彼女を楽しいと感じたのは、彼女が自分には見えない物を見ていると感じたからだった。
自分の好奇心を満たすに足りる相手だったからこそ、時々彼女の元に顔を出していた。
だが、今はどうなのだろうか?
繋いでいる小さな手を見て、思う。
今までは知識的な欲求の上での楽しさだったが、果たして今もそうなのだろうか、と。
「楽しいね、お祭り!!」
「―――ええ、なんといっても、お祭りですからね」
自然と、文もまたチルノに負けぬ笑みを浮かべていた。
それは、心から今を楽しんでいると思わせる、幸せそうな笑みだった。
「あ………」
「ん?」
それは一通り屋台を見て回った後の事だった。
大体食べたい物は食べて満足したのか、チルノは大きなリンゴ飴を幸せそうに頬張っていたが、突然小さな声を上げて立ち止まった。
繋いでいた手に抵抗を感じ、同じく文も立ち止まると傍らの姿を見下ろす。
どうしたんだろうか?
チルノは一点をただジッと見つめていた。
視線の高さの違いから、すぐに見ている物が何であるか気付かなかったが、ゆっくりとその視線の先へと視線を移してみると―――
「―――簪、ですか?」
そこには木製の物から金属製の物まで、色とりどりを揃えた多くの簪が広げられていた。
蝶や花などの飾りは、本物かと見間違うほど精巧な作りをしており、その細部に至るまでの再現力に圧倒される。
チルノが目を奪われた正体を知り、なるほど、と思った。
派手さは無いが、確かにこれは目を奪われるだけの価値はある、と。
改めて屋台へと視線を移せば、簪を広げた棚の向こう側から、若手の職人と思わしき若い店主が親しげな笑みを浮かべ、いらっしゃい、と愛想良く言葉をかけてきた。
「いや、どうもどうも。凄い良く出来ていますね、まるで本物かと見間違えましたよ~」
「ははは、ありがとう。折角だからゆっくり見ていってよ」
ではお言葉に甘えて、と文はしゃがみ、改めて簪を眺めながら微動だにしない姿を視界の端で見た。
妖精はリボンやら帽子やらと、装飾品を身に付けている事が多い。
実は案外オシャレとか気にするのかな、と常々思っていたが、実際そうなのだろうと結論づけた。
さて、チルノさんが見詰めているのは―――?
先程から彼女が心を奪われているのはどの簪か、とその視線を辿っていくと―――
「花、ですか?」
「………え?」
文が、その簪を手に取り呟くと、金縛りから解かれたようにチルノが小さく声を上げた。
花の異変で妖精達がはしゃいでいたように、やはり妖精にとって花は好ましい対象なのだろう。
すぐ横からの視線を感じながら、手にとった真鍮製の簪―――その花を見詰めた。
5枚の―――花蓋だろうか?それがそれぞれ別方向へと伸び、中央に独特な形をした花弁がある。
「それは紫蘭ですよ」
「「シラン?」」
文とチルノが同時に声がした方へ視線を向けると、ええ、と店主が穏やかな顔で頷いた。
「フジバカマの異称で使われる事もありますが、歴とした蘭の一種です。初夏の頃に紅紫の綺麗な花をつけるんですよ」
「はぁー……紫色の蘭で『シラン』ですか、なるほど」
「買われます?」
人のよさそうな笑みのまま、それを凝視し続けるチルノを見る店主。
同じく文も盗み見ると、一言も発すること無くまさに心を奪われている、という風だった。
机に置かれている値札はそれなりの金額だ。複雑な形状を金属で再現しており、決して安い物ではなかったが―――
「ええ、頂けますか?」
「――えっ?!」
「はい、ありがとうございます」
代金を店主に手渡しながら、「え?え?」と不安そうな表情を浮かべるチルノを見て思う。
セミショートの髪を結うには、少々無理があるだろう。
それでも―――
「はい、どうぞ。チルノさん?」
「え、と……その、いいの……?」
銀色の紫蘭が咲く簪を、チルノへと差し出した。
理解できないにしても、高価なもの、という事は察したのだろう。
受け取っていいのか、と戸惑い気味に見上げてくるチルノに、ええ、と文は頷いた。
「私からチルノさんへのプレゼントです」
「!! ありがとう、文!!」
簪を受け取り、目を輝かせ見詰める姿に、文は小さく笑みを浮かべた。
今日一日、彼女に楽しませて貰ったお礼と考えれば安い買い物だ。
貰った簪を手に、くるくると回っていたチルノだったが、ねぇねぇ!と文へと近づき簪を差し出した。
「文、結って結って!!」
「はいはい、結うだけ結ってみましょうか……後ろ向いてください?」
「うんっ!」
その髪の長さでいけるかな、と苦笑しながら簪を受け取り、素直に後ろを向いてリボンを解いたチルノの髪を手に取る。
サッラサラ、だった。
今まで、何度か頭を撫でたりしていたので髪質の柔らかさは知っていたが、改めて弄る為に手にとったそれは文の想定を超えていた。
「んー………」
「? 文ー?」
暫く悩んでいると、チルノの不思議そうな声が響く。
絶対無理、だよなー…
そんな思いを抱えつつ、柔らかな青い髪を束ねて捻り、そこに簪を差し込めば髪束と一緒に巻き込むようにクルリと回転させ、差し込んだ―――
「…………」
「ねぇ、どうどう?!」
どうもなにも―――。
笑顔で聞いてくるチルノを見て、文は思った。
変にふんわりとしたお団子というか謎の塊が簪で留められているそれは、出来の悪いチョンマゲのようだ、と―――。
「ねぇ、文ー?」
「んー………やっぱり、ちょっとチルノさんの今の髪じゃ長さが足りないですねー……」
「ええっ?!!」
あからさまにがっかりするチルノに追い打ちを掛けるように、スルリ、と簪が髪から抜け落ちた。
それを苦笑しながら宙でキャッチして、チルノへと簪を差し出す。
「まぁ、とりあえずはリボンのままということで、我慢してください」
「むー……っ!折角貰ったのに……」
しょんぼり、と肩を落とすチルノを見ていると、仕方ないことなのだが何となく可哀想になってくる。
なんとかならないかな……としばらくチルノの後頭部を眺めていたら店主が助け舟を出してくれた。
「それなら、簪を髪ごとリボンで結んではどうですか?」
「ああ、なるほど……一応それならいけない事はないですね……」
「本当ッ?!」
やってやって、とせがむチルノに文と店主が顔を合わせて苦笑する。
リボンを受け取り、簪と髪を纏めて結べば彼女のトレードマークであるリボンに紫蘭の花が咲いた―――
「……うん、やっぱり髪を伸ばすのが一番の得策ですね」
変だ、という言葉を限りなくオブラートに包んだ自分を、文は褒めたくなった。
これならまだチョンマゲの方がマシな気がする。
店主も思いつきで言った結果のそれに、うわぁ、と苦笑を堪えきれていない。
「うー……あたい、頑張って髪伸ばす!」
自分で簪を抜き取り拳を握る姿に、頑張れば伸ばせるのだろうか?等というどうでも良い事を考えていると―――
ヒュルルルゥゥ―――――――ドーン!!
体を突き抜けるような破裂音と同時に、夜空に大輪の花が咲いた。
周囲からも、一段と大きな歓声が上がる。
ああ、もう花火が打ち上げられる時間か―――
夏祭りの最後を締めくくる時だった。
今年は、早いな―――
色鮮やかな色が散りばめられるその様が訪れるのが、例年と比べて早く感じられた。
続々と打ち上げられる、弾幕よりもなお美しいそれを見れば、毎年思い知らされる。
人間には、叶わない―――
夜空を照らし出す火の魔法を見ていると、空を見詰めていたチルノが歓声を上げた。
「おお、凄い凄い!!あたいの弾幕ぐらいに綺麗ねッ!」
「ふふふ、そうですねーチルノさんの弾幕も綺麗ですからね」
どこまでも無邪気なその声に、嘲笑でも何でもなく素直に笑った。
チルノは、うんっ!と答えながら、空から目を離すことなく花火の破裂音に負けじと大声を上げ―――
「文の弾幕も!あたいのと花火くらい綺麗だよッ!!」
「―――ありがとうございます」
驚きに、思わず目を見張ったが、様々な色に変化するその横顔を眺めながら、文は微笑を浮かべた。
なんとなく、嬉しかった。
今度はちゃんと声で伝えられただろうか。
そんな心配を胸に、さぁ!と簪を握るチルノの手を文は掴んだ。
「チルノさん!もっと良く見える場所を知ってるんです、行きませんか?」
「本当ッ?!いくいくっ!!」
お世話になりました、と簪の店主へと声をかけ、はしゃいだ声を出すチルノの手を引き空へと飛翔した。
お祭りだ―――
未だ打ち上げられ続けている花火を眺め、空を舞いながら思った。
楽しまなくちゃ、損ですよね―――
取って置きのベストスポットをチルノと共に目指す文の顔に浮かぶ心からの笑みが、花火の明かりに照らされた。
―――ドーン!!
祭りと夏の終わりが近い事を告げ続ける、たった一瞬で散る儚い炎が空に咲いては、消えた―――
「あーやーッ!」
霧の湖近くの森。
魔理沙が作った大穴のすぐ傍で、妖精の高い声が響いた。
その声を聞きながら、日陰になっていた倒木に腰掛けていた文はパタン、と記事のネタを書き込んでいる手帳を閉じる。
顔を上げれば、チルノが大事そうに簪を握りしめながら飛んできた。
「ねぇねぇ!あたいの髪伸びてない?!」
「んー…そうですね。もうちょっと伸びないと結えないですかね?」
「えー……」
文は、不満タラタラで頬を膨らませるチルノを見て、微笑み、考える。
ここ最近、顔を合わせるとまっ先に髪のことを尋ねてくる。
まだまだ長さの足りない事を伝えて、くっそー!と悔しがるそんな姿を微笑ましく思っていた。
「あ、そうだ文!今度は何処行くの?!」
「この間紅魔館へ行きましたから……そうですね、地底にでも取材に行きましょうかね」
「ホントっ!?あたい地底行った事ないんだ、ねぇ一緒に行ってもいい?ダメ??」
最近、少し変わった事が一つある。
毎回という訳ではないが、お互いの都合が合えば、取材にチルノが付いてくるのだ。
好奇心旺盛で、何にでも興味を示すが、案外取材中は大人しくしていてくれる。
人の為に頑張る、を実践していてくれるのかな?と思うと、何となくだが嬉しくなる。
―――だってそれは、私の事を認めてくれている、と思うから。
「ええ、いいですよ?」
「本当?!やったーっ!!」
「ただし、ちゃんと私の傍に居て下さいね?」
今まで誰とも一緒に取材なんてしたことが無かったが、チルノの同行を許したのは案外どうでも良い理由だった。
きっと、数週間前の自分が聞いたら笑ってしまうような、そんなどうでも良い理由。
「大丈夫だよ、ちゃんと傍にいるよっ!」
「あはは、なら結構!では、明後日ここに集合でいいですか?」
彼女と一緒にいるのが楽しいからだ。
私は、私の好奇心を満たす対象として、彼女の事が好きだ。
それは友情というには持て余し、恋というには物足りない感情。
それでも、私は思ったのだ。
「うんっ!!」
元気な声と共に、夏空に背を向けてチルノが満面の笑みを浮かべる。
夏の空よりも青い髪とリボンが風に舞うのを見ながら、文も釣られるように笑顔を浮かべた。
その、見ているだけで幸せになれそうな笑顔を近くで見ていたい、と思ったのだ―――
夏―――
突き抜けんばかりの青い空が広がり、真っ白な積乱雲が天に立つ。
そんな夏空を猛スピードで横切る二つの黒い影があった。
一つの影を追うように、もう一つの影が同じような軌道で動き回り時に花火のように空に咲く弾幕は、ある種の曲芸飛行を見ていると思わせるほど壮観だった。
そして、その高速で移動を続ける二つの影のうち、追い迫る影の絶叫が空に木霊した。
「待たんかいこのパパラッチがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」
追いかけられる者、文々。新聞の記者、射命丸文。
追いかける者、幻想郷に住まう普通の魔法使い、霧雨魔理沙。
幻想郷においてもトップレベルのスピードを誇る両者が怒号と弾幕が飛び交うリアル鬼ごっこを演じているには理由があった。
事の発端は数日前までに遡る。
その日、幻想郷では連続的な真夏日を記録しており、夏祭りの準備をしていた人々は蒸し暑さにぶっ倒れ、水不足で農作物は萎れ、河童は人知れずミイラになっていた。
そんな、うだる様な暑さである。
誰もが涼しくなる方法を考え、探しては見つからずに玉砕していった。
竹林の奥に居を構える永遠の姫とて例外ではなく、その忠臣たる月の頭脳の提案により、中間圏の零下数十度の空気の一部を地上へと移動させる暴挙に打って出たが、暑さのせいで朦朧としていた為、当の冷気は永遠亭とはまったく関係の無い霧の湖近くの地下深くへと打ち込まれるという大失敗に終わり、蓬莱山輝夜は人生の負け組みと相成った。
なお、成功したら成功したで明らかな異変となり、博麗神社の巫女、博麗霊夢により討伐されている運命を考えれば、彼女の道に勝利の二文字は最初からなかったわけだが。
しかし、そんな中、人生の勝ち組に名を連ねる事に成功した一人が魔理沙だった。
ごく小規模な範囲において温度を低下させる魔法が書かれた魔道書を連日連夜の大掃除の末に発掘したのだ。
魔法は正常に作動し、魔理沙の家は周辺と比べて10℃近く低くなった。
少し体を動かすだけで玉の汗をかくことも、効果がほぼないと分かりながら打ち水と称して家の周辺を水浸しにすることも、あられもない格好で日中をベッドの上で怠惰に過ごす必要もなくなったのだ。
まさに、完全勝利と言って過言ではなかった―――そう、ここまでは。
快適な空間を手に入れた魔理沙の唯一の苦悩は、魔道書発掘の為に家が酷く散らかった事だった。
まさに足の踏み場も無い、といったその様相。
いつ手に入れたのか分からない謎のマジックアイテムや、紅魔館から奪った、もとい無期限で借りたままの魔道書など、雑多なもので溢れかえっていた。
自身でさえ忘れていた物が大半であるゆえ、とある狸の四次元ポケット並みの品揃えである。
このままでは日常生活にも支障をきたすと悟った魔理沙は、憂鬱になりながら片づけを開始した。
いらない物は捨て、そろそろ返して良い本は返す。
そんな分別を行っていたら、ふと彼女は懐かしい物を発見した。
紫色の帽子と服。
そう、自他共に認める黒歴史が数年の時を経て再び蘇ったのだ。
本来なら、すぐにでも燃やして残らず煤にするが仮にも一応幼い日の思い出の品である、一応。
そして何よりも、単純に魔理沙は気になったのだ。
―――私はまだこれを着れるんだろうか?
数年経てば体系は変わる、勿論良い意味で。
昔と比べれば大分スタイルが良くなったという自負はあるが決して太ったわけではない、そんなことは認められない。
体系の維持は乙女にとって死活問題である。
もしもこれが入らなければ自尊心が痛く傷つけられてしまう。
そんな思いを胸に、彼女は数年ぶりにその服に袖を通し始めた―――
人生の勝ち組である彼女もまた夏の暑さに思考をやられ、正にここから転落人生を駆け出したのだった。
ちょうどその頃、文は小飼の鴉を通じて魔理沙が温度を下げる魔法を完成させたという情報を知り、これは取材をせねばならないと魔理沙亭へと飛翔していた。
もしもそんな涼しい記事を新聞に載せることが出来れば、新聞は飛ぶように売れ、暑さに我を忘れた人々は嫉妬に狂い彼女の家へと押し寄せるだろう。
かつて、閻魔である四季映姫に言われた言葉が脳内をかけたが、残念ながらこれは事実であるし、結局のところ情報とは受け取る側の問題でもある。
とにもかくにも暑さで誰もが動かなくなった為、ネタは不足していた。
そこに、温を下げることに成功した、という情報である。
これを新聞の記事にしない手はなかった。
とはいえ、相手はあの黒白魔法使い。
一筋縄ではいかないことは目に見えている。
故に、文は取材の段取りにおいて、押し売りのごとく勢いで行くしかないと考えていた―――
「ッ―――、入った、ぜ……!!」
はぁ、はぁ、と荒い息を上げながらも、魔理沙は充足感に満ちた表情だった。
その身に纏っているのは、いつもの白いエプロンと黒の服ではなく、かつての紫色の服。
過去を思い出せば恥ずかしくもなるが、それ以上に昔の服を着れたというその達成感が彼女の全てを占めていた。
全身が映し出せる立ち鏡へと移動し、両手を挙げて、クルッ、と一回転。
鏡の中で美しい金の髪がふわり、と舞う。
「ああ、私もまだまだいけるな」
昔と比べれば胸だったりが多少きつく感じられるようになったが、総じて許容範囲内だった。
お腹周りも問題なく、心の底から納得行く結果に魔理沙は笑顔を浮かべる。
だが改めて鏡に映る姿を見詰めると、やれやれ、といつの間にか苦笑を浮かべていた。
「しかしまぁー……我ながらよくあんな恥ずかしい事出来たもんだよなー。なぁあにが、『うふふ、私魔法少女』だか―――」
「魔理沙さんっ!魔法の成功おめでとうございます、つきましては是非取材を―――」
魔理沙が黒歴史の台詞を一回転しながら発した
文が、魔理沙亭のドアを蹴破った勢いで乱入してきた
魔理沙はフリーズしたまま驚愕の視線を侵入してきた文へと遣る
文は、瞬間的に第六感を働かせ、ポーズを決めていた魔理沙をファインダーに捉え、シャッターを押す
咄嗟に魔理沙はミニ八卦炉を構え――――
「マァスタァァァァァスパァァァァァァァァアアアアアアアアクゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」
「ちょ、不可抗力ですよーーーーー?!」
極太のレーザーが魔理沙の手によって撃ち放たれ、文がそれを紙一重で回避し、上空へと逃げていく。
この間わずか3秒。
幻想郷で最速を名乗る者同士、そのスピードは伊達ではなかった。
かくして魔理沙は新たな黒歴史を写真として残され、更に自身が放ったマスタースパークにより家を半壊させるに至り、晴れて転落人生筆頭の負け組みとなった。
そんな出来事から数日後。
簡易的な修繕に心血を注ぐことで、とりあえず雨風を凌げるようになった家の外観を見詰めていた魔理沙は、もう1つの現実を見つめ直す必要があった。
そう、例の姿を、よりにもよって、ブン屋に写真を撮られてしまったのだ。
あの姿を霊夢や同じ魔法使いであるアリス・マーガトロイドに見られても最悪であるが、ブン屋に見られ、あまつさえ写真を撮られたとあっては最悪を超える。
下手をすれば―――いや、きっと新聞の記事にされる。
『スクープ!魔法の森に住む魔法使い、暑さのあまりに狂気に染まる』とかそんな見出しの記事だそうに違いない。
そんな思いに駆られた魔理沙に出来た事はただ只管にその現実を忘れて日曜大工に精を出すか、布団にくるまって「きっとぶれてる絶対ぶれてる写真が撮れていたとしてもピンボケでまともに写ってない…ッ!」と魔法使いらしく呪詛を繰り返すだけだった。
しかし、家の修繕が終わってしまえば例の写真について考えを巡らせなくてはならない。
魔理沙は考える。
万が一、である。
まともな写真を撮られていてしまったとしたら一体どうすればその写真を公開される事を阻止、ないし抹消することができるのか?
相手は幻想郷屈指のスピードと強大な力を持つ鴉天狗である。
力業でそれを阻止出来るとは、魔理沙といえども到底思えなかった。
ならば、である。
パワーが駄目なら頭脳で攻めるしかない。
かくして十八番であるパワーを封じられた魔理沙が達した答えは、文々。新聞を定期購読するから記事への取り上げを止めてもらうことだった。
果たしてそれで上手く行くかどうかは分からないが、何もしないよりかはマシであろう。
自らに言い聞かせ、魔理沙は相棒である箒に跨り天へと飛翔しかけた―――その時
「ヘブッ?!」
魔法の森上空を黒い影が高速で突っ切り、それによって生み出された風に乗って飛ばされてきた謎の紙が顔面に貼り付いた。
なんというふてぇ紙だ、と視界を被っているそれを片手で剥がし、何事かと眺め
「―――んなッ?!!」
絶句した。
それは件の文々。新聞であり、その見出しには紫の服を着てポーズを決めている魔理沙の写真と『白黒の魔法使い、紫と狂気に染まる』というデカデカとした字が書かれていた。
「………………」
魔理沙は、自身が考えていた最悪の結末を迎えた事を悟った。
恐らく既にある程度まで配布され、更にこれからも配られていくのだろう―――と。
真夏の日差しがジリジリと肌を焼き始めたところで、ふと魔理沙は思った。
なるほど、確かに自身にも落ち度はあった。
自らの自尊心を守るためにいつ誰が来るとも分からない白昼にあんな服を着てしまったのだ。
だが、だがしかし!
そもそも家をノックすることすらせずいきなり飛び込んできて、あまつさえパパラッチしていったのは何処の誰であったか、である。
非は、自分以上にあの天狗にあるのではないか―――と。
普段、紅魔館にノックの代わりにマスタースパークをぶっぱなし本を強奪していく己の事は勿論棚に上げているが、そんな事は魔理沙にとって瑣末な事であった。
相手が強大だから?
だから何だというのだ、正義はそれなのに。
フツフツと憎悪にも似た怒りが湧いてくる。
それはまさに噴火寸前の活火山そのものであり、もはや大災害は避けられない状態だった。
かくして、魔理沙は激怒した。
かの不倶戴天の敵となった鴉を生かしておけない、と。
こうして、話は冒頭へと戻る。
正に「生か死か」という極限状態のチキンレース。
先程からマスタースパークに狙われ続けている文は、それを回避するために何度もジグザクに飛行し、障害物の多い箇所を選ぶなどして全力で飛んでいた。
その額には、普段の彼女には似合わない、幾筋かの汗が流れている。
幻想郷最速―――それが文である。
本来なら人間の魔法使いからなど、楽勝で逃げ切れるはずだった。
だが、動物は死を目前にすると時々ありえないほどの能力を発揮する。
いわば火事場の馬鹿力のようなものだが、既に魔理沙は詰んでおり、その先には社会的な死しかない。
そんな死を直面し、最後の意地となけなしのパワーと通常の1.3倍ほどのスピードで追いすがる魔理沙に文は若干ながらも恐怖した。
だが、文とて何度となく修羅場をくぐり抜けてきた記者であり、妖怪である。
如何に背後から迫る狂気が異様であろうと簡単に引き下がる事はできないし、そもそもここで諦めたら人生という試合も終了するだろう。
そして何よりも、文を突き動かしていたのは命よりも重要な事情からだった。
それは数日前、魔理沙が放ったマスタースパークから必死に逃げ出し、疲労困憊のまま紅魔館へと向かった時の事。
文は自分の非を認めていた。
落ち着いて考ると突撃取材と称してドアを蹴破ったのだから、押し売りというより強盗だった。
それに魔理沙のそれがネタとして面白いとはいえプライベート過ぎる出来事である。
ある意味、氷の妖精以上に需要の無いそれを新聞に載せようとは当初考えていなかった。
だが、同時にその強盗まがいの事を紅魔館に対して日々行なっている魔理沙から文句を言われるのはお門違い、とも考えていた。
故に、その被害を一身に受けている大図書館の主、パチュリー・ノーレッジに取材をしながら愚痴を零したのだ。
聞かされる愚痴に頷きながら、パチュリーは考えた。
その写真が欲しい、と。
言わずもがな、パチュリーと親交ある大方の者が知っているが、魔理沙は彼女の片思いの相手であった。
長々と続けられる鴉天狗の愚痴を話半分で頷きつつ、どうすればその写真を自然に手に入れることが出来るか、を考えた。
そして至った結論が「魔理沙の迎撃として使うから、その写真を載せた新聞を作って欲しい」という物だった。
一方の文は乗り気ではなかった。
如何にどうかしちゃってるんじゃないかと思える面白い趣味とは言え、あくまでそれは魔理沙のプライベートであったからだ。
だが、言葉巧みさなら新聞記者引けを取らない動かざること山の如しの大図書館である。
なるほど、確かにプライベートを暴露するのは良くない。けれども、良くないというのであれば紅魔館に強盗まがいの行いを日常的にしている魔理沙とて然りである。毒を制すには毒を用いるのが有効的であり、彼女の横暴を止めるためにも、大々的な発行ではなく個人的で構わないので協力して欲しい。何、流石にタダとは言わない。もし協力してくれるならば「文々。新聞」の一年間の定期購読を契約しよう。盗まれる本を考えれば、それを阻止できるならばお釣りがくるほどだ――――――
結果、定期購読者の獲得というメリットと紅魔館の被害を抑えるため、という大義名分が成り立った。
因みに、偶々用事があって図書館へとやってきたアリスもその話を聞き、一年間の定期購読の契約の代わりに新聞の発行を約束し、原版を含めて都合三部、作る事になった。
既にアリスへの配達を終えていた文は、紅魔館を目指しながら考える。
これは人助けである、と。
人を助けて己も得をするのだから、それは良いこと尽くめである。
紅魔館の蔵書の安全―――そして何より貴重な定期購読者の獲得の為にも、諦める訳にはいかなった。
唯一の誤算はアリス亭から紅魔館へと向かう時、上空へと向かってこようとした(様に見えた)魔理沙の姿に思わず原版を落としてしまった事だったが。
「そっれにしても、今日の魔理沙さんはしつこいですねー……ッ!」
既に場所は霧の湖傍である。
ここまでくれば紅魔館まですぐだが、いかんせん本気の魔理沙は粘る。
この後に天狗の会議が控えているし、数日後に迫る人里の夏祭りの取材などやるべきことはあるのに、新聞を届けるという一番の小事が達成できない。
このままじゃヤバイなー……と考えていた文は、ふと眼下に広がる森に白い霧が立ち込めているのに気が付いた。
「これは―――チャンス!!」
地獄に仏、とばかりに文は一気に白い濃霧の中に急降下していく。
だが勿論―――
「―――ッ!逃がすかぁっ!!」
魔理沙も後に続く。
ここで逃してしまえば復讐は勿論、この暑い中ひたすらに鬼ごっこを繰り広げた苦労とて報われない。
いつも以上に執念深い彼女は、目先の敵が一気に降下するのを見て、何の躊躇いもなくその白い霧の中へと突入していく。
戦いは、鬼ごっこから隠れ鬼へと変化していった。
バサバサ―――!
大きく羽ばたきながら、文は大きな木に身を隠すように止まった。
白い霧のせいで視界は非常に悪い。
遠くの方で「出てこんかい、パパラッチィィィ!!!」という絶叫と、時折弾幕を放っている音が聞こえる。
猛烈な勢いで進行しているであろう自然破壊を思えば近辺の生態系が心配になるが、かといって自然の為に自ら弾幕の盾になる気はさらさらない。
首筋を流れる汗をハンカチで拭いつつ、やれやれ、とようやく一息ついた。
「とんだ鬼ごっこですね……。まぁ、運良く霧が張っていたお陰で、とりあえず休めますけど……」
呟き、改めて森の中へと注意を配る。
日中にも関わらず異様な濃霧が立ち込め、どこか涼やかな空気が肌を撫でる。
ひょっとして異変か―――とも考えたが、どうにも異変のような悪意ある異質なものは、少なくとも文には感じられない。
ちなみにこの濃霧は数日前の永遠亭による暴挙が遠因であった。
地下に打ち込まれた冷気の一部がゆっくりと地表面まで上り、その冷気によって空気中の水分子が飽和した結果大量の霧が発生していたのだが、そんな事、当事者たる永遠亭とて知る由もない。
まぁ、馬鹿みたいに暑い日が続いたしこんな事もあるのだろう、と文は自身を納得させる。
今はこの濃霧以上に大切なことが控えているのだ。
今も何処かで叫んでいる魔法使いから何としてでも逃れ、紅魔館に新聞を届ける義務があった。
そう、だからこそこんな場所で見つかるわけにはいかないのだ―――
「……誰?そこにいるの」
早速見つかった。
突如声をかけられ、慌ててそちらへと視線を送ると霧の向こうからぼんやりとしたシルエットが近付いてくる。
文は僅かに体を固くしていたが、ふと、その声に聞き覚えがあると気付いた。
そういえばこの辺は彼女のテリトリーだったか、と少し声を押さえて霧の向こうへと声をかけた。
「ひょっとして……チルノさんですか?」
「あれ?この声って文?」
ふよふよ、と漂うように霧の向こうから姿を表したのは、氷の妖精、チルノだった。
体を隠すようにピッタリと木に張り付いている文を、チルノは不思議そうに見詰める。
こんな霧の濃い日にわざわざ森の中で木に張り付くなんて何をやってるのか、と心から不審がっていたのだが、文はそんな思いに気付かず、やあやあ、と手を振る。
「どうもどうも、お久しぶりですねチルノさん。ところで、この巫山戯た量の霧は何なんですか?ついでにかなり涼しいですけど」
「この霧?朝からだよ?涼しいのもね」
「ほーそうなんですか?ここ最近の猛暑を思えばありがたいですね」
文が止まり木にしている枝に自らも降りれば、うん、と頷くチルノ。
天狗と妖精。
本来なら相居られない両者であるが、文とチルノは花の異変を境に何かと顔を合わせる事が多かった。
妖精として特異な存在であるチルノは文にとっては好奇心を満たす対象であり、またチルノにとっても取材と称して何度か巫山戯た記事を書かれた事があったが、色々な話を聞いてくれる存在だった。
しかし、そんな本来どちらかといえば友好的な存在を、チルノは胡散臭そうな表情で見詰めている。
「んで、なにしてるの?木に張り付きながら霧の取材?」
「あははは、そうですねーもうちょっと時間に余裕があれば取材したいんですが、生憎と今は少々忙しいんですよ」
「全然そんな風には見えないんだけど―――」
カッ―――――――!!!
木に張り付きながら何を言ってるのかとチルノがツッコミを入れようとした瞬間、閃光が走った。
突如として濃霧の向こう側からやってきたそれは、丁度二人が足場としている木の隣に生えていた木々をぶっ飛ばして再び濃霧の中へと消えていく。
「ひぃっ?!な、なななな何っ?!」
「あー……場所がバレましたかね、これ」
驚き、服の裾を握りしめるチルノの頭をわしわしと撫でつつ、文はあちゃー、と頭を抱えた。
ここで見つかるとまたリアル鬼ごっこに逆戻りである。
「まったく、魔理沙さんには落ち着きの心が足りませんよね……」
「え、今のマスタースパーク!?なんで魔理沙がそんなの森の中で撃ってるの?!」
訳が分からないよっ!と恐怖と驚きの表情を浮かべるチルノに、ははは……、と文は乾いた笑みを浮かべる。
暑さにやられて変な格好をしていたところを写真に撮られたから、などという下らない理由で住処を荒らされていると分かれば、如何に魔理沙とも文とも交流のあるチルノであっても激怒するだろう。
正直迷惑以外の何ものでもないし、万が一、文自身がその立場に立たされたらとりあえず暴風でぶっ飛ばすと思う。
何に増しても驚愕的なのはこの濃霧にも関わらず居場所を特定した魔理沙の執念か。
「そこにいるのは分かってるぞ、パパラッチィィィィィ!!!」
きっとチルノさんとの会話に気付いたんだろうけど、声を抑えていたのに分かるってどんな聴力だよ―――思わず愚痴りたくもなる。
濃霧の向こう側から迫ってくる悪鬼を、どうしよっかなー……と考えていたら、ふと先程からわしわしわしわしわしと撫でている頭を思い出した。
「…………チルノさん、実は私、魔理沙さんに追われているんですよ」
「はぁ?!」
うん、そうだよねーそういう反応するよね、普通。
脈絡もなく唐突に知り合いから聞かされた言葉がこれである、チルノの判断力は真夏にも関わらず至って正常だった。
「また変な記事載せたの……?」
またかよ、と万引きの常習犯を見つけたノリでチルノに尋ねられ、文の心が微かに傷付いた。
だがそんな世間に負けじと、いえいえ、と営業スマイルを浮かべる。
「確かに少々変な事は書きましたがそれは新聞として配る予定はないんです」
「書いたのに配らないの?」
「ええ、紅魔館の方に魔理沙さんの強盗を抑える為に協力してくれ、と言われましてね……」
「?? 意味がわからないよ?」
そりゃそうだ、と文もその言葉に内心頷くが、言い聞かせるようにチルノに語りかける。
「まぁ、瑣末な事です。今重要なのは、私は魔理沙さんの強盗件数を抑える為の人助けの途中、ということです」
「本当かな……」
「おや、私が嘘をついていると?」
わしわしと撫でていた頭から手を離せば、いいですか?と肩に手を置いてチルノの瞳をジッと覗き込む。
その覗き込む瞳があまりに真剣で、チルノはドキリ、と心臓を跳ねさせて頬を軽く染めたが、構わず文は続ける。
「まぁ、普段の私の行動を省みれば疑う気持ちも分かります。ですが、今の私は決して嘘はついてません」
「う、うん……」
あまりの勢いに思わず頷くチルノ。
こういう素直なとこは好きだなーと思う文であるが、にこり、と笑顔を浮かべると自分の戦略を告げた。
「と、いう訳で人助けの為にも、ちょっと魔理沙さんを足止めして頂けませんか?」
「うぇえ?!む、無理無理!!あんな魔理沙相手にしたいなんて思わないよ?!」
少しでも魔理沙の気を逸らす事ができれば、その隙をつき、追いつかれる前に紅魔館へと入ることができる。
無理無理!と両手と首を全力で振りながら拒否する己の筋書き通りのチルノをみて、そうですか…と文は軽く溜息を吐きながら残りの筋書きを描いた。
「そうですよねー……あんな魔理沙さんを相手にするなんて『最強』でもなければ不可能ですもんねー」
「ぅぐっ?!」
遠まわしの挑発をしつつ、いや困った困った、と団扇でパタパタと顔を仰ぐ。
呻き、もの凄い微妙な顔をしているチルノを視界の端で見つつ、あとひと押し、と文は立ち上がり翼を広げる。
「済みませんでした、チルノさん。それでは私は魔理沙さんから逃げて紅魔館に平和をもたらす為に『最強』な方を求めるので、これで―――」
―――グイッ
シャツの裾に、微かな抵抗。
計画通り、と振り返ると物凄く微妙な表情を浮かべたチルノが裾を握っている。
「おや?どうしました、ノット最強チルノさん?」
「―――っ!最強だもん!!」
握っていた裾を離しビシッと文を指さす。
「いいじゃない、やってやろうじゃない!最強のあたいにかかれば魔理沙の一人や二人ぶっ飛ばすのなんて一発よっ!!」
「え、いやぶっ飛ばすんじゃなくて足止めだけで…………」
いいんですけど。
言葉を全て伝える前にチルノは飛翔して、「パーパラッチィィィィィィ!!!」と霧の向こうから迫る怒号に向かっていってしまう。
「うぁぁぁらぁぁぁー!!!あたい最強ぉぉぉ!!!」
自らを鼓舞するような叫びを上げつつ霧の向こうへと消えていったチルノの姿に、ちょっとやりすぎたか…と文は若干後悔した。
今の魔理沙とガチでやりあえばどうなるかなんて目に見えているのだが―――
「森を荒らすなバカ魔理沙ーーー!!!」
「チルノ?!!お前はお呼びじゃねーんだよぉぉぉぉぉ!!!???」
ああ、やっぱりチルノさん住処を荒らされて怒ってたのかな……。
怒号と共に早速氷の砕ける音やマスタースパークの重厚な発射音が霧の向こうから聞こえてくる。
あまりの申し訳なさにチルノを救出しに行こうか、とも考えたが今二人の前に姿を見せれば争いは更に泥沼化するだろう。
「……チルノさん、貴方の犠牲は無駄にはしません……ッ!」
結果として、文に取れる選択肢は一つだけだった。
濃霧の向こうで展開されている激闘の音を聴きながら翼を羽ばたかせ空に舞って霧を抜けると、湖の向こうに鎮座する悪魔の館、紅魔館を目指した。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
数十分後。
「わーぉ……」
思わず文の口から驚嘆の声が出た。
紅魔館への配達は無事に終わり、依頼主のパチュリーは魔理沙もびっくりな、うふふ、という笑いを連発しながら興奮で震える手で契約書にサインをした。
そんな病的な依頼主を見てるとひょっとして自分は何か間違ったのではないか?という思いが文の心に沸いてきたが、とりあえず契約は貰えたし良しとしよう、と見ない振りを心に決めた。
とはいえ、心にあったもう一つの懸念を見て見ぬ振りをするほど文は薄情ではなかった。
それは魔理沙の動向よりも、自らが魔理沙へとけしかけたチルノの安否であった。
基本、何度死んでも蘇るのが妖精だが、仮にも知り合いが自分のせいで死んだ、とあっては目覚めも悪い。
一応魔理沙とチルノは互いに面識があるのだから殺されるようなことはないとは思うが………
そんな心配をかかえて霧の湖近くに広がる森の上空に着いて初めの一言が、先のあれである。
空気の温度差から風でも発生したらしく、森全体に広がっていた霧は綺麗に霧散しており、どこまでも広がる青い木々の痛々しい姿が上空からもよく見えた。
一部では多量の氷が山とうず高く積み重なっており、かと思えば特定の箇所では木々がなぎ倒され、その表面はうっすらと焦げ付いている。
広範囲にわたる自然破壊は一見すると大妖怪同士が争った後としか思えないほどだ。
これを一介の人間と妖精が起こしたのだから恐れ入る。
だが、何よりも目を奪われた光景というのが―――
「いやー……いくらなんでもやりすぎですよ、魔理沙さん……」
森の一部分にぽっかり、と直径5メートル程の巨大な大穴が開いているのだ。
もしかしたら今まで木々に隠れていただけで昔から存在していたのかもしれない、という可能性も考えたが文は既に1000年ほど生きている。
こんな大穴があればいくらなんでも噂くらい聞くだろう。
すなわち、その大穴もまた最大パワーのマスタースパークの産物なのだろう―――
バサバサと羽ばたきホバリングしながら想定外の被害を眺め、文は呆然としていた。
「これは……チルノさん、本格的に大丈夫ですかね……」
これでは本当にマスタースパークによって消し炭になりかねない。
妖怪の山の会議は夕方からであり、今しばらく時間の余裕はあった。
とりあえず捜索を、と嵐が過ぎ去った森へ降りようとしたところで―――
「ちょっと、文。これはどういうこと?あんたのせいなのかしら?」
「―――?!おや……霊夢さん」
「ええ……異変なら、あんたでも容赦しないってのは分かってるんでしょうね?」
突如、背後から声をかけられ、恐る恐る振り返るとそこには博霊神社の巫女、霊夢がいた。
いつもの赤と白と脇が特徴的な巫女服に、一目で不機嫌です、と分かるほど顔をしかめている。
その時限爆弾のような相手を見れば知らずうちに頬も引き攣るというもの。
いやいやいや、と手を振りながら精一杯に否定する。
「私じゃありませんよ?たぶん魔理沙さんがブチ切れたせいだと思いますが……」
「魔理沙が?あいつがここまでやるって一体何があったのよ」
「いやー……ははは。それより霊夢さんは何故ここに?異変ですか?」
「今目の前に広がっている光景がまさに異変だと言えるけどね……人里に用事があって顔出したら頼まれたのよ」
はぁ、とため息をつき霊夢はぽつぽつと語る。
いわく、水不足に悩める人里から雨乞いの依頼を受けたらしい。
元々それは本分ではないと断ったらしいがダメもとでいいから、と押し切られた。
まさに藁をも掴む気持ちだったのだろう。
霊夢としてはどうせ掴むなら守矢のカエルを頼った方が確実なのに、とも思ったが前金と成功報酬の金額を知らされればそんな事は告げる気にならない。
とりあえず、なんとなくそれらしい雨乞いの儀式っぽいことをやり終えたところで、霧の湖方面で凄い轟音と地響きが鳴り響いた。
それこそ魔理沙が地面をぶち破るほどのマスタースパークを撃ち放った音だったのだが、人里の人間がそれに怯え、儀式を終えたばかりの霊夢に何が起こったのか調査を依頼したのだ。
ぶっちゃけ効果の程は期待できない儀式だったし、異変ならば動かねばならないのが博麗の義務である。
暑さに悲鳴を上げそうな体に鞭を入れ、ここまで飛んできた、ということだった。
ちなみに、数時間後には先ほど霧の湖を覆っていた冷気が人里方面の大気の状態を不安定にして大雨をもたらし、数日ぶりの天の恵みを受けた人々は「霊夢サンカッケー」と口々に言い、守矢の信仰度は若干落ちることになった。
「それで?あんたはここで何してるのよ?」
「いえ、まぁ色々ありまして……」
「ふぅん、取材って言わないあたり何か知ってるのね?」
「うっ……まぁ、人並みかそれ以上には……」
「へー……もちろん、教えてくれるわよね?」
にっこり、と素敵な笑顔を浮かた声にはトゲがある。
正直に話さなけりゃ力で聞く、という遠回しな表現に若干流れる汗に冷たさを感じた。
こうなれば黙秘権などありはしない。
事の顛末を話す羽目になった文は、深いため息を吐いた。
・・・
・・
・
「へー……それで魔理沙が、ねー……。自業自得じゃない」
「ですよね、魔理沙さんのせいですよね!」
「あんたのよ」
何を馬鹿言ってるんだコイツ、と呆れた表情で言われた。
「んで、チルノを探しにきたと?」
「いや、まぁはい。流石にちょっと心配になりまして……」
「生きてるかしらね、あの子……」
やれやれ、とため息を吐き、地上に向かって霊夢が降下していく。
それに気づき、慌てて文も翼を広げ後に続いた。
「ちょ、ちょっと霊夢さん?!ドコに行くんですか?」
「ドコって……チルノ探すんでしょ?私も、もうちょっと被害を確認しておきたいし、手伝うわよ」
唖然とした。
あの霊夢がまさか妖怪の類の為に動くとは……。
「はぁー……今頃きっと人里は大雨でしょうね……」
「馬鹿いってんじゃないわよ。手伝わないわよ?」
「いやいや、ありがとうございます、流石霊夢さんカッケー!」
「お礼はお賽銭でいいわよ?」
「六文銭でいいですか?」
「彼岸の向こうまでぶっ飛ばすわよ?」
軽口を叩き合い、森へと降り立つ。
そこは上空から見た以上に悲惨な状況だった。
元は鬱蒼と木々が生い茂っていたであろう場所は全てなぎ倒され燦々と輝く太陽の光が地面を照らしていた。
「……」
「……想像以上ですね、これは」
再び唖然、である。
そろそろ本気で罪悪感が沸きそうだった。
「道も潰れちゃってるみたいだし、しばらくこの森には入らないように言ったほうがいいかもしれないわね……」
「その前にチルノさんを探さなくてはならないわけですが……」
倒れた木に押し潰されてやいないか、と文は周囲を見渡すが、霊夢はそんなことお構いなしに大穴へと近づき、ひょっこりと覗き込んだ。
「……深いわね」
「そんなにですか?」
霊夢の呟きに、同じく大穴へと近づき覗き込めば、なるほど、日が射し込む場所以外は暗闇のため正確ではないが軽く5メートルはありそうだった。
「―――ん?」
「どうかしたの?」
「いえ、ちょっと……」
ふ、と。
光の届かない闇の中で、微かに何かが光ったように見えた。
目の錯覚かもしれない。
それでも、不思議そうに尋ねてくる霊夢に言葉を濁しつつ、再び翼を広げれば漆黒の闇が広がる大穴へと降りていった。
空気が、異常に冷たかった。
口から吐き出される息が白くなり、肌寒さに思わず自らの腕をさすっていた。
水に濡れて滑る岩場へとゆっくり降り立つと、カツン―――という音が洞窟内を反響する。
差し込む陽の光が作る輪から一歩踏み外せば、深い闇へと誘われる。
文は、何処か異質な空間に迷い込んだ居心地の悪さを感じながら、先ほどの違和感を感じた場所へと進む。
完全な暗闇だ。
陽の光の下にいた目では中々慣れてこないが、ゆっくり時間をかけて暗闇に目を凝らすと―――
「チルノさん―――っ!」
体を丸めるように横たわる、妖精の姿があった。
まさか死んでるんじゃ―――
近寄り膝を付くと抱き起こし、口元に手を当てる。
するとゆっくりだが、すぅ―――すぅ―――と呼吸をしているのが分かり、ホッと息を吐いた。
「やれやれ……心配して損しましたかね……」
疲れた表情を浮かべているが、腕の中で緩やかな呼吸を繰り返す妖精は寝ているだけのようだった。
取り越し苦労に終われば脱力もしたくなる。
だが、とりあえず最大の懸念が無くなり、いくらか落ち着きを取り戻すと慣れてきた目で周囲を眺める余裕が出来た。
どうやら元々横に空洞が広がっていたらしく、光の届かない先にもまだまだ空間が続いているようだった。
そして、何よりも目を引いたのが―――
「これは……」
―――氷だ。
横穴いっぱいに広がり、洞窟の壁を伝うように発達した巨大な氷の塊がそびえ立っている。
マスタースパークによってか表面は微かに溶解し、すぐ傍に小さな水たまりが出来ているが、そんなダメージを感じさせないほどの威風堂々とした大きさだった。
「まさか、この時期にこんな氷にお目にかかるとは思いませんでしたね……」
「……どうやら氷穴のようね、ここは」
この冷気の原因はこいつか、と文が眺めていたら霊夢がすぐ脇に降り立った。
「氷穴、ですか?」
「ええ。夏でも氷が溶けないほどの冷気に覆われている洞窟よ。まさかこんなところに広がっているとは思わなかったけどね……」
「はぁ……だからこのあたりはよく霧が発生していたんですかね……」
「まぁ、それよりもチルノは寝てるだけみたいね?」
霊夢がチルノをのぞき込み、それに釣られ文もまた自らの膝の上へと視線を遣る。
氷の妖精は微かな呼吸と共に胸をゆっくり上下に動かしながらも微動だにしない。
起きる気配の無いその姿に飽きたのか、改めて周囲を見渡した霊夢は小さくぼやいた。
「それにしても……何か嫌な感じね、ここは」
「そうですね……。……ところで、魔理沙さんの姿が見えませんが、まさかそこらに潜んでるんじゃないですよね……?」
こんな狭い空間で戦闘になれば間違いなく命が危ない。
不安げな表情で思わず呟く文を見て、霊夢は無い無い、と手を振って否定した。
「まさか。例え潜んでいたとしても文の姿見つけ次第マスタースパークぶっぱなすに決まってるじゃない」
「ああ、それもそうですよね……」
ちなみに、姿が見えない魔理沙がどうしていたかというと、せめて文に一矢報いようと闇討を狙っていた訳ではない。
もはや進退窮まった彼女は死相を浮かべたまま人里へ飛び、人里の寺子屋で教鞭をとっている半妖、上白沢慧音の元を訪れ、私の歴史を食べてくれ、と全力の土下座をしている最中であった。
まさに瓢箪から駒。
歴史を喰われてしまえばその事実は無くなり、まさに黒歴史を闇へと抹消する事が出来る。
餅は餅屋というのだから、黒とはいえ歴史は専門家に任せようと考えたのだった。
大粒の涙を浮かべながら一生分の土下座を繰り返し「頼む!私にはもう慧音しかいないんだ……ッ!私のを食べてくれッ!」と繰り返す魔理沙の様子を、個人の歴史は操りたくないと困惑の表情を浮かべる慧音であったが、あまりに必死なその姿と言葉の不穏さによる世間体の危機から、数十分後、遂に折れた。
なお、いざその歴史を喰ってみれば、余りにも異様な味だったらしい。
曰く、「くさやの漬け汁と青汁に腐った生卵を粉みじんにしたものを入れてご飯に掛ければこんな味に近付くんじゃなかろうか……」との事。
慧音は、小学生が給食で最後まで残してしまったピーマンを昼休みが終わる直前まで延々と食べるが如く、涙を浮かべ体を震わせながら完食する羽目になった。
こうして幻想郷を一時賑わせた魔理沙の黒歴史の再来は慧音の腹へと消え、残ったのは食あたりで二日間寝込む羽目になった慧音と、身に覚えの無い文々。新聞の一年間の定期購読を約束されたパチュリーとアリスであった。
「…っん」
「チルノさん?」
人の話し声に反応したのか、微かに身じろぎをしたかと思うと、チルノはゆっくりと目を開けた。
文が名前を呼びながらその瞳をのぞき込むとチルノは目をぱちぱち、としばたかせ
「あ、れ……?文……?」
「あら、気づいたのね、チルノ」
「れーむも……」
ゆっくりと、体を起こせば片目を擦りながら周囲を見渡したチルノは、ぼんやり、と宙を暫く見詰めた後に、首を傾げた。
「ここ、どこ……?」
「地下の洞窟ですよ」
「なんで?」
地面に座り込んだまま、文へと振り返ると不思議そうに訪ねた。
「なんで、あたいはこんなとこにいるの?」
「………」
「………」
思わず、文と霊夢は視線を合わせる。
何があってこんな場所で寝ていたか全く理解できていない様子に、ひょっとして想像以上の恐怖を与えられて記憶もぶっ飛ばしたんだろうか、と考えていた。
だが、そんな事とは露知らず、周囲を見渡せば、おぉー、とチルノは感嘆の声を上げる。
「すっごい涼しいね、ここ!」
「あ、あのチルノさん……数十分前の事、覚えていますか……?」
あんた聞きなさいよ、いやいや霊夢さんこそ。
返答が怖いそれに、霊夢とアイコンタクトでやり取りしていた文は埒が明かないと意を決し、恐る恐ると尋ねた。
するとチルノはおや?と難しそうな顔をし
「数十分……?あれ、そういえばあたい、何してたんだっけ……?」
「あんた、魔理沙と戦ってたはずなんだけど、覚えてないの?」
痺れを切らし若干引きつった頬で霊夢も続くが、ふるふる、と首を振るチルノを見て思わず固まった。
「これは……一時的に記憶を失ったのかしらね」
「永遠亭に連れて行けば記憶を戻せそうな気もしますが……何だか忘れておいたほうがいい記憶かもしれませんね……」
きっと一生分のトラウマだったんだろうなー、と霊夢と文、両者の思考がシンクロする中、事態を把握できないチルノは面白くなさそうに頬を膨らませた。
「そんなことより!何であたいはここにいるのっ?!魔理沙が関係あるの?!」
「ああー……ええと、なんと言いますか……」
間違いなく忘れていた方が身のためだもんなー、と文は考える。
だが、何故、を繰り返すチルノの機嫌が次第に悪くなり、どうしたものだろうか、と頭を悩ませていたら
「チルノ、あんたがここにいるのは大体コイツのせいよ」
「ぇ?ちょ、待っ?!」
霊夢がビシッ!と文を指差した。
売りやがったなコノヤロウ、だから自業自得でしょうが寒いから早く出たいのよ私は。
再びアイコンタクトを交わせば視線で火花を散らす両者。
そんな事お構いなしに、探偵が真犯人を見つけた時の勢いでチルノは文を指差し高らかに叫んだ。
「犯人は文かっ!!」
「確かに間違いとは言いませんけど?!」
「なんだか分からないけど、あたいがこんな目にあったのは全部文が悪いのね!!」
「あーもう地味に否定出来ないから始末におえませんよ、どうしてくれるんですか霊夢さん?!」
「だから文の所為だって」
「ほら、みろ! 責任とれー!!」
馬鹿め、と何処か蔑むような視線で霊夢に見下ろされれば、思わず文は唇を噛み締める。
出来るだけ穏便に済まそうと考えていたのだが、これではそんな解決は無理ではないか。
しかし、事態を長引かせてどうにかなる問題でもない。
はぁ、と深い溜息を吐き、文は腹を括った。
確かに、責任をとれと迫るチルノの主張は決して的外れではないのだ。
腰に手を当て、ふん、と不機嫌そうに鼻を鳴らすチルノに改めて向き合った。
「わかりましたわかりました、チルノさん。責任とりますから勘弁してください……」
「ふん、当然よっ!」
「あら、随分と素直に認めたわね……」
もっと粘ると思ったのに、と呟く霊夢を敢えて無視し、それで?と文は肩を竦めた。
「責任と一口に言っても様々だと思いますが……私はどうすればいいんですか?」
「え? あ、考えてなかった………」
「マジですか……」
「あんた、チルノを何だと思ってるのよ」
腕を組み、うんうんと唸り悩むチルノの様子に、一体どんな無理難題が課せられるのかと見守る文と呆れ顔の霊夢。
しばらくしてチルノがポンッと手を叩いた。
「今度やるお祭りに連れてって!」
「……はぁ?そんなんでいいんですか?」
肩透かしをくらった気分だった。
アイス一年分用意しろ、とか今すぐ夏を終わらせろ、とかもの凄い要求を想定していたが、チルノが求めたのは何て事はない、今度人里で行われる夏祭りに連れて行け、という物だった。
むしろそれでいいのか?と気が抜けた返答に対し、チルノは頷く。
「あたいお金ないし、一人で人里にいても何も出来ないもん」
「妖精は悪戯ばっかするし、最近の異常気象で強い個体も増えてるから、人里でも警戒されてるからねー……」
「つまり、私は保護者兼お財布役という訳ですか……」
やれやれ、と霊夢が肩を竦めるのを見つつ、何となく文は把握した。
妖精は悪戯好きだ。
誰かが常に監視の目を光らせなければ、いつ何時、何をされるか分からないという嫌疑があるのだろう。
しかも、チルノは通常の妖精とは違いかなり強い力を持っている。
寺子屋で勉学と処世術について頭突きでもって矯正を受けているとはいえ、ブラックリストに乗っていたとしてもおかしくはない。
わかりました、と文は一つ頷いた。
「いいですよ。なら、明後日でいいですね?」
「うんっ!!あたい綿飴食べたいなっ!」
途端に笑顔になったチルノに、文はやれやれ、と子供らしいその反応に微かに笑みを浮かべた。
結果的に一日だけエスコートすればいいだけなのだ。
チルノが被った物と比べれば安いだろう。
話が纏まれば、さて、と霊夢が手を叩く。
「さっさとここから出ましょう。外が暑いからって、ここにずっといれば体を壊すわ」
「そうですね……私もこの後用事がありますから、そろそろ行きます」
「えー……ここ気持ちいいのに……」
三者三様。
まだ居たいとごねるチルノだが、霊夢がさっさと飛び上がれば文も翼を広げて後に続き、仕方なしとばかりに渋々と空へと浮かぶ。
大人しく付いてくる様子をみると、やはり一人でこの暗闇は怖いのだろう。
文とて、涼しいのは嬉しいがこのような異質な空間に長時間一人で居たいとは思えなかった。
冷たい空気を抜けて大穴の出口へと向かうと、途端に暗闇から開放され、目が眩んだ。
真夏特有のジメッとした空気が淀む、いつもの夏がそこにあった。
「うわぁー………これは、暑っついですねー」
「とーけーるー……」
「体に厳しいわよ、この温度差は……」
気温差少なくとも25度以上。
思わず全員揃って顔を顰めたが、ふと暑さの源、太陽を仰ぎ見れば、げっ、と文は顔を顰める。
空の太陽は南中から大分傾いていた。
「っと、ちょっとやばいですね、これは!チルノさん!明後日は湖畔まで迎えに行きますからそこで待っててください?!」
「ぅー……あ、うん、分かったー!!約束破ったらアイシクルフォール千本だからねっ!!」
「ちょ、死にますよ?!」
「あ、文! お祭りのお土産、私は杏飴ねっ!!」
「買ってきませんよ?!きませんからね?!」
慌てて大きく翼を羽ばたかせ勢いをつける。
ここから全力で飛べばぎりぎり会議の時間までに間に合うだろう。
風切り音を聴き、背中にかけられる恐喝と謎のリクエストに負けじと大声で返すと一気に加速し、妖怪の山を目指した。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
妖怪の山。
天狗たちのトップに君臨する天魔が座す本殿と呼ばれる建物。
その権力を示すがごとく重厚な作りになっている寝殿造りの建築様式は、その巨大な建物全体をプライベートルームとしている訳ではない。
私室と呼べるのは本当に質素なもので、本殿自体は役所といった方がしっくりくる。
ゆえに、山の会議はこの本殿の一室で行われるのが通例だった。
「やれやれ、なんとか間に合いましたね……」
本殿の廊下を足早に進みながら、文は空を見上げる。
ぎりぎりかな?と思ったが夏空はまだ青く、かなり余裕だった。
風圧で乱れた髪をちゃっちゃかと手櫛で直しながら、ほっと一息を吐く。
「なんだか厄日でしたねー……今度雛様に祓ってもらったほうがいいですかね」
そもそも魔理沙さんと関わったのが間違いか……あれ、でも何であんな追われたんだっけ?
抹消された歴史を思い起こそうと頭を悩ませたが、思い出せないなら仕方ない、と早々に諦めた。
基本、後には引きずらないタイプである。
歩きながら、顔見知りの天狗と適当に挨拶を交わす。
挨拶は社会人としての基本だ。
笑みを顔に張り付け、文は会議の議題である間欠泉地下センターに関する情報を頭の中で整理しながら、ふと自分がこのような会議に参加するようになった事を考えた。
天狗の社会は明確なワントップ経営であるが、一枚岩ではない。
No.1の天魔が頭となり主導する革新派と呼ばれる自由主義の派閥と、No.3の大天狗が頭となって主導している守旧派と呼ばれる完全保守主義を掲げる派閥とに真っ二つに分かれている。
元から自由な考え方を持つ文は革新派に属しており、仕事の早さや物事に囚われすぎない事から天魔からの信頼も厚く、老天狗が多く占める幹部が参加する重要会議に顔を出す機会が多かった。
勿論、他と比較して高い評価を受ければ特異な視線を向けられる事も多い。
だが、そういった嫉妬混じりの羨望の視線は相手にするに値しないものだったし、陰口を聞き流すなど大した事ではなかった。
それ以上に、自分の思うように新聞作りが出来るというメリットがある。
会議は退屈でつまらない物だったが、自らが生きやすいように生き、やりたい事をやれるならそれで良い、という割り切りを文はしていた。
ああ、でも今日の議題は荒れそうだな―――
物憂げに溜息を吐く。
間欠泉地下センターの創設には守矢の神々が噛んでいたが、それ故に巻き込まれる形で参加を表明する事になった天狗達の間では、未だに二大派閥の間で確執が解消されていなかった。
既に前へと進められてしまった計画であるのに、未だに参加した事自体を批判する意見が出る始末。
結局、革新だ守旧だと言いながらも社会全体が保守である天狗にとって、常に意見が対立するのは仕方の無いことなのかもしれないが……。
そんなとりとめも無い思考を繰り返していた。
だからか、すぐ側に寄るまで彼女と気付かなかった。
「あっ」
「あ……」
上の空のまま視界の隅で捉えた純白の耳に気付けば、反射的に顔を合わせてしまった。
「文様……」
「おや……これはこれは椛さん」
どこか緊張感を含んだ声で名を呼んだ相手に、微かに頬がひきつった。
機械的に進めていた両足を止め、正面に緊張した雰囲気を纏う相手を見据える。
犬走椛。
哨戒天狗の彼女は妖怪の山への侵入者に対する警備担当である。
普段は警備にあたっている場所から動くことはないが、こうして本殿に来ていると言うことは本日の報告をしにきた、ということだろう。
「―――ご報告ですか?ご苦労様です」
「いえ……それが私の役目ですので」
ギスギスとしたやりとり。
昔はこうじゃなかったんだけどな、と文は思う。
少なくとも、ただの会話でここまで緊張感を持つ必要はなかったはずだ。
いつからか、互いに反りが合わなくなり、また彼女が守旧派に属すという事で立場の違いも明確になり、今では屈指の馬が合わない筆頭となってしまった。(その割りには誰かから貰った食べ物等を持っていると当てつけのように押し付けられるが)
「そうですかー……いやはや、椛さんは真面目ですね。ああ、そういえば以前頂いたお饅頭、美味しく頂かせて頂きましたよ?ありがとうございます」
「そうですか、それはなによりです。そのままお腹でも壊されればよかったですね」
「おやおや……椛さんはもう少し本音を隠す努力が必要ですね」
「これでも努力の末、可能な限り隠しているつもりなのですが、ね。それより道の真ん中でボーッと突っ立って、文様は、またよからぬことでも考えていたのですか?」
「いやはや、ずいぶんと信用ないものですね?」
「ご自身の胸に聞けばわかるかと?」
互いの腹をさぐり合うような言葉の応酬。
よからぬこと、というのは保守を軽んじる行動全般を指しているのだろう。
それを否定するように営業スマイルを浮かべ、いつもの一言を告げる。
「いつでもどこでも私は清く正しくがモットーですよ?」
「……。そうですか。貴女がどうなろうと知ったことではありませんが、天狗の面を潰すような真似はやめてくださいね」
言い捨てると、もう興味は無いと言わんばかりに椛は足早にさっていく。
その背中を半身で振り返りると、はぁ、と文は深いため息を吐いた。
(本当に、厄日だ)
ここまで嫌な事が続くのなら、今日の会議も何時に終わるか分かったものじゃない。
今までの経験からいって、嫌なことは続くものだ。
疲労感とは違う、どこか陰鬱な気持ちになれば、足取り重く会議室へと続く廊下を歩きだした。
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「ばかやろー……」
二日後、申の刻。
文は寝不足でふらつく体を必死に制御しながら霧の湖へと飛んでいた。
結局、最重要事項が議題であった会議は長引くだけ長引き、小休憩は入ったものの一日と半日という既知外な時間を拘束させられた。
議題を進めようと何度か討議の輪に入りテコ入れをしてみたが、5分後には再び戻るとあっては諦めるしかない。
何度も同じ場所で躓く討論を右から左へ聞き流し、時計の秒針が刻む1秒をひたすらカウントする作業に没頭した結果、16458秒数えたところで一度目の小休憩が入って二度とやるまいと心に誓った。
夏祭りの本番は夕方から、というのが唯一の救いだった。
朝日を拝みながら疲れた体を引きずりベッドに入った時は、もう一生このまま寝ていたい、と思ったが取材と約束、二つの目的がある以上そうはいかん、と気力で起きた。
数時間の仮眠をとった後の目覚めは最悪だったが、シャワーを浴びてなんとか身支度を済ませたのが数十分前の出来事だった。
ふぁ……。
生欠伸を噛み殺し、いつもチルノがいる湖畔へとゆっくりと降下する。
眠い目を凝らすと、湖畔にある岩の上に両足を投げ出している妖精の姿が見えた。
きっと待ちきれなかったんだろうなー。
ぼんやりとする頭で考えていたら、チルノもまたこちらを確認したようで立ち上がる。
そんな姿を見ながら、どうもどうも、と手を振りながらゆっくりと文は軟着陸した。
「遅いぞ、文!」
到着した途端これである。
腰に手をあててビシッ!と指さすチルノを見て、やれやれ、と苦笑を浮かべた。
「いやいや、お祭りの本番は夕方から夜ですよ?むしろ早すぎるくらいです」
「でも、あたいはお昼から待ってた!」
うっすらと額に浮いた汗をハンカチで拭きながら、知らんがな、という思いを心に押し込める。
基本、妖精とはこういう生き物だ。
それを楽しいと思って花の異変以降こんな感じで時々付き合っているのだから今更である。
それよりも……
「というか、チルノさん昼間からここに居たんですか?」
「うん、そだよ?」
「暑くなかったんですか?」
ここ一週間と比べれば若干暑さも和らいでいるが、今日だって十分暑い。
木陰のない、日差しが照りつけるこんな場所にいて熱中症にならなかったのだろうか?と不思議に思ったのだが、当の本人は至って涼しい顔で、汗一つかかずに拳を突き上げた。
「涼しくはないけど、あたいはぜっこうちょーだよっ!」
「おおう、そうですか。氷精ともなれば夏も快適に過ごせるんですねー……」
その元気を分けて欲しい、と思いながら軽く溜息を吐く。むしろ暑さに弱いような気がしたのだが、気のせいだったのか。
これもまた自然の神秘がおりなす奇跡なのだろう、と考えていたら、拳を下ろしてすぐ近くまで寄ってきたチルノが何かを探るように見つめていた。
「お?どうしました?」
「……文、なんか疲れてる?」
「―――へ」
きょとん、と首をかしげながら選ぶように掛けられた言葉に思わず目を見開いた。
なんという事だ、妖精に心配されてしまった。
近付いた分、強く発せられる冷気を感じながら、果たして自分はそんなに疲れた表情を浮かべていたのだろうか、と思わず苦笑を浮かべた。
「はっはっは、突然何をおっしゃいますか、チルノさん」
「うーん……なんとなく、そう思ったんだけど違ったの?」
山で、ちょっと嫌な事が立て続いた。
理解されない事を言ってもしょうがないだろう?と心で誰かが呟く。
それでも、先ほどの偉そうな態度から一変、心配そうに見詰めてくるチルノに、フフッ、と自虐とも自嘲とも言える笑いが浮んだ。
誰かに心配されるなんて、いつ以来か―――
「まぁ、ちょっと一昨日別れた後、山の仕事で嫌なことがあったんですよ」
「そうなの?」
だからだろうか
「ええ、嫌な奴に会ってしまったり、いつまでも抜け出せない本当に馬鹿みたいな会議に何時までも付き合わされたりと、面倒な事ばかりしていたんですよ。効率を求めるならもっとやりようがあるというのに」
普段なら自分の中で昇華させてしまう不平や不満。
深いため息と共に、その一端が、口をついて出た。
生暖かい空気を肌に感じながら、妖精相手に何を言ってるのやら、と改めて文は自嘲の笑みを浮かべた。
するとチルノは良く分からない、と難しい顔をしながら首を傾げる。
「何で?」
「え、と……何で、とは?」
むしろ答えに窮したのは文だった。
一体何を指して尋ねられたのかが分からない。そもそも、主語がない。
だがチルノは、だからね?と伝わらなかった事に苛立ちの色を浮かべながら、再び何でも無いことのように告げた。
「何で嫌な事なのにやってるの?」
「―――はぁ?」
何で?
何で―――だろうか。
一瞬、何を馬鹿なこと言ってるんですか―――と言いそうになった。
だが改めて考えると、チルノの質問の一体何が馬鹿なことなのか、文には見当がつかなかった。
嫌なことをやる理由。
それは社会に生きていれば否応なく付き纏うある種の宿命だ。
誰もが好きなことをやりたいと思う。
それでも、それだけでは済まないのが、大多数の意思と共にある共同体に属するということだ。
共同体に属さず、あるがままに生きる妖精にそれが理解出来る筈も無い。
―――それはチルノさんだから理解出来ないんですよ―――
けれども、それはチルノが求めている答えではないという事は分かっていた。
というよりも、そもそも答えになっていない事に気付いたのだ。
本当に嫌なら共同体から外れる、という選択肢だってあるのだから―――
「そ、れは………」
「うん」
純朴な瞳が、見定めるように見上げていた。
無垢なそれに射竦められると、口の中が乾くほどの緊張を強いられた。
昨日の、椛とのやりとりなど遊びかと思えるほどに。
「……嫌な事でも、それを求められるならば、やらなくてはいけないんですよ?」
一言一言、間違えていないだろうか、と戦々恐々しながら言葉を選ぶ。
結局、口から出たのは大人が子供に言い聞かせるような、正に子供騙しの言葉だった。
「そうなの?」
「ええ、そうなんです」
真偽を確かめるような瞳を直視できずに思わず視線を逸らした。
ついてはいけない嘘をついたような居心地の悪さ。
なんでこんな思いをしなくてはならないのか、と口の端を軽く噛み締めていると―――
「そっかー。文は偉いんだね!」
「―――ぇ」
再度、予想外の言葉をかけられた。
驚きに目を丸め視線を戻すと、チルノは満面の笑顔を浮かべていた。
偉い?
私は、何が偉いのだろうか―――?
褒められた意味が文は分からなかった。
だが、当のチルノは「だって」と一つ間を置き
「けーねが言ってたよ!やりたい事だけじゃなくて、やりたくない事でもしっかりやるのは偉いことなんだって!」
何の躊躇いも、何の疑いもなく、見ている方が幸せになれるんじゃないかと思える笑顔で告げた。
夏の、青い空にも負けないほどの眩しい笑顔を―――
「―――まったく、チルノさんはお馬鹿さんですねー」
「ぅえ?!な、何が?!というか、あたいは馬鹿じゃないーっ!!」
思わず、文は近くにあった頭を乱暴にワシワシと撫でながら暴言を吐く。
髪を乱され、顔を真っ赤にさせて怒るチルノの反応は、当然だった。
―――所詮、ただの照れ隠しだ
「―――ありがとうございます」
手元で喚くチルノには決して届かないであろう程の小さな声で、礼を告げた。
ただ、彼女がくれた一言で、先ほどまで心に埋まっていた幾つかの醜い想いが消えていた。
(誰かに認めて欲しかったのかな、私は―――)
ふぅ、と小さく息を吐きながら考える。
既に抜け出すことなど不可能で、惰性にしても生きてきた社会。
そこで、嫌々ながらでも嫌なことを続けてきた自分を。
ただ、偉いね、なんていう簡単な言葉でも良いから誰かに言ってほしかったのかもしれない。
それを初めて伝えたのが、この幻想郷のヒエラルキー最下層にある妖精というのが、なんともまた文にとっては愉快な事だった。
―――本当に、チルノさんは私の好奇心を満たしてくれる
さて、と文は改めて息を吐いた。
これから夏祭りに行かなくてはいけないのだ。
それは取材の為であり、きっと意図もしないで自分の事を認めたチルノの為に。
ガルル、とまるで狂犬のように睨みつけてくるチルノを見て、思わず苦笑した。
幼稚な照れ隠ししか出来なかった、自分に対して。
「さ、チルノさん。そろそろ人里に向いましょう?お祭りが始まってしまいますよ?」
「ぅ―――ッ!そうだった!」
話題を夏祭りへと振ると途端に顰めていた表情を引っ込めて顔を輝かせるチルノ。
本当に、そういう素直な所は好きだな、と文は心で呟いた。
「さぁさぁ!行きますよ、チルノさん?」
「うんっ!!」
飛んでもいいが、それでは早く着きすぎてしまう。
チルノを先導するように、ゆっくりと歩き出せば後から子犬のように付いてくる彼女を見て、文は人知れず笑みを浮かべていた。
「わぁ!!」
大体30分程度かかった。
歩いて人里に到着したチルノは、人里入口から広がっている光景に感嘆の声を上げた。
空の青色が陰り始めるなか、あちらこちらの軒先に吊るされた提灯が、柔らかな灯りをともしていた。
普段は歩くのに苦労などしない程の幅がある表通りも、今は多くの露店が並び立ち、少々狭くなっている。
道の端から始まる露店は、綿飴から杏飴といった甘味から、金魚掬いといった定番の屋台。
夏を彩る風車や風鈴、お面、更には髪飾りといった装飾系の物など、夏祭りに欠かすことの出来ない数多くの屋台が道に沿って並んでいる。
年に一度のお祭りだ。
特に最近は馬鹿みたいに暑かったから、その鬱憤が溜まっていたのだろう。
既に多くの人々が娯楽を求めて出歩いており、あちらこちらが喧騒に包まれている。
本日の売上は貰った、とばかりに余裕顔でのんびりと準備を始めるかき氷の屋台。
既に準備を整え、歩く人々を誘いこもうと声を上げる、焼きとうもろこしの屋台の店主。
リンゴ飴が欲しい、と親にせがむ子供の声。
人里全体を、夏の暑さだけではない熱気が包みこんでいた。
そんな何処か忙しない熱気を感じて団扇で風を作りつつ、この分じゃかき氷はすぐに完売してしまいそうだ、と文は思った。
「ねぇねぇねぇ!!何処から行く?!」
ぐいぐいぐい!と袖を強く引かれる。
視線を下げると、目を輝かせたチルノが、今か今かと走り出そうとしていた。
「そうですねー……とりあえずお祭りの取材もしたいので、端から順番に回りましょう」
「うん、わかった!!」
元気の良い返事だが、すぐにでも飛び出して行ってしまいそうなチルノに一抹の不安が沸き起こる。
もし、その勢いのまま目の届かないとこに行かれてしまうと何かしらの問題を起こす可能性があるし、そうなっては取材が滞ってしまう。
「と、その前にちょっと失礼しますね?」
「え?」
袖を握っているチルノに手を一端離して貰い、改めて左手でギュッと握り込む。
「え、えと、文……?」
浮かべた戸惑いの表情に、文は微かに笑った。
「これだけ人が居ますからね。私が迷子にならないように、手を繋いでいてください」
「! もう、しょうがないな、文は!あたいに任せろ!!」
もし、チルノさんが迷子になりそうだから―――なんて言えば子供扱いするなと反抗される事が目に見えていた。
嘘も方便、だろう。
任せろと意気込むチルノの姿を文は微笑ましく眺めていたが、先ほど意味も無く緊張させられた姿と目の前の子供っぽい姿がどうにも乖離しているように思えて仕方なかった。
「ほらほら、まずはすぐそこのお店に行こうよ、文!」
「と、ととと……!?チルノさん、屋台は逃げませんから大丈夫ですよっ」
チルノは腕を引っ張りながら早速とばかりに屋台へと突撃していく。
引きずられながら、必死に静止の声を上げるが―――そのまま突撃取材となった。
―――カシャリ。
手際良く割り箸をグルグルと回し、次第に大きな白い綿飴へとなっていく様子をカメラに収めた。
「いやはや、お上手ですねー」
「慣れりゃ、案外簡単さ。ただ、巻き取るのにコツがいるから、素人がやろうとすれば最初は不格好になるだろうがな。しかしまぁ、妖精も悪戯さえしなけりゃ可愛いもんなんだなっ!」
手拭いを頭に巻いた屋台のオヤジ―――この風体で普段は和菓子なんぞを作っているらしい―――は段々と大きくなっていく綿飴を見つめ続けるチルノを見て、がっはっは、と楽しそうに笑い、完全に巻き取れた綿飴を「はいよ」と渡してきた。
「どうも、ありがとうございます」
「新聞にするなら本業のほうで書いてくれるとありがてぇがな。まいどありぃ」
「綿飴わたあめ!!」
ぴょんぴょん、と正に跳ねながら綿飴を求めて両手を突き出すチルノ。
なんとなくその姿を見ていると、むくむくと悪戯心が湧いてきて、掌を突き出すように手を伸ばし―――
「待てっ」
「ぇうぁ?!」
綿飴を受け取ろうとした瞬間、マテを受けたチルノはビクリと体を震わせて停止する。
両手を突き出したまま、なんでなんで?と分からない表情で止まり続ける姿を見て、文は思わず噴出した。
「っあははは!相変わらずチルノさんは面白いですね!」
「え、何が?!っていうかあたいはいつまで待ってればいいの?!」
どうにも言葉通りに止まった彼女を見れば愉快になる。
腹を抱えて、はぁ――はぁ――、と切れる息を整わせながら、彼女を盗み見ると段々むくれてきていた。
意味も無い事を行き成り言われたのだから当然だ。
流石にいつまでもお預けを食らわせているのも可哀想になったので―――
「はいはい、済みませんでした。じゃあこれどうぞ」
「!! いただきまーすっ!」
どうぞ、と綿飴を手渡せば途端に笑顔になって、そのままガブリ。
白い綿にかぶり付けば、もふもふと口を動かし、口の周りを溶けた砂糖でベッタベタにしながら幸せそうな笑顔を浮かべた。
本当に、単純なんですから―――
ファインダー越しのその笑顔を眺めながら、一枚シャッターを切った。
「うわっ?!破けた?!」
―――カシャリ。
美しい朱色の魚が泳ぐ浅い水槽を前に、悲鳴を上がった。
結局、金魚は一匹も取れないままポイに大きな穴が開いている。
チルノは本気で悔しがり、その姿に普段は質屋の番頭という女店主が「やっちゃったわねー」と笑う。
丁度、狙った金魚が水槽へと落下する瞬間をカメラで捉えた文は、やれやれ、と小さく肩を竦めた。
「チルノさんは下手ですねー」
「っ?!そんなことないもん!こいつが弱っちいからだ!」
こいつ、と紙が破れたポイを憎々しく掲げられ、あははは、と笑う。
店主に代金を渡し、新しいポイを一つ受け取ると、いいですか?とチルノへと視線を合わせた。
「何故破けてしまうか、というと勢い良く金魚を掬おうとして水も一緒に掬ってしまっているからです」
「え?でも、水の中に入れるんだから水もすくっちゃうよ……?」
不思議そう首を傾げるチルノに、ちっちっち、と指を振って文は不敵な笑みを浮かべた。
「甘いですね、チルノさんは。そのまま上に持ち上げるから駄目なんです。ゆっくりとスライドさせるように金魚を上げれば水は掬いませんから、抵抗が少なくなるんですよ」
「お、おぉ?!」
「まぁ、今から私がお手本という物を見せてあげましょう!」
いまいち説明の要領を得なかったようだが、兎に角何かが凄いという事を感じ取ったチルノが熱のこもった視線を送る。
それを感じながら、文は自信満々の笑みを浮かべてポイをそっと水槽へと沈める。
かつて文は金魚掬いで58匹取り、屋台の店主に「もう止めてくれ!」と懇願された事があったのだった。
それから幾星霜の月日は流れたが「金魚掬いの文ちゃん」の名は伊達ではない!と久しぶりの金魚掬いに腕を鳴らす。
その瞳は、獲物を狙う鷹、そのものだった。
ゆっくりと、比較的小さめで大人しそうなターゲットを絞れば、その朱の体の下へとポイを入れ、金魚が動く方へ水を切るように斜めへと持ち上げて―――
「「あっ」」
二人の声が重なった。
持ち上げるまでもなく紙は破け、大人しい金魚はゆったりと水槽の端へと泳いでいく。
「ちょ、この紙脆すぎじゃないですか?!」
「文、下手くそー!」
「ぬがぁぁぁぁ!!」
おぉ―――――
この暑い中、あらん限りの能力を使い氷を作り出すチルノに対し周囲から響めきが起こった。
顔を真っ赤にさせながら、高さ60センチ程の気泡が一切入っていない純度の高い氷の柱が徐々に出来上がっていく様子を、カシャリ、と写真に収める。
ここはカキ氷屋である。
チルノが次に食べたい、と顔を出したのだが、呉服屋を営んでいるという恰幅の良い中年の男性は、困ったように笑っていた。
何でも、この暑さでカキ氷が売れに売れ、既に完売してしまった、という事だったのだ。
「本当に申し訳ありません」と平謝り状態の店主だが、目当ての物が食べられなかったチルノは不満である。
謝罪の言葉を聞いても終始頬を膨らませていたのだが、ふと、文は妙案―――という程の物でもないのだが、思いついた。
―――チルノさんが、氷を作ればいいんじゃないか? と。
結果が、この屋台を取り囲むように出来た人垣である。
多くが同じようにカキ氷を目当てにして食べられなかった人々で、氷が一気に急成長していくのを見て、やんのやんの、と歓声を上げている。
「っしゃ!出来たッ!!」
「おお、頑張りましたね、チルノさん」
よしよし、と頭を撫でると、えへん、と胸を張る。
どうせ作るんだからすげえ氷を作る!と息巻いていただけあって相当チルノは頑張っていた。純度が高い以上に何がすげえのかは文には理解ができなかったが。
そんな全自動氷製造器チルノに対し「すげぇ!」「夏に欲しい!」「むしろ家に来て?!」といった様々な声が周囲から上がり、尊敬するような眼差しが向けられた。
特に酷暑であった今年、冷気を得られる存在は神に等しかったのだ。
だが、普段そういったポジティブな意味での注目を集める事が少ないチルノは、周囲からのその目が何処か居心地が悪そうで、微妙な表情を浮かべて文の背中に隠れてしまう。
だが、その姿を見た周囲は「可愛い!!」「持ち帰っていいか?!」と、更にヒートアップする始末。
普段、妖精となれば否定的なイメージを持っている人里の人々の現金さに、やれやれ、と文が苦笑を浮かべ、本当に連れ去られかねないな、と引っ付いているチルノの肩に手を置き、そっと力を込めた。
「いや、ありがとうございます。助かりました。これどうぞ」
「あ、どうもどうも」
「! わーい!!」
未だに引かぬ人垣に、どうしたものか……と頭を悩ませているとニコニコ顔の店主がやってきた。
その両手には、てんこ盛りになった青と赤のカキ氷が乗っており、それに気付いたチルノは素早く青いカキ氷をかっさらった。
屋台では続々と氷が削られており、二人を囲んでいた人垣も遅れてはまた無くなる、とゾロゾロと散り並び始める。
「ですが、凄い能力ですね、本当に」
「まぁ、チルノさんの特技ですからね」
見ている方が頭が痛くなりそうな勢いでカキ氷をザクザク食べているチルノを見て店主が微笑ましそうに笑い、赤いカキ氷を受け取りながら、文もまた笑顔で頷いた。
妖精が人の役に立つ、なんていうのも、もしかしたら前代未聞の事なのかもしれない。
幸せそうなチルノを見ながら、そんな事を思っていると、ところで……と店主が懐から小さな袋を取り出し、文へと差し出してきた。
「え、と……これは?」
「いえ、御陰でまだ売れますから、ほんのお礼です」
少ないですが、と店主が苦笑しながら軽く袋を振ると、じゃらり、という金属音が鳴る。
なるほど―――
それが何なのかに気付けば納得は出来たが、文は手を振った。
「あ、いや、結構ですよ。こうしてカキ氷も頂きましたし」
「ですが、こちらとしても定価で売らざる得ません……作って頂いた以上は、何かしらのお礼をしなくては商いをする者としての矜恃が許しませんので……」
「ですけど、実際大した事ではないですし、チルノさん妖精ですからお金貰っても使い道ないですしねー……」
「ん??」
ざっくざく、と大盛りのカキ氷の半分以上を食べきったチルノが、名前を呼ばれ二人を見上げた。
何の話?と不思議そうな瞳を眺めながら、文は困ったなー…と人知れず苦笑を浮かべる。
今回は先日のお詫びも兼ねているので、チルノが報酬として貰ったお金で屋台の物を買い与えるのは抵抗があったし、そもそも妖精にとってお金など本当に必要の無いものだ。それを与えても、チルノはその価値を理解する事ができないだろう。
だが、一方で商いに従事するが故に店主が持つ矜恃も理解出来たし、それ故、差し出された金額がそれなりに達している事は、見た目にも想像に難しくなかった。
また―――この夏に氷を作る事を安請け合いし過ぎれば流石のチルノもぶっ倒れるだろうし、かといってここだけ無償で他の依頼を断れば、店主とチルノ、双方への風当たりが悪くなりかねない。
何処かに良い落としどころは―――としばらく頭を悩ませた文は、どうでしょう、と店主に声をかける。
「先程も言いました通り、妖精はお金を必要としないんです。ですのでその金額分、今度チルノさんに何か着物を仕立ててあげる、というのは?」
「―――ああ、なるほど。それで宜しければ、是非」
「ねぇねぇ、何の話ー?」
しゃくしゃく、とカキ氷を食べながら首を傾げるチルノに視線を合わせるように、よいしょ、と声をだして店主がしゃがんだ。
近付いたその視線を不思議そうにチルノが見つめ返すと、店主が柔らかな笑みを浮かべる。
「作ってくれた氷に対して、何かお返しがしたい、という話をしていたんだよ」
「?? あたい、カキ氷もう貰ったよ?」
「それだけでは、こちらの気が収まらないんだ……だから、今度店の方に来ておくれ?似合う着物を仕立てるから」
「……え?」
先ほどと同じように、何処か戸惑い気味の表情を浮かべるチルノに、文はポン、と軽く頭に手を置く。
どうすればいいの?と問うような視線に、文は笑みを浮かべた。
「チルノさんへの感謝の印に何かしたいという事です。いいじゃないですか、好意は受け取るものです。今度簡単な浴衣でも作って頂ければ」
「う、うん……じゃあ、それで……」
「じゃあ、お待ちしてますね」
こくり、と一つ頷いたチルノを見て、店主が温和な笑みを浮かべると立ち上がり
「では、夏祭りを楽しんで下さいね」
「はい、ありがとうございます」
「え、と……あ、りがとう?」
ぎこちない笑みでお礼を告げれば、くすり、と店主は笑い、そのまま屋台へと戻っていく。
その姿を呆然とチルノは眺めていたが、ふと文へと視線を戻した。
「文」
「はい、なんでしょうチルノさん」
「あたい、人間にありがとう、なんて初めて言われた……」
「それだけ、チルノさんが偉い事をした、ということです」
「偉い?」
「ええ、誰かの為に頑張れる、という事は偉い事なんですよ?」
「……そう、なんだ」
どこか気恥ずかしそうに顔を俯かせ、残ったカキ氷をザクザクと崩すチルノの姿をしばらく見つめていたが、さぁ!と元気よく声をかけた。
「ちゃっちゃか食べて次に行きましょうか、チルノさん」
「……うん!ほら、文も早く食べないと置いてくよ!!」
「え?あ……」
ふと、手元に視線を戻せば、若干溶けたにしても、口をつけていない大量のカキ氷が鎮座している。
勢い良く残りを掻き込むチルノを見て、え、そのペースで食べなきゃダメなの?と文は冷や汗が背筋を伝うのが分かった。
「ッぷは!ごちそうさま!ほら、文も早く食べて行こうよー!!」
「―――ッええい、女は度胸です!!」
器は返さなくてはいけないので、このままノンビリ食べていればチルノの我慢が限界に達するだろう。
覚悟を決めた文はカキ氷をグッ!と一気に掻き込んだ。
頭が、キーン、となった。
「ねぇ! 今度はあっちに行こうよっ!!」
「はいはい、落ち着いて下さい、チルノさん」
杏飴を片手に持ち、満面の笑みを浮かべるチルノに先導されながら通りを歩き、文は、ふと思った。
楽しいな―――と。
自分一人ではただの取材であり、ここまで“お祭りに参加している”と感じることは出来なかったであろう、と。
直ぐ側にいるチルノは、全ての物に興味を示して、時に笑い、時に驚き、それらを存分に楽しんでいる。
ただ、自らの傍らでどこまでもお祭りという娯楽を心のそこから楽しむその姿が、どことなく眩しかった。
―――あるがままを楽しむという気持ちを、私はどこかに忘れてきてしまったのかもしれない
そんな事を思わせるほど、チルノはとことん楽しんでいた。
思えば楽しそうにはしゃぐチルノを見た色々な屋台の店主は、誰もが笑顔だった。
見る者すら、そんな気持ちにさせる、そんな笑顔なのだ。
「ねぇ、文!!」
「はい、なんですか?チルノさん」
元々、彼女を楽しいと感じたのは、彼女が自分には見えない物を見ていると感じたからだった。
自分の好奇心を満たすに足りる相手だったからこそ、時々彼女の元に顔を出していた。
だが、今はどうなのだろうか?
繋いでいる小さな手を見て、思う。
今までは知識的な欲求の上での楽しさだったが、果たして今もそうなのだろうか、と。
「楽しいね、お祭り!!」
「―――ええ、なんといっても、お祭りですからね」
自然と、文もまたチルノに負けぬ笑みを浮かべていた。
それは、心から今を楽しんでいると思わせる、幸せそうな笑みだった。
「あ………」
「ん?」
それは一通り屋台を見て回った後の事だった。
大体食べたい物は食べて満足したのか、チルノは大きなリンゴ飴を幸せそうに頬張っていたが、突然小さな声を上げて立ち止まった。
繋いでいた手に抵抗を感じ、同じく文も立ち止まると傍らの姿を見下ろす。
どうしたんだろうか?
チルノは一点をただジッと見つめていた。
視線の高さの違いから、すぐに見ている物が何であるか気付かなかったが、ゆっくりとその視線の先へと視線を移してみると―――
「―――簪、ですか?」
そこには木製の物から金属製の物まで、色とりどりを揃えた多くの簪が広げられていた。
蝶や花などの飾りは、本物かと見間違うほど精巧な作りをしており、その細部に至るまでの再現力に圧倒される。
チルノが目を奪われた正体を知り、なるほど、と思った。
派手さは無いが、確かにこれは目を奪われるだけの価値はある、と。
改めて屋台へと視線を移せば、簪を広げた棚の向こう側から、若手の職人と思わしき若い店主が親しげな笑みを浮かべ、いらっしゃい、と愛想良く言葉をかけてきた。
「いや、どうもどうも。凄い良く出来ていますね、まるで本物かと見間違えましたよ~」
「ははは、ありがとう。折角だからゆっくり見ていってよ」
ではお言葉に甘えて、と文はしゃがみ、改めて簪を眺めながら微動だにしない姿を視界の端で見た。
妖精はリボンやら帽子やらと、装飾品を身に付けている事が多い。
実は案外オシャレとか気にするのかな、と常々思っていたが、実際そうなのだろうと結論づけた。
さて、チルノさんが見詰めているのは―――?
先程から彼女が心を奪われているのはどの簪か、とその視線を辿っていくと―――
「花、ですか?」
「………え?」
文が、その簪を手に取り呟くと、金縛りから解かれたようにチルノが小さく声を上げた。
花の異変で妖精達がはしゃいでいたように、やはり妖精にとって花は好ましい対象なのだろう。
すぐ横からの視線を感じながら、手にとった真鍮製の簪―――その花を見詰めた。
5枚の―――花蓋だろうか?それがそれぞれ別方向へと伸び、中央に独特な形をした花弁がある。
「それは紫蘭ですよ」
「「シラン?」」
文とチルノが同時に声がした方へ視線を向けると、ええ、と店主が穏やかな顔で頷いた。
「フジバカマの異称で使われる事もありますが、歴とした蘭の一種です。初夏の頃に紅紫の綺麗な花をつけるんですよ」
「はぁー……紫色の蘭で『シラン』ですか、なるほど」
「買われます?」
人のよさそうな笑みのまま、それを凝視し続けるチルノを見る店主。
同じく文も盗み見ると、一言も発すること無くまさに心を奪われている、という風だった。
机に置かれている値札はそれなりの金額だ。複雑な形状を金属で再現しており、決して安い物ではなかったが―――
「ええ、頂けますか?」
「――えっ?!」
「はい、ありがとうございます」
代金を店主に手渡しながら、「え?え?」と不安そうな表情を浮かべるチルノを見て思う。
セミショートの髪を結うには、少々無理があるだろう。
それでも―――
「はい、どうぞ。チルノさん?」
「え、と……その、いいの……?」
銀色の紫蘭が咲く簪を、チルノへと差し出した。
理解できないにしても、高価なもの、という事は察したのだろう。
受け取っていいのか、と戸惑い気味に見上げてくるチルノに、ええ、と文は頷いた。
「私からチルノさんへのプレゼントです」
「!! ありがとう、文!!」
簪を受け取り、目を輝かせ見詰める姿に、文は小さく笑みを浮かべた。
今日一日、彼女に楽しませて貰ったお礼と考えれば安い買い物だ。
貰った簪を手に、くるくると回っていたチルノだったが、ねぇねぇ!と文へと近づき簪を差し出した。
「文、結って結って!!」
「はいはい、結うだけ結ってみましょうか……後ろ向いてください?」
「うんっ!」
その髪の長さでいけるかな、と苦笑しながら簪を受け取り、素直に後ろを向いてリボンを解いたチルノの髪を手に取る。
サッラサラ、だった。
今まで、何度か頭を撫でたりしていたので髪質の柔らかさは知っていたが、改めて弄る為に手にとったそれは文の想定を超えていた。
「んー………」
「? 文ー?」
暫く悩んでいると、チルノの不思議そうな声が響く。
絶対無理、だよなー…
そんな思いを抱えつつ、柔らかな青い髪を束ねて捻り、そこに簪を差し込めば髪束と一緒に巻き込むようにクルリと回転させ、差し込んだ―――
「…………」
「ねぇ、どうどう?!」
どうもなにも―――。
笑顔で聞いてくるチルノを見て、文は思った。
変にふんわりとしたお団子というか謎の塊が簪で留められているそれは、出来の悪いチョンマゲのようだ、と―――。
「ねぇ、文ー?」
「んー………やっぱり、ちょっとチルノさんの今の髪じゃ長さが足りないですねー……」
「ええっ?!!」
あからさまにがっかりするチルノに追い打ちを掛けるように、スルリ、と簪が髪から抜け落ちた。
それを苦笑しながら宙でキャッチして、チルノへと簪を差し出す。
「まぁ、とりあえずはリボンのままということで、我慢してください」
「むー……っ!折角貰ったのに……」
しょんぼり、と肩を落とすチルノを見ていると、仕方ないことなのだが何となく可哀想になってくる。
なんとかならないかな……としばらくチルノの後頭部を眺めていたら店主が助け舟を出してくれた。
「それなら、簪を髪ごとリボンで結んではどうですか?」
「ああ、なるほど……一応それならいけない事はないですね……」
「本当ッ?!」
やってやって、とせがむチルノに文と店主が顔を合わせて苦笑する。
リボンを受け取り、簪と髪を纏めて結べば彼女のトレードマークであるリボンに紫蘭の花が咲いた―――
「……うん、やっぱり髪を伸ばすのが一番の得策ですね」
変だ、という言葉を限りなくオブラートに包んだ自分を、文は褒めたくなった。
これならまだチョンマゲの方がマシな気がする。
店主も思いつきで言った結果のそれに、うわぁ、と苦笑を堪えきれていない。
「うー……あたい、頑張って髪伸ばす!」
自分で簪を抜き取り拳を握る姿に、頑張れば伸ばせるのだろうか?等というどうでも良い事を考えていると―――
ヒュルルルゥゥ―――――――ドーン!!
体を突き抜けるような破裂音と同時に、夜空に大輪の花が咲いた。
周囲からも、一段と大きな歓声が上がる。
ああ、もう花火が打ち上げられる時間か―――
夏祭りの最後を締めくくる時だった。
今年は、早いな―――
色鮮やかな色が散りばめられるその様が訪れるのが、例年と比べて早く感じられた。
続々と打ち上げられる、弾幕よりもなお美しいそれを見れば、毎年思い知らされる。
人間には、叶わない―――
夜空を照らし出す火の魔法を見ていると、空を見詰めていたチルノが歓声を上げた。
「おお、凄い凄い!!あたいの弾幕ぐらいに綺麗ねッ!」
「ふふふ、そうですねーチルノさんの弾幕も綺麗ですからね」
どこまでも無邪気なその声に、嘲笑でも何でもなく素直に笑った。
チルノは、うんっ!と答えながら、空から目を離すことなく花火の破裂音に負けじと大声を上げ―――
「文の弾幕も!あたいのと花火くらい綺麗だよッ!!」
「―――ありがとうございます」
驚きに、思わず目を見張ったが、様々な色に変化するその横顔を眺めながら、文は微笑を浮かべた。
なんとなく、嬉しかった。
今度はちゃんと声で伝えられただろうか。
そんな心配を胸に、さぁ!と簪を握るチルノの手を文は掴んだ。
「チルノさん!もっと良く見える場所を知ってるんです、行きませんか?」
「本当ッ?!いくいくっ!!」
お世話になりました、と簪の店主へと声をかけ、はしゃいだ声を出すチルノの手を引き空へと飛翔した。
お祭りだ―――
未だ打ち上げられ続けている花火を眺め、空を舞いながら思った。
楽しまなくちゃ、損ですよね―――
取って置きのベストスポットをチルノと共に目指す文の顔に浮かぶ心からの笑みが、花火の明かりに照らされた。
―――ドーン!!
祭りと夏の終わりが近い事を告げ続ける、たった一瞬で散る儚い炎が空に咲いては、消えた―――
―― ・ ―― ・ ―― ・ ――
「あーやーッ!」
霧の湖近くの森。
魔理沙が作った大穴のすぐ傍で、妖精の高い声が響いた。
その声を聞きながら、日陰になっていた倒木に腰掛けていた文はパタン、と記事のネタを書き込んでいる手帳を閉じる。
顔を上げれば、チルノが大事そうに簪を握りしめながら飛んできた。
「ねぇねぇ!あたいの髪伸びてない?!」
「んー…そうですね。もうちょっと伸びないと結えないですかね?」
「えー……」
文は、不満タラタラで頬を膨らませるチルノを見て、微笑み、考える。
ここ最近、顔を合わせるとまっ先に髪のことを尋ねてくる。
まだまだ長さの足りない事を伝えて、くっそー!と悔しがるそんな姿を微笑ましく思っていた。
「あ、そうだ文!今度は何処行くの?!」
「この間紅魔館へ行きましたから……そうですね、地底にでも取材に行きましょうかね」
「ホントっ!?あたい地底行った事ないんだ、ねぇ一緒に行ってもいい?ダメ??」
最近、少し変わった事が一つある。
毎回という訳ではないが、お互いの都合が合えば、取材にチルノが付いてくるのだ。
好奇心旺盛で、何にでも興味を示すが、案外取材中は大人しくしていてくれる。
人の為に頑張る、を実践していてくれるのかな?と思うと、何となくだが嬉しくなる。
―――だってそれは、私の事を認めてくれている、と思うから。
「ええ、いいですよ?」
「本当?!やったーっ!!」
「ただし、ちゃんと私の傍に居て下さいね?」
今まで誰とも一緒に取材なんてしたことが無かったが、チルノの同行を許したのは案外どうでも良い理由だった。
きっと、数週間前の自分が聞いたら笑ってしまうような、そんなどうでも良い理由。
「大丈夫だよ、ちゃんと傍にいるよっ!」
「あはは、なら結構!では、明後日ここに集合でいいですか?」
彼女と一緒にいるのが楽しいからだ。
私は、私の好奇心を満たす対象として、彼女の事が好きだ。
それは友情というには持て余し、恋というには物足りない感情。
それでも、私は思ったのだ。
「うんっ!!」
元気な声と共に、夏空に背を向けてチルノが満面の笑みを浮かべる。
夏の空よりも青い髪とリボンが風に舞うのを見ながら、文も釣られるように笑顔を浮かべた。
その、見ているだけで幸せになれそうな笑顔を近くで見ていたい、と思ったのだ―――
こいつぁ文チルだぜ!ハラショー!
四部作......だと......
今回も面白かったです。
続きが楽しみです。
今までの設定はとりあえずリセット?
どちらにせよ楽しみで仕方ないです!
しかし昨日の今日でこの分量…!
続き期待です
イカ焼き? 淡水のイカっていましたっけ。
>>神殿造り
寝殿造?